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神の存在/不在と科学の範囲

257macska:2007/01/18(木) 22:13:23 ID:VdHL1C4M
>>248
> そして人知の及ぶ領域については、当然、科学の出番ですよね?

科学以外は口を挟むなとまでは言いませんが、科学の有用性は広く理解されて欲しいですね。

>>250
> イエスのDNAだって調査したら外見は男にも関わらずDNAはマリアとまったく
> 同じ(処女生殖)だったらどうするの?

もしそれが事実として確認されたら、驚愕の新発見ですね。何かの間違いじゃないかという意見も出るでしょう。なぜなら、これまで知られている生物学の知識を大きく逸脱するからです。しかし、それでも確実にイエスのDNAがマリアと同一だと確認されたのであれば、いずれ生物学の理論の方を見直す必要がでてくるかもしれません。

わたしが >>41 で「水がワインに変わるわけがない」と言ったのは、「もし確認されたらどうするのか」とばかり言うから、「確認されたら大変なことだけど、検証したら『やっぱりワインにはならなかった』という結論が出る可能性の方が高い」と言っているだけ。もし確認されたらされたで、科学的にそういう結論が出たということだから、やっぱり「水がワインに変わったかどうかは科学的調査の対象となり得る」という部分ではわたしの言った通りです。

というわけで、

> 科学って言うのは現象のメカニズムを探求するツールであるから、厳密に用いたにも
> かかわらず意に反する結果が出たからと言って「”常識では考えられない(あるいは
> 現在の仮説では説明できない)”からありえない」と断言するのは拠り所とするツール、
> 科学すら実は否定してるって事になりませんか?

というのは誤読です。
わたしは「常識では考えられないからありえない」とは言っていません。
そんな常識でありえない方向の議論ばかりやっても仕方がないじゃん、程度の意味です。

>>251
> 第一に,macskaさんは「数学」を「科学」に含めるんでしょうか?

数学というのは、科学ではなく論理学の一部であると認識しています。科学における「正しさ」は現実世界をきちんと説明できるとか、現実世界の事象と合致するということを意味しますが、数学や論理学においては現実との対応ではなく数式あるいは言明それ自体が正であったり誤であったりすることがあり得るという点が特殊だと思います。

> 第二に,論理的というよりも直観的な数学的知識もあるんじゃないでしょうか?

わたしは数学はよく知らないのですが、「ある三角形に内接する円は一つだけ」という問題なら、実際にいくつか三角形を描いてみて、それに内接する円をさまざまに描こうとしてもどうしても1つしか描けない、という事実は、命題が真であることの証明にはならないまでも、それが「かなり確からしい」と判断するに足る材料にはなるのでは。


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