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神の存在/不在と科学の範囲

106fukken:2007/01/12(金) 23:16:01 ID:M5vfENrY
>>92
>かれらが曖昧な部分をまるで確定したことのように語るから、例えば科学の進歩によって教義の一部が反証されて傷ついたりするわけです。知らないことを「知っている」と言うな、というそれだけのこと。「信じている」という分には、どんなに非合理的な信仰であっても構わないです。

”かれら”とは具体的にどのような人たちを指すのでしょうか。
実は私も反省しなければならないのですが、私は真っ当な宗教を想定してここで議論をしていたつもりだったのですが、実際には無意識に似非宗教も含めて話してしまっていました。
「科学の進歩によって宗教がダメージを受けると思う>>81」と言うのがそれです。
「そんなこと言ってはかわいそうじゃん>>87」と言うのもそうした人たちに対する言葉で、本物の宗教者に対して無礼な発言でした。
さて、macskaさんは色々懸念なさっているみたいですが、果たして真の宗教者は「信じる」こと以外何をするのでしょうか。macskaさんが心配するようなことは何も起こらないのではないでしょうか。
本物の宗教者は、科学による”知”がどうあろうと自分の”信”は揺るがないはずです。
一方似非宗教者はたじろぎ、創造科学などで武装しようとするわけですよね。
恐らくmacskaさんが憤慨するのはそうした現象に対するものなのではないですか。

>要するに、大多数の宗教者は、自分の認識に合わせて都合よく教義を読み替えるくらい平気でやってのけます。

これは暴言だと思いますよ。
こんなのを聞いてしまうと「結局macskaさんは単に宗教が嫌いなだけなんじゃないのか」って思えますね。宗教に対してとても攻撃的な印象を受けます。

>宗教における「知る」というのはこれと違い、何の根拠もないところにいきなり「確かな知識」やその根源が登場してしまいます。何の進化もないところにいきなり複雑な「創造神」が登場してしまうのと似ていますね。デネットの言う「空から吊るされたフック」です。しかし、人間の知識も、何かを創造するほどの知性を持った存在も、「空から吊るされたフック」によってもたらされることはあり得ず、必ず下からクレーンによって築き上げられているはずです。

例えがちょっと漠然として良くわからないのですが、この場合「知る」を「信じる」に置き換えて不都合はないんじゃありませんか?
そして、”「信じている」という分には、どんなに非合理的な信仰であっても構わない”のであれば、それで丸く収まるじゃないですか。


「彼らが彼らが」と言いながら、どうもmacskaさんの側が宗教に対して喧嘩を吹っ掛けているように見えてなりません。
過剰反応し過ぎではありませんか。というより被害妄想なんじゃないかって気すらします。


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