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鬼和尚の仏教購読会 別館

1 避難民のマジレスさん :2018/10/16(火) 22:40:04 ID:HDZhjLgoC
明日より、黄金の華 の 購読会を始めるのである。
どうやらOSHO35才の時の講演らしい。
OSHOは、すごい人なのである。
セゴドンやゲバラに匹敵する革命家だったのでありましょう。
それでは、明日からお楽しみに!
(´・(ェ)・`)つ

2 避難民のマジレスさん :2018/10/17(水) 06:54:48 ID:LC3de7YgO
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く
 より抜粋

寓話をひとつ・・・
昔、羊をたくさんかっているとても裕福な魔術師がいた。
ところがこの魔術師はひどいけちでもあった。
羊飼いを雇いたくなかったし、羊が草を食んでいる牧場のまわりを柵で囲いた
くも無かった。
そのために森の中に迷い込んだり、谷に落ちたり、色々なことをする羊がよく
いた。
とりわけ逃げ出すものが多かった。
魔術師が彼らの肉や皮を欲しがっていることを知っていたからだ。
羊たちはそれが嫌だった。
ついに魔術師は解決策を見つけだした。
彼は羊に催眠術をかけ、先ず「お前たちは不死だから、皮を剥がれても何の害
にもならない。それどころか、それは非常にお前たちの為になるし、むしろ気
持ちがいいくらいだ」という暗示をかけた。続いて魔術師は、「私は群れを深
く愛する”善き主人”だから、お前たちの為なら何でもする用意がある」とい
う第二の暗示をかけた。更に彼は、「万が一何かが起ることになっているのだ
としても、とりあえず今日、たった今起るわけではないのだから、そんなこと
を考える必要はない」
と第三の暗示をかけた。さらに又魔術師は、「おまえたちはまったく羊ではな
い」と暗示をかけ、何匹かの羊には「おまえたちは人間だ」、また別の羊には
「おまえたちは魔術師だ」と暗示をかけた。
 それ以来、彼は羊の世話や気苦労からすっかり開放された。
羊たちは二度と逃げ出すこともなく、魔術師が彼らの肉や皮を取りに来るとき
を静かに待っていた。

ゲオルギー・グルジェフはこの寓話をこよなく愛していた。
彼の哲学全体がこの小さな寓話の中に含まれている。
そしてこの寓話は、通常の無意識状態にある人間を表している。
この話は、あるがままの人間を最も美しく描いてみせている。
人間は機械だ。
人間は機械に生まれついたわけではないが、機械のように生きて、機械のよう
に死んでゆく。
人間は大きく花開く意識の種子を宿している。
人間は神になる可能性を秘めている。
だが、それは実現しない。
それが起らないのは、社会によって、国によって、組織化された教会によって、
既得権益を有する者たちによって、人間が催眠術にかけられているからだ。
社会は奴隷を必要とする。
そして人が奴隷の境遇に甘んじたままでいられるのは、成長して最大限に花開
くことを許されないときだけだ。
社会はあなたの肉やあなたの皮を必要とする。
だが言うまでもなく、誰もそんな目には会いたくない。
だから、社会の一員となり、文明を身につけるプロセスというのは、全て深い
催眠術に他ならない。
人間はまさに生れ落ちた瞬間から催眠術をかけられてゆく。
社会は人間の味方であり、人間の幸せのために存在するのだと信じるように催
眠術をかけられてゆく。
それはまったくの誤りだ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

3 避難民のマジレスさん :2018/10/17(水) 13:55:34 ID:LC3de7YgO
>>1
スレタイ訂正
購読会→講読会

(´・(ェ)・`)ゞ

4 避難民のマジレスさん :2018/10/18(木) 06:40:41 ID:LC3de7YgO
>>2
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

人間は自分が不死であると信じるように催眠術をかけられてゆく。
そうではない。
人間は不死になりうるが、いまは違う。
催眠が解けずに残っているかぎり、人間は決して不死にはならない。
あなたはどうしても死を免れぬ存在として生きている。
なぜなら肉体の中で生きているからだ。
肉体はやがては死んでゆく。
生まれるものは必ず死んでゆく。
誕生は肉体の始まりであり、死はその終わりだ。
あなたは自分の内にある肉体以上の何かを知っているだろうか?
肉体よりも高く、肉体よりも深い何かを体験したことがあるだろうか?
生まれるよりもまだ先に自分の中にあった何かを見たことがあるだろうか?
もしそれを見たことがあるなら、あなたは不死だ。
自分の顔、自分の本来の顔、生まれる前に持っていた顔を知っていたら、
あなたは死後にも自分がそこに存在することを知っている。
さもなければあなたは何も知らない。
人間は不死の存在たりうるが、肉体と同一化しながら生きているために、死に
囲まれて生きている。
社会はあなたが肉体以上のものを知ることを許さない。
社会が興味を持つのはあなたの肉体だけだ。
---肉体は利用することができるが、魂は危険だ。
なぜなら、魂の人は一個の自由人だからだ。
彼を奴隷に貶めることはできない。
みずからの内に不死なる魂をもつ人は<存在>そのもの、神そのものにより深く身
をゆだねている。
彼は人間が作り上げた社会、文明、文化の構造など少しも気にかけない。
これらのものは彼にとっては監獄だ。
彼はキリスト教徒、ヒンドゥ教徒、イスラム教徒としては生きていない。
彼は群集の一部ではありえない。
彼は個として存在している。
肉体は群集の一部だ。
あなたの魂はそうではない。
あなたの魂はきわめて個的なものだ。
それは自由の香りをおびている。
だが、魂というものは市場では利用できない。
社会が必要とするのはあなたの肉体だけだ。
もしあなたが魂を得ようと努力し始めたら、それは社会にとって非常に危険だ。
そうなったら、あなたの関心が変わってしまうからだ。
あなたは外交的な人間から内向的な人間になる。あなたは内側に向かい始める。
社会は外側にある。社会はあなたのエネルギーが外に向かって流れ続けるよ
うに、 あなたが外交的な人間であり続けることを---金や権力や名声や、 そうい
った全てのものに興味をもち続けることを望んでいる。 もしあなたが内側に向
かって動き始めたら、 それはあなたが離脱者になったということだ。 あなたは
もう外側で演じられているゲームの一部ではなくなったということだ。 あなた
はその一員ではない。 あなたはみずからの実存の内部へ深くもぐりはじめる。
すると、そこには不死性の源がある。 社会はあなたが内側に入ってゆくことを
妨げる。 その最良の方法は、自分は内側に入りつつある という偽りの観念をあ
なたに与えることだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

5 避難民のマジレスさん :2018/10/19(金) 06:00:43 ID:LC3de7YgO
>>4
1黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く
 より抜粋

魔術師は羊に「おまえたちはライオンだ」と言った。
彼は「おまえたちは不死なるものたちだ」と暗示をかけ、催眠状態に導いて
「我々は人間であるばかりか、偉大な魔術師でもある」と信じ込ませた。 教会
に通っても、内側に入ってゆくわけではない。 だが、社会はあなたに催眠術を
かけて、 内側に入りたければ教会に通わなければならないと信じ込ませてきた。
しかし教会は他の全てのものと同じくらい外側にある。 そして聖職者とは国や
社会の代理人だ。 聖職者はいつも神秘家に反対してきた。 なぜなら、神秘家の
もとへ行けば、あなたは内側に向かって動きはじめるからだ。 神秘家はまった
く違う生き方をしている。 彼のエネ
ルギーは異なった動き方をする。 彼の川は内側に向かって流れている。 だから
神秘家のもとへ来る人は、その神秘家と波長が合うや、 自然に、すみやかに、
内発的に、内側へと動きはじめる。 そもそも師と、神秘家と共にある目的はそ
こにある。

この『黄金の華の秘密』(『太乙金華宗旨』のこと。 ヴィルヘルムによる独訳
にユングが解説を加えたのが、『黄金の華の秘密』) という書物は、世界で最も秘教的な論書のひとつだ。
それはあなたに肉体以上のものになる方法を示す。
死を超えてゆく方法をあなたに示す。
花開く方法をあなたに示す--- いかにして種子のままでとどまらずに、黄金の華
になるかを。 インドで私たちが、「一千枚の花弁をもつ蓮華」と呼ぶものが、
中国では「黄金の華」と呼ばれている。それは象徴だ。 花は完全さ、全一性を
表している。 花は潜在能力の最大の表現、潜在能力の実現を表している。
花は実存の美、雄大さ、荘厳な響きを表している。 そしてあなたが一千枚の花
弁をもつ蓮華、 あるいは黄金の華にならないかぎり---。
 いいかね、あなたは遠くまで行かなければならない。
 いいかね、あなたは社会があなたの周りに仕掛けた罠から脱け出さなければ
ならない。
 いいかね、あなたはそのためにこの世に生まれてきた為すべき仕事をまだや
り遂げていない。  
いいかね、あなたはたんなる種子であって、まだ魂ではない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

6 避難民のマジレスさん :2018/10/20(土) 11:04:15 ID:LC3de7YgO
>>5
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

この『黄金の華の秘密』という論書は非常に古い--- 世界最古の論書のひとつ
かもしれない。 確実に25世紀は経ている。それよりもっと古いかもしれない。
ゆうに25世紀までは遡ることができる。
さらにこの論書はあらゆる偉大な宗教の大いなる統合でもある。
それはたぐい稀でユニークなことだ。
『聖書』はキリスト教徒のものだ。 『タルムード』はユダヤ教徒のものだ。
『ヴェーダ』はヒンドゥ教徒のものだ。 『法華経ダンマパダ』は仏教徒のも
のだ。 『道徳経』は道家タオイストのものだ。
だが、この『黄金の華の秘密』という小さな書物は、格別誰のものでもない。
あるいは万人のものだ。
この書物は道家の教えに深く基付いている。
それは生と存在に迫る道家の道の開花だ。 が、それだけではない---ツァラツ
ストラがある役割を演じている。 ツァラツストラの教えがその中には織り込ま
れている。 仏教徒の教えもその中に織り込まれている。 そしてキリスト教徒の
ある秘教学派、ネストリウス派の人々、 彼らもまたそれなりの役を演じている。
だから、キリスト教とユダヤ教もその一部になっている。
それは最も統合的な参入への道アプローチのひとつだ。
それは世界のあらゆる伝統の中にある美しいもの全てを統合させる。
何世紀にもわたってそれは口頭でのみ伝えられ、書物は秘伝とされ続けてきた。
それは大衆の手には入らなかった。
なぜなら、みだりに教えてはならないことがあったからだ。
それは弟子たちにのみ明かされた。 師は、機が熟したときにのみ弟子たちに
語った。
というのも、もし正しく理解しなかったら、もしどこかで過ちを犯したら、 必
ず有害な結果を招くほどの潜在力を秘めたかぎを、それはあなたに与えるからだ。
それは正しく理解されなければならない。 そしてそれは師の臨在のもとでのみ
究明されるべきものだ。
それは強力な技法だ---それは原子エネルギーと同じくらい強力だ。
今のところ原子力の秘密は大衆から隠されている。
ひとたびその秘密が大衆に漏れ始めたら、非常に危険なことになる。 もし原子
爆弾をひそかに作ることができるようになったら、すさまじい混沌が引き起こ
されずにはすまない。 原子力の研究に関しては厳重に秘密が守られている。
それとまったく同じようにして、この書物は、”内なる爆発” をもたらす最も潜
在力のある技法のひとつをあなたに教える。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

7 避難民のマジレスさん :2018/10/21(日) 08:50:43 ID:LC3de7YgO
>>6
1黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

何世紀にもわたって、その秘密は護られ--- 師弟のあいだでのみ、内密に弟子た
ちに授けられた。
そしてとりわけこの秘教学派の門人たちは 本を書きたいという誘惑をいっさい
退けた。
実際、世界のあらゆる宗教が、その霊的な教え を書き記すことを長いあいだ潔
しとしなかった。
何かが口頭で伝えられるときには、ある種の美しさがある。
それは生きている---それがひとつ---師が背後にいるからだ。
それは生命を失った言葉ではない。 その言葉には魂、翼がある。
師の体験がそれを支え、師がその証人となる。
それはたんなる空論ではない。 ただの哲学ではなく、実存的な、体験される
、生きられる何かだ。
そして師は旅路を終えている。
彼は道に横たわる数々の危険を知っている。 彼は罠を知っている。 彼は人々
が道を外れる地点を知っている。
そして師は、弟子が道を外れることがないようにあらゆる手を尽くす。
真理に近付けば近付くほど、あなたが道を外れる可能性は大きくなる。
なぜなら真理に近付くと、あなたは非常
に自己中心的になりかねないからだ。
「いまや私は知っている」、「いまや私
は確固たる基盤を築いた」--と。
そして自我エゴがその状況につけこめば、あなたはかつての暗い谷間に舞い戻
り 、その頂を失ってしまう。
真理に近付くと、それを人々と分かち合いたいという大きな欲望が湧いてくる。
が、あなたは真理を余すところなく体験したわけではない。
そして生半可な真理を分かち合うのは危うい。
というのも、生半可な真理には強大な力があるので、嘘よりもいっそう危険だ
からだ。
嘘は無力だ。 遅かれ早かれ、人々は自らそれが嘘であることに気付く。
だが生半可な真理は何世紀にもわたって残存しかねない。
何世紀にもわたって影響を及ぼしかねない。 誰ひとり生半可な真理を通して行
き着くことはできない。
そして旅路の半ばにいる者は、この世にも属さず、あの世にも属していない。
彼は天国と地獄のはざまにいて、じつに奇妙な立場に置かれている。
古いものは失ったが、新しいものが手に入らないために、あなたは混沌と化す。
古い秩序は去ったが、新しい秩序は生まれていない。
あなたは黒雲と化し、混乱状態に陥る。
もっと明晰になるよりも、もっといきいきとするよりも、 もっと光に満ちあふ
れるよりも、 むしろあなたの生は二つの極のあいだで葛藤を起してしまう。
あなたは引き裂かれ、ばらばらになり始める。 あなたの半分は大地に属し、半
分は天空に属している。 今やあなたの居場所はどこにもない。
今やあなたは何者でもない。 これは狂気を引き起こしかねない。
それゆえに『黄金の華の秘密』は、何世紀にもわたって口頭でのみ伝えられて
きた 。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

8 避難民のマジレスさん :2018/10/22(月) 07:13:00 ID:LC3de7YgO
>>7
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

さらに、口伝によってその教えはつねに命脈を保ち続ける。
それはそのようにして統合を成し遂げた。
それは基本的には中国の道家の風土で誕生した。
だがその後、ボーディダルマが中国にやってきた--- 新しいメッセージ、仏陀
のメッセージを携えた新しい師がインドからやって来た 。
そして『黄金の華の秘密』の教えに従っていた人たちはとても寛容な人々だっ
た 。
彼らはいかなる制度化された教会の一部でもなかった。 彼らはボーディダルマ
もまたそれを有していることを即座に見て取る ことができた---それは一目瞭
然であり、歴然としていた。
彼らはボーディダルマの教えを自分たちの教えの中に取り入れた。
そして同じことがゾロアスター教徒の師たち、 ネストリウス派のキリスト教徒
に対しても起った。
中国に何かが伝えられるたびに、 もしそれが価値あるものであれば、取り入
れられた。
口伝による教えは川のように生き生きと流れ、成長を続ける。
新しい水の流れが加わり、その一部になる。
教えはひとたび書き記されると、もうそれ以上何も取り入れることができなく
なる。
そうなったら、それは硬化して、流動性を失い、屍になる。
今や『黄金の花の秘密』の成長は止まってしまった。
成長が止まって何世紀も経つ。 書き記されて以来、その成長は止まったままだ

私はなぜ『黄金の華の秘密』を講話の題材として選んだのか?
それはその教えがまだまだ成長しうるからだ。
それは世界へのこの上もなく美しいメッセージだ。
その火を消してはならない。
私はそれをよみがえらせたい。
それに私は今、弟子たちに語りかけている--- 私のもとへ来て、生まれ変わる
ために死ぬ用意ができている人々に。 花咲くために死ぬ用意ができている人々
に。
種子は死ななければならない。
そうしてはじめて種子は成長することができる。
種子は消え去らねばならない。
そうしてはじめて樹は生まれてくることができる。
私はこの小さいけれども、計り知れない価値 をもった書物を基に話を進めてゆく。
この書物が再び息を吹き返せるように--- それは私とあなた方とのあいだで息ずく
ことができる。
それは再び流れはじめることができる。
そしてこの書物には計り知れないほど重要な何かがある。
それを理解し、実践したなら、あなたは豊かになるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

9 避難民のマジレスさん :2018/10/23(火) 06:52:26 ID:LC3de7YgO
>>8
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

だが、まず理解しなければならないのは、あなたは催眠術にかけられているから 、
その催眠を解くプロセスを通り抜けなければならないということだ。
いいかね、あなたは条件付けられているから、 その条件付けを解かなければならな
い。
死がやって来つつあるのだということを覚えておきなさい。
死は今日は起らないと考えてはいけない。
死はいついかなる時でも起こりうる。
実際、すべてのものごとはつねに今起こる。
種子は今死に、つぼみは今花になり、鳥は今鳴きはじめる。
すべてのものごとは今この瞬間がもたらす空間でのみ起こる。
過去では何も起こらず、未来では何も起こらない。 すべてのものごとはつねに現在
において起こる--- ものごとはそのようにしか起こらない。
現在が存在する唯一の時間だからだ。
過去とはあなたの記憶にすぎない。 そして未来とはあなたの空想にすぎない。
ところがあなたは過去に生きるよう催眠術をかけられている。
未来に生きるよう催眠術をかけられている。
過去か未来のどちらかを選ばせはしても、社会は あなたが現在に生きることは許さ
ない。
キリスト教徒やヒンドゥ教徒やイスラム教徒たち--- 彼らは過去に生きるよう人々
を条件付ける。
彼らの黄金時代は過去にあった。
共産主義者、社会主義者、ファシストたち--- 彼らは未来に生きるよう人々を条件
付ける。
彼らの黄金時代は未来にある。ユートピアがやって来つつある。「革命が起れば、
本当にいきいきと生きることができる。 そうなったら黄金時代が訪れる。」と。
人は実在しない過去に連れてゆかれるか、 あるいは、やはり実在しない未来に連れ
てゆかれる。
どの社会も現在に生きなさい、今ここを生きなさいとは教えない。
サニャシンであるとは、真の探求者であるとは、今ここを生きるということだ。
そして今ここを生きる以外に生はない。
だが、そうするためには、かけられた催眠を解かなければならない。
あなたは機械ではなく、人間にならなければならない。
あなたはもう少し意識的にならなければならない。 あなたは意識的ではない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

10 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/23(火) 22:58:44 ID:1d4drIFg0
やっとみつかったのじゃ。
おしょーの話は前置きが長いのじゃ。
この本は中国の道教による気の修練の本なのじゃ。
インドのヨーガスートラと同じようなものと思えばよいのじゃ。

11 避難民のマジレスさん :2018/10/24(水) 02:57:02 ID:LC3de7YgO
>>10
鬼和尚、ありがとうであります。
うむ。本題である仙道、気功法の話がなかなか出てこぬのであります。
けど、前ふりの話しも、たのしいのでよいであります。
(´・(∀)・`)つ

12 避難民のマジレスさん :2018/10/24(水) 04:35:01 ID:LC3de7YgO
>>9
1黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く
 より抜粋

私は死んでゆく男のそばに座っていたことがある--- 彼とは同じ大学の教授仲間だ
った。 彼は輝かしい経歴の絶頂にあった。
ところが、そのとき彼は心臓発作に襲われた。 心臓発作はいつも人が頂点を極めた
ときにやってくる。 成功の後にはつねに心臓発作がつき物だ。
成功をおさめたあと、他に何が得られるだろう?
そこで彼は心臓発作を起して死の床についていた。 私は彼に会いに行った。
彼は深い悲しみに沈んでいた---誰が死を望むだろう? 彼は絶望に打ちひしがれ、
悲しみに悶えていた。
私は彼に言った。「心配することはない。君は死んだりしないよ」
彼は言った。「何を言ってるんだ?医者たちはだよ、 医者たちは口をそろえて回復
する見込みはまったくないと言ってるんだ。 君は何を根拠に僕が死なないというの
かね?」
私は言った。「君はそもそも死ぬことなどできないよ。 というのも、君は一度も生
きたことがないからだ。 君は死ぬための第一条件を満たしていない。 この50年間、
君は夢遊病者のように生きてきた。 君は夢を見ていたんだ。君は一度も生きたこと
がない。 私は君を何年も見守ってきたんだ」
彼はショックを受け、腹を立てた---あまりに腹を立てたので、 しばらくのあいだ
死のことなどすっかり忘れてしまった。 怒りに燃えた目でにらみながら彼は言った。
「死んでゆく人間に向かってそれはないだろう。少しは思いやりがあってもいいじ
ゃないか。 どうしてそんなにひどい態度をとるんだ? 死んでゆく相手に向かって大
した哲学を並べるじゃないか--- 『君は
一度も生きたことがない』だって。 こんな時によくそんなことを口にできるね?」
私は静かに聴いていた。 私はひと言もしゃべらず黙っていた。すると激しい怒り
が消えて、彼は泣き出した。 彼の目には涙があふれた。彼は愛を込めて私の手を握
ると、こう言った。
「君が正しいのかもしれない。 私は一度も生きたことがなかったんだ。たぶん君
は不作法じゃなくて、真実を言っただけなんだ。それに私にこんなことが言えるの
は君だけだ。」
そのあと深い感謝が湧き起こり、しばらくのあいだ、その顔にぱっと光がさすのが
見えるほど彼は意識的になった--- 光がそこにあった。
彼の存在は霊光オーラに包まれていた。 そして彼は「ありがとう」と言った。
その夜、彼は死んだ。 私は最後の瞬間まで彼のそばにいた。 彼は言った。
「もし君がここにいなかったら、私は 生を取り逃がしてきたように、死もまた取り
逃がすところだった。 だが、私は意識して死んでゆく。少なくとも一つだけ嬉しい
ことがある--- 私は無意識のまま死んでゆくのではない。」
そして彼の死は美しかった。 彼は何も思い残さずに息を引き取った。
彼は安らかに死んでいった。彼は「ようこそ死よ」と言わんばかりの心境で 死んで
いった。彼は感謝に満ちて死んでいった。彼は祈りのうちに死を迎えた。
彼の次の生はきっと必ず異なる質をおびるにちがいない。 死がそうまで美しければ
、その死はあなたに新しい生をもたらす。

だが人は一瞬一瞬を---それが生の瞬間であろうが、愛の瞬間であろうが、怒りの
瞬間であろうが、死の瞬間であろうが---生きなければならない。
それが何であろうと、人は一瞬一瞬を可能な限り意識して生きなければならない 。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

13 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/24(水) 22:20:23 ID:1d4drIFg0
死に際になれば誰もが自分とは何であったのかとか、真剣に考えるようになるものじゃ。
それは本人には苦しいことであるが、悟りに近づくチャンスでもあるのじゃ。
今までの人生にはない真剣な心構えで、この上なく己というものを見つめれば光明を得るチャンスもあるものじゃ。
教授も最後にオショーに逢ってよかったのじゃ。

14 避難民のマジレスさん :2018/10/25(木) 07:07:43 ID:LC3de7YgO
>>12
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

空想にふけりながら畑で胡瓜を盗んでいる百姓がいた。
「この胡瓜の袋を持って逃げよう」と彼は考えた。「そしてこれを売って金に換え、
雌鶏を一羽手に入れよう。
雌鶏は卵を産んで、それを抱いて温め、何匹 かの雛をかえす。
その雛を大きくなるまで育てたら、そいつを売って雌の子豚 を買おう。
そいつを立派な豚に育てて、子種を仕込む。そうすりゃ数匹の子豚 を生むから、そ
いつらを売り飛ばす。豚を売った金で畑付きの家を買うんだ。 畑に胡瓜を植えたら
、誰にも盗ませるものか---しっかり見張り続けるんだ。 腕っぷしの強い見張り番を
雇って、ときどき出かけてゆき、 『おい、こら!しっかり見張るんだぞ!』と怒鳴
ってやるんだ。」
その百姓は空想にふけるあまり、我を忘れて声のかぎりに叫んだ。
見張り番がその声を聞いて、駆けつけてきた。 彼は百姓をつかまえて、さんざん叩
きのめした。
だが人間はそのようにして---夢を見、空想にふけり、 欲望を未来に投影しながら
暮らしている。 ”あなた”はそのようにして生きている。
だがそれは、この美しく、途方もない価値のある生を生きる道ではない!
これはまったくの浪費だ! あなたは瞬間に、現在にもっと注意深くならなければ
いけない。 あなたは自分の意識をふり絞らなければならない。
意識はあなたの宝だ。 何世紀にもわたって考案され、編み出されてきた技法はす
べて、人の内部にもっと意識をつくりだすための、人の内部にもっと火をつくりだ
すための、 あなたの生をもっと熱烈なものに、炎にするための手段に他ならない。
人々は鈍感な生を生きている。人々はうわの空で生きている。人々はぼんやりと生
きている。
どうしてまわりへの留意をそこまで欠いたまま生きることができるのだろう?
留意が欠けた状態は闇だ。留意は光だ。
そしてこの論書は、 どのようにしてあなたの内部にもっと多くの光をつくりだすかを教える。
そうすればいつの日にか黄金の華が---。
(´・(ェ)・`)
(つづく

15 素人A :2018/10/25(木) 13:20:53 ID:/mRrWwwM0
鬼和尚さん 私は夢の中で怪獣においかけられたり 普段やらなければ
成らない事をサボり追い詰められるけどて助からないとおもつても何でか
起きてて夢だと知り安心してああよかったで胸をなでおろし安心するけど
此処に現実のヒントが隠されている用だ?夢の中でも堅実でも模学のは
深い意味があるようだ。まあ我々はいろんな経験を積んでさあ鳥の山を
のぼつているのかも、五重の塔とヨーガのチャクラも皆関係あるようだし
明朗に模学ひとは聖人なのかも我々が聖人のまねしても肝心な事が抜け落ちる
だけなのか

16 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/25(木) 23:03:10 ID:1d4drIFg0
↑悪夢を見る者はその夢をコントロール出来るようにするべきなのじゃ。
夢の中で夢を自覚すれば夢をコントロールできるのじゃ。
悪夢も楽しい夢に変えられるのじゃ。
怪獣を花とかお菓子に変えてしまうとかのう。
最初は夢の中で手を見られるようにと寝る間際に念じるのじゃ。
毎日やればできるようになるのじゃ。

17 避難民のマジレスさん :2018/10/26(金) 07:33:30 ID:LC3de7YgO
>>14
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

二人の精神科の医者が路上で出会った。
「やあ元気そうだね。ところで僕の調子はどうだい?」とひとりが言った。
人々は互いに尋ねあっている。誰も自分の調子がわからない。
彼らは互いに目をのぞき込み、自分自身に関する情報を他人から集めている。
他人の意見がこれほど重要になっているのはそのためだ。
誰かに馬鹿だと言われたら、あなたは怒り出す。なぜだろう? あるいはあなた
は悲しくなる。なぜだろう?
あなたは打ち砕かれる。自分を賢い人間だと思っていたのは、 他人から「あな
たは賢い人だ」と言われたからだ。
あなたが拠り所としていたのは他人の意見だ。
今度は他の誰かから「お前は馬鹿だ」と言われる。
他人はあなたの知恵を簡単に、いともたやすく打ち砕くことができる。
あなたがトランプで立てた宮殿に、彼は石を投げつけた。
いまやすべてが打ち砕かれる。人がひどく腹をたて、 真っ赤になって怒り出し
、ひどく暴力的になるのはそのためだ。 人がひどく悩んでくよくよするのはそ
のためだ。
他人がどう思うかを絶えず気にしているのは、 あなたが他人が考える自分しか
知らないからだ。 あなたは自分自身のことは何も知らない。
さあ、これはなんという状況だろう? この私に私のことがわからないのに、
他の誰に私のことがわかるというのだろう?
外側から私を観察することはできないし、 そのような仕方で私を手に入れるこ
とはできない。 外側から観察することができるのは私の肉体だけだ。
私は内側から自分の意識を知ることができる。 鏡の前に立つときでさえ、見え
るのは自分の肉体だけだ。 自分の意識を鏡で見ることはできない。
あなたですら鏡でそれを、自分の意識を見ることはできない。
あなたは直接それを観なければならない。 それは鏡には決して映らない。それは何にも決して映らない。
それは不可視のものだ。 あなたは目を閉じて、それで在らねばならない。
それこそが自らの意識を知る唯一の方法だ。
だが人々はじつに無意識に生きている。
彼らはただ他人の意見に従って生きている。
他人の言ったことが彼らの魂になってしまう。
他人はいつでもそれを取り消すことができる。
人々は乞食のままでいる。
あなたは自分自身について何かを直接知ったことがあるだろうか?
あなたは他人の意見を持ち込むことなく自己に直接遭遇したことがあるだろうか

ないとしたら、あなたはまだ生きてはいない。
自己に遭遇することで、自分自身を直接、間髪を入れずに観ることで、 はじめ
て生は息ずきはじめる。
他人が思うあなたではなく、あるがままのあなたを観ることができたとき、 は
じめて生は立ち現れてくる。 他人にどう思われようと、他人に何を言われよう
と、いいではないか。
彼らはあなたの行動を観察することはできるが、 あなたそのものを観察するこ
とはできない。 自分自身を観察したいと思うなら、それができるのはただあな
ただけであり、 他の誰にもできない。召使にはそれはできない。
他の誰かに任せるわけにはゆかない。専門家にもそれはできない。
ところが私たちは完全な放心状態に陥っており、 目覚めているものが内側にひ
とりもいないために、 他人の意見がひどく気になって仕方がない。
私たちは深く眠りこけ、内側でいびきをかいている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

18 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/26(金) 22:41:35 ID:1d4drIFg0
オショーはみんな寝て夢を見ているという。
それは自分を観ていないからなのじゃという。
自分について知らない、自分を観ていない者がどうして起きて夢を見ていないと言えるじゃろうか。
自分を観て自分について知ることが出来るのは自分自身だけなのじゃ。
それが出来れば目覚めることもできるのじゃ。

19 避難民のマジレスさん :2018/10/27(土) 09:22:13 ID:LC3de7YgO
>>17
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

ぼんやり屋の教授が床屋に出かけた。 彼は椅子に腰をかけたが、帽子を取ら
なかった。
「すみませんが、帽子を取っていただけますか」と床屋が言った。
「ああ失礼」と教授が言った。「御婦人がいらっしゃるとは知らなかった」
自分自身のぼんやりとした状態を見守りなさい。 それを見守ることで、あなた
の中に注意深さが生み出される。 自分の中で何が起っているか見守りなさい。
思考が通り過ぎてゆき、記憶がよみがえってくる。怒りの雲が湧き起こり、 悲
しみの暗夜が訪れ、あるいはすばらしい喜びの朝がやってくる。 自分の中を通
り過ぎてゆくものすべてを見守りなさい。 もっともっと注意深くなりなさい。
ゆっくりゆっくり、あなたは統合された注意深さになってゆく。
そして「黄金の華の秘密」は、 みずからの内なる光のもとで統合を成し遂げ
る技法を説いている。

経文に入ってゆく前に、この書物に関してはこんな話が伝えられている
--- この書物は中国のある秘教集団に由来する。
この秘教集団の創始者は、名高い道教の奥義体得者、 呂厳(ロゲン)だったと
いわれている 。
呂厳はこの秘密の教えをどこで体得したのだろう?
呂厳自身は、その起源を関伊喜(カンインキ)師に帰している。
伝説によると、老子は彼のために『道徳経』を書いたとされている。
老子はその生涯で、ただのひと言も言葉を文字に書き記さなかった。
彼は何かを文字に書き留めて欲しいという勧めを何度も何度も断った。
彼はみずからが知るに到ったことを弟子たちに伝えたが、 進んで書き示すこと
はなかった。
彼は「言い表すことのできる<道タオ>は、真の<道タオ>ではない」 と言ってや
まなかった。
表現することのできる<道>はすでに偽りのものになっている。
それは師との親密な触れ合いの中でのみ学ばれうるものだ。
それを伝えるすべは他にはない。 それは深い魂の交流のなかでのみ学ばれう
るものだ。 そこでは師と弟子が出会い、弟子は何も控えずすべてをさらけ出し
、 師と弟子は重なり合って、そこで互いの意識が溶け合う。
このような出会い、魂の交流のなかで、はじめて<道>は伝えることができる。
だから老子は申し出を何度も断った。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

20 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/27(土) 22:45:16 ID:1d4drIFg0
ようやく書の解説に入ったのじゃ。
呂厳とは呂洞賓という名前で知られる仙人なのじゃ。
仙人が書いたとされる道教の本であったものを禅が取り入れたのじゃ。
十牛図と同じなのじゃ。
そのようなことが度々起こるのも中華では儒教、仏教、道教が同じ道を伝える三教合一の思想があったからなのじゃ。

21 避難民のマジレスさん :2018/10/28(日) 05:59:18 ID:LC3de7YgO
>>19
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

老子は長寿を保った。 だが死が近付くと、彼は水牛に乗って中国を去っていった。
なぜ水牛に乗っていたのだろう?
それは彼の教えすべてが流れる水の教えだったからだ。
彼はこう言っていた。
人は水のように自在に姿を変えて流れ、新鮮なままで、つねに大洋に向かって進ん
でゆかなければならない。
水のように柔らかく、女性的で、受容的で、 愛に満ちあふれ、非暴力的でなければ
ならない。
人は岩のようであってはいけない。岩はとても強そうに見えるがそうではない。
そして水はとても弱そうに見えるがそうではない。
けっして見かけにだまされてはならない。
水は最後には岩に勝って、岩は砕かれて砂になり、海へと運ばれる。
岩は柔らかい水と闘うことで最後には姿を消してしまう。
岩は男性的だ。それは男性的な精神、攻撃的な精神だ。
水は女性的で、柔らかく、愛に満ちあふれ、少しも暴力的ではない。
だが、攻撃的ではないものが勝つ。
水にはいつでも降伏する用意があるが、その明け渡すことで征服する。
それは女性のやり方だ。
女性はつねに降伏し、それによって征服する。
ところが男性は征服したいと思いながら、とどのつまりは降伏せざるをえない。
老子が中国を去るときに水牛を選んだのはそのためだ。
彼はどこへ行こうとしていたのだろう?
彼はヒマラヤへ行き、その永遠の美のなかに消え去ろうとしていた。
真実の人はいかに生き、いかに死ぬべきかを知っている。
真実の人は全一に生き、全一に死んでゆく。
真実の人は祝福のなかで生き、祝福のなかで死んでゆく。
彼はヒマラヤで完全に独りになろうとしていた。 だが、彼は国境でつかまった。
そして国境で老子をつかまえた男は関伊喜師だった。
彼は中国辺境の最後の関所を衛る役人だった。
老子はその関所を通り抜けなければならなかった。
国外に出る道は他になかった。
関伊喜は老子を説き伏せた。
「あなたは逝こうとなされている。 あなたはこの国から永遠に去ってゆこうとなさ
れている。 あなたはまもなく肉体を離れられることでしょう。どうか2,3の言葉
を書き記してください。 書き留めてくださらないなら、この国を出ることを許しま
せん。それくらいの代償は払っていただきたい。」
そこで老子は仕方なく関伊喜の小屋に3日間とどまった。
老子はそこで『道徳経』を書いた。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

22 避難民のマジレスさん :2018/10/29(月) 06:14:12 ID:LC3de7YgO
>>21
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

『黄金の華の秘密』の伝統は、呂厳に始まるとされている。
呂厳自身はその起源を、老子が『道徳経』を書き与えた と伝えられている関伊喜師
に帰している。
関とは”函谷関”のことだ。彼が関師と呼ばれるのはそのためだ。
それは”函谷関にいた師”と言う意味だ。
彼は偉大な奥義体得者だったにちがいない。
そうでなければ、 老子を説き伏せて、ものを書かせることなどできるはずがない。
老子は生涯にわたって辞退していたが、この男の勧めをむげに断るわけにはゆかな
かった。
この男は老子ですら拒むことのできない何かをもっていたにちがいない。
『黄金の華の秘密』の伝統はこのようにして老子とつながっている。
だが、それは老子にはじまるものではない。
老子みずから、何であれ自分が語っていることは 過去何世紀にもわたってくり返し
語られてきたものだと言っている。
彼は新しい真理ではなく、新しい表現をこの世にもたらしているだけだ。
それはいつもそうだ。真理は不変であり、異なるのは表現だけだ。
老子が言ったことは、老子の前にクリシュナが言ったことと同じだ。
クリシュナが言ったことは、後に仏陀が言ったことと同じだ。
仏陀が言ったことは、マホメット、イエス、ツァラツストラが言ったことと同じだ。
ただ彼らの表現があまりに違うので、その核心を見抜くに は大いなる知性が必要と
される。
構造が違い、言語が違い、真理の語り方がそれぞれ違う。
が、それは当然のことだ。彼らは異なる人物であり、異なる個たちであり、それぞ
れが他に類を見ないユニークな資質をそなえているからだ。
だが、真理は新しくもなければ古くもない。
そして真理はどこにあろうと永遠なるものだ。
『黄金の華の秘密』は、人がそこで再びよみがえり、聖なるものへの扉を 再発見す
ることのできる、そういった永遠の源泉からきた書物のひとつだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

23 素人A :2018/10/29(月) 08:28:16 ID:gOqWUDAs0
鬼和尚さんは夢の中で手をを見れと一手いや言った。王将を詰ますのは
手に握った駒を正しく打たなきゃ手が滑って他の所に打つ手負けるのは
クリックミス。現実では 働けど働けどわが暮らし楽にならずじっと手をみる
 石川啄木 詩人の感性は当たり前の手を観る 凄いなあ私はくだらない事で感心する

24 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/29(月) 22:28:41 ID:1d4drIFg0
この本は道徳経と同じように老子の説いたものというのじゃ。
怪しいがのう。
中国では昔の偉い人が書いたということで本に権威付けをするのじゃ。
だまされてはいかんのじゃ。

25 避難民のマジレスさん :2018/10/30(火) 06:47:26 ID:LC3de7YgO
>>22
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

さあ、経文だ---
呂祖師は言った。
それみずからによって存在するものは、道(タオ)と呼ばれる。
「タオ」という言葉は、本質的には”道”を意味する。
目的地については何も語ることができない。
目的地はとらえがたく、表現できず、言語を絶している。
だが、道についてなら何かを言うことができる。 それゆえに道家の人々は
「神」「真理」「にゃはん ニルヴァーナ」 という言葉を一度も使わなかった。
いや、彼らはたんに「道」という言葉を使う。
仏陀は言う。
「覚者ブッダたちは、あなたがたに道を指し示すことしかできない。
その道に従うなら、あなたがたは真理に到るだろう」 真理はあなた自身の体験
でなければならない。
真理は誰にも定義できない。 だが、道を定義することはできる。
道を明らかにすることはできる。 師はあなたがたに真理を授けることはでき
ないが、道を授けることならできる。
そしてひとたび道が明かされたなら、あと必要なのはその上を歩くことだけだ。
それは弟子によってなされねばならない。
私があなたの代わりに歩いたり、あなたの代りに食べることはできない。
私があなたの代わりに生きたり、あなたの代わりに死ぬことはできない。
こういったことは自分の力でやらなければならない。
だが、私は道を示すことができる。 私は道を歩いたことがあるからだ。
タオとはまさに”道”を意味する。
それみずからによって存在するものは、道(タオ)と呼ばれる。
この定義は美しい。
「それみずからによって存在するもの、他の力を借りる必要のないもの、
人がその上を歩いても歩かなくても、つねに存在しているもの----」と。
誰かがその上を歩くかどうかは問題ではない。
<道>はつねに存在している。
実際、全存在がそれとは知らずに<道>に従っている。
もし心して<道>に従うことができるなら、あなたの生は大いなる祝福となる。
それと気付かずに<道>に従うなら、あなたはつまずき続ける。
あなたは<道>の喜びをこころゆくまで味わうことができない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

26 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/30(火) 22:43:48 ID:1d4drIFg0
道、タオとは老子の道徳経の言葉によるものじゃ。
道は道として知ることができないものというのじゃ。
道は見られず知られないものであるが仮に名づけて道とするのじゃ。
その働きは無限であり、万物の宗主であるというのじゃ。

27 避難民のマジレスさん :2018/10/31(水) 06:41:57 ID:LC3de7YgO
>>25
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづく)
 より抜粋

