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神の存在/不在と科学の範囲
39
:
地下に眠るM
:2006/12/27(水) 23:16:25 ID:EpkA97A.
>わたしは、奇跡というものを(1)何者かの意志によって引き起こされた、
>(2)現実世界における、(3)自然法則に反する現象、と定義しています。
(30)でこの部分にもレスしたのに、シカトされたのでもうちょっと書いてみるにゃ。
さて、今、僕の隣の部屋で、僕の娘の熊のぬいぐるみ(無論、動力ナシ)が涙を流すしぐさをしているとするにゃ。これは奇跡といえるのか?
こんなものは奇跡ではにゃーだろう。
にゃんとなれば、観測者がいにゃー。
観客がいにゃーところに、奇跡は存在しにゃーのだ。
では、僕がたまたま熊のぬいぐるみが泣くところを目撃したとしますにゃ。
これだけではまだ奇跡ではにゃーね。僕は幻覚を見たと思うだろうにゃ。
では、僕の娘に万が一の不幸が起こったことを知ったときに、娘が好きなこのぬいぐるみが泣くのを見たらどうか?
冷静に考えれば幻覚の可能性はさらに高まるけど、もう幻覚かどうかなんてどうでもいいことになるにゃ。その熊のぬいぐるみは僕にとって聖遺物となるでしょうにゃ。
ま、もちろん、熊のぬいぐるみが泣くなんてことはこれまでも起きたことはにゃーし、これからも多分起きることはにゃーだろう。
では、原理的に起こりえることはどうか?
いったん死んだと思われた者が息を吹き返すのは、ときどき見られることであり、医学的にも十分に説明が可能でしょうにゃ。
しかし、死亡と判断された者の蘇生なんて、それ自体は奇跡でも何でもにゃーよな。「あら珍しい」とか「運が良かったね」とかいわれるくらいでにゃーの?
しかし、ゴルゴダの丘で処刑された、ナザレのイエスとかいう男が、預言通りに「蘇生」したとしたら、医学的な説明が可能であったとしても、それは紛れもにゃー奇跡=復活なのではにゃーかね?
うっかりと足を滑らせて急な崖から落ちてしまったが、突風がふいてきて木がしなり偶然にもかすり傷で助かったとするにゃ。突風が吹くことは、別に奇跡でもなんでもにゃーし、もちろん物理法則に反するはずもにゃー。しかし、助かった本人にとってはどうかにゃ? もし、その本人がある宗教の教祖だとしたら、信者は(もちろん教祖本人も)それが偶然だと思うはずがにゃーだろうね。
つまりね、自然法則に反しているかどうかなんて、それが奇跡であるかどうかには関係にゃーのさ。
もっといえば、自然法則に反する事象は自然界にはおこらにゃー。いままでおこった全ての事象は自然法則にのっとったものであり、これから起こる全ての事象も自然法則にのっとったものだにゃ。それに反することができにゃーからこそ「自然法則」なんだにゃ。
自然界で起こった事象の全ては、当然ながら自然科学の検証の対象だにゃ。
しかし、奇跡が起こるのは自然界ではにゃーのだ。
たまたま預言通りにイエスが復活した、たまたま突風がふいて助かった・・・
奇跡ってのは、この「たまたま」なんだにゃ。
(こういう「たまたま」に何らかの方法で神が介入しているという理屈を、カガクの論証法で論駁するのは原理的に不可能なんでにゃーの?)
奇跡とは、ニンゲンの側の認識なんだよ。この「たまたま」を必然と結びつけてしまうところに宗教の(あるいはニンゲンの意識の)真骨頂があるんだにゃ。「全てはアッラーのおぼしめし」というやつだにゃ。
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