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科学と疑似科学とを判別する

1diamonds8888x:2018/04/21(土) 05:52:21 ID:JpDvA4vM
 第1掲示板にて、ID論は疑似科学か否かというテーマでkenさんと議論を続けてきましたが、そもそも両者をどう区別するのかというメタ科学的な話になりましたので、ミケさんの提案に従い第3掲示板にスレッドを立てます。

 まずは第1掲示板での関連する発言へのリンクを時系列で列挙します。1発言での文字数制限があるようですので、分割してアップします。
 URL書き込みに規制があるようですので頭に「http:」を付けて使ってください。

//6609.teacup.com/natrom/bbs/19161 投稿日:2018年 2月27日(火)05時11分41秒 Kenさん 投稿者:diamonds8888x まさに、その通りです
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19137 投稿日:2018年 2月26日(月)21時18分41秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken それとも今回は宗教に話が及んだからそうなったので、議論の土俵をサイエンスに限定するなら、そういうことは起こらないと考えてもよろしいでしょうか?
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19130 投稿日:2018年 2月26日(月)06時06分39秒 コナン君とは 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19117 投稿日:2018年 2月25日(日)16時38分23秒 ダーウィンの子犬様、一蘭様、Ken様 投稿者:ゲジゲジ この3つは同時に成立します
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19116 投稿日:2018年 2月25日(日)00時37分14秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken はじめにタイトルについて
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19112 投稿日:2018年 2月24日(土)05時41分6秒 坊さんと衣は別なので 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19111 投稿日:2018年 2月24日(土)05時39分40秒 コナン君、君は間違っている 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19109 投稿日:2018年 2月24日(土)00時36分15秒 Ken様 投稿者:ゲジゲジ ダーウィニズムは「適者生存」により劣った者が淘汰されることで進化が起こると主張していません!!
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19109 投稿日:2018年 2月22日(木)23時35分47秒 それをいうなら 投稿者:Ken ダーウィニズムもまた帝国主義、植民地主義の理論武装に大いに利用されたのですが
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19069 投稿日:2018年 2月20日(火)01時39分2秒 あぁ、宗教論になっていく 投稿者:ゲジゲジ
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19063 投稿日:2018年 2月19日(月)22時47分10秒 (無題) 投稿者:GB まっとうな宗教者たちというのは、
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19061 投稿日:2018年 2月19日(月)22時37分18秒 霊魂? 投稿者:GB
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19060 投稿日:2018年 2月19日(月)21時37分17秒 複数の真実!! 投稿者:Ken
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19054 投稿日:2018年 2月19日(月)06時27分41秒 事実か公理か信仰か 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19053 投稿日:2018年 2月19日(月)06時21分48秒 Kenさん、複数の真実 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/18948 投稿日:2018年 2月17日(土)03時46分25秒 ヨコからですがKen様 投稿者:ゲジゲジ もう少し問題を整理して、本質と本質でない部分とを区別して考えてみては如何でしょう?

456Ken:2019/07/12(金) 23:52:16 ID:fAtXoc8.
>455

このスレッドでは、私の意見は封印するのが原則ですが、お尋ねがある場合には説明します。

>Kenさん自身が考えている(自覚してない無意識でかも知れないけど)基準は、私が示した基準とは違っているところがある。

つまりdiamonds8888xさんに基準01や基準02があるように、私自身の基準があるか、というお尋ねでしょうか?

それならあります。しかもdiamonds8888xさんのものと大して異なるとは思いません。

例えば基準01は科学理論の反証可能性を挙げますが、反証可能であればよいに決まってます。どんな理論であれ、それを応用したハードウェアやソフトウェアがちゃんと働くかテストをやりますし、テストをするのは検証/反証可能であることが前提ですから。

ただ、私たちの見解が異なるのは、基準の内容ではなく、基準がどれだけ絶対のものであるか、という点ではないでしょうか?

diamonds8888xさんは>>451で、正しい科学の基準を将棋のルールに例えられましたが、私から見ると、まさしくここにdiamonds8888xさんの思想が表現されているように思えます。ルールには絶対に従わねばなりません。ルールを守らず、桂馬をナイトのように動かす対局者とは、そもそもゲームができません。「基準」もまたそういうルールではないのですか? 反証可能性を提示できない科学理論は科学理論ではないという基準には万人が従うべきというのがdiamonds8888xさんのご主張でしょう? それなら、基準すなわち法律ではありませんか。

私の考えは違います。反証可能であることは望ましいけれども、万人が従うべき法律とは思いません。>>454では

>世界を知るという行為としての科学の進歩と科学技術の進歩

と言われましたが、まさしくその2つが科学の目的で、ある科学理論が正しいかどうかも、この目的にかなうかでのみ判定されるべきと考えます。

それでは「科学理論は反証可能であるべき」というような基準は何のためにあるかといえば、上の目的を効率よく達成するための手引きでしょう。将棋でいえば、解説書などで紹介されている「勝つための定石」に該当します。

「定石」も「正しい科学の基準」も、長い歴史の中で確立されたものでしょう。人々の心に深く根を下ろし、また現実にも、それに従うことで成果が出ているのだろうと思います。

でも、どれだけ深く根をおろし、成果が出ていても、定石はルールではありません。ルールに背く自由はありませんが、定石に従わないのは当人の自由で、それでも勝てばよいのです。そして「正しい科学の基準」にも同じことが言えるはずです。基準に従わない人でも、上に挙げた科学の目的を達成できるなら、その人は成功者です。ある科学理論が反証可能ではなくても、そのこと自体は排除の理由にはなりません。

457Ken:2019/07/12(金) 23:52:50 ID:fAtXoc8.
科学が将棋に例えられたので、少し余談をさせてください。

将棋の歴史は存じませんが、おそらくは数百年にわたって「勝つための定石」を発達させてきたのだと思います。それに通暁する人が、多くの対局に勝ち、段位を上げたり、名人と呼ばれるのでしょう。そういう人は定石に、diamonds8888xさんが正しい科学の基準にもつのと同じ信頼を寄せているのではと思います。

ところが、今、そんな名人を打ち負かす、新しい種類のプレーヤーが登場しました。人工知能です。

「人工知能」の歴史も数十年に及びますが、最近のAIの一大特徴は、人間の知恵を学ばない点にあります。これは「エキスパート・システム」と呼ばれたかつての(約30年前)のAIと大きく異なる点です。エキスパート・システムは、その名のとおり人間の専門家のノウハウを組み込んだプログラムで、機械の故障診断や、セールスマンの巡回経路作成などをやりました。当時は若造だった私も関心をもち、プログラムを書いてみたことがあります。将棋にしても、人間が培ってきた「勝つための定石」をコンピュータ・プログラムにしたのが、かつてのAI将棋でした。

ところが、私が理解する、今のAIは違います。将棋なら「敵の王将を取ってゲームに勝て」という目的のみを与え、ほかには知識を与えず、ひたすらシミュレーションを繰りかえさせます。当然、最初は弱い。なにしろ作戦すらもなく、行き当たりばったりに駒を動かすだけですから。

しかし、シミュレーションの数は人間とは比較になりません。人間の一生の対局数など数万件が限度でしょうが、そんなものは数時間でこなしてしまう。数百年の将棋の歴史の中の対局数でも数週間かせいぜい数か月。その中から、どういう局面でどのように指せば勝てたかというパターンを認識するのです。しかも人間と違って、コンピュータは一度学習したことを決して忘れませんし、優秀なプレーヤーを増やすのも簡単です。人間なら師匠が長い時間をかけて弟子を育てますが、コンピュータはデータベースをコピーするだけで「師匠」と対等の「弟子」ができるし、プレーヤー数が増えればノウハウの蓄積速度も比例して上がります。

何よりも今のAIが成し遂げた功績は、人間の専門家が長い時間と努力を傾けて築き上げ、これが最善の「定石」と信じてきたことが、最善でもなんでもなかった現実を突きつけたことでしょう。AIの指し手を人間が見ても、なぜそのように指したのかは分からないといいます。つまり人間の定石とは異なる理論で動いているのです。それでも、繰り返して勝負に勝つという再現性があるので、そこには理論があり、まぐれで勝ったのではないことは分かります。

将棋や囲碁は一例にすぎません。多様な分野で人間を凌駕する人工知能が出現しています。そして、ここからは私の予想ですが、科学研究の分野でも同じことが起こるでしょう。今でも、文献を読んだり検索する能力ではAIの方が上ですが、実験を考案したり、理論を抽出する能力も、いずれ人間はAIに敵わなくなるはずです。今は人間の研究者がコンピュータを道具として使いますが、いずれはコンピュータが考えた実験や材料収集を人間の助手が行うという逆転現象も起こるでしょう。

そして、そのとき、人間の専門家と同じ基準にAIが従う保証はありません。たとえば、反証不可能ではあるが、そのとおりにすると技術が進歩するような理論が現れたら、その理論を受け入れ、基準の方を棄却するしかないでしょう。そうなった時のためにも、基準自体を科学理論の是非を判定するためには使わないのがよいというのが私の考えです。

ただし、繰り返しになりますが、本スレッドの中では、私の意見は封印しています。正しい科学の基準とは万人が従うべき「法律」という前提に立ち、それが普遍的に通用するのかという視点をもちながら、理解をしようとしています。

458diamonds8888x:2019/07/14(日) 08:26:03 ID:zhMZtAxo
>454
 説明のしやすさと後の参照のしやすさとを考慮してブログに書きました。まずは序論です。
 [ttps://blog.goo.ne.jp/diamonds8888x/e/f11f82cd57ae0c23103cb4bea5628390]

459diamonds8888x:2019/07/14(日) 08:32:27 ID:zhMZtAxo
>>456,>>457
>このスレッドでは、私の意見は封印するのが原則ですが、お尋ねがある場合には説明します。

 そんな原則は私は読んだことありませんよ? まあそれはともかく。

 意見と言っても色々な内容がありますが、私が理解したいのはKenさんの物の見方です。物の見方が同じだろうと思って話を進めたら実は食い違っていたということが、多々ありましたから。それだけの話です。

 今回教えていただいた点についは、精読したうえでまた後ほど。

460diamonds8888x:2019/07/14(日) 08:47:14 ID:zhMZtAxo
>>456
 簡単なコメントでわかりくかったり、もっと悪いことには誤解されたりする恐れはありますが、早いこともいい点はあるので書いておきます。

> 私の考えは違います。反証可能であることは望ましいけれども、万人が従うべき法律とは思いません。

 この文に代表される Kenさんの全体の趣旨は、(例えば科学哲学的に)非常に厳密にいうならば正解・正論・大原則。でも実際上は、生兵法でやったら大けがするだけ。科学研究の実際には百害あって一利なし、と言ってもいいです。

 それと私の考えを"法律"にたとえられると非常に違和感があります。まあそれは"法律"という言葉に対するイメージが異なる性かも知れませんが。

>>454では

> >世界を知るという行為としての科学の進歩と科学技術の進歩

> と言われましたが、まさしくその2つが科学の目的で、ある科学理論が正しいかどうかも、この目的にかなうかでのみ判定されるべきと考えます。

 そこで、「その目的にかなったこと」をどう判断するのかを考えてほしいです。実際的に、どんな手段で判断できるのかを。

461Ken:2019/07/19(金) 23:07:50 ID:fAtXoc8.
>>460

>「その目的にかなったこと」をどう判断するのかを考えてほしいです。実際的に、どんな手段で判断できるのかを。

まず大前提として、科学の進歩を客観的、総合的、なにより科学的に評価するなら、数値的指標を定義せねばなりません。もし人工知能に科学の進歩を委ねるなら「目的関数」に設定するものです。

1.世界を知るという行為としての科学の進歩
2.科学技術の進歩

ここで、1を数値化するのは非常に困難です。世界を知るとは、観察事実を説明する理論を立てることであり、理論を評価する最善の方法は、事実を予測して的中させることです。しかし科学全般が対象となると、予測すべき事実は多岐にわたり、予測が的中しても、個々の事例がもつ価値は異なるでしょう。

そこで、まず2を考えましょう。技術の進歩も多岐にわたりますが、まだしも統一的な指標を立て易いと思います。以下は私なりに考えてみた技術進歩の評価指数(案)です。

人類発生以来の大半の期間、利用できるエネルギーは人力だけでした。数十万年前に火を使い始めたのが最初のエネルギー革命で、その次は約1万年前に家畜を労役させるようになったときです。食物を醗酵させる作業を考えると「家畜」の中に微生物を含めてもよいでしょう。その後は、風力や水力、石炭、石油、そして原子力などがエネルギー源に加わりました。

これらの技術進歩を評価する指標として、人間が使用するエネルギー量はどうでしょうか? 実際にはエネルギー総量よりも、単位時間あたりの量つまり出力が重要です。例えば掘り出した石炭からコークスを作るのは技術進歩ですが、エネルギー総量は元の石炭よりも減るのですから。また、熱力学を応用してエンジンの効率を上げるのも、出力値が目的関数として妥当でしょう。

そこで、科学進歩を評価する指標の1つとして、社会全体の時間当たりの利用エネルギー量を使います。単位は「ジュール/秒」(ワット)になります。

もう1つの重要な指標が情報量です。これも歴史の中で幾多の技術革命がありました。文字の発明、記録媒体(粘土板、紙、磁気ディスク、フラッシュメモリ)の発明、印刷、計算機械(算盤、計算尺、コンピュータ)、情報伝達手段(狼煙、手紙、電話、テレビ、インターネット等)。

そして、エネルギーと同様、情報も情報総量(ビット)よりも時間当たりの情報処理量(ビット/秒)が、技術進歩の指標としてふさわしいと思います。速度があればこそ総量も増えるのですから。

エネルギーや情報と並ぶ技術進歩の指標として私が注目するのはエントロピーです。

例えば鉱石を精錬して鉄や銅を作るのは、鉄や銅の原子とそれ以外を分けることなので、エントロピーを減らします。ウラン濃縮も同位体を分離するので、エントロピーを減らす技術といえるでしょう。しかし、もっと重要なのは医療技術などです。

わが師アジモフは、生命とはエントロピーを減らすものと定義しました。例えば私たちが炭水化物を摂取すると消化器官内でグルコース等に分解されます。ここまではエントロピーが増えるのですが、腸壁から生体組織に入ると逆転が起こり、ATP等に代表される、利用可能なエネルギーを蓄えた物質が合成されます。これはエントロピーを減らす作業なのです。

生命が死んだら、このようなエントロピー減少が止まるのはもちろんですが、病気や老化でもこの機能が衰えるとすると、人間を健康に保つ科学技術の最も根源的な指標として、1人あたりのエントロピー量はどうでしょうか? 単位は「ジュール/ケルビン」になります。

もし、以上の3つの数値から「科学技術指数」を算出するなら、適当な重み係数をかけて、

科学技術指数 = A×出力 + B×ビットレート - C×エントロピー

と定義したいところですが、単位が異なる数値の足し算はできませんから、重みは乗数として、

科学技術指数 = 出力のA乗 × ビットレートのB乗 ÷ エントロピーのC乗

とします。そして、いろいろな条件でこの指数がどう変化するかを実証実験か思考実験するのです。もし人工知能に科学の進歩を委ねたら、間違いなくこの種のことをやるでしょう。


それでは、科学進歩の第1の定義「世界を知るという行為」はどうでしょうか。

上で述べたように、これを数値化するのは困難で、私には良案がありません。

ただ、近代以後の歴史を見ると、科学知識の進歩はほとんどの場合技術の進歩を生じています。そもそも科学研究にコストがかかることを思えば、スポンサーはリターンを求めるでしょうし、それは利益を生む新技術の形をとるのが普通でしょう。

そう考えると、

科学技術指数 = 科学進歩指数

としてもよいのではないでしょうか。つまり、上記のような指数で表した科学技術の進歩をもって、科学の進歩を評価するのです。

462diamonds8888x:2019/08/01(木) 06:02:57 ID:56BHMZHA
>>461
 Kenさんは「ある科学理論が正しいかどうかも、この目的にかなうかでのみ判定されるべき」と述べました。この目的とは「世界を知るという行為としての科学の進歩と科学技術の進歩」です。
  [>>454]

 私はこの見解にはまったく同意しませんが、ひとつの難点として「「その目的にかなったこと」をどう判断するのかは困難ではないか?」との意図を込めて、具体的方法を尋ねました[>>460]。

 さて答えは。

 1.「1.世界を知るという行為としての科学の進歩」を直接判定するのは困難。
 2.「科学技術指数 = 科学進歩指数」として良いだろうと想定して、「2.科学技術の進歩」を判定する方法を考える。
 3.「2.科学技術の進歩」の判定手段として、社会全体の時間当たりの利用エネルギー量、時間当たりの情報処理量(ビット/秒)、1人あたりのエントロピー量、等を使って定量的に導く


 独創的な方法で面白いですが、つまりは、「現時点では科学理論の正しさは判定する具体的方法はない」という結論になりますよね? それでいいんですか? だったら我々が議論している「基準」は何のためのものなんですか?

 「1.世界を知るという行為としての科学の進歩」と「2.科学技術の進歩」を混同するなよ、というのが私の見解ですけどね。


【報告】ブログに序論の2を書きました。

463Ken:2019/08/04(日) 18:55:52 ID:fAtXoc8.
>>462

話が錯綜してくると、ちょっとした言葉使いが誤解を生むので、慎重に行きましょう。

>「現時点では科学理論の正しさは判定する具体的方法はない」という結論になりますよね?

この表現だと、特定の科学理論の正しさを判定できない、と読めてしまいます。もちろんそんなことは言っていません。>>461では

>理論を評価する最善の方法は、事実を予測して的中させること

と書きました。たとえば1915年に一般相対論が提唱された後、

〜日蝕のとき太陽近傍の星を観測すると、普段の位置からはずれて見えるはず

という予測が行なわれ、1919年の日蝕で、そのとおりの事実が観測されました。

私ができないといったのは「世界を知るという行為としての科学の進歩」を定量的に評価することです。

例えばここにdiamonds8888xさんという研究者がいて、基準01や基準02のような基準をもっているとします。この人がある理論を発見しました。仮に「理論A」と呼びましょう。

またKenという研究者がいてdiamonds8888xさんとは異なる基準をもっています。このKenもまた新しい理論を考えました。「理論B」と呼びましょう。

さらには科学技術指数を最大化する目的を与えられた人工知能があり、人間に見えるような基準はもっていません。このAIが「理論C」を考案したとします。

そしてA、B、Cの3理論すべてが、事実を予測して的中させるというテストをパスしたとします。この場合、3者のだれが科学の進歩に最も貢献したかという判定はできないのではないでしょうか。でも「基準」の影響を評価するにはその判定が不可欠のはずです。


>だったら我々が議論している「基準」は何のためのものなんですか?

議論の基本構造を思い出してください。私(Ken)は、そもそも万人が従うべき、法律的な(「法律的」という言葉が不適当なら「普遍的」な)基準の必要性を認めておりません。ですが、本スレッドでは私の見解は封印し、diamonds8888xさんの基準を前提として話を進めましょうと言いました。

したがって、基準は何のためのものか、という問いかけに答える責任は、基準を提唱したdiamonds8888xさんに帰属します。ただし、私の考えを問われた場合には、>>461のように回答をします。

464diamonds8888x:2019/08/05(月) 06:17:05 ID:iFl5l1RA
>>463
 どうも比喩や反語を使うと通じなくて話がややこしくなりますね。失礼しました。
 「だったら我々が議論している「基準」は何のためのものなんですか?」は反語表現ですから、意味が通じなかったのなら忘れてください。「将棋の比喩」も、そもそも科学的方法の理解のない人には通じないわけですから、私の表現の拙さというしかありません。


 自然科学の謎を解明するために広く採用されているものを私がまとめて示した(何も独自に提唱したのではありまませんよ)基準は「科学理論の正しさを評価するため」のものです。もちろん他にも、使える基準、ただしいつも使えるとは限らないかも知れない基準とか個別に使える基準とかは無数にありますが、そんなのいちいち議論しても仕方ありませんしね。

 けれどそれらの基準の中には「科学技術指数 = 科学進歩指数」などと想定して科学技術の進歩で評価するなどというものはありません。


 どうも[>>453>>463]のKenさんの立場を誤解していた気配がしますが、つまり、[>>461]で提案した方法は実はKenさんは認めていないということですか? 次のどの立場です?

 a)「科学理論の正しさを評価するため」には間違っている
 b)「科学理論の正しさを評価するため」には間違ってはいないが、実際には使えない

 すでに[>>454]で述べたように、私は間違っているという立場だし、実際に使うには技術的(例えば統計を取る技術)に極めて困難という立場です。で、[>>453]によればKenさんは、私が「科学技術の進歩」を「科学理論の正しさを評価するため」の指標にしていると誤解されたようですが、[>>454]で私はその誤解を否定しました。

>でも、私が「科学の進歩に寄与するのが正しい科学」と述べたのは、それが本来diamonds8888xさんのお考えで、〜

>「科学の進歩」なんてそんな言葉は、私は使ってません。

 てことで、どちらも「科学理論の正しさを評価するため」に「科学技術の進歩や科学の進歩」を使うのは間違いと考えている、てことなら意見は一致ということでOKですが?

