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鬼和尚の仏教購読会 別館
580
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/31(金) 23:31:05 ID:LC3de7YgO
>>578
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)
あなたは別の人間――子ども、すばらしい子どもをつくりだす。
生は続き、生は流転を続け、どこまでも流れ続けるが、それでは黄金の華は開
花することができない。
黄金の華はどのようにして花開くのだろう?
生命エネルギーが逆流のプロセスによって導かれたら、 すなわち蓄えられ、散
らされずに上昇させられたなら、 アニムスが勝利をおさめている。
可能性は二つある。
下に向かって流れるエネルギーは性欲になり、
上に向かって流れるエネルギーは霊性になる。
下に向かって流れるエネルギーは生殖力になり、
上に向かって流れるエネルギーは創造力になる。
下に向かって流れるエネルギーは新しい生命を生みだし、
上に向かって流れるエネルギーは あ な た を再誕生させる。
イエスが「再び生まれ変わらないかぎり」――父や母からではなく、
みずから上昇する働きによって生まれないかぎり、
ドウィジャ、"二度生まれし者"とならないかぎり
――「私の神の王国に入ることはできない」と言うとき、
彼が言おうとしているのはそのことだ。
黄金の華は、あなたの実存の最高の頂で待ち受けている。
ヨーガの見取り図では、それは「サハスラーラ」
―― 一千枚の花弁をもつ蓮華 ――と呼ばれている。
それは第七番目のチャクラであり、頭のなかにある。
最も低いのは性のチャクラ、ムラダーラであり、
最も高いのは第七のチャクラ、サハスラーラだ。
エネルギーがいちばん低いチャクラから下降すると、新しい生命が生まれる。
エネルギーが蓄えられ、上昇させられると、いつかそれはサハスラーラに達し、
そして黄金の華が花開く。
もちろん、それにはエネルギーが必要だ。
それはひとつの可能性として、潜在力として、そこに潜んでいるにすぎない。
エネルギーが供給されないかぎり、それは開花することができない。
それは樹に水をやらないのと同じだ。
樹は待ち望んでいるのに、水をもらえない。
樹液は上に向かって流れてゆかない。
どうして数限りない花を咲かせることができるだろう?
できるはずがない。
樹は苦しみ続け、ほとんど枯れそうになっている。
樹はゆっくりと死んでゆくだろう。
葉も一枚ずつしおれてゆき、やがて枝が枯れてゆき、最後には根が死んでゆく。
樹には絶えず上に向かって流れてゆくエネルギーが必要だ。
樹液は樹のなかを巡るが、人間もまた樹になぞらえることができる。
そして人間を樹になぞらえる私の比喩は新しいものではない。
それは最古の象徴のひとつだ。
それはユダヤ教の神秘的な流派スクールのなかで用いられてきた。
それは「生命の樹」と呼ばれる。
仏教が禅においてその頂点を極め、イスラム教がスーフィ―においてその絶頂
に達したように、ユダヤ教はカバラにおいてその究極の頂に到達した。
カバラは「人間は樹であり、花を咲かせるためには膨大なエネルギーが必要だ」
と言う。
だが、エネルギーを蓄えるということは、エネルギーを抑えることではないと
いうことを覚えておきなさい。
多くの人々がここで道を誤ってしまう。
エネルギーを蓄えることは、エネルギーを抑えることではない。
そのプロセスはまったく違う。
抑圧するということは、最も低いセンターを絶えず抑えつけているということ
だ。
最も低いセンターを抑圧し過ぎると、性の倒錯が起こる。
それが自然に解放されるのを許さず、いちばん低いセンターにエネルギーが溜
まり過ぎると、それはなんらかのはけ口を見いだして性的な倒錯を引き起こす
恐れがある。
それは必ず倒錯を引き起こす!
それは病気をつくりだす。
精神科医、心理学者、精神分析家に尋ねてみるといい。
彼らは「心理的な病が百例あるなら、そのうちの九十五パーセントはセックス
に起因している。どこかでセックスが関連している」と言うだろう。
九十五パーセントというのはかなりの数だ。
そして精神科医や精神分析家のもとを一度も尋ねたことがない人たちもけっし
てましな立場にいるわけではない。
誰もが抑圧されている。
抑圧は変容ではない。
このことをはっきりと理解しておきなさい!
抑圧が変容に通じることは絶対にありえない。
では、変容とは何だろう?
そしてエネルギーの蓄積とは何だろう?
エネルギーを蓄えるというのが 瞑想的なプロセスだ。
それは道徳家になることではない。
私はこのうえもない助けとなる ささやかな技法をやってみることを勧める。
それは昔からずっと道家の人々によって用いられてきた。
それは師から弟子にのみ伝えられてきたものであり、
それゆえに書物に記されたことはなかった。
だが、今や公開されるべき時がきた。
なぜなら、今や何百万もの人々が 書物を通して霊的な探求に取り組んでいる
からだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
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