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鬼和尚の仏教購読会 別館

501避難民のマジレスさん:2019/04/26(金) 23:07:27 ID:LC3de7YgO
>>499
情報提供、ありがとうであります。

>>500
如来でありましたか。覚者でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

502避難民のマジレスさん:2019/04/26(金) 23:19:50 ID:LC3de7YgO
>>498
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十三話 霊的な仙薬(つづき)

だが私は、 それは他の誰にでも起こりえたと言っているのではない。
それは千代能に起こった。
彼女が為したことはどれもその原因ではないが、 彼女が為したことのすべてが
彼女の内側にあるものを―― 何をやっても失敗に終わる、 人が成功することは
ありえない という理解を生じさせた。
彼女はまったく望みのない 状態に到ったにちがいない。
その絶望は為しうることをすべてやりつくしたときにはじめて感じられるもの
だ。
そしてその絶望が訪れたときに、 はじめて希望が生まれてくる―― その救い
ようのなさのなかで、 自我エゴは大地に叩きつけられ粉々になる。
人はもはや何ものも要求しない。
自我はその絶頂に達して はじめて、その頂点で消えてゆく。
中途半端な自我を落とすことはできない。
それはできない相談だ。
なぜなら、まだ先に望みがあるからだ。
「わからないぞ、もう少し努力すれば、 もう少し修行すれば、もう少し執着
を捨てれば……わかるものか。
まだすべての方角を調べたわけじゃない、まだ望みはある」
とそれはつぶやく。
自我というのはしぶとい。
だが、可能なあらゆる方角をすべて探しつくし、 究めつくしたのに、いつもし
くじってばかりいれば、 失敗につぐ失敗を重ねていれば、いつまで探求し、 探
索することをつつ゛けていられるだろう?
いつの日か探求や探索は落ちてしまう。
だからこのパラドックスを覚えておきなさい―― 光明は探求を落とした者たち
にしか起こらない。
だが、探求を落とすことができるのは誰なのか?
それは充分に深く究めつくした者たちだけだ。
これはパラドックスだ。
これは理解しなければならない大いなる秘密のひとつだ。
それを胸の奥に沈潜させなさい。
片方だけを選ぶ可能性は高い。
「探し求めよ、そうすれば汝は見いだすだろう」と言う者たちがいる。
それは真理の半面にすぎない。
ただ求めるだけで見いだした者はひとりもいない。
また「求めても神が見つからないのなら、そもそもなぜ求めるのか? 待てばよ
い。やがて神の恵みとして起こるだろう」と言う者たちもいる。
そのようなやり方でもけっして起こらない。
あなたがたは何世紀にもわたり、何生にもわたって 待ちつつ゛けてきたが、い
まだにそれは起こっていない―― そのような仕方では起こらないことは それだ
けで充分に明らかだ。
では、 それはどのようにして起こるのだろう?
それは探し求めることをやめた探求者に起こる。
それはもてる力をすべてふり絞って探求したが、 しくじった者、完璧にしくじ
った者に起こる。
その失敗のなかで、 最初の光線が、不意にあなたに射してくる!
救いようのない絶望感にひたっているとき、 光明のことはすべて忘れようと諦
めているとき、 探求がやんで、光明を得たいという欲望さえも なくなってしま
ったとき、突然、それが訪れる ……そしてそれで何もかも片ずいてしまう。
それはそのようにして千代能に起こった。
それはそのようにして仏陀に起こった。
それはいつもそのようにして起こる。
仏陀は六年間にわたって働きかけてきた―― 懸命に働きかけてきた。
思うに、これだけ激しく 働きかけた者は他にはいないだろう。
彼は命じられたことはすべて、 できると耳にしたことはすべて、 どこかで拾
い集めることができたものはすべて やりつくしてしまった。
彼はあらゆるタイプの師のもとを訪ね、 実に厳しい修行を重ね、誠実に、真
面目に取り組んだ。
だが、六年が虚しく過ぎていったある日のこと、仏陀は、 このようにしていて
もそれは起こらない、 働きかければ働きかけるほど、 私というものが強くなっ
てゆく、 という事実に気つ゛いた。
その日、彼はくつろいで、 探し求めることを完全に落とした。
すると、まさにその夜のこと…… その夜もやはり満月だった。
満月と光明には どこかつながりがあるにちがいない。
満月は海に与えるのと同じくらい 深い影響をあなたのこころハートに与える。
満月はあなたを揺り動かし、美や至福へと向かわせる。
それはあなたのなかに何かを……仙薬をつくりだす。
それは人の感受性をひじょうに高めるので、 あなたは今まだかつて見たことが
ないものを 見ることができる。
それは満月の夜のことだった。
仏陀はゆったりとして、完全にくつろぎ、 はじめてぐっすりと眠った――何か
を探し求めて いるとき、どうして眠ることができるだろう?
眠りのなかでも探求はつつ゛き、欲望は夢を紡ぎだしつつ゛けている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

503避難民のマジレスさん:2019/04/27(土) 11:10:33 ID:LC3de7YgO
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十三話 霊的な仙薬(つづき)

今や、何もかもが失敗に終わってしまった。
彼はこの世間を、王国を、恋愛や人々との関係 の喜びや苦しみを、肉体と心の
苦悩や歓喜を見てきた。
続いて彼は禁欲の修行者、僧侶となり、 たくさんの道に従い、それもまた見
てしまった。
彼はいわゆる世間を味わい、 いわゆる出世間をも味わったが、 いずれも失敗
に終わった。
もはやどこにも行くところはない、 これ以上は一寸たりとも動けない。
欲望はみな消え失せてしまった。
そこまで絶望しきっているとき、 どうして欲望を抱くことができるだろう?
欲望とは希望のことだ。
欲望とは、まだ何かする ことができるということだ。
その夜、仏陀は "為しうることは何もない、いっさい何もない" ということを
知るに到った。
その要点を見るがいい。
そこにはとほうもない美しさがある…… 為しうることは何もない、いっさい
何もない。
彼はくつろいだ。
彼の身体はゆったりとくつろいでいたにちがいない。
彼のこころハートはゆったりとくつろぎ、願望も、未来もなかったにちがいな
い。
この瞬間がすべてだった。
空には満月がかかり、 彼は深い眠りについていた。
そして、朝が来て、目覚めたとき、 彼は通常の眠りから覚めただけではなく、
私たちみなが生きている形而上的な眠りからも 覚めていた。
彼は覚醒をとげた。
彼は弟子たちによくこう言った。
「私は懸命に働きかけたが、成長することができなかった。 そして働きかける
という考えそのものを落としたとき、私は成就した」
私が自分の仕事ワークを「遊び」と呼んでいるのはそのためだ。
あなたがたは矛盾した立場に立たざるをえない。
それが「遊び」という言葉の本当の意味だ。
あなたがたは働きかければ何かが起こる かのように妙に深刻な姿勢で取り組
んでいるが、 それは働きかけることを通しては絶対に起こらない。
それは働きかけることがやみ、 遊び心に満ちた気分が生まれ、 くつろいだ気
分になったときにはじめて起こる…… しかもそれは努力して身につけたくつろ
ぎではなく、 こう理解することで生まれるくつろぎだ――
「何をやっても、"私"をますます強めるだけだ。 何をやっても、自我エゴをま
すます膨らませるだけだ。 自我は障壁なのだから、何をやっても元のもくあみ
だ」
これを見抜くと、行為はかき消えてしまう。
そして行為なくして、どうして 行為の主体が存在できるだろう?
行為が消えれば、その影である 行為の主体も消えてゆく。
そしてあとにはあなたが残される――
<全体>のなかに、この宇宙的な遊戯の 一部として、丸ごと、完全な状態で。
それが光明だ。
これらの経文にはとほうもない価値がある。
それらに瞑想するがいい。
呂祖師は言った。
沈黙が訪れると、一片の思考すら湧き起こらない。
内側を見ている者は、突然、見ていることを忘れてしまう。
沈黙には二つの種類がある。
ひとつは修養して身につけるものであり、
もうひとつは訪れてくるものだ。
修養して身につけた沈黙は抑圧された騒音にすぎない。
黙って坐ることはできるし、長期にわたって坐りつつ゛け、
何か月も何年も訓練をつつ゛けてゆけば、次第に騒音を抑圧できるようになっ
てゆく。
だが、あなたは依然として火山の上に坐っている
――それはいつ噴火するともかぎらない、
ちょっとしたきっかけがあれば充分だ。
それはほんとうの沈黙ではなく、強いられた沈黙にすぎない。
これが世界中で起こっていることだ。
瞑想しようとしている人々、静かになろうとしている人々は、
ただ自分に静けさを強いているだけだ。
強いることはできる。
自分の周囲に何層もの静けさを張りめぐらせることはできるが、
それは自分自身をだますことに他ならない。
そんな皮相なものでは役に立たない。
沈黙があなたの実存そのものから湧き起こってこないかぎり、 外から内側に強
いられたものではなく、 逆に内からやって来たものでないかぎり
――それはやって来る、 内から外に向かって湧きあがってくる、
中心から周辺に向かって湧きあがってくる ……それはまったく異なる現象だ。
呂祖は言っている。
沈黙が訪れると―― いいかね、それはもたらされたものではなく、 強いられ
たものではなく、訪れるものだ――
一片の思考すら湧き起こらない。
そうなったら、あなたは火山の上に坐っているのではない。
私の方法論全体が沈黙を 修養して身につけるのではなく、 内なる騒音を発散
浄化カタルシスして、 それを投げ捨てることにあるのはそのためだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

504鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/27(土) 23:03:54 ID:1d4drIFg0
自ら行うことは自我を起こすことになるから、観照も起こらないのじゃ。
努力し続けて自我も起こり続けてしまうのじゃ。
努力の果てに全ての努力を放棄して、今まで努力していた者に気付くのじゃ。
努力もまた必要であったのじゃ。
それがなければ、放棄して観ることもなかったのじゃ。

505避難民のマジレスさん:2019/04/27(土) 23:22:34 ID:LC3de7YgO
>>503
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十三話 霊的な仙薬(つづき)

私のもとにはじめてやって来た人々はひじょうに困惑する。
仏教の師のもとにいたことがあるなら、
彼らはヴィパッサナをやり、坐を組み、自分自身に ある決まった姿勢を強いて
いただろう。
なぜ姿勢をくずさないのか?
それは身体をある一定の姿勢に強いてとどめておくことで、 心マインドもひと
つの形に押し込めておくことができるからだ。
肉体ボディと心マインドは連動している。
心は肉体の内なる局面であり、 それは物質的な現象だ。
それはあなたの実存とは何の関係もない。
それは肉体と同じように物質的なので、肉体に何かをすれば、 それは自動的に
心にも反映する。
だからいつの時代にも人々は姿勢を整える訓練を行なってきた――
蓮華坐の姿勢で坐り、仏像のように、石仏のようになるよう肉体に強いる。
身体を微動もさせないでいることができれば、 心がある種の静けさのなかに入
ってゆくのに気つ゛くだろう。
だが、それはまやかしであって、本物ではない。
身体の姿勢によって力つ゛くで静かにさせているだけだ。
試してみるといい――こぶしを握り、顔をしかめ、 歯を噛みしめて、憤怒の姿
勢をとってみるがいい。
そうして憤怒の姿勢をとってみると、 驚いたことに、本当に怒りを覚えはじめ
る。
俳優はそれをやっている――
身体を動かして一定の姿勢をとり、 そこに入りこんでゆくと、やがてその気
になってくる。
二人の偉大な心理学者ジェームズとランゲは、今世紀の初頭に実に奇妙な 理論
を編み出した。
それはジェームズ&ランゲの理論として知られている。
彼らは昔から常識とされてきたことにそぐわない、ひじょうに奇妙なことを言
った。
ふつう私たちは、人は怖くなって逃げだす、恐怖に駆られて走りだすと考えてい
る。
ジェームズとランゲは、それは真実ではないと言った――走るから、恐怖を覚
えるのだと。
馬鹿げて見えるが、そこにはいくらかの真実が含まれている――半面の真理が。
常識にも半面の真理はあったが、これもまた同じ全体のもうひとつの半面を言
ってい。
笑いはじめたら、悲しみが前よりも少し軽くなった感じがする。
冗談を言って 笑っている友人たちのそばに行って坐るだけで、自分の悲しみや
惨めさを忘れてしまう 。
あなたは笑いはじめる。
すると笑いはじめたとたんに、気分がよくなってゆく。
身体からはじめることもできる。
試してみるといい!
悲しみを感じていたら、駆けだしてみるといい。
家の近くを七回ほどまわって、 深呼吸をし、陽光を浴びて、風に吹かれなさ
い。
七回まわったら、立ち止まって、心境の変化がないかどうか 見てみるといい。
いいや、同じであるはずがない。
肉体の変化が心を変えてしまった。
肉体の生化学が心を変えてしまう。
ヨーガの姿勢はそのためにある。
それらはすべて心を一定のパターン に押し込むための姿勢だ。
それは本当の沈黙ではない。
本当の沈黙はひとりでに現れて くる沈黙でなければならない。
私が勧めるのは、肉体に無理強い してはいけないということだ。
それよりも、踊ったり、歌ったり、身体を動かしたり、 走ったり、ジョギング
したり、泳いだりするがいい。
肉体をありとあらゆる仕方で動かしなさい。
そうすれば 心マインドもまたありとあらゆる仕方で動き、そのようにして 内側
をかきまぜることで、発散浄化カタルシスがはじまり、 心は毒を放り出してゆ
く。
大声で怒鳴り、怒り、枕を叩きなさい。
すると驚くようなことが起こる―― 枕を叩いたあとは、気分がすっきりする

心のなかにあったものが解き放たれたのだ。
妻や夫を殴るのも、枕を殴るのも大差はない。
枕は、妻や夫を殴るのと同じくらい完璧に役に立つ。
肉体にとっては殴る相手が誰であろうと同じことだからだ。
殴るポーズを取るだけで心は怒りを放出しはじめる。
心と肉体は協調して働いている。
カタルシスからはじめなさい。
そうすれば子ども時代から内側にため込んできた がらくたを一掃することがで
きる。
怒っていたのにそれを外に表すことができなかったのは、 怒れば母親が取り乱
してしまうからだ。
あなたはそれを抑え込んでしまった。
あなたは腹が立ち、怒鳴りたかったが、 そうすることができず、逆に微笑み
を浮かべた。
内側にため込んできた す べ て の も の ――あなたはそれを投げ捨てなけれ
ばならない。
そうして待っていると…… 沈黙があなたのなかに降りてくる。
その沈黙には他にはない美しさがある。
それはまったく別のものだ。
そこには異なる質がある。
そこには異なる深みがある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

506鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/28(日) 23:40:56 ID:1d4drIFg0
これがオショーのダイナミック瞑想なのじゃ。
現代人はストレスを多く抱えているから先ずはストレスを発散させるというのじゃ。
それから沈黙が起こってくるのを待つのじゃ。
そうすればより深く瞑想に入ることが出来るというのじゃ。

507避難民のマジレスさん:2019/04/29(月) 00:08:45 ID:LC3de7YgO
>>505
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十三話 霊的な仙薬(つづき)

 沈黙が訪れると、一片の思考すら湧き起こらない
――思考が起こってこないように抑え込んだわけではない。
見張っていたわけではないし、こちこちに身を固め、 一片の思考がよぎるのも
許さなかったわけではない。
あなたは闘っているのではなく、 手放しの状態になっているのだが、 何ひと
つ湧いてこない。
一片の思考も起こらず、 思考がひとりでに消えてゆくとき ――それは美しい。
そうなったらあなたは完璧に静かであり、 その沈黙はよいものだ。
強いられた沈黙はよいものではない。
内側を見ている者は、突然、見ていることを忘れてしまう。
その体験のなかで、こんなことが起こる――内側を見ている者は、突然、見て
いることを忘れてしまう
これが本当に内側を見るということだ――
内側を見ていることさえ忘れてしまうということが。
内側を見ていることを覚えていたら、それはまたしてもひとつの思考にすぎない。
最初は外界を見ていたし、今度は内界を見ているが、そこには自我エゴがある。
最初は外向的で、今度は内向的だが、そこには自我がある。
最初は樹々を見ていたが、今度は思考を見ている。
最初に見ていたのは客観的なものであり、今見ているのは主観的なものだが、
ことのすべては少しも変わっていない。
あなたは依然として二つに――見る者と見られるものに、観察者と観察される
ものに、主観と客観に分割されている。
二元性がしぶとく残っている。
これは本当の沈黙ではない。
二つのものがあれば葛藤が起こらざるをえないからだ。
二つのものは静かではありえない。
ひとつになると、どんな葛藤も起りえないので、あなたは静かになる。
沈黙を強いるのではなく、それが自然に降りてくるのを許しなさい。
強いられた沈黙は作為的であり、一方的に押しつけたものだ。
これこそ私がここであなたがたとともに、私の人々とともに起こそうとしてい
る大いなる変革のひとつだ。
古い技法はすべて基本的に何かを強いている。
私が理解するところでは、けっして何も強いてはいけない。
むしろ、もち歩いてきたがらくたをすべて放り出すがいい。
もっともっとからっぽになり、もっと広々とした空間をもちなさい。
内側にもう少し空間をつくりだせば、その空間に沈黙が訪れてくる。
自然は真空を嫌うから、がらくたをすべて放り出して、からっぽになることが
できたら、彼方なるものが内側に降りてくるのを目の当たりにするだろう。
舞い踊るエネルギーがあなたのなかに、あなたのすべての細胞のなかに入って
くる。
あなたは言葉もなく、音もない歌、聖なる音楽に満たされる。
この音楽のなかには見ている者がいない。
この音楽のなかには見られている者がいない。
観察する者が観察されるものになっている。
踊り手は踊りそのものになり、あらゆる二元性が消え失せている。
この非二元性こそ真の沈黙に他ならない。
このとき、身心は完全に解き放たれてしまうであろう。
このような瞬間には、手放し状態のままでいなければならない。
姿勢のことなどいっさい忘れてしまいなさい。
やろうとすることはすべて忘れて、何もしようとしてはいけない。
無為の状態にありなさい。
ただゆったりとして、
完全にくつろぎ、何もせずにいる。
くつろげばくつろぐほど、あなたの実存にさらに深い沈黙が浸透してゆけるか
らだ――ただ開いて、感じやすくなり、くつろいでゆくがいい。
いっさいのしがらみは跡形もなく消滅する。
すると驚いたことに、落とそうとしていたのに落とせなかったすべての欲望が、
いつの間にか消え去っている。
世間のしがらみ、頭をわずらわす仕事、そういったあらゆる雑念や行き交う思
考の流れは、もはや跡形もない。
あなたは驚くだろう――
あの連中はみなどこへ行ってしまったのだろう?
と不思議に思うだろう。
あなたは奮闘していたが、努力しているときには、一片の思考ですら追い出す
ことはできない。
やってみるといい。
思考をひとつでも放り出したいと思ったら、あなたは完全に失敗する。
それは放り出せない。
放り出そうとすればするほど、なおいっそう大きな音を立てて自分に跳ねもど
ってくる。

静かに坐って、猿のことを考えないようにしてみるといい。
それは単純な実験だ。一匹だけではなく、猿が次から次へとぞろぞろやって来
て、あなたに百面相を見せてくれる。
追い払おうとすればするほど、猿たちはますます扉を叩いて、「なかに入れて
くれ」と言うだろう。
猿たちはあまり行儀がよくないから、ことわりもせずに、なかに飛び込んでく
るかもしれない。
あなたは猿また猿に取り囲まれる。
忘れようとすればするほど猿はますますたくさん現れる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

508鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/29(月) 22:26:40 ID:1d4drIFg0
観る者と観られる者の二つがある時、それは未だ観念による自己認識があることを示しているのじゃ。
記憶から想起される自分という観念を観ているから二つが在るのじゃ。
記憶からの観念が無ければ、観る者と観られる者の二つは無いのじゃ。
観る者と観られる者が一つであるありようが実現するのじゃ。

509避難民のマジレスさん:2019/04/29(月) 23:04:43 ID:LC3de7YgO
>>507
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十三話 霊的な仙薬(つづき)

忘れようとすればするほど猿はますますたくさん現れる。
何かを忘れようとしたら、それをますます思い出すことになるからだ。
それは思い出そうとするのと同じだ。
努力をすることで忘れることはできない。
沈黙が降りてくると、突然、いっさいのしがらみが消えてしまう――跡形もなく
消え去る!
後には痕跡すら残らない。
あなたは信じられない、あのすべての騒音は……どこへ行ってしまったのだろ
う?
それがかつて自分のなかにあったことすら信じられない。
それが今なお他人のなかにあることが信じられない。
これは目覚めた人々がみな直面しなければならない基本的な問題のひとつだ。
あなたがたはあらゆる問題を抱えて私のもとにやって来るが、私の苦境がわか
っていない。
私にはまずこのことがわからない――あなたがたはどうしてそんなにたくさん
の問題を抱え込むことができるのだろう?
どうやってそれを抱えつつ゛けているのだろう?
あなたがたは本当に信じられないようなこと、不可能なことをやっている!
なぜなら、私が思考をつかもうとしても、 それはすり抜けていってしまうから
だ。
それはつかめない、それは逃れ去ろうとする。
ところがあなたがたは「思考を止めたいのですが止められません、 その努力に
すっかり疲れ果て、退屈し、うんざりしています」と言う。
あなたがたは本当にみごとな芸当をやっている!
いつの日か沈黙があなたの上に降りてくれば わかるだろう……それは痕跡すら
残さない。
内側に思考が存在していたことすら信じられない。
思考はすっかり消え失せている。
それは影にすぎなかった。
思考は本質的なものではなく、 影にすぎない。
影は消えても跡を残さない。
そもそも 影には実体がないから、その足跡を見いだすことはできない――
あなたがたの思考もそうであり、 あなたがたの想念マインドもそうだ。
自分の精神の宮と坩堝るつぼがどこにあるのか、もはやわからない。
この状態が起こり、内に沈黙が降りてきて、それにおおいつくされると、内を
見ているのか外を見ているのかわからなくなる。
誰が見ている者で、誰が見られている者なのかわからなくなる。

自分の精神の宮と坩堝がどこにあるのか、もはやわからない。
そうなったら自分が誰であるかを言うことはできない。
あなたはそこにいる――
実際、はじめてあなたは存在しているのだが、ではそれはいったい何者なのか
、それは何なのか?
答えはやって来ない。
中国の武帝がボーディダルマに尋ねた……
ボーディダルマは武帝をひどくいらだたせていた。
ボーディダルマは大胆不敵で、歯に衣を着せず、ずばりとものを言う男だった。
武帝は尋ねた。「私はたくさんの善行を積んできたが、天国でどのような報酬
を得られるだろう?」
ボーディダルマは深い軽蔑のまなざしを武帝に向けながら言った。
「報酬だって?あなたは地獄に堕ちるだろう!天国なんてとんでもない」
武帝は言った。「良い行いをしたのに、地獄へ堕ちると言うのかね?
私はたくさん寺を建て、無数の仏像をつくり、無数の仏教僧を養い、寺院を国
費で維持し、仏陀の法ダルマ、その教えを広めるために大いにつくしてきた。
国中の者たちが仏教徒になろうとしている。
人々は瞑想をし、祈りを捧げている。
経典の翻訳も進められ、何千人もの学者が翻訳に取り組んでいる。
なのにあなたは何の報酬も得られないと言うのかね?
私の行為は神聖なものではないと言うのかね?」
するとボーディダルマは言った。
「神聖なものだって?この世には聖なるものなど何もない。聖もなければ、俗
もない。だが、いいかね」と彼はつつ゛けた。
「この自分は徳を積んだ人間だという思いを落とすがいい。この偉業を成し遂
げたという思いを落とすがいい。そうしなければ、無間地獄に堕ちてしまうぞ」
当然、武帝は気分を害し、いらだった……きっと豊かな教養を身につけた文化
人だったにちがいない。そうでなければボーディダルマに乱暴な振る舞いをし
ていただろう。
だが、その彼ですら誘惑には逆らえず、気分を害し、腹を立てながら尋ねた。
「では、私の前に立っているあなたは誰なのか?聖もなく、俗もなく、徳もな
いならば、私の前に立っているのは誰なのか?」
ボーディダルマは笑いながら言った。「私は知らない」
だが、武帝は理解することができなかった。
あなたがたも取り逃がしたかもしれない。
ふつう私たちは、到達した人は自分がだれであるのかを知っていると考える。
だから彼は「自己知識を達成した人」と呼ばれる。
ところがボーディダルマは
「私は知らない」と言う。
これは自己知識の最高峰だ。
これこそが 本 当 の 自己知識だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

510鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/04/30(火) 22:47:57 ID:1d4drIFg0
既に自分が無い者には自分の知識も無いのじゃ。
それが真の無我なのじゃ。
自分の知識があればまだ無我ではないのじゃ。
一切の自己を無くしてありのままにあるのが無我なのじゃ。

511避難民のマジレスさん:2019/04/30(火) 23:14:05 ID:LC3de7YgO
>>509
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十三話 霊的な仙薬(つづき)

人は消えてしまった。
知る者がそこにいるだろうか?
知るということは、知る者と知られるものがあるということだ。
そこにはもはや二元性はない。
知る者がそこにいるだろうか?
そこには沈黙だけが、とほうもない沈黙だけがあり、分割はなく、分かつこと
のできないものがある。
「私は知っている」などとボーディダルマが口にするはずがない。
もし彼が「そうだ、私は自分が永遠の魂であることを知っている」
と言っていたら、この出会いはごくありきたりのものになっていただろう。
おそらくそのほうが武帝は納得しただろうが、ボーディダルマは面目を失って
いただろう。
彼は正直だった。
彼は「私は知らない」と言った。
「私は自分が誰なのか知らない」
と言う者に誰がついて行くだろう?
武帝はこの男について行くことを諦めた。
武帝に理解できないことがわかると、ボーディダルマは言った。
「皇帝ですら私を理解できないとしたら、他の者たちなど当てにはならない」
そこで彼は山に入り、壁に向かって九年間坐りつつ゛けた。
人々がやって来て、「なぜ壁の方ばかりを向いているのですか?」
と尋ねると、彼はこう言ったものだ。
「人々の方を向いても、みんな壁と似たようなものだ。
壁の方を向いているほうがましだ。壁ではない者、感応力と理解力をそなえた
者が来たら、そこではじめてその人に顔を向けるとしよう」
「私は知らない」
という彼の言明には計り知れない美しさと気高さがある。
(p473)

自分の精神の宮と坩堝るつぼがどこにあるのか、もはやわからない。
肉体を確かめたいと思っても、つきとめることができない。

こうして沈黙があなたを覆いつくし、あなたを包み込む瞬間、自分の肉体を確
かめたいと思っても、つきとめることができない。
もう肉体はないとも言えるし、 もはやあなたは分離していないので、 全存在が
あなたの肉体になっている とも言える。
この状況はときとして人を狂気に追い込みかねない。
注意するがいい。
目を開けても肉体が見つからず、
目ではとらえられないといったことが起こっても、 心配してはいけない。
先日の夜、あるサニヤシンが私に尋ねた。
「鏡の前に立っていると、何だかわけがわからなくなってしまいます。
というのも、鏡に映る姿が自分だとは思えないからです」
それは途方に暮れさせる。
鏡をのぞき込むたびにこの問い―― 「これは誰だろう?」という問い が湧き
起こってくるので、彼は最近では鏡を避けている。
「これは私だ」と感じることができない。
さあ、これでは頭がおかしくなっても無理はない。
このために彼はひじょうにかき乱されていた。
だがこれは役に立つしるし、確認のしるしだ。
現によいことが起こっている。
彼は肉体との同一化を解きはじめている。
それはよいことだ。
彼は正しい道の上にいる。
私は彼にできるかぎり鏡をのぞき込むよう、 そして暇を見つけたらいつも鏡の
前に坐って、 鏡に映った肉体を見つめ、「これは私ではない」 と感じつつ゛け
なさいと言った。
「これは私ではない」とくりかえす必要はない。それはまやかしになる。
ただ感じるだけでいい! それは彼にひとりでに起こっているから、問題はな
い。
これは彼の自然な瞑想になるだろう。
それで充分だ。
ゆっくりゆっくり、やがていつか鏡に映る影を 見ることができなくなる瞬間が
やって来る。
そのほうがもっと通常の感覚をかき乱す。
スワパーヴァにそれが起こった。
私は彼にこの瞑想を与えた。
何か月もそれを行なったあと、ある日、 鏡の前に立っていると影が消えてし
まった。
「何が起こっているのだろう?」 と彼は目をこすった。
狂ってしまったのだろうか?
鏡がそこにあり、その鏡の前に 立っているのに、影が消えてしまっている。
そして、その日、彼の存在はすばらしい変容をとげた。
スワパーヴァは今ではすっかり人が変わり、 まったくの別人になっている。
はじめて私のもとにやって来たとき、 彼はエゴの固まり以外の何ものでもな
かった―― しかもインドでいちばん危険なパンジャビ風のエゴだ。
実際、彼はこのパンジャビ風のエゴのために罠にかかっていた。
彼が真理について知りたがっていたので、私は 「君には賭ける用意ができてい
るかね?」と尋ねた。
「君にはすべてを賭ける勇気があるかね?」―― さあ、それは彼のエゴへの挑
戦だった。
彼は「できない」と言うことができなかった、身を引くことができなかった。
彼は「ええ」と言ったが、「何をやれと言われるかわかったものじゃないぞ」
と少し怯えているようだった。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

512鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/01(水) 22:05:05 ID:1d4drIFg0
i肉体が自分だと認識している者には肉体の観察が効果を発揮するじゃろう。
観察する者が自分と思えば、観察されるものは他のものとなるのじゃ。
肉体が観察されれば肉体は他のものとなるのじゃ。
そのようにしてエゴもなくなっていくのじゃ。

513避難民のマジレスさん:2019/05/01(水) 22:51:52 ID:LC3de7YgO
>>510
>自分の知識も無い
>一切の自己を無くしてありのままにある

とは、自分の記憶をを失うと言う意味ではなく、
記憶にもとづいた思考をしなくなると言う意味でありましょうか。
(´・(ェ)・`)つ

514避難民のマジレスさん:2019/05/01(水) 23:08:41 ID:LC3de7YgO
>>511
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十三話 霊的な仙薬(つづき)

だが、彼はジャンプした。
そしてそれが鏡のなかで起こった日 ――彼の影が消えた日―― 彼の奥底深く
にある何かが変化し、動いた。
今や見違えるように変わったスワパーヴァを見ることができる。
彼はひじょうに素直シンプルになり、謙虚になり、 ヴィパッサナ倉庫でもくも
くと働いている。
彼は百万長者の大金持ちだ。
彼は自分が所有している大きな会社の社長であり、 彼のもとで何百人もの人々
が働いていた。
今や彼は一介の労働者のようにアシュラムで働いているが、 これほど幸せだっ
たことは一度もなかったし、 これほど至福に満ちていたことも一度もなかった。
この瞬間があなたにもいつか訪れるかもしれない。
瞑想していると、沈黙が降りてきて、 自分の肉体を見いだすことができなく
なる。
鏡のなかをのぞいても、そこに顔は映っていない。
心配せずに、紛れもない確認のしるしとしてとらえなさい。
何かすばらしいことが起ころうとしている―― あなたの古い自己証明アイデン
ティティが崩れつつある、 あなたの古い自己像が消えつつある。
神があなたをわがものとするまえに、 あなたは完全に消えなければならない。
肉体を確かめたいと思っても、つきとめることができない。
これは「天が大地に浸透する」という状態であり……
自分の肉体を見ることができず、自分の肉体を感じたり、自分の肉体に触れる
ことができないとき――
これが「天が大地に浸透する」と言う状態だ。
楽園が降りてきつつある。
神があなたのもとへやって来つつある。
神はすでに到達している。
神のこころはあなたのハートとともにあり、
神の手はあなたの手に握られている。
あなたが消え失せたのはそのためだ。
部分が全体になったからだ。

すべての霊妙なものが根源に帰るときだ。
今やあなたの生はすみずみまで霊妙な輝きをおびるようになる。
一瞬一瞬が比類のない瞬間となる。
ひとつひとつの体験がすばらしく、えも言われぬものになる。
それからはあなたの生は純粋な詩となる。
それからはあなたはけっして退屈することがない。
生は刻一刻と新たに移り変わってゆくのに、どうして退屈していられるだろう?
人々が退屈しているのは、古びて、生気を失った、鈍重な自我エゴをもち歩い
ているからだ。
彼らが退屈しているのはそのためだ。
自我がなければ、退屈もない。
そうなったら生は喜びだ!
そうなったら起こるひとつひとつのことが神からの贈り物になる。
人は絶えず額つ゛きたい思いにかられ、感謝の念を抱きつつ゛ける……

すべての霊妙なものが根源に帰るときだ。
長足の進歩を遂げると、影もこだまもすべて消え去り……
「神々が谷間にいる」瞬間がやって来る という、呂祖の最初の言葉を覚えてい
るだろう。
あなたは丘の上に坐っており、 全世界が谷間のなかにあるという感じをもつ

音が、ひじょうにはっきりと、実にありありと 聞こえてくるが、それは遥か遠
くにあって、 谷に響くこだまのようだ。
今やそのこだまさえも消えてゆく。
すべての影が去ってゆく。
千代能を覚えているだろうか?
彼女はみずからの光明を祝ってこの詩を詠んだ。
 千代能がいただく桶の底抜けて
 水もたまらず月も宿らず
水面の鏡像、影、こだまはすべて消え去った。
あるがままのものだけが残っている。
そして、そのこのうえもない美しさが。
学人は深い静けさのなかで悠然としている。
これは不可思議なものすべてが根源に帰り、 気(エネルギー)の洞穴に納めら
れたということだ。
外側の生はすみずみまで絶えることのない霊妙な輝きに包まれる。
あなたは浜辺で再び子どもにもどり、風のなかを走り、陽光を浴び、あたかも
ダイヤモンドの鉱脈を見つけたかのように
貝殻やきれいな色石を集めている。
外界の森羅万象のすべてが霊妙な輝きの質をおびる。
では内側では何が起こっているのだろう?
不可思議なものすべてが根源に帰り……
深い洞察のなかでは、外界の霊妙な輝きに合わせて、不可思議なものすべてが
その源に帰る。
不可思議なものとは何だろう?
在ることそれ自体が最大の奇蹟だ――ただ在ることが。
それを感じるのに金持ちである必要はない。
それを感じるのに教育を受ける必要はない。
それを感じるのに有名になる必要はない。
ただ在ること……。
あなたが在ることそのものが最大の奇蹟、最大の神秘だ。
なぜあなたは存在しているのだろう?
理由はない。
あなたはそれを稼ぎ取ったわけではないし、それを求めたことすらない。
それはただ起こっている。
だから外界には霊妙な輝きがあり、内側には不可思議な世界がある。
光明を得ている人はそのようにして生きている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

515鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/02(木) 22:11:56 ID:1d4drIFg0
>>513 記憶に基づいた認識をしなくなるのじゃ。
 それが本来の認識なのじゃ。
 それができれば刹那毎に新しく今ここにある真の実在が知覚できるのじゃ。
 そこにはもはや知覚する者とされる者の区別も無いのじゃ。

516避難民のマジレスさん:2019/05/02(木) 22:45:33 ID:LC3de7YgO
>>514
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十三話 霊的な仙薬(つづき)


そして、今やこういったことが起こりはじめる。

場所を変えずとも、場所はおのずと変わってゆく。
もうヒマラヤに行く必要はない、
街の雑踏マーケットプレイスを捨て去る必要はない。
あなたは人で賑わう街にとどまることができるが、もはやその場所は前と同じ
ではない――
場所そのものが変容してしまう。
街の雑踏さえもがとても美しく、それと比べればヒマラヤなど取るに足りない。
ありふれた現実がこの世のものとは思えない美でみなぎるようになる。
毎日そばを通りながら一度も目にとめたことがなく、気にもとめなかった樹が
、突然、弾けたように花を咲かせ、あなたの意識に花とかぐわしい香りを浴び
せかける。
生はありとあらゆる色にあふれ、極彩色になり、ものごとはひとりでに変わり
はじめる……
それはひとえにあなたがこの内なる静けさ、この無我の状態に到ったからだ。

場所を変えずとも、場所はおのずと変わってゆく。
私が「私のサニヤシンは世間を離れてはいけない」といつもくり返し強調する
のはそのためだ。
これを光明を得たかどうかを判別する基準にするがいい――あなたが光明を得
たら、世界はおのずと姿を変える、それは変わらざるをえない。
それに世間から逃げたとしても、どこにも行くあてはない。
どこへ行っても、あなたは再び同じ世界をつくりあげる。
それをつくりだす青写真があなたの内側にあるからだ。
この女のせいで厄介なこと――子どもや、家や、責任――が生じてくるのだと
考えて、その女性と別れることもできる。
その女性やかわいそうな子どもを置いて、逃げだすこともできる――
これまで多くの男たちがそれをやってきた。
だが、あなたはかつてこの女性に恋をしたのだ。
あなたの内側にはまたしても恋に落ちる可能性がある。
遅かれ早かれ――おそらくは早いうちに――もうひとつの家庭をもち、別の男
や別の女ができ、子どもが生まれ、責任が生じてくる。
生をそうたやすく、そう手軽に変えることはできない。
あなたはたんにまわりの環境を変えるだけで、奥深くでは青写真をもち歩いて
いる。
まわりの環境は青写真によってつくられる。
青写真が再びそれをつくりだす。
それは種子に似ている。
あなたは樹を倒したが、種子をもち歩いている。
種子が再び地面に落ちると、樹がまた必ず生えてくる。
種子を焼いてしまわなければならない。
そうなったら、どこにいてもこの奇蹟が感じられるようになる。

場所を変えずとも、場所はおのずと変わってゆく。
この世界そのものが楽園になり、
この世界そのものがにゃはんニルヴァーナになり、
この肉体そのものが仏陀の身体になる。

そこは形なき空間であり、そこでは 千の場所も万の場所も ひとつの場所に他な
らないからだ。
時間を変えずとも、時間はおのずと変わってゆく。
これは測ることのできない時間であり、そこでは 無限の劫こうも一瞬に他なら
ないからだ。
何にも手を加える必要はない。
そしてこの二つが世界を構成している要素だ。
見るがいい、呂祖が言っていることは、今や現代の物理学によって完全に裏
つ゛けられている。
アルバート・アインシュタインは、世界はたった二つのもの、時間と空間から成り立っていると言う。
実のところ、それらは二つではなくひとつのものであるから、新しい言葉をつ
くりださねばならない。
彼はそれを「時間と空間」と呼ばずに「時空」と呼ぶ。
時間と言うのは空間の第四の次元であり、二つの 言葉のあいだにはハイフンさ
えいらない。
空間を変えなくてもいいし、時間を変えなくてもいい。
それらはひとりでに変化してゆく。
た だ 自 分 自 身 を 変 え さ え す れ ば い い 。
ハートに変化が起これば、全存在が変化する。
天国はどこか別の場所にあるわけではないし、 地獄もどこか別の場所にあるわ
けではない。
それはあなたの内側にある、 どちらもあなたの内側にある。
 あなたがそれらをつくりだす。
だが、人々は愚かなことをやりつつ゛けている。
先日ある人が手紙を寄こした――「どうしたことでしょう?……」彼は妻を四
度 変えていた。
これが四度目の結婚であり、その女性は彼にとって一緒に暮らす 四人目の女性
だった。
そして今、彼は「いつもどうしてこうなるんでしょう?
最初はすべてがすばらしく見えるのですが、半年も経たないうちにまた 同じよ
うにだめになってしまうんです」と言っている。
いつもまったく同じことがくり返されるのは、 あなたが前と少しも変わってい
ないからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

517避難民のマジレスさん:2019/05/03(金) 12:21:09 ID:LC3de7YgO
>>516
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十三話 霊的な仙薬

そしてことは入り組んでいる。
例えば、あなたは妻にうんざりしている―― 心マインドはつねに新しいものを
、感情を煽る 、何か新しいものをしきりに欲しがっている。
あなたはその女性を知ってしまった。
彼女の地形をすみずみまで知りつくしてしまった。
今や 彼女の地理に精通してしまい、もうこれ以上探検の余地は残されていない。
あなたは別の女性に関心を寄せるようになる。
別の女性に関心を寄せはじめる と、妻はますますもめごとをつくりだすように
なる。
あなたが彼女にではなく 別の誰かに関心を寄せているのに気つ゛くと、嫉妬が
生まれてくる。
彼女はたくさんのもめごとを引き起こす。
小言を言うようになり、意地悪になって ゆく。
彼女ががみがみ言えば言うほど、あなたはますます彼女がいやになってゆく。
さあ、この悪循環を見るがいい。
彼女はあなたがそばにいて欲しいのだが、やることなすことすべてがあなたを
遠ざけて しまう。
彼女はますます所有欲をつのらせ、いちだんと嫉妬深くなってゆき、家庭生活
を営むことは不可能になってゆく。
それは地獄になってしまう。
あなたはできるかぎり彼女を避けるようになる。
夜遅くまで会社で働き、仕事が なくても会社に居座りつつ゛けるようになる。
家に帰ればいやでも妻と顔を合わせる ことになり、また同じ苦しみを味わうこ
とになるからだ。
そして彼女が本当に求めているものは何だろう?
あなたにそばにいて欲しいのだ。
ところが彼女はその逆の ことばかりやって、あなたを追い払おうとしている。
そして邪魔者扱いにされればされるほど、別の女性がさらに美しく魅力的に見
えてくる 。
別の女性が魅力的で美しく見えるようになればなるほど、ますますその女性と
一緒に いたくなるし、その女性もあなたともっと一緒にいたくなる。
そしてやがて彼女は 「私と一緒にいたいのなら、あの女ひとと別れてね」と言
いはじめる。
妻と別れたとたん、その男が自分のなかに見いだしていた 美しさが消え失せて
しまうことに、その女性は気つ゛いていない。
男がその女性のなかに見ている美しさの 九割はもうひとりの女性に負うてい
る。
その女性は男の妻を敵と見なしているが、そうではない。
実は彼は、あの妻のおかげで恋に落ちてくれたのだ。
こういったことは無意識のうちに行なわれる。
それを見るがいい!
見なければ、それはいつまでも作用しつつ゛ける。
相手の女性はとても幸福になる。
彼女が幸福になればなるほど、あなたはもっと彼女の そばにいたくなるし、そ
れにつれて、いままでの女のほうはますます醜く見えてくる。
じきにあなたはこの女性と永遠に暮らしたいと思うようになる。
あなたはいままでの 女と別れて、この女性と暮らしはじめる。
それまでの女と別れたその日、まわりの状況はすっかり変わってしまう。
今やこの新 しい女性と一緒にいても、それほど美しく見えないし、それほど魅
力的にはみえない。
あなたを不愉快にさせる者がいないので、催眠状態がだんだん解けてゆく。
半年も経たないうちに催眠は解けてしまう――この女性も前の女性と変わらな
い。
もう 地理の調査は終わり、ことは片つ゛いてしまった。
だが、女性には何が起こったのか わからない――「この人はとっても愛してく
れていたのに、どうなったのかしら?」
彼女は自分でそれを壊してしまった。
そしてこの男も何が起こったのかわからない――
「この女性はあんなにすばらしく見えたのに、ごく平凡な女だった」
またしても動きが、同じ動きが、無意識の奥に潜む同じ種子による 悪循環がは
じまり、彼は別の誰かに恋をしはじめる。
人々は無意識のうちに恋に落ちて、無意識のうちに恋から覚める。
彼らは次から次へと相手を変えてゆくが、自分自身を変えることはない。
彼らは外側を変えつつ゛けるが、自分は同じままだ。
あなたは変えてゆくこともできる――幾多の生涯にわたって、 あなたはそれを
やり、同じことをくり返してきた。
それはとめどない悪循環になっている。 それは車輪だ。
同じスポークが 上がって来ては下がり、 また上がって来ては下がる。
それはまわりつつ゛ける車輪であり、 あなたはその車輪のなかにとらえられ
ている。
醒めなさい。 場所を変える必要はないし、 時間を変える必要はない。
外側のものは何ひとつ変える必要がない。
外界はこれ以上は望めないほど完璧だ。
やらなければならないことはただひとつ―― もっと意識的になり、 もっと油
断なく目を見張り、 もっと注意深く気つ゛き、 もっとからっぽになること。
そうすれば外界に投影するものは何もなくなる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

518鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/03(金) 22:42:09 ID:1d4drIFg0
お釈迦様も全てのものごとは心から作られるといっているのじゃ。
心の中の反応が自らの環境に投射されるのじゃ。
心が乱れていれば、周りも乱れていると感じるのじゃ。
それは外の環境が悪いのではなく、自らの心が原因なのじゃ。

519避難民のマジレスさん:2019/05/03(金) 23:45:13 ID:LC3de7YgO
>>517
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十三話 霊的な仙薬(つづき)

内側にある種子をすべて焼きつくさなければならない。
内側にある青写真をすべて焼きつくさなければならない。
その青写真を焼き、種子を焼き、 内側にあるものをすべて放り出して、 ただ
からっぽになっていると、彼方から 何かがあなたのなかに入ってくる。
楽園が地上に浸透してくる。 それが変容の瞬間だ。
この変化とともに、全存在が一変してしまう。
女性も、子どもも、人々も、会社も、騒々しい街中も、 すべては元のままだが、もはや前と同じではない。
それはあなたがすっかり変わってしまったからだ。
これが正しい変容の道だ―― けっして外側からはじめてはいけない。
内側からはじめなさい。
こころというものは、静けさの極点にまで達しないかぎり、動くことのできな
いものだ。
人が動きを起こしてその動きを忘れるようなら、それは本来の動きではない。
それゆえに外界の事物の刺激を受けて動くのは本性の欲望であり、 外界の事物
の刺激を受けずに動くのは天の動きであると言われる。
いいかね、天の動きに身をゆだね、神があなたを動かすままにさせることだ。
<全一なるもの>に明け渡しなさい。
そうでないと、あなたは状況に反応しつつ゛け、状況はあなたとその意識に作
用しつつ゛けるだけで、あなた自身には何の変化も起こらない。
相手の男や女を変えることはできるし、仕事を変えることはできるし、家を変
えることはできる。
ものをどんどん変えつつ゛けることはできるが、本当には何ひとつ変わってい
ない。
<全体>があなたをわしつ゛かみにし、あなたのハートがもはや外界の事物に動
かされなくなり、実存の内奥の中核――それを「神」「天」「タオ」と呼んで
もいい――によって動かされるようにならないかぎり……。
あなたがそれを動かすのではなく、あなたが<全一なるもの>の手にするただの
道具となっているとき、それこそまさに「汝の王国は来たり、汝のわざはなさ
れた」という言葉でイエスが言わんとしていることだ。
イエスはそのような言い方をした。
同じ真理をユダヤ流の表現で言い表した。
天の動きに身をゆだねよ――これは中国の言い表し方だ。

だが、思念が起こらないときには、正しい思念が湧いてくる。
これは奇蹟だ――
思いが微塵みじんも湧いてこないときには、
何をやっても正しい行ないになる。
何が正しく何が間違っているかを判別するということではない。
思考マインドが静まり、こころハートが神によって動かされるとき、起こるこ
とはすべて的を射ている。
正しいことをすれば聖人になるというのではない。
あなたが聖人であれば、あなたが為すことはすべて正しいものになる。
正しい行為をすることで聖人になろうとしているのであれば、それはひたすら
自分を抑圧してゆくことに他ならない。
間違ったことを抑圧しつつ゛け、正しいふりをしつつ゛けている。
あなたは偽善者になる。
聖人になろうとしてはいけない。
神にその座をゆずってしまいなさい。
ただからっぽになり、明け渡して、手放しの状態になりなさい。
神にハートの動きをゆだねれば、あらゆるものが美しくなる。
そうなったら、起こることはすべて正しく、間違いが起こることはない。
つまり、自我エゴから生まれるものはすべて間違っているということだ。
ボーディダルマが「あなたは地獄に堕ちる。
あなたが行なってきたことはうわべは崇高で、宗教的に見えるが、奥深くでは
自我が得意そうに笑みを浮かべている」
と言ったのはそのためだ。
自我から生じるものはすべてあなたを地獄へ、苦しみのなかへと連れてゆく。
自我を落とし、ものごとが起こるにまかせなさい――風が吹くと樹が揺れ動き、
太陽が昇ると鳥たちが歌いだすように。
<全体>に身をまかせきってしまいなさい。
あなたはこの生を独りだけで生きているわけではない。
神があなたを通して生きるがままにさせなさい。
そうすればすべてがよきものとなる。
神から生まれるものはすべてよい。

それが真の思念だ。 ものごとが静まり、悠然としていると、 天の活動のあらわ
れが突然動きだす。
これこそ何の意図もない動きではないだろうか?
今や個人的な目標がないのだから、あなたの人生には何の目的もない。

無為にして為すとは、まさにこれを意味する。
人が生きているのは、神が人を通して生きることを望んでいるからだ。
人が行為するのは、
神が人を通して何かをしようと望むからだ。
だが、こちらへ行こうがあちらへ行こうが、それは人のあずかり知るところで
はない。
どんな役割が与えられても、あなたはそれを演じつつ゛ける。
それは神の演劇であり、脚本も監督も神がつとめている――あなたは自分の役
を可能なかぎり完璧に演じる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

520鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/04(土) 22:41:12 ID:1d4drIFg0
自分のために行った善事は慈悲の心からの行ないではないから善事とはならないのじゃ。
助かる者もいるから悪とか無意味ではないがのう。
王様は自らの支配のためにそれと同時に何人も殺したりしているから大抵地獄行きなのじゃ。
何でもお見通しなのじゃ。

521避難民のマジレスさん:2019/05/04(土) 23:03:46 ID:LC3de7YgO
>>519
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十三話 霊的な仙薬(つづき)

どんな役が与えられても、あなたはそれを演じ切る。
所帯を切り盛りしているなら、所帯を切り盛りするがいい。
商売をやっているなら、商売をつつ゛けるがいい。
そういったものを変える必要はない。
ひとえに必要なのは、自分がやり手であるという考えを落とし、
ある目標に到達しなければならないという考えを落とし、
どこかにたどり着かねばならないという考えを落とすことだ。
どこであれ神が望むところ へ運ばれてゆきなさい。
風に舞う枯れ葉になりなさい―― そうすればすべてがよきものとなる。
そうすれば生は至福に満ちてくる。
もはや緊張などありえないし、不安も起こらない。
失敗のしようがない。
欲求不満を覚えることはけっしてない。
なぜなら、そもそも最初からあなたは 何も期待してはいないからだ。
これが目的のない生を生きることだ。
無為にして為すとは、まさにこれを意味する。
最も深い秘密は、いついかなるときも、欠かすことのできないものである。
これはこころを洗い、思念を清めることであり、沐浴である。
呂祖は、これを「沐浴」と呼ぶと言っている――
神があなたの上に振り注ぎ、あなたは清められ、きれいに浄化される。
神が一面にあふれかえり、あなたは跡形もなく消え失せ、無意識の片隅にすら
痕跡は残っていない。
神は至るところにみなぎり、あなたをくまなく満たしている。
神は光であり、
神があなたをくまなく満たすとき、それは「光明」と呼ばれる。
あなたは光に満ちあふれる。
それは無極に始まり、再び無極へと帰る。
今やあなたはわが家に帰り着いている。
今やあなたは生まれる前と同じように、天地がはじまる前と同じように、再び
ひとつになっている。
禅の人々はそれを「本来の面目」と呼んでいる。
本来の顔はひとつであり、無二であり、男でもなければ女でもなく、<陽>でも
なければ<陰>でもない。
誕生するやいなや、この形ある世界に生まれ落ちるやいなや、あなたは二つに
なる。
瞑想に入ってゆくと、再び深い沈黙が降りてくる。
突然、<二>が消え失せる。
あなたは再び<ひとつ>になる。
始めにあなたは両極を超えていた。
終わりにあなたは再び両極を越える。
ただその二つのあいだでのみ、あなたは分断されている。
そのはざまに世界がある。
始めに神があり、終わりに神がある。
源が目的地だ。
源に舞いもどってもいいし、目的地に消え去ってもいい。
言い方は違うが、それらは同じことを指している。

仏陀は意識を創出する無常なるものを宗教の根本的な真理として語る。
生命と人間の本性を完成させる仕事のすべてが 「虚空を生み出す」という言葉
に含まれている。
そもそも宗教というものは"虚空を生み出す"という単純な現象に帰することがで
きる。
からっぽになれば、あなたは満たされる。
いっぱいなら、あなたはうつろなままだ。
あなたが完全にいなくなれば、彼方なるものの存在が浸透してくる。
自分自身を押しとどめ、自分にこだわりつつ゛けるなら、あなたはうつろなま
まであり、ただの影、鏡像にすぎず、現実のものではない。

すべての宗教は、死から出て生に入るための 霊的な仙薬を見いだすという点で
は目的を同じくする。
完全にからっぽになるという秘法――これこそあらゆる宗教が探し求めてきた
仙薬だ。
それを飲めば不死になる。
なぜなら、死ぬ者は存在せず、あなたはすでに消え去っているからだ。
もはや死は起こりえない。
あなたはすでに死んでしまった!
自我エゴとして死んだ者は永遠の生命を得ている。
この霊的な仙薬はどこに帰するのか?
それはいつも無念無想の境地にあるということだ。
自我がもはやなくなり、あなたがからっぽになり、沈黙が内側に降りてくる
とき、あなたはどのように生きるだろう?
あなたは永遠に目的をもたずに生きてゆく。
薔薇のしげみが花を咲かせるとき、そこにどんな目的があるだろう?
朝になって鳥が歌いはじめるとき、そこにどんな目的があるだろう?
太陽が昇るとき、そこにどんな目的があるだろう?
いったいこの<存在>にはどんな目的があると言うのだろう?
この<存在>はビジネスではないから目的はない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

522鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/05(日) 23:04:33 ID:1d4drIFg0
沐浴という言葉は道教では特別な意味を持っているのじゃ。
それは身を清めて神に会う準備をすることなのじゃ。
一切の観念をすて新たな身となって全てを放棄する準備なのじゃ。
その後に神も身に降りるというのじゃ。

523避難民のマジレスさん:2019/05/05(日) 23:20:33 ID:LC3de7YgO
>>521
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十三話 霊的な仙薬(つづき)

それはまったき喜びであり、遊び心に満ち、
ヒンドゥー教徒はそれを「リーラ」と呼んでいる。
それはまさに
エネルギーの喜びだ。そこに
エネルギーがあって、
エネルギーが舞い踊り、歓喜している。
エネルギーがあるとき、あなたはその
エネルギーを楽しむ。あなたは
走り、歌い、踊り、泳ぎ、遊ぶ。
エネルギーは表現に喜びを見いだす。
あなたは創造的になる――純粋な
エネルギーに駆られて、絵を描き、詩を書き、音楽をつくる。
<存在>は
エネルギーであり、
エネルギーは何の理由もなく
舞い踊ることを欲する。
踊りのための踊り、
絵のための絵、
恋のための恋……
在るために在ることを。

それはいつも無念無想の境地にあるということだ。
道教で説かれる沐浴という最も深遠な奥義は、 こころをからっぽにする修行に
つきる。
これですべてのことに片がつく。
やらなければならないことはただひとつ――
こころハートの内にもち歩いているものを
すべて吐き出し、それを投げ捨てることだ。
そうすれば為されるべき唯一の基本的なことがらをやり終えたことになる。

これですべてのことに片がつく。
とてつもなく美しい言辞だ。
これですべてのことに片がつく。
他には何もいらない。
経典はいらないし、僧侶はいらない――
これですべてのことに片がつく。
必要なのはただひとつ――
神があなたのなかを流れられるようにからっぽになりなさい。
神にその座をゆずりなさい。
神があなたを笛にできるように、中空の竹になりなさい。
神が歌うときには美がある。
神が歌うときには歓喜がある。
神が歌うときには笑いがある。
あなたが歌うときには惨めさと涙と苦悶しかない。
なぜなら、 自我エゴというのは実にちっぽけなものだからだ。
自我は歓喜を内に含むことができない、
そのなかにおさまるのは苦悶だけだ。
歓喜は無限のものだから、その 歓喜を包み込むために、あなたは 無限になら
なければならない。
大海を包み込みたければ、人は 広大無辺にならなければならない。
からっぽになることで、人は広大無辺になる。
からっぽになることで、人は広々とした空間になる。
からっぽになることで、あなたの下地は整えられる。
あなたは主人になることができる。
主人に準備ができれば、神は 客として訪れることができる。
からっぽになる ことで、あなたは主人になる。
主人になりなさい。
神はあなたの扉を叩きながら 戸口でずっと待っているのに、
あなたの耳には届かない。
あなたの内側には大へんな騒音がある
――どうして扉を叩く音が聞こえるだろう?
愚かな私事わたくしごとにすっかり夢中になっていて、
どうして無念無想の純粋な美しさを見ることができるだろう?
あなたは銀行預金をいかに増やすかで悩み、
政治の世界でいかに成功しようかと悩み、
どうやってもう少し有名になろうかと悩んでいるが、
神はあなたの扉を叩きつつ゛けている。
神はいつでもみずからを注ぎこもうとしているが、
あなたのほうに 神を受け容れる準備ができていない。
その通り、呂祖は正しい。
あらゆる宗教において最も基本的なことがらは、 虚空をあらしめることだ。
あらゆるヨーガやタントラ、あらゆる錬金術の体系―― タオ、スーフィ―、ハ
シディズム――の行法は、すべて こころをからっぽ にするという、ただこの一
事につきる。
これですべてのことに片がつく。
この美しい物語をもう一度くり返そう。
尼僧の千代能は何年にもわたり修行をしてきたが、光明を得ることができなか
った。
ある夜のこと、水を張った古い手桶を手にした彼女は、歩きながら桶の水に映
る満月を眺めていた。
突然、桶を束ねていた竹のたががはずれ、桶はばらばらになってしまった。
水はこぼれ、
月影は消え去り、そして千代能は
光明を得た。
彼女は詩を詠んだ。
 千代能がいただく桶の底抜けて
 水もたまらず月も宿らず
これですべてのことに片がつく。
(´・(ェ)・`)
(おやり)

524鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/06(月) 22:13:37 ID:1d4drIFg0
結局全ての技法も方法も自分を放棄するところに行きつくのじゃ。
光を巡らすのも陰陽を合一させるのもそのための方法に過ぎなかったのじゃ。
一切を放棄して悟りに行き着くのじゃ。
観念が無ければ自分もまたあることができないのじゃ。

525避難民のマジレスさん:2019/05/06(月) 22:34:07 ID:LC3de7YgO
>>523
黄金の華の秘密

スワミ・アナンド・モンジュ訳

第十四話 空観くうがん、仮観けかん、中観ちゅうがん1

まだはっきりつかめないなら、仏教徒の三つの観想
―― 空観くうがん、仮観けかん、中観ちゅうがん――
を使って説き明かしてみよう。
まず空観が三つの観想の最初にくる、 いっさいの事物は空であると見なされる。
次に仮観が行なわれる。
すべてが空であることを知りながら、 事物を破棄せずに、空の只なかで自分
の仕事を行なってゆく。
だが、事物を破棄しないとしても、それらに注意を注ぐこともない ――これが
中観だ。
空観を実践しているときには、 万物を破棄しえないことを知りながら、 それら
に気をとめないようにする。
このようにして三つの観想はひとつになる。
だが、とどのつまりは空を体験することで力が得られる。
それゆえに、空観を実践するときには、 空は紛れもなく空であるが、仮象も
空であり、中心も空である。
仮観を実践するには大きな力が必要である。
このとき仮象は明らかに幻影であるが、 空も幻影であり、中心も幻影である。
中観の道にあるときには、やはり空の心象を生み出すのであるが、 空と呼ばず
に、中心と呼び、また仮観を実践するときにも、 それを仮観と呼ばず、中心と
呼ぶのである。
中心そのものについては、別に説明する必要はないだろう。
禅の逸話をひとつ……
禅師蜷川にながわが臨終の床についていると、
もうひとりの禅師一休が訪ねてきた。
「私が道案内をいたそうか?」と一休は尋ねた。蜷川は答えた。
「私はこの世に独り来て、独り去ってゆくのです。
どんな手引きをしてくださると言うのです?」
一休は答えた。
「もし君が本当に生まれ、本当に死んでゆくと思っているなら、自分は来ては
去ってゆくと思っているなら、それはまぼろしだ。
来ることもなく去ることもない道を教えよう」
一休がその言葉でいともあざやかに道を示してみせたので、蜷川は微笑を浮か
べ、黙ってうなずくと、静かに息を引き取った。
これは美しい物語だ。この物語について理解しなければならないことがいくつ
かある。
それは呂祖の経文に入ってゆく助けになるだろう。
まず第一に、真理を探し求めている者にとっては、死でさえも機会になるとい
うことだ。
探し求めていない者にとっては、生ですら学ぶ機会にはならない。
人々は何ひとつ学ぶことなくその生を生きてゆく。
彼らは成熟というものを知らないままその日々を過ごしてゆく。
彼らはほとんど眠っている。
人々は夢遊病者のように生きている。
彼らは酔っぱらっている――
自分が何をしているのか気つ゛いていないし、なぜそれをしているのか気つ゛
いていないし、自分はどこから来たのか、どこへ去ってゆくのかも気つ゛いて
いない。
彼らはまさに風のなすがままに運ばれてゆく流木のようだ。
彼らの生は偶発的なものだ。
この「偶発的」という言葉を覚えておきなさい。
何百万もの人々が、ただ偶発的な生を生きている。
自分の生のたずなを握り、それを偶発的なものから実存的なものに変えてゆか
ないかぎり、変容は起こりはしない。
それがまさにサニヤスというものに他ならない――
偶発的なものを実存的なものに変えようとする努力、
無意識の生を意識的な生に変えようとする努力、
目覚めようとする努力。
そうなったら生は学びのプロセスになり、死もまたそうなる。
そうなったら人は学びつつ゛ける。
そうなったら、一瞬一瞬、ひとつひとつの状況が贈り物としてやって来る。
そう、苦悩でさえも神からの贈り物になる。
だが、学び方を覚え、贈り物の受け取り方を身につけた者たちにだけだ。
ふつうはどのようにして受け取ればいいかわからず、
どのようにして吸収すればいいかわからないために、
あなたにとっては祝福でさえ贈り物にならない。
あなたは生をロボットのように生きている。
こんな話がある……
ある男が夜更けに帰宅した。彼は妻に帰宅が遅れた言い訳をした……。
ちょっと飲み過ぎていたこの気の毒な男は、腹を立てている妻に、バスを乗り
間違えてしまったんだよと言った。
妻は言った。「はいはい、よくわかったわ――あなたの姿を見ればすぐにわか
るわよ。でも、バスを乗り間違えたことにどうして気つ゛いたの?」
夫は言った。「ああ、隅っこのほうで二時間ほど立ってたら、人が次々とやって来てハンバーガーやコーヒーを注文して
ゆくんだよ。
それでやっとおかしいってことに気つ゛いたのさ」
それはバスでさえなかった!

あなたが生きている生は生ですらない、生ではありえない。
あなたのなかに光がないのに、どうしてそれを「生」と呼べるだろう?
あなたのなかに愛がないのに、どうしてそれを「生」と呼べるだろう?
あなたは機械のように動いているのに、どうしてそれを「生」と呼べるだろう?
(´・(ェ)・`)
(つづく`)

526鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/07(火) 22:52:48 ID:1d4drIFg0
観念の中に生きる者はそもそも何をしたらよいのかさえわからないものじゃ。
半分寝ているような状態で苦から逃避し、快楽を求めてさまようだけなのじゃ。
自分が何処から来て何者であり何処へ行くのかもわからんのじゃ。
一切の苦から永遠に解放された不死の境地があることすらわからないのじゃ。
それを知識としても理解し、実践する者は幸いなのじゃ。

527避難民のマジレスさん:2019/05/07(火) 23:14:56 ID:LC3de7YgO
>>525
54黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十四話 空観くうがん、仮観けかん、中観ちゅうがん(つづき)

意識とともにはじめて生が訪れてくる――誕生によってではなく、
意識によって。
瞑想者だけが生きはじめるようになる。
他の者たちは自分をだましているだけだ。
彼らは本当に生きてはいない。
彼らはありとあらゆることをやっているかもしれない。
彼らはやりつつ゛ける。まさに最後までやりつつ゛ける。
富を築き、権力を握り、あれこれの野心を達成する。
彼らはどこまでもつつ゛けてゆくが、それでもその 人生の合計、総計はゼロ
だ。
テキサス州のオースティンで行なわれたロデオ大会で優勝した六十歳の男に、
ニューヨークの新聞記者がインタヴューをしていた。
「あなたのお歳でロデオの チャンピオンになるなんて大したものですね」
「いいや」とカウボーイは言った。
「親父には負けるよ。親父は八六歳だけど、いまでもフットボールの球を蹴っ
てるよ」
「へぇー」と記者は口をあんぐり開けて言った。
「お父さんにお会いしたいな」
「今はだめだよ。エル・パソで、じいさんの介添えをしているからな。じいさん
は 百十四歳なんだけど、明日結婚するのさ」
「あなたの家族は本当にすごいんですねえ」 と記者は言った。
「まず六十歳のロデオ・チャンピオンのあなた、八十六歳になる フットボール
選手のお父さん、そして百十四歳で結婚したがっているお祖父さん」
「とんでもない、だんな、そうじゃないよ」とテキサス男児は言った。
「じいさんは結婚したかないんだけど、せざるをえなくなったのさ」
このようにして人生はその最後まで過ぎてゆく。
これは本当の生ではない。あなたは犠牲者にすぎない―― 無意識の本能の犠牲
になり、生物的衝動の犠牲になり、 生理現象の犠牲になり、自然の犠牲になっ
ている。
これは隷属だ。 この無意識のすべてから自由になることが解放だ。
体内の生化学の束縛から自由になること、 あなたの内にある無意識なものすべ
てから自由になること、
自分自身になること、
意識の光となること―― それが本当の生のはじまりだ。
意識を保ち、
しっかりと目を見張り、
瞑想的に生きはじめたとき、
そこから はじめて自分の歳を数えなさい。
ひとつひとつの行為が意識の香りを放つ とき、あなたはわが家に近つ゛きつ
つある。
そうでなかったら、あなたはどんどん遠ざかりつつある。
生はあなたが目覚める機会をたくさん与えてくれる。
だが、あなたは目覚めるどころか、 この好機を活かすどころか、むしろ自分
を 無意識に溺れさせるもっと効き目の強い麻薬ドラッグを探しはじめる。
苦しみがやって来たら、それは目覚めるための好機 なのに、あなたは麻薬を探
しはじめる。
その麻薬はセックスかもしれないし、酒かもしれないし、LSDかもしれない。
その麻薬は金かもしれないし、政治権力かもしれない。
どんなものでも麻薬になる。
あなたを無意識にさせておくものはすべて麻薬だ。
あなたを非本質的なものごとに没頭させておくものはすべて麻薬だ。
薬を売っているのは薬局だけではない。
それはどこでも手に入れることができる。
学校や大学でも麻薬は売られている。
というのも、そこでは野心がつくりだされ、 野心は人々を無意識にさせておく
からだ。
野心は人々に影、まぼろし、夢を追わせ、走りまわらせておく。
いわゆる政治家は最大の麻薬密売人だ。
彼らは絶えずあなたのなかに権力への渇き、権力への餓え、 貪欲をつくりだ
しつつ゛け、あなたはそのとりこになってしまう。
野心を抱き、競争心を燃やすことは、 酒に溺れることと同じだ。
そしてこちらの酒のほうがよく効く。
ふつうの酒は禁じることができる。
この酒はどんなところでも――両親から、聖職者から、 政治家から、教授から
いともたやすく手に入れることができる。
社会はこの麻薬にどっぷりとつかっている。
何か追いかけるものがあると、あなたは気分がいい。
追いかけるものが何もなくなると、とたんにどうしたらよいのかわからなくな
る。
あなたはただちに何か新しく没頭できるものをつくりだす。
いつの時代にも覚者たちが観察してきたのは、 苦しみがやって来たときには
、 それは時がきたという、 「目覚めなさい」という 神からの示唆だというこ
とだ。
だが、あなたはその苦しみを麻薬で紛らわせてしまう。
あなたの妻が死ぬ――あなたは 深酒をあおりはじめたり、賭け事に手をだす
ようになる。
それはこの生が永遠につつ゛くものではない ということに気つ゛く絶好の機会
だった。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

528鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/08(水) 23:00:50 ID:1d4drIFg0
この世において真の幸福への道を求める者は少ないものじゃ。
金や権力や名声を求めることだけで人生を終えてしまうのじゃ。
それは動物や虫と変わりない愚かな生き方なのじゃ。
苦痛から逃れて快楽を探しているだけであるからのう。
永遠に苦から逃れる方法があることさえも知ろうとしないのじゃ。

529避難民のマジレスさん:2019/05/08(水) 23:52:29 ID:LC3de7YgO
>>527
黄金の華の秘密

スワミ・アナンド・モンジュ訳

第十四話 空観くうがん、仮観けかん、中観ちゅうがん1

この家は砂上の楼閣であり、 この生は紙でできた船であり、いつ沈んでもお
かしくない。
気まぐれな風がひと吹きすれば、生は終わりをつげる。
目覚めなさい!
妻は死んでしまった。あなたも 同じ列に並んでいるのだから、いずれは死を
迎える。
そして その列は「死」と呼ばれる窓にどんどん近くなってゆく。
だが、 あなたは目を覚まさない。
あなたは別の妻を探しはじめる。
破産しても、 あなたは目を覚まさない。
敗北を喫しても、 あなたは目を覚まさない。
あなたは前よりも激しく、 なおさらやっきになって探しはじめる。
ある婦人が七人の医者を抱えた付属病院に行った。
彼女はある医者の部屋に入り、 二十分後に悲鳴をあげながら待合室へ駆けおり
てきた。
彼女からことの顛末てんまつ を聞いた別の医者が最初の医者を呼んでこう言っ
た。
「あの患者になぜ妊娠している なんて言ったんだ?彼女は妊娠なんかしちゃい
ない。死にそうなほどおびえていたぞ」
「わかってるさ」と最初の医者が言った
「でも、彼女のしゃっくりは治っただろう?」
耳を澄ませば、目を凝らせば、 人生に起きた苦しみはすべて 祝福が姿を変え
たものだ ということがわかるだろう。
それは あなたのしゃっくりを治してくれる。
それはショックかもしれない……が、 あなたにはショックが必要だ!
なぜなら、あなたは自分のまわりにたくさんの 緩衝器を張りめぐらせているか
らだ、自分のまわりにたくさんの ショック吸収装置を育てあげてきているから
だ。
それを壊さなければならない。
それが壊されないかぎり、あなたは 夢を見ながら生きてゆくことになる。
そしていいかね、 夢のなかでは 夢は現実のように見える。
あなたはそのことをよく知っている――あなたは毎晩 夢を見るが、夢のなかで
は夢は実に生々しく見える。
それにあなたは自分の 夢を支える理屈や論理をいつでも見いだすことができる。
たとえ 夢が破れても、まったく何の実体もないその 夢を支えるための理屈を見
いだすことができる。
聞いた話だが…… ある朝のこと、男はひどく驚いた様子で目を覚ました。
彼は妻を起こしてこう言った。
「ねえおまえ、昨夜は、恐ろしい夢を見てしまったよ。十キロもあるマシュマ
ロを 食べてる夢なんだけど、おまけに、自分の枕がどうしても見つからなくて
さ」
目を覚ましているときでさえ、あなたは 何か理由つ゛けを見つけるだろう。
まわりを見渡せば、いつでも必ず 理由つ゛けを見いだすことができる。
あなたの頭マインドは実にずる賢い。
頭はたくさんのゲームを演じ、 たくさんのトリックを仕掛けてくるが、 それ
はひじょうに筋が通っているように見えるし、 大きな説得力があるようにも見
える。
あるフランス人が帰宅すると、息子が祖母と一緒にベッドに入っているので 仰
天した……。
――こんなことはフランスでしか起こらない!―― 「おい、おまえ」と彼は言
った。
「どうしてこんなまねができるんだ?」
「だって」と息子は言った。
「父さんは僕の母さんと寝てるじゃない。 だから僕は父さんのママと寝てるの
さ。ちっともおかしくないよ」
あなたは何でも理屈をつけることができる――馬鹿げたことでさえだ。
油断せずに目を覚ましていなさい。
あなたの頭マインドは必ず夢のほうの肩をもつ。
あなたの頭は夢見のプロセスの源泉だ。
それゆえに、 あなたの頭にはそれらの夢を支えるつとめ、義務がある。
意識をしっかり とぎ澄ましていなければ、あなたは 何度も何度も自分の頭に
だまされ、弄ばれ、罠にかけれられて、これまで 何度も出くわした、何度も悔
やみ、何度も決意し、そして 「もう二度とごめんだ!」と誓った同じ愚かさに
陥ることになる。
だが、頭は巧妙な誘いの手口でやってくる。
頭マインドは最も優秀なセールスマンだ。
頭は誘い方がとてもうまい。
頭はいつもあなたの無意識の欲望を助けているために、肉体もまた 頭に協力す
る。
目覚めようとする努力は並大抵のものではない。
それは人が生において遭遇しうる最大の挑戦であり、 真の人間、勇敢な人間だ
けがそれに向き合うことができる。
目覚めるという挑戦を受け容れるには度量がいる。
それはありうる最大の冒険だ。
月へ行くほうがやさしい。
エベレストへ行くほうがやさしい。
太平洋の底へ行くほうがやさしい。
みずからの自己のなかへはいってゆくとき、本当の問題が生じてくる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

530鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/09(木) 23:44:07 ID:1d4drIFg0
人の真の幸福は心の中を探すより他はないものじゃ。
しかし、人が恐れるのも心の中を観ることなのじゃ。
心には苦があり、孤独があり、隠してきた醜さが在るのじゃ。
それらから眼を背けていた生き方から改心して心を観るようになるのは強い決意が必要なのじゃ。

531避難民のマジレスさん:2019/05/10(金) 02:18:35 ID:LC3de7YgO
>>529
黄金の華の秘密

スワミ・アナンド・モンジュ訳

第十四話 空観くうがん、仮観けかん、中観ちゅうがん(つづき)

そうなると 過去全体がそれに抵抗する。
過去全体が山のようにあなたの上にのしかかり、あなたを押し戻し、 あなたが
大空へ――無限なるもの、永遠なるもの、神、 にゃはんニルヴァーナへと翔け
昇るのを許さない。

これはすばらしい寓話だ。
ひとりの師がこの世を去ろうとし、 もうひとりの師が別れを告げにやって来る。
だが、なんという別れの告げ方だろう!
死という機会が使われる。
そう、ごくごく意識的な人々だけが 死によって開かれる機会を使うことがで
きる。
無意識に見られる死は敵であり、 意識的に見られる死は最大の友達だ。
無意識に見られる死は、 あなたのすべての夢を、 あなたのすべての生活様式
を、 あなたが築きあげてきたすべての世界を、 あなたが元手をかけてきたあら
ゆるものをこなごなに打ち砕いてしまう ――すべてが崩れ落ちる。
だが、意識的に見られた死は 新たなる生の始まり、 神に到る扉になる。
蜷川にながわが息を引き取ろうとしていたとき、 一休は尋ねた。
「私が道案内をいたそうか?」
彼は、死は始まりであって終わりではないと言っている。
「私の手引きはいらないかね?私の助けはいらないかね?あなたは 新しい存在
のありようを学ぶことになる。
新しい光景が開かれてくる。
あなたは 新しい次元、新しい地平に入ってゆこうとしている ――私の手引きは
いらないかね?私の助けはいらないかね?」
蜷川は答えた。
「私はこの世に 独り来て、独り去ってゆくのです。 どんな手引きができると言
うのです?」
その通り、私たちは独りで来て、独りで去ってゆく。
そしてこの二つの独りあることのあいだに、私たちは ともにあること、関係性
、愛、家族、友人、仲間、国家、教会、組織など すべての夢をつくりあげる。
私たちは独りで来て、独りで去ってゆく。
<独りあること>が私たちの究極の本性だ。
だが、その二つのはざまで、私たちは どれだけ多くの夢を見ることだろう!
人は夫や妻に、父や母になる。
人は金、権力、威信、社会的地位をかき集めるが、 空手で生まれ、空手で死ん
でゆくことをよく知っている。
この世のものをもってゆくことはできない―― それでも人は集めつつ゛け、そ
れでも人はしがみつき、執着心をますますつのらせ、 いずれ去らねばならない
この現世にもっともっと深く根をおろそう
とする。
この世界を旅籠はたごとして使うのはいいが、そこに家を建ててはいけない。
それを使うのはいい、だが、 それに使われてはいけない。
ものを所有してもしかたがない。
何かを所有しはじめたとたんに、人は それに所有されてしまうからだ。
所有すればするほど、いっそう 所有されてしまう。
使うがいい!
だが、 死がやって来つつあることを、 死がいつも途上にあることを心にとめ
て、 それを忘れてはいけない。
いつなんどき死が扉を叩き、 何もかもそのままにして 立ち去らねばならない
かもしれない。
いつもあなたは中途半端 のままで立ち去らねばならない。
人は生で何ごとも完結させることはできない。
蜷川は抜かりなく答えた。
「私はこの世に独り来て、独り去ってゆくのです。 どんな手引きができると言
うのです? 死を前にしてどうやって私を助けることができるでしょう?
生きているあいだは助け合うという幻想を抱くこともできますが、 死を前にし
てどうやって?」
彼は深遠な真理を語っているが、真理はまだまだ奥が深い。
一休はさらに高い真理をもって答えている。
これを覚えておきなさい―― 真理と虚偽のあいだに葛藤があるのではない。
真の葛藤は より低い真実とより高い真実のあいだにある。
虚偽はどこまでも虚偽だ。
虚偽に何ができるだろう?
真理をどう損なうことができるだろう?
虚偽と真実を選び分けるという問題ではけっしてない。
問題はつねに 低い真実と 高い真実の はざまにある。
蜷川が言ったことは確かにすばらしい真理だ―― 私たちは独り来て、独り去っ
てゆく。
だが、それよりもまだ高い真理がある。
一休は答えた。
「本当に来ては去ってゆく のだと思っているなら、それは君のまぼろしだ」
誰が来て、 誰が去ってゆくのか?
すべてはあるがままにある。
来ては去ってゆくというのもまた夢だ。
例えば、夜になって、 眠りにつくと、夢がはじまる。
朝になると、夢は消える。
自分はどこかに行って、 そこから帰ってきた と思うだろうか?
ふと気つ゛くと、いつもの部屋のいつものベッドの上にいる。
それはすべて夢だった!
あなたは遠くの場所まで旅をしていたかもしれない―― 月や惑星や恒星を訪れ
ていたかもしれない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

532鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/10(金) 23:38:25 ID:1d4drIFg0
来た如しと書いて如来というのじゃ。
この世に来た事も無く、去ったことも無いのが悟りを得た存在なのじゃ。
観念による謬見が無い故に、来る者も去る者もいないと知れるのじゃ。
ただ意識として常に在り続けるだけなのじゃ。

533避難民のマジレスさん:2019/05/11(土) 04:39:11 ID:LC3de7YgO
>>531
黄金の華の秘密

スワミ・アナンド・モンジュ訳

第十四話 空観くうがん、仮観けかん、中観ちゅうがん(つづき)

だが、朝になって目を覚ますとき、あなたは 星の上で目覚めるわけではない

眠りについたその同じ場所で目を覚ます。
人生は夢だ!
私たちは今いる場所にいる。
私たちは今あるがままにある。
私たちは一瞬も動いていないし、 みずからの本性から微動だにしていない!
これこそ真理の究極の表現だ。
そう、蜷川は重要なことを、とても意義深いことを言っていた――
「私たちは独り来て、独り去ってゆく」―― だが一休は、それよりもさらに深
遠なことを言っている。
彼は言う。
「何が去り、何がやって来ると言うのかね? あなたはくだらぬことを言って
いる! 誰が生まれ、誰が死んでゆくと言うのかね?」
波が立ち、再び 海のなかに消えてゆく。
海の波は波立つ前と同じように 海であることに変わりはない。
それはまた消えて 海にもどってゆく。
形は現れては消えてゆくが、 実在は今あるがままの姿でありつつ゛ける。
変化はすべて見せかけにすぎない。
深いところに、最も奥深いところにある 中核では、何もけっして変化しない。
そこではすべてまったく同じままだ。
時間は周辺で起こる現象だ。
中心には時間もなく、変化もなく、動きもない。
そこではすべてのものが永遠だ。
蜷川が息を引き取る寸前のこの対話の 要点を見てみなさい。
これは死を前にして論じるようなことがらではない。
人々は死が迫ると、相手を助け、慰めようとする。
「まだ死にはしないよ。死ぬなんて誰が言ったんだい?君はもっと長生きする
よ」
容体を知っているときでさえ――医者が「できるかぎりの手はつくしましたが
、もうこれ以上はどうすることもできません」と言っているのに――それでも
家族の者たちは、あなたは死なないというふりをしつつ゛ける。
家族の者たちは夢がもう少しつつ゛くように、手を貸そうとする。
家族の者たちは奇蹟が起こって生命が救われることを願ってやまない。
この対話はこのうえもなく美しい。
誰かが死を迎えつつあるなら、 死がやって来たことを気つ゛かせてやったほ
うがいい。
実際、死が今日訪れようと訪れまいと、 すべての人に気つ゛きをうながす方
がいい。
死が訪れるのが明日であろうと明後日であろうと違いはない。
それはいずれは訪れる。
ひとつ確かなのは、 死は必ずやって来るということだ。
生において唯一確実なもの――それは死だ。
だから、最初から死について語るほうがいい。
いにしえの文化では、子どもたちはみな 死を自覚させられたものだ。
あなたのまさに基盤は 死の自覚の上に築かれるべきだ。
死を自覚している人間は必ず 生を自覚するようになるが、 死を自覚していな
い人間は生に対しても無自覚でありつつ゛ける ――なぜなら、生と死は同じコ
インの裏表だからだ。
一休は言った。「もしもそう思うなら……」 だが、いいかね。彼は 「もしも」
という言葉を使っている。
なぜなら、一休は知っているからだ。
彼はこの男、蜷川を知っている。
一休はどこまでも見通すことができる。
この男には一点の曇りもない。
一休は蜷川が行き着いていることを知っている。
おそらく彼は一休を挑発して、何か 美しいことを、真理に触れるようなこと
を言わせようとしているだけなのだ。
おそらく彼の発言は仕掛けにすぎず、 ゲームをして遊んでいる。
だから一休は言う―― 「 も し も 君が、自分は本当に来ては去ってゆく と思
っているなら、それはまぼろしだ。
来ることもなく、去ることもない道を教えよう」
来ることもなく去ることもない道とは何だろう?
そう、あなたの内側にはある場所がある。
そこはあなたの永遠の故郷であり、 そこでは何ひとつ起こらず、 そこでは何
ひとつ変わらない―― 誕生もなく、 死もなく、 来ることもなく、 去ること
もなく、 生じることもなく、 滅することもない。
すべてのものがいつも同じだ。
一休がその言葉で あざやかに道を示してみせたので、 蜷川は微笑を浮かべて
うなずくと、 静かに息を引き取った。
それにまさる表現はありえない―― 蜷川がひと言も発しなかったのはそのた
めだ。
だが、彼は微笑んだ……。
語りえぬものを微笑みで表し、 語りえぬものをうなずくことで表し、 語りえ
ぬものを指し示すことはできる。
彼はそれを表情で示した。
彼は認め、うなずくことで、一休に言った。
「よろしい、非の打ちどころがない。 あなたもまた故郷に帰り着いている」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

534鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/11(土) 23:38:25 ID:1d4drIFg0
蜷川も一休の言葉で死の寸前に悟ったのじゃろう。
どこかから来るでもなく、去って行くのでもない意識に戻れたのじゃ。
それに気付けば笑って死ねるのじゃ。
身体がなくなっても永遠に消えることの無い意識に還るだけであるからのう。

535避難民のマジレスさん:2019/05/11(土) 23:50:14 ID:LC3de7YgO
>>534
OSHOは、蜷川も悟っており、その事を一休は見通してたと解釈しているようでありますね。
いずれにしても、確かに美しいお話しであります。
(´・(ェ)・`)つ

536避難民のマジレスさん:2019/05/12(日) 00:04:33 ID:LC3de7YgO
>>533
黄金の華の秘密

スワミ・アナンド・モンジュ訳

第十四話 空観くうがん、仮観けかん、中観ちゅうがん(つづき)

二人の師が言葉を交わすことはきわめてまれだ。
というのも、二人の師が出会うとき、ふつうは ともに言葉を発することがない
からだ。
言うべきことは何もない。
だが、二人の師が言葉を交わすとき、 そこには必ず大いなる遊びがある。
そこには遊び心がある。
いいかね、それは議論ではなく、対話だ。 彼らはもっとうまい表現を引き出そ
うと互いを挑発している。
一休はそれを語った。
蜷川は満足した、 心から満足した。
一休は何を言ったのだろう?
――私たちが思い描く生は生ではない、
まだ私たちはそのありのままの姿を 一度も見たことがない、ということだ。
私たちはあまりにも幻想に心を奪われて、 最後の最後まで幻想のとりこになっ
てゆく。
聞いた話だが…… 夫を亡くした義理の母のことで心を痛めている男がいた。
その八十二歳になる 未亡人は深い悲しみにくれていた。
ある夜のこと、彼女を家から連れだすために、 彼は八十五歳の男性とのデート
を仕組んだ。
その夜更けに、デートを追えて帰宅した 彼女はすっかり頭にきていた。
「どうしたんですか?」と男は尋ねた。
「私を何だと思ってるの?」と彼女は息巻いた。
「あんな男、顔を三回 ひっぱたいてやったわよ」
「てことは……」と男は言った。
「迫られたんですか?」
「ちがうわよ!」と彼女は答えた。「あんな男、死んでるも同然だわ!」
だが、そんな歳になっても人々はデートをしつつ゛ける。
もし本当に幽霊というものがいるならば、 彼らはあなたがたがしているのと同
じことを、 まったく同じことをしているにちがいない。
そして、それは死後の生までつつ゛いてゆく。
ある恋人たちの話を聞いたことがある…… この深く愛し合っている二人のカッ
プルは心霊主義者だった。
彼らは クリスチャン・サイエンスを信じていた。
ある日のこと、彼らは死やそれに 類する深遠なテーマについて話し合っていた
が、どちらか先に死んだ方が死後 三十日経った時点で必ず相手に連絡を取るよ
うにし、相手も心を開き受容的に なって三十日後の特定の時間にそなえること
にしようと約束した。
しばらくして男が交通事故で死亡した。
女性は熱心に待っていた。
三十日が過ぎ、 ちょうど約束の時間がやって来た。
彼女はドアを締め、明かりを消すと、半信半疑 で尋ねた――「ジョン、あなた
そこにいるの?」
だが、信じられないことにジョン の声が聞こえてきた。
ジョンは言った。「やあ、君、僕はここにいるよ」
彼女はいった 。「あなた元気にしてる?そこで幸せに暮らしてる?」
すると彼は言った。 「僕はとっても幸せだよ。この雌牛をごらんよ――なんて
すてきなんだろう?」
「雌牛ですって?」と彼女は言った。
「頭が変になってしまったの!?私は天国のことをもっと聞きたくてたまらな
いのに、あなたったらばかな雌牛の話ばかりして!」
すると彼は言った。「天国だって?君は何を言ってるんだ。僕はプーナの コレ
ガオンパークの雄牛になっちまったんだよ!」
それがつつ゛いてゆく―― その同じ愚かさが来世まで持ち越される。
意識的にならないかぎり、あなたは この輪のなかを堂々巡りしつつ゛け、 こ
の輪はまわりつつ゛けてゆく。
それは実に退屈であり、 それをつつ゛けてゆくのはまったく馬鹿げている。
だが、 気つ゛くためには大いなる努力が必要になる。
気つ゛くためにはみずからの眠り、みずからの 無意識な状態との長い格闘に入
ってゆかねばならない。
その闘いは困難で骨が折れるし、しかもその道は上り坂だ。

さあ、経文だ……これらの経文は、 目覚めるための計り知れない 助けとなっ
てくれるだろう。
呂祖師は言った。
まだはっきりつかめないなら、仏教徒の三つの観想―― 空観くうがん、仮観け
かん、中観ちゅうがん―― を使って説き明かしてみよう。
師の慈しみは限りない。
彼はあなたがたの眠りが深い
ことをよく知っているので、
何度もくり返し要点を明確にする。
最初は聞き逃したかもしれないので、
師はもう一度くり返す。
二度目も聞き逃したかもしれないので、
師はもう一度くり返す。
仏陀は光明を得たあと四十二年間を生きたが、
朝も夕も、昼も夜も、四十二年間、同じことを言っていた。
絶えず同じことをくり返し言っていた。
なぜなら、あなたがいつそれを理解するか誰にもわからないからだ。
いつあなたが受容的になるか誰にもわからない。
いつあなたのハートに小さな窓が開いて、
客が入って来ることができるようになり、
一条の光があなたを貫くか誰にもわからない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

537鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/12(日) 23:06:29 ID:1d4drIFg0
>>535 そのようじゃ。
 一人来て一人去っていくとは悟っていれば言えないことであるがのう。
 まだ自分があるのじゃ。
 それもまた一休の言葉を引き出す演出と解釈したのじゃな。
 大乗仏典ではよくある演出なのじゃ。

538避難民のマジレスさん:2019/05/12(日) 23:24:06 ID:LC3de7YgO
>>536
黄金の華の秘密

スワミ・アナンド・モンジュ訳

第十四話 空観くうがん、仮観けかん、中観ちゅうがん(つづき)


二十四時間、あなたはいつも同じままでいるわけではない。
ときにはひじょうに頑なになって、入り込むのがとてもむずかしいこともある。
ときには耳がすっかり遠くなって、声が耳に届いていても、聞こえないかもし
れない。
だが、 ときにはもう少しこころを開いて、 もっと感じやすくなり、 もっと
愛情深くなり、 もっとしっかり聴くことができ、 あまり理屈っぽくなくなって
いるときもある。
柔和で、女性的になっているときもあれば、 強情で、男性的になっているとき
もある。
それは周期的に変わってゆく。
それを見守ったら、じきにあなたは 理解力が高まる瞬間や、 理解力が低下す
る瞬間が あることに気つ゛くようになる。
あなたは二十四時間、同じままでいるわけではない。
あなたは絶えず変化し、流動している。
師が話しつつ゛けなければならないのはそのためだ。
いつがあなたにとってふさわしい 瞬間なのかは誰にもわからないから、 師は
どこまでもくり返してゆく。
正しい瞬間がやって来れば、 必ず変容が起こる。
一瞬でもハートを射ることができれば、 あなたはそれからはまったくの別人
になる。
もう二度と同じ人間にはもどらない。
 呂祖は話しつつ゛ける……  私たちは、次第にこの美しい書物『黄金の華
の秘密』の終わりに近つ゛いてきている。
 彼はまたしてもくり返す――まだはっきりつかめないなら……  彼はあらゆ
ることがらをはっきりとさせたが…… まだはっきりつかめないなら、仏教徒の
三つの観想―― 空観くうがん、仮観けかん、中観ちゅうがん―― を使って説き
明かしてみよう。
明晰さとは何だろう?
明晰さとは雑念がない心の状態をいう。
雑念は空に浮かぶ雲のようだ。
空が雲でいっぱいになっていたら、太陽を見ることはできない。
あなたの空に、あなたの内なる大空に、あなたの意識に雲がかかっていないと
き、明晰さが生まれる。
いいかね、明晰さとは頭が切れることではない。
頭が切れる者たちは、明晰な人々ではない。
頭の回転を早くさせることは簡単だ。
頭が切れるというのは、抜け目なく立ちまわるということに他ならず、ずる賢
さをましな言葉で言い換えただけのことだ。
頭が切れる者たちはずる賢い人々ではあっても、明晰な人々ではない。
いいかね、理知的であることは聡明であるということではない。
理知的であることはやさしい。
情報を集めればいいし、知識を習得すればいい、そうすれば、すばらしい知識
人、学者、パンディットになることができる――だが、そんなものは明晰さで
はないし、そんなものは聡明さではない。
聡明さというのはそれとはまったく逆のものだ。
頭のなかを知識がうごめいていないとき、内なる空に一片の雲もよぎっていな
いとき、何の計算もなく、何の狡猾さもなく、何のずる賢さもないとき、まっ
たく何も考えず、ただあるものをすべて映しだす鏡のようになっているとき――
それが明晰さだ。
明晰さとは鏡のような質をいう。
そして明晰になることが神に直面することだ。
神を知識で知ることはできない、神は明晰さによって知られる。
神は利口な頭や、小賢しい知恵によって知られるのではなく、天真爛漫なここ
ろによって知られる。
天真爛漫であることが明晰さだ。
イエスが「幼子のようにならないかぎり、私の王国に入ることはできない」
と言うのはそのためだ。
彼は何を言おうとしているのだろう?
彼はただこう言おうとしている――その内なる空がまだ雲に覆われていない、その鏡がまだほこりで汚れていない、その
知覚が一点の曇りもなく澄みきっている幼い子どものように清らかにならない
かぎり……。
彼はものをあるがままに見ることができる。
彼はそれをゆがめないし、ゆがめることで利を得ようとはしない。
彼は投影せずに、どんな状況もすべてありのままに見る。
彼は受動的な鏡になっている――それが明晰さだ。
(p509)

まだはっきりつかめないなら、仏教徒の三つの観想―― 空観くうがん、仮観け
かん、中観ちゅうがん―― を使って説き明かしてみよう。
この仏教徒の三つの観想は、最も優れた瞑想の方便のひとつだ。
いいかね、それは方便であって、哲学ではない。
それを哲学ととらえてしまうと、要点を丸ごと見逃すことになる。
それは起こった。
何世紀にもわたって、仏教哲学に関する様々な大論文が書かれてきたが、それ
は愚にもつかないたわごとだ。
なぜなら、仏陀は哲学者ではないからだ。
彼はいかなる哲学も教えなかった。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

539鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/13(月) 23:02:27 ID:1d4drIFg0
明晰とは気付いていることということもできるじゃろう。
知識とは記憶であり、記憶に頼れば今ここにあるものごとにも気付かないのじゃ。
常に注意深く心の働きに気付いているようにすれば観察も容易になるのじゃ。
自分を認識する微妙な心の働きにも気付くようになるのじゃ。

540避難民のマジレスさん:2019/05/14(火) 03:12:23 ID:LC3de7YgO
>>538

黄金の華の秘密

スワミ・アナンド・モンジュ訳

第十四話 空観くうがん、仮観けかん、中観ちゅうがん(つづき)

実際、彼は反哲学的な姿勢を強く取った。
仏陀が町を訪れるときは、必ず弟子たちが先に町に行って、「哲学的な質問を
仏陀にしないでください」と触れてまわるのが慣例になっていた。
仏陀は十一の質問のリストを用意していた。
その十一の質問のなかにすべての哲学が含まれていた――神について、天地創
造について、輪廻転生について、死後の生について等々。
この十一の質問のなかには、ありうるすべての哲学が含まれていた。
その十一の質問のリストを見れば、どんな質問もできなくなる。
そのリストが町中に伝えられた。
「仏陀は哲学者ではありません。形而上学者ではありません。思想家ではあり
ません!だから、こういった質問は仏陀にしないでください。彼は哲学者では
なく、医者としてここに来たのです。目が見えなければ、薬を調合しますし、
耳が聞こえなければ、手術をします」
仏陀は「私は医者だ」と何度もくり返し言っていたが、 彼の名のもとに壮大な
哲学が生まれ、 彼が方便として用いた言葉が 哲学的な教義になってしまった。
例えば、空くう――"すべては空である"―― これが根本的な原理であると主張
する仏教の教派がいくつかある。
それは方便にすぎない。
それは客観的事物については何も言っておらず、 人間の心マインドについてあ
ることを言っているだけだ。
それはあなたが明晰になるのを助ける、 ただそれだけのことだ。
仏陀の関心は客観的な事物ではなく、 あなたの明晰さにある。
彼は「明晰であれば、存在の実相がわかる」と言う。
だとしたら、客観的な事物 について語ってみてもしかたがない。
まったく何の益にもならない。
それは光や色や虹や花のことを 盲人に語ってみるようなものだ。
それはまったく馬鹿げている。
盲人に昇る太陽のことは伝えられない。
盲人に銀色に輝く月の光のことは伝えられない。
盲人に樹々の緑のことは伝えられない。
盲人にとって「緑」は何の意味もなさないからだ。
言葉は聞こえてくる―― あなたが「神」という言葉を耳にするのと同じよう
に、 盲人は「緑」という言葉を耳にする。
あなたは理解しないし、盲人も理解しない。
その言葉を何度も何度も何度も聞いているからといって、 自分は神が何である
かを理解しているなどといった馬鹿な考えを抱いてはいけない。
神を理解するためには 神を目で見なければならない。
それ以外に方法はない。
緑を理解するためには目で 緑を見なければならない。
それ以外に方法はない。
ラーマクリシュナはよく語っていた…… ある盲目の男が友人に招かれた。
彼らはキル――おいしい乳製品―― を用意した。
盲人はキルが大好きだったので、「これはいったい どんなものですか、どんな
見てくれをしているのですか?」と尋ねた。
盲人の隣に哲学の大家が坐っていたが、哲学者のつねとして、 教えたり、理屈
をこねたりする機会を逃すはずがない。
彼はただちに 盲人に、キルが何でできていて、どんなふうに見えるか話しはじ
めた。
彼が「それは真っ白だ」と言うと、盲人は尋ねた。
「待ってください!私には何のことだかさっぱりわかりません。"真っ白" とい
うのはどういうものですか?すみませんが、それを説明してはくれませんか?」
哲学者にはありがちなことだが、彼は相手が盲人であることに気つ゛かないま
ま、 "真っ白"がどういうものであるか説明しはじめた。
彼は言った。「白鳥や白鷺しらさぎ を見たことがあるかね。そう、キルは真っ
白な白鷺や、白鳥や、白い花にそっくりだ」
「鷺さぎですって?」と気の毒な盲人は言った。「ますますわけがわからなく
なってきましたよ。
私には白が何なのかわからないのに、またややこしくなってきた。
その鷺というのは何ですか?私は一度も見たことがないのです」
まだ相手の目が見えないことに気つ゛いていないので、 哲学者の言うことはす
べて的はずれなものになってしまった。 彼は白鷺がどういうものかを説明しは
じめた。彼はここでひとつ工夫をこらし、 盲人に手を差しだして、それに触る
ように勧め、こう言った。
「いいかい、鷺の首は、この曲げた私の手のようになっているんだよ」
すると盲人は楽しそうに笑い、大喜びをした。彼は心の底から感謝して 哲学者
に言った。
「これでキルが何だかわかりましたよ―― 曲げた手のようなものなんですね。
わかりました。どうもありがとう」
哲学者はここで自分が何をしでかしたのかに気つ゛いた。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

541鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/14(火) 22:56:11 ID:1d4drIFg0
全てが空であるとは法則ではないのじゃ。
客観的な事実でもないのじゃ。
ただ修行のための観念なのじゃ。
他の一切の観念を捨てるための、観念を滅するための観念なのじゃ。

542避難民のマジレスさん:2019/05/15(水) 03:18:48 ID:LC3de7YgO
>>540
黄金の華の秘密

スワミ・アナンド・モンジュ訳

第十四話 空観くうがん、仮観けかん、中観ちゅうがん(つづき)

白さを盲人に説明することはできない。
そのすべはまったくない。
だが、彼を助けることはできるし、彼の目を治療することはできる。
彼を眼科医のモディ先生のもとに送ればいい――彼はときどきここへやって来
る。
盲人には手術が必要だ。
目が見えるようになれば、説明はいらなくなる。
白がどういうものか、緑がどういうものか自分でわかるようになる ――神もそ
うだし、天地万物もそうだ。
だから、いいかね、まず第一に、これら ――空観、仮観、中観――は方便に
すぎない。
彼はただ「これは方便のひとつだ」と言っているだけだ。
物語をもうひとつ……これではっきりしてくるだろう。
ある男が街から帰ってきたが、ふと見ると、家が火事になっていた。
子どもたち、幼い子どもたちは家のなかで遊んでいる。
怖くてなかに入れない ので、彼は外から大声でどなった。
彼は大きな声で「みんな出ておいで!火事だぞ」 と叫ぶ。
だが、子どもたちは遊びに夢中になっていて耳を貸そうとしない。
そこで男は方便を思いつき、大声で 「聞こえるかい?おまえたちに街でたく
さんおもちゃを買ってきたぞ!」と叫ぶ。
すると子どもたちは全員駆けだしてきた。
男はおもちゃを買ってきてはいなかったが、 子どもたちは「街へ行くのだった
ら、おもちゃを買ってきてね」と頼んだのだった。
外に出て、おもちゃがないのを知って、子どもたちは「おもちゃはどこにある
の?」と尋ねた。
男は笑いだして言った。「おまえたちを火に包まれた家から連れだすために嘘
をついたんだよ。おもちゃは明日、買ってきてあげるよ」
これが方便だ。
いいかね、 方便は真実でもないし虚偽でもない。
方便は役に立つか役に立たないかであって、 真実か虚偽かというものではけっ
してない。
「真偽」という言葉は方便には当てはまらない。
ここで行なわれている瞑想はすべて 方便であって、真実でもなければ、虚偽
でもない。
それらは役に立つか役に立たないか、 必ずそのどちらかであり、真偽がとり
ざたされる余地はない。
火事になっている家から出てこられるように、 私はあなたがたにおもちゃを与
えている。
外に出たら、あなたがたにもわかる。
あの子どもたちでさえ理解した。
家が燃えているのを見たとたんに、彼らは おもちゃのことはすっかり忘れてし
まい、 父親の愛情を理解した。
彼はこの子どもたちをこころから愛していた にちがいない。
だからこそ嘘をつくこともできた。
それは嘘だった。
あなたがたは驚くだろうが、 いつの時代にも禅師たちは言ってきた ――仏陀
は大嘘つきだ、と。
だが、仏陀の慈悲は 嘘をつけるほどに 深いものだった。
彼は方便を編み出した。
観想の対象となる三つのもの ――空と仮象と中心――これは方便だ。
"空"とは、外界にあるこのいっさいの世界、 客観的な世界は完全にからっぽで
あるということだ。
それを空であると見なしなさい。
「それは空だ」と観想すれば、驚くようなことが起こる。
「世界はいっさい空である」と見なしはじめると、 即座に多くのことがひとり
でに変わりはじめる。
あなたは貪欲でなくなる―― 事物が空であるなら貪欲になってもしかたがな
い。
あなたは野心的でなくなる―― 事物が空であるなら野心を抱いてもしかたが
ない。
大統領の椅子がまったくうつろなものである ことがわかれば、誰も興味をもた
なくなる。
あなたがそれに実体を与え過ぎ、必要以上に 現実に仕立てあげているために
、 野心が芽生えてくる。
お金がうつろなものである ことがわかれば、誰が気にかけるだろう?
それを使うのはいいが、金のことで 頭を悩ませる必要はない。
あなたを取り巻くこの世界はすべて空…… とめどなく姿かたちが移り変わって
ゆく夢のようなものだ と見なすようにするがいい。
グルジェフはよく弟子たちに 「通りを歩くときには、自分は 夢を見ているの
であり、傍らを通り過ぎてゆく人々は 夢の現れにすぎないし、店もすべて 夢な
のだと思い起こすがいい」 と言っていた。
そしてこれに三ヶ月間瞑想を つつ゛けると、それが起こりはじめる。
すさまじい爆発が起こる。
突然、あらゆるものがうつろになる。
店はそこにあり、人々は歩いているし、買物をしている。
確かにあなたの傍らを人々が通り過ぎてゆく。
表面的には何も変わらないが、突然、 見えるのはうつろな影だけになる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

543鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/15(水) 23:41:40 ID:1d4drIFg0
燃える家から子供達を救うために玩具を与えるという方便は法華経に記されているものじゃ。
全ての法は方便とも言えるじゃろう。
それは自らの本心をどこまでも観察する勇気と意欲がない者のための嘘であり、方法なのじゃ。
方便によって導かれて自分を見るまでに成長できる者は幸いなのじゃ。
それも仏陀の慈悲なのじゃ。

544避難民のマジレスさん:2019/05/16(木) 07:29:09 ID:LC3de7YgO
>>542
>>542
黄金の華の秘密

スワミ・アナンド・モンジュ訳

第十四話 空観くうがん、仮観けかん、中観ちゅうがん(つづき)

映画館に行けば、スクリーンの上にあるのは うつろな影にすぎないことはよく
わかっている のに、あなたはそのうつろな影にだまされてしまう。
映画館に坐っていると、実に様々な感情が通りすぎてゆく。
悲劇が起こると、あなたは泣きはじめる。
おそらく映画館が暗くしてあるのはそのためだ。
そうしなければ、あまりに愚かでばからしく見える。
もし誰かが――妻や友人がそばに坐っていて、あなたが 泣いているのに気つ゛
いたら、彼らは笑いだすだろう。
彼らは「どうしたんだい?あるのはからっぽのスクリーン だけで、他にはなに
もないじゃないか。映画がそこに映り、 白と黒が――あるいはカラーの映像が
――戯れているだけだよ。 みんな影さ」と言うだろう。
だが、あまりにも影に夢中になり過ぎて、 影に実体があるように見えはじめて
くる。
仏陀の方便はちょうどこの反対だ。
仏陀は言う ――これほど実体感があるように見える人々―― 彼らを夢であり、
空であると見なしなさい、と。
すると、いつの日か驚くようなことが起こる。
全世界が白いスクリーンになり、 影だけが通りすぎてゆく。
影だけが通りすぎてゆくとき、 あなたはみずからの内に大いなる 無執着が生
まれてくるのに気つ゛く。
あなたは超然として、遠く離れている。
そうなったら問題は何もない。
二つめは"仮象"だ。 あなたが「全世界は空であり、夢にすぎない」 と見なし
、瞑想し、絶えず観想していると、 第二の現象が起こりはじめる。
いいかね、それを夢と見なしても、 それだけで世界が消えてしまうわけでは
ない。
そういう錯覚に陥ってはいけない。
「世界は夢だと思いつつ゛けていれば、やがて世界は消えてしまう」 などど思
わないこと。
世界は消えはしない。
スクリーンに映る映画が影にすぎない ことはよくわかっていても、それでも
それはつつ゛いてゆく。
ただそう思うだけで、 それが消え去るわけではない。
映画館に坐って瞑想していると映画が消えてしまい、 他の者たちには見えても
自分には見えず、 ただ白いスクリーンだけがある、 などどいうことはありえな
い。
そんなことはけっしてない。
瞑想者にも映画は見えるが、 ただ見方が違う。
彼はそれが夢であることを知っている。
世界が消えるわけではない。
世界はありつつ゛けるが、それは 重要性を失い、実体をもたなくなってゆく。
それはまっすぐな棒を水のなかに入れるときのようなものだ。
水中に入ったとたんに、棒は曲がって見える。
取り出すと、もちろんどこも曲がっていない。
もう一度 水のなかに入れると、やはり曲がって見える。
そうなればそれが目の錯覚だったこと がはっきりわかる――棒は曲がって い
るように見えるだけで、曲がってはいない。
だが、いくら目の錯覚だとわかったとしても、 それで棒が曲がらずに見えるわ
けではない。
だから、まず最初、あなたは 「この世界は空である」と瞑想する。
すると、つつ゛いて第二のことがらが生じてくる―― それでも世界はありつ
つ゛けるが、 もはやそれはまぼろしだ。 もはやそれには実体がなく、 夢と同じものからできている。
最初の無意識な知覚の仕方では、 世界には堅固な実体があるように見えた
―― それはひじょうに客観的であり、 まざまざとそこにあった。
空に瞑想したあとも、 世界は依然としてそこにあるが、 もはや実体を失い
、 ただの想念マインドのゲーム にすぎないものになっている。
それは夢のようなものだ。
ヒンドゥー教徒たちが「世界は幻影マーヤだ」 と言うとき、彼らが言おうとし
ているのはそのことだ。
それは聖者の目から世界が消えてなくなるということではない。
それはたんにもうそこには価値がなくなったということだ。
それは無価値なものに、完全に無価値なものになってしまった。
そして三つめは"中心"だ。
世界がもはや実体感を失い、 客観的な世界が姿を消して、 主観的なまぼろし
になるとき、 あなたの内側に新しい体験が生まれてくる。
ここではじめて あ な た が実体をもつようになる。
通常、人は客観的な世界に みずからの実体を投影している。
それを外界から取りもどすと、 あなたが実体をもつようになる。
世界がありありとしていたら、 あなたの影はうすくなってゆく。
世界が現実感を失えば、 あなたの影が濃くなってゆく。
もう一度映画を使って説明してみよう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

545鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/16(木) 22:58:27 ID:1d4drIFg0
全てを空と観想しても全ては目の前にあり続けるじゃろう。
全て消えてしまう訳は無いのじゃ。
生きている限り食べたり飲んだりしなければならないからのう。
それらが空でありながらあり続けるように見える仮の存在として観る工夫も必要になるのじゃ。

546避難民のマジレスさん:2019/05/16(木) 23:08:04 ID:LC3de7YgO
>>545
方便としての「空」を、後世、釈迦的緻密な分析方法であ、哲学的にしてしまったのでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

547避難民のマジレスさん:2019/05/16(木) 23:08:42 ID:LC3de7YgO
>>545
方便としての「空」を、後世、釈迦的緻密な分析方法であ、哲学的にしてしまったのでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

548避難民のマジレスさん:2019/05/16(木) 23:36:35 ID:LC3de7YgO
>>544
黄金の華の秘密

スワミ・アナンド・モンジュ訳

第十四話 空観くうがん、仮観けかん、中観ちゅうがん(つづき)

スクリーンの上を影が飛びかっているだけだ と気つ゛けば、突然、あなたは自
分がいることに気つ゛く。
その影はまやかしだが、 あなたは実在している。
影のなかに自分を見失って しまうと、あなたは現実感を失い、 自分があるこ
とをすっかり忘れてしまう。
夢のなかでは自分があることをすっかり忘れ、 夢が現実になっている。
あなたの現実は丸ごと 夢に食いつくされている。
夢は現実をすべて奪い去り、 うつろなあなただけが残される。
夢から現実を取りもどすと、 あなたがありありと存在するようになる。
あなたの内側に中心が生まれ、 あなたはひとつにまとまる。
これが「個性化」「結晶化」と呼ばれるものだ。
世界が現実のものになるか、 あなたが現実のものになるか、 そのどちらかだ
――その両方が 同時に現実のものになることはありえない。
それを覚えておきなさい。
その両方が同時に現実のもの になることはありえない。
それが風景の焦点ゲシュタルトを変えることだ。
世界から現実感を取りもどせば、 あなたがありありと存在しはじめる
――あなたは実存を達成する。
人々は二種類のタイプに大別することができる――
もつことに関心を寄せる人々と、 在ることに関心を寄せる人々に。
もつことに関心を寄せる人々は、 世界が実在することを――
もっと金をため、 もっと権力を手に入れ、 もっと名声を高め、信望を集める
ことを 信じている。
彼らは中身がからっぽの人々だ。
彼らは自分の中心を完全に失っている。
彼らは自分が誰であるのかを知らない。
真の自己は影になってしまっている。
そして別の種類の者たちは
――私は彼らを「宗教的な人々」と呼ぶ――
外界から現実を取りあげて、
それを元あった場所にもどす。
彼らは実体を獲得するようになる。
彼らは実存をもつようになる。
彼らはさらなる存在感をもつようになる。
より大きな存在感を発している人に出会うと、
人は必ずある種の磁力を感じる。
仏陀が無数の人々を引きつけたのは、
この実質をともなった存在のゆえだった。
それは目にすることができる。
政治権力を握っている者をのぞき込めば、
中身はからっぽであり、ただ藁わらだけが詰め込まれている。
金をたくさんためこみ、大したものをもっているつもりになっている者
――彼をのぞき込めば、
そこにはただ黒い穴が開いている。
貧しい男、乞食がその背後に隠れている。
実存をそなえた者は、
帝王の身なりをしていることもあるし、
乞食の身なりをしていることもある
――だが、彼はつねに帝王だ。
彼は仏陀のように托鉢をしているかもしれないし、
ジャナク王のように帝王の座についているかもしれない が、
どちらにしても違いはない。
彼は ど こ に い て も つねに帝王だ。
彼の王国は内側にあり、 彼には風格がともなっている。
彼はどうどうとしている!
あなたは存在していない。
あなたはものはもっているが、
実存をもってはいない。
そしてあなたはものを代用品として使っている。
ものをもてばもつほど、ますます 自分の存在を信じることができる。
渇望し、貪り、野望を抱くのはそのためだ。
もっともっとものを所有しようとするのは、それが 「俺はひとかどの人間なん
だ」と言って 自分をだます唯一の方法だからだ。
だが、実存をそなえている人は関心を抱かない。
もつことは彼のゲームではない。
それは彼が 世間を後にして、 世間を捨ててしまうという意味ではない。
世間を捨てるということは、その人がまだ 世間を生々しい現実であると考えて
いることに他ならない。
さもなければ、どうして捨てたりするだろう?
あなたは朝起きて、
「私は夢を捨てたんだ。王様になった夢を見ていたのに、私は王国を捨てたん
だぞ」
と大きな声で近所に触れまわったりはしない。
人々はあなたが狂ってしまったと思う だろう。
彼らは警察に通報するだろう。
彼らはあなたに精神科医のところへ行って、 心の治療を受けるようにと言うだ
ろう。
「君はおかしくなってしまったのかい? それが夢なら、いちいち捨てなくても
いいはずなのに」
仏陀が放棄したのは、 彼が夢のなかに生き、それには 堅固な実体があると考
えていたからだ。
彼は森のなかで光明を得た。
いいかね、放棄したとき、彼は無知だった。
世間を捨てる前に光明を得ていたら、 彼はけっして放棄などしなかっただろう。
捨てる意味などない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

549避難民のマジレスさん:2019/05/16(木) 23:46:54 ID:LC3de7YgO
>>544
> スクリーンの上を影が飛びかっているだけだ と気つ゛けば、突然、あなたは自
分がいることに気つ゛く。
> 夢は現実をすべて奪い去り、 うつろなあなただけが残される。
夢から現実を取りもどすと、 あなたがありありと存在するようになる。

←ここでの「あなた」、「自分」はマハラジやマハリシやパパジが言う「真我」でありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

550鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/17(金) 23:35:14 ID:1d4drIFg0
>>546 そうじゃ、それは本来方便としての方法であり、実践のためのものなのじゃ。
 それを知らなければ空が実際のものと見まがう空見に陥るのじゃ。

>>549 そのようなものじゃ。
 認識できない認識主体なのじゃ。
 それがあるとき世界はないのじゃ。
 観念であるからのう。
 あることとして全てを観るのじゃ。

551避難民のマジレスさん:2019/05/18(土) 09:07:28 ID:LC3de7YgO
>>548
黄金の華の秘密

スワミ・アナンド・モンジュ訳

第十四話 空観くうがん、仮観けかん、中観ちゅうがん

ジャナクは王として宮殿に暮らしているとき光明を得た。
だから彼はそれをけっして捨てなかった。
そんなことをしても意味がなかった。
クリシュナは一度も放棄しなかった。
そんなことをしても意味がなかった。
影にすぎないものを どうやって捨てるというのだろう?
仏陀が放棄し、マハヴィーラが放棄したのは、 彼らがまだ光明を得ていなかっ
たからだ。
私が言おうとするのは―― 人々は無知だったからこそ 世間を放棄したのだと
いうことだ。
仏陀でさえ、無知だったときには世間を放棄した。
光明を得ると、彼は世間にもどってきた。
もどってこざるをえなかった。
深く眠りこけ、自分たちが見ている夢が現実である と錯覚している者たちが大
勢いる ことを知っていたからだ。
彼はみんなを目覚めさせねばならなかった。
中心は、 外界から現実感を取りもどした ときにはじめて現れてくる。
あなたは みずからの現実を事物に与え、 みずからの現実を事物に注ぎ込んで
いる。
それは観察することができる―― 人々は事物との抜き差しならぬ情事にはま
っている。
彼らはみずからの魂を事物に注ぎ込み、 自分の正体をすっかり見失っている。
彼らは事物のなかに埋没してしまっている。
わが家にもどってくるがいい。 現実を取りもどすのだ。
事物はあなたが 現実感を与えた分だけ 現実になるのであり、それはあなたの
投影だ。
そうでなければ、それはからっぽの、 白いスクリーンにすぎないものになり
、 重要性を失って、それに溺れることも、 それを捨てるということもなくなる

どちらも的をはずれたものになる。
まず空観が三つの観想の最初にくる。
いっさいの事物は空であると見なされる。
次に仮観が行なわれる。すべてが空であることを知りながら、 事物を破棄せず
に、空の只なかで自分の仕事を行なってゆく。
よく聴きなさい。
なぜなら、世間で苦しみをなめている人々は、ほとんど必ず世間との交わりを
絶とうとしたり、
絶ってしまったりはじめるからだ――
まるで世間に問題があるかのように!
問題は世間にあるのではない。
問題は あ な た だ。
それにどこへ行こうと、
あなたは行く先々で問題を引き起こす。
あなたはみずからの影を投げかける。
世間を捨てることもできるが、
世間は白いスクリーンにすぎない。
が、映写機はあなたの内側にある。
どこに行っても、あなたはそこに、別の何かに自分のフィルムを投影しはじめ
る。
それは宮殿ではなく、粗末な小屋かもしれない――
だが、その小屋があなたの王国になる。
それは小屋ですらないかもしれない。
ヒマラヤをさすらっているとき、私はたくさんの人々に出会った。
あるとき私は三十年以上も洞窟で暮らしている聖者に――いわゆる聖者に出会
った。
私は二、三人の友人と一緒にいたが、その洞窟が気に入ったので、私たちはそ
の洞窟で一夜を過ごすことにした。
彼はひじょうに腹を立ててこう言った。
「どういうつもりかね?これは 私 の 洞窟だぞ!」
私は言った。
「でも、あなたは世間を放棄なさったのではありませんか?
この洞窟があなたのものだとは不思議ですね?」
彼は言った。
「とにかくこれは私のものだ。三十年も私はここで暮らしてきたんだ」
「あなたは三十回も生まれ変わり、ずっとここで暮らしてこられたかもしれま
せん。でも、放棄することの意味は何ですか?なぜあなたは妻を捨てたのです
か?なぜあなたは家を捨てたのですか?何が問題だったのですか?"私のものだ"
という考えが問題だったはずです。今やこの洞窟はあなたのものです。となる
と、その洞窟とともに問題が生じてきます。所有欲が洞窟に染みついてしまっ
ています」
どこへ行くかは問題ではない。
自分の生を変えることはそれほど簡単ではない。
あなたはみずからの知覚を、ものを見る視点ゲシュタルトを、実存そのものを
変えなければならない。

呂祖師は言った。

事物を破棄せずに、空の只なかで自分の仕事を行なってゆく。
すべては空であると知るが、人はみずからの仕事を行ないつつ゛けてゆく。
どこにも行く必要はない。
どこに行けるというのだろう?
この世界はいっさい空だ!
ヒマラヤはMGロードの店と同じくらいにからっぽだ。
そしてヒマラヤの樹々や動物はプーナの住民と同じくらい実体がない。

そのあいだには何の違いもない。
違いはあなたの中心、あなたの内なる実存に起こらねばならない。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

552避難民のマジレスさん:2019/05/18(土) 09:35:36 ID:LC3de7YgO
>>551
黄金の華の秘密

スワミ・アナンド・モンジュ訳

第十四話 空観くうがん、仮観けかん、中観ちゅうがん(つづき)

だが、事物を破棄しないとしても、それらに注意を注ぐこともない……
これがその変化だ――人は打ち壊すこともなく捨て去ることもなく、しかもそ
れらに注意を注ぐこともない。
人は注意を注ぐのを控えるようになる。
注意は餌だ。
そのようにしてあなたは事物に執着するようになる。
ある女性に魅了されると、あなたは何度でもその女性を見つめたくなる。
あなたは餌をやっている。
あなたは投影をしている。
あるものが気に入ると、あなたはそれに注意を払うようになる。
注意を払うことで、あなたはそれに執着するようになる。
注意を払うことが橋になって執着が生まれる。
何も捨てる必要はない。
ただ橋を壊せばいいだけだ。
事物に注意を払うことなく世間のなかで生きなさい。
虚空のなかを動いているかのように進んでゆきなさい。

――これが中観だ。
これができたら、あなたの内側に中心が生まれる。
あたかも世間のなかにいないかのように 世間で暮らすことができたら、 世間は
ただの夢にすぎないかのように 世間で暮らすことができたら、 突然、大いなる
エネルギーが―― 散逸していたエネルギーすべてが あなたの内部で結晶化する。
あなたはありとあらゆるやり方でエネルギーを散逸させてきた。
あなたは四方八方に漏らしている。
注目することで漏らしている。
あなたがもはや漏らさなくなり、 注意力がもはや不動のものとなり、 注意が
内側に集まり、 内側で蓄積され、 内側で結晶化するとき、 中心が生まれてく
る。
空観を実践しているときには、 万物を破棄しえないことを知りながら、 それ
らに気をとめないようにする。
人はこの夢がつつ゛いてゆかねばならないものであることを知っている。
この夢はまた美しいものでもある。
そこで思い煩うことなど何ひとつない。
捨て去らなくてもいい、打ち壊さなくてもいい、それと闘わなくてもいい。
あなたは自分の影と闘ったりはしない。
あなたはそれが影であることを知っている。
それは影であると知っているから、打ち壊したいとも思わない。
どこまでも後をついてくるから、けっしてあなたのもとを去らないから、それ
のことを心配しない。
あなたはそれが影であることを知っている。
この世間が影であることを知ると……実在の影であって実在そのものではなく、
湖に映る月であって月そのものではないと知ると、人は世間の只なかにあって
さえくつろぐようになる。
世間をまったく気にもとめずに、人はみずからの務めを果たし、みずからの仕
事をし、飄々ひょうひょうとしながら暮らしつつ゛けてゆく。

このようにして三つの観想はひとつになる。
そうなったら三つの観想はもはや三つではなく、それはただひとつの観想になる。
あなたは中心に収斂してゆき、中心を自覚するようになる。
グルジェフが「自己想起」と呼び、仏陀が「サマサティ」――留意――と呼び、
マハヴィーラが「ヴィヴェック」と呼んでいたのはこのことだ。
今やあなたはリアルではないものを見抜き、現実と非現実を識別している。
今やあなたは何が影であり、何が実物であるかを見抜いている。
あなたは実物の月を見たし、水に映る月影も見た……
だが影はつつ゛いてゆく!
影はそれが影であると気つ゛いたからといって消えてゆくものではない。
それはつつ゛いてゆく。
そして問題は何もない――それは美しい!
湖のほとりに坐って、月影を眺めていればいい――
それは美しいし、何の問題も生じてこない。
だが、あなたはそれが実在しないことを知っている。

だが、とどのつまりは空を体得することで力が得られる。
だが、覚えておきなさい――統合、結晶化は、ひとえに空を体得することから
生まれてくる。
それが瞑想の出発点になる。

それゆえに、空観を実践するときには、空は紛れもなく空であるが……
さあ、あなたがたはもう少し深く入ってゆかねばならない。
いっさいが空であると知ると、問題が生まれてくる。
あなたはその空を何かしっかりとした実体があるものだと見なしはじめるかも
しれない――それが問題だ。
というのも、頭マインドはいつも言葉にとらわれてしまうからだ。
『不思議の国のアリス』というすばらしい本のなかにこんな一節がある……
アリスが王様のもとへ到着すると、王様はラブレターが届くのを今か今かと待
ちわびていた。
彼は誰を見ても「使いの者に会わなかったかね?」と尋ねてまわる。
王様はアリスにも「こちらへ向かっている使いの者に会わなかったかね?」と
尋ねる。
アリスが「誰もいませんわ」と言うと、王様は彼女が"ダレモイナイ"という名
前の誰かに会ったのだと思い込む。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

553避難民のマジレスさん:2019/05/19(日) 00:00:58 ID:LC3de7YgO
>>552
黄金の華の秘密

スワミ・アナンド・モンジュ訳

第十四話 空観くうがん、仮観けかん、中観ちゅうがん(つづき)

王様は言う「おまえよりも足がのろいやつじゃ、"ダレモイナイ"は。でなけり
ゃとっくに着いておるはずじゃ。わしは何度も何度も同じ知らせを聞いておる。
たくさんの者がここに着いたが、みんな口をそろえて"ダレモイナイ"と言う。
なのにまだダレモイナイは到着していない!おまえよりも足がのろいやつじゃ
、ダレモイナイは」
当然アリスは「王様は何を言ってらっしゃるのだろう?私より足がのろい人は
誰もいないですって?」と考えて、こう言い返した。
「誰もいないわ、私よりも足が速い人」アリスは気分を害していた。
すると王様は言った。
「ダレモイナイは、おまえより足が速いのか?ではなぜそいつはまだ着かんの
じゃ?」
話がこんがらがったわけに気つ゛いたアリスは、
「王様、ダレモイナイなんて人は誰もいないんです」と言った。
すると王様は言った。「もちろんじゃ。ダレモイナイはダレモイナイに決まっ
ておる。だが、そいつはどこにおるのかね?」
こうして話は延々とつつ゛いていった。
空でさえものになってしまいかねない。
仏教哲学で起こったのはそれだ。
哲学者はあたかも空が神であるかのように、空が生の本質そのものであるかの
ように、空について語りはじめる。
彼らはあたかも無が何ものかであるかのように、無のことを語りはじめる。
無は言葉にすぎない。
自然のなかにはノーは存在していない。
ノーは人間が発明したものだ。
自然のなかでは、すべてがイエスだ。
自然のなかには、肯定的なものだけが存在している。
否定的なものは人間がこしらえたものだ。
例えば、この椅子はただの椅子だ。
自然のなかでは椅子は椅子でしかない――それがありのままの姿だ―― だが、
言葉では 「これはテーブルではない、これは馬ではない、これは人間ではない」
と言うことができる。
これらの言明はすべて正しい。
椅子はテーブルではないし、馬ではないし、人間ではないからだ。
だが、これらは否定的な言語表現にすぎない。
自然のなかでは椅子はただの椅子でしかない。
自然のなかに否定的なものはなく、 ただ肯定的なものだけがある。
だが、言語のなかには否定形が存在し、その否定形ゆえに大いなる哲学が生ま
れてきた。
無そのものがひとつの事物になってしまう。
不在がある種の存在であるかのように語られる。
だから、それに注意しなさい。
あなたに注意をうながすために、呂祖師は言う。
いいかね、空は紛れもなく空であるが、仮象も空であり…… 幻影(仮象)は少
なくとも 幻影としては実在する と考えはじめてはいけない。
幻影もまた空であり、 そこには何もない。
例えば縄を蛇だと錯覚するとしよう。
見ると蛇がそこにいるが、明かりをもってくると消えてしまう。
そうなると「蛇はどこへ消えたのだろう?蛇はどこからやって来たのだろう?」
という疑問が湧いてくる。
蛇は一度も現れたこともなければ、消え去りもしなかった。
それは存在しなかったのだ。
実のところ、縄はいつも縄だった。
それはあなたの錯覚だった。
あなたが蛇をつくりだし、それを投影した。
それは妄想マインドの産物 にすぎなかった。
いいかね、空は空であり、
仮象も空であり、
中心も空である。
これが仏陀のなす最大の貢献だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

554鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/19(日) 22:56:37 ID:1d4drIFg0
空とは法であるからそれに囚われてはいかんのじゃ。
それもまた悟りを得るためには捨ててしまうしかないのじゃ。
空をもったまま悟りにはいけないのじゃ。
彼岸に至れば捨て去るべき観念を滅するためのいかだでしかないのじゃ。

555避難民のマジレスさん:2019/05/19(日) 23:09:45 ID:LC3de7YgO
>>553
黄金の華の秘密

スワミ・アナンド・モンジュ訳

第十四話 空観くうがん、仮観けかん、中観ちゅうがん(つづき)

ヒンドゥー教徒たちは「世界はまぼろしだ」と言う。
ジャイナ教徒たちは「世界はまぼろしであり、心マインドもまぼろしである」と言う。
仏陀は「世界はまぼろしであり、心はまぼろしであり、中心もまぼろしである」
と言う。
彼の洞察力はとてつもない。
彼は言う――
見られるものが幻影だとしたら、どうして見る者が実在しえるだろう?
これは最も深遠なにゃはんニルヴァーナの言明だ――
夢がまぼろしだとしたら、その夢を見る者も幻影であり、踊りがまぼろしだと
したら、その踊り手もまた幻影だ。
彼は何を言おうとしているのだろう?
彼はこう言おうとしている――
まず世間を捨て、それから心マインドが紡ぎだす幻想を捨て、さらに中心とい
う、自己という考えも捨てなさい、と。
そうしなければ自我エゴが生き残る。
新しい名前で、巧妙な仕方で、自我が生き残る。
それもまた去らせなさい。
あらゆるものを去らせなさい。
ただ虚空、無だけをあらしめなさい。
その無のなかにすべてがある。
その完全な不在のなかに臨在がある。
仏陀はその臨在のことはけっして語らない。
彼は、それは身をもって知るべきものだと言う。
そのことは語るべきではない。
なぜなら、心は実に狡猾であり、臨在について語れば、それを渇望するように
なるからだ。
神について語れば、心はその神を手中におさめることを考えはじめる。
仏陀は神については何も語らないが、それは神が実在しないからではない――
覚者より他の誰が神の存在を知りうるというのだろう?
だが、彼がけっして語らないのにはある深いわけがある。
神について語ると、神を得たいという欲望を生みだしかねないからだ。
そして、もしそこに欲望があれば、あなたはけっして神に到りつくことがない。
欲望はすべて消えなければならない。
無欲の境地にあってはじめて神は到来する。

仮観を実践するには大きな力が必要である。
このとき仮象はあきらかに幻影であるが、 空も幻影であり、中心も幻影であ
る。
中観の道にあるときには、やはり 空の心像を生みだすのであるが……
これらの空の心像は助けにすぎない。
まず、世間からあなたを連れだすために、仏陀は「世界は空である」と言う。
すると幻影が真実になってしまう。
そこで仏陀は「幻影もまた空である」と言う。
すると中心が真実ということになる。
そこで仏陀は「中心もまた空である」と言う。
まったき沈黙のなかで、いっさいのものが跡形もなく消え失せる――
そのまったき沈黙のなかに祝福があり、神がある。

また仮観を実践するときも、 それを仮象と呼ばず、中心と呼ぶのである。
中心そのものについては別に説明する必要はないだろう。
いっさいのもの――世界、想念マインド、自己――が消え去ると、いったい何
が起こるのだろう?
呂祖師の言うとおりだ。彼は、別に説明する必要はないだろう、と言っている。
さらに何かを言うことは危険だからだ。
さらに何かを言うと、あなたに欲望の対象を与えることになる。
そして欲望が生まれると、全世界がなだれ込んでくる。
これはすならしい方便だ。
それに瞑想することができたら、あなたは無限なるもの、永遠なるもの、時を
越えたもの、真実の生を得るだろう。

(´・(ェ)・`)
(おわり)

556避難民のマジレスさん:2019/05/19(日) 23:13:22 ID:LC3de7YgO
>>555
oshoの言う(神の)臨済とは、アートマン、ブラフマンのことでありますかね?
(´・(ェ)・`)つ

557鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/20(月) 23:07:07 ID:1d4drIFg0
↑そのように捉えて善いのじゃ。
それは本来言葉で語れるものではなく、自ら追求するものであるからのう。
どこまでも追求して行けば、悟りも得られて真実の意味を知るのじゃ。
語ることの出来ないものを伝えるには、法によって体現させるしかないのじゃ。

558避難民のマジレスさん:2019/05/21(火) 08:54:22 ID:LC3de7YgO
>>555
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音

タオ、分かたれていないもの、大いなる一者は、 相反する二つの存在原理――
闇と光、陰と陽を生みだす。
陰からは受容的な女性原理が現れ、陽からは創造的な男性原理が現れる。
陰からは生命が現れ、陽からは受容的な本性が現れる。
ひとりひとりの人間のなかには胚胞があるが、それは 受胎の瞬間に命と性、生
命と本性に分かれる。
個々の人間の肉体のなかで、それらは二つの極 ――アニマとアニムスによって
表される。
この二つは生涯にわたって争い、主導権を求めて闘いをくり広げる。

生命エネルギーが下方に向かって流れれば、すなわち、何の障害もなく 外界に
向かって流れ出せば、アニマがアニムスに打ち勝ち、黄金の華は開かない。
生命エネルギーが逆流のプロセスによって導かれたら、すなわち 蓄えられ、散
らされずに上昇させられたなら、アニムスが勝利をおさめている。

生涯を通じて生命エネルギーを蓄える道を守る者は、 黄金の華の境地に到達す
るだろう。
そこで自己は対立物の葛藤から解き放たれ、再び タオ、分かたれていないもの
、大いなる一者とひとつになる。

 古池やかわず飛び込む水の音
これは松尾芭蕉の最も有名な俳句のひとつだ。
この俳句には、目覚めた人々だけが気つ゛くことのできる格別の味わいがある。
その美はたんに審美的なものではなく実存的なものだ。
そのかぐわしい香りは悟りの境地から放たれる。
タオとはひとえに何の但し書きもない、形容もつかない、ありのままの姿を指
している。
タオとはただ"そのようにある"ということだ。
 古池やかわず飛び込む水の音
俳句はふつうの詩ではない。
ふつうの詩は空想から生まれる。
ふつうの詩は想いマインドの産物だ。
俳句はただありのままの姿を映しだす。
意識は鏡になって、目の前にあるものを映しだす。
鏡は映るものに影響されない。
その前を醜い人が通りすぎても、鏡が醜くなることはない、
鏡には何の変化も起こらない。
美しい人が通りすぎても、鏡が美しくなることはない。
映す相手が誰もいなくても、鏡は前と同じで変わらない。
映しても映さなくても、善いものを映しても悪いものを映しても、鏡は清らか
なままだ。
目覚めた人の意識もそうだ。
芭蕉は仏頂禅師の弟子だった。
このとてつもなく美しい俳句が生まれたとき、芭蕉は古池のほとりにある小さ
な庵で暮らしていた。
ある日のこと、にわか雨があがると、仏頂禅師は芭蕉のもとを訪れ、
「近頃のおまえの見解けんげはどうかな?」と尋ねた。
いいかね、師は「どんな知識を身につけたかな?」
と尋ねるのではなく、「見解はどうかな?」と尋ねている。
見解けんげというのは知識とはまったく別のものだ。
知識は借り物だが、見解は自分自身のものだ。
知識は外からくるが、見解は内側から生まれてくる。
知識は手垢にまみれているので醜い。そして
知識はけっしてあなたの実存の一部にはなりえない。
それはいつまでたっても異質なもの、よそよそしいものであり、
あなたのなかに根をおろせない。
見解はあなたのなかから育ってくる。
それはあなた自身の開花だ。
それはまぎれもなくあなたのものであり、
それゆえに美をそなえ、解き放つ力を宿している。
真理はけっして誰からも
借りることができない。そして
借りてきた真理はもはや真理ではない。
借りてきた真理はすでに虚偽だ。
語られるやいなや、その真理はたちまち嘘になる。
真理とは体験されるべきものであり、聞いたり、読んだりするものではない。
真理はたんにあなたが蓄えてきたものの一部に、あなたの記憶の一部になるもの
ではない。
真理は実存的なものでなければならない。
あなたの実存の毛穴のひとつひとつがそれを感じなければならない。
そう、それはひとつの感性フィーリングでなければならない。
ひと息ひと息が真理で満たされていなければならない。
それはあなたのなかで脈動し、あなたのなかを血のように巡らなければならない。
真理が体得されると、あなたはそれになる。
だから仏頂は弟子に向かって、
「芭蕉、近頃のおまえの見解けんげはどうかな?」と尋ねた。
そしてこの"近頃の"という美しい言葉を忘れてはいけない。
真理はつねに成長している。
真理は動いている。
それは静的ではなく、ピチピチと躍動している。
それは踊りだ。
それはそびえゆく樹々、流れゆく川、まわりつつ゛ける星々のようだ。
真理はけっしていかなる意味でも静的な現象ではない。
それは停滞したものではなく、実にダイナミックに、勢いよく動きまわっている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

559鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/22(水) 00:18:47 ID:1d4drIFg0
オショーは芭蕉が好きなのじゃ。
禅味のある俳句を作ったからなのじゃ。
俳句は悟りの境地をも表す三行詩という解釈で世界に広まっているのじゃ。
外国人の俳句集も出版されているのじゃ。

560避難民のマジレスさん:2019/05/22(水) 00:34:09 ID:LC3de7YgO
>>558
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)

いきいきとしているためには動きつつ゛けていなければならない。
死だけが静止し、死だけがよどんでいる。
だから死んでいる人々もうわべは生きているようにみえるかもしれないが、
真理がもはや成長していなければ、彼らは死んでいる。
彼らの魂はもはや成長していない。
真理とは観念ではなく、あなたの実存そのもの、あなたの魂そのものだ。
それゆえに師は「 近 頃 の おまえの見解けんげはどうかな?」と尋ねた。
彼は過去のことを尋ねているのではない。
知識はつねに過去に関わり、空想はつねに未来に関わっている。
彼は現在のことを尋ねている、 現に目の前にあるもののことを尋ねている。
芭蕉は答えた。
 雨過ぎて青苔を流す つい先程まで雨が降っていた。
雨はあがり、青い苔がみずみずしく輝いている。
悪くはないが、まだ充分ではない。
それはすでに過ぎ去ったことであり、 現に目の前にあるもののことではない。
それはすでに記憶になっていて、 今まさに体験していることではない。
仏頂は満足しなかった――悪い答えではなかったが、まだまだだった。
そして絶妙な答えが出るまで、 意にピタリとかなった答えが出るまで、 師は
けっして満足しない
―― 芭蕉のように大きな力量を秘めた 人物を前にしてはなおさらだ。
もはや芭蕉の師、仏頂のことを知る者はいない。
彼はただ芭蕉のおかげで知られている。
この弟子には無限の力が秘められていた。
師はそうたやすく満足することはできない。
それを覚えておきなさい!
器が大きければ大きいほど、 あなたには困難な課題ワークが課せられる。
師はあなたにきびしい態度を取るだろう。
彼はあなたを少しも容赦しないだろう。
芭蕉ほどの器をそなえていない者の答えならばそれでもいい。
師はうなずいて同意したかもしれない――が、芭蕉はだめだ。
数分の間があいても、ずれていることに変わりはない。
すでに雨はあがり、空は晴れ、太陽が顔をのぞかせ、その光を 古池や、庵いお
りや、あたり一面に投げかけている。
師は「まだ言葉が足りない!」と言った。
師が「まだ言葉が足りない!」と言うのは、 もっと言葉を加えなさいという意
味ではない。
彼は言葉の数が足りないと言っているのではない。
彼はこう言っている―― もっと深みのあることを言いなさい、
もっと力強いことを言いなさい、
もっと実存的なことを言いなさい、
もっと内実のあることを言いなさい!
(p533)
まさにそのとき、 蛙が池にポチャンと飛び込む音が聞こえた。
彼はこう詠んだ。
 かわず飛び込む水の音 さあ、これがタオだ――
現に目の前で、あるがままに、息つ゛き、脈動している、 まさにこの瞬間。
タオは過去を知らず、未来を知らない。
タオはただひとつの時制しか知らない――それは現在だ。
タオは 今 こ こ しか知らない。
みずからの思考マインドを消えてゆかせれば、 過去もないし、未来もない。
過去と未来は思考の産物だ。
実際に存在するのは現在だけだ。
そして過去もなく、未来もないとしたら、
どうしてそれを「現在」と呼べるだろう?
現在は過去や未来と照らし合わせてはじめて意味をもつ。
現在は過去と未来のあいだにはさまれている。
過去と未来を取り去れば、現在もまた消え失せる。
それがタオの瞬間だ――
時間が消え、人はありありと その場にいて、完全に今ここにいて、 過去の亡
霊のあいだをさまようこともなく、 まだ生まれていない未来の心像のなかをさ
まようこともない。
これが<光明エンライトメント>の瞬間だ――
時間が消え、人はただただここにあって、 他のどこにもいない。
そして時間が存在しないときには、 思考マインドも存在しない。
思考と時間は同義語だ。 思考の量が増せば増すほど、人は 時間を意識するよ
うになる。
だから西洋の国々では時間をひじょうに意識するようになった。
それは思考を発達させてきたからだ。
山や密林のなかに住んでいる原始的な人々のところへ行ってみるといい。
原住民のところへ行くと、そこには時間の観念がない。
それは 考える力マインドがまだ発達していないからだ。
だが、それが再び起こる――理解によって、 過去への郷愁と未来への 夢想を
すべて落とすと、 時間は再び消える。
そして時間が消えるとともに、
突然、思考はどこにも見当たらなくなる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

561鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/22(水) 22:55:31 ID:1d4drIFg0
今あるものを観て、過去を推測するだけではまだ時間があるのじゃ。
今この瞬間を切り取ってこそ、今ここにあると言えるのじゃ。
今ここにあるものをありのままに認め、現しだすことこそ真の芸術なのじゃ。
かつて誰もなしえなかった悟りの芸術なのじゃ。

562避難民のマジレスさん:2019/05/23(木) 02:27:53 ID:LC3de7YgO
>>560
黄金の華の秘密

スワミ・アナンド・モンジュ訳

第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)

そして思考が消えると、静けさが訪れる。
その静けさのなかで、彼方なるものが地上に浸透してくる。
その静けさのなかで、未知なるものがあなたのなかへ降りてくる。
その静けさのなかで、神との出会いが起こり、
その静けさのなかで、感謝の祈り、祝福が湧き起こる。
その静けさのなかに、神の王国が出現する。
 かわず飛び込む水の音 これがタオの言辞だ。
これがタオだ――素朴で、純粋で、まさにあらわだ。
この答えを聞いて、師はこのうえもなく喜んだ。
弟子がわが家に帰り着くと、 師はいつでも歓喜する。
師の喜びには限りがなく、まるで 自分が再び光明を得たかのようだ!
すでに欠けるところのない師の実存に、 さらに満ち足りたものが加えられる。
師につけ加えねばならないものは何もないが、 弟子が覚醒へと燃えあがり、炎
と化すたびに、 師はまるで自分が光明を得たかのように感じる。
師はこのうえもなく喜んだが、 まさにその師の喜びが機縁となって、 芭蕉は
光明を得た。
師の嬉しそうな顔を、 師が放つ喜びのオーラを、 師がうなずいて認めるさま
を――あるいは 何も言わずに、その静けさを天の恵みのように 弟子の上に注い
でくれるのを見て、 芭蕉は光明を得た!
なんとすばらしい光明の瞬間だろう!
これまで無数の人々が光明を得てきたが、 芭蕉のような仕方で光明を得た人
は これまでになかった。
師が喜んでいたので、まさにその 師の喜びが芭蕉の胸を剣のように貫いた。
花々が彼の上に降り注いだ。
師は微笑んでいたにちがいなちがいないからだ……
師は喜びと祝福に満ちた目で芭蕉を見つめていただろう、 きっとこれまで聴い
たこともないような音楽が聴こえていたにちがいない。
もしかすると、仏頂は踊りだすか、 それに類する気違いじみたことをやった
にちがいない。
弟子が光明を得る というのは些細なことではないからだ。
のちに、芭蕉はこの俳句を ダイヤモンドのように磨きあげていった。
彼は生涯をかけてそれを磨きあげていった ――なぜなら、これは希有な現象だ
からだ。
この小さな俳句……
 古池やかわず飛び込む水の音
芭蕉自身の光明のプロセス を誘発したのはこれだった。
彼はそれをダイヤモンドのように磨きあげていった。
彼はそれをカットして、さらにもっと深みを加えていった。
彼は"古池"を加えた。
最初の句はこれだけだった……
 かわず飛び込む水の音
のちに彼は"古池"をつけ加えた。
私の感じでは、古池が自分も加えて くれるようにと主張したにちがいない。
古池も加えられてしかるべきだった――
古池がなければ蛙もいなかっただろうし、その蛙が 飛び込むことも、水の音が
することもなかっただろう。
芭蕉は古池に多くのものを負っている。
彼はそれを加えた。
そこで俳句はこうなった……
 古池やかわず飛び込む水の音
さらにそののち、彼は「水の」という言葉を落とした。
そうなると俳句は前のように完全な形ではなくなるが、
前よりももっと完成度の高いものになった。
それはこうだ……
 古池やかわず飛び込む、音
それは前ほど完全な形ではなくなった が、より完成度の高いものになった。
より完成度の高いものになったということで、 私は何を言おうとしているのだ
ろう?
今やそれは成長しつつある現象になり、 ピリオドが打たれることはないとい
うことだ。
前のものには終止符が打たれ、仕上げがすんでいた。
それには何も加えることができなかった。
瞑想の機縁となるものは何も残されていなかった。
だが、"音"だけになると、扉が開かれてくる。
もはや終止符は打たれていない。
それはひとつの探求になる。
だから、それは完全な形は失った が、より完成度の高いものになった。
今やそれはまったく非の打ちどころがない。
成長しつつあるという意味において非の打ちどころがない。
今やそれは成長しつつある樹であり、予測することができない。
今やひとりひとりがそれに瞑想しなければならない。
そしてこれは芭蕉に従おうとする探求者 にとってすばらしい瞑想のひとつに
なった。
それは前よりもいちだんと美しいものになった。
いつも覚えておきなさい、 完全なもの、完全無欠なものは、何かを失ってし
まう ――それは死んだものになる。
優れた画家たちはみなこのことを知っている。
そして最も優れた絵というのは 少し未完のままで残されていて、 最後の一筆
は加えられていない。
最も優れた詩というのは 未完のままで残されている。
だから扉が開いたままになっており、 あなたはそのなかに入ってゆくことが
できる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

563鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/23(木) 23:09:44 ID:1d4drIFg0
老子の道徳経にもタオとはあまりにも微妙で捉えられず、見ることも聞くことも出来ないというのじゃ。
名前も付けられないそれに仮に名づけてタオというのじゃ。
それを求めるために心も可能な限り鎮めなければならないのじゃ。
極限まで静まった心にタオは芽生えてくるのじゃ。

564避難民のマジレスさん:2019/05/24(金) 00:08:50 ID:LC3de7YgO
>>562
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)

あなたの 実存は未完の詩と親しく交流することができ、 実存がそれを仕上げ
ることになる。
それはあなたの 実存のなかで完結する。
だから、それはこのようになった……
 古池やかわず飛び込む、音
さらにそののちに、彼はまた言葉 を落とし、とうとうこうなった……
 古池やかわず飛び込む、ポチャン!
さあ、今や絶頂に近つ゛きつつある。
ただの"ポチャン!"。
このほうが真実に近い…… カエルにとって、 池にとって、 実在にとって
より真実だ。
実在は"ポチャン!"しか知らない。
あなたはただその場に立ちつくし、 そして驚異の念に打たれ、 探求し、瞑想
をはじめる。
誰かが芭蕉に尋ねた。
「あなたはどうして『水の』という語句を落とし、 最後には『音』という言葉
まで落としてしまったのですか?」
芭蕉は言った。
「どんな音がするのか耳を澄ましてほしいのだ。私は言いたくない。
 どんな音がするのかあなたの耳で聴いてほしい」
 古池やかわず飛び込む、ポチャン!
あなたはまったく新しい瞑想的な空間に放り出される。
突然、古池の姿がくっきりと目に浮かんでくる。
それは目の前にあるかのようにありありと感じられる。
そしてカエルが飛び込む。
それは過去にいるカエルではない……ポチャン!
あなたはその音を再び聴くことができる。
それは現実そのものになる。
これは偉大な芸術であり、芸術家が体験したものを、受容的であり、みずから
を開き、いつでも冒険に出かける 用意ができている人のなかに再び再現させる
ことができる。
ブッダたちはみなこの方法を取る。
彼らの言明は「瞑想」と呼ばれるプロセスを あなたのなかに引き起こすための
機縁にすぎない。
これがタオのやり方だ―― あなたをありのままの現実に連れもどすこと。
これは私のやり方でもある―― あなたが瞬間とぴったりひとつになるのを助
けること。
まさに こ の 瞬間! こ れ がそれだ!
タオは教義ではない。
それは気つ゛きに到るための独自な道だ。
それは目覚めの道、光明の道、わが家へ帰るための道だ。
タオとは単に道を意味する。
そしていいかね、 それはふつうの意味での道を指しているのではない。
「道」という言葉を耳にするたびに、 人はどこか遠くにある目的地のことを、
その道が到り着く先を考えはじめる。
いいや、タオとは道のことだが、目的地とは関係がない。
では、それは何を意味しているのだろう?
それは"ものごとのありよう"を意味している。
それはたんにものごとのありよう、すでにあるもの、 そうであるところのもの
を意味している。
達成しなければならないものなど何もない。
すべてはあなたの上に降り注いでいる。
ただ今ここにあって、祝うがいい。
私にとって宗教とは祝祭だ。
だが、タオのような単純シンプルな現象を好まない人々がいる。
彼らの自我エゴは手ごたえがないので物足りなく思う。
彼らはいつもけわしい道に興味をもつ。
彼らはいつも困難なものに興味をもつ。
困難なことがなかったら、 彼らはそれをつくりだす。
彼らはものごとをあっさり行なうことができない。
彼らは 単純であることが苦手だが、 単純であることが、神のなかにある唯一
の道だ。
神とは単純さ、天真爛漫さだ。
神はバラの茂みやマンゴーの林から聞えてくるカッコウの鳴き声と同じくらい
単純だ。
神は少女たちのくすくす笑いと同じくらい単純だ。
神は樹から舞い落ちる木の葉と同じくらい単純だ。
神は松の老木を吹き抜けてゆく風と同じくらい単純だ。
だが、神がそのように単純であることを好まない人々がいる。
そういった人々が神学をつくりだす。
そういった人々が神にまつわる難解で、抽象的な空論をつくりだし、 ものごと
全体をほとんど理解できないようなむずかしいものにしてしまう。
だが、神はひじょうに単純だ。
 古池やかわず飛び込む、ポチャン!
そう、神はそれに似ている…… それをしっかりこころに刻んでおきなさい。
あなたの自我が策を弄しはじめるからだ。
人々はそのようにしてタオの単純な道を取り逃がしている。
キリスト教には実に多くの信者がいる。
仏教には数多くの信者がいる。
イスラム教には数多くの信者がいる。
だが、タオは今だに教団ではない。
タオが教団だったことはないし、組織になったことは一度もない。
個人が存在し、 個人がそれに従い、 個人がそれを通して成就して きたがそれ
はけっして大衆の道にはならなかった。
なぜか?
それはタオが 自我の流儀を落とす用意ができている者たち、 子どものように
単純で、天真爛漫になることができる者たち だけに開かれているからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

565鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/24(金) 23:32:56 ID:1d4drIFg0
老子や荘子の教えは道家と呼ばれるのじゃ。
道教とは違うものじゃ。
道教がそれを勝手に取り入れて老子や荘子を仙人の一人としているだけなのじゃ。
老荘の教えは常にそれを理解できる者だけのものなのじゃ。

566避難民のマジレスさん:2019/05/24(金) 23:38:02 ID:LC3de7YgO
>>565
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

567避難民のマジレスさん:2019/05/25(土) 00:03:13 ID:LC3de7YgO
>>564
59黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)

問題のむずかしい面だけを見ようとする者たちがいる。
彼らの目には単純な解決方法は映らないし、いつも 最も複雑なやり方を考えな
ければならない。
それで思い出したが、ある若者がニューポートにある高級な会員制のカントリ
ー クラブに入会を申し込んでいた。
ごく控えめで風采のあがらないこの若者は、 入会を許可されるためにはクラブ
の審査員とゴルフを一ラウンドやらなければ ならないと告げられた。
約束の日の午後、彼は最初のティーグラウンドでホッケーの棒や、クリケット
の つちや、ビリヤードのキューをもって審査員たちと出会った。
審査員たちは胡散 臭そうな目でじろじろと眺めたが、それでも球を打ちはじめ
た。
驚いたことに、 若者はホッケーの棒を手に取ると平然と二百七十五ヤードをか
っ飛ばし、続いて クリケットのつちで打ったセコンドショットはみごとな弧を
描いてグリーンに オンした。
そして彼はビリヤードのキューで二十フィートのパットを沈めた。
途方に暮れる審査員をアンダーパー六十八で散々にやっつけたあと、若者は彼
ら とともにクラブ・バーに向かった。
彼はスコッチとソーダを注文したが、注文の品がくると、ショットグラスの中
身を自分の肩ごしにカウンターの上に置いて あるソーダのなかへひょいと投げ
込んで、それらを混ぜた。
この若者のしなやか な身のこなしの芸当を見せつけられて、クラブの審査員は
再び唖然とした。
「実にあざやかなお手並みだねぇ!」と彼らは叫んだ。
「あなたのすばらしい 才能はどこから降って湧いたのですか?」
「生まれてこのかた」と若者は説明 した。
「どんな運動も僕にとっては子どもの遊びのようなものだったんだ。何 でもす
ぐにできてしまい退屈で仕方ないから、何をするにつけても、一番むずか しい
やり方でやるようにしてるんだ。ピンポンのラケットでテニスをしたり、 テニ
スのラケットでピンポンをしたりしてね……」
「ちょっと待ってくださいよ」とクラブの審査員のひとりが口をはさんだ。
「もしあなたの言うことが本当で、どんな運動でも一番むずかしいやり方で やるというのなら、ひとつ質問があるんです
よ……」
「わかってますよ」と 若者は微笑みながら言った。
「みんな同じことを尋ねるんです。いいですよ、 教えてあげましょう――ハン
モックの上で立ちあがることについてでしょう?」
これが自我エゴのやり方だ。
タオは単純シンプルだ、単純そのものだ。
ハンモックの上で立ちあがらなくてもいい。
タオに関する最も基本的なことがらは、 それは子どもの遊びのようなものだ
ということだ。
だが、子どものようになることは人々には不可能に近いことのようだ。
誰が子どものようになりたがるだろう?
イエスは「幼子のようにならないかぎり、私の神の王国には入れない」と言う

だが、誰も子どものようにはなりたがらないようだ。
私たちの悲劇はそこにある。
私たちは何日間もタオの世界の奥深くに分け入ってきた。
今日で経文は終わり、呂祖師の言葉もこれが最後だ。
これらは単純だ。
それらを理解するには単純でなければならない。
そこには大した知識は含まれていないが、 紛れもなく多くの洞察が含まれてい
る。
それらはあなたを物知りにさせたりはしない。
むしろ逆にすべての知識を取り去って、 あなたを無知にする。
だが、もし無知になれたなら、 勇気を奮い起こして知識をすべて落とすこと
ができたなら、 無知な状態のまま生きてゆくことができたなら、 人と神のあい
だの障壁がなくなり、 人と<存在>のあいだの障壁がなくなる。
知識は障壁をつくりだす。
アダムがエデンの園から追放されたのは、 知識の樹の実を食べてしまったから
だ。
その実を吐きださなければならない。
ひとたび知識が吐きだされたら、 あなたは清浄になる。
そしてその清らかさのなかで、 すべてのものが手に入るようになる。
あらゆるものがすでに待ち受けている。
ただあなたが汚れ、知識でいっぱいになっているために、 それを見ることがで
きないだけだ。

さて、経文だ――
タオ、分かたれていないもの、大いなる一者は、 相反する二つの存在原理――
闇と光、陰と陽を生みだす。
陰からは受容的な女性原理が現れ、 陽からは創造的な男性原理が現れる。
陰からは生命が現れ、 陽からは本性が現れる。
これが『黄金の華の秘密』の最後の章句だ。
あなたが覚えておけるように、
論書のすべてがここに要約されている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

568鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/25(土) 23:50:12 ID:1d4drIFg0
>>566 どういたしまして、またおいでなさい。

タオでは質朴であることが尊ばれるのじゃ。
多くの知識や才能を発揮することはよくないというのじゃ。
むしろ何の飾りも無く、無能であることが本質に近いというのじゃ。
そうであれば全ての競争から離脱し、タオに合一するというのじゃ。

569避難民のマジレスさん:2019/05/26(日) 09:56:53 ID:LC3de7YgO
>>567
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)

タオ、分かたれていないもの、大いなる一者は、 相反する二つの存在原理――
闇と光、陰と陽を生みだす。
まず、タオとは何か?
あるがままのもの、名もなく、制約もない、ただあるがままのもののことだ。
それはいっさいのものを包含している。
それは樹や星を包み込み、あなたや私や動物や鳥たちを包み込んでいる。
それは森羅万象のすべてを包み込んでいる。
そしてあるがままのものはこれから存在するいっさいのものを含んでいる。
タオを言葉にすることができないのは、それがいっさいのものを包含している
からだ――
あらゆるものを包み込める言葉はない。
言葉の目的そのものが区分を示すことにある。
言葉の目的そのものが類別することにある。
テーブルはテーブルであって椅子ではない。
椅子は椅子であって犬ではない。
犬は犬であって人間ではない。
言葉はそのまわりに明確な境界があってはじめて意味をもつ。
それは他のあらゆるものを締め出してしまう。
それはちっぽけなものだけを内包して、存在全体を締め出してしまう。
タオは万物を内包して、何も締め出すことがない。
タオを言葉にすることができないのはそのためだ。
タオは、示すことはできるが言い表すことはできない。
タオの人のなかに入ってゆくことができ、タオの人を自分のなかに入ってこさ
せる用意ができているなら、彼はその味をあなたに味あわせることができる。
タオの人は一瞥いちべつを与えることが――包み隠さぬ<存在>の全容を閃光の
ように垣間見させることができる。
だが、あなたは怯えてしまうかもしれない。
大いなる歌『バガヴァッド・ギータ』のなかで起こったことはそれだ。
弟子のアルジュナは師であり、友であり、導き手であるクリシュナに尋ねた。
「あなたは深遠なことを語られます。
 あなたは実に巧みに論じられます。
 あなたの言葉には強い説得力がありますが、私の胸の奥深くにはまだ疑いが
残っています。
それはあなたがおっしゃることを私自身がまだ体験していないからです。
なぜその一瞥を与えてくださらないのですか?
ほんのちょっと味わうだけでいいのです。
いつまでも議論を続けてもしかたありません。
どんなに論をつくしてもしかたありません。
ほんのすこしでも味わえば、私は納得し、疑いは消え去るでしょう」
クリシュナは「いいだろう」と言った。
そして師と弟子のあいだに起こった最も美しい物語のひとつが生まれた。
クリシュナの身体はみるみる大きくなり、無限大に広がると、世界が彼のなか
で巡りはじめた。
アルジュナは恐れおののいた。
クリシュナには無数の手があり、全ての星とすべての惑星が彼のなかにあった

生と死が彼のなかにあり、彼のなかですべての両極が出会い溶け合っていた。
それは混沌カオスだった。
アルジュナは自分の気がふれてしまったのではないかと思った。
彼はおののきのあまり目をつぶり、悲鳴をあげ、「元にもどってください!二
本の腕をもったふだんのあなたの姿にもどってください。もう一度私の懐かし
い友にもどってください。これはあんまりです!」と叫んだ。
クリシュナは元にもどると、こう言った。
「こうなることはわかっていた。おまえには全体の姿を味わう用意がまだでき
ていない」
全体の姿はあなたを震撼させる。
その広大無辺な姿はあなたを震撼させ、あなたの正気を奪ってしまう。
それは奈落であり、あなたはシャボン玉のようにその奈落のなかに消えてゆく

それはあまりに広大なので、あなたは自分が誰なのかまったく識別できなくな
ってしまう。
アルジュナに起こったことはそれだ。彼は言った。
「おっしゃる通りです。私は死んでゆくような感じがしました。
あるいは自分が狂ってゆくような感じが、またはすでにおかしくなっているよ
うな気がしました。
本来の姿にもどってくださって感謝します」
するとクリシュナは言った。
「これは私の本来の姿ではない、あれが私の本来の姿なのだ」
タオは無限だ。
タオは全体なるものだ。
タオとは森羅万象のすべてであり、それゆえに言葉で表すことはできない。
だが、師と弟子が親密に触れ合うなかで、その何かが脈動をはじめる。
あなたが<全体>に呼応できるようになり、分離したものとしては働かなくなり、
しばらくのあいだ分離の観念が消えて、ひとつにまとまる瞬間がある。
しずくが海のなかに消え去ると――一瞬かもしれないが――あなたはタオとは
何かを知る。
だから、タオは言い表すことはできないが示すことはできる。
私がここでやっていることはそれだ。
ここは哲学を学ぶ場所ではない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

570鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/26(日) 23:01:53 ID:1d4drIFg0
全てであるものを現す言葉は無いのじゃ。
タオというのも仮に付けられた名前なのじゃ。
全てが一つならば一つですらないのじゃ。
一つとか二つというのはいくつもあるものごとにつけられた数字の観念であるからのう。
無であり、観念の否定でしか全ては表せないのじゃ。

571避難民のマジレスさん:2019/05/26(日) 23:06:22 ID:LC3de7YgO
>>569
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)

私はあなたがたにどんな哲学も教えてはいない。
これは実存的な道場スクールだ。
私はあるがままの<存在>を教えている。
そして<存在>はすでにここにある。
もう少し勇気を出してみずからを開き、 それが入ってくるのを許せばいいだ
けだ。
それはあなたの扉を叩いている!
イエスは言う。
「叩きなさい、そうすれば扉は開かれる。
 求めなさい、そうすればそれは与えられる。
 探しなさい、そうすればそれは見つかる」
私はまったく逆のことをあなたがたに言いたい。
神はあなたの扉を叩いている。
何千年ものあいだ叩いてきた。
聴きなさい!
神が扉を叩いている……
扉を開けなさい。
耳を澄ましなさい!
神はあなたに
「みずからに課した牢獄から出てきなさい」 と言っている。
神はあなたを探している!
邪魔をしてはいけない!
神があなたを探すのを手伝いなさい!
神が探しているのにあなたは 逃げている、
何生にもわたって 逃げつつ゛けている。
惨めなくせに、それでもあなたは 逃げつつ゛けている。
そして神の手が近つ゛いてくると、 いつもあなたは身震いする。
だが、私にはわかっている。
その恐怖が起こるのも無理はない。
何が怖いのだろう?
それは神が存在するなら、 自分は存在しえないという恐怖だ。
フリードリッヒ・ニーチェは言っている。
「神が存在するなら、どうして私が存在しえるだろう?
だから私は"神は存在しない"と 決 め る 。
そうしてはじめて 私 があることができる」
何百万もの人々がそのように決めてしまっている。
彼らは自分が残るために神を否定してしまっている。
神が存在しなければ、 自我エゴにも存在する余地がある。
神が存在するなら、どのようにして 自我を支えればよいのだろう?
何によって?
あなたはもはやそこにいなくなる ――それが恐れだ。
神は自我の死だ。
タオを味わうことはできるし、 タオを体験することはできる。
だが、ある条件を満たさなければならない。
あなたはいかなる自我ももたないほど 素朴シンプルにならなければいけない。
"私"という思いが消えるほど 静かにならなければいけない。
タオ、分かたれていないもの、大いなる一者は、相反する二つの存在原理 ――
闇と光、陰と陽を生みだす。
一なるものが二になる――これは道家タオイストがものに取り組む姿勢のまさ
に基盤をなしている。
なぜなら、そこではじめて遊びが生まれるからだ。
ひとつのものは二つにならなければいけない。
そして二つのものは互いに対立しなければならない。
そうしてゲームがはじまる。
古代のヒンドゥー教の聖典は「神は独りだったので、深い孤独感を味わってい
た」と言う。
神は他者をつくることにした。
ヒンドゥー教徒が<存在>はリーラだ、遊戯だと言うのはそのためだ。
神はちょっとした楽しみのために他者をつくりだした。
タオはひとつだが、顕れるやいなや、それは二つにならなければいけない。
形あるものは二元的にならなければいけない。
それはけっしてひとつではなく、二つに――分裂して二つにならなければいけ
ない。
それは物質と意識に、男と女に、昼と夜に、生と死にならなければいけない。
この二つの原理は至るところで目にすることができる。
生は何から何までこの二つの原理で成り立っているが、その二つの原理の背後
には一なるものが隠されている。
この二元性、両極のあいだに巻き込まれたままでいるなら、あなたは世間にと
どまっている。
聡明になって、もう少し意識をとぎ澄まし、もっと深く事物の奥底をのぞき込
むようになったら、
あなたは驚くだろう――これらの両極は実は対立する極ではなく、互いに補い
合っている。
そしてこの両者の背後にはたったひとつのエネルギーがある
――それがタオだ。

タオ、分かたれていないもの、大いなる一者は、
相反する二つの存在原理――闇と光、陰と陽を生みだす。
陰からは受容的な女性原理が現れ、陽からは創造的な男性原理が現れる。
陰からは生命が現れ、陽からは本性が現れる。
基本的に、極性は男と女
――男性的なものと女性的なもの――と名つ゛けることができる。
そのように理解するほうが私たち人間の現実感覚に近い。
それは「肯定と否定」とよんでもいいが、それでは少し距離ができてしまう。
「陰と陽」「シヴァとシャクティ」
「男と女」と呼ぶことで、それは私たちのハートにとても近しいものとなる。
私たちはこういった二元性を知っているからだ。
男は女に惹きつけられ、女は男に惹きつけられる。
ところが一緒になると二人のあいだには喧嘩が絶えなくなる。
別れては暮らせないが、一緒になっても暮らせない。
とてつもない魅力があるが、反発も強烈だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

572避難民のマジレスさん:2019/05/26(日) 23:08:29 ID:LC3de7YgO
>>570
空とかアートマンと同じ感じでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

573鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/27(月) 23:56:44 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、タオもまた観念を超えて行くための観念なのじゃ。
その名前によって定義されるものではなく、ただ無であり、沈黙がその教えとなるものなのじゃ。
自我を超えて観念に囚われなければそれに到達するのじゃ。
そして名前を超えたその本質を了解するのじゃ。

574避難民のマジレスさん:2019/05/28(火) 01:05:46 ID:LC3de7YgO
>>571
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)

恋人と一緒にいると、あなたはどうやって独りになろうかと考えはじめる。
あなたは自由のことを、独りになることを、美や静けさや、そういったすべて
のことを考えはじめる。
ところがいざ独りになると淋しくなって、相手が恋しくなり、愛に満ちた空間
や温もりやあれやこれやを思い浮かべるようになる。
独りになるとそばにいたくなり、一緒にいると独りになりたくなる。
見守ってみるといい。
それはあなたへのすばらしいメッセージだ。
それはただあなたは半分であり、女性も半分であることを告げている。
一緒になると、あなたがたはひとつになる。
だが、そうなると問題が生じてくる。
そのひとつになった瞬間、あなたがたは歓びにあふれ、祝い喜ぶが、 そうなる
と問題が生じてくる。
このひとつになった状態、これは 男のものだろうか女のものだろうか?
どちらが優先的な要素になるのだろう?
それが葛藤だ。
男と女はひとつになりたいのだが、 男はそのひとつの状態のなかで主導権をと
り、女を屈服させ、服従させておきたい。
そして同じ欲望が女の側からも起こる。
男のほうが屈服し、服従すべきだと。
どちらもひとつになりたいのだ が、そのひとつの状態は 私 の も の でなけ
ればならない。
私が男であれば、そのひとつの状態は男のものであり、 女は男のなかに消え去
らなければならない。
私が女であれば、そのひとつの状態は女のものであり、 男は女のなかに消え去
らなければならない。
葛藤、魅惑と反発、人生の悲喜劇のすべてはそこから起こってくる。
女性的な原理は受容的であり、男性的な原理は創造的だ。
そしてどちらも手を携えて進むしかない。
ばらばらでは、どちらもが苦しむことになる。
そうなったら女性には 受け取るものが何もなく、虚しい気持ちになる。
受け取ってくれる相手がいないと、 男性の創造性は失われてしまう。
その価値を認め、励ましてくれる人がいないからだ。
女性は受け取り、励まし、 男性が創造性を発揮するのを助けてくれる。
男性の創造性は 女性が受容性を深めるのを助けてくれる。
この女性の受容性はたんに生物的なものではなく、 霊的スピリチュアルなもの
でもある。
優れた詩人の背後にはいつも 霊感を与えてくれる女性の影が見え隠れする。
女性たちみずからが偉大な詩人だったことはない
――彼女たちにはその必要がない――
だが、 女性なくしては優れた詩はけっして生まれない。
女性は灯台の役目を果たす。
男たちは偉大な詩人ではあったが、女性が いなければ詩はたちまち精彩を失い
しぼんでしまう。
受容性と創造性は鳥の二つの翼だ。
未知なるものへと向かうこの飛翔は、 二つの翼があってはじめてなし遂げら
れる。
翼ひとつでは、鳥はどこにも行けない。
そしていいかね、創造性のほうが 受容性より価値があるというわけではない
――それらは等しい、完全に対等だ。
右の翼のほうが優れているとか、 左の翼のほうが優れているなど といったこ
とはけっしてありえない。
それらは対等だ。
同じではないが、対等だ。
今や女性のハートには創造的になりたい という大きな欲求があるが、それに
はある理由がある。
それは創造性が賛美されているからだ。
ノーベル賞は創造的な人にのみ与えられるものであり、 ごく奥ゆかしい受容性
を示す者たちには与えられない。
さあ、これは醜い状況であり、 創造的になりたいという強迫的な願望をつく
りだす。
なぜなら、受容的な人々はまったく称賛されず、 話題に取りあげられないから
だ。
だから世界中の女性たちが創造的になりたがっている
が、創造的になりたいと思ったとたんに、女性たちは 女らしさ、優美さを失い
はじめる。
女性はどんどん男っぽくなってゆく。
創造性というのは男性的な原理だからだ。 女性はどんどんきつくなってゆく。
彼女はやわらかさ、まろやかさを失い、 ごつごつとしたかどをもち、 闘いは
じめるようになる。
ウーマンリブの活動家が怒鳴っているさまを見てみるといい。
その声を張りあげている様は醜い。
彼女たちの闘いが正しいことはわかるが、 闘うというのは女性にふさわしい道
ではない!
闘いそのものが女らしさを破壊してしまう。
それは違う形で行なわれなければならない。
実のところ、男が女性の平等のために闘うべきだ。
理解力をそなえた人、思慮深い人、知性をそなえた人が、 女性の解放を目指し
た男性の運動をつくりだすべきなのだ。
彼らが闘うべきだ!
それは男が女に押しつけてきた隷属だ―― 男たちはやましさを感じるべきであ
り、 自分たちがやったことをすべて元にもどすべきだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

575避難民のマジレスさん:2019/05/29(水) 07:47:16 ID:LC3de7YgO
>>574
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)

だが、女性が闘いはじめたら―― そして、そうなれば当然、彼女たちは創造
的になって、 絵を描いたり、踊ったり、歌ったり、彫刻をしたり、 作曲をした
りすることを考えはじめる――
彼女は無意識のうちに男のまねをしている。
だが、覚えておきなさい―― 男のまねをする女はつねに二流の男になってし
まう。
それは醜いことだ。
対等であろうとする努力そのものが無駄になってしまう。
女性は一流の女性にしかなれない。
男になろうとすれば、二流の男になる他にない。
男が受容的になろうとしても同じことが起こる。
男は女性がそなえている自然な受容性をもつことができない。
彼は二流の女性になってしまう。
一流であるためには、 みずからの本性に従わなければならない。
けっしてまねをしてはいけない。
みずからの内にある本性に従いなさい。
みずからの内に備わっている本性に従いなさい。
その本性が実現されてはじめて、人は 至福、成就、充足の境地に到り着くか
らだ。
女性は生命、いわゆる生命、 普遍的な現象としての生命を生みだす。
男、すなわち男性的な要素は、人間性を生みだす。
男は部分的であり、女は普遍的だ。
男はものごとの細部にこだわる。
男は専門家になる。だから 男性が主導権を握っている分野はみな、 遅かれ早
かれ細分化してゆくことになる。
科学ではまさにそれが起こっている。
あらゆるものが徐々に細分化されて新しい枝を生じ、 その枝がまた分岐して、
今やことのすべてが 収拾のつかないものになっている。
男はたくさんの知識をつくりだし、 細部にこだわってきたが、今やその知識
から 全体像を組み立てる者はひとりもいない。
どうやって全体をまとめたらいいのか誰にもわからない。
その統合は男性ではなく、 女性を通してはじめて起こりうる。
なぜなら、女性は ものごとを普遍化する原理だからだ。
男性は切り分け、女性はまとめあげる。
それゆえに、女性のほうが男性よりも 宗教を身近なものに感じるし、つねに
男性よりも 宗教に親しみを覚えてきた。
あなたはその事実を観察したことがないかもしれない。
根本的なことは、宗教は 一なるもの、全体性、全一性 という見地でものをと
らえるということだ。
まさにそれがタオだ。 「神」と呼んでもいいし、好きな名前で呼べばいい。
科学は解剖し、分割しつつ゛け、電子、最小の粒子に逢着した。
両者はまったく正反対の方法だ。
宗教はどんどんものをつなぎ合わせていって、 すべてを包含する究極のタオに
到る。
それは究極の統合ユニティだ。
科学はとめどなく分割を続け、ますます専門化してゆく。
彼らによれば、専門化とはより狭い対象に関して、 より多くのことを知ること
だと言う。
聞いた話だが…… 二十五世紀のことだ…ある男が医者を尋ねた。
彼は高齢で、目の調子がおかしかった。
医者は「どちらの目が悪いんですか?」と尋ねた。
すると彼は言った。「右目じゃよ」
医者は言った。「すみませんが、別の医者のところへ行ってください。 私は左
目が専門なものですから」
いずれこういったことが起こるだろう。
それはすでに起こっている。
人間はもはやひとつの統合体ユニティとは見なされていない。
おびただしい数の専門家がいる。
誰も人間を 全体として、全一なるものとしてとらえていない。
それは医学が直面しつつある、医学が目を背けず直視して、 解決策を見いださ
なければならない最大の課題のひとつだ。
なぜなら、患者はひとつの統合体とは見なされていないからだ。
頭の調子が悪ければ、全体から切り離して頭だけが取りあげられる。
アスピリンか何か、ただ薬をちょっと与えるだけでいい。
誰も身体全体のことなど気にかけない。
アスピリンはまず胃にゆき、じかに頭に向かうわけではない。
胃はどうなるのだろう?そんなことは誰も気にとめない。
人間は統合体ユニティだ。
人間を機械のように扱うことはできない。
車の具合がおかしければ、修理工場に行って、部品を交換する。
機械には魂がなく、部品を寄せ集めたものにすぎないからだ。
では、魂とは、何だろう?
魂とは部品の寄せ集め以上のものが そこにあるということだ。
その背後には統合体がある。
現代の医学の前にはこの事実が大きく立ちはだかっている。
なぜなら、これらの科学はどれも男たちが発展させてきたものだからだ。
女性からの影響が欠けている。
女性はつねに普遍化する。
彼女は統合的な見地でものをとらえ、 部分的な見地ではけっしてものをとら
えない。
女性はけっして緻密な計算をしたりしない。それはありえない。
女性は、つねに包括的ホーリスティックな 姿勢でものごとに取り組む。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

576避難民のマジレスさん:2019/05/29(水) 23:48:30 ID:LC3de7YgO
>>575
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)

二十五世紀前に記されたこの言辞 が意味するものはそれだ。
それは現代にも響き合う。
タオ、分かたれていないもの、大いなる一者は、 相反する二つの存在原理――
闇と光、陰と陽を生みだす。
陰からは受容的な女性原理が現れ、陽からは創造的な男性原理が現れる。
陰からは生命が現れ、陽からは本性が現れる。
ひとりひとりの人間のなかには胚胞があるが、 それは受胎の瞬間に命と本性に
分かれる。
人はみな単一の存在、一なるものとしてやってきて、そののちに分裂する。
それはプリズムを通過した光線が七色に分かれるのに似ている。
受胎がプリズムのような働きをして、
ひとつの白い光線が七色に分かれる。
一なるタオは分裂して
二つの相反する極――男と女になる。
いいかね、どの男もたんに男というのではなく、その背後には、彼のなかには
女が隠れている。
女の場合も同じだ。
どちらも両方の性を備えている。
顕在意識が男であれば、無意識は女だ。
顕在意識が女であれば、無意識は男だ。
それはそのようになっている。
そして外側の女性や男性と出会いたいという欲望はかなえられることがない――
内なる男性と内なる女性を出会わせるすべを知らないかぎりは。
外側の女性はいくつかの出会いの一瞥いちべつを与えることしかできない。
それは美しい瞬間ではあるが、大きな代価を払わねばならない。
恋人たちはみな知っている――確かに忘我の瞬間がときにはあるが、それを得
るためには大きな代価を払わねばならない。
みずからの自由を失わなければならないし、
みずからの実存を失わなければならないし、
依存するようにならなければいけない。
人はありとあらゆる妥協をしなければならなくなり、それが傷となって、うずく。
外側の女性や男性との出会いはつかの間のものでしかありえない。
だが、別の出会いがある。
それはタオの秘められたメッセージのひとつだ。
あなたは内なる女性を見いだすことができる――
あなたの意識と無意識が出会い、
あなたの光と闇が出会い、
あなたの大地と空が出会い、
あなたの肯定と否定が出会う場所で。
あなたの内側でその出会いが起こったら、
あなたは全体になっている。
「タオの人」と呼ばれているのはこのことだ。
タオの人は男でもなければ女でもない。
彼はみずからの一なる状態に帰り着いている。
彼は独り(alone)であり、完全にひとつ(all alone)だ。
老子は男とも呼べないし女とも呼べない。
仏陀は男とも呼べないし女とも呼べない。
イエスは男とも呼べないし女とも呼べない。
生物学的には男だが、 霊的な観点から見るとそうではない。
霊性のうえでは、彼らは両者を超えている。
仏陀の内側には無意識がなく、 分割がない。
彼は 分割されていない。
分割がなくなると、内なる葛藤はすべてやんでしまう。
分割があると、人は 絶 え ざ る 内乱状態にあり、 外側の女性と争うだけで
なく、内なる女性とも 絶えず闘いつつ゛けることになる。
あなたも身に覚えがあるだろう。
泣き出したくなる瞬間がやってきても、内なる女性は涙を流すことをためら
わないが、 男のほうがそれを止めてしまう。
内なる男が言う。
「おい、何をやってんだ?気は確かかい?他人に女々しくなったと思われるぞ。
泣いてはいけない!君のような男にはふさわしくないぞ。女が泣くのは かま
わない、好きなだけ泣きわめかせておけばいい。でも、君は表情を変えず、厳
しく 、いかめしい態度を取り、弱みを見せてはいけない。涙を押さえるんだ!」
こうして闘いがはじまる。
同じことが女性にも起こる。
あなたは樹に登りたい。その樹はとても美しく、 雲と戯れんばかりに高くそび
えている。
誰だって登りたくなる。
ところが、あなたの内なる女性が言う。
「待って!登ってもいいのは男の人だけよ、 あなたはだめ。あなたは女でしょ
う。女にとって何がふさわしく、何がふさわしくない か考えなきゃだめよ。
一定の行儀作法、エチケットに従わなきゃいけないわ」
――そこであなたは我慢する。
これが絶え間なくつつ゛いてゆく。
男は女の側面を抑え、女は男の側面を抑えてゆくが、 やがて抑圧された部分が
微妙な仕方で復讐をはじめる。
それは裏口から入ってきて、あなたを毒するようになる。
女性が非常にかたくなで、冷酷になり、小言を言って、くってかかり 、醜くな
る瞬間があるが、それは男が復讐しているということだ。
樹に登ることはきっとすばらしいことだったのに、 あなたはそれを抑え込ん
だ。
今度は男が裏口から入ってきて、あなたは 夫や子どもに向かって金切り声を張
りあげたり 、ものを投げつけたりしはじめる。
さあ、これは醜いことであり、病的な振る舞いだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

577鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/29(水) 23:52:22 ID:1d4drIFg0
女性的であるもの、受動性の極致がタオの求める境地なのじゃ。
それは既に無我にも近いものじゃ。
自我が無ければ全てを受け容れるのであるからのう。
それが真の宗教的なあり方なのじゃ。

578避難民のマジレスさん:2019/05/31(金) 05:14:38 ID:LC3de7YgO
>>576
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)

泣けばよかったのだ。
涙は生の一部だから美しい。
泣けばよかったのだ。
その涙を隠す必要などなかった。
涙を隠せば、笑うこともできなくなる。
あなたはいつも恐れるようになる――
笑い過ぎたら、笑いによって緊張がすっかり解けて、 抑圧された涙がこみあげ
てくるかもしれない。
ニーチェは「私が笑うのは涙を隠しておくためだ。笑わなければ 泣きだしてし
まうかもしれない。私はそれを恐れる」と言った。
さあ、これはひとつの面にすぎない。
人は微笑みを絶やさずにいることができる。
それは本当の笑いではない。
人は微笑みを絶やさずにいることができる――それは社交上の駆け引きだ。
そうすれば目から涙があふれそう になっているのを誰にも気つ゛かれないで
すむ。
人々はあなたの微笑みに気を取られてしまい、あなたの目には気つ゛かない。
これはひとつの方法だ。
もうひとつは笑うどころか、微笑さえ浮かべず、岩のように固い表情をすると
いう やり方だ。
他人には鋼鉄の男だと思わせておけばよい。
これが「スターリン」という 言葉の意味だ――鋼鉄の男。
スターリンは一度も笑わなかったと伝えられている。
鋼鉄の男――その彼がどうして笑えるだろう?
鋼鉄の男は笑えない。
だが、これは醜いことであり、機械のようになることだ。
それでは人間らしさを失ってしまう。
人は偽物、まがいものになるか、岩のようにかたくなり、 堅い殻をつくりあげ
て、絶えず自分を抑制していなければならない。
タオは、みずからの実存の両極を否定する必要はないと言う。
それを受け容れなさい。 それはあなただ! そのどちらの光線もあなただ。
それらを出会わせ、融け合わさせなさい!
それらをともに踊らせなさい!
再び一なるもの―― タオ、分割されざるもの、大いなる一者―― の洞察を
得ることができるように、 それらを深く融合させなさい。
個々の人間のなかで、それらは二つの極――アニマとアニムスによって表される。 この二つは生涯にわたって争い、主導権を求めて闘いをくり広げる。
主導権を求めて闘うのを止めなさい!
それはあなたの内なる政争だ。
どちらもけっして主導権をとることはできない。
どちらも必要であり、対等に求められる。
それらは正反対なので、
両者を受け容れるのはひじょうにむずかしい――論理の上では
両者を受け容れるのはひじょうにむずかしいが、それでも両方を受け容れなさ
い。
論理は生には当てはまらない。
生にもっと当てはまるのは、弁証法として知られるものだ。
論理は生には当てはまらない。論理は直線的だ。それは両極を含んでいない。
タオは「両極はつねにそこにあり、並んで走っている」と言う。
そのプロセスは論理的ではなく弁証法的だ。
正の命題テーゼには、反の命題アンチテーゼが立ちはだかる。
男には女が立ちはだかり、この対立、この葛藤、この挑戦から、エネルギーが
解き放たれる。
そして、そのエネルギーは、あなたが愚か者なら浪費されるし、あなたが賢け
れば蓄えられる。
浪費されれば、あなたは絶え間のない葛藤、内乱を味わい続けることになる。
あなたの生は分裂症になってしまう。
あるいは、あなたが知性をそなえ、親しみを込めた深い抱擁のなかで相反する
ものを包含するすべを知っていたなら、 反の命題に対立した正の命題は、 あな
たの実存のなかに新しい現象 ――"合の命題ジンテーゼ(統合)"を生みだす。
あなたはより高い次元に上昇する。
あなたはより深い形で統合される。
そして再びその合の命題が 正の命題として働いて、 反の命題を生み出し、
再びより高い次元で合の命題(統合)が生まれる。
それがどこまでも続いてゆき、 波の上に波が重なり、 どんどん高まってゆ
く。
続々と新たな次元が開かれ、 人は進み続けることができる。
究極の次元は、あなたの生の全面的な統合だ。
いっさいの葛藤が消え失せる―― 落とそうとしなくても、 ひとりでに消え失
せる。
これがタオ、<道>、 分割されざるもの、 大いなる一者だ。
生命エネルギーが下方に向かって流れれば、すなわち、何の障害もなく外界に
向かって 流れ出せば、アニマがアニムスに打ち勝ち、黄金の華は開かない。
エネルギーが下へ、すなわち外に向かって流れると、
再び同じものを生みだす力、生殖力になる。
それは大いなる現象だ!
あなたはそのようにして生まれた。
誰もが――仏陀やイエスやクリシュナのような人たちもみなそのようにして生
まれた。

エネルギーが下に向かって流れると、それは新しい人間を、神が宿る新しい形
をつくりだす。
だが、黄金の華は開かない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

579鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/05/31(金) 23:01:58 ID:1d4drIFg0
タオもまた分割されていないものを説くのじゃ。
統一されたものであり、気付く意識であるものに心の中を追求して至るのじゃ。
全てが私に還り、私も無に還っていくのじゃ。
アートマンであり、ブラフマンであり、タオでり、意識であるものだけが在ると知れるのじゃ。

580避難民のマジレスさん:2019/05/31(金) 23:31:05 ID:LC3de7YgO
>>578
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)

あなたは別の人間――子ども、すばらしい子どもをつくりだす。
生は続き、生は流転を続け、どこまでも流れ続けるが、それでは黄金の華は開
花することができない。
黄金の華はどのようにして花開くのだろう?

