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教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて

162田中治:2008/01/28(月) 13:08:13
ゆっくり時を過ごし記念館を後にして、日没までにはまだ時間があったので、そこからほど近い旧岩崎邸を訪れることにした。大観の家から5〜6分ほど歩いてゆるやかな坂を登ると、黄色に塗られた壁の洋館が建っている。イギリス人の建築家ジョサイア・コンドルの設計だという。玄関前には背の高いやしの木が数本植えられていて館の黄色い壁が午後の青空に映え一瞬南欧風(イタリアあたりの)を思わせるが内部に入ると一転して暗く重厚な雰囲気であり、ジャコビアン様式が主調ではあるが、細部は様々な折衷様式であり、その趣味には正直なところいささか辟易としてしまった。洋館の中を一通り見学して進路にしたがって歩むと、突然日本家屋につながってゆく。洋館から日本家屋につながる廊下を歩き狩野派の襖絵が描かれた大広間へ抜けるとなんとも奇妙な感覚が襲ってきた。ある民族ないしは文明がその地において長い時間をかけて醸成してきた生活洋式の結果である建築を、裏打ちされた精神の背骨としての思想なしに簡単にくっつけてしまうその感覚、その中を普通に歩いている私を含めた見物客の群れの中で、なんとなく息苦しくなり外に出て深呼吸をしながら明治から大正・昭和・そして平成と今に至るまでの、自分の知る限りの知識を総動員して歴史の流れを遡ったり追ったりしながらいろいろ考えてしまった。つい先ほど眺めた大観の作品とその裏に流れている思想、そのような歩みの一方で黒田清輝や藤田嗣二といった洋画家たちの歩みをも併せて思い出し、明治から現在に至るまでの日本人の精神の所在とその変遷に想いを馳せ、上野から御徒町の雑踏している繁華街の中で妙な気分はしばらく続いた。そんな気分を払拭して強い気概を得るのには、絵画ならば、500年も前に西洋の宗教画の金箔の技法を見事にモノにした上で独自の強烈な美の世界を描いた狩野永徳や、鎖国時代であっても世界の遺産になるべき素晴らしい作品を遺した伊藤若冲の繊細だが力強い作品に触れたいと思った。ただの散歩のつもりがいろいろ考える一日になってしまったのだが、この日もっとも貴重だったのは結局、大観の家で過ごした静寂のひとときであったかもしれないと思う。現代の都会の生活の中で「静けさ」ほど貴重な要素はないのではないか?ひとたび街にでれば物も情報も色も音も雑多にあふれかえっており、それらはストレッサーとして過剰に作用し、活き活きとした感性をしだいに失わせるように思う。まずは一度静けさを取り戻し、その中で落ち着きを取り戻し・・・・・家庭でも都市空間でもそのような場を意図的に創りだすことが何よりも急務であるように思える。


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