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鬼和尚の仏教購読会 別館
933
:
避難民のマジレスさん
:2020/08/25(火) 23:32:49 ID:peDpOx2g0
>>932
鬼和尚、ありがとうであります。
あらためて検索したら、出てきたであります。
柳田聖山先生著・禅語の発掘(キャッシュ)より
『無関門』の第三十五に、倩女離魂の公案がある。もと、唐代の伝奇小説『離魂記』からとったもので、こ
の相い寄る魂のものがたりは、よほど人々の関心をひいたものとみえ、元代には、別に雑劇の一つにもなっ
ている。
ところで、無門はこの公案の説明のうちに、「驀然として地水火風の一散するとき、湯に落ちたる螃蟹のご
とくに七手八脚ならん」といっている。断末の際、肉体を構成する四つの要素が空にかえるとき、われわれ
はあたかも熱湯の中におとされたカニのように、もがきくるしむほかはないとういう意味である。螃蟹はカ
ニの俗称、七手八脚は手足をバタバタさせる形容である。カニのたとえは、じつは雲門の説法からきている。
忽ち一日、眼光の地に落つるとき、前頭に什麼を将って抵擬せん。湯に落ちたる螃蟹に似て、手忙しく脚乱
るること莫かれ。你が掠虚に大話を説く処無からん。(『伝燈録』巻十九)
これで明らかなように、「七手八脚」は手忙しく脚乱るる様子である。『五燈会元』の仏照徳光の説法にも、
「七手八脚、三頭両面、耳は聴くも聞えず、眼は覷るも見えず」とある。この場合は、カニではなくて人間
のことである。せっぱつまると、人間でも手足が八本、顔が二個あることになるらしい。
(´・(ェ)・`)b
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