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情報スレッド

202 ◆4cVqan2W..:2009/08/15(土) 17:32:46
仮に進んで参加しているとしても、だ。
登山すると供養があるとか、坊主に供養するといいことがあるとか、皆単に騙されているに過ぎない。(笑)

203一ロム者:2009/08/15(土) 19:38:42
先日、某TV番組で派遣の坊さんたちがいることを知りました。
檀家の数だけでは暮らしていかれないので派遣会社に登録し、
要請(葬儀・墓所に出向く)を待ち自ら現地に足を運ぶというもの。
オオイシデラでは、団体登山方式がおいしくて笑いが止まらないのでしょう。

204検証会議:2009/08/17(月) 12:41:29
 勝ち戦 第139号

 2009年8月17日(月)

 大総会、役僧寺院が相次ぎ敗北宣言!
 水島公正は虚偽報告を指示!
 本行寺、前代未聞の粉飾工作も虚しく未達!

 「七万五千総会」。七万八千名が結集という本山の大本営発表とは裏腹に、末寺では
敗北宣言が相次いでいる。

 中部布教区支院長で玉泉寺(名古屋市)住職の佐々木慈啓は、八月一日の会合で、
「我が支部も、先般の登山には残念ながら目標を割ってしまってね、残念でした・・・」
と、意気消沈した面持ちで敗北を宣言。

 佐々木は、六月二七日の中部布教区広布推進会では「来月の今日は皆で乾杯!
う〜ん、たぶん私は飲むと思いますよ。間違いなく」と、大見栄を切ってはしゃいで
いたが、蓋を開ければキャンセル続出で大幅未達。こんな口先だけのふざけた支院長は
クビにした方がよい。佐々木は今後、どの面下げて布教区に顔向けするつもりなのか、
注目だ。

 能化の高野日海が住職を務める本行寺(墨田区)も、結集目標未達で惨敗に終った。

 八月九日の御講で高野は、敗北のショックからか憔悴しきった様子で現れ、壇上に
上るにも足下を一歩一歩確かめるようなフラフラした足取りだった。説法中も
「ゲホッ!オエッ!」と何度もゲロを吐くような仕草を見せるなど、よほど体調が悪い
ようだ。今年に入り能化がバタバタ病死しているだけに、高野も他人事ではなく、
「明日は我が身」と用心すべきだ。

 本行寺は結集目標一一八九名に対し、結果は一一二五名。目標に六四名不足した。
目標は途中で上乗せされたが、当初の目標にも四名足りず、いずれにしても敗北だ。
しかも、その内の二名はなんと、住職の高野と高野の女房が数として含まれている。

 六月二八日の会合で講頭の丸山は、「一昨日、御能化様よりお電話を頂いて、
『ご自分と奥様の分もカウントに入れてほしい。登山費はどのように払ったらよいか』
とのお話がありました」と、切羽詰った住職が、自ら掟破りの粉飾に走った経緯を暴露
している。こんなことは前代未聞のことだろう(笑)。

 埼玉布教区支院長の藤本信恭は六月の広布推進会で、「ご承知の通り、この戦いは
一支部でも完遂出来なければ、これまでの戦いは負けとなってしまうのであります」と
明言している通り、目標未達の寺が続出している以上、「大結集は敗北」と素直に
認めなければならない。事実、七万五千名の結集にすら遠く及ばなかったことは、全国
の末寺住職はもとより、講頭以下全信徒の実感だ。

 未達を素直に認める寺もあれば、教学部長の水島公正が住職の能安寺(所沢市)の
ように、当日のキャンセルが続出し、目標より大幅な未達になったにもかかわらず、
申込者数を結集数として虚偽報告をさせた上、宗門が作った薄っぺらな総会の写真集を
一冊二百円で信者に売りつけ、「勝った!勝った!これを持って学会員を折伏しろ」と
号令をかけている悪質な寺もある。大半の信者が虚偽報告の事実を知っており、
こうした住職のインチキ体質が信者の寺離れを加速させているのだ。

 今回の「大結集?」とやらで、日顕宗の限界点が明らかになった。所詮、日月を
わらう蛍火、華山を下す蟻塚だ!

 編集部(転載可)

205一参加者:2009/08/17(月) 20:34:23
あの総会をこの様なくだらない文章で批判する。だから創価学会は世間から馬鹿にされるのですよ。自分達だけだよ。素晴らしい団体なんて言っているのは。社会を見なさい。あなた方、世間に向かって自分が学会員だなんて、恥ずかしくて言えないだろう。

206一ロム者:2009/08/17(月) 22:52:26
この盛儀には、御法主日如上人猊下・御隠尊日顕上人猊下が御臨席あそばされ、記念局委員長の総監・八木日照御尊能化、同副委員長の重役・藤本日潤御尊能化をはじめ、
山内・全国・海外の御僧侶方が列席された。
また、記念局副委員長で法華講総講頭の柳沢委員長をはじめとする地涌の使命を持った法華講の精鋭が全国から集った。(インターネット大白法)


僧が上、俗は下。僧にも階級があるようですねw

207一ロム者:2009/08/17(月) 23:00:12
御法主・御隠尊=御臨席あそばされ
一般僧侶=列席された
講頭・講員=集った


坊さんてそんなに偉いわけ?w

208講員A:2009/08/18(火) 22:42:24
池田名誉会長=集った

学会首脳部=集った

一般会員=集った


とはならないでしょ

常識の範囲ではないですか

揶揄する事に必死がゆえに足下が見えてないのでは

それよりも暑い中、お盆明けの忙しい中、選挙運動ご苦労様です。

創価学会の活動における矛盾点を克服できればいいですね。

209一ロム者:2009/08/18(火) 23:52:42
通常すべて「出席した」ですね。
海外からの会員にはいつも「ようこそお越しくださいました。」と会長が声をかけますよ。
「ご臨席を賜る」と表記する場合は、来賓(学会員以外)に対してになるでしょう。

私は坊さんより信徒さんたちの方が偉いと思います。坊さんを養ってあげているのですから。

210うず:2009/08/19(水) 00:00:11
講員A氏の書き込みは笑える。
常識の範囲って……

坊主がそんなに偉いのか(゜▽゜=)ノ彡☆ギャハハ!!
そんなに権力悪が好きなのであるのならば、民主からでも出馬すればいいのに・・;

211講員A:2009/08/19(水) 10:04:15
貴方も常識お分かりなんですね。

七万五千総会は法華講連合会主催ですから御僧侶方はすべて来賓としてお迎えいたしました。

貴方のおっしゃった通りの言葉遣いで正解ですね。

池田氏はじめ学会首脳、本部職員などは一般会員が養っているから一般会員より下なんですね。


師弟子を正す法門なり

師に対しては礼をつくすものですよ

上とか下とかの発想は何処からくるのか理解出来ないですね。

そういったなんでもかんでも平等みたいな考え方が今の日本に蔓延し下剋上のていをなしているのですよ。

212一ロム者:2009/08/19(水) 12:38:39
僧と法華講は一体ではないのですか?どちらかが日蓮正宗ではないのですか?
結集の大号令はどこから出たのですか?あの方なんでしょう?(笑)
苦し過ぎますw

教えて差し上げましょう。
宗門関係者以外の方々をご招待しご出席頂いた場合に来賓と称するものですよ。

213検証会議:2009/08/19(水) 12:52:15
 越 洋

 平成21年8月20日

 立正安国論に「旅客来たりて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭・飢饉疫癘
・遍く天下に満ち広く地上に迸る」と記されている。まさに「立正安国論」記念の
大結集総会を7月26日に決行してからというもの日本を始め全世界に天変地異が
起こっている。

 8月11日午前5時7分ごろ、駿河湾を震源とする強い地震があり、静岡県伊豆市、
焼津市などで震度6弱を観測した。その時の地震で東名高速の牧之原サービスエリア
(静岡県牧之原市)の東約5キロ付近で、上り線の路肩ののり面が約40メートルに
わたり崩落したほか複数の場所で亀裂や陥没が見つかった。このため、一部区間で
通行止めとなり、復旧作業が続いた。東海道新幹線も運休し、お盆を前に交通機関に
大きな影響を与えた。

 また、海外に目を向けると宗門の寺が6ヶ寺もある台湾では、台風8号により甚大な
被害を受けた。台湾の防災当局は8月12日、台湾中南部での台風8号による大雨被害
が、死者103人、行方不明者61人になったと発表した。いくつもの場所で土石流が発生。
高雄県甲仙郷小林村や、その南約20キロの新発村が埋まったが、避難民の救出を優先
しているため、死者・行方不明者の確認が遅れている。屏東県など他の山間部で救助を
待つ被災者も多数おり、家を失った被災者は1万500人に上るとされる。台風の被害は、
その後も更なる拡大をしている。

 更に、『インドネシア』でもまた8月16日午後2時38分(日本時間同4時38分)
ごろ、インドネシア・スマトラ島の西方沖でマグニチュード6.7の強い地震があった。

 心ある法華講員からは、"大聖人の仏法をねじ曲げバカな総会を行った宗門に諸天が
怒っている"と語っていた。

 そもそも『立正安国論の御精神』とは、どこまでも民衆の苦悩を我が悩みとし、
その人々を悩ます魔性に対して徹底して言論の力で戦い抜く闘争の行動の中にこそある。

 ただ炎天下に7万8千人?を集め40分の総会をしただけで、立正安国の御精神など
微塵も見受けられない。どこまでも民衆の中に入り一対一の対話を通して同苦し、
世界192カ国まで大聖人の仏法を広めた学会の中にこそ『立正安国の御精神』が脈々と
受け継がれている。「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」と。
此の一凶こそ日顕と日顕宗なのである。

214検証会議:2009/08/20(木) 18:36:58
 顕正会短信

 2009.08.19

 「謀略」と喚く顕正会幹部の作文を破す

 顕正会は、5月6日に仙台市体育館で行った「女子部幹部大会」以降、総幹部会や
各地の集会で狂ったように「謀略」という登壇を連発させ、会員らの意識誘導に必死
だ。いずれも隊長・区長・総班長という幹部クラスが声を荒げ目を吊り上げ「謀略、
謀略」と喚く様は既に正気の沙汰を超えている。

 例えば顕正新聞8月5日号に掲載された秋田の女子部区長の登壇では、女子部幹部
大会に登壇した組長に嫌がらせが多発し、全治十日の怪我まで追わされたため、現場を
抑えるべく張りこみ、車で逃げる謀略実行犯をカーチェイスさながら追いかけたという
ことだが、「謀略」としてビラ撒きや脅し、ストーカーなど数々の「行為」を挙げて
いながら最初から警察に相談しないのはなぜか。しかも預かる後輩が「全治十日の怪我
をさせられた」というなら、なぜその段階で警察に捜査を依頼しなかったのか。まさか
これらの「謀略」が起きていたことをを全く知らなかったというのか。これでは区長と
して失格だ。

 更に「謀略実行犯の逃げる様子を携帯で実況中継」「犯人は大通りをノーブレーキで
横断」などと述べているが、よく「猛スピードで逃げる車」を実況中継しながら
追いかけられるものだ。事実なら、区長も同様の危険運転をしていたことになる。
また、「機動隊も出動」と書かれていたが、これだけの事件になると間違いなく
新聞沙汰だが、報じられた形跡もない。そもそも顕正新聞紙上に日付を特定できる表現
が一切見当たらない。いきなり「この日」で話が切りだされるのだから、ウラを
取られる事を恐れてワザとぼかしているのだ。そして、どの登壇でも必ずと言っていい
ほど付け加えられる「学会の仕業ですね」と警察官が述べるくだりは、完全なウソで
ある。現場で警察官がそのようなことを言うことは有り得ない。これすべて、学会側が
反論してこないことを見越した「作文」なのである。一刻も早く学会が法的措置を
取り、被告として浅井を法廷に引きずり出すことを願う。

 ところで、肝心なことを見落としてはいないだろうか。犯人が顕正会員であるという
可能性も排除できないのだ。掲載されていたビラをもって「学会の謀略」と断定できる
証拠はない。むしろ文面からは「妬み」「嫉み」「やっかみ」のような印象を受ける。
ちょっと注目された人物に対する嫌がらせという「仮説」を排除するわけにはいかない
だろう。「学会員を装った電話や脅迫文作成」など、顕正会員にだって簡単にできるの
である。「自分たちは絶対正しいからそういうことをする人間なんていない」というの
は勝手な思いこみに過ぎない。

 そうそう、「謀略」と騒ぐ顕正会だが、自分たちが勧誘対象者を呼びだしたあと、
わざとらしく幹部が同席して勧誘する手口を「謀略」と言わずして何というのだ?

215検証会議:2009/08/20(木) 18:37:27
 大石寺短信 第467号

 平成21年8月13日(木)

 日顕宗の動き

 1.新たな折伏目標の押しつけに白ける講頭たち

 去る2日、大石寺で講頭・副講頭会が行われた。この会合の目的は、7万5千総会で
発表された「12年後の平成33年までに法華講を80万人に」「6年後の27年までに各寺が
講員数50%増」という二つの目標の徹底を図ることだという。

 しかし開催前から、7月15日の大法要、26日の結集総会に続いて本山へ呼び出される
講頭・副講頭の間からは、「結集総会の時にまとめてやってもらいたい」「半月間で
3回も登山するのは大変だ」といった不満の声があがっていた。そして果たして、その
内容のお粗末さが彼らの怒りを増幅させた。

 庶務部長の阿部信彰は、竜の口の法難や熱原の法難を引き合いに出して、「身命を
なげうって実戦することが大事」と力説。総監の八木も「結果を出さなければ
日蓮大聖人に申し訳ない」と言い放った。

 しかし、毎年、折伏目標の2、3割程度しか達成できない寺の坊主たちが、役僧の権威
を笠に着てこんな大見得を切ったなら、「自分で結果を出してから言え」と言われるの
が落ちである。

 信彰、八木に続いて登壇した日如も、謗法の恐ろしさを延々と強調するだけで、今回
の新たな目標の意義などについては一切言及なし。そして最後は、法華講委員長・柳沢
のいつもの支離滅裂の与太話。参加者が「この程度なら、わざわざ集めるな」「交通費
を返せ」と怒ったとしても致し方あるまい。

 「80万」だの「50%増」だの、夢のような目標をたてたところで、本年まで掲げて
きた「折伏倍増」が大失敗、結集も大惨敗、今まで何から何まで達成したためしがない
のだから、聞く方は白けるばかりだ。

 12年後には、信者が増えないまま、「80万登山」なる途方もない「ご命題」のもと、
一人が年間、何十回も登山させられる羽目になることは必至だ。

 2.講頭会の帰りに講頭が交通事故死

 今月3日午前6時ごろ、岩手県宮古市の日顕宗寺院・妙応院で法華講講頭を務める
橘勝氏(60)の乗用車が、大型トラックと正面衝突し、間もなく橘氏は外傷性ショック
などで死亡した。

 現場は片側1車線の左カーブで、宮古署によると橘氏の乗用車が対向車線にはみ出し、
大型トラックと正面衝突したとみられている。

 橘氏は2日に本山で行われた講頭・副講頭会からの帰りだった。事故の目撃者に
よれば、橘氏の車は蛇行運転を繰り返しており、やがて対向車線のトラックに
突っ込んでいったという。橘氏が居眠り運転をしていた可能性もある。

 7月15日の大法要、26日の7万5千総会への参加に続いて、本山に集められた講頭・
副講頭たち。相当、疲れがたまっているはずだ。開催前から、宗内関係者も「あまりの
過密日程。死人が出るのではないか」とささやいていたというが、その心配は現実の
ものとなった。

 7月26日の7万5千総会でも、真夏の過酷な行程が強いられる中、多くの病人、事故者
が出た。信者のことなど全く考慮しない日顕宗の冷酷、無慈悲な体質がますます
浮き彫りになっている。

216検証会議:2009/08/20(木) 18:38:19
 フェイク 第1053号

 (発行=09.08.20)

 宗門が顕正会のインチキ勧誘を模倣
 正副講頭会を開き、人数で競う方式に変更
 本尊下付を軽視、増えるのは幽霊講員だけ

 日顕宗では「誓願成就」の掛け声も虚しく「地涌倍増」の命題をリピーター登山者数
五十万の数字合わせで誤魔化している最中だが、折伏が一向に進まない状況は深刻だ。
これまで八木日照、阿部信彰、柳沢喜惣次らが僧俗指導会で檄を飛ばして回っていたが
全て不発。入信者より脱講・行方不明者や死者の方が多く、講員は減少の一途を辿って
いる。

 そこで去る二日、第八回講頭・副講頭指導会を学会寄進の大講堂で開き、折伏成果の
変更を発表。「折伏成果は御本尊下付数ではなく、人数で掌握していく」と改変した。

 席上、日如、八木、信彰、水島公正、柳沢が異口同音に「六年後の平成二十七年まで
に全支部が講員数の五十%増、十二年後の平成三十三年までに講員八十万人の達成」を
強調。しかし、自分が率先して実践すると発言した者は一人もいなかった。このうち
水島は「確認すべきことは、講員人数の五十%でありまして、世帯数の五十%では
ない」と力説。「従来は御本尊下付の世帯数をもって主な成果としてきたが、今後は
講員になった人数を重視する」旨を述べた。

 では、御本尊下付を軽視し、人数で掌握する真意は何か? これは顕正会と同じ
インチキ方式で、いくらでも講員数を水増しできる。

 というのは、あの邪教・顕正会は会員が殆ど増えなかった。そのため会員勧誘の
百万達成を平成八年迄、同十年迄、同十四年迄というように次々と延期した。

 浅井昭衛は百万を達成しなければ世界の破局に間に合わない、と戯言を語っていた。
だが、顕正会の百万達成ができなくても、当然のことながら、世界の破局はなかった。

 浅井は何度も目標達成の時を延ばしたが、なかなか進まないため、平成七年六月、
入会手続きを改悪した。

 もともと顕正会には下付する本尊は存在しないが、入会に際しては本人の署名、捺印
も不要と決め、会員が騙して呼び出した人の氏名を勝手に報告書に書いて提出するだけ
で新入会員になるというデタラメな仕組みに変えたのである。

 だから本人が知らないうちに顕正会員になっているケースも多い。そのことを察知
して拒めば暴力沙汰になる。こうして顕正会には名簿上だけの会員が誕生している。
現在、顕正会は百三十万と公称しているが、実質はその五%程度に過ぎず、退会者も
後を絶たない。

 顕正会が高校生などの若者を親に隠れて入会させているのに対し、そのインチキ方式
を真似る日顕宗は本尊を拝めない乳幼児や認知症の高齢者に御授戒だけを受けさせて
「講員が増えた」と宣伝する魂胆のようだ。

 困り慌てる妙観講

 今回の変更で一番困るのが、講員数二万人超を詐称してきた妙観講である。

 なにしろ六年間で一万人以上も増やさなくてはならないからだ。小川只道が嘆いて
いたように『暁鐘』発行部数はここ何十年も二千部余りで低迷。幽霊講員を既に
一万八千人以上も作ってきたのに、更に一万人以上もこしらえなければならない。
妙観講の大草一男は、鳩山の「故人献金」ならぬ、「故人入講」でも始めるのでは
なかろうか。呵々。

217質問:2009/08/20(木) 21:02:41
本部より指導

君達も気をつけたまえ

218検証会議:2009/08/21(金) 00:34:59
 顕正会短信

 2009.08.20

 「謀略」を作文せねば生き残れぬ崖っぷち幹部

 前号では「謀略」「謀略」と喚く顕正会幹部の姿を、秋田の女子部区長の「作文」を
例に取り上げた。

 何としても「謀略」と主張したい余り、「ホンマかいな」と首をひねりたくなる
ような、かなり無理の有る事柄まで書きこんだ、派手な作文であり、大概の人は読めば
その内容の衝撃性に驚き、一時的には信じ込んでしまうかも知れないが、所詮は
「作文」であり、客観的に真実性を見出せるようなものではない。

 よく読めばわかるのだが、ほとんどの顕正会員の作文に共通しているのは、
「いつ」「どこで」という文章の真実性の証明の根幹を為す条件が欠落している点だ。

 もっとも師匠と呼ばれる浅井昭衛自体が、従前より「いつ」という条件を提示した
予言をしてもことごとく外しているから会員らがそうあっても無理はない。

 そして、わざわざそう書くのは、内容が検証されることを恐れているからであること
は言うまでもない。かつて大阪の男子部員が、日蓮正宗の僧侶であった実父が僧侶を
辞めた話を持ち出して誹謗したことがあるが、内容を詳しく書きすぎたことから
法華講員らが調査したところ、この男子部員の数々のウソや疑問点が暴かれ、以降
この話題が二度と活字になることはなかった。この出来事を教訓にしたのだろう。

 さて、同じ顕正新聞には、新潟県で男子部隊長をしている佐藤某の登壇内容が掲載
されている。ご多分に漏れず「謀略」話を展開しているのだが、この内容も非常に
胡散臭い。なんでも「五人の謀略部隊が脱会工作をしたが、そのうちの一人が学会の
会館前でもう一人の車に引き逃げされ死んだ」そうだが、やはりこの作文にも「いつ」
「どこで」がない。

 そもそも、この佐藤某自身も「〜というのであります」という「伝聞」形式で作文
している。つまり、自身で何の裏付けも取っていないのである。杜撰極まりない。
これが新潟男子部トップたる輩の程度である。情けない限りだ。

 新潟男子部は2年連続で逮捕者を出している。もはや背水の陣だ。今度何かあったら
トップたる佐藤某は責任を取らされてクビは間違いないはずだが、そういう危機感が
有るのだろう。

 降格と昇格を繰り返し、ようやく現在の地位にたどり着いた佐藤だが、一度降格した
者が再び昇格するというのは、早い話が「他に人材がいないから仕方なく再登用」と
いう証明だ。

 この人物については、「号令ばかり」「自分でやらない」という地元会員からの怨磋
の声も聞こえてくる。そういう姿勢に愛想をつかして離れていく者の多いこと多い
こと。いまや新潟男子部を称した「男子第十部」の勧誘成績は常にビリかブービーだ。
自身の求心力を高めようと「謀略」話を作文すればするほど、新潟男子部が失速して
いくことに気付かないのは愚かだ。

219検証会議:2009/08/21(金) 00:35:27
 顕正会短信

 2009.08.21

 「あと十有余年で三百万」?

 8月23日の「男子3万結集」の席上、浅井昭衛が新たな号令をかけるのではないか
と言う観測が流れている。「3年後の顕正会発足55周年(実際には妙信講再建)に
男子5万結集を」とでもいうのだろうか。全国の壮年部はもとより婦人部所属の壮年
まで、性別が「男性」であれば誰でも連れてきてようやく“達成”される「3万」も
終わらないうちに新たな勧誘地獄への出発が宣言されるのか。哀れでならない。

 ところで、浅井が2004年8月の「幹部大会」で「三百万を十年以内に
成し遂げる」と宣言し、場内から11分間もの拍手を浴びて悦に入っていたのは記憶に
新しいが、あれから5年が過ぎ、三百万達成期限まで残り半分となった現時点の
公称会員数は135万。

 一年半で約10万の増加となっているようだが、このペースであと5年経っても
およそ170万にしか達しない。仮に1年で10万増加しても180万にしかならず、
この時点で浅井の大ホラが満天下に明るみになる。もっともそこまで生きているか
どうかわからないが、実は、当の浅井は「三百万をあと十年で」と威勢良く格好つけて
宣言し長い拍手を浴びる中で「万一、十年でできなくても大丈夫」とほくそえんでいた
のだ。

 その布石は、前述の「三百万」発言の直前に打たれていた。それは「あと十有余年」
というキーワードだ。浅井の講演によると「日蓮から預かった、本格的な他国侵逼まで
残された時間」のことらしく、立正安国論の意を歪曲した軍事ヲタクの浅井らしい発想
だが、盲信・思考停止の会員らは当然その意識でいることだろう。

 しかしこの「十有余年」というのはかなり曖昧なもので、最長で「19年」まで
当てはめることができる。ちなみに2004年の19年後は2023年。

 今年から数えてあと14年先になる。実は浅井はこれを狙っているのだ。
「幹部大会」以来5年が過ぎても、最高幹部から末端までが「あと十有余年」と
鸚鵡返しのように口にするが、この刷り込みこそ浅井にとって好都合なのだ。

 浅井が目論むのは、「大聖人様から頂いた時間はあと十有余年しかない」と繰り返し
言うことで、「三百万を“あと十有余年”」「他国侵逼までに三百万」という“目標”
を植えつけることなのだ。

 試算だが、仮に現在のペースで入信報告書の枚数が増えたとして、2023年には
230万。もう少しペースを上げて、年10万枚増えたとしても275万。
どうやっても三百万には届かないが、数字などいくらでも水増しが可能だ。

 ましてや、騙し脅し賺しで書かせた入信報告書が何枚積み上げられても実態は泥舟。
浅井も今年の11月で齢78歳。仮に生きていれば2023年には92歳だが、
いつまで泥舟の船頭でいられるか見届けよう。

220講員A:2009/08/21(金) 08:35:19
日蓮正宗と法華講は異体同心で全く別の組織ですよ。

来賓としてお迎えするのは常識です。


話は違いますけど、フェイクやら短信などの出所不明の文書を真偽も確認しないまま【情報】として認識することを危ういとは思わないのでしょうか?


ここに張り付けてる方も、真偽を確認してるわけではなく責任を取る訳でもないですよね


すべてが事実なら、聖教新聞に堂々と載せればいいのに。


だから所詮、怪文書なのですよ。

221検証会議:2009/08/21(金) 12:19:57
>>220

>来賓としてお迎えするのは常識です。

 ほっほ〜。法華講って「来賓」に会場の敷地を提供させたり、
「来賓」に結集の号令をかけさせたりするナサケナイ組織なんだね(爆)


>フェイクやら短信などの出所不明の文書を真偽も確認しないまま【情報】として
>認識することを危ういとは思わないのでしょうか?

>ここに張り付けてる方も、真偽を確認してるわけではなく責任を取る訳でもない
>ですよね


 法的責任の追及でしたら、関係者が法的手続を踏んで行えばいい話でしょう。
 で、「どの記事」「どの内容」が「違法性を有する」のでしょうかね?(笑)


>所詮、怪文書なのですよ。

 出所が明らかでも、情報の精度で「怪文書」にも負けてる「慧妙」って
機関紙は、たしか、宗門まで「法的連帯責任」を負う羽目になった「前科」が
あったような(笑)

222質問:2009/08/21(金) 12:34:11
前回もそうだが、
今回も、

法華よりヘアサロンの店主だと噂されている

阿部日君の逆恨みと判明したので

通知する。

223検証会議:2009/08/21(金) 22:55:35
 顕正会短信

 2009.08.22

 顕正会本部は3万結集不可能を自覚している!

 夏になると資金繰りが苦しくなるのか、毎年のように浅井昭衛の講演や「誤書講義」
を再編集した単行本を出す顕正会が、今年も、3年前の「男子部臨時幹部会」と昨年の
「男子部幹部会」の二つの講演に加筆修正を加え一冊にまとめた単行本を売り出した。

 「自虐史観を捨てよ、仏法史観に立て」などという、仰々しい見出しが付いている
が、内容は「諸君」「WILL」「SAPIO」などの雑誌と相違無い。90ページ、
五百円だがぼったくりだ。書き下ろしではなく焼き直しなので浅井に労力はほとんど
かかってないはずだ。

 当時の顕正新聞を持っていれば金を出して買う物でもない。そして細かい修正が至る
ところになされているが紙面の都合、一つだけ姑息な修正を取り上げておく。3年前の
講演から「東洋一のスーパーアリーナで(3万人の幹部会を)」という部分を削除して
いるが、きっと3年前の新聞掲載の講演を読んでいない新会員から
「なぜスーパーアリーナで行わないのか」という質問が出ることを恐れたからだろう。

 スーパーアリーナなら3万以上集めることも可能なことに気付いた者が
「エムウェーブの方が小さいやん」と言い出すことに脅え、ワザと削除したのだ。
 エムウェーブに3万人収容すること自体が消防法に抵触するはずだが、貸し手も
借り手もその辺は暗黙のうちに行なうのだから双方共に確信犯だ。

 さて、厚生労働省は去る19日、これまで収束方向にあったと思われていた
新型インフルエンザが日本においても「本格的な流行がすでに始まっている可能性が
ある」と発表した。現在のところ、社会生活や日常活動を制限自粛する必要には
迫られていないようだが、遮蔽した屋内などでの大規模かつ不特定多数による集会・
行事などでの感染の拡大も当然、懸念されている。

 そんな社会的不安をよそに、顕正会は長野エムウェーブという屋内施設を使って全国
から公称3万人を集めて「男子部3万結集」なる大会を行なう。顕正会のことだから
事前や入場時に参加者全員の健康チェックなど行なうはずもなく、中には感染している
ことに気付かずにいる者も参加する可能性もあり、もしこの集会で感染が広がったら、
全国に爆発的に広がるのは避けられない。顕正会は、いろいろな意味で社会の不安を
増長するような集会をやめるべきだ。

 ここまで書いて衝撃的な情報が飛び込んできた。法華講員の「あっつあ」氏のブログ
によると、顕正会本部は長野市の行政、防災、交通機関に「集会参加者は2万3千人」
と報告しているというのだ。事実なら「3万結集」は宣言できないことになる。何も
知らない会員に対し「3万達成」と大本営発表することは可能だろうが敢えて警告
する。エムウェーブの最大収容は2万5千なので「3万達成」は「消防法違反して
います」という宣言だ。

224眺め人:2009/08/22(土) 11:32:38
池田名誉会長も、「御法主日達上人猊下のご臨席を賜り、感激至極であります。」とか、「本日の大結集を猊下に御照覧頂けたことの…」とか発言していた件には触れないで置こう。

225一ロム者:2009/08/22(土) 20:56:44
日達上人におかれましては、血脈相承に失敗され大変お気の毒でしたねwww

226指導:2009/08/22(土) 21:43:39
池田先生。教えて差し上げましょう。
宗門関係者以外の方を招待し、来てくださった方を来賓扱いにするのですよ。

【ご臨席を賜り】などと言ってはいけません(笑)

227一ロム者:2009/08/22(土) 23:56:24
言う必要がなくなって良かったのです♪  ここだけの話(笑)

228陪審員:2009/08/23(日) 01:06:37
一ロム者さん
苦し過ぎますWWW

ご苦労様でした。

229一ロム者:2009/08/23(日) 21:18:47
ハッキリ言って…
希望の船出、バンザイ!でしたね♪
お目通り・・・あ、もしかして、まだ江戸時代のままですか?www

230検証会議:2009/08/24(月) 21:07:41
 顕正会短信

 2009.08.23

 3万達成は大嘘!親子漫才に拍手する顕正会員

 本日長野エムウェーブで行われた顕正会「男子部大会」は、昨日夕方に飛び込んで
きた「顕正会本部発表、参加者2万3千人」という情報の通り、会場内には空席が
目立った。

 中には、まとめて椅子が撤去されていた区画もあったと聞く。ビデオ撮影担当者も
さぞ、空席を目だたないようにするかなど撮影には神経を使ったろう。

 集会の詳細については顕正新聞の報道を待って検証するとして、この号では、
男子部長の浅井城衛が父親である浅井昭衛の前で「本日、男子部で3万の結集が遂に
成し遂げられた事をここに先生に御報告申し上げます」と宣言したという、聞き捨てる
ことのできない親子漫才の「ボケ」について「ツッコミ」を入れておく。

 何度も書くが、長野エムウェーブの最大収容人員は2万5千といわれている。
どうやって「3万結集」を宣言できるのだ。

 まさか城衛は「会場に入りきれない男子精鋭が、先生のご講演を待ち望んで
おりました」とでも言ったのか。もしそうだとしたら日本野鳥の会にでも頼んで
集まった会員をカウントしてもらったのか。そんなわけがない。

 「顕正会本部は2万3千」と報告しているのだから、どうやって3万と確認したのか。

 それとも「本日、多数の精鋭が残念ながら都合によりこの会場に参集することは
叶いませんでしたが」とでも説明したのか。あり得ない。いっそのこと、隊別の
参加者数を公開すれば城衛の嘘が判明する。

 入場券で確認すれば一発だ。人出が足りないなら手伝おうか。

 その前にまずは城衛以下、班長より高位の役職者全員の「誓願」を公開せよ。
そもそも、昨年夏の男子部幹部会で城衛自身が「男子部全班長の自発請願の総数は
6万余」と発言していたのは何だったのか。

 顕正会では「誓願」は達成しなくてはならない大事なもので、達成すれば
エムウェーブでは当然収まりきらないことぐらいわかっていたはずだ。しかし今年1月
に昭衛が「エムウェーブに変更」と発表した段階で、「会場が小さすぎます」
「請願達成で6万集まります」などと昭衛に申し入れしたなどという話は一切なかった。

 つまり、城衛自身が「誓願」が達成できるなどとは耳垢ほども思っていなかった
のだ。これほどいい加減な話はない。また「全班長の自発誓願」というが、班長より
上の役職者、つまり総班副長や総班長、支隊副長、支隊長、果ては隊長個人の「請願」
はどうなっていたのか公開せよ。

 それらも全部含んで「全班長」と表現するのはあまりにも誇大な表現だ。顕正会は
幹部が胡坐をかく組織だ。常に部下を報告でがんじがらめにし、中間幹部より上はその
報告をまとめるだけ。現場で苦労している組長や班長を「数字製造機」程度にしか見て
いないから、皆愛想を尽かして退転していく。こんな体たらくで「あと12年で男子
10万を断じて」とは片腹痛い話だ。

231検証会議:2009/08/26(水) 23:33:36
 顕正会短信

 2009.08.26

 多くの会員が「三百万をあと十年で」を憶えているぞ

 顕正会会長・浅井昭衛が去る8月23日に長野・エムウェーブで行なった
「男子部大会」で、我々顕正会ウォッチャーの期待を裏切らずに、また
「誓願の先延ばし」をやってくれた。

 今度は「顕正会三百万と男子十万を12年後(平成33年)に」とのことだが、
この集会まで生活破綻や家庭崩壊をものともせずに必死になって勧誘に狂奔してきた
顕正会員には、実際にはできてもいない男子三万を「達成できました」と浅井城衛が
親爺の前で仰々しく宣言したことで、「次は男子十万を12年後」という部分だけが
強調されて刷りこまれたことだろう。それが浅井の狙いなのだ。

 ご存知の通り、浅井昭衛は平成16年8月23日に横浜国際会議場で行なわれた
「幹部大会」の席上、平成10年9月に東京国際フォーラムで行なった「還御を祝し
奉る」なる集会で固く誓った「一千万をあと15年(平成25年)で」という発言を
反故にし、「三百万をあと10年(平成26年)で」と言いだしたのだが、この発言に
多くの会員が驚き失望し、遂には活動を停止する者や、法華講に移籍する者が続出した
ことは記憶に新しい。

 もともと浅井昭衛の「誓願破り」は今にはじまったことではない。浅井は昭和61年
に行なわれた「大総会」の席上、「百万を最初の10年(平成8年)で、一千万を
次の7年(平成15年)で、一億をそのあとの7年(平成22年)で」として、
「三段階増毛法」ならぬ「増員法」をブチあげ、更には「あと25年(平成19年)で
広宣流布できなければ核戦争で世界は滅ぶ」という歴史に残る大予言をしたのだが、
平成21年現在、核戦争で世界が滅びたと言うニュースはどこからも伝わってきて
いない。所詮そんなものだ。

 結局「百万達成」は昭和60年、平成8年、平成10年、平成14年と4回に
わたって誓願破りとなった。そして平成13年12月総幹部会になって、逆算でメドが
ついたのか、「平成15年11月に百万は必ず成る」とブチ上げたのだが、昭和の時代
から浅井の側に仕えてきた横田、加藤、小峰など最高幹部らは、これら一連の浅井の
「誓願破りの遍歴」をどう思ってきたのだろうか。

 ところで今回、なぜ浅井は三百万の期限を誓願後わずか5年で12年も延長したのか。

 もはや自身の存命中に三百万を達成できるかすら怪しくなってきたので、後事を城衛
に託そうという腹づもりなのだろう。しかし託される城衛こそ大迷惑だろう。できも
しない数字に縛られた挙句、昭衛の死後は「顕正会を崩壊させた主犯のボンボン」と
して未来永劫まで宗教界の笑いものになってしまうからだ。

232検証会議:2009/08/26(水) 23:33:55
 顕正会短信

 2009.08.27

 浅井昭衛の過去の誓願破りの記録を留む

 顕正会会長・浅井昭衛の誓願破りの記録をまとめたのでご一読を。既に期限が到来
したものだけを記載した。


 【百万達成の期限】
 昭和40年7月総幹部会  昭和60年迄に百万
 昭和61年4月大総会   平成8年迄に百万
 平成2年7月第26回総会 平成10年迄に百万
 平成7年5月第26回総会 平成14年迄に百万

 結果はいずれも達成できず。


 【一千万達成の期限】
 昭和61年4月大総会   平成15年迄に一千万
 平成3年2月特別講習会  平成20年迄に一千万

 結果はいずれも達成できず


 これらの「請願」が行われる際に、浅井は必ずといっていいほど「日蓮大聖人様の
御力用により必ずできる」「御本仏(日蓮)の御守護を頂ければ必ず成し遂げられる」
などと付け加えているのだが、いままで達成できなければものには日蓮の守護が
なかったとでもいうのか。

 そういえば浅井はかつて「広宣流布は大聖人様の御力を以って必ずできる。私たちは
その手伝いをさせていただいているのである」と発言したことがあるが、日蓮の力で
できるなら、顕正会が手伝う必要も無いだろう。さっさと解散せよ。

 その浅井、平成9年8月総幹部会で「大聖人様に誓い奉るということがどれほど重い
ことか。もし口先だけの戯れ言であるならば、かえって大聖人様を蔑り奉ることに
なる。この重大さを、誰よりも私は知っております」と発言しているが、この発言の前
に2回、そして現在までに6回も誓願を破りまくった浅井がこの重大さを自覚している
とは思えない。

 わずか5年前に言い出した三百万の期限すら、男子十万の添え物的な扱いにして、
会員の追求を逸らすかのように工作してこっそりと12年先延ばしの平成33年にする
のだから、もはや「病的な嘘つき」だ。あと5年もするとまた先延ばしをするはずだ。
自分の発言が活字になって残っているにも関わらず、そ知らぬ顔で誓願先延ばしを
繰り返す浅井昭衛は「日蓮を蔑む口舌の徒」だ。

 ちなみに浅井は平成6年10月総幹部会で「残された時間はあと20年」と発言して
いる。つまり平成26年がその期限だったわけだが今回、残された時間も7年延びた
ことになる。浅井はどうやら自分を、自由自在に終末の期限を延ばすことができる
「神」だと思い込んでいるようだ。

233検証会議:2009/08/28(金) 22:39:57
 顕正会短信

 2009.08.29

 次は選挙?目立ちたい浅井の次なる野望

 顕正会の今年最大のイベントであった「男子部大会」は様々な方面から指摘が有る
ように「大失敗」で終わった。

 そもそもこの「男子部大会」、純然たる男子部所属会員だけで行なわれたものでは
ない。全国の壮年部に一年も前から「馳せ参じよ」と激を飛ばし、会場も謀略と監視
渦巻く首都圏から、顕正会に理解を示しているエムウェーブの社長に甘えて長野へ
変更。

 周囲を多数の衛護隊で固めれば万全。あとは「3万宣言すれば秋の勧誘が勢いづく」
とほくそえんでいた浅井昭衛・城衛だったが、その目論見は8月21日夕方、長野から
寄せられた驚愕の情報によって木っ葉微塵に吹き飛んだ。

 顕正会本部が長野市の行政・防災・交通機関などに報告した参加者数は3万人では
なく「2万3千人」だったのだ。この情報はインターネット上でも広く流布され、当日
には大会参加者がリアルタイムで場内の様子を掲示板やブログで逐一報告するほど
だった。

 それらの情報を総合すると、どうやら参加者は2万程度だったようだ。満席で
2万3千程のはずだが、空席もあったらしく、ビデオや写真撮影のためにわざわざ
詰めさせていたようだが、壇上向かって左側や壇上裏手の席は誰も座っていなかった
ことが確認されている。

 大会では城衛が親爺に「3万達成」と猿芝居をしていたが、満席でも3万には
7千足りないだろう。算数もできないのか。そして浅井が発表した「300万と
男子10万をあと12年で」という呼びかけも、期限を5年残して更に12年延長する
など、事実上の敗北宣言で終わった。9月1日に行なわれる8月総幹で浅井がこの
「後退」をどう言い訳するか楽しみだ。

 話は変わるが、今年は幸福の科学が「幸福実現党」を作って政治の世界に本格的に
参戦したが、目的は大川隆法の著作の宣伝だと指摘されている。浅井もこの大川の
やり方を参考にして、次回の「諌暁書」出版の際には「顕正党」や「国立戒壇党」と
いう名前で政治団体の届出をした上で選挙に出て、「マニフェスト」と称して
「諌暁書」を売るかもしれない。雑誌「諸君」と間違えて買う人がいるかも。

 かつて浅井は「宗教法人格は必要ない」「政治には永久に出ない」と言ったことが
あるが、平成9年に突如法人格を取得したことは記憶に新しい。いとも簡単に前言を
翻す浅井だ。自らが候補者でなくとも「政治に出ない」という保証はない。

 だがやれば得票数、つまり顕正会員の実数が満天下に晒されるわけで、諸刃の剣と
なる。恥をかいても儲けを取るか、儲けを捨てても恥を隠すか。もっとも4年後の
衆院選まで顕正会が存続しているかどうかも怪しいが。

234検証会議:2009/08/30(日) 00:28:08
 顕正会短信

 2009.08.30

 他人の不幸を勧誘拒否の罰と狂喜する顕正会員

 いままで機会が無かったが、どうしても書き留めておきたかった記事がある。
「顕正会を信じるとここまでおかしくなるのか」と実感させられる実例である。

 顕正新聞平成13年6月5日号に掲載された「地元で起きた武富士放火事件
賞罰厳然に全員が身震い」と言う記事を、その異常さを示す最たるものとして紹介して
おきたい。

 発言者である当時顕正会女子部第1区総班長だった小田川某は、同年5月8日に
弘前市で起きた消費者金融放火殺人事件で亡くなった女性が「勧誘を断った罰で
死んだ」との暴言を吐き、その事件を利用して勧誘が進んでいるのを「日蓮の守護」と
うそぶき、事件で亡くなった女性への哀悼の言葉も無く、「罰」と決めつける異常さを
見せつけた。その登壇から一部を紹介する。

 「驚いたことに、死亡した22歳の女性は、渋谷班長と同じファストフード店に3月
まで勤めていた同僚でした。(中略)実は彼女を折伏しようと総班の班長たちが何度も
呼びだしておりましたが、このファストフード店には我が総班の他にも男子部員が
勤務し、折伏が進められており、顕正会の存在は有名で、逆縁の者と退転者による
怨嫉グループが存在し、亡くなった彼女も噂を聞いていたためか、4月法戦最終日に
連絡をとった時にも、約束を断わられ折伏することが叶いませんでした。

 さらに彼女の母親もこのファストフード店に勤務しておりましたが、顕正会に付いて
は怨嫉し、渋谷班長が顕正会で信心していることを同僚に言いふらしたり、悪口中傷を
しておりました。(中略)その数ヵ月後、あまりに突然な大事件の被害者になった
こと、全ては大聖人様に背き続けた罰による現証と思わずにはいられず、仏法の賞罰
歴然に身震いを禁じえなかったものであります。(中略)中でも間山班長は、葬儀の
ため遠方より駆けつけた友人を次々に折伏いたしました。」

 まったく理解し難い。「顕正会の勧誘に背いたから焼死した」という話には根拠も
何もない。狂信的カルトと断じてもよいだろう。更に葬儀に駆けつけた友人にまで
「彼女は私たちの勧誘を断りつづけたから罰で焼け死んだ。断ると同じような目に
遭うよ」とでも言って勧誘したのだろうか。常軌を逸している。「証拠」を獲るため
なら人の死をも材料にする、顕正会員の発する言葉の裏には常に「証拠(勧誘成果の
こと)」の二文字が隠されていることは明白だ。

 さてこの小田切某、「日蓮が罰の現証として放火事件を起こしてくださった」とでも
言いたいのだろうか。恐ろしい。顕正会こそが日蓮の評判を乏しめている元凶なのだ。

235検証会議:2009/08/31(月) 21:45:49
 顕正会短信

 2009.08.31

 浅井克衛も礼賛の「外部ジャーナリスト」は顕正会員

 手元に一冊の本がある。題名は「富士大石寺顕正会」。今では絶版になっているが
たまにネットオークションに出品されているのを見かける。
 「日新報道」平成10年7月発行。著者は「下山正恕」。肩書には「ジャーナリスト
 現・日蓮正宗法華講所属」とあり、発売当時、「法華講所属のジャーナリストが
顕正会について書く」という意外性に驚いて購入したのだが、読んでみると、学会と
宗門をメッタ切りにする反面、浅井昭衛の著作の丸写しかの如き内容に違和感を覚えた
もので、「こいつ顕正会員じゃないか」と疑っていたのだが、案の定、
昭和57年10月の妙信講第23回総会で「学会より正義にめざめて」と題した登壇を
している顕正会員であることが判明したのである。

 この本にはなぜか「日蓮大聖人」と「日蓮聖人」の二つの表現が存在するが、
顕正会員であることがばれないよう、浅井の著作や講演の丸写し部分以外はわざと
「日蓮聖人」と書いたのだろう。しかし偽装は露呈する。本当に法華講に所属している
なら「日蓮聖人」とは言わない。

 説明によると、学会を除名されたあと昭和54年頃、「勧められてある末寺の法華講
に所属した」と書いている。しかし第23回総会の時には妙信講に所属しており、それ
でいて平成10年当時は「現・法華講所属」と嘯いて顕正会擁護本を出しているの
だから、よくもまぁ悪質な偽装工作をしているものだ。

 この本の「はじめに」には「私は五年後・七年後に、顕正会が日本に及ぼす影響は、
かつての創価学会のそれどころではないと思っている」と書かれているが、確かに
平成16年頃から「特異集団」として公安調査庁がマークするようになり、逮捕者が
17年以降毎年のように発生して社会治安にとっての「悪影響」となったことは確かだ。

 また、巻末の「参考文献」欄では「顕正会発行の書籍は一般書店では入手しにくい
ので問い合わせることを薦める」として、当時の常盤台本部の住所と電話番号まで
書いてあるのだ。問い合わせればどうなるかぐらい容易に想像がつく。顕正会への
勧誘取次も請け負ったのだろうか。

 ところで出版当時、浅井克衛が「外部のジャーナリストが素晴らしい本を出した」
などと各地の集会で盛んにアピールしていた。「外部の物書きも浅井先生を絶賛して
いる」と言わんばかりの猿芝居に騙された婦人部も多かったと聞くが、その罰かは
たまた自分の身から出た錆か、その後克衛は表舞台から消え、彼の話題はタブーと
なっている。そして、この本の売れ行きは芳しくなかったようで、後日在庫の引取りを
巡って顕正会と日新報道の間でトラブルとなり、最終的に顕正会が全部引き取る形と
なったようだが、その日新報道から今年6月、「迷走する顕正会を斬る」が出版された
のは皮肉か、それとも意趣返しか。

236検証会議:2009/09/01(火) 21:37:52
 勝ち戦 第140号

 2009年8月31日(月)

 水島、総会敗北で「現罰下る」と信者を恫喝
 「地涌倍増」は曖昧と日顕を批判!
 信者に「邪魔者」「淘汰される」「消される」と大暴言

 七万五千結集で、申込者数を結集数として虚偽報告をした、教学部長で能安寺
(所沢市)住職の水島公正は、八月二日の会合で、敗北の責任をサークル長に押し付け、
「現罰が下る」と恫喝した。

 「サークルの中で予定の人数を下回った或いは大分欠席者が出たようであります、
二六日ね。十分反省してもらいたい。敗北したわけだから。約束を破った場合は、
厳しい現罰が下るっていうのは仏法の決まりだ!」

 水島自身が証言している通り、能安寺は「大分欠席者が出て敗北」したことは、
全講員も認識している事実だ。講員に八つ当たりする前に、まず水島が己のメンツの
ために虚偽報告した数値を修正申告した上で、全国の住職に謝罪せねばなるまい。

 水島は総会当日の天候について、「天候は実に摩訶不思議で、大石寺の周辺だけが
ポッカリと雨雲が取り払われて、総会の時には陽が当たった」と、諸天の計らいだと
大騒ぎ。だが、冬場の陽光ならともかく、真夏の殺人的灼熱の陽射しだ。諸天の怒りが
大石寺をピンポイントで突き刺したのだろう。その証拠に参加者が熱射病等でバタバタ
倒れて救急車で搬送されている。(下掲写真参照)

 玉泉寺(名古屋市)講頭の舟橋は、「会場では雨が降らなくていいなぁと思ってたの
ですが、御僧侶方がお出ましになるとカンカン照りになりまして」と、坊主の入場に
合わせてカンカン照りになったと証言している(爆)。

 水島は、画餅に終った『地涌倍増』についても、「御隠尊日顕上人が御指南された
倍増という言葉が、二倍なのか、一・五倍なのか、よく分からない節があった。倍増と
いってもはっきりした目標は設定されていなかった」と、言い出しっぺの日顕に
責任転嫁する始末だ。そして、今後の折伏成果については、「内得信仰者も成果に
入れてよろしい」と、一向に進まない本尊流布を諦め、放棄する方針を打ち出した。

 更に、折伏が進まないことについて、信者には耳を疑うような卑劣な大暴言を
放った。「折伏できない法華講員は、これからバッタバッタと倒れていく。役立たずは
いらない。それを『淘汰』っていうんだ。邪魔者は全部消えていく。消されないように
頑張って下さい」

 水島のように坊主のくせに折伏もできず、信者を奴隷のように扱い、馬鹿にする
破仏法の輩こそ、真っ先に淘汰され、消されるものと知れ!

