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教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて

29尾崎清之輔:2007/11/28(水) 00:33:50
田中さんの慧眼と素晴らしい書き込みに感謝しますとともに、私の20項ほどの拙文に対し、僅か2項に濃縮したその筆力には、思わずシャッポを脱がずにはいられませんでした。

特にリヒャルト・シュトラウスが音楽史上におけるワーグナーの継承者であった点からはじまり、ブラームスとの関係性やその後のドイツとオーストリアが辿った変遷などについては、これから展開しようと思っていた矢先だけに、見事なほど頭の中を読み抜かれてしまったと申し上げておきます。

また、田中さんご指摘の通り、若きカラヤンがナチス党員であったことは余りにも有名であり、中村勝巳先生もその辺りについては、フルトヴェングラーがベルリンフィルハーモニーとベルリン国立歌劇場の指揮者の地位等を辞するかどうかという段階の際、『この時ゲーリング元帥と組んで、後釜になろうとしゃしゃり出てきた人物はその後「帝王」となりました』と皮肉を込めた一撃を加えており、丸山眞男先生も「カラヤンは合わせものが上手い」と褒めつつ、その「合わせものの上手さ」が、却って音楽そのものを詰まらなくした最大の原因であるが如く喝破しており、それは現代に至って「消費としての音楽」という地位に貶められてしまった事実に充分表されているのではないかと考えます。

そして、欧州という存在が、地図上の国境線としての国家(Nation)を超えて、地域(Region)として再認識することの重要性が、より深い歴史理解に至るということについては、私も同意であり、まさしく正鵠を射たご指摘であると思っております。

その一つは、『ハプスブルグ家の現当主は現在EUのコミッティーにも参加』に言い表されている通り、そもそもEU(欧州連合)が成立するまでの歴史を遡れば、すぐに「国際汎ヨーロッパ連合(通称:汎欧州運動)」に辿り着けますように、ハプスブルグ家の現当主であるオットー・フォン・ハプスブルク公は数年前まで国際汎ヨーロッパ連合のトップであったこと、その前のトップは汎ヨーロッパ主義の提唱者で「EUの父」とも呼ばれたリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーということになり、このカレルギーが日本生まれの日本育ちであったことを考えるならば、その歴史を現在の方々はどれくらい知っているのか、そして当時の日本は何という大きな架け橋を失い、後の大正末期から昭和初期を経て敗戦に至るまでの暗黒時代を迎えることになってしまったのか、現在進行中の歴史を相似象として捉えて、良く考えてみる必要があるのではないでしょうか。

さて、21世紀のはじまりとともに、ニューヨークの摩天楼の象徴は、誰が見ても分かるほど大きな歴史のパラダイムシフトを経験することになり、日本では、東京はじめ首都圏のみならず、中部圏や近畿圏など、あらゆる大都市で土地の有効利用という名の無秩序な摩天楼化が進んでおりますが、前に引用させて頂いた「公私の別を問わぬ凡ゆる組織での狡猾な偽装工作」が『まともに機能』している以上、彼の地のように何かが飛び込んでこなくとも、いずれ阪神大震災が「天災ではなく人災」と喝破した藤原博士の言を思い起こすことになるのではないかと考えます。


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