ある人を庭に連れてくることはできるが、その人は無意識かもしれない。
酔っぱらっていたり、昏睡状態に陥っていたり、クロロフォルムの影響下にあ
るかもしれない。
その人を庭に連れてくることはできるが、彼は無意識だ。
鳥の歌声を耳にしても、彼はそれに気付かない。
太陽に照らされ、光を浴びても、彼はそれに気付かない。
大きな樹の下の涼しい木陰に寝かせてみても、彼はそれに気付かない。
それが人間のありようだ。
私たちはつねにタオのなかにいる。
なぜなら、その外などというものはないからだ。
生きるとは<道>のうえにあることだ。
生きるとは神のなかに生きることだ。
息をするとは神のなかで息つ”くことだ。
だが大海のなかに住む魚が海のことなどすっかり忘れているように、私たちはタオ
のなかで暮らしながら、タオのことをすっかり忘れている。
むしろそれがあまりに明白だからこそ、私たちはそれをまったく気にとめずにいる。
魚は大海をよく知っている---
魚は海のなかに生まれ、一度もその外に出たことがない。
魚は海はあるのが当然だと思っているから、それに気付いていない。
私たちはまさにこの<道>の上にいる。
私たちは神の内にある。
私たちはタオを通してタオのなかに生きている。
なのに私たちはそれに気付いていない。
タオは存在する。
なぜなら、タオなくして樹々は成長せず、星は動かず、
血液は循環せず、息を吸うことはできないからだ。
生命は消え失せてしまうだろう。
生命はそれを維持する基本的な法則があってはじめて存在しうる。
生命はそれを支える何かがあってはじめて存在しうる。
森羅万象のなかにある計り知れない秩序を見るがいい。
それは混沌ではなく、秩序をもった宇宙だ。
万物の秩序を成り立たせているものは何なのか?
宇宙はなぜこれほど調和に満ちているのだろう?
調和を保ち、それを脈々と流れさせている法則、
あらゆるものをひとつにまとめている法則があるにちがいない。
だが、私たちはそれについて知らない。
自分自身の実存に関して何も知らないにもかかわらず、
私たちはみずからの実存を通してタオと結びついている。
(´・(ェ)・`)つ

28 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/10/31(水) 22:35:17 ID:1d4drIFg0
タオとは古代インド人がブラフマンと呼んだものなのじゃ。
不変で有り永遠の意識であるのじゃ。
それだけが存在すると言えるものなのじゃ。
全てはそのタオの現われなのじゃ。

29 避難民のマジレスさん :2018/11/01(木) 07:14:50 ID:LC3de7YgO
>>27
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

タオには名前もなければ形もない。
それはひとつの精髄、原初の精神である。
それは私たちを取り巻いている生命の大陸だ---
内にも外にもある純粋な精髄エッセンス。
それは存在であり、原初の精神だ。
タオはどんな名前にもおさまりきらない。
すべての名前がタオの名だ。
すべての形がタオの形であるから、タオには特別な形がない。
タオは数限りない姿で存在している。
それは樹にあっては緑となり、花にあっては赤となる。
人間にあっては人間となり、魚にあっては魚となる。
それは同じ法則だ。
「タオ」という言葉を「神」に置き換えたとしても同じことだ。
キリスト教徒やイスラム教徒が「神」と呼ぶものを、
道家の人々は「タオ」と呼び、仏教徒は「ダンマ」と呼ぶ。
ユダヤ教徒はそれを「ロゴス」と呼んでいた。
だが、それらは同じものを指している。
それはどんな名前にもおさまりきらない。
あるいはどんな名前でも言い表すことができる。

精髄と生命は見ることができない。
この二つは天上の光のなかに含まれている。
天上の光は見ることができない。
それは両目のあいだに含まれている。
形は見ることができるし、肉体は見ることができる---
肉体は形であり、精髄を包み込んでいる物質だ。
だが、精髄エッセンスを見ることはできない。
精髄は目では見ることができず、五感ではとらえることができない。
それは何も介さず、直に感じ取らねばならない。
あなたは私の肉体を見ている。 私はあなたの肉体を見ている
---そこには器官が介在している。
私の目が、あなたがここにいると告げている。
あなたの目が、わたしがここにいると告げている。
だが、本当にそうだろうか。 私たちは目にだまされているのかもしれない---
目には時々だまされることがある。 夜、暗闇のなかで一本の縄が蛇のように
見える。 蛇だと思い込めば、それは蛇と同じように作用する。 あなたは怖くな
って走り出す。 あるいは、砂漠のなかで、ありもしないオアシスを見ることも
ある。 それはたんなる投影による現象だ。 喉があまりに渇くので、あそこにオ
アシスがあればいいという願望が起こり、 その願望がオアシスをそこにつくり
だすからだ。 目はよく人をだます。 だから当てにはできない。 あいだにもの
を介在させて知られる真理は、つねに怪しく、疑わしいままだ。 それは確実な
ものとはなりえない---絶対に確かだとは言えない。
が、絶対的な確証のない真理などまったく真理ではない。
真理というものは絶対に確かなものでなければならない。
ほぼ確かでは通用しない。
となると道はただひとつ--- 真理はあいだにものを介在させずに知られねばな
らない。 人はそれを直接、端的に知らなければならない。
人はそれをいかなる器官も介さずに知らねばならない。
真理はまさにそのようにして知られる。
生命を見ることはできないが、それを感じ取ることはできる。
それは主観的な体験であって、客観的な対象ではない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

30 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/01(木) 22:50:58 ID:1d4drIFg0
タオとは本来名も無いものじゃ。
仮に名づけてタオというのじゃ。
それを知識ではなく、ありのままに感じることで悟りも全うされるのじゃ。
本来それだけであったと気付くのじゃ。

31 避難民のマジレスさん :2018/11/02(金) 12:38:30 ID:LC3de7YgO
>>29
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

精髄と生命は見ることができない。
この二つは天上の光のなかに含まれている。
天上の光は見ることができない。
それは両目のあいだに含まれている。
人間には二つの目がある。
道家の人々にとって、この二つの目にはとても重要な意味がある。
現代の科学はようやくその真実を見ることができるようになった。
この二つの目はたんにものを見るためにだけあるのではない。
この両目はあなたの内側にある男性性と女性性を表している。
今や現代の科学は言う。人間の脳は二つの半球に分割することができる---
そして片方の半球は男性的で、もう片方の半球は女性的だ、と。
あなたの頭脳の右側は女性的であり、左側は男性的だ。
だから片方の目はあなたの内なる男性を表し、
もう片方の目はあなたの内なる女性を表している。
そしてこの男性と女性があなたの内側で出会うときの、その出会いこそが
「天上」と呼ばれているものだ---
それはあなたの男性性と女性性の出会い、内なる交合だ。
イエスは言う。「二つの目が一つになると、光が現れる」
彼は道教の煉丹術師のように語っている。
あなたの両目がひとつになると、光が現れる。
あなたの両目がひとつになると---あなたの男性性と女性性が互いのなかに消え
てゆくと、究極のオルガスム的な体験が起こる。
女性や男性と愛を交わすときにあなたが感じるものは、その一瞥、つかの間の
一瞥に過ぎない。
それはほんの一瞬のものなので、あなたが気付くころにはすでに過ぎ去ってい
る。あなたは後になってようやくそれに気付く。
それはあっという間に行ってしまう。
だが、それは一瞥であり、男性性と女性性の出会いの一瞥だ。
これは外側の世界における出会いだ。
たとえ一瞬といえどもそれが起こるのは奇跡だ。
が、そこには深遠な可能性が秘められている。
タントラ、タオ、ヨーガをはじめとする、
世界のあらゆる秘密の教えが行なっ
てきたのはそれだ・・・
内なる男性と女性---タントラ行者が「シヴァ」と「シャクティ」、
道家が「陰」と「陽」と呼んできたものにあなたが気付くのを助けること。
その二つの極、あなたのなかの<陰>と<陽>、あなたのなかの昼と夜---
その二つが出会わなければならない。

天上の光は見ることができない。それは両目のあいだに含まれている。
だが、両目がひとつにならないかぎり、あなたはそれに気付かない。

それは両目のあいだに含まれている。
だが、それを見ることができるのは、両目がひとつになったときだけだ。
ひとつになれば、それは解き放たれる。
そうなったらすさまじい光の爆発が起こる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

32 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/02(金) 22:04:58 ID:1d4drIFg0
すでに本の前説に入っているのじゃ。
中国の気の操作法は陰陽の合一が基本になっているのじゃ。
全ては陰と陽の気に分類され、その合一が目指すべき理想の境地なのじゃ。
大極の印に象徴される陰陽合一の法なのじゃ。

33 避難民のマジレスさん :2018/11/03(土) 11:39:37 ID:LC3de7YgO
>>32
元サイトでは、原文の部分は、字体を変えてるようなのでありますが、OSHO の解説の部分と原文の部分は、何となく読み分けられそうなので、このまま続けるであります。
(´・(ェ)・`)つ

34 避難民のマジレスさん :2018/11/03(土) 11:57:54 ID:LC3de7YgO
>>31
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

ツァラツストラはそれを「火の爆発」と呼ぶ。
老子はそれを「光の爆発」と呼ぶ。それは同じものだ。
あなたがたは洗礼者ヨハネの言明を耳にしたことがあるにちがいない。
彼は弟子たちに語っていた。「私はあなたがたに水の洗礼をほどこす。
私の後に、あなたがたに火の洗礼をほどこす人がやってくる」
彼が「私の後に、あなたがたに火の洗礼をほどこす人がやってくる」という言
葉で言おうとしているのは、その爆発のことだ。
水の洗礼は外なる世界の洗礼だ。
洗礼者ヨハネにとって、水とは外へ向かう流れの象徴だ。
このことを覚えておきなさい。
”外向”と”下降”は同じ意味であり、”上昇”と”内向”は同じ意味だ。
下降するものはすべて外にも向かい、上昇するものはすべて内にも向かう。
そしてその逆も言える。
水はつねに下に向かって進む。
それゆえに水は外へ向かう流れを象徴する。
水は水そのものから離れてゆく。水の旅は外界の旅だ。
火は上昇し、つねに上に向かって進む。
そして上昇と内向は同じ意味だ。火の旅はつねに内界へと向かう。
洗礼者ヨハネはこう言っている---私はあなたがたに水で洗礼をほどこしている。
私はあなたがたに宗教の輪郭を与えている。
私の後に、内なる洗礼、火の洗礼を
ほどこすキリストがやって来る。イエス自身、「悔い改めなさい、悔い改めな
さい」と何度も言っている。
だがこの言葉はキリスト教徒たちの手によって、誤った解釈をされてしまった。
彼らはそれを「あやまちを悔い改める」と解釈した。
それはあやまちとは何の関係もない。
「悔い改める」という言葉は、実際には 引き返すこと、内へ向かうこと、もどる
ことを意味する。 つまりそれは帰ること・・・自分の本来の姿を取りもどすとい
うことだ。
「悔い改める」という言葉はメタノイア---回帰すること、180度の転回を意味す
る。
外へ向かって流れ続けたら、あなたは水のままだ。 内側に方向を変えれば、あ
なたは火になる。
そしてこの両目、この二つの炎、あなたの意識のこの両半球がひとつになって、
完全に橋がかかり、あなたがひとつの炎になるとき、その炎こそプロティノスが
「一者から一者への飛翔」と呼ぶものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

35 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/03(土) 23:01:38 ID:1d4drIFg0
>>33 続けると善いのじゃ。

 水は陰の象徴なのじゃ。
 火は陽の象徴なのじゃ。
 水と火によって万物は生成するというのじゃ。
 それが気の基本的な考えなのじゃ。

36 避難民のマジレスさん :2018/11/04(日) 08:20:45 ID:LC3de7YgO
>>34
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

太乙たいいつ(大いなる一者)とは、それにまさるものがない者の呼び名である。
その一者になることが「太乙」になるということだ。
このようにして道家の人々は、「神」という言葉を使わずに神についての何かを述
べている。
ひとつになれば、あなたは神になっている。
生命の丹術の秘法は、無為を達成するために有為を用いることにある。
この言葉には大きな力が秘められている。
この両目をひとつにする秘法とは何か?
内なる男と女を合一させるにはどうすればいいのだろう?
もはやあなたが二つに割れることなく、内輪もめをする家ではなくなり、どんな葛
藤も緊張も生じない、まったくひとつの存在になるよう、あなたの男性性と女性性
を互いに溶け合わせるにはどうすればいいのだろう?
その合一のなかには至福がある。
なぜなら、すべての緊張が消え、すべての葛藤が消え、すべての不安が消えるから
だ。
その一者になるにはどうすればいいのだろう?

生命の丹術の秘法は、無為を達成するために有為を用いることにある。
男性は有為を表し、女性は無為を表している。
無為を達成するためには有為を使わなければならない。
無努力になるためには努力しなければならない。
あなたは全力をあげて、もてるすべてのエネルギーを注がなければならない。
あなたは何一つ後に残さないほどに活動的にならなければならない。
全エネルギーがその創造行為に投入されてゆく。
すると、すべてのエネルギーが投入された瞬間、突如として変容が起こる。
ちょうど水が100度で蒸発するように、行為は全一になると蒸発し、そして後には無
為が残る。
まずあなたはいかにして踊るかを学ばなければならない。
そして全エネルギーを踊ることに注ぎ込まねばならない。
するとやがて奇妙な体験が起こる。
不意に踊り手が踊りのなかに消え、何の努力もしていないのに踊りが起こっている。
そうなったらそれは無為だ。
あなたはまず無為に入ってゆくために有為を学ばなければならない。
瞑想とはまさにそれだ。
人々は私のもとへ来て、私が活動的な瞑想を教えているのはなぜかと尋ねる---
なぜなら、それが無為を見いだす唯一の方法だからだ。
力のかぎり踊りなさい。
夢中になって踊りなさい。
狂ったように踊りなさい。
あなたの全エネルギーがそのなかに投入されていれば、踊りがひとりでに起こって
いるのを不意に目撃する瞬間がやって来る---そこには何の努力もない。それは行為
なき行為だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

37 避難民のマジレスさん :2018/11/04(日) 08:37:52 ID:LC3de7YgO
>>36
>活動的な瞑想
とは、OSHOの踊る瞑想のことであり、黄金の華の内容ではないと思うのでありますか、活動的な瞑想とは、自発動功みたいなものでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

38 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/04(日) 23:00:02 ID:1d4drIFg0
>>37 そうじゃろう。
 活動的な瞑想をすることでエネルギーが発散され、心が鎮まる状態が自然にやってくるというのじゃ。
 それもまた陰陽の循環といえるのじゃ。
 陽が極まることで陰がやってくるのじゃ。

39 避難民のマジレスさん :2018/11/05(月) 06:32:04 ID:LC3de7YgO
>>36
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

黄金の華とは光だ。人は黄金の華を象徴として用いる。
「水の領域の鉛にはひとつの味しかない。」という詩句はそれをさす。
黄金の華は象徴だ、あなたのエネルギーがもはや二元的ではなくなり、ひとつにな
ったときの象徴だ。
まるで黄金の光の華があなたのなかで咲いたかのようだ。
しかし、それはたんなる象徴にとどまらない---
象徴ではあるが、文字通り真実だと言ってもいい。
それはまさにそのように起こる。
たった今、あなたは闇として、暗い夜として存在している。
それが起こるとき、あなたは日の出の姿をとって現れてくる。
どこにも太陽を見ることはできないが、光はそこにある。
その光には光源がない---それは光源のない光だ。
だが、ひとたびその内にある黄金の光を知れば、あなたは不死なる者になる。
そうなったら死は存在しない。
光はけっして死ぬことがないからだ。
生命のすべて、森羅万象のすべては、ただ光のみで成り立っている。
すべては光の現れに過ぎない。
現代の物理学者に尋ねてもいい。現代の物理学者たちの見解は、「すべては光だ。
形は変化し続けるが、光は続いてゆく。光は永遠だ。」
という点で、タオと完全に一致している。
世にある聖典の多くは、「光」という言葉で始まる。
「太初に・・・神は『光あれ』といわれた」それが始まりだ。
もしも始まりがあったとすれば、他の始まり方はありえなかっただろう、きっと光
とともに始まったはずだ。
だが、始まりなどというものはけっしてなかった。
これはたんなる寓話にすぎない。
光はつねに存在している。
 『コーラン』は「神は光だ」と言う。
スーフィたちが神に与えた名前のひとつはヌルだ。ヌルとは光のことだ。
その味は変わらない---それが私に起ころうが、あなたに起ころうが、その味は変わ
らない。
仏性の味は同じだ。仏陀はこう言った。
「仏性の味は大海のようだ。北で味わったとしても、岸辺で味わったとしても、沖
で味わったとしても、大海の味は変わらない。仏性の味もそのようなものだ」
この永遠の光を達成した瞬間、その人の生はただひとつの香りを放つようになる 。
その香りは完全な覚醒によって包まれている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

40 避難民のマジレスさん :2018/11/05(月) 08:11:46 ID:LC3de7YgO
>>39
>「水の領域の鉛にはひとつの味しかない。」
とは、どういう意味でありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

41 避難民のマジレスさん :2018/11/05(月) 22:39:06 ID:jfWCoXjM0
原文のPDFあったので置いときます。
https://www.oshorajneesh.com/download/osho-books/Tao/The_Secret_of_Secrets_Volume_1.pdf
https://www.oshorajneesh.com/download/osho-books/Tao/The_Secret_of_Secrets_Volume_2.pdf

42 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/05(月) 22:47:44 ID:1d4drIFg0
それは本来気の修練が成就した証の光が見える時の情景なのじゃ。
水は黒なのじゃ。
その中に白い光が見えるのが鉛なのじゃ。
鉛白は白いからなのじや。
内光とかインナーライトとかオーラとかなのじゃ。

43 避難民のマジレスさん :2018/11/06(火) 07:16:24 ID:LC3de7YgO
>>39
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

彼の無意識は消滅している。
もはや彼の実存には暗い部分がどこにもない。
さあ、フロイト派の分析家がこのような人を調べたとしても、見つかるのは意識だけだろう。
そこにあるのは 意 識 だ け で、無意識は見つからない。
フロイト派の分析家があなたのなかを見ると、ごく一部にしか意識がない。
その一部に対して無意識の部分が九倍ある。
意識をもっているのは、あなたのこころのたかだか十分の一にすぎない。
仏陀のような人には100パーセントの意識がある。
光を巡らせる瞑想は、ひとえに逆流の動きにかかっている。
それにより思考の集中が起こる。 天上のこころハートは太陽と月のあいだに位置している。
いいかね、もう一度くり返そう。
太陽は男性エネルギーの象徴であり、月は女性エネルギーの象徴だ。
そしてハートはその二つの中間にある。
ハートは男性的でもなければ、女性的でもない。
それがハートの美しさだ。
すなわち、ハートは神聖なものであり、男性的でもなければ、女性的でもない。
それはまさにその両者の中間にある。
男性エネルギーに傾き過ぎている場合には、人は過度に活動的になっていて、どう
やって受動的になればいいのかわからなくなっている。
西洋で起こっていることはそれだ。
西洋は太陽指向であり、あまりにも活動的だ。
人々は狂ったようにみずからを活動に駆り立てている。
めまぐるしいスピードで、あらゆることが即座になされねばならない。
人はいらだち、待つことを知らない。
彼らはいかにして受動的になるか、いかにして我慢するか、いかにしてものごとを
待つかを忘れてしまっている。
彼らは活動から身を引くすべをすっかり失ってしまった。
彼らはどうやって休日を過ごせばいいのかわからない。
たとえ休暇に出かけても、普段よりもいっそう活動的になる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

44 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/06(火) 22:40:35 ID:1d4drIFg0
光を巡らせる瞑想とは小周天なのじゃ。
精気として消耗される気を呼吸によってクンダリニーのエネルギーに変え、背骨から頭の中にと巡らせるのじゃ。
本来精気として下に行く筈のエネルギーを上に導く故に逆行の方法なのじゃ。

45 避難民のマジレスさん :2018/11/07(水) 05:53:30 ID:LC3de7YgO
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

西洋では、日曜日に心臓発作を起こす人の数が平日よりも多い。
それは日曜が休日だからだ。人々は手のあく暇もないほど忙しい。
平日のあいだ、休日になったら休息をとろうと考えていたのに、
いざ休日となると、やらねばならないことが山ほどある。
それをやらなければならないわけではない。
必要があるわけでもない。いや、その必要はまったくない。
だが、彼らはくつろいですごせない。
ちょっと芝生に横たわり、大地に触れていることができない。
木陰に静かに座って、何もしないでいることができない。
いや、彼らは家のまわりで千とひとつのことをやりはじめる。
これを取り付けたり、あれをはずしたり、車のエンジンを開けてごそごそ何かをし
はじめたりする。
彼らはとにかく何かをせずにはいられない。
とにかく活動的であることを止められない。
人々は一生にわたって退職したら楽しむつもりでいる。
だが彼らは楽しむことができない。
彼らは休むことができない。
人々はいったん退職すると、すぐに死んでしまう。
心理学者たちは、退職した人が10年早く死ぬのは、他に何をすればいいのかわから
ないからだと言う。
死は、意味を失ってしまった生を、いつも無意味だった生を、ただ忙しかっただけ
の生を片付ける唯一の方法に見える。
人々は行き先も知らずに突進している。
彼らの頭には、早く行くこと、もっともっと早く行くことしかない
---「いったいどこへ向かっているのだろう?」とじっくり考えることもなく。
あなたがたは輪になって走っているのかもしれない。
それこそまさに起こっていることだ。
人々は輪になって走っている。
西洋は太陽を重視している。東洋は月を重視している。
東洋はあまりにも受動的で、宿命論に傾き過ぎるようになった。
「何もする必要はない。ただ待てばいい。神がやってくださるだろう」と。
これはまた別の種類の愚劣さ、愚昧さだ。東洋は貧しくて、怠惰で、不潔だ。
が、人々は何ひとつ気にかけていない。
どこを向いても惨めさが---貧困、乞食、病気が目に飛び込んでくる。
が、誰も気にかけていない。すべては受け入れられている。
「しかたがないでしょう?これは神の御意志なのです。
私たちは甘受しなければなりません。待てばいいのです。
いよいよの時になったら、神がおいでになります。
他にどうしようもないじゃないですか」これは女性的な精神だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

46 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/07(水) 22:00:10 ID:1d4drIFg0
小周天によって頭に気を上げるのを進陽火というのじゃ。
陽の気を頭に導くのじゃ。
頭の中で気は陰の気にかわるのじゃ。
それを丹田に向けて下ろすのを退陰符というのじゃ。
この陰陽の循環を何度も繰り返すのじゃ。

47 避難民のマジレスさん :2018/11/07(水) 22:11:13 ID:LC3de7YgO
>>46
そうでありますよね。くまは光よりも熱感として、感じたであります。
人体の不思議であります。
虹色の光もちょぴっとの間だけ見えたであります。
けど、なぜかとらわれなかったであります。
(´・(ェ)・`)つ

48 避難民のマジレスさん :2018/11/08(木) 04:00:13 ID:LC3de7YgO
>>45
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

『黄金の華の秘密』は言う。人は男性的であってもいけないし女性的であってもい
けない、どちらの極にも傾かず、ちょうど真ん中にいなければならない、と。
そうなったらバランスがうまれる。そうなったら活動的でありながら、しかも
内側深くではくつろいだままでいることができる。
そうなったらくつろいでいながら、しかも外側では活動を続けることができる。
外側では太陽を重視し、内側では月を重視するがいい。
太陽と月をあなたの内側で出会わせ、あなたはちょうどその真ん中にいればよい。
そして真ん中にいることに超越がある。

光を巡らせる瞑想は、ひとえに逆流の動きにかかっている。
それにより思考の集中が起こる。 天上のこころハートは太陽と月のあいだに位置
している。
人間は中心であると同時に周辺でもある。
周辺に向かって動いてゆくと、たくさんの思考が湧き起こってくる。
周辺は”多”から成っている。中心はひとつだ。
中心に向かって動いてゆけば、思考は消えはじめる。
まさにその中核においては、いっさいの思考が消え、ただ覚醒のみがある。
この秘法の書が述べているのはそのことだ---それにより思考の集中が起こる。
光は内側に向かって動いてゆかなければならない。
樹を見ているとき、あなたの目は、その光を樹に向かって放出している--- 光は外に向かって動いている。
目を閉じると、光は内側に向きを変えはじめる--- メタノイア、悔い改め、回帰が起こる。
そして光があなた自身の実存に降り注ぐとき、自己認識、自己知が生まれる。
その自己知はあなたに自由をもたらす--- いっさいのしがらみからの自由、 いっさ
いの執着からの自由、死からの自由、肉体からの自由を。
それはあなたの内部に魂をつくりだす。

グルジェフがよく弟子たちに言っていたのはそのことだ。
あなたがたは魂をもって生まれてきたのではない、あなたは”メタノイア”によっ
てそれをつくりださねばならない、と。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

49 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/08(木) 22:44:31 ID:1d4drIFg0
>>47 そうじゃ、昔の本では呼吸法によって丹田に光を感じるまで修業するのじゃ。
 それから光を巡らせていくのじゃ。
 今は進歩して熱だけでも感じたら逆流させてよいというのじゃ。
 効果は変らないのじゃ。
 大量の気が頭頂にまで達すれば心は停止してサマーディが起こるのじゃ。

50 避難民のマジレスさん :2018/11/09(金) 05:44:23 ID:LC3de7YgO
>>48
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

黄庭経にはこう記されている。 「一尺四方の家の一寸四方の場所で生命を統制する
ことができる」あなたの肉体のこの小さな寺院のなかで、生命を統制することがで
きる。

一尺四方の只なかには、光輝く者が住んでいる。 碧玉の都の紫の広間には、最も空
虚で生命力のある神が住んでいる。
いかにも矛盾した言明だ--空虚さと生命。
生命は男性的であり、空虚さは女性的だ。
生命と空虚さ---両者は内なる神がもつふたつの顔だ。
そのどちらかを選り好みしなければ、まったく選ぶことをせず、ただ見守り続けて
いたら、人は一方には死の顔を、もう一方には生の顔をもつ神に---一方には完全無
欠な顔を、もう一方には無の顔をもつ神になる。

ゆえに、光が巡ると、全身の気が玉座の前に現れる。
そして光が内側に向かって動き、あなたの実存のなかを巡るとき・・・というのも
、出口が残されていないからだ。瞑想とはまさにそれだ。
仏陀が菩提樹のもとでやっていたのはまさにそれだ。
あなたは静かに座り、すべての扉を閉める。
すると光が内側で巡る。
そのときあなたは肉体と肉体のなかにあるすべてのものに、そのすべての神秘に気
付くようになる。
この小さな肉体のなかに宇宙のいっさいの神秘が含まれている。
肉体は小宇宙だ。

ゆえに、光が巡ると、全身の気が玉座の前に現れる。 それはあたかも聖王が都を建
設し、支配の基本原則を定めると、すべての国が貢物を携えて来るようなものであ
る。
あるいは主人が寡黙で穏やかであれば、男女の召使が進んで主人の命令に従い、各
自の仕事につくようなものである。
そしてこの光がそこにあり、あなたの内側を巡っているとき、肉体は召使になる。
五感は従順な召使になる。それらをコントロールしようとする必要はない---それら
はひとりでにあなたに従う。
これがタオの美しさだ。
けっして何も強制することがなく、品性を磨きたいという欲求もない。
タオは言う。
ただ光に満ちあふれればいい、そうすれば他のことはすべてついてくる、と。

ゆえに、汝の為すべきことは光を巡らせることのみ、 これが最も深遠で霊妙な秘法
だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

51 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/09(金) 21:35:24 ID:1d4drIFg0
道教の昔の法では頭の中に一つの家をイメージするのじゃ。
両目両耳が窓で頭の天辺が玉座なのじゃ。
そのようにイメージして正確に頭頂に気を導くのじゃ。
それはヨーガではブラフマランドラというブラフマンの座と同じなのじゃ。
気がそこに至ればサマーディは自然に訪れるのじゃ。
クンダリニーヨーガと同じく強い精神の集中なしにサマーディに入れるゆえに貴重な法といわれるのじゃ。

52 避難民のマジレスさん :2018/11/09(金) 22:40:51 ID:LC3de7YgO
>>51
くまがやった時は、首筋から頭蓋骨の付け根から後頭部の表面くらいまでは熱感を上げられたでありますが、脳内にまでは行かず、取敢ず、そこから、額に気を飛ばしたことにして、そこから丹田まで降ろして、
小周天完成として、安心を得たであります。
(´・(ェ)・`)つ

53 避難民のマジレスさん :2018/11/10(土) 09:12:17 ID:LC3de7YgO
>>50
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづく)
 より抜粋

光は動きやすいが、一点に定めがたい。だが久しく巡らせば、光はおのずと結晶す
る。
『汝は黙して朝あしたに飛翔す』と記された境地はそれだ。
非常に重要なことがこの経文のなかで語られている。
光は動きやすく、固定させるのがむずかしい。
だから光を一点にとどめておこうとしないこと。
ここでヨーガは容易にできないことをやろうとする。
ヨーガがむずかしく、骨が折れるのはそのためだ。
ヨーガは光を一点にとどめておこうとする。ヨーガはまた両目のあいだ---眉間のち
ょうど真ん中、第三の目のセンターに光をとどめておこうとする。
ヨーガは光を一点に固定させようとする。
タオとヨーガの違いはそこにある。
ヨーガは光をとどまらせようとする。「第三の目に意識を集中させなさい」---要約
するなら、ヨーガの哲学はそれにつきる。
「すべての意識を第三の目に集中させることができたら、人は変容する。両目はひ
とつになり、人は光で満たされる」
そして第三の目を超えると---第三の目はヨーガの意識の地図では第六のセンターだ
---六番目を超えると七番目のセンターがある。
第七のセンターは「一千枚の花弁をもつ蓮華」と呼ばれている。
光を第三の目に集中させると、容量の限界に達した光は、第七のセンターを押し開
こうとする。
それは貯水池の水のように上昇しはじめる。
第七のセンターに圧力が加えられることで、何世紀にもわたり、何百万もの生にわ
たって閉じたままだったつぼみが開く。
タオは別の観点から働きかける。タオは言う---光を一点にとどめておくことはひじ
ょうにむずかしい。
光をとどめておくことに気を取られてはいけない。
光を巡らせるやり方が簡単だ。
心マインドにとっては巡らせることがいつもやさしい。動くことが心の本性だ。
心にとって集中することはつねにむずかしい。そうだとしたら、なぜ心の潜在能力
を使わないのか?なぜそれを活用しないのか?
タオは自然であることを大切にする科学だ。
手を加えないこと。無理強いしないこと。
自分で不必要なもめごとをつくりださないこと。
心にそなわる自然な能力---動くという能力、動くことを好むという能力、さまよう
という能力を活かしなさい。それを使うのだ。
光を巡らせなさい
---光を巡らせる方法については後で語り合うことになるだろう ---
経路を見いだして、光を巡らせなさい。
(´・(ェ)・`)つ

54 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/10(土) 22:24:08 ID:1d4drIFg0
>>52 オショーが丁度それを語っているのじゃ。
 シンクロニシティという奴じゃな。

 光を一点に定めるのは難しいというのじゃ。
 気はエネルギーであり、本来激しく動くものであるからコントロールは困難なのじゃ。
 ヨーガでは何が何でも集中するから難しくなってしまうというのじゃ。
 タオではとにかく何度も何度も光を巡らすとよいというのじゃ。
 そうすれば自ずから光は玉座に入るであろうというのじゃ。
 それが自然で善い方法なのじゃ。
 経絡により気の導かれる道が在るから光が強くなれば自然にそこに入って玉座まで行くのじゃ。
 実践で確かめるのじゃ。

55 避難民のマジレスさん :2018/11/10(土) 23:11:13 ID:LC3de7YgO
>>54
鬼和尚、ありがとうであります。
くまが虹色の光を見れたのは2〜3回だけだったのでありますが、その後熱感を意念で動かしてた時は、光が見えてると言うよりも、臍下丹田に生じた熱をもやっとした白い光の玉としてイメージして体内を
回していたであります。
(´・(ェ)・`)つ

56 避難民のマジレスさん :2018/11/11(日) 01:59:05 ID:LC3de7YgO
>>53
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

光を巡らせることで、道家の人々は七〇〇の鍼はりの経穴つぼを発見した。
光を全身に巡らせることによって、 彼らは光が強烈に輝くポイントが七〇〇
あることに気付いた。 彼らはそれらを正確に数えあげた。
今や科学がそれを立証している。正確に七〇〇の経穴がある。
今や人体の七〇〇の経穴を画像でとらえ、どの経穴で光が失われているか、どの経
絡けいらくに気エネルギーが 流れていないかを示す機械さえもが発明されている。
道家の人々はどのようにしてそれを知ったのだろう? 彼らには機械も科学技術もな
かった。彼らの唯一の技法は、内側に入って光を巡らせることだった。
どのようにして光を巡らせるか、その具体的な技法についてはあとで触れる。
今は道家の人々の方法がどういうものかを 正確に理解する下地をつくっているだけ
だ。
彼らは言う---光を巡らせ、さらにそれをまわし続けてゆくと、ある地点で光はおのずと結晶化する、と。
光を一点にとどめておくことは心配しなくてもいい。
それをぐるぐるぐるぐるまわしてゆくと、ある瞬間、すべてのものが止まっている
のに気付く。
ヨーガが懸命に起こそうとしていることが起こっている。
タオにおいては、それは自然に起こることだ。
ヨーガにおいては、それは長く険しい努力の旅になる。ヨーガは男性指向だ。
タオは女性指向ではない。 タオはその両方---それらの統合だ。
巡らせるのは男性的なエネルギーであり、 一点にとどめておくのは女性的なエネル
ギーだ。
行為を通して無為に到り、受動性にたどり着く。 努力を通して無努力を達成する。
この根本原理を実践する際には、他の技法を探し求める必要はない。
ただ汝の思考をそれに集中させればよいだけだ。
思考を集束させることによって、人は飛翔することができ、天上に生まれる。
黄金の華とは生命の仙薬のことだ。
これがあらゆる不死なるものの奥義だ。
西洋の錬金術師たちが「賢者の石」と呼んでいたものはこれだ。
これはインドでは「アムリタ」---霊薬、甘露---と呼ばれている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

57 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/11(日) 22:24:42 ID:1d4drIFg0
>>55 そうじゃ、どんどん続けるのじゃ。
 廻している内にそれは玉となり、仙薬となるというのじゃ。
 それは丹と呼ばれるのじゃ。
 インドでは肉体に固定した円光をチャクラと呼ぶが、タオではそれは肉体を動くものであるというのじゃ。
 それが丹なのじゃ。

58 避難民のマジレスさん :2018/11/12(月) 07:12:00 ID:LC3de7YgO
>>56
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

『黄金の華の秘密』は錬金術の論所であり、体内化学を錬金術に変容させ、卑金属
を黄金に変容させる秘法をあなたに授ける。
今現在のあなたは卑金属にすぎない。が、あなたはその秘法を内に秘めている。
もしその秘法が成し遂げられたら、あなたは黄金に変容する。黄金は不滅だ。

黄金の華とは生命の仙薬のことだ。効き目は実に確かだが、ひじょうにとらえがた
いので、最高度の知性と明晰さ、そして完全な受容性と静謐せいひつさが必要とさ
れる。
この最高度の知性と理解力をもたない者は、道を見いだすことがない。
この受容性と静謐さをもたない者は、それをしっかり保つことができない。
二つのことが求められている。
第一に、人は知性と明晰さを必要とする。
これらのことは気にかけなくてもいい。
自分に知性がなかったらどうしようなどと考えはじめたりしないこと。
人はみな知性をそなえて生まれてくる。
知性とは内在する資質だ---誰もが息をしながら生まれてくるように、人はみな知性
をそなえて生まれてくる。
聡明な人もいれば聡明でない人もいるという考えは完全に間違っている。
この考えはじつに多くの人々の人間性を奪ってきた。
じつに屈辱的で、人を見下した考え方だ。
人はみな知性をそなえて生まれてくる。
むろん、ひとりひとりの知性の現れ方は違うかもしれない。
音楽に知性を発揮する者もいれば、数学に知性を発揮する者もいる。
だが、数学を基準にすれば、音楽家には知性が欠けているように見える。
数学を判断基準にする試験を二人に受けさせれば、音楽家は落第する。
基準を変え、音楽をもとに判断する。そして音楽が決め手となる試験を二人そろっ
て受けさせれば、数学者は馬鹿に見える。
私たちは一定の基準を選んできた。多くの人が馬鹿だと言って非難されるのはその
ためだ---彼らは馬鹿なのではない。私は馬鹿な人間にはただのひとりも出会ったこ
とがない---そんなことはありえない。
だが、その人の知性は知性の種類が違うのかもしれない。
詩には、商売をするときとは別の種類の知性が必要とされる。詩人は商売人にはな
れないし、商売人も自分は詩人にはまずなれないということに気付くだろう。
政治にたずさわる者にはある種の知性が必要とされる。
絵を描くには別の種類の知性が必要とされる。
そして数限りない可能性がある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

59 避難民のマジレスさん :2018/11/12(月) 21:25:57 ID:LC3de7YgO
>>57
鬼和尚、ここ数年は瞑想も気功もできてないのであります。
失業中は、40分くらいづつ、1日に5〜8時間座ってたのでありますが、職を得てからは、飲む機会も多く、とは言い訳でありますが、もっぱら意識的にあろうと心掛け、推薦図書を毎日読むばかりであり
ます。
残念なくまであります。
(´・(ェ)・`)つ

60 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/12(月) 22:05:54 ID:1d4drIFg0
錬金術とは卑金属を貴金属に変容することなのじゃ。
卑金属は鉄などのように時によって錆びたりしてしまうものなのじゃ。
貴金属は金のように千年経っても錆びないものなのじゃ。
故に永遠の象徴なのじゃ。
そうであるから人を死という限界の在るものから、死を超越した者とする方法は錬金術に例えられるのじゃ。

61 避難民のマジレスさん :2018/11/13(火) 06:43:30 ID:LC3de7YgO
>>58
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

いいかね、人はみな知性をそなえて生まれてくるのであって、ただひとりの例外も
ない。
あなたは自分自身の知性を---それがどこにあるかを見つけ出すだけでいい。
ひとたび自分自身の知性を見出したら、あなたは明晰になる。
人々は明晰さを欠いたままで生きている。
それは彼らが間違った自己観念を抱いて生きているからだ。誰かが---先生が、校長
が、大学教授が「おまえは知性的ではない」とあなたに言った。だが、彼らの基準
はあくまで択一的なものであり、その基準をすべての人に当てはめることはできな
い。
大学はまだ普遍的ユニヴァーサルなものにはなっていない。あらゆる種類の知性を
許容しているわけではない。知性があらゆる形で顕現するのを認めているわけでは
ない。
ひとたび自分自身の知性を受け入れて、その知性に敬意を表しはじめたら、あなた
は明晰になり、問題は何もなくなる。
詩人は、商売がうまくやれないために自分は馬鹿だと感じる。
さあ、そうなったら混乱が生じる。彼は自分のことを劣っている と見なして、冷笑
的になり、非難するようになる。商売で成功しようとしても、できるものではない。
彼はひどい煙に巻かれて自分が見えなくなってしまう。 もし彼が「私は詩人であっ
て商売人には向いていない。 商売人として成功することは自殺行為に等しい。 私は
詩人として成功するべきだ」 とあっさり理解したら---それが彼の知性であり、そし
て彼の知性は彼なりの仕方で花開かなければならない。 彼は誰の真似もするべきで
はない。社会はその代価を払わないかもしれない。なぜなら、詩は爆弾ほどには必
要とされていないからだ。 愛は憎しみほどには必要とされていないからだ。
映画やラジオやテレビで殺人が許されているのはそのためだ。
殺人を猥褻わいせつな行為とは呼ばない。 ところが愛の交歓は許されず、「猥褻な
行為」と呼ばれる。
この社会は愛ではなく憎しみを通して生きている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

62 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/13(火) 22:41:57 ID:1d4drIFg0
>>59 少しずつでもやるとよいのじゃ。
 一日五分の実践でも進歩は在るのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

63 避難民のマジレスさん :2018/11/13(火) 22:56:41 ID:LC3de7YgO
>>62
その通りでありますね。
ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

64 避難民のマジレスさん :2018/11/14(水) 05:43:16 ID:LC3de7YgO
>>61
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第一話 催眠術を解く(つづき)
 より抜粋

誰かが人を殺していても、少しも騒ぐことはない。誰かがあなたの心臓に短剣をつ
きさして、血が泉のように噴き出しても、少しも騒ぐことはない。だが、誰かがあ
なたを抱きしめ、キスをして、あなたを愛すれば、社会は恐れる。 これはおかしな
ことだ---愛は卑猥な行為だが、殺人は卑猥な行為ではない。 恋人たちは非難される
のに、兵士たちは称賛される。
戦争は正しいが、愛は間違っている。みずからの知性を受け入れたら、自分自身を
受け入れたら、あなたは明晰に、このうえもなく明晰になる。

