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100
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 20:40:48 ID:9BaR2n0c0
3.午前五時(interlude 1) 20130403KB
始発列車が到着した先に降り立った男は、そこで初めて自分が記憶を喪ってしまっていることを漠然と理解した。
対面のホームでしばし待っていれば元の駅に戻ることができるのかもしれない。
しかし男は自分の乗車駅を把握していない。手元にあるのは具体的な切符ではなく抽象的なICカードだ。
駅員に訊けば正確なことが分かるだろうか。しかし生憎と男にはそれを実行するだけの勇気が無かった。
だから男は真っ直ぐ歩いて改札にカードをかざし、駅を出た。
カードが入っているのは茶色の、年季が入っていると思われる二つ折りの財布で、
現金はやや潤沢に準備されているようだった。
男は改札前にある支柱に身を預けながら財布の中をまさぐる。
小銭入れの中には、小銭ではなく小さな鍵と三桁の数字が記されたメモ用紙が入れられていた。
外に出た男は自分が尋常では無い眠気に襲われていることに気付いた。
始発電車に乗るということは昨晩、碌に眠っていなかった可能性が高い。
そもそも男はどこで何をしていたのだろうか。
毛玉の纏わり付いたコートやシャツは会社へ通うそれではなく、つまり私用であったと推測できる。
頭の鈍痛は過度な飲酒のせいと思える。では、胸を灼く焦燥感の正体は何であろう。
101
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 20:43:51 ID:9BaR2n0c0
いずれ男は歩き出した。
駅の前は閑散としていて、温度も相まって寒々しい。
遠近感の定まらない目線を左右へ走らせると、駐輪場の姿が映った。
男は財布の中に入っている鍵がそこに置かれている自転車のものであるかもしれないと思い当たった。
駐められている自転車にはそれぞれ番号が割り振られている。
男は財布の中にあったメモ用紙と見比べて、それらしい、チェーンの錆びた自転車を引き出した。
乗ってみると、自重でやや自転車が沈むのを感じた。両輪の空気が十分ではないらしい。
パンクに気を付けなければならないと思いながら、男はやけに重たいペダルを勢いに任せて漕ぎ出した。
とは言え、男には自分の目的地が判然としていなかった。
真っ直ぐ進んでも、左右に曲がっても、それは自分にとって正しいようには思えない。
引き返すのも妥当ではないし、立ち止まるのも恐らく間違いだろう。
警察へ身元照会に伺うべきだろうか。何とも馬鹿馬鹿しい話だ。
午前五時の記憶喪失者に、およそ公安を手間取らせるだけの意味などあるのだろうか。
男は自転車を漕ぎ続けた。
凍えるような風がコートを通して身体の中へ病魔のように侵入する。
しかしその風は、唯一男に心地よさを与えるものだった。睡眠への欲求を、自らの不安を、吹き消すような風だった。
自転車はゆっくりと、しかし着実に進み続けた。
夜明けを迎えた空が明るくなり、大きな人間がその空を漂っている。
人間の影が、男を着実にとらえ続けている。男は自転車を漕ぐ。
やがてのぼり坂に突き当たる。
男は坂をのぼる。無心になってのぼる。坂を。
のぼる。
102
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 20:46:48 ID:9BaR2n0c0
4.雷鳴 20120928KB
彼女が外出するのを見送ってから、ぼくはすぐ準備に取りかかった。
いつも通勤に使っているネクタイで輪を作り、リビングの椅子に上って吊照明に結びつける。
これが案外と手間取った。
輪の作り方は何度も練習を重ねて心得ていたものの、
照明の傘が邪魔してなかなか上手くネクタイを取り付けられないのだ。
この点はインターネットには記されていなかった問題だった。
不器用なぼくのやることだからテレビドラマで見るような美しい死に様にはなりそうになかったし、
何よりも、その問題にぶつかったことで本当にこの装置がぼくを死なせてくれるのか不安でたまらなくなってきた。
しかしぼくは決めていた。
苦心してネクタイを結び終え、今日のために書き留めておいた三枚の遺書をテーブルに重ねる。
あとは足下の椅子を蹴ってしまえば終わりだ。そう信じておかないとやってられない。
そう、首吊りは苦痛が少ないというネットの情報にしたって、試してみなければ分からないのだ。
だが、今の時点では楽に死ねると自分に言い聞かせるよりほかない。
そうして思い切りよく椅子を蹴飛ばそうとした瞬間、背後で凄まじい閃光が迸った。
ぼくは背中を氷で撫でられたような反応を示し、恐る恐る振り返った。
103
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 20:49:33 ID:9BaR2n0c0
椅子の上から見える窓の外は、いつの間にか仄暗い曇天に覆われていた。唐突に日が沈んだみたいだ。
夕刻までまだ時間はたっぷりと残されているはずなのに、今にも夜が降りかかってきそうである。
そんな状況に、ぼくは少しだけ興奮してきた。何だか、思いもよらずいい死に様になりそうだからだ。
部屋の電気も消してしまった方がいい、とぼくは思い、早速椅子から下りて照明のスイッチを切った。
それと同時に、遠くの方から微かな雷鳴が聞こえてきた。ぼくはますます盛り上がった。
再び椅子の上に立とうとしたとき、窓ガラスにぽつ、と一粒の水滴がすいついた。
それは次々とガラスにはりついて、たちまち全体に湿り気を纏わせる。
ぼくはほんの少し感傷的な気分でその模様を眺めていた。
雨は瞬く間に勢いを増して、どうどうと膨らんだ雑音をかき鳴らす。
夏の終わりにはありがちな、通り雨というやつだろう。そしてまた、空全体が瞬間的に輝いた。
ぼくは何の気なしに音が迫ってくるまでの時間を数えてみる。十を数え終わるぐらいでそれは響いた。
まだまだ雷雲は遠くにありそうだ。
104
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 20:52:16 ID:9BaR2n0c0
さて、準備は整った。舞台装置は、思った以上の効果を引き出している。
こんな雨の中で死に、晴れ上がった頃に天国へ舞い上がれるならそれは純粋に幸せな幕引きだろう。
椅子に上ってネクタイに首を通す。目を閉じて、ちょっとだけ過去のことを随想する。
これまでに関係を持った人たちのことを考える。豪雨の音ばかりがぼくの耳に届いている。さあ、行くとしよう。
唐突に玄関ドアの閉まる音が響いた。次いで、ととと、と部屋に駆け込んでくる軽めの足音。
ぼくは反射的に首からネクタイを離し、慌てて椅子から下りようとした。
しかし、二人暮らしには少し狭いぐらいの間取りで、
彼女がぼくを見つけるまでに平静を装うことなどできるはずもなかった。
105
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 20:55:50 ID:9BaR2n0c0
というわけで、ぼくは椅子の上で息を切らしている彼女と対面したのである。
しばしの沈黙のあと、まず彼女は部屋の照明を付けた。ぼくの滑稽な姿が白色灯の下に晒される。
それと同時に彼女の姿もようやく明瞭になった。
小刻みに上下している肩や頭が濡れそぼっていることから、彼女が傘を持たずに家を出てしまったことが分かる。
そしてそれを取るために急いで引き返してきたということも。
本来なら彼女は、友人との買い物であと二時間は戻ってこない予定だった。
二時間もあれば、ぼくの計画は確実に遂行されるはずだったのだ。
しかし、感傷的にも思えた突然の大雨がぼくから機会を奪い取ってしまったのである。
あまつさえ、ぼくの計画そのものすらも、
考えられる限り最も惨めな方法で彼女に見せつけることになってしまったのだ。
ミセ*゚ー゚)リ「なにしてるの」
と彼女は言った。死化粧のような温度の口調で。
( ・∀・)「いや、べつに」
とぼく。とても言い逃れできる状況では無かった。
ぼくの眼前で、丸い形のネクタイがフラフラとなびいてしまっている。
106
:
名も無きAAのようです
:2014/09/30(火) 20:56:15 ID:ndky9GqM0
待ってたよ
107
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 20:58:27 ID:9BaR2n0c0
椅子の上で突っ立っている間抜けなぼくを置いて、彼女はテーブルにあった――
本来ならぼくが死んだ後に読まれるはずの――遺書を拾った。
それは決して、目の前で読まれたい出来映えでは無かった。
何しろ死んでしまう理由が殆ど見当たらなかったから、
少ない要因をクレープ生地のように薄くのばしたようやくできあがった駄作なのだ。
彼女はしばらく目を通してからもう一度ぼくを見上げた。
悲嘆に暮れているようで、軽蔑しているようにも見える瞳。
ぼくは彼女の髪と瞳が好きだった。それらは、何故かぼくを非常に安心させてくれた。
ミセ*゚ー゚)リ「あなたがこんなことするなんて、思いもしなかった」
さっきよりは幾分重々しい口調で彼女は言う。
しかし、まだ端々に戸惑いが覗いて見える。
ミセ*゚ー゚)リ「でもわからない。これを読んでもぜんぜんわからない。あなたは何故死のうと思ったの。
あなたは何故、死ななければならないの」
( ・∀・)「わからないよ」
こうなった以上、ぼくに残されているのは素直に白状する道だけだ。
ぼくはできるだけ自らの心持ちを、真実を話そうと努めた。
( ・∀・)「自分でも理解できないんだ。どうしてこんなことをしないといけないのか。
でも、それはそういうものなんだと思う。そう捉えるしか方法はないんだよ。
ぼくはとにかく、死ななければならないんだ」
108
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 21:02:10 ID:9BaR2n0c0
しかし、どうやったってぼくの言葉を素直だとは取ってもらえないだろう。
自分でも分かっていないことを相手に説明するなんて、どだい無理な話なのだ。
当然、彼女は納得しなかった。険しい表情のままぼくに近づき、
ミセ*゚ー゚)リ「降りてよ」
と言葉を投げた。ぼくは素直に従った。
今まで使っていたこの椅子が、普段彼女の座っているものだということに、そのとき初めて気がついた。
相変わらず降りしきる雨の音。
それはぼくを取り巻く状況の変化に合わせて、いっそう緊張感を際立たせているようにも思える。
ぼくも彼女も、互いに立ち竦んだまま一切の言葉を放てずにいた。
ぼくには、このような状況で口にするべき台詞が何一つ思い浮かばなかったのだ。
恐らく、彼女のほうも同じだろう。
ミセ*゚ー゚)リ「座ろう」
一分ぐらいしてから彼女はそう呟き、自ら率先して椅子に座り込んだ。
ぼくもテーブルの向かいにまわって腰を下ろす。
ぼくたちが対峙するその間には、醜悪な完成度の遺書が無造作に散らばっている。
できることなら今すぐにでもこの三枚を滅茶苦茶に破いて捨て去ってしまいたかった。
しかし、今この場で勝手な行動が許されるとはとても思えない。
ぼくはまるで、模範囚のような面持ちで彼女と、彼女の奥にある壁を見つめていた。
109
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 21:05:58 ID:9BaR2n0c0
稲光……修羅場を演出するにはあまりにも紋切り型に過ぎる。しかしそれは現実に起きていた。
ぼくは彼女の次なる言葉をただ呆然と待ち続けていた。
自ら何かを発するつもりは毛頭なく、ただひたすらに彼女へ従属しようという思いがあるばかりだった。
それは結局のところ逃避でしかないのかもしれないが、
だからといって積極的な行動が実を結ぶような場面であるとも思えない。
不思議と、ぼくは自分が浮気でもしてしまったかのような焦燥感に駆り立てられていた。
ミセ*゚ー゚)リ「ひどい」
と雨音にかき消される程度の声音で彼女は言った。
ミセ*゚ー゚)リ「どうして一言も相談してくれなかったの。何で頼ってくれなかったの」
( ・∀・)「ごめんね」
とぼくは少し俯いた。
ミセ*゚ー゚)リ「何かいやなことでもあったの。会社とか、人間関係とか……」
( ・∀・)「いや、万事がうまく進んでいたよ。ぼくにしては上出来なぐらい、順風満帆な人生を歩んでいたと思う。
充足していない、なんてことは何一つないんだ。だから誰のせいでもないんだよ」
嫌みたらしい言い回しだと、われながら思った。核心を突かずにその周囲を堂々巡りしているような調子。
相手を苛立たせるには十分な冗長さがあった。
そう分かりながら口にするぼくは、おそらく愚かしいほどのあまのじゃくなんだろう。
110
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 21:08:31 ID:9BaR2n0c0
彼女はぼくの弁解を聴くと何故か説教でもされているかのようにしゅん、と小さくなってしまった。
ぼくの迷走した言葉を精一杯理解しようとしてくれているからかもしれない。
もしもそうだとしたら、一切を手放しにして喜べる程度には嬉しい話だ。
それはぼくの独占欲を大いに刺戟してくれる。
そしてほんの少し、計画の失敗を晒してよかったという風に思えるのだ。
ミセ*゚ー゚)リ「もう一度きくけど」
と彼女は下を向いたまま低く息を吐くようにして言う。
ミセ*゚ー゚)リ「どうして死のうと思ったの」
( ・∀・)「……何度でも、同じように答えるしかないんだ。ぼくにだってさっぱり分からない。
ぼくは何の挫折も孤独も感じていないし、むしろ生きていることはとても素晴らしいとも思えるよ。
それなのに、死ななければならないんだ。死なないと、もうどうしようもない」
ミセ*゚ー゚)リ「こんな理由で……」
彼女は粗雑に遺書を取り上げる。
111
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 21:12:10 ID:9BaR2n0c0
( ・∀・)「そんな理由で……いや、少し違うかもしれない。
本当はそこに書いてあることでさえ嘘っぱちなのかもしれないんだ。
ぼくの理由には元々心臓にあたる部分がなかったのかもしれないし、
だからこそこんな気持ちになっているんだとも思う。
でも少し前から今日実行しようと思っていたのは事実だし……
ねえ、ぼくをメンタル・クリニックへつれていくつもりはあるの」
それはぼくにとって最大の懸案事項とも言えたが、彼女は何も答えてくれず、代わりに
ミセ*゚ー゚)リ「少し前って、どれぐらい」
と言った。
( ・∀・)「一ヶ月ぐらいかな」
と返すとそう、と頷いた。予兆を感じ取られなかったことについて悲しんでいるのかもしれない。
その気持ちは分からないでもなかったが、ぼくはますます歓喜を覚えた。
彼女はぼくを愛している。そしてぼくも彼女を愛している。
ただそれだけの事実を確認できるだけで、こんなにも快感が訪れるとは。
けれど、きっとこんな確認のしかたは間違っているのだろう。
112
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 21:15:34 ID:9BaR2n0c0
再び重苦しい沈黙。
湿気を帯びた熱が部屋の中にまで忍び込んできているようで、滅多に汗をかかないぼくの額にも水滴が浮かぶ。
雨脚は一段と強まっているように感じられた。
ところで……ぼくがメンタル・クリニック行きを望んでいないのは、何もそういった施設を恐れているからではない。
むしろそこはとても居心地の良い場所であると推測できる。
カウンセラーはぼくにとって最良と思えるアドバイスと薬を与えてくれるだろう。
だから、正当な動機さえあれば受診することもやぶさかではない。
そう、問題はぼくに動機が存在しないことだ。
確かに死にたがっているというのはそれに値するのかもしれない。
しかしそれ自体が、ぼくにとって最早重大な関心事ではなくなってしまっているのだ。
ぼく自身が問題視していない症状で医者にかかるというのは……
なんだか、自由人を虜囚と見紛ってしまっているかのような違和感を覚えてしまう。
しかし、彼女はそう思っていないらしい。いや、誰だってそうは思わないに違いない。
だから彼女は静かに、しかし激しく泣き出した。
その涙には怒りや、哀しみや、分類できない感情の複合体が含まれているのだろう。
そしてその殆どが、ぼくのための想いだ。これはたぶん、自意識過剰ではなく客観的事実であると思う。
逆の立場であったなら、ぼくも彼女と同じ行動をとっただろう。それはぼくが彼女を十分に想っているからだ。
113
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 21:18:35 ID:9BaR2n0c0
ミセ*゚ー゚)リ「もし、あなたがこんなことを、本当にしてしまったとして」
馬鹿馬鹿しいことに、ぼくらを照らす灯りの隣にはまだネクタイの輪がぶら下がったままだ。
ミセ*゚ー゚)リ「わたしは何もできなかったの。わたしは、あなたが消えてしまうのを黙って見送るしかなかったの」
( ・∀・)「それは……そうかもしれない。でも、何もできないのは、ぼく自身も同じなんだ。
ぼくだって、自分をどうすることもできない。ぼくはここで、おしまいにしなければならないんだよ」
ミセ*゚ー゚)リ「あなたは、わたしのことを考えてくれなかったの」
( ・∀・)「いや」
とぼくは即答した。
実際、椅子を蹴る際に最初に浮かんだのは彼女の顔だったし、
一人で予行演習している際にも何回も何回も彼女のことを考えた。
それでも彼女に何も告げなかったのは、こうなってしまうことが分かっていたからだ。
ミセ*゚ー゚)リ「じゃあ、どうしてわたしを置いて消えてしまうの。
あなたは良いのかもしれないけれど……わたしの立場はどうなるの。
わたしは、これからどうすればいいの」
114
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 21:21:51 ID:9BaR2n0c0
ハープを奏でているような激情だった。
外の雨音に負けてしまいそうで、しかしまっすぐにぼくへ届くほどの芯の強さを持っている。
彼女の投げかけた問題は――少なくともぼくにとっては――本当に難しいものだった。
だからぼくはしばらく押し黙って、それからこう答えた。
( ・∀・)「もちろん、きみのことはずっと考えていたよ。片時だって忘れたことはない。
でも、それ以前にぼくは今回やろうとしたことを……
きみのこととは別問題として考えようとしていたんだ。
その二つの間には越えられない壁があって、
そのためにぼくは、きみのことを最後までは予測できなかったんだ」
ミセ*゚ー゚)リ「へりくつだよ、そんなの……」
そればかりは認めざるを得ない。
正直、自分でも何を言っているのかよくわからなくなってきた。
ミセ*゚ー゚)リ「それじゃあ、やっぱりわたしのことなんて考えてなかったようなものじゃない。
だって、わたしは選ばれなかったんだから」
そもそも論争以前の問題として、ぼくには主張がどこにも存在していない。
ぼくは実際に彼女のことを常々想っていた。それは事実だ。
その一方で、ぼくはネクタイの輪がちょうど自分の首のサイズに合うよう何度も練習を繰り返し、
馬鹿みたいな遺書まで用意した。そして実際に行為に及んだ。それも事実だ。
何もかも明白であるというのに、どうしてこんなにも息苦しいのだろう。
115
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 21:24:28 ID:9BaR2n0c0
一応、この人間社会に生きている限りは自らの発言に責任を持たなければならないと思う。
しかし、中身を伴わない発言にはどうしたって責任の持ちようがないのだ。
ましてやそれが嘘偽りのない心情の真相そのものだとしたら、ぼくは空っぽの自分を弁護しなければならなくなる。
その虚しさときたら。
せめて、もう少し正当に聞こえる死の理由を考えてから行動に移すべきだったのだろうか。
今となっては遅い話である。とりあえず、今日死ぬというのはちょっと始末が悪い。
( ・∀・)「だいじょうぶだよ」
だからぼくはそう言った。
( ・∀・)「もう……今日はもう、こんなことしないから。それより、早く出かけないといけないんじゃないかな。
雨はまだ当分降り続きそうだけど……」
そしてぼくは立ち上がり、今度は自分の椅子を使って天井のネクタイを取り外そうとした。
途端に彼女も乱暴に立ち上がって、ぼくを見た。唇を噛みしめていた。
双眸に、明らかな怒りの色が込められている。殴られるのかと思ってぼくは少し身構えた。
116
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 21:28:33 ID:9BaR2n0c0
ミセ*゚ー゚)リ「出て行く」
しかし、すでに言葉で頬に痛烈なビンタを浴びせていたのはぼくの方だったらしい。
彼女の涙声には屈辱が紛れていた。
ミセ*゚ー゚)リ「わたし、もうこの家、出て行くから」
( ・∀・)「どうして」
無意識のうちに疑問が口に出る。そう問いかける権利がないことは頭のどこかで分かっている。
だからと言って引き留めずにいるのは、なおのこと悪手であるというずる賢さも。
ミセ*゚ー゚)リ「だって、あなたがわたしのことを考えてくれないんだったら、
わたしだってあなたのことを考えたくないもの。そんなの、不公平じゃん。
だからわたしは出て行くよ。もっと一緒にいたいけど、あなたが死なないといけないんだったら、
わたしも出て行かないといけないんだよ」
横暴であるようにも感じられたが、やけに説得力のある理論だ。
そう感じられるのは、ぼくと彼女が同じ理屈の俎上にのっているからだろうか。
どちらの言葉にも、もっともらしい意味や内容は含まれていない。
しかし、ぼくにはそれこそが彼女の素直な心情の吐露であり、空っぽのぼくへの返答であるように思える。
また、事実としてぼくが死んでしまったなら、彼女としてもとてもそんな場所に住み続けていられないだろう。
首吊りが最も気楽な死に方だとはいえ、死に場所のことも考えておくべきだった。
117
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 21:31:23 ID:9BaR2n0c0
それにしても、彼女の言い分をこのまま認めてしまってもいいものだろうか。
身勝手な話、できれば彼女にはぼくが死んでしまうまで離別してほしくなかった。
できることなら、なるべく彼女をそばに感じたまま――それでいて密かに――たくらみを成功させたかった。
でも、それはあくまでもぼくの都合だし、こうやって全部が暴露されてしまった以上、
心の中でそっと思っておくのも無粋というものだろう。
だからぼくは、自分がしようとしていることをより確実に実行するためにも、
彼女の言葉に首肯してやるべきなのかもしれない。しかし、あまりに冷たくは無いだろうか……
いや、今になってそう考えること自体が罪であるようにも思える。
ミセ*゚ー゚)リ「馬鹿」
ぼくの思案は彼女の言い放った一言によって不意に現実へ揺り戻される。
ミセ*゚ー゚)リ「馬鹿……」
彼女はもう一度呟いた。そしてしばらく口をつぐんで、更に
ミセ*゚ー゚)リ「馬鹿」
と繰り返した。
そして少しだけ苦しげにうめいてから、戻ってきたときと同じように部屋を駆け出ていった。
数秒と経たず、玄関ドアがいきおいよく閉まる。ぼくはその様子をぼんやりと見送ってから、
彼女がテーブルに落とした三枚の遺書を拾い集め、ぐしゃぐしゃに丸めてくずかごに放り投げた。
一度目を通されたのだからもう十分だ。書き直すこともないだろう。
118
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 21:35:47 ID:9BaR2n0c0
一切の出来事を遠くから眺めているような気分だった。
ぼくの感情は、死人の心電図のように少しも波立っていない。
ぼくの知らないところで、意識だけが眠っているような感じ。
映画館の最前列で、終わらないエンドロールを眺めているような気分。
彼女は少し慌ただしすぎたのではないかと思う。
ぼくに対しては、まだ説得の余地が残っていただろうし――
もっとも、彼女がぼくの強固な決心を見透かしていたとすれば話は別だが――、
着のみ着のままで部屋を飛び出すほど切迫した状況でもなかったように思う。
無論、そんな心境にまで追い込んだのは他ならぬぼく自身だから、彼女に文句をつけるのは筋違いだ。
しかしながら、さすがにあんな具合で飛び出されたのではいささか心配にもなってくる。
だいいち、彼女は財布も何もかも全部入ったハンドバッグを部屋に放置したままだ。
これでは友達に会いに行くこともできないだろうし、このまま二度と帰ってこないというわけにもいかないだろう。
ぼくはぼくの決心をひるがえすつもりはないが、それでも、うじうじとした罪悪感が湧き上がってくる。
それは一種回避行動のようなもので、自分自身を落ち着かせるための休息に過ぎない。
やはり、この場所で死ぬというのは少し考え直したほうがよさそうだ。
彼女がぼくのことをどう想い始めたかはさておき、これ以上彼女に苦痛を与えるのはさすがに良心が痛む。
そして、死ぬ時期ももう少し先に延ばしたほうがいいのかもしれない。
やはり、生きている人間が死んでいる人間に変化するときにはそれなりの面倒がつきまとうようだ。
死人が生きている人間の数倍も存在感を発揮することだって、珍しくないというのに……。
119
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 21:38:16 ID:9BaR2n0c0
閃光……先ほどより激しくなったような気がする。
ぼくは、彼女がおそらく傘を持たずに出ていったのだと気付いた。
黒々とした空は更に深さを増していて、まだまだやむ気配がない。雷鳴。随分と近づいてきたようだ。
ぼくの、客観的にみれば身勝手極まりない理屈で、部屋を追い出されるはめになった彼女が不憫でしかたない。
ぼくは傘を持って彼女を探しに出かけることにした。
傘は一本で構わないかとも考えたが、さすがに今の状況で相合い傘はありえないだろうと思い直して二本持つ。
彼女のハンドバッグはそのままにしておくことにした。
いずれ彼女は戻ってくるだろうし、本当に必要なものを全部揃えていたらそれこそ夜を通り越してしまう。
外に出てみると、叩きつけるような雨の勢いに改めて驚く。何かの拍子で神様が怒り狂っているかのようだ。
このどしゃ降りの中を彼女は本当に行ってしまったのだろうか。
二階建てのこのアパートには雨風をしのげる場所など廊下ぐらいしか見当たらない。
まず、ぐるりと建物のまわりを一周してみたが、彼女の姿を見つけることはできなかった。
それならば、どこへ行ってしまったのだろう。ぼくにはまるで見当がつかない。
いずれかのコンビニにでも入って雨宿りしているのかもしれないが、
この辺りにはそういった場所が散在しているし、もしもあてが外れていたら時間を無駄にするばかりだ。
アパートを出て右に進むべきか、左に進むべきか、それさえも判断が難しい。
とは言え、立ち止まっていても何にもならない。
120
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 21:41:26 ID:9BaR2n0c0
ともかく、感性のままに歩いてみることにした。まず右へ進んで、奥にあるT字路を左へ曲がる。
すると一軒目のコンビニが見つかったので何の気もない風を装って入ってみる。
案の定、とでも言うべきか、彼女はそこにいなかった。こうやってしらみつぶしにあたっていくしかないだろう。
そうやっている内に彼女のほうが先に帰ってしまっているかもしれないが、それならそれで構わない。
いや、逆に心配させてしまうだろうか。ぼくが死に場所を求めてさまよい歩いている……というように。
彼女が、ぼくの言葉の全てを等しく信用してくれていればいいのだが。
二軒目のコンビニにたどり着くまで、何度も前後左右を確認して彼女を探したが、
こうも雨がひどいと視界もままならない。多くの人は外出する気にもならないようで、
この辺りにしては珍しくほとんど人とすれ違わない。久々に感じる孤独。雨の中へ吸い込まれていくような息苦しさ。
この雨は止まないのではないのだろうか、という根拠のない不安感すら持ち上がってくる。
傘を二本持ってきておいて良かったと心の底から思う。一本の傘でこの雨量から二人を守るのはとても無理だ。
道すがら、本屋を見つけたので入ってみる。狭い店内にも彼女はいないようだ。
それどころか一人の客さえおらず、若い店員がレジのところで暇そうにあくびをしている。
傘をさしていても自分の身体は濡れてしまっているようで、ところどころから水がしたたっている。
このままでは意図せずそこらじゅうの本を水びたしにしてしまいそうだったので、ぼくは慌てて店を出た。
121
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 21:44:40 ID:9BaR2n0c0
彼女はぼくより遙かに濡れねずみになってしまっているに違いない。
気の毒だ、というのが正直な感想で、真摯に自分のせいだと反省することができない。
どのように想っても、対岸の火事に駆けつけようともせず、
ただ遠くのほうから水を浴びせようとあくせくしているような、無様さを覚えてしまうのだ。
彼女の言ったとおり、彼女への愛情と死の問題を分けて考え、その上で死を選択し彼女を捨てたのだから、
その無様さはもはや挽回しようもない。ならば今、こうやってかけずり回っている自分は何なのだろう。
……きっと、これは誰しもの心に起きるちょっとした善意でしかない。
ぼくが彼女のことを愛していると言ったところで、誰が信用するだろう。
信用されないということは、存在しないも同然なのだ。
本屋を出ると、相変わらず強い雨が降りしきっていた。
目の前の古い木造住宅のトタン屋根に雨粒が刺さって、せわしなく不協和音を奏でている。
なんだかひどく疲れていた。
122
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 21:47:40 ID:9BaR2n0c0
ここからの行き先の候補として幾つか思い浮かぶが、そのどれを取っても彼女がいる気がしなかった。
もしや、彼女はこの雨と一緒に溶けてどこかへ流れていってしまったのではないだろうか。
そうであってもおかしくない気がした。
そして、もしそうだとしたら、ぼくみたいな人間にはもう追いかけることもできない。傘だって無駄になる。
それでも、ぼくは歩き出さなければならなかった。
彼女を探し続けるにしても、早々に引き上げてしまうにしても、立ち止まってはいられない。
何があろうと、前には進まなければならないのだ。そんなことは分かっている。
分かっていたからこそ、今日という日に向けて着々と準備してこられたのだ。
彼女にさえ見つからなければ……。
いや、そんな名残惜しさに浸っている場合ではない。ぼくは傘をさすために少し上を向いた。
その瞬間、視線の先を光が斜め下へ走った。稲妻だ。続いて鼓膜をつんざく爆音。
先ほどまでとは比べものにならない音の大きさに、ぼくは思わず悲鳴をあげそうになっていた。
外に出たのだから大きく聞こえるのは当然の話なのだが、それでもぼくは必要以上に驚愕していた。
しばらくその場を動けずに足を震わせていた。
それからようやく、何事もなかったかのような顔で傘をさして歩き出すことができた。
ぼくはたぶん、空襲の時に逃げおおせることもできずに死んでしまうのだろうな、などとつまらないことを考える。
それぐらい頭が混乱していた。脳みその奥底で、まだ雷鳴が反響していた。
123
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 21:50:16 ID:9BaR2n0c0
それにしても稲妻をじかに見たのはいつ以来だろう……もしかしたら初めての体験かもしれない。
その一瞬の出来事は脳裏にしっかりと焼き付いているのだが、
その衝撃を説明しろと言われてもたぶん何一つ伝えられないだろう。
雷を怖がる人が多いというのも分かる気がする。
よく分からない恐怖というよりは、はっきりと目撃することによる畏怖。
科学的な原理も解明されているはずなのに、人間の手ではどうすることもできない自然の偉大さ。
そしてそれだけではなく、個人的な恐怖心を刺戟する何かがある。
ぼくの足取りは明らかに重くなっていた。落雷のために疲労は倍増していて、
そのせいかいっそう孤独感が深まっていく。薄ぼんやりと浮き上がっているような街路は、
進むにつれて迷宮の様相を呈してきた。こんな天気の下で出ていった彼女は相当強い女性なのだろう。
もちろん、ぼくが弱すぎるという可能性も否定できないが。
いや、もしかしたらぼくが見落としていただけで、彼女は意外と近所で雑誌でも立ち読みしているのかもしれない。
もちろん、そうであって欲しいという希望的観測も含まれる。
辛うじて持ち合わせていた小銭で買った切符で遠くへ行かれてしまったのであったら、もうどうしようもない。
二軒目のコンビニも不発に終わり、ぼくは更に進み続けた。
もう、どこを歩いているのかはっきりしなくなってきている。
おぼつかない足取りで家の壁だけを目で追いながら前進する。自分の目的が何かも忘れてしまいそうだ。
傘はもうほとんど役に立っていないようで、全身から雨のにおいが蒸気のように湧き上がっていた。
雨粒か自分の汗かも分からない顔の水滴をぬぐい、ようやくたどりついた曲がり角で向きを変える。
124
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 21:53:21 ID:9BaR2n0c0
ともすれば不快な眠りに落ちてしまいそうな頭の上で再び光と音が放たれた。
ぼくは誰かに一喝されたかのように身体をまっすぐに硬直させ、そのままの姿勢で歩き出した。
ぼくは雨の息苦しさよりも、時折訪れる雷の激烈さに戦慄していた。
何故こんなにも雷に責められているような気分になるのか分からない。
ただ、その攻撃は泣き出したくなるくらいにおそろしかった。
そう……純粋に考えればおかしな話である。何もぼくは、雷鳴を怖がる必要なんてないはずなのだ。
本来なら、ぼくはもう既に死んでいる身なのだから。あの部屋の、あの吊照明の、あのネクタイ――
それはまだ、孤独にぶら下がっているはずだ――によって。
そのぼくが雷に挫かれるなど、本来なら不可思議でしかない。
にも関わらず、ぼくはこれ以上雷が落ちないことを願っている。
できればこの雨と共にさっさとどこかへ消え去ってほしいと切望している……。
何かのはずみで雷がぼくの真上に落ちてきたら、ぼくは呆気なく死んでしまうか。
そうでなくても意識不明の重体ぐらいには追い込まれてしまうのだろう。もしかして、ぼくはそれが怖いのだろうか。
首吊りによる死を望んではいても、落雷による死は本望ではないのかもしれない。
結果としては変わらないというのに、ぼくはあくまでも形式に拘っているのかもしれない。
では、形式としての死を求めているのであれば、ぼくは本来的には死を望んでいないのではないか。
だが、近いうちにぼくは死ななければならない。それだけは確かだ。
何故か。そんなことは分からない。分からないなら死ななくてもいいじゃないか。
死ぬだけの勇気があるなら、生きていけるはずだ。
125
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 21:57:08 ID:9BaR2n0c0
……いや、違う。死ぬ元気と生きる元気は根本的に異なっているのだ。
その二つは、まったくもって別問題なんだ……そう、まるで彼女への愛情と同じように。
そしてぼくには、死ぬ元気を上回るだけの生きる元気が存在していなかった。
死ぬ元気を出して、こうして無闇に生き続けているのをやめるなら、死ぬのが道理じゃないか……。
ふと我に返ると目の前に広々とした川が横たわっていた。
どうやら、気付かない間に川沿いの道にまで来てしまっていたらしい。
増水した川の流れは普段に比べて速く、濁っていた。
そしてぼくはふと――すくみ上がってしまった。
雷鳴の響いている時に広い場所に出るのは危険だという小学生でも知っている知識を思い返したからである。
それにしても先ほど思い出していたのは……そう、ぼくが書いた下らない遺書の内容とほとんど同一だった。
たったあれだけの動機を、ぼくは目いっぱい拡大して三枚にも膨らませたのだ。
内容と呼べるほどの内容は一つもなく、
ただ素朴に死ななければならないという事実を淡々と書き並べただけにすぎない。
遺書というよりは、検死調書とでも言うべきだっただろうか……。
126
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 22:00:20 ID:9BaR2n0c0
そもそもぼくが何故死にたくなってしまったのか、それに値する理由などいくら考えても出てこなかった。
ただぼくは死にたかった。死ななければならないと盲信していた。
例えば高校生が卒業すれば大学か就職かに進路を定めなければならないのと同じように、
ぼくはぼくの人生において、次の行動を選択しただけなのだ。そう、いずれにせよ前には進まなければならない。
進まずとも、人生はあらゆる濁りを含めて流れていってしまう。その流れは深く、目まぐるしいほど速い……。
選ばなかった道を惜しむのは儚いことだ。だからぼくは彼女に何も告げなかった。
生きることと死ぬことは、同じ人間の身に起きる話なのに互いに相反している。
少しでも残っている「生きたい」という希望の残渣を捨てるためにも、
「死ななければならない」という響きはとても魅力的だった。だからぼくはその言葉に執心した。
生きていることは強制されるべきことじゃない。
それが必要でなくなったなら、或いは必要性が薄れていると感じたなら、自ら死んでしまっても構わないのだ。
そう信じてぼくはあらゆる努力を惜しまなかったつもりだ。
だが、雷鳴はそんなぼくの選択肢を根こそぎ奪い取ってしまった。
ぼくが今まさに感じているのは……紛れもない死への恐怖心だった。
雷撃で散る程度の命を、ぼくはまだ吹き消してしまいたくないと思ってしまったのだ。
そう、だからぼくは死にたくない。死ななければならないが、死にたくないのだ。なんという矛盾だろう。
生きる元気などは既に枯渇してしまっているのに、死ぬ元気さえ無理矢理そぎ落とされてしまった。
そして、その二つの井戸は重厚な蓋で閉ざされてしまい、二度と水が注がれることはない。
ぼくは、真の意味で空っぽになってしまったのだ。
127
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 22:03:20 ID:9BaR2n0c0
考えるのをやめてしまいたい意志とは逆行して、ぼくの頭は無意味に覚醒していた。
あらゆる物事を並行して思考している。生きていることも、死ぬことも、何もかもを考えていた。
全身が、今にもはちきれそうなほど軋んでいる気がした。
全部が無駄だった。死を考えることさえ、苦痛でたまらなくなっていた。
結局のところ、色々と難癖をつけて死を回避しようとしているようにしか見えない自分自身があまりにも疎ましかった。
そう、できることなら雷鳴など耳に入れることなく、死という選択肢を完遂してしまいたかった。
それだけで、よかったのだ。
そして雷鳴が響いた。ぼくは辺りにかまわず叫んでいた。
ここにも、彼女の姿は見当たらない。
了
128
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/09/30(火) 22:04:01 ID:9BaR2n0c0
次は10月1日の夜に投下します。
では。
129
:
名も無きAAのようです
:2014/09/30(火) 22:04:19 ID:0LeReEVs0
乙!
