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神の存在/不在と科学の範囲
346
:
macska
:2007/01/20(土) 20:28:42 ID:VdHL1C4M
>>336
> macska さんが「検証可能だ」としているのは(A)ですよね?
その通りです。
(B)=宗教的意味付けが検証できると主張しているわけではない、と再三説明しているのですが。
> そして(A)は「事件の検証」であって「奇跡の検証」ではないですよね?
その通りです。正確には「奇跡とされる現象」について検証ができるのであって、それが本当に奇跡であったかどうかは検証できません。仮に奇跡であった場合、「現時点での科学では原因が解明できない不思議な現象」として立ち現れるでしょう。
> 事件が起きたかだけでは「現実に介入するタイプの『神』が存在するかどうかは、その現実
> における介入を調査できればで科学的に検証できる」とは言い切れないと思うのですが…
厳密には、科学的検証の対象となり得る、ですね。
実際に検証可能かどうかはまた別の話だというのはその通りだし、何度もそう書いてきました。
>>337
> すみません,意味がわかりませんでした。どうして「科学的知より不確かである」
> と言えるのですか。同等ならわかりますが。
うーん、「信憑性が確認された証拠に基づく知識」と「確認もできなければ証拠もない知識」では前者の方が「より確か」という言明が疑問でしょうか?
もちろん、究極的には科学的知識の一番奥底にも「現実世界や自然法則が存在する」「われわれの五感は現実世界を把握するための道具としてそこそこ信頼できる」みたいな前提があり、それら自体が確かだという確証はないかもしれません。しかしより常識的なレベルで、では科学的知識も科学的根拠を持たない知識も対等かというと、とてもそうとは言えないと思うのです。
> > 宗教の「知」は科学の範囲内に納めておけ、科学がわからない事象
> > についての宗教的「知」などありえない、知っているんじゃなく信じている
> > だけ
>
> ならば,
>
> > 宗教の知の範囲は、科学的検証が可能かどうかによって左右され
> > てしまう。
>
> のでは?という点が気になったのですね。
うーん、そういうまとめ方をすると何やらわたしが恣意的に「宗教の知の範囲」を狭めているように読めてしまうんだけれど、それはわたしが制限しているんじゃなくて、人間が得ることのできる知の範囲というのにはどうしても限界があって、わたしたちの知覚や論理の及ばない、現実世界の外側のことについては何ら分からないんだから、仕方がないんじゃないでしょうか。宗教の知の範囲じゃなくて、人間の知の範囲が有限なの。
> あと,
>
> > それはそうと、「本人の中で使い分けが出来ていれば良い」んだったらば、
> > 「死後の世界が存在するかどうかは知らない(信じているだけだ)が、神の
> > 存在は知っている」と主張する人がいたら、彼は「神の存在を知っている」
> > と認められるんでしょうか?
>
> というのは,純粋な疑問として聞きたいです。
その人は、何か具体的な(クレーン式の)根拠があって神の存在を「知る」に至ったんでしょうか? もしそうでないなら、どうして神の存在を「知っている」と言えるのか、とても不思議に思います。というか、その人は使い分けは確かにしているようだけれど、おそらくわたしが主張する使い分けーーというか、一般社会における定義の通りだと思うんだけどーーとは違った使い分けをしているのではないでしょうか。
いや、もちろん、その人が実際に神の存在を証明してしまったという可能性もありますよ。もしそうであるなら、ぜひ今すぐ発表していただきたいものです。
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