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教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて

20尾崎清之輔:2007/11/20(火) 00:09:31
今夜はNo.17の続きにあたります。

良く考えてみたら、今回はじめてヴィルヘルム・ケンプの作品群を所有したことに気が付きました。
何故か今年はピアノ演奏家に縁があるらしく、ここ暫くはバックハウスを聴いており、あのスケールの大きさと卓抜な技巧は、まさしく「鍵盤の獅子王」と呼ばれるに相応しいと感じつつ、彼の奏でる「ワルトシュタイン」で毎朝を迎えておりました。
(もっとも「鍵盤の獅子王」と呼ばれた若い頃の作品は持っていないので、所有している後期の作品群から感じ取っただけですが。。)

しかし、今回ヴィルヘルム・ケンプの作品群は、僅か2日ですっかり聴き入ってしまい、特にベートーヴェンの後期ピアノソナタの30、31、32番は秀逸と思いました。
このあたり、本を読んだだけでは全く分かりませんでしたが、『音が鍵盤を押した瞬間ではなく、押した後から遅れて出てくるような弾き方』の意味が漸く理解できた気がします。

ちなみに、これ以外に個人的に好きな演奏家としてはフルトヴェングラーがおりますが、この3人に共通しているのは、いずれも名前が「Wilhelm」であるということです。これは何かの縁なのか、それともドイツにはこの手のお名前の方が多いのでしょうか。。

さて、いきなり余談からはじまってしまいましたが、『丸山眞男 音楽の対話』において、丸山博士はバックハウスには殆ど触れられておりませんが、ヒトラーはバックハウスの大ファンであり、戦後は一時期ナチス協力者の汚名を着せられたはずという記憶がありますので、そのことに丸山博士が言及していないことに不思議さを感じました。
これは著者の中野雄さんが意識的に書かなかったのでしょうか。

それに比べると、リヒャルト・シュトラウスについては、『本当に美しさが分からない作曲家』のひとりに分類されており、

◆「バラの騎士」はえん麗の極地だ。しかしフィガロの結婚のエロティシズムと、バラの騎士のエロティシズムをくらべてみるがいい。芸術におけるErhabenheit[高貴、気品・中野注]とは何かということを、これほどあからさまに見せつけてくれる対照がまたとあろうか。

とまで言い切っております。

確かにリヒャルト・シュトラウスが第三帝国におけるドイツ音楽院の総裁を務めたり、ナチス当局の要請に応じて多くの音楽活動を行った事実などから、保身汲々していたと言われても致し方ないかなと思いますが、それ以上のこととして、大日本帝国政府時代の日本にとっては、皇紀2600年を記念する祝典音楽の創作を依嘱した6ヵ国の作曲家の一人であり、その曲名が何と『皇紀弐千六百年奉祝音楽』(正確には『大管弦楽のための日本の皇紀二千六百年に寄せる祝典曲』)などという他に依嘱された作曲家の付けた題名と比べて、大層な曲名にその迎合ぶりが表されているような気が致します。
(もし私の誤解でしたらすみません>リヒャルト・シュトラウスのファンの方)

ちなみに、同じく依嘱されたベンジャミン・ブリテンというイギリスの作曲家は、『シンフォニア・ダ・レクイエム』、要するに”レクイエム交響曲”などという題名を付けたのですから(従って当時の日本政府から受け取りを拒否された)、これはイギリス人らしいアイロニーが籠もってるなと思いましたが、こちらもその後よく調べてみたら、そんな高尚な理由で付けたわけではなかったようですね。

21尾崎清之輔:2007/11/20(火) 00:57:22
皆様におきましては、さぞかしご多忙中のことと存じますが、そのような中でも、常に「微笑み」のある日々を送って生きたいものですね。
今夜は、ささやかながら明日の朝に向けた「揮毫の書」をお送りさせて頂きます。


<微笑>

微笑は人一代の身だしなみ

微笑みに勝るきれいな化粧なし

微笑は機械の油の如く

渋面は人間のサビの如し

幸福は微笑みのようだ

微笑は意識して出来るものではない

泉のように静かに湧き出ずるものだ

22尾崎清之輔:2007/11/21(水) 00:26:31
私は、少しでも良いと思った内容や、気になることが書いてあるHPやブログには、すぐブックマーク登録を行ってしまう性格のせいか、気が付いたら拙宅のPCには300以上ものブックマークが存在しており、1年以上まったく見ていないページも多々あって、既にリンク切れとなっているページもそれなりにございましたので、この際、思い切って半分程度に整理しました。

そのような中、暫く見ていなかったものの、前からお気に入りであったブログも久しぶりに拝見させて頂きました。

・toxandoria の日記、アートと社会
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/

以前は『toxandoria の日記』となっていたと思いますが、ブログ主の方は芸術にもそれなりに造詣が深いようで、他に所有されているブロクの方でもアート関連のテーマを良くご紹介されているようです。
(そういえば、確かどなたかが、前にこのブログから記事を引用されておりましたね)

ブログの冒頭ページにも

◆toxandriaはフランドル辺りの古称で、その中心の古都ブラッセルはEU(欧州連合)の首都です。歴史から学ぶ象徴として、この古地名を借用しました。トップ画像はブルージュの北東部、ヒド・ヘゼレ博物館あたりです。

という紹介文がございますように、はページ全体に渡って、四季折々の様々な自然の風景、国内外の歴史的な建造物または場所、欧州で一時代を築いた絵画群、YuoTubeに掲載された数々の名曲音楽の映像などについて語りつつ、同時に政治・経済・社会など俗界の現実に対しても歴史的な観点や先哲の考え方などをベースに非常に冴えた論評を下されていると思っており、私にとって大変貴重と考えているブログのひとつです。

小生の場合、まだ殆ど雑文レベルでしかありませんが、いずれはこのブログ主の方のような話の流れを創り出せるようになるか、または自らブロクを立ち上げた際にはそのような展開が図れることができるよう、日々積み重ねていきたいと思っております。ちなみに、日記の一覧は以下のURLから辿ると探しやすいと思います。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/archive

(以下、次項へ続く)

23尾崎清之輔:2007/11/21(水) 00:32:34
(前項より続く)

さて、先にご紹介したブログの記事ひとつひとつは個々人にご確認頂くとして、直近で私が印象に残った文章のみ以下に引用させて頂きます。

・アダージョの風景、ララ・ファビアンと晩秋の仙台
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20071105

このタイトルの記事では、

◆結局、日本では<現実的な批判勢力の不在>が長すぎたため、言い換えれば<現実的な批判力の意義を理解する国民意識の芽生え>が遅すぎたため、『私は、今日 も、これからも、昨日のように変わり続けなければならない』(ランペドゥーサ原作『山猫』の主人公、サリーナ公爵家ドン・ファブリツィオの言葉)という民 主主義国家にとって最も必須の精神環境が、この段に至っても、未だに凡ゆる局面において形成されていません。本来であれば、「公正 (Fairness=関係者どおしでの正義)と公平(Impartiality=客観的・第三者的な立場での正義)を保持するという意味で、あるべき普遍 的な理念としての未来」と「それを求めて変わり続ける国民・市民意識・政治」が存在するからこそ「多様で地域個性的な民主主義のあり方」がレゾンデートル (存在価値)を持ち得るのだと思います。各人それぞれの「多様な美意識」についても、これと似た構図が考えられるのではないかと思っています。しかし、情けないことですが、このような民主主義にとって最も肝要な精神環境が不在であるため、相変わらず「国民の主権」も「国民の生存権」も二の次にされ 続けており、無責任で悪徳な政治家連中が最優先するのは私益と保身、そして自らの悪徳の本性を偽装することばかり、ということになるのだと思います。日本 の政治の場面で“国民の意識が目に見えるようになる”のは、いつになるのでしょうか?

(中略)

◆ここまで日本政治の混迷度が深まると、福田&小沢の御両人のみならず日本人全体が“超老化現象”の段階に入ってしまったように見えてきます。ズバリ言えば日 本人の多くは重度のボケ・シンドロームに罹っており、殆どの想像力(イマジネール)と合理的な認知力が機能停止してしまったのではないかと思われます。今の日本で“まともに機能している”のが「軍・財・政・官複合体のダメージ・コントロール」、「公私の別を問わぬ凡ゆる組織での狡猾な偽装工作」、「ネズミ講方式のビジネス・モデル」の三点セットだけということでは、余りにも寒すぎますね。

と、一喝しており、現在の日本で『まともに機能している』のが

・「軍・財・政・官複合体のダメージ・コントロール」
・「公私の別を問わぬ凡ゆる組織での狡猾な偽装工作」
・「ネズミ講方式のビジネス・モデル」

の三点セットというのは特筆に価すると考えます。

また、同様の指摘として、

◆例えば、安全性を無視してニセモノを売りさばく日本の大衆食品市場について『残飯市場』というヒドい隠語があるそうですが、このまま「軍・財・政・官複合 体」のダメージ・コントロールに振り回されていたら、これから、多くの日本国民は“残飯”より“凄い食い物”を喰らわされることになるかも知れません。

と、日本も既に「残飯国家」に成り下がっている事実も明確に述べており、いったい毎日、口にしている食事の素材や調味料の本当の中身をどれだけの方々が知りえているか、長い人類の歴史の中で培われてきた人間の持つ新陳代謝の機能や解毒作用などに対して、全く自然発生物でない存在を身体の中に入れるということは、どのような影響が今後の長いスパンの中で起こりえるのか、十分な検証(これは単なるテクノロジーや即時的な似非サイエンスでは解決不可能)が為されないまま、人類の生命体を維持する最も大切な食糧でさえ、既に商売の効率化という名の元で賤民化の嵐の中に巻き込まれてしまっている事実を正しく認識し、それらの対抗軸(その一種としてオルターグローバリゼーションという考え方や行動様式もありますが)をハッキリと打ち出していく必要性を痛切に感じております。

24尾崎清之輔:2007/11/22(木) 23:42:27
読み返してみて「はページ全体に ⇒ ページ全体に」、「YuoTube ⇒ YouTube」と、相変わらずの誤字脱字の多さに恥ずかしい限りではございますが、これも心の余裕云々に繋がるものと考え、あえて削除して書き直すようなことはせず、「ありのまま」にしておきたいと思います。

さて、ここらで心機一転して、No.14で『Japan's Zombie Politics』の副題『A Tragedy in Four Parts』に少し触れさせて頂きましたので、前に少し書き溜めておきながら放っておいたままにしていた内容のものを思い出しましたので、このたび文章として再構築した上で『英語版Japan's Zombie Politicsの出版について』へ投稿させて頂きます。

25尾崎清之輔:2007/11/26(月) 01:00:02
食わず嫌いというのも何なので、百聞は一見にしかず、本日(昨夜)ドレスデン国立歌劇場の来日公演の一つ『ばらの騎士』を観劇してきました。
事情により、指揮者ならびに元帥伯爵夫人役の交代など、いろいろございましたが、当日はオケの奏でる音の素晴らしさと、元帥伯爵夫人役に急遽抜擢された「アンネ・シュヴァンネヴィムルス」の凛とした貴族女性としての立ち振る舞いや姿勢に感銘を受けました。
但し、それはあくまでも演奏や演劇上の技術の素晴らしさであって、No.20で紹介させて頂いた丸山博士のR・シュトラウスへの評価の意味するところが、今回はじめてこの作品を生で観たことで、良く理解できたと思います。
このあたりは、かつて「フィガロの結婚」を観劇していただけに『芸術におけるErhabenheit[高貴、気品]』と仰っていたところが、よけい際立っていたと感じざるを得なかったと申し上げておきます。

詳細につきましては、そのほか感じたことと併せて後日ご報告させて頂きますが、本日は取り急ぎここまでとさせて頂きます。

26尾崎清之輔:2007/11/26(月) 21:47:53
昨日の話の続きへ行く前に、今夜は少しだけ寄り道をさせて頂き、一夕の閑話をお楽しみ下さい。

2007年も余すところ1ヶ月程となりましたが、そろそろ今年1年を振り返っても「鬼が笑わない」時節になりました。

激動の現代社会に生きる我々にとっては、多種多様な悩みやストレスなどに日々追われて「振り返る暇も無い」と仰せの方々もいらっしゃるとは思いますが、ここは一つ、今年1年(≒11ヶ月)を振り返ってみて、一つ一つあった出来事や判断また決断したことなどを含めて、全て「自らを肯定」してみたらいかがでしょう。
きっと新たな発見があるのではないかと思う次第です。

また、藤原ブッククラスターの方々でしたら、藤井尚治先生や西原克成先生の書籍群もご一読されていらっしゃるでしょうから、心が脳(Mind)と内臓(Heart)の両方に宿っていることや、それら心の持ち方が実体(自らの健康)へ与える影響は良くご存知のことと思います。
従いまして、「笑い」の重要性も良くご理解されているでしょうから、「笑い」が脳や内臓など人体の健康維持や、新たな活力を生み出すことに多大なる好影響を与えていることは、申し上げるまでもございませんね。
そう。「鬼が笑わない」時節になったからこそ、こちらから笑ってあげるくらいの気持ちで日々を過ごしましょう。

漫才、落語、新喜劇を観るのも良いでしょうし、自然が奏でる紅葉や雪山、また冬の澄んだ晴天を眺めるなど、爽やかで清々しく、活力と魅力溢れる毎日を過ごしていくためにも、ここは思いっきり「笑い」飛ばしてみませんか。

そして、貴方が楽しければ皆も楽しいことにきっと気が付くことでしょう。

27田中治:2007/11/27(火) 13:22:28
「教養と場作り」という素晴らしいスレッドが立ち上がり、尾崎さんが連日幅広いテーマで投稿をしてくださるおかげでこちらも大いに刺激されている。尾崎さんほどの洞察眼や幅広い知識は持ち合わせていないものの、なんとか様々な話題に絡めて投稿に参加させていただきたいと思う。
当方は、東京都心に住んでいるが、窓から外を眺めると、最近の建物はみな一様に空へ空へと向かって伸びている。以前、イタリア中部トスカーナ地方を車で走り回ったことがあるがその時、サン・ジミニャーノという中世の街が目前に現れ、その異様な様にしばし考え込んでしまったことがある。その昔富裕な商人達がその富を塔の高さで競ったというのだが、街の規模に対する塔の高さのバランスが悪くゆえに奇妙に映った。天へ向かって志向する建築といえば、時折テレビのニュースで見るニューヨークの摩天楼と合わせて、ふと頭にブリューゲルの「バベルの塔」が浮かんだ。昨年だったか、バベルという名の映画もあったが、それはともかく、「バベルの塔」は傲慢になった人間に対する戒めの意があることと合わせ、21世紀初頭に、この象徴であるツインタワーの崩壊を目の当たりにして、謙虚さと理性の必要性を感じる今日この頃である。無秩序に立ち並ぶ東京都心の高層建築群を眺めながら、かつてロマネスク様式には集中式とバシリカ式があり、一方は地から天へ向かって伸びる垂直方向、他方は入り口から祭壇に向かって伸びる水平方向が特徴であったが、そのふたつの方向性が黄金比と組み合わさったのがゴシック建築であるならば、それらが栄えた地方はどこであったかなどと頭の中で遊んでいたところ、先日偶然に、NHKのBSハイビジョン特集番組として3夜連続に「ハプスブルグ家」の題で放送されていたものを見た。当初はそれほど期待もなく見ていたのだが、大変に興味深い内容が含まれており、図らずも欧州理解の一助にもなった。15世紀にマキシミリアン1世がブルゴーニュ公国の王女マリアと結婚し勢力を拡大したが、フランドル地方の栄華を目の当たりにし、当時イタリア・ルネッサンスよりも前に栄えていたフランドルのゴシック建築や絵画、また当時他の地域にはまだなかったポリフォニー音楽に感銘し、彼はそれを積極的に取り入れて後にウィーンでも栄えることになる。ウィーンはゴシック建築の都としてはもちろん音楽の都としても数々の作曲家を排出し続けた。それは藤原・藤井両博士の「間脳幻想」にもあるように、今日でも我々は体感することができる。またこの「異国」での経験がのちの多民族国家運営の教訓になったようだ。ゴシック建築の傑作として北フランスにパリを囲んでランス・シャルトル・ルーアン・サン=ドニ、ランやパリのノートルダム寺院といったゴシック建築の最高峰として大聖堂が存在しているがその関連性と合わせて、のちにブルボン王朝に繋がる、「ブルゴーニュ公国」の歴史を紐解くことの必要性も感じた。同時に欧州においては特に、地図上の国境線はもちろん国家(Nation)を見るのと同時に地域(Region)を知ることがより深い歴史理解につながることを再認識させられた。

28田中治:2007/11/27(火) 13:27:57
地域としてみれば南ドイツに位置するバイエルン地方は歴史的に古くからハプスブルグ家の勢力範囲でウィーンからも程近い距離にある。同じドイツでも北のプロイセンやライン地方のドイツ人とはそれぞれ違った歴史と気質を持っている。第3帝国下ではナチスの音楽局総裁を務めたリヒャルト・シュトラウスはミュンヘンの出身であり、若きカラヤンはナチス党員になった上でオペラ指揮者として活動していたが、彼はザルツブルグの人であった。音楽史上、シュトラウスはワーグナーの継承者だが、そのワーグナーに傾倒して最後は非業の死を遂げたのはバイエルンの王ルートヴィヒ2世であった。ワーグナーが音楽界に現れた時、ドビュッシーもヴェルディも影響を受けたが、ドイツの音楽界で決別したのはブラームスだった。見方によっては、ワーグナーとブラームスという二人の作曲家の歩んだ道・その作品から、その後のドイツ・オーストリアの運命がすでに予感として感じられるようにも思う。「ばらの騎士」をはじめとするシュトラウスのオペラ作品も、オーストリア人であるフーゴー・フォン・ホーフマンスタールなくしてありえなかった。ホーフマンスタールは現在のチェコの人であり、つまりハプスブルク帝国領内の出身であるがユダヤ人である。彼ら合作のオペラの数々もウィーンを知ることで、強いては多民族国家ハプスブルグの歴史を知ることでまた違った味わいになるのではないかと思った。オーストリア人であるヒトラーは、若い頃ウィーンで挫折しているが、その昔ハイドンがハプスブルグ皇帝に献呈した曲に歌詞をつけて第3帝国の国歌とし、ウィーンの王宮のバルコニーで披露したという。この曲は戦後、歌詞を変えてなおドイツ国歌として歌い継がれているわけだが、ヘルムート・プレスナー著「ドイツロマン主義とナチズム(遅れてきた国民)」を再読しながら、ワイマール共和国末期の政治状況と喩えられる日本の現状、藤原博士著の「JZP」の意味するところと合わせて歴史からの教訓を探ろうとしているところである。
ちなみにこのテレビ番組によれば、ハプスブルグ家の現当主は現在EUのコミッティーにも参加しているようだ。長い歴史の中で培われた審美眼と膨大な教訓を持つ血脈がいまだ欧州におけるソフトなリーダーとして機能していることがうかがわれ、欧州の凄さを感じてしまった次第である。

29尾崎清之輔:2007/11/28(水) 00:33:50
田中さんの慧眼と素晴らしい書き込みに感謝しますとともに、私の20項ほどの拙文に対し、僅か2項に濃縮したその筆力には、思わずシャッポを脱がずにはいられませんでした。

特にリヒャルト・シュトラウスが音楽史上におけるワーグナーの継承者であった点からはじまり、ブラームスとの関係性やその後のドイツとオーストリアが辿った変遷などについては、これから展開しようと思っていた矢先だけに、見事なほど頭の中を読み抜かれてしまったと申し上げておきます。

また、田中さんご指摘の通り、若きカラヤンがナチス党員であったことは余りにも有名であり、中村勝巳先生もその辺りについては、フルトヴェングラーがベルリンフィルハーモニーとベルリン国立歌劇場の指揮者の地位等を辞するかどうかという段階の際、『この時ゲーリング元帥と組んで、後釜になろうとしゃしゃり出てきた人物はその後「帝王」となりました』と皮肉を込めた一撃を加えており、丸山眞男先生も「カラヤンは合わせものが上手い」と褒めつつ、その「合わせものの上手さ」が、却って音楽そのものを詰まらなくした最大の原因であるが如く喝破しており、それは現代に至って「消費としての音楽」という地位に貶められてしまった事実に充分表されているのではないかと考えます。

そして、欧州という存在が、地図上の国境線としての国家(Nation)を超えて、地域(Region)として再認識することの重要性が、より深い歴史理解に至るということについては、私も同意であり、まさしく正鵠を射たご指摘であると思っております。

その一つは、『ハプスブルグ家の現当主は現在EUのコミッティーにも参加』に言い表されている通り、そもそもEU(欧州連合)が成立するまでの歴史を遡れば、すぐに「国際汎ヨーロッパ連合(通称:汎欧州運動)」に辿り着けますように、ハプスブルグ家の現当主であるオットー・フォン・ハプスブルク公は数年前まで国際汎ヨーロッパ連合のトップであったこと、その前のトップは汎ヨーロッパ主義の提唱者で「EUの父」とも呼ばれたリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーということになり、このカレルギーが日本生まれの日本育ちであったことを考えるならば、その歴史を現在の方々はどれくらい知っているのか、そして当時の日本は何という大きな架け橋を失い、後の大正末期から昭和初期を経て敗戦に至るまでの暗黒時代を迎えることになってしまったのか、現在進行中の歴史を相似象として捉えて、良く考えてみる必要があるのではないでしょうか。

さて、21世紀のはじまりとともに、ニューヨークの摩天楼の象徴は、誰が見ても分かるほど大きな歴史のパラダイムシフトを経験することになり、日本では、東京はじめ首都圏のみならず、中部圏や近畿圏など、あらゆる大都市で土地の有効利用という名の無秩序な摩天楼化が進んでおりますが、前に引用させて頂いた「公私の別を問わぬ凡ゆる組織での狡猾な偽装工作」が『まともに機能』している以上、彼の地のように何かが飛び込んでこなくとも、いずれ阪神大震災が「天災ではなく人災」と喝破した藤原博士の言を思い起こすことになるのではないかと考えます。

30鈴木本田朗:2007/11/28(水) 04:11:40
いやあ、久しぶりに読み応えのある書き込みが続き、うれしい限りです。

31尾崎清之輔:2007/11/30(金) 01:36:08
記憶のみを頼りに書くと思わぬ間違いをしてしまうことがあり、先の投稿ではカレルギーを日本生まれの日本育ちと書いてしまいましたが、確かに日本生まれではあるものの、僅か1〜2歳でオーストリアへ移ったため、正確にはオーストリア育ちであるという私信を頂きましたので、ここに訂正致します。

また、私信では、彼の母「ミツコ・クーデンホーフ・カレルギー」が旧姓「青山ミツ」であることや、映画「カサブランカ」のリック・ブレインことボギー(ハンフリー・ボガート)の恋敵役の政治犯のモデルとなった人物ラズロが、カレルギーであるということにも触れておりましたので、この場をお借りして感謝を意を表します。

おかげさまで、「ミツコ・クーデンホーフ・カレルギー」が、あのゲランの香水で有名な「ミツコ」に繋がったことや、映画「カサブランカ」から、当時のフランスの植民地であったカサブランカでボギーが経営していたお店にやってきた客が、恋敵役ラズロの妻で、嘗てはボギーとはパリで愛し合い、いつの間にか消息不明となったイルザ(これがミツコという説もあり)ということになり、あの「君の瞳に乾杯(Here's looking at you, kid)」をはじめとした数々の有名なセリフを生み出したことは、今でも語り告がれておりますね。

せっかくなので、他にも有名となったセリフの一部を以下にご紹介させて頂きます。

"Where were you last night?" (昨日の夜は何をしてたの?)

"That's so long ago, I don't remember."(そんな昔のことは覚えてないな)

"Will I see you tonight?" (今夜は会ってくれる?)

"I never make plans that far ahead." (そんな先のことはわからない)

他にも、Samへ弾いてくれとお願いした時のセリフが、"Play 'As Time Goes By.' などいろいろごさいますが、リックがイルザに言った"Maybe not today, maybe not tomorrow, but soon. And for the rest of your life."というセリフを、「今はよくても、きっと一生後悔する」と訳した方の腕前には流石!と唸らざるを得ません。

もっとも、これが日本語でのセリフだったら、余りにも「キザ」過ぎて、普通は「引く」でしょうね(笑)。

尚、ハンフリー・ボガートで思い出した余談ですが、彼がフィリップ・マーロウ役で演じた映画では「ギムレットにはまだ早い」という有名なセリフがありますが、彼がいつもバーで飲んでいたギムレットについて、「本物のギムレットは、ジンとローズ社のライムジュースを半分づつ。ほかには何も入れない」という内容を、今から17〜18年ほど前に都内のあるバーで酒の肴の話として伺っていたところ、壮年のバーテンダーさんから「ジンとローズ社のライムジュースを半分づつ」使った「本物のギムレット」がございますよ(今もそうかもしれないが当時はローズ社のライムジュースを置いてある店は稀であった)、と勧められたことから、その時はじめて味わう機会に恵まれました。

32尾崎清之輔:2007/12/01(土) 01:11:32
さて、先週末に観劇した「ばらの騎士」について、先日に続いて若干思ったところを追記させて頂きます。

「ばらの騎士」は、リヒャルト・シュトラウスがナチスに傾倒していたことを踏まえて、このオペラの登場人物である、男爵の異常なまでの「貴族としての血の純血に対する拘り」について、ある種の勘が働いたのですが、その背景にはナチスというかヒトラーがあると考えており、ヒトラーは純血なゲルマンではなかっただけに、余計そういうことへの拘りがあったのでしょうか。
まさしくどこかの国の知事あたりと同じく。。

それと当時のドイツが持っていた、(第一次世界大戦の敗戦によるショックとその後の経済的社会的な疲弊からきた)逆立ちした劣等感としての優越感との相乗により、悪しきシナジー効果へ至ったのではないかということから、その辺りに「ばらの騎士」という、モーツァルトの「フィガロの結婚」と比べて、喜劇でもなく悲劇でもない中途半端なオペラを生み出した遠因があったと考えます。

また、「ばらの騎士」は元師伯爵夫人の「ただそれだけのこと」という一語に尽きると思っておりますが、それが人生でもあり、人生とは儚く無常であるというテーマを持ちながら、この中途半端さ加減が、ある意味やんごとなき方々のどうでも良い恋愛話でしかない「もののあはれ」を書いた源氏物語に通じるのではないかとも思いました。

33田中治:2007/12/01(土) 14:27:28
尾崎さんの卓越した洞察力と的確な比喩表現に改めて敬意を表すると共に、まだそのレベルに知識量としても至らない私の書く投稿がリベラル・アーツにおける修辞法の欠如をも露呈することに恥ずかしさを感じるが、続けて投稿させていただきたい。
石油の基軸通貨ドルの行く末と、新しい通貨ユーロの未来を推察しながらその向こうに見え隠れするヨーロッパの聖俗合わせた知識集団への興味は尽きない。前述のテレビ放送の中でハプスブルグ家現当主のオットー・フォン・ハプスブルグはそのインタビューの中で「庭に咲く花も、一つの花が一面に咲いているより、様々な種類の花が咲いている方が美しいでしょう?」「言語の違いというものは素晴らしいものです」と語っていたのは印象的だが、そこにはもちろん宗教の多様性についての答えは含まれていなかった。
尾崎さんが仰せのように、現在のEUの姿は20世紀初頭にクーデンホーフ=カレルギーの唱えた汎ヨーロッパ主義に遡るわけだが、その思想を最初に体現したものとして「国際汎ヨーロッパ連合」があり、本部はミュンヘンにある。前述のハプスブルグ家現当主のオットー・フォン・ハプスブルグはクーデンホーフ=カレルギーの後を継ぎ、2004年までこの組織の会長を務めている。「旗」は組織のアイデンティティを象徴するものとして、Wikipediaで「国際汎ヨーロッパ連合」の「旗」を見ると、青地の旗には左上方に黄色をベースに赤十字がついていてこの赤十字は一瞬中世の十字軍を思わせる。この組織の4原則のひとつにはキリスト教が掲げられていることの反映だろう。オーストリアやバイエルンはアルプスのちょうど北側の麓から広がる美しい牧歌的な田園地帯として風光明媚なところだが、僧院も多い。僧院はもともと人里離れた場所で修行を積む場だからいたしかたないが、ローマンカトリック教会のアルプス以北へ向けた拠点としての範囲と神聖ローマ帝国皇帝を数多く輩出してきたハプスブルグの勢力範囲は重なるだけに興味深い。

34田中治:2007/12/01(土) 14:32:35
ヨーロッパにとって古から敵は常に「東」から攻めてくるのであり、その「東」に対抗するには、ローマ帝国以降のキリスト教を精神的な屋台骨に据えて求心力を持ち対抗せねばならない。「東」は主に、古くはアッティラに代表されるフン族、その後はイスラムのオスマン・トルコ、最近ではロシアを核にした共産主義勢力であった。そして少し前までの日本、現在の中国やインドの経済発展は同様に脅威的な存在であろう。オットー・フォン・ハプスブルグは1989年ベルリンの壁崩壊の直前、汎ヨーロッパ・ピクニックとして、東欧(この場合ハンガリー)から西欧(この場合オーストリア)へ人々が渡るのをバックアップしているし、時の法王は当時共産圏にあったポーランド出身だったことを考えると、これまた興味深い。また現法王はバイエルンの出身で、もとはミュンヘン教区の司祭であった。ウィーンを中心としてオーストリアや南ドイツのバイエルン地方は、「間脳幻想」の中で“ウルトラ思想の巣窟”だと藤原博士は述べているが、メッテルニッヒのウィーン体制以降、確かに欧州における保守反動の牙城のようだ。実際に旅をしても、その保守性は様々なところに感じられる。政治的にも、ミュンヘンにはバイエルン州を基盤に州内でしか活動をしないキリスト教社会同盟(CSU)が存在しており、ドイツの二大政党のひとつで戦後アデナウワーやコールを輩出したキリスト教民主同盟(CDU)と政治目標の上では一致しているが、これより右は極右しかないとされるほどドイツの中ではもっとも右よりの政党として知られる。
ちなみにリヒャルト・シュトラウスもミュンヘンの出身であるが、彼は音楽家の息子として生まれた生粋の音楽家かつ芸術家肌であり、ユダヤ系としても知られるホーフマンスタールとの共同作品としてたくさんのオペラを作曲していることからもナチスの信条に100%追従していたわけではないように思う。実際、オペラ「無口な女」の初演当時、ヒトラーに楯突いてまで作家シュテファン・ツヴァイクを擁護している。芸術家としては、美しいものをこの世に構築して残したいという欲求を叶える為には、すなわち生き延びるためには、時の悪魔に芸を売ったが、魂までも売ったかどうかは窺い知れない部分があるように思う。

35田中治:2007/12/01(土) 14:38:05
パウロ2世時代の東欧の民主化、それに続くベネディクト16世を先頭にバチカンの次の戦略はどのようなものであろうか?欧州はその長い歴史の中で常に拡散と収縮、つまり遠心性と求心性の動きを繰り返しているように見えるのだが、21世紀の幕開けと共に、ヨーロッパ連合として通貨も統合した欧州がどのような戦略をもっているかについては、問題山積ではあっても、過去を俯瞰して必要な価値を再び未来につまみ出すだけの教訓と人材を豊富に備えている点で目が離せない。前述のようにバイエルンやオーストリアが欧州の保守反動勢力の拠点であるとすれば、東からやってくる異教徒への砦としての位置は前述の通りだし、北にはルター以来プロテスタント勢力がいてキリスト教内での勢力均衡を図っているし、その西には、啓蒙主義が発達しフランス革命以降現在まで理性による人間の営みを貫いているフランスが存在していて、欧州の中でのパワーバランスになっているように思う。また啓蒙主義以前まで脈々と受け継がれている秘教の伝統についても、フランスには特に北フランスを中心にゴシック建築の傑作が現存し、建築そのものや彫刻などに寓意として見る人が見ればわかるように扉は開かれている。これら北フランスのゴシック建築の多くは聖人化された女性を祀っており、ノートルダムの名称からも判るとおり聖母マリア信仰の源流を探る必要を感じる。秘教の源流は中東やインドにあると言われているし、それが東に伝播したルートの行き止まりである日本には、空海以来の密教の伝統があるし、正倉院の宝物殿は見るものが見れば文字通り宝の山かもしれない。因みにわが国の宮様のおひとりは古代オリエント史を専門とする歴史学者として知られていることは示唆的だ。故白洲正子が「隠れ里」として愛した近江や奈良・京都に人知れずひっそりと存在し続けている寺院や仏像や伝承の中にも、日本古来としながらもユーラシア大陸との長い歴史を示す断片が刻まれているのかもしれない。
話が拡がりすぎ、かつ欧州の歴史に偏りすぎたかもしれないが、歴史に関して「筋」を見極めていくことの大切さを改めて実感すると共に、そのことが「審美眼」を養うのではないかと考え、その際建築や絵画や音楽といった芸術の多くが、顕密における密の部分として我々に多くを教えてくれる存在として、古から賢人の多くは文武両道・芸術奨励の姿勢であったことに深く納得する次第である。

36尾崎清之輔:2007/12/02(日) 01:30:29
田中さんの叡智と機知に富んだ書き込みへ敬意を表すと共に、R・シュトラウスの「ばらの騎士」が持つ中途半端さ加減の行間まで読んで頂きまして、誠に感謝致します。

仰せの通り、R・シュトラウスがヒトラーへ100%迎合していなかった証左として、このオペラの中途半端さ加減が表されていると考えており、それがフルトヴェングラーとは全く別の意味での彼の抵抗だったのかもしれません。

また、田中さんの文章を良く読めば、私の拙文や雑文とは異なり、そこにリベラルアーツとしての自由七科における三学七科(特に、修辞学や幾何学)が存在していることは一目瞭然であり、漸くこのスレッドのタイトルが「…について」ではなく「…に向けて」とさせて頂いたことの意味するところまで読み取って頂いたようで、本当に有難うございます。

そして、これらの書き込みを切っ掛けにして、嘗ての「適塾精神」が蘇ってくることを信じておりますが、これから飛躍するであろうと私が心から信じた方々におきましても、畏まらず、恐れず、固くならずに、ごく自然体のまま、それぞれの持つ「場」で自ら進んで己を表現して頂ければ、(あえてこの場に書く必要はありませんが)誠に幸いと思っている次第です。

37尾崎清之輔:2007/12/02(日) 22:43:16
『三学七科』⇒『三学四科』ですね。失礼しました。

さて、田中さんが以前トスカーナ地方を車で走り回った際、塔の街として知られるサン・ジミニャーノについて少し触れられておりましたが、このサン・ジミニャーノを含め、トスカーナ州は世界遺産の多さで知られ、イタリアにおけるルネサンス芸術の中心であるフィレンツェをはじめとした芸術都市の宝庫でもありますね。
実は、この頃ちょうど『イタリア 美術・人・風土』三輪福松(著)(朝日選書)を精読しておりましたので、未見ではございますが、仰ることの意味と背景が私なりに消化できました。

おそらく、サン・ジミニャーノを訪れたということは、同じ世界遺産地区であるシエナにも向かわれたのではないかと察しましたが、このシエナもその歴史を辿りますと、なかなか興味深い発見がありそうですね。
特に、中世におけるシエナの都市計画が、雄大かつ審美的な思想を背景にした理想的な都市作りを目指して、全ての建築物や道路などに全体と部分の調和ならびに統一性が考慮されており、それが、あの有名なカンポ広場を生んだということを知りました。

尚、それら理想的な都市作りが、日常生活の様々な面においても規定化されていたことについては少々驚きましたが、このあたりに単なる箱(ハードウェア)としての芸術ではなく、シエナの全体としての理想的な都市作りと、当時のシエナに住む個々人の精神が反映され、統合した結果、一つの芸術品へ至ったという点で、後にシエナを訪れる方々の多くが、この街を通してインタンジブルな美や芸術性を感じることができるようになったのではないかと思いました。

38尾崎清之輔:2007/12/02(日) 22:52:56
ところで、十五世紀末から十六世紀初頭にかけて、このシエナ出身の銀行家にアゴスティーノ・キジという人間がおり、当時の教皇ユリウス二世にとりいって、メディチ家にとって代わるほどの財力を持つ実力者へ成り上がったことと、メディチ家と同じく芸術を愛していたことから、ラファエロとも親交を持って(正確には目をかけていた)おりましたが、このアゴスティーノ・キジに熱愛されたのが、26歳という若さで亡くなったインペリアという、当時のローマで最も有名なコルテジアーナであり、これまで私が何度か引き合いにさせて頂いた「ラ・トラビアータ(邦題:椿姫)」のクルティザンヌをイタリア語にしたのがコルテジアーナであることを知ったことで、漸くその歴史的な背景を正しく理解することができました。