130
:
名も無きAAのようです
:2014/09/30(火) 22:38:06 ID:KnsmzAGM0
乙
131
:
名も無きAAのようです
:2014/09/30(火) 23:46:27 ID:tOLsnB4A0
どうすればここまで考えをほじくれるのか…
アースで散る雷みたいな話だったよ
おつでした
132
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 21:16:58 ID:h2WvNwoE0
5.ちぎれた手紙のハレーション 20140731KB
『兄さま、貴方はわたくしに大いなる寵愛を授けてくださいましたね……』
外では太陽がキラリキラリと照り輝き、上空を舞う雲の波は、まるで畝って奇妙な芸術のように舞い躍ります。
少しだけそよぐ空気が、心地の良い熱を運んでくれます。
こんな日に独り部屋に引き蘢って、手書きの手紙をしたためているなどというのは、
もしかしたら背徳的な行為なのかも分かりません。
けれども、わたくしはどうしてもこの手紙を今日中に書き終えなければなりませんでした。
忙しなく動き回る世情に従って、わたくしもするべき事はサッサと終わらせてしまわねばならないのです……。
『貴方の寵愛は、わたくしの人生に数多の幸福を齎してくださいました。
ですから、わたくしは貴方と共に歩んだ年月を、決して後悔などしておりません……』
わたくしも一人前の現代ッ子でありますから、手書きで長文を書き表すなどという事には然程慣れておりません。
こうやって書きながらも少しずつ読み返し、その文字の乱雑さに恥じらいを覚えてしまいます。
字体にはその人の育ちが其の儘表現されると申しますけれども、
それを考えるとわたくしはただただ申し訳なくなってしまいます。
『こうして互いが離ればなれになってしまってなお、
わたくしは兄さまのことを思い出さない日は殆どないのです……』
133
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 21:20:04 ID:h2WvNwoE0
そういえば、昨夜はこんな夢を見ました。
わたくしは空を漂っていました。
生まれ故郷である田舎町の宙空を、特に何をするということもなく浮揚していたのです。
季節は夏。時刻は真昼間で今と同じように太陽の光が燦々と降り注いでいました。
なのに、そこには同時に星空も存在していたのです。
彼らの輝きは決して太陽に負ける事なく、それぞれがくっつき合い、色々な星座を形成しておりました。
そして私の眼には、まるで図鑑で見ているかのように、それぞれの星座の画がハッキリと映っていたのです。
そんな非現実的で酷く美しい空の下をわたくしは飛行しておりました。
すると、眼下の畦道に学生時代の知り合いを発見したのです。
彼女とはそれほど仲が良かった憶えもないのですが、
その時の私は何の疑問も持たずに彼女の元へ一目散に舞い降りていったのです。
そのとき……落下していく際に覚えた無重力的な心持ちときたら……
今思い出してさえ、身体がゾクゾクとしてまいります。
ああ……そうです、畢竟、わたくしの夢は浮遊と墜落によって構成されているのです……
現実には決して味わう事のない体験……けれども、わたくしには親しみすら覚えられる感触……。
わたくしは、もう幼き頃から、その体験の虜になっていたと言っても過言ではないのでしょう……。
話がそれてしまいました……そうして、わたくしは知り合いの女性のところへ降り立ちました。
彼女の風貌は私の知っているものと何ら変わるところなく……
学生時代と同じく柔和な笑みをわたくしに向けてくださっていました……何の違和感も覚えていないかのように……。
134
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 21:23:12 ID:h2WvNwoE0
(*゚ー゚)「こんにちは」
と、わたくしは何だか気取った風に挨拶をしました。
(*゚ー゚)「今日はいいお天気ですね」
ミセ*゚ー゚)リ「ええ、本当に」
彼女も優雅に応じてくださいました。
ミセ*゚ー゚)リ「こんな綺麗に星座が見れることなんて、滅多にないことですわ」
(*゚ー゚)「貴方はどの星座がお気に入りなのですか?」
ミセ*゚ー゚)リ「私は、実を言うと蛇遣い座が最も素敵だと思っているんですよ」
(*゚ー゚)「まあ。蛇遣い座でしたら、まだ空には昇っておりませんね」
ミセ*゚ー゚)リ「ええ、けれど、宵の口にはきっと美しく煌めいている筈ですわ」
(*゚ー゚)「本当ですわね、アハハハハ」
ミセ*゚ー゚)リ「アハハハハ……」
そうしてわたくしは目を覚ましました……夢の中の彼女に別れを告げる事もなく……。
135
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 21:27:38 ID:h2WvNwoE0
夢から醒めるたび、わたくしはいつも口惜しい気分になってしまいます。
夢の世界は大抵において素晴らしく、美しく、そして夢の中のわたくしは、
その全てが余すところなく現実であると信じ込んでいるのです。
ところが、夢から醒めるたび、わたくしの確信はたちまちにして立ち消えてしまい、
あまつさえ、同じ夢と再会することは稀にも起きてくれないのです。
そうですからわたくしは……夢と別れるたびに……わたくしの中に僅かに潜んでいる美しき部分……
自分自身に陶酔できる部分を失ってしまうような感覚に陥ってしまうのです。
『兄さまはお元気でやっていますでしょうか。わたくしのことを、まだ憶えてくださっていますでしょうか』
そのあとに遺るのは自己嫌悪のわたくし……どす黒く固まってしまったわたくしだけが、
心の中に居座ってしまっているような気さえしてしまうのです……。
そしてその嫌悪感はやがて他者に及び、愛すべき家族に及び、兄さまに及び……。
『突然のお手紙にさぞや驚かれたことでしょうね。
けれどもわたくしは、どうしても直筆で兄さまにお伝えせねばならないことが出来てしまったのです。
兄さま、兄さま……悲しんでくださいますか。寂しがってくださいますか。
このお手紙は他でもなく、兄さまへの別れのお手紙なのですよ……』
136
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 21:30:27 ID:h2WvNwoE0
……その、時代遅れの山高帽を冠った背高の紳士がわたくしの部屋を訪れたのは、
今から丁度一週間まえのことです。その時も素晴らしい夢をお別れをして……
ウツラウツラとしていたわたくしのところへ、彼はあまりにも唐突に、不躾に……
願っても得られないような悪夢を携えてやってきたのです。
今にして思えば、どうしてわたくしは見ず知らずのあの男を部屋に入れてしまったのでしょうか……
身持ちの悪い女である自覚はありません……しかしあの時は、あの時だけはどうしても、
避けられぬ運命が形になって現れたのだと錯覚し、受け入れざるを得なかったのです。
部屋に入った男は帽子をとることもなく、煙草を一本、吸ってもいいかとわたくしに訊ねました。
わたくしが渋々了承いたしますと、彼は背広の胸ポケットからクリーム色の小箱を取り出して、
窓際へ歩み寄っていきました。
( ・∀・)「この煙草はね……貴女なんかもご存知かも知れませんが……ピースというんです。
ええ、英語です。欠片ではなく、平和という意味のほうで……。
ハハ、私はこの一生涯で、これ以外の煙草を吸うたことがないんですよ。
そもそも煙を好んで吸う趣味は無いんでね、格好がつけばなんでもいいんです……。
ええ、喫煙者の心理なんて大抵そんなものですよ、キットネ……。
ほら、パッケージに鳩が描かれているでしょう。平和の象徴ですよ……。
こんな、依存性の高い毒物に平和なんて名付ける意図について、貴女はどう思われます?
私は、チョット頭がおかしいんじゃないかと思うんですがネ……。
でも、平和そのものが依存性の高い毒物だと考えると……
どうで、なかなか小気味よい皮肉だと思いませんか。思わない……?
まあ何でもいいんですよ。きっと制作者にもそんな意図はありますまい。
解釈なんてものは、各々の感性と主観の数だけ存在するという事で一つ……。
とにかく私は、この名前に一目で惚れ込んでしまったという具合なんです……。
それで、時々目についたら購うことにしているというワケで……」
137
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 21:33:23 ID:h2WvNwoE0
彼の風体は、何となく旧き小説に登場する私立探偵を思わせました。
帽子の下に垣間見える目鼻立ちはどこか日本人離れしていて、何より、部屋の中では更に背丈が際立ちました。
そうやって含蓄を呟きながら煙をツイと吐き出す姿などは、十分に板についていたと言って間違いないでしょう。
( ・∀・)「……ええ、分かっていますよ。そんな疑いの眼差しを向けずとも……
私はこうして煙草をスパスパやるためにここを訪ねたワケじゃないんです……。
そう、チョット退っ引きならない用事が出来たもので、こうして寄らせていただいたんですよ。
それはね、有り体に言えば人探しと申しますか……ある方の依頼があったものでして……」
(*゚ー゚)「では、矢張り貴方様は探偵か何かでいらっしゃる……?」
( ・∀・)「ヤハリ? ……そう、そうですか。ハハ、そう見えますか。こいつはいけませんねえ。
探偵がイカニモ探偵という格好をしていることほど滑稽なものはありません……
私服警官が警察手帳をぶら下げて歩いているようなもんです。
今後は改善に努めましょう。ええ、そうしましょう……
然しね、今回はもう、貴女に気付いていただいても一向に構わないんですよ。
何せ私の役目は貴女を突き止めた時点で、とうに終わってしまっているものですから……」
138
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 21:36:25 ID:h2WvNwoE0
そうして彼は、背広の内ポケットから一枚の写真を取り出し、わたくしに手渡しました。
それはモノクロで仕上がったポラロイド調の写真で、まるで昭和以前の雰囲気を匂わせるものでした。
そしてそこには一人の、何の変哲もない若い男性が写されておりました。全然見覚えのない男性の顔が……。
(*゚ー゚)「あの、この方は……?」
( ・∀・)「きっとそう言うだろうと思っていましたよ……。いやね、依頼人には聞かされておったのです。
彼女は記憶を喪失してしまっているかもしれない、
だから僕の顔を見ても何もハッキリ思い出せないだろう……とね。
それだからこそ、私のような私立探偵にお鉢が回ってきたという具合で……。まあ、何でもいいんですよ」
彼はそこで、不自然なほどに口角をつり上げた笑みを浮かべてみせました。
その表情が何とも恐ろしく恐ろしく……わたくしはとても直視することが出来ませんでした。
( ・∀・)「ええ、落ち着いてよくお聞きください……この方は、貴女の婚約者なのですよ」
わたくしは目を見開いてその写真と、彼の顔を交互に見つめました。
そして、ヒュウ、と音階の外れた呼吸をしながら「そんな……」とやっと一言呟いたのです。
( ・∀・)「ほほう……やはり全部依頼人の……貴女の婚約者の予想した通りでしたか。
ええ、きっと何やらの特別な事情があったのでしょう。貴女はこの顔の人物を憶えていない、
それどころか、自分が誰彼と婚約したかどうかさえ、記憶していない……そういうワケですね?」
わたくしはただ、コクリと首肯するのがやっとでした。
139
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 21:39:45 ID:h2WvNwoE0
( ・∀・)「そうですか。それは困った事態ですナ……。然し、既に調べはついているんですよ。
ここへ伺う前に、予め言質は取れているというワケで……。
ええ、つまり依頼人のご家族、及び貴女のご両親にも事情をお聞きしましてね。
この依頼人と貴女が三ヶ月ほど以前に婚約を結ばれ、
各々のご両親への挨拶も済ませているという事は、既にハッキリしているというわけです」
(*゚ー゚)「そんな、何かの間違いでは……」
( ・∀・)「間違いではない! ……ええ、現に私がここに辿り着いたのがその証拠ではありませんか。
私だって何も闇雲に、シラミつぶしに貴女の苗字の彫られた表札を探して歩いたんじゃあないんですよ。
貴女は一ヶ月ほど前、突如依頼人の前から姿を消した。
以来、彼は貴女を発見しようと這々の態で動き回ったのです。それでも見つかりやしない……
それで彼は、恥を忍び、断腸の思いで私や貴女のご両親に相談を持ちかけたと、そういうワケです。
貴女の居場所はご両親が大体の見当をつけてくれました。
曰く、娘は静かな場所を好み、また所縁のないところを嫌うと……故に、大学生の頃、
下宿していた辺りが怪しいのではないかと……そしてその推測は、見事的中していた」
わたくしはもう一度、目を凝らして写真の人物を眺めました。
ごくごく普通の、何一つ印象的ではない男性の表情……。
それこそ、通りすがりの見知らぬ他人に向けるような感情しか湧いてきません。
こんな男性と知り合いになり、ましてや婚約を結んだ自分がいるなどということは、全く信じられないことでした。
……そして何よりも……こんな言い方は可笑しいかもしれないですけれど……
わたくしには記憶喪失になった憶えが一切ないのです。
140
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 21:42:17 ID:h2WvNwoE0
( ・∀・)「……まあ、よくよく驚かれるのも無理もない。
然しね、貴女の仕掛けた今回の失踪劇は、
ある程度貴女自身によって意図されていたものだったんですよ」
(*゚ー゚)「……どういうことです、それは……」
( ・∀・)「貴女は失踪直後、ご自身の携帯電話を解約しておられる。
それで、依頼人もご両親も連絡が取れなかったという経緯があります。
このご時世にわざわざご自身の電話番号を失われるなど、
相応の覚悟をもってでしかなし得ない事ではありませんか。そう思うでしょう?
……いやいや、これは、今の貴女を責め立て、糾弾しても何ら意味のないことではありますがネ……。
ただ、一つ考えていただきたいのは、過去の貴女はご自身の意思をもって、
計画的に今回の芝居を打ったという事実でありまして。
そこには何らかの、重大な動機が秘められている筈なんですよ」
(*゚ー゚)「そんなこと……わたくしは、まだ、この男性……
わたくしが婚約を結んでいる男性のことも思い出せていませんのよ。
そもそも、わたくしが婚約なんて……誰か様と、そんな縁を結んでいただなんて……」
( ・∀・)「ほほう、ご自分が婚約者の身分であるということがそれほどに信じられませんか」
(*゚ー゚)「だってそうでしょう?
婚約をしたということは、私はその方に恋慕し、また恋慕していただき、
長い時間を経てようやく到達する頂ではありませんか。
それほどに貴ぶべき時間の全部が、現在の私の頭からはスッポリと抜け落ちてしまっているのです……。
だって、正直に申し上げますと、今この方の写真を見ても、何の好意も抱けないんですのよ……」
141
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 21:45:29 ID:h2WvNwoE0
わたくしは、もう殆ど耄けたような心持ちになっておりましたが、
それでもまだ、この探偵への疑いを持ち続けていました。
すなわち、全てがこの、探偵を名乗る男の一人芝居なのではないかと……
全ては、何らかの目的でわたくしを騙すための策略に過ぎないのではないかと……。
しかし、そんなわたくしの疑惑や期待は、彼の次の言葉によって華麗に打ち砕かれることとなってしまったのです。
( ・∀・)「イヤイヤ……貴女の恋愛観は素晴らしいものです。
この時代にそれほど堅牢な心をお持ちである事には、ホトホト頭が下がる思いです。
とは言え……私も職業柄、貴女の感情的な言葉だけで屈するわけにもいかない……
ええ、これは男性である私からはやや言いにくいんですがね……
依頼人が貴女を心配なさっていたのには、格別の理由があるからなんですよ……。
これは直接的な動機があるわけではなく、
ただ依頼人が過去の貴女からお聞きなさっただけのことではありますが……
事実であれば成る可く速やかに自覚していただかなければならない……。
ええ、そうです。過去の貴女はね、依頼人に、ご自身が身重であるという風に告白したそうなんですよ」
私は彼の言葉を噛み砕いて、ようやく意味を理解した瞬間にグラリと揺らめくような目眩を覚えました。
それと同時に、お腹の方から心臓に向かってゾワゾワと悪寒が競り上がりました。
まるで言葉に反応し、自らの存在を主張するかのような不気味な悪寒が……。
142
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 21:49:06 ID:h2WvNwoE0
( ・∀・)「ええ、もっとも、まだ月日は浅く……外見で判別できるものではありません。
然し乍ら貴女自身がお感じになられた様々な変化が……その事実を明確に物語っていたのだそうです。
依頼人は……ええ、勿論貴女もです……それはそれはお喜びになられたそうですよ。
それで、近いうちに連れ立って病院に行き、
正確な事実を把握しようという手筈まで組んでいたとのことなのです。
けれども、その矢先に貴女が失踪なされた……。
そのため、依頼人は『過去の貴女が過去の貴女の儘であれば』失踪するなど考えられないと、
こう予測立てたワケでしてネ。まあ、勿論勾引されたという可能性もお考えになったそうですが……
そうだとすれば、ご本人によって携帯電話が解約されているというのは、どうにもオカシイ。
そう、それこそ記憶喪失になったとでも考えなければ有り得ない事態だった、とそういうわけなんです……
オヤ、大丈夫ですか? 相当にお顔色が悪いようですが……」
(*゚ー゚)「気になさらないでください」
と、わたくしは言葉を絞り出しました。勿論、まだ信じられない気持ちでいっぱいでした。
けれども、それでも、悪寒が止まりませんでした……まるでわたくしの身体を乗っ取ろうとしているかのように、
徐々に震えが全身へと行き渡ってゆくのです……。
143
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 21:51:29 ID:h2WvNwoE0
( ・∀・)「……ええ、まあ、私も専門の医者ではないんでネ……
貴女を一見してご懐妊されているかどうかなど分かる由もない……
どうしても信用できないようであれば、一度ご自身で産婦人科などに通ってみては如何でしょう……。
イヤイヤ、というのもね、依頼人はすぐに貴女を連れ戻そうという気はないんですよ……
ええ、これは貴女のためを思ってのことです。記憶喪失にせよ何にせよ……
まあ、結果的に予想通りだったワケですが……この時期に失踪なさるということには、
余程の動機があったに違いない、彼女には彼女自身、心の整理をつけてから帰ってきてもらいたいと、
そう仰るんですな……。
実際、ねえ? 今から依頼人の元へお帰りになったところで、益々混乱するばかりでしょう、
そう思いませんか……。そういうわけですので、貴女にはいましばらく、猶予があるのです。
本来ならば私の仕事はここで終いなんですが、そうですナ……
一週間後を目処に、もう一度此処へお伺いします。それまでに、身辺整理をするということで一つ……。
その際にも帰宅を拒否されるようならば、私は何度だってやって参りますよ。
何せ暇なものでしてネ……。しかしまあ、私も仕事ですので、
契約している期間はそれ相応の料金を頂きます……
無論、それだけ依頼人の金銭的負担も膨れ上がるという具合で……
まあまあ、それは今の貴女が考えるべき事案ではないですな。
失礼、どうもこういう商売ですと、銭金の問題に敏感になってしまうものなんですよ……
今時、私立探偵なんて流行りませんからねえ……この服も一張羅なんですよ……アハハハハ……」
わたくしは、一人でペラペラと、さも楽しそうに喋り続ける彼をぼうっと見遣っておりました。
そのうちに無意識に下腹部を撫ぜようとした手を、バチリと他方の手で払いのけました。
今は自分の身体など触りたくもない……そんな心持ちで……。
144
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 21:54:56 ID:h2WvNwoE0
( ・∀・)「……おっと、失礼……チョイと長居しすぎたようですな……
ああそうそう、名刺を置いておきますんでネ、
何かお困りごとがあったらいつでもその番号にお掛けください。
ああ、この名刺ね、一応名前は記してあるんですが、あくまでも仮名でして……
ほら、一枚ごとに名前が違うでしょう? まあ、用心するに越した事はないというワケで。
けれども身分は確かですよ。何なら、ご両親に連絡を取ってみては如何です?
きっと私の評判が聞ける筈です。もっとも、ご両親には別の名前で知られているかもしれませんがネ……
どうもそのあたりの物覚えが悪くて……アハハハハ、ではこれにて……」
……彼が立ち去った後、ポッカリと穴があいてしまったような空間を、わたくしはただただ呆然と眺めておりました。
どれぐらいそのままで居たでしょう……。不意に我に返ったわたくしは、早速両親に連絡を取ろうと試みました。
しかし……もしも探偵の言葉が真実であれば、両親もまた、彼と同じようなことを、
追い討ちをかけるようにして私に告げるだけでしょう。或いは、必要以上の語気で叱責されるやもしれません。
その口撃に今のわたくしが耐えられる筈もありませんでした。
かと言って、探偵の言葉の一切合切を全否定されてしまえば、
わたくしは愈々頭がおかしくなってしまうかもしれません。それだけ彼の言葉には迫力と真実味があったのです。
ですから、わたくしは両親に連絡を取るのをやめてしまい……近所のドラッグストアへ走ることにしました。
そこでわたくしは……もう本当に、顔から火が出るような思いで……妊娠検査薬を購ったのです。
無論、病院に行けばもっと確実な状態が判明するのでしょうけれど、
とてもそんな勇気を出すことは出来ませんでした。
然し、市販の妊娠検査薬でさえも、九分九厘、正確な結論を叩き出してしまうのです……。
『兄さま、実はこのたび、わたくしはとある方の子を妊娠したのです……』
145
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 21:57:50 ID:h2WvNwoE0
結果は、何度見ても変わりませんでした。
探偵に妊娠の疑惑を突きつけられたその当日に、わたくしは自分の身に、
自分の子どもが宿っていることを理解したのです。
それはもう、今までに見たどんな悪夢よりも絶望的で、そして突き刺さるように痛むほど現実的でした。
わたくしは、つまり、そういった行為を誰彼と交わした憶えはなく、
しかしその証拠はこのお腹に明白に存在しているようなのです。
そんな自分がふしだらにさえ思えてしまい、自己嫌悪が一層に肥大していくのでした。
『けれども、兄さま、信じていただけますか。わたくしは、それでも、それでも……』
最早、妊娠という事実だけで探偵の言葉を鵜呑みにするには十分でした。
何らかの理由によって記憶を喪失し、愛すべき人をおいて逃げ去ってしまった……
それが、ようやく自分自身のことなのだと了承するに至りました。
ああ、けれど、それでもわたくしは、探偵が置いていった写真を見ても何の感慨も持てずにいました。
わたくしの好みに合うかどうかも分からず、ましてや記憶の引き出しが開かれる気配もありません。
けれども、この男性と愛を交わしたというイメージは徐々に現実味を帯びていき、
わたくしは独りで煩悶せざるを得ませんでした。それは惨めなほどに背徳的で、堕落的で……。
ああ、このお腹に子がいなければ、わたくしはきっとナイフでもって自死していたことでしょう。
けれども、子殺しという罪は脳内で想像することさえ重すぎて我慢できず、
結局は何も出来ずにグシャグシャと髪の毛をかき混ぜてばかりいたのでした。
『兄さま、わたくしは現実を受け止めなければなりませんでした。
わたくしは、誰か様の元へ嫁ぐという現実を受け止めなければなりませんでした』
146
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 22:00:22 ID:h2WvNwoE0
探偵はわたくしに、身辺整理をしておくようにと告げましたが、
わたくしには特段……自分の心情を除き、整理しておくべき物事など思いつきませんでした。
ですので、もう今すぐにでも、名刺に記された番号へ連絡することも可能だったのです。
けれどもそれは、わたくしにとって自ら断頭台に上がる日を選ぶようなものでした。
電話をした瞬間にモノクロの男性が、それに伴うあらゆる出来事が色調を得てわたくしに降り掛かることを考えると、もう、とても自分から連絡をとるなどという手段には及べませんでした。
しかしそれはまた、お腹の子どもを無闇に放置しているようにさえ思われ、
わたくしはあらゆる嫌悪感によって雁字搦めに縛り付けられてしまったのです。
そうして生きている心地などひとつも得られないような日々が一日、また一日と過ぎてゆきました。
わたくしはただ、自室に横たわって再びやってくるであろう探偵の足音に怯え続けていたのです。
そうやって怯え続けている事にやがて疲れ果て、ウトウトとした微睡みに溺れ……
そうしてまた、一日が無為に終わるのでした。
『兄さま、年の離れた兄さまは、わたくしにとって親も同然の存在でありました。
そして兄さまもまた、わたくしのことを娘のように可愛がってくださいましたね』
147
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 22:04:41 ID:h2WvNwoE0
そして一昨日のことでした。また微睡みに浸っている私は、朧げな夢を見たのです。
それはわたくしと兄さまがまだ子どもだった頃の遠く懐かしき思い出を描くものでした。
十も歳の離れた兄さまは、まだ二歳くらいのわたくしを抱き上げ、タカイタカイを繰り返してくれていたのです。
恐らく、両親がやっていたのを真似てみたのでしょう。
まだ背も低かった兄さまは、わたくしを出来るだけ高く抱き上げるために背伸びまでしていました。
それから、フウと息をついてほとんど落とすようにして手元にわたくしを戻します。
わたくしがキャッキャと喜ぶものですから、兄さまはまた踏ん張ってわたくしを抱え上げ、
タカイタカイ、タカイタカイ、と云うのでした。
その繰り返しを、兄さまは腕が上がらなくなるまでいつまでもいつまでも続けてくれるのでした。
『物心ついたわたくしが最初に受けた兄さまの愛が、あのタカイタカイでした。
兄さまのタカイタカイはちょっと危なげで、特に腕をおろすときなんかは随分スピードがあり、
わたくしは幼心にスリルを感じていたように思います。
けれど、そんな兄さまのタカイタカイが、わたくしは大好きでした』
148
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 22:08:12 ID:h2WvNwoE0
その夢の中で、わたくしは兄さまと幼いわたくしがタカイタカイをしているのを、
どこからともなく客観的に眺めておりました。
しばらくは、何だか温かい気持ちでその様子を見守っていたのですが、
やがて、兄さまに抱かれている小さい自分が羨ましくて堪らなくなりました。
それは、恥ずかしながら殆ど嫉妬のような情念であり、
わたくしも、もう一度兄さまに抱かれたい、といつの間にか狂おしいほどに欲していたのです。
『そして、わたくしはどうしてか、今なお兄さまに抱き上げられたいという思いを捨てられずにいるのです』
必死にタカイタカイをしている兄さまに近づこうと、夢の中のわたくしは、
存在しているかも分からない身体を蠢かせて接近を試みました。
そしてあわよくば、小さい自分から兄さまの手元を奪い取ってしまおうとしていたのです。
何故それほどに執念を燃やしているのか……自分自身にも分かりませんでした。
ただただ本能の赴くままに……理性をどこかに置き去ってまで、わたくしは兄さまに抱かれようとしていたのです。
そして散々に?き苦しんだ後、わたくしはようやく兄さまの手元に辿り着いたのです。
夢の中のわたくしは、小さい頃のわたくしの身体と同化しておりました。
わたくしは、何の違和感もなく、まんまと兄さまの手の中に侵入することができたのです。
そして案の定、兄さまは疑う事もなく、またタカイタカイをしてくださいました。
タカイタカイ。タカイタカイ。タカイタカイ。タカイタカイ……。
149
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 22:11:11 ID:h2WvNwoE0
『気付いた事があります。わたくしはよく夢の中で空を飛んだり、そして落ちていったりします。
何だか気味の悪いようにも聞こえますが、わたくしにとってそれは酷く心地の良いものなのです。
それが何故なのか……全ては、兄さまの、タカイタカイに起因しているように思えてならないのです……』
その浮揚と、無重力的な墜落……わたくしには、それがもうたまらないのです。
ましてやそれが、夢の中でとはいえ、兄さまの手でしていただいているのですから。
それは懐古の念だけではなく、何やら抑えのきかない情欲を燃やすのでした。
わたくしはしばしその快楽を享受し続けました。
頭の中では、兄さまとの思い出が齣撮りの映画みたいに流れていました。それはあまりにも幸せでした。
あまりにも美しくありました。
このまま死んでも一向に構わない。いやむしろ、兄さまの手の中で死んでしまいたいと何度思ったことでしょう。
夢の中で、もう少し身体に自由が利いていたら、
わたくしは自らの口で直接兄さまにお願いしていたかもわかりません。
そうして永劫のような時間の後に目覚めたわたくしは、それが夢だと徐々に認識していくと同時に、
襲いかかってくる現実の怖さを前にしてサメザメと泣き続けました。
そして、兄さまに逢いたくてたまらなくなってしまっていました。
ああ、もう一度だけでいい。兄さまに抱きしめていただきたい。それさえ叶えられるなら、わたくしは、もう、もう……。
150
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 22:14:13 ID:h2WvNwoE0
『……一つ、奇妙な疑問があるのです。わたくしの処へやってきた探偵は、
わたくしの婚約者や、わたくしの両親について口にしましたが、
ただの一度として兄さまについて言及しなかったのです。
あの方は、必要最低限の情報のみを伝えたために兄さまのことを口にしなかったのでしょうか。
それとも、敢えて口に出さなかったのでしょうか……』
そうして、わたくしは手紙を書くことにしたのです。
まるで遺書のように丁寧に、どれだけ疲れても手書きで書き綴ろうと心に決めて……。
もうすぐ探偵がやってきます。そうしたら、わたくしはもう拒否の姿勢をとることは出来ないでしょう。
黙ってついていくより他にないのです。ですからそれまでに、
満身創痍の身体に鞭打って何とかこの手紙を書き終えなければなりませんでした。
『けれども、婚約した方の顔や氏名は忘れてしまっていても、兄さまのことは今なおハッキリと憶えております。
兄さまの姿形は脳裏にしっかりと浮かび上がり、揺らぐ気配もありません。
愛しい兄さま。そろそろ筆を置かねばなりませんが、
わたくしにはこの手紙を締めくくる言葉がどうにも思い浮かばないのです。まだまだ書きたいことは山とあります。
せめて、嫁いでしまう前にもう一度お会いしたかった。もう一度お顔を見たかった。もう一度お話ししたかった……』
外では太陽がキラリキラリと照り輝き、上空を舞う雲の波は、まるで畝って奇妙な芸術のように舞い躍ります。
こんなよい日にわたくしは何という思いを抱えてしまっているのでしょう。
そして、わたくしは何というものを失ってしまったのでしょう。
151
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 22:17:20 ID:h2WvNwoE0
『ああ、けれどこれは今生の別れではありませんでしょう……そうであることを願うしかありません。
ですからわたくしは、ここで、一度この手紙を区切りたいと思います。
またいつか、お手紙を書かせていただきますね。
ねえ、兄さま……よければお返事をください。わたくしは、ただそれを渇望するだけで生きてゆけます。
それでは兄さま、ごきげんよう……』
遂にわたくしは筆を置きました。そして丁寧に手紙を折り畳み、予め用意していた封筒に入れ、綺麗に封をしました。
そして、宛名のところに兄さまの名前を書き……。
( ・∀・)「もうそろそろ、よろしいですか」
不意に背後から聞こえてきた声に、わたくしは思わず悲鳴をあげてしまいました。
そうして恐る恐る振り返ってみますと、例の探偵が、
あの不自然に口角をつり上げた笑みを浮かべて突っ立っていたのです。
( ・∀・)「いやいや失礼……驚かせましたかネ。けれども貴女も不用心なものですよ、
女性の独り住まいで鍵もかけていないなんて……。
もしこれが押し入り強盗だったらどうするんです……アハハハハ。まあ、何だっていいんです。
実はかれこれ十分ほど前からここに居ったのですがね。
どうも忙しげでしたから、声をかける機会を見計らっていたんですよ……驚かせてしまいましたかネ。
まあ、いつにしたって貴女は驚いていたことでしょう。仕方ない仕方ない……。
さて、ではそろそろ参りましょうか。貴女も、拒否する意思は無いようですからネ……」
152
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 22:20:34 ID:h2WvNwoE0
(*゚ー゚)「待ってください」
わたくしは、もう殆ど叫んでおりました。
(*゚ー゚)「せめてこの手紙を出させてください。これは、大切な手紙なのです。
これを出さないことには、わたくしは心積もりを固めることが出来ません……」
探偵はジッとわたくしのことを見下ろしておりました。そしてアハハと笑い、それから突然、
私の手から封筒を奪い取りました。
(*゚ー゚)「何を……」
取り戻そうと手を伸ばすわたくしの前で、探偵は笑みを浮かべたまま、その封筒を中身ごと縦横に引き裂きました。
( ・∀・)「ご冗談を」
ハラハラと落ちてゆく紙片の向こう側で、探偵は声を潜めました。
( ・∀・)「こんな手紙に意味などありますまい……殊に、宛てる住所の分からぬ手紙というものにはね」
(*゚ー゚)「え……」
( ・∀・)「何を驚いてらっしゃるんです?
だったら貴女には、その『兄さま』とやらの住処がお分かりなのですか? ……ほら、分かる筈も無い。
だって、貴女と貴女のご兄弟は、両親によって無理矢理別れさせられたのですからネ……
もしや、そのこともお忘れに? 貴女が幾ら望もうとも、この手紙は『兄さま』には届かず、
ましてや再会など果たせる筈もないのですよ……。
ええ、けれども貴女は誰を恨むべきでもありませんよ……
だって、両親は善かれと思って二人の仲を取り計らったのですから。
ただし、それがために貴女の記憶に混濁が生まれた可能性もなきにしもあらず……。
ええ、知っております。全部知っておりますとも。わたくしは貴女がたご兄弟の関係も、
何もかも調べきっておりますとも……」
そして探偵は、伸ばしたまま硬直していたわたくしの手を握って無理矢理に立ち上がらせ、
ふと真顔で呟いたのです。
153
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 22:24:08 ID:h2WvNwoE0
( ・∀・)「けれどもネ……ご安心ください。
貴女の望む『兄さま』とやらは……きっと、こんな千切れた手紙さえも頼りにして、
きっと貴女の元へ辿り着くことでしょう……。
貴女が『兄さま』を熱望するのと同じぐらい、『兄さま』も貴女を熱望しているのです……
だから何の心配もない……ええ、要らないんですよ。
私はご両親の強い願いもあって敢えて『兄さま』のことを口にしませんでしたが、
貴女自身の記憶が確かである以上、貴女がた二人の仲までは阻害しませんとも……。
だってそれは仕事じゃありませんからね……アハハハハ。
大丈夫、お二人の心意気次第で、貴女がたは天国にも地獄にも堕ちられるでしょう。
今はただ、待ち侘びることです」
……一陣の風が吹いて、床に散らばった手紙の破片をユルリと窓の外へと運んでゆきました。
了
154
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/01(水) 22:24:53 ID:h2WvNwoE0
次は10月3日の夜に投下します。
では。
155
:
名も無きAAのようです
:2014/10/01(水) 23:42:31 ID:CvlgnK7o0
おつ
なんか大正ロマンっぽい雰囲気だった
156
:
名も無きAAのようです
:2014/10/02(木) 00:30:16 ID:rXU9IDEg0
まぁブーン系じゃなくてもいいかな
157
:
名も無きAAのようです
:2014/10/02(木) 00:48:36 ID:.xOBlmwk0
ちんこがむずむずする話だったな
158
:
名も無きAAのようです
:2014/10/02(木) 01:23:58 ID:/4DP5WtM0
記憶を失った原因がわからないままか
あと婚約者が兄なのか?それとも兄と愛し合っていたのに婚約する事になったから記憶を失って逃亡したのか?
159
:
名も無きAAのようです
:2014/10/02(木) 20:43:16 ID:Jr7wa3aU0
いや、ブーン系でなけりゃ俺は目にする機会がなかった。
楽しみにしてる。
160
:
名も無きAAのようです
:2014/10/03(金) 00:23:06 ID:jcntNHL20
むしろブーン系でやるべき作品ってなんだよ
色々想像を膨らませる終わり方がいいね
おつ
161
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 21:05:48 ID:/I8YLJN20
6.聖夜の恵みを(interlude 2) 20111103KB
少し前の十二月、一番幼い孫が私達に向かって、クリスマスに何が欲しいか訊ねてきたことがあった。
(・∀ ・)「一緒にお願いしてあげるよ」
孫はサンタクロースに送る手紙をクレヨンで書いていた。
私達は顔を見合わせた。それはむしろ、私達が孫に問いかけたい質問だったからだ。
先手を取られ、二人して思わず微笑んだ。
( ФωФ)「爺ちゃんは、そうだな」
私は逡巡して言った。
( ФωФ)「旅がしたいな。外国も捨てがたいが、やはり国内……。
そう言えば北海道で食べた海鮮丼は格別だったな、今頃の時期にもう一度……」
そこまで口にした時、ふと妻の視線を感じて私は思わず口を噤んだ。
何が言いたいのか、手に取るように分かる。
お爺ちゃんたら、年甲斐もなく真剣に考えているみたい。もう、サンタさんよりお爺さんなのにね……。
( ФωФ)「婆さんは、どうだい」
小恥ずかしくなって、私は慌てて妻に訊ねた。妻は昔と変わらぬ所作で首を少し傾げ、皺の中に笑みを作った。
そして、軽く目を閉じて言った。
从'ー'从「お婆ちゃんぐらいの歳になると、毎日生きているだけで幸せと思えますよ。
でも、そうね。出来ればお爺ちゃんと、もう少し長く一緒に居たいものね」
その殊勝さときたら。私はますます小さくなったのだった。
162
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 21:08:36 ID:/I8YLJN20
( ФωФ)「婆さん」
从'ー'从「何ですか」
( ФωФ)「遺灰を、少しだけでも海に撒いてくれないか」
冷たく淋しい川のせせらぎが聞こえていた。もうすぐ私を向こう側へ運んでいく流れだ。
朧気な感覚の中で、私は言葉を紡いでいた。
( ФωФ)「旅がしたいんだ」
この期に及んでも旅に拘っている自分がおかしくなって、心の中で笑った。身体はついてこなかった。
病室の白い空間には私と妻しか居ない。もうすぐ死ぬと言う事実は案外すんなりと飲み込めるものだった。
世界は徐々に輝きを失い、誰も居なくなったようだ。だが、すぐ傍に妻がいることは分かっていた。
それでも覚える孤独感が、たまらなく幸福だった。
私が妻を一心同体の如く愛していると、ようやく理解出来たからだ。この孤独はあまりにも切なく、美しかった。
妻の手が私の腕に重ねられる。柔らかい愛撫。お互い、随分と痩せてしまったものだ。
時は肉体を剥がしていき、そして遂には魂も剥がす。掌から伝わる僅かな熱も、じきに遠ざかっていく。
( ФωФ)「婆さん」
从'ー'从「何ですか」
( ФωФ)「すまないな、願いを叶えてやれなかった」
妻の、慎み深い笑い声が聞こえてきた。
从'ー'从「もう、慣れましたよ」
そうだったな、いつもそうだった……。
急激に襲ってきた最後の眠気に抗えず、私はただ、妻の手の感触に残った灯火を委ねた。
163
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 21:11:46 ID:/I8YLJN20
/ ,' 3「偶然ですよ」
と、サンタクロースは言った。
/ ,' 3「海岸沿いを飛んでいたところへ、突然貴方が飛び込んできましてね」
私の言葉通り、妻は約束通り灰になった私を海に撒いてくれた。
そうして上空へ舞い上がったところへ、件の赤い紳士が通りがかってくれたというわけだ。
( ФωФ)「こんな老いぼれに奇蹟が起こるとは、申し訳ないものです」
/ ,' 3「ご老人、いえ、偉大なる人の子よ。そんなことはありません。何しろ、今宵は聖夜なのです。
あらゆる人に、その恵みが降るべきなのですよ。貴方にも、貴方の奥様にも」
そして、聖夜のそりは我が家へ向かってくれた。何故か私には、妻が私に気付いてくれるという確信があった。
164
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 21:14:47 ID:/I8YLJN20
7.明日の朝には断頭台 20140928KB
( ФωФ)「……」
[TV]<さあ阪神タイガース、伝統の一戦、ここを抑えれば一気に優勝が見えて参ります。
( ФωФ)「ふん、点差は一点。ランナーはあれど、我がチームには不動の守護神がおるのだ」
[TV]<九回裏、ツーアウト二塁……マウンド上のピッチャーが額の汗を拭う。
( ФωФ)「この打者はインハイに直球を投げておけば余裕だ。データ的にも明らかであると言える」
[TV]<さあ、キャッチャーがインコースに構えた。
( ФωФ)「うむ」
[TV]<ピッチャー、セットポジションから……今、投げました!
( ФωФ)「そこや!」
[TV]<カッキィィィィィィィィィイイイイイイイイン
( ФωФ)「あ」
[TV]<ああ、これは! なんということでしょう! ライト、ただ上を見上げるだけ――!
[TV]<入りました! ジャイアンツ、九回裏、勝負を決める代打の逆転サヨナラホームラン!
