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神の存在/不在と科学の範囲

312カモオオハシ:2007/01/20(土) 10:15:24 ID:C0VsT.3A
>311
>「宗教にもわからない」という断言は、科学的事実としてではなく、論理的真(人知が及ぶものであれば科学の対象となり得る、人知が及ばないものには「宗教」と名をつけても人知は及ばない)として主張しています。
わたしは論点となっているのはやはり論理の問題ではなく方法論的選択の問題だと思います。

われわれは五感によって世界について知ることができると思っています。しかし、哲学的には、五感が世界について知るための信頼のおける道具だとどうして言えるのか、と疑うこともできますし、「人々は五感で世界について知ることができるという思い込みを事実とすりかえている」と批判することもできるでしょう。デカルト以来の哲学の歴史が示すように、これは原理的に論駁不能な批判です。五感によってえられる知識が信頼できると示すためにわれわれが使えるのも五感によってえられる知識だけですから、それを疑われたらほかに手がかりはありません。

さて、多くの宗教は「啓示」や「さとり」という仕方で世界の本当の姿について(特に人間の知覚の及ばない部分について)知ることができると主張します。啓示やさとりなんてただの思い込みだと言われてしまえば、それに反論する証拠を挙げることはできないでしょう。しかしこれは構造的にはさきほどの五感の例とパラレルです。つまり、論理的には、知識を得るための手段としての五感と啓示は懐疑主義に対して同じような問題に直面しているわけです。

もちろん、五感は啓示にくらべていろいろな長所があり、五感のみを信じるという方法論的選択には十分な根拠があると思いますが、それを論理的真の地位に格上げするべきではないと思います。


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