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神の存在/不在と科学の範囲

178地下に眠るM:2007/01/16(火) 13:02:14 ID:Y7kDipRw
つづきね

macskaに対してはNANのいった通り「逐語主義」といってしまえば一刀両断で即死ということになるんだにゃ。
(逐語主義って僕もいおうと思っていたのに、先をこされちゃった。にゃっはっは)
自分が死んでいることが本人にもまったくわかってにゃーようだし、以下に説明するにゃ。

カガクという思考法は、ジンルイがここ数百年のうちにとるようになった人類史的に特異な思考法ですにゃ。
いろいろな特徴はあるけれど、ここでは
・逐語的
・定量的
あたりをあげておきましょうかにゃ。逐語性と定量性は相補的なものですにゃ。

カガク論文ちゅうのは、多義的な解釈がされてはまずいわけですにゃ。そこで逐語的な表現を行なう必要があるわけね。数式による表現というのは、ジンルイが手に入れた最も逐語的(かつ定量的)な表現だといえるわけで、カガクで数式を多用するのはそのあたりでしょうにゃ。
生データというのはいろいろと解釈の余地のあるものだから、そのいろいろな解釈の余地というものを削っていくのがカガク的な方法といえるわけにゃんね。

ところが、神話や宗教文献における記述は、そもそも逐語的なものではぜんぜんにゃーんだ。
例えば>>143での みずすまし の記述にゃんが
>極端な反実在論あるいは認識論的相対主義に立てば,「宗教的事実としては,光速は10mm/sである」が,「科学的事実としては,光速は約30万km/s」ということも言えるかも知れませんが,そこまで極端な反実在論あるいは認識論的相対主義に立つことには強い躊躇を覚えます。

「光速は10mm/sである」というような定量的かつ逐語的な記述は、神話ではやらにゃーんだ。それはむしろ疑似科学の典型的記述にゃんね。
速さをあらわしたかったら、速いとされる鳥とか虫とか動物との比較とか、地理的な表象をつかった記述になるわけだにゃ。で、その虫とか鳥とか地理的な表象が、他の表象との関連で隠喩的・象徴的な意味をもちながら連関していくわけだにゃ。そもそも語が一義的に確定しているような記述ではにゃーんだ。
神話というのは、象徴や隠喩を用いながら、極めて精緻な思考をしているというのは、そちら方面の人文科学における共通見解といっていいにゃ。

それを何?
>聖書の記述は誰がどう見ても間違っている
ですと?

神話的・宗教的文献を読む素養がゼロ(かつ、学ぶ気もない)おつむオッテンテンでなければ、この台詞はいえにゃー。
聖書(特に旧約聖書は神話の部分がおおい)にしろ、日本神話にしろ、アメリカ先住民の神話にしろ、このあたりの記述のどこが「間違っている」のだろう?
神話は、名前こそ残ってにゃーが、その当時の最高の賢者たちが何代もかかって産みだしてきた知の体系だにゃ。宗教の教義にしても、最高のエリートが作ってきたといっていい。それを、読み方もしらにゃー馬鹿が「誰がどう見ても間違っている」だってさ。
ホントにね、数式の読み方を知らずに現代物理学が間違っているとか抜かすのと同じくらいのレベルにゃんがねえ。

※聖書の記述にある暴虐としかいいようのにゃーことについて、解釈だけで正当化しきれるとは僕も考えてにゃーです。これは、歴史書としての聖書を考慮すべきだけど、ここではお題のソトだと思う。


さて、我らがmacskaクンに、宗教的な言説に対する理解能力がまったくなく、知識もまるでいいかげんであるということについて、異論があるお方、いる?
僕としては、宿題をひとつ片づけたつもりだけどにゃ。残りの宿題も片づけたら、また反論にはいるにゃ。


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