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神の存在/不在と科学の範囲

356芥屋@keya1984:2007/01/20(土) 22:14:23 ID:Q7XBVw2.
>>333はグチャグチャ言い訳してるだけだから割愛。
>>334の後半ね。
>多くの「穏健な」科学者と宗教者の双方が、(中略)というのがわたしの論理です。

あのね、それは「わたしの論理」ではなくドーキンスの主張。しかし、あなたがそれを自分の主張に流用しているのが幼稚で見てらんない。「わたしの論理」はひとまず置いておく。ドーキンスがなぜそう言っているかというのは、あなたがいうような、ナザロ復活とかマリア処女受胎が「科学的にあり得ない」「超常現象は信じられない」という話じゃないんだ。

たとえば「奇跡」ね、ドーキンスはどう言ってる?それがなぜホモ・サピエンスという種にとって「奇跡」と思えるかと言えば、その生理的な初期条件からして知覚して認識できる範囲を超えているから…ことに「体験を意識できる時間のスパン」の問題ね…それが「奇跡」に思えるんだ…というところから掘り起こしてゆく。で、彼はそこで何を訴えているか。

それが人間の思考能力の限界を超えていても、決して「奇跡」じゃないんだ、その「奇跡」を示すことで「神」が人に何かを示そうとの意志があったとかじゃないんだ…それは「ありえないことではないんだと考えて探求してゆくべし」と…科学としては、そこまで言わなくちゃだめなんだ、そう言っているんだよ。

なぜそこまで言わなくちゃだめなのか(その種の宗教と「紳士協定」を結んで「お互いそれを言わないことにする」という妥協をしてはだめなのか)といえば、そういう考え方でも良しとしたが最後、科学は科学としてやっていけなくなるじゃないか、ということですよ。科学者なら、そこは絶対にお茶を濁すな…ということね。彼の、グールドに対する批判(というか忠告ね)もその線もあったのだ。あの論争を、ポスモダ大騒ぎにしか見ていないようだと、こういうところで見落としが出るから。よく見てね。

>>ナザロ復活やアリア処女受胎に触れることだからと言って、人の生死に関する研究をやめるような要求がキリスト教会から出たというのかね。

>くだらなーい。そんなわけがないでしょうが。

そう、そんなわけない。よって、くだらねぇのはmacskaさんなのだよ。ナザロ復活やマリア処女受胎「それ自体」をあげつらうのは愚の骨頂。それが史実としてあったかことかどうかなど、それは歴史学の領分。科学としては、「現在の科学としては、そのようなことがありえるとは言えない。しかし、そういうことがあったというのだから興味をもって調べてゆきたい」とは言える。そこが科学の「限界」なのでも「領域」なのでもない。

「それを科学的に調べるな」と言われても屈するな…などという、あなたの主張は絵空事なのだよ。そんなわけがないのだから。しかし問題はそんなことじゃない。科学が、「そんなことはあり得ないことだと現時点での理知でもって決め付けるかたわら、それをことさらに言わず適当に現時点での教会との穏便な社交を優先して、さらなる探求を行わないようようなら科学の自殺」なんだ。しかしこれはドーキンスのreligion批判の片面。もう片面は、私が指摘した「神は存在することになる」の意味がわかってからにしたほうがいいと思うので、ここでは言わない(このスレッドの主題から離れるし)。


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