生命エネルギーが逆流のプロセスによって導かれたら、 すなわち蓄えられ、散
らされずに上昇させられたなら、 アニムスが勝利をおさめている。
可能性は二つある。
下に向かって流れるエネルギーは性欲になり、
上に向かって流れるエネルギーは霊性になる。
下に向かって流れるエネルギーは生殖力になり、
上に向かって流れるエネルギーは創造力になる。
下に向かって流れるエネルギーは新しい生命を生みだし、
上に向かって流れるエネルギーは あ な た を再誕生させる。
イエスが「再び生まれ変わらないかぎり」――父や母からではなく、
みずから上昇する働きによって生まれないかぎり、
ドウィジャ、"二度生まれし者"とならないかぎり
――「私の神の王国に入ることはできない」と言うとき、
彼が言おうとしているのはそのことだ。
黄金の華は、あなたの実存の最高の頂で待ち受けている。
ヨーガの見取り図では、それは「サハスラーラ」
―― 一千枚の花弁をもつ蓮華 ――と呼ばれている。
それは第七番目のチャクラであり、頭のなかにある。
最も低いのは性のチャクラ、ムラダーラであり、
最も高いのは第七のチャクラ、サハスラーラだ。
エネルギーがいちばん低いチャクラから下降すると、新しい生命が生まれる。
エネルギーが蓄えられ、上昇させられると、いつかそれはサハスラーラに達し、
そして黄金の華が花開く。
もちろん、それにはエネルギーが必要だ。
それはひとつの可能性として、潜在力として、そこに潜んでいるにすぎない。
エネルギーが供給されないかぎり、それは開花することができない。
それは樹に水をやらないのと同じだ。
樹は待ち望んでいるのに、水をもらえない。
樹液は上に向かって流れてゆかない。
どうして数限りない花を咲かせることができるだろう?
できるはずがない。
樹は苦しみ続け、ほとんど枯れそうになっている。
樹はゆっくりと死んでゆくだろう。
葉も一枚ずつしおれてゆき、やがて枝が枯れてゆき、最後には根が死んでゆく。
樹には絶えず上に向かって流れてゆくエネルギーが必要だ。
樹液は樹のなかを巡るが、人間もまた樹になぞらえることができる。
そして人間を樹になぞらえる私の比喩は新しいものではない。
それは最古の象徴のひとつだ。
それはユダヤ教の神秘的な流派スクールのなかで用いられてきた。
それは「生命の樹」と呼ばれる。
仏教が禅においてその頂点を極め、イスラム教がスーフィ―においてその絶頂
に達したように、ユダヤ教はカバラにおいてその究極の頂に到達した。
カバラは「人間は樹であり、花を咲かせるためには膨大なエネルギーが必要だ」
と言う。
だが、エネルギーを蓄えるということは、エネルギーを抑えることではないと
いうことを覚えておきなさい。
多くの人々がここで道を誤ってしまう。
エネルギーを蓄えることは、エネルギーを抑えることではない。
そのプロセスはまったく違う。
抑圧するということは、最も低いセンターを絶えず抑えつけているということ
だ。
最も低いセンターを抑圧し過ぎると、性の倒錯が起こる。
それが自然に解放されるのを許さず、いちばん低いセンターにエネルギーが溜
まり過ぎると、それはなんらかのはけ口を見いだして性的な倒錯を引き起こす
恐れがある。
それは必ず倒錯を引き起こす!
それは病気をつくりだす。
精神科医、心理学者、精神分析家に尋ねてみるといい。
彼らは「心理的な病が百例あるなら、そのうちの九十五パーセントはセックス
に起因している。どこかでセックスが関連している」と言うだろう。
九十五パーセントというのはかなりの数だ。
そして精神科医や精神分析家のもとを一度も尋ねたことがない人たちもけっし
てましな立場にいるわけではない。
誰もが抑圧されている。
抑圧は変容ではない。
このことをはっきりと理解しておきなさい!
抑圧が変容に通じることは絶対にありえない。
では、変容とは何だろう?
そしてエネルギーの蓄積とは何だろう?
エネルギーを蓄えるというのが 瞑想的なプロセスだ。
それは道徳家になることではない。
私はこのうえもない助けとなる ささやかな技法をやってみることを勧める。
それは昔からずっと道家の人々によって用いられてきた。

それは師から弟子にのみ伝えられてきたものであり、
それゆえに書物に記されたことはなかった。
だが、今や公開されるべき時がきた。
なぜなら、今や何百万もの人々が 書物を通して霊的な探求に取り組んでいる
からだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

581避難民のマジレスさん:2019/06/01(土) 13:15:51 ID:LC3de7YgO
>>580
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)

師はいつも得られるものではない。
これはあなたのエネルギーを変容させ、 上に導いてゆくための単純な技法だ。
そしていつも覚えておきなさい――道家の技法はごく単純だが、 「こんなに単
純なことが、どうしてそんなに大切なのだろう?」 などと思わないように。
それを実際に行ない、 試してみれば、あなたにもわかるだろう。
これがそのやり方だ……
少なくとも一日に二度は―― 最良の時間は早朝、ベッドから出る直前だ。
頭がはっきりし、目が覚めてきたと感じたら、二十分間それをやりなさい。
朝、何よりもまず最初にそれをやりなさい!
ベッドから出てはいけない。
そこでそれをやりなさい。
その場でただちにやりなさい!
なぜなら、眠りから出てこようとしているとき、 あなたはひじょうに繊細で、
受容的になっているからだ。
眠りから出てこようとしているとき、あなたは すがすがしく、いきいきとして
いるから、 影響はひじょうに深く浸透してゆく。
眠りから覚めたばかりのとき、あなたは あまり頭マインドのなかにいない。
だからすきまギャップがそこにあり、そこから この技法があなたの内奥の核ま
で 浸透してゆくことができる。
そして早朝、あなたが目覚めようとし、大地全体が目覚めつつあるときには、
大いなる覚醒のエネルギーの潮流うしおが 至るところを取り巻いている。
その潮流を使いなさい。
その機会を逃がしてはいけない。
古代の宗教はみな、早朝、 日が昇るときに祈りを捧げたものだ。
なぜなら、日の出とともに、大自然の すべてのエネルギーが上昇してゆくか
らだ。
その瞬間、あなたは上昇してゆく エネルギーの波に楽々と乗ることができる。
そのほうがやさしい。
夕方になると、それはむずかしくなる。
エネルギーが後退してゆくので、流れに 逆らって闘わなければならなくなる

朝のうちは流れとともに進んでゆくことができる。
だから、早朝、半睡状態でまどろんでいるとき、 ただちにその場ではじめるの
がいちばんいい。
そして手順はとても簡単だ。
姿勢を変える必要はないし、ヨガアーサナもいらない。
沐浴しなくてもいいし、何もいらない。
あなたは仰向けになったまま、 ただベッドに横たわっていればいい。
目は閉じたままにしておく。
息を吸うときには、大いなる光が頭から 入って来るようにまざまざと思い浮
かべる―― まるで太陽が頭のすぐそばに昇ってきたかのように。
黄金の光があなたの頭のなかに差し込んでくる。
あなたは中空であり、 黄金の光はあなたの頭のなかに差し込んできて、 どん
どん深く深く浸透し、芯までうるおすと、 あなたの爪先から出てゆく。
息を吸うときには、このような 視覚化をしながら吸いなさい。
息を吐くときには、別のことを思い浮かべなさい――
闇が爪先から入って来る、暗黒の大河が爪先から 入ってきて、上に昇り、頭か
ら出てゆく。
まざまざと思い浮かべることができるよう に、ゆっくりと、深く息をするがい
い。
ごくゆっくりとやりなさい。
眠りから覚めたばかりのときは、 ひじょうに深い、ゆったりとした 呼吸をす
ることができる。
身体が休息を取り、くつろいでいるからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

582避難民のマジレスさん:2019/06/01(土) 13:23:59 ID:LC3de7YgO
>>581
いよいよ、あと一回で「黄金の華の秘密」も終りである。
講読会で取り上げてきた書物は読み流すことのできないものばかりであるが、
そこで語られてる言葉は、実践が通して実感できなければ意味のない言葉なのでありまましょう。
実践としてくまは、できるだけ常に意識を内側にむけるようにしているであります。
(´・(ェ)・`)つ

583避難民のマジレスさん:2019/06/01(土) 23:46:46 ID:LC3de7YgO
>>581
61黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)

もう一度くり返そう―― 息を吸うときには、黄金の光を 頭から入ってこさせ
るようにする。
黄金の華はそこで待ち受けているからだ。 この黄金の光は助けになる。
それは全身を洗い清め、創造力を すみずみにまでゆき渡らせる。
これは男性的なエネルギーだ。
そして息を吐くときには、想像しうる最も 暗い闇を、闇夜のような、川のよ
うな 暗闇を爪先から昇らせ――
これは女性的なエネルギーであり、 あなたをなだめ、 あなたを受容的にさ
せ、 あなたを落ち着かせ、 あなたを休ませる――
そして頭から出てゆかせなさい。
そして再び息を吸い、黄金の光を入ってこさせる。
朝早く、これを二十分間やりなさい。
次によい時間は、夜、再び眠りにつくときだ。
ベッドに横になり、しばらく力を脱いてくつろぐ。
今や眠りと目覚めのあいだを行ったり来たりしている。
ちょうどその只なかにいると感じはじめたら、 プロセスを再び開始して、二十
分間続けなさい。
それをやりながら眠ってしまうのがいちばんいい。
なぜなら、その影響は潜在意識のなかに とどまり、作用しつつ゛けるからだ

三ヶ月経つと、あなたは驚くことだろう。
ムラダーラ、最も低い性の中枢に絶えず集まってきていた エネルギーは、もは
やそこにとどまってはいない。
それは上に向かってゆく。
先日、ある人が質問をよこした。
彼はこう言っている。
「私はここで、他のどこでも見かけたことがないほどの 飛びっきりの美人に会
いましたが、性的な匂いは少しも感じません」
どうしてそうなるのだろう?
確かに彼の観察は正しい。
深く瞑想すれば、あなたは 性的な香りをふりまかなくなる。
そこには違う種類の美がそなわる ようになり、性を刺激するものではなくなる

それは霊性の香りを放つようになる。
それは情欲の粗雑さではなく、 繊細な優美さをそなえるようになる。
セックスはあなたの梯子の最下段であり、粗雑だ。
エネルギーが上昇すると、まったく異なる種類の 美と優しさがあなたのなかに
湧き起こってくる。
それは聖なるものだ。
肉体性は希薄になり、 霊性の密度が増してゆく。
三ヶ月間、この単純な技法をやれば、驚くだろう。
抑圧する必要はない。
変容が起こりはじめている。
生涯を通じて生命エネルギーを蓄える道を守る者は、 黄金の華の境地に到達す
るだろう。
生涯にわたってこれをやり続けることができたら、いつの日かそれが起こる。
呂祖師は、あなたが忍耐強くあり続けるように、
生涯を通じて……と言っている。
それはいつでも起こりうる。
それは今日起こるかもしれないし、明日起こるかもしれないし、明後日に起こ
るかもしれない。
それはあなたがどれだけ強烈に、誠意を込めて働きかけるかに、どれだけ強い
憧れをもち、どれだけ全一に入ってゆくかにかかっている。
あなたのなかで黄金の華が咲くその日、覚者の境地ブッダフッドが開かれる。
あなたはありうる最も偉大な宝を獲得した。

生涯を通じて生命エネルギーを蓄える道を守る者は、 黄金の華の境地に到達す
るだろう。
そこで自己は対立物の葛藤から解き放たれ、 再びタオ、分かたれていないもの
、大いなる一者と ひとつになる。
タオからタオへ、一なる者から一なる者へ――
プロティノスはそれを"一者から一者への飛翔"と言う。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

584鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/01(土) 23:47:16 ID:1d4drIFg0
↑ご苦労さんなのじゃ。

精力のエネルギーを気に変えて頭頂に導くのが小周天の原理なのじゃ。
それは抑圧ではなく解放なのじゃ。
無理にするものではなく自然に流れが習慣化していくのを待つのじゃ。
そうすれば肉体は蘇り、サマーディにも至るのじゃ。

585避難民のマジレスさん:2019/06/02(日) 00:03:04 ID:LC3de7YgO
昨年10月17日から読んでまいりたした「黄金の華の秘密」、本日終了であります。
OSHOの本をもっと読めならいいなと思いますので、またいつか、ネット上でひろえたら、講読会で取り上げたいと思います。

明日からは、
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
の講読会をはじめます。
鬼和尚、みなさま、よろしくお願いします。
(´・(ェ)・`)つ

586避難民のマジレスさん:2019/06/02(日) 07:23:14 ID:LC3de7YgO
>>585
1「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

序章:愛と無の祝祭

―あなたは愛、あなたは無の踊り手

 すべてが始まる以前、あなたは「純粋の意識」そのものとして存在していた。
 愛の中で完全に満ち足りた愛そのもの、  
 気づきを伴った空間そのもの、
 安らぎ以上の平安そのものであった。

 あなたの本質は映像が映し出される映画のスクリーンと同じもの。
あなたは英知の輝き、宇宙の創造者に「創造するという概念」を与えた人だ。
 忘れることができることは全て忘れて、決して忘れることができないそのも
のとしてのあなた自身を知りなさい。
 あなたはその上で全ての物事が起こる基盤だ、ただ起こらせなさい。
あなたは今、この瞬間そのもの、
この今から逃れられる私が存在するだろうか?
 あなたが真理そのものであり、唯一存在するのは真理だけだ。

 あなたの本質は無活動。
 太陽が無活動であるように本質は不動だ。
 活動は思考の投影から起こるもの。
 あなたのドラマ、あなたの世界。

 あなたは貴重なこの瞬間、現存そのもの。
あなたに触れたそよ風は悪魔でさえ神聖にする力を授けられる。 

  あなたは対象やアイデアに気づいている自分に気づいているそのものだ。
あなたは気づきよりももっともっと静かなそのものだ。 
あなたは命、そこから命という概念が生み出される。
 あなたの本質は静寂そのもので、それを手に入れることはできない
それは常に存在しているのだから。

 あなたはまず空間という概念を作り出した。
そして存在・意識・至福という姿をとった。
「世界」というのはあなたの*1マインドが生み出したもの、
 全てはあなたの*2ハートから、核心から、無から、起こって来る。
  
 今、ここに存在するのがあなたのハート。  
 このハートの祠の中であなたは愛として留まっている。
  そこから時間と空間が生み出される。

  あなたは内側、外側という概念を持たない内側にいる。
 マインドがどこにも存在しないところが内側、壁が存在しないところが内側。
 全てのアトムにあなたは存在している。
  このことを知った時、あなたは至福に満たされる。
  
 あなたは無そのもの、究極の実体、
無から無と言う概念を取り除いて無だけを残しなさい
 無を超えるものは何もないのだから。
  全ては無から現れ、無の中で踊り、無に帰っていく。
 波が海から起こり海の上で踊り海に帰っていくように
 あなたはこの無の踊り手だ。
  この無から外れて存在するものは何もない故に
 無は全てを含んで満ち満ちている。
 存在と無存在の間に無は存在する。
  自由であるためには、この安らぎに満ちた無が 
あなたの基盤であるという確信が必要だ。

 あなたの中ですべての出来事が起こる。
起るべきことは起こるのだから安らぎに満ちて影響されずにいなさい。
 平和に満ちていなさい、そうするとこの平和が外に広がっていく。
平和から生まれるものは平和、混乱から生まれるものは混乱。
 だから平和でいなさい、この平和を宇宙に奉げなさい。
これが唯一あなたがすべきことだ。
「私は平和だ」と考えることでさえこの平和を乱してしまう。
 だからただ静かにしていなさい、あなたの「在るがまま」でいなさい。

 あなたは「在る」ことであり、「在り続けた」でもなければ、
「在り続けるだろう」でもない。
 あなたは死に侵されない永遠性、
そこには時間が存在しないので死も存在しない。
そのまさに永遠性というのは今、この瞬間のことだ、それが「在る」ということ
だ。

 単に「在る」ということはいつも輝いた存在だ。
 私自身、これが存在の光だ。
   このダイヤモンドの光は隠しおおせるものではない。
  マインドが存在しない時、
  あなたの顔は美と無垢で光り輝く。
   ただ静かにして、あなたのあるがままでいなさい。
  
用語解説
*1 マインド 思考の集合体。

*2 ハート  心臓や心という意味ではなく、源泉、センターという意味。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

587避難民のマジレスさん:2019/06/02(日) 18:47:44 ID:Zjqr/UEo0
>>585 お疲れ様でした!
貴重な文献を鬼和尚さまの解説で読むことができました。
ありがとうございます。引き続き講読会、楽しみにしています。

588避難民のマジレスさん:2019/06/02(日) 22:28:38 ID:LC3de7YgO
>>586
パパジは、「静かにしていなさい」と繰り返し言うのである。
最初は、静かにするにはどうしたらよいのでしょうか?
と聞きたくなったのであるが、
読み進むと何となく、わかってくるような気がしてきたのである。
(´・(ェ)・`)つ

589鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/02(日) 22:37:25 ID:1d4drIFg0
>>585 ご苦労さんだったのじゃ。
 正に菩薩の行ないじゃ。
 またよろしくなのじゃ。

この書はひたすら集中を訓練することではなく、気の操作によってサマーディにまで一気に到達させる方法を示したものなのじゃ。
クンダリニー・ヨーガと同じ人体のエネルギーを使う法なのじゃ。
気の感覚が分かり、精神集中だけでは効果が上がらない者には福音となる書なのじゃ。
しかし、サマーディから先に行くにはやはり精神の修練も必要なのじゃ。
その部分にタオの実践が必要なのじゃ。
それが還虚合道なのじゃ。

590避難民のマジレスさん:2019/06/02(日) 22:45:40 ID:LC3de7YgO
>>589
鬼和尚、ありがとうでありま。
今後ともよろしくお願いしするであります。
(´・(ェ)・`)つ

591避難民のマジレスさん:2019/06/02(日) 22:47:27 ID:LC3de7YgO
>>586
1「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)

〜SRI H.W.L.POONJA

序章:愛と無の祝祭(つづき)

   あなたは空間、決して移動進行することの無い空間。
  内側の空間、外側の空間という区別は名前と形のために生じる。
   いかなる対象物、考え、行動に対する執着を取り除くことによって
  この名前、形という概念を取り除きなさい。

  あなたはすでに喜びの園にいるのだから、
  幸せである為にあなた以外に誰も必要としない。
   過去のことに思い巡らすと悲しくなると言うのなら
  この「今」に帰ってきなさい。

   この喜びのこの瞬間が過去の記憶や苦しみを消し去ることができる。
  なぜならこの瞬間こそが幸福のありかなのだから。
  だから苦しむ為に過去の記憶に戻ると言うのはまさに馬鹿げている。
  
   条件付けのない意識が幸福と静けさをもたらす。
  この静寂は時間や空間とは何の関係もない、「今」に存在する。
   思考によって条件付けされた幸福はマインドの幸福だ。
  最初の条件付けである「私」は幸福の妨げになる。
  エゴの欲望と期待によって幸せな人は誰もいない。
   だから幸福を望むなら、考えないこと、欲望を持たないこと。
  ただ静かにしていなさい、考えることは暗い墓場にいることだ。
  幸福であるためには一切何も保持しないことだ、
   さもないとあなたのポケットから死んだ魚のような悪臭が漂うだろう。
  親愛なる友よ、幸福は体験ではない、あなたの本質なのだから
  そのために何もする必要はない。

   幸福は私の本性だという真の知識が幸福をもたらすのだ。

   ここ、ここに美酒があるのに誰も知らない。
  全てがここにある、これが意識だ。
  意識がこの宇宙の全ての基盤だ。
   「それ」、即ちあなたは全ての分子、アトムに存在する、
  時間や空間でさえ「それ」がその存在を与えるのだ。
   あなたが肉体やマインドの服を着ていると誰が気づいているのか、
  誕生や死の繰り返しがこの同じ意識の中で起こっていると誰が意識しているの
か?
   あなたが「それ」だ。
  すべての活動や無活動、多様性や一体性、これらはすべて意識の中に存在する。
  束縛はこのことを否定することであり、自由はそれを知っていることだ。
   あなたはそれだ、あなたはその意識だ
  
   意識、
  感覚では捉えることができない。
  頭では理解することができない。
  意識だけがいたるところに存在する。 
   それがあなたの内に「私」として湧き上がって来る
  それは太陽の輝き、地球の自転だ。
  それは空間と時間を超えたもの。
   逆に時間と空間は意識から生まれて来るのだ。
 マインドで真理を探そうと努力するなら
 それを見逃してしまうだろう。
 これらのマインドの試みが動きとなり、雲となり、その不動性を隠してしまうか
らだ。
 思考が止まった時に、それはそれ自身の姿を現す。
  一瞬だけで良い、思考の動きを止めなさい。
  一秒だけで良い、全ての欲望、全ての思考を止めなさい。
  一瞬だけで良い、「私が」という考えを捨てなさい。
   そうすればあなたは誕生と死という輪廻から永久に越えられる。
  この輪廻が*3サンサーラ、あなた自身の想像のたまもの。
  誕生も始まりも死も存在しない。
   真の知識によってのみこの輪廻を止めることができる。
  「私は一体誰なのか?」
  この自問がこの輪廻を止めることができる。
   だから決心しなさい。
  人間としてのこの生はすばらしい祝福だ、決して無駄にしないことだ。
   延期することはサンサーラ、苦しみの繰り返しだ。
  あなたが困った時にはいつでも、「私は夢を見ているのか?」と自問しなさい。
  これは「私は誰か?」という質問と同じことで夢から覚めることが出来る。
   そして、あなたはあなたの真我と恋に落ちるだろう。
  その時初めて「他人」を知ることになる。
  この知識の光をあなたがどこにいようとも燈し続けなさい。
  
   静かにしていなさい、考えないでいなさい、努力しないこと。
  束縛されるには努力が必要だが、自由であるためには努力はいらない。
   心の平安は思考と努力を超えたところにある。
  思考と努力がそれを隠して、決してそれを明らかにすることはできない。
   このために静かにしていることが愛と平和の宝庫を開ける鍵となる。
   
用語解説
*3 サンサーラ 個人が解放されるまで繰り返される生と死のサイクル。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

592鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/04(火) 00:08:43 ID:1d4drIFg0
自我の在る者は過去の記憶から悲しみや怒り寂しさなどに苦しめられるのじゃ。
そしてそれらを未来にも続くであろうと認識するから不安になるのじゃ。
過去の記憶に囚われず、記憶を未来に投射せずに今ここにあれば誰でも幸福になれるのじゃ。
それが本来の意識なのじゃ。

593避難民のマジレスさん:2019/06/04(火) 05:09:34 ID:LC3de7YgO
>>591
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

序章:愛と無の祝祭
   
   この静けさがノーマインド、この無思考が自由だ。
  何もないこと、この静けさにあなた自身を一体化させなさい。
   しかし注意しなければならないことは、それを経験にしないことだ。
  経験は「観察者と観察されるもの」という二元性を持つマインドの罠で
  それから遠ざけてしまうからだ。
   「ただ在ること」は「ただ在ること」だ、観察者や観察されるものは存在しない。
  「私は自由だ」という経験は、「私は束縛されている」という経験と全く同じマインドの罠だ。
   対象を手放したあとは主体も手放しなさい。
  全てを手放して、静かにしていなさい。

   人生の目的は平和でいること、
  全ての生き物を愛すること、自分が誰かを知ること。
  あなたの本性を知れば全てを知ることになる。
   この潔癖な知識のみ、無のみが存在する。
  限界のない無からどのようにして抜け出すのか。
  名前、形の様相はこの無の戯れだ。
   今、ここで、ただ静かにして、あなたは一体誰なのかを知りなさい。

   あなたはこの瞬間に存在する、「これ」に自己紹介しなさい。
  マインドをいろいろな方面に向けないことだ。
   修行なし、過去なし、未来なし、
  あなたのハートの中の無も、空間でさえ存在しない。
  永遠に自由であるために、この一瞬に向かって自己紹介しなさい。
   この瞬間はいつもこの瞬間だ。それは不変だ。
  マインドと概念から自由になることが本当の自由だ。

   自由はあなたの基本的に持って生まれた権利だ。
  この瞬間を最も有効に使うにはその中に溺れてしまうことだ.
   静かにしていなさい、あなたは内側の内側にいる、
  どこにも定着しないで、努力するのをやめなさい。
  努力と修行の概念は束縛になる。
   ただ静かにしていなさい、
  どこにいようとも、ただ静かにしていなさい。

   名前と形というものが事の本質を隠してしまう。
  これが教訓だ。
  名前と形に囚われることは、自由への障害になる。
  あなたの基盤である意識がそれに覆われて見ることができないからだ。
  馬の彫像といえば目は素材のグラナイトを見ることができない。
  指輪を見なさい、それを作っている素材のゴールドは見ることはできない。
  ゴールド無しに指輪が成り立たないように  
  名前と形は意識を離れて存在することはない。

   波が起こる以前は静かな海であった、欲望が起る前は無であった。
  切望や束縛を壊しなさい。
  経験者ではなく経験している、見る人ではなく見ているに同一化することによ
って
  それらを破壊しなさい。
   あなたは意識そのものであつて、意識がある「人」ではないのだから。
  自由であるためには自由のように振舞いなさい。
   自由とは欲望がないことだ。
  すべては無欲の状態の中で知ることができる。
  何も所有したくないのならポケットはいらない。
 過去は過去なのだから記憶というポケットに入れて持ち歩かないことだ。
  自分は生きていると知っていながらどうして過去という墓場に入ろうとする
のか。
  一時的なものには執着しないで、あなたの絶対的な真我に執着しなさい。

   あなたが執着した全てのもの、あなたが愛した全てのもの、
  あなたが知っている全てのものは、いつか消え去ってしまう。
   このことを知った上で、世界は自分のマインドが創り出し
  その中で演じて、苦しんでいるだけなのだと分別しなさい。
   真理か、そうでないか識別しなさい。
  既知は真理ではないので来ては去っていく、
  未知は変わらない真理だ、それと一緒にいなさい。
  現れては消え去る全てのものは実在しないのと同じだ。
   それらから蜜の甘さは味わえないのだから、執着するのはやめなさい。
  そして、いったん手放したら、もう二度と取り戻そうとしないことだ。
   永遠にあなた自身の存在の中に留まりなさい。

   真理は不動だ。行ったり来たりはない。
  エゴの混乱、動揺が全宇宙の混乱を創り出す。
   しかし、真理は不動だ。
  このエゴがどこから、どのようにして生まれて来るのか注意深く見てごらん。
  「私」というのは単なる親から社会からの条件付けの集まりだ。
  習癖の集まりにすぎない。
   個人というのは本当の私がエゴという着物を着ているようなものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

594鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/04(火) 22:49:49 ID:1d4drIFg0
名前と形はインドではナーマ、ルーパというのじゃ。
伝統的な分類による観念の要素なのじゃ。
記憶に拠って人は名前と形で全ての物事を認識しているのじゃ。
自分も名前と形で認識しているのじゃ。
それも記憶に依存したものであるから謬見となるのじや。

595避難民のマジレスさん:2019/06/05(水) 04:55:19 ID:LC3de7YgO
>>593
1「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

序章:愛と無の祝祭(つづき)

  個人というエゴを捨てなさい。
  エゴはそれが問題だという、
  神はそれは問題ではないと言う。
   全てが至高の力に支配されているのだから
  エゴの決定力は幻想にすぎない。
   全能に直面しなさい。

  降伏するとはあなたのエゴを、個別性という概念を明け渡すことだ。
  降伏するとはあなたの馬鹿さ加減、邪悪さを
  存在の意志に明け渡すことだ。
  それだけのことだ。
   川が海に流れ込むように降伏しなければならない。
  降伏とは「あなた」という川の分離感が
  海の中に流れ込んで、川であるという限界が無くなってしまうことだ。
   そして、起こることは起こるがままにすることだ。

  空間に降伏しなさい。
 真の知識でエゴを溶かしなさい。
  自問という乗物に乗って愛と崇拝と一緒に
 あなたの真我に、静かに内側に入っていきなさい。
  この自問はすべての努力を捨てるということだ 
 静かに、静かに入っていきなさい、小さな思いつきでさえ大きな雑音となる。
 静かにしていなさい。
 静かにしていなければならないのはエゴであって、あなたはそのエゴではないと知りなさい。
  この沈黙は話をする、しないとは全く関係が無い、
 マインドの中に一つの思考も湧き上がらない状態を沈黙と言うのだ。
  静かにしていなさい。
 考えるのを止めなさい。
 努力するのを止めなさい。
 
  この何も無いこと、この静けさにあなた自身を一体化させなさい。
 そこには「獲得」するものは何も無い。
  源泉の本性は耕して栽培してその実を得るというものではない。
 あなたは意識で農夫ではないからだ。
  既にそのものなのだから
 どうしてそのものになろうと努力する必要があるだろう。
  社会から押しつけられた束縛から逃れようと努力することは、
 押しつけられた自由を獲得するのと同じことだ。
  
 あなたはものや考えに気づいていることに気づいている「それ」だ。
  気づきとは、「対象に気づいている自分に気づいている」ことだ。
  あなたは「それ」、静けさそのもの。
  
   覚醒への近道はマインドの純潔さに頼っている。
 このショートカットはあなたの欲望を切るということだ。
  欲望の対象物が幸福をもたらすのではない。
 これは逆に束縛を与える。
  獲得したあとの無欲状態が幸福をもたらすのだ。
  無欲が幸福をもたらすのだ。
   欲望だけがあなたの平和と休息への道を妨げている。
  この欲望というのがマインドの病癖だ。
   欲望なしに生き、幸福でいなさい。

  幸福はあなたの本質だからその為に何もする必要はない。
  自分を知る、自分の本質を知るということが幸福をもたらす唯一の道だ。
  「ここ」、ここに美酒があるのに誰も知らない。

  世界の出来事、自由、マインド、全ては存在しない。
 これが究極の真理だ。
  究極の真理は全て無であり、いつも無であったということだ。

  ノーマインドとは外側の世界とは関係がない。
 ノーマインドが無に行きつく唯一の道で、他に道はない。
 本質が明らかになるのはあなたがノーマインドの時だ。
  だから静かにして、何も考えないこと、努力をしないこと。
 何も考えないでおこうと努力しないこと。
 
  自分の本性を知るには
 強靱な肉体とマインドと意志が必要だ。
 あなたはやり遂げねばならない。
  単にメニューを読んでいるだけでは空腹を満たすことはできない。
 食物を食べなさい。
 愚かなマインドを征服しなさい。
  理解するということではない、「在る」ということだ。
 自由でありたいと決めるのはマインドではない。
 なぜなら自由を達成した時、マインドは存在できなくなるのだから。
  マインドをコントロールしなさい。必要な時は召使いのように使いなさい。
 ここ、この瞬間に自由である為にはマインドは必要ない。

  私が本当に教えたいことは、
「教えることができないそのものについて」教えたいのだ。
 私の教えは教えることができないということだ。
  全ての教えが湧きあがって来るその源泉、
 その本質について私は教えることができない。
 この本質というのは全てを超越しているので
 教えるとか教えないとかの問題ではない。
  その本質とは全ての言葉が生まれて来るその源泉のことだ。
 バグワン(マハルシ)ならこう言うに違いない。
  真理はここにある、あなたは一体何が欲しいのか?
 決断はあなたにかかっていると・・・。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

596鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/05(水) 22:55:53 ID:1d4drIFg0
百万人のブッダがいても一人の人間に永遠の意識を教えることは出来ないのじゃ。
それは自ら到達しなければ理解も出来ないものなのじゃ。
教えられるのはそれに至る方法だけなのじゃ。
そうであるから方法を教わったならば、実践するしかないのじゃ。

597避難民のマジレスさん:2019/06/06(木) 03:29:10 ID:LC3de7YgO
>>595
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第1章 真我 ☆Part1
  
   真我というのはあなたであるところのもの、
  あなたは「*1それ」だ。
  測り知れない「それ」から、経験や概念が現れる。
  真我は往来のない一瞬。
  それは、*2ハート、*3アートマン、無。
  それは、それ自身の中で、それ自身に対して、それ自身で光り輝いている。

  真我が生命に息吹を与える。
  それを探し求める必要は何もない、それは「ここ」にあるのだから。
  あなた自身があなたが探し求めているものだ。
  「それ」が存在する全てだ。
  唯一真我のみ。

  欲望だけが生まれ変わっただけであなたは決して生まれてこなかった。
  何もかって起ったことはないし、何も存在したものもない。
  この何もないこと、これがあなたの本質、
  そして、これが究極の真理だ。
  完全にあなただけ、即ち美しさだけが存在する。
  唯一真我のみ。

  あなたの本質は意識だ、ということは明らかで拒むことはできない。
  あなたはハートの蓮華の中で至福の喜びに満ちて存在している。
  静かにしていなさい、
  そうするとあなたの真我があなたの真我にその姿を現わすだろう。
  「真我を知る」ということは他の全てのものを犠牲にしても知る価値があるものだ。
  他の全てのものは意識から出現する蜃気楼にすぎないからだ。

  全ての生き物の中に真我が存在する。
  それ故に他人を愛するということは真我を愛すること、
  自分自身を愛することと同じだ。
  真我は最も偉大な愛で同時に最も愛すべき愛人、
  愛というのが真我の魅力で、真我が真我を魅了する。
  この愛、この喜びの源泉のほかに何もない。
  あなた自身がどんなに美しいか見てごらん。
  あなたはこの内なる美しさ、愛そのもの。

  これでもない、これでもない。(*4Neti,Neti)
  しかし、あなたの本質は決して拒絶されることはない。
  それは「今」だけに存在する。
  起きていようが、寝ていようが、夢見ていようが、
  唯一「今」に存在する、
  唯一真我のみ。

  この現在の瞬間が光であり、真我である。
  この瞬間は束縛でも自由でもない。
  概念を超えた最も貴重なものだ。
  この瞬間は全てが投影される何もないスクリーン。
  それはいつも不動で何にも影響されず時間を越えたもの。
  究極とこの「存在」の間には何の違いもない。
  この瞬間にいるためには
  この瞬間にいたいという欲望も含めて、全ての欲望を捨てることだ。

  本質的に名前も形もない「それ」に数え切れない名前がつけられた。
  存在、気づき、至福、アートマン、真理、真我、吉兆、美、
  自由、神の愛、完全、無、意識、瞬間、無努力、ここ、沈黙、*5ブラーフマン。
  舌が「舌」という言葉を話すように、
  あなたがあなたの名前を呼ぶ。
  あなたの先入観であなたの本性が覆われないように
  仏陀は否定的な言葉で真我について話した。
  たとえば、‘ANATA’とは、触れることができないもの、
  姿のないもの、目に見えないもの、
  近づくことのできないもの、知ることのできないもの、穢れのないもの。

  観念と世界が現れる以前にあなたは存在している。
  それ故に「それ」は言葉では言い表すことはできない。
  真我は自分自身を理解する必要はない。
  自由というのは自由という概念が現れる以前にあった。
  「私」という概念、マインド、過去が消え去ったあとに残されたもの、
  それがあなただ。
  何もないということは何の概念もないということ。
  それがあなただ。

  平和・美・愛と同一化しなさい。
  それを体験するのではなく、それと同じものになるのだ。
  「私は無活動、活動は私の中で起こっている。
  私はスクリーン、私は『それ』。
  私は決して生まれてこなかったし、決して死にはしない。」このことを知りなさい。

用語解説

*1それ  本質的に名前のない真理を指す代名詞

*2ハート   心臓や心という意味ではなく、源泉、センターという意味。

*3アートマン 全ての存在の不滅の本質、ブラーマンと同じ意味。

*4Neti,Neti これでない、これでない。
ウパニシャッドに書かれた言葉、ブラーフマンは言葉や思考では言い表すこと
はできないので、絶対の真理を見つける為に全てを拒否していく過程

*5ブラーフマン  ヒンドゥイズムの絶対的現実、究極の真理、存在・知識
・至福
(´・(ェ)・`)
(つづく)

598鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/06(木) 23:00:48 ID:1d4drIFg0
アートマンは認識できない認識主体なのじゃ。
認識主体から全ては認識されるのじゃ。
しかし、認識主体のみは認識できないのじゃ。
それにたどり着くには全てを否定するしかないのじゃ。

599避難民のマジレスさん:2019/06/07(金) 04:08:36 ID:LC3de7YgO
>>597
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第1章 真我 ☆Part1(つづき)

  意識そのものと同一化しなさい。
  自分は誰かと覚えていたらこの世の中の動きは宇宙の踊りだ。
  往ったり来たりするものに留まるのではなく、
  自分自身に留まりなさい。
  個別な自我はマインド。 
  「在ること」は未知の領域を持たない。
  自分自身が自分自身に気づいて「在ること」なのだ。
  「在ること」に同一化しなさい。

マインドが純粋・潔癖なら、存在する全てに真我を見るだろう。
  すべての概念、特に純粋さの概念を取り除くことでマインドを純粋にしなさい。
  そうすると真我が無のマインドにそれ自身で姿を現すだろう。

  エゴ、マインド、そして全ての創造物は真我から真我としてやってくる。
  醜悪な疑念や差別や分離感でさえ美しい源泉から湧きあがってくる。
  真我の中ではすべきこと、すべきでないことは存在しない。
  不幸に直面しても、あなたは不幸ではない。
  あなたは不幸に影響されることのない気づき。
  波は海から切り離せないように光線も太陽から切り離すことはできない。
  これと同じように、あなたは存在から離れて生存することはできない。
  あなたはこの瞬間、全てが存在するこの瞬間。

  経典の中に内なる三つの神聖な川について書かれている。
  それらは存在・意識・至福。
  それらは思考や努力で対象化されたり、主体化されることはない。
  それはとても親密で、とても身近にある。
  網膜の背後、息をする以前にある。
  これを見る必要はない、あなたはそれだから。

   あなたは、「存在」・「在ること」とどんな違いもない。
  目で見るということではなく、全ては「在る」ということを見てごらん。
  対象物を見るということではない。
  単に見ることが、「在る」ことだ。

  意識が本来の「母」。
  このことを知っているならこの「母」が面倒見てくれる、
  幸福・平安・不死を与えてくれる。
  この「母」を知らないために問題に巻き込まれる。
  既知の母は永遠の平和と愛を与えることはできないから
  あなたの本質であるこの「未知の母」、「それ」に戻りなさい。

  至福は永遠だ。
  マインドが死んだとき、至福が湧きあがってくるように見えるけれども
  至福は体験から来るものではない。
  それはあなたの本性だ。
  至福は賢者のハートだ。
  至福はこの贈り物をあげようと全ての人を呼んでいる。
  「あなたは全ての存在のハートの中に座っている。」
  これが真理だ。
  この真理であなたの顔は光り輝く。

庭で庭仕事をしている王は王のままで決して庭師ではないように、真我は世間
の庭の中にいても真我として在ることができる。
活動的な世間で活動しているのはあなたであなた自身の真我ではない。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

600鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/07(金) 22:12:42 ID:1d4drIFg0
パパジの説くことは実に明確じゃ。
人は何かになったり、何かをしたりしなかったりする必要も無いというのじゃ。
ただそれであるだけであるから、何もする必要は無いのじゃ。
何もしないと言うことが最高の道なのじゃ。
修行していない者には難しいことであるがのう。

601避難民のマジレスさん:2019/06/07(金) 22:30:40 ID:LC3de7YgO
>>599
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第1章 真我 ☆Part1(つづき)
  
世界の物理性が現れてくる、その源泉に行きなさい。
そうすると広大さ、秘密の神聖なあなたのハートの核心を発見するだろう。
しかし、対象に執着したり何かに成ろうとする欲望のためにこのことを忘れて
しまう。
欲望と期待のためだ。
全ては一つで、一つが全て。

古びた習癖の期待や欲望を捨て、この共通の真髄に一体化したならあなたは宇
宙の皇帝だ。
「今」・「ここ」に戻ってきなさい、そうするとあなたがこの「今」・「ここ
」になる。

  全ては真我。
  あなたと私の違いは単なる言葉、単なる概念の違い。
  あなたの中の真我は私の中の真我で全ての存在の中の真我。
  全ての源泉は同じだ、これが真我、これが愛、これが慈悲。
  真我から離れようとしても決して離れることはできない。

  「私は海、目に見える全ての形態は私の上で踊っている波だ」、これが知
識。
  波が起こるとき、海は何も失うものはない。
  波が静まるとき、海は何も得るものはない。
  波が遊んでいるときは海も遊んでいるのだ。
  私は海、私は水、私は波。
  海と水と波の間に分離はあり得ない。
  そこには何の違いも、動揺も動揺する人もいない。
  
「私」、あるいは他の思考を起こすことが波を起こすことだ。
  どんなに波立とうと、水は水のまま。
  だから全てをあるがままにあらしめなさい。
  全てがあなたの真我なのだから。
  河が海に流れ込むように、あなたであるところのものに流れ込みなさい。
  幸福、至福、存在、宇宙に流れ込みなさい。
  「ここ」には気づきのみ、真我のみ。

  たとえそれを忘れてしまってもあなたは「今・ここ」にある「それ」だ。
  忘れっぽいあなたに気づいているのはあなたなのだから。
  あなたは目覚め・夢・眠りの三つの状態に存在する覚醒の意識。
  この変化する三つの状態の中で唯一真我のみ消えることはない。
  
  真我はノーマインド、ノーマインドは肉体を持たない。
  ノーマインドのこの美しさから芸術や直感的洞察が生まれる。

  かって何も起らなかったしこれからも何も起らない。
  あなたはいつも完成された愛であり平和であり続けた。
  変化するものは真実ではない、真実であるものは変化しない。
  あなたは変化を超えた、言葉では言い表せないその秘密、その純潔さだ。
  しかし、「私」に触れると誇りという概念で汚されてしまう。
  
「私が努力してやり遂げた」というこの「私」は、真の「私」ではない。
  真の「私」は全てが自分の反射―投影だということを知っている。
  単に「私が在る」と知っていることは無努力の状態だ。
  これが瞑想であり*6サハジャつまり自然な存在の状態だ。
 
宇宙の塵の一つ一つの中に数え切れない宇宙が存在し、数え切れない仏陀が光
り輝いている。
あなたが理解できるようにそれを説明するのは難しいがこれは事実だ。
それを見ることはできる。
たとえば、全てが一つの原子から現われる、それは神秘だ。
誰もこの神秘を解くことはできない。
私たちがいつもサットサンガで話している「この瞬間」も アトムと同じようなものだ。
その一瞬にあなたの全ての生をみることができる。
全ての人が本質的に仏陀なのだ。

用語解説

*6サハジャ   自然で完全に悟りを得た状態。

(´・(ェ)・`)
(おわり)

602避難民のマジレスさん:2019/06/09(日) 02:02:42 ID:LC3de7YgO
>>601
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
崎山綾子翻訳

第1章 真我 ☆Part2

Q:永遠で、しかも定義することができない存在を明示してもらいたい。
    
その存在があなただ。
なぜそれを疑っているのかね。
悟りというのは疑わしい言葉、思考、概念ではない。
悟りというのはいつも「ここ」にある。

  「ここ」というのはこの空間にという意味ではない。
 「ここ」というのはマインドが届くことができない内なる場所という意味だ。
  この「ここ」というのは「そこ」の反対語ではない。
  この「ここ」というのはどこでもなく、それはあなたの*1ハートだ。
  マインドが動かないとき、全てはハートに帰って来る。
  宇宙の全てがあなたのハートの中の一点に存在する。
  
  この「ここ」にマインドの向きを変えなさい。
  そうすると、マインドは消え去る。
  そして光、知恵、愛だけが残る。
  これがあなたそのもの、これがあなたといつも一緒にあるものだ。

Q: 私が肉体でもなく、マインドでもないとしたら一体私は何なのでしょうか?
    
あなたは真理、善、美の形をとる無形性だ。
これがあなたの形態だ。
我々がここでやっていることは直接それを見るということだ。
しかしあなたはこれに向かって進んでいくのではない。あなたがこれだ。
Satchitananda。
これが*2アートマンの形態だ:真理・意識・至福、これがあなたの真我だ。
それを外に追い求めるのではない、「それ」は内にある。

至福はあなたの内に。それがあなただ。
真理はあなたの内に。それがあなただ。
美はあなたの内に。それがあなただ。
愛はあなたの内に。それがあなただ。

Q:真の気づきとは何ですか。
      
例えば花という対象物に気づいている気づきがある。
真の気づきはこの対象に「気づいていることに気づいている」気づきだ。
それは乱されない単なる気づきでその中でことが起こり、消え去る。

 対象物や出来事に対する気づきを超えた気づきがある。
  あなたはその気づきでその中に対象に対する気づきが存在している。

この真の気づきには名前が無い。
名前をつけようとしたら問題が生じる。
あなたには名前が無いし、形も無いので何も見ることはできない。
「私は名前無し、形無し」ということを知りなさい。

それが「私は自分の真我に気づいている」ということだ。
純粋の意識がその中にあなたを引っ張り込むのだ、あなたがその中に入って行
くというのではない。
もしあなたが入って行くというのならそれはエゴが入って行くということだ。

しかし「それ」があなたを引っ張り込むとき、「それ」があなたを家に連れて
帰ろうと決めたのだ。
理由は分からないがこれが起っていることだ。
意識によってあなたが選ばれるというのは非常に珍しい。
しかし一度「それ」に引きずり込まれたらその人の旅は終わりだ。

そう、気づきに名前を与えたりしないこと。
さもないとそれはある人の観察の対象物のひとつになるだろう。
意識は決して観察され得ない。それはいたるところに満ちている。
無限界、永遠そのものだ。あなたはそれに溶け込んでゆかねばならない。
現実にはそれは溶け込みでもない、それを言い表す言葉はない。

「それ」と同じように無垢で純粋でいなさい。
そうするとあなたは「それ」によって選ばれる。
あなた自身の努力で決してできることではない。
あなたはとても美しいので花婿によって花嫁として選ばれた、と想像してごらん。
これがどのようにして事が終わるかだ。
    
Q:私はすべての出来事を遠くから見ている観察者のような感じがします。
 
この観察者は誰からも影響されない、この観察者はどんな自己証明も持たない

名前、形を超えたものだ。
あなたがこの種の観察者であるとき、誰もあなたに触れることはできない。
あなた自身にさえ触れることはできない。

そうすると恐怖はなくなる。森の中に独りで行くことができる。
ライオンやタイガーにあっても恐れることはない。
彼らの目の中を見つめなさい、そうすると誰もあなたを殺せない。

用語解説

*1ハート 心臓や心という意味ではなく、源泉、センターという意味。

*2アートマン 全ての存在の不滅の本質、ブラーマンと同じ意味。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

603鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/09(日) 22:42:07 ID:1d4drIFg0
パパジの説く事はどこまでも気付いていることなのじゃ。
それは気づいている者があるということを意味しないのじゃ。
真の気付きは主体無く起こるものじゃ。
全てであると言う気付きなのじゃ。

604鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/09(日) 22:42:42 ID:1d4drIFg0
パパジの説く事はどこまでも気付いていることなのじゃ。
それは気づいている者があるということを意味しないのじゃ。
真の気付きは主体無く起こるものじゃ。
全てであると言う気付きなのじゃ。

605避難民のマジレスさん:2019/06/09(日) 23:52:53 ID:LC3de7YgO
>>602
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第1章 真我 ☆Part2(つづき)

Q:私は*3超意識を一瞥したことがあります。それは意識の広がりであり、
存在の中心が存在しない感じでした。
 
あなたが何かを一瞥するとき、あなたは一瞥を一瞥する人になる。
あなたが一瞥するものは一瞥する人の対象物だ。
一瞥するには、「一瞥する人・一瞥・一瞥されるもの」があるはずだ。
誰の対象物にも決してならない超意識をどのように一瞥することができるのかね?
神でさえこれを見ることはできない。

なぜなら神でさえ、その帰依者が信仰する知覚の対象だからだ。
この超意識の一瞥は不可能だ。それは対象化されることはありえない。
それは主体なのだから。
本当のことを言えば、それは主体でもない。
主体と対象という関係がないとき、一瞥はありえない。

全世界が見る人・見ること・見られるもの、で成り立っている。
しかし、超意識はこの分類には属さない。誰かが自由でありたいという非常に
強い欲望を持ったとき、それは超意識に向かって動いていく。
そしてそれと溶け合って、「それ」そのもの になる。

蛾が炎に向かって飛んで行き、炎に口づけしたとき何が起こる?
蛾ではなくなる。炎は幸福に燃えて、「私の愛しい人、こっちへおいで。あ
なたが来るのを待っていたのだよ。」この蛾は戻っては来ない。炎となってしまうからだ。
このようにことは起こって一瞥はありえない。
自由でありたい人は誰でもその人を呼び続けている何かによって導かれている
のだ。

Q:エネルギー・ゴールデンライト・気づきの間にはどのような関係があるのですか。
    
 ウォーターは英語、アグアはスペイン語、パニはヒンディ語。同じ実体に対し
て3つの異なった名前。
このように「それ」を*4シャクティ、光と呼ぶこともできる。
光というのは何かについての知識を持つということだ。
光が知識だ。知識はエネルギーだ。
そのエネルギーがあなたを知識に導き、全ては一つだということを知るのだ。

あなたは知識そのもの、そしてエネルギーだ。
そしてこれは気づきと同じことだ。
異なった人々によって異なった言葉が使われるように違いは言葉だけだ。
ある人は「自由になりたい」と言い、仏教徒なら「無になりたい」、他の人は
「*5ニルヴァーナが欲しい」と言うだろう。
これらの異なった言葉は名前のない同じ実体を意味しているのだ。

パニ、アグア、ウォーターの実体には名前がない。
このように「それ」を気づき、光、エネルギーと呼ぶのはその人によるのだ。
しかし、「それ」は名前のない、形のないものだからそれ自身の名前を知らない。
だから名前のついたものは、真実でない何かであるに違いない。

名前や形が名前や形のない「それ」へと導く?
一体どうして名前と形のないものを見つけることができるのか?
それは不可能なのだから、名前と形のないものを探そうと試みないことだ。

しかしこの光がそこにある。そしてこれが知識、このエネルギーが気づき、そ
こには何の違いもない。
シヴァとシャクティは同じものだ。
一方は知識で、他方は自分自身がシヴァであると知るためのエネルギーだ。

エネルギーは決して死なない。エネルギーは常に残ったままだ。
形は現れたり消えたりするがエネルギーはいつも「ここ」にあるだろう。
    
Q:基盤としてですか?
    
そうだ、エネルギーが基盤だ。そして基盤はエネルギーによって「私は基盤
だ」ということを知るのだ。
そこには何の違いも生じない。「私は『それ』だ」というこのエネルギーの知
識はエネルギーそのもの、知識そのもの、光そのもの、知恵そのものだ。
これはまた「自由」とも呼ばれている。
    
Q:気づきとエネルギーは異なったものではないのですね?
    
そうだ、それらは異なったものではない。
波は海から起こり、海とは異なったもののように見える。
名前は違う、動きは違う、高さや幅や広さが違う。
また、波は動く。そして波は、元は海であったことを忘れる。
しかし、海と波の中身は同じだ。
さて、波は今ともかく「私は海だ」と思い出す。

だから、岸に向かう波の動きをあらしめなさい。
波が立って、落ちて、消えるのを許しなさい。
これが世界の顕現と消滅の過程だ。しかし海は何も心配していない。
基盤、本質は波になるのを気にしないのだから、波の動きは問題にはならない。
     
用語解説

*3超意識  肉体に属する意識ではなく、肉体、マインド、を超えた普遍的な意識

*4シャクティ 聖なるパワー、エネルギー、恩寵と悟りを授けるエネルギー。活動性

*5ニルヴァーナ 消滅、絶滅、仏教用語、全ての欲望が消滅した悟りの状態。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

606鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/10(月) 23:02:35 ID:1d4drIFg0
究極にまで達した教えには常に悟りへの道を示すものがあるのじゃ。
それをいろいろな名前で呼ぶが、実際は同じものなのじゃ。
名前も形も無いものに導くために仮に設定して示すだけなのじゃ。
実践によってのみその彼方に至ることができるのじゃ。

607避難民のマジレスさん:2019/06/10(月) 23:55:14 ID:LC3de7YgO
>>605
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第1章 真我 ☆Part2
     
Q:それではエネルギーはいつもそこに有り続けるということですか。
    
 いや、エネルギーはいつも「ここ」にあり続けるのだ。
海がある限り、海そのものの中に、波が動いて消えるのを許すエネルギーがあ
り続けるのと同じように。
    
Q:もしあなたが死んだときには?
    
それは波が海に消え去ることと同じことだ。
死については誰かから聞いただけであなたの体験ではない。
あなたは生まれて来たと誰かが言ったのを受け入れたために、いつか死ぬとい
うことにも同意したのだ。
しかしエネルギーそのもの、基盤そのものは死なない。
肉体は波と同じだ。
姿形は消えてなくなるが本質は不変だ。この理解がエネルギーと呼ばれるのだ。
基盤に帰っていくことがシヴァになること即ち、不変の海になることだ。

Q:どうして全ての欲望を断つことができるのですか。
     
  静かにしていることによってだ。

Q:私は私の自己証明を失ったのか、それとも自己証明のない真我を見つけた
のでしょうか。どうか明らかにして下さい。
    
あなたはどんな自己証明を失くして、どんな自己証明を探し出したのか解らな
いのだね。
肉体との同一化が以前の自己証明だ。
そのときあなたは、息子になり父になり母になる。
肉体との同一化に留まっている限り、全ての自己証明を超えた「私は在る」と
いう自己証明を持つことはできない。
これが真我との同一化だ。
エゴ-マインド-肉体-感覚-対象物との同一化ではない。

Q:究極の解脱によって真我の美が永久に光り輝く為に、どうすれば私のマイ
ンドを完全に破壊することができますか?
    
至福の海でありなさい。
そうしたら世界との関係は見えなくなるだろう。
海だけが見えるのだ。
海の外とどんな関係も持たないこと。
満ち足りた水、満ち足りたあなた自身との繋がりだけだ。
この充満性があなたの本質だ。
これは楽しむべきものだ。
 
 海の中にいなさい。
海として海だけを考えていなさい。
他に何もいらない。
海だけがあなたのマインドの中に、目の中にあるべきだ。
常に海の実体と繋がっていなさい。
これがあなたがすべきことだ。
 
 「それ」を考えていなさい。
「それ」を嗅ぎなさい。
「それ」を聞きなさい。
「それ」を触りなさい。
そうしてあなたの戦いは終わるだろう。

Q:思考の流れと流れの間隙は何ですか?
  
その間隙が意識だ。
雲と雲の間には間隙がある。
その間隙が青空だ。
思考のスピードを落としなさい。
そうだ!その間隙を見つめなさい。
雲よりも間隙に注意しなさい。
最初の思考が去って次の思考はまだやってこない、それが意識だ。
それが自由だ。
それがあなたのいる場所、あなたの住家。
あなたはいつもそこにいる、分かるかね。

注意する方角を変えなさい。
図形を見るのではなく背景を見るのだ。
壁のように大きな黒板に白い点を書いて、「何が見えるか」と尋ねたら、99
%の人が黒板を見ないで、「白い点が見えます」と答えるだろう。
大きな黒板は見えないが目に見えないほど小さな白い点は見える。
なぜかね?
これがマインドの固定したパターンだからだ。

黒板ではなくて図形を見ること、空を見ないで雲を見ること、意識を見ないで
思考を見ること。
これは教訓だ。
いつも意識を見なさい。
意識があなたであると知りなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

608鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/11(火) 21:35:44 ID:1d4drIFg0
思考や感情等の全ての観念の働きの背景に意識はあるのじゃ。
肉体や思考や感情に囚われていると、それが感じられないのじゃ。
全ての観念と認識を超えた背景に眼を向ければ感じられるようになるのじゃ。
それは寝ている時にさえ在ると感じられるのじゃ。

609避難民のマジレスさん:2019/06/11(火) 22:14:37 ID:LC3de7YgO
>>607
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第1章 真我 ☆Part2(つづき)
  
Q:ここでは「あなたは肉体ではない」と度々話されていますが、生きている
ことの神聖さを体験する為には肉体は貴重だと信じている人たちがいます。
その人たちは完全に肉体と同一化することによって解放されています。
          
  生 命の神聖さはあなたの内にある*6プルシャ(Purusha:根本的な霊魂)
だ。
「それ」を経験しなさい!
それは男や女の形をした肉体ではない。
あなたが男性か女性かに関わらず内なるハートのプルシャだ。
ウパニシャドや他の聖典には、このプルシャは親指と同じぐらいの大きさだと
書かれている。
それはあなた自身のハートの中にあって永遠の炎として燃えている。
それがあなた自身、あなたのアトーマン(Atman:不滅の真我)だ。
それに集中して見てごらん。

 あなたはこのプルシャで、男や女という性別ではないということを知るだろ
う。
全ての人はプルシャであるけれども誰も「それ」と同一化することができない。
他の興味の為に肉体と同一化しているのだ。
誰もこの永遠のプルシャについて聞いたことはない。
これが私が話していることだ、現れもしないし、消えもしないもの。
私 が話しているのはそのプルシャだ。

 もしあなたが「それ」になりこのプルシャと一つになった時は、舌が話すの
ではなく、言葉がやって来るその源泉から「それ」が話しているのだ。
舌は話すことができる、しかし話すことができるという力は一体どこからやっ
て来るのか?
それはプルシャと呼ばれる源泉からやって来るのだ。
私が話しているのはそのプルシャだ。

Q:あなたの恩寵だけが私をマインドの世界から目覚めさせてくれるでしょう。
自由に対するこの熱望さえもあなたの恩寵です。
どうか私の本当の名前を教えて下さい。
     
あなたに与えられた名前は両親や牧師によって与えられたものだ。
これらは本当の名前ではない。
あなたは名前と一緒に生まれて来たのではない。
生まれた後でスーザンとか他の名前になる。
あなたは名前ではない、名前があると決して考えないことだ。
  本来あなたは名前無し。
  形があれば名前がある。
  名前があるところには形があるに違いない。
  あなたは形ではない、あなたは形の中身だ。
  あなたは名前のない誰かだ。
  形だけが名前を必要とするのだから。
  あなたのハートに誰が座っている?
  それには名前があるかな?
   ハートの住人、それが本当のあなただ。
  あなたは両親から生まれて来たのではない。
  あなたは「それ」、名前のない「それ」、
  決して死ぬことはないし、生まれることもない「それ」、
  永遠である「それ」だ。
  人の言うことを信じるなら、なぜ私が言っていること、「私はそれだ」と
信じないのか。
  私はアートマン、私は平和、私は愛、私は至福、
  これが信じられないのなら、このマントラを永久に唱え続けなさい!
  「私は至福」。

Q:形を持たない、この至福に形という考えを押し付けたくないので、どんな
新しい身元証明も持ちたくありません。
    
名前や形との同一化を捨てる決心をしたなら、その場であなたは形のない物
になるだろう。
もし身元証明という概念に触れない時、あなたは今、ここで、自由だ。
あなたの名前を使う為にあなたは過去に触れる。
人々はあなたを名前で呼ばなければならないがその名前はあなたの過去とは何
の関係もないものであるべきだ。
 仏陀というのも名前だ。
仏陀を仏陀と呼ぶ時、どんな個性が頭に浮かぶかね?
このように名前は、どんな執着も関係性もあなたに思い出させるべきではな
い。
それゆえに*7サットサンガではどんな個性とも全く関係のない名前が与えら
れるのだ。
人々は古い名前や過去をここに残していく。
私がMiss無をここに連れてきなさいといったら、彼女をここに連れてこられ
るかね?
言葉はそこにある、意味もそこにある、しかし「無」を連れてくることがで
きるかね?
 それはできない。
このようにあなたのア-トマンには個人としての名前がついているがそれを捕
まえることはできない。
それは空間を超えたもので、触れることはできないからだ。
        
用語解説

*6プルシャ 根源的な魂

*7サットサンガ 真理との交友、実現した聖人と弟子、探求者の交友、真理についての質問と対話。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

610避難民のマジレスさん:2019/06/11(火) 22:16:46 ID:LC3de7YgO
>>609
プルシャ(Purusha:根本的な霊魂)とアトーマン(Atman:不滅の真我)は同じ意味のようでありますが、言葉の違いの理由はあるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

611鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/12(水) 22:39:33 ID:1d4drIFg0
それは人によって違うのじゃ。
生命や肉体の神聖を信じる者には、それがプルシャから来ていると説くのじゃ。
一切を否定するアートマンは、そのような者には厳しすぎるからのう。
相手にあった教えを説かなければ、実践せず、実践しても長く続くことも無いからなのじゃ。
対機説法なのじゃ。

612避難民のマジレスさん:2019/06/13(木) 07:25:27 ID:LC3de7YgO
>>611
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

613避難民のマジレスさん:2019/06/13(木) 07:47:38 ID:LC3de7YgO
>>609
3「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第1章 真我 ☆Part2(つづき)

    
Q:人生の中で消極的なものを拒否する必要は何もないのですね。
それらは来ては去っていくのですから。
ただ執着しないでいるということですね。
    
この世界の全てのものはやって来て、留まって、去っていく。
やって来て、留まって、去っていかないものがあなた自身の真我だ。
    
Q: 求道者には3つの範疇があるといわれています。樟脳のようにすぐに会
得する人、ガンパウダーのようにまもなく会得する人、湿った木のように時間
をかけて会得する人。湿った木にどんな助言をしますか?
    
  範疇はない。
得るものは何もない。
あなたはいつも自由だ。
しかしあなたの注意が他のものにむいている。
一時的な対象物から注意をそらして、注意をあなた自身に向けてごらん。
本当のあなたはいつも「ここ」に存在する。
    
Q:樟脳のように燃えて「ここ」にいつもいたい。
    
 樟脳を火の近くに置くとすぐに着火する。
あなたの決心、献身、勤勉さ、熱心さが強烈な時、グルというのは火であなた
のハートは樟脳だ。
ハートの中でその火に近づくと何も残らずに燃え尽きてしまう。
もしあなたが炭のようであれば、燃えるのに時間がかかり燃えた後には灰が残
る。
生木ならもっと時間がかかる。
しかしたとえ生木でも炭でも真我だけに注目している人は数分で全てを終えて
しまう。
    
Q:私の中のこの気づいていることが「それ」ですか?
    
いや、それではない。
この気づいていることは「それ」ではない。
あなたは人や物や考えに気づいている。
しかしこれらの全てのものは過去に属している。
過去に対する気づきはそれではない。
 この「気づいていることに気づいている」それが「それ」だ。解るかな?
この「気づいていることに気づいている」のは誰か?
対象物に気づいている時、あなたのマインドは同時に何かに「気づいてい
ると気づいている」。
そう、この「気づいていることに気づいている」のは誰か。
頭を180度回転して、何かに気づいている「それ」に直面しなさい。
 そしてこれを知ったなら忘れてしまいなさい。
そうしないと、それは過去の体験となって、一時的な体験を何か価値のあるも
のとしてあなたの注意を引き付ける。
気づいていることは過去に属さないのでその体験については忘れてしまいなさ
い。
そうすると悟りにさえも執着しない世界中で一番自由な人だ。
全てを忘れなさい。それが 全てだ。
もし憶えていると、憶えていることは記憶でこれは過去だ。
  
  あなたの前にやって来るものに対してその場で対応しなさい。
  それが全てだ、これが私の助言だ。

Q:どのようにして「それ」を知ることができるのですか? 
 
 「それ」を幸福、平和、愛と表現しているがこれらではない。
これ以上のものだ。
期待することができるものをはるかに超えたものだ。
期待はマインドにすぎないし、マインドそのものは存在しない。
これらをはるかに超えているがまさにこの瞬間に知ることができる。

「それ」を知るのに膨大なプログラムは必要ない。
努力や手段も必要ない。
ただ静かにしていることでひとりでに現れる。
単にそれを妨害しないことだ。
今、その機会を与えなさい。
何億年も無駄にしてきたのだから、今、その一瞬を与えなさい。

「それ」が自然と明らかになるのを待ちなさい。
「それ」自体がひとりでに現れるのを待ちなさい。
あなたの概念、意図、期待、考えを「それ」に押し付けるためにその啓示を知
ることができない。

ただ静かにしていなさい、そうすればそれが起こるだろう。
瞑想によってでもなく、集中によってでもなく、聖地巡礼によってでもなく、
苦行によってでもなく、教会にいくことによってでもなく、ヨガをすることに
よってでもない。
これらは、「それ」を知るのに何の助けにもならない。
「それ」を知るのを延期させているだけだ。

「それ」はここに在る。
マインドがあなたを騙している。
決して耳を傾けないことだ。
ただ単に静かにしていなさい。
考え始めないことだ。
そのための努力でさえ必要がない。
「それ」はひとりでに現れるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

614鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/13(木) 23:03:25 ID:1d4drIFg0
>>612 どういたしまして、またおいでなさい。

気付いていることに気づいてることは、悟っていなければ難しいじゃろう。
どこまでも遡る無限遡及になるからのう。
その観念も実は心の変化によるものと気付けば捨てられるのじゃ。
過去の自分の気付いたことを追っているだけであるとその働きを見極めるのじゃ。

615避難民のマジレスさん:2019/06/14(金) 07:34:30 ID:LC3de7YgO
>>613
4「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第1章 真我 ☆Part2(つづき)

Q:内側だけが真実だということですね。
  
 もし内側が真実なら外側もまた真実であるに違いない。
全てが真理で全てが真我だ。

Q:マインドを超えたこの愛の深みに入って行くためにあなたの最初の一押しを
与えてください。

超えたところに行きたいのかね?
 それなら一人で行きなさい。
何も一緒に連れていかないことだ。
何についても考えないことだ。
思考を持っていかないことだ。
何も考えないというのが超えたところだ。

問題はあなたが考えるときやってくるのだ。
私は苦しんでいると考えている、恋人のことを考えている、これらすべての考
えることを絶対的にやめることだ。
そうすると過去の習癖に戻ってくることはない。
単に考えないこと、一人でいること。

全世界が思考から現れるように問題は思考から現れる。
なぜ問題に巻き込まれるのかね。

単に考えないこと、何も考えないときは、ほかに何もする必要がない。
これで十分だ。
そして何も考えないようにと努力しないことだ。

Q:(質問者が理解して笑い出す)とても簡単です。
 
 超えたところからやってくるこの笑いは、概念なしの笑いで普通の笑いとは
非常に違った笑いだ。
笑うことが全てのことの終わりだ。

Q:今あなたと一緒にいるということで胸がいっぱいです。
とても幸福すぎてあなたの言葉を理解しようとしても私のマインドは動きそう
にありません。

これが知恵だ、これが理解だ。

Q:かって一度も触れたことのない、何か無のようなものに触れた気がします。

これが至福だ、これが永遠の幸福だ、これが無だ。
これは時間の中で起こったことではないのでこの一触れで十分だ。
これから差し込んだ光が永久にマインドを捕らえるのに十分だ。

 あなたと古い習癖や行動との葛藤をこれが許さないだろう。
あなたは大変幸運だ。

ひとつスーフィの寓話を紹介しよう。

大昔の宮廷で人々が地位の順に従って王が来るのを待っていた。
そこにみすぼらしい服を着た男が入ってきて一番上の席に座った。
首相がこの新参者に彼の身元を明らかにするように命じた。
     
「お前は首相か?」
     「それ以上だ」と男は答えた。

     「お前は王様か?」

     「どの王よりも偉大だ」

     「お前は神か?」

     「私はそれよりも上だ」と貧しい男は答えた。
     「神より上のものは何もないぞ」と首相は言い返した。

     それが答えを引き出した、「その何もないのが私だ」。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

616鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/14(金) 22:25:43 ID:1d4drIFg0
神でさえ観念の中にあるものじゃ。
何も無いものは観念を超えた所にいるから神より上なのじゃ。
神以外のどのような観念よりも高いのも当然なのじゃ。
王とか大臣なども観念遊戯に過ぎないのじゃ。

617避難民のマジレスさん:2019/06/15(土) 00:46:27 ID:LC3de7YgO
>>615
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第1章 真我 ☆Part3

Q:真我が全ての中心ですか?
 
真我には中心がないし,円周もない。
中心に瞑想しようとする瞑想者もいないし、瞑想もない。
真我は流動的で自然で自発的で、やり手がいないので疲れも知らない。
やり手というのは「私がこれをしている」、「私はこれをしなければならない」
、「私は困っている」、「私は幸福だ」。
人との関係性も肉体を通り過ぎていくだけで真我とは何の関係もない。
あなたはこれらのことに影響されないし、これらの概念を超えたものだ。

世界や神や生き物たちに背を向けても、真我には決して背を向けないことだ。
あなたは何億年ものあいだ、真我に対して内気であった。
真我を見ないで見る価値のないものを見続けてきた。
今、あなたの真我に内気であってはならない。
目をしっかりと開いて真我を見てごらん。

Q:パパジ、空間だけです。

 すばらしい!すばらしい!それは空間だ.それは限界がない。
全てはこの空間の中にあり、あなたはこの空間だ。
あなたが空間であるとき、全てがこの空間の中にあるのだから全ての欲望はこ
こで終わりになる。
これが空間が実体である人の欲望の全てが、欲望が起こる以前に満たされてい
るということだ。
 
国の王は「この土地、あそこの土地を買いましょう」とは言わない。
王は全てを所有し、王国の君主なのだからこんな考えは決して起こらない。
このようにあなたが空間になったときは欲望の終わりだ、と言うことは苦しみ
の終わりだ。

欲望が苦しみを与える。
欲望が起こると、その近くに行きたい、それを達成したい、それを手に入れた
い、そしてあなたはそうするだろう。
そうしてあなたは幸福になる、違うかね? 欲望の対象物があなたを幸福にしたと考えるかもしれないが、真実は達成した
あとの欲望の不在が、その無の瞬間があなたを幸福にするのだ。
 
  欲望無しでいることが幸福であることだ。
  あなたの源泉に帰るとき、あなたは幸福だ。
  これが幸福の秘訣だ。

 全ての苦しみと死を取り除くためには源泉として留まりなさい。
そこでは何も存在しない。
全ては完全で満ち足りている。
それがあなたの本質だ。
あなたは既に「それ」であり、いつも「それ」であり続けるだろう。

「私は肉体」、「私はエゴ」という観念が苦しみを引き起こす。
教え込まれたこれらの観念が、存在しなかったときがあった。
そのとき、あなたは完璧であった。
そして、今も完璧だ。

頭の中に詰め込まれたこれらの観念を取り除きなさい。
振るい落としなさい。
そうすると、この今の瞬間に、あなたは誰かということを知るだろう。
さて、どんな考えが今あなたの中にあるのかな?
  
(´・(ェ)・`)
(つづく)

618鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/15(土) 23:37:50 ID:1d4drIFg0
中心とか外とか内とかも全て観念なのじゃ。
それがあるうちはアートマンには到達できないのじゃ。
全ての欲と観念を振り捨ててアートマンを求めるのじゃ。
そうすればアートマンも現れるのじゃ。

619避難民のマジレスさん:2019/06/16(日) 00:09:22 ID:LC3de7YgO
>>617
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第1章 真我 ☆Part3(つづき)
    
Q:全てに執着していると、どれだけ苦闘しなければならないかと気づいています。
    
苦闘する必要はない、苦しむというのはもがく事だ。どんな思考も起こさな
いこと。
「誰が苦闘するのだろう?」という考えや「私」という考えでさえも起こさな
いことだ。
 
   「私」はない、肉体はない、エゴはない、マインドはない、感覚はない
、対象はない、顕現はない。
 
過去を振り返って、起こったこと(顕現)の全ては、感覚と感覚の知覚作用に
すぎないと理解しなさい。
感覚というのはマインドが外に向かって働いているということだ。

実際にはマインドと感覚を区別することはできない。感覚がないときマインド
はない。
マインドというのはエゴ以外の何ものでもない、エゴは「私」以外の何もので
もない。
そしてこの「私」という存在感は源泉そのものだ。
今度は源泉から始めよう、どうなるか見てごらん。
  
  「私」は源泉から湧き上がる、波が海から湧き上がるように。この「私」
を湧き上がらせなさい、すべてをこの「私」に属させなさい。

  「私」が起こって、エゴになる。エゴがマインドになる。マインドが感覚
になり感覚はそれぞれの感覚に応じた対象物となる。
 
  これらの全てはあなたの内側で起こっている。これらの全ては意識の中で
起こっている。意識の中にある全てを見るためには、あなたは意識で在らねば
ならない。
  
しかしあなたは自分は肉体だ、マインドだと思っているのでいつも困難の中にい
る。
  これを見ることができない。これが苦しみの原因だ。
 
あなた自身を個的なエゴ―マインド―肉体と考えるのは傲慢だ。
個人が全てを動かしていると考えるのは傲慢だ。傲慢以外の何ものでもない。
なぜ全てをこの意識と呼ばないのか?
 
  全ては無だ。あなたは無の中で踊り手の役を演じているだけだ。単にこの
ゲームを演じなさい。

  あなた自身を個人として見るか意識として見るかそれはあなた次第だ。一
つは破滅的、他方は平和だ。

  平和以外に何が欲しいのか?「存在」として留まって見てごらん。
 
あなたは何もコントロールする必要はない。何かが起こるだろうと期待しない
ことだ。あなたは空間だ。
 
  全てが「私」で、全てが「あなた」だ。全てが「それ」自身でこれがあな
たの本質だ。
  「それ」について何もする必要はない。全てを解放して、今、無を見てご
らん。全てが投影されるスクリーンを見てごらん。
 
映画館に行ってスクリーンに映し出された映像を見ている。山や川やロマンス
、強盗の襲撃事件など・・・。
映画が終わったとき、スクリーンは川の水で濡れてはいないし、ロマンスの香
りもないし、盗賊の発射した銃弾の穴もない。スクリーンは完璧に白いまままだ。

この世界の顕現はあなたのマインドを横切る欲望の投影と同じだ。だから観客
としてのあなたは簡単にその映画にのめり込んで同一化されてしまうのだ。
あなたはこれらの映像ではない、あなたはスクリーンだ。スクリーンは映画が
始まる前、最中、終了後、みな同じだ。

もしあなた自身が完璧で、不変で、永遠のスクリーンと同一化したなら、あな
たは何が起こっても平静で、その変化に苦しむことはない。
逆にそれらを楽しむことになる。全ての存在はこの一つの潔癖なスクリーンだ。
それは全てを超えているので、埃を払ってきれいにするという修練は必要ない。
悟るには生涯の修練が必要だと説く教師達こそ、彼らのマインドという埃を払
って、きれいにするべきだ。
    
Q:私は永久に「これ」が欲しい。
    
あなたは初めて「この」経験をしたのだね。
過去に経験した全ての経験は消えてしまった。
だから「この」経験を永久に保ちたい。しかし「この」経験はあなたから決し
て離れることはない。

以前は全てがあなたから去っていった。「今、ここ」では、決して取り残され
ない。
あなたは正にその至高の力によって握られている、だから決して取り残される
ということはありえない。

もう恐れる必要はない。あなたは逃げられない、決して逃げられない。
この愛から逃出すことはできない(笑)。
一度それに触れたら、あなたは自分を見失う。
全ては解き放されて、「それ」そのものになる。
河が海に流れ込んでいくとき、河は即座に海になるように。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

620避難民のマジレスさん:2019/06/16(日) 23:49:36 ID:LC3de7YgO
>>619
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第1章 真我 ☆Part3(つづき)

    
Q:それが可能だということがまだ信じられません。
    
河が海に流れ込んでいくとき、河は永久に海であり続けることができるかと
自分に質問するかね(笑)?
それは過去の恐れだ、その恐れは今あなたから消えていく。
全ての経験は永遠ではないので消え去ってしまう。
それらは想像、幻想に過ぎなかったから消えていったのだ。

今、この経験は概念や知覚や想像を超えたものだ。
それはどこに消え去るというのか?
波は恐れているので、「私は生涯波としてありたい」という考えが波のマイ
ンドの中にある。
「私はなくなる、私はなくなる」と波は恐れている。
「私はなくなる」、どこに消えるのか? どこに行くのか? 消えて次は何にな
るのだろうか?

 波が消えたとき、波は波でなくなり、その本質に帰っていく、海だ。
過去、波が海であった、現在、波が海である、未来、波が海であり続けるだろ
う、永久に!!
そこには時間という概念は全くない。時間というのは無知なマインドの中に存
在する。

光や知恵の中では「私は全体から分離している、私は広大さや充満性から分離
している」という考えは起こらない、これを知らないのが無知だ。
分裂はない、全てが一体で、愛で美だ。これから逃れることはできない。
今あなたの無知は消え去った。これが永遠の生命、これが蓮花の蜜だ。
    
Q:はい、解ります。いま無が見えます。
    
すばらしい! もし見えるなら、この見ることが在ることだ。
目を通して対象を見るときは物が歪んで見えるかもしれないが、この見ること
は在ることだ。
これを見る為のもう一つの目があるのだ。どの目を使うかはあなたにかかって
いる。

この視覚は肉体的な目とは何の関係もない。
それは内在性、内なる視覚だ。
この目を使うなら、外側も内側も、いつもこの目で見ることができる。
ニルヴァーナとサンサーラは何の違いもなくなる。見るものは全て内側にある。

全ての美しさ、知恵。その目は限界を超えて見ることができる。
内側でもないし外側でもない。解るかな? 顔にある目を通して見ることを止
めたら、他の目が開く。

あなたが今ここでやったように「私」という思考をつかんで源泉に帰りなさい
、そうするとその視界が開けるだろう。「無が見える」と言ったとき、この無
が「その」視界の美しさだ。
聖なる視界。あなたは理解するだろう、そして全てが美しい存在として見える
だろう。
    
Q:真我の観点からすれば何もすることはないというのは解りますが、私のい
るこの時点からマインドを解き放し、エゴ中毒を取り除くのに何かすることは
できないのですか?
    
 最初に、あなたの観点が真我の観点より優れているかどうか見てごらん!
もしあなたが創造者やグルやあなた自身の真我より優れているのなら、もし
アートマンよりも優れているのならあなたの観点に従いなさい。
その結果を見なさい。
真我の観点というのは真我だ。
真理は真理、これは既に今、ここに。
あなたの真我に会うのにどんな修練が必要かね?
    
Q:いいえ、必要ないでしょう。しかし思考がやって来ると・・・・
    
 真我は肉体より前に存在している。
あなたが話すことより前に、言葉よりも前に存在している。
どのようにして真我に行き着くのかという概念、実践や方法という概念を捨て
なさい。
捨ててしまったらそこに何があるか言ってごらん。
どこに居るのか言ってごらん。
努力や実践の概念を持ち込まないこと。
努力しようと考えないこと。
私が意味していることを本当に理解したなら、あなたは誰か、あなたは何が欲
しいか言ってごらん。
実践なし、思考なし、マインドの坩堝をかき混ぜないこと。
努力しようとしないこと。
私の話を聞いたのだから今度はあなたが話す番だ。
さて、あなたは誰か言ってごらん。
考えないこと、努力しないこと。
    
Q:私は神に会いたいだけです。
    
 だから神があなたをここに今連れて来たのだ。
全ての人が神だ。
しかし私達が私達の中に神を見ない限りその事実を知ることはできない。
まず神をあなたの内側に見つけることだ。
そうしたら動物の中にも、鳥の中にも、岩の中にも神を見つけることができる
だろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

621鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/17(月) 23:58:45 ID:1d4drIFg0
神を信じる者には神を説くのが智慧なのじゃ。
その神もまた自らの心の中にあると言うのじゃ。
信じる神を心の中に見出すのじゃ。
そうすれば全てが神と気づくのじゃ。

622避難民のマジレスさん:2019/06/18(火) 03:59:57 ID:LC3de7YgO
>>620
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第1章 真我 ☆Part3(つづき)
    
Q:人々の目の中に神が隠れているのがだんだん見えてきました。
    
(笑いながら)神は隠れてはいない。
神が見えないということは、あなたは神以外のものを見ているということだ。
だから、他に何も見ないで唯一神だけを見るべきだ。
そうすると、あなたの目を通して見ているのが神そのものだ。

 あなたの重荷を下ろして、神に降伏して静かにしていなさい。
そうすると神があなたの重荷を引き受けてくれる。
重荷を頭の上に担いで歩いている限り神はあなたの面倒を見ることはできない。
そのようなあなたにとっては、神は隠れているようにしか見えない。
    
Q:あなたは私が神だといいますが、私という一滴のしずくが海と同じなので
すか?
    
一滴と海との間には何の区別もない。海を創っているのはその一滴の全体性だ。
一滴、一滴の無数の集まりが海だ。
    
Q:それらは質的に同じ物ですか?
あなたのノーマインドは私のノーマインドと同じですか?
    
質的に同じだ。
一粒の砂糖と一ポンドの砂糖、味は同じだ。
そうだ、あなたのノーマインドは私のと同じだ。
    
Q:ノーマインドには疑いがないと言われましたが・・・。
    
(笑いながら)ノーマインドには疑いがない。
何もないのだから何を疑うのかね。
    
Q:ノーマインドの中での経験は何ですか。
    
そこに経験はない。ノーマインドの状態から抜け出したときにのみ対象に対
する経験がある。
過去の経験を取り除きなさい、そうするとこの瞬間には経験はない、経験すべ
き何ものもなく、経験者もいない。 あなたは全てから自由だ。
経験は時間の中で起こるがこの瞬間には時間がない。
この瞬間は時間とは無関係だ。

Q:ジャスミンと呼ばれる波はパパジと呼ばれる波に見つめられて一つになり
たい、そして「それ」を祝いたい。
    
波が海と一つになったとき、祝祭が始まる。

私は海ではないと考えているのは 波だけだ。「私は水と共に、どこにでも行く
ことができる」「私には長さや幅があるので岸まで行ける」。しかし再び、波
は沈んで海となる。

波の本質である水は海の本質である水と何の違いもないのだから「私は海だ」
ということを知りなさい。この水が海と波をつないでいる基盤だ。
基盤は波が海から分離していると考えても何の影響も受けない。
あなたは海と何の違いもない。海は波と何の違いもない。
この事実をあなたは祝うべきだ。これが分裂の終わりだ。
   
   真我なしには何も起こらない。
   全ての存在は真我として一つだ。

  波は海の胸座で遊んでいる。
  波は海と別れていると感じながら、時間の中で動き回っている。
  そして最後に波は海に帰っていく。
 
  波は海から湧き上がり、海の中で動き、海の中に帰っていく。
  一体性はそのままだ。
  波の動きは海にとっては何の問題もない。

海はあなたから離れた存在ではない。海は決してあなたを騙したりしない。
もしこれを知っているなら、あなたは好きなように遊ぶことができる。
愛は、海は、あなたを決して忘れない。もしこれを知らないとあなたは苦しむ
ことになる。

Q:昨夜、強烈な夢を見ました。その後かなりの沈黙が続き目を覚しましたが
、この夢が何を意味しているのか私には解りません。
    
 夢は問題ではない。この沈黙が境界だ。目覚めでもなく眠りでもない、沈
黙だけが存在する。目覚めと眠りを越えたこの境界、そこには何の経験もない。
そこでは過去の記憶は存在しないし、それには名前もない。

もし名前を使いたいのなら、沈黙か無が最適だ。何を意味しているのか解らな
いというのが、それが境界域の沈黙であったという確証だ。
なぜなら、そこでは感覚や記憶力が働かないし、エゴも存在していないからだ。

これは眠りと目覚めの間の空白だ。
そこでは「私」・「あなた」・「彼ら」というのがない。
これを「無」と呼んでもよい。
そこから全てが現れたように、そこに全てが消えてゆく。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

623鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/18(火) 22:47:45 ID:1d4drIFg0
ノーマインドとは気付きの状態なのじゃ。
そこでは思考も感情も静まり、心の本来の姿が見えるのじゃ。
主体は無く、全てが一つと見えるのじゃ。
誰にでも訪れるありようなのじゃ。
特に寝覚めで自分を忘れている時に感じることができるじゃろう。

624避難民のマジレスさん:2019/06/19(水) 03:04:43 ID:LC3de7YgO
>>622
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第1章 真我 ☆Part3(つづき)

Q:私は自分はライオンであるということを知っているのに、なぜ私はロバと
一緒に歩いているのでしょうか?
私の中のロバ性を解放していつもライオンでありたい。
 
あなたがライオンであると知っていたらロバと一緒に歩いても、問題はない。
ロバはライオンの餌だからだ(笑)。
だから、彼らは一緒にいることはできない。
ライオンが自分がライオンであることを忘れて、自分はロバであると考え出し
たなら、それは問題になる。

あなたに洞察を与えるライオンの話をしよう。

 昔、ある村に一人の洗濯男が住んでいた。
その当時は村人達の洗濯物をロバの背に載せて川辺に運んだものだ。
ある日、洗濯男が川で洗濯しているところへ、一匹の雌のライオンが水を飲みに来た。
そのとき、密猟者が銃でライオンを撃ち殺した。

雌ライオンは死ぬ間際に赤子を産み落とした。
そこへ密猟者が来てライオンの皮を剥いで去って行った。
ライオンの赤子は後に残されて、かわいそうに思った洗濯男はその赤子を家に
連れて帰ってミルクを飲ませて養育した。
さて、このライオンの子に何が起こったか、注意して聞きなさい。
 
このライオンの子は誰が自分の母親か知らずに洗濯男に養育された。
そして毎日彼と一緒に川に行った。
遂にこのライオンは大きくなって、洗濯男はこのライオンのロバに洗濯物を担
がせ始めた。
このライオンは他のロバと一緒に草を食べ始めた。

なぜなら、人は一緒にいる人の習癖を見習うものだから。
子どもが煙草を吸う人と一緒にいると、同じように煙草を吸い出す。
このようにして習癖というものが形作られるのだ。

ある日この「ロバ」は他のロバと一緒に野原で草を食べていた。
一匹のライオンがこれを見て言った、「一体全体どうしたことか? どうして
あのライオンはロバと一緒に草を食べているのか?
ライオンの餌はロバだ。
しかしあのライオンはロバと一緒に草を食べている。近寄って見てみよう。」

ライオンが近づいた途端、この「ロバ」も含めてすべてのロバは逃げ去った。
ライオンは素早く、この「ロバ」の首根っこを捕まえた。
「どうしたのだ、お前はライオンだ。それなのに私を恐れてロバ達と一緒に逃
出した。お前と私は一緒の家族に属するのだぞ!」

「いいえ、ライオン様、どうか嘘をつかないで下さい。私はロバです」と、年
長の思慮深いライオンにとらわれた若いライオンは震えながらそう言った。

「私はロバです。どうか私を食べないで下さい。私の兄弟達が私を待っていま
す。どうか許して下さい。どうか冗談を言わないで下さい。私は自分がロバで
あるのを知っています。」

「お前はライオンだ。お前がロバだと考えるのは馬鹿げた事だ。」と賢いライ
オンは言った。
「どうして私がライオンであると信じることができましょう。私はロバです。」
そこでこの賢いライオンはこの「ロバ」を川に連れて行って「水の上に写って
っているお前の顔を見てごらん、お前の顔は私の顔と同じではないのか?」

この「ロバ」は叫んでいった。「確かに私の顔はあなたの顔と同じだ!!」
「今度は口を開いて私のように吠えなさい」。この「ロバ」はどのようにして
吠えるのかしらなかった。誰も吠え方を教えなかったので、他のロバ達と一緒
にロバのように啼いていた。しかし、吠えることはライオンの本性だ。

そこでこの「ロバ」は口一杯あけて吠えたのだ。
その途端、この「ロバ」はライオンになった。
この吠え声が、本当の自分についての疑いを拭い去ったのだ。
そしてこのライオンはロバを食べる為にその後を追っていった(笑)。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

625鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/19(水) 23:16:51 ID:1d4drIFg0
誰もが生まれ育った環境によって、自己イメージを作ってしまうのじゃ。
それによって大抵は一生自分の能力を限定して生きるのじゃ。
自分自身を観察できればそれも変えられるのじゃ。
本来の自分の智慧と力を解放できるからなのじゃ。

626避難民のマジレスさん:2019/06/20(木) 01:29:31 ID:LC3de7YgO
>>624
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第1章 真我 ☆Part3(つづき)

さて問題は、このロバがどのようにしてライオンになったのか?
即座に彼はライオンになった。
何がこの「ロバ」をライオンにしたのか?
吠えたことだ。さもなければいつまでもロバのように啼いていた。

 このように、あなたはあなたを川に連れて行き、あなた自身の顔を見せてく
れる*サットグルが必要だ。
あなたはロバではないが肉体に束縛された人々のロバ的社会に住んでいる。

「私は束縛されている、私は苦しんでいる、私は死んでいく」という人々はす
べてロバだ。
グルは「あなたは束縛されていない」と告げる。
「私は自由だ」とライオンのように吠えなさい。
それがロバとライオンの区別をつけるのだ。

しかしあなたは「メー」とヤギのように啼いているだけだ。
というのもこれがあなたの住む社会の習癖だからだ。
悪い連れ合いをもつとライオンでさえロバになる。
あなたは、ロバのような両親のもとで育った。
これが違いを作るのだ。

あなたが私の前に来るときは、私は無理にでもあなたの顎を開かせて吠えさ
せる。
そうしないとロバはライオンの前にとどまることはできない。

何世にもかけて排泄した 自分の汚物の中にいるのを止めなさい。
ライオンになりなさい。
それはあなた次第だ。
延期して、大人になって、年を取って苦しむだけだ。
ロバがしていることをあなたはしているのだ。
誰かがあなたに汚れ物を担がせて、洗濯屋があなたのボスになるのかね?

 違う!! いつかあるライオンがあなたを見つけてあなたはライオンになる。
あなたは既にライオンなのだから。
ロバはライオンにはなれない。

  歪んだ愚かな社会だけがあなたをロバにするのだ。
  感覚はロバで、あなたの本性はライオンだ。
  永遠に形をとらない意識だ。
  
ライオンのサットグルがあなたを意識の湖に連れて行き、
  あなたの本当の顔を見せてくれる。
  「あなたは既に『それ』だ」、
  これがグルが言うべき全てだ。

私の親愛なる友よ、あなたは自由だ。
誰が「あなたは縛られている」と言ったのかね?
 考えてごらん、誰もあなたを縛ったことはないし誰もあなたの足に鎖をつけ
たことはない。
 あなたはただ「束縛されている」と考えているだけだ。
そしてその「考え」が束縛になる。

もし「私は自由だ」と考えるとあなたは自由だ。
それはあなた次第だ。
しかし「私は自由、あなたは自由」は唯一思考だ。
もしあなたが何も考えないとき、あなたは目覚めた人になる。
    
Q:私を川に連れて来て下さって有難うございます。
しかし、私は口を開いているだけで吠えてはいないのです。
    
 口を開けてあくびをするのは眠たいときだ。
吠えるということは目覚めるということだ。
ライオンが吠えているときは、ライオンが起きているという証拠だ。
森の動物達、鹿や兎達はその吠え声を聞いて逃げ回る。
しかしライオンがあくびをすると誰もがこう言う:「ライオンは眠っている、
さあ餌を探しに行こう」と。
吠え声を聞くと誰もが穴の中に隠れてしまう。
 
このようにあなたが吠えるとマインドの習癖や怠性、あなた自身を見つけるの
を妨害している平和の盗人、全てが逃出してしまう。
そうしてあなたは目覚めるのだ。
その吠え声とは「私は自由だ!」

肉体やマインドや目を肥やすために何かを探しているあなたはあくびをして
いるということだ。
だからあなたは吠えなければならない、「私は自由だ!」。
吠える為にはどこへ行くべきか?

あなたのエゴが眠っている、そのときがサットサンガにいく最適なときだ。
完全に眠っている人々は彼らの真我の吠え声を聞いたことがないので今なお眠
り続けるだろう。
そういう人たちは時機が熟していないのでサットサンガに連れて来る方法はな
い。
そういう人たちは眠らせておきなさい。

しかしあなたは目覚めていなさい。
サットサンガにやってきなさい。そしてライオンのように吠えるのだ!!

(´・(ェ)・`)
(おわり)

627鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/20(木) 22:58:46 ID:1d4drIFg0
悟るとは自分がなにものであるかを悟るということなのじゃ。
師は自分がなにものであるかを悟らせてくれるものなのじゃ。
自分がなにものであるか悟れば無我になるのじゃ。
更に無我を観る者さえ悟れば大悟徹底なのじゃ。

628避難民のマジレスさん:2019/06/21(金) 01:38:20 ID:LC3de7YgO
>>626
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第2章 サットグル:真のグル ☆Part1

   真我がサットグルだ。
  内なるものがあなたを助けてくれる。
  あなたの真の案内者は内に、
  知恵と知識は内に。
  しかしあなたの先入観のためにそれを見ることができない。
  サットグルは内に。
  「それ」だけを瞑想しなさい。

  サットグルは他の何よりも偉大だ、
  神でさえもかなわない。
  サットグルは真理-気づき-至福。
  サットグルは太陽、
  サットグルを見つけたらあなたの松明はもういらない。

  あなたは内なる真我の言葉を理解することができないので、
  サットグルが外なるグルとして現れる。
  あなたが自分は肉体だと考えているなら、肉体を持ったグルが必要だ。
  あなたに平和を与えてくれる聖人と一緒にいなさい。
  彼はサンサーラという砂漠の中で、
  涼しい木陰を与える大樹のようなものだ。

  このグルは羊のようなエゴの屠殺者だ。
  グルの役目は私はあなたの内にいると教えて、
  あなたは存在―意識―至福だと確信させることだ。
  真のグルは誰でもこう言うに違いない:
  「内を見なさい、あなたと真我とグルの間には何の違いもない。」

  宝物のありかをグルは教えてくれる。

  真のグルかどうかは頭の上のダイヤモンドや、弟子の数では判断できない。
  真のグルというのは、
  その人の現存があなたに平和を与え、
  欲望や執着や切望を取り除く人だということを知っていなさい。
  *1ジニャーニの松明の火は偽りの確信でできた家屋を完全に燃やしてしまう。
  しかし、*2カビールの言うように誰もこの火をありがたく受取る人はいない。

  グルは真理を知っている。
  この真理を、謙虚な弟子達に伝達する。
  目での一瞥、手で触ること、思考、
  あるいはアルナーチャラのように沈黙によって、真理を伝達する。
  この沈黙が不動の光だ。

  真のグルには弟子はいない、
  全てが「存在」であり、沈黙だけが話す。
  完璧なグルには教えることがない。
  なぜなら彼は、あなたはすでに自由だと知っているからだ。
  真のグルの「教えでない教え」は、「グルなし、弟子なし、教えなし」、
  「何もかつて存在したものはない」、この教えを言葉なしで伝えねばならない。
  この教えを言葉なしにあなたのハートに植え付けねばならない。
  もしあなたがそれを理解しようとしたら、
  それは頭の中に植え付けられることになる。

  真のグルは名前や形や概念を取り除く。
  説教師はあなたの首に縄をかけて捕らえようと、
  それらをもっと付け加えていく。
  説教師は死肉に集まる禿鷹のようにあなたにしがみつく。
  真のグルはそれぞれの弟子達が吸収することができるものを教えて送り返す。

  だからあなたはグルをテストしなければいけない。
  グルの系列を調べなさい。これは大変重要だ。
  グルの弟子への解答は、
  実質的な経験をあなたに与えることによって返答されるべきだ。
  聖者はマインドからではなく、無から答を出すからだ。

  マインドとマインドの付き合いには、どんな価値も美しさもない。

  真我に近づくことは、危険に瀕して歩いているようなものだ。
  二人は一緒には行けない。
  マインドや思考でさえも連れて行くことはできない、
  唯一あなたを助けてくれるのは真我だ。
  この「炎」に触れたものは全て「炎」になるように、
  聖者に触れて聖者になる。
  真我を知ると真我だけを見る。
  この真我があなたの真のグルだ。

  最終的にはあなたのグルとあなた自身、両方の名前と姿を取り除かねばならない。
  月を見たいなら、月を指し示している指にとどまるべきではない。
  名前と形のあるところには偽りがある。
  目に見えるものは何も自由を与えることができないのだから、
  名前と形は自由への障害となる。
  溺れかけているときは真我だけを掴みなさい、
  他のものを掴むと死ぬだけだ。
  サットグルは内に、「それ」だけを瞑想しなさい。
  真のグルは真我、
  他の全ては真我を指し示す指だ。 
  五つの要素でできたものに執着しないこと。
用語解説

*1ジニャーニ  智慧そのものの人、悟りを開いた人。

*2カビール   (1440-1518) インド、バナラシの聖人
(´・(ェ)・`)
(つづく)

629鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/21(金) 23:04:00 ID:1d4drIFg0
悟りを得た本物の師は常に弟子に自らの心の中を観るように教えるのじゃ。
それだけが真の師の仕事なのじゃ。
嵐の中の船のように時々心が迷う弟子に、常に自らの心を指し示す灯台のような存在なのじゃ。
心の中の自らの名前とイメージが見えたならば師の役目も終わるのじゃ。

630避難民のマジレスさん:2019/06/22(土) 10:22:02 ID:LC3de7YgO
>>628
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第2章 サットグル:真のグル ☆Part1(つづき)

  グルは目に見えようが見えまいが肉体ではない。
  どんな肉体にも依存しないことだ、
  それらは真理を指差している指にすぎないのだから。
  グルはあなた「自身」だ。
  エゴ自身ではなく、「今、ここ」にある「あなたの真我」だ。
  グルの姿を拒絶したら、至高のものだけが残る。

  あなた自身の真我を失うということは不可能だ。
  グルによってあなたは誰かと知らされることが必要なだけだ。
  このパイロットは愛と美で、この自由がマスターだ。
  ただ静かに座っていなさい、全てはうまくいく。
    
Q:グルとは何ですか。
    
 文字どうりの意味は「暗闇を取り除く人」という意味だ。グルはあなたのハート
を開いて、光を見せてくれる「それ」だ。グルは知恵と光そのものだ。

Q:どのようにして真のマスターを見分けるのですか?

 真のマスターは彼の言葉や行為を通して見分けることはできない。しかしあなたの
マインドは彼のまわりにいると静かになるだろう。マスターとしてのしるしや徴候が
言い伝えられているが、真のマスターにはどんな徴候もない。ともかく彼はメッセー
ジを言葉なしに伝えることができる。

Q:真我を実現するためにはグル、生きたグルが必要ですか?
                   
 生きたグルの恩寵なしに真我を実現することはできない。あなたが身体の中にいる
のなら肉体を持ったグルが必要だ。さもなければグルは内在しているがあなたはその
言語を理解できない。だから肉体を持った探求者には肉体を持ったグルが必要だ。そ
うして、対話を通じて探求者の疑問が取り除かれる。そして、探求者はグルが内にい
ることを理解する。

   「グルはあなたの内にいる」と教えるために、グルが外に必要だ。

グルはあなたの内なる無形性であなたもまた形の無いものだ。もしこれを知っている
のなら、肉体を持ったグルは必要ない。幸運にもあなたが肉体を持った真のグルを探
し出したのなら、決してこのチャンスを逃がすものではない。

Q:肉体を持たないマスターは、私のマスターになるべきパワーを持っていますか?
    
もしあなたが肉体を持たないマスターの言うことを聞くことができるだけのパワー
を持っているのなら、肉体を持ったマスターは必要ない。マスターはいつもそこに肉
体なしでいるのだから。「それ」はあなたを通じて話している。「それ」はあなたの
ハートの中にいる。彼の言うことに耳を傾けないのかね? あなたの内で教えている
、姿の無いマスターの言うことを聞かないのかね?

Q:はい、聞いています。
    
もし聞いていたなら、このような質問をするはずがない。

Q:生きたグルを持たない、キリスト教徒や仏教徒はどうなるのですか?
    
西洋にいようが東洋にいようが、あなたは生きたグルを見つけなければならない。
そしてそのグルをテストしなさい。そのグルの現存がマインドを静かにさせるのなら
、そのグルに従いなさい。一緒にいなさい。あなたは肉体だと考えるなら、あなたを
助けるために肉体を持ったグルが必要だ。
 自由になりたいという強烈な欲望を持っている人は、真のグルを見つけることがで
きる。私の場合がそうだが、グルがあなたの戸口にやって来るのだ。私は他のどんな
欲望もかなわないほどの一つの強烈な欲望を持っていたからだ。

Q:*3ラマナ・マハルシのように、ある人は肉体を持ったグルなしに真理を見つける
ことができたのはどうしてですか?
    
ラマナ・マハルシもまた、非常に大きな体格をしたグルを持っていたのだよ(笑)。
それはアルナーチャラだ。グルはどんな形もとることができる。アルナーチャラは沈
黙そのもので、不動だ。これらは真のグルの徴候だ。真のグルは言葉では教えない。
言葉では真理を伝えることはできないからだ。マハルシも又アルナーチャラのように
、沈黙の中で教えた。多くの他のグルは昼夜、犬のように吠えている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

631鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/22(土) 23:26:42 ID:1d4drIFg0
アルナーチャラとはマハリシの住んでいた山なのじゃ。
沈黙する山がマハリシのグルだったというのじゃ。
自然は常に人に沈黙を持って導いているのじゃ。
そこで深い瞑想に導いてくれるのじゃ。

632避難民のマジレスさん:2019/06/23(日) 00:05:34 ID:LC3de7YgO
>>630
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第2章 サットグル:真のグル ☆Part1☆Part2

  あなたが静かで、平和であるなら、この平和があなた自身のグルだ。
  「それ」はあなたの内を除いてどこにも見つけることはできない。

これが私たちが、*4オーム、*5シャンティ、シャンティ、シャティと唱えてサット
サンガを始める理由だ。マインドから生じる疑問を取り除くために、あなたはここで
質問することができる。しかしこれは単なるおしゃべりではない。疑いがないとき、
あなたは平和になる。

Q:グルを2人持つことができますか? それとも一人を選ばなければなりませんか?
    
全てがあなたのグルだ。岩は沈黙を教えてくれる。木は慈愛を、風は執着しないこと
を教えてくれる。グル、講師、心理学者、好きなだけ持つことができるが、あなたに
とってサットグルは一人しかいない。どのようにしてこのグルに会うのか? エゴな
しでだ。

  サットグルはあなた自身の真我の内にいる、
  他のどこにもいない。
  あなたのサットグルはあなたのハートに住んでいる、
  すべての存在のハートに住んでいる。
  内なるグルの言葉を理解することができないので、
  彼の恩寵として外に姿を現し、内を見るようにと教える。
  マハルシはいつも言っていたものだ、「真のグルは内に……」

多くのグルはこの事について話さないで、彼らの写真だけを持っているように強制す
る。これらのグルからは心の平和を得ることはない。とにかく、ラマナアシュラムに
行ってラマナのホールに座るだけで、平和がそれ自身であなたのところにやって来る
だろう。

用語解説

*4オーム  そこから全ての創造がおこる根源的な音

*5シャンティ 平和

Q:マスターと弟子の関係は何ですか? それはどのように働くのですか?
    
マスターというのは、あなたは光そのもので暗闇は決して存在したことがないとい
うことを教えてくれる人だ。(パパジは質問者の目を見つめて、一息して笑いながら)
これがどのようにして働くかだ。

なぜマスターと弟子の関係を望むのかね? 弟子とマスターの間には関係があると誰
が言ったのかね? どの本に書いてあったのかね? あなたはこれを聞いたことがあ
るだけで、この関係については何も知らない。もし私がそれについて話しても、あな
たはそれを理解することはできないだろう。

まず最初に、この関係の中に落ち込むことだ。そうしたら説明なしに理解することが
できる。あなたが誰かと恋に落ちたときは、愛についての説明は必要がないだろう。
もし7歳の娘に母親が恋について説明しても、少女は理解できないだろう。

この関係の中では努力しなくてよいのだ。最愛の人の前にいる時、この最愛の人はあ
なたに努力するようにとは言わないだろう。この最愛の人はあなたの面倒をみて、そ
の人がすることをすべて受け入れるだろう。愛の中では対話は必要ないので、何が起
こっているのかとたずねようともしないだろう。愛の中では、対話なし、質問なし、
答えなし。単に二人とも静かだ。

今あなたは静かで、あなたの最愛の人も静かだ。何か素晴らしいことが起ころうとし
ている。待ちなさい。

Q:あなたと私の間にはどんな違いがあるのですか? なぜあなたは椅子に座ってい
て、私は床の上に座っているのですか?
    
違いがあると信じている人が床に座り、信じない人が椅子に座るのだ。(笑い)

Q:グルは神と一つですか?
    
覚醒した人と神の間には何の違いもない。神というのは、大文字のGOD。宗教とは
何の関係もない。グルと神は両方とも形を持たない。形の無いところに違いは存在し
ない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

633鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/23(日) 23:16:48 ID:1d4drIFg0
ここでパパジは最大最高の教えを授けたのじゃ。
相手の眼を見ることで永遠の意識を見せたのじゃ。
相手がサマーディ位にまで達していたら、師の一瞥によって無我にも辿り付けたじゃろう。
残念ながら何も感じられなかったようであるがのう。
言葉の無い教えこそ最も偉大な教えなのじゃ。

634避難民のマジレスさん:2019/06/24(月) 00:14:17 ID:LC3de7YgO
>>632
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第2章 サットグル:真のグル ☆Part2(つづき)

Q:不滅性については何も知りませんが、マスターが死ぬと何が起こるのですか?
実体は残るのですか? 私のグルがかなり前に亡くなったのですが、彼はまだ私の助
けになるでしょうか? あなたのグルが亡くなったとき、あなたにとってそれはどう
でしたか?
 
私のグルは死んではいない。私のグルはただの骨と皮と血と骨髄だと、決して思っ
たことがない。私には私の大切なグルだけしか見えない。そのグルは内に、あなたの
「真我」の中に。内なるこれが外に現れて、「私はあなたの内にいるよ」と教えるの
だ。もしあなたのグルが生きている間にこの教えを明らかにしていたら、今そんなに
悲しむ必要はないのだが。

グルの教えはグルの肉体よりもっと大切だ。カップの中の水を飲む時、カップを食べ
て水を捨ててしまうのかね? そうじゃない、カップの中身がもっと大切で外側では
ない。外にあるのはただの器で、器の中に何があるのか誰も知らない。

肉体のないあなたのグルは、目に見えない姿であなたのハートの中に今もいるのだと
いうことを見てごらん。この見えない姿は決して死なない。内を見るとこれが分かる
だろう。あなた自身もまた、見えない姿にならなければならない。そうすると、あな
たが愛した全ての人の見えない姿を見ることができるだろう。

誰かを深く愛すると、たとえその人が死んでも、目を閉じたらその人を見ることがで
きる。たとえ眠っていても夢の中でその人を見ることができる。しかし、その愛は非
常に親密な愛、真の愛でなければならない。あなたが心の底から真にその人を愛する
時、その人は決してあなたから離れることはない。

あなたは今ここにいるのだから、2〜3日滞在してあなたが見逃したものを見つけ出し
なさい。グルは決して死なないのだから、グルに対する執着は永遠に残るだろう。

Q:どうか内なるグルを見つけるのを助けて下さい。
    
外なるグルが内なるグルの居場所を教えてくれる。頭の中で多くのことが起こって
いるので、内なるグルが隠れ続けて来た。だから内なるグルを見ることができないの
だ。

  内なるグルが見えないのは、
  どこか他の場所を見ているからだ。
  外側を見るのをやめなさい、
  そうするとあなたの努力なしで
  「それ」がそれ自身で姿を現すだろう。
  愛と快楽を追い求めるマインドをただ止めるだけでよい。

マインドはあらゆる所からあなたのお尻を蹴りながら、延々と物を追い求めて走り続
けるように計略を仕掛ける。少数の人がこれらのずる賢こい計略から自由でありたい
と望む。少数の人がマインドの奴隷になるのを拒否して、自由になることを決心する。

  マインドを奴隷としてコントロールしなさい、
  そうするとマインドは非常に役に立つものだ。
  このマインドへの計略を外なるグルから学びなさい。
  奴隷をコントロールすること、奴隷を愛すること、奴隷を静かにさせておくこと。
  マインドを困らせないこと、マインドがあなたを困らせるのを許さないこと。
  これがマインドのコントロールの仕方だ。  

全ての人がこれをすることができると言うわけではない。少数の人がこの試みに成功
するだろう。

Q:グルへの奉仕について話して下さい。私がここにいることであなたの役に立っているのでしょうか?

 グルから知識を受け取るには12年間グルに奉仕しなければならないと私はかって言
ったことがある。昔はこれが伝統であった。今、人々は大変急いでいる。人は私のと
ころにやって来て、「自由が欲しい、今夜の便で帰らなければならない」(笑)そう
いう人たちには私はこう言ったものだ。

「他の興味にロープをつないでおいて、急いでやって来て自由が欲しいとは何事だ!
昔は12年間のテストと言ったものだ。」

本当に自由が欲しい人でない限り、人々は逃げ帰ってしまった。グルを騙しにやって
きた人は、12年間のグルへの奉仕と言うと逃げ帰ってしまった。その目的の為に、弟
子はグルに12年間奉仕するように言われた。12年後にグルは弟子に知識を与えたもの
だ。

ここでは私は12年間要求しない。私はあなたの時間のほんの瞬間が欲しいだけだ。人
々にはそれさえも難しいようだ。あなたの全人生の中でほんの一瞬、ここで私と一緒
にいて欲しいだけだ。

殆どの人にはこれができない。この瞬間を見逃したら、35億年の生と死の輪廻を又め
ぐり続けねばならないのに。あなたは今ここにいるのだからたった一秒間、私と一緒
に過ごしてほしい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

635鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/24(月) 23:49:19 ID:1d4drIFg0
内なるグルの導きは修行者が真に悟りを求めるようになったら来るものじゃ。
カラスの声とか鐘の音とか経文とかあらゆるものに現われるのじゃ。
万物は全て意識であるからのう。
内なるグルは常に全てから導きの手を差し伸べているのじゃ。

636避難民のマジレスさん:2019/06/25(火) 05:28:04 ID:LC3de7YgO
>>634
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第2章 サットグル:真のグル ☆Part2(つづき)

Q:私は私のグルが亡くなる前、9年間彼に仕えました。
    
 あなたはよい顔つきをしている、9年間の献身があなたの顔に輝いている。あなた
の前のグルが、*1ラクナウで後の3年間をすごすようにとあなたをここに連れて来た
のに違いない。だからあなたはここにいるのだ。これが前のグルの目に見えない恩寵
だ。

3年間ここにいなさい。自由になる為の非常に簡単な方法を教えてあげよう。

外でサットサンガにやって来る人たちの履き物をきれいにしなさい。これがあなたの
エゴを拭い去るだろう。サットサンガホールの準備が整ってからやって来るのではな
い、準備をする為にやって来るのだ。椅子を拭いて、床を掃いて、靴も磨くのだ。一
日でもよいからこれを試しなさい。これがあなたのエゴをきれいにする。エゴがなく
なると無になることが可能だ。
   
Q:あなたの為に何かできますか?
   