( ФωФ)「……」
[TV]<守護神、ただただ呆然と立ち尽くしている……ボールはキャッチャーの要求通りだったのですが……。
( ФωФ)
( ФωФ)
(#ФωФ)「せやからアウトコースに落ちる球や言うたやろ!」
165
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 21:17:33 ID:/I8YLJN20
<コンコン
(#ФωФ)「相手も対策ぐらいしてくるやん! そこは裏をかく配球にしといたらよかったんや!」
<ガチャ
(゚、゚トソン「失礼します」
(#ФωФ)「もうええ! 我輩が監督やる!」
(゚、゚トソン「ご主人様」
(#ФωФ)「悪いことは言わん! 年俸は一千万でええぞ!」
(゚、゚トソン「ご主人」
(#ФωФ)「ろーっこーおーろーしにー!」
(゚、゚トソン
(゚、゚トソン チッ
(゚、゚トソン「ご主人様、わたくしです。トソンです」
(#ФωФ)「さーっそーおーとぉー!」
(#ФωФ)
( ФωФ)「……む、誰かと思えばメイドのトソンではないか」
(゚、゚トソン「ええ、ご主人様のお世話を独りで二十四時間任されているにもかかわらず」
(゚、゚トソン「時給680円から一向に上がる気配もない哀れなメイドの都村トソンが参上致しました」
( ФωФ)「……」
( ФωФ)「うむ、実に説明的な台詞で分かりやすい。よろしい。褒美は我輩のウインクだ」
( Фω<) バチン
(゚、゚トソン チッ
166
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 21:20:42 ID:/I8YLJN20
( ФωФ)「なあトソンよ……どうして我が阪神タイガースは短期決戦になると勝てぬのだ?」
(゚、゚トソン「申し訳ありません、わたくしは野球のことを存じ上げてございませんので、悪しからず」
( ФωФ)「このままではどうせ、クライマックスシリーズで敗退してしまうぞ……」
(゚、゚トソン「どっちにしたってセールやるんだからいいじゃないですか」
( ФωФ)「ちなみにトソンの好きなスポーツは?」
(゚、゚トソン「クリケットです」
( ФωФ)「クリケット……」
(゚、゚トソン「ええ。あれです、棒で球をなんかアレするやつです」
( ФωФ)
(゚、゚トソン
167
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 21:23:18 ID:/I8YLJN20
( ФωФ)「……それで、どうしてここに?」
(゚、゚トソン「ああ、うっかり忘れるところでした。大した用事じゃありません」
( ФωФ)「構わん構わん。申せ」
(゚、゚トソン「いいニュースと悪いニュースがありますが、悪いニュースから言いますね」
( ФωФ)「我輩、好きなものは最初に食べるタイプなのだが……」
(゚、゚トソン「ご主人様の処刑の日取りが決まりました」
( ФωФ)
( ФωФ)「あら」
(゚、゚トソン「明日です」
( ФωФ)「まあ」
(゚、゚トソン「断頭台で行われるそうです」
( ФωФ)「やだ」
(゚、゚トソン「以上」
( ФωФ)
( ФωФ)「……で、いいニュースは?」
(゚、゚トソン「最後に申し上げましたでしょう。断頭台です」
( ФωФ)「……」
(゚、゚トソン「特注ですよ」
( ФωФ)「やだアタシ全然気付かなかったわ」
(゚、゚トソン「まったく、ご主人様ときたら相変わらず鈍感なんですから」
(゚、゚トソン アッハッハッハッハ
168
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 21:26:26 ID:/I8YLJN20
( ФωФ)「えー、我輩ったら死んじゃうのー?」
(゚、゚トソン「何を仰ってるんですか。そもそもご主人様はこの屋敷に軟禁されており」
(゚、゚トソン「政府から処刑の日を待つ身だったではありませんか」
( ФωФ)「うむ、実に分かりやすい説明だ。我輩も自分の立場を再確認できた」
(゚、゚トソン「恐れ入ります」
( ФωФ)「しかし、明日というのは些か急すぎるのではないか?」
(゚、゚トソン「いわゆるお役所仕事ですね。ほら、大臣の判子とかいるじゃないですか」
( ФωФ)「ふむ、我輩の処刑を躊躇するだけの人情は残っておったか」
(゚、゚トソン「悩み抜いたあげく、まあ、最終的には、いてまえって感じだったそうです」
( ФωФ)「……なんでそんなことをトソンが知っておる?」
(゚、゚トソン「電話で聞きました。お役人と一緒に大笑いでしたね」
(゚、゚トソン「まあ、実際にハンコが押されたのは先月のことで、さっきまで担当者が忘れてたそうなんですけど」
(゚、゚トソン「それがまたウケてウケて」
( ФωФ)「愉しそうだなこやつめ」
169
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 21:29:22 ID:/I8YLJN20
( ФωФ)「というか、我輩処刑されるほどなんか悪いことしたっけ?」
(゚、゚トソン「逆に、それぐらい悪いことしたから処刑されるんでしょう?」
( ФωФ)「ふむう……まあ、今更考えても仕方がないことではあるが」
(゚、゚トソン「それにしても断頭台ですよ。これを作るのがまあ大変だったそうで」
( ФωФ)「ふむ」
(゚、゚トソン「何しろ、国産のギロチンというものは今まで存在しなかったわけですから」」
(゚、゚トソン「そこで今回は各省庁協力のもと、使用する木材の選定から刃の落下速度まで緻密に設計したそうですよ」
( ФωФ)「我輩、そんなことにお金使うぐらいなら世界の恵まれない子供たちを助けるべきだと思う」
(゚、゚トソン「あ、そうそう。もう一つ大切なことを言い忘れていました」
( ФωФ)「なんだ、どうせ悪い話だろう」
(゚、゚トソン「選べますよ、表と裏」
( ФωФ)「……え?」
(゚、゚トソン「仰向けとうつぶせ、あ、一応側面でも大丈夫だそうです」
( ФωФ)「肘ついててもいいの?」
(゚、゚トソン「なんなら、そば殻の枕もOKだそうです」
( ФωФ)「うわあ、我輩ってばなんて幸せなのー」
170
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 21:32:44 ID:/I8YLJN20
( ФωФ)「……ふむ、しかし急にそんなことを言われても困るな。どうすべきだろうか」
(゚、゚トソン「昔の話では、仰向けの場合大抵の囚人が発狂してしまったと聞きますね」
( ФωФ)「やっぱりそっちの方が怖いであろうな、刃が落ちてくるのが見えてしまうのだから」
(゚、゚トソン「ただ、ご主人様の場合はうつぶせの場合もモニターが用意されまして」
( ФωФ)「え」
(゚、゚トソン「今回は、なんと八つのカメラがそれぞれの角度からご主人様の処刑を中継いたします」
(゚、゚トソン「これはまさに、現代技術と伝統との運命的な邂逅ですね」
( ФωФ)「いつの間にこの国はそんなにアバンギャルドになったのだろう」
(゚、゚トソン「時代は刻々と変化していくんです。野球ばかり見ている場合じゃないですよ」
( ФωФ)「……ということはさっきのナイターが我輩の野球の見納めだったわけか……」
( ФωФ)「それがサヨナラ負けって」
(゚、゚トソン「ご主人様も明日でこの世からサヨナラですし、丁度いいじゃないですか」
(゚、゚トソン ハハッ
171
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 21:35:56 ID:/I8YLJN20
( ФωФ)「……トソン、きみともお別れということになってしまうのだな」
(゚、゚トソン「そういうことですね」
( ФωФ)「思えば二十年前のあの春の日、シルクロードからやってきた奴隷商人の列の中にキミはいた」
( ФωФ)「商品として売られている少年少女の中で、キミの姿は一際輝いていた」
( ФωФ)「嗚呼、こんな幼気な少女を惨たらしい者の手に渡してなるものか、そう思い我輩はキミを買ったのだ」
( ФωФ)「それからは、キミをまるで娘の如き想いで育ててきたのだ……」
( っωФ)
( っωФ)「こうして立派な大人になるまで、キミを見守ることが出来てよかった」
( っωФ)「我輩の願いはそれだけだったといっても過言ではない……・」
(゚、゚トソン
(゚、゚トソン「わたくし、十九の時にフロムエーで応募したんですけど」
( っωФ)
( っωФ)「……」
(゚、゚トソン「時給、780円って書いてあったんですけど」
( っωФ)「……め、目にゴミが」
(゚、゚トソン「嘘ばかりついてると泥棒になりますよ」
( ФωФ)「いいもーん、泥棒になる前に死刑になるもーん」
172
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 21:38:35 ID:/I8YLJN20
(゚、゚トソン「というかシルクロードからやってきた奴隷商人が今時いるわけないでしょう」
(゚、゚トソン「もうちょっとリアリティのある設定にしないとネットで親の仇みたいにぶっ叩かれますよ」
( ФωФ)「我輩、全然リアリティのない処刑方法で明日死ぬみたいなんだけど……」
(゚、゚トソン「まあ、ギロチンは元来人道的な処刑方法とされてきたわけですし」
(゚、゚トソン「これを機に、死刑の方法が変更されるかもしれませんよ」
( ФωФ)「……ま、どうなろうと我輩の知る由もないのだが」
(゚、゚トソン「まあ、普通は死刑になんかなりませんしね」
( ФωФ)「やっぱりどうして我輩が死刑にされるのか、サッパリ納得いかんのだが」
(゚、゚トソン「知りませんよ。わたくしに残業代を払わなかったからじゃないですか」
( ФωФ)「それならもっと残虐な死に方をすべき奴がいるだろうに」
173
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 21:41:22 ID:/I8YLJN20
(゚、゚トソン「……あ、もうそろそろ十一時ですよ。睡眠のお時間です」
( ФωФ)「やだ、今日は寝ない」
(゚、゚トソン「どうしてですか? 眠れないならビールとマイスリーでも飲みますか?」
( ФωФ)「そういうことじゃなくてだな。無理にでも寝ないといけないわけじゃなくてだな」
(゚、゚トソン「スタンガン、使います?」
( ФωФ)「それは睡眠ではなく気絶だ。というか、どうしてそこまで寝かせたがる」
(゚、゚トソン「だって、一応仕えている身ですから、ご主人様が寝てくれないとわたくしも眠れないじゃないですか」
( ФωФ)「……眠いの?」
(゚、゚トソン「わりと」
( ФωФ)「別に先に寝てもかまわないが」
(゚、゚トソン「あ、はい。じゃあお疲れーっす」
( ФωФ)「やだ! 行かないで!」
(゚、゚トソン「なんなんですか、かなり鬱陶しいタイプのメンヘラみたいなこと言って」
( ФωФ)「分かりそうなものだろう。何が悲しくて死を迎える夜をメイドにまで見放されないといけないのだ」
(゚、゚トソン「分かりましたよ。イヤイヤいますよ」
(゚、゚トソン「イヤイヤですよ」
( ФωФ)「……もう、別にそれでいいから」
174
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 21:45:00 ID:/I8YLJN20
(゚、゚トソン「現実逃避したいなら、せめてお酒でも飲みますか?」
( ФωФ)「そうだな……最高級のやつを頼む」
(゚、゚トソン「はい」
、゚トソン,,, テテテ
( ФωФ)「……やれやれ、なんだか雰囲気が出ないな。しかし、こういうときはどういう心持ちでおればいいのやら」
( ФωФ)「我輩もメイドを雇える程度には財をなしたのだ、せめて今夜ぐらいはリッチに過ごしたい……」
トトト ,,,,(゚、゚トソン
( ФωФ)「変な戻り方だな」
(゚、゚トソン「顔の構成上仕方ないんです……はい、どうぞ」
( ФωФ)「おお、すまないな。なるほど、これか。我輩の持つ最高の酒はキンキンに冷えたこのクリアアサヒ」
( ФωФ)「……」
( ФωФ)「クリアアサヒやん」
(゚、゚トソン「ええ、最高級ですね」
( ФωФ)「ビールどころか発泡酒ではないか」
(゚、゚トソン「まあ、正確には発泡酒ですらない、第三のビールですね」
(゚、゚トソン「でもそれ、ただのクリアアサヒじゃないんですよ。ちゃんとラベルを読んでください」
( ФωФ)「……くりああさひ、ぷらいむりっち」
(゚、゚トソン「最高級のコクですよ」
( ФωФ)「我輩はこんなセブンイレブンみたいな煽り文句では騙されないぞ」
175
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 21:48:13 ID:/I8YLJN20
(゚、゚トソン「なんなんですか、じゃあバーリアルに取り替えますか?」
( ФωФ)「いやもう、これでいい……というか何でもいい」
( ФωФ) プシュ
( ФωФ) グビリ
( ФωФ)「……あー、美味い」
(゚、゚トソン「ははは、貧乏舌ですね」
( ФωФ)「とりあえずこういうことでも言うておかないとやっておれんだろうが!」
(゚、゚トソン「ご同情いたします……わたくしも頂いてよろしいでしょうか?」
( ФωФ)「ああ、いいぞ構わん。どうせ最期の夜なのだから」
(゚、゚トソン「では失礼して……」
(゚、゚トソン キュポン
(゚、゚トソン トットットッ
(゚、゚トソン「おっとっと、口から迎えにいかなあかん口から」
( ФωФ)「……トソン」
(゚、゚トソン クイッ
(゚、゚トソン クゥーッ
(゚、゚トソン「……はい? 何か言いました?」
( ФωФ)「何飲んでるの、それ」
(゚、゚トソン「森伊蔵ですけど」
176
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 21:51:59 ID:/I8YLJN20
( ФωФ)「……」
(゚、゚トソン「カァーッ、やっぱりこの味わいは格別ですねえーっ」
( ФωФ)「あのね、トソン、よくきいて」
( ФωФ)「我輩もまあ、そこまでお酒に詳しいわけじゃないけれども」
( ФωФ)「それでもね、クリアアサヒより森伊蔵のほうが高級なことぐらいは分かるの」
(゚、゚トソン トットットッ
( ФωФ)「だからね、今この状態は主従関係が逆転してるというか」
(゚、゚トソン クイッ
( ФωФ)「なんか専用のお猪口まで用意してるしね。我輩そんなのあるって知らなかったんだけど」
(゚、゚トソン クゥーッ
( ФωФ)
(゚、゚トソン
( ФωФ)「……おいしい?」
(゚、゚トソン「わたくし、芋焼酎って苦手なんですよね」
( ФωФ)「怖いよ! もうアタシアンタの考えが全然わかんないよ!」
177
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 21:55:32 ID:/I8YLJN20
(゚、゚トソン「なんですか、最後の夜に森伊蔵の一つぐらい飲んじゃいけないんですか!」
(゚、゚トソン「寝る子は育ちますけど寝る焼酎は適切に保存しないと味を損なうんですよ!」
( ФωФ)「え、何この我輩が怒られてる感じ」
(゚、゚トソン「だからわたくしは無理してでもこの森伊蔵を一晩で飲みきろうという魂胆でこの日を待ち望み……」
( ФωФ)っ
(゚、゚トソン「……」
( ФωФ)っ
(゚、゚トソン「何ですか、そのはしたないお手々は」
( ФωФ)「あー、冥土の土産に森伊蔵の味を憶えていきたいなー」
( ФωФ)「って」
( ФωФ)っ
(゚、゚トソン「お手々がそう仰ってる?」
( ФωФ)「うん」
( ФωФ)「我輩じゃなくて、我輩のお手々がね」
( ФωФ)「これはもうどうしようもないな」
( ФωФ)っ
(゚、゚トソン「はいはい、いけないお手々ですねー、まずは伝達神経を切りましょうねー」
( ФωФ)っ
( ФωФ) スッ
178
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 21:58:44 ID:/I8YLJN20
(゚、゚トソン「もう分かりましたよ、ご主人様のコップ持ってきますから」
( ФωФ)「なんで我輩だけコップなのだ。せめてお猪口を用意したまえ」
(゚、゚トソン「言うこと聞かないならその缶の中に入れてチャンポンしますよ」
( ФωФ)「……どうせ新しいお猪口を探すのが面倒とかそういうやつだろう」
(゚、゚トソン「ははは、わたくしはメイドですよ。そういう家事を嫌がってたら仕事にならなその通りです」
( ФωФ)「分かったから、そのお猪口で飲ませてくれ」
(゚、゚トソン「えっ」
( ФωФ)「何だ。我輩も焼酎をお猪口で飲む権利ぐらいはあるだろう」
(゚、゚トソン「でもこれ、わたくしが使いましたよ」
( ФωФ)「うむ、それがどうした」
(゚、゚トソン「キッスですよ」
( ФωФ)「ん?」
(゚、゚トソン「間接キッスです」
( ФωФ)
(゚、゚トソン
(゚、゚ポッ
( ФωФ)「何を突然髪型を変えておるのだ」
179
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 22:01:18 ID:/I8YLJN20
( ФωФ)「なーにが間接キッスだ生娘かキミは」
(゚、゚トソン「この際わたくしが生娘かどうかなんてどうでもいいんです、ご主人様こそ何ですか」
(゚、゚トソン「最近ちょっと太ったじゃないですか」
( ФωФ)「そっちのほうがどうでもよかろう」
(゚、゚トソン「忘れたんですか。高校生ぐらいまでは、男女で間接キッスなどしようものならえらいことでしたよ」
(゚、゚トソン「周囲から煽られ囃され、一日や二日は思い出して夜も眠れぬ思いをするもんです」
(゚、゚トソン「ましてやわたくしのような陰気なグループが間接キッスなど考えられもしなかったのです」
(゚、゚トソン「それが! 大学に入った途端! あーあ、入っちゃった途端!」
(゚、゚トソン「男女間の回し飲みなど当たり前、むしろやらないと空気読めないみたいになっちゃうんです!」
ダン!!o(゚、゚トソン
(゚、゚トソン「どないなってますねや!」
( ФωФ)「なんだ、よく分からんがトソンは間接キッスにトラウマでもあるのか」
(゚、゚トソン「その間に何があったんですか! 高校生も大学生も肩書きが変わっただけでしょうが!」
(゚、゚トソン「学生と生徒の違いですか! 学歴があっても仕事がない人だっているんですよ!」
ダムダム!!o(゚、゚トソン「通話し放題とか要らんから基本料金を安くしなさい!!」
( ФωФ)「……まあまあ、口上はその辺にして一杯」
(゚、゚トソン「てやんでいべらぼうめい」
( ФωФ)トットットッ
(゚、゚トソン グビーッ
(゚、゚トソン「っとくらあ」
180
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 22:04:35 ID:/I8YLJN20
( ФωФ)「……もしやトソン、酔っておるのか?」
(゚、゚トソン「何を仰ってるんですか、東京特許許可局バスガス爆発、ね」
( ФωФ)「……」
( ФωФ)「そう言えば思い出したぞ、確かアレはトソンが二十歳になった誕生日のことだった」
( ФωФ)「成人の祝いにと思って、我輩はトソンに割と度数の低いワインを振る舞ったのだった」
( ФωФ)「そうしたらどうだろう。キミは最終的にその内容量の七割ぐらいを吐き戻してしまったのだった」
(゚、゚トソン「ははは、いつまでも同じトソンだと思わないでくださいませ」
(゚、゚トソン ウップ
(゚、゚トソン「あれから幾月、このメイドはしっかりと成長してまいりました」
(゚、゚トソン ウェ
(゚、゚トソン「ですから」
(゚、゚トソン オェェ
(゚、゚トソン「わたくしの心配などなさらず」
(゚、゚トソン シュウェップス
(゚、゚トソン「どうか飲み明かして」
(゚、゚トソン ゲロルシュタイナー
( ФωФ)「……何でもいいが、吐きそうなら早めに洗面所へ行くのだぞ。あの時は後始末が大変だったのだ」
(゚、゚トソン「大丈夫ですから」
( ФωФ)「大丈夫じゃないんだ、カーペットとかが」
181
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 22:08:05 ID:/I8YLJN20
(゚、゚トソン「どーせ明日には我が家でも何でもなくなるんですからいいんですよー、別に」
( ФωФ)「……サラリとグサリと言いおる」
( ФωФ)「……はて、そう言えばトソン、キミは明日からどういう身分になるんだ?」
(゚、゚トソン「ふぁい?」
(゚、゚トソン「ああ。電話で聞きましたよ。私にも何らかの処罰が下るそうです」
( ФωФ)「……何と、キミにも」
(゚、゚トソン「ええまあ、これでも一応ご主人様の付き人ですからねえ」
(゚、゚トソン「といっても、せいぜい二、三年の懲役で済むそうですけれど」
( ФωФ)「そうか」
( ФωФ)「それは……何というか、悪いことをしたな」
(゚、゚トソン「いいんですよ、どうせ虚しい人生です」
(゚、゚トソン「とばっちりですけど全然気にしてません」
(゚、゚トソン「たまたま働いてただけで完全なるとばっちりですけど全く」
(゚、゚トソン ハァ
( ФωФ)「……なんかすっごく悪い気がしてきたから、森伊蔵飲んでいいよ」
(゚、゚トソン「いいんですか? これ以上飲ませても」
(゚、゚トソン「最期の夜をゲロ掃除で終わらせます?」
( ФωФ)「……まあ、なんだ。水でも飲みたまえ」
182
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 22:13:47 ID:/I8YLJN20
(゚、゚トソン「ご主人様の前で不躾ですけどちょっと横になりますね」
( ФωФ)「ああ、好きにしたまえ」
(゚、゚トソン「じゃあちょっとどいて」
( ФωФ)「はい」
(゚、゚ゴロン
( ФωФ)「別にそういう表現はしなくてよろしい」
(゚、゚トソン「ああー、こんなに飲んだのは新歓以来ですよ。自分の限度はちゃんと知っておくべきですね」
( ФωФ)「……そう言えば、トソンは十九でここへやってきたが、それまでは何を?」
(゚、゚トソン「何をって……普通に大学生やってましたけど」
( ФωФ)「おかしいな、ここでの仕事は殆ど住み込みで、大学へ通う暇は無かったと思うが」
(゚、゚トソン「だーかーらー、大学をやめてどーしよーも無いときにフロムエーでここの仕事を見つけたんですよ」
( ФωФ)「やめたというのは、またどうして?」
(゚、゚トソン「やたら訊いてきますね。掘り返しても萌えるエピソードなんか出てきませんよ」
( ФωФ)「主人がメイドの出自を知ったって構いはするまい」
(゚、゚トソン「はあ、なんかまともなこと言われた気がして腹が立ちます」
(゚、゚トソン「……」
(゚、゚トソン「わたくしは、オタサーの二番手でした」
( ФωФ)「む?」
183
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 22:17:12 ID:/I8YLJN20
(゚、゚トソン「いいえ、最初は姫だったんです。こんなわたくしでも、ほら、そういう立ち振る舞いをすれば簡単に」
( ФωФ)「どういう立ち振る舞いだ」
(゚、゚トソン「ご主人様以外はだいたい分かると思いますから割愛します」
(゚、゚トソン「とにかく、わたくしは大学に入って数ヶ月間、間違いなくオタサーの勝ち頭だったんです」
( ФωФ)「……」
(゚、゚トソン「しかしまあ……所詮は顔と色気ですね。立ち振る舞いだけじゃどうしようもありません」
(゚、゚トソン「遅れて入部してきたオタサーの真の姫を前にして、わたくしは呆気なく敗北してしまったのです」
(゚、゚トソン「ああ、その瞬間にわたくしはオタサーの二番手、いや、オタサーの敗戦処理になってしまったのです」
(゚、゚トソン「来る奴は皆その真の姫への恋に敗れたものばかり……」
(゚、゚トソン「わたくしは、いつしかそういった男達のセットアッパーになっていたのです」
(゚、゚トソン「ああ、嘗てのエース級の活躍も虚しく……その絶望の余り、わたくしは大学をやめたのです」
( ФωФ)「……」
( ФωФ)「トソン」
(゚、゚トソン「はい?」
( ФωФ)「キミ、野球のこと割と知ってるんじゃないかね」
(゚、゚トソン「……」
(゚、゚トソン「あ、しまった、キャラ間違えた」
( ФωФ)
(゚、゚トソン
(゚、゚テヘペロ
( ФωФ)「やめろというに」
184
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 22:20:20 ID:/I8YLJN20
(゚、゚トソン「まあー、なんだっていいじゃないですか。どーせ明日にはおシャカですよ」
( ФωФ)「そんな無駄口を叩いている間に、日付が変わってしまったようだが」
(゚、゚トソン「処刑はゴールデンタイムに行われるそうなので、まだ猶予は十分にありますよ」
( ФωФ)「視聴率取る気満々ではないか。スポンサーは何を考えておるのか」
(゚、゚トソン「いえいえ、NHKです。ためしてガッテンを潰してやるそうです」
( ФωФ)「全国のおじいちゃんおばあちゃんが悲しむぞ」
(゚、゚トソン「そんなことはいいんですよ。ご主人様、わたくしは未だ防御率0.00です」
( ФωФ)「最早野球に疎いのを隠す気もなくなったな」
(゚、゚トソン「つまりですね、私は生娘なんですよ!」
( ФωФ)「そんなこと唐突に宣言されてもご主人困る」
(゚、゚トソン「だからですね」
チョイチョイδ(゚、゚トソン
( ФωФ)「?」
δ(゚、゚トソン「こいよ」
( ФωФ)「何そのファイティングポーズ」
185
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 22:24:07 ID:/I8YLJN20
(゚、゚トソン「私は生娘だけれど性知識はそこそこあるエロ漫画によくあるタイプの都合の良い女の子です」
( ФωФ)「森伊蔵片手に言う言葉か」
(゚、゚トソン「まあ、大学に行けばみんなそうなりますよ。ですから」
δ(゚、゚トソン「この私を腕尽くで押さえ込めたなら、今宵ご主人様にパラダイスが訪れますよ!」
デン!!o(゚、゚トソン
o(゚、゚トソン「ほんまもんのメイドプレイでっせ!」
( ФωФ)「……なに、力尽くで?」
シュッシュッo三(゚、゚トソン
( ФωФ)「……まあ我輩も齢はそこそこ重ねておるものの、まだ女子に負ける気はせん」
( ФωФ)oバン!!
( ФωФ)「よかろう、その挑戦受けて立とうではないか!」
( ФωФ)「いずれ今晩にはあの世にいるのだ、今更タイマンなんぞ怖れるものか」
( ФωФ)o「やったろやないかい!」
(゚、゚トソン「何や、やるっちゅうんかぁ!」
( ФωФ)o
(゚、゚トソン
( ФωФ)
o(゚、゚ゴゴゴ
ФωФ)
ФωФ)「ごめんなさい」
186
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 22:27:29 ID:/I8YLJN20
( ФωФ)「いや……そういうのはよくない、よくないな。そんなんガチ喧嘩からの和姦とか描写できないし」
( ФωФ)「なんかよく分からないけどこのメイド、そこそこ強そうだし」
(゚、゚トソン「あ、ちょっと待ってください。部屋から釘バット持ってきます」
( ФωФ)「やめて! やらないって言ってるでしょ!」
(゚、゚トソン「もー、ご主人様の腰抜けヘタレクソ野郎」
( ФωФ)「あー……えへん、そういうのはだな、大事な人のためにとっておきなさい」
(゚、゚トソン「釘バットですか?」
( ФωФ)「違う違う」
(゚、゚トソン「大丈夫ですよ。どっちにしても負けるつもりはなかったので」
( ФωФ)「最早ただの計画殺人ではないか」
(゚、゚トソン「だってー、どっちがいいです? ギロチンと釘バット」
( ФωФ)「……たぶんギロチンのほうが即死出来るからギロチンで」
(゚、゚トソン「はぁ……そうですか。じゃああとで業者に返品しておきます……」
( ФωФ)「どこの業者が釘バットなぞ売っておるんだ」
(゚、゚トソン「メイドですからね、何でも知っております」
( ФωФ)「もうちょっとご主人様に役立つ情報を仕入れておいてくれはしないものか」
187
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 22:30:16 ID:/I8YLJN20
(゚、゚トソン グビーッ
(゚、゚トソン「ってかぁ」
( ФωФ)「トソンよ、そろそろ我輩にも森伊蔵を飲ませてくれないか」
(゚、゚トソン「え、まだ飲んでませんでしたっけ」
( ФωФ)「うん、なんか話が脱線しすぎてて我輩も忘れてた」
(゚、゚トソン「でもこれもう、空になりましたけど」
( ФωФ)「……」
(゚、゚トソン「はぁー、やっぱり慣れない酒は上等でも美味しいとは感じませんねえ」
(゚、゚トソン ウィー
( ФωФ)「……はぁ、まったく踏んだり蹴ったりだ」
(゚、゚トソン「あれ、ご主人様、落ち込んでらっしゃいます?」
( ФωФ)
(゚、゚トソン「大丈夫ですよ、ほら、私がいるじゃないですか」
( ФωФ)「我輩を踏んでるのも蹴ってるのもトソンなのだが」
(゚、゚トソン
( ФωФ)
(゚、゚ソンナコトイワレテモウチポンデライオンヤシ
( ФωФ)「伸びすぎ、髪の毛伸びすぎ」
188
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 22:33:20 ID:/I8YLJN20
(゚、゚トソン「そうは言いますけどね、いないよりはマシだと思いましょうよ」
( ФωФ)「……まあ、今宵に限ってはそうかもしれないな」
( ФωФ)「こうやって馬鹿な話をしていた方が、気も紛れて些か楽になる」
(゚、゚トソン「でしょう。例えご主人様があと一日もしないうちにギロチンで首チョンパになって」
(゚、゚トソン「でもなんかよく分からないけど多少意識は残ってて死ぬ間際に酷い痛みに襲われて」
(゚、゚トソン「それで気絶してしまいそうだけどよく考えたら気絶イコール死だという事実に気付いて」
(゚、゚トソン「恐怖のあまり首だけになってももんどり打って悶えて痛みと絶望の中死んでいくとしても」
(゚、゚トソン「こうやって話をしていたら、あんまり思い出さないでしょう」
( ФωФ)「最早わざとらしすぎてツッコミも思い浮かばん」
(゚、゚トソン「さて、そんなご主人様にわたくしからのささやかなサプライズがあります」
( ФωФ)「なんだ、まさか処刑の時間が朝の九時からとか言うんじゃないだろうな」
(゚、゚トソン「何を言ってるんですか、そんなわけないじゃないですか」
(゚、゚トソン「世間様はお仕事のお時間ですよ」
( ФωФ)「そんな別に、リーマンの帰宅を待って行うものでもなかろうに」
(゚、゚トソン「はい」
トン□(゚、゚トソン
189
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 22:36:42 ID:/I8YLJN20
( ФωФ)「……何だ、これは」
(゚、゚トソン「わたくしのクッソ安い賃金の中から購入しておいたプレゼントです」
(゚、゚トソン「いわゆる、冥土の土産ですね」
( ФωФ)「メイドだけに?」
(゚、゚トソン「あ?」
( ФωФ)「すいませんでした」
( ФωФ)「……で、中身は?」
(゚、゚トソン「開ければ分かりますよ」
( ФωФ)
(゚、゚トソン
( ФωФ)「……」
(゚、゚トソン「なんですか」
( ФωФ)「今、我輩の頭の中をイヤな想像ばかりが駆け巡っているのだが」
(゚、゚トソン「なんですか、こんな時にふざけたマネをするメイドだとでも思っているんですか」
( ФωФ)「むしろどう考えればキミを実直なメイドに見えるのか教えてほしい」
(゚、゚トソン「大丈夫、開けても死にはしません」
( ФωФ)「……」
( ФωФ)□パカッ
190
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 22:40:22 ID:/I8YLJN20
( ФωФ)
( ФωФ)「これは……酒器、か」
(゚、゚トソン「お猪口でいいじゃないですか」
( ФωФ)「しかしこんなもの、いったいどうして?」
(゚、゚トソン「だから言ってるでしょう、冥土の土産だって」
( ФωФ)「そうか……」
( ФωФ)「てか、そのお猪口は?」
(゚、゚トソン「あのですね、普段ご主人様はあんまりお酒を召し上がらないでしょう」
(゚、゚トソン「このお猪口、私のなんですよ。嫁入り道具的な」
( ФωФ)「何故住み込みのメイドがお猪口をぶら下げてやってくるのだ」
( ФωФ)「しかし……確かに、そのお猪口を我輩が好んで購った憶えはないな」
(゚、゚トソン「でしょう。ですからこれは、やっすいやっすい賃金でやっすいやっすいオークションで落としたやつです」
( ФωФ)「……」
( ФωФ)「すまないな、受け取っておこう」
(゚、゚トソン「それで、最期の一杯を愉しんでください」
( ФωФ)「……」
( ФωФ)「さっき全部呑んだって言ってなかった?」
(゚、゚トソン「あ」
191
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 22:43:54 ID:/I8YLJN20
(゚、゚トソン「……はっしまったもうこんなじかんだまじめなめいどはもうねなくては」
( ФωФ)「おいトソン」
(゚、゚トソン「随分酔いも回っておりますものですから……この辺で失礼します」
( ФωФ)「こらまて」
(゚、゚トソン「そのお猪口、大事に使ってくださいね」
( ФωФ)「使う機会を与えて!」
(゚、゚トソン「それでは失礼しますお休みなさいご主人様も早寝したほうがいいですよ」
(゚、゚トソン「せめて最期は健康体で逝きましょう、はっはっは」
、゚トソン.... テテテ
( ФωФ)「おいこらせめて後片付けを……」
、゚トソン「おつかれっしたー!」
<バタン
192
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 22:46:29 ID:/I8YLJN20
( ФωФ)「……」
( ФωФ)「やれやれ、騒々しいメイドだ……。まあ、今夜はそれぐらいのほうが良いか」
( ФωФ)「それにしても、一応メイドなんだから酒瓶やらの後片付けぐらい……」
( ФωФ)「おや」
( ФωФ)「この森伊蔵、まだ少し残っておるではないか」
( ФωФ)「……」
( ФωФ)「せっかくだ、アイツの土産でいただくとしよう」
( ФωФ) トットットッ
( ФωФ)「ちょうど一杯分……」
( ФωФ) グイッ
( ФωФ)「……」
( ФωФ)「うむ、旨い」
( ФωФ)「それにしてもこの酒器……そこそこ値の張る代物に見えるが」
( ФωФ)「本当にオークションで安く落札できたのだろうか」
( ФωФ)「……いかん、頭が回らん。下戸の分際で、少々飲み過ぎたか」
( っωФ)「眠い……身体も重いな……」
( っωФ)「……」
( っωФ)「もうすぐ死ぬのか」
( っωФ)「最期の夜としては……良い夜だったのかも知れぬな……」
( っωФ)「あとは……阪神が……勝っていれば……」
( っωФ)「……」
193
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 22:50:12 ID:/I8YLJN20
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
<キィー
トトト ...(゚、゚トソン
( −ω−)Zzz
(゚、゚トソン「やっぱり……。こんなところで眠りこけてらっしゃる」
(゚、゚トソン「下戸なのに無理をするから……森伊蔵を鯨飲してたらどうなってたことか」
(゚、゚トソン「風邪引くかもしれないし……布団を……」
(゚、゚トソン「……いいか、どうせ明日までの命だし」
( −ω−)Zzz
(゚、゚トソン
( −ω−)Zzz
(゚、゚トソン「それにしても、目を閉じているとどのキャラだか区別のつかないお顔だ……」
194
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 22:53:24 ID:/I8YLJN20
(゚、゚トソン「……あ、お猪口」
(゚、゚トソン「使ってくれたみたいですね、よかったよかった」
(゚、゚トソン「……」
(゚、゚トソン「もうすぐ誕生日だったんですけどねえ」
(゚、゚トソン「その前に処刑日が来るとは。まあ、なんとか渡せたし、いいけど」
(゚、゚トソン「……」
(゚、゚トソン「しかしまあ、いつ、どうやって死ぬかなんてわかんないものですねえ」
(゚、゚トソン「……」
(゚、゚トソン「ご主人様、まあそこそこ弄り甲斐があったし、それなりに楽しかったですよ」
(゚、゚トソン「……あとはもうちょっと賃金が高ければ」
(゚、゚トソン「ワーキングプアのメイドてどないやねん」
o(゚、゚トソン
o(゚、゚トソン「危ない危ない、またテーブルをぶっ叩いてしまうところでした」
(゚、゚トソン「まあ、そう簡単には起きなさそうだけど」
195
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 22:56:28 ID:/I8YLJN20
(゚、゚トソン「さて、わたくしも寝るとしましょう」
(゚、゚トソン「明日は何時頃起こしたらよいですかねえ……」
(゚、゚トソン「……そうだ、人の心配ばかりもしてられないのでした」
、゚トソン... テテテ
、゚トソン「私も、刑務所で仕事頑張らないと……」
゚トソン「……あのお猪口、値が張ったせいで無理矢理分割払いにしてもらったんですから」
トソン「まったく……とんだとばっちりですよ」
「……それではご主人様、お休みなさいませ……」
「……せめて良い夢を……もう寝てますけどね」
<バタン
了
196
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/03(金) 22:57:09 ID:/I8YLJN20
次は10月4日の夜に投下します。
では。
197
:
名も無きAAのようです
:2014/10/03(金) 23:14:10 ID:hAQJrqJs0
乙
198
:
名も無きAAのようです
:2014/10/03(金) 23:19:51 ID:JngTArlA0
乙です。面白かった
終り方が好きです
199
:
名も無きAAのようです
:2014/10/04(土) 00:26:03 ID:Fj0HHqXI0
おつ
最初すげえいい話だったのにもってかれたわ…
ロマネスク続投はずるいw
200
:
名も無きAAのようです
:2014/10/04(土) 12:13:14 ID:MGWTzD9M0
おつ
201
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/04(土) 22:40:57 ID:7MBC76120
今日の投下は作者おねむのため明日に延期させていただきます。
なお、次回以降の投下スケジュールですが、
#8 10月05日夜
#9 10月06日夜
#10〜#11 10月08日夜
#12〜#13 10月10日夜
とし、終了予定に変更はありません。
ご迷惑をおかけいたしますが、今後ともよろしくお願いいたします。
202
:
名も無きAAのようです
:2014/10/05(日) 21:13:38 ID:GL/IGr6.0
三話分一気に読んだ。おつです
サンタの話はフィクションらしくて特に好きだなー
203
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 21:50:51 ID:ecWgD/1k0
8.壁 20120727KB
※ ※ ※
貴方や貴方で無い誰かがこの文章の全てを否定してくれることを願って。
※ ※ ※
204
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 21:53:13 ID:ecWgD/1k0
ヒッキーは口下手な奴でもう本当にどうしようもなかった。
おまけに天の邪鬼ときたものだから、彼はそもそも人と接触することを極端に嫌っていた。
例えば誰かが「調子はどう?」とお伺いを立てるとする。
そんな時のヒッキーの答えは大体こんな具合だ。
(-_-)「普通じゃないと思う。元気じゃないと言えばうそになるだけど、本人にそのつもりはないよ」
つまり面倒な奴なんだ。
しかしそんなヒッキーにも幾人かの友人がいた。
どんな世界にもヒッキーのように口下手で天の邪鬼な奴は一定以上蔓延っているものだし、
その手合いに限って群れたがったりもする。ヒッキーに近寄ってくるのも大抵そんな連中だった。
ヒッキーは、表面上そんな友人たちを煙たがっていたものの実際のところは随分と喜んでいたらしかった。
幸いにも小学校から大学まで学びを共にする友人もでき、
彼は不幸な孤独を感じないままに学生生活を終えることができた。
学生という身分を失う少し前、周りが就職活動とかいう訳の分からないゴマすりに必死になっていた頃。
ヒッキーは何もしていなかった。強いて言えばそれまでと同じ生活を続けていた。
だから彼は当然のごとく就職先を見つけることができず、結果卒業後は部屋へ引き籠るようになった。
ヒッキーと同じく口下手で天の邪鬼な奴らは労働の義務を果たすべく次々と働き口を見つけていった。
ある者は銀行員に、ある者はパチンコ屋の店員に、そしてある者はシステムエンジニアに。
自らの就職先を探し当てて余裕を得た者たちはヒッキーのことをやたら心配するようになった。
しかしそのたびにヒッキーはこう応じた。
(-_-)「問題ないよ。どうせ僕は人生に向いていないんだ」
それは、本心と虚栄の入り混じった、複雑な心境の吐露だった。
205
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 21:56:49 ID:ecWgD/1k0
ヒッキーの両親は一人っ子の彼に醜いほど甘く接していた。だから彼はのびのびと引き籠り生活を謳歌できた。
家にいれば毎日きちんと三食を得られたし、必要最低限のプレッシャーすらも与えられなかった。
ところがヒッキーは天の邪鬼なものだから、
そんなぬるま湯の環境に人生の浪費とも言うべき強迫観念を感じてしまい、
本来ネガティブに出来ていた性根がますます暗くなってしまっていった。
鍵付きの彼の私室は不自由にも似た自由さがあった。
白っぽい壁に囲まれた部屋にはパソコンやベッド、
本棚など外界と遮断されるために必要な装備が十分に用意されていた。
生活力がないヒッキーが、たった一つ得意にしていたのが掃除であるものだから、
無闇に室内を侵犯されることもなかった。不自由と自由で混み合っている部屋の中で、
やがて彼は壁紙に油性マジックで適当な言葉を書き殴り始めた。
それは憂鬱なヒッキーにとって憂さ晴らしにもなったし、
日々増えていく言葉が彼に奇妙な達成感を与えるのだった。彼が書く言葉は、こんな具合だ――。
『人生が! 環状線のようにぐるぐると回り続けて!
周りの風景だけが我々を置いて日々変わっていくようなものであれば!
そして人生を終えてようやくどこの駅でもない線路の途上で立ち止まることが出来るのならば!』
206
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 21:59:44 ID:ecWgD/1k0
ヒッキーの書きつける言葉にはいつも結論が欠落していた。
彼は先々のことを考えるのがとても苦手で、
だから自分の思いついた発想でさえも上手く終着点まで持っていくことが出来ずにいるのだ。
彼も時々は将来について考えを及ばせることがある。
しかしその度に上手く立ち行かないのだ。それは絶望でも諦観でもなく、ただただ漠然とした混乱だった。
ヒッキーの友人達は時々彼を気遣って休日に飲みに誘ったりしてくれる。
どうせするべきことなんて何も無いからヒッキーはその全てを承諾している。
実際に会ってみたところで状況が好転する要素は何一つ見つからない。
ただ互いの愚痴を投げつけ合い、愚痴の無いヒッキーは安っぽい酒で精神を濡らすばかり。
そしてそれから数週間経ってまた誘いが来る。承諾する、濡らす……
繰り返しであることには部屋の内側も外側も変わらない。
しかし時々、この誘いを全部断って友人との連絡を完全に遮ってしまうことを妄想する。
そうすると、何とも言えず背徳的な快楽を感じられるのだ。
ヒッキーは、友人達が何故未だに自分に優しくしているのか分からない。
もっとも、飲みに誘われること自体優しさであるともあまり思えてはいない。
しかし状況証拠だけ並べ立てればきっと彼らは情けをかけてくれているのだろう。
頭で理解するのは簡単だが心情としてはそんな全員を裏切ってしまうこともやぶさかでは無いと考えている。
全ての優しさを撥ねのけてしまったとき、何かが変わる気がするのだ。
友人も、両親さえも遮断してしまえばヒッキーは何にも依拠できなくなる。
そうすれば、人生は半強制的にヒッキーへ社会と向き合うよう脅かしてくるのでは無いだろうか。
誰かにその考えを披露したと仮定した際に、返ってくる言葉の種類は分かりきっている。
(´・_ゝ・`)「何も変わらない。むしろ悪くなるばかりだ」
大体こんな具合だろう。当然の忠告だ。
だからヒッキーは実行に移さず現状に甘んじている。
207
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 22:02:31 ID:ecWgD/1k0
『誰も俺の頭をのぞいてはいないだろうね?
