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鬼和尚の仏教購読会 別館

902避難民のマジレスさん:2020/08/13(木) 20:54:47 ID:xWDZfxlg0
主看客 賓中主 の事例
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賛欽山禪師  
尿床鬼子大難心 尿床の鬼す大難の心
定老當機恩力深 じょう老当機恩力深し
夜雨燈前渾即忘 夜雨燈前すべて即忘す
風流茶店旧時吟 風流のさ店旧時の吟

くま訳
欽山禪師批評
寝小便たれ小僧(欽山)が窮地に陥った
定上座の相手の能力に応じて導く力、大恩は深いのであるが、
雨降る夜の灯火の下、全てを忘れてしまうのだ
風流な遊里で作った昔の詩である

*定上座:臨済義玄の優れた弟子の一人
*当機(とうき):相手の能力素質に応じた導き方をすること。

愛知学院大学 禅研究所HP解説抜粋
「赤肉団上に一無位の真人有り、常に汝等面門より出入す。いまだあきらめざる者は、看よ。看よ」という
臨済義玄の上堂語・・・無位の真人とは、知解分別では捉えられない真の自己とも、仏性、仏心ともいい得
るが、臨済がそのように表現しなかったのは、門人が仏心を固定概念化してしまうことを避けた・・・。 
我々が見る、聞く、触るなどの知覚感覚で外世界を認識することを示しているのであり、今の私自身の存在
がそのまま仏であることを了得させたい臨済の意図・・・
 臨済の弟子とされる定上座が、師に「いかなるかこれ仏法の大意」と問ったところ、・・・臨済にいきな
り一掌(ビンタ)をくらった。・・・(定上座は)茫然としたまま無我の境地で礼拝せんとした刹那、仏と
は自身にほかならないと悟入した。
 後に、この定上座が、行脚中の巌頭全后、雪峰義存、欽山文邃の3人と出会い、巌頭に乞われて無位の真
人を臨済に代わって説示した。
 巌頭、雪峰の2人は臨済の意図を把握して驚嘆したが、若い欽山は「なぜ臨済に問ったその僧は非無位の
真人と返答しなかったのか」とつぶやいた。これを聞き逃さなかった定上座は欽山の胸ぐらをつかみ、無
位の真人と非無位の真人と何が違うのかいってみろと迫った。臨済の意図は、仏とは自分自身のことを指
すのだと示す点にあるから、表現としては無位に限定する必要はないのであるが、知解を離れて自身の真
実を自ら把捉することを意図した言葉であるから、「無位」を分別で捉えてはならないのである。
 無位の立場は、宏智がいうように「初心にして、いまだ自己をあきらかにしていない(未証拠)者」
へのことばで、ひたすら修行を継続する(往相)立場であり、一方、非無位は、達悟した者が此岸に回帰
(還相)して、人々を化導する立場にあたる。
 欽山の客気は巌頭、雪峰の2人が取りなして事なきを得たが、欽山は果たしてここで「真の自己」を掴
み得たであろうか、乾尿橛のままであったであろうか、などとこの話を楽しむのは早計である。
 この話が加えられた意図は、欽山に「非無位」を語らせることが目的であり、臨済が「看よ」と云った
ことを受けて、「看了」したなら「非無位」でなくてはならないと補ったのである。単に後日談と軽んじ
たなら、「無眼子」と罵られるであろう。公案はすべてに抜け目ないのである。
(´・(ェ)・`)つ


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