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鬼和尚の仏教購読会 別館
850
:
避難民のマジレスさん
:2020/07/27(月) 20:17:51 ID:hdQ2/nGg0
136
漁父
學道参禪失本心 は本心を失す
漁歌一曲價千金 の一曲
湘江暮雨楚雲月 しゃかうのぼう楚山の月
無限風流夜夜吟 限り無き風流夜々の吟
くま訳
仏道修行、参禅は、本心を失わせる。
漁歌(漁夫の辞)は価千金である。
(屈原が入水自殺をした)湘江の夕暮れの雨、楚山の月を思うと
限り無く風流で夜々詩情が湧く
*おまけ:漁父辞 屈原
屈原曰挙世皆濁我独清 屈原曰はく、世を挙げて皆濁れるに、我独り清(す)めり。
衆人皆酔我独醒是以見放。 衆人皆酔へるに、我独り醒めたり。是を以て放たる。と。
漁父曰 漁父曰はく、
聖人不凝滞於物、而能与世推移 聖人は物に凝滞せずして、よく世と推移す。
世人皆濁、何不淈其泥、而揚其波。世人皆濁らば、何ぞ其の泥をにごして、其の波を揚げざる。
衆人皆酔、何不餔其糟、而歠其醨。衆人皆酔はば、何ぞ其のかすをくらひて、其のしるをすすらざる。
何故深思高挙、自令放為。 何の故に深く思ひ高く挙がり、自ら放たしむるを為すや。と。
屈原曰、吾聞之 屈原曰はく、吾之を聞けり。
新沐者必弾冠、新浴者必振衣 新たに沐する者は必ず冠を弾き、新たに浴する者は必ず衣を振るふ。と。
安能以身之察察、受物汶汶者乎。 いづくんぞ能く身の察察たるを以て、物のもんもんたる者を受けんや。
寧赴湘流、葬於江魚之腹中、 むしろしやう流に赴きて、江魚の腹中に葬らるとも、
安能以皓皓之白、 いづくんぞ能くかうかうの白きを以てして、
而蒙世俗之塵埃乎。 世俗のぢんあいを蒙らん。と。
漁父莞爾而笑、鼓枻而去。 漁父くわんじとして笑ひ、えいを鼓して去る。
乃歌曰、 乃ち歌ひて曰はく、
滄浪之水清兮 可以濯吾纓 さうらうの水清まば 以て吾がえいをあらふべし
滄浪之水濁兮 可以濯吾足 滄浪の水濁らば 以て吾が足を濯ふべし
遂去不復与言。 遂に去りてまたともに言はず。
マナペディアHP訳
屈原は言いました。
世の中の人々すべて(の心)が濁っている中で、私一人だけが清らかです。そして人々がみな酔っている中
で、私一人だけが醒めています。だから追放されたのです。と。
漁師は言いました。
聖人というものは、物事にこだわらずに世の中と一緒に移り変わります。世の中の人々(の心)が濁ってい
るならば、どうして一緒にその泥をかき混ぜて、波を立てないのですか。人々が酔っているならば、どうし
てその酒かすを口にして、その薄い酒を飲もうとしないのですか。どういった理由で深く考え、お高くと
まって、自分から追放されるようなことをしたのですか。」と。
屈原は言いました。
私はこういうことを聞いたことがあります。『髪を洗ったばかりの者は必ず(冠についた)よごれを払い、
入浴したばかりの者は、必ず衣服のほこりをふるってはらう』と。どうして清廉潔白なこの身に、(世俗
の)汚れたものを受け入れることができましょうか、いやできません。むしろ湘江に行って魚のエサになろ
うとも、どうして清廉潔白なこの身を世俗の埃の中にまみれされることができましょうか、いやできませ
ん。」と。
漁師はにっこりと笑って、(出航するために)船の縁を叩いて行ってしまった。そしてそのとき、次のよう
な歌を詠んだ。
滄浪の水が澄んでいるのなら、私の冠の紐を洗おう。
滄浪の水が濁っているのなら、私の足を洗おう。
とうとうそのまま去ってしまい、2人はもう2度と語り合うことがありませんでした。
(´・(ェ)・`)つ
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