でも人間なんて大抵分かりやすい生き物だから、俺のことだってわかられてはいるんだよ?
ただ指摘するのが面倒なだけでさ?』
舐めたら泥の味がしそうな粘っこい雨が窓外を濡らしていたある日、ヒッキーは壁紙にこう主張した。
『爆撃の後には雨が降ると言ったのは誰だったか? 哀しい戦争の話!
それが真実であるならば、何故世界は延々と雨で濡れそぼっていないのだ?
今日だってどこかのベランダで誰かがロープを首に巻き付けているんだ、
それが戦争でないというなら、何故彼らは死なねばならない?』
ヒッキーは一度だけ、自らも死んでしまおうと剃刀を手にしたことがある。
それで手首を切りつけてしばらく待ってみた。どす赤い静脈血が目一杯溢れたが、やがて止まってしまった。
ヒッキーはいつまでも意識をまともに残したままだった。その時ヒッキーはほんの少しだけ涙を流した。
大泣きできるほどに、彼は死というものに対して本気では無かったのだ。
彼は積極的に生きようとも思っていなかったが衝動的に死ねるほどの消極さも持ち合わせていなかった。
208
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 22:05:32 ID:ecWgD/1k0
こんなヒッキーにも一度だけ恋人が出来たことがある。
それは高校時代の話で、名前をミセリという女の子だった。
彼女もヒッキーに負けないぐらい捻くれた性格の女の子だったが、容姿だけは奇跡的に抜群だった。
そんな彼女が最初の異性体験にヒッキーを選んだ動機は今もって分からない。
しかし何れ明らかなのは、ミセリがヒッキーに告白をして、
ヒッキーもその時ばかりは正直に彼女の熱意を受け入れたという事実である。
純情に充ち満ちた日々は凡そ半年程度継続した。
ミセリは映画、特に古典とも呼ぶべき昔の洋画が大好きだった。
その話をしているときの彼女の目は純朴としか言えないほどに輝いていた。
ところがヒッキーには彼女の話の半分も理解することができなかった。
彼女に話を合わせてみようとモノクロ映画に数度挑戦したがいずれも挫折する。
こんなものの何が面白いのかが分からない……ヒッキーは欠伸混じりにそう考えるだけだった。
そのような違いが二人の関係に即効を示すわけでは無かった。
ある時ヒッキーはいつも通り皮肉っぽく、白黒映画が根本的に理解出来ないのだとミセリに告白したことがある。
その際の彼女の返答はこんな具合だった。
ミセ*゚ー゚)リ「別に貴方にそんなの求めてないわ。
それに、そういう考え方に相違があるのって、逆に素敵なことだと思わない」
ヒッキーはまるで救済されたかのような心持ちだった。
はにかんだように笑う彼女を真実愛おしいと考えた。
ヒッキーは、もう少しで自分の悪癖を完全に治癒することが出来ただろう。
209
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 22:08:39 ID:ecWgD/1k0
しかし最早その機会は永遠に訪れるまい。半年間の蜜月の後にミセリはヒッキーに別れを切り出した。
ミセ*゚ー゚)リ「他に好きな人が出来たの」
(-_-)「何だよそれ、どんな奴?」
その質問に意味は全く無かった。
口調からも視線からも、ミセリが離別を決意しているのはヒッキーにさえ明らかだったのだ。
それでも訊かざるを得なかった。すると彼女は近所に住んでいる大学生なのだと答えた。
その人とは幼なじみのような関係で、大学では映画研究部に所属しているのだと。
その男とはどんな映画を話題にしても通じ合えるし、その時間が何よりも素晴らしいのだと。
貴男と話しているときよりも数倍充実した時間を過ごせるのだと。だから私は貴男より彼を選びたいのだと。
ミセリの滔々とした告白をヒッキーはただ無心に聴いていた。声が脳みその直上を掠めていくような具合だった。
(-_-)「そうなんだ」
ミセ*゚ー゚)リ「そうなの、ごめんね」
それはヒッキーが彼女から聞いた、最初で最後の謝罪だった。
210
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 22:12:06 ID:ecWgD/1k0
そして二人は別れることになり、ミセリは少し年上の大学生と付き合い始めることとなった。
それが今でも継続しているのか、或いはありがちな形で崩壊してしまっているのかは分からない。
今やヒッキーの心に時々ミセリが浮上するのは、自らの人間不信がいつ頃始まったのかを考えたときだけだ。
彼女と別れてしまったという事実自体は然程尾を引く痛みでは無い。
ただヒッキーを苦しめているのは、彼女が自分に対してくれた救済の返答をいとも容易く覆してしまったことにある。
いや、彼女をして当初から嘘をつくつもりでミセリにそのような言葉をかけたわけではないだろう。
きっとその際には本心であったに違いない。
しかしどのような形かで幼なじみの大学生という存在が現出し、
その趣味嗜好が自らに合致するのだと悟った瞬間、彼女は心変わりを起こしてしまったのだ。
それは彼女にとっても驚愕の出来事であっただろう。
些細な芸術の端緒にも赤い糸が結びつけられている場合があるというだけの話だ。
誰が悪いわけでもない、誰にも罪はないのだ。
だからヒッキーの、この遣り場のない居たたまれなさも未だ脳内に滞留して時々姿を現せてしまう。
一連の経験がヒッキーをますます口下手に、ますます天の邪鬼にしてしまったのはまず間違いない。
しかし、だからといってヒッキー自身が現在、人生を擲ってしまっていることを他人のせいには出来ないだろう。
一生の中には大きな起伏を孕んでいる部分がある。それを学ぶべき良い機会だったのだ。
しかしヒッキーはいまいち自分の体験を消化できなかった。人生に向いていない……
その言葉が示す一端がそこにある。
過去に囚われて現在を浪費してもどうしようもないことが分かってしまっているから、
彼は今日も油性マジックで壁紙に、端数のような言葉を書き殴るのだ。
『人生は歩んでいくたびに自分がマトリョーシカであることに気付かされる!
年を取る度に殻を剥がされて、だんだん自分の存在が小さくなっていく!
だんだんだんだん、小さくなっていく!
それでも消えられない!
羽虫のように小さい何かが残り続けている!』
211
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 22:14:20 ID:ecWgD/1k0
何時の日か、ヒッキーはこの壁面を埋め尽くしつつある言葉を使って小説を著わそうと思ったりもしている。
しかしそれが不可能であることも同時に悟っているのだ。
言ってみればここに記されているのは縫合も困難な傷口のようなもので、
どうしたって繋ぎ合わせられるものでは無い。
あまつさえ、どこにも結論が無いのだから物語を描いたところで如何様な結末も与えられない。
それでもいいのではないか、とヒッキーは考えてしまうのだが終わらない物語の苦痛について、
何日も何ヶ月も遂には数年近くも引き籠り続けているヒッキーはよく理解しているつもりだ。
死の苦しみを知った上で誰かを惨殺するほどには、彼は発狂できていない。
壊れてしまうにしてもそれはきっと内部の話で、外部に発散することは出来ないだろう。
そのような殺伐とした心情を表す言葉をヒッキーは知っている。
そしてその言葉は、壁のあらゆる所に鏤められているのだ。
『どうでもいい』
『どうでもいい』
時には迫真の態度で、時には消え入るような調子でそれは書かれている。
そして日々を越えるごとにその自暴自棄は深みを増しているような気がしている。
212
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 22:18:02 ID:ecWgD/1k0
数年も経つと、自分を取り囲む壁の殆どが文字で埋め尽くされ、
最近では書き付けるスペースを見つけることさえ難しくなってきた。
そうなると、壁は違った側面を見せ始める。
そもそも、ヒッキーは壁に書き殴った言葉について、いちいちその時の記憶を保持しているわけではない。
だからそこに存在しているのは、自分の言葉でありながら自分の言葉で無いのだ。
数年前か、或いは数ヶ月前に書いた言葉は、しかし今の自分の思想と違えている部分はあまりない。
自分が進歩していないおかげで、壁はただ一方的に言葉を叩きつけられる存在から、
自らも言葉を投げ返す劣等なコミュニケーションの手段と化したのだった。
例えばヒッキーはその日、こんな言葉を書こうとした。
『無意味に人生が進められていく、今どの辺だ?
どこかにあるロープがそれを教えてくれるのかも知れない!
腐敗した頭を文字で書き表すのはもうたくさんなんだ!』
しかしそれに似た言葉はすでに用意されていた。
『どうせ死ぬ勇気も無い、死せるだけの手段もない!
それならば結局生きていくのだ!
無様に、無恥に、遺書の風体を装った文字を完成させることも出来ずに書き殴ってばかりで!』
壁そのものの存在自体、自分以外の人間にはどうでも良い程度のものであることぐらいは何となく理解出来ている。
そこにへばりついている言葉も含めて、他人にとっては空虚な面にしか映らないだろう。
ヒッキーにはそんな無意味さが、人生の全体に適用されている気がしてならない。
213
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 22:21:37 ID:ecWgD/1k0
時々優しき友人が忠告と説教を綯い交ぜにした言葉をヒッキーにくれるのだ。
鬱病の人間に頑張れと応援してはならないなどと言う屁理屈で人生を浪費するつもりは無い。
しかしそれらの有り難いお言葉は結局ヒッキーの中で何にも干渉できず通過して言ってしまうのだ。
仮に干渉できたとして、ヒッキーは上手く消化できるだろうか。そんな筈がない。身が燃えるだけだ。
皮膚が徐々に焼け爛れていって積極的に死を死んでいくのを徒に早めるだけの結果を生む。
それは恐らく誰にとっても本意では無いのだ。
壁面の言葉がいくら数を増しても小説にならないのと同じように、
言葉が並べ立てられることには根本的に意味を持てない欠陥があるのだ。
それは本当の意味では人間を救わないだろうし、本当の意味で人間を変えられないだろう。
『だが本当の意味ってのは一体何なんだ?
それはどこかには実在しているものなのか?
俺たちが頭の中だけで勝手に考えているだけじゃ無いのか?』
その答えは、幾ら剃刀を腕にあてても出てこない。
『どうでもいい』
214
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 22:24:22 ID:ecWgD/1k0
だからヒッキーは自らの頭がおかしくなったとも思わずに壁と会話することが出来るのだ。
無意味な人間と無意味な壁が、無駄に互いの許容し合える部分を探してぎこちない会話を繰り広げている……
それは、まるで世間そのもののように思える。何れ人間というものは、誰だって虚ろな壁に囲まれて生きているのだ。
それは存在と不在を繰り返し点滅させながら、都合良く自分たちを覆い隠してくれたりもする。
ただし、そのせいで他の誰をも信用に足らない。
誰の壁にもその内側は言葉に似た感情的な表現で埋め尽くされているだろう。
それらを少しでも解き明かそうとすれば果てしない徒労を必要とするだろうが、
わざわざそのような苦難を選ばずとも人生を進めることは出来る。
外側からその壁を見ても、結局は何も分からない。
だから過剰なまでに言葉を交わして互いを理解するよう務めなければならない。
それが人間という生き物のシステムであるし、利点でも欠点でもあるのだろう。
進化の過程に文句をつけたところでどうしようもない。
『頭では分かっているんだ、コンドームをつけてセックスをするなんて、きっと無駄以外の何者でもないだろう!
けれどそのチャンスがあったら飛びつくんだよ、きっと!』
だからヒッキーは人生に向いていないのだと断言できる。
無駄な思考が思考停止でしかないことを知っていながらなお思考を続け、
遂には空虚であるべき壁を具現化してしまったのだから。
215
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 22:28:16 ID:ecWgD/1k0
ヒッキーは、壁の前だけでは饒舌になる。話が合うと分かりきっているからだ。
(-_-)「結局誰もが知っている筈なんだ。誰が好きこのんで人身事故を起こしていると思う?
彼らの身体が散らばっていくのを、目撃はしなくても想像ぐらいは出来るだろう。
彼らだって本当は死にたく無かったはずだ。けれど死なざるを得なかった。
そこには色んなプレッシャーや、責任感や罪悪感が渦を作っていて……
それで、結局どうしようもなくなってある日唐突に自殺を思い浮かべるわけだよ。
それを誰だって知っているだろう。この世の病だって分かっているんだろう?
その片鱗は、誰しもの内側に少しずつ書き込まれている筈なんだ。なのにどうしてこうなる?
なのにどうしてこうなってしまう?」
『臆病者ほど主張者でありたがろうとする、だが哀しいかな、そいつは臆病者にしか見えないんだ!』
(-_-)「僕にだって変わることの出来る機会はあったんだろうね。
今頃社会の一員としてバリバリと働いていた未来があったのかもしれない。
ミセリ……。畢竟、僕は何を怖れているのだろうか?
取り返しが付かないほどに、未来を亡失してしまっていることに今更絶望しているんだろうか?
それすらも分からない。僕はどうして自分がこんな気分になっているのかさえ理解出来ないんだ」
『ここに書かれる言葉の数々は全て無意識からふいと湧出したものであると宣誓する!
何を書いてしまっても自分は責任を持てないし、また書いたときの思考も全て忘却してしまうことを約束する!
だからどうか安心して欲しい!』
(-_-)「安心って、一体誰を安心させるんだ?」
『どうでもいい』
(-_-)「どうでもいいよな」
『どうでもいい』
216
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 22:33:34 ID:ecWgD/1k0
自分のことなんて幾ら話しても話し足りない。
そしてその内容も、棺に入って燃やされるまで完結させられないのだ。
だから社会は空気を読んで一定の区切りをつけて口を噤む。そして相手の話を傾聴することも必要だ。
それは恩返しにも似た事前行為なのである。しかし壁の内側は常にそれ以上の言葉で溢れかえっている。
それが氾濫したとき、言葉は涙や声にならない叫びといったような抽象的な逃避手段に姿を変える。
壁面はほんの少しだけ整理されるが、まだ足りない。まだまだ足りない。
きっといつまでも、自分たちは自分たちの話に飽きることを知れずに一生を終えてしまう。
もしも魂が別の器に移されて新たな人生が始まるのだとしても、やることは前と変わらない。
或いは、言葉にする前に死ぬかも知れないが、いずれ満ち足りはしない。
(-_-)「どこかの国じゃ今こうしている間にも飢餓で苦しんでいる子どもが死んでいるそうだ」
『どうでもいい』
(-_-)「原発が事故ったら大変なことになるんだって。だから出来ればあれは使わない方がいいみたい」
『どうでもいい』
(-_-)「……そうなんだよ、結局何もかもどうでもよくなってしまうんだ。
手に負えない問題を取り扱うのって、結構骨が折れるんだよな。
自分一人が考え続けたところで何も変わらない。
それでいて、問題は相変わらず脳内に居座っているんだ。
ちょっとどいてくれと言ってもなかなか難しい。
思想なんて言うのは一種のファッションでさ、それをやってる間はちょっとハイな気分でいられるんだ。
浮き足立つとでも言えばいいんだろうか。自分自身の壁に、ちょっとした主張と言う名の糊塗が出来る。
よく見ればこの壁面にも……随分と社会的なことが書かれているじゃ無いか。
そいつらと会話したことは無いけれど、きっと正面から向き合ったらかなり気恥ずかしいんだろうな。
社会に出たことも無いものだから」
『うるさい! うるさい! やかましい! ちょっと自分の人生で忙しいんだ! 放っておいてくれ!』
(-_-)「奇遇だね、僕もなんだよ」
217
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 22:36:28 ID:ecWgD/1k0
やがて自分はこの壁をも撥ね付けてしまう日が来るのだろうか、とヒッキーは些か恐怖している。
壁と話しているなんて事実は傍目からすれば決して格好のいい話では無い。
だからこの奇行を誰かに知られてしまったら、
その知った相手は確実にヒッキーを精神病院へ搬送しようとするだろう。
とは言え、そのような最悪の形でヒッキーが壁と離ればなれになってしまったとしても、
結局壁は暇無く彼を包んでいるのだから何も心配することは無いのかも知れない。
真実怖ろしいのは、壁と話が合わなくなってしまう瞬間だ。
内なる壁とのコミュニケーションが良好で無くなってしまったら、ヒッキーには最早何も残らない。
物語としての完成を見ないことが分かっている自らの言葉の横暴を赦せているのは、
そうやって紡ぎ出された言葉が少なくとも自分自身にとって意味を持っているからだ。
誰にとっても意味を失った言葉に一体どれほどの意味があるだろう?
『どうでもいい』
ちっとも、どうでもよくないのだ。壁が自ずからヒッキーを拒絶することはまず有り得ないだろう。
しかしヒッキーの心情によっては壁を撥ね付けることも壁に撥ね付けられることも十分にあり得る。
そしてその心情とやらがどんな風にして移ろってしまうのか、自分自身でも分かっていないのだ。
218
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 22:40:04 ID:ecWgD/1k0
(-_-)「ミセリのことを憶えているかな。僕の人生が一番人生らしかった時間のことだよ。
彼女は今幸せなんだろうか。それとも相変わらず捻くれてしまっているのかな。
彼女にも……こんな壁があるのかな。
それにしても、僕はどうして今更彼女のことについて喋っているんだろうね。
本当は自分のことなんて、そんなに語れるものじゃないのかもしれない。
いや、怖がっているんだ……誰だって、人間関係の大半を放棄した僕でさえ、
個人的な秘密を口にするのはどうしても躊躇われる……
秘密なんてものが僕にあるのかは分からないけれど。
それでも、怖くて怖くてたまらないんだ。本当に必要で本当に大切なことは、
どうやったって言葉にはなりきれないんだろうか……」
『どうでもいい』
(-_-)「本当に?」
『どうでもいいと思えないなら喜ぶべきだろう!
生きる価値があると思えているんだから! 錯覚! 錯覚! 錯覚? 錯覚!』
再び剃刀を手にしたときも、やはりヒッキーは何も考えていなかった。
そして手首の血管に目がけて傷痕を残し、再び死ねないと悟ったその直後、
ヒッキーは号泣に近いほど声を上げて涙を流した。何かが限界まで膨らんではちきれそうだったのだ。
どれだけ泣き叫んでも彼の私室は無敵だった。誰も訪れなかった。
数時間かけて泣き尽くしたあと、ヒッキーはもう一度剃刀を手に取ったが、
今度は死への恐怖で腕に沿わせることすら出来なかった。
状況も心境も何も変わっていないはずが、行動だけ奇妙に変貌している。
それが喜ぶべき状態なのかヒッキーには判然としなかったが、彼は再び壁との会話を続けることとなった。
219
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 22:43:18 ID:ecWgD/1k0
(-_-)「今度、また友達と飲みに行くんだ……
いや、まだ僕に彼らを友達と呼ぶ権利があるのかは分からないけれど……
そこでまた、この前の飲み会と同じような会話が繰り返されるんだよ。
そろそろあいつらも責任のある仕事をするようになってるから、ますますストレスは増えているだろうし、
溜め込んだ愚痴も爆発しかけてるんじゃないかな。
でも最終的に一番気遣われるのはやっぱりこの僕なんだろう。
そろそろ進退窮まっているからねえ。
だから死のうとしているというのはすごく真っ当な理由に聞こえるんだけど、
でも、実際はそういうわけでも無い気がする。
緩慢に自殺したいわけじゃ無く、衝動的に唾棄されたいんだろう。
でも、誰にもその違いなんて分からない。
僕にも分からないよ、結論が出ないんだから。
子どもの頃、死ぬことがすごく怖かった。
死んでしまったら暗くて寂しい場所に独りぼっちで放り出されるんじゃ無いかと考えてて、
夜中になるとそれを思って泣いたりもしたよ。
今だって、泣きはしないけど死ぬのは怖い。けれどああいう時ってどうしようもないんだね。
多分これからも繰り返されるんだと思う。そしてその度にきっと死ねないんだろう」
そしてヒッキーは壁の返答を探した。
出来れば『どうでもいい』以外の返事がよかった。
その時に見つけた、最も相応しいと思われる言葉はこうだった――。
『人生は途中で止められる!
環状線を一直線のように錯覚も出来るんだ!
しかしそれに気付いたときには、もうすでに人生を何周かしている!』
220
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 22:48:23 ID:ecWgD/1k0
とある作家の言葉を思い出した。
『人生にご用心』……その通り、人生とはまるで麻薬のようなものだ。
その舞台上に立っているだけで何だか自分も延々と踊り続けられるような気がする。
しかしよくよく考えてみれば、人生と言う名のプランターで大麻を栽培しているのは他ならぬ自分自身なのだ。
絶望も、希望も、喜悦も、落胆も、結局のところマッチポンプの躁鬱に過ぎない。
時々薬が切れて気分が沈んだりもする。
ヒッキーはいつ頃からかそのような具合で、最早新しい大麻を栽培する気力さえ無い。
壁の言葉も結局は、薬が創り出した譫言に過ぎないのかも知れないのだ。
『だが全てを悟った風にしてどうする?
悟ることは本当に正しいことなのか?
悟ってしまった限り、もう二度と考えを変えられない、それでもかまわないのだろうか?』
ヒッキーは自分が死に向かって一直線に進行できるとは思っていない。
きっと漸近線を描くように、いつまでも死には辿り着けないのだ。
ありふれた若い妄想……しかしこの部屋で壁と対話している限りはそんな気がする。
老いてゆく自分の姿が想像できない。
脳の衰退と共に楽観的な気分で死を受け入れられるようになる自分が未来の何処かに存在しているとは思えない。
『ああ、また新しい朝が来ている……』
止め処ない思考はいつも次の一日へ漂着する。時間はヒッキーに後れを取ることも置き去ることもしない。
規則正しい工場の製造ラインのごとく、コンベアは一定の速度で彼を運び続けている。
そして人生にあらゆる部品を取り付けたりもするのだ。
ただしヒッキーを載せているラインは指令系統にバグが生じているらしく、
内部からの瓦解に対して適切なパッチが与えられていない。
『いや、そもそも最初からバグっていたんだ!
頭なんて持たなければ良かった!』
首の無い人間が街を歩いていたら、或いは誰かが慈しんでくれるかも知れない……。
221
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 22:51:33 ID:ecWgD/1k0
誰かが自分を責め立てているような被害妄想が、常にヒッキーを襲い続けている。
それは自らの身分が責められても仕方ないほどに愚かなものであると自覚しているからであろうが、
だからといってその妄想に心を捩らせずに済むかというとそういうわけではないのだ。
人生に起きる大抵のことは、納得出来なくは無い。しかしそれとは関係無しに、精神が悖るのだ。
発狂しそうにすらなる。そうまでしても、まだ生きていようとするのだから人間というものは質が悪い。
だが、そういうものなのだ。
誰もがそのような妄想がそのうち払拭されることを知っている。
或いは払拭してくれる人の存在を心待ちにしている。
本気で絶望するというのは、案外体力が要るものだ。
ヒッキーを攻撃している何者かも、気が済んだら消え失せてくれるのかも知れない。
しかし、そうならなかった場合はどうするのか。きっと本気で絶望する以外の方策を探し求めるのだ。
ヒッキーは所詮脆弱な人間だから、その際には部屋を出て誰かに縋り付くこともやぶさかではない。
自分は結局のところ寂しさを拭い去ってくれる何かを求めているのだろうか?
ある時期にミセリがそうであったように、もしくは今でも少数の友人がそうであるように、
今腕を濡らしている僅かな静脈血のように、一瞬でも寂しさを忘れられる何かを欲して止まないのだろうか。
それが結論なのだとしたら随分と滑稽な道筋を歩んできてしまったものだ。
面倒な遠回りばかりしてきてしまった。
222
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 22:54:58 ID:ecWgD/1k0
ヒッキーが所望しているのは抽象的な哲学への解答では無く、
リアリティに溢れた愛情でしかないのかもしれないのだ。それこそ、ラブストーリーで事足りるような……。
それはきっと、ヒッキーの人生を鮮やかにしたことだろう。
落涙する。今まで自分は何をやってきたのだろうかという、後悔よりも深い嘲笑。
だが、ヒッキーは今なお童貞のままだ。
世間的に見ればきっと彼は寂しさを払拭しようにも成し得られないように映るのだろう。
それは最早正しい。ホスピスは決して生への執着を推奨しようとはしないものだ。
錆び付いたコンベアの上で、ちょっと長く留まり続けてしまっていた。
人生は加速も逆行も出来ない不可逆性を持っているからこそ、諦めをつけられるのだ。
ヒッキーはもう一度同じ言葉を書いた。
『どうでもいい』
人生と、ミセリと、思考と、自分自身への正答だ。
とうの昔に判然としていた現実……容易い人間の容易い人生に対する、素っ気ない六文字……。
223
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 22:57:58 ID:ecWgD/1k0
この部屋がサイコロの展開図のように切り開かれたら、と想像する。
壁が倒れて夕陽の酷い眩しさが自分の全てを覆ったときのことを考える。
それぐらい詩的な事態が発生すれば、自分に何らかの変異が生じるだろうか。
光は自分を成長させてくれるだろうか。いや、もうどうでもいい。
友人達がいずれヒッキーを見捨てても、ミセリが幸せに満ちた生活を送っても、何一つ自分に損害は無い。
実際にそうなってみないと分からない、という反論もあろうが、そもそも人生には決定的に実感が欠落している。
ミセリが別れを切り出したとき、自分はもう少し醜く恋慕を引き摺ってもよかったのかもしれない。
しかしそんな気分にはなれなかった。
テレビが映し出す圧倒的な不幸や孤独に対して衝動的に発憤してもよかったのかもしれない。
しかしそんな気分にはなれなかった。
だからもしも壁が開かれてこの姿が露わになったとしても、自分自身は然程慌てたりしないだろう。
望むなら剃刀を片手に顰蹙を買ってやってもいい。
その自暴自棄の具合ときたら、たぶんアダルトビデオに出演する乙女のようなものだ。
代わりに、自分自身も観察者として世の中を見渡せることだろう。
西日に差されて晒される社会とやらが、自分にはどう見えることか。
壁を失った世界がどれほど醜悪になることか。
そう考えると、ほんの少し楽しみだ。
しかし実際にそのようなことは起きないのだからやはりどうでもいい話なのである。
だから心配しないで欲しい。誰もが壁に守られているし、誰も互いの内側を覗き見ることは出来ない。
たとえ人生が、眩しすぎる太陽に照らされているのだとしても、その下で眺められる表面上の言葉は、大抵
『どうでもいい』
なのだから。
224
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 23:02:23 ID:ecWgD/1k0
浮き上がって見える言葉に大した効力など無い。
死人の切断面すら、既に何かを塗布されている。生きている間も死んだ後も、何を思う必要も無い。
終着駅を探す自信が無いのなら、コンベアの上でただじっとしていればいい。
何れそれは最期の地点にまで連れて行ってくれることだろう。
意味など見出せないこの人生をいうものは、一見不治の病のように見えてその実麻疹のようなものでしかないのだ。
だから心配しないで欲しい。どうでもいいのだ。
『どうでもいい』
本当に、それしか言うべきことがない。
了
225
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/05(日) 23:04:42 ID:ecWgD/1k0
次は10月6日の夜に投下します。
では。
226
:
名も無きAAのようです
:2014/10/05(日) 23:24:22 ID:TVbcndFw0
おつ
本当によくここまで掘り下げれるなと思うわ
227
:
名も無きAAのようです
:2014/10/06(月) 10:00:44 ID:/hKAQ54w0
おつ
次のタイトルが目次の時から気になってたから楽しみ
228
:
名も無きAAのようです
:2014/10/06(月) 12:06:48 ID:wFG2Ymgo0
たまにこういうこと考えたりもしたけど言葉には出来ないな、まして誰かに見せられるほどなんて
おつ
229
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 21:19:17 ID:ok723CeU0
9.ジジイ、突撃死 20140926KB
※ ※ ※
……畢竟、我らは規範と理性に縛られている限り、真に人を想うことなど出来ないのかも知れない。
だが、決してそれらから解き放たれようとしないことだ。
人を想うことは、人に尽くすことと同義では無いのだから……。
※ ※ ※
230
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 21:22:25 ID:ok723CeU0
……此処はいったい何処であろう。居宅の中であることは確かだ。
何しろ、今の私に独りで外出する気力体力などあるわけが無いのだから。
然し、だからといって今、私のいる場所が居宅のどこに位置しているのか、
一階なのか二階なのか、或いは庭先に転げ落ちてしまっているのか、さっぱり分からぬ。
無論、この家を購ったのは紛れもなくこの私だ。
確か四十年と幾年か昔あたりに、当時新妻だった婆さんに見栄を張るため、無理をしてローンを組んだのだった。
それから数度改築をし、何度かの天災を経ながらも、この家は今日まで立派に耐えている。
そんな我が居宅は私自身の矜持そのものでさえあった。
仕事から帰り着くたび、また退職して近所を買い物がてら散歩して帰ってくるとき、
ここへ頑然と構えている家の眺めに、何だか誇らしくなることもたびたびであった。
当然我が息子もこの家で育ち、孫さえもよく遊びにやってきてくれていた。
そんな人生の大部分を占める我が家について、今の私はもはや、その間取りすらも判然としないのだ……。
231
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 21:25:29 ID:ok723CeU0
視界はもう、とうの昔からボヤボヤとしている。
間近なところを多数の羽虫が飛び交っているような具合だ。
聴覚は水底不覚に沈みこんでしまっているように音が籠っていて、
近所から聞こえてくる生活の音がわけのわからぬ言語のようにさえ聞こえてくる。
唯一、触覚だけが背中の方から伝わってくる淋しい冷たさを全身に伝えている。
だが、それでさえフローリングの冷たさなのか、
はたまた私の身体が新しい不調を訴えているのか、見当もつかない。
だがどうせ……いつものことだろう。
私はまた、どこから湧き上がったかも知れぬ力で己のベッドから転がり落ち、
意思なき意思によって行動を決意し、誰の視線を恥じらうことも無く、
死に損なった百足よりも無様にのたうち、もがき、這いずり回っているのだろう。
いや実際、今の私が死に損なっているのは間違いないし、あまつさえ百足なぞよりも遥かに有害でさえあるのだ。
そして何よりも絶望的なのは、そんな自分を悔いたり、羞恥を覚えたり、
反省するなどという気持ちが僅かでさえも首をもたげぬことなのだ。
/ ,' 3「……!」
私は何らかの声をあげた……それは、
ウウ、とかアア、とか、言葉では形容できぬ耳障りな呻き声であったに違いない。
それは本心からの叫びではなく、どこからともなく現れる、
私の感覚器を支配した何者かによる意図のない怒声なのだった。
こんな光景をいつだったかテレビのドキュメンタリー番組で視たような憶えがある……いや、或いは幻想であろうか。
……どっちだっていい。どうせ正確な過去など思い出せるわけもないし、
誰かが私の言葉を擁護してくれるわけでもないのだ。
この期に及んだ私に最早一人として信頼なぞ寄せてくれるわけもなかろうし、
あまつさえ我が息子でさえ乳飲み子のように私を弄ぶだけなのだ。
……否、そうか。そう言えば、息子は昨日か数日か前に、私に愛想をつかせて出て行ったのだった……。
232
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 21:28:21 ID:ok723CeU0
現在の私はどのような姿をしているのだろう。
しっかりと認識していた頃から既に禿げかけていたこの頭には僅かな白髪が乱雑に散らばっていて、
弛みきった皮膚には無数の皺が刻まれている筈だ。
そして下半身……嗚呼、そのことなど寸分たりとも思い出したくない。
考えてみれば息子に下の世話を任せるようになってから、私は余計短気になり、癇癪を爆ぜるようになったのだ。
私の感覚がマトモであったなら、きっと堪え難い汚物の臭いが鼻腔を貫いていることだろう。
然しその不愉快さを私は微塵と知覚せぬ。
もしか、これは真実、天国のような心持ちであるのかも知れぬ。
一切の事物から解放され、脳味噌の底の底だけが微かに労働しているこの状態こそ……。
233
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 21:31:26 ID:ok723CeU0
(´・_ゝ・`)『すまないけれど、僕にだって仕事や家庭や、人生というものがあるんだ。
人間なら誰しも体力と精神力に限界値というものがあってね……。
どうも、今の僕や、僕の奥さんには、父さんの面倒を見るだけの容量が足りてないみたいなんだ。
たぶん……いや、キット父さんにはなんにも分かっていないんだろうけどね、
だからこれ以上敢えて何も言わないよ。もし、父さんが僕の言葉を正確に聞き取っているなら、
僕はきっと思いつくだけ罵詈雑言を浴びせつけるだろうね。
けれど、今の父さんに何を言っても無駄だ。
それがわかってしまう、これを虚無感と言うのかもしれないね。
小学生の頃、頭ごなしに怒鳴りつけられていた時とおんなじような気分だよ。
どちらが正しいかなんて関係なくってね。むしろ、今の僕は、どうしようもない親不孝者なんだろう。
でも、それでもなお、この道を選ぶしかない僕のことを、どうか許しておくれよ……』
234
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 21:34:23 ID:ok723CeU0
息子が残した別れの言葉が脳裏を反復する。
あの時、表面上の私は何と返事をしたのだろう。どうせまた、宇宙語で不快感をぶつけたに違いない……。
嗚呼、然し決して息子を責めてはならぬのだ。
ありふれた言葉で表すならば、物事には優先順位というものが付き物なのだから。
息子の嫁や、孫のことを差し置いて、私の世話をする義務など何処にあろう。
彼にとって肝要なのは彼自身を大黒柱とする唯一無二の家庭なのであり、
そしてそれを出来る限り存続させてゆくための人生なのだ。
出来ることなら私のような、重度の痴呆老人のために時間を割くべきではない。
だが、そんな主張を、私は思い通りに表現できぬままであった。
徐々に記憶力や、その他諸々の所謂『自我』が失われてゆく間、
私は幾度も幾度も彼らとの、誠実な意思疎通を試みた。
然し一切は無意味であった。無論、それが認知症の病理なのだから当然の話だ。
やがては全ての感覚器が麻痺し脳髄が退行してゆき、遂には試みることさえ不可能になってしまっていた。
私は、誰のものとも分からぬ意識を誰彼構わずにぶちまけて、そのくせ何の責任も取らなくなってしまっていた。
昔馴染みの友人知人も認知出来なくなってゆき、終いには息子のことさえ分からなかった。
……だが、この脳の奥底で、それらの記憶と、紐付けされた意識は確かに存在している。
寝たきりになり、己の生理現象にさえ対応できなくなってもなお、この脳味噌は思考をし、動作し続けている。
外部に向けて発信出来ぬが故、誰にも知覚されることはなかったが、
内部では今でもなお私は私の儘であり、私として生き続けている。
その事実は私にとっては僥倖であったが、その他殆どの人々を不幸に陥れてしまった。
私は息子の精神をいったいどれ程に蝕んでしまったろう。息子の嫁をいったいどれ程苛んでしまったろう。
外側の出来事が分からないから、私は彼らの真意を汲み取ることはおろか、予想することも出来ぬままだ。
人生の終端、アルツハイマーの果ての果てにこんな苦労が待ち受けていると、誰が分かっていただろう。
どこかの老人ホームに収容されている死んだ眼の老人に、
判然とした思考能力が備えられていると、誰が予測できただろう。
235
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 21:37:23 ID:ok723CeU0
……そう、明らかなことは二つだけだ。
一つは、私が未だ殺されてもいなければ、孤独死にも至っていないということ。
そして二つ目は、私の身体がどこかのホスピスに送り込まれることなく、
自宅の何処かに居座ったきりであるということ……。
一つ目については火を見るよりも明らかだ。私は熱心な宗教家ではないが、
天国や地獄の概念ぐらいは持ち合わせている。此処は、私の知識にある限りの死後の世界ではない。
かといって私の精神は暗黒に葬り去られたわけでもなく、未だ現世を漂い続けている。
それが証拠に、私は息子の離別の言葉をしっかりと憶えているのだ……
それがどれぐらい前のことだったかは、よく分からないが……。
二つ目について……正直、何故私自身が確信しているのか分からない。
皮膚感覚さえ明らかでない今、私が私の居場所を知ることなどどだい無理な話だ。
しかし……何らかの、安っぽいノスタルジーだろうか……
私は今なお、見知った街の見知った我が家の中で独り死を待ち受けているという認識を捨てられずにいる。
ただ、私の頑迷な意識からして、息子らが何処かの施設へ連れていくのを容易に許容するとは思えない。
236
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 21:40:28 ID:ok723CeU0
そうだ。昔から難儀な性格であった。
代々受け継がれてきた遺伝子のためでもあろう、
男とはこう在らねばならぬという教育や社会環境の賜物でもあるだろう。
とにかく私は如何にも旧世代の人間らしい生き方をしてきたし、
周りにもそういう振る舞いをしていた。ややこしく考えたくはないものだが、
そうしなければ人生における地位や身分を確立させられなかった場面もあるだろう。
時として理論を感情で押し潰し、商売のために客を騙したりもした。
そうして稼いだ金と嫁に貰った婆さんだ。誰だって多かれ少なかれ私と同じぐらい悪いことをしてきただろうし、
また同じぐらい悪い目に遭ってきたのだろう。
だから私は、この末期が決して刑罰であるとは思っていない。
これは遍く人々全てに訪れるかも知れぬ一種の不運であり、最後の籤引きであるというわけだ。
私は己の人生の一切に後悔を思わない。
この期に及んでの後悔など、所詮は罪責の丸投げに過ぎないのだから。
故に、こうやって息子に愛想をつかされ、居宅の何処かで、
たった独りになった野垂れ死ぬことに関して、私は己の生き様からして、
更に言えばこの世に生まれたその瞬間から決められていた運命であるとさえも感じている。
遡ることの出来ぬ人生に第二の道など存在し得ない。
私の歩んだ揺り籠から墓場までの道程は、予め結論づけられていたものなのだ。
今更ああすれば良かったと、こうすれば良かったと、省みて虚妄を抱くことにいったい如何程の意味があろう。
いずれ、どうしようもない理屈の解答へ導かれただけなのだから。
237
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 21:43:24 ID:ok723CeU0
(*゚ー゚)『ねえお爺さん、今度補聴器を買おうと思うのだけれど、どうかしら。
……いえ、ねえ、もう最近はめっきり、耳も悪くなってきたものだから、
よくお爺さんの声が聞き取れなかったり、ドラマの音を大きくしすぎて怒らせてしまうでしょう。
だからと思って、ほら……昨日広告が入っていたんですよ。
このカタログなんですけれどね……何でも、自分の耳の形に合わせて、調整してくださるんですって。
色々と、専門の方がお手伝いしてくれるみたいだし。
費用は、二十万円ぐらいするから、高価なお買い物になってしまうんだけれど……どうかしら。
え……?
いやねえ、まだまだ生きていきますよ……そのために、ほら、お医者さんにもかかっていますし、
色んな健康食品を試してみたりもしているんですからね。
……ええ、だってお爺さんの方が三つも歳が上じゃないですか。
だからね、少なくとも私は、お爺さんよりも長生きしますよ……。
はい、はい。丈夫ですよ。
え?