 「功徳善根だ」と誑かされて登山して帰ってくれば、「現罰が下る!」と脅され、
「成果ではない、寺に参詣し折伏を行じることが尊い」と言われて参詣すれば、
「バッタバッタと倒れる!邪魔者!淘汰され消されるぞ!」と恫喝される。

 行くも地獄、行かぬも地獄、これを邪教というのだ!(転載可)

http://8004.teacup.com/cyeokunoken/bbs?M=FDL&CID=753&ID=1

237検証会議:2009/09/02(水) 01:04:26
 顕正会短信

 2009.09.02

 会館に関する「小ネタ」でひと休みさせてください

 グーグルの「ストリートビュー」をご存知だろうか。カメラを積んだ車やバイクが
撮影した画像をドライバー目線で楽しむことができるもので、自宅にいながらにして
知らない土地の風景や町並みを眺めることができ、気分転換などには重宝するツール
ではないかと思う。

 そこで、読者諸兄に「グーグルストリートビューで見る顕正会館」を紹介しよう。
グーグルマップで見たい顕正会の会館・事務所の住所を打ちこめばその周辺が地図
あるいは航空地図で表示されるので、ストリートビューモードに切り替えるのだ。
詳しい切り替え方などはご自分でトライしてみて欲しい。

 確認したところ、新青年会館建設中の本部会館、旧青年会館北側、浅井昭衛宅、
加藤礼子宅、常盤台の芙蓉会館、典礼院、札幌事務所、改築前の仙台会館、改築前の
千葉会館、現在の相模会館、そして台北会館の入っている雑居ビルの建物を見ることが
できるので、他の建物と比較しての大きさや広さなどを楽しんでみてはどうか。

 なお、このストリートビューは首都圏・近畿圏・中京圏以外の地方都市では、
県庁所在地でもほとんど登録されていないので、残念ながら九州や新潟など大半の会館
については眺めることはできない。そして大都市であっても狭い路地はあまり登録
されていないので、大阪会館などのように大通りから一本入ったような場所に有る会館
の画像はない。

 また画像が古く、未だに新青年会館建設の工事のため正面を白い布で覆っている
昨年秋の頃の画像が使われていたりするので、過度の期待はしないよう。また、
画像撮影の際のシャッタータイミングによっては、目的の建物を真正面から眺められる
とは限らないので、こちらも承知のほど。

 会館と言えば、看板もいまだに二種類のものが掲げられている。平成11年から
16年頃に建てられた会館にはクリーム色地に茶色の丸ゴチックで「冨士大石寺顕正会
○○会館」という看板が取り付けられているが、それ以降に新設、増改築された会館に
は、白地に黒の隷書体と思われる文字で「冨士大石寺 顕正会○○会館」という看板が
取り付けられている。いずれはすべて隷書体のものに架け替えられるのだろう。

 ところで顕正新聞8月15、25合併号1面に、札幌、山形、鹿児島の各会館の写真
が掲載された。札幌は出来上がって9月13日の日曜に浅井出席で入仏式が行われる。
山形、鹿児島はこれから内装工事に取り掛かって山形は10月、鹿児島は11月に
それぞれ入仏式の予定。だが、会館ができてもすぐに閑古鳥が鳴くことになるのは
必定だ。

238検証会議:2009/09/02(水) 20:02:27
 石山だより

 平成二十一年九月二日

 一、去る二十八日午後一時すぎ、大石寺の駐車場で車両火災が発生した。消防車が
出動し、警察が実況検分するなど大騒ぎになり、テレビや地元紙などでも報道された。
火災現場は宗務院近くの裏門南側の駐車場で、最初に大きな爆発音と共に車両一台が
炎上。近くに駐車していた他の車両も激しい炎に包まれて計十台が炎上した。消防車が
出動して消火活動を続けたが、火災発生から三十分以上経っても燃え続け、タイヤの
ゴムが焼け焦げて強烈な悪臭が地域一帯に広がった。モウモウと黒煙が舞い上がり、
近隣の人々にも多大な迷惑を及ぼしていた。最初に炎上した車の運転者は、清涼寺檀徒
のI嬢だった。

 一、この日は大石寺で前日から恒例の教師講習会が行われていたが、火災の状況を
知った講習会参加者らは騒然となった。

 塔中の関快道(大石寺執事)や妙蓮寺住職の漆畑行雄(海外部長)らが講習会参加者
と一緒に現場に行って火災の様子を傍観していた。大石寺は昔から火災が多い。因みに
大石寺の過去の大火を一覧にして紹介する。



 過去の火災一覧

寛永八(一六三一)年十月十二日   大石寺諸堂焼失(石文)

寛永十二(一六三五)年       本堂、山門、坊舎残らず焼失(古文書)

文化四(一八〇七)年五月十二日   塔中・理境坊焼失(棟札)

万延元(一八六〇)年二月二十五日  石之坊より出火、富士見庵・寿命坊・遠信坊・
                  学寮焼失(本尊裏書)

元治二(一八六五)年二月二十八日  客殿・六壺・大坊焼失(霑伝)

慶応元(一八六五)年十二月二十三日 蓮葉庵焼失(霑伝)

明治四十二(一九〇九)年六月八日  塔中百貫坊焼失(白蓮華四―六)

大正十三(一九二四)年十月三十一日 塔中本境坊焼失(院二二五)

昭和五(一九三〇)年六月四日    塔中本境坊焼失(院二七五)

昭和八(一九三三)年十月二十三日  蓮葉庵焼失(宗報A三七)

昭和二十(一九四五)年六月十七日  大坊(対面所・大奥・書院・六壺)・
                  客殿等五百余坪焼失(寺誌)。
                  日恭法主が焼死。


(御遺誡に悉く違背した大石寺が福徳さえも失った現証である。と共にこれから
何か起こる予兆ではないかと思う大坊鼠)

239検証会議:2009/09/02(水) 20:15:15
 越 洋

 平成21年9月3日

 大石寺の駐車場で8月28日午後1時すぎ、車両火災が発生し、テレビおよび地元紙
などで報道された。SBS放送、静岡新聞および地元の岳南朝日、岳陽新聞によると、
千葉県千葉市花見川区幕張の女性会社員(37歳)が運転して登山した乗用車から
出火し、付近に止めてあった車にも延焼したということである(下の写真を参照)。

 富士宮警察署の調べでは、出火した車を含む4台が全焼し、6台が半焼ないし
部分焼。法事のために大石寺を訪れた女性が普通乗用車(ステーションワゴン)を
駐車場に止めたところ、エンジン付近から火が出たとのことである。

 運転してきた女性は「アクセルを踏んでも加速しなくなるという異常が発生して
いた」と語る。駐車場に入れたところ車体の底の部分から出火して車体に燃え移った
らしい。車はイタリア製ワンボックスカーだったという。この女性は、満山供養に来て
いたそうだ。

 大石寺では7月26日の大結集総会のため、桜をはじめ杉、松の木を次々と大量に
伐採し、700年に1度しか使用しない26ヶ所の駐車場を作った。ところが、皮肉な
ことに、これが火災事故の現場になったのである。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000755.jpg

240質問ですよ:2009/09/04(金) 23:20:47
めくそはなくそだと思います。

241検証会議:2009/09/05(土) 00:59:10
 フェイク 第1054号

 (発行=09.09.05)

 また一人、忘恩の叛逆者が逝く
 原島嵩、山崎正友に続いて福井の田賀一成も
 被害者の会の幹事、「赤旗」で支援団体を批判

 関西における叛逆者の中心的存在であった田賀一成(元福井県議)が九月三日、
福井市内の県立病院で前立腺ガンのため死去した。享年七十九歳。田賀は平成四年
二月十六日付で脱会届けを学会本部に、離党届けを公明党本部に送り、三月二日には
福井県庁で記者会見して、その旨を公表した。

 以来、日顕宗・本縁寺(福井市内)の法華講に所属して幹事、講頭、総代を歴任し、
平成十六年四月に法華講連合会北近畿地方部の理事兼監事になっていた。

 なかでも平成六年十一月には山崎正友(昨年十二月二十九日に急死)の策謀で結成した
「被害者の会」の発足に参画し、竜年光や桑原春蔵(いずれも故人)らと共に幹事に
就任して、大恩ある支援団体を攻撃するという悪逆非道の行為を続けた。

 この「被害者の会」とは、山崎正友や妙観講の講頭・大草一男が陰で操る謀略
グループで、平成六年十月九日には大石寺の理境坊(住職・小川只道)に竜や鹿児島県
の山口優らと共に退転者約三十人が集って密議。この場で「被害者の会」の具体的な案
を練り上げた。

 平成七年には「民主政治を考える会」と名乗る者達が内藤国夫と共謀して支援団体を
誹謗する「紙つぶて」を全国に一千五百万枚も配布した。これも田賀が幹事を務めて
いた「被害者の会」の連中の仕業であったことが分かっており、むしろ「加害者の会」
というべきだ。

 同会の事務所は新宿区砂土原町のビルに置いていたが、家賃も払えなくなって、
平成十四年五月末に撤退。「被害者の会」は今では壊滅状態である。

 田賀は脱会した直後から共産党の機関紙「赤旗」のインタビュー記事に登場したのを
はじめ、週刊新潮、アエラ、フライデー、週刊ポスト、週刊現代、週刊実話、選択、
週刊文春、諸君、現代仏教、文化評論、慧妙など多くの三流誌紙で支援団体に対する
激しい批判を繰り返した。

 そういう面では恩知らずの裏切り者である矢野絢也と酷似しており、政治家としての
倫理、社会正義に照らしても田賀の行動は許せない背信行為であったと言わざるを
得ない。

 党員、支持者を裏切った忘恩の人生

 田賀は退会した当時、その理由として「宗門から破門処分をうけた学会に見切りを
つけた」等々と語っていた。だが、信仰上の問題だけではなく、その行動基準は
損得勘定だとも言われていた。

 つまり、公明党には議員定年制があり、田賀が離党した時は六十一歳で、任期満了後
は次の選挙に出ることができない立場にあった。そこで信仰上の問題を奇貨として
離党・脱会の好機とみて行動を起こしたのではないか、との見方である。

 田賀が市議、県議になれたのも党員や支持者の方々のお陰であり、裏切られた党員、
多くの支持者が実に気の毒でならない。

 裏切り者の石田次男、福島源次郎、桑原春蔵、信平醇浩、竜年光、原島嵩、山崎正友
らは次々に他界した。

 知恩・報恩こそが仏法を信仰する者の道であるが、田賀自身は市議五期、県議二期を
勤めながら不知恩の人生で終わった。合掌。

242検証会議:2009/09/10(木) 23:17:14
 顕正会短信

 2009.09.11

 姑息な浅井はわざと「男子十万」ばかりを強調した
 三百万先延ばしの事実を顕正会員に知らしめよう

 8月23日、長野エムウェーブで行われた「男子部大会」で顕正会会長・浅井昭衛
は、「顕正会三百万と男子精鋭十万をあと12年のちの平成33年までに、断じて
これを成し遂げたい」と言い出した。

 顕正新聞9月5日号の一面では小見出しでこの浅井の発言が「広布最終段階の
大路線決定」だという。笑わせるな、このペテン野郎!口舌の徒が!

 大体、浅井は平成16年8月22日、横浜国際会議場での「幹部大会」で「三百万を
あと10年で」と誓願し、全国から集められた7千の会員に11分もの長い拍手を
させるという拷問を行ったではないか。

 あれからはや5年。期限の平成26年までちょうど半分を過ぎた今年、浅井は自ら
誓願破りという大失態の姿を晒したのだ。これで浅井のいう「御馬前の大法戦場」から
の後退は何度目だろうか。浅井に日蓮の加護などないことがまた証明されたわけだが、
別に浅井は日蓮を信じているわけではない。

 浅井にとって「謹んで誓い奉る」などという言葉は、会員を新たな勧誘地獄に
送りだすための「進軍ラッパ」でしかなく、顕正新聞代や広布供養などを会員に
出させるための号令でしかないのだ。このような輩を「無二の師匠」と言わされる
顕正会員が哀れでならない。

 顕正会員の皆さん。忘れたか、平成16年の幹部大会を。浅井が「三百万をなんと
してもあと十年以内に成し遂げ」と誓願したとき、あなたはどう思ったのか。

 そして今、その誓願が12年も先延ばしになったことに何も疑問を感じないのか。
「なんとしても」という浅井の決意がいとも簡単に反故にされてしまって、浅井の弟子
であろうあなたは日蓮に対して、師匠がこのような体たらくで恥ずかしくないのか。

 浅井は学会や日蓮正宗など他団体のことをどうこう言える立場には無いのだ。相手に
されていないのをいいことに罵詈雑言をほざいているようだが、天に唾を吐けば自分の
ツラにその唾が落ちてくることも知らないか。

 試算によれば、三百万を平成33年に達成することは不可能だ。最大でも
書類250万枚程度にしかならない。入信報告書を35万枚増やすのに6年もかかって
いるのだ。このペースであと165万枚増やすなら30年はかかるだろう。

 基となる会員数が増えれば勧誘数も増えると思い込んでいる顕正会員もいるだろう
が、いつまでたっても5万人の大総会すらできない顕正会の実働数はどう考えても
5万未満だろう。それを否定するなら11月にでも四者合同で構わないから十万結集を
やってみせるがいい。どうだ?

243検証会議:2009/09/12(土) 15:41:15
 大石寺短信 第468号

 平成21年9月11日(金)

 日顕宗の動き


 1.「布教部長」の指名に戦々恐々の候補者たち

 このほど、宗務院に「布教部」が設置されることになった。先ごろ行われた臨時宗会
で決定したもので、今後、宗規の変更を文部科学省に届け出、認証された後に人事が
行われる。これで、宗務院は「庶務部」「教学部」「渉外部」「海外部」「財務部」
に「布教部」を加えた6部体制となる。

 7月の結集総会の席上、法主・日如より「平成27年・二祖日興上人御生誕770年の佳節
までに、すべての法華講支部が現在の講員数を50%増加すること」「平成33年・
宗祖日蓮大聖人御聖誕800年の佳節までに、法華講80万人の体勢を築くこと」という
新たな命題が発表された。いずれも荒唐無稽な空念仏にしか聞こえないが、布教部の
設置は、この命題に向けて現場の士気を高めることが狙いのようだ。

 宗内文書によれば、布教部の役割は「布教のための企画・会議の主催」「坊主・信徒
への布教指導」「布教のための文書作成」「法華講の指導」となっている。興味深いの
は、先ごろ宗会議員9人が執行部に宛てて出した「質問主意書」における指摘・提案
(「布教のための指導会などの企画」「文書布教の必要性」「法華講の指導育成」等)
がそっくりそのまま加味されていることだ。この質問主意書は、世間体を気にする日顕
の強権によって撤回させられたが、結局、質問主意書の内容が正鵠を射ていたゆえ、
執行部はそれらを採用せざるをえなかったというわけだ。

 毎年毎年、折伏の大号令をかけながらも惨敗続きの日顕宗。既存の「布教師会」に毛
が生えたような「布教部」を作ったところで結果は目に見えているが、特筆すべきは
布教部の設置によって、折伏の出来・不出来の責任の所在が明確になったということ。
つまり、折伏が進む、進まないはすべて布教部長の責任というわけだ。布教部長の人選
にあたっては、数名の名前が挙がっているというが、候補者にしてみれば「自分の寺
のみならず、全末寺の成果の責任を負う布教部長なんか、まっぴらごめん」というのが
本音だろう。


 2."でしゃばり日顕"、今年も教師講習会で講義

 去る8月27・28の両日、本山で行われた教師講習会で、またまた隠尊・日顕が講義を
行った。題材は自著の『百六箇種脱対見拝述記』。日顕は、4年前に日如が登座して
以降、毎年、教師講習会にしゃしゃり出てきては講義を行っている。一方、日如は、
簡単なあいさつでおしまい。おかげで日如は「講義ができない無能法主」「しょせんは
次の法主が登座するまでの"中継ぎ法主"」といったレッテルを貼られ、小馬鹿にされて
いる。

 日如周辺の坊主からは、「これでは猊下のメンツが立たない」「『隠尊』の『隠』は
『かくれる』の意。隠尊はいい加減、身の程をわきまえて引退すべきだ」と言った声が
聞こえてくる。

 宗内関係者によると、「最近、公の場でも、御隠尊(日顕)と御法主上人猊下
(日如)の間によそよそしい空気が漂っている」という。時々刻々、両者間の亀裂は
大きくなるばかりだ。


 3.9月の予定

  12日(土)       御難会(本山)
  13日(日)       御講(末寺)
  18日(金)、19日(土) 寛師会(本山)
  23日(水)       秋季彼岸会(本山、末寺)

244検証会議:2009/09/13(日) 23:57:51
 フェイク 第1055号

 (発行=09.09.12)

 「土下座して謝れ」と被害者が激怒
 ビラ男・小川頼宣の破滅と反逆の惨めな人生
 退転者に共通の金銭・異性問題で堕落

 騙した相手から「土下座して謝れ」と迫られている極悪人が最近、妙観講が作る
「慧妙」などで小多仁伯(本名は古谷博)と一緒に戯言を述べている。退転した
小川頼宣である。この二人のうち、古谷に関しては、本紙第八八三・八八四・八八五号
で詳しく取り上げたので、本号では小川について述べることにする。

 この小川は昨年、学会が著作権を有する写真を無断で複製し、そのうえ改変を加えて
悪質ビラに掲載して、これを販売し、また東京都の北区や足立区、大阪府堺市など各地
で配布していた。

 更に、インターネットのウェブサイトでも悪質ビラの電子データを公表し、
ダウンロード可能な状態にしていたことがある。

 これに対して東京地裁は、小川に対し①ビラの販売・配布の禁止②ビラを執行官に
保管させる③ビラをインターネットで送信可能な状態にすることの禁止を命じる決定を
下した。

 それでも小川は、性懲りもなく今年になって写真をイラストに変えて配布するなどの
悪事を重ねている。

 小川は広報室の元副部長、元九州青年部長の肩書を悪用しているが、以前から
自己顕示欲が強いうえに、酒グセも悪かった。

 九州にいた頃は、退転した福島源次郎に付き従っていた。この福島はムンクの
「叫び」に似た堕地獄の相で既に死んだが、第四代会長の座を狙って失敗し、反逆した
愚劣な奴である。

 その弟分の小川は「酒」「女」「金」という退転者に共通する三つの醜聞を抱えた
堕落男なのである。

 なかでも金銭問題では、小川に騙された被害者が数多くいて、複数の裁判で被告に
なっていた。

 例えば、いかがわしい団体を作り、組織を利用して学会員を事務員にしていたが、
給料を払っていなかった。不誠実な小川は、被害者から未払い賃金の支払いを求めて
訴えられたのである。この裁判で昭和六十一年十一月、小川は二百万円を支払うことに
なったが、それを履行したという話は今も聞かない。

 また、別の男性には、言葉巧みに「輸出の仕事をしよう」と持ちかけて一千二百万円
もの大金を拠出させ、騙し取ったこともある。

 この他、約七百万円の借金を踏み倒すなど、問題だらけの男である。「慧妙」などで
偉そうに御託を並べる前に借金を返済するべきだ。被害者からは「お前のために人生を
狂わされた全被害者に対し、土下座して謝罪せよ」と糾弾されている。更に、小川には
不倫の噂もあった。こんな小川の盟友が、あの軽薄な福島源次郎だった。

 日興上人気取りの福島源次郎と同罪

 福島は、第一次宗門事件が収束に向かおうとしていた時、それをブチ壊したのは周知
の事実だが、この福島の狂気を物語るエピソードがある。それは福島が、日興上人を
気取っていたことだ。副会長が福島を含めて六人だった当時、「他の五人は退転する
だろう」と語ったことがある。まるで先任の五人の副会長を五老僧のように中傷して
いた。

 だが、退転・反逆したのは福島一人。同様に小川も広布の団体を誹謗して、堕地獄へ
の道を急いでいる。

245検証会議:2009/09/17(木) 20:09:26
 石山だより

 平成二十一年九月十四日

 一、大石寺には、学会からの長年の御供養が埋蔵金として貯えられている。日顕は、
愚かな嫉妬から正本堂・大客殿を破壊したが、その費用五十五億以上の供養をムダに
使った罰当たり者なのである。あげくに正本堂、大客殿の基礎は、あまりにも
堅固だったので、壊せなかった。

 その基礎の上に客殿も奉安堂も建っている。要するに日顕が建てたように言って
いるが、全て学会の御供養によって成り立っているのである。


 一、八月二日、講頭・副講頭指導会が行われたが、今まで交通費など出したことなど
ないのに、全員に支給した。締めて一億。信者に交通費を払ったのは初めて、それと、
五十万総登山の全登山者に一人八百五十円の弁当が出ている。合計五億になる。こんな
事が出来るのも過去に学会からの供養があったお陰なのである。

 今も本山には、潤沢な金がある。しかし、日顕一人の狂乱により、今や末寺では、
子女の教育費さえままならない。布教部が出来たそうだが少子高齢化のご時世で、
全国末寺では、塔婆の数もガク減り、金のことしか頭にない所に布教が進むわけがない。


 一、日顕は、大学者の第五十九世日亨上人を「あの方は学者だから」とバカにして
いたが、亨師は聖僧、日顕は遊蕩坊主、月とスッポン程の差がある。

 今日、淫尊の身で二人の教師と二人の女性従業員を使い、世田谷と蓮葉庵を本山の
公用車(ベンツ)にふんぞり返って行き来している。不義密通の子彦坂君は五歳まで入籍
してもらえず、青年時代は修業を怠り、供養を遊興に使い、年を重ねるにつれて堕落の
度を増し、大謗法を重ねてきた。

 本行寺時代は向島芸者に入れあげ、京都・平安寺へ移動後は祇園の舞妓、熱海の芸者
を相手に遊びまくった。こんな極道坊主だから海外初の出張御授戒で売春婦と交わり、
料金でもめ、事件を起こしたのだ。

 こんな男が六十七世だったなんて、誰に語れるのだ!

 (亨師は木綿の衣、生活は質素、常に令法久住を思考されていた。破壊僧日顕よ
恥を知れ! 本山無任所鼠)

246検証会議:2009/09/17(木) 20:09:55
 石山だより

 平成二十一年九月十七日

 一、皆さんご存知の通り、大石寺の駐車場で八月二十八日、何とも不思議な現象が
見られた。駐車した車が突然、発火して炎上したのである。毎日新聞などでは次のよう
に報じていた。

 「二十八日午後一時ごろ、富士宮市上条、大石(たいせき)寺の駐車場で、千葉市
花見川区幕張本郷3、会社員、飯岡澄子さん(三七)運転のワンボックス車が炎上、
全焼した。火は近くに駐車していた普通乗用車など8台にも燃え移り、このうち二台が
全焼した」

 一、この日は奇しくも大石寺内で死亡した所化の三十三回忌満山(満山法要)の日で
あった。亡くなったのは飯岡道真君で当時、上野中学三年生、年分得度の十五期生で、
享年十五歳。戒名は「道真日命小比丘」。この日、炎上した車を運転してきたのは、
実は、この所化の妹さんなのである。満山に参列するための登山だった。暴力とヤクザ
まがいの徒弟制度、どんな素直な子供でも卑屈で偏屈な人間に変わってしまう。飯岡君
はその犠牲者なのだ。当時を知る関係者の一人は「死後三十二年を経た今でも、飯岡君
の悲しみは癒えることはなく、怒りの炎となって車九台を焼いたような感じがする」と
語る。別の関係者は「飯岡君が亡くなった頃、大坊西寮が火事になったことがあった。
その時、駒井に叱られてフテ寝していた所化が焼死した。あの痛ましい事件を
思い出した」と話していた。

 一、飯岡道真君が亡くなったのは昭和五十二年九月二十一日午前七時十分、死因は
心不全と発表されたが、真相は急性アルコール中毒だった。所化イジめで知られる
駒井専道に暴行を加えられた飯岡君はヤケ酒を呷(あお)った。当時を知る坊さんの話
によるとサントリーレッドを一本、飲み干したという。これでは急性アルコール中毒に
なるのもムリはないが、それ程までに悔しかったのだろう。駒専は今、北海道士別市の
安立寺にいるが、所化を死に追い込んだ罪は深くて重い。

 一、日顕が説法すると「妙の字は若い女の乱れ髪、結う(言う)に結われず、解く
(説く)に解かれず」「赤ん坊を抱いた女の幽霊が出た」等々、直ぐに脱線するのが常
である。セクハラ説法、怪談だけではなく、因縁話が好きな日顕は、この所化の急死、
満山の日の自然発火の因縁について、どう説明するのだろうか。

 (大石寺では、積もり積もった謗法の数々、ウソとゴマカシばかりの宗門に、
これから大事件が起こると危惧する大坊鼠)

247おいで^^:2009/09/24(木) 23:01:49
すごく好評のブログw
ちょっとHでどんどん読んじゃうよ。
更新もしてるからきてみてね^^

ttp://stay23meet.web.fc2.com/has/

248検証会議:2009/09/25(金) 03:50:52
 顕正会短信

 2009.09.22

 顕正会のバイブル「折伏理論解説書」再改訂?

 顕正会のバイブルともいえる書物に「折伏理論解説書 日蓮大聖人の仏法」がある。
初版発行は平成元年6月28日。顕正会は当時まだ「日蓮正宗」の冠を謳っていたが、
平成9年11月の法人格取得・自称「冨士大石寺顕正会」への改称を皮切りに、
平成11年5月の「本部指導会」における浅井の「66世・67世相承断絶」指導で、
日蓮正宗と決別した「在家路線」への転換を加速。その直後の同年11月、浅井は同著
を「改訂」とし、大幅に加筆して販売した。

 初版当時は、翌平成2年の「開創七百年」を機に大石寺が「本門寺」に改称されると
いう浅井の脳内妄想が最高潮に膨らんでいた時期で、「誑惑完結の陰謀を打ち砕き」
などと自分に酔いしれている様子が書かれているが、それから10年近く経ち、
「本門寺改称」など起きもせず、平成10年4月に「不思議の還御」が実現し、
「御遺命守護」が完結したはずなのに一向に大石寺には相手にされず、
「御遺命守護完結で宗門復帰できる」と信じ込んできた古参会員らの離反を
招きかねないと案じた浅井が行ったのが「第九章 日蓮大聖人の御遺命」
「第十章 御遺命守護の戦い」なる2章の加筆による改訂だ。

 「御遺命守護の戦いの顛末」なる約120頁に及ぶ文章を追加しているが、その内容
たるや、まず「第八章 日蓮正宗の歴史」という章を「冨士大石寺の歴史」と改題し、
いかにも自称「冨士大石寺顕正会」こそが正系門下唯一の正統だと思わしめようとした。

 また、追加された2章も何のことは無い、平成2年から3年にかけて一般書店でも
販売された浅井の2書物の焼き直しで、改訂版283頁にはあの有名な
「一千万を平成25年までに成し遂げる」という誓願を載せている。現在では
「一千万」は顕正会のタブーなのだが。

 ところが、浅井が平成16年に「三百万を平成26年までに」と誓願を改定した後も
「一千万」が掲載されたままになっていたこのバイブル、今年8月の男子部大会で
「三百万を平成33年までに」と大幅な誓願後退を発表したのを機に再改訂される
ようだ。

 「一千万の誓願」「三百万を平成26年までに」を顕正会の歴史から抹消し、浅井の
息子や娘など一族が音頭をとって先導する「広布最終段階の大路線・三百万をあと
12年で」なる誓願に置き換えようとしているのだろうが、いくら取り繕っても
昔の資料に誓願破りの証拠は残っている。それを否定するならもはや浅井に過去の
学会・宗門の書物や言動を用いた誹謗・中傷をする資格はないが、耄碌はそれも既に
わからぬ末期症状か。

249検証会議:2009/09/25(金) 21:54:19
 同盟通信 No.136

 2009.9.18

 =何をやっても成果が上がらない中、宗務院に布教部を新設し、六部長体制にする。
この布教部は、これまでの庶務部を分割するもので、布教に関して教師・法華講に
対して徹底した指導にあたるという。部長には、庶務部長だった阿部信彰を更迭し、
これにあてるもよう。後任の庶務部長に同副部長の斉藤栄順を昇格させる意向の
ようだ。

 これにあわせて、日如による命題達成のかちどきを徹底させるため、明年四月までに
これまでの全国布教区をこまかく分解し、七〜八箇所を一布教区とする体制にする。
大量の支院長・副支院長をつくるのは、若手を宗務行政にたずさわらせておくことで、
不平不満の声を封じ込む考えだ。=


 日如はこれまで、日顕による地涌倍増の命題をかかげさせていたが、その最後年と
なる本年、とうてい達成は不可能となっていた。このため、先の七万五千名大結集総会
で新たに平成二十七年に講員数五十%増、平成三十三年には議員八十万人の目標を
ぶち上げ、日顕の命題不達成の色あいをもみけした。

 あわせて日如による命題を掲げさせることで「日顕の御命題達成」という、これまで
の日顕色を払拭するとともに、登座から数えて平成三十三年の十六年間は、日如が法主
にして管長猊下であり続ける旨を宣言した総会でもあった。この在位十六年という年数
の宣言は、日達上人の二十年、日顕二十六年と比較しても、かなり遠慮ぎみといえる。

 ただ、日如による命題達成の行進が新たに始まったとはいえ、布教部長に阿部信彰を
すえることに早くも命題達成は不可能との声が広がっている。信彰は、自分で折伏する
という成果を一世帯としてあげていないし、なによりも恫喝の固まりのような僧で
ある。これまで、住職や法華講を担当する役目を利用して、実際には怒鳴りつけ、
追及し、命令するしか能がなく、愛をもって慰撫し、身銭をきって面倒をみることも
ない。このことから、布教部が恫喝部になりかねない、というのだ。

 しかも、信彰には教学力がない。理解できていないのに知ったかぶりをして、しかも
難解に説いて悦に入る。その親(日顕)の血をしっかりと引いている。悪いことに、
サル並みの反省心しかなく、仏道修行者として必須の懺悔心を持ち合わせていない。
恫喝の罪障で心はまっ黒に固められている。

 すでに信彰は「目標達成が困難な寺院には、個別に宗務院(布教部)が入り込んで指導
にあたる」と、恫喝部長らしく公言している。こういう輩に入られたら、疲弊し切って
いる各講はどうなることやら。援助寺院を責めたてるばかりで、大寺院の住職に対して
爆発的折伏をするよう指導し、大寺院を分割して新寺を建立させる方向へと持って
いけない。なによりも、万年目標未達成の重役にして富士学林長の肩書を持つ
藤本日潤能化の常泉寺をどうするのか。それら、大都会という恵まれた立地にいる住職
でありながら、折伏成果を一向に上げていない寺院に住職をさしおいて個別に指導に
入る勇気があるのだろうか、と危うんでいる。しかも、信彰の妙国寺が情けない
折伏成果に甘んじている。何をか言わんや、といったところだろう。

 日如としては、庶務部を事務部化して元の常識を持ち合わせた部長に戻しておくこと
の方が肝要だと踏んでいるようだ。布教部が意味をなさないことになったとしても、
もともと折伏弘教は全宗門として取り組んでいく以上、たいした影響はないという判断
が働いているのではないか、との見方が強い。

 信彰はこれまでの査問の際、あらかじめ「お前は、目通り叶わぬ身である。ここでの
話が終わったら、まっすぐ自坊へ帰るように」と押しつけ、その日、日如に目通りする
ことを勝手に禁じている。査問の際の不都合を日如に知られないようにするためだと
いう。いまだ里内問題は解決していない。いずれにせよ、布教部の新設は、このさい
査問に名を借りて暴言・暴行をほしいままにする恫喝の庶務部という印象を対外的にも
払拭するというのが狙いのようだ。

  (憂宗護法同盟員より)

250検証会議:2009/09/26(土) 02:45:35
 大石寺短信 第469号

 平成21年9月24日(木)

 日顕宗の動き

 1.日顕宗の明年の支部総登山の概要が発表

 明年の法華講支部総登山の概要が発表された。宗内文書によると、「全講員参加を
達成するため、1年に複数回(3回以内)に分けて支部総登山を計画してよい。但し、
2回乃至3回に分けて行う場合は、各回が平坦にならないよう、中心となる支部総登山を
決めて実施する」とのことだ。要するに、"全講員参加というノルマのため、これまでの
ように活動家が2回も3回も登山して数合わせをしないよう、メーンとなる登山を開催
して、そこにより多くの人数を結集しろ"というわけである。

 最近、「7月の結集総会の大勝利によって大歓喜の生命力が得られた」と喧伝している
日顕宗。しかしこれが事実なら、わざわざこのような断りを入れなくても、多くの
法華講員が喜々として登山してくるはずではないか。7月の結集総会で「平成27年までに
法華講員50%増」「平成33年までに法華講員80万人体勢」という無謀な命題を
打ち出した日如執行部は、わざわざ総会の写真をあしらったポスターを信徒に配布し、
折伏のハッパをかけているが、今後、折伏先に困った法華講員が学会員を狙ってくる
ことが予想される。十分警戒していきたい。

 2.「布教部長」は信彰?「同盟通信」報じる

 前号で紹介した、宗務院に新設される「布教部」の部長人事について、憂宗護法同盟
発行の「同盟通信」が報じている。これによると、布教部の部長には現庶務部長の
阿部信彰をあて、後任の庶務部長には現副部長の斎藤栄順を昇格させるもようだ。

 「平成27年までに法華講員50%増」「平成33年までに法華講員80万人体勢」との
新たな命題を発表した日顕宗。同通信は、「日如による命題達成の行進が始まったとは
いえ、布教部長に阿部信彰をすえることに早くも命題達成は不可能との声が広がって
いる」としている。確かに、この信彰という男、自分で折伏をしたことがないどころ
か、自身の寺(東京・妙国寺)は毎年、情けない折伏成果に甘んじている。一方で、
父親ゆずりの"瞬間湯沸かし器"の信彰は、これまで、住職や法華講員を担当する
庶務部長として、ことあるごとに彼らを怒鳴りつけ、抑えつけてきた。ゆえに、信彰に
深い恨みを抱いている末寺坊主、法華講員は少なくない。

 その上で同通信は、信彰の布教部長への横すべり人事を「更迭」としている。
いわく、「日如としては、庶務部を事務部化して元の常識を持ち合わせた部長に戻して
おくことの方が肝要だと踏んでいるようだ」「布教部が意味をなさないことになったと
しても、もともと折伏弘教は全宗門として取り組んでいく以上、たいした影響はないと
いう判断が働いているのではないか、との見方が強い」と。さらに、「布教部の新設
は、このさい査問に名を借りて暴言・暴行をほしいままにする恫喝の庶務部という印象
を対外的にも払拭するということが狙い」と分析している。

 最近、前法主・日顕との間に微妙なすきま風が吹いていると言われている日如だが、
いよいよ、日顕一派に対する反転攻勢を仕掛けてきたということだろうか。

 3.10月の予定

   1日(木) 御会式(末寺〜11月末)
   4日(日) 広布唱題会(本山、末寺)
  11日(日) 御講(末寺)

251検証会議:2009/09/29(火) 07:25:34
 越 洋

 平成21年9月26日

 宗門の僧俗みんなが疑問に思っていることがある。それは、隠尊日顕の女房政子の
2億円もする赤坂の超高級マンションのことだ。発覚以来、何の説明もなくダンマリ、
まずいことがあると殻に閉じこもり、ほとぼりが冷めるまでジッと沈黙している。
 宗門の前法主の女房なのだから、世間を騒がせた責任は重い。何らかの説明責任が
ある。ダンマリでは世間様に通用しない。

 そろそろ1年半になるので、ほとぼりが冷めたと思ったのか、娘の百合子が麹町の
マンションを売りに出していた。やっと売れたらしい。時価約8000万とのこと。
それで百合子が赤坂の政子のマンションに移ったようだ。

 末寺の生活状況は破産寸前。子弟の教育費はおろか、生活費さえ逼迫している。
このままでは働きに出なければ食っていけない状況だそうだ。本山に収める上納金は
更に生活を困窮させている。

 それに比べて、隠尊ファミリーは超贅沢な極楽生活の毎日だ。百合子は「人生お金が
全てよ!」と言ってはばからない。

 隠尊日顕は公金を湯水の如く使い公私混同。この男は人間としての苦労をしていない
ので、今年12月には87歳になるというのに精神的には3歳児ぐらいのわがまま
放題。人の言う事なんて聞かないやんちゃ坊主だ。死ぬまで、愚かな幼児性は
変わらない。

 やりたい放題で、二十六箇条の遺誡に全て背き続けた大増上慢であり、大謗法の
奪命者なのである。自分と政子、百合子、信彰ら一族だけが贅沢出来れば、他人様の
ことなんか関係なさそうだ。

252検証会議:2009/10/01(木) 04:56:47
 新改革通信 第103号

 平成二十一年九月三十日発行

 "死ぬに死ねない"日顕の事情(六)

 日如の巧妙な罠か?
 庶務部長からはずされた信彰の次期法主の可能性は消え、遂に早瀬ファミリーが
宗門を牛耳る!

 すでに「同盟通信」が報じているが、宗務院に新たに「布教部」というものが設置
されるようだ。そして、庶務部長であった阿部信彰が、その任を解かれ、布教部の部長
に就任する予定であるという。「同盟通信」はこの信彰の処遇を「更迭」と書いている。

 庶務部は宗務院の中枢と言って良い。日如は元庶務部長で、日達法主もそうで
あった。日如は、怒鳴るだけしか能がない信彰に庶務部長などつとまるはずがないと
思っていたに違いない。

 現に、信彰が庶務部長になってから、庶務部は機能しなくなった。その典型的な
例が、信彰が得成寺の里内を査問した際に暴力を振るった事件である。

 この問題は宗内外で話題になり、信彰がどのような処分を受けるかに注目が
集まった。ところが信彰は、自分の処分を自分で宗内に知らせるという異常な手段を
使い、宗内をあきれさせた。常識では考えられないことである。

 そして今回、信彰は新設の「布教部」に移るという。誰の目にも、庶務部から
追い出されたも同然と映る。なぜなら、「同盟通信」が分析しているように、折伏は
宗門全体で取り組むもので、布教部は、大勢に影響はない名前だけの部署だ。

 当然、日顕は不服である。なぜなら、得体の知れない「布教部長」が次期法主になる
可能性は低いからだ。しかし、信彰は暴力事件のことがあるから、ここは黙るしか
ない。そういう意味では、日如の作戦勝ちである。

 しかし、日如の狙いはもう一つあると言われている。信彰が布教部長になれば、
学習能力のない信彰のことだから、どうせ末寺住職を恫喝するに決まっている。
第二・第三の里内が生まれ、大きな問題になる可能性が大きい。

 もし、信彰が大きな問題を起こせば、次期法主の道は完全に絶たれ、阿部一族の
宗内支配の終焉となる。巧妙に仕掛けられた罠というわけだ。

 主任理事の佐藤は自分の女房の弟、新庶務部長には自分が庶務部長時代からの子飼い
である斉藤が就く予定だという。これで日如は内事部と宗務院という宗門の二大柱を
手中に収め、完全に宗門を支配できる。あとは、信彰が問題を起こすのを待つだけで
ある。死ぬに死ねない日顕にとって、一段と前途が暗くなった。今までにないつらい
秋冬となろう。

 (編集部)

253検証会議:2009/10/01(木) 04:57:11
 フェイク 第1056号

 (発行=09.09.29)

 「日如の模写本尊は拝む気がしない」
 二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ①
 許し難い、寛尊の御本尊を誹謗する日顕宗僧俗

 日顕宗のニセ法主二世・早瀬日如が九月度の広布唱題会(本山客殿)の席で、学会が
授与している日寛上人御書写の御形木御本尊を「ニセ本尊」呼ばわりして、こんな戯言
を述べていた。

 「間違った信仰、例えば池田創価学会のように『ニセ御本尊』を拝んでいたのでは、
幸せになれる道理はなく、『ニセ御本尊』こそ不幸の根源であり、血脈正統の本宗の
御本尊以外に私達が幸せになる途(みち)は絶対にない」

 こんな日如の妄言を真に受けた法華講員らが各地で「脇書きを削っている」
「開眼がない」「法主の許可がない」などと暴言を吐いて非難している。

 この「ニセ本尊」という批判に対し、これまで繰り返し粉砕してきたが、改めて、
日寛上人の御形木御本尊に対する日如ら日顕宗僧俗の誹謗に対して、
①相貌(そうみょう)②授与書き、③開眼、④許可、の四つの視点から破折を加える。

 その前に、日如が模写した本尊について簡単に触れることにする。

 日如が模写した御守本尊(左上の写真を参照)が法華講に出回り始めた一昨年一月、
著名な書道家(B展審査員)が、その本尊について次のように酷評した。

 「これは文字がオドオドしているし、たどたどしい筆跡だ。まるで小学一年生が
初めて筆を持ったみたいで、おっかな、ビックリで書いているから、こんな幼稚な文字
になる。字が上手い、下手というより、人生七十年も生きていると、文字にもそれなり
の風格が出てくるものだが、この本尊の文字からは、それがまったく感じられない。
所化小僧が住職に隠れてイタズラ書きしたような文字で到底、褒められたものではない」

 また、本尊の相貌などについても幾つかの難点がある。

 更に「余りにも下手な字で到底、拝む気にならない」と言う法華講員もいる。

 こんな粗末な模写しかできない日如が寛尊の御本尊を誹謗した妄言を粉砕する。

 学会こそが広宣流布を目指す唯一の「信心の血脈を受け継ぐ仏意仏勅の和合僧団」で
あり、「僧宝」の意義の上から平成五年九月、授与を決議した日寛上人書写の
御形木御本尊は、同上人が享保五年(一七二〇年)に認(したた)められて、
開基約七百年の古刹である淨圓寺(栃木県小山市)の寺宝として所蔵されてきた由緒
ある御本尊である。

 「六巻抄」や数々の「文段」を残され、その中でも特に「我等この本尊を信受し、
南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」
(観心本尊抄文段)等と大聖人直結の信心を強調された。

 また大石寺内に「常唱堂」を建立するなど大聖人直結、御本尊・唱題根本で広宣流布
に邁進されたのが日寛上人であった。

 (つづく)

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000763.jpg

254検証会議:2009/10/02(金) 20:01:00
 越 洋

 平成21年10月3日 

 7万5千名結集総会の記事や写真を『大白法』や『大日蓮』等に載せて「大成功」と、
大仰な宣伝を繰り返している。"7万8千423名もの大結集"と発表しているが、この
発表は、役員とか信心していない運営関係の業者の数も入っている、と内情を関係者が
知らせてくれた。観光目的で登山した未入信の家族も含まれており、その内実たるや、
宗門の宣伝とはかけ離れているのが現状である。

 オマケに、御開扉の際、一人が2〜3枚の御開扉券を出し、受け取る方も気付かない
ふりをして黙認。実に、いい加減な参加数の実態なのだ。

 総会終了後、坊さん連中が集まって、派手に慰労会をやっていた。そこでは"毛ガニ"
などの豪勢なご馳走に舌鼓を打ちまくっていたそうだ。坊さんは、信者が長時間バスに
揺られ、ヘトヘトになって参加していることなんか"ソンナの関係ナイ"そうだ。

 総会当日、"新たな御命題"と称して『①平成33年宗祖日蓮大聖人御聖誕800年に
おける80万法華講の達成 ②平成27年日興上人御生誕770年における法華講員の
50パーセント増』と発表した。世帯数ではなく人数でのカウントになったことで、
法華講員は今後、登山のノルマと折伏のノルマを更に課せられることになった。
折伏・弘教の活動が嫌で寺に移った脱会者にとっては何よりの苦痛。"折伏・折伏"と
寺側が檄を飛ばせば飛ばすほど、更なる寺離れが加速することは間違いない。

 できもしない目標は坊さんの誇大妄想の産物。"その時、俺達はあの世だ。この世には
いないから関係ない"と70歳のオジサンが苦笑していた。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000764.jpg

255質問ですよ:2009/10/02(金) 21:58:08
めくそはなくそだと思います。

256検証会議:2009/10/03(土) 05:55:54
>>255

めくそはなくそ=現法主と前法主 だよね(笑)

257質問ですよ:2009/10/03(土) 08:49:24
>>256
えっ?大丈夫ですか(笑)

258検証会議:2009/10/03(土) 17:36:54
 大石寺短信 第470号

 平成21年10月1日(木)

 日顕宗の動き

 1.「御会式」への勧誘に注意を

 日顕宗の各末寺では、10月から11月にかけて「御会式」が行われる。
 大聖人御入滅の日(10月13日)にちなみ、「御本仏の滅不滅を祝し、仏恩報謝と
広宣流布を誓う」とされる御会式は、末寺にとって年間の最重要行事であり、
供養集めの絶好の機会でもあることから、どの寺も結集に血眼になっている。
 坊主たちは、布教区内でローテーションを組み、互いの寺の御会式を回っていく
など、協力態勢が敷かれる。

 7月の結集総会で「平成27年までに法華講員50%増」「平成33年までに法華講員
80万人体勢」といった新たな命題が打ち出されて以降、法華講機関紙「大白法」
(9月16日号)は日如の「時を移さず折伏戦に入り、まずは本年度の折伏誓願を必ず
達成すること」との言葉を紹介して、「講組織を挙げて大折伏戦を展開し(中略)
創価学会員を一刻も早く救い出そう」と呼び掛けており、最近、法華講員が学会員宅に
電話をかけてきて、執拗に勧誘するケースが各地で多く見られる。今後、この御会式を
折伏推進の足がかりにしようとしてくるだろう。

 これまでも、「(御会式で飾る紙製の)お花を一緒に作りませんか」「一年で
一番大事なお寺の行事に参加しましょう」などと言葉巧みに誘いをかけてきた例が
あったが、今回もなりふり構わぬ勧誘に出てくることが予想される。十分に警戒して
まいりたい。

 2.明年の登山計画に末寺から早くもブーイング

 前号で紹介した明年の支部総登山の計画の概要について、各地の末寺からブーイング
が起こっている。明年の支部総登山の概要は、"全講員を参加させろ""必ずメーンとなる
登山会を開催し、そこにより多くの人数を結集しろ"というもの。

 この、「本山により多くの信者を」という有無を言わせぬ打ち出しに末寺坊主は
怒っているのだ。と言うのも、信者は「登山したら多くの供養を包まなければ
ならない」という強迫観念にとらわれている。つまり、信者が本山に登山すればする
ほど、末寺への実入りが減ってしまうというわけだ。本年は7月の結集総会に加えて、
数合わせの50万登山が行われてきた。本山は丸々と肥え、末寺はやせ細る一方である。
ほとほとまいった末寺坊主たちの「本山は末寺をつぶす気か」という嘆きも納得できる。

 昔から本山と末寺の関係は「親」と「子」にたとえられてきたが、末寺坊主の間から
は、「子どものことを考えるのが親。子どものカネをむしり取る親がどこにいるか」と
いった辛らつな怒りの声も聞こえてくる。

259検証会議:2009/10/04(日) 02:31:06
 顕正会短信

 2009.10.04

 珍しく発行日前に顕正新聞が届いた

 雑感

 顕正新聞といえば、毎月3回、5のつく日(5日、15日、25日)に発行される
「はずの」顕正会機関紙であるが、発行日を一週間過ぎても届かないこともあるなど、
その杜撰さは各方面から非難を浴びている。年間購読料は毎年5月に一括納入で
8500円なのだが当然郵送料込みで、しかも毎号6頁か8頁のくせに一部200円。
月に3回発行で年に36回。計算すると新聞本体にかかるのは年7200円となるの
だからボッたくりもいいところである。

 ところでその郵送料だが「月3回以上発行する新聞」という位置付けの第三種郵便物
なので、帯封を巻いた「一部」を50グラム以下とした場合で一通40円となる
だろう。二部以上の発送の場合については煩雑なので割愛するが、36回発行されたと
して年間送料は1440円となるので、8500円の購読料では一通あたり
年間140円の赤字となってしまう。これではボランティア・慈善事業嫌いの浅井も
やってられないだろう。そこで顕正新聞を年に2〜3回、「合併号」として発行して
いるのだが、昨年は2回あったので発送は計34回。これを元に年間の郵送料を計算
すると1360円で、新聞本体と合わせてもまだ60円の赤字が出る。顕正新聞の
発行部数は非公式ながら、昨年秋に顕正会敗訴で確定した名誉毀損裁判の過程で
小峰編集人が20万部と証言しており、これに基づいた計算では年間の赤字は
1200万となる。「一千万」は達成された(笑)ことになるがそれでは浅井の儲けは
無い。

 そこで編集部が着目したのは、日本郵便の「大口・法人向け料金」の割引率の
最大活用だ。例えば顕正会本部・配送センターのあるさいたま市の場合、5千部以上の
発送物を郵便番号別に分けてさいたま新都心郵便局の窓口に持ち込めば11%の割引に
なる。さらに、配達に3日から7日の余裕を承諾すればプラス4〜6%割り引かれ、
最大17%の割引が得られるのだ。顕正新聞の第三種郵便物としての料金を一部40円
として計算すると切り上げて7円の割引となる。年34回発送されたとして、購読部数
が1部の者への発送では年238円浮かすことができる。それが20万部となると一年
で4760万円の節約となる。もちろん複数部購読者もいるだろうが、圧倒的に
帯封購読者(一部か二部)が多いはずなので、節約額が大幅に減ることは考えにくい。
仮にこの通りであれば赤字どころか相当儲かっていることになる。こうやって捻出した
儲けが積もり積もって数十年の結果か、浅井は地方会館すらスッポリ入る広さの敷地に
建つ豪邸で一族ぬくぬくと暮らせるのだ。

260検証会議:2009/10/04(日) 21:16:53
 フェイク 第1057号

 (発行=09.10.02)

 慢心の日顕が日寛・日亨上人を侮辱
 二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ②
 学会授与の御本尊は草創期に受けたのと同じ相貌

 日寛上人は、前号で述べた通り日蓮大聖人直結、御本尊と唱題根本で広宣流布に邁進
された中興の祖である。その意味で、世界広布に邁進する創価学会の信心と合致して
いる。

 この点、教学が苦手で御書も読めず、講義も出来ず、題目はあげない、朝夕の勤行も
殆どしない、折伏も出来ない無能で信仰心の欠片もない日如とは正反対である。その
日如が、日寛上人の御本尊をニセ呼ばわりするとは増上慢も甚だしい。

 日如は法門に関する知識は「所化並み」と言われており、日寛上人の御形木御本尊を
「ニセ本尊」と言うだけで、その理由には一切、言及していない。

 ところが、ニセ法主元祖の日顕が平成九年八月二十八日の「八時間説法」で、
日寛上人の御本尊の相貎に難癖をつけて「日寛上人の御本尊様は……戒壇の御本尊様の
十界をお書きになった御本尊様が一幅もないんです。全部、略本尊なんです」
「こんなこと言うと、まあちょっと、悪いかもしれないけどね」と中興の祖を侮辱して
いた。

 この他にも日顕は、日亨上人とか歴代法主を小馬鹿にする発言が目立つ。特に、
平成四年八月、全国教師講習会の際、碩学の日亨上人を批判した事実を忘れては
ならない。

 日顕は「堀上人がね、チョットわけ分かんないようなこと仰っている」と非難。
活字では雰囲気が伝わらないが、侮辱した口調だった。

 日顕は言葉を続け「堀上人はね、学者だから……だから、あんまり会通がないんです」

 日顕が言う、日亨上人の「わけ分かんないこと」とは、謗法坊主の日精について
生涯、造仏読誦論者であったと日亨上人が批判されたことを指す。「わけ分かんない
こと」を口走ったのは日顕の方なのである。

 この慢心の日顕は、日寛上人の書写の作法にも言及。「八時間説法」の小冊子では、
都合の悪い個所は削除しているが、日寛上人の御本尊の相貎まで云々した大増上慢で
ある。

 また「二乗が欠けているから二乗作仏の意義が…」と言いかけた時、場内の異様な
反応に気付き、慌てて「略本尊も正本尊も、悉く尊い御本尊であり、一切唱題の功徳に
相違はありません」と取り繕った。

 これは当然で、日興・日目上人書写の御本尊にも十界の代表しか挙げられていないの
がある。特に、学会が現在、授与している御本尊は、草創期に流布した日寛上人の
享保三年の御本尊と全く同じ相貌なのである。

 学会員は、その御本尊を信受し、何百万もの人々が厳然たる功徳の実証を示したので
あった。

 こうした過去の経緯があるため、日顕も、日寛上人の御本尊の相貌にケチを
つけながらも「略本尊だからニセ本尊」とは言い切れず、「授与書きの削除」
「法主による開眼がない」「法主の許可がない」と文句を言うしかなかった。

 だが、これも日顕の邪見である。御本尊の本義、宗門の歴史から見ても、すぐに化け
の皮がはがれる難癖でしかない。(つづく)

261検証会議:2009/10/05(月) 23:27:45
 顕正会短信

 2009.10.06

 顕正会の“鬼門”、四国で男女大幹部が失脚

 発行日より前に届いた顕正新聞10月5日号の1面はなかなか面白い。まず目に
付いたのは男子部人事で、男子第5部長の小沼貴寛が男子31隊の隊長に就任した
ことだ。第31隊といえば、かつては高知を拠点に四国全域をまとめていた組織で、
前隊長の桑原圭一は同じ名字からして夫婦と察せられる、前第9女子部長の桑原緑子と
共に「四国を牛耳っていた」のだが、今回の交替で消息がわからなくなった。

 桑原緑子も7月総幹で第9女子部長と高知会館管理主任の職を解かれた後の消息が
わかっていない。揃って脱会した可能性もあろう。なぜなら四国には壮年部組織が無い
からだ。12月5日号に掲載される「成果発表」に名前があるかどうか注視したい。

 さて、新31隊長の小沼貴寛だが、他にも第41隊長、本部幹事、そして衛護隊副長
という役職を掛け持っているのだが、埼玉在住でありながら担当地域は九州と四国、
そして仙台とまぁ広いこと遠いこと。その上に衛護や本部幹事もやらねばならないの
だから、どれも中途半端になることは必定だ。早晩疲れ果てて消えていなくなる
だろう。女子部にしても四国の第9女子部で区長の交代が数件発生しており、やはり
桑原緑子絡みでなにかあったのだろう。