雲はすべて晴れる。 そして第二に、あなたには受容性と静謐せいひつさが必要だ
ということ。
知性と明晰さは男性的な精神の一部だ。
受容性と静謐さは女性的な精神の一部だ。
吸収することができるのは女性だけであり、 だからこそ女性は妊娠する---子宮を
もっている。
これら二つのことが同時に必要とされている。
知性が欠けていたら、あなたは何を言われているのか理解することができない、 師
が何を分かち与えてくれているのか理解することができない。
そして女性的でなかったら、あなたはそれを吸収することができない、それを子宮
に宿すことができない。
その両方が必要とされている。
要点を見抜くために、あなたは知性的でなければならない、このうえもなく知性的
でなければならない。
そしてそれを内側で保つために、あなたは このうえもなく受容的でなければいけな
い。
そうすれば、それはあなたの一部になることができる。
これはたんなる下地だ。 徐々に徐々に、私たちは光を巡らせる具体的な手法へと
入ってゆく。
注意深く聴きなさい、知性を働かせながら聴きなさい。
それを吸収するがいい。
それはあなたの生涯における最大の体験のひとつにもなるうるだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

65 避難民のマジレスさん :2018/11/14(水) 05:49:10 ID:LC3de7YgO
>>64
10月17日からはじめた、第一話「催眠術を解く」おわりであります。
今後が楽しみであります。
(´・(∀)・`)つ

66 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/14(水) 21:33:22 ID:1d4drIFg0
>>63 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさい。

 オショーは知性と受容性が必要というのじゃ。
 知性で理解したことも受容性があって始めて自分のものになるというのじゃ。
 知識だけでは何も新しいことは受け容れられないのじゃ。
 受容できれば知識も役に立つものとなるのじゃ。

67 避難民のマジレスさん :2018/11/15(木) 06:21:43 ID:LC3de7YgO
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み
 より抜粋

 呂祖師は言った。
 原初の精神と真の本性のみが時空を克服する。
 原初の精神は両極の違いを超えている。天と地は此処ここより生ず。
原初の精神をとらえるすべを体得すれば、学人は光と闇の両極を克服し、もはや三
界にとどまることはない。
だが、人間がもって生まれた本来の顔を洞察した者のみが、これを行うことができ
る。

 人が体内から解放されるとき、原初の精神は一寸四方のなかに住むが、意識的精
神は下方の心臓ハートのなかに住む。
この心臓は外界に左右される。もし人が一日でも食べなければ、心臓は極度の不快
感を覚える。
恐ろしいことを聞くと動悸を打ち、腹の立つことを聞くと鼓動を止める。
死に直面すれば悲しみ、美しいものを見れば目がくらむ。
だが、頭蓋ずがいのなかにある天上のこころハートは、 少しでも動いたことがある
だろうか?
「天上のこころは動かないのか?」 と問うならば、「一寸四方のなかにある真の思
考がどうして動くだろう」 と答えよう。
低次の心臓ハートは、強い力をもった将軍のように振る舞い、 天上のこころハート
をその弱さゆえにさげすみ、国政の指導権を奪い取った。
だが、根源の城の防備を固め、防御することができれば、強力で賢明な君主が王座
についたようなものである。
両目は、左右の大臣がこころを尽くして君主を補佐するように光を巡らせはじめる。
中央の支配はこのようにして整い、反抗する英雄たちはみな槍を倒して列席し、進
んで命令に従う。

生命の仙薬への道は、種子の水、精神の火、思考の土--- これら三つのものを至上
の秘術として知っている。
種子の水とは何か?それは真実にして一なる気(エロス)のことだ。
精神の火とは光(ロゴス)、思考の土とは直観のことである。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

68 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/15(木) 22:44:08 ID:1d4drIFg0
悟りを得るというのも何かを得たりするものでもないのじゃ。
本来の認識に回帰することなのじゃ。
そして原初からあった永遠の意識に戻ることなのじゃ。
それだけが実在し、不死に至ることができる境地なのじゃ。

69 避難民のマジレスさん :2018/11/16(金) 07:16:34 ID:LC3de7YgO
>>67
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

『 ある日のこと、王は道化師を呼ぶと、宮廷にいならぶ人々の面前で一本の杖つ
えを渡してこう言った。
「この杖を職杖としてもってゆくがいい、おまえよりも愚かなやつが見つかるまで
あずけておこう。見つけたら、この杖をその者に渡すのだ」
その後しばらくして、王は病にかかり、死の床についていた。
王はその誠実さを厚く信頼していた道化師に会いたがった。
道化師がやって来ると、王は彼にこう言った。
「おまえを呼んだのは、長い旅に出ることを告げるためだ」
「どこへ行かれるのです?」と道化師は尋ねた。
「はるか彼方の国---あの世へだ」
「あの世への旅支度はもうおすみですか、御主人様?」
「まだ、何もできておらん、このたわけもの」
「あちらには、どなたか出迎えてくれる友人がいらっしゃるのですか?」
「いや、ひとりもいない」と王は答えた。
すると道化師は、悲しげに首をふりながら、例の杖を王の手に握らせてこう言った。
「この杖をお取りください、陛下。これはあなたのものです。旅支度もせず、あの
世に行こうとなされているのですからね。この杖は誰のものでもない、他ならぬあ
なたのものです」

生とは、死と彼方の世界にそなえて身支度を整える機会だ。
死と彼方の世界に対する準備を怠っているとしたら、あなたは愚か者だ。
あなたは大いなる機会を取り逃がしている。
生とは機会にすぎない。
本当の<生>は、まさにこの生のどこかに隠されている。
だが、それはよびおこされねばならない、目覚めさせられねばならない。
それは深く眠りこけていて、まだみずからに気付いていない。
そしてあなたの本当の<生>がみずからに気付いていなければ、あなたのいわゆる
生はたんなる長い夢にすぎなくなる。
しかも、それは甘いものではありえない---それは悪夢になる。
本当の<生>に根を下ろさずに生きることは、大地に根をもたない樹のように生き
ることだ。
美が欠けているのはそのためだ。優美さが欠けているのはそのためだ。
ブッダたちが語る人間の輝きがあなたに見えないのはそのためだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

70 避難民のマジレスさん :2018/11/17(土) 07:51:40 ID:LC3de7YgO
>>69
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

イエスは何度も何度も言っている、「神の王国はあなたの内側にある」と。
だが、あなたは帝王のようには見えない。イエスは弟子たちに言う。
「野の百合ゆりを見なさい。なんと美しいのだろう!
偉大なソロモン王ですら、いかに華麗に飾り立てても、この貧しい百合の花ほどに
も美しくはなかった」
なぜ百合はこうも美しく、人間はこうも醜いのだろう?
なぜ人間だけが醜いのだろう?
醜い鸚鵡おうむや醜い孔雀、醜いライオンや醜い鹿を見たことがあるだろうか?
醜さは人間特有のもののように思われる。
孔雀は孔雀であり、鹿は鹿だ。だが人間はかならずしも人間であるとはかぎらない。
人間は仏陀のような人、キリストのような人、クリシュナのような人であってはじ
めて人間だと言える---みずからの全一な存在に気付いてはじめて人間だと言える。
そうでないとしたら、あなたは暗闇のなかを手探りしながら生きている。
あなたは無意識の暗い洞窟のなかで生きている。
あなたは意識があるように見えるだけだ。
あなたの意識はひじょうにもろい。
それはひじょうに移ろいやすい。それはとても薄い表層だ---皮膚一枚の厚さもない。
少しでも引っかけば、意識はどこかへ行ってしまう。
誰かがあなたを侮辱する。ほんのひと言、ささいなまなざしで、あなたの意識はす
っかり影を潜めてしまう。
あなたはかっとなり、腹を立て、凶暴に、攻撃的になる。
一瞬、あなたの人間性は影を潜め、あなたは野性にもどってしまう。再び獣にもど
ってしまう。 そして人間は獣以下まで落ちてしまいかねない。
なぜなら、人間が落ちるときには、まったく歯止めが効かなくなってしまうからだ。
人間は天使よりも高く昇ることができるが、それはまれにしか起こらない。
なぜなら、天使よりも高く昇ることは、坂道を昇るように骨が折れることだからだ。
人はそのために働きかけなければならない。
それには厳しい働きかけが必要だ。
未知なるものを探求する気迫、勇気が必要だ。
何百万もの人々が生まれては死んでゆく。
だが、彼らはけっして生きてはいない。彼らの生は見かけにすぎない。
彼らは無意識のなかに根を下ろしたままだからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

71 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/17(土) 22:26:23 ID:1d4drIFg0
光が玉座に入ったならば心は不動となり、なにものにも惑わされなくなるのじゃ。
自然に自我を忘れてサマーディに入るのじゃ。
五感もすべて統御されてしまうのじゃ。
弱く惑わされやすい心は光をめぐらすことにより強い不動のものとなるのじゃ。

72 避難民のマジレスさん :2018/11/18(日) 09:33:28 ID:LC3de7YgO
>>70
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

あなたがうわべで何をやろうと、それは あ な た に関する真実を何ひとつ含んで
いないかもしれない。
実のところ、実情はまったく逆さまだ。
ジークムント・フロイトが、あなたの真の姿を見るために夢を調べなければならな
いのはそのためだ。
その皮肉を見るがいい。あなたの真の姿は、あなたの日常の現実ではなく、あなた
の夢のなかに究明されねばならない。
あなたを、あなたが自分自身について述べることを信じるわけにはゆかない。
あなたの夢に尋ねなければならない。あなたがあまりにひどい偽者になり、あまり
に多くの仮面をかぶっているために、あなたの本来の顔を見抜くことはほとんど不
可能になっているからだ。
だが、夢や夢分析によってすら、あなたの本来の顔を知ることは ひじょうにむずか
しい。
誰が分析するというのだろう?
フロイトはあなたと同じくらい無意識だ。
ひとりの無意識な人物が、もうひとりの無意識な人物の夢を解釈しようとしている。
彼の解釈はひじょうに限られたものにならざるをえない。
彼の解釈には、あなたよりもむしろ彼自身のことが映し出されるからだ。
あなたが同じ夢をフロイト派の分析家のもとにもち込むと、ユング派の分析家やア
ドラー派の分析家のところへ行ったときとは 違う解釈を受けるのはそのためだ。
しかし今やたくさんの流派がある。
あなたは途方に暮れるだろう。たったひとつの夢に様々な解釈が加えられる。
それらはあなたに関しては何も述べてはいない。
それらは彼ら自身に関する何かを述べている。
ユング派の人々は「私はユング派だ。私の解釈はこうだ」と言っている。
夢があなたの正体を明かすことなどありえない。
意識的な行為を見てもあなたがわからなければ、眠りの活動を見てあなたがわかる
はずがない。
が、それでもフロイトは正しい道の上にいる。
人はフロイトよりももう少し深く入ってゆかねばならない。
人は夢を超えてゆき、思考、夢、欲望が存在しない心の状態に到らなければならな
い。
すべての思考が止んだとき・・・夢見は思考の一種であり、原始的な思考、絵によ
る思考だが、それが思考であることに変わりはない。
あなたが思考を超越して、しかもなお目を見張り、覚めたままでいられたら
---あたかも人がぐっすり眠りながら、しかもなお目を見張り、その実存の奥深く、
中核ではランプが、小さな蝋燭ろうそくの光が ともり続けているかのように
---そうなったら、あなたは自分の本来の顔を見る。
そして自分の本来の顔を見ることはエデンの園に戻ることだ。
そうなったら、あなたは着物をすべて脱ぎ捨てる。
あなたの人格は、着物に次ぐ着物に次ぐ着物 ---幾重にも重なる着物から成り立っ
ている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

73 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/18(日) 22:19:20 ID:1d4drIFg0
何故今まで述べたように光を頭頂の玉座に導き、忘我に達しなければならないのかといえばそれは心の虚飾を剥ぎ取ってくれるからなのじゃ。
自我が在る限り人は自分について虚飾のイメージを作り続け、自己の本性にさえ到達しないのじゃ。
弱さを隠すために逃避として強さを装い、更に逃避を続ける理由さえも隠すというようにのう。
サマーディに達すれば全ての虚飾は剥がれ落ち、真の本性を見ることができるのじゃ。

74 避難民のマジレスさん :2018/11/19(月) 06:08:47 ID:LC3de7YgO
>>72
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

この風変わりだが、計り知れない価値のある『黄金の華の秘密』という書物を
理解するうえで、ひじょうに重要な意味をもつ二つの言葉を覚えておきなさい。
ひとつは「本質(精髄)エッセンス」という言葉、 もうひとつは「人格パーソ
ナリティ」という言葉だ。 「人格」は仮面を意味する「ペルソナ」という語源
からきている。古代ギリシャ の演劇の俳優たちは仮面をつけたものだ。「ペル
ソナ」は仮面を意味する。
「人格パーソナリティ」という言葉は「ペルソナ」からきている。
ギリシャの俳優たちは一枚の仮面をつけていた。
あなた方はたくさんの仮面をつけている。
状況が変われば、仮面を変える必要があるからだ。
社長に話しかけているときには、ある種の仮面が必要になる。
使用人に話しかけているときには、当然、別の種類の仮面が必要になる。
どうして同じ仮面を使うことができるだろう?
観察したことがあるだろうか? 社長に話しかけているときのあなたは、顔中
に笑みを浮かべ、一息ごとに 「わかりました」と言っている。
たとえ気分を害し、腹を立てていても、 相手の足に口つ”けさえしかねない。
使用人に話しかけているときに見せる、自分の尊大な顔に気付いたことがある
だろうか? あなたは一度も微笑んだことがない。どうして微笑みながら使用人
に話しかけることができるだろう?それは不可能だ。 あなたは彼の人間性を剥
奪しなければならない。彼をひとりの人間として認め 、微笑みながら話しかけ
ることがどうしてできるだろう? あなたは彼を「もの」として所有しなければ
ならない。彼は奴隷だ。 あなたは社長の前で見せるのとは違う態度を取らなけ
ればならない。 社長の前では、あなたが使用人だ。社長は尊大で、横柄な態度
を取り続ける。
友人に話しかけるときには、違う仮面を使っている。見知らぬ人に 話しかける
ときには、もちろん、違う仮面が必要になる。
あなたはたくさんの仮面を使わなければならない。あなたはたくさんの顔をもっ
ていて、周囲の状況が変わるにつれて、それらを次から次へと変え続けてゆく。
あなたの人格は、たくさんの偽りの顔から成っている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

75 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/19(月) 22:43:41 ID:1d4drIFg0
オショーの言うとおり誰もが仮面を持っておる。
そして長年使う内にそれが自分と思ってしまうのじゃ。
それが本心を観ることをますます困難にしてしまうのじゃ。
仮面の持つ思考の条件付けに囚われてしまうからのう。

76 避難民のマジレスさん :2018/11/20(火) 06:00:01 ID:LC3de7YgO
>>74
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

では本質とは何だろう?
本質とは、仮面をつけていない、あなたの本来の顔のことだ。
本質とは、生まれたときに、あなたが世界にもち込んだものだ。
本質とは、子宮のなかで、あなたとともにあったものだ。
本質とは、神---あるいは全一性、全体、<存在>なんと呼んでもいい ---
によって、あなたに授けられたものだ。
本質とは、<存在>からあなたに授けられた贈り物だ。
人格は社会、両親、学校、大学、文化、文明からの贈り物だ。
人格はあなたではない。それは偽者だ。
私たちはこの人格を磨き続け、本質を完全に忘れ去っている。
この本質を想起しないかぎり、あなたは虚しい生を送ることになる。
なぜなら、本当の生は本質的なものから成り立っているからだ。
本当の生とは本質を生きることだ。
それを「魂」あるいは「内なる神」と呼んでもいい。 どんな名前で呼んでもいい。
だが、その違いを覚えておきなさい。
あなたは着物ではない、心理的な着物ですらない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

77 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/20(火) 22:20:43 ID:1d4drIFg0
自己の本質をどこまでも追い求めることは賢者が常に忠告することじゃ。
東洋でも西洋でもそれは同じなのじゃ。
自分の本質とは何であるのか、それを追及する事が人に課された共通の主題なのじゃ。
それがわかれば生まれてきた意味もあったということになるのじゃ。

78 避難民のマジレスさん :2018/11/21(水) 06:36:25 ID:LC3de7YgO
>>76
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづく)
 より抜粋

モーゼのことを思い出してほしい。モーゼが神に直面したとき、 山上で緑の茂
みから燃えあがる火のような神を見たとき
--- 茂みは燃えてはいなかった、茂みはいつものように青々として、鮮やかだった
---モーゼは当惑した。彼は我が目を疑った。ありえない光景だった・・・
このような火が!茂みは炎のように燃えているのに、焼けてはいなかった。
と、そのときモーゼは茂みから声が響いてくるのを聞いた。
「モーゼよ、靴を脱ぎなさい。おまえは聖なる地にいるのだから」
これは最も美しいユダヤ教の寓話のひとつだ。
神は火だ。あなたの人格はまさに茂みだ。そして神は涼しい火であり、 あなた
の人格を焼くことはない。人格は緑の葉を繁らせ続けることができる。
神はあなたに多くの自由を与えた。
あなたが偽者でいたいと望むなら、それは許される。神には何の支障もない。
あなたがまがいものでいたければ、それは許される。
自由とは、正しくあってもいいし、間違っていてもいい
--- それはあなた次第だということだ。 あなたの本質はそこにある。
その炎はそこにある。 そしてまたあなたの人格もそこにある。
人格は偽者だ。だから 「内なる火はどうして人格を焼かないのだろう?」と思
うのも無理はない。
その火は涼しい。その火は人格を焼くことがない。
あなたがその人格をまとうと決めたら、火はそれを許す。
あなたはその人格という緑の葉をまとい続け、人格はその葉むらをもっともっ
と繁らせ続けてゆくことができる。
あなたはますます偽者になってゆき、完全な偽者になってしまうこともある。
あなたは人格という虚構のなかに我を失うことができるが、 神はそれを邪魔し
ようとはしない。 このことを、神はけっして邪魔をしないことを、 自由は全面
的なものであることを覚えておきなさい。
それが人間の尊厳、人間の栄光であり、苦悶でもある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

79 素人A :2018/11/21(水) 11:04:22 ID:gOqWUDAs0
本質なんて 元々が本質解らないから 代わりに求める修行者にやらせても
誰も本当なんて解ら泣くて 元の木阿弥駄 ?解らないという事元々は解って星意野鴨

80 素人A :2018/11/21(水) 13:57:47 ID:gOqWUDAs0
答えが無いということは 無責任なようだか 全ての答えが正解という事なのかも

81 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/21(水) 22:05:20 ID:1d4drIFg0
本質とは何かと言われても多くの者はわからないじゃろう。
それでも自分とは何か追求していくことが肝心なのじゃ。
本質を追求し続けた者だけが安楽の境地に進むこともできるのじゃ。
意志は自由でも進む道によって大きな違いがあるのじゃ。

82 避難民のマジレスさん :2018/11/22(木) 03:37:07 ID:LC3de7YgO
>>81
人格という仮面=自我を観続けることにより、それが偽物であることに気づけるのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

83 避難民のマジレスさん :2018/11/22(木) 03:44:17 ID:LC3de7YgO
>>78
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

自由が与えられていなければ、あなたは偽者にはならない。
他の動物は偽者ではない。動物は人格をもっていない。
ただし愛玩動物ペットは別だ。彼らは人間とともに生活することで、 破壊さ
れ、人格をもちはじめるからだ。 飼い犬たちはみずからの本質を忘れてしまう。
飼い犬は腹を立てていても尻尾を振り続ける。 これは人格だ。
彼は主人が誰か知っている。 主人のエゴをどうやって満足させるか知っている。
彼は駆け引きを身につけている。彼はニューデリーに住んでいる人々と同じく
らい駆け引きがうまい。彼は尻尾を振り続ける。
ときどき犬が当惑しているのを見たことがあるだろうか? 見知らぬ人がやって
来ると、犬はどう振る舞えばいいのか、見知らぬ人にどんな顔をすればよいの
かわからなくなる。
わけがわからなくなって、彼は吠え---たぶんそれが一番いいやり方なのだろう
---それでも尻尾は振り続けている。
犬は家に入ってきた人が敵なのか味方なのか 、主人がそれとなく示してくれる
のを見守っている。敵であれば、 尻尾を振るのをやめる。味方であれば、その
人に吠えかかるのをやめる。
犬はしるしを、合図を、主人がどう振る舞うのかを待っている。
犬は主人の影になってしまっている、もはや本当の犬ではない。
人間とともに生活することで影響を受け、人間たちに損なわれてしまう。
人間は生活をともにする動物たちさえ破壊してしまう。
あなたは動物が生まれながらにもつ本質を許さない。
あなたは自分が文化を身につけたように、彼らに文化を教え込む。
あなたは本性が自然の道すじをとることを許さない。
あなたはタオがみずからの道すじを流れることを許さない。
本質とは、あなたがこの世にもち込んでくるものだ。
人格とは、世間がその本質の上に押しつけるものだ。
世間は本質をひどく恐れている。なぜなら、本質はつねに反逆的だからだ。
本質はつねに個的なものだからだ。 そして世間はいかなる<個>をも必要と
しない。 それが必要とするのは羊だ。 世間は反逆的な人々を必要としない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

84 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/22(木) 21:20:09 ID:1d4drIFg0
>>82 そうじゃ、自らの本心を観察し続けることが大事なのじゃ。
 そうすればいずれ本質にも辿りつけるのじゃ。
 それがどんなものかわかるのはその時だけなのじゃ。
 本質を求めることが修業なのじゃ。

85 避難民のマジレスさん :2018/11/23(金) 08:12:28 ID:LC3de7YgO
>>83
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

世間は仏陀、クリシュナ、老子のような人々を必要としない。 いや、こういっ
た人々は危険だ。 世間はおとなしい人々---現状に従う、既得権益に従う、組織
化された教会に 従う、国家や愚かな政治家たちに従う、従順な人々を欲している。
社会は服従を求める。社会は効率を求める。
あなたが機械的になればなるほど効率はあがる。
もっといきいきとしているときには、あまり効率をあげられない。
機械は人間よりも効率がよい。
社会はすべての人間を機械におとしめようと努力する。
人間を機械におとしめるにはどうすればいいか?
もっともっと無意識にさせればいい。
もっともっとロボットのようにならせ
ればいい。
人間の意識から本質を完全に消してしまえばいい。
人間を完全なまがいものにしてしまえばいい。
夫にしたり、妻にしたり、使用人や、社長や、あれやこれやにしてしまえばいい。
が、けっして本質的な自己にならせてはいけない。それを許してはならない。
なぜなら、その本質的な自己は神以外の誰にも従順ではないからだ。
それは他のものには身をゆだねない。
それは源泉にしか身をゆだねない。
それは他の主人を知らない。
こういったタイプの存在は、現行の社会にとってひじょうに都合の悪いものになる。
なぜなら、成長すればするほど、あなたの自立はいっそう高まるからだ。
成長が遅れれば遅れるほど、あなたの依存は長びくことになる。
そして依存している人間はうまく操ることができる。
なぜなら、依存している人はいつも恐れているからだ。
依存している人はつねに寄りかかる相手を必要としている。
かたときでさえ寄りかかる相手なしではいられない。彼は幼稚だ。
彼は両親によりかかっている。彼は聖職者によりかかっている。 彼は政治家により
かかっている。
彼は自分の足で立つことができない。
社会は、ありとあらゆる着物を使って---物質的な着物だけでなく、心理的な着物も使って、人間を覆い隠し続ける。
社会は肉体があらわになることをひじょうに恐れている。 肉体があらわになれば、
心もあらわになってしまうからだ。
社会が裸の人を見ると狼狽するのは、それが口火を切るからだ。
肉体をさらけ出すなら、彼は最初の一歩を踏み出している。
さあ、彼が心理的に裸になるのを誰が止められるだろう?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

86 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/23(金) 22:59:50 ID:1d4drIFg0
隠蔽は社会を続けさせるために起こるものじゃ。
それを覆して新たな社会を創っても又それを尊属するために隠蔽が始まるのじゃ。
真の革命は個人の心の中で起こるものじゃ。
もはや何の隠蔽も必要としない本質そのままの人間があり得るのは心の変容を経てからなのじゃ。

87 避難民のマジレスさん :2018/11/24(土) 00:53:17 ID:LC3de7YgO
>>85
6黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

燃えあがる茂みから、モーゼに呼びかけた声はこう言った。
「靴を脱ぎなさい」 これはひじょうに象徴的だ。
それは「着物をすべて脱ぎ捨てなさい」 と言っている。
「靴を脱ぎなさい」靴はあなたの足を覆っている。靴はあなたを覆っている。
「靴をはかず、裸足で地面に立ちなさい」 靴は人格を現し、裸足は本質を表し
ている。
「おまえは聖なる地に立っている。靴を脱ぎなさい」
みずからの本質、みずからの内側で燃える茂みに遭遇した瞬間、あなたは靴を
脱がなければならない。着物をすべて脱ぎ捨てなければならない。
あなたの本質を隠しているものをすべて脱ぎ捨てなければならない。
それが革命、メタノイアだ。それは生の転換点になる。
社会は消えて、あなたは<個>になる。
そして<個>だけが神と関わることができる。
だが、大いなる意識が必要とされる。
一九三三年に、グルジェフはニューヨークで借りていたヘンリー・ハドソン・
ホテルの一室にピータースを呼び、このことを証明してみせた。
ピータースは グルジェフの若い弟子だった。
グルジェフはかつて世界に知られた最も偉大な導師マスターのひとりであり、
それも型にはまった師ではけっしてなかった。
というのも、導師というのは型にはおさまり切らないからだ。
型を守ろうとするのは導師ではなく、聖職者の特質だ。
導師はつねに革命的だ。そしてこれはすばらしい実験だ。
よく聴きなさい。 ピータースが到着すると、夕食にやってくる”あるとても重
要な人々” のために、皿を洗い、野菜を用意するようにと命じられた。
グルジェフはピータースに、辞書には載っていない肉体の部位や働きを 表す英
語を片っぱしから教えてくれるように頼んだ。
グルジェフが卑猥な言葉や淫らな言い回しを習得した頃には、客人が到着しは
じめた。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

88 避難民のマジレスさん :2018/11/24(土) 07:46:51 ID:LC3de7YgO
>>87
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

客人たちは、十五名ほどの身なりのいい、礼儀正しいニューヨークの住人 だっ
た。そのなかには報道関係者や、新聞記者もまじっていた。
遅れて客の機嫌をうかがいながら入ってきた主人は、席につくと、彼の仕事や
アメリカ訪問の理由を尋ねる客のぶしつけな質問に答えはじめた。
そこで”英語教師”に目くばせすると、グルジェフは急に声の調子を変えて、
人間の悲しむべき堕落や、虚しい卑猥な言葉によってしか描き出せないものに
なりはてた人の姿が、この国ではことに顕著に見られること、彼がやって来た
のは、この現象を実地に観察するためであることを講釈した。
「この悲惨な状態の背後にある原因は」と彼は続けた。
「人々、特にアメリカの人々がけっして知性、あるいは礼節の命に従わず、自
分たちの性器にのみ従うことにある」と。
さらに彼は、顔立ちの整ったひとりの女性に目くばせして、その身なりや化粧
を褒め讃えたあと、彼女が美しく着飾る真の理由は、ある特定の人物に対して
抱いている抗しがたい性的衝動のゆえであると、いならぶ人々の前でぬけぬけ
と言ってのけた。
グルジェフは覚えたばかりの言葉を使って、一字一句それを生々しく表現した。
客人に反論するいとまも与えず、グルジェフは自分の優れた性的能力について
講義をはじめ、様々な人種や国々の性的慣習を微に入り細をうがって描いて見
せた。
夕食が終わるころには、”例の年代物のブランデー”をしこたま勧められた客
人たちは、自制心を失い、卑猥な言葉のやりとりに加わっていたが、まもなく
言葉だけではおさまらないようになってきた。
グルジェフが、屈辱的な言葉を投げつけた相手の女性を連れて席をはずすと、
これから乱交パーティが始まるのだと錯覚した人々は、あられもない姿でもつ
れ合いながら、アパートの他の部屋にころがりこみはじめた。
乱痴気騒ぎが最高潮に達したとき、グルジェフは、ぱっと身をひるがえして平
静にもどり、くり広げられる狂態を大声で制止してこう宣言した。
「授業はここまでだ。君たちの振る舞いによって、先ほど夕食の席で話した私
の見解が間違いでなかったことがもう充分に明らかになった」
客人たちは自分たちの真の状況を少しでも認識できたことをグルジェフに感謝
し、グルジェフは”重要な教訓”を与えた報酬として、悪びれずに彼らから小
切手や現金を受け取った。
---グルジェフを知っていれば、驚くほどのこと ではないが---その額は”数千
ドル”に達した、とピータースは書きとめている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

89 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/24(土) 23:29:29 ID:1d4drIFg0
多くの者は仮面を剥げば浴の虜になっているのじゃ。
オショーはそれをグルジェフの小噺で教えているのじゃ。
欲を隠蔽するために仮面を被り、更にそれを隠すために又仮面を被るのじゃ。
そのようにして自分でも自分の本心がわからなくなってしまうのじゃ。

90 避難民のマジレスさん :2018/11/25(日) 08:19:56 ID:LC3de7YgO
>>88
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

みんなが帰ると、グルジェフは台所にやってきて、ピータースの皿洗いを 手伝
いながら、夕べの集いは楽しかったかねと尋ねた。
「うんざりしました」とピータースは答えた。
グルジェフは笑い、”射るようなまなざし”で彼を見つめた。
「うんざりしたとはすばらしい。だが、次には自分自身に問いかけてみる必要があ
る。誰にうんざりしたのか?とね」
これが本当の状況だ。表面に現れた姿がすべてではない。
その客人たちは、人類はひどく堕落していて、うわべで行なっていることと、内側
深くで本当にやりたいことが一致していないというグルジェフの見解にいらだち、
腹を立てていた。
あなたは釈明をし、理屈をつけようとするかもしれない。理屈はあくまでも理屈だ。
奥深くでは、別の何かが無意識のなかで 作用し続けている。
あなたはそれに気付いてさえいない。
心理学者たちは、女性が強姦される場合、大半は強姦されたいという思い、 願望が
女性の側にあったと言う。彼女はそれを招き寄せていた。 彼女はある仕草をつくっ
ていた。その歩き方、その服装、その話し方、それらすべての振る舞いが強姦を招
き寄せていた。
と、やがてある日、 それが起こる・・・そうなると彼女は、いかにも驚いたように、
怒り、荒れ狂った顔をして、警察に駆け込
み、法廷で争う。
だが、もし彼女が自分自身の心のなかを深くのぞき込めば、もっと驚くことだろう。
それは彼女自身が努力して、みずからの願望を成就させたものに他ならなかったの
だから。
内側にある真の動機に気付くことさえなく、 この二重生活を送り続けている人々が
いる。
見守りなさい。
すると、そのように見守ることで、あなたはごくごく注意深くなってくる。
ただ見守りなさい。
あなたの真の動機は何なのか? そんなはずはないと、自分自身を納得させようと
してはいけない。
ただ鏡になって、自分の行動を見守るの
だ。
ただ自分の行動を黙って見守り、なぜ自分があることをしているのか、それはどこ
から来ているのか、つねに注意を怠らずにいることだ。
そうすれば自分が二人いることに気付くだろう。
ひとりはあることを言う人格。
もうひとりはまったく逆のことをやり続けるあなたの本当の姿だ。
その二つはなんとか互いにやりくりしてゆかねばならない。
それゆえの葛藤であり、軋轢あつれきであり、エネルギーの浪費だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

91 素人A :2018/11/25(日) 12:27:25 ID:gOqWUDAs0
ホカホカ以降としたらくだらないネタが飛び出して此処にネタは訳書こうまた誤変換
でも時間も焦って御免。
時は金成というしブラフマンは金は無限にあるから。全世界の食い物買い集めて
一度に全部丸ごとたべてダイス満腹なのか 世界中から女の人集めて一度に相手できるのか
煩悩の大爆発だあ。それとも大金持ちだから何もつかわないであれも出来るこれもできる
で何もしないでも満足なのか。我々貧乏人は一度に色々食べられる5戊馳走まえにしたら
慌ててたべて腹痛おこすし兎に角くだらない書き込みだと今思うホカホカに囲碁飯食い5分で
あせあせ焦るなあ

92 避難民のマジレスさん :2018/11/26(月) 06:39:20 ID:LC3de7YgO
>>90
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

ひとつの願望を内に抱きながら、外側ではまったく逆の行動をしてしまう とい
ったことが往々にして起こる。なぜ逆の行動をとるのか? それはあなたが逆の
行動を通してその願望を抑圧しているからだ。
奥深くで劣等感を感じている人は、外側ではひじょうに優れているふりをする。
優秀でありたいと思うのは劣った人々だけだ。
本当に優れている人々は少しもかまわない。
劣等感で苦しんでいる人々はみんな政治家になる。
なぜなら、自分たちが大いに優れていることを証明する方法はそれしかないからだ。
「俺は、おまえよりも高潔だ」といった表情を浮かべている人は、実情はまっ
たく逆であることを奥深くでは知っている。
彼は罪の意識にさいなまれている。
彼は奥深くでは自分には価値がないと苦しんでいる。
彼は自分が高潔ではないことを知っている。
今や世間からそれを隠す唯一の方法は神聖さの仮面をつけることだ。
あなたがたのいわゆる聖者たちは、罪人たちとこれっぽっちも変わらない。
ただひとつの違いは、罪人たちは正直だが、世のいわゆる聖人たちは不正直だ
ということだ。
百人の聖者のなかからたったひとりでも真の聖者を見つけることができたら、
それだけでもう充分だ、充分過ぎるほどだ。
それ以上は期待できない。
九九人はただふりをしているだけだ。
私は、彼らは他人に対してだけふりをしていると言っているのではない。
そのふりがあまりに板についてくるので、彼らは他人をだましている だけ
ではなく、自分自身をもだましはじめるようになる。
実際、自分自身をだますためには、まず他人をだまさなければならない。
それでようやく、あなたもそれを信じることができるようになる。
真の聖者は、他人のことなど少しも気にしていない。
彼は自分が誰であるか知っている。
全世界がその男は聖者ではないと言ったとしても、どうということはない。
彼の理解は内なるものだ。
彼は自分自身に直じかに遭遇している。
彼の体験はあいだを置かない、実存的なものだ。
彼は自分の本質を知っている。
そしてみずからの本質を知ることは、神を知り、不死の人となり、死を超え
てゆく最初のステップになる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

93 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/26(月) 22:01:59 ID:1d4drIFg0
自分の本質とは何か気付いた者が悟りを得るのじゃ。
本質とは何かといえば、本来の性質とか本当の資質とかなのじゃ。
自分とは本来何であったかのか観察して気付くのじゃ。
思考している時、自分は思考の対象となるのじゃ。
認識している時は認識の対象が自分なのじゃ。
思考や認識の対象である自分に気付く時、自分の本質を気付いたことになるのじゃ。

94 避難民のマジレスさん :2018/11/27(火) 07:18:26 ID:LC3de7YgO
>>90
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

ひとつの願望を内に抱きながら、外側ではまったく逆の行動をしてしまう とい
ったことが往々にして起こる。なぜ逆の行動をとるのか? それはあなたが逆の
行動を通してその願望を抑圧しているからだ。
奥深くで劣等感を感じている人は、外側ではひじょうに優れているふりをする。
優秀でありたいと思うのは劣った人々だけだ。
本当に優れている人々は少しもかまわない。
劣等感で苦しんでいる人々はみんな政治家になる。なぜなら、自分たちが大い
に優れていることを証明する方法はそれしかないからだ。
「俺は、おまえよりも高潔だ」といった表情を浮かべている人は、 実情はまっ
たく逆であることを奥深くでは知っている。彼は罪の意識にさいなまれている。
彼は奥深くでは自分には価値がないと苦しんでいる。
彼は自分が高潔ではないことを知っている。
今や世間からそれを隠す唯一の方法は神聖さの仮面をつけることだ。
あなたがたのいわゆる聖者たちは、罪人たちとこれっぽっちも変わらない。
ただひとつの違いは、罪人たちは正直だが、世のいわゆる聖人たちは不正直だ
ということだ。
百人の聖者のなかからたったひとりでも真の聖者を見つけることができたら、
それだけでもう充分だ、充分過ぎるほどだ。それ以上は期待できない。 九九人
はただふりをしているだけだ。
私は、彼らは他人に対してだけふりをしていると言っているのではない。
そのふりがあまりに板についてくるので、彼らは他人をだましている だけ
ではなく、自分自身をもだましはじめるようになる。
実際、自分自身をだますためには、まず他人をだまさなければならない。
それでようやく、あなたもそれを信じることができるようになる。
真の聖者は、他人のことなど少しも気にしていない。
彼は自分が誰であるか知っている。
全世界がその男は聖者ではないと言ったとしても、どうということはない。
彼の理解は内なるものだ。 彼は自分自身に直じかに遭遇している。
彼の体験はあいだを置かない、実存的なものだ。
彼は自分の本質を知っている。
そしてみずからの本質を知ることは、神を知り、不死の人となり、死を超えて
ゆく最初のステップになる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

95 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/27(火) 22:28:27 ID:1d4drIFg0
更に本質を知ると善いのじゃ。

96 避難民のマジレスさん :2018/11/28(水) 06:34:30 ID:LC3de7YgO
>>94
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

ヘンリ・ベルグソンは今世紀の初頭にこう述べている。
彼は言った「科学技術に よって肉体に付与されたものは、それにふさわしい魂
への付加物を求めている」
現代人には、他のいかなる時代にもまして魂が欠けているように見える。
その 理由は科学と技術テクノロジーが肉体に多くのものをつけ加えたことにある。
肉体はより強靭になり、より長生きするようになった。
頭脳はより強力になり、より博識になった。
肉体や頭脳と比べると---頭脳は肉体の一部だ---魂はきわめて貧弱なままだ。
魂はほとんど無視され、打ち捨てられている。
誰ひとり魂の世話をする者はいない。
自分の本質について誰が考えるだろう?
教会や寺院に行くことは助けにはならない。
あなたは自分自身の内側に入ってゆかなければならない。
あなたは靴を脱がなければならない。
あなたはみずからのあらわな本質に入ってゆかなければならない。
そうしてはじめて、あなたは自分自身を宇宙と結びつけることができる。
あなたはそこからはじめて実在に橋をかけなおすことができる。

 さて、経文だ---
呂祖師は言った。
原初の精神と真の本性のみが時空を克服する。
本質について私が話していたことを、呂祖は
「原初の精神」と呼んでいる。
原初の精神とは、あなたの本質をなす魂のことだ。
それはあなたが母親の胎内にいるときに神から授かったものであり、教え込ま
れたり、条件付けられたものではない。
あなたは母親の胎内でどのようなあり方をしていたのだろう?
あなたは何も教わらなかった。
あなたは心マインドをもっていなかった。
あなたは無心ノーマインドの状態で存在していた。
そこにその至福に満ちた状態の秘密がある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

97 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/28(水) 23:00:12 ID:1d4drIFg0
禅でも父母未生の自分をみよというのじゃ。
まだ何の条件付けもされていない自分を想うのじゃ。
思考することも感情を起こすことも認識すらも無い状態なのじゃ。
それを想うことで本来の性質に達することもできるのじゃ。

98 避難民のマジレスさん :2018/11/29(木) 06:00:01 ID:LC3de7YgO
>>96
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづく)
 より抜粋

心理学者たちは、この母親の胎内での九ヶ月の経験ゆえに、人間は神を探し求
めてきたのだと言う---この九ヶ月の経験ゆえにと。
その記憶は人間にまとわりついている。
この九ヶ月にまさる美しい日々をあなたは知らない。
おそらくあなたは意識の上では忘れているだろう。
が、あなたの肉体の細胞そのもの、あなたの身体組織そのものの奥深くでは、
それらの日々が今もなお脈打っている。
今もなおあなたの存在のなかに宿っている。
それはあなたの心には意識されていないかもしれない。
だが、それはそこにある。
夜になると、深い眠りに落ちて、自分がどこへ行き、何が起こったのかは覚え
ていないけれど、朝になると、ゆったりとして、さわやかで、楽しい気分にな
るように。生が再びあなたによみがえっている。
あなたが集めた塵ちりはすべて消え失せている。
あなたは再び気力がみなぎり、若返っている。
あなたの肉体はその感覚を覚えている。
あなたの肉体は穏やかで、静かであり、何かを覚えている。
その思い出は頭脳のなかにあるのではない。
何が起こったのか---自分がどこへ行っていたのかはっきりと覚えてはいない。
仏陀のような人だけが、深い眠りのなかで自分がどこへ行くのか気付いている。
なぜなら、彼は深い眠りのなかにあってさえ、油断なく醒めたままでいるからだ。
あなたは目覚めているときでさえ、日常の気付きのなかにあってさえ油断なく
醒めてはいない。
いわゆる目覚めた状態にあるとき、あなたは油断なく醒めてはいない。