……はい、すいませんねえ。ええ、わかりました、早速電話してみます。
……ねえ、愉しみですよ、ね……』
238
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 21:46:47 ID:ok723CeU0
私の頭を漂流する記憶に、最早整然とした順序など存在していない。
全ての場面が、パノラマ状の壁に貼り出されているような具合だ。
だから、時々ひょいと思考の中へ飛び込んでくる言葉や光景が、いったい何時のものであったか、判然としない。
件の婆さんの言葉とて、もうどれぐらい前のことであったか。
彼女はどこまでも健康的な人間で、此れと言った大病を患うこともなかった。
けれども耳だけは老いて早々に衰え始め、私を苛立たせることも度々であった。
何しろ私の声質は低くくぐもっていたため、それが理由で会社員の頃、上司によく叱責されたのだ。
その当時のトラウマがどうしても蘇ってならなかったのだ。
婆さんもそのことは重々承知していた。
然し、どうも日常的に機械を自身の身体に装着することには並々ならぬ抵抗感があったらしい。
無論、逆の立場となれば私だって拒絶していただろう。
その婆さんが自ら私に、補聴器の購入を言い出したのだから、彼女の中で余程の決心があったのは確かだ。
二十万というのは結構な大金であったが、私はすぐさま承知した筈だ。
それから一ヶ月程してオーダーメイドの補聴器が届けられた時、
耳につけた婆さんは、それはもう大層な喜びようであった。口には出さずとも、
矢張り普段から随分と鬱憤を溜めていたらしく、それが一遍に吹き飛んでいったような具合だった。
それを見た私は……表面上は、年甲斐もなくはしゃぐ婆さんを鼻で笑っていたようにも思う。
けれども本心では、そんな婆さんが微笑ましくて仕方がなかった。そして、どこかしら安堵のような感情もあった。
婆さんが耳を悪くしたのは、仕方のないことではある。
だがそれは婆さんの、引いては我ら夫婦の老いをまざまざと見せつけられるものであった。
機械に介助されているとはいえ、彼女の聴力が昔に戻ったことは、
何よりも、我々がこれから先もまだ、やっていけるという重大な展望を示唆してくれるものだったのだ。
昔ながらの精神論だけで言うのではない。
そうした日々の所作の一つ一つが、我らの生き延びてゆくことに肝要であるのだと、
改めて気付かされた瞬間であった。
そして皮肉にも、その体験は婆さんの死によって訪れた絶望の深さを更に拡げる結果となってしまったのだ……。
239
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 21:49:20 ID:ok723CeU0
('、`*川『ねえあなた、本当に大丈夫かしら……私、怖いわ』
(´・_ゝ・`)『そりゃあ、僕だって怖いさ……けれど、他にどうすることも出来ないじゃないか。
もう、一刻も我慢できないんだろう?』
('、`*川『ええ……。
世間からは、不義理な嫁だって嘲られるのかもしれないけれど、
私なんか、人より心根が弱いから、これ以上はたまらないの……』
(´・_ゝ・`)『うん、うん。その気持ちは、僕にだって当然、理解できるさ』
('、`*川『このままだったら、私、お義父さんを殺してしまう』
(´・_ゝ・`)『大丈夫だよ。僕たちが此処を出て行ったって、
週に一度はデイケアーの方が寄ってくれることになってるんだから。
そこまで惨たらしいことにはならないんじゃないかな……』
('、`*川『でもね、私たち、何らかの罪に問われるんじゃないかしら……』
(´・_ゝ・`)『さあ、分からないな。
けれどね、これ以上憔悴していく君を僕は見たくないんだ。君だって、そうなんだろう?』
('、`*川『ええ。殺してしまう……殺してしまうわ、あなた……』
(´・_ゝ・`)『わかっている、わかっているよ。だからもう、何も言わなくていい』
240
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 21:52:25 ID:ok723CeU0
息子は鉄鋼会社に勤めながら妻と、二人の息子を養っている。今もそうしている筈だ。
その生活は決して楽なものではない。
まだ私が『正常』であった頃、彼が世間の景気や給料の額に愚痴を零しているのを聞いたことも数度ではなかった。
それに対して私は気丈に、時には喝破するようにして彼を説諭したものだった。
それぐらいの苦労は誰だって抱えている。無論、嘗ての私も多くの辛酸を舐めてきた。
辛抱に辛抱を重ねて、ようやっと見えてくる道もあるのだ、云々。
息子は黙り込んで、特段表情を変化させることもなく聴いていた。
ただただ聴き入っていたのか、それとも疲弊のあまり言葉が素通りしてしまっていたのか、
今となっては知る由もない。
……仮に、私が彼を援助していればどうなっただろう。
と言って、私の資産に然程の余裕があったというわけではない。
何とか定年まで働き続け、食い扶持に困るような事態には陥らなかったものの、
老後の余暇を満喫するほどには貯蓄できなかったのが現実だ。
そのせいで義理の娘が私の面倒を忙しなく看なければならなかった。
介護施設の入所待ちは途方もないと云うし、デイケアーにしても週に一度、依頼するのが精一杯だったのだろう。
だが、もしもあの当時、購う自宅をもう少し狭いものにしていれば。
もう少し駅から遠い場所にしておけば。もう少し庭の造作に拘りを持たなければ……。
もしかしたら、人生のあらゆる部分を切り詰めていけば、
私は息子夫婦の精神を、斯様なまでに追いつめずに済んでいたのかも知れない。
私は適切な病院で適切な終末医療を受け、安穏とした最期を迎えていたのかもしれない。
そうすれば我が子の看病は面会ということになり、精神的負担も軽減できたろう。
或いはまた、我が子の苦境に、資金という形で多少なりとも助けの手を伸ばせたかも知れぬのだ。
241
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 21:55:26 ID:ok723CeU0
然し、家を建てた当時の私は、居宅に最大限の身銭を切ることが人間の矜持であると確信していたし、
それが男としてのステータス、アピールポイントとなると疑わなかった。
現実、完成した我が家を一目見た妻は驚きを通り越してやや萎縮している風でもあった。
あの時に覚えた充足感は、他で味わえるものではない。
それからの生活において、私はローンに苛まれながらも、
決して惨めったらしさが露出せぬよう最大限の努力を払ってきた。
宵越しの銭は持たない、とまでは言えないが服装にせよ、飲み食いにせよ、
他人との見えない競争意識の中で負けないために大いなる無駄遣いを繰り返したのだった。
それは、時として家計を圧迫していたに違いない。
けれども婆さんは金銭的な不平不満を一度たりとも漏らしたことがなかった。
年老いて、彼方へ逝ってしまうまで一度たりとも。
それが私の、紛うことなき生き様であった。後悔は自己欺瞞である。
小川のせせらぎに転がる石も、いずれ定められし道を通うのだ。
一本、筋の通った私の人生が、その形を変えることなど有り得ない。
また、有り得たとしても我らの目に見える筈もないのだ。
242
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 21:58:18 ID:ok723CeU0
確かに、私は身の丈に合わぬ装飾品に手を出していたのかもしれない。
しかしそのおかげで、客との商談が円滑に進んだことだって少なくはなかろう。
馬鹿らしく古風な礼儀に倣っていただけとはいえ、相手に好印象を抱かせる要因になっていたと信じたい。
そうやって積み重ねた経験や体験が、己の惨めったらしさ一つで脆くも瓦解してしまっていたかもしれない。
あまつさえ、何処かで道を踏み外し、一家で路頭を迷うことになったやも知れぬのだ。
そうしてみれば、我が人生の何と『マシ』であったことか。
外見を整え、見栄を張り、心身ともに表面上を取り繕って生き抜いたこの人生は、何と人間らしくあっただろうか。
……何と言っても、あれ程頑固者だった私が不景気に喘ぐ息子に金を手渡すなど、如何にも滑稽ではないか。
そんな好々爺然としていられるような人格であったなら、
きっとどこかで野垂れ死んでしまっていたに違いない……。
もっとも、野垂れるという意味においては、現状もさして変わりはしないが。
243
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 22:01:15 ID:ok723CeU0
(*゚ー゚)『ねえ、お爺さん。お爺さんの下着がどこにしまっているか、知ってます……?
昔に、集めていた腕時計は……風邪薬……ああ、はい、はい。全部ご存知なんですね。
ええ、何だか少し心配になってしまって……よかった。
私はほんの少しの間だけ入院してしまうことになってしまいましたけど、
色々なことが、分からなかったら困りますからね……。
ええ、そうですね、お爺さんのおうちですものね。
余計なお世話でした……はい……え、珈琲……?
それでしたら、食器棚の右側の引き出しに……。
いえいえ、淹れ方だなんて、そんな大層なものではありませんよ。
あれは、インスタントのものですから……。
はい、何ですか……私の、淹れたものを?
はい、はい、分かりましたとも。
では、お爺さんの朝の珈琲のために、なるべく早く帰ってきますからね……。
ええ、大丈夫、大丈夫ですとも、お爺さん』
244
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 22:04:38 ID:ok723CeU0
身体の自由が利かなくなって……現実を認識することさえ喪われた私は……
ただただ空虚な時間にものを考えるばかりだ。
こうやって、星空のように鏤められている記憶を眺めながら……それぞれを、飽きることなく咀嚼しながら……。
まったく、記憶に映るのは死人の影ばかりだ。婆さんも、知人友人も、ドラマで活躍していた大俳優でさえ……。
一抹の寂しさを覚えるとともに、自分自身の末期というものがより確かな形となって去来する……。
健康体である筈だった婆さんが、殆ど世話にならなかった病院に入院して、
そのまま他界してしまったのはあまりにも唐突な出来事であった。
確か、当初は軽い検査入院のようなものだった筈だ。
それが瞬く間に……と言って、仔細な期間を憶えているわけでもないが……
彼女は、痴呆症を患う暇もなく旅立ってしまった。
その辺りの詳しい記憶についてはもう両手で足りぬほど模索したのだが、まったく見当たらない。
どうやら、その頃に私は憶えることを放棄してしまったらしい。
然し乍ら、婆さんが死んでしまったという事実だけは、一番の巨星となって輝いているのだった。
婆さんの死は、我ら夫婦の死と同義であった。
おそらく私はこの頃から徐々に精神の均衡を喪失してゆき、現在にまで至ってしまったというわけだ。
何がそこまで私を現実から遠ざけてしまったのかは分からない。
けれども、私の人生に婆さんという存在が必要不可欠だったのは最早自明なのだ。
居丈高に振る舞っていた私の人間性は、婆さんを喪うことで易々と折れて廃れてしまったのだった。
時間も空間もなく物事ばかりを考えていると……妙な表現だが、思考回路がやや柔軟になっていくような気がする。
怒濤の如く押し寄せてくる現実を受け止める必要も、満身創痍の肉体に気を病む必要もなくなった今、
私はただ只管に過去を顧みて反芻するばかりだ。
思えば我が人生において、
時間の流れを差し置いてまで立ち止まって考える機会など訪れてはいなかったのではないだろうか。
245
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 22:07:16 ID:ok723CeU0
茫洋たる心象風景。何かのテレビ番組で視た憶えがある。
いくら父親が痴呆に罹って横暴を繰り返しても、その死を放置してしまえば保護責任者……
息子に、刑事的な責任が発生する可能性があるかも知れないと。
詳しいことはよく分からない。我らのような市井の人間に、
その詳細を知る者がいったいどれほど存在するというのだろう。
我らはただその情報の断片を拾っては、常に最悪の事態を考えて怯え続けねばならぬのだ。
だから息子も、義理の娘も、終いには殺意さえ抱いてすら私の世話を続けていたのだ。
彼らにも世間体があるし、家庭が存在する。
現実のことなどもう何にも分からなくなってしまった父親のせいで、
彼らの先行きが大きく変貌してしまうやも知れぬのだ。
……そして、彼らはその未来を放棄してまで私を放置することを決断した。
それが、フワフワとした矜持や衆目やストレスによって弾き出された最終的な結末だったのだ。
それを哀しいと言わずして何とする。けれども、誰かを責められるものではないのだ。
246
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 22:11:21 ID:ok723CeU0
嘗て、私の父親が亡くなった時のことを思い出す。
父は若き頃より肺を患っていたため、勤め人でありながらも病床に臥せっていることが多かった。
無論、それでも子どもを厳しく躾けることには違いなかったが。
そんな父は退職後、間もなくして持病を悪化させ、亡くなった。父もまた、認知症に罹る暇などなかったのだ。
それに比して、母の方は割合に長生きをしていた。
晩年にはやや痴呆じみた症状に冒されていたような憶えもある。
けれども私には頼れる兄と姉がいたし、何よりもまず、家族自体の規模が大きかった。
母は様々な親族に取って代わって看取られて、
そして終わりには多くの家族に見守られながら心穏やかに彼方へ逝った。
それは間違いなく、人類史上で見ても上から数えた方が早い幸福な最期であったろう。
私には息子が一人しかいない。
兄も姉も……生前には既に縁遠くなってしまっていたのだが……既に亡くなってしまっている。
今更誰彼を頼りにする権利もなかろうが、頼ろうにも身近な者がいるわけでもない。
そう考えてみれば、私はもう少し将来を見据えた生き方、やり方をするべきだったのかもしれない。
然し、我が人生は常にその時点での指針を慮ることで精一杯だった。
いったいどうして、終の生活にまで頭を巡らせることが出来たろう。
そうだ、今だって脳裏を行き交う逡巡は、所詮心身の退行によって生じた偶発的な思いに過ぎぬ。
生きている間に……『正常』として生きている間に、その思いを形にする術など見当もつかない。
そしてそれは、人間である限り詮方の無い懊悩なのであろう。
247
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 22:14:37 ID:ok723CeU0
結局我らはその場凌ぎの方法で食いつなぐより他に道はないわけであり、
それらを積み重ねた具合によって出来上がった結論が人生の末期あたりに押し寄せてくるという算段なのだ。
我らの死に様は生き様を鏡映しにしたものに過ぎない。
その善し悪しは度外視してでも、我らはその幕引きを許容せねばならぬだ。
私は見栄っ張りの人生を送ってきた。
婆さんには大層な迷惑をかけ、時には取り引き相手となった顔形さえ定かでない人々を陥れることもあった。
逆も然りだ。旧知の友人とは再会を果たしたり、喧嘩別れをしてしまう場合もあった。
努力は実ったり、実らなかったりもした。幸運と不運も、足し合わせればおおよそ零には違いない。
それら一切合切の人生の要素が混濁し、雑然とした塊となって我が元へ訪れたという具合だ。
何も不思議なことはない。何を気迷うことでもない。
幸福か不幸か以前に、眼前に広がるのは私が過去に働いた所業の景色なのである。
何せ平均寿命前後まで生き延びたジジイなのだ。
青年期に抱くような一時の儚さに左右されるものであってなるものか。
248
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 22:17:17 ID:ok723CeU0
この期に及んで、私にはもう現世に対して何の恨み辛みも遺っていない。
肉体的な苦痛からは解放され、遅まきながら精神的な苦痛から私以外の人間を解放し、また解放された。
方法に難あれど、それ以外に生きる筋はなかったのだ。これでよかった。
せめて、最期にはそう声を張り上げねばなるまい。
後は最早、我が精神も肉体も、ただあの世に向かって全力で進むのみだ。
願わくは、婆さんと同じ場所に連れて行っていただきたい。婆さん……否、しぃよ、しぃ。
何が婆さんなどであるものか。歳を重ねど周りが変われど、私にとってお前はいつだってしぃであった。
それをそう呼ばせなかったのは世間の眼差しであり、私自身の羞恥心に他ならなかった。
それら一切を脱ぎ捨てた今、ようやく私は、決して届きはせぬ声でしぃよ、しぃと叫ぶことができるのだ。
嗚呼、しぃよ。最も身近だったお前にさえ、私はどうしようもない頑迷な堅物に映っていただろう。
碌に笑うこともなく、怒る時ばかり饒舌になり、決して愉快ではない気苦労を掛けさせてしまっていたに違いない。
けれどもお前は最期の最期まで付いてきてくれていた。それ以上に何を望もうか。それこそが至福であったのだ。
私が今、どうすることも出来ない廃人になってなお心安らかでいられるのは、
しぃ、お前のおかげであるとしか思いつかない。
249
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 22:20:15 ID:ok723CeU0
(*゚ー゚)『ねえ、あなた』
/ ,' 3『ん……』
(*゚ー゚)『私たち、どちらが先に死んでしまうかしらね』
/ ,' 3『……何を突然、縁起でもないことを』
(*゚ー゚)『男性より女性のほうが長生きするって言いますね。
でしたら私の方が……ああ、でもそれって、とても寂しいことですよ』
/ ,' 3『……』
(*゚ー゚)『イッソのこと、二人で一遍に死んでしまったら幸せかも知れないわ』
250
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 22:24:40 ID:ok723CeU0
要らぬことを考えるなと叱った私の側で、お前は緩やかな笑いを笑っていた。
あれは何時頃のことであったろうか……まだ両方が若かった時分だった筈だ。
あれは……思えば、お前にとって最大限の愛情表現だったのやも知れぬ。
互いに奥手だったことだし、むしろあの頃の我らはそれが常套であると信じて止まなかった。
そういう二人だったからこそ気も合い、会話に乏しくともいつまでもやってこれたのだろう。
お前が最期に私へ遺したのは、弱々しい『いってらっしゃいね、あなた……』というものだったな。
考えてみればおかしな具合だ。逝ってしまったのはお前の方だったのに。
けれどもあの時あの瞬間、お前は間違いなく、私が未だ働いていた頃の習慣を想起していたのだろうな。
そう呟いた表情は、当時私を見送っていた時の顔によく似ていたようにさえ感ぜられる……。
あの瞬間、お前がある種の喜びを感じて私にその言葉を託してくれていたのであれば、それだけでもう十分だ。
しぃよ、お前には生きている間に言いたいことの半分も伝えられはしなかった。
きっとお前だってそうだったのだろう。そういう生き様だったのだ。
想ったことを全て吐き出すような人間性ではなかったな。
長年連れ添った夫婦ではあったが、私はお前のことをいったい幾らほど理解出来ていたのだろう。
もしもそっちで逢うことがあれば、是非とも教えてほしいものだ。
251
:
名も無きAAのようです
:2014/10/06(月) 22:25:40 ID:q6/8rG6c0
しえん
252
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 22:27:17 ID:ok723CeU0
我ら人間というものは実に厄介に出来ているな。
生きゆくためには規範や理性に従わねばならず、そのために曝け出す言葉も選り抜かなければならない。
そのせいで伝えられなかった言葉が、どうしようもない肉体になってから初めて溢れ出してしまうのだ。
こうして独りっきりで惨めに横たわってようやくお前に、そして自分自身に本音を吐けるのだ。
そうでもしなければきっと我らは、何一つ馴染めずに終わってしまっていただろう。
生活と言うのは実に苦心惨憺たるものだ。
その隣に常に居続けてくれたのが、お前であったということに私は本当に感謝しているんだよ。
しぃよ。私はもう、後はそちらへ行くだけだ。
此れまでの人生のように右往左往と迷うことなく、ただ真っ直ぐに、この精神を其方に向かって奔らせる。
その勢いたるや、猪突猛進をも凌駕しよう。
しぃ、どうかその様を見守っていてほしい。
これは私にとって最初で最後の突撃だ。
何を振り返ることもなく、誰の目を気にすることもなく、ただ己の本能とお前に向かう心持ちだけで突き進む。
これこそが私の振る舞いだ。
しぃよ、ようやくもう一度逢える機会がやってきた。
しぃよ、数十年、この現世で共に歩み続けてくれたことだけは、私は絶対に忘失しない。
さあ、もうすぐ、もう一度追いつくからな。
了
253
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/06(月) 22:28:18 ID:ok723CeU0
次は10月8日の夜に投下します。
では。
254
:
名も無きAAのようです
:2014/10/06(月) 22:47:24 ID:2B9cHGZk0
乙!
255
:
名も無きAAのようです
:2014/10/07(火) 10:09:18 ID:qnlLw1rY0
寂しくないのはなんでだろう、読了感が一辺倒でないというか
おつです!
256
:
名も無きAAのようです
:2014/10/07(火) 19:09:50 ID:olmDdg.I0
全部じゃないけど内省内省内省な辺り、いかにもアルバムだな
257
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 21:24:06 ID:cxCxhwjA0
10.ノスタルジック・シュルレアリスム(interlude 3) 20140803KB
とにかく暑くて仕方がなかったので、
コンビニに立ち寄ってペットボトルの飲み物を買うことにした。
どうも最近疲労気味だ。仕事のせいもあろうが、やはり一番の原因は家庭問題だろう。
一昨日、妻の浮気と娘の妊娠が判明して大げんかをしたばかりだ。
まったく、世の中の出来事とは鼻持ちならないことばかり……。
店内の一番奥、種々のペットボトルが冷蔵庫の中に並んでいる。
精力をつけるためにも、私はゴールデンレトリバーのペットボトルを購うことにした。
( ∵)「ハハァ、お疲れですなァ」
レジ打ちの禿げた店員が下卑た笑いを笑った。
( ・∀・)「矢張り疲労回復には大型犬のペットボトルが最も効きますからナ……。
ええ、百五十円ですね」
(´・_ゝ・`)「いっつもはチワワやハムスターのやつを好むんだがねェ、
今日はチョット、不気味な気分なんだよ……。
モシカこれは、俗に言う離脱症状なのかも知れないネ……」
258
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 21:27:12 ID:cxCxhwjA0
( ∵)「なら、ご一緒に栄養ドリンクは如何で……。
丁度、良いのが入ってんです、エェ……・」
店員はそう言って、店の裏から金色のパッケージを持ってきた。
( ∵)「こいつは、三丁目のギコってぇやつのもんで……。
表じゃ土方の堅物を気取ってたんですが、どうにも性欲の強いお方でね。
方々の老婆を姦淫して回っていた碌でなしなんですわ……。
そいつの皮膚やら睾丸やらをふんだんに配合しておるんで、効能は抜群ですよ……。
値段もね、二千円とお手頃ですヨ……」
私は大いに笑って首を振った。
(´・_ゝ・`)「止しておくよ。つい最近も、娘を孕ませたバッカリなんだ……。
これ以上性欲を滾らせたら、間違えて妻なんぞを犯しかねない……」
( ∵)「ヘェ……確かにそいつは一大事ですナ」
(´・_ゝ・`)「……ん、ああいや、そうだった。妻は一昨日に燃えるゴミに出したばっかりだった。アハハ……」
( ∵)「ヒッヒッ……」
259
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 21:30:36 ID:cxCxhwjA0
そうして私は、ゴールデンレトリバーのペットボトルだけを買って店を出た。
そして、乾いた喉にその中身を一気に放り込んだ……。
毛と、耳の襞が絡みついてやや飲みづらかったが、味はなかなかのものだ。
きっと裕福な家庭で育った、血統書付きのうやつに違いない。
そこで携帯が鳴った。娘からだった。
(*゚ー゚)「ネェ、パパ。私の子供ったら、近親相姦のせいかダウン症の者みたいよ」
(´・_ゝ・`)「そうかい。そいつは何よりだ。
きっと立派な、睡眠薬の材料になるんだろうネ……」
(*゚ー゚)「エェ。何でも、帝王切開が一番良いみたい」
(´・_ゝ・`)「そりゃあそうだ、是非そうしてもらいなさい……。
アッ、麻酔を受けてはイケナイよ、質が落ちるからネェ」
(*゚ー゚)「勿論、そのつもり。ああ、帰りにネオンテトラのペットボトルを買ってきて」
(´・_ゝ・`)「お前は熱帯魚のペットボトルが大好きだねェ……分かったとも。買って帰るよ」
(*゚ー゚)「ありがとうパパ、大好き! ……フフフ、ジャアネェ」
(´・_ゝ・`)「うん、シッカリ養生するんだよォ……可愛い娘よォ……」
260
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 21:33:24 ID:cxCxhwjA0
10.葬送 20120378KB
一切が間違っているように思います。
私には今、現実の風景と記憶の中の風景が混ざり合って見えています。
私達の頭が認識できる風景は二つまでです。実際の風景と、頭の中のイメージ……
どちらも主観の中においては一つずつしかなく、容易に区分できるものです。
しかし今となってはどちらが何なのか分からない。
悪夢は、好んで人に見られているわけではないと思うのです。
人がそれを必要とするとき、或いはそれにさえ縋りたくなった時にのみ、
悪夢は私達の頭の中で自らを曝け出すのではないでしょうか。
今まさに、そう思うのです。何故なら私は今、確かに悪夢を求めて、そして望み通りにそれを見ているのですから。
しかし本当は目の前の壁をカリカリと引っ掻いています。悶えているのです。藻掻いているのです。
後書きとは、斯くも辛いものなのでしょうか。
何を言っているのか分からないかも知れません。しかし、これは私のささやかな自虐的反逆なのです。
実際の所私は未だ現在の自分に降りかかっている状況を真実として見定められてはいないのです。
そう、一切が間違っているのです。
狂気よりも静謐を纏った不条理に覆われてなお、
どうして私だけが合理的な言葉を吐く義務を背負わなければならないのでしょうか……。
※ ※ ※
261
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 21:36:16 ID:cxCxhwjA0
母から連絡があったのは昨日の午前でした。
私は親許を離れて大学近くのアパートに下宿しており、
常からの放任主義もあって電話など滅多に掛かってくることがなかったものですから、
受話口の向こうから母の声が聞こえてきた瞬間には些か驚いてしまいました。
社交辞令的な挨拶を交換し合ったあと、母は私にこう言いました。
J( 'ー`)し「今日お通夜で、明日お葬式やから、帰ってきなさい」
赤の他人に話すように一オクターブ跳ね上がった母の言葉に、私は何故か、
いよいよ父が死んでしまったのだという確信を持ったのです。
思い返してみれば、母はその時、具体的な死者の素性を明かしていなかったように思います。
しかし、前回の長期休暇に帰省した際、父は確かに市内の総合病院に入院していました。
病名などを聞いた憶えはなく、その時の父は病室のベッドに横臥しているということ以外は普段と何一つ変わらず、
むしろ血色の良い笑顔を浮かべていたはずです。
それでも、私のせっかちな記憶構造は葬式という言葉に最も身近な死に近しい思い出……
父の姿を結びつけてしまったのでしょう。
とは言え、死者が父であると誤認してしまった上でも、私は大仰な悲嘆に暮れることも無く、
電話越しに首肯していました。今にして思えば何もかもが少しずつおかしかったのです。
262
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 21:39:04 ID:cxCxhwjA0
そもそも父が死んだとしたならば、電話の向こうの母が、どうして私と同じように落ち着いていられたのでしょうか。
あまつさえ、通夜の当日になって私を急に呼び出すという杜撰さも些か引っかかります。
私と父との関係は決して良好ではありませんでしたが、だからといって冷え切ってもいませんでした。
私達は親子としての特有の色味を持ち合わせていたでしょうし、
父の葬式に涙を流すことも難しくはなかったはずです。
だから、私は電話においても、父の死について母ともっと語らってもよかったはずなのです。
そして何よりも異様なのは、仮に父が本当に亡くなったのであれば、
最低でも危篤の段階で私のところに一報が届くであろうという点です。
この点に関しては、確たる疑いとして払拭に至る情状も証左も得られないものでしょう。
しかし、物事はあまりにも滞りなく過ぎました。私達はどちらからともなく電話を切りました。
双方に相手を引き留める意思がなく、事務的な会話に終始しただけでした。
そして私は、至極冷静に出立の準備を始めていたのです。
263
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 21:42:26 ID:cxCxhwjA0
葬儀に参列するのは五年ほど昔に父方の祖父が亡くなった時以来です。
祖父は死の数年前に脳梗塞を起こし、その際に左半身を巧く操ることが出来なくなっていました。
そのせいか末期には精神面にも異常を来しており、最期を迎えた場所は山間にある病院の、
あまりにも分厚い鉄扉に阻まれた隔離病棟の中でした。
元々交流の薄かった生前の祖父に関して私が記憶しているのは、
せいぜいロッキング・チェアに身を預けた半身不随の彼が、
叔母の飼い犬であるポメラニアンを杖で楽しげに殴打していた場面ぐらいです。
その葬儀で、祖母が祖父の死顔を泣きながらもみくちゃに歪ませていたことをよく憶えています。
死んだ祖父は遺影の中の彼自身とはまるで別人物でした。特段窶れていたわけでもなく、
物理的には然程違いのない相貌であったでしょう。
しかしその違和感は……不気味の谷底に落ちたような違和感は、
如何様にしても拭い去れるものではありませんでした。その意味で、私は魂の存在を信じているのかも知れません。
二十一グラムの剥落が印象に大きな変容を及ぼしているとするならば、
そのロマンチシズムは今の私にさえ大きな安堵を催させます。
264
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 21:46:07 ID:cxCxhwjA0
そうやって五年前の感傷を想起したところで、現在にとって最も重要な、
即ち葬儀の仕来りや手順については何一つ思い出せませんでした。
その時点ではまだ亡くなったのが父であると思い込んでいたわけですから、
これまでの葬儀よりも私自身の立ち位置がより重責を担う側に寄るのだと考えました。
しかし、それに関しても応用の利きそうな物種は捉えられませんでした。
とは言え、服装については思い当たる節がありましたから、
私はクローゼットから就職活動のために備えておいた背広を取り、身を包みました。
一層の底冷えに苛まれる近頃、意識的な友人などは既に就職活動に身を入れて取り組んでいるようです。
私もそれなりに動いているつもりではありますが、今のところ大した実感は得られていません。
私は就活を、楽観も悲観もしていません。ただ漫然と受け入れ、それが流れていくのを待つつもりでいました。
私は自分自身を、過大にも過小にも評価していないと思います。
それなりの職業について、中庸かつ凡庸に暮らしていければ幸いでしょう。
私は現在を、人生の転換点という決まり文句で表せるような深刻さでは受容していないようです。
上下を着替え終え、持参する鞄の種類などに頭を捻らせていたところでようやく、
午後に恋人と会う約束をしていたのを思い出しました。
二時頃に駅前のショッピングモールで落ち合い、適当に時間を潰してから夕食後に解散するという既定路線です。
私は慌てて約束の反故と謝罪の旨をメールに認めることにしました。
入力しながら、そう言えば今日の逢瀬が一ヶ月半ぶりであったことに気付いて、
ますます居たたまれなくなったのですが、父の死はその後ろめたさに勝る効力を有していると確信していたので、
謝罪文もそれに沿った幾分おざなりな仕上がりとなってしまいました。
265
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 21:49:09 ID:cxCxhwjA0
恋人は二年前に知り合った他大学の同い年です。
出会いの契機は趣味の合致にあり、今日まで大した綻びも見せず順当に歩んでくることが出来ました。
しかしここのところは互いにゼミでの発表や就職活動で忙しく、
彼女に至っては公務員試験の勉強も並行しなければならないので、
去年のクリスマスを最後に会う機会を逸したままです。
会えない口寂しさはそれ自体心地よい精神の負担を生じさせ、愛情の再認にも役立つのですが、
それもどこかで発散しなければなりません。
その貴重なタイミングを一度でも逃してしまえば内面の予定が狂ってしまいます。
しかしそのような悩みは自由を持て余す学生ならではの発想であり、
人間である以上どうしようもないハプニングなのです。
諸々の整理を終えて家を出たのが正午過ぎでした。
現在の住処から実家までは、電車を乗り継いで二時間程度かかります。
母からの電話に具体的な日時の指定は含まれていなかったものの、
遅くとも四時に到着すれば良いだろうと心得ていたので、私は多少余裕を持って歩を進めることにしました。
266
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 21:52:06 ID:cxCxhwjA0
最寄駅までの道のりで、私はどのような思索をしていたでしょう……。
確か、単位のことを考えていました。大学の定期試験が終わったばかりでしたので、
その出来栄えを経験則と照らし合わせていたように思います。
つまり、その時点での私にとっての関心事は父の死よりも単位であったということです。
無論それは母からの無感情な電話、及び確認の取れた問題ではないという、
いかにも現実離れした状況がそうさせたと判断しても構わないでしょう。
しかし自分自身、父の死が直接悲嘆に繋がるものではないと思っていた気がしてなりません。
先にも述べたように、私と父の関係はこの季節ほどには冷え切っておらず、多少の諍いを抱えながらも、
普遍的な親子関係を体現していました。
当然ながら、父の死を体験するのはこれが初めてです。
ですから、死を耳にした途端に全身の力が抜けきって崩れ落ちてしまうだとか、
裏付けを取るために全力を賭けるだとか、
そういうドラマツルギーに則った行動ができないのも仕方がないといえばその通りです。
それなのに、心の奥底に寒々しい何かがありました。
真実父が亡くなっていたとして、私は果たしてその死顔と対面する場面で落涙に至れたでしょうか。
精神的にも金銭的にも、あらゆる面で支えてきてくれた父に、それに見合うだけの感謝や罪悪を想えたでしょうか。
更に踏み込んでしまえば、そもそもこのような常識的な疑問を持つことさえ、
強迫観念めいた感情の取り繕いにしか感じられなくもあるのです。
267
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 21:55:20 ID:cxCxhwjA0
辿り着いた駅で乗り込んだ列車は、平日の午後としては考えられないほど混み合っていました。
まるで人々が一斉に街を逃げ出ようとしているような有様で、席に着くのは到底不可能、
何とか吊り革を手に入れて立ち竦んだものの、今度は必要最低限の床を確保するにも苦労する始末……。
いわゆる通勤ラッシュにも馴染みのない私は、ただただ人の波に翻弄されるばかりでした。
この混雑の原因を探ろうと頭を巡らせ始めたとき、私は人込みの向こうにK君と思しき人物の顔を発見しました。
ぞんざいに洗われる芋であった私がその顔に相応しい反応を示す前に、
K君らしき人物は人海の中へ埋没し、それきり見えなくなってしまいました。
しかしよくよく思い返せば、こんなところに彼がいるはずもないのです。
268
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 21:58:54 ID:cxCxhwjA0
K君は中学時代の友人であり、その当時私はまだ地元にいました。
彼の父はコンピュータ関係の小さい会社を経営しており、私の家よりも比較的裕福な暮らしをしているようでした。
常から居丈高に振る舞う性格のK君でしたが、それに伴っているらしい慈愛も持ち合わせていました。
中学校からの帰りによくコンビニのジャンクフードを奢ってくれたのを憶えています。
(,,゚Д゚)「お前はしょうがない奴やな」
と言うのが彼の口癖でした。
当時のK君には惚れ込んでいる女優Aがいました。
私たちよりも二歳年上のAが出演する映画の話を、彼は事あるごとにしていました。そして、
(,,゚Д゚)「俺は、中学卒業したらA(彼はその女優を、親しげに名前で呼んでいました)に会うために劇団に入って、
東京に行くんや」
という決意を仄めかしたのです。私には考えられない人生設計でした。
中学を卒業すれば次は高校、その次は大学、そして就職……
それが、私が確信していた常識的で唯一の選択肢だったのです。
そしてそのコースから外れてしまうことを、今でもなお怖れています。
だからその時のK君の雄弁を、私はただ大口を叩いているだけのことだと信じ切っていましたし、
現実には彼も高校に進学して生きていくものだと疑わなかったのです。
269
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 22:02:00 ID:cxCxhwjA0
そのため、高校入学後にK君に再会した際、彼が本当に地元の劇団に入ったと聞かされた時には酷く驚きました。
当時の彼はアルバイトと劇団の二足の草鞋で行動していました。
彼はAに会う夢を捨てておらず、
(,,゚Д゚)「今度、初めて舞台に立つことになってん」
(,,゚Д゚)「バイトしんどいけどな、いっぱい金入るで」
など、輝きを伴った眼で語っていました。
そして私に、昔と同じようにコンビニのジャンクフードを奢ってくれたのです。
当時の私は未だ学生という身分であり、相変わらず試験と学習塾に追われる日々でした。
平凡から逃げ出したい年頃だったこともあって、自らがデザインした人生を順調に歩んでいるK君が、
私には羨ましく見えてなりませんでした。
そしてK君もまた、そんな私であるからこそ威張り続けることが出来ていたのでした。
270
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 22:05:15 ID:cxCxhwjA0
それからしばらく、K君に会う機会はありませんでした。
次に遭遇したのが、前回から一年後ぐらいのことだったと思います。
何かの用事で、普段は行かない駅前のコンビニに入ったとき、そこにK君がいました。客ではなく、店員として。
私は特に何も考えず、K君に気軽な挨拶を向けました。
するとK君は一旦私に視線を寄越したのですが、そのままふいと目を外したのです。
その時の彼の眼を表現するなら……深く死んでいた、とでも言うべきでしょうか。
今でもたまにその眼の色を思い浮かべるのですが、それは仕事に従順な者の眼ではない、
どす黒い嘆きや寂しさに塗れたものなのです。
私はそれ以上K君に近づくことが憚られ、そのまま黙ってコンビニを出ました。
彼の父親が経営する会社が倒産し、そのせいで演劇活動する余裕がなくなったため、
止む無く劇団を退いてアルバイトに専念しているという話を人づてに聞いたのは、それから数か月後のことでした。
271
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 22:08:10 ID:cxCxhwjA0
……そんな、地元の友人であったK君と遠く離れたこの地の電車で乗り合わせるなど考えられないので、
きっと私の見間違いだったのでしょう。もし当の本人だったとしても、彼のほうが私に会いたくないに違いありません。
私はK君を友人だと認識しています。しかし彼は最早そう思ってはいないでしょう。
女優Aや劇団での活動などと同じ、忌むべき歴史として片隅に追いやられているはずです
(余談ですが、活躍のニュースをまるで聞かなかった女優Aは、最近ヌード写真集を出版したそうです)。
しかし、だからと言って私はK君を勝手な男だとは思えません。
少なくとも彼は、烏合の衆から抜きんでるために一度は人生の荒波に立ち向かおうとしたのです。
例えるならそれは、このごった返す電車の中で座席の争奪戦に馳せ参じるようなものであり、
しかも彼は一度、席を獲得しかかったのですから。この点について、私は今でもK君を尊敬出来ますし、
そうすべきだと思っています。私は未だ、争いの加わるための門を叩いてすらいないのです。
これだけ人間だらけの車内でも、座れている人の顔は随分拝みやすいものです。K君の顔も一瞬は見えました。
今やそれは沈んでしまい、あまつさえ二度と浮上してこないかもしれません。
それでも、彼の顔を忘れることはないでしょう。他方、私にはいつまでも顔がありません。
……いずれ、馬鹿馬鹿しい比喩表現です。現状を的確に表現することに、
いったいどれほどの意味があるというのでしょう。そこからの発展など一切望めないというのに。
272
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 22:11:07 ID:cxCxhwjA0
満員電車の滑り込んだ終着駅から別の路線に乗り換えました。
先ほどよりは混雑していないもののやはり座席にはありつけず、私はまた、じっと扉の近くに突っ立っていました。
K君の回顧に頭を使ったせいか、ちょっとした疲労と頭痛が溜まっていました。
それは電車が地元に近づくにつれて次第に増幅し、遂には看過しようのない痛みへ変貌したのです。
そのせいで、私はこの段階でも葬儀のことや父のことに考えを及ばせずにいました。
景色が揺らいで見えてきましたが、眼を閉じるとそのまま崩れ落ちてしまいそうでした。
そのため、何とか地を踏みしめながら虚ろな眼で徐々に空いていく風景を眺めていました。
醜態を晒さぬようにと必死で装う私は、周囲から一層奇異に映ったことでしょう。
衆目を気に掛けているからこその行動を取っているはずの私自身に、衆目を気にする余裕はなかったのです。
目的地に到着したのは三時頃のことだったと思います。しかし時計を確認するという発想はありませんでした。
脳みそが内側から鉄塊に変わっていくかのような重みと痛みに、私は徒歩で実家に赴くことを早々に諦め、
降り立った足でそのままタクシー乗り場に向かいました。
運良く一台だけ停まっていた車に乗り込み、私は、恐らくははっきりと実家の住所を告げました。
タクシーが発車し、頭をシートに預けると、途端に意識が朦朧とし始めました。
熱っぽさはなく、むしろひたすら冷えているようでした。
これまでに感じたことのない痛みと、強制的に活動をシャットダウンさせようとしているかのような微睡み……
振り返ってみると、それはトラウマを心の奥底に閉じ込めておこうとする、
無意識の武力的な抵抗だったのかもしれません。
273
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 22:14:25 ID:cxCxhwjA0
しかしその時の私にそんなことが分かるはずもなく、
ただただ通夜、或いは葬儀の場でだらしない態度を見せてしまうのを怖れて自分を奮い立たせていました。
私の脳みそは休むわけでも活動するわけでもなく、
そのためにより悪い方向へ思考を追いやってしまっていたように思えてなりません。
タクシーを使えば自宅まで二十分とかからないはずでしたが、今となっては定かでありません。
ただ一つ確かなのは、途中で母校の小学校の門前を通り、
そこから通学路を遡る形で家へとひた走っていたことです。
私の地元は大学付近に比べれば幾らか閑散としていますが、
私がまさにその通学路を使って登校していた時に比べれば随分発展したものです。
もう十五年ほども昔になる当時、ベッドタウンであったこの街にはまだ多くの田畑が残されており、
道路も今ほど整備されていませんでした。小学校からの帰り道、辺りにあったのは家と、空き地ぐらい。
側溝に、ニシキヘビが蜷局を巻いたまま死んでいたこともありました。
どこからともなく現れた野良犬に追いかけられ、死に物狂いで逃げたこともありました。
現在の自分の目に映る光景にそういった幼少期の体験を当て嵌めるのは少し難しくなっています。
空き地にはコンビニやドラッグストアが建ち、家々も新築のものに置き換えられました。
変わらないのは小学校に程近かった市営の団地群ぐらいで、昔はなかった、
駅と小学校を結ぶ殆ど一直線の道路も整備されています。
274
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 22:17:10 ID:cxCxhwjA0
そうやって様変わりにしていく街は、しかしどことない地元の匂いを醸し続けているようです。
それは祖父の死顔に直面したときとは真逆の感情であり、
つまり変わり続けていくことに生気が感じ取れるからなのでしょう。
K君はまだこの街に留まっているのでしょうか。街を出た私は、しかし未だ何も変われていません。
勿論、変わることを主観的に認識するのは大変に困難ですが、それにしたって自分の、
のっぺらぼうのような顔面に何かが書き加えられた痕跡が見当たらないのです。
この街に大切なものを置き去ってしまったなどと、形式張った物言いをするつもりはありません。
そして、そもそも自分には何もなかったと自嘲する気もないのです。
万人と同様に私も持っているはずの何かは、不合理なほどに進歩しなかった……
とは言え、この感情だって畢竟陳腐な共通認識に過ぎません。私が覚える倦怠感は、
モラトリアム特有の、そしてモラトリアムにいる誰もが患う麻疹なのだと、その時は結論づけました。
気付けば思考の彷徨に嵌まり込んでしまっているために、頭痛は一向に快復しませんでした。
その痛みは、自覚する度に強くなり、いよいよ頭蓋を突き破りそうでした。
私はバックミラーを気にしながら平静を装っていましたが、いよいよそれも限界に迫っていたようです。
275
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 22:20:17 ID:cxCxhwjA0
一瞬、ふと意識がクリアになりました。
視覚も聴覚も普段の何倍も研ぎ澄まされたかのような感覚で、私は思わず左右を見回しました。
タクシーは通学路の中程を走っていました。右手に、まだ新しい住宅がありました。
小学校時代には無かったものです。
過去、そこに何があったかを、その時点ではまだ思い出せませんでした。
ただはっきり憶えているのは、そこを通過するときに何か奇怪な音……
金属の摩擦音か、赤ん坊のヒステリックな泣き声……が聞こえてきたことです。
体調を鑑みれば幻聴で間違いないでしょう。
ともかく、私はその断続的な音を聴きながら、唐突に小学校時代の回想を始めていました。
276
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 22:23:21 ID:cxCxhwjA0
その頃仲の良かった人の中に、N君という男の子がいました。
いつも緊張しているかのようなハスキーな声で喋り、感情表現がやたらに激しく、