 顕正会にとって四国、とりわけ高知は鬼門だ。平成元年当時、顕正会の地方会館は
高知にしかなかった。情報によれば高知会館の須弥壇は本部会館のそれに勝るとも
劣らないものだったと聞く。

 そんな高知に平成2年、当時の高知支部長など多数が脱会する事態が発生し、
一時壊滅状態となった。平成14年には元地区部長が交際中の婦人部員親娘を殺傷し
逮捕、懲役15年の実刑が下った。顕正会員の殺人事件はいままでこの高知の一件だけ
である。

 そして平成17年には高知会館安置の本尊が会員によって「不敬」されている。
破られたのか汚されたのかは不明だが、いつしかこの体たらくだ。ついでに言えば、
四国壮年部はまったく成果が出なかったので男子部に編入されてしまった。子供や孫の
ような年代の若造から勧誘のゲキを飛ばされるようではさすがに愛想をつかすだろう。
要介護や身寄り無しなどで行き場の無い者だけがしがみついて残らざるを得ないのが
実情だ。

 そういえば同じ1面では中国紙が掲載した「新中国に影響を与えた日本人5人」の
話題を取り上げていたようだが、日頃中国を口汚く誹謗しているくせにこういうネタは
取り上げる節操の無い編集だ。このネタについては次号でカラクリを紹介し、浅井らの
知らない事実を明らかにする。

262検証会議:2009/10/05(月) 23:28:13
 フェイク 第1058号

 (発行=09.10.04)

 「御本尊を信じられず苦しい」と日顕
 二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ③
 日寛上人の御心に適う世界の人々への授与

 日寛上人書写の御本尊を誹謗する日顕は絶大な妙法の力用を疑っているのである。
事実、東京・八王子の平山広篤(広妙寺)が昭和六十一年六月十三日、御講で、日顕の
不信謗法を暴露した。

 「(日顕に)私が『信心してきて一番苦しんだことは何ですか?』と質問した。

 すると『なかなか御本尊を信ずることができなかったことだ。今でも本当に信ずる
ことができないでいる』と仰せられた」

 この平山の話を聞いた婦人は強い衝撃を受けて日記に記していた。

 この一事が日顕の正体を物語る。御本尊の仏力、法力を信じていないからこそ、
日寛上人の御本尊に平気で難癖をつける。その難癖の一つが授与書きについての
言い掛かりである。

 日寛上人から授与を受けた本證房日證師への授与書きが御形木御本尊にはない点を
挙げて「日證師の心を踏みにじる」「功徳がない」と愚かなことを言う。

 御本尊の余白に記された氏名は日興上人が「所賜の本主の交名(きょうみょう)を
書き付くるは後代の高名の為なり」(富士一跡門徒存知の事)と述べられているよう
に、授与を受けた人の功績を称え、証明する意義がある。

 しかし、その名前は御本尊の本体に属するものではなく、授与書きの有無は、力用
とは何ら関係がない。また、書写した法主及び授与された人の心を踏みにじるとか、
その意志を傷付けることにもならない。

 日顕自身、説法の中で弘安以降に書かれた大聖人の御真筆の御本尊でも授与者の名前
のない例が二割近くある事実を認めていた。つまり、授与書きが御本尊の本体には
属さないことを自らが明かしていたのである。

 また、日顕らは「日證師個人に授与された御本尊を世界に流布するのは罰がある、
功徳はない」との邪見を得意気に言うが、厳然たる功徳があることは世界のメンバーが
証明している。

 板本尊の脇書きを削っていた日顕宗

 日寛上人が御本尊を書写された御心は広宣流布にある。その御本尊を寺の倉庫に保存
しておくのではなく、世界の人々に授与することこそ、日寛上人並びに日證師の心に
最も適(かな)っているのである。

 更に、付言すると、学会が授与している御形木御本尊は、日顕宗の輩が騒ぐような
「授与書きを削った」わけではない。正しくは「御本尊の本体の部分だけを
御形木御本尊にした」のである。淨圓寺に所蔵されていた御真筆の御本尊の授与書き
には、何一つ手は加えられてはいない。

 因みに、学会草創期に授与された日寛上人の御形木御本尊も、近年の御形木専用に
書写された御本尊と違って、左上に「授与之」という文字が記されていない。

 ということは現在、学会授与の御本尊と同じように、御本尊の本体の部分だけを
御形木にして印刷したものであったことが明白である。

 この脇書きに関しては、日顕宗こそが寺の本堂の板御本尊の脇書きに刻まれた、
かつての総講頭の願主名を削り、或いは漆で塗り潰して見えなくするなど、その御本尊
を書写した日達法主らの心を踏みにじっていたではないか。

 (つづく)

263検証会議:2009/10/07(水) 19:30:23
 顕正会短信

 2009.10.07

 「お祭り」に踊る阿呆は節操なし

 顕正新聞10月5日号1面の下のほうに囲み記事が掲載されている。何かと思えば、
浅井が嫌ってるはずの中国共産党の機関紙「人民日報」傘下の新聞「環球時報」が、
中華人民共和国成立60年にちなんで行った「中国に影響を与えたが外国人60人」
なる「世論調査」を取り上げ、日本人では田中角栄、松下幸之助、小泉純一郎、
高倉健、渡辺武(順不同・敬称略)の5人が選ばれたが、創価学会の池田名誉会長が
選出されなかった、と小バカにしたものだ。

 敵対する学会をこき下ろすためには、たとえ今最も力を入れて誹謗中傷している
中国共産党の機関紙の内容でも「そんなの関係ねぇ」とばかりに取り上げるあたり、
浅井の節操の無さをアピールしていることに気づかない愚かさだ。

 所詮、浅井が宗門を誹謗中傷するに当たっても、創価新報などが報じた内容を
あたかも自分だけが知っているとばかりにさぞもったいぶって話す体たらくだから性質
が悪い。こういうのを「他力本願」というのである。

 ところで、浅井が有難がって用いたこの「新中国に影響を与えた外国人」という
企画、東京新聞などの報道によれば、「インターネット投票」に加えて中国社会科学院
などが意見を加えて発表されたものとされ、中にはマイケルジャクソン、
マイケルジョーダン、果てはカーネルサンダースまで選ばれているのだから真面目に
選んだのかどうかすら不明だ。

 実はこれは政治的主導で行われた「官製世論調査」であり、新中国建国60周年を
祝う「提灯記事」なのだ。渡辺武・元アジア開発銀行総裁が「対中援助の先駆者」とは
日本人でもなかなか知る人は少ないだろう。

 つまり、中国政府の側から見た「対中国実利貢献度」も大きな選考要因なのだ。
ちなみに池田名誉会長は中国では「思想家」「教育家」という位置付けであり、思想家
の類はルソーやニュートンなど200年以上も前の人物ばかりで生存者は選ばれて
いない。存命であるため掲載されていないと見るのが妥当だ。また、中国は学会を
政治的に利用していないのだ。

 ちなみに、中国社会科学院日本研究所は2003年、
「中日関係30年重要歴史人物及び友好人士」という研究を行い同ホームページで内容
を公開しているが、中国人7人、日本人10人の中に池田名誉会長の名前と略歴も
記されている。厳然たる事実であるが、日本のメディアがこれを報じることは決して
無いだろうから、情報収集能力の無い顕正新聞編集部には知る由も無いだろう。
他国侵逼の相手と位置づける中国の「お祭りネタ」に踊らされてはしゃぐ幼稚な愚かさ
に付けるクスリはもはやない。

264おいで^^:2009/10/12(月) 11:10:43
すごく好評のブログw
ちょっとHでどんどん読んじゃうよ。
更新もしてるからきてみてね^^

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265検証会議:2009/10/12(月) 15:11:27
 越 洋

 平成21年10月9日

 10月12日は弘安2年に日蓮大聖人が一閻浮提総与の御本尊を御図顕されてから730年の
佳節にあたる。末法万年尽未来際の一切衆生を救済するために残された御本尊であり、
坊主の専有物ではない。大聖人は「大願とは法華弘通なり」「広宣流布は大地を的と
するなるべし」と広宣流布の方途を示されたが、日蓮正宗は日顕という大謗法の奪命者
の出現によって、現在、信徒数は僅か数万という体たらくである。立正安国論750年の
佳節にも拘わらず、7万5千名の結集さえもままならない。50万総登山と謳いながら、
その実態は一人が何回も登山させられ、インチキ極まりないゴマカシの実情だ。
平成27年に現状の50パ−セント増、平成33年には80万人達成などと吹聴しているが、
出来もしない夢物語である。この頃、日顕も日如も、この世には存在しないから無責任
な目標を打ち出すのだ。

 一方、平成3年11月28日、無慈悲な一片の紙切れの郵送で破門された学会ではあるが、
SGI会長のもと異体同心の鉄の団結で、今や世界192ヶ国・地域に世界広布が進展して
いる。仏意仏勅に叶ったSGIは大聖人直結、御本尊と御書根本で、各国のメンバ−は
喜々として、世界平和と其の国の繁栄のために貢献している。大聖人の御遺命の通りの
見事な実証である。

 あの世紀の大殿堂・正本堂は8百万信徒の血と涙と汗の赤誠で建立された。建物は
法滅坊主によって破壊されても、御供養に参加した歓喜の思い出と正本堂の雄姿は、
一人一人の生命に燦然と輝いている。誰人もその思いを消すことは出来ない。

 11年前の平成10年6月23日、奪命坊主の日顕が正本堂を破壊し始めた。破壊の理由を
地震や赤さびのせいにして屁理屈を言っていたが、本山に金が貯まって慢心になり、
学会への嫉妬心から破壊したのである。正本堂は世界の建築家からも千年以上は絶対に
持つと証言されていた。平成10年9月28日、正本堂円融閣の最後に残っていた5本目の
大円柱が倒されたが、同じ日に日顕自身も倒れて都内のK病院に一ヶ月間、入院した。
御本仏の怒りに触れた厳しい現証だった。日顕が犯した悪行の数々は、除歴は当然、
後世の歴史の上で裁かれることは間違いない。破壊坊主・日顕の蛮行を許した宗門の
側近達も、必ずや、その大罪を問われることだろう。

266検証会議:2009/10/12(月) 23:56:04
 フェイク 第1059号

 (発行=09.10.11)

 開眼は不要、世界の友が功徳満喫
 二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ④
 日顕の妄言、御本尊の功力は特定の人に限定?

 日顕は、今でも御本尊を信じていないため、日寛上人書写の御本尊に暴言を
浴びせる。日寛上人が日證師に与えられた「一機一縁」の本尊だから、御形木にして
他の人が拝んでも功徳はない旨、バカなことも言っていた。まるで、御本尊の功徳が
特定の人に限定されるかのような妄言である。

 「一機一縁」とは大聖人が門下に授与された御本尊について使われる言葉で、
出世の本懐たる「一閻浮提総与」の大御本尊と区別する意味で用いられる。

 つまり、「一機一縁」の御本尊とは、本来は大聖人ご在世当時、門下に与えられた
御真筆の御本尊のことを指す。日淳上人も大聖人御在世の弟子や信徒を導くために授与
された御本尊を「一機一縁の御本尊」だと明示されている。

 こんな初歩的なことも知らないで、日寛上人の御本尊について「功徳がない」とは
大謗法の発言である。

 厳然と功徳があることは世界の友が実証している。

 次に、日顕は御本尊には法主による開眼が必要であるとして「以前から今日に至る
まで、あらゆる御本尊は、下附のために総本山から離れる前に、丑寅勤行において法主
が祈念をしている」とも語っていた。

 この日顕の話は真っ赤なウソである。本山での法主の開眼など御形木御本尊について
は行われていない。

 日顕は「以前から」とか「古来」という言葉を使って、昔から法主が開眼した御本尊
を授与していたかのように誤魔化すが、学会の出現以前は日蓮正宗に入信する人は殆ど
皆無に等しい状況だった。

 だから、御本尊を下付する必要もなかったのである。時折、入信する人が現れた
場合、それぞれの末寺が勝手に御本尊を授与していた。

 当然、法主がその都度、開眼するとこともなかった。たとえば、東京の妙光寺が
下山日布(五十五世)、法道院が大石日応(五十六世)、常在寺が阿部日正
(五十七世)と、それぞれ有縁の法主の御形木を持っていて、勝手に印刷・表装し、
授与していたのである。

 淨圓寺が離脱の時、「しまった」と日顕

 また、香川の讃岐本門寺では過去に、塔中坊に安置されていた日興上人の御本尊を
御形木にして多くの檀家に下付していた。

 更に、学会員が草創期に授与を受けていた日寛上人の享保三年の御形木御本尊は池袋
の法道院で印刷し、各末寺は本山を経ずに直接、法道院から受け取っていた。

 即ち、学会草創期に流布した享保三年の日寛上人の御形木御本尊は、相貌も、
授与書きがない点も、法主による開眼などがなかったという点までも、現在の学会授与
の享保五年の日寛上人の御形木御本尊と全く同じなのである。

 こうした事実を知っている日顕は、平成四年十一月十二日、淨圓寺の成田宣道住職が
邪宗門から離脱した時、周囲の者に「しまった、あの寺には日寛上人の御本尊が
あったな」と悔しそうに呟いた。

 それは以前の妙光寺、法道院、常在寺と同様に今度は浄圓寺の申し出によって、
日寛上人の御形木御本尊が下付されるようになると、それを阻止する正当な理由がない
からだ。(つづく)

267検証会議:2009/10/12(月) 23:56:30
 フェイク 第1060号

 (発行=09.10.12)

 ワシントンDCの妙宣寺が焼失
 日蓮正宗の寺で大火災、被害は八十万ドル
 二百二十人が集った「お会式」の時に炎上

 日蓮正宗では、大御本尊御図顕の日の前日、アメリカで大事件が発生した。
 アメリカ国内に六ケ寺ある寺の一つ、ワシントンDCの妙宣寺(住職・村田雄瑞)が
火災で焼失したのだ。火の手が上がったのは十月十一日午後零時二十分頃。寺の中
には「お会式」のために、約二百二十人の法華講員が集っていた時、寺の倉庫から出火
した。

 初めのうち、女性信徒の一人は「いつもより煙の多いお香を使用していると思った」
と言い、別の信徒は「他の建物の火事だと思っていた」と言う。ところが、自分達の寺
が燃えていると知って、慌てて逃げ出したため、死傷者はいなかったようである。

 通報を受けた消防署では百人近い消防士が出動し、懸命に消火に当たった。道路は
ロレーヌ通り、デニス通りなど双方向とも数時間にわたって閉鎖され、大渋滞を
引き起こした。

 捜査関係者によると火災はお香と灰を格納するのに使用されているクロゼット内で
起きたという。

 また、火災救急当局のオスカー・ガルシア署長は「寺側の儀式用具の火の消し方が
不適切で、クロゼット内の他の物に燃え移った」と指摘。火事が引き起こした損害は、
概算で八十万ドルにものぼると言明した。

 年に一度の「お会式」の日に、大火災を起こすとは、信心の弛緩としか言いようが
ない。この妙宣寺の火災は「ワシントンポスト」でも写真入りで報道された。

 火災といえば去る八月二十八日午後一時過ぎ、大石寺の駐車場で千葉市から登山した
女性講員が乗ってきた普通乗用車から出火、十台の車が焼けたばかりだ。昭和五十二年
には所化が焼死した大火もあった。寺は少ないが、火災が多いのも宗門の特徴の一つで
ある。

 妙宣寺の火災の残骸を取り除く消防士(「ワシントンポスト」より)

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000768.jpg

268検証会議:2009/10/16(金) 13:39:32
 大石寺短信 第471号

 平成21年10月15日(木)

 日顕宗の動き

 1.日顕宗の明年は「広布前進の年」

 明年の日顕宗の年間方針が「広布前進の年」に決まった。また、年間実践テーマは
「勤行・唱題で広布へ前進」「折伏実践で講員増加」「全講員で支部総登山」の3項目
だという。

 毎年毎年、失敗を繰り返しながら、威勢の良いスローガンを次から次へと繰り出す
だけでは何も改善されまい。そもそも、大失敗に終わった平成21年までの倍増計画の
総括は行われたのか。

 今回の末寺住職向けの宗内文書に並ぶのは、「『折伏せよ』との一点に尽きます」
「広布達成のその日まで死身弘法の御聖訓を奉戴して、指導教師が率先垂範し、不断の
折伏を」「指導教師の広布にかける情熱と意気込み、僧侶としての慈悲と指導性、
言行一致の振る舞いがそのまま講中活動に反映されます」と、相変わらずの
"上から目線"のハッパばかり。

 しかし、この文書を発信している執行部の役僧の寺の実態はどうか。昨年、折伏目標
を達成したのは1カ寺だけ。いつも鬼の形相で坊主達を締め上げる庶務部長・阿部信彰
の妙国寺も惨敗。海外部長・漆畑もダメ。渉外部長・秋元もペケ。財務部長・長倉の寺
も散々。総監・八木の法道院に至っては、目標の2割台しかできていないのだ。
これでは、煽れば煽るほど、末寺住職の怒りの炎に燃料を注ぐだけ。
 来年の年間方針は、いっそのこと、「執行部・率先垂範の年」にでもしたらどうか。

 2.アメリカの妙宣寺で法要中、火災

 アメリカの首都・ワシントンDCの妙宣寺(住職・村田雄瑞)で11日正午ごろ
(日本時間12日午前2時ごろ)、火災が発生した。火災が起こった当時、寺では
「御会式」が行われていた。御会式とは、「御本仏の滅不滅を祝し、仏恩報謝と
広宣流布を誓う」とされる、末寺にとって年間の最重要行事である。出火原因は、香や
灰を格納する物置での火の不始末とのこと。

 参加していた法華講員にケガはなかったというが、消火作業などのため、約100人の
消防隊員が駆り出され、近隣の大通りは約600メートルにわたって数時間も封鎖された
ため、交通渋滞が発生し、街は大混乱に陥った。火事を報じたワシントンポスト紙に
よれば、現地当局は、この火災による損害総額を約80万ドル(約7千200万円)と算定
しているという。住職の村田はこの件の責任を取って近々クビになる、という情報も
伝わってきている。

 日顕宗は7月の「7万5千総会」の折も、無計画、無謀な結集を行ったがために、
周辺住民、関係者の顰蹙を買ったばかり。これが日本だけの話かと思えば、日顕宗は海
を越えた地でも地域の人々を困らせているのだ。

 火災といえば、8月28日には、大石寺の駐車場で登山者の車から火が出て、10台もの
車が焼けたばかり。かつては、本山・大坊の寮が焼けて所化が亡くなったことも
あった。日顕宗では常々「此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば(中略)後生の
大火炎を脱るべしと仏記しをかせ給いぬ」(御書906ページ)との御文を引き、
"御本尊を受持すれば災難を逃れることができる"と宣伝しているが、"「登山すれば
功徳格別」のはずの総本山で車が丸焼け""宗祖への報恩感謝の法要中に寺が燃えた"
−−こうした厳しい現実を引き合いに出すまでもなく、御本尊を受持したところで罰の
現証だらけ。言うまでもなく、日顕宗の信心が間違っているという証左にほかならない。

269検証会議:2009/10/16(金) 13:39:56
 新改革通信 第104号

 平成二十一年十月十三日

 時が経てば経つほど、浮き彫りになる正本堂破壊の"狂気"
 信徒の供養で建てられた堂宇を自ら破壊した僧は、仏教の歴史の中で、
日顕ただ一人!

 昭和四十二年十月十二日、正本堂建立発願式
 昭和四十三年十月十二日、着工大法要
 昭和四十四年十月十二日、定礎式
 昭和四十五年十月十二日、上棟式
 昭和四十六年十月十二日、躯体完成式
 昭和四十七年十月十二日、正本堂完成奉告大法要

 このように、正本堂の建立は世紀の大イベントであった。完成奉告大法要の
ビデオを見た者は正本堂の威容と厳かな式典の模様に息を呑む。

 ところが、平成十年六月二十三日、池田名誉会長に対する嫉妬の感情に支配された
日顕の命により、突然、正本堂の破壊が始まった。この暴挙に対して、設計者の横山氏
や建築家など多くの人々が反対を唱えたが、日顕はその声に一切、耳を貸さず、破壊を
断行した。

 解体に際して、多くの一流建設業者は、その依頼を断った。当たり前である。
社会的にも、人道的にも許されることではない。

 正本堂は普通の堂宇とは訳が違う。八百万信徒の浄財で建立された世紀の大殿堂で
ある。これだけの大殿堂を正当な理由もなく破壊した事件は仏教史に存在しない。

 ましてや僧が信徒の浄財で建てられた堂宇を破壊するなど、絶対にあり得ないことで
ある。すなわち、日顕の名前は"反仏教の魔僧"として永遠に刻印されるのだ。

 日顕は"信徒の浄財を破壊する"という、僧として決して許されない大罪を犯した。
まさに"狂気"のなせる業である。現法主の日如には絶対に出来なかったことであろう。

 しかし、日顕が犯した罪は、それだけではない。

 正本堂は単なる建物ではない。世界八百万信徒の真心の供養であると同時に、大聖人
の御遺命である広宣流布のために戦った、師弟不二の信心の結晶である。

 すなわち、日顕は、宗祖以来の魂である師弟不二の信心に、自ら矢を向け、
極楽寺良観と同じように、日蓮門下を迫害する側に回ったのだ。

 この"狂気の蛮行"は、時が経てば経つほど、浮き彫りになっている。いずれ宗門は
日顕を歴代法主からはずすしかない。不幸にも、日顕一人のために、日蓮正宗そのもの
が"反仏教・反大聖人の団体"となり下がっている。刑期執行と同じで、結論は出ている。
あとは時間の問題である。

 (編集部)

270検証会議:2009/10/18(日) 07:07:01
 フェイク 第1061号

 (発行=09.10.14)

 組織を乱した原島精子(嵩の母)
 「慧妙」に掲載した原島昭の駄文を一蹴する
 派閥を作り役職解任、謹慎させられた悪女

 原島昭(故・嵩の実兄)が「慧妙」の十月一日付に「私が見た創価学会」と題し、
我田引水の駄文を書き殴っている。戸田第二代会長のもとで広布勝利の道を拓いた
池田名誉会長の若き日の戦いの足跡に泥を塗り、原島家のことを自画自賛。知らない人
が読むと、昭や反逆者・嵩の母である原島精子が学会の基礎を築いたかのように錯覚
させられるデタラメな記事である。

 「昭和十三年、私の二つ違いの弟・嵩が生まれ、私が三歳、弟が一歳を過ぎた頃、
母が、創価学会を通じて日蓮正宗に入信しました。その翌年には、父も母に説得されて
入信しました。入信してからの両親の布教活動は、子供の眼から見ても驚くべきもの
で、蒲田支部の基礎を作っていった」といった具合で、以下は略す。

 幼児が驚く布教活動とは一体、どんな活動か?

 雉も鳴かずば撃たれまい――昭クンが必要以上に母親を宣揚し、他人の功績を愚弄
するから、ここに真相を記す。実際は、原島精子は蒲田支部の基礎を作るどころか、
学会内に派閥を作ろうとしていた。そのため、草創期の諸先輩の原島精子に対する評価
は厳しい。

 「戸田先生の法華経講義を受講せず、先生の指導を軽視し『私が御書講義をして
やる』と学会員を自分に付けようとした」「原島派を作ろうとした」「二乗根性が
強くて実にイヤな女だった」「陰湿な性格で好きになれなかった」「言葉は巧み
だったが、日頃の態度、行動を見て、信用できないと思っていた」等々と異口同音に
語る。ある婦人は「原島精子は戸田先生を避けていた。自分の周囲に仲間を集め、組織
を乱す元凶だった」と指弾する。

 事実、昭和二十七年二月十日付の聖教新聞には注目すべき記事がある。それは
「監査部指令」として文京婦人部長の原島精子に対して「辞任を命ず。会長より許可
あるまで謹慎する事。又その支部員は今後その指導及び意見に依存して行動した場合は
同じく監査の対象とする」と記されている。

(左の記事を参照)

 当時、監査部があって、組織を乱したり、学会精神に反する者を対象に監査して
不適任者には辞任を求めたのだ。原島が辞任を命じられた理由は派閥作りであった。
「派閥を断じて作るな」というのが戸田会長の厳命で、精子を「信用できない」と
叱責。派閥が生まれると、そこから信心の澱(よど)みをもたらす。そんな事があって
はならないというのが学会指導である。

 謹慎していた精子が、当時の文京支部幹事の口添えによって学会復帰が許されたのは
約半年後の九月二十五日のことであった。

 反逆した嵩も教学部長の頃、後輩に対し「俺に付け」と迫り、己の一派を作ろうと
画策していたが、誰も相手にしなかった。

 精子と嵩の母子は、二人揃って学会の組織を攪乱。昭クンは仕事もできず、給与だけ
を貰っていたようだ。忘恩は人間の最大の恥だ!

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000770.jpg

271真理子:2009/10/20(火) 19:37:28
私のアソコを見てください…
http://apple.110ero.com/k77/

272検証会議:2009/10/22(木) 17:33:30
 石山だより

 平成二十一年十月十九日

 早いもので、「正義顕揚の年」も後二ヶ月半余りとなった。一年を振り返るにはまだ
少し早いが、顕チャンの言いなりになって来た能化と大講頭が、堕獄の露払いとして
悲惨な生涯を閉じた。奪命者・顕チャンの犠牲者であり、気の毒なことだ。その
顕チャンも随分、弱ってきた。山の蓮葉庵にいることが多く、世田谷の豪邸に帰ること
が少ない。留守番の小僧は大喜び。

 一、大村日統(五月十一日寂 七五歳、元教学部長、脳腫瘍)は健康にだけは充分に
気を遣い、最高級医療クラブのメンバーになって定期検診を受けていたが、因果応報
には為す術がなかった。得意だったのは盗作技術、ゴルフの腕前、それにカラオケ道場
で鍛えた歌唱力。十八番は「愛の讃歌」「マイ・ウエイ」など。ところが、仏法・芸術
・文化には疎く「ガーター勲章はキリストの十字架」「第九の『歓喜の歌』は
外道礼賛だ」と見当違いの暴言を吐いて赤っ恥をかいた。

 葬儀のお別れの際、遺体を見た方々が「黄疸で顔も体も真っ黄色、とても人には
見せられない」と漏らしていた。

 一、尾林日至(五月十三日寂 七一歳、元海外部長、パーキンソン病)は顕チャンの
手先となって檀徒作りに世界中を狂奔。悪行は数々あるが、特筆すべきはシアトル事件
の隠蔽工作、御本尊不敬、杜撰(ずさん)な納骨など。得度した長男を奇病のため
三十一歳の若さで亡くす苦渋も味わう。告別式のお別れは身内だけだった。参列者には
一切見せなかったが、見た者が、まさに「ムンクの叫び」の相だったとのこと。

 一、河原昭太郎(四月十四日 寂八〇歳、元大講頭、糖尿病)は顕チャンに四十年
以上にわたって奉仕した。それと、三人のめかけに貢いだ。糖尿病の悪化で歩行困難に
なり、心臓手術で足の動脈を心臓のバイパスとして移植したが腎臓も機能しない状態に
なった。大村・尾林・河原の三人に共通するのは、顕チャンに面従腹背ながらも
尽くしたことだ。

 そして、この三人の死相は、成仏の相とは全くかけ離れた、目を背けたくなる堕獄の
相だった。恐るべし、恐るべし。

 (顕チャンは平成二十一年までに「倍増」と掛け声だけかけて、何もやらず、
六十七世を辞めちゃった。でもやっぱり、七月十六日と七月二十六日は、自分で
やってみたかったそうだ。再登座なんていわないで、自分で建てた白山寺の墓碑へ
早く帰ったほうがよさそうだ。大坊鼠)

273検証会議:2009/10/22(木) 23:50:22
 フェイク 第1062号

 (発行=09.10.21)

 狂った宗門見解 御本尊に賞味期限?
 二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ⑤
 「法魂」の説明もできない日顕、マネする小僧共

 日寛上人の御形木御本尊を誹謗する日顕宗の悪僧共は「法魂」とやらを持ち出す。
十月十六日付「大白法」の「異流義破折」(九三)の中でも、性懲りもなく「法魂」説
を唱えている。

 この「法魂」という言葉は御書には記されておらず、日顕の妄言である。それを
真似て「大白法」では「歴代各上人の御本尊のすべては、もぬけられて本尊の法魂は
現法主の承るところにあり……」「御法主上人は御本尊の法魂を所持あそばされるので
あり……」等とヒステリックに繰り返している。また、「御火中」と称して返納御本尊
を焼却することで、その法魂が「大聖人のもとに還御遊ばされる」という
「法魂帰還説」なる邪義を唱えたこともあった。これらは全て日顕宗の「捏造法門」
なのである。

 「大白法」の記事を書いている無任所小僧共よ、「法魂」とは何か説明できるのか?
大聖人の霊魂のことか?無我を説いた釈尊は真っ先に霊魂の存在を否定したでは
ないか。お前達は、それでも仏教徒なのか?

 日顕宗が御形木御本尊の開眼を全くしていないことは本紙でも再三、述べたが、
一つの法魂が印刷する度に何千、何万の法魂へと増殖し、分裂するとでも言うのか?
「法魂」と言い出した日顕自身、その意味を問うても回答できない。

 小僧共も意味不明のまま、日顕の口真似をして誤魔化しているに過ぎない。

 本号では「大白法」の小僧共に、自分達が判りもしない言葉を使って御託を並べる
な、と釘を刺しておく。

 日顕が日寛上人に嫉妬

 最後に、日顕宗側の難癖に「法主の許可がない」というのがある。本紙一〇五九号で
述べた通り、学会草創期に流布した享保三年の御本尊と現在の学会授与の御本尊が、
その実態において全く同じという事実を日顕も知っている。故に「八時間説法」でも
二つの御形木の違いは、法主の允可の有無だと述べていた。

 御書には「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を
裹(つつ)み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」と記されている。御本尊は大聖人が
末法万年の全人類のために御図顕されたのである。

 その大慈悲こそ御本尊授与の根幹であり、坊主が独占すべきものでも、許可する
云々と、言うべき筋合いもない。日顕は御本尊の功徳は信じていないが、己の模写した
本尊を拝ませたいという野心が強い。難癖の根底には、世界に流布する御本尊を書写
された日寛上人への嫉妬心があるのだ。

 日顕らは自分らの都合で御本尊に「功徳がある」と言ったり「謗法になる」と
言ったり、コロコロ変わる。

 滑稽なのは平成九年十一月三十日までに脱会しないと「宗門の信徒資格を失う」と
戯言を述べていた時の総監・藤本の談話で「日蓮正宗より下付された御本尊では
あっても、これら謗法者宅の仏壇に安置されている本尊に合掌礼拝をすることは
謗法行為となる」云々と、学会員が受持する御本尊は日達法主、或いは日顕が書いた
本尊でも平成九年十二月一日からは「謗法だ」と発表したことがあった。

 まるで、御本尊に賞味期限があるかのような狂った妄言である。

 (つづく)

274検証会議:2009/10/25(日) 22:01:25
 フェイク 第1063号

 (発行=09.10.24)

 日如が模写した本尊に誤字!
 二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ⑥
 「南」「写」の二字が間違い、猛練習の効果なし

 日顕宗ニセ法主二世・早瀬日如が模写した御守御本尊に誤字がある、と書道家、
中堅僧が指摘する。「奉書写之」(これを書写し奉る)の「写」を「字」と
書き間違っているというのである(下の写真を参照)。

 確かに指摘の通りである。この「奉書写之」は大抵、終わり近くになって書くもの
だから、日如もここまで緊張して書いて、つい気が緩んで三画目が突き抜けてしまった
のだろう。

 これでは「これを書写し奉る」ではなく「これを書き字し奉る」となってしまい、
意味不明だ。

 日如は「誤字ではない」と弁解するかも知れないが、「ワ冠」が「ウ冠」になって
いて、明らかに誤字に違いない。正確な文字も知らないうえ、相承を受けていない
ニセ法主二世だから、本尊の書き方も出鱈目なのである。こんな間違いの粗末な模写
しか出来ないニセ法主が、中興の祖・日寛上人の御本尊を「ニセ」と誹謗するとは
笑止千万!

 埼玉在住の著名な書道家は、その日如自身の筆遣いについて「論評の埒外、お粗末の
一言に尽きる。筆ペンかサインペンの字で、書になっていない。太細肥痩の変化が
なく、起筆と終筆がだらしない。筆遣いの基本ができていません。前法主(日顕)の
字は弘法大師(空海)を真似たイヤらしさが感じられたが、この(日如の)字は論外
です」と酷評する。こんな下手な字を書く坊主も珍しい。

 加えて、日如が模写した本尊の「南無」は「南」の九画の縦棒が上に突き抜けて
いる。これも間違いだ。

 前出の僧も書道家も「御本尊のこんな首題は見たことがない」と言う。この「南」は
今号では敢えて写真を提示しないが、宗門の僧俗は現物を見て確認せよ。下手な弁解を
すれば、いつでも写真を提示する。

 この点でも日顕と日如がニセ法主であることが明白だ。もともと、日達法主が日顕に
相伝していないから、日顕も日如に相承できなかったのである。

 また、中堅僧は「多分、登座後に猛練習したのでしょうが、他にも幾つかの難点が
ある」と指摘する。

 その一つは「日如」と花押が離れすぎている感がある(上の写真を参照)という。
日蓮大聖人の弘安年間の御本尊がそうだが、大半の歴代の御本尊では法主の花押は自署
を包むように書かれている。ところが日如の場合は分離しすぎている。花押の書き方も
学んだ形跡がない。お粗末の極みだ。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000773.jpg

276検証会議:2009/10/29(木) 09:07:49
 フェイク 第1064号

 (発行=09.10.27)

 ブクロの寛ちゃんに書写は無理
 二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ⑦
 「日如の本尊の誤字」に反論不能の宗門

 ニセ法主2世・早瀬日如が模写した御守本尊に誤字がある――「奉書写之」と
書くべきところを「奉書字之」と書いているため意味不明だと、本紙一〇六三号で
指摘した。写真を付けて指摘したので宗門側の関係者は弁解も反論も出来ず、屁理屈や
逃げ口上も言えずに沈黙している。

 ところが、南無妙法蓮華経の「南」の終画が突き抜けている旨、記しておいたことに
対する釈明として、日顕宗の者が他宗の寺に保存されている御本尊の写真を持ち出し
「大聖人の直筆の中にも同じような御本尊があった」と鬼の首でも取ったように狂喜
している。

 なんともバカな者共だ。そんなことは既に百も承知している。

 本紙ではニセ法主が本尊を書くのを「模写」と呼んでいる。だが、日顕は生意気
にも「書写」と称し、日如は「書字」というらしい。

 いずれにしろ、書き写すのは「戒壇の御本尊」である筈だ。日蓮正宗の最後の法主・
細井日達師も「戒壇の御本尊様を書写し奉る」と言い、この種の表現は
「日達上人全集」を開くと枚挙に暇がない、山ほどある。

 更に「この御本尊は本山正本堂に安置し奉るところの戒壇の大御本尊を書写し奉り、
ここに安置奉ったのでございます」(昭和四十九年の慈法寺落慶入仏式)、
「末法の人々に総与の本尊がすなわち戒壇の御本尊であります。この御本尊を
本山正本堂に安置し奉って、その御本尊のお写を、ここに今、安置し奉ったので
ございます」(昭和五十二年の得法寺落慶入仏式)と明言。繰り返すが、書写するのは
戒壇の大御本尊である。

 この歴代法主が書写し奉る「戒壇の御本尊」の「南」は突き抜けていないのである。
したがって、日顕宗の僧俗が「邪宗」と蔑んでいる寺の本尊を「学術資料」等と
持ち出して弁明しても、何の意味もない。

 こんな簡単な論理も理解できないほど狂っているのが日顕宗の坊主であり、法華講員
である。

 日顕のマネで大失敗

 大聖人の直筆の中で「南」の九画目が突き抜けているのは、現存する百二十数幅の
うち約一割。判読できないのもあるので断定は出来ないが、京都・本圀寺、要法寺、
小泉・久遠寺などに保存されている十四ないし十五幅にすぎない。

 因みに、日興上人、日寛上人をはじめ三十三世日元、四十八世日量、五十一世日英、
六十世日開、六十二世日恭、六十四世日昇、六十六世日達の各法主の書いた本尊も
突き抜けていない。

 ところが、ニセ法主元祖の日顕の本尊だけは上に突き抜けているものも
見受けられる。「登座後、暫くは先代の書写のスタイル、書風に似せる」と某僧が
語っていたが、御本仏気取りの日顕は、先代の日達法主のマネをしないで、戒壇の
御本尊を鑑定して「ニセモノ」と断じ、邪宗の寺の御本尊を真似て書いたのであろう。

 そこには自分に相承しなかった日達法主への恨みもあると思われる。

 そして愚かな日如が、先代の日顕のデタラメな本尊をマネして、オドオドしながら
書いて失敗したというのが真相だろう。それにしても下手な字だ。ブクロの寛ちゃんに
書写は無理だ。

277検証会議:2009/10/30(金) 20:01:37
 石山だより

 平成二十一年十月二十七日

 一、立正安国論750年後の今日、やれプレ大会だ、50万総登山だ、7万5千の
結集だと会合形式の催しにうつつを抜かしている。民衆の苦しみには目も向けず、
大聖人の民衆救済の御精神を実践に移そうともしない。それが今の宗門の実態だ。
法華講に檄を飛ばして苦しめ、自分達は僧侶主導で葬儀・儀式をやって折伏の中の摂受
をしているから、折伏はしなくてもいいという変な屁理屈を並べて、何の苦労も努力・
精進もしない。大聖人の御在世だったら、即刻「破門」だろう。

 一、百年に一度という世界的不況、新型インフルエンザの世界的広がりに社会的不安
が増している。アフリカなどでの幼児の飢餓による死は目を覆うばかりだ。
地球温暖化、異常気象、環境問題等々、難問が山積している今こそ、立正安国論の
御精神を世界に向けて実践する時ではないのか。その精神が欠落した今の宗門は、
本山駐車場では車の火災事故、ワシントン・妙宣寺ではお会式の最中に大火災、大坊の
高・中生には新型インフルエンザの発症者が相次ぐなど不祥事や不幸が続く。
樹齢約五百年といわれる銀杏の大木が台風で倒れた。まさに「大謗法の一凶・日顕」が
斃れる予兆ではなかろうか。

 一、日顕だけが一族主義と思っていた。ニセ法主二号の日如さんになってソンナコト
はしないだろうと思っていたが、やっぱり日顕に習って一族主義のニセ二世だった。
十一月二十三日(月)、千葉市に出来る妙聰寺(新寺院)の住職に女房の弟の長男を
するようだ。それは本山・主任理事の佐藤慈暢の長男・佐藤信暢である。現在、
岩手県大船渡市・本寿寺住職(四十歳)。信暢は大のパチンコ狂いが高じて、法教院
(大学科)始まって以来、初めての留年をした経歴の持ち主である。その時は大願寺に
在勤していた。

(いつ住職になれるのか?一族でもない、希望も持てない、期待も持てない一匹狼の
無任所鼠)

278検証会議:2009/10/30(金) 23:45:57
 大石寺短信 第472号

 平成21年10月29日(木)

 日顕宗の動き

 1.折伏あおる「大白法」

 日顕宗は今年7月26日までは「7万5千総会」一色で進んできた。それは機関紙
「大白法」(月2回刊)の紙面に明らかで、総会直前の7月16日付けまでの各号の
1面トップ記事に「7万5千」の文字がない号は虫払いを報じた4月16日付けだけだった。

 それが総会が終わるや、今度は「折伏」だとばかりに、毎号1面トップを飾る記事の
見出しに「折伏」の文字が踊っている。10月16日付けでは「今年も早々に誓願(目標)
を達成した支部(寺)が続出している」と書いているが、これは全くの大嘘で、目標を
達成した寺はいまだ1割に遠く及ばない。また、「折伏」と言いつつ、その内実は信徒
泥棒にすぎないのが実態だ。

 昨年は目標が達成した寺名を「大白法」に記載し、坊主と法華講をあおりたてたが、
今年もなんらかの手段を講じて締め付けを図っていくにちがいない。念には念を入れ、
警戒を怠るまい。

 2.またまた“ファミリー優遇”新寺院住職に日如の甥

 千葉市に新寺「妙聡寺」ができ、11月23日に入仏式が行われる予定である。この寺に
住職として入るのは、大石寺主任理事・佐藤慈暢(本山・百貫坊)の息子で、岩手・
本寿寺住職の佐藤信暢(39)。主任理事・佐藤は日如の女房の弟。つまり佐藤の息子・
信暢は日如の甥にあたる。宗内では「いつものファミリー人事だ」との不満の声が
あがっている。

 確かに身内優遇は露骨だ。本年5月には日如の息子・早瀬道寧が、並み居るベテラン
坊主たちを飛び越えて神奈川の大寺院・応顕寺に入ったばかり。2007年には、東京・
世田谷の一等地に立つ善福寺に日顕の孫娘の婿で当時38歳の木村信龍が入り、2000年
には、静岡・宣正寺に日顕の孫娘の婿で当時31歳の今野信圓が入り、千葉・正願寺には
やはり日顕の孫娘の婿で当時29歳の鈴木信福が入った。法主の代は替わっても、いい目
に遭うのは、いつもファミリーばかりというわけだ。

 こうした理不尽な現実を、赴任する寺もなく、住職の死亡、更迭をひたすら
待ち続けるだけの250人を超える無任所坊主たちは、ただ指をくわえて見ていなければ
ならないのだから、哀れこの上ない。

 ちなみに岩手・本寿寺の後任住職には、本山・大坊内の後城良謙(32)が入る。


 3.11月の予定

    1日(日) 広布唱題会(本山、末寺)

    8日(日) 御講(末寺)

    20日(金)、21日(土) 御大会(本山)

279検証会議:2009/10/31(土) 14:16:56
 越 洋

 平成21年10月30日 

 【宗祖大聖人に違背し、中興の祖・日寛上人を誹謗する誤写三人組】

 日開、日顕、日如の三人は"御本尊誤写"という誤りを犯した。しかも日顕と日如は
偉大な中興の祖・日寛上人お認めの御本尊を"ニセ"と誹謗するが、相伝のない大謗法を
犯した者共に言う資格はない。おこがましい。

 かつて故・大橋正淳・大照寺住職が信徒の家の常住御本尊の讃文が途中までしか
書かれていないことを日顕にソッと告げたが、日顕は「願主が気付いていないなら、
そのまま知らん顔しとけ」と言い放ったことは有名である。また「十羅刹女」
「阿闍世王」「大龍王」をゴッソリ書き忘れ、さらに「奉書写之」を抜かすなど、
考えられないミスを連発していた。常住御本尊の「願主」の名前を間違ったことも
あった。こんな日顕の父親・日開が"御本尊誤写"の元祖である。

 昭和三年六月に登座した日開は「仏滅度後二千二百三十余年」と書くべき讃文を
「仏滅度後二千二百二十余年」と書写した。その誤写が発覚した直後、僧俗から早急に
訂正するよう詰め寄られたが、日開は「タダ漫然之ヲ認タメ、何トモ恐懼(きょうく)
ニ堪(た)ヘヌ」と陳謝した。日開が「漫然と誤写」した御本尊は数十幅とも言われて
いる。日開は一応、陳謝はしたものの、それらの誤写本尊を回収して訂正することは
しなかった。

 この度は日如の"御本尊誤写"事件が浮上した。日顕に相承はなく、当然、日如にも
ない。御本尊書写の権能はないのだが、それを裏付ける誤写事件である。「フェイク」
1063号が、『ニセ法主二世・早瀬日如が模写した御守御本尊に誤字がある』と指摘
したのは「奉書写之」(これを書写し奉る)の「写」を「字」と書き間違っていると
いう事実である。確かにそうだ。

 かつて日顕が「相伝の何たるかも知らない者共が″間違いだ″などと言うこと自体が
おこがましい」と「二十余年」と書写した父・日開をかばっていたが、日如のミスを
黙認し、御本尊様に対する姿勢が実にいい加減な宗門は与同罪を恐れよ。宗門の言う
法主の開眼も、允可(いんか)も不要。日寛上人は大聖人の正義を宣揚され、宗門の
興隆に多大な貢献をされた。極悪の日開、日顕、日如の誤写三人組と日寛上人とでは
「信心と人間の質」が全然、違うのである。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000776.jpg

280検証会議:2009/10/31(土) 14:17:19
 フェイク 第1065号

 (発行=09.10.30)

 誤写した「手抜き本尊」で金儲け
 二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ⑧
 宗門坊主は「法華経の行者」でなく「法華経の業者」

 日如が模写した本尊の南無の「南」に注目!

 日如の御守本尊に誤字があると指摘した本紙一〇六三・一〇六四号に対し日顕宗の
者共は反論不能である。B展審査員の著名な書道家は「書の大家でも最後の落款で意に
沿わない場合は最初から書き直すものです。法主と称するからには御本尊を認めて
『書写』か『書字』か、判読に迷う文字は当然、最初から書き直すべきです。それを
しないとは、『手抜き本尊』と言われても仕方ありません」と厳しく指摘した。

 日顕が讃文の「未曾有の大曼荼羅なり」などを書き忘れた事実は有名だ。日如も
同様、誰も気付かないだろうと甘く見ていたのか、文字を知らないから自分では間違い
と思っていないのか? 或いは御本尊を大聖人の御当体ではなく、単なる文字だと
思っているから「書字」と書いたのかも知れない。

 日如も日顕も、御本尊に対する姿勢が実にいい加減である。本尊書写も金儲けの手段
に過ぎない。これが「法華経の行者」ではなく「法華経の業者」と揶揄される所以で
ある。

 さて、本号では南無妙法蓮華経の「南」について再度、指摘する。日如が模写した
首題の「南無」の「南」は、九画目の縦棒が上に突き抜けている(上段に写真)。日如は
国書刊行会の「御本尊の書き方」(有賀要延・編著者)を見て猛練習したということ
だが、その甲斐もなく、お粗末な模写である。因みに左が「御本尊の書き方」の手本で
ある。

 「富士宗学要集」(堀日亨上人編)に収められている本尊の首題を見ても「南」
(左を参照)の九画目の縦棒は当然、突き抜けていない。

 「御本尊の書き方」には書写の心得として「斎戒沐浴して」と記されている。

 日顕のようにステテコ姿で落語を聞きながら書くのは言語道断。また首題の筆法は
「筆は軸を立てて用い、鋒先の弾力性を充分に活用する」とある。日如みたいに拳法に
熱中しヌンチャクを振り回していた手に筆を持つと余計な力が入りすぎ、柔らかい
筆遣いができない。

 しかも、七十歳を過ぎてからでは猛練習も手遅れである。日顕があと十年早く退座
していれば、日如も少しはマシな本尊の模写ができたのに、残念だったな。

 以後は寛尊の御本尊を誹謗するのを止めることだ。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000777.jpg

281矢野殉也:2009/11/02(月) 02:34:07
こたびの選挙大勝利おめでとうございます。

282検証会議:2009/11/04(水) 12:12:02
 フェイク 第1066号

 (発行=09.11.02)

 「今の登山会は極めて危険だ!」
 諸天善神が見捨てた邪宗・大石寺の寸描
 相次ぐ災害、新型インフルエンザも蔓延

 諸天善神に見捨てられた最近の大石寺の惨めな様子を簡単に紹介する。

 【新型インフルエンザ】

 新型インフルエンザが全国規模で本格的な流行となってきている。十一月一日には
盛岡市の二歳の女児が死亡し、京都市右京区の三十代女性と伊丹市の八歳の女児も死亡
した。いずれも基礎疾患はなかったとのことである。これにより、国内の死亡者は疑い
例も含めて計四十三人になった。

 このように感染拡大が憂慮されている折り、日蓮正宗大石寺の大坊に居住する中学生
と高校生の所化の間に新型インフルエンザの発症が見られ、拡大していると伝えられて
いる。

 先月は上野の中学校で学級閉鎖になったほか、地元の小・中学校は共に全校生徒に
マスクの着用を徹底。登下校の際、ほとんどの生徒がマスクを着けている。

 更に、地元の高校に通う大坊の生徒六人もインフルエンザで学校を休んでいると
いう。このように本山内に新型インフルエンザが蔓延している時に登山すると、感染
する危険性が大であり、「今は登山しない」と語る法華講員もいる。

 【台風十八号が直撃】

 台風十八号が十月八日、大石寺を直撃。二天門の東側にあった樹齢数百年の銀杏の
巨木が根元から折れて倒れ、その根が剥き出しになっていた。また、桜や杉の大木も
横倒しになっていた(下の写真参照)。この倒れた巨木は切り刻まれて撤去された。
このように謗法と化した大石寺は数々の災害に見舞われる。

 平成十八年八月には境内の杉の巨木を雷が直撃。「慧妙」は、この落雷を「功徳だ」
と詭弁を弄していたが、この杉は古来「逆さ杉」と呼ばれ、樹齢五百年ともいわれて
いた。

 この由緒ある「逆さ杉」は真っ黒に焦げ、今はこれも撤去されて、大石寺には由緒
ある大木は全て無くなってしまった。

 【不気味なカラスの群れ】

 夕刻になると、奉安堂周辺にはカラスの大群が飛び交う。カラスは廃墟になる場所を
本能的に感じて集まると言われている。境内を群れ飛ぶカラスは、やがて大石寺が廃墟
になることを感じているようだ。

 【客殿に日顕用の手すり】

 日顕が良く使う客殿の東側の階段に手すりが取り付けられた。どうやら足腰が
めっきり弱って本山と世田谷の豪邸を往復するのも辛くなっている日顕のために設置
したらしい。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000778.jpg

283あーあ:2009/11/04(水) 23:08:01
ここは終わった。

閉鎖がよろしかろ

284検証会議:2009/11/05(木) 21:40:04
 フェイク 第1067号

 (発行=09.11.06)

 日顕の弟子が身延僧の導師で読経
 日蓮正宗の坊主は「謗法同座」の感覚がマヒ
 長倉信祐、花野充道が池上本門寺で研究発表

 日蓮正宗の現役坊主と元坊主による「謗法同座」の実態が露見した。この現役坊主
とは宗務院財務部長・長倉教明(札幌市の日正寺)の長男の長倉信祐(写真下)で、
元坊主とは僧籍を失った花野充道(写真上)である。

 長倉と花野の二人は、去る十月二十三日、日蓮宗身延派が主催する池上本門寺での
「日蓮宗教学研究発表大会」に顔を出し、身延派僧に混じって得意満面で研究発表を
していた。

 大会の総裁は日蓮宗管長の酒井日慈、大会会長は日蓮宗・宗務総長の小松浄慎、
実行委員長は日蓮宗宗務院伝道局教務部長の酒井光雄で、他にも身延派坊主が役員と
して名前を連ねている。

 花野充道の研究テーマは「日蓮聖人の教判論」。本来は「大聖人」とすべきだが、
身延派に迎合して「聖人」としている。長倉信祐は「天英院照姫と大石寺信仰」が
テーマであった。

 発表会に先立ち、花野と長倉は「法味言上」と称して身延派の本尊に向かって、
身延派僧の導師で自我偈の読経・唱題もした。この衝撃的な謗法行為は今後、宗内で
物議を醸すことだろう。

 花野は冒頭から「今年三月、早稲田大学から学位を授与されたことにより、七月には
日蓮正宗の僧籍を失った」と、身延の坊主らに日顕の非道を訴えていた。

 今は隠居している日顕は、かつて立正大学に在学中、繰り上げ卒業で海軍に入隊。
今も学歴コンプレックスが強く、所化が大学院に進むのを極端に嫌って「日蓮正宗の僧
に博士号など不要」が持論である。そんな複雑な裏事情を知らない聴衆は、花野の変な
恨み節に、怪訝な表情を見せていた。

 片や、長倉は日顕が作った法教院ではなく大正大学へ行って博士号を取得したことで
日顕に睨まれている。

 日顕や日如のファミリーが若くして住職になっているのに対し、長倉は四十歳に
なっても寒村の住職にもなれず、今も父親の寺に居候の身。研究発表では身延派に
対する破折もせず、常泉寺の由緒・格式ばかりを自慢し、現代の三位房とも言うべき
醜態を晒していた。

 長倉が学位を取得したのは妙楽の研究だったが、天台の研究では身延派僧に遠く
及ばない。それを自覚しているから「天英院照姫」をテーマに選んだのだろう。

 宗内で嫌われている「慧妙」は、学会の辻武寿・森田一哉両氏が、かつて中外日報の
祝賀会に出席したのを「謗法同座」だと見当違いの批判をしていたが、身延派僧の導師
で自我偈の読経・唱題をした花野と長倉を「慧妙」は糾弾すべきだ。同時に、信祐の
父親・長倉教明は、その管理責任が厳しく問われねばならない。

 ところで、学位取得後は一年以内に博士論文を出版する規定があるが、花野と長倉は
目途も立っていない。因みに改革同盟の松岡雄茂氏は、近代日本の日蓮信仰を論じた
博士論文を学位取得の翌年、権威ある東京大学出版会から発刊している。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000779.jpg

285質問でした:2009/11/05(木) 23:11:49
やっぱりめくそはなくそ(笑)
人を呪わば穴二つ掘れ・・・。
双頭の蛇、尾っぽは一本(笑)
出所が一緒なんだから、仲良く自滅すりゃいいんだよ。

286検証会議:2009/11/06(金) 01:32:51
>やっぱりめくそはなくそ(笑)

今度は身延と日顕宗のことか?(笑)

>双頭の蛇、尾っぽは一本(笑)

>出所が一緒なんだから、仲良く自滅すりゃいいんだよ。

前法主が立正大学で身延の坊主と親近したと言う意味では
「尾っぽは一本」「出所が一緒」ってことで(笑)

287検証会議:2009/11/06(金) 22:15:48
 石山だより

 平成二十一年十一月六日

 一、都合のいい時は、早急に宗務広報を出すのに、ワシントン・妙宣寺の火災に
ついては、十一月一日、二十一日遅れで渋々通知を出した。

 本当は、出さずにいたかったが、ワシントンポストを始めインターネットによって
世界中に知れ渡ってしまったので、ほとぼりが冷めるまで待って、通知したということ
だろう。

 宗務院の坊さんのやることはいつもズルクてコスイ、それこそ世間知らずの
思い上がりだ。「正直」ではない。

 一、妙宣寺の法華講員は、当日、「外で予定されていたバーベキューの煙だったと
思った」また、「近くの建物が燃えていると思った」「お会式の最中に火災になる
なんて考えられない」まさに、自分達がバーベキューになるところだったと語っていた
そうだ。

 大聖人は「されば大果報の人をば大火はやかざるなり」(王舎城事)と仰せである。
宗門は禍いばかりだ。福徳が切れ諸天に見放されている所以ではないか。

 一、エーまたか?末寺住職が嘆く登山・折伏。一つは、登山。来年も三回支部登山を
やれ!その一回を全体登山とせよ健常者はみんな連れてこい。それ以外に、夏期講習会
登山をやる。二つは、折伏。平成二十七年までに50%増をせよ。その達成計画を十二月
一日までに出せ。折伏成果の上がらない寺には、ゴマスリ坊さんが派遣されて指導に
行くそうだ。

 たまったもんじゃない。成果が上がっていると言っていた寺だって、その後、報道
されたことがない。だいたいインチキだし、実態のないものばかりだ。

 信彰が言っていたが、新入信の五割が行方不明や死亡で実在しない状況じゃ五十%増
なんて夢のまた夢の数字だ。来年は“広布前進の年"と発表された。

 本山では贅沢に経費を使っているが、末寺は疲弊している。塔婆は、ガタ減り、
講員は寺に来ない。葬儀だって年に一度あるかないかだ。

 そんな実態は、本山にいて苦労を知らない者に、分かるはずがない。

 (十二月パリからフランスの講員に嫌われた守銭奴毛利博道が帰国する。韓国、台湾で
講員から金を集めまくって、何に使ったのか?頭を丁重に下げる裏に魂胆有り。
根っからの悪党だ。一族主義に志が消えてしまった無任所鼠)

288太田:2009/11/07(土) 02:46:41
選挙大勝利万歳!

