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教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて
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:
田中治
:2008/01/08(火) 09:56:38
藤原博士がJZPの中で述べられているように、「真善美」という言葉とともにリベラルアーツは古代ギリシャの都市国家において非奴隷つまり「自由人」が正しく世の中を見極め、正しく考えを進め、人間社会の秩序づけに貢献するための「根幹」であっただろう。それは自由七科の最上段に「哲学」が置かれている事からも明らかだ。尾崎さんが仰せの通り、時間を支配するのが「自由人」であるとすれば、英語でいうところの「ハイカルチャー」は、(西洋においては古典文学・詩・諸学問・クラシック音楽・美術など、また日本においては古典文学・和歌・茶道・華道・能・日本画・仏教美術など)時間を支配できる者のみが享受できる文化であり、その対極には大衆文化としての「マスカルチャー」があり、(諸芸能・マンガなど)それらはあまり時間を必要としない即興的・即物的な文化であると言えると思う。もちろんここで言う「自由人」とは、現代において社会的階層や職業的な差別を基にして指すのではない。ここに「教養」の意味が存在するのであり、本来は大学における「教養課程」の意味でもあるわけだが、日本においては大学で「教養課程」を受講する時間そのものが、それまでの熾烈な受験戦争から解放され「緊張から弛緩へ移行する時間」「骨休めの時間」として存在するので本末転倒であるし、その「教養課程」自体も未だ西洋の二番煎じのようなものだから、期待はできない。建築同様、万全の基礎作りのないところに強固な構築は不可能なのであるし、今一度、現代人にとっての、また日本人にとっての真の「教養」を捉えなおす必要があると思っており、それを「精神における背骨」として世界の中の日本を意識し、個人レベルで「自由人」を志向し切磋琢磨するより他ないと考える。昨年末、福田首相は中国訪問の最終日に孔子廟を訪れたというニュースに触れたが、それが例えパフォーマンスであったとしても、靖国問題などで世界の人々を不愉快にさせるよりは、はるかにましだと思っており、その意味は多義的ではあっても、世界と未来に向けたメッセージになる点では個人的に評価したいと思った。
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