目は開いているが、心は千とひとつの思考を紡ぎ出しては織り続けている。
内なる会話が続いている。
内なる騒音が続いている。
見てはいるが見ていない。
聞きはするが聞いてはいない。
それは内側深くに思考の壁があるからだ---
あなたの意識の空には夢が途切れることなく漂っている。
あなたは目覚めているときですら油断なく醒めていない。
覚者ブッダは深く眠っているときですら油断なく醒めている。
覚者ブッダだけが自分がどこへ行くかを知っている。
彼はどこへ行くのだろう?
彼は本質、源泉、原初の精神へとおもむく。
夜、ほんの数瞬でも原初の泉に身を浸せば、あなたは若返る。
深い眠りに落ちることのできない人はまさに地獄にいる。
彼は疲れ、消耗し、生にうんざりしながら床につく。
ところが朝起きてみると、疲労感、倦怠感、消耗感はさらにつのっている。
彼の生は地獄になる。
深い眠りのなかで、あなたはみずからの実存の原初の泉に引き込まれるように
してもどってゆく。
その原初の泉はつねにそこにある。
あなたはそれを失ったのではなく、ただそれを忘れているだけだ。
そしてその原初の泉はあらゆる二元性を超えている。
あなたが知るのは生でもなく、死でもなく、超越的なものだ。
それはあらゆる種類の二元性を超えている。
それは神だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

99 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/29(木) 23:15:51 ID:1d4drIFg0
神とは人格を持つものではないのじゃ。
オショーの言う神は永遠の意識そのものなのじゃ。
神を信じるものにも分かりやすく説いているのじゃ。
神を信じる者には究極の存在であり、考えも及ばないものとして神は在るはずであるからのう。

100 避難民のマジレスさん :2018/11/30(金) 06:43:44 ID:LC3de7YgO
>>98
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

原初の精神と真の本性のみが時空を克服する。
原初の精神の内にあるとき、あなたは真の本性の内にある。
人格の内にあるとき、あなたは本物ではない。
あなたは作り物の現象にすぎない。よく見守ってみれば、あなたは自分の内側
にどれほど多くの作り物があるかを知って驚くだろう。
あなたはハートが微笑んでもいないのに微笑を浮かべている。
だとすればそれは作り物だ。あなたは憐れみを感じてもいないのに同情する。
だとすればそれは作り物だ。あなたは嬉しくもないのに喜んでみせる。
だとすればそれは作り物だ。あなたはハートに何も感じていないのに、泣き叫
び、涙を流すことさえできる。だとしたらその涙は作り物だ。
あなたの内側にいかに多くの作り物があるか見守りなさい。
そして作り物はどれもあなたではないことを覚えておきなさい。
神はあなたをプラスティックでつくりあげたわけではない。
神はあなたに永遠の生を与えた。だが、その永遠の生は、あなたが靴を脱いだ
ときにはじめて見いだすことができる。
あなたの人格を脱ぎ捨てなさい。
すべてのペルソナを、すべての仮面を落としなさい。
仮面をひとつ残らず消えてゆかせなさい。
それは痛みに満ちている。
なぜなら、あなたはそういった仮面に同一化してしまっているからだ。
あなたはそれらの仮面を自分の顔だと思い込んでいる。
それは苦痛に満ちた死のプロセスに近いものになるだろう。
しかも一度だけではない---あなたは何度も死ななければならない。
というのも 、ひとつの顔が落ちるたびに、あなたは死が起こったと感じるから
だ。
だが、そこで再び新しい生があなたの内側で解き放たれる
--- より新鮮で、より深く、より活気に満ちた生が。 すべての顔が消え、本質
のみが残されるとき、あなたは いっさいの二元性、時間と空間の二元性すらも
超越している。 深い瞑想に入ってゆくと、みずからの本質的存在に入ってゆく
と、そこには時間も空間もない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

101 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/11/30(金) 22:43:33 ID:1d4drIFg0
時間も空間も観念であるから観念が無い意識ではそれもなくなるのじゃ。
自分の記憶から変化を認識し、それを解説するために時間という観念もうまれたのじゃ。
自分が存在するところと存在しない場所の解説として空間も生まれたのじゃ。
自分も観念も無ければ時間や空間も無いのじや。

102 避難民のマジレスさん :2018/12/01(土) 07:50:33 ID:LC3de7YgO
>>100
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

あなたは自分がどこにいるのか言うことができない
--- ”場所”そのものが消え失せている---その空間を正確には指し示せない。
あなたはどこにもいないか、あるいは至るところにいるか、ありうるのはこの
いずれかだ。どちらも同じことを意味している。
「人は至るところにいる」と言うことを選んだ小数の者たちがいる
--- ヴェーダーンタ学派は「深い瞑想のなかで人は至るところにいる
--- アハム・ブラフマースミ、我は神なり」と言うことを選んだ。
「神」とは、至るところにいる者、全存在にゆきわたっている者という意味だ。
あなたは空間そのものになる。
「私はつねに在った、永遠に在る」とは、あなたが時間のなかに遍満している
という意味だ。 これがそれを表現するひとつの方法、肯定的な方法だ。
仏教は別の方法、否定的な表現を選んだ。
仏陀はこう言う---深い瞑想のなかでは、あなたはどこにも存在していない。
空間はすべて消えている。そして時間も存在せず、あなたは時間のない状態 に
ある。
時間も空間もないとしたら、あなたはどうして存在できるだろう?
人間は時間と空間が交わる地点においてのみ存在する。
時間の線と空間の線が交わると、その交点に自我エゴが立ち現れる。
この二つの線を取り去れば、自我という点は消えてしまう。
それは二本の線の交差にすぎない。 それは誤った観念だった。
だから仏陀は「誰も存在していない」と言う。
深い瞑想のなかでは、時間が消え、空間が消え、そしてあなたが消える。
いっさいのものが消え失せ、そこには<無>、シューニャ、ゼロのみがある。
これは同じことを否定的な仕方で語ったものだ。
肯定的な表現を選ぶなら、「私は神だ」と言うこともできる
--- それにはそれなりの危険があり、また独自の美しさもある。
あるいは否定的な表現、アナッター、無我、<無>、にゃはんニルヴァーナ を
選ぶこともできる。これにも独自の美しさがあり、またそれなりの危険もある 。
<無>というまさにその観念が人々の意欲をそいでしまう
---危ないのはそこだ。 <無>でありたいと誰が望むだろう?
四十年にわたる伝道生活において、仏陀は何度も何度も尋ねられた。
「なぜ人は<無>であろうとしなければならないのですか? それは死、究極の
死ではないですか?」すると仏陀は言う。
「その通りだ。それは究極の死だ。だが、それは美しいものだ」
質問者が尋ねる 「ですが、それは誰にとって美しいのですか?
だって誰もいないはずでしょう?」
すると仏陀は言う。 「ただ美しさだけが、至上の幸福だけがあって、それを体
験する者はいない」 人間の心マインドがこう言うのも無理はない。 「でも、自
分がそこにいないのなら、何もならないじゃないか・・・。 それがとても美し
いというのはすばらしいけど、自分がいなければ、美しかろうとなかろうと何
の違いもないじゃないか。 どうして自分を無くさなければならないのだろう?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

103 素人A :2018/12/01(土) 09:54:55 ID:gOqWUDAs0
網何念この世うに振り回されて生きているの駄老化。私は本で読んだ坐禅や瞑想の基本的な事は入門書で読んでいたのに?
基本的な最初の気が散らない訓練もしなく次次と先先で修行3日でマスターがまだまだなのに修行理解しマスタと新しい野
本で読み。ヨーガ仙道の船頭さんに迷い出て結局何やつているのか自分でもわからない。その前に何故修行しなければ如何
のか遊び回ったほうが楽.必要な時やれば良いと修行避けている。気が散っているそれは月末すぎたからかもいやいつも?
やりかたの基本はコツコツ実行でしょう。理屈では解っているのだが.静かな所で気が散らない様に色々な頭の思いの蝋燭
の火を息を整えて消すんで使用。基本の基本は空のコップから水空始める。そこに一念のエネルギーを根根と根気よくそそぐ
野鴨?それでエネルギー溢れたらジョウロで妄想世界いや瞑想世界に放水すれば三昧に行きつけると根本経典に書いてあった。
あまた本の思いで実行は?実行はあしたからいや明後日から要するにいまやる気が無い色々やる事が覆い。明日も明後日も
永遠に未だ来ない。未来に巡り合いたくないのか??未来は未見て来いという観字七日悟って空見ないと解らんのか
今朝も情けなく不満足な朝。飲めばやる気が出る薬は危険だし、まあぼちぼちの朝位でもまあ良いか
ミストラル https://www.youtube.com/watch?v=mFsecDrY_oA 
別に何も考えず過去のメモコピーしてすましたやる気ない朝さあホカホカ以降だめだこりゃ

104 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/01(土) 22:51:37 ID:1d4drIFg0
時間という観念と空間という観念が更に又自己が在るという観念を支えることにもなるのじゃ。
何世紀のこの場所に自分が居るという観念が生まれるからのう。
このようにたまねぎの皮のように観念を次々にはがしていかなければ自己という観念にも辿りつかないのじゃ。
全てが自己であったり、神であったりするのもその途中に感じることなのじゃ。

105 避難民のマジレスさん :2018/12/02(日) 08:06:10 ID:LC3de7YgO
>>102
7黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み3
 より抜粋

すると仏陀は言う。
「ただ美しさだけが、至上の幸福だけがあって、それを体験する者はいない」
人間の心マインドがこう言うのも無理はない。
「でも、自分がそこにいないのなら、何もならないじゃないか・・・。 それが
とても美しいというのはすばらしいけど、自分がいなければ、美しかろうとな
かろうと何の違いもないじゃないか。どうして自分を無くさなければならない
のだろう?大して美しくはないけれど、少なくともこの私が存在している世間
にいるほうがまだましだ」
<無>という終着地は人々の意欲をそいでしまう。
仏教がインドから姿を消したのはそのためだ。彼らは教訓を学んだ。
それは中国では否定的な言語を落とした、チベットでは否定的な言語を落とし
た 。
インドの仏教、原始仏教は完全に否定的だった。
仏陀の感化を受けて何千もの人々が変容を遂げたのだが、仏陀のような人をつ
ねに見いだすということはできない。
仏陀の影響力はあまりにも大きかったので、人々は死んで<無>になる用意さ
えできていた。
それは仏陀ゆえに起こったことだ。
さもなければ<無>であることには何の魅力も、人を誘う力もない。
が、仏陀の磁力があまりにも強かったので、仏陀のカリスマがあまりにも強か
ったので、何千もの人々がみずから進んで<無>になろうとした。
「仏陀がそうおっしゃるのなら、それは正しいにちがいない」と。
仏陀の言葉にはそれほどの重みがあり、その目がすべてを実証していた。
「彼が消えてしまったのなら、私たちも消えてしまおうではないか。
仏陀がそうおっしゃるなら、信頼してもいい」 だが、ひとたび仏陀がこの世か
ら姿を消すと、仏教の僧侶たちは人々を説得することができなくなった。
彼らはインドから完全に姿を消さねばならなかった。
彼らはそこで教訓を学んだ。
インドの外で、仏教は肯定的な言語を使いはじめた。
仏陀が否定したすべてのことを使いはじめた。それは生き延びた。
だが、仏教として本当に生き延びたのではなく、ヴェーダーンタ学派として生
き延びた。
肯定的な言語として生き延びた。
だが、仏陀の最大の貢献は否定的な表現にあった。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

106 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/02(日) 22:50:44 ID:1d4drIFg0
全てを否定するのは本来アートマンの教えなのじゃ。
認識できないものであるアートマンを教えるには全てを否定しなければならないからのう。
正しい教えを伝えれば間違った教義を持っていた衆生はそれを拒むのじゃ。
習慣とはそれほど強いものであるからインドは未だ大勢が苦の中に居るのじゃ。

107 避難民のマジレスさん :2018/12/02(日) 23:04:00 ID:LC3de7YgO
>>106
フムふむ。
否定によってのみあらわされるアートマンと、無我の違いはそこにあるのでありますね。
無であるのは我であり、我が無であり、主体ではないが、意識はある・・・・うぅぅ やっぱり、難しいでありますが、アートマンより、無我の方が、スッキリするでありますね。
OSHOは無我だと、衆生は魅力を感じないていうが、主体への執着を消し去るのが難しくなるでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

108 避難民のマジレスさん :2018/12/03(月) 06:56:35 ID:LC3de7YgO
>>107
訂正
OSHOは無我だと、衆生は魅力を感じないていうが、主体への執着を消し去るのが難しくなるでありますね。

→アートマンだと、主体への執着を消し去るのが難しくなる

(´・(ェ)・`)つ

109 避難民のマジレスさん :2018/12/03(月) 07:08:09 ID:LC3de7YgO
>>105
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

否定的な表現の美しさは、人の自我エゴを少しも満足させたり、少しも喜ばせ
たりしないことにある。
肯定的な言語の危うさはそこにある。
アハム・ブラフマースミ--「我は神なり」、アナル・ハック--「我は真理なり」
と言うときに危険なのは、真理が二義的なものになり、 その「我」が一義的な
ものになってしまいかねないということだ。
真理はあなたの影になってしまうかもしれない。
力点が 「私」という言葉に集まり、「私こそが神だ」となってしまうかもしれ
ない。
神に力点が置かれ、「私」が神に対するたんなる影であり続けるならば、何も
問題はない。
だが、それはひじょうにむずかしい。
その「私」はじつにずる賢い。
自我エゴの手口はじつに巧妙だ。
それは機会をとらえ、その観念に飛びついて、こう言う。
「その通り、私が神であり、他の者たちはそうではない。私が真実であり、他
の者たちはみな偽物だ」
だが、そうなったら肝心な点がそっくり見逃されてしまう。
いずれにせよひとつだけ確かなのは、時間と空間が消えてしまうということだ。
あなたは「私はすべてだ-すべての空間を満たし、すべての時間を満たしている
---私は至るところにいる、時を越えて存在している」と宣言するか、あるいは
「私はいない。時間というものはない。空間というものもない。永遠から永遠
にわたって、絶対的に静まりかえった<無>があるのみだ。さざ波すら立たな
い静寂が」という仏教徒の表現を使うしかない。
だが、いずれの言明も同じことを指し示している。
表現は異なり、指は異なっているが、それらは 同じ月を指さしている。
その月があなたの本質だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

110 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/04(火) 00:51:49 ID:1d4drIFg0
>>107 そうじゃ、何らかの主体が在ると教えるとそこに妄想も生じてしまうからのう。
 オショーの言うとおり修行中に見た幻影を信じてわしは神だとか思ってしまうのじゃ。
 全てを否定によって説けばそのような妄想も無であると知って囚われないのじゃ。
 それが正しい教え方なのじゃ。

111 避難民のマジレスさん :2018/12/04(火) 07:17:24 ID:LC3de7YgO
>>109
7黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み3
 より抜粋

呂祖師は言った。
原初の精神と真の本性のみが時空を克服する。
時間と空間を克服しないかぎり、あなたは死を克服することができない。
死は時間のなかに存在し、空間のなかに存在している。時間と空間を克服しな
いかぎり、あなたは心マインドと肉体を克服することができない。
理解しようとしてみなさい。
肉体は空間に対応し、心は時間に対応している。
心は時間的な現象であり、肉体は空間的な現象だ。
肉体は あ る 場 所 に存在し、心は あ る時 間 に存在している。
時間のない心を想像してみても、あなたはそれを思い浮かべることができない。
心とは過去、現在、未来のいずれかだ。
記憶、想像、現在の事実のいずれかだ。
心マインドは三つの時制のなかに存在する。
あなたがたは注意深く、意識をとぎ澄まして私に耳を傾けている。
心は現在にある。
他のことを考えながらここにいるなら---聖書で何かを読んだことがあり、それ
が私の言うことに当てはまったり、当てはまらなかったりする---
あなたは自分の想像や記憶のなかに入り込んでいる。
時間が消えてしまったら、心を思い浮かべることはできない。
時間と心は同じものを意味する。
人間は宇宙の縮図であり、小宇宙だ。
外界により、大きな規模で存在するものは、何から何まで人間の内部により小
さな規模で存在している。人間を理解することができれば、全宇宙を理解した
ことになる。「上のごとく、下もまたある」
人間はこの宇宙全体を構成する原子のような要素だ。
ひとつの原子を理解すれば、あらゆる物質を理解したことになる。
ひとりの人間を理解すれば、自分自身の神秘を読み解くことができれば、過去
、現在、未来のいっさいの神秘---万物を理解したことになる。
だからこの二つのことを覚えておかねばならない---肉体は空間であり、心は時
間だということを。
瞑想すると、あなたは肉体から消えてゆく。
あなたは自分が誰なのか、男なのか女なのか、美しいのか醜いのか、黒人なの
か白人なのかわからなくなる。
あなたは自分が誰なのかまったくわからなくなる。
内側に入ってゆくと、肉体ははるか後方に残される。
肉体の位置を確かめることすらできない、肉体の存在を感じることすらできない瞬間がやって来る。
あなたはもはや形にとらわれてはいない。
あなたは形なきものになっている。
そして同じことが心にも起こる。あなたは自分の心がどこにあるのか、その心
がどこへ行ってしまったのかわからない。
内側で途絶えることのないそのすべての騒音、その往来の騒音が遠くへ遠くへ
と離れてゆき、消えてゆく。
突然、大いなる静寂があなたの内側ではじける。
この時間も空間もない状態のなかで、あなたはみずからの本質を知るに至る。
そして自己の本質を知ることで、タオをはじめて垣間見る。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

112 素人A :2018/12/04(火) 09:04:07 ID:gOqWUDAs0
どげんしても坐禅で死ん身脱落しないと片手の人の拍手の音は聞こえないというか
相手にしてもらえない野鴨 今は儚い身見守らないと

113 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/04(火) 22:08:00 ID:1d4drIFg0
時間という観念は常に記憶から起こるものじゃ。
昨日と違うものごとを解説するために時間がたったという表現をするのじゃ。
肉体の自己同一化さえも記憶から起こるものじゃ。
昨日と同じ肉体とその感覚が在る自分という観念から自分の肉体という観念も起こるのじゃ。

114 避難民のマジレスさん :2018/12/05(水) 06:17:24 ID:LC3de7YgO
>>111
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

原初の精神は両極の違いを超えている。
すべての両極の違いが消え失せる。
男/女、夏/冬、暑さ/寒さ、愛/憎しみ、肯定/否定、時間/空間、生/死。
いっさいの両極が消える。

原初の精神は両極の違いを超えている。
どちらの極にも愛着をもってはいけない、と私がしきりに強調するのは
そのためだ。
あなたがたはいずれかの極に愛着をもつようにと教えられてきた。
あなたがたのいわゆる宗教は、世間で暮らすか、それとも世を捨てて僧院に入
りなさいと説いてきた。
私は世間にとどまりながら、その一部にならないようにと言う。
そうでないと、あなたはひとつの極に愛着をもつようになる。
僧院に行けば、あなたは街の雑踏マーケットプレイスを恐れるようになる。
それがはたして成就と言えるだろうか?
恐怖があるなら達成はない。
私はヒマラヤに住んでいた人々を知っている。
彼らは恐れるようになる。彼らは世間に降りてきたくはない。
なぜならヒマラヤで体験してきたものが、街に入るとすべて消え失せてしまう
からだ。
街の雑踏でかき消されるようなものなら、それは成就ではない。
自分の静寂だと錯覚していたものは、ヒマラヤの静寂にすぎなかったのだろう。
それは借り物だった。確かに、ヒマラヤは静かだ。だからその 静寂のなかで暮
らせば、徐々にその静けさがあなたに浸透しはじめる。
だが、それはあなたの音楽ではない。それは借りてきたものだ。
ヒマラヤから遠ざかれば、それは消え失せてしまう。
これは錯覚を起こしているだけだ。
これは輝かしい光の残照を楽しんでいるだけだ。
街のなかで暮らしながら、ハートのなかにヒマラヤをつくりだしなさい。
騒がしさの只なかで静かでありなさい。
世帯主でありながら、求道者サニヤシンでありなさい。
私のサニヤシンたちは世間から離れないでほしい、と私がこれほど強調するの
はそのためだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

115 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/05(水) 22:42:33 ID:1d4drIFg0
観念は大体二つの極に分かれて記憶されているのじゃ。
在ると無いとか、好いと悪いとかのう。
どちらかに執着すれば反対のものもついてくるものじゃ。
観念が無くなれば両方消えるのじゃ。

116 避難民のマジレスさん :2018/12/06(木) 06:38:04 ID:LC3de7YgO
>>114
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

何ひとつ放棄しなければならないものはない。
放棄の道は逃避家の道だ。
そして放棄の道を選ぶことで、あなたは一方の現象に愛着を抱くようになる。
それはあなたに自由を与えない。
自由は超越のなかにある。
そして超越は、あなたが二つの極のなかで同時に生きるときにはじめて訪れる。
だから世間にありながら、世間をあなたの内側に入れてはならない。
愛しながら、そのなかに失われてはいけない。
関わりながら、しかも独りで、完全に独りでありなさい。
あらゆる関係がゲームだということを熟知していなさい。
ゲームを演じなさい。
それを可能なかぎり美しく、可能なかぎり巧みに演じなさい。
ゲームはしょせんゲームであり、だからそれは美しく演じられねばならない。
そしてゲームのすべての規則に従いなさい。
なぜなら、ゲームは規則なしでは成立しえないからだ。
だが、それがゲームにすぎないことをいつも覚えておきなさい。
それに愛着を抱いてはいけない。それに深刻になってはいけない。
いつも内側にはユーモアの感覚を息つ”かせておきなさい。
誠実ではあっても、深刻になってはいけない。
そうすれば、ゆっくりゆっくり、両極が消えてゆくのに気がつくだろう。
誰が世俗的であり、誰が宗教的なのだろう?
あなたは両方か、そのいずれでもない。
原初の精神は両極の違いを超えている。天と地は此処ココより生ず。
原初の精神をとらえるすべを体得すれば、学人は光と闇の両極を克服し、もは
や三界にとどまることはない。
天上の世界、地上の世界、地獄の世界---三界---は、両極をいかに超越するかを
知っている人にとってはすべて消え失せてしまう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

117 素人A :2018/12/06(木) 10:24:54 ID:gOqWUDAs0
人と言う字も鬼さんの思想もトーナメントの表の様だし
枝分かれも元をたどれば一樹の幹にたどり着くでもその下はまた
根が枝分かれで大地にたどり着く野鴨

118 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/06(木) 23:48:06 ID:1d4drIFg0
観念によって成立する世界で演じられるのは観念遊戯なのじゃ。
現実とは関係のないゲームなのじゃ。
金や名声や権力を集めるのがその遊戯なのじゃ。
どれほど金や名声や権力を集めても死という現実には対抗できないのじゃ。
観念を超えることで死をも超えることが出来るのじゃ。

119 避難民のマジレスさん :2018/12/07(金) 07:11:48 ID:LC3de7YgO
>>116
7黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

つい先ほど私は、過去、現在、未来---これらが三つの世界だと言った。
過去は地獄であり、それは死んだ、暗い影のようなものだ---幽霊があなたにつ
きまとっている。
現在は地上であり、それは現実、事実、たった今ここにあるものだ。
そして未来は天上であり、それは希望、熱望、欲望、あこがれだ。
これらが三つの世界であり、そしてあなたはこれら三つの世界を絶え間なく動
いてゆかなければならない。
あなたは前へ後ろへ行きつもどりつする。
過去から未来へとジャンプし、未来から過去へとジャンプする。
そしてこれがどこまでも続いてゆく。
現在はきわめて微細なので、あなたはそれにほとんど気付かない。
それは過去と未来にはさまれている。そしてこの二つは広大だ。
ところが現在は極微であり、原子のような瞬間だ---あまりに小さいので、目に
とまることすらない。
あなたが気付くやいなや、それはもう過去になっている。
現在に在るためには、細心の注意深さが、このうえもない注意深さが必要にな
る。
現在に在ることが時間を超越する扉になるのはそのためだ。
過去からは進めない。過去はあまりに広大で、際限がないからだ。
どこまで遡っていってもきりがない。
精神分析が役に立たない、と私が言うのはそのためだ。
それは過去を調べ、過去を解明し、過去を掘り下げ続ける。どこまでいっても
終わらない・・・精神分析は、三年、七年と、何年にもわたって続いてゆくが、
それでも分析は終わらない。人はその精神分析家に愛想をつかして、相手を変
え、別の分析家のもとへ行って、一からやりなおすしかない。
ここで言っておきたいことがひとつある---遅かれ早かれ精神分析は、過去がこ
の生の出発点で終わるものではないことを必ず発見するだろう。
あなたはどんどん遡っていって、ヤノフが「原初の叫び」と呼んでいるものに
行き着くことができる。
原初の叫びは精神分析の最終地点だ。子供が呼吸をはじめたときの最初の産声
---その叫びを通して子供は呼吸をはじめた。その最初の絶叫。
だが、ひとたびそこに行き着けば、あなたは驚くだろう。
それもまた始まりではない。次は子宮のなかへもどってゆかねばならない。
東洋ではそれが試みられてきた。東洋には、深く深くもぐってゆく
「プラティ・プラサヴ」---回帰、帰還---と呼ばれる技法がある。
マハーヴィーラはそれを用いた、仏陀はそれを用いた---
彼らは子宮を通り抜けた。
そこであなたは再び死を通り抜けねばならなくなる。
なぜなら子宮に宿る前に、あなたは死んでいるからだ。
続いて何層にも何層にもわたるすべての生涯がよみがえってくる・・・
(´・(ェ)・`)
(つづく)

120 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/07(金) 23:40:38 ID:1d4drIFg0
悟りを得ようとするときには自分の観念が死ぬことを覚悟しなければならんのじゃ。
自分の観念とは自我なのじゃ。
自我を放棄し、捨て去る時にはそれによって培ってきた観念をも捨て去るのじゃ。
それが輪廻の観念なのじゃ。

121 避難民のマジレスさん :2018/12/08(土) 09:11:50 ID:LC3de7YgO
>>119
7黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み3
 より抜粋

東洋が幾多の過去生という現象に気付いたのは、深い精神分析を通してだ。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教はそれに気付いていない。 彼らはそこまで
懸命に試みたことがない。彼らは精神分析を試みたことがない。
フロイトはそれを試みた最初のユダヤ人だ。
言うまでもなく、キリスト教徒や ユダヤ教徒やいわゆる宗教的な人々はこぞっ
て彼に反対していた。
そこには精神分析がもっと深く進めば、遅かれ早かれ、ヒンドゥー教徒の転生
の観念が正しいことが証明されてしまうという恐れが潜んでいる。
それが怖いのだ。どんどん掘り下げてゆくと、次から次へと層が現れてくる。
どこで終止符を打てばいいのだろう?
あなたは数知れない生を人間として生きてきた。
私たちはそれらすべてを見逃そうとするが、それもまたきりがない。
ある日突然、あなたは自分が過去生では人間ではなかったことに、象や虎や犬
だったことに気付く。
そうしてあなたは動物の生に入ってゆきはじめる。
さらに何百万もの生を通り抜けた後、ある日突然、自分が茂みや樹、さらには
岩であったことを発見する。
インドでは、人は何百万もの生を通り抜けてきたと言う。
それがどこに行き着くというのだろう?
過去を分析してもはじまらない。
それはあなたを狂気に駆り立てるだけで、どこにも到らない。
そして同じことが未来の場合にも当てはまる。
どこで止まればいいのだろう?どこまでゆけばいいのだろう?
「この先は見なくてもいい」と言ってどこで打ち切るのだろう?
東洋ではそれもまた試みられてきた。
私たちは時間という概念にとほうもなく働きかけてきたからだ。
だが、いずれにしてもきりがない。
記憶は尽きることがない。想像は尽きることがない。
その二つのはざまにこの瞬間がある。
ごく小さく、あまりに微細なので、 細心の注意を払っていなければそれに気
付くことはできない。
それはじつにすばやく動く。
それは飛ぶように過ぎてゆく。
だが、現在に気付くことができたら、扉が開かれる。永遠へと到る扉が。
心マインドはまさにそこから無心ノーマインドのなかへと入ってゆく。
人格はまさにそこから人格を超え、本質に入ってゆく。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

122 避難民のマジレスさん :2018/12/08(土) 19:29:10 ID:LC3de7YgO
>>121
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み
 より抜粋

イエスが磔ハリツケにされたことはよく知られている。
イエスとともに磔にされた盗賊が二人いた。
ひとりはイエスの左側に、もうひとりはイエスの右側にかけられていた。
あなたがたはそれをとほうもない含みをもった象徴としてとらえたことはない
かもしれないが、イエスは現在の瞬間を表している。
盗賊のひとりは過去であり、もうひとりの盗賊は未来だ。
そしてイエスは、神に最も近い現在の瞬間を表している。
盗賊のひとりはイエスをあざ笑った---過去はつねにあなたをあざ笑っている。
彼はイエスを非難した---過去はつねにあなたを非難している。
もうひとりの盗賊は、イエスに未来のことを尋ねた。
「死ぬとどうなるのですか?天国であなたにお会いできるでしょうか?」と。
ひとりは過去であり、もうひとりは未来であり、そしてイエスはこの二人の盗
賊の真ん中にはさまれている。
彼らを「盗賊」と呼ぶのはなぜだろう?
過去は盗賊だ。未来は盗賊だ。
それはその二つがあなたの現在を盗み続けるからだ。それらはまさに盗賊だ。
私にとってこれは寓話だ。
キリスト教徒が私に同意するかどうかはわからない。
だが、それは私にとってはどうでもいいことだ。
私は他人が私に同意しようとしまいと気にしない。
イエスは、現在、今ここにいて、本質に最も近く、いつでも死んで肉体と心か
ら消え去る用意ができている。
彼はわずかにためらっている---人は誰でもためらう。
現在にまみえるとき、人は自分を正面から見つめる永遠に出会う。
過去でもなく、未来でもない、永遠---まったく異なる次元に。
過去、現在、未来は水平であり、永遠は垂直だ。
私にとって、十字架は交差する二本の線の象徴でもある。
十字架は二本の線でつくられている。ひとつは水平であり、もうひとつは垂直だ。
これは時間と永遠の表現だ。
永遠、どこにもないもの、<無>、あるいはすべてのものに直面すると、人は
みなためらう。
それは耐えがたい。
人は水滴のようにそのなかへ消えてゆく ことになる。
大海はあまりに巨大で、人は完全に消息を絶ってしまう。
草の葉から大海に落ちてゆく露ですらためらう。
イエスはためらった。
私がこの男を愛するのは、彼がためらったからだ。
ためらうイエスを見れば、彼が人間であることがわかる。
ためらう彼を見れば、イエスが私たちの一員であることがわかる---彼は人の子
だ。

123 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/08(土) 22:54:22 ID:1d4drIFg0
過去も未来もただ妄想で在るのみなのじゃ。
自分という観念の上に成り立っている妄想なのじゃ。
ただ今だけが真に在るといえるものなのじゃ。
今ここに在るのが二元性を超えた原初の精神なのじゃ。

124 避難民のマジレスさん :2018/12/09(日) 00:04:17 ID:LC3de7YgO
>>122
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

彼は神に向かって泣き叫んだ。
「私をお見捨てになったのですか? 私をどうなさるのですか?私を見放された
のですか?もう私のそばには いらっしゃらないのですか?私は消えようとして
います。 なのに私を守ってくださるあなたの御手が見えません」
露が大海に落ちようとしている。
「あなたはどこにいらっしゃるのですか?私は深い<無>のなかに落ちようとして
います。死がやってきました。あなたは死のなかにあっても、そこで待ちうけ
、私を抱きしめ、包み込んでくださる、暖かい、愛にあふれた方だと思ってい
ました。なのにあなたはどこにいらっしゃるのです?私をお見捨てになったの
ですか?私を見放してしまわれたのですか?どこにもあなたの姿が見えません」
実際、目に見える神は存在しない。神は人物ではない。
神とはこの完全な<無>を表す肯定的な名前だ。
だが、イエスは神を人物とみなすユダヤ的観念を抱いて生きていた。
このような混乱が、このような恐怖が彼の心に起こるのはそのためだ。
彼には愛する者、天なる父に会いたいと待ち望んでいた自分が見えていない。
彼は天なる父を「アバ」と呼んでいた。彼は天なる父に会いたいと待ち望んでい
た。
だが誰もいないように思われる。
この世の幕が降りようとしているのに、彼方には大きな口を開いた<無>、底無
しの深淵しかない。
それはきわめて人間的だ。イエスの生涯はきわめて人間的だ。
そしてそれがその美しさだ。
彼の生涯が多くの人々の心をとらえたのはそのためだ。
---まさにその人間性が人々の心に触れる。
だが、やがてイエスは要点を見抜いた。
彼は永遠<無>を深くのぞき込んだにちがいない。
彼は大切なことを見抜いたにちがいない。
「神が人間の顔をしているはずがない。これこそが神の顔だ。 神が人間の手を
もっているはずがない。この<無>が私を抱きしめようとしている。そのふとこ
ろ深くに私を受け入れようとしている」と。
続いてイエスは神に言う。
「御国は到来しました。御業はなされました。 ですから、そのままに、御心の
ままに。 あなたは<無>なのです。覚悟はできています。私はあなたを信頼しま
す。あなたが<無>であることさえ信頼します」
キリスト教徒、イスラム教徒、ヒンドゥ教徒、ユダヤ教徒たちはみな--- 神の
人格という観念を抱いて生きてきた者たちはみな、このことに直面しなければ
ならない。
この不安な時、この苦悶を通り抜けなければならない。
神は<無>であり、<無>の別名だという仏教徒の観念や道家タオイストの観念が
美しいのはそこだ。まさにその始めから、その<無>という観念とともに 生きて
きた者はたじろぐことがない。彼はただそのなかに消えてゆく。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

125 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/09(日) 23:17:20 ID:1d4drIFg0
神を信じる者は大概神は人間の形と名を持っていると思っているのじゃ。
そのような者がたまたま何かの道とか瞑想を極めると最後には何も無いと驚いたりするのじゃ。
最後にはひげのじじいが出てきて天国に入れてくれるとか思っていたからなのじゃ。
何も無くて善いのじゃ。
そこに意識が在ると気付けば永遠への扉が開かれるのじゃ。

126 避難民のマジレスさん :2018/12/10(月) 07:13:54 ID:LC3de7YgO
>>124
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

原初の精神は両極の違いを超えている。
天と地は此処ココより生ず。
原初の精神をとらえるすべを体得すれば、学人は光と闇の両極を克服し、 もは
や三界にとどまることはない。
だが、人間がもって生まれた 本来の顔を洞察した者のみが、これを行なうこと
ができる。
みずからの内なる<無>が見えてこなければ、それを行なうことはできない。
まず瞑想をして、みずからの内なる<無>へと入ってゆきなさい。
そうすれば、存在そのものの<無>に入ってゆくことができる。

人が胎内から解放されるとき、原初の精神は一寸四方のなかに住むが・・・
これは道家の地図だ。
当惑しないこと。
人間の意識の地図は色々ある。
地図が変われば、用いられる象徴も変わる。
これは道家の地図だ。
道家の人々は言う
---子供が子宮から生まれ落ちると、原初の精神は第三の目のなかに住みはじめ
る、と。両目のあいだ、眉間の中央、まさにその中間に第三の目がある。
ヨーガの地図ではそれを「アジュナ・チャクラ」---第三の目のセンター---と
呼んでいる。
道家の人々が「原初の精神の住処スミカ」と呼んでいるものはそれだ。
人が胎内から解放されるとき、原初の精神は一寸四方のなかに住むが、 意識的
精神は下方の心臓ハートのなかに住む。この心臓は外界に左右される。
もし人が一日でも食べなければ、心臓は極度の不快感を覚える。
恐ろしいことを聞くと動悸を打ち、腹の立つことを聞くと鼓動を止める。
死に直面すれば悲しみ、美しいものを見れば目がくらむ。
だが、 頭蓋---すなわち第三の目のセンター---のなかにある天上のこころハ
ートは、少しでも動いたことがあるだろうか?
「天上のこころは動かないものか?」と問う ならば、「一寸四方のなかにある
真の思考がどうして動くだろう」と答えよう。
この肉体の心臓ハートは絶えず外界に左右されている。
それは外界の影響を受ける。
それは身体のなかにある外界の一部だ。
これは真のハートではない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

127 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/10(月) 22:25:13 ID:1d4drIFg0
自分の内なる無とは人の持つ本質なのじゃ。
それは全ての本質と同じなのじゃ。
そうであるから自らの内なる無に入れば、全てと同じ本質にたどり着くのじゃ。
アートマンの法と同じなのじゃ。

128 避難民のマジレスさん :2018/12/10(月) 23:14:57 ID:LC3de7YgO
>>127
釈迦もキリストもなく、叡知のみがあるのでありますね。
(´・(∀)・`)つ

129 避難民のマジレスさん :2018/12/11(火) 06:29:27 ID:LC3de7YgO
>>126
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

道家の人々は、真のハートは第三の目のなかにあると言う。
それは動くことがない。それは不動のものだ。それはつねに変わらない。
肉体の心臓はいつも混沌としている。
そして第三の目のなかにある霊的なハートはつねに秩序がとれている。
それは秩序そのものだ。
ヒンドゥー教徒がそれを「アジュナ・チャクラ」---秩序が生まれ、規律が生ま
れるセンター---と呼ぶのはそのためだ。
第三の目から来たものは、ただちに実行に移される。
肉体全体がそれに従う。実存全体がそれに従う。
それは命令が発せられるセンターだ。
だが、それは深く眠り込んでいる。
あなたは肉体の心臓ハートから生きている。
あなたは自分の霊的なハートをまだ知らない。
低次の心臓ハートは、強い力をもった将軍のように振る舞い、天上のこころ
ハートをその弱さゆえにさげすみ・・・
だが、肉体の心臓ハートは、霊的なハートが動かないので、それを弱いものと
見なす。
それが動いていないので、あなたがたは霊的なハートが動かないので、それを
弱者、死人に等しいものと見なす。
国政の主導権を奪い取った。
このために、低次の心臓があなたの主人になってしまった。
だが根源の城の防備を固め、防御することができれば、強力で賢明な君主が王
座についたようなものである。
だが、もっともっと注意深くなり、さらにいっそう意識しはじめると、第三の
目のなかにある城の防備を固めたことに気付くだろう。
醒めてゆくたびに、あなたは第三の目から機能しはじめることを知って 驚くだ
ろう。
少しでも醒めれば、第三の目にある小さな緊張に気付くだろう。
あなたが注意深くなるたびに、第三の目の緊張はつのってゆく。
何かが第三の目のなかで脈打ちはじめる。 何かが第三の目のなかで鼓動しはじめる。
ひとたび覚醒アウェアネスが第三の目を機能させたら、 ひとたび覚醒が第三の
目のなかに入り込み、第三の目が機能しはじめたら、 それが息つ”くようにな
ったら
・・・ ヒンドゥー教徒がそれを「チャクラ」と呼ぶのはそのためだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

130 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/11(火) 22:54:57 ID:1d4drIFg0
>>128 そうじゃ、全て一つなのじゃ。
 一つの意識があるだけなのじゃ。
 全ての法はそれにたどり着くためにのみあるものじゃ。

131 避難民のマジレスさん :2018/12/12(水) 01:28:06 ID:LC3de7YgO
>>129
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

チャクラとは車輪を意味する。その車輪はエネルギーを必要としている。
ひとたびエネルギーが入ってくると、その車輪はまわりはじめる。
”まわる”とは、それが機能しはじめるということだ。 そうなったら、あなた
の実存に偉大な革命が起こる。 低次の心臓ハートはただちに高次のハートにひ
ざまつ”く。
高次のものが訪れると、低次のものはつねにひざまつ”く。
低次のものが支配するのは、高次のものが不在のときだけだ。
それが真の宗教と偽の宗教の違いだ。偽の宗教はあなたがたに言う。
「自分自身を統御しようと努力しなさい。これをやりなさい。それをしてはい
けない。自分の感覚を統御しなさい。自分の肉体を鍛錬しなさい」と。
真の宗教は言う。
「ただ第三の目のなかに入ってゆきなさい。
そして霊的なハートを働かせるのだ。
そうすればすべては統御される。 そうすれば規律はすべて整う。
主人を到着させなさい。 そうすれば、即座にすべてが落ちつくだろう」
両目は、左右の大臣がこころを尽くして君主を補佐するように光を巡らせはじ
める。
中央の支配はこのようにして整い、反抗する英雄たちはみな槍を倒して列席し
、進んで命令に従う。
主人を招き入れるだけでいい。
そうすれば、自分の生に秩序をつくりだそうと努める必要はない。
品性を培う必要はない。品性のことは心配しなくてもいい、と私が言うのはそ
のためだ。
もてるすべてのエネルギーをもっと意識することに注ぎ込むだけでいい。
影があなたにつき従うように、品性は意識の後からついてくる。
品性を培おうと努力すれば、あなたの品性は偽物に、まがいものになり、あな
たは偽善者になってしまう。それは<究極なるもの>に到る道ではない。