今言ったばかりだ。私の為に何もする必要はない、みんなの為にそれをするのだ。
みんなの世話をしなさい。そうすると彼らはあなたに会うのが楽しみだ。「神に仕え
るよりも神の帰依者に仕えたほうがよい。」これが言われていることだ。

寺院に行くと、入り口でほこりを集めて額にこすりつけて入る。エゴの無い人にとっ
ては寺院のほこりさえ神聖だ。それがなされるべきことだ。さもないとエゴが強すぎ
て今世で解脱することはできないだろう。

Q:あなたは毎日私たちに愛を降り注いで下さいますが、私はそれに値するほど純真
ではないと感じています。

あなたの中に不純さを見つけ出したのはよいことだ。そうして初めてあなたのハート
を清めようと試みるが、誰も自分のハートの不純さに気づく人はいない。まずあなた
自身の不純さを清めることから始めなさい。

あなた自身のマインドが清められると、他人のマインドの不純さは目に付かなくなる
だろう。だから、不純なもの、思考を取り除きなさい。思考のあるところには不純さ
がある。思考がないとき、あなたは全てに値する。

Q:グル自身が弟子の夢の中に現れるというのは本当ですか?
   
非常に真剣な探求者で、グルを見つけることができない人々にこれが起こるものだ。
夢の中で指示が与えられる。私の場合、私のグルはこのようにして最初に現れた。

*2エクナスのグル、*3ジャナルディンスワミもまた夢の中で彼のところにやって来
た。エクナスは夢の中である住所を与えられた。夢から覚めて、その住所に行って、
そこに彼のグルを見つけて彼は悟った。

真剣な求道者でありなさい、そうするとあなたはグルを見つける必要はない。あなた
のグルがあなたを見つけるのだから。神でさえあなたのところにやって来るだろう。
   
Q:今朝目が覚めた時、昨夜あなたが私の夢の中にやって来たのを思い出しました。
私たちは川辺に座っていて、私はあなたに一輪の花を手渡しました。あなたは花を見
て微笑んで“川の行方は一つだ”といいました。
   
私はあなたを仏陀の時代へと連れて行こう。

 仏陀とその弟子達は静かに座っていた。 
そこにカシャップ(迦葉)がやって来て、微笑みを浮かべて一輪の蓮の花を仏陀に手
渡した。
仏陀は微笑みを返して、その時カシャップは悟った。マハカシャップ(摩訶迦葉)に
なったのだ。

それ以来、何世紀にも渡って人々はこの意味を探りだそうとした。一輪の花を手渡す
、微笑、悟り。これは大変な教訓だ。

あなたは一輪の花を摘んでグルの所に持って来る。グルは微笑む。グルからの微笑で
どうしてカシャップが悟りを得たのか、誰も正確な意味を探り出すことができない。
もしその意味を理解したいなら、静かにして、ただ見ていなさい。カシャップがそこ
に戻って来るだろう。それは非常に簡単だということを意味している。

一輪の花を持っていく、グルに差し出す、彼は微笑む。そしてあなたは悟りを得る。
なぜグルが微笑んだのかと尋ねないこと。何も尋ねないこと、そうするとあなたは花
のように咲きほころぶのだ。

多くのことがこの話に付け加えることができる。しかし何も尋ねないこと。そこには
深い意味があるのだ。あなた自身でその答えを見つけ出さねばならない。私があなた
に与える質問は……
  
 一輪の花とは何か?
   どのようにして花を差出したか?
   微笑の意味は?
   誰に花を与えたのか?
   花の意味するものは何か?

用語解説

*1ラクナウ インドのウッパルプラデッシュ州の首都、パパジが住んでいた町

*2エクナス (1533-99)インド、マハラシュトラ州の聖人

*3ジャナルディンスワミ インドの聖人

637鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/25(火) 22:59:27 ID:1d4drIFg0
禅でも作務という日常の作業を修行として行うのじゃ。
掃除や洗濯や炊事等を黙々と行うことでエゴを滅する修行になるのじゃ。
修行する自分が特別な存在であるというエゴが消えていくのじゃ。
そのようにすることで自我も滅しやすくなるのじゃ。

638避難民のマジレスさん:2019/06/25(火) 23:36:20 ID:LC3de7YgO
>>636
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第2章 サットグル:真のグル ☆Part2☆Part3

Q:思考を殺すための鋭い武器がほしい。

鋭い知性を持った人に降伏しなさい、戦争と平和の計略に詳しい人に降伏しなさい。
彼にあなたの戦車の手綱を委ねなさい。彼の命令に従いなさい。グルへの降伏という
武器意外に鋭い武器はない。彼があなたのために戦ってくれる。

   私はグルに降伏するように助言する、
   内側から彼の言うことを聞きなさい。
   そして、肉体は機械と思いなさい。
   あなたがそれを動かすのではない、それはただ動いている。
   ハートに座している御者を見つけなさい、
    そうするといつも平和でいられるだろう。

Q:平和を見つける為に、あなたの前に座ってあなたの目を見つめても宜しいでしょ
うか?
   
その人の目を見つめたら平和と休息を見つけられると誰があなたに教えたのかね?
それには真実味がある。マインドが静かな人の目を見つめると、あなたもまたあなた
「自身」の中に平和を見つけることができる。マインドが不動な人の目を見つめるか
、その人のハートを見入るかどちらかだ。そうしてあなたのマインドは静かになる。
あなたは平和を見つけることができるだろう。

この目に引き付けられて、他のものを見るのを忘れてしまう。今度はあなたの目を、
あなたの目の後ろを見つめてごらん。外側の対象物でなく目の後ろを見てごらん。そ
うすると、どのようにして静かにしていられるかという「コツ」を見つけることがで
きる。

Q:西洋に帰ると古い習癖が又戻って来る、と考えるのはマインドの罠ですか? ど
のようにマスターの現存が「自由であること」を助けるのでしょうか?
   
 西洋に帰ると心の平和が乱されるとどうして考えるのか? あなたがここにやって
来たときは不安があった。今あなたは平和を知っている。平和をあなたとして持って
帰りなさい。

誰もこの平和を乱すことはできない。「これ」や「あれ」を望むことで、あなた自身
の平和をかき乱すのはあなたなのだ。今これを試してごらん。あなたの平和は決して
乱されることはなく、あなたはいつもサットサンガにいるだろう。

真に幸運な人だけがサットサンガにやって来る。何億年もの間、何世にも渡ってサッ
トサンガを熱望していたに違いない。その間に苦行や修業をしたに違いない。だから
今この平和を勝ち得るのだ。そのために相応しい年齢だ。あなたはサットサンガでは
非常に若い年代だ。これは珍しいことだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

639鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/26(水) 22:42:11 ID:1d4drIFg0
欲を持ち、執着して苦しむのも自分の心が起こすことなのじゃ。
場所とか人によってなるのではないのじゃ。
自ら意志を起こして欲を遠ざけ、執着を無くすならばどこにいても心は鎮まるのじゃ。
実践が全てなのじゃ。

640避難民のマジレスさん:2019/06/26(水) 23:44:34 ID:LC3de7YgO
>>638
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第2章 サットグル:真のグル ☆Part3(つづき)

Q:イエスキリストが生きているのと同じような意味で、ラマナ・マハルシはまだ生きていますか?
   
ラマナ・マハルシは生きている。これは信じることではなく真実だ。何も創造され
なかったし、何も消滅したものもない。全てがいつもここにある。

目覚めた人だけがこれを見ることができる。全ての存在はまだ「ここ」にいる。それ
らは決して消えることはない。どこに行くことができるのだ? それらは「ここ」に
とどまっている。全宇宙の全存在はあなたのハートの中に存在している。他に存在す
るところはない。

  ハートそのものの中に全ては存在し続ける。
  あなたのハート以外に何もない。
  宇宙の中の全てのもの、始まりから終わりまで、山脈から流星まで、
  全てはあなたのハートの中の点にすぎない。
  あなたも「ここ」にいる、全ては常に存在する、これが究極の知識だ。
  創造はない、保存はない、破壊はない。
  創造者が現れる以前からそれはあるがままにあったし、
  あるがままにあり続けるだろう。
  創造者はこのハートの本質から生まれて来るのだ。

(パパジはアメリカからの長い手紙を読んでいる。自由に向けての何年もの葛藤、自由
にもっと近づくために環境を変えようと試みている人の話だ)

私が今読んだ手紙に対する私の意見は、自由でありたいという切望が内から湧き上が
って来ているが、まわりの環境がそれを許さないので環境を変えたということだ。

彼は、真のグルの近くにいて学ぶということをしたことがない。これ以外のことは全
てやり遂げた。そして今は砂漠や僧や尼僧に執着している。あなたはどこでも好きな
ところに住むことができる。山と街になぜ区別をつけるのか、なぜ違いがあるべきな
のか? 違いがあるのは、マインドがあなたを騙しているからだ。

街のど真ん中で静かにしていることはできるが、ヒマラヤの洞窟では静かにしている
ことができないかもしれない。環境のことは忘れてしまいなさい。

  あなたの人生で、愛と平和を知っている人、
  それを手渡してくれる人と一緒にいるのがよい、
  このマスターは、人生の荒波を乗り切ってあなたを運ぶ筏だ。
  筏なしで人生の荒波を越えていくのは簡単ではない。
  山中であろうが家の中であろうが、瞑想で時間を無駄にしないこと。
  その代わり、マスターのところに行きなさい。
  マスターが筏だ、それがあなたの面倒を見てくれる。
  唯一筏があなたを運ぶ、瞑想や努力はあなたをどこへも運ばない。
  この筏がマスターだ、この事を知りなさい。
  時間を無駄にしないこと、彼自身の真我を知っているその人を探しなさい。
  その人は、あなたの全く知らないことを教えることができる。

  今がその時だ、この機会を無駄にしないこと。
  ここでは私は瞑想や修練を教えない。
  ただ、静かにしていなさい。
  一瞬でよい、静かにしていなさい。
  マインドの坩堝をかき混ぜないこと。

一瞬のフィンガースナップで目覚めないのなら、私の前に来てこの公式はあなたには
適さないといいなさい。ここに来て私と顔を突き合わせてごらん。そうすると「静か
に座ったことがないので、愛と平和にあったことがない」ということはできない。こ
の挑戦は全ての人にオープンだ。今日、明日、明後日……。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

641鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/27(木) 21:42:17 ID:1d4drIFg0
クリシュナムルティも通常の集中的な瞑想を否定したのじゃ。
それは逆に心を鈍くさせ、習慣的にさせるからというのじゃ。
心を鎮めることが出来たら、それが真の瞑想になるのじゃ。
そのようにして瞑想する者の居ない瞑想は既にサマーディの領域に達しているのじゃ。

642避難民のマジレスさん:2019/06/27(木) 22:56:41 ID:LC3de7YgO
>>640
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第2章 サットグル:真のグル ☆Part3(つづき)

Q:あなたがラマナ・マハルシに逢った時、目覚めるのに殆ど時間はかからなかった
と聞きました。
ラマナ・マハルシの一瞥であなたは自由になったというのは本当ですか? その時の
グルの伝達力の本質は何ですか?
   
マハルシは、いつも目を開けたままホールに座っていた。特に誰を見るというので
もない、彼の目は空っぽであった。私が彼の前に座った時、彼は他の誰でもなく私だ
けを見つめていた。この一瞥は恩寵だ。恩寵は、グルの恩寵を最も必要としている人
の上に注がれる。

ウパニシャッドに書かれているように、一瞥で十分だ。グルからの一瞥、一触れ、一
言で十分だ。マントラを唱えたり、瞑想したり、修練したりする必要は何もない。し
かしあなたは神聖であらねばならない。その時、この一瞥は目の後ろに焼き付くだろ
う。その時、全身が沈黙と愛の中で光り輝く。

ラマナ・マハルシのその一瞥は、世界中のもっとも偉大な聖者や賢者の目とは比べ物
にはならない。それが真我から真我への一瞥だ。だから、もし賢者があなたを一瞥し
たなら、この世に生まれて来た目的は達したのと同じだ。カビールはこう言っている


  人間の姿をして、この世に生まれて来るというのは大変な祝福だ。
  だから、死ぬ前に今世で真理を悟るのだと決心しなさい。
  なぜ今世、なぜ今日ではないのか? なぜ今日だ、なぜ今ではないのか?
  急がないと、肉体からこの鳥が飛び去ってしまったら後悔するに違いない。

Q:私はマナリの山をとても愛していますが、山はあなたと一緒にいることに比べた
ら比べものになりません。あなたの近くにいると、真我探求や神への愛の深さを非常
に強く感じます。神、グル、真我は同じだと経典では言っていますが、この祝福され
た三位一体の秘密を明かして下さいますか?

*1ヴェーダでは神、グル、真我は同じだと書かれているのを私は知っている。しか
し、グルを通じてのみ神や真我を知ることができるのだから、私はグルが神や真我よ
り高い位置にいると信じている。ここで王の調髪師であった男の話をしよう。

この男は毎朝8時に王のところに行き、マッサージをし、髭を剃った。ある朝、いつ
ものように彼が王のところに行こうとしているとき、彼のグルが訪ねて来た。彼は喜
んでグルの身体を洗い、朝食と昼食を用意した。彼はすっかり王のところに行くのを
忘れてしまった。

グルを十分にもてなし、世話をした後で、彼は王を思い出した。「グルジ、私は王の
ところに行って王の足をマッサージしなければなりません。王はリューマチもちで2
時間のマッサージなしでは宮廷へ行くことはできません。今日、私は大変遅れてしま
ったので王は怒っているかもしれません。王が私を罰して、私は二度とここに戻って
来れないかもしれません」
グルは答えて、「さあ、行きなさい。しかし夕方には戻って来てお茶を入れて下さい


そうして彼は宮殿に向かった。彼が宮殿の門を入ると上官がにこにこして彼に微笑ん
だ。そして王の前に行ったら、王は膝まづいてお辞儀をした。「どうか殿下、私にお
辞儀などしないでください。これは罰よりも辛いものです。あなたが私を殺しても構
いませんが、あなたが私にお辞儀をするという辱しめは我慢ができません」。

王は説明した。「今朝のマッサージは非常によく効いて、何十年来初めて助けなしに
一人で歩くことができた。私の足は治ったのだ。ダイヤモンドのネックレスを褒美に
あげようとしたが、お前は既に帰ってしまったあとだった。」

この調髪師は敬礼していった、「親愛なる王様、長い間あなたにお仕えしましたが、
今日でおいとまいたします。これからは私のグルに仕えたいと思います。」そうして
、彼は残りの人生をグルと一緒に過ごした。

そう、私はグルを一番におきたい。そして真我、神だ。この事をあなたはここで学ぶ
だろう。

用語解説
*1ヴェーダ 最古のヒンディー教典

(´・(ェ)・`)
(つづく)

643鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/28(金) 22:59:14 ID:1d4drIFg0
目覚めた者が他の者も目覚めさせることが出来るのじゃ。
それは本当に寝ている者を起きている者が起こすようなものじゃ。
目覚めているという意識が他の寝ている者を揺り起こすのじゃ。
それには一瞥や一言でも十分なのじや。

644避難民のマジレスさん:2019/06/29(土) 00:09:30 ID:LC3de7YgO
>>642
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第2章 サットグル:真のグル ☆Part4
Q:「グルなし、教えなし、弟子なし」とあなたは言いますが、私はこの事について
少し疑問に思っています。明後日、私はフランスに帰ります。グルなしで、ラクナウ
に帰って来ることなしに、私の内なる声に従うだけで自由を獲得することができるの
ですか? 覚醒した人の恩寵、現存が必要なのではありませんか?
   
グルとグルの恩寵なしにあなたは目覚めることはできない、自由になることはでき
ない。明晰な目を持って、正にその角度に立っている人が月を指差すことができる。
偏見を持って、間違った場所に立って、間違った角度を見ている人は、月を見ること
はできないので助けが必要だ。

明晰な目を持った人は、あなたの目の向きを彼の指と一列に並べるようにと言う。す
ると木の上のカラスの頭が見える。そして、指とカラスの向こうを見ると月がそこに
ある。しかし、指やカラスの頭に捕まったなら月を見ることはできない。指針は月と
何の関係もない。

だから、明晰な目を持った人が指やカラスから目を離すように言う。グルの姿に執着
してはいけない。殆どのグルは指に執着している弟子を保持して、そしてグルも弟子
も満足している。エゴが膨張すると、指が崇拝されて月は忘れられる。

私心の無いグルだけが、グルを超えてゆくようにという。自分は単なる指針で、執着
する必要のないメッセンジャーだと宣言する。

私心の無い、明晰な目を持ってすべての人を助けるグルを見つけ出すのは難しい。

Q:あなたはグルなし、弟子なしといいますが、ここにいる多くの人々があなたから
恩恵を得ているのはなぜですか?
   
私がグルなし、弟子なしというのは、与える人と受取る人がいないということだ。物
理的な人はいないということだ。グルは物体ではないし、弟子も物体ではない。与え
る人は物体でもないし、受取る人も物体ではない。

これが私の意味するところだ、与える人はいないのだ。物理的な肉体には永遠性はな
い、肉体は現れては消え去る。肉体がどんな教えをあなたに与えることができるのか
? マインドと感覚が何を教えることができるのか? マインドや感覚そのものに永
遠性はない、常に変わり続けている。

  真の教えは唯一永遠によって与えられ、
  永遠によって受けとられる。
  永遠は永遠に何も与えるものはない、
  だからそこにはグルも弟子もない。
  あなたはすでに「それ」だ、
  物体ではない、感情ではない、心ではない。
  これらの形態を取り除くと他に何が残っているか、
  何が必要なのか見てごらん。

これを見つけるために非常に多くの方法がグルによって与えられるが、どれも時間を
かける価値はない。新しく得たものはすべて、いつか失うからだ。すべての獲得は一
時的な獲得だ。全ては来て、去っていくのだから。獲得しなかったものを見なさい、
すでにそこにあるものを見なさい。

あなたがすでに持っているものを、誰があなたに与えることができる? 私がグルや
教えはないというのはこのためだ。ある人たちはこれを信じることができないが、こ
れは事実だ。あなたは誰にも、自分にも依存することはできない。依存は平和や愛で
はない。何にも依存しないことが幸福だ。

何が平和か見つけなさい、外側からどんな助けも必要としないものを見つけなさい。
これは、いくら時間をかけて修練しても知ることはできない。時間の中では見つける
ことはできないとしたら、一体どのようにしてそれを見つけるのか?

時間そのものは幸福ではない、時間を感じる時はいつもマインドがある。マインド・
時間・思考の間には何の違いもない。だから、平和が欲しいなら時間のことを考えな
いことだ。思考はいつも過去のものだから、何も考えないことだ。

  平和は決して過去に属するものではない、平和はこの瞬間に現存する。

思考は過去のもの、マインドも過去のもの。どんな思考、マインドあるいは過去も持
ち込まないとき、その時が知恵と光と平和の瞬間だ。それは獲得したり、達成したり
できるものではない。

それはすでに「ここ」にある。すでにここにあるものを得るのに、経験は必要ない。
「平和は既にここにあるよ、グルから得ることはできないよ」といってくれる人が必
要なだけだ。

これを理解することができる人は非常に希だ。殆どの人は、平和とは感覚的な快楽だ
と思っている。そうではない。男と女のセックスから来るのではない、セックスから
の快楽は一秒で終わりだ。消えてしまわない喜びを見つけなさい。

用語解説
*1アシュラム 森の中の隠遁所、聖人やヨ-ギとその弟子達の住居。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

645鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/29(土) 22:53:45 ID:1d4drIFg0
修行者が時々修行している自分に自尊心をもってしまうように、グルと弟子の関係にも魔が起こることもあるのじゃ。
有名なグルの弟子であることで驕ったりすることもあるじゃろう。
まだ悟っていないグルは多くの弟子によって昂ぶることもあるじゃろう。
そのような関係は迷いの道でしかないのじゃ。
グルも弟子も迷いの内にある間だけの関係であり、それを越えていかなければならないのじゃ。

646避難民のマジレスさん:2019/06/30(日) 09:28:42 ID:LC3de7YgO
>>644
10「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第2章 サットグル:真のグル ☆Part4(つづき)

多くの聖者は何かしなければならないとあなたに忠告する。西洋では教会に行かねば
地獄に落ちるといわれている。あらゆる所でこの恐れが植え付けられる。世界中の瞑
想場ではヨガや奉仕や瞑想がスケジュール化されている、

ここラクナウでは何かをするようにとは言われない。することはもう十分だ、何億年
もの間多くのことをやって来たのだ。ここではあなたはもうやり手ではない。もし私
が自由を獲得するためにこれやあれをしなさいというと、自由は何かをした結果得ら
れるものだと勘違いする。自由はあなたが何をしたか、あなたが何をしているかとは
全く関係がない。

  ただ私と一緒にいなさい、
  あなたの「自由」は私の仕事だ。
  あなたは何もしないで、ただ静かにしていなさい。
  ほんの一つの思考でさえ浮かんでくるのを許さないことだ。

私はこれ程多くの休息をあなたに与える。他の人たちはいつも考えているけれども、
あなたは考えることさえ必要ない。私はもう一度言おう。あなたは何も考える必要が
ない、私があなたの代わりに考える。ほんの一秒間何も考えないなら、あなたがラク
ナウに来た目的を達したと知るだろう。

もしあなたが目覚めなかったら、私の喉元をつかんでお前は嘘つきだと言ってもよい
。それをする前にほんのフィンガースナップ、半秒、1/4秒、静かにしなさい。そ
して、この1/4秒間に目覚めなかったら言ってごらん。

Q:私の欲望の多くがラクナウで満たされるのはなぜですか? 望むことが全て実現す
るので私が望むことに実に注意しなければならないと言うポイントまで来ました。

ジニャーニの現存にやってくる人々の欲望は満たされる。それは壁にゴムボールを投
げつけるようなものだ。ボールは跳ね返ってくる。聖者は何もしないので聖者がその
欲望を満たすと言うことはない。彼は山のように不動だ。ともかくこの静寂に出会う
と欲望は満たされる。

静寂は近くにやってくる誰もに平和を与える、まれに成熟したソウルには悟りさえ与
える。聖者はあなたが欲しいものは何でも与える、たとえそれがあなたの運命でなく
とも。グルの舌は神や運命に支配されないからだ。

悟りへの欲望が在るなら聖者の静寂の中で、山のように静かに座っている無欲の人の
現存の中で、それは満たされる。グルの現存の中で静かに座っているだけで十分だ。
ジュニャーニのハートを勝ち得たら頼まなくてもすべてが与えられる。

Q:弟子のグルに対する強烈な愛と執着の為に、グルが来世に生まれ変わらざるをえ
ないというのは本当ですか?
   
それは不可能だ。グルというのは弟子を覚醒に導く人だ。マジック売りは、有名ない
わゆる聖人と呼ばれる人たちがそうだが、グルではない。

  グルというのは、弟子が頼まなくても弟子に光を与え、平和を与える人だ。

他の人はコマーシャルグルだ。金もうけや*1アシュラムの建築に興味があるだけ
だ。欲望なしのグルがよい。欲望のない人の平和は、世界中の誰とも比べものになら
ない。

グルの姿に執着すべきではない。いずれ消えゆくものは永遠ではない。すべての姿や
形は消えてしまうがその本質は形の無いものだ。もし形に執着するなら、間違いを犯
していることになる。あなたに光を与えるのは形ではない。それは何か、あなたのハ
ートに深く内在している何かだ。その何かが光を与えるのだ。

「それ」があなたのグルだ。そのグルは存在の全てのハートの中にいる。人間ばかり
でなく動物や植物の中にもいる。あなた自身の本質を内に見るとき、この事が分かる
だろう。そのとき、全ての植物や動物が私に話しかけたように、あなたにも話しかけ
るだろう。

Q:チベットのことわざに、「グルというのは火のようなものだ、近づくとあなたは
燃えてしまう。しかし、充分近くにいないと熱でさえも感じないだろう」というので
す。
   
これは本当だ。グルの近くに行くとエゴが燃え尽きてしまう。たとえ遠くにいても
あなたは燃えてしまう。ホールの後ろの方に行って試してみなさい。熱がそこにもあ
るのを感じるだろう。

あなたはここに座って熱を感じなさい。

用語解説
*1アシュラム 森の中の隠遁所、聖人やヨ-ギとその弟子達の住居。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

647避難民のマジレスさん:2019/06/30(日) 09:41:49 ID:LC3de7YgO
>>646
>マジック売りは、有名ないわゆる聖人と呼ばれる人たちがそうだが、グルではない。

←これは、サイババさんとか、インドにたくさんいるグルのことでありますかね。

サイババさんのガーヤトリーマントラを聞いたことあるでありますが、なかなか気持ちよかったであります。
(´・(ェ)・`)つ

648鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/06/30(日) 22:42:29 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃろう。
 コマーシャルヨーギとかも呼ばれるのじゃ。
 ヨーガが世界的に有名になったから、インドではヨーガで金儲けを企む者も増えてしまったのじゃ。
 伝統的な教えも少しは学んで知っているから、マントラも唱えられるのじゃ。
 ヨーガを少しだけやってみたいという者にはよいかもしれんのじゃ。

649避難民のマジレスさん:2019/06/30(日) 23:26:14 ID:LC3de7YgO
>>646
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第2章 サットグル:真のグル ☆Part4(つづき)

Q:「それ」の中に身を沈め、溺れてしまいたいので、私の手を取ってどうかそこへ
連れていって下さい。
   
溺死とは川や海にあなた独りで行くことだが、「私の手を取って、私は溺れたい」
とはどういう意味だ? 私には理解できない、このようにして溺死はできない。とい
うのは、あなたはあなたを沈ませまいとする防御者と一緒にいるからだ。

防御者を持たない人はサンサーラの海に溺れてしまうが、防御者と一緒のあなたは無
事にその海を渡ることができる。しかし、グルの加護を求める人は少ない。

カビールが言うには:
 人間は、このサンサーラの海の中で押し流されて地獄に行く。私は、何人かをこの
流れから引き上げて岸に連れてこようとしているが、多くの人はこの加護を拒否する


さて、尊くて賢いカビールがどうして次のように言ったのか、私には解らない。「人
がこの加護を受け入れないなら、尻を蹴飛ばして流れの一番早い川の真ん中に投げ込
め。」(くすくす笑い)。

カビールは大変物静かな人であったから、その人がこんな事を言うにはよほどの問題
があったに違いない。私の場合は尻を蹴飛ばすかわりに、世間の荒波に押し流されて
いる人のところに行って、私自身一緒に押し流されるのだ。

そして蹴飛ばすかわりに、その人にキスをしてこう提案するのだ。「私たちは押し流
されているので、この流れから抜け出しましょう。私は抜け出すのによい場所を知っ
ている。」そしてその人を世間の荒波から連れ出し、安全な岸まで連れて来る。だか
ら、たとえあなたは押し流されても引っ張り出される。力によってではなく、愛によ
って!!

Q:なぜ私たちは、あなたと一緒にいるというだけでこんなに幸福なのでしょうか?
たとえ、あなたが何も言わなくても人々は目覚めていきます。

真理があるところには引力がある。だから、人々は真理そのものであるその人のとこ
ろに行くのだ。姿ではなく、「それ」が人々を引き付けるのだ。知恵を持った人の姿
は、慈愛に溢れているので人を引き付けるのだ。「それ」がそれが持っているものを
与えたい。だから、人々はやって来て恩恵を得ているのだ。貧しい人には、他の人に
与えるものがない。しかし、王なら一握りの真珠や宝石をあなたに与えることができ
る。

Q: あなたの精神界への遺言は何ですか? あなたがなくなった後、何かが達成され
るのを見たいという野心がありますか?
   
私がここにいないという日は決してやって来ないだろう。あなたは35億年も行ったり
来たりして輪廻を繰り返しているとしても、私は「ここ」に、この場所にいる。永遠
に居続けたこの場所にいる。「それ」が私の住処だ。私は決してどこへも行かないし
、どこにも戻って来ない。

私には遺言など何もない。私がここにいようがいまいが、どんな違いもない。私は誰
にも何も押し付けないので、個人的な遺言や野心や何かが達成されるべきだという欲
望もない。

Q:あなたは肉体を離れた後、どこに行くのですか? 地球に戻ってきますか?
 
もし私が戻って来る為には、私は行かねばならない。もし私が行くなら、私は戻っ
てこなければならない。だから、真理は私が来るのでも、私が行くのでもない。これ
が真理だ。
誰が行くのかね? あなたは真我についてではなく、肉体について話している。真
我はやって来ないし、行きもしない。なぜ、「それ」がどこかに行かねばならないの
かね? 全ては真我の中に含まれているのだから、なぜ行かねばならないのか?

王は王国の全てが彼のものだから、あの家又は宮廷を買いたいという欲望は起こらな
い。だから、あなたが王になったときはどこかに行くという欲望はなくなるだろう。
ただ手を叩いただけで、全ては満たされるのだから。
   
Q:あなたの教えの本質は何ですか。
   
教えることを通じては得ることができない、「それ」について教えたい。私の教えは
教えることができない。全ての教えがそこから湧き上がって来る、その本質について
は教えることはできない。

この本質は全てを超越しているので、教えるとか教えないとかの問題ではない。「そ
れ」は、そこから全ての言葉が湧き上がって来るところの「それ」である。
   
Q:存在の源泉ですか?
   
そこから全てが、言葉も含めて全てがやって来るところだ。
(´・(ェ)・`)つ

650避難民のマジレスさん:2019/06/30(日) 23:26:47 ID:LC3de7YgO
>>646
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第2章 サットグル:真のグル ☆Part4(つづき)

Q:「それ」の中に身を沈め、溺れてしまいたいので、私の手を取ってどうかそこへ
連れていって下さい。
   
溺死とは川や海にあなた独りで行くことだが、「私の手を取って、私は溺れたい」
とはどういう意味だ? 私には理解できない、このようにして溺死はできない。とい
うのは、あなたはあなたを沈ませまいとする防御者と一緒にいるからだ。

防御者を持たない人はサンサーラの海に溺れてしまうが、防御者と一緒のあなたは無
事にその海を渡ることができる。しかし、グルの加護を求める人は少ない。

カビールが言うには:
 人間は、このサンサーラの海の中で押し流されて地獄に行く。私は、何人かをこの
流れから引き上げて岸に連れてこようとしているが、多くの人はこの加護を拒否する


さて、尊くて賢いカビールがどうして次のように言ったのか、私には解らない。「人
がこの加護を受け入れないなら、尻を蹴飛ばして流れの一番早い川の真ん中に投げ込
め。」(くすくす笑い)。

カビールは大変物静かな人であったから、その人がこんな事を言うにはよほどの問題
があったに違いない。私の場合は尻を蹴飛ばすかわりに、世間の荒波に押し流されて
いる人のところに行って、私自身一緒に押し流されるのだ。

そして蹴飛ばすかわりに、その人にキスをしてこう提案するのだ。「私たちは押し流
されているので、この流れから抜け出しましょう。私は抜け出すのによい場所を知っ
ている。」そしてその人を世間の荒波から連れ出し、安全な岸まで連れて来る。だか
ら、たとえあなたは押し流されても引っ張り出される。力によってではなく、愛によ
って!!

Q:なぜ私たちは、あなたと一緒にいるというだけでこんなに幸福なのでしょうか?
たとえ、あなたが何も言わなくても人々は目覚めていきます。

真理があるところには引力がある。だから、人々は真理そのものであるその人のとこ
ろに行くのだ。姿ではなく、「それ」が人々を引き付けるのだ。知恵を持った人の姿
は、慈愛に溢れているので人を引き付けるのだ。「それ」がそれが持っているものを
与えたい。だから、人々はやって来て恩恵を得ているのだ。貧しい人には、他の人に
与えるものがない。しかし、王なら一握りの真珠や宝石をあなたに与えることができ
る。

Q: あなたの精神界への遺言は何ですか? あなたがなくなった後、何かが達成され
るのを見たいという野心がありますか?
   
私がここにいないという日は決してやって来ないだろう。あなたは35億年も行ったり
来たりして輪廻を繰り返しているとしても、私は「ここ」に、この場所にいる。永遠
に居続けたこの場所にいる。「それ」が私の住処だ。私は決してどこへも行かないし
、どこにも戻って来ない。

私には遺言など何もない。私がここにいようがいまいが、どんな違いもない。私は誰
にも何も押し付けないので、個人的な遺言や野心や何かが達成されるべきだという欲
望もない。

Q:あなたは肉体を離れた後、どこに行くのですか? 地球に戻ってきますか?
 
もし私が戻って来る為には、私は行かねばならない。もし私が行くなら、私は戻っ
てこなければならない。だから、真理は私が来るのでも、私が行くのでもない。これ
が真理だ。
誰が行くのかね? あなたは真我についてではなく、肉体について話している。真
我はやって来ないし、行きもしない。なぜ、「それ」がどこかに行かねばならないの
かね? 全ては真我の中に含まれているのだから、なぜ行かねばならないのか?

王は王国の全てが彼のものだから、あの家又は宮廷を買いたいという欲望は起こらな
い。だから、あなたが王になったときはどこかに行くという欲望はなくなるだろう。
ただ手を叩いただけで、全ては満たされるのだから。
   
Q:あなたの教えの本質は何ですか。
   
教えることを通じては得ることができない、「それ」について教えたい。私の教えは
教えることができない。全ての教えがそこから湧き上がって来る、その本質について
は教えることはできない。

この本質は全てを超越しているので、教えるとか教えないとかの問題ではない。「そ
れ」は、そこから全ての言葉が湧き上がって来るところの「それ」である。
   
Q:存在の源泉ですか?
   
そこから全てが、言葉も含めて全てがやって来るところだ。
(´・(ェ)・`)つ

651鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/01(月) 22:42:48 ID:1d4drIFg0
目覚めた者は常に言葉に出来ないそれを説いているのじゃ。
言葉に出来ないから修行法や比喩などを通じて教えるのじゃ。
修行者がそれに到達したときにのみ、その教えが分かるのじゃ。
それまで実践あるのみなのじゃ。

652避難民のマジレスさん:2019/07/02(火) 07:53:08 ID:LC3de7YgO
>>650
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第3章 恩寵 

真我の恩寵で自由への欲望が湧きあがる。
  神の恩寵でグルのところにやって来る。
  グルの恩寵で全ての疑問が取り除かれ、
  そして自由になる。

 「 私は自由でありたい」が最初の恩寵だ。
  自由そのものがあなたを呼んでいるのだ。
  この欲望があなたをこの欲望の源泉へ連れていく、真我へ。
  他の欲望の全てはこの欲望の火の中で燃えてしまうだろう。

  全てのマスターと真我の恩寵であなたは自由に到り着いた。
  この事実や自由について決して疑わないことだ。

  恩寵はグルと恩寵に価する弟子との間に存在する、
  他のどこかでそれを手に入れることはできない。
  この恩寵は世界中で匹敵するものがない。
  恩寵はそれに相応しい弟子にのみ与えられる。
  
それに相応しい弟子というのは純粋なハートを持ちグルに献身する弟子だ。
  真理は神聖な人を誉めたたえる。
  あなたが神聖なら、グルはあなたを受け入れて
  彼の恩寵をあなたに授けるのだ。
  
自由を選ぶのはあなたではない。恩寵があなたを自由の獲得の為に行かねばならない
ところ、サットグルに連れて行くのだ。恩寵があなたに必要なもの、自由の道か、献
身の道かを与える。恩寵があなたに必要のないもの、思考と欲望を取り除く。恩寵な
しにサンサーラの荒波を乗り越えることはできない。恩寵なしに覚醒はない。

この平和と愛は苦行や瞑想によって得ることはできない。しかし、もしグルがあなた
に満足したなら、グルの慈悲によって恩寵の*1プラサードをあなたに与えるのだ。
そしてあなたの探求の旅は休息と共に終わる。それは贈り物だ。

恩寵を要求することも命令することもできない。神はあなたの欲望を満たすことがで
きるし、天国に連れていくこともできる。しかし、彼らはあなたに恩寵を与えること
はできない。
だから、注意して何が恩寵で何が恥辱かを知りなさい。

王が彼の妻に王国を与えるのは恩寵ではなく、彼の他の目的を満たすためであって、
これは恥辱だ。このようにあなたが世界から得るものはすべて恥辱だ。

Q:いつも真我の恩寵を感じて私の人生を過ごしたい。
    
 何をしていようともこの欲望を持ち続けることができる。これはあなたの仕事の邪
魔にはならない。ここで学んだことはあなたがどこへ行こうともあなたの内に定着し
ている。ラクナウにいようが、ヒマラヤの洞窟にいようがサンフランシスコのスーパ
ーマーケットにいようが問題ではない。

そこに何の違いもないということを知ったなら、幻想の海を一つ乗り越えたと言える
。「ここ」から始めなさい。あなたの行きたいところに行き、あなたの好きなところ
にいなさい。

Q:私はあなたをとても愛しています。この愛は私の真我に対する愛だと知っていま
す。あなたを通じて光り輝いている恩寵と知恵に感謝いたします。
 
 あなたは大変美しい。I LOVE YOU、これが私が言える全てだ。もし、誰
かが私を愛するなら、その人は私のハートの中に座っている。私を愛する人は私のハ
ートに座って私と親密になる。私を愛する人はこれ以外にすることは何もない。この
愛には恐れがない。そして決して消えることはない。

用語解説
*1プラサード  神、グルからの贈り物、授け物。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

653避難民のマジレスさん:2019/07/03(水) 06:30:31 ID:LC3de7YgO
>>652
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第3章 恩寵 

Q:あなたの恩寵で起こるべき全ては起こっていると確信しています。このおかげで
私自身の深まりを感じています。この恩寵は肉体的にあなたに近づけば近づくほど強
くなるのですか? もっと得やすくなるのですか?
    
恩寵については肉体的にグルの近くにいようがいまいが違いはないが、グルの肉体的
現存が得られるのならグルの近くにいたほうがよい。この半世紀にほとんどの賢人や
聖人は肉体を離れてしまったので、もしグルの現存が得られるのならその現存を最大
限に利用しなさい。

グルの現存の中にいると疑問がわきあがる。それをグルに尋ねることによって明らか
になる。もし現存が得られないときは、疑問が即座に明らかにされないので真理を信
じるのが難しくなる。

  グルの現存を最大限に役立てなさい。

 恩寵に対してはグルがいるかいないかは問題ではない。たとえばブッダ、多くの人
が決して彼に会ったことはないがその恩寵を得ている。しかし、カシャップやアナン
ダのようにもし多くの人々がブッダの時代にいたら、彼の現存の恩寵を楽しんだに違
いない。

ブッダのニルヴァーナの日、彼の肉体に死が近づいていた。その時ある男がブッダに
会いに来たが、「ブッダは今すぐにも肉体を離れるだろう」と弟子達に拒否された。
しかし、ブッダはその男に会って瞬時に彼の全ての疑問を明らかにした。そして、ブ
ッダの息が永久に止まった。

ブッダの現存によって500人以上の人が悟りを得た。まさに最初の彼の説教から人
々は悟った。今日、いまだに何億という人々がブッダの恩寵を得ている。もし、あな
たがグルといられる機会があるのなら、決してそれを見逃さないことだ。

Q:時間と空間は幻想で、恩寵は真理だということを知っています。だから、恩寵は
時間と空間を超越すると言ったほうが私には意味をなします。
    
これは正しい。時間と空間はない。それはマインドの概念で、それが超越されたとき
、それは消えてしまう。その時あなたは全てを成し遂げて、これ以上何もすることは
ないと確信しなければならない。悟ることが人間として生まれて来て唯一達成する価
値のあることだ。

Q:私があなたの近くにいると大きな変化を感じます。これが恩寵の本質についても
っと知りたい理由です。
    
恩寵の本質は悟らせること、生と死の輪廻を止めること。

 このことを完全に信頼しなければならない。あなたは再び生まれて来ないというこ
とを知りなさい。さらにこの現在の誕生は幻想だということも知りなさい。

そして、世界の全てが、太陽や月や星も含めて、幻想だということを明確にしなさい
。世界は本当に存在すると考えると世界は本当になるのだ。何も考えないとき、目に
見えるものは何もない。

あなたがここにいて、私があなたの質問に答えられるのは嬉しいことだ。

Q:「降伏」の過程で果たす恩寵の役割は何ですか?
 
恩寵のみでサットグルに、あなたの真我に降伏できる。あなたの努力でできるもので
はない。だから、グルを満足させ喜ばせなければならない。そうすると、グルは幸福
であなたに恩寵を授けるのだ。この恩寵であなたは全てをグルに明け渡すのだ。これ
を唯一降伏というのだ。

あなたのマインドと努力を使っては降伏できない。内なる何かがあなたを降伏させる
のだ。あなたは神の手の中の道具になるだろう。神が働いているのだ。神の意志を実
行させなさい。

全ての人は「私の意志」を実行したい。彼らは「これが欲しい、あれが欲しい」とい
う、しかしこの意志は90年ほど続くだけだ。そして最終的な恩寵はあなたが降伏し
たときやって来る。これが恩寵だ。他に道はない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

654避難民のマジレスさん:2019/07/03(水) 06:30:40 ID:LC3de7YgO
>>652
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第3章 恩寵 

Q:あなたの恩寵で起こるべき全ては起こっていると確信しています。このおかげで
私自身の深まりを感じています。この恩寵は肉体的にあなたに近づけば近づくほど強
くなるのですか? もっと得やすくなるのですか?
    
恩寵については肉体的にグルの近くにいようがいまいが違いはないが、グルの肉体的
現存が得られるのならグルの近くにいたほうがよい。この半世紀にほとんどの賢人や
聖人は肉体を離れてしまったので、もしグルの現存が得られるのならその現存を最大
限に利用しなさい。

グルの現存の中にいると疑問がわきあがる。それをグルに尋ねることによって明らか
になる。もし現存が得られないときは、疑問が即座に明らかにされないので真理を信
じるのが難しくなる。

  グルの現存を最大限に役立てなさい。

 恩寵に対してはグルがいるかいないかは問題ではない。たとえばブッダ、多くの人
が決して彼に会ったことはないがその恩寵を得ている。しかし、カシャップやアナン
ダのようにもし多くの人々がブッダの時代にいたら、彼の現存の恩寵を楽しんだに違
いない。

ブッダのニルヴァーナの日、彼の肉体に死が近づいていた。その時ある男がブッダに
会いに来たが、「ブッダは今すぐにも肉体を離れるだろう」と弟子達に拒否された。
しかし、ブッダはその男に会って瞬時に彼の全ての疑問を明らかにした。そして、ブ
ッダの息が永久に止まった。

ブッダの現存によって500人以上の人が悟りを得た。まさに最初の彼の説教から人
々は悟った。今日、いまだに何億という人々がブッダの恩寵を得ている。もし、あな
たがグルといられる機会があるのなら、決してそれを見逃さないことだ。

Q:時間と空間は幻想で、恩寵は真理だということを知っています。だから、恩寵は
時間と空間を超越すると言ったほうが私には意味をなします。
    
これは正しい。時間と空間はない。それはマインドの概念で、それが超越されたとき
、それは消えてしまう。その時あなたは全てを成し遂げて、これ以上何もすることは
ないと確信しなければならない。悟ることが人間として生まれて来て唯一達成する価
値のあることだ。

Q:私があなたの近くにいると大きな変化を感じます。これが恩寵の本質についても
っと知りたい理由です。
    
恩寵の本質は悟らせること、生と死の輪廻を止めること。

 このことを完全に信頼しなければならない。あなたは再び生まれて来ないというこ
とを知りなさい。さらにこの現在の誕生は幻想だということも知りなさい。

そして、世界の全てが、太陽や月や星も含めて、幻想だということを明確にしなさい
。世界は本当に存在すると考えると世界は本当になるのだ。何も考えないとき、目に
見えるものは何もない。

あなたがここにいて、私があなたの質問に答えられるのは嬉しいことだ。

Q:「降伏」の過程で果たす恩寵の役割は何ですか?
 
恩寵のみでサットグルに、あなたの真我に降伏できる。あなたの努力でできるもので
はない。だから、グルを満足させ喜ばせなければならない。そうすると、グルは幸福
であなたに恩寵を授けるのだ。この恩寵であなたは全てをグルに明け渡すのだ。これ
を唯一降伏というのだ。

あなたのマインドと努力を使っては降伏できない。内なる何かがあなたを降伏させる
のだ。あなたは神の手の中の道具になるだろう。神が働いているのだ。神の意志を実
行させなさい。

全ての人は「私の意志」を実行したい。彼らは「これが欲しい、あれが欲しい」とい
う、しかしこの意志は90年ほど続くだけだ。そして最終的な恩寵はあなたが降伏し
たときやって来る。これが恩寵だ。他に道はない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

655鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/03(水) 22:51:25 ID:1d4drIFg0
降伏とは全てを捨て去ることじゃ。
しかし、全てを捨て去ろうと思えばそこに意志があることになるのじゃ。
その意志は捨てていないのじゃ。
何もかも捨てて捨て切った後に恩寵は降るのじゃ。

656避難民のマジレスさん:2019/07/04(木) 00:05:03 ID:LC3de7YgO
>>654
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第3章 恩寵 

Q:今の私はこんなに平和で、こんなに幸福で、私はこれに価するでしょうか?
    
ほんの少数の人々が最高潮に達した後でこの質問をする。これはおそらくインド式だ
。西洋の人は非常に傲慢で彼らは決してこの言葉、「私はそれに価しますか」とは言
わない。その変わりに「私はすでにそれを知っています」、「私は私の質問に対する
あなたの回答が何であるか見当がつく」、私は毎日これを聞いている。これをプライ
ドというのだ。

しかし、ある人々はグルの言葉を聞いた後で感謝して彼の足元にひれ伏す。これは*
2ハヌマンのようだ。彼は「私は決してラーマ神の恩寵に価しない」と言い張った。

ハヌマンは海を飛び越えて悪魔ラバナのいるスリランカに火を付け、ランカの平和を
取り戻し、誘拐された*3ラーマ神の妻シータを連れ戻した。

ラーマ神は彼に言った、「ハヌマンよくやった。お前はすばらしい。他に誰が海を飛
び越えてこの仕事をし終えることができたか? お前は勇敢な奴だ。」

これを聞いたハヌマンは彼の手を合わせ、ラーマ神に敬服し、彼の回りを3回まわっ
た。そして彼は一言言った。「グルクリパ」、神の恩寵という意味だ。

「私は一体誰だというのですか、私はただの猿にすぎません。その私がどうして海を
飛び越えて、この悪魔と戦えたでしょうか? あなたの恩寵によってのみこれを成し
遂げることができたのです」。

Q:恩寵とシャクティパットの違いは何ですか?

 シャクティパットとはその人が持っている色々なパワーをあなたに伝達することだ

彼らがパワーをあなたに伝達するのでどんな修練も要らない。

Q:あるグルからシャクティパットをもらいました。それは私を大変静かにさせて,
チラム(大麻パイプ)を三回吸ったときのように酔っ払いました。
 
ハザラトガンジのガンディーアシュラムの裏手にまわると1ルピーでハッシシが手に
入るのになぜグルのところに行くのか? このハイな状態は3時間続いて,また次の
一服を取ることになる。

同じように、真理の知識なしにシャクティパットを受け取るとグルと弟子の関係がデ
ィーラーと常用者の依存の関係になる。何かに依存する習癖を養うべきではない。あ
なたはそれらとは何の関係もなくそれらから何も得ることはない。ここでは伝達やシ
ャクティパットはない。起こるべき全てはあなたの内で起こる。
 
     誰もあなたにマインドの平安を与えることはできない、
     それはすでに内にある。
     あなたのものである平安をあなたに与えるのは親密さだけだ。

 私は何も伝授しないし、シャクティッパットは与えない。私がやっていることは何
かに対するあなたの依存心を取り除くことだ。何にも依存しないとき、何が起こるだ
ろう?あなたは何も失うものがない。

神や手段や他人に対する依存心を単に取り除きなさい。そうすると「それ」が光り輝
き、それ自身ですがたを現わすだろう。「それ」を失うことはない。これがここで得
られる明晰さだ。
  
他人から平和を得ることができるというマインドの混乱と観念を取り除きなさい。与
えられたものは必ずなくなるのだから依存しないこと。何にも依存しないとき、どん
な手段も使わずにそれはそれ自身で現われる。グルにも依存しないことだ。

Q:グルの恩寵とは何ですか。
    
あなたをここへ引っ張って来たものが恩寵だ。内なる神があなたの欲望を満たすため
にその場所にあなたを連れていく。これが恩寵だ。あなたが自由を望んだので、恩寵
があなたをここへ連れて来たのだ。

Q:何が恩寵を受けることを妨げているのでしょう? ある人達のハートや人生は恩
寵に満ち満ちているのに、ある人達は不幸にも恩寵に恵まれていないようです。
    
恩寵を受けることを妨げているものと、自由への到達を妨げているものとは同じもの
だ。
 彼らは他のところを見て捜し求めるのを止めず、平和に降伏していない。彼らがサ
ットサンガにいても外のものを見ていて内を見ないのだ。

あなたはあなたのマインドのある所にいる。教室にいる生徒が夜のスポーツゲームの
試合のことを考えて球場にいるようなものだ。あなたはあなたのマインドが考えると
ころにいる。だからサットサンガにいる間、マインドをあなたの真我に降伏させ続け
たら恩寵を得るのに時間はかからない。

用語解説

*2ハヌマン   猿の神、ラーマの献身者。
*3ラーマ   ヒンドゥの神。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

657鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/04(木) 22:29:21 ID:1d4drIFg0
自ら全てを捨てる決意が無ければ恩寵も得られないのじゃ。
例え正しいグルの所に行ったとしても、自我を捨てる決意が無ければ無意味なのじゃ。
リゾートに来たのとかわりないのじゃ。
ただ自我を満足させて帰って行くだけなのじゃ。

658避難民のマジレスさん:2019/07/04(木) 23:57:24 ID:LC3de7YgO
>>656
11「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第3章 恩寵 

Q : あなたの恩寵に感謝します。水曜日にアメリカに帰ります。私の時間をラクナウ
で過ごすより、私のビジネスの世話をするために・・・
  
アメリカに帰ることがあなたにとって良いことだと誰が決めたのかね? 誰があなた
をここに、サットサンガに連れてきたのかね?ビジネスの世話をしていたあなたを誰
がここに連れてきたのかね? あなたをここに連れてきた人とビジネスのためにアメ
リカに帰りたい人との違いは何かね?

Q : 違いはないとおもいますが・・・

 (怒ったように)いいや、そこには大きな違いがある。あなたは仕事で忙しくして
いたが、ともかく誰かの恩寵とあなたが積んだ過去世と現世の功徳のおかげで、この
誰かがあなたの全ての活動を取り上げてここに連れて来ようと決めたのだ。
今、あなたを連れ戻そうとしている誰かは、この同じ誰かなのかエゴなのかを見極め
なければならない。「私は子供たちの世話をしなければならない」というのはエゴの
誰かだ。全ての人のするべきことを決める誰かではない。
ラクナウを去るのが良いか留まるのが良いか、どうして分かるのかね? 本当にあな
たの仕事の世話をしているのは誰だと思うかね? あなたが活動するための力や知性
を誰が授けるのかね?
  
多くの人たちが「今日、帰ります」といって肉体は去っていくが、ラクナウからアメ
リカへこの肉体を連れて行くために肉体を操作しているのは誰か? 世話をしている
のは肉体か、それともマインドか? マインド、肉体、感覚器を活動させているのは
誰か?その人は誰か? 
私たちには分からないのだから、その至高の力に降伏しなければならない。行かなけ
ればならないのなら、行かなければならない、留まらなければならないのなら、留ま
らなければならない。違いがあるべきではないが、あなたが決めることではない。多
くの場合、人々が決定したら、その決定が実現されたためしがない。
  
二年前、デリーに住む友達が彼の弟と一緒にハリドワールにいる私に会いに来ること
になっていた。彼の弟は衣服を製造する工場をイギリスにもっていた。行く間際にな
ってこの弟はハリドワールまでの急ぎの旅をするには忙しすぎると言って、ビジネス
の世話をするためにロンドンに戻った。
弟は次にインドに来たときに必ずハリドワールにいるマスターに会いに行くと約束し
た。四日後にデリーの友達から電報が来た。クシャガートで私に会いたいと。クシャ
ガートは死後の儀式を執り行い,死者の灰をガンガー(ガンジス河)に流す場所だ。
そこで彼は私に会った。小さな包みを見せて、「これが次にインドに来たらハリドワ
ール行くと言った弟です。これが遺灰です。どうか、弟の魂を祝福してください。そ
して彼をガンガーに流します」。弟は心臓麻痺でロンドンで亡くなったのだ。
  
 次の瞬間に何が起こるか誰にもわからない、だからあなたには時間がないのだ。こ
とを決定するあなたの内なる至高の力に降伏するのがよい。「それ」に決めさせなさ
い。しかしあなたが「私は行かねばならない」というとき、この「私」は、いつもそ
こにいてすべての活動をつかさどっているその「私」とは違うものだ。

至高の力に降伏すると「それ」はうまくあなたの世話をし、間違いが起こることはな
い。あなたのビジネスでさえうまくいく。「それがビジネスをしている」あるいは「
ビジネスをしているのは私だ」、あなたは「それ」を採るか「私」を採るか決めなけ
ればならない。
  
ここにいる人たちは「ここを立ちます」と言うが、すぐに空港から戻ってくる。これ
が2・3回起こる。これはここに彼らをつれてきた「その人」がここに彼らを引きと
めようと決めたと言う意味だ。だから彼らはここを離れることができない。
(´・(ェ)・`)つ

659鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/05(金) 22:49:03 ID:1d4drIFg0
死はいつやってくるかわからないから誰もが十分な時間を持っているとは言えないのじゃ。
出来る時に実践するしかないのじゃ。
まだ生きているうちに目覚めた者に会えるのは稀な幸運なのじゃ。
盲亀の浮木とも喩えられるのじゃ。

660避難民のマジレスさん:2019/07/05(金) 23:25:21 ID:LC3de7YgO
>>658
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第3章 恩寵 

Q : 私への特別な助言をいただけますか?

あなたの活動の全てを司っている至高の力に降伏しなさい。あなたが全く活動をして
いないとき、それが静かにしている「それ」だ。降伏したなら、ここにいようがいま
いが何の問題もないだろう。

Q : 真我が現れたとどうしてわかるのですか? どうすれば真我に現れてもらえるの
ですか?

 それはあなたの選択ではない。聖典ウパニシャッドに書かれているように「私が選
んだその人に私自身を現す」。あなたの選択ではない。真我の選択だ。それがそれ自
身にそれ自身を現す。

Q : そのようにあなたが私を選んで欲しい。

 あなたはすでに選ばれたのだ。隣人が呼んでもあなたはやって来ないかもしれない
。私が呼ぶと世界中から人々がやって来るのはどうしてかね? 私が彼らを呼んだこ
とをここに来て初めて理解する。
  
  全ての人がわたしの内にいる、誰もこのことが分からない。
  呼ぶ人と呼ばれた人は同じだと言うことが分からない。

 選ばれた人にはこれが分かるに違いない。全ての人が苦しみ死んで行くが、この守
護者を信じるなら苦しみは破壊されるだろう。

Q : 自由を得る方法はないのですか?
 手段や方法はない。ただ静かにしていなさい。方法は過去に属する。あなたのマイ
ンドに浮かぶ全ての方法は誰かから聞いたものだ。方法は忘れてしまいなさい。

Q : 西洋まで恩寵がついてくるでしょうか?

  ここに恩寵があるように、そこにもあるだろう。
  彼女を愛するなら彼女は離れないだろう。
  彼女は世界中でもっとも貴重な人だ。
  彼女以外に幸福を与えてくれるものは何もない。

第3章 恩寵 終了
(´・(ェ)・`)つ

661鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/06(土) 22:53:00 ID:1d4drIFg0
恩寵以外に真の幸福を与えてくれるものはないというのじゃ。
この世で最も貴重であり、一度受けたら離れないのじゃ。
この娑婆世界から抜け出せる唯一の機会であるからのう。
真摯に悟りを追求する修行者には目覚めた者の一瞥や一言でも十分な恩寵なのじゃ。

662避難民のマジレスさん:2019/07/06(土) 23:21:50 ID:LC3de7YgO
>>660
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第4章 サットサンガ:真理との交流 ☆Part1

  サットサンガとは、サット、真理との交流、
  唯一「それ」、愛そのものとの交流を保つことがサットサンガだ。
  真理といること、賢者といることがサットサンガだ。
  サットサンガには過去、未来は存在しない、
  「これ」とか「あれ」も存在しない、
  あなたの本質のみ、美の世界だけが存在する。
  サットサンガにやって来る人は幸福だ、
  神でさえサットサンガに出席する為に人間の姿をとってやって来る。

  グルの現存がサットサンガだ。
  サットサンガでのグルの役割は、
  役割はないということを示すことだ。
  あなたが「私は誰か」と問わないかぎり
  あなたは「部分」、破壊されるものになる。
  
  人間としてサットサンガに参加できるのは大変貴重でまれなことだ、
  「これは何ですか」、「あれは何ですか」と愚かな質問をすることによって
  サットサンガを無駄にしないことだ。
  ただ謙虚に「私は一体誰か?」と自問することだ。
  サットサンガでは注意散漫にならないこと、
  記憶や概念というロープで過去と結びついているのなら
  サットサンガの外にいる。
  時間は概念で、サットサンガは時間を超えている。
  ロープや概念のないところ、心が散漫にならないところ、
  説明の必要がないところにいなさい、
  これが真理だ。

  サットサンガというのは舌のない教師と頭のない生徒の集まりだ。
  頭を閉じてハートを開きなさい。
  真理は沈黙の中で明らかになる。
  ハートを開いて、唯一「それ」に注意を払いなさい。
 
  自由への強烈な欲望は開いたハートの中に湧き上がって来る。
  この欲望はサットグルが教えの種をまく土地の肥やしになる。
  サットサンガはこの開いたハートに降る雨滴だ。
  自由の近くにいる人達には指導が必要だ、
  暗闇にいる人や、光の中にいる人には必要ない。

  サットサンガだけがあなたを苦しみから連れ出すことができる。
  サットサンガがあなたは常に静寂であったと明らかにするからだ。
  サットサンガとは「私は何々です」というのではなく
  真我としてとどまることだ。
  どのようにあなたが束縛されているのかと訊ねるのがサットサンガだ。
  サットサンガは束縛と傲慢さの根っこを断ち切ってしまう、
  少数の人が直面できるマインドの死だ。
  平和は記憶やマインドの中に住んでいるのではない、
  「ここ」に、唯一「ここ」にある。
  平和があなたの本質だ、
  サットサンガがあなたにそれを思い出させる。
  怒り、悲しみ、混乱に燃えている時は
  サットサンガの川にまっすぐに走って行きなさい。

  三つの道がある:知識、神への愛、ヨガ。
  このサットサンガでは唯一、知識:「私は一体誰か」という知識について話す。
  ヨガはここでは話さない、神への愛は全くここでは話さない。
 
  サットサンガであなたの疑問を取り除かねばならない。
  疑いだけがあなたを自由から遠ざけているのだから。
  ハートに住む疑いの蛇は、サットサンガで殺される。

  サットサンガとは、信念、意図、考え、欲望、幻想を捨てることだ。
  これが自由に到る秘密だ。
  「創造」という概念がプルシャからやって来る。
  そして、「創造者」と他の全ての概念が共に創られた。
  これらの概念に対する執着のために概念が私たちの現実となる。
  唯一サットサンガでこれらを取り除くことができる。
  この苦しみを取り除く為には
  どんな犠牲を払ってもサットサンガに出席することだ。
 マインドを活用しないでいることがサットサンガにいることだ。

  サットサンガとは静かな、隠遁の場所という意味だ。
  これは内なるハートの中にある場所だ。
  みんな裸でサットサンガにやっておいで。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

663鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/07(日) 22:38:41 ID:1d4drIFg0
真のサットサンガとは心の中にあるものじゃ。
真摯に悟りを求める心があるならば、どこでもサットサンガになるのじゃ。
聖者と共にいても金のことばかり考えていてはサンガですらないのじゃ。
真摯に悟りを求める者だけがそこに行けるのじゃ。

664避難民のマジレスさん:2019/07/08(月) 15:00:44 ID:LC3de7YgO
>>662
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA
第4章 サットサンガ:真理との交流 ☆Part1(つづき)
 
Q:私は2-3日しかここにいることができません。ここラクナウであなたと一緒に
いて一番良い時間の過ごし方は何ですか。すでにあなたの存在に深く影響されて、物
や体験に対する欲望はなくなりました。
    
対象物に対する欲望が落ちたということで十分だ。あなたの五感を通じて、世界の中
で道に迷ってしまうものだ。魚は味覚の為に釣り上げられる。鹿はある音に引き寄せ
られて殺される。象は触覚の為に捕まって殺される。竹で覆った落とし穴の近くに雌
の象の人形をおいておく。雄の象が雌に触れようとやって来て落とし穴に落ちて捕ま
るのだ。蛾は視覚の為に炎に向かって死んでしまう。
 
人間は分別の力をもち、自分の行動の結果を予測することができるので、感覚に溺れ
るという障害に打ち勝つことができる。人間は苦しみの代わりに平和を選ぶことがで
きる。何千年もの間、人々が平和を獲得した方法はサットサンガを求めてグルのとこ
ろに行くことであった。サットサンガで質問し、疑問の全てが解決する。そしてモク
シャだけが残るのだ。

Q:質問がないということはよいことですか? 質問しないと私は何かを見逃してい
るのですか?
    
それはよくない。質問があるに違いない。さもないと自由を見逃すことになる。豚や
犬やロバは何の質問もなく、そのために全てを見逃している。全ての人間は幸福にな
るための質問があるに違いない。
 
その質問とは何か? それは「私は一体誰か?」。この質問をしないとあなたは私が
すでに名前をあげた動物の社会に属することになるのだ。この質問が究極の質問で、
知性に満ちた人がこの質問をする。残りの人達はこの質問をしない。この質問をしな
さい。そして自分自身でこの答えを見つけることだ。

Q:あなたの顔のない口づけを感じました。それ以来、かつての未知への不安が自由
への招待に変わりました。
    
すばらしい! これが、サットサンガに出席している結果だ。非常にすばらしい経験
だ。この教えはどんな本からも得ることはできない。サットサンガにいる時は顔なし
でいるべきだ。そうすると頭のないグルが顔のないあなたに教えることができる。頭
をもったグルには会わない方がよい。頭というのはエゴだ。サットサンガが起こるの
はグルも弟子もエゴがないときだ。
    
Q:あなたは私に最も大切な宝物を下さいました。私は非常に感謝しています。
    
非常に多くの人々が自由の為に懸命に努力しているが、その人達は宝物は努力の真下
にあるということを知らない。彼らに必要なのは、信頼できる人だ。真実の言葉で「
あなたの努力の真下にゴールドがあるよ」と教えてくれる人だ。それが私がここで言
っていることだ。それを信じる人はすぐに修練をやめ、努力をやめ、私の予測を越え
た大金持ちになる。
  
   手に入れた全てのものは無くなってしまうが、
  「それ」は決して無くすことはできない。

Q:私は火事で私の家をなくした夢を見ました。私が消防隊を呼んだらあなたがその
消防隊員だったのです。あなたは全てが燃えてしまうように、燃えている家をただ見
つめているだけでした。
    
この夢の意味をある物語で説明しよう。貧しい小屋に住んでいたサドゥーの話だ。

彼は火を燃やして米を炊いていた。彼がしばらく小屋を離れて戻って来たら、小屋が
火事にあっているのを見た。人々は水をかけて火を消そうとしたり、数少ない彼の所
持品を燃えている小屋から引きずり出している。

サドゥーはこれを見て、引きずり出された彼の持ち物を再び火の中へ投げ返した。ま
もなく雨が降り始めた。雨が火を消していった。彼は近くの川からバケツで水を汲み
、火に水をかけ始めた。近隣の人々がなぜ最初に彼の所持品で火を大きくし、今度は
水で火を消そうとしているのかと尋ねた。
彼が言うには、「人生で一度は『火』が家を焼きつくそうとやって来る。私は火がや
って来てとても嬉しかったので、火を困らせないようにこの火に全てを与えたのだ。
今度は雨が降って来た。私は水を持って来て雨に親切にしたのだ。」と。

全てを火の中へ投げ入れて燃やしてしまいなさい。あなたの過去への執着も含めて。
現在と未来への執着でさえも燃やしてしまいなさい。全てが燃え尽きたら恩寵の雨が
あなたの上に降り注ぐ。何も残さないこと、そうすると恩寵が助けにやって来てあなたのめんどうを見てくれる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

665鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/08(月) 23:06:05 ID:1d4drIFg0
誰もが死を超える境地を欲しがるが、多くの者は探求を止めてしまうのじゃ。
信頼出来る師匠が導くことで続けられる者も多くなるのじゃ。
それは黄金のありかを示す地質学者のようなものじゃ。
自分自身の心を掘って悟りの宝を見出すのじゃ。

666避難民のマジレスさん:2019/07/09(火) 00:16:36 ID:LC3de7YgO
>>664
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第4章 サットサンガ:真理との交流 ☆Part1(つづき)

今も、未来も、ずっと・・・。あなたは何も考える必要はないし、何もする必要もな
い。ただ静かにしていなさい、そしてどうなるか見てごらん。執着の薮を燃やしなさ
い、そうすると恩寵がやって来る。
 
この話は非常におもしろい。このおもしろさを理解できる人は数少ない。できる限り
強く火を燃やし続けなさい。水が来たら、来させなさい。自由への欲望はこの炎で、
恩寵は真我からの雨だ。

Q:私は無知の海で漂流しているかのようです。どうか岸まで案内して下さい。私は
自由になりたい。この為に私はここにやって来たのですから。
    
全ての人が無知だ。しかし誰も自分が無知だということを知らない。全ての人が自分
の成し遂げたことを誇りにする。これが世界というものだ。自分は無知だと知って私
のところにやって来た。これで十分だ。

このサットサンガが海を乗り切る筏だ。あなたは何もする必要はない。この海につい
て話す必要も全くない。静かにしていなさい。あなたを飲み込もうとするワニがいる
のだから。数え切れない人々がすでにこのワニに飲み込まれた。今も毎日飲み込まれ
ている。

誰も筏があるということを知らない。ただ、筏に乗り、静かにしていなさい。航海士
がいてその人があなたの責任をとる。あなたは安全に岸にたどり着くだろう。
  
実際にサンサーラの海は存在しない。
  それはただあなたの欲望だけで、
  欲望が静まると、何も存在しない。
  この海は恐ろしいワニや鮫でいっぱいだと知っているなら、それで十分だ。
  ワニは、対象、人物、快楽に対するあなたの欲望だ。
  一度これらの欲望を忘れてしまったら、あなたはとても安全になる。
 
 あなたのように若い男性にはこれはよい忠告だね。あなたがサットサンガにいるの
は嬉しいことだ。ここにやって来るもっとも相応しい年齢だ。ソクラテスでさえこう
言っている。「神を知るには40才前がよい」と。ラーマクリシュナも同じことを言
っている。
 
私自身もマドラスのマリーナビーチで興味深い観察をしたものだ。

私は丸土曜日とその夜は海辺で瞑想したものだ。朝方、漁師が2隻のボートから網を
投げ入れ、輪をかいて網を閉めていくのを観察していた。観察するにつれ、ラーマク
リシュナが言っている4つのタイプの人間を象徴するような4つのタイプの魚を見る
ことができた。
  
網を見たら触らないように決めてすぐに逃げる魚、これが魚、または人間NO.1。
彼らは網にさえ入らない。スカデブがこの例だ。

NO.2の魚は網の内と外に何の違いも感じず、どちらにいようが全く気にしない魚だ
。*1ラーマティルタがこの例だ。彼はラホールに住み、家族を持ち、数学の教授で世
の中を楽しんでいたが、32才の時に全てを捨ててヒマラヤに行き彼の町へは二度と
帰ってこなかった。このNO.2の魚も網を逃れた。これらは若い時に網を逃れた人々
だ。

タイプNO.3、50才〜60才の年齢で網が閉じた後で網から飛び出すタイプだ。し
かし私の観察によると、飛び出した魚の多くは空中でカモメや鵜に捕まる。数少ない
魚が海に安全に着水した。

さて、4番目のタイプは自分自身の安全の為に網を口でしっかりと掴んでいる魚だ。
(くすくす笑い)これらの魚が漁師が岸まで持って来る魚だ。これらの魚が毎晩食卓
の上に現れるのだ。
 
岸につくと漁師は妻の助けをかりて魚を篭に入れる。彼らは喜んで感謝の気持ちでい
っぱいだ。その感謝の気持ちから、彼らの生活の糧を豊富に供給してくれた海に数匹
の魚を投げ返す。このように漁師の恩寵でこれらの魚は網から逃れた。2度目に漁師
が数匹の魚を海に返そうとしたとき、妻が彼の手をつかんで十分だと言った。(笑)
 
このようにある人達は子供時代にこの網から逃れる、ある人は若いときに、ある人は
年老いてから、私のように。しかし、私は網に掴まらずにそれをやり遂げた。白髪の
老人も心配することはない。海に授けものとして確実に戻されるのだから。漁師はと
ても気前がいいからね。

用語解説

*1ラーマティルタ 19世紀のインドの聖人
(´・(ェ)・`)
(つづく)

667鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/09(火) 23:13:06 ID:1d4drIFg0
どこに行っても全てはあるじゃろう。
ただ静かにして何もしないでいることでそれは達成できるのじゃ。
実際にはそれは悟っていない者には困難であるがのう。
自分を捨てきる覚悟でただ居るしかないのじゃ。

668避難民のマジレスさん:2019/07/10(水) 04:39:30 ID:LC3de7YgO
>>666
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第4章 サットサンガ:真理との交流 ☆Part1(つづき)

Q:なぜあなたの本や写真や他のものがここで売られているのですか。サットサンガ
の純粋性を汚しているようです。
    
*2ハザラトガンジで買い物をするなら、あなたがほしいものを売っている店に行くだ
ろう。もし靴がほしいなら服屋ではなく靴屋に行くだろう。さてサットサンガであな
たの注意がここ、あそこと散漫するなら、あなたはサットサンガにやって来たのでは
ない。あなたは「他」を批判する為に立ち寄っただけだ。もし、あなたが自由の為に
やって来たのなら何も、他人でさえ目にはいらないだろう。
 
ここに来る人は自分の家が火事だという電話を受け取った人のようであるべきだ。彼
はすぐに会社を去って、途中で友人に会い、昼食に誘われても家が火事なのだから決
して行きはしない。代わりにまっすぐに家に帰って何ができるか考えるだろう。
 
だからあなたの家が燃えている時、あなたは批判している暇はないし友人の招待も受
け入れないだろう。もし家が火事でないのなら、仕事が終わっても会社に居ることも
好きなところへ行くこともできる。

「これ」は家が火事だというようでなければならない。普通の家はあまり問題ではな
いが「この」家が火事ならできるだけ早く火を消したほうがよい。あなたはいつ人間
に生まれ変わって来るかわからないのだから。「自由でありたい」が火事だ。

Q:サットサンガで座っているだけで十分だとマインドは言いますが、私はあなたと
もっと良いつながりを持ちたい。どうしたらあなたの現存をもっと感じられますか?
    
座っているのは簡単ではない。マインドは静かにしたくないが、「わたしはここで静
かに座る」とマインドに命令しなさい。あなたはこの戦いに勝たねばならない。座っ
て、マインドが考えていることを見つめなさい。その性向を見つめなさい。どこから
来てどこへ帰っていくか見つめなさい。

そうすると、マインドが過去の出来事や人や、対象物や考えに執着しているから、静
かに座っていることができないのだとわかる。これらの執着が妨げになっているのだ
。もし一瞬でも完全に静かに座ることができたらそれは大変貴重な体験になるだろう
。私はあなたに一つ助言しよう。

  マインドが猿のように外に出たら連れ戻しなさい。
  また行く、また連れ戻す。
  また行く、また連れ戻す。
  このゲームを演じなさい。
  最終的にマインドは外に行かなくなるだろう。

 静かに座ってマインドが走り出さないように注意しなさい。走り出したら連れ戻し
なさい。これをやりなさい。単にメガネを見るようにマインドを見るのだ。あなたは
サットサンガにいるのだから、苦しみに導く古い習性を破る為にこの機会を利用しな
さい。

  マインドは執着そのものだから
  過去に対するマインドの執着を取り除きなさい。
  そうするとマインドはノーマインドになる。
  執着を取り除きなさい。
  そうするとあなたは愛と平和の光を見つけるだろう。

Q:サットサンガに参加して一ヶ月が過ぎました。私の質問は答えられましたが、ま
だ暗闇にいるような感じがします。静かにしていることができないのです。静かにな
ることはありえないと感じます。
  
あなたの国にいるなら、「静かになることはありえない」と言うことができる。これ
はあなたの国からの条件付けに過ぎない。過去を忘れてサットサンガにとどまりなさ
い。何も探さないことだ。あなたの自由への欲望は非常に強いので、「それ」はひと
りでにやってくるだろう。あなたをここに連れてきた功績が役に立つ。ただ静かに座
って何もしないことだ。

Q:静かに座っていることはできますが、私が背負って来た重荷が完全になくなった
わけではありません。
    
あなたは頭の上の重荷を取り除かねばならない。200ポンド頭の上に乗せていると
仮定して教師の所に行く。その教師がマインドから全ての概念を切り落としなさいと
言うと、これはもっと重さを加えているようなものだ。

次の教師は他のことをするように言う。そうしてもう一つの重荷。
ここでは何もする必要はない。修練なし、瞑想なし。ただ、私はあなたの頭を振って
重荷を落とすだけだ。「私は自由だ」という為には頭を振って、議論や他のことを落
としなさい。そうすると頭やマインドが軽くなる。

用語解説

*2ハザラトガンジ パパジが住んでいたラクナウという町の繁華街。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

669鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/10(水) 22:03:32 ID:1d4drIFg0
ただ静かにしているだけというのは悟っていない者には最も難しいことじゃ。
心は常に動き、何かをしようとするからのう。
それも不安や孤独があるからなのじゃ。
やはり心を修練してコントロールしなければならんのじゃ。

670避難民のマジレスさん:2019/07/10(水) 22:25:36 ID:LC3de7YgO
>>668
12「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)

〜SRI H.W.L.POONJA
崎山綾子翻訳

第4章 サットサンガ:真理との交流 ☆Part1(つづき)

Q:ここにいる人々はとても違った顔つきをしている。この違いは何ですか。
    
ここでは全ての人が若返っている。世間では普通、心配が人を食い尽くす。世間では
この心配という蛇に咬まれたことのない人は誰もいない。しかし、心配のない人は永
久に若さを保ち、死は決してその人に触れることはないだろう。これが秘密だ。

心配しないこと。人はコブラに咬まれても助かるが、心配に咬まれたら生き残るチャ
ンスはない。心配なしでサットサンガに来て座っている人は非常に若く見える。

Q:アイルランドにいる私の両親は一体全体、私がここで何をしているのかと心配し
ています。私は説明しようとするのですが、ここで起こっていることを両親に伝える
ことは非常に難しい。
    
両親の承諾なしにここにやって来て、そのことが今あなたの重荷の一つになっている
らしいね。あなたはよくやった。あなた自身の為ばかりでなく、両親もあなたを通じ
て恩恵を得ることができるからだ。

ここで何も問題なくあなたは面倒みられているということを両親に確かに伝えなさい
。ある両親はレベルの高い教育を受けさせる為に子供を外国の大学へ送る。これらの
高いレベルの教育はよい仕事を勝ち得るかも知れないが、ラクナウでの教育はあなた
に平和と愛を与える。そして、それをあなたの両親にも分かちあうことができる。
 
だからどんな状況にあろうともここにいなさい。両親が快く思っていないのならそう
させておきなさい。この状況の中で強くなくてはいけない。あなたの道を妨害する人
々を納得させようとしないことだ。
 
戦いに勝つまで行進するのだ。この戦いはあなたと、皇帝でさえ勝つことができなか
った強敵との戦いだ。この強敵とはエゴだ。彼女は弱々しくみえるが実は非常に強固
だ。彼女はこの宇宙の全ての人を打ち負かして彼女の奴隷にした。しかし少数の人が
この戦いに勝つことができる。
 
私は家族を拒絶しなさいとは言わないが、「自由でありたい」という欲望を完璧に満
たすべきだ。ここラクナウにいる間、この欲望だけを持っていなさい。そうするとあ
なたは「自由の人」としてどんな欲望にも戻っていくことができる。家族を助けたい
と言う欲望も含めて。

Q:私はここにいるのが大変嬉しい。私ができる最高のことをしているように思いま
す。
    
サットサンガに出席することがあなたのできる最高のことだ。やらなければならない
最高の仕事だ。あなたは世界中の至るところを見てまわった。しかし、最初にあなた
自身を見ない限り、他の何も理解することはできない。まず、あなたは誰か見てごら
ん。そして、その後で必要なら世界の他のものを見なさい。

   あなたの真我を見たなら
   神でさえ見る必要はない。

 最近一人の女性が25年間の探求のあと、ここにやって来た。多くのスワミやグル
が彼女に神や彼らの写真を与え、マントラを与えた。しかし、何も、誰も、彼女に平
和を与えることができなかった。そして、ここにやって来た。何の質問もすることな
しに、何も得ることなしに彼女は「私が神だ」、長い間彼女が探し求めていた神その
ものだと悟った。

Q:サットサンガと心理療法の違いは何ですか。
    
心理療法は金もうけをする機械だ。サットサンガはただ自由を与えて金もうけはしな
い。それはマインドの平和の為でマインドを騒がせる為ではない。サットサンガは愛
と平和を与えるが、心理療法は人をもっと混乱させる可能性がある。

もし、典型的なセラピストの所に行くと彼らはあなたを過去に連れていき、あなたは
そこにそのまま永久に留まることになるだろう。サットサンガでは墓を掘らない。「
私達は誰か?」、「私達は本質的に何の病気も持っていない」ということを見つけだ
すだけだ。

ほとんどのセラピストはほんの一時間あなたの前にいて、$100請求する。そして
、行ってしまう。サットグルは永遠にいつもあなたと一緒にいる。これが違いだ。

Q:私は満足していないし自由ではありません。
    
この不満は何か?
    
(´・(ェ)・`)
(つづく)

671鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/11(木) 22:23:18 ID:1d4drIFg0
座禅や瞑想を心理療法にとりいれることはあるのじゃ。
心が落ち着き、ストレスも軽くなるからのう。
しかし、悟りへの道は心理療法にはならないのじゃ。
それは別の自我という病を治すためのものであるからのう。

672避難民のマジレスさん:2019/07/12(金) 01:17:14 ID:LC3de7YgO
>>670
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)

〜SRI H.W.L.POONJA

第4章 サットサンガ:真理との交流 ☆Part2 (つづき)
   
Q:思考、疑いがあるからです。
    
どこにこの疑いが住んでいるのか? もし、頭にあるのなら、頭を切ってしまいなさ
い。もし鼻にあるのなら、鼻を取り除きなさい。これがバナラシの7才の少女の教え
だ。彼女の名前はカマリ、彼女の父は聖人カビール。
 
カビールのサットサンガに多くの人たちが参加していた。カマリが父に尋ねた。「な
ぜ、こんなにたくさんの人が朝の4時にお父さんに会いにやって来るの?」
 
父は言った。「彼らは自由と真理の為にやって来るのだ。他にどんな理由でこの寒い
冬の朝に人がやって来ると言うのか?」

「パパ、500人の人が自由の為にサットサンガにやって来るの? 私はそんなの信
じない。何か他の理由でやって来るに違いないよ」、そう言って彼女は遊びに行った


次の朝、カマリは門の前に立って、やって来た一人一人に次のように言った。

「サットサンガに入る許可を与える前に私の父が一人一人、インタビューすることに
なっているので、あなたはこの丸太に頭をのせて私が頭を切り離して父に見せます。
もし父がイエスと言ったら、あなたはサットサンガに出席することができます」と。
彼女が手に持っている斧は非常に鋭いので誰も苦痛は感じないだろうと確約した。
 
最初の一行は「私達は裁判を抱えています。裁判に勝つ為にあなたのお父さんの祝福
が欲しくてやって来ただけです。門を触ったので恩寵が得られるでしょう。それでは
裁判所に行かねばなりませんのでこれで失礼します。」
 
第二の一行は、「私達の息子が病気で、あなたのお父さんの祝福で息子がよくなると
思ってやってきました。」
 
第三の一行は「私達はサットサンガに来たのではありません。娘の結婚がうまく行く
ようにあなたのお父さんの祝福をもらいにきました。今日はこの門に敬拝して帰りま
す。」
 これら全ての人々は他の理由のためにやって来た。
  
2時間後、カビールは空っぽのサットサンガホールから出て来た。朝の6時であった
が斧を手にした彼の娘以外誰も外にはいなかった。

「パパ、誰もサットサンガの為にやって来ないと昨日言ったでしょう。なぜ時間を無
駄にするの? 今日はみんな他の目的の為にやって来たのよ。」

そうだ、聖者に会いに来たのならあなたの頭を取り除きなさい。そして初めてインタ
ビューが受けられる。あなたの疑いは頭の中のものだ。頭を取り除いたら疑いなし、
そしてあなたは自由だ。もし、あなたがこれを理解したならどんな疑いも持つことは
できないだろう。今、疑いがあるかね?
    
Q:はい。
    
それなら外に行って頭を切り落としなさい。
    
(´・(ェ)・`)
(つづく)

673鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/12(金) 22:18:57 ID:1d4drIFg0
誰もが悟りを求めている訳ではないのじゃ。
現世利益が何か得られると思っている者も多いのじゃ。
迷信なのじゃ。
誰もが自ら目覚めた者になることができると知らないのじゃ。

674避難民のマジレスさん:2019/07/13(土) 00:25:09 ID:LC3de7YgO
>>672
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第4章 サットサンガ:真理との交流 ☆Part2(つづき)
    
Q:しかし、パパジ、時々・・・
    

「時々」を直訳しなさい。「時々」とはどういう意味だ? このまちがった文法をど
の教師が教えたのだ。これは教師のいない変わったクラスだ。教師は話す為の舌はな
いし、生徒は理解する為の頭がない。これがこの変わったクラスだ。

あなたが頭を持っているのなら、頭を落とす他の場所、屠殺場を探さねばならない。
このエゴが頭だ。わかるかね? 屠殺場に持っていく値打ちがある。彼らがうまく面
倒を見てくれるだろう。私はヘッドはいらない。私はハートがほしいのだ。ここでは
頭は必要ない。頭だけを必要とする学校はいくらでもある。

外であなたの頭を取り除いて、そして話してごらん。そうするとあなたのハートが愛
の言葉を初めて話すだろう。ハートに話しをさせなさい。あなたはいつも頭で話して
いた。カマリの言うように頭を落としなさい。

この少女はどのようにしてサットサンガに出席すべきか知っていた。「私」、「あな
た」、「彼女」はサットサンガに来るのを許されない。あなたは今真理と直面しよう
としている。それがサットサンガの意味だ。

あなたは今、真理に、自由に直面している。誰があなたを殺すことができる? 自分
の真我を恐れてエゴに依存している。つかのまの問題に完全に巻き込まれて、あなた
の人生を救うことができない。何億回と生まれて死んで来たのだから死の味は十分に
知っているはずだ。
  
今は生き方を学ぶ時だ。至福の中にいつもいるのは非常に簡単だ。だが、あなたは死
にたいので、この愛と美の楽園を屠殺場に変えてしまったのだ。
 
一瞬休んで、あなたは誰か見てごらん。あなた自身の真我があなたに姿を現しキスを
してあなたを抱きしめるのを許さなかった。あなたは何億年もの間、頭を使って生き
てきた。今、少なくともハートに時間を与えなさい。静かにしていなさい。唯、静か
にしていなさい。静かにしていると真我がやって来て、抱きしめて、キスしてくれる
だろう。あなた自身の真我に時間を与えなさい。

Q:あなたとのサットサンガは陶酔的だ。ここにいつもあるものを再発見する為に、
真我の中で永遠に休息する為に、私はあなたに会いにきました。
    
普通ならこの酒にたくさんのお金を使うものだ。どのようにしてここで酔っ払ってい
るのかね。
    
Q: あなたの存在、最高の飲み物です。 
普通、最高のお酒はスコッチだ。これは3時間しか効果がないので、お金をすべて使
い果たしてしまうものだ。しかし、「この酒」は一瞬ごとにもっともっと強くなって
、3時間後には消えてしまう酒ではない。
有名なブランド(グル)を見つけることだ。そうすると一瓶で残りの人生を楽しめる
。その上、「この酒」は蒸発しない。値段が非常に高いので「この酒」を飲んだ人は
非常に少ない。ある人は「それ」には値段が付けられないと言うだろう。静かにして
いなさい。そうするとあなたは酔っ払うことができる。ただ静かにしていることだ。

あなたの陶酔が他人や物に依存しているなら、自分自身を騙していることになる。最
高の陶酔はあなたの真我以外、どんな源泉からもやって来ない。誰もあなたに幸福を
与えることはできない。誰もあなたに平和を与えることはできない。

あなた自身を見つけなさい。
混乱したマインドだけが幸福は他のどこかにあると考えている。
この愛と美は静かにしているだけで即座に現れる。
そうして全てを得ることになる。
あなたはそれを味わったようだね。
だからあなたはそんなに光り輝いているのだ。(笑)

 OK.私はあなたに会えて非常に幸せだ。
    
(´・(ェ)・`)
(つづく)

675鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/13(土) 22:25:37 ID:1d4drIFg0
質問者が何を聞いてもパパジは自分自身を観るようにいうのじゃ。
それが正しい教えなのじゃ。
自らを観る実践を勧める以外に教えは無いのじゃ。
人々がその教えによって自らを観ることが出来たならば教えは完成したといえるのじゃ。

676避難民のマジレスさん:2019/07/14(日) 00:58:01 ID:LC3de7YgO
>>674
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第4章 サットサンガ:真理との交流 ☆Part2 (つづき)
    
Q:何の目的もなしに、あなたとここで平和に満ちて一緒に座っているのが最高です。
    
 何の目的もなしに私の前に座る人が全てを得るのだ。
これは神も又約束していることだ。
「私の帰依者が私の所に来て何かを頼むとき、私は即座にそれを与える。子どもであ
ろうが、長寿であろうが、よい連れ合いであろうが、何でも。」

しかし、神にも人間と同じように恐れがある。
神が言うには、
「私は何も頼まない人が恐ろしい。私はその人に全てを与えるように束縛されるから
だ。私はその人に影のようについて行かねばならない。欲望のない人には私はその人
が必要なものをその瞬間に与えねばならないからだ。私はその人に束縛される。」

無欲でサットサンガにやって来る人も又同じことだ。彼らは何も頼まなくても全てが
与えられる。あなたには何の不足もない。残りの人生は必要な全てのものが供給され
るように確約されている。

Q:パパジ、私は新しい名前がほしいのですが。
    
 最初に意味をあげよう。
カップのようにあなたの手を合わせて、この空っぽの手を差し出しなさい。
そうすると、ダイヤモンドがその中にひとりでに落ちて来る。
このダイヤモンドが真我の知識で、ひとりでに落ちて来る。
しかし、あなたの手は何層もの心を乱すマインドをつかんでいる。
これらの層が欲望だ。

サットサンガにやって来る人は欲望をマインドから引き離して真我に戻す。
これがサットサンガで自動的に起こる。
そうしてこのカップの用意が整う、そのときダイヤモンドが落ちて来る。
真我の啓示だ。
真我がそれ自身でそれ自身に姿を現すのだ。
この空っぽのカップの手の状態がアンジェリと呼ばれている。
あなたのハートは十分開いているので真我の知識を受け取ることができるだろ
う。
 
これはウバニシャッドからの話だが、ある人が自由を得た時、どのようにして
自由を得たのかと尋ねられた。
「アムラキ(木の実)が私のアンジェリにひとりでに落ちて来たようなもので
す。私は何もしていません。それはサットサンガの木から落ちて来たのです」。
他の木ではなくサットサンガの木の下に立っているとこれが起こるのだ。
 
サットサンガで得られる名前は愛と美の名前だ。
この名前を使う人々は愛と美と恩寵の中で溺れてしまう。
あなたの名前を呼ぶ人でさえこの恩寵を得ることができる。
名前はこのように全ての人が楽しむことができる名前であるべきだ。
あなたが喜びの名前を発すると喜びに満ちるように。
 
名前が新しい系統を代表する。
苦しみから苦しみが生まれるように多くの名前はこの苦しみを背負っている。
今、あなたは違う環境にいる。
新しい名前はこの一部だ。
あなたの人生を過去から切り離して新しく出発するという意味だ。

Q:ブッダが私の最初のグルで、私のハートは彼と強く結びついています。
私は彼を以前に知っていたに違いないと思います。
又、私はまるで以前にあなたに会ったような気がします。
    
あなたは以前にブッタを知っていたに違いない。
我々はみんな以前に何回も出会っている。
ほとんどの人が憶えていない。
少数の人が、これを思い出して、何回も何回も同じ事を繰り返しているこの過
程を終わりにしたいと決めない限りこれは続いていくのだと理解する。
 
ここにいる全ての人達は何世も一緒に過ごしたのだ。
だから私達はここにいる。
わたしたちがここで出会っている目的は再び戻って来ない為だ。
ブッダのように。
彼がしたことは非常に簡単だ。
菩提樹の木の下に座り、沈黙し、全ては終わった。
彼はやり遂げた。
私達も又やり遂げることができる。
 
(´・(ェ)・`)
(つづく)

677鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/14(日) 23:00:57 ID:1d4drIFg0
誰もが何度も生まれかわっているのじゃ。
その生の中で悟りを目指した者も多いじゃろう。
この世でこそ、その願いを叶えたらよいのじゃ。
時間が有って修行できるうちに精進あるのみなのじゃ。

678避難民のマジレスさん:2019/07/15(月) 00:08:00 ID:LC3de7YgO
>>676
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第4章 サットサンガ:真理との交流 ☆Part2(つづき)
 
ある話が浮かんで来たので短く話してみよう。
これは7000年前に起こった*1ラーマヤナの中の話だ。
 
当時、聖人と悪魔が戦っていた。
悪魔はラーマの妻シータを誘拐した。
長い話を短くして、ラーマは悪魔を倒し妻を取り戻した。
 
次にラーマ、シータが王位につく為に授冠式がとり行われる。
ラーマは彼のグルにメッセージを送って王位につく為に必要な儀式をとり行っ
て祝福してほしいと頼むことにした。

 ラーマは弟のラクシュマンに彼の指輪をもたせ、早馬にのせて彼を送った。
ラクシュマンは森の中のグルのアシュラムに行って彼に告げた。
「私はラクシュマン、ラーマの弟です。私達は安全に南から帰ってきました。
来週は授冠式がとり行われます。ラーマはこの指輪に命じてあなたに儀式をと
りおこなってほしいと依頼しています。」

さて、王の指輪はこれに相当するものは何もないほど貴重なものだ。
指輪は特別なダイヤモンドでできていた。ラクシュマンがグルにこの指輪を差
し出したとき、グルは言った。
「米を炊いていて忙しいので、私の小屋に行って指輪を素焼きの壷の中に入れ
ておきなさい。」

ラクシュマンは壷に指輪を入れた。
入れたとたん予期しない音がした。
彼は壷の中に何が入っているのか興味深く思ったと同時に王の指輪を素焼きの
壷に入れるとはもってのほかだと怒った。

彼が壷をひっくり返したら彼が入れた指輪と同じ指輪がたくさん出て来た。
「どうしたものか? 数えきれない位の指輪だ。それに私が入れた指輪はどれか
わからない。」

彼は外に出てグルに尋ねた。
「誰がこれらの指輪をこの壷に入れたのですか?」

厳しい表情で*2バシスタは言った。

「ラクシュマン、お前が入れたのだ。お前が入れたのだ。」
「それはありえない、私は初めてここにやって来たのだから。」彼は叫んだ。

「いいや、何回もお前はやって来たのだ。その度に馬に乗ったまま授冠式に来
るように私に頼んだ。その度に私は指輪を壷に入れるようにと言った。お前が
馬から下りてお前のプライドを取り除かない限り、これは何度も何度も起こり
続けるだろう。私と一緒にいなさい。私が教えてあげよう。そうすると再びこ
こに現れることはないだろう。」とバシスタは告げた。

プライドを取り除き、名前や形に同一化するのをやめない限り私達は何回も現
れ続ける。
名前と形がないとき、あなたは決して以前にやって来たことはないし、今回も
やって来なかったということを悟るだろう。
これがこの話の美しさだ。

真理は「かつて何も存在したものはない」ということだ。

Q:私はブッダガヤからやってきました。
そこでは仏教の功徳や*3カルマの概念が説かれています。
もし、かつて何も存在したものがないのならそれらの概念は自由にとっては意
味のないもののように思えます。
    
それは意味のないことではない。
逆に大きな意味がある。
良いカルマなしにブッダガヤやここにやって来ることはなかっただろう。
少数の人がサットサンガにやって来る功徳を持っている。
ここに来るにはたくさんの功徳が必要だ。
これがなぜあなたがここにやって来たのかという理由だ。

いつ、自由になるかは運命で決められている。
ブッダの場合がそうであったように。
あなたの功徳の強さの為にあなたがそれを拒もうとしても自由があなたのとこ
ろにやって来るのだ。
あなたが自由になることが決められていたら、ここを発とうとしても発つこと
ができないという状況に陥るだろう。

用語解説

*1ラーマヤナ 悪魔ラバナに誘拐されたラーマの妻シータをランカから救いだしラバナを滅ぼす物語。

*2バシスタ 聖人、ラーマのグル。

*3カルマ 因果応報
(´・(ェ)・`)
(つづく)

679鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/15(月) 22:08:13 ID:1d4drIFg0
善事を行っていれば何事も心で願うことがかなうのじゃ。
悪事をしていれば何事も障害が増えて思うままにいかないのじゃ。
修行も善事をしていれば速やかに進むものじゃ。
そうであるから善事を積むのもまた修行の一つと言えるのじゃ。

680避難民のマジレスさん:2019/07/16(火) 00:12:19 ID:LC3de7YgO
>>678
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第4章 サットサンガ:真理との交流 ☆Part2(つづき)

Q:ラクナウに来て以来、私はここに来る以前のように幸福ではありません。
どうしたことでしょうか?
      