465diamonds8888x:2019/08/06(火) 06:30:09 ID:VYRwqARk
>>463
 そもそもKenさんが、正しい科学の判定に変な基準を持ってたとわかったことが始まりでしたね。「言わずもながの前提」と考えていたのですから。

[>>438]
>私は、diamonds8888xさんが「正しい科学の基準」を論じるとき、そもそも「正しい科学とは何か」という点に関しては、言わずもながの前提を想定していました。つまり、

> 〜科学の進歩に寄与するのが正しい科学、阻害するのが正しくない科学(別名疑似科学)

> であると。

 そんな基準は私は否定しましたが、[>>440,>>441,>>446]では説明不足で、Kenさんの「言わずもながの前提」がいかに変な基準であるかは御理解いただけなかったということですね。


 もひとつ、双方とも意図を誤解した箇所がありました

[>>424]
>>では史実ではないという前提で話を進めますが、よろしいですね?

> で決着がついたと思っていましたが。

 この「決着がついた」という意味は、「その18年のあいだは、矛盾を受容するしかなかった。」というのは「思考実験の結果」ということで決着です、ということですよね?

 でもそこでKenさんは、それがまずいことだとは思ってない! なんてこったい、非常識な。
 私の「史実ではないという前提で話を進める」という言葉の意味は、「史実ではないから、「その18年のあいだは、矛盾を受容するしかなかった。」という見解は、間違いとしてもう相手にしませんよ」という意味ですよ。誤解してましたね? 反語は通じないのかあ、反省・・。

 Kenさんにとっては、事実の裏付けのない思考実験の結果だけで何かの証拠になる、などという非常識な論法も「言わずもながの前提」だったのですね。まいったなあ。

466diamonds8888x:2019/08/07(水) 06:10:52 ID:OuQZ9xAQ
>>465
 お互いに「言わずもながの前提」と思い込んでいて、実は食い違っているということが多そうなので、それらを洗い出した方がすっきりしそうですね。ちょっと私の観点からまとめてみますが、Kenさんも可能なら洗い出してみてください。

 そのひとつが矛盾を認める場合があるか否かという、このところ続いている議論のテーマらしいですが、それは別発言にて。

467diamonds8888x:2019/08/07(水) 06:16:07 ID:OuQZ9xAQ
>>466
 このところ続いている議論はそもそも基準01-04とは少しはずれた件です。[>>316]で始めた論理テストに関して、実はKenさんと私で「論理」に対する認識に差があることが判明しました。つまり[>>331]においてです。

>ですが現実には、Pと¬Pの関係にある2つの理論が、実は両方とも真実だった例があります。>あるいはPと¬Pの関係にあるというのが誤解だったかもしれません。でもその判定は非常に難しく、現実問題としては(¬P)∧Pを認めるしかないのでは?

 まともな科学者が「(¬P)∧Pを含む理論」を提唱することはありません。現実問題としては彼らはどうするかと言えば、既存の理論では(¬P)∧Pが導かれるように思えるので、すなわち既存の理論には矛盾があるように思えるので、(¬P)∧Pを解消するような新しい理論を打ち立てるように努力します。あきらめて矛盾を認めるなんてことは絶対にしません。

 あー、もしかしてKenさんの文章での「認める」の意味は私の考える意味とは違ってます??

 同じことは[>>420]ゲジゲジさんも書いてます。
>では(1)〜(3)のいずれかに当てはまるような仮説を思い付かなかったら???
>あるいはそういう仮説を思い付く前は???

>「P∧¬P」のように見える、その時点の科学では説明できない不思議な現象がある・・・という状況が、仮説を思い付くまで続くだけの事です。
>「P∧¬P」を受け入れるしかないのではなく、説明ができない事を受け入れるしかないのです。

 つまり、今はまだ自分たちには「説明ができない事を受け入れる」。説明ができないという自分たちの至らなさを受け入れる。でもあきらめて矛盾を認めるなんてことはせずに、矛盾のない理論を打ち立てるべく努力を続ける。あきらめなければ、いつか未来に輝ける希望が待っているのだ、ゆけ真実を目ざして。
 またやっちゃった。最後の一文はちと無視してください。

[>>421]ミケさんも書いてます。
>その前段階は
> 「Pであり、¬Pである」といった矛盾したことを言っているわけではなく
>Aさんの立場とBさんの立場で「論争状態」であったのだろうと思えます。

 AさんもBさんも矛盾のない理論を打ち立てるべく努力を続けている点では同じです。その過程で論争をしている。争いといいつつも実は協力しあっているという面がある。個人個人の感情はともかくとして。こうして人類の知見は改良が続いていくのです。


 あー、ついでに一言。量子力学が矛盾を認めている、なんてのは客引きのための啓蒙書の表現を鵜呑みにしただけの勘違いですからね。

468Ken:2019/08/07(水) 23:20:32 ID:fAtXoc8.
順を追って1つずつ片付けてゆきましょう。

1.「正しい科学の基準」を設置する目的はなにか
2.思考実験の可否
3.2で思考実験が「可」と結論された場合のみ、19世紀末の波の媒質問題
4.3の結論を受けて「(¬P)∧P」の可否


まず、1ですが。

>>461で少し言及したように、世界を知る行為として科学をみた場合、どんな科学理論でも、その理論で未来の事実を予測できるか、というのが是非の判断材料だと、私は思います。事実を予測できることが、技術の進歩にもつながります。

そこでdiamonds8888xさんにお尋ねしたいのは、提示された01以下の基準は、

科学理論が正しいものであるためには、これらの基準を満たさねばならないのですか?

たとえば、diamonds8888xさんの基準には背くけれども、再現性をもって、事実を正しく予測できる理論が現れたとします。このような理論は正しいのですか? それとも基準を満たさないのだから、正しくないのですか?

469ゲジゲジ:2019/08/09(金) 22:10:25 ID:Gira1YSo
久しぶりにヨコから書き込みます。

diamonds8888xさまは「科学の基準」を「将棋のルール」にたとえられました。
しかしKenさまは「将棋のルール」ではなくて「勝つための定石」だと主張されます。

同じ様な事はずいぶん前にも仰っていました。
 >>62
 >「正しい科学の手法」というのは、どうすれば効率よく正解にいたれるという助言なのか。
 >たとえば野球の投手に、球威や制球を上げるため腕や背筋の角度を指導するようなものなのか。
 >それとも、科学に携わる者が従うべき規則なのか。
 >たとえば、ボールが手を離れるまで投手の足は投手板に着いていなければならないというようなものなのか。

私としては、【「科学の基準」は「将棋(や野球)のルール」のようなものである】という事を、どの様に説明したらKenさまに理解して頂けるのか考えてみました。
diamonds8888xさまにおかれましては、必要に応じて使えそうであれば使って頂ければ幸いです。


〜〜〜本文ココから〜〜〜
1.将棋のルール(と科学の基準)は誰もが守らねばならないか?

最初に答えを言ってしまえば、誰もが守らなければならないものではありません。
守らない自由はあります。

もし私が、「桂馬はチェスのナイトのように動けた方が良い」と思ったとしましょう。
(別にそんなふうには思いませんが)
そして、この考えを色々な人に提案してみます。

最低1人、私に賛同してくださる人を見付ければ、私はその人と新(珍?)ルールで対局できます。
もし賛同者を2人、3人・・・と見付ける事ができれば、そのメンバーで新ルールに基づく大会を開く事もできるでしょう。
10人集めて、5組ぐらいの対局ができれば、それなりに大会っぽくなるかもしれません。
いや、誰も賛同者を見付けられなかったとしても、私1人で詰め将棋を楽しむ事はできます。

但し・・・
その新(珍?)ルールは飽くまでも賛同する人たちの中だけで成立します。
その人たちの集まりから一歩外に出たら、そんなルールを主張したら対局の相手をして貰えないでしょう。


科学の基準も同じです。
「反証できない理論」でも「P∧¬P」でも認めて良いという学会があったとしたら、その学会の中ではそういう理論を提唱して議論する事ができます。
そんな学会がなかったとしたら、自分で作る事だってできます。

但し・・・
飽くまでもその新(珍?)基準は、その学会の中だけで成立するものであって、そこから一歩外に出たら、そんな理論は相手にされる事はないでしょう。

470ゲジゲジ:2019/08/09(金) 22:11:01 ID:Gira1YSo
2.将棋のルール(と科学の基準)は普遍的か?

1.では「守らない自由はある」と言いながら、守らなければ相手にされないのだから、結局のところ守るしかないのでは?と思われるかもしれません。
まぁ、実際その通りではあるのですが・・・

しかし今度は仮に、羽生善治さんが「桂馬はチェスのナイトのように動けた方が良い」と主張したと考えてみましょう。
(勿論、現実には絶対にあり得ないとは思いますが・・・)

彼は自他共に認める将棋の「専門家」ですし、それを証明するだけの実績を積んで来ています。
そんな彼が、仮にそんな主張をしたとすれば、きっと耳を貸す人たちが、それも他の「専門家」と言われる人たちの中から出てくるはずです。

そして恐らく、「では試しに新(今度は珍ではない事がポイント)ルールで対局してみよう」となるでしょう。
そして対局してみて、「専門家」と言うべき複数の人たちが「こちらルールの方が良い」と感じたなら、ルールが変更される事だってあり得るはずです。

ここまでは現実には絶対にないだろう思考実験ですが、実際の史実はどうだったでしょうか?
日本将棋連盟のサイト(私も別に将棋に詳しいわけではなく「将棋 歴史」で検索しました)によると、時代とともに将棋のルールも変遷してきた事が分かります。

例えば昔は「銅将」、「鉄将」、「猛虎」、「飛龍」なんていう駒もあったみたいですね。
そして15、16世紀頃に「相手の駒を取ったら自分の駒として使えるようになる」という画期的なルール変更があったようです。
素人的に考えても、このルール変更の前と後では、勝つための戦略や戦術の立て方が決定的に変わった事でしょう。

21世紀に入っての20年ぐらいでも、さすがに駒の動きについてのルール変更はなかったようですが、それでも持ち時間や休憩の取り方などに関するルール変更は何度かあったみたいですね。

ポイントは、【その世界に精通していて、且つその世界に精通している事を他の人たちにも認められるだけの実績を持つ人】が「ルール変更」を主張したなら、賛同者が増えて実際にルールが変更される場合もあり得る、という事でしょうね。
ただの「将棋好きのオヤジ」がルール変更を主張しても、まず誰からも相手にされないでしょう。


科学の基準も恐らく同じです。
科学に精通していて、そしてそれだけの実績を出してきた人が「基準」の変更を主張したなら、「基準」が見直される事もあるでしょう。
だから実際に、科学の黎明期である古代ギリシャ時代辺りからの歴史を眺めてみれば、科学の基準自体も変遷してきているのでしょう。

471ゲジゲジ:2019/08/09(金) 22:11:31 ID:Gira1YSo
3.将棋のルール(と科学の基準)はどのように検証されるか?

将棋のルールの目的と言えば、将棋のプレイヤーや観戦者が真剣な「知のスポーツ」を「楽しむ」事にあるでしょう。
そのためには、例えば先攻(あるいは後攻)が圧倒的に有利になるようなルールでは楽しめないし、ほとんど運だけで勝負が決まってしまうようなルールもダメでしょう。勝負に時間がかかり過ぎてもいけないし、逆にあっさりと勝敗が付き過ぎてもいけません。

将棋のルールに基づいて将棋を「楽しむ」事ができるのか?
実際に将棋のルールに基づいた対局が行われる事で「検証」され続けているのではないでしょうか?

2.で述べたように、昔は今よりも色々な種類の駒がありました。
それではルールが複雑すぎるので、単純化されて現在のルールに落ち着いたようです。
また勝負が付かない事が多かったために、「相手の駒を取ったら自分の駒として使える」というルールが考え出されたようです。


科学の基準も恐らく同じです。
実際にその「基準」に基づいた仮説理論が提唱され、検証される事で、実は「基準」自体も検証され続けているのではないでしょうか?
ですから>>468
 >たとえば、diamonds8888xさんの基準には背くけれども、再現性をもって、事実を正しく予測できる理論が現れたとします。
 >このような理論は正しいのですか?
 >それとも基準を満たさないのだから、正しくないのですか?
もし本当にそのような理論が現れたのなら、その理論は科学として正当でしょうし、そんな理論が現れた時こそ「基準」の方が見直される時なのではないでしょうか?


最後に余談ですがAIについて・・・
将来AIが感情を持つようになるかどうか分かりませんが、仮に持つようになったとしましょう。
そうしたらAIは、AI自身が将棋を「楽しむ」ためにルールを変更するかもしれませんね。

例えば数十種類の駒が数百個あって、数万マスの盤面で対局するみたいな・・・
もちろん、AIと対局する相手はAI。それを観戦して楽しむのもAIです。
ニンゲンには最早ルールを理解する事さえ不可能な、そんなAIによるAIのための将棋の新ルールができるかもしれませんね。

472diamonds8888x:2019/08/11(日) 15:33:23 ID:Z08SmBac
>>468
>たとえば、diamonds8888xさんの基準には背くけれども、再現性をもって、事実を正しく予測できる理論が現れたとします。このような理論は正しいのですか? それとも基準を満たさないのだから、正しくないのですか?

 もちろん、再現性をもって、事実を正しく予測できる理論、ならそれは正しいです。万が一もしも基準01〜04に反していたとしても。

 ゲジゲジさん[>>471]からの発言と同様です。
 > >それとも基準を満たさないのだから、正しくないのですか?
 > もし本当にそのような理論が現れたのなら、その理論は科学として正当でしょうし、そんな理論が現れた時こそ「基準」の方が見直される時なのではないでしょうか?

 要するに、「再現性をもって、事実を正しく予測できる理論」ならば自動的に満たしているであろう性質のいくつかが基準01〜04であって、何も私が勝手に想像して設定したわけではありません。むろん仮定するだけなら基準01〜04に反して、かつ「再現性をもって、事実を正しく予測できる」理論も想定することはできますが、具体的には難しいですよ。私には不可能にしか思えません。

 基準01〜04が正しいか否かということはつまり、「再現性をもって、事実を正しく予測できる理論」ならば自動的に基準01〜04満たす、ということが正しいか否かにかかっているわけです。私は、そのことを納得してもらおうとして努力してきたのです。

 簡単に言っておきます。

 基準01でのへそ理論や世界5分前仮説は、そもそも未来予測ができません。というのは不正確ですね。5分前以降は通常の「世界はずっと昔から連続していた理論」と区別できませんから未来予測に関しては通常理論と同等です。違ってくるのは過去の解釈ですので実は「再現性をもって、事実を正しく予測できるかどうか」という基準は通常理論との区別には使えません。

  (過去の事実に関する理論の正しさ、というなかなか面倒な問題についてはブログでの「序-3(2019/08/10)」に書いてみました)

 基準02〜04はいずれも論理に反しない理論かどうかという基準です。私にはそんなものは不可能としか思えません。Kenさんがモデル的なものでもなんでも納得できる理論を示してくれれば考察してみますが、存在しないとしか思えないものを相手にする気にはなれません。いや普通の科学的感覚をもってたらそうですよ。


 質問に沿ってちゃんと答えておきましょう。

>1.「正しい科学の基準」を設置する目的はなにか

 「再現性をもって、事実を正しく予測できる理論」に当てはまらない理論を振るい落とすための基準として有効だからです。いわゆる一次スクリーニングのためです。


【報告とお詫び】ブログでは「序3(2019/08/10)」まで書きましたが、なかなか科学的方法の発達の歴史にまで入り込めていません。ただ、あのような基本的なところを抑えずに歴史の各論に入ると歴史的事実はともかく、その解釈で齟齬や誤解を生じると考えますので、しばらくは序論が続きますので御容赦を。「序-1」「序-2」ではこのスレッド初期でテーマになった事実と理論の違いをまとめてあります。

473Ken:2019/08/13(火) 23:37:46 ID:fAtXoc8.
>>472では、基準はルールではなく定石であると述べられたと解釈します。つまり、基準に従わないこと自体は、理論を排除する理由にならない、という意味で。この基準に背くと、たとえば>>460で言われたように

>実際上は、生兵法でやったら大けがするだけ

というのが本当なら、まさにその「大けが」をしたという結果をもって、その理論が誤りであると判定すればよいでしょう。

私は別にdiamonds8888xさんの基準を全否定してはいません。基準01などは、私だって利用してきたと思います。私はハードウェアやソフトウェアを作るのが仕事という期間が長かったのですが、作った製品のテスト計画を立てる時は、当然、どういう条件で製品が失敗するかを考えます。これは反証可能性を考えるのと同じことでしょう。

ただ「基準」が正しい科学理論を構築する定石だったとしても、それは、これまでがそうだったというだけで、今後もずっとそうとは限りません。特に、何度も繰り返しますが、人間とは桁違いの情報処理能力(=思考能力)をもつコンピュータが現れた時、人間の定石など無視するかもしれません。現実に、囲碁や将棋を含む多くの分野で、それは起こっているのですから。

基準に背きながら、事実を予測できる理論の具体例は、私にも思いつきません。というより、今そんなことができるのは人工知能ぐらいでしょう。ただし、広汎に受け入れられている理論の中に、基準に背くものがあるのではという問題提議はやってきました。基準01の議論は中断していますが、ブラックホール内部の考察がそうです。ほかにも思いついたことがありますが、01の議論が再開されたときに述べようと思います。


それでは、以後、「基準」とは定石である、という理解で議論を進めてもよろしいですか?

よろしければ、思考実験の可否の話をしたいと思います。

474diamonds8888x:2019/08/14(水) 06:23:08 ID:886f3D2s
>>473
>基準に背きながら、事実を予測できる理論の具体例は、私にも思いつきません。

 はい? では何のために基準の議論をしてきたのですか?

 Kenさんはつまり、進化論の議論にもどっても基準01-04に背く理論は提出しない、たぶんできない、と言っているのですよね?
 現在Kenさんの頭にある、進化論の議論にもどって提出しようとしている御自分の考えはすべて基準01-04に背いていない、と言っているのですよね?

475diamonds8888x:2019/08/14(水) 06:24:12 ID:886f3D2s
>>471 ゲジゲジさん

 [>>454]の囲碁将棋の喩えはわかりにくかったかも知れません。今読み直して、一番言いたかったのは単純に、その分野での基本知識のレベルとそれに対する理解のレベルのことだったのです。
理解の深い人の知見は専門家の意見として重きをおくべきだという意図と、議論している科学の基準というのが、非常に基本的なものだという点です。

 考え直してみると正確には次の対比がよさそうですね。でもこれでも、細かく言うとずれは出るから、やつぱり拙い比喩だったのでしょう。

  将棋のルール  自然の根本原理(実際にはあるかどうかはわからない)
           (たぶん永遠にわからない)
  定跡  人が発見した自然法則
  科学の基準  定跡の判定基準
      (玉が敵陣に突進するのはダメ、とか)
      (チェスだとクイーン1個損したら投了しますから)


 新しいルールが作られていくという話は、ブログの方で次に書こうと思っている「科学的正しさと社会的力学?との関係」みたいなことを連想しました。

476Ken:2019/08/14(水) 06:57:25 ID:fAtXoc8.
>>474

>はい? では何のために基準の議論をしてきたのですか?
>Kenさんはつまり、進化論の議論にもどっても基準01-04に背く理論は提出しない、たぶんできない、と言っているのですよね?

