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鬼和尚の仏教購読会 別館

876避難民のマジレスさん:2020/08/05(水) 20:08:41 ID:88HzfH7Q0
娘生(にょじょう)とは、娘のことではなく、女から生れた子、母親から生れた自分、世俗の我、仮我、自
我、と言う意味でありました。「娘生の面目」と言い、「本来の面目」に対する用いられ方をするらしい。
又、くまのテキストには、[にゃうじゃう]と振り仮名されているが、検索すると、[じょうしょう ]とでてくる。
誤っていたので、以下の二首のくま訳を訂正するのである。
108は、https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/567-n>>972
114は、当スレの >>794
くま訳 訂正①108:(当初訳)少女が見性者を見ても見分けがつかない様なものである。
         →(今回訳)本来の面目を知らないままでは、何も見えないのだ。
くま訳 訂正②114:鬼和尚に説明をいただいた点も踏まえて、大幅に直してみた。
          (当初訳a.) 道理を良くわきまえている修行者が、何で、子供の着物の裾上げの糸を 
                切り取らないようなことをするのか。(何で言葉に囚われるのか)
          (今回訳a) 目利きの僧がなぜ足の下の赤いほつれの糸を切らないのじゃ。   
                (そのような言辞は心を乱すのみなのじゃ。)
           (当初訳b) 弟子たちを指導し導いて、心の糸を乱した
    (今回訳b) 弟子たちを指導して、心の糸の乱れを正した。
           (当初訳c) そのうち、娘が成長して初潮をむかえ、足元に鮮血がながれる。
       (今回訳c)本来の面目を知らないままでは、その内、絡まりついた、足下の赤 
                い糸に締め上げられて、流血して苦しむだろう。

自分自身の足下、自分自身の心の中を良く見て、縄を蛇と見誤るようなことが無いようにせよせよ、という
ことでありましょうか。
紅絲線について一休さんは、世間との諸々のしがらみを言うような意味で使ってるようであります。  
(´・(ェ)・`)つ


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