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神の存在/不在と科学の範囲
69
:
macska
:2007/01/11(木) 05:00:36 ID:VdHL1C4M
>>68
なるほど、あなたの言うことはどこまで本気か分からないので思わず飛ばしていました。
ネタにマジレスになっても良いので、今後は本気で応えることにします。
> 1)奇跡がニンゲンの認識・解釈の問題であると捉えた場合、自然科学の対象ではない
ニンゲンの認識・解釈によって、ある言説が自然科学の検証対象になったりならなかったりするわけがないのでしょう。奇跡については、「現実世界への干渉」としてよく言われることの例として上げただけであり、わたしは奇跡という言葉の定義に関わらず、神という存在による「現実世界への干渉」は科学の対象であると述べています。
> 2)現世利益をうたいつつ、それが検証はされえても、矛盾が発見されえない教義の具
> 体例はだした。反論はない。
たまたま科学的観測と矛盾しない教義であれば、科学との矛盾が発見されないのが当たり前。わたしは「検証の対象となり得る」(科学にとって全くノータッチではない)と言っているのであって、現実社会に関する宗教の教義は全て間違いと主張しているわけじゃないです。
わたしが「検証となり得る」と主張しているのに対し、「検証はされても〜」という例を出されても、それは一向にわたしの主張を否定していないので、そもそも反論のしようがありません。
> 3)カルヴァン派の予定論のような、神の大規模な干渉を前提とし、しかも検証されえ
> ない例を出した。反論はない。
「予定論」について引用されていた部分を読むと、「神の救いは、人間の側の行為や努力にかかわりなく、すでに定められているというキリスト教の教説」と書かれています。「神の救い」というのがよく分かりませんが、キリスト教における神の救いというのは一般に「死後、天国に行けること」ですから、そういう意味だとすると、これは現実世界に関する介入であるとは考えられません。
> また、宗教に対して矛盾の有無を追求しても無意味であることは、テルトゥリアヌスの
> 例を引いて説明もしたにゃ。
無意味とはどういう意味ですか? わたしは信仰を捨てろと迫っているわけではないので、「矛盾していてもいいから信じる」「矛盾しているからこそ信じる」という人がいても全然不都合じゃありません。もしわたしがかれらに信仰を捨てさせようとしているなら、「そんなこと言っても無意味だよ」と言われるのもわかりますが。
> 宗教はもともと人生訓や格言ではにゃー。現実的な救いの問題だにゃ。
この議論に無関係ですね。
> カガクの側で勝手に宗教の領域を設定しておいて、そこから出てくると騒ぐなんてどういうこと?
違う違う。そもそも引用された部分は、宗教への批判ではなく宗教に不当な妥協を許す科学者の一部を批判した部分です。
もとのやりとりは以下の通りです。
>>37
> 科学のルールで宗教は否定できません。
> 同様に宗教のルールで科学を否定できません。
>>41
> その通り。しかし多くの宗教は、現実世界のものごとに超自然的な影響があると
> 主張することによって、その枠組みを既に踏み越えているのです。
37の意見にあるような「宗教と科学の住み分け」は、例えばグールドが生前主張していたものです。そしてそれは、多くの「穏健な」宗教者たちには歓迎されているでしょう。しかし、これは間違いです。宗教と科学はそんなに簡単に住み分けできるわけがない。なぜなら、科学が検証の対象とする範囲と、宗教が教義の対象とする範囲には一部重なり合う部分があるからです。宗教が主張する、現実世界についての言明がそれに当たります。わたしは、そういう範囲に宗教が踏み込んではいけないとは言っていません。しかし、科学を犠牲にして良いわけもない。そういう話をしているんですよ。
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