先に紹介した書籍では、コルテジアーナを「芸奴」としておりましたが、やはり日本にはそのような歴史が存在していないので、だいぶご苦労されたなと思いつつ、該当する箇所について、以下に抜粋させて頂きます。

◆コルテジアーナがローマにおいて特別な例外的地位を得たのには、いろいろな理由があった。ボルジア治下においては、上流社会の婦人たちは勢力と批判力を持っていた。とくに彼女たちは教会の堕落に対して非難をしていた。したがってユリウス二世は、これらの婦人を教皇庁から締め出すことを試みた。アレキサンデル六世の時代以来ますますいちじるしくなった風俗の退廃に対して、上流社会の婦人たちは顰蹙し、ローマに住むことを喜ばなかった。ユリウス二世の時代、教皇庁に勤めるものたちは、婦人を自分の家にとどめた。ローマは子女を教育するのに適さない都市であった。気位の高い婦人たちは、自分の代わりに主人の日常の世話をコルテジアーナに任せることを、あえてした。高級なコルテジアーナは枢機卿や外国使節、文学者、詩人、美術家たちと交じわり、彼女たちはルネサンスの「サロン」を支配した。インペリアはもちろん、そのなかでも最も有名なコルテジアーナで、枢機卿の住まいにも劣らぬ大邸宅を持ち、彼女の名前のようにローマでも最も自由奔放に振舞った。

◆彼女の住まいは、このように洗練された住まいであった。スペインの行儀の悪い使節が絨毯の上に唾を吐こうとして、そこに立っていた召使いの顔に吐きかけて、「許してくれ、ここには、お前の顔より汚いものは何もない」といったエピソードが残っている。

そして、先述の通りインペリアは26際の若さで夭逝されましたが、多くの方々に愛されていたようで、それが死を悼む数多くのエピグラムへと繋がるのですが、先の著書ではブロシウスのエピグラムが載っておりましたので、以下紹介をもってこの文章を閉じさせて頂きます。

◆二人の神がローマに二人の大きな贈り物をした。マルスは至上権(インペリウム)を、ヴィーナスはインペリアを。彼らの力は比較すべくもなかったが、この二つに対して、二人の力があった。それはすなわち、幸運と死であった。幸運はインペリウムを滅ぼし、死はインペリアを滅ぼした。われわれの祖先たちはインペリウムに対して嘆き、われわれはインペリアに対して嘆くのである。われわれの祖先たちは、この世の支配力を失った。われわれは、われわれ自身と、われわれの心を失ったのである。

39田中治:2007/12/03(月) 01:04:35
尾崎さんご推薦の書籍三輪福松著「イタリア 美術・人・風土」を偶然ですが私も所有していることに気付き早速取り出してざっと再読しました。お察しのように、トスカーナを廻った際、シエナにも立ち寄りました。カンポ広場は予想以上に広く、扇形でゆるい傾斜がついているため、人々は広場に腰を下ろしのんびり寛いでいる姿が印象的でした。私個人の印象からすると、そこに立った時に一瞬古代ギリシャの劇場にいるような感覚を持ちました。フィレンツエの賑わいに比べるとはるかに落ち着いた街で、ルネッサンスの栄華というよりは中世的な雰囲気を持ったかつての都市国家の姿を今に伝える街として印象に残っております。因みに塩野七生著「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」(新潮文庫)の導入部分は、カンポ広場の情景から始まり、この三輪福松氏の著書の中に登場するカテリーナ・スフォルツアもチェーザレ・ボルジアと闘ったことから登場しております。機会があれば、カンポ広場で1年に一度行われるパリオを見てみたいものだと思います。尾崎さんの仰るとおりトスカーナ地方には豊かな自然の中に個性豊かな街が数多く散在し、建築・絵画など見るべきものがあまりにも多すぎます。またどこの街にもポルタ・ロマーナ(ローマ門)があり、そこから南のローマへの道へ繋がっており、幼少期カルタで遊んだ際の「すべての道はローマに通ず」「ローマは一日にして成らず」などの文句が頭に蘇り、旅の途中、これからローマがどう自分の眼前に広がってくるのかも楽しみとなりました。

さて上記の著作中コルティジャーナを「芸奴」と訳しておられるのは、尾崎さんもご指摘のように、確かにご苦労のあとがうかがえますね。Cortigianaには女官という意味もあるし、Corteは中庭・宮廷の意もあることから(フランス語のCour 英語のCourtでしょうか)なんとなくニュアンスが異なると思いますが、他にあてはまる日本語がないのでしょう。

カンポ広場で感じた劇場性に絡めてもう一冊ご紹介させて頂けますならば、陣内秀信著「ヴェネチアー水上の迷宮都市」でありまして、この本を携えて実際にヴェネチアを歩いたことがありますが、都市の中の様々な機能に目を向けながら劇場としての都市を読み解くきっかけとなりました。ヴェネチアのコルティジャーナの話もあり、なかなか興味深い話が詰まっていると思います。

40田中治:2007/12/03(月) 01:21:51
ひとつ書き忘れたが、シエナにはキジアーナ音楽院(Accademia Musicale Chisiana)という知る人ぞ知る音楽院があり、その設立者がグイド・キジ=サラチーノ伯爵という名前の方であることから、尾崎さんが投稿で挙げられたシエナの銀行家アゴスティーノ・キジの末裔である可能性があると思う。もしそうであるならば、ルネッサンスのパトロン精神が今も生き続けていることになり味わいのある話であると思った次第です。

41尾崎清之輔:2007/12/03(月) 23:50:09
キジアーナ音楽院の設立者であるグイド・キジ=サラチーノ(Chigi-Saracini)伯爵が、シエナの銀行家アゴスティーノ・キジ(Agostino Chigi)の末裔である可能性を示唆された田中さんには流石と申し上げるしかございません。

先に少し述べましたように、アゴスティーノ・キジは、十五世紀後半から十六世紀前半にかけて、アレクサンデル六世、ユリウス二世、レオ十世、といった歴代のローマ教皇へ莫大な額の献上や融資を行っていたことから、相当な特権を与えられていたことは想像に難くないし、ボルジア家出身のアレクサンデル六世、枢機卿時代にはボルジア家の仇敵であったにも関わらず政治力を駆使してチェーザレ・ボルジアの支持を取り付けたユリウス二世、メディチ家出身のレオ十世、と、おそらくそれぞれの出身や立場の違い見極めて巧みに利用した可能性も否めないでしょうから、それが後にどのような結び付きへと至ったのか大変興味深いところです。

キジ(またはキージ)家はシエナの名家でしたが、「Chigi」という名前は、イタリア首相官邸のキジ宮殿(Palazzo Chigi)をはじめとして、主にトスカーナ州の観光名所の建築物に多く使用されていること、十七世紀半ばのローマ教皇はキジ家出身のアレクサンデル七世こと「ファビオ・キジ(Fabio Chigi)」であり、その甥は「フラヴィオ・キジ(Flavio Chigi)」枢機卿であること、キジ家は代々芸術家のパトロンであった事実などから、私もその可能性は非常に高いと思っております。
更に、やや歴史を遡りますと、十三世紀後半にはサン・ジミニャーノにもキジ家の塔が建てられていることから、これらの点と点を繋ぎ合わせていくことで、中世における欧州の上つ方の歴史の一端を発見できるかもしれませんね。

そして、ルネサンスのパトロン精神とは、欧州における芸術の持つ普遍性というものを、後の世に伝えるという、フィラントロピィ精神の萌芽にも繋がるものと考えており、それが通俗的な概念としてのパトロン云々とは天と地ほどの(またはそれ以上の)違いではないかと思った次第です。

それにしても、偶然とはいえ、田中さんも『イタリア 美術・人・風土』を所有されていたということは、一種の共鳴現象が働いたのかもしれません。

余談ですが、私はこのようなインタンジブルな次元の持つ力というものにも着目しており、あの有名や複雑系における「全体性」「創発性」「共鳴場」「共鳴力」「共進化」「超進化」「一回性(ないしは非線形性)」といった、それぞれの「知」が多元的に連関・連携していく中で、どのような次元へと飛躍・発展していくのか、考えただけでもワクワクしますし、その根底には、大局観とか直観とか洞察力を身に付け、磨き続けていくことで、「暗黙知」の次元へ至ることの楽しみがあるとも考えますが、別のスレッドでも若干言及させて頂きましたように、「暗黙知」をタンジブル寄りに理解しようとする経営者(経営屋さん)たちが平気で誤解を与えかねない使い方をしているため、この辺りはポランニーの『暗黙知の次元』(ちくま学芸文庫)の一読をお勧めしますが、取り急ぎ骨子だけでも知っておきたい方々へは以下のサイトをご紹介させて頂きます。

◆松岡正剛の千夜千冊『暗黙知の次元』マイケル・ポランニー
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1042.html

42尾崎清之輔:2007/12/04(火) 01:05:29
ところで、これまでとは話題はがらりと変わりますが、私が何年も前からご紹介させて頂いている仏の高級誌「ル・モンド・ディプロマティーク」から、ここ数ヶ月で印象に残った記事を幾つか以下にご紹介させて頂きます。
前にも少し言及しましたオイルピークや食糧ピークに関する最近の流れ(ウェーブ)や、また、金融ないしはそれに準ずるシステムの極限状態ともいえる「プライベート・エクイティ・ファンド」という僅か10社程度のグローバル企業体による最後の残飯あさりも加速度を増してきたようです。
このあたりは、ル・モンド・ディプロマティークのイグナシオ・ラモネ社主(兼)編集総長が以下のサイトで簡潔に述べておりますが、その中で驚いたことは、オルターグローバリズムが欧州において既に錯綜を極めた状況になっていたということです。

◆ファンドの貪欲
http://www.diplo.jp/articles07/0711.html

また、WTOの問題については既に世界中の心ある識者たちから指摘されていることですが、以下のサイトでは再度そのことに対して攻撃の手を緩めずに、次のアクションへ向けた提言も行っておりました。

◆WTOの使いみち
http://www.diplo.jp/articles07/0711-4.html

そのそも食糧という人間の生存権にとって最も大切なエネルギーを、産業社会という、人間社会が存立する上での選択権の一つにしか過ぎない、単なるサブセットシステムの維持のために、逆転現象や逆立ちした発想が当たり前の如く生み出されておりますが、「デリバティブバブル崩壊後の新世界秩序」のスレッドへ各自が投稿され、展開された幾つかの示唆的な内容の意味するところをしっかりを見極めた上で、先述の「創発性」「共鳴場」「共鳴力」の持つ「知」や「力」に注目しつつ、ポジティブフィードバック(≒遠心性)とネガティブフィードバック(≒求心性)のバランスを常に考慮した上で(このあたりは陰陽の考え方やそれを包含する太極図の思想にも通じますね)、徐々にではありますが実際の活動に反映させて頂きたいと思っている次第です。

◆人権としての食糧権の確立をめざして
http://www.diplo.jp/articles07/0710-3.html

◆アグリ燃料にまつわる5つの幻想
http://www.diplo.jp/articles07/0706-3.html

43尾崎清之輔:2007/12/04(火) 01:56:37
今夜はこのスレッドが立ち上がって、ちょうど1ヶ月を経過したということで、ちょっとした御礼の言葉を申し上げさせて頂きます。
尚、私事になってしまい誠に恐縮ですが、その辺りにつき予めご了承願えますと幸いです。


「英語版Japan's Zombie Politicsの出版について」のスレッドにおいて、私のNO.67の投稿に至るまでに費やした時間は、当該スレッドで述べさせて頂いた通りでございます。

この文章を公開させて頂くにあたっては、先にも申し上げた通り、直接的な因果関係は無かったにも関わらず、私にとっては「資質の高さ」(または秘めたるポテンシャル)を感じ取ることのできた方から、ある種の「共鳴場」や「共鳴力」を感じられたことは確かであり、それが見えない何かの大きな力に突き動かされるが如く、投稿させて頂くに至ったことはもちろん、日々書き続けてまだ1ヵ月半ほどと、僅かな期間ではあるものの、ここまで継続してきたということについては、我ながら申し上げるのは恥ずかしいものの自負したいとも感じており、どこまで同じペースで続けられるかは、正しく「神のみぞ知る」(笑)ことでしょうが、今後も鋭意努力していきたいと思っている所存でございますので、宜しく願い申し上げます。


また、当初は「単なる躁状態だから程々に」から「今や私の覚悟の程を認識した」という私信を頂いた方や、同じ「場」と「時間」の共有を通して、自然に癒され治すという「治癒」の意味するところを「ありのまま」の自然体を無意識に表現することで新たな発見を私に与えて頂いた方につきましては、感謝ひとしおです。

何度も申し上げてしまうようですが、本当に有難うございます!


さて、日本では冬到来が間近で寒い日々が続きますが、皆様くれぐれもお体ご自愛下さい。
それでは、おやすみなさい。。。

44尾崎清之輔:2007/12/05(水) 00:01:22
さて、昨日深夜の書き込みで申し上げたように、当スレッドは今日から2ヶ月目に突入したこともあり、「教養」と「場創り」について、心機一転で取り組んでみたいと思います。

実は、このスレッドを立てるにあたって、タイトルの一つに「教養(リベラル・アーツ)」という言葉を使わせて頂いたのは、藤原さんの「KZP」や「JZP」が切っ掛けであり、「KZP」においては、この書籍を購入または一読された方々からは、一見すると非常にジャーナリスティックな要素が強い内容のみに思われてしまったことや、内容自体が日本の新聞社や雑誌社が決して触れることのできないテーマについても真正面から取り上げたことで、発売後すぐベストセラー(amazonで1位獲得や八重洲ブックセンターでのベストセラー本など)になったにも関わらず、殆どの新聞や雑誌で書評に取り上げられることはございませんでしたが、この書籍が本来意味するところまで読み取ることができた諸兄におきましては、先に述べた内容以上に、実はこの書籍が「Liberal Arts」の重要性について、歴史的な背景なども踏まえて読者へ強く訴えかけていることに気が付かれたのではないかと思います。

それが、後の「JZP」という普遍性を持つ内容の書籍として成立し、英語よりフランス語が得意な藤原さんが、Scott Wilbur氏の協力を得て、(愚生のような自らの専門分野以外の英文書籍にはやや苦手な者にとっても感じられる)美しい文体に至ったと思った次第ですが、先の「JZP」の書評を多く読ませて頂いたにも関わらず、これらの書籍が持つ「教養」の重要性について言及されていた方々が殆ど見受けられなかったことについては、やはり現在日本社会においては「教養」が死語になって久しくなってしまったと改めて感じざるを得なかったことです。

そのことは、世代を超えた長い歴史の中から高い評価を与えられてきた、音楽(交響曲、協奏曲、ピアノソナタなど)に思いを馳せることで、作曲家の意図するスコアに忠実に再現することが求められつつ、実際の演奏家たちが五線紙に書かれた音符や音階、またテンポとどのように向き合っていくかについては、いかに原曲への深い理解が肝要であり、根底に眠る水脈の理解にも至ると考えておりますが、それは例えばフルトヴェングラーのベートーヴェン第九交響曲の第三章に表されているが如く、フォルテッシモとピアニッシモ違いによる素晴らしさはもちろんのこと、無音階の部分にも注視することで、永遠に観客(人々)の記憶に残り続けることにも繋がるのではないかと考えており、このことに、「自由七科」の中に「音楽」が存在している証左の一つではないかという私見を持っております。

45尾崎清之輔:2007/12/06(木) 00:45:12
藤原さんの「KZP」や「JZP」を切っ掛けとして、このスレッドのタイトルの一つに「教養(リベラル・アーツ)」という言葉を使わせて頂くに至りましたが、「KZP」が非常にジャーナリスティック、且つ、既存の(腰抜け)メディアが全く触れられない内容を全面的に展開しつつも、この書籍の持つもう一つの側面として、「Liberal Arts」の重要性を(あちらこちらに散りばめながら)強く訴えかけていることにも気付きましたことから、今日は昨夜の続きをさせて頂きたいと思います。

私の場合は、書籍を読む際、通常は線は引くことが多いものの付箋紙や書き込みは滅多に行ないませんが、「KZP」については珍しく多くの付箋紙と書き込みが入っており、その中から、スレッドのテーマに相応しいと思われる内容の一部を、未見の方々へのご紹介を兼ねて、以下に抜粋・引用させて頂きたいと思います。
尚、この出版社のシリーズ独自のスタイルである、英語(あるいは他の外国語)混じりの「4重表記」については、必要と思われた言葉以外は、基本的に削除させて頂きました。


◆アメリカの教育の最も優れている点は、大学で行われるリベラル・アーツ(教養過程教育)にある。これは日本の教養課程とは似て非なるもので、ひと言で言えば「全人教育」である。

(中略)

◆リベラル・アーツにおける優れたコアー過程の役割は、人間として「真・善・美」の価値を知るうえでの素養として、「幅広い教養」と「良識 bon sense」を身につけることにある。だから、リベラル・アーツ教育では、そのための基礎訓練が徹底的に行われる。

(中略)

◆人間におけるその行為や動機において、人間としての繊細な区分を見届け、本物のよさを身につけるためには、精神の目を磨く必要がある。それは崇高な文体で構成された、文芸作品の助けを借りない限り不可能である。

(中略)

◆つまり、教養を身につければ人間は豊かになり、すぐに安易な答えに飛びつかなくなる。そして、いつも対案を考えるように頭を働かせて、理性と良識に基づいて判断を下し、自立した思想を持つ卓越した人間になるのである。


そして、相変わらず拙文ながらも、当時の私が「終わりに」の章の最後の空白箇所に書き込みした文章を以下にご紹介させて頂きたいと思います。


◆20年ほど前のバブル狂乱と、その後に訪れたバブル崩壊による様々な混乱と混迷を極めた現象は、「バイロイトの音楽祭」ならぬ、バイロイトの”狂奏曲”(協奏曲でも狂想曲でもない私の造語)のオンパレードであったと思われるが、「KZP」に書かれている「ワルプルギスの夜」の想起に至った今世紀からの一連の流れは、まさしく病膏肓に至るが如く、更に進行してしまったという意味で、事態はより深刻な状況ではあるものの、より輝きのある未来の土台作りをしていくためには、次代を担う若者たちを育てる環境を作り上げて(または創り上げて)いくことが、私を含めた中間層にあたる人間の役割であり、筆頭で為すべき焦眉の急ではないかと強く感じさせられた。


尚、これは本来ならば、これから第二の人生に向かいつつある、かつて高度成長期時代に若手中間層であった方々の、二十一世紀への「社会への恩返し」として行って頂きたいと考える次第ではあるものの、実際のところ、彼らの多くは「共創」よりかは、学生時代から「共闘」とその後の「競争」の人生に明け暮れてしまった傾向が、他の世代に比べて顕著に現れてしまったため、冷徹で残酷な言い方をすれば、一歩間違うと「社会の宿便化」しかねない危険性を秘めておりますが、「宿便」を逆に「社会の肥やし」と捉え直して頂く勇気と行動をもってすれば、身土不二の意味まで認識することにも繋がり、それが「社会への恩返し」に至るという意味では、これから大いに期待したいところです。

46尾崎清之輔:2007/12/07(金) 01:09:13
元々、一部の演奏や演劇については、チケットを取り難かったクラシックコンサートではございますが、特に1年ほど前のテレビ番組が一つの切っ掛けとなったようで、今年になってもその勢いは止まらず流行り続けているようです。
例えどのような切っ掛けであったとしても、その後、本人にとって良い方向へ発展することができれば、結果オーライと思う次第です。

そんな今夜は、フルトヴェングラーのベートーヴェンの交響曲第七番(1943年版のベルリンフィルとのライブ)を聴いておりますが、確かに同じフルトヴェングラーの戦後の第七番の演奏(他の手持ちは1954年版のウィーンフィルとのライブ)や、あのカルロス・クライバー指揮のウィーンフィルとの演奏、同じくロイヤルコンセルトヘボウとのライブ版と比べて、…と言うより、比較できないほどのレベルであると感じさせられました。
ベートーヴェンにしては珍しいリズムを主体としたこの作品は、最初(第一楽章)では、ゆったりとしたテンポで壮大に進んでゆきますが、第二楽章の持つ崇高さの裏にある深さにも引きずり込まれ、第三楽章の小気味良いリズム感と優しさ溢れるメロディの繰り返しの中に漂う極限状態ともいえる気迫ぶり、そして第四楽章に至っては、ディオニュソスそのものではないかと思われるほどの「すさまじさ」と「熱狂的な」演奏には、もう言葉に表すことができないほど圧巻され、これぞ正しく「名演」であると思います。

久しぶりに『丸山眞男 音楽の対話』から引用させて頂きたいと思います。

◆『明日がない』、『これが最後のコンサートかもしれない』と覚悟したとき、人間はこんな音楽をやるんだねえ。

(中略)

「でも、あんな悲劇的な状況と、悲惨な経験を抜きに最高の演奏が生まれないとしたら、<音楽>とはいったい何なんでしょう。」

短い沈黙があった。丸山の言葉は、私の問いかけに対する答えではなかったような気もする。

「人間の本質に関わるテーマですね。」

返ってきたのはそのひと言であった。

47尾崎清之輔:2007/12/09(日) 21:00:01
田中さんにご紹介頂いた、陣内秀信(著)『ヴェネチアー水上の迷宮都市』(講談社現代新書)を昨日購入しました。
さっと捲ってみましたが、田中さん仰せの通り、ヴェネチアのコルティジャーナの位置付けなど、確かに興味深い話が多く詰まっているようですね。
著者の感想にもございましたが、私も「ポンテ・デッレ・テッテ」などという直接的な表現が、よくぞまあ今も残っているものだと、変に感心してしまいました。
ちなみに、ルネサンス時代のコルティジャーナとフランスにおけるクルティザンヌは、宮廷の人(courtesan)という言葉にも表されているように、歴史的な位置付けを含めて同じ意味を持っているようですが、ヴェネチアのコルティジャーナについては若干異なるように感じました。

また、著者がイタリアの建築・都市史の専門家ということもあり、そちらの内容にも大変興味を引かれましたので、これから読んでいくのが楽しみです。
尚、蛇足ですが、私が同時に何冊読んでいるかご存知の方は「え!また?」と笑われてしまいそうですね。

ところで、昨日は漫才観劇と絵画鑑賞に出向き、ライブが持つ即興劇の動的な楽しさと、絵画作品が持つ精密さと大胆さの調和や、描かれた時代背景を読み取る静的な楽しさを味わうという、大変充実した一日を過ごすことができましたが、その際いろいろ興味深い発見もありましたので、このあたりにつきましては、後日あらためて投稿させて頂きたいと思います。

48尾崎清之輔:2007/12/09(日) 22:02:48
私の過去の投稿記事を再読してみたところ、「てにをは」をはじめ、相変わらず誤字脱字が散見しており、且つ、論理飛躍もあって、お恥ずかしい限りではございますが、これらは「自由七科」の言語系3学のうち「文法」と「弁証法」における悪い見本になると思いますので、このままアーカイブさせて頂きます。

但し、No.45の一部において2点ほど明確な間違い、つまり時代考証におけるミスと、本来お伝えしたかった内容とは異なる表現がございましたので、以下に修正させて頂きます。


誤:かつて高度成長期時代に若手中間層であった方々の、
正:かつて高度経済成長期時代の後半頃に多感な青春時代や学生時代を過ごした方々の、


誤:身土不二の意味まで認識することにも繋がり、
正:文字通りの身土不二にも繋がり、

50尾崎清之輔:2007/12/12(水) 00:09:16
過日「暗黙知」関連して、松岡正剛氏のサイトをご紹介させて頂きましたが、この掲示板を訪れる方々の多くはご存知の、松岡正剛氏が主宰する「連塾」というイベントが、今年12月22日(土)の13時〜20時に、東京の赤坂の草月会館・草月ホールで予定されております。
詳細につきましては、下記URLをご確認頂きたいと思いますが、多数のゲストに対して、やや玉石混合の感は否めないものの、今回は場の研究所の理事長である清水博博士(東大名誉教授)がゲストの一人であり、テーマが「生命科学の新陰流」となっておりますので、ある程度期待できるのではないかと思います。
尚、嘗て尾張柳生の当代とその一番弟子による、柳生新陰流の木刀(袋竹刀ではない)を使った真剣勝負の演舞を拝見させて頂いたことがございましたが、この時に生じた「場のエネルギー」は今でも忘れることが出来ません。

ちなみに一般的なイベントからすると高い費用(3万円)と思われますが、もしご興味があるようでしたら、どうぞ。


◆セイゴウちゃんねる(2007年12月1日):News 連塾2最終回「浮世の赤坂草紙」申込受付中
http://www.eel.co.jp/seigowchannel/archives/2007/12/news_2_1.html


◆当該イベントのフライヤー
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/ren4_flyer.html

51尾崎清之輔:2007/12/13(木) 07:51:12
昨夜は掲示板のサーバに広範囲の障害が発生したようで、せっかく投稿記事を纏めたにも関わらず、更新できなくて残念でした。

さて、村上陽一郎さんといえば、『近代科学を超えて』(講談社学術文庫)を読まれた方々が結構いらっしゃることと思いますが、その村上さんが3年ほど前に、『やりなおし教養講座』(NTT出版)を出され、確か今年の初め頃に書店へ立ち寄った際、この本を偶然発見し、タイトルに興味を持ったことから購入はしたものの、暫く眠ったままになっておりましたが、このスレッドに関連して思い出したことから、この際、一気に読み通しました。
(…と、これで漸く同時に数冊読みのうち一冊完了。。)

書き下ろしというか、全て口語的な表現で書かれているため、誰にとっても非常に読みやすく、通勤・通学の片手間であっという間に読了できるタイプの本であると思います。

著者個人の体験も相当織り交じっているため、「教養講座」というタイトルからは若干違和感を覚えますが、その分、大上段に構えることなく自然体で語られており、著者が「規矩(きく)」と名付けた、人間の行動の手本となるものさし(基準)の大切さと、その「規矩」が教養を支える原点であるという意味では、「リベラル・アーツ」の持つ意味とは異なった感じがしましたが、そのあたりは著者も明確に述べており、私にとって印象に残った文章を以下にご紹介させて頂きます。

尚、読了後に、線を引いた箇所や付箋紙を張った箇所が、矢鱈と多かったことに気が付きましたので、そのあたりにつきましても追々ご紹介させて頂くつもりです。


◆「リベラル・アーツ」というのは、すでに述べてきましたように、本来は「自由七科」、つまり学問をするために身につけておかねばならない基礎的な技という意味ですから、日本語でいう「教養」という概念を、直接に表しているわけじゃない。

(中略)

「教養」という言葉に最もよく当てはまるのは(と言っても、これは私の個人的な感覚には違いありませんが)、私はドイツ語の<Bildung>だと思うんですよ。
ドイツ語の<Bildung>というのは、英語の<building>に近い言葉です。つまり「造り上げる」ことですね。では何を「造り上げる」のかというと、「自分」という人間をきちんと造り上げていくことであり、これが「教養」ではないかと思うのです。

(次項へ続く)

52尾崎清之輔:2007/12/13(木) 08:01:09
(前項より続く)

また、村上さんは、福澤諭吉の『学問のすすめ』にも触れており、福澤の説く「実学」が、単純に「世の中に役に立つ知識」のことではなく、一部からは「虚学」とも言われている「あまり役に立たない知識」のことでもなく、自分を造り上げるために必要である、あらゆる「役に立つ」ための知識活動であれば、福澤自身が「実学」の中に「修身」を含めていることからして、それらは全て「実学」であると仰っております。


◆その<Bildung>という概念を考えますと、福澤が、実学の中にちゃんと「修身」、「身を修める」という項目を入れているということは慧眼だと思います。自分を修めること、きちんとした人間として、正しいと思う方向に向かって自分を造り上げていくことをもって教養と理解するとなると、市井の中に埋もれている生活者、先に実は知識人ではないといった鋳掛屋さんだとか、花屋さんだとか、農民だとかいうような人たちの中にも、自分をしっかり持って、自分を見つけて、自分をきちんと造り上げていく人はいると確信しています。自分が親からいろいろ教わったことを受け継ぎながら、さらに気持ちを開いて、他者の言うことをよく理解しようとする姿勢を持ち続ける。その中で批判も生まれ、受け入れるべきものと、受け入れられないものとがきちんと分別され、その分別のための基準(私好みの言葉を使えば、まさしくそれは「規矩」ですが)が、次第に明確になる。こうして少しずつきちんとした自分というものが造り上げられていくことができれば、別段ギリシア・ローマがどうであったか、<mathematica>がギリシャ語であるなんていう知識は一切持たなくても、そういう人は十分教養のある人だと考えていいと思います。

◆つまり何を材料にして自分を造り上げるか。広い知識や広い体験は決定的に大事な材料の一つですけど、全部ではない。造り上げるというと、いかにも何かがちがちに造り上げた完成品ができてしまうように見えますけど、そうじゃないんですね。自分というものを固定化するのではなく、むしろいつも「開かれて」いて、それを「自分」であると見なす作業、そういう意味での造り上げる行為は実は永遠に、死ぬまで続くわけです。もしかすると死んでからも続くかもしれない。その中で、一生をかけて自分を造り上げていくということにいそしんでいる、邁進している。それを日常、実現しようと努力している人を、われわれは教養のある人というのではないか、そう私は思っています。

53尾崎清之輔:2007/12/14(金) 02:59:19
こういうシーズンになりますと、書き込み時間が若干ずれますことをご了承下さい(笑)。
前項の続きになりますが、先述の村上先生の著書の上記引用箇所から、藤井尚治博士の『アナログという生き方』に書いてあった、あの何度も引用させて頂いた箇所を思い出さざるを得ませんでした。

◆「大局観」で捉えつつ、「些細なこと」には拘らない。
◆「一生新手」の面白さを楽しむ。
◆そこで得られた「自分の楽しみ」と「他人に役立とう」という2つの観点を持つ。

そして、日々を過ごしていく中で、ほんの少しの変化とか、ちょっとした幸福感、例えそれが小さな幸せであったとしても(個々人の意識が決めることですから大きいとか小さいとかは無いです)、それを見つけられる心の豊かさと、『自由気ままに生きる』ことの大切さを認識できることについて、常に気が付けるだけの感受性は持っていたいと思っており、『何かを選択しながら、しかし、それに捉われずに自由に生きていく』ための間口の広さと、冴えた目を養うための「観の目と行の目」の肝要さを改めて知った次第です。

尚、私事で恐縮ですが、私は比較的先端に少し近い生業に関わっており、藤井尚治先生が『アナログという生き方』の中で仰っていた多くの印象的な発言内容にインスパイアされた身としては、おそらく周りの方々へ個性的な発言ないし主張を行ってしまうことが良くあると思っており、確かに「変わった人」という印象(つまり変人扱いかもですね)と受けられているようですが、それも長い間、貫ける信念と(ほんの少しの)勇気と行動があれば(自分を良く知り自然体で考えれば何も変わった云々も無いと思いますものの)、良いのではないかと思います。

54尾崎清之輔:2007/12/18(火) 00:34:51
10日ほど前、漫才観劇と絵画鑑賞に出向いて、ライブが持つ即興劇の動的な楽しさと、絵画作品が持つ精密さと大胆さの調和や、描かれた時代背景を読み取る静的な楽しさを味わうという、大変充実した一日を過ごすことができたと申し上げましたが、このあたりについては、今夜から少しずつ感想を織り交ぜた形で投稿させて頂きたいと思います。

漫才観劇の方につきましては、普段テレビ番組を殆ど見ることの無い私ではございますが、過去の経験などからして、番組収録とは異なる一瞬の間合いの大事さや、漫才コンビ同士または観客とのやり取りの中に、『リアルタイムの創出知』とまで申し上げるには少々褒めすぎではあると思いつつも、観客との一体感を感じさせるだけの勢いを持つ芸人(それは必ずしも有名な方々とは限らない)が何人かいて、そこに素直に楽しめる「場」があったと思いました。
そういう出会いも偶には大切であり、腹の底から笑うことの重要さを楽しむためにも良い機会ではないでしょうか。

その後、訪れた絵画鑑賞の方につきましては、渋谷で開催されているアルベール・アンカー展という、19世紀のスイスの自然主義的な画家の作品群で、この方はスイスでは非常に有名な画家とのことですが、日本では余り知られること無く、私も偶然電車内に掲載された広告が記憶に良く残っていたため訪れた次第です。

アンカー自身は主にパリに在住されておりましたが、その作品の多くはアンカー自身が過去に育ったスイスの村(スイス中央部にあたるインス村)を夏ごとに訪れたことにより、その情景を通して、その村に生きる子供達や老人達の日常を多く描いており、観る者に対して一種の安らぎ感を覚えさせられるとともに、老人と子供達が家の中でのんびりと寛ぐその構図には、「異なる世界の安らかな共存」も見られました。
特に、未来の希望に満ち溢れる子供達の人生のはじまり感と、経験が刻んだ人生終盤の時期を迎えた老人達の表情ならびにその対比については、構図に描かれた、光と影の持つ意味も手伝って、何とも言えない感情が沸き起こってきたとも申し上げて起きましょう。

また、これらスイスの風景画には、フランスのバルビゾン地区に陣取った、田園地帯の風景や、そこに生きる方々の作品群を中心とした、所謂「バルビゾン派」にも通じるものがあったとも感じましたが、一通り観賞し終わった後に見たショッピングセンターの解説から、アンカー自身が、実は「もし生まれ変わったらバルビゾン派になりたい」とまで仰っていたことに、ある種の驚きを隠せませんでした。

更に、このアンカーの風景画の手法が持つ、草木や森などの緑を中心とした自然風景や、そこに調和している少女達を表している色彩感覚には、ジブリ作品(男鹿さんの絵作り)に相通ずるものも感じ取られた気がしましたが、何とパンフレットの解説において、宮崎駿さんの作品イメージとも重なっている旨が記載されておりましたので、先述と併せて二重の意味で驚愕を禁じえませんでした。

ちなみに、このアンカーは風景や人物画のみではなく、「教育」にも大変な力を注いでいたようで、そのあたりも多くの作品に垣間見ることができましたが、その中の印象的なひと言をもって、今夜は締めくくらせて頂きたいと思います。

◆教育は知識を身に付けるものではなく、子供の成長、周りを取り巻く人々や、育った自然環境に関わることで、個々の人格が成熟していく包括的な事業である。

55尾崎清之輔:2007/12/19(水) 01:25:09
昨日の記事で、アルベール・アンカーが、風景や人物画のみではなく、「教育」にも熱心に力を注いでいたことから、そのあたりも多くの作品に垣間見ることができましたという話をさせて頂き、それはアンカー自身が晩年に生まれ育ったスイスのインス村を中心に、実際の教育活動へ積極的に関わることになったという事実からも伺えますが、まだ具体的な内容までは存じ上げていないものの、おそらく、このあたりに彼の晩節を飾るべくフィラントロピィ精神の精華を見る思いがしました。

さて、昨夜も触れました、アンカーの一部作品群から感じ取られた「教育」というテーマへ移る前に、今夜はまた別の作品から少し異なるテーマを語らせて頂きたいと思います。

中でも印象に残った作品が2点ほどあり、1つは「骨玉遊び」というタイトルの付けられた、古代ギリシャの頃から行われてきた「羊の後ろ足の骨4個」を使った子供たちの遊ぶ姿を描いた作品ですが、この作品が描かれた時代にもこのような遊び方が存在していたかどうかはともかくとして、まさに古代ギリシャ時代の建築物の中で「骨玉遊び」に興じている子供たちに加えて、その背景に存在している大人たちが、古代ギリシャ時代の服装に身を包まれていたことです。

もう1つは、当時の一般的な家庭の中で、少女たちが刺繍を行っている姿を描いた作品であり、実は私は解説を見るまで全く気が付かなかったのですが、この家庭の中に描かれてあった家具や調度品などインテリアの全てが、当時の中産階級の理想化された情景であると解説されていたことから、先述の作品と併せて、アンカー自らの目で見た「構図」ではなく、アンカー自身の「思い」や「理想」、また「歴史観」など頭に浮かんだことを基にして描かれたのであった、ということに対して一種の感銘を覚えたとともに、また1つ、絵画を鑑賞する楽しみを得たと申し上げておきましょう。

56尾崎清之輔:2007/12/21(金) 00:49:59
過日の絵画鑑賞の感想の続きの前に、今夜は少し寄り道させて頂くことをご了承願いたいと思います。
毎年、年末あたりになると、その1年(個人とか社会など)を1つの漢字で表すと何を思い浮かべるか、といったことが巷間の話題となり、それに対して、ここ数年の私は、「空(くう)」、「色(しき)」、「無(む)」、といった一文字で、1年というスパンとは全く関係の無い、時空間的な全体像を表す漢字をあてはめてきましたが、今年は全く別の観点から、『覚』という私的な文字をあてたいと思います。
もちろん、この一文字の本当の意味が示している域には、到底、達することはできませんが、より高位の次元へ向けた観察と実践によって、漸く辿り着けるはずの「道」に対して、少しでも近づくことができるよう、また、翌年へと繋げていくことも加味した上で、あえて挑んでみることを選びたいと思い、『覚』という漢字にさせて頂いた次第です。

