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教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて
89
:
田中治
:2008/01/03(木) 08:52:24
2008年あけましておめでとうございます。今年も皆様にとって良い1年でありますようこの場をお借りして
お祈り申し上げます。
昨晩は一日遅れでウィーンフィルの新年演奏会を聴き、その曲目の多彩さ・洒脱さからも多民族国家ハプスブルグ家の薫り高い文化の名残をテレビを通してではあるが堪能したところである。藤原博士の「オリンピアン幻想」の中でも、若き藤原博士がグルノーブルからウィーンまで雪道の中を車で向かい、ウィーンフィルの新年演奏会を堪能したくだりがあったことも思い出し、また昨年本スレッドでも触れさせていただいたハプスブルグ家の歴史とヨーロッパにおけるウィーンの位置(地理的・精神的)をも、つい思い出しながら演奏を楽しんだ。
さて、尾崎さんがまた興味深い映像をリンクしてくださり、早速鑑賞させていただいた。ほぼ同じ頃の演奏であるにもかかわらず、両者の演奏の響きがここまで違うとは・・・当時の録音技術事情を差っ引いても、その違いはこうして鑑賞すると明らかだ。「丸山真男 音楽の対話」にもいくつかのエピソードと共に記述があるように、フルトヴェングラーの演奏に聞き入る一般聴衆の背格好・眼差しなどから当時のドイツあるいはベルリンの人々にとっていかに彼の演奏が精神的な支えであったかが伝わってくる。フルトヴェングラーの演奏はたとえワーグナーであっても、響きの美しさはさることながら、その演奏の中に良心や慈悲・節度を感じる。ところであくまで私個人の趣味で恐縮だが、私は昔からカラヤンという指揮者を好きになれない。彼の指揮姿、そして彼の音楽には、傲慢さと強烈な自己顕示性を感じて辟易してしまう。以前、日本におけるその道の大家にそのことをつい口走ったら、激しく罵倒されてしまった。その方曰く、カラヤンがわからない奴は音楽がわからないのだという。その後、ひょんなことからカラヤン時代にBPOのコンサートマイスターを務めた方にお話を伺う機会があったのだが、カラヤンの人間性について私が彼の音楽からなんとなく感じていたことを裏付けるようなエピソードを聞き、おかしな言い方だが納得してしまった経験がある。尾崎さんがリンクしてくださったこの1940年のマイスタージンガーの演奏とその指揮姿からは戦後よりも激しい自己顕示性を感じるし、この映像の中にハーケンクロイツが一緒に映っていなかったのが、せめてもの救いだと思った。
東京は元旦から素晴らしい晴天に恵まれているが、太陽の光の中で、しばし明晰さを取り戻し今年の抱負をもう一度意識しなおして正月三が日の最終日を過ごそうと思っている。
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