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神の存在/不在と科学の範囲

197地下に眠るM:2007/01/17(水) 12:15:50 ID:VNlqTVDw
>>185
ユダヤ・キリスト教が世界的にみて特異な宗教であることは先日の投稿で述べたにゃ。
そして、逐語的解釈をするというのはその中でもまた特異なウルトラ馬鹿の一派なのだにゃ。聖書の逐語解釈というのは、特異な宗教の中でもさらに特異なウルトラ馬鹿一派であるということを肝に銘ずることだにゃ。(そして、特異中の特異なウルトラ馬鹿一派が、最大の軍事力をもっているという恐ろしい状況がある)

こうしたウルトラ馬鹿一派を除けば、教義にはニンゲンの解釈の余地が必ず入るというのは当然のことなのだにゃ。成文律法に対する解釈である口伝律法があることから、ユダヤ教は逐語解釈などという白痴的な真似をしてにゃーことは明らか。

しかも、ことは法の施行という極めて現実的なことだにゃ。どの国の刑法の量刑だって、情状の酌量をしてにゃーところなんてにゃーわけだ。これは立法の趣旨を考慮すれば当然のことだにゃ。宗教においても、逐語解釈という立場をとらにゃー限り、趣旨を解して施行するというのはアタリマエなの。現実の罰はニンゲンの手に委ねられているのだにゃ。
事実、出エジプト記においても安息日の労働は追放と死刑の矛盾した文言が連続するわけで、最初からニンゲンに解釈の余地があるように書かれているにゃ。

「教義通りではないからテキトーだ」という物言いは、逐語解釈を標榜する一派に対しては有効だにゃ。しかし、逐語解釈などというバカな真似をしていにゃーほとんどの宗教に対しては、因縁をふっかけているだけのことなんだにゃ。もともとの教義の趣旨をねじ曲げてまで牽強付会の解釈がなされていたら、それは「テキトー」であるといってもいいけれど、教義をきっちりと検討することは必要になってくるわけ。

チミの出した「灯」の例だけど、合理的な解釈としては、火の管理にはほぼ必ず何らかの労働がともなうことを前提として、家内における奴隷(あるいは女性)の使役を禁じるためのものだといえにゃーかな? 電気による灯が一般化した現在では、そのあたりの趣旨は無意味になったけど、成文律法をむげにはできにゃーので、どういう場合は許されるのかをいちいち指標をだしている、というあたりではにゃーかと愚考するにゃ。

ただ、罵倒修辞に気がとられ、ロジックの部分でmacskaの主張するように読まれても仕方のにゃー表現になっていたことは認めますにゃ。罵倒修辞学の徒として許されにゃーミスだ。ごめんね。
しかし、特異なユダヤ・キリスト教の中で、さらに特異に馬鹿な逐語的教義を標榜する宗教を仮想敵にする場合になら有効なロジックを、他の宗教に対してふりまわすのは、やはりチミがわかってにゃーからだとあらためていっておく。
いままでmacskaがいっていた言明は、逐語主義的馬鹿キリスト教に対するものなのであれば、僕はその多くを了解致しますにゃ。それにしても方法論として文句はオオアリだけど。


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