289質問です:2009/11/08(日) 12:48:28
>>286
鏡をご覧下さい(笑)
相手を醜くみる、もっと醜い二つの穴が空いてます。

290検証会議:2009/11/08(日) 13:13:31
>>289

あんたが見えてる醜い穴は、あんた自身の脳味噌に巣食ってる醜い穴だよ(笑)

291質問です:2009/11/08(日) 21:27:06
他人を嘲り、悪し様に罵るあんた達は腐る脳みそもないよ(笑)
それが宗教だなんて笑わせるのもいい加減にしろ!キチガイが(笑)
見苦しいにも程がある。

292検証会議:2009/11/09(月) 02:32:14
>>291

「事実に基づく批判的意見表明」を見て「嘲り」「悪し様に罵る」と
「脳内変換」されるクソミソ一緒のあんたのノーミソにつけるクスリは
東大医学部教授でもつくるのは難しいだろね(笑)

293質問です:2009/11/09(月) 09:38:26
その言葉がそっくりそのまま自分に当て嵌まる事に気付かないのかな(笑)
自分は言いたい放題で、同じ事を自分がされたら罵倒する。
大したもんだ(笑)
自らに降り懸かった火の粉を払わないで
放火して回ってるのと同じだね(笑)
他者への批判は内輪には通じるが、全く知らない外部には
嫌悪感しか与えない事を勉強なさったほうがいいよ。

294教えてください:2009/11/09(月) 23:18:32
211 :名無しさん@八周年[]:2008/04/19(土) 11:04:06 ID:pZd/Kg980
>>184
>記念日に手を出してもノーベル平和賞まではまだまだ遠いよな。

失礼ですが、あなたは池田先生がノーベル平和賞をご辞退されたのを知らないのですか?
もう、かなり昔の話で、たしか「”米・ソ”冷戦終結への道すじを開いた」というのが
受賞の理由だったと思います。ですから、1990年代のことだったと記憶しています。

かのノーベル賞もかつてノーベル文学賞を哲学者サルトルが辞退した先例があるので、
受賞前に内々に打診があるのですが、池田先生はその打診の段階で、
「私はいまのわたし自身だけで、充分です。ノーベル平和賞をもらってしまっては
”庶民とともにある指導者”という立場に障害ができてしまう。
なんのへだたりもなく、ともに庶民の中で生きてゆきたい。」と
おっしゃられて辞退の意思を伝えられて以来、
ノーベル平和賞の選考からはずされたと聞いています。
やはりノーベル賞選考委員会も、一度辞退の意思を示した人間は同一の分野では、
再度の選考の対象として扱わないことになっているので、
今後、池田先生がノーベル平和賞を受賞されることはないとのことです。

ただ、「人間革命」や「仏法と宇宙」などの先生のお書きになった著書・論文が
ノーベル文学賞・物理学賞の対象に挙がっているということは聞いたことがありますので、
あるいはノーベル文学賞・ノーベル物理学賞ならば、
違った選考委員会にかけられるので受賞の可能性はあると思います。

たいへんな方ですね。
ノーベル平和賞とノーベル文学賞の
三つのノーベル賞の授与の可能性がある、あるいはあった方だとは…
本当にこころからご尊敬します。
あなたもこれくらいの常識は持っておられたほうがいいですよ。

これって本当の話ですか?
全く聞いた事もないし、そもそも候補にもなれば、報道されるはずだとおもうのですが・・・。

295検証会議:2009/11/10(火) 12:24:51
>>293

>全く知らない外部には嫌悪感しか与えない

 「認識せずして評価せず」なんて言葉もあるが、
「全く知らない外部」の名を借りて「偏見」の穴に落ちている
己の姿を晒すマネだけはヤメタ方がよいぞ(笑)

296検証会議:2009/11/10(火) 12:27:23
 フェイク 第1068号

 (発行=09.11.08)

 故・原島嵩の一族は虚言症だ!
 原島昭の駄文で虚報の「慧妙」が恥の上塗り
 「ルビー」の編集は坊主になった矢島周平だった

 退転して昨年、地獄に堕ちた原島嵩の実兄・昭が十一月一日付「慧妙」に再び
デタラメな記事を書いている。昭の母親・精子は派閥を作ろうとして役職解任のうえ、
謹慎させられたが、その処分を下した戸田二代会長を逆恨みして蔑み、更に、若き日の
池田三代会長の輝かしい軌跡に泥を塗ろうと躍起になっている。

 特に、第三代会長は日本正学館で青年編集長として『冒険少年』のちの『少年日本』
(写真)の編集に情熱を注いだが、昭は、若き日の池田編集長を愚弄するため
「ポルノ雑誌『ルビー』」の見出しを付けて、こんな御託を並べている。

 「戸田氏は少年向け雑誌『冒険少年』、次いで成人向け雑誌『ルビー』を創刊し…」
「当時は雑誌が一冊二、三十円くらいの値段で、一冊売るごとに一円ずつの謝礼が
原島家に入る、という取り決めだった」「『冒険少年』も『ルビー』も、あまり
売れませんでした」「『ルビー』を何気なく手に取り、ぱらりと開いて見て
驚きました。グラビアの写真と本文の始めから終わりまでの挿絵の殆ど全てが
ヌード写真で占められていた」「その後一年もたたないうちに池田氏編集の二雑誌は
廃刊になりました」

 この昭の文は虚実を織り交ぜ、読者に間違った認識を与えようとの悪意がある。
池田編集長が『冒険少年』とポルノ雑誌『ルビー』の「二雑誌」を編集していたように
錯覚させようとの陰湿な魂胆が垣間見える。

 池田編集長が編集していたのは『冒険少年』だ。

 創刊号は昭和二十三年の新年号で、昭和二十四年十月号から『少年日本』に改題
された。「面白くて、ためになる」というのが『冒険少年』『少年日本』のモットー
で、いずれの号にも山岡荘八氏、野村胡堂氏、西條八十氏、そしてイラストの大家・
小松崎茂画伯、絵物語の大御所・山川惣治氏、山口将吉郎画伯など当時を代表する
作家、挿絵画家が名前を連ねていた。

 だが、不況の荒波にのまれ、同年十二月号で廃刊になった。

 一方、『ルビー』は左に添付した奥付に明記されている通り、これは後に坊主に
なり下がり学会批判をするようになった矢島周平が編集していた。「ヌード写真で
占められていた」はウソ。昭の駄文は定価も出版社も違う。邪推と妄想と勘違いを
混同して書いており、死んだ嵩と同じ虚言症だ。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000781.jpg

297質問です:2009/11/10(火) 22:51:25
>>295
だからさぁ、鏡を見なさいよ(笑)
自分が見えないにも程があるよ(笑)

298検証会議:2009/11/10(火) 23:51:19
↑ついには「なんとかのひとつ覚え」みたいに「無限ループ」ですかぁ(笑)

299質問です:2009/11/11(水) 12:02:52
中身がない相手にループしても、返ってくる答えは決まってます(笑)
と言うより、答えすら出せずにはぐらかししかしないじゃないですか(笑)

300検証会議:2009/11/11(水) 15:21:46
>>299

>中身がない相手にループしても、返ってくる答えは決まってます(笑)

ちなみに、黒川某(れいな)という人は、某氏との対論において、
最後は「お前は地獄行きだ!」の繰り返しで、彼らしく
「無限ループ状態」になったそうです(笑)

>答えすら出せずにはぐらかししかしない

「質問です」のハンネを使ったところで「質問」がない相手に対して
当方は「答え」る義務も責任もありません(笑)

ま、コンピュータにおける「無限ループ」対策は「強制終了」ということで、
あとはあんたひとりで「勝手に無限ループ」やってていいよ(笑)

301検証会議:2009/11/14(土) 00:32:13
 越 洋

 平成21年11月12日 

 世紀の愚策「C作戦」という謀略により、日顕は平成2年暮れの12月27日、突如
の総講頭罷免に始まり、その翌年の平成3年11月7日に「解散勧告書」、同28日
には「破門通告書」を学会に送りつけた。以来、18年になるが、この平成の宗教改革は
後世の歴史の上でも「魂の独立記念日」として燦然と輝く壮挙となることだろう。
当初、日顕は"20万人の脱会者"を目論んで期待していたが、18年経った今日、現状
は"7万5千そこそこ"をムリに集めて大騒ぎしているのが実状である。

 一方、学会は、世界192カ国・地域にまで発展し、池田名誉会長に国家勲章は
27。世界の大学から贈られた名誉学位記は268。世界各都市からの名誉市民賞は
657を数える。仏意仏勅を受け、御本尊を根本として、大聖人が御書に仰せの通りに
実践を続けてきた結果なのである。

 そういう意味では「破門通告書」により「破門」されたのは、日顕自身であると
言える。そもそも「破門通告書」の内容たるや御書の一節も使うことが出来ず、屁理屈
を並べたにすぎない。要するに"日顕の嫉妬"以外の何ものでもなかったことが、大聖人
から見放された現在の宗門の疲弊した窮状に厳然と現れている。

 かつて登山客で賑わった大石寺売店は、ゴーストタウンと化してしまい、集まるのは
日顕の指示で抹殺された鳩にかわってカラスの大群である。正本堂を破壊して建てた
奉安堂は、登山する法華講よりカラスの方が多く群がっている。日顕の犯した大罪は
取り返しのつかない真っ黒な大汚点として宗門史に語り継がれていくだろう。当然、
懶惰懈怠・腐敗堕落の元凶、日顕は除歴である。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000782.jpg

302検証会議:2009/11/14(土) 11:55:56
 大石寺短信 第473号

 平成21年11月12日(木)

 日顕宗の動き

 1.“付け焼き刃”の「折伏推進員」制度

 日顕宗は、“これから5年間で法華講員を5割増する”との無謀な目標を掲げたが、
このほど、そのできもしない計画を推進するために、「折伏推進員」なる、新たな制度
を設けた。これまで、日顕宗では県単位を基本とする布教区で、毎月、広布推進会と
いう会合を行い、相互に競争させ合って折伏を推進してきた。そこに派遣されてきた
のが「広布推進員」だったが、成果があがらなかったため、来年から
この広布推進員制度は廃止され、今度は折伏推進員に坊主15名を任命し、成果の
出ない寺に対し、具体的にテコ入れをするという。 これは、今までは広布推進会で
単なる“指導”で終わっていたところから、直接成果の悪い末寺に乗り込み、
テコ入れし、それでも成果が改まらない寺の住職をクビにすることまで想定した制度の
ようだ。

 いよいよ日顕宗は「サバイバル・レース」の時代に入っていく。我々も
“油断大敵”。警戒を怠ってはなるまい。

 ところで、いつも折伏の落第生である東京・常泉寺(重役・藤本日潤)はじめ役僧が
住職を務める大寺院の折伏推進員は、だれが引き受けるのだろうか?

 2. いよいよ始まる“使えない”住職の粛清

 このほど、静岡・御殿場市の持妙寺の住職が、大藪道生(43)から東京・八丈島、
無上寺の岩山信寿(42)に、栃木・小山市の教徳院の主管が、重竹雄徳(65)から
本山・大坊の竹内雄慧(49)に交替することになり、無上寺の新住職には本山・大坊の
今井正学(35)が入ることになった。

 持妙寺では、住職・大藪と法華講間の折り合いが悪く、ゴタゴタが続いていた。
大藪は、信者たちから厳しい突き上げを受ける中、体調を崩した女房の看病にあたって
いたが、そのうち自身もダウン。あえなく住職のクビを差し出すことになった。

 教徳院の重竹は、これまで酒の飲み過ぎで何度か倒れたことがあったが、ついに、
「病気療養」を理由に隠居することになった。一方、新たに入る竹内は50歳近くに
なって本山を追い出される羽目になったわけだが、この背景について、「何か不祥事を
起こしたのではないか」といった憶測が飛んでいる。

 今後、成果の出ない寺、問題を抱えている寺の住職の粛清が、本格的に行われていく
ことになるだろう。

303検証会議:2009/11/14(土) 11:56:15
 石山だより 平成二十一年十一月十三日

 一、北海道はもう雪、めっきり寒くなった。最近、札幌の長倉信祐(財務部長・
長倉教明の長男、日正寺)と花野充道(本年七月に還俗)の二人が、池上本門寺で
身延派の教学研究発表大会に出て研究発表し、その際、身延派僧侶の導師で自我偈の
読経・唱題をした事実が宗門内外に知れ渡った。宗務院は現在、表面上は平静を装って
いるが、水面下では喧々囂々。「花野と長倉なら、やりかねない」「あの二人は他宗
との交流が頻繁で、謗法に関する感覚が麻痺している」との見方も強い。また、法華講
でも長倉と花野を問題視する動きがある。「御法主上人猊下が許可されたのだから問題
ない」という意見から「そんな謗法行為を猊下様が許可する筈がない」「もし、許可
したとすれば猊下様もおかしい」等々と、さまざまな見解が飛び交っている。花野と
長倉の謗法同座事件の波紋は大きな広がりを見せている。まだまだ鎮静化する気配は
ない。

 一、宗務院が出したワシントン・妙宣寺の火災の「宗務広報の内容は欺瞞に満ちて
いる」という声が現地から関係者にソッと寄せられた。それは火災発生時の住職・
村田雄瑞の行動に関するものである。お会式の最中、次第に煙が本堂内に充満してきた
ものの、誰一人、寺の火災とは気付かなかった。お香の煙かバーベキューの煙か近所の
火災か等々、他人ごとのように思っていた。ところが寺の火災と分かった途端、住職の
村田は講員に避難の指示もせず、顔面蒼白で慌てて一人で逃げ出した。講員の一人が
大声で「住職、御本尊は?」と問い掛けた。ハッと我に返った村田は、やっと御本尊を
移したのであった。そんな醜態が「宗務広報」では「火災発見後、住職は直ちにすべて
の御本尊を安全な場所にお遷しし、消防関係への通報、及び参詣信徒の速やかな避難を
指示しました」と、美化されて正反対の内容で通達された。まったく厚顔無恥な宗務院
である。

 (「大御本尊は偽物である」「御本尊を信じられない」という者が中興の祖・
日寛上人お認めの御本尊をニセ呼ばわりし、誹謗をするから世の中までおかしくなって
しまう。顕チャンは、そろそろ遠慮することを学びなさい。世田谷と蓮葉庵を本山に
返して、特別養護老人ホームへ入ることを提案する大坊鼠)

304検証会議:2009/11/14(土) 11:56:37
 フェイク 第1069号

 (発行=09.11.13)

 異常だった故・原島嵩と母親の関係
 ウソ八百を羅列した原島昭の「慧妙」の駄文
 狂った家族の中、昭は「ねじけた物の見方」に

 反逆者・原島嵩の実兄の昭は、戸田会長に根深い恨みを抱いているようだ。
 昭の性格は嫉妬深く、性根が曲がり、恩を仇で返す嘘つきでもある。昭は
「(私が)ねじけた物の見方をするようになったのは、多分に創価学会二代会長・
戸田城聖氏の影響でもあります」と、十一月一日付「慧妙」に書いている。

 自分の腐れ切った性根まで、戸田会長のせいにするとは全くふざけた野郎だ。
 昭のネジ曲がった性根、「ねじけた物の見方」は母の精子と弟・嵩の異常な関係を
見てきたからではないかと指摘する人がいる。それは精子が二男の嵩を次期会長と
思い込み、不自然な態度で接していたことである。

 例えば、精子は本部で使用する報告用紙を使って息子宛に「原島教学部長様」と
書き、色々と私的な用件や御礼、時には夕食の献立まで丁寧に記入し、バインダーに
挟んで提出。その報告書を見た嵩が「了解」とか「一任」などと赤字で書いて返却して
いた。

 また、精子が嵩に渡す報告書を両手で頭上高く捧げて、頭を下げて差し出す。
 昭は、こんな母と弟の異常な関係を日常的に見ていた。

 更に、精子は道路で嵩に出会った時、自分の息子にだけは深々と頭を下げるが、他の
幹部には挨拶もしない非常識な女でもあった。

 「戸田会長が詫びた」は嘘

 本紙第一〇六一号で精子が派閥を作ろうとして戸田二代会長によって
文京支部婦人部長の役職を解任され、謹慎させられた、と暴いたので、その弁解の
つもりらしいが、昭は一日付「慧妙」に次のように書いている。

 「昭和二十八年一月一日付の『聖教』紙上に、私の父(編集部注・宏治)が、十二月に
文京支部長を解任され、地方統監部長という新しい役職を与えられた」

 「私の母も、前年にわけの分からないまま支部婦人部長を解任され、謹慎を
命じられていました」

 本紙編集室は当然、原島宏治の解任も把握していたが、昭は母親の解任・謹慎を
報じた本紙の正確な記事を認めた上で、父親の解任も本紙に暴露されるのを察知した
のか、宏治も支部長の任を解かれた事実を明かし、その記事の中で嘘八百の釈明をして
いる。

 「その後、二、三年して、戸田氏は母を呼び寄せ『側近の言葉を信じて、あなたを
辛い目に合わせてしまった。申し訳なかった』と詫び、母に本部副婦人部長の地位を
与えて名誉を回復させました」

 昭は昔のことだからウソを書いてもバレないと思っているのか? 戸田会長が精子に
詫びたというのは作り話だ。最後まで信用していなかった。また、戸田会長が精子に
「本部副婦人部長の地位を与えて名誉を回復させた」というのも真っ赤なウソである。
戸田会長の存命中、精子は本部副婦人部長にはなっていない。

 精子が、その役職に登用してもらったのは池田三代会長の時。戸田会長が亡くなって
六年半後の昭和三十九年十二月二十五日、理事長だった宏治が死んで間もなくの
本部幹部会で、五人が本部副婦人部長に登用された。その中の一人に精子も含まれて
いたのである。

 ウソを羅列した昭の駄文は、辻褄が全く合わない。

305検証会議:2009/11/17(火) 22:22:46
 フェイク 第1070号

 (発行=09.11.16)

 急報! 総本山大石寺で火災
 「雨の日顕」と「火事の日如」が邪教の証明
 参道沿いの建物、約二百五十平米が全焼

 最近、火災が続いている日蓮正宗で総本山大石寺の境内にある建物でも、遂に、
十一月十五日午後、火災が発生した。消防車十数台と地元の消防団も駆けつけて消火に
当たったが、約一時間にわたって燃え続け、同寺一帯は物凄い炎と黒煙に包まれた
(下の写真を参照)。

 火災の発生は午後二時頃、総坊近くの休業中の売店で、木造平屋建ての建物八店舗、
約二百五十平方メートルが全焼した。

 火災の翌日の十六日には警察と消防関係者による現場検証が行われた。出火原因は
大石寺坊主の関係者の火遊びだと判明した。

 それにしても、最近の日蓮正宗では火災が多すぎる。八月二十八日には大石寺の
駐車場で乗用車十台が焼ける火災があり、先月十一日(現地時間)にはアメリカ国内に
六ケ寺ある寺の一つ、ワシントンDCの妙宣寺(住職・村田雄瑞)が焼失したばかりで
ある。

 思えば、日顕がニセ法主の頃は、お会式や各種法要などの行事の度に暴風雨、
集中豪雨に見舞われていた。そして日如がニセ法主になってからは火災が頻発する。

 ムリな登山で講員は疲弊、売店はゴーストタウン化

 日蓮大聖人は「生死一大事血脈抄」に妙法の功力について「火も焼くこと能わず水も
漂わすこと能わず」と教えられている。この御文に照らしても日顕・日如が君臨する
現在の日蓮正宗は大聖人の仏法とは無縁の邪宗教であると断言できる。

 富士宮署によると、火災で全焼した建物は二十年前から使われていなかった、との
ことだが、学会員が登山しなくなってから大石寺は閑古鳥が鳴いていた。

 近年、法華講員に対して宗門は年に数回以上、或いは十数回も登山を強要。そのため
講員は疲弊し、売店で土産品などの買い物をする経済的な余裕もない。

 諸天に見捨てられた日蓮正宗大石寺は滅亡への速度を速めている。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000785.jpg

306検証会議:2009/11/18(水) 01:26:23
 石山だより

 平成二十一年十一月十七日

 一、エーまたかよ! と大坊での声、総本山大石寺の総坊売店で十五日午後二時頃、
火災が発生した。皮肉なことに前日は大雨だったが、この日は晴天だったため火勢が
強く、約一時間で二百五十平方メートルの建物がほぼ全焼した。

 先月十一日のワシントン・妙宣寺の火災の際は、三週間も経ってから「宗務広報」を
出して火災を知らせた。その余りにも間の抜けた対応を「石山だより」十一月六日付で
指摘したので、今回は慌てて、火災から三時間後に大石寺内事部が、全国の住職・主管
に宛てた「お知らせ」を送信した。

 だが、その内容は、昔の大本営発表と同じように「被害は一切ありませんでした」等
と書いており、全くの眉唾物である。

 まず、「営業中の売店に延焼しなかった」と浮かれているが、それは消防関係者の
必死の消火活動のお陰である。それなのに、感謝の言葉が全くない。

 また、近隣の方々に多大な迷惑と心配を掛けておきながら、お詫びの言葉は一言も
ない。

 宗門は「被害がない」と言うが、被害を受けた人がいるではないか。どうして、謝罪
の言葉が一言でも書けないのだろうか。謝ることを知らないのが、今の大石寺の悪しき
体質である。


 一、次に「火災は約一時間で鎮火しました」というのは欺瞞である。火災は木造の
古い平屋建てである。それが一時間も燃え続けたら、全てが灰燼に帰す。

 このような場合は「約一時間で全焼しました」と正直に書くべきであろう。

 通報を受けた消防署は消防車十二台を急いで出したが、いざ、消火しようとしても、
消火栓の水が出ないなど消火活動に支障をきたした。

 これは明らかに大石寺の問題である。法華講から供養を集めることには殊のほか熱心
だが、登山者の安全を守ることには神経を使わないのも大石寺の特徴の一つである。

 更に、「出火原因は調査中」と誤魔化さないで、原因は当初から判明しているよう
に「当山の僧侶の関係者の火遊び」と、なぜ素直に書かないのか?

 (顕チャンが法教院を作ったのは、自分の名聞名利のため。自分のことだけで、学生
のことなど考えない。四年間のぬるま湯教育の末、卒業しても夢も希望も持てない。
何時になったら住職になれるのか?この所火災ばっかり、嘆きの無任所鼠)

307検証会議:2009/11/21(土) 20:52:17
 フェイク 第1071号

 (発行=09.11.20)

 阿部信彰、新設の布教部長に降格
 宗門の前途は真っ暗、脱講者は急増の気配
 末寺坊主・法華購が早くも愚痴と悲鳴

 法華講員が激減し、折伏も停滞している日蓮正宗が今月十三日、宗務院に「布教部」
を新設して、部長には庶務部長だった阿部信彰を任命した。庶務部長は宗務院の中でも
権力が集中する総監に次ぐポストだが、布教部長への転出は明らかに降格人事で、
これで信彰の登座の芽は遠のいたという見方が有力である。

 その後任の庶務部長には早瀬の人脈の斎藤栄順が副部長から昇格した。これにより
宗務院は従来の庶務・教学・渉外・海外・財務の五部に布教部を加えた六部体制になる。

 七月の無謀な結集総会の席で、ニセ法主・早瀬日如が「平成二十七年の日興上人
御生誕七百七十年までに、全ての法華講支部が現在の講員数を五十%増加すること」
「平成三十三年の日蓮大聖人御聖誕八百年の佳節までに法華講八十万人の体勢を築く
こと」という新たなノルマを課した。

 布教部の新設は、この過酷なノルマ達成のために、末寺・法華講にハッパをかけるの
が主な役割である。

 宗内情報によると、布教に関する事項は全て布教部が遂行するとのことだが、大して
重要な役割はない。

 例えば、これまで庶務部長だった信彰が大講頭を連れて強行してきた末寺坊主の
締め上げ、講員への恫喝、それに教学部が運営してきた法華講夏期講習会などを布教部
が担当するという。

 面白いのは、十一月十六日付「大白法」に「法華講員各位には、布教部の誕生を喜ぶ
と共に……」等と書いていることだ。法華講にしてみれば、自分達を恫喝し、出来ない
折伏に狂奔させる目的の布教部が出来たからといって素直に喜べる筈がないではないか。

 むしろ、その辛辣なやり方に反対する法華講員、及び末寺坊主から「やめてくれ」等
の愚痴と悲鳴が早くも聞こえてきている。確かに、部長が信彰では講員達の苦しみが
増すばかりで、今後ますます脱講者が増えると予想される。

 信彰は、自分で折伏した経験がないばかりか、教学力も包容力も人徳もなく、恫喝
するしか能がない。

…………………………

 暴力を振るう阿部信彰

 これまでも僧俗指導会で住職や法華講員を怒鳴りつけ、激しく追及したため住職や
講頭を辞めた者も多い。

 この信彰は日顕と同じで、御本尊を信じられず、平成十五年には新興宗教の信者との
法論に負け、新興宗教に功徳があると認めていた。

 新興宗教の信者 私の入っている新興宗教では実は病気が治るんです。

 信彰 本当に治りますか。

 信者 当然、病気も治るし、お金も入る。

 信彰 そうですか。

 信者 功徳があります。

 信彰 新興宗教は、どの宗派も功徳があるんですね。

 信者 そう、日蓮正宗じゃなくても功徳があるんだ。

 信彰 分かりました。

 この後も新興宗教の信者に言い負かされた信彰は、御本尊の功徳を全く
言えなかった。こんな無能坊主に布教部長は絶対に務まらない。

308検証会議:2009/11/26(木) 14:16:36
 石山だより 平成二十一年十一月二十五日

 あの暴力信彰が布教部長に就任。瞬間湯沸かし器二世は、みんなから嫌われている。
布教、布教と言っても笛吹けど踊らず状態になることは見え見えだ。平成二十七年に
講員50%増、平成三十三年に講員80万達成と景気よくぶち挙げたが、少子高齢化の
ご時世、特に高齢化が激しい、どんなに絶叫しても所詮、目標を達成することは
ムリムリと多くの住職が言っている。何せ、六年後、十二年後の話なので、実感が
わかない。その頃には、相承なき顕チャンも、寛チャンもこの世には不在の身だろうと
囁かれている。

 一、恒例の御大会が二十・二十一日の両日、底冷えの厳しい大石寺で行われた。今年
もお練り、申状捧読など毎年、同じ事を繰り返すだけで何の進歩もないマンネリの行事
に登山者は辟易し、感動したり、喜ぶ登山者は見当たらない。登山者の関心事は十五日
の火災の焼け跡を見に行くことだった。火災現場は廃墟と化していた総二坊西側の売店
で、焼けた売店と総二坊の間に、新しい売店が出来ている。そこの売店での登山者と店
の人との立ち話の会話を紹介する。


 登山者 四・五日前、この裏で大火事があったんですか?

 店 員 ええ、そうです。(と言って売店の奥に登山者を招き入れ、裏口から焼け跡
を見せた)

 登山者 ウワー、すごく燃えたんですね?

 店 員 はい、火の勢いが凄かった。火事が起こった時、運悪く南風が強くて、
建物全体に一気に火が回った。

 登山者 それは、怖かったでしょう?

 店 員 はい、もう怖くて、怖くて体が震えましたよ。火はもの凄い速さで
燃え広がりました。煙も真っ黒でした。

 登山者 ところで、原因は?

 店 員 よく分からないのですが、ご僧侶の焚き火とか、子供の火遊びという噂も
あります。内事部からは、何の説明もありません。

 登山者 この店舗は無事だったんですね。

 店 員 ええ、無事だったんですけど、私達は生きた心地しなかったです。昔は、
登山者で溢れて沢山売れたのですが、近年サッパリ売れなくなって死活問題です。
売れないわ、その上火事では、踏んだり蹴ったりですよ。大石寺も運の尽きで、お先
真っ暗ですわ。


 二日目は昼食を挟んで午後一時から仮御影堂(奉安殿)で布教講演会が行われたが、
弁当の到着が間に合わず、なかには昼食抜きで参加した気の毒な登山者もいた。
とにかく、参加者は、お年寄りが多いので、山内を歩くのも相当きつい、登山するのも
容易じゃない。申し状を読むのを聞いてもタダ坊さん達の自己満足に聞こえる。儀式も
大事かも知れないが、世相が悪すぎる今こそ、七百五十年という佳節なのだから、
立正安国論を実践する「時」ではないか。と言っても、修行を怠り、贅沢、懶惰懈怠に
浸って来た者には、到底無理な話だ。

 (無任所で溢れる本山、二十三日には千葉の妙聰寺の住職に佐藤信暢がなった。
寛チャンのファミリーだ。能力とか、実力など一切関係ない社会だ。法華講のT氏が
寄進したそうだが、援助寺院が一カ寺増えただけだと言われている。待ちくたびれた、
順番待ちの無任所鼠)

309検証会議:2009/11/26(木) 14:19:18
 越 洋

 平成21年11月21日

 11月15日(日)夕方から各社のメディアが"大石寺の売店焼く"と一斉に報じた。
折からの乾燥した空気と強風のため、約1時間で250平方メートルを焼き、地元民の
間には"また大石寺か!!いったい大石寺の防火体制はどうなっているのか!!"と怒りと
不満が充満している。当初、法華講などは「火災は学会のせい」と言っていたが、調べ
が進んで原因は富士学林研究室Kの家族の火遊びだったと判明。翌16日には大石寺
近在の檀家の家も火事になり、悲惨なことばかりだ。

 8月28日には宗務院近くの裏門南側の駐車場で大きな爆発音と共に車両一台が
炎上し、計十台が類焼した。タイヤのゴムが焼け焦げて強烈な悪臭が地域一帯に
広がり、近隣の人々にも多大な迷惑を及ぼした。当日は寺族同心会物故者の満山供養を
行っていた。最初に焼けたのは、その満山供養に参加するため乗ってきた車だ。
「宗門を疲弊させた日顕に対する同心会物故者の怒りと嘆きの炎ではないか」との声も
あった。

 平成18年の8月12日には日興上人所縁の「逆さ杉(お華水の杉)」が落雷のため
炎上した。「奉安堂に落雷しても不思議でないのに『逆さ杉』が避雷針になって奉安堂
を守った」と狂喜する愚者もいた。

 先月11日のワシントンDC・妙宣寺の「お会式」の際の出火も、今回の火災も、仏法
の峻厳な現証であり、宗門に原因がある。それにもかかわらず、屁理屈を並べて
学会批判の口実にしている。この手法は、かつてローマ帝国の暴君・皇帝ネロが
ローマ市で大火事(64年)が発生した際、キリスト教徒のせいにして信者を次々に
処刑した構図に酷似している。その後、暴君ネロの末路は悲惨を極めた。日顕と
その一派は愚かな「C作戦」という謀略で一千万信徒を騙し、破門して五逆罪を
犯した。その罪は立正安国論に照らしても、予想を超えた現証が続々と起こることは
間違いない。一連の火事は宗門にとって大凶事の予兆にすぎないのである。


 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000788.jpg

310検証会議:2009/11/26(木) 23:47:41
 大石寺短信 第474号

 平成21年11月26日(木)

 日顕宗の動き


 1. 新たに「布教部」が発足

 このほど、文部科学省の認可が正式に下り、日顕宗に「布教部」が設置された。
これで宗務院は庶務部、教学部、渉外部、海外部、財務部、布教部の6部体制となる。
布教部の部長には前庶務部長の阿部信彰が、庶務部長には斎藤栄順が就いた。

 布教部の役割は「布教のための企画・会議の主催」「坊主・信徒への布教指導」
「布教のための文書作成」「法華講の指導」とのこと。

 この布教部の設置を報じる「大白法」11月16日号は「布教の牽引車となって広布推進
の大道を切り開き…」などと大言壮語しているが、設置の背景について、憂宗護法同盟
の「同盟通信」は辛らつに分析している。“父親・日顕ゆずりの「瞬間湯沸かし器」で
ある信彰はこれまで、庶務部長として、末寺坊主や法華講員らを怒鳴りつけ、
抑えつけてきたため、日如は、庶務部を事務部化して元の常識を持ち合わせた部長に
戻し、「恫喝の庶務部」という印象を対外的にも払拭したかった”――どうやらこれが
真相のようだ。


 2. 本年の折伏達成寺院は現状で1割未満

 「大白法」11月16日号に、本年の折伏目標を達成した支部(寺)が紹介されている。
10月末現在でその数は38。全国には600近くの寺があるので、達成支部は1割にも
満たない。残り2カ月の段階でのこの有り様。目も当てられない状況だ。

 しかも、昨年の同日号の紙面で紹介されていた達成支部の数は「50」だったの
だから、明らかな退潮。こんな恥ずかしい記事をわざわざ載せたということは、
「大白法」はよほど記事に困っているのだろう。

 記事には、「折伏は必ずできる」という、もっともらしい見出しが付いているが、
ほとんどの坊主・法華講員はそんな風に思っていない。毎年、折伏目標が達成できる
支部は全体の2割弱程度。ほとんどの寺が「折伏は難しい」と実感しているのだ。

 そもそも、折伏のハッパをかけている坊主の寺が成果を出していないのだから、
説得力はない。新設の布教部長に就いた阿部信彰の寺は毎年毎年、惨敗続き。今回の
紙面にも名前はない。このほか、執行部の重役・藤本、総監・八木、庶務部長・斎藤、
教学部長・水島、渉外部長・秋元、海外部長・漆畑、財務部長・長倉の支部も達成
できていない。さらに、布教部の設置に併せて任命された15人の「折伏推進委員」の中
でも、達成できているのはわずか6人。

 これでは、「偉そうなことを言う前に、まず自分の寺で模範を示せ」と末寺坊主たち
が怒り出しても仕方があるまい。


 3. また大石寺で火事

 15日午後2時25分ごろ、大石寺の総坊売店から出火、店舗8軒が全焼した。当時、現場
には黒煙が上がり、消火のため消防車が何台も駆けつけ、一帯は騒然となった。出火元
の店舗は閉店中で、電気やガスも止められていて、火の気がなかったところから、
出火原因は不審火との見方が強いとみて関係各署が調べている。

 大石寺では、8月にも構内の駐車場に停めてあった車両が炎上する事故があった
ばかり。また、アメリカの妙宣寺では、先月、御会式の最中に寺で火事が発生した。
まったくもって現罰続きの日顕宗である。


 4. 12月の予定

    6日(日) 広布唱題会(本山、末寺)
   11日(金) 全国正副宗務支院長会(本山)
   13日(日) 御講(末寺)

311検証会議:2009/11/27(金) 21:07:25
 新改革通信 第105号

 平成二十一年十一月二十七日発行

 一凶・日顕の末路(一)

 宗内からの「法教院」批判、信彰の更迭、連続する火災。次々に起こる異変が暗示
する日顕の末路

 平成二年七月の「御前会議」から始まった謀略「C作戦」実行、二十年目を前に
して、宗門では様々な異変が続いている。

 それは一見、突発的な事件、点にしか見えないが、どれも一つの線でつながって
いる。

 その"線"とは、"日顕の権威の失墜"である。

 たとえば、宗会議員が「法教院」を無用の長物であると批判したが、このような
事件は、日顕が法主の時代には起こり得なかったことである。

 また、信彰が庶務部長を実質的にクビになり、何の権力もない「布教部長」に左遷
させられるということなども、日顕が法主でないから、出来たことだ。これによって、
信彰の次期法主の可能性は限りなくゼロに近づいた。

 すなわち、日顕が法主をやめ、早瀬体制が出来上がりつつあることによって、宗内に
くすぶっていた"恐怖政治の悪法主・日顕"への批判が、ゆっくりだが、表面化している
のだ。

 日顕自身も、そのことを肌で感じているから、本山に滞在する時間を延ばして、
存在感を示そうとしている。

 また、三度続いた火災は、日顕の末路を暗示する瑞相である。宗門では昔から"火事
は福運を失くす、諸天が去る"と言われている。

 ①八月二十八日午後一時すぎ、宗務院近くの裏門南側の駐車場で車両十台が炎上。

 ②十月十一日正午(日本時間十月十二日午前二時ごろ)、アメリカ・ワシントンの
妙宣寺で「御会式」の最中に火災が発生。

 ③十一月十五日午後二時頃、総本山大石寺の総坊売店で火災が発生。

 仏法では偶然はないと説く。すべては因果の現れである。本山の繁栄、世界への
布教、どれも創価学会の存在があったからこそ、成し得たものである。それを否定した
日顕の忘恩に対する厳しい罰の現証と見ることができるであろう。

 平成三年十一月二十八日、日顕らは「破門通告書」を学会に送付した。大聖人の
御遺命である世界広布を妨げた「一凶」である日顕を、すでに諸天が見放している
こと、すなわち日顕の命運がつきたことを暗示しているのだ。(編集部)

312検証会議:2009/11/28(土) 13:38:10
 フェイク 第1072号

 (発行=09.11.27)

 「庶務部長の器じゃない」と宗内の声
 阿部信彰の後任・斎藤栄順は謗法の欠陥坊主
 墓参の未入信者へ土産代りに本尊を渡す

 嫌われ者の極道坊主から器の小さい遊蕩坊主に交代した――今、宗内で嘲笑されて
いるのは宗務院庶務部長の人事である。阿部信彰が新設の布教部長に左遷され、その
後任の庶務部長に就いた斎藤栄順といえば、「河辺メモ」の筆跡が河辺本人のものに
間違いない、と法廷で証言した坊主として知られている程度で、今まで殆ど
目立たなかった。

 本紙編集室にも「斎藤とは一体、どんな坊主なのか?」という問い合わせが多く
寄せられている。また、宗内からは「宗務院の庶務部長になるような器じゃない」との
声も聞こえてくる。

 確かに斎藤は小物で存在感が薄く、特筆すべき実績も何一つない。支院長になった
過去もなく、宗会議員に当選した経験もない。

 こんな平坊主が何故、総監に次ぐ庶務部長になったのか? その疑問に答えると共に
無能坊主・斎藤栄順の素顔を紹介する。

 斎藤の本名は誠治、昭和三十八年に尾花泰順を師僧として得度。昭和四十八年に
最下級の教師の「訓導」になり、その翌年に奉天坊住職、昭和五十七年三月に寿命寺
(富士宮市)住職になった。翌五十八年に庶務部主任になって以来、当時の部長・
早瀬義寛(日如)の子分になり、この度、親分の日如が「庶務部長は無能でも忠実な男
がよい」と抜擢した次第。今後も実質の庶務部長は日如で、斎藤は書記係にすぎない
のだ。

 斎藤の特徴を端的に言うと「謗法容認の軟弱な体質で遊び好き」「小心の堕落坊主」
という評判だ。

 まず、謗法について寿命寺の信徒が法華講仲間の謗法払いを依頼しても、斎藤は
「私が頼んでも、謗法払いをしてくれない」と泣き言を言うだけで埒があかない。
更に、未入信の姉妹が寿命寺へ母親の墓参に行った際、斎藤は折伏も説明もせず、二人
に土産の代りに本尊を持たせた。

……………………

 小心の堕落坊主・斎藤

 行事をサボり観光旅行

 斎藤は金儲けには熱心で、言葉巧みに塔婆供養を奨励する。ある講中幹部は、斎藤が
小さい声で題目を唱えながら塔婆を書いていると思っていたが、よく聞くと、ナント
「はい、二千円、はい、二千円」と言いながら書いていたという。

 斎藤が遊び回っているのは寿命寺の講中にも知れ渡っているようだが、平成九年
(一九九七年)には、こんな醜態が露見した。

 それは五月十八日、ハワイ・本誓寺(当時の住職は高橋思道)で開創三十周年
記念法要が行われた時、招かれた斎藤と宮沢親道、吉本恵道の三人が法要終了後も
ハワイに居残り、大石寺での寺族同心会をサボって、観光旅行を楽しんでいた。

 斎藤らはワイキキビーチ沿いにある豪華ホテルに滞在。家族を連れてホノルル市内を
見学、飛行機でハワイ島に渡り、ショッピングやディナーショーを楽しみ、カヌー遊び
に興じるなど、まさに常夏の楽園で遊び呆けていた。

 この斎藤が庶務部長だから今後は殴る蹴るの暴行を受けてケガする住職も減る
だろう、とも囁かれている。

313検証会議:2009/12/02(水) 21:48:33
 フェイク 第1073号

 (発行=09.12.01)

 宗門の狙いは十億円の御開扉料
 日顕宗の「五十万人を突破」の速報を嗤う
 帳尻合わせの「登山地獄」に苦しんだ法華講

 日顕宗の立正安国論正義顕彰七百五十年記念局が十一月二十八日にデタラメな
「速報」を出した。それは「登山参詣人数、御命題の五十万人を突破」と題する内容で
ある。「速報」では冒頭に「本日、本年一月からの登山参詣者累計人数が
五十万一千九百五十五人に達し、五十万総登山の御命題を見事に達成しました」と
述べ、そのあと「(日如と日顕の)御高徳によるところであり」「宗内僧俗各位の
たゆまぬ精進が結実したもの」等々、ウソ八百の文言を並べている。

 日如と日顕の二人のニセ法主に「御高徳」はない。また「たゆまぬ精進」の坊主も
いない。今年初めに大石寺の某僧は「達成しても、しなくても、どうせ『達成した』と
発表するから傍観している」と語っていた。

 その予想通りに出た「速報」は無謀極まる「五十万登山」が、八万人ソコソコしか
いない法華講にとって、いかに悲惨で過酷な「登山地獄」であったかを裏付ける文書と
いってよい。

 今年は十回以上も登山させられた講員が多くいた。各末寺の法華講では
「複数回登山」の檄が飛び交い、それも五回や六回ではなく、「十回以上」という
非常識な登山の強要が公然と叫ばれていたのである。

 ニセ法主が言い出した五十万というノルマの帳尻合わせのために、荒れ果てた大石寺
に足を運んだ高齢者や身障者も含む哀れな講員。そこには歓喜も功徳もないばかりか、
生気すら感じられなかった。こんな粉飾と水増しの登山人数に一体、何の意味がある
のか?