私は、>>473で、

〜広汎に受け入れられている理論の中に、基準に背くものがある

と言い、ブラックホールの内部という具体例まで挙げているではありませんか。
まさに、そういうことがあるから、ここまで基準の議論をしてきたのですが。

もともと「基準」の話を始めたのは、ID論は疑似科学という指摘があるからです。そして、ドーキンスなどがIDを疑似科学と主張する理由は、diamonds8888xさんが「基準01」「基準02」と呼ぶものに違反しているからです。すくなくともドーキンスはそのように主張します。

ですから、これらの「基準」は真に普遍的なものなのか、これらが正しい科学の基準となると、多くの人が受け入れている理論の中に「正しくない科学」と判定されてしまうものがあるのでは、というのが私の問題提議です。

477diamonds8888x:2019/08/17(土) 07:46:57 ID:WaZUEsIw
>>476
> と言い、ブラックホールの内部という具体例まで挙げているではありませんか。

 ブラックホールの内部に関しては事実自体が観測不可能ということですから、「事実を正しく予測できる理論」という基準にさえ当てはまらないという見解でしたよね? 基準01-04以前の話になるのではありませんか?
 これは難問だと述べていたはずです。一応フログの「序-2」に書き始めてはいますが、本スレッドでの議論に載せるにはややこしすぎるのでないかと危惧します。

> ですから、これらの「基準」は真に普遍的なものなのか、これらが正しい科学の基準となると、多くの人が受け入れている理論の中に「正しくない科学」と判定されてしまうものがあるのでは、というのが私の問題提議です。

 そんなものはありません、というのが私の言いたいことです。
 「多くの人が受け入れている」というのはもちろん、現在の科学界の定説という意味ですよね? 創造論などはアメリカで「多くの人が受け入れている」と言われていますが。

478diamonds8888x:2019/08/17(土) 07:47:47 ID:WaZUEsIw
>>466,>>477
 わたしの「言わずもながの前提」いくつか。

 1) 人類が発見してきた自然法則というものは客観的存在である。人が関与しているから主観的かも知れないと不満ならば、一歩ゆずって客観的存在を反映したものである。人はそれを発見できるだけであり、例えば法律のように恣意的に作れるものではない。

 2) 人が発見したと思った法則が間違っている、つまり客観的存在を正しく反映していないことはある。同じ現象に適用される複数の法則が提唱されることがあり、そこでどの法則が客観的存在をより正しく反映しているかどうかを巡る論争が起きる。

 3) 上記法則の例には、多くの自然法則が入り、さらにユークリッド幾何学の公理や定理、自然数の公理や定理(例えばペアノの公理)、さらには論理法則も入る。このように非常に広い範囲に適用できる法則を「普遍的」と呼ぶ。
  (論理や数学まで自然法則とすることには反対も多いとは思う。 )
  (でもKenさんとは同意できそうだけど、どうかな?       )
  (幾何学の定理の多くは観測事実からも検証できることは事実。 )

 4) 人が発見したと思った法則が客観的存在を正しく反映しているかどうかは、観測事実を正しく反映しているかどうかで判定する。とは言っても人が一人だけでは限界があるのですが。

 5) 多くの観測事実や法則の発見は、社会として組織された人類の不断の努力により蓄積されてきており、歴史を経るごとに客観的存在の真の姿に近づいている。その蓄積には尊重すべき重みがある。


 さて我々が手にできるのはあくまでも「人が発見したと思った法則」です。なので厳密な事を言えば、明日にも間違いとわかってひっくりかえるかも知れません。でも、だからといって現在検証済みとされている法則に矛盾する新理論を提出するには、それ相当の根拠が必要です。

 例えば生物の進化史上の出来事の真相や進化メカニズムに関する仮説があったとして、それが放射性元素の壊変法則から必然的に導かれる結論と相反するとしたら、その仮説が正しいと主張するのは難しいでしょう。壊変法則は絶対正しいとは限らない、とか言って無視するというのではまともな研究者には相手にされなくても仕方ありません。

 では本スレッドのテーマとなっている基準01-04はどうでしょうか? ==>[>>479]

479diamonds8888x:2019/08/17(土) 07:48:49 ID:WaZUEsIw
>>478
 さて、本スレッドのテーマとなっている基準01-04もまさに客観的存在を反映していると考えられる法則の一種です。適用範囲としてはニュートン力学などよりも普遍的な、どちらかというと論理法則に近いような法則です。実際に基準02-04は、良く知られた論理法則をそのまま適用しただけです。「科学理論は論理的整合性を持たなくてはいけない」という話です。

 スクリーニング手段として定評があるのですから素直に使えばいい。Kenさんも基準01-04に反する理論は思いつかないと言うのだから、それでいいわけで。もしも反しているからダメ、という話が出たら、「反してない」ことを示すか、「確かに反しているけど、これこれの理由で妥当だ」と納得できる理由を述べればいい。後者は絶望的に難しいとは思いますけど。


 ただ光の波動説と粒子説の科学史の中で「矛盾を受け入れるしかなかった」とKenさんは主張しています。しかも「矛盾を受け入れて構成した理論」は具体的には示していません。なのでそれは実は別のことを「矛盾を受け入れるしかなかった」と表現しただけなのでは? と[>>466]で書きました。

 このところの矛盾論争は、ここに尽きます。

480diamonds8888x:2019/08/18(日) 06:15:47 ID:WaZUEsIw
>>479
>もしも反しているからダメ、という話が出たら、「反してない」ことを示すか、「確かに反しているけど、これこれの理由で妥当だ」と納得できる理由を述べればいい。

 具体的な例を示しましょう。

>>476
>もともと「基準」の話を始めたのは、ID論は疑似科学という指摘があるからです。そして、ドーキンスなどがIDを疑似科学と主張する理由は、diamonds8888xさんが「基準01」「基準02」と呼ぶものに違反しているからです。すくなくともドーキンスはそのように主張します。

 疑似科学という指摘に反論するのならば、ID論が「基準01」「基準02」に反してはいないことを示せばよいのです。それをいきなり、「基準01」「基準02」が通用しないという方向に持っていくのは筋がおかしい。

481Ken:2019/08/20(火) 20:51:22 ID:Nse8qxIU
とにかく、論点を1つずつ片付けていってはどうでしょうか?

本スレッドで私が行なう問題提議は、1種類しかありません。diamonds8888xさんが提唱される基準とは普遍的なものなのか、ということです。より具体的には、一般に受け入れられている理論の中に、提唱された基準では「正しくない」と判定されるものがあるのではないか、ということです。そんなものはない、とdiamonds8888xさんは言われるかもしれませんが、私にはあるように思えますし、結論にいたるには具体事例を検証するしかありません。具体事例を出す責任は「ある」と主張する私に帰属します。

初めは番号順序のとおりに基準01から議論を始めましたが、01は後回しにして基準03以下を先にやろうと、diamonds8888xさんから申し出がありました。基準03以下とは、要するに、純論理的・数理的な考察によって、正しい/正しくないを判定できる科学理論があるという内容だと思います。

そして挙げられた論理式の中に「(¬P)∧P」というものがありました。論理式としてこれが不可能なことは分かりますが、現実世界ではこれを認めるしかない場合があるのではと問題提議を行い、具体例として、現在も未決着のシュレーディンガーの猫と、19世紀末の電磁波の媒質問題を取り上げました。さらには後者を論じる中で、思考実験をやってもよいかが問題になりました。

これが現在の状態ですので、まずは思考実験の可否を話し合いませんか?


私としては、どんな時でも、問題を1点に絞り込みたいのですが、それとは別に、私自身の思想的なものを尋ねられると回答をせざるを得ません。結果として論点が拡散されているように思います。

基準01も基準02も、必ず論題になります。基準01については、ブラックホール内部の考察という基準違反(?)の例を挙げました。他にも1つ思いついたことがあり、こちらはブラックホール内部とは異なり、観測可能だけど反証不可能の例と考えます。いずれ基準01に議論が戻ったときに詳しく話しましょう。

482ゲジゲジ:2019/08/20(火) 22:48:09 ID:lTUI2rVo
diamonds8888xさま。
お返事[>>475]ありがとうございます。
なるほど、将棋のルールを喩えとして出されたのは、そのような意図でしたか。

ただKenさまの以下の発言を見ると、科学の基準は「ルール」とした方が誤解がないかも・・・と感じます。
いや、それによって後で別のヘンな誤解に繋がってもいけないのですが・・・

>>473
 >基準はルールではなく定石であると述べられたと解釈します。
 >つまり、基準に従わないこと自体は、理論を排除する理由にならない、という意味で。
基準に従わない理論は排除されますよね。
で、なければスクリーニングの意味がありません。

 >>実際上は、生兵法でやったら大けがするだけ
 >というのが本当なら、まさにその「大けが」をしたという結果をもって、
 >その理論が誤りであると判定すればよいでしょう。
当人はそれでいいでしょうけれど、「巻き添え」を食らう方はたまりません。
具体的に言うと、検証も反証もできるはずのない理論に反論したり、議論したりする事に時間と労力を取られたくないでしょう。
ですからきちんとした科学的議論の場では、基準に従わない理論など誰も相手にしないはずです。


さて、度々ヨコから失礼します。
Kenさまは[>>481]で
 >まずは思考実験の可否を話し合いませんか?
と仰いますが、その前に以下の点を確認しておいた方が良いかと思います。

1.基準に従わない(基準を満たさない)理論は排除される。
2.基準の目的は、「科学の発展」のためではない。
3.基準は【理論】に適用される。

3.について補足すると、ずっと以前にdiamonds8888xさまから以下のご発言がありますが・・・
 [>>14
 >ここでは何らかの定説に対立す新説が提唱された場合に限って考えます。
 [>>55
 >【とりあえず、提起する基準は「理論の検証」を想定します。】

Kenさまの「ブラックホール内部の考察」やら、直近の「19世紀末の電磁波の媒質問題」やら、どうも
【基準を満たさない(ように見える)事実を認めること】と、
【基準を満たさない理論を提唱すること】とが混同されているように感じられます。

まず何について議論をしているのか、はっきり合意を取ってから次に進まれた方が良いかと・・・

483diamonds8888x:2019/08/25(日) 05:53:51 ID:ewVWVBlI
>>481
>本スレッドで私が行なう問題提議は、1種類しかありません。diamonds8888xさんが提唱される基準とは普遍的なものなのか、ということです。より具体的には、一般に受け入れられている理論の中に、提唱された基準では「正しくない」と判定されるものがあるのではないか、ということです。そんなものはない、とdiamonds8888xさんは言われるかもしれませんが、私にはあるように思えますし、結論にいたるには具体事例を検証するしかありません。具体事例を出す責任は「ある」と主張する私に帰属します。

 明快なテーマ提起ですね。了解です。となれば、以下の具体例3つもひとつずつがいいでしょうね。

>そして挙げられた論理式の中に「(¬P)∧P」というものがありました。論理式としてこれが不可能なことは分かりますが、現実世界ではこれを認めるしかない場合があるのではと問題提議を行い、具体例として、現在も未決着のシュレーディンガーの猫と、19世紀末の電磁波の媒質問題を取り上げました。さらには後者を論じる中で、思考実験をやってもよいかが問題になりました。

>これが現在の状態ですので、まずは思考実験の可否を話し合いませんか?

 思考実験の可否は派生的なものなので枝道に入る恐れが大でしょう。
 まずは19世紀末の電磁波の媒質問題については、[>>467]に解答を示していますので、これで納得できないなら、どう納得できないのかお聞かせください。
 [>>433]および[>>432]を最後とした【エーテルとは何だったのか?】も参考にしてください。


【別の例について】
 なおシュレーディンガーの猫については[>>467]では軽く扱いましたが、

> あー、ついでに一言。量子力学が矛盾を認めている、なんてのは客引きのための啓蒙書の表現を鵜呑みにしただけの勘違いですからね。

 [>>343]では渋々ながらも引っ込めたように見えましたが、まあ理解はしていないみたいですね。この場合もやはり「現実問題としては彼らはどうするかと言えば、既存の理論では(¬P)∧Pが導かれるように思えるので、すなわち既存の理論には矛盾があるように思えるので、(¬P)∧Pを解消するような新しい理論を打ち立てるように努力します。」

ゲジゲジさんが書いていること[>>482]も同じことを言っています。
> 【基準を満たさない(ように見える)事実を認めること】と、
> 【基準を満たさない理論を提唱すること】とが混同されているように感じられます。

【わからない比喩は無視してください】
 喩えてみれば手品を見て、「自分には科学的説明が思いつかないと認める」けれども「科学で説明できない現象が起きているとは認めない」ということです。あー、この比喩に違和感を感じたら比喩の意図を誤解しているということですから無視してください。

484diamonds8888x:2019/08/25(日) 09:09:35 ID:ewVWVBlI
>>481,>>483
 ものすごく簡単でわかりやすいと思える例を思いつきましたので御紹介しましょう。

  理論F:支えのない物体は下へ落ちる
     (支えのない静止物体は存在しない)
  定義S:"支え"とは物体に接触している"物"である

 さてここで落下せずに静止している物体のように見えるものXが観測されました。すると色々な解釈がなされます。つまり色々な新理論が提出されます。

  1.世の中にはP∧¬Pが成り立つ場合もある。
  2.Xは物体ではない。例えば幻とか、我々が手に触れられる物体とはまったく別の"物"だとか。
  3.支えのない物体でも下へ落ちない場合がある。つまり理論Fが間違っている。
  4.物体に接触していない"支え"が存在する。つまり定義Sは"支え"の定義として不適切だった。
  5.今は"支え"は見えもせず触れることもできないように思えるが、努力すればきっと検知できるようになる。(何者かが隠している場合も含む)。

 3.は「エーテルは存在しなかった」という見方に相当し、4.は「光の媒質は真空だった」という見方に相当します。で、Kenさんは1.について以下のように主張しているように見えますが、そうだったのですか? もう一度よく考えてみてください。

  ・(全ての人は)1.を受け入れるしかなかった。
  ・定義Sが絶対である以上は1.を受け入れるのが唯一の論理的帰結である。
  ・このような事例を見れば、現代の我々も1.を受け入れることも科学的方法として許容しなくてはならない。


 なお、上記Xの観測というのは人類歴史上無数に観測されていて、実際に多かった解釈は2.と4.だろうと思います。それに反して「波なのに(通常の物質に似たような)媒質が見つからない」という観測事実というのは19世紀に人類が初めて出くわした現象です。少々混乱を来した人もいたでしょうが、実際にことにあたっていた科学者たちは決して「P∧¬Pが成り立つ理論」など考えようとはしていませんよ。

485Ken:2019/08/28(水) 22:50:19 ID:l6l6JAnA
まず、

>思考実験の可否は派生的なものなので枝道に入る恐れが大でしょう。

そうかもしれませんが、この点を明確にしておかないのなら、今後の議論の中でも私が思考実験を、つまり仮定の条件を設定してシミュレーションを行なうことがありうると思います。


それでは、電磁波の媒質問題の話をします。

19世紀の段階では、なぜ波には必ず媒質が必要と考えるべきであったかについて。これは>>347を含むいくつかの投稿で述べました。>>347から抜粋しますと、

>波が振動現象であるからには、必ず「振動するなにものか」があるはずですから。
>振動するものがないのに振動するというのは矛盾ではありませんか。

つまり、

基本命題:振動現象には振動する実体があるはず

これに対して、diamonds8888xさんが直接に回答をされたのは、>>432であると思います。

>光波・電磁波  電界と磁界
>電磁界は電荷などに力を加える性質
>電磁波が電界と磁界を媒質とする波であることはマクスウェル理論の本質です。

(はじめに、私は「電界」「磁界」ではなく「電場」「磁場」ということをお断りしておきます。例えば「場の理論」とは言いますが「界の理論」という言い方を聞いたことがありませんから。)

私が主張したいのは、19世紀の段階では、「電場」とか「磁場」といっても、便宜上設定されたもので、その正体は不明であったことです。電場を例に説明しましょう。

空間の1点にqクーロンの電荷があり、そこから距離rの位置にaクーロンの電荷があると、空間の誘電率をεとして、

F=qa/(4πε・r²)

というクーロン力が働きます。これだけならスカラー量ですが、力はベクトルですから[F->]と表記すると(アルファベットの上に矢印を書くような一般的なベクトル表記は本掲示板ではできませんから)、aからqまでの空間ベクトルを[r->]として、

[F->]=(qa/(4πε・r³))・[r->]

もしaの代わりにbクーロン、cクーロンの電荷があると、力は、

[F->]=(qb/(4πε・r³))・[r->]、(qc/(4πε・r³))・[r->]

となり、結局、

[E->]=(q/(4πε・r³))・[r->]

が、aやbの値に依存しない因子なので、これを「電場」と呼んでいました。

つまり、クーロン力の存在から、電荷qによる影響がaやbの位置に及んでいることが観測され、その影響を「電場」と称しました。注意を要するのは、19世紀の段階では、なぜそのような影響が及ぶのかは分からない、つまり電場の正体は不明だったことです。

ここで上の基本命題を思い出してください。もしも、

〜「場」があるから、物質的な媒質はなくてもよい

という論法で基本命題を否定するのなら、「場」を上記のような数式で表すだけではだめで、「場」とは何なのか、なぜ離れた所に力が働くのか、その点を明らかにする必要があるはずです。これはおそらく>>484の4で言われた、

>物体に接触していない"支え"が存在する

と本質的に同じことをいっているのでしょうが、「場」の正体に具体案がなければ、媒質の代替案にはなりません。ましてや基準01に従えば、具体案を検証/反証する方法まで提唱できないと、理論にはなりえないのではありませんか?

しかし、19世紀にその知見はありませんでした。それゆえ、振動現象には振動する実体が必要、という命題は有効だったと思います。これは、現実の19世紀末を生きた人が実際にそう考えたか、とは別の問題です。当時の知見のもとで論理的に追求すれば、その結論にいたらねばならない、ということです。

486diamonds8888x:2019/08/31(土) 06:04:21 ID:4b.rjCLU
>>485 うん、かなり重要なポイントに入ってきましたね。頭を十分に柔らかくして考えてくださいね。

>つまり、クーロン力の存在から、電荷qによる影響がaやbの位置に及んでいることが観測され、その影響を「電場」と称しました。

 まさにその通りです。

>注意を要するのは、19世紀の段階では、なぜそのような影響が及ぶのかは分からない、つまり電場の正体は不明だったことです。

 まさにその通りです。
 ところでニュートンが万有引力の法則を発見した時にも万有引力の正体は不明でした。磁力は大昔から観測されていましたが、その正体もやはりファラデーやマクスウェルに至っても不明でした。このことは認識されていますよね?

>という論法で基本命題を否定するのなら、「場」を上記のような数式で表すだけではだめで、「場」とは何なのか、なぜ離れた所に力が働くのか、その点を明らかにする必要があるはずです。

 19世紀の研究者たちの多くがそう考えたのは確かです。では20世紀以降の物理学ではどうか。

 ということで、現代の(というか20世紀以降の)物理学における光に関するKenさんの認識を確認したいのですが、今のKenさんの論法の中では現代の物理学における「場」の正体とは何だと考えるのですか?

 ついでに可能であれば(知っていれば)、「場」の正体はいつ誰が明らかにしたと考えていますか?

 ついでに可能であれば(知っていれば)、「場」の正体を明らかにした誰かさんの理論は、「19世紀の知見に従えば論理的に矛盾している」のでしょうが、そこのところを説明してください。


【以下の主旨は本質的に上記と同じことですが】

>これはおそらく>>484の4で言われた、

>>物体に接触していない"支え"が存在する

>と本質的に同じことをいっているのでしょうが、

 ん? 「これ」とはどういう考えのことですか?
 それと4の後半の「つまり定義Sは"支え"の定義として不適切だった。」が電磁波問題の何に対応するのかは、まだ理解できていないのですか?
 4と5の混合を思いつきましたが、それは後ほど。まずはKenさんの認識を確認しないと行違うでしょうから。

>「場」の正体に具体案がなければ、媒質の代替案にはなりません。ましてや基準01に従えば、具体案を検証/反証する方法まで提唱できないと、理論にはなりえないのではありませんか?

>しかし、19世紀にその知見はありませんでした。

 同意できません。まあ、まずは「現代の(というか20世紀以降の)物理学における光に関するKenさんの認識」を教えてください。

487diamonds8888x:2019/08/31(土) 06:12:20 ID:4b.rjCLU
>>458,>>472,>>475
 ブログに序-4を書きました。なんとか次から歴史に入りたいと考えています。

488Ken:2019/09/02(月) 00:40:24 ID:CbSK8gT6
>>486

>今のKenさんの論法の中では現代の物理学における「場」の正体とは何だと考えるのですか?

尋ねられたことには回答しますが、このような質問の意味が分かりません。

19世紀の知識体系の中で、電磁波の媒質問題をどう考えるべきかという思考実験をしているのに、20世紀の知識を持ち込んだら、実験条件が変わってしまいます。その点を注意してください。

「20世紀に「場」がどう考えられたか、言い換えれば電磁波がどのように伝わると考えられたか?」

答えは、

〜電磁波は粒子であることが分かったので、媒質が不要になった

となります。

歴史的な経緯を語りますと、まず、光電効果が観測されていました。いろいろな金属に電磁波を当てると電子が飛び出します。なぜそうなるかを説明したのがアインシュタインで、1900年にプランクが提唱した量子の概念を用いた論文を1905年に発表しました。

つまり電磁波の量子つまり光子が金属中の電子に衝突して電子を押し出すというのです。これは光子が運動量をもつ粒子であることを意味します。古典力学的な波が何かを「押す」ことはありません。

これにより、電磁波が古典力学的な波動であるという前提が崩れ、ゆえに媒質の存在も不要になりました。「場」の正体はといえば、光子が空間を飛ぶことで、離れた位置の物体に影響を与える現象、となります。

>「場」の正体を明らかにした誰かさんの理論は、「19世紀の知見に従えば論理的に矛盾している」のでしょうが、そこのところを説明してください。

「矛盾」という表現が妥当とは思いません。19世紀には知られてなかった光子の存在が明らかになったのだから、19世紀とは異なる結論が導かれるのは当然です。

このような回答でよろしいでしょうか?

よろしければ、上に述べた20世紀の発見は忘れて、19世紀の知識体系の中で、媒質のない波という結論に到達できるか、についてお考えをお聞かせください。

489diamonds8888x:2019/09/03(火) 05:52:43 ID:4b.rjCLU
>>488
>このような回答でよろしいでしょうか?

 全然よろしくありません。そんな風に考えてたのですか。

 エーテル理論が否定されたのは特殊相対性理論においてです。そして特殊相対性理論は量子論とは独立した理論です。
 エーテル理論が否定されたことについては量子論はまったく関係ありません。
 >>433,>>437で紹介したアインシュタインとプランクの講演も御参考に。

>20世紀の知識を持ち込んだら、実験条件が変わってしまいます。その点を注意してください。

 20世紀の知識を正しく理解していなければ19世紀の知識のどこがどのように間違いだったのかを正しく評価できません。そのためKenさんの理解を確認したのです。そしたら上記のように、そもそもKenさんの理解に間違いがあり、それゆえエーテル理論の評価にも狂いが生じていることが判明したのです。

 もう一つのポイントとしてまず種明かしをすれば、「20世紀の知識だって19世紀の知識しか持たなかった人が考え出したものだよ」ということがポイントであり、Kenさんの論法で抜けているところです。すなわち、矛盾を解消したとKenさんがいう20世紀の知識が得られた時点で、「19世紀の知識しか持たなかった人は、そう考えるしかなかった」というのは実は間違いだったことが判明したのですよ。


 以下は現時点のテーマとの関連は薄いですが、量子力学を学びなおす気がおありならば参考にしてください。他にもツッコミどころは多々ありますがエーテル理論否定問題とは無関係ですから省きます。

>「場」の正体はといえば、光子が空間を飛ぶことで、離れた位置の物体に影響を与える現象、となります。

 初耳ですね。出典は? もしかして仮想過程による交換力のことですか? 何かの啓蒙書でそんな表現をしていたのでしょうか?

