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教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて
134
:
尾崎清之輔
:2008/01/16(水) 03:02:12
(No.133から続きます)
実際、その人生の多くの時間を、文字通りの「生き馬の目を抜く」ことに費やしてこられた結果、見る人が見れば一目瞭然の「人相の悪くなった」方々が、『競争』という生き方から、いくら『共創』や『共生』を唱えたとしても、全く説得力が無いどころか、寧ろ胡散臭さを覚えてしまい、却ってその方々が少なからず持っていたであろう「信」さえも失うのではないかと危惧しております。
ちなみに、これはその方々への危惧のみではなく、そのような立場であった方々の豹変振りと、提言と実態との乖離も予め見えてしまうだけに、その方々の「信」だけではなく、こういう方々を実質的に支え、または暗黙的に支持してきた、市井に生きる我どもに対しても、世界的な視点からは、同じように「信」を失ってしまうという悪影響を与えかねないからです。
数多くとは言わないまでも、嘗て幾つかそのような場所や会合、また勉強会や研究会などへ出向いて知ったことは、彼ら彼女らの多くは、所謂「社会的優等生」であり、端的に申し上げますと、傍目には一定の社会的成功を収めた人たちの集まりが多いことから、畢竟、自らの範囲ないしは枠組みに終始したことに関する発言はできても、例えばある一つの問題提起から想定し、考察していくべき普遍的なテーマに対しては、全くと言って良いほど議論することが出来ず、逆にそのような課題提起をさせて頂くと、黙ってしまうか、若しくはそのテーマと全く関係の無い「自分の周りに起こった出来事」へ話の流れを逸らされてしまい、大抵の場合は「退かれて」しまうのが実態でした。
数年前、ある会合において、確か藤原さんか管理人さんの許諾を得て、博士の『日本は〝賎民資本主義〟から脱却せよ』をサブテキストに、中村博士の『経済的合理性を超えて』からの抜粋やマックス・ヴェーバーなどから、日本の病理診断をはじめとして、日本の古層である「バッソ・オスティナート」や、1300年以上にも渡る鎖国精神などの議論を行い、より普遍的な方向への展開を目論見ましたが、案の定、最初の時点から非常にレスポンスが悪く、一言二言のコメントは出たものの、次の展開に向けては程遠く、尻切れトンボ以前に議論が始まることなく終わってしまった経験がございます。
◆日本は〝賎民資本主義〟から脱却せよ
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article/zaikai0107.html
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