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教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて
165
:
尾崎清之輔
:2008/01/30(水) 02:56:55
上野という不思議な空間への散歩を通して、公共という「場」における静けさと落ち着きを取り戻すことの重要性を述べられた田中さんの趣旨に対して、やや脱線気味となってしまった私の投稿内容から、更に話を発展させて頂きまして、誠に有難うございます。
おかげさまで、ジョサイア・コンドルの銅像が世界で200番目として評価された“最高学府“の構内に現存していたことを初めて知りました。ここに重ねて御礼申し上げます。
確かにコンドルは明治時代のお雇い外国人として来日した当初は、工部大学校(後の工学部)の教師として迎え入れられたのですから、そういうことになりますね。
また、寛永寺の話から少し続けさせて頂けますと、江戸城から見て同じ丑寅の方角には、寛永寺より数百年以上も昔から存在している浅草寺があり、天海僧正と徳川家をキーワードに、寛永寺と浅草寺の関係とか歴史的な位置付けを捉え直して考察すると、先の投稿でも若干触りの部分のみ挙げさせて頂いた「聖俗の世界」の存在をはじめとして、なかなか興味深い発見や、表面の歴史には決して出てこないような繋がりがあることはよく知られており、その極々一部については「カムイ伝」(特に二部以降)の世界でも展開されているようです。
更に、後の寛永寺の貫主が輪王寺宮(皇子ないし天皇の猶子といった直宮が歴代務めた)であったことから、その後の歴史と関係性までをも辿っていくと、またまた深遠な歴史の時間になってしまいますが、この辺りにつきましては、紙面の都合と物理的な時間の制約から、今後よく熟考した上で、いずれ項を改める形で展開できたら幸いと思っている次第です。ちなみに「宮崎駿さんの作品群」に対する深遠な世界への言及もまだまだでした。
それにしても、徒然草の第82段の引用につきましては、日本文化の持つ独特な美学とでもいうのでしょうか、現時点の私には詳しく述べられるだけの素養を持つに至っておりませんが、作者の吉田兼好こと卜部兼好がその名の通り「卜部氏」の出自であることから、卜占(ぼくせん)を業としていたことは間違いなく、そのあたりに古代より続く秘伝の仕掛け云々が関係しているのではないでしょうか。
尚、余談ですが、この徒然草の一文から「足るを知る」という言葉を思い出し、更にこの一文とは直接的には全く関係ないものの、シューベルトの「未完成交響曲」の美しさも脳裏に浮かんだことで、あえて(意図的に)完成させなかった美しさとか、これから成長しようとしている未完の方々が持っている一種のポテンシャルの美しさにまで想いが広がり、そういったことが、いずれそう遠くないうちに、冒頭での私の発言を含めた「場創り」の具現化に向けて、お互いが何らかの形で寄与していけるだけの土台を創り上げていきたいと思っております。
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