 総監の八木日照が布教区別僧俗指導会を回って十回以上の登山を奨励した話を
「大白法」に掲載していた。

 「先般、四国のほうへ伺いました時に、女子部の方が決意発表されて、今年は十一回
の記念登山を計画しているということで『自分は十一回全部に参加したい。そのつもり
で準備をしている』と話していました。

 そのためには、仕事を休まなければなりませんし、経済的なこともあります。体調も
しっかりと調えなければ十一回全部に登山することはできないということで、決意を
述べていらっしゃいました」(「大白法」二月十六日付)

 功徳も感動もない登山

 八木は女子部員の決意を引きながら十回以上の登山を強調していたのだ。

 複数回の登山に加え、もう一つの「数稼ぎ」の手口は一度の登山で二回、三回と
御開扉を受けさせる方法で、御開扉料は当然、その都度、支払うことになる。

 日帰り登山者が大石寺に居残り、翌日に一泊登山者として御開扉を受け、下山の前に
また奉安堂に行って三回目の御開扉に臨む。つまり、一度の登山で三回も御開扉を
受ける水増しが横行していたのだった。

 こうして延べ人数が五十万人になったということは、一人二千百円の御開扉料
だから、総額十億円を超える泡銭(あぶくぜに)が「供養」という名目で本山に入った
計算になる。十億円の金集めが狙いだった日如らは、ほくそ笑んでいるだろう。

 某講員は「年に五回も十回も無理やり登山させられたから喜びも感動もない」と
語っていた。信心のない御開扉には功徳はない。

327検証会議:2009/12/08(火) 11:39:45
 フェイク 第1074号

 (発行=09.12.07)

 やはり原島昭は嵩と同じ虚言症
 「慧妙」に掲載の原島(兄)の駄文を粉砕 ①
 昔の「ルビー」誌の文・絵を転載し見当違いの難癖

 原島昭(故・嵩の兄)が「慧妙」の十二月一日付に昔の雑誌「ルビー」の記事と挿絵
を転載して見当違いの奇怪な文を書いている。

 これは原島が「慧妙」の十月一日・十一月一日付に学会への恨みを込めて寄稿した
内容の間違いを本紙第一〇六一・一〇六八・一〇六九号で指摘したことに対する言い訳
と反論のつもりらしい。まず、これまで昭が「慧妙」に書いたウソと間違い、それを
指摘した本紙の要旨を列記する。

 原島昭のウソ・間違い=私が三歳、弟が一歳を過ぎた頃、母が入信し、その翌年には
父が入信した。入信してからの両親の布教活動は、子供の眼から見ても驚くべきもの
で、蒲田支部の基礎を作っていった。(十月一日付「慧妙」)

 本紙の指摘=幼児が驚くような布教活動とは信じ難い。原島精子は蒲田支部の基礎を
作るどころか、学会内に派閥を作ろうと画策して婦人部長の役職を解任され、そのうえ
謹慎を命じられた。

 昭のウソ・間違い=私が、ねじけた物の味方をするようになったのは多分に
創価学会二代会長・戸田城聖氏の影響でもある。(十一月一日付「慧妙」)

 本紙の指摘=昭は、自分の腐れ切った性根まで、戸田会長のせいにするとは全く
ふざけている。昭の「ねじけた物の見方」は、母親の精子と弟・嵩の異常な関係を見て
きたからではないかと指摘する人がいる。(嵩と母親の異常な関係は本紙第一〇六九号
に詳述)

 昭のウソ・間違い=①戸田氏は「『冒険少年』、次いで『ルビー』を創刊し……当時
は雑誌が一冊二、三十円位の値段で、②「『ルビー』を何気なく手に取り、ぱらりと
開いて見て驚いた。グラビアの写真と本文の始めから終わりまでの挿絵の殆ど全てが
ヌード写真で占められていた③二つの雑誌を発行する「日本正学館」に……
④その後一年もたたないうちに、池田氏編集の二雑誌は廃刊になった。
(十一月一日付「慧妙」)

 本紙の指摘=池田編集長が「冒険少年」と「ルビー」の「二雑誌」を編集していたか
のように錯覚させようとの陰湿な魂胆が垣間見える。(「ルビー」の奥付を提示して)
「ルビー」は後年、坊主になり下がって学会を批判するようになった矢島周平が編集
していた。

 また「ヌード写真で占められていた」はウソ。昭の駄文は定価も出版社も違う。発行
は大道書院、定価は六十五円。邪推と妄想と勘違いで文を書いている昭は、死んだ嵩と
同じ虚言症だ。

 昭のウソ・間違い=(母親の役職解任の後)二、三年して、戸田氏は母を呼び寄せ
「あなたを辛い目に合わせて申し訳なかった」と詫び、母に本部副婦人部長の地位を
与えて名誉を回復させた。(十一月一日付「慧妙」)

 本紙の指摘=戸田会長が精子に詫びたというのは作り話で、最後まで信用して
いなかった。また、戸田会長が精子に「本部副婦人部長の地位を与えて名誉を回復
させた」というのも真っ赤なウソである。

 戸田会長の存命中、精子は本部副婦人部長になっていない。精子が、その役職に登用
してもらったのは、戸田会長が亡くなって六年半後の昭和三十九年十二月二十五日で
ある。ウソを羅列した昭の駄文は、辻褄が全く合わない。(つづく)

328検証会議:2009/12/11(金) 01:53:58
 越 洋

 平成21年12月8日

 きょう12月8日は忘れることの出来ない太平洋戦争開戦の日である。昭和16年の
この日、時の法主・鈴木日恭は次のような「訓諭」を発した。

 「本日米国及英国ニ対シ畏(かしこ)クモ宣戦ノ大詔(たいしょう)煥発
(かんぱつ)アラセラレ洵(まこと)ニ恐懼(きょうく)感激ニ堪(た)エズ(中略)
本宗宗徒タルモノ須(すべから)ク聖慮(せいりょ)ヲ奉体(ほうたい)シ仏祖ノ遺訓
ニ基キ平素鍛練ノ信行ヲ奮(ふる)ヒ堅忍持久百難ヲ排シ各自其ノ分ヲ竭(つく)シ
以テ前古(ぜんこ)未曾有ノ大戦ニ必勝ヲ期セムコトヲ
 右訓諭ス」

 日恭の「訓諭」は、開戦を待ち望んでいたかのような言辞で埋め尽くされ、以後も
積極的に軍部に従い、戦争遂行に協力した。併せて、宗門はそれまでの軍事献金の功労
によって、当時の海軍大臣であった嶋田繁太郎から「感謝状」を与えられたので
あった。

 戦争の犠牲者は2000万人とも言われている。日蓮正宗は戦争を賛美し加担。御書
の刊行禁止の上、14ヶ所の字句を削除し、経本の観念文を改竄するなど数々の大謗法
を犯した。こんな大謗法を御本仏が許される筈はなく、昭和20年6月17日、大石寺
は大火に包まれ、日恭は生焼け状態で焼死した。如何なるいい訳も通用しない。
戦後64年経っても何一つ反省を示さない傲慢無礼の宗門である。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000794.jpg

329検証会議:2009/12/11(金) 21:16:58
 石山だより

 平成二十一年十二月九日

 阿部信彰の布教部長就任は、左遷なのか?栄転なのか?どっちなのか?と問われる
と、その答えは左遷である。

 庶務部長には様々な権限があるが、布教部長はハッパをかけるだけである。寛チャン
が法主になって4年。その間、顕チャンの弟子の八木と信彰は寛チャンを無視して隠尊
の言いなりになってきた。寛チャンとしては感情的に許せないものがあるものの、
顕チャンの手前、何も言えなかった。ところが、昨年、信彰と八木が北海道・得成寺の
里内信徳を本山に呼びつけて査問した際、激高した信彰が立ち机を蹴り飛ばした。
それが里内の腰と足を直撃し、告訴事件に発展した。

 信彰の暴力は日常的で、女房の信子に対しても、髪の毛を掴んで引っ張り回し、女房
が「ごめんなさい」と謝っても止めない。そんな病的な暴行は有名な話だ。目上の者
にはニコニコ、ペコペコ、目下の者には傲慢に威張り散らす畜生坊主である。在勤者に
対しては言葉よりも暴力。こんな信彰を庶務部長にしておいたら、里内事件の告訴が
受理された場合、宗門に傷が付くと寛チャンは考え、信彰を外すために布教部長を新設
したのである。

 信彰は布教部長になったが、権限としては、たいしたことない。人事のことをやる
のは庶務部だ。そういう意味では、寛チャンが実質的な庶務部長といえる。斉藤栄順
は「名ばかり部長」で単なる事務係ということだ。信彰は恐怖部長として檄を飛ばす
だろうが、権力を振るえば振るうほど、みんなの心は離れ、今以上に毛嫌いされる
のは明々白々。その意味では最も相応しくない者が布教部長になった皮肉な人事で、
宗門史上、大きな災いの元になるだろう。

(いつ殴られるか、と戦々恐々の毎日。身体に変調をきたしたが、信彰の寺の在勤が
終わったら治った無任所鼠)

330検証会議:2009/12/11(金) 21:17:28
 石山だより

 平成二十一年十二月十一日

 十一月二十八日、「登山参詣数、御命題の五十万人を突破」という速報を記念局が
出した。内容は「宗内僧俗各位のたゆまぬ精進が結実したものであって、まさしく
『異体同心なれば万事を成じ』との御聖訓を実証したものと慶賀にたえません」と
言っている。だが、各末寺の住職や法華講各位は、この登山者数がマヤカシで、
インチキであることを知っている。

 七月二十六日の七万五千名大結集総会では、実質七万人も集まらなかったが、この
七万の法華講が一人何回も登山した結果に過ぎない。御開扉の際、一人が二枚の
御開扉券を出しても役員は黙って受け取っていた。一人最高で十五回も登山した講員が
いる。平均すると一人が七回も登山に来ていることになる。登山の常連さんが多い
ので「売店で買い物をする講員がいない」と売店主がぼやいていた。

 昭和二十六年五月三日に第二代戸田会長推戴式が常泉寺で行われ、席上、
七十五万世帯の折伏を宣言された。その後、本山で法華講にも七十五万世帯を
呼びかけられたが、全くその気もなく、歳月だけが虚しく過ぎたのである。要するに
広宣流布の実現を願う信心がないからだ。以来、仏意仏勅なき故、五十八年も経った
のに、七万五千人さえも集まらない淋しい現状だ。

 いくら「御命題五十万人を突破」と大本営発表をしても宗内で信用する者は誰も
いない。みんな達成感など実感できないのだ。また、布教区を細分化して三十七から
四十七に増やし、布教部を新設し、折伏推進委員を任命しても、平成二十七年の講員
五十%増が出来るとは誰一人、思ってもいない。

(今までも死亡、退転・行方不明の多い法華講では、更に高齢化が進んで講員は減る
一方だ。登山、登山と叫ばれ、折伏、折伏とハッパをかけられ、供養、供養と
言われても、年金生活では溜息ばかりしか出てこない。在家の父の姿に痛みを感じる鼠)

331検証会議:2009/12/12(土) 15:38:33
 大石寺短信 第475号

 平成21年12月10日(木)


 日顕宗の動き


 1.苦しみ充満の「50万登山」がようやく終了

 先ごろ、各末寺に本年の「50万登山」が達成されたことを告知する文書が配信
された。当初、日如は能天気にも「全信徒の登山」と言っていたが、それが絵空事で
あることに気づいた後は「1人が12回ぐらい登山したっていい」と方針変更。その結果、
多くの活動家が「12回」どころか、それ以上の登山を強要される事態となった。一方、
着山日と翌日に御開扉を受けて2回の登山とするなどの「回数稼ぎ」も横行。病後にも
かかわらず、遠隔地から長時間バスに揺られて参加し、病院に担ぎ込まれる参加者も
出た。

 「こんな登山に何の意味があるのか」といった疑問の声が噴出したが、7年前の
「30万登山」等と同様、しょせんは本山を潤わせるための金集め登山。日如ら
本山関係者は莫大な御開扉料、供養の収奪に成功したわけだ。

 阿部政子の“億ション”に象徴されるように、日顕、日如と一部の取り巻きだけが
肥え、末寺はやせ細る一方。宗内格差はますます広がっている。


 2.友人葬への笑止千万の難癖

 日顕宗が2種類のリーフレットを作った。それぞれA4版3つ折りで「創価学会員に
よる『友人葬』は間違いです!」「日蓮正宗の信仰」と題したもの。一部10円で末寺、
信者に売りつけるという。

 この期に及んで友人葬に難癖をつけているが、裏を返せば、学会の友人葬への
危機意識の表れでもある。それもそのはず。坊主の贅沢に費やされるための供養を出す
必要はない、広布に前進する同志の唱題に送られて安祥と霊山に旅立てる、そんな
清々しい友人葬は坊主の食い扶持を奪ってしまう脅威なのだ。

 そもそも、葬儀の席で、勤行を間違え、居眠りし、「供養が少ない」と暴言を吐き、
酒に酔っぱらうなど、醜態をさらして顰蹙を買ってきた日顕宗の坊主たち。このような
現実を棚に上げて、言葉巧みに高齢者の不安を煽るやり方は極めて卑劣である。

 友人葬こそ大聖人の仏法の本義にかなった葬儀の在り方であることは言うまでもない。

 3.布教区が細分化

 4日に行われた臨時宗会で宗規が改正となり、10布教区が増えて47布教区の体制と
なった。内訳は以下の通り。

・東北布教区(青森県、岩手県)が青森布教区と岩手布教区に

・静岡南布教区(静岡県南部)が静岡東布教区と静岡西布教区に

・中部布教区(愛知県、三重県)が愛知東布教区、愛知西布教区、三重布教区に

・北近畿布教区(福井県、滋賀県、京都府)から京都布教区が分離

・大阪布教区(大阪府)が大阪北布教区と大阪南布教区に

・東中国布教区(鳥取県、島根県、岡山県)が北中国布教区(鳥取県、島根県)と
岡山布教区に

・西中国布教区(広島県、山口県)が広島布教区と山口布教区に

・福岡布教区(福岡県)が福岡東布教区と福岡西布教区に

・中九州布教区(熊本県、大分県)が熊本布教区と大分布教区に

 日如はこれまでの宗務院中心の体制を見直し、「連絡役」に過ぎなかった支院長に
一定の権限を与え、布教区の機能の強化を図ろうとしている。背景にあるのは「自分の
代に法華講の勢力を増やそう」という日如の野心である。油断することなく警戒して
まいりたい。

332検証会議:2009/12/13(日) 00:37:40
 フェイク 第1075号

 (発行=09.12.10)

 原島昭・嵩の狂いは母親の悪影響!
 「慧妙」に掲載の原島(兄)の駄文を粉砕②
 本紙の記述を「真相」と認めながら無駄な抵抗

 原島昭と嵩(故人)兄弟の狂いは母親の悪影響が原因の一つと言われている。
 その昭が「慧妙」十二月一日付に「フェイクの欺瞞を嗤う」「フェイクの偽証」の
見出しをつけ、本紙を非難しているので粉砕する。

 昭の母・精子(下の写真)の役職解任と謹慎に関して、本紙が①精子は派閥作りを画策
した②戸田会長から精子は「信用できない」と叱責されたと記した。すると昭は
「フェイク」紙が何故、そんな事実を知っているのか、と疑問を呈し「『フェイク』は
創価学会中枢の関与のもとに書かれたか」また「記事の情報源が学会の古参幹部である
か」と推測。そして「『フェイク』紙が述べているとおりのようです」と認めている。

 その反面、同じ文の中で「(フェイク紙は)妄想癖の持ち主によって書かれた」と難癖
をつけており、全く支離滅裂だ。

 つまり、昭は本紙の記述を学会中枢、古参幹部の確かな情報に基づく真実だと
認めながら「妄想の産物」と非難しているのである。

 本紙第一〇六一号に精子の文京婦人部長の解任・謹慎について、こう記した。

 「戸田先生の法華経講義を受講せず、先生の指導を軽視し『私が御書講義をして
やる』と会員を自分に付けようとした」「原島派を作ろうとした」「二乗根性が強く
イヤな女だった」「陰湿で好きになれなかった」

 このように記した箇所では、明確に「草創期の諸先輩の原島精子に対する評価は
厳しい」と書き加えておいた。これで分かる筈だ。

 昭や死んだ嵩じゃあるまいし、妄想で記事は書けない。功労の諸先輩で精子を良く
言う人は一人もいない。

 原島母子は悪の元凶

 また、昭は「当事者たる母自身は訳がわからないまま解任され、嘆き悲しんでいた」
という事実しか知らないと書いている。

 昭が母親の解任理由を知らないから「派閥作りをした」と教えてあげたのだが、何も
知らない昭が、真相を伝えた本紙を非難するのは筋違いというものだ。

 派閥作りを画策して解任された事実は、原島家にとって一大汚点。だから、
解任・謹慎は「いい加減な命令だった」と、今度は戸田会長を悪者に仕立てようとして
いるが、言語道断!

 更に、昭は自分の母と同時に解任された、もう一人の婦人部長について
「フェイク」紙が触れていないのは「偽証の詐術」だと変な理屈を述べているが、
これも的外れだ。精子の陰湿な派閥作り、昭と嵩の「虚言症」を指摘するのに、関係の
ない他人を引き合いに出す必要もあるまい。

 なお、昭は、かつて大阪地方区から参議院に立候補した白木義一郎氏が当選した勝因
は野球のスターだったからだと書いているが、選挙はそんなに甘くない。

 その例の一つ、広島東洋カープを優勝に導き、赤ヘル黄金期を築いた古葉監督でさえ
野球殿堂入りの後、五年前に参院選に出たが落選した程である。

 (つづく)

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000797.jpg

333検証会議:2009/12/13(日) 21:04:49
 フェイク 第1076号

(発行=09.12.11)

 死ぬまで続いた原島嵩の変態行為
 「慧妙」に掲載の原島(兄)の駄文を粉砕③
 原島昭は「ルビー」誌の挿絵から淫らな想像?

 日顕宗のクズ新聞「慧妙」の連載「私が見た創価学会」に原島昭(故・嵩の実兄)が
書いた駄文のウソ、間違いについては、本紙で逐一、指摘(要旨は本紙第一〇七四号を
参照)してきた。

 この指摘に反論も説明も出来ない昭は十二月一日付「慧妙」に、矢島周平が編集して
いた雑誌「ルビー」の読み物を取り上げ、そのうえ数枚の挿絵も転載するなど争点を
すり替えて学会の悪口を書いている。

 当初、昭は「戸田氏は少年向け雑誌『冒険少年』、次いで成人向け雑誌『ルビー』を
創刊し」「『ルビー』を何気なく手に取り、ぱらりと開いて見て驚きました(中略)
ヌード写真で占められていた」「(日本正学館に一人の若者が入社したと述べ)父が
『池田君はよく働く…』と私に語ったことがあります。しかし、あの雑誌『ルビー』の
内容を知っていた私は、そう語る父に対しても不信の眼を向け始めた」「その後一年も
たたないうちに池田氏編集の二雑誌は廃刊になりました」

 これを読む限り、昭は「ヌード写真で占められていた『ルビー』を池田青年が編集
し、日本正学館が発行していた」と悪意からウソを書いていることが分かる。

 そこで本紙は「ルビー」の奥付を示し、発行所は大道書院、編集者は坊主に
なりさがった矢島周平(写真)だった、と教えてあげた。

 すると、昭は己の誤認識を訂正しないで「慧妙」で「ルビー」の読み物を取り上げ、
挿絵も転載している。だが「グラビア写真と最初から最後まで占められていた」という
ヌード写真とやらは一枚もない。昭は少年の頃、あの挿絵を見て淫らな想像をしていた
のか?

 昭は本紙の記述を「偽証」「偽証の詐術」と非難するが、挿絵を「ヌード写真」と
偽る昭こそが「偽証」の男というべきである。

 昔、日本正学館に矢島周平がいて雑誌を編集していたからといって、今の学会とは
関係のない話である。

 それは以前、聖教新聞社にセクハラ常習犯の原島嵩という変態の主幹がいたが、その
ことが現在の学会や同新聞社の体質を論じる材料にならないのと同じことだ。

 嵩には赤坂のスナックに「ノコちゃん」というお気に入りの女性がいて、聖教本社に
請求書を届けに行っていた。応対した女子職員に「いつも(原島に)抱きつかれて
嫌だけど商売だから」と言っていたという。

 この原島は死ぬ前に入っていた東京・西多摩の介護老人保健施設で婦人の部屋に
忍び込み、女性用の「おしっこパット」を盗んで注意された。女性トイレに素足のまま
潜んでいたこともある。こんな原島を婦人達は大変に気味悪がっていた。

 ところで、ヌード写真といえば、かつて日蓮正宗の坊主仲間が互いに持ち寄り、
見せ合っていた。

 あの色魔の日顕がシアトルで夜中にホテルを抜け出し、英語ができないので身振り、
手振りのジェスチャーで売春婦にヌード写真を撮らせて欲しいと頼んだのも、宗内で
自慢したいためだったということだ。

 昭和二十八年八月に得度した矢島も日顕に似たような変質者だったのだろう。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000797.jpg

334検証会議:2009/12/19(土) 13:15:06
 新改革通信 第106号

 平成二十一年十二月十八日発行

 一凶・日顕の末路(二)

 日顕は自分の名前を歴史に残すために「法教院」を作ったが、諸悪の根源・
「法教院」は日顕の死後、必ず封鎖される!

 八十七歳になる日顕が今一番、執着しているものは何か?それは「法教院」の存続で
ある。

 なぜか?法主と言うだけでは、代が変われば以前の法主は忘れ去られていくが、
「法教院」が存続すれば、創立した日顕の名前が歴史に残るからである。

 しかし、その日顕の野望とは裏腹に、「法教院」の評判はすこぶる悪い。その理由は
以下の通りだ。

 ①「法教院」は単なる私塾であり、文科省に認められていないので、卒業しても学歴
にならず、卒業者は社会的には「高卒」となる。

 ②以前は偏差値の高い高校を目指していた小僧がいたが、「法教院」にしか行けない
今では、どの高校に行っても同じであり、勉学の意欲がなくなり、必然的に学力が低下
している。

 ③一般教養以外の教員は宗門僧侶に限られており、おざなりな授業になっている。
そのような中で、広く世間に通用する人材は生まれない。

 ④大坊の延長であり、閉鎖的な環境であるため、社会性のない人間となる。

 ⑤無任所が増えているのに、「法教院」を存続させるために得度者を採らなければ
ならない。

 ⑥「法教院」を維持するために膨大な費用がかかっており、宗門財政を圧迫して
いる。

 他にも色々と指摘される問題点があるだろうが、このままいくと、宗内僧侶全員が
「高卒」という現代日本の宗教界でも極めて例のない教団が誕生する。

 日顕は「法教院」を批判されると、常に過剰に反応する。宗会議員の有志が
「法教院」に対して意見をしたが、日顕はすぐに『吾が弟子一同に告ぐ』という文書で
反論した。

 日顕が恐れていることは「法教院」が消滅することにより、創立した日顕の無能力さ
が歴史に残ることである。

 しかし、宗内の中で一体、何人が「法教院は必要である」と思っているであろうか。
皆無である。日顕の死後、その日顕の分身ともいえる「法教院」も、姿を消すことは
宗内の大方の見通しである。

 (編集部)

335検証会議:2009/12/19(土) 13:16:24
 越 洋

 平成21年12月19日

 たった一人の愚人のために一宗が衰亡する。なのに誰一人として「命」をかけて反対
の声をあげない不思議な沈黙教団。その名「日蓮正宗」。宗祖日蓮大聖人は何と仰せに
なるだろうか?

 きょう12月19日は、阿部日顕の87歳の誕生日である。常泉寺のお手伝いだった
彦坂スマが男の子を私生児として出産したのが大正11年のこの日。

 その子の父親は阿部日開、或いは、弟子の高野日深とも言われているが、5歳の時に
認知したのは日開であった。

 日顕は87年間、未生怨を引きずり、遊蕩の限りを尽くし、大悪行と大謗法を重ね、
法主の座を盗み取った。そのうえ「現代における大聖人様」気取りで仏法僧の三宝を
破壊した。また大御本尊を「ニセモノ」と断じ、題目を「体に有害」と誹謗、更に、
事の戒壇たる正本堂を破壊した。

 創価学会の戸田第二代会長は、広宣流布を阻む者は釈迦在世の六師外道が最後には
日蓮正宗の中に生まれてくると昭和31年2月7日、大阪・中之島公会堂での「佐渡御書」
の講義の際、次のように喝破した。

 「大聖人様の時代に良観とか、あるいは法然とかの弟子などになる連中は、いったい
過去にどういう者だったかというと、昔、仏法をくさした外道の者が生まれてきて、
形だけ仏法をやって、今度は正法に邪魔するのです。大聖人様を迫害した良観たちが、
いま生まれてきて仏立宗等の坊主になっているのです
(中略)
 それで今、日蓮正宗が本尊流布するにあたって邪魔をするのです。今度、それでは
どうなるのかというと、あのような連中が死ぬと、今度は日蓮正宗の中に生まれてくる
のです。そして蓮華寺の僧侶のようになってくるのです」

 戸田会長は本尊流布が進めば、それを邪魔する者が日蓮正宗の中に生まれてくると
鋭く指弾した。実例として「蓮華寺の僧侶」こと、崎尾正道という悪僧を挙げている。
崎尾は昭和30年に「学会員には御本尊を下付しない」「すでに下付した御本尊を返せ」
と通達。御本尊を手段にして学会組織の切り崩しを画策した極悪坊主であった。

 今、崎尾と同じく御本尊の下付を停止した日顕は、その後も日寛上人の御本尊に難癖
をつけて、御本尊を手段にして学会の切り崩しを謀っている。この日顕こそ、日蓮正宗
の中に出現した"仏敵"なのである。この外道坊主・日顕の誕生から退座までの悪行を
簡潔に追ってみた。

336検証会議:2009/12/19(土) 13:18:08
 【日顕の生涯】

○大正11年(1922年)12月19日 東京・向島小梅町165番地で生まれる
(彦坂信夫)

○昭和 3年(1928年) 8月28日 桜井仁道のもとで得度
(信夫を信雄と改名)

○昭和18年(1943年) 4月10日 野坂政子との婚姻届を提出

○昭和22年(1947年) 5月13日 向島・本行寺住職になる

○昭和36年(1961年) 9月 1日 教学部長になる
(「夢のお告げ」を受ける)

○昭和38年(1963年) 3月16日 アメリカへ初の海外出張授戒。ハワイで
トイレに御本尊を置き忘れる

〃    〃     3月20日 シアトル7番街で売春婦とトラブル
(シアトル買春事件)

〃    〃     4月 5日 京都・平安寺住職になる

○昭和52年(1977年)11月22日 常泉寺(東京・墨田区向島)住職になる

○昭和53年(1978年) 4月15日 後に「この日に日達上人から法を内付
された」と詐称する

○昭和54年(1979年) 5月 7日 総監になる

〃    〃     7月22日 管長になる

○昭和55年(1980年) 5月 6日 栃木県鹿沼・仏城寺の入仏式で
「じゃかましい」と信徒を怒鳴る

○昭和61年(1986年)11月22日 東京・赤坂の高級料亭「川崎」で芸者に
囲まれ記念撮影

○平成元年 (1989年) 7月17日 福島市の禅宗の寺に墓を建て法要

○平成2年 (1990年) 7月16日  西片会議(藤本、早瀬、秋元、八木、
河辺、関が出席)で謀議

〃    〃     7月18日 御前会議(西片会議と同じ坊主が出席)で
「C作戦」を謀議

〃    〃     7月21日 名誉会長、会長が目通り。席上、「驕慢謗法だ」
「懲罰にかける」と恫喝

〃    〃     8月29日 教師指導会で綱紀自粛を徹底(直後に伊豆長岡の
超高級温泉旅館で豪遊)

〃    〃    11月20日 名誉会長、会長が目通り。席上、「最近の学会は
破折がない」と発言

〃    〃    12月16日 宗門、話し合いを拒否し、「お尋ね」文書を
一方的に送付

   〃    〃    12月25日 日顕、段勲や高橋公純らとマスコミ工作
などを謀議

   〃    〃    12月27日 宗門、臨時宗会で宗規改変、名誉会長の
総講頭職を罷免

337検証会議:2009/12/19(土) 13:18:31
○平成3年(1991年)  1月 6日 日顕が正本堂の意義を歪める大謗法の
説法、「粥をすすっても」と発言

   〃    〃     3月12日 東京・目黒に日顕の20億円豪邸計画が
発覚

   〃    〃     8月29日 日顕が教師指導会で「頭からカマシて
やれ」と暴言を吐く

   〃    〃    11月 7日 学会に対して「解散勧告書」送付

   〃    〃    11月28日 学会に対して広宣流布の御遺命に逆行する
「破門通告書」送付

○平成5年(1993年)  1月    総坊前などの桜280本を切り倒す

   〃    〃    12月15日 宗門、シアトル事件報道を地裁に提訴

○平成6年(1994年)  1月16日 世田谷の豪邸計画が発覚

   〃    〃     6月 1日 大石寺の遺骨大量不法投棄が発覚

○平成7年(1995年)  8月23日 大客殿の解体を発表

○平成8年(1996年) 11月18日 宗門、文部大臣に学会解散の意見書を
提出(相手にされず)

○平成9年(1997年)  6月18日 今度は渋谷区松濤の豪邸計画が発覚

○平成9年(1997年) 12月22日 シアトル事件裁判で日顕出廷
(翌年2月2日、5月18日も)

○平成10年(1998年) 2月 5日 大御本尊を正本堂から劣悪な奉安殿へ密か
に遷座

○平成10年(1998年) 6月23日 狂気の正本堂解体を強行。日達上人の遺業
を悉く破壊

○平成11年(1999年) 7月 7日 日顕が大御本尊を「偽物」と断じていた
ことが「河辺メモ」で発覚

○平成12年(2000年) 9月    大石寺近くの神社に日顕の本尊が下付
されていたことが発覚

○平成14年(2002年) 1月31日 宗門側が訴えていたシアトル事件の訴えを
取り下げ、学会側全面勝利

○平成15年(2003年) 4月 8日 遺骨大量不法投棄事件、高裁で大石寺が
敗訴。200万円の賠償命令

   〃    〃     7月15日 ニューヨークから帰った日顕が断罪さる。
池田託道氏に対するデマ事件で、最高裁が日顕側の上告を棄却。30万円の支払い命令
判決が確定

   〃    〃     9月 9日 パリから帰った日顕がまた断罪。
シアトル事件をめぐるデマ、最高裁が日顕側の上告を棄却。400万円の支払いを
命じた判決が確定

   〃    〃    12月19日 日顕、81歳の誕生日に断罪。
遺骨大量不法投棄事件、最高裁が大石寺の上告を棄却。遺族に計200万円の支払いを
命じた判決が確定

○平成16年(2004年) 2月24日 芸者写真訴訟、最高裁が上告を棄却。
宗門側の敗訴が確定

○平成17年(2005年) 2月    インドネシア親修から帰った日顕、
約1カ月間、雲隠れ

   〃    〃     3月    赤坂の一等地に阿部政子名義で、
時価約2億の高級マンション18階一室を所有していることが発覚

〃    〃     3月29日 総監の藤本が辞任し、後任に早瀬日如が就任

   〃    〃     5月下旬  世田谷の豪邸を解体、隠居する日顕の邸宅
を新築

   〃    〃    12月 1日 早瀬が学頭に就任

   〃    〃    12月15日 日顕退座。早瀬日如がニセ法主二世となる

338検証会議:2009/12/19(土) 21:00:00
 フェイク 第1077号

 (発行=09.12.18)

 布教も出来ない無能坊主が勢揃い
 新任の宗務支院長十九人の素顔を紹介(1)
 通夜で棺に足を乗せた悪侶、パチンコ狂も

 日顕宗では十二月四日に開いた臨時宗会で宗規を改正し、十布教区を増やして
四十七布教区の体制にした。去る十一日には新体制での正副支院長会を開催。支院長は
従来、単なる連絡係であったが、ある一定の権限を持たせて各末寺を掌握させ、
折伏推進を図る意向のようである。

 ところが、新たに任命になった十九人をみると、折伏などできない坊主ばかり。以下
に新任の支院長十九人の素顔を紹介する。

 青森布教区 楠牟禮慈宝

 本名は克巳。前川慈肇の弟子として昭三十六年に得度。今回の問題が起こった当初
から時局協議会の文書班に所属し、学会に対する誹謗・攻撃文書を作成していた。
学会員を侮蔑し、坊主仲間と酒を飲みながら、「奴らはチョロイもんだ。『地獄に
堕ちるぞ!』と、一発カマすと、カモがネギしょってやってくる」等と暴言を吐いて
いた。こんな坊主こそが堕地獄である。

 供養集めのため邪教まがいの各種祈祷を行い、御講の席で「就職、受験、病気平癒、
交通安全、安産など何でも祈願します」と盛んに売り込み、集めた供養の金を手に、
坊主頭を帽子で隠し、パチンコ店に入り浸るパチンコ狂でもある。

…………………………

 岩手布教区 山田容済

 昭和三十一年に得度。平成十二年三月に金髪女性との密会事件が発覚し、任地の
スペインから追放された。

 それは同年三月六日、売春婦のいるイタリア・ローマの高級ナイトクラブに入り、
その後、金髪女性と仲むつまじく腕を組み、密会していた現場を目撃されて証拠写真も
撮影された。

 帰国して本山にいたが、シアトルで売春婦とトラブルを起こした日顕が自分と同類の
故か、住職に復帰させ、この度、支院長にまでなった。女性問題には甘い日顕宗らしい
奇妙な人事だ。

…………………………

 静岡東布教区 関戸慈誠

 昭和三十六年に得度。師僧は早瀬日慈(日如の父)。仏法を商売と勘違いしており、
板本尊は二百五十万円、戒名の日号・院号を一文字五十万円で売りつける売僧
(まいす)。浅間神社の氏子にも謗法を破折しないで、板本尊を売り渡していた。

 当初は百五十万円だったが、次第に値を吊り上げて、なかには、三百万円で話を
もちかけられて困っていた檀家もあった。

 因みに仏師(職人)に渡すのは僅か三十万円だということだ。また、戒名の「居士」
や「大姉」は五十万円。院号や日号もそれぞれ五十万円の値をつけて「院・日・居士
(大姉)」ともなれば百五十万円が相場という。

 言葉遣いも荒く、通夜の時に棺の上に足を乗せるなど振る舞いが粗暴なことでも
知られている。

…………………………

 静岡西布教区 早瀬義久

 昭和三十一年に得度。日慈の弟・早瀬義舜の次男で、日如とは従兄弟の関係。
昭和五十四年十一月、愛知・豊川の泰福寺にいた当時、正信会の悪侶らと謀議を
凝らしている間にストーブの火の不始末で火事になり、本堂の板御本尊も焼失した。

 地元の男子部がいち早く駆け付けて消火。だが、義久は男子部員の放火だと濡れ衣を
着せようとした極悪坊主。警察と消防署で調べた結果、坊主の火の不始末が原因と判明
した。

339検証会議:2009/12/19(土) 21:00:38
 フェイク 第1078号

 (発行=09.12.19)

 拝金主義者や好色坊主ばかり
 新任の宗務支院長十九人の素顔を紹介(2)
 「いなり寿司は謗法だ」と怒鳴った佐々木慈啓

 前号に続いて新任の支院長の素顔を紹介する。

 愛知東布教区 三畝忍道

 昭和三十五年の得度。所化時代に愛媛の妙源寺に在勤していたが、当時から好色坊主
で御講でも好みの女性を物色しては声をかけ、住所と電話番号を聞きだす。

 まさか坊主の遊びが目的だとは思いもしないから素直に教えると、その日のうちに
電話を掛け、一時間も二時間も下品で卑猥な話をしていた。信心がないばかりか、品格
や良識の欠片もない。その後、福井の宝珠寺に住職として赴任したが、余りにも派手な
女性関係のため、日達法主から厳しく叱責され、半年足らずで本山近くの蓮成寺に
移された。更に僧階を降格されて寺の墓番をしていた。「飲む・打つ・買う」の
堕落坊主を住職に復帰させたのは色魔の日顕である。

…………………………

 愛知西布教区 佐々木慈啓

 大酒飲みの拝金主義者。言動がころころ変わるため「カメレオン僧」とか
「怪人二十面僧」との異名をもつ。御書に疎く学会幹部に「六巻抄は、御書のどこに
あるの?」と質問。また、ある法要の席で故人の好物であった「いなり寿司」がお供え
してあったが、それを見た佐々木は凄い剣幕で「いなり寿司は稲荷の謗法だから直ぐに
下ろせ!」と指示した程の狂いよう。

 更に、ある婦人が法要のため書類に戒名を書き込むと、佐々木は一年前に自分が
つけた戒名なのに「これは邪宗の戒名だね。書き直さんといかんね」と言ったことも
ある。塔婆に関するトラブルは多い。

…………………………

 三重布教区 福家重道

 昭和三十五年の得度。平成二年十一月十六日の本部幹部会での池田名誉会長の
スピーチについて、宗門はその反訳を捏造して難癖をつけてきたが、この悪業に
携わった悪侶の一人だ。

 葬儀に遅刻し、居眠りをして勤行を間違え、祭壇に掲げてある故人の遺徳を顕彰する
「名誉称号」を顎でしゃくりながら外させたこともある。塔婆は多い程よいと強要、妻
や知人に塔婆書きの内職をさせていた。

…………………………

 北近畿布教区 宗像高道

 本名は雅行、昭和四十二年の得度。非情な冷血坊主で学会員を騙して脱会させて
おきながら「学会を脱会して寺に来るのはロクな奴はいない」と愚弄していた。

 追善の功徳は死者に三分、生者に七分という珍妙な論理で塔婆供養を強要。葬儀の場
で「故人は成仏していない。四十九日まで七日ごとに寺に来て塔婆供養すれば成仏
する」と人の悲しみにつけ入った悪質な手口で供養を集める強欲坊主だ。

…………………………

 京都布教区 高野法雄

 昭和二十六年の得度。大酒飲みの遊び人。大阪では北新地の高級クラブの常連で、
ポケットに百万を超える札束を入れ、高級ブランデーをガブ飲みしていた。

 御書部分論の邪義を唱え「御書は重要ではあるが、大聖人の法門の一切が網羅された
ものではない」と言い、法主に信伏随従することを強調していた。

 お盆や彼岸で受け付けた塔婆の半分程しか立てず、カラ塔婆で純粋な信徒を騙して
荒稼ぎ。昨年、椎名日澄の死後、平安寺に入ったが、地元の法華講員からも信頼されて
いない。

340検証会議:2009/12/21(月) 21:51:01
 フェイク 第1079号

 (発行=09.12.20)

 日顕は特注食器、信徒は石畳で待機
 新任の宗務支院長十九人の素顔を紹介③
 柳坂幹道「住職が飼う犬・猫より信徒は下」

 日顕宗の新任の支院長は、折伏も説法も不得手、御書に疎く、信仰心も常識も品格
ない悪僧が揃っている。

 本号でも引き続き、その素顔を紹介する。

 大阪北布教区 柳坂幹道

 本名は幸秀、昭和三十七年の臨時得度。「人間には身分の違いがある。一番上が
法主、次に住職、住職の家族、その次が住職の飼っているイヌ・ネコ、一番下は信徒」
と、富山で明言したことがある。

 こんなクソ坊主に供養する法華講員が哀れだ。

 柳坂が富山・妙顕寺の住職として昭和五十五年九月、日顕を迎えた時、接待用の
食器は、おしぼり受けだけで十数種類もあり、九谷焼の湯飲み茶碗と輪島塗のお椀は
特別注文だった。

 この時、信徒代表は庭の石畳の上に板を敷き、回りをビニールシートで囲んだ中で
待機させられていた。余りにも露骨な差別である。

 その時の接待が日顕は余程、気に入ったのか、翌年、柳坂は本山に栄転した。

…………………………

 大阪南布教区 近山信澄

 これまで福徳寺、妙喜寺、法住寺と渡り歩いたが、行く先々で手を変え、品を変えて
信徒から供養を収奪する守銭奴坊主である。

 信徒には「墓石に刻む題目の染筆料の三万円は本山に納める」と嘘つき、依頼のある
度に、何度もコピーをして使って染筆料を着服していた。

 塔婆は風もないのにヒラッ、ヒラッと曲がるまで削っていた。

…………………………

 北中国布教区 角石永道

 昭和三十一年一月生まれ、本名は和久。同四十二年に得度。常在寺の信徒の出身で
二年前に大僧都になった。宗内の反応は「えっ、あいつが支院長か?」と一様に驚き
の声。今の宗門には、いかに人材がいないかを物語る人事である。

…………………………

 岡山布教区 菅原信了

 昭和三十年に得度。悪辣な日顕の飼い犬で、生意気な坊主である。京都にいた頃、
法華講の組織は分裂寸前の状態だった。その指導力のなさ、無能ぶりは宗内でも有名に
なっている。

 「信者は御書なんか分からなくていい。お寺に御供養を持って来れば、それで
いいんだ」

 「今、お寺に付いている者はカスばかりで、迷惑している」などの暴言を吐いたこと
もある。

…………………………

 広島布教区 原山元征

 青山諦量の徒弟で昭和二十九年に得度。日顕に似た色魔でロリコン坊主。寺の茶室で
女子高生にいたずらしたセクハラ坊主である。

 茶室で若い女性と二人きりになった原山は「目を閉じてごらん」と囁き、素直に目を
閉じた女性の両肩を掴み、頬を擦り寄せてきた。

 驚いた女性は原山の手を払いのけて逃げ出した。
 ゴルフ、ボウリング、酒、金、女性と遊興三昧の生活に染まっている。

…………………………

 山口布教区 今福永明

 高野日海の徒弟。ある家の主人が、一時的な感情から御本尊を寺へ返納した。その
直後、娘さんが寺に駆け付けると、今福は「ああ、これかね」と言って、屑箱から
御本尊を取り出した。

 葬儀等では御供養、お車代、お膳料と三点セットで出させるのが、悪辣な今福流の
集金術である。

341検証会議:2009/12/21(月) 21:51:30
 フェイク 第1080号

 (発行=09.12.21)

 嫌われる「葬式仏教」の日顕宗
 新任の宗務支院長十九人の素顔を紹介④
 「供養は祭壇の値段以上が必要」と遺族を脅す

 日顕宗の新任支院長を本紙第一〇七七・一〇七八・一〇七九号で紹介して以来、多く
の声が寄せられている。「こんなに酷い坊主がいるとは驚いた」等の怒りの声や
「もっと詳しく知りたい」との要望も多い。詳細は追って報じるが、本号は素顔紹介の
最終回。宗門は坊主の四〜五人に一人が正副支院長の奇妙な体制になった。

…………………………

 福岡東布教区 近藤謙導

 田中教導の弟子。マージャン狂で、その点を指摘されて「私も人間だから、
マージャンぐらいはやりますよ」と開き直ったことがあり「反省もしない、サルより
レベルが低い最悪坊主」と言われている。

 また、お金に関する亡者ぶりは有名になっている。

 例えば、寺での法事の折、未入信の親戚が喪主家への香典として仏前に
供(そな)えておいたお金を、近藤が勝手に持ち去ってしまったことがある。泥棒で
ある。

 親戚の人が「日蓮正宗は仏様にお供えしたもんは、みんな坊主が取るのか」と
呆(あき)れていた。

…………………………

 福岡西布教区 岩城永学

 高野永済(日海)の徒弟。日顕に「御本尊下付の停止」を進言した張本人。
 日顕の「かまし発言」で有名になった、あの全国教師指導会で「学会員に御本尊様を
下付しなくなってもいいということになりましたら本当に有り難いことだと
思います」と、日顕に言上した。

 その直後から、岩城は学会員という理由だけで、御本尊下付を拒否した。御本尊を
自分に隷属させる道具に使った卑劣な坊主である。

…………………………

 熊本布教区 黒沢糾道

 本名は之博。神奈川県横須賀市・法照寺の信徒出身。かつて台湾の本興院主管
だった頃、黒沢らが現地の法華講の家を回って「葬儀には必ず僧侶を呼ぶように」
「塔婆をしっかり立てるように」と恫喝まがいの台詞を吐いて嫌われていた。

 その真の狙いが金儲けにあったことは明白である。

 台湾社会では、葬儀には道教の道士を呼ぶというのが一般的な習俗で仏教の僧侶を
葬儀に招くことは殆どない。まして塔婆を立てる慣習は全くない。

 むしろ、仏教の僧侶に対する台湾の一般的認識は、肉食妻帯をしないことは当然、
仏道修行に励むというもので、修行もせずに遊蕩に明け暮れる日顕宗などが出る幕は
全くないのだ。

 黒沢ら坊主は金儲けだけに執着して、世界広布など念頭にない。黒沢が熊本に来て
三年余、葬式仏教は地域の人に敬遠されている。

…………………………

 大分布教区 斎藤善道

 細井精道(日達)の徒弟。保身のためなら平然と裏切る畜生坊主である。供養の
集め方は凄まじく、お通夜の導師を頼むと、返事の前に「供養を包まない所に
行ったら、我が宗の謗法になる」「御供養しない通夜は法を下げる」と遺族を脅し、
「供養は祭壇の値段以上はするものだ。祭壇が五十万円なら供養はそれ以上だ」と催促
する強欲ぶりの収奪魔でもある。

 しかも、葬儀では遅刻の常習犯で、以前、葬儀場に参列者を待たせたうえ、御本尊を
忘れて遅刻してきた。

 こんな坊主の風上にも置けないクソ坊主が支院長では前途は真っ暗だ。

342検証会議:2009/12/22(火) 23:04:00
 越 洋

 平成21年12月23日

 ニセ法主早瀬日如の登座以降、宗内に火災が相次いでいる。平成18年8月12日
午後3時半頃、「逆さ杉」は落雷と同時に発火、豪雨にもかかわらず猛烈な勢いで火は
燃え上がり、黒煙が奉安堂一帯を覆い尽くして、本山周辺は一時騒然となった。

 今年に入ってからは、立て続けに発生している。8月28日午後、大石寺境内の
駐車場で車10台が、炎上。次いで、ワシントンDCの妙宣寺(村田雄瑞)では
現地時間10月11日正午(日本時間12日午前2時)頃、お会式の最中に出火。
100人近い消防士が消火にあたり、数十分後に鎮火したが、寺は使用できない程の
大被害を受けた。更に11月15日午後、閉鎖されていた総坊売店の店舗から黒煙が
噴出。軒を連ねる8軒の売店に延焼して約250平方メートルを焼き尽くした。

 日顕が「雨坊主」と呼ばれたのに対し、日如が「火災坊主」と言われる所以である。

 この日如の従兄弟・早瀬義舜の次男である早瀬義久(浜松・正説寺)は、この度、
静岡西布教区の宗務支院長になったが、昭和54年11月、前任地の愛知・豊川で
泰福寺を全焼させ、板本尊を焼失させた過去がある。義久が高知県の開教寺にいた
当時、正信会で活動し脱会者作りを行っていたが、泰福寺に赴任してからも、
脱会者作りに熱心だった。ところが、昭和54年11月、義久が悪侶らと泰福寺で
学会攻撃の謀議を凝らしていた際、ストーブの火の不始末で火事を起こした。寺は
全焼、本堂の板本尊も焼失した。義久らは酒も入っていたようで、気がついた時は
かなり火が回っていた。

 地元の男子部員がいち早く駆け付け、必死に消火を手伝ったが、義久はオロオロする
ばかり。揚げ句の果てに、男子部員の放火だと、濡れ衣を着せようとした。消防署と
警察が徹底的に火事の原因を究明、義久らの火の不始末が原因だと判明した。自分の
不始末を棚に上げて男子部員の放火とは、ふざけた言い掛かりだ。この時、信徒から
預かっていた遺骨も焼けて、百五十体程は、誰の遺骨か不明になった。遺族の中には、
肉親の遺骨が見つからず、今も悲しみを忘れられない方が多い。義久は遺族に満足な
謝罪もせず、浜松に移り、このほど宗務支院長になったが、無責任極まる最低の坊主で
ある。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000808.jpg

343検証会議:2009/12/24(木) 23:35:11
 フェイク 第1081号

 (発行=09.12.23)

 「慧妙」と法教院が日蓮正宗の病巣
 花野充道博士、新・同人誌で日顕を罵倒㊤
 「日顕の学問弾圧の非道を永く後世に語り継ごう」

 日蓮正宗の僧籍を離れた花野充道博士が代表となり、このほど同人誌
「法華仏教研究」を創刊した。発起人、執筆陣からは同博士の幅広い人脈が伺え、
創刊号には興味深い論文などが満載されている。特に注目されるのは花野博士の
「編集後記」に代えての「日蓮教団における学問の現状と課題」。

 前半は発刊に至る経緯を述べ、後半は「『フェイク』と題する謀略文書」との見出し
を立て、本紙について言及。その中で日顕、及びその意向を受けて発行する「慧妙」を
一刀両断している。

 少々長くなるが、花野博士に本紙一〇六七号を全文、紹介してもらったので、その
返礼として本紙では同博士の文を抜粋して紹介する。

 まず「慧妙」に関して同博士は「その内容を恥ずかしく思っている日蓮正宗の僧俗も
多い」と記して「慧妙」の泣き所を鋭く突いている。その箇所を引用する。

 「(『慧妙』が有罪判決を受けた時)他教団なら直ちに編集者が責任をとって辞職
するであろうが、名前だけの発行者はいても、その実態は闇の中であり、責任の所在も
不明であるから、結局、誰も、何の責任もとらなかった。『慧妙』に携わっている
十数人の僧俗が、熱海で飲み食いをしていたことが発覚し、宗務院から注意を受けた
ことがあるから、そのメンバーについて宗務院は把握しているようである。しかし
バックに日顕上人がひかえているから、一種の治外法権で、何をやっても、誰も見て
見ぬふりをせざるを得ないのが現状である。教学部も、宗内あらゆる出版物を細かく
チェックしているのに『慧妙』については全く何もしない。このような理不尽が
まかり通っていても、権威権力を恐れて、誰も何も言わないのが、今の日蓮正宗で
ある」

 「勇気のある議員が宗会で質問したところ、某宗務役員から『廃刊も含めて検討
する』という言質をもらったそうである。しかし結局は、その後、何のお咎めもなく、
また読者への謝罪もなく、そのまま刊行が続いている」

 この後、花野博士が以前、携わっていた「慧燈」と「道心」が廃刊に追い込まれた
無念さを述べて「購読料や支払いの清算等々、二度にわたる残務整理がどれほど大変
だったか、命令を下しただけの日顕上人にはわからないであろう」と、日顕に怒りを
ぶつけて「日顕上人による学問・思想弾圧の非道は、永く後世に語り継がれていくで
あろう」と結んでいる。

 日顕に対する花野博士の恨み節は続く。「私の師匠であった日達上人は、一般大学に
行って学問をすることを許された。ところが次の日顕上人は、謗法の立正大学で学ぶ
ことは弊害が大きいとして禁止し、私塾(法教院)を作って、すべての学生をそこに
通わせるように指示された。社会から隔絶され、私塾で純粋培養された僧侶の中には、
私が一般(早稲田)大学で博士号を取得するや、『日顕上人の御指南に異議を唱える
花野は、擯斥処分にしてしまえ』と叫んだ者がいる、と聞いている。日蓮正宗の
独善性・閉鎖性、ここに極まれり、と言うべきであろう。このままいくと、数十年後
には、日蓮正宗の僧侶は全員が高校卒ということになってしまう」

 (つづく)

344検証会議:2009/12/28(月) 04:20:48
 フェイク 第1082号

 (発行=09.12.25)

 「井の中の蛙の親分が大威張り」
 花野充道博士、新・同人誌で日顕を罵倒㊦
 宗門を衰微させた日顕は宗祖から叱責

 花野充道博士が「法華仏教研究」の中で日顕を糾弾している箇所を前号に引き続いて
紹介しよう。

 「日顕上人が、立正大学は謗法の大学だから行かせない、と言うのであれば、
早稲田大学や東洋大学であれば許されるのであろうか。『謗法の大学だから』という
のは口実であって、実は学歴コンプレックス、嫉妬による苛めである、と陰口されて
いるのに、気づいていないのは御本人と取り巻きの宗務役員だけである」

 「自分の親と同じ慶応大学に行きたいとして、慶応大学を受験した学生が還俗
させられた、ということも聞いている。まことに時代錯誤というか、『大海を謗法で
あると批判して、井の中で蛙の親分が大威張り』といった光景である。裸の王様に
向かって正直に『裸』と叫べば、それだけで処罰されるのが、現在の日蓮正宗である」

 「『学問をする奴は信心がない』などと言われて、信伏随従の盲信盲目者が優遇
されるから、段々と僧侶の質の低下が深刻な問題になってきている。そのくせ教義的
には、僧侶主導の『僧俗師弟義』を振りかざしているのであるから、それで布教が進む
ことは絶対にない、と私は確信している。遅かれ早かれ、私塾の限界が行き着くところ
まで行った時に、やはり普通の大学に行かせて、世間に通用する学問を学ぶべきで
ある、という意見を受け入れざるを得なくなる、と思っている」

 「日蓮正宗はこのままいくと高卒だけの宗団になってしまうのだから、衰微すること
は必定である。そしてその責任は、すべて日顕上人に帰せられるであろう。日蓮正宗を
衰微せしめた法主として、日蓮聖人から厳しく叱責されることは疑いない。」

 「信徒に向かって、折伏を『やれ』『やれ』と号令をかけているだけでは、布教は
進まないという現実を思い知らされた時、日顕上人の私塾路線は変更せざるを得なく
なる。世間に法を弘めるためには、世間の学問を修して、世間に通用する人材を育成
しなければならない」

 「ただ滑稽なのは、世間の学問を否定して、独善的な閉鎖主義をとっていながら、
日蓮正宗の本を古書店の東陽堂が置いてくれた、と言って喜んでいる矛盾に気づいて
いないことである。そんなことで喜ぶくらいなら、全国の書店に並ぶほどの本を
書ける(世間に通用する)人材をどうして育成しようとしないのか。日顕上人の
権威権力を恐れて、誰も何も言わないが、一度、無記名で日蓮正宗の僧侶全員から
アンケートをとってみたらどうであろう。無責任な信伏随従の指示待ち僧侶が増えて
いることは事実である…」

 「日達上人と日顕上人との間に、学問に対する全く異なった方針が示されている
ことも、相承疑惑の根拠の一つに数えられているが、日達上人の了解のもとに科学的・
実証的な学問をしてきた者にとって、法主が変わった途端に、正反対の指南をされたの
ではたまったものではない」

 以上、花野博士の「編集後記に代えて」を抜粋して紹介した。内容は同博士の持論を
展開したものだが、日蓮正宗の僧俗にも同人誌の一読を勧めたい。

345検証会議:2009/12/29(火) 21:20:48
 大石寺短信 第476号

 平成21年12月25日(金)

 日顕宗の動き

 1.大支院長、支院長人事が発表

 先ごろ、これまで38あった布教区が48に細分化されたことに伴い、大布教区の
大支院長、布教区の支院長の人事が発表された。

 それによると、大支院長は、中部大布教区で有川岳道(静岡・妙盛寺)から
佐々木慈啓(愛知・玉泉寺)に、中国大布教区は原山元征(広島・興福寺)から
菅原信了(岡山・妙霑寺)に交替し、原山は副大支院長に降りた。

 新たな支院長には、青森布教区が楠牟禮慈宝(青森・玄中寺)に、岩手が山田容済
(岩手・感恩寺)、静岡東が関戸慈誠(静岡・蓮興寺)、静岡西が早瀬義久
(静岡・正説寺)、愛知東が三畝忍道(愛知・正啓寺)、愛知西が佐々木慈啓、三重が
福家重道(三重・普見寺)、北近畿が宗像高道(滋賀・本地寺)、京都が高野法雄
(京都・平安寺)、大阪北が柳坂幹道(大阪・聖教寺)、大阪南が近山信澄
(大阪・法住寺)、鳥取・島根の北中国が角石永道(島根・法久院)、岡山が
菅原信了、広島が原山元征、山口が今福永明(山口・妙宝寺)、福岡東が近藤謙導
(福岡・普遍寺)、福岡西が岩城永学(福岡・立正寺)、熊本が黒沢糾道
(熊本・眞法寺)、大分が斎藤善道(大分・本土寺)となった。

 今回、布教区を細分化した日如の狙いは、これまでただの「連絡係」に過ぎなかった
大支院長、支院長により大きな権限を与え、布教の拡大を図ろうというもの。しかし、
この人事の顔ぶれを見る限り、その目論見は早くも破綻したと言えよう。というのも、
「大白法」11月16日号に、本年の折伏目標を達成したという寺の一覧が出ているが、
新たに任命になった支院長19人のうち、名前が確認できるのはたったの1人。力の無い
支院長にいくら権限を持たせたところで、成果は期待できまい。

 2.年末年始の法華講の訪問に注意

 本年も予想通りの惨敗に終わった日顕宗の折伏。しかし今後、荒唐無稽とはいえ、
「平成33年までに80万法華講の達成」「平成27年までに法華講員50%増」なる「目標」
が掲げられている手前、さらなる折伏のハッパがかけられ、なりふり構わぬ学会員への
勧誘が行われていくことが予想される。

 「大白法」12月16日号も、日如の次のような言葉を載せて、あおっている。「来年、
新年度を迎えてから『やるぞ』という考えは、とかく寒苦鳥になってしまいますので、
戦いを先送りしないで、今日から直ちに誓願達成へ向けて行動を起こすことが、
目標達成のためには必要であります」

 年末年始、独り暮らしの高齢者宅、回忌法要を控えた家などに、坊主・法華講員が
新年勤行会や法要の勧誘にやって来る可能性もあるので、警戒してまいりたい。

 3.1月の予定

   1日(金) 新年勤行会(本山、末寺。寺によっては2・3日の開催も)
   10日(日) 御講(末寺)

346検証会議:2009/12/31(木) 22:35:58
 越 洋

 平成21年12月27日

 日顕が姑息にも平成2年(1990年)12月27日、臨時宗会で宗規改変、名誉会長の
総講頭職を罷免してから今年で19年を迎える。

 「C作戦」は、日顕自らやったと白状しているが、その事実は「河辺メモ」でみんな
知っている。

 総講頭罷免の翌年、正月早々の1月2日、福田毅道がSGIに「私信」と称して
FAXを送信。

 「私はSGIに宣戦布告いたします」という狂乱気味の文面に「C作戦」に関する
記述があり、「C作戦」の存在を世間に知らしめる結果となった。

 小川只道は、福田のFAXについて、"あれは福田君のスタンド・プレーだよ"、
"今なら問題ないが、宗内で誰も知らない段階で出すのはいけない"と、「C作戦」が
実在したことを前提に話をしていた。

 福田は「C作戦」を漏洩(ろうえい)させ、そのうえ、アメリカSGIの離反工作
にも失敗したとして解任。翌年には滋賀・本地寺に左遷された福田は、
平成11年7月5日には住職を解任され、今では宗門から捨て扶持を貰って、北海道・
小樽の実家で細々と生きている。

 平成3年1月6日の教師指導会で日顕は「『所詮日蓮一人にて、日本国を流浪すべき
身にて候』私はもうこの御文を拝したときに涙がですね……(嗚咽)粥をすすっても…
…」と、全国の住職・寺族を前に泣き真似までして狡猾に騙した。

 この事件以降、誰が信心の素晴らしさを実感しているのか?

