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教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて
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:
尾崎清之輔
:2008/02/01(金) 01:19:19
田中さんが敗戦直後の「上野公園占拠事件」に関連して、丑寅の方角という観点から水戸へと話を繋いで頂き、しかも横山大観が水戸出身で父親が水戸藩士であることに触れて頂いたおかげで、江戸と水戸との重要な関係を思い出しました。
徳川御三家といえば、尾張、紀州、水戸、とくるのが一般的ですが、徳川宗家(江戸)、尾張家、紀州家、が本来の御三家で、水戸家は欧州における選帝侯の役割にあたり、そのために学問の裏付けがある見識を保持する必要性から「水戸学」が生まれたことにつきましては、『宇宙巡礼』(東明社)を一読された方々でしたらご存知の通りです。
この辺りにつきましては、『宇宙巡礼』での対談以外にも、過去スレッドに若干ですが言及されておりますので、ご参考までに以下にURLをご紹介させて頂きます。
◆回天−月にふたつあり
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/mb/board/kaiten.htm
そして、「上野公園占拠事件」を起こした「水戸教導航空通信師団」は、「陸軍航空通信学校」が前身であり、昭和20年5月に本土決戦に備えて改編され、陸軍航空本部隷下の師団となりましたが、通信学校時代には現在の水戸市住吉町近辺にその場所がございましたものの、連日の空襲により、師団改編後に偕楽園脇の山林へ総移転を行うことになりましたが、この移転場所が、元は水戸藩の二代目藩主「徳川光圀」の別荘地であったことを考えますと、ここにも光圀公の薬だか猛毒だかが効きすぎたのか分かりませんが、300年近くもの時を経ているにもかかわらず、何という歴史の因縁でしょうか、顕密の「密」の部分への理解も含めた深遠なる世界について感じざるを得ませんでした。
また、東京藝術大学の前身である「東京美術学校」と「東京音楽学校」につきましても触れられておりましたが、確かにこの美術学校が輩出した芸術家の中には、芸術活動以外の特殊な活動に携わっていた方々もそれなりにいたようで、その中の一人が田中さんの先の投稿の中に含まれていることは、落合莞爾さんが連載中の「吉薗周蔵日記」を読まれてこられた方々でしたら即座に分かることと思います。
ちなみに、こういった辺りの昭和史を穿り出してしまうと余りにも波及が大きくなってしまうからでしょうか、正面切って対峙している書籍や論文には殆ど出会えませんが、明治初期の「廃仏稀釈」から「国家神道」に至る仏教受難時代の歴史の流れにおいても、上つ方の一部が陰に日向に仏教へ関わっていた事実からも、日本からアジア、更にはユーラシア大陸へと続く、長くて広い歴史観から捉えなおしたくなるほど、知られざる側面が多々あることは確かだと思います。
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