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神の存在/不在と科学の範囲

401地下に眠るM:2007/01/31(水) 12:16:32 ID:XojOj2WM
とりあえず我慢のできにゃーところを
>>118
>>125
>>177
>>184
>>185
>>197-198
>>200
あたりの流れ

>宗教とはこういうものであるという自分の見解(あなたの書いているものとほぼ同じです)を述べただけ>>200

僕はmacskaと同じことを述べたおぼえはにゃー。


macskaのいったのは
>「大多数の宗教者は、自分の認識に合わせて都合よく教典を読み替えるくらい平気でやってのけます。」>>118

その具体例として
>これは宗教的倫理を見れば明らかです。(旧約)聖書によれば、安息日に仕事をした人は死刑にしなければならない。しかし、「安息日に仕事をした人を死刑にするのは正しいですか」と聞けば、ほとんどのキリスト教・イスラム教・ユダヤ教の信者は「その規則は現代にはふさわしくない」と答えます。キリスト教についてはイエスの登場により「この規則は現代にはふさわしくない」という合理的な理由がありますが、その他にとっていつこの規則が失効したのでしょうか? 世間が「それはいくらなんでも乱暴すぎる」と思うようになったから、それに合わせて解釈を訂正したのではないですか?>>125

対して僕は
安息日規定はそもそも弱者保護規定であり、どのような罰を与えるかについては律法解釈の余地が最初からある。つまり、「自分の認識に合わせて都合よく教典を読み替え」てなどいない。
という旨のレスをしているにゃ

もともとmacskaは、「多くの宗教者は自分の認識に合わせて都合よく教典を読み替えている」と主張し、その具体例としてユダヤ教の安息日の話を出したわけだにゃ。
それに対して僕は、ユダヤ教の安息日は弱者保護がその趣旨であり、十戒も最初から多義的な解釈が可能なように書かれている。趣旨にのっとった解釈が要請されているとの旨を述べたにゃ。>>185でmacskaが理解に苦しむといった、安息日における「あかり」の扱いも弱者保護の趣旨で解釈してみせたしにゃ。

律法でガチガチに定められたものを、自分の認識に合わせて都合よく教典を読み替えている

律法では最初から解釈の余地があり、その趣旨に従った解釈が要請され、また行われている

のどこが同じなんだよ?
前者は原理原則がないといっている。後者は原理原則を遵守しているといっている。
ユダヤ教のような契約宗教に対し、原理原則がないといったら、それはヒデエ侮蔑だろ?

macskaは自分の発言が侮蔑であることを理解できてにゃー。
差別主義的環境で育ち、差別主義を自明のものとみなすガチガチで愚昧な差別主義者には、自分の発言がなぜ侮蔑であるのかを理解できにゃーことがよく見られるにゃんがね。


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