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神の存在/不在と科学の範囲

381Josef:2007/01/23(火) 21:13:47 ID:uPoVYQoU
>>225に関して少しだけ。

>数学がなぜ自然科学においてこれほど役に立つか、ちゅうのはなかなか答えがいのある問いかもしれにゃー。

言い換えると、地下に眠るMさん言うところの「純粋な思弁の自己運動」がなぜ外部の対象に「的中」するのか。これは未だ正答の見つからない難問ですね。

>僕たちの脳は、数十億年におけるトライ&エラーで貯えた莫大な情報を物質的に構造化
>した器官だといえにゃーだろうか? ニンゲンの脳内における法則は、外界・自然界の
>法則と相当程度にパラレルな関係にあるのではにゃーだろうか? だからこそ、ほぼ純粋な
>思弁の結果である数学が、外界の事象の解析にあれだけの力を発揮するのではにゃーのだろうか?

という方向を、乱暴にあっさり逆転させてしまえば、脳の活動もまた自然法則に則っているのだから、そもそも脳は本質的に自然法則に反する思考をすることができない、とも言えそうな気がします。なぜ思考が外的世界に的中するか、ではなく、「的中しないことができない」という逆転です。

もちろん実際には思考の結果が間違っている(=的中しない)ことはあります。しかしそれはデータが不足していたり、生得的な知覚パターンによる錯覚(その錯覚も元々は生存に適するべくプログラムされたもの)があったり等々の理由、つまり思考の出発点における不備に起因する。その場合、思考(論理的推論と言ってもいい)は「正しい推論」を通して「必然的に間違う」のであり、思考そのものが間違っているわけではない。

また、もちろんいい加減な推論をやれば、出発点が正しくても間違える。しかし数学のように、論理を尽くして考えれば誰もが必ず同じ結論に達することができる、という程度に厳密化されて出された結論ならば、それは自然法則に則ってしか機能することのできない脳が「これと同程度に厳密で、かつこれに反する結論は出しようがない」と判断しているのであり、それはいわば自然法則そのものの写像となっている。但し書きとして「人間的かつ不完全な」を加えなければなりませんが、どんなに不完全であってもその断片たちは常に自然法則と平行している、つまり常に正しい。それが数学というものである。

…などといういい加減な考え方についてはどう思われるでしょうか?


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