57尾崎清之輔:2007/12/21(金) 15:15:27
本日も寄り道が続きますが、現在、マイケル・ポランニー(著)『暗黙知の次元』(ちくま学芸文庫)を再読しております。

私の幾つかの投稿において、「暗黙知」という言葉を安易に使わせて頂いておりますが、その概念を少しでも分かりやすく語ることができるようにするには、申し上げるまでも無く相当の次元に至らねばなりませんが、それは「暗黙知」が『言語の背景にあって言語化されない知』であり、『生を更新し、知を更新する、創造性に溢れる探求の源泉、新しい真実と倫理を探求するための原動力、隠された知のダイナミズム、潜在的可能性への投企』などといった『暗黙知の次元』の裏表紙で著されたことに明らかであるからです。

このように、語り手の私に相応の努力と時間が必要であることを再認識したため、久しぶりに手に取り精読することに致しました。

より本筋に近づくには、同じ著者による『個人的知識―脱批判哲学をめざして』(地方・小出版流通センター)という傑作の精読が必要と感じておりますが、この大著こそ、それなりの時間と、読み手の真剣さ並びに能力が問われると思っているだけに、私の蔵書には未読のまま眠っております。
従いまして、その要約書とも言われる『暗黙知の次元』をもとに、まずは気になった文章の引用からはじめさせて頂き、それから私なりに咀嚼した上で、思ったこと感じたことを徐々にではございますが述べていきたいと思います。

58尾崎清之輔:2007/12/21(金) 15:22:21
(No.57から続きます)

『事物の本性について現在認められている見解と矛盾するという理由で』容赦なく却下する権威が、その一方では『定説に著しい修正をもたらすような見解に対して最大級の敬意を払う』ことに対して、ポランニーは、


◆こうした明らかな自己矛盾も、私たちが外界を認識する際にいつもその底流にある、形而上学的根拠に立脚すれば解決される。ある物体を見ると、その物体には別の側面と隠れた内部があり、私たちはそうしようと思えばそれらを探求できるということが分かる。つまり、誰かを見るということは、無限に存在するその人の精神と肉体の隠れた働きをも見るということなのだ。知覚とはかように底なしに奥深いものなのである。なぜなら、私たちが知覚するのは実在(リアリティ)の一側面であり、したがって数ある実在の側面は、いまだ明かされざる、おそらくいまだ想像されざる、無限の経験に至る手掛かりになるからである。


また、全く連携性が無かったにも関わらず、複数の同時的な発見や新見解の提示といったことについては、以下のように述べております。


◆事が成就する(イヴェント)以前に未来に目を向けているという点で、発見の行為は、個人的で不確定なもののようだ。それは、問題の孤独な暗示、すなわち隠れたものへの手掛かりになりそうな種々の些末な事柄の孤独な暗示から、始まるのである。それは未だ知られざる、一貫した全体の、断片のように見える。こうした試行的な先見性(ヴィジョン)は、個人的な強迫観念へと転じられねばならない。なぜなら私たちを悶々とさせぬ問題は、もはや問題とは言えないからである。その中に衝迫(ドライヴ)が存在しなければ、問題は存在しないのだ。私たちを駆り立て導く、この強迫観念がどこから由来するものなのか、それは誰にも分からない。なぜならその内容は定義不能で不確定なものであり、きわめて個人的なものだからだ。実際、それが明らかにされていく過程は「発見」として認識されるだろう。その理由は、言うまでもなく、所定の事実に明白な規制をいくら適用し続けても、そうした発見に到達することはできないからである。真の発見者はその大胆な想像力の偉業によって称賛を受けるだろう、その想像力は思考の可能性という、海図のない海を渡ったのである。

59尾崎清之輔:2007/12/23(日) 00:04:05
以前にも少し述べましたように、今年はピアノ演奏を聴く機会が多く、今では朝晩の通勤時間及び帰宅途中と、夜の就寝の際の欠かせないアイテムになっております。
ほぼ同じ作曲家や演奏家の作品を聴いておりましたが、ある切っ掛けで、ガブリエル・ユルバン・フォーレ (Gabriel Urbain Faure:1845 〜 1924) の「シチリアーノ(シシリエンヌ)」を楽しむ機会が偶然ございました。

「シチリアーノ(シシリエンヌ)」は、フォーレの劇付随音楽『ペレアスとメリザンド』(Pelléas et Mélisande)の中でも、フルート独奏が入ったオーケストラによる組曲として知られており、単独で演奏される機会も多い有名な作品ですが、原曲はチェロとピアノのデュオ用に書かれたことを、実は今日はじめて知った次第です。

そんな今日は冬至で、東京は雨と、天候の良くない日でしたが、暖かい陽気であろう地中海のシチリア島を想像しながら、哀愁のあるこの曲に耳を傾けてみたいと思います。
尚、余談ですが、先ほど調べてみたところ、彼の地(シチリアのパレルモ)も気温15度でしたが雨模様のようでした。
(明日から晴れそうです)

◆無料クラシック音楽MP3配信サイトより(フルート旋律版)
http://classicmp3.iis.ne.jp/sicilienne.mp3


◆Classic MIDI COLLECTION (シチリアーノ)より(ピアノ旋律版)
http://classic-midi.com/midi_player/classic/cla_Faure_sichiriano.htm

60尾崎清之輔:2007/12/23(日) 02:29:14
蛇足ですが、No.59のMIDI音源やMP3では物足りない方へ、ご参考までに以下のサイト(チェロとピアノによる生演奏映像)をご紹介させて頂きます。

◆Cello Journey「Faure Sicilienne」より
http://cellojourney.com/?p=103

62尾崎清之輔:2007/12/23(日) 20:57:46
今夜は『暗黙知』の続きからはじめさせて頂きます。ポランニーは、『人間と芸術作品を理解するために応用される、暗黙知の目覚しい一形態について』述べる上で、ディルタイとリップスの、それぞれの言葉を引き合いに出しております。

◆ある人の精神はその活動を追体験することによってのみ理解されうる
◆審美的観賞とは芸術作品の中に参入し、さらに創作者の精神に内在することだ


しかし、ポランニーは、ここから更に踏み込む形で、以下のように言及しております。

◆暗黙知の構造に由来するものとしての内在化は、感情移入などよりはるかに厳密に定義される行為であり、かつて内在化の名のもとに呼ばれていたものをも含む、ありとあらゆる観察の下地を出すものだ。


この内在化の過程を通じて、隠れた存在への考察に移り、未だ見えぬ様々な諸要素の中にあると思われる一貫性や普遍的な何かを見出し、または暗に気付いて、それらに対する妥当性の認識に至るのであれば、次の段階としての統合化が可能になるのではないかと考えます。
そして、ここに至って、観察者と対象物ないしは行為者との間に存在する、目に見えない共通した連携というものが、「場」の研究の主要テーマの一つである、主体と客体が分離していない状態、つまり『主客未分離』の状態にも繋がり、そこから生み出される「創出」、延いては『共創』は、ポランニーの『創発』にも通じるのではないかと考えており、それはポランニーの以下の文章に見出すことができると思います。

◆暗黙知は、身体と事物との衝突から、その衝突の意味を包括=理解(コンプリヘンド)することによって、周囲の世界を解釈するのだった。この包括は知的なものであり、なおかつ実践的なものでもあった。だから包括的存在の範囲は拡張されて、自分自身の動作(パフォーマンス)は言うまでもなく、他人の動作とその他人自身をも含むものとされたのである。


しかも、『創発』は常により高位のレベルへ進化を遂げることによって、それ自身が持つ、冒険的かつ志向的な追及により、無限の可能性を秘めていることになりますが、このあたりについて、ポランニーは以下の通り明確に述べていると思います。

◆進化論的革新の過程は、その過程がいずれ到達することになる、より高次段階の安定した意味への、到達可能性によって、触発される。そうしたより高次の潜在的可能性によって引き起こされる緊張が、偶然の作用で、あるいは第一原因(ファースト・コーズ)の作用で、行動へと解き放たれるのだ。


ちなみに、『暗黙知の次元』の訳者高橋勇夫氏も「解説」で以下のように触れておりました。

◆より高次のレベルが生成しようとするとき、それはまだこの世に存在するものでも、しかと認識されているものでもないから、個人の側から見れば潜在的可能性にとどまらざるをえないだろう。しかしその見えざるポテンシャルに退っ引きならぬものを感知して、想像的にかつ創造的に掛かり合う。その過程でより低次のレベルの個々の諸要素をもしっかりと感知し直されて、それがまた高次のポテンシャルにフィードバックされていく。そうして段々に新しい高次のレベルが形成されていく。そうした一連のダイナミズムのことを、ポランニーは暗黙知と呼ぶのである。

64尾崎清之輔:2007/12/23(日) 21:13:34
さて、ここで私は、この『創発』について、『丸山眞男 音楽の対話』(文春新書)の中で紹介されていた丸山博士の『追創造』を思い出さざるを得ませんでした。

◆「安定と不安定の中を動揺しているような、そうした種類の不安定」な美をもつシューマンや、丸山の遺稿のなかにはこれという記述が無いが、やはりそれに似た美しさを湛えるシューベルトを演奏し、曲に内在する真価を聴き手に伝えるには何が必要か…。それは作曲者が曲に託した想いへの共感と、それを楽想として把握し、音楽として聴き手に伝達しうる弾き手の、つまり演奏者サイドの構成力と表現力ということになるのであろう。あえて言えば、曲自身に内在する構成力の弱さを補う強靭な再構成能力=丸山の言葉を藉りれば、「追創造(ナッハシェップフェン)」能力が、演奏者に要求されるということになる。


上記で丸山博士が、『「安定と不安定の中を動揺しているような、そうした種類の不安定」な美』と述べたように、確かにシューマンは、オイゼビウスとフロレスタン(※注釈)という、相反する独特の二面性を持っており、この情感をどのようにバランスよくコントロールするかによって、その演奏の説得力が全く異なってくるという意味では、丸山博士の慧眼の素晴らしさを改めて認識した次第です。
また、この『追創造』については、『丸山眞男集第九巻』の「思想史の考え方について」においても、丸山先生ご自身が以下のように述べております。

◆演奏が芸術的であるためには、必然に自分の責任による創造という契機を含みます。しかしそれは自分で勝手に創造するのではない。作曲家の作曲が第一次的な創造であるとすれば、演奏家の仕事はいわば追創造であります。あとから創造する−ナッハシェップフェン(nachschÖpfen)なのです。これと同じように思想史家の仕事というのは思想の純粋なクリエーションではありません。いわば二重創造であります。


尚、これは「追創造」を行う「演奏者」に対して否定するものでも矮小化するものでも決してなく、寧ろ、「演奏者」に対する肯定=積極的な評価を行っているという意味では、No.58で紹介したポランニーの発言にも通じるものがあると考えております。

※注釈:オイゼビウスとフロレスタン
シューマンが音楽評論を行なう上で生み出した架空の人物像。シューマンの持つ相反的な二面性を表しているとも分身とも呼ばれている。オイゼビウスは「静」、つまり冷静で思索的でありつつも、夢想的な面や、内に秘めた情熱を持つ人物像で、フロレスタンは「動」、つまり明るく積極的に行動しつつも、激情的な表現を顕わにする面を持つ人物像。

(余談ですがNO.61及びNo.63で投稿ミスをしたため再掲させて頂きました)

65尾崎清之輔:2007/12/23(日) 23:18:45
先日フォーレの「シチリアーノ(シシリエンヌ)」を楽しむ機会があったと、No.59で述べさせて頂きましたが、同じ日に、ベドルジハ・スメタナ(Bedřich Friedrich Smetana:1824〜1884)の「モルダウ」も聴く機会にめぐまれました。
スメタナの代表作である、連作交響詩『わが祖国』(Má Vlast)の中でも最も有名で、単独演奏される機会も多い「モルダウ(原題:ヴァルタヴァ=Vltava)」は、日本では合唱曲として編曲されているほどで、誰しも一度は耳にしたことがある曲と思います。

スメタナはチェコの作曲家ですが、私個人としては、これまでチェコの作曲家の作品群を聴く機会があまりなかったものの、二十世紀の偉大な指揮者の一人であり、かつ作曲家でもあった、クーベリック(Rafael Jeroným Kubelík)の指揮する作品や、チェコ出身ではないものの、現在のNHK交響楽団の音楽監督で、その前までチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者であったウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy)のピアノ演奏家時代の作品群は何度か聴いており、また、つい先日までチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めていたズデニェク・マーカル(Zdeněk Mácal)が、最近の日本のクラシックブームに貢献していることなどから、日本にとって決して遠い存在ではない気が致します。
そんな今夜は、クーベリックが1990年に指揮したオーケストラのライブと、主にプラハの街並を映した動画作品をバックにした『モルダウ』をお楽しみ下さい♪


◆Smetana Ma Vlast Moldau Kubelik Czech 1990(YouTubeより)
http://www.youtube.com/watch?v=LlLPLO90fSk


◆Wonderful Prag(YouTubeより)
http://www.youtube.com/watch?v=mfHBuX9z5FE

66尾崎清之輔:2007/12/24(月) 23:53:43
日々の整理整頓や片付け、また掃除などの重要性につきましては、だいぶ以前より珪水さんが仰っていた通りですが、日頃の怠け癖が祟って、毎年この季節あたりにならないと、なかなか本格的に実行しようとしないのが、私の悪い癖であると、いま年末の大掃除を行いながら痛切に感じているところです。

今年も昨日から徐々にはじめつつありますが、特に書籍の多さには我ながら辟易としており、今年に入ってから一度だいぶ整理したにも関わらず、まだまだといったところで、せめて本棚やクローゼットの中などに入りきらないで残っている分はどうにかしたいと考えており、書棚の前の山積み150冊ほど、ベッドの隣の山積み50冊ほど捨てようとしましたが、そもそも手元のスグ近くにあるということは、それだけ必要性が高い書籍が多いということになるため、一苦労しているところです。
しかも、手元の分を良く数えなおしてみたところ、書棚の前とベッドの山積み分を合わせて300冊ほどと予想より遥かに多く、最初は思わず溜息が出そうでした。

それでも昨日から水周りその他の掃除と併せて片付け続けていったところ、段々と何が大切で何が不必要なものかが何となくですが分かってきて、少しずつ片付いてきれいになっていく様は、やはり気持ち良いですね。

ちなみに、このテーマは、珪水さんが嘗て良く投稿されていたスレッド、または珪水さんのお名前が付けられているスレッドで行うべきかと思いましたが、自分の住む場所こそ、毎日を過ごす重要な『場』ということを示しておりますので、あえて自ら立ち上げたこのスレッドに投稿させて頂きました。

67尾崎清之輔:2007/12/25(火) 02:11:38
既にイブを2時間ほど過ぎて、クリスマス当日となりましたが、昨夜はクリスマスイブをご家族と、友人たちと、親しいあの方と、またはお一人でのんびりと、ご自宅や友人宅、またはイルミネーション豊かな街中や、夜景の綺麗な場所など、さぞかし多種多様な場所で迎えられたことと思います。
さて、いつの頃からかは分かりませんが、毎年クリスマスになると、ケーキと蝋燭に火を灯してお祝いをすることが多く、それはおそらく誕生日のケーキと蝋燭によるお祝いと同じくらいであると思いますが、そもそもケーキと蝋燭でお祝いをする習慣が、ヨーロッパの古い宗教儀式に由来していることは、数年前に読了した吉村正和(著)『フルーメイソンと錬金術』(人文書院)で私も知った次第です。
この著書の本文に関する詳細は、こちらのスレッドではなく、既に適切なスレッドがございますので、そちらで行わせて頂きたいと思いますが、ここでは冒頭に述べた文章に関する部分のみ「はじめに」から、以下の文章の引用とご紹介をさせて頂くに留めたいと思います。


◆ローマ時代には、人間が生まれるときにその運命を左右する一種の守護霊ゲニウスが付着すると信じられていた。誕生日とは、その人の魂に付着するゲニウスを祝う日のことであり、バースデーケーキと蝋燭はこのゲニウスへの捧げものと灯明を意味するのである。
ゲニウス(genius)は、古代から近代にいたるヨーロッパ精神史においてきわめて重要な役割を演じてきている。古代魔術や密儀宗教は、ゲニウスあるいはそのギリシャ的な名称であるダイモンの存在を前提として、人間がいかにしてダイモンに目覚めるか。またどのようにしてダイモンを駆使することができるかを探求してきた。ダイモン(daimon)は、主としてキリスト教の影響のもとにデーモン(demon)として長い間貶められてきたという事実があり、その原意を復権させるのはそれほど容易なことではない。ギリシャ時代において神と人間の中間に位置する存在であり、テオス(神)の意味領域が確立する以前においては神的存在として理解されてきた。

(中略)

ダイモンとは、現代の読者にも分かるように表現するとすれば、自然における全ての存在の内部に隠された神的エネルギーあるいは根源的な生命力のようなものといえる。このダイモンはローマ時代においてゲニウス(守護霊)と呼ばれて信仰の対象となるが、キリスト教の登場とともにさまざま異教の神々とともにデーモン(悪魔)と総称されることにより、ヨーロッパ精神史の片隅へとおいやられてしまうのである。

68尾崎清之輔:2007/12/25(火) 02:37:10
さて、クリスマスの夜も更けてきましたが、今夜はドミンゴの「Ave Maia」と「White Christmas」、カレーラスの「Ave Maria」、カレーラスと今は亡きパバロッティの「Happy Christmas/War is Over」、そして三大テノールによる「Silent Night」をお楽しみ下さい。

◆AVE MARIA -Placido Domingo & Michael Bolton - Nana Mouskouri
http://www.youtube.com/watch?v=pRDIggpHL-w

◆Placido Domingo sings "White Christmas"
http://www.youtube.com/watch?v=JKyW4xybsmw&feature=related

◆Jose Carreras - Ave Maria 1995
http://www.youtube.com/watch?v=LPVo4I0qflo

◆Pavarotti Domingo Carreras - Happy Christmas/War Is Over
http://www.youtube.com/watch?v=mqGpMxtWWBQ

◆Pavarotti Domingo Carreras - Silent Night
http://www.youtube.com/watch?v=SPlxBow16SA


※No,67で一点間違いがございましたので以下に修正させて頂きます。
誤:『フルーメイソンと錬金術』
正:『フリーメイソンと錬金術』

69尾崎清之輔:2007/12/26(水) 00:35:20
この年末で片付けようと思った書籍300冊ほどのうち、200冊ほどブックオフへ叩き売ってきました。まだ100冊ほどありますが、昨日のうちに片付けの要領を得ましたので、残りもあっという間に片付けられると思います。
尚、叩き売った200冊が思ったより随分と値段が付いたので、ひょっとしてプレミア扱いのものが数冊混ざっていたのではないかと思い、もっと良く調べてからと、少し後悔しましたが、元々そのようなことに気が付かないほどご縁が薄かった書籍ということなのでしょう。

私は都会からそう遠くない地域に居住しており、本日もやや底冷えのする気温の中、日中は窓を全開にしてお片付けと昨日の掃除の続きをしておりましたので、今日はすっかり部屋の空気が入れ替えって気持ち良いです。
今年も残り6日となりましたが、自らが日々を過ごす重要な『場』を少し大切にしたことで、年末を気分良く過ごせそうです。

70尾崎清之輔:2007/12/27(木) 04:39:11
過日、シューマンに絡んで、オイゼビウスとフロレスタンについて、お話させて頂きましたが、とにかく深い。。。

いろいろな方々の演奏を聴きましたが、かつて、リパッティとカラヤンのデュオを遥かに超えている、というのが正直な感想です。詳細は、また過日。。

71根本敦史:2007/12/27(木) 16:44:59
ご無沙汰しております。本日をもって、仕事納めを迎えることとなりました。本掲示板による貴重なご縁により、今年も何とか無事に一年を終えることができそうです。ありがとうございます。尾崎さんがおっしゃるとおり、私も自分が生きる「場」を日々精一杯整えながら、何とかやっております。そして、改めて、自身が生きる土台の脆さに気付き、そうしたことに気付くきっかけを与えてくれた藤原先生や珪水さん、そのほか、この掲示板に集まる皆様に心から感謝する次第です。珪水さんが以前書かれていましたが、自分が生きるこの時空(タイム・スペース)を如何に整え、より良く生きるかが来年の私の課題であります。恐縮ではございますが、この場をお借りして、御礼申し上げます。

72尾崎清之輔:2007/12/27(木) 23:00:25
根本さん。ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです。また、近況をご報告いただき、有難うございます。

私も、宇宙巡礼という以前からの貴重な『場』に加えて、今年は更にこのようなスレッドを立ち上げ続けていこうという決心に至った貴重なご縁があり、おかげさまで今年一年を無事に終えつつ、来年以降に向けたテーマに邁進することができそうです。

根本さんも仰っておりましたが、私も自分が生きる『場』を日々精一杯整えながら、何とかやっているというのが実情で、『自身が生きる土台の脆さ』に気付くという意味では、決して他人事ではないと思っており、それが自身に課したテーマの一つとして、このスレッドを立ち上げるに至った次第ということになり、身の回りの事柄からはじまり、より大きく広く高い次元への言及と展開が行えるよう、そして少しでも実践に繋げられるよう、やや大げさな言い方ですが修養の日々を過ごしております。

さて、寄り道して放っておいたままとなっていた、アルベール・アンカーの作品群の感想を思い出しましたので、今夜はその話も織り交ぜさせて頂きたいと思います。

先に述べましたように、アンカーは、あの「バルビゾン派」に通ずるが如く、主にスイスの村の自然が奏でる風景画や、その中に生きる方々の人物画を描いており、その作品群の写真的な正確さと絵画的な大胆さの見事な調和は、見る者に一種の感動を覚えさせますが、それと同時に、彼の考える「権威主義的でない近代の教育理念」を念頭に置いていたことも、彼の作品群から一目瞭然でした。
そんな彼も、やはり生活のため、食べていくためには肖像画の製作にも携わっており、注文主とのやり取りにはそれなりにご苦労されたようですが、それでも注文主に対して、『美しく描いてほしいか? それともあなた自身を描いてほしいか?』と言えるだけの、常に矜持を失うことのなかった素晴らしい姿勢には感銘を覚えております。

そして、こうしたことへの気付きの大切さこそ、以前に申し上げた「自由とはFree toであり、自由気ままに生きていけるだけの心の余裕の持ち方」へ繋がると思っており、意識的か無意識的かに関わらず、そのようなきっかけを与えてくれた方々へは、本当に心から感謝する次第であり、今年一年を漢字一文字で表す際に『覚(かく)』をあてさせて頂いたのは、「めざめる」「おぼえる」「さとる」といった意味以外に、同音で似たような意味合いを持つ『確』つまり「たしかさ」へ繋げていこうという思いがあるためで、それが私自身より良く生きるための、そして私が敬愛する周りの方々と、同じ場所や同じ時間を通じた「共感」と「共鳴」、そして「共創」へと発展させていくことで、喜びを分かち合えるようにしていくことが、来年の、そして来年以降の課題と考えております。

73尾崎清之輔:2007/12/29(土) 01:25:32
年末の大掃除に伴い、整理整頓を続けておりましたところ、過日の書籍300冊云々どころの話ではなく、無用の長物が矢鱈と多いことに気が付き、先程まで片付けるのに大変な状況でした。
一旦というか、漸く収束が付きましたが、まだまだあれもこれも捨てたいと思う物が一杯見つかりました。これも、日頃の行いが肝心ということを改めて知った次第です。

そのような中、私の親族のある方(現在は故人)から頂いた10年ほど前の年賀状を見つけ、さり気ないその文面の美しさに思わず目がとまり、頂いた当時、忙しさにかまけて賀状のやり取り以外はすっかり疎遠になっていた自分を恥ずかしく思いました。
読書家で、且つ学生時代には日本各地の寺を廻って巡礼するのと同時に、スポーツカー好きでもあった彼は、私が幼少の頃から何台も乗り回しており、30年以上前にポルシェ911ターボを所有されていたので相当のマニアだった思います。
卒業して教職を務めた後、暫くして親の会社を継ぐこととなりましたが、常に読書は欠かさなかったようで、私の手元にある何枚かの賀状の文面を拝読する限りにおいても、それらが感じられます。
そんな故人に今夜は敬意を表しつつ、その一部を以下にご紹介させて頂きます。

◆国ありて、その下に民草は折り敷き、という朦昧たるこの国の濃霧、晴らしたし。


さて、明日(既に今日ですが)の東京は、気温はやや上がるものの、この時期には珍しく雨模様でお昼頃までは降り続きそうです。
年末で皆様いろいろやることがあって慌しいでしょうから、早めに晴れることをお祈り申し上げます。

74尾崎清之輔:2007/12/29(土) 01:30:52
私にとって、半ば年末行事と化しておりました『ベートーヴェン 交響曲第九番』の鑑賞ですが、今夏に東京フィルによるベートーヴェン交響曲のチクルスを聴いていたことや、年末に鑑賞できる主要なオーケストラの第九はここ数年で一通り聴いてしまったこと、更には所有している歴史的な名演のCD及びDVDが数多くあることなどから、今年末はあえて鑑賞に出向くことを止めました。

この話題と関連して、久しぶりにブログ『toxandoria の日記、アートと社会』から、第四楽章の合唱部である『歓喜に寄す』について触れた文章をご紹介させて頂きます。
ちなみに原文では『ベートーベン』となっておりましたが、統一性を保つため、引用者にて『ベートーヴェン』とさせて頂きました。

http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20071222

◆ベートーヴェンはシラー(ゲーテとともにドイツ古典主義の代表者)の詩『歓喜に寄す』を第四楽章の歌詞に取り入れた『Symphony No.9 in D minor、 Op.125』を作曲しています。晩年にシラーが重視した精神的自由には、ゲーテの「ヒューマニズム」と「プロテスタントの救済の精神」に通ずるものがあり、それは産業革命(科学技術発展≒頑迷固陋で殆どカルトに近いという意味での制度設計主義)の台頭と賭博化した資本主義経済の発達によって分断され孤立化した一般民衆への励ましでもあったと見なすことができます。


尚、2007年12月27日付の同ブログの記事においては、EUにおけるリスボン条約の意味するところと、日本の相変わらずというか、政・財・官・業とも全てひっくるめた、余りの政治的社会的貧困さとの対比も優れていると思いましたので、以下にURLをご紹介します。
同じ記事中の、ミュンヘン、ガルミッシュ・パルテンキルヒェン、フュッセン・シュバンガウ、ローテンブルク・オプ・デア・タウバー、ハイデルベルク、ライン川クルーズ、といった風景画像の観賞と併せてご一読頂けますと幸いです。

◆市民の厚生を見据えるEU、軍需利権へ媚びる日本/リスボン条約の核心
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20071227

75尾崎清之輔:2007/12/29(土) 01:52:09
(No.74の続きです)

この第四楽章の合唱部の対訳については、原語に近い内容のものから、日本人にも分かりやすい解釈へ改められているものなど、かなりの数が出ておりますが、私自身ドイツ語を解せないため、どの訳が適切かは分かりません(…と言っても誰にとって適切かという重要な観点は抜いております)。
従って、ここではWikipediaの外部リンクにあったサイトと、私の手元にある、『ベートーヴェン事典』(東京書籍)からの抜粋をご参考までにご紹介させて頂きます。

◆ベートーヴェン交響曲第9番 −曲目解説− より(Wikipediaからの外部リンク)
http://kcpo.jp/legacy/33rd/b-sym9top.html#head


◆『ベートーヴェン事典』(東京書籍)からの対訳抜粋
おお友よ、この調べではない!
もっと快い調べとともに声を合わせよう、
喜びにみちた調べに!
(ベートーヴェン)

歓喜よ、美しい神々の輝きよ、
天上の楽園からの乙女よ、
我らは情熱にあふれて
天国の、汝の神殿に足を踏み入れる。
汝の不思議な力は、時流が
厳しく引き離したものを再び結び合わせる。
すべての人々は兄弟となる、
汝のやわらかな翼がとどまるところにて。

ひとりの友を真の友とするという
大きな難事を成し遂げた者、
また優しき妻を得ることができた者、
そのような人々は歓声をあげよ!
そうだ、この地上で
一つの魂でも自分のものと呼び得る者も!
しかしこれをできなかった者は
涙を流しながらこの集いから立ち去れ。

すべてのものは、喜びを
自然の乳房からのみ
すべての善なるもの、すべての悪なるものは
自然のばらの小径をたどる。
自然は我らに接吻とワインを与え
死の試練を経た友を与える。
快楽は虫けらにすら与えられており
そして天使は神の前に立つ。

多くの星々が、天の完全なる計画によって
喜ばしくとびかけるように
走れ、兄弟たちよ、汝らの道を、
勝利に向かう英雄のように喜ばしく。

互いにいだき合え、もろびとよ!
この接吻を全世界に!
兄弟たちよ、星の天幕の上には
愛する父が必ず住みたもう。
地にひれ伏すか、もろびとよ?
創造主のあることに気づいたか、世界よ?
星の天幕の上に神を求めよ!
星の彼方に神は必ず住みたもう。
(フリードリヒ・シラー)

76尾崎清之輔:2007/12/29(土) 14:02:02
私の願いが通じたのか(笑)、それとも天の気紛れか、昨夜からの雨模様だったお天気も、私の居住している地域では、今日の午前の比較的に早い段階から上がりました。尚、都内でも午前中には上がったようですね。

さて、先週のうちにマイケル・ポランニー(著)『暗黙知の次元』(ちくま学芸文庫)を精読し終わり、幾つかの投稿において、引用と若干の感想を述べさせて頂きましたが、自らのものとするには、まだまだ何度か読み直す必要性を感じております。
しかも、前にも申し上げましたが、『個人的知識―脱批判哲学をめざして』(地方・小出版流通センター)へ至るまでには相応の時間が必要であると改めて思い知りました。
そこで、現在は『暗黙知の次元』の再々読とともに、同じ著者による『創造的想像力』(ハーベスト社)を読み始めておりますので、読み終えた段階か、または途中で何かしら気が付いた段階で、投稿させて頂くつもりです。
尚、この『創造的想像力』では、「直観」の意味と重要性についても明確に述べておりますので、必読と考えます。

77田中治:2007/12/30(日) 12:50:19
今年も残すところあと僅かとなったが、慌しい年の瀬の生活の中で今年1年を振り返っている。今年新しく出会った人々、これまで培った友人知人そして家族、人との出会い・語らいからは人生の豊かさを実感すると共に多くのことを学んでいることに改めて気づく。また今年新たに出会った書籍の数々、振り返るとどれも手応えはあったが、
このスレッドでも尾崎さんが何度も引用と共に触れられていらっしゃるように、「丸山真男 音楽の対話」
は別格の読後感が残った。「日本の思想」(丸山真男著)と共に読み進めたのだが、あまりに深い本質的な内容
を含んでおり、日頃の問題意識に対するヒントや答えを得た思いでいっぱいになり、心から感動を覚えた。
今年は、個人レベルでも社会レベルでも、強いてはインフォメーションレベルで伝わってくる国家レベルの諸問題においても、「身体における背骨」の役割と同様、「精神における背骨」としての思想や理念の不在がどれほど人間の生活そして社会に影響を及ぼしているかを痛感せざるをえないようなことが続き考えさせられた年となった。これまでだって感じないことはなかったのだが、今年はより大きく感じていた時に、改めて丸山思想の一端に触れ、そこに自分なりに多くのヒントを見つけたので、自分のできる範囲で未来に実践したいと思っている次第である。
 日本ではこの時期そこかしこでベートーヴェンの第9交響曲が鳴り響いている。しかし、この曲は本来、その年1年を祝うといった歳時的なレベルの内容ではないはずだ。欧州ではEUの歌に制定されており、またベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが統一したときに東と西の人々が共に歌ったのも第九だった。この曲の中に哲学・思想・理念が在り、
近代以来の精神的な背骨としてこれほど偉大な曲は他にないからであると思う。丸山は言っている。
「・・・・・バッハは神のために、ハイドン、モーツアルトは現世の人々のために音楽を書いたけれど、ベートーヴェンは人類に向かって呼びかけを行った。「第5」や「第9」はその典型です。音楽の中に哲学があるのです。・・・・」
(「丸山真男 音楽の対話」中野雄著 P.73ページより)
フルトヴェングラーのベートーヴェンを聴いていると、ベートーヴェンという作曲家と彼の生きた時代の「創造」とフルトヴェングラーという指揮者と彼の生きた時代の中で作り上げられた「追創造」が大きく相まり、偉大な寓意図を読み解いた時と同じような言葉では言い表せないほどの感動はその響きの中で人生観を変えるほどである。
その存在と精神の気高さ(昨今日本で流行の「品格」などという言葉では言い表せない)と丸山が繋がっていたことが
読者として大変嬉しかった。
クラシック音楽の世界では、これから先どのような偉大な芸術家を生み出し我々に「追創造」を聴かせてくれるのだろうか。そのこととこれからの時代がどうあるかは密接に関わっているし、すなわちクラシック音楽の未来のみならずすべての芸術文化にいえることだろうと思う。

78田中治:2007/12/30(日) 12:55:33
ところで、最近、個人的に注目している芸術家にイギリス人やイギリスに在住している人が多いことに気がついた。もちろんドイツやフランス、スペイン、北欧とヨーロッパのあらゆるところから優秀な芸術家が輩出されているとは認識しているが、イギリス系はなかなか一筋縄ではいかない。「伝統」に則ってみると「正統」ではない筋なのだがこんな時代には柔軟な聴き方・見方が必要と思い、枠にとらわれずに聴くようにしている。 イアン・ボストリッジという若いテノールが歌うシューベルトはなかなか素晴らしいと思う。リート歌手として日本でもコンサートやCDで人気のようだが、これまでとはちょっと違った歌手のようだ。経歴も興味深い。ケンブリッジとオクスフォードで哲学と歴史を勉強し、博士論文のテーマは「中世イギリスにおける魔女について」だとか。音楽大学で専門教育をうけたことはなくほぼ独学でコンサート活動を行っているのだから、大変にユニークでイギリス人好みの生き方を体現しているように思う。 ピアニスト内田光子もイギリス在住で、以前雑誌で日本の音楽界について批判していたのを読んだ覚えがあるのだが的を得たものだったので印象に残っているし、演奏もモーツアルトやシューベルトは自由な楽想で美しかった。
ベルリンフィルの常任指揮者サイモン・ラトルもその活動内容には目を見張るものがあり、賛否両論あるだろうがなかなかユニークな存在だ。丸山真男の言うように、音楽が生命体であるならば、今後、作曲界におけるベートーヴェンや指揮者におけるフルトヴェングラー、ピアニストにおけるケンプはもう出てこないであろう。しかし、我々は、後ろを振り返りそこから学びつつも、前を向いて歩んでいくより他ない。テクニックが素晴らしいだけならこれからの世界はロボットに任せたらいいのだし、人間にしかできない領域となるとインタンジブルな価値を内包していることが必要だろう。藤原博士によるMTKダイアグラムの図の普遍性を思い出しながら今後の価値観の在り方の行く末を音楽の話題と共にしばし考えるのも無駄ではないと思う。

79尾崎清之輔:2007/12/30(日) 19:18:04
一昨日、ベートーヴェンの交響曲第九交響曲に関する投稿をさせて頂きましたが、先日の大掃除で私の蔵書に眠ったままとなっていた書籍を偶然見つけました。

◆『ベートーヴェンの「第九交響曲」―“国歌”の政治史』エステバン ブッフ(著)(鳥影社ロゴス企画部)

BOOKデータベースには、以下内容が記載されており、それなりの厚みを持つため、こういうお休みの時期でないと手に取らないでしょうから、この際、一挙に読破してみようと思います。

◆その最終章の『歓喜の歌』が、今やEUの歌にさえなった『第九』、その政治的読解を試みる。『第九』が誕生するまでの思想的・歴史的背景、誕生以後の『第九』の政治的受容をダイナミックに捉える。

また、田中さん仰せの通り、この曲は本来、その年1年を祝うといった歳時的なレベルの内容ではなく、書籍の帯にも以下の通り明確に書かれてありました。

◆ヒトラーは自らの誕生日を『歓喜の歌』で祝った。しかし一方、強制収容所のなかに至るまで、人々はこの曲で彼に抵抗した。
『歓喜の歌』は、常にオリンピックで鳴り響いている。ついこの前、サラエボでも響き渡っていた。この曲はまた、人種差別の国、ローデシアの国歌であった。今日ではEUの歌である。


