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神の存在/不在と科学の範囲

332Josef:2007/01/20(土) 18:34:11 ID:uPoVYQoU
baku22さんの仰るようなことはあるでしょうね(>>329)。
ファンダメンタリストの多いアメリカとは日本は事情が違うので、問題意識からして違う。「知る」の一語を取ってみても、macskaさんは限定的な意味で使っていて、その限りでは「その通り」と思うてのですが、この広い意味の言葉をそのように限定しなければならない必然性をここの人たち(私を含めて)は持っていない。だから特定の意味に限定すること自体に納得がいかない。

macskaさんは
>>325
>いずれにせよ、「知」という言葉の使い方がわたしと異なる人は「科学がわからない
>ことは、宗教にもわからない」という言い方には完全に同意できないようなので、
>「科学がわからないことについて、宗教ならば知っているという証拠はない」という、
>ちょっと弱めたバージョンで共通了解が取れないかと思っているところです。

と仰いますが、そもそも何で「証拠の有無」が問題になるのか。「私はかくかくしかじかの神を知っている」と言う人がいても、宗教的次元の話だから誰も「証拠を出せ」とは言いませんね。証拠を云々する類の知ではないと認識しているから、もともとそういう発想をしない。
で、言葉が出てくる「文脈」が分からないので、読者は「文脈」を想像して、たとえば「宗教を罵倒している」と言い、「罵倒ではない」と返す、そういう不毛なやりとりが多いと思います。

baku22さんの挙げる「対等」にしてもそうで、どうして根本的に違うものを比べる必要があるにのか、その背景が分からない。何らかの尺度を設定すれば比べることはできるだろうけど、どうしてそういう尺度が必要なのかもたぶん納得しがたいでしょう。

日本ではむしろ科学信仰の方が問題として重要だと思います。だから科学の限界(実際的にも原理的にも)を強調する必要性の方が高い。ここの皆さんもそういう志向が強いのではないかと思います。


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