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鬼和尚の仏教購読会 別館

895避難民のマジレスさん:2020/08/10(月) 20:59:42 ID:2/995q.60
おまけ:碧眼録 第五十六則 欽山、一鏃もて三關を破る(禅と悟り HPの現代語訳のみ)

垂示
ブッダ始め諸仏はこの世に出世していないし、また人に与える一法もない。
祖師達磨はインドから来て直指人心見性成仏の道を伝えたというが、
彼によって始めて「心」が伝えられたわけでもない。
「心」は諸仏の出世や祖師達磨の西来などの歴史に関係なく、
昔からあり、人々が全て具足している。
この表現は「本来の面目」は諸仏の出世や達磨の西来などの歴史的事実に関係なく、
昔から人々が皆具有しているという真理を強調するための禅特有の表現である。
世間の人々はその道理を理解しないで、外に向って追い求めるがそれは間違いだ。
殊に自己本来の面目(自己脚跟下の一段の大事因縁)は
どんな尊い聖人でも自分に代わって見性してくれる訳にはいかない。
自分で体験するほかないのだ。
本来の面目は見ようとしても見えず、聞こうとしても聞こえず、説こうとしても説けず、
知ろうとしても知ることができない。
一体どこから得たら良いのだろうか。
すべての存在が真実の相であるならば、得ようもないではないか。
もし未だそこが分からなければ、次の実例を参究してみよう。

*自己脚跟下の一段の大事因縁:自己の「本来の面目」を明らかにするという禅の根本問題。
*一鏃破三関:一本の矢(鏃)で三つの関所を打ち抜く。「一超直入如来地」の頓悟のこと。

本則:
巨良禅師が欽山に問うた、「私は一本の矢で三関を打ち抜いてしまいました。どうでしょうか?」。
欽山は云った、「そうか、それなら関中の主人公(本来の面目)を射止めたはずだ。それをここに出してみ
よ」。
巨良は云った、いや、関中の主人公(本来の面目)は射損じました。もう一度やり直します」。
欽山は云った、「待つことはできん。今すぐやれ」。
巨良は「いい矢を放ったのに、それが何処を射たか分からんような人には、何と言っても無駄ですな」。こ
う憎まれ口を叩いて巨良は出て行った。
欽山は云った、「おい、待たんか」。
 巨良は何事だろうと振り返った。
欽山は、巨良の胸倉を掴んで言った、「一鏃破三関など出来もせんホラは吹かず、まあ一矢射てみろ」。
巨良はここで行きづまってしまった。欽山は彼を手にした竹箆で七、八回打って言った、「まあ今日はこれ
位で勘弁してやろう。お前さん、このぶんでは、一鏃破三関に至るには三十年くらい修行せんとだめじゃ
な」。

頌:
さあ諸君(修行者)のため関中の主(本来の面目)を出して見せよう。
矢を射る人はおおざっぱではだめだ。関中の主を射損じないよう真剣に射なければならない。
関中の主(本来の面目)は懸命に見ようと眼に集中すれば耳は聞こえなくなる。
耳に捉われるのがいけないといって耳を忘れようと耳に集中すれば
今度は目が見えなくなる(それが関中の主の性質だ)。
一鏃で一挙に三関を突破して関中の主(本来の面目)に会えた時箭の通った路は明らかに見える。
これについて玄沙師備禅師は言った、
「関中の主(本来の面目)に見(まみ)えた大丈夫は 天より先に心の祖(おや)になる」と
(´・(ェ)・`)つ


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