尚、第九交響曲の成立は19世紀前半(作品完成時期は1824年5月)であり、これは、欧州において、産業革命を経て、近代国家群と国旗ならびに国歌が成立した後ということになると思いますが、そのあたりに、以前ここの掲示板で大変盛り上がった「国旗とミランダ」の話にも繋がるのではないかと考えつつ、読んでみたいと思います。

◆交響曲第9番(ベートーヴェン):Wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC9%E7%95%AA_(%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3)

80尾崎清之輔:2007/12/30(日) 19:49:03
ご参考までに、第九の映像作品について、以下に幾つかURLをご紹介させて頂きます。ちなみに私個人としては、第三楽章全体と、第四楽章の真ん中あたりにある『Allegro assai vivace−Alla marcia』の管弦楽のみによる演奏から、「歓喜」の合唱に至る部分が最も好きです。

◆フルトヴェングラー指揮+バイロイト祝祭管弦楽団の演奏(1951年)をBGMにしたイメージ映像。
・FURTWANGLER Beethoven No.9 mov.4 part1
http://www.youtube.com/watch?v=FRQ2fb6w7P0

・FURTWANGLER Beethoven No.9 mov.4 part2
http://www.youtube.com/watch?v=L494cJlP98I

・FURTWANGLER Beethoven No.9 mov.4 part3 (end)
http://www.youtube.com/watch?v=v7Pvib56teI

◆フルトヴェングラー指揮&BPOによる戦前ライブ(1942年)の抜粋より。彼の指揮ぶり(≒文字通りの意味での生きた音楽の肉体化)が良く分かります。
・Furtwangler on 4.19.1942 Full edition
http://www.youtube.com/watch?v=Yqff1F0Ijn0

尚、演奏後にゲッペルスと握手したシーンは敗戦後に物議を醸したことは有名ですね。

◆フルトヴェングラー亡き後にBPO常任指揮者(後に終身指揮者&芸術監督)に就任したカラヤン&BPOの演奏です。こちらは第一楽章から第四楽章までフルバージョンです。
・Karajan - Beethoven Symphony No. 9:Part 1
http://www.youtube.com/watch?v=O2AEaQJuKDY

・Karajan - Beethoven Symphony No. 9:Part 2
http://www.youtube.com/watch?v=cSEqQsAXbJw

81田中治:2007/12/30(日) 22:09:13
尾崎さんが早速ベートヴェンの第九について呼応してくださり、Youtubeでフルトヴェングラーの戦前の演奏に接することができるとは知らなかったので教えていただき大変感謝申し上げたい。早速フルトヴェングラーとカラヤンの映像つきの第九の演奏を鑑賞した。ナチスの旗のもとでタクトを振るフルトヴェングラーの姿は大変に貴重な映像であり、百聞は一見にしかずと言う通り、歴史の真の姿に対峙できる一級の資料ですね。フルトヴェングラーの指揮姿やその演奏はさることながら、当時の観客の表情を写したシーンも、非常に印象に残った。
「明日がない、これが最後のコンサートかもしれない、と覚悟したとき、人間はこんな音楽をやるんだねえ。・・・・・人類の音楽は、フルトヴェングラー戦時中の音楽をもってその頂点とするんじゃないだろうか。戦後の録音、とくにスタジオで作ったLPにはこの凄みが欠けるんです」・・・・・・・・・・・・
「でもあんな悲劇的な状況と、悲惨な経験を抜きに最高の演奏が生まれないとしたら「音楽」とは何なんでしょう」・・・・「人間の本質にかかわるテーマですね」・・・・(「丸山真男 音楽の対話」(中野雄著)P233~234より抜粋)
尾崎さんが所有されている書籍もご紹介くださり感謝申し上げたい。是非私も取り寄せて読んでみたいと思っております。ヨーロッパの演奏会では年末に第九が恒例化していないし、逆に第九を演奏するときは何か意味のある出来事に即して演奏するのが大体だ。第九は彼らの偉大なる遺産であり、共通の理念の象徴なのだと思う。血肉なのですよね。日本では興行的な効果を期待して始まった現象だと専門家の口から聞いたことがあるが、それにしても日本人というのは、こういった現象にある意味無頓着で居られるのだということに同じ日本人として改めて驚くと共に、それを「バッソオスティナート」と表現した丸山真男には尊敬の念を覚える。

82尾崎清之輔:2007/12/31(月) 01:06:54
フルトヴェングラーとカラヤンの第九を演奏された映像作品を早速ご鑑賞いただき、また第九の意味するところから、日本の古層であるバッソオスティナート(執拗低音)へ繋げていただきました田中さんへは、誠に感謝致します。

ところで、No.78におきまして、田中さんが仰っていられた、現在のBPOの常任指揮者サイモン・ラトルの活動内容につきましては、私も以前から着目しており、就任当初は外野がいろいろと五月蝿かったようですが、3年前の『ベルリンフィルと子どもたち』あたりから少しずつ何かが変わりつつあると思い、今年6月にベルリン郊外で開催されたヴァルトビューネコンサート(通称:ピクニックコンサート)をNHKのBSハイビジョンで偶然視聴した際には、漸く新生BPOの音創りの意味するところが明確になってきたようで、ラトルとBPOが一体となった瞬間を垣間見るような気が致しました。

今年のヴァルトビューネコンサートは、「狂詩曲(ラプソディー)」を中心としたテーマでしたが、中でも圧巻であったと思ったのが、ラフマニノフの『パガニーニの主題による狂詩曲 作品43』で、スティーブン・ハフ(ピアニスト)とラトル&BPOとの協演には深い感動を覚えずにはいられませんでした。
ラトルも、BPOのメンバーも、おそらくお互いに成長しあうということへの喜びを見出したのではないか、そして、そのような「表現」を創り出した『場』から『共創』が生まれ、聴く者に対してある種の感動を伝え、覚えさせるに至ったのではないか、そんな想いでした。

尚、コンサートの模様がYouTubeに載っておりましたので、ご参考までにお知らせします。

◆Stephen Hough: Rachmaninov Rhapsody on a Theme by Paganini 1
http://jp.youtube.com/watch?v=OFM_LxkR6Yc

◆Stephen Hough: Rachmaninov Rhapsody on a Theme by Paganini 2
http://jp.youtube.com/watch?v=yhZkC8trqKQ

◆Stephen Hough: Rachmaninov Rhapsody on a Theme by Paganini 3
http://jp.youtube.com/watch?v=kXkLghuoIJc

◆Stephen Hough: Rachmaninov Rhapsody on a Theme by Paganini 4
http://jp.youtube.com/watch?v=epsIWa7EZnU

83田中治:2007/12/31(月) 05:18:16
尾崎さん、昨年のヴァルトビューネの映像と演奏のご紹介をありがとうございます。小生は2001年のヴァルトビューネを現地で鑑賞した経験があるのですが、
それは感動的でした。プラシド・ドミンゴの指揮でスペインの音楽をたくさん演奏していた記憶があるのだが、とにかく「場」としてのヴァルトビューネ
は素晴らしく、ヴァルトビューネは“Waldbuehne”文字通り「森の舞台」で、演奏はもちろんすばらしいのだが、石の客席の上に
それぞれ持参したクッションを敷いて座り、またまたそれぞれが持参したバスケットの中にはワインやチーズ・サンドイッチが入っていて
それをおもむろに開けほおばりながら仲間同士乾杯をして皆思い思いに開演を待つ。その間夕日が沈み、空が徐々に暗くなり、自然が幕開けを予告
してくれる。日が沈むとザワザワとこれまた森の木々が夜風に乗ってざわめき始める。それぞれが良い気分に浸っているときに、照明がつき
BPOの素晴らしい演奏が始まる。あれは一度体験すると病みつきになるのではないか。尾崎さんが「場」から「共創」という言葉を使っていらっしゃるが
ヴァルトビューネはサイモン・ラトルという指揮者の個性にはとりわけうってつけの「場」であるように思う。

ところで、BPO創立125周年記念を前にDie Welt(ドイツの高級紙のひとつ)と共同でBerliner Philharmoniker im Takt der Zeit(ベルリンフィル
ハーモニカー その時代のタクトの中で)という12枚組のCDが発売されており、ひょんなことから今年知人に頂いたのだが、これがなかなか興味深い。
中に冊子が入っており創立以来歴史的な事象と合わせてベルリンフィルがどのような変遷を辿ったかを時の常任指揮者のそれぞれの時代と合わせて
紹介されている。ここにも、音楽が単なる表層的なお飾りではなく、時代に翻弄された人々の心の支え、精神的な背骨のひとつであり、人々の血と肉
になっていることを実感する。12枚のCDは二キシュからラトルまで往年の常任指揮者たちの演奏が入っているのだが、BPOが各指揮者のどの演奏を
ピックアップしているのかに興味が湧いてよく見ると、因みにフルトヴェングラーのCDには3曲収められており、
ベートーヴェンの交響曲第五番(運命):1943年6月30日
モーリス・ラベルのダフネとクロエ:1944年3月22日・20日
ベートーヴェンの交響曲第一番:1954年9月19日 
であった。やはり1943年6月30日の第五が入っており、一方でフランス物であるラベルも、信じられないぐらい美しい。最後の第一は、死の2ヶ月前の演奏で、BPOとの最後の演奏であった、と記されているが、その演奏をあえて言葉で表現する気にはならない。

尾崎さんも仰るとおり、サイモン・ラトルはこの数年、「未来」を強く意識した活動を通常のシーズン以外にも力を入れているようであり、おそらく彼なりの
思想があるのだと個人的に注目している。その思想にBPOが感応してまさに尾崎さんが仰るところの「場」から「共創」へと変容している。後期アバド時代の重厚で真摯でそれでいてヒューマンなBPOも素晴らしかったが、ラトルは21世紀の幕開けと共に新しい生命力を吹き込んだようで、今後も楽しみだ。31日のジルヴェスターコンサートは日本でもライブで放送されるようだから、ご興味がある方は是非ご覧ください。
末文ではあるが今年後半、尾崎さんによる本スレッドでは、たいへん多くのことを学ばせていただいており、この場を借りて心より感謝申し上げたい。
皆様どうぞ良い年をお迎えください。

84尾崎清之輔:2007/12/31(月) 10:37:08
田中さん仰せの通り、ベルリン郊外にある森に囲まれたヴァルトビューネ野外音楽堂でのこのコンサートは、通常の劇場でのコンサートと異なり、皆々、思い思いのカジュアルなファッションに身を包み、サンドウィッチやワインなどの入ったバスケットを持参して、観客と演奏者が一体となり、文字通りのピクニックコンサートと呼ぶに相応しい雰囲気を醸し出しております。

私は、そのあたりにも、欧州における「精神における背骨」としての思想や理念を感じさせ、延いては精神の気高さ、つまり『精神の貴族性(アリストクラシー)』に繋がるものがあると思っております。

さて、今年を締め括る言葉として、このスレッドを立ち上げてから僅か2ヶ月にも満たない短期間で、我ながら良くぞここまで書き続けることができたという思いがございますが(実は今だから申し上げられますが、スレッド立ち上げ直前の頃には数日で挫折しそうであるという私信を送ったこともございました)、これからが始まりであり、今年の感謝の言葉は直接的に、または掲示板を通して、様々な箇所に散りばめることでもお伝えさせて頂いておりますが、来年の目標に、暗黙知と複雑系(主に「共鳴場」「共鳴力」「共進化」)のシンフォニーを念頭に置くことで、普遍的価値を持つ藤原博士のMTKダイアグラムの知識集約型における現在と近未来の在り方を考えつつ、人間にしかできない領域であるインタンジブルな次元への展開(表現や価値創りなど)を行っていくことができるよう励みたいと思いますので、今後もより一層のご指導とご鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

本年はどうも有難うございました!
今年も残すところ僅かとなりましたが、皆様どうぞ良いお年をお迎え下さい。

85佐藤:2007/12/31(月) 15:48:03
尾崎さんと田中さんの仰っておられる、ピクニックコンサートですが、ここロスアンジェルスのハリウッドにもあります。多分ドイツの真似をしたのでしょう。ハリウッドボールと言って、約1万人収容のハリウッドのど真ん中の山と山の間にあり、各自思い思いのワインと食事を持ち込んで演奏を聞いております。夏の間、毎日演奏が行われます。クラシック音楽に縁遠いと思われる当地ですが、皆楽しんでいます。

86尾崎清之輔:2008/01/01(火) 22:41:30
新年、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
また、皆様におかれましては、良い子年を過ごされますよう、心よりお祈り申し上げます。

本日は先程まで『ウィーン・フィル ニューイヤー・コンサート2008』を視聴しており、今もその余韻に浸っているところです。
毎年、話題となる指揮者の選出と演奏作品、そして視ていて楽しくなる演出ですが、今年はフランス・クラシック音楽界の大御所で、ニューイヤー初登場かつ史上最高齢(83歳)のジョルジュ・プレートルがタクトを振り、演奏された曲も例年とは趣向が異なり、非常にユニークなものになったと感じました。

その演奏は、『ナポレオン行進曲 作品156』からはじまり、『パリのワルツ』や『ベルサイユ・ギャロップ 作品107』といった、これまでのニューイヤー・コンサートでは演奏されなかったと思われるフランス関連の曲や、『ルクセンブルク・ポルカ』、『ロシア行進曲 作品426』、『中国風ギャロップ』、『インドの舞姫 作品351』などといった多国籍に渡った選曲であり、シュトラウス一家のレパートリーの多さにも驚かされました。
ちなみに『インドの舞姫』については、ひょっとしたら昨年のニューイヤーの指揮者を務めたズービン・メータへの御礼のメッセージが込められていたのかもしれません。
(ルーマニアとブルガリアがEUへ加盟したことに対する歓迎の挨拶)

また、2008年のサッカー欧州選手権の開催地がウィーンということに因んで、『スポーツ・ポルカ 作品170』が演奏され、ラストは例年と同じく、指揮者からの挨拶とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバー全員による『あけましておめでとうございます!』の後、オーストリアの第二の国歌と呼ばれる『美しく青きドナウ』と、もう一つのアンコール曲である『ラデッキー行進曲 作品228』で締め括られます。

ところで、この番組ではウィーン市内のメインスリートであるケルントナー通りが紹介されており、番組内でも話が出ておりましたが、このケルントナー通りには余計な電飾や看板などが一切無いところに、以前No.3で紹介させて頂きました中村勝巳先生の『経済的合理性を超えて』(みすず書房)に書かれていた『芸術や美的な要求、また市民自治の伝統への誇りといったことが、欧州社会の根底に存在していることの重要性』の意味するところを思い知らされました。

尚、余談ですが、かつて観客と演奏者たちを大いに楽しませた「踊る指揮者」こと「カルロス・クライバー」指揮による1989年と1992年のニューイヤーのDVDがあることを思い出しましたので、亡きクライバーを偲ぶ意味で久しぶりに聴いてみようと思います。

87尾崎清之輔:2008/01/01(火) 22:47:42
佐藤さん。No.85では、ハリウッドボールの情報をご紹介いただき、有難うございました。
仰っておられた内容から、とても楽しそうな光景であることが想像されます。
日本もいずれこのような光景が見られるようになる日をつくり上げていけるだけの本当の意味での「余裕」が必要ですね。

88尾崎清之輔:2008/01/03(木) 01:31:51
新年に入って2日過ぎましたが、皆様におきましては、いかがお過ごしのことでしょうか。

さて、新年と言えば、「初夢」を見られた方々も多いと存じますが、初夢は一般的には、1月1日〜2日または1月2日〜3日にかけての夜に見る夢のことを示しているそうです。
ちなみにこの初夢に関して、Wikipediaその他を幾つか拝読させて頂いたところ、室町時代から良い夢を見る秘訣が存在していたようで、それは七福神の乗った宝船の絵に、

◆永き世の遠(とお)の眠(ねぶ)りの皆目覚め 波乗り船の音の良きかな

という回文を書いたものを枕下に入れて眠ると良いとされているとのことでした。
この辺り、以前どこかのスレッドで賑わった回文の話題にも絡めて考えてみたいですね。
尚、これで悪い夢を見た場合は、翌朝、宝船の絵を川に流して縁起直しをしたそうです。

また、初夢で縁起が良いとされるものは、「一富士、二鷹、三茄子」と呼ばれ、その起源は定かではないですが、江戸時代には一般化されていたようです。それ以降の良い夢の順番につきましては諸説ございますので、ここでは割愛させて頂きます。
未だ初夢を見られていない方々、または昨夜の夢が余り宜しくなかった方々は、ものの試しに先の回文を枕元に置いてみたらいかがでしょうか。

ところで話題はがらりと変わり、またまた音楽の話題になって恐縮ですが、田中さんがNo.81において、フルトヴェングラーの戦前ライブを歴史の真の姿に対峙できる一級の資料であるというコメントを頂いたことから、(私自身は既にDVDを所有しておりますが)戦時中のフルトヴェングラーとカラヤンが、それぞれ同じ『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の前奏曲をライブ演奏した映像が残っており、やはりYouTubeに掲載されておりましたので、ご参考までにご紹介させて頂きます。
あの時代のお互いの演奏=音楽への取り組み方の違いも必見ですが、特にカラヤンの戦前ライブ作品(映像自体はニュース扱い)については、彼が帝王になる過程で、あの時代の映像に関しては、政治力を駆使して相当数を闇に葬ったという噂を聞いたことがございましたので、非常に希少価値と思います。

・Furtwangler conducts Die Meistersinger in 1942
http://www.youtube.com/watch?v=3rM96_RS1Os

・Karajan in Paris in war time
http://www.youtube.com/watch?v=iMwVaDDpIAE

89田中治:2008/01/03(木) 08:52:24
2008年あけましておめでとうございます。今年も皆様にとって良い1年でありますようこの場をお借りして
お祈り申し上げます。

昨晩は一日遅れでウィーンフィルの新年演奏会を聴き、その曲目の多彩さ・洒脱さからも多民族国家ハプスブルグ家の薫り高い文化の名残をテレビを通してではあるが堪能したところである。藤原博士の「オリンピアン幻想」の中でも、若き藤原博士がグルノーブルからウィーンまで雪道の中を車で向かい、ウィーンフィルの新年演奏会を堪能したくだりがあったことも思い出し、また昨年本スレッドでも触れさせていただいたハプスブルグ家の歴史とヨーロッパにおけるウィーンの位置(地理的・精神的)をも、つい思い出しながら演奏を楽しんだ。

さて、尾崎さんがまた興味深い映像をリンクしてくださり、早速鑑賞させていただいた。ほぼ同じ頃の演奏であるにもかかわらず、両者の演奏の響きがここまで違うとは・・・当時の録音技術事情を差っ引いても、その違いはこうして鑑賞すると明らかだ。「丸山真男 音楽の対話」にもいくつかのエピソードと共に記述があるように、フルトヴェングラーの演奏に聞き入る一般聴衆の背格好・眼差しなどから当時のドイツあるいはベルリンの人々にとっていかに彼の演奏が精神的な支えであったかが伝わってくる。フルトヴェングラーの演奏はたとえワーグナーであっても、響きの美しさはさることながら、その演奏の中に良心や慈悲・節度を感じる。ところであくまで私個人の趣味で恐縮だが、私は昔からカラヤンという指揮者を好きになれない。彼の指揮姿、そして彼の音楽には、傲慢さと強烈な自己顕示性を感じて辟易してしまう。以前、日本におけるその道の大家にそのことをつい口走ったら、激しく罵倒されてしまった。その方曰く、カラヤンがわからない奴は音楽がわからないのだという。その後、ひょんなことからカラヤン時代にBPOのコンサートマイスターを務めた方にお話を伺う機会があったのだが、カラヤンの人間性について私が彼の音楽からなんとなく感じていたことを裏付けるようなエピソードを聞き、おかしな言い方だが納得してしまった経験がある。尾崎さんがリンクしてくださったこの1940年のマイスタージンガーの演奏とその指揮姿からは戦後よりも激しい自己顕示性を感じるし、この映像の中にハーケンクロイツが一緒に映っていなかったのが、せめてもの救いだと思った。
東京は元旦から素晴らしい晴天に恵まれているが、太陽の光の中で、しばし明晰さを取り戻し今年の抱負をもう一度意識しなおして正月三が日の最終日を過ごそうと思っている。

91鈴木次郎:2008/01/03(木) 17:00:56
ベートーヴェンの略年譜(Career of Ludwig van Beethoven):1770〜1827

1770年:12月16日(17日説も有る)ドイツのボンに生まれ17日に受洗。
     イギリス産業革命。
1775年:( 4歳)アメリカ独立戦争。
1778年:( 7歳)3月26日最初のピアノ独奏会をケルンで開催。
     パヴァリア継承戦争開始。
1781年:(10歳)小学校を退学しネーフェに入門、和声と作曲の勉強を始める。
     83年には最初の『ピアノ・ソナタ 作品161』を作曲。
1784年:(13歳)ネーフェのボン宮廷管弦楽団の次席オルガニストに就任。
1785年:(14歳)ブロイニング家のピアノ教師となる。
1786年:(15歳)2月、シラーが詩『歓喜に寄す』を発表。
1787年:(16歳)4月、ウィーンのモーツァルトを訪ねる。
1789年:(18歳)ボン大学聴講生になる。
     フランス革命勃発、アメリカ初代大統領にワシントンが就任。
1790年:(19歳)12月、ボンでハイドンに初会見。
1791年:(20歳)12月5日、モーツァルト死去。
1792年:(21歳)11月10日ウィーンに移り、ハイドンに師事。
     フランス、王政廃止。
1793年:(22歳)フランス国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネット処刑。
1794年:(23歳)『ピアノ三重奏曲 作品1』を作曲。
1795年:(24歳)『歌曲「相愛」』を作曲。
     アルト歌手M.ヴィルマンに求婚し断られる。ナポレオン登場。
1798年:(27歳)ハイドン、『オラトリオ「天地創造」』を作曲・初演。
     『歓喜に寄す』のスケッチを試作。
1799年:(28歳)『ピアノ・ソナタ「悲愴」』を作曲。ナポレオン第一統領就任。
1800年:(29歳)『交響曲第1番』を作曲。
1801年:(30歳)『ピアノ・ソナタ「月光」』を作曲。神聖ローマ帝国崩壊。
1802年:(31歳)耳疾の不治を悟る。夏ハイリゲンシュタットに転地。
     10月6日、失意の内に「ハイリゲンシュタットの遺書」を書く。
1804年:(33歳)『ピアノ・ソナタ「ヴァルトシュタイン」』、
     『交響曲第3番「英雄」』をナポレオンに献呈する積もりで作曲。
     4月ナポレオン帝位に就いたため、献呈を取り消す。
1805年:(34歳)歌劇『フィデリオ』(初題は「レオノーレ」)の第1作、
     『ピアノ・ソナタ「熱情」』を作曲。
1806年:(35歳)ブルンスヴィック家のテレーゼと婚約。
     『弦楽四重奏曲「ラズモフスキー」』、
     『ヴァイオリン協奏曲 作品61』を作曲。
     ナポレオン大陸封鎖令、神聖ローマ帝国滅亡。
1808年:(37歳)『交響曲第5番「運命」』『交響曲第6番「田園」』、
     『合唱幻想曲』を作曲。
1809年:(38歳)5月31日、ハイドン死去。
         『ピアノ協奏曲第5番「皇帝」』を作曲。
1810年:(39歳)テレーゼとの婚約解消。『ピアノ・ソナタ「告別」』を作曲。
1811年:(40歳)『ピアノ三重奏曲「大公」』を作曲。
1812年:(41歳)『交響曲第7番』『交響曲第8番』を作曲。
1814年:(43歳)4月ナポレオン退位、エルベ島に配流。
1818年:(47歳)『ピアノ・ソナタ「ハンマークラヴィーア」』を作曲。
1821年:(50歳)ナポレオン、セントヘレナ島で死す。
1823年:(52歳)『ミサ・ソレムニス』を作曲。
1824年:(53歳)『交響曲第9番「合唱付き」』を作曲。
1826年:(55歳)生涯最後の作『弦楽四重奏曲 作品135』を作曲。
1827年:(56歳)3月26日雷雨の中で死去。
         3月28日頭骨を切り解剖し
          彫刻家ダンハウザーが死面(デスマスク)を採る。

92鈴木次郎:2008/01/03(木) 17:23:24
日本において『第九』が陳腐な年末行事と化してわけのわからぬ有象無象の大衆が下手な聴いておれん発音でストレス発散のために
うたいまくりそれで儲けた音楽家がその金で家を建て かくして 第九で大工が 儲かる 仕組みが 日本において 確立されたのであった。
というのは 笑い話として、既に知られたことではあるかもしれぬが、『第九』の裏には上記の年表からも察せられるが実に奥深い世界が横たわって
いるのであって、それを少し紐解いてみよう。
まずこの詩の作詞家シラーであるが、当然彼と『クンドコ団』及び『クンドコ思想』(ここでは便宜的にこう呼ぶ。皆さんは勝手に好きな名称を当てはめて
読まれたし)に触れずして、この詩の本当の内容を理解することはできない。

93鈴木次郎:2008/01/03(木) 17:36:15
1784年にシラーは、貴族と町人(音楽家!(笑))の娘の間の恋愛をテーマにした劇『Kabale und Liebe』(邦題:たくらみと恋)を発表、フランクフルト・アム・マインにて4月に初演され、大成功を収めた。その頃ザクセン王国のライプツィッヒに、この作品に痛く感化され、心の底から共鳴し、シラーを尊敬崇拝敬愛して止まない若いカップル達が居た。男は貴族、女な銅版画家の娘姉妹達で、自らの結婚を親に反対され、絶望の淵に沈んでいたのであった。

94鈴木次郎:2008/01/03(木) 17:54:14
富裕な男の名前は、Christian Gottfried Körner(最も近い発音:キュウオナー)。彼らは、人間シラーの思想やその作品に対する絶大なる信頼と賛同を手紙に記し、シラーにエールを送り続けたが、結果として、1785年にシラーは(金に困っていた、という事情もあり)、彼らの招請に応じる形で、男の所有するドレスデン近郊の館に身を寄せるのである。シラーとキュウオナーは信頼関係を築き、数々の手紙のやりとりがあるが、その中であるときシラーは、知り合いのボーデ(Johann Joachim Christoph Bode)(軍楽隊のオーボエ奏者、音楽家、翻訳家、クロップシュトック、レッシング(『賢者ナタン)』等の著作の出版者)から、クンドコ団への加盟を薦められた(誘われた)ことを伝え、どうすべきか相談するのである(やっぱり出てきたか)。

95尾崎清之輔:2008/01/03(木) 18:02:00
鈴木さんがNo.92で重要なご指摘をされたように、シラーが最初に第九の『歓喜の歌』の元になった詩を書いたのは1785年(1786年?)ですが、この時の題名は『Hymmne a la liberte(自由賛歌)』であり、1803年になって、一度シラーによって『An die Freude(歓喜に寄せて)』書き直され、後にベートーヴェンが第九の第四楽章の合唱向けに冒頭部分の追加修正を行っております。
この間の歴史の変遷につきましては、先に鈴木さんからご提示頂いた年表と当時の欧州、特にフランスやドイツ辺りの歴史と対比してみれば何が起こっていたか気が付くことと思います。もちろん、彼が何に影響を受け、どのような影響を与えてきたかについても。。
特に鈴木さんから既に続けてコメントが投稿されておりますように、Christian Gottfried Körner(日本語では「ケルナー」と呼ばれることが多いようですね)は要着目です。

96鈴木次郎:2008/01/03(木) 18:04:28
自身正当且つ真面目なクンドコ団員であったキュウオナーはしかし聡明な男で、シラーに対し、ボーデが入会を勧めてきたのは実はクンドコ団の亜流であり、インゴルシュタット大学で唯一の非ジェスイット系教授で、学内のジェスイットとちゃんちゃんばらばら戦っていたアダム・ワイスハウプトが興した『キンドコ会』(そのシンボルはミネルヴァの梟)であることを伝え、やめるよう、諭したのであった。

97尾崎清之輔:2008/01/03(木) 18:31:16
久しぶりの話題のため、すっかり記憶から遠のいておりましたが、このあたりを整理していく上では、概説書になりますが、『間脳幻想』(東明社)の中でも触れられていた、セルジュ・ユタンの『錬金術』(白水社)並びに同じ著者による『秘密結社』(白水社)の再読の必要性を感じました。

98鈴木次郎:2008/01/03(木) 19:04:36
おっとっと。ちょっと暴走してしまったようです。#96の中でキンドコ会が戦っていた相手のことは今後便宜的に『ラヨローズ』と呼ぶことにします。
ちなみに、近年にないくらい(瞬間的に?)このスレッドが活性化したために既に大分前になってしまいましたが、私としてはいずれスレッド#27,28,29,31,33,34などにこの話をつなげて行きたいと思っておりますので、お付き合い頂ける皆様はぜひここでこれらのスレッド及びその前後のスレッドを読み返して頂ければと思います。

99鈴木次郎:2008/01/03(木) 19:39:34
さて、#96に続けます。
キュウオナーの時代、啓蒙思想の浸透とあいまって、というか、啓蒙思想の担い手として、クンドコ思想と、クンドコ会は隆盛を極め始め、市井の多くの人間がクンドコ会に入会し始め、会は次第に大きくなっていった。ザクセンにおいては、当時の貴族がそれぞれのクンドコ会の長を務め、その興隆と発展・振興、会員同士の交流に心血を注いだことも、勿論、同会の発展と無縁ではなかった。クンドコ会は、その会の性格上、その思想や教えを独特の形で会員に伝えていたが、そのひとつのやり方が、そのイデアを詩にして、それに曲を付け、会員がディナーの席上で歌う、ということがあった。まじめなクンドコ会員であったキュウオナーは、シラーに対し、キュウオナーが属していたクンドコ会ドレスデン支部の会員を念頭に置いた、集会の時に利用できる曲のための詩、の作詞を依頼したのである。不遇の身を囲っていた自分をドレスデンに招き寄せ、憂いの無い生活を通じて思い存分創作活動に邁進させてもらっていたことに恩義を感じていたシラーは、友の依頼を二つ返事で引き受け、友と色々対話し語り合いながら1785年に最初の詩が出来上がったのである。

100鈴木次郎:2008/01/03(木) 19:57:24
ではここに、1785年バージョンの先ずは導入部分を、オリジナルのドイツ語と、わかりやすいように英語の対訳を付けて紹介してみよう。ここで是非ともご注目頂きたいのは、⑦の部分である。これは、現在日本で歌われているものには、勿論、ない。

1 Freude, schoener Goetterfunken,
1 Joy, beautiful spark of Gods,

2 Tochter aus Elysium,
2 Daughter of Elysium,

3 Wir betreten feuertrunken,
3 We enter, fire-imbibed,

4 Himmlische, dein Heiligtum.
4 Heavenly, thy sanctuary.

5 Deine Zauber binden wieder
5 Thy magic powers re-unite

6 Was der Mode Schwert geteilt
6 What custom's sword has divided

7 Bettler werden Fuerstenbrueder
7 Beggars become Princes' brothers

8 Wo dein sanfter Fluegel weilt.
8 Where thy gentle wing abides.

101鈴木次郎:2008/01/03(木) 20:16:17
このスレッドの#75において 尾崎さんが、現在歌われているベートーベンの歓喜の歌の日本語訳歌詞を、番号をあわせて書いてみる。そうすると、より一層、オリジナルとの違いが鮮明になると思うので。

①歓喜よ、美しい神々の輝きよ、

②天上の楽園からの乙女よ、

③我らは情熱にあふれて

④天国の、汝の神殿に足を踏み入れる。

⑤⑥汝の不思議な力は、時流が
厳しく引き離したものを再び結び合わせる。

⑦すべての人々は兄弟となる、

⑧汝のやわらかな翼がとどまるところにて。

しかし大変申し訳ないが、どうして日本語になると、こう、意味不明 に なってしまうのかな。仕方ないけど。

102鈴木次郎:2008/01/03(木) 20:26:37
さらに、オリジナルにはあって、現在の歓喜の歌には ない 部分ですが、

97 Rettung von Tyrannenketten,
97 Delivery from tyrants' chains,

98 Grossmut auch dem Boesewicht,
98 Generosity also towards the villain,

99 Hoffnung auf den Sterbebetten,
99 Hope on the deathbeds,

100 Gnade auf dem Hochgericht!
100 Mercy from the final judge!

101 Auch die Toten sollen leben!
101 Also the dead shall live!

102 Brueder, trinkt und stimmet ein,
102 Brothers, drink and chime in,

103 Allen Suendern soll vergeben,
103 All sinners shall be forgiven,

104 Und die Hoelle nicht mehr sein.
104 And hell shall be no more.

でこのあと あと 4行 詩が 続き、おわり、です。これを受け取ったキュウオナーは喜んだの何の。クンドコの長老も兄弟達も拍手喝采あめあられ。残念ながら今日まで伝わっていないが、キュウオナー以下数人のクンドコ達が、早速自前で曲を付けるほど。

103尾崎清之輔:2008/01/03(木) 21:25:27
鈴木さんからの投稿を受けて、Wikisourceを確認し、シラー版の『An die Freude (Schiller)』とベートーヴェン版の『An die Freude (Beethoven)』、そして過日ご参考までに貼り付けた『交響曲第9番』のURLに記載されている歌詞(原文と対訳)、更に同じく手元にある書籍からの原文と対訳を一通り比べさせて頂きましたが、そもそもベートーヴェン版『An die Freude (Beethoven)』はオリジナルのシラー版『An die Freude (Schiller)』から、想像していた以上に存在していない詩が多いですね。
英訳して頂いたおかげで助かりましたが、No.100とNo.101における7行目のご指摘については、その前の6行目と7行目自体がベートーヴェン版とシラー版では異なっており、ベートーヴェン版では、

Was die Mode streng geteilt;
Alle Menschen werden Brüder,
(時流が強く切り離したものを
すべての人々は兄弟となる)

ですが、シラー版(シラーの原詩)では、

Was der Mode Schwert geteilt;
Bettler werden Fürstenbrüder,
(時流の刀が切り離したものを
貧しき者らは王侯の兄弟となる)

となっており、これだけでも一目瞭然ですが、No.102でご指摘のシラー版にしか存在しない部分については、思わず「成程!」と唸ってしまいました。
(それは確かに早速自前で曲を付けたくなるでしょうね)

104鈴木次郎:2008/01/03(木) 22:15:40
尾崎さん、早い(!)ですね。ありがとうございます。#100の中の⑥ですが、私の貧困な想像ですが、ここで言う Schwert / Swordの言葉の使われ方ですが、悲惨な戦争を戦うのも刀であり、ある人を平民から貴族に列する際にも、英国女王の叙勲の例に漏れず、刀を肩に振り下ろすことでナイトの称号を与えますよね。また#102ですが、これは、キリスト教の教義に異を唱えている、という見方ができるのではないか、と思っています。97のtyrantとは、ストレートに訳すと 暴君、とでもなりましょうが、人間の精神を教義を通じてがんじがらめに縛る 暴君的思想、教義、教化、とも捉えることができそうです。そして、勝手な意訳を更に許して頂くならば、99と100なんかは個人的には笑ってしまいます。例えば思い出すのは、フランスが誇る大宰相・外交官タレイランは、オータンの大司教でもあったのですが、実はとんでも無いことに(詳細は忘れました)聖職者として必要であったある種の手続きを踏んでおらず、その死の床にあって、告解をし、署名をするかどうかが、キリスト教徒として生を全うし、天国に行けるか否かを決める、少なくとも残された、生き残った関係者にとっては大変重大な問題でした。ダフ・クーパーの伝記は、このタレイラン(らしい?)最後の騒動の詳細をレポートしていますが、99と100は、そんなキリスト教の滑稽な様子をちゃかしているようにも思えます。そして極めつけは、すべての罪人に恩赦を与え(103)、しかも、実は地獄なんてないのさ!(104)と宣言するあたりです。

105鈴木次郎:2008/01/03(木) 22:21:02
ということで、もともと『歓喜の歌』の詩は、本来は『クンドコの歌』『クンドコ節』とでも言えるものであったわけで、それをベートーベンが自らの曲の為に一部を抽出し、使った結果、オリジナルとはある意味全く違うものが出来上がったわけです。でも、尾崎さんも指摘頂いた異なる箇所については、シラー自身が、確か1803年頃だったと思いますが、手を入れて、変更しています。