ラクナウに来る前の幸福は、おそらく幸福感をあなたに与えてくれる人や物や
場所によるもので、マインドがそれを幸福だと勘違いしていたに違いない。
おそらくあなた自身の概念から幸福を得ていたに違いない。
それは幸福ではない。
本当の幸福は説明することはできない。

幸福は他の人からやって来るのではない、聖者や賢者からでさえやって来るも
のではない。
幸福は内からやって来る。
サットサンガでさえ幸福を与えることはできない、それはいつもあなたの内に
あるからだ。
 
あなたはサットサンガにやって来て、何も考えないで静かにしているようにと
言われる。
肉体、マインド、エゴ、感覚の活動についても考えないで静かにしているよう
にと言われる。
そしてあなたは静かに平和でいることができる。
ここでは、静かにすること、マインドからどんな思考も湧き上がらないように
することを学ぶのだ。

そうすると、言いようもない幸福を感じるようになるだろう。
あなたの内なる幸福が顔に現れるだろう。
あなたが幸福なときあなたの顔の表情は完全に変わるものだ。
そして、あなたの顔を見た誰もが幸福になる。
 
湧き上がって来るこの悲しみはよい兆候だ。
何世にもわたって蓄積された悲しみがハートの底で触れられずに存在していた。
この悲しみはあなたの肉体の一部になってしまってそれから離れて存在できない。

グラスの水の底に沈んだ塵のように。
この悲しみは悪行や不正な活動の結果としてハートに蓄積されている。
あなたが今悲しみを感じているのはサットサンガがそれを取り除く為にかき混
ぜて表面に浮かびあがらせている為だ。
全ての人のマインドがサットサンガで緊張して、何年も気づかずにいたものが
表面に現れてくるのだ。

しかし、浮かびあがった悲しみはサットサンガにいることはできないのでそれ
は溶けてしまう。
事実は苦しみや悲しみがあなたをここに連れて来たのだからそれに感謝すべき
だ。
 
一度自分の真我を知ったなら悲しみの全てはたいした問題ではなくなる。
今、不運だと感じているかもしれないが、あなたは非常に幸運だ。
すぐに過去に影響されなくなる。
背負って来た重荷も忘れてしまうだろう。
あなたは「今」にいてそれを知るだろう。

Q: 私が感じているこの切望や憧れはいったいなんでしょうか?
 どのようにして私自身をこの切望にゆだねることができるのでしょうか?
 夫に捨てられたことと娘の行く末を考えるととても耐えられません。
  
あなたは家庭を捨ててインドにやってきたのにまだ関係を乗り越えていないの
なら、マインドを騒がせることになる。
半分ここにいて、他の半分はむこうに居るなら、静かにしていることはできな
い。

いつか夫や子供たちとの関係は終わりになると理解しなければならない。
あなたの夫があなたから去っていったことを感謝して幸せに思うべきだ。
全ての関係は始まって終わりになるということを体験させてもらったのだから。

次の関係を求めるという愚かなことはしないだろう。
今なら関係をのり超えて、「全てが一つだ」というところにいくのが簡単にな
るだろう。

第4章 サットサンガ:真理との交流 終了
(´・(ェ)・`)つ

681鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/16(火) 22:54:38 ID:1d4drIFg0
世間での不幸や苦はむしろ永遠の幸福を求める道に入る機会になるものじゃ。
そうであるからお釈迦様も世間は一切皆苦と説いたのじゃ。
世間は一切皆苦であるが、世間を出れば安楽なのじゃ。
一切皆苦と説くのもそこから出る道があるからなのじゃ。

682避難民のマジレスさん:2019/07/17(水) 00:54:13 ID:LC3de7YgO
>>680
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part1

内在する「自由」の徴候
 
   グルの恩寵がその人をサットサンガに連れて来るまえに、
   すでにその人の人生に自由が起こる兆しや
   自由を得るための資格が現れている。
   自由のために更に更に準備ができるにつれて、
   幻想の膜が薄く薄くなるにつれ
てそれらは現れる。

  最も重要な資格は神聖さと強烈な自由への欲望だ。
   次に識別する能力、
   真実と不真実・永遠性と一時性・平和と苦しみの違いを見分ける能力。

   次にやって来るのは冷静さと放棄だ。
   真実でない一時的な世界に執着しないこと、
   感覚の対象物に対する拒絶だ。

  他の徴候は、謙遜・不動性・法(ダルマ)にかなった生活・健康な肉体
・真我探求・神への愛・無暴力があげられる。
   
   これらの徴候の全ては同じものの異なる様相だ。
   即ち、内在する真我が真我に対して真我の姿を現しているのだ。

  これらの徴候はひとりでに現れる。
   これらに焦点を合わせないで
   これらに惑わされないで
   絶えず真我にのみ焦点を合わせていることだ。

「自由」への欲望
   
   *1サンサーラの海を乗り切ることができる筏は
   自由になりたいという強固な決心だ。

   この強烈な欲望は絶対に必要だ。
   この欲望の強烈さ自体がサットグルだ。
   ハートの痛みは真我が呼んでいる証拠だ。

   いつも真我だけを望みなさい。
   あなたが最も望むものはいつも手に入るのだから、
   自由への燃えるような欲望をもつことで十分だ。
   そして、それが祝福された徴だ。

   *2モクシャへの欲望がモクシャだ。
   今あなたは自由とのみ関係を持つ。
   今自由と「私」を識別しなさい。
   そして「私」は自由からどれだけ離れているか見てみなさい。
   行くべき場所がないとき、そこへ行くべき「私」は存在しない。
   
   ツーリストは去っていった。
   今この自由に、岩のような信念を持ちなさい。
   そうすると思考や疑いの水や風がやってきても不動だ。

   自由への欲望を持ち続けると、
   習癖の全てやマインドの妨害が落ちていく。
   自由だけを考えていなさい、そうするとあなたは自由になる。
   あなたはあなたが考えているところのものになるのだから。
   歯痛の持続性のようにいつも真我について考えていなさい。

  自由への欲望が高潮だ。
   それは疑いでできた砂の城を押し流してしまう。
   ・・この欲望のない人間は、尻尾のない動物にすぎない。

Q: 全ての束縛から自由でありたいという燃えるような欲望を持っています。
    
自由への燃えるような欲望を持ってるのならそれで十分だ。
その炎は、あなた・マインド・エゴ・肉体も含めて宇宙の全てを焼き尽くすだ
ろう。
燃やしなさい、そして燃え残ったものも全て火に投げ返しなさい。

火の中に投げ入れられたものは全て火になる。
自由への欲望でさえも、この火の中に入れると燃え尽きて「それ」になる。
非常に簡単だが自由でありたいと燃えている人は数少ない。
ほとんどの人が感覚の対象物にとり憑かれている。

   あなたの意志をこの火の中で燃やしなさい。
   そうするとどこに行く意志もなくなる。
   あなた自身を永遠・愛・平和のこの火の中で燃やし尽すのだ。
   この火を恐れることはない、それは愛そのものだから。
   この自由への欲望が愛の炎だ。

ほとんどの人がこの火を恐れている。
少数の人がこの自由を愛してしまった。
この愛の火の中で自分自身を燃やし尽くした人はいまだに生きている。
仏陀は2600年前にそれをやり遂げた。

用語解説

*1サンサーラ 個人が解放されるまで繰り返される生と死のサイクル。

*2モクシャ サンサーラからの解脱、自由、真理の実現。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

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684鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/17(水) 23:51:04 ID:1d4drIFg0
悟りを求める心の強さによって悟りも近くなるのじゃ。
強い意志が必要なのじゃ。
自我が無くなろうとする時には恐れが起こるものじゃ。
自分が無くなると感じるからなのじゃ。
その恐れを乗り越えられるのは悟りへの強い意志を持つものだけなのじゃ。

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692避難民のマジレスさん:2019/07/18(木) 08:05:06 ID:LC3de7YgO
>>682
16「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part1(つづき)

 この自由への思いがやって来たのは、彼が彼の父が手配した若くて美しい女
性にとり囲まれて、快楽の園にいたときだ。
星占いによると彼は苦行者の王となるだろうと予見された。

 そのために彼の父は快楽の牢獄に彼を閉じ込めたのだ。
しかしこの愛の炎は、彼の内に激しく燃えあがっていた。
そして彼は覚醒を得て、いまだに生き続けている。

 このようにあなたはやり遂げねばならない。
仏陀もまた人間であった。
彼がやり遂げたのだから、私たちも確かにやり遂げることができる。
全ての人が仏陀になることができる。
たった一つ必要なのは自由への炎だ。

 そうすると、あなたが「静寂」であり、その仏陀であると認めることになる。

   自由を勝ち得るには、
   あなた自身の深遠さを測り知るには、
   塩の人形になってガンガ(ガンジス河)に飛び込むことだ。
   あなたは人形であることを忘れて、
   あなたはガンガになるだろう。

これがベンガルのラーマクリシュナが言ったことだ。
これが永遠性との絶対的な一体化だ。
あなたは決して存在したことのない岸に戻って来ることはない。
    
Q:私の本質の中に溶けて、決して戻ってきたくありません。
    
よく決心した。
ここにいなさい。
この決心は非常に堅いので即座にその結果を得るだろう。
熱意を失わないことだ。

昔、マトワラと呼ばれる男がいた。
彼は樹の下に座って決心した。
「私が悟るまでこの樹から立ち上がらない。」
それで、彼はいつも樹の下に座って瞑想し、食事のために席を外すこともなか
った。そこへある人がやって来て、彼が何をしているのかと尋ねた。

 「私は瞑想しているのだ」とマトワラは言った。
「何のために?」
「幸福になるためだ。」

 「教えてあげよう。このバニヤンの樹にはどれ位の葉が茂っているかね?
 自由になるためにはこの葉の数のように何回も生まれ変わらなくてはならな
いのだよ。」とその人は言った。

「問題ない」と自信に満ちた瞑想者は言った。

 「この樹には何千もの葉がついている。生まれ変わりなど気にしない。私は
ただここに座っているのだ。」この決心で彼は瞑想しつづけた。

 しばらくして次に聖者がやって来て尋ねた。

 「何をしているのかね?」マトワラは瞑想しているのだと答えた。
 「なぜ?」と聖人が尋ねた。
 「全ての人が苦しんでいる、苦しみを取り除くためには瞑想するようにと私
のグルが言ったのだ。」と答えた。

 「教えてあげよう。このバニヤンの樹から最後の一葉が落ちるまでここで瞑
想しなさい。最後の一葉が落ちたときあなたは悟るだろう。」と聖人は言った。

 その時マトワラは大声で叫び返した。

 「私は葉が落ちるのを待つ必要はない。葉が落ちるのと私の光と知恵の間に
どんな関係があるのか?」彼は立ちあがって踊りだした。

 幸福は今ここにある。彼は悟ったのだ。

この話の意味していることは、あなたは待つ必要がないということだ。
悟りは時間に依存しているのではない。何年待てばよいというものではない。
あなたはすでに35億年も費やしてここにいるのだ。

 この樹は絶えず葉を繁らせ続ける。
もし一葉が落ちても他の葉が繁る。
どれ位待つつもりだ。立ち上がって「私は自由だ!」と叫んだらどうだ。
あなたが自由になれば結局は人生を楽しむのだ。

 それならなぜ今楽しまないのか?
 ほとんどの人が死を恐れて、「私は死んでいく。」と叫んでいる。
私は人が道に飛び出して「私は自由だ。」と叫んでいるのを見たことがない。
だからもしあなたが本当のマトワラなら道に出て叫びなさい、

 「私は自由だ!!」と。

Q:私のエゴは非常に強固です。
どうか私のエゴを破壊して下さい。私は自由を経験したいのです。

 あなたのエゴを見せてくれるかね。
そうしたら、私の強さとあなたのエゴの強さを比べることができる。
彼女に会ったことがあるのかね?
    
(´・(ェ)・`)
(つづく)

693鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/18(木) 22:36:23 ID:1d4drIFg0
どれほど強いエゴも一度観られたら滅してしまうじゃろう。
それは決して存在しなかった幻想の観念であるからのう。
その真実をありのままに観るがよいのじゃ。
今ここで自由になるじゃろう。
時を待つ必要は無いのじゃ。

694避難民のマジレスさん:2019/07/19(金) 12:35:19 ID:LC3de7YgO
>>692
16「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part1(つづき)
    
Q:それを感じただけです。 
    
このガールフレンドに会ったことがないのかね。彼女はよい友達だ。
彼女の強さを試してごらん。
おそらく彼女は象のように強靭なのであなたは逃げ出してしまうだろう。

 だから愛でエゴを飼い慣らしなさい。
もし愛で飼い慣らしたら、彼女はあなたを困らせないだろう。
彼女を一人にしておきなさい。

「私は自由になりたい」という大きな望みにはエゴが必要だ。
このエゴを許しなさい。自由が欲しいのはエゴだから。
明日にではなく今日、自由を望みなさい。
今日にではなく今、自由を望みなさい。

 彼女が強ければ強いほど、「私は自由になりたい」という欲望も強くなる。
その時、この強さはあなたの助けになる。欲望も又エゴだ。何かを欲しがるのはエゴだ。
他の欲望が同時に起こることはないので、エゴの強さを利用して自由への欲望
をかき立てるのだ。

 今それを言ってごらん。
    
Q:私は自由になりたい!
    
このように昼も夜も言い続けなさい。
そうするとそれを手に入れることができる。仏陀は手に入れた。
あなたも手に入れることができる。こう言いなさい、

 「彼は人間だった、私も人間だ。彼は手に入れたのだから私にできないはず
はない」と。
樹の下に座って自由になるまで立ちあがらない。
これが彼の決心で、彼は自由を得た。

 何事も決心しないとうまくいかない。あなたは決めなければならない。
今が一番よい時期だ。あなたの決定は確かでサットサンガにやって来た。
そこに座って修行も努力もなしで自由になりなさい。

 何も考えないでただ静かにしていなさい。マインドを掻き混ぜないこと。
どんなに簡単か、あなたは若いのだからそれをやり遂げることができる!!

   世界中で自由を求める人は数少ない。
   自由に焦がれている人はもっと少ない。
   自由だけに一点集中している人はもっと少ない。
   感覚に戻ってこない人はもっと少ない。
   危険を厭わない人はそれよりもっと少ない。
   この危険を逃れられる人はもっと少ない。
   真我を実現する人はまったく少ない。
   
 望みなさい、求めなさい、あなたがここに居ることはまったく稀なことだ。
ここにやってくるための山のような功徳をあなたは持っている。
   
   それを無駄にしないことだ。強くありなさい。

Q:もし私が自由でありたいという本当の欲望を持てば自由になれるように思え
てきました。

 「今日、今自由にならねばならない」という、100%本当の欲望が必要だ。
これ以外の欲望が何もないとき、すぐにその欲望は満たされるだろう。

Q: どのようにして今本当の欲望を持つことができますか?

 「今」。これが答えだ。「今」本当の欲望を持ちなさい、そして何が起こる
か言いなさい。
一瞬、マインドを完全に解放して座りなさい。

 そうするとこのマインドは瞬時に啓蒙される。
その瞬間ただ何も考えないでいなさい。
そうするとあなたは自由だと分かるだろう。
サットサンガの後静かに座ってマインドをどこにも行かせないことだ。

 もし行くなら、目撃者としてただ見ていなさい。
息を吸ったり吐いたりするのを見ているように思考が行ったり来たりするのを
見ていなさい。
やめないこと、常に見続けなさい。

 思考がないとき、あなたは自由だ。

Q: 私はいつも「やり手」として生きてきましたが、今はただ私の本質にとどま
ってこれに気づいていたい。これもまた欲望ですか?

  これもまた欲望かもしれないが、この欲望は何億もの欲望を燃え尽きさせる。
ほとんどの人はある欲望が消えるとすぐに次の欲望を経験する。
この絶える事のない欲望の流れをサンサーラと呼ぶ。

 欲望がある限り来世を避けることはできない。
しかし、ひとつの欲望、「自由になりたい」がこれらの全てを取り押さえる。
これは欲望だがこれが他の全てを焼き尽くす。
  
 さて、今どんな努力も試みないこと、あなたが自由であろうが束縛されてい
ようが何も考えないことだ。
いずれ「自由になりたい」というこの欲望も消え去る時が来るが、まず初心者
として始めていきなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

695避難民のマジレスさん:2019/07/19(金) 12:35:24 ID:LC3de7YgO
>>692
16「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part1(つづき)
    
Q:それを感じただけです。 
    
このガールフレンドに会ったことがないのかね。彼女はよい友達だ。
彼女の強さを試してごらん。
おそらく彼女は象のように強靭なのであなたは逃げ出してしまうだろう。

 だから愛でエゴを飼い慣らしなさい。
もし愛で飼い慣らしたら、彼女はあなたを困らせないだろう。
彼女を一人にしておきなさい。

「私は自由になりたい」という大きな望みにはエゴが必要だ。
このエゴを許しなさい。自由が欲しいのはエゴだから。
明日にではなく今日、自由を望みなさい。
今日にではなく今、自由を望みなさい。

 彼女が強ければ強いほど、「私は自由になりたい」という欲望も強くなる。
その時、この強さはあなたの助けになる。欲望も又エゴだ。何かを欲しがるのはエゴだ。
他の欲望が同時に起こることはないので、エゴの強さを利用して自由への欲望
をかき立てるのだ。

 今それを言ってごらん。
    
Q:私は自由になりたい!
    
このように昼も夜も言い続けなさい。
そうするとそれを手に入れることができる。仏陀は手に入れた。
あなたも手に入れることができる。こう言いなさい、

 「彼は人間だった、私も人間だ。彼は手に入れたのだから私にできないはず
はない」と。
樹の下に座って自由になるまで立ちあがらない。
これが彼の決心で、彼は自由を得た。

 何事も決心しないとうまくいかない。あなたは決めなければならない。
今が一番よい時期だ。あなたの決定は確かでサットサンガにやって来た。
そこに座って修行も努力もなしで自由になりなさい。

 何も考えないでただ静かにしていなさい。マインドを掻き混ぜないこと。
どんなに簡単か、あなたは若いのだからそれをやり遂げることができる!!

   世界中で自由を求める人は数少ない。
   自由に焦がれている人はもっと少ない。
   自由だけに一点集中している人はもっと少ない。
   感覚に戻ってこない人はもっと少ない。
   危険を厭わない人はそれよりもっと少ない。
   この危険を逃れられる人はもっと少ない。
   真我を実現する人はまったく少ない。
   
 望みなさい、求めなさい、あなたがここに居ることはまったく稀なことだ。
ここにやってくるための山のような功徳をあなたは持っている。
   
   それを無駄にしないことだ。強くありなさい。

Q:もし私が自由でありたいという本当の欲望を持てば自由になれるように思え
てきました。

 「今日、今自由にならねばならない」という、100%本当の欲望が必要だ。
これ以外の欲望が何もないとき、すぐにその欲望は満たされるだろう。

Q: どのようにして今本当の欲望を持つことができますか?

 「今」。これが答えだ。「今」本当の欲望を持ちなさい、そして何が起こる
か言いなさい。
一瞬、マインドを完全に解放して座りなさい。

 そうするとこのマインドは瞬時に啓蒙される。
その瞬間ただ何も考えないでいなさい。
そうするとあなたは自由だと分かるだろう。
サットサンガの後静かに座ってマインドをどこにも行かせないことだ。

 もし行くなら、目撃者としてただ見ていなさい。
息を吸ったり吐いたりするのを見ているように思考が行ったり来たりするのを
見ていなさい。
やめないこと、常に見続けなさい。

 思考がないとき、あなたは自由だ。

Q: 私はいつも「やり手」として生きてきましたが、今はただ私の本質にとどま
ってこれに気づいていたい。これもまた欲望ですか?

  これもまた欲望かもしれないが、この欲望は何億もの欲望を燃え尽きさせる。
ほとんどの人はある欲望が消えるとすぐに次の欲望を経験する。
この絶える事のない欲望の流れをサンサーラと呼ぶ。

 欲望がある限り来世を避けることはできない。
しかし、ひとつの欲望、「自由になりたい」がこれらの全てを取り押さえる。
これは欲望だがこれが他の全てを焼き尽くす。
  
 さて、今どんな努力も試みないこと、あなたが自由であろうが束縛されてい
ようが何も考えないことだ。
いずれ「自由になりたい」というこの欲望も消え去る時が来るが、まず初心者
として始めていきなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

696避難民のマジレスさん:2019/07/19(金) 12:35:25 ID:LC3de7YgO
>>692
16「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part1(つづき)
    
Q:それを感じただけです。 
    
このガールフレンドに会ったことがないのかね。彼女はよい友達だ。
彼女の強さを試してごらん。
おそらく彼女は象のように強靭なのであなたは逃げ出してしまうだろう。

 だから愛でエゴを飼い慣らしなさい。
もし愛で飼い慣らしたら、彼女はあなたを困らせないだろう。
彼女を一人にしておきなさい。

「私は自由になりたい」という大きな望みにはエゴが必要だ。
このエゴを許しなさい。自由が欲しいのはエゴだから。
明日にではなく今日、自由を望みなさい。
今日にではなく今、自由を望みなさい。

 彼女が強ければ強いほど、「私は自由になりたい」という欲望も強くなる。
その時、この強さはあなたの助けになる。欲望も又エゴだ。何かを欲しがるのはエゴだ。
他の欲望が同時に起こることはないので、エゴの強さを利用して自由への欲望
をかき立てるのだ。

 今それを言ってごらん。
    
Q:私は自由になりたい!
    
このように昼も夜も言い続けなさい。
そうするとそれを手に入れることができる。仏陀は手に入れた。
あなたも手に入れることができる。こう言いなさい、

 「彼は人間だった、私も人間だ。彼は手に入れたのだから私にできないはず
はない」と。
樹の下に座って自由になるまで立ちあがらない。
これが彼の決心で、彼は自由を得た。

 何事も決心しないとうまくいかない。あなたは決めなければならない。
今が一番よい時期だ。あなたの決定は確かでサットサンガにやって来た。
そこに座って修行も努力もなしで自由になりなさい。

 何も考えないでただ静かにしていなさい。マインドを掻き混ぜないこと。
どんなに簡単か、あなたは若いのだからそれをやり遂げることができる!!

   世界中で自由を求める人は数少ない。
   自由に焦がれている人はもっと少ない。
   自由だけに一点集中している人はもっと少ない。
   感覚に戻ってこない人はもっと少ない。
   危険を厭わない人はそれよりもっと少ない。
   この危険を逃れられる人はもっと少ない。
   真我を実現する人はまったく少ない。
   
 望みなさい、求めなさい、あなたがここに居ることはまったく稀なことだ。
ここにやってくるための山のような功徳をあなたは持っている。
   
   それを無駄にしないことだ。強くありなさい。

Q:もし私が自由でありたいという本当の欲望を持てば自由になれるように思え
てきました。

 「今日、今自由にならねばならない」という、100%本当の欲望が必要だ。
これ以外の欲望が何もないとき、すぐにその欲望は満たされるだろう。

Q: どのようにして今本当の欲望を持つことができますか?

 「今」。これが答えだ。「今」本当の欲望を持ちなさい、そして何が起こる
か言いなさい。
一瞬、マインドを完全に解放して座りなさい。

 そうするとこのマインドは瞬時に啓蒙される。
その瞬間ただ何も考えないでいなさい。
そうするとあなたは自由だと分かるだろう。
サットサンガの後静かに座ってマインドをどこにも行かせないことだ。

 もし行くなら、目撃者としてただ見ていなさい。
息を吸ったり吐いたりするのを見ているように思考が行ったり来たりするのを
見ていなさい。
やめないこと、常に見続けなさい。

 思考がないとき、あなたは自由だ。

Q: 私はいつも「やり手」として生きてきましたが、今はただ私の本質にとどま
ってこれに気づいていたい。これもまた欲望ですか?

  これもまた欲望かもしれないが、この欲望は何億もの欲望を燃え尽きさせる。
ほとんどの人はある欲望が消えるとすぐに次の欲望を経験する。
この絶える事のない欲望の流れをサンサーラと呼ぶ。

 欲望がある限り来世を避けることはできない。
しかし、ひとつの欲望、「自由になりたい」がこれらの全てを取り押さえる。
これは欲望だがこれが他の全てを焼き尽くす。
  
 さて、今どんな努力も試みないこと、あなたが自由であろうが束縛されてい
ようが何も考えないことだ。
いずれ「自由になりたい」というこの欲望も消え去る時が来るが、まず初心者
として始めていきなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

697鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/19(金) 22:14:34 ID:1d4drIFg0
悟りを求める思いも欲の一つと言えるじゃろう。
しかし、その欲は他の欲とは違い人を悟りに導くものじゃ。
他の欲を全て捨ててその一つの欲に邁進すれば悟りもやってくるのじゃ。
最後にはその欲さえも捨て去って大悟徹底に至るのじゃ。

698偽和尚★:2019/07/20(土) 00:06:47 ID:???0
削除のお知らせ。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1415399543/20-25

699偽和尚★:2019/07/20(土) 00:16:31 ID:???0
削除のお知らせ。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1415399543/26

700避難民のマジレスさん:2019/07/20(土) 00:42:15 ID:LC3de7YgO
偽和尚、ありがとうであります。
γ⌒:"-ヽ〟
(∪(   )
∪∪∨-∨

701鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/20(土) 23:35:06 ID:1d4drIFg0
>>698>>699 ご苦労さんなのじゃ。
 正に菩薩の行ないじゃ。

702避難民のマジレスさん:2019/07/21(日) 00:58:07 ID:LC3de7YgO
>>696
16「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part1(つづき)

Q: 私が実現する前に肉体を去るとしたら、この仕事は続いていくのでしょうか


 満たされなかった欲望が死ぬ時までに消えないなら、最後の欲望が最後の息
とともに肉体から出て行く。
そしてこの魂は欲望を満たすのに適した状況の中に生まれ変わる。

 魂は空中を旅して魂に適した子宮を探してその中に入る。
自由を望んでいる場合の魂は敬虔な家族を探し出す。
もし選んだ家族が相応しくない時は胎児のときに流産して探索を続ける。

 ここにいる多くの人が非常に若い時から自然と瞑想したり自問していると聞
いている。
これはあなたの前世と前世の最後の欲望が何であったかという兆候だ。

 今世であなたの旅を終わらせなければ来世がやってくるだろう。

Q:マインドの死と真理への誕生、これ以外に何も興味がありません。

 これが真の誕生で死に決して出会わない。
他の誕生は必ず死に出会う。
この誕生で死は永久に取り除かれた。
今あなたは他の誰かではなく、あなた自身の真我を手に入れた。

 もしあなたが誰か他の人を愛するなら死の結末に直面しなければならない。
他の人や対象に触れなければ死を征服する。
あなたは死を超えた、全ての存在の真我の幸福と一体なのだから。

Q:私があなたに会うためここにやって来るのに、家族や友達の反対を押し切っ
たほどの強い決心がありました。
どのようにして全てを手放してあなたの恩寵を受け取ることができますか、そ
して「存ること」の至福と一体性を楽しむことができますか?

 あなたは全てを後にしてデンマークを離れた。
友達の言うことに耳を貸さず、内なる「呼びかけ」に従った。

   今、ここであなた自身の光を見つけなければならないと決心しなさい。
   思考や友達や対象物への執着を後にしなさい。
   「私は今、それが欲しい」という決定はすぐに恩恵を得るだろう。
  
 これを言いなさい、そうすると即座にあなたは変わるだろう。
私には何が起こるか言えないが、恐れと疑いがなくなるのは確かだ。
このように強固な決心をしなさい。

 「私は自由だ」と決めたのなら、それで十分だ。
「今」それを尊敬するならそれで十分だ。
なぜ疑っているのか。
「私は自由だ」と宣言するならこの自由を尊敬しなければならない。
今それを尊敬するなら、あなたの面倒を見るのは「自由」の責任だ。
  
 「いつも自由でありたい」となぜ言うのか?
 あなたが自由であるときは時間を超越している。
どうして時間に戻ってくることができるのか?
 あなたの世話をするのはその無時間性だ。

 あなたがやり遂げたことと、それに対する報酬は何かを理解しなければなら
ない。
あなたはあなたの手のひらのダイヤモンドの評価額を知らない。
その価値を尊敬しなければならない。

 あなたの自由への委ねを尊敬することが最も重要だ。
誰でもいつも自由だ、誰でもすでに自由だ。
しかし誰もその自由を尊敬しないために誰もが苦しんでいるのだ。

 人々は苦しみだけを尊敬する。
両親・隣人・聖人・全ての宗教の頭首は「あなたは苦しんでいる」・「地獄に
落ちるだろう」と言い続ける。

 「あなたはすでに自由だ」と私は言おう。
なぜ私の言葉を尊重しないのかね?
あなたはグルのためにここにやって来た。
そう、グルを尊敬して服従しなさい。
グルの言うとおりにしなさい。

 グルは「あなたは自由だ」と言う、それを受け入れなさい。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

703鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/21(日) 22:42:43 ID:1d4drIFg0
どのようにして恩寵をうけとれるのかと聞く者は既に恩寵を受け取っているのじゃ。
既にすべてと一体であり至福に在るのじゃ。
それをわすれているだけなのじゃ。
自ら気付くだけですべてを受け取れるのじゃ。

704避難民のマジレスさん:2019/07/22(月) 08:30:33 ID:LC3de7YgO
>>702
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part1(つづき)

Q:私は幸せを感じたことがありません。
実は私は死んだも同然です。
どうすればいいのか教えてください。

 あなたの人生で一つだけ欲望を持ちなさい、自由への欲望。
この欲望だけがあなたを困らせる他の欲望の存在を許さない。
この欲望が満たされる時が来たら全てを犠牲にしなさい。

 この欲望があなたに平和と幸福を与えて、二度とサンサーラに戻ってくるこ
とはない。
全てを犠牲にしなさい、そうすると人生のあらゆる葛藤から自由になる。

 この欲望があなたに平和と幸福を与えて、二度とサンサーラに戻ってくるこ
とはない。全てを犠牲にしなさい、そうすると人生のあらゆる葛藤から自由に
なる。

 マインドがあなたを騙すのを許さないこと。マインドだけがあなたを自由か
ら遠ざける。
ここにいる少数の人びとがマインドの習癖を理解してマインドには耳を貸さ
ない。

 彼らはマインドからやってくるものを拒絶して、マインドを彼らの奴隷にす
る。
彼らは自由になるまで静かに座っている。
自由になった後でマインドの欲望の世話をしてそれを満たしてやる。
  
 あなたはハヌマン帰依者だ、違うかね?
 ハヌマンは彼の主人に仕えることが唯一の欲望で個人的な欲望は決して許さ
なかった。
ハヌマンの足跡に従い、ラーマだけのために働きなさい。
ラーマの仕事をすることで自然とパワーが身についてインド洋を飛び越えるこ
とができた。
これほどのパワーが身に付くのだ。

(´・(ェ)・`)つ

705鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/22(月) 22:12:50 ID:1d4drIFg0
この世の全てに幸福が無いならば逆にラッキーなのじゃ。
悟りを得るしかないからのう。
真の悟りを得て永遠の幸福を得ると善いのじゃ。
一切苦の世間から脱出できるのじゃ。

706避難民のマジレスさん:2019/07/23(火) 07:12:44 ID:LC3de7YgO
>>704
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part1

Q:自由になるための闘争を終えるためにあなたのもとにやって来ました。
私独りでやり遂げることはできません。
すでにあなたの現存の偉大さが私を助けています。

 あなたは独りでは得ることができない何かを得るための強い欲望を持ってこ
こにやって来た。
教えてあげよう、あなたはそれを独りですることができる、他の人の助けは要
らない。

 刀の刃の上を二人並んで歩くことはできない。
それは不可能だ。
刃の上を歩くには一人で、あなた自身で歩きなさい。
刀の刃は鋭利でこちら側、あちら側、後ろと見回していると二つに切り裂かれ
る。

 自由に向かって歩くことは刀の刃の上を歩くようなものだ。
友達や親しい人を連れて行くことはできない、余所見をしないで独りで歩かな
ければならない。
余所見をすると震えて目的地の自由に決して到達できない。
  
 これは何も考えないでいるという意味だ。考えているということは過去にいるということだ。何も考えないで何もしないことだ。ただ自由のことだけ考えていなさい。

 そうすると最愛の人からの一瞥でマインドの暗闇が取り除かれる。

Q:自由になるための闘争を終えるためにあなたのもとにやって来ました。
私独りでやり遂げることはできません。
すでにあなたの現存の偉大さが私を助けています。

 あなたは独りでは得ることができない何かを得るための強い欲望を持ってこ
こにやって来た。
教えてあげよう、あなたはそれを独りですることができる、他の人の助けは要
らない。

 刀の刃の上を二人並んで歩くことはできない。
それは不可能だ。
刃の上を歩くには一人で、あなた自身で歩きなさい。
刀の刃は鋭利でこちら側、あちら側、後ろと見回していると二つに切り裂かれ
る。

 自由に向かって歩くことは刀の刃の上を歩くようなものだ。
友達や親しい人を連れて行くことはできない、余所見をしないで独りで歩かな
ければならない。
余所見をすると震えて目的地の自由に決して到達できない。
  
 これは何も考えないでいるという意味だ。
考えているということは過去にいるということだ。
何も考えないで何もしないことだ。
ただ自由のことだけ考えていなさい。

 そうすると最愛の人からの一瞥でマインドの暗闇が取り除かれる。
静かにしていなさい、自由を勝ち得るためにここに連れてきた欲望さえ忘れて
しまう。

 静かにしていなさい、そうすると執着がなくなる、静けさへの執着も含めて。
現在には執着はない、そこにマインドがないのだから。
    
 マインドは過去だ、現在には過去は存在しない。
自由になりたいのならマインドに触れないことだ。
あなたが考えることは全て死と同然だ。
ただ静かにして努力しないこと。

 内に向かおうとする引力をしっかり捕まえて行きなさい。
そうすると他の引力には気が付かないだろう。
これにはあなたの真剣さが必要だ。
外の世界に煩わされないところに居たいなら平和があるところにいなさい。

 外側には平和は存在しない。

Q:なぜ多くの人々がここに来て、留まり、あなたを愛しているのですか?
 あなたは「自由になるにはほんの一秒必要なだけだ」と言われても、彼らは
悟るわけではありません。

 真我実現には一秒かかるだけだ。
しかしこの一秒間にマインドから他の全ての思考を取り除くための非常な努力
が必要だ。
この一秒間に全てを取り除いて、
この一秒と一緒にいることを許しなさい。
この一秒間につま先で立ち上がって、こぶしを握って
「この一秒に自由になる」と叫びなさい。

 自由へのそのような極端な欲望を持つことは非常にまれだ。
このような活動と強さを持つと、神でさえやって来てあなたにひざまずく。
ひ弱な肉体ではできない、強靭な肉体とマインドと意図が必要だ。

 そのときこの一秒が働く。
あなたはやらなければならない。
メニューを見ているだけではだめだ、食べ物を食べなさい。
愚かなマインドを打ち負かしなさい。

 自由になるための決定するのはマインドではない。
決心したらマインドは存在しない。
マインドを制御して奴隷のように使いなさい。
しかしここでは自由になるためにはマインドは必要ない。
(´・(ェ)・`)つ

707鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/23(火) 21:48:39 ID:1d4drIFg0
気付くことには一秒しかいらないのじゃ。
一瞬で理解が及び、厭離が起こるのじゃ。
今まで自分思っていたものが自分ではなかったと気付くのじゃ。
自分とか他人という観念さえ幻想と気付くには一秒でよいのじゃ。

708避難民のマジレスさん:2019/07/23(火) 23:51:11 ID:LC3de7YgO
>>706
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part2

平和と苦しみの識別

   識別というのは、知性が、何が一時的か・何が永遠かを訊ねて、見極めるこ
とだ。
   識別とは、真我の至福と感覚の快楽、平和と混乱、そのどちらを取るかだ。

  識別で本当のものを選びなさい。
   さもないとあなたは間違いを犯すことになる。
   賢く生きるということは本物と偽物、歓喜と苦しみを見分けることだ。
   そしてあなたでないものは拒絶しない。
   識別が対象物の一時的で幻想的な本質を明らかにし、それに対する執着を破
壊する。

  あなたは真我にいつも注目していなさい。
   真我だけが本当で、他の全ては偽物だ。
   マインドでこれをしっかりと理解することが重要だ。
   即座に見分ける:これはロープか蛇か?
   識別をあやまると牢獄だ。
   その中であなたは想像上の蛇の奴隷になる。

  ハムサは識別を象徴する伝説的な白鳥だ。
   ミルクと水の混合物からミルクだけを飲んで水を残す。

Q:失うことができないものをどうして失うのでしょうか?
    
これについて理解しなければならない。
見つけることも失うこともできない「それ」を見つけることだ。
識別していきなさい。
あなたの目的は何か? 何を得るべきか? 何を捨てるべきか? 何が真実で何が
真実でないか?
 識別していきなさい。

  識別しなさい、さもないと時間を無駄にすることになる。

「あなたの目的は何か?」これから始めなさい。
あなたに幸福を与えてくれるものを探し出すことだ。真理を知ることだ。
あなたは覚醒のためにここにいる。他の目的のためではない。
これはあなたの決定だ。

 それならあなたを騒がせるどんな思考も保持しないことだ。
いつも防衛態勢でいなさい。そうするとあなたは成功する。
あなたの決心を揺るがさないこと。負けを認めないこと。
手に刀を持った戦士であるべきだ。必要のない思考をその刀で切り捨てなさい。

Q:私はここで二つの状態を経験しました。
一つは平和で空間的で無限で何もない状態、もう一つは多くのエネルギーに包
まれて子宮の中にいるような状態です。
    
 誰がこの二つの状態を区別しているのか?
    
Q:私のマインドです。 
    
両方とも空想で真理ではない。
両方とも一時的なマインドの投映、つまりマインドそのものだ。
ある状態が好きで他の状態は嫌いだというのはマインドだ。

 誰がこれらの状態を体験し区別しているのか?
 誰がこの違いを創り出しているのか?
 一つは良くて他は良くない。
誰がこの変化を見ているのか?
 状態の全てが消えるところに戻りなさい。
そうするとあなたは平和、絶対的な平和に入っていくことができる。

 マインドが区別そのものだ。
どこにこのマインドの源泉があるのか?
 この二元性がどこからやって来るのか?
 そこに行きなさい。
そうするとその源泉の中に、絶対的な沈黙の中に居ることになる。
違いが起こる前のところに行きなさい。

 今ここで、それをやりなさい、そこへ行きなさい。
しかしどんな意図も、努力も持って行かないこと。
そうするとそれを見つけることができる。さあ今やりなさい!!

Q: 簡単に全てが消えてしまいました。     
そうだ「ここ」では何も起こってはいない。
何もない。
「ここ」では二元性は起こってこない。
これが自由だ。
これがあなた自身の本質だ。
あなたの本質だ!!
これを認めて、これと一体になりなさい。
この中に流れこんでいきなさい。

 その時全ての様相はこの意識のただ中にあるということがわかるだろう。
全てがあなたのものだ。
あなたは全てになる。
状態はない、「私はこれらの全てだ。」
ここから踊って行きなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

709鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/24(水) 22:42:21 ID:1d4drIFg0
何か観念による幻影があるならばそれは魔であると知るがよいのじゃ。
無であることを認識するものさえない無の境地こそ最後の境地なのじゃ。
観念が無いから全て無なのじゃ。
語ることも考えることも認識する事も無い境地に行くのじゃ。

710避難民のマジレスさん:2019/07/25(木) 00:09:00 ID:LC3de7YgO
>>708
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part2 (つづき)


Q:バナラシの火葬場を訪れて以来、あなたの近くにいたい、私の真我といた
いという欲望が強く燃えています。
    
肉体が火葬されるのを見たのなら、ほんの数オンスの灰が残ったのを見たに
違いない。
この数オンスの灰が、あなたが執着している肉体だ。これが火葬場での識別だ。
そこに行くと全ての人がこの識別を得るがすぐに忘れてしまう。

  永久にこの識別を憶えているべきだ。
   この肉体はやがて灰になる。
   だから灰になる前に肉体をもって生まれて来た目的を果しなさい。
   そうすると肉体が燃え去ってもあなたは幸福のままでいられる。

真実ではない思考の後を追いかけて、平和をあきらめないように。
思考は来させなさい。そして行かせなさい。何も問題はない。
平和の中に永久にいなさい。

 何億年もの間、混乱の中で生きて来たのだ。
一度平和を見つけたらどうして混乱の中に帰っていくことができるのか? 

 これを理解しなさい。何があなたに平和を与えるのか?
 何があなたを騒がせ苦しめるのか? あなたにとって良いことに従いなさい。

Q:思考や感情は真実でないと聞いて混乱しています。
それらは悪いもので意味のないものですか?
    
全ての思考や感情は真実ではない。それらは波のようなものだ。
数秒間、数分間、海の表面で踊って、又波が起こって来た所に戻っていく。
その時、波は波でない。波は海だ。
どれくらい波は自立した個性としての形を保っていられる?

   名前と形は真実ではない。
   それらが現れる基盤を見なさい。
   それが真実だ。
   それは決して変わらない。

マインドに思考が起こって来る以前に、思考が快楽を求めて感覚の対象物
に向かっていく前に、それが起こって来る基盤を見なさい。
それを見たら、あなたはもう無知ではないのだからそこから起こる思考や感情
を楽しむことができる。波や泡は無知だ。
それらは名前と形を楽しんでいるだけだ。

  形は一時的なものだ。
   形に執着すると混乱することになる。
   思考、欲望、感情、情緒、物体、
   すべて起こって来るものは苦しみを与える。
   世界中で誰もこれを避けることができない。
   楽しむ人も、楽しまれたものも両方押し流されてしまう。

  しかし、賢者は真実と真実でないものを見分ける
   賢者は真理を知っているので
   思考や感情が起こって来るのを許す。
   全ては一つで同じだということを知っている。
   このように識別すると、苦しむことはない。

Q:ポーランドの草原を歩いているとき、世界の現実性を完全に壊してしまう
程の強烈な体験をしました。私は明確に全てがマインドによって組み立てられ
たものだということを知りました。
しかし、二週間後にはこの経験はゆっくりと消えてゆきましたが、私はこの経
験で私は一体誰かわからなくなって恐怖に怯えました。
私が誰かという以前の身元確認が完全に壊れてしまいました。
    
 全てがマインドで構成されていると見たことは、人が経験することができる
最高の経験だ。
なぜ恐れたのか? 全ては心の構築だ。マインドが存在しないと、触れたり、
見たり、実現するものは何もない。何もない眠りの状態のようなものだ。

 これが目覚めの状態の中で起こったということは、その人は、その人の功徳
と熱望の報酬を刈りとっているということだ。この経験はどこでも起こりえる。
草原、森の中、目覚めていようが眠っていようが、それは問題ではない。

 しかし、あなたがそれについて疑ったためにそれが消えてしまったのだ。

 これが起こったなら「私は誰か」と知る必要はない。
「私は誰か?」と訊ねるときは主体、質問、対象がある。
しかし、あなたが言うように全てが幻想なら、主体も対象もまた幻想だ。
何も存在しない。これが真理だ。
    
Q:この経験の後で多くの友人が心理学者に見てもらうべきだと助言したの
でそうしました。
医者から「私は気違いだ」と言われる代わりに、私はそれを期待していたので
すが、彼は、「私のグルを探す時だ」と言ったのです。
私は信じられなかったのですが、その後すぐにあなたのことを聞いて、それで
今、私はここにいるのです。
    
恩寵が全ての人をここに連れて来る、内なる神の恩寵だ。
恩寵があなたをここに連れて来た。あなたの疑いを明らかにし、あなたの旅を
終わりにするためだ。再び苦しむために子宮に投げ返されないように、この人
間としての誕生を最大限に利用しなければならない。
(´・(ェ)・`)つ

711鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/25(木) 22:21:22 ID:1d4drIFg0
一時的な気付きにより忘我になったのじゃな。
それで自分が無いと恐れてしまってもとに戻ってしまったのじゃ。
更に進めば自分という観念は不要であったと気付く筈であったがのう。
稀な機会を捉えて無我にまで進むのは恐れを乗り越えていくときだけなのじゃ。

712避難民のマジレスさん:2019/07/26(金) 00:44:00 ID:LC3de7YgO
>>710
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part3

冷静さ:一時的なものへの無執着:放棄

  自由というのは理解を超えたもの、
   マインドの動きを超えたものだ。
   だが知的な把握というのは大変重要だ。
   それはどんな対象も
   心の平和を与えることはできないと知ることだ。
   もし、これを知っていたら、
   一時的な対象物に魅力を感じることはない。
   これが冷静さ、放棄だ。

  識別とは真実と真実でないものを見分けることだ。
   自由への欲望は真理への熱情だ。
   放棄は真理でないものへの冷静さだ。
   それは全ての感覚、快楽に対する執着の放棄だ。
   それらが悪いという理由からではない。
   それらは本来一時的、刹那的で幻想だからだ。
   それらはあなたの表面上の踊りにすぎない。

  マインドを放棄しない限り、他の放棄は役に立たない。
   あなたが放棄できる全てのものはマインドで放棄する、
   しかし真我はマインドそのものを放棄する、思考に対して完全に無執着だ、
   真我はあなたを苦しめる全ての思考を放棄する。
   快楽は永続しないと識別することによって放棄が起こる。
   賢人は平和のために全ての思考を拒絶する。

Q:私は自由への道を歩いています。もし、私が全ての執着を絶ったら私は自
由になれるのですか?
私の血縁関係も捨てる必要があるのですか?
    
あなたがこれらの執着や関係以外のものを望むとき、それらは自然に落ちてい
くだろう。
あなたが捨てるのではなく、砂の壁のようにそれ自体で崩れていく。

全ての関係は子どもが浜辺で作る砂の壁のようなものだ。
あなた自身の真我との関係に比べたらそれ以上値打ちのある関係は存在しない

「それ」との関係は決して捨てることはできない。
真我を見つけ出すのを妨害する関係は永久に拒絶することだ。

事実を言えば、執着というのは存在しない。
眠りに落ちるとき、どのようにして執着が落ちていくか見てごらん。
そこには執着している両親も牧師も教会も何もない。

このようにあなたが真理を探究し始めると、全ての関係は元々存在しないのだ
からそれ自体で落ちていくものだ。
あなたが関係から何かを必要としているので、それは存在しているかのように
見えるだけだ。
あなたは確かに興味がある。
そうして関係を創りだすのだ。
壊れることのない唯一の関係を持ちたいのならあなた自身の真我と恋に落ちる
ことだ。

これがどのようにして平和を見つけるかだ。
あなたはいつも平和に生きているのに、執着のために他の事に巻き込まれ、何
が足元にあるのか見ようともしなかった。
感覚は場所や対象物や人を追いかけて、決してこの空間にやって来ることはな
かった。

そう、親愛なる友よ、今が前進するときだ。
あなたはここサットサンガにいる。
全ての関係性があなたを騙して来た。
「ここ」はあなたを騙したりしない最も相応しい場所だ。

Q:真理はいつも存在しているのなら、どうして真理の認識に時間がかかるの
でしょうか?
    
いいや、真理の認識には時間がかからない。
真理の認識に時間がかかるのは真理でないものを探しているためだ。
真理に出会うための真剣で正直な欲望が欠けているためだ。
  
 真理はあなたの前、後、上、下、どこにでも存在する。
しかし、あなたは他の何かが欲しい。
他の人や物が欲しい。
  
 あなたがこれらの他のものを見ない時、一体何を見るのかね?
即座に「あなたが真理そのものだ」ということを見るだろう。
(´・(ェ)・`)つ

713鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/26(金) 23:34:14 ID:1d4drIFg0
一つ一つの執着を全て捨てる必要は無いのじゃ。
修行の妨げになる執着だけを捨てるが善いのじゃ。
残りの執着は悟りを得れば自然に無くなるのじゃ。
すべてである真理そのものと気付けば一切の執着も必要のないものとして消えていくのじゃ。

714避難民のマジレスさん:2019/07/27(土) 20:04:06 ID:LC3de7YgO
>>712
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part3 (つづき)

Q:過去におこったことにコントロールされている自分に飽き飽きしています。
私は自由でありたい、いつもそよ風のようにありたい。
    
そよ風の本質は決して一つの場所に留まらないということだ。
彼女はいつも流れている。
彼女がバラの咲き乱れた庭に行ってもその美しさに執着しない。
彼女は「私はここにいましょう」とは言わない。

彼女の性質は流れ続けることだ。次に行く場所は豚のいるゴミ貯め場だ。
彼女は空間を流れていく。拒否することもなく、受け入れることもなく、執着
することもなく、無執着に執着することもない。

これが彼女の本質だ。この本質は私達が自由になるのを助けてくれる。
あなたの前にやって来るものに執着することもなく、無執着することもない。
ただ、流れ続ける。

さて問題は、我々が一つの場所に執着してしまったということだ。
その場所とは、関係性。特にあなた自身の肉体との関係だ。
あなたは自分の肉体に非常に執着している。

しかし、これはそよ風の本質ではない。だから全ての人が苦しんでいるのだ。
もし「これは美しい肉体、個性、私はいつもこの肉体に留まっていたい」とい
うなら、あなたは肉体と同一化したことになる。

しかし、これは起こりそうにないので、あなたを幸福にする特別な場所、一人
の人、教育に代わりを見つけ出す。
しかし、これらもあなたを本当に幸福にすることはできない。

 幸福な人とは流れ続けて行く人、特別な場所や人や物に執着しない人。
これが、そよ風がいつも幸福な理由だ。
 
昔、グルを見つけようと努力していた人がいた。彼はそよ風を見て言った、
「あなたは私のグルだ。あなたは一箇所に留まらないようにと教えてくれた。
私もあなたのように振舞います。私はあなたに降参します。」
このようにあなたが出会う全てのものがグルだ。

あるとき、彼はある少女に出会った。彼女の家に未来の父や母になる人が訪ね
てきた。彼女の両親は出かけていて、彼女が彼らのために料理しなければなら
なかった。

彼女の家は貧しくてほとんど食べるものがなかったが、彼女はそのことを彼
らに知られたくなかった。
水田から刈ってきた米の籾殻を取り除き始めたら、手首にはめている腕輪が音
を立てた。

籾殻つきの米をついているということを、印度ではそれは貧乏の確実な証拠
だから、彼らに知られたくなかったので、賢明にも彼女はひとつの腕輪だけを
残して全てを手首から取り除いた。

音はしなくなった。グルを探しているこの男はこのいきさつを見ていて、幸福
であるためには一人でいなければならないとこの少女から学んだ。

このように彼はあらゆるものをグルとして受け入れた。大地も彼に教えた。
あなたは大地になんでもすることができるが彼女は気にしない。
汚物で汚そうが花を植えようが同じだ。

彼女は全てを受け入れる。彼は「大地は私のグルだ」といった。
このようにあなたが本当に学びたいのなら、全てのものから学ぶことができる。

あなた自身独立していない限り、他人とひりひりして時間を無駄にするものだ。
あなたはあなたの真我と親密であらねばならない。
この話の意図はあなたを台無しにする同伴者を持たないこと、時間を無駄にし
ないこと。
あなたは一人でいる時間を持ち何にも執着しないことだ。

あなたが自由になるまで、一人で静かにしていなさい。
あなたの真我のために少しでもよいから時間を見つけなさい。
いつも社会の中にいる必要はない。社会とはあなたの時間を無駄にする場所と
いう意味だ。
 
 「全てのものから学びなさい」,これがあなたには十分な教えになるだろう。

Q:神に会う前に全ての問題や心配を取り除く必要がありますか?

それらをまず取り除いて、そして行くということはできない。
まず輝かなければならない、そうすると物事は解放される。
まっすぐに行きなさい、全ては解放されるだろう。

まっすぐに家に帰りなさい、そうすると全てがあなたの面倒をみる。
これもあれも取り除かねばならないと考えないことだ。
それは不可能で、そのために何世も費やさねばならない。

「私は自由にならねばならない」とこれだけを考えて直進しなさい。
さもないと采配しなければならないことは多すぎるし、それらすべての面倒見
るには今世は短すぎる。

時が過ぎていく。急いで家に帰りなさい。自由のことだけを考えていると、マ
インドは「今」この瞬間ノーマインドだか
ら全てが解放される。他に何も考え
ないことだ。真我を愛しなさい。
(´・(ェ)・`)つ

715鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/27(土) 23:49:29 ID:1d4drIFg0
悟る前に全ての問題や心配を取り除くことは出来ないのじゃ。
老病死もまたその一つであるからのう。
悟れば全ての問題も心配もなくなるのじゃ。
それらが観念であったと気付くからなのじゃ。
幻影である自我があると思われている時だけそれらもあると思うのじゃ。

716避難民のマジレスさん:2019/07/28(日) 00:40:26 ID:LC3de7YgO
>>714
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part4

神聖さ:無垢と純粋性

   真理は神聖な人を誉め讃える。だから美しく、純粋で、汚点なしでいなさい。
   *1ヴァーサナが取り除かれた時、思考がない時、あなたは神聖だ。

  あなたが神聖なら、あなたは価値がある。しかし、価値があることだけ
では十分ではない
 価値があるということは、誰かが見つけねばならない。
   そして価値があることと価値がないこと、両方から自由でありなさい。
   死者が「私は死んだ」と言えないように、価値がある人は「私は価値がある」とは言わない。

   静寂は絶対に必要だ。それは内側に向かう心だ。
   心が内側に向かうと感覚や思考や概念から自由になる。
   静かにしていなさい。心が快楽に向かって外に出るとサンサーラ、サン
サーラにいる心は苦しみと死と誕生のサイクルを生み出す。

   外側の環境、即ち交際、肉体、心の浄化は重要だ。
   自由への燃える欲望が内側を洗い清める。

 サトヴィック、純粋で調和のとれたマインドは真我探求へと導く。正しい規
律にのった生活様式と食事療法が推薦される。  
 
 ラジャスやタマス状態のマインドには真我探求は起こらない。
ラジャス、活動的なマインドは怒りと活動的訓練に導く。
それはモンキーマインドで、本質を見ることはできない。

 タマス、鈍感でだるいマインドは眠け、疑い、恐れへと導びく。鈍いマイン
ドはグルの言葉に耳を傾けない。
 
 マインドが何かで占有されてないときはグルの一言で十分だ。これがサトビ
ックマインドだ。

  自由への燃えるような欲望、
   持続的な瞑想、真我探求、快楽を捨てること、
   静かにしていること、何も考えないこと、努力をしないこと、
   このような神聖な人が真理を得るのだ。
   神聖さは大切な条件だ。

Q:神聖さを持ちたいという強い欲望があります。
    
この神聖さは自由でありたい人には絶対必要だ。あなたは神聖であらねばならない。
「それ」は神聖な人に姿を現し、自由以外のものを望む人には姿を現さないか
らだ。

   神聖さがあなた自身の真我と恋に落ちるのだ。
   これが神への愛だ、献身だ。
   これは愛と何の違いもない。
   あなたは愛するものに献身する。
   あなたが献身するものをあなたは愛する。

  この愛が対象を持たず、どこにも行かず、
   それ自身に向かっていく時、
   「それ」があなたにそれ自身の姿を現す、
   あなたの望む形で、あるいは無形で現われる。
    もし、あなたがこの愛を望むなら、
   特定の誰かを愛そうとしないことだ。
   この愛には個性がない、形がない、名前がない。
   神がこの愛だ。

Q:昨夜、私のために時間をさいて下さってありがとうございます。
それ以来、全ての私の問題は朝日で消えていく霞のように消え去ってしまいま
した。
 
すばらしい、この即効はあなたが正直な人だということを意味している。

      正直な人だけがやり遂げることができる。
     真理は神聖な人を高揚するからだ。
     神聖な人が真理のハートに何の困難もなくはいって行ける。

    誰が神聖な人か?
     目を閉じて見てごらん。
     私は神聖か? 神に触れるに十分神聖か?
     神と神を見たいと望む人の間には何の違いもない。

Q: 私はまだ完全に純粋だとはいえません。それが内なる炎を見るのを遠ざ
けています。私は透明になって消えてしまいたい。

あなたは純粋だが、純粋でない何かがあると感じている限り炎を見ることは
できない。
この不純さは他の誰かに対する執着があるために違いない。

あなたの真我の炎を見たいのなら誰にも執着しないことだ。他の誰かに執着し
ているということはその執着している人の中に炎、美、愛を見ていることだ。

あなたはまず最初にあなた自身の美しさを見なければならない。そうすると、
全ての存在の中に美を見ることができる。透明さと言うのはマインドに思考が
ないことだ。
そのときあなたは透明になる。そう、しばらくの間、思考なしでいなさい。
考えないこと、そのときあなたは透明になる。

用語解説
*1ヴァーサナ 心の潜在的傾向
(´・(ェ)・`)
(つづく)

717鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/28(日) 22:08:27 ID:1d4drIFg0
無思考であり、何の条件付けも無い時、人は神聖であると言うのじゃ。
それは瞑想によって達成できるものじゃ。
そのような状態の時には観察もうまくできるのじゃ。
それがサットヴァが優勢であるサトビックマインドなのじゃ。

718避難民のマジレスさん:2019/07/29(月) 00:08:54 ID:LC3de7YgO
>>716
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part4(つづき)

Q:どのようにして自分自身を清め、美しくなることができますか?
    
美しくなるためには時間はかからない。それは皮膚の美しさではない。
それは真理がもてはやすその美しさを言うのだ。マインドの中にどんな思考も
ないとき、あなたは美しい。
マインドに思考がある時、あなたは醜い。思考がない時、毛穴から内なる光が
輝き、あなたは全世界を美しくする。
  
  私の言う美しさは内なる美だ。
   思考がない時、あなたは美しい。

Q:どうか神を見せて下さい。
    
 これが、質問の中の質問だ。たくさんの質問があるが、これが尋ねることが
できる最高のものだ。

 ある話を思いだした。それはこれと同じ願い、同じ探索だ。

8才の少女が私の所にやって来て、神をみせてくれと頼んだ。
私は彼女に今日は学校に行くように、明日、神を見せてあげようと告げた。
そして、明日がやって来た。彼女は再び「神様を見せて」と頼んだ。

私は彼女に「運転手が君を学校に連れて行くために待っているから、今日は学
校に行って、明日、神を見せてあげよう」と言った。
彼女は、「毎日、明日、明日と言っている。今日は学校には行かない。今日こ
そ見せてほしい」と言った。

私は、「O・K、この小さな部屋で神様を見せてあげよう。
神様に会うためには何かあげなくてはいけない。何をあげるのかね。」
 「ママが昼食にくれたチョコレートをあげるよ」と、彼女は答えた。

私は「チョコレートをあげたら、神様がやって来るのだよ」と言った。
 「でもどこに神様がいるの。チョコレートをあげたいのに。」と彼女は尋ね
た。

「チョコレートを先ずあげなさい。そうすると神様がやって来る。あなたが手
を差し伸べてチョコレートを差し出さない限り、神様はやって来ないよ。」と
私は答えた。

彼女は子供で何の疑いもないので彼女は手を差し伸べた。
その時、部屋で大きな物音がしたので、彼女の母親が入って来て、「何があっ
たの」と尋ねた。

「ママ、神様にチョコレートをあげたら全部取って私に半分も残してくれなか
ったの。だから、神様の顔をぶってやったの。ママ、神様を見なかったの? 
私は見たよ、パパジも見たよ。」

母親は、娘の言うことに決して同意しなかったので、少女は彼女の見た神の絵
を描いた。それは私が今までに見たこともない非常に美しい神の絵であった。

少女は私と一緒に外出し、散歩し、一緒に瞑想したものだ。
私がどこにも行かないように、私の足をロープで結んでそのロープをつかんで
眠ったものだ。

私が言いたいことは、その無垢についてだ。
神はいたるところに存在する。
無垢でない人は、神を見ることはできない。
利口さは必要ない、それは問題を起こすだけだ。
神はどこにでもいるからあなたは神をどこにでも見ることができる。

なぜ神を見ることができないのかね。
もし疑いがあるなら、見ることはできない。
あなたと神の間の仕切りは「神は見ることができない」という疑いだけだ。
ヒマラヤの洞窟で長期間苦行した後に神を見ることが出来ると信じているのだ。
さて、あなたは今、何を見ているのかね?
    
Q:何も見えません。 
    
疑わないようにと言っただろう。
「見えません」というのは疑いだ!!疑いを取り除きなさい!
もう一度疑いなしに何が見えるかね?
「見えない」は疑いだ。もう一度言ってごらん。疑いを持たないこと。何が見
えるかね?
    
Q:神が見えます!!
(´・(ェ)・`)つ

719鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/29(月) 22:51:21 ID:1d4drIFg0
疑わなければ神が見えるというのじゃ。
それは本当なのじゃ。
強い信仰があればそれは見えるのじゃ。
暗示とも言うのじゃ。
それに囚われなければ役には立つのじゃ。

720避難民のマジレスさん:2019/07/30(火) 06:56:05 ID:LC3de7YgO
>>718
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part5

信念と信頼

Q:あなたの愛と恩寵を快く受け入れたいのですが、信頼がないのです。
どうか助言してください。
    
私を信頼しないのなら、私の教えを受けることはできない。
100%私を信頼しなければならない。
その時のみ、教えがあなたのハートに届く。

信頼不足は神経症だ。
あなたがまだ子宮にいる頃、両親が不仲で喧嘩をしていたためにこの病気に罹
ったのだ。
小さなテニスボールのようにあなたは両側から打たれた。

ここではみんなあなたを愛している。
ここにやって来たことはとても幸運だ。
だからただ真理に降伏しなさい。
過去の習癖や両親や親戚は忘れてしまいなさい。

今あなたの親戚はここにいる。
ここでは兄弟、姉妹があなたを快く受け入れる。
これがあなたの家族だ。
あなたの両親や国のことは忘れなさい。
ここで生まれて、ここから始めなさい。

   ただ静かにしていなさい。
   そうすると、隠れているあなたの内なる光があなたに貴重な贈りものを
与える。
   過去に起こったことを心配する必要はない。
   いつもこの瞬間から始めることがあなたの責任に目覚めることだ。

世界が泣き叫び続けても、笑って微笑んでいきなさい。
真理を言葉なしに伝えなさい。
信頼について話してあげよう。

私はグルを探してインド中を旅した。
当時私は軍隊にいたので優越感があった。(くすくす笑い)
グルを見つけて彼が私に神を見せてくれるかどうか訊ねるつもりであった。

私が訪ねた全てのグルの弟子達は私を見て、彼らのグルといた50年間に伸び
た長い髭を示して、「我々は何十年と修業しているがいまだに神を見つけるこ
とはできない。靴をはいたままここに来て、神をすぐに見ることができると思
ったら大間違いだ。」と言って、私を追放した。

どうしたものか?
しかし、それを見つけるまで、食物も喉に通らないほど、真剣に何かを探し求
めているなら、欲しいものは手に入るものだ。

さてこの話はラマナ・マハルシの足元で終わりになる。
私は彼に訊ねた、

 「私に神を見せてくれますか?」

マハルシ言わく、

 「いいえ、神を見ることはできない。神は見ることができる感覚の対象では
ありません。」

私はこれに仰天して、彼は次に何を言うのか不思議に思った。
そして彼は言った、

 「あなたが神なのだから神を見ることはできない。どのようにしてあなたで
ある『それ』を探すことができるのですか?」

この瞬間、「私が神である」と完全に信頼した。
そしてこの信頼は決して揺るがなかったし、いまだにそのままだ。
あなたはあなたであるところのものを信頼しなさい。
そうすると疑うべき何があるというのか? もう一度言おう。

  私を信頼しなさい、私を完全に信頼しなさい。
  私が言っていることを信頼しないのならあなたは間違った場所にいると
いうことになる。

良いカルマと無暴力

   宇宙の法に従った生活とは
   良いカルマをもたらす正しい行動をするということだ。
   これは最初の段階では重要なことだ。
   そうするとあなたのマインドが悪いカルマの結果によって騒がされることはない。
   
   マインドが純粋になるかどうかはカルマによっている。
   純粋なマインドと「自由」は同じことだ。
   純粋なマインドはいつも瞑想的で
   無垢な人が最初に「それ」を手に入れる。
(´・(ェ)・`)つ

721鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/30(火) 23:22:18 ID:1d4drIFg0
完全な信頼が無ければグルの恩寵を受けることは出来ないのじゃ。
最後には自分も認識も失ってしまうのであるからその恐れを克服するのには信頼が要るのじゃ。
自らの観念の世界から抜けられない弟子を引き出すには、信頼の一打が要るのじゃ。
しかし、完全な信頼があるならばただ一言だけでも悟りに導くには十分なのじゃ。

722避難民のマジレスさん:2019/07/31(水) 20:19:50 ID:LC3de7YgO
>>720
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第5章 内在する「自由」への徴候 ☆Part5 (つづき)

Q:私の自由への探求は20年前無暴力の思想から始まりました。害を及ぼさ
ないことと健康について話して下さいますか?
    
自由に向かっている人の最初の戒律は無暴力だ。「私は肉体的にも思考によ
っても誰にも害を与えない。」

内も外も潔癖であるべきだ。
身体を清潔に保ち、真実を話し、盗みや他の人に害を及ぼすことはしないよう
に。
自由が欲しいならこれが立つべき基盤だ。
内側の潔癖さとは他人の欠点について考えないことだ。
考えるなら全ての人の長所について考えなさい。

朝、最初に口にする言葉は、

「全ての存在が幸福でありますように。地球の全ての生き物、天国の全ての生
き物、地獄の全ての生き物が幸福でありますように。どうか全ての存在に祝福
を!!」

 こうするとあなたの顔つきが変わるだろう。

Q:時々、私達が愛している人を傷つけて、その結果私は自由に価しないと感
じて、私を自由から遠ざけます。
    
誰も傷つけないこと。
言葉や行為、思考によってでさえ。
その理由はこれがその10倍にもなってあなたに跳ね返って来るからだ。
もし誰かがあなたを傷つけたなら、その人を赦して、慈愛をもってその人に向
かうべきだ。

そうするとあなたは平和を得る。
誰かを傷つけようと考えないことだ。
木や動物でさえ傷つけないことだ。
あなたは木の言葉を理解できないが、もし葉や花を摘み取って虐待したら、彼
女はあなたに幸せではなく、逆にあなたを虐待するかもしれない。

かって私はカルナータカ州のコーヒー園にいたことがある。
丘の高い所にある木造のバンガローに滞在していた。
朝、目がさめた時、農園の主人が料理人に朝食と昼食を用意させるために丘を
降りていった。

 私が外に出ると実をいっぱいつけたオレンジの木を見つけた。
私は木の所に行って
 「おはよう、お母さん。あなたは非常に幸運だ。こんなにたくさんの子供を
もって...。」

私はオレンジの実を沢山つけた彼女に感謝の気持ちでいっぱいだった。
実をとって食べる気など毛頭なかった。
丘を降りていこうとした時、突然12個のオレンジが一瞬にして地に落ちた。
私はまわりを見まわしたが風もないし鳥もいなかった。

それで私は木と話をした。
木を大変愛する人にはこれが可能だ。
彼女は私にこれをプレゼントしたのだからどうか受け取って下さいと言うのだ。

私は木の言葉を理解することができた。
私は木を抱きしめ、キスをしてこのオレンジを受け取った。
これがあなたにもして欲しいことだ。

内第5章 内在する「自由」の徴候 終了

(´・(∀)・`)つ

723避難民のマジレスさん:2019/07/31(水) 20:21:22 ID:LC3de7YgO
>>722
うむ。
実に良い話でありますね。
(´・(∀)・`)つ

724鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/07/31(水) 23:04:59 ID:1d4drIFg0
そうじゃ、樹にも石にも意識はあるものじゃ。
人間と全く同じ本質を持っているのじゃ。
観念によって違うものとか別のものと認識するだけなのじゃ。
意識も気もすべてと通じ合っているのじゃ。

725避難民のマジレスさん:2019/08/01(木) 06:48:33 ID:LC3de7YgO
>>722
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part1
   
   真我探求:私は誰か?
  
  真我探求はダイヤモンドだ、他に方法はない。
   これが傲慢な心を直接攻撃する方法だ。
   
   単に「私は真我、私は肉体ではない」と宣言し
   決して往ったり来たりしないもの、
誰が思考を動かしているのかを見つけだしなさい。
   
   この調査は何かを目撃することによってではなく、
   「あること」によってなされる。
   目撃することは主体と対象を創り出す。
   
   「あること」は内なるサットグルだ、
   常に「それ」に瞑想しなさい。
  常に遍在する真理に集中して
   あなたは「存在・意識・至福」だと完全に気づいていることだ。
   
   この真我探求は「存在」そのものに導く、
   だから「私は誰か」と問いなさい。
   これが苦しみに導かない唯一の質問だ、
   これが肉体-心-傲慢さのロープを切るからだ。
   これは心の交戦から心を引き戻して
   内なる家の庭にそれを植え付けることだ。
   真我探求は真我への愛だ。   
この「私-思考」は意識が意識に気づいていることだ。
しかし「私」に気づいているのは何か?
   何が「私」に気づいているのか?
   「私は誰か?」と尋ねなさい。
   基盤の意識はどこにあるのか見つけ出しなさい。
   誰が肉体意識を意識しているのか
   この顔を通して光り輝いているのは誰か?
   死が足早に近づいている、今を有効に使いなさい。
   心を動かさないこと、静かにしていなさい。
   常に変容する外側に面している窓を閉じなさい。
   そして、内なる無変化を見つけなさい。

  「私」という観念をぬぐい捨て、   存在・意識・至福の海へ飛び込みなさい。
  「私」という思考でさえ活動させないことだ。
   非活動的になろうとするエネルギーでさえ活動させないことだ。
   この瞑想に常にやむことなく時間を費やしなさい。     
   この新しい習慣を習得しなさい。
   座って、静かにしていなさい。
   啓示は「ここ」からやって来るだろう。
   最初に「それ」を経験しなさい、そうして初めて理解が伴うだろう。
   
   理解はメニューを読んでいるようなものだが、
   経験は食べ物を食べていることだ。
   啓示は愚かで傲慢な頭にではなく、至福のハートに入っていかねばならな
い。
   この啓示がやって来たらそれと一体になりなさい。
   宇宙の意識として一体になりなさい。
   絶対性と同一化し続けることが瞑想だ。
   精神を高揚させ、すべての障害を焼き尽くしなさい。
   絶対なるものと同一化しなさい。

  真理は非常に簡単だ、複雑にしないことだ。
   暗闇を見るためにはあなたは光の中にいるに違いない。
   ただあなた自身が光だと気づくだけでよい。
   この知識の火の中に飛び込みなさい。
   観念と習癖の衣服に何がおこるか気にする必要はない。
   この火は全てを燃やし尽くすのだから。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

726鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/01(木) 23:20:08 ID:1d4drIFg0
アートマンは認識主体なのじゃ。
それを求めて肉体から感覚や心の働きに至るまですべてを否定していくのじゃ。
すべてを否定しても消えないものが認識主体なのじゃ。
アートマンは認識できないから否定も出来ないのじゃ。

727避難民のマジレスさん:2019/08/01(木) 23:54:26 ID:LC3de7YgO
>>725
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part1(つづき)
  
  真我探求は静寂だ。
   静寂とは心を動かさないことだ、一秒間心を鎮めてあなたの顔を見てごらん。
   静寂とは達成、考察、意図、観念を全て投げ捨てることだ。
   ただ、静かにしていなさい。
   動かないこと、動かないこと、動かないこと。
   あなたは愛と美そのものだ。
   静かにしていなさい、そうすると、あなたがすべての存在の中に存在する真我だと知るだろう。
  
   真我探求は真の瞑想だ、気づきへの集中だ。
   この気づきが真理そのものを明らかにする:主体も対象も存在しない。
   
   「アートマンのみ実在する」という決定が瞑想だ。
   心が過去と未来に向くのをやめさせ、確固として「今、ここ」に留まら
せなさい、そして瞑想しなさい。
   瞑想しているのは誰かと瞑想しなさい。
   これが「全てが現れてくる源泉から見ている」ということだ。
   これが「あなたであるところのものに戻る」ということだ。
   瞑想とは努力をしないこと、思考を奮起させないこと。
   それは探索するという行為ではない、探索するとそれをなくすだけだ。
   
   瞑想とは、心を活動的にするそのエネルギーに
   努力なしに心を向けるということだ。
   この瞑想は<真我ー存在―一体>との同一化へと溶け込んでいくことだ。
   
   あなたはいつもこの瞑想の中にいる、
   サハジャの状態にいる。

   真の瞑想は自由だ、瞑想者が現われてくる源泉に留まっているというこ
とだ。
   
   他の瞑想は単なる何かに集中するという形をとったものだ。
   真の瞑想は始まることもなければ終わることもない。
   事実、瞑想の芸術は常に瞑想していることだ。
   到着すべき目的地はなく、なすべきことは何もない。
   瞑想とは単に「存在として」くつろいでいることだ。

  時間と瞑想は一緒に存在することはできない。
   瞑想が時間を破壊するように
   時間の観念は瞑想を破壊する。
   「私は瞑想しなければならない」という思考でさえ瞑想を騒がす。
   投げられた石が静かな湖を騒がすように。

  真我探求は特別な視覚だ。
   目を通して見るのではなく、真我を通して見るのだ。
   真我を見ているのは真我だ。
   目を閉じてもあなたの目はどこにあるのかがわかるように
   この視覚によってこの視覚はどこにあるのか知ることができる。
   これをやりなさい。
   どこから目の視覚がやって来るのか見つけなさい。
   この貯水池は視力で満ちている。
   目の後ろを見なさい。
  目の前を見たら対象を見る。
   目の後ろを見たら主体、「見ている人」を見るだろう。
   それがすべての源泉、愛と美の源泉だ。
   
   真我探求はあなたの人生の一瞬一瞬を通じて続けるべきだ、
   自然に呼吸をするように、最後の息が切れるまで。
   私のマスターは言われた、
   「探求者がいなくなるまで探求しなさい」
   マインドの習癖を壊すのは非常に難しい、だから探求を続けなければな
らない。
   
   長い間あなたは無知であったのだから
   真理を知ったときは真理としてしばらく留まりなさい。
  他に何が重要だというのか?
   あなたは強くなくてはならない。
   絶えず心をチェックしなさい。
   愚かさに二度と戻らないと決心しなさい。

   一度沈黙に入ったら、沈黙として沈黙していなさい。

(´・(ェ)・`)つ

728鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/02(金) 22:33:46 ID:1d4drIFg0
アートマンの探求は難しい道なのじゃ。
逃避や迷いのある者は途中で挫けてしまうことも多いのじゃ。
全ての観念を否定しなければならないと言う事は自分が最も大事にしている観念さえも捨てることであるからのう。
一切を捨てて観念の無い認識まで行かなければならないのじゃ。

729避難民のマジレスさん:2019/08/02(金) 23:31:23 ID:LC3de7YgO
>>727
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-a

グルによって導かれた真我探求

Q:静かにしていると、どこから始めたらよいのかわかりません。助けをいた
だけますか。

 私が話している沈黙は、瞑想することでも、静かに座っていることでもない。

 私が言っている沈黙は瞑想や話をしている・いないとは何の関係もない。
理由はマインドはどの時も絶えず、ここ・あそこ・いたるところを走りまわっ
ているからだ。

 私が言う沈黙とは、マインドから思考が起こるべきでないという意味だ。
マインドから思考が湧き上がらないのが沈黙だ。

Q:それは理解するこはできますが、私は何かをしなければないと感じていま
す。
 
 違う、あなたは何もする必要はない。単にマインドからどんな思考も起こっ
て来ないのを見ているだけだ。これは何かをするということではない。

 ただ静かに、マインドを見つめているということだ。あなたはそれをやった
ことがない。それを今やりなさい。ラクナウを立つ前に、これをやりとげるべ
きだ。

 思考を見なさい。今やりなさい。過去・未来に属さない思考を見つめなさい。

 どんな思考がやって来るかね?

Q:私は、あなたの前に座ってあなたを見つめている。

 これは思考ではなくてあなたの目が見ているものだ。
「私はあなたを見つめている」という思考でさえ、思考としてどこかから起こ
って来る。
この「私」、私を見ている「私」はどこからやって来るのか? これが私の意
味することだ。

Q:分かりません。

 それなら見つけようとしなさい。時間をかけて、この「私」がどこからやっ
て来るのか見てごらん。
努力しないこと、「私」のありかを突き止めるのに何も必要ない。どんな考え
も必要ない。ただ静かにして、どこから「私」がやって来るのか見つめなさい。

Q:自由とは何ですか? どのようにして手に入れるのですか?
 どのようにしていつも自由でいられますか?
 
 自由とは、心配のない時、疑いのない時、不幸がない時、恐れがない時だ。
山を登ることによってではなく、単に「ここ」に座っていることで手に入れる
ことができる。

 ただ「ここ」に座って、何も考えない、カそれが全てだ。静かにして、疑い
なく、恐れなしで「ここ」にいなさい。

Q:私は源泉と一つになりたい。

 光と命の源泉は、一億の太陽よりも明るい。あなたが「それ」そのもになり
たいと望むなら、それは突然起こって即座に全ての欲望と苦しみは終わりを告
げる。

 ただ「それ」を見なさい。質問しないで、光の中に溶けこんでゆきなさい。
太陽や月や星が昇らないところに、マインドや思考を越えたところに滞まりな
さい。
これが*1ギータの中で話されているクリシュナの住み家だ。
 
 あなたは100%絶対的注意深さが必要だ。何かが起こっている時、あなた
の前で起こっていることを完全に警戒して観察しなければならない。そうする
と「それ」がすぐに起こる。

 しかし、同じ鞘に二本の刀が入らないように、私は誰かという真我探求と一
緒にあなたの過去の習癖を持ちこむことはできない。一度に一つだ。もう一つ
は、あなたが何億年も試みてきたこと、それは人間として生まれて来ることだ。
 
 次は、もう少し高く飛んであなた自身の真我に飛び込みなさい。
そして、他の全てを捨てなさい。
捨てるということは、人生から逃げ出すということではない。

 あなたが誰かという探索だけに注意を払うということだ。
その時初めて全てと平和に暮らすことができる。
全ては「それ」から生まれて来るのだから。
 
 そうして、いわゆる現実とは呼ばれるものが本当の現実ではないということ
を知るだろう。
しかし、最初にこの経験をしなければならない。

 あなたは誰か、何が真理か、何が真理ではないのか見つけだしなさい。
そうすると、全てが「それ」そのものだと知るだろう。
他のどこからやって来ることができようか?

用語解説

*1ギータ 戦場でクリシュナからアルジュナに与えられた教え。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

730鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/03(土) 23:05:49 ID:1d4drIFg0
名前や顔かたちなどの記憶が自分と認識している者も多いのじゃ。
それらは過去の習癖によるものであり、自分ではないのじゃ。
そのような観念の自分を超えて今ここにある主体を探すのじゃ。
認識できないそれからすべてが現われて消えることがわかれば観念の自分も滅するのじゃ。

731避難民のマジレスさん:2019/08/04(日) 07:09:05 ID:LC3de7YgO
>>729
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-a(つづき)

グルによって導かれた真我探求

  一体どこから、サンサーラの全体が、
  動物、植物、観念、木そして鳥、
  これら全てがやって来るのか?
  源泉は一つだ。
  そこにもどって、それと一体になりなさい。
  あなたといわゆる他人との間には何の違いもない。
  これを知って、全ての存在に話しかけなさい。
  岩、木、動物に同時に話しかけなさい。
  「ここ」では時間は存在しないから。

  時間は観念だ。
  過去、現在、未来はただの観念だ。
  だから真理を知るためには、時間からぬけだした一瞬を費やすだけでよい。
  
  そして、全てのこの現象は何か見つけなさい。
  あなた自身に尋ねなさい。
  100%注意深くしていなさい。
  そうすると、あなたは答を得るだろう、すべての源泉に行き着くだろう。

Q:真我探求して注意深くしていようと努力しますがマインドはローラーコー
スターのように動いています。
どうしたらよいでしょうか?
 肉体的にも精神的にもこれらの思考にいつも怯えています。
 
 過去10年間私はこれを解決しようとして来ました。
何百冊もの精神界の本を読みました。しかし何の役にもたっていません。
 
 O・K。この瞬間にあなたを困らせている思考の中から一つだけ選んで私に
言ってごらん。
マインドは思考の集まりだからこのようにして私達はマインドについて働きか
けていこう。

Q:「私」

 うまくやった。それで十分だ。
私達はこの「私」について解決していこう。
「私」はマインドにすぎないが、すべての様相の顕現に関係している。

 この「私」としばらく一緒にいなさい。
この「私」を見てそれがどこからやって来るのか言ってごらん。
この「私」に没頭しなさい。
この「私」よりも先にあって、もっと現存しているものを見つけなさい。
波が海から起こって個的な名前や形になるように、この「私」は、どの海から
やって来るのか?

Q:何もないところから。

 さて、あなたは「私」の源泉、何もないところ、無にいる。
ここでは「私」はなくなる。
「私」がいないときは、マインドもない。
マインドがないところには顕現もない。

 この無の中に何が見える?
 過去に執着しないこと!
この無は、無限界、無時間、ノーマインド、無状態だ。
無として、何が見える。

Q:何があるのか?

 それが「ある」ところのもの!
 そこでもない。ここでもない。単にそれが「ある」ところのもの!
 それがあるところのものはどんな本にも見つけることはできない。

 ほとんどの本は、読む価値はない。「もの知り」のプライドでエゴが増長す
るだけだ。
だから全てを投げ捨てなさい。全てのマインドの考え、エゴ、そして肉体。
 全ての観念を捨てて、何が残っているか言ってごらん。
「それ」でそれを見てごらん。

 どんな意図も、答えを見つけようとする意図でさえ、連れて行かないこと。
 あなたは弾丸を発射したのだ。その標的を探そう。あなたが標的だ。
弾丸は銃口にもどることはできない。 

 だから見つけてごらん、この無から何が起こって来ているかね?
 それはどのような感じかね?

Q:よい感じがしますが、思考がこの無の外側で待っていて,この無に入って
来て騒がそうとしています。

 内側からその思考を見つめなさい。
これらは外にいるただの犬達だ。
この犬達はあなたの古い友達でただあなたの所に戻ってキスをしたいだけだ。
しかし、ある犬はキスをして咬みつこうとしている。
だから犬達を見つめて犬から離れていなさい。あなたは犬ではない。
注意して犬を見てごらん。犬はどこにいるか言ってごらん。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

732鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/04(日) 22:33:25 ID:1d4drIFg0
全ての観念や全ての煩悩を滅する必要は無いのじゃ。
唯一つの観念が消えれば全て消えるのじゃ。
その観念が私なのじゃ。
私という観念からすべてが起こるのじゃ。
私が無ければ私の全ての世界も消えるのじゃ。

733避難民のマジレスさん:2019/08/04(日) 23:45:35 ID:LC3de7YgO
>>731
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-a

グルによって導かれた真我探求

Q:たった今わかったのですか、私がいつも家に入れる犬がいます。
それは「私はこれをするべきでない、私は心配なしでいるべきでない」という
犬です。

 この犬の所有者を見つけなさい。

Q:所有者は「私」です。

 「私」も又犬だ。無に留まりなさい。
今何が残っているか言ってごらん。

Q:残っているのは犬の言うことを聞こうとする誘惑と恐れです。
犬は私にこの無から去らせたい。

 O.K.無から離れるためには、無から立ち上がらねばならない。
そうだろう?
 無から一歩踏み出すには足を上げて無を通って足を動かして足が地に着くの
だ。
無から踏み出してあなたの足が着地するのはどこかね?

Q:「踏み出す」と言うのは、思考が起こるということですね。

 そうだ、このステップは思考だ、このステップはどこから踏み出すのか?
 どこを通って踏み出すのか、このステップはどこに着地するのか? 
 無から踏みだしたのなら、どこに着地するのか、どこに次のステップをおく
のか?
 あなたの後にあるものは何か、前にあるものは何か。側面には何があるか?
 ステップの上と下に何があるか?
 この無には境界がない、限界がない、思考がない、観念がない。
 それはまったく完璧だ。
私達は無を「何もないこと」と言うが考えることが何もないのでそう言われる
のだ。
だから、この無から踏みだそうとしてごらん、それから逃げ出そうとしてごら
ん。
さあ、無から逃げ出しなさい。
どのようにして逃げ出すのか言ってごらん。

Q:思考を掴むことによってです。

 それでは、あなたは、無という海の中にいる。
この海の中で何かを掴もうと手をのばしたら、何を掴むだろう?
 ヒマラヤ山脈か? 石か?

Q:いいえ、ただの水です。水を掴んでも又消え去ります。
 たぶん私がすべきことは…。

 「すべき」はない、水だけだ。来て、滞まって、去るのは水だけだ。
水から起こる波は水だ。
無から起こるものは何であろうと無そのものだ。
それは無であった、無である。
そして、これがあなたであるところのものだ。

 そのようにしていなさい、無としていなさい。さて、無として滞まって、周
りを見てごらん。
観察してごらん、そして、質問してごらん。

Q:肉体に残りかすのように何か感じがまだ残っています

 肉体はない。

Q:しかしまだセンセーションが…。

 これらのセンセーションが「私」だ、あなたはセンセーションと呼ぶが本当
はただの観念の「私」にすぎない。

 肉体という観念の創造でさえ観念、観念だ。
生まれたその日から、あなたは子供だと告げられた、この観念を信じすぎて、
あなた自身と子供を同一化してしまった。
 
 しかし、この「私は子供、私は肉体を持った人間」という観念を「私はただ
在る」という観念でうち消すことができる。

 この肉体とこのマインド、これら全ての観念が一体誰に属しているのか見つ
けだしなさい。

(´・(ェ)・`)
(つづく`)

734蓮恵:2019/08/05(月) 21:47:39 ID:wCfwUKq.0
>>732
鬼和尚様

>しかし、この「私は子供、私は肉体を持った人間」という観念を「私はただ
在る」という観念でうち消すことができる。

上記のただ在るというのは、
無為のままあるということなのでしょうか
それとも、観念を努力や観察によって滅するのでしょうか

"ただ"という言葉には深い意味があると思いますが

横から失礼しました

735鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/05(月) 22:05:07 ID:1d4drIFg0
それはまだ観念を滅するための観念なの゛ゃ。
それによって観念が消えれば本当にただあることにたどり着くのじゃ。
アートマンを呼び起こすための観念ともいえるのじゃ。
それにも囚われずに進むのじゃ。

736避難民のマジレスさん:2019/08/06(火) 00:02:44 ID:LC3de7YgO
>>733
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-a

グルによって導かれた真我探求

(この肉体とこのマインド、これら全ての観念が一体誰に属しているのか見つ
けだしなさい。)

Q:それらは「私」に属しています。

 そうだ、創造者、全ての神、天国、地獄、惑星、全てが「私」によって創り
出されたのだ。
最初に「私」が存在しない限り何も創り出されることはない。

 この「私」という観念がどこからやって来るのか今見つけなさい。

 今、あなたは目覚めの状態にいる。最終的には、眠りの状態に行きたいと決
めるだろう、 平安と休息を得ようと決めるだろう。だから、全てを拒絶し始
める。
最初にあなたの町、友達を拒否し、あなたの家に隠退する。
そして、家族、家庭を拒絶して、寝室に入ってゆく。

 そして、寝室を拒絶して、ベッドに行く。
そして、あなたの連れあいを拒絶して、肉体に入ってゆく。次に肉体を拒絶し
てマインドの中に入ってゆく。

 遂に、マインドと「犬」を拒絶して眠りにつく、平安に入っていく。
あなたが眠りについたのは、午後の11時だとしよう、10時59分59秒に
眠るためにあなたは何をした?

 この一秒間に何が起こるのか?
あなたの周りにいる犬は59分と59秒にいる。
この犬をどうするつもりだ。

Q:拒絶します。

そうだ、59秒目が終わった、犬は去っていった。
60秒目も又終わった。
この後の「時間」について話しなさい。
この後、あなたの手の中に何が残っているのか。
友達、マインド、肉体、何が残っているかね?

Q:全てが消えました。

すばらしい! 全てが消え去った、それを知るために残っているのは誰だ。

Q:誰もいません。

 眠っている時は誰もいないとあなたは言う。それでは誰が「誰もいない」こ
とを知って、目覚めているのかね?
あなたが眠っている間、誰もいなかったということを知って目覚めているこの
意識は何だ、眠りを楽しんでいるこの意識は何か。さて、これは何かね。

Q:ただの空間だ、空間!!

 すばらしい。眠りの状態があるこの空間と眠りの前と、眠りの後の目覚めの
状態がある空間との違いは何かね。夢の状態が起こっているこの空間は何かね。

 これらの空間は、それぞれどのように違うのかね。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

737避難民のマジレスさん:2019/08/06(火) 07:51:08 ID:LC3de7YgO
>>736
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-a(つづき)

グルによって導かれた真我探求

( 眠りの状態があるこの空間と眠りの前と、眠りの後の目覚めの状態がある空
間との違いは何かね。夢の状態が起こっているこの空間は何かね。

 これらの空間は、それぞれどのように違うのかね。)

Q:この三つの状態は、同じ空間にあるように思いますが…空間は同じだ!!

そうだ、空間は同じだ。この手の中の空間はあの手の中の空間と同じだ。
全ての人の手の中の空間と同じだ。手は違うかもしれないが空間は同じだ。

 あなたはそのスペースだ。あなたは目覚め、眠り、夢の状態が起こって消え
ていくその空間だ。
あなたは眠りの状態でさえも完全に意識している「それ」だ。
これら全ての状態とその状態のなかにあるすべては透明で汚れのないスクリー
ンに写しだされた映像だ。

 あなたは、このスクリーンだ。スクリーンには、対象も主体も存在しない。
このスクリーン、この空間はその中で主体化されることや対象化されることに
何の関心もない。ただあるがままだ。

 あなたはスクリーン。犬は吠える、あなたは影響されない。
苦しみや悲しみやロマンスや火や嵐をスクリーンに映写させなさい。
スクリーンは何にも影響されない。そのスクリーンがあなただ。

Q:(笑い出して)おお神様、サンキュー,サンキューベリーマッチ

 これはあなたの惑星だ、この惑星の上を歩きなさい。
これはあなたが達成したのでもなく、これを手に入れたのでもない。
今起こった全てのことは、思考が取り除かれて犬が去っただけのことだ。
全てが観念だ。

 もしこれを知ったならこの惑星は天国だ、ここでうまく生きることができる。
全てが非常に美しい。これを理解したら、全てはとても美しく愛に満ちている。
これを理解するだけでよい。エベレストの山に登るのではない、

 それは「ここ」、それは「今」、「今、ここ」にある。

 これが瞑想だ。ここから瞑想が始まる。
何にも騒がされないこの瞑想はいつも「あった」そしていつも「ある」のだか
ら、瞑想に入っていく必要も瞑想から出て来る必要もない

Q:(彼は大きく息をする)

 今あなたの呼吸は、初めて自由になった。
今あなたはマインドと完全な調和の中にいる。
マインドと呼吸が調和の中にあると、そこには平和がある。
唯一この平和と共に我々は自由になることができる。
もう理解する必要はない。理解は終わった。どこに立つ必要もない。理解を手
放しなさい。

Q:これ、これがいつも私からとても離れていましたが、今はもう違います。

 今、それはあなたの内にある、全ての惑星と他の全てのものがあなたの内に
ある。
これが意識で、全てが意識の内にある。

 この意識があなた自身の真我だ。
それはあなたとしてあなたの内にある。
そして、決してあなたから離れない。

Q:どうして努力なしで今、私のマインドは、こんなに静かなのでしょうか、
思寵のおかげですか。

 ノーマインドは、グルの思寵によって与えられた。
修練は肉体とマインドの動きを通して行なわれる。
この精神的活動の中でどうして平和でいられるのか?
 ノーマインドは活動なし、動きなし。これは努力なしで達成される。

 今ここでこの一瞬これを試してみなさい。
静かなマインドがほしいなら修練することでマインドを活動的にさせないこと
だ。
ただ努力しないで静かに座っていなさい。

(´・(ェ)・`)つ

738鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/06(火) 22:49:45 ID:1d4drIFg0
グルを強く信頼しているならば直ぐにでも気付きが得られるのじゃ。
お釈迦様に一言言われただけで阿羅漢になったという者も居るのじゃ。
強い信頼が心の飛躍を可能にするのじゃ。
自分が無くなる恐れや不安を信頼で乗り越えることが出来るのじゃ。

739避難民のマジレスさん:2019/08/06(火) 23:14:22 ID:LC3de7YgO
>>737
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-b

グルによって導かれた真我探求

Q:どのようにして、中断されない平和と幸福を達成することができるか明ら
かにして下さい。

 この質問はただ二言で答えられる。
Keep Quiet、静かにしていること。
 これはあなたの邪魔をすることはない。マインドを騒がせないことだ。

 あなたがやって来た「そこ」に静かに座っていなさい。
それはあなたを妨害しない。
欲望を果てしなく追いかけて動き続けるなら、今世で平和を得ることはない。

 だからあなたがやって来たところに戻って、「そこ」に滞まりなさい。
試しなさい。
もしそれでうまくいかないのなら、明日私の所に戻ってきなさい。

Q:静かにしようとしています。今朝3時に目がさめて、ガヤトリマントラを
唱えました。
そしてマインドを静かにするため深呼吸して、真我探求を始めました。そして…

 マインドを静かにするには深呼吸しなければならないと誰が言ったかのかね?
 私は言わなかった。

 マインドについて話している時は、マインドを静かにさせることはできない。
「マインド」という言葉を口にする時はそれを静かにすることはできない。
マインドは名前そのもの中に生きている。
さもなければ誰もかってそれを見たことはない。

 だから「マインド」という言葉を口にする時はすでにそれに巻きこまれてい
て、どうしてそれを静かにさせることができるのか?猿を静かに座らせるため
に猿のしっぽを掴んでいるようなものだ。

 猿のしっぽを掴まえて猿の反応を見てごらん。猿はあなたに向き直って指に
咬みつくだろう。
猿とマインドは同じものだ!!

Q:それなら知的に静かに「私は誰か」という質問をします。
そして肉体・マインドを私ではないと拒絶します。
私は100%これに確信があります。

 肉体・マインドを拒絶したら一体何が残って、何が話をしているのか?
もし「私は肉体ではない。 マインド、感覚、エゴ、知性ではない」というの
なら何が残っているのか?

Q:何もありません。

 この何もないことの中で、深呼吸しなければならないのかね?

Q:いいえ、私は努力なしで静かにして、観察者を観察し、見ている人を見よ
うとしています。

 努力しない時、あたなは静かだ。
静かにしている時は、観察者も、観察されるものも、観察も何もない。
静けさの中では、観察者、観察されるものはない。

 あなたが言っていることは、本当の体験なしの知的なゲームにすぎない。

 どのようにして見ている人を見るのだ?
 もし見ている人を見るなら見ている人は見られるべき対象になる。
誰も見ている人を見ることはできない。
真の見ている人は、主体と対象を超越しているからだ。

 あなたは対象物だけを見ることができる。
見ている人は対象物だけを見ていてその時、見ている人になる。
しかし見ている人そのものは、観察されたり見られたりすることはない。
もし見ている人を見られたら、見ている人は対象物になる。

Q:注意深くしていて、思考が起こって来たら蕾のうちに積みとるという意味
です。

 注意深くしている時は、思考は起こっては来ない。
注意深くしていなさい。
思考を見たらその思考は何か言いなさい。
注意深くしていなさい。
思考はやって来ない。
そこに思考がないのなら、注意深さは必要ない。
真我はいつも独りだ。
真我は見るべき対象を何も必要としない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

740鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/07(水) 22:54:46 ID:1d4drIFg0
ただ静かにしていることは難しいものじゃ。
人は静かにしようとしてもマントラを唱えたり、アートマンを追及しようとしたりするのじゃ。
静かにしていることがアートマンの追求なのじゃ。
静かにしているだけで自我の作り出す幻影は全て消えていくのじゃ。
そしてアートマンが自然に実現するのじゃ。

741避難民のマジレスさん:2019/08/07(水) 23:23:58 ID:LC3de7YgO
>>739
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-b

グルによって導かれた真我探求

Q:思考が強い時は、私は思考に無関心でいるようにしています。

 これはよい経験だ。
思考がそこにあっても無関心でいるとあなたを困らせることはない。
サットサンガババァン(サットサンガが行なわれている家)の外に立っていな
さい。

 そうすると、多くの車や人や動物があなたの前を横切っていく。
あなたは無関心だから、それらを来させて通過させる。
このように用心深く無関心でいなさい。
  
 もし思考がすばらしいとき、それを追いかけないこと。
もしすばらしくないとき、立ち去れとは言わないこと。
ほとんどの場合、人は思考の奴隷となり思考を追いかけてそのまま戻って来な
い。
これがどのように愚かな人が人生を無駄にしているかということだ。

何億年も旅をした後でやっと人間という形の中に入れたというのに。
 この人間としての形を、感覚の快楽のために無駄にするものではない。

 「あなたは一体誰か」ということを知るためにここにやって来たのだ。
この質問を解決しない限りルーレットのように地獄の苦しみの中を何度も何度
も回転することになるだろう。

 この肉体が地獄で、肉体を着ている人は決して幸福ではない。
王や首相でさえ暗殺されることを恐れて幸福ではない。
彼らは特別な何かになったので恐れがあり、防御が必要なのだ。

 我々はまったく違った目的でやって来た。
世界中に60億の人々がいるのになぜほんの少数の人しかサットサンガにやっ
て来ないのか。
世界にいる人々はサットサンガに来る値打ちがない。
彼らは苦しまねばならない。

 サットサンガのためにやって来るのは、そう簡単ではない。
なぜあなたはラクナウに来ることを選んだのか?
 ラクナウは、ここでサットサンガが始まるまでは地図にも載っていなかった。

 今ではLonlyplanet(旅行ガイドブック)にも載っている。
観光客さえやって来て、他のどこにも行かないとツアーをキャンセルしている。
彼らは、ここに居座ってしまった。

Q:直接体験が起こるまで待つべきでしょうか。

 NO! 待つということは今、ここにないということだ。
それを待つということは未来の日に延期して、今それを得るということではな
い。
今、ここにないものはまったくあなたの基本的な本質ではない。

 私は未来を待つようにとは言わない。
あなたは誰か今言ってみなさい。
もしあなたがすでにあなたであるものでないのなら、あたなは他の何かになる

もし他の何かになるなら、道に迷わなければならない。

 だからすでにここにないものを追いかけないことだ。
そう、誰が今ここにいるのか見つけ出しなさい。
過去にでもなく未来にでもない。
今ここに何があるのか?

Q:意識、何もありません。

 もし何もないのなら、なぜ明日を探し続けるのかね。
それは、マインドが未来に走っているという意味だ。
マインドは過去を意味する。
マインドが働いている時は、現在に滞まらないで過去という墓を掘っているのだ。

 過去、マインド、思考、時間の間には何の違いもない。
それらは全て同じだ。
時間について話すことは、今ではなく、一分前のことを話すことだ。

 この「今」がサットサンガで、あなたがここに座ったまさにその最初の瞬間
に起こるべきだ。
それは起こるに違いない。
もし起こったなら、それはあなたの上にアートマンの思寵が下ったのだ。

 もしこの瞬間にそれが起こらないなら、あなたはアートマンによって拒絶さ
れたのだ。
幸福でない人、自由でない人、悟ってない人、これら全ての人は光そのものに
よって拒絶されたのだ。
誰が彼らを救うことができる?

 あなたは、今すぐ真我に直面しなさい。延延期の賜物だ。
さもなければどこに宇宙がある?
 あなたは永遠でないものと遊んでいるにすぎない。

用語解説

*1アシュラム 森の中の隠遁所、聖人やヨギとその弟子達の住居。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

742鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/08(木) 22:54:04 ID:1d4drIFg0
アートマンを探求するのは明日にしようとか、悟道を待とうとか考えて人は悟りから逃げ続けるのじゃ。
自分が消える恐れから逃避しているからなのじゃ。
今ここですべてを捨てて悟りを求める決意を強く持てば悟りもやってくるのじゃ。
今ここにしか悟りは無いのじゃ。

743避難民のマジレスさん:2019/08/08(木) 23:21:15 ID:LC3de7YgO
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-b(つづき)

グルによって導かれた真我探求

Q:私は源泉への正しい路線にいるのでしょうか。

 まだ疑っている。一つの場所から場所へ動くには路線が必要だ。
マレーシアからインドにやって来るには路線が必要だ。

 しかし、真我を知るには、何マイル旅しなければならないかね。
真我にたどり着くのにどの方角に行くのかね?
 飛行機か汽車か、車が必要かね? 

 どんな乗り物もいらない。
 なぜなら、あなたが探しているものは今ここにあるからだ。
これを今理解しなければならない。
ただ理解するだけで何もする必要はない。

 真我は永遠でいつもここにあるということを理解しなさい。
ここからどこかへ動いても真我は動かない。
真我はいつもあなたの内にいて動きまわっているのはあなただ。

 真我はハートの中に住んでいる。
ハートの洞窟に住んでいる。
真我は不動で全てがその中に存在する。
これを今理解しなさい。
「私は動かない、努力しない、考えない」。
そうするとそれはそれ自身でそれ自身に姿を現すだろう。

Q:どのようにして?

