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教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて
114
:
田中治
:2008/01/05(土) 14:02:50
ベートーヴェンの第9の話題から、シラーによる「歓喜の歌」の原詩Urtextの全文とその成立の背景について、鈴木さんに深く掘り下げた投稿を続けていただいた。これらの内容は、小生が本スレッドにて27・28また33・34・35番で触れさせていただいたあたりの歴史背景とも絡んでいくことと思い、それにしても保守反動勢力の牙城としてのオーストリアからバイエルンまでの地域(Region)で、鈴木さんが投稿で紹介されたバイエルン州の都市インゴルシュタットを中心に18世紀末に保守反動の急先鋒に対するもうひとつの急先鋒が理性という名の衣を身につけ登場してきた事実には、喩えそれが長い歴史の中では亜流の筋であるにしても、その影響は別の大陸においてactualであるように思えるし、またこの辺り一帯の地域(Region)からはこの事象以外にも特に近代以降ラディカルな事象や人が生み出されている点で、この地域の持っている特性についてはもっと深く掘り下げる必要性を感じている。なお本筋である啓蒙思想については、鈴木さんが別のスレッドを立ち上げられたようなのでそちらで議論を期待したいと思う。
何はともあれ、メッテルニッヒの旧体制下、ビーダーマイヤーBiedermeier様式とされる小市民的な市民社会の中で、ベートーヴェンはそれまでの西洋音楽の蓄積の産物である交響曲Symphonyに、人間の声による合唱(それはかつてマキシミリアン1世がフランドルからウィーンに持ち帰った多声音楽ポリフォニーPolyphonyを源とする)と、その集団としての人間の声をより特化させた4人のソリストたちの声とに、シラーによるテキストを与えて一体化したこの壮大な曲を当時の旧体制然とした雰囲気のウィーンで作曲したことの意味はあまりにも大きく迫ってくる。どう考えてもこの曲は西洋音楽におけるひとつの頂点であろう。
話は少し変わるが、小生は昨年より「丸山真男 音楽の対話」(中野雄著)に続いて、故小泉文夫氏による「対談集 音のなかの文化」を精読中であるが、音楽を軸としながらも世界の民族文化歴史全般に渡る幅広く奥深い内容からは多くを学ぶことができ、本スレッドでの活発な議論と共にあらためて「対談」「対話」の素晴らしさを身にしみて感じているところだ。
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