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教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて

20尾崎清之輔:2007/11/20(火) 00:09:31
今夜はNo.17の続きにあたります。

良く考えてみたら、今回はじめてヴィルヘルム・ケンプの作品群を所有したことに気が付きました。
何故か今年はピアノ演奏家に縁があるらしく、ここ暫くはバックハウスを聴いており、あのスケールの大きさと卓抜な技巧は、まさしく「鍵盤の獅子王」と呼ばれるに相応しいと感じつつ、彼の奏でる「ワルトシュタイン」で毎朝を迎えておりました。
(もっとも「鍵盤の獅子王」と呼ばれた若い頃の作品は持っていないので、所有している後期の作品群から感じ取っただけですが。。)

しかし、今回ヴィルヘルム・ケンプの作品群は、僅か2日ですっかり聴き入ってしまい、特にベートーヴェンの後期ピアノソナタの30、31、32番は秀逸と思いました。
このあたり、本を読んだだけでは全く分かりませんでしたが、『音が鍵盤を押した瞬間ではなく、押した後から遅れて出てくるような弾き方』の意味が漸く理解できた気がします。

ちなみに、これ以外に個人的に好きな演奏家としてはフルトヴェングラーがおりますが、この3人に共通しているのは、いずれも名前が「Wilhelm」であるということです。これは何かの縁なのか、それともドイツにはこの手のお名前の方が多いのでしょうか。。

さて、いきなり余談からはじまってしまいましたが、『丸山眞男 音楽の対話』において、丸山博士はバックハウスには殆ど触れられておりませんが、ヒトラーはバックハウスの大ファンであり、戦後は一時期ナチス協力者の汚名を着せられたはずという記憶がありますので、そのことに丸山博士が言及していないことに不思議さを感じました。
これは著者の中野雄さんが意識的に書かなかったのでしょうか。

それに比べると、リヒャルト・シュトラウスについては、『本当に美しさが分からない作曲家』のひとりに分類されており、

◆「バラの騎士」はえん麗の極地だ。しかしフィガロの結婚のエロティシズムと、バラの騎士のエロティシズムをくらべてみるがいい。芸術におけるErhabenheit[高貴、気品・中野注]とは何かということを、これほどあからさまに見せつけてくれる対照がまたとあろうか。

とまで言い切っております。

確かにリヒャルト・シュトラウスが第三帝国におけるドイツ音楽院の総裁を務めたり、ナチス当局の要請に応じて多くの音楽活動を行った事実などから、保身汲々していたと言われても致し方ないかなと思いますが、それ以上のこととして、大日本帝国政府時代の日本にとっては、皇紀2600年を記念する祝典音楽の創作を依嘱した6ヵ国の作曲家の一人であり、その曲名が何と『皇紀弐千六百年奉祝音楽』(正確には『大管弦楽のための日本の皇紀二千六百年に寄せる祝典曲』)などという他に依嘱された作曲家の付けた題名と比べて、大層な曲名にその迎合ぶりが表されているような気が致します。
(もし私の誤解でしたらすみません>リヒャルト・シュトラウスのファンの方)

ちなみに、同じく依嘱されたベンジャミン・ブリテンというイギリスの作曲家は、『シンフォニア・ダ・レクイエム』、要するに”レクイエム交響曲”などという題名を付けたのですから(従って当時の日本政府から受け取りを拒否された)、これはイギリス人らしいアイロニーが籠もってるなと思いましたが、こちらもその後よく調べてみたら、そんな高尚な理由で付けたわけではなかったようですね。


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