106尾崎清之輔:2008/01/04(金) 00:37:34
No.104に関連して、折角なので拙宅の書棚を漁って、ダフ・クーパーの伝記『タレイラン』を探し、後半部分をさっと斜め読みさせて頂きましたが、どの部分が『聖職者として必要であったある種の手続きを踏んでおらず、その死の床にあって、告解をし、署名をするかどうかが、キリスト教徒として生を全うし、天国に行けるか否かを決める、少なくとも残された、生き残った関係者にとっては大変重大な問題』になるかまでは、正確には今一つ分かりませんでしたが、そもそもローマ法王と仲違いした(教皇ピウス六世から、それまでの反カトリック教会的行為を咎められて破門された)ことや、ダフ・クーパーの伝記にも記載されていた、三つの重大な過失である、『僧侶の市民憲法を承認したこと』、『勝手に司祭を叙任したこと』、『彼自身の結婚の問題』、ではないかと推測しました。これらがローマ教会側からの罪状列挙と捉えられていたようで、これらの打開のために、神父デュパンルーがその役所に立ったようですが、いずれにしても、大司教自らが、一種の声明文並びに法王へ宛てた書簡の両方に、あらかじめ懺悔者(この場合はタレイラン)が宗教上の慰めを得るに先立ち、自身の手で書名されない限り、先述の通り、キリスト教徒としての生を全うし、天国に行けるか否かを決める、少なくとも残された、生き残った関係者にとって大変重大な問題になったようです。
尚、余談ですが、同著では彼が胸に十字架をかけない司祭としても有名だったようですね。

107藤原肇:2008/01/04(金) 10:20:00
ローマ教会に対しての生涯をとうしたタレイランの反抗精神に対して、「のごころ」を真情にして生きた私は若い頃から関心を持ち、彼が死ぬ間際に果たして教会と和解したり妥協したかは重大な関心事だった。だから、彼が死の直前の五月十七日にサインした二通の手紙の内容について、留学生時代に図書館で調べたことがあった。
「前言撤回書」はクーパーが書いているように、「若い頃のことが教会を悲しませたことを残念に思う」という文面だけであり、彼が教会に対して犯罪を犯したとは触れていないのでサインしたので、タレイランは自己の立場を押し通したのでサインした。それもクーパーが書いたように完全な署名でサインした。
二通目の法王にあてた手紙は「青春時代に不向きな職業に就いた」とは書いてあるが、それが間違っていたとは言っておらず、そこに彼の抵抗と自己主張があったと私は思うが、彼はローマに対して謝罪はしていないと思う。ローマ法王よりもボルテールに敬愛の念を持って旧体制に反発した彼は、死ぬまで自分はフランスとヨーロッパのために人生を生きたと確信し、いかにも外交の達人として受け入れられた文書だったので、自分の死を見守る人たちを安心させるために、くつろいだ気分で署名したのたと思う。
だから、ダフ・クーパーの伝記にも記載されていた、三つの重大な過失である、『僧侶の市民憲法を承認したこと』、『勝手に司祭を叙任したこと』、『彼自身の結婚の問題』はローマ側の問題点ではあったが、それに関しては触れることなくタレイランは満足げに署名して死んだのだと考える。
幕末のときの唯一の体制側の自決者は川路聖謨だというが、タレイランがもし日本人なら署名した後で、果たして切腹したかどうかは興味深いテーマだが、国際政治を見る目は彼の方がナポレオンより優れていて、ナポレオンは島流しという刑に服したけれど、タレイランは国王ルイ・フィリップの見舞いまで受けてベッドの上で安眠したのである。

108田中治:2008/01/04(金) 17:42:13
死に際や死に方というのは案外その人物の生き方を表すものであるのかもしれないと常々思っているのだが、藤原博士の投稿でタレイランは国王の訪問を受けベッドの上で安眠したというくだりから、フランス革命からナポレオン時代にかけてタレイランと共に台頭したジョゼフ・フーシェの葬式の話を思い出した。フーシェはトリエステで死に、葬式の日には当地特有の強風が吹き荒れ、棺を乗せた馬車の馬達がこの強風に驚いて前脚を上げてのけぞったため、バランスを崩して棺は地面に投げ出されて遺体は地面に転がり出たという。悪天候の中、彼の遺体は地面の上で泥まみれになり、馬達に蹴散らされたというが、このスレッドでしばしば話題にあがる「精神の気高さ」「精神の貴族性」といったことをここでもまた両者の生き方から学ぶのであり、作家シュテファン・ツヴァイクが世紀末のウィーンで伝記「ジョゼフ・フーシェ」を書いた意味があらたに浮かび上がる。

109田中治:2008/01/04(金) 17:58:09
訂正:シュテファン・ツヴァイクが「ジョゼフ・フーシェ」を公表したのは1929年であった。フーシェの死後から約100年後、時は世紀末どころか世界大恐慌の年であり、第2次世界大戦へと向かっていく時代のさなかであった。

110鈴木次郎:2008/01/04(金) 18:14:48
皆様、そして藤原先生まで

あやふやでいい加減な私の記述を補足いただきましてありがとうございます。
しかし、このリズム、反応こそが、“活きている”スレッドの醍醐味、でしょうか。

111鈴木次郎:2008/01/04(金) 18:23:36
1800年に、シラーがケルナー(この書き方だと、個人的にはKellner=レストランの給仕を思い浮かべてしまうのですが、日本的慣例に従いましょうか)に宛てて書いた手紙において、『貴殿の(あの詩に対する)思い入れと賞賛、高く評価してくれていることはわかるが、あれはあくまであの頃の、(限定的な)時代状況、背景において、限定的に価値のあるものであって、それ以上でも以下でもない、と思います・・・』というようなことを言っています(意訳ですみません)。当時、少なからぬキンドコ関係者もシラーに接近し、シラーもそれと知って付き合っていたようですが、彼は、クンドコ対キンドコの“内輪もめ”に類する抗争や軋轢、緊張を熟知しており、それらを知っていたが故に、自分自身は、交流は続けたものの、仲間に加わらなかった(理由の)ようです。これは全くの想像で、もしかすると文献があったり、既に発表されているのかもしれませんが、シラーは、自ら数箇所に訂正を入れることで、クンドコ・ソングにより広い意味を持たせたのかもしれません。全くの推測です。

112鈴木次郎:2008/01/04(金) 18:42:16
クンドコに関するambivalentなスタンス、という意味で興味深いのは、大物のクンドコ、そして、最終的にはクンドコを超えてしまったフォン・ゲーテがいます。彼は、ある時期までは個人としてクンドコの人間形成のシステムや世界観に深い共感を覚えていたようですが、政治家としては、実に微妙な立場にあり、必ずしもクンドコに賛成・支援していたわけではないようです。1934年、だったでしょうか、政権を掌握したナチスは、クンドコ禁止令を出し、結果としてドイツのクンドコは表向き解散を余儀なくされ、クンドコ達は地下に潜行しました。これには、クンドコが“国際フンバラ資本と結びついており、その一機関としてドイツの転覆を企図している”といった悪質なデマ、誹謗中傷が流され、しかし多くの大衆がそれを信じた、ということがあります。ちょっと前のスレッドにおいて、クンドコの厳格(先鋭化した)版であるキンドコについて言及しましたが、18世紀〜19世紀、大学、学生がクンドコに興味を持ち、現にキンドコはせっせと優秀な学生の勧誘に励んだようです。しかし、日本の安保闘争や、ベトナム戦争に対する米国のカリフォルニアの学生による反戦運動でも明らかですが、学生が政治に結びつき、活発に活動することは、時の政府としては政情不安を警戒せざるを得ず、これがあってゲーテは、ドイツの大学都市におけるクンドコ設立に反対の意見書を提出しています。結果として、クンドコには学生はあまり加わらず、学生はその代わり、とでもいいますか、学生団など、クンドコのシステムを模した、様々な団体を学内に作るようになり、これらが18、19世紀のドイツにおいて大変盛んになります。

113尾崎清之輔:2008/01/05(土) 04:25:35
小生の知らないうちに盛り上がっていることに大変喜ばしく。
『Hope on the deathbeds』に触発されているわけではございませんが、愚生なりに今際の際のセリフがそれなりに分かりつつあります。しかるがゆえに、生きている間のその人物の生き方を表すものであるのかもしれない云々というものも愚生なりに認識しております。
いずれにしても、如何に「生」をまっとうすることができるのかにヒントがあるのかなと思っております。詳細は明日以降にて。

114田中治:2008/01/05(土) 14:02:50
ベートーヴェンの第9の話題から、シラーによる「歓喜の歌」の原詩Urtextの全文とその成立の背景について、鈴木さんに深く掘り下げた投稿を続けていただいた。これらの内容は、小生が本スレッドにて27・28また33・34・35番で触れさせていただいたあたりの歴史背景とも絡んでいくことと思い、それにしても保守反動勢力の牙城としてのオーストリアからバイエルンまでの地域(Region)で、鈴木さんが投稿で紹介されたバイエルン州の都市インゴルシュタットを中心に18世紀末に保守反動の急先鋒に対するもうひとつの急先鋒が理性という名の衣を身につけ登場してきた事実には、喩えそれが長い歴史の中では亜流の筋であるにしても、その影響は別の大陸においてactualであるように思えるし、またこの辺り一帯の地域(Region)からはこの事象以外にも特に近代以降ラディカルな事象や人が生み出されている点で、この地域の持っている特性についてはもっと深く掘り下げる必要性を感じている。なお本筋である啓蒙思想については、鈴木さんが別のスレッドを立ち上げられたようなのでそちらで議論を期待したいと思う。

何はともあれ、メッテルニッヒの旧体制下、ビーダーマイヤーBiedermeier様式とされる小市民的な市民社会の中で、ベートーヴェンはそれまでの西洋音楽の蓄積の産物である交響曲Symphonyに、人間の声による合唱(それはかつてマキシミリアン1世がフランドルからウィーンに持ち帰った多声音楽ポリフォニーPolyphonyを源とする)と、その集団としての人間の声をより特化させた4人のソリストたちの声とに、シラーによるテキストを与えて一体化したこの壮大な曲を当時の旧体制然とした雰囲気のウィーンで作曲したことの意味はあまりにも大きく迫ってくる。どう考えてもこの曲は西洋音楽におけるひとつの頂点であろう。

話は少し変わるが、小生は昨年より「丸山真男 音楽の対話」(中野雄著)に続いて、故小泉文夫氏による「対談集 音のなかの文化」を精読中であるが、音楽を軸としながらも世界の民族文化歴史全般に渡る幅広く奥深い内容からは多くを学ぶことができ、本スレッドでの活発な議論と共にあらためて「対談」「対話」の素晴らしさを身にしみて感じているところだ。

115尾崎清之輔:2008/01/06(日) 00:34:10
藤原博士から貴重なコメントバックを頂きましたので、ダフ・クーパーの伝記『タレイラン』(中公文庫)の後半部分を再読してみましたところ、ローマ教会側からの問題指摘に対して、私も確かにタレイランから謝罪を行ったことは無いという理解であり、そのことは『タレイラン』第十四章「最後の条約」にも幾つかの文章で示されていると思います。
自身の回顧録ならばともかく、伝記として残っているこの文章から読み取るに、正しく死の瞬間までタレイランはその威厳を保ちつつ、永眠の途へつかれたようですね。
おかげさまで、気高き人であり且つ信義と誠実を重んじたタレイランの人となりを改めて知った次第です。

さて、田中さんも仰せの通り、掲示板を通じて、久しぶりにこのような早さでの対話・対談ができたことは誠に喜ばしく、また、啓蒙思想については鈴木さんが別スレッドを立てて頂いたので、続きはそちらで行っていきたいと思いますが、他のスレッドでも「場」の整理に絡めて若干触れさせて頂きましたように、今年からはいろいろな意味で「実行」の年であることを認識しました。

116尾崎清之輔:2008/01/06(日) 01:11:29
先程までの投稿内容から一変して、若干「場創り」に関わるお話をさせて頂きます。
個々人それぞれが成長しつつ喜びと感謝に繋げていくために、これまでも何度かご紹介させて頂きました藤井尚治先生の『アナログという生き方』(竹村出版)から、印象に残っている文章を以下に引用します。

◆人間は恐れ、疑い、怒り、迷いを必ず持つ。持つから人間だとも言える。名人と呼ばれる人は訓練することでこの4つをいわば解脱していった。しかし、神になることは決してなかった。私たち凡人も生きていくうえでこうした訓練が必要になるだろう。それは人生の経験と言ってもいい。
ストレス学のハンス・セリエ流に言えば、何でもいいから、とにかく勝つことだ。そうすれば、自信ができる。自分に対する疑い=不信が一番いけない。

(中略)

小さくても成功感があれば、生きやすくなる。人生には成功体験が欠かせないのである。セリエはその成功体験に「敵も味方も傷つけないで」という条件を付けている。


そして、これこそが『愛他的利己主義の真髄である』と藤井先生は明確に述べております。

藤井先生が仰せのように、事の大きい小さいは関係なく、何かの成功感=成功体験の積み重ねが肝要であり、何かの資格であっても認定であっても免状であっても、とにかく何でも構いません。たとえ極めて単純なことであっても、生きているということの充足感を味わっていくために、何かをやりとげてみる、やりとげるために続けてみる、これでいいと思います。有り体な言い方しか思い付かず誠に恐縮ですが、お互い人生という日々を気持ち良く楽しく歩んでいきましょう。

117スワヒリオーズ:2008/01/06(日) 01:22:19
先日リラックスして英語検定試験を受けたら満点でした。くだらないとお思いかもしれませんが、実に気持ちが良かったのです。この結果を使ってどうのこうの、と、18歳の学生でもあるまいし、そういうことはいまさらないのですが、でも、なんだか、うれしいのです。くだらない、矮小な話でごめんなさい。

118鈴木次郎:2008/01/06(日) 01:30:03
在りし日の藤井先生が出席された最後の脱藩クラブの会だったでしょうか。そこで先生は、『これから注目すべきは、○○と、イチローですね。』と おっしゃったことを、思い出しました。イチローも、メジャーリーグのバッターボックスに立って、実に颯爽と、飄々と、ヒットやホームランをたたき出しますが、あの裏の苦労、苦悩。小さな勝利を積み重ねながら、やっているんだろうなぁ、と思うのです。彼は、毎日毎日、一瞬一瞬を勝負している。してきた。私には、そのように思えますが、いかがでしょうか。

119田中治:2008/01/06(日) 01:43:31
素晴らしいですね。まさに同意を得たりです。周囲の人間や環境に不平不満をぶつけず、恐れ、疑い、怒り、迷いを持っても屈せず自己努力を続けることなしに心の平安はないし新しい次元の展開もないのだと経験からもまた信念からもまったく同感である。高みに登り少しずつ世の中が俯瞰できてきたとしても自分は人間であることを謙虚に受け止め人間として人生を全うすることが大事であると考える。また自己努力を続けながらその時々に「足るを知る」ことも忘れず人生のプロセスを気持ちよく楽しんで歩みたいと年頭にも心に誓ったばかりだ。まさに「場作り」への基礎ですね。

120尾崎清之輔:2008/01/06(日) 22:31:06
No.116にて申し上げた私の投稿に対し、皆様からの反応の早さに驚くとともに、大変嬉しく思いました。
引き続き、『アナログという生き方』から、以下ご紹介させて頂きます。

◆人生はしょせんわからないものだが、頭の中でシミュレーションをして軌道修正できれば、大負けすることはなく、勝てるチャンスが増えてくる。
「空を飛ぶ弾丸は見えないが、弾痕によって逆算できる」(英国の物理学者、アーネスト・ラザフォード)
「木の葉がそよぐことによって、風の存在を察知できる」(英国の詩人、ジョン・ダン)
人生で起こること、すべてを知ることはできないが、想像力でそれを補うことができる。ここにストレスの意義がある。ストレスは目に見えないし、手に触れることもできない。しかしながら、暑さ、寒さ、怒り、喜びといった心身のできごとが起こるたびに、何かが動く。それがストレスである。私たちはストレスによって、人生のできごとを逆算し、察知することもできる。それが人生の学習であり、訓練である。


内容とか大きいとか小さいとかは全く問わず、とにかく何かひとつ新たな目標を立てて、それに向かって邁進し、続けてみる、もちろん納得するまでやってみる。そして自らの行動の中でルーティン化していくことが肝要であると思っております。

この件に関連してイチローの話が出ておりますが、イチローがバッターボックスに入った際に必ず行う行為(アドレス)があります。これはイチローに限らず、所謂一流のスポーツ選手には決まったアドレスが存在しており、これが先に述べたルーティン化の一環であると考えます。

また、鈴木さんが仰せのように、人生は日々一瞬一瞬が真剣勝負そのものであり、それはいみじくも清水博さんの『生命知としての場の論理』(中公新書)で触れられていた、尾張柳生新陰流の「剣の真髄」ということになると思います。
なぜ、尾張柳生新陰流が「殺人剣」ではなく、「活人剣」なのか。それは相手を自由に動かして(≒働かせて)、その動き(≒働き)にしたがって「勝つ剣」、ということになりますが、それは自分と相手(これは複数の場合も当然有り得る)との関係性、つまり自分と相手との間に生ずる「場」というものを瞬間的に見極め、相手を斬るのではなく、自分の人中路(自分の中心線)を截り徹す、その結果、相手が斬られている、ということになりますが、この奥義書を読破された方々でしたらこの辺りはあえて申し上げるまでもございませんね。

121尾崎清之輔:2008/01/07(月) 01:03:33
先の投稿に、ちょっとだけ補足させて頂きます。
人生は長いようで短い、でも短いようでも長い。だから、天を仰ぎ見ながらも、焦らずに、慌てずに、一歩ずつ、地に足を付けながら歩んでゆけばよく、そして、畏まることなく、固くならずに、ありのまま、あるがままの自然体で自分らしくできることからはじめていきましょう。まずは、こうでありたいという自分のイメージを頭の中でつくり上げて進んでゆけば良いと思います。

122尾崎清之輔:2008/01/08(火) 00:57:36
先ほど『なんでもコーナー』にて、珪水さんの『日本人の最も苦手とする「待つ」事』や『時間(間取り)の捕り方が巧さ』について、小生の愚見を述べさせて頂き、時間を支配できる者が『自由人』であるならば、時間に支配される者が『奴隷』であると言及させて頂きましたが、これは延いては、中村勝巳先生が、自著『近代社会市民論』(今日の話題者)で仰せの、『日本では「長期」とはいっても、三年とか、五年とか、せいぜい十年くらいです。ヨーロッパでは長期というのは百年単位です。世紀単位で考えているぐらいの視野で考えなければ、長期的予測と計画などはできるものではありません。』ということにも繋がり、身の回りの具体例としてあげたのが、清水博さんの『場の思想』(東京大学出版会)と考えておりますが、この辺りについては以下の通り明確に述べております。

◆現在の日本の企業や組織の経営者(★)には、創造的思考の持ち主が少なく、その多くが適応的な思考をする人々である。適応的な思考をする人々の特徴は、周囲に適応することを行動原理とするために、自己否定を通じての変態的想像ができないことである。それは目が内向きになりがちで、自分の周囲の即興劇しか目に入らないからである。これに対して創造的な人に共通な思考パターンは、できる限り広い世界を掴んで、その動きの中に自分自身を位置づけて、その動きを積極的に進めようとする点にある。
(★引用者注:これは何も企業や組織の経営者に限った話ではないと考える)


そして、以下のような多くの名文とともに、清水先生のこの書籍と、先述の中村先生の書籍のご紹介を兼ねつつ、いつもながらの愚見を披露させて頂きたいと思います。

◆柳生石舟斉の言葉に、「昨日の我に今日は勝つべし」があるが、日々創造的に生きることは、人生劇場において日々新しく純粋生命に出会うように生活をすることである。創造不断が充実した人生をもたらす。ここから生死に対する覚悟が生まれる。その覚悟とは、いつでもどこでも、自己の全存在(命)を賭けた行為(生活ドラマ)を実行することを決断していることである。

123田中治:2008/01/08(火) 09:56:38
藤原博士がJZPの中で述べられているように、「真善美」という言葉とともにリベラルアーツは古代ギリシャの都市国家において非奴隷つまり「自由人」が正しく世の中を見極め、正しく考えを進め、人間社会の秩序づけに貢献するための「根幹」であっただろう。それは自由七科の最上段に「哲学」が置かれている事からも明らかだ。尾崎さんが仰せの通り、時間を支配するのが「自由人」であるとすれば、英語でいうところの「ハイカルチャー」は、(西洋においては古典文学・詩・諸学問・クラシック音楽・美術など、また日本においては古典文学・和歌・茶道・華道・能・日本画・仏教美術など)時間を支配できる者のみが享受できる文化であり、その対極には大衆文化としての「マスカルチャー」があり、(諸芸能・マンガなど)それらはあまり時間を必要としない即興的・即物的な文化であると言えると思う。もちろんここで言う「自由人」とは、現代において社会的階層や職業的な差別を基にして指すのではない。ここに「教養」の意味が存在するのであり、本来は大学における「教養課程」の意味でもあるわけだが、日本においては大学で「教養課程」を受講する時間そのものが、それまでの熾烈な受験戦争から解放され「緊張から弛緩へ移行する時間」「骨休めの時間」として存在するので本末転倒であるし、その「教養課程」自体も未だ西洋の二番煎じのようなものだから、期待はできない。建築同様、万全の基礎作りのないところに強固な構築は不可能なのであるし、今一度、現代人にとっての、また日本人にとっての真の「教養」を捉えなおす必要があると思っており、それを「精神における背骨」として世界の中の日本を意識し、個人レベルで「自由人」を志向し切磋琢磨するより他ないと考える。昨年末、福田首相は中国訪問の最終日に孔子廟を訪れたというニュースに触れたが、それが例えパフォーマンスであったとしても、靖国問題などで世界の人々を不愉快にさせるよりは、はるかにましだと思っており、その意味は多義的ではあっても、世界と未来に向けたメッセージになる点では個人的に評価したいと思った。

124尾崎清之輔:2008/01/09(水) 01:25:06
田中さんが仰せの通り、リベラルアーツの自由七科を司るその最上段に「哲学」が置かれていることの意味するところは非常に重要であると私も考えており、おかげさまで「哲学」つまりフィロソフィ(philosophy)が、ギリシャ語の「philos」(愛)と「sophia」(知)という2つの言葉の結合により、「知を愛する」という意味が込められていることから、藤原さんと正慶さんの共著『ジャパン・レボリューション』(清流出版)で言及されていた以下の文章を思い出しました。

◆社会貢献を英語でフィラントロピィと言うが、「フィロス」は「フィロソフィ」(哲学)のフィロスと同じで、ギリシャ語の「愛すること」という意味だし、「トロピィ」は「アントロポロジー」(人類学)と同じ人類で、フィラントロピィは人間愛という意味を持つ。

125尾崎清之輔:2008/01/10(木) 00:08:06
No.124にて、『フィラントロピィ』という言葉を出させて頂いたことから、再び『ジャパン・レボリューション』より以下の文章をご紹介させて頂きます。

◆フィラントロピィの本質はカネよりも心であり、社会に恩返しをすることを意味していて、単にカネやモノを出すのはチャリティーという。


以前も『社会への恩返しのすすめ』のスレッドで申し上げましたように、嘗てこのような活動に若干携わっておりましたが、その多くがチャリティーに過ぎなかったという反省から、現在は位相を変えた活動へ主軸を移しておりますが、それは『場創り』の基本とはいったい何か、ということを自分なりに整理し、認識しなおした結果、(日々の仕事や日常の雑事に追われていたとしても)やはり自らの頭と身体を使って納得した上、主体的な動き(≒働き)として行っていくべきであると思ったことによります。

その根底には、先に述べた『自由人』の類義語と考えている『ノブレス・オブリジェ』があると思っており、これも日本では言葉としては存在していても、実体としては殆ど無いに等しいと考えており、事実そのような「場」に幾つか出向いたところ、それらは日本型ギルドの一種にしか過ぎなかったことや、主催者側の(他に立ち上げた組織体のための)宣伝活動の一環として行っていると思われたこと等から、『ジャパン・レボリューション』で藤原博士が述べられておりました、本来の『ノブレス・オブリジェ』である、『尊敬に値する立場の人は、それに相応しい品性、教養、良識を備え、社会に進んで貢献をする。』ことが意味への正しい認識と実際の行動とを、どのようにしていったら日本社会の上で普遍的な価値として、時間をかけてでも植えつけていくことができるか。。。

二十世紀を席巻した収奪型社会から、二十一世紀の夜明けを経て既に7年が過ぎましたが、理想を生かす今世紀の場創りと社会創りに向けて、何を優先に考えて実際の行動へ移していくべきか、真剣に考えていく必要を痛切に感じております。

126鈴木次郎:2008/01/10(木) 00:52:52
今米国のとある地方都市の空港ロビーにおります。手持ちのラップトップでワイヤレスLAN接続を試してみると、空港の開設している無料ポータルが見つかり、快適にインターネットが動いています。日本、例えば東京ではいまだにワイヤレスLANが街中や公共施設にこのような形で普及しておりません。なんだかんだと金をとることばかり優先してしまっているようです。米国ではワイヤレスLANでインターネットに入り込むことのできるポータブルデバイスが、特に学生を中心に爆発的に普及しています。大学のキャンパス中にワイヤレスLAんの網が張り巡らされているからです。これが本当の情報化社会であって、その点日本はハードばかり出ていますが、肝心のネットワークはお寒い限りです。私はほぼ10年ぶりに米国に滞在しておりますが、限定的な観察から言えることは、米国においても藤原先生が日本の現象として指摘されている 賎民資本主義がますます進展している、ということでしょうか。今回の米国体験については、折を見て別途、書かせて頂きたいと思います。

127尾崎清之輔:2008/01/11(金) 00:28:21
No.126で鈴木さんから、米国においても『賤民資本主義』がますます進展しているとのご報告を頂いておりますが、やはりキャピタリズムの本家である米国においては、そのような状況に進展しやすいのはある程度必定であると思っております。

但し、藤原博士が仰っておられていたように、仮に米国という「国」が崩壊しても(これは国家という存在が「想像の共同体」の一種である以上、そういうことから免れないのは歴然たる事実)、『教養』だけは残るという意味では、確かに建国以前からリベラル・アーツという全人教育に主眼を置いた『教養創り』という歴史が存在していたことから、太平洋の対岸に位置する日本が似たような状況にありつつも、そこのあたりの決定的な差が、如何に現在のお寒い状況を生み出しているかは言わずもがなと言ったところです。

さて、世界レベルの視点からすると、実質的にはとっくに嘗ての「経済大国」では無くなってしまった現在の日本において、未だ一部の者たちが追い求めている幻想(≒幻覚)でしかない「量としての大国主義や思想」とか「ミーイズム的な発想や行動」ではなく、そこに生きる多くの個々人の質である『クォリティ・オブ・ライフを如何に高めていくか』に主軸を移していくことで、創造的破壊が起こり、大国的な幻想とミーイズムからの脱却はもちろんのこと、次の新たなる場(≒社会)創りや次世代のライフスタイルも段々と明確になり、本来の『経世済民』に繋がると考えておりますので、長い間には高い精神性と文化を持つ「場」として生まれ変わる可能性も残されているのではないかと思う次第です。
そのためには、長期的な考え方に基づく戦略的な思想や発想、そして実際の継続的な行動に移していくことが最重要であることは申し上げるまでもございません。

無論そうは申し上げても、先に申し上げた通り、すぐには思った通りにいかないのが現実であることは十分理解しておりますが、その上で、やり遂げるために続ける、という姿勢は常に持ち続けていこう、ほんの少しのことでも良いから自分のできることからしてみよう、たとえ私の代では出来ないような大きなことであってもそれならば次の代へ託そう、そして託せるためには、やはり日々弛まなく続けていこう、そういったことを念頭に置いていきたいと思います。
また、そのためには日々の真剣勝負の場を通じて、以前に述べた「活人剣」すなわち「勝つ剣」を身に付けていかねばなりません。

尚、前にも申し上げましたが、藤原博士が『ジャパン・レボリューション』で「フィランソロピー」でも「フィランスロピー」でもなく、何故『フィラントロピィ』という言葉を使ったか、現在、私なりに推考を重ねておりますので、この辺りにつきましても、いずれ改めて私見を述べさせて頂ければと思っております。

128尾崎清之輔:2008/01/12(土) 00:43:17
先日の投稿でも若干ご紹介させて頂きましたが、久しぶりに清水博博士の『場の思想』(東京大学出版会)を他書と共に読んでおり、この本にも様々な箇所に線が引いてあって、最初に読んだとき、どのようなことを考えていたのか、当時のことをいろいろと思い出しつつ、再読しているところです。

特にこのスレッドのタイトルの一つである『場創り(共創)』に関連して、『創造』という用語を何度か使用させて頂いておりますものの、では『創造』とは何か、一体どういう意味を持っているのか、前にご紹介した『丸山眞男 音楽の対話』やマイケル・ポランニーの『暗黙知』等から引用させて頂いた『創造』を頭に置きつつ、考えていきたいと思いますが、まずは清水先生の著書から、私が線を引いた箇所を中心に引用させて頂きます。

◆新しい世界の枠は、現在の世界の外側からは限りなく遍在的な純粋生命が働き、そしてその内側からは局在的な自己(意識)が働くかたちで創出される …(中略)… すなわち、無限定と限定とが出会うのである。

◆まず、意識的な思考によって、現在の世界において生じた諸矛盾の原因を、論理的にはこれ以上追究することができないとぃう状態まで追いつめることが必要である …(中略)… つぎに朝目覚めたときに、昨夜まで考えていた問題がすっかり解消して消えているという不思議な現実感を経験することがよくおきる。 …(中略)… つまり限りなく遍在的な生命の活きによって、無意識のうちに自分自身が変化している − 無意識のうちに創造的飛躍が起きている − と考えられるのである。

◆創造に純粋生命の活きが必要であるということは、新しい世界の発展の方向が純粋生命の活きに合致していなければならないことを意味している。自分自身の欲望の充足のためだけに創造するということはありえない。創造には、「世のため、人のため」という志や使命感が存在していなければならないのである。

ちなみに、この著書では『純粋生命』を『地球環境』と同義的に捉えておりますが、私はもっと広義の意味に捉える必要性を感じております。
つまり、メタサイエンスやホロコスミクス図から認識できる、宇宙を超えた宇宙システムの先にある『空』の世界、また極小から特異点を超えた“欠けているものが何も無い”『無』の世界、そして特異点での位相変換により完成されるトーラス図を動態的に見据えない限り、『創造』がどのように発生し、派生して、フィードバックループし、また新たな『創造』へと至るか、本当の意味で説明ならびに理解できないと考えるからです。

129尾崎清之輔:2008/01/12(土) 01:23:22
先の投稿では、『場』に関連した広義な世界について、私なりに敷衍をさせて頂きましたが、実は人と人との直接的または間接的なコミュニケーションにおける、ちょっとした切っ掛けが、日常を生きていく中で、様々な『創造性』を私に与えてくれる「楽しみ」や「喜び」の意味も理解しているつもりです。

また、別のスレッドにて、珪水さんが、『この場に集う人の大半の本質は妥協をする生き方とは無縁の方々』と仰せのように、私も妥協しないことを是とする考えを持っていることは確かです。

そして、妥協しないことによるストレスが活力の源泉であると同時に、『人生まあるく』という心の余裕を常に持ち続けることが、より広く大きく高みの世界へと自らを導き、且つ導かれると確信しており、それらをお互いの成長に向けた動き(≒働き)へと繋げていくことによって、お互いの人生が螺旋状に登っていく楽しみや喜びを得ていくことができれば幸いであり、そうしていきたいと思います。

130尾崎清之輔:2008/01/12(土) 22:56:00
昨年11月初めにこのスレッドを立ち上げ書き込みはじめてから、早いもので、2ヶ月強で130ほどの投稿数へと至りました。ここに改めて皆様へ感謝の意を表します。

今回の投稿でNo.130になり、音楽作品の付番からすると、Op.130(作品130)ということになりますが、Op.130で思い起こされる作品としては、ベートーヴェンの『弦楽四重奏曲 第13番 変ロ長調』がございます。

この作品は、当初その難解さと曲の余りの長さから、後に別枠で単独扱いとされた『大フーガ 変ロ長調』(Op.133)を含んでおり、「第九」完成後のベートーヴェンが、その後どのような心境に至っていったかを知ることのできる貴重な作品群の一つであると思います。

ピアノソナタの最晩年作品群と呼ばれ、至高なる精神の宿った30番〜32番の一つ前である、29番すなわち『ハンマークラヴィーア』で、ピアノとしての表現可能な最大を極めたと思われるベートーヴェンは、「第九」を経て、室内楽曲による表現の極みを、10数年のインターバル期間をおいて、後期の弦楽四重奏曲に託したのではないかと考えられます。

ちょうど今、40年近く前に結成され、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の演奏団としても有名である、一時期ウィーンフィル(VPO)のコンサートマスターも務めたギュンター・ピヒラー(Günter Pichler)をリーダーとした、アルバン・ベルク四重奏団(Alban Berg Quartett)のライブ作品群を視聴しておりますが、ベートーヴェン弦楽四重奏曲の後期作品群のうち、13番や大フーガといった、崇高さや壮大さから精神の精華を感じさせる曲と、最後を飾った『16番 ヘ長調』のように、他の後期作品群と比べて小規模でありつつも、肯定的で陽気な鳴り響きから、章が進むごとに透明度が高くなっていくような風にも思われる曲が、ほぼ同じような時期(およそ1年以内)に作られたことに大変興味を持っております。

この辺りの時期のベートーヴェンに『啓蒙的な何か』があったかどうかは未だ分かりませんが、そちらの内容は鈴木さんに立てて頂いた『啓蒙思想』のスレッドで掘り下げていきたいと思いますので、ここでは引き続き「音楽」をはじめとした芸術などの話題から『教養と場創り』へ結び付けていきたいと思います。

そして、これからの私の投稿も、掲示板としての品位を保ちながらも、時には少し世俗的な内容を交えていくことで、この場を初めてまたは稀に訪れる方々に対して、一読して分かりやすさと楽しさが含まれていると感じさせられるようにもしていくつもりです。

131尾崎清之輔:2008/01/14(月) 01:59:26
『丸山眞男 音楽の対話』から、『シューベルトという作曲家の神髄は、ケンプのピアノを聴けば分かります。』という文章を前に引用させて頂きましたが、その後ケンプ(ヴィルヘルム)のピアノソナタ全集を入手して、シューマンのピアノソナタ集と共に暫く聴き入っております。

テレビ番組を余り視ることが無いものの、一昨年の秋頃に日本で大ヒットした、クラシック演奏を通して人間の成長をモティーフとしたコメディタッチの連続ドラマ(原作はアニメ)があり、実際の放送では最終回のラスト10分程度を視聴したに過ぎませんが、後に発売されたDVDセットを一通り視聴することにより、単なるドラマとかアニメを遥かに超えた内容であると感じさせられました。

この番組が今日(こんにち)の日本のクラシックブームの火付け役となり、先に申し上げた通り、その勢いは現在に至っても止まることなく、今年正月には二夜に渡ってヨーロッパへ舞台を移したスペシャル番組が組まれ、パリのコンセルヴァトワール(ドラマで使われたのは『Conservatoire National Superieur de Musique』ではなく『Conservatoire national superieur de musique et de danse de Paris』のようでしたが)など、現地の本物の舞台が使われ、内容も視聴者へより深い楽しみを与えてくれるものであったと思います。

二人の主人公のうち、一人はピアニストとして、もう一人は指揮者として、お互いに影響を与え、そして与えられつつ、演奏者として成長していきますが、いま聴いているシューベルトのピアノソナタから、今夜は日本を舞台にしていた頃の内容を若干の感想を交えて述べさせて頂きます。

日本でのピアノコンクールの予選時に使われた『第16番 イ短調D.845』を、(コンクールに向けて初めて本気になった)主人公の一人が悪戦苦闘して練習している際、携帯メールでもう一人へ送った『シューベルトはなかなか気難しい人みたいで、頑張って話しかけてもなかなか仲良くなれません。』に対して、『シューベルトは本当に気難しい人なのか? 自分の話ばかりしていないで、相手の話もちゃんと聞け! 楽譜と正面から向き合え。』というようなコミュニケーションが多くあり、『楽譜と正面から向き合え』の『楽譜』を別の言葉に置き換えて考えられる、示唆に富んだセリフが随所に散りばめられており、これらの言葉に感銘を受けつつ、原点に立ち返ることの大切さを再発見しております。

尚、この掲示板の常連の方々や良く訪れる方々にとって、『正面から向き合って』いくことは、人生の入り口の「当たり前」の一つに過ぎないかもしれませんが、No.130で申し上げましたように、私はあえて、初見の方々やこれからの方々へ向けたメッセージも多く伝えていきたいと思いますので、その辺りにつき予めご了承願えますと幸いです。