 努力をしないことによってだ。
私が意味することが分かるかね。努力をしないこと。
この「どのようにして」というのは、「他・の・何・か」を得るための方法が
ほしいということだ。

「どのようにしてそこに到達できるでしょうか」あなたは地図が欲しい。
だから、どのようにと尋ねる。
この「どのようにして」は、ある所からある所へ動く時に、使われる。

 あなたは、35億年も地図を使って来た。
しかし今あなたはサットサンガにいる。
あなたは山の頂上にいる。
地図を持つ必要はない。

 私があなたに言っていることは、*1アシュラムでは、聞けないだろう。
アシュラムは金もうけの場所になってしまったからだ。
二人の人が出会う時、興味、ビジネス、取引がある。

 人々がサットサンガのために出会っているのを見たことがない。
彼らは取引のため、お金のために出会っている。
夫婦の間でさえも駆け引きがある。
世界中で駆け引きなしに話す人はどこにいるのか。
 
 サットサンガでは、我々は一つの家族でお互いを食いものにする興味はない。
私達はお互いに愛し合っている。
国の人や近隣や両親を愛するよりももっと愛し合っている。
それで私達はここに定着したのだ。

Q:私は自由でありたい、どうか私に助言を下さい。

 あなたのマインドを外科手術してその中に何が入っているか見つけ出しなさ
い。
マインドを開いて、その中に何が入っているか見つけ出しなさい。

 外科医は、何も考えないで手術だけに集中しているように、マインドの実体
は何か見つけだしなさい。
どんな病気で、腫瘍はあるかないか見つけ出しなさい。
マインドを見つめることによってマインドを手術しなさい。

 マインドはただの思考の集まりだ。
だから思考を見なさい。
思考を見ているのが「私」という思考、だから「私」を手術しなければならな
い。

「私」は、どこからやって来たか調べなさい。 

 これが助言だ。
全力を投球してそれに到らねばならない。
そうすると成功するだろう。

用語解説

*1アシュラム 森の中の隠遁所、聖人やヨギとその弟子達の住居。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

744鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/09(金) 22:26:14 ID:1d4drIFg0
疑いは世間では必要だったじゃろう。
騙されて金をとられないためには疑うしかないのじゃ。
しかし、アシュラムでは必要は無いのじゃ。
世間とは逆に信じることが大事なのじゃ。
世間の習慣に慣れてしまったものには難しいことに思えるじゃろう。
全ての疑いを捨ててこそ速やかに悟りもやってくるのじゃ。

745避難民のマジレスさん:2019/08/10(土) 11:00:17 ID:LC3de7YgO
>>743
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-b(つづき)

グルによって導かれた真我探求

Q:この手術をするのにどうしたら静かになれますか。

 誰が静かになるか、その人の目から私は分かる。
ある人は猿のような目をしているし、ある人は神の目をしている。
神の目を持った人が静かにしていることができる。

 糸口は、あなたの活動を止めることだ。
マインドが感覚に執着するとトラブ
ルを起こすが、感覚に執着しないマインドは自由だ。だからこれで十分だ。

 そして、サットサンガでは、このマインドがどこに走り出すか見ていなさい。
警戒していなさい。
何億年もマインドがあなたをコントロールして来たのだから時間がかかるかも
しれない。

 しかし今度はあなたの番だ。
ただマインドの活動に注意深く警戒していなさい。
これが静けさと自由の結果をもたらすだろう。
  
  難しいことは何もない。単に見ていなさい。
  努力しないで、何も考えない。
  注意深くしていると、何も起こって来ないのが分かるだろう。
  これがどのようにしてマインドを静かにさせるかという秘密だ。
  自由はいつもここにあるのだから時間はかからない。
  ただ見ていなさい。どこからマインドがやって来るのか?
  どこから思考がやって来るのか?
  この思考の源泉は何か?
  始まった所へ、その源泉へ、マインドと一緒に飛びこみなさい。
  そうすると、あなたはいつも自由であったと
  全てが夢であったということが分かるだろう。

  自分自身をまだ見つけていない人は、眠っているのだ。
  感覚に執着しない人が目覚めている。
  この目覚めの中では、目覚め-眠り-夢は存在しない。
  これが生まれても来ないし、死にもしないアートマンだ。
  これが理解することができない「それ」だ。
  あなたは「それそのもの」!!
  束縛された、束縛されると考えることは、
  恐れをもてなしているにすぎない。
  この恐れをサットサンガで取り除きなさい。
  あなたは決して生まれてこなかったのだから
  生と死から自由だと知りなさい。
 
 苦しみは本当ではない。
それは眠りの中では消えて、目覚めと夢の中に再び現われるからだ。
主体、対象、マインドがない眠りの状態では、苦しみがない。
関係性がある所には苦しみがある。

 「私は肉体だ」という思考に触れないことだ。
ただ何も考えないこと。
そうするとあなた自身の究極の至福の本質に着陸するだろう。
時間とマインドは同じ物だ。マインドを止めるとあなた自身の至福に満ちた自
由と恋に落ちるだろう。

 静かにしていなさい。努力しないこと。

Q:静けさの邪魔をする「私」を本当にどのように手放したらよいのでしょうか。

 毎日サットサンガでこれをやっているのだ。
過去三年間毎日我々は唯一この事について解決しようとしているのだ。
どのようにして「私」を手放すか? 

 「私」が起こって来る時、どこからか起こって来るに違いない。
生まれて以来この言葉「私」を使って来たのだから確かに肉体を意味して来た。
「私はそこに行きます」「私はここに来ます」「私は苦しんでいる」「私は死
んでいく」この「私」は名前と形を持った肉体を意味した。

 もし「私」を手放したら「真の私」、「意識」を見つけるだろう。
どのようにして手放すのか?
 どこからやって来るのか見つけ出すことによってだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

746鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/10(土) 22:20:20 ID:1d4drIFg0
私という観念も記憶から起こるものじゃ。
それが見られれば厭離が起こるのじゃ。
厭離が起きて自分が無くなれば意識があると気付くのじゃ。
記憶による観念でしかない私を捨てて、永遠の意識に参入するのじゃ。

747避難民のマジレスさん:2019/08/11(日) 01:35:35 ID:LC3de7YgO
>>745
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-b(つづき)

グルによって導かれた真我探求

Q:それは「私」を持てなしているのではないのですか。
その「私は誰か」と尋ねることは「私」を創り出すことにはならないのですか。

 そうではない。どこからやって来るのか見つけ出しなさい。
どこからやって来るか見つけだしたらあなたは静かで、これが「私」を手放す
ことだ。

 やりなさい。まだ理解していないと顔つきから分かる。
どこからやって来るのか見つけ出しなさい。答えなさい。
眼鏡から、耳から、足から、シャツから、パンツからかね。どこからやって来
るのかね。それはあなたの内からやって来るに違いない。

Q:エゴからやって来ます。

 エゴは肉体にすぎない。肉体がない時、エゴはない。
生まれて来る前にはエゴはなかった。
そして60年後死に出会う時にはエゴはなくなるだろう。

 だから「私は肉体だ」と知るようになってエゴがやって来たのだ。
そうして、物があなたに属し始め、あなたは他の人に属する。
これがエゴと呼ばれる。
 
 このエゴは、休息、平和、愛をあなたに与えることはできない。
肉体が消えるとエゴも消えるのだから、いつかエゴも終わるだろう。
今世で終っても、満たされなかった欲望のためにそれは又戻って来るだろう。
このエゴはあなたの欲望を満たすためにふさわしい場所に生まれかわって来る。

 そしてこれが終わることなく何億年と続くのだ。
これを終わりにするためには、どこからこの「私」が起こって来るのか自問し
て、注意深く警戒していることだ。
  
 前には向かなかったどこかにあなたの顔が向いたようだ。
普通は、人や、物や、場所に顔が向くものだ。
しかしこれらはいつか失くしてしまう。だから永遠なものを探し出しなさい。

 どうやって探すのか?「私」の源泉を探しなさい。
さもないと感覚は外側を探している。今、内を見なさい。執着している人なし
、場所なし、物なし、これを一秒間にやらなければならない。

 この一秒間、内にいて次の質問が起こるなら質問しなさい。
理解しようとするのでもなく、山を持ちあげようとするのでもない、努力する
のでもなく、考えようとさえしないことだ。

Q:努力なしでこの質問をするとはどういうことですか?
それが私の問題です。

 努力をするというのは200ポンド頭に乗せて、インディラナガルからハザ
ラトガンジまで運ぶことだ。
しかし、私はどんな重荷もあなたに与えない。
私は単に静かにしていなさいと言っているだけだ。
静かにするのに努力がいるかね。

 何かを話そうとする時、努力がいる、過去に戻って記憶から何かを選ばなけ
ればならないから、努力がいる。
話しをせず単に静かにしているのに、何の努力も必要ない。

Q:知的にはわかります。しばらくそれをやっていたのですから。

 しばらくやっていたとあなたは言った。
私はやるなといっているのだ。
「しばらくやっていた」というのは過去を意味する。
マインドは過去だ。知性も過去だ。全てが過ぎ去る。
あなたが話す全ての言葉も含めて。 どの関係も過去に属する。

どこからこの「私」がやって来るのか見つけ出しなさい!!
他のどこかに探しに行くというのではない。
内から何の思考も起こって来ない所を見るのだ。

 全ての思考は過去に属するのだから過去に属さない何かを考えることができ
るかね?
過去と関係のない何かを話してくれるかね?
 それはできない!!
 私は一瞬の間過去について何も考えないように忠告する。

Q:(彼は、微笑んで、静かに座っている)

 これがその瞬間だ。
これがあなたが見失っていたその瞬間だとあなたの顔つきから分かる。
過去とマインドと知性と感覚と関係がないとき、微笑んでいることができるの
だ。
それが違いだ。これが輪廻からの解放だ。
あなたが微笑んだときをノーマインドの状態という。
マインドがないとき、あなたは幸福だ。

(´・(ェ)・`)つ

748鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/11(日) 22:01:34 ID:1d4drIFg0
私が本当に観られた時に私は無くなるのじゃ。
観念として自分を見ていた者は本当は自分を見ていなかったのじゃ。
観念を認識していただけなのじゃ。
本当に私が観られればそれが観念と気付いて厭離が自然に起こるのじゃ。

749避難民のマジレスさん:2019/08/11(日) 23:13:00 ID:LC3de7YgO
>>747
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-c

グルによって導かれた真我探求

Q:*1Atma Vicaraに私を案内してくれますか。

 
Atma Vicaraの言葉の意味は、「あなた自身のatmanについてい
つもトータルに考えている」ということだ。このVichar(真我探求)を
導いている内なるatmanをトータルに考えていなさい。

 Vicaraのことについては考えないで、どこからVicaraが起こって来
るのかそれを考えなさい。
どこからVicaraが起こって来るのか?
 そこに何があるのか?
 誰がこの質問をしているのか?

Q:エゴが質問しているのです。

 そうだ。このVicaraはエゴのみだ。
何かしなければならない、何かを得なければならないというのはエゴだけだ。
しかし、このエゴはどこからやって来るのかな。

Q:真我から。

 それでは、あなたはエゴか真我か?

Q:真我です。

 そう、真我から。海から波が起こり落ちていく。波は海、真我以外の何もの
でもない。もしあなたが真我なら何であろうと起こるものは起こらせなさい。
気にしないことだ。関心を示さないことだ。

「私は真我(Aham Atman)」それが全てだ。真我には姿がない。
主体でも対象でもない。すべてを超越している、すでに存在している、だから
それになるのではない。
真我探求、方法、マントラは必要ない。なぜなら「私は真我!」

 この「真我だ」という信頼がそこにあるべきだ。全ての人が真我ではなくエ
ゴを信頼している。
あなたのあるがままでいるというのは非常に簡単だ。他の何かになろうとする
と問題に巻きこまれる。「私は存在」「私は真我」ということを100%信頼
しなければならない。

Q:真我を信頼するのは難しい。

 しかしあなたはいとも簡単にエゴを信頼している。どれ位この信頼が続くかね?
 エゴというのは「私は肉体」そうだね? どれ位この信頼が続くかね?
80年以上、90年かね?

それでは90年間信頼するとしよう、その半分は眠りでとられてしまう、残
りは、学校に行くことや妻を持って、子供を育てることに使われる。
これがあなたの信頼でその結果は何か?

同じ信頼するなら、あなたに何か役に立つものを信頼すべきだ。
真我はいつも存在する。「それ」を信頼しなさい。
サットサンガに出席する人々にとっては、この完全な信頼が必要だ。

「私は肉体ではない。マインドではない、対象ではない、感覚ではない」
こうしてサットサンガが始まるのだ。まず最初に永遠でないものを取り除きなさい。

Q:落着きのなさはどうしたものでしょうか。

 落着きのなさの根底には、私があなたに話した休息がある。
落着きがないと感じる時は、その根底に一秒ごとに現われる休息がある。
 
しかし、誰も気にかけないのだ。ホテルで誰かがチェックアウトして、次の
誰かがチェックインする間に何があるかな?

Q:空室です。
 
これが休息と呼ばれるのだ。全ての間隙に、休息がある。しかし誰もそれに注
意を払わない。
呼く息と吸う息の間に何がある?

Q:休息。
 
そうだ。誰もそれを説明できない。誰もそれを知らない。
もし、あなたがこれに気づいたなら、真我として居ることができる。
「私は二つの思考の間にある」「私は呼吸、吸う・呼くの間だ」これを憶えて
いたら努力する必要はない。

 「私は二つの間のそのギャップだ」と注目するだけでよい。
そこには死や不満は入ることはできない。
死や不幸は入ることはできない。これが簡単な指導手引だ。

 誰でも静かにしていることはできるが、本当に沈黙の経験をしない限り違い
は起こらないだろう。

用語解説

*1 Atma Vicara 真我探求
(´・(ェ)・`)
(つづく)

750鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/12(月) 22:56:04 ID:1d4drIFg0
人は自我を認識し、依存して信頼しているのじゃ。
それが自分であると認識して疑わないことが信頼なのじゃ。
自我への疑いからアートマンの追求は始まるのじゃ。
自分ではない肉体や心の働きを次々に否定して、否定できない主体がアートマンなのじゃ。
もはや否定という観念も無いから否定できないのじゃ。

751避難民のマジレスさん:2019/08/12(月) 23:59:25 ID:LC3de7YgO
>>749
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-c(つづき)

グルによって導かれた真我探求

Q:「私」のない沈黙ですか?

 なぜ「私」について話すのか?
 それは努力によって達成できないものだ。
ただ静かにしていなさい。マインドが以前の執着に戻っていかないようにする
には、努力が必要だが、私が話していることには努力をする必要はない。沈黙に
対してでさえ。

 それが何であろうと努力しないことだ。努力しないこと、そうするとこの経験
が起こる。努力によって幸福になることはできないのだから努力しないこと。
沈黙への妨害は、過去の執着からやって来るのだ。

Q:かつて、リシケシの大きなアシュラムにいたとき、この平和を感じたこと
があります。

 これは、アシュラムのために起こったのでなくあなたの真面目さによって起
こったのだ。
どこででも平和を持つことができる。ヨガや他の事について話すこれらのアシュ
ラムはあなたを混乱させるだけだ。

 1942年に私もその同じアシラムに行ったことがある。彼らは、ヨガやマン
トラについて話しているが真我探求(Atma Vichar)については何も話していない。

 全てのアシュラムで、あなたの人生と時間を無駄にしただけだ。長時間の滞在
なしでこれらの疑問が明らかにされるサットサンガに出席した方がよい。

どんなアシュラムからどんな利益も得られないだろう。彼らはただ瞑想して、
本を読んでいるだけで静かにしてはいない。彼らは昼も夜も勉強して、この勉強
はあなたの助けにはならないだろう。

 そう、静かにしていなさい、どのようにして? 私が教えよう! 努力をしな
いことだ。
これにどんな害があるのか。努力の結果は、誰でも知っている。単に静かにして
いなさい。この一瞬にこの結果を得るだろう。その時、この一瞬があなたと恋に
落ちるだろう。

 あなたが平和と恋に落ちるのではなく、平和があなたと恋に落ちるのだ。
あなたが平和を感じないのは、至高の平和があなたを拒絶したのだ。
You have no chance!
あなたは来世を待たねばならないだろう。
人間になるか、ロバになるか。しかし、それはこんなに簡単なのだから、今世
を最高に活用しなさい。

Q:私はマインドと同一化したくありません。
観念や混乱にのめり込むのをやめるように助けて下さい。

 マインドと同一化したくないなら、マインドとは何か知らなければならない。
マインドを見てごらん。あなたがマインドとの同一化を確立しているのだ。
あなたがマインドの欲しいものを供給しているのだ。

 だからまずマインドとは何か見つけ出しなさい。そうするとそれと同一化でき
るか、できないかが分かるだろう。マインドを理解することができなくても思考
を理解することはできるだろう。思考がどこからやってこるのか見つけなさい。

今やりなさい。

Q:思考はどことも知れないところからやって来ます。

 もしどこからともなくやって来るならどうしてそれが何かであり得るのか?
何かはどこからかやって来るに違いない。このように思考がどこにもない所か
らやって来るのならそれは全く実体のないものだ。何もないものだけがどこにも
ない所からやって来るのだから。
実に簡単だ!!

Q:(彼は理解する)私は今あなたと居て深い平和を感じています。他に何も
たずねることはありません。

 あなたが「ここ」にいる時はただ静かに座っていなさい。
質問する必要はない。もし質問がやって来たらすぐにこの質問はどこからやっ
て来るのか見つけ出しなさい。そうすると静かに座っていることができる。
質問が起こって来る源泉が平和と静寂が存在する場所だからだ。
    
  質問によって道から外れないことだ。なぜならそれらは全て過去に属するか
らだ。そしてそれらはあなたの苦しみの原因となる。もし平和でいたいなら、今
起こっている質問はどこからやって来るのか見つけ出しなさい。
  質問が起こって来る直前の場所を見なさい。これを今ここで体験に置き換え
なさい。そうすると、どのようにして静かに座るかが分かるだろう。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

752鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/13(火) 20:57:14 ID:1d4drIFg0
場所によって心が静まることは無いのじゃ。
全て自らの意志によって実践すれば静まるのじゃ。
そのためには知識さえも時には不要になるのじゃ。
要らない知識が多すぎれば迷いが生じて実践も疎かになるのじゃ。
ただひたすらに実践あるのみなのじゃ。

753避難民のマジレスさん:2019/08/13(火) 22:28:19 ID:LC3de7YgO
>>751
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-c(つづき)

グルによって導かれた真我探求

Q:どのようにして内側を見て、源泉に戻っていくのですか?

  源泉に戻っていく方法は非常に簡単だ。 

  外側への執着は静かに座っていることや瞑想を許さない。
  だからしばらくの間外側への執着を全て避けなさい。
  眠りに入って非常に平和な夜をすごすように昼間にこれを練習しなさい。

  外側への執着を全て忘れたその瞬間に膨大な愛と幸福を味わう。
  そうすると自然と外側を見るのを止めるだろう。
  外側と内側が同じになって、両方とも存在しなくなるだろう。

 この家の内側と外側の区別はほんの2インチのドアだ。
もしドアがない時は外側も内側もない。このドアがマインドだ。
マインドがその欲望を満たすために外側に向かっていく。
このようにして、内側も又創られたのだ。

 マインドが静かな時は、ノーマインドであなた自身の真我だ。
その時、以前には決して味わったことのない幸福を味わうだろう。
しかし、あなたはそれを愛するけれども何があなたにこのマインドの平和と至
福を与えてくれたのか知らない。

 だから以前の環境を忘れて、今いる環境(サットサンガ)に滞まるなら、あ
なたは至福に溶け込んで至福そのものになるだろう。実に簡単な方法だ。

Q:もし私がドアを見つけたら簡単かもしれない。

 この「もし」がドアだ。
「もし」を使わない時何が起こるだろう?

Q:「私がドアを見つける」、いいえドアはないのだ!
内側も外側もない! これが全てだ!全てがこれだ!

 そうだ!そうだ!全てがこれだ。

Q:疑いはなくなって、静寂なマインドと真我の間の関連を見ています。
しかしマインドを静かにするのが難しく、静かにしていても、背後に何か見知
らぬものが潜んでいるような感じです。
これは真我ですか? 又は、マインドのトリックですか?

 あなたが言っていることはすべてマインドのトリックだ。
理由は、あなたはマインドとは何か理解していない。
理解していない時はいつもマインドがあなたを困らせる。
それはトリックを使って「何か」として現れる。

 あなたはそれを見て、それが本当だと思う。
あなたの前に真実として反映される全ては真実ではない。
すべてがマインドのトリックだ。
マインドに騙されないために唯一しなければならないことは、ただ静かにして
、努力をしないことだ。

 あなたが言っていることは、努力するということと同じだが、ここでは、努
力をしないこと、静かにしていることが要求される。
どのようにしてと尋ねるなら考えないようにと頼む。
どのようにして考えないでいられるのかと尋ねるなら、どこから思考がやって
来るか見つけだしなさいと助言する。

 顔を「それ」に向けなさい。
マインドの対象を見るのではなく、マインドがやって来る場所を見るのだ。
 
 マインドと思考の間には何の違いもない。
マインドは思考の集まりで「私」と思考の間には何の違いもない。
「私」がやって来ると、思考がやって来る。
思考がやって来ると、感覚がやって来る。
感覚がやって来ると、各感覚器が受けいれる対象がやって来る。
 見るための目、花の臭いをかぐための鼻、音楽を聞くための耳、味わうため
の舌、触れるための手。
感覚と対象は同じだ。感覚があるとき、対象がある。

 さて、どこから感覚がやって来たか、そこへゆっくりと戻って行きなさい。
それらはマインドからやって来た。
対象-感覚-マインド。マインドはどこからやって来るのか?
エゴ! マインドとエゴの間には何の違いもない。

 どこからエゴがやって来るのか?
これについてあなたは述べていない。
どこから「私」がやって来るのか?その場所に向って見てごらん。

 これを理解すると、あなたは「私」がやって来て消えていくその場所に溶け
込むだろう。
このことを誰も述べていない。
教師によっても、説教師によっても、宗教の本の中にも仏陀の経典の中にもの
べられていない。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

754鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/14(水) 22:00:26 ID:1d4drIFg0
何か語れるようなことや、認識出来る事があるならばそれはまだ観念の内なのじゃ。
まだアートマンを実現していないのじゃ。
もはや何も語れず、認識するものもされるものもないならばそれがアートマンの実現なのじゃ。
そこまで至れば師匠に聞くことも無要と知れるのじゃ。
何も聞くことも答えることも無いからのう。

755避難民のマジレスさん:2019/08/15(木) 00:14:17 ID:LC3de7YgO
>>753
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-c(つづき)

グルによって導かれた真我探求

Q:「私」とマインドの源泉を見つけるようにといいますが、どれ位、探求を
続けるべきでしょうか?

 探求は続けるべきだ。
歩いている時も寝ている時も、目覚めている時も夢を見ている時もそれがあな
たの一部となるまで続けるべきだ。
この探求の源泉に入っていくにつれて、海に近づいていくのだ。
この探求を続けなさい。

 そうすると努力なしで眠っている時でさえそれが続いているということに気
がつくだろう。
ほとんどの人が探求は、瞑想するために座った時から始めて、立ちあがった時
終わるものだと誤解している。これはそうではない。

 むしろ、あなたが完全に恋に落ちて、いつもその人の事を考え続けているよ
うに、探求し続けるべきだ。
探求は、何をしていようとも一日中、頭痛や、歯痛が続くように続けられねば
ならない。

 この痛みは、会社にいようが人と話をしていようが努力なしで続いていく。
このように、寝ても起きても、考えている時でも探求を続けなさい。
 
Q:覚醒が起こるためにはマインドが完全に破壊されなければならないのですか。

 マインドが破壊されない限り悟りは不可能だ。
最もあなたに親密なものを諦めることによってマインドを静めなさい。
それらのものはマインドを騒がせる原因になるからだ。

 もし、平和が次第に消えていくならマインドを掴んでいる何かがあるに違い
ない。
それを見極めることによってマインドを静めなさい。本当か偽ものか? 永遠
か一時的か? 本当に時間をかける価値があるかどうか? 
 
 たとえあなたに最愛の人がいるとしても、真実は唯一あなたの真我ゆえにそ
の人を愛しているのだ。
グルと一緒にいることによって、真我を常に瞑想することによって、マイン
ドを静めなさい。
歓喜も又マインドを破壊することができる。
しかし、一度マインドを埋葬したら、二度と掘り返さないことだ。
 
 対象に対する執着を取り除かねばならない。
マインドの静寂は真我への執着を除いて全ての執着を棄てることからやって来る。
一時的な対象に執着すると問題がやって来る。
だから、これらの一時的な対象や世界に対しては、眠っていて、真我に対して
、目覚めていなさい。

 探求をしないと、サンサーラにいることになる。
対象に目覚めていて、真我に眠っている。
探求とは真我に目覚めることであり、感覚に眠っていることだ。
探求は自由に導く。
思考は太陽を隠す一時的な雲のようなものだ。
「私」という思考でさえ雲だ。

 マインドそのものである雲に気をつけなさい。
このマインドはこれやあれがほしいという欲望だ。
思考は、「私」という思考でさえも、ただ雲が漂っているようなものだと知っ
たなら、それに影響されることはない。

 マインドの静寂があるところに、マインドはない。
その時あなたは本当に目覚めている。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

756鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/15(木) 22:13:03 ID:1d4drIFg0
マインドとは思考や感情を作り出す観念の働きなのじゃ。
それがあるかぎり悟りは訪れないのじゃ。
それが自分だと思うから捨てることも難しいのじゃ。
自分だと思っていたものが観念でしかないと気づくことが観照なのじゃ。
そして無我になるのじゃ。

757避難民のマジレスさん:2019/08/16(金) 00:03:06 ID:LC3de7YgO
>>755
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-c(つづき)

グルによって導かれた真我探求


Q:昨夜、夜中にほんの瞬間、何もなかった。それが「それ」ですか。
それが真我ですか。そしてマインドが戻って来ました。

 どうしてマインドが戻って来たのか? 
この無の中でマインドはどこにいたのか?

 あなたのポケットに何もない時、この空のポケットから何ドル取り出すこと
ができるのか?
無から何がやって来ることができるのか?
  一度ハートが静かになったら、
  一度それが空になったら、
  二度と戻って来ることはできない。

 だから、もう一度やってごらん。
無の中に入っていって、戻って来ることは考えないこと。
そうすると、あなたが見ている全てのものは無の中にあるだろう。

Q:度々私はそれをするには怠けすぎて、かわりに気晴らしを探し求めます。

 あなたは怠け者ではないが、あなたは最高に怠け者であるべきだ。
という意味は怠けすぎて考えることができないということだ。
もし怠け者でないと考えるなら、あなたは活動的だ。

 もしマインドを使わないときは、マインドがあなたから去っていく。
だから、非常に怠け者になるか、非常に活動的になるかだ。

Q:私はそれができると信じられないだけです。

 どうして? 信じなければいけない!

「私は成し遂げることができる。私はやらねばならない。」と決心しなさい。
 あなたが「ここ」にいると、マインドはいない。マインドが「ここ」にいる
とあなたはいない!「あなたは誰か」「あなたは一体誰か」言ってごらん!!

Q:(彼女は静かに座って微笑んでいる。)「あなたは誰か」と言われたとき
、私のマインドが突然とまってしまいました。
思考はなくて、幸福だけ、私はそれができるということに驚いています。

 そうだ。疑いなくそれはできる。
「私は誰か」という思考以外にどんな思考も持たないことだ。
この思考が、あなたを思考や観念や人や対象のないところ、無だけがあるとこ
ろに連れていく。

 これが失われたあなたの究極の本質だ。
あなたが執着してしまった世界の対象を楽しみたいがためにそれを失くしてし
まったのだ。

 執着のためにあなたに平和を与える時間が、あなた自身の本当の愛を知る時
間がなかったのだ。
この平和を見つけて、カビールの言うようにしなさい。

  ほんの一秒の半分 聖者と一緒にいなさい。
  ほんの半秒の半分 ほんのその半分聖者と一緒にいなさい。
あなたを束縛するものが自然と解き放されるだろう

  グルの恩寵によって、あなたは誰かを知ることができる。
  この恩寵は、あなたが蓄積した数々の罪を燃やし尽くす火の玉だ。
  全ての罪が燃えつきたら、あなたは蓮の花
  ハートとマインドが開いてしまった蓮の花

「今」が全ての人が何億年もの間待っていたその時なのだ。
 これ以上無駄にしないことだ。今それを手に入れなさい。
(´・(ェ)・`)つ

758鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/16(金) 22:57:35 ID:1d4drIFg0
修行を実践していれば気付きは何度も訪れるじゃろう。
恐れてしまえばそれは消えていくのじゃ。
何度も味わって少しずつ進んでいくとよいのじゃ。
それが恐ろしいものではなく、身をゆだねるべきものと知れば悟りもやってるのじゃ。

759避難民のマジレスさん:2019/08/17(土) 02:43:07 ID:LC3de7YgO
>>757
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-d

グルによって導かれた真我探求

Q:私は私自身を知りたい。

 全てを忘れなさい、そうするとあなたの真我を知るだろう。覚えていると苦しま
なければならない、全てを忘れなさい。全ての欲望を溶かしなさい、そうすると全
てを得ることになる。

Q:欲望や思考が起こってくると、誰に起こってくるのかと尋ねて、答えは「私に
」と返ってきます。そして次の質問は・・・・

 なぜ次の質問に飛び込むのか?なぜ最初の質問を理解しないのか? 内を見ると
何が見えるかね?

Q:無の空間。

 誰が無の空間を見ているのかね?

Q:わかりません。

 思考を見つめると消えてしまう。思考が消え去るその瞬間に見える「それ」があ
なただ。

 それは両岸に囲まれた河のようだ。両岸に制限された水が河だ。しかし水が海に
出会うとその河の性質をなくして海になる。河はなくなって海になる。

 これが探求の意味していることだ。繰り返してやるようなものではない、一度そ
れをやるだけでよい。

 尋ねる-待つー発見するー「それ」そのものになる。
 他の人や他のことについて尋ねないこと:「あなたはだれですか?」「あれはなん
ですか?」

     あなたは意識だ。
     無意識になることはできない。
     考えないこと、マインドなしに自発的に行動しなさい。 

     あなたの在るがままにいなさい、何が起こるだろうかと考えないこと。
     恐れや疑いを持たないこと。

Q:ジョークの意味を理解することなしに笑いたい。

 それならあなたのハートの中で笑っているのは誰か知りなさい。この笑いだけを
聞きなさい。これが最後の経験になるだろう。なぜなら常に幸福で至福と愛に満ち
ているのは誰か見つけ出すからだ。

Q:他の人の行為に対する自己敗北という反応について質問があります。特に不愉
快な反応を調査する代わりにエゴの結果としてそれを単に受け入れるべきだとあな
たは言われるのですか?

 調査するものが何であろうと、それはエゴを通じてなされるのだ。全ての調査は
エゴからやってくる。私の助言がほしいのなら、ただ静かにしていなさい、どんな
調査も始めないことだ。

 結局、120億年の世界を調査するのに何ができるかね? どのように理解するのか
ね? 最高100歳まで生きられるとしてもこの120億年の世界に何を寄付することがで
きるかね? 
 ただ静かにしていなさい。あなたの目の前で事を起こらせなさい。どんな努力も
しないこと、何も考えないこと。そうするとあなたは誰かわかるだろう。

Q:このために私はここにやってきたのです。「私」以前にある「知られえないも
の」を見つけるためにここにやって来ました。

 あなたはここにやってきた目的を理解した。

     あなたの目的は平和でいること、     全ての生き物を愛すること、あなたは誰か知ること。
     これが人生の目的だ。
     ゆっくりとこのことを理解し終えるだろう。

Q:平和とは何ですか?

 心を開いてものを見なさい、そうすると平和、愛、美とは何か分かるだろう。そ
の瞬間、全てを忘れてしまう。聖人カビールのことを聴いたことがあるかね? 

 彼が言うには、「一瞬、あるいはその半分、あるいはその半分の半分、静かにす
ることができたら、全世界があなたを追いかける。」

 あなたが静かにしているとそれほどの魅力を得るのだ。あなたは全宇宙でもっと
も美しい、宇宙がマインドの平和を求めてあなたを追いかける。あなたは「それ」
になる。難しいことは何もない。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

760鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/17(土) 21:27:23 ID:1d4drIFg0
道元も言っていたのじゃ。
仏道とは自己を習うものであると。
それには自己を忘れることじゃと。
観念の自己が忘れられた時、アートマンは実現するのじゃ。
その時、聖人の言葉や経典の教えが全て明らかになるのじゃ。

761避難民のマジレスさん:2019/08/18(日) 01:36:21 ID:LC3de7YgO
>>759
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-d(つづき)

グルによって導かれた真我探求

Q:「それ」を見せてくれますか? その平和、真我を見せてくれますか?

 真我は膜の後ろのハートに住んでいる。ドアーをノックするのではなく、ゆっく
りと歩み寄ることで真我に会える。あるメシアはドアーをノックすれば開くと言っ
ているがこれは誤解している。真実はドアーがないのだから。

 静かにゆっくりと進みなさい。考えることでさえ大きな騒音となる。「最愛の人
」に会うための条件は静かにしていること。だから考えないでいると初めて「最愛
の人」に会うことができる。

 さて、静かにしていなさい、「最愛の人」に会えないのなら言ってごらん。

Q:会えません。(そして彼は目を閉じる)

 私は静かにしているようにと言ったのだが理解していないようだ。目を閉じるこ
とで膜を作ってしまったのだ。これは誰の間違いかね? 目を閉じないで開けてい
なさい。あなたと一緒に誰も連れて行かないこと。一人で行きなさい。これは非常
に貴重なことだ。

Q:一人で行けと言われたとき、恐怖が起こりました。
     
 「最愛の人」に近づきたくないので恐怖が起こったのだ。「それ」に触れると不
滅になる。この蜜を見るだけであなたを不滅にする。この「私」は毒だ。

 「私」を連れて行かないことだ、一人で行きなさい。なぜ「私」を連れて行くの
か? それは恐怖ー分離ー肉体ー死を意味する。この「私」は厄介者だ。

 一緒に連れて行かないで一人で行きなさい。「あなた」なし、「彼」なし、「彼
女」なし。

Q:(彼は微笑んで静かにしている)

 今あなたは理解した。あなたの顔つきからそれが分かる。私が言っていることを
味わっている。宇宙の隅々を探しまわったが「最愛の人」はいつも「ここ」にいる
。行き着く道がわからなかったがこれがその道だ。
    
Q:真我探求して、誰が真我探求しているのか見つけようとしていますが、その人
を見つけることがで来ません。

 まさにその通りだ。よくやった。見つけることができないその人が「それ」だ。
見つけることができないその人を見つけなければならない。誰も「それ」を見つけ
たことがないので、探求は諦めなさい。

 もし、それを見つけることができないというなら、それは問題ではない。それを
探そうとしないことだ。あなたが着ているコートを探すのは止めなさい。

 探求を止めたら、その時、その結果は何か、あなたは注意深くあらねばならない
。それは大変よい質問だが、答えを見つけ出すかどうかはあなた次第だ。

 見つけることができない「それ」を行かせなさい。この探求という観念さえ諦め
なさい。見つけることができない「それ」を探求するのを止めたら、あなたはどこに立つ?

(´・(ェ)・`つ
(´・(ェ)・`)

762鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/18(日) 22:05:12 ID:1d4drIFg0
本当にアートマンに近づけば恐れが起こるじゃろう。
今自分と思っている観念が消えるのであるからのう。
それをも乗り越えていけば安らぎが待っているのじゃ。
自分が忘れ去られ、無いところにアートマンはあるのじゃ。

763避難民のマジレスさん:2019/08/19(月) 09:32:15 ID:LC3de7YgO
>>761
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part2-d(つづき)

グルによって導かれた真我探求

( 見つけることができない「それ」を行かせなさい。この探求という観念さえ諦め
なさい。見つけることができない「それ」を探求するのを止めたら、あなたはどこに立つ?)

Q:わかりません。

 わからないのなら、単に静かにしていなさい。静かにしているとこの質問がそれ
自体で答えを示すだろう。あなたは静かにしていなければならない。

 そうすると、静けさがあなたに話しかけてくる。思考の川が始まる所にいなさい。そこから答えがやって来る。その場所があなたのいる所だ。

Q:*1ラマナ・マハルシは、彼が悟る前“私は誰か”と尋ねて何年も費やした。私もこのようにしなければならないのですか。悟りには段階があるのですか。

 ラマナ・マハルシがこの質問を何度もしたというのは正しくない。
彼は、*2ティルヴァンナマライに来る前に、たった一度それを尋ねた。彼は学校に
行く前に彼は死んでいくのを感じた。

 その時この質問が起こったのだ。「誰が死んでいくのか? 私は誰か?」

 そしてこの若者は学校に行く前に答えを見つけた。彼は、肉体、感覚、マインド
、知性ではないと。たとえこれらが死んでも彼は死なないと悟ったのだ。

 その後彼は*3アルナーチャラに行って、彼の最後の一息まで沈黙の中に滞まった
。彼が言うには、その沈黙が全ての人の本質だ。この質問をしたら、彼らも又沈黙
になるだろう。

 悟りには段階はないが、接近のしかたにはレベルがある。真剣な接近、普通の接
近、三番目は年を老いてからの接近。

 この少年ラマナがそれを見つけた時、彼はまっすぐにシヴァ神の住み家と言われ
る聖なる山に行って彼の古い環境に戻ることはなかった。レベルは、決定のレベル
だけだ。

 これらのレベルはエゴのため、悟りのためではない。
光はそこにある。もし目を半分しか開けていないのなら太陽を見ることができない。

 太陽はいつもそこにある。地球に背を向けたりしない。地球が太陽に背を向けるのだ。その結果が夜だ。太陽には夜もレベルもない。
意識には、レベルはない。あなた自身の光と知恵は、あなたを待っている。

 しかし、あなたが何億年も延期しているのだ。又、訓練は必要ない。大昔には、人々は洞窟に住んで、狼のように隠れていたものだが、あなたに洞窟は必要ない。あなたは人間だ。

 あなたは、質問するために「ここ」にいる。だから答を見つけなさい。努力しなで、何も考えないこと、思考の源泉を見つけなさい。さて、今が、あなたがどれ位真剣かを見つけ出す時だ。

用語解説

*1 ラマナ・マハルシ (1879-1950) パパジのグル、現代の最も重要な聖人の一人。アルナーチャラの山麓で生涯を過ごし、彼の革新的自問の方法を求めて世界中の探求者がやってきた。
*2 ティルヴァンナマライ 南インドの町、アルナーチャラがある所
*3 アルナーチャラ 南インドの聖なる山、シヴァ神が顕現したといわれている山、ラマナのグル。
(´・(ェ)・`)つ

764鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/19(月) 22:34:29 ID:1d4drIFg0
マハリシは死に行く自分を見て一日で悟りを得たのじゃ。
何日もかかったのではないのじゃ。
真剣に死を超えようとしたならばそれも可能なのじゃ。
やる気がすべてなのじゃ。

765避難民のマジレスさん:2019/08/20(火) 02:04:11 ID:LC3de7YgO
>>763
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-a

真我探求についての疑問を取り除く

  過去や思考によって押し流されない為には非常な努力と決断が要求される。
  さもないとマインドは不純性と災いの中に後ずさりすることになる。
  この自己努力なしには何もありえない。
  この非常な努力は簡単だ。それは努力でないからだ。
  ヴァーサナに適した環境がやって来ると眠っているヴァーサナも又目覚めてしまう。
  だから、熱心な自己努力で真我に献身しなさい。
  神への信頼が唯一あなたを助けることができる、海に飛び込みなさい。
  神に降伏しなさい、そうすると内なる救いがやって来る。
  
  「私」というのは真我探求で破壊される幻想だ。
  何をしていようとも、いつも自然と「私」という思考に注目しなさい。
  いつも正しい方向を見ていなさい。
  「それ」に入るには、半歩必要なだけだ。
  完全に一歩踏みだしたら活動になる。
  雲が太陽を隠してしまうように「私」思考は真我を隠してしまう。
  だから、真我探求で、この思考の源泉を見つけなさい。
  真我探求をしている間、他のことは何も考えないこと
  「私」という思考でさえも起こさないこと。
  
  他の物事に没頭するのをやめるとそれが見える。
  いつも注意深くマインドの傾向を調べなさい。
  あなたが考えるものにあなたは同一化するのだから、
  思考なしに行いなさい。
  そうするとあなたの自然な状態に戻ることができる。
  思考から切り離された自然な状態に留まりなさい。
  
  「警戒する」ということは、何がマインドの家に入って来るのか注意深く見守
っているということだ。
  起こって来る思考と戦わないこと、ただ見守りなさい。
  マインドを騒がせず分割しないこと。
  しかし、この「見守ること」もマインドを通してだ。
  だから、「誰がこの思考を見守っているのか?」
  探求して幻想の根元を断ち切ることだ。
  さもないと、観察者としての「やり手」が生き残る。
  これはマインドだ。
  同じように、マインドを殺そうとする欲望は単に「殺し屋」を創り出すだけだ。
  それらは努力や活動を通して行われるので、それはマインドそのものだ。
  だから、静かにしていなさい、ただ静かにしていなさい。
  「私」という考えの重荷を背負おうと努力しないことだ。
    
  絶え間なく「何もなし」と一緒にいなさい。
  これより他によいパートナーはいない。
  活動に巻き込まれない「それ」と友達になりなさい。
  一時的な、取るに足らない快楽を切望するのではなく、
  去っていかない「それ」を切望しなさい。
  警戒と注意深さが習癖にならねばならない。
  起こってくる思考はサンサーラ、
  しかしこの思考が起こってくるのを見ていることはニルヴァーナ。
  これは「それ」との美しいダンス、ロマンスだ。
  「それ」がそれ自体で現われてこないのは、
  一時的なものを愛する習癖を持った「私」がそれを隠しているからだ。
  この無知を取り除くと真理はそれ自体で現われてくる。
  肉体とマインドはあなたに属さない。
  賢明でありなさい、あなたに属すものだけ保持しなさい。
  未知なるもの、あなたの最愛の人から逃げ出さないことだ。

    執着している対象に向かって外に向かおうとする傾向を阻止すること
が、幻想から幻想性を取り除くことだ。
  対象に向かおうとする根強い傾向から身を引いて、源泉に戻りなさい。
  沈黙から離れようとする全てを見つめて警戒していなさい。
  そして、努力をしないこと。

    思考と対象は限界だ、無限界に接触しなさい。
  好き・嫌いは表面的だ、好き・嫌いの真ん中を見なさい。
  思考に占有されたマインドの奴隷にならないことだ。
  過去に向かうとあなたを見失う。
  マインドが飢えているなら一日24時間、真我探求という食べ物を与えなさ
い。
  そして真我に、愛に直面しなさい。
  
  「私は誰か?」と調査しなさい。
  忍耐強く、賢明に、正直に調査しなさい。
  顔を内なる気づきに向けなさい。
  真我と顔を突き合わせたなら、ただ静かにしていなさい。
  この静けさが永遠の住家だ。
(´・(ェ)・`)つ

766鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/20(火) 22:02:30 ID:1d4drIFg0
思考をなくそうとすることも思考を起こすことになるのじゃ。
感情も認識もまた同じなのじゃ。
何が起きても何もしないで居ることで心も鎮まるのじゃ。
心が鎮まれば自分が居なくなるような恐れが起こることもあるじゃろう。
その恐れを乗り越えて何もしないで居ればアートマンも実現するのじゃ。

767避難民のマジレスさん:2019/08/21(水) 07:21:56 ID:LC3de7YgO
>>765
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-b

真我探求についての疑問を取り除く

Q:私にはマインドから何度もやってくるいくつかの質問があります。それらはマインドから、マインドの源である無からやってくると分かっているのですが質問する必要があると思います。

 マインドの源は無だといった。この経験をしたのかね? 質問からマインドへ、マインドからマインドの源へ帰っていく。そのように旅をしたのかね?

汽車が停車する目的地に着いたのなら、汽車の中に留まるかね? 座り続けても目的地に着いたので汽車は動かない。このように無が目的地だ。そこで何が起こったのかね?

 汽車は止まった、ということは思考が止まったということだ。そう、まだ汽車に座り続けるのかね、それとも汽車を先に押すのかね?

Q:私が思うに・・・

 (怒って)まず理解しなさい!時間を無駄にするな! 無に戻ったとあなたは言うが、そこで何が見えるかね? そこで探求するのかね? そこに何がある?

Q:何もありません。

 単に質問するものではない。質問の中にマインドが隠れている。あなたは何が欲しいか真剣に考えて質問しなさい。あちこちから質問を拾い上げて質問をするのは時間の無駄だ。

 目的地である無に着いたなら、この無の中には質問者も含めて何も存在しない。誰がそこにいるのかね? 質問がどこからやってくるのか見つけたなら、質問は窒息死する。だから「しかし」・「いつ」・「もし」を取り除きなさい。

Q:ただこれらの質問が何度もやってくるのです。

 無の中で私に質問しなさい!

Q:パパジ、静かにしていて、思考がやって来たら、見つめていて、それが去った後、静かにしているということですか。

 そうだ、それが私が言っていることで、あなたはそれについて何を言いたいのかね。

Q:あなたが言っていることは理解できますが…

 理解は必要ない、それ以上の何かが必要だ。

 あなたがニューヨークにいて、私があなたにデリー行きの飛行機に乗り、デリーから他の飛行機でラクナウに行くようにと指示を与えるなら、何を理解することがある?

この理解は十分でない。あなたは飛行機に乗らなければならない。飛行機があなたを運ぶのだ。

Q:私はそれをやっているのです。
 
する必要はない。飛行機の上で何をするのかね。飛行機を押すのかね?(笑う)ただ静かにしていなさい。飛行機の中でさえこれが言われている。「座って、シートベルトを締めて下さい。」それだけだ。

 飛行機を押すのかね? ただ静かにしていなさい。ひとりでにそれは動いて、食事でさえ運ばれて来る。これが私の意味するところだ。努力しないこと。

 あなたを連れていくのはパイロットで、あなたはパイロットに助言したりできないし、操縦室に入ることさえ許されない。

 静かにしているということは、どこから思考がやって来るのか見ているということだ。この観察が日本語に訳されて、「私は誰か」になる。マインドの内側で「私は誰か」たずねなさい。これも又、観察だ。

 「私」の源を見つけることと、どこから思考がやって来るか見つけることには違いがない。ただ観察すること、警戒していなさい、努力しないこと。

Q:静かにしているときでも、まだ、個別な「私」という感覚があります。

 静かにしているとき、静かにしている「誰か」を見つける。この「私」が観察されねばならない。どこからやって来るのか?

 どこからこの個的な「私」がやって来るのか? 見なさい。何が見えるか言ってごらん。これは非常によい質問で理解ではなく経験が必要だ。だから、「私」を見つめて、それがどこからやって来るか見つけなさい。

 何が見えるか言ってごらん? 観察者や観察されるものは見えないはずだ。個人という個別性が「どこから」やって来るのか集中して見なさい。何が見えるかね?

Q:今はなにも見えませんが、何かが飛び上がろうと待っているような感じです。

 もう一度、何が飛び上がろうと待っているのか観察しなければならない。再び「私」。もう一度それを観察しなさい。やりなさい。すぐにやりなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

768鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/21(水) 22:35:05 ID:1d4drIFg0
本当に思考の源にまで達したならば無ということはないのじゃ。
そこにアートマンはあるじゃろう。
アートマンがあればブラフマンもあり全てが在るのじゃ。
それがわからないならば実際に達しては居ないのじゃ。
推測で観念遊戯をしているだけなのじゃ。
実践がすべてなのじゃ。

769避難民のマジレスさん:2019/08/22(木) 02:44:46 ID:LC3de7YgO
>>767
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
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第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-b

真我探求についての疑問を取り除く

Q:努力なしで観察するようにあなたは言いますが、観察するのを忘れないように
努力しなければなりません。さもないと、私の思考の中で再び見失ってしまいます。

 あなたの鼻を見るのにどんな努力がいるかね。大変近くにあるものを見るのに努
力は必要ない。遠い所にあるものを見るには努力が必要だ。

 さて、問題は、あなたは自分自身を、あなた自身のハートを、あなた自身の美を
、探すことだ。それは、あなたの目の網膜を探しているようなものだ。あなたの網
膜を見るのにどんな努力がいるのかね。

Q:不可能です。

 不可能、そうだ。網膜でさえ離れていく。「それ」は網膜の以前にある。これが
網膜が見ることを可能にする。だから、網膜が「それ」を見るのは不可能だという
ことだ。

 それでは、私は静かにしていなさいと言おう。 「それ」を通して見たり、聞い
たりすることができる「それ」を見るために何ができると言うのか。「それ」は見
ることができない。 ただ意識としてありなさい。どんな努力が必要かね?

海の中では波であらねばならない。波を立たせなさい。波はまだ海の一部だ。波
が立つとき、波は海からどれくらい遠くに離れているかね? 波は海の一部だ。海
があるなら、波があるはずだ。

 あなたが質問する前に私は話したくないから、他の質問があるなら質問しなさい。

Q:私がやっている禅の訓練で、静かにすることができますが私の内と、私の周り
に何が起こっているか、気がつくに従って、頭と心臓に、ひどい圧迫感が感じられ
ます。

 しかし、禅の修業での観察者はどうなったのか? 私は観察者を観察しなさいと
いっているのだ!!観察者が観察されねばならない。今、私は観察者を観察するよ
うに言っているが、これをするのにどんな努力が必要かね?
 観察者を観察したらどんな報酬が得られるか? その結果は何か?

 これをするには、あなたの顔を内側にむけて観察者を対象にして超意識にこの観察
者を見てもらおう。たとえこれを理解しようとしてもこの理解は「それ」を理解す
ることはできない。
これは決して理解できない。理解は主体と対象との間に起こるものだ。マインドか
ら対象を消してしまったら何を理解することができるかね。どうするのかね。

 修業するということは、いつも対象と関わりあっているということで、これはど
んな成果もえられないだろう。だから、静かにしていなさいと言っているのだ。そ
れはひとりでに明らかになる。ただ思考が通過するのを見て、それがどこからやっ
て来て、どこへ行くのか見ていなさい。

 あなたは証人として残る、単なる証人、何が起こっても証人として見ていなさい。
どんな状況も良きにつけ悪しきにつけ、やって来て、去って行く、決して滞まらな
い。

 ただ観察していなさい。良い状況がやって来ても滞まって去って行く。やっても
来ないし、去ることもないのが証人だ。それをどうして見るのかね。どのようにし
て証人を目撃するのかね。どのようにして観察者を観察するのかね。

Q:意識として居るだけです。
 
 そうだ、それでよいのだ。私はカビールの話を思い出した。

 カビールが家から出たとたん、二人の男が争っているのを見た。警察がやって来
て、二人を逮捕した。1人の男は「彼が先に私を襲ったのだ」と語り、他の男も同
じことを言った。それで二人とも裁判にかけられた。しかし、裁判所は証人なしで
は判決を下すことはできない。

 その時警官は言った。「カビールだけがそこにいて、この男が他の男の腕を切っ
たのを見ていた。」カビールは裁判所に呼ばれ、裁判長はカビールにたずねた。
 
 「あなたはそこに居たのか?」
 「はい、私はそこに居ました。」 
 「何を見たのかね、誰が誰を先に攻撃したのかね。」
 
 カビールはこう言った、「見たそれは、話すことができず、話すそれは、見るこ
とができません。」

 どういう意味か裁判長は困った、それは一体どういう意味なのか、目は見たが目
は話すことができない。舌は話すが見ることはできない。(くすくす笑い)このよ
うに目は証人として話すことはできない。

 一方、舌は話すけれども見なかったので、舌の言うことを信じることはできない。
裁判長は非常に困って二人とも釈放した。

 このように、あなたは証人だが話すことはできない。

Q:(笑って)考えることもできない。

 そうだ、あなたが見る時、あなたが証人となるが見たことを話す事ができない。
これは本当に冗談だね。
(´・(ェ)・`)つ

770鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/22(木) 23:21:10 ID:1d4drIFg0
禅は集中の瞑想であるから観察が無いのじゃ。
観察によって人は悟りを得るのじゃ。
自然に観察できるまで待つのでは稀にしか悟れないのじゃ。
集中と観察を習って速やかに悟りにいたれるのじゃ。

771避難民のマジレスさん:2019/08/23(金) 05:32:00 ID:LC3de7YgO
>>769
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-c

真我探求についての疑問を取り除く

Q:私は障害を取り除きたい。
真我に降伏したい。
私はエゴの為に謙虚ではありません。
どうか、あなたの火で私の蝋燭に火を付けて下さい。
 
 あなたはエゴについて話している。
全ての人がエゴが好きだが、あなたはそれを失くそうとし始めた。
あなたは一生懸命努力した。

 しかし、これは、エゴをマッサージしているようなものだ。
人が行う全てのことはエゴを大きくするだけだ。
しかし、これは、幸福である為のやり方ではない。

 幸福というのは、あなたの平和を危険にさらすものから遠ざかっていくとい
うことだ。
だから、私は毎日みんなに、ただ、どこから思考がやって来るか見つけだしな
さいと言っているのだ。
 
 「私がこれを、又は、この人を手に入れたら幸福になるだろう」これはエゴ
のごまかしだ。
この世界では誰もあなたに幸福を与えることはできない。

 幸福である為には、静かにしていることだ。
どんな関係もあなたに幸福を与えることはできない。
愛する人でさえもあなたに幸福を与えることはできない。
彼らはあなたの血を吸って生き、血がなくなるとあなたを見ることもない。
これが世界のありようだ。

 この人生でそれに気づくなら自由を勝ち得るチャンスがある。
この為にここにやって来たのだ。
ついに、あなたはここにやって来た。
サットサンガに参加できる幸運と知性を持った人間としてついにここにやって
来た。

 あなたがしなければならないことは、エゴがやって来たらその根を断ち切っ
て静かにしていることだと明確に理解することだ。
今、それを求めてそれをするのだ。
挫けないこと。

 何が起こっているかただ見ていること、誰が永遠にあなたのそばにいて逃げ
出さないか見分けなさい。
あなたの周りの人はみんな逃げ出すだろう。

Q:私がリシケシにいるとき、多くの人からあなたのことを聞きました。
それでラクナウにやって来ました。
最初のサットサンガで人々がどんな経験をしているのか、知って驚きました。
真我探求が思考と感情に同一化するのを止めることができると知ったからです。
 
 そうだ、毎日彼らは彼らの経験について話している。
驚くことはない。
何か新鮮で新しいものを最初に見た時は経験であるに違いない。
結婚式の後の夜は経験ではないかね?

 しかし、あなたの顔つき、目つき、話からして、あなたはこの経験をしたこ
とがないのを示している。
あなたの顔を見てごらん。

 この経験はその人の全存在を、内も外も変えてしまうので声や肉体でさえも
その人の経験の状態を示すものだ。
いつかあなたも又これを味わうだろう。

 あなたの宿題が終わり質問がなくなったとき、この経験が起こる。

Q:思考と感情に同一化するのを止める方法を教えて下さい。
 
 もう一度言おう。
真我探求によってだ。全てが止まる。
「私は誰か」と真我探求すると全てが止まる。
ただ静かにしていなさい。瞑想をやめて、瞑想者を見つけなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

772鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/23(金) 22:16:46 ID:1d4drIFg0
純粋にひたすらにアートマンを追求するのがアートマンの法なのじゃ。
その他のことはアートマンの法には必要ないのじゃ。
アートマンが実現すれば全ての厭離は達成されるのじゃ。
大きな樹の幹を切れば、全ての枝も地面に落ちるようなものじゃ。
瑣末な技は捨てて本道を進むが善いのじゃ。

773避難民のマジレスさん:2019/08/28(水) 22:54:13 ID:LC3de7YgO
>>771
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-c(つづき)

真我探求についての疑問を取り除く

Q:静かにしていなさいと言われたとき、すぐにマインドはどのようにしてと
尋ねます。
 
 ここではあなたは何もしないのだ。
単に静かにして問題があるなら私に尋ねなさい。
何もしないこと。何も考えないこと。ほんの一瞬何もしないこと。

 考えること全ては、過去に属し、どんな利益も得ることはできない。
それは役にたたない。
だからマインドを過去に行かせないことだ。マインドは過去を意味する。

 もし何かが起こるならそれはこの瞬間に起こるだろう。
過去ではない。マインドが過去にさ迷うのをストップさせなさい、そうすると
、あなたは静かだと分かる。

 全ての人がいつも過去について考えている。
だから、いつもトラブルの中にいる。
私は過去について考えないようにと助言する。

Q:私のマインドは壁を頭で突き続ける頑固な山羊のようですが、思考と思考
の間には平和があります。
 
 二つの思考の間にあるこの空間を見ることがすぐに自由を得る為のもう一つ
の方法だ。
同じ事が呼吸の間にも言える。
息を吸って、息を吐く、この呼吸の間には時間がない。
これは1分間に16回起こる。
全ての思考は、この無の空間からやって来るに違いない。
この息の吸入はどこから起こって来るのかな。

Q:どこからともなく起こります。
 
 そうだ、思考の場合も同じことが言える。
この思考は無からやって来るに違いない。
考える前は、あなたは考えていない。
だからどこから思考がやって来るのかその場所に行くとしたら、真我探求(私
は誰か?)も同じ所に行き着くということだ。

 しかし、それは説明されていない。
それは説明されるべきだ。
この真我探求はどこからやって来るのか?
無から!
思考の前、真我探求の前、呼吸の前。

 「私」という思考は、そのどこにもない。
それは「どことも知れないところ」からやって来て、その「どことも知れない
ところ」があなたで、あなたは思考ではないと私が言ったなら、「私」という
思考は消え失せるに違いない。

 これが私が何度も言っていることだ。
これを尊重しなければならない。
あなたの源泉、どこからあなたがやって来たか、これを尊重しなければなら
ない。

 そうするとあなたはかって消えたことがないし、いつもここに居たというこ
とが、全てがあなたに属するということが分かるだろう。
すべてがあなた、あなた自身の真我だ。
これをただ理解するだけでよい。
修練はいらない。

 私はどんな修練も信じない。
「私はそれだ」と感じなければならない。
これは修練によっては得られない。あなたがあなた自身になるのに修業する必
要はない。
あなたはすでに「それ」なのだから。

 このように、この「それ」には限界がなく、国境はない。
この「それ」はいつも存在していて永遠だ。
だから「それ」になるのではなく、「それ」であらねばならない。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

774鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/29(木) 22:22:36 ID:1d4drIFg0
何の修練も無く静かにしていることで人は悟れるというのじゃ。
何かになろうとするのではなく、それであることで悟りも訪れるのじゃ。
既に存在している意識に気付くだけで善いのじゃ。
それがすべてを悟らせてくれるのじゃ。

775避難民のマジレスさん:2019/08/29(木) 22:42:43 ID:LC3de7YgO
>>773
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)

〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-c(つづき)

真我探求についての疑問を取り除く

Q:瞑想者を探し出して「それ」になろうと何年も努力していますが、「それ
」を探し出すことができません。
 
 それなら、それを見つけようとしないことだ。
それなら、あなたの探求をあきらめなさい。
疲れたのなら探求をやめて「長い間探求してきた。いまだに見つけることがで
きないとしたら一体何があるのだろうか?」と尋ねなさい。

 さて、助けを求めて誰かを探さないこと、すべてをあきらめなさい。
瞑想と探求をあきらめなさい。
さて何が残っている?

Q:パパジ、私は完全に理解したわけではありません。
しかし、恩寵が差し迫っているのを感じます。
 
 なぜ未来に延期するのかね?
 それはあなたが静かでないということだ。
静かにしていることが最終的な経験だ。
これ以上何も必要ない。未来に延期して何かをしようとするならあなたは静か
でないということだ。

 静寂とは内なる静寂だ。
唇ではなくマインドが静かでなければならない。
そう、内なる静けさを保つように勤めなさい。
思考がやってくると静かにしていることはできないので思考を起こさないこと。

 静かにしているのに努力は要らない。
努力しないこと、どこからも思考が
起こるのを許さないこと。
これが静けさと呼ばれる。
これに成功したならあなたは終わりだ。
これ以上何もすることはない。

Q:マインドが「それ」そのものに向かっていく課程を説明することができま
すか。
 
 マインドの向きを変えなさい。
何が起こるか見てみよう。

 マインドが今いる状況から、型にはまって動きが取れない状況からマインド
の向きを変えなさい。
対象から、対象のないところに向きを変えなさい。
対象がないかぎり、マインドはマインドでありえない。
「ボール」がない時「バット」には何の意味もない。

 マインドの向きを変えなさい。
そうすると対象に触れることはできない。
その時何が起こるか?
マインドの向きを変えて対象から離れたそのときのマインドの状況は何か、説
明しなさい。

 私はあなたのマインドの向きを変えることはできない。
あなた自身でやらなければならない。
眠りに入るとき、毎夜、マインドの向きを変えている。
あなたのマインドを内に向けると、どんな感じがするかね。
あなたが眠るときマインドは内に向けられる。
これをどのように説明するかね。
 
 もしマインドを内に向けたなら、あなたの顔つきが変わるものだ。
もし何かを説明することができるのなら、マインドはまだ作用していて、向き
を変えていないということだ。

 マインドの向きを変えたら、ノーマインドだ。
説明者なし、説明なし、説明するものは何もない。
これがマインドを内に向けた後の状況だ。
やりなさい。やりますと言っているだけではだめだ。

 真我探求は非常に簡単だ。
あなたの好きな所ですることができる。
家で、会社で、街中で。ただ、この思考「私は誰か」をいつも持っていて理解
しようとしなさい。

 「この全てはいったい何なのか?」
「どこからこの世界がやって来るのか?」
「誰が苦しんでいるのか?」「どのようにして苦しみを取り除くのか?」

 「私は誰か?」探求しなさい。どこへ行こうともこれをするのにたいした努
力はいらない。
いつかサットサンガに出席して、探求は終わりになるだろう。
毎日、人々は2-3時間ここにやって来て恩寵を得て、彼らの国へ帰っていく。
(´・(ェ)・`)つ

776鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/30(金) 22:54:48 ID:1d4drIFg0
自分を観る努力しすぎることで見えないことも在るのじゃ。
観るという努力がその主体を遠ざけるのじゃ。
前ばかり向いて走っていては後ろが見えなくなるようなものじゃ。
その探求が無意味である訳ではないのじゃ。
一休みして振り向けば自分を観る助けになったことを知るじゃろう。

777避難民のマジレスさん:2019/08/31(土) 00:05:32 ID:LC3de7YgO
>>775
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-d

Q:「私は誰か」と言うこの質問をすると、静かにしていることができません。
疑いが起こってきます。でも心の平安を望んでいます。
 
 あなたが静かでないということは、この質問が正しくなされなかったということ
だ。
マインドそのものにこの質問をしなければならない。
この思考(私は誰か)の源にこの質問をしなさい。

 「私は誰か」という質問はどこからやってくるのかまず理解しなさい。
壁から? 本から? この「誰」はどこからやってくるのか?
 この質問をこの「誰」に尋ねなさい。

 静かにできないと話すこと自体が静寂からあなたを連れ戻す。
探求はあなたを家に連れ戻すことだ。外に連れ戻すべきでない。
 
 さて「誰」がどこからやって来るのか尋ねなさい。顔を後ろに向けなさい。
人々のマインドは前向きに働いているので問題がおこる。逆方向に働かねばならな
い。
逆戻りして「誰」がどこからやってくるか見つけなさい。

Q:源泉を見つけることができません。
 
  「誰」の以前に何がある? 何もすることはない。(パパジはテーブルの上に
ある水の入ったカップを持ち上げて)このカップはどこからやってくるのか?
 このカップはテーブルからやってくる。このように単に見つけ出しなさい。
そう、もう一度、この質問はどこからやって来るのか?

Q:それを見つけることができません。
 
 それを見つけることができないこの「私」は何か?

Q:私のマインド。
 
 マインドと「私」は同じものだ。マインドの以前に何がある?
 「私」が起こってくるとき、それはどこからか起こってくるに違いない。
どこから起こってくるのかね?

Q:わかりません。
 
 対象を捜しだすには見る人が必要だが対象には触れてもらいたくはない。後ろを
向いて欲しいのだ。
「私」が起こってくる源をただ見なさい。あなた方は対象を見ることに慣れてしま
ったが、私たちが話している「これ」は対象ではないので対象化することはできな
い。

 対象ではない「それ」にマインドを逆戻りさせなさい。対象は現われて消え去る。
あなたの肉体は対象で、「それ」は対象ではない。

Q:それを感じることができません
 
 「それ」は「私」以前にあるので、もちろん「私」はそれを知覚することはでき
ない。
だからこの「私」には触れないこと。「私」はマインド、思考だ。

 それに触れないこと。「私」に触れないで答えて欲しい。

Q:私にはできません。
 
 「私」に触れるなと言っただろ!!

Q:この真我探求をいつもし続けるのですか
 
 真我探求をいつも続けてする必要はない。それをやる必要があるのは、一度
だけだ。繰り返す必要はない。

 「私は誰か」見つけ出すだけでよい。
そして、その答えは「今」見つかるだろう。尋ねなさい!
「私は誰か」耳を傾けて聞きなさい!それについて考えないこと!ただ一度だ
け尋ねなさい。
それについて考えないこと、答えを見つけようと努力しないこと。
私が言っていることが分かるかね?
 
 どんな思考もマインドの中に保たないこと。
真我探求でさえも保たないこと。
真我探求も又思考だ。
そして、努力をしないこと。
この真我探求を維持したいというのは傲慢さだ。
一度だけ尋ねなさい、そうすると答えはそれ自身で現われる。
あなたは命令することも、要求することもできない。
 
 それが、自然と現われるのを時間をかけて待ちなさい。
それは対象でもないし、主体でもない。
どんな対象もマインドの中に保たないこと。
なぜこれが起こって来るのを、黙示を、この真実を強制するのか?
それにあなたの世話をさせなさい。
ただこの真理に降伏して、静かにしていなさい。
 
 静かにしてそれが現われるのを待ちなさい。
あなたが静かでないとその黙示は起こらない。
それは自然と現われる。
それは見せ物ではない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

778鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/08/31(土) 22:58:39 ID:1d4drIFg0
探している者が探されている目標のものである時、探求は困難になるのじゃ。
そのように探求している主体こそ見られるべきものなのじゃ。
それに気づくのはむしろ探求を休んでいる時が多いものじゃ。
蝉の声とか鳥の音とかの何かのきっかけで気付く時が来るのじゃ。
探求の努力も無意味であった訳ではないのじゃ。
そこに至るまでの集中の努力が効果をもたらしたのじゃ。

779避難民のマジレスさん:2019/09/01(日) 08:36:50 ID:LC3de7YgO
>>777
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-d(つづき)

Q:それは存在のようです。
 
 何であろうとも。「存在するもの」は黙示だ。
この「存在するもの」に無理やり何かをさせることはできない。
静かにしていると,この「存在するもの」がそれ自身で現れる。

 その名は「存在するもの」だ。
「存在していた」でもなく、「存在するだろう」でもなく、いつも「存在して
いる」。

Q:あなたが言っていることをするには努力が必要だと思いますが…。
 
 何かが落ちるのにどんな努力が必要かね?
頭にやって来る対象をただ振るい落とすだけだ!!

 暑い夏の盛りに、ある男が頭の上に100kgの岩を乗せて運んでいた。
彼はある人の所にいって助けを求めた。
その人が言うには「10kgの鉄を持っていきなさい、鉄は岩より値打ちがあ
る。」そう、今110kg。

 他の人は銅を与えた。「それは鉄より値打ちがある」しかし、今度は120
kgが頭の上にある。
このように、あなたがどこかに行く度に、彼らはあなたの頭に、あなたのマイ
ンドに、重荷を果せる。

 頭の上にどんな重荷も載せない教師は誰か?
彼らは、「この本を読見なさい」「この練習をしなさい」と、あなたのマイ
ンドに重荷を加える。
重荷とは、思考、練習、ビパサナ、ウパサナ・・これらを与える教師を受け入
れないことだ。教師としないことだ。

 本当の教師はどんな重荷も果せない。
説教師だけが重荷を果す。
あなたは以前に説教師といたに違いない。
 
 ただ静かにしていなさい。
生まれて来る前、あなたは靜かであった。
死んだ後もあなたは静かになる。
そう、なぜ今静かにできないのかね。
本当の休息は静かにしていることだ。

 苦しみがあると考えるとき、リラックスすることはできない。
リラックスして幸福であるときは、あなたは何も考えていない。
あなたの幸福は欲望の対象物を手に入れることからやって来るのではない。

 幸福は対象への欲望がなくなったときにやって来るのだ。
欲望がなくなると、思考がなくなり、幸福がある。

 ほとんどの人は、思考でさえ気がつかない。
そして、思考の流れに押し流されてしまう。
警戒していなさい。いつでも思考がやって来るときはそれを見つめなさい。
そうすると、思考は消えていく。

 考えること無しに人生の日課を終えていくとき、唯一あなたはそれを本当に
楽しんでいるのだ。
来るものは来させなさい、行くものは行かせなさい。
あなたはただ見ているだけだ。
 
   瞑想とはマインドが思考を掴まえず、自由な状態の事だ。
   思考を往来させて後を追いかけていかないことだ。
   街を歩いている誰かに顔を向けて見たらあなたは見失ったことになる。
   
   ただ行かせるのがよい。
   これが人生の幸福への道だ。
   プラットホームに汽車は行ったり来たりするが、
   あなたの目的地に行く汽車に乗りなさい。
   乗りつぎの待合室で友達を作らないこと。
   彼らはあなたが行く所には行かないのだから心が乱されるだけだ。
   この世界は人々の乗りつぎ待合所だ。
   マインドは思考の乗りつぎ場所で永遠のホームではない。
   だから、行ってしまう人々と友達にならないことだ。
   あなたと同じフライトで旅する人と友達になりなさい。
   「それ」と友達になりなさい。
(´・(ェ)・`)つ

780鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/09/01(日) 21:28:55 ID:1d4drIFg0
知識や思考が多いほど不安や苦も増えるものじゃ。
不幸なことが何でも起こる可能性があると思うからのう。
知識や思考が無い時、幸福も在るのじゃ。
今ここにあることが出来るからなのじゃ。
今ここには不安も苦も無いのじゃ。

781避難民のマジレスさん:2019/09/02(月) 08:10:43 ID:LC3de7YgO
>>779
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)
〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-e

Q:私は幸福に踊り続けていたいのですが、マインドとハートが戦うのを避け
ることができません。
 
 この戦いは不可能だ。戦いが起こるのはマインドがあるときだ。
ハートがそこにあるとき、マインドは存在しないので戦いはない。
あなた自身の真我と関係をもたないとき、戦いが起こる。
その時、思考の軍隊の指揮官はマインドだ。
ハートをもう一度見てごらん。

Q:ハートを見ようとするといとも簡単に感覚機能に取り付かれて捕まってし
まいます。
ハートだけを見る為に完全にマインドの働きを止めることができません。
  
 感覚の役目とは、五感の一つを通じて、対象を観察するということだ。
感覚を通じて、対象を見るとき、誰が感覚に気づいているのか?
これをやるべきだった。誰が感覚に気づいているのか?
それを知性と呼んでもよい。知性は感覚の役目を知っている。
誰が知性に気づいているのか?

 マインドは決定力のある知性に気づいている。
そうして、感覚、そうして対象がやって来る。
誰がマインドに気づいているのか?
それを「私」と呼んでもよい。

「私」がマインドに気づいている。
マインドは知性に気づいている。
知性は感覚に気づいている。
感覚は対象に気づいている。
誰が「私」に気づいているのか?

 今、あなたは思考のない所へ、沈黙へと、平和へと、源泉へと、戻っていく。

 これが全ての働きをとめる方法だ。
どこからエネルギーがやって来るのか見つけなさい。
いつも平和であるものは何か、決して騒がされないものは何か見つけ出しなさ
い。

 あなたが気づいているということを、どうして知っているのかね?
「私」が気づいているとどうして知っているのかね?
 「私」という思考よりももっと深いところに行かねばならない。

「私」よりも以前にあるものは何か?
あなたが「私」だと誰が決めているのか?

 あなたは5ステップ感覚より後にいる。
そこが平和の源泉だ。
あなたのホーム、自由とも、意識とも言われている。
 もう一歩後ろに、意識以前に下がることもできる。
これが思考を止める方法だ。

 あなたの源泉に向かって行きなさい。
どこに行くのか、場所はどこか、見つけ出しなさい。
これがあなたを静かにさせる。
感覚、マインド、知性、「私」を越えてあるものは何か見つけ出しなさい。
「私」を越えたものが意識だ。

Q:マインドを超えてこの意識、ハートを見つけるために、私自身にいつも「
私は誰か」と尋ねています。

 「いつも」とはどういう意味だ?
 毎日食べるようなものではない。この質問は一度だけするべきもので、そし
て、そのとき答えを見つけるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

782鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/09/02(月) 21:53:59 ID:1d4drIFg0
日頃から何度も何度も私は誰かと尋ねていたら、それは習慣になり、同じ答えが繰り返されるだけになるじゃろう。
記憶による観念遊戯になってしまうのじゃ。
気付くという作用が出来にくくなってしまうのじゃ。
ただ一度だけに全ての注意力を集中して私は誰かという探求をするとよいのじゃ。

783避難民のマジレスさん:2019/09/02(月) 22:57:53 ID:UlsENQx60
鬼和尚、皆さま、くまネット環境の都合でしばらくの間、バパジの講読会を休止いたします。
1ヶ月以内の再開を目指します。
宜しくお願いします。
( ̄(工) ̄)つ

784鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/09/03(火) 23:20:55 ID:1d4drIFg0
ご苦労さんなのじゃ。
ゆっくり休んで続けると善いのじゃ。
パパジも貴重な教えを説いているのじゃ。

785避難民のマジレスさん:2020/07/03(金) 21:39:35 ID:jevFIdqw0
鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 3 のつづき。
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
>>596 から一休さん の詩。

111
僧問岩頭、古帆未掛時如何。 僧 岩頭に問ふていはく、古はん未だ掛けざる時いかん。
頭云、小魚呑大魚。     頭いはく、小魚大魚を呑む。     
僧云、掛後如何。      僧いはく、掛けて後如何。
頭云、後園驢喫草。     頭いはく、ごえんのろくさを喫す。

寒温苦楽愧慙時 寒温苦楽慙愧の時
耳朶元來両片皮 じだ元来両片ぴ
一二三兮三二一 一二三 三二一
南泉信手斬猫兒 南泉手にまかせてみょうじを斬る

肝冷斎先生訳(岩頭古帆の話の部分)
「古い帆を掛けるその前は、どんな状態だったんでしょう?」
古い帆さえまだ掛けられていない時期、というのは要するに何ものもまだ始まっていない、分別以前の世界
とはどういうものなのか、と質問したのであります。
「小さい魚が大きな魚を呑み込んでいたんじゃ」
と教え諭してくれました。

くま訳
修行僧が岩頭に問う。古い帆が、まだ掛けられる前(思慮分別が始まる前)はどうなのでしょうか?
岩頭いわく、小魚が大魚を飲み込むのである。(93の詩 参)
修行僧、更に問う。では、掛けた後(思慮分別が始まった後)はどなのですか?
岩頭いわく、それは、裏庭のロバが草を食むようなものである。

寒い、暑いという事実があり、それを苦しい、楽しいと、分別するようになり、更にそのことを恥ずかしいと思ったりもするのである。
聞く事は、口先のことに過ぎない。
123 321だ。あたりまえのことである。
南泉和尚にこの質問をしたら、猫の子の首をちょん切るだろう。

*岩頭:岩頭全豁(がんとう・ぜんかつ。828〜887 95の詩 参)
*後園驢喫草:当然のことを当然にする何の不思議も無いこと。
*耳朶:耳 *両片皮:口
*南泉和尚猫を切る(碧巌録):弟子たちが猫に仏性があるかを激論している、そのバカバカしさに腹を立て、
 子猫を切り殺したらしい。

一休の解説:寒温→帆を掛ける前からある事実
      苦楽、慙愧→掛けた後生じる分別・感情・思い
ここでは、事実と観念の説明に重点を置き、小魚大魚の件(分別以前の世界)は、スルーしたようである。(93の詩 参)           
(´・(ェ)・`)つ

786うんこまん:2020/07/04(土) 00:21:56 ID:b/R.LjPg0
.
      //
    / .人
    /  (__) パカ
   / ∩(____)    やぁ!
   / .|( ・∀・)_
  // |   ヽ/
  " ̄ ̄ ̄"∪

787鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/04(土) 00:38:17 ID:1d4drIFg0
古い帆がかかる前には小魚が大魚を呑み込んでいたというのじゃ。
小魚が大きな魚を呑める筈も無いのじゃ。
それは小さな存在が、全ての存在と同一であったという比喩なのじゃ。
個人の肉体が全ての宇宙を呑み込んでいたとも言えるのじゃ。
梵我一如とも言えるのじゃ。
帆がかけられたら智慧をも失い、ロバのように小さな世界の僅かな草を食べて生きるしかないのじゃ。

788避難民のマジレスさん:2020/07/04(土) 20:04:57 ID:z51mdFvw0
112
松源和尚三轉語 1/3       の三転語
大力量人甚擡脚不起     甚(なに)によってか脚をもたげ起こさるるか

商量鬼窟黒山禪 きくつこくざんの禅商量して
神力金剛現目前 しんりきの  目前にげんず
普天之下是王土 普天のもと是 
擡脚句中公案圓 脚をもたぐる    まどかなり。

くま訳
松源和尚の三転語(迷いを転じて悟りに至らしめる言葉)
(松源の禅風は看話と黙照の対峙を越えたものといわれるらしい)

大力量の人が、どのようにして脚をあげる(立ち上がる)のか。(黙照禅)

考えて言葉で答えを出そうとするのは外道の禅である。
最上の仏の力は、目前にあるのだ。
世界は全て王土なのだ。
脚をもたげると言う転語で語られる考案は、欠けるところのない良くできたもの(黙照禅の説明)である。

*転語:迷いを転じて悟りに至らしめる言葉
*黒山鬼窟(こくさんきくつ): 不浄な苦悩に満ちた山やおそろしい鬼などの住むほらあな。転じて、蒙昧
な外道(げどう)の世界のたとえ。仏道以外の邪悪な世界。
*松源崇岳(しょうげんすうがく<1132〜1202年>)南宋時代
*松源は、禅宗の看話禅及び默照禅に存在した不正行為を正すため、座禅の方法を改革した。その中で一番
影響力があって後の人に高く評価されたのが「松源二転語」。つまり、「開口不在舌頭上(口を開いて物を
言うことは単に口先だけのことではない)」、「大力量人,因甚抬脚不起(力の強い人が、なぜ足を上げな
いでいるのか)」という二つの転語(てんご)から、看話禅と默照禅をそれぞれ見た。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

789鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/04(土) 23:29:04 ID:1d4drIFg0
大力量の人がなぜ脚をあげることもできないのか、一休が答えを書いたのじゃ。
神力金剛は既に目前にあると言うのじゃ。
天の下は全て既に仏国土であるというのじゃ。
つまり既に大力量の人が足を上げているからそれ以上上げられないのじゃ。
衆生基より仏陀であるということじゃな。

790避難民のマジレスさん:2020/07/04(土) 23:54:45 ID:X/mJjzWc0
>>788 訂正
甚(なに)によってか脚をもたげ起こさるるか→起こさるざるか
どのようにして脚をあげる(立ち上がる)のか→どうすて立ち上がらないのか
>>788
鬼和尚、くまにも分かる解説をありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

791避難民のマジレスさん:2020/07/05(日) 18:29:57 ID:JXZBdWr60
113
松源和尚三轉語 2/3
開口因甚不在舌頭上 口を開く、なにによってかぜっとう上にあらざる

三寸舌頭開禍門   の  か門を開く
河沙諸佛轉多言 がしゃの  うたたごん
夜來百勞五更目 やらい   五こうの
不柰聲聲崇夢魂 いかんともせずせいせいむこんにたたることを

ものを言う事は、口先だけ(言葉・観念に拘る)ことではない。(看話禅)

口先のおしゃべりは禍をまねく
あまたの諸仏は内実のある話をたくさんしている
(それを考えて)徹夜明けの明け方の目疲れには百労のつぼが効くのである
いろんな人たちの言うことが異なり、夢にたたられるようだ。

うむ。Kの言う所の、ありのままを見て、記憶と照合せずに得る、何かのことででありましょう。
d(´・(ェ)・`)b

792鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/05(日) 23:18:31 ID:1d4drIFg0
>>790 どういたしまして、またおいでなさい。

793鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/05(日) 23:26:40 ID:1d4drIFg0
口を開くのは舌先だけのことではないというのじゃな。
行いを伴わない言葉は災いを招くのみなのじゃ。
自ら実践して人に説くことが大事なのじゃ。
お釈迦様も自ら瞑想して人に説いたのじゃ。

794避難民のマジレスさん:2020/07/06(月) 20:45:13 ID:SI43rZr.0
114
松源和尚三轉語 3/3 
明眼衲僧因甚   みょうげんののうそうなにによってか
脚跟下紅絲線不断 きゃくこんかこうしせん不断なる

二三四七諸禪師 にさんししつしょ
領衆匡徒心乱絲 衆を領じ徒をただして心しをみだす
因銭有癖是和嶠 ぜにによってへきあるはこれ和けつ
娘生脚下血淋漓 にょうじょうきゃっかちりんり

くま訳
道理を良くわきまえている修行者が、
何で、子供の着物の裾上げの糸を切り取らないようなことをするのか。(何で言葉に囚われるのか)

達磨や六祖慧能は、
弟子たちを指導し導いて、心の糸を乱した
お金(言葉)の使い方に癖があるのは、和嶠のように倹約家を通り越してけちなのだ。
そのうち、娘が成長して初潮をむかえ、足元に鮮血がながれる。
(子供服の糸(言葉)に拘るのは、糸をほぐすのがもったいないというけちな癖みたいなものだなのだ。)

*二三四七諸禪師 六祖慧能と達磨をさすらしい。(理由はわからず)
*和嶠(わけつ):後漢末期から三国時代の魏にかけての人物。慎み深く典雅な重々しさがあり、名家で王
公にも擬せられるほど豊かだったが、倹約家を通り越し吝嗇な人代表。
(´・(ェ)・`)つ

795鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/06(月) 23:03:10 ID:1d4drIFg0
目利きの僧がなぜ足の下の赤いほつれの糸を切らないのかというのじゃ。
一休はそのような言辞は心を乱すのみというのじゃ。
目利きの僧が糸を切らないならばそれは糸ではないからというのじゃ。
朽ち縄が蛇ではないと気付くようなものじゃな。

796避難民のマジレスさん:2020/07/06(月) 23:46:10 ID:mFdeOFCE0
>>795
おぉぉぉ!!いつもありがとうであります。
目利きの僧は、錯覚しないのでありますね。
くまの訳だと、目利きの僧が、錯覚を強いてることになってしまうでありますね。間違いでありました。
(´・(ェ)・`)b

797避難民のマジレスさん:2020/07/07(火) 20:25:55 ID:3XBcSUME0
一休さん15歳、吟壇デビュー
115
春衣宿花    春衣して花に宿る
吟行客袖幾詩情 吟行の客袖幾ばくの詩情ぞ、  
開落百花天地清 開落百花、天地清し   
枕上香風寐耶寤 ちん上の香風、びか寤ごか、   
一場春夢不分明 一場の春夢、分明ならず。 

*寐(び):  ねる
*寤(ご):  目がさめる

二橋進先生訳
春衣して花に宿る
花見の晴れ着を着て、桜が満開のこの地を歩くと、詩情があふれ出す。
あちこちで 桜が花びらを舞い散らしている光景は、すがすがしい。
花の下に伏すと、その香に 包まれる。
うっとりとして、夢の中で見ているのか現でか、もう分からなくなっ た。

関西吟詩文化協会HP訳
花の香りのもとで、たのしみをつくした一時の思いにふける。
あっという間に散った百花の情。
家に帰って寝ころんでみたものの、
夢かうつつか、 まだ瞼に消えず、枕もとにかけられた衣から、その香りがただよってくる。

くま訳
お洒落をして、桜の下を歩くと詩情があふれ出す。
咲いて散る、桜舞う天地の清々しさ
枕辺の残り香は、眠りの中か、目覚めているのか
夢か現かわからない。

一休さんが建仁寺における修行時代の15歳の時につくった艶詩。笹倉秀夫先生によると、洛中で愛吟され
たそうである。
15歳にして人気作家である。
(´・(ェ)・`)つ

798鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/07(火) 22:49:10 ID:1d4drIFg0
>>795 そうじゃ、このような公案は気付くことを教えているのじゃ。
 気付きが多くなればいつか自分にも気付くことが出来るからのう。
 座る自分に気付くのじゃ。
 公案を案ずる自分に気付くのじゃ。
 そして無我に至るのじゃ。

799避難民のマジレスさん:2020/07/08(水) 20:23:56 ID:0cl365bM0
一休さんによる、師家養成講座
116
経巻拭不浄 三首 1/3 経巻不浄を拭ふ
経巻元除不浄牋 経巻は元より不浄を除く紙、
龍宮海蔵弄言詮 竜宮、海蔵、言詮を弄す。
看看百則碧岩集 看よ看よ百則碧眼集
狼藉乳峰風月前 狼藉たり乳峰風月の前

くま訳
経巻は元来不浄を拭い去るための書物・紙に過ぎない。
龍宮の書庫の宝物であるといった言説を弄して有り難がるべきものではない。
見て見て、百則、碧眼録に書いてあるよと、得意がっていても何もならん
むしろ、そのようなことは、碧眼録を残してくれた雪竇禪師に対する狼藉である。

*碧眼録:雲門宗の雪竇重顕(せっちょうじゅうけん)が、唐代の禅者の伝記の中から百則の問答を選んだ
それぞれに頌のこと。宗旨を込めた漢詩をつけた『雪竇百則頌古』(せっちょうひゃくそくじゅこ)に圜悟
克勤(えんごこくごん)が前文と批評を加えたもの(1125年)
*乳峰:雪竇山の別名

うむ。一休さんは、経を詠んでも理解できない人のことを、心底残念に思っているようであります。
(´・(ェ)・`)つ

800鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/08(水) 23:33:37 ID:1d4drIFg0
経は心の不浄を除くための法が書いて在るのじゃ。
それを読んで心の不浄を払うことが大事なのじゃ。
徒に言辞をあれこれと解釈しても何の意味も無いのじゃ。
そのようなことは先達に対する狼藉ともいうべきことなのじゃ。

801避難民のマジレスさん:2020/07/09(木) 20:37:20 ID:4q82KXfA0
117
経巻拭不浄 三首 2/3
弓影客盃多断腸   かく盃多くはらをたつ
夜来新病入膏盲     かうくわうに入る
愧慙我不及禽獣 きざんす 我禽獣に及ばざるを、
狗尿栴檀古佛堂 くはねうす栴檀の

くま訳
古い書を読み誤ることが多いのはなんとも残念なことである。
夜来容易に直らない新たな病気を患っている。
畜生にも及ばない我が身の不徳を深く恥じ入り反省している。
犬が小便をする所になってしまった寺院である。

*杯弓蛇影: 杯中の蛇影 疑心暗鬼 して周章狼狽するたとえ。語源;酒杯に映った弓を蛇の影と 思い、恐ろ
しさのあまり病みついた人物の故事による。
*断腸:晉の武将、桓温が三峡を旅した時、従者が猿の子を捕えた。母猿は悲しんで岸を追うこと百余里、
ついに船にとびうつることができたが、そのまま息絶えた。その腹をさいて見ると、腸がずたずたに断ち
切れていたという故事
*膏肓(こう こう ・かうくわう):「膏」は心臓の下、「肓」は横隔膜の上。膏と肓の間に病気がはいり込む
と治療しにくく、容易に治らないという所。 → 病(やまい)膏肓に入る
*栴檀林(せんだんりん):寺院の異称。仏教寺院における僧侶の養成機関、仏教宗派の学問所

うむ。一休さんは、その誤解を解いてやれない、自分の師家としての力量不足を嘆いているのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

802鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/09(木) 23:47:28 ID:1d4drIFg0
病が多く慈悲が示せないことを嘆いているようじゃのう。
子を思って断腸した畜生にも及ばないというのであるからのう。
道場も荒れ果てたというのじゃ。
乱世でもあったからのう。

803避難民のマジレスさん:2020/07/10(金) 00:03:25 ID:4q82KXfA0
うむ。凄惨な情景が目に浮かぶであります。
(´-(ェ)-`)

804避難民のマジレスさん:2020/07/10(金) 20:53:08 ID:y27lq8Yo0
118
経巻拭不浄三首 3/3
信手拈來除不浄 手にまかせねんじ来たって不浄を除く
作家面目露堂堂 
南山雲起北山雨 南山雲起こり北山は雨
一夜落花流水香       かんばし

手にまかせねんじ来たって不浄を除く
作家面目露堂々
南山雲起こり北山は雨
      かんばし

自然にちょぴっと捻れば、不浄を除くことが出来るのである。
それが師家の面目を堂々とあらわすところであろう
南山に雲が出れば、北山に雨が降る(と雲門は)言うのだ。
一夜にして花を散らせた雨により花の香りでそこらじゅうが充たされる(と雪寶は)言うのだ。

*南山雲起北山雨:雲門露柱・・因縁を無分別心により見極める喩え。
*一夜落花流水香:宋の禅僧、雪寶智鑑(せっちょうちかん) 1105〜1192・道元の法祖父)の 「世尊有密
語,迦葉不覆藏。一夜落花雨,満城流水香」。『正法眼蔵』四十五「密語」世尊に密語有り,迦葉覆藏せず。
一夜落花の雨,満城流水香(かん)ばし。世尊(釈迦)には言葉にあらわしきれない教えがあった,それを
理解した迦葉は隠すことなく衆生に伝えた。ちょうどそれは一夜の雨が花をすっかり落とし,その水の流れ
によって花の香りが街じゅうに満ちるのと同じだ。(新ミュンヘン娘先生解説より)

うむ。一休さんは、師家の師家でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

805鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/10(金) 22:55:03 ID:1d4drIFg0
迦葉が華を捻ったお釈迦様の真意を悟って教えを伝えたというのじゃ。
禅は迦葉を二代目教祖として広まったというのじゃ。
それを華が落ちて流れて香りが広まったと表現しているのじゃ。
風流なのじゃ。

806避難民のマジレスさん:2020/07/11(土) 19:15:20 ID:j5h71ERU0
一休堂々の弥勒宣言
119
擧靈山徹翁和尚末後之垂示以示徒。 霊山徹翁和尚のまつごのすいじをこして、もって徒に示す。
其垂示云。正法眼藏無付人。    其の垂示にいはく、正法眼藏に付する無し、
自荷擔至彌勒下生噫。       自らかたんして 彌勒下生に至る。ああ

古佛靈山名不虚      名虚しからず
當來彌勒是同居 当来の   是れ同ご
兒孫一箇狂雲子 児孫一個の狂雲し
邪法大興殃有餘    大いに興ってわざわひ余り有り


霊山徹翁和尚が最後の教えを弟子たちに説いた。
其の教えにいわく、正法眼蔵に付け加えることはない。
自ら引き受けて、弥勒菩薩の下生に、今すぐから備えなければならない。ああ〜

古仏霊山の名も虚しくない。
到来するといわれる彌勒は、実は既に一緒にいるのだ。
子孫の一人がこの狂雲なのだ。
邪法が幅をきかせて、わざわいがあまた起こりたいへんなのだ。

* 徹翁義亨てっとうぎこう1295―1369大徳寺1世
*下生信仰:勒如来の下生が(56億7千万年などの)遠い未来ではなく現に「今」なされるからそれに備えな
ければならないという信仰。戦国時代に、弥勒仏がこの世に出現するという信仰が流行し、「弥勒仏の世」
の現世への出現が期待された。
*噫(ああ):①強く感動したり、驚いたりしたときに発する語。 ②肯定・承諾の意を表す語。ええ。 ③
人に呼びかける語。④あいづちを打ったり、生返事をしたりするときに発する語。 ⑤おくび、げっぷ
*同居(どうご)居を同じくすること。凡夫も聖者も共に住むこと。また、その国土。浄・穢 (え) の二土
があり、西方極楽は同居の浄土、娑婆 (しゃば) 世界は同居の穢土とされる。
(´・(ェ)・`)つ

807鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/11(土) 23:47:31 ID:1d4drIFg0
一休は宗派には拘らないのじゃ。
正法眼藏に付する無しという遺言もよいものだというのじゃ。
既に弥勒は現われているというのじゃ。
悟りを得た如来は既に世に出て、一休もその一人というのじゃ。
ただ衆生が悟りを求めていなければ何の意味もないのじゃ。
邪法に惑わされて災いを招くのみなのじゃ。

808避難民のマジレスさん:2020/07/12(日) 21:22:27 ID:0xIm3.lY0
前スレhttps://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>708 50〜59の詩 参
>>717 で言及した、徹翁義亨(大徳寺1世)の法語(くま訳なし)の後に、本日の詩。

(靈山徹翁和尚示榮衒徒法語)

凡参禪学道之輩須日用清浄。不可日用不浄。
所謂日用清浄者。究明一則因縁到無理會田地。
畫夜工夫不怠。時今截断根源。佛魔難窮處。
分明坐断往々埋名蔵迹。山林樹下。挙場一則因縁
時無難純一矣。謂之日用清浄人也。然而称善知識
擎杖拂集衆説法。魔魅入家男女。心良名利招学者於室中。
道悟玄旨。使参者相似模様。閑言語使教者。
片箇情也。這輩輩非人也。寔日用不浄者也。
似佛法爲度世之謀。是世上榮衒之徒也。凡有身無不着。
有口無不食。若知此理。豈衒於世哉。豈諛於官家哉。
如是之徒。三年六十劫。入餓鬼入畜生。可無出期。
或生人間。受癩病苦。不聞佛法名字。可懼可懼。

右靈山徹翁和尚示榮衒徒法語題其後云

(靈山徹翁和尚示榮衒徒法語)

およそ参禪学道のともがらは、すべからく日用しょう浄なるべし、日用不浄なるべからず。
いわゆる日用清浄とは、一則の因縁を究明して、無理えの田地に到って、
昼夜工夫を怠らず、時々に根源を切断して、仏魔もうかがい難きところ、
分明に坐断して、往々に名を埋め跡をかくし、山林樹下に、一則の因縁をこ揚し、
時に無雑純一なり、これを日用清浄の人というなり。然り而してわれは善知識と称して
杖ほつをささげ、衆を集めて法を説き、人家のなんにょを魔みし、心に名利を好んで学者を室ちゅうに招き、
玄旨を悟らしめんといふ。参ぜしむる者、相似模様の関言語、教へしむる者、
片個の情なり。しゃはんのともがらは非人なり、まことに日用不浄のものなり。
仏法を以って渡世のはかりごとと為す、これ世上の栄げんの徒なり。およそ身あれば着ずということ無く、
口あればくらはずといふなし。若しこの理を知らば、あに世にてらわはんや、あに官けにへつらはんや。
かくのごときの徒は、三しょう六十ごう、餓鬼に入り、畜生に入りて、出ご無かるべし。
或いは人間に生るるも、らい病の苦を受け、仏法の名字を聞かず。おそるべし、おそるべし。

右靈山徹翁和尚、榮衒の徒に示すの法語、其後に題すと云ふ

* 徹翁義亨てっとうぎこう1295―1369大徳寺1世の法語
仏法を以って渡世のはかりごとと為す(仏法を名利追求の道具にする)者のことを、「日用不浄の者」というとし、
餓鬼畜生に落ちるか、「受癩病苦」・・・という

120
工夫不是涅槃堂     これ涅槃堂にあらずんば
名利輝前心念忙   前に輝いて  忙し
信道人間食籍定 いふことを信ず    の定
羊糜一椀橘皮湯  羊び一椀きっぴとう

くま訳
仏道修行は、涅槃へ行くためのもの、死を見据えたものでなければ、
利害や名誉が前に出て、心がみだされてしまう。
人間の食籍(食って行けるか)は前世から定まってると信じるのだ。
一椀の粥と漢方薬をとってっれば充分生きてゆけるのだ。
(´・(ェ)・`)つ

809鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/12(日) 21:37:54 ID:1d4drIFg0
霊山もなかなかよいことを言うのう。
名利を好んで学者を招いて玄旨を悟らしめんというのは、不浄であり人でなしとまでいうのじゃ。
昔もそのような学者の言葉を信じている者が居たのじゃな。
己の心の内に因縁を究明することが清浄というのじや。

810避難民のマジレスさん:2020/07/13(月) 20:36:54 ID:I6SFs6uk0
121
元正      げんしょう
現成公案任天眞   の  天真に任す
鳳暦開元世界春 ほう暦げんを開く世界の春
今日山僧換却眼 こんにちさんぞうまなこをかんきゃくす
堂中古佛面門新        あらたなり

くま訳
元旦
現成公案とは、は天真(諸法の本然の姿)に任せるということである。
元旦である。世界の春である。
今日、山寺の僧は、ありのままを見て悟りを開くのである。
お堂の古仏の顔も新しいように見えるのである。

*現成公案:現象界のすべてそのままが悟りの現れ=仏道
*眼睛換却:正法眼蔵第六十四巻優曇華「瞬目とは、樹下に打坐して明星に眼睛を換却せしときなり」
*元正:元旦
*鳳暦開元:元旦
*天真独朗:無相の一念に悟入すれば、生死の別を離れ宇宙朗然とし、凡身そのままに大覚の域に達すると
いうこと。天真とは諸法の本然のすがた
 「寶鏡三昧」「天眞而妙 不屬迷悟」 天眞は天然自然と云う意味にして、純一無雑なる境界を云う。
(´・(ェ)・`)つ

811鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/13(月) 22:52:13 ID:1d4drIFg0
一休の悟りの境地じゃな。
現生公案とは本来の意識に還ることだったのじゃ。
それに拠って全ては開かれた春が訪れたのじゃ。
自らの意識が変わることで古仏の面目も一新されたのじゃ。
それも大悟して法を理解したからなのじゃ。

812避難民のマジレスさん:2020/07/14(火) 21:16:43 ID:Q5SRQyNQ0
おまけとして、坐禅儀。
122
警念起所      念の起所をいましむ
公案工夫暮与朝     ぼとちょうと  
山堂夜々雨蕭々     あめせうせうたり 
地獄猛火百万劫    みょうくわびゃくまんごふ
満腹詩情幾日消   の  幾にちかしょうせん
 
Didier, DAVIN訳
一日中公案の事を考えても、
詩を作りたい気持ちが治まらない。
そのせいで地獄に落ちる。地獄の火は百万劫も続くが、
心にある詩情は何日燃え続くのであろうか。

くま訳
思念の起こるところ
明けても暮れても公案の工夫  
山堂には毎晩雨が寂しくシトシトと降る   
(なのに)地獄の猛火はいつ迄も燃え  
胸一杯の詩情はいつ消えることやら