生命の仙薬への道は・・・を至上の秘術として知っている。
これは至上の秘術だ。これを「秘術」と呼ぶのはなぜか?
ひとたび高次のハートが働きはじめたら、魔法のような奇跡が起こるからだ。
あなたの感覚にはまったく秩序がなかった。
あなたの心マインドはつねに混乱していた。
あなたはつねに「これをするべきか、それともあれをするべきか?
生きるべきか、それとも死ぬべきか?」とためらっていた。
あなたは絶えず「どこへ行くべきか?何を選ぶべきか?」と緊張していた。
すると、突然、誰かが奇蹟を行なったかのように、いっさいの混乱が消え、明
晰さが生まれ、生は透明になる。
あなたは為すべきことをただやる。実際、ひとたび天上のハートが機能しはじ
めたら、あなたがすることはすべてよい。
あなたはあやまちを犯せない---それは不可能だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

132 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/12(水) 22:53:36 ID:1d4drIFg0
眉間に集中するのは本来ヨーガの法なのじゃ。
集中していればサマーディに入るのじゃ。
そこまでいけば智慧も生じて観察力も高まるのじゃ。
なかなか難しいことではあるがのう。
光を巡らす事で容易になるというのじゃ。

133 避難民のマジレスさん :2018/12/13(木) 05:51:09 ID:LC3de7YgO
>>131
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

生命の仙薬への道は・・・を至上の秘術として知っている。
そして、この至上の秘術には三つの構成要素がある。

種子の水、精神の火、思考の土---これらは道教の象徴だ---これら三つのものを
至上の秘術として知っている。
種子の水とは何か?それは真実にして一なる気(エロス)のことだ。
精神の火とは光(ロゴス)、思考の土とは直観のことである。
あなたはこれら三つのものを理解しなければならない。
種子の水とはエロス、今あなたが性エネルギー、性愛のエネルギーとして知っ
ているエネルギーのことだ。
今現在、それはあなたにもめごとしか引き起こさない。
今現在、それはあなたの友人のふりをしているが、いずれ敵であることがわか
ってくる。
その後を追えば追うほど、あなたはますます惨めになってゆく。
愛は盲目だと言われるのはそのためだ。
ムラ・ナスルディンがよく私に言っ
ていたものだ。
「愛は盲目だけど、結婚すれば目が開くものさ」愛が盲目なのは、あなたがま
だ目をもっていないからであり、そのために大いなる祝福となりえた巨大なエ
ネルギーがたんなる惨めさになってしまう。
エロスがあなたのエネルギーだ。だからフロイトがあなたのエロス、あなたの
性エネルギーのなかにすべてを追求し探求するのは正しい。
だが、性エネルギーの通常のありようは、自然な状態ではなく倒錯した状態
であることを知らない点で、フロイトは間違っている。
自然な状態の性エネルギーは、高みへ高みへと昇ってゆく。
それは人を下方ではなく上方へと連れてゆく。
自然な状態の性エネルギーは、あなたの内側で黄金の華となる。
いわゆる通常の倒錯した状態の性エネルギーは、あなたを新しい監獄に連れ込
むだけだ。
なぜなら、それは外へ、下へと向かうからだ。
それはあなたを消耗させる。それは死をどんどん近くへ引き寄せるだけだ。
その同じエネルギーが上に向かいはじめたら、それは新しい生を、豊かな生を
もたらす。それは「生命の仙薬」になる。
まさに泥が蓮華と化しうるように---泥のなかには蓮華が、蓮華の種子が含まれ
ているように---人の性エネルギーのなかには、黄金の華の種子が含まれている。
だが、そ の エ ネ ル ギ ー が上昇すべきであって、 あ な た がそれを上
にあげることはできない。
それを上昇させようと努力する人々がいるが、彼らは性倒錯者になる他はない。
直接上昇させることはできないが、間接的に行なうことはできる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

134 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/13(木) 23:30:39 ID:1d4drIFg0
三つの要素とは精気神と呼ばれるものじゃ。
精を練って気に変えるのを錬精化気というのじゃ。
小周天の段階なのじゃ。
次は錬気化神になるのじゃ。
気を更に回して精神のエネルギーに変えるのじゃ。

135 避難民のマジレスさん :2018/12/14(金) 05:59:05 ID:LC3de7YgO
>>134
うむ。ちょぴっとやったことあるのでありますが、気の訓練は、筋トレやスポーツ等の訓練同様、続ければ成長し、やめれば衰える。
いったんやめて、再開しようとすると、ちょぴっと出来ていた時の効果を期待して、それを最初から強く求めてしまうことが邪魔をして、最初に始めた時よりも難しくなるような気がするであります。
何でも継続するのが肝心でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

136 避難民のマジレスさん :2018/12/14(金) 06:15:32 ID:LC3de7YgO
>>133
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第二話 燃えあがる茂み(つづき)
 より抜粋

ひとたびあなたの第三の目、あなたの霊的なハートが働き出したら、 エネルギ
ーはひとりでに動きはじめる。
あなたが第三の目をつくりだすと、 エネルギーはまるで磁石に引きつけられ
るようにそれに向かってゆく。
今現在、あなたのエネルギーは外に向かっている。
なぜなら、あなたが 内側にもっている磁石よりはるかに大きな磁石が外にある
からだ。
美しい女性を目にすると、エネルギーは外へ動きはじめる。
その女性は磁石のように作用する。
第三の目が機能しているときには、誰も
外に引き寄せる ことができないほど
強力な磁石があなたにそなわっている。
要は外側にある磁石よりも強力な磁石を内側にもっているかどうかだ。
そうなったらエネルギーは上へ、内へと向かうようになる。
外へ向かえば、あなたは二元性の世界に入ってゆく。
内へ向かえば、不二の世界に入ってゆき、あなたは無極になる。
これこそまさに私が「超越の心理学メタ・サイコロジー」あるいは 「ブッダの
心理学」と呼んでいるものの土台をなすものだ。
これが純粋な宗教だ---儀式の宗教ではなく、純粋な宗教だ。
これはキリスト教やヒンドゥー教とは無縁であり、 あなたのエネルギーの源泉
に関わるものだ。

二番目は精神の火だ。
それは光、ロゴス、すなわち顕在意識だ。
上昇する気、エロスは、人を顕在意識と無意識の彼方へと連れてゆく。
ロゴスとは顕在意識だ。
それは心理学であり、科学だ。

思考の土とは闇、無意識、直観のことだ。 これは超心理学パラサイコロジーであり芸術アートだ。
思考の土は直観、闇だ。
女性は思考の闇、直感的な洞察力のなかで生きている。
女性は無意識、非論理的な存在として生きている。
男性は精神の火、ロゴス、論理、顕在意識のなかで生きている。
芸術家は女性的であり、科学者は男性的だ。
そして種子の水、エロス、一なる気は不二だ。
それはあなたを芸術の彼方、科学の彼方へと連れてゆく。
それはあなたを意識と無意識の彼方へと連れてゆく。
それはあなたを男を超えた世界、女を超えた世界へと連れてゆく。
それはあなたを不二なるもの、超越的なものへと連れてゆく。
だが、その秘術の奥義は、あなたの両目のあいだにある天上のハートを働かせ
ることにある。
それが働くように助ける具体的な方法については後で触れよう。』
(´・(ェ)・`)
(おわり)

137 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/14(金) 23:01:51 ID:1d4drIFg0
>>135 そうじゃ、日々続けることが大事なのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

精を気に変えて暫くするともはや気だけが体をめぐるようになるというのじゃ。
更に神に変えると常にサマーディに入っているのと同じ状態になるのじゃ。
そこまでくればもはや完成は目前なのじゃ。
最後には錬神還虚になるのじゃ。
神を鍛錬して虚に還るのじゃ。

138 避難民のマジレスさん :2018/12/15(土) 05:23:41 ID:LC3de7YgO
>>136
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ
 より抜粋

肉体のなかには魄アニマが存在する。魄アニマは女性(陰)であり、意識の基
体である。

けれども、これとともに魂アニムスが存在し、そのなかに精神が潜んでいる。
魂アニムスは両目のなかにあり、ものを見、夢を見る。
だが、暗く沈み込み、みずからの肉体の形に幽閉されている者はみな、魄アニ
マに束縛されている。
それゆえに、光を巡らせることで魂アニムスの集中が起こり、 そのようにして
精神が保持され、魄アニマは克服される。
この世を超脱するために古人が用いた技法は、純粋に創造的なものに還るため
に暗黒の滓カスをすべて溶かし尽くす。
これは魄アニマの力を削ぎ落とし、魂アニムスの力を完全にすることに他なら
ない。
光を巡らせることは、暗黒を縮小させ、魄アニマを制する力を獲得する秘術で
ある。
この技法に従うなら、種子の水はおのずから豊かになり、精神の火は燃えあが
り、思考の土は固まり結晶化するだろう。
このようにして聖なる果実は熟す。
一なる本性が創造力の宮殿に降りると、それは分かれて魂アニムスと魄アニマ
になる。
魂アニムスは天上のこころハートに住む。 それは光の性質を有している。
それは軽く、清らかなものの力である。
それは我々が大いなる虚空から得てきたものであり、 原初の始まりと同じ形を
している。
魄アニマは暗黒の本性を有している。
それは重く、濁ったものの力である。
それは物質的な肉体の心臓ハートに縛りつけられている。
魂アニムスは生を愛し、魄アニマは死を探し求める。
すべての感覚的欲望と怒りの衝動は魄アニマの作用である。
だが、学人が暗い魄アニマを完全に蒸留してしまえば、それは純粋な光に変容
する。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

139 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/15(土) 23:08:06 ID:1d4drIFg0
ここでは心の働きをアニマとアニムスに例えているのじゃ。
活発な心の働きがアニムスであり、静かな働きがアニマなのじゃ。
ヴェーダの三つのグナと同じような性質の説明なのじゃ。
そのようなものが本当に心の中にあるわけではないのじゃ。

140 避難民のマジレスさん :2018/12/16(日) 13:54:20 ID:LC3de7YgO
>>138
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

『 あるとき女帝、即天武后ソクテンブコウが導師の法蔵ホウゾウに尋ねた---
法界縁起ホッカイエンギの理(宇宙的な相互依存の法則)、すなわち一と多、
神と被造物、被造物どうしの関係の原理を、具体的に、単純明快に証明して見
せることができるかどうかと。
法蔵は仕事にとりかかり、宮殿の一室を使って、八つの方位に大きな鏡を八枚
立てた。
さらに彼は二枚の鏡を、ひとつは天上に、もうひとつは床に取りつけた。
部屋の中央には天上から一本の蝋燭ロウソクがつるされた。
女帝が入室すると、法蔵は蝋燭に火をともした。女帝は叫び声をあげた。
「なんとすばらしい!なんと美しいことでしょう!」
法蔵は十枚の鏡のひとつひとつに映る炎を指さして言った。
「ご覧ください、皇后陛下。これで一と多、神とその被造物との関係は証明されます」
女帝は言った。
「まさにその通りです、師よ。では個々の被造物と被造物の関係はいかがです
か?」
法蔵は答えた。
「よくご覧ください、陛下。一枚一枚の鏡が中央の炎を映し出すだけでなく、
それぞれの鏡が他のすべての鏡に反射する炎を映し出し、それらすべてが無数
の炎をたたえています。これらの影はすべて相互に等しいものです。つまり、
ある意味では置き換えうるとも言えますし、ある意味ではそれぞれが個別に存
在しているとも言えます。これは個々の事物とそれに隣接するものとの、他の
万物との真の関係を示しています。もちろん、私はこう指摘しなければなりま
せんが、陛下」
と法蔵は続けた。
「これは宇宙の真の状態の粗雑で、大まかで、静的な比喩にすぎません。なぜ
なら、宇宙は無限であり、そのなかではいっさいのものが永久に多様な運動を
くり返しているからです」
そう言うと、導師は反射する無数の炎のひとつを覆って、一見ささいなことに
思われる個々の干渉が我々の世界の有機的統一にいかに影響を与えるかを示し
て見せた。
華厳ケゴンの教えはこの関係を次のような公式で表現する。
 一即一切(ひとつのなかにすべてのもの)
 一切即一(すべてのなかにひとつのもの)
 一即一(ひとつのなかにひとつのもの)
 一切即一切(すべてのなかにすべてのもの)
(´・(ェ)・`)
(つづく)

141 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/16(日) 23:02:40 ID:1d4drIFg0
華厳では一粒の砂に三千大千世界が入っているという。
刹那の時に永遠が在るという。
全てが観念であるからそれもありえるのじゃ。
観念のみなのじゃ。

142 避難民のマジレスさん :2018/12/17(月) 06:22:06 ID:LC3de7YgO
>>140
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

続いて法蔵は、天覧劇の幕を閉じるために小さな水晶玉を取り出して言った。
「さあ、ご覧ください、陛下。これらすべての大きな鏡と、
その鏡が反射する無数の形がこの小さな玉に映る様を。
究極の実在においては、何の障害もなく無限に小さなものが無限に大きなもの
を内に蔵し、無限に大きなものが無限に小さなものを内に蔵している様をご覧
ください!
ああ、時間と永遠が、過去、現在、未来が、互いに妨げられずに浸透し合うこ
とを証明することさえできれば。
しかし悲しいことに、これは異なった水準で把握されねばならない。
生きて躍動するプロセスなのです・・・」
人間は孤島ではない。何ひとつ孤島ではない。
あらゆるものが相互に関連し合っている。
あらゆるものが相互に依存し合っている。
独立とは、まさにその言葉からして虚偽だ。
依存もまたそうだ。相互依存が実相だ。
万物は他の万物とあまりに深く結びついているので、何ひとつばらばらでは存
在しえない。
小さな薔薇の花を余すところなく全一に理解できたら、宇宙全体を理解したこ
とになる。
なぜなら、全宇宙がその小さな薔薇の花に内包されているからだ。
もっとも小さな草の葉にさえいっさいが含まれている。
だが、覚えておきなさい---法蔵が女帝に言ったように、すべての例証、 すべ
ての描写は静的だが、<存在>は躍動する流れだ。それは川のようなものだ。
ひとつひとつの事物が他のあらゆる事物のなかに浸透し続けている。
どこでひとつのものが終わり、どこで別のものがはじまるのか、 その線を引く
ことはできない。
境界線はない--そんなものはありえない。
したがって、区別はすべてたんに実用的な目的のためにあるだけであって、そ
れらに実存的な価値はない。
これがまず最初に理解すべきことだ。
これは道家タオイストの煉丹術のまさに基礎となるものだ。
ひとたびこれを理解すれば、道家の煉丹術の全容を把握できるようになる。
そうなったら、低次のものを高次のものに変容させることができる。
なぜなら、低次のものにはすでに高次のものが含まれているからだ。
卑金属を黄金に変容させることができるのは、何ひとつ分かたれているものは
なく、低次のものにもすでに黄金が含まれているからだ。
上のごとく下もあり、下のごとく上もまたある。
あらゆるものが相互に関連し合っているというとらえ方そのものが変容を可能
にする。
事物が相互に関連し合っていなかったら、いかなる変容の可能性もない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

143 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/17(月) 23:36:17 ID:1d4drIFg0
錬金術とは鉛などの卑金属を金などの貴金属に変えることなのじゃ。
それが変じて人の肉体をも変容するものとしているのじゃ。
金は何千年も腐食しないから人の体も金のように変えれば不死になるというのじゃ。
薬物で変えるのを外丹道といいい、気の精錬で変えるのを内丹道というのじゃ。

144 避難民のマジレスさん :2018/12/18(火) 05:47:26 ID:LC3de7YgO
>>142
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

もし世界がライプニッツの言うモナド---窓がなく、ばらばらに分離し、 窓が
ないため相互の結びつきをいっさいもたない原子のような単子--- から成って
いたら、そのときにはいかなる変容の可能性もない。
あなたが私であり、私があなただから、つまり私たちが互いに浸透し合ってい
るからこそ、変容を思い描くことができる。
ほんの一瞬でも自分自身を分離した存在として考えることができるだろうか?
分離した存在としての自分など思い浮かべることもできない。
花を樹から切り離すことはできない。
切り離したとたんに、花は死んでしまう。
樹は大地から切り離せない。
地球は太陽から切り離せない。
太陽は他の星から切り離せない。
それが果てしなく続いてゆく。
葉を切り離せば、その葉は死んでしまう。
花を切り離したら、その花は死んでしまう。
樹を大地から切り離したら、その樹はしんでしまう。
地球を太陽から切り離したら、地球は死んでしまう。
死とは分離しているということだ。
生とは分離していないということだ。
それゆえに自我エゴは死なざるをえない。
なぜなら、それは自分は分離しているという観念だからだ。
みずからの自己を自我の立場からとらえることはひとえに死を呼び寄せる。
なぜなら、自我にはもはや血が通っていないからだ。
息の止まった馬に鞭を当て続けることもできるが、いつまでそうしていられる
だろう?
その馬はやがて死んでゆく。すでに息が止まってしまっているので、やがては
死んでゆく。
あなたの内側で息つ”いているものは死ぬことがない。生命は永遠だ。
だが、生命はあなたのものではない。あなたはそれを所有できない。
生命は全体に属している。生命は広大なものであり、無限なるものだ。
死はちっぽけなものであり、個的なものだが、生命は宇宙的なものだ。
だから生きているときには、あなたは宇宙の一部であり、 死を迎えるときには
、自分は分離していると思うからこそ死んでゆく。
全体の一部であると感じれば感じるほど、あなたはいっそう多くの生を得る。
イエスは言う。「私のもとへ来なさい。私はあなたがたに豊かな生を与えよう」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

145 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/18(火) 23:17:00 ID:1d4drIFg0
個我の観念を持つ者は自分を独立した独りの者としてみるものじゃ。
しかし、実際には全ては繋がっている故にそれは謬見となるのじゃ。
全てが繋がりあっている一つのものとして気付くことが正見なのじゃ。
それこそが真の不死の境地なのじゃ。

146 避難民のマジレスさん :2018/12/19(水) 00:58:02 ID:LC3de7YgO
>>144
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

豊かな生の秘密とは何か?
その秘密はこれだ--- 自我エゴとして死に、分離した実体としては消えなさい。
そうすれば 全宇宙と宇宙のなかに含まれるいっさいのものがあなたのものになる。
所有すれば、あなたはちっぽけなもの、有限なものになり、 やがては死ななければ
ならないことになる。
もっといきいきとする秘訣は、ひとえに 分離という観念を落とすことから成って
いる。
そしてそれが起こるたびに、あなたは 内側で生が炎のように燃えあがるのを感じ
る。
たとえそれが小さな規模で起こっても・・・ 誰かに恋をしても、あなたの内側では
生が燃えあがる。
大したことが起こっているわけではない。 たかだか二人の人間が一体感を味わって
いるだけだ。
愛から教訓を学ぶがいい。
二人の人間が一体感を味わうだけでも、大きな喜び、大きなエクスタシーが生まれ
てくる!
考えてもみるがいい。
全体と恋に落ちたら、どんなに大きなエクスタシー、 どんなに大きな喜びが起こる
ことだろう?
それが豊かな生、限りなき生だ。
自分自身を分離させると・・・ときおり自己中心的に生きるあまり、愛することが
できない人たちがいる。
彼らはこの世でもっとも惨めな人々だ。
私は地獄をこう定義する--- 分離した状態で生きることが地獄だ。
分離のない状態で生きることが天国だ。
全体のなかへ完全に跡形もなく消え去ることが 解脱モクシャ、にゃはんニルヴァー
ナだ。
それは究極の自由だ。
理解すべき第二のことがらは、生には極性があるということだ。
これもまた道家の人々の姿勢アプローチの基盤そのものをなしている。
だが、この極性は対立するものではない。
極性とは対立物が互いに補い合っているということだ。
それらは互いに支えあっている。
生は死なくしては存在しえない。
だから死は敵ではない。
生が死なくして存在しえないとしたら、どうして死が敵でありえよう?
死は友であるはずだ。
死は生の下地を用意する。
死は生を助け、生を喚起し、生に挑みかけてくる。
考えてみるがいい。
肉体が永遠に生きることになれば、 人はまったく生きようとせず、あらゆることを
無限に先に延ばしてしまう。
「明日があるなら、なぜ今日愛さなければならないのか? 明日が無限にあるなら、
なぜ気にかけるのか? なぜ今日踊るのか?明日にしようじゃないか」
思い浮かべてみるがいい。 肉体の生命が永遠なものになるなら、人はいつまでも
先に延ばしてゆくだろう。
先に延ばすことができないのは、 明日が来るかどうか確信をもつことができない
からだ。
次の息が入ってくるかどうか誰にもわからない。
だから先に延ばすのは愚かな者たちだけだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

147 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/20(木) 00:04:30 ID:1d4drIFg0
分離とは個我があるという認識なのじゃ。
世界とは別の自分という個体が在るという謬見なのじゃ。
世界と対峙している故にそれは全てが苦になる観念なのじゃ。
世界とは別のものであるから 孤独が常にあり、恐れや不安も常に在るのじゃ。
それがなければ全ては一つであり、安楽になるのじゃ。

148 避難民のマジレスさん :2018/12/20(木) 01:23:59 ID:LC3de7YgO
>>146
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

賢者は生きる、賢者は今ここを生きる。
彼には先に延ばしてゆくひまがない。
なぜなら、彼は 「この瞬間だけが私のものだ。 まさにこの瞬間だけが私のもの
だ。 次の瞬間は来るかもしれないし、来ないかもしれない。 どうして先に延ば
せるだろう?どうして 明 日 などと言えるだろう?」 と知っているからだ。
愚か者は明日まで延ばす。
賢者は今を生きる。
賢者は今より他の時間、ここより他の場所を知らないが、 愚か者は永遠に先に
延ばすことができたものに入り込み、 たった今それを生きる。
腹が立つと、その怒りをたった今生きる。
やさしい気持ちになると、彼は「明日にしようじゃないか」と言う。
愚かなことばかりをやり続け、輝かしいことはすべて先に延ばし続けてゆく。
賢者もまた先に延ばすが、彼は愚かなことだけを先に延ばす。
グルジェフはよく弟子たちにこう言っていた。
「祖父が死んだとき、私はわずか九才だった。 彼は死の床に私を呼び寄せると
、耳元でこうささやいた」
老人はこの少年をこのうえもなく愛していた。
彼はこの少年に潜む力を見抜いていたにちがいない。 彼は少年の耳元でささやい
た。
「おまえにあげるものは何もないが、ほんの一言だけ忠告しておこう。 今のお
まえにそれが理解できるかどうかわからない。だが、覚えておきなさい! いつ
かおまえも大きくなったら理解できるようになるかもしれない。 とにかく覚え
ておきなさい。単純な忠告だ。 何かよくないことをしたくなったら、それを二
四時間先に延ばしなさい。そして 何かよいことをしたくなったら、たとえ一瞬
といえども先に延ばしてはいけない。腹を立て、暴力的になり、攻撃的になり
たくなったら、二四時間待ちなさい。 やさしい気持ちになり、分かち合いたく
なったら、 一瞬といえども先に延ばしてはいけない。ただちにその場で、それ
を生きなさい!」
グルジェフはよく弟子たちに、「あの簡単な助言が私の人生をすっかり変えて
しまった」と言っていた。
腹を立てるのを二四時間先に延ばせるのだったら、 どうして腹を立てたりでき
るだろう?腹の立てようがない。
それを二四時間先に延ばすことができるほど穏やかで平静にしていられるなら、
もうそれだけで腹が立たないことはあきらかだ。
二四時間先に延ばすことができるなら、どうして腹など立てられよう。
二四時間も黙想すれば、その馬鹿らしさ全体がはっきり見えてくる。
ことの全体がくだらなく見えてくる。
グルジェフはこの単純な忠告のおかげですっかり変容した。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

149 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/21(金) 00:35:39 ID:1d4drIFg0
時間とは観念であり本当は無いものじゃ。
刹那しかありえないのじゃ。
全ての者は刹那毎の時間を生きて記憶に拠ってそれを繋げているだけなのじゃ。
永遠とは常に今ここにあることなのじゃ。

150 避難民のマジレスさん :2018/12/21(金) 06:16:50 ID:LC3de7YgO
>>148
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

ときとして、ごく単純なメッセージが人を変容させることがある。
だが、あなたはそれを生きなければならない。
生は死があるがゆえに存在する。 死は生に強烈さを与える。
死は生に挑みかけてくる。
生きるように、それも最大限に、最善を尽くして生きるように 人を奮い立た
せる。
というのも、誰にもわからないからだ---明日などないかもしれない。
死はつねに人を奮い立たせている。
生きるように、全身全霊で生きるように駆り立てている。
だとすれば、死は生の敵ではなく友だ。
対極をなすものはすべてそうだ。
否定と肯定、愛と憎しみ、美と醜さ、昼と夜、夏と冬。
男と女の場合にもそれは当てはまる。
男は女なしでは存在しえない。
女は男なしでは存在しえない。
それらは弁証法的なプロセスの一部だ。
これら二つの極のあいだには、魅惑と反発の両方がある。
魅惑と反発は切り離すことができないからだ。
人が女性、あるいは男性に惹かれながらも 同時に反発を感じるのはそのためだ。
あなたの一部はその女性と一緒にいたがり、 あなたの一部は独りでいたがる。
あなたはいつもためらっている。
女性、あるいは男性とともにいると、独りでいる自由にあこがれはじめる。
突然、むしょうに独りに、自由になりたくなる。
だが、この自由でいたいという欲求がどこから来るのかわからない。
相手の男性、あるいは女性がそれを喚び起こしている。
相手から離れたとたん、この欲求、このあこがれ、 独りでいたいというこの大
きな渇望は消え失せてしまう。
そうなったら、あなたは驚く、本当に驚く。
独りでいると寂しいだけだ。
あなたは予想していた喜びを感じない。
自由はどこにも見当たらない。
自分を取り巻く寂しさに気付くだけだ。
あなたの全存在が冷たくなり、凍りつき、暗くなる。
再び誰かと一緒にいたいという欲求が生まれる。
あなたは今度は愛を、ともにあることを渇望する。
これが男と女のあいだにある問題だ。
彼らは惹かれながらも反発する。
一緒になりたいのだが、一方では相手に頼らず、離れて、独りでいたい。
男と女のあいだに絶え間ない葛藤があるのはそのためだ。
結婚とは愛と憎しみの関係、魅惑と反発の関係、魅惑と反発の関係だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

151 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/22(土) 00:53:38 ID:1d4drIFg0
人が集まればそこに争いがおこるものじゃ。
そして仲直りしてまた喧嘩して仲直りしたりするのじゃ。
いつも同じことの繰り返しなのじゃ。
それが歴史として残されるだけなのじゃ。

152 避難民のマジレスさん :2018/12/22(土) 05:53:21 ID:LC3de7YgO
>>150
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

男と女が争わないでいようと決めてしまっているとしたら、 そんな結婚はまが
いものだ。
彼らは一緒にいる、なんとか一緒にいるかもしれないが、 本当にはけっして一
緒にいない。 けっして一体となる瞬間を知ることはない。
彼らはふりをしているだけだ。
上品に振る舞ってはいるが、真実ではなく、本物ではない。
結婚とは一種の親密な敵対関係だ。
それは親密な敵意であり、友好的な闘いであり、戦争だ。
もちろん二つの戦争のはざまには平和な瞬間もある。
それらの瞬間は二つの戦争ゆえに美しい。
恋人たちは争い続ける---そのようにして愛の炎を燃やし続ける。
ひとたび争うと、恋人たちは互いに離れてゆく。
心理的に、互いに遠く離れてしまうと、相手を強く求めはじめ、 相手が恋しく
なってくる。
そうなると彼らは相手を求め、手探りをしはじめる。
やがて二人は近つ”いてきて、寄り添う

なぜなら、彼らはちょっとした孤独を味わったからだ。
今度は近くに寄り添っていたい。
が、親密さを味わってしまうと、彼らは再び離れたくなる。
だから心配しなくてもいい。それは基本的な現象だ。
あなたはそれから逃れられない。
逃れる唯一の方法は真実の結婚ではなく、みせかけの結婚をすることだ。
「互いに礼節をわきまえよう」と。それは一種の契約だ。
「私にはあなたが必要であり、あなたには私が必要だ」という。
つまり「あなたの背中をかいてあげるから、私の背中をかいて」 というそれだ
けのことだ。
「私にはあなたが必要であり、 あなたには私が必要なのだから、あなたは私の
身柄を引き受け、 私はあなたの身柄を引き受ける」という。
それは法律上の契約ではあっても、結婚ではない。
これが経文に入ってゆく前に理解しておかねばならない 二番目に重要なこと
がらだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

153 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/22(土) 23:01:34 ID:1d4drIFg0
人が他人を愛するのは孤独があるからなのじゃ。
孤独からの逃避として愛し合い、結婚したりするのじゃ。
逃避がなくなればそれも虚しいと知れるのじゃ。
全てはかなく消えていくものであるからのう。

154 避難民のマジレスさん :2018/12/23(日) 00:11:48 ID:LC3de7YgO
>>152
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

そして第三の最も重要なことがら---三番目に重要なのは、 男は単に男ではな
いし、女は単に女ではないということだ。
男は両方であり、女も両方だ。男女ともにその両方だ。
男性の内側には女性がいるし、女性の場合もそうだ。
女性の内側にも男性がいる。だから外見が男であるか女であるか だけが問題な
のではない。
それは内なる現象でもある。
なぜなら、外界と内界は対応するからだ。
先に私が「下のごとく、上もまたある」と言ったように、 「外のごとく、内も
またある」と言うことができる。
あなたの内なる現実もまた、あなたの外なる現実と同じだ。
それらは対応している。
それらは均衡を保っている。
さあ、そうなるとますます複雑になってくる。
どの男性も内側に女性を抱えていて、 その女性と折り合いをつけねばならな
いからだ。
それはたんに外界に愛する女性がいるといった問題ではない。
そうだとしたら、ものごとはもっと単純だっただろう。
二人が愛し合っているとき、実際には、そこに四人の人間がいる--- どのベッ
ドのなかにも四人の人間がいる。
この複雑さがわかるだろう。
二人が愛を交わすとき、そこでは必ず四人の人が愛を交わしている。
つねにグループセックスだ。
なぜなら、男性の内側には女性がいて、 女性の内側には男性がいるからだ。
人はみな男と女の結婚から生まれてくるのだから、何の不思議もない。
父親の何かがあなたのなかにある---それは五十パーセントだ。
母親の何かがあなたのなかにある---それは五十パーセントだ。
ひとりひとりに父親が寄与し、母親が寄与している。
あなたは生物学的には男性かもしれない。
だが、それはたんに あなたの肉体が男性の機能をそなえていることを示してい
るだけだ。
精神の奥深くでは、あなたは男でもなく女でもない、あなたはその両方だ。
だから私は言う。もし、ひとつの言葉で男と女の両方を言い表さなければなら
ないとしたら・・・今まで私たちは man を使ってきた。
つまりその言葉には両方が含まれているということだ。
それはたんに 過去においては男性が大きな支配力をふるっていたからにすぎな
い。
だが将来は、振り子はもうひとつの極に振れるかもしれない。
そしてそのほうがはるかに真実だ。
なぜなら man という言葉には 女性が含まれていないが、woman という言葉に
は男性が含まれているからだ。
両方を表す用語としては woman を使うほうがいい。
そして同じことが he と she の場合にもあてはまる。
she には he が含まれているが、he には she が含まれていない。
両方を表すためには she そして、woman を使うほうがいい。
神を表すためには he よりも she を使うほうがいい。
だが、男女ともに内側に異性を抱えている。
このために、内部 にあるこの根源的な二元性ゆえに、同性愛が起こりうる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

155 避難民のマジレスさん :2018/12/23(日) 09:50:18 ID:LC3de7YgO
>>154
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

あなたは外見は男であっても、内界に住む内なる女性に同調してゆくようにな
るかもしれない。
そうなったとしても問題はない。
あなたの精神は自由なままだ。
それは内界で内なる男性に同一化 することもできるし、内なる女性に同一化す
ることもできる。
肉体は男性であっても、内なる女性に同一化するなら、その結果として同性愛
が起こってくる。
それは様々な形で起こりうるし、様々な理由によって起こりうる。
つまり同性愛はこの内なる二元性ゆえに起こりうるということだ。
今や科学はあなたの性を転換させることさえできる。それもまた可能だ。
なぜなら、道家の人々が見い出したものは科学的にも正しいことが判明してい
るからだ。
今やホルモンや化学物質をわずかに変えるだけで 、男は女になり、女は男にな
ることができる---肉体ですらもだ。
これはまさに人間が男女両性であることを示している。
肉体の違いでさえ、たんにどちらの性が強いかということにすぎない。
ときには性の転換がひとりでに起こることもある。
女性が男性になったり、男性が女性になったりすることがある。
性差というのは大きなものではないにちがいない--- ごくごくわずかなものな
のだろう。
五十一パーセントが男であり、 四十九パーセントが女であるというように。
比率がわずかに男性の側に片よっている
にすぎない。
一生のうちに性が変わることはありうることだ---新しいホルモン、 新しい食
べ物、新しい風土、新しい環境、病気か何かがバランスを変え、男が女になっ
たり、女が男になったりすることはありうる。
今では、科学は性転換が簡単に行なえることを知っている。
未来の人々は頻繁に性転換を行なうようになる確率が高い。
一生の内に両極を生きることができるなら、やってみるのも悪くない。
男女両方の見方を楽しめるなら、やってみても悪くない。
人間はもっと多くの自由を得るだろう。
三十五年間、男として生きてきたのだからもう充分だ。
女性の側からは、どのようにものが見えるのかを見てみたい。
向こうからものがどのように見えているかを知るには、 相手の側になってみる
のが一番だ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

156 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/23(日) 22:48:14 ID:1d4drIFg0
要するに誰の心の中にも受動的な意識はあるというのじゃ。
それを受け入れ、認識して修行に役立てるのじゃ。
受動性を極めるというのが道家の修行なのじゃ。
それを解説しているのじゃ。

157 避難民のマジレスさん :2018/12/24(月) 00:56:01 ID:LC3de7YgO
>>155
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

私が何千人もの人々を観察してきたところでは、現世で男であれば、 その人は
来世では女として生まれる。そしてその逆もいえる。
その理由は単純だ。人は男であることに、あるいは女であることに 飽きて、深
いところでもうひとつの極にあこがれはじめる。
そして当然、 性を変えたいというこの大きな欲望ゆえに、来世では別の性に生
まれる。
三つの基本原理がある。
ひとつめは、あらゆるものが相互に依存し合っているということ。
二つ目は、生は両極に分かれていて、この両極は 反発するのではなく互いに補
い合うということ。
三つ目は、それぞれの内に両極が含まれており、 単極で存在するものはないと
いうこと。
インドにはアルダナーリシュヴァルという概念がある。
これは道家の方法論アプローチに相当するものだ。
シヴァ神は男の半身と女の半身の両方をもつ者として像に刻まれたり、 絵に描
かれたりしている。
彼の半身は男性であり、半身は女性だ。
これらの像が西洋人の目にはじめて触れたとき、彼らは笑った--- それはとて
も馬鹿馬鹿しいものに見えた。
この像は何を意味している のだろう?
今では西洋人たちもその意味を理解している。
それは生の最も基本的なことがらのひとつだ。
あなたがたもそうだ。
シヴァ神と同じように、半分と半分だ。
これらの経文は極性に関わっている。
そしてこの内なる極性を越えてゆかないかぎり、 あなたは一なるものに達する
ことなく、二つに分かれたままだ。
二十四時間のあいだに、あなたはひとつの極から別の極へと何度も移り変わる。
見守ってみるがいい。あなたは男かもしれないが、ひじょうに女性的になり、
すぐに傷ついてしまうときがある。
あなたは女かもしれないが、日中に ひじょうに男っぽくなるときがある。
女性が男性的になるときには、彼女はこのうえもなく攻撃的になる--- 男がと
ても太刀打ちできないほど攻撃的になる。
それは女性の攻撃性が、人が手をつけていない原野のように、ごく新鮮で、使
い古されていないからだ。
そして、それは男の場合にも当てはまる。男がやさしくなるときには、 彼は本
当にやさしくなる、女よりもやさしくなる。
なぜなら、 それは原野であり、彼の実存のその部分は使い古されていないからだ

それは新鮮で、ひじょうにいきいきとしている。
だから、あなたが もう少し注意深くなれば、この奇妙な現象を何度も何度も目
にするだろう。
女性は概して愛情に満ちているが、男性は概して冷淡だ。
女性はまれにしか言い争うことはないが、そうするときには徹底している。
男が愛情深くなることはめったにないが、そうなるときには徹底している。
それは彼らの実存の使い古されていない部分だ。
それらが使われるときには、みずみずしさがある。
この内なる極性ゆえに、人は一種の苦悶、葛藤のなかに 置かれているが、人は
それなくしては存在しえない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

158 避難民のマジレスさん :2018/12/24(月) 08:27:07 ID:LC3de7YgO
>>157
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

<一なるもの>は不可視のままだ---神が目に見えないのはそのためだ。
目に見えるものとなるため、<一なるもの>は二つにならなければならない。
黒板に白いチョークで書かなければならない。
そうしてはじめてこれらの言葉は目に見えるようになる。
存在するために、人はコントラストを必要とする。
昼間は星が見えず、 夜間に見えるのはそのためだ---夜の暗闇が背景となってい
る。
昼間でも夜と同じ数だけ星はある---星はどこかへ行ってしまう わけではない
、どこにもゆくはずがない。
星は同じ位置にある。
夜になるとやってきて、昼になるとどこかへ姿を隠すというわけではない。
星は同じ位置にあるのだが、昼間はコントラストが欠けている。
だから星を見ることができない、それは目ではとらえられない。
神は不可視だ。
神は二つに、男と女にならなければいけない。
物質と精神にならなければいけない。肉体と魂にならなければいけない。
これとあれにならなければいけない。二つのものだけが目に見えるからだ。
世界は”二つのもの”から成り立っている。世界は二元的だ。
この二元性を<一なるもの>のなかに消し去らせることができるなら、そのとたん
に、あなたは目に見えなくなる。
この言葉には深い含みがあるが、それはあくまでも隠喩だ。
老子の姿が見えなくなるとか、私の姿が見えなくなるという意味ではない。
あなたがたはずっと私を見ているが、それでも こ の 私 を見てはいない。
その部分は不可視のものになっている。
内側では両極が消え失せ、二元性はもはやそこにはない。
二元的なものだけが見ることができる。
非二元的なものは目に見えなくなる。
神は二つにならなければならない。
そうしてはじめてゲームが、遊戯が可能になる。
古代インドの聖典には「彼は深い孤独を感じた」と書かれている。
「彼」とは神のことだ。彼は深い孤独を感じた。
彼は他者に恋い焦がれ、そのために二つになった。
彼は男と女になり、雌牛と雄牛になり、そしてその分裂が延々と続いてゆく。
森羅万象のすべてが性的だ。「性的」という言葉で私は二元性を意味している。
森羅万象のすべてが性的だ。いずれ科学は、男の惑星があり、女の惑星がある
ことを発見するだろう。
そうであって当然だ。古代の占星術はそう言っている し、私はそれにまったく
異論がない。
あらゆるものが二元的だ。
太陽が男性の象徴とされ、月が女性の象徴とされるのはそのためだ。
それは詩ではない。それは事実だ。
科学はまだそれを発見していないかもしれないが、そうであるにちがいない。
あらゆるものが二元的だとすれば、例外などひとつもありえない。
女性あるいは男性に惹かれることで、人は人としての姿を取り続けている。
さあ、これでなぜ、いつの時代にも偉大な神秘家たちが性超越の方法を説いて
きたかが理解できるだろう---性を超越しないかぎり、神への参入は起こらない。
性を超越しないかぎり、けっして”二”の超越は起こらない。
人は二元的な世界につながれたままだ。
”世界”とは姿を顕した神のことであり、 ”神”とは再び姿を潜めた世界のこ
とだ。
それもまた二元に---姿を顕した状態と姿を潜めた状態に分かれている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

159 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/24(月) 22:48:23 ID:1d4drIFg0
観念は常にものごとを分けることで認識するのじゃ。
上と下、右と左というようにのう。
分けて認識するから分別というのじゃ。
分別が無ければ観念も無くなり、上下左右も同じ一つのものとなるのじゃ。

160 避難民のマジレスさん :2018/12/25(火) 06:56:37 ID:LC3de7YgO
>>158
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

キリスト教神学の見解はあまり深くはない。それはきわめて表面的だ。
キリスト教神学には創造しかない。破壊はどうなるのだろう?
破壊なくしてどうして創造がありえるだろう?
東洋の神学にはその両方 がある。
スルシュティは創造を意味し、プララヤは破壊を意味する。
神が姿を顕す瞬間があり、神が再び姿を潜める瞬間がある---最初に語ったよう
に、人間と同様、あらゆるものが<無>のなかに消えてゆき、ゼロになる。
恋人とともにいると、人はうんざりして、瞑想をしたくなり、ヒマラヤへ 行き
たくなる。
神もまた世界にうんざりしてしまう。
それは自然のなりゆきだ。
神は休息を取りたくなる。
そこで神は<一なるもの>のなかへ消えてゆく。
続いて溶解が起こり、あらゆるものが消え失せてゆく。
だが人はいつまでヒマラヤの洞窟に座っていられるだろう?
神ですらうんざりしてしまう。
神は再び相手を探し求めだし、創造に着手する。
それとまったく同じことがひとりひとりの魂のなかでも起こる。
あなたは生を生き、疲れて、生を離脱したくなる。
あなたは肉体を使って生きてきたが、疲れてしまっている。
あなたは今度は肉体を超越したくなる。
そうなったら、あなたは なぜ私が
「世間を恐れてはいけない。世間から逃避してはいけない」 としきりに言うの
か理解できるだろう。
なぜなら、世間こそ真の放棄が起こる場所に他ならないからだ。
それは一方の極だ。
私が「女性あるいは男性から逃げ出せ」 と言わないのはそのためだ。
逃げ出したら、思いは消えずに残る。
逃げてはいけない。それをとことん生き抜くのだ。
世間にどっぷり身を浸していると、 「もう充分だ、消え去って完全な孤独の
なかに入ってゆきたい」 という感覚が起こりはじめる。
人は本当に疲れ果てて はじめて完全な孤独のなかに入ってゆくことができる。
人々はきっと私を誤解することだろう。
インドで私ほど誤解されている者はいない。
彼らは私が人々に 耽溺することを教えていると思っている。
私は放棄を教えている。
彼らは私が世俗的なサニヤスを教えていると思っている。
彼らは理解していない。
私が教えているのは 真 の サニヤスだ。
真のサニヤスは世俗的な経験を経てはじめて生まれてくるものだからだ。
真のサニヤスはヒマラヤの洞窟のなかでは起こりえない。
それは本物ではなく、押しつけられたものだ。
人は深いところでは世俗的なままであり、 世間にあこがれ、世間を夢見続けて
いる。
世間を生きなさい。とことん生きなさい。そうすれば、 うんざりし、疲れ果て
、あなたは世間にけりをつける---とことん生きれば、ある日突然、世間はいっ
さいの意味を失い、放棄が起こっている。
私にとって、真の放棄は俗世の只中マーケットプレイスで起こる、 俗世の只中
においてはじめて起こる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

161 素人A :2018/12/25(火) 09:02:04 ID:gOqWUDAs0
あのトランプさんでも多数決で大統領に選ばれたし、いま多数決では
キリスト教やイスラムきょうは仏教より人が多いし民主主義では
世界で覆い張りまあしかたない。あの世は神さんの言う事聴かないと
永遠の地獄や墓の中?でも仏教やヒンズー今日は皆の内に自燈明がある。
産めよ増やせよで多数決の信者の数増やすのもまあ良いけど?

