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神の存在/不在と科学の範囲

171macska:2007/01/16(火) 01:17:04 ID:VdHL1C4M
>>165
> つまり、貴方がすべての宗教、宗教者を良く知った上で意見を述べている
> わけではないことを自身で名言したわけです。

「知らないけれど、ほかの宗教もみんなそうなんじゃないの」という意味に受け取られたのかもしれませんが、そういうつもりじゃありませんでした。宗教が世俗化する過程において社会の安定を脅かすような教義や世間の常識に反する教義を再解釈したり封印したりして抑えるというのはごく一般的に見られることで、そんなの常識でしょ、くらいの軽いつもりで言ったのですが… それが宗教に対する中傷であるととらえる方がおかしいです。

>>164
> その人の中で使い分けるだけでは「知っている」と思い込んだ「信じている」
> ことを「知っている」かのように言ってしまうことになりませんか。

そういう問題はあるでしょうが、現状はそれ以前の段階でして。

> 宗教者は自分が確からしさを感じているものごとについて、飛躍がないのか
> あるのかの検討作業を求められるのでしょうか?

宗教者に限らず、わたしたちみなそうあるべきだと思います。

> 科学が教義を否定するというのは別に全面的に無価値なこととして取り扱う
> というわけでなく、合理性を認めないというくらいの意味ですか。

科学によって否定される(可能性がある)のは、現実世界に対する何らかの言明です。その言明が、たまたま教義の一部だったからといって、科学的検証から保護される理由はありません。

また、宗教や教義の価値というのは(芸術の価値と同じく)科学の領域ではないので、科学がある特定の宗教を「価値があるもの」として扱ったり扱わなかったりということはないでしょう。

> では「宗教と科学の住み分け」ではなく「信仰と科学の住み分け」なら可能
> だということでしょうか。

ええと、わたしが「宗教と科学の住み分けはできない」というのは、「住み分け」論を主張する人が想定しているような、お互いに何ら干渉し合わないで距離を置くという意味での「住み分け」ができない、ということです。なぜなら、宗教が扱う領域と科学が扱う領域は一部重なっているからです。衝突することもあるけれど完全にお互いを否定しきれないという意味であれば、住み分けは可能でしょう。それを普通は住み分けとは言わないと思いますが。

> 一方貴方はと言うと、「わたしはそれが事実であると思っている」
> やっぱり”思っている”だけなんでしょ。”知っている”わけではなく。
> 一方宗教者は”信じている”わけなんですね。

これは、ID論者が使うような「不当な対等論」ですね。

「死後の世界がある」という意見と、「死後の世界があるかどうかは誰にも分からない」という意見は対等ではありません。前者は、人間の知覚の及ばない(とされている)領域についての言明ですから、普通それは「あなたがそう信じているだけでしょう」、とみなされます。そうでないと言うなら、それなりの根拠を求められるわけです。

一方、「死後の世界があるかどうかは誰にも分からない」というのは、人間の知覚が及ばない領域について知覚している人間はいない、という意味ですから、当たり前のこと。これを主張するのに、ことさら何も証拠はいりません。

突飛なことを言うならそれなりの証拠が必要であり、それが示せないならば「知っている」とは言えない。しかし当たり前のことを言うのに、特に証拠は必要ではありません。

> 結局、貴方は宗教に文句付けたいだけなのでしょ。
> 貴方がそうしたいのならそうすれば良いですが、でもそれはきっと徒労に
> 終わると思いますよ。

いい加減にしてください。わたしは宗教に文句を一切付けていないです。
わたしが文句を言っている相手は科学の側(の一部に見られる科学的思考の不徹底)であることがどうして分からないのかな。


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