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鬼和尚の仏教購読会 別館
571
:
避難民のマジレスさん
:2019/05/26(日) 23:06:22 ID:LC3de7YgO
>>569
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十五話 かわず飛び込む水の音(つづき)
私はあなたがたにどんな哲学も教えてはいない。
これは実存的な道場スクールだ。
私はあるがままの<存在>を教えている。
そして<存在>はすでにここにある。
もう少し勇気を出してみずからを開き、 それが入ってくるのを許せばいいだ
けだ。
それはあなたの扉を叩いている!
イエスは言う。
「叩きなさい、そうすれば扉は開かれる。
求めなさい、そうすればそれは与えられる。
探しなさい、そうすればそれは見つかる」
私はまったく逆のことをあなたがたに言いたい。
神はあなたの扉を叩いている。
何千年ものあいだ叩いてきた。
聴きなさい!
神が扉を叩いている……
扉を開けなさい。
耳を澄ましなさい!
神はあなたに
「みずからに課した牢獄から出てきなさい」 と言っている。
神はあなたを探している!
邪魔をしてはいけない!
神があなたを探すのを手伝いなさい!
神が探しているのにあなたは 逃げている、
何生にもわたって 逃げつつ゛けている。
惨めなくせに、それでもあなたは 逃げつつ゛けている。
そして神の手が近つ゛いてくると、 いつもあなたは身震いする。
だが、私にはわかっている。
その恐怖が起こるのも無理はない。
何が怖いのだろう?
それは神が存在するなら、 自分は存在しえないという恐怖だ。
フリードリッヒ・ニーチェは言っている。
「神が存在するなら、どうして私が存在しえるだろう?
だから私は"神は存在しない"と 決 め る 。
そうしてはじめて 私 があることができる」
何百万もの人々がそのように決めてしまっている。
彼らは自分が残るために神を否定してしまっている。
神が存在しなければ、 自我エゴにも存在する余地がある。
神が存在するなら、どのようにして 自我を支えればよいのだろう?
何によって?
あなたはもはやそこにいなくなる ――それが恐れだ。
神は自我の死だ。
タオを味わうことはできるし、 タオを体験することはできる。
だが、ある条件を満たさなければならない。
あなたはいかなる自我ももたないほど 素朴シンプルにならなければいけない。
"私"という思いが消えるほど 静かにならなければいけない。
タオ、分かたれていないもの、大いなる一者は、相反する二つの存在原理 ――
闇と光、陰と陽を生みだす。
一なるものが二になる――これは道家タオイストがものに取り組む姿勢のまさ
に基盤をなしている。
なぜなら、そこではじめて遊びが生まれるからだ。
ひとつのものは二つにならなければいけない。
そして二つのものは互いに対立しなければならない。
そうしてゲームがはじまる。
古代のヒンドゥー教の聖典は「神は独りだったので、深い孤独感を味わってい
た」と言う。
神は他者をつくることにした。
ヒンドゥー教徒が<存在>はリーラだ、遊戯だと言うのはそのためだ。
神はちょっとした楽しみのために他者をつくりだした。
タオはひとつだが、顕れるやいなや、それは二つにならなければいけない。
形あるものは二元的にならなければいけない。
それはけっしてひとつではなく、二つに――分裂して二つにならなければいけ
ない。
それは物質と意識に、男と女に、昼と夜に、生と死にならなければいけない。
この二つの原理は至るところで目にすることができる。
生は何から何までこの二つの原理で成り立っているが、その二つの原理の背後
には一なるものが隠されている。
この二元性、両極のあいだに巻き込まれたままでいるなら、あなたは世間にと
どまっている。
聡明になって、もう少し意識をとぎ澄まし、もっと深く事物の奥底をのぞき込
むようになったら、
あなたは驚くだろう――これらの両極は実は対立する極ではなく、互いに補い
合っている。
そしてこの両者の背後にはたったひとつのエネルギーがある
――それがタオだ。
タオ、分かたれていないもの、大いなる一者は、
相反する二つの存在原理――闇と光、陰と陽を生みだす。
陰からは受容的な女性原理が現れ、陽からは創造的な男性原理が現れる。
陰からは生命が現れ、陽からは本性が現れる。
基本的に、極性は男と女
――男性的なものと女性的なもの――と名つ゛けることができる。
そのように理解するほうが私たち人間の現実感覚に近い。
それは「肯定と否定」とよんでもいいが、それでは少し距離ができてしまう。
「陰と陽」「シヴァとシャクティ」
「男と女」と呼ぶことで、それは私たちのハートにとても近しいものとなる。
私たちはこういった二元性を知っているからだ。
男は女に惹きつけられ、女は男に惹きつけられる。
ところが一緒になると二人のあいだには喧嘩が絶えなくなる。
別れては暮らせないが、一緒になっても暮らせない。
とてつもない魅力があるが、反発も強烈だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)
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