 今年に入って、大村と尾林は、日顕に散々利用された揚げ句、悲惨な死を遂げた。
結局、粥をすすっているのは、日顕に使い捨てにされた福田、それに地方の住職・寺族
である。

 日顕一族らは贅沢三昧、こんな暴挙が放置されていてよいのか。絶対に許しては
ならない!

347検証会議:2010/01/05(火) 19:05:27
 フェイク 第1083号

 (発行=10.01.04)

 原島昭は虚言症に加え妄想癖も
 「慧妙」新年号に原島昭が的外れな珍論㊤
 邪推で書いたデタラメ記事で墓穴掘る

 退転した原島昭が妙観講らの作る「慧妙」に的外れな駄文を連載している。
 この昭とは、あの酒乱の窃盗犯・原島嵩(故人)の実兄である。一月一日付「慧妙」
では「続・学会系怪文書『フェイク』の欺瞞を嗤う」との見出しをつけ、本紙に対して
大仰に反論することによって、己の虚言症を覆い隠そうとヒステリックに書いている。
その内容は「ポルノ」や「ヌード写真」について珍論を述べているだけのスリカエ記事
である。

 原島は昨年十一月一日付の「慧妙」で「ポルノ雑誌『ルビー』を池田青年が編集して
いた」と読者に勘違いさせることを狙って陰湿なデタラメを書いていた。

 その間違いを本紙が指摘し、「ルビー」を編集していたのは坊主に成り下がった
矢島周平だったと教えてあげた。すると、昭は話をすり替えて「慧妙」一日付では
(池田青年達も)編集に協力していた等と言いだす始末。原島は虚言症に加えて妄想癖も
あるようだ。

 昭が書く内容は、夢遊病者のような虚ろな目で背を丸めて歩く鬱(うつ)病患者の戯言
だと思って、これまでは手加減しながら間違い個所を修正してあげた。

 だが、話を狡猾に逸らして本紙を非難し「歴史改竄(かいざん)」「欺瞞」「卑怯」
「偽証の詐術」等々と誹謗するなど極めて質の悪い言い掛かりをつけてきた。

 そこで再度、昭の間違いを振り返ることにする。

 昭が最初に書いていた間違いを端的に言うと「(戸田氏が創刊した『ルビー』は)
グラビア写真と本文がヌード写真で占められていた」「池田氏編集の二雑誌は廃刊に
なった」と記していた点だ。昭は「池田氏編集の二雑誌」が「冒険少年」と「ルビー」
を指すと思わせるような悪意の書き方で、しかも、挿絵を「ヌード写真」と偽る
ふざけた男だ。

 昭の駄文を信じる愚か者がいると不憫なので、その間違いを本紙で指摘してあげた
が、昭は訂正しないばかりか、「慧妙」新年号で「(編集は)互いに協力し合っていた
ことは容易に察しがつきます」「(ルビーを)手に取って眺めたり読んだりしたこと
でしょう」と書いている。これも昭の邪推、妄想にすぎない。

 原島家が「ルビー」を販売

 三十年以上も前の一つのエピソードを紹介する。ある図書館で「冒険少年」
「少年日本」を手にして懐かしそうにページをめくっていた池田会長に、昔の詳しい
事情を知らない幹部が「ここに『ルビー』もあります」と差し出した。しかし、同会長
は「ルビー」の表紙を一瞥して「それは矢島が作っていたんだ」と一言。手に取る様子
もなかった。

 また昭は「大白蓮華」に「冒険少年」「ルビー」の広告が載っていたのを批判材料
に、池田編集長が広告を載せたとか「戸田氏の商魂が透けて見えてきます」と述べて
いるが、その「ルビー」等を販売していたのは昭よ、お前の両親だ。

 当時、水道橋駅のホームに並んでいる広告の片隅に「少年日本」の広告を見つけて
「胸が熱くなった」と言う池田編集長に広告を出すことは出来なかったのだ。

 雑誌が売れないから「大白蓮華」にも広告を出すよう工夫したのは原島の両親で
あろう。

 (つづく)

348検証会議:2010/01/06(水) 01:19:43
 フェイク 第1084号

 (発行=10.01.05)

 反逆者の愚弟・嵩に輪をかけた愚兄
 「慧妙」新年号に原島昭が的外れな珍論㊦
 憶測で書いた間違い記事を訂正し謝罪せよ!

 虚言症と妄想癖の原島昭は「慧妙」新年号に、本紙が「『ルビー』に関しては、
いたくトーンダウンさせてしまった」と書いているが、笑止千万。本紙はダウンも
アップもさせてはいない。もともと変質者の矢島が編集していた「ルビー」に関心は
なく、事実をありのままに記して原島昭の間違いを修正したにすぎない。

 昭は話を逸らさず、「『ルビー』の編集を池田青年と思わせる記述は撤回します。
またヌード写真というのは記憶違いで挿絵でした」と訂正せよ。

 特に、昭の母・精子に戸田会長が謝罪して「本部副婦人部長の地位を与えて名誉を
回復させたというのは真っ赤なウソでした」と潔く訂正し、読者に謝罪するのが筋で
ある。

 更に、昭は本紙が「私の母や弟の悪口中傷を乱発し続けている」と泣き言を並べて
いるが、本紙が書いたのは悪口や中傷ではない。

 昭の母・精子は役職解任と謹慎処分になったが、それは「派閥作り」を画策したから
だったという理由を明かしたまでだ。

 そして昭の弟・嵩が死ぬ前に入っていた東京・西多摩の介護老人保健施設で婦人の
部屋に忍び込み、女性用の「おしっこパット」を盗んで注意され、女性トイレに素足の
まま潜んでいた等々の窃盗や変態行為は真相の一端を教えてあげたに過ぎず、悪口中傷
ではない。

 しかも、ここに記した嵩の醜聞は、ごく一部でセクハラや痴漢、万引き等々、
恥ずかしくて書けない悪辣な行為が他にも山ほどある。

 昭が本紙の記事を捏造だ、偽証だと非難し続けるのであれば、本当に捏造なのか
どうか、数々の証言を揃えて、それらを全て公表することになるが、それでも良い
のか?昭は身勝手な憶測でデタラメな文を書いて広布の団体に傷をつけようと躍起に
なっているが、反逆者の実弟・嵩と瓜二つだ。

 矢島は再起不能で得度

 次に、昭は「ルビー」を編集していた矢島について、辞意を伝えた戸田理事長が後任
に指名したのは忠実な部下だったからだというが、これも昭の推測でしかない。

 矢島は変節漢で抜け目がなく、老獪だった。理事長になったといっても戸田会長就任
までの暫定である。戸田理事長から矢島に正式に理事長職がバトンタッチされたのは
昭和二十五年十一月で、約半年後の同二十六年五月、戸田二代会長が就任した時、矢島
は指導監査部長に更迭され、その約四ヶ月後には、この役職も辞任した。

 翌二十七年四月二十日の聖教新聞には「指導方針が真実の大聖人様の教からはずれた
ため、大きな錯誤を学会員の指導及び自己の生活に暴露したのである」という記事が
掲載された。

 二十八年六月一日付の同新聞にも矢島に触れて「事業に失敗し、以後しばらく学会
より離れていたが、昨年一度再起せんとして果さず」と記されており、再起不能のため
同年八月に得度。学会寄進の正因寺に入ったが、第一次宗門事件の際、週刊誌で
歴代会長を誹謗し、正信会に走り、同五十七年六月に死去。この男が「ルビー」を編集
していた。昭が学会に籍を置いていた頃から批判的だったのと同様、矢島の信心も不純
だった。

349代理人:2010/01/13(水) 14:43:18
フェイク 第1085号
 
 (発行=10.01.11)

どちらが日蓮正宗の公式見解か?
日顕の幽霊存在説を妙観講の「暁鐘」が否定
各末寺には連絡先も分からない幽霊講員が多数

 日顕といえば御書より幽霊・霊魂の話の方が得意で、過去に夏期講習会、行学講習会、各種法要で、その存在を力説してきた。しかも、幽霊について語る時の日顕は身を乗り出し、旧友を懐かしむような表情になる。

 ところが、妙観講発行の「暁鐘」平成二十二年一月号には、日顕の「幽霊・霊魂存在説」に異論を唱える内容を掲載しており、日顕と妙観講の仲に亀裂が入る可能性もある。日顕の影響力が弱まったとみた大草一男が増長してきた感もある。「暁鐘」の内容を紹介する前に、日顕の代表的な説法を振り返ることにする。

 「幽霊はいると思う。ワシが本行寺の住職をしていたとき、(ある信徒が)『息子に幽霊が馬乗りになっている』というのを聞いたことがある」(昭和六十三年の行学講習会)

 「通力のある人は『ここに何かいるな、アッ、これは鬼だな』とか、あの『幽霊だ』『これは前に男に捨てられて、子供産んで、子供と一緒に死んだ人の霊がここにいるな』とかね、通力のある人には、よく分かるんです」(平成九年七月三十一日の夏期講習会)

 「やっぱり霊能者っていうのがいるんです」「(霊能が)事実、当たってんです」(平成十七年八月二十六日の教師講習会・閉講式)

「幽霊を見たことがある人を知っている」(平成十六年十二月二十三日、埼玉県の妙本寺記念法要)

 このように日顕の幽霊話は枚挙に暇がないほどだか、「暁鐘」一月号の「質疑応答」欄で「幽霊や霊魂を見たという話を聞くことがありますが、これは、どういうことなのでしょうか」との質問を設定。その回答として日顕説を否定している。

 「(仏法では)幽霊や霊魂の存在を認めているわけではありません」「幽霊や霊魂のような実体が本当に存在しているのなら、物質的な側面を持っていようと、いまいと、今日の科学で必ず観測できるはずなのです。だから、そのような存在はあり得ない、ということになります」

 「暁鐘」は幽霊の存在を否定、日顕は「幽霊はいる」と言う。さて、どちらが日蓮正宗の見解なのか?

 「暁鐘」と同じく妙観講が作っている「慧妙」について、平成六年五月に発行された同人誌「道心」で花野充道博士(当時は兵庫・浄福寺住職)が次のように痛烈に批判していた。

 「その論に誰が責任を持つのか。執筆者の責任か、発行者の責任か、法主の監修のもとに書かれた論か、教学部の公式見解か、宗門の公式見解か、あくまで個人の私見か」

 この度の「暁鐘」の記事も教学部の公式見解か、宗門の公式見解か、それとも大草一男の我見なのか?

 「暁鐘」は幽霊を感じることはあるというような逃げ口上を一応、書いてはいるが、日顕は明確に幽霊と霊魂の存在を肯定している。

 この幽霊の存在の有無は、日顕と「暁鐘」誌の今後の対論に任せるとして、各末寺には名前だけで連絡先も分からない幽霊講員が多数、いることだけは確かだ。

 また最新版の「宗教年鑑」(平成二〇年版)によると、日蓮正宗の信者数は三十九万六千人と記載されているが、実際は十万人もいないから、約三十万人もの幽霊講員がいることになる。

350検証会議:2010/01/15(金) 16:06:29
 石山だより

 平成二十二年一月八日

 立宗七百五十八年「広布前進の年」が明けた。昨年の無謀な登山、折伏、供養の
影響で法華講員は疲弊し、今年の大石寺での元旦勤行の参加者は大幅に減少し、
陰々滅々(いんいんめつめつ)の幕開けだった。内事部の二人のヒソヒソ話。

 A房 顕チャンは去年の十二月から本山行事をサボっているが、かなり体が衰弱して
いるという噂は本当のようだな。

 Y房 何でも顕チャンは肋骨を痛めているようだ。あの老齢で糖尿病だから骨も相当
脆(もろ)くなっているだろう。痛めているというよりも骨折しているのかも
しれないよ。

 A房 あの年で骨折したら完治しないな。さまざまな噂が飛び交っているのを本人は
凄く気にしている様子だよ。去年の十二月末、どっかに出かけたようだが、よっぽど噂
を気にしていたんだな。「俺は元気だ!」と虚勢を張って見たかったのだろう。

 Y房 本当に見栄っ張りだな。だから、丑寅には全然、顔を見せないくせに、唱題行
には無理して出て来て健在ぶりを示しているのだろう。全国の教師の初登山(六日)の
際、客殿で寛チャンの目通りの後、顕チャンが自分の弟子だけを残して、改めて目通り
をして、短い話をしていたが、顔や首筋の皺(しわ)が増えて、話し方も弱々しかった
し、歩く姿も足腰が弱っているのを誤魔化せなかったな。

 A房 そうだな。だいたい唱題行には来ても座っているだけで、声を出しているのか
どうかも分からないし。

 Y房 信者の供養を湯水のように使って、何十年間も遊び放題、贅沢と遊蕩の限りを
尽くしたんだから、もう思い残すこともないと思うが……。

 A房 まだまだ、この世に未練があるんだろうか?

 Y房 欲深いからまだ遊ぶつもりなのかな?

 A房 いや、そんな体力はもうないよ。最大の関心事は "寛チャンが誰に譲るのか?"
ということだろう。それが心配で死んでも死にきれない、というところか。

(百年に一度の不況、日本では一年に三万人の自殺者、世界では八億五千万人が飢餓で
苦しみ、一年間に六千万人が亡くなっている。「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ
日蓮一人の苦なるべし」との御金言を何処の誰が実践しているのか?少なくとも
顕チャンが世のため、人のために何をやったのか一向に思いつかない。
一閻浮提広令流布の御遺命を誰が実現してきたのか?宗内の坊さんは "慈悲"という
言葉を簡単に使うが、その心は皆無だ。内事部鼠)

351代理人:2010/01/17(日) 19:56:02
越 洋 (10.01.13)

自然破壊の常習・大石寺――またまた「桜の木」を大量伐採!

 本山で行われた元朝勤行は、今年も昨年の参拝者を下回り、日顕宗にとっては、まさに本年が前進どころか「広布後退の年」となるような出発となった。

 そんな本山に、また無用な建物を建てるために貴重な樹齢50年もの桜の伐採を始めた。昨年の「50万総登山」で供養をしぼりとり、味を占めた日顕と日如は、総一坊南側に新たに宿坊建設を予定。そのため、正月早々の6日、その整地のために桜を伐採。ちゃっかりと法華講員には分からないよう、皆の目につきやすい道路沿いと総門側の桜だけは残し、その奥の桜を伐採した。

 日顕による桜の伐採は、平成5年に総坊前の約280本を手始めに、13・14年には常灯ケ峰の約200本、さらに17年には五重塔北側の桜を約230本も無惨にも切り倒し続けた。そして昨年の7万5千の総会のために、経蔵と宝物殿の間の20本、宝物殿そばで10本が切られ、さらに向原駐車場の側でも伐採が進められた。いったい何万本の樹木を伐採すれば気が済むのだろうか。環境問題には全く無頓着、宗教者のやることではない。

 登山者も普段は少なく、宿泊者もいないにもかかわらず新宿坊の建設は、貪欲な日顕や日如にとって、桜も金のなる木にしか見えないのだ。「貪欲な者は坊主の中に一番多い」と詩人のダンテの言葉を証明するかのような今回の桜伐採である。

 折しも今年一年で、UNEPでは「10億本の植樹キャンペ−ン」を行っている。

 ワンガリ・マアタイさんが聞いたら「オー・ノー」と絶句するだろう。

352代理人:2010/01/17(日) 20:02:36
大石寺短信 第477号 (10.01.14)

1. 重苦しい雰囲気の新年勤行会

「広布前進の年」と銘打たれた本年の日顕宗では、全国末寺で開催された新年勤行会の参加者が
昨年より大幅に減少した。

 昨年、「50万登山」「7万5千結集」の過酷なノルマに苦しめられてきた末寺住職、信者はすっかり疲れ切っているが、本年は、昨年夏に打ち出された「平成27年までに法華講5割増」「平成33年までに法華講80万人」という荒唐無稽な2大命題に向かって、折伏に駆り立てられることになっており、どの寺の勤行会も相変わらず、どんよりとした重苦しい雰囲気が漂っていた。

2. 容赦ない強制徴収でやせ細る末寺

これまで、何かにかこつけては末寺から金を吸い上げてきた本山だが、
本年も「立正安国論750年記念事業のための寄付」の名目で、
寺の全財産の5%を強制徴収する。
昨年末に発行された憂宗護法同盟の「同盟通信」はこれを取り上げ、
現在の全末寺の財産の総計を「約200億円」と推計した上で、
「末寺財産の総計は2年前の2007年には約360億円あり、
8年前の2001年には約510億円あった。
ということは、2001年から2007年までの6年間で150億減らし、
さらに、この2年間で160億も減らしたことになる」とし、
単純計算で「末寺の財産がゼロになるのは3年とかからない計算となる。
否、このままでは2年ともたないかもしれない」と分析している。

 加えて本山は、昨年の無謀な「50万登山」に続き、
本年も末寺に過酷な登山ノルマを課しており、
「同盟通信」は「登山のたびに、信者の供養は本山に吸い上げられ、
末寺にまで回ってこない。登山の督励が、ますます末寺を疲弊させている」
と指摘している。

 さらに、「本山・末寺の関係は、昔から本山が『親』、末寺が『子』に譬えられてきた。
本来、親は子を思い、慈心をもって接するもの」とし、
「(『親』である本山は)『子』の悲鳴に無視を決め込み、それどころか、
『子』の生き血を吸ってますます肥えている始末。
もはや畜生以下」と厳しく糾弾している。

353検証会議:2010/01/19(火) 00:57:28
 フェイク 第1086号

 (発行=10.01.17)

 「原島昭は陰湿なウソつき!」の声
 「慧妙」一月十六日付・投稿欄の偽証を嗤う
 肖像画を写真と偽り早瀬日慈を陥れた大草一男

 妙観講のクズ新聞「慧妙」の連載「私が見た創価学会」に原島昭(故・嵩の実兄)が
書いた間違いについては、本紙が逐一、指摘(第一〇六一・一〇六八・一〇六九・
一〇七四・一〇七五・一〇七六・一〇八三・一〇八四号を参照)してきた。

 これに反論不能の原島は妙観講と共謀して一月十六日付「慧妙」の「読者の
おたより」欄に匿名で「『フェイク』の負け!」と題する手前味噌の陳腐な記事を
掲載し、本紙の指摘から逃げようとしている。

 本紙編集室には「原島家は母親の精子も昭・嵩兄弟も揃って妙法流布を阻む魔で
ある」「昭は愚弟の嵩に輪をかけたような陰湿なウソつきだ」等々、多くの声が
寄せられており、「慧妙」に虚偽を書き続ける原島昭の惨敗は明らかである。

 「慧妙」は宗内でも毛嫌いされており、坊主はもとより一般の法華講員は殆ど読んで
いない。読んでいるのは妙観講員の一部にすぎない。ましてや「慧妙」に投稿する
ような法華講員などいる筈もない。

 したがって、この投稿には、宗教道楽者の大草一男とその一派が関与していることは
間違いない。この投稿欄では「『フェイク』は自らの誤りを認めようとしません」と
書いているが、本紙の記述は何一つ誤っていない。だから、「慧妙」は「ここが違う」
と具体的には書けないで、負け犬の遠吠えのような投書を掲載して誤魔化している。

 この投稿では「少年日本」と「ルビー」の編集トップが池田編集長であったことは
「当然です」と書いているが、何が当然か?「ルビー」の編集長は矢島周平と奥付に
明記されている。

 原島はウソを繰り返すことで読者に間違った認識を与える汚い手を使い、その上、
他人に自分の文を褒めさせる。これも反逆者の弟の嵩と同じ手口である。

 約四十年も昔のことだが、夏期講習会では当時、毎期とも各部部長らの幹部は、
池田会長を囲む講義担当者会で講義のポイント、強調点などを確認して御書講義に臨む
ことになっていた。

 教学部長だった原島嵩が、一人の記者に「次の担当者会で、先生に『原島教学部長の
講義が一番上手いという評判です』と報告して欲しい」と真面目な顔で頼んだことが
あった。

 その記者は、そんな報告はしなかったが、今回の投稿は自画自賛、妙観講中で作った
感が強い。本紙の記述と原島の駄文を公平に読み比べるならば、原島の「私が見た
創価学会」はウソの羅列だと直ぐに分かる。
 
 次に「慧妙」では「だいたい、『フェイク』の人々も、過去に貴紙『慧妙』に載った
カラー写真を『絵だ』と見間違えて、騒いだことがあった」云々と書いているが、
これも妙観講らしいスリカエの大ウソである。

 そもそも、下手な肖像画を意図的に写真だと偽って日達法主に告げ口して早瀬日慈
(日如の父親)を陥れたのは大草一男である(本紙第六九五号を参照)。

 なお、原島は母・精子に戸田会長が詫び、本部副婦人部長の地位を与えて名誉を回復
させた(十一月一日付「慧妙」)と書いていた。この件は本紙が任命年月日から見ても
辻褄が合わないと指摘したが、原島は、その後、沈黙している。潔く間違いを訂正し
謝罪せよ。

354検証会議:2010/01/19(火) 00:57:57
 フェイク 第1087号

 (発行=10.01.18)

 日顕は雨男、日如は火事男!
 新宿・大願寺でボヤ騒ぎ、消防車七台が出動
 大石寺駐車場・売店、米国の妙宣寺と相次ぐ火災

 今度は新宿区・大願寺でボヤ騒ぎ―― 一月十七日午後七時頃、大願寺(板東慈潮)
からモクモクと黒煙が立ち上り、辺り一面には焦げ臭いような物凄い異臭が漂った。
急報を受けて出動した消防車は七台、若松町にある大願寺前の狭い道路は通行止めに
なった(写真)。異変に気づいて家から飛び出してきた近隣の人々も皆、驚きの表情で
あった。

 幸いなことに火災は直ぐに消し止められたものの、まったく近所迷惑なボヤ事件で
あった。ニセ法主元祖の日顕は、行く先々で集中豪雨などに見舞われたため
「テルテル坊主」ではなく「雨坊主」とか「雨男」と呼ばれたが、今のニセ法主の日如
は「火事男」と呼ぶに相応しい。

 盗座した翌年の平成十八年八月十二日の午後四時前、物凄い雷鳴が轟いた次の瞬間、
奉安堂の東側に立つ杉の大木に落雷。杉の大木は中央付近から火を噴いて、周辺には
黒煙が立ち込めた。この落雷を「慧妙」は詭弁を弄して「功徳だ」と強弁していたが、
今の日蓮正宗には「火災という功徳」が多発している。

 昨年の八月二十八日には大石寺の駐車場で乗用車十台が焼ける火災があり、
アメリカ・ワシントンDCの妙宣寺(住職・村田雄瑞)が十月十一日(日本時間十二日)に
焼失した。

 また、十一月十五日午後には大石寺の境内にある休業中の売店で、木造平屋建ての
建物八店舗、約二百五十平方メートルが全焼したばかりである。

 「王舎城事」には「両火房と申す謗法の聖人・鎌倉中の上下の師なり、一火は身に
留りて極楽寺焼て地獄寺となりぬ、又一火は鎌倉にはなちて御所やけ候ぬ、又一火は
現世の国をやきぬる上に日本国の師弟ともに無間地獄に堕ちて阿鼻の炎にもえ候べき
先表なり、愚癡の法師等が智慧ある者の申す事を用い候はぬは是体に候なり」とある。

 良観の極楽寺が火事で焼失し、良観が庇護を受けていた鎌倉幕府の御所でも火災が
起こったことから、大聖人は「りょうかん」をもじって「両火房」と揶揄されたが、
日如は現代の「両火房」と言ってよい。

 大願寺は昭和四十七年三月十六日、創価学会・池田会長(当時)の発願により
建立寄進されたが、昭和六十三年十二月に新築した時、早瀬は「全額、私が負担した。
学会には一切、世話になっていない」と放言。この「火事男」は忘恩の坊主なのである。

355検証会議:2010/01/20(水) 00:43:08
 同盟通信 No.136

 (2009.12.28)

 =明年、本山は、記念事業にかこつけ、全末寺から総額10億円の「寄付」を集める。
この10億円という額は末寺財産の5%に相当すると財務部文書から推計される。すると、
現在の全末寺の財産の総計は約200億円。末寺財産の総計は2年前の2007年には約360億円
あり、8年前の2001年には約510億円あった。ということは、2001年から2007年までの
6年間で150億減らし、さらに、この2年間で160億も減らしたことになる。このままでは
末寺の財産がゼロになるのは3年とかからない計算となる。否、このままでは2年と
もたないかもしれない。末寺が2年余で崩壊の時を迎えようとしている。=

 本山・末寺の関係は、昔から本山が「親」、末寺が「子」に譬えられてきた。本来、
親は子を思い、慈心をもって接するものである。それは人も動物も同じである。
しかし、宗門の「親」はどうか。「寄付」とはよく言ったものだ。これまで「不可侵」
とされてきた基本金までが取り崩し対象とされ、有無を言わせず取り立てるのだから、
それは「寄付」に名を借りた「強奪」以外の何ものでもない。「子」の悲鳴に無視を
決め込み、それどころか、「子」の生き血を吸ってますます肥えている始末。もはや
畜生以下である。

 猊下は、11日に開かれた全国正副宗務支院長会議の席上、新入信者の育成について
触れ、「折伏した人は、できるだけ早く登山させろ」とゲキを飛ばしたという。猊下は
今後の取り組みとして、特に登山に力を入れている。明年の支部総登山への結集の
ハッパは周知の通りである。支院長会議では、明年の各種登山への割り当ても発表
され、「虫払法要、寛師会、御大会へは、各支部から講頭はじめ役員が必ず1名以上
参加せよ」と徹底された。

 登山、登山、はたまた登山である。発表直後から”無謀の極み”と陰口をたたかれた
本年の「50万総登山」。先ごろ「50万の御命題が達成された」と発表されたが、その
内実はというと「50万人の登山」ではなく、「50万人”分”の登山」であり、各末寺の
活動家信徒が何回も何回も登山し、やっとのことで達成したものだ。その結果、本山は
御開扉料だけでも約10億円を徴収し、加えて膨大な供養も集めた。一方、割りを食った
のは末寺だ。

 登山のたびに、信者の供養は本山に吸い上げられ、末寺にまで回ってこない。登山の
督励が、ますます末寺を疲弊させているのである。

 隠尊から当代の猊下に座替わりした時、”これで、宗門の未来に明るい光が差す
だろう”と思った僧侶は少なくなかった。しかし、あれから丸4年。阿部庶務部長による
傷害事件に始まった「正義顕揚の年」が、加害者である信彰師が新設の布教部の部長と
いう要職に就くという不可解な落着で幕を閉じ、問もなく「広布前進の年」が明けよう
としている。巷は、年の瀬の華やいだ雰囲気に包まれているが、本宗では大半の
末寺住職たちが、恐怖や不安、猜疑、絶望がない交ぜになった感慨を胸に、陰鬱な日々
を過ごしている。

 (憂宗護法同盟員より)

356検証会議:2010/01/20(水) 21:33:45
 越 洋

 平成22年1月20日

 「フェイク」の圧勝! 「慧妙」と原島昭は惨敗!

 宗内みんなから嫌われている下品な御用新聞「慧妙」に昨年十月一日付から原島昭
(嵩の実兄)が「私の見た創価学会」を連載している。内容は原島の記憶違い、或いは
悪意から事実をネジ曲げたデタラメな記述である。これに対し、宗教情報紙
「フェイク」が逐一、原島の虚偽を指摘している。それは確かな証言と資料に
裏付けられており説得力がある。

 「フェイク」紙の圧勝であり、誰が見ても明らかである。原島の劣勢を感じた
「慧妙」編集部は慌てて一月十六日付の投稿欄を使って、原島の「私の見た創価学会」
を自画自賛。投書に見せかけて勝利宣言のような我田引水の記事を掲載している。
そもそも、「慧妙」に投書をする者がいるのか疑わしい。

 原島の間違いだらけの回想と「フェイク」紙の主な指摘を見比べてみる。

 原島の悪意による間違いの第一は、少年雑誌の編集をしていた若き日の池田編集長
が、ヌード写真で占められた「ルビー」というポルノ雑誌も作っていたと書いていた点
である。

 これに対して「フェイク」紙は、「『ルビー』は後年、坊主になった矢島周平が編集
していた」と奥付を提示し、ヌード写真というのもウソで、挿絵だったと指摘した。
すると原島は、池田編集長も「ルビー」の編集に関与していたのは「容易に察しが
つく」とか、出来上がった「ルビー」を手に取り眺めていた等々と妄想と邪推で勝手な
ことを言い出す始末。しかも、原島は「私が、ねじけた物の味方をするようになったの
は多分に二代会長・戸田城聖氏の影響でもある」(十一月一日付「慧妙」)とも書いて
いた。寝ぼけたことを言うんじゃない!

 「フェイク」紙は、昭の「ねじけた物の見方」は、母親の精子と弟・嵩の異常な関係
を見てきたからではないのかと述べ、嵩と母親の特異な関係を具体的なエピソードを
挙げながら指摘していたが、これは実に興味深いものであった。

 また、原島は蒲田支部の基礎を築いたのは母親の精子だと自慢していたが、
「フェイク」紙が原島精子の悪行を暴露。派閥を作ろうとして戸田会長の逆鱗に触れ、
文京婦人部長を解任されたうえ、謹慎を命じられていたという衝撃的な事実を暴いたの
である。

 原島は苦し紛れの言い訳として、戸田会長が母を呼び寄せ「『あなたを辛い目に
合わせて申し訳なかった』と詫び、本部副婦人部長の地位を与えて名誉を回復
させた」(十一月一日付「慧妙」)と書いていた。ところが、精子は戸田会長の存命中
には本部副婦人部長になっていなかったことを「フェイク」紙に指摘され、これも原島
の作り話であったことが明白になった。

 最早、原島昭のウソ八百は粉砕された。この論争は「フェイク」紙の完勝である。

 写真は人生に負けた弟・原島嵩。落ちぶれた惨めな姿を見よ!

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000819.jpg

357検証会議:2010/01/29(金) 09:59:12
 大石寺短信 第478号

 平成22年1月28日(木)

 日顕宗の動き

 1. 15人中4人の折伏推進委員が昨年の目標未達成

 日如が折伏に躍起になっている。正月の講頭目通りの席でも「各講中が『次の日曜日
にどう戦うか』ということを決めているか、どうか」「次の月、あるいは一年を
とおして、基本的にどういう戦い方をしていくかということを具体的に決めて戦う
べき」と細かく指示していた。この背景には、昨年までの目標だった「信者倍増」が
大失敗に終わったことがある。これについて、「恥ずかしい」と漏らしているという
日如は、何かせずにはいられないという心境なのか、よりによって、各布教区で毎月
行われる「広布推進会」に、親譲りの”瞬間湯沸かし器”で暴力坊主の布教部長・
阿部信彰を単独で派遣することにした。

 日如が目を背けたくなる現実を「大白法」(1月16日号)が紹介している。昨年の
折伏目標を達成した寺の一覧が載っているが、その数は全末寺の2割にも満たないのだ。
上層部からして全くダメ。重役・藤本、総監・八木ら役僧の寺は軒並み達成できて
おらず、各布教区の正副支院長も全94人中、名前が載っているのはたったの13人。全く
「恥ずかしい」有り様である。さらに驚くべきことに、今、折伏ができていない寺を
回っている15人の折伏推進委員のうち、4人(野村慈尊<千葉・清涼寺>、平山広篤
<東京・広妙寺>、岩切仁道<愛媛・法楽寺>、園田司道<兵庫・浄福寺>)が昨年の
目標を達成していないのだ。自分ができていないのに「折伏しろ」とは、どの口で
言えるのか。

 今後、折伏低迷の責任を問われて住職をクビになる者も出てくるだろう。力尽きて
自ら隠居を申し出る者も現れるかもしれない。一方、日如をはじめとした執行部は、
"大聖人の御命"とまで言い切った信者倍増が大失敗に終わろうが、自分の寺が目標を
達成できなかろうが、責任を取らなくてよいのだから、気楽なものである。

 ともあれ、折伏が苦手な日顕宗は、最近、またまた学会に的を絞ってきている。
「大白法」では「創価学会折伏の手引き」なる連載が始まった。今後、あの手この手で
勧誘を仕掛けてくるだろう。油断なく対応してまいりたい。


 2. 2月の予定
    3日(水) 節分会(本山、末寺)
    7日(日) 広布唱題会(本山、末寺) 興師会(本山、末寺)
    14日(日) 御講(末寺)
    16日(火) 宗祖誕生会(本山、末寺)

358検証会議:2010/01/30(土) 23:13:06
 フェイク 第1088号

 (発行=10.01.27)

 破折も折伏もできない早瀬日如
 折伏推進委員の十五人は低劣坊主ばかり(1)
 「祈祷は身延の方が良い」と言う講員にも苦笑

 日顕宗・法華講の機関誌「大白法」が一月十六日付から「創価学会折伏の手引き」の
連載を始めた。これは早瀬日如の意向を受けた企画で、その魂胆が窺える。

 早瀬も新年早々、昨年は残念ながら折伏が思うようにいかなかった、と泣き言を
述べたあと「漠然と『やれ、やれ』と言っても折伏は達成しない。幹部が指導教師と
よく打合せして、いわゆる折伏作戦会議とかの会議を開いて、次の土・日曜をどう戦う
かということを決めていくべきである。これが組織戦である」「宗務院に布教部を設置
して、過去の色々なデータから折伏推進委員の十五人を選んだ」と語り、これで本年を
勝利して平成二十七年(法華講員五十%増)、三十三年(法華講員八十万人)の目標を
達成できると確信している旨、言い放った。

 これらの言動から、今年は日顕宗が「組織戦」として学会員を奪い取ろうと狙って
いることは間違いないが、布教部や推進委員を作ったから折伏の勢いが増すと思うのは
幻想に過ぎない。

 そもそも布教部長に就任した阿部信彰、十五人の折伏推進委員のいずれも折伏は
できない。早瀬自身も折伏は未経験で、御書は苦手、破折もできないのだ。

 かつて新宿区・大願寺にいた頃、早瀬が「学会は折伏、折伏と言っているが、あんな
の寺に連れて来て、御授戒を受けさせるだけだから簡単だろ」とも言っていたとは
当時、同寺に在勤していた渡辺雄範氏の証言である。実践のない早瀬は、寺に連れて
行くまでの紹介者の真剣な祈り、心遣い、苦労が想像できないのだ。

 また、当時の大願寺法華講の班長のある婦人は、身延派日蓮宗の寺に塔婆供養に
通っていて「お祓いや祈祷は身延の方が良い」と、公然と発言していた。

 渡辺氏は早速、早瀬に報告したが、そのことは先刻、承知していた様子で「しょうが
ないな」と苦笑するだけだった。つまり、早瀬は身延派に対する破折の一つもできない
のである。

 新興宗教の一信者に敗北した無能な信彰

 早瀬が布教部長に任命した阿部信彰は、新興宗教の信者一人に言い負かされて
「新興宗教にも功徳があります」と認め、御本尊の功徳については説明も出来なかった
ことは本紙第一〇七一号で述べた。

 そこで今度は早瀬が選んだ十五人の折伏推進委員が、いかに低劣な坊主であるかを
紹介する。奴らに折伏の檄を飛ばす資格はない。

 まず、折伏推進委員の十五人とは野村慈尊、西田秀得、石井信量、菅原信法、
平山広篤、村上節道、武安力道、桑原慧道、中村収道、新井契道、盛岡窮道、
岩切仁道、園田司道、石岡雄哲、竹内雄寧である。

 これらの坊主共の役割は「院達」によると、折伏の状況が一定の基準に満たない支部
に対し、定期的に出張して折伏の助言や指導を行うことだという。

 過去にも平成十四年には「広布推進会地域担当員」、同十八年には「広布推進員」と
いうのを作ったが、一向に成果は上がらなかった。

 今回も徒労に帰すことは明らかである。

 次号からは低劣な折伏推進委員を一人ずつ紹介していくことにする。

 (つづく)

359検証会議:2010/02/01(月) 11:46:47
 フェイク 第1089号

 (発行=10.01.28)

 檄を飛ばした野村慈尊は温泉遊興
 折伏推進委員の十五人は低劣坊主ばかり②
 西田秀得は他宗の僧にも嘲笑される外道坊主

 ニセ法主・早瀬日如が自慢する十五人の折伏推進委員が、いかに低劣な坊主であるか
を順次、紹介する。

 野村慈尊の清涼寺は昨年の折伏目標は未達成。平成十三年五月十五日、折伏のハッパ
をかける僧俗指導会に行ったが、昼間から阿部信彰、柳沢喜惣次と懐石料理に舌鼓を
打ち、М山荘で温泉遊興に耽っていた過去がある。この事実は本紙第三六四号で紹介
した通り。今後も各地を回っては遊興三昧を楽しむことだろう。

 また野村は、鳩の大量殺戮を実行した坊主として有名になった。この話は内藤国夫
(故人)が昭和五十七年七月に「諸君」誌で暴露した。日顕が昭和五十六年にノドの
ポリープを手術した頃から「鳩の糞はノドに悪い」と言い出し、鳩の肉が大好物だと
いう生臭坊主の野村に日顕が「鳩殺し」を命じた。野村は御影堂や大講堂など各所に
カスミ網を設置して約五百羽の鳩を虐殺した(本紙第五八四号に詳述)。

 西田秀得は口先だけの坊主である。臆病で折伏を実践したこともなく、他宗の僧から
も嘲笑されているという。こんな坊主が折伏推進委員とは、法華講員も呆れている。

 西田は折伏がダメなだけでなく、勤行もいい加減で、例えば平成三年八月の葬儀の
際、西田の勤行が間違いだらけで、参列者に不快な思いを与えたことがあった。

 終了後、西田は婦人部の人に「きょう、学会員は来ていなかったのか? 勤行が
合わなかった」と言い、参列者のせいにしていた。

 その婦人が「私は、いつからお経が変わったのかと思いましたよ。眠っていたのですか?何度も間違っていましたよ」と切り返すと、西田は苦笑して誤魔化していた。

………………………
写真上は浴衣姿で温泉に
向かう野村慈尊。写真下
はМ山荘の露天風呂
………………………

 また、西田は勤行を間違うだけではなく、題目を「ナンミョーホウレンゲドー」と
唱えることでも知られている外道坊主である。

 ある人が「お題目が『ゲドー』と聞こえますが……」と指摘すると、西田は
「『ゲドー』には、ちゃんとした意味があるんだ」と開き直ったという。だから、
今でも「ゲドー」と言っているようだ。

 こんな具合だから坊主になっている二男の良活に対しても満足に教導できない。

 良活が大修寺に在勤していた頃、寺に若い茶髪の女性を連れ込んだり、一緒にバイク
を乗り回して朝帰りしたり、到底、出家とは言えない乱行の限りを繰り返していた。

 今の宗門は、このような坊主の風上にも置けない悪僧共の巣窟になっているので
ある。

 (つづく)

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360検証会議:2010/02/03(水) 00:17:59
 フェイク 第1090号

 (発行=10.01.31)

 蓄財疑惑の石井信量、インチキ成果の宣行寺
 折伏推進委員の十五人は低劣坊主ばかり③
 「布教より金」の強欲な悪僧共

 早瀬日如が任命した折伏推進委員が、いかに劣悪な坊主であるかを前号に引き続いて
紹介する。

 石井信量は以前、大石寺の蓮成坊にいたが、数々の女性問題、巨額の不正蓄財疑惑
などが噴出して本山にいられなくなった坊主である。日顕の内弟子の一人で、管材を
担当しながら温泉豪遊、芸者遊びにも同行していた。義弟の妻の裸体を撮影するなど
畜生坊主としても宗内の評判となったが、大石寺から追放されたのは不正蓄財が原因と
言われている。

 蓮成坊の庫裏には総額で数億円は下らないと見られる壷や茶器類など骨董品の数々が
並び、茶室のような部屋には時代物の家具とか屏風などが置かれていた。

 また、熱海には約二億円もの温泉付き別荘を女房のナツ子と二人の名義で手に入れて
いた。これらは表面に現れた贅沢三昧の実態にすぎない。不正蓄財の疑惑は他にも
相当額があると言われている。

 末寺からの特別供養など不透明な金の流れに関わり、銀行員も顔負けの鮮やかな
手さばきで札びらを切っていた石井だが、折伏は出来ない、というのが宗門関係者の話
である。

 菅原信法も「布教より金」のゼニゲバ坊主である。信徒に「二千円の塔婆供養を
すれば、三万円になって返ってくる」という邪義を吹き込んでいたこともある。通夜
などの供養は「最低二万から三万円」と金額まで決めて押しつけ、七五三、初参り、
法事、結婚式の供養も、それぞれ最低額を示して供養を強要していた。

 御講の席でも「ご供養に酒や米をもらっても仕方がない。お金が良い」と金銭の供養
をねだっていた。

 塔婆も、法要の参列者全員に強要し、信心していない人の名前まで聞き出し、塔婆を
立てるよう催促。純朴な信者を騙して毎月、塔婆供養を続けさせ、合わせて千本近く
立てさせられた人もいたという。

 まさに「塔婆商人」ともいうべき強欲坊主だ。

 もともとは久保川法章の弟子だが、「日顕の七番目の弟子」と吹聴している。

 村上節道の宣行寺(草加市)は「折伏のできる寺」と宗内で宣伝されてはいるが、
実態は酷い。一人が三体の本尊を所持していたり、素性の知れない外国人に下付して
本尊ごと行方不明になったり、下付の当日に返却されるケースもあるなど、帳尻合わせ
のためだけの実にいい加減なインチキ折伏が横行しているのだ。 その証拠に、御講の
参加人数は一向に増えていない。

 村上は本行寺(東京・墨田区)の高野日海の娘婿で、宣行寺法華講は本行寺から信徒
を株分けしてもらって発足した。

 同寺の自己申告によれば、平成九年には支部一千世帯を達成し、その後も、
毎年二百世帯の折伏を完遂してきたという。

 ところが、講中の実態は名ばかりの講員づくり。例えば、講員の子どもの小・中学生
が寺に友達を連れて来ると、無理やり内得信仰扱いにして成果に入れるという事例も
あった。

 月末近くになると講頭が「あと○世帯足りない」と訴えるが、月があけた途端に
「誓願達成」となる。

 この不可解な折伏成果のタネ明かしを説明して回ると受けるだろう。

 (つづく)

361検証会議:2010/02/06(土) 01:44:49
 顕正会短信

 2010.02.06

 未成年者に実名で鑑別所行きを告白させる顕正会

 一昨年12月16日、JR新潟駅前で、当時19歳の顕正会男子部員が、脱会しよう
とした20歳の専門学校生に対し、首を絞めるなどの暴力をふるい、昨年1月に傷害の
容疑で逮捕された事件を覚えているだろうか。これをきっかけに地元紙が身体障害者や
精神障害者への悪質な勧誘の実態を取り上げて報じるなど、あらためて顕正会の異常さ
が新潟県内に広く知れ渡ることとなったのだが、この事件に関しては、発生以来昨年末
まで、各種集会で浅井昭衛の口から「不当逮捕」などと語られたことはなかった。

 しかし事件から一年になろうかという今月11日に行われた“顕正会成人式”で、
突然この事件について浅井が口を開いたのだ。

 この“成人式”では、事件の“犯人”であった男子部員が登壇し、自ら事件について
語ったのだが、およそ顕正会以外に、未成年者を実名で登壇させ、自身の“逮捕歴”や
“処分”まで語らせるような団体は他にないだろう。

 この男子部員は自身が逮捕されたことを「怨嫉の退転者を指導していたら相手が
暴れ出したのでなだめようとした」と言うのだが、その“なだめ”に関わる自身の
逮捕容疑が“絞首による傷害”であることについては何一つ言及していない。しかも
この逮捕劇を何の根拠も示さぬまま「謀略」と決め付けているのだ。

 この男子部員は結果として鑑別所に送られ、通学していた専門学校も退学になって
しまったそうだが、「自業自得」という言葉を知らないのだろうか。彼に限らず
ほとんどの顕正会員に共通する、都合の悪い話をすべて「謀略」と決め付けてしまう
哀れな現実逃避・思考破壊の一例として紹介しておこう。

 ところで浅井は、「名誉を“回復”させてあげたい」とかで、この男子部員が20歳
になったら法的措置を行うと大見得を切ったようだが、逮捕直後にすぐやればよかった
のではないか。弁護士を派遣してくれたとか激励の伝言をくれたなどとさも仰々しく
男子部員に話させているが、結局は弟子が鑑別所行きになってしまったことについて、
浅井は「私の努力不足だった。申し訳ない」などと詫びることも無く、ただ責任転嫁の
「謀略、謀略」と叫ぶのみ。

 浅井よ、お前の言うがままに勧誘に狂奔し、“怨嫉者”の首を絞めるという暴力を
振るった若者の前途にミソがついてしまったのだ。責任をどう考えるのか。顕正会を
解散すれば二度とこんな哀れな若者を出すことはない。前途ある若者をこれ以上、
老い先短い自分の道連れにするな!

362検証会議:2010/02/07(日) 21:08:05
 越 洋

 平成22年2月6日

 宗内で下品な新聞と嫌われている「慧妙」2月1日付に「うっかり尻尾を出した
『信濃町鼠』」「学会怪文書作成班が犯した大失態」と題する的外れな記事を掲載して
いるが、笑止千万!「慧妙」は、本紙と「石山だより」の2紙の出所が本山とは無関係
だと決めつけ、その根拠として、元朝勤行の参加者が増えているのに、両紙とも減った
と報じている共通点があると書いている。だが、この根拠は破綻している。そもそも、
元朝勤行の参加者が減少している事実を宗内諸師は皆、知っている。毎年、あの
浅間神社が十万人を超える初詣客で賑わっているのに、大石寺は3千人足らずで、今年
は約2千6百人に減った。これでも「慧妙」は増えたと強弁するのか?

 愚かな「慧妙」は昨年と今年の元朝勤行の写真を並べて掲載し、対比させているが、
皮肉なことに、これを見ると参加者が増えていないのが一目瞭然である。増えているの
は法華講の参拝者ではなく、無任所坊主の数だけではないか。

 「昔の元朝勤行は三門まで人が溢れていたのに、今は淋しい」と述懐する老師も
いる。あの頃の賑わいの光景は、もう二度と見られない。毎年、御供養していた
参拝者も、この不況の中、御供養を出さなくなった講員が多くなっている。

 「慧妙」の実質的な発行人である妙観講の大草一男は、日顕時代は元朝勤行を
得意満面で取り仕切って、連合会幹部から「生意気な大草」と言われていたが、今は
反対に大草の出る幕が全然ない。だから、正確な参加人数さえ知らないのも無理ない
が、本紙の報道は「公称」ではなく、宗務院や内事部のナマ情報である。

 大石寺は安普請の無用な建物を作るため、今年も桜を伐採した。桜も減り、登山者も
激減し、墓参に来る人も少なく、元朝勤行の参拝者も減少の一途を辿る。しかも、講員
は高齢者や病人が多い。5年後の平成27年には講員の50%増どころか、日興上人
御生誕770年の時には「講員数50%減」という惨憺たる敗北の姿を晒すことになる
に違いない!