勉強がからきし駄目であったN君は、考えてみると軽度の発達障害を抱えていたのかも知れません。
同級生には、彼をからかい虐めていた連中も多くいました。
彼は虐められる度に癇癪を起こして激怒するのですが、それがまたいじめっ子達に快感を与えていたのです。
実際、N君は力比べをして勝てるほどの体格では無く、
癇癪を起こしてもせいぜい校庭の砂を掴んで撒き散らす程度のパフォーマンスしか出来ませんでした。
それはさぞかし、上等な見世物だったのでしょう。
そんなN君と、私は分け隔てなく付き合い、よく二人で遊んでいました。
誤解の無いように申し添えておきますが、それは何も義勇や同情による行動ではありません。
私をして、今と変わらず隅の方で一人遊びをすることに喜悦を覚える性格であり、
学級内をいじめる側といじめられる側に大別すれば常にいじめられる側に属しているような子供でしたから、
友達選びに悩むような身分ではなかったというだけの話です。
しかしN君にしてみれば私は数少ない友達です。きっと私の話を彼は自分の母親にしたのでしょう。
ある日N君の家に遊びに行ったとき、その母親が大げさなまでに私をもてなしてくれたことを憶えています。
差し出された過剰なまでの感謝に、私は大いに戸惑ったものでした。
そこでは一緒にスーパーファミコンで遊びました。そして帰りにN君の母親は私に、
カルピスの原液が入った瓶を一本、持たせてくれました。持ち帰ったそれを母に見せたとき、
彼女は些か怒っていたようでした。
早速N君の家に電話をかけ、数分間お辞儀を繰り返しながら会話の後にお咎め無しとなった私は、
その代わりにこれからもN君と仲良くすることを母と約束したはずです。
それからは、N君の家と、家族ぐるみでの付き合いが始まりました。
277
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 22:26:15 ID:cxCxhwjA0
しかし、その日々はさほど長く続きませんでした。N君の母親が急逝したのです。
原因については詳しくは教えられませんでしたが、当時彼女はN君の弟を妊娠していたらしく、
その出産に際して何らかの問題が生じてしまったらしいのです。
赤ん坊は無事生まれたのですが、母親は命を保ちきれなかったのだと、後に聞かされました。
その知らせは学校の連絡網を通じて伝わりました。……そう、今思い出しました。
確かその時、私はN君の母親の葬儀に参列したのです。それが私にとって初めての葬儀体験でした。
今や正確なことは何も憶えていません。
唯一印象的だったのは、親族席に座っていたN君が、普段のような感情的振る舞いを見せずに、
うっすらと涙を浮べてじっと座っていたことです。
それから、N君とは次第に疎遠になっていきました。
学年が変わってクラス替えがあり、N君と離れてからは言葉を交わす機会すら殆どなくなってしまったのです。
そしていつからか、学校でN君の姿を全く見なくなってしまいました。
最後に見たN君は、相変わらずいじめっ子相手に癇癪を起こして喚き散らしていました。
私はそれを遠くから見ていました。それきりでした。今N君がどこで何をしているのか、知る由もありません。
……苛烈な頭痛に襲われているその瞬間に、何故N君のことを思い出したのでしょう。
278
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 22:29:09 ID:cxCxhwjA0
それまで記憶の片隅にも滞留していなかったはずのN君はおもむろに意識内へと染み出してきて、
私の頭を一度だけかき回しました。それが一体どうしてなのか……
考えているうちに鋭敏だった感覚はなりを潜め、再び耐えがたい頭痛が響いてきました。
そう、私はある場所に思いを馳せていたのです。その場所には今新しい戸建の住宅が建っていて……
過去、その場所は……母親の葬儀の直後、N君と話す機会があった際、
私は母親の死に関して随分と不躾な質問をしたはずです。その全てに対して、N君はこう答えました。
(●●●)「分からん、何も分からんねん」
……彼女からメールの返信が無い、という気づきが不意に混ざり込みました。
そして私は、しばし意識を失ったらしいのです。
私はその間死んでいたようでした。次に目覚めたとき、私には覚醒の感覚がありませんでした。
私にとって、断絶した時間は瞬き程度のものにしか感じられなかったのです。
にも関わらず、窓外は既に暗くなっていました。携帯を見ると、間もなく六時といった頃合いでした。
しかし、そんなことは有り得ないのです。何故なら、私は三時前後にタクシーへ乗り込んだはずで、
実家までどれだけ遠回りしても一時間と掛かりません。メーターを見ても想定の範囲内に留まっていますから、
私が意識不明になったのをいいことに運転手が無茶な針路を取ったとも考えられません。
あまりにも不条理なハプニングでした。
しかし、私はそれ自体をさほど問題視していませんでした。
むしろ、予定より遙かに遅れてしまったことで、
通夜に遅刻してしまうことに対する恐怖が汗となって全身に噴き出したのです。
不義理なことに、その時初めて、
私はこの通夜が父を弔う儀式であると言うことを切迫した現実として認識したのです。
279
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 22:32:12 ID:cxCxhwjA0
身を乗り出して運転手に何か言おうとしましたが、
走っている道が実家付近であることに気付いて思い留まりました。
そしてタクシーが実家前に横付けされるや否や、車外へ飛び出し玄関へと走りました。
扉を開けた(鍵が掛かっていたかどうかは記憶していません)直後に、家の中が無人であることを理解しました。
皆、もう斎場へ向かっているのでしょう。すぐさま駆けつけようと踵を返しかけたところで、
私は今宵の真なる目的地が何処であるか把握していないという事実に直面したのです。
身体が自分を抱え込むような姿勢で脱力しました。
三和土に膝をついて、しゃくり上げるような激しい呼吸を繰り返しました。
頭痛は概ね治まっていましたが疲労の方は去っていなかったようなのです。
満身創痍の脳髄は直近の問題処理を拒否していました。私は頭を上げて漫然と辺りを見渡しました。
宵闇の中でぼうっと佇む靴箱、観葉植物、トイレへの扉……何れも記憶に合致する代物です。
いや、もしかしたら記憶の方が目の前の事物に媚を売っていたのか……。
280
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 22:35:31 ID:cxCxhwjA0
私がいなくなったこの一軒家には、父と母、父方の祖母の三人が生活しています。
母方の祖父母もこの近くに住んでおり、私だけが領域外に飛び出したというような案配です。
父方の祖母は祖父が亡くなるまではここより遙か遠くの辺境にある、
ささやかながらも鯉の泳ぐ池があるような割合に良い家で暮らしていたのですが、
祖父が亡くなり、住居を管理するのも容易でなくなったためその家を引き払い、数年前にこの家に移り住みました。
母と諍いを起こすような場面もなく、関係は極めて良好でした。
昼下がりに二人揃って再放送の刑事ドラマを観ることが日々の楽しみであったようです。
私の部屋は二階にありました。
今もまだ、私の残していった漫画本や古いゲーム機がそのまま放置されていることでしょう。
部屋は私が一人で使うには十分な広さで、昔はよく友人たちを招いて遊んでいたものです。
……よく考えてみれば、部屋は些か広すぎたようにも思えます。
少年であるが故の身体事情のせいなのか、過去に誇大妄想を塗布しているのか……
つまり、子ども二人でも優に使えるほどのスペースだったのです。
281
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 22:38:14 ID:cxCxhwjA0
その時、私は絶叫していました。
叫んだ瞬間の記憶は無く、刹那の後に自分の叫び声に吃驚していました。
それは何に対しての叫びだったのでしょう……。
例えば、思い出したくもない忌々しい過去が奥底から次々に競り上がってくるとき、
思わず声を上げて拒絶したくなります。自作の拙い漫画や、詩歌のことなど……
しかしその時、私は何一つ思い出していなかったのです。それはまったく、虚無から発せられた叫びでした。
ただ、それは私にとって別に珍しいことではありません。
時々、身に迫る巨大な不幸の予兆に対してどうしようもなく緊迫した気持ちになることがあります。
その時も、過去が噴出する時と同様の叫喚を口にしたくなるのですが、よく考えると何のことはない、
その不幸には実態も、そもそも予兆さえ実在していなかったのです。
何かに対して怖ろしい、怖ろしい、逃げたい、いっそ消えてしまいたいと考える感情は、
実のところ一切が妄想であったりするのです。
だから今回もその類だと考えていました。でも、もしそれが何らかの意味を持つ叫びだったとすればどうでしょう。
今になってはその仮定にも若干ながら説得力を持たせることができます。
そう、例えばK君のこと……役者の夢を絶たれたK君に、心のどこかで優越感を抱いている、
馬鹿にしていること……。或いはN君のこと……発達障害を抱えているかのようなN君と縁を切って以降、
私自身が虐められることは殆どなくなりました。私自身、N君の同類であると見做されなくなったためでしょう。
そのため、N君と疎遠になれた結果に諸手をあげて喜んでいること……。
そういった過去の罪悪感に対して、私は人知れず叫んでいたのかもしれません。
しかし昨日、その場で叫び声がもたらした効果は、私に現状を認識させることでした。
揺らいでいた思考回路が観測を経た量子のように固定化し、次の一手を要求してきました。
282
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 22:41:20 ID:cxCxhwjA0
私は立ち上がり、ともかく母の携帯に連絡を入れてみようと思い立ったのです、
しかしもし既に通夜が始まっているとすれば、電話をしても迷惑なだけだと考え直し、
やはりどうしようもなくなって佇んでしまいました。
それもきっと、都合よく他人に理由を求めた逃避行動に過ぎなかったのです。
闇の中でどれだけかの時間が経ちました。
その無為な時間、私は初めて父について本格的に考え始めていました。
とはいえ、父に関して目立った思い出はありません。
幼少期から父は単身赴任で遠い地へ赴いており、顔を合わせる時が殆どなかったのです。
まだ赤ん坊であった私は、覗き込んできた父を見て泣き叫んだのだそうです。
時には映画館に連れて行ってもらったりもしたのですが、そんな時も私はどこか他人行儀であったように思います。
最近では出張も少なくなり、大体は実家にいるらしいのですが、今度は私のほうがいなくなってしまいました。
そんな父が亡くなるということがどういうことなのか……。
考えが袋小路に陥ってしまったとき、不意に背後の扉がガタリと開きました。
私は驚愕のあまり反射的に身体を前屈みに丸めました。
腹部に引き攣った痛みを覚えながら振り返ると、そこに母が立っていました。
母のほうはまるで驚いておらず、無様な格好の私を緘黙の如き表情で見詰めていました。
その時に感じた恐怖に似た心持ち……
まるで、私の見ていない時の母がプログラムとして動作しているのではないかという疑い……
上手く説明できる自信がありません。
ただ、私はその人物が母親であると認識してなお、暴漢と対峙するような警戒心を解けずにいたのです。
しかし母は、数度の瞬きの後にはいつもの母に戻っていました。
283
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 22:44:10 ID:cxCxhwjA0
J( 'ー`)し「ああ、帰ってたんやね」
と彼女は言い、私が応じる前に
J( 'ー`)し「はよ行こ、もうすぐ始まるんやから」
と促してきました。
そして、連れられるままに私は家を出て、母が呼んだらしい、さっきとは別のタクシーに乗り込みました。
(???)「もうみんな、行ってるん」
と私は尋ねました。もっと別に訊くべきことがあったでしょう。しかしその時は最良の質問だと思ったのです。
母は黙って頷きました。
(???)「何で母さんだけ戻ってきたん」
と続けると、
J( 'ー`)し「鍵閉めたか、不安になって」
と返ってきました。
(???)「それだけ」
J( 'ー`)し「そやよ」
母がそんなに用心深い性格だった覚えがないものですから、少々不審がったのですが、
母がそういう以上それを否定する必要もありません。
284
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 22:47:13 ID:cxCxhwjA0
車は順調に夜を滑っていきます。昔はなかった道路から国道に入り、駅とは逆の方向へ進んでいきます。
流れていく灯りをぼんやりと眺めていると、今度は母のほうから話しかけてきました。
J( 'ー`)し「あんた、大学はどうなん」
(???)「別に、何も変わりあれへんけど」
J( 'ー`)し「試験は」
(???)「もう終わったよ」
J( 'ー`)し「ほな、帰ってきたらええのに」
(???)「色々あるんや、サークルのこととか……それに、就活もせなあかんし」
就活、という言葉に母はやや大仰にも見える反応を示しました。
昨今のニュースで散々騒がれているため仕方ないことかもしれませんが、
それにしたってあまりにも深い溜息を吐いたのです。
J( 'ー`)し「そうか、就活な」
母は言いました。
J( 'ー`)し「ああ、ああ。あんたももう社会人なんやね」
言葉を探しながら、思考を垂れ流しているような具合。
285
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 22:50:14 ID:cxCxhwjA0
J( 'ー`)し「ふん、ふん。そうやな、もうそんなんも考えていかなあかんもんな」
私はちょっと笑って
(???)「何が言いたいんな」
と言いました。
(???)「心配してるんやったら、大丈夫やで。たぶんな」
母は不安のような色に染まった声で更に続けました。
J( 'ー`)し「せやな……あんた、今まで殆ど親に心配かけたことなかったもんな」
(???)「そんなことないよ」
J( 'ー`)し「そやよ、浪人もせんかったし、成績も、まあええ方やった。一人暮らしも、ちゃんとやってるみたいやしな」
そこでちょっと区切りを入れてから、母は白い息と共に呟きました。
J( 'ー`)し「ほんま、阿呆な親から生まれたとは考えられへんわ」
母とは……絶対的な肯定者なのかもしれません。
確かに、私は周りが敷設したレールから外れたことは殆どありませんでした。
しかしそのことが今や、自分に罪悪感をももたらしているのです。
周囲が見るほど、私は中身を伴った人物ではありません。
それなのに頂ける賞賛が、どうにも哀しく感じられます。人間とはいずれそのようなものなのでしょう。
それに対する私の飽き足らなさは、所詮幼い自意識過剰によるものなのです。
286
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 22:54:34 ID:cxCxhwjA0
……と、ここまでは私も普段通り、自己保身じみたペシミズムで母の言葉を聞いていられました。
疑わしさを覚えたのはここからです。母はふと、
J( 'ー`)し「あんた、昔のこと憶えてるか」
と言いました。
(???)「昔って、どれぐらい」
J( 'ー`)し「小学校の、三年生ぐらいかな」
(???)「あんまり憶えてないけど、どうして」
幾らかの沈黙があって、母は答えました。
J( 'ー`)し「N君っておったやろ」
私は驚きを隠せずにいました。
他人の口から再度N君の言葉が出てくるなどという事態を想定していなかったのです。
(???)「憶えてる、憶えてるよ……N君が、どうしたん」
J( 'ー`)し「亡くなったんやって」
287
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 22:57:13 ID:cxCxhwjA0
私は思わず眉を顰めました。それは父の訃報を確信した時よりも遥かに現実離れした感覚で、
私はただ餌を待つ鯉のような面持ちで母親の次の言葉を待ちました。その間、何も考えられずにいたのです。
J( 'ー`)し「交通事故に遭ったみたいでな、近所の人に聞いたんやけど……。
何かの拍子に車道へ飛び出したところを、トラックに轢かれたんやて」
(???)「……そうなんや」
J( 'ー`)し「一応事故、言うことになってるけど、もしかしたら自殺かもしれへんねんて」
その時、私は妙な解放感を覚えたのです。
それはこれ以上N君に関して考える意味を失った故のものだったのでしょう。
しかし、通夜に向かうタクシーの中で何故母がその話を持ち出したのか、理解に苦しむところです。
母の語り口は終いになったらしく、私の反応が待たれていました。
適切な言葉も見つからないまま、私は
(???)「そう」
と頷きました。
(???)「そうなんや……まだ若いのにな」
288
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 23:00:14 ID:cxCxhwjA0
すると母は言いました。
J( 'ー`)し「そやよ、あんたより一つ年下やのに」
(???)「ええ、違うよ。同い年や」
私が否定すると、母は声高に反論するのではなく、むしろきょとんとした顔つきで声を潜めました。
J( 'ー`)し「何言うてんの、あんた。N君は、あんたより後に生まれた子やないの」
しかし私の方も常識に自信がありましたので、笑い飛ばす形で
(???)「違うよ、同い年やよ。ほんま、ボケてるんとちゃうの」
と言いました。その時の母の表情はうかがい知れません。
丁度街灯のない道に入って、母の顔はポッカリと空いた黒い穴のように見えました。
やがて穴の中から「そうか」という声が聞こえました。
J( 'ー`)し「そうか、そやったな。確かに、同い年や」
289
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 23:03:36 ID:cxCxhwjA0
その時には気にならなかったのですが、その声色には気圧されたために仕方なく、
といった色合いが含まれていたのかもしれません。でもその時は
(???)「そうやて、そうやないと、友達になることもあらへんかったやろうし」
と勝利宣言のような言葉を吐いたのでした。
車は十数分で目的地に着きました。
そこは極めて典型的な葬儀場であるらしく、喪服に身を包んだ何人かが足繁く出入りしていました。
私は母に数珠を受け取り、タクシーを下りるとやや急ぎ足で中に入りました。
J( 'ー`)し「こっちやから」
という母の案内に従い、ロビーを横切って真っ直ぐ進み、やがて見えたホールに入りました。
入り口に受付として立っていたのは中年の男性で、見覚えがあるような気もしましたが、
誰なのかまでは思い出せませんでした。
その人がこちらに向かい、微笑んでお辞儀をしたので、私も慌てて頭を下げました。
290
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 23:07:52 ID:cxCxhwjA0
ホールはさほど大きくなく、既に二、三十人程が着席していました。
どこに座ればいいのかも分からず、いつの間にかいなくなっていた母の姿を探し求めました。
すると祭壇のすぐ近く……恐らくは親族席と呼ばれる場所に、父が座っていたのです。
ああ、父がいる、と思いました。
それからようやく驚きました。例えでは無く、風景がぐにゃりと歪んだような気がしました。
その時の衝撃は、常識の崩壊と言っても差し支えないでしょう。
父は沈痛な面持ち、つまりは通夜に参列する遺族として当然の表情でパイプ椅子に座っていました。
医者に糖尿病を指摘された肥満体も白髪の交じり具合も、父以外の何者でもありませんでした。
しかしその問題に理論的な説明をつける前に、更なる衝撃が私を襲ったのです。
父の存在に落ち着きを失った私の眼は滑稽なほどに泳ぎました。彷徨った視線は一瞬祭壇に固定されました。
種々の、名前も分からぬ花々と焼香用具、そして一番高い場所に遺影のための額縁がありました。
遺影に写っているのは誰でもありませんでした。
無論、N君でもありません。それどころか、それはまったくの白紙だったのです。
291
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 23:10:43 ID:cxCxhwjA0
私はただただ呆然と佇みました(それが正常な反応のはずです)。
何かの手違いかとも思いましたが、こんなにも分かりやすいミスを放置しておくわけがありません。
事実として、そこにあるのは空白の遺影で在り、写っているべき故人が存在していなかったのです。
……いっそ、その時私は大声で糾弾すべきだったのでしょう。
そうすればそこで不条理の鎖が断ち切られたのかも知れません。それに近いことをしようとはしました。
先ほど存在を確認したばかりの父に、この、あってはならない間違いを報告しようとしたのです。
しかし私が親族席に足を向けようとした直後に葬儀場の職員らしい司会者が通夜の始まりを告げました。
たったそれだけで私の正義感は挫けました。
私は慌てて着席しようとし、出来るだけ目立たぬよう右側の最後列に腰を下ろしました。
そして独り、心の中で呟き続けたのです。おかしい、何かがおかしいと。
それを告発するわけでもなく、ただただ自分の内部で処理しようと必死だったのです。
もしかしたら、そうやって自身の内側に溜め込んでいったのが良くなかったのかも知れません。
僧侶が入場し、読経が始まりました。
その場にいる全員が、何の疑問も持たずに現状を受け入れているようでした。
そんな周囲に何とか溶け込もうとし、まるでそれを疑いの捌け口にするかのように数珠を強く握りしめました。
何度見直しても遺影は空白のままでした。
祭壇の前にはシンプルな棺が置かれていましたが、もしそこに何かが納められているとして、
その存在とは何者だったのでしょう。私以外の参列者達は、一体何者の死を弔っていたのでしょうか。
292
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 23:13:22 ID:cxCxhwjA0
やがて司会者の指示で焼香が始まりました。
先ず父が席を立ったため、今回の葬儀の喪主が父であると言うことが分かりました。
そのため、父方の祖母が亡くなった可能性を探ったのですが、よく見渡せば最前列に祖母は座っていました。
このときようやく、自分が座っているのが親族側の席だと悟って安堵したのですが、
そのような落ち着きは些少なものに過ぎません。
私の親戚であるらしい人々が次々と立って焼香を済ませていきます。
その顔を順々に見比べてみても、一体誰が誰なのかまるで分かりませんでした。
そもそも私の家族は親戚付き合いの薄い方であり、母方には親族自体が殆どおらず父方の親族には、
母曰く父が不精者であるがために数年に一度の年末年始に、帰郷するぐらいの交わりでした。
そのため、今目の前にいる親族は恐らく父方の誰かなのでしょうが、一人として認識できないのです。
それがどうにも恥ずかしく感じられ、私はじっと俯くことにしました。
それでもその内私も焼香しなければなりません。前列の人が席を立ち始めたのを見計らい、私は顔を上げました。
ちょうど、私と同い年ぐらいの若い男性が手を合わせているところでした。
彼は幾分長めに拝んでから振り返り、こちらへ戻ってきました。
中肉中背のその男性は、私を見つけると足を止めました。そして、少し首を傾げてこちらを見つめてきたのです。
喜怒哀楽のいずれにも彩られていない、木乃伊のような表情。
特徴的な三白眼には憶えがあるような気もしましたが、やはり思い出せませんでした。
時間にすれば数秒にも満たなかったでしょう、男性は頻りに首を捻らせながら席に戻りました。
293
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 23:16:37 ID:cxCxhwjA0
私が立ち上がると同時、左側の……友人、知人が座ると思しき席の先頭にいた男性も立ち上がったので、
私は小走りをしながら「すいません」と小さく言い、その人の前に割り込みました。
儀礼的に焼香を上げ、合掌……しかし、一体何を想えば良かったのでしょう。
目の前の死者は見ず知らずの他人であるどころか、そもそも存在すら怪しい者だったのです。
そう言えば、司会者でさえ故人の名前を一度として口にしていませんでした。
踵を返す際、ちらと父を見ると、彼はすっと私から視線を外しました。
それまでずっと、私を眺めていたようなのです。その態度は癪に障ると言うよりも甚だ不気味でした。
一体父が何を考えていたのか、いや、参列者全員が何を考えていたのか……。
その後も滞りなく焼香が進み、それが済むとやがて読経も終わりました。
司会者が前に立ち、弔問客への感謝の言葉を述べていました。
そしてその後、喪主である父から挨拶があるというような旨を口にしたのです。
私はここで何らかの情報が得られるのを期待しました。父はきっと故人に対する思いを述べるでしょうし、
その際亡くなった人が誰であるか、そして何故遺影が空白であるのかなどを解明できるはずでした。
そしてそこで一切が解決されてしまえば、
最早私は少しの疎外感も抱かずにこの葬儀に加わることが出来たのです。
しかし、父は私の望みを当たり前のようにして裏切りました。
記憶している限り、父の挨拶は司会者が行ったような弔問客への感謝に終始し、
この後に通夜振る舞いがあるので参列者の皆様はそちらの方にもご参加下さい、というような案内をしただけでした。
294
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 23:19:33 ID:cxCxhwjA0
そして通夜は終了しました。何一つ疑問が解消されないまま、
しかしそれらを疑問に感じていたのは自分だけだったのでしょう、参列者は次々にホールを退出していきました。
流石に我慢の限界だった私は、司会者の男性と何か話し込んでいる父の傍に寄りました。
隣に立って見ても、父は父のままでした。父は死者でなく、生者なのでした。
そんな当たり前の事でさえ、その時十分に理解出来ていた気がしません。
話を終えて振り向いた父は、私の姿に少々面食らっていたようです。
そして父の癖である、好意とも嫌悪とも取れない苦笑を浮べました。
しかしそんな父の反応を気にしている暇は無く、私は「ねえ、父さん」と、祭壇と父を見比べながら言葉を探しました。
そしてようやくまとまりのついたところで、父に
( ´∀`)「お前、そのネクタイどないしたんや」
と言われてしまったのです。
295
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 23:22:13 ID:cxCxhwjA0
その時初めて私は、自分の締めているネクタイが葬儀の席には相応しくない色味を帯びていることに気付きました。
就活用に買いそろえたものですから当然の話です。
それでも、他人に指摘されると必要以上に屈辱的であるように感じました。
私が黙り込むと父は皮肉っぽく笑い、
( ´∀`)「しっかりせえよ、お前ももうすぐ社会人やねんから」
と言いました。完全に出鼻を挫かれた私が小さく頷くと、
父は近くに待機していた参列者と話すためにさっさと離れていきました。
手持ち無沙汰になった私は再び遺影を見遣りました。
相変わらずの空白……しかしこの時、私はある程度合理的な理由をもって説明してみようと試みていました。
即ち、故人が自分の写真を一枚も所持していなかった可能性が考えられたのです。
そんなことが実際にあり得るのかどうかはともかく、またそんな状態で額縁だけを飾る不自然さも関係なしに、
私にとってはそれが説明できる事態であると判ぜられたのが大きな救いでした。
その説明を誰かにするわけでもありませんから合理性など二の次で構わず、
自らのざわついた心境に平静を取り戻すことが最優先だったのです。
そして一旦そう考えてしまえば全てに納得出来た気分になれました。
その時、私は祭壇前の棺には当然、
一度も写真を撮らなかった同情すべき誰かしらの遺体が納められていると信じて疑わなかったのです。
296
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 23:25:09 ID:cxCxhwjA0
真相を手に入れた思いの私は躁病的な気分を味わいながら、
ホールを出て通夜振る舞いが行われるという和室に向かいました。
そこにはすでに十数人が集まっており、それぞれがやがやと世間話に花を咲かせていました。
ホールでの粛々とした雰囲気からは打って変わって賑々しい空気です。
それだけで私は何だか嬉しくなれたのですが、
その場には私の知り合いが一人もいないことに気付いてほんの少し落ち込みました。
しかしその落胆も、テーブルに並べられた簡素な食事を見て今朝から何も食べていない空腹を思い出すと、
すっかり雲散霧消したのです。
そこかしこの会話の邪魔にならぬよう、私は出来るだけ隅に座りました。
何人かが私に視線を向けましたが、大して気にされずそれぞれの話題に戻っていきました。
やがて父が入ってきて、改めて感謝の言葉と歓談の合図が出ると、
ようやく私は目の前の食事にありつけたのでした。
この時が、直近の最も幸福な時間であったことは紛れもない事実です。
喧噪から乖離した独りの空間でひたすらに食欲を満たすことが、
これほどまでに愉悦であるとは思っていませんでした。
私自身、精神的に昂揚していたせいもあるのでしょう、
何を食べても美味いと思える体験はもう二度と訪れないはずです。
297
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 23:28:14 ID:cxCxhwjA0
しかし、私の喜びは潰されて然るべきであるようなのです。
そうやって食べ進め、充足感に浸っているとき、不意に真横で気配を感じました。
何の気なしに首を向けると、件の三白眼の男がこちらをじっと見ていたのです。
私はぎょっとして手を止めました。
周りの賑わいがぼやけて遠のき、その男だけが妙に浮き出てくっきりと見えました。
男はしばらく、相変わらず恍けたような双眸で私と相対していました。
ただそうしているだけで、噎せ返るような息苦しさを覚え私は我慢できずに自ら話しかけることにしました。
まず「何」と言い、そこで内臓から込み上げてきた塊のようなものを嚥下させて、
「僕に何か用ですか」と独りごちるように言ったのです。
すると男は言いました。
( ∵)「分からん」
首を傾げ、だらしない口元、声変わりに失敗したかのようなノイズじみた声……。
( ∵)「何も分からんねん」
それを聞いて私が漏らした吐息は、まるで刑の宣告を受けた囚人のようでした。
しかし合致する鍵を見つけた記憶の引き出しを完全に開ききる前に、
男は矢継ぎ早に奇妙な台詞を送り込んできました。
298
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 23:31:20 ID:cxCxhwjA0
( ∵)「久しぶりやな……ロックマン、またしよな。そやけど、ごめんな。もう僕ら友達やないよな。
あんなことして……あのな、確かに僕、あの時は頭がおかしかってん。
始終色んなところが痒かって……昔おったやろ、ありんこ。あれ、よう二人で虫眼鏡使て焼き殺してたよな。
動かへんように、手足をもいでからな……。
多分な、あの時殺したアリが幽霊なって頭の中這い回ってたんと思うんや。
弟には悪いことしたなあ、けど、あの時君も止めへんかったやろ。
そやから僕、苦しがってるのに遠慮もせず……でも、違う。僕は君に責任を押しつけに来たわけやない。
けどな、しんどうて……分からん、何も分からんねん。
今日また会えて嬉しいよ。もうでも、会うことも無いんやろうな……」
ガタン、と激しい衝突音が頭の中で響きました。記憶の引き出しを無理矢理押し戻した音です。
目の前の男が苦しげに告白する過去を、そして男そのものを受容するにはあらゆるものが足りていませんでした。
正直なところ、その時点で私は彼を狂人だと断じていたのです。話している間も男は無表情のままでした。
そして語り終えると立ち上がり、そそくさと部屋を出て行ってしまったのです。
299
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 23:34:06 ID:cxCxhwjA0
私には追いかける気力もなく、ただ呆けていました。
男の声は幾度も頭蓋の壁にぶつかって反響していましたが、いくら経っても全く飲み込めませんでした。
引き出しがカタカタと震えているのを押さえながら、私は思考を空白にする作業に追われていました。
それは逼迫した自己承認のようなもので、
つまり男の言葉を全て妄言として片付けるための消極的手段だったのです。
眼球が自ずから動き、その視界に母の姿を捉えました。母はいつの間にか私の傍に正座していたのです。
私は皮肉っぽい笑いを浮べながらその表情に視線を固定しました。
言うまでもなく、私は母が加勢してくれるものだと信じていました。
だから最初、母の沈痛の極みに至ったような面持ちに気付かなくても仕方なかったはずです。
J( 'ー`)し「気にせんでええんやからね」
噛みしめるように、自分に言い聞かせるようにして母は言ったのです。
J( 'ー`)し「気にせんでええんよ、あんたは、何も悪くないんやから」
しかしそれは、私の私自身に対する疑いをより加速させました。
300
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 23:37:18 ID:cxCxhwjA0
信頼とは、相互的に結ばれるものです。
それを得るには勿論相手の振る舞いに真実味や説得力があらねばならないのですが、それともう一つ、
信頼の糸の片方を握る自分自身にも真実性が求められるのではないでしょうか。
そして自身の真実性というものは、殊の外容易に崩落するものであるらしいのです。
例えば相手側が予想外に巨大な存在であったとき、
或いは自分の存在があまりにも矮小であると認識させられたときに、
自らを律している常識や習慣は途端にその実態を失います。
そしてそれは、結果的に信頼関係の瓦解を生み出してしまうのです。
私自身の真実味は、その両方によって形をなくしました。
男の語った台詞は決して彼一人の説得力を構築しているわけではなく、それを凌駕する存在……
現実、というような抽象的な観念の足場にさえ影響を及ぼしているのです。
そしてそれと相対する私は、
何者にも擁護されないただただ脆弱な小動物的常識を持ち合わせているだけに過ぎませんでした。
そうすると、先ほどとは真逆の心情変化が起こります。
私は状況を合理化して認識しようとするのではなく、むしろ率先して事態を不合理的に理解しようとしました。
三白眼の男がN君であるという可能性……しかしN君は母の言に因れば既に亡くなっています。
そして彼が示唆した私の「弟」という存在。私は今日まで一人っ子であると確信して生きてきました。
しかし不合理的に解釈すれば、私には弟がいたということになります。
あまつさえ、その弟はN君によって何らかの暴虐を受けたらしいのです。
301
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 23:40:11 ID:cxCxhwjA0
躁から鬱への揺り戻しが思いの外早く訪れていたのかも知れません。
その時の私は今でさえ考えられないほど気が滅入っていました。
その証拠に、私は顔を上げてその場に弟がいないか探し求めたのです。
当然、それらしき人物は見当たりませんでした。
しかし私の思考はどうしようもなく不合理化していたわけで、
ですから現在の私がこんな事になってしまっているんですけれども、
ともかく信頼を築いてきた現実の失踪がこれほど悲壮であるとは思いませんでした。
何せ、私の周りには現実以外何もなかったのですから。
そしてそれに依拠していた私自身の真実味も、次第にネガティヴな妄想に上書きされて影を潜めていったのです。
虚妄は時として事実さえ殺してしまいます。
私が私以外の何者でもない以上、即ち私が自分自身の精神と共に歩んでいる限り、
それはどうしようもない運命なのです。
あれほど旺盛だった食欲は一片も残らず喪失し、食べ物を見ることにすら生理的嫌悪を催しました。
気付けば、私の傍に居たはずの母がいなくなっていました。
そう言えば、母は通夜の間どこにいたのでしょうか。父の傍にも、弔問客の中にも居なかったはずです。
考えるよりも先に嘔吐の衝動が全身に染み渡りました。
周りが自分に注目していないか確認するために眼だけキョトキョトと動かしながら立ち上がりトイレに向かいました。
そして便器に跪いて上半身を蠕動させても、出てくるのは恨み言のような呻きと唾液ばかり。
どうやら吐瀉物など存在しないらしく、吐き気のみが私の臓腑を蹂躙しているようでした。
全部吐いてしまい、楽になることも私には許されないらしいのです。
302
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 23:43:26 ID:cxCxhwjA0
和室に戻ると、世話役を担っているらしい男性が解散の言葉を述べていました。
私は気取られぬよう後ろ側からこっそりと入り、男の姿を探しましたが、彼はもうどこにもいませんでした。
私は縮こまって座り込み、N君が三白眼であったかを思い出そうとしました。
ですが脳裏に浮かぶ幼いN君は曖昧な絵の具で彩られており、細部までは見分けきれません。
結局彼をN君と同定する証拠は「分からん、何も分からんねん」という台詞ただそれだけなのでした。
しかしそれでも、彼がN君であるという確信は最早如何様にも揺るがぬものになっていました。
そう思い込まねば、今度こそ一切の現実が知れなくなってしまうような気がしたのです。
私の心情は幼児のそれに近く、構われたくて必死に相手に迎合しようと努めていたのでした。
他方で記憶の風景は過去に遡上し、N君との思い出をパノラマ式に映し出そうとしていました。
まだ私が室内でのみ遊び続ける才覚を両親に与えられていなかった頃、
N君を含めた陰気な友人達と見よう見まねで外遊びに興じることがよくありました。
大抵は日なたにいるようなクラスメイトの遊びを適当に複製して遊ぶのですが、
中でも一番夢中になったのが小学校の校内全体を使った鬼ごっこでした。
303
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 23:46:08 ID:cxCxhwjA0
私達の通っていた小学校には校舎が二つあり、
松の並木や雑木林など自然も充実していましたから隠れる場所は山ほどありました。
振り返ってみると異常であると思えるほどに、私達は一時期大いに熱中しました。
その遊びはある時を境に唐突に途絶えました。
それが一体何故だったか……きっと、誰からともなく飽きたのでしょう。しかし他の可能性があるとすれば……。
一度だけ、誰かがルールを破って校外に逃げたことがありました。それにどうやって気付いたのか分かりません。
もしかしたら私自身も規則破りの一員だったのでしょうか。
ともかくそうして、昼休みの最中に、興奮した子ども達は校門を乗り越えて解放されたのです。
それだけで、隠れ場所の選択肢は無限に広がりました。
しかしながらあまりにも小学校から離れるのは怖かったので、
せいぜい近辺をほっつき歩いていた程度だったはずです。
確か私は、自分の通学路をうろうろしていたように思います。
普段利用する道なら安全であると信じ込んでいたからでしょう。
その道には昼頃、タクシーで通りかかりました。
様変わりした風景……今ほど背丈も知識もなかった当時の自分には、
もっと巨大で広々とした世界に見えていたでしょう。
304
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 23:49:15 ID:cxCxhwjA0
小学校の傍にはフェンスで区切られた一画がありました。
よくそこに出入りしていました。何故出入りしていたのでしょう。
そう、そうです。そこには、こじんまりした池がありました。
立ち入りは禁止されていましたが、私も含めて子ども達がよくフェンスを乗り越え、
中でザリガニなどの水棲動物を捕っていました。
タクシーの中でどうしても思い出せなかった風景はそれだったのです。
深緑に濁った池は今や影も形もなく、その跡地には素知らぬ顔をした住宅が建っていたのでした。
鬼の手から逃れるため、幼い私は池に侵入しました。なぜそのような暴挙に及んだのでしょう。
確か、池の方から物音が聞こえていたのです。当時から誰よりも怖がりだった私でしたが、
まさか昼下がりからお化けなど出ないだろうと独り合点して突き進んでしまったわけです。
しかし実際にそこで繰り広げられていたのはお化けよりも遙かに残酷な光景でした。
池と言っても一周五十メートル程度で然程深くもない、大きな水たまり程度のものです。
全景を見渡すのは難しくありませんでした。
私が息せき切って池に辿り着くと、ちょうど真正面の水際にN君が身をこごめているのが見えました。
305
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 23:52:48 ID:cxCxhwjA0
無論N君は同じ鬼から逃げる仲間でしたから、
私は規則破りの同志として密やかににやつきながら彼に近づきました。
数歩前まで迫ったとき、N君が右腕で何かを掴んでいるのが分かりました。
その真っ黒い球形の塊が人の頭だと気付くまでに数秒かかりました。私は恐怖以前に唖然として立ち止まりました。
それに気付いたN君は事も無げに私のほうへ振り向きました。
頭は耳から前が水に浸っており、もう少しも動いていませんでした。
私が発見した際には、殺人は既に完了していたのです。
(●●●)「ごめんな」
とN君が言った気がします。
(●●●)「鬱陶しかってん」
とも言った気がします。
はっきりはしませんが、まだ私は彼の掴んでいる頭が弟のものだと気付いていませんでした。
人を殺す重要性について九歳の私が承知していたとも考えられないのですが、
N君の行為がテストで0点を取る以上にとんでもないことであるのには薄々感づいていました。
だから僕は「あかんで」と言ったはずです。「あかんでN、そんなことしたら……」
N君は未だ現実に帰ってきていない顔でずずっと掴んでいるものを引き上げました。
独特の生臭さが鼻腔に広がり、私は思わず瞬きました。
そして直後、何かの拍子でその物体が自分の弟であることを深く認識したのです。
私は何かに押し出されたようにして駆け寄りましたが、それ以上何をすればいいのか全く分かりませんでした。
するとN君は他人に目の前の状況を押し付けるようにして弟の顎を持ち、
ぐいと首をねじらせてその顔を私に直面させたのです。
その顔面には目鼻がなく、代わりに一輪の紅い花が咲いていました。
306
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 23:55:20 ID:cxCxhwjA0
そこで頭上から「何してんねん」という野太い声が降ってきました。
顔を上げると、父が心底意味が分からないといった顔で私を見下ろしていました。
いつの間にか、その場には私と父しかいなくなっていました。
( ´∀`)「聴いてたか、話」
その言葉に漠然と首を振ると、父は私の頭を軽く叩きました。
( ´∀`)「ちゃんと聴いとけよ、いつもいつもぼーっとしやがって」
叱咤というよりは苦笑の響き。
( ´∀`)「今日、俺らはここに泊まるからな。お前もさっさと、控室に行け」
別に何を考えているわけでもなかったのですが、父の言葉に集中できませんでした。
ただ呆けて父のやや草臥れた顔を見ていると「どないしてん」と問われたので反射的に立ち上がりました。
(???)「いや、別に、大丈夫」
( ´∀`)「まだネクタイのこと、気にしてんのか」
(???)「ああ、そうだった……」
( ´∀`)「予備のやつ持ってきてたはずやから、荷物の中見てこい」
(???)「うん、そうするよ」
307
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/08(水) 23:59:13 ID:cxCxhwjA0
正直なところネクタイのことなど完全に頭から飛んでいたのですが、
私は父の言葉に従って素直に部屋を出ようとしました。その時私はふと「そう言えば」と声を出しました。
(???)「母さん、どこにいるかな」
口に出してから、その問いが核心的であることに気付きました。
無意識的に真相への接触を試みたらしいのですが、その時は後悔しました。
そういった発言が空気の読めないものに思われ、全体から見れば余計なものなのだという、
誰に対してでもない怖気があったのです。
しかし利己的に考えればその質問が極めて効果的であったことは間違いありません。
それなのに、私は何と愚かなのでしょうか。父は確かに無視せず答えをくれました。
その回答を、今どうしても思い出すことが出来ないのです。
所々にある案内図を見ながら控室に向かう途中、私は先ほど湧き出た記憶の整理に明け暮れていました。
芋づる式に引き出された記憶は、後で見直すと凄惨な事実を含んでいる場合があります。
その時がまさにそうで、発掘に熱中して自分がどのような過去を取り出してしまったのかも自覚していませんでした。
それを後から順々に精査していき、ああ思い出さねば楽であっただろうにと、
お決まりの悔恨に駆られて見せるのです。
しかし何より怖ろしいのは、そうやって掘り起こされた記憶に、
実のところ本当の出来事が一つとして含有されていない可能性が多分にあると言うことです。
自分を痛めつけてまで持ち帰ってきたと思い込んでいる印象の、何もかもが無意識的な創作である……
そんな疑惑を、今の私にはどうしても捨てきれないのです。
308
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/09(木) 00:02:17 ID:ft4TltCY0
そもそも今の回想が事実であったとしても、
先ほど三白眼の男が言った「あの時君も止めへんかったやろ」という言葉に矛盾します。
私には止める機会さえなかったのですから。
加えて、比喩でもないのに弟の顔面が花弁に変わっていることなど有り得ません。
そのため仮に私に弟がいて、その弟が夭折したというのが真実であったとしても、
そこまで私を導いた男の証言や引き出された自分の記憶に符合するわけではないのです。
何が本当で何が嘘か分からない……そしてその錯雑を自分自身の内側で処理している場合、
真偽の決定権すら己の手に握らされてしまっているのです。
当然、私には弟がいない、だから死んでいないと結論づけることも可能でしょう。
しかしそれをするにはどうにも罪悪感がまとわりつくのです。
虚構の存在さえ否定してはならないという思い……結局、それだって私益のために過ぎません。
私たちは、マッチポンプ式にどこまでも不幸になれます。
普通はそれを誰かに手を差し伸べさせるために公開するのですが、
過去を不当に解釈してまで自分を追い詰めていく自慰行為は、秘められているが故の快楽を喚起してくれます。
そうなれば、それは最早破滅願望と同一であると言えるでしょう。
しかし、破滅願望には主役の存在が必要不可欠なのではないでしょうか。
崩落していく舞台で最後まで踊り続ける自分がいるからこそ、
願望はそれに沿った物語の体を成して充足するのです。
309
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/09(木) 00:07:53 ID:ft4TltCY0
しかしここには主役が不在です。在るのは、現実との契約を解消された自分ばかり……。
私が確固たる私でないために、舞台は相応の価値を持って崩れられないのです。
だから今の私が抱いている不幸への憧憬は、手首に刃物で線を引く高校生のようなものでしかありません。