490Ken:2019/09/03(火) 22:43:43 ID:CbSK8gT6
>>489

>>433,>>437で紹介したアインシュタインとプランクの講演も御参考に。

>>433
>Ref)アインシュタインの講演「エーテルと相対性理論」(1920/05/05)
>[ttp://fomalhautpsa.sakura.ne.jp/Science/Einstein/ether-rel.pdf]

正直にいいますと、この石原純という人の文章は読みにくいです。できればもう少し平易な言葉で解説していただけませんか?


私の方の情報源は、まずはウィキペディアから

en.wikipedia.org/wiki/Luminiferous_aether#Special_relativity

以下の部分を参照してください。残念ながら同項目の日本語ページには、この一節がありません。

Moreover, in another paper published the same month in 1905, Einstein made several observations on a then-thorny problem, the photoelectric effect. In this work he demonstrated that light can be considered as particles that have a "wave-like nature". Particles obviously do not need a medium to travel, and thus, neither did light. This was the first step that would lead to the full development of quantum mechanics, in which the wave-like nature and the particle-like nature of light are both considered as valid descriptions of light. A summary of Einstein's thinking about the aether hypothesis, relativity and light quanta may be found in his 1909 (originally German) lecture "The Development of Our Views on the Composition and Essence of Radiation"

同じ内容をより詳細に語っているのが、アジモフです。

archive.org/details/AsimovGuideToScience/page/n361

見開き左(352頁)の3行目「The German physicist〜」から、1枚めくった354頁の14行目「〜could now be buried」までの内容をまとめたのが、>>488の私の書き込みです。

どちらの記事も、光電効果が明らかにした光の粒子性が媒質を不要にした、と述べているのがお分かりいただけると思います。

>>「場」の正体はといえば、光子が空間を飛ぶことで、離れた位置の物体に影響を与える現象、となります。
>初耳ですね。出典は? もしかして仮想過程による交換力のことですか? 何かの啓蒙書でそんな表現をしていたのでしょうか?

電磁場は光子
強い相互作用はグルオン
弱い相互作用はWボソン
重力場は(未発見の)重力子

が媒介するという理論が支持を得ているのではなかったでしょうか?

491名無しさん:2019/09/08(日) 04:19:43 ID:5f6y.vmE
地球に迷い込んで出られんようになっとるのが人間の魂なんや

492名無しさん:2019/09/08(日) 06:04:27 ID:DiMR4NG6
>>490
 まず英語版wikiの"Particles obviously do not need a medium to travel, and thus, neither did light." についてですが、ソースとされているアインシュタインのレクチャー(1909)では、その理由でエーテルが不要になったとの考えは述べられていないことを指摘しておきます。ドイツ語でのレクチャーの英訳はウィキソース[tps://en.wikisource.org/?curid=53013]に置いてあります。

 全体の趣旨は、特殊相対性理論とプランクの光量子仮説(light-quanta hypothesis)から光が粒子と波の2重性を持つと考えざるを得ないという結論を示そうとしているようです。つまりこれは光の2重性("quantum structure")が明確に打ち出された歴史上最初の提案らしいですね。これが後のド・ブロイの物質波仮説(1924)につながるのでしょう。ウィキソースの冒頭の解説には「a concept that may have led de Broglie to the "pilot wave" idea」と書かれていましたが。
 アインシュタインの主旨では、マクスウェル理論とマイケルソン・モーリーの実験と特殊相対性理論とによりエーテル仮説は必要がなくなったというのが、光量子像の話へのいわゆる前置きです。

 御紹介のアイザック博士(サー・アイザックと同名で嬉しいとの主旨の本人談もあるのでこう呼びます)の文の前大半は良く知られた史実で、最後の「This has been made to seem a paradox 〜could now be buried」が比喩を交えた博士自身の解説です。「粒子でもあるから媒質はなくてもいい」とする"説明"が有効だと考えていたらしいことはわかりますが、この部分はきちんとした"理論"の紹介にはなっていません。

 このあたりはまさに科学哲学では大きなテーマのひとつである「"説明"とは何か?」という話が絡んできていますので、ブログでしっかり書いた方がよさそうですが、まずは素描をしてみましょう。 >>>次の発言へ[>>493]


【補足】"Asimov's Guide to Science" (1960, 1965, 1972 Basic Bookd Inc.) は、初版は "The Intelligent Man's Guide to Science" (1960) で最新版が "Asimov's New Guide to Science" (1984) と版によるタイトルの微変更がありますが、御紹介の巻に関しては初版と同じとみてよいような気がします。残念ながらどの版にも邦訳はないようです。

493diamonds8888x:2019/09/08(日) 06:06:54 ID:DiMR4NG6
[>>492]は名前が抜けましたが私の投稿です。その続きです。

 "理論"と"説明"の微妙な違いの良い例がKenさんの発言[>>485]に示されています。

> つまり、クーロン力の存在から、電荷qによる影響がaやbの位置に及んでいることが観測され、その影響を「電場」と称しました。注意を要するのは、19世紀の段階では、なぜそのような影響が及ぶのかは分からない、つまり電場の正体は不明だったことです。

> 〜(中略)〜

>「場」を上記のような数式で表すだけではだめで、「場」とは何なのか、なれゆえぜ離れた所に力が働くのか、その点を明らかにする必要があるはずです。

 すなわち"理論"は、ある一連の仮定(公理とも考えられる)から観測可能な現象を予測できるもの、言うなれば「いかに?」という問いへ答えるものであり、必ずしも「なぜ?」という問いへの答えにはならない、という事情です。

 そして「科学は"なぜ?"は問わない」という考え方もあり、これも現代科学(20世紀以降ないし20世紀後半以降)のひとつの考え方です。ここの掲示板でも(第1でも第3でも)どなたかが披露されたこともありました。この考え方の19世紀の急先鋒がエルンス・マッハで、彼の思想はマッハ哲学とも称されてアインシュタインも影響を受けたと公言していましたが、別に"説明"と名が付くものすべてを排除しようとしたわけでもありません。

 マッハ哲学のポイントは「観測できないものは絶対に理論に持ち込まない」という思想で、いわば経験論の徹底からの結論とも言えます。まあ行き過ぎて窮屈になって科学理論構築の実用上は使いにくい思想になってたようですけど。「"絶対に"持ち込まない」ではなくて「"むやみに"持ち込まない」とか「持ち込まなくてもいい。持ち込んで安心できるならどうぞ。」くらいにしておけば良かったものを(^_^9。

 "理論"と"説明"の微妙な違いの別の例は量子力学です。量子力学理論は完成している範囲、例えば通常の化学反応とか物性物理学で扱う現象とかは正確に予測できると考えられています。さりながらいくら予測精度が高いという事実を突きつけられても"なぜそうなるのか?"ということがわからん、というわけです。粒子と波の両方の性質を持つとか、粒子がある範囲に確率的に存在するとか、"説明"になってない! というわけです。

 このような問題に歴史上初めて直面したのが万有引力仮説を提唱したサー・アイザックです。

494diamonds8888x:2019/09/08(日) 06:12:04 ID:DiMR4NG6
>>493
 アイザック・ニュートンが『プリンキピア(1687)』で発表した運動の法則と万有引力仮説はケプラーの法則(これは天球上の惑星運動を整理したもので万有引力仮説に比べれば観測事実ともみなせる)をピッタリと予測し、地上の落体運動も正確に予測し、19世紀に入っては海王星の予測というすさまじい威力を発揮したのですが、「"なぜ"引力なんてものが働くのか?」もっと正確には「引力の働くメカニズムは何か?」という問いには答えられませんでした。それらの批判に答えたとされる有名な言葉が「我は仮説を作らず」という言葉です。

 批判者が"引力の働くメカニズム"、別名"引力の正体"が必要だと考えた理由は、万有引力が"遠隔作用"だったからです。"近接作用"つまり直接接触した物体同士で力が伝わることは理解できる("説明"する必要がない)けれども、離れた物体同士に力が働くことには"説明"が必要だと考えたのです。

 こうして提案された重力理論の数々は日本版wikiでは「重力を説明する古典力学的理論」、英語版wikiでは「Mechanical_explanations_of_gravitation」に載っています。その多くでエーテルが使われていて"重力エーテル(gravitational aether)"とよばれており"光を伝えるエーテル(Luminiferous aether)"とは区別されています。これらの重力理論はいずれも科学的検証に耐えることができず、結局は"重力の説明"などされずに「質量は重力を産むのだ」という"現象論的事実"で満足してるというのがその後の経緯であり、現代の多くの人々の感覚です。"遠隔作用"は実際に観測されているでしょ。すなわち万有引力は磁力や静電気力と同様に"遠隔作用"として"実在"してるでしょ。それが何か? てことですね。

 そして磁力や静電気力を"実在する"と認めてしまえば、"場"とは"遠隔作用"が作用している場所を命名したものに過ぎずそれ以上"説明"する必要はありません。そしてマクスウェルが"場"が変化する法則を定量的に明らかにした時点で、実はそれ以上の"説明"は必要なかったのです。

 ふー、ちょっと舌足らずかなあ。ま、不明点があればどうぞ。


 なお重力エーテルの歴史的経緯の一部はアイザック博士が『次元がいっぱい(科学エッセイ8)』の中の「絶対真空 (The Rigid Vacuum)」で書いていますね。で、「災い転じて福となる(The Light that Failed)」ではやはり「プランクとアインシュタインの研究は、光が場合によっては粒子のようにふるまうものであり、ゆえに光が真空中を進むためにはエーテルが必要とされないことを証明したのである。」と書いてありますから、遺憾ながら博士もこの"説明"で満足しているみたいです。なにせ "Asimov's Guide to Science" でも、ニュートンの絶対空間の枠組みを否定したという特殊相対性理論の意義の一番大事な点を、エーテル説否定の次の2番目に持ってきてますからねえ。

495diamonds8888x:2019/09/08(日) 09:10:39 ID:wuw.oCIY
>>490, >>494
 まず現代では電磁波の媒質がどう考えられているのかを抑えておかなくては、エーテル理論の評価が曖昧になります。現代人の多くは重力場も電場も磁場も当たり前の"実在"という感覚ではないかと思います。目には見えないけれども物体の運動という目に見える形で検出できる存在で、それゆえ確かにそこにある、というのが多くの人の感覚ではないでしょうか。そして場の作用は、静的な場なら逆二乗法則で動的ならマクスウェル方程式で定量的に求められます。(重力波なら一般相対性理論からの方程式)。これらの定量的法則、特に逆二乗法則は見方によれば観測事実を単純な形に整理したものであり、その意味ではガリレオの落体の法則同様にほとんど観測事実だと見ることもできます。ただし定性的で曖昧な点のある観測事実ではなく、緻密な測定による定量的な観測事実で、観測自体が高度な技術(そして根性かな?)を要するけれども。

 そして電磁波とはその名の通り、検出可能な"実在"である電場と磁場の振動ですから、その他の媒質が必要などということは歴史を紐解いてエーテル理論の存在を知らない限り思いつかないでしょう。要するに現代では、エーテルという名の電磁波の媒質が【存在しない理由】を"説明"する必要性そのものがないのです。

 と、ここで現代人としてのKenさんの感覚を確認しておきたいのですが、現代人としてのKenさん自身は「エーテルという名の電磁波の媒質が存在しない理由」を"説明"するなり、"理論的に解明"するなりする必要があると考えているのでしょうか?

 また、もひとつ前の話で、近接作用なら説明しなくていいけど遠隔作用は説明の必要がある、とお考えでしょうか?

496Ken:2019/09/08(日) 11:40:45 ID:CbSK8gT6
今日は長い投稿をされていますし、アインシュタイン論文の英訳もあるので、すべて読んで理解するのに時間がかかりそうです。

1点だけ質問させてください。

私は、マイケルソンとモーリーの実験がエーテルの存在を否定した1887年から、エーテルがなくてもよいとわかった1905年までの18年の間に、媒質のない波という考えにいたることが可能であったか、という問題提議を行ないました。

注意を要するのは、特殊相対性理論の発表も1905年、つまり18年が経った後だったことです。

18年間のあいだに媒質のない波を説明できたかを考えるとき、特殊相対論を用いるのは妥当でしょうか?

言い換えれば、1887年に知られていた事実にのみ基づいて、特殊相対性理論にいたりえたでしょうか?

497diamonds8888x:2019/09/09(月) 06:18:49 ID:wuw.oCIY
>>496
 「当時の人々の立場で」という論法の問題点もありますが、その話は手間がかかりますので、とりえず直接的な問いへの答えだけします。

> 言い換えれば、1887年に知られていた事実にのみ基づいて、特殊相対性理論にいたりえたでしょうか?

 はい、いたりえました。光速度不変、正確には電磁波速度不変はマクスウェル理論の帰結ですから。知る人ぞ知ることですが、特殊相対性理論の構築にはマイケルソンとモーリーの実験結果はほとんど関係がありません。アインシュタインはマイケルソンとモーリーの実験結果を知らなかったという話さえあるくらいです。

498diamonds8888x:2019/09/10(火) 05:35:59 ID:wuw.oCIY
>>496
 科学史に関する話の確認と検討に時間がかかるのは当然でしょうが、[>>495]の2つの質問はKenさんの現状認識についての質問なのですぐ答えられると思いますので、こちらはYes/Noで早目に答えていただけると助かります。

 「〜電磁波は粒子であることが分かったので、媒質が不要になった[>>488]」との回答から見ると本気で「光は粒子でもあるから媒質はなくてもいい」という理論が現代の正しい理論として存在しているとお考えのようにも見えます。

 でもそんな理論はどこにもありませんし、まともな教科書にもそんな表現のあるものはないでしょう。現代の物理学では単に「電場と磁場以外の光の媒質という仮定は必要ない(*)」のです。

 実際、論理だてて考えれば「光は粒子でもあるから媒質はなくてもいい」という論理は、現代の量子力学の枠組みでは成立しません。
 
 2重スリット実験などを例に取れば、光子でも電子でもフィルムや2次元検出器に衝突する時は1点で検出されて粒子として振舞います。しかし放射源からスリットを通り検出器に達する直前までは波として振舞い干渉性を示すとされています。すなわち量子は、伝播している時には波として振舞い、検出器などと(つまりは何かの原子や分子と)相互作用するときには粒子として振舞うのです。伝播している時には波として振舞っている以上は、媒質は必要だということになるでしょう。


(*)私には神という仮定は必要ないのです。 by ピエール=シモン・ラプラス(Pierre-Simon Laplace)

499diamonds8888x:2019/09/10(火) 05:37:12 ID:wuw.oCIY
>>496
 もうひとつ[>>467]での問いかけにもYes/Noで答えてただけると助かります。

> [>>421]ミケさんも書いてます。
> >その前段階は
> > 「Pであり、¬Pである」といった矛盾したことを言っているわけではなく
> >Aさんの立場とBさんの立場で「論争状態」であったのだろうと思えます。

>  AさんもBさんも矛盾のない理論を打ち立てるべく努力を続けている点では同じです。

 Kenさんは「矛盾のない理論を打ち立てるべく努力を続けた」人はいても「矛盾を認めた人はいなかった」という考えにはあくまで反対ですか?
 
 Kenさんはあくまで「矛盾を認めた理論を誰かが提出した」と主張しますか?

500diamonds8888x:2019/09/10(火) 05:52:38 ID:wuw.oCIY
>>496,>>492
【参考】アインシュタインのレクチャー前半で言及のあるフィゾーの逆方向に流れる水の中の光の干渉実験は興味深いですね。"フィゾーの実験"でwikiにあります。水の中のエーテルなら検出されていた! ただし部分的に?
 特殊相対性理論で考えてみると、水の静止系に対して運動する光の速度は、水に対する運動系から見ると異なっていたわけです。なぜなら、水中の光の速度は光速度cではないから。

 科学史的には非常に注目されていい実験なのに、マイケルソンとモーリーの実験に比べると知名度がありませんねえ。私も初めて知ったくらいです。

[wiki日本語版からの引用]
(訳:アインシュタインは続いて彼が最も影響を受けた実験結果は光行差とフィゾーによる運動する水の中の光速度の測定だったとした。「それで十分だった」とアインシュタインは言った。)

501Ken:2019/09/12(木) 23:59:18 ID:CbSK8gT6
>>498>>499で尋ねられた2件の回答は保留させていただけませんか?
即答できないことはありませんが、このスレッドでは文意の行き違いが何度もありましたし、Yes/Noで単純に答えることには慎重になっています。それに今の話を続けてゆけば私の答えは明らかになるはずです。


ここ数日、diamonds8888xさんの書き込み、アインシュタインの論文、それに関連書籍を読んでいましたが、確認したいことが2点出ています。

まずは>>497で述べられたことですが、

>光速度不変、正確には電磁波速度不変はマクスウェル理論の帰結ですから。知る人ぞ知ることですが、特殊相対性理論の構築にはマイケルソンとモーリーの実験結果はほとんど関係がありません。

これは言葉の意味を明確にする必要があるでしょう。
そもそも「光速度不変」と言う場合、2種類の意味があると思います。

(1)光源が動いても光速は不変
(2)観測者が動いても光速は不変

(1)は電磁波に限らずあらゆる波に共通の特性で、たとえば音を例にとると・・・

私たちの生活空間になっている大気中では、音は大気に対して約330m/sの速さで伝わり、例え音源が速度をもっていても、音の伝播速度は変わりません。ですから例えば100m/sで飛ぶ航空機のエンジン音をパイロットが観測すると、前方には230m/sで、後方には430m/sで、そして真横方向には静止時と同じ330m/sで伝わります。

そして同じことが光でも起こるという予測をもって行なわれたのがマイケルソンとモーリーの実験でした。地球の進行方向と真横方向では光速の違いが観測されると思われたのに、実験してみると観測されませんでした。つまり上記の(2)の意味での「光速度不変」が明らかになり、この事実が特殊相対性理論の出発点、というのが私の理解です。

一方でマクスウェル理論では光速度は、電気定数εと磁気定数μを因子として、

c = 1/√(εμ)

と表現されます。2つの定数は光が伝わる空間の性質のみで決まり、光源の速度の影響を受けません。つまりマクスウェル理論がいう「光速度不変」とは上記の(1)の意味であり、特殊相対論を導くのに必要な(2)の意味とは異なるのではありませんか?

マクスウェル理論から相対論に至る論理展開とはどういうものでしょうか?


さて、アインシュタインの論文ですが、マイケルソンの実験がエーテルを否定した後で、それなら電磁波はどういう仕組みで伝わるのかが書かれているか、という視点で読んでみました。そして、私が理解した限りでは、それは全体の半分あたり、英訳では「Even without delving into〜」で始まり、「〜P2 are essentially inverse processes」まで続く箇所ではないかと思われます。

ここで言っていることは、光波動説(英訳では「oscillation theory」)では、媒質問題以外にも、説明できない事実が多く、光粒子説(同じく「emission theory」)の方が真実に近い、ということでしょう。とりわけ「Consider the laws governing〜」で始まる、X線が金属板に当たると電子線が飛び出すという一節は光電効果の話ですし、電磁波の粒子的性質が電磁波が伝わる仕組みを説明するなら、アジモフやウィキペディア記事と同じです。つまりこれは量子論の話なのです。

それでは、エーテルがなくても電磁波が伝わる仕組みを、相対論が説明する箇所はあるのでしょうか?

私には発見できません。ただ、「もしかするとここか?」と思われる箇所が1つあります。全体の5分の2あたりに、数式を並べて、エネルギーを光速の2乗で割ると質量になると語っている部分です。物体が電磁波を放出するとエネルギーが失われて質量が減る。電磁波が物体に当たるとエネルギーを与え質量を増やす。もしそれで電磁波が質量を内包したと考えるなら、質量と速度をもつ存在は運動量を、言い換えれば慣性を持つのだから、媒質はなくても空間を移動できるでしょう。

でも、これが媒質不在の説明になっているとは思えません。なによりアインシュタインがそんなこと言ってませんし、電磁波を放出した物体の質量が減るから電磁波が質量を持つというのは論理の飛躍でしょう。電磁波を放出した物体は温度が下がりますが(放射冷却)、電磁波自体が熱という物性を持つわけではありません。

念のために、特殊相対性理論を扱っている、ファインマン物理第1巻の15、16、17章を読んでみましたが、なぜ光が空間を伝わるかの説明はありませんでした。

15章:www.feynmanlectures.caltech.edu/I_15.html
16章:www.feynmanlectures.caltech.edu/I_16.html
17章:www.feynmanlectures.caltech.edu/I_17.html

本当に、アインシュタインのこの論文は、電磁波が伝わる仕組みを相対論で説明しているのでしょうか?

502diamonds8888x:2019/09/14(土) 10:23:21 ID:Y9s5dh4.
【参考】アインシュタインの講演「エーテルと相対性理論」(1920/05/05)について

>>490
> 正直にいいますと、この石原純という人の文章は読みにくいです。できればもう少し平易な言葉で解説していただけませんか?