363検証会議:2010/02/07(日) 21:08:33
 フェイク 第1091号

 (発行=10.02.06)

 供養の多寡で差別する日顕宗
 折伏推進委員の十五人は低劣坊主ばかり④
 「生き戒名」販売で収奪するハイエナ坊主

 日顕宗の折伏推進委員が、いかに劣悪な坊主であるかを前号に続いて紹介する。

 平山広篤(東京・広妙寺)も昨年の折伏目標を達成できなかった坊主の一人。
 折伏よりも謗法を好む。以前、法華講員を引き連れて佐渡へ行き、身延派の六カ寺を
巡拝し、塚原三昧堂跡地と称する根本寺では布施を渡して参詣したほどである。

 また、日顕の本音を直接、聞いた張本人でもある。

 日顕は平山に「ワシは、どうしても御本尊が信じられなかった」と告白したことが
ある(本紙第六四八号を参照)。そのため、日顕は法務以外の勤行・唱題を一切
しない。ニセ法主の座に居座っていた間、夜の勤行をしたのは、たった一度だけで
ある。

 日顕は「神も仏も、地獄も浄土なども、あるわけがない」というのが本音なので
ある。

 平山は折伏のハッパをかけるよりも、日顕の本音を吹聴して回った方が良さそうだ。

 武安力道(吹田・本説寺)は日頃からパチンコに熱中するチンジャラ坊主。信徒を
金儲けの手段と勘違いしている。

 大阪の中でも自然に恵まれた緑豊かな北摂地域に学会の二百カ寺建立の九番目の寺院
として本説寺が落慶したのは昭和六十年の春。赴任してきた武安は学会の代表に
「素晴らしい環境、立派な寺院ですね。池田名誉会長に宜しくお伝え下さい。精一杯、
法務に励みます」と挨拶。その舌の根も乾かぬ二日後、地元幹部に「前任地の山梨では
法事では豪華な料理が出たが、此処はどれ位の酒や魚が出るのかね?」と聞いてきた。

 武安の浅ましい言い方に、地元幹部が「正宗の僧侶は質実剛健と聞いております。
出ても茶菓子程度です」と答えると、途端に不機嫌な顔になったという。

 この坊主の金儲けの汚い手口の一つが「生き戒名」である。一人暮らしの人を狙って
「生き戒名があったら後々、安心です。今なら安いですよ」と戒名のセールス。
「院号」付きの「生き戒名料」が五万円、「永代供養料」の十万円をセットで勧めて、
供養をむしり取っていた。

 また、経済的に苦しくて、思うように供養のできない家庭の葬儀があった時、武安
は、式の途中で唱題を中断して、そのまま退座してしまった。残った人は、ただ、黙々
と焼香するという異常な状態で、会場には坊主の暴挙に怒りの声が起ったこともある。

 元事務員も「武安は、通夜は五万、葬式は二十万と御供養の額を指定するんです。
経済的に苦しい人に言うのが本当に辛く、これでいいのかと悩みました」と語って
いたが、供養の多寡(たか)で差別するのが武安ら日顕宗の坊主である。

 桑原慧道は今、佐世保の法光寺にいるが、以前は香川の学会寄進の寺に居座り、信徒
をいじめ、浄財を収奪したハイエナ坊主である。

 桑原は昭和六十二年十一月末、学会による二百カ寺建立寄進の六十五番目の正伝寺に
赴任。入仏式に来た日顕は桑原に「これでお前も億万長者になれるぞ」

 御墨付きを貰った桑原は、折伏もできないくせに削り塔婆、冠婚葬祭、永代回向、
御講などを通して、信徒の供養を貪欲なまでに収奪する強欲坊主だ。

 (つづく)

364検証会議:2010/02/10(水) 20:57:17
 越 洋

 平成22年2月9日

 大聖人は伽藍(がらん)仏教について「堂塔(どうとう)・寺社(じしゃ)は
徒(いたずら)に魔縁の栖(すみか)と成りぬ」(御書1441ページ)と喝破(かっぱ)
されている。魔物の住処となった大石寺に住み着くのは日顕宗の坊主とカラスたちで
ある。

 1月16日付の『大白法』で折伏達成寺院が掲載されていたが、目標を達成できて
いない寺院が大半である。そんな大石寺を賑わせ群がってくるのは、法華講員ではなく
カラスの群れだけである。普段から奉安堂の屋根には、真っ黒なカラスの大群が群がり
1日300羽を越え、ひどい時など、500羽〜600羽くらい飛び回っている。

 そのためカラスの糞が、奉安堂の屋根にへばりついて、太陽に照らされ白く光り異様
な色の輝きを放っている。その糞を取り除きたいが、へばり付いて、どうにも取れず、
そこで、カラスを寄せ付けないために防護ネットを張ることにしたようである。
しかし、ある専門家に言わせると"カラスは世界に約9千種いる鳥類のなかで、最も脳が
発達しているため、追い払うのに様々な手段を講じてもすぐに見破るから、一ヶ月
かけて防護ネットの工事をしても、また無駄に供養を使うだけだ"と語ってくれた。

 結局、昨年の「50万総登山」で登山した法華講員が見たものは大石寺の荘厳な姿では
なく、傲慢な坊主達の姿と奉安堂にたかっているカラスの異様な大群であった。特に
カラスの繁殖期は3月下旬〜7月上旬で、この時期には、カラスはヒナを守るため人を
威嚇したり攻撃することがある。都内のカラス対策プロジェクトでも"カラスの攻撃を
避けるためには、巣やヒナに近づかないことが一番"と言われているが、
「魔縁の栖(すみか)」大謗法の大石寺には近づかないのが一番である。

 【カラスの勝手を許すなと防護ネットを張る本山。ネットを張ったって無駄なこった
と糞をたれるカラス】

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000825.jpg

365検証会議:2010/02/10(水) 20:57:50
 越 洋

 平成22年2月10日

 "所詮、血脈相承も受けていないニセ法主が模写した本尊こそがニセ本尊なので
ある。"今盛んに日顕宗の輩が、学会授与の日寛上人御書写の御本尊を「ニセ本尊」
だと誹謗中傷しているが、相承を受けたことを立証も出来ない日顕や日如らに大石寺
「中興の祖」と言われ、天賦の聡明である日寛上人の御本尊を批判する資格はない。

 昨年、日顕宗は自分で起こした京都・住本寺の明け渡し訴訟でも敗訴した。
この裁判で、焦点となったのは、寺を明け渡さない正信会側の主張の「相承を受けて
いないニセ法主の指示に従う必要はない」という点であった。特に「相承の証拠を
出せ」等々と主張したのに対して、日顕宗側は相承があったことを示す証拠を何一つ
出せなかったことが大きな敗因となった。この判決は今後、宗門の裁判という裁判に
多大な影響を及ぼすことは間違いない。結局、こんなニセ法主だから相承箱もなく、
口先だけで跡を譲られた日如もニセ法主であり、この先、法主が何人交代しても、
全て「法師と云う名字をぬすめる盗人なり」のニセ法主なのである。

 ここにニセ法主二世の日如が模写した本尊もどきを掲載する。これを見た老僧は
"サインペンで書かれたような字で全くありがたみが感じられない。どこの筆ペンを
使ったかも一目瞭然である"と語っていた。そのうえ、誤字がある。「奉書写之」
(これを書写し奉る)の「写」を「字」と書いている。この「奉書写之」は大抵、
最後近くになって書くものだから、日如もここまで緊張して書いて、つい気が緩んで
三画目が突き抜けてしまったようだ。これでは「これを書写し奉る」ではなく「これを
書き字し奉る」となって全く意味不明である。かわいそうなのは、こんな重要な事実を
隠ぺいされたまま拝まされている法華講員である。

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366検証会議:2010/02/11(木) 11:42:32
 フェイク 第1092号

 (発行=10.02.10)

 講員を脱講に追い込む強欲僧
 折伏推進委員の十五人は低劣坊主ばかり⑤
 葬儀・法事で悔みの言葉も言わず供養の催促

 日顕宗の愚劣な折伏推進委員の紹介を続ける。

 茨城県・法正寺の中村収道は他宗派の信者を折伏できない。ただ一つの折伏体験は
願生寺という正信会の寺の檀徒一人を一年かけて連れ戻したことだけである。

 「『御戒壇様に戻りましょう。大御本尊様にお目通りにお山に戻りましょう』という
一点だけです。これ以上は言いません。こうした話を繰り返し、繰り返し続けます」と
自慢している。

 こんな話を吹聴するため、各地を回るのだろう。

 新井契道は以前、日顕の取り巻きの一人で、本山・妙住坊にいて大石寺理事でも
あったが、平成十五年に千葉・真光寺に移った。金の亡者で狡猾な坊主。妙住坊にいた
当時、お盆に学会員宅へ行っての帰り際、玄関先で「書類に印鑑をください」と言って
何の説明もせず、自分で判を押して帰った。後で分かったことは、その書類が脱会届
だった。坊主の折伏とは、こんな騙しの手口なのである。

 また、この壮年の夫人が亡くなった時、二十万円の布施を渡すと、新井は「何だ、
これは、御供養か?」と吐き捨てるように言い、悔みの言葉も言わず「三十五日はいつ
やるんだ?」と迫る。じっと耐えて三十五日と四十九日法要を行うと、法要が終わる否
や「お盆はいつやるのか?」とか塔婆供養の催促ばかり。真夜中に電話を掛けてきて
催促することもあった。

 遂に、この人は堪忍袋の緒が切れて脱講した。

 大石寺理事の頃、陰で「登山者の弁当は、もっと小さくしろ」と指示するなど、費用
を浮かすことに腐心していた。新井は勤行ではなく、カラオケで喉を鍛えていたこと
でも有名な遊興坊主。日顕宗の坊主にはパチンコ、カラオケ、宴会などの遊びしか頭に
ない。

 盛岡窮道は平成十年六月、大分県の法柱寺から山口県の弘法寺へ異動になった。御講
での決まり文句は「毎月一回は塔婆供養をしないと成仏しません」

 米の供養を受けると、それを別の講員に横流し。そして供養を強要する。こんな坊主
こそ地獄に堕ちる。

 お金は欲しがるが、坊主も女房も御宝前の供物は粗末にする。野菜類などの供養は
腐らせてそのまま捨てることも多い。「六甲の水」と「栄養ドリンク」を愛飲して
いる。

 盛岡が脱講した人の家を訪ねて「ちょっと題目三唱させてください」と言ったことも
あるが、「お断りします。大変な迷惑です」と断られると、何も言えない。折伏は
できないのだ。

 岩切仁道は二枚舌の坊主。昭和五十九年に立安寺、平成五年に妙長院へ、平成十四年
には法楽寺へ移ったが、傲慢で信徒を苛めて金儲けに利用する。「袈裟を着たら猊下と
同格だ」等と言い放ち、日顕と同様、信徒に伏せ拝までさせていた。

 寺の従業員だった人の証言によると、表面では岩切は「学会のお陰です」と言って
いたが、その従業員に対して、いつも「聖教新聞の配達をやめろ」「学会の役職を
やめろ」と執拗に迫っていた。

 そんな二枚舌の典型が、日頃は「質素に暮らしている」とウソをつき、冷蔵庫を
空っぽにして見せつけていたことだ。陰ではウナギの重箱や寿司桶などが積まれて
いた。

 (つづく)

367検証会議:2010/02/14(日) 01:56:11
 顕正会短信

 2010-02-14

 インチキ親父とあほボンボン パート2

 顕正会の1月度総幹部会がいろいろな意味で大きな波紋を呼び起こしている。この
1月総幹では大規模な人事が行われたのだが、手っ取り早く言えば「浅井一族による
顕正会支配の完了」の宣言だ。

 まず、浅井昭衛を補佐する「理事長」職が新設され、二男の城衛が男子部長兼任で
初代「理事長」に就任した。顕正会には「理事室」というものがあり、理事は6人いる
が、城衛の他の顔ぶれというと、総合女子部長の大沼千恵美、総合婦人部長の湯浅悦子、壮年部長の横田孝明、壮年部副部長の小峰勝彦、そして現在は教学主任という閑職に
おかれる前総合女子部長の加藤礼子である。

 ちなみに湯浅は浅井の母方の親戚らしく、小峰は浅井の娘婿、加藤に至っては不適切
な関係を噂されたほど浅井に近い人物だが、横田と大沼は浅井と血縁関係や婚姻関係が
ないはずだ。以前は浅井の長男である克衛が「主任理事」という役職で実質的な
ナンバー2だったのだが、平成18年5月の総幹部会を最後に壇上から姿を消し、その
消息は未だに不明のままである。

 四者の最高幹部が理事を兼任するというところから、浅井に次ぐ「権力集団」である
ことは当然としても、なぜ壮年部長や副部長といった年長者を差し置いて城衛がその
トップたる「理事長」に就任したかといえば、もはや答えは一つしかあるまい。

 浅井は妙信講時代に「理事長」に就任し、当時講頭だった父親の故・甚兵衛を
「顧問」に追いやって実権を掌握して以降、「拡大」ばかりを追い求めてきたが、幾度
も「誓願」と称する数集めの予言に失敗してはその目標を下方修正し、今日まで顕正会
をなんとか存続させてきた。

 その過程で従順な盲信者を増やしては自身の“武勇伝”を徹底的に学ばせ、自身の
主張に異を唱える者は問答無用で切り捨ててきたのだが、近年はその路線も破綻し、
宗門に移籍する者が増加したため、とうとう昨年夏には「あと12年」という
「最終段階」を設定し、あたかもあと12年で大地震と中国の侵略で日本が滅ぶかの
ような終末的な幻想を会員に抱かせ、勧誘に狂奔させているのだが、浅井自身がその
「12年後」を迎えられるかどうかもわからないため、今のうちから城衛を後継者と
して周知させ、万が一浅井が期待するような状況にならなかった場合に会内から噴出
するであろう責任論を城衛に転嫁したいという思惑だ。

 前回はいわば「クーデター」のようなものだったが今回は「責任回避」の疑いが
濃厚だ。城衛には「いまからオヤジの尻拭いの覚悟を決めておけ」と助言しておこう。

368検証会議:2010/02/15(月) 17:42:55
 フェイク 第1093号

 (発行=10.02.13)

 折伏できず苦しむ能化・役僧の寺
 折伏推進委員の十五人は低劣坊主ばかり⑥
 樋田昌志のデマに踊らされた大草一男

 早瀬日如が任命した十五人の愚かな折伏推進委員の紹介は今回が最終回である。
 園田司道とは「大事な夢は丑寅の時間ですね。パッと目が覚めて急いでメモして
おいて、その問題に取り組む。そういうことが『行』なんです」と邪義を唱えた
柳沢喜惣次に同調した愚かな坊主である。

 日蓮大聖人は、夢物語で邪義を唱えた天台座主の慈覚を例に挙げて「夢を本には
すべからず」と、厳しく戒められている。柳沢も浄福寺の園田司道も大聖人に違背する
謗法である。こんな園田の口車に乗せられて法華講に入っていた老婦人は、学会婦人部
である娘さんの信仰体験に共感して脱講を決意した。園田は反論も再折伏も
できなかった。

 石岡雄哲の長野・妙相寺はデマ情報の元凶である。

 それは「慧妙」が長野県在住の学会員の名誉を毀損する虚偽の記事を掲載したことに
関する裁判で、最高裁は昨年二月二十七日、日顕宗側の上告を棄却した。

 これにより日蓮正宗(代表役員・日如)と「慧妙」発行に関与している妙観講の
指導教師・小川只道(理境坊、大石寺理事)、同講の講頭・大草一男(大講頭)、
同紙発行人・幡野直人らに対して総額百九十万円の損害賠償金支払いを命じた判決が
確定した。

 事件の発端は「慧妙」(平成十六年六月十六日付)に掲載された「学会幹部らを
待ち受ける末路」と題するデタラメな記事。その中で「慧妙」は「仏罰現証の実例」と
して、長野県在住の壮年が逝去したことについて「多額の借金を抱えて事業に
行き詰まり」等と全く事実無根の捏造話を報じた。

 この「慧妙」の記述は、全くの虚報だが、この捏造話の情報源は樋田昌志なる妙相寺
の檀徒。樋田は学会員の逝去についてデマビラを作成し、遺族らに訴えられた別の
裁判で、表記が事実に反することを認めて遺族らに謝罪し、解決金を支払うと共に
今後、学会員個人の名誉、プライバシーを侵害する言論をしないと確約
(平成十八年三月八日、長野地裁)。こんな樋田のデマに「慧妙」を作っているバカな
大草一男らが踊らされたのだった。

 役僧の寺が軒並み低迷

 樋田の暴走に対する監督責任を問われるはずの石岡が推進委員とは滑稽の極みだが、
妙観講の大草一男らは恥を掻かされた妙相寺に不快感を抱いているという。

 竹内雄寧(富山・妙顕寺)は折伏も出来ないうえ、思いやりの欠片もない。登山会の
頭数を揃えるため足の悪い八十歳近い老婦人に対しても「足が悪くても登山に行け!」
と冷たい一言を浴びせた。その夫人が渋々、登山した日は豪雨。本山内の階段で足を
引きずりながら歩いても手を貸す者も、励ましや労いの声を掛ける者もいなかった。

 登山から帰ると、足の具合が悪化。手術を受けて二カ月間の入院中、見舞った
法華講員は皆無だった。

 折伏が一定基準に満たない寺は多く布教部長・阿部信彰の妙国寺、総監・八木日照の
法道院、重役・藤本日潤の常泉寺、能化・高野日海の本行寺など役僧の寺が軒並みで
ある。

 老婦人を怒鳴りつけた竹内が役僧の寺も怒鳴りつけるのか。

 (この項 終わり)

369検証会議:2010/02/15(月) 22:54:27
 顕正会短信

 2010-02-16

 また大幹部失踪!こんどは夫妻で!

 顕正会は平成15年に「儀礼室」なる部署を設け、担当の幹部が会員の葬儀や法要で
の導師を行うようになった。これは学会が早くから行ってきた「儀典部」をパクった
ものであり、塔婆や戒名不要などというコンセプトも瓜二つ、いや、全く一緒である。
よほど顕正会より先に宗門と決別した学会の様子が羨ましく思えていたに違いない。

 平成11年の「本部指導会」で“相承断絶”を宣言してからも、葬儀や本部行事には
還俗坊主の村松某を顕正寺から呼んで形だけは日蓮正宗の真似をしていたのだが、
平成15年に顕正寺を「ロッカー納骨堂」に改築した折に全面的にシステムを見直し、
念願の「坊主不要」「戒名不要」「塔婆不要」に踏み切ったのである。

 「儀礼室」発足時の面子は6人だった。幾度か入れ替えを経て、今年1月の総幹部会
では「室長」に浅井の娘婿の小峰勝彦が就任し、前室長の横田高明はヒラ委員に格下げ
となった。今回はさらに人数の削減が行われ、本部幹事でもあった松本修の名前が
消えた。

 それだけなら盲信的な一般会員は何の違和感も持たないだろうが、今回はそれらで
さえ疑問の声を上げることが起きた。婦人部最高幹部である、同じ苗字の松本真智子・
第三婦人部長が、理由を明かされないまま交替し、壇上から両名が揃って姿を消したの
である。

 この両名は夫婦とのことだ。修の方は壮年部で地区部長などを歴任し、平成18年
からは本部幹事に就任し、平成20年からは儀礼室員の任を受けていた。真智子は古く
からの婦人部幹部で、一時は浅井の娘の小峰昌子と同じ「婦人部副部長」職まで登った
が、その後の組織改編で昌子が「副総合婦人部長」「第二婦人部長」となったのに
対して、真智子は「第三婦人部長」「杉並支区部長」止まりと、身内贔屓としか思えぬ
人事の餌食となった。穿ってみれば、浅井一族の地位を脅かしたから粛清されたとも
いえよう。

 浅井一族はたとえ預かる組織で結果が出なくても会の要職を兼務し独占している。
そこにもって、それを上回ったりする成果を出して人望を集めるような人物が出てくる
ことを、浅井はことのほか嫌う。古くは男子部で浅井の長男・克衛と並んで人望を
集め、教学にも長けたE男子部長が、ある日忽然と失脚した例がある。今回の夫婦
揃っての失脚に対しても、会内には大きな波紋が広がっている。長年、浅井と顕正会に
忠誠を捧げてきた、と誰もが認めるような夫妻に何があったのか。

 一昨年来、理由の告知なく大幹部の失踪が相次ぐ顕正会。果たして粛清されたのか、
泥船からの脱出に成功したのか。

370検証会議:2010/02/15(月) 23:40:35
 大石寺短信 第479号

 平成22年2月12日(金)

 日顕宗の動き

 1.インチキ折伏裏付ける「大白法」記事

 法華講機関紙「大白法」2月1日号は、折伏を煽ろうと、昨年の折伏目標を達成したと
いう寺を紹介しているが、その紙面は、意図とは裏腹に、日顕宗の折伏のお寒い実態を
浮き彫りにする代物となっている。

 見開き2面も使っておきながら、紹介されているのはたったの6カ寺。石川・妙喜寺
(住職・松田泰玄)の記事では、「42世帯も折伏ができた」と言うものの、唱題会の
写真には子どもも含めて19人しか写っていない寂しい有り様。また、金銭不祥事で本山
を追われたと言われている、日顕の元金庫番・石井信量が住職を務める東京・妙証寺が
紹介されているが、毎年、折伏が進んでいるという割には、この寺、御講や元旦勤行の
参詣者が増えていないのだ。さらに、長崎の法成院(主管・藤村良明)も、新潟の
実行寺(住職・田中寿教)も、「目標を達成した」と書かれてあるだけで、「何世帯
できたか」については触れられていない。

 実際のところ、日顕宗の末寺では、執行部の追及を恐れる住職と法華講幹部が結託
し、折伏目標を低く設定したり、架空の数を計上するなどのインチキが横行していると
いうが、今回の「大白法」の紙面は、こうした現実を裏付ける内容であると言えよう。

 2.大石寺近くの末寺でボヤ騒ぎ

 1月27日午後7時前、大石寺近くの静岡・芝川町の日顕宗寺院・蓮成寺でボヤ騒ぎが
起こった。寺の敷地で大きな火の手があがり、消防車4台と救急車1台が出動。建物への
延焼は免れたが、住職の家族によるたき火が出火原因と判明、消防が厳重注意を
行った。

 日顕宗では昨年、8月に大石寺駐車場で登山者などの車10台が炎上し、10月には
アメリカ・妙宣寺で御会式の最中に火災が発生。11月には大石寺境内の売店8軒が
全焼。また本年に入り、1月17日には東京・大願寺でも消防車7台が出動するボヤ騒動が
起こった。

 最近、日顕宗は、やたらと「現証論」を持ち出し、根拠のないデマをでっち上げて
騒いでいるが、本山・末寺で相次ぐ火災こそ”罰の現証”そのものではないか。

 なお、ボヤを出した蓮成寺の住職・高松趣道(67)は、がんを患っており、このほど
隠居が決定。後任には、かつてアルゼンチンに駐在し、ノーベル平和賞受賞者の
マザー・テレサを”悪魔”呼ばわりして、現地の法人登録抹消の原因を作った
いわく付き坊主で、大坊在勤の伊藤道玲(43)が入る。

371検証会議:2010/02/17(水) 01:30:23
 フェイク 第1094号

 (発行=10.02.17)

 「法華講に多い非常識な盲信バカ」
 大阪・妙輪寺の地区長会での婦人講員の嘆き
 教導できない坊主、講頭の話は支離滅裂

 日顕宗の坊主共は遊蕩に耽って布教を怠り、信者に対しては盛んに折伏、講員増加の
ノルマを押し付けている。だが、法華講の内部には不平・不満が充満して、愚痴や悲鳴
が聞こえてくる。

 こんな現場の苦悩も知らず、檄を飛ばすだけのニセ法主、うつ病の総監、無能な
布教部長、耄碌(もうろく)した柳沢らに法華講の末端の惨状を伝えたいとの思いの
大阪・妙輪寺の講員有志が、本紙編集室に同寺での地区長会(二月七日)の模様を
知らせてきた。この日の地区長会で注目されたのは、法華講員の非常識な行為を嘆く
婦人講員の声であった。

 この婦人講員の声に対し、住職の坂田正法も講頭の園部も回答不能。しかも、園部の
発言からは講頭自身も信仰の喜びなど感じていないことが判明した。

 以下は、その概要である。

◇   ◇

 登山担当者が春季総登山、支部登山について説明した後の園部の話が面白い。

 「私たちが折伏するとき『この信心したら、え〜よ。毎朝、お寺に行って住職の説法
を聞いて、大石寺に行く、こんな素晴らしいことありませんよ』って言いますよね。
でも果たして、皆、本当にそう思うてるか?」「我々が御本尊と約束して誓願、目標や
言うてるけど、心がそうなってなかったことを、つくづく感じました」と述べていた。

 つまり、講頭自身も信心の素晴らしさなど感じていないうえ「誓願」「約束」と
口では言っても心は違うと告白していたのである。

 そのあと「誰か、何か、質問は…」との呼びかけに、婦人の油井が発言した。

 「えっと、折伏、折伏とおっしゃいますけれどもねぇ、昔は信者の座談会があった
が、この頃、全然ないんですけども……。私が感じたことは信心バカがようけおる
いうことですねん。信心は、そら一生懸命してるかどうか知りませんが、一般社会の
礼儀とか、常識とか、非常にない人が多い。信心も大事、題目も大事やけど、常識の
ない信心バカではね、折伏できないと思います。月に一度くらい座談会して
いただいたら良いと思いますが、以上です」

 園部が「これは法華講のことなんで私の方から言わしていただきます」と言って
「ご住職に、例えば生活や挨拶、草履の揃え方、食事の仕方、色々と指導してもらう」
と言い出す始末。こんなことも坊主の指導を受けるとは初耳だが、以下は支離滅裂
なので省略する。

 再び、油井が発言した。

 「私が感じたのは、折伏に一緒に行っても、その人が非常識でね、折伏される人は、
その人の行為を見て呆れてるんです。非常識な行為の本人だけがケロッとしてます」
 「人の家に折伏に行っといてね、結局、折伏どころか、生活の行儀、作法についての
常識が無さ過ぎます」

 住職の坂田は「心を磨いてない者が傍若無人の振る舞いをしたならば御本尊に傷を
つける。いくら座談会やっても、だめだ、こりゃ」とサジを投げた。この坂田も
信心バカの一人である。

 日蓮大聖人は「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」と教えられ、賢人と
して振る舞うよう指導されていている。

 ニセ法主に率いられた宗門は僧俗共に大聖人の教えを忘れた盲信者である。

372織田信長の子飼い?:2010/02/21(日) 17:21:04
ツウか、若鷹って企業の為に命をかけるサラリーマンの事だろ?



何でニートが若鷹なんだ?

373浪人軍団:2010/02/21(日) 17:26:18
ニートの鷹ってw

374銘銘:2010/02/21(日) 17:28:10
悪知恵だけならカラスにしとけw

375検証会議:2010/02/24(水) 05:39:15
 越 洋

 平成22年2月23日

 最近、日顕宗では「日蓮正宗の信仰」「創価学会員による『友人葬』は間違い
です!」「あなたが拝んでいるのはニセ本尊ではありませんか?」の3種類のA4版
3つ折りリーフレットを一部10円で末寺、法華講に売りつけている。

 これを見た法華講員は、"写真や色使いもおどろおどろしくてセンスも何もあった
ものではない"とぼやいていた。しかも法華講員に一部10円で売りつけていることに
対しても憤りを覚えたという。

 たかだか、10円の負担ぐらいと宗門は思ったのかもしれないが、無料で配布するの
が当然である。どこまでも庶民感覚からかけ離れている宗門のやり方に、この
リーフレットを見て日蓮正宗に入りたいと思う者など誰一人としていない。

 16日、本山では大聖人の御誕生会と恒例の御塔開きが行われた。「日蓮正宗の
信仰」のリーフレットの最後の写真が「東海道随一の五重塔(参詣者で賑わう御塔
開き)」と称して"750年の伝統を受け継ぐ"目玉商品にさせたかったのだろうが、
その日は早朝から深い霧に包まれ、小雨の降る寒い悪天候だった。朝7時から仮御影堂
で日如の導師で献膳、読経、引き題目が行われ、引き続き五重塔において御塔開きの
法要が行われ、日如の説法があった。

 御塔開きといえば、かつて日顕が"この日が国民の休日となることが真の広宣流布の
姿"と珍説法をしたことでも有名である。「仏法西還」なんて言うが、大聖人の仏法を
歪曲し、自分達は懶惰懈怠の遊興ばかり、それで供養だけはチャッカリ強要している。
またまた、平成23年度に法華講から30億集めるなんて、大聖人から厳然とお叱りを
受けることだろう。諸天に見放されたこの日の悪天候が全てを物語っている。

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376検証会議:2010/02/24(水) 22:41:01
 フェイク 第1095号

 (発行=10.02.24)

 恥さらす邪宗門の「大日蓮出版」
 世間に通用しない日蓮正宗のパンフ、小冊子
 注目集める松岡幹夫氏の「法華経の社会哲学」

 僧籍を離れた花野充道博士が同人誌「法華仏教研究」の創刊号で指摘したように、
宗門の出版物が神田の老舗古書店に置かれただけで大喜びするほど、世間の権威に
コンプレックスを持つ集団が日蓮正宗である。

 同博士は「世間の学問を否定して、独善的な閉鎖主義をとっていながら、日蓮正宗の
本を古書店の東陽堂が置いてくれた、と言って喜んでいる」「そんなことで喜ぶくらい
なら、全国の書店に並ぶほどの本を書ける(世間に通用する)人材をどうして育成
しようとしないのか」と、宗門の泣き所を鋭く突いていた。

 そんな日蓮正宗が平成十八年六月、本山の片隅のプレハブ小屋のような場所に
株式会社「大日蓮出版」を立ち上げた。そして、何を勘違いしたのか、公共の出版物と
するに値しないばかりか、古書店にも置いてくれそうもない素人丸出しの低劣な教義書
や粗末な写真集、パンフレットの類を全国の一般書店に流通させ、世間で物笑いの種に
なっているから滑稽だ。

 例えば、ニセ法主2世・日如の空疎な話をまとめた『折伏要文』という本の売り込み
文句には「この御講義で、御法主上人は、折伏の重要性と功徳の大きさについて、
懇切丁寧に御指南されております」とある。

 こんな意味不明の文句を一般人に伝えて、一体、何の意味があるのか。実数は
数万人程度の法華講員以外、手にすら取る者もいない。

 そもそもパンフレットが一部十円、小冊子一冊百円など、明らかに信者向けの価格で
販売されている。

 つまり、本来は公共的な一般書店の棚に、耳慣れない名前の零細教団が身内にだけ
通じる怪しげな出版物を置き、一般購買者に迷惑がられているのである。

 さらに日蓮正宗は、かつて改革同盟の松岡幹夫(雄茂)氏から痛烈に邪義を破折
された時に、シドロモドロになって反論した稚拙な小冊子類まで一般に流通させると
いう、驚くべき恥を晒している。

 松岡氏の整然たる主張に「邪論」「愚問」等々と吠えまくり、「汝」などと上から
目線で物を言う日蓮正宗の時代錯誤に、高名な哲学者の某教授は「これは話に
ならない。品の無さだけで、まともな宗教の本ではないと分かる」と切り捨てたと
いう。

 一方の松岡氏は先日、新著『法華経の社会哲学』(論創社)を出版(写真)、
注目されている。各大学等での講演を収めて、「活の法門」と呼ばれる法華経の精髄
が「自由自在」「すべてを生かす力」にあると述べている。法華経の現代的意義を
論じ、創価学会の池田名誉会長の哲学もわかりやすく解説した良書である。

 この本と大日蓮出版のカルト書を読み比べてみれば、どちらが仏教の真実を
語っているか、一目瞭然である。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000831.jpg

377検証会議:2010/03/05(金) 05:36:54
 大石寺短信 第480号

 平成22年2月25日(木)

 日顕宗の動き

 1. 末寺住職が執行部批判の書簡

 日顕宗の末寺住職とおぼしき匿名僧侶による執行部批判の手紙が、複数の末寺に送付
されたとして話題になっている。

 その手紙は、折伏ができていない寺を回っている「折伏推進委員」や、日顕、日如に
よる「身内優遇の人事」を手厳しく糾弾。折伏推進委員については、”虚偽の折伏成果
を報告している委員が説教しても、だれも耳を傾けない”“折伏推進委員制度は住職の
監視体制が目的”と指摘。末寺に折伏成果を出させるには、“猊下(注・日如)や
執行部が模範を示すのが早道”と冷ややかに記している。また、“優遇人事”について
は、昨年、日如が息子の早瀬道寧や甥の佐藤信暢(大石寺主任理事・佐藤慈暢の息子)
を、困窮寺院の住職や在勤者をさせられている彼らの同期生を尻目に裕福な寺の住職に
据えたことを挙げ、批判している。

 ここ数年、日顕、日如ら上層部への不満、不信が顕在化している。昨年は、福岡・
要言寺などで住職を務めた花野充道が日顕、日如を批判した揚げ句、還俗(坊主を
辞めること)を余儀なくされた。また、楠牟礼慈宝(青森・玄中寺)ら宗会議員9人が
執行部に「質問主意書」を突きつけたものの、あっけなく撤回させられている。

 これまで、じっと耐えてきた坊主たちだが、度重なる供養の強制徴収、無謀な登山の
強要などによって末寺財政がやせ細り、一方で情け容赦ない住職すげ替え人事が
行われる中、我慢の限界を迎えたようだ。公然と決起すれば花野や9人の宗会議員の
ように潰される。ゆえに、今回の手紙のような形で、静かに宗内世論を喚起しようと
いうことか。匿名僧侶の手紙は、「今こそ心ある人々が声をあげなければ、暗黒の海を
漂流し続ける『日蓮正宗丸』は、早晩沈没の憂き目を避けることは出来ない」「この
書状を認めながら、わが胸中に沸々と憤怒のマグマが沸き上がって来ている」と
結ばれているというが、今のほとんどの末寺住職の考え、心情を代弁していると
言えよう。

 これまで、法主の権威を笠に着て、やりたい放題を尽くしてきた日顕、日如の心中は
穏やかではないだろう。


 2. 3月の予定

    7日(日) 広布唱題会(本山・末寺)
    14日(日) 御講(末寺)
    21日(日) 春季彼岸会(本山・末寺)


 ※この時期、折伏ノルマに駆り立てられた坊主・法華講員があの手この手で勧誘して
くることが予想されるため、注意が必要。

378検証会議:2010/03/05(金) 05:37:18
 石山だより

 平成二十二年三月三日

 一、本山の坊さんは気楽なもんだ。内事部は朝九時に出勤。夕方五時には、さっさと
自分の坊や宿舎へ帰っていく。仕事がない。登山者も少ない。

 早く帰って何をやるかと言えば、育児と女房への家庭サービスだ。昔は「気楽な
稼業」と言われていたサラリーマンでも、今はこんなに甘くはない。末寺の坊さんが
食うや食わずの生活をしているのに、本山の坊さんだけは「我が世の春」だ。

 親が大寺院の子弟は、親から小遣いを貰って余裕を見せ「さあ〜、今日も一家揃って
焼き肉でも食いに行くか」だって。

 一、末寺の坊さんは、オンボロ車に乗って何かと大変だ。二十二年度は寺の預貯金の
五%を六月末までに収めなければならない。生活費にも事欠く毎日だ。登山、登山と
言われて、末寺を通り過ぎて本山だけが潤う。法華講は生活費の中から登山のたびに
三万、五万、十万と年がら年中使っている。更に、二十三年度の御供養は、法華講から
三十億円も集めようとしているのだ。こんなに供養!供養!と大騒ぎする宗団は他に
ない。「もうやってられない」と嘆きの声、声、声。

 一、山は山で、悪僧の小川只道が「マジェスタ」を乗り回しているが、この小川が
住んでいる理境坊と石之坊(山根一順)の2ヵ坊の耐震工事を行うことになった。建物
も危ないが、それよりも本山自体が崩壊の危機に直面している。

 正本堂・大客殿を耐震対策なんて嘘を言って破壊した大罰により、本山の土台
そのものが腐り果て崩落している。平成二十七年に五十%増、平成三十三年に
八十万達成なんて虚勢を張っているが、高齢の信者が「その時は、顕チャンも寛チャン
も我々も、この世にはいない」と苦笑していた。

(二代にわたる相承無きニセ法主が威張り、人々を惑わし、不幸にしてきたことか。
大坊鼠)

379検証会議:2010/03/05(金) 05:37:50
 フェイク 第1096号

 (発行=10.03.03)

 思い上がったデマビラ男・樋田昌志
 「妙教」3月号に掲載 妙相寺の折伏の実態㊤
 解散勧告に動揺して脱会した愚か者

 日顕宗の大日蓮出版が発行する「妙教」3月号では、妙相寺(長野市)の法華講支部が
得意気に取り組んでいるインターネットによる折伏推進の様子を掲載している。同寺
では昨年、折伏目標五十世帯に対し百一世帯を達成した旨、坊主の石岡雄哲や講中の
樋田(とよだ)昌志らが自慢している。

 このインターネットによって折伏の相手を探し出す手口を始めたのは樋田という
退転者である。

 そこで本号では樋田を取り上げることにする。

 この樋田に関しては本紙第一〇九三号で簡潔に紹介した通り、デマビラを配布して
告訴され、罰金を支払う羽目になったデマビラ男で、顔はオウム真理教の麻原彰晃に
似た汚い無精ヒゲの風貌(写真)である。

 樋田は昭和三十四年十月生まれの五十歳。長野県上諏訪町から中学時代に長野市へ
移転。長野高校を経て多摩美術大学へ進んだ。

 もともとは画家志望であったが、画家としての才能がなかったのか、道を踏み外した
のか、法論と称する個人的なDVDを自身のホームページで企画制作・販売し、
学会攻撃用のビラも配布するようになった。

 樋田が入会したのは昭和五十五年二月二十二日。だが、清らかな学会組織には
馴染めず、平成三年十一月、日顕宗からの解散勧告に動揺して脱会し、妙相寺の法華講
に入った。平成八年九月には副講頭になったが、その後、再任されなかった。

 非常識な盲信者が揃っている法華講員の中には物好きな者がいて、樋田を信奉し、
行動を共にする愚か者が増えているようだ。総講頭の柳沢喜惣次や大草一男ら大講頭を
慕う者はいないが、樋田のような思い上がったデマビラ男を信奉するというから呆れて
しまう。

 現代の四条金吾?

 「妙教」誌では「入信はどのような人が多いのか」との司会の問いに、石岡が
「インターネットによる折伏によって、約半数近くが創価学会員」と述べ、樋田昌志
のホームページを見て、「全国に創価学会や顕正会を脱会し立ち上がった人たちが
いて、その人がさらに折伏を推進していくというような折伏」と語っている。

 その広がりは、北は北海道から栃木の宇都宮、東京、神奈川、千葉、埼玉、
関東一円。更に愛知、大阪、福岡が主なのだそうだ。

 そして、まず坊主の石岡が各地に赴き、法華講員の基本姿勢を指導し、その後は樋田
が二ヶ月に一度ほど、定期的な形で座談会を開き、法華講員の心得を教えていると
いう。

 まるで総講頭か大講頭気取りの樋田だが、その慢心は己の仕事の行き詰まりについて
の言い訳にも現れている。「四条金吾が同僚の讒言によって、主君の江間氏から
領地替えをされた時のような法難だと私は実感している」だと。

 かつて大草一男や死んだ竜年光が自分を「有徳王」と勘違いしていた時期もあった
が、樋田は自分を四条金吾に喩えるまでに思い上がっている。(つづく)


 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000833.jpg

380検証会議:2010/03/08(月) 06:16:38
 フェイク 第1097号

 (発行=10.03.04)

 許し難い樋田昌志の悪徳商法
 「妙教」3月号に掲載 妙相寺の折伏の実態㊦
 奈良県で暗躍した樋田一派は粉砕され退散

 増上慢の樋田昌志(長野市・妙相寺支部)の一派が二月二十八日、奈良県五條市の
日顕宗妙住寺に現れた。樋田は一切、姿を見せずに隠れていたようだか、樋田を信奉
している妙住寺、寧楽寺、妙輪寺、法住寺の法華講員に御書講義を通してハッパを
かけ、五條市、御所市、橿原市などの学会員宅を訪問させていた。

 聞くところによると、樋田は日如や日顕から「法華講の中で一番、頑張っている」
旨、褒められたという。

 だから樋田は慢心を起こして総講頭の柳沢、大講頭の大草らを尻目に出過ぎた行為を
しているのだ。

 以前、この奈良の地には妙観講員が来て「合同折伏」と称して学会員宅を回って迷惑
をかけていた。これら妙観講は、地元の学会青年部メンバーによって一掃されたが、
代わって樋田一派が広布の邪魔をするために暗躍しているのである。

 樋田らの手口は、複数の法華講員がチームを組み、初めは斥候となる法華講員が
公明党のポスターを目印にインターホンを鳴らし、応対する学会員がいると隠れている
樋田に繋ぐというやり方だ。

 そして「学会員さんのお宅ですか?」と質問し、学会員宅を探し出しては学会が
日寛上人書写の御本尊に加筆したとか、修正したとか、嘘八百を書いたビラを配布し、
討論の撮影をする。

 因みに、このビラは一枚十円で販売しているということだが、なんともセコイ商売で
ある。

 この日、妙住寺の講員を中心に複数メンバーが徒党を組んで、公明党ポスターの
貼ってある家、それに地元の講員の案内で学会員宅へ押し掛けては悪態をつき、難癖を
つけて回っていた。

 学会員宅では「御本尊を見せてくれ」「学会は戒壇がないからダメ」「宗門は旧い
から尊い」「開眼がない。脇書きを削っている」等々、既に破折され尽くしたこと
ばかり口走っていた。

 しかし、何処に行っても樋田らの一派は追い返され、破折されて成果は上がらず、
無駄骨に終わっていた。

 法螺を吹く樋田昌志

 話題を「妙教」3月号に戻すと、樋田が今は脱会した人達の地域で折伏勉強会を
開き、その模様を全部、インターネットにアップすると、勉強会の模様を見て連絡が
入り、脱会者が続出するという形だ、と大法螺を吹いている。

 樋田の狙いは、学会員を呼び出して動画を撮影し、商売に結び付けることにある。
インターネットを通して、感心を誘い、それに反応するとメールを交換した後で「証拠
のためにビデオ撮影をする」と撮影をムリに承諾させる。

 そして、編集権や配布を樋田に任せると、その後は撮影した映像を自分にとって都合
の良いように勝手に編集しては、ネット投稿動画サイトにサンプルとしてアップして、
そのDVDを通信販売するという汚い手を使うのである。

 場合によっては隠し撮りすることもあるから要注意だ。加えて、最近は学会の会館に
出向いて、応対した警備責任者とのやりとりを撮影する。

 こんな身勝手な行為を石岡も「妙教」誌でインターネット折伏などと奨励する。
実に、ふざけた坊主である。

381検証会議:2010/03/12(金) 09:28:30
 石山だより

 平成二十二年三月十日

 一、弥生3月、やっと春らしい三寒四温の時がやってきた。昔の人はよく言ったもの
で「暑さ寒さも彼岸まで」と。その通りになる。季節は春の到来である。日蓮大聖人も
「冬は必ず春となる」と仰せられた。しかしながら、大聖人に違背する異流義の
「日顕宗」となった大石の山に"春"は永遠に来ない。

 一、全国の末寺には人が来ない。葬儀もない。法事も少ない。塔婆の申し込みも
ない。供養が集まらない故に収入がない。生活が困窮し、子供の養育費にも事欠く
有り様だ。

 一、学会と分かれて今年で二十年になる。本山では頻繁に末寺や法華講から供養を
集め、その結果、本山には金がタンマリ蓄積されている。一方、末寺は平成三年以降、
四〜五年間は貯金を取り崩して、やりくりしてきたが、今や火の車だ。援助寺院も
二四〇ヵ寺を越えていると言われている。一ヵ寺二十五万の援助として、単純に計算
しても月平均六千万円。一年間で七億二千万円となる。それを十五年間として百八億円
にものぼる。これだけの援助金を毎年、出せるのは、山には○千億円もの金があるから
だと解説する老僧もいる。

 一、御影堂の改修にしても、五年も六年もかかるものではない。業者の言いなりに
なって、工期を延ばされて、その都度、予算が膨らみ、いいように金をふんだくられて
いると噂されている。末寺の皆さん!本山は潤沢です。この数年で本山の各坊二十ヵ坊
を新築し、そこら中を整備してきた。末寺のことなんか眼中にない。本来、本山への
供養は不要のはずだ。それなのに欲張りの顕チャン、寛チャンは更に集めようとして
いる。古寺の住職云く「このままでは破産だ。破産する前に離脱を考えなければ」と。
愚かな法主によってみんなが苦しむ。こんな本山の理不尽は許されない。

(海外で大失敗した悪侶、関と毛利。詐欺師もビックリの守銭奴。ゴミみたいな小心者
が威張るでない。大坊無任所鼠)

382検証会議:2010/03/12(金) 09:29:01
 大石寺短信 第481号

 平成22年3月11日(木)

 日顕宗の動き

 1.明年は信者から30億を収奪

 日顕宗では、「立正安国論750年」にかこつけて、またまた、明平成23年度に信者
から計30億もの供養を集めることになった。「立正安国論750年」の特別供養は
平成18年から3年連続で行われ、18年は約23億、19年は約28億、20年は約40億が徴収
され、終了したかに思われた。

 しかしその後、平成21年度までとされていた「立正安国論750年」の記念事業の期間が
26年度まで大幅に延長され、目玉事業である御影堂修復の予算は約30億円から約40億円
に増額。“おまけ”のはずだった塔中坊の建て替えも10カ坊から18カ坊に増え、さらに
常来坊の建て替えや登山事務所の新築など、新たな事業が次々と加えられていった。
つまり、今回の新たな収奪計画は、これらの“やりたい放題”の尻ぬぐいに
ほかならないのだ。

 全末寺からは本年、計10億が強制徴収されることになっている。ある住職は嘆く。
「末寺からは出すばかりで還元されることは全くない。潤っているのは本山だけだ」。
年に何回も登山させられる信者達も、高額の旅費を支払った上に供養まで
むしり取られ、青息吐息。そしてここにきて“アッと驚く”新たな収奪計画の発表で
ある。

 いつも一泊2、30万のスイートルームに泊まり、一食数十万はする食事が当たり前の
日如や日顕に、困窮寺院の住職や信者の苦しみは分かるまい。

 2.宗会議員の言論を封殺する宗規改正

 このほど、日顕宗の宗規が一部改正された。特筆すべきは日顕宗の「議会」である
宗会に関する規程の改正で、「宗務院への質問主意書は複数の議員が連名で提出する
ことはできない」「議長は、質問主意書の内容が不適当であると認めたときは、
当該議員に修正を求め、又は却下することができる」ことになった。要するに改正の
目的は、宗会議員の自由な言論の封じ込めであり、その背景には、昨年、9人の宗会議員
が連名で執行部のやり方に異を唱える質問主意書を提出した一件がある。結局、
その質問主意書を強圧的に撤回させた執行部。自由な意見が飛び交うとよほど都合が
悪いようだ。

 これなら、「議員がもの言えぬ宗会など必要ない」といった声があがるのも至極
当然。もっとも、相承を受けていないインチキ坊主が4半世紀以上も法主の座を占有
してきた教団のこと。“問答無用”こそがルールなのだろう。 相変わらずの物笑い
教団・日顕宗である。

383検証会議:2010/03/12(金) 19:39:10
 フェイク 第1098号

 (発行=10.03.10)

 日顕宗こそが「異流義の一凶」
 富士学林での阿部信彰らの講義を粉砕㊤
 榎木境道、批判する前に学会寄進の寺を出ろ!

 日顕宗・富士学林大学科(法教院)では今年一月十八・二十一日の昼夜、計四回に
わたり「創価学会、異流義への歩みとその破折」と題する課外授業を行い、また一月
から二月にかけて「異流義破折特講」を九回も実施した。特に「異流義破折特講」は
四年生を対象に今年から新たに開始したもので、大学科で四年間も無駄な日々を
過ごした所化に対し、卒業を間近に控えた今、少しは平成二十七年、及び同三十三年の
ノルマ達成に向けての決意を固めさせたいとの魂胆からである。

 この「異流義破折特講」は布教部長の阿部信彰ら五人の坊主が担当していた。

 一方、課外授業で講義したのは榎木境道(鎌倉市・護国寺)で、日顕が講師に指名
した。この課外授業を担当した榎木は昭三十八年に得度。平成二年には学会による
二百カ寺建立寄進の百八番目となる宝清寺(倉敷市)の住職になった。

 その後、同二十一年には尾林が死んだ後の妙光寺(品川区)に土居崎慈成が入り、
その土居崎の後任として、これも学会が建立寄進した鎌倉市の護国寺に入った。

 学会が建立寄進した寺を渡り歩く榎木は、本来ならば学会に感謝こそすれ、批判など
できる立場ではないが、発願主の学会を「現代の一凶」と誹謗して「今後も徹底した
破折を行っていくことが重要である」等々と述べていた。不知恩の堕地獄坊主である。

 「異流義破折特講」の第一回目は一月十四日午後零時四十分から阿部信彰が全体を
総括するような内容を講義。このなかで信彰は「創価学会問題をきっかけに顕正会や
正信会が次々と異流義化し、創価学会も正法誹謗の邪教となった」等々と身勝手な内容
を述べていた。

 だが、こんな俄(にわか)仕込みの「特講」では何の役にも立たないことは言うまで
もない。

 そもそも講義をした信彰をはじめとする講師自身が折伏も出来ないし、顕正会や
正信会にも歯が立たない堕落坊主ばかりである。ましてや学会の正義を破折できる筈が
ない。

 今回の一連の講義は悉く我田引水の内容であり、日蓮正宗こそが相承無きニセ法主・
日顕によって異流義化して「日顕宗」に成り下がった邪教である。

 日顕とその一派は、三宝を破壊して大聖人の仏法を否定し、破和合僧と広布破壊の
大罪を犯したのみならず、身延派迎合、禅寺墓問題、遊戯雑談、宗門私物化などで
日蓮大聖人、日興上人からの厳しい叱責を受け、堕地獄は絶対に間違いない。

 これは日顕一人に限らず、ニセ法主二世・日如の後、誰が登座しようとも異流義の
「日顕宗」に変わりはない。次号では日顕宗の異流義の具体例を浮き彫りにして破折
する。(つづく)

…………………………

 上の写真は課外授業で講義する榎木境道。学会寄進の寺に居座りながら学会
を批判する不知恩の坊主である。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000836.jpg

384検証会議:2010/03/13(土) 06:11:39
 フェイク 第1099号

 (発行=10.03.11)

 日顕を「本仏」と崇めさせる邪教
 富士学林での阿部信彰らの講義を粉砕㊥
 已を「生身の釈迦日蓮」と説くニセ法主

 日顕宗の数多い邪義・邪説の中でも最たるものが宗祖の教えに違背する異流義の
「法主本仏論」である。日顕は自分が「法主本仏論」について発言したのみならず、
息子の阿部信彰をはじめとする坊主、それに法華講員にも日顕自身を「御本仏」と
崇めさせる異流義を喧伝させた。その代表的な例だけでも次の通りである。

 一、「相承を受けた以上は生身の釈迦日蓮である」(全国教師講習会での日顕自身の
発言。平成九年八月二十八日)

 二、「猊下様が現代における大聖人様」(「大日蓮」平成三年六月号に掲載の
法華講員・内田和子の論文)

 三、内田和子の論文を仕掛けたのが信彰で、東京・府中の学会員に「猊下が何を
言われても信者は『ハハー』と聞くのが信心で、猊下が何をされても、それは全て仏の
慈悲と拝さねばなりません」「猊下ではなく、大聖人の信徒というなら、もう日蓮正宗
の信徒ではありません」との驚くべき邪義を吹き込んでいた。

 四、「大聖人や日興上人、また歴代法主も過去だから迹であり、当代の法主(日顕)
が本である」(平成三年八月の行学講習会での元海外部書記・福田毅道の発言)

 五、「御本仏大聖人、戒壇の大御本尊、歴代の御法主上人が、その内証において
一体不二の尊体にまします」(平成三年九月六日付の能化文書)

 この他にも「法主本仏論」は枚挙に暇がない。

 なかでも信彰の発言は、日蓮大聖人との決別まで打ち出し、異流義「日顕宗」の
旗揚げ宣言であった。

 相承がないために「法主信仰」を強要するしか打つ手がなかった日顕は、大聖人の
仏法を貶めて異流義化していった。

 その一つが遊蕩の言い訳に「末法無戒」をネジ曲げ、芸者遊びを一切衆生救済と強弁
した前代未聞の教義歪曲である。

 それは平成四年、日顕が芸者衆に囲まれて鼻の下を伸ばしている写真(昭和六十一年
十一月二十二日、赤坂の超高級料亭で撮影)が露見。この芸者遊びが糾弾されると、
日顕は「大白法」(平成五年三月十六日付)で次のように釈明させた。

 「祝宴の席に芸妓衆を呼び、舞踊等を鑑賞することは、社会的に認知された行為」
 「そこには一切衆生を平等に救済する本宗の末法無戒の精神の裏付けがある」

 大聖人が一切衆生救済の御精神から残された末法無戒の教えまでも日顕は遊興三昧の
言い訳に悪用した。大聖人を愚弄するにも程がある。

 また、芸者写真が露見する以前の平成元年七月十七日、日顕は福島市・曹洞宗白山寺
の墓地に「阿部家先祖代々の墓」を建立した。

 大聖人が「禅天魔」と破折された寺にコッソリ出向いて法要の導師を勤めたのだ。
これも日顕宗の異流義を象徴する問題である。

 スウェーデン製の最高級墓石には「建立之 日顕」と刻まれ、日顕の花押も刻印
されている。この禅寺墓問題が平成三年九月に発覚した時、日顕は「村の共同墓地」
だと遁辞を並べたが、当の白山寺住職が「ここは共同墓地なんかではない」と証言。
市の墓地台帳にも「白山寺墓地」と明記されている。日顕の虚言は破綻したので
あった。

 (つづく)

385検証会議:2010/03/16(火) 00:10:22
 フェイク 第1100号

 (発行=01.03.13)

 日顕直伝の異流義を説く布教部長
 富士学林での阿部信彰らの講義を粉砕㊦
 「唱題で息を吸う時、本尊の命がスーと入る」?

 日顕とバカ息子・信彰による異流義を象徴する説法に「唱題して息を吸う時に御本尊
の命がスー、スーと入ってくる」という邪義がある。これを言い出したのは悩乱した
日顕であった。

 日顕は平成六年七月の教師指導会で、こんな邪説を披露した。曰く「この(息を)吸う
時に、やはりこの信の一念という気持ちにおいて、ていうことはどういうことかという
と、やはりあの、御本尊様と一体となっているんだという心を持って、その気持ち、
その信で御本尊様を拝している形が基本ですから」「ただ息を吸う時にですね、御本尊
を信じるんだから、そのまま御本尊即我が身、我が当体と拝する意味で息を吸うと、
後の今度は吐くお題目がそれに準じた形でどんどんどんどん、こう出てくることを私は
実は感じたんです。まー、そういう点から、やっぱり境智冥合になりやすいといいます
かね」

 邪義の中の大邪義である。

 日蓮大聖人は「深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき
只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり」と教えられている。

 朝夕、唱題に励むことが自身の生命を磨くことになる。息を吸う、息を吐くのと唱題
の関係など大聖人の仏法とは無縁の妄説である。

 平成十六年八月、妙国寺(東京・板橋区)の御講で、信彰が日顕直伝の邪義を
説いた。「これは師匠から教わった」と前置きして「御本尊様を拝した時にね、息を
吸うでしょ。吸う時にスー、吸う時にね……その吸う時は南無妙法蓮華経と念じながら
スーッと御本尊様の御命を頂く。全部、自分の命の中に入って頂くような気持ちでね」

 信彰の戯言を耳にした法華講員は御講の最中、信彰の真似をして「スー、スー」と
始め、妙国寺本堂には異様な光景が現出した。

 この信彰が今は布教部長になっているが、妙な異流義を吹聴して回り、広めるつもり
なのだろうか?