軽率といってかまわないでしょう。ただしその感情は、軽率であり、普遍でもあるのです。
多数決の論理として、その憧憬を抱いたところで真の自殺志願者に責任を感じる必要はないでしょう。
ですが、死にたいけど本当には死にたくないという開き直りの理屈が、
どうやら今の私には許されていないらしいのです。
私が知覚できるこの世界においては、何をするにも現実の後ろ盾が必要だからで、
例えば弟への罪意識や母親、N君そのものの存在性の真贋さえ客観的に見出せない不条理の下で、
一体誰が私に実在を進呈してくれるのでしょう。そしてそれを告発する術さえ、悉く潰えてしまっているのです。
310
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/09(木) 00:14:05 ID:ft4TltCY0
控室として通された小さな部屋で、ずっとその事について考えていました。
宿泊といっても斎場の設備は最低限のものだけで入浴などは出来ず、
ただ貸布団が用意されているだけといった具合でした。
私は上着とネクタイを脱いでハンガーに引っ掛け、畳に寝そべりました。
強い吐き気は感じませんでしたが、ただ猛烈に気だるく、用意されていた布団を敷くのも億劫でした。
心の中で現状に対して諦観を抱きつつも、一方では未だ事態を誠実に解明しようともしていました。
あまりにも複雑に絡み合った記憶のコード。どれを引っ張っても正解に辿り着ける気がしません。
ですが本当の意味で私に欠落していたのは真実よりも決断力だったのです。
客体的な正解が存在していないのであれば、せめて主体的な正解を自分だけで決めてしまえばよかった。
それさえ出来ず、私はなおも信頼の保証された解を見つけ出そうとしていたのです。
しかし、自分さえ信じられない者がどうして他者を信用出来ましょう。
途端に想像が幻視を映しました。見ていても意味の無い風景に飽いたらしく、
そこに広がったのは大学近くの駅前にあるショッピングモールの場面でした。
私は休憩用のベンチに座り、片腕に衣服の詰められた紙袋を抱えていました。
もう片方の腕で携帯を操作し、どうやら今夜の食事処を決めあぐねているようです。
服飾にあまり興味を持てない私は、
彼女の服選びに付き合っていながらやがて疲れて一人休憩しているらしいのでした。
そのうち、立ち並ぶ洋服店の一つから恋人が出てきて私を連れ込み、どれが似合うかと問うてきました。
私がその中で一番好みの服を選ぶと、彼女はちょっと悩んでみせた上でそれをレジに持って行きました。
311
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/09(木) 00:17:13 ID:ft4TltCY0
……何と紋切型で、語るべくも無い風景でしょう。それでも、目の前の世界よりはましだったようです。
幻視は長々と続きました。それは全て恋人に関連した景色で、しかも新鮮味の無い、
良くいえば穏やかな光景ばかりが映されたのです。
しかしそのために、私はそれらの光景が実際に自身の体験した昔日であるかどうかを判別出来ずにいました。
それらが当たり前のように日常に組み込まれていたようで、そうではなかったような気もするのです。
私のような人間を慕ってくれた恋人……何の取り柄も無い下らない人間に、彼女として属してくれた恋人……。
そうやって自虐することが彼女に対する重大な背反であることは重々承知していたつもりです。
しかし、止まりませんでした。遂には、私自身に恋人が存在していたという可能性さえ、
虚ろであるような疑惑が膨れてきたのです。
誰かが私をシャットダウンしてくれることを切に願いました。
このまま考え続けていると頭がおかしくなりそうでしたし、実際おかしくなってしまったのです。
その時はまだ間に合うと思っていました。
ですが本当のところ、最初に母からの電話を取った時点で私の末路は決定付けられていたのです。
それは誰のせいでもありません。全て、何一つ積み重ねてこなかった自分の存在の不確かさが悪いのです。
312
:
名も無きAAのようです
:2014/10/09(木) 00:22:51 ID:b77nQ8rE0
支援
313
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/09(木) 00:27:39 ID:ft4TltCY0
意識が遮断されることは無かったはずですが、認識が形而上に大きく偏っていたことは確かです。
気付けば私は貸布団の中にいました。既に消灯されており、時刻も分かりません。
携帯の在り処を探りましたが、何処かに放り出してしまったのか手に届きませんでした。
一体どこからが夢だったのでしょう。むしろここはまだ空洞の半ばでしょうか。
目を見開いて虚実を確かめようにも、見えるのは真っ黒な天井ばかりです。
空中に手を伸ばすと、ひょいと悪夢の尻尾に指が触れました。慌ててそれを追いやり、浅く息をつきました。
その時初めて父のものと思しき鼾が聞こえました。
その堅固な存在感に安堵する一方、私は発作的に母の気配を確かめようとしました。
しかし必要な空気は鼾にかき消され、闇に慣れ始めた眼で母の姿を求めましたが、
それでも見つけられませんでした。
しかし隣に空の布団が敷いてあり、母はトイレにでも立っているのだと自分に言い聞かせることが出来ました。
そのままもう一度寝こけてしまえばよかったのです。
しかし悪夢の中で夢を見ることは叶わないらしく、私はいつまでも薄い闇の中に留まり続けていました。
そして、母は一向に帰ってきませんでした。いずれ帰ってくると確信するのは不可能でした。
むしろ、母を捜しにいかねばならないという義務感めいたものが次第次第に重圧となって圧し掛かってきたのです。
私の行動によって母の存在確率が変動するわけがありません。
しかしあくまでも個人的な問題として、
今自分が捜しに行かなければ母が死んでしまうというような酷く極端な動機が、
揺るがぬ信条となって競りあがったのです。
314
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/09(木) 00:30:58 ID:ft4TltCY0
私は半身を起こし、ちょっと停止してから立ち上がりました。
そして父を踏まぬよう細心の注意を払いながら控室の外に出てしまったのです。
遥か彼方に薄ぼんやりとした電灯が見えました。
足元も覚束ないほどの暗黒には空間的広がりが感じられず、しかし進まなければならないという思いに虐げられ、
私はより醜く顔を歪ませながら一歩一歩前進しました。
シンプルな構造であるはずの斎場が迷宮に見え、もう二度と帰れないのではないかという恐怖が湧きました。
どこまで歩いたかも分からない地点で、「母さん」と自分にしか聞こえない程度の小さな声で暗闇に呼びかけました。
答えが返ってくるはずもありません。その場で何もかもを諦め、
地団太を踏んで泣き叫びたくなるのを何とか抑えて先に先に進みました。
とどのつまり、全部定められた道筋通りだったのでしょう。
普通に考えて、宿泊できる斎場がこうも暗いわけがないのです。
しかし例によってその時は考えも及ばず、ただただ歩き続けたのでした。
そのうち、不意に明るくなりました。
何かに照らし出されたわけではなく、またしても記憶の情景が視界を遮ったのです。
目の前に母の姿がありました。
どこか私に似ているような気がする母……そこで私の脳裏が描いた物語は、最も受け入れ難い世界観でした。
つまり母がとうの昔に死んでいた可能性です。
315
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/09(木) 00:39:03 ID:ft4TltCY0
……可能性は十分に思い当たるでしょう。
例えば、私がN君の母親のものとして参列した葬儀が、自身の母を葬るためのものであったのではないか。
そう考えると、今どこにも母が存在しない理由を十二分に説明できます。
そこから更に発展させると、私は自分の母親とN君の母親を同一視していたことになります。
何故そんなことになったか。要するに、私とN君は血が繋がっている、
つまりN君こそが私の弟なのではないでしょうか。
母が「あんたより一つ年下や」と言っていたのは、自然の摂理として当然の話なのです。
分かっています、分かっています。おかしいことは分かっているんです。
それでもそのまま思考が進みました。
じゃあ、結局その弟を殺したのは、私ということになる……
発達障害気味の弟を鬱陶しいと思い、殺したのは私だったのです。
知っての通り、もう滅茶苦茶です。
私のしていることは、後付された新事実、それも空想の産物に、過去を死に物狂いで適応させる行為でした。
筋立ての都合良さは、むしろ私の方から虚構に接近しているのですから当然であると言えます。
私はその虚構に沿ったものの考え方、ものの見方しか出来なくなってしまったのでしょう。
ありそうもない状況に取り込まれた時、取り込まれた側の人間もまた、
ありそうもない過去を歩んできたような錯覚に陥るらしいのです。
もしもここで私が合理的な解釈と常識を武器に立ち向かっていたとしたら、
多分もう少し早めに発狂していたでしょう。
荒唐無稽への緩やかな同化は防衛機制のようなものであり、
この結果も耐えられる最大限の譲歩と妥協の産物なのです。
どちらが幸せだったかなど計り知れるものではありません。と言うより、幸せなど何処にもなかったのです。
316
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/09(木) 00:42:36 ID:ft4TltCY0
私はまた、何でもない罪を回顧して叫びました。残念ながら、返事はありませんでした。
飢えた子供のように儘ならぬ足取りで前へ歩き続けました。そのうち、眼前に橙っぽい灯りが見えました。
私は羽虫の如き低能さでその光へ吸い寄せられていきました。
灯りはやはり精神を純化させる効能を持つのでしょう。
その光の傍まで歩み寄ったとき、私はあらゆる非現実から解き放たれたような気がしました。
そこは先ほど通夜が行われたホールで、灯りは蝋燭を模した電飾によるものでした。
防火対策と夜伽を一身に引き受けたその装置に、私は心を落ち着かせる現代の合理的な空気を感じたのでした。
その一瞬、私は何もかもを忘れてその灯りに自分の全存在を委ねていました。
安堵どころか、自我の救済と復権をも感じ受けたのです。
甘美でした。そしてその恍惚は当たり前のようにして打ち毀されました。
視界に、例の空白の遺影が入っていることに気付いたのです。私はぎょっとして後ずさりました。
下らない思い込みのようですが、私はそこで確かに自尊心を阻喪したのです。
それは、未だ私が逃れ得ぬ創作じみた宇宙に縛られている証左でした。
茶目っ気たっぷりな思考回路が再び、それで最後となる暴走を始めました。
私はこの額縁に入れられるべき死者は誰なのかと考えず、
ここに入れられるべき生者は誰なのかを、虱潰しに探し始めたのです。
相応しい人物はすぐに見つかりました。当然、この私です。
御丁寧に中立の評価を与えてくれるこの脳髄は生存本能などまるで無視して私に死ねと宣告したのです。
317
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/09(木) 00:57:24 ID:ft4TltCY0
これは悲喜劇か、そうでなければ純粋な喜劇です。
幾ら鬱病を拗らせたからと言って自ら棺に納まろうとする人間がいるものでしょうか。
流石の私もそう考えました。
だから些か魅力的に感じる自分を振り払い、ホールから離脱しようと思い立ったわけです。
ですが、私はもっとよく考えるべきでした。何故この葬儀がお膳立てされ、何故棺が用意されているのか。
冷静に考えれば逃れられない事態なのは明らかだったのです。振り向いた私の背後に男が立っていました。
光が届かず、誰かも分からないその人物は、姿形だけ見ればN君に似ている気がしました。
しかしもしかしたら父か母だったのかも知れない。今更真相に到達できる問題ではありません。
その人物はじっと私を睨んでいました。表情も分からずそう感じたのですから、恐らく錯覚だったのでしょう。
しかしそのせいで私はその場からまるで動けなくなってしまいました。
無言で責め立てられているような気がし、私の頭にかつての罪状が駆け抜けました。
小学生か中学生の頃に、一度だけ校舎の窓ガラスを割ってしまったことがあります。
確か少人数でドッジボールか何かをしていたことによる事故だったのですが、直接の原因は私ではなく友人でした。
318
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/09(木) 01:00:11 ID:ft4TltCY0
元来大人の逆鱗に触れぬようびくびくして生きていた私は、その時咄嗟に逃げ出してしまおうとしました。
「お前が悪いんだからな、謝っておけよ」などと捨て台詞を吐いて他の友人と立ち去るつもりでしたが、
その時に当てられた友人の眼の色に私は思わず立ち止まったのです。
友人の眼は、あまりにも多くの感情を吸い込んでいました。
裏切った人間への絶望、怨嗟、自責の念、訪れる近い未来への悲観、そして後悔……
私の同類であったその友人もきっと怒られ慣れていなかったのでしょう。
そのためにあんな、過剰に彩られた表情を浮べたに違いありません。
そしてそれは、目の当たりにした私たちにも様々な情念を呼び起こさせました。
何より強く恐怖を感じました。自分のしようとしていることが死にも値する罪悪であるように思われ、
それは未来永劫償いきれないもののようでした。
そもそも人に見られることが苦手だったこともあってすぐに眼を逸らしたのですが、
結局逃走出来ず、一緒に説教されたわけです。しかし後々になってその時逃げなくて良かったと思えましたし、
次に同じようなことがあったら決して良からぬ事を考えないようにしようという決心にも役立ったのです。
そんな過去が実際にあったかどうかに自信は持てませんが、今はまさに、その時と同じ心境でした。
彼は私から目を離さないでしょう、そして絶対に逃亡を認めないでしょう。
それを思うと、みるみるうちに内なる罪悪感が巨大化していきました。
私のような人間は、葬られるより他、承認される方法はないのだ。私は自分で自分を棺に納めなければならない。
私は自分で自分を、処刑しなくてはならない。
洗脳にも似た錯誤でしたが、誰も解いてくれないのだからどうしようもありません。
「わかってるよ」と囁きました。
「わかってるから」そして私は棺に手を掛けました。
319
:
名も無きAAのようです
:2014/10/09(木) 01:02:05 ID:Bljte9qg0
相変わらずの胸を抉って神経を撫でるような文、好きだ
支援
320
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/09(木) 01:07:12 ID:ft4TltCY0
残された回避の可能性は棺に遺体が横たわっていることでしたが無論そんなわけもなく、
随分重たい蓋をどけてみると中には誰にもいませんでした。
既に花などは鏤められており、後は私がそこへ入り込めばちょうど良いようです。
靴を脱ぎ、半身を中に入れるまでは良かったものの蓋を閉めるのには相当手間取りました。
彼はまだ私を監視しているようでしたが、手伝ってはくれませんでした。
自力で蓋を持ち上げて角度を調整しながら、私はボロボロと涙を零していました。
何が哀しかったわけでもありません。
ただ、真夜中に独りぼっちでこんな作業をしている自分が酷く空しい存在に感じられたのです。
そしてようやく型通りに嵌め込んで真っ暗闇と再会したとき、私は殆ど噎び泣きを泣いていました。
泣き続ける体力を失ってもなお、水滴が頬を濡らし続けました。
通過儀礼として考えるならば、それが私の死化粧だったのかもしれません。
自殺教唆程度の罪でなら彼を告訴出来ると思います。しかしそれすら笑いものでしょう。
監視する彼が去った後、私はこの蓋を押し上げての脱出も出来たかも知れません。
しかし出涸らしの気力ではそんな発想など出てこず、その代わり一刻も早い安眠を求めていました。
ともかく私は、休みたかったのです。それ以外、何も考えられませんでした。
その時ばかりは、肉体の疲労が精神のそれを上回っていました。
そのため私は、後悔してもしきれない、しかし最も素晴らしい安らぎを伴った眠りについたのです。
321
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/09(木) 01:15:48 ID:ft4TltCY0
以上が、私をこの場所に至らしめた顛末です。
それなのに、話は終わりません。まだ全ての儀式が済んだわけではないからです。
語れることなどもう殆ど残っていないというのに、私はまだ時間を押し進めなければなりません。
言うまでもないことですが、私が私自身を納棺した時点で、その死は覆らないのです。
棺に入った段階で私は死者であり、誰に対しても利害を及ぼさない存在と化したのです。
死人が語らないのは決して物理的な意味に留まらず、
語れば語るほど自らの空虚さが際立ち、恥辱を覚えるからではないでしょうか。
これが普通の死者であるなら、遺言という置き土産に執心することでしょう。
しかし私には言いのこせることなど何もありません。自分の過去も身分も分からない、
ましてや生者に向かって何の情動も遺さなかった人間の言葉に、一体誰が耳を傾けるのでしょう。
家族や恋人など、卑近な者への言葉……しかしそれにもさしたる意味は持たせられないでしょう。
私は彼らのことを曖昧にしか想起出来ないし、
向こうも私程度の死では半端な悲哀しか得られていないのではないでしょうか。
最も名残惜しいのは自ら関係を望んで契約した恋人ですが、私よりまともな人間はごまんといるし、
それでなくとも安易に彼女の心に私を刻みつけるような影響を及ぼしてはならないはずです。
そう言えば、結局彼女からメールの返信はこなかったのでした……。
322
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/09(木) 01:18:10 ID:ft4TltCY0
翌日、私は近しい声によって目覚めました。
と言っても目の前は暗闇で周りには狭い隙間しかなく、二度寝しようと思えるほどの味気なさでしたが。
しかし聞こえているのが読経であることに気付いて昨夜の記憶が一挙に展開されました。
そのエネルギーは思わず蓋を撥ねのけて外へ飛び出してしまいそうな勢いでした。
しかし結論として、それは果たされなかったのです。ここで私が無意味に抵抗したところで何になるでしょう。
シュレディンガーのパラドクスでは、猫が自ら箱を破壊して飛び出してくる可能性が完全に排除されています。
そんな空気の読めない猫は、元々実験台として採用されないでしょう。
同様に、私が生き返ったところで遺族も弔問客も、冷たい視線で私を罵倒するだけでしょう。
そうなれば、私はまたすごすごと棺の中に自ら納まらなければならないのです。
そうやって恥をかくことを怖れ、私は少しも身体を動かしませんでした。そうしてぼんやりと読経を聞いていました。
意味の分からない宗教語に耳を傾けながら、そう言えば自分は死人に最も近しい存在なのだと認識しました。
しかし、実際のところ死とは一体何なのでしょうか。
多くの人々がこの問題を多方面から解明しようとしていますが、未だ明確な答えは出ていないようです。
ある物理学者は死を「機械と同じで、壊れればその機能を失う」と表現していました。
無論、宗教者はそれに反駁するでしょう。
議論の行き着く先はどうしても不可知であり、数多の賢人と同じく今の私にも死については何も分かりません。
しかし私は、おおよそ自らが望んでこの状況に至ったわけですから、
死後にもまだ何かを思考せねばならないとすれば、
それこそ昨夕の吐き気みたいにいつまでも苦い不条理を舐め続けなければならないのでしょうか。
そうなればいよいよ為す術がありません。それは、死よりも怖ろしい未来です。
323
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/09(木) 01:23:01 ID:ft4TltCY0
やがて読経が終わると、司会者らしき男の、弔辞の合図が聞こえました。
そして最初に述べる人として、恋人の名が呼ばれたのです。一抹の良心が仄かに揺らぎました。
その時彼女が読んだ弔辞を、未だ一字一句違えずに暗記しています。
彼女はこう述べました。
(゚、゚トソン「あまりに突然の悲報に接して、信じることができませんでした。
今、ご霊前に立っても、元気な姿と笑い声が思い出されるばかりです。
あなたが長いお考えの末、決められたことについて、私たちが何を言えましょうか。
自分なりに選ばれた人生の終止符に、他者が口を挟むことはできません。
短くも純粋であった人生を送られたまるまるさ……。……どうか安らかにお眠りください」
……即ち、彼女はどこからか引っ張ってきた弔辞のためのテンプレートをそのままコピーして印刷し、
「○○」の部分を省きながら読もうとして最後の最後にミスを犯したのです。
失望よりも何よりも、私は笑いを堪えるのに必死でした。
私の自虐は概ね間違っていなかったわけです。むしろ、自虐の効能と言えましょうか。
それまで流れるように読み上げていた彼女が言葉に詰まったとき一体どのような顔をしたのか、
出来れば直に拝みたかったものです。
324
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/09(木) 01:32:38 ID:ft4TltCY0
滑稽さが尾を引いて、その後に読まれた父の弔辞を私はまともに聴けませんでした。
恐らく父は真面目なことを述べていましたし、ボロを出したりもしていなかったでしょう。
しかしそんな心ある言葉に限って私に届かないというのは、
私自身のこれまでの人生を体現しているように思えました。
いずれ、何に対しても真剣ではなかったと言うことなのです。
己の記憶にすら心から向き合えない私にはぴったりの末期であるのでしょう。
弔辞が済むと焼香が始まったようで、厳かな足音が聞こえました。
持てあますほどに暇だったのですがこの時はまだ余計なことを考えずに済み、
馬鹿みたいにひたすら思い出し笑いをしていました。
そして母やN君がこの葬儀に参列しているのか検討しましたが、これはまったく無意味でした。
人間が猫の状態を知れないように、猫もまた外界を覗えないのです。
それが終わると閉式となり、残るは出棺だけとなったようでした。
この時には流石に私も気を引き締めました。
事務手続きとしては既に死んでいる私ですが、本当の意味での死はこの後にやって来ます。
無宗教である私も、火葬場で焼かれて灰となるのです。
生きたまま燃やされること自体には不安を感じなかったのですが、魂の消失には忸怩たる思いがありました。
ですが現世……何をもってそう定義すれば良いのか分かりませんが……
への諦めはついていたので、後は少々の勇気だけで乗り越えられるものと考えていました。
325
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/09(木) 01:35:11 ID:ft4TltCY0
ですが出棺の前に、最後のお別れというものが案内されたのです。
そして何人かの手によって棺の蓋が一旦取り去られてしまいました。
馬鹿げた私のこの姿が、衆目に晒される羽目に遭ったのです。
私はこの上ない羞恥を覚えました。
それと共に、今までに明らかになった非合理な真実が次々と脳裏に去来しました。
暗黒に光が差した瞬間に私は目を閉じていたものですから、
そのままの姿勢を余儀なくされて誰の顔も確認できませんでした。
しかしやはり、冷酷にさえ高まった鋭利な視線が突き刺さっているような気がしてならないのです。
それに私の罪悪感は刺戟され、精神外傷が再びじくじくと痛み出しました。
悶える思いを抱きつつ、昂る呼吸を辛抱するさまは、マゾヒズムにも似た従順さであったのかもしれません。
少なくとも、私との最期を惜しむ彼らがサディスト的であったことは間違いないでしょう。
真実弟を殺したならばこんなところでのうのうと臥している場合でないのは明らかです。
ですが誰一人、私の海馬でさえも絶対的真相を教示してくれなかったのです。
本当に私だけが悪いのでしょうか。
そうだとして、何故法廷には検事も弁護士も、判事さえおらず、
被告人と聴衆だけで裁判が進められているのでしょうか。誰が私に刑罰を下すのでしょうか。
326
:
名も無きAAのようです
:2014/10/09(木) 01:37:51 ID:D0hpyqio0
支援
327
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/09(木) 01:43:19 ID:ft4TltCY0
その時包まれた息苦しさは初めての体験ではなかったような気がします。
いずれ解消されようのない虚無的な罪悪感……加害と被害が入り混じった妄想に囚われ、
直向きな自尊心を抱えて生きていると、関係性においてはどうしても壁に衝突してしまうものです。
だから私は敢えて自らの価値を底辺まで落とし込もうとし、歩んできた形跡を掻き消してしまおうとするのでしょう。
どちらも、想定以上に自分が愚かであると気づかないようにするための予防線にすぎないのです。
そしてそれを暴こうとする他人の視線に……息苦しさや吐き気などの心身の不調を訴えてまで哀愁を誘うのでした。
棺の中の私には他人の同情を引く行為が制限されています。
しかし自分自身どうしようもないと思えるのは、そのような状況に陥って自らの卑しさを悟るのではなく、
この場合は仕方がないのだと例外化して考えることです。
仕方がない、今回は特別だったんだ。私はまだ大丈夫だ、人間として正常なのだ、と……。
再び蓋が閉じられたとき、私は心底安らげました。淀んだ空気を目一杯吸い込み、焦燥とともに吐き出しました。
直後に不気味な浮遊感がありました。どうやらいよいよ葬儀場から運び出され、火葬場へ向かうようです。
この時、私は妙な感覚に包まれたのです。その正体はまだ分かりませんでした。
不自然な揺らぎに堪えながら、私はもう一度死について考え始めましたが、
骨にへばり付いている粘液のような異物感をどうしても拭い去れませんでした。
そのうち響いた重低音……私は、死地へ運送されるために霊柩車へ格納されました。
328
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/09(木) 01:46:31 ID:ft4TltCY0
霊柩車……死が幾重にも折り合わさった特異点、その中は思っていたよりも遙かに騒々しい場所でした。
絶えず何らかの音が鳴っていました。例えるならば鉄くずが歩いているような、
カシャン、カシャンという耳障りな音……私には、それが何を意味するのか今もって分かりません。
しかし思い出したことがあります。
それはやはり私の架空の弟についての、遠い昔に存在もしなかったはずの情景でした。
私は金属の擦れる音が何よりも苦手でした。
何だか口の中いっぱいにアルミホイルを含まされたような気分になるのです。
しかしその日弟は、どこからか拾ってきた金属のボウルと鋼色の破片を、
鬼ごっこの間中ずっと触れ合わせていたのです。
「やめろや」と私は不快感をあらわにして要求しました。
しかし弟はにへらにへらと笑いながら、より激しくその二つを擦りつけるのです。
そしてずっと同じ逃げ道をついてくるのでした。
日ごろから私はこの弟が嫌いでした。
その時には既に、自分の母親が弟を出産したせいで死んだことを理解していたのでしょう。
大人の手前良い顔をし続け、可愛がっている振りをしていたものの、私にとって弟は明確な敵でした。
それも真っ当な人間としての敵ではなく、コミュニケーション困難な怪物としての敵でした。
329
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/09(木) 01:52:33 ID:ft4TltCY0
私は鬼よりもむしろ弟から逃れるためにあの日立入禁止の池に侵入しました。
しかし運動神経だけは私より良かった弟も遊び道具を持ったまま軽々とフェンスを乗り越えて纏わりついてきました。
殺意はありませんでした。ただ、黙ってほしいと思ってそれに見合う行動をとっただけです。
頭をつかんで懸命に水中へ沈めました。
当然弟は激しく抵抗し、一瞬持ち上がった顔面から泥土と咆哮を吐いたのですが、
こちらも徐々に本気になり、敵を沈黙させなければならないという思いで二十分ばかり格闘していたように思います。
そしてどうにか勝利を獲得したとき、弟はピクリとも動かず死んでいました。
その後、事態を知った大人の誰かに動機を訊かれ、
私は大して悪びれもせず一言「鬱陶しかってん」と呟いたのでした。
例によって本当とも嘘とも言い難いエピソードです。
いずれ本質的な解決へ前進する要素ではありません。しかしそれを産出することで、
私は先ほどの違和感の正体を暴いてしまったのです。
それはエピローグが長すぎる、という私にとって危機的な事態でした。
すでに死んでいる私が斯くも長々と思考してしまうとどうなるか……。
意識に上った時には既に遅く、私は死にたくないと本能的に主張していました。
私のタナトスは、もう完全に萎え切ってしまったのです。
330
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/09(木) 01:56:44 ID:ft4TltCY0
当然の過程であると言えましょう。自殺者は衝動以外の手段で自殺し得ません。
早朝のプラットホームから通過する列車に飛び込んだ人も、
そのエピローグには散乱した神経細胞で「生きたい」と綴りたかったはずなのです。
一度通り過ぎた死への欲動の後に来る生への渇望は狂気じみた力で私の理性的判断を責め立てるのです。
すると、今までに行ってきた不合理な解釈やエピソード創作の全てが馬鹿馬鹿しく思えてくるのです。
そんなわけがない、そんなことはあり得ないという、
科学的世界に生きる者として当たり前の心情が内部に充ちるのでした。
そういった全てのロジックを投げ捨てて、私はさっさと思考ごと死んでしまうべきだったのでしょう。
しかし余りにも緩慢とした幕引きのせいで不条理への反抗心を持ってしまったのです。
こうなると、一切の状況は拷問的と呼べます。最後に常識を取り戻させて一体何がしたかったのか。
この身に降りかかった艱難辛苦を取り除く方策に至るには現状はあまりにも遅すぎます。
それでも、多くは身から出た錆なのです。
例え私の不合理でない記憶が全て真実で、本当は弟など存在もしていないのだとしても、
今まで合理化へのチャンスをみすみす逃し続けていたのは他ならぬ私自身ですし、
この監獄とも称すべき棺にも自ら志願して足を踏み入れたのです。
331
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/09(木) 02:01:04 ID:ft4TltCY0
今でも胸を張って、自分には何の罪もないと主張できる私がいます。
しかしその存在に意味などなく、ただ漫然とした終幕にこれまでの自分を悔いながら、
表舞台を立ち去るしかないのです。虚ろな者が虚ろな罪で虚ろに人生を閉ざすことに、何の疑問がありましょう。
それが、私が最後に辿り着いた理論でした。一言で言えば、私は自分を憐れみたくて仕方がなかったのです。
そしてそのために仕立て上げた装置に自身を陥れ、
後は内部の歯車が回転する通りにシステムの道筋を進んだだけの話なのです。
突発的に自殺したのでは己の葬儀を体感することも弔辞に耳を傾けることも不可能でした
。私が自身の死や誇大な自意識を伴う無為な存在感を最大化させるためには、
多少の懊悩を抱えるにしてもこの方法しかなかったのです。
そして今、私は火葬場の重厚な鉄扉の内側にいます。
もう既に焼かれているのかもしれませんが熱は感じられません。何やら、非常に晴れ晴れとした気分です。
私は私の立てた目標を達成できた。それだけで、自己憐憫に片が付いたような心持ちであるのです。
しかし、本当にこれで良かったのでしょうか。
自作自演のはた迷惑な自殺劇を成功に終えてなお、心のどこかで死にたくないという思いが燻っているのです。
それは卑小な自尊心への反抗であるとともに、遺伝子レベルでの願望でもあるようなのです。
結局私は一所に定まることが出来ませんでした。
私の想いは今なお揺らぎ、それは何一つ責任を持ちたくないという本心の表れでもあって、
このまま焼かれるのが一番楽でもあろうと考えつつ、何故私がこんな目にという被害者意識に囚われ続け、
そんな自分が可哀想で愛しくてたまらないのです。
いったい、何がどう捻じれて私はこのような人間になってしまったのでしょうか。
了
332
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/09(木) 02:02:28 ID:ft4TltCY0
訂正
>>260
10.葬送→11.葬送
次は10月10日の夜に投下します。
次回でラストです。
では。
333
:
名も無きAAのようです
:2014/10/09(木) 06:56:51 ID:PQNXQ/x60
乙
334
:
名も無きAAのようです
:2014/10/09(木) 22:44:39 ID:EQpOkKHU0
おつ
335
:
名も無きAAのようです
:2014/10/09(木) 23:24:25 ID:tQTXwo1s0
京極夏彦+闇芝居
336
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 20:44:23 ID:bKltLt3M0
12.一度きりの物語(interlude 4) 20130403KB
事故で亡くなる二日前、Kは私をいつもの秘密基地に呼び出した。
Kはひ弱な体質だったためか、小学校ではよくいじめられる少年だった。
それは四年生になった当時も変わらず、スポーツマンタイプの番長格の男が率先して彼をいじめていた。4
その内容は単純な暴力から陰険な噂話まで多岐にわたり、Kはもう殆ど慣れっこのようだった。
それでもたまにどうしても我慢できなくなったとき、
Kは決まって幼なじみである私を自宅近くにある鬱蒼とした森林の小さな洞穴に呼び出すのだった。
彼はその場所を秘密基地だと称していたが、今思い返せばそんな立派なものではない、藪蚊の群生地帯だった。
彼はその秘密基地で、日頃積もり積もった鬱憤を私に向かって泣きながら思い切り吐き散らすのだった。
その日も、Kはそういった名目で私を呼び出した。
私がそこへ駆けつけた時、Kは既に目を腫らしていた。
そして何枚かの原稿用紙をぐいと私へ突きだしたのだ。
337
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 20:47:35 ID:bKltLt3M0
嗤われたんだ、とKは言った。
おれがいつも図書室にいて、貸し出しカードに俺の名前がたくさんあるって、嗤われたんだ、と。
ひ弱な彼の趣味は必然的にインドア系に偏り、中でも読書に関しては児童文学に飽き足らず、
明治時代の純文学にも手を出すような具合だった。
私にも時々、よく分からない作家や作品について話しかけてくることがあった。
そんなKが私に突きだした原稿用紙の右端には大きく『いちばんめ』と書かれていた。
そしてそこから続いているのは、いわば、彼が目一杯苦心して書いたと思われる小説的な文章だったのだ。
これ、どうしたの、と私が言うとKは、小説、とぶっきらぼうに言った。おれが書いたんだ。
短めに書いたつもりだから、ちょっと読んでみてくれよ。それで、感想が欲しいんだ。
言われるがままに私はKの小説を読み始めた。
その小説には小学生には読めないような漢字も多く含まれ、ところどころ判読不能だったが、
それでも全体のストーリーは何となく理解できるような内容だった。
それを踏まえた上で、読了した私は目の前で期待を輝かせているKに向かって、面白くない、といった。
だよな、とKは応答した。まるで私の答えを予想しているようでもあった。
彼は手に戻った小説を眺めながら、でも、いいんだ、と言った。
これ、おれが初めて書いた小説なんだ。おれ、小説家になりたいんだよ。
だから、これからたくさん書きまくるんだ。まだ面白くなくたって、そんなの当たり前のことなんだ。
『いちばんめ』というのはタイトルではなく、文字通りKがこれから書き連ねていくであろう作品の中での、
『いちばんめ』という意味なのだと、説明された。彼の表情からは悲哀が消えていた。
その目には、未だかつて無い未来への展望が映っているようだった。
338
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 20:50:23 ID:bKltLt3M0
13.どうせ、生きてる。 20140933KB
……あなたが恋人と熱く心を交わしている間、僕はずっと時計の針を見つめていた。
そうして、何もせずにぼうっと怠けていたくせに、時間が先へ進んでいくのを怖がっていたというわけだ。
旧き知人も、大勢の他人も、何処かへ消えてしまった。
彼らは順当に成長し、順当に居場所を変えていった。
そういうものだ。物思いに溺れ、ひたすら架空の人形を捏ね続けている僕が、
何にもなれなかったのと同じぐらい、当たり前のことなのだ。
……そういう具合で、今日もまた、無様に言葉を紡いでみせる。
独りっきりで壁の隅。Do not disturb.の掛札を忘れずに。
※ ※ ※
339
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 20:53:32 ID:bKltLt3M0
暑さの沁みた山道を、十字架を担いだ男が歩いてゆく。
十字架は自己を激しく主張する大仰なつくりだが、そのくせ発泡スチロールで組み立てられたかのように軽い。
足早に登る若い男の顎からは大量の汗粒がしたたり落ち、しかしその表情は笑みで塗りたくられている。
誰もいない、失踪には打ってつけに見える林藪の合間を、彼はぐんぐんと進んでゆく。
夏の終わりの太陽が、人の殺意を呼び覚まそうとキリキリ照り輝いている。
遠くの方からセミの断末魔が聞こえる……足下には、別のセミがひっくり返り、足の先まで硬くして少しも動かない。
やがて男は少し開けた平野に出た。
森の中にポッカリと浮かび上がる、植物の剥ぎ取られたその場所には、
男の背中にある十字架と同じようなものが数十と林立している。
男は立ち止まって、その見窄らしい光景を眺め、満足げに何度も何度も頷いた。
('、`*川「……なんだ、また来たのかい」
入り組んだ十字架の群れの中から一人の老婆が顔をあげた。
彼女は古びた竹箒にプラスチックの青いちり取りを持って男を不審そうに見やっている。
幾重にも皺の刻まれた肌には無数の黒いシミが浮かんでいて、
その全身は若い男の方よりも随分と日に焼け、引き締まっているようにさえ見える。
340
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 20:56:35 ID:bKltLt3M0
( ・∀・)「やあやあ、毎日毎日ご苦労様です。
今日も一本持ってきたんだけれど、ええと、どの辺りが適当かな……」
('、`*川「そんなもんは、勝手にするがいいさ。あたしは墓守のババアだけど、
墓を建てる場所には関与しないからね……。
それに、何処にどんな風に置いたところで、何かの呪いがあるわけでもあるまい」
( ・∀・)「そりゃあそうだ。じゃあ、よっと、この辺に差しておきますよ。
……やれやれ、しかし蒸し暑い日が続きますね。
貴女も、注意しておかないとあっという間に熱射病に罹ってしまいますよ」
('、`*川「ふん、どうせ幾許もせんうちにくたばる身なんだ。さっさとお迎えに来てほしいぐらいだよ。
こんな乞食みたいな老婆が、墓守を全うして死ねるならそれを本望と言うんだろうさ」
( ・∀・)「困りますよ。貴女には、この墓場をまだまだ守っていっていただかないと……」
('、`*川「よく言うよ。どうせ、この前建てた墓標のことなんざとうに忘れちまってるくせに……
それで、今回はどんだけ大げさな墓碑銘を穿ったんだい」
( ・∀・)「さあ。きっと、他人が見たら同じようなものなんですよ」
341
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 20:59:37 ID:bKltLt3M0
男は老婆から視線を外し、今し方建てたばかりの十字架を見つめた。
( ・∀・)「どうせ、何と言うことはないんですよ。墓碑銘なんてゴミ捨て場のようなものだから。
内面をかなぐり捨てるためだけに存在しているようなものだから」
('、`*川「ああ、ああ。きっとそうなんだろうね。
頭の悪いババアには、あんたの目的も意味もさっぱり分かりやしないよ。
けれど、どうだい、同じ年頃の娘なんざは、まだ耳を傾けてくれるんじゃないかい」
( ・∀・)「どうでしょうね……そういうのも、一切合切にいい加減飽き飽きしているところなんですよ」
('、`*川「その割に、あんたは変わることなく十字架を建てに来るね。
なんだい、こいつはあんたの先祖からの習わしなのかい」
( ・∀・)「さあ。けれど、私の知っている限り、みんな方法は違えど、
何らかの形で自分の言葉を破棄していってるんですよ。
全部が全部、頭の中にとどまっているはずもなく……。
ただし私は人よりほんの少し、名残を追いかけてしまいやすいだけなんです。
だからこう、こんな風景を作りあげるんですよ」
※ ※ ※
342
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 21:02:19 ID:bKltLt3M0
ここにある全ての十字架は男が持ち込んだものであり、そしてその全てに男の名前が刻まれている。
百近い十字架の全部が男のための墓であり、この墓場は男のためにあるものだ。
全ての十字架に墓碑銘がある。その字面は少しずつ内容が異なっているが、巨視的に見れば大した差はない。
一切は男が殺した自分の言葉であり、そして男は言葉を殺すたびに墓を建てるのだ。
それは、手首に並んだ無数のリストカット痕によく似ている。
あらゆる行為の、最低限の致死量や死の可能性については熟知している。
それはつまり、ギリギリ死なない程度についても把握しているということだ。
だからこそ、それを繰り返していても痛くも痒くも何ともない。
たとえ周りを無為に心配させたとて、それさえも織り込み済みでどこまでも生きてゆくことが出来るのだ。
アパートの部屋の中に散らばった、余り物の薬を、適当にまとめて服用する。
そして強烈な眠気とともに、夢にさえそっぽを向かれた眠りに落ちる。夜が落ちて、太陽がのぼる。
どうせ、生きてる。
※ ※ ※
343
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 21:05:53 ID:bKltLt3M0
忙殺人鬼ブーンを紹介しよう。
彼は人の心の隙間に忍び込み、そいつをジワリジワリと殺すのだ。
コイツによる被害者は意外と多くて、死んでいく人の半分くらいはコイツの仕業だって噂もある。
例えば好きでもない仕事のために人生の八割方を捧げてしまうような人間は大抵、忙殺人鬼ブーンの餌食だ。
気付かぬうちに、君も忙殺されかかっているのかもしれない。
たとえ人生が予定に埋め尽くされていなくても油断は禁物だ。
君がふとした瞬間に自らの歩んできた道を振り返り、そこに一抹の後悔や不安を覚えて、
それが雪崩式に膨れ上がっていってしまったならば、ブーンはヒョイと君の頭に入り込む。
そして人生への悲嘆を凶器にして徐々に徐々に君の寿命を削っていくんだ。
その姿は誰にも見ることは出来ず、また自分が殺されかかっているという危機にもなかなか気付くことができない。
それでも死ぬ瞬間、暗く寂しい独りぼっちの空間へ向かうその瀬戸際に、
その脳裏へフッとブーンの顔が浮かぶだろう。
ヤツは黙ったまま心の中の君を見て憎たらしい笑いを笑っているだろう。
もしかしたら何か言葉を呟くかもしれない。それはきっと、君を死に追いやった直接的な原因だ。
けれども勘違いをしてはいけない。ブーンは、君を殺すために予め刃物を用意しているわけではない。
君を殺すのがブーンであっても、彼の武器は君自身の心根なのだ。
※ ※ ※
344
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 21:08:13 ID:bKltLt3M0
本音と建前という常套句は、日毎不治の二重人格者を作り続けている……。
コミュニティは、一つの上等な精神病棟に過ぎないのだ。
※ ※ ※
345
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 21:11:12 ID:bKltLt3M0
僕の為のコロスが謳う……。
('A`)『誰かが僕の書いたものを読んで自殺してくれればいいと思っていた。
たった一人だけでも構わない、自分で選んだ死の形見に僕の小説を持って行ってくれればいいと思っていた。
そうしたら、心の中で大きな墓を建てて弔うつもりだった。
不謹慎かもしれないけれど、それはたぶん、僕にとって至上の喜びとなっただろう。
小説を読んで落涙させても、心を揺り動かしても、所詮その後の現実に物語は負けてしまう。
けれど、死ぬことだけはどうしたって取り返しがつかない。
そういう、致命傷を与えるようなものを書くために、僕は一所懸命に努力をしてきた。
だって、死後には天国も地獄もない。
人は死ねばみんな、独り独り離ればなれになって、それぞれが暗くて寂しい場所に送り込まれるだけだから。
けれども、愈々それが不可能であるということに気付いてしまった。
意図をしようがするまいが、僕の小説が呼ぶのは病んだ人だ。
病んだ人は病んだ物語を読み、病んだ歌を聴き、病んだ絵を見て人生を過ごす。
それこそ、古今東西のありとあらゆる病んだ物達を体験していくんだ。
そうやって彼らは成長する。本当に追い詰められてしまうことなんて早々ない。
病んだ人たちは次第次第に病を消化して、免疫をつくる。そうしてより力強く人生を歩くんだ。
僕の書く物語は、そこに殺意を込めれば込めるほど、むしろ全く逆の作用を働かせてしまうんだ。
それは、免疫を形作る一塊のブロックか、
或いはもう既に出来上がってしまっている免疫への哀れな特攻隊に過ぎない。
だってほら、見てごらんよ。みんなみんな、こんなにも元気じゃないか……』
※ ※ ※
346
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 21:14:18 ID:bKltLt3M0
(´・_ゝ・`)『僕たちは、もっと実利的なものだけを追求していくべきだ。
それは、まるでボンベロがグリドルでつくるパティみたいに、分厚くて、ジューシーで、
香ばしい匂いに満ちていて……そして何よりも、根本的にとびっきり旨くなくちゃならない。
現実世界においてそれを食べるには何が必要だ? 金か、女か、志か、嘘か。
きっとどれも正解だろう。でも物語だけは間違いだ。
幾らアイロニーにほくそ笑んでも、ちっとも現実には反映されないよ。
義務教育で習う国語は、現実に飛び交う言葉とひどく乖離してしまっている。
小説なんてどこかの妄想癖が考えた嘘っぱちに過ぎないんだからね。
そんな嘘っぱちから作者の本音を拾うなんて、まったく滑稽な話じゃないか。
現実は、現実なのだよ。
その現実を巧みに調理して、なるたけ旨い食い方をするべきだ。
さあ、そんな物語なんて捨てちまって、上等な調味料を買いに出かけよう。
そうすればきっと幸せになれる。まるで怪しい新興宗教にお布施するぐらいの気持ちで信じてみよう。
だってそうしないと、世の中なんてものはとてもじゃないけどやりきれないじゃないか』
※ ※ ※
347
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 21:17:29 ID:bKltLt3M0
(´・ω・`)『僕らの紡ぐ幾星霜の妄言なんていうものはね、
所詮はLINEのスタンプ一つで表現できてしまうものなんだよ。
それを、個性がないだの愛情がないだのというのは、全くもって非合理的なことでしかない。
だいたい、愛情の表現っていうのは何なんだ?