 まったく同感です。英訳の方がはるかに読みやすそうです。2つとも内容は同じです。
[ttp://www-history.mcs.st-andrews.ac.uk/Extras/Einstein_ether.html]
[ttps://einsteinpapers.press.princeton.edu/vol7-trans/177]

 よければドイツ語原文で。[ttp://alberteinstein.info/vufind1/images/einstein/ear01/view/3/CP7Doc38_pp305-309_321_000016788.pdf]


 "ponderable matter" というキーワードは"想定可能物質"とでもいうか、直接観測できない仮想的物質(エーテルやダークマターやニュートリノや電子や)の反対語を示しているようです。
 ニュートンの"action at a distance"ないし"distant forces"を"contact forces"として説明するためのエーテル理論の話も冒頭に出てますね。

503diamonds8888x:2019/09/14(土) 10:42:30 ID:Y9s5dh4.
>>501
 ちょっとユニークな光速度不変の分類ですね。

> (1)光源が動いても光速は不変
> (2)観測者が動いても光速は不変

 (2)の意味の説明がありませんが? どんな意味なのかわからないと、なぜ「特殊相対論を導くのに必要な(2)の意味」なのかがわかりません。

 ちなみに不変という事は、測定値A(観測者,観測条件)による光速Aと測定値B(観測者,観測条件)による光速Bとが等しいという事です。干渉実験では測定値Aと測定値Bとの差だけを観測するのですけれど。Kenさんは測定値Aと測定値Bとの関係が(1)と(2)の2種類に分けられるとのことなのですね?


>本当に、アインシュタインのこの論文は、電磁波が伝わる仕組みを相対論で説明しているのでしょうか?

 もちろん説明してないと思いますよ。電磁波が伝わる仕組みの説明はマクスウェル理論だけで十分なのですから。

504diamonds8888x:2019/09/15(日) 06:11:01 ID:Y9s5dh4.
>>501,>>503
 マイケルソンとモーリーの実験は、測定値Aも測定値Bも同じ光源から出て、光源に対して静止している観測者による観測値であり、光の方向が約90度異なる光の速度差を観測しています。

 フィゾーの実験は、測定値Aも測定値Bも同じ光源から出て、光源に対して静止している観測者による観測値であり、2つの光の違いは水に対する相対運動です。この実験結果は、逆方向に運動する水の中を伝播する光の速度は確かに違っていることを示しています。つまり【水中の光速度】は水の屈折率だけではなく水の運動からも影響を受けるのです。
 なお水中の光速度cは既に、ホイヘンス=フレネルの原理により波動説から説明されています。
  c=c0/n(c0は真空中の光速度、nは水の屈折率)

 特殊相対性理論からの解釈では、上記の光速度cは水の静止系に対する速度であり、フィゾーの実験の場合は観測系は水に対して相対運動しているので、観測系に対する速度は水の運動速度とcとから計算できるものになります。
 エーテル理論からは、水がエーテルを部分的に引きずるために観測系に対する光の速度も変化すると解釈できます。

505diamonds8888x:2019/09/15(日) 06:23:24 ID:Y9s5dh4.
>>501
【参考】
FNの高校物理、アインシュタインの特殊相対性理論(1905年)、が特殊相対性理論とマクスウロエル理論およびローレンツ理論との関係に詳しいです。歴史的経緯の出典もきちんと載っています。
ttp://fnorio.com/0160special_theory_of_relativity/special_theory_of_relativity.html

 「(2)光速不変原理」をごらんください。
 文献205は、矢野健太郎『近代数学新書 相対性理論』至文堂(1967)です。


 文献108とされている下記もポイント。
  A.Einstein著(金子努訳)「わが相対性理論」白揚社(1973年刊)の第1部と附記1、2、5
 [ttp://fnorio.com/0160special_theory_of_relativity/Einstein_1917/Einstein_1917.html]

 この文献108のp218-219に、ローレンツ理論から静止エーテルの非観測性への認識が述べれています。
 [ttp://fnorio.com/0160special_theory_of_relativity/fig1-0-01.GIF]

506Ken:2019/09/18(水) 22:35:02 ID:CbSK8gT6
現在、私たちの間では2つの論点が議論されていると思います。

1.マイケルソンたちの実験と関係なく、マクスウェル理論から、特殊相対論を導けるか
2.量子論と関係なく、特殊相対論から、エーテルがなくても光が伝播することを説明できるか

一方で、元々の論点は、

〜波には媒質が必要という理論と、エーテルの存在を否定したマイケルソンの実験が並立したことで、「(¬P)∧P」つまり論理的に矛盾した状態が現実に発生したのではないか

というものでした。そして実は上記の1はこの元々の論点とは関連がありません。なぜなら「矛盾」を生じさせたのはマイケルソンの実験ですから、それ以前の状態は考察の対象にはならないはずです。問題自体は興味深いものですし、>>497で、

>特殊相対性理論の構築にはマイケルソンとモーリーの実験結果はほとんど関係がありません。アインシュタインはマイケルソンとモーリーの実験結果を知らなかったという話さえあるくらいです。

と言われたことで、つい論点にしてしまいましたが、今のスレッドで決着させる必要はないでしょう。とりあえず>>505で紹介いただいた参考文献も読んだ上で、私の考えを再度説明しますので、これでも同意いただけないのなら、1は保留を提案します。そのかわり本投稿では初歩から説明をします。diamonds8888xさんには冗長すぎる話になるかもしれませんが、どうかご辛抱ください。粒子、通常の波、そして電磁波の速度の観測値がどのように異なるかという話になります。(続く)

507Ken:2019/09/18(水) 22:35:31 ID:CbSK8gT6
はじめに粒子の話です。ここに機関銃を搭載した航空機があると思ってください。

まず、航空機が地上に静止した状態で機関銃を撃つと弾丸が飛び出しますが、これを地上に静止した観測者が見ると、300m/sの速度で弾丸が飛んでゆくものとします。次に航空機が100m/sの速さで飛行しながら同じ銃を撃つと、地上の観測者には弾丸は400m/sで飛んでいるように見えます。一方で、自らが100m/sで動いているパイロットが見ると、弾丸は300m/sで前方に飛んでゆきます。もし航空機が500m/sで飛んでも、弾丸に「追い着く」ことはありません。これはガリレオ以来よく知られた相対速度の原理です。

次は、一般的な波の例として音の話をします。教科書等では、音速はc=√(K/ρ)〜Kは体積弾性率、ρは密度〜と表され、標準的な地球の大気では約330m/sとなります。

まず、先の航空機が地上に静止しながらエンジンをかけると、エンジン音は、地上に静止した人が観測すると、330m/sで360度のあらゆる方向に広がってゆきます。そして、弾丸の場合と異なるのは、航空機が100m/sで飛んでるときも、エンジン音は330m/sの速さで広がることです。c=√(K/ρ)は媒質(大気)の特性だけで決まり、音源自体の速度の影響は受けません。

それでは、航空機のパイロットには、音はどのようにみえるかというと、自分の前方には230m/sで、後方には430m/sで波が遠ざかってゆきます。つまり音速は大気に対して一定ですから、観測者が大気に対して動くと、その分の速度が加えられたり差し引かれたりするわけです。超音速機のエンジンとなると凄まじい音を出しますが、最も近くにいるパイロットにはエンジン音が聞こえないことがあります。操縦席がエンジンよりも前方にあると、音が航空機に追い着けないのです。

ここから電磁波の話になります。マクスウェル理論が与える速度はc=1/√(εμ)〜εは電気定数、μは磁気定数〜となり、真空中では30万キロ/sとなります。音速の式とは形が異なりますが、電気定数と磁気定数という、やはり電磁波が伝わる空間の特性のみで決まります。そして、ここが肝心なことですが、マクスウェル理論に従えば、音の場合と同様に、観測者が動くと、観測される光速も変わるはずなのです。

例えばある宇宙船が地上に静止しており発光信号を出すとします。静止した観測者が見ると光は30万キロ/sで進んでゆくし、宇宙船が10万キロ/sで飛んでいるときに出した光も、地上で見ると30万キロ/sで進みます。つまりここまでは、数値が異なるだけで、音の場合と同じなのです。マクスウェル理論がいう「光速度不変」とは、このように光源が動いても光速は変わらないという意味なのです。

それでは10万キロ/sで飛ぶ宇宙船の乗員が光を観測するとどうなるでしょうか?

マクスウェル理論に従うと、光速はあくまでも空間に対して1/√(εμ)ですから、宇宙船自体が速度を持つとその影響が現れ、前方には20万キロ/sで、後方には40万キロ/sで進むのが見えるはずです。宇宙船の代わりに秒速30キロで動く地球の影響を観測しようとしたのがマイケルソンとモーリーの実験でした。マクスウェル理論を知っていた彼らは、地球の速度が、光速度の観測値に影響するはずと考えたわけです。

ところが実験の結果、地球の速度の影響は観測されませんでした。光の速度は、観測者が動いていても変わらないのです。これは光源が動いても光速が変わらないというマクスウェル理論の「光速度不変」とは全く異なる「光速度不変」の事象です。

そして、この第2の光速度不変こそがローレンツ変換ひいては特殊相対性理論に至る出発点でした。マクスウェル理論がいう「光速度不変」からは相対論にはいたれない、というのが私の理解です。


あるいは私の理解が間違っており、第2種の光速度不変がマクスウェル理論から導けるのかもしれません。それを検証するには、マクスウェル方程式から出発してc=1/√(εμ)にいたる過程を辿ってゆくしかないでしょう。これは学生時代にやったという記憶だけがあるのですが、私の学生時代は30年も昔のことで、詳しい内容は忘れましたし、あらためて数式レベルでのおさらいをするとなると1〜2ヶ月も要することが予想されます。課題自体は非常に面白いので、とりあえずファインマンを読み進めてゆけば答えが得られることを期待しています。

最初に述べたように、この問題自体は元々の論点との関連がないので、私からの発言はここまでにします。あるいはdiamonds8888xさんからさらなるご指摘があるかもしれませんが、現時点では私の理解が追随しないでしょう。

次回から上記の2、電磁波がエーテルを必要としないことを、量子論を使わず、相対論までの理論だけで説明ができるか、という話を続けようと思います。

508diamonds8888x:2019/09/21(土) 06:23:45 ID:A4hDbrJ.
>>507
 ともかく[>>501]の2つの意味は理解しました。
>(1)光源が動いても光速は不変
>(2)観測者が動いても光速は不変

 普通の人に理解してもらうなら以下の言い方がいいですよ。
(1)絶対静止系から見れば、全ての光の光速は不変、つまり同一
(2)異なる運動をする観測者が見ても、同一光の光速は不変、つまり同一

 そして「光速度不変」という言葉は普通は(2)の意味でしか使いません。(1)の意味で使うのはKenさんの独自の使い方でありスタンダードではありません。マクスウェル理論の「光速度不変」などという言い方も初耳です。

 「絶対静止系」とか「絶対空間」とか調べてごらんなさい。
 ついでに「光速度不変」という言葉を(1)の意味で使う事例があるかどうかも。

 おっとついでに、
>ここが肝心なことですが、マクスウェル理論に従えば、音の場合と同様に、観測者が動くと、観測される光速も変わるはずなのです。

 そんなことはありません。むしろ「変わらないはずだ」ということに気付いたのがアインシュタインだと言えます。

509Ken:2019/09/21(土) 06:52:14 ID:CbSK8gT6
>>508

>>ここが肝心なことですが、マクスウェル理論に従えば、音の場合と同様に、観測者が動くと、観測される光速も変わるはずなのです。
>そんなことはありません。むしろ「変わらないはずだ」ということに気付いたのがアインシュタインだと言えます。

>>507で書いたように、この件は私自身が電磁気学をおさらいするので、ここまでにさせてください。

ただし今回、上のように述べたのは、いくつかの文献をそのように解釈したからです。例えばdiamonds8888xさんが紹介されたこの文章もそうです。

fnorio.com/0160special_theory_of_relativity/special_theory_of_relativity.html

「(2)光速不変原理」の説明の中に、「このことから直ちに、電磁気の法則を表す方程式は〜」から始まって、「〜われわれの観測系の相対速度を知っていなければならないことになる」までの記述があります。この文章なども、少なくとも今の私には、観測者が動くと観測される光速が変わるといっているとしか思えません。

言い換えれば、アインシュタインに「変わらないはずだ」と気づかせたのは、マクスウェル理論ではなく、あくまでもマイケルソンたちの実験結果ではないか、ということです。

510Ken:2019/09/27(金) 23:22:44 ID:KBz.PgiU
本論に戻りましょう。>>506で挙げた2です。

〜媒質がなくても光が伝播することを説明したのは、特殊相対論なのか、それとも量子論なのか?

すでに述べたように、私なりに相対論を復習するため、ファインマンの15〜17章を読み直しましたし、diamonds8888xさんが紹介されたアインシュタインの1909年の論文も複数回読みました。

そして、あらためて言いますが、特殊相対論から、電磁波が媒質を必要としないという結論に至る道筋が、私には見えません。


一方で、私が紹介したウィキペディア記事やアジモフ著書にいう、光の粒子的特徴が媒質を不要にしたという話は、納得できるのです。

粒子的特徴の表れとして、光が電子を押すという光電効果が述べられています。しかし、古典力学的な波動が何かを「押す」ことはありえません。

音のような縦波は瞬間的に、つまり半サイクルの間は、押すでしょう。でも残りの半サイクルは引くのだから、対象物はその場で前後に振動するだけです。

まして電磁波は横波です。電磁波の通り道に電子があっても電場と同じ方向に、つまり波の進行方向とは直角に、振動するだけです。ところが光電効果はまったく異なる現象です。電子は、波の進行方向に押されるのですから。

こんな現象を示す電磁波は波(古典力学的な波動)ではありえません。光が電子を押し飛ばすということは、光が運動量を、言い換えれば慣性を、持つということで、それならたしかに媒質などなくても空間を移動するでしょう。

現在、私は、電磁気学をおさらいするために、ファインマン物理の第2巻(feynmanlectures.caltech.edu/II_toc.html)を少しずつ読んでいます。私の理解が進めば、あるいは、マクスウェル理論や特殊相対論から「媒質がない波である光」へ至る道が見えるのかもしれませんが、相当に時間がかかりそうなので、「現時点ではこう考えています」ということを、本投稿で述べました。

511diamonds8888x:2019/09/30(月) 06:17:43 ID:dBoDVxQ6
 学びなおしお疲れ様です。経緯とエールを送りますから、さらなる研鑽を祈念します。時間が足りないので、詳細でもわかりやすくもないと思いますが、いくつかコメントを。

 マクスウェル理論から光速度不変が必然という見解は引っ込めます。ただし、強く示唆されるとは言えるし、実際アインシュタインは「どの慣性系でもマクスウェル理論が成立するはず」という相対性原理から特殊相対性理論を組み立てたことは、その名前にも現れています。

 結局「光の媒質は電磁場である」というだけで十分、という見方は理解できないということですね? 本当に19世紀の人と議論しているような気がします。
 このような問いへの答えは学びなおしが一段落したところで、いただけるとのことでしたからお待ちしています。

 老婆心ながら、以下の点も考慮してみてください。

 ・エーテルは急に否定されたのではない。徐々に属性を失くしていき、最後は「絶対静止性」しか属性がなくなり、それも特殊相対性理論により奪われてしまった。
   (例えばアインシュタインの1920年のレクチャー)
 ・時間や空間(エーテルと物体)が伸縮するという概念はローレンツ理論で登場している。
   (ローレンツ理論はマイケルソンたちの実験結果を矛盾なく説明している)
   (時間とは伸縮しないものだとか定義したら矛盾だけど、それ本当の矛盾ですか?)
 ・フィゾーの実験では何が起きたのか?
   (特殊相対性理論の学びなおしも必要なら、やってください )


 そしてそもそもの本論である「矛盾を認めるしかなかった」という話ですが。どの理論家も「矛盾を認めた理論」などは提案していないでしょう? それが一番大事なことです。

 この件について[>>506]で微妙に表現が変っていますね?

>〜波には媒質が必要という理論と、エーテルの存在を否定したマイケルソンの実験が並立したことで、「(¬P)∧P」つまり論理的に矛盾した状態が現実に発生したのではないか

 「論理的に矛盾した状態が現実に発生したように見えた」ということなら同意しますよ。でもそこで科学的方法に従うまともな研究者なら、「そのように見えただけだ」と考えるはずだし、そうあるべきだということです。

 推理小説で不可能犯罪が起きたようなものですね。

512Ken:2019/10/05(土) 14:12:39 ID:KBz.PgiU
ファインマン物理は第2巻の17章まで読みました。ちょうど電磁誘導の説明が終わったところですが、マクスウェル理論から特殊相対論への流れ(示唆?)はまだ現れません。13章で相対論の話が登場した時はもしやと思いましたが、内容はマクスウェル理論を相対論で再解釈する、というものでした。

「場」については、電場も磁場も大いに言及され、数式の中で利用されていますが、最も肝心な「場の正体は何であるのか?」という点は、これまでのところ説明がありません。(もっとも現時点の私は、場の正体が説明されるのは量子力学を待たねばならず、19世紀には不可能だったと考えているわけですが。)

さて、

>本当に19世紀の人と議論しているような気がします。

私は「基準」の普遍性の検証として、19世紀の知識体系の下では、基準がどういう判定をするか、という思考実験をしていますから、19世紀人の発言のように聞こえるのなら、私の企図が成功しているということでしょう。

「場」についてですが、私は>>485で、

>基本命題:振動現象には振動する実体があるはず

と述べましたが、これは今でも生きています。

マイケルソンたちの実験でエーテルが否定されたと言いますが、事実としてのエーテルの存在が否定されても、波動には媒質が必要という基本命題の否定にはなりません。「波」にせよ「場」にせよ、「なにものか」が伝えなければ、空間を伝わるはずがない、というのは、いわば公理ではありませんか。絶対静止性を否定する特殊相対性理論といえども、この公理だけは否定できません。

結局は、20世紀になって、電磁場を伝えるのは光子であり、光電効果が示すように光子とは粒子的存在であり、それゆえに媒質は必要ないという知見が得られたことで、「矛盾」が解決されました。光は「媒質のない波」ではなく、そもそも波ではなかったのです。


> 「論理的に矛盾した状態が現実に発生したように見えた」ということなら同意しますよ。でもそこで科学的方法に従うまともな研究者なら、「そのように見えただけだ」と考えるはずだし、そうあるべきだということです。

ある時点では「矛盾」に見えても、いずれ知見が進めば矛盾でないことが分かる、という趣旨でしょうか?

でも、diamonds8888xさんの基準とは、あらゆる発展段階で普遍的に適用されるものでしょう? どんな知識体系の中でも、その基準に照らし、ある科学理論は「疑似科学」と判定されるはずです。言い換えれば、知識体系が変わっても、疑似科学が正しい科学になったり、その反対が起こるわけではないのではありませんか?

以前に挙げた例ですが、

〜太陽神アポロは大地神ガイアよりも神格が高いから中央に鎮座するはず

という理論は、その論理展開自体がすでに疑似科学であり、たとえ、知識体系が進んで、本当に太陽を地球が周回することが分かっても、正しい科学にはならない、という話をしました。

ひとつお尋ねしたいのですが、>>353

>基準05: P∧¬Pは間違いである。言い換えれば、¬(P∧¬P)

と言われたとき、この基準に照らして疑似科学と判定されるのはどのような理論なのかという、具体的なイメージをお持ちだったのでしょうか?

513diamonds8888x:2019/10/07(月) 05:18:53 ID:L8o3xA0o
>>512
 まず論理的矛盾を指摘しておきます。

> 結局は、20世紀になって、電磁場を伝えるのは光子であり、光電効果が示すように光子とは粒子的存在であり、それゆえに媒質は必要ないという知見が得られたことで、「矛盾」が解決されました。光は「媒質のない波」ではなく、そもそも波ではなかったのです。

 ちっとも解決になっていません。「そもそも波ではない光が干渉を起こす」という新たな矛盾を抱え込むだけです。ていうか、マクスウェル理論とヘルツの実験により「電磁場の波」の存在は明確になったのですよ。「光が電磁波であるというのは間違いだった」という理論なら、ヘルツの結果との矛盾は解消しそうですけど。


> >本当に19世紀の人と議論しているような気がします。

> 私は「基準」の普遍性の検証として、19世紀の知識体系の下では、基準がどういう判定をするか、という思考実験をしていますから、19世紀人の発言のように聞こえるのなら、私の企図が成功しているということでしょう。

 私は現代人としてのKenさんの考えや感覚を確認したかったのですよ[>>495]。だから私は最近のKenさんの再勉強の発言はすべて「現代人であるKenさんが自分の考えは抑えた19世紀の知識体系の下でという制限のかかったものとは考えていませんでしたが、違うのですか? だったら今すぐその制限をまず取っ払ってください。私はまず現代人であるKenさんの感覚を知りたいのです。お間違えなきよう。

 私が懸念しているのはKenさんが現代の考え方をちゃんと知っているのかどうかなのです。

 例えば、「相対性理論は相対性原理から導かれた、正確には示唆を受けた」ということはちゃんと知っていますか?

514diamonds8888x:2019/10/07(月) 05:20:18 ID:L8o3xA0o
>>512
 問われたら答えざるを得ませんので、答えます。

> >基準05: P∧¬Pは間違いである。言い換えれば、¬(P∧¬P)

> と言われたとき、この基準に照らして疑似科学と判定されるのはどのような理論なのかという、具体的なイメージをお持ちだったのでしょうか?

 そんな馬鹿な理論を提案するまともな研究者などいないと思ってます。つまり世の中にそんな馬鹿な理論が存在するはずはないと思っています。まさかKenさんがこの基準に異を唱えるとは思いもよりませんでした。

> ある時点では「矛盾」に見えても、いずれ知見が進めば矛盾でないことが分かる、という趣旨でしょうか?