162 素人A :2018/12/25(火) 09:17:38 ID:gOqWUDAs0
多数決多数決 数増やさないと団体では威張れない世 創価学会も
自民党に憑く世

163 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/25(火) 22:22:02 ID:1d4drIFg0
世間を出ることを出家というが未練が残れば執着もありつづけるのじゃ。
それは悟りの障害にもなるものじゃ。
世間に対して本当に絶望すれば真の出世間もできるのじゃ。
そのようにして俗世を放棄すれば執着もなく、悟りの道に専念できるのじゃ。

164 避難民のマジレスさん :2018/12/25(火) 22:40:04 ID:LC3de7YgO
>>160
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

さて経文だ---
肉体のなかには魄アニマが存在する。魄アニマは女性(陰)であり、意識の基
体である。
生けるものすべてのなかにアニマが存在している。
アニマとは女性原理、受動的な原理、不活性の原理、女性、陰・・・それは意
識の基体である。
それは意識そのものではなく基体だ。それなくして意識は存在しえない。
それは物質そのものであり、意識の住処スミカだ。
それなくして意識は宿ることができない。
女性・・・いいかね、私は「女性」という言葉でたんに女性たちを指している
のではない。私は女性原理のことを言っている。
このことを絶えず覚えておくように。
そうしないと、道家の人々が女性に反対しているように感じはじめるかもしれ
ない。
そうではない。彼らは支持するとも反対するとも言ってはいない。
ただ描き出しているだけだ。
また彼らは男を支持するとも女を支持するとも言ってはいない。
彼らは女性性の原理と男性性の原理について語っている。
肉体のなかには魄アニマが存在する。
魄アニマは女性(陰)であり、意識の基体である。
それゆえに、この女性原理ゆえに、女性は自分の身体に過度の愛着をもち続け
る。
男は自分の身体にあまり執着しない。
男は自分の身体にはまるで無頓着だと言ってもいい。
もしまわりに女性がいなければ、男はほこりにまみれて、薄汚くなるだろう。
部屋が汚くなっても、まるで気付かないかのようだ。
部屋に入れば、男がひとりで暮らしているか、それとも家に女性がいるか一目
でわかる。
すぐにわかる。部屋を見るだけで、男が独身生活を送っているかどうかすぐに
わかる。本には何ヶ月ものほこりが積もっている。
男は身体に、物質的な部分には気を配らない。
だが、女性は細やかに気を配る。
すみずみまで気を配る。
女性が鏡の前にじっとたたずんでいるのはそのためだ。

ある日のこと、ムラ・ナスルディンは蝿を捕まえていた。数匹捕まえたところ
で、彼は妻に言った。「二匹はメスで、二匹はオスだ」
妻は言った。「驚いたわ。どうしてオスとメスの区別がついたの?」
彼は言った。「二匹は鏡に止まっていたし、二匹は新聞を読んでいたからさ」
すぐにわかる。
女性は身体に、実体があるものに、家に強くつなぎとめられている。
男がひとりのままで放っておかれたら、せいぜいテントくらいで、家などなか
ったことだろう。
そもそも文明というものをつくりあげたのは女性だ。
家がなければ文明などなかったはずだからだ。
いいかね、家がなければ都市などなかっただろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

165 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/26(水) 23:02:17 ID:1d4drIFg0
老子の道徳経には玄牝の門から万物が生じるというのじゃ。
黒い牝とか、神秘の牝というのじゃ。
それは自らは動かないただ観るだけの意識そのものと言われるのじゃ。
ヨーガでは純粋観照者というアートマンの性質を現すのじゃ。

166 避難民のマジレスさん :2018/12/27(木) 00:07:36 ID:LC3de7YgO
>>165
ふむふむ。
玄牝、黒い牝、神秘の牝、純粋観照者、アートマンは全て自らは動かないただ観るだけの意識のことであり、主体のない意識でありますから、無我と言う以外に誤解を生じさせない表現はないのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

167 避難民のマジレスさん :2018/12/27(木) 00:18:27 ID:LC3de7YgO
>>164
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

いいかね、家がなければ都市などなかっただろう。
文明は都市のなかで発展するものだ。
「文明 civilization」という言葉自体が「市民、都市に住む人々 citizens」か
ら来ている。
女性が文明のすべてをつくりだした。
男は放浪者、さすらい人、旅人、狩人のままだっただろう。
あの場所からこの場所へと駈けずりまわっていたことだろう。
それは様々な形で見ることができる。
それは様々な形で顕れている。
西洋はより男性指向だ。
西洋人の観光客がたくさん世界中を駆けまわっている。
東洋人の観光客はそれほど多くない。
東洋はとても女性的だ。
女性は財産---家、車、土地、装飾品、衣服に執着し続ける。
これは内なる原理によるものだ。
彼女は意識の基体だ。
そして、女性なくして精神は高く舞い上がれないことを覚えておきなさい。
すばらしい詩は男性を通して生まれるが、それを引き出すのはつねに女性だ。
優れた女流詩人にはお目にかからない。
私は女性が書いた詩にざっと目を通してみた。
彼女たちは懸命に努力しているが、大した作品は生まれていない。
マドゥーリはすばらしい詩を書くが、それは「詩」と呼べるしろものではない。
女性は詩を書くことができない。
女性は詩に霊感を与えることができるというのは本当だ。
どこか背景に女性がいなければ、この世にすばらしい詩は生まれてこないだろ
う。
女性は霊感を吹き込む---彼女の存在感、彼女の愛、彼女の慈しみが詩の源にな
る。
女性は詩を書く必要がない。男が書いてくれるからだ。
だが、女性こそが霊感の源、原因、ごく微妙な原因となる。
偉大な画家になる女性はいない。
女性が絵を描かないというわけではない---とりわけ現代の女性たちは男が前か
らやってきたことは何でもやっている・・・激しい競争がある。
彼女たちは男がしてきたことはすべてしなければならないと考えている。
男性が重視されるようになったのは、そういったものごとのせいだと考えてい
る。
その論理には誤りがある。
彼女たちは男の物真似で終わるだけだ。
みずからの魂を失い、いつも二番煎じに甘んじることになる。
男の土俵で、男と競い合っても、二番煎じに甘んじるだけだ。
けっして一番になることはない。
そんなやり方で競争しても仕方がない。
男のようになっても、あなたはけっして男と同じ力を発揮することはないだろ
う。
できるはずがない。
男の背後には男性原理が潜んでいる。
あなたは醜くなり、荒々しくなり、やさしさをすっかり失ってしまう。
女性解放運動が女性たちに起こった最も悲惨な出来事だったのはそのためだ。
それはそのイデオロギーが間違っているからではなく、
その方法が間違っているからだ。
女は男と平等だが、男と何から何まで同じではないし、同じであってはならな
い。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

168 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/27(木) 23:07:53 ID:1d4drIFg0
>>166 そうじゃ、それはあるものじゃ。
 深い瞑想の境地で感じることができる意識なのじゃ。
 実践によって確かめるしかないのじゃ。
 何も無いと思えるような観るだけの意識が確かに在るのじゃ。

169 避難民のマジレスさん :2018/12/28(金) 02:37:06 ID:LC3de7YgO
>>167
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

女性みずからの本性に従うべきだし、みずからの魂に耳を傾けるべきだ。
女性は異なる波動をかもしだしている。
女性にはこの世で果たすべき別の働きがあり、別の天命がある。
男に追従し、男の真似をしていたら、女性は自分を見失ってしまう。
自分を見失えば見失うほど、みずからの実存から根こそぎにされてゆく。
まがいもの、造りもの、人工的なものになればなるほど、彼女はますます死に
物狂いになってゆく。
女性解放運動に携わる女性たちが激怒し、絶えず憤慨しているのはそのためだ

憤慨するのは彼女たちが欲求不満を感じているからだ。
彼女たちはなりたいものになっていないし、またなることはできない---それは
本性に反しているし、またなる必要もない。

肉体のなかには魄アニマが存在する。
魄アニマは女性(陰)であり、意識の基体である。
「意識の基体」という言葉に瞑想するがいい---意識の土台そのもの。
それは意識そのものではなく、意識の住処スミカだ。
けれども、これとともに魂アニムスが存在し、そのなかに精神が潜んでいる。
アニムスは男性原理、<陽>だ。
魂アニムスは両目のなかにあり、ものを見、夢を見る。
女性原理は肉体のなかに住んでいる。
それはきわめて物質的だ。
女性がつねに物質主義的なのはそのためだ。
彼女たちが尊重するのはきわめて実用的なものであり、彼女たちはきわめて現
実的だ。

いつかムラ・ナスルディンが私に言っていた。
彼はけっして妻と口論しないそうだ。
私は彼に尋ねた。
「どうしてそんなことができるのかね?それは不可能に近い。まず無理だと言っ
ていい」
彼は言った。
「私たちはもうずっとうまく折り合いをつけていますよ。最初の夜にひとつの
原則を決めたんですよ。私たちはそれを守っています。その原則というのは、
細かなことは妻が決め、大きなことは私が決めるというものです」
 私は尋ねた。
「細かなこと、大きなことというのはどういう意味かね?」
 彼は言った。
「たとえば、どんな車を買うか、どんな家に住むか、どんな学校に子供たちを
入れるか、どんな食事をするか、どんな服を買うか---こういった細かなことは
妻が決めるんです」
 私は言った。
「で、君は何を決めるんだい?」
彼は言った。
「神は存在するかどうか、天国や地獄はあるかどうか---こういった大きな問題
は私が決めるんです。とにかくこの原則は申し分のない効き目を表しています
よ。彼女は大きなものごとにけっして口をはさまないし、私も細かなことには
けっして口をはさまない。私は私の世界の主人だし、彼女は彼女の世界の主人
です。互いの世界を侵すことはありません」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

170 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/28(金) 22:59:20 ID:1d4drIFg0
全ての者は女性から生まれる故にそれは基底の意識と呼ばれるのじゃ。
全てを生み出す玄牝の門なのじゃ。
全てはそこから生じ、そこへ帰っていくのじゃ。
それもまたアートマンの性質と同じなのじゃ。

171 避難民のマジレスさん :2018/12/29(土) 01:38:00 ID:LC3de7YgO
>>169
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

女性原理は物質に根をおろしている。
肉体に根をおろしている。
だが、男は夢を見る。
男は夢想家だ。
男性原理というのは夢見の原理だ。
男がどうしてあれほど月へ行くことに興味をもつのか女性にはわからない。
それはあまりに馬鹿げて見える。
何のために?そこで何が手に入るというのだろう?
買物でもするつもりだろうか?
月へ行くぐらいならMGロード(和尚コミューンの近くの繁華街)に行ったほう
がましだ。
あんなところで何をするつもりだろう。
何のために?生命をかけてまで?
あまりにも馬鹿げて見える。
女たちはみな心の奥底では、男なんて子供みたいなものだということを知って
いる。
「遊ばせておけばいいのよ。行かせて、好きなことをやらせておけば」
男たちは愚かなことにかまけているのだということを女性はよく承知している。
フットボール、クリケットの試合---すべてナンセンスだ。何の意味もない。
あなたがボールを向こうに投げると、相手はボールをあなたの方に投げてくる。
そしてそれが延々と続けられる。
何の意味があるというのだろう?
女性は現実的で、地に足をつけている。
女性は現世的だ。
男性原理は大空のようであり、女性原理は大地のようだ。
男は未知なるものを夢見、計画を練り、望み、それにあこがれる。
男は冒険家であり、自分をとらえている夢にいつでも生命を賭ける用意ができ
ている。
男は目のなかに住み、女は耳のなかに住んでいる。
女たちがうわさ話をしたがるのはそのためだ。
うわさ話が楽しくてしかたがない・・・二人の女がうわさ話をしているのを見
れば・・・彼女たちはたいへんな歓びに包まれているかのようだ。
こんな話を聞いたことがある。
あるとき中国で競技大会があった。中国一の嘘つきを決める大会だ。
たくさんの人々がやってきて、たくさんの嘘をついたが、優勝したのは「公園の
ベンチに二人の女が三十分も黙って座っているのを見た」と言った男だった。
彼が優勝した。まさにありえないことだったからだ!
女性ゆえに、堕落が、原罪が生まれた。
蛇はまずアダムを試したにちがいない。
だがアダムは耳ではなく目だ。彼は狡猾な蛇を見抜き、こう言ったにちがいな
い。
「あっちへ行け。俺の邪魔をしないでくれ。俺には俺の夢があるんだ」
だが蛇はイヴをそそのかした。蛇は彼女に耳打ちをしたにちがいない。
「何をしてるんだい?ここに知識の樹があるんだ。神は君たちをだましている
んだよ。この樹の果実を食べたら、君たちは神と同じように不死になるんだ。
この樹の果実を食べたら、神が知るすべてがわかるようになるんだ。君は全知
全能であまねく存在するようになるんだよ」
女性は当然好奇心に駆られた---「すごく耳よりの話じゃないの」と。
蛇は彼女を説き伏せた。蛇は最初のセールスマンだった。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

172 避難民のマジレスさん :2018/12/29(土) 11:29:28 ID:LC3de7YgO
>>171
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

セールスマンは男のところへは行かない。
セールスマンは、男が会社に出かけてゆくのを見計らってドアをノックする。
女性を説得しなければならない。
聞く耳をもっているのは女性だけだ。
耳はあなたの存在の受動的な部分、受容的な部分だ。
耳からは何かが入ってくることができる。
目は攻撃的な部分だ。
いいかね、耳を使って攻撃的になることはできない。だが、目を使えば攻撃的
になることができる。
刺すような目で相手を睨みつけることができる。
目で相手を傷つけることもできれば、目で相手を慈しむこともできる。
目で相手のこころをつかむこともできれば、よせつけないようにすることもで
きる。
誰かが取りつく島もないほどうつろなまなざしであなたの目を見つめることも
ある。
あるいは、誰かが深い欲望、情欲、熱望、関心をもって、あなたの身体をなで
まわすかのように見はじめることもある。
目は攻撃的な部分だ。
目は投影し、相手に影響を与えることができる。
インドでは、淫らな目で女性を見つめる者は「ルチチャ」と呼ばれる。
驚いたことに、「ルチチャ」という言葉は「ロチャン」から来ている。
「ロチャン」はまさに目を意味する。
彼は目で女性を犯している。
彼の目はほとんど性器のようになることができる。
目は危険だ。
耳はとても純真無垢だ。
耳はひたすら取り入れる。
耳は女性的だ。
魂アニムスは両目のなかにあり、ものを見、夢を見る。
だが、いつであれ気分が沈み込み、動作が鈍いときには、人は肉体に縛り付け
られ、アニマに拘束されている。
あなたが男であっても女であっても関係ない。
女性が目を使い、聴こうとするのではなく見ようとしているなら、彼女はアニ
ムスになる。
男性が聴こうとしているなら、彼はアニマになる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

173 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/29(土) 21:43:47 ID:1d4drIFg0
男でも女でも時に能動的になり、時には受動的になることができるのじゃ。
それらは誰にでも在る性質であるからのう。
どちらかしかないということはありえないのじゃ。
その受動性を極めることが道家の行く道なのじゃ。

174 避難民のマジレスさん :2018/12/29(土) 23:36:12 ID:LC3de7YgO
>>172
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

弟子はアニマになる、ならざるをえない。
というのも、弟子はその全身が耳にならなくてはいけないからだ。
師マスターとは目以外の何ものでもなく、弟子とは耳以外の何ものでもない。
師は見なければならない。
あなたの最も深いところを見なければならない。
師はあなたのまさに中核を貫かなければならない。
そして弟子は耳をそばだて、意識を配り、いつでも応じられる姿勢でいて、み
ずからの内奥の中核に師が触れるのを許さなければならない。
弟子は女性的になる。
女性がこの世で一番の弟子になるのはそのためだ。
男は弟子になることが少々むずかしい。
弟子になるとしても、ためらいながらなる。
彼は抵抗し、闘い、疑う。
男はなんとか逃れようとして様々な手練手管を弄する。
逃れられないとなると、仕方なく力を緩める---が、仕方なくだ。
女性は喜びに満ちてジャンプする。
最もすぐれた弟子というのはいつも女性だった。
その比率はいつも同じで変わらない。
弟子が五人いれば、ひとりは男で、四人は女だ。
比率はいつもそうだった。
マハーヴィーラの場合もそうだったし、仏陀の場合もそうだったし、私の場合
もそうだ。
その比率はいつも同じだ。
男は、女性というのは目をうるませて、すぐに催眠術にかかり、暗示に落ちや
すいものだと思っている。
それは男たちの側からの非難だ。
男は、自分は催眠術になどかかるはずがないと思っている。
女というのは喜んで催眠術にかかるものだと思っている。
それはある意味では正しいが、ある意味では間違っている。
女は蛇に出会うと、蛇にそそのかされてしまう。
女は仏陀のような人に出会うと、改心させられてしまう。
確かに女性は暗示に弱い。
すべては彼女が誰と出会うかにかかっている。
男は蛇の言葉に耳を傾けても、それで心変わりをしたりはしない。
蛇の手に落ちることはない。
だが、一方で男は仏陀を聴きに来ても、やはり心を入れ替えることはない。
そうして男は救いを逃してしまう。

それゆえに、光を巡らせることで魂アニムスの集中が起こり、そのようにして
精神が保持され、魄アニマは克服される。(´・(ェ)・`)
(つづく)

175 避難民のマジレスさん :2018/12/30(日) 10:26:43 ID:LC3de7YgO
>>174
うむ、ついに第三話のクライマックス「光を巡らす」技法に突入であります。
OSHOは焦らして話を盛り上げる天才でありますね。
>>138
>暗く沈み込み、みずからの肉体の形に幽閉されている者はみな、魄アニマに束縛されている。
それゆえに、光を巡らせることで魂アニムスの集中が起こり、 そのようにして
精神が保持され、魄アニマは克服される。
この世を超脱するために古人が用いた技法は、純粋に創造的なものに還るため
に暗黒の滓カスをすべて溶かし尽くす。
これは魄アニマの力を削ぎ落とし、魂アニムスの力を完全にすることに他なら
ない。
光を巡らせることは、暗黒を縮小させ、魄アニマを制する力を獲得する秘術で
ある。
この技法に従うなら、種子の水はおのずから豊かになり、精神の火は燃えあが
り、思考の土は固まり結晶化するだろう。
このようにして聖なる果実は熟す。

(´・(∀)・`)つ
ワクワクドキドキくまである。

176 避難民のマジレスさん :2018/12/30(日) 10:39:04 ID:LC3de7YgO
>>174
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

光が目のなかで循環しなければならない。
目はあなたの存在のなかで最も光に
満ちた部分だ。
道家の人々は、人の目は太陽に似ていると言う。
目がなければ光を見ることはできない。
そして、似たものだけが似たものを見ることができる。
人の目は凝縮された光だ。
目を通して光を見ることができるのはそのためだ。
人の耳は凝縮された音だ。
耳を通して聞くことができるのはそのためだ。
男であれ女であれ、すべての人のなかにあるアニマを克服しなければならない。
なぜか?それはアニマが形であり、肉体であり、物質だからだ。
精神が主人にならなければいけない。
精神が肉体の上に君臨しなければいけない。
精神が肉体を従わさせなければいけないのであって、その逆ではだめだ。
だから、男であろうと女であろうと関係ない。
内なるアニマをアニムスに従属させなければならない。
なぜなら、アニムスのみが探求し、探索することができるからだ。
そして女性が後からついてくるなら、アニムスは実在の奥底まで分け入ってゆ
くことができる。
詩人が、背後に女性がついていて、自分を支えてくれていることを知っている
なら、彼の詩は高く高く舞い上がることができる。
女性がいつもそばにいてくれることがわかると、男はじつに逞しくなる。
彼はどんな冒険にもおもむくことができる。
女性がそばにいてくれないと感じるやいなや、彼は気力を失ってしまう。
今や彼には夢しかない。
が、その夢は無力だ。
その夢にはもはやエネルギーがなく、実現されえない。
ものを実現させる力は女性にある。
夢見る力は男にある。
神、あるいは真理の探究においては、男が先頭に立ち、女が従わなければなら
ない。
あなたの内側では、アニムスが師になり、アニマが弟子にならなければいけな
い。
そして、もう一度くり返すが、あなたが男であるか女であるかは関係ない。
この世を超越するために古人が用いた技法は、純粋に創造的なものに還るために
暗黒の滓カスをすべて溶かし尽くす。
女性はおとなしく、男性は活発だ。
女性がしっかりと落ち着いているように見え、男性がひじょうに落ち着きなく
見えるのはそのためだ。
子供であっても、ほんの小さな子供、赤ん坊であっても、その違いがある。
男の赤ちゃんはひじょうに落ち着きがない。これをつかもうあれをつかもう、
手を伸ばして何かに触れようとしている、手のかかるやんちゃ坊主だ。
女の赤ん坊はけっして手がかからない。
彼女は黙って座り、人形を抱いている 。
彼女もまた人形だ。このうえもなく落ち着
いている・・・ 落ち着きという原理
は女性的であり、落ち着きのなさという原理は男性的だ。
女性がまろやかで美しく、男性が絶えず熱を帯びているのはそのためだ。
だが、成長するためには落ち着きのなさという原理が必要になる。
なぜなら、成長とは変化を意味するからだ。
(´・(ェ)・`;)
(つづく)

177 避難民のマジレスさん :2018/12/30(日) 13:28:13 ID:LC3de7YgO
>>176
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

女性は基本的に古い型を守ろうとし、男性は基本的に古い型を破ろうとする 。
女性はつねに現状を支持するが、男性はたとえ愚かな革命であっても はじめよ
うと待ち構えている。
変化してゆくものなら、何でも男は支持 する。
状況が良くなろうが、悪くなろうが、それは大したことではない。
変 わ る こ と が 善 なのだ。
女性はいつも古いもの、確立されたもの を支持する。
それが良いか悪いかは問題ではない。
「いつもそうだったのだから、そうあるべきよ」というわけだ。
成長するためには、あなたの内にあるよどみの原理が溶け去る必要がある。
あなたの内なる女性は凍りついている。
あなたが川になれるよう、その女性を溶かさなければならない。
だが、川はまた両岸の力も借りなければならない--- 岸辺は動かないことを覚
えておきなさい。
もし両岸がなかったら、川はけっして大海にたどり着けない。
そして水が凍っていたら、川はけっして大海にたどり着けない。
だから川は溶けて水にならなければならないが、 それでも動かない岸辺の力を
借りなければならない。
完全な人間というのは、みずからの活動的な側面を川として 使い、みずからの
静的な側面を岸辺として使う者をいう。
それが完全なバランスだ。
そうなったら、あなたは成長するために アニムスを使い、その成長をつかのま
の現象ではなく、 確たるものにするためにアニマを使ったことになる。
これは魄アニマの力を削ぎ落とし、魂アニムスの力を完全にすることに他なら
ない。
だがふつうは、男であれ女であれ、誰もが動きを止めている。
男たちですらきわめて保守的だ。
キリスト教徒、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒、ジャイナ教徒---男たちですら
きわめて保守的になる。
彼らはみずからのアニマの犠牲になっている。
彼らのアニムスは征服されてしまっている。
それは解き放たれねばならない。
私のここでの努力はそれに尽きる---あなたのアニムスをアニマの支配から解き
放つこと。
ひとたびアニムスがアニマの支配から解き放たれたなら、私たちはアニマをも
使うことができる。
だが、まずは解き放たれることが先だ。
私がしきりに動的な瞑想の技法を勧めるのはそのためだ。
ごくまれに坐禅やヴィパッサナをするよう勧めることがあるが、それはその人
のアニムスが流れているのがわかるときだけだ。
今や彼らはアニマを使うことができる。
ヴィパッサナや坐禅はアニマの技法、女性的な技法だ。
スーフィ・ダンス、ダイナミック瞑想、ナタラジはアニムスの技法だ。
まず最初は川にならなければいけない。
そうしてはじめて岸辺を支えとして使うことができる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

178 避難民のマジレスさん :2018/12/30(日) 13:39:23 ID:LC3de7YgO
>>177
> 成長するためには、あなたの内にあるよどみの原理が溶け去る必要がある。
> だが、川はまた両岸の力も借りなければならない
> もし両岸がなかったら、川はけっして大海にたどり着けない。
>水が凍っていたら、川はけっして大海にたどり着けない。
> だから川は溶けて水にならなければならないが、 それでも動かない岸辺の力を
借りなければならない。
>あなたのアニムスをアニマの支配から解き放つこと。
ひとたびアニムスがアニマの支配から解き放たれたなら、私たちはアニマをも
使うことができる。

↑これは、「巡らす」の部分の前ふり説明でありますね。
はてさて、肝心要の「光」の話に突入であります。
(´・(∀)・`)つ

179 避難民のマジレスさん :2018/12/30(日) 14:06:52 ID:LC3de7YgO
>>177
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

光を巡らせることは、暗黒を収縮させ、魄アニマを制する力を獲得する秘術で
ある。
この技法に従うなら、種子の水はおのずから豊かになり、精神の火は燃えあが
り、思考の土は固まり結晶化するだろう。
このようにして聖なる果実は熟す。

聖なる果実は男性でもなく女性でもない。
聖なる果実は<全体なるもの>とし
てのみ熟す。
アニマとアニムスが鳥の二つの翼のように互いを支え合うとき、エロスが解き
放たれ、ロゴスが解き放たれ、直観が解き放たれる。
そうなったら、あなたは大空へと飛翔するようになり、同時に大地に根を下ろ
してもいる。
樹は空高くそびえるために、大地に深く根を張らなければならない。
大地はアニマで、空はアニムスだ。
空に向かって高く伸びれば伸びるほど、それと同じだけ深く大地に根を張って
ゆかなければならない。

魂アニムスは天上のこころハート---第三の目のなか---に住む。
それは光の性質を有している。
それは軽く、清らかなものの力である。
それは我々が大いなる虚空---大いなる空ソラ---から得てきたものであり、原初
の始まりと同じ形をしている。

魄アニマは暗黒の本性を有している。
女性が神秘的なのはそのためだ。

その神秘のベールを剥はぐことができた男性はいない。
その両方の性を超えたとき、ひとりの覚者ブッダになったとき、はじめて人は
男女両性の神秘を知ることができる。
そうならずして女性の深みを推し量りえた男はいない。
女性は神秘的で、暗く、闇夜のままであり続けている。
はっきりとは見えない、せいぜい手探りすることしかできない。
女性を明晰な論理でとらえることはけっしてできない。
彼女はけっして論理には従わない。
彼女の道は曲がりくねっている。
彼女はプロセスをまったく経ずに、ただちに結論へと飛び移る。
男性は一歩一歩プロセスを踏みしめてゆく。
彼は着実に手順を踏んでゆく。
女性は直観的だという意味では詩人だ。
彼女は詩などつくらないかもしれない---彼女は一編の詩もつくらない詩人だ。
彼女にとっては生そのものが詩だ。
そしてその生は詩と同じように暗い。
神秘的で、漠然としていて、曖昧だ。
何ひとつ明晰ではない。
何ひとつ明晰ではありえない。
女性の神秘を剥ぎとることはできない。
彼女はいつも疑問符のままだ。
男は光のように明晰だ。
男が浅薄に見え、女が深遠に見えるのはそのためだ。
男がまったく表面的に見えるのはそのためだ。
男のことなら何でも知ることができる。
どんな男かわかれば、彼の未来を予測す
ることができる。
だが、女性の未来はけっして予測できない。
彼女はどこまでいっても 予測しえず、それゆえに暗闇のように見える。
これらはみな隠喩だ。
それは重く、濁ったものの力である。
そして女、女性的な原理は、あなたを大地につなぎとめておく。
それは重力だ。
それは物質的な肉体の心臓ハートに縛りつけられている。
魂アニムスは生を愛し、 魄アニマは死を探し求める。
女性は生よりも死に似ている。
気分を害さないように。
これはただの形容にすぎない。
もし「アニマ」や「アニムス」、「男」や「女」という言葉に引っかかるなら
、それを「X」と「Y」に置き換えればいい。
だが、『黄金の華の秘密』がやっているのはまさにそれだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

180 避難民のマジレスさん :2018/12/30(日) 14:16:34 ID:LC3de7YgO
>>179
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋


これらは譬たとえにすぎない。それらを人間の姿になぞらえることで理解を助
けているにちがいない。
男は生に関心を寄せ、女は安定に関心を寄せる。
男は愛に関心を寄せ、女は身の安全に関心を寄せる。
男は冒険に関心を寄せ、女は快適さ、便利さに関心を寄せる。
女性は死だ。
「死」という言葉には何の非難もこめられていない。
死の特質は安定していることにあるというだけの話だ。
人は死んでようやく安定する。
消えてようやく人は安定する。
そうなったら、あなたの身には二度と何も起こらなくなる。
だが男は探し求め、探求し、危険を冒したい。
だからこそ夫は別の女性を探し続け、妻は夫を見張り続けることになる。
どうして夫がいまだに別の女性に興味をもち続けるのか妻にはわからない---
「私がここにいるのよ!」。
だが、男性原理はいつも新しいもの、刺激を与えてくれるもの、胸をときめか
す新しい快感に興味をそそられてゆく。
ときには美人の妻をもちながら、さえない女性と遊びはじめる男もいる。
誰が見ても腑に落ちない---どうなっているのだろう?
「あんなにすてきな女性がいるのに、君は何をしているんだい?」
だが、あなたは男性原理というものを理解していない。
男性原理は基本的に一夫多妻制であり、女性原理は一夫一婦制だ。
彼女は愛よりも結婚に興味がある。
彼女はただ結婚するために恋に興味をもつ。
そして男はただ恋に興味をもつがゆえに結婚する。
「男がみんな結婚せず、女がみんな結婚していたら、世界はこのうえもなく喜
びに満ちていただろう」という古い諺ことわざがある。
だが、それをどうやって実現するのだろう?そんなことは不可能だ。

魂アニムスは生を愛し、魄アニマは死を探し求める。
すべての感覚的欲望と怒りの衝動は魄アニマの作用である。
だが、学人が暗い魄アニマを完全に蒸留してしまえば、それは純粋な光に変容
する。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

181 避難民のマジレスさん :2018/12/30(日) 14:21:06 ID:LC3de7YgO
>>180
うむ。
流石のくまも気付いたのである。
OSHOは、この第三話で「光」の話はしないつもりなのである。
うむ。
OSHOはお話の天才である。
後、ちょぴっとで第三話は終わるので、載せてしまうのである。
(´・(ェ)・`)つ

182 避難民のマジレスさん :2018/12/30(日) 14:31:51 ID:LC3de7YgO
>>180
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第三話 アニムスとアニマ(つづき)
 より抜粋

煉丹術は、男女それぞれの内にあるこの二つの原理を理解し、内側の暗い側面
であるアニマを明るいものへと変容させることにある。
暗い部分が動くのを助け、それが明るい部分に手を貸し、それと闘わないよう
にさせることにある。
アニマがアニムスに手を貸すことができるなら、それが真の結婚、内なる結婚
だ。
そうなったら、あなたはまとまりはじめる。
あなたの光はもはや浅薄ではなく、暗闇の深さをそなえるようになる。
あなたの暗闇はもはや暗くなく、軽やかな光をおびるようになる。
アニマとアニムスは互いに溶け合う。
そしてそれらが完全に溶けると、世界は消え失せ、あなたは再びひとつになっ
ている。
ひとつになることが神を知ることだ。
二つのままでいることは世間にとどまることだ。
そして、その秘法、その実験はあなたの内側で起こらなければならない。
それは外の世界とはいっさい関係がない。
あなたの内側では、この二つの原理が絶えず争っている。
それらを「生/死」「明/暗」「男/女」「X/Y」―何と呼んでもいいが、この二つ
の原理がそこにあって、絶えず争っている。
それがあなたの苦悶であり、あなたの惨めさであり、あなたの地獄だ。
この二つの原理を和解させなさい。
あなたのエネルギーをそれらのなかで巡らせて、互いに反発させるのではなく
、互いに近付けさせなさい。
男と女のあいだに内なるオルガスムを、内なる交合を起こさせなさい。
それこそがタントラで「ユガナッダ」―内なる男と女の出会い―と呼ばれてい
るものだ。
それが真のタントラだ。
外側での男と女の出会いは序曲にすぎない。
スッダがタントラ・グループをリードしている。
それは序曲にすぎない。
真のタントラはまだはじまっていない。
彼女はまさにあなたがたの下地を整えている。
私が今やあなたがたは内側に入って、そこで内なる男女と出会う用意が整って
いると見なしたら、まもなく真のタントラ・グループが始まる。
外界への関心がもはやあなたを外につなぎとめておくほど強くなく、もはやあ
なたをそれほど縛りつけていず、鎖が切れていると見なしたら、そのときには
真のタントラ・グループがはじまる。
私は新しいコミューンが誕生するのを待っている。
なぜなら、新しいタントラ・グループにはまったく異なる風土、まったく異な
る環境が必要になるからだ。
これは人間が体験しうる最大の実験だ。そしてこの実験は、あなたの内に宇宙
的なエクスタシー、完全なオルガズムを解き放つだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

183 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2018/12/31(月) 00:21:51 ID:1d4drIFg0
アニマとかアニムスとは陰陽の気なのじゃ。
光を巡らして行けば陽気が集まり強化されるのじゃ。
それによって陰気もコントロールできるようになるのじゃ。
陰陽両方が合致して大極になるのじゃ。
その象徴が大極のマークなのじゃ。

184 避難民のマジレスさん :2018/12/31(月) 14:35:02 ID:LC3de7YgO
>>182
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる
 より抜粋

 呂祖師は言った。
 光を輪のように巡らせると、天と地、光と闇のエネルギーはことごとく結晶
化する 。
この秘術を行ないはじめると、まるで生ける存在の只なかに無があるように 感
じられる。
やがて修行の成果が現れてくると、肉体の外に肉体があり、あたかも 無の只な
かに生ける存在があるかのように感じられる。
百日のあいだ懸命に努力を続けると、ようやく火が発するようになる。
そうしてはじめてそれは精神の火となる。
さらに百日行ずれば、光の中に真の光の極がおのずと現れてきて、 突然、真珠
の種が生まれる。
それはあたかも男女が交わって受胎が行なわれるようなものである。
このときには静かな状態で待たなければならない。
 根源的な変容の只なかにあっては、光の放射が決定的な働きをする。
それは物質界においては太陽であり、人間においては目である。
このエネルギーは外界に向けられる(下に流れる)。
それゆえに黄金の華の道はひとえに逆流の技法にかかっている。

 光が巡るのはたんなる空想ではない。
 思考を集中させることで、人は飛翔することができる。
欲望を集中させることで、人は堕ちる。
学人がみずからの思考に少しも注意を払わず、欲望にかまけるならば、 下方へ
向かう道に沈み込む。
黙想と静けさによってのみ、真の直観が湧き起こってくる。
このために逆流の技法が必要となる。
ある偉大な師マスターが「仏ブッダとはどのようなものですか?」と尋ねられ
た。
「心が仏だ」と師は答えた。
何年かが過ぎて、再び同じ弟子が同じ質問をした。
師は「仏もなく、心もない」と答えた。
「ではなぜ前には『心が仏だ』とおっしゃったのですか?」
「赤ん坊を泣き止ませるためだ!赤ん坊が泣き止んでしまえば、『心もなく、
仏もない』と言う」
哲学は玩具おもちゃ、赤ん坊を泣き止ませるための玩具だ。
神学もまたそうだ。
宗教というのは、本当は体験、実地の体験から成り立っている。
それは憶測とはいっさい関係がない。
宗教は本質的に内界の科学であり、他のすべての科学と同じくらい科学的だ。

宗教と科学の違いは方法の違いではなく、たんなる対象の違いにすぎない。
科学は、私たちのエネルギーが流れ、私たちの光が流れている客観的な世界を
見つめる。
宗教は、光を流すことができるが、今はまだ流れていない私たちの主観的な世
界を探求する。
科学のほうが宗教よりやさしいのはそのためだ。
宗教のほうが科学よりも単純であるとけっして考えてはならない。
それはより高度な科学だ。
どうして科学よりも単純でありえよう。
それはより優れた科学だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

185 避難民のマジレスさん :2018/12/31(月) 18:47:22 ID:LC3de7YgO
>>184
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

まず光が内側に向かって流れなければならない。
そうすれば光があなたの実存を照らし、あなたの実存が開示されて、あなたは
みずからの実存のなかへ入ってゆける。
そしてみずからの実存に入ってゆくことは、神の王国に入ってゆくことだ。
そこにはあなたは存在せず、神が存在している。
あなたは影としてしか存在しない。
光が外に向かって流れると、あなたが存在するが、影としてでしかない。
あなたが存在するのは、真の自己に気付かないままでいるからだ。
真の自己とは至高の自己だ。
真の自己とは宇宙的な自己だ。
それはあなたとはいっさい関係がない。
それはあらゆるものの自己だ。
だが、それを得るためには、大いなる変容が起こらなければならない。
自然は人間が外に向かって流れるように準備した。
自然の役割はそれで終わった。
人間において、自然はその頂点に達した。
もはや人間が自然を超えてゆこうと決断しないかぎり、そのままでは何ひとつ
起こらない。
自然は人間がみずからの足で立てる地点まで人を運んできた。
人間はもはや子供ではない。人間は大人になった。
もはや自然は親の役割を終えた。
もうその必要はない。
自然な進化は人間で止まった。
これは事実だ。
科学者たちでさえこの事実にますます気付きつつある。
何千年ものあいだ、人間には何も起こらなかった。
人間は変わらなかった。
まるで自然の仕事が終わってしまったかのようだ。
今や人間は、さらなる成長の道をみずからの手に引き受けなければならない。
宗教とはまさにそれだ。
宗教とは、人がみずからの足で立ち、みずからの存在に責任をもつようになり
、事態がどうなっているか、自分が誰であるかを見つめ、探求し、探索しはじ
めることをいう。
そして、それはたんなる好奇心であってはならない。
哲学は好奇心から生まれる。
宗教はきわめて誠実で、真正な探求だ。
それは問いかけだ。
そして好奇心と問いかけには大きな違いがある。
好奇心は幼稚なものであり、頭のささいな か ゆ み にすぎない。
かいてしまえば、満足して終わりになる。
哲学とはかゆいところをかくことだ。
宗教は生死しょうじの問題だ。
哲学では、人はけっして巻き込まれることがなく、超然としている。
おもちゃで遊んでいるだけで、生死の問題ではない。
知識をかき集めるが、けっしてそれを実行には移さない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

