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鬼和尚の仏教購読会 別館

861避難民のマジレスさん:2020/07/31(金) 19:28:45 ID:D8qZy99Q0
おまけ 『史記』伍子胥(ゴシショ)列伝
八重樫一先生解説

春秋時代後期、伍子胥は楚の平王に父と兄を殺され、その復讐を心に誓いました。
以前楚にいたころ、伍子胥は申包胥(シンホウショ)と付き合っていました。
伍子胥が呉に逃亡する時、申包胥に次のように言った。
「自分はきっと楚を滅ぼしてみせる」と。
申包胥は言った。
「自分はきっと楚を保たせよう」と。

呉に亡命してから十四年、ついに伍子胥は祖国楚に戻ってきました。復讐すべき平王は、すでにこの世の人
ではなく、息子の昭王を捜させた。しかし昭王はすでに逃げ去った後であった。
しかたなく、平王の墓を掘り返し、死体を掘り出した。
(伍子胥は死体に)300回鞭打ちをして、やっと気が済んだ。
このとき申包胥は山中に逃れていたが、(その話を聞き)伍子胥に人を遣(や)って伝えた。
君の仇討ちは、酷いものだ。死屍(シシ)に鞭(むち)打つ、とは。
君は、もともと亡き平王の臣下であったではないか。
親しく仕えておきながら、今になって君王の死骸を辱めるとは。
天道を蔑(ないがし)ろにする極みではないか。
これに対して、伍子胥は(その使いの者に)言った。

為我謝申包胥曰、  我が為に申包胥に謝して曰(い)へ
吾日莫(暮)途遠、  吾れ日莫(く)れて途遠し、
吾故倒行而逆施之。 吾故に倒行して之を逆施(ゲキシ)せり、と。

私の為に申包胥に伝えてくれ
私はもう日が暮れているのに、行く道の遠い思いである。
私はだから、あわて急いで、道理に逆らうことをしたのだ、と。

*華叟の遷化に當り、養叟は、大德寺中に大用庵を新營し、華叟の塔を建て、且つ奏請して、大機弘宗禪師 
 の追諡を得た。(龍寶山大德寺世譜)後花園天皇其道譽を聞き、勅旨して文安二年八月大德寺に入らしめ、
 其第二十六世となつた。
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