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教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて

176尾崎清之輔:2008/02/03(日) 23:05:20
No.174において、清水さんは自己ナビゲーションが上手く出来ない理由を3種類に分類されておりますが、3につきましては、先述の通り閉塞的な状態に陥ることはございません。
従って、1と2が閉塞的状態の起きる原因ということになりますが、この辺りについて清水さんの著書より引用しながら若干敷衍させて頂きます。

まず、1につきましては、『空間(舞台)を全体的に摑むことができないために、自分で自分を空間にうまく位置づけることができない状態』、すなわち『自己言及ができない状態』であり、『この状態で動き回るために、ますます迷路の中に入り込む−ますます自己言及ができなくなる−という状態に陥っている』ことが閉塞的状態であると述べております。
尚、ここで『自己言及』という言葉が出てきますが、これは『自分自身が舞台のどこでいま何をしているかを自覚して、それを舞台へ表現する』ことを意味しております。

そして、これを敷衍する形で、社会モデルにおける自己展開という一般化した問題として捉えるために、以下のように分かりやすい説明を加えつつ、こうした状態へ陥ってしまうことに対して、根本から克服していくことについても述べております。

◆即興劇にこの自己言及の問題をもち込むと次のようになる。まず、一人の個人としての役者と即興劇という劇をしているときの舞台における役者とは異なっている。これは私たちがひとりでいるときと、企業なり、大学なり、グループなりの場にいるときとでは、振る舞い(自己のあり方)が異なっているということを云っているのである。舞台の上にいるときとは、自分の存在を即興劇の舞台の上に位置づけているときのことである。もしもこの位置づけができないときには、即興劇の舞台の上には存在していないことになるから、舞台から外れて故人になっていることを意味している。したがって舞台の上での迷子の状態は、個人としての役者が舞台から外れて迷子になっている自分自身−個人になっている役者−に「お前はいまどこで何をしているか」と訊ねることになるから、自己言及のパラドックスがおきてしまう。当然、筋の通った答えは出てこない。いまなすべきことが自分に見えないから、存在の喪失状態ということになる。

◆存在の回復にとって重要なことは、これまでの経緯にとらわれる自分から離れて、いま自分が存在している舞台ではそのようなドラマが演じられようとしているのかを落ち着いて摑むこと、そしてその舞台そのものを知ることである。これは一歩高い観点に自分自身を上げることに相当する。

ちなみに、私はここでも藤井先生が仰せの『大局観』を持つことの重要性について、感じざるを得ませんでした。


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