186 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/01(火) 00:06:24 ID:1d4drIFg0
気を巡らしていればいずれ光が見えるようになるというのじゃ。
百日では無理かもしれんがのう。
人によって進歩の速さは違うからなのじゃ。
光の結晶を丹というのじゃ。
体の内側に見える光を内丹というのじゃ。

187 避難民のマジレスさん :2019/01/01(火) 00:44:43 ID:LC3de7YgO
>>186
くま、光や熱が見えたり、感じたりしてた時も、瞑想修行のおまけのような感じでそうなり、又、それによって修行が捗った感もなかったのであります。
ここで、光を巡らす技法読みすすめるに従い、なんかもったいないことをしたように思えてきたであります。

鬼和尚にも当時、その熱感を頭頂部から抜くようにイメージすれば、サマディ-に至れるとアドバイスをもらい、何度かチャレンジしたのでありますが、できなくて、やめてしまったのでありました。
残念なくまであります。
(´・(ェ)・`)つ

188 避難民のマジレスさん :2019/01/01(火) 01:15:29 ID:LC3de7YgO
>>185
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

聞いた話だが―昔あるところに優れた儒学者が住んでいた。
彼は八十歳に近い紳士であり、 その博学な知識と理解において、彼の右に出る
者はないと言われていた。
ところが彼の有する知識よりももっと深い、新しい教義が遠くで生まれた とい
う噂が広まった。
老齢の紳士はそれを黙認できなくなり 、この問題に黒か白か決着をつけなけれ
ばならないと思った。
老齢にもかかわらず、彼は長旅に出かけた。
数ヶ月もの厳しい 旅路を終えて目的地に着くと、彼は自己紹介をして来意を告げ
た。
主人は新しい禅の流派に属する師だったが、ただ次のような句 を引用した。
「悪しき行いを避け、あたうるかぎりの善を行なう。
これがあらゆる覚者ブッダたちの教えだ」
これを聞いた儒学者の老紳士はかっとなった。
「老齢の身に鞭を打ち、 生命の危険を冒してまで長く険しい旅をしてきたのに
、三歳の子供でも そらんじるようなささいな句を引用するだけとは!私を馬鹿
にしているのか?」
だが禅師は応えた。
「貴方を馬鹿にしているわけではありません。 確かに三歳の子供ですらこの句
を知っていますが、八十歳の老人でさ
え それを実行できないことに思いを
致してください!」
宗教が問題にするのは知ることではなく、それを生きることだ。
宗教とは生であり、それを生きないかぎり、 それが何であるのか何ひとつ知る
ことはできない。
そして宗教を生きるためには、哲学をすべて落とし、 実際に試してみることを
はじめなければならない。
人は実験室にならなければいけない。
科学者の実験室は外界にあるが、宗教的な人の実験室は その人自身の存在―そ
の人自身の肉体、その人の魂、その人の心だ。
科学者は実験の対象となる事物に精神を集中しなければならない。
科学者は目を開けて仕事をしなければならない。
宗教の仕事は目を閉じて行なわなければならない。
自分自身に精神を集中しなければならない。
(p121)
そしてそれは一筋縄ではゆかない。
というのも、宗教の世界では 実験する者と実験の対象が同じだからだ。
それゆえにそれは入り組んでいて、風変わりで、解釈しがたく、非論理的なも
のになる。
宗教の世界では知る者と知られるものは同じだ。
科学の世界では知る者は分離している。 知られるものは分離している。
ものごとは明確に分けられており、境界が定められている。
だが、宗教ではあらゆるものが融合し、互いに溶け合っている ―知る者ですら
分離したままではいられない。
宗教は知る者から 遊離した知識など与えない、知る者から遊離した体験など与
えない。
それが与えるのは知る者の本質エッセンスそのものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

189 避難民のマジレスさん :2019/01/01(火) 09:01:21 ID:LC3de7YgO
>>188
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

宗教的な探求者であるためには、いっさいの哲学 を落とさなければならない。
先験的アプリオリな 知識をすべて落とさなければならない。
なぜなら、先験的な知識はすべて障害になるからだ。
それは問うことを妨げる。
問いかけは不誠実なものになる― その最初の一歩から問いかけは曇らされて
しまう。
すでに結論を出していながら、 どうして問いかけることができるだろう?
キリスト教徒でありながら宗教的であることはできない。 あるいはヒンドゥー
教徒でありながら宗教的であることはできない。
ヒンドゥー教徒でありながら、どうして 宗教的でいることができるだろう?
ヒンドゥー教徒である ということは、すでに結論を出していて、何が真理か 決
めてしまっているということだ。
そうだとすれば問いかけてみても仕方がない。
何を問いかけるというのだろう?
あなたがやるのは、すでに結論付けていることがらの裏付け、論証を探し出す
ことでしかない。
だが、その結論は間違っているかもしれない ―わかりはしない。
その結論はあなたのものではなく 、社会から渡されたものだからだ。
社会はしきりにあなたに結論を与えようとする。
あなたが自分で結論に到れるよう意識を与えようとはしない 。
あなたが意識的になる前に、少しでも問いかけがはじまる 前に、社会はありと
あらゆる結論を詰め込んで、 何がなんでもその問いかけを阻もうとする。
なぜなら、その問いかけは社会にとって危険だからだ。
問いかけない人間は扱いやすい。
問いかけない人間 は従順だ。
すなおに命令や指令を受け取り、それに従う。
彼は法を尊重し、因習を守る。
ひとたび誰かの心にわずかでも信仰を吹き込めば、薬物を 飲ませたことになる。
信仰は麻薬だ。彼はいったん信じ込む と、どこまでもしゃにむに信じてゆく。
やがて徐々に、彼は その信仰が自分自身の体験であると思い込むようになってゆ
く。
信仰というのは催眠のシステムだ。
あなたは子供に 「おまえはヒンドゥー教徒だ。おまえはヒンドゥー教徒だ」 と
どんどん暗示をかけてゆく。
子供を寺に連れてゆき、宗教的な、 いわゆる宗教的な儀礼、儀式を体験させる。
やがて子供は条件付けられ、自分はヒンドゥー教徒であり、ヒンドゥー教はす
べて正しく、 それ以外の宗教はすべて間違っていると思い込むようになる。
そして、同じことがあらゆる社会で行なわれている。
あなたがたは子供たちに麻薬を与えてきた。
子供の意識のまさに源が毒されてきた。
そしてもし何かを信じたら、それは真実のように見えてくる。
もし何かを信じはじめたら、その裏付けとなるもの、それを 助ける証拠となる
ものが続々と見つかるようになる。
あなたの自我エゴがからんでくる。
真実かどうかだけでなく、奥深くで問題になっているのは 「どちらが正しいの
だろう?私だろうか君だろうか? 私が間違っているはずがない―私が正しいに
ちがいない」 ということだ。
だからあなたは自分を支えてくれるものばかりを選び取る。
そして生はひじょうに複雑であり、そこではありとあらゆる ものを見つけるこ
とができる―あなたが選び取り、決定した ものは何でも見つかる。
あなたが悲観主義者であれば、その悲観主義 を裏付けるありとあらゆる論拠が
生のなかに見つかる。
あなたが楽観主義者であれば、ありとあらゆる論拠 を手にすることができる。
生は二元的であり、生は逆説に満ちており、生は多次元的だ。
この世にこれほど多くの哲学、主義、神学が存在するのはそのためだ。
そしてどの神学も独自の結論の殻に閉じこもり、自分が一番正しいと信じている。
(p123)
(´・(ェ)・`)
(つづく)

190 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/01(火) 23:03:05 ID:1d4drIFg0
>>187 おしいことじゃ。
 百日は続けたらよいのじゃ。
 頭の真ん中よりも後頭部に近いほうに集中すると善いのじゃ。
 実践が大事なのじゃ。

191 避難民のマジレスさん :2019/01/01(火) 23:52:18 ID:LC3de7YgO
>>190
うむ。
残念なくまであります。
寒いときの方が、熱は感じやすいので、正月休み中ちょぴっとやってみてるのであります。以前ほどケッカフザも深く組めなくなってるでありますが、やってみるであります。
(´・(ェ)・`)つ

192 避難民のマジレスさん :2019/01/02(水) 00:00:12 ID:LC3de7YgO
>>189
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

ようやく現代において信奉者たちは少しとまどうようになった。
これは大いなる祝福だ。
なぜなら、彼らは他の信奉者たちの存在にも 気付きはじめたからだ。
今やヒンドゥー教徒はそれほど得意になり、 自己満足してはいられない。
キリスト教徒の存在を知っているからだ。
そしてキリスト教徒も、自分たちだけが真理の版権を手にしていると 信じ続け
ることはできない。
イスラム教徒もいるし、道教徒もいるし、仏教徒もいるということを知ってい
るからだ。
そして誰も当てにならない。
現代はひじょうに混乱している―かつてなかったほど混乱している。
だが、覚えておきなさい。 この混乱は大いなる祝福だ。何かが途上にある。
何かとほうもなく重要なことが起ころうとしている。
この精神の混沌カオスは新しい夜明けのはじまりだ。
将来には、人々はイスラム教徒にも、ヒンドゥー教徒にも、 仏教徒にもならな
いだろう。
人々は問いかける者たちとなる。
信仰はなくなり、信仰の闇は姿を消しつつある。
これからは誰も信仰をもたなくなってゆく。
人々は問いかけ、見いだしたときに信頼するだろう。
信仰は借り物であり、信頼はその人自身の体験だ。
私がここであなたがたに教えているのは、この先、ますます興隆 してくる宗教
だ。
私は現在のあなたがたに未来をもち込んでいる。
私はあなたがたが純一な探求者になるようにしむけている― いかなる信仰体系
ももたず、何の結論も抱かずに、 みずから進んで実験を行なってゆき、それが
何であろうと 真実に心を開いて、それを受け容れてゆく用意のある探索者、 ひ
たすら真実を受け容れてゆく用意のある者たちに。
信仰をもつ者は閉じている。
彼の窓や扉は閉じている。
彼は一種の 牢獄に住んでいる。
彼は一種の牢獄のなかで暮らさなければならない。
窓や扉を開けたら、太陽が差し込み、雨風が吹き込んできて、 信仰体系がかき
乱されてしまう恐れがあるからだ。
あらゆる方角 から真実が入ってきたら、自分の信仰を守ることなどできなくなる

彼は真実から身を隠さなければならない。
何にもかき乱されないように 、かき乱されはしないのだと信じ込めるように、
窓のない閉ざされた 世界で生きなければならない。
これは社会にとっては好都合だが、 個人の健やかさのためにはきわめて危険だ。
社会はあなたに遊び道具を与え続けている。
子供に玩具おもちゃを与えれば、子供は遊びに夢中になって、邪魔にならなくな
る。
親はほっとする。父親は新聞を読むことができるし、母親は台所 で仕事をする
ことができる。
子供は玩具に夢中になっている。
インドの村では、これがよく行なわれている。
野良仕事に行く 貧しい女性は、一緒に小さな子供を連れてゆかなければならない。
充分大きくなっていれば、子供は独りで遊べるが、まだごく幼いうち は独りで
は遊べない。そういう子供に母親は始終気を取られてしまう。
子供は泣きだす―腹を減らしたり、おもらしをしたり、風邪を引いたりして い
るのかもしれない。
母親は絶えず世話をしに来なければならなくなる。
それでは仕事の邪魔になるし、親方も許してくれない。
そこで子供 に少量の阿片を与えることがよく行なわれてきた。そうすれば、子
供は阿片がもたらす心地よいまどろみのなかで美しい夢を 見ながらぐっすり眠
り、母親は気を取られずに仕事を続けられる。
これは仕事にとっても、母親にとっても、地主にとっても好都合だ。
が、子供の健康にとっては有害かつ危険このうえない。
子供の将来 まで損なわれてしまう。
だが、そういうことがずっと行なわれてきた。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

193 避難民のマジレスさん :2019/01/02(水) 10:03:16 ID:LC3de7YgO
>>192
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

実験をしなくてもすむように、問いかけに気をそらされなくても すむように、
社会は信仰を与える。
なぜなら、探索には多大な エネルギーが費やされるため、有能な事務員、有能
な駅長、 有能な車掌、有能な警察官になることはできないからだ。
人は探索に心を奪われ、内なるものへの関心が高まり、 外側の世界への興味は
消え失せてゆく。
社会はあなたが外交的な生き方をすることを望んでいる―生産 されたものが善
いものであるか悪いものであるかは問われない。
爆弾をつくっている会社で働いていても、有能であり、生産性を あげなければ
ならない。
軍隊で働いていても、有能であり、 つねに従順でなければならない。
どこで働いていても、その仕事の善悪は取りざたされない。
社会が 決定したことにはすべて従い、きちんと列に並ばなければならない。
問いかける人になれば、危険が生じてくる。
その人はどんどん内向的になってゆくからだ。
優先すべきものが変わり、価値観が違ってくる。
金のことはあまり気にしなくなるかもしれない。
権力のことはあまり気にしなくなるかもしれない。
野心がなくなるかもしれない。
もはや所有欲がなくなるかもしれない。
財産への関心が消えてしまうかもしれない。
内なる豊かさ、内なる神の王国を探し求めるようになるだろう。
だが、そうなるとますます社会にとっては効率が悪くなってゆく。
そして社会には、こつ゛きまわされながら他人の仕事をするより も、自分の仕
事をしている内向的な人々の数がまさる世界― そのほうがよりよい社会になる
だろうが―を認めるだけの余裕がない。
それは人々がもっと瞑想的なよりよい世界であるはずだ。
そうなれば政治家たちも過去にもたらしたほどの害悪を引き起こせなくなるだ
ろう。
人々がもっと内向的になれば、戦争はひとりでに消え失せるだろう。
そうなったら戦うことに誰が関心を払うだろう?
人を殺したり、人の生命を奪ったりすることに誰が関心を払うだろう?
だが、暴力は美しく見えるように粉飾されている―国家の名のもとに殺せ、 イ
スラム教の名のもとに殺せ、キリスト教の名のもとに殺せというわけだ。
そうなると殺人は美化される。キリスト教のためであろうが、教会 のためであ
ろうが、国家のためであろうが、民族のためであろうが、 殺人に変わりはない

それらは人を殺すための口実、破壊行為を行なうための口実、 狂気に走るため
の口実にすぎない。
十年ごとに世界規模の大戦が勃発している。
それは十年ごとに人々の存在 のなかに大量の膿うみがたまり、それが噴き出さ
ざるをえなくなるからだ。
人々はみずからの存在に大量の毒をため込んでいるため、もう抑えておけなく
なる。
狂気が、地球規模の狂気が炸裂する。
人々がもっと内向的になれば、 戦争はなくなり、政治の争いは姿を消すだろう

もっと内向的になれば、言うまでもなく、 人々はあまり効率よく働けなくなる
だろう。
その必要はない。人々はもっと幸せになるだろう。
おそらく四六時中ものごとに忙殺され、狂ったように振りまわされたりせずに、
もっと幸せで、もっと喜びに満ち、 もっと祝うようになることだろう。
必要なものは充分に生み出すが、 不要なものには関心をもたなくなるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

194 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/02(水) 22:59:53 ID:1d4drIFg0
>>191 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 特にけっかふざでなくてもよいのじゃ。
 胡坐でも姿勢が正しければよいのじゃ。
 自分がやり易いように座ると善いのじゃ。

195 避難民のマジレスさん :2019/01/02(水) 23:57:49 ID:LC3de7YgO
>>193
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

だが、私たちは不要なもの、まったく必要ではないものに過剰な関心を寄せてい
る。
そんなものはなくてもやってゆける のに、なしで済ますことができない。
私たちは突進し、走り続けるように訓練されてしまっているからだ。
私たちは他のありようを知らない。
(p127)
社会はあなたに信仰という毒を盛って、最初の第一歩からあなたの探求の息の
根を止めてしまう。
宗教とはあなたの探求をもう一度よみがえらせることだ。
宗教とはあなたを本来の源泉へと連れもどすことをいう。
そして、それは好奇心ではなく、とても誠実な探求であることを覚えておきなさ
い。
自分を知らずに生きてゆくなど死んでいるのも同然だ。
自分が誰であるかを知らずして、どうして本当に生きてゆけるだろう?
自分自身を知らずして、生にどんな意味があるというのだろう?
自分が誰であるかを知らずして、自分をどう扱うというのだろう?
自分の天命が何であるかをどのようにして見極めるのか?
そう、騒音ばかりで、音楽というものがない。
計算ばかりで、祝祭というものがない。
あちこちへあわただしく駆けまわっているが、どこにも行き着きはしない。
生まれてから死ぬまで一種絶えざる緊張のなかを生きてゆくが、 生と<存在>
の美、祝福を知ることはない。
もっとも身近にあって知るべきもの、最初に知るべきものである、 みずからの
内なる実存の美と祝福にすら気付いていないのだから。
生に向かう最初の一歩は自己を知ることだ。
それはたんなる好奇心ではありえない。
好奇心から探求する人はたくさんいる。
だが、 好奇心が生を変容させることはけっしてありえない。
それはやはり か ゆ み に過ぎず、 たやすく満足させることができるものだ。

昔あるところに宿屋の主人がいたが、おかしなことに、どうしても帳尻を 合わ
せることができなかった。
どんなに努力してもうまくゆかなかった。
経営方針をすっかり改めようとしたが、それもうまくゆかなかった。
そこで気落ちした彼は、ある賢明な女性に相談した。
「とても簡単なことよ」と、謝礼を受け取りながら彼女は言った。
「宿の名前を変えるといいわ」
「でもずっと『黄金のライオン』でやってきたのですよ」と彼は応えた。
「名前を変えてごらんなさい」と彼女は言った。
「『八つの鈴』がいいわね。そして看板には鈴を七個並べておくの」
「それじゃ辻褄が合いませんよ。そんなことをして何になるんです?」
「家に帰って、やってごらんなさい」と賢い女性は言った。
そこで彼は家にもどり、言われた通りにやってみた。
すると、ただちに通りがかりの旅人たちがみな足を止め、鈴の数を数えると 、
続々と宿屋に飛び込んできて、その誤りを指摘した。
誰もがその誤りに 気付いたのは自分だけだぞといった顔つきで、そのことを肴
さかなにして 一杯ひっかけたがっていた。
宿屋はどんどん繁盛してゆき、主人は財を築いた。
これが人々のありようだ。 宿屋の名前は『八つの鈴』だが、看板には七つし
かない。
人々に好奇心を起こさせ、彼らの心をつかんでしまうには充分だ。
だが、この種の好奇心はどこにも行き着かない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

196 避難民のマジレスさん :2019/01/03(木) 13:35:43 ID:LC3de7YgO
>>195
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

人々は神について尋ね、真理について尋ねるが、 彼らの目を見れば、その尋ね
方を見れば、本気でないことがわかる。
天気の話でもするように、人々は神についても話す。
それはうわべを取り繕うための会話だ。
誰も本気で取り組んでいないようだし、誰も情熱的に探求してはいないようだ

だが、探求に大いなる情熱をかけ、 全身全霊をあげて、完全にその身を投入
しないかぎり、 みずからの実存の秘密を知ることはできない。
なぜなら、多くの仕事をしなければならないからだ。
好奇心にかられた人間は、それだけの仕事をこなすことができない。
好奇心にはあなたを遠くに連れてゆくだけの力がない。
そのエネルギーはひじょうに小さく、ちっぽけなものだ。
知りたいという心からの情熱があってはじめて、 必要とされる困難すべてを乗
り越えてゆくことができる。
それは骨の折れる仕事だ。
(p129)
だから、『黄金の華の秘密』に関してまず第一に 理解すべきことはこれだ―哲
学的にならないこと、 社会に毒を盛られないようにすること、 信じることもせ
ず、不信感も抱かないこと。
いいかね、「信じるな」と言うとき、そのつど 私は不信感を抱けと言っている
のではない。
不信感というのは別種の、否定的な形の信念だ。
「信じるな」というとき、私は信も不信も一緒に落とさなければならないと言
っている。
あなたは何の結論も抱かず、ただ 開いていなければならない。
あなたは知識で無知を隠さずに、ただ 自分が無知であることに 気付いていな
ければならない。
あなたは無垢に、純真な無知 にならなければいけない。
あなたは「私は知らない」 と言わなければならない。
正しい取り組み方は、すべて この「私は知らない」からはじまる。
知りもしないのにすでに何かを知っている気でいるなら 、知識で一杯になって
いるなら、その信念そのものが妨げ となり、その信念そのものが真実ではない
体験を引き起こす。
信念に毒を盛られると― 信念はLSDやマリファナやハッシッシに似ている。
信念に毒を飲まされると、それを投影した世界が つくられてゆき、あなたの空
想力は歯止めが利かなくなる。
空想力が翼を広げはじめると、あなたは現実との接触を失い、遊離した私的な
世界をつくりあげてしまう。
あなたは愚か者になる。
これが「愚か者」という言葉の意味だ。
私的な世界に住み、自分だけの現実をもち、 本当に実在するものから完全にか
け離れ、 自分の空想がリアルになるあまり、その視野から現実がすっかり消え
失せてしまった者。
LSDやマリファナや他の薬物ドラッグを飲むときに起こることはそれだ。
薬物はあなたのなかに色彩豊かな小さな空想の世界をつくりだす― 少なくとも
薬物に溺れているときには色彩にあふれている。
そして薬物の影響下にあるときには、体験するものすべてが究極の真理に見える

毎日、誰かが私のところに来て言う。
「世界がこんなにも美しいことに気付いたのは薬物ドラッグのおかげです」
あなたが気付いたのは夢の世界にすぎない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

197 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/03(木) 22:42:27 ID:1d4drIFg0
全ての探求は自分自身が何の先入観もない状態で始めなければならないのじゃ。
先入観があればそれに引きずられて結果も正しくないものになってしまうのじゃ。
未知の大陸を行く探険家のように何も知らないところから始めるべきなのじゃ。
そうすれば心の中にも新しい変容となる気付きを得ることが出来るのじゃ。

198 避難民のマジレスさん :2019/01/04(金) 01:02:23 ID:LC3de7YgO
>>196
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

薬物はあなたの批判力を取り去るだけだ。
薬物はあなたの理性を麻痺させるだけだ。
そうなると夢の世界がそのすべての窓を開き、止めどなく あらゆる方角に流れ
出してゆく。
批判力が働かなくなると ・・・理性が働きを停止し、空想力が全開になり、歯
止めがまったく きかなくなると、あたかもそれが究極の真理であるかのような
感じがしてくる。
が、そうではない。
それは真理とは何の関係もない。
真理は化学的な薬物だけではなく、宗教的な薬物の影響すらまったく 受けてい
ない者、微塵みじんも影響を受けていない者に対して のみ開かれる。
そういう者たちだけが真理を知る力を秘めている。
聞いた話だが・・・ 笑気ガスを吸った偉大な心理学者ウイリアム・ジェーム
ズは、究極の ”真理”に到達した。
彼は薬物ドラッグの実験を最初に行なった人々 のひとりだった。
当時は、薬物を常用している人々はいなかった。
彼は笑気ガスの影響を受けて、究極の真理に出くわしたと感じた。
彼は優れた心理学者であるとともに哲学者でもあったが、人がほとんど やらな
いようなことをやった。
ただちにその体験をノートに書き記したのだ。
彼には何かとほうもない価値のあることが自分の意識に起こったので、 ただち
にそれを書き記さなければならないと気付くだけの分別がまだ残されていた。
薬物による体験が終わってしまえば、それを忘れてしまう かもしれない。
そこで彼はその体験を書き記し、出くわした究極の真理が何であるのかを読む
ことができるように、薬物の影響が消える瞬間を待った。
彼は自分が仏陀やキリストのような人物になり神を見たとか、 あるいはウパニ
シャッドの賢者、老子、ツァラツストラ、マホメット たちが見たものを、それ
ほど重要なものを見たと考えた。
だが、正気に もどり、ノートを見て、彼はひじょうに戸惑い、驚いた。
ノートにはこのようなことが書かれていた。
ホガマス、ヒガマス、男は一夫多妻バリガマスである。
ヒガマス、ホガマス、女は一夫一婦モノガマスである。
これが彼の出くわした”究極の真理”とやらだった。
どんなに 馬鹿げたことでも、正気を失い、理性が働かず、批判力 が完全に眠り
こけているときには究極的なものに見える ―どんなに馬鹿げたことでもだ。
だが、その瞬間には、それは馬鹿げたものではない。
その瞬間には、それは究極の真理のように見える。
オルダス・ハックスレーは言っている。
はじめてLSDを飲んだとき、 彼はごくふつうの部屋に座っていた。
彼の前には何の変哲もない ふつうの椅子があった。
いったんLSDが体内で効きはじめ、化学組成に 影響を与えはじめると、椅子が目
を疑うほど美しく見えはじめてきた。
彼の生涯でものがそれほど美しく見えたのははじめてだった。
椅子 は輝いていた。
椅子から極彩色で、サイケデリックな光があらゆる方角に流れ出していた。
椅子は同じままであり、そのゲーム全体を つくりだしているのは空想力にすぎ
ない。
たんにLSDが狂気に駆り立てているだけだ。LSDが批判力の芽をすべて摘み取って
しまっている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

199 避難民のマジレスさん :2019/01/04(金) 10:47:08 ID:LC3de7YgO
>>198
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

(p132)
信仰にとって疑いは敵となるが、信頼にとって疑いは敵ではない 、と私が言う
のはそのためだ。
信頼は疑いを通して成長する。
信仰は疑いを抑圧することによって成長する。
信仰が一種の薬物ドラッグであるのはそのためだ。
薬物はまさにそのように働く。
それは、あなたが愚か者にならないように ひたすらあなたの意識を醒めさせ、
あなたが 空想の餌食とならないようにしている 疑う力を抑圧する。
宗教は昔からずっとそれをやり続けてきた。
それらは 「疑うな。疑えば、地獄に落ちるぞ。信じろ。疑いが起こったら、抑
え込め、そんなものは投げ捨ててしまえ。ひたすら信じ続けるんだ」 と言う。
「信じていれば、やがてわかる」と。
信頼というのは、まったく異なる現象だ。
それは 薬物に冒されていない意識、開かれた意識から生まれてくる。
信じることもせず、不信感も抱かず、信と不信にとらわれた結論を抱かない、
完全に自由で純真無垢な意識から。
疑いは役に立つ。
真理に到達するまで、疑いは役に立つ。 疑いは信頼の友だ。
疑うというまさにそのプロセスが空想の餌食にならないように 助けてくれる。
さもなければ、空想が好き放題に羽をのばす。
例えば、ヒンドゥー教徒に生まれ、クンダリーニについて読んだことがあれば
、あなたの空想がその体験をそっくりそのままつくりだしかねない 。
いつでも蛇はとぐろを解いて背骨の底から昇りだし、シューと 大きな音を立て
、第七のチャクラに向かって突進してゆくだろう。
そしてその体験があまりにリアルに見えるので、いったん それを信じてしまっ
たら疑うことなどできなくなる。
だがイエスはクンダリーニには遭遇しなかった。
マホメットは クンダリーニのことなど何も知らなかった。
仏陀でさえ、彼は ヒンドゥー教徒に生まれたが・・・仏陀は誠実な探求者であ
り、 あらゆる種類の信仰を落としたので、クンダリーニには一度も 遭遇しなか
った。
マハーヴィーラはクンダリーニのことなど何も 知らなかった。
ツァラツストラはそれについて語らなかった。
どういうことだろう?
彼らは取り逃がしたのだろうか?
クンダリーニは信仰だ。
七つのチャクラを信じていれば、 生涯のうちにその七つのチャクラが働きはじ
めるだろう。
何かを信じていれば、人はそれを見はじめる。
現代にクンダリーニ・エネルギーを紹介したゴーピ・クリシュナ は十三年間働
きかけ、座ってクンダリーニが昇るのを待ち続けた と言っている。
十三年は長い時間だ。
十三年間もクンダリーニを 信じて待ち、背骨の奥底深くをのぞき込み続けるこ
とができるなら、クンダリーニが昇ったとしても不思議ではない。
やがてある日、それは起こった。
蛇はとぐろを解き、猛烈なエネルギー と音―滝が落ちるような轟音をともなっ
て突進し、脳を貫いた。
それ以来 、ゴーピ・クリシュナは、天与の才能が解き放たれたと思い込んだ。
クンダリーニが昇ると人は天才になるのだと彼は考えている。
だが、彼の天与の才能が何をなし遂げたのか私にはわからない。
確かに彼は馬鹿げた、何の変哲もない、四流の詩をいくつか書いた。
それが天与の才能だとしたら、クンダリーニなど奥深くに押し込めて おく方が
ましだ。
誰もが四流の詩人になるというのは良いことだとは 思えない。
いったいどういう天分が解き放たれるというのだろう?
こういうやり方はよくない。
こんなものは空想にすぎない。
あるものを信じれば、あなたはそれを見るようになる。
危ないのはそこだ。
信じることからはじめてはいけない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

200 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/05(土) 00:48:49 ID:1d4drIFg0
クンダリニーも光を巡らすのも自分の本心の探求に使わなければ何の意味もないのじゃ。
気が頭に導かれれば多くの映像が見られるようになるのじゃ。
神仏を信じる者にはその姿も見えてしまうのじゃ。
それに囚われれば妄想を真実と思う行者病に陥るのじゃ。
気をコントロールすると共に心も整えなければならないのじゃ。
それが性命双修という道教の教えなのじゃ。

201 避難民のマジレスさん :2019/01/05(土) 21:08:51 ID:LC3de7YgO
>>199

黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづく)
 より抜粋

これがタオの視点だ―探求し、試みて、結論がひとりでに生まれてくるのを待
つのが。
(p134)
呂祖師は言った。
光を巡らせると、天と地、光と闇のエネルギーはことごとく結晶化する。
あなたの意識は外に向かって流れている―これは事実であり、信じる必要のな
いことだ。
対象となるものを見るとき、あなたの意識はその対象に向かって流れてゆく。
例えば、あなたは私を見ている。
あなたは自分を忘れ、私に焦点を合わせている。
あなたのエネルギーは私に向かって流れ、あなたの目は真っ直ぐに私に向けら
れている。
これは外向的なエネルギーの流れだ。
花を眺めて、それに魅せられるときには、花に焦点を合わせている。
あなたは自分をすっかり忘れ、花の美しさにひたすら注意を注いでいる。
私たちはこれを知っている―刻一刻とこれが起こっている。
美しい女性が通りかかると、突然あなたのエネルギーは彼女の後を追いはじめ
る。
私たちはこの外へと向かう光の流れを知っている。
これは物語の半分にすぎない。
だが、刻一刻と光は外へ流れ出し、あなたは背景に退いてゆき、二度ともどっ
てこない。
あなたの内側はどんどん空っぽになってゆき、うつろになってゆく。
あなたはブラック・ホールになってしまう。
これとまったく同じことが宇宙ではより大きな規模で起こって いる。
物理学者たちは今やブラック・ホールを発見した。
道家の人々はずっと昔にブラック・ホールを発見していたが、遥か彼方の宇宙
空間にあるブラック・ホールに関心が あったのではなかった。
彼らが関心を寄せたのは人間の内側 にあるブラック・ホールだった。
ブラック・ホールとは、あなたのエネルギーがすべて使い尽くされ、消耗して
いる状態・・・自分が空っぽになりながら、このエネルギーの源泉に滋養を与
えてゆく方法をまったく忘れている状態をいう。
科学者たちは、遅かれ早かれ、太陽はブラック・ホールになると言っている。
なぜなら、エネルギーが絶えず放射されているのに何も太陽にはもどってこな
いからだ。
それはこのうえもないエネルギーの源泉だ。
何百万年ものあいだ、太陽は太陽系に光を与え続けてきた。
何百万年ものあいだ、太陽エネルギーのおかげで樹々が育ち、 花が咲き、人間
が暮らし、動物が動きまわり、鳥たちが飛んで きた。
だが、太陽もだんだんと消耗してゆく。
それがゆっくりと進み、ある日、太陽は崩壊する。
エネルギーが涸れ果ててしまう。
突然、すべての光が消え失せ、その最後の光線がかき消えてゆく。
そうなったら、太陽はブラック・ホールになる。
人々の多くはそのようにして生きている。
この絶え間ない外向性ゆえに、彼らはブラック・ホールに なってしまう。
あなたの目はきょろきょろと動きまわる。
見 る 者 に一度もエネルギーを返すことなく、ものを見続けている。
昼間は世間を見て、夜には夢を見る。
とにかく、あなたは対象となるものに絶えず執着 し続けている。
これがエネルギーを消耗させる。
三十歳になる頃には、人はほとんどこと切れてしまい、 ブラック・ホールにな
っている。
人々は三十歳前後で死んで しまう。
埋葬されるのは七十歳前後になるだろうが―それは また別の話だ。
とにかく人は三十歳前後で死んでしまう。
思う に、「三十歳を超えた人間を信じるな」というヒッピーの考えには何らか
の真実がそなわっている。
そこには真理の種子がある。
三十歳を過ぎてもいきいきとしている人はなかなか見つからないからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

202 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/06(日) 00:00:58 ID:1d4drIFg0
光を巡らせていると気はだんだんと固まってくるというのじゃ。
最初は気体のようであったのがだんだん液体のようになる。
次には固まって個体のようになるというのじゃ。
球が体の中を巡るようになるというのじゃ。
それが丹なのじゃ。

203 避難民のマジレスさん :2019/01/06(日) 03:41:10 ID:LC3de7YgO
>>202
くまが小周天の練習をしていた時は、もやもやとした光のたまが、大きくなったり小さくなったりを繰り返しながら、通常はソフトボールくらいの大きさにまとまり、と言うか、意念でまとめて、巡らせていたであります。
下腹部で生じた熱感を伴う光の玉を、尾てい骨から背中、肩、首、後頭部へとまわしてゆき、
それぞれの部位を、少しづつ越えていったであります。
でも、光や熱は肩胛骨辺りで弱まり、首から頭頂部を抜けて行くことはなかったであります。
仕方ないので、気感のみを、意念で後頭部から額に飛ばして、下腹部におろし、なんちゃってくまなり小周天完成としたのでありました。
仙道、気功の練習は、肉体的修練そのものであると言うのがくまの実感でありましたが、巡らしてるときは、その部位、熱、光、への集中力が高まるので、集中力を高める訓練に使えるかなと思ったであります。
(´・(ェ)・`)つ

204 避難民のマジレスさん :2019/01/06(日) 03:55:19 ID:LC3de7YgO
>>201
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

人々はブラックホールになり、疲れ果て、消耗し尽くしてしまう。
彼らはだらだらと身を引きずり続けてゆく。
まるで過去からの惰性の力で行きながらえているかのように、生気をなくした
ままで生きている。
それはこういうことだ―自転車に乗りたければ、ペダルをこがなければ ならな
い。
だが、しばらくペダルをこぐのを止めても、それまで 走らせてきた惰性がつい
ているので、自転車はしばらくのあいだは 進む。
もしそれが下り坂であれば、遠くまでゆくことができる。
三十歳か三十五歳を過ぎると、人生の道は下り坂になる。
三十五歳がピークだ。平均年齢が七十歳だとすれば、三十五歳がピーク だ。
三十五歳を過ぎると、下り坂がはじまる。
あなたはエネルギ ーを使わずにどこまでも転げ落ちてゆくことができる。

道家の人々の体験では、あなたが外へ外へと使ってきた このエネルギーは、そ
れを逆転させる秘術を学ぶことで、 消耗させずにもっともっと結晶化させるこ
とができる。
それは可能だ。あらゆる集中の技法の科学はそれにつきる。
いつか鏡の前に立って、小さな実験をしてみるといい。
あなたは鏡を見ている。
自分の顔が映っている。
そこには自分の目が映っている。
これが外向性だ。
あなたは鏡に映った顔を見つめている―もちろん 自分の顔だが、それは外にあ
る対象物だ。
次にしばらくのあいだプロセスをそっくり逆にしてみるといい。
鏡に映る自分の姿から見られているという感じになってゆく― あなたが鏡像を
見ているのではなく、鏡像があなたを見ている―すると、とても奇妙な空間に
入るだろう。
数分間それをやってみれば、あなたはひじょうに活気 に満ちてきて、何かとほ
うもない力が自分のなかに 入ってくるように感じる。
一度も体験したことがない ことだから、あなたは怖くなってしまうかもしれない

あなたは完全に輪になったエネルギーを一度も見たことがない。
道家の経典には述べられていないが、これは誰にもたやすくできる最も簡単な
実験だろう。
浴室の鏡の前に立って、まず 鏡像をのぞき込む。
見ているのはあなたであり、鏡に映った姿は対象だ。
次に状況をそっくり変え、プロセスを逆にする。
自分は鏡像であり、向こうにいる人物に見られていると感じはじめる。
するとただちに変化が起こり、 大きなエネルギーがあなたに向かってくるのが
わかる。
そんなことをするのははじめてであり、体験したことがない ので、最初は怖く
なるかもしれない。
それは気違いじみて 見える。
あなたは動揺して、震えだすかもしれない。
あるいは 自分がどこにいるのかわからなくなってしまうかもしれない。
なぜなら、これまでの方向感覚は完全に外向的なものだったからだ。
内向性は徐々に身につけてゆかなければならない。
だが、輪は完結している。
そして、数日間それをやれば、一日中活気がみなぎっているように感じてあな
たは驚くだろう 。
数分間鏡の前に立って、輪が完結するようにエネルギーをもどってこさせれば
・・・。
そして輪が完結したときには、必ず深い静けさが感じられる。
輪が完結していないと落ち着きがなくなってくる。
輪が完結すると落ち着きが生まれ、あなたは中心に据わる。
そして中心に据わると力がみなぎる―その力はあなたのものだ。
そして、これは実験のひとつにすぎない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

205 避難民のマジレスさん :2019/01/07(月) 00:03:03 ID:LC3de7YgO
>>204
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

色々なやり方でそれを試してみればいい。
薔薇の花を見るなら、最初は薔薇の花をしばらく、 数分間見つめ、それから逆
のプロセスに入る。
薔薇の花があなたを見つめている。
薔薇の花からどれだけ多くのエネルギー がもらえるか、あなたは驚くだろう。
同じことを樹々や星々や人々を相手にやってみればいい。
一番いいのは愛しているパートナーとそれをやることだ。
互いの目をのぞき込んでみるといい。
まず相手を見ることからはじめ、次は相手が エネルギーを返してくれるように
感じるようにする。
贈り物が返ってきている。
エネルギーが補給された感じがする。
シャワーを浴び、風呂に入り、新しい種類のエネルギーを浴びた感じがする。
あなたは若返り、活力に満ちてそこから出てくる。
(p138)

呂祖師は言った。
光を輪のように巡らせると・・・光を巡らせるというのはまさにそのようなこ
とだ。
あなたの光は弧を描いて動いている。
出てゆくばかりでもどってこない。
あなたはやがてブラックホールになる。
輪が完結すれば、あなたはホワイトホールになる。

今やブラックホールに次いで、物理学者たちはホワイトホールも発見しつつあ
る。
ホワイトホールはエネルギーに満ちあふれている―ブラックホールとはちょう
ど反対だ。

光を輪のように巡らせると、天と地のエネルギーはことごとく・・・「天と地」
は、内と外、上と下、神と世界、目に見えないものと見えるもの、知りえない
ものと知りうるものを意味する。
「天」は神を指し、「地」は顕れた世界を指している。
輪が完結すると、それらはひとつになる。
人はただの塵チリではなく、天空の何かがあなたを貫いている。
あなたはもはや地上のものであるばかりではない、もはや人間であるばかりで
はない。
人は聖なるものになっている。
「ヒューマン」という言葉の語源を心にとめておきなさい―それは土を意味す
る「ヒュマス」からきている。
人間は土でつくられている。
人間が「ヒューマン」と呼ばれるのはそのためだ。
人間は塵であるがゆえに「ヒューマン」と呼ばれる。
塵が聖なるもので光を放ちはじめると、生命の荘厳さが知られる。
エネルギーがもどってくれば、それは可能だ。
それは至るところから取りもどすことができる。
それはまったく問題ない。
ただその秘法を実践すればいいだけだ。
ひとたびその こ つ をつかんだら、あなたは至るところにそれを見いだすこと
だろう。
緑の樹を見つめているだけで、活気がみなぎってくる―まるですべての樹液が
あなたに向かって流れてきたように。
樹の精髄ジュースがあなたの実存に入ってきたかのように。
月を見つめていると、あなたは驚くだろう―酒やその他の麻薬ドラッグで酔っ
ぱらう必要はない。
月で酔うことができるのだ。
その方法を知っていれば、月は大量のエネルギーを返すことができる。
古代インドの『リグ・ヴェーダ』には、ソーマのことが書かれている。
科学者たちは、ソーマはLSDに似たものだと考えている。
科学者たちは、ソーマというのは気候の変化か何かでヒマラヤから姿を消した
、ある種のキノコに違いないと考えている。
あるいは絶滅したのではなく、人々に忘れ
去られてしまっているだけなのかも
しれない。
今もヒマラヤの深い谷のどこかに生えているのだが、私たちはその正体をすっ
かり忘れ去っているだけなのかもしれない。
ひょっとすると古代の賢者たちは、それが危険すぎることがわかったために、
意図的に人々の記憶からそれを消し去ろうとしたのかもしれない。
オルダス・ハックスレーは、ソーマは究極の麻薬ドラッグであり、将来、究極の
LSDが発見されれば、再びそれは「ソーマ」と呼ばれるようになるだろうと言っ
ている。
だが、あなたはソーマというサンスクリット語が月の別名であることを知って
驚くだろう。
だからヒンドゥ語では、月曜日は「ソムワラ」―月の日―と呼ばれる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

