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神の存在/不在と科学の範囲
222
:
macska
:2007/01/18(木) 01:17:10 ID:VdHL1C4M
>>201
> 「イエスのDNAもしくはその断片が発見されたならば、水をワインに変えたり、
> 死者を蘇らせる能力を(身体的に)有していたか否か」が検証(自然科学の
> 方法論によって)できる、と述べているようにしか読めない。
そんなことはないし、そうは言っていない。イエスのDNA云々は、仮にの話で、例えばイエスの父と母が誰であったかDNAによって確認された場合、聖書による処女受胎の伝説が反証されることもあり得ると言っているだけ。DNAが発見されればその人物について何でも分かるなんてことは主張していません(いくらなんでもそんなトンデモありえない)。
> 無論「科学的に実証できるような出来事」を指して「奇跡」なんて呼ぶ必要は
> ない。奇跡というくらいだから「めっちゃあり得ない事象」で構わないわけで、
> これを「検証しようという試み」自体がすでに破綻しているんだよね。
だから、現実問題として検証可能なだけのデータがあるかどうかは別として、仮にそれが神の介入による現象でも、現実世界で起きたことは科学の探求の対象でしょう、と言っているわけ。現実世界で起きた物理的な現象が「科学の範囲外」というのは論理的におかしい。
>>205
> つまり、宗教の「知」は科学の範囲内に納めておけ、科学がわからない事象
> についての宗教的「知」などありえない、知っているんじゃなく信じている
> だけだと認めろ、と、“宗教に対して科学側は主張すべきだ”と。
いや、この件についてはわたしが「宗教にも分からない」と言っているだけであって、科学の側がことさらそう宗教に向けて主張するべきだとは言っていません。
しかしまぁ、科学の側に立つ論者の一部が、科学に全く手の届かないテーマが話題に上ると「それは宗教の範疇である」として、まるで宗教にならそのテーマについて何か確からしいことが言えるかのように振る舞うことがありますが、それは不必要だと思いますけどね。
> macskaさんの定義そのものが、宗教的知を科学的知より不確かで範囲の狭い
> ものであることを認めろ、という主張に読めます。
宗教的知というのが、(文脈上)現実世界の外側の事象に対する、人間の知覚によって何の確認も取れない物事についての知識であるとすれば、それは科学的知より不確かであると言って問題ないのではないでしょうか。そしてそのことは、宗教の価値を何らおとしめないと思います。「宗教への侮辱だ」と反応している側のほうが、科学の価値観で宗教の価値を決めつけているという点で宗教を侮辱していると思います。
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