132尾崎清之輔:2008/01/14(月) 23:49:34
昨年暮れに大掃除と片付けや整理整頓を行ない、一旦は収束が付いたものの、逆にまだあれもこれも捨てたいと思う物が一杯見つかったというお話をさせて頂きましたが、この連休のうち丸一日を使って、7割ほどを捨てました。

いっそのこと、この機会に全て捨ててしまいたかったのですが、残りの多くがもう使わなくなって久しい家電製品(古い機種で壊れたまま放っておいただけですが…)など粗大ごみ扱いのため、手続きはしたものの、その日にならないと捨てられないことや、片付けた後の空いたスペースを掃除していたところ、あっという間に時が過ぎてしまいました。

ちなみに、このようなことを書いていると、まるで拙宅が相当広いように思われてしまいますが、実は単に余計な物が普通の人と比べて圧倒的に多かっただけで、昨年末に大掃除を始めるまでは、特に本棚に入りきらなくて積みあがった書籍の山や、空けてみるまではいったい何が入っていたかすっかり忘れていたプラスチックケースとかダンボールなどのおかげで、狭い家の中を文字通りの“迷路”にしていたほどでした(笑)。これでは一見すると形だけ整っているようで実態はゴミ屋敷と何ら変わりございません。

掃除と片付けを通して、更に不必要なものと必要なものが見えてきた中で、前にも申し上げましたが、こうして自分が住む場所という日々を過ごす重要な「場」が、段々と片付いてきれいになっていく様は、本当に気持ちが良いです。

ところで、昨年暮れからの掃除&片付けの過程で、何年か前に入手してそのままとなっていた(元々どのような切っ掛けで手元にしたかは忘れてしまいましたが…)、太田朋さんという絵本作家、より正確には『シンプルなイラストに短い言葉を添えたスタイルが一部の方々に人気のある大人のための絵本作家』、の作品が2冊ほど見つかりました。

実はこの時期と前後するようにして、太田朋さんのイラスト&言葉が入ったメッセージを頂く機会があったことから、その偶然性に大変驚きと感銘を覚えております。

しかも、手元2冊のうち1冊は、『ぼくの手のなかには』(大和書房)という題名ですが、『いらない物を掃きだして』、『気持ちよいほどのひとり』、というイラスト&言葉から始まり、『ぼくの手のなかには なにもなくて』、『ぼくの手のなかには なにもかもがある』、というイラスト&言葉で終わる、今の私にとっては示唆的とも黙示的とも言える内容であったと申し上げておきましょう。
(終わりの二つの言葉は、申し上げるまでも無く、老荘思想そのものですね)

133尾崎清之輔:2008/01/16(水) 01:47:48
No.130の投稿において、ベートーヴェンの『大フーガ 変ロ長調』(Op.133)が、その難解さと曲の余りの長さから、弦楽四重奏曲『第13番 変ロ長調』(Op.130)から外されて、別枠で単独扱いの曲となったことを述べさせて頂きましたが、今回の投稿がNo.133だからと言って、それを模したわけではなく、全くの偶然に過ぎませんが、ごく最近、このスレッドのタイトルの一つに関連して、非常に目に障る状況に陥りつつあることを再発見しましたので、この考えを忘れないうちに書きとめておきたいと思い、少し寄り道をさせて頂きたいと思います。

このスレッドを立ち上げた際、タイトルを付けるにあたって、『場創り(共創)については、これまでも何度か取り上げられてきた内容ではあるが、本来あるべき姿としての「場」は広がりを持つ系であり、私が「場」と言われて出向いたその多くについては、残念ながら閉じた系である「空気」でしかなかったことだ。』と述べさせて頂き、『開いた系としての「場創り」』に向けたことを考え、行動していく中で、関連すると思われる書籍や、音楽とか絵画の話題、そして場の整理整頓や片付け、更にはその他日常の様々な出来事をベースにして、多くの投稿をさせて頂いていることはご存知の通りです。

最近、ほんの少しずつではございますが、『競争から共創へ』とか『共生へ向けた』様々な提言や発信が為されてきたようですが、残念なことに(…と言うよりこのようなことは余り申し上げたくはございませんが予想通り…)その多くは私が先に申し上げた通り、『閉じた系である空気』でしかなく、それだけならばまだしも、政界、財界、学会などへ身を置いている(または嘗て身を置いていた)、一般的には社会的立場があると言われており、且つ現在も社会的にある程度影響力の与えている人たちの多くが、現役時代は『競争』そのものを是とするが如く活躍され、また影響力を行使されていた頃に、いったい『共創』や『共生』に対して何を為されてきたか、具体的にどのようなことへ取り組んでこられたか(…実質的には取り組んでないに等しいと言っても過言ではないですが…)といったことを全く棚上げにして、当たり前の如く『共創』や『共生』といった用語を安易に使い始めているような気がしてなりません。

特にどの人間(延いては生命体)に対しても、一日に等しく与えられた24時間という時間から、生命体の健康維持に必要な睡眠時間、毎日規則正しく食事を取るための時間(つまり早飯とは無縁な時間)、日々の読書の時間、コンサートや音楽鑑賞の時間、絵画鑑賞の時間、ゆっくりと自らを省みる時間、自らの健康を保つため休養にあてる時間などにつきましては、生涯に渡っての全人教育という名の教養創りのための必須な時間と考えており、これが昨今の(意識的か無意識的かには関わらず)「市場原理主義」やその極限である「賤民資本主義」的な思想や発想や行動様式から、健全なる人間としての立場を取り戻すための焦眉の急の課題であると考えます。

134尾崎清之輔:2008/01/16(水) 03:02:12
(No.133から続きます)

実際、その人生の多くの時間を、文字通りの「生き馬の目を抜く」ことに費やしてこられた結果、見る人が見れば一目瞭然の「人相の悪くなった」方々が、『競争』という生き方から、いくら『共創』や『共生』を唱えたとしても、全く説得力が無いどころか、寧ろ胡散臭さを覚えてしまい、却ってその方々が少なからず持っていたであろう「信」さえも失うのではないかと危惧しております。

ちなみに、これはその方々への危惧のみではなく、そのような立場であった方々の豹変振りと、提言と実態との乖離も予め見えてしまうだけに、その方々の「信」だけではなく、こういう方々を実質的に支え、または暗黙的に支持してきた、市井に生きる我どもに対しても、世界的な視点からは、同じように「信」を失ってしまうという悪影響を与えかねないからです。

数多くとは言わないまでも、嘗て幾つかそのような場所や会合、また勉強会や研究会などへ出向いて知ったことは、彼ら彼女らの多くは、所謂「社会的優等生」であり、端的に申し上げますと、傍目には一定の社会的成功を収めた人たちの集まりが多いことから、畢竟、自らの範囲ないしは枠組みに終始したことに関する発言はできても、例えばある一つの問題提起から想定し、考察していくべき普遍的なテーマに対しては、全くと言って良いほど議論することが出来ず、逆にそのような課題提起をさせて頂くと、黙ってしまうか、若しくはそのテーマと全く関係の無い「自分の周りに起こった出来事」へ話の流れを逸らされてしまい、大抵の場合は「退かれて」しまうのが実態でした。

数年前、ある会合において、確か藤原さんか管理人さんの許諾を得て、博士の『日本は〝賎民資本主義〟から脱却せよ』をサブテキストに、中村博士の『経済的合理性を超えて』からの抜粋やマックス・ヴェーバーなどから、日本の病理診断をはじめとして、日本の古層である「バッソ・オスティナート」や、1300年以上にも渡る鎖国精神などの議論を行い、より普遍的な方向への展開を目論見ましたが、案の定、最初の時点から非常にレスポンスが悪く、一言二言のコメントは出たものの、次の展開に向けては程遠く、尻切れトンボ以前に議論が始まることなく終わってしまった経験がございます。

◆日本は〝賎民資本主義〟から脱却せよ
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article/zaikai0107.html

135尾崎清之輔:2008/01/16(水) 03:20:37
(No.134から続きます)

おそらく、多くの「社会的優等生」の方々は、その寄って立つところから、自己否定にも繋がりかねないテーマに対しては、意識的に避けて通る傾向がある、つまり現代社会に起こっている様々な矛盾的現実を正面から見詰めることの出来ないタイプ(つまり、正面から見詰めることによってその多くは自己破壊へと至りかねない≒心身の病に至りかねない、というタイプ)であると思いましたが、そのような場所や会合へ出向く以上、何らかの潜在的意識を少しは持っていることは確かと思いますが、彼らは優秀なテクノクラート型のタイプであるがゆえに、特定の与えられた課題に対するソリューションには強くても、何が起こるか分からない21世紀の時間軸の中では、想定外の問題とかより大きな課題などが常例しておりますので、まだ社会の第一線には現れてきていない『テレオクラート』という『遠い将来を見通すことのできる専門家』の存在が必須であることは、正慶孝さんが藤原さんとの共著『ジャパン・レボリューション』(清流出版)で看破された通りであると思います。

136尾崎清之輔:2008/01/16(水) 04:07:56
(No.135から続きます)

ここまでの話題と関連して、『賢者のネジ』(たまいらぼ出版)などをご一読された方々でしたらご存知のように、藤原さんがオイルビジネスという世界最大のビジネスにおいて、米国のカンザスやテキサスを本拠地として複数の石油開発会社を起こし、まさに絶頂期へ向かおうとしている40代前半の頃に、大韓石油協会へ招待された際の晩餐会の席上で、当時の韓国財界の大立者の申さんという元自動車会社の会長であった方から、『40過ぎてビジネスをやっているのは人間のカスだよな』という言葉に続いて、しみじみとした口調で『40歳を過ぎて人類のためになることをしなかったら、生きている甲斐がないよな…』という発言が為され、これを藤原さんは「申さんショック」と呼んでおり、後に藤原さんが2倍の人生を生きる決意と実行に至る切っ掛けになったことは、藤原ブッククラスターの方々でしたらご存知の通りと思います。

確かに、申さんご自身が韓国の実業界に入って、自動車会社のトップになった後、40歳で自動車メーカーの会長を辞め、全財産を投げ出して奨学金財団を作り、韓国経済研究所を設立して、ソウル大学に隣接した4階建てのビルの一部を、談話室、自習室、図書室などとして開放した上で、申さんは遊軍的な役割として自由に動き回りつつ、国内外からの面会希望の方々とのお相手や、余生を人材育成のために使っているという内容につきましては、前項までに申し上げた方々の動向に対して、個人レベルのボランタリーを超えたフィラントロピィ精神の具現化を考えていく上で、非常に示唆的な内容であると感じさせられました。

尚、私は、そう遠くないうちに、今夜述べさせて頂きました内容をベースに論旨を纏め上げ、これまで「場」と呼ばれて出向いて失望感を覚えた場所なども含め、私なりにほんの少しずつですが理解しつつある「脱構築」に向けた提言を、必要に応じて公開書簡の形で表明させて頂こうかと思っているところです。

137尾崎清之輔:2008/01/16(水) 08:27:50
No.133からNo.136において、私の文章に一部文法のミステイクがございますが、そのあたりにつきましては、ご了承下さい。
また、書き足りない内容が未だ多くございますものの、続きは改めて投稿させて頂きます。

それにしても、今回の投稿をさせて頂く過程で、今から14年前の藤原博士と小室直樹博士との対談を思い出さざるを得ませんでした。

◆「意味論」音痴が日本を亡ぼす
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article/semantics.html

138尾崎清之輔:2008/01/16(水) 23:48:53
今夜の話題へ移る前に昨夜(…と言いつつ今朝未明まで続いてしまいましたが…)の続きを少しだけ。

昨夜の連続投稿をさせて頂く過程で、藤原博士と小室博士との14年前の対談である『「意味論」音痴が日本を亡ぼす』を思い出さざるを得なかったと書かせて頂きましたが、これは『共創』や『共生』といった言葉のみでなく、以前も申し上げました『暗黙知』とか、別のスレッドで取り上げさせて頂きました『ウェットウェア』など、その言葉が本来持っていた意味から余りにも懸け離れた使い方をしたり、または矮小化したりするケースが多く、このようなところにも求心型の文化というか、縮み思考へ陥りやすい傾向が垣間見られると思っております。

やはり主旋律には決して成りえない「執拗低音」の歴史が長く続いてきたことの証左かもしれません。

139尾崎清之輔:2008/01/17(木) 00:18:54
さて、昨夜の話題と打って変わって、いま聴いているシューマンのピアノ作品に絡めたお話をさせて頂きたいと思います。

過日の投稿でもご紹介させて頂きました、ヴィルヘルム・ケンプによるシューマンのピアノ作品集と、マルカンドレ・アムラン(Marc-André Hamelin)によるシューマンのピアノ作品集を聴き入っておりますが、シューマンの多くのピアノ作品が小品にも関わらず、どれも豊かな響きを持ち、自由な形式と思われる曲調は、シューマン独特の味わいや、幻想的な遊び心を醸し出しているようです。

現代の技巧重視とか華麗重視の考え方からは遠く離れているケンプですが、『鍵盤から指が離れた瞬間に、後から音が付いてくるような』彼の奏でるメロディは、聴く者に対して、常に最高のロマンと素晴らしさを提供しているように感じられます。
これが晩年のケンプの穏やかさのうちに秘めたる情熱であり、きっとシューマンはピアノ作品ではこういう音色を出したかったのだろうなぁと思いつつ。

ところが、アムランの方はケンプとは全く逆で、「技巧派の雄」と申し上げても過言ではないほど、そのテクニックと彼のピアノから奏でられる音色が持つ鮮度の高さは、単なる技巧派とか超技巧派といったレベルを超えて、まるで激しく燃える炎のような情念と、冷徹に光る剣のような鋭さが同居しているように思われたほどです。
「全ての音を叩いて表現できるアムランのピアノの技量」といったレビューを以前どこかで見たことがございましたが、そのコメントに嘘偽りは無いと感じさせられました。

特にケンプとアムランの対比については、先にご紹介した連続ドラマの(日本での)ピアノコンクール本選曲にも使われていた『ピアノソナタ 第2番 ト短調 作品22』に明らかであり、どちらも全く違ったタイプのピアニストですが、甲乙付けがたいとはこのことを言うのでしょうか、この曲に関しては、本当にそう思ったほどです。

いずれにしても、この曲(特に第一楽章)、弾き手にとって、もの凄く難しい作品であることは確かかと思います。

ちなみにYouTubeで適当な動画を探しましたが、マルタ・アルゲリッチの映像作品(静止画付きの演奏作品)くらいしかなかったので、ご参考までにURLをご紹介します。

◆Martha Argerich plays Schumann Sonata in G minor mov. 1
http://www.youtube.com/watch?v=147-ttSq4tg

140尾崎清之輔:2008/01/18(金) 01:37:53
『場』の概念と『空気』の概念が全く違うことは明らかであると思いますが、意味論(セマンティックス)が正しく成立していない私の住む日本においては、『場創り』の基本中の基本であるコミュニケーションがなかなか取り辛いこともあって、『共創』へ至るまでの道程には、相応の覚悟を決めてかからねばならないと思いつつ、日々を過ごしております。

もちろん、私自身、『意味論』の修得までには、まだまだ相当の努力と時間を必要とすることは確かであり、懸命に取り組んでいくことで、いずれは身に付けたという実感を覚えたい存在の一つであると思っております。

先にご紹介した藤原博士と小室博士の対談においては、意味論について藤原博士から、

◆言葉がある特定の意味をどうやって獲得し、他の言葉とどんな関連を持ち機能するかを理解して、コミュニケーションをする場合に、ある言葉がどんな枠組みで定義され、どんな概念を含んでいるかを知ること

と明解に述べられており、この答えとも申すべき内容に対する認識が、『場』の形成に至ることができるのか、それとも『空気』となってしまうかの重要な岐路と考えております。

(この項、続く)

141尾崎清之輔:2008/01/18(金) 02:30:22
(No.140から続きます)

今年正月に頂いた年賀状の中に、『社会への恩返し』のスレッドで話題にさせて頂きました、若手フォトジャーナリストの方や、嘗てフォトジャーナリストであった方からのものもあり、自筆で認められた久しぶりの文面とその行間には、たとえ時空間が離れていたとしても、その方々との数年前の邂逅からはじまり、且つ今でも続いている、開いた系である『場』の持つ素晴らしさについて、改めて感じざるを得ませんでした。

一人は『社会への恩返し』のスレッドで、活動内容の詳細について幾つかご紹介させて頂きましたが、以前から行っている複数の海外での取材テーマに加えて、国内での取材テーマについても本格的に取り組んでおり、文字通りの「八面六臂」の活躍ぶりであることが良く分かりました。

また、別の一人は海外での教育活動、しかも当時在住していた海外の国から別の国へ留学させるための教育という、非常に困難と思われる活動に暫く従事しており、最近になって再び日本に戻り、アジアと太平洋の研究活動を始めているとのことでした。
ご本人自身、それが出る場所を知っているからこそ、勉強つまりインプットすることが好きだと明確に述べており、今回の帰国が次へのステップであることはスグ読み取れました。

余談ですが、二人とも観光目的ではない数十カ国への旅や取材、またボランタリー的な要素を持つ教育活動などを通して、一人は4カ国語だか5ヶ国語、もう一人は何と8カ国語をほぼ独学で覚えたほどの猛者です。ちなみに男女の違いについて云々申し上げることは、私の信念からすると些か違和感を覚えてしまいますものの、それでもあえて申し上げさせて頂けるならば、後者の方は一見すると「癒し系」の女性です。

このような、私より一回り半ほど年下にあたる若者たちは、その存在だけでもこれからの世代とこれからの市民社会の形成に向けた『場創り』というテーマに関連して、夢と希望と勇気を与え、いずれは何かしら共感や共鳴を覚えた他の人たちの方向性についても、各個々人の頭と身体を使って熟考させるだけの器量を持つ、若しくは器量を持たせることができるだけの確たる可能性を秘めており、彼ら彼女らとのコミュニケーションにおいては、最近の一般的な通念とは若干異なる、本来の意味での「一期一会」の世界の素晴らしさがあると考えており、そのような世界観の持ち方、つまり自身の人生をどこまで『正面から向き合って』きたかが、自らの時間の大切さを十分知りつつ、常に心の余裕を持って培ってきた『資質の高さ』を感じさせると考えます。

142尾崎清之輔:2008/01/18(金) 02:51:43
(No.141から続きます)

このようなところにも、開いた系である『場』と、閉じた系である『空気』との違いが鮮明に現れていると考えており、それを強いて同じ『場』という言葉を使わせて頂くならば、前者は『出会いの場』であり、後者は『群れ合いの場』になるということについては、いみじくも清水博博士が自著『場の思想』(東京大学出版会)において、下記で述べた通りであると思います。

◆群れ合いの場では結局閉じた場の枠が閉鎖集団に特有の自他分離構造をつくってしまう。そして枠の中の自然は大切にするが、その外にある自然は破壊するという「我々」のエゴイズムが生まれてくる。群れ合いの場は閉鎖しているために、その内部では創造的な活動力は生まれない。これに対して出会いの場では、人々が「我と汝」として出会い、互いに自己を開いて交流し、そして再び別れていく。つまり、枠はあるが固定されていないために出入りは自由である。出会いの場では、ともに生きる仲間として人々が絶対的に台頭であることが要求される。その結果として「ともに生きている」ことは「ともに活かされている」ことであるという自覚をもつ。このともに活かされているという自覚がはたらくことによって、異質の背景をもつ人々の間で共創が生まれる。


尚、上記の引用文章のみでは若干とはいえ重要な誤解を生み出しかねない危険性があるとも考えておりますので、その辺りにつきましては追々続きを書かせて頂きたいと思っております。

143尾崎清之輔:2008/01/18(金) 03:41:18
ちなみに、『場』を形成できるだけの要素を持っている、または本人に未だ明確な自覚が無いとは思われるものの、そういう要素を持っている『資質の高さ』を感じさせる方は、何も先に述べたような生き方を選んでいる方々のみでなく、実は意外なところ(…これは悪い意味や変な意味は全くございません…)にも潜んでいると考えており、事実そうであると思っております。

そのような方は、たとえ多くの人と接していても、そのような面については殆ど若しくは全くと言って良いほど見せることが無いか、または何か理由が無い限り、意識的に人前へ余り出ないようにしているため、そのような方から『資質の高さ』を感じ取るには、感じ取る側、つまり受け手側に相当の訓練と直観に基づいた感性の鋭さと豊かさが存在しないと、なかなか認識するに至ることは困難であると思います。

このように申し上げたからと言って、何も私がそういう特殊な能力を持っているなどという、自意識過剰的で傲慢とも思われる発言をするつもりは毛頭無いですが、本当にごく稀ではあるものの、やはりそのような『何か』を感じさせられた方については、必ずと言って良いほど、皆その人なりに成長の過程を歩んでいることは確かです。
少しずつで構いませんので、こうでありたい自分のイメージを鮮明にしながら、自信を持って日々を歩んで下さい。

144尾崎清之輔:2008/01/20(日) 00:28:12
今夜の投稿No.が「144」ということに因んで、宇宙が奏でる自然の姿であり、延いては藤原博士が提唱された、究極的な大宇宙構造体であるホロコスミックスを司る、フラクタルやフィボナッチ数について、少々語らせて頂きたいと思います。

実は今回の投稿内容を考えていた際、『ロマネスコ』という不思議な植物の花蕾に関する情報を発信して頂いた方がおり、このロマネスコの花蕾群の形状がフラクタルやフィボナッチ数を表していることを知ったことから、全くの偶然なのか、それとも目には見えない何かが働いたのか分かりませんが(…前者&後者ともに同じ意味を持っているとも考えられます…)、いずれにしても、私にとって、そのことを知った瞬間は、頭の中のみならず全身にスパークを覚えたほどでした。

◆ロマネスコ(Wikipediaより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%82%B3

145尾崎清之輔:2008/01/20(日) 01:04:21
自然界の現象の多くを司るフィボナッチ数でありますが、その中でも「144」は平方数も兼ねている(1を除いた)唯一の数であり、人間界における様々な行為やその経過や結果なども包含した神秘的な数値を示していることは、ご存知の通り、藤原博士のメタサイエンス系の書籍群や、落合莞爾氏との共著『教科書では学べない超経済学』(太陽企画出版)、また『フィボナッチ数列や律動とラチオについて』など幾つかのスレッドにおいて議論されてきた通りです。

◆フィボナッチ数列や律動とラチオについて(ご参考)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2491/1138439045/l50


尚、私がこの領域へ本格的に踏み込むには若輩者の謗りを免れませんので、まだ止めておきますが(前項で少々と申し上げたのはそれが理由)、144という数値に関連して、『賢く生きる−藤原肇対談集』(清流出版)の対談者の一人である首藤尚丈さんが会長職を務めておられるダイヤモンド会社(ディアナメディカル株式会社)のHPに、対談からの抜粋が掲載されておりましたので、ご参考までにお知らせ致します。

◆首藤尚丈「閃きを支える理知的発想」(ディアナメディカル株式会社【対談】より)
http://www.dianamedical.com/interview_1.html

146尾崎清之輔:2008/01/20(日) 01:21:29
先の投稿で肝心なことを書き忘れてしまいましたが、藤原博士の大理論である「ホロコスミックス」に関する講演内容と論文について、未見の方々へご参考までにご紹介させて頂きます。

◆21世紀の文明社会と新しいアジアの挑戦(講演)
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article/meta01.htm


◆Holocosmics: Beyond the new horizon of a unified theory in the Meta-Sciences(論文)
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/paper/meta/meta.htm

147尾崎清之輔:2008/01/20(日) 03:10:24
実はNo.145以降で、「144」という数値をベースにフラクタルやフィボナッチ数に関する論文を、昨日(土曜)の4時間強ほどを費やして書き上げていたものの、投稿する前に再度熟読したところ、論文中における「弁証法」の欠陥や、四科の「幾何学」と「天文」について稚拙極まりないと思われる部分、つまり私の教養不足が明らかなところが散見していて、納得できない文章になってしまったと感じたことから、投稿するのを止めたことを正直に白状しておきます。
じっくりと時間をかけて再考し、追加修正など行った上、いずれ機が熟してきたと思った頃に掲載させて頂こうと思います。

お口直しにヴィルヘルム・ケンプのピアノ演奏(シューベルト、ベートーヴェン、シューマン)をお楽しみ下さい。

◆Wilhelm Kempff Plays Schubert Sonata D664 1st Movement
http://www.youtube.com/watch?v=Sv6XQc2s6Jc

◆Wilhelm Kempff plays Beethoven Sonata 27 Opus 90, Movement 1
http://www.youtube.com/watch?v=_usz70f5ONg

◆Wilhelm Kempff plays Beethoven Sonata 27 Opus 90, Movement 2
http://www.youtube.com/watch?v=3KL-lZOT564

◆Wilhelm Kempff plays Beethoven's Moonlight Sonata mvt. 1
http://www.youtube.com/watch?v=O6txOvK-mAk

◆Wilhelm Kempff plays Beethoven's Moonlight Sonata mvt. 2
http://www.youtube.com/watch?v=vDNsX4DtzZs

◆Wilhelm Kempff plays Beethoven's Moonlight Sonata mvt. 3
http://www.youtube.com/watch?v=oqSulR9Fymg

◆Schumann - 'Arabesque' Wilhelm Kempff
http://www.youtube.com/watch?v=IgHf3xu8ElI

148尾崎清之輔:2008/01/20(日) 22:59:32
No.141から143にかけて展開させて頂いた、『場』を形成できる素養を持つ方々について少し触れさせて頂きましたが、既に着々と『場創り』の地歩を固めつつある方々については、申し上げるまでも無く、目に見える形となって現れてきておりますが(…とは言っても70年以上前にオルテガ先生が喝破した「凡俗な生」に溺れる大半の方々はそういうことに全く気が付かないか、または気が付いてもあえて無視している…)、「これから」徐々に成長して地歩を固めていくことができると思った方々については、若干説明不足のところがあると思いましたので、その補足をさせて頂きたいと思います。

『場』を形成できる素養を持つ『資質の高さ』を感じる方々の共通項として、前者と後者いずれの方々にも共通していると私が感じる重要な要素の一つに、『丸山眞男 音楽の対話』から何度か引用させて頂いている『精神の貴族性(アリストクラシー)』があると思っており、これはオルテガ先生(オルテガ・イ・ガセット)が述べたところの『精神の貴族』または『高貴な生』にも繋がっていると考えます。

まずは、毅然たる態度、凛とした音楽(姿)、背筋をピンと伸ばして、孤高を守り抜いたという『精神の貴族性(アリストクラシー)』とは、丸山博士ご自身にとってどのようなものであったか、『丸山眞男 音楽の対話』の以下の文章に表されております。

◆私生活にあっては簡素を旨とし、「贅」という言葉の入る余地のない日常を送っていた丸山であるが、彼の生き方で最も見事だと思うのは、彼自身が生涯「精神の貴族性」を守りぬいたということ、その一事である。そして丸山は、そのような生き方を貫いた人が大好きであった。

そして、オルテガ先生の『精神の貴族』がどのような意味を持っているかについては、自著『大衆の反逆』(ちくま学芸文庫)の第七章『高貴な生と凡俗な生 − あるいは、努力と怠惰』において、以下の通り述べております。

◆貴族とは、つねに自己を超克し、おのれの義務としおのれに対する要求として強く自覚しているものに向かって、既成の自己を超えてゆく態度をもっている勇敢な生の同義語である。かくして、高貴なる生は、凡俗で生気のない生、つまり静止したままで自己の中に閉じこもり、外部の力によって自己の外に出ることを強制されないかぎり永遠の逼塞を申し渡されている生、と対置されるのである。

従って、オルテガ先生は人間の凡俗なあり方を「大衆」と呼んでいることはご存知の通りです。

(この項、続く)

149尾崎清之輔:2008/01/20(日) 23:38:58
(No.148より続きます)

この『精神の貴族=高貴なる生』について敷衍させて頂くために、同じく『大衆の反逆』の『高貴な生と凡俗な生 − あるいは、努力と怠惰』から以下に引用します。

◆選ばれたる人とは、自らに多くを求める人であり、凡俗なる人とは、自らに何も求めず、自分の現在に満足し、自分に何の不満ももっていない人である。一般に考えられているのとは逆に、本質的に奉仕に生きる人は、大衆ではなく、実は選ばれたる被造物なのである。彼にとっては、自分の生は、自分を超える何かに奉仕するのでないかぎり、生としての意味をもたないのである。したがって彼は、奉仕することを当然のことと考え圧迫とは感じない。たまたま、奉仕の対象がなくなったりすると、彼は不安になり、自分を抑えつけるためのより困難でより苛酷な規範を発明するのである。これが規律ある生−高貴なる生である。高貴さは、自らに課す要求と義務の多寡によって計られるものであり、権利によって計られるものではない。まさに貴族には責任がある(Noblesse oblige)のであり、「恣意につきて生くるは平俗なり、高貴なる者は秩序と法をもとむ」(ゲーテ[「庶出の娘」、「続篇のための構想」])のである。

そして「原注」には以下の重要な補足がございます。

◆なんらかの問題に直面して、自分の頭に簡単に思い浮かんだことで満足する人は、知的には大衆である。それに対して、努力せずに自分の頭の中に見出しうることを尊重せず、自分以上のもの、したがってそれに達するにはさらに新しい背伸びが必要なもののみを自分にふさわしいものとして受け入れる人は、高貴なる人である。

150尾崎清之輔:2008/01/21(月) 00:11:04
(No.149より続きます)

ここまで読んでこられて、これまでにご紹介させて頂いた、丸山博士や清水博士の言説との共通性に気が付くことは必定であると思います。

そして、精神の貴族ないしは高貴なる生を、自らの時間と努力で獲得し、享受していくための第一歩としては、やはり『自らの人生と正面から向き合うこと』が肝要であり(…前にご紹介したドラマの「楽譜と正面から向き合え!」もその一環…)、そこから(…人には滅多に明かすことが無いものの、対話などを通して感じることの出来た…)幾つかの自問自答や悩みを繰り返しながらも、同じように成長していくことへコミットメントして、歩み出せる方々(…まぁ、そういう方々は実際なかなか居ないのが実情ですが…)との対話などを通じて、お互いの中に『共鳴場』や『共鳴力』が生まれ、それらを継続していくことが、いずれは本格的な『高貴なる生』へと至り、自然と『精神の貴族性』を身に付けることになると考えております。

「これから」徐々に成長して地歩を固めていくことができると思った方は、大抵の場合、人へは「自分らしく」と言いつつも、実は同じところに安穏として留まることがなく、常に新たな目標の設定や挑戦を行っていくために、あえて自らそのような場所を求め、そこで自ら課したテーマに向かって邁進しようとしているエネルギーが見え隠れしていることを、私は見逃していないつもりです。

その結果、いずれは地歩を固めて「自らの道」の獲得へ至るのであると考えており、そのような方は、未だ目には見えない形ではあっても、上記で述べたエネルギーとか、その人が持っているポテンシャル、または時折ですが垣間見せるパフォーマンスなどから『資質の高さ』を十分感じ取ることが出来ましたので、先に申し上げた「素養」について言及させて頂いた次第です。

151尾崎清之輔:2008/01/22(火) 00:07:14
今夜は、お片付けと整理整頓の話題に変わりますが、現在、いろいろな物事を片付けて(または削ぎ落として)いく過程において、他のいろいろな物事を受け入れられる自分があることに、少しずつですが気が付き始めております。

確かに、今年に入ってから、身の回りに起こっていることを含めて、いろいろと大きな変動が生じていることから、上記のような心情にもなりつつあるようで、この辺りにつきましては、珪水さんが仰せの「質と格」にも若干繋がるのではないかと思っている次第でおります。

元来、いろいろなことを広い心で受け止められたら、どれだけいいだろうと思って過ごしてきてはいましたものの、実際その局面に立たされたとき、果たしてどれだけ受け入れることが出来たのか、またはそういう心の持ち方であったのか、その当時はもちろんのこと、今でもはっきりとは分かりませんが、いずれにしても、自らの心の垣根を取り払っていくことで、広がっていく自分に気が付くのであれば、日々を過ごしてきた甲斐があったというものです…

152尾崎清之輔:2008/01/23(水) 00:58:30
No.151で言い忘れてしまいましたが、お掃除とお片付けと整理整頓を続けていくと、そう遠くないうちに、身の回りに何か大きな変動が生じるか、またはこれまでとは別の大きな物事(しかも時には全く想定していないような…)がやってくることは確かであると、最近実感しております。

…なので、時折ものすごい時間帯に書き込んでおりますが、その辺りはご想像下さい。(笑)

そして、これが本当に自らにとって良い方向、すなわち納得できる方向となるか、それとも大きな変動にただ漠然と流されてしまうか、大きな物事に押しつぶされたりするかは、『場』全体を見る目である『観』と、そこの『場』で自らが主体的創造的に起こす『行』を、日々どれだけ意識して自らを高位の次元へ上げていくことができるか、またその過程を辿っていくことができるか、が肝要と思っております。

これを出来るだけ平たく、分かりやすく申し上げさせて頂けますと、例えば、寝る前とかの瞑想による、自分と自分の周りの未来、近未来、直近、の、それぞれに対するイメージ創り、そして翌日以降に(自らを含めた場で)起こる、瞬間々の動き(≒働き)、を全て楽しみながら、主客非分離として捉えていくことに重要な鍵がある、と考えます。

また、先の投稿で、『場』の意味について説明させて頂きましたが、No.150でも述べた、高位の次元へ上がるための『共鳴場』や『共鳴力』を互いの関係性の中で生じさせ、継続させていくことにより、『高貴なる生』や『精神の貴族性』が自然と身に付くと考えますので、それが延いては他者との間に生まれる『共創』へと至ることにもなり、その辺りについては、『場の思想』から引用する形で再び整理しますと、以下の通りになると思います。

◆世界の枠が閉鎖しているときに、その中に生まれる「我々」は場に束縛されると同時にその枠を守ろうとする。このために創造が生まれない。この束縛された「我々」が存在する場が「群れ合いの場」である。

◆世界の枠が開かれてその世界の中に生まれる場で異質の人々が出会うときに「我と汝」の関係が生まれる。その場こそが「出会いの場」である。人々が出会いの場で出会うことで場に位置づけられた両者のあいだに新しい関係が生まれて個の活きが統合され、両者が開かれることが創造の必要条件である。両者が開かれれば新しい自己表現が創造されて場も新しく変わるからである。この出会いのときに異質の「我と汝」が「我々」として統合されさらに開かれることが共創の必要条件である。

153尾崎清之輔:2008/01/25(金) 04:46:31
都合により一回休み

◆Teo Torriatte(Let Us Cling Together)
http://www.youtube.com/watch?v=vJpLV38i3FI

154尾崎清之輔:2008/01/26(土) 01:22:08
以前から何度も引用させて頂いております、藤井尚治博士の『アナログという生き方』を基にした一部投稿が、掲示板上のみならず、個別にも良いとか印象に残ったというレスポンスを頂いたことから、今夜もまたまた引用しつつ、若干ですが愚見を添えさせて頂きます。

自分の個性をどのように創り上げ、磨き上げていくかについて、藤井先生は以下のように明朗に語っております。

◆個性とは、どこから生まれてくるのか。それは自分の中の基準であり、確信である。1人ひとりの人生とは本来、手作りのはずなのに外側の基準に合わせて生きようとするから、息苦しくなる。学歴、大企業、肩書き、男や女といったアイデンティティに頼るから、標準化や画一化の波に飲み込まれてしまう。
 ひとは人生の設計者であると同時に、作り手でもある。とくに日本人は人生の設計と製造が未分化のままで、他人任せになっているから、生き方に確信がもてない。
(中略)
人生も同じことだ。生きることが目的だから、学歴や肩書きがなくても大丈夫である。家がなくてもお金がなくても心配は不要。その日のごはんが食べられていれば、本来いいはずである。これを原点に、自分なりの人生ストーリーを描ければいい。ただし、今日明日のストーリーはだいたい決まっている。選択の幅は少ない。しかしながら5年後10年後になると、大胆なストーリーが描けるはずである。
 いやもう5年先も10年先も決まっているという人は、自分でストーリーの幅を狭めているだけだ。もしくは今の収入を確保しながら、ストーリーを描こうとしている。そんな都合のいい話はない。 (…中略…) 自分は違うという反論が返ってきそうだが、そんな日和見の保守主義こそ捨てなければならない。保守もときには必要だが、それで何か新しいものを作り出したことはない。古いものを捨てなければ、新しいことは出てこないのである。


先の投稿でも述べさせて頂きましたように、やはりここでもお片付けと整理整頓の重要性(=古いものを捨てることで新しいことが出てくる)が語られておりますね。

155尾崎清之輔:2008/01/26(土) 01:45:25
(No.154の続きです)

