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教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて
81
:
田中治
:2007/12/30(日) 22:09:13
尾崎さんが早速ベートヴェンの第九について呼応してくださり、Youtubeでフルトヴェングラーの戦前の演奏に接することができるとは知らなかったので教えていただき大変感謝申し上げたい。早速フルトヴェングラーとカラヤンの映像つきの第九の演奏を鑑賞した。ナチスの旗のもとでタクトを振るフルトヴェングラーの姿は大変に貴重な映像であり、百聞は一見にしかずと言う通り、歴史の真の姿に対峙できる一級の資料ですね。フルトヴェングラーの指揮姿やその演奏はさることながら、当時の観客の表情を写したシーンも、非常に印象に残った。
「明日がない、これが最後のコンサートかもしれない、と覚悟したとき、人間はこんな音楽をやるんだねえ。・・・・・人類の音楽は、フルトヴェングラー戦時中の音楽をもってその頂点とするんじゃないだろうか。戦後の録音、とくにスタジオで作ったLPにはこの凄みが欠けるんです」・・・・・・・・・・・・
「でもあんな悲劇的な状況と、悲惨な経験を抜きに最高の演奏が生まれないとしたら「音楽」とは何なんでしょう」・・・・「人間の本質にかかわるテーマですね」・・・・(「丸山真男 音楽の対話」(中野雄著)P233~234より抜粋)
尾崎さんが所有されている書籍もご紹介くださり感謝申し上げたい。是非私も取り寄せて読んでみたいと思っております。ヨーロッパの演奏会では年末に第九が恒例化していないし、逆に第九を演奏するときは何か意味のある出来事に即して演奏するのが大体だ。第九は彼らの偉大なる遺産であり、共通の理念の象徴なのだと思う。血肉なのですよね。日本では興行的な効果を期待して始まった現象だと専門家の口から聞いたことがあるが、それにしても日本人というのは、こういった現象にある意味無頓着で居られるのだということに同じ日本人として改めて驚くと共に、それを「バッソオスティナート」と表現した丸山真男には尊敬の念を覚える。
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