*警念起所:参) 坐禅儀
寛放臍腹      寛(ひろ)く臍腹(せいふく)を放ち
一切善悪 都莫思量 一切の善意すべて思量することなかれ。 
念起即覚 覚之即失 念の起こらば即ち覚せよ、これを覚すれば即ち失す。 
久久忘縁 自成一片 久々にして縁を忘ずれば自ずから一片となる。
此坐禅之要術也   これ坐禅の要術なり。

リンク集 Hp名不明 訳
下腹をゆったりさせて、およそ善悪というものを思慮しないことだ。
念が起こったら、直ちに目覚めよ。目覚めれば、直ぐに念はなくなる。
久しく精神を統一して、外縁を忘れていくと主観と外観とが一つになって「禅定三昧」になる。
これが坐禅のもっとも大切な方法である。

垣堺玄了老師解説
「念起即覚ねんきそくかく、覚即失かくそくしつ」とそのまま読めば、念の起こるその者が覚者、悟るもの
であり、覚というのは即ち捨てること、失であると読めます。つまり、昨日もだめ今日もだめという念の起
こるその人が覚者だぞ、その念が去った時そのまま覚者だということです。これは理屈のように聞こえるか
もしれませんが念の起こるその者が仏だから修行が成就するのです。

くま訳
臍のちょぴっと下辺りをゆったりとさせるようにして、
一切の善悪等、分別思量しないこと。
思いが生じたら、それに即気づけ、気づいたら即消えるのである(ここまで「止」の行)
ある程度の時間集中して、雑念が消え、忘我からサマディ-の境地に至る。(三昧の境地へ到達)
これが、坐禅の法である。

うむ。一休さんは、念が起これば、それを詩文に起こして、昇華させるのでありますね。
これは、ある意味、起こった念を、明確に意識して、消し去る方法とも言えるでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

813鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/14(火) 23:48:00 ID:1d4drIFg0
↑そうかもしれん。
誰にでもできる法ではないがのう。
詩の才能がなければ無理なのじゃ。
一休は稀に見る詩才があったのじゃ。

814避難民のマジレスさん:2020/07/15(水) 19:30:29 ID:7v7pGZw.0
123
一休さん、悟った時の思い出。
聞鴉有省      あを聞いて省あり
豪機瞋恚識情心   しんい識情の心 
二十年前在即今    ぜん即こんにあり
鴉笑出塵羅漢果 あはわらふしゅつじんのらかんか     
奈何日影玉顔吟 にちえい玉顔の吟をいかんせん 
 
くま訳
カラスの声を聞いて大悟した件に付き省みる
傲慢な思いや怒り、迷情に苦しんだ
二十年前が、つい今し方のようである。
カラスのカーという笑い声を聞き、目覚めてみれば、穢れは消え去り、阿羅漢の悟りをえたのだ
輝く朝日のなかにいるような、晴々しい思いいっぱいの詩を、さて、どうしたものか。

一休さん悟後の修業もおわり、大悟徹底して、悟ったこともどうでも良くなった心境でありましょうか。
前スレhttps://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>887 84の詩とほとんど同じである

*識情;事物を識別することと感情。総じて迷情による心のはたらきをさす。
(´・(ェ)・`)つ

815避難民のマジレスさん:2020/07/15(水) 19:33:10 ID:7v7pGZw.0
訂正
カラスの声を聞いて大悟した→悟った
(´・(ェ)・`)b

816鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/15(水) 23:50:09 ID:1d4drIFg0
カラスの声を聞いてかえりみることできたというのじゃ。
かえりみるということが自分を見ることなのじゃ。
一休はカラスの声をきいたことがきっかけで自らをかえりみることができたのじゃ。
省みることは自らに気付くことなのじゃ。

817避難民のマジレスさん:2020/07/16(木) 20:00:33 ID:y0myHUlI0
一休さん大悟徹底の心境か?
124
少年道心老來失 二首 1/2 少年の  ろうらいしつす
五十年前大道心    ぜん大道心
來生未隔巳忘今 らいしょういまだ隔てず すでにこんを忘ず
朝得夕死立地佛 あしたに得て夕に死すとも立地ぶつ
一旦廻心百煉金  心を廻らせば百れんの金

少年の頃の道心は、老いて失った
50年前、真理を見極めよう、悟ろうと志をたてた。
未来(来世)は今と隔てがない。そして、今は既に忘れ去られる過去の中にある。
朝真理を聞くことができれば、その日の夕方に死んでも悔いはない(と思った)。
日常的な心のありようを翻せば、真の心の宝とも言える価値を見出せるのだ。

*朝聞道夕死可矣(参):あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり
*廻心(えしん):日常的な心のありようを大きくひるがえし宗教的な真実へと方向を変えること。
(´・(ェ)・`)つ

818鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/16(木) 23:00:39 ID:1d4drIFg0
昔は堅固な道心をもっていたというのじゃ。
もはやなくなったというのじゃ。
朝に悟れば夕べに死んでも善いとさえ思ったのじゃ。
そして一旦心を外から内に廻らせば悟りはそこにあったのじゃ。

819避難民のマジレスさん:2020/07/17(金) 20:31:23 ID:.xUJoNTU0
125
少年道心老來失 二首 2/2
失卻悟徹捴閑事 悟徹を 失却して総て閑事
去劫來劫又如此 きょごうらいごう又かくのごとし
金鍮正邪佛難分 きんちゅうしょうじゃぶつもわかちがたし
聞説佛魔隔一紙 聞くならくぶつ魔いっしを隔つ

くま訳
大悟徹底するとことを忘れると、総てが無用なこととなる
悠久のときの中、全てはありのままだ。
真鍮か金か、正か邪か、仏も区別できない
聞くところによると、仏と魔は紙一重の違いだそうだ。

*失却:ものをなくすこと。また、忘れること。

*閑事:( 無門関第十九則)↓参照
春に百花あり、秋に月あり、夏に涼風あり、冬に雪あり、
若もし閑事かんじの心頭しんとうに掛かかる無くんば、
便すなわち是れ人間じんかんの好時節   
  
曹洞宗   京都 亀岡 曹洞宗HP 解説
春には花が咲き、秋には明月が天にかがやく、暑い夏には涼しい風が吹き、冬には雪がさえざえとしている。
春夏秋冬いつでも好時節である。「閑事の心頭に挂る無き」とは、晴れわたった大空のような本来清浄な心
境をいう。

人間のくだらない考えを差しはさまなければいつも好時節です。「ありのまま」「そのまま」の心が「平常
心」だといっても、妄想や分別心を払いのけ、閑事すなわち実生活に役立たぬ事を断ち切ることが条件です。
すなわち仏道とは容易なものではない。

820鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/17(金) 22:53:49 ID:1d4drIFg0
もはや悟りも忘れてしまったというのじゃ。
忘中の忘、悟中の悟なのじゃ。
弓の名人が弓を忘れたようなものじゃ。
行くことも去ることも無い如来なのじゃ。
差別無ければ無為なのじゃ。
傲慢に拠って天魔に陥ることも無いのじゃ。

821うんこまん:2020/07/18(土) 09:29:22 ID:b/R.LjPg0
      //
    / .人
    /  (__) パカ
   / ∩(____)    やぁ!
   / .|( ・∀・)_
  // |   ヽ/
  " ̄ ̄ ̄"∪

822避難民のマジレスさん:2020/07/18(土) 15:39:49 ID:U9p6ScNE0
126
山中得南江書  山中に南江の書を得
孤峰頂上草菴居 孤峰頂上草菴の居
三要印消功未盧 三要印消して功夫だ盧(むな)しからず
不意玄中有玄路 意はざりき玄中に玄路有らんとは
萬行裏涙一封書 万行涙を裏(つつ)む一封の書

野毛孝彦先生 解説
ある時、南江から寄せられた一通の手紙を見、相国寺の首座和尚の地位を捨て、還俗後、孤峰の頂上の草庵
に寓した彼が、自分も知らない「玄」(玄妙なる真理)の中の「玄路」「深奥の玄」の境に更に達した事を
知って賛嘆し、その人となりに思いを通わす一行ごとの文に涙をもって読むと詠じたもの

くま訳
山中で南江からの手紙を受取った
孤高の道を歩み、草庵に住まう。
還俗して寺の修行法を離れたが、境地はますます深まっている。
わしも知らない、玄妙なる真理、深奥の玄の境地に達していることを知り、
手紙の全ての言葉に、涙があふれる。

*南江宗沅(なんこう そうげん)1387-1463僧,五山文学者。一休を師として参禅に励むかたわら、堺で
ともに遊んだ。
*孤峰: 徒党を組まずに一人で独自の道を歩むすぐれた人。
*三要印:臨済宗為人の機関。第1,2,3要、第1,2,3玄
     機関禪:「機(=学人の能力)に対して関を設ける禅」修行僧達を悟りに導く手段を段
         階的に定めたものであり、段階性を強い形で示されるもの。(道元は、批判・
         否定しているらしい。)
(´・(ェ)・`)つ

823鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/18(土) 22:55:20 ID:1d4drIFg0
一休にも還俗した仲間が居たのじゃな。
そして共に大悟徹底の境地に邁進したというのじゃ。
実に稀有なことじゃ。
観念遊戯と化した三要印等は捨ててよかったというのじゃ。

824避難民のマジレスさん:2020/07/19(日) 21:50:08 ID:lyY6c8gM0
127
楽中苦
此是瞿曇曾所経 これはこれぐどんのかつて経し所
麻衣草座六年情 まえそうざ  の情
一朝點檢将來看 一朝点検し、もち来たって看れば
寂莫霊山身後名 せきばくたり りょうぜんしんごの名

くま訳
楽中苦
これは、悟りを開く前の釈迦(ゴータマ)が、通ったてきた道である。
(菩提樹の根元で)坐禅する前の苦行六年のことである。
坐禅して、一朝大悟したのである
霊鷲山は釈迦説法の地として、寂寞として、其の名を今に残すのである。

*瞿曇〔梵 Gautama〕仏教の開祖釈迦の姓。ゴータマ。悟りを開く前の釈迦。瞿曇弥(くどんみ)。
*霊山:霊鷲山(りょうじゅせん)の略称。釈迦仏が『無量寿経』や『法華経』を説いたとされる山
(´・(ェ)・`)つ

825鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/19(日) 22:56:33 ID:1d4drIFg0
修行の道はかつてお釈迦様も通ってきた道であると言うのじゃ。
苦行をやめて座り続けて悟ったのじゃ。
そして二千五百年も名を残したのじゃ。
というような意味じゃな。

826避難民のマジレスさん:2020/07/20(月) 22:51:14 ID:uLoVuJFE0
128
祝聖         祝しん
海内太平便現前 海だい太平即ち現前
清風明月碧雲天     へき雲の天
萬年七百高祖行   しち百高祖の行
看看天龍正覚禪  看よ看よ天龍しょうがくの禪

くま訳
祝聖
天下太平であれ、ありのままの全て。
清風明月碧雲天
七百年前に高祖から伝えられた禪はこれから万年も受け継がれてゆくであろう。
看よ!天龍に守られ、仏の悟りをもたらす禪を

*祝聖(しゅくしん)祝聖 禅宗の寺院で、天皇の寿命無窮を祝い祈ること。天皇誕生日および毎月の1日
と15日に行う。
*七百高祖行:達磨が中国に禪を伝えたのが5―6世紀、日本に伝来したのが13世紀頃らしいので、700
年かなと愚考した。
(´・(ェ)・`)つ

827避難民のマジレスさん:2020/07/21(火) 19:56:59 ID:hp0r5VXk0
129
東坡山谷同㡧   とうばさんこく同たう
海内文章汝面前 海だいの  汝が
誰知鍛煉獨天然 たれか知る鍛錬独り天然
説法上堂法堂上 説法上堂はつたうの上
如來禪與祖師禪 如来禅と祖師禅と

くま訳
東坡、山谷の書画が、一幅の掛軸にある。
天下の名文が、目前にあるのだ。
誰も知らないのだ、鍛錬とは独りでするのが当たり前であることを。
説法は法堂(はっとう)の上で行うが、法堂の上には法があるのだ。
如来禅と祖師禅の法があるのだ。

*東坡(とうば):蘇軾東坡1036‐1101年  北宋の詩人、政治家
*山谷(さんこく):黄庭堅 1045‐1105年  北宋時代の書家・詩人・文学者
 不遇の役人生活をしながら、参禅に、芸術にいそしみ、詩文のやり取りをとおして思想、心境を深めて 
 いった。二人は一休さんの心の師匠かも。
*同㡧:(同とう)2人の詩人の書画が一幀(ちょう・・装丁)の内にあること。
*如来禅:①如来が実践する禅法。楞伽経(りようがきよう)に説かれる四種禅の一。(大辞林)
 ②達磨だるまの伝えた正系の禅。圭峰宗密(けいほうしゆうみつ)が分類した五種の禅のうち、最上のも 
 の。のちの禅宗では自己の禅を祖師禅と呼び、不十分な禅の蔑称として如来禅の語を用いた。如来清浄禅
*祖師禅:達磨だるまの禅宗のこと。また、六祖の慧能の系統の禅(南宗禅)をいう。(大辞林)
*この辺の分類は、論者により、まちまちである。どうでもよいよいのでありましょう。
 一休さんは、黙照禪よりも、悟りに導く修行法として優れているのは、説法や公案指導など、師家の指導
 による風流な禪(看話禪?)であるとしている詩が、147・148 で詠まれているのである。お楽しみに 
(´・(ェ)・`)b 

*おまけ;三聖吸酸:儒教の蘇軾、仏教の仏印、道教の山谷(黄庭堅)・・酢が酸っぱいという事実は皆同
 じであり、儒教、仏教、道教など、宗教や思想が異なっているとしても、真理は一つであるという意味。

828鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/22(水) 00:38:51 ID:1d4drIFg0
犀の角のように独りで歩めとお釈迦様も言っているのじゃ。
独りでいてこそ自分の本心が自分に現われるのじゃ。
他人が居ては仮面を被るからのう。
犀の角のように独り歩むのじゃ。

829避難民のマジレスさん:2020/07/22(水) 20:20:43 ID:dinx1qu20
130
再來隔生即忘    かくしゃうそくばう
講経大士喚爲誰 かうきんのだいしよんでたれとか為す
弥勒當來之導師   たうらいの
爈鞴鈍鐵出生鐵 ろはい鈍鉄しゃう鉄を出だす
利劍鈍刀鐵不知     鉄知らず

くま訳
生れ変れば前世のことは全て忘れてしまうのである。
経を講じたのは誰であるとかとなす。
弥勒菩薩が到来して衆生を導くというのか。
師家がなまくらなら、鈍らな鉄しか生れない。
法の力を及ぼせる真の師家であるか、鈍ら坊主であるかを、修行者は知らないのだ。
(鋭利な刀剣になるか、鈍ら刀になるかは、師家次第である)

*大士:① 菩薩の異称。論主(ろんじゅ)② 如来を敬っていう語。③ 大菩提心をおこした人。道心堅固
な僧を敬っていう語。
*爐鞴(ろはい):鍛冶屋、師家の室内(碧巌録・信心銘)
*利剣:鋭利な刀剣。煩悩(ぼんのう)や悪魔を打ち破る仏法の力の意
*鈍刀:なまくら刀
(´・(ェ)・`)つ

830避難民のマジレスさん:2020/07/23(木) 00:32:56 ID:b/R.LjPg0
>>828
おい!猿!

阿頼耶識の件、またまた瞬殺されて逃走か?

wwwww

831鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/23(木) 00:33:27 ID:1d4drIFg0
再生したら全て忘れてしまうのに弥勒を待っていても仕方が無いというのじゃ。
遠い未来にしか来ないのであるからのう。
とはいえぼろい炉からはよい鉄が出来ないように、師匠が駄目なら弟子もものにならないというのじゃ。
鉄がよい剣になれるかどうか知らないように、弟子も善い師匠の導きがなければ迷うばかりなのじゃ。

832避難民のマジレスさん:2020/07/23(木) 00:35:04 ID:b/R.LjPg0
>>831
おい!猿!

阿頼耶識の件、またまた瞬殺されて逃走か?

wwwww

833避難民のマジレスさん:2020/07/23(木) 00:37:30 ID:b/R.LjPg0
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      ヽ-ヘ_>ノ_ノ|_|、_ハ/|_|、_八ノ|_|、_ハ/|_|、_ハ/`⊇.ノ

馬鹿じゃねーの?
                       頭悪そうwwww
  心療内科逝けよwwwww
                     生きてて楽しい?
    知育障害?
                        恥ずかしーwww     

まじキモ―!    ,, -──- 、._    智慧の声が聞こえた?
        .-"´         \.
        :/   _ノ    ヽ、_ ヽ.:   偽僧侶の統失ナマポおじさんwww
        :/   o゚((●)) ((●))゚oヽ: 
      :|       (__人__)    |:          お薬飲んでるか??
      :l        )  (      l:     
      :` 、       `ー'     /:   仏教向いてないよ、お前w 
       :, -‐ (_).        /     
       :l_j_j_j と)丶─‐┬.''´  キチガイだろwwww  
          :ヽ   :i |:     
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834避難民のマジレスさん:2020/07/23(木) 21:18:14 ID:tjv95wwU0
一休さん、動乱を予言?
131
題密庵和尚病起上堂後 密たん和尚病き上堂の後に題す
江山富貴是樵漁    かうざんの富貴これせうぎょ   
風雨吟身一草廬        一さうろ
七顛八倒衆生苦        衆生の苦
不耐小魚呑大魚    耐へず小魚大魚を呑む     

くま訳
密たん和尚が病が治り上堂後と題して、
国の富貴は、海山、様々な仕事をする人たちにより支えられている。
風雨を詩に詠み暮すわしは粗末な庵に住む。
衆生の暮らしは七顛八倒、大変苦しいものである。
苦しみに耐えられず、小魚大魚を呑むことが、実際に起こることもあるのである。

*病起:病から起きて・病が癒えて後
*密庵咸傑(みったんかんけつ):1118-1186南宋の臨済宗揚岐派の高僧。法語『密庵咸傑墨跡』 (国宝)  
 が日本に請来され,大徳寺の竜光院に伝わる。この掛幅のために,その茶室密庵席に密庵床が設けられた。
 墨跡の内容は、修行する上での心得を説き「長く修行を続けることができれば、夢にさえ見たことのない
 素晴らしい境涯が開ける」と記されてるとのこと。
*江山:川と山,国土,国家,国の支配権
*樵漁(ショウギョ):木を切ることと魚を捕ること。木こりと漁師。転じて、庶民。隠者の意味で使うこ
 ともある
*草廬(そうろ): 草ぶきの粗末な家。 自分の住居をへりくだっていう語。
(´・(ェ)・`)つ

835避難民のマジレスさん:2020/07/23(木) 22:19:36 ID:b/R.LjPg0
1.漢文
 是無覆無記 触等亦如是
2.読み下し文
 是無覆無記なり。触等も亦た是の如し。
3.翻訳(中公文庫版71p)
 その(アーラヤ識)と一体になって存在している感情は、全く平静(なる感情)(捨)であって(楽でもなく苦でもなく)、
 そうしてその(アーラヤ識そのもの)は(倫理的に)無性であってかつ(根本無知などにも)覆われていないのである。

漢文の文章は非常に短くとも様々な意味がその中に含意されているんですよ。
さて、

>一体となっている感情が
 阿頼耶識が所縁によって見分と相分に分析されて感情になるって事で、両者の関係は非異非同って事です。

>全く平静(なる感情)(捨)であって(楽でもなく苦でもなく)、
 その所縁によって種子から現ぜられた相分である感情が、平静と見分されているんです。
 平静、つまり楽でもなく苦でもなくって事ですが、これは分別をしていない見分が現じられている、則ちこれが現量でしょ?

ここで、現量の定義と照らし合わせると

  直接知覚。現前にある対象の非言語的な認識。
  任運にして無分別なり
  諸分別の行解を離れて任運の境の事相に敵う
  境に任せてこれを縁ずる

上記とまさに合致してると思いますけどね。

上記を要約すると、境に任せてこれを縁じて無分別にして事相に敵うとなるでしょが、阿頼耶識が境に任せて、つまり所縁に依って見分と相分に分析されて、無分別、平静(楽でもなく苦でもなく)であると。

836鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/23(木) 23:18:15 ID:1d4drIFg0
>>835 おい!猿!

阿頼耶識の件、またまた瞬殺されて逃走か?

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馬鹿じゃねーの?
                       頭悪そうwwww
  心療内科逝けよwwwww
                     生きてて楽しい?
    知育障害?
                        恥ずかしーwww     

まじキモ―!    ,, -──- 、._    智慧の声が聞こえた?
        .-"´         \.
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837鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/23(木) 23:20:02 ID:1d4drIFg0
>>834 そうかもしれん。
 すでに戦国時代になる前からいろいろ騒乱は起きていたからのう。
 宗派の闘争などもあったのじゃ。

838避難民のマジレスさん:2020/07/23(木) 23:40:09 ID:b/R.LjPg0
>>836
あーあーww

壊れて自問自答か…

839避難民のマジレスさん:2020/07/24(金) 21:09:37 ID:zr.JxX7M0
132   1/2
岐岳和尚龍寶山住院時、     ぎがく和尚龍宝山住院の時、
請御所喝食、          御前喝じきを請ひ、
於看雲亭夜夜酒宴。       看雲亭に於ひて夜々酒宴す。
因一休和尚相看、        因みに一休和尚相看す、
岐岳、問一休和尚曰、      岐岳、一休和尚に問うて曰く、
汝於老僧境界知耶不知。     汝老僧が境界に於いて知るや知らずや。
答曰知。            答へて曰く、知る。
問曰、試挙看。         問うて曰く、試みにこせよ看ん。
答曰、茂陵多病後。猶愛卓文君。 答へて曰く、もりょう多病ののち、猶ほたくぶん君を愛するがごとし。
岳大笑絶倒、随後打曰。     岳大笑絶倒して、しりへに随って打って曰く、
請為老僧題無住榜。       請ふ老僧が為に無住ぼうを題せよ。
休便題曰、           休即ち題して曰く、

龍寶禪翁活眼睛  龍宝の禅翁活眼睛
孤明歴歴磊苴名  孤みょう歴々らその名
黄金詞賦文君恨  黄金の詞賦文君が恨み
師笑茂陵空薄情  師は笑ふもりょうくうはくの情

柳田聖山先生 解説・訳
岐岳和尚、夜々酒盛りをする
応永三十一年(1424)、一休、三十一才の時の事である。
大徳寺二十一世岐岳妙周にまつわる次のような話が伝わっている。
岐岳和尚は崇福寺四十三世のとき、大応国師(南浦紹明)が残していた杖を持って大徳寺にのぼり、大応の後身を自任していた。
竜宝山の住職になると、毎夜のように、方丈の南東にあった看雲亭で若い衆を呼び寄せて酒盛りをしていた。
ある時、一休が呼ばれた。和尚は一休に尋ねた。「おまえはこの老僧の心境が判るか」。一休は答えた。
「判ります」。すると「ためしに言ってみろ」と和尚は問いかけた。「前漢の詩人司馬相如は多年病に悩ん
でいましたが、妻卓文君だけは手放そうとはしませんでした」と一休は応じた。和尚は満足げに笑った。
そこで和尚は一休に、頂相(禅僧の画像)に添え書きの賛を所望した。そこで、一休は次のように書きとどめた。

さすがに大徳寺の老僧の目はきらきらと輝く。
竜宝山歴代の評判は偏に武骨で有名ですが、
黄金百斤を貰って詩文で皇后の失寵を詰るとは
老師も御存じ、相如は粋ではありませんか。

くま訳
龍宝山住院の目が輝く
個々が光り輝き、ごろごろと石の詰まった袋のような人だ
皇后から頼まれて、黄金百斤で、武帝に対する恨みの詩を書いた詩人の話を
聞いて、老師も笑う、武帝は墓に入っても、きっと薄情な人のままであろう。

*孤明歴々:個々それぞれが輝くという意味
*磊(ライ):石がごろごろしているさま。「磊塊」 ②心が大きいさま。おおらか。
*詩賦(しふ)中国の韻文
*茂陵(もりょう)前漢の武帝の墓
*司馬相如(前179-117)は、前漢の文人で、「子虚賦」が機縁で武帝に召されて宮廷詩人として仕えた。富豪の娘卓文
 君との恋愛話は著名である。
 相如が武帝の皇后陳氏より黄金百斤を貰って、帝の失寵を怨む長門譜を書いた。陳氏は、黄金とともに、 
 相如夫妻に酒を贈ったと伝えられている。

実は、そのころ一休は、画賛を依頼され、何がしかの生活費を稼いでいたとも言われている。
一休さんはこの岐岳の酒宴に集まる僧たちを軽蔑していたのである。明日の詩でそれを詠んでいる。
(´・(ェ)・`)つ

840鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/24(金) 23:02:06 ID:1d4drIFg0
当時の坊主は普通に酒盛りをしていたようじゃのう。
乱世とはいえ酷いものじゃ。
信長に焼かれるのは当然なのじゃ。
今も葬式で金を受け取る破戒僧ばかりであるがのう。

841避難民のマジレスさん:2020/07/25(土) 17:41:11 ID:b/R.LjPg0
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馬鹿じゃねーの?
                       頭悪そうwwww
  心療内科逝けよwwwww
                     生きてて楽しい?
    知育障害?
                        恥ずかしーwww     

まじキモ―!    ,, -──- 、._    智慧の声が聞こえた?
        .-"´         \.
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842避難民のマジレスさん:2020/07/25(土) 18:31:33 ID:9oI8Iaow0
133   2/2
高亭膓斷夜参僧 かうてい腸断すや参の僧
歌舞花前酒若澠 花前に歌舞して酒びんのごとし
長老雲門塔下逆       の逆
眞前雲雨五更燈 しんぜんの雲雨五更のともしび

くま訳
看雲亭に夜毎集まる僧たちは、真に残念な者たちである。
花見をしながら歌い舞い、酒に溺れる。
岐岳長老の下に集まる僧は大燈國師の真逆である
雲門庵のまん前でまぐわう、明け方の灯

*澠(びん):川の水、→酒量が多いこと
*大徳寺・雲門庵:大燈國師の墓所

134
偶作
餓鬼苦多也畜生    多しまた
人家魔魅長凡情 じんか  凡情を長ず
飢渇病苦五噎患 きかつ  五いつの患
邪師知識野狐精   の  やこ精

くま訳
たまたま出来た詩
餓鬼の苦が多い、又畜生の苦
人をたぶらかし、下衆な感情を助長する。
飢え渇き、病に苦しみ、呼吸器の病を患う。
邪師の知識は、野狐の魂によるものだろう。

*餓鬼:六道の1つ。常に飢えと乾きに苦しみ、決して満たされることがない。
*畜生道:六道の1つ。悪業の報いとして死後に生まれ変わる世界。人間として許し難い行為・生き方や、 
 肉親間の色情を意味する
*魔魅(まみ):人をたぶらかす魔物。また、邪悪な人のたとえ。
*五噎患:噎气、忧噎、食噎、劳噎、思噎(中国語翻訳サイトより)
 噎气:息が詰まり、話せないこと
 忧噎:心臓、手、足の下でズキズキし、悪寒を
 食噎:食物が喉をふさいだり、食道の最初の狭い部分に詰まったり、誤って気管に入ったりして呼吸窒息 
 を引き起こすことを指します。
 劳噎:陰と陽の不調和、怒りが原因。胸部の完全な詰まり、背中の痛み。
 思噎:考えること、心臓がドキドキすること、忘れること、見ること(目)これはすべて不安と怒りであ
 り、胸部の寒さによっても引き起こされます
 (´・(ェ)・`)つ

843鬼和尚:2020/07/25(土) 23:59:19 ID:1d4drIFg0
邪師の知識は、野狐の魂によるもの
一休の言うとおりなのじゃ。
臨在坊主のいかれた有様は>>841 で自ら表現しているのじゃ。
今に続く邪師の伝統なのじゃ。

844避難民のマジレスさん:2020/07/26(日) 00:08:34 ID:b/R.LjPg0
>>843
で、僧侶じゃないのになんで僧侶って嘘つくの?

845避難民のマジレスさん:2020/07/26(日) 00:43:25 ID:SI43rZr.0
>>843
841くんは、ただの粘着荒し君ではありますまいか?
やめられずに苦しんでいるのでありますまいか?
坊主どころか、仏教徒でもありますまい。
むしろ、アンチ臨済でありましょう。

841くん、心を鎮めるのである。
自分の思いを見つめるのである。
全書き込みを読み返すのである。
人に天に羞じずに生きるのだよ。
(´・(ェ)・`)b

846避難民のマジレスさん:2020/07/26(日) 18:10:48 ID:6kL7WP160
大切なことを言っている、けど、最後に一言言いたい一休さん
135
白居易問鳥窠和尚、     白居易ていくわ和尚に問ふ、
如何是佛法大意。      如何が是れ仏法の大意。
窠曰、諸悪莫作、衆善奉行。 くわ曰く、諸悪莫作、衆善奉行。
白曰、三歳孩兒也解恁麼道。 はく曰く、三歳のがい児もまたいんもにいうことを解す。 
窠曰、三歳孩兒雖道得、   窠曰、三歳の孩兒もいいうると雖も、
八十老人行不得。      八十の老人も行ふことを得ずと。
霊山和尚毎曰、       りょうぜん和尚つねに曰く、
若無鳥窠一語、       若し鳥窠(ちょうか)の一語無くんば、
我徒盡泥乎本來無一物、   我が徒ことごとく本來無一物、
及不思善不思悪善悪不二、  及び不思善不思悪、善悪不二、
邪正一如等語。       邪正一如等の語になずんで、
以撥無因果。        以って因果をはつむし、
而世多日用不浄之邪師也。  而して世多く日に不浄の邪師を用ひん。 
故余作此偈以示衆云     故に余此のげを作り、以って衆に示すと云ふ。

學者撥無因果沈       学者因果をはつむして沈まん、
老禪一句價千金       老禅の一句値千金、
諸悪莫作善奉行       諸悪莫作善奉行、
須在先生醉裏吟       須らく先生酔りの吟に在るべし。

くま訳
白居易がちょうか和尚に質問した。
「仏法の大意とは何ですか」
鳥窠が言う「諸々の悪を為さず、善い事をすることです。」
白居易が言う「三歳の稚児でも分かりそうなことですね。」
鳥窠が言う「三歳の稚児でも分かることだが、八十の老人でも実践できないことです。」
霊山和尚が常に言っていたことがある。
「鳥窠のこの一語が無ければ、
私の弟子たちは、本來無一物、
及び、不思善不思悪、善悪不二、
邪正一如等の語に囚われてしまい、
結果的に世に多くの邪師を送り出してしまっただろう」と。
それで、わしは、此の偈を作り、皆に示すのである。

修行者が因果の道理を否定したら、地獄に沈む。
老禪師の一句は価千金である。曰く
諸悪莫作善奉行
当然のこととして、白居易先生の酔裏の詩にも詠まれているはずである。
(くま調べでは、来世も仏教を修めたいという詩等が見つかった。)

*泥む(なずむ):1そのことに心がとらわれる。こだわる。執着する。2 物事がはかばかしく進まない
 でいる。進むのに難渋する。とどこおる。3 なじむ。なれ親しむ。4 悩み苦しむ。病む。5 植物がし
 おれる。生気がなくなる。6 ひたむきに思いを寄せる。執心する。
*撥無(はつむ):払いのけて信じないこと。否定して排除すること
*白居易(白楽天):772-846唐代の詩人。酒の詩多数。『酔吟先生伝』という自伝を67歳のとき書いた。
(´・(ェ)・`)つ

847鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/26(日) 22:15:15 ID:1d4drIFg0
>>844 臨済宗の者が僧侶で無いのに僧侶と嘘をつくのは金のためじゃろう。
 葬式商売で儲けてうはうはなのじゃ。

>>845 そうじゃろう。
 本当はわしに認められたくて執着しているのじゃ。
 対面があるから認めたくないのじゃ。
 哀れな者じゃ。

848鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/26(日) 22:20:19 ID:1d4drIFg0
悪い事をせずに、善い事をするのが仏法だというのじゃ。
三歳の子でもわかるが八十の老人でも実践は難しいというのじゃ。
人はどうしても攻撃欲に囚われてしまうからのう。
観念を打破するための善悪不二という言葉に囚われて、この言葉を忘れてしまうならば邪師になるのじゃ。
お釈迦様もそのように説く六師外道を論破したのじゃ。

849避難民のマジレスさん:2020/07/27(月) 13:49:56 ID:b/R.LjPg0
>>848
で、僧侶じゃないのになんで僧侶って嘘つくの?

850避難民のマジレスさん:2020/07/27(月) 20:17:51 ID:hdQ2/nGg0
136
漁父
學道参禪失本心     は本心を失す
漁歌一曲價千金   の一曲
湘江暮雨楚雲月 しゃかうのぼう楚山の月
無限風流夜夜吟  限り無き風流夜々の吟

くま訳
仏道修行、参禅は、本心を失わせる。
漁歌(漁夫の辞)は価千金である。
(屈原が入水自殺をした)湘江の夕暮れの雨、楚山の月を思うと
限り無く風流で夜々詩情が湧く

*おまけ:漁父辞 屈原
屈原曰挙世皆濁我独清     屈原曰はく、世を挙げて皆濁れるに、我独り清(す)めり。
衆人皆酔我独醒是以見放。   衆人皆酔へるに、我独り醒めたり。是を以て放たる。と。  
漁父曰    漁父曰はく、
聖人不凝滞於物、而能与世推移 聖人は物に凝滞せずして、よく世と推移す。  
世人皆濁、何不淈其泥、而揚其波。世人皆濁らば、何ぞ其の泥をにごして、其の波を揚げざる。
衆人皆酔、何不餔其糟、而歠其醨。衆人皆酔はば、何ぞ其のかすをくらひて、其のしるをすすらざる。
何故深思高挙、自令放為。 何の故に深く思ひ高く挙がり、自ら放たしむるを為すや。と。
屈原曰、吾聞之 屈原曰はく、吾之を聞けり。
新沐者必弾冠、新浴者必振衣 新たに沐する者は必ず冠を弾き、新たに浴する者は必ず衣を振るふ。と。
安能以身之察察、受物汶汶者乎。 いづくんぞ能く身の察察たるを以て、物のもんもんたる者を受けんや。
寧赴湘流、葬於江魚之腹中、 むしろしやう流に赴きて、江魚の腹中に葬らるとも、
安能以皓皓之白、        いづくんぞ能くかうかうの白きを以てして、
而蒙世俗之塵埃乎。       世俗のぢんあいを蒙らん。と。
漁父莞爾而笑、鼓枻而去。    漁父くわんじとして笑ひ、えいを鼓して去る。
乃歌曰、            乃ち歌ひて曰はく、

滄浪之水清兮 可以濯吾纓    さうらうの水清まば 以て吾がえいをあらふべし
滄浪之水濁兮 可以濯吾足    滄浪の水濁らば 以て吾が足を濯ふべし  

遂去不復与言。 遂に去りてまたともに言はず。

マナペディアHP訳
屈原は言いました。
世の中の人々すべて(の心)が濁っている中で、私一人だけが清らかです。そして人々がみな酔っている中
で、私一人だけが醒めています。だから追放されたのです。と。
漁師は言いました。
聖人というものは、物事にこだわらずに世の中と一緒に移り変わります。世の中の人々(の心)が濁ってい
るならば、どうして一緒にその泥をかき混ぜて、波を立てないのですか。人々が酔っているならば、どうし
てその酒かすを口にして、その薄い酒を飲もうとしないのですか。どういった理由で深く考え、お高くと
まって、自分から追放されるようなことをしたのですか。」と。
屈原は言いました。
私はこういうことを聞いたことがあります。『髪を洗ったばかりの者は必ず(冠についた)よごれを払い、
入浴したばかりの者は、必ず衣服のほこりをふるってはらう』と。どうして清廉潔白なこの身に、(世俗
の)汚れたものを受け入れることができましょうか、いやできません。むしろ湘江に行って魚のエサになろ
うとも、どうして清廉潔白なこの身を世俗の埃の中にまみれされることができましょうか、いやできませ
ん。」と。
漁師はにっこりと笑って、(出航するために)船の縁を叩いて行ってしまった。そしてそのとき、次のよう
な歌を詠んだ。
滄浪の水が澄んでいるのなら、私の冠の紐を洗おう。
滄浪の水が濁っているのなら、私の足を洗おう。

とうとうそのまま去ってしまい、2人はもう2度と語り合うことがありませんでした。
(´・(ェ)・`)つ

851鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/28(火) 00:05:10 ID:1d4drIFg0
おぬしが僧侶じゃないのに僧侶とうそつくのは金のためじゃろう。
何でもお見通しなのじゃ。

852鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/28(火) 00:05:49 ID:1d4drIFg0
>>849 おぬしが僧侶じゃないのに僧侶とうそつくのは金のためじゃろう。
何でもお見通しなのじゃ。

853鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/28(火) 00:08:40 ID:1d4drIFg0
道を学び、参禅するのは却って本心を失うというのじゃ。
屈原に漁夫が説いたとおりなのじゃ。
一休は詩情に任せて吟ずることこそ自らの本心というのじゃ。

854避難民のマジレスさん:2020/07/28(火) 20:42:26 ID:9Bjm15Z60
137
紹鵷蔵主規地卜居 紹ゑん蔵す地を規して居をぼくす
家徒四壁立    いへいたずらに四壁立つ
扁曰土菴     扁して土あんと曰ふ
作偈以爲證云   偈を作つて以て證と為すと云ふ

夏巢冬穴一身康  夏巣冬穴一身康し
帯水拖泥萬念忙  帯水だでい萬念いそがはし
稼檣艱難若領略  稼しょく艱難若し領略せば
梅檀佛寺名利塲  栴檀の佛寺名利の場   

柳田聖山先生訳
紹鵷蔵主が、土地を探して、居を構えた。
その家は四方に壁があるだけの、粗末なもので、
土庵という額を掲げている。
そこで偈をつくって、タネ明しをしてやる。

夏は樹上に巣をつくり、冬は穴にもぐる鳥や虫は、身一つでさばさばしているが、
泥水をひきずって生きる人間は、あれやこれやと気疲れが多い。
畑仕事の苦労を身につけさえすれば、
栴檀造りの大寺院など、単なる名刹の場所にすぎまい。  

くま訳
紹えん蔵すが、あれこれと土地を占って居所を決めた。
家の四方には無駄に土壁を建て
土庵という扁額を掲げている。
偈を作つて、証としてやるのだ。

夏は巣を作り、冬は穴を掘って住めば気楽でよいのだ。
苦にまみれている人たちを救う為に、共に泥にまみれて生きることは、気ぜわしいであろうが、
土の働きをよく知り、農作業の苦労を身につけさえすれば、
栴檀の寺院など、名利を追う場に過ぎないことが分かるだろう。

*蔵主(ぞうす):禅寺の経蔵を管理する僧職。
*卜する(ボクスル):うらなう。うらなって、よしあしを判断する。
*領略:物事の意味を理解すること。さとること。
*帯水拖泥(たいすいだでい):苦しみにまみれている人を、慈悲の心を持って共に生活することで救済す 
 ること。
*稼檣(かしょく):東洋医学の五行論でいう、土にある”種まきと収穫”という農業上の働きのこと。

僭越ながら、柳田先生が、粗末な家としたところを、土壁に囲まれた豪華な家に読み替えてみた。
(´・(ェ)・`)つ

855鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/29(水) 00:10:32 ID:1d4drIFg0
寺などは名利のための場所に過ぎないと一休は詠うのじや。
家などはぼろでよいのじゃ。
畑仕事をしていれば気苦労も無いのじゃ。
隠遁生活が一番なのじゃ。

856避難民のマジレスさん:2020/07/29(水) 21:54:20 ID:IdZpVTSU0
138
賛臨済和尚     を賛す
喝喝喝喝喝 喝々々々々
當機得殺活 機に当たって殺活を得
悪魔鬼眼睛
明明如日月 明々としてじつげつの如し

くま訳
臨済和尚を賞賛する
喝々々々々
臨機応変殺活自在
人を見抜く悪魔のような鋭い洞察眼
明らかなること日月の如しである。

139
讀碧岩集序   碧岩集の序を読む
來山言教價千金 かつ山のごん教
一炬看來救古今 一きょみ来たれば古今を救ふ
休向寒灰成議論 寒かいに向かって議論を成すをやめよ
宗乗滅却老婆心 宗乗滅却す

くま訳
碧厳録の序を読む
來山善会の説き示されたことは価千金である。
一つのかがり火のような言説が、古今の人々を救う。
心の働きを鎮める為にと言って、議論するのはやめるのだ。
必要以上の親切心は、禅の極意を台無しにしてしまうのだ

*夾山:夾山善会(805〜881)。曹洞禅の法系
*一炬(イッキョ,いっこ): 一つのかがり火。 いっぺんに焼くこと
*寒灰(かんかい):火が燃え尽きたあとの灰。つめたい灰。転じて、心の働きがなくなった様子の形容。
*宗乗:自宗の教義。禅門の宗義や禅の極致をいった語。他の教えを余乗といって区別した。
(´・(ェ)・`)つ

857鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/30(木) 00:09:27 ID:1d4drIFg0
言葉はいくら集めても悟りには至らないのじゃ。
無駄な議論はやめて実践あるのみと一休も詠うのじゃ。
実践あるのみなのじや。

858避難民のマジレスさん:2020/07/30(木) 19:45:19 ID:mNk/2S8Y0
140
示衆
割截難禁忍辱仙 かつせつたへ難しにんにく仙
捨身諸佛舊因縁 しゃ身は諸仏の旧因縁
千歳聲名断碑雨 千ざい声名断碑の雨
髑髏識盡北邙前 髑髏識尽く北ぼうの前

くま訳
釈迦の前世における忍辱仙人の修業のように、身体を切断されることは堪え難い、
他の生命を救うために身を捨てた前世の因縁で仏になったのだ。
千年前からの名声を伝える石碑も壊れて雨に濡れている。
髑髏は識り尽くしてるのだ。墓場の前にて。

*示衆:師家が学人に対して説法し指導すること
*忍辱仙人:釈迦の前世が暴虐な歌利王に四肢や耳・鼻を削がれながらも、怒り恨むことなく耐え忍び、 
 最後に国王を改心させるという説話あり。(三宝絵・忍辱波羅蜜)
*割截(かっせつ):ちきること。切りさくこと。
*捨身(しゃしん):命を捨てること。大乗の修行者が他の人あるいは生き物を救う為にみずからの生命を
 なげうつことは,重要なものとして評価された。
*北邙(ほくぼう):北邙山が、後漢以来王侯公卿の墓地として知られるところから、墓地、埋葬場。
(´・(ェ)・`)つ

859鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/07/30(木) 23:01:08 ID:1d4drIFg0
無常の詩なのじゃ。
諸仏は自らの身を捨てて悟りを得たのじゃ。
いずれは朽ち果てる身ならば悟りを得るために捨てたらよいのじゃ。
身を捨てて悟りを得るのじゃ。

860避難民のマジレスさん:2020/07/31(金) 19:20:28 ID:D8qZy99Q0
一休さん47歳、華叟13回忌、途中退席事件
141  1/2
華叟老師掩光             光をおほふて
而後既洎二十餘稔也   而して後既に二十余年におよぶ
壬申秋敕諡大機弘宗禪師 壬申の秋勅して大機弘宗禪師とおくりなす。
仍製禪詩        よって禪詩を製して、
呈寄大用養叟和尚    大ゆう養叟和尚に呈寄す
且陳賀忱云       且つ賀しんをのぶと云ふ。
     
曾謝塵寰五十年 かつてじんかんを謝す五十年  
芳聲美譽是何禪 芳声美誉是何の禪ぞ
子胥晩日倒行去 ししょ日暮れて倒行し去る
覿面辱屍三百鞭  てき面屍を辱かしむ三百べん

くま訳   
華叟和尚の下で光に包まれて(悟りを得て、)
その後、二十余年が経った。
壬申の秋に、華叟は、天皇から大機弘宗禪師というおくり名を下賜された。
そこで、禪詩を作り、
養叟和尚に贈呈した。
真心からのおよろこびを述べるのである。
      
かつて、俗世間を離れて五十年を生きた(華叟)
俗世の名声、名誉が華叟の禪と何の関係があるのか
伍子胥(養叟)は日暮れて道遠い為、(華叟の禪に)逆らっているのか。
(華叟への)恨みを晴らすために、屍に三百回の鞭打ちをして辱めるているようなものだ。

*賀忱(がしん):真心からの賀詞
*塵寰(じんかん):俗世間。塵界。
*謝す:去る。謝罪する。感謝する。(恨みなどを)晴らす。たち切る。
*芳声美誉: 誉れ高い名声。よい評判。
*覿面(テキメン): 面と向かうこと。また、そのさま。まのあたり。目前。効果・結果・報いなどが即 
 座に現れること。また、そのさま。
*子胥:次の(おまけ)の詩 参
*倒行:さからって物事を処すること。
(´・(ェ)・`)つ

861避難民のマジレスさん:2020/07/31(金) 19:28:45 ID:D8qZy99Q0
おまけ 『史記』伍子胥(ゴシショ)列伝
八重樫一先生解説

春秋時代後期、伍子胥は楚の平王に父と兄を殺され、その復讐を心に誓いました。
以前楚にいたころ、伍子胥は申包胥(シンホウショ)と付き合っていました。
伍子胥が呉に逃亡する時、申包胥に次のように言った。
「自分はきっと楚を滅ぼしてみせる」と。
申包胥は言った。
「自分はきっと楚を保たせよう」と。

呉に亡命してから十四年、ついに伍子胥は祖国楚に戻ってきました。復讐すべき平王は、すでにこの世の人
ではなく、息子の昭王を捜させた。しかし昭王はすでに逃げ去った後であった。
しかたなく、平王の墓を掘り返し、死体を掘り出した。
(伍子胥は死体に)300回鞭打ちをして、やっと気が済んだ。
このとき申包胥は山中に逃れていたが、(その話を聞き)伍子胥に人を遣(や)って伝えた。
君の仇討ちは、酷いものだ。死屍(シシ)に鞭(むち)打つ、とは。
君は、もともと亡き平王の臣下であったではないか。
親しく仕えておきながら、今になって君王の死骸を辱めるとは。
天道を蔑(ないがし)ろにする極みではないか。
これに対して、伍子胥は(その使いの者に)言った。

為我謝申包胥曰、  我が為に申包胥に謝して曰(い)へ
吾日莫(暮)途遠、  吾れ日莫(く)れて途遠し、
吾故倒行而逆施之。 吾故に倒行して之を逆施(ゲキシ)せり、と。

私の為に申包胥に伝えてくれ
私はもう日が暮れているのに、行く道の遠い思いである。
私はだから、あわて急いで、道理に逆らうことをしたのだ、と。

*華叟の遷化に當り、養叟は、大德寺中に大用庵を新營し、華叟の塔を建て、且つ奏請して、大機弘宗禪師 
 の追諡を得た。(龍寶山大德寺世譜)後花園天皇其道譽を聞き、勅旨して文安二年八月大德寺に入らしめ、
 其第二十六世となつた。
(´・(ェ)・`)つ

862鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/01(土) 00:30:23 ID:1d4drIFg0
華叟和尚に死後の名声等はいらんというのじゃ。
それはむしろ死者に鞭打つようなものというのじゃ。
本人が欲しがっている筈もないものであるからのう。
押し付けはいらんのじゃ。

863避難民のマジレスさん:2020/08/01(土) 11:28:11 ID:C5vz/wP.0
142    2/2
懶瓚辭詔也何似 らいさんみことのりを辞すまた何ぞ似ん
煨芋烟鎖竹爐裏 わいうえんさす竹ろの裏
大用現前眞衲僧 大ゆう現前真のなふ僧
先師頭面潑悪水 先じのづ面に悪水を注ぐ

くま訳
懶瓚が天子の招きを辞退する話も、またどこか似ているのである。
焼き芋を焼く煙に包まれる、竹炉の裏(天子の招請を辞退した)の話は、
事に応じて活殺自在である、真の禅僧の面目の現れである。
(朝廷に奏請して追諡(ついし)を得るなどは、)先師の頭から汚水を浴びせるようなものである。

*懶瓚(らいさん・あだ名):明瓚(みょうさん・実名)は世間のわずらわしさから逃れ、山奥に隠居し、 
 残飯を食べて懶(なま)け者のように暮らしていたことから、懶瓚(らいさん)とあだ名で呼ばれていた
*竹爐(炉):携帯用の炉
*大用 :大いなる作用・働き。殺活自在の働き
*衲僧(のうそう)破れた僧衣を纏って修行する僧侶のこと。禅僧の通称
(´・(ェ)・`)つ

864避難民のマジレスさん:2020/08/01(土) 11:52:42 ID:C5vz/wP.0
おまけ:「懶瓉煨芋」らさん芋を焼く。
懒瓚和尚隐居衡山石室中
唐德宗闻其名
遣使召之 使者至其室宣言
「天子有詔 尊者常起谢恩」
瓒方撥牛糞火 尋煨芋而食
寒涕垂颐 未嘗答
使者笑曰「且勸尊者拭涕」
瓚曰「我豈有工夫為俗人拭涕耶」
竟不起

(一財)東洋文化資料館 青山讃頌舎HP訳
懶瓚(らさん)和尚は衡山(こうざん)の石室の中に隠居していました。 唐の徳宗は其の名を聞いて、
使を遣わし之れを召します。
使者は其の石室にやって来て宣言します。
「天子の詔である、尊者はすぐに都に行って恩に応えよ」
瓚和尚はまさに牛糞の火をはらって、焼芋を掘り出して食べようとしているところで、
鼻水を顎まで垂らしたまま何も答えようとしません。
使者は笑って言います。「ともかく、尊者、鼻を拭ってはどうですか」
瓚和尚は答えて、「何でわしがわざわざ俗人の為に鼻を拭うような手間を掛けねばならんのかね」
と言って、ついにお召しに応じませんでした。
(´・(ェ)・`)つ

865鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/02(日) 00:38:39 ID:1d4drIFg0
天子からの招待を断った禅僧もいたというのじゃ。
俗世の名声等は出家とは無関係なものじゃ。
そのような俗世の名声を捨てるのが出家であるからのう。
死後の名声を重ねようとするのは無意味なのじゃ。

866避難民のマジレスさん:2020/08/02(日) 15:59:07 ID:gYSke2Sc0
143 男一休ここにあり!

瞎驢不受霊山記 かつろは受けず霊山の記
四七二三須愧慙 ししちにさん須らくぎざんすべし
豈堕在光影邊事 あに光やう辺のじにだ在せんや
銅睛鐡眼是同参 銅ぜい鉄眼これ同参

石黒吉次郎先生解説
これは盲目の者でも、銅や鉄のような優れた眼を持っていて、仏法を会得することを説いたもの
碧厳録八十八則の玄沙三種病の話に基づく

水上勉先生訳
達磨も六祖も瞎驢に傀じるべきだ。
瞎驢は霊山の記をうけてはおらぬ。
だが、その境地は、有相の仏や浄土の光影など糞くらえ。そんな分別に堕ちてはいない。
森女がそうである。仏も、色も、光も、影もみておらぬ。一休の瞎驢は観念上のめくらだったが、森女にめ
ぐりあって、そこに本物がいることに眼を瞠っている

くま訳

盲目の驢馬(一休と森)は、霊山から将来仏になると約束されたものではないのだ。
釈迦から達磨までの28代の祖師、達磨から慧能までの6代の祖師たちは皆、過ちを恥じるべきである。
決して、光影などの分別に陥ることはなく、
優れた眼力をもつ(森と一休は)、同学の仲間なのだ。

*受記:授記とは、仏が修行者に対して将来必ず仏となることを予言し保証を与えることをいう。仏の側か
 らは「授記」であり、修行者の側から言えば「受記」となる。
*四七二三:禅宗に於ける伝灯の仏祖を数で表したもの。
 二三は東土二三(かけ算する)で6代の祖師を意味し、菩提達磨尊者から六祖慧能までの中国の祖師方を 
 意味する。四七は西天四七で28代の祖師を意味し、インドで釈尊から正法眼蔵を附法された摩訶迦葉尊 
 者から菩提達磨尊者までの祖師方を意味する。
*電光影裏:人生は束の間であるが、人生を悟った者は永久に滅びることがなく、存在するというたとえ。
*同参:禅宗で、同一の師について参学すること。また、その同学の仲間。同学。
*銅睛鐡:すぐれた眼力を譬える言葉
*35「唖」の詩 参  前スレ https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/567-n >>663
(´・(ェ)・`)つ

867鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/02(日) 22:37:25 ID:1d4drIFg0
法華経にはお釈迦様が阿羅漢以下すべての弟子に如来になることを受記したとあるのじゃ。
それも創作であるがのう。
世間にもよく修行して悟りに近いものも居るといいたいのじゃな。
眼が見えなくとも修行の妨げにはならないのじゃ。

868避難民のマジレスさん:2020/08/03(月) 20:14:26 ID:hkn8ohjE0
模擬テスト
145
不偸盗戒
鵝鳥呑珠刑罰辛 がちょう珠を呑んで刑罰からし
分明曲直僞兼眞 分別曲直偽と真と  
翠巖老漢眉毛話 すい岩老漢びもうのわ
保福豈非家裏人 保福あにかりの人にあらざらんや

くま訳
珠を飲み込んだガチョウと、それをかばった比丘は厳しく罰せられた。
明らかなことである。正不正、真と偽と。
翠巌の眉毛の話、
保福は、きっと翠巌の身内にちがいない。

*鵝珠(がしゅ):鵝鳥の飲み込んだ珠、の意。宝玉をみがいていた珠師が、乞食の比丘のために食を取り
 に行っている間に、鵝鳥が玉を呑んだ。比丘は鳥が殺されるのを哀れんで、事実を言わなかったので、玉
 のないのに驚いた珠師は、比丘を疑って責め打ち、その血を飲みに来た鵝鳥をも怒りにまかせて殺した。 
 比丘は鳥の死によって、鳥に代わって死んでもよいと決意したことも無意味になったと告げ、珠師は鳥の
 腹から出た玉を見て、泣いて懺悔したという「大荘厳論経」の話。
*翠巌令参:唐時代の禪師。
*保福従展:
*家裏(かり): 家の中。自分の家。また、家族。
*翠巖眉毛:碧巖錄第八則:翠嵒夏末示眾云:大燈が大応から与えられ、解くのに三年かかった公案(その
「関・かん」の字を見よ!・・「雲門の関」)。解いて印可を受けた。
おまけの詩↓ 参
(´・(ェ)・`)つ

869避難民のマジレスさん:2020/08/03(月) 20:21:40 ID:hkn8ohjE0
おまけ:翠巖眉毛
 一夏以來,
 為兄弟說話,
 看翠嵒眉毛在麼
 保福云作賊人心虛
 長慶云生也
 雲門云關

 野狐禅RRPG HP訳
 夏安居に入って以来、諸君のために説法をしてきた。
 誤った説法をすると眉毛が抜け落ちるといわれているが、わしの眉毛は残っているか?
 保福が言った。泥棒は、うしろめたくてビクビクする
 長慶が言った。今、眉毛が生えそろったぞ。
 雲門が言った。関門だ。

 禅と悟りHP訳
 翠巌和尚は90日の夏安居の終りの日に大衆(修行僧達)に言った、
 「この夏安居の間諸君達のために仏法をくどすぎるほど説いた
 (昔から仏法は言説を超えたものであり、仏法をしゃべり過ぎると眉毛が落ちると言われる。
 もしかして、わしは仏法をしゃべり過ぎて眉毛が落ちたのではないだろうか)。
 どうじゃな、わしの眉毛は落ちてはおらんかな?
 (言説に頼れば仏法を誹謗することになるので)」。
 保福は言った、
 「ヤイこの盗人め、ビクビクするない」。
 長慶は言った、
 「眉毛はチャンと生えているじゃないか」。
 最後に雲門が言った、
 「ピシャリ(門は閉められたぞ。ここが通れるか)」。

師家が、「わしはしゃべり過ぎたか?」と、弟子に尋ねる時点で、師家としてお粗末な気がするであります
が、泥棒とまで指摘できるのは、よっぽど親しい身内なのだろうと言うのでありますね。
心の中には関所はなく、どんな嘘でも、でたらめでも、信じさせてしまえば、まかり通ってしまうものであ
りますから、聞き手が、自分で真理をしっかりと見極める関所を身につけなければなりますまい。 

大燈國師は、『関の字を見よ』という公案に、何と答えて合格したのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

870避難民のマジレスさん:2020/08/03(月) 22:36:44 ID:hkn8ohjE0
くま訳 訂正①132の詩、:「茂陵空薄情」・・茂陵で司馬相如が卓文君を思い詩を詠んだときの情のことと思われ、
くま訳の、「武帝は墓に入っても、きっと薄情な人のままであろう」誤りと思われる。薄情の意味をどのように解す
か迷うところでありますが、ここは、柳田聖山先生訳の通り、「 相如は粋ではありませんか」と訳さないと、一休の
思いは伝わらないでありましょう。
くま訳 訂正②137の詩、:「家徒四壁立」・・一休さんがよく言及する司馬相如が、卓文君と駆け落ちした後、成都
での生活は困難を極め「家は只,四つの壁の立つのみ」とのこと、これを、引用しているものと思われ、柳田聖山先生
訳の通り、「その家は四方に壁があるだけの、粗末なもので、」とすべきでありましょう。そもそも、家徒四壁は、窮
めて貧しいことの譬えをあらわす四字熟語でありました。
真に僭越で有りました。
(´・(ェ)・`)つ

871鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/03(月) 23:53:41 ID:1d4drIFg0
>>869 投機の偈で答えたのじゃ。
 それには既に雲関を透得し終わったと書いて在るのじゃ。
 関といわれれば誰もが関の外に出ていると思うのじゃ。
 どのようにして関の中に入ろうとか思って悩むのじゃ。

 実は既に内に入っているのじゃ。
 一休はそれを詩にしたのじゃ。
 保福豈非家裏人というのじゃ。

872避難民のマジレスさん:2020/08/04(火) 01:30:52 ID:ytDvJ4Pw0
>>871
鬼和尚、ありがとうであります。
「家裏人」が、関の内側の意味とは読み取れなかったであります。
精進するであります。

宗峰妙超禅師 (大灯国師)投機の偈
一回透得雲関了  一回〈ひとたび〉雲関を透得し了(おわ)って
南北東西活路通  南北東西 活路通ず
夕処朝遊没賓主  夕処朝遊 賓主を没し
脚頭脚底起清風  脚頭脚底 清風を起す

承福寺HP訳
ひとたび雲門の関を透過し終わってみると、四方八方何のとらわれるもの無いの
自由自在の境地である。立つも座るも寝るも起きるも朝夕へだつことなく、客だ、
亭主だといった賓主なく、迷いだ悟りだの区別もない。もう頭のてっぺんから足の
先まで一点の塵穢れなく清風がかけぬけるようなすがすがしさだ。
(´・(ェ)・`)つ

873避難民のマジレスさん:2020/08/04(火) 20:02:23 ID:fO1sW.K20
一休さんの辞世の詩の一つ・やっぱり森が好き!
144
辭世
今宵拭涙涅槃堂  今宵涙を拭う涅槃堂  
技倆尽時前後忘  技倆尽くる時前後忘ず  
誰奏還郷真一曲  誰か奏すげんきょう真の一曲   
緑珠吹恨笛声長 りょくしゅ恨みを吹いててきせい長し

*緑珠伝(楽史(910〜1007)宋初の歴史家。西晋の大富豪として有名な石崇の寵姫緑珠の物語。笛・舞
の名手であった美妓の緑珠が、主人に純愛を捧げ通して自決するまでの物語。

柳田聖山先生 訳
今宵かぎりと涙を拭きとる涅槃堂
根も気力も使い果たして前後不覚
誰が冥土に至るまで一曲を奏でる
緑珠が恨みをこめた笛の音を聞く

くま訳
今宵涙を拭う涅槃堂
生きる為の修業も治療もやり尽くし、ちょぴっと油断したのである。
誰が吹く、故郷涅槃へ還るために必要な真の一曲
笛の名手緑珠が吹く、心残りの笛の音のようだ。(森が帰郷の為の心の準備を思い出させてくれている。)
(´・(ェ)・`)つ

874鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/04(火) 23:38:40 ID:1d4drIFg0
>>872 そうじゃ、あに家の裏の人ならんやというのじゃ。
 家の裏に居る人であることがあるだろうかという否定疑問文なのじゃ。
 つまり既に家の中に居る人なのじゃ。

 投機の偈とは鍵を投げる音を聞いて気付いたから付けた題名なのじゃ。
 鍵を投げるのはいらないからなのじゃ。
 なぜいらないかといえば既に家に入っていたからなのじゃ。
 その音を聞いて己も既に雲関をとおっていたと気づいたのじゃ。

875避難民のマジレスさん:2020/08/05(水) 00:36:01 ID:loidiCpM0
>>874
鬼和尚、いつもありがとうであります。
鍵を投げた音で悟り、それを詩に詠み、「投機の偈」と題名をつけたのは、誰でありますか?
ググってみたのでありますが、ヒットしませんでした。
(´・(ェ)・`)つ

876避難民のマジレスさん:2020/08/05(水) 20:08:41 ID:88HzfH7Q0
娘生(にょじょう)とは、娘のことではなく、女から生れた子、母親から生れた自分、世俗の我、仮我、自
我、と言う意味でありました。「娘生の面目」と言い、「本来の面目」に対する用いられ方をするらしい。
又、くまのテキストには、[にゃうじゃう]と振り仮名されているが、検索すると、[じょうしょう ]とでてくる。
誤っていたので、以下の二首のくま訳を訂正するのである。
108は、https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/567-n>>972
114は、当スレの >>794
くま訳 訂正①108:(当初訳)少女が見性者を見ても見分けがつかない様なものである。
         →(今回訳)本来の面目を知らないままでは、何も見えないのだ。
くま訳 訂正②114:鬼和尚に説明をいただいた点も踏まえて、大幅に直してみた。
          (当初訳a.) 道理を良くわきまえている修行者が、何で、子供の着物の裾上げの糸を 
                切り取らないようなことをするのか。(何で言葉に囚われるのか)
          (今回訳a) 目利きの僧がなぜ足の下の赤いほつれの糸を切らないのじゃ。   
                (そのような言辞は心を乱すのみなのじゃ。)
           (当初訳b) 弟子たちを指導し導いて、心の糸を乱した
    (今回訳b) 弟子たちを指導して、心の糸の乱れを正した。
           (当初訳c) そのうち、娘が成長して初潮をむかえ、足元に鮮血がながれる。
       (今回訳c)本来の面目を知らないままでは、その内、絡まりついた、足下の赤 
                い糸に締め上げられて、流血して苦しむだろう。

自分自身の足下、自分自身の心の中を良く見て、縄を蛇と見誤るようなことが無いようにせよせよ、という
ことでありましょうか。
紅絲線について一休さんは、世間との諸々のしがらみを言うような意味で使ってるようであります。  
(´・(ェ)・`)つ

877避難民のマジレスさん:2020/08/05(水) 21:07:20 ID:88HzfH7Q0
落ちこぼれを出さないように腐心する一休禅師
151
示久参徒    久参の徒に示す
看経看教無間業 看きん看教無げんの業
應庵但許白浄業 応庵ただ許すびゃく浄業
参禪学道閑話頭 参禪学道閑話とう
可懼身口意三業 おそるべししんくいの三業

くま訳
長く修業を続けているもの達に示す
意味を理解して経や教を読み、地獄に落ちる五つの悪業を知れ。(或いは、看経看教を絶え間なく続けろ)
應庵曇華は清らかな功徳を求めて坐ることのみを認めている。
坐禅を組み、仏道修行を行い、静かに公案に取り組む。
おそるべし、身口意の三業(実践の積み重ねが大切である。)

*看経(カンキン):古教照心。意味がわかるように経を読む事。尽十方界真実の実践。成仏行。
*五無間業(ごむけんごう):無間(むけん)地獄に落ちる5種の悪業。
*応庵曇華:南宋時代禅師:現成公案、只管打坐を強調 
*白浄:「菩提心は則ち良田なり、衆生の白浄の法を長養するが故に。」(華厳経 )
     さとりを求める心(菩提心)は、たとえば良質で豊かな田地です。なぜなら、それは、生きとし
     生けるものの清らかな功徳を養い育てるのですから。大谷大学HPより
*身口意の三業:人間の行為を身・口・意志の三種に分類したもの。業とは行為・造作の義で、善悪にわた
 る行為そのものだけでなく、その行為の余力としての習慣力が含ふくまれる。人の行為経験は、いかなる 
 ものでもそのまま消滅めつすることなく必ずその余力を残し、それは知能・性格などの素質として保存・ 
 蓄積ちくせきされる。
(´・(ェ)・`)つ

878鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/05(水) 22:41:01 ID:1d4drIFg0
>>875 自分でつけたのじゃろう。
 大体漢詩の題名は自分で付けるのであるからのう。
 鍵を投げて悟ったということを知る者は自分一人なのじゃ。

>>876 そうじゃろう。
 自ら観察して気付くことが大事なのじゃ。
 それだけが真の修行なのじゃ。

879鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/05(水) 22:43:23 ID:1d4drIFg0
>>877 経を読んだり、教えを聞くだけでは無間地獄への業となるというのじゃ。
 実際に座禅をして道を学ぶことが大事というのじゃ。
 気をつけねば成らんのじゃ。

880避難民のマジレスさん:2020/08/05(水) 23:28:37 ID:88HzfH7Q0
>>879
鬼和尚、ありがとうであります。
151の詩、くま訳修正
看経看教無間業
意味を理解して経や教を読み、地獄に落ちる五つの悪業を知れ。(或いは、看経看教を絶え間なく続けろ)
→経、教を詠だけでは、無間地獄へ入ってしまうのである。
(´・(ェ)・`)つ

881避難民のマジレスさん:2020/08/06(木) 19:08:05 ID:24iU9Zco0
句中玄の応用と実践・贋艶詩創作講座
251
圓悟大病 1/4
涅槃堂裡絶言詮 涅槃堂うら言詮を絶す
棒喝機關法座禪 棒喝機關法座の禪
睡裏花顔猶醉眼 睡裏の花顔猶ほ酔眼のごとし
春風断膓海棠前 春風はらわたを断つ海棠の前

蔭木英雄先生部分訳
涅槃堂裡絶言詮・・禪寺の病室で園悟は言語詩文を超絶して悟った

くま訳
涅槃堂において圓悟は、言葉・観念の世界を超えたのである。悟ったのである。
棒喝、弟子の能力に合わせて関門を与え、説法で導く禪
花のように美しい寝顔を見る、まだ酔い覚めやらぬようだ、とは、
春風の心地よさに、たまらなく興趣を誘われる、カイドウの花の前での創作である。

*圜悟克勤(えんご こくごん1063-1135):宋代の禅僧。諡は真覚大師。五祖法演の法嗣。『碧巌録』の 
 著者。
*機関禅:(天神九十五先生解説抜粋)「機(=学人の能力)に対して関を設ける禅」臨済の四料簡・四照 
 用、雲門の三句、洞山の三路・五位等を挙げて仏道修行の標準としている。
 「機関」とは「理致」と対する言葉であり、前者は公案などがその例、事象を義や理によって理解せずに 
 「事象を端的に掴む」ための方便であり、後者は経典・論書の道理を使って修行僧を指導することをいい 
 ます。・・・道元禅師は、「機関・理致」という対立を超えたところをもって、仏道参究の標準とされま 
 すので、身心を究めることの他に、何が必要であろうかと批判・・・夢窓国師なんかは「若し本分を論ぜ
 ば、理致となづけ機関となづくべき法門なし。」とされます
*法座:①説法をする人の着く座席。②説法の行われる集会。法席。法筵(ほうえん)
*海棠(カイドウ):1 バラ科の落葉小高木。枝は紫色で垂れ下がり、葉は楕円形。4月ごろ、紅色の花
 が下向きに咲き、実は丸く、黄褐色に熟す。
*悟りをあらわす言葉色々:言亡慮絶、意路不到、心言路絶、絶言絶思、名言道断、言語道断心行処滅、  
 言詮不及、意路不到

法演も雁艶詩を弟子にすすめていたらしい(小艶詩提)。雁艶詩は、伝統ある「機関」だったのでありますね。
句中玄の応用実践という理解でよいでありましょうか?

三玄三要;89の詩 参 前スレ https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/567-n >>906
(´・(ェ)・`)つ

882鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/06(木) 22:19:00 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃろう。
機関でも修行者の本心に関していたならば己を極める役に立つのじゃ。
悟ってしまえば一緒なのじゃ。
梵我一如なのじゃ。

883避難民のマジレスさん:2020/08/07(金) 20:46:39 ID:nELsQgfM0
句中玄の事例
252
圓悟大病 2/4
巫山夜々夢難驚 ふざんやや夢驚き難し
艶簡題詩對鐵檠 艶簡詩を題して鉄けんに対す
只爲檀郎呼小玉 只檀郎が為に小ぎょくを呼ぶ
風流可愛美人情 風流愛すべし美人の情

蔭木英雄先生 訳・解説
夜ごとの巫山の(神女と契った)夢は覚めがたく
恋文に詩を書きつけて鉄の燭台に向かう 
それはただ愛する男性に(自分の存在を知らせようと、侍女の)小玉を呼ぶようなもので 
風流な美人の心情は愛すべきである。

小艶詩に依拠する転句は、己事究明・見性成仏を自証させる為に、手段として文字言語を援用するという喩
えである。それは月と指の関係である。月(真理・仏性・美人)を相手(修行者・檀郎)に見つけさせる為
には、指(文字言語・小玉を呼ぶ声)が必要である。故に結句の“美人の情”とは、檀郎つまり修行者に、
自己の内なる仏性を自証させる慈悲心なのである。このように考えると、艶詩を吟ずる事は、一休宗純に
とっては、薫化衆生の大乗仏教精神である。

くま訳
巫山の夜毎の逢瀬の夢は、覚め難い。
恋文の詩を書く為に、鉄の燭台に向かう、
ただ、愛しい人に気づいてもらいたい一心で、侍女の小玉を呼ぶ、
その風流な思いを愛すべし。美人が思いを募らせている切ない思いを。

*巫山之夢:楚の懐王が高唐に遊んだ際、疲れて昼寝していると、夢の中に「巫山の女(むすめ)」と名乗 
 る女が現れて王の寵愛を受けた。彼女は立ち去る際、王に「私は巫山の南の、険しい峰の頂に住んでおり  
 ます。朝は雲となり、べは雨となり(旦為朝雲、暮為行雨)、朝な夕な、この楼台のもとに参るでしょ 
 う」と告げた。という故事。168の詩参:
*驚く:1 意外なことに出くわして、心に衝撃を受ける。びっくりする。感嘆する。2 はっと気がつく。
 3 目が覚める。
*小玉:五祖法演が陳提刑(圓悟も聞いていた)に提唱した小艶詩に依っている。『大慧武庫(一休さんの 
 愛読書らしい)』(おまけの詩 参)
*巫山之夢:168参:巫山の雲雨と同義:楚の懐王が高唐に遊んだ際、疲れて昼寝していると、夢の中に 
 「巫山の女(むすめ)」と名乗る女が現れて王の寵愛を受けた。彼女は立ち去る際、王に「私は巫山の南 
 の、険しい峰の頂に住んでおります。朝は雲となり、べは雨となり(旦為朝雲、暮為行雨)、朝な夕な、 
 この楼台のもとに参るでしょう」と告げた。という故事
*檠(けい、きょう、ぎょう、ともしび):、ともしび/灯台/矯める/ゆだめ
*檀郎:女性からみて、男性の恋人。「愛しいあのお方」。詩詞では、普通名詞として使われる。
(´・(ェ)・`)つ

884避難民のマジレスさん:2020/08/07(金) 20:51:28 ID:nELsQgfM0

*おまけ:小艶詩 (カメ法師先生HP・解説)
一段風光畵不成 一段の風光、画けども成らず
洞房深處説予情 洞房深き処、予情を説く
頻呼小玉元無事 頻りに小玉を呼ぶも元より事無し
只要檀郎認得聲 只檀郎が声を認得せんことを要す

この第三句は、禅門での「無門関第十七則・國師三喚」の考案の著語としてしばしば用いられる。
小玉という侍女を女が頻りに呼んではいるが、これと言った用事があるわけでもない。という意味。
頻りと呼んでいるのは、第四句にあるように、窓外の意中の君(檀郎)に私はここにいますよ、ということ
を知らせたいがため。次女を呼んでいる真意は、次女に用があるのではなく別のところにあるというもの。

くま訳
素晴らしい景色は、描こうとしても描き切れない、私の思いも言葉に現しきれない
遊郭の奥の部屋で我が思いを述べる、
頻りに侍女の小玉を呼ぶが、元より用事などないのだ。
ただ、恋しい檀那さんに気づいてく欲しいのだ。
(´・(ェ)・`)つ

885鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/07(金) 23:04:40 ID:1d4drIFg0
巫山の女子の夢を夜毎に見るのは驚くべきことでもないという意味じゃな。
何ゆえ用も無いのに小間使いを呼ぶのかという謎掛けじゃな。
それもまた公案といえるじゃろう。
仏の名を唱えるのは仏を呼びたいからではなく、己が仏になるためなのじゃ。

886避難民のマジレスさん:2020/08/08(土) 19:39:02 ID:QIfaqeEk0
句中玄模擬テスト
253
圓悟大病 3/4
狭路慈明色欲淫 狭路の慈明色欲の淫
庭前柏樹祖師心 てい前の柏樹祖師の心
悪魔臨済正傳境 悪魔臨済正傳の境
雲暗姮娥落玉簪 雲暗してこうが玉さんを落とす

くま訳
慈明禪詩の方法は、狭い道である。(股に錐を刺して)情欲は抑えることは、誰にでもできることではない
のだ。
心境一如が、趙州和尚の悟った心である、
悪魔のように鋭い洞察眼をもつて、対象観察をするが臨済正伝のわしの境涯である、
雲天暗くて、姮娥が玉かんざしを落とすのである。(禅宗の現状は暗雲たちこめ、それを艶詩で伝えるよう
としているのだ。)

*庭前柏樹子『無門関』第三十七則・『趙州録』(細川景一先生解説抜粋)
 「如何なるか是れ祖師(達磨大師)西来意」。趙州和尚、「庭前の柏樹」 
 僧が続けてたずねます。「和尚、境を将って人に示すこと莫かれ――私は禅とは何かと聞いているのです。
 境、即ち心の外の物で答えないで下さい」というのです。
 趙州和尚云く、「我れ境を将て人に示さず――私は決して心の外の物で答えてはいない」。
 この僧は心と境とを対立的に見ての問いです。趙州和尚の消息は、心と境と一体一枚、心境一如、禅師 
 の心には境など存在しないのです。庭前の柏樹子、ただただ、庭前の柏樹子です。・・・祖師西来意だの、
 ・・・小理屈は捨て切って・・柏樹子に成り切った絶対的な境涯を趙州和尚は示そうとしているのです。
 この消息は・・・徹底的な「無心」の心です。
 その辺を後に、妙心寺の開山、関山国師は、・・この公案には恐ろしい盗賊のような働きがあって、私達
 が今まで営々として築いて来た名誉財産はいうに及ばず、執着分別心、煩悩妄想を、根こそぎ奪い去らず
 にはおかない機略があるというわけです。
 後日談があります。
 ・・隠元禅師は江戸時代、明より渡来し、日本の禅道場に法戦を挑んで各地を遍参した・・その折、京都
 の妙心寺にも上山し当時の山主、愚堂和尚と問答に及びます。
 「開山、関山国師の語録を拝見したい」 「開山さまには語録はありません」 「語録なくして、何で開 
 山と云えるか」「開山さまには語録はないが、ただ『柏樹子の話に賊機有り』という言句があります」
 隠元禅師、この一語を聞いて身震いし、「この一語、百千万巻の語録に勝る」と云ってうやうやしく礼拝 
 したと伝えられています。
*慈明石霜楚円禅師:夜坐睡らんと欲すれば、錐を引いて自ら刺す。
*境:6種の知覚器官 (六識 ) によって知覚される対象のこと
*姮娥(コウガ・ごうが):西王母の仙薬を盗んで月へ逃げたという仙女の名。月の異称。(おまけ 参)

うむ。こう言われたら、何も問えないでありますね。問が無意味だということでありましょう。楽にはなれ
るような気はするのである。
確かに、「賊機」ありである。
(´・(ェ)・`)つ

887避難民のマジレスさん:2020/08/08(土) 19:44:53 ID:QIfaqeEk0
*おまけ: ↓「姮娥」「玉簪」で検索して、中国サイトで見つかった詩。
昨夜三更后,昨夜三更の後
姮娥堕玉簪 ごうが玉さんを落す
馮夷不敢受,ヒョウイ敢えて受けず
捧出碧波心 棒出すへきは心

くま訳
昨日の深夜
ゴウガ仙女が、玉かんざしを落とした
雨の神様ヒョウイは、それに気づいたが、敢えて、拾わなかった、
それでゴウガの、千々に乱れる心を引き出した

*王禹偁(おううしょう)作:954-1001、北宋(ほくそう)の詩人。低い身分から、科挙を経て官僚となっ 
 た。五言は杜甫(とほ)を学び、七言は白居易を学んで、平静淡泊ななかに知性と社会批判とを盛り込ん
で、 宋詩の風気の先駆けとなった。『小畜集』
*馮夷(ひょうい・ふうい):中国古代の神話に登場する川の神。雲車を御して空中を飛び回るこの神は、 
 また下界に雨をもたらす雨師であったとされる。こ
*捧出(ささげいだす):かつぎ出す,担出す,担ぎ出す
*碧波心:海を駆け巡る波は、時に荒々しい姿をみせる。
 『白雲深處金龍躍 白雲深きところ金龍おどり 
  碧波心裏玉兎驚 へきはしんりぎょくとおどろく』と、言う言葉が碧眼集にあるらしいが見つからな 
  かった。
*檐角・簷角(えんかく):のきさき
*江戸時代後期の詩にの一節に、
 家家檐角挂冰柱 家家のえんかく氷柱をかく  
 知是抛来幾玉簪 知る是れ抛ち来る幾玉さん

 山口旬先生 訳・解説より
 家々の軒先には氷柱(つらら)がかかっている。
 わかった、これは彼女たちが、天から投げ捨てた幾つものだ玉の簪(かんざし)なのだ。

 ↑と、いうのがあるので、玉かんざしを落として、霜(雨)をかからせ、降らせてて、恋人に思いを伝え 
 ようとする女心を、「堕(落)玉簪」に譬えているのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

888鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/08(土) 23:01:28 ID:1d4drIFg0
仏道修行は色欲を抑制して実践するものじゃ。
それは狭い道というのじゃ。
臨済宗の正伝禅ではむしろ色欲をも利用して悟りに向かうというのじゃ。
芸術とか風流の道なのじゃ。

889避難民のマジレスさん:2020/08/09(日) 17:43:25 ID:tQxP6Xgs0
一休さんの艶詩提唱
254
圓悟大病 4/4
娘生佛果已圓成 にょうしゃう佛果すでに円じゃう
大病苦中無識情 大病苦中識情無し
小艶詩情人不會 小艶詩情ひとゑせず
雞聲茅店月三更 けい声ばう店月三更

蔭木英雄先生訳・解説
圓悟仏果禅師が生れつき持っている無上正等覚(仏果)はすでに成就し
金山で大病に苦しんでも、知識情念に執らわれなかった
小艶詩の心を人々は会得しなかったが、
圓悟禪師は鶏の声を聞いて大悟し、その時、夜中の月が宿屋を照らしていた

起句の仏果は、園悟克勤の禅師号と無上正等覚の意を懸けている。
転句で、”小艶の詩情 人は会せず”と吟ずるのは、裏がえすと、”圓悟禪師は小艶詩の心をきちんと会得
し、衲(わし)も理会して艶詩を吟じ続けるのだ”という宣言と受け取れるのである。なお、結句は、『三
体詩』温庭筠「商店早行」の、”鶏声茅店月”の名句と、園悟大悟の鶏鳴とに拠っており、心憎いほど巧妙
な作句である。

くま訳
圓悟仏果禅師は、生来の仏の境地(悟り)を既に成就している
大病で苦しんでいる時も迷情無し
小艶詩の心を人は理解しなかったが、
鶏の声、木賃宿のかやぶき屋根を照らす有明月

*圜悟仏果:北宋の徽宗から張商英仏果の号を賜った。
*鶏声茅店月:おまけ① 参
*おまけ② 圓悟投機の偈 訂正

この詩の蔭木先生訳を読んで、「娘生」のくま訳間違えに気付き 訂正>>876したのである。  
(´・(ェ)・`)つ

890避難民のマジレスさん:2020/08/09(日) 17:57:05 ID:OIJS2RiY0
おまけ①
商山早行 温庭筠  商山のそうこう おんていいん (Web漢文大系HPより)

晨起動征鐸 あしたに起きて 征鐸を動かす
客行悲故郷 かくこう 故郷を悲しむ
雞聲茅店月 鶏声 ぼうてんの月
人迹板橋霜 じんせき ばんきょうの霜
槲葉落山路 こくよう 山路に落ち
枳花明驛牆 きか 駅しょうに明らかなり
因思杜陵夢 因りて思う 杜陵の夢
鳧雁滿迴塘 ふがん かいとうに満つ

くま訳
早朝に、旅立つ
故郷を離れるのは悲しい
木賃宿の萱葺き屋根を照らす有明月の光を見て鶏が鳴く
足跡が橋におりた霜につく
かしわの落葉が、春が近づくのをしらせる
駅舎の土塀のからたちの花を見れば、春到来は明らかだ
それで思うのは、長安の杜陵の景色である
野鴨や雁が湾曲した池たくさんいるのである。

『三体詩』、『全唐詩』巻581、五言律詩。
*商山:漢代の初めに、四人の隠士が乱を避けて隠れ住んだことで有名。四人とも鬚ひげや眉が皓白こうは
 く(真っ白)の老人であったので、「商山の四し皓こう」と呼ばれた。
*早行:早朝に旅立つこと。
*温庭筠(おんていいん): 812〜?。晩唐の詩人。

*晨:朝早く。早朝。
*征鐸:旅の車の鈴。馬の首につけた鈴。「征」は旅行くこと。「鐸」は大きな鈴。
*動:出発の合図に鈴を鳴らすこと。あるいは鈴を鳴らしつつ車を進めることか。
*客行*故郷を離れ、旅路にあること。旅する身。
*故郷:都長安を指す。
*鶏声:鶏の鳴き声。
*茅店:茅かや葺ぶき屋根の宿屋。「店」は粗末な旅館。木賃宿。
*人迹:人の足あと。人が行き来したあと。
*板橋:木の板を渡しただけの粗末な橋。通常は石橋。
*槲葉:かしわの葉。落葉樹であるが、冬の間は枝についたままで、春の新芽が出るときに落ちる。
*枳花:からたちの花。春に白い花が咲く。
*駅牆:駅舎の土塀。
*因思:そこでふと思い起こされる。それがきっかけとなって思い出される。
*杜陵:長安城の東南の郊外にある高台。当時有名な行楽地であった。
*鳧雁:野鴨と雁。
*迴塘:回るように湾曲した池。「塘」は池の堤。または堤に囲まれた池。曲江を指すと思われる。
*迴: 『三体詩』では「回」に作る。同義。
(´・(ェ)・`)

891避難民のマジレスさん:2020/08/09(日) 18:35:09 ID:MIbXhRL60
おまけ②
圓悟は五祖法演の小艶詩提唱を聴いたあと、鶏が欄干に上って鳴くのを聞いて大悟した。
その開悟偶は 83 でとりあげたのでありますが、最後の一節、の文字が、蔭木英雄先生の論文のものと、
くま使用のテキストのと違っておりました。消 → 銷 ・ 只許  →祇評
83の詩https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/567-n >>879
そこで、再度くま訳を修正してみるのである。又、前スレ>>893の訳は投機の偈として意訳も訂正する。。

*叢;群がり集まる。多くのものの集まり と言う意味もあり
*祇:ただ〜だけ、まさに〜、という助詞として用いられる
*銷(ショウ):1 金属をとかす。とける。2 消える。消す

金鴨香銷錦繍幃 金おう香しょうす錦しゅうのとばり 
笙歌叢裡酔扶帰 しょう歌そうり酔うてたすかって帰る
少年一段風流事 少年一段風流の事
祇評佳人独自知 ただ評す佳人独り自ら知る
 
新くま訳
輝く渡り鳥のような貴方の香は、錦の刺繍のほどこされた帳の内に溶け入り、
貴方の笙歌を大勢の中でも、聞き分けられるのだ。酒に酔ったので、やっと帰ることができる。
恋におちた若者の風流な思いのことは、
ただあの美しい人だけが知っている。

元のくま訳83のままだと。遊里で岡惚れしたおやじがが、酔っ払って帰るときに、意中の女性を風流な青
年に持っていかれて、草むらに隠れて、ストーカーをしているような情景になってしまうのである。
本日の修正で、多少[投機の偈 」らしくなったでありましょう。
けど。圓悟和尚は、悟りの世界と、現世を行き来してるようであります。

新くま超訳(前スレ879)
悟りの世界へと、溶け入った、
小艶詩に誘われ、迷いの中から脱して、故郷に帰りついたのだ、
恋焦がれた悟りである、
ただ悟った人のみが、私の悟境を知ることができる。
(´・(ェ)・`)

892避難民のマジレスさん:2020/08/09(日) 18:42:42 ID:SBsaneBs0
>>891
けど。圓悟和尚は、悟りの世界と、現世を行き来してるようであります。→削除
新くま訳。新超くま訳のように解すれば行き来することにはならないでありましょう。
(´・(ェ)・`)b

893鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/10(月) 00:09:43 ID:1d4drIFg0
園悟は大病でも情を知らなかったというのじゃ。
小艶詩の情を人は得なかったというのじゃ。
情けにかけているのじゃな。
大病でも無かった情が詩にはあったが人はそれを得なかったというのじゃ。

894避難民のマジレスさん:2020/08/10(月) 20:34:07 ID:2/995q.60
アンチ洞山、欽山
146
賛欽山禪師  1/4     を賛す
佳名勦絶利貪稠    そう絶利貪しげし
茶店美人誰好仇  さ店の美人誰かかうきゅう
爭識洞山下尊宿  いかでかしらんとうざん下の尊宿
慈明狭路好風流  慈明の狭路好風流

くま訳
欽山禪師(曹洞宗)の評価
名声を根絶され、名利を貪る禅になってしまったのである。
遊里の美人の様な僧のことを誰が好い仲間といえようか。
洞山良价禅師の法嗣に、高徳の僧がいることをわしは知らんのだ。
慈明禅師(臨済宗)の法系は、峻厳で道狭く、又風流なのである。

*欽山文邃(ぶんすい):岩頭、雪峰と三人連れだって行脚し逸話を残している。曹洞宗の高祖である洞山
 良价禅師の法を嗣いだ。一鏃破三関 (いちぞくさんかんをやぶる)公案が有名。
 岩頭全豁(ぜんかつ)828-887 と 雪峰義存(ぎぞん)822- 908 は徳山宣鑑(せんかん)禅師の法嗣。
*慈明禅師:石霜楚円(986-1039)臨済下七世、
*勦絶(そうぜつ)滅ぼしつくすこと。根絶やしにすること。皆殺しにすること。 
*佳名:名声、いい評判
*貪利(ドンリ たんり):欲深く利益を求めること
*稠(チュウ・ チョウ おおい・ しげる・ こい)
*好仇(こうきゅう):良い相手。良い仲間。好匹
*尊宿:老年で徳の高い僧侶

五味の禅を挙揚していた欽山は、趙州和尚にも、小知見であると見限られていた(趙州録開莚普説)ようで
あります。当て馬のように評価されているようでありますが、それはそれで、必要であることには、違い
ないでありましょう。
一休さんは、アンチ曹洞宗、欽山和尚みたいでありますが、欽山和尚は悟ってなかったのではありましょう
か?(´・(ェ)・`)つ

895避難民のマジレスさん:2020/08/10(月) 20:59:42 ID:2/995q.60
おまけ:碧眼録 第五十六則 欽山、一鏃もて三關を破る(禅と悟り HPの現代語訳のみ)

垂示
ブッダ始め諸仏はこの世に出世していないし、また人に与える一法もない。
祖師達磨はインドから来て直指人心見性成仏の道を伝えたというが、
彼によって始めて「心」が伝えられたわけでもない。
「心」は諸仏の出世や祖師達磨の西来などの歴史に関係なく、
昔からあり、人々が全て具足している。
この表現は「本来の面目」は諸仏の出世や達磨の西来などの歴史的事実に関係なく、
昔から人々が皆具有しているという真理を強調するための禅特有の表現である。
世間の人々はその道理を理解しないで、外に向って追い求めるがそれは間違いだ。
殊に自己本来の面目(自己脚跟下の一段の大事因縁)は
どんな尊い聖人でも自分に代わって見性してくれる訳にはいかない。
自分で体験するほかないのだ。
本来の面目は見ようとしても見えず、聞こうとしても聞こえず、説こうとしても説けず、
知ろうとしても知ることができない。
一体どこから得たら良いのだろうか。
すべての存在が真実の相であるならば、得ようもないではないか。
もし未だそこが分からなければ、次の実例を参究してみよう。

*自己脚跟下の一段の大事因縁:自己の「本来の面目」を明らかにするという禅の根本問題。
*一鏃破三関:一本の矢(鏃)で三つの関所を打ち抜く。「一超直入如来地」の頓悟のこと。

本則:
巨良禅師が欽山に問うた、「私は一本の矢で三関を打ち抜いてしまいました。どうでしょうか?」。
欽山は云った、「そうか、それなら関中の主人公(本来の面目)を射止めたはずだ。それをここに出してみ
よ」。
巨良は云った、いや、関中の主人公(本来の面目)は射損じました。もう一度やり直します」。
欽山は云った、「待つことはできん。今すぐやれ」。
巨良は「いい矢を放ったのに、それが何処を射たか分からんような人には、何と言っても無駄ですな」。こ
う憎まれ口を叩いて巨良は出て行った。
欽山は云った、「おい、待たんか」。
 巨良は何事だろうと振り返った。
欽山は、巨良の胸倉を掴んで言った、「一鏃破三関など出来もせんホラは吹かず、まあ一矢射てみろ」。
巨良はここで行きづまってしまった。欽山は彼を手にした竹箆で七、八回打って言った、「まあ今日はこれ
位で勘弁してやろう。お前さん、このぶんでは、一鏃破三関に至るには三十年くらい修行せんとだめじゃ
な」。

頌:
さあ諸君(修行者)のため関中の主(本来の面目)を出して見せよう。
矢を射る人はおおざっぱではだめだ。関中の主を射損じないよう真剣に射なければならない。
関中の主(本来の面目)は懸命に見ようと眼に集中すれば耳は聞こえなくなる。
耳に捉われるのがいけないといって耳を忘れようと耳に集中すれば
今度は目が見えなくなる(それが関中の主の性質だ)。
一鏃で一挙に三関を突破して関中の主(本来の面目)に会えた時箭の通った路は明らかに見える。
これについて玄沙師備禅師は言った、
「関中の主(本来の面目)に見(まみ)えた大丈夫は 天より先に心の祖(おや)になる」と
(´・(ェ)・`)つ

896鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/10(月) 23:24:26 ID:1d4drIFg0
>>894 悟っていたのじゃ。
 弟子に主体を問うていたのじゃ。
 それだけが大事なのじゃ。
 言葉にも誤魔化されなかったのじゃ。

897避難民のマジレスさん:2020/08/11(火) 19:49:59 ID:veA84P7c0
黙照禪(曹洞宗)批判
147
賛欽山禪師  2/4
上堂茶話作家禪   のさ話さくけの禪
點檢将來新婦禪 点検しもち来れば新婦の禪
錦帳香囊風起臭 きんちゃうかうなう風起こって臭し
洞山佛法是何禪 洞山仏法の是何の禪ぞ

くま訳
欽山禪師批評
寺院における、説法や公案指導などは、師家の指導による禅である。
繊細な点検を伴う黙照禅は、新婚の若妻の禅である。
錦のとばりに吊るされたにおい袋の香りが流れてきて臭いのである。
洞山の仏法のどこが禅なのか

*上堂:①法堂の法座に上り、説法すること。古来は毎日朝晩行われていたが、現代ではほとんどが、一生 
 に一度晋山上堂?を行うばかりである。②僧堂内の上間の別名。
*茶話:禅宗寺院で行われる説法や指導は、様々な形態があるが、随時に行われる、説法や教訓・家訓のこ 
 とを茶話といい、これは特に、茶を飲みながら行う場合を指す。
*錦帳(きんちょう):錦(にしき)で織った垂れ布。にしきのとばり。
*香囊(こうのう)①室内や牛車ぎつしや内につるす、あるいは腰に下げる毬香炉まりごうろ。②匂い袋。

一休さんは、曹洞宗が嫌いなようでありますめね。
(´・(ェ)・`)つ

898避難民のマジレスさん:2020/08/11(火) 21:59:44 ID:PGnztOo20
おまけ:一休さんは25歳の時に洞山三頓の棒の公案を解いて、一休になったのである。
『年譜』
師年二十五歳。一日聞瞽者演妓王失寵落飾之事。
忽於雲門放洞山三頓棒因縁投機。
華叟師一日書一休二大字。與師爲號

*瞽者(こしゃ):盲目の人
*妓王失寵落飾之事:琵琶法師による平家物語「祇王失寵」の段の語り

師25歳。ある日盲目の琵琶法師が、平家物語の祇王失寵の段を語るのを聞いていた時、
洞山三頓の棒の公案で悟るところがあった。
そのときの、一休の詩、
「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」
この詩により、華叟師から「一日書一休二大字」、「一休」の道号をもらったらしいのである。
(´・(ェ)・`)

899鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/11(火) 22:50:57 ID:1d4drIFg0
>>897 そうかもしれん。
 錦の帳や臭い袋がなぜ必要なのかというのじゃ。
 曹洞宗ではそのようなものを使っていたのじゃろう。
 禅は自分を見極めればよいだけなのじゃ。

900避難民のマジレスさん:2020/08/12(水) 20:59:36 ID:v1Uimsho0
一休禅師の指導方針
148   3/4
賛欽山禪師  
濟家純老機生銕 濟家の純老機しょう鉄
一條活路途與轍 一條の活路途と轍と
雪峰岩頭無眼睛 雪峰岩頭眼睛無し
千歳達磨宗敗闕 千歳達磨宗の敗闕

くま訳
欽山禪師批評
臨済宗の一休爺の禅機をもって、修行者を鍛えるのである。
一筋の活路、道理があるのである。
雪峰や岩頭は黙照禅では悟れなかったとのである。
千年続く達磨宗の欠点である

*濟家の純老:臨済宗家の一休
*機:はたらきの意。 禅の修行によって得られた力の発現。修行者の指導にあたって、師が説明や対話な
 どではなく、相手の心の奥底に直接響くような短句や動作などを用いること。
*生鉄(ナマガネ せいてつ)よく鍛えていない鉄。
*途轍:すじみち。道理。
*敗闕(はいけつ)きずつきこわれること。また、欠けていること。欠点があること。

面壁九年の達磨さんは、黙照禪の代表なのでありましょうか?
公案指導を取り入れた閑話禪は革新派にして、より優れた指導法と一休さんは考えているようでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

901鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/12(水) 22:52:26 ID:1d4drIFg0
↑一休はそう思っていたのじゃろう。
本当は臨済宗の祖師でもあるがのう。
新しい公案の禅がすごいといいたいのじゃな。
それで無ければ悟れ無かった者もいるというからのう。

902避難民のマジレスさん:2020/08/13(木) 20:54:47 ID:xWDZfxlg0
主看客 賓中主 の事例
149  4/4
賛欽山禪師  
尿床鬼子大難心 尿床の鬼す大難の心
定老當機恩力深 じょう老当機恩力深し
夜雨燈前渾即忘 夜雨燈前すべて即忘す
風流茶店旧時吟 風流のさ店旧時の吟

くま訳
欽山禪師批評
寝小便たれ小僧(欽山)が窮地に陥った
定上座の相手の能力に応じて導く力、大恩は深いのであるが、
雨降る夜の灯火の下、全てを忘れてしまうのだ
風流な遊里で作った昔の詩である

*定上座:臨済義玄の優れた弟子の一人
*当機(とうき):相手の能力素質に応じた導き方をすること。

愛知学院大学 禅研究所HP解説抜粋
「赤肉団上に一無位の真人有り、常に汝等面門より出入す。いまだあきらめざる者は、看よ。看よ」という
臨済義玄の上堂語・・・無位の真人とは、知解分別では捉えられない真の自己とも、仏性、仏心ともいい得
るが、臨済がそのように表現しなかったのは、門人が仏心を固定概念化してしまうことを避けた・・・。 
我々が見る、聞く、触るなどの知覚感覚で外世界を認識することを示しているのであり、今の私自身の存在
がそのまま仏であることを了得させたい臨済の意図・・・
 臨済の弟子とされる定上座が、師に「いかなるかこれ仏法の大意」と問ったところ、・・・臨済にいきな
り一掌(ビンタ)をくらった。・・・(定上座は)茫然としたまま無我の境地で礼拝せんとした刹那、仏と
は自身にほかならないと悟入した。
 後に、この定上座が、行脚中の巌頭全后、雪峰義存、欽山文邃の3人と出会い、巌頭に乞われて無位の真
人を臨済に代わって説示した。
 巌頭、雪峰の2人は臨済の意図を把握して驚嘆したが、若い欽山は「なぜ臨済に問ったその僧は非無位の
真人と返答しなかったのか」とつぶやいた。これを聞き逃さなかった定上座は欽山の胸ぐらをつかみ、無
位の真人と非無位の真人と何が違うのかいってみろと迫った。臨済の意図は、仏とは自分自身のことを指
すのだと示す点にあるから、表現としては無位に限定する必要はないのであるが、知解を離れて自身の真
実を自ら把捉することを意図した言葉であるから、「無位」を分別で捉えてはならないのである。
 無位の立場は、宏智がいうように「初心にして、いまだ自己をあきらかにしていない(未証拠)者」
へのことばで、ひたすら修行を継続する(往相)立場であり、一方、非無位は、達悟した者が此岸に回帰
(還相)して、人々を化導する立場にあたる。
 欽山の客気は巌頭、雪峰の2人が取りなして事なきを得たが、欽山は果たしてここで「真の自己」を掴
み得たであろうか、乾尿橛のままであったであろうか、などとこの話を楽しむのは早計である。
 この話が加えられた意図は、欽山に「非無位」を語らせることが目的であり、臨済が「看よ」と云った
ことを受けて、「看了」したなら「非無位」でなくてはならないと補ったのである。単に後日談と軽んじ
たなら、「無眼子」と罵られるであろう。公案はすべてに抜け目ないのである。
(´・(ェ)・`)つ