また、藤井博士は『情報とは信頼の関数』という名言をはさみながら、続けて以下のように展開されております。

◆他人の信頼を得るためには、懐深く生きなければならない。きっぷの良さ、こだわりのなさ、骨太、腰がすわっている人、と言い替えてもいい。デジタルな人は二者択一の世界に生きているから、他人のことをすぐ判断し、批判する。利口か馬鹿か、能力があるかないか、仕事ができるかできないか、出世をするかしないか、という判断や批判は、仕事をするうえで、役に立たない。何故なら、すべてが相対的な問題だからである。
(中略)
 私たちは当然のことながら、起こり得ることのすべてに対処することはできない。だから、必ず失敗をする。その失敗は自分たちの何かが欠けているから、起こるのである。欠けている何かに気づけば、その失敗は成功のもとになる。気づかなければ失敗し続ける。名人の失敗というのもある。定跡にはまってしまった時だ。猿も木から落ちるのだから、「そんなこと、いいよ、君」と自分にも言い聞かせたい。

◆真実はいつも中庸にある。自分を知れば知るほど、極端な考え方や意見に偏らないで済む。自分の力や限界がわかっているから、悲観論や楽観論に捉われない。(※イチローが)打てなくても淡々としていたり、負けてもくさらないのは、その原因がつかめているからだ。敗因がわからなければ、悔しい思いをするし、次回も同じ負け方をする可能性がきわめて高い。

※引用者にて付加

◆戦争は勝つことも負けることもあるから、本当は負けにこだわる必要はない。しかし負けたことにこだわっているから、「普通の国」や「小さな国」という発想になるのだ。
 人生はゲームそのものである。負けないゲームなんてない。だから負けにこだわっていないで、先に進めばいい。ただし、誰が考えても負けることがわかっているゲームは初めから降りておいた方がいい。負け戦を知っていて、始める馬鹿はいない。ゲームは勝つと嬉しいから、勝つに越したことはない。「己を知れば、百戦危うからず」。百戦百勝の名人は負け戦をしないだけだったのかも知れない。

156尾崎清之輔:2008/01/26(土) 02:24:23
(No.155の続きです)

そして、藤井先生は新たなる時代に対し、『大局観』を持って歩んでいくことの重要性を、以下の通りズバリと語っております。

◆大局観とは、情勢判断である。終わりつつ始まる時代に悲観論と楽観論が出てくるのは、新しい時代への不安が人びとの心の中にあるからだ。従来の経験論でものごとが測れない時代になってきたのである。それは、高度経済成長時代の明るい舗装道路を走っていたクルマがいきなり夜中に舗装されていないガタガタ道を走るようなものである。
 そこまで行ったら舗装道路にたどりつけるかどうか、わからない。道がこの先、途切れているかも知れない。明かりを点けて、確認しながら走りたいと思う。この明かりが悲観論であり、楽観論なのだ。しかし、真実は明かり(イメージ)でなはい。もの(実体)そのものである。こういう時代は手探りで行くしかない。大局観があれば、手探りでも怖くない、間違ったら、道を引き返せばいい。ものごとを鳥瞰していれば、それができる。


この『大局観』を持った人生を歩んでいくためには、バランスをとることが大事であると藤井先生は仰っており、その過程においては、お茶を飲む、食事をする、マッサージをする、散歩をする、お酒を飲む、などといったアイドリング時間を持つことが必要ということになり、『人生は効率ではない。非効率な遊びをすることで、バランスが自然ととれてくる』ことになると仰っておられます。
これは、過日ご紹介させて頂いた、太田朋さんのイラスト&メッセージのひとつ『明日の船でもよいのです』にも繋がると考えます。

157尾崎清之輔:2008/01/26(土) 02:39:46
(No.156の続きです)

この終わりつつ始まる時代は、要するに新しい価値観や場を創る絶好のチャンスということになりますので、藤井先生も仰せのように、焦らず、諦めず、勝てると思ったときに全力を尽くす、といったことを念頭に置いて、長く歩んでいきましょう。

158尾崎清之輔:2008/01/27(日) 00:44:08
余談ではございますが、先に引用させて頂いた藤井先生の書籍の『真実はいつも中庸にある』の『中庸』という言葉から、同音語である『中洋』という概念を思い出しました。
これは、文明論的な視座から多くの書籍を残されている梅棹忠夫博士の、通念として知られている東洋的文明史観や西洋的文明史観ではない、生態学的な観点から捉え直した独自の文明論からきている概念だったと思いますが、この件に関して触れられている梅棹博士の著書が確か拙宅の蔵書のどこかに埋もれていた記憶があるので、いずれこの場で展開させて頂こうと思います。

159村山:2008/01/27(日) 11:00:41
尾崎さんの精力的で熱のこもった書き込みに敬意を払います。きっと音楽絵画という芸術の世界に対して趣味を持ち、心の余裕があるために平常心できちんとしたことを書けるのでしょう。
そういえば藤井先生の「アナログという生き方」の中に、「ストレスの状態が長く続くと、だんだん無反応になってくる」と書いてありましたね。
猛烈社員を良いことだと思ってがむしゃらに働き、経済大国らしいものを作った結果として、日本の男は「燃え尽き症候群」で反応力がなくなってしまったようです。

160尾崎清之輔:2008/01/27(日) 23:52:36
村山さんからご紹介のあった、藤井先生の『アナログという生き方』に書いてあった「ストレスの状態が長く続くと、だんだん無反応になってくる」ことに、私も同意いたします。

仕事やプライベート、先に挙げた様々な会合、勉強会、研究会などで、実際そういう現場を数多く目の当たりにしてきており、これらが社会的な病理現象として顕現化していることは、心ある幾人かの方々からご指摘されている通りですが、これは短くとも戦後から現在に至る中で、もう少し長いスパンで捉えると明治維新から現代に至るまで、一貫して続いている歴史の流れの中で発生し、派生してきているある種の要因が根底の一つに存在していることは確かでしょうから、既に対症療法的な手段(…まだこのようなことでしか対処できない多くの藪医者には驚くばかりですが…)のみでは解決できないことは申し上げあるまでもなく、同種療法や予防医学などからもヒントを得て、先の歴史から導き出される病理現象と要因について正しい診断を施した上で、長い時間をかけて体質改善を行っていく、すなわち「脱構築」に向けた準備を整えていかねばならないと思っております。

更に、コンピューター、マルチメディア、インターネット、という存在を背景にした現代という時代においては、情報交換のスピードと一方的に垂れ流されてくる情報量の莫大さが加速度的に更新されてきていることから(…と言っても、その殆どはゴミ同然か、精々がタメにする情報)、何も考えず条件反射的に反応しているに過ぎないことになり、この具体的な症状として、「ひとの話を聞かない人」、「無反応な人」、「すぐキレる人」などの増加に繋がっていることは良く知られている通りです。

この辺りは藤井先生の『アナログという生き方』でも以下のように触れられております。

◆朝から晩まで年がら年中、情報をたれ流すことによって、私たちの思考時間を奪っている。もう少し隙間の時間を作らないと、私たちは煮詰まってしまう。煮詰まると考え方が堂々巡りするから、悩みやすくなり、時としてバランスの悪い結論を出す。投げやりになって、何でもよくなってしまう。
 「短兵急」というのも、ストレスレベルが高い結果として出てくる。事前の情報選択がうまくいかないため、意思決定がコロコロと変わってしまう。“朝令暮改”である。根拠のはっきりしない情報に振り回され、青くなったり、赤くなったりする。情報をよく見て考えれば、わかるのに、その時間を作らないから、状況判断を間違えてしまう。

特にここ数年は、“朝令暮改”ならず、“朝令朝改”も是であるような、無責任で且つ戯けたことを平気で言って憚らない、企業や組織の経営者や同等クラスの方々も相当増えてきており(もちろん政治家や高級官僚は言わずもがなですが)、その余りの程度に低さには辟易としております。
時代が時代なら、こういう方々こそ真っ先に『お家取り潰しの上、切腹』か、昔の小室直樹博士流に言わせて頂くと、『市中引き回しの上、獄門』といったところでしょうか。(笑)

161田中治:2008/01/28(月) 13:03:08
尾崎さんの連日のご投稿には村山さん同様、頭が下がる思いであり、日々更新されるその文章を目で追いながらも活発に反応できない自分の非力を思い知るが、時々でも駄文だがこうして投稿を試みてみる次第です。

年が明けてまもなく慌しい日々が続いていたが、この週末は久しぶりにゆっくり時間が取れ、また天気も上々だったので家人と共に上野界隈を散歩した。上野仲町通りにある明治の文豪達も通ったという江戸時代からの老舗の蕎麦屋で昼食を取った後、カモメが飛び交いたくさんの鴨が泳ぐ不忍池の周りを散歩して、池之端にある横山大観の旧住居(今は記念館になっている)を訪ねた。ビルが立ち並ぶ池之端の大通りに面した一画に、土塀に囲まれた日本家屋がひっそりと立っているのがそれであるが、建物自体は東京大空襲で消失しているので戦後再建されたものらしいのだが、門をくぐり建物の中に入ると外の喧騒が嘘のようにひっそりと静まり返っている。庭に面して広く窓が取られた一部屋に、大観が生前から所有していたという藤原時代の不動明王が安置されている。私はこのさほど大きくもない古い木造の不動明王が大好きで時折ここに来てその像の前に座っては手を合わせるが、今回は身心が疲れていたこともあり、不動明王の表情に深く見入りながら、庭と家屋全体に流れている静寂さの中で、過剰な頭の働きが自ずと鎮まり、しばし時の過ぎるのも忘れて庭や所蔵されている作品を眺めて廻った。たまたまこの記念館の研究員の方が大観の人となりなどについて語って下さったのでしばらくその説明に耳を傾けた。大観の師であった岡倉天心は「模倣はいけない。模倣にとどまらず己の創作を重ねねばならない。またそこに立ち止まるのもいけない。常に進化せねばならない」といったようなことを常々言っていたそうだ。思えば岡倉天心も横山大観も維新の頃に生まれて明治の御世に形としての西洋文化が押し寄せる中、日本画を世界の中に位置づけようと理想を掲げ研鑽を積み、インドやアメリカ・ヨーロッパにも旅を重ねて、日本画における精神の背骨としての思想や信念は作品の中に見事に実を結び、また新しい日本画の確立につながったのだった。大観は英語も流暢に話し、漢籍に親しみ、ニューヨークで「茶の本」を発表した岡倉天心の弟子でもあり・・・研究員の方の話を聞きながら、私はそこで、明治時代の、真に国際的な日本人をまたひとり発見した思いになった。

162田中治:2008/01/28(月) 13:08:13
ゆっくり時を過ごし記念館を後にして、日没までにはまだ時間があったので、そこからほど近い旧岩崎邸を訪れることにした。大観の家から5〜6分ほど歩いてゆるやかな坂を登ると、黄色に塗られた壁の洋館が建っている。イギリス人の建築家ジョサイア・コンドルの設計だという。玄関前には背の高いやしの木が数本植えられていて館の黄色い壁が午後の青空に映え一瞬南欧風(イタリアあたりの)を思わせるが内部に入ると一転して暗く重厚な雰囲気であり、ジャコビアン様式が主調ではあるが、細部は様々な折衷様式であり、その趣味には正直なところいささか辟易としてしまった。洋館の中を一通り見学して進路にしたがって歩むと、突然日本家屋につながってゆく。洋館から日本家屋につながる廊下を歩き狩野派の襖絵が描かれた大広間へ抜けるとなんとも奇妙な感覚が襲ってきた。ある民族ないしは文明がその地において長い時間をかけて醸成してきた生活洋式の結果である建築を、裏打ちされた精神の背骨としての思想なしに簡単にくっつけてしまうその感覚、その中を普通に歩いている私を含めた見物客の群れの中で、なんとなく息苦しくなり外に出て深呼吸をしながら明治から大正・昭和・そして平成と今に至るまでの、自分の知る限りの知識を総動員して歴史の流れを遡ったり追ったりしながらいろいろ考えてしまった。つい先ほど眺めた大観の作品とその裏に流れている思想、そのような歩みの一方で黒田清輝や藤田嗣二といった洋画家たちの歩みをも併せて思い出し、明治から現在に至るまでの日本人の精神の所在とその変遷に想いを馳せ、上野から御徒町の雑踏している繁華街の中で妙な気分はしばらく続いた。そんな気分を払拭して強い気概を得るのには、絵画ならば、500年も前に西洋の宗教画の金箔の技法を見事にモノにした上で独自の強烈な美の世界を描いた狩野永徳や、鎖国時代であっても世界の遺産になるべき素晴らしい作品を遺した伊藤若冲の繊細だが力強い作品に触れたいと思った。ただの散歩のつもりがいろいろ考える一日になってしまったのだが、この日もっとも貴重だったのは結局、大観の家で過ごした静寂のひとときであったかもしれないと思う。現代の都会の生活の中で「静けさ」ほど貴重な要素はないのではないか?ひとたび街にでれば物も情報も色も音も雑多にあふれかえっており、それらはストレッサーとして過剰に作用し、活き活きとした感性をしだいに失わせるように思う。まずは一度静けさを取り戻し、その中で落ち着きを取り戻し・・・・・家庭でも都市空間でもそのような場を意図的に創りだすことが何よりも急務であるように思える。

163尾崎清之輔:2008/01/29(火) 00:52:05
またまた田中さんの叡智に富んだ書き込みへ改めて敬意を表すと共に、いずれは取り掛からねばと思いつつ、未だ私が不得意としている日本画の世界や、明治から大正時代にかけた建てられた洋館や和館、また日本家屋といった建造物の世界に対し、冴えた目で捉えられていることには深い感銘を受けました。

特に、旧岩崎邸に対する評価、つまり、辟易としてしまうほど細部に渡って様々な折衷様式が存在しているという悪趣味的な感覚と、『ある民族ないしは文明がその地において長い時間をかけて醸成してきた生活洋式の結果である建築を、裏打ちされた精神の背骨としての思想なしに簡単にくっつけてしまうその感覚』という文面から、私の脳裏にスグに浮かんだのが『鹿鳴館』と申し上げておきます。

それにしても、上野という地域は不思議な場所で、このたび田中さんが訪れられ、コメントされた西側は、湯島の最北にあたる不忍池の南側から、根津を経由して、北へ足を伸ばせば谷中へと至りますが、(最近は足を伸ばしていないので今でも同じかどうか分かりませんが)この辺り一帯は閑静な場所が多いことで知られており、まさしく「静寂」という言葉が相応しいと思われます。

更に根津へ向かう途中で西を見渡しますと、世界では200番目くらいの評価でしかない大学が、「我こそは日本一」とばかり君臨しており、その滑稽さはともかくとして、そういった土地へ建てられたことについては、やはり何かの意味を感じざるを得ないほどです。

また、上野公園へ足を伸ばすと、北東から東にかけて、東京国立博物館、東京国立科学博物館、国立西洋美術館、東京都美術館、そして数多くの名のあるクラシックコンサートやオペラまたバレエなどが上演されている東京文化会館が聳え立っており、これらは他の追従を許さないほど、芸術を堪能できる場所であることはご存知の通りです。

それに対して、東側、つまり不忍池の最南端から御徒町を経由して上野駅に至る辺りは、雑踏とした街並が一種独特の雰囲気を醸し出しており、これと、先に挙げた「静寂」と「精神の高揚」とが同居している上野という地域が持つ不思議な感覚は、上野が江戸城(皇居)からみて鬼門にあたる丑寅(艮)の方角にあることから、怪僧『天海』が建立したと言われている『上野寛永寺』と何かしら関係しているのであれば、また歴史を紐解くことの楽しみが一つ増えるものであると思います。

尚、この辺りにつきましては、嘗て、藤原博士や珪水さんから、この年齢になってから本格的に取り掛かるのは『ミイラ取りがミイラ』になるから止めておけと言われた、『弥盛地(イヤシロチ)』と『気枯地(ケガレチ)』の世界が入り混じっているようでなりません。

164田中治:2008/01/29(火) 19:28:05
週末の散歩の感想文であった小生の投稿に対して、早速にも東京という都市レベルの観点から上野界隈について俯瞰していただき、この界隈の持つ不思議さについてまで話をつなげていただいた尾崎さんには誠に感謝申し上げます。

小生が旧岩崎邸で感じた違和感について「鹿鳴館」を即座に思い浮かべられた尾崎さんの暗黙知はさすがで、いわずもがな旧岩崎邸も鹿鳴館も同じジョサイア・コンドルの設計による建築であり、明治期のお雇い外国人であったイギリス人のコンドルの銅像は世界で200番目と評価された大学(工学部)の構内に現存しております。

尾崎さんが寛永寺へと話を繋げてくださったわけだが、江戸城から見て丑寅の方角、つまり東北の位置にある寛永寺は今でこそほんの一部しか残っていないが、江戸時代には今の上野公園一帯すべてが寛永寺の範囲だったようであり、それは相当な広さであることからも江戸城から見て東北の位置つまり鬼門に位置する場所に相当の鬼門封じがなされていたことは明らかであるが、易経によれば、この鬼門の方角には「万物の終わりを成すところで、かつ始めを成すところ」という意があることを考えると、幕末から明治にかけて上野の山一帯は戊辰戦争中の激戦の末に新政府軍が勝利を治めて江戸から東京と名が変わったし、また第2次世界大戦後は現在もアメ横の名で親しまれる一画があるように焼け野原から闇市が立ち並び戦後のスタート地点のひとつになり、また当時は上野駅が東北地方などへの玄関口として機能していたことは江戸城を中心として見た際の上野の歴史の一端として示唆的と言えると思う。

体制が変われども首都としての東京も江戸城という建物も未だ現存していることから鬼門封じは今も機能していることになるのであろうが、徒然草の第82段にあるように「しのこしたるを、さて打置たるは面白、生き延ぶるわざなり。内裏造らるるにも、必ず、造り果てぬ所を残す事なり」という一文を思い出しながら、尾崎さんが的確に表現されたように上野界隈が持つ不思議さは古代よりつづく秘伝の仕掛けの相似象かもしれない。

丑寅はまた一年365日という時間の中においては、12月と1月に当たるようであり、現在はまさにその時の真最中であることに気づく。もうじき立春を迎えることもあり、寒さの中で今はまだ不毛に思える土中深く、既に春へ向かって芽を出そうとする植物のわずかな生命力の兆しを個々人のレベルでも察知されながら過ごされている方も多いことと思う。まだまだ寒い毎日が続きそうだが、養生しつつ新しいステップに思いを馳せながら毎日を過ごしたいと思う。

165尾崎清之輔:2008/01/30(水) 02:56:55
上野という不思議な空間への散歩を通して、公共という「場」における静けさと落ち着きを取り戻すことの重要性を述べられた田中さんの趣旨に対して、やや脱線気味となってしまった私の投稿内容から、更に話を発展させて頂きまして、誠に有難うございます。

おかげさまで、ジョサイア・コンドルの銅像が世界で200番目として評価された“最高学府“の構内に現存していたことを初めて知りました。ここに重ねて御礼申し上げます。
確かにコンドルは明治時代のお雇い外国人として来日した当初は、工部大学校(後の工学部)の教師として迎え入れられたのですから、そういうことになりますね。

また、寛永寺の話から少し続けさせて頂けますと、江戸城から見て同じ丑寅の方角には、寛永寺より数百年以上も昔から存在している浅草寺があり、天海僧正と徳川家をキーワードに、寛永寺と浅草寺の関係とか歴史的な位置付けを捉え直して考察すると、先の投稿でも若干触りの部分のみ挙げさせて頂いた「聖俗の世界」の存在をはじめとして、なかなか興味深い発見や、表面の歴史には決して出てこないような繋がりがあることはよく知られており、その極々一部については「カムイ伝」(特に二部以降)の世界でも展開されているようです。

更に、後の寛永寺の貫主が輪王寺宮(皇子ないし天皇の猶子といった直宮が歴代務めた)であったことから、その後の歴史と関係性までをも辿っていくと、またまた深遠な歴史の時間になってしまいますが、この辺りにつきましては、紙面の都合と物理的な時間の制約から、今後よく熟考した上で、いずれ項を改める形で展開できたら幸いと思っている次第です。ちなみに「宮崎駿さんの作品群」に対する深遠な世界への言及もまだまだでした。

それにしても、徒然草の第82段の引用につきましては、日本文化の持つ独特な美学とでもいうのでしょうか、現時点の私には詳しく述べられるだけの素養を持つに至っておりませんが、作者の吉田兼好こと卜部兼好がその名の通り「卜部氏」の出自であることから、卜占(ぼくせん)を業としていたことは間違いなく、そのあたりに古代より続く秘伝の仕掛け云々が関係しているのではないでしょうか。

尚、余談ですが、この徒然草の一文から「足るを知る」という言葉を思い出し、更にこの一文とは直接的には全く関係ないものの、シューベルトの「未完成交響曲」の美しさも脳裏に浮かんだことで、あえて(意図的に)完成させなかった美しさとか、これから成長しようとしている未完の方々が持っている一種のポテンシャルの美しさにまで想いが広がり、そういったことが、いずれそう遠くないうちに、冒頭での私の発言を含めた「場創り」の具現化に向けて、お互いが何らかの形で寄与していけるだけの土台を創り上げていきたいと思っております。

166尾崎清之輔:2008/01/31(木) 01:16:46
No.165の私の投稿の後半部分にある『そういったことが…』以降の文章につきまして、言語系三学を司る「文法」「修辞学」「弁証法」における明らかな欠陥が見られ、本来申し上げたかったことを正しく伝え切れていないと思ったことから、以下の通り訂正させて頂きます。

◆そういったことが、冒頭での私の発言を含めた「場創り」の具現化に向けて、静態における(未完の)美と、動態における(未完の)美の両方を鑑みつつ、お互いが成長しあい、何らかの形で共創しあえる関係性を確立させていくための土台を創り上げていきたいというのが、未完の一人である私の切なる願いであり、且つ考えでございます。

167尾崎清之輔:2008/01/31(木) 02:26:32
少し話は戻りますが、田中さんがNo.164で仰せの通り、江戸城から見て丑寅の方角にある寛永寺に相当の鬼門封じが為されていたであろうことは、その建立に天海僧正が関わっていることからしても明らかであると思っており、「万物の終わりを成すところで、かつ始めを成すところ」という易経の意から、戊辰戦争や第二次世界大戦後のアメ横の話など、示唆的な内容を幾つか列挙して頂いておりますが、私の方からもう一つだけ敷衍させて頂けますのならば、第二次世界大戦における当時の日本=大日本帝国の崩壊、すなわち敗戦直前直後に発生した昭和陸海軍の最後の悪足掻きとも言える三大徹底抗戦の一つである「水戸教導航空通信師団事件(通称:上野公園占拠事件)」も付け加えておきたいと考えます。

これは、敗戦直前直後に発生した様々な大変動からすると、非常に地味な事件に過ぎませんが、その少し前に発生し、後に文藝春秋より書籍化(大宅壮一のノンフィクションとして知られているが執筆したのは半藤一利)され大ベストセラーとなり、三船敏郎をはじめとした当時の大スターたちをふんだんに使って映画化までされた『日本のいちばん長い日』で知られる『宮城事件』とも若干関係していることを念頭に置くならば、宮城事件の発生した皇居の位置から丑寅の方角にある上野公園近辺(より正確には現在の東京藝術大学の美術学部あたり)で蹶起した陸軍一部将校たちの行動と、宮城事件では、なぜ蹶起行動に参画したかが今一つ不思議であると一部で言われており、上野公園占拠事件では逆に蹶起将校たちの説得にあたった結果、血気に逸った若手将校に射殺されてしまった石原少佐(近衛第一師団参謀)の行動は、石原少佐ご本人が死に場所を求めていたという通説のみでなく、歴史の大きな濁流の中で「終わりを成すところで始めを成すところ」に招かれてしまったと考えるのは余りにも飛躍し過ぎでしょうか。

ちなみに『宮城事件』そのものにつきましては、昨年夏に発売された一冊の書籍が語られている内容ならびにそれに呼応した多くのレビューと、先の『日本のいちばん長い日』(こちらは「半藤本」とも呼ばれる)との対比の中で、特に一次情報や一次資料にあたることの重要性や、そこから考察を重ねていくことに関して、いろいろ指摘すべき点が多いと考えており、それは「教養」というキーワードから「歴史に対する冷徹なる観察を通して普遍性を学び洞察力を身に付ける」ことが根底に存在していると考えておりますので、いずれ時間に余裕が持てたとき、簡単にではございますが、改めて私なりの見解を述べさせて頂きたいと思っております。

168田中治:2008/01/31(木) 12:08:30
尾崎さんのご投稿により、丑寅には「万物の終わりを成し、かつ始まりを成すところ」の意があることからそれを示唆する事件として通称「上野公園占拠事件」を挙げていただき、いまだ真実が明らかでない昭和史の一端にまで話を深化していただき誠にありがとうございます。

小生も知人や書籍を通じてこの事件について触れたことがあり、奇妙な感覚を覚えていたが、こうして「江戸城から見た上野」の視点で俯瞰すると実に興味深く、改めてこれら一連の事件の不思議さに気づかされた次第である。因みに東京から見て水戸は丑寅の方角に存在し、先の投稿で触れた横山大観は水戸の出身で父親は水戸藩士である。その長い人生の中で日本画壇に貢献した功績は素晴らしいものだと認識しているが、昭和に入ってから有名な冨士の絵を多数描き、皇室にも度々その絵を献上しており、偉大な画人が国粋主義的な流れの中に位置づけられてしまうことは今となっては誠に惜しいことではあるが、実際には戦中の諸々の活動に対し、戦後GHQより戦犯として取調べを受けた事実があるようだ。もっともこの事件が東京美術学校の敷地で起こったからといって、大観とこの事件を結びつけようなどとは考えておらず、焦土と化した当時の東京では文化的施設が多く残る上野界隈といえども他に立て篭もる場所はなかったのかもしれない。しかしあえて「東京美術学校」に焦点を合わせれば、明治から終戦まで、特に昭和初期から終戦にかけてこの美術学校が輩出した芸術家の中にはその芸術活動以外の行動にも興味深い人物が少なくないようであり、当時の東京美術学校またその向かい側の東京音楽学校で学ぶ者たちの中には当時の社会の上層部の子女子弟が数多くいたし、一般には知られていない歴史上重要な人間関係の繋がりも想像に難くないと思う。
通称「上野公園占拠事件」もそして繋がりがあるとされる「宮城事件」も、明らかにされていないのは、真の首謀者は誰かということであり、昭和史は戦後60年も経つというのに未だ謎が多すぎる。

明治初期に行われた「神仏稀釈」も、単に国家神道から敗戦に至るまでの精神史として片付けるにはあまりにも大きな問題を含んでいるように見え、特にこの仏教受難の時代における真宗や日蓮宗の動きには、まだまだ知られざる側面があるようである。
図らずも先の投稿で触れた大観の家にある藤原時代の不動明王を思い出し、「神仏習合」により醸成された平安時代のスケールの大きさに再び思いを馳せ、日本が再び場としても内容としてもダイナミックな第2の平安京を築けるのかは、平和憲法を持つ現代の我々がユーラシア大陸との長く深い歴史を見直しもう一度日本列島の歴史を評価しなおすことがポイントのひとつになるように思う。2月3日は節分だが「福は内、鬼は外」で鬼にされたのは誰だったのか、福とされたのは誰だったのかについても、あのお面の顔を思い出しながら、日本における支配階級と被支配階級の歴史、強いてはより高い次元であるユーラシア大陸を主にアジアにおけるそれをも包括的に捉えなおしていくのも未来へ進化するには必要なイニシエーションかもしれないと思う。

169田中治:2008/01/31(木) 12:27:34
訂正:神仏稀釈→廃仏稀釈

170尾崎清之輔:2008/02/01(金) 01:19:19
田中さんが敗戦直後の「上野公園占拠事件」に関連して、丑寅の方角という観点から水戸へと話を繋いで頂き、しかも横山大観が水戸出身で父親が水戸藩士であることに触れて頂いたおかげで、江戸と水戸との重要な関係を思い出しました。

徳川御三家といえば、尾張、紀州、水戸、とくるのが一般的ですが、徳川宗家(江戸)、尾張家、紀州家、が本来の御三家で、水戸家は欧州における選帝侯の役割にあたり、そのために学問の裏付けがある見識を保持する必要性から「水戸学」が生まれたことにつきましては、『宇宙巡礼』(東明社)を一読された方々でしたらご存知の通りです。

この辺りにつきましては、『宇宙巡礼』での対談以外にも、過去スレッドに若干ですが言及されておりますので、ご参考までに以下にURLをご紹介させて頂きます。

◆回天−月にふたつあり
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/mb/board/kaiten.htm

そして、「上野公園占拠事件」を起こした「水戸教導航空通信師団」は、「陸軍航空通信学校」が前身であり、昭和20年5月に本土決戦に備えて改編され、陸軍航空本部隷下の師団となりましたが、通信学校時代には現在の水戸市住吉町近辺にその場所がございましたものの、連日の空襲により、師団改編後に偕楽園脇の山林へ総移転を行うことになりましたが、この移転場所が、元は水戸藩の二代目藩主「徳川光圀」の別荘地であったことを考えますと、ここにも光圀公の薬だか猛毒だかが効きすぎたのか分かりませんが、300年近くもの時を経ているにもかかわらず、何という歴史の因縁でしょうか、顕密の「密」の部分への理解も含めた深遠なる世界について感じざるを得ませんでした。

また、東京藝術大学の前身である「東京美術学校」と「東京音楽学校」につきましても触れられておりましたが、確かにこの美術学校が輩出した芸術家の中には、芸術活動以外の特殊な活動に携わっていた方々もそれなりにいたようで、その中の一人が田中さんの先の投稿の中に含まれていることは、落合莞爾さんが連載中の「吉薗周蔵日記」を読まれてこられた方々でしたら即座に分かることと思います。

ちなみに、こういった辺りの昭和史を穿り出してしまうと余りにも波及が大きくなってしまうからでしょうか、正面切って対峙している書籍や論文には殆ど出会えませんが、明治初期の「廃仏稀釈」から「国家神道」に至る仏教受難時代の歴史の流れにおいても、上つ方の一部が陰に日向に仏教へ関わっていた事実からも、日本からアジア、更にはユーラシア大陸へと続く、長くて広い歴史観から捉えなおしたくなるほど、知られざる側面が多々あることは確かだと思います。

171尾崎清之輔:2008/02/01(金) 02:29:50
ところで話は全く変わりますが、ご存知の通り、ここ最近の私が深夜の遅い時間帯にも(…時には未明にも渡って)投稿を行っているということは、そもそもこのスレッドを立ち上げようとした頃から若干前兆は現れておりましたものの、No.152でも申し上げた通り、お片付と整理整頓を通じてやってきた大きな変動や大きな物事の発生ということを意味しており(…これは一般的には物理的時間的に相当の制約を与えかねない大仕事が同時期に幾つもやってきたと捉えて頂いたら分かりやすいのではないかと思います…)、これらは自らにとって必ずしも(…というより必ずと言って良いほど)即時的な満足を得られるものでは決して無く、寧ろ大きく聳え立つ山を登りきることや、大きな濁流に飲み込まれないよう、ビッグ・ウェーブのような波を乗り切っていくことを試されているようで、下手をすると嘗てのガダルカナルやインパール、またサイパンや沖縄などといった戦時中の悲惨な状況に巻き込まれないとも限らないため、今後これらをこなしていくための一環として、まずは交通整理を行い(つまり別の意味での整理整頓をして)、優先度付けを行い、しかも藤原博士が過去の書籍群で提唱されたエネルギー史観から私なりに感じ取られた重要な意味をベースにして、中には状況に応じてソフトランディングさせるか、それともハードランディングさせるかといったことも含めた覚悟が必要であると認識しつつ、まだほんの少しずつではございますが、実際の行動へ繋ぎ続け始めているところです。

もっとも、歴史の深層海流に横たわる普遍性について若干なりに学んできた身としては、まずは(過信ではない)自らを信ずるという基本中の基本からはじまり、藤原博士や珪水さん、またこの場を通して対話をさせて頂いた多くの賢者の方や、このスレッドを立ち上げるに至り継続していく中である種の暗黙知的な影響を与えて下さった方のおかげで、私なりに培われつつある「精神における背骨」としての思想をもとに日々を大切に過ごしていくため、更なる修養を重ねつつ飛躍へと向かうつもりでおりますので、今後ともご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。

172尾崎清之輔:2008/02/03(日) 00:30:10
大きな変動や大きな物事の発生を切っ掛けにして、より高位の次元へ上がっていくために、清水博博士の「即興劇モデル」をベースに少し深めていきたいと思います。

先述の通り、「自らを信ずること」をもとに蘇生の遺伝子をスイッチONさせるには、自己が持つ旧さの徹底的な否定を経て、その根底から自己を一新させるという、自らの創造的破壊が肝要であると考えており、すなわちこれは、自己のみならず、自己が活躍する「場」がより広がりを持つ系として変化を遂げていくことにも繋がり、更にはその「場」を通じて直接的にまた間接的に影響を与えていく、より大きな枠組みとしての「場」である「社会」へ連鎖を起こしていくことにより、旧い秩序構造を内側から徹底的に壊して新しい秩序構造への置き換えに至ると思います。

これに関連して、清水さんの著書『場の思想』から印象に残った文章を以下にご紹介させて頂きます。


◆人間は逆境に置かれることによって精神を自己変革し、厳しい環境にも精神的に耐えて生きることができる人間に成長していく。もしも逆境を避けていたら、自己の精神的成長はない。大切なことは生き続けていける形をとることであり、それ以上でもまたそれ以下でもないのである。

◆私は弱い人間である。私の中には自分自身を変えようとしない自分がいて、それが自己変革に抵抗して、さまざまな言い訳を思いついて勇気を奪おうとする。私が否定しなければならないのは、このように変化に抵抗をする自分なのである。そこでこのように方針を決めておけば、悩むことも少ない。

173尾崎清之輔:2008/02/03(日) 00:48:21
(No.172に続きます)

自己の創造的破壊と高位の次元に向けたステップアップを通じて、自己のみならず、自己が直接的間接的に関わる様々な「場」が広がりを持つ系へ変革していくよう影響を与えていくことにより、自らの楽しみや喜びが、「社会」という「場」の楽しみや喜びへと繋がり、これが21世紀の理念創りの基礎となり、そこから理想を生かせる社会へと至り、また自らに何倍もの楽しみや喜びとして返ってくる循環的作用について、清水さんは以下の通り述べております。


◆私は社会を大きな劇場と見て、その動態を舞台で演じられる即興劇とみなす「社会の即興劇モデル」を考えてきた。社会という劇場の舞台の上で即興的な演技をする役者として人々は互いに関係し合いながら、それぞれの心の状態を表現していくことが人間の社会的活動であると考える。このモデルの特徴は、人間の集まりにおける人々の内面(身体化された心)の働きを重視して、その心の状態が外へ表現されて、社会的現象を引き起こし、その現象が再び人間の内面に影響を与えて次の現象を生み出す循環的変化が社会の動態の本質であると考えるところにある。一口に云えば、社会の動態とは、人間の心の状態と社会的現象の間を循環しながら生まれる即興的なドラマであると考えるのである。人々の社会的活動は、さまざまな社会的拘束の下で、それぞれの主体的な判断にしたがっておこなわれるシナリオのない即興劇的演技であり、その演技は身心の主体的な自己表現であるとしている。

◆この即興劇モデルの対極にある社会モデルが機械論的社会モデルである。これは、学習したプログラムを内側にもち、人間を指示情報と環境情報にしたがって自動的に動く一種の「知能機械」と見て、社会をその集まりによって構成されるシステムと見なす機械論的(システム)モデルである。機械論的モデルでは人間の心に刻々と生まれる生成的変化を取り扱わないために、人間の個性を平均値の周りの揺らぎという形で取り扱うが、即興劇モデルでは、人間を相互に置き換えたり、平均値をとったりすることができない個性(個物性)をもつ存在として取り扱う。

174尾崎清之輔:2008/02/03(日) 01:36:28
(No.173の続きです)

この即興劇モデルにおいては、日々に起こる様々なドラマ(出来事)に対して、自らが主体的即興的に進行させていくことが重要であり、これが延いては社会の健康な状態に繋がることを意味しております。

また、主体的即興的に進行させていくにあたり、自らがより良い未来へ向かって通るべき道を自己決定することを、清水さんは「自己ナビゲーション」と呼んでおられますが、これを更に『社会的な即興劇の場合でも、舞台の上のさまざまな状況を勘案して、役者が即興的に自分の行動のシナリオを決めることが自己ナビゲーションである。』と、広義の意味として用いることで、自己ナビゲーションが上手く出来ない理由を以下の3種類に分類されております。

1.舞台の上に自分の現在の状態をうまく位置づけられない。
2.最初に設定した目標の位置が誤っている。
3.自分の位置と目標との位置との間の空間が複雑であるために、なかなか目標に近づけない。