 日顕や信彰の他にも異流義を率先して実行する坊主が掃いて捨てるほどいる。

 小川只道(理境坊)は平成三年八月四日、大石寺近くの熊久保地区で道端の道祖神に
向かって「厄払い」と称して読経・唱題した。

 また、宮崎・定善寺の石田栄尊は地蔵などが祀られている祠(ほこら)に合掌・
礼拝。昭和五十一年に関慈英(故人・当時は得成寺)は「馬頭観音」の碑(写真)の
開眼法要をした。

 更に、兵庫県・徳成寺の清水孝信は平成元年十二月、ある家のガレージの中で
息絶えた一頭の鹿の厄払いを勧めて「祭壇は五万円、供養五万円、車代二万円」と
計十二万円を要求した。

 これらが日顕宗の実態である。大聖人の仏法において過去に五老僧の系統など様々な
異流義が生じたが、現代の異流義「日顕教」を根絶しなければならない。

386検証会議:2010/03/23(火) 02:01:07
 越 洋

 平成22年3月20日

 あっと驚く『大白法』! 歴史の事実を隠して法華講員に嘘の歴史を植え付けている。
それは3月16月付の『大白法』で『総本山を歩く』と題して「大講堂」を紹介した
記事である。その記事に「昭和33(1958)年、総本山第65世日淳上人の代に
建立されました」とあるだけである。宗門内外を問わず大講堂は、創価学会第二代・
戸田会長が発願し建立寄進した事実は広く知られている。その真実を覆い隠して
創価学会の文字を消している。これは虚偽報道の犯罪的行為にほかならない。

 日蓮正宗には700年来、講堂という建物は存在しなかった。それを戸田会長が
就任以来、構想をあたため、仏法興隆の時を選んで建立寄進の発願をしたのであった。

 学会員の真心の浄財で、昭和31年12月18日の起工式以来、約1年3ヶ月の工事
を経て同33年3月に落成した。そして同年3月1日には「本門大講堂落慶法要」が
営まれ、これには戸田会長をはじめ約6000人の会員も参列した。3月31日までの
約1ヶ月間記念登山が行われ、学会から21万人もの登山者が参拝した。戸田会長の
念願であった75万世帯の達成も成就され、当時では画期的な規模の登山会で、興隆
する創価学会の姿を遺憾なく示したのである。

 日淳上人は創価学会17回総会で「この機会において、まず申し上げたいのは、
創価学会の力によりまして、本山に大講堂が建設されました。今や完成をみるに
たちいたっております。この学会の力にたいしまして、深く御礼の心を申し上げる次第
でございます」と感謝の言葉を述べられていた。

 大講堂の正面に向かって左側には「妙法の 広布の旅は 遠けれど 共に励まし共々に
征かなむ」の歌碑がある。戸田第二代会長が詠み、日淳法主が染筆したものである。

 今回の「大白法」の記事は第65世日淳法主の気持ちを踏みにじり、学会を冒涜する
ものであり、日顕・日如ら忘恩の日顕宗を象徴している出来事と言うべきだ。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000839.jpg

387検証会議:2010/03/24(水) 13:33:06
 フェイク 第1101号

 (発行=10.03.23)

 「法主の開眼・認可」など不要!
 埼玉県・常生寺の法華講も下劣なビラ配布
 授与書き抹消、文字の改竄は全てデマ

 日顕宗の盲信者共が、性懲りもなく日寛上人書写の御本尊を誹謗するデマビラを各地
で配布している。このうち樋田昌志(長野市・妙相寺支部)一派の怪しげな動きに
ついては本紙一〇九六・一〇九七号で報じたが、最近は埼玉県・浦和の常生寺
(平野選道)などの法華講員も樋田一派を真似した下劣なビラを作って配布して回って
いる。

 この誹謗ビラでは日寛上人の御本尊について①法主の許可がない②授与書きを抹消
している③御文字を改ざんしている、と妄言を書いているが、これらは全て何度も破折
し尽くしている。

 特に、本紙一〇五六・一〇五七・一〇五八・一〇五九・一〇六二・一〇六三・
一〇六四・一〇六五号では、御本尊の①相貌 ②授与書き ③開眼 ④許可、の四つの視点
から日顕宗僧俗の戯言に破折を加えた。

 そこで本号では要点だけを述べて破折する。まず、法主の許可と開眼については全く
必要ないのである。

 日蓮正宗の最後の法主・細井日達師の時代になって、当代の形木本尊が下付される
ようになったが、それ以前の学会草創期、日寛上人が享保三年に書写された御形木本尊
が下付され、更に、その前は各末寺が異なる形木本尊を下付していた。

 例えば、讃岐本門寺では塔中坊に安置されていた日興上人書写の御本尊を御形木に
して檀徒に下付。東京の妙光寺では日布(大石寺第五五世)、法道院は日応
(第五六世)、常在寺は日正(第五七世)というように末寺によって違った形木本尊を
下付。それらの御本尊を当時の法主が一つ一つ開眼し、或いは法主が交替する度に認可
をやり直していた事実はない。

 日亨上人は「宗運漸次に開けて・異族に海外に妙法の唱へ盛なるに至らば・
曼荼羅授与の事豈法主御一人の手に成ることを得んや」と「有師化儀抄註解」に
記されている。世界広布の現在、日顕宗が言う「法主の開眼・認可が必要」というのは
間違いなのである。

 「万機万縁」の御本尊

 次に授与書き抹消については坊主の難癖である。授与書きは、御本尊の本体とは関係
がない。したがって、学会が授与している御形木御本尊は日顕宗の輩が騒ぐような
「授与書きを削った」のではなく、正確には「御本尊の本体だけを御形木御本尊に
した」のである。淨圓寺所蔵の御真筆の御本尊には一切、手は加えられていない事を
付言しておく。

 因みに、学会草創期に授与された日寛上人の御形木御本尊も、近年の御形木専用に
書写された御本尊と違って、左上に「授与之」という文字が記されていない。

 即ち、学会草創期に流布した享保三年の日寛上人の御形木御本尊は、相貌も、
授与書きがない点も、法主による開眼がなかったという点までも、現在の学会授与の
享保五年の日寛上人の御形木御本尊と全く同じなのである。

 歴代法主の御本尊は一閻浮提総与の大御本尊を書写している以上、それが誰に授与
されたにせよ、「一機一縁の御本尊」ではなく「万機万縁の御本尊」である。

 日寛上人の御形木御本尊に無量無辺の功徳があることは多くの学会員が体験し、証明
している通りである。

388検証会議:2010/03/28(日) 02:11:40
 越 洋

 平成22年3月25日

 3月16月付の『大白法』で大講堂を紹介した記事に虚偽の犯罪的行為がある旨、
前号で指摘したところ、それに加えて、日顕をはじめとする宗門が聖域の大講堂を、
いかに汚してきたかも糾弾して欲しい、との要望が多く寄せられた。

 正式名称を「法華本門大講堂」という、この堂々たる威容の建物は創価学会の
戸田第二代会長が発願、仏法研鑽の根本道場として建立寄進した。しかし、日顕らは
仏法研鑽ではなく、飲み食いの遊興の場として汚してきた。特に、平成16年8月6日、
日顕の「盗座二十五周年祝賀会」を大講堂で開催した。その時、弟子一同から二百万円
もの緞子(どんす)の法衣を贈られて上機嫌の日顕だった。席上、八木は日顕に
言われるまま「御法主上人猊下様の今の一番弟子は阿部信彰様で、私も尊敬して
います」と発言。暴力坊主の信彰に相承させる魂胆で猿芝居を演じたことは記憶に
新しい。

 また、日顕は退座直前にも大講堂に坊主や寺族を集めて大宴会。ホテルの料理人に
特別な高級料理を作らせ、飲み放題、食い放題、歌あり、踊りありのドンチャン騒ぎ。
この時は日顕もカラオケのマイクを握って下手な歌を歌ったが、このように日顕宗は
大講堂をドンチャン騒ぎの宴会場にしてきたのだ。

 平成18年5月には光久日康が、宗門の衰退を見かねて日顕と執行部を批判。
①宗門の疲弊を招いたのは学会破門が原因である②宗門トップは学会に謝罪し、
話し合うべきだ、と主張。常識をもちあわせている人間なら当然、思っていることだ。
だが、日顕らは同年8月29日に大講堂での教師指導会で、正論を述べた光久に全員の
前で謝罪させたのである。驕り高ぶり、仏道修行を怠る日顕らがやりそうなことだ。

 そもそも大講堂とは、学僧が仏法を研鑽するための場であり、教学を講義する堂宇と
いう意味をもつ。かつての比叡山延暦寺の大講堂は、当時の学識の中心地であった。

 「法華本門大講堂」建立が構想されるや、比叡山の大講堂は焼失した。その迹門の
大講堂に代わって本門大講堂が一閻浮提広宣流布という戸田会長の遠大な構想から
建立寄進された意義は深いものがあった。

 現状を戸田会長が知れば「坊主の宴会のために寄進したのではない」と厳しく叱責
されることだろう。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000841.jpg

389検証会議:2010/03/28(日) 02:12:01
 大石寺短信 第482号

 平成22年3月25日(木)

 日顕宗の動き

 1.軽視されている日如の「指南」

 日顕宗の宗務院から末寺住職宛てに「御法主上人猊下御指南の拝読と実践の件」と
題する文書が配信された。文書には「御法主上人猊下の御指南を繰り返し拝読して心に
刻み、今なすべき信行を確実に実践することが肝要」とあり、「講員とともに熟読して
御指南等の趣旨を徹底し、かつ実践するよう」命じている。要するに、「猊下の御指南
が読まれていないので、しっかり読むように」と言いたいわけだが、日如が法主に
なって4年、なぜ今さらこのような“お触れ”を出さなければならないのか。それは
日如の説法を軽視している坊主、法華講員が多いからである。

 日如はこれまで、「御指南集」なる小冊子を5部出しているが、売れ行きはさっぱり。“日顕宗の実質的な機関紙”と裁判所も認定した「慧妙」でさえ、一度も日如の本の
広告を載せたことがない。妙観講の指導教師の小川只道関連の本や怪しい脱会者の本の
広告は、毎回載せているにもかかわらずである。

 それもこれも日如の話がつまらないゆえ。日如のそれは、実践の裏付けのない観念論
だから、聞く者の心を打たないのだ。

 説法の度に“謗法を責めろ”と勇ましい日如。ハッパをかける前に、まずは自ら他宗
の高僧たちと“法論対決”でもやってみてはどうか。法論でボロボロに打ちのめされた
としても、そのなりふり構わぬ姿に心を動かされた坊主や信者が、少しは話に耳を
傾けてくれるのではないか。

 2.宗内人事

 北海道・妙峰寺の住職に本山・大坊の内海雄幸(40)が入る。
 同寺住職の布施谷雄治(82)は隠居となる。
 また、神奈川・妙寿寺の副住職に、兵庫・堅持院事務所の住職で、妙寿寺住職・
佐藤正英(78)の娘婿の遠藤朝道(55)が就き、堅持院事務所には東京・法道院在勤の
藤原雄開(66)が入る。藤原は総監・八木の妻の弟。

 3.4月の予定

 4日(日) 広布唱題会(本山、末寺)
 6日(火) 虫払法要(本山〜7日)
 11日(日) 御講(末寺)
 28日(水) 立宗会(本山、末寺)

390検証会議:2010/03/28(日) 02:12:23
 フェイク 第1102号

 (発行=10.03.26)

 大石寺から消えた「桜の名所」
 日顕が日達法主お手植えの桜も切り倒す
 目立つのは殺風景の無駄な駐車場だけ

 各地から「花だより」が相次いでいるが、大石寺からは「桜の名所」が消えて
しまった。日顕の命令で数万本もの桜を伐採したためである。特に、塔の原から東山
(池田山)駐車場は桜が皆無に近い状態になった。総門前も以前は富士山と桜の
写真スポットで、大勢のプロ、アマのカメラマンが集まって撮影していたが、ここも
駐車場の入り口確保のために枝振りの良い桜を無惨にも切り倒したために、撮影には
不向きになった。

 周辺の人達は「樹齢四十年の立派な桜を伐採した。環境問題が騒がれている折り、
何故、使用しない駐車場ばかり作るのか?」

 「池田山は桜が全然なくなり、昔はピンク一色になっていたのが嘘のようだ」

 「昔は、街の方から眺めると大石寺一帯が美しいピンクに染まって見えたものだ。
今では見る影もない。最近では学会の富士桜墓園が富士宮を代表する桜の名所に
なった」等と語っている。

 今、大石寺には総坊駐車場、東の山駐車場(池田山跡地)など駐車場だらけだが、
登山者は少数で観光客からも見放され、衰亡に拍車がかかっている。

 池田山の桜は、昭和四十七年の正本堂落慶に際し、池田会長(当時)が大御本尊を
十万本以上の桜で荘厳しようと供養して前年の昭和四十六年四月二十八日、立宗宣言の
佳日に潤井川の東側の丘陵で「植樹祭」を挙行した。苗木は関係者が全国各地に飛んで
最良のものを集め、日達法主と会長が桜、楠、藤、梅、ツツジの五本の苗木を植樹
した。

 この時、日達法主は「池田先生が総本山一帯に十万余本の桜を植えて、大御本尊に
御供養申し上げた」と讃嘆。「私は此の山を『池田山』と命名致しました」「今後とも
此の『池田山』を大切に愛護して下さるようお願い致します」と述べていた。

 この植樹祭の司会は阿部信雄(日顕)だったが、「C作戦」の後、日顕が平成四年
十一月に総坊前の桜百五十二本、翌五年一月に六十六本、総坊南側の六十本を
切り倒したのを手始めに、十三・十四年には常灯ケ峰の周辺、十六年には総一坊と
総二坊周辺、及び「池田山」の桜を大々的に伐採し、十七年には五重塔北側の桜も無惨
に伐採した。十九年には旧富士美術館北側でも大量の桜を伐採。二十一年には経蔵と
宝物殿の間や宝物殿の傍の桜も切り、向原駐車場の傍でも伐採した。

 今年一月にも総門南側の桜を切り、根を掘り起こし、石垣を崩した。それらの伐採の
口実は「駐車場の拡張と増設のため」「テングス病のため」等とのことだが、
テングス病は手入れすれば避けられる。使われない駐車場の拡張・増設は無用の長物。
このテングス病よりも危険な建築物破壊病、供養浪費・遊蕩病の日顕の追放こそが急務
といえる。

………………
 桜の苗木を植樹する日達法主。この桜の木も日顕が切り倒した。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000842.jpg

391検証会議:2010/03/31(水) 23:56:21
 フェイク 第1103号

 (発行=10.03.30)

 日顕宗に「インチキ折伏」が横行
 「古来から御授戒」は嘘、制定は昭和四十一年
 法華講員に「再授戒」して成果に

 日顕宗では「水増し成果」「インチキ折伏」が後を絶たない。特に、折伏成果を
「世帯」ではなく「人数」で数えると変更した日顕宗。過去にもホームレスの入信者を
何十人も作り、住所不定や行方不明の人の名前を勝手に成果に入れていた法道院
(東京・池袋)、子どもが連れてきた友達の小学生を「内得信仰」扱いにして成果に
数える宣行寺(埼玉・草加市)、複数の講員が紹介者になって何体もの本尊を渡した
法霑寺(北九州市)等々、目に余るインチキが指摘されていた。

 なかでも今、ニセ法主になっている早瀬日如がいた頃の法道院では「再授戒」と
称して講員に二度目の御授戒を受けさせて成果にし、宗内に不信感を高めたが、最近は
本山・了性坊の原田輝道が「再授戒」を真似て、既に檀徒になっている者に対して
再度、集団で御授戒を受けさせ、折伏の成果にして誤魔化しているという噂が広がって
いる。

 了性坊の檀徒の中には神社の氏子になっている者もいるが、これら氏子を教導も
しないで「再授戒」するとは日蓮大聖人、日興上人に対する冒涜以外の何ものでも
ない。

 折伏成果の締め付けが激しくなっている日顕宗では、今後は益々、いい加減な
「水増し成果」「インチキ折伏」がエスカレートするだろう。

 ところで、宗門は「古来、御本尊は法主によって御開眼……」「古来、御授戒を
行って御本尊を下付……」と「古来」を力説するが、これは大ウソ。「開眼」が
無かったことは本紙で再三、述べてきたので、本号では御授戒について触れる。

 日亨上人が御授戒の儀式について「近古に至って、にわかにその式が新設せられた」
と記されている通り、宗門が「授戒文」を制定したのは昭和四十一年二月九日である
(下の資料を参照)。

 実際、大聖人御在世においては出家の弟子に対してさえ最蓮房以外には授戒されたと
いう記録は残っておらず、ましてや在家の信徒が授戒を受けた記録はない。

 本来、「授戒」は入会に際して一つのケジメとして始められたもので
「昭和十二年頃、学会の草創期に牧口初代会長が宗門に依頼して始められた」とは、
当時をよく知る学会の和泉覚氏(故人、元最高指導会議議長)の話である。

 学会の出現以前は日蓮正宗に入信する人もおらず、「授戒」の必要もなかった。

 「授戒文」制定の理由は、「各寺約十指に余る夫々の様式」「その中には二、三意義
に於いて、過不足と思われるものも認められる」「宗門的見地より統一する必要がある
と思われる」というものだった。

 即ち、昔は御授戒など行っていなかった宗門は、学会に入会する人に対して実施する
ようになったが、各寺はバラバラだった。そこで昭和四十一年に正式に制定した経緯が
あり、今の勧誡も授戒も深い意味はない。

…………………………

 院第一〇一三号
  昭和四十一年二月九日
           日蓮正宗宗務院

 全国住職主管並事務取扱者殿
  一、授戒文制定に関する件
 今般、宗門に於る授戒文を左の通り制定した
 ので、今後統一して実施されたい。
 右、通達する。

         記

 一、今身より仏身に至るまで、爾前迹門の邪
 法邪師の邪義を捨てて、法華本門の正法正師
 の正義を持ち奉るや 否や(持ち奉るべし)

 一、今身より仏身に至るまで、爾前迹門の謗
 法を捨てて、法華本門の本尊と戒壇と題目を
 持ち奉るや否や     (持ち奉るべし)

 一、今身より仏身に至るまで、爾前迹門の不
 妄語戒を捨てて、法華本門の不妄語戒を持ち
 奉るや否や       (持ち奉るべし)

                  以 上

392検証会議:2010/04/07(水) 00:53:42
 越 洋

 平成22年4月2日

 桜花爛漫の昭和33年4月2日、戸田会長が75万世帯の誓願を成就され、58歳で
ご逝去なされて52星霜。その半月前の3月16日、大講堂のエレベーターで戸田会長
から「俺はもう死んでもいい。あとはお前だよ」と後継のバトンを託された池田先生。
この「3・16」は崇高なる師弟継承の儀式であった。その池田先生の死身弘法・
不惜身命の実践により、世界広宣流布は192ヶ国・地域にまで拡大された。

 世界の大学から280の名誉学術称号を受けられ、トインビー博士をはじめ世界の
約7千人の著名人と対話された池田先生の仏法を基調とした平和・文化運動の軌跡は、
誰人も否定できない。宗開両祖も三世十方の仏菩薩も讃歎を惜しまないだろう。

 戸田会長は昭和29年2月27日の本部幹部会で次のように指導された。

 「広宣流布を成すのは、学会以外にない。これにそむけば五逆罪になる。学会を
離れてしあわせのものはいない。功徳のあるわけが無い。――(五逆罪は)和合僧を
破る。心の和合を破壊し、仏の道を破壊することである。僧というとへんだと思うかも
しれぬが、坊さんのことではないのです。わが学会は、和合して、広布へ、
日蓮大聖人様の教えを、日蓮大聖人様の指導通りにやろうというのであるから、これを
破ろうとするものは、かならず仏法の大きな罰を受ける。もし破ろうとするもの
あらば、やってみたまえ。内から外からやってみたまえ。ぜったいにできぬ」と。

 日顕は昭和22年、東京・向島の本行寺住職になった時から、ことあるごとに反学会
の急先鋒として動いていた。昭和27年の「狸祭り事件」で、戸田会長の登山止めを
宗会が決議した時も、宗会議員に何度も電話をかけ、学会に屈することなく頑張って
もらいたいとエ−ルを送っていた。

 また、宗教法人法が施行され、学会が宗教法人法の認証を取ることになったが、
これに強硬に反対したのも日顕だった。

 その日顕が法主になって「C作戦」を決行したが、学会の和合僧を壊すことは
出来なかった。戸田会長の指導の如く、第六天の魔王の日顕が、あらゆる手を使っても
壊すことが出来なかった。この事実こそ、学会が真実の和合僧団であることの証明で
ある。

 片や、不知恩の日顕、日如に率いられた宗門は衰退の一途をたどっている。

 「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(聖人御難事)との大聖人の
御指南通り、宗門は仏法の因果の理法により滅び去ることは明々白々である。

393検証会議:2010/04/07(水) 00:54:04
 フェイク 第1104号

 (発行=10.04.05)

 日顕父子の異流儀には釈明不能
 大謗法を誤魔化す「慧妙」の捏造記事を破す
 祈祷の責任を檀家に転嫁、教導せず供養貰う

 日顕宗のクズ新聞「慧妙」は我見の間違い記事を掲載して、宗門関係者に嫌われて
いるが、四月一日付でも捏造記事を載せ、坊主の謗法に恥の上塗りをしている。

 今回は「日顕宗は異流義だ」と指摘した本紙第一一〇〇号への反論のつもりらしく、
一面全面を使って「正宗を『異流義』呼ばわりする『フェイク』を破す」等々、大仰な
見出しを付け、坊主共の謗法行為について経緯を説明し、弁解している。

 本紙が「日顕宗の異流義の具体例を浮き彫りにして破折する」として挙げた日顕宗の
異流義と謗法の実例は七項目であった。

 そのうち本紙一〇九九号では「相承を受けた以上は生身の釈迦日蓮である」
(教師講習会での日顕自身の発言。平成九年八月二十八日)をはじめ「猊下様が現代に
おける大聖人様」「大御本尊と不二の尊体」と法華講や能化に言わせた妄言に代表
される「日顕本仏論」について糾弾した。 

 ところが、「慧妙」は、この「日顕本仏論」の邪義に一切、触れることも出来ずに
逃げている。

 「慧妙」の実質的な編集責任者で、このほど、大講頭に再任されて狂喜している
大草一男に重ねて問う。「ニセ法主の日顕や日如は、本当に御本仏なのか?」

 本紙の指弾には反論も釈明も出来もしないくせに、「『フェイク』を破す」とは
笑止千万!

 因みに、本紙第一一〇〇号で具体例として挙げた日顕宗の六項目の異流義とは
次の通り。

 一、日顕のバカ息子・信彰の異流義を象徴する説法として「唱題して息を吸う時に
御本尊の命がスー、スーと入ってくる」という邪義がある。

 二、日顕は平成六年七月の教師指導会で「ただ息を吸う時にですね、御本尊を
信じるんだから、そのまま御本尊即我が身、我が当体と拝する意味で息を吸うと、後の
今度は吐くお題目がそれに準じた形でどんどんどんどん、こう出てくることを私は実は
感じたんです」と意味不明の妄説を述べた。

 三、小川只道(理境坊)は平成三年八月四日、大石寺近くの熊久保地区で道端の
道祖神に向かって「厄払い」と称して読経・唱題し、供養を受け取った。

 四、宮崎・定善寺の石田栄尊は地蔵などが祀られている祠(ほこら)に合掌・礼拝
した。

 五、昭和五十一年に関慈英(故人・当時は得成寺)は「馬頭観音」の碑の開眼法要を
した。

 六、兵庫県・徳成寺の清水孝信は平成元年十二月、ある家のガレージの中で息絶えた
一頭の鹿の厄払いを勧めて「祭壇は五万円、供養五万円、車代二万円」と計十二万円を
要求した。

 「鹿の厄払い」は正当か?

 この六項目のうち「慧妙」が言い逃れようとしているのは三、四、五の三項目のみ
で、それも「檀家に頼まれた」云々と卑怯にも檀家に責任を転嫁する釈明だ。

 大石寺理事や住職の地位にいる坊主が十分な教導もせず、安易に祈祷に応じて供養を
貰い、与同罪を積んでいるのが日顕宗である。「慧妙」よ、今回は触れなかった
「日顕本仏論」や日顕・信彰父子の邪説、清水孝信の鹿の厄払いに関する弁解の屁理屈
はどうした?

394検証会議:2010/04/09(金) 21:14:24
 フェイク 第1105号

 (発行=10.04.08)

 日顕や藤本の女房が邪宗巡り
 宗門の謗法を指弾、「慧妙」の戯言を嗤う㊤
 高野山に参詣し宿泊、平安神宮にも参拝

 日顕宗の数多くの異流義と大謗法を本紙(第一〇九九・一一〇〇号など)で指摘した
のに対して「慧妙」四月一日付が、学会も、どこそこに寄付をした云々と戯言を書いて
いた。

 他宗への寄付をいうなら、何よりもまず、日顕宗の坊主である岸本恭済(法勤寺)が
昭和六十一年十月、群馬県の「安中秋季大祭」の際に、熊野神社の奉納に供される
「山車」の製作のために寄付をしたことを問題にするべきである。

 しかも、岸本らの寄付によって完成した「山車」は、神社の宮司のお祓いまで受けた
のである。

 また、神社の氏子総代と法華講幹部とを兼務している者もいる。「慧妙」は、
こうした宗開両祖に違背する日顕宗僧俗の実態を調べて糾弾するのが先決であろう。

 ニセ法主・日顕は十指に余る謗法を重ねたが、その大罪の極めつけは「人法一箇の
大御本尊根本」の宗旨を「ニセ法主根本」の「日顕宗」に改変し、開祖・日興上人の
遺誡に真っ向から背いて身延派日蓮宗にすり寄るという大謗法を犯すに至ったことで
ある。

 そこで、日顕宗の数多い謗法の中でも特に、日顕をはじめとする坊主らの身延派など
他宗派との交流・親睦を指弾する。

 富士学林の所化らが、身延山や比叡山に参詣するのは恒例行事になっているが、
この他にも住職共の謗法との深い交わりは枚挙に暇がない程である。

 はじめに、これは周知の事実だが、日顕は平成元年七月十七日に福島市内の禅寺・
白山寺に先祖の墓を建立し、自ら出向いて法要を強行した。

 この「禅寺墓問題」が露見したのは同三年九月のことで、純真な学会員は仰天した
が、宗門の坊主共に驚きはなかったという。

 というのも、宗門の坊主に限らず、その女房連中も邪宗に対しては、今も昔も親近感
を抱いているとの理由からである。とりわけ宗門坊主や寺族の邪宗巡りは以前から
行われ、決して珍しいことではない。

 例えば、昭和三十九年秋、日顕の女房・政子、重役の藤本日潤の女房・礼子らが、
吉田日勇(当時・渉外部長)らと共に真言宗の本山・高野山に参詣した。

 しかも、吉田日勇らは同行の婦人達と一緒に謗法の寺内に一泊したのであった。

 そして、吉田と政子・礼子らは一夜を共に過ごしての帰途、今度は京都の平安神宮に
立ち寄って参拝したのである。

 これらの寺族の謗法について「慧妙」は弁解のため、どんな屁理屈を並べるか?
 楽しみに待っている。

 ……………………………

平安神宮に参拝した日顕の女房・政子、藤本日潤の女房・礼子ら寺族の一行

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000846.jpg

395求道者:2010/04/10(土) 08:36:53
日精を除歴したように、正宗に自浄能力があらんことを願う

396検証会議:2010/04/12(月) 23:38:57
 越 洋

 平成22年4月9日

 凋落の一途を辿る宗門を反映した陰惨たる平成22年度の虫払い法要が6日、7日に
大石寺で行われた。4月というのに肌寒く、途中からは雨に降られ、昼には湿度が
78%という不快指数が最悪の一日だった。「なぜこんな日に虫払いをするのか?」
「かえって御真筆が傷んでしまうじゃないか!」と参加者が口々に語っていた。

 境内を歩いていた講員は「山内の桜を見ようと一周したが、アッチもコッチも
使われない駐車場ばかりだ。こんなに駐車場を作ってどうするのか? 自然破壊も
著しい。以前は全山が桜で心から楽しめたのに」と嘆いていた。大石寺の桜を撮影に
来ていたカメラマンも「総門脇の桜が新坊建設のために伐採され、富士山と桜の写真を
撮る絶好の場所がなくなって、本当に残念だ」と嘆く。

 信者ばかりか、市民からも見放されてしまった。年中行事の虫払いは信心の歓喜など
何もわかない。こんな形だけの儀式など即刻止め、今こそ本当の害虫駆除をやるべき
だ。それは毎日の清掃と虫が住めないような環境作りと言われている。その最悪の害虫
は日顕である。

 宗旨を汚し、世界中に日蓮正宗の名を辱(はずかし)めた害虫を速やかに駆除すべき
だ。隠居の身でありながら月々数百万もの給料と供養を懐に入れ、ベンツに乗り、教師
を二人も従え、手伝いの女性二人も使っている。「粥(かゆ)を啜(すす)って…」と
泣いて騙して19年。お前は、ただの一度でも粥を啜ったことがあるのか!
 援助寺院の住職の生活苦を見たら許せることではない。日顕が蓮葉庵へ来ると、今も
八木、信彰と三人で、何やらヒソヒソと打ち合わせをして蠢(うごめ)いている。

 こうした日顕一派の害虫が巣くわないような環境作りが急務である。法華講員に供養
を請求する前に、日顕一派の多額の給料の大幅カットを断行し、徹底した経費節減の
環境を整えるべきである。そうでなければ不景気のご時世、経済苦の年金生活者が多い
法華講は今後、誰一人、供養を出さなくなるに違いない。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000847.jpg

397検証会議:2010/04/13(火) 02:09:56
 フェイク 第1106号

 (発行=10.04.12)

 日興上人に背き身延派と親交深める
 宗門の謗法を指弾、「慧妙」の戯言を嗤う㊦
 日顕の「波木井礼讃」で異流儀に加速

 ニセ法主の日顕が悩乱して「C作戦」を強行した平成二年十二月以降、大石寺は
身延派に急接近するようになった。大石寺と身延派は相互に登山・参詣し、偽り
親しんで交流を深めるようになったが、その親交は日顕が、大謗法の波木井実長を礼賛
したことに始まる。

 六老僧の一人・民部日向が弘安八年(一二八五年)に身延に登山し、日興上人から
学頭に任じられたが、翌年頃から軟風にかぶれた誤った法門を唱え始め、波木井も日向
の悪影響を受け、①釈迦仏像の造立②神社の参詣③念仏の石塔への供養④念仏道場の
建立、という四つの大謗法を犯した。そのため日興上人が断腸の思いで身延を離山
されたのは周知の事実である。

 日顕は、この波木井を絶賛したのだ。「大聖人様御在世当時の波木井実長の功績
たるや、大変なものです」(平成三年七月、全国教師指導会)、「大聖人様の三大秘法
の具現という大仏法の深い意義が波木井実長の外護によって行われたということは、
今日において二百カ寺、三百カ寺の寺院を造るよりもなお、根源的な意味において
大きな功績であります」(同年十一月、教師指導会)、「この波木井実長の、大聖人様
の仏法の一番根本の功徳を成就するという上の、いわゆる外護という面の功績に
おきましては、創価学会の近年における宗門の外護と比べ、その本義においては比較に
ならないほど大きい」(平成四年六月、東北第一布教区親教)等と称賛し続けた。

 その日顕も以前は「大聖人は波木井実長の信心を、始めからあまり信用なさっては
おられませんでした」(昭和五十五年の愛知・泰福寺親修)と正論を述べ、特に、
平成二年十月の大石寺開創七百年慶讃大法要(初会)では「日向と実長が我見、我意に
執して日興上人の重々の教誡を蔑ろにする姿に対し、いかに心を砕いて訓すとも如何
ともすべからざるを悟られたのであります」と波木井の悪行を指摘。慶讃文でも
「身延山久遠寺を離れ富士の地に正法流布の根源たる精舎を建立し給ふ 其の所以は
一には民部日向の教唆による波木井諸種の謗法にあり」と日興上人の「身延離山」の
原因の第一に波木井の謗法をあげていた。

 狂乱・日顕の波木井讃嘆は身延派を喜ばせた。日顕の再三の波木井礼讃に呼応して
身延山・志摩坊の佐藤順映が、平成四年三月に「大石寺を門下連合へ」という提言を
日蓮宗内に発して、大きな話題になった。

 このエール交換の後、大石寺と身延山久遠寺(写真は久遠寺の三門)との交流が進展
した。身延僧の大石寺研修(平成六年十一月)、池上本門寺貫首の田中日淳(日蓮宗
管長)ら三十二人が登山して高野日海が歓迎(平成七年六月)、総講頭の柳沢らの
身延参拝(平成七年八月)をはじめ前川慈肇、水島公正、関快道、落合尊福、舟橋義秀
ら坊主共の身延派寺院への巡拝など交流が活発化したのだ。

 「慧妙」は学会が異流義などと見当違いの記事を載せているが、日顕こそが巨悪の
元凶なのである。

 http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000848.jpg

398検証会議:2010/04/19(月) 14:31:30
 越 洋

 平成22年4月16日

 4月16日は『チャップリン・デー』として広く知られている。20世紀最大の映画作家・
喜劇俳優のチャールズ・チャップリンは1889(明治22)年のこの日、イギリスに
生まれた。貧しさをバネに喜劇俳優になり、社会に対する抗議を涙と笑いの映画に
こめて世界的な人気者になった。『モダン・タイムス』『ライムライト』
『チャップリンの独裁者』など多数の作品は今も尚、世界中から親しまれ、特に、
人間的な『笑い』によって、最も非人間的な『暴力』と戦った等々と高い評価を得て
いる。

 宗門が総講頭罷免など権威権力を剥(む)き出しにしたのは平成2年暮であったが、
翌3年1月6日に開催された第37回本部幹部会では、池田名誉会長のスピーチを
通し、学会は "喜劇王"チャップリンのように、いかなる権威権力をも笑い飛ばし
ながら宗教改革の正義の道を邁進することを確認した。

 一方、日蓮正宗大石寺の平成3年は軍歌『敵は幾万』の大合唱で明けた。6日、
本山・大講堂での「全国末寺住職・寺族初登山」の席上、本住坊(当時)の秋元意道が
音頭(おんど)をとり、全員が軍歌を大合唱。日顕は満足げに聞きいっていた。

 この「軍歌事件」は日顕が最初から学会を善導するつもりなどカケラもなく、一千万
の信徒団体を不倶戴天の「敵」と看做(みな)していたことを象徴的に示している。

 以来、宗門は98%の信徒を失い、弱小の邪教に成り下がった。残った僅か数万の
法華講は登山地獄、供養地獄、結集地獄に苦しみ、今では不平不満が充満している。

 先月27日の大石寺での講頭会でも某講頭が立ち上がって「昨年で最後と言っていた
のに、また4回目の特別供養(30億)なんて、みんなには言えない」等々と発言。
会場から一斉に賛同の拍手が沸き起こったほどである。

 チャップリンは晩年、第二次世界大戦が終幕を迎える頃、アメリカを追われた。
しかし、追放から20年の歳月を経た1972年、チャップリンはハリウッドに招かれ、
アカデミー賞を受賞、名誉も回復された。総講頭罷免より20年の本年、「C作戦」を
断行した日顕の決断が狂っていたことを今こそ総括し、満天下に示す時が来た。

399検証会議:2010/04/19(月) 14:31:55
 越 洋

 平成22年4月18日

 間もなく立宗758年を迎える。"立宗宣言"といえば平成14年3月28日、日顕が
思いつきで「立宗二回説」を主張し、強引に「開宣大法要」を行ったが、10年も
たたないうちに法華講員からも忘れ去られ「そんな法要があったのか?"立宗宣言"は
4月28日でしょ。なんで3月にするの?」と疑問の声が起こっている。"もう御供養を
強要されるのは我慢できない!! "と法華講員は総スカンをしている。

 そもそも「立宗二回説」という珍説など"立宗宣言"をなされた大聖人ご自身も、
第二祖日興上人、第三祖日目上人、日寛上人、日亨上人さえ立宗2回説などといわれて
いない。当然、日蓮宗各派からも無視され、顕正会からも嘲笑された。

 なぜ日顕は、昭和54年に登座してから23年も経ってから「立宗二回説」を
ブチ挙げたのか。それは自身のシアトル裁判の大惨敗を覆い隠すために思いついたに
すぎない。そして自分が碩学の堀日亨上人よりも如何に大学者であるかを装うため
「あの人は学者だから」と蔑み、亨師編纂の「御書全集」に対抗して間違いだらけの
「平成新編御書」を刊行するなど、まさに日顕こそ増上慢の権化である。

 かつて、創価学会第二代戸田会長は『創価学会の歴史と確信』の中で「御僧侶を
尊び、悪侶はいましめ、悪坊主を破り、宗団を外敵より守って、僧俗一体たらんと
願い、日蓮正宗教団を命がけで守らなければならぬ。願わくば御僧侶におかれては、
学会のこの確信をめでられ、悪侶をのぞいて教団を清め、われわれ学会人の闘争の指揮
をとって外敵を伏し、宗開両祖にむくいんことを。」とまで、仰せられていたので
ある。

 日蓮正宗の坊主たちは、『悪侶日顕』をいましめず"折伏"もせずに芸者を囲っては
宴会騒ぎをしてきた。それが発覚すれば"芸者と遊ぶことだって折伏だ"と開き直り、
今日までのうのうと惰眠を貪り、我が身かわいさ故にダンマリを決め込み、面従腹背
の『総悪侶』になってしまった。そのことに気がついた法華講員は信心をやり直すと
脱講している。この姿を見ても、宗門全体が総罰を受けている何よりの証左である。

 『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱え
つたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は
日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし』(諸法実相抄)と、
御金言の如く立宗宣言の魂というべき折伏の実践をしてきたのは、仏意仏勅の創価学会
しかないのである。日顕宗では、千年、万年待っても広宣流布はできるわけがない。

400検証会議:2010/04/20(火) 02:03:47
 フェイク 第1107号

 (発行=10.04.18)

 身延離山の精神を踏みにじる宗門
 特集「日顕宗と身延派との交流の足跡」
 大石寺は身延僧を歓待して礼状も送る

 日顕宗の妙観講が作っている「慧妙」や法華講の素人が編集する「大白法」では学会
に対して「異流義」云々と非難中傷を繰り返している。特に「慧妙」四月十六日付
では、相も変わらず日寛上人書写の御本尊を誹謗する一方、日顕宗坊主の邪宗への参詣
は「研修だから全く問題なし」と詭弁を弄し、日顕の女房・阿部政子、日潤の女房・
藤本礼子らが高野山に参詣して宿泊したのは「宿坊の視察」と遁辞を並べている。

 「慧妙」よ、賽銭をあげ、本堂で合掌し、巡拝の後は盛大な宴会に興じるのが、本当
に「研修」なのか?

 そこで「慧妙」の実質的な編集責任者の大草一男に改めて問う。「坊主の女房が
平安神宮に参拝したのは『研修』か? 或いは何を『視察』したのか?」

 「慧妙」が下手な屁理屈で言い逃れようとしても、身延山、比叡山、高野山、
平安神宮への参拝が謗法行為であることに違いはない。「一見と称して謗法を致せる
悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや」との日興上人の戒めに日顕宗坊主が違背しているのは
明白ではないか。

 また、今回も御本尊の「変造疑惑」云々と書いているが、何度も言うように一切、
加筆も修整もされていない。お前らが勝手に変造した写真を並べて、難癖をつけている
だけだ。

 次に日顕のバカ息子・信彰の「唱題して息を吸う時に御本尊の命がスー、スーと
入ってくる」という邪義や日顕の「ただ息を吸う時にですね(中略)今度は吐くお題目が
それに準じた形でどんどんどんどん、こう出てくる」との意味不明の妄説を「御自身の
体感」だと「慧妙」は弁解している。全く、お粗末の極み!この日顕や信彰の変な
「体感」こそ、邪教の教祖の「悟り」にも似た邪説ではないか。

 更に、兵庫県・徳成寺の清水孝信の鹿の厄払いについて「何が異流義か」と
開き直っている。ならば、この種の厄払いも日顕の口癖である「日蓮正宗の古来の伝統
なのか?」

 更に、岸本恭済(法勤寺)が熊野神社の奉納に供される「山車」製作に寄付したのを
子供育成会への寄付だったとは、誤魔化しである。

 「波木井礼讃」には沈黙

 下手な屁理屈を羅列した「慧妙」も、本紙一一〇六号で指摘した日顕の「波木井実長
礼讃」には沈黙している。この件は「慧妙」の次号で是非を明確にせよ


 日顕の「波木井礼讃」以降、日顕宗と身延派との親交が一段と盛んになった。
富士学林の所化が身延山などに参詣するのは恒例行事になっているし、末寺の坊主は
法華講員を連れて身延派の寺を巡拝。また、身延の坊主を大石寺に喜んで引き入れて
歓待。全く日興上人の「身延離山」の精神を踏みにじる悪逆行為だ。

 そこで、本号では「日顕宗と身延派との交流」を特集して、これまでの親交の足跡を
総括する。

 但し、紙数の関係上、恒例行事になっている富士学林の所化の邪宗巡り、及び
菅野慈雲や駒井専道らによる定例の「謗法ツアー」などは割愛し、主な邪宗巡りに限定
した。なお、菅野は日蓮大聖人が伊勢神宮に向かって跪(ひざまず)き、頭を垂れて
合掌している絵画「神宮奏上」等を「日蓮大聖人御一代絵図」として大宣寺
(東京都国分寺市)創立二十五周年を記念して、昭和五十六年十月に発刊した
謗法坊主、駒井は二人の所化を死に追いやった魔僧であることを付記しておく。

401検証会議:2010/04/20(火) 02:04:02
 研修と称し謗法巡り

◆平成六年四月二十四日、東京・華王寺(前川慈肇)がバスをチャーターして身延派の
 寺巡りツアー。三十人余の法華講員と一緒に住職の女房も参加した。一行は安房、
 小湊へ行き、鏡忍寺、清澄寺、誕生寺の順に身延日蓮宗の本山格の三カ寺を巡拝して
 回った。

◆平成六年六月十一日、埼玉・能安寺(水島公正)が「鎌倉研修」を実施。鎌倉の
 大仏、鶴岡八幡宮などの謗法巡り。この日は法華講青年部の一泊登山と重なって
 いたが、大石寺に行かず、この謗法ツアーに参加。また「研修」とは名ばかりで、
 宗門の護国寺が近くにあるにもかかわらず、夜の勤行もしないでホテルに着くと宴会
 に興じ、翌朝も勤行をしなかった。

◆平成六年十月八日、長野県・信盛寺の落合尊福は法華講員を引き連れて佐渡に渡って
 謗法巡り。貸し切りの観光バスには「信盛寺佐渡順拝の旅」(編集部注=「順拝」は
 「巡拝」の間違い)と書かれたプレートを付けていた。身延派の妙宣寺、根本寺など
 の寺を巡り、講員は賽銭箱に金を投げ入れ、真剣に合掌していた。

◆平成六年十一月五日、身延派の布教師会一行が大石寺を訪問。宗門の坊主が丁重に
 迎えた様子が身延派の「布教師會報」第二十号に「日蓮正宗総本山・大石寺研修
 参拝記」として掲載された。宗門側が「(身延の)皆様の暖かなお心に触れ(略)
 暖かな気持ちで御案内申し上げることができましたことを感謝しております」との
 「礼状」も送った。

◆平成七年三月十二日、関快道は千葉の誕生寺、清澄寺など日蓮宗の寺巡り。二十数名
 の法華講青年部や女房の貞子らを率いて巡拝の旅。(平成五年の佐渡、翌六年の
 東北方面に続く三度目の謗法ツアーだった)

◆平成七年六月六日、大石寺に「池上鶴林会」なる団体バスが到着。乗っていたのは
 池上本門寺の貫首らで、高野日海(東京・本行寺)が案内役となって本山内を見学
 させたあと「蓮葉庵」で手厚く接待した。

◆平成七年八月二十日、総講頭の柳沢は阿部信彰が住職をしていた大修寺の法華講員
 約二十人を連れて身延山に参詣し、宴会に興じた。

◆平成九年四月十八日、大石寺の無任所教師七人が西山本門寺の虫払いに酒や菓子折り
 など御供養の品々まで持参して参詣した。

◆平成九年五月十・十一日、横浜市の応顕寺住職・舟橋義秀が講員を引き連れて佐渡の
 根本寺、妙宣寺、世尊寺、妙照寺などを巡拝した。舟橋義秀は帽子を深く被り、
 サングラスで変装。妙照寺の賽銭箱に講員が「チャリーン」と硬貨を入れて御供養
 していた。

◆平成九年七月十五日には、身延山の坊主十数人が大石寺と妙蓮寺を見学した。

◆平成九年八月十七日、東京・宣徳寺(秋元広学)の所化二人に引率された講員が鎌倉
 の龍口寺、極楽寺、収玄寺、妙本寺、安国論寺、妙法寺など邪宗寺院や神社巡りを
 楽しんでいた。

◆平成九年九月十・十一日、東京・華王寺(前川慈肇)の一行が「佐渡研修旅行様」の
 バスに乗り、一泊二日の日程で佐渡の邪宗寺院巡り。

◆平成九年九月十七日には身延僧約三十人が大石寺に参詣。大石寺坊主の案内で正本堂
 などを見学。御影堂内では身延僧が御宝前に合掌・参拝していた。

◆平成十二年九月二十八日には「身延山大学校」の学生が大石寺に参詣した。

◆平成十二年十二月六日、身延の坊主十七人が大石寺を訪れて客殿や御影堂などを見学
 し参拝した。

◆平成十四年十一月二十六日にも他宗坊主二十数人が大石寺に参詣した。

◆平成十六年四月十三日に 身延派坊主が大石寺を訪問、参詣した。

(以下、省略)

402検証会議:2010/04/20(火) 20:24:22
 大石寺短信 第483号

 平成22年4月15日(木)

 日顕宗の動き

 1. 予期せぬ「特別供養」に講頭会が紛糾

 先月27日、大石寺で法華講の講頭会が開かれた。折伏、登山の話と続き、場内は
どんよりしたムードに包まれていたが、供養の話になると、講頭たちの不満が一気に
噴出した。

 というのも、突如、「立正安国論750年」の記念事業にかこつけた「4回目」の
特別供養を明年、行うことが発表されたからだ。予定外である。

 この特別供養、平成18年・19年・20年と3回行われて終了したはずだったが、当初の
計画になかった塔中坊の全面建て替え等の事業が次々と追加されていった結果、予算が
足りなくなったというわけだ。

 講頭会の席上、立ち上がったある講頭は、演壇の法華講連合会委員長・柳沢に、
「一昨年の特別供養の折、『これが最終回』と徹底したのだから、今さら『第4回』と
いう呼称はやめてほしい」と要望した。一様にうなずき、拍手するほかの参加者たち。
柳沢は、顔を真っ赤にして「そんなこと言うのは『供養を出したくない』と思っている
からだ!」と、いつもの意味不明な返答で“逆襲"する始末。続いて別の講頭が「明年、
うちのお寺では改築のための供養を計画しており、特別供養と期間が重なってしまう。
どうすればいいか」と質問するや、柳沢はまたもや語気を荒げて「そんなこと聞くのは
間違いだ!」と一蹴。早々に話を切り上げようと、参加者に「第4回」の特別供養への
賛同を呼び掛けたのだった。しかし拍手はパラパラ。柳沢も「分かったような分かって
いないような拍手……」とため息をつくばかり。当然だろう。講頭たちにしてみれば、
わざわざ遠方から集められて何万円もの旅費を自腹で払い、供養までむしり取られた
揚げ句、理不尽な収奪計画を講員に徹底するよう言い含められるのだから、納得など
できるわけがない。

 ハイエナさながら貪欲な日顕宗執行部と、それに追従するだけの法華講上層部。耐え
に耐えてきた講頭、信者の不満、怒りはいよいよ沸点に達しようとしている。

 2. “無用の長物"法教院に今年も入学者

 見栄っ張りの日顕が23年前、創価大学に対抗したい一心で作った法教院
(富士学林大学科)に今年も17人が入学した。宗内に300人近くも無任所教師が
あふれかえっているというのに、住職になるあてもない“穀潰し坊主”を次から次へと
生み出している法教院。この施設、卒業しても「大卒」の資格が得られるわけでは
ない。脱落者も多く、入学者の4人に1人が途中で辞めていく。こんな“無用の長物”
に、年間億単位の予算がついているというのだから、カネを吸い上げられる一方の
困窮寺院の坊主たちのやるせなさは、想像するに余りある。

423真面目な質問です:2011/12/11(日) 03:51:40
昭和55年6月21日日顕上人書写の御形木御本尊ですが、
妙楽大師と竜樹菩薩が抜けています。これはどういう理由による
ものなんでしょうか?何か意味があって抜かしているのでしょうか?
ちなみに当時学会員に下附されたものです。それから、この御形木御本尊を持っている方おられますか?
誰に聞いても教えてくれません。ここの方々は博識とお見受けしたので
真面目にお尋ねする次第です。御教示の程宜しくお願い致します。

453MA:2015/09/27(日) 08:12:53
警察の死刑囚、中村隆史の顔、公開してます。


証拠が残らないのをいいことに「何でもやっていい」と勘違いした売国奴です。横暴がすぎて収集つかなくなっています。
国民の苦労を食い散らかすしか能がない疫病神です。
本人「表向きは警察だ」と豪語しております。

不正に得た金は、総額二千万円以上になるといわれています。


【中村隆史】警察の工作員。31歳。埼玉県在住。元自衛隊員。昨年7月から9月まで御嶽山9合目、石室山荘に勤務。表の顔は線路軌道工(自称)。小学6年生の息子(中村優馬くん←養育費は月3万円)を持つ。創価学会、警察、宮内庁、自衛隊、最近ではイスラム国などの名前を使いまわし横暴横領をくり返す。表向きは明るいが、極めて残忍な性格。頭は弱い。あだ名はジェシー(RIZE)


中村隆史のブログ
hティーtp://ameblo.jp/gomitakashi301/


(中村隆史)動画→htティーp://c.5chan.jp/N9Tlp4Bbln

454;j:2016/01/11(月) 14:23:15
創価学会の名前使ってるのは彼らですよ。

いわゆるBMI(ブレインマシンインターフェース)というのは

いまどきは、装置を携帯電話の中に埋め込む事が可能です。

彼らの携帯を潰さない限り、創価学会や警察のせいにされ続けてしまいます。

中村隆史 09060128935
斉藤 08012121687

 「テロリストの顔写真」
http://ameblo.jp/gomitakashi301/

日本中の悪い噂にたかるゴミです。遠慮いらないです。

455木村:2016/08/22(月) 14:54:46
本当は日本はすごいシステム持ってるんだけど、
この猿どもが際限なくめちゃくちゃやったせいで
情報入り混じってこんな大変な事になってるんやで


[電磁波加害者、牧野明美]

https://youtu.be/6lY5k2fGOYY

http://c.5chan.jp/disp/XLgwif6R9c


[電磁波加害者、中村隆史]

https://www.youtube.com/watch?v=dVaTSQji4Fw

https://www.youtube.com/watch?v=kp7H9HabR_Y

https://www.youtube.com/watch?v=pjPTgVvIxeo




「末期脳の日記」
http://ameblo.jp/danihun/

レーザー、メーザー、電磁ビーム、機密乱用、機密漏洩、
権威の名前の個人的な利用、傷害、当て逃げ
薬物使用、事故誘発、犯罪誘発、sex(自称捜査)
やらせ、たかり、ヒモ、殺人未遂・・・・
・・・・すべて私情でやりまくって干されちゃいました。

456ドンマイ雷太。:2017/10/09(月) 12:32:09
阿部 日顕の頭ドカンと一発殴ってどっかんV。


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