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神の存在/不在と科学の範囲

432カクレクマノミ:2007/06/14(木) 00:24:49 ID:lhM1Ka.M
>セックスが穢れたものであるのなら、処女から生まれたことには道徳的価値があることになるにゃ。

道徳的な意味づけができるとしても、事実に関する問題なのは間違いありません。
ある1人の人間の母親に性行為の経験があったかどうか―NOMA論者なら、これは事実に関する問いであり、科学の領分だと主張するでしょう。

>事実と価値の分離ちゅう理屈そのものが、カガクの側で勝手にいっていること、ちゅうことに宗教の側としてはなるだろにゃ。

それだと結局、NOMAは成り立たない(宗教の教導権が事実に関する事柄にも及ぶなら、それは科学の領域と「重なり合う」ことになる)のでは?

>現実の宗教の功罪とNOMAとは直接関係なくないですか?

NOMA論者の頭の中にどんな宗教があろうと、今この世界において「宗教」と呼ばれているものは、NOMAの言うような性質を持ってはいないでしょう。

>宗教はイエスが処女から産まれたかどうかについて、どのような?という形での問いは発しないのではないですか。

問いを発しようとしまいと、宗教が事実に関する主張をしているのは間違いありません。


「神は妄想である」の内容は一見すると過激ですが、ドーキンスの議論を1つ1つ見ていくと、同意しやすい部分もかなりあるように思います。
たとえば、戦争の悪についてのすばらしい論文を書いた倫理学者よりも、教義をよく知りもしない反戦的宗教の信者の方が簡単に兵役拒否できるというのは、常識的な感覚に照らしておかしいものではないでしょうか?もちろん僕の常識的感覚なので、みなさんのものとは違うかもしれませんが、どうですか?


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