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神の存在/不在と科学の範囲

104地下に眠るM:2007/01/12(金) 23:03:51 ID:Y7kDipRw
第一掲示板によく出没する馬鹿に「進化論が正しいなら俺にその証明をしてみせろ」「肯定論者に立証義務があります」というのがいますにゃ。ここの常連はよく知っているよね。で、この類いの馬鹿に対して、いろいろと説明していっても大抵は「わからん、俺にわかるように説明しろ。俺にはわからんからシンカロンは間違いだ」とかなんとかいいだすのがおきまりのパターンだにゃ。
この手の馬鹿は譲ることをしらなくてにゃ。
「専門家集団のなかではそれが認められているんだよ」といっても、陰謀説だのを持ちだしてくるしね。そもそもシンカロンが嫌いで理解したくにゃーんだよな。
その手の馬鹿に対しては、酒のつまみにしつつ「いいからカガクをよく勉強しなさい」くらいしかいいようがにゃーわけだ。

また、知には階層性があるちゅうのは僕もここでよくいっていることなんだけどにゃ。
例えば、イチゴヤドクガエルについての生態というお題については、生態学を中心とする知の体系がその問いと答えを独占するわけで、量子力学も相対性理論もイチゴヤドクガエルの生態を明らかにすることはできにゃー。量子力学と生態学では方法論はカガクという共通項はあるにしても、方法論は大きくちがうにゃ。もちろん、生態学の中でもほ乳類と両生類、両生類の中でもサンショウウオとカエルではそれぞれ方法論は異なるはず。
ある問いに対して特化した体系が、その問いに対する答え(=知)を独占するのはアタリマエのことにゃんね。

だから、その独占された知の正しさに疑問があるというのなら、その体系を丁寧に学んでみなければならにゃー。それもせずに、学ぶ気もにゃーくせに「肯定論者に立証義務があります」とかのたまってふんぞりかえるのは傲岸で無礼でかつ頭のワリイことですにゃ。

僕はもちろん、macskaクンのことをいっているにゃ。

宗教における知の体系というと、神秘主義がまず思い浮かぶにゃんね。スーフィーとかヨガとか禅とかいう体系には、修行者がいまどのくらいのレベルにあるかについては、先達がちゃんと判定できるということですにゃ。客観的な基準はあるらしい。客観的な基準はあっても体験者でなければわからにゃー。権威ある科学誌の査読はそれなりの科学者でなければつとまらにゃーのと同じことにゃんが、なにせ実際の体験の比重がカガクなどよりはるかにおおきい体系であるちゅうことは肝に銘じておかなければならにゃー。
こういう体系に対して、ソトから気楽に、どーせわかってない、とか、信じてるだけ、とか放言して、否定する対象についての無知と傲岸さを宣伝するという行為。
恥ずかしくにゃーのだろうか?
掲示板によくやってくるシンカロン否定にこりかたまったウスラ馬鹿と何が違うんだろうか?


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