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鬼和尚の仏教購読会 別館
785
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/03(金) 21:39:35 ID:jevFIdqw0
鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 3 のつづき。
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
>>596
から一休さん の詩。
111
僧問岩頭、古帆未掛時如何。 僧 岩頭に問ふていはく、古はん未だ掛けざる時いかん。
頭云、小魚呑大魚。 頭いはく、小魚大魚を呑む。
僧云、掛後如何。 僧いはく、掛けて後如何。
頭云、後園驢喫草。 頭いはく、ごえんのろくさを喫す。
寒温苦楽愧慙時 寒温苦楽慙愧の時
耳朶元來両片皮 じだ元来両片ぴ
一二三兮三二一 一二三 三二一
南泉信手斬猫兒 南泉手にまかせてみょうじを斬る
肝冷斎先生訳(岩頭古帆の話の部分)
「古い帆を掛けるその前は、どんな状態だったんでしょう?」
古い帆さえまだ掛けられていない時期、というのは要するに何ものもまだ始まっていない、分別以前の世界
とはどういうものなのか、と質問したのであります。
「小さい魚が大きな魚を呑み込んでいたんじゃ」
と教え諭してくれました。
くま訳
修行僧が岩頭に問う。古い帆が、まだ掛けられる前(思慮分別が始まる前)はどうなのでしょうか?
岩頭いわく、小魚が大魚を飲み込むのである。(93の詩 参)
修行僧、更に問う。では、掛けた後(思慮分別が始まった後)はどなのですか?
岩頭いわく、それは、裏庭のロバが草を食むようなものである。
寒い、暑いという事実があり、それを苦しい、楽しいと、分別するようになり、更にそのことを恥ずかしいと思ったりもするのである。
聞く事は、口先のことに過ぎない。
123 321だ。あたりまえのことである。
南泉和尚にこの質問をしたら、猫の子の首をちょん切るだろう。
*岩頭:岩頭全豁(がんとう・ぜんかつ。828〜887 95の詩 参)
*後園驢喫草:当然のことを当然にする何の不思議も無いこと。
*耳朶:耳 *両片皮:口
*南泉和尚猫を切る(碧巌録):弟子たちが猫に仏性があるかを激論している、そのバカバカしさに腹を立て、
子猫を切り殺したらしい。
一休の解説:寒温→帆を掛ける前からある事実
苦楽、慙愧→掛けた後生じる分別・感情・思い
ここでは、事実と観念の説明に重点を置き、小魚大魚の件(分別以前の世界)は、スルーしたようである。(93の詩 参)
(´・(ェ)・`)つ
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