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教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて

161田中治:2008/01/28(月) 13:03:08
尾崎さんの連日のご投稿には村山さん同様、頭が下がる思いであり、日々更新されるその文章を目で追いながらも活発に反応できない自分の非力を思い知るが、時々でも駄文だがこうして投稿を試みてみる次第です。

年が明けてまもなく慌しい日々が続いていたが、この週末は久しぶりにゆっくり時間が取れ、また天気も上々だったので家人と共に上野界隈を散歩した。上野仲町通りにある明治の文豪達も通ったという江戸時代からの老舗の蕎麦屋で昼食を取った後、カモメが飛び交いたくさんの鴨が泳ぐ不忍池の周りを散歩して、池之端にある横山大観の旧住居(今は記念館になっている)を訪ねた。ビルが立ち並ぶ池之端の大通りに面した一画に、土塀に囲まれた日本家屋がひっそりと立っているのがそれであるが、建物自体は東京大空襲で消失しているので戦後再建されたものらしいのだが、門をくぐり建物の中に入ると外の喧騒が嘘のようにひっそりと静まり返っている。庭に面して広く窓が取られた一部屋に、大観が生前から所有していたという藤原時代の不動明王が安置されている。私はこのさほど大きくもない古い木造の不動明王が大好きで時折ここに来てその像の前に座っては手を合わせるが、今回は身心が疲れていたこともあり、不動明王の表情に深く見入りながら、庭と家屋全体に流れている静寂さの中で、過剰な頭の働きが自ずと鎮まり、しばし時の過ぎるのも忘れて庭や所蔵されている作品を眺めて廻った。たまたまこの記念館の研究員の方が大観の人となりなどについて語って下さったのでしばらくその説明に耳を傾けた。大観の師であった岡倉天心は「模倣はいけない。模倣にとどまらず己の創作を重ねねばならない。またそこに立ち止まるのもいけない。常に進化せねばならない」といったようなことを常々言っていたそうだ。思えば岡倉天心も横山大観も維新の頃に生まれて明治の御世に形としての西洋文化が押し寄せる中、日本画を世界の中に位置づけようと理想を掲げ研鑽を積み、インドやアメリカ・ヨーロッパにも旅を重ねて、日本画における精神の背骨としての思想や信念は作品の中に見事に実を結び、また新しい日本画の確立につながったのだった。大観は英語も流暢に話し、漢籍に親しみ、ニューヨークで「茶の本」を発表した岡倉天心の弟子でもあり・・・研究員の方の話を聞きながら、私はそこで、明治時代の、真に国際的な日本人をまたひとり発見した思いになった。


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