それは、本当に相手に伝わって、尚且つ特別な言葉で表さなければならないのだろうか?
この世の中には情欲に塗れた俗物的な愛が遍く存在しているのに、
どうして人は『愛してる』という最も合理的な一言を特別ではないから、
という理由で唾棄してしまうのだろう。
それを無意味に飾りつけるのは、それこそ卑屈で、本能的な虚飾に過ぎないよ。
つまり、どうやったら己の言葉が相手を陥れられるか、そんなことに必死になっているんだね。
そんな活力から生産される言葉なぞが、特別だなんて言えるだろうか?
きっとそういうものは、ゲームの攻略サイトにでもごまんと掲載されているだろうよ。
しかも、しかもだ、その言葉は本当の意味で特別であってはならないんだよ。
何せ相手に伝わらなくてはならないんだから。
伝える側が俗物ならば、伝えられる側だって俗物さ。
いずれ、普遍的な、辞書で引いて出てくるような言葉でないと納得してくれない。
かつて夏目漱石はアイ・ラブ・ユーを『月が綺麗ですね』なんて小洒落た訳しかたをしたそうだね。
僕に言わせれば、まあまあよく出来た按配だと思うよ。
けれどそれは文豪が残したからこそ付加価値の生まれた言葉だ。
たとえば、今の時代の冬の星空の下、澄んだ空気の向こうで数多の星々が煌びやかに踊っているさなか、
一際目立つ月を二人で見上げながら、『月が綺麗ですね』なんて呟いたら何とする?
『ええ、そうね』ぐらいの言葉が返ってきて、それで終いさ。
まあ、随分と有名になった言い回しだから、それなりに知識があれば相手も感づいてくれるかも知れない。
そうだとしてさえ、パクりだと認定されるだけだろう。どっちにしてもバッドエンドだよ。
だからといって、そこで今までに見たこともないような、愛の言葉を生み出せる?
きっと彼女はこういうだろう。『全然意味が分からない』。
そう、だからつまり、愛の言葉はそれなりに現代っぽくで、それなりに顔面偏差値に沿っていて、
それなりに普遍的で、それでいてそれなりに特別でなくちゃならないんだ。
結局行き着く先は同じだと言うのに……恋物語はまったく余計で、どうでもいい言い回しを強要するんだ。
これは一種の強迫性障害の病理にもなろうね。
そうやって無闇矢鱈と遠回りした言葉より、ハートマーク一つの絵文字や、
誰もが知っているキャラクターのスタンプ、またそれに類するシンプルな一言の方がよほど合理的だよ。
何せ、あらゆる物事がマニュアル化されている時代なんだ。
どうして恋にだけクリエイティビティを求める?
どうせ双方ともマニュアル化された脳みそしか持ち合わせていないし、
最終的な結論は金銭や世間体に委ねられるのに、
どうして一から創り出したように見せかける芝居をしなければならないんだ……?』
348
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 21:20:27 ID:bKltLt3M0
ミセ*゚ー゚)リ『何それ、下らない。まるで入れ込んでた女にワケもなくフラれたみたい』
(´・ω・`)『愛の言葉は、それこそ少女漫画にも、テレビ番組にも、エロ本にも氾濫しているんだ。
だからもっとも分かりやすい例えだと思ってね。
仮に僕が愛を伝えるなら、きっと誰にも分からない物語に仕上がると思うよ。
それは相手に伝えるためじゃなく、自分の想いを率直に発露させるためのものだ。
だって、愛してるって直球を受けてくれないなら、思いつく限りの変化球を投じるほかないじゃないか。
それで相手が納得しないんなら、、もうどうしようもない。詰んだも同然さ』
ミセ*゚ー゚)リ『馬鹿馬鹿しい。結局、ただ単に愛情に飢えているだけじゃないの。
それを、もっともらしい言い方で我慢してみたりして……。
所詮、何かを食べないとおなか一杯にならないのと、おんなじようなものなのにね』
※ ※ ※
349
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 21:23:18 ID:bKltLt3M0
(-@∀@)『君の顔は不細工で、それがあらゆる性格の根本となってコンプレックスを抱いているのだろう?
なのにどうして、自殺や孤独を歌う、
共感できるアーティストはヴィジュアル系のイケメンやチョイ美人ばかりなんだ?
彼らがイケメンである以上、君はどうやったって共鳴できないのだよ。
百万人のためのラブソングを嫌う君が、
百万人のための鬱ソングに熱狂すると言うのはどうにもおかしな話だね』
※ ※ ※
350
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 21:26:21 ID:bKltLt3M0
――いつまでも、敗れた物語を書き続けたかった。
僕には出来ると思っていたが、それは大きな間違いだった。
先人たちに出来なかったことを、僕なんかに出来る筈もない。
いつまでも敗者の気持ちで、敗者の物語を書き続けるなんて、とてもじゃないが精神がもたない。
頭を憂鬱に沈めて書き続け、そのためのアイデアを都度捻り出し、
いつまでも憂鬱と友達でいたら、立派な病気にカテゴライズされてしまう。
それに耐えられれば万々歳だが、生活を考えるとそういうわけにもいかない。
だからといって、今更希望に充ち満ちた物語に取り掛かれるわけでもないのだ。
そうやって心と現実のバランスばかりを気にしていたら、半端なものばかりが出来上がってしまっていた。
けれども、一握りの才能人以外はそんなもんなんだろう。
質が悪いのは、人という生き物が自分の才能というやつを過信しがちに出来上がっていることだけれど。
もしもこの精神が鋼で出来ていて、あと、幾らでもお金を貢いでくれる女の子がいたら、
僕はいつまでも敗れた小説を書き続けられただろうに。
世の中っていうものは、なかなか上手くいかないものだなあ。
※ ※ ※
351
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 21:29:16 ID:bKltLt3M0
しかし、本当にどうしようもなく不幸な人々は、このようなものを読む余裕も暇も無いのだろう。
そして、本当にどうしようもなく不幸な人々は、考えているよりもずっとずっと、多いのだろう。
彼らの頭に礼儀のマニュアルは入っていても、物語を詰め込む隙間などどこにもない。
結局、多くの人々は忙殺人鬼ブーンの凶刃に倒れるものであり、後にはひとひらの空想さえも遺らない。
この辺りで忙殺人鬼ブーンの活躍ぶりを情感たっぷりに描写したいところだがその必要は無いだろう。
だってその凄まじい凶行を、誰もが身近で知っている筈だから。
※ ※ ※
352
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 21:32:37 ID:bKltLt3M0
よし、ならば逃げよう。ここから何処まででも逃げるんだ。
確かにこの国は海に囲まれた小さな島でしかないのかもしれない。
それ以前に、僕たちは重力の向こう側へ行けないしがない地球人でしかないのかもしれない。
けれども、そんなちっぽけな僕たちだからこそ、逃げられる場所なんて幾らでもある筈だ。
ブーンの足音が聞こえてくる前に、スタコラサッサと旅に出よう。
二度と訪れぬ生まれた街に、心ばかりの名残を惜しんで僕らは見知らぬ聞き慣れぬ土地へと脱出するのだ。
もう生活に苦しむこともなく、着信音に苛まれることもなく、イヤなニュースを傾聴する必要もない。
僕たちはただ僕たちのためだけに、誰にも知れぬ場所へ行方不明になりにゆこう。
もしかしたら失踪届が役所へ出されるかもしれない。
いつの間にやら僕たちは、それまで羽虫のような扱いだったのが嘘みたいに、
たくさんの人に行方を探され、案じられる立場になっているのかもしれない。けれどそんなことは全く関係ないんだ。
その縋り付く泣き声に足を止めてしまったら元の木阿弥なんだ。
どうせまた苦しい生活が待っている。
人生の天秤にのせられている幸福と不幸はどう見たって釣り合わない。
けれども天秤自体がテキトーに作られているものだから、いつの間にかプラマイゼロだなんて錯覚してしまうし、
また周りからもそう揶揄され続けるんだ。そんな誤摩化された人生に、生活にどれ程の意味があるだろう。
最終的にベッドの上で幸せに永眠したところで、行き着く先は天国でも地獄でもない。
そこは真っ暗で何もなくて、初恋のあの子の面影すらも見当たらない独りぼっちの空間だ。
誰に会うわけでもなく、誰と話せるわけでもない。ソーシャルネットワークにも繋がれない。
考えただけで夜泣きしてしまいそうな空間に、意識だけが漂う。それが死ぬと云うことなんだ。
末期の幸せに意味などないよ、どうせ皆同じことなんだから。
353
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 21:35:54 ID:bKltLt3M0
ならば生きているうちに僕たちは不幸から逃れるために最大限の努力を注ぐべきだ。
その努力と自らの人格を組み合わせれば、自ずと答えは見えてくる。
さあ、逃げよう。手に手を取って、どこまでも。
今取りかかっている仕事や作業なんか放り出して、
誰のしがらみを構うこともなく不幸や苦労から出来る限り距離を取ろう。
誰に迷惑をかけたって構うものか。誰かが犠牲になったって構うものか。
僕が生きてゆくには、満足に生きてゆくにはこれ以外に手段がない。
誰だって自分の生活のために気付かぬうちに多くの人の幸福を削ぎながら歩いている筈だ。それと同じことさ。
僕たちが生きていくためには不幸から逃れ、人並みの苦労から逃れ、生活から逃れ、何もかもから逃れ……
嗚呼、でも、生活が無くなってしまったら命も無くなってしまう。
それならば畢竟、僕が生きていく方法は死ぬということに他ならないじゃないか!
※ ※ ※
354
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 21:38:11 ID:bKltLt3M0
( <●><●>)『現実を忌避し、憎悪した物書きが、その鬱憤をぶちまけて客から金をとる。
その金で財を成した物書きは、案外この世の中も悪くないななどと思い始める。
そして、相変わらず現実から逃げ続けていて、あまつさえ彼のように財を成せない者たちへ、
希望と応援の物語を書き始める。
小説だけでなく、音楽でも、漫画でも、同じようなサイクルが多発している。
……こ、こ、この、この裏切り者どもが。
お前たちだって嘗ては世間の価値なき応援に嫌気が差していたのではないのか。
そ、それがたまたまさ、さ、才能があって儲けられたからといって、
どうして我々の気持ちを忘れてしまうんだ!
そういう心変わりが一番傷つくということに、どうして気付いてくれないんだ。
どうして我々を、切り捨てるような真似をしてしまうんだ!
分かったら早く昔に戻ってくれ。あの頃のように暗く、深い哀しみに満ちた物語を書いてくれ。
早く鬱病になれえーっ――!』
※ ※ ※
355
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 21:41:22 ID:bKltLt3M0
(,,゚Д゚)『何にもねえよ。みんな流行りの風に乗っていっちまった。
何にもいねえよ。どうせ好きになったってのも風のモノさ。
どうしようもねえな。言葉なんて文字なんて、そもそも人間なんて、全然空虚なものなのさ。
だからその、どうせ飽きるシロモノをいつまでもリツイートすんじゃねえ、ぶっ飛ばすぞ』
※ ※ ※
356
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 21:44:46 ID:bKltLt3M0
( ФωФ)『さあ、此処より以下の文章は、どうかヘッドバンギングをしながら読んでいただきたい。
叫びながらでも構わない。思いの儘にのたうち回っても構わない。
ともかく何らかの諸賢の感情を露わにする機会としていただきたいのだ。
何故ならば私たちは歳を重ねるにつれて建前の海に溺れてしまい、
何時しか本音を表す術を失ってしまう。
真実の感情はあらゆる事物から解き放たれた時に初めて発露するものではないだろうか。
音楽を聴きながら、独りで不器用な踊りをコッソリ披露したような経験が、殆どの人にあるだろう。
ならば物語を読む際に、何も椅子に座って机に向き合い、
ジッと沈黙して読み込む必要などどこにあろう。
物語の世界に没入しておく時ぐらい、周りの環境を気にするべきではない。
そこが公共の図書館でもない限り。
その物語に抱いた激情を、
高々叫んでいるように見せかけているツイートで終わらせてしまうのはあまりにも勿体ないではないか。
だから私はヘドバンを推奨する。
その行為は、私の知る限り最も直情的で、尚かつ自分の匙加減で行える感情再生の技法なのだから。
紙面やディスプレイに刻まれた文字と自らの想像を繋ぎ合わせて、
誰の知るものでもない独自の世界観に浸るべきだ。
そうすれば自ずと、頭脳と肉体が躍動していくものであろう。
その欲求を抑制する必要が何処にある。
いずれ現実では世間を気にして縮こまっていなければならないのだから、
せめて妄想の中でだけでも私たちは自由であるべきだ。
さあ、頭を振るうのだ。独自の感覚で、独自のリズムで振るうのだ。
そうして文字とイメージをシェイクすれば、きっと諸賢は幸福を得られる。
さあ、振るえ、もっともっと振るうのだ。そうだ、それでいい。
脳髄が物思う間もなく振るい続けろ。そうだ、それでいい。
それでいいというのに、嗚呼、何ということだろう。
『頭を振っていたら文字が読めないじゃないか!』』
※ ※ ※
357
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 21:47:34 ID:bKltLt3M0
……別に何が言いたいわけでもない。何を伝えたいわけでもない。
深い意味なんてどこにもないし、そんなものを詮索されたってどうしようもない。
作者の気持ちを考えられても、個人的に照れるだけで終わってしまう。
誰かのために何かを書くなんて、考えただけで目眩がする。
けれどこうやって文字が次々と吐き出されてゆくのは、こうしていないと僕自身が不安で不安で仕方がないからだ。
そしてそれが、例えばオフラインのチラシの上に書きなぐられているだけというのも、やっぱり不安になってしまう。
だって独りのための文章をしたためている時ほど、後悔に襲われる瞬間は無いのだから。
もし僕にセルフィーの才能があったなら、リストカットを綺麗にデコレーションして、
死にたいと呟くだけで終わってしまうようなものなのかもしれない。
けれどもこの希死念慮がもたらす人生の終わりのイメージは環状線を不眠不休でグルグル巡り、
ブレーキのかかる気配もない。終わりが終わらず、続きが続かない。
ならば立ち止まっているのかと問われればそういうわけでもなく、自転公転とともに確実に老け込んでいるし、
必要の無い四季が去来している。これはいったい何だろう。ここはいったい何処だろう。
誰に問いかけても明確な答えは返ってこないのだ。
人間は人生の本義について、運命という言葉で片して思考放棄してしまっている。
だって、どうやったってその意味を客観的に定義づけることなどできないのだから。
物語とは、ある種の答えを導きだす道筋であると云う人もいる。
それは、教訓とかその手の意味合いを持つのだろう。何よりも、
物語はその受け手に分かるように描かねばならない。そうしなければ第一義を失ってしまうのかもしれない。
けれども本当にそうだろうか。
脈絡のない、獣道さえも見当たらないような言葉の連続が人に何らかの印象や衝撃を与えはしないだろうか。
少なくとも僕はそういう類いのものがあるような気がしてならない。
意味が分かると怖い話より、意味は分からないけれど怖い話のほうが余程恐ろしい。
例えば、この人生のように。
※ ※ ※
358
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 21:50:16 ID:bKltLt3M0
沈黙と共に過ぎていく午後の空間。彼方に夕景、並んだ十字架。
風に舞い、何処からともなくやって来た慕情が、一筋の線を描いて何処へともなく吹き去った。
男は草叢に腰を下ろし、掃除を終えて一息ついている老婆の姿を何ともなく見遣っていた。
( ・∀・)「まるで、世界が終わっていく風ですね」
と、呟く。冗談でも本望でもなく、ただただ流れていってしまうだけの、社交辞令のような言葉。
('、`*川「そんな簡単にいくものかね。あたしはあんたの何倍もこの世でメシを食ってるけれども、
世界が終わったというような話は一度も聞かないよ」
( ・∀・)「そんなことは分かっていますよ。何がどうなろうとも、明日はやってくるものです。
火葬場にどんな色の煙がのぼったって、それは変わることのない。
けれど、最近の若者というのは誰だって一度は世界の終わりに思いを馳せるものなのです。
それは、ある種の憧憬なのですよ」
('、`*川「起こりもしないことに憧れたってどうしようもないさね。
もうちょっと、現実味のある出来事に望みをかける方がマシだと思うがねえ」
( ・∀・)「勿論、宇宙ごとビッグクランチなんかで終わってしまえと言うわけではないですよ。
世界の終わりというのは、実際のところ自分自身の終わりと同義なんです」
('、`*川「なんだい、じゃああんたは、自死でも考えているのかい。
そんならね、此処じゃなくて余所でやってくれ、後始末が大変なもんなんだよ。
人一人死ぬだけでもね。あんただって、こんなババアを隣にして死にたくもなかろう」
359
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 21:53:31 ID:bKltLt3M0
( ・∀・)「いえいえ、私なんかが自殺をするなんて、有り得ないことですよ。
自殺というのは、意義深く、そして尊いことなんです。
誰もが、重たい事情や心情を抱えて死んでいきます。
私はそういう彼是を、この墓場に全て擲ってしまいました。
私には、自殺に足りるほど抱えているものがないんですよ」
('、`*川「けれども、一丁前に憧れているというわけかい」
( ・∀・)「届かないが故に憧れるのですよ。私は自分自身で自殺を企てることはできません。
だって死ぬというのはとても怖いことだから。
結婚出来ないと知っていながらもアイドルを追いかけ続けるファン心理に似ているのかもしれません。
僕はアイドルのCDやグッズを買い集める代わりにこうして十字架を建て続けているのですよ。
いつの間にか取り残され、独りぼっちになって、
最早嘗て抱いていた情熱や意志さえも冷え固まろうとしている今、
自分自身だけでもその末期を悼めるように……」
老婆がジッと男を見詰める。男は、気まずそうに視線を外してどこにも焦点の合わない風景を眺めた。
( ・∀・)「結局、今日に至るまで私がやってきたことと言えば、自殺の代替行為だけだったのかも知れない……」
360
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 21:56:14 ID:bKltLt3M0
その時突然男の耳を、ガラスを粉砕したかのようなけたたましい破裂音が劈いた。
何故か、脳味噌の一部分がひび割れてしまったかのような印象を覚えた。
声もなく驚いて振り返った男の視線の先に老婆はおらず、
代わりに、どこか見覚えのある背高の老爺が笑みを浮かべて立っていた。
男はその姿を爪先から頭の天辺まで舐めるように見渡し、それから、安堵の表情で一つ首肯した。
( ・∀・)「何だ……。ずっと、傍にいたんですね」
その老爺……忙殺人鬼ブーンは笑みを崩さず、いつの間にか右手に持っていた小さなナイフをクルリと回した。
そのナイフは刃渡りがひどく短くまるで頼りにならない代物だった。
( ^ω^)「これじゃあ人を殺すことはできない……勿論、自殺するにも足りませんお。
けれども、これこそが貴方の、全身全霊をかけて磨きあげた自慢の凶器だった……というわけですお。
私は貴方をずっと見てきた。その特異な行動には多少なりとも興味を持っていました……
然しながら、やはり貴方は私の仕事の範疇ではないようですお」
( ・∀・)「ハハハ……随分と、随分と時間を無駄にしてしまいましたね」
( ^ω^)「とんでもない。私は普遍の存在ですお、何時でも、何処からでも世界を眺望できるものですから。
それにね、貴方がた人の目に映る私などは、所詮姿見を覗き込んでいるだけに過ぎないんですお」
361
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 21:59:37 ID:bKltLt3M0
( ・∀・)「そういうものですか……。
こう言ってしまえば何ですがね、貴方の姿……つまり、私自身の姿というものは、
もうすっかり老いさらばえてしまっているんですね」
( ^ω^)「貴方は何も持ち合わせていないお。
人生の意義も、目的も、夢も希望もあらゆるものを喪ってしまっております。
意図的であれどうであれ、それが貴方の歩んだ人生の結果なのですお。
そういう人は、他人より何倍も早く老いぼれてしまいますし疲弊してしまう。
然し、貴方が私を頼ることはないでしょう。それは貴方の心根や、立ち振る舞いを見てよく分かりましたお。
貴方は捨てるに捨てきれぬ貴方自身の未来を、
片手で握りしめてボロボロと潰してしまっているような具合ですお。
そしてそれを決して……投げ捨てることができない。
それこそ、死ねる人と死ねぬ人との明確な格差なのですお」
コツと靴音をたて、忙殺人鬼ブーンは男へ歩み寄った。そしておもむろに片手を差し出す。
( ^ω^)「これをお別れの標としましょう。
この墓場は、どんな恰好であっても貴方の努力の賜物であることには違いありません。
この墓場と、そして貴方自身と、私はお別れすることにします。
こんなにも綺麗な夕焼け空の下ですが、決して印象深いものではありません。
何故ならこの風景も、人々も、この世の原理原則だからです。
この空は、近いうちにまた同じ色を映すでしょう。
その空の下で私たちは、誰もが行うお別れと同じように、ごくごく普通の別れを交わしましょう。
いつまでも変わらず、繰り返される毎日は天国でも地獄でもなく、ただの現実に過ぎないのです。
その現実から逃れられぬ貴方の思いに、せめて握手の一つでもしようではありませんか」
差し出されたその手は老いぼれた相貌とは裏腹に若々しいものだった。
男はその手を握り、何かを言おうとしたが、何も思い浮かばなかった。
自分から湧き上がる一切の感傷が無意味に思え、わざわざ言葉にするのが億劫だった。
( ^ω^)「さようなら。どうか、お元気で。生きながら死んでいるというのも、また一つの生き方なのですから……」
※ ※ ※
362
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 22:03:18 ID:bKltLt3M0
……なんて、下らない空想と現実を重ね合わせていたら、時計の針が僕を置き去りにしてしまっていた。
アパートの一室でただ独り。誰もおらず、何もない。墓を立て続ける男も、それを世話する老婆も、
大勢のコロスも、あまつさえ忙殺人鬼ブーンなど存在するはずもなかった。
ただ、頭の中で粗末な液状の幻想がトプンを音を立てただけ。
まったく、それだけだ。
空虚な想いで脳みそを充たしたところで何も変わらず、何も失われない。
厄介な自己弁護がまたぞろ主張したというわけだ。歪な思弁、机上の空論。箸にも棒にもかからない私小説。
誰からも愛想を尽かされたどうしようもない架空の人形遊びを、惨めな自分が独りで嗤っている。
それでも息をするのだった。
夢を抱かず目標を持たず、希望を失い他人との繋がりが途絶えても、僕は呼吸をするのだった。
誰もいなくても、何もなくても、死のうとは思わないものだった。
これが若さを失うということなのかもしれない。
傍に誰かがいなくても、インターネットの知人に愛想をつかされても、この肉体がある限りは頭が働き、
つまり、自分自身が此処にあるのだった。
その実感は、思っていたほど悪くない。
むしろ、ようやく僕は居るべき場所に落ち着くことが出来たのかも知れなかった。
遠くで僕のことを思い出した昔の友人が、アイツは死んでしまったのかなと逡巡していても、
また、誰の脳裏からも消えてしまおうと、僕は確かに生きているのだった。
誰もが僕を忘れても、僕は死んでしまわない。孤独の底で、確かに生き続けるのだ。
今なお、生き続けているのだ。
※ ※ ※
363
:
名も無きAAのようです
:2014/10/10(金) 22:03:59 ID:dmXD5.sQ0
支援
364
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 22:06:45 ID:bKltLt3M0
僕が産み出した数多の想像。
それらは無秩序に、不躾に、そして不埒なまでに、言葉となって吐き散らされた。
遠い遠い揺り籠まで遡る僕の言葉たちに、僕はどのように謝罪するべきだろう。
嗚呼、どうか許してほしい。僕は本当に、言葉を産み出さなければ気が狂ってしまいそうだった。
それはたった独りの人間であるこの僕にとって、何よりも救済たり得る方法だったんだ。
そうして君たちのような、不格好で、どうしようもない言葉ばかりが産まれてしまった。
君たちには何の罪もないのに、僕はいつも何某かの罪障ばかりを背負わせてしまっていたんだ。
それはまるで、愛情を盾にした八つ当たりのように……。
そしてこれからもきっと、僕は言葉を、文章を、物語を、半永久的に綴り続けてしまうだろう。
何を反省することもなく。ただ僕だけの都合で。ただ僕だけの感情ばかりを乗せて。
言葉たちはそこにいる。明日も明後日も、いつまで経ってもそこにいる。
けれど、そこに込められた意味だとか、想いなんていうものは、いつの間にやら移ろって、変化して、
元の形を失ってしまう。僕らは知らず知らず、過去を引き出す手がかりを喪っていく。
あまつさえ、物覚えの悪い僕のことだ……。
365
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 22:09:25 ID:bKltLt3M0
言葉よ、本当にありがとう。僕はお前たちを無碍に扱ってばかりだったのに、今までよく耐えてくれた。
誤字脱字も、誤用も、文法の間違いも様々にあっただろう。その矜持は傷だらけに違いない。
それにも関わらず、変わらずついてきてくれたことに、僕は心の底から感謝したい。
そしてこれからも、僕は言葉を濫用するだろう。
迷いながら、惑いながら、僕はあらゆる悲観的な言葉を吐き出してしまう筈だ。
治そうと思って治るものじゃない。これは中毒みたいなものなのだ。
言葉の味を知ってしまった以上、僕は言葉を超える何かを見つけることはできないだろう。
だから僕がこの人生を終えるその日まで、言葉には過酷な目に遭ってもらわなければならない。
申し訳ない。申し訳ない。けれども、どうにかついてきてほしい。
言葉こそ、僕が信じることのできる唯一無二のものなのだから。
だからせめて墓をつくろう。
下卑た韜晦に充ち満ちた頭の中にそこそこに立派で、そこそこに心を込めた、
不出来でも形になっている墓をつくろう。
そうしてそれぞれに、墓碑銘を刻むのだ。あらゆる言葉に悼む言葉を重ねがけて、それを幾つも並べてみよう。
この脳髄が土に還るまで、言葉を産み出したという罪責を忘れぬように……。
※ ※ ※
366
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 22:12:32 ID:bKltLt3M0
毎日起床するアパート。毎日通る町並み。工事中の建物だって、どうせどこかで見たような景色。
雑多な人混み。その中に、憶えたくもないのに勝手に記憶にしまわれた人の顔がある。
あからさまに脅かしてくる喧噪。イヤホンが無ければ人生はやりきれない。
風の無い空にピッタリと貼り付いたようなうろこ雲を見上げると、何だかひどい不安に襲われる。
独りで咲き誇る痩せ細った向日葵。
彼女は、自分が他よりどれほど醜いのか知らぬまま枯れて死んでいくのだろう。
そういう生き方は、きっと美しい。
もしいつかこの僕がどこかの大講堂に立ったらこう叫ぶ。
「さあ、物語を始めましょう」
けれど、超満員の聴衆は誰も僕の言葉に耳を傾けていない。みんな、自分の人生に夢中なんだ。
そんな世界は、きっと素晴らしいものだと思う。
……ああ、まったく、もう。死んでしまいたい気持ちでいっぱいだ。
この夜が過ぎて、朝になったら、自分独りだけ世界から取り残されてしまっていればいいのに。
……いや、でも、明日は早起きをしよう。日が昇る頃に、アラームをセットしておこう。
だってその頃にはたぶん、ソーシャルゲームのスタミナが溜まっているだろうから……。
それでは、おやすみなさい。ごきげんよう。さようなら。
大丈夫。どうせ、いつまでも生きてるんだから。
了
367
:
◆xh7i0CWaMo
:2014/10/10(金) 22:13:37 ID:bKltLt3M0
後書きはブログに書きました。
10月12日午前0時に公開されます。
クソ長いのでどうでもいいやつです。投下前に書いたので若干齟齬があるかもしれませんが。
なのでもう、ここに書くべきことは何一つありません。
これで終わりです。
それでは、さようなら。
368
:
名も無きAAのようです
:2014/10/10(金) 22:24:03 ID:WEhma5jo0
完全に読みふけって支援とすら書くの忘れてた
すまない
きっとこの作品は何度も読むと思うよ
乙でした
369
:
名も無きAAのようです
:2014/10/10(金) 22:28:40 ID:V4rokEN.0
乙。最初から読み返してくるわ。
貴方の文好きだわ。
370
:
名も無きAAのようです
:2014/10/10(金) 22:44:29 ID:mMFeRHHs0
読みきりました
うまく言葉がでてきませんが何故か物語にありがとうございますと言いたくなります
乙です!
371
:
名も無きAAのようです
:2014/10/11(土) 00:50:29 ID:uIyO2l.k0
2が一番好きだおつ
372
:
名も無きAAのようです
:2014/10/11(土) 01:22:40 ID:1WVo36mg0
乙
誰かもレスしてたけどなんか創作意欲が湧くな
人間の内側内側の話だからかなー自分を投影して読んでるとなんか色々湧いてくる
じっくりまた1から読み返そう
373
:
名も無きAAのようです
:2014/10/11(土) 11:11:32 ID:VT9Qft3s0
乙でした!!
374
:
名も無きAAのようです
:2014/10/11(土) 16:49:04 ID:T9B1Nm2.0
最後が素晴らしかった。ありがとう
375
:
名も無きAAのようです
:2014/10/11(土) 23:34:35 ID:ZDIdDmaM0
amazarashi好きそう
376
:
名も無きAAのようです
:2014/10/13(月) 16:26:57 ID:FCAFixzg0
ブーン系っていうより普通の小説として面白いな、乙
377
:
名も無きAAのようです
:2014/10/13(月) 16:41:20 ID:U8FkJkog0
ボンベロのパティめっちゃうまそうなんだよなあ
おつ
涙を流す日が個人的によかった
378
:
名も無きAAのようです
:2014/10/21(火) 00:20:12 ID:Dz8acoRA0
後書きはブログに
ってお前のブログどこだよw
379
:
名も無きAAのようです
:2014/10/21(火) 12:43:29 ID:etY0PejE0
ぶんてなも知らんのか
380
:
名も無きAAのようです
:2014/10/21(火) 18:58:10 ID:aZNZvOjs0
おつ
やっぱあんたすげぇよ
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