このうち3については、清水先生や藤井先生も仰せの通り、焦らず、諦めず、時間をかけて知恵を働かせ、勝てると思ったときに全力を尽くし、そして「継続は力なり」ということを信じていくことで、いずれは必ず目標へ到達することができますので、即興劇が進行しない閉塞的な状況へ陥ってしまうといったことはございません。

このあたりにも、先に申し上げた藤井先生の仰っておられる『大局観』を持つという、ものごとを鳥瞰することの重要性があり、自らがこうありたいという明確なイメージ創り(目標)を行いつつも、現在の自分の位置、すなわち真実はイメージでなく実体そのものであるとことを客観的に冷徹に見詰めて手探りで進み、たとえ間違ったとしても失敗したとしても、そしたらそれらの失敗から学んだり、単に道を引き返したりすればいいくらいの大らかさや心の余裕を常に持ち続けていけば良いだけのことであると思います。

(この項、更に続く)

175尾崎清之輔:2008/02/03(日) 02:58:24
No.174から更に発展させて頂く前に、私事で恐縮ですが、若干述べさせて頂きたいと思います。

ここ数日で私の身の回りに起こっている大きな物事の発生や変動に対して、より良い方向へ運ぶことも出来れば、ミスリードしてしまうこともあるのが実状ですが、それらのミスに対しても、ここの掲示板で展開させて頂いている内容を瞬間的に思い出すことで、ミスした後も引きずること無く、逆にその失敗から学んだことでその後を思った通りの結論へ結び付かせることも少しずつ出来るようになってきております。

そんなとき、ほぼ同じ時期に似たような実状(=情報)について発信して頂いた方がいらっしゃったことから、このとても自然体に感じ取られた発信内容が私の琴線に触れ、私なりに思うところがございましたので、それら個々人の実状をもとにGeneralizeし、普遍的な概念の創出へ寄与していくことが出来るよう努めていくことで、個々人が素敵な人生を送ることが出来るよう、またそういった方がより良い「場」の形成に繋げられることや、そこから新たな楽しみが生まれる循環的作用にまで至ることが出来るよう、所見を述べさせて頂きたいと思ったことから、先述の「即興劇モデル」をベースに考察を続けていきたいと思った次第です。

176尾崎清之輔:2008/02/03(日) 23:05:20
No.174において、清水さんは自己ナビゲーションが上手く出来ない理由を3種類に分類されておりますが、3につきましては、先述の通り閉塞的な状態に陥ることはございません。
従って、1と2が閉塞的状態の起きる原因ということになりますが、この辺りについて清水さんの著書より引用しながら若干敷衍させて頂きます。

まず、1につきましては、『空間(舞台)を全体的に摑むことができないために、自分で自分を空間にうまく位置づけることができない状態』、すなわち『自己言及ができない状態』であり、『この状態で動き回るために、ますます迷路の中に入り込む−ますます自己言及ができなくなる−という状態に陥っている』ことが閉塞的状態であると述べております。
尚、ここで『自己言及』という言葉が出てきますが、これは『自分自身が舞台のどこでいま何をしているかを自覚して、それを舞台へ表現する』ことを意味しております。

そして、これを敷衍する形で、社会モデルにおける自己展開という一般化した問題として捉えるために、以下のように分かりやすい説明を加えつつ、こうした状態へ陥ってしまうことに対して、根本から克服していくことについても述べております。

◆即興劇にこの自己言及の問題をもち込むと次のようになる。まず、一人の個人としての役者と即興劇という劇をしているときの舞台における役者とは異なっている。これは私たちがひとりでいるときと、企業なり、大学なり、グループなりの場にいるときとでは、振る舞い(自己のあり方)が異なっているということを云っているのである。舞台の上にいるときとは、自分の存在を即興劇の舞台の上に位置づけているときのことである。もしもこの位置づけができないときには、即興劇の舞台の上には存在していないことになるから、舞台から外れて故人になっていることを意味している。したがって舞台の上での迷子の状態は、個人としての役者が舞台から外れて迷子になっている自分自身−個人になっている役者−に「お前はいまどこで何をしているか」と訊ねることになるから、自己言及のパラドックスがおきてしまう。当然、筋の通った答えは出てこない。いまなすべきことが自分に見えないから、存在の喪失状態ということになる。

◆存在の回復にとって重要なことは、これまでの経緯にとらわれる自分から離れて、いま自分が存在している舞台ではそのようなドラマが演じられようとしているのかを落ち着いて摑むこと、そしてその舞台そのものを知ることである。これは一歩高い観点に自分自身を上げることに相当する。

ちなみに、私はここでも藤井先生が仰せの『大局観』を持つことの重要性について、感じざるを得ませんでした。

177尾崎清之輔:2008/02/04(月) 00:06:39
(No.176の続きです)

そして、2につきましても、1と同様に「自己言及のパラドックス」を生成していることになるのですが、1との違い(実はそこには非常に重要な違いというか問題の背景があるのですが)を説明させて頂けますと、これまでの社会においては、大枠としての道筋が明確になっていたことから、その上で自己の道筋、すなわち目標が立てやすかったのですが、今世紀に入ってから(より正確には20世紀末あたりから)は、社会全体が不健康な状態(ハッキリ云ってしまうと既に病膏肓へ至っている状態)のため、これまでの目標設定の仕方や方法では通用しないため、「未知の空間」へ出て行かねばなりません。

この辺りにつきましては、以前も申し上げたように、正慶孝さんが『ジャパン・レボリューション』(清流出版)において『テレオクラート』という『遠い将来を見通すことのできる専門家』の存在が必須になると喝破しており、これは、今後いろいろと起こり得る多くの試練や現実的な問題に対して、これら全ては自らが高位の次元に上がるための過程であるくらいの(リラックスした)気構えとほんの少しの勇気と実行が肝要であると考えております。

実際、いまの社会が置かれた現状を正しく分析すると、私が今更申し上げるまでもなく、超国家的な存在である様々な組織体や機関などによる国際経済における寡占体制の確立、すなわち世界経済の実質的な支配と、それに応ずるが如く、各々の国家においては、公共部門の「民営化」という名の「私営化」により、営利企業の領域を広げられてしまったことで、公共的な存在や社会的な存在を解体していく過程が顕著に現れてきており、これが『グローバリゼーション』の特徴ということになりますが、そのようにして形成されたグローバルな秩序体系において、国家の役割は今や殆ど無きに等しく、逆にそのグローバルな秩序の下請け機関に貶められてしまったことで、現代の民主的国家における憲法の主軸のひとつである、「個人の生存権利の保護」より、「グローバルな秩序体系の維持のための管理と統制」が主な役割を果たすことになってしまったため、個々人が自らの判断のもとに決めた目標であったとしても、どこかで必ず「たった一つ」の体系に吸収されてしまいかねない問題が存在しております。

…とは云っても、このグローバルな秩序体系が生み出す「大いなる閉塞的状況」も、所詮は「天地人」の人の次元で作り出しているのに過ぎませんので、同じく人の手で創造的破壊を起こすことで、より良き未来を創り上げていくことは十分可能ということになると思います。

178尾崎清之輔:2008/02/04(月) 00:39:23
さて、若干固い話題を続けてまいりましたので、ここでリラックスして頂くために、前にもご紹介した、この正月に二夜連続で放送されたクラシックをテーマにしたコメディタッチのドラマにおいて、主人公の一人が欧州の指揮者コンクールで一度は失敗し、その失敗から過去の同様の出来事を思い出し、そこから立ち直ってもう一度同じ曲で挑戦して見事指揮者コンクールの優勝をさらった曲である、R・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」から、今夜はフルトヴェングラー指揮による「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」をお楽しみ下さい。

◆Furtwangler conducts R.Strauss Till Eulenspiegel PartⅠ
http://www.youtube.com/watch?v=QdljBugBiN4

◆Furtwangler conducts R.Strauss Till Eulenspiegel PartⅡ
http://www.youtube.com/watch?v=p9dB0Hy0Gp0

179尾崎清之輔:2008/02/04(月) 23:34:52
昨日2月3日は節分でしたが、田中さんが先述の投稿で仰せのように、ここ千数百年以上に渡る日本(延いてはアジア圏やユーラシア大陸)の歴史において、支配階級と被支配階級の位置づけが、長い時間の中でどのように形作られ、また変遷してきたかに思いを馳せつつ、それが現代に至って顕密の世界における曼荼羅を描いていることは、知る人ぞ知る話であり、その一端は『平成幕末のダイアグノシス』(東明社)や、『朝日と読売の火ダルマ時代』(国際評論社)、また『夜明け前の朝日』(鹿砦社)などにも書かれており、暗示的には『KZP』や『JZP』でも触れられておりますが、このあたりをより深く見据えて包括的に捉え直していくにあたっては、やはり一度は喜田貞吉氏の書籍群を手にしてみる必要性を感じており、例の宮崎駿さんの作品群に対する深遠な世界への言及を行うにあたっても、前に野田さんからご紹介のあった書籍群以外に、同様のアプローチが必要であると思ったことから、このテーマに関しては当分の間かかってしまいそうです。

180尾崎清之輔:2008/02/04(月) 23:48:11
さて、昨日まで『場創り』に向けた重要なキーワードである「即興劇モデル」を中心に、少し論考を続けさせて頂きましたが、更にこの『場』を司る個々人という生命体と、それら生命体が自発的に働く(≒動く)ことで、お互いの間に共鳴場や共鳴力などが発生し、そこからより大きな広がりを持つ系としての『場』へと成長していくシナジー効果に着目する必要がございますが、これこそが非線形理論の基本を示していると考える意味では、何度か話題に出てきた奥義書『生命知としての場の論理』(清水博著:中公新書)はもちろんのこと、その原点とも云われる『生命を捉えなおす』(中公新書)の精読も必須であり、これらの書籍群に対する深い認識と洞察とを通じて、漸く100年後に残る名著である藤原博士と藤井博士の対談『間脳幻想』(東興書院)の世界へ入るキップを手にすることになると考えております。

これまで藤井先生の書籍から何度か引用させて頂いた理由のひとつは、まさしくそこにあり、このスレッド名に『教養』という用語を使っている以上、やはり「そこ」への道に至るまでの過程と歴史を十分考察すること抜きにして『教養』は語れないと思っており、他の奥義書にあたる書籍群を読みつつ、この『間脳幻想』を何度も読み返すことの必要性を感じているところです。

そういう意味で、珪水さんが『間脳幻想』を数年前の時点で既に80回以上も読まれていたことは誠に敬服しております。

また、先の投稿では久しぶりに『グローバリゼーション』の話題にも若干言及させて頂いたことから、私が何年も前からご紹介させて頂いている『ル・モンド・ディプロマティーク』のイグナシオ・ラモネ編集主幹の論説を思い出しましたので、まだまだ若輩者ではございますが、ミクロな生命体の世界とマクロな宇宙の世界を考察しながら、人の次元で発生している社会的事象に対しても論考を重ねつつ、例によって愚見ではございますが、私なりの観点から、皆様へ出来るだけ分かりやすく噛み砕いて書くことができるよう、頑張っていきたいと思います。

そのための一環として、まずは意味論への正しい理解が重要になると考えますので、『間脳幻想』の藤井先生のあとがきで触れられております、一般意味論の中興の祖であるサミュエル・ハヤカワ氏の『思考と行動における言語』(岩波書店)を精読し始めたところであると申し上げておきます。

◆間脳幻想(まえがき&目次&あとがき)
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/books/brain.html

181尾崎清之輔:2008/02/05(火) 00:14:58
ところで話は全く変わりますが、先日までのお片付けでスッキリした拙宅にガーベラを主としたフラワーアレンジメントを飾りました。

ご存知の方々もいらっしゃることと思いますが、ガーベラの花言葉は「希望」「常に前進」などがあり、拙宅の部屋にあるピンクのガーベラは「崇高美」という意味もございます。

ちなみに同じガーベラでも黄色は「究極美」だそうですが、「崇高美」の方が、これまで展開させて頂いている内容にも相応しいと思ったことから、こちらの言葉の方が私個人としては好みですね。

182尾崎清之輔:2008/02/06(水) 00:23:08
先に挙げたサミュエル・ハヤカワ氏の『思考と行動における言語』は、日曜から読み始めて3割程度のため、内容のご紹介や読後感などについては、まだ先にさせて頂きますが、今夜は『間脳幻想』の世界へ入るキップを得る手掛りの一つと考えております、『生命を捉えなおす』(中公新書)に関して、私の古い記憶を頼りに若干お話させて頂こうと思います。

清水博士は、「生きている状態」の「共通分母」を探す過程において、まずは遺伝子レベルからゲノム、そして細胞から各器官、そこから生命ないしは生物に至り、更には生物社会から生態系、といった各々の段階における要素には全く依存しない「グローバルな性質」があると仮定して、部分(個々の要素)の総和が全体(生命)になるとは限らないという意味から、生命という存在、つまり『生きている』ということの重要な性質をズバリと言い表しており、この生命という系こそ、『非線形』であると看破していたと思います。

…とここまで書いて、よく考えてみましたところ、藤原さんが前に『生命を捉えなおす』に関する書評を掲示板のどこかでご紹介して頂いたことがあり、それが松岡正剛さんの書評であったことを思い出し、「非線形」の部分が非常に分かりやすく書かれていると仰っておられましたので、ここでは松岡さんの書評から「非線形」に関するポイントのみご紹介させて頂くに留めて、詳細は松岡さんのサイトのURLを再掲させて頂きます。

◆非線形というのは、原因と結果のあいだに足し算が成り立たないような性質をいう。たとえば、aとbという原因がそれぞれ単独にはたらいたときにあらわれる結果をそれぞれAとBしたとき、原因a+bがA+Bという結果になるのが線形性で、A+B+XやCというまったく変わった結果になるのが非線形である。(…中略…)生命現象はこういう非線形的な性質を本来的にもっているのではないかということになる。

◆グローバルな状態をつくっている系には、いくつかの共通の性質がある。そのひとつは非線形ということだが、もうひとつは「相転移」をおこしているということである。その系では「相」が劇的に変わっていく。
 たとえば氷と水と水蒸気は成分は同じでも、まったく異なる「相」をつくっている。層状に流れていた雲がいつのまにかウロコ雲になっているのも、水道の蛇口を少しずつあけていくと、水が糸状から急にねじり状になり、さらに棒状になって、そのうえで突然にバッと開いていくのも、「相」が変わったせいだった。逆に、コーヒーにミルクを垂らしたばかりのときはまだミルクをスプーンで引き上げることは不可能ではないかもしれないが、これがいったん交ざってしまったらミルクは二度と引き上げられない。こうした「相」の変化はあるところを境にして不連続におこる。劇的でもある。それが相転移である。
 おそらく生命現象もこういう相転移をおこしているのではないか。

183尾崎清之輔:2008/02/06(水) 00:29:03
(No.182より続きます)

◆相転移をおこしている系には何がおこっているのかといえば、構成要素の変化では説明しきれない何かがそこに発現していると考えざるをえない。
このことを最初に考えたのは反磁性や超伝導体を研究したレフ・ダヴッイドヴィッチ・ランダウで、ランダウはその発生している何かを「秩序」とよんだ。たとえば磁石が強い磁力を発現するのは、構成要素が変わったからではなくて構成要素間の関係が変化したからである。原子磁石の並び方が変わったからなのである。ということは相転移では無秩序なものから秩序のある状態が形成されているということになる。そうならば、生命はまさしくこのような「秩序をつくっている系」なのではないか。


◆松岡正剛の千夜千冊『生命を捉えなおす』清水博
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1060.html

184尾崎清之輔:2008/02/06(水) 01:45:01
今夜は踊る識者として知られた、故カルロス・クライバーのベートーヴェン交響曲第七番の第一楽章から第四楽章までのライブ(アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団)をお楽しみ下さい。
このライブは1983年10月に行われた、クライバーにとって絶好調の頃の貴重な映像です。

尚、ご存知の通り、この曲は日本のクラシックブームの火付け役となった連続ドラマのテーマ曲でもあり、劇中でもコンサートシーンで何度か使われた曲ですが、そのあたりも対比しながら鑑賞しますと楽しみが一層増すことと思います。

◆Carlos Kleiber -Beethoven symphony No.7, Op.92 : mov.1(1)
http://www.youtube.com/watch?v=s1qAWcd4rr0

◆Carlos Kleiber -Beethoven symphony No.7, Op.92 : mov.1(2)
http://www.youtube.com/watch?v=MzHt-_i_FcE

◆Carlos Kleiber -Beethoven symphony No.7, Op.92 : mov.2
http://www.youtube.com/watch?v=bqtPVEuAbzM

◆Carlos Kleiber -Beethoven symphony No.7, Op.92 : mov.3
http://www.youtube.com/watch?v=OiEt9y_r-og

◆Carlos Kleiber -Beethoven symphony No.7, Op.92 : mov.4
http://www.youtube.com/watch?v=VLkZvsp62iU


ちなみに、愛妻家としても知られたクライバーは、ある時期(90年代以降)から妻との生活を優先し、指揮台に立つことは滅多になくなってしまったことから、文字通り「冷蔵庫が空にならないと」指揮をしないとまで言われておりましたが、あのダイナミックな指揮ぶりは、ある年齢を経てからは相当困難なことであったと個人的には考えており、仮に指揮台へ立つ機会があっても、ご本人にとって果たして満足いくものであったかどうか分かりませんが、いずれにしても、先述のプライベートにおけるクライバーの生活スタイルには、深く感銘を覚えており、敬愛の念も抱いております。

185尾崎清之輔:2008/02/06(水) 01:53:21
訂正:踊る識者→踊る指揮者

186野田隼人:2008/02/06(水) 19:33:47
尾崎さんの精力的な書き込み、頭が下がります。

ところで、尾崎さんは喜田貞吉の著書について言及されていましたが、私も喜田の書籍群にあたることについて賛成です。私も以前から喜田の論文に関心を寄せていました。ご存じと思いますが、幸い河出書房新社から三巻シリーズで喜田貞吉の復刊本が出るようで、既に発行された『先住民と差別』が漸く今日届いています。時間を見て目を通すつもりであり、今後出版が予定されている残りの二冊、『被差別部落とは何か 』と『賤民とは何か』も楽しみです。
http://www.kawade.co.jp/np/author/10945

なお、上記とは関係はないのですが、横田めぐみさんを拉致した犯人と兄弟のように付き合っていたという人物の本が出ました。テーマが横田めぐみさんを拉致した朝鮮人の話ですので、これも見方によっては喜田の著書と根底で繋がるものがありそうだな…と最初の数十ページを読み進めて感じています。
http://310inkyo.jugem.jp/?cid=5
『招魂の海 故北朝鮮工作員の「号泣の遺言」』(笹谷洋一著 PHP)

187尾崎清之輔:2008/02/07(木) 00:36:29
野田さん。私の具にも付かない雑文に対して、適切なフィードバック並びに参考情報を提供頂きまして、誠に有難うございます。

先に申し上げましたように、これらの世界と歴史に対して深い考察を重ねて洞察力を身に付け、包括的に捉え直していくにあたっては、相当の努力とそれなりの強い覚悟が必要になることは、いみじくも落合莞爾さんが「ワンワールド」というひと言で片付けてしまう最近の連載記事の傾向に対して、その前までの「まともだった」頃の、非常に冴えていた筆力に顕されているのではないかと考えております。

尚、正確にはこの辺りの現況についても、若干ではあるものの、私としては今後の期待を込めた異論を持っており、それは「薩摩」をキーワードとして、単に「ワンワールド」云々と呼ぶには相応しくなく適切でもない別ルートの存在形態(≒表面化していない歴史の流れ)にまで言及し、それが維新直前直後の薩摩と京都の関係(特に遷都した後)、延いては東京との関係性や満蒙の歴史にまで至るのであれば、また楽しみが一つ増えるものと考えておりますので、今後の落合さんに期待したいところです。

ところで、八切止夫氏の書籍群は私も幾つか読破しましたが、彼独特の種本の背景思想が垣間見られてしまうこと、小説風に描くことが主となっているため、それがあの独特の文体と折り重なって、一部の方々へしか伝え切れていないという現実があると思います。

また、鹿島昇氏の書籍群の多くはもとより、『結社と王権』(講談社学術文庫)や『被差別部落一千年史』(岩波文庫)など比較的手に入りやすい書籍もさっと一読しましたが、分かっていても書けないのかどうかは全く不明なものの、後者2冊については三角寛史観から脱却できていないと思われたのが残念であり、前者の書籍群においては、喜田貞吉氏の話題は幾つか出てくるものの、それ以上の深い部分にまでは余り考えが至っていないか、優先度を下げているようにも感じられ、そこは残された者たちの今後の課題かもしれません。

その過程では、日本の衆道史の名著と呼ばれている『本朝男色考・男色文献書志(合本)』(原書房)という観点から「役小角」にも触れねばならないとも考えており、その道はなかなか険しそうですね。

いずれにしても、この辺りを敷衍している書籍や論文の少なさには、日本(アジア圏もそうですが)における歴史の浅さというか、人類共通資産と考える(精神としての)思想体系が存在してこなかったという意味で、現在のテクノロジー万能主義(全て技術で解決できる可能性があるという原理主義)や市場万能(原理)主義、または賤民資本主義などにも繋がっており、現代社会の最重要課題の一つとして顕著に現れてきているとも考えます。

188尾崎清之輔:2008/02/09(土) 23:45:25
No.159の村山さんの提起を受けて、No.160で私の愚見を披露しましたが、今夜は更に敷衍させて頂きたいと思います。

まず、戦後から今日(こんにち)までを振り返りますと、高度経済成長時代や安定成長時代と呼ばれた時期を経て、バブル狂乱と後のバブル崩壊、そして冬の時代を迎えて現在に至っており、(今も大手とか多国籍と呼ばれる組織に属する人間は特にそうですが)その間、猛烈社員を良いことだと思ってがむしゃらに働き、『経済大国らしいもの』を作った結果として、日本の男性の殆どが「燃え尽き症候群」で反応力が無くなってしまったことについては、私も極めて同意であり、それは文字通りの「濡れ落ち葉」という意味だけではなく、創造力の欠如はもちろんのこと、想像力の欠陥も露呈していることに顕れており、その具体的な症状が、「ひとの話を聞かない」、「無反応」、「すぐキレる」などの病理的現象に繋がっていることは先述の通りですが、更には求心的で縮み思考的な発想の一つである「おたくテクニシャン」ぶりにも表されていると考えます。
これは、産業社会の発展形態において、労働集約型と技術集約型が未分化のまま進んできたと考えられる、日本の製造業の生み出した様々なオモチャ的な機器への憧憬にも明らかではないかと思われるからです。

そして、『経済大国らしいもの』とは、本来の経済大国を意味すると考える、後の歴史に耐えうるほど長期に渡るインフラの整備や、経済成長を遂げていく中で作り上げてきた多くの内部留保を次世代に向けて還元していくことでなかったことは、『不毛な成果』として現在の歴史が示している通りであり、これまでの成長の過程で「本来存在するはずの資産」が、実際には何処へ何に使われてきたか、今や政財官業界すべてひっくるめて不明となってしまったことは、余りにも大きな本質的問題であり失敗ではないかと考える次第です。

個別に誰某が何千万円とか何億円とか手にしたとか使ったとかいった話は、醜聞的な話題として、時折マスメディアの表面に出てくることはあっても、国家予算とか自治体予算、またそれに匹敵するような何兆円以上のお金が、マネーゲームの中で一瞬のうちに消え去ってしまったことについて、はっきりと言及している方々は、藤原さんとか落合(莞爾)さんのようなごく一部の方々を除いて皆無に等しいのが事実と考えます。
あれだけ市井の民が汗水流して稼いできたはずのお金や資産などは果たして一体どこへいってしまったのでしょうか。

この辺りは、藤原ブッククラスターの方々や、Ratioに熟知されている賢者の方々など、本質を見極められる直観力を持つ方々でしたらご存知のように、今一度、戦後から今日に至る歴史を総括し、正しく認識して日々の行動へ反映させていくことにより、次世代の負債として残さないよう努めていくことが、我々の最重要課題ではないかと考えます。

189尾崎清之輔:2008/02/11(月) 00:46:16
このスレッドを立ち上げて早3ヶ月強ほどが経ちましたが、その間、この場を通じた叡智と機知に富んだ書き込みや、陰ながらの応援を頂きまして、このたび、同名のブログを立ち上げることに致しましたので、ここにご連絡申し上げます。

◆教養(リベラルルアーツ)と場創り(共創)に向けて
http://blog.livedoor.jp/ratio8008/

相変わらず雑文や稚拙な論説が続くことになるとは思いますが、今後とも、ご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い致します。

尾崎清之輔 拝

190尾崎清之輔:2008/02/11(月) 20:50:49
先程、ブログ『教養(リベラルルアーツ)と場創り(共創)に向けて』の方へ書き込ませて頂きましたように、このスレッド並び掲示板と、ブログとの連携を図っていきたいと思います。

掲示板の持つ特性とブログの持つ特性(それぞれのメリット / デメリット)につきましては、「ブログと掲示板の連携」と題した記事としてまとめさせて頂きましたので、そちらをご確認下さい。

暫く試行錯誤しながら、ということになると思いますが、ブログと掲示板それぞれの持つ特性と利点を考慮しつつ、連携に向けた実験的な試みを幾つか行なっていきたいと思います。
現時点では以下のような案を持っておりますが、他にも良案がございましたら、ご提案を頂けますと誠に幸いです。

◆当該掲示板で既に投稿済みの私の記事については、空間的他所への啓蒙等を趣旨として、一部追加修正を施した上、ブログへ再掲する。

◆当該テーマに関する皆様からの主体的創造的な課題提起、または即興的な意見やコメントについては、主にこのスレッドや関連する他の掲示板を通して行い、必要に応じてブログの方へも展開し、他の優れたブログとの連携も視野に置いて発展させていく。更にその過程で掲示板へフィードバックループさせていく。

191尾崎清之輔:2008/02/16(土) 11:22:04
ブログをはじめて1週間ほどが経ち、日々更新しておりますが、その分、掲示板の書き込みの方が疎かになってしまい、誠に恐縮です。

さて、藤原博士が仰せのように、正慶孝さんも数少ない現代のルネサンス人のひとりであり、小生も正慶さんの素晴らしい思想には大変敬服しておりました。
現在、小生のブログで「正慶孝さんの偉大なる功績」と題した連載を行っておりますので、お暇なときにご一読頂けますと幸いです。

◆教養(リベラルルアーツ)と場創り(共創)に向けて
http://blog.livedoor.jp/ratio8008/

192尾崎清之輔:2008/03/31(月) 01:28:07
先程「 デリバティブバブル崩壊後の新世界秩序」スレッドでも申し上げましたように、堤未果さん著による『貧困大国アメリカ』(岩波新書)をもとに、拙ブログで『日本という「場」』として展開させて頂きました。
相変わらず雑文拙文レベルの内容ではございますが、様々なテーマに渡って日々記事を掲載しておりますので、お時間ございましたら、ご一読頂けますと誠に幸いです。

◆教養(リベラルルアーツ)と場創り(共創)に向けて
http://blog.livedoor.jp/ratio8008/

193首藤尚丈:2008/04/17(木) 23:21:18
いろいろとご心配をかけて申し訳なく思っています。私の名前が目に留まりましたので一言申し上げます。会社のことはさておき現在私は数学を用いて宇宙の構造に挑戦中ですーその結果我々の宇宙のそとに別の宇宙が取り巻いていることを発見しました。此の発見が重力の統一につながるもののようです。重力が次元に関係していてシュトーレンの数列を一般項にまとめあげればいいようです。ドキッとするような話ではありませんがディラックの物理の先の世界を開けます

194尾崎清之輔:2010/01/05(火) 00:24:52
小生が嘗てご紹介させて頂き、後に自身のブログを立ち上げる切っ掛けの一つとなったtoxandoriaさんのブログから、記事とコメントが引用された阿修羅の素晴らしいレポートを見つけたことは先に他のスレッドで述べた通りですが、このレポートの引用元であるtoxandoriaさんの記事と、ブログ主を凌駕していると感じられたコメント主の如意輪観音さんの鋭い指摘には正しく目から鱗が落ちる思いでした。

以前も申し上げましたように、toxandoriaさんは芸術の世界に造詣が深く、欧州の歴史や哲学にも精通しているブロガーであり、その文面から醸し出される心の余裕と高貴なる精神性は、“似非”ないし“やまいだれ”の知性を撒き散らす“文化人”とは異なり、冴えた論評を行なうことのできる方として敬服しておりますが、そうであるからこそ如意輪観音さんのような叡智に満ちたコメントが為されるのでしょう。

政治批判の能力を失ったメディアへの告別の発言
http://asyura2.com/09/senkyo73/msg/767.html

特に、toxandoriaさんが指摘された、アメリカ発グローバリズムの枝葉の一つである「小泉=竹中劇場」あたりから始まる“暴政”の本性であるグローバル市場原理主義を、“限界効用カルト”、即ち、“限界効用関数の微分係数へのカルト的信仰”、と喝破したあたりは流石であり、これぞまさしく前世紀までを司り、今世紀に入って益々その行状が荒々しくなってきた賤民資本主義の成れの果てではないかと思う次第です。

さて、私事で誠に恐縮ですが、思えば昨年の小生は湯武放伐にほんの僅かながら関わったものの(…爪先以下ですが…)、決して寄与したと言えるレベルにはなく、とある事情もあってBusinessの世界に軸足を置かざるを得ない状況にありましたが、気が付けばいつの間にか文字通りの「Business Person⇒忙しい人⇒心亡びた人」になっていたことを、身をもって体験したと申し上げておきましょう。

昨年後半から、“教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて”少しずつリハビリ(笑)を行ない、暮れ頃になって、Businessの世界にのみ軸足を置いている階層から、教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けたScholē(スコレー)な階層へ、未だ片足の先だけですが置くことができるようになってきたことで、漸く“まともな世界”へ戻れる兆しが見えてきたと思います。

時折また愚見を述べさせて頂くことになるかと思いますが、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

195尾崎清之輔:2010/03/24(水) 00:59:13
暫く前、ある方のブログのコメント欄で愚見を述べさせて頂き、また別の方々へは口頭でお話した内容に対して幾つかフィードバックを頂き、中には非常に興味深いコメントもあったことから、折角なのでこちらの掲示板でも僅かな手直しを施した上で再掲させて頂きたいと思います。

なお、このテーマは当初『Once upon an Olympian time』のスレッドでその触りを述べさせて頂いたことから、そちらで続きを行なおうかと思いましたものの、こちらは別の観点から話題提起させて頂いたことから、嘗て小生が立ち上げたスレッドを久々に活性させる意図(笑)も込めて、『教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて』の方で行なわせて頂くことを予めご了承下さい。

それでは早速本題に移らせて頂きますが、小生のブログのリンク先の一つである“マヨの本音”にて過日愚見を述べさせて頂きましたように、前回2006年冬季五輪の開催地トリノでの開会式では、イタリアはトスカーナ出身の作曲家プッチーニのオペラ『トゥーランドット』から「誰も寝てはならぬ」を、今は亡きパヴァロッティが高らかに歌い上げ(実際は口パクでしたが…)、フィギュアでは同曲を使った選手が金メダルを獲得するに至りましたが、ご存知の通りオペラ『トゥーランドット』の舞台は北京であることから2年後の北京五輪を推測させることは容易であり、そのAnalogyからすると、今回2010年バンクーバー冬季五輪のフィギュアの曲目を知った時点で2年後のロンドン五輪を推測させる選手の勝ちが見えてしまいましたが(笑)、加えてバンクーバーは(英国が国家元首でその代理である総督を置いている)カナダの一都市であることを考えると、余計そう思わざるを得なかったと申し上げておきましょう。

従って、小生が銀に泣いた選手の曲目を選べる立場、つまりブレーンなりコーチ陣の一人であったとしたら、迷うことなくプロコフィエフのバレエ音楽「ロミオとジュリエット」をフリーの曲目に薦めたことでしょう。

バレエ音楽としての「ロミオとジュリエット」はプロコフィエフの作品ですが、元はシェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」であること、英国にとってシェイクスピアとジェームスボンドとでは比較にならないレベルであることは、欧州のBlue Bloodや教養人でなくとも当たり前の話ということになるからです。

また、プロコフィエフはロシアの誇る作曲家の一人であり、彼の出生地が4年後の冬季五輪の開催地ソチから北北西に350〜400キロほどの位置にあることを考えると更にイマジネーションが掻き立てられるでしょうし、金メダリストとなった選手のフリー曲である、ガーシュインの「ピアノ協奏曲へ長調」をプロコフィエフが批判的に捉えていた(但しこの件については異なる2つの説があるためどちらが真実かは調査検討要)ことも考えると、もし銀メダリストが「ロミオとジュリエット」をフリー曲に使ったならば、別の意味での真のライバル対決が可能になったのではないかと思った次第です。

196尾崎清之輔:2010/03/24(水) 01:11:28
(前項に続きます)

この辺りを敷衍させて頂きますと、曲の選び方、より正確には、『曲の持つ歴史や世界観また哲学などといった背景を含めた選び方に対して、それらを熟知している方々によって勝敗が左右』されることに本筋があるのではないかと小生は考えておりますが、無論オリンピックという場における競技の一種であることから、そもそもお話にならない技術やレベルでは誰もまともに評価することは出来ないものの、いみじくも藤原肇さんが『オリンピアン幻想』(東明社)その他の自著において、オリンピックとは貴族達の4年ごとのサロンと看破されていたように、また、小生が親交を暖めている、嘗てまたは現在欧州に長く居住してそれなりの階層とお付き合いのある何人かの方々も同様のことを仰っておられましたように、中世の教会を中心とした宗教音楽の時代から、ルネサンス期を経て、バロック、古典派、ロマン派、新古典派、そして近代音楽といった西洋(クラシック)音楽の長い歴史の流れの中で、これら音楽の主な庇護者とは一体どういう階層の方々であったかを考えれば、自ずと答えは導き出されるものと思います。

また、勿論その間の音楽家の立場や地位の変遷についても見逃せないと考えます。

それらを踏まえた上でオリンピックの意味論を考えるならば、藤原肇さんの『Mountain of Dreams』やそれに先立つ『オリンピアン幻想』を読まれた方々でしたら、選手達の位置付けが一体どこにあるかは賢明な諸兄であればピンと閃くことでしょうし、競技や演技に伴う曲目の選択が意味することとは、先に述べた階層の方々に対するメッセージ(及びそういうメッセージを発せられる日本人が存在するという意味)として捉えれば、欧州(特に英国とその実質的な影響下にある地域)のBlue Bloodや教養人(と自負する者達をも含めて…)らが、まさかシェイクスピアのことを(ジェームスボンドより下と)冒涜するわけにはいかないでしょうから(笑)、もっと面白い展開になったでしょうし、仮にパリア・キャピタリズムの力学による働きが重きを置かれることになったとしても、例えば僅か0.1ポイント差の銀ということであれば、「ボン・サンス」が働いたかなと推察できたことでしょう(笑)。

また、小生が銀メダリストに対してプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」をフリーの曲目に薦めたであろうことは先に述べた通りですが、そこには二重の意味が込められており、ラフマニノフの「鐘」を演じるには年齢的にも経験的にも未だ少々早いのではと思われた銀メダリストが、「ロミオとジュリエット」で演じる、親同士の争いや確執などの犠牲になった少女の、美しくも哀しい“ひたむきな恋”を演じることは、彼女の年齢や見た目などからより相応しかったのではないかと考えていたことから、この戯曲の悲劇性というAnalogyから、先述と同様、パリア・キャピタリズムの力学に対する僅か「0.1」ポイント差の“銀”という意味でのアンチテーゼになったのではないかと思った次第です。

なお、最後に蛇足となりますが『抗菌は銀なり』という一文でこの場を締め括らせて頂きます。
(“菌”を同音異字の“金”と読み替えて下さい)

197尾崎清之輔:2010/03/24(水) 01:36:42
前項196.で述べた文章の一部にごく僅かですが追記させて頂きます。

>この戯曲の悲劇性というAnalogyから、先述と同様、パリア・キャピタリズムの力学に対する僅か「0.1」ポイント差の“銀”という意味でのアンチテーゼになったのではないかと思った次第です。

上記の“この戯曲の悲劇性というAnalogyから、”の前に、“それでも銀に泣いた結果になったとしても、”という一文を加えさせて頂くことで、

◆それでも銀に泣いた結果になったとしても、この戯曲の悲劇性というAnalogyから、先述と同様、パリア・キャピタリズムの力学に対する僅か「0.1」ポイント差の“銀”という意味でのアンチテーゼになったのではないかと思った次第です。

とさせて頂きます。


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