 だ・か・ら、まともな研究者なら「矛盾を説明する理論が必ずあるはずだ」と信じてそれを探す努力をすると言っているのです。不可能犯罪に直面した名探偵と同じことです。てか、名探偵でなくても現代警察ならそうだと思いますけどね。「いずれ知見が進めば矛盾でないことが分かる」ということはその通りです。が、知見は自然に進むのではなく自分たちこそが進ませるのだと意気込むのが、謎に直面した科学者の意気込みというものでしょう。

 そこで「矛盾を受け入れるしかない」とかほざいてあきらめる者は科学者とはいえません。あきらめたらそれで試合終了だよ。

 実際にマイケルソンたちの実験結果に直面した科学者達も誰一人として「矛盾を受け入れるしかない」とかほざいてあきらめたりはしていませんよ。いると言うなら指摘してくださいと何度も言ってますよね。具体的なことも挙げずに「矛盾を受け入れた」などと言うのは彼らに対して極めて失礼です。誹謗中傷といっても過言ではありません。

515diamonds8888x:2019/10/07(月) 05:25:52 ID:L8o3xA0o
>>512
 こちらの問いも大切ですね。

> でも、diamonds8888xさんの基準とは、あらゆる発展段階で普遍的に適用されるものでしょう? どんな知識体系の中でも、その基準に照らし、ある科学理論は「疑似科学」と判定されるはずです。言い換えれば、知識体系が変わっても、疑似科学が正しい科学になったり、その反対が起こるわけではないのではありませんか?

 混乱しやすいですから注意して読んでください。その通りですが、「知識体系」の中に「科学的方法論に関する間違った知見」が入っていれば、その「知識体系」にどっぷりつかっている人は間違えますよね。

 既に述べましたが科学的方法論に関する知見自体も歴史的に進歩してきたのです。科学的方法自体が歴史的に発展してきたものですから、昔の議論に現代の基準に沿わないものが混じっていることもあり得ます。

 とはいえ近代科学勃興期以降、すなわちガリレイやニュートン以降の研究者ならほぼ現代の基準にも沿っているでしょうから事例として挙げることは不適切なことではありません。しいて言えば、当時はまだ確率的思考というものは現代ほど進展していなかったようです。これは現代人にとっても難しいから仕方ない。

 そして如何に古代にまでさかのぼったとしても、さすがに「矛盾を許容する自然哲学理論」を唱えた哲学者はいないと思いますよ。皮肉かジョークか比喩でもない限りは。なにせギリシャ人は論理を貴ぶ人達ですからね。中国など他の地域の哲学者だって自分の理論の矛盾に気付かないことはあっても、矛盾があると知ってて唱えた人はいないと思いますけどねえ。

516diamonds8888x:2019/10/07(月) 05:37:05 ID:L8o3xA0o
 ちよっと[>>510]についても考慮すべき点をコメントします。

> 音のような縦波は瞬間的に、つまり半サイクルの間は、押すでしょう。でも残りの半サイクルは引くのだから、対象物はその場で前後に振動するだけです。
> 
> まして電磁波は横波です。電磁波の通り道に電子があっても電場と同じ方向に、つまり波の進行方向とは直角に、振動するだけです。ところが光電効果はまったく異なる現象です。電子は、波の進行方向に押されるのですから。

 そうとも限りませんよ。粒子の大きさが波長に比べて無視できる場合は御想像通りでしょうが、波長が粒子の大きさより短い場合はどうでしょうか?

 また粒子の質量が大きく波の振動数が高い場合は、粒子が波の動きについていけないことになるでしょう。すると何が起きるか?


 勉強途中を邪魔したようならごめんなさい。検討を、いや健闘を祈ります。

517Ken:2019/10/09(水) 23:27:15 ID:KBz.PgiU
>>513

要するに、光は、媒質を必要とする古典力学的な波ではない、ということです。光は光子という、運動量をもつ粒子なのです。

そんな光が干渉を起こすのは、

*光子のような量子サイズの粒子は、原理的に、位置を特定できない
*ただし無秩序にどこにでも存在するのではなく、存在確率は法則に従う
*その法則とは波動関数である

という特徴があるからです。こんなことはdiamonds8888xさんは先刻ご承知ではありませんか。

そして、私がこのことを何度も強調するのは、量子論が登場するまでは、「媒質のない波」という矛盾つまり「P∧¬P」状態が存在する時期があったことを主張するためです。

>私は最近のKenさんの再勉強の発言はすべて「現代人であるKenさんが自分の考えは抑えた19世紀の知識体系の下でという制限のかかったものとは考えていませんでしたが、違うのですか?

「現代人」の私がファインマンを読んでる理由は1つ。マクスウェル理論から相対性理論を導けるのかを明らかにしたいからです。ただし>>506で断ったように、「媒質がない波」の問題を解決したのが、相対論ではなく量子論という認識に立つ限り、これは現在進行中の議論とは関係がありません。

一方、19世紀の段階で、「基準」がどのような判定を行い、結論を出すかを考えるには、私自身が19世紀の人間になってみる必要があります。

>>514

>「矛盾を受け入れるしかない」とかほざいてあきらめる

あきらめる、などとは言っておりません。そもそも科学に最終結論はありえず、矛盾があろうがなかろうが、探求は永遠に続くことでしょう。その意味で、あらゆる科学理論は暫定的なものです。そして、ある段階で「P∧¬P」状態が観測され、その矛盾を解決する方法が見つからないのなら、暫定理論として「P∧¬P」を受け入れるしかないのでは、といっています。

>> >基準05: P∧¬Pは間違いである。言い換えれば、¬(P∧¬P)
>> と言われたとき、この基準に照らして疑似科学と判定されるのはどのような理論なのかという、具体的なイメージをお持ちだったのでしょうか?
>そんな馬鹿な理論を提案するまともな研究者などいないと思ってます。

私は「基準」について知ろうとしているのですから、その基準がどういう理論を疑似科学と判定するのかという具体例を知りたいのです。現実には誰も提唱しなかった架空の理論でもかまいません。私が例に挙げたアポロとガイアの理論もそのようなものです。

518Ken:2019/10/09(水) 23:50:40 ID:KBz.PgiU
勉強の途中報告です。
ファインマン物理第2巻の第21章で、マクスウェル理論から特殊相対性理論にいたる、最初のステップが登場しました。

www.feynmanlectures.caltech.edu/II_21.html

その話は21章の6節(21-6)に出てきます。一定速度で動く電荷が(x,y,z,t)という時空座標に作る電場ポテンシャルを表す(21.39)式の中に「1-v²/c²」という、ローレンツ変換と共通する項が含まれます。

もちろん、これだけではまだ特殊相対論にはなりません。本当のローレンツ変換なら、

1.長さが縮み、時間が遅れる
2.電荷ではなく観測者が動く場合も同じになる

という結論になるはずですから。

今後のタイトルを見ると26章でより詳しい説明がなされるのかもしれません。

519diamonds8888x:2019/10/14(月) 14:30:17 ID:EXxs5TEU
>>517
>あきらめる、などとは言っておりません。そもそも科学に最終結論はありえず、矛盾があろうがなかろうが、探求は永遠に続くことでしょう。その意味で、あらゆる科学理論は暫定的なものです。

 そのことは十分に理解されているということですね。よかったよかった。中にはそれを理解していない頭の固い人もいますからね。

>そして、ある段階で「P∧¬P」状態が観測され、その矛盾を解決する方法が見つからないのなら、暫定理論として「P∧¬P」を受け入れるしかないのでは、といっています。

 そんな暫定理論を一体だれがいつ提出したんですか? 実例がないでしょう?

>そして、私がこのことを何度も強調するのは、量子論が登場するまでは、「媒質のない波」という矛盾つまり「P∧¬P」状態が存在する時期があったことを主張するためです。

 どうにも表現の問題だけという気もするんですが、どうして「「P∧¬P」状態が存在する」と表現しなくてはいけないのですか? 単に「「P∧¬P」状態が存在する」ように見えるだけでしょう?

 それはむろん「19世紀の知見しかない」からだと言えば確かにそうでしょう。でも、すべての未解決の謎は「矛盾が存在するように思える」ものですよ? けれども「それはまだ我々の知らない知見があるからだ」と想定してその未知の知見を求めて努力するのが自然哲学者(自然科学者)です。「「P∧¬P」状態が存在する」と認めることなどありえません。

 いくら歴史上の話とはいえ自然哲学者(自然科学者)の精神を持たない人達のことは初めから除外してますからね。

 [>>512]で次のように尋ねられましたね。ちょっと答えは保留していましたが
>ある時点では「矛盾」に見えても、いずれ知見が進めば矛盾でないことが分かる、という趣旨でしょうか?

 そういう意味です。が、論理的に厳密に言えば次のようになるでしょう。

 「いずれ〜」という未来のことは誰にもわからない。が、可能性は3つ。
  1) いずれ矛盾ではなかったことが分かる
  2) いずれ矛盾が本当に生じていたことが分かる
  3) 本当の矛盾なのか矛盾に見えるだけなのか分からない状態がいつまでも続く

 要するに【現在】は3)の状態であって、本当に矛盾が生じているのではありません。
 さらに現実的な話としては「矛盾が本当に生じる」なんてことは基本的論理を信ずる限りはありえません。そして自然哲学者(自然科学者)が基本的論理を放棄することなど考えられません。

520Ken:2019/10/17(木) 23:08:00 ID:KBz.PgiU
>>519

繰り返し説明をいただいてますが、やはり私としては抽象論ではなく具体例がないと、納得ができません。
「P」とか「¬P」のような抽象記号にして問題を数学化すれば、それは「P∧¬P」などあり得ないに決まっています。でも現実問題では「P」も「¬P」も、観察によって得られた具体知識なのです。

19世紀の話ばかりをして恐縮ですが、どうかご辛抱ください。

19世紀の古典力学の中では、光粒子説と光波動説は絶対的背反つまり「P」と「¬P」の関係にあったはずです。ということは、

基準05: P∧¬Pは間違いである。言い換えれば、¬(P∧¬P)

により、光が粒子でもあり波動でもあると主張するのは正しくない科学であったことになります。現実を反映しない「不正確な理論」ではなく、アプローチ自体が正しくない「疑似科学」ということです。

ところが20世紀に量子力学が登場すると、光(電磁波)が粒子でもあり波動でもあるという理論は広く支持され、ファインマンを含むあらゆる教科書に載るようになりました。

基準自体は何も変わらないのに、新しい情報が加わったことで、それまで疑似科学だったものが疑似科学でなくなるのみか、定説になってしまったわけです。

これではdiamonds8888xさんが考える「基準」としてはおかしいのではありませんか?

新しい知見が得られただけで、疑似科学と正しい科学が立場を入れ替わるような基準は、そもそも基準になりえないのではないのでしょうか?

521diamonds8888x:2019/10/20(日) 06:12:30 ID:ChDNCoB2
>>517,>>520
 量子のパラドックスは難問ですが、矛盾のある理論など誰も提出していないことには変わり有りません。まずは媒質の無い波についてです。

>>517
> *光子のような量子サイズの粒子は、原理的に、位置を特定できない
> *ただし無秩序にどこにでも存在するのではなく、存在確率は法則に従う
> *その法則とは波動関数である

 つまり波動関数とやらが干渉をする「波」なんでしょう? その「波」には媒質はあるのですか? 単に単語を並べただけで"説明"がついて気になってはいないでしょうね?

 「光は波だから媒質はいらない」というのは「波は必ず媒質を持つ」という公理を守った理論です。違いますよ。「波は必ず媒質を持つ」という公理が破棄されたのです。もっともこれはひとつの"説明"でしかありません。一応「マイケルソン・モーリーの実験」の時点でエーテルの風は吹かないことがはっきりしたものとして、ここで光に関しては次の2つの"説明"、というか"見方"ができました。
  1)光波は媒質を必要としない波である
  2)光波は電磁場を媒質とする波である

 1)の"見方"を取れば、この時点で「波は必ず媒質を持つ」という公理が破棄された理論が登場したという事です。これまで絶対的背反などと考えていた"公理"が観測事実により破棄されるという、自然科学の発展においてよく起きることが起きただけです。P∧¬Pが生じたという理論を提出した人はいません。

  【注】これまでの常識が観測事実により破棄されることが「よく起きる」という認識が20世紀人の認識であり、19世紀はその事実を知り始めた時代であることは確かですが。とはいえ、進化論やら微生物の存在やら原子分子論やら、それなりに慣れ始めてはいたはずですが。

 2)の"見方"を取れば、「波は必ず媒質を持つ」という公理は保存されます。それだけのこと。そして2)の"説明"ならばマクスウェル理論の時点で可能でした。ニュートンが「我は仮説を作らず」と述べて「観測される現象がきちんと予測できるなら、それ以上の"正体の説明"など不要」という現代科学のひとつの見識を確立したように「観測される電磁場の"正体"など不要」と割り切ればそれでよかっただけなのです。


 まず次のことはマクスウェル理論の時点で明らかだったのです。
  ・光は電磁場の振動である。
  ・ゆえに光の伝播には電磁場さえあれば(他の物質的な)媒質はいらない。
  ・または、光の媒質は電磁場である。

 なぜこの単純なことが受け入れにくかったのかと言えば、ひとえに「場」というものを何となく物体や物質のような確固たる実在だと受け入れることができなかったからです。つまり思い込みというやつです。しかし現代の科学は「場の正体」という概念は必要としていません。なぜなら「場」の属性は「場」の方程式により精密に定まっており、定量的に観測可能だからです。ちょうど物体の大きさや形や重さが定量的に観測可能だから、「大きさや形や重さの正体」という概念を必要としないのと同様です。

 さて電磁波の速度は真空の誘電率と透磁率から定まるものでした。ここで誘電率と透磁率とが例えば万有引力定数のように物理法則を定める定数だと考えればこれはどのような観測系から見ても同じになるはずだ、というのがマッハの影響を受けてアインシュインが思索をした「相対性原理」の適用です。となると必然的に光速度はどのような観測系から見ても同じになるはずだとの結論になります。

 まあ実際にはもう少し複雑な話が絡みはしますが、それはブログで詳しく書くとしましょう。それにここまでではまだ「相対性原理」を適用してアイディアが生まれたというだけです。が、アインシュインがこのような思索で相対性理論のアイディアを思いついたのは間違いない所です。強調しておきますが、アイディアを思いつくことが可能だったという話であり、マクスウェル理論から例えば数式誘導により必然的に光速度不変が出てくるという話ではないのですよ。だからこそ「マクスウェル理論から光速度不変が必然という見解は引っ込めます。[>>511]」と書きました。

522diamonds8888x:2019/10/20(日) 06:22:15 ID:ChDNCoB2
>>520
>光が粒子でもあり波動でもあると主張するのは正しくない科学であったことになります。現実を反映しない「不正確な理論」ではなく、アプローチ自体が正しくない「疑似科学」ということです。

 なりません。

 「光粒子説と光波動説は絶対的背反」という仮説が間違いだったとわかっただけです。もちろん間違いだという根拠も示さずに「光でも波でもある存在」を主張すれば疑似科学と呼ばれても仕方ないかも知れませんが。
 もちろん御承知でしょうが、量子論における粒子や波は19世紀にイメージされていた粒子や波とは性質が異なるものです。だから量子論では物質は波でも粒子でもなく量子だ、などともよく言われます。

523Ken:2019/10/20(日) 20:14:21 ID:KBz.PgiU
>>522

>「光粒子説と光波動説は絶対的背反」という仮説が間違いだったとわかっただけです。

でも、考えてみてください。

19世紀の知識体系の中で、粒子説と波動説は背反関係にある、という以外の結論にいたり得たでしょうか?

どうやればそんなことが可能でしたか?

524diamonds8888x:2019/10/21(月) 05:25:29 ID:ChDNCoB2
>>523
>どうやればそんなことが可能でしたか?

 光の媒体の例も理解していないのに、それより理解しにくい波と粒子の両立性に話をずらしたら混乱するだけですよ。まず、波と媒質の件を理解してください。波と粒子の話はそれからです。後者は今でも物理学者の間で見解が分かれるくらいの話なんですから。

 マクスウェル理論の時点で光は電磁場の振動であると多くの研究者は認めたのです。個人的にはちょっと論理の飛躍がある気はしますが、大きな反対はなかったみたいですから。この時点でエーテルは必要なくなっていたのですよ。ニュートンの重力場にエーテルは必要なくなっていたのと同様にね。マクスウェルやローレンツも含むけれど多くの人々は、場の奥には機械論的性質を持つエーテルが必要だ、という想いに囚われていたのです。その囚われを解放したのがアインシュタインの相対性理論ということです。


 ところでこの質問の意味は、以下のどちらの意味ですか? nn世紀のという表現はどうも引っかかりますが、以下のように「新たな知識(主に観測事実)」と解釈していいですよね? 新たな思いつきもあるでしょうけど、思いつきだけなら何世紀だろうと可能でしょうから。

 1.新たな知識(主に観測事実)なくして「粒子説と波動説は背反関係になくてもいい」という理論を人は思いつけたか?
 2.新たな知識(主に観測事実)なくして「粒子説と波動説は背反関係になくてもいい」という理論を提唱したら、それは科学的に妥当な理論なのか?

525Ken:2019/10/22(火) 11:43:27 ID:KBz.PgiU
>>524

まず、

>1.新たな知識(主に観測事実)なくして「粒子説と波動説は背反関係になくてもいい」という理論を人は思いつけたか?
>2.新たな知識(主に観測事実)なくして「粒子説と波動説は背反関係になくてもいい」という理論を提唱したら、それは科学的に妥当な理論なのか?

本スレッドの中では2の意味で使用します。論理的な脈絡なしに夢想する人はいるかもしれませんが、それこそ「疑似科学」ですよね。

>光の媒体の例も理解していないのに、それより理解しにくい波と粒子の両立性に話をずらしたら混乱するだけですよ。

とりあえずdiamonds8888xさんのお考えを述べられて、混乱を生じるか試したらどうでしょうか? 私たちの間には、おそらくは基本思想の違いから来る、言葉の意味の行き違いも多くありましたが、全体を見れば、論理的なコミュニケーションが成立していたと思いますし、だからこそ2年近くも議論が続いてきたのではありませんか?

「場」については>>485で私の考えを述べております。

19世紀の人にとって「場」とは、クーロン力やローレンツ力や重力が非接触的に作用することを表す1つの表現方法でした。「場」があるとは、そこに力が働く、という以上の意味ではありません。問題は「なぜ」そんな力が働くかということで、光の媒質問題もここに集約されます。

古典力学の立場で考えてみてください。

波が伝わるとは、つまり力が伝わるということです(縦波なら垂直力、横波ならせん断力)。離れた場所に、非接触的に力が伝わることは、波(この場合は電磁波)が伝わることを知ってる人なら、当然の想定事項です。問題は「何が」その力を伝えるのかで、それがつまり媒質問題にほかなりません。

その媒質問題を考えている人に、「クーロン力やローレンツ力が観測されたから、もう媒質は考えなくてもよい」というロジックが通用するでしょうか?

通用するはずがありません。

>マクスウェル理論の時点で光は電磁場の振動であると多くの研究者は認めたのです。

たとえそうだとしても、その「電磁場」の正体が分からないのなら、

>この時点でエーテルは必要なくなっていたのですよ。

という結論にはならないはずです。少なくとも私には論理の筋道が見えません。

なお、

>その囚われを解放したのがアインシュタインの相対性理論ということです

アインシュタインの考えについては、1909年の論文を紹介していただきましたし(en.wikisource.org/?curid=53013)、ファインマン物理の特殊相対論の説明も読みましたが、なぜ相対論がエーテルを不要にしたのかという説明は見つかりませんでしたと、>>501で述べました。私の考えはそこから変わっておりません。

ただし私自身は、エーテルを不要にしたのは、あくまでも量子論だったと考えています。この点はアジモフの文章を紹介しましたが、もう1つ、2000年頃シカゴ郊外の書店で購入した「Way Science Works」(科学ライターのMarek Walisiewiczが編集責任者)の中の「Action at a distance」という項目からの抜粋を転記します。

Forces seem to be able to act across empty space, almost as if interacting particles were "aware" of each other. It is now thought that each of the four fundamental forces is transmitted by a messenger particle. This flies between two particles, carrying the force which acts on the recipient particle, just as a catcher recoils with the momentum of a thrown ball. Protons and neutrons influence each other via strong nuclear force, carried by gluons. Two negatively charged electrons repel one another via the electromagnetic force, carried by short-lived photons.

なお、ファインマン物理の第3巻が量子力学を集中的に説明しているようなので、より専門的な話を期待しています。

ところで・・・・

ファインマンは第2巻の35章まで読み終えました。もうじき電磁気学の講義シリーズが終わるのですが、マクスウェル理論から相対論が導かれるという話は、21章6節で「取っ掛かり」らしきものが現れたきり、出てきません・・・そんな面白い話があるなら、ファインマンのような人が話し忘れるとは考えにくいのですが。

もっとも逆方向(?)というか、特殊相対論が現れても、ニュートン理論とは異なり、マクスウェル理論が修正を加えられることはなかった、という話は出てきます。

526diamonds8888x:2019/10/23(水) 06:18:25 ID:ChDNCoB2
>>525

>その媒質問題を考えている人に、「クーロン力やローレンツ力が観測されたから、もう媒質は考えなくてもよい」というロジックが通用するでしょうか?

 通用します。それこそがニートンの「我は仮説を作らず」という言葉から生まれた現代科学の思想のひとつです。形而上学的な"正体"なんてものは棚上げしても差し支えないということです。詳しくは最新ブログ記事(10/15)をご覧ください。

>通用するはずがありません。

 というのがまさしく19世紀の間違った常識です。正確には19世紀は思想の以降期間ですけどね。
 そして「媒質のない波はない」というのも間違った常識であり、それはマクスウェル理論の時点でもわかっていてよかったはずのことです。

 そもそも「エーテルが否定された」という意味は「(物質的な属性を持つ)光の媒体は必要なかった」ということであり、「(物質的な属性を全く持たない)光の媒体」ならマクスウェル理論の中にしっかりと存在しているのです。それが"場"です。光の媒質は"真空"だという言い方もできます。


>とりあえずdiamonds8888xさんのお考えを述べられて、混乱を生じるか試したらどうでしょうか?

