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神の存在/不在と科学の範囲

384地下に眠るM:2007/01/25(木) 10:49:06 ID:O39sy2IQ
ありゃりゃ、
「マクロコスモスとミクロコスモのすの照応」
ではなく
「マクロコスモスとミクロコスモスの照応」
ですにゃ。
普段から推敲をしてにゃーし、軽微な書き損じはほっておいてるんだけど、さすがにキメ台詞は訂正しておきますにゃ。

さて、ついでだにゃ

>>379 でのリンク先からの引用
***********************
人間には、科学的な知や、言語で表現できる知を越えた暗黙的な知がそなわっていることを明確に指摘した古典的な書物。この知は言語で語ることができず、しかも言語化された知の背景となり、これをもたらすことができるもの、科学的な発見をもたらし、研究の指針を教えてくれるものである。

中略

科学では、主観性を排した客観的な知識の確立が求められると考えがちだが、「暗黙的な思考はすべての知識の不可欠の部分をなしている、ということを考えるならば、知識の個人的な(パーソナルな)要素をすべて除去するという理想は、実際にはすべての知識の破壊をめざしていることになる」(38)のはたしかである。科学は普遍をめざすが、その普遍には個の軸のようなものが必要なのである。
*******************

クレーンとスカイフックという比喩をmacskaは多用しているにゃんね。
しかし、この「クレーン」の土台に暗黙知があるということは、ほとんど否定することは難しいのではにゃーのだろうか?
そして、この暗黙知って「スカイフック」なのではにゃーのかな?
つまり、クレーンの足場はスカイフックでもたらされている、ちゅうことだにゃ。数学の足場もやっぱりスカイフックでもたらされているのではにゃーのかな?

デネットがグールドなどを批判するのに「スカイフック」という概念を使うのは悪くにゃーと思う。
なぜなら、カガクはとりあえず自らの足場を自明なものとみなし、そこからクレーンをつかって積み上げている体系だからだにゃ。

しかし、「知」を考えるときに「スカイフック」を否定することはできにゃーだろう。
どのようなクレーンも、その足場はスカイフックによってもたらされているのだにゃ。
カガクとかテクノロジーとか、道具の有用性に目をくらまされると、そうしたことが見えなくなるのだにゃ。
宗教という知は、そうしたことを忘れたことは1度だってにゃーんだ。


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