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教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて

187尾崎清之輔:2008/02/07(木) 00:36:29
野田さん。私の具にも付かない雑文に対して、適切なフィードバック並びに参考情報を提供頂きまして、誠に有難うございます。

先に申し上げましたように、これらの世界と歴史に対して深い考察を重ねて洞察力を身に付け、包括的に捉え直していくにあたっては、相当の努力とそれなりの強い覚悟が必要になることは、いみじくも落合莞爾さんが「ワンワールド」というひと言で片付けてしまう最近の連載記事の傾向に対して、その前までの「まともだった」頃の、非常に冴えていた筆力に顕されているのではないかと考えております。

尚、正確にはこの辺りの現況についても、若干ではあるものの、私としては今後の期待を込めた異論を持っており、それは「薩摩」をキーワードとして、単に「ワンワールド」云々と呼ぶには相応しくなく適切でもない別ルートの存在形態(≒表面化していない歴史の流れ)にまで言及し、それが維新直前直後の薩摩と京都の関係(特に遷都した後)、延いては東京との関係性や満蒙の歴史にまで至るのであれば、また楽しみが一つ増えるものと考えておりますので、今後の落合さんに期待したいところです。

ところで、八切止夫氏の書籍群は私も幾つか読破しましたが、彼独特の種本の背景思想が垣間見られてしまうこと、小説風に描くことが主となっているため、それがあの独特の文体と折り重なって、一部の方々へしか伝え切れていないという現実があると思います。

また、鹿島昇氏の書籍群の多くはもとより、『結社と王権』(講談社学術文庫)や『被差別部落一千年史』(岩波文庫)など比較的手に入りやすい書籍もさっと一読しましたが、分かっていても書けないのかどうかは全く不明なものの、後者2冊については三角寛史観から脱却できていないと思われたのが残念であり、前者の書籍群においては、喜田貞吉氏の話題は幾つか出てくるものの、それ以上の深い部分にまでは余り考えが至っていないか、優先度を下げているようにも感じられ、そこは残された者たちの今後の課題かもしれません。

その過程では、日本の衆道史の名著と呼ばれている『本朝男色考・男色文献書志(合本)』(原書房)という観点から「役小角」にも触れねばならないとも考えており、その道はなかなか険しそうですね。

いずれにしても、この辺りを敷衍している書籍や論文の少なさには、日本(アジア圏もそうですが)における歴史の浅さというか、人類共通資産と考える(精神としての)思想体系が存在してこなかったという意味で、現在のテクノロジー万能主義(全て技術で解決できる可能性があるという原理主義)や市場万能(原理)主義、または賤民資本主義などにも繋がっており、現代社会の最重要課題の一つとして顕著に現れてきているとも考えます。


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