 試したいのならまず[>>521]の問いを考えてみてください。

>つまり波動関数とやらが干渉をする「波」なんでしょう? その「波」には媒質はあるのですか?

527diamonds8888x:2019/10/23(水) 06:38:30 ID:ChDNCoB2
>>525
>私たちの間には、おそらくは基本思想の違いから来る、言葉の意味の行き違いも多くありましたが、全体を見れば、論理的なコミュニケーションが成立していたと思いますし、だからこそ2年近くも議論が続いてきたのではありませんか?

 完全に同意します。
 で、論理的なコミュニケーションを重視するはずの人が「(P∧¬P)を含む理論でも科学的理論として提唱できる」などとおっしゃるのですか? 論理を否定してるでしょ?

 「(P∧¬P)であるかのような現象があった」ということと「(P∧¬P)を含む理論が科学的理論として通用する」ということとは別だと、言葉を変えて何度も書いています。

528Ken:2019/10/25(金) 20:01:28 ID:KBz.PgiU
>>526

>形而上学的な"正体"なんてものは棚上げしても差し支えない

「形而上」とはどういう意味ですか?

光(電磁波)には、音のような、それ以前から知られていた波と、無視できない共通点があります。その点では重力とも明らかに異なります。

(例)
*ドップラー効果
*波源は単振動(電磁波の場合は電荷の)
*重ね合わせの原理(フーリエ解析ができる)
*波源が運動しても波の速度は不変
*回折
*干渉縞

これだけの共通点がある以上、「媒質」という、それなくして他の波は存在し得ない特徴を電磁波にも求めるか、もしも媒質を求めないなら、なぜ電磁波だけは媒質が必要ないのかを説明することが、科学ではないでしょうか?

そのような説明もなく、媒質を無視してしまうことこそ、疑似科学ではないのですか?

529diamonds8888x:2019/10/26(土) 15:02:19 ID:Je6e/0Sg
>>528
> 「形而上」とはどういう意味ですか?

 観測事実の裏づけかないと解釈してください。

> そのような説明もなく、媒質を無視してしまうことこそ、疑似科学ではないのですか?

 挙げられた共通性質のどこにも「媒質」の必要性など出てこないではありませんか。a1〜a5までの去痛点があったのだからa6も共通に違いない、というのは類推であって、論理的な必然ではありません。

 そもそもKenさんの解釈ではマイケルソン・モーリイの実験で光の媒質は否定されたのでしょう? だったら観測事実を尊重して「波には媒質が必要だ」という公理とやらの方を廃棄するのが科学的方法というものでしょう。従来の波は確かに媒質を持っていたけれど、光波はそうではなかった、という観測事実を突きつけられた。ただそれだけの話でしょう。どうしてそこで「(P∧¬P)が生じた」などという非論理的な考えを持ち出さなくてはいけないのでしょうか? 単にP≡Aという命題が観測事実により否定されただけではありませんか。

 一応、光(電磁波)の媒質は電磁場であるという見方も十分に説明したと思いますが、Kenさんとしてはこの見方は嫌いみたいですね。それとも2つの見方があるというのは複雑すぎますか?


 それから大したことではありませんが。

> *波源は単振動(電磁波の場合は電荷の)

 何を言いたいのかわかりませんが。波源はいくらでも複雑な振動をするものがありますけど。そりゃ教科書で理論計算する時にはモデル的に単振動を使うことが多いですし、理論解析は単振動の合成として波を考えますけどね。そうしないと解析が難しいから。いや不可能というべきでしょうか。

530Ken:2019/10/30(水) 19:55:28 ID:1yFDELF.
いろいろな種類の波が昔から知られていました。水を伝わる波、弦を伝わる波、大気を伝わる音・・・・

それらの波と多くの特徴を共有する電磁波だから、波の本質というべき媒質も共有するはずと考えられたのは、diamonds8888xさんが重視される史実だと思いますが、史実がどうであれ、正しい科学の基準に従えば、電磁波の媒質は形而上学的なもので、なければないでよいと考えるべきだった、と主張されておられると読みました。

やはりそうなると「場」というものを考えねばならないようです。

先の投稿で述べましたが、19世紀の人にとって「場」とは、電荷の影響が近傍に現れる現象を表現するための方便でした。例えば、

*電荷が静止していると、近傍にはクーロン力のみがはたらく(電場)
*電荷が運動すると、ローレンツ力がはたらく(電場と磁場)
*電荷の運動が単振動の場合には電磁波を生じる
>>529で言及された複雑な振動も、必ず単振動の合成で、個別の単振動がその周波数の電磁波を生じるのが、重ね合わせの原理です)

つまり、電磁波と電場・磁場とは、電荷のせいで空間に生じる影響の形を並べたものであり、そのような影響がなぜ離れたところに伝わるのかという疑問も共有しているのです。言い換えれば、電磁波に媒質が必要なら「場」にも媒質が必要、ということです。いわば電磁波と「場」は、物理現象の理解という点では同じレベルの「水平的」な関係にあり、一方の(例えば電磁波の)しくみを他方が(例えば電磁場が)説明するという「垂直的」な関係にはありません。

以前にペストの原因の話をしましたよね。最初は沼の瘴気が原因と思われたのが、やがて瘴気に含まれるP菌に注目が移り、さらにP菌の中の化合物Xが、さらにXの中の官能基Yが、という形で原因の掘り下げが進む・・・「説明する」とは、このような垂直的掘り下げを行うことで、同じレベルの例をいくら水平に並べても、説明にはならないと私は思います。

別の例を挙げれば、遺伝のしくみを研究する人が、メンデルのようにマメの世代を観察して、法則を見つけたとします。別の研究者がマメ以外の植物や動物を観察して、同じ法則を確認しても、それはメンデルの正しさを追認したことになっても、メンデルの法則を説明したことにはなりません。メンデルの法則を説明するには、親から子に形質が遺伝する仕組みを明らかにせねばなりません。私たちが知ってる歴史では、DNAの分子構造、染色体の分割と複製、塩基配列がアミノ酸合成に影響する仕組み等が解明されたことで、メンデルの法則が説明されました。これが垂直的掘り下げというものでしょう。

その意味では、電磁波や「場」が伝わる仕組みは何か、なぜ物質的な媒質が必要ないのか、という垂直的掘り下げ行われたのは、やはり量子力学が登場したとき、つまり20世紀であり、19世紀にはエーテル否定の実験事実と、媒質がなくてはならない理論との間に、矛盾があったとしか、私には思えません。

531diamonds8888x:2019/11/04(月) 06:12:59 ID:hCLIKm0I
>>530
>史実がどうであれ、正しい科学の基準に従えば、電磁波の媒質は形而上学的なもので、なければないでよいと考えるべきだった、と主張されておられると読みました。

 釘をさしておきますが「考えるべきだった」とは主張していません。「考えてもよかった」とは思います。さらに「媒質は電磁場だ」と考えれば、これは形而上学的なものではなく観測されたものを媒質としただけの普通のことです。詳しくは別発言にて。

532diamonds8888x:2019/11/04(月) 06:16:43 ID:hCLIKm0I
>>517,>>520,>>530
 今、いくつもの論点が並んでいるのでまとめます。

論点1:科学的方法として矛盾のある理論を提案できるか?
  つまり基準05で排除されない科学的に妥当な理論がありうるか?
論点2:電磁波や光に媒質がない理由は20世紀には量子論で"説明できる"のか?
論点3:(重力場・電磁場・物質場などの)場の正体は20世紀には"説明できる"のか?
論点4:波と粒子の2重性は現在では"説明できる"のか?

 kenさんのつもりでは論点1の具体例が論点2〜4なのでしょうが、その進め方では話がややこしくなるだけです。なせか?

 これまでの議論でわかる通り(いやわかるのなら苦労しませんが)、論点2〜3はそれだけで話がややこしい。特に論点4ともなれば、現代の物理学者の間でも複数の"説明"("解釈"とも呼ばれる)が乱立している状況です。

 ややこしさの要因のひとつが"説明"とか"解釈"とかいうものは"理論"ではないし、"理論"に必須でもないことです。このことが現代科学の明確な考え方のひとつであることはブログ[10/15,10/26,10/28]でも一部書/いていますが、それはわかりますか? Y/N?
  [tps://blog.goo.ne.jp/diamonds8888x]
 ==>詳しい例示[>>535]


 論点1は私にとってはとても単純な話のはずなのですが、kenさんはなぜか余計な具体例にこだわって話をややこしくしています。数学的には正しいとおっしゃいますが、数学的にではなく論理的に正しいのです。そして非論理的な理論などあろうはずがありません。

--------
*) 例えば以下[>>520]は基準05の意味をややこしく捻じ曲げています。

>(基準05:)により、光が粒子でもあり波動でもあると主張するのは正しくない科学であったことになります。現実を反映しない「不正確な理論」ではなく、アプローチ自体が正しくない「疑似科学」ということです。

 光が粒子でもあり波動でもあるという主張は、「P∧¬P」と同義と考えられていた主張「P∧¬Q」を「¬(P≡Q)」と主張することにより実は「P∧¬P」と同義ではなかったと主張しています。したがって基準05には違反していません。【論点1のポイントはたったこれだけです。】

--------
*) さらに無限の世界において、論理的には、下記[>>520]は正しいはずがありません。

>でも現実問題では「P」も「¬P」も、観察によって得られた具体知識なのです。

 「P」が具体的に観察されたとして「¬P」という状態は無限にあります。人間技で観察できるはずがありません。Kenさんの具体例はいずれも、「¬P」の一部分ではあると勘違いされていたために観察されないはずと考えられていたQが実際には観察されたという具体例だけです。

 一旦段落を切って次発言につなぎます。[>>534]

533diamonds8888x:2019/11/04(月) 06:17:20 ID:hCLIKm0I
>>532
 このように、どうもKenさんが使っている「矛盾がある」という言葉の意味が私の想定する意味とは違うようにしか思えません。以下の言明をちょっと検討してみてください。そのうえで、Kenさんが本当に言いたかったことを表現してみてください。

1) [>>517]矛盾つまり「P∧¬P」状態が存在する時期があった
2) [>>517]ある段階で「P∧¬P」状態が観測され
3) [>>517]暫定理論として「P∧¬P」を受け入れるしかない

 1),2)は自然界に「P∧¬P」状態が存在したという言明ですが、そんなことはあり得ません。少なくとも科学的方法で世界を解明しようとする人は、そんなことはあり得ないという信念を持ってことに当たります。
 もちろんより深い視点に立てば、自然界に「P∧¬P」状態が絶対に存在しないというのは単なる信念であって証明はできません。しかしその視点に立つならば同様にして、「P∧¬P」状態が存在する時期があったという言明も証明できません。

 もしも1),2)が、ある時期には自然界に「P∧¬P」状態が存在し、ある時点でその状態が消滅したと言うことを意味するならば、なぜある時点で自然界が変化したのでしょうか? 文脈から見る限り、「人間の意識が自然界の矛盾を消した(自然界を変化させた)」または「人間の新しい経験が自然界の矛盾を消した(自然界を変化させた)」としか解釈できないのですが、そういう意味でよいのでしょうか?


 3)は歴史上のある時点に「P∧¬P」を含む暫定理論が提案されたことを主張しています。私はそんな理論を知りません。3)が正しいことを示したいのなら具体的に「P∧¬P」を含む暫定理論を示せばよいだけの話です。が、未だに示されていません。ゆえに私は3)の主張を認めません。

 例としてマイケルソン・モーリーの実験の時点での歴史的事実を挙げましょう。これは一部は論点2にも関連するのですが、別発言にします[>>534]。

534diamonds8888x:2019/11/04(月) 06:17:56 ID:hCLIKm0I
>>533
 例としてマイケルソン・モーリーの実験の時点での歴史的事実を挙げましょう。これは一部は論点2にも関連します。

[>>530]
>19世紀にはエーテル否定の実験事実と、媒質がなくてはならない理論との間に、矛盾があったとしか、私には思えません。

 私も今回の調査でわかったことですが、科学理論の歴史を忠実にたどると、「エーテル否定の実験事実」という認識がまず間違いなのです。特殊相対性理論以前には「エーテルはない」という仮説を含む理論は存在しません。つまり物理学者たちはマイケルソン・モーリーの実験で「エーテルの存在が否定された」とは考えていなかったのです。

 代表例がローレンツ理論であり、この理論はエーテルを否定していません。詳しくはブログ(10/28)およびそのリンク先を参照してください。

 ローレンツ等の物理学者たちは「エーテルはない」とは考えずに、「エーテルの性質は(音や地震などの媒質である)通常物質とは異なる奇妙なものである」と考えました。フィゾーの実験の説明にはエーテルが通常物質の運動に"引きずられる"という仮説が出たり、フィッツジェラルドはエーテルが通常物質の運動により"短縮する"と考えたりしました。ローレンツ理論はこの"短縮"にさらに"局所時間"、実際には特殊相対性理論と同様な"時間の遅れ"を盛り込んでいます。

535diamonds8888x:2019/11/04(月) 06:18:45 ID:hCLIKm0I
>>532
 "説明"とか"解釈"とかいうものは"理論"ではない、という例として量子力学の"解釈"の話をします。

  現在の量子力学(クォークを無視したレベルで)は核子、電子、光子などのふるまいは完全に予測できます。つまり理論としては完璧なのですが、その"解釈"は乱立しています。基本的な啓蒙書ではスタンダードな"解釈"とされているコペンハーゲン解釈も、もはやニューフェイスとも言いにくい"多世界解釈"も、あくまで"解釈"です。

 "解釈"や"説明"が"理論"に昇格するためには、その"解釈"や"説明"でなければ成立しないような観測可能な現象が【想定できること】が必要です。ベルの不等式というのが、まさに"隠れた変数理論"と通常の量子力学理論とでは結果が異なるような観測可能な現象が【想定できること】を示したものです。ベルの不等式により、それまでは単なる"解釈"と考えられていた"隠れた変数理論(解釈)"は"理論"へと昇格して、実際の観測結果により"理論"として否定されました。

 もちろん将来的に、例えば"多世界解釈"からしか予測できないような観測事実が考え出されるかも知れません。そうなれば"多世界解釈"は観測により反証可能な理論へと昇格するわけです。そういう意味ではこれらの"解釈"や"説明"を考察することに科学理論上の意義が全くないわけではありません。それどころか新たな理論の指針になることは大いに考えられます。それでも、これらの"解釈"や"説明"がなくても現在の"理論"が不完全だということにはなりません。ただ人間の心の一部が満足できないだけです。

 なおコペンハーゲン解釈では光や電子の正体は波動関数という波であると想定します。すなわち運動ないし伝播しているときは波であり、その状態は観測されないと考えます。そして例えば検知器や写真乾板に衝突したりして観測される瞬間に、その波が収縮して粒子として観測されると"解釈"します。そして波動関数という波に媒質が必要とは考えられていません。
 多世界解釈も、運動ないし伝播しているときは波であると考えるのはコペンハーゲン解釈と同様です。ただし観測される瞬間に収縮ではなく、世界の分裂が起きると考える点がコペンハーゲン解釈とは異なります。

536diamonds8888x:2019/11/04(月) 10:11:31 ID:hCLIKm0I
>>532,>>533,>>534
 要するにエーテルを仮定した諸々の理論はいずれも基準05には反しておらず、Kenさん言うところの疑似科学ではありません。ただ、後に観測事実と一致しないと判明したり、よりすっきりと一致する理論に取って代わられたりした、ということです。

 ともかく余計な具体例はおいて、まず論点1について御理解いただきたいものです。
 [>>533]をよく吟味して考えてください。

537Ken:2019/11/06(水) 18:50:07 ID:KBz.PgiU
話が非常に錯綜してきました。少なくとも私にはそう見えます。

とりあえず、この部分が最重要と思われますので、問題提議をします。

>>532
>光が粒子でもあり波動でもあるという主張は、「P∧¬P」と同義と考えられていた主張「P∧¬Q」を「¬(P≡Q)」と主張することにより実は「P∧¬P」と同義ではなかったと主張しています。したがって基準05には違反していません。

おそらくdiamonds8888xさんは、光粒子説と光波動説がPと¬Pの関係にあることは、厳密には証明できなかったし、粒子でも波動でもない第三の状態がありえるかもしれないことは、19世紀にも考えられたと論じておられるものと思います。

ですが、古典力学における粒子と波動は重要な点で背反関係にあります。粒子説なら質量が移動しますが、波動説では質量移動は起こらず力のみが伝わります。つまり「粒子説」と「波動説」と呼ぶから分かりにくいので、

*質量移動が起こるという説(粒子説)
*質量移動が起こらないという説(波動説)

と表現すれば、両者はPと¬Pの関係になるのではないでしょうか?

538Ken:2019/11/07(木) 22:52:48 ID:KBz.PgiU
粒子説vs波動説とは別の例を思いつきました。こちらの方が納得いただけるかもしれません。

題材として、再びペストと瘴気の話を取り上げます。>>307では、

>ペスト病の人の多くは沼の瘴気に当っていました

という観測事実が想定されました。より正確に言うと、

瘴気に当たった集団と当たらなかった集団では、前者の感染率が高く、そこには偶然では説明できない統計的有意差がある

ということになるはずです。ここから、

A:瘴気に当たるとペストに感染する

という仮説を立てられることでしょう。

ところが、追認実験として、同様の瘴気に当たった別の集団のデータを取ったら、瘴気に当たらなかった集団よりも感染率が低かった、という結果が出たらどうなるでしょうか?

B:瘴気に当たるとペスト感染を防げる

という仮説を立てるしかありません。同じものに接触しながら、一方は感染率が上がり、他方は感染率が下がる。まさしくPと¬Pの関係であり、どちらの観測事実も否定できないなら、P∧¬Pの状態が存在する、というしかないでしょう。

本物のペストではこんなことは起こらないかもしれません。でも、このような事態を生じうる病気は、大昔から知られていたはずと私は考えます。はるかな後年、近代科学がついにその謎を解明したとき、Bの事象を生じる原因を「抗体」とか「免疫」と名付けたのは、よく知られています。

ちょうど本日、インフルエンザの予防接種を受けたとき、思いついたことです。

539diamonds8888x:2019/11/09(土) 09:57:06 ID:BrFCKZjw
>>537,>>538
 話が非常に錯綜してきた元々の原因はKenさんが話題を広げたことです[>>532]。一応は論点1に絞ってもらえたようで何よりです。どうやらKenさんの勘違いを言葉にできそうです。

 論理学でいう矛盾(inconsistensy)は基準05[>>353]での「P∧¬P」のことです。ここで2つのPには全く同じ言明が入ります。Kenさんの具体例はすべて「(P∧Q)∧(Q≡¬P)」の形であり、Q≡¬Pが偽であればP∧¬Pの具体例にはなりません。

 しかし矛盾(conradiction)という言葉はもう少し軽い意味で使われることも多く、理屈に合わない、混乱している、と言った意味で矛盾しているということもあります。私が「すべての未解決の謎は「矛盾が存在するように思える」ものですよ? [>>519]」と言ったときの矛盾もどちらかと言えばこの軽い意味に近いですね。

 しかしたとえ軽い意味の方であっても「矛盾がある」というのは科学的理論にはあってはならないことというのは古今東西のコンセンサスであり、「矛盾がある」というのは理論に反対する根拠になっています。科学者はやっきになって己の理論の矛盾を消すことに努力します。矛盾がある論理を許容するなどということは決してありません。

>>537
>ですが、古典力学における粒子と波動は重要な点で背反関係にあります。

 そもそもは[>>520]でのKenさんの問題提起からの話ですよね。

>基準自体は何も変わらないのに、新しい情報が加わったことで、それまで疑似科学だったものが疑似科学でなくなるのみか、定説になってしまったわけです。

 19世紀以前の光理論については粒子説と波動説は確かに背反していたから論争になりました。どちらの陣営も「¬(粒子説∧波動説)」という点では一致していました。というか実際にはヤングの干渉実験等以降、波動説が定説だったのですが。
 20世紀の量子力学では(粒子説∧波動説)は間違いではありません。ただし、それは粒子も波動も古典的な性質の一部を失っているとしているからです。言い換えれば粒子や波動の概念が変化しているからです。

 すなわち19世紀の時点で、(粒子説∧波動説)が成立するという根拠(観測事実ではなくても上記のような概念変化でもいい)を示さずに(粒子説∧波動説)を主張すれば疑似科学と呼ばれても仕方ないでしょう。しかし例えば現代の量子論のように粒子や波動の概念を変えたうえで主張すれば、別に疑似科学にはなりません。それなりの根拠も示さずに定説に反対しても相手にされないのは現代と同じです。

 混乱したかも知れないので強調しますが、理論はそれが含む全体でひとつのものです。単に「(粒子説∧波動説)も成立する」だけでは理論にはなっていません。(Q≡¬P)をきちんと否定しなくてはいけないのです。


 ついでに質量について。
> *質量移動が起こるという説(粒子説)
> *質量移動が起こらないという説(波動説)

 質量が旧称の"静止質量"を意味するならば質量ゼロの光子は運んでいません。運動量なら通常物質の波動にも運ばれます。もちろんエネルギーも。
 そういえば[>>516]でちょっと問題提起しましたが、通常物質の波動では純粋な横波というのはなさそうですね。電磁波にしても電荷と相互作用した瞬間に散乱する、つまり伝播方向が変わりますから、結局電磁場の方向も変わってしまいますね。


>>538
> B:瘴気に当たるとペスト感染を防げる

> という仮説を立てるしかありません。

 まさか。2つの実験では何らかの条件が異なっていたと疑うのが普通でしょう。

540diamonds8888x:2019/11/10(日) 11:51:21 ID:BrFCKZjw
>>539
 【たったこれだけの単純な話です。】

 19世紀でも何世紀でも同じですが以下の理論が定説だったとしましょう。
 1) ¬(P∧¬P) ;Pはあらゆる命題 [基準05そのもの]
 2) Q→P ;Q=[xは波である] P[xは媒体を持つ]
 3) 光は波である。

 ここから「光は媒体を持つ」という定理が誘導されます。ですので、何の根拠もなく「光は媒体を持たない」と主張すればもちろん相手にされないでしょう。
 また1)を否定したら、これまた相手にされないでしょう。
 しかし2)が必ずしも成立しないということを科学的な根拠と共に主張した場合は、これは科学的仮説になりえます。
 また科学的な根拠と共に3)を否定しても、やはり科学的仮説になりえます。

 実際には3)は否定されませんでした。その理由は干渉や回折という性質は観測的に確固としていたという点がひとつ、マクスウェル理論により光の波の正体が明らかになった点がひとつ、です。従ってエーテルが否定された時には、波の属性の中で媒体を持つという属性は必須ではなくなったのです。

 いずれにせよ、命題として否定されたのは2)であって1)ではありません。

 【たったこれだけの単純な話です。】

541Ken:2019/11/12(火) 23:27:05 ID:KBz.PgiU
>>539
>> B:瘴気に当たるとペスト感染を防げる
>> という仮説を立てるしかありません。
>まさか。2つの実験では何らかの条件が異なっていたと疑うのが普通でしょう。

もちろん誰でもそう疑うことでしょう。でもいくら考えても何が異なっているのか分からない時に、どのような結論を出すべきかというのが私の問題提議です。筋が通った理論は、いつも必ず見つかるという保証はありません。謎が謎のままという状態が何十年も、あるいは何百年も続くことがあります。そして、diamonds8888xさんが唱える「基準」とは、そういう時でも、正しい科学的アプローチと正しくない(疑似科学的)アプローチを区別するのではありませんか?

