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教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて
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:
尾崎清之輔
:2007/12/23(日) 21:13:34
さて、ここで私は、この『創発』について、『丸山眞男 音楽の対話』(文春新書)の中で紹介されていた丸山博士の『追創造』を思い出さざるを得ませんでした。
◆「安定と不安定の中を動揺しているような、そうした種類の不安定」な美をもつシューマンや、丸山の遺稿のなかにはこれという記述が無いが、やはりそれに似た美しさを湛えるシューベルトを演奏し、曲に内在する真価を聴き手に伝えるには何が必要か…。それは作曲者が曲に託した想いへの共感と、それを楽想として把握し、音楽として聴き手に伝達しうる弾き手の、つまり演奏者サイドの構成力と表現力ということになるのであろう。あえて言えば、曲自身に内在する構成力の弱さを補う強靭な再構成能力=丸山の言葉を藉りれば、「追創造(ナッハシェップフェン)」能力が、演奏者に要求されるということになる。
上記で丸山博士が、『「安定と不安定の中を動揺しているような、そうした種類の不安定」な美』と述べたように、確かにシューマンは、オイゼビウスとフロレスタン(※注釈)という、相反する独特の二面性を持っており、この情感をどのようにバランスよくコントロールするかによって、その演奏の説得力が全く異なってくるという意味では、丸山博士の慧眼の素晴らしさを改めて認識した次第です。
また、この『追創造』については、『丸山眞男集第九巻』の「思想史の考え方について」においても、丸山先生ご自身が以下のように述べております。
◆演奏が芸術的であるためには、必然に自分の責任による創造という契機を含みます。しかしそれは自分で勝手に創造するのではない。作曲家の作曲が第一次的な創造であるとすれば、演奏家の仕事はいわば追創造であります。あとから創造する−ナッハシェップフェン(nachschÖpfen)なのです。これと同じように思想史家の仕事というのは思想の純粋なクリエーションではありません。いわば二重創造であります。
尚、これは「追創造」を行う「演奏者」に対して否定するものでも矮小化するものでも決してなく、寧ろ、「演奏者」に対する肯定=積極的な評価を行っているという意味では、No.58で紹介したポランニーの発言にも通じるものがあると考えております。
※注釈:オイゼビウスとフロレスタン
シューマンが音楽評論を行なう上で生み出した架空の人物像。シューマンの持つ相反的な二面性を表しているとも分身とも呼ばれている。オイゼビウスは「静」、つまり冷静で思索的でありつつも、夢想的な面や、内に秘めた情熱を持つ人物像で、フロレスタンは「動」、つまり明るく積極的に行動しつつも、激情的な表現を顕わにする面を持つ人物像。
(余談ですがNO.61及びNo.63で投稿ミスをしたため再掲させて頂きました)
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