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神の存在/不在と科学の範囲

419地下に眠るM:2007/02/13(火) 16:46:59 ID:cizMQ0FI
>>417
>微積分や力学の創造にはニュートン等の才能が必要でしたが、その理解には普通の高校生レベルの才能があれば十分です。科学を理解するための敷居は極めて低いのです。神秘主義的な知の体系の具体例は何も知らないのですが、そちらではどうなのでしょう?
>単に現在ではやる人が少ないから敷居が高く見えるだけなのでしょうか?

そもそも僕は「カガクが最も開かれた知的体系であることに異議をさしはさむつもりはにゃー。」と417でいっているにゃ。神秘主義についても体験的にわかっているわけでもにゃーしね。
しかし、神秘主義とまでいかなくとも、哲学的な知についてヤスパースが以下のようなことを言っているにゃ。(ヤスパースは有神論的な実存主義なんで、神秘主義に通じるものはおおいにあるといえますけどにゃ)

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また哲学的思惟には、科学のように、進歩発達の過程というものがないのであります。確かに、私たちはギリシア時代の医者であったヒッポクラテースよりもはるかに進歩しています。しかし私たちはプラトーンよりも進歩しているとはいえないのです。私たちは、プラトーンに利用できた科学的認識の材料に関してだけなら、彼よりも進歩しているといえる。しかし「哲学すること」それ自身に関していえば、おそらく私たちはもう一度彼の水準に到達することはほとんどできないのではないでしょうか。

科学と異なって、哲学の形態をとるかぎり、どんなものにも万人の一致した承認というものが欠けているという事実は、哲学という事柄の本性のうちに存しなければならないことであります。哲学において獲得される確実性は、科学的な性質のもの、換言しますと、どの悟性にとっても同様な性質の確実性ではなくて、それが成功した場合に人間の全本質が参加してともに語り合うことができるといった確認(Vergewisserung)なのであります。科学的認識は何らかの個々の対象にかかわりをもち、そしてこれらの個々の対象について知ることはけっして万人にとって必要であるわけではないのでありますが、哲学においては、人間としての人間にかかわる存在全体や、一度解明されたならば、どの科学的認識よりもいっそう深く人の心をとらえるところの真理が重要な問題となるのであります。

なるほど完全な哲学は科学と結合しており、またそれぞれの時代において到達された最高の状態にある科学を前提とするものでありますが、しかし哲学の意味はそれと異なったある種の根源をもっております。哲学はあらゆる科学に先立って、人間が目覚める場合に現れるのであります。
ヤスパース「哲学入門」新潮文庫判P8〜9
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神秘主義は前合理でも非合理でもなく、超合理にゃんからね。合理思考ができることは神秘主義者には必須だにゃ。ヤスパースは否定神学の流れをくむ神秘主義的哲学を構想しているけど、徹底的に科学と親和的であろうともしているのだにゃ。
そして、417の質問にこの立場からこたえると、「敷居が高いとも低いともいえない」となるにゃんね。科学とはまさに「クレーン」のように丹念に積み重ねていくものであり、実存哲学的な知(神秘主義的な知もこれに含まれるだろう)とは「人間が目覚める場合に現れる」ものだからにゃ。


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