>すなわち19世紀の時点で、(粒子説∧波動説)が成立するという根拠(観測事実ではなくても上記のような概念変化でもいい)を示さずに(粒子説∧波動説)を主張すれば疑似科学と呼ばれても仕方ないでしょう。しかし例えば現代の量子論のように粒子や波動の概念を変えたうえで主張すれば、別に疑似科学にはなりません。それなりの根拠も示さずに定説に反対しても相手にされないのは現代と同じです。

再度整理した上でお尋ねします。

>>537で述べたように、古典力学では、質量移動が起こる粒子説と、質量移動が起こらない波動説は、理論的な背反関係にあります。ところが実際の光(電磁波)を観察すると、粒子・波動両方の特徴を示すのです。

波動としては、>>528で列挙したような、ドップラー効果から干渉縞にいたる諸特徴が確認されていました。また理論的にも電磁波は音などと同じ波動方程式(∂²u/∂t² = c∂²u/∂x²の形)に従い、それから算出された伝播速度が光速の観測値と一致しました。つまり光は波であり、上記の背反関係により、粒子ではありえません。

一方、粒子としての特徴には真空を伝わることがありますが、とにかくエーテルの存在を想定することで、決定的な矛盾となるのは逃れていました。(何度か書いたように、19世紀の「場」理論が媒質問題に解答を与えるとは、私には思えません。)

しかし、より重要な粒子的特徴は光電効果です。最初に発見されたのは1839年、今と同じ形で確認されたのは1887年とウィキペディアに書かれています。これも何度か述べましたが、物体を押すというのは、粒子にしかできないことです。つまり、光は粒子であり、理論的な背反関係によって波ではありえません。

そうなると、古典力学の知識体系の中では、

1.まごうことなき波動としての特徴
2.まごうことなき粒子としての特徴
3.波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論

の3者がそろったとき、「P∧¬P」以外のどんな結論にいたりえますか?

>(Q≡¬P)をきちんと否定しなくてはいけないのです。

この場合「Q」とはどんな理論になるのですか?

542diamonds8888x:2019/11/15(金) 06:15:32 ID:ar7QZyDs
>>541
>もちろん誰でもそう疑うことでしょう。でもいくら考えても何が異なっているのか分からない時に、どのような結論を出すべきかというのが私の問題提議です。筋が通った理論は、いつも必ず見つかるという保証はありません。謎が謎のままという状態が何十年も、あるいは何百年も続くことがあります。

 当然です。それがどうかしましたか? どのような結論を出すべきかと言えば、謎は謎と認めて、つまり今のところ正しい理論は出せないと認めて、ひたすら努力するだけです。

 それから「いくら考えても何が異なっているのか分からない」というのは病気や生物のレベルではありえませんよ。個体同士は違っていて当たり前ですから。むしろ「どんなに観察しても、どんなに同じ条件にしようとしても必ず何かが異なる」ものです。分子以下のレベルではもちろん「すべての分子は全く同じ、すべての電子はまったく同じ」というのが現在までのコンセンサスです。

>そして、diamonds8888xさんが唱える「基準」とは、そういう時でも、正しい科学的アプローチと正しくない(疑似科学的)アプローチを区別するのではありませんか?

 そうですよ。無理して矛盾した理論など出す人はいませんよ。むろん自分では矛盾はないと思って出す人はいます。それに対して「矛盾あり」と反論する人もいたりして、科学は進んでいくわけです。

>ところが実際の光(電磁波)を観察すると、粒子・波動両方の特徴を示すのです。

 つまり光(電磁波)は粒子・波動両方の特徴を示す何かであり、従来の概念での波や粒子とは異なる何かであるという観測事実がでたのですよね。だったら従来の、どうしても背反関係にある波や粒子の概念には当てはまらないものなのですから、背反関係にある必然性はなくなったのです。
 具体的には、干渉性という従来の波の属性と、量子化による瞬間的な相互作用という従来の粒子の属性とを併せ持つものであることがわかったのであり、ここでは第3の分類を作るのが必然です。ですから誤解を避ける厳密な言い方としては波でも粒子でもなく量子と呼ぶのです。

>3.波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論

 結論じゃなくてほとんど公理ではありませんか。この「波動と粒子は背反関係」という理論を廃棄すべきであり、「P∧¬P」は廃棄する必要はありません。

> この場合「Q」とはどんな理論になるのですか?

 なんでも同じでしょ。そんなに論理が信頼できないのですか? [>>540]の単純な話なのに。でもまあ例示すれば。

  例1)P「xは波である」およびQ「xは媒体を持たない」
  例2)P「xは波である」およびQ「xは粒子である」

 それから(Q≡¬P)ではなくて(Q→¬P)を否定すれば十分ですね。というか(Q←¬P)は間違いであることは明らかなので。

543Ken:2019/11/15(金) 13:11:10 ID:If1iNos2
急に入院することになり、2週間ほどネットにアクセスができません。
退院後に回答をさせていただきますので、ご了承ください。

544Ken:2019/11/30(土) 18:03:29 ID:If1iNos2
お待たせしました。

>>542

>謎は謎と認めて、つまり今のところ正しい理論は出せないと認めて、ひたすら努力するだけです。

努力することを否定はしませんが、「正しい理論」なるものがいつかは見つかるかどうかは、別の問題ではないのですか? 未来永劫見つからないかもしれません。とにかく、その時点で得られるあらゆる証拠と、考えうる論理展開によって「P∧¬P」という結論になってしまうのなら、その結論を受け入れるしかないのでは、とお尋ねしています。なにも、それを最終結論とするとは言っていません。

>だったら従来の、どうしても背反関係にある波や粒子の概念には当てはまらないものなのですから、背反関係にある必然性はなくなったのです。

>>537で書きましたが、19世紀の粒子説と波動説は、

>*質量移動が起こるという説(粒子説)
>*質量移動が起こらないという説(波動説)

でした。背反関係の必然性がなくなったといわれましても、上の事実がある以上は、背反性を覆すことができないではありませんか。要するに、

>第3の分類を作るのが必然です

といっても、19世紀には、つまり量子論の登場前には、「第3の分類」に具体性はなく、夢想や妄想以上のものではありえなかったと、私は考えます。

矛盾を解決する理論が必ず見つかるという前提に立つのは、何か根拠があることなのでしょうか?

545Ken:2019/12/01(日) 17:02:14 ID:If1iNos2
質問の切り口を変えてみます。

私は、>>353に現れた

基準05: P∧¬Pは間違いである。言い換えれば、¬(P∧¬P)

によって、正しくない科学(疑似科学)と判定されるのはどのような理論なのかを理解しようとしており、思いついたのが、19世紀の光粒子説と光波動説です。質量移動の有無という視点で見れば、両説は背反関係にありますから、粒子と波動のどちらも正しいというのは「P∧¬P」になるではないか、というわけです。

これに対してdiamonds8888xさんは、背反関係にあると考えるのが誤りで、そのときは背反に見えても、背反でないことを示す理論がいつかは現れると考えるべき、と主張をされているのだと思います。

でも、そのような立場を取るのなら、基準05に照らして疑似科学と判定される理論など、存在し得ないのではないでしょうか?

言い換えれば、基準05は何の目的で、どういう理論を排除するために、設定されたのですか?

546diamonds8888x:2019/12/05(木) 06:20:04 ID:qHZepNG6
>>545

>でも、そのような立場を取るのなら、基準05に照らして疑似科学と判定される理論など、存在し得ないのではないでしょうか?

 そうですよ、「妥当な科学的理論」としては存在しません。けれど、その存在しないはずの理論を間違えて主張してしまう人は存在しえます。そのような人の主張を排除することは必要です。へそ理論だって、まともな科学的思考の持ち主なら馬鹿々々しくてそんな理論は成り立たない(存在しない)と考えるでしょう。

 てか、一応の具体例としてはKenさんが挙げてくれているではありませんか。

-------------------
以下のの3者がそろった理論
1.まごうことなき波動としての特徴
2.まごうことなき粒子としての特徴
3.波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論
-------------------

 で、この理論は「P∧¬P」という結論になってしまったので、間違いとして廃棄され、新たな理論が模索されたというのが科学史上の出来事です。


>>544
>といっても、19世紀には、つまり量子論の登場前には、「第3の分類」に具体性はなく、夢想や妄想以上のものではありえなかったと、私は考えます。

 光という「第3の分類」に該当する具体例が観測されたから、従来の理論が矛盾に陥ったのですよ。だから従来の理論は間違いとして廃棄され、新たな理論が模索されたというのが科学史上の出来事です。

>努力することを否定はしませんが、「正しい理論」なるものがいつかは見つかるかどうかは、別の問題ではないのですか? 未来永劫見つからないかもしれません。

 何か問題でも? 未来永劫見つからないなら、人類の知がその程度だというだけです。私はそんなことはないと期待していますけど、そりゃまあ未来永劫理論の見つからない難問もあるかも知れませんけど、だったらしょうがないでしょう。
 見つからないものを見つけたと強弁する方がよほど危険です。

>とにかく、その時点で得られるあらゆる証拠と、考えうる論理展開によって「P∧¬P」という結論になってしまうのなら、その結論を受け入れるしかないのでは、とお尋ねしています。なにも、それを最終結論とするとは言っていません。

 「P∧¬P」という結論になってしまった理論は、間違っています。だから廃棄しなくてはいけません。

547Ken:2019/12/07(土) 14:40:33 ID:If1iNos2
問題の本質に近づいてきたようなので、慎重に行きましょう。

>>546

>-------------------
>以下のの3者がそろった理論
>1.まごうことなき波動としての特徴
>2.まごうことなき粒子としての特徴
>3.波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論
>-------------------

> で、この理論は「P∧¬P」という結論になってしまったので、間違いとして廃棄され、新たな理論が模索されたというのが科学史上の出来事です。

「模索」する段階、つまり新たな理論はまだ見つからない、それどころか見つかるかどうかも分からない段階でも、矛盾(P∧¬P)を含む理論は廃棄するわけですね?

やはり、そうなると>>544の末尾で尋ねたことに問題は集約されるようです。

矛盾を解決する理論が必ず見つかるという前提に立つのは、何か根拠があることなのでしょうか?

この世を支配する法則には、論理的な矛盾が含まれるかもしれないとは、絶対に考えないのですか?

548diamonds8888x:2019/12/09(月) 05:18:32 ID:2sfSAvlc

>矛盾を解決する理論が必ず見つかるという前提に立つのは、何か根拠があることなのでしょうか?

 私はそんな前提には立っていません。はっきりと[>>546]に書きました。

> 何か問題でも? 未来永劫見つからないなら、人類の知がその程度だというだけです。私はそんなことはないと期待していますけど、そりゃまあ未来永劫理論の見つからない難問もあるかも知れませんけど、だったらしょうがないでしょう。
> 見つからないものを見つけたと強弁する方がよほど危険です。

 念のために[>>541]の以下の問いに答えておきます。
>でもいくら考えても何が異なっているのか分からない時に、どのような結論を出すべきかというのが私の問題提議です。

 その時には、結論をだしてはいけません。ださなずに答を求め続けるのが科学的な態度です。もちろん人間技ですることなので答えは見つからないかも知れませんが、それは仕方ない。


>この世を支配する法則には、論理的な矛盾が含まれるかもしれないとは、絶対に考えないのですか?

 当たり前です。というかですね。"法則"というのは、この世に現れる"現象"の間にはなんらかのつながりがあるはずだという前提の基に、知的生命体が作り出すものです。この世の"現象"だけを眺めてみれば、それは空間と時間の4次元時空に4次元空間の各点での"現象"、すなわち各点の"事象(event)"が並べられただけのものです。それらの"事象(event)"の間の関係には必ずしも整然たる規則などないかも知れません。でも知的生命体は未来を予測するためにそこに法則を見出すようにできています。そして論理的な矛盾を含む法則は役に立ちません。

 そういえばKenさんだって「因果律」はないと困るとおっしゃってましたよね? 論理的な矛盾が含まれるということは「因果律」だって成り立たないこともあるということですよ?

 ともかくも「光には(物質的な)媒質はない」ということが観測されたのだとしたら、「波である光には(物質的な)媒質が必要」という理論の方を廃棄するのは当然のことです。

549Ken:2019/12/11(水) 19:46:32 ID:DAXXQXCA
論点が非常に微妙になってきたようです。私も慎重に書いてみるので、注意してお読みください。

>>548

>その時には、結論をだしてはいけません。

私が問いかけているのは「結論をださずにいられるか」ということなのです。以下の3点がそろっているとき、

1.まごうことなき波動としての特徴
2.まごうことなき粒子としての特徴
3.波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論

背反関係にある波動性と粒子性の並立つまり「P∧¬P」という結論に、必然的になってしまうのではないか?

それを避けるには1〜3の少なくともどれか1つを否定せねばなりません。もちろん現実の歴史では、20世紀の量子論で3が否定されました。でも19世紀には3点のどれも否定できず、そうなると論理展開によって「P∧¬P」になってしまうし、その論理展開に従わないのは、それ自体が矛盾ではないのか?

言い換えれば、「P∧¬P」という矛盾を回避するために、別の矛盾を生じただけではないのか?
それなら1次的な観察情報に基づく1〜3を保持する方が、現実に即しているのではありませんか?

大事な点なので繰り返します。

量子論のような具体案で3を否定するならよいのです。そのような具体案がなく、ただ「P∧¬P」では困るから、とにかく3を否定することに論理性があるとは思えません。

因果律がなければ困るのはそのとおりです。ただし因果律を必ず認識できるかは別の問題でしょう。因果律は「見えない所」で働いているかもしれません。

550diamonds8888x:2019/12/13(金) 05:55:21 ID:t0BDBsW2
>>549
 観測事実だけなら、それは単なるひとつの原子命題であり、それだけで矛盾することはありません。矛盾は、観測事実と何らかの理論との間に生じます。そしてある理論が否定されるのは、その理論と観測事実とが矛盾した時です。むろん理論の中自体で矛盾があることが見つかることもあるでしょうが、それは大抵は理論が作られるときに消されていることが多いでしょう。
 科学的論争では相手の理論の中や、相手の理論と観測事実との間に矛盾を見つけることにより、相手の理論を否定することが多く行われます。矛盾というのは理論を否定する手段そのものなのです。

>背反関係にある波動性と粒子性の並立つまり「P∧¬P」という結論に、必然的になってしまうのではないか?

 1と2が観測事実であり間違いがないのならば、「P∧¬P」という結論に、必然的になってしまった時点で、理論である3は間違った理論だと判明したのです。すなわち理論が観測事実により反証されたのです。もちろん1または2の観測が間違いである可能性もありますから、そこは実験科学者の出番ということになります。が、ともかくも観測事実に矛盾する理論は捨てるというのがニュートン以来の、いやベーコン以来の、Kenさんもしっかり認めていた経験主義に基づく近代科学の方法です。

>量子論のような具体案で3を否定するならよいのです。そのような具体案がなく、ただ「P∧¬P」では困るから、とにかく3を否定することに論理性があるとは思えません。

 ただ「波動と粒子は背反関係にない」では困るから、今のところ間違った理論3に替わる具体案がないから、とにかく「P∧¬P」を否定する、などという態度こそ論理性がありません。それは一番基本的な論理法則なのですから。現代科学どころか、あらゆる論理的思考に基づく理論の一番の核です。

 矛盾とは理論を否定する手段そのものです。

551Ken:2019/12/14(土) 22:20:26 ID:DAXXQXCA
>>550

>1と2が観測事実であり間違いがないのならば、「P∧¬P」という結論に、必然的になってしまった時点で、理論である3は間違った理論だと判明したのです。


3.波動と粒子は背反関係としか結論しようがない理論

この場合の「粒子」と「波動」を、

粒子性:直進する、真空を伝わる
波動性:交差する、屈折する

という、ある意味いろいろな解釈が可能な特徴で捉えれば、背反関係が曖昧になり、3を否定することが可能かもしれません。しかし、

粒子性:質量が移動する
波動性:質量が移動しない

と認識したらどうでしょうか。これでも背反関係を否定できますか? それとも19世紀にあっても質量移動の有無で粒子と波動を区別することが誤りなのでしょうか?

質問を変えてみます。光は粒子なのか波動なのかを考察するとき、論理的にとりうる結論は、

1.光は粒子である
2.光は粒子ではない
3.光は波動である
4.光は波動ではない
5.光は粒子であり、かつ波動である
6.光は粒子であるか、もしくは波動である
7.光は粒子でも波動でもない

の7とおりであると思われます。(他にありますでしょうか?)

この場合、「P∧¬P」を否定する基準05によって、疑似科学と判定されるのは、7つのうちのどれになりますか?

もちろん、相対論も量子論も知られていない、19世紀の知識体系の中で、というのが条件です。

552diamonds8888x:2019/12/16(月) 05:43:30 ID:6pFCUSvE
>>551

 そもそも観測事実である1と2は具体的にどのような発見を指すのか明確にしてください。具体例レベルで議論したいのならば、粒子性とか波動性がどのような属性を指していたのかは、具体的な観測事実に即して語らなければ意味不明になります。
 それとも1と2は観測事実ではないのでしょうか?

>と認識したらどうでしょうか。

 それは具体的な科学上の発見がどんな出来事なのかによります。そこを明確にしてから議論してください。

553Ken:2019/12/16(月) 08:04:03 ID:DAXXQXCA
また入院することになりました・・・・
復帰したら回答をさせていただきます。

554diamonds8888x:2019/12/17(火) 05:18:34 ID:6pFCUSvE
>>553 それはお大事に

【光電効果と光圧(放射圧or輻射圧)】
 Kenさんが表記につき、ちょっと誤解されていたようなので。

>>541
> しかし、より重要な粒子的特徴は光電効果です。最初に発見されたのは1839年、今と同じ形で確認されたのは1887年とウィキペディアに書かれています。これも何度か述べましたが、物体を押すというのは、粒子にしかできないことです。

 電磁波が電荷を進行方向に押すことはマクスウェルが理論的に予測しました。むろん波動論によって。ポイントはローレンツ力でした。
 ・FNの高校物理・光の圧力[輻射圧]
   [tp://fnorio.com/0118light_pressure0/light_pressure0.html]
 ・wikipedia「放射圧」

>>510
> まして電磁波は横波です。電磁波の通り道に電子があっても電場と同じ方向に、つまり波の進行方向とは直角に、振動するだけです。ところが光電効果はまったく異なる現象です。電子は、波の進行方向に押されるのですから。

 光電効果では電子は波の進行方向にだけは押されません。ネットの解説にはいくらでも図が載っていますから、電子の方向をよくご覧ください。

555diamonds8888x:2019/12/17(火) 05:31:31 ID:6pFCUSvE
>>553
 ところで19世紀の知見で考えろというKenさんの方法にはちょっとわからない点があるので教えてください。

>>549
>それを避けるには1〜3の少なくともどれか1つを否定せねばなりません。もちろん現実の歴史では、20世紀の量子論で3が否定されました。でも19世紀には3点のどれも否定できず、

 どうも引っかかるのですが、19世紀の知見では3の否定「波動と粒子は背反関係にはない」は非論理的だというのがKenさんの認識ですよね。それが世紀が変ったとたんに論理的になるのは、一体どういうメカニズムによるのですか?


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