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教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて
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:
尾崎清之輔
:2007/12/01(土) 01:11:32
さて、先週末に観劇した「ばらの騎士」について、先日に続いて若干思ったところを追記させて頂きます。
「ばらの騎士」は、リヒャルト・シュトラウスがナチスに傾倒していたことを踏まえて、このオペラの登場人物である、男爵の異常なまでの「貴族としての血の純血に対する拘り」について、ある種の勘が働いたのですが、その背景にはナチスというかヒトラーがあると考えており、ヒトラーは純血なゲルマンではなかっただけに、余計そういうことへの拘りがあったのでしょうか。
まさしくどこかの国の知事あたりと同じく。。
それと当時のドイツが持っていた、(第一次世界大戦の敗戦によるショックとその後の経済的社会的な疲弊からきた)逆立ちした劣等感としての優越感との相乗により、悪しきシナジー効果へ至ったのではないかということから、その辺りに「ばらの騎士」という、モーツァルトの「フィガロの結婚」と比べて、喜劇でもなく悲劇でもない中途半端なオペラを生み出した遠因があったと考えます。
また、「ばらの騎士」は元師伯爵夫人の「ただそれだけのこと」という一語に尽きると思っておりますが、それが人生でもあり、人生とは儚く無常であるというテーマを持ちながら、この中途半端さ加減が、ある意味やんごとなき方々のどうでも良い恋愛話でしかない「もののあはれ」を書いた源氏物語に通じるのではないかとも思いました。
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