903避難民のマジレスさん:2020/08/13(木) 21:06:35 ID:xWDZfxlg0
一休さんも、小僧時代に師匠から厳しく指導されることがあり、気づくことがあったので
ありますかね。
(´・(ェ)・`)b

904鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/13(木) 22:39:08 ID:1d4drIFg0
そうかもしれん。
真の自己などないのじゃ。
そもそも自己という概念が間違いなのじゃ。
全て一つなのじゃ。
それが無位の真人なのじゃ。

905避難民のマジレスさん:2020/08/13(木) 23:01:52 ID:/igPDOOk0
うむ。
梵我一如:アートマン=ブラフマン・・全ては一つ=無位の真人
臨済はアートマンを理解してたのでありますね。
(´・(ェ)・`)b

906避難民のマジレスさん:2020/08/14(金) 19:57:42 ID:87zFCRkc0
「か」行関連の詩がまだ140首ほどあるが、「あ」行の詩がいくつか見つかったので、
取り上げるのである。
尚、詩の番号は、あくまでもくまの整理番号である。

一休さん推奨偈
292
見識明心
憶得寒山見月題 憶ひ得たり寒山月を見るの題
眼睛落地衆生迷 眼睛地に落ちて衆生迷ふ
洛陽三月貴遊客 洛陽三げつ貴遊の客
閃爍紅旗残照西 せんじゃくたる紅旗残照の西

くま訳
物事の本質をとらえる悟り
思い出すのは、寒山が詠んだ月の詩である
視線を地に落すと、衆生は迷ってしまう、
洛陽では三月になると貴族が花に誘われあつまるように、、
仏道を求めるものにとっては、寒山の詩は、閃きを与えてくれる、機鋒が、今でも鮮烈にあるのだ。

*見識:物事を深く見通し、本質をとらえる、すぐれた判断力。ある物事に対する確かな考えや意見。識見。
*明心(あかきこころ・みょうしん): 誠実な、偽りのない心。まごころ。清き心。心を明らかにするこ 
 と。さとりを開くこと。また、明らかな心、さとりの心。
*寒山:天台の国清寺の僧、豊干(ぶかん)が拾った、拾得と、拾得の友達、寒山。豊干によると、拾得は、
 実は、普賢、寒山は、実は文殊と評している。豊干自身には実は神通力があるらしい。
 究極の狂風の逸話、禪画多数あり。一休さんの重要な師匠に含まれるでありましょう。詩は真面目に書い
 ているのである。(おまけの詩 参)
*閃爍(せんじゃく):ひらめき輝くこと。
*紅旗閃燦:厳しく機鋒が峭峻であり、矛先のように鋭いこと、37の詩 参
*国訳禪学大成脚注:朗月の天にある、月光の地にある、此れ皆見性の種子なり、洛陽三月酒旗の点頭に翻 
 るも又同斷
(´・(ェ)・`)つ

907避難民のマジレスさん:2020/08/14(金) 20:01:04 ID:87zFCRkc0
おまけ:一休さん推奨・寒山の詩①
吾心似秋月 (寒山詩)
吾心似秋月 吾が心 秋月に似たり
碧潭清皎潔 碧潭清うして皎潔(こうけつ)
無物堪比倫 物の比倫に堪えたるは無し
教我如何説 我をして如何が説かしめん

恵林寺 HP訳・訳・解説抜粋
自分自身に向き合い、心の奥底に見入るとき、その凛として澄み切った清らかさは、まるで
秋の月のようだ
碧に見える湖の水面を覗き込むならば、その湖底は、あくまでも清らかに澄んでいるのです
その透き通った有り様は、実は秋の名月の比ではない...はるかに素晴らしいものなのだ
わたしたちめいめいの心の本当の姿を、この世界の、どのような素晴 らしいものにたとえ
ようとしても、とてもたとえることなどできない

おまけ:一休さん推奨・寒山の詩②
指月歌《寒山偈》寒山
岩前獨靜坐 巌前に独り静坐すれば 
圓月當天耀 円月 天に当って輝き
萬象影現中 万象 影中に現わる
一輪本無照 一輪 本(もと)照らすなし
廓然神自清 廓然として 神(しん)自から清く
含虚洞玄妙 虚を含みて洞として玄妙なり
因指見其月 指に因って其の月を見れば
月是心枢要 月は是れ 心の枢要なり 

くま訳
岩前で独り坐禅をしていると
満月が天に輝きだして
万象が闇の中に現れた
月は、本来、何かを照らそうとしいない
わだかまりなく心晴れ渡っているので、自ずから清く
虚無をも含む、全てを見通せる、奥深く、優れた境地である
指差す先の月を見れば
(見ている)月は、心そのもの、月と心と別にないのだ。
(´・(ェ)・`)b

908鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/14(金) 21:18:00 ID:1d4drIFg0
>>905 そうじゃ、一つなのじゃ。
個我なくして無位の真人があるのじゃ。
それを理解しているのじゃ。

909鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/14(金) 21:21:25 ID:1d4drIFg0
月をさす指とは法なのじゃ。
法に拠って心を観れば空虚であるが玄妙な働きをするのじゃ。
それは全てを映し出す心の要なのじゃ。

910避難民のマジレスさん:2020/08/15(土) 21:20:18 ID:dnNbHAY60
291
長禄庚辰庚辰八月晦日 長禄庚辰八月かいじつ
大風洪水衆人皆憂   おおかぜ洪水あり衆人皆憂う
夜有遊宴歌吹之客   夜遊宴かすいのかく有り 
不忍聞之       これを聞くに忍びず 
作偈以慰云      偈を作って以って慰むと云う  
七言絶句

大風洪水万民憂 大風洪水万民憂う
歌舞管弦誰夜遊 歌舞管弦誰か夜遊ぶ    
法有興衰劫増減 法にこうすい有りこうに増減あり 
任他明月下西楼 さもあらば他あれ明月西楼を下る 

ある男の残日HP 宇野直人先生訳・解説
長禄4年(1460年)は8月末に台風洪水があり、民衆はとても心配した。
夜、宴会の客があり歌を歌っているが
とても聞くに堪えない。
禅の韻文を作って、心を静めた。

暴風に洪水に民衆は苦しんでいる
歌舞管弦誰か夜遊ぶ   
仏法に盛衰があり天変地異もそれに応じて増減する
明月が西の高楼に沈むなどどうでもいいことだ

長禄4年(1460年)、8月末の台風と洪水をきっかけとして、無策の幕府や為政者を批判している。

くま訳
台風洪水に、民衆は愁う
歌ったり踊ったり楽器演奏したりして、誰が夜遊びできるか。
仏法に盛衰があり、悠久の時の流れも増減するのか
であるのか、ではないのか、いずれにしても、月は西楼に沈むのだ。

仏法に盛衰なく、時間などなく今だけ、ありのままだ。

*劫:仏教などインド哲学の用語、極めて長い宇宙論的な時間の単位。サンスクリット語カルパ の音写文 
 字「劫波(劫簸)」を省略。 循環宇宙論の中で、1つの宇宙(あるいは世界)が誕生し消滅するまでの 
 期間と言われる。また、ブラフマー(仏教では梵天)の1日(半日とする説もある)に等しい。西洋では、
 まれにイーオン (aeon) と意訳される。1劫 = 43億2000万年である。
(´・(ェ)・`)つ

911鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/16(日) 00:25:20 ID:1d4drIFg0
月が沈むのに喩えて幕府ももう終わりじゃと嘆いているのじゃ。
洪水で民が苦しんでいるのに幕府の高官は夜遊びをしていたのじゃろう。
そんな幕府はもう長くはないというのじゃ。
実際に乱世になってしまったのじゃ。

912避難民のマジレスさん:2020/08/16(日) 17:27:17 ID:MddoNkts0
293
愛念盟 1/2
婆子侍慈明老師 婆子慈明老師の侍す
婚姻脚下結紅絲 婚姻脚下紅絲を結ぶ
驪山春色三生睡 り山の春色三生のねむり
千歳海棠花一枝 せん歳海棠の花一枝

くま訳
男女の愛の誓い
老婆が慈明禪師に仕える
婚姻は足下の赤い糸の結びつきである
りさんは春の色に染まり、始皇帝と麗姫が三生の誓いの下眠っている
これからも千年つづくカイドウの花一枝の思いである。

*慈明石霜楚円禅師:一休さんが、自分で生前作った墓を慈揚塔と名づけるくらいに 、敬愛していた。
 身寄りの無い老婆を世話していた。
*愛念:1 非常にいとしく思うこと。深く愛する気持ち。2 男女の愛情。
*盟:ちかいをたてること。また、そのちかい。
*驪山(りさん):秦始皇帝の陵(墓)兵馬俑坑(ようこう)

294
愛念盟  2/2
恩愛紅塵誰人掃 恩愛の紅塵誰人かはらはん
娘生赤肉父子道 にょうじょうの赤肉父子の道
羅睺羅箇歡喜丸 らごらこの歓喜丸
携來直授釋迦老 携へ来たって直に釋迦老に授く

くま訳
恩愛を、俗世の煩わしさだといい誰が払いさると言うのだ
母から生れたこの身体もつ人間の、親子の、あるべき道があるのだ。
ラーフラは、仏の功徳を見聞きして,信心を得て歓喜した釋迦の子である
連れてきて直接お釈迦様が教えを伝授したのだ。

*紅塵:1 赤茶けて見える土ぼこり。市街地に立つ土ぼこりなどにもいう。2 俗人の住む世の中。また、 
 俗世の煩わしさ。俗塵。
*羅睺羅(らごら、梵・ ラーフラ)は、仏教の開祖たる釈迦の実子であり、またその弟子の一人
*歓喜:説法を聞いたり,仏の功徳を見たりして,信心を得て非常によろこぶこと。

一休さんにも息子がいた。:岐翁紹偵((きおう・しょうてい) 。偉大すぎる一休パパの子は苦労したことでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

913鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/16(日) 22:19:28 ID:1d4drIFg0
中国の伝説では赤い糸は男女の足首に結び付けられるというのじゃ。
お釈迦様にもラーフラという子があったというのじゃ。
男女の愛も悪いものではないというのじゃ。

914避難民のマジレスさん:2020/08/17(月) 21:50:47 ID:1yezVXyg0
295
末後涅槃堂懺悔1/2
風音気象頌兼詩 風いん  じゅとしと
乗興邪慢吟撚髭 興に乗ずる邪慢吟じて をひねる
悪魔内外託吾筆   内げ我筆に託す
猛火獄中無出期 みょうか  しゅつご無し

蔭木英雄先生訳
風の音や天気によって頬や詩を作り  
興に悪のりして髭をひねって詩を吟ずる  
悪魔外からも内からもワシの筆に乗り移って 
猛火の地獄から脱出する時がないわい

*邪慢じゃまん:間違った行いをしても、正しいことをしたと言い張り、徳が無いのに有ると思うこと。
*悪魔:仏道修行においては、かならず魔の障難がそなわっている。仏道をこころざし、真実に目覚めるこ
 とを「我がいのち」と選び取った者だけに、「そのいのち」を奪おうとして悪魔は現れてくる。

296
末後涅槃堂懺悔2/2
艶簡艶詩三十年  
虚名天沢正伝禅  
吟身半夜与灯痩  
雪月風流白髪前

蔭木英雄先生訳
恋文や艶詩を三十年作り続けたワシは 
虚堂(天沢庵主)正伝の禅者といっても、それは虚しい名声じゃ  
艶詩を苦吟する身体は灯火が薄れるのと一しょに痩せ  
雪じゃ月じゃと風流にうつつをぬかしてい
る間に白髪になってしもうたわい

(´・(ェ)・`)つ

915鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/18(火) 00:39:56 ID:1d4drIFg0
わしは三十年も艶詩を詠って来たと誇っているようでもあるのう。
悟りの道はお香くさいものばかりではなく、こんな道もあると言いたいのじゃな。
自然に親しむのもよいものじゃ。
詩も極めれば道になるものじゃ。

916避難民のマジレスさん:2020/08/18(火) 21:27:14 ID:7OJSsgOo0
一休さん、たとえば話で世情分析(富子の陰謀説)
154
因亂      乱に因って
韓信昔年雲夢殃       のわざはひ
人心眞僞自然彰   真偽じねんにあらはる
安危不定箇時節   定まらずこの時節
人畜難分剕棘墻   分かち難しけいきょくのしゃう

*韓信(かん しん):秦末から前漢初期にかけての武将。劉邦の元で数々の戦いに勝利し、劉邦の覇権を 
 決定付けた三傑の一人。
*荊棘墻(けいきょくのしょう):いばらの垣根。
(´・(ェ)・`)つ
武田 鏡村先生訳・解説抜粋
漢の武将の韓信は信じていた高祖(劉邦)に、雲夢の地に旅をするといってダマされて捕らわれた。
人の心のウソか真かは自然にハッキリするものだ。
安全か危険かハッキリしない今日この頃では、
いくら棘の垣根で分けておいたとしても、人と畜生とは見分けがつきにくいものだ。

一休は韓信を応仁の乱に登場した人物の誰に比定したかはわからないが、韓信が高祖の夫人である呂后の 
陰謀によって殺害されていたことを考え合わせると、応仁の乱の背後に女性の存在があることを早くも感
じとっていたようである。その女性とは、今参局を死に追いやり、日野重子亡きあと、将軍義政を思いの
ままに操ろうとする人物、すなわち日野富子であったことは、以下の数多くの一休の詩からうかがうこと
ができる。・・・(79の詩 前スレhttps://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/  >>831
「美色傾城」参)・・一休は、これら国を傾けた中国の女性たちを詩に詠みながら、じつは乱を引きおこし
国を亡ぼしても、その栄華を貪欲に求めて飽くことを知らない日野富子の姿を読み込んでいる。・・らしい。

くま訳
韓信、昔年、雲夢禍の故事にあるように、
人の心の真偽は自ずと明らかになるが、
安全か危険か定まらない昨今では、
いばらの垣根でも、人畜分け難いのである。

917避難民のマジレスさん:2020/08/18(火) 22:33:17 ID:C90TsP.U0
狂雲集、上下巻の詩、偈頌、法語を数えてみたら
560首であった。
その内、ネットで訳が見つかるのがI〜2割である。
狂雲集、全現代語訳、ネット版を目指すのである。

最初は、漢詩にチャレンジする予定ではなかったのであるが、ハマってしまったのである。
(´・(ェ)・`)b

918鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/18(火) 22:54:32 ID:1d4drIFg0
誰か偉い人が死んだようじゃのう。
真偽は自然に現われるというのじゃ。
時節が不安定で人も畜生も見分けがつかないというのじゃ。
もはや乱世なのじゃ。

919避難民のマジレスさん:2020/08/19(水) 23:16:19 ID:227hnK8M0
名居士紹介
150
龐居士製竹漉籬圖 ほう居士ちくろくりを製するの絵を見て
河裏捨來十万銭  かり捨て来る十万銭   
庫中終没半文銭  庫中終に半文銭なし
眞箇簸箕門下客  真こひき門下のかく
笟籬賣不直多銭  さうり売って多銭にあたらず

くま訳
ほう居士竹かごを作るの絵
浄土への路の絵(維摩図)を見ようと、十万銭を寄進する人も居たそうだ。
わしの蔵の中には終にお金が無くなったのだ。
仏道を生きるために、ざるを売って生活した龐居士の絵を見るために客が集まる。
ざるを売って暮らし、儲けようとはしなかった清貧の居士である。

*龐居士(ほうこじ)?‐815。唐代の仏教者。馬祖と石頭に参禅して,印可を得るが,出家せず。東土の
 維摩とよばれる。禅僧との問答が多く,その偈頌(げじゆ)300首とあわせて,早くより語録としてまと
 められた。
*第2句:瓦棺寺(364年建立、顧愷之(こがいし)が描いた維摩図が三絶とよばれて有名。また天台大 
 師智顗(ちぎ)がここで講説した。)が、建立にあたつて、寄進をもとめた際、画家の顧榿之は百万と記
 帳した。その日頃の貧しさを知る人々は大言だと思ったが、一ヶ月余にして維摩像一躯を描きあげ、第一
 日に観る者は十万銭を施さんと宣言してその通りになった。との故事から、
*漉籬・簸箕・笟籬(ろくり・ひき・さいり): ざる。
*真個(しんこ)真実であること。まこと。真実であるさま。本当に。真に。
(´・(ェ)・`)つ

920避難民のマジレスさん:2020/08/20(木) 19:11:10 ID:lVkxHBd60
いたずらのオチ
297

異類行中是我曾 異類かう中是れ我かつてせり
能依境也境依能 能は境に依りまた境は能に依る
出生忘却來時路 出生忘却す來時の路
不識當年誰氏僧 識らず当年たがうじの僧

くま訳
菩薩が死後も涅槃にとどまらず、六道輪廻に身を転じつつ、衆生を救うということを、我(老牛)かつて行ったのである。
境界は認識能力によって境界としてあり、認識能力も境界を認識する事でなりたっているのである
転生する時には、前世のことは全て忘れてしまうのだ。
現世でなんと言う名の僧になるかは誰もわからないのである。

おまけ:年譜・永亨四年(1432年39歳)
師年三十九歳冬携沅子遊泉 時有女子名彭(ほう)自殺 其夫請師秉炬(ひんこ)
其語曰 手裡吹毛 能死能活 小姑彭耶 一刀兩割擲火炬於背後赴荼毘會者
火星點衣 師一日入檀家 欄有老牛戯書一偈掛其角端云 
異類行中是我會 能依境也境依能 出生忘却來時路 不識前身誰氏僧

其夜牛斃矣 
翌日 牛主戯師 頌殺吾牛
師一咲

くま訳
一休師39歳、南江くんと、泉に遊びに行ったときに、ホウという女子が自殺をした。その夫に火葬の儀を頼まれた。
一休師は、お安い御用と引受けた。「よく生きて死んだホウよ」といって、サッとたいまつを投げ込んで、火葬の儀を
取り仕切った。
精進落しに一休師が檀家のところへ行ったところ、囲いの中に老牛が居たので、そのその角の端にいたずらで頌を書いた
・・297の詩

その晩老牛は死んだ。
翌日、牛の持ち主が一休師に戯れて言った。「一休さんの詩が、私の牛を殺した。」
一休師は、笑った。

うむ。一休さんは、泉の街の人から信頼され、愛されていたようである。」

*沅子:南江宗沅(なんこう そうげん)のことでありましょう。1387-1463五山文学者。一休に傾倒。永 
 享4年一休とともに和泉(いずみ)にいき,晩年は在俗にちかい生活をおくった。
*秉炬(ひんこ)火葬の儀
*火炬(たいまつ)
*欄: 木を横に渡した囲い
*南泉普願(なんせんふがん748〜835)南泉水牯牛
*潙山霊祐(いさんれいゆう771〜853)潙山水牯牛
*異類行中:仏果位以外の菩薩や衆生などの六道に生きる者をいう。異類中行は、異類の中を行く意味であ 
 り、発願利生する菩薩が成仏した後も涅槃にとどまらずに六道の衆生を救うことである。71の詩 参
 https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/589-n   >>762

水牯牛はバラモン教のなごりでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

921鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/20(木) 23:29:53 ID:1d4drIFg0
今は畜生に生まれたが来世は善いところに生まれよという意味じゃな。
死は必ずしも悲しむべきことでもないというのじゃ。
女子も牛も善事を重ねていれば善い所に生まれるのじゃ。
今の生まれは関係ないのじゃ。

922避難民のマジレスさん:2020/08/21(金) 20:33:57 ID:OIJS2RiY0
大燈が世界一
298
賛大燈國師   大燈國師を賛す
畫出面門無覆蔵 ゑがきいだす面門ふ蔵無し
須彌百億露堂堂 須彌百億露堂堂
徳山臨済若入室 徳山臨済若し室に入らば
螢火應須遇太陽 螢火まさに須らく太陽にあふべし

大燈國師を賛す
ゑがきいだす面門ふ蔵無し
須彌百億露堂堂
徳山臨済若し室に入らば
螢火まさに須らく太陽にあふべし

くま訳
頂相に描かれてるところに、包み隠すところ無く全てがあらわれている。
全世界に対して、威風堂堂たるものである。
徳山や臨済も、もし大燈の教を受けていれば
螢の光が太陽のように輝いたであろう。

*腹蔵・覆蔵(ふくぞう):心の中に秘め隠すこと。
*頂相(ちんぞう):禅僧の肖像画

299
音と悟りに付いての一考察
風鈴   1/2
静時無響動時鳴 じょうの時は響き無く動の時は鳴る
鈴有聲耶風有聲 鈴に聲あるか風に聲有るか
驚起老僧白晝睡 老僧が白昼の睡りを驚起す
何須日午打三更 何ぞもちひん日午の三更を打すを

柳田聖山先生訳
風が止むと声をたてず、風が起こると鳴るのは、
鈴が音をたてているのか、風が音をたてているのか。
昼寝を妨げるなら、
正午に夜半の時を知らせてくれるには及ばない。

くま訳
風が静かな時は響かず、風がおきると鳴る
鈴に音があるのか、風に音があるのか、
音に驚き起こされるのである、
わしが昼寝してるときに、
何で昼に夜警のような鐘を鳴ら必要があるのだろう。

うむ。ありのままの観察をしてるのでありますね。
カラスの声で悟った一休さんによる、音と悟りについての考察は、明日もつづく。
(´・(ェ)・`)つ

923鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/21(金) 22:59:12 ID:1d4drIFg0
↑そうかもしれん。
風鈴が鳴るのは風に音があるからなのか、鈴に音があるからなのか。
公案のようじゃのう。
縁に拠って起こるものと答えておくかのう。

924避難民のマジレスさん:2020/08/22(土) 14:23:26 ID:QXTWiZ2M0
300
風鈴   2/2
見聞境界太無端 見もんの境界はなはだたん無し
好是淸聲隠隠寒 好し是れせいせいいんいん寒し
普化老漢活手段 普け老漢の活手段
和風塔在玉欄干 風にかして塔在す玉欄干

柳田聖山先生 訳
見聞きの相手は、些か気が散りすぎる、
ちょうどよいのは爽やかでそれとは見えぬところだろう。
普化老人の腕の見せ所も、
風ぐるみでは玉のおばしまにひっかけた感じだ。

くま訳
聞聲悟道 見色明心の道は極めて偶然に起こるのである。 
静かなことは好ましいが、静けさは清らかさの中に覆い隠してしまうのである。
普化老漢の、悟りへ導く為の手段なのである(本人が予期しない音をたてることは)
和やかな春風〈悟り)が寝室(心)のわずかに開けた窓から欄干に流れるのを感じるのである。(予期せぬ音で、
我が起こる瞬間に気づき、無我を悟るのである)

*見聞:聞聲悟道 見色明心 93の詩 参  
             https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/589-n >>924
*端無:何のきっかけもなく事が起こるさま。思いがけなく。偶然。
*寒い:貧しい・貧弱である・寒い
*普化(ふけ)和尚:瑞雲院法話のページより抜粋。
 奇僧として知られる唐代の人。生没年、生地、俗名などすべて不詳、馬祖大師の法嗣の盤山宝積(ばんざ
 ん・ほうしゃく)禅師に師事し法を密受したが、常に狂をよそおいその発言は尋常ではなかった。
 ・・・普化和尚は人の耳のそばで鐸を振り、あるいは鐸で人の背を打ち、そして相手が振り返ると言った。
 「我れに一銭供養せよ」。このようにおよそ人を見れば、相手の高下にかかわらず鐸を振ること一声した 
 ことから普化(普遍の教化)と号したという。
 唐の咸通(かんつう。860〜873)年間の初めごろ、滅を示すべく市に入り人々に言った。「我れに衣を

 枚供養せよ」。ところが人々が衣を与えても受けとらなかった。そこで臨済和尚が人をつかわして棺桶を 
 一つ与えると、普化はそれを受けとって言った。「臨済の小僧は饒舌だ」。そして皆に別れを告げて言っ
 た。「明日、東門へ行って遷化する」
 翌日、人々が連れ立って見送りに行くと普化は言った。「今日は日が悪い。二日後に南門で遷化する」。 
 人々が南門へ行くとまた言った。「明日、西門から出発するのが吉だ」。ところがその日も遷化せず、見 
 送る人がようやく少なくなってきた。そして四度目には北門へ行き、門の外に棺桶をかつぎ出すと鐸を振
 りながら自ら棺桶に入って亡くなった。それを聞いた人々が競って北門へ走り棺桶のふたを開けると、そ 
 こに和尚の姿はなくただ遠ざかる鐸の声を聞くのみであった。
 普化和尚を宗祖とする日本の普化宗は虚無僧(こむそう)の宗派である。
 ・・・普化和尚はいつも鈴鐸を持ち、これを鳴らしながら「明頭来明頭打、暗頭来暗頭打、四方八面来旋
 風打、虚空来連架打」と唱えて歩いていた。この偈を普化四打話とか普化鈴鐸偈という。

*和風塔在玉欄干:徐仲雅「宮詞」知恵袋・おうえつ 先生訳
 内人曉起怯春寒
 輕掲珠簾看牡丹
 一把柳絲收不得
 和風搭在玉欄杆 風に和して搭ざいす玉欄杆

 知恵袋・おうえつ 先生訳
 妻が朝起きて春の寒さに耐えなかったから、
 すだれを少し掲げて牡丹の花を見た。
 側の柳の垂れた枝を一束手に入れることができなかった。
 春風が玉の手すりから掠める。

(´・(ェ)・`)つ

925鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/23(日) 01:14:30 ID:1d4drIFg0
忠言は耳にいたしというのじゃ。
どんなに善い言葉も人には寒々しいのじゃ。
一休の布教も蛇足というのじゃ。
塔に玉の欄干があるがごとしなのじゃ。

926避難民のマジレスさん:2020/08/23(日) 03:01:29 ID:/74Q.gck0
>>925
鬼和尚、ありがとうであります。
なおしてみたであります。
300(修)
相手に気づかせるように見聞きさせることは、はなはだ難しいのである。
好いこと伝えても、反応は薄く、寒々しいのである。
普化老僧の教化法(鐸を振り、一声する)も、わしの話も、
玉欄干が邪魔をして、何も手に入れられなくしているようなものなのである。
(´・(ェ)・`)b

927避難民のマジレスさん:2020/08/23(日) 17:21:01 ID:cvVqWIyM0
266
井    1/2 
高下互看打氷輪 高下互ひに看る氷輪を打するを
衲僧轆々轉機輪 衲僧ろくろく機輪を転ず
安禪出定淸華暁 安禪出じょう淸華の暁
汲盡天邊月一輪 汲み尽くす天辺月一輪

くま訳

天空と井の中に冷たく輝く月が見る
禅僧は強烈な禅機を働かせる
一心に坐禅をして、本來あるべき所に戻り、
天に輝く月一つを汲み尽くすのだ

*氷輪(ヒョウリン):氷のように冷たく輝く月。
*安禅:いっさいの動揺を去り、身心安楽になるところから一心に坐禅を行なうこと。坐禅。
*淸華:栄華・ 権力や財力を得て、はなやかに栄えること。
*淸華家の略・公卿の家格の一。七家。九清華
(´・(ェ)・`)つ

928鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/24(月) 00:26:39 ID:1d4drIFg0
水車が回るように日々倦まずに精進すると成果も出るのじゃ。
安禅は清い華の如く暁を出だすというのじゃ。
そして天の月も汲みつくすと言うのじゃ。
月を映す水が無ければ月も映らないのじゃ。

929避難民のマジレスさん:2020/08/24(月) 20:20:34 ID:fBHCYJXA0
152
洛陽火後
寒灰充寒洛陽城 寒くわい充そくす洛陽城
二月和花春草生 二月花にくわして春草生ず
黄金宮殿依然在 黄金の宮殿依然として在り
勅下千秋萬國清 勅下って千秋万国清し

柳田聖山先生訳
京都炎上
寒々とした灰に包まれた洛北の街は
二月を迎えて早春の草花が生えだし
天子の在す御所のみが火災を免れて
日本は勅命により国家は安泰である 

くま訳
冷たい灰塵に埋もれた冬の京都の町
二月になり、春の花が咲く
皇居は依然として健在だ
天子の、御心とともに、いつまでも安泰であれと願う心が清いのだ。

*洛陽火:190年、後漢の洛陽に董卓火をかけ、戦乱が始まった 。1467年応仁の乱:大徳寺炎上。
*千秋萬(万):千年も万年もいつまでも健康であるようにと言う意
(´・(ェ)・`)つ

930鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/24(月) 22:34:19 ID:1d4drIFg0
応仁の乱では京都も焼け野原になったというのう。
皇居だけは焼けなかったというのじゃ。
それもみんなが消火に励んだからじゃろう。
そのように安泰を願う気持ちが尊いのだというのじゃ。

931避難民のマジレスさん:2020/08/25(火) 21:42:02 ID:peDpOx2g0
涅槃堂でも笑いをとりたい、一休さん。
153
涅槃堂
眼光落地涅槃堂
自悔自愧螃蠏湯 自ら悔い自ら愧ずほうかいのとう
七手八脚萬劫苦 しちしゅ    の苦
無常刹鬼火車忙 無常の    忙はし

くま訳
死を迎える場所である涅槃堂
後悔して、恥かしく思うのは、蟹汁を食すなどの贅沢をしたことだ。
多くの人が寄ってたかって、世話を焼きに来るのが、なんともも心苦しいことである。
悪行を積み重ねた末に死んだ者の亡骸を奪うとされる妖怪も忙しいことであろう。

*螃蠏(ほうかい):蟹
*七手八脚:多くの人が一斉に慌ただしく動き回る,皆が寄ってたかってやる.
*劫苦:長い期間続く苦しみのこと
*殺鬼:万物をほろぼし去る無常をたとえていう語
*火車/化車(かしゃ):悪行を積み重ねた末に死んだ者の亡骸を奪うとされる日本の妖怪
(´・(ェ)・`)つ

932鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/25(火) 22:46:53 ID:1d4drIFg0
人が死ぬ時には自ら悔い愧じるものじゃ。
それを閻魔の裁きと解釈したりするのじゃ。
死に際には湯に落ちた蟹の如く手足をばたばたさせて苦しむのじゃ。
禅語では蟹の如く手足をばたばたさせる様を七手八脚といったりするのじゃ。
無常の羅刹鬼が乗る火車も忙しく走り回るのじゃ。
生きている内に善事をつむと善いのじゃ。

933避難民のマジレスさん:2020/08/25(火) 23:32:49 ID:peDpOx2g0
>>932
鬼和尚、ありがとうであります。
あらためて検索したら、出てきたであります。
柳田聖山先生著・禅語の発掘(キャッシュ)より
『無関門』の第三十五に、倩女離魂の公案がある。もと、唐代の伝奇小説『離魂記』からとったもので、こ
の相い寄る魂のものがたりは、よほど人々の関心をひいたものとみえ、元代には、別に雑劇の一つにもなっ
ている。
ところで、無門はこの公案の説明のうちに、「驀然として地水火風の一散するとき、湯に落ちたる螃蟹のご
とくに七手八脚ならん」といっている。断末の際、肉体を構成する四つの要素が空にかえるとき、われわれ
はあたかも熱湯の中におとされたカニのように、もがきくるしむほかはないとういう意味である。螃蟹はカ
ニの俗称、七手八脚は手足をバタバタさせる形容である。カニのたとえは、じつは雲門の説法からきている。

忽ち一日、眼光の地に落つるとき、前頭に什麼を将って抵擬せん。湯に落ちたる螃蟹に似て、手忙しく脚乱
るること莫かれ。你が掠虚に大話を説く処無からん。(『伝燈録』巻十九)

これで明らかなように、「七手八脚」は手忙しく脚乱るる様子である。『五燈会元』の仏照徳光の説法にも、
「七手八脚、三頭両面、耳は聴くも聞えず、眼は覷るも見えず」とある。この場合は、カニではなくて人間
のことである。せっぱつまると、人間でも手足が八本、顔が二個あることになるらしい。
(´・(ェ)・`)b

934避難民のマジレスさん:2020/08/26(水) 00:29:14 ID:peDpOx2g0
153修正くま訳
修正くま訳
死を迎える場所である涅槃堂では、
悔い、愧じて、湯に投ぜられた蟹のようにもがくものなのだ。
手足をばたつかせて永遠の苦しみのように感じるのだ。
悪行を積み重ねた末に死んだ者の亡骸を奪うとされる妖怪も忙しいことであろう。
(´・(ェ)・`)b

935避難民のマジレスさん:2020/08/26(水) 19:41:44 ID:5PNHw7hQ0
師家養成講座 譬喩の使い方
155   1/2
倭國以譬喩作實 倭国比喩を以って実となす 
勘辨入邪毒気深 勘弁邪に入って毒気深し
元非君子小人心 元君子に非ず小じんの心
暗認譬喩作實會 暗に比喩をとめて実ゑをなす
苔衣雲帯楽天吟 たいえ雲帯楽天が吟

くま訳
日本では、遠まわしな比喩で、物事を伝えようとする。
修行者の力量を測るのに間違った方法をとれば、毒になってしまう。
元々学識の深い人格者ではなく未熟な相手には、
遠まわしな比喩を使い、実際の指導効果をもたらすのである。
山の景観について、苔むした岩は衣の様であり、山肌にまとわる白雲は帯の様であると、謡曲白楽天に詠ま
れているような感じに、比喩を使うのである。

*譬喩:教説の意味内容を理解しやすくするために、実例や寓話などを用いて説明すること。釈尊は説法に

 際して譬喩を巧みに用い、大乗・小乗を通じて諸経論に多くの譬喩が説かれている。
*勘辨:禅宗で、修行者の力量や素質を試験することにいう。
*邪:心がねじ曲がって正しくないこと。また、その人。よこしま。不正。
*君子:学識・人格ともにすぐれた、りっぱな人
*苔衣:僧・隠者などの着る粗末な衣服。こけごろも。こけのたもと。こけのきぬ。

しかる時には比喩は使わない一休さん
156    2/2
今時日用誰人道 こんじ日用たれ人かいふ
超越佛祖是野老 仏祖を超越す是れや老
這般輩法中畜生 しゃ般のともがらほっ中のしゅくさん
胸襟愚不鋤荒草 胸襟愚にしてくわうさうをすかず

くま訳
今時、日常の振る舞いに付いて誰が指摘するだろうか。
仏祖をも超越する一休爺さんくらいなものである。
今時の輩は僧であっても畜生である。
心うちが愚であり、心中迷いの中にあり、目もあてられぬ有様である。

*法中(ほっちゅう・ホウジュウ)多くの僧をさしていう。僧の仲間。
*荒草曾て鋤かず:臨済録の「上堂」にある、言葉。「心中の迷いの茫々たり。目もあてられぬむさむさし
さ」
(´・(ェ)・`)つ

936鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/26(水) 21:40:40 ID:1d4drIFg0
>>933 そうじゃ、禅語では世間の言葉と違う用法をするから気をつけなければならんのじゃ。
 後ろ禅と追加して検索すると善いのじゃ。

937鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/26(水) 21:43:38 ID:1d4drIFg0
もはや乱世になって誰が道を行くのかとと嘆いているのじゃ。
ただこのじいさんだけというのじゃ。
僧と名乗るものでも畜生に等しいのじゃ。
本心には触れもせずほったらかしでは修行にもならないのじゃ。

938避難民のマジレスさん:2020/08/27(木) 20:18:06 ID:cj1chvzQ0

自分の正しさが理解されずに、嘆いてみせる一休さん
158
示禮佛組禱福力僧 仏祖を礼(らい)し福力を祈る僧に示す
覊客恨多天地人  きかく恨み多し
愚哉鬼窟舊精神  愚なる哉鬼窟の旧精神
元來諸法従縁起  元來諸法縁によって起こる
風月沈吟一箇貪  風月沈吟一個の貧

くま訳
仏を拝んでご利益を祈る僧に示す
束縛の多い人生行脚、恨みが多いこの世である。
愚かなことである、ものの道理に暗い、古い物事の考え方
元來諸法は縁起によって起こる。
風月をめでて、作詩に耽るのも、三毒の一つ貪であるというのだ。

羈客:旅客
羈絆(きはん):牛馬をつなぎとめるものの意。行動する者の妨げになるものや事
福力:福徳の力。財に富んで勢力のあること。また、その人。
鬼窟:知識が開けないで、ものの道理にくらいこと。また、そういう所や仲間。転じて、くだらないことの
意にもいう。

名僧紹介
159
賛慈恩窺基法師 じおんきき法師を賛す
窺基三昧獨天眞 きき三昧独り天眞
酒肉諸経又美人
座主眼睛猶若此 ざすの眼睛かくの如し
宗門唯有箇宗純    個の宗純有り

くま訳
慈恩大師を讃える
慈恩大師は独り三昧に入り、諸法の本然の姿を知っている。
酒肉を食らい、諸経を修め、又美人を愛す。
一山首席の僧の真実を見抜く力とは、かくの如きものである。
大徳寺宗門では、独り宗純のみがそれを持つのである。

*慈恩窺基法師:慈恩大師・(632-682)唐代、法相宗を起した。玄奘三蔵に師事『成唯識論』を注釈して
 『成唯識論述記』『成唯識論掌中枢要』を著し、『唯識三十頌釈』中の護法の釈論を中心に据えて、真諦
 (しんだい)訳を中心としたそれまでの唯識説を批判し、新唯識説を打ち立てた。
 出家するにあたって、師の玄奘に、女色と酒肉を断たないことを条件として要求し、僧となってからは酒
 、女、そして経典をのせる三つの車を率いたという逸話から、三車法師というあだ名がつけられたという。 
 しかし、「宋高僧伝」における玄奘と基とのエピソードは学術的には信頼性に欠けるものとされ、この逸
 話を記載する「宋高僧伝」自身も、基自らが「自序」において語る来歴との齟齬から、もし基が事実を述
 べているとするなら、誹謗中傷の説であると述べている。
*座主(ざす):住職最上位の別称
(´・(ェ)・`)つ

939鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/27(木) 22:29:27 ID:1d4drIFg0
酒色を嗜む自分を同じく嗜む慈恩の宗門と詠っているのじゃな。
真の悟りを得ればもはや酒色も囚われずに嗜むのじゃ。
それが出来るのは自分と慈恩のみというのじゃ。

940避難民のマジレスさん:2020/08/28(金) 20:57:42 ID:RoJ3t8Ms0
うむ。寺経営は難しいのでありましょう。
157
行脚
咸陽金玉幾楼臺 咸陽の金ぎょく幾楼台
方寸封彊歸去来 方寸のほうきょう帰へんなんいざ
一箇出頭天外看  一個天外に出頭して看れば  
須彌百億草蛙埃 しゅみ百億草あいのちり

くま訳
咸陽の黄金と宝玉を散りばめ幾重もの楼台に囲まれた阿房宮(如意庵)を出て
狭いどての庵に帰るぞ!いざ!
迷妄の雲を 突き破って悟り、天の外に 飛び出せば、
須彌山(世界)が百億あっても、そんなものは、草履の塵にに過ぎないと分かるのだ。

*封彊(ほうきょう):どて
*帰去来(ききょ らい):陶淵明(とうえんめい)「帰去来辞」より。故郷に帰るために,官職をやめてそ
 の地を去ること。「かえりなんいざ」と訓読されてきた。
*出頭天外看 :迷妄の雲を 突き破って 天の外に 飛び出してみなさい
(´・(ェ)・`)つ

941鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/28(金) 22:45:06 ID:1d4drIFg0
なかなか壮大な詩なのじゃ。
黄金や宝玉をちりばめた楼台より、狭い我が家に帰るほうがよいというのじゃ。
天の外まで頭を突き出せば、チョモランマも草履の塵なのじゃ。
それは観念ではなく実感なのじゃ。
ブラフマンの法なのじゃ。

942避難民のマジレスさん:2020/08/28(金) 23:17:01 ID:RoJ3t8Ms0
>>941
鬼和尚、ありがとうであります。
明日取り上げる詩が、明確に如意庵脱出の際の詩なので、それに引き寄せられて、狭く解釈
してしまったであります。
気宇壮大な悟りの詩と解釈したほうが、良いで有りますね。
くま訳の(如意庵)を削除するであります。
(´・(ェ)・`)b

943避難民のマジレスさん:2020/08/29(土) 18:24:05 ID:hDzlT5kk0
如意庵脱出大作戦
160
将入山中      将に山中に入らんとして  
一偈書屋壁以示衆去 一偈を屋壁に書し以って衆に示して去る  
愧慚禍起自蕭墻   愧慚す禍のせうしゃうより起こるを    
我見折人如劍鋩   我見人をひしいでけんぼうの如し
從此空山幽谷路   此れより空山幽谷の路
誰人來踏板橋霜   たれ人か来ってはんけうの霜を踏まん

くま訳
これより寺を出て、山に入ろうとするに際して
偈を一首、屋壁に書き残し、皆に示した
残念で愧ずべきなのは、寺内の内輪もめにより禍が起こったことである。
我見、相手を圧し潰す、剣の切先のような偈を書き残した。
これより、空山幽谷へ旅立つ
一体誰が、訪ねてきて、板橋の霜を踏むというのか。

*偈(げ、サンスクリット語: gāthā)とは、仏典のなかで、仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるのに韻文
 の形式で述べたもの。「偈陀(げだ)」「伽陀(かだ)」とも音写し、意訳して「偈頌(げじゅ)」とい 
 う。対して散文部分を「長行」という。中国日本の偈禅僧などが悟境を韻文の体裁で述べたものを「偈」
 と呼ぶ。中国の偈は押韻しているのが普通であるが、日本人の詩偈と呼ぶ儀式に使用される法語には破格 
 のものも多い。

*蕭牆の患い(しょうようのうれい):一族の内輪もめ。内乱。「蕭牆」は君臣の会見所に設けた屏風。
*我見:①自分だけの狭くかたよった意見や見方。② 「我執(がしゆう)」に同じ。
*折ぐ・拉の異字体(ひしぐヒサグ)押しつぶす。ひしぐ。押されてつぶれる。ひしゃげる。
*剣鋩・剣芒(けんぼう):つるぎのきっさき。剣鋒

一休さん47歳 大徳寺で華叟和尚の十三回忌があり、放浪中の一休さんも参加。大徳寺の人の要請で山内の
如意庵に住むが、嫌気して十日で出ていってしまった。そのときの偈↓ くま訳は後日

住庵十日意忙忙
脚下紅絲線甚長
他日君來如問我
魚行酒肆又淫坊
(´・(ェ)・`)つ

944鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/29(土) 22:32:40 ID:1d4drIFg0
>>942 そうじゃ、一休も全てになったのじゃ。
 全てが全ての境地なのじゃ。

945鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/29(土) 22:34:30 ID:1d4drIFg0
寺に内輪もめが起きて捨てたというのじゃ。
出家の出家なのじゃ。
もはや誰も来ないところに行くというのじゃ。
しかしやはり戻ったりするのじゃ。

946避難民のマジレスさん:2020/08/30(日) 13:10:00 ID:GUs4LvF60
手紙の書き方講座(近況・お礼・用件・励まして、締め)
161
示山中典座   山中典座に示す
皈宗一味日興餘 きすの一味にっきょうの余
典座山中功不虚 典座山中功虚しからず
休覓浄名香積飯 浄名のこうしゃくのはんをもとむるをやめよ
何時饍有美雙魚 何れの時か膳に美双魚あらん

くま訳
如意庵の典座に示す
わしは、帰宗の一味禅のように、余計な事に囚われずに、本来の修行生活に戻り、日々興じているよ。
典座の如意庵における功績は、大であった。
ただ、在家の富豪の信者に豪華な食事の提供を求めるのはやめなさい。
そのうち、良い便りがあるさ。

*典座(てんぞ)禅宗用語。禅林において座具,炊飯,料理を司る僧侶の役職名。重要な役なので高潔の僧 
 が選ばれる。
*歸宗:帰宗智常・馬祖の弟子
*浄名:維摩詰(ゆいまきつ)」。漢訳して「浄名」「無垢称」〕 古代インドの毘舎離(びしやり)城の
 富豪で、釈迦の弟子となり在家のまま大乗仏教の奥義に達したと伝えられる人物
*香積飯(こうしゃくはん):「維摩経‐下・香積品」香積如来の食べるご飯。転じて、僧の食べる物を
 敬っていう。
 香積如来:この世界の上方にある、すべてが香気を放つという衆香世界の仏。
*双魚・:遠来の客が置いていった2匹の鯉 (こい) の腹中に手紙があったという「古楽府 (こがふ) 」  
 の故事から、手紙のこと。
(´・(ェ)・`)つ

947鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/30(日) 22:05:26 ID:1d4drIFg0
出家でも名声や美食を求める者が居たのじゃな。
そのようなものを求めるのは止めよというのじゃ。
全ての世を捨てるのが出家であるからのう。
真の喜びは自らの心の中にのみあるのじゃ。

948避難民のマジレスさん:2020/08/31(月) 20:00:47 ID:1yezVXyg0
宮沢賢治憧れの菩薩紹介(けど、一休さんは、黙ってない)
162
禮常不軽菩薩  常不きょう菩薩をらいす
記得昔年常不軽 記どくす昔年の常不軽
可惶血気衆生情 おそるべし血気衆生の情
看看火宅脚跟下 看よ看よ火宅脚こん下
滿目無間獄大城 満目無間獄の大城

くま訳
常不軽菩薩を礼拝する。
昔覚えた常不軽菩薩。
おそるべし、旺盛な活力、生きとし生けるものの心の働き。
見よ足元の、煩悩、苦に満ちた娑婆世界を
見渡す限り無間地獄の大城だ

*常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ、梵:Sadāparibhūta):法華経に登場する菩薩である。釈尊の前世の
 姿であったとされる。常不軽菩薩は自身が誹謗され迫害されても、他人を迫害するどころか、仏法に対す 
 る怨敵などと誹謗し返さなかった。この精神や言動は、宗派を問わず教理を越えて、仏教徒としての原理 
 的な行動・言動の規範としてよく紹介引用される。
 宮沢賢治は、この菩薩のように生きたいと手帳に書いて常に持ち歩いていた。
*血気:旺盛な活力、気力
*火宅:煩悩、苦に満ちた此の世、娑婆世界
*無間獄:無間地獄:八大地獄の一つで、八熱地獄の八番目、最下底の地獄。「五逆」と「謗法ほうぼう
 (仏法を誹謗ひぼうすること)」の大罪を犯した者が落ちて、絶え間なくきびしい責め苦を受ける所とさ 
 れる。
(´・(ェ)・`)つ

949鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/08/31(月) 22:21:50 ID:1d4drIFg0
もはや乱世も近く血気盛んな若衆もいたのじゃろう。
傍若無人な者を見ては世も末であると嘆いていたのじゃろう。
一切皆苦の火宅に喜びはないのじゃ。
火宅から無間地獄に行かないように謙虚に生きるのじゃ。

950避難民のマジレスさん:2020/09/01(火) 20:16:53 ID:CccXjOcY0
事件であります
163   1/2
前年辱賜大燈國師頂相 前年大燈國師の頂相を賜ふことをかたじけなうす
予今更衣入浄土宗   予今えを改めて浄土宗に入る
故茲奉還栖雲老和尚  故にここにせい雲老和尚に還し奉る 

離却禪門最上乗    禅門最上乗を離却して
更衣浄土一宗僧    えをかふ浄土一宗の僧
妄成如意霊山宗    みだりに如意霊山の衆と成って
嘆息多年晦大燈    嘆息す多年大燈をくらますことを

くま訳
前年大燈國士の肖像画を頂いたことを、かたじけなく思います。
私はこれから、僧衣を改めて、浄土宗に改宗します。
故に、ここに、栖雲老和尚に対して、画を返還し奉る。

禅門最上の達磨の禅を離却して、
僧衣をかえて、浄土宗の僧になります。
今まで無分別にに、如意庵や徳禅寺で僧となり、
嘆き、苦しんでいます。長年大燈國師の法灯をたぶらかしてきました。

*頂相(ちんぞう・ちんそう・ちょうそう)または頂像は、禅僧の肖像画、または肖像彫刻のこと。
*最上乗禅:達磨の系統の禅をいったもの(この上ない乗り物としての禅の意)。中国唐代の宗密が、禅に
 外道禅・凡夫禅・小乗禅・大乗禅・最上乗禅があるとしたのによる。

結局、最後には大徳寺住持になり、今やその墓所は宮内庁管理下でありますから、臨済宗と浄土宗で、一休
さんの取り合いでありましょうが、本人にとってはどうでも良い事なのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

951鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/01(火) 22:48:32 ID:1d4drIFg0
そうじゃ、もはや宗派などどうでもよいのじゃ。
どこにでも行ったりきたりするのじゃ。
自在なのじゃ。
今までこんなに自由だった者はいなかったじゃろう。
これからもいないじゃろう。
それが一休が愛される理由なのじゃ。

952避難民のマジレスさん:2020/09/01(火) 22:57:32 ID:BDVNOiQA0
うむ。で、ありますね。
すっかり、とりこのくまであります。
(´・(ェ)・`)b

953避難民のマジレスさん:2020/09/02(水) 13:45:30 ID:tKAk9nHE0
鬼和尚さま

2才半になる子どもを育てているのですが、食べむらや偏食があり、栄養が心配なのでアドバイスお願いします。

具体的には、小食で、バナナや甘い物ばかり食べたがり、野菜は、カレーやミートソースなど、みじん切りかペースト状のものしか食べません。
お好み焼き、麺類はほとんど食べません。
ご飯は食べず、バナナ牛乳だけ飲むなんてことも多いです。
カレーやミートソースも頻繁だと飽きて食べなくなります。
野菜類がうまく食事でとれない時は、野菜ジュースを飲んで貰うようにしてます。
野菜ジュースは、スーパーで200円代で売ってる果物入りの物です。
西式健康法の本を読んだことがあるので、野菜は野菜ジュースでとれればいいかと思っていたのですが、果物入りで甘く、鮮度も良くないでしょうし、体に良いのか心配になりました。
もし、市販品で良いものがあれば教えていただけないでしょうか。

また、ナッツ系にアレルギーがあります。
甘い物の食べすぎでアレルギーになってしまったのでしょうか?

よろしくお願いします。

954避難民のマジレスさん:2020/09/02(水) 13:47:02 ID:tKAk9nHE0
953です。
すみません。
書くところを間違えました。
相談のところに書きます。

955避難民のマジレスさん:2020/09/02(水) 20:37:07 ID:giq2kMYI0
164    
前年辱賜大燈國師頂相 2/2 
狂雲大徳下波旬 狂雲大徳下のはじゅん
會裡修羅勝負嗔 えりの修羅勝負いかる
古則話頭何用處 古則話頭何の用じょぞ
幾多辛苦數他珍 幾多の辛苦他の珍を数ふ

くま訳
狂雲は大徳寺の悪魔のような奴らと、
一休会下の醜い争いに怒っているのである。
古人が残した手本や公案を用いるような場合ではないのだ。
幾多の辛苦を経ることにより、他の者が滑稽な誤りを犯していることに気づけるようになるのだ。

*波旬:サンスクリット語のパーピーヤス、パーリ語のパーピマントの音写で、悪意(パーパ)ある者の意。
仏や仏弟子を悩ます悪魔、魔王として登場し、しばしば魔波旬(マーラ・パーピマント)とよばれる。魔
(マーラ)は殺す者の意。個人心理的には安定(悟り)に対する不安定(煩悩(ぼんのう))の、集団心理的
には新勢力(仏教)に対する旧勢力(バラモン教)の象徴と考えられる。
*修羅:阿修羅(あしゅら、梵, 巴)六道の一つであり、戦闘をこととする鬼類。
(´・(ェ)・`)つ

956鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/03(木) 00:25:02 ID:1d4drIFg0
わしは悪魔じゃとかいうのじゃ。
修行は阿修羅が怒りて勝負する如しなのじゃ。
いにしえの手本など通用しないのじゃ。
さんざん苦労して修行してこそ真に尊いものを知ることが出来るのじゃというのじゃ。

957避難民のマジレスさん:2020/09/03(木) 00:49:17 ID:iMRndr5k0
>>956
鬼和尚、ありがとうであります。
くま訳改
狂雲は大徳寺の悪魔である
一休会下の者たちは、阿修羅の如く修行せよ。
古則考案等も修行のために使わなければ無意味である。
幾多の辛苦を乗り越えてこそ、真に尊いものに出会えるのだ。
(´・(ェ)・`)b

958鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/03(木) 22:39:00 ID:1d4drIFg0
↑そのような感じじゃな。
なかなか厳しいことをいうのじゃ。
修行も命がけでやらなければ意味がないというのじゃな。
昔は徹夜で座禅するのもあたりまえだったというのじゃ。
真摯に悟りを熱望すれば悟道も向こうからやってくるのじゃ。

959避難民のマジレスさん:2020/09/03(木) 22:51:30 ID:U//D.ckI0
一休さん、宣戦布告!
165
自山中昄市中  山中より市中に帰る
狂雲誰識属強風 狂雲たれかしらん強風に属するを
朝在山中暮市中 あしたに山中に在り暮には市中
我若當機行棒喝 我若し機に当たって棒喝を行ぜば
徳山臨済面通紅 徳山臨済面通こう

くま訳
山(譲羽山)から(京都)市中へ帰るのだ
狂雲が、実は狂風だとは誰も知るまい。
朝、山中に居たと思ったら、夕方には市中に居るのだ。
わしが、臨機応変に、棒喝を駆使したら、臨済や徳山でも、ビビッて赤面するであろう。

*山:譲羽山
*風狂:中国の仏教、特に禅宗において重要視される、仏教本来の常軌(戒律など)を逸した行動を、本来
 は破戒として否定的にとり得るものを、その悟りの境涯を現したものとして肯定的に評価した用語である。
*臨済の喝徳山の棒:「伝灯録」・臨済禅師はよく大喝を与え、徳山和尚はよく痛棒を加えたことから、  
 禅宗の修行のきびしさのたとえ。

一休さんの師家養成講座
166
竹幽齋
香厳多福主中賓 きゃう厳多福主中のひん
密密参禪到要津 密々参禪要津に到る
六六元來三十六 六六元來三十六
清風道處有佳人 清風動く処佳人有り

くま訳
竹幽斎
香厳は、とても幸運だった。師匠には力量が無かったが、本人に力があった。
独り緻密な瞑想に取組むことこそが、悟るための重要な手段なのである。(知識ではないのである)
六×六は三六。道理にかなった結果である。
清らかな風が吹くところには、美人が居るものである。

*竹幽斎:香厳智閑(きょうげん・ちかん。?〜898)道を掃除している時に、竹に小石が当たり、響いた
 音を聞いて(撃竹)を聞いて大悟す、故に之を云ふ
*佳人:美人。此の佳人、大悟底の因縁なり。
*要津:迷いの海を渡りさとりの彼岸に達するための重要な手段、方法。港
(´・(ェ)・`)つ

960避難民のマジレスさん:2020/09/03(木) 23:10:09 ID:U//D.ckI0
おまけ①:四賓守(飛不動HP解説)  
 四賓主は、賓と主、二人の能力の関係を四通りに分けたものです。賓は客、主は亭主。通常、客が修行者、
 主は師となります。
 ① 客看主 「客、主を看る」
  修行者が力量のある者で、師に力量がない=劣る場合。
 ② 主看客 「主、客を看る」
  師に力量があり、修行者に力量がない=劣る場合。
 ③ 主看主 「主、主を看る」
  師も修行者も、ともに優れた者の場合。
 ④ 客看客 「客、客を看る」
  師も修行者も、ともにまだ悟っていない力量不足者同志の場合。

以上は臨済宗の場合で、曹洞宗では、
 ①主中賓 ②賓中主 ③主中主 ④賓中賓 と表します。

 ① 修行者に見破られている状態。
 ② にわか住職に見破られている状態。
 ③ 共に悟りの眼があり、禅の話をして相通じる状態。
 ④ 共に悟りの眼がないので、お互い話がチンプンカンプンの状態。

おまけ②:四料簡 しりょうけん(飛不動HP解説) @前スレ31〜34の詩・参
こちらも臨済義玄禅師が提唱したもので、臨機応変に修行者を導くことを示した四種類の指導方法です。

1、奪人不奪境だつにんふだつきょう 
  修行者が自分を見つめることを否定して、現象とか環境に没入させる。
2、奪境不奪人だつきょうふだつにん 
  修行者が現象とか環境に没入することを否定して、自分のみ見つめさせる。
3、人境両倶奪にんきょうぐだつ 
  修行者を徹底的な無の境地に導く。
4、人境倶不奪にんきょうぐふだつ 
  修行者に、すべてありのままに受け止めさせて、何ものにも束縛されない境地に導く。

これも日常生活に置き換えてみることができると思います。

1、ある時は、自分を忘れて相手を生かす。
2、ある時は、相手を無視して自分だけで振舞う。
3、ある時は、自分も相手も忘れる。
4、ある時は、自分もあり、相手もある。"
(´・(ェ)・`)つ

961鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/05(土) 00:18:34 ID:1d4drIFg0
本人が強く悟りを求めていれば師匠がいなくても悟れるのじゃ。
マハリシのようにのう。
日々精進してこそ悟りもやってくるのじゃ。
六根六強の凡人も元来仏なのじゃ。
修行してきた者にのみわかる道理も在るのじゃ。

962避難民のマジレスさん:2020/09/05(土) 02:43:46 ID:0F70uATg0
>>961
鬼和尚、ありがとうであります。
くま訳改
香厳には、幸いなことに、本人に悟りを求める力があった。
独り緻密な瞑想に取組むことこそが、悟るための重要な手段なのである。
六根に囚われる凡人も、元来仏なのである。
形式に囚われず、ありのままに気づく修行を続ければ、悟りがおとずれるのである。

*六六:六根六強:六根「感覚や意識を生じ、またそれによって迷いを起こさせる原因となる六つの器官」に強 
 く囚われる。
*三十六:仏の「三十二相」を七言三十六句 (または四十句) の韻文にした声明の句数から「仏」のこと。
*清風道:清風動脩竹・『普燈録』上堂・・形式に囚われず本質をありのままにとらえること・・でありま 
 しょうか
(´・(ェ)・`)b

963鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/05(土) 22:27:53 ID:1d4drIFg0
六強は六境の間違いだったのじゃ。
変換間違いじゃな。
六根の認識対象なのじゃ。
色声香味触法なのじゃ。

964避難民のマジレスさん:2020/09/05(土) 23:37:53 ID:nenS2e0o0
>>963
鬼和尚、ありがとうでであります。
くま訳改改
感覚や意識とその認識対象を分別し、認識主体ありとする凡人も、本来仏なのだ。
(´・(ェ)・`)b

965避難民のマジレスさん:2020/09/05(土) 23:55:36 ID:nenS2e0o0
臨終に立ち会う際の心構え
167
我病不及良薬効験 我が病良薬の効験に及ばず
不及経呪霊験   経呪の霊験に及ばず
逐日窮困     日逐ふて窮困す
有我情識儞等諸人 我が情識有るときなんぢら諸人
縦雖刹那     たとひ刹那と雖も 
縦雖一念     たとひ一念と雖も
成真正工夫    真正の工夫を成し
窮決未了處    窮決未了の処
到着實處     実処に到着せば
諸魔障頓除    諸の魔障頓(とみ)に除いて
老懐如意耳    老懐如意ならんのみ
衆無對      衆こたへ無し

右霊山和尚因病示衆法語 右霊山和尚病に因って衆に示す法語
題其後云     其の後に題すと云ふ     

不須経呪亂心頭 経じゅの心頭を乱すことをもちひず
佛界伎窮魔界収 佛界伎窮まり魔界収まる
莫向愁人説愁意 愁人に向かって愁意を説く莫れ
相如雲雨渇望秋 相如が雲雨渇望の秋

くま訳
我が病は良薬の効果なく、
経呪を唱えてもご利益なし。
日をおって、悪化している。
我が心の迷いがあり、混乱しているとき汝等各人
仮に刹那であり、
仮に一念であっても、
真剣に、加持祈祷などの工夫をしてくれて、それでも、
最終的な解決法がもたらされないとき
現実の結果(死)が出れば、
(心をかき乱す)魔性はただちに取り除かれるものであるよ。
死を前にした年寄の願いはそれだけである。
修行僧たちは、一言も無かった

この霊山和尚病に因って修行僧に示した法語
其の後にと題して

経呪を唱えるなど、心を混乱させることする必要は無い。
仏界の智慧の技が窮まれば、魔界を鎮めることができる。
愁い悲しむ人に対して、愁い悲しみを説くことなかれ。
一緒に、エッチなことでもしに行きたくなる秋ですね。とでも言えば良いのである。

*情識:心。迷いの心。本能のままの心の作用
*工夫:参禅修行に励み、様々な努力を重ねる
*魔障:仏道の修行の妨げをなすもの。また、悪魔。
*相如(しゃうじょ): 性質や状態などが互いに匹敵する。
(´・(ェ)・`)つ

966鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/06(日) 22:45:36 ID:1d4drIFg0
経典も呪文も頭を乱すのみというのじゃ。
仏界も無く、魔もない究極の境地に行くのじゃ。
自己を持つものに自己を説いても無意味なのじゃ。
それは雲や雨が秋を渇望しているというようなものなのじゃ。
己を極めれば自然に悟りはやってくるのじゃ。

967避難民のマジレスさん:2020/09/07(月) 19:18:00 ID:RoJ3t8Ms0
>>966
鬼和尚、ありがとうであります。
くま訳改
経呪を唱えるなど、心を混乱させることしてはならない、
仏界の智慧の技を窮め、魔界を鎮めて、仏界、魔界の彼方へ行くのだ。
愁い悲しむ自我がある者に対しえ、愁い悲しむ自我を説くことは無意味である。
それは、雲や雨が秋を渇望しているようなものである。観念を追うのではなくて、ありのままをありのままに極めるのだ

*窮まる:①極限に達する。②この上なく…である、きわめて…であるなどの意を表す。
 ③(「谷まる」とも書く)行き詰まって困りはてる。④終わる。尽きる。⑤結論が出る。決まる
*収まる:取り入れる。 乱れがしずまる。2.おだやかに落ち着く
*愁い:①悪い状態になることを予想し心配すること。不安。②心中にいだくもの悲しい思い。憂愁。③災 
 い。難儀。
(´・(ェ)・`)b

968避難民のマジレスさん:2020/09/07(月) 19:22:12 ID:RoJ3t8Ms0
覚者の真の心境
168
人境懐古 1/2
境無心燈籠露柱 境は無心なり燈籠露柱
人辨別珠玉塊土 人は弁別す珠玉くわいど
一夜五十年前吟 一夜五十年ぜんの吟
青塚残月巫山雨 せいちょうの残月ぬざんの雨

くま訳
人里の思い出
感覚や意識の対象、その認識主体など無いのだ。ただ、ありのまま、燈籠やお堂の柱があるのみである。
人は宝玉と土塊を分別する。(が、本来何の違いも無い、従って、)
五十年前の一夜の吟
京都久津川青塚古墳に残月がかかる中、夢の中で契りを結んだ珠玉の思い出。(んなものに何の価値もないこ
とを、わしは知っておるのだ。)

*境:視覚 (眼) ,聴覚 (耳) ,嗅覚 (鼻) ,味覚 (舌) ,全身体的触覚 (身) ,心の感覚 (意) の6種の
 知覚器官 (六識 ) によって知覚される対象のことで,それぞれ,形 (色) ,音声 (声) ,匂い (香) ,
 味 (味) ,接触されるもの (触) ,考えられるもの (法) をいう (→六境 ) 。
*露柱:むきだしになった柱のことで、法堂や仏殿にある円柱のことを指す。瓦礫?や灯籠?などと同じよう 
 に、無情・非情な物の喩えに使われて、特に曹洞宗の宗乗では、この露柱こそが仏法を説いている無情説 
 法を会得せんとする。
*巫山の雲雨:楚の宋玉(屈原の弟子)の「高唐賦」序に楚の懐王が高唐に遊んだ際、疲れて昼寝している 
 と、夢の中に「巫山の女(むすめ)」と名乗る女が現れて王の寵愛を受けた、という記述がある。彼女は
 立ち去る際、王に「私は巫山の南の、険しい峰の頂に住んでおります。朝は雲となり、べは雨となり(旦
 為朝雲、暮為行雨)、朝な夕な、この楼台のもとに参るでしょう」と告げた。
 この故事から、「巫山の雲雨」あるいは「朝雲暮雨」は、男女が夢の中で契りを結ぶこと、あるいは男女
 の情交を意味する故事成語として用いられるようになった。
*懐王(かいおう、? - 紀元前296年)は戦国時代の楚の王
*青塚:京都久津川青塚古墳・報恩庵から歩いて1時間半
(´・(ェ)・`)つ

969鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/07(月) 22:03:00 ID:1d4drIFg0
六境無き心の灯篭は柱を露にするというのじゃ。
玉と土塊を分別するのは人なのじゃ。
一夜に五十年を前に吟唱するのじゃ。
青塚に月が残り、巫山に雨がふっていたのじゃ。

970避難民のマジレスさん:2020/09/08(火) 19:23:49 ID:1NnBepF.0
>>969
鬼和尚、いつもありがとうであります。
くま訳改
六境無き心の燈籠柱を露にする
珠玉と土塊を分別するのは人なのだ
一夜五十年前を吟じる
青塚に残月巫山に雨が降っていたのである

覚者の心境 その2
169    2/2
兩片皮復一具骨 両片ぴまた一具骨
島虫馬牛更魔佛 島虫馬牛更に魔佛
混沌未分暗昏昏 混沌未分暗昏昏
雲月知爲誰風物 雲月は知らぬ誰が為の風物ぞ

石井恭二先生訳
人には二つの耳たぶと、一そろいの骨が具わっている、
鳥虫馬牛、また魔仏と、さまざまだ。
天地が開けるまでは、すべては暗闇に包まれて混沌としていた、
雲や月は、誰かのための風物ではないことを知っている

くま訳
上下の唇、人体の骨
鳥虫馬牛更には仏魔
なにもかも混沌として、見分けがつかなくなる日暮れ時
雲月は誰かの為にあるわけではないのだ。
(´・(ェ)・`)つ

971鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/08(火) 22:53:58 ID:1d4drIFg0
両耳と頭蓋骨のある頭は一切衆生がもっているものじゃ。
鳥や虫や馬や牛や魔も仏さえも同じなのじゃ。
一切は混沌として分別できぬ同じものなのじゃ。
雲や月が風物とするのも人の分別なのじゃ。

972避難民のマジレスさん:2020/09/09(水) 20:29:03 ID:qC4HxYB20
>>971
鬼和尚、ありがとうであります。
くま訳改
両耳と頭蓋骨のある頭をもつ、
鳥虫馬牛、魔も仏も、
一切は衆生みな同じ。混沌として分別できないのでる
雲月を風物とするのも人の分別なのである。

ありがとう、達磨さん
170
渡江達磨    渡江の達磨 
脚下苦哉平地波 足下苦なるかな平地の波
誰人梁魏定聱訛 たれ人か梁魏にがうぐわを定む
西來莫道大難意 西来いふなかれ大難の意
河廣傳聞一葦過 かこう伝へ聞く一ゐ過ぐと

くま訳
達磨が梁から北魏に移る時、葦を折ってそれに乗り、揚子江を渡ったという伝説あり。
予想外の事が起こり、足下が苦しかったであろう。
だれが、梁と魏との複雑な関係を治めることができただろう。
インド、中国を経て仏教が伝わるのは大変困難であると言うなかれ。
確かに隔てる河は広かったが、既に達磨を乗せた小船が通り過ぎて行ったと聞いたのである。わしが、達磨
の正伝を説くのである。

*平地風波(へいちのふうは):予想外の出来事や事件のたとえ。または、自ら争いを起こすことのたとえ。
 穏やかなところに波風が立つという意味から。
*誵訛・聱訛(ごうか):「いりくんで、むつかしきこと」
*いちゐ(一葦):一葦とは小舟のこと。一葦とは一束のこと、一束の葦を浮べれば、これを桴〈いかだ〉 
 として渡ることを得るといふことから、一葦は小舟を指すことになる。
(´・(ェ)・`)つ

973鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/09(水) 22:51:15 ID:1d4drIFg0
達磨の渡江にかけて仏道の伝道を鼓舞しているのじゃな。
足の下には平地でも波があり、国境もあって伝道が困難じゃというのじゃな。
伝道にいろいろ苦難が有るという意味じゃな。
それでも伝道が困難とは言うべきではない、達磨は葦の船で大河を渡ってきたではないかというのじゃ。

974避難民のマジレスさん:2020/09/10(木) 19:31:39 ID:tQxP6Xgs0
>>973
鬼和尚、ありがとうであります。
くま訳改
脚下は苦労が絶えない、
誰が梁魏の国境を超えていくのか、、
それでも、伝道は困難であると言ってはならない。
既に達磨は、葦の船で大河を渡ってきたのである




森羅万象我が思い(唯識)
171
不嫌念起所 1/2
平生贏得蠚苴名 平ぜいかちえたりらその名
信口言詮群集驚 口にまかせてごんせんして群衆驚く
自讃毀他長情識 自讃毀他情識を長ず
乾坤江海我詩情 乾坤江海我が詩情

蔭木英雄先生訳
ふだん拙僧(一休は)嘉菖の名を頂戴しており
口まかせの言葉(艶詩や罵署雑言)に人々は驚いている 
自分をほめ他人をそしって情欲と小知を増長して
広い天地江海がそのままワシの詩情なのじゃ

くま訳
日ごろわしは放大胆であると評判なのだ。
口からでまかせの言葉が、群衆を驚かせているのである。
自分を誉めて、他人を貶すことは、自分の迷情を深めるのである。自他ありのままをとらえるのだ。
天地河海全てが我が詩情なのだ。森羅万象は我が思いの中にあるのだ。

*平生:1終生,一生,生涯,終身.2平素,日ごろ,日常,従来,これまで,ずっと.
*贏得(えいとく・かちえる):利益を得ること。獲得すること。
*蠚苴(らそ):放胆。荒々しい。
*信口:口から出任せに[しゃべる]
*言詮(ゲンセン):言葉で説明すること。また、その言葉。
(´・(ェ)・`)つ

975鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/10(木) 21:56:44 ID:1d4drIFg0
一休みは自らでまかせを言って民を驚かせていると自覚しているのじゃ。
自分をほめて他人を謗ると情の認識がよくなるというのじゃ。
自分を鼓舞しているのじゃな。
天地の全てが自分の詩じゃというのじゃ。

976避難民のマジレスさん:2020/09/11(金) 21:22:18 ID:sfCtiVOE0
172
不嫌念起所 2/2
脚下紅絲妻子盟 脚下の紅糸妻子の盟
驪山私語約三生 り山の私語三生を約す
良宵共愛夢閨月 良せう共に愛す夢けいの月
照看一聲望帝情 良せう共に愛す夢けいの月

くま訳
思いが起こる場面を、分け隔てしない
赤い糸で結ばれた妻女との堅い約束
驪山(華清宮)で湯浴みした楊貴妃のように美しい森と交わした三生の誓い
素晴らしい宵に、愛し合う夢のような閨(ねや)を照らす月
森は、声望の高い天子様の情を、照らし看ているのだ。

*驪山の麓にある、「華清宮」は楊貴妃が湯浴みしたことで有名
*閨:夜、寝るための部屋。寝間。寝室。特に、夫婦の寝室。
*声望:(せいぼう ばう):世間でのよい評判。名声と人望。
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
前スレ>>647 21の詩看森美人午睡で森w楊貴妃にたとえている。
前スレ>>943 99の詩で、「皇孫であることや誉れ高い噂を聞いて、森公はぼくを密かに慕っていることを
知って、ぼくも愛おしく思っていたんだよ。」と詠っている
(´・(ェ)・`)つ

977鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/11(金) 22:34:57 ID:1d4drIFg0
大体そのような感じじゃな。
艶歌なのじゃ。
これもまた一休の民を驚かせる詩じゃろう。
悟った者はもはや恋愛などしないとか思われているからのう。
やろうとすれば何でも出来るのじゃ。

978避難民のマジレスさん:2020/09/12(土) 14:47:22 ID:IheNw6bk0
173    1/3
不邪淫戒 三首 
痛飲誰家楼上謳 痛飲たが家の楼上の歌ぞ
少年一曲亂心頭 少年の一曲心頭を乱る
阿難逆行淫坊暁 阿難逆ぎょう乱心の暁
妙解方便残月秋 妙げの方便残月の月

柳田聖山先生訳
大酒を飲んで楼上で歌っているのは何処の誰か 
いかにも男色の一節が心を取り乱すではないか 
弟子のアーナンダが婬坊で戒律に背いたその朝 
長者マンジュシリーが救済の思案する残月の秋

伊井暇幻先生訳・解説
痛飲した状態で歌が聞こえてきた。どの女郎屋で歌っているものだろうか。
若い声が歌う一曲に、心掻き乱される。
阿難でさえ女性の色香に執着してしまったという。私も女郎屋で夜明けを迎えている。
しかし、此れは妙解を得るための方便である。白んだ空に残月が浮かんでいる秋の夜明け

月を【夜/陰の存在/煩悩】とすれば、残月であるから、其れが白日の下に晒されていることになる。煩悩
を隠さず晒し、妙解の方便であると言い切る。一休独特の境地である。

くま訳
痛飲したのである。遊郭の歌声はどこから聞えるのだろう。
若者の一曲の歌声が、心を乱す。
阿難が、淫坊から逃げ出した暁
釈迦から、阿難救出を命じられた文殊菩薩が、作戦を練った有明の月の秋、
わしは、自分で妙解を得るために、遊里に遊ぶのだ。

*阿難(アーナンダ)が、女郎屋で、心神耗弱状態にされ犯されそうになった挿話を下敷きにしているらしい。
(大佛頂如来密因修證了義諸菩薩萬行首楞厳経)
この詩に於いても、男色説は却下である。
(´・(ェ)・`)b

979鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/12(土) 23:02:01 ID:1d4drIFg0
アナンダはお釈迦様が生きている時にはまだ悟っていなかったというからのう。
いろいろ創作されるのじゃ。
お釈迦様の死後に残された法を実践することで悟れたのじゃ。
お釈迦様が居なくとも欲があっても実践すれば悟れるのじゃ。

980避難民のマジレスさん:2020/09/13(日) 12:47:44 ID:b2BllLSc0
ありのまま。
174    2/3
逆行慈明婆子身 逆行の慈明婆しが身
紅絲脚下絆婚姻 こうし脚下婚姻を結ぶ
一曲楼頭綠珠笛 一曲楼頭綠珠の笛
可憐昔日趙王輪 あわれむべし昔日趙王の輪

柳田聖山先生訳
逆手をとった慈明は老婆を案じてのこと
脚に纏いついた紅糸が男と女の縁を結ぶ
一人楼上で笛を吹く緑珠にも夫はいたよ
戦国の趙王も夫のいる羅敷の絆を乱せず

伊井暇幻先生解説
慈明と婆は色っぽい関係だったわけではない。ただ、慈明和尚は説法をスッぽかして婆の家に入り浸ってい
たらしい。一休は「紅絲脚下絆婚姻」としているので、夫婦関係と見ているようだ。此の場合の「夫婦関
係」は現代流に性交を意味せず、ただ、【寄り添い合って生活する】ほどの意味だ。「薪を割って」「茶を
淹れて」と、呼び掛ければ反応がある、優しく温かく寛いだ空間を構成している。が、此処で話は一転し、
晋書に載す趙王倫の専横に繋がる。

趙王倫の配下 孫秀が妓女 緑珠に懸想した。しかし緑珠は崇季倫の愛人であった。孫は譲るように迫っ
たが、崇は拒否した。孫は趙を唆し、崇を罪した。緑珠は崇の目の前で楼から飛び降り自殺した。崇・母・
兄・妻子十五人が殺された。五十二歳であった。・・・このあと趙王司馬倫は恵帝を廃し簒位した。が、程
なく叛乱が起き司馬倫は殺され、恵帝が復位した。権勢を恣にし緑珠と崇季倫の仲を引き裂き殺した趙王倫
は、結局、命を失った。

一休は、前半で慈明・慈明婆のホノボノとした清廉な半同棲を羨み、後半で権力の亡者となった趙王倫の
末路を憐れんでいる。則ち一休は、水魚の如き自然な共存 恩愛を賞賛し、人々の愛を踏みにじり権力に執
着した趙王倫に憐憫の情を示しているのだ。単純な否定ではなく、憐憫である。ややもすれば、権力を求め
る人のココロを否定するのではなく、そんな煩悩を凝視し、自らも苦悩している。「現に小人は度し難い」
と突き放すのではなく、【悪人】へこそ大悲の心を向けているか。

くま訳
慈明和尚は、遊郭に出かけたりするのではなく、身寄りの無い老婆を案じて、
縁を大切にして、一緒に住んでいたのである。
楼上で笛を奏でた綠珠(愛人の目の前で楼上から飛び降り自殺をした)
憐れむべきは、綠珠を死に追いやった趙王である。因果はめぐり、臣下に殺害されたのである。
(´・(ェ)・`)つ

981鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/13(日) 22:48:28 ID:1d4drIFg0
昔の中国では足首に夫婦となる運命の赤い糸がつながっていると信じられていたのじゃ。
そのような正しい運命の恋愛ならば善いというのじゃ。
横恋慕して悪逆なことをすれば、身を滅ぼすというのじゃ。

982避難民のマジレスさん:2020/09/14(月) 19:09:11 ID:3QLePqvQ0
一休さんの主張 
175    3/3
沙門何事行邪淫 沙門何事ぞ邪淫を行ず
血気識情人我深 血気識情にん我深し
淫犯若能折情識 淫ぱん若しよく情識を折らば
乾坤忽變作黄金 乾坤たちまち変じて黄金とならん

柳田聖山訳
修業僧がどうして情欲をほしいままにする
向こう見ずに欲にかられて自分勝手に動く
愛欲を持て余しても情を抑制ができるなら
その時は天地は一挙に金色に変わるだろう

伊井暇幻先生訳
沙門よ、何故に邪淫を行うか、と人は問う。
確かに、人の姿や声や動作、肌の柔らかさ温かさ臭いを貪る欲が私は深いし、感情が動いてしまう。無我の
境地には遙か遠い。
しかし、人と交わり、且つ、煩悩を折伏することが出来れば、
対象への愛が深い分だけ大逆転して、黄金のような素晴らしい悟りの極致に達する

くま訳
修行者が邪淫を犯すとは何事か!と、叱られた、
確かに、わしは、血気盛んで、迷情、我執が深いのだ。
けど、交情しても、迷情を断つことが出来れば、
天下世界がたちまち、悟りの世界になるのである。

*人我(にんが・じんが):人間にあるとされた、常住不変の我(が)のこと。我執。
*血気: 向こう見ずで盛んな意気。客気。血の気(け)。
(´・(ェ)・`)つ

983鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/14(月) 22:13:00 ID:1d4drIFg0
僧になっても邪淫から離れられない者が多いというのじゃ。
血気は自我の深くに本能としてあるから離れ難いのじゃ。
もし邪淫を犯しても、執着しなければよいというのじゃ。
そうすれば世界は黄金の如くになるというのじゃ。

984避難民のマジレスさん:2020/09/15(火) 19:17:18 ID:Hg2uwcrw0
176
聞聲悟道    聞しょう
擊竹一朝忘所知 擊竹一朝所知を忘ず
聞鐘五夜絶多疑 聞鐘五夜多疑を絶す
古人立地皆成佛 古人立地皆成佛
淵明端的獨顰眉 淵明が端的獨り眉をひそむ

くま訳
瓦礫が竹にあたる音を聞いて、たちまち、今までのことを全て忘れて、悟りの境地を得た(香厳)
明け方、鐘の音を聞いて、今までの多くの疑問を絶して悟りを得た(天真毒峰善禪師)
古人は音を聞いて、即座に皆悟った。(一休さんもカラスがカーで悟った)
陶 淵明だけ、明らかに独り、眉を顰めた。
(下戸なのに、酒席に招かれ、一度は断わったが、付き合いで出席することにした。けど、現地に付いて、
たまたま鐘の音を聞いたら、ふと我に返り、眉を攅(あつ)めて、帰ってしまった。

*鐘の聲で悟ったので有名なのは、白隠さんであるが、年齢的に、毒峰善禅師。おまけ参
 
*陶淵明(とうえんめい365–427)文人
*慧遠(えおん334-416)念仏宗開祖 

音声が悟りか、悪感情か、どちらに結びつくかは、常日ごろの心構えに依るのでありましょうか。
(´・(ェ)・`)つ

985避難民のマジレスさん:2020/09/15(火) 19:22:33 ID:Hg2uwcrw0
おまけ①:香厳の詩(投機偈でありましょう)
香厳撃竹
一擊忘所知 更不假修持  一撃所知を忘ず  更に修治を仮らす
動容揚古路 不墮悄然機  動容に古路を揚く 悄然の機に堕せず
處處無蹤跡 聲色外威儀  処々蹤証跡無し  声色威儀を忘ず
諸方達道者 咸言上上機  諸法達道の者   みな言ふ上々の機

「禅と悟り」HP訳
石が飛んで竹を撃ちカチンという音が出た。その音を聞いたとたん、今まで覚えていたいろんなことが、ど
こかへ行ってしまった。 それは別に修行や鍛錬の結果ではない。本来そこにあったものだ。
手足を動かしても本来の古路を踏み外すことはない。 もう何か物寂しくなって気分がおちこむようなこと
はない。
その古路は空寂で、どこにも足跡のようなものは残っていない。(しかし、単に空寂なものではなく、その
中に働きがある。)五官や思慮はそのままで動いている。別にかれこれと威儀に囚われることではない。
そこに上々の働きがあるのだ。

おまけ②:毒峰善の投機の偈
間宮英宗先生訳・解説
毒峰善禅師は、鐘聲を聞いて忽ち宇宙の大機に投入せられました。其の時の偈に曰く、
沈沈寂寂絶施爲 觸著無端吼似雷 動地一聲消息盡 髑髏粉砕夢初回
「沈沈寂寂絶施爲」、と云ふは、坐も又禪、臥するも禪、言語するも亦禪で、考案三昧になり忘想分別も打
破る工夫三昧になりきった時の境涯である、此の時に、ゴーン、と一聲の鐘を聞いて忽ち大機に投じて見れ
ば、「 觸著無端吼似雷」で其の時の鐘は實に天地にひびき渡って、百雷の一時に落ちたような聲であった、
此の一聲は盡十方世界にひびき渡ってて居る、「 動地一聲消息盡」、で此の天地も動揺した程の鐘の一聲
は無字も如来も、宇宙の大眞理も云ひ盡くして居る、「髑髏粉砕夢初回」、即ち此の超音聲で、けがれたる
ガリガリの五尺の髑髏を粉微塵に打ち砕き、初めて眞に宇宙の大眞理を悟る事が出来た、と云ふ意味である。

沈沈寂寂絶施爲 沈沈寂寂施爲を絶す
觸著無端吼似雷 触著すれば端無く吼えて雷に似る
動地一聲消息盡 動地一声消息尽き
髑髏粉砕夢初回 髑髏粉砕して夢初めて回る

くま訳
深夜静寂の中、三昧に入っていると
全てが明らかになった。雷のよな轟音、鐘の音
地響きがするほどの一声の後、消息は尽きた
締め付けていた頭蓋が粉砕されたように、初めて夢から覚めたのである。

*天真毒峰善禪師:1419-1482(中国語サイト:人名規範資料庫)
 
これは、軍荼利明王降臨の表現でありましょうか?
(´・(ェ)・`)b

986鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/15(火) 23:26:04 ID:1d4drIFg0
>>984 心構えと実践じゃな。
 悟りを得ようと強い意欲をもって、日々実践していれば音声にょって悟りも得られるのじゃ。
 そうでなければただ耳障りなだけなのじゃ。
 同じ音でも受け取る者に拠ってそれだけ違うのじゃ。

987避難民のマジレスさん:2020/09/16(水) 19:37:02 ID:5SfEipAk0
177
破譬喩示病僧  比喩を破して病僧に示す
弓影膏盲在酒中 弓影かうくわう酒中にあり
毒蛇影落客盃弓 毒蛇影落つかく盃のきゅう
楓林黄葉蜀江錦 ふう林の黄葉しょくかうのにしき
染得心頭満目紅 染め得たり心頭満目の紅

くま訳
比喩を論破して病僧に説き示す
盃に映る弓の影とは病のことであり、その病は身体の奥深いところに有る、
毒蛇の影と思い込んでいるのは、弓なのだ。
かえで林の紅葉を蜀江の錦・高級絹織物と見間違えるよなものだ。
染めてしまうことが出来るものなのだ、心、頭で思い込めば、一面何もかも紅一色に。

*膏肓(コウコウ): からだの奥深いところ。ここに病気が入ると治らないという。
*国訳禪学大成の解説
 病膏盲に入れば冶せず。
 盃中の弓影、毒蛇と観ずる、
 己に迷妄の裡あり、
 楓林の紅葉も見様にて蜀江の錦に同じ、
 病は心からである、之を無形に治せば、効有形に現る。
(´・(ェ)・`)つ

988鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/16(水) 21:32:36 ID:1d4drIFg0
病は気からとも言うのじゃ。
酒の水面に写った蛇の影を呑んで病にかかったと思ったものも居るのじゃ。
それは弓が写ったものだったというのじゃ。
紅葉の景色を錦と見るようなものじゃ。
心に病があれば肉体も病むのじゃ。

989避難民のマジレスさん:2020/09/17(木) 18:59:58 ID:7OJSsgOo0
178
渡江達磨    渡江の達磨
去々來々随意行 去去来来意に随って行く
乾坤萬里俗塵生 乾坤万里俗塵生ず
西天此土姓名重 西天し土姓名重し
脚底客頭藘葉軽 脚底客頭ろえふかろし

くま訳
何の囚われもなく、意のままに好きなところに行く。
確かに、天下地の果て何処へ行っても、浮世の煩わしさが生じる。
極楽浄土と現世の「法」のことを思うとき、達磨の存在は大変重いのであるが、
その言動は、徹底して軽やかであったのだ。

*去々来々:波が寄せては返す様子、これは一つのことにとらわれない姿、自由な様子。
*俗塵(ゾクジン):浮世のちり。俗世間の煩わしい事柄。
*西天(さいてん):西方浄土。極楽。天竺(てんじく)。インド。
*此土(シド):この世。現世 自分のいる所。この土地。
*蘆葉達磨(ろよう--):インドから中国に来て梁の武帝に法を説き、さらに洛陽を目ざし揚子江をのぼっ
 たが、その時、一葉の蘆(あし)の葉に乗って渡ったとの伝説を示す語。「蘆の葉に法の方便」

参)170 の詩 >>974 >>972
(´・(ェ)・`)つ

990鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/17(木) 21:37:21 ID:1d4drIFg0
達磨は去るのも来るのも自由だというのじゃ。
俗塵のあるところどこにでもいくのじゃ。
インドから中国までその名は重く語り継がれているのじゃ。
しかし、その身は脚底から頭の上まで葦の葉に乗って川をわたるほど軽いのじゃ。

991避難民のマジレスさん:2020/09/17(木) 22:09:39 ID:7OJSsgOo0
>>990
鬼和尚、いつもありがとうであります。
くま訳改
達磨は去来自在何所へでも行くのだ。
天下どんなに遠くても、俗世間のどこにでも行くのである。
インドから中国までその名は重く語り継がれているのである。
けど、頭の天辺から足の裏まで、葦の葉に乗って川をわたるほど身軽なのだ。
(´・(ェ)・`)b

992避難民のマジレスさん:2020/09/18(金) 19:10:12 ID:vvZ4Fpoo0
179
正工夫示久参徒 しょう工夫久参の徒に示す
機輪轉處實能幽 きりん転ずるところ実によく幽なり
臨済正傳名利謀 臨済の正伝名利のはかりごと
一枕春風鷄足暁 一ちんの春風鶏足の暁
三生夜雨馬嵬秋 三しょうに夜雨馬かいの秋

くま訳
正しい仏道修行の仕方を長く修行している者に示す
禅修行によってよく整えられた意識の働きは、実に奥深いのである。
臨済の正伝などと言っても、そんなものは名利を求めるはかりごとの結果に過ぎない。
一人寝の朝は、春風のように爽やかで、釈迦を継いだ迦葉(かしょう)が入滅した鶏足山の暁のようだ。
三生を誓った森と過ごす、雨の夜は、唐の玄宗皇帝が護衛兵の反乱により、やむなく寵愛した楊貴妃の殺害を命じた、馬嵬駅に居るようだ。

鶏足山の暁とは、我こそは仏教正伝であると言う自負でありましょうか。
馬嵬秋とは、80歳を過ぎて、いづれ死により愛する森と分かれなければならない一休さんの、惜別の念でありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

993避難民のマジレスさん:2020/09/18(金) 19:20:43 ID:vvZ4Fpoo0
*おまけ①:大燈国師が死に臨んで、その心境を吐露した詩
仏祖を截断し
吸毛常に磨す
機輪転ずる処
虚空牙を咬む

中村元先生訳 
わたしはこれまで仏や祖師たちをばさばさ切りたおし、
その都度吸毛剣(髪の毛をその刃の上に吹きつければスパリと切れるほどの見事な剣)を磨き続けてきた。
俊敏な禅のはたらきを発動するときには、
虚空もギリギリと歯ぎしりする。

くま訳
仏祖の言葉を裁断乗り越えるため、
その切れ味を研ぎ澄してきた。
その臨機応変な禅機の向かうところ
虚空に対してさえも牙をきしませるのである。

*おまけ②禅宗伝法祖師22祖の摩拏羅(まぬら)尊者の伝法の偈(げ)である。
心随万境転  心は万境に随って転ず
転処実能幽  転処実に能(よ)く幽なり
随流認得性  流れに随って性(しょう)を認得すれば
無喜亦無憂  喜びもなくまた憂いもなし

承福寺HP訳
人の心と言うものは、外界の現象に惑わされて揺れ動き移ろい変わりやすものである。
しかしその外界の現象に執着することなく、無心無自性であれば自由無碍であり、まさに幽玄なる心境にあ
るといえる。
たとえ外界はたえず揺れ動き、激しく変貌することがあっても、
心中においては常に平常であり喜びも、悲しみも時の流れのままに処して何のわだかまりもなく、随処に主
となるところの境地である。

悟りの証明HP訳
私たちの意識作用は周りのあらゆる物事に随って、その物事に転じる(その物事を映す)。
(その意識作用の)転じる様は実にありがたく奥深い。
(しかし)意識作用のハタラキそのものになって意識の本性(仏性)を体得すれば、
喜びも憂いもない(意識作用の世界は絶体無である)。

くま訳
心は外界の変化に応じて移ろう。
修行により、心を整え、転じれば、実に奥深い境地にに到れる。
移ろい行く心のあり様を見て、自分のありのままを捉えることが出来れば、
喜びも憂いも無く、苦も無い。
(´・(ェ)・`)b

994鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/18(金) 22:16:47 ID:1d4drIFg0
>>992 特に自負は無いようじゃ。
 ただ鶏足山にいるような爽やかさじゃといっているようじゃ。
 
 それも特定の女子ではなく、愛別離苦を詠っているようじゃ。
 独りで修行することを勧めているのじゃな。

995避難民のマジレスさん:2020/09/19(土) 17:13:12 ID:WIUog5qw0
>>994
鬼和尚、いつもありがとうであります。
くま訳改
第4句:三生を誓ほどの深い情愛は、玄宗皇帝がやむなく寵愛した楊貴妃の殺害を命じた、馬嵬駅に居るような苦をもたらすのだ。
(´・(ェ)・`)b

996避難民のマジレスさん:2020/09/19(土) 17:14:31 ID:WIUog5qw0
180      1/2
虚堂和尚十病 二首
 1.病在自信不及處 2.病在得失是非處    1.病は自信不及のところに在り
 3,病在我見偏執處 4,病在眼量窠白處                    3,げんりょうくわきう
 5,病在機境不脱處 6,病在得少為足處
 7,病在一師一友處 8,病在旁宗別泒處                    8,    別派
 9,病在位貌拘束處 10病在自大了一生小得處
 
是非元勝負修羅 是非は元勝負の修羅
傍出正傳人我多 傍出す正傳人我多し
近代邪師誇管見 近代の  管見に誇る
識情毒気任偏頗     偏頗に任す

 曹洞宗長泉禅寺 HP訳
 1,失敗からも成功からも学べていない
 2,感情に左右され、目先の報酬にとらわれる  
 3,自分の体験や知識なる偏見によって動けない
 4,かきゅうとは鳥の巣のことで、固定観念によって「こうあるべき」と決め込む
 5,心が自由に働かず、視点を変えられない
 6,小さな満足に甘んじてしまう
 7,交際や知識の範囲が狭い
 8,一つの理論に凝り固まる
 9,自他の地位や肩書きにとらわれる
 10,自分の慢心に気づかぬようでは生涯得られない

 つらつら日暮HP訳
 この「病」だが、学道の障害を指しており、これがあるために、学人は妙境を得られないという。
 1.自己本道中に在ることを信じられない場合に病になるという。
 2.思慮分別に立つことをいう。
 3.自分の見解に偏ってしまうことをいう。
 4・限られた型にはめ込んでしまうことをいう。
 5.特定の働きや対象から脱せられないことをいう。
 6.僅かの境涯を得ただけで満足することをいう。
 7.一人の師、一人の友だけと交わり、遍参しないことをいう。
 8.宗派の善し悪しを区別することをいう。
 9.地位や見た目にとらわれることをいう。
 10.自分が大事であって、僅かな見解を得ただけでそれ以上の向上心が無い状態をいう。

くま訳(詩の部分のみ)
分別することは、元々勝ち負けが生じることであり、修羅場になってしまう。2
傍流か主流・正伝かを問うのは、我執によるものである。3 4
昨今の邪視は、狭い視野の狭い考えを誇らしげに主張する8 9
迷情、悪意、により不公平な判断をする。

*管見(かんけん〕:狭い見識。視野の狭い考え方。 自分の知識・見解・意見をへりくだっていう語。
(´・(ェ)・`)つ

997鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/19(土) 21:36:03 ID:1d4drIFg0
↑そのような感じじゃな。
これが正しいとかあれが間違いとか分別していれば戦いになるというのじゃ。
論争とか宗派の争いもそれがもとなのじゃ。
それでまた見解も狭まり、考えも歪んでしまうのじゃ。
実践のみが仏道なのじゃ。

998避難民のマジレスさん:2020/09/20(日) 15:34:53 ID:Y9d16ak.0
いつもと違う一休さん、金持ちの娘に手を出して、詰められてるのでありましょうか?
     2/2
議論未休正與邪   未だ休せず正と邪と
無慙愧漢是天魔 無慙愧の漢これ天魔
狂雲臥病相如渇 狂雲が病は相如が渇
一枕秋風奈我何 一ちん秋風我をいかんせん

くま訳
正邪の議論がいつまでたってもやまない。
無反省で天に愧じることのない輩は、天魔である。
狂雲の病は、相如の病とおなじである。
一人寝の秋風、わしをどうしようと云うのだ。

*相如が渇:司馬相如(禅179-117)富豪卓王孫の娘分君を誘惑して駆け落ち。父は怒り財産はやらないと
決めたが、その後相除は病気(糖尿病らしい)を患う。それを見かねた周囲の嘆願により財産をもらえるこ
とになった。
(´・(ェ)・`)つ

999鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/20(日) 23:03:24 ID:1d4drIFg0
正邪の議論は無意味というのじゃ。
ただ慙愧するべき時にしなければ天魔だというのじゃ。
糖尿病は昔、消渇といったのじゃ。
相如と同じ病というのじゃ。
病で寝ていると秋風が沁みてくるというのじゃ。

1000避難民のマジレスさん:2020/09/21(月) 19:27:26 ID:9PoQw6NM0
鬼和尚、ありがとうであります。
くま訳改
正邪の議論は無意味である 
しかし、慚を知らない者は天魔である。 
狂雲の病は相如と同じ糖尿病である。 
病床では風が吹いても痛いのだ。

181    
示耽名僧 1/3 名に耽る僧に示す   
腹中地獄成   腹中に地獄成る
無量劫識情   無量劫の識情
野火焼不儘   やくわ焼けども尽きず
春風草又生  春風草又生ず

名利を求めてやまない僧に示す
胸中地獄になる
永遠の迷情
野火で焼けても、根絶えることは無い
春風吹く頃には、又生えるのだ

*腹中:1 腹の中。また、胃腸。2 心の中。胸中。3 度量。
*野火焼不盡:白居易の詩の一節。野火で焼けても根は絶えず、春風の吹く頃にはまた生えてくる。
(´・(ェ)・`)つ

1001避難民のマジレスさん:2020/09/21(月) 19:29:04 ID:9PoQw6NM0
*おまけ: 野火焼不盡(白居易の詩)

賦得古原草送別 「古原の草」を賦し得て、別れを送る 
離離原上草    離離(りり)たる 原上(げんじょう)の草、
一歳一枯栄    一歳(いっさい)に一たび枯栄(こえい)す。
野火焼不盡    野火(やか) 焼けども尽きず、
春風吹又生    春風 吹いて又生ず。
遠芳侵古道    遠芳(えんぽう) 古道を侵し、
晴翠接荒城    晴翠(せいすい) 荒城に接す。
又送王孫去    又王孫(おうそん)の去るを送る、
萋萋満別情    萋萋(せいせい)として別情(べつじょう)満つ。

ふさふさと垂れ下がった野原の草は、
一年に一度、枯れていたのがまた栄える。
野火で焼けても根は絶えず、
春風の吹く頃にはまた生えてくる。
はるか彼方、芳しい草は旧道の上に伸びひろがり、
緑の色も鮮やかに、荒れ果てた都の城壁につづいている。
こうしてまた、遠く旅立つあなたを送る。
あおあおと茂った草にも別れを惜しむ情が満ちみちている。

人間誰しも大きな失敗や、心が折れそうになる出来事を経験します。自分はもう終わりだ、取り返しがつか
ないことをした。そう思える瞬間もあるでしょう。しかし、若草山のように時が経てば必ず新しい青々とし
た芽が吹いてきます。
(´・(ェ)・`)b

1002鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2020/09/21(月) 22:50:24 ID:1d4drIFg0
名声に囚われてはいかんというのじゃ。
僧はもはや金とか権力とは無縁であるが、名声は得られるのじゃ。
名僧と呼ばれるために名声に囚われていては苦難が待っているのじゃ。
何度でも苦しむことになるのじゃ。

1003避難民のマジレスさん:2020/09/22(火) 21:40:54 ID:Lf8gaWYc0
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鬼和尚の仏教講読会 別館2
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