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教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて

28田中治:2007/11/27(火) 13:27:57
地域としてみれば南ドイツに位置するバイエルン地方は歴史的に古くからハプスブルグ家の勢力範囲でウィーンからも程近い距離にある。同じドイツでも北のプロイセンやライン地方のドイツ人とはそれぞれ違った歴史と気質を持っている。第3帝国下ではナチスの音楽局総裁を務めたリヒャルト・シュトラウスはミュンヘンの出身であり、若きカラヤンはナチス党員になった上でオペラ指揮者として活動していたが、彼はザルツブルグの人であった。音楽史上、シュトラウスはワーグナーの継承者だが、そのワーグナーに傾倒して最後は非業の死を遂げたのはバイエルンの王ルートヴィヒ2世であった。ワーグナーが音楽界に現れた時、ドビュッシーもヴェルディも影響を受けたが、ドイツの音楽界で決別したのはブラームスだった。見方によっては、ワーグナーとブラームスという二人の作曲家の歩んだ道・その作品から、その後のドイツ・オーストリアの運命がすでに予感として感じられるようにも思う。「ばらの騎士」をはじめとするシュトラウスのオペラ作品も、オーストリア人であるフーゴー・フォン・ホーフマンスタールなくしてありえなかった。ホーフマンスタールは現在のチェコの人であり、つまりハプスブルク帝国領内の出身であるがユダヤ人である。彼ら合作のオペラの数々もウィーンを知ることで、強いては多民族国家ハプスブルグの歴史を知ることでまた違った味わいになるのではないかと思った。オーストリア人であるヒトラーは、若い頃ウィーンで挫折しているが、その昔ハイドンがハプスブルグ皇帝に献呈した曲に歌詞をつけて第3帝国の国歌とし、ウィーンの王宮のバルコニーで披露したという。この曲は戦後、歌詞を変えてなおドイツ国歌として歌い継がれているわけだが、ヘルムート・プレスナー著「ドイツロマン主義とナチズム(遅れてきた国民)」を再読しながら、ワイマール共和国末期の政治状況と喩えられる日本の現状、藤原博士著の「JZP」の意味するところと合わせて歴史からの教訓を探ろうとしているところである。
ちなみにこのテレビ番組によれば、ハプスブルグ家の現当主は現在EUのコミッティーにも参加しているようだ。長い歴史の中で培われた審美眼と膨大な教訓を持つ血脈がいまだ欧州におけるソフトなリーダーとして機能していることがうかがわれ、欧州の凄さを感じてしまった次第である。


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