206 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/07(月) 00:20:14 ID:1d4drIFg0
>>203 惜しいことじゃ。
 首の辺りにこりがあったり曲がっていたりすると気が通りにくいのじゃ。
 それを直すためにハタ・ヨーガや気功法の動功があるのじゃ。
 集中にも役立つのじゃ。
 実践してみるとよいのじゃ。

207 避難民のマジレスさん :2019/01/07(月) 19:55:53 ID:LC3de7YgO
>>205
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

ソーマは月の別名だ。
それはキノコでも、LSDのようなものでも、麻薬でもない。
それは月と霊的交流に入るための秘術だ。
ちょうど海が月の影響を受けるように、月からエネルギーを得ることができた
なら、あなたは驚くだろう―大いなる精髄ジュース、大いなる甘露が降り注い
でくる。
あなたはいかなる麻薬で酔っぱらうこともなく酔いしれることができる。
月はあなたの実存のまさに中核にまで影響を与えることができる。
それはあなたをひそやかで、穏やかにする。
それは月が女性的なエネルギーだからだ。
愛する女性を抱擁すると、たちまちあなたは深い静けさと穏やかさが湧き起こ
るのを感じる。
月からエネルギーが返ってくるときには、それとまったく同じことがより大き
な規模で起こる。
太陽が男性原理であるように、月は女性原理だ。
月は<陰>であり、太陽は<陽>だ。
月は母のようにあなたを慈しむ。
ヒマラヤの谷間にキノコを探しに出かけなくてもよい。
そのキノコはいつも天空にかかっている。それは月だ。
ただあなたはどうやって月からエネルギーをもどってこさせるか、その秘法を
習わなければならない。
月から、そして太陽からもエネルギーを得る秘密の技法が伝えられてきた。
太陽崇拝は、ある技法から生まれたものであり、巨大な太陽の神殿が建てられ
た。
コナラックの太陽の神殿は、まさに太陽への感謝を表すものだった。
それはたんなる礼拝ではなく、いかに<陽>のエネルギーを取り入れるかとい
う科学だった。
特に女性は太陽のエネルギーを取り入れるとよい。
隠され、眠っている<陽>のエネルギーが活性化するからだ。
男性は月のエネルギーを取り入れるとよい。
眠っている女性原理が活性化し、再び動きはじめるからだ。
女性は太陽を礼拝するといいし、男性は月を礼拝するといい。
だが、その礼拝はただの儀式であってはならない。
それはこのような技法でなければならない。
光を輪のように巡らせると、天と地、光と闇のエネルギーはことごとく結晶化
する。
「光と闇」は、男と女、軽さと重さ、恩寵と重力、生と死、運動と休息を象徴
している。
これらすべてが「光と闇」で表されている。
ひと言で言えば、エネルギーが輪のように巡れば、あなたはだんだんと自分が
男なのか女なのかわからないようになる。
外向性は<陽>の原理であり、内向性は<陰>の原理だ。
男には自然に外へ向かう傾向があり、女には自然に内に向かう傾向がある。
愛を交わしているときでさえ、男は目を開けたままでいる。
彼は見たい。男は覗のぞくのが好きだ。ポルノが現れるのはそのためだ。
ポルノに興味をもつ女性はいない。
女性はそれに意味があるとは思えない。
恋人と愛を交わしているときでさえ、女性は目を閉じている。
女は内向的であり、彼女のエネルギーは内側へ向かう。
だが、そのエネルギーは輪にならなければいけない。
輪にならないかぎり、人は男か女であり続ける。
だが、どちらも半分であり、同じ全体なるものの半身だ。
互いに相手に惹かれ、相手を必要とするのはそのためだ。
いつかエネルギーを輪のように巡らせることができるようになれば、あなたは
相手の男性や女性を必要としなくなる。
なぜなら、みずからの内なる男性とみずからの内なる女性が出会い、互いに溶
け合っているからだ。
あなたは全体になる。
そして全体ホールであることが神聖ホーリーであることだ。
全体であることが神聖であること―これがタオであり、そしてこれはタントラ
でもある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

208 避難民のマジレスさん :2019/01/07(月) 19:55:54 ID:LC3de7YgO
>>205
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

ソーマは月の別名だ。
それはキノコでも、LSDのようなものでも、麻薬でもない。
それは月と霊的交流に入るための秘術だ。
ちょうど海が月の影響を受けるように、月からエネルギーを得ることができた
なら、あなたは驚くだろう―大いなる精髄ジュース、大いなる甘露が降り注い
でくる。
あなたはいかなる麻薬で酔っぱらうこともなく酔いしれることができる。
月はあなたの実存のまさに中核にまで影響を与えることができる。
それはあなたをひそやかで、穏やかにする。
それは月が女性的なエネルギーだからだ。
愛する女性を抱擁すると、たちまちあなたは深い静けさと穏やかさが湧き起こ
るのを感じる。
月からエネルギーが返ってくるときには、それとまったく同じことがより大き
な規模で起こる。
太陽が男性原理であるように、月は女性原理だ。
月は<陰>であり、太陽は<陽>だ。
月は母のようにあなたを慈しむ。
ヒマラヤの谷間にキノコを探しに出かけなくてもよい。
そのキノコはいつも天空にかかっている。それは月だ。
ただあなたはどうやって月からエネルギーをもどってこさせるか、その秘法を
習わなければならない。
月から、そして太陽からもエネルギーを得る秘密の技法が伝えられてきた。
太陽崇拝は、ある技法から生まれたものであり、巨大な太陽の神殿が建てられ
た。
コナラックの太陽の神殿は、まさに太陽への感謝を表すものだった。
それはたんなる礼拝ではなく、いかに<陽>のエネルギーを取り入れるかとい
う科学だった。
特に女性は太陽のエネルギーを取り入れるとよい。
隠され、眠っている<陽>のエネルギーが活性化するからだ。
男性は月のエネルギーを取り入れるとよい。
眠っている女性原理が活性化し、再び動きはじめるからだ。
女性は太陽を礼拝するといいし、男性は月を礼拝するといい。
だが、その礼拝はただの儀式であってはならない。
それはこのような技法でなければならない。
光を輪のように巡らせると、天と地、光と闇のエネルギーはことごとく結晶化
する。
「光と闇」は、男と女、軽さと重さ、恩寵と重力、生と死、運動と休息を象徴
している。
これらすべてが「光と闇」で表されている。
ひと言で言えば、エネルギーが輪のように巡れば、あなたはだんだんと自分が
男なのか女なのかわからないようになる。
外向性は<陽>の原理であり、内向性は<陰>の原理だ。
男には自然に外へ向かう傾向があり、女には自然に内に向かう傾向がある。
愛を交わしているときでさえ、男は目を開けたままでいる。
彼は見たい。男は覗のぞくのが好きだ。ポルノが現れるのはそのためだ。
ポルノに興味をもつ女性はいない。
女性はそれに意味があるとは思えない。
恋人と愛を交わしているときでさえ、女性は目を閉じている。
女は内向的であり、彼女のエネルギーは内側へ向かう。
だが、そのエネルギーは輪にならなければいけない。
輪にならないかぎり、人は男か女であり続ける。
だが、どちらも半分であり、同じ全体なるものの半身だ。
互いに相手に惹かれ、相手を必要とするのはそのためだ。
いつかエネルギーを輪のように巡らせることができるようになれば、あなたは
相手の男性や女性を必要としなくなる。
なぜなら、みずからの内なる男性とみずからの内なる女性が出会い、互いに溶
け合っているからだ。
あなたは全体になる。
そして全体ホールであることが神聖ホーリーであることだ。
全体であることが神聖であること―これがタオであり、そしてこれはタントラ
でもある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

209 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/07(月) 22:02:29 ID:1d4drIFg0
丹田に発生した気は陽の気であり、日の属性というのじゃ。
それが頭の天辺に達すると涼しい陰の気に変るというのじゃ。
インドのヨーガでも頭の天辺のブラフマランドラには月があるとイメージするのじゃ。
月の冷たい雫が垂れてきて冷たい気に変るというのじゃ。
その気を丹田にまで下げて収めることで小周天は完成するのじゃ。

210 避難民のマジレスさん :2019/01/08(火) 02:05:22 ID:LC3de7YgO
>>209
>頭の天辺に達すると涼しい陰の気に変る>インドのヨーガでも頭の天辺のブラフマランドラには月があるとイメージする
>月の冷たい雫が垂れてきて冷たい気に変る
>その気を丹田にまで下げて収める
←そう言えば、身体を流れる気を観察していると、皮膚の表面や身体の内部で、温度の違いを感じたであります。
気自体の熱感が際立って感じられるのでありますが、冷たい部分も確かにあったであります。
当時その事を、2ちゃんの仙道スレに書いたら、名無しさんに、「陰の気」と教えてもらったのでありますが、
別の書き手に、全否定され、くまの書くことは全部嘘だと決めつけられ、粘着されてしまったのでありました。
気功修行の記録をそこに残していたのでありますが、
粘着くんへの対応が面倒になり、記録とともに、その修行自体も中断したのでありました。
(´・(ェ)・`)つ

211 避難民のマジレスさん :2019/01/08(火) 02:20:20 ID:LC3de7YgO
>>208
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

光を輪のように巡らせると、天と地、光と闇のエネルギーはことごとく結晶化す
る。
カール・グスタフ・ユングが「個性化」「結晶化」と言っていたのはこのこと
だ。
ゲオルギー・グルジェフが「自己の誕生」あるいは「魂」と言っていたのはこ
のことだ。
あなたは通常は断片にすぎない。
あなたはたくさんの自己を持っている。
単一の"私"はなく、たくさんの"私"、小さな"私"をもっている。
しかもそれらがみな支配権を握ろうと、互いに闘い、競争し合っている。
人間は複数だということ―それが人間の惨めさだ。
自分がたくさんいたら、どうして安らぐことができるだろう?
ある部分が「これをやれ」と言い、別の部分が「いやだ」と言い、また別の部
分が「もっと他のことをやれ」と言う。
どれに従っても後悔することになる。
なぜなら、それに従いたくない他の部分が問題をつくりだすからだ。
「おまえは道を間違えている。別の選択をしていた方がはるかにましだった」
と他の部分がしきりに言い続ける。
「俺についてきたら、もうたどり着いていたのに。
見ろ、おまえが耳を貸さなかったせいだ」
だが、その部分に耳を傾けていたなら、また別の部分が反撃に出ていただろう。
人間はけっして満足しない。満足することなどありえない。それは人間が複数
だからだ。
ひとつになれば、満足はおのずと湧いてくる。
あなたが複数いるなら、不満足はやむをえない。
あなたが複数いるなら、葛藤の絶えない人生になる。
ひとつであれば、葛藤は消え失せる。
あなたは我が家に帰り着いている。
道家の人々が「結晶化」と呼んでいるのはこのことだ。
それを達成する技法は、あなたの<陰>と<陽>がもはや分離していないよう
に光を輪のように巡らせることだ。
光はまさに呼吸のごとく動かなければならない。
息は出ては入り、入っては出てゆく。
あなたは息を吐き、息を吸う。
息を吐いてばかりいる人を思い浮かべてみるがいい。
彼は生きてゆけなくなる。
彼の肉体は死んでしまう。
あるいは息を吸ってばかりいる人を思い浮かべてみるがいい。
彼もまた死んでしまう。
だが、これこそまさにあなたの魂に起こっていることだ。
あなたの魂は死んでいる。
光を吐き出すか、光を吸い込むか、あなたはその片方しかしていないからだ。
まだあなたは吐くことと吸うことが輪に、ひとつのプロセスにならねばならな
いことを学んでいない。
深く吐き出し、深く吸い込みなさい。
肉体の生命にとって呼吸が必要なように、魂には意識が必要だ。
だから意識を半分のままで放置してはならない。
輪を完結させなければならない。
女性はいかにして男でもあるかを学ばなければならない。
男性はいかにして女でもあるかを学ばなければならない。
そして男性と女性が等しいバランスを得ると男女のバランスが完全に取れると
き、それが結晶化、個性化であり、魂が生まれるときだ。
(p142)

この秘術を行ないはじめると…そして、確かにそれは秘術だ。
本当に信じられないほどの効果があるからだ。

この秘術を行ないはじめると、まるで生ける存在の 只なかに無があるように感
じられる。
私が「ブラック・ホール」という言葉で言おうとしたのはこのことだ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

212 避難民のマジレスさん :2019/01/08(火) 02:32:53 ID:LC3de7YgO
>>211
仙道・気功、あるいはクンダリニヨガ等の解説として、このように解説されているところは他にもきっとあり、くまも目にしたことはあるかもしれないでありますが、
はじめて心に響いたであります。
くまの実感としては、気を巡らす訓練は、数息観等の瞑想修行とは全く異質の身体修行の様に感じられ、ますます自我を強化するものの様に感じられたのであります。
それで、その訓練法を放棄するのにためらいはなかったのだと思うのであります。

鬼和尚の言われるように、惜しかったと、今は思うのでありますが、
これから、当時を思い起こして、再度取り組み完成させようとしても、この手のことは意識的に追い求めると起こらず、
身体に自然と火がつくのを待つしかないと思うのでありますが、ちょぴっとづつやってみるであります。
(´・(ェ)・`)つ

213 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/08(火) 23:31:43 ID:1d4drIFg0
>>210>>212 陰の気まで感じられていたのに惜しいことじゃ。
 自分の修行について話したり、書いたりしないほうがよいのじゃ。
 常に批判する者は居るからのう。
 それをドリームバスターと言ったりするのじゃ。
 夢を壊すものなのじゃ。
 修行法をも秘密にするのはそのような者に修行者が毒されないようになのじゃ。
 今度は秘密にやるのがよいのじゃ。

214 避難民のマジレスさん :2019/01/09(水) 01:21:16 ID:LC3de7YgO
>>213
鬼和尚、ありがとうであります。
うむ。
今度は、こっそりやるであります。
けど、臍下丹田〜会陰の辺りで陽気が滞っていることを仙道スレに書いたら、名無しさんに、逆腹式呼吸で押し出す方法を教えてもらい、助かったりもしたのであります。
うむ。でも今度は、極秘でやるであります。
(´・(∀)・`)つ

215 避難民のマジレスさん :2019/01/09(水) 02:11:17 ID:LC3de7YgO
>>211
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

この秘術を行ないはじめると、まるで生ける存在の 只なかに無があるように感
じられる。
…生ける存在に囲まれているかのように感じられるが、 あなたは非存在、無の
孤島―ブラック・ホールにすぎない。
樹々は生きている。
星々は生きている。
鳥たちは生きている。
大地は生きている。
太陽や月は生きている。
あらゆるものが生きている。
ところがあなたは……死せるブラック・ホールにすぎない。
生ける存在のこの広大な海原のなかで、あなただけが非存在だ。
これは修行をはじめたばかりのときに起こってくる状況だ。
やがて修行の成果が現れてくると、肉体の外に肉体があり、 あたかも無の只な
かに生ける存在があるかのように感じられる。
あらゆるものが一変してしまう。
あなたは生ける存在、ホワイト・ホールになる。
あなたはすっかり統合され、結晶化しているので、それと比べれば、太陽や月
や樹や鳥や動物はすべて非存在のように見える。
仏陀のような人を思い浮かべてみるといい。
彼には存在感がある。
彼と比べれば、全存在も青ざめているように感じられる。
彼には生命、永遠の生命、ありあまるほどの生命がある。
全存在は貧しく、彼は豊かだ。
彼は帝王であり、全存在は乞食のようにみすぼらしい。

やがて修行の成果が現れてくると、肉体の外に肉体があり……この光の輪があ
なたのなかで定まり、結晶化すると、あなたは肉体の中にある別の身体を感じ
るようになる。
この肉体は塵ちりでできているが、その身体は神で、聖なるものでできている。
この肉体には形があるが、その身体には形がない。
この肉体は粗雑だが、その身体は微細だ。
この肉体は死なねばならないが、その身体は死を知らない。
この肉体は時間の一部だが、その身体は永遠の一部だ。
この第二の身体が生まれると―それを生み出すためには、まず光を吸ったり吐
いたりする方法を身につけなければならない……ちょうど息を吸ったり吐いた
りするように、第二の身体、光の身体において光を吸ったり吐いたりする方法
を身につけたなら……。
この肉体は闇の肉体であり、この肉体は大地の一部、重力の一部だ。
それは重く、下方へと引っ張られる。
もうひとつの身体は上方へと引っ張られる。
それは恩寵の一部であり、軽いライト……文字通り光ライトのように軽い。
それは光を放ち、重さをもっていない。
あなたは飛ぶことができる。
禅の人々が「翼なくして飛翔する」と言うのはそのことだ。
そうなったら大空とその限りのなさがそっくり手に入るようになる。
(p144)

あたかも無の只なかに生ける存在があるかのように感じられる。
百日 のあいだ懸命に努力を続けると、ようやく火が発するようになる。
最初、光はほとんど空想されたもののように見えるだろう……最初は空想から
出発するしかない。
時が経ち、百日が過ぎると、百日のあいだ
懸命に努力を続けると……それはど
れだけ集中して働きかけるかにかかっている。
百日と決められているわけではない。
全身全霊をあげて取り組めば百日だが、気を抜けば百年、あるいは百回生まれ
変わらなければならないかもしれない。
それはいかに熱心に取り組むかにかかっている。
心血を注ぎ、全身を投げ入れ、打ち込み、すべてを賭ける用意ができているな
ら、百日間で「火」が生じてくるだろう。
最初のうちは空想であっていい。
空想は悪いものではない。
空想によって現実から目をそらしたり、空想が障壁とならないかぎり、それは
悪いものではない。
現実と協調しているかぎり、空想は悪いものではない。
それは大きな祝福となるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

216 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/09(水) 22:44:20 ID:1d4drIFg0
丹は集中して気を集めているとだんだん大きくなってくるのじゃ。
体の中で別の体を形成するのじゃ。
陽神というのじゃ。
それはやがて頭の天辺から体を抜け出すようになるのじゃ。
そのような現象はヨーガや仏典にもあるのじゃ。
脱身とか意生身というのじゃ。
実際は意識が拡大しているのじゃ。

217 避難民のマジレスさん :2019/01/09(水) 23:51:57 ID:LC3de7YgO
>>215
15黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる3
 より抜粋

最初はそれは空想の産物のように感じられるだろう。
鏡を見ながら、あなたは「鏡に映った自分がこちらを見ているなんて、これは
すべて空想だ」と感じるだろう。
最初は紛れもない空想だが、間もなくそれは空想でなかったことに気付くだろ
う。
あなたは現実の扉の錠を開けようとしていただけだ。
それは現実に起こりはじめる。
最初のうちは大いなる愛を込めて樹に触れても―あなたは樹が応えてくれるは
ずがないと思っている―樹が少しでも応えてくれるのを感じても、あなたは空
想だと思うだろう。
そうではない。樹は応えている。
だが、本当にそうだと気付くには少々時間がかかるだろう。
あなたが愛にあふれていれば、樹は愛をもって応えてくれる―愛にはいつも愛
が返ってくる。
愛に愛が返ってこなければ、その愛は愛ではなかったのだと知りなさい。
それが真相だ。
別の何かが愛の仮面をかぶっていたということだ。
(p146)

そうしてはじめてそれは精神の火となる。
百日間にわたる懸命な努力ののちに、それは精神の火となる。

さらに百日行ずれば、光の中に真の光の極がおのずと現れてきて……はじめは
光は散漫だ。
わずかにそこにあるのが感じられるだけだ。
そこにあるかと思えば、またなくなってしまう。
それはひじょうに微かで、とても壊れやすい。
だが、徐々に光の中心がしっかり定まってくる。
それは「光の極」になる。

突如、真珠の種が生まれる。
そうなったら、「光の極」のそのまさに中心に、「真珠の種」が生まれる。

それはあたかも男女が交わって受胎が行なわれるようなものである。
まさにその通りのことが起こる。
内なる男と内なる女が抱擁し合っている。
それは一種の内なる性交だ。
それが真のタントラだ。
あなたの女性的な部分と男性的な部分が互いに愛を交わし、ひとつに結ばれて
いる。
そうなったら、彼らは別れる必要がない。
外側の女性と結ばれたままではいられない。
さもなければひどく醜いことになる。
外側の女性と結ばれたままではいられない。
さもなければ嫌悪をもよおすことになる。
外側の男性と結ばれたままではいられない。
それは つかのまのものでしかありえない―ほんの一瞬だけ、 あなたがたは合一
状態をかいま見ることができる。
だが、内なる結合は解く必要がない。
仏陀のような人は絶えることのない オルガズムの状態を生きている。
内なる女性と内なる男性が愛を交わし続けている。
ヒンドゥー教の寺院でシバリンガを見たことがあるに違いない。
あれは象徴シンボルだ。あのリンガの下には ヨーニ、女性の性器がある。
それは内なる男と女の出会いの 象徴だ。
フロイト派の学者が解釈するような、たんなる男根では ない。
それは象徴的なものであり、人の内なる極性を表している。
ひとたびこの出会いが起これば、あなたは新しく生まれ変わる 。

イエスがニコデモに「もう一度生まれ変わらないかぎり……」 と言うとき、彼
が伝えようとしているのはこのことだ。
私はキリスト教徒がなんと言うか知らないし、そんなことは 気にもかけないが
、彼が言おうとしているのはこのことだ。
「もう一度生まれ変わらないかぎり……」 これが彼の言おうとしている誕生だ。
そしてこれが ヒンドゥー教徒が「ドウィジャ」―二度生まれ― と呼んでいるも
のだ。
あなたは自分自身を誕生させた。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

218 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/10(木) 23:02:27 ID:1d4drIFg0
丹が陽神になるまでに長い年月がかかるのじゃ。
毎日座って気を集中していかねばならないのじゃ。
その期間を養胎というのじゃ。
妊娠した時と同じであると例えられるのじゃ。
体の中に新しい体が作られるのであるからのう。

219 避難民のマジレスさん :2019/01/11(金) 00:09:06 ID:LC3de7YgO
>>217
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

外側の男が外側の女と出会えば子供が生まれ、赤ん坊 が産み落とされる。
内なる男が内なる女と出会うときにも 子供が生まれるが、あなたは親であると
同時に子供にもなる 。
あなたの内側に新しい生命いのち、覚者ブッダの生命、 <光明エンライトンメ
ント>の生命、不死の生命が芽生える。
このときには静かな状態で待たなければならない。
内側でこの受胎が感じられたら、内なる男性が内なる女性を貫き、女性が受胎
したのを感じたら、あとはもうただ待てばよいだけだ―女性が九ヶ月間、大い
なる喜び、大いなる祈り、大いなる希望を抱いて待つように。
しなければならないことは何もない。
まったく何もする必要はない。
為すべきことは終わっている。
男性の役割は行為にある。
光を巡らせることが男性の役割だ。
ひとたび受胎が起こり、内なる女性が妊娠したら、男性的な部分は働く必要が
ない。
それは休まなければならない。
あとはものごとが自然に成長してゆく。
瞑想が最初の部分であり、
あとは祈りだけが残されている。
「瞑想なくして祈りが何であるかを知ることはけっしてできない」と私が言う
のはそのためだ。
祈りは瞑想がとるもっとも高次な形態だ。
祈りはかぐわしい香りのようであり、瞑想は花のようだ。
人は瞑想を通ってゆかなければならない。
人々は私になぜかと尋ねる。
もしもその人の道が祈りの道だとすれば、このアシュラムでは、彼らにどうし
てこんなにたくさんの瞑想を勧めるのかと。
祈りはやって来る、あなたは祈りがやって来るための道を準備しなければなら
ない。
あなたはあらゆる種類の瞑想を体験しなければならない―それは浄化のプロセ
スだ。
満足させる必要があるのはあなたの男性的な部分であり、そうすれば女性的な
部分が後を引き継ぎ、あなたは妊娠するだろう。
そして妊娠するというのは祈りに満ちることだ。
なぜなら、もう何もすることがないからだ。
努力は終わり、今やあなたは無努力になっている。
道家の人が「無為の為」と呼んでいるのはこのことだ。
あなたは光を輪のように巡らせる実験を重ねてきた。
長いあいだ懸命に努力して成果をあげた。
あなたの内側で何かが結晶化している。
男と女はもう分離していない。
それらはひとつになっている―子供がそこにいる。
今や待つこと以外、何ひとつ必要とされない。
希望に満ちて待ち、信頼に満ちて待てばいい。
そしてこれこそが祈りだ。

根源的な変容の只なかにあっては、光の放射が決定的な働きをする。
受胎が起こったことをあなたはどうして気付くのか?
あなたは内なる輝きを見るようになる。
目を閉じるたびに、闇ではなく光の放射が見えてくる。
それを見るのはあなただけでなく、あなたを愛している人々―彼らもまたあな
たのまわりに霊光オーラを見るようになる。

根源的な変容の只なかにあっては、光の放射が決定的な働きをする。
女性が妊娠しているとどうしてわかるのだろう?
子供を宿している女性のまわりにある種の霊光オーラを見たことがないだろう
か?
彼女の目、彼女の顔、彼女の実存そのものから、ある光が放たれているのを見
たことがないだろうか?
あなたが内側に神を孕はらんでいるとき、それとまったく同じことが、もっと
高い次元で起こる。
あなたは光の放射を見る。
目を閉じるたびに、内側にはただ光が満ちあふれている。
光源のない光がどこからともなくやってくる。
それはひじょうに涼しい光、月光のようなものだが、このうえもない魔法のよ
うな魅力をおびている。
そしてあなたを愛している他の人たち、あなたとひじょうに親しい者たちもそ
れを感じはじめる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

220 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/11(金) 22:47:32 ID:1d4drIFg0
陽神が完成すると光が三度発生するというのじゃ。
養胎が終わったしるしなのじゃ。
それは陽神を体の外に出してもよいという合図なのじゃ。
陽神を体外に出すことを出神というのじゃ。

221 避難民のマジレスさん :2019/01/12(土) 10:49:49 ID:LC3de7YgO
>>219
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

聖人の肖像のまわりに霊光が描かれるのはそのためだ。
それは誰の目にも見えるものではない。
あなたがキリストを見たとしても、彼の霊光オーラは見えなかっただろう。
だが、弟子たちには見えた。
彼を十字架にかけた者たちの目にその霊光が見えなかったことは確かだ。
彼らは見ることができなかった。
彼らは盲目であり 、閉じていた。
弟子たちには、仏陀のまわりに霊光が見えた。
この秘密は愛する者たちだけに明かされる。
これは ひじょうに近しい者たちだけに明かされる秘密であり 、相手かまわずど
この誰にも明かされるわけではない。
この秘密はごく親しい者たち、近くへ近くへ近くへと 近つ゛いてくる者たち、
心を開いた、 感じやすい者たちだけに明かされる。
(p150)
●空想でなく事実●1/1

根源的な変容の只なかにあっては、光の放射が決定的な働きをする。
それは物質界においては太陽であり、人間においては目である。
あなたのなかで内なる放射が輝きを増しはじめると、目は輝きを帯び、酔っぱ
らったようにみえる。
その目は踊っている―霊妙な光、まったく異なる質が現れる。
もはやその目はただものを見るだけでなく、分かち合ってもいる。
タオを分割することはできないが、それを分かち合うことはできる。
そしてタオの分かち合いは目を通してなされる。

サニヤスを授けるとき、私は、私の目を見るように求める。
私は奥深くで触れるために、あなたの目をのぞき込み、この目であなたの目を
深く掘り下げようとする。
なぜなら、あなたの両目の後ろには第三の目が隠されているからだ。
第三の目に触れられれば―あなたが開いていれば、それはまたたく間に起こり
、時間はかからない。
第三の目に触れられれば、弟子がやって来たのがわかるからだ。
感触がなければ、その人はいつの日にか弟子になるだろうと望みをかけるだけ
だ。
望みをかけて、私はサニヤスを与える。
だが、それはあくまでも望みだ。
かなえられるかもしれないし、かなえられないかもしれない―それは千とひと
つのことに左右される。
だが、弟子となるべき者に出会ったとき、その第三の目がただちに私に感応し
はじめたら、あなたはずっと探しに探し求めてきた場所にたどり着いていると
いうことだ。
そうなったら、もうどこにも行く必要はない。
もう師マスターも、教えもいっさいいらない。
あなたはわが家に帰り着いている。

このエネルギーは外界に向けられる(下に流れる)。
通常、目から放たれるエネルギーは外に向かって流れている。
〝外向〝と〝下降〝は同じ意味だ。

それゆえに黄金の華の道はひとえに逆流の技法にかかっている。
通常、エネルギーは外に向かい、下降している。
あなたはそれを逆転させ、内に向けなければならない―そして"内向"と"上昇"
は同じ意味だ。
ひとたびエネルギーがあなたにもどりはじめ、あなたがエネルギーの輪になれ
ば、驚くようなことが起こる―新しい次元が扉を開き、あなたは上昇しはじめ
る。
あなたの生はもはや水平なものではなくなる。
それは新しい道筋を取り、垂直になる。
神は垂直の道筋の上にある。
この世界で神に出会うことはない―神がこの世界にいないわけではないが、垂
直に動いていないかぎり、神にであうことはない。
盲人に光が見えないように、水平に動いている者には神が見えない。
たくさんの人が私のもとに来て、「神を見せてくだされば、私は信じます」と
言う。
だが、どうして神を見せることができるだろう?
私はあなたがたを水平な生き方から垂直な生き方へと転換させなければならな
い。
サニヤスとはまさにそのこと―垂直な在り方を指している。
ひとたび光が上昇しはじめたら、黄金の華が開く。
これらはシンボルだ。あなたの内側に花があるわけではない。
「華」とはたんに花開くこと、「黄金」とはたんにそのまばゆい光、その輝か
しい放射を表しているだけだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

222 避難民のマジレスさん :2019/01/12(土) 12:50:19 ID:LC3de7YgO
>>221
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第四話 光を輪のように巡らせる(つづき)
 より抜粋

光が巡るのはたんなる空想ではない。
覚えておきなさい。光が巡るのはたんなる空想ではない。
最初のうちは空想のように見えるが―あなたはたゆまず努力しなければならな
い―すぐにそれは実際に起こる。
それは事実だ。それはそもそものはじめから事実だった。
ただあなたがそれに一度も触れたことがなかったために、最初は空想のように
見えるだけだ。
(p153)
思考を集中させることで、人は飛翔することができる。
欲望を集中させることで、人は落ちる。
道家タオイストは下方へ、外へと向かうエネルギーを「欲望」と名つ゛けてい
る。
道家は内側に向かうエネルギーの象徴として「思考」という言葉を使っている

だから誤解しないように。
道家の言う「思考」は、いわゆる思考のことではない。
「思考」という言葉で彼らが言おうとしているのは、欲望を浄化した思考エネ
ルギーのことだ。
思考から欲望を浄化し、いっさいの欲望が消えてしまえば、外に向かう必要は
なくなる。
なぜなら、あなたが外に向かうのは、ひとえに何かを欲しがっているからだ。
家が欲しい、金が欲しい、力が欲しい、男が、女が、あれやこれやが欲しい。
そうなると、あなたは外に向かう。
欲望がなければ、思考は外に向かう必要がない。
それは内側に向きを変えはじめる―百八十度の転換が起こる。
欲望のない思考は内側に向かって動く。
欲望に満ちた思考は外側に向かって動く。
覚者ブッダたちが口をそろえて無欲さを強調するのはそのためだ。

学人がみずからの思考に少しも注意を払わず、欲望に かまけるならば、下方
へ向かう道に沈み込む。
弟子がみずからの思考に少しも注意を払わず、欲望にかまけるならば、彼は世
間に呑み込まれてしまう。

黙想と静けさによってのみ、真の直観が湧き起こってくる。
このために逆流の技法が必要となる。
思考から欲望の流れを落とさなければならない。
欲望の汚れを落とした思考は無思考になる。
欲望をもたない心は無心になる。
パタンジャリが「サマーディ」と呼び、禅の人々が「悟り」と呼び、道家の人
々が「結晶化」―外向と内向のバランス―と呼んでいるのはそれだ。
そうすればエネルギーが失われることはない。
鳥が朝になると空に飛んでゆき、日が暮れると巣にもどってくるように、それ
は世間に出てゆきもどってくる。
みずからのエネルギーをくり返しくり返し巣にもどってこさせなさい。
エネルギーを自分に帰らせずに、出てゆくままにしておいてはいけない。
そうすればあなたは貯水池になり、内側でとほうもなく力強くなる。
その力のなかではじめて直観が働きはじめる。

その力のなかで精神の火が生まれる。
その力のなかで真の光の極が現れる。
その力のなかでみるみる真珠の種子が育ってゆく。

それはあたかも男女が交わって受胎が行なわれるようなもの である。
このときには静かな状態で待たなければならない。
瞑想が完成すると、祈りがはじまる。
瞑想を祈りへと成長させること―タオの仕事はそれにつきる。
(p154)

(´・(ェ)・`)
(おわり)

223 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/12(土) 21:42:11 ID:1d4drIFg0
丹が完成して発生する光は金色であるというのじゃ。
それが華のように放射されるのじゃ。
そうであるから黄金の華という題名があるのじゃ。
それはサマーディに達した合図でも在るのじゃ。

224 避難民のマジレスさん :2019/01/12(土) 22:42:19 ID:LC3de7YgO
>>222
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第五話 解放の機縁1
 より抜粋

呂祖師は言った。

解放の機縁は目のなかにある……人間の身体の華の種子は 上方のからっぽの空
間に集中されねばならない。
不死はこのなかにあり、また世間の超克もこのなかにある。

光は肉体のなかだけにあるのではなく、 肉体の外だけにあるのでもない。
山河大地は太陽と月に照らされるが、それはすべてこの光である。
それゆえに光はたんに肉体のなかにだけあるのではない。
理解と明晰さ、知覚と光明、そして(精神の)すべての働きは この光に他なら
ない。
それゆえに光はたんに肉体の外にだけ あるのではない。
天地の光の華は数限りない空間を満たしている。
だが、個々の身体の光の華も天にみなぎり、地を覆っている。
それゆえに、光が巡ると、たちまちにして天地山河いっさいのものがそれと同
時に循環する。

人間の身体の華の種子を上方の両目のあいだに集中させること、 それが人間の
身体の大いなる鍵である。
弟子たちよ注意せよ!
瞑想を一日怠れば、この光は流出してゆき、どこへ消えてゆく のか誰にもわか
らない。
もし一刻でも瞑想するなら、一万の劫こうも一千の生涯も取り除くことができ
る。
あらゆる技法は 静けさのなかに帰す。
この不可思議な力は計り知れない。

だが、実修をはじめるにあたり、人は浅いものから深いものへ、 粗雑なものか
ら微細なものへと進んでゆかなければならない。
すべては間断なく持続するかどうかにかかっている。
実修は始めから終わりまで一貫していなければならない。
この間に、冷暖をおのずから知るのである。
だが、目指すべきは空の広大さと海の深遠さに到ることであり、 そうすればあ
らゆる技法をいともたやすく身につけることができる。
そこではじめてそれを体得したと言える。

いにしえの寓話によると、世界を創造していた神のもとに四人の天使が近つ゛
いてきて、こう質問した。
「どのようなやり方で創造なさっているのですか?」
と最初の天使が尋ねた。
二番目の天使は
「なぜそんなことをなさっているのですか?」
と尋ねた。三番目の天使は
「仕事が終わったら、私にいただけますでしょうか?」
と尋ねた。
四番目の天使は「お手伝いいたしましょうか?」
と言った。
最初の問いは科学者のものだ。
二番目の問いは哲学者のものであり、
三番目の問いは政治家のもの、
四番目の問いは宗教的な人物のものだ。
科学的な探求は、万物を偏りのない目で観察する。
科学者は客観的でなければならない。
客観的であるために科学者は身を引いたままでいる。
科学者は参加することができない。
身を乗り出すと、ただちに巻き込まれてしまうからだ。
それゆえに科学者は生命や<存在>の表層を知ることしかできない。
内奥の中核は科学には明かされずに残る。
科学的な手法そのものが妨げになる。
哲学者は憶測するだけであり、けっして実験をしない。
哲学者は「なぜか?」と際限なく問い続ける。
しかもその問いにどんな答えが与えられても、再び「なぜか?」と問うことが
できる。
哲学を通してはいかなる結論に到る見込みもない。
哲学は結論を下せないままでいる。
それは不毛な行為であり、どこにも行き着くことがない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

225 避難民のマジレスさん :2019/01/13(日) 09:42:48 ID:LC3de7YgO
>>224
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第五話 解放の機縁
 より抜粋

政治家はひたすら世界を手に入れ、それをわがものにしたがる。
政治家ほど危険なものはない。
なぜなら、彼は最も暴力的だからだ。
政治家が生に示す関心は、生そのものに向けられているのではなく、みずから
が握る権力に向けられている。
彼は権力に飢え、権力に狂っている。
彼は狂人であり、破壊的だ。
生きているものを所有したとたん、あなたはそれを殺してしまう。
なぜなら、何かが財産になったとたん、それは生命を失ってしまうからだ。
樹を所有すれば、その樹はもはや生きてはいない。
女や男を所有すれば、あなたは相手を殺してしまっている。
何かを所有すれば、その結果は死でしかない。
というのも、所有できるのは死だけだからだ。
生は自由だ。
生は基本的に自由であり続ける。
生を所有することはできない。
生を銀行に預けることはできない。
生を線で囲い込むことはできない。
「これは私のものだ」などとは言えない。
そんなことを言うのは敬意を欠いている。
そんなことを言うのは自己中心的だ。
そんなことを言うのは狂っている。
生こそが私たちを所有している。
どうして私たちが生を所有しえるだろう?
私たちはもっともっと生の手中に落ちていかなければならない。
構図ゲシュタルトがそっくり変わらなければならない。
所有欲を抱くことから、人は全体に身をゆだねられるようにならなければいけ
ない。
(p158)
政治家が生の真実を知るということはけっしてない。
宗教的な人は参加する。
彼は生とともに踊る。
彼は<存在>とともに歌う。
彼は生に手を貸す。
彼は<存在>に明け渡しており、身を引いていないし、超然としてはいない。
彼は実際にはどんな質問もしない。
彼は知識を追い求めていない。
彼の努力はすべて、<存在>といかにひとつになりきるかに向けられている。
それゆえに東洋には究極の体験を表すのに 「サマーディsamadhi」という言葉が
ある。
それは二つの言葉からきている。まず sam ― sam は一緒になることを意味す
る。
同じ sam という語根 が英語にも入って、sympathy(共感)symphony(交響曲)
という言葉のなかに見られる。少し変化して synthesis(統合)synchronicity
(共時性) という言葉のなかにもある。
sam は一緒になることを意味する。
adhi は主、神を意味する。
「サマーディ」とは 神との合一、神とひとつになることを意味する。
そして宗教を表す英語の religion という言葉の 意味はまさにそれだ。
それは<存在>とひとつに なること、分断されることなく、分離したままでい
ずに ひとつになることを意味している。この合一状態のなか ではじめて、人は
知り、気つ゛き、体験し、在るようになる。
宗教は大いなる実験でもある―実のところ、最大 の実験だ―が、違いがある。
科学は客観的な事物を 対象に実験するが、宗教は主体そのものに働きかける。
宗教の関心は「私は誰か?」ということにつきる。
人は最初からはじめなければならない。
自分自身を知らないかぎり、私は他の ことを何ひとつ知ることができない。
奥深くで無知のままであったなら、 私の知識はすべてがらくたにすぎない。
それは無知に基つ゛いている。
それは無知に根ざしている。
まず私の内側に光が生まれなければならない。
そうなれば、その光は広がってゆくことができる。
そうすれば、その光は<存在>のまさに果てまで到達することができる―<存在>
に果てがあるとしたらの話だが。
だが、まずそれは私の内側で生まれなければならない。
最初の炎は私の主体から発しなければならない。
私の中心が光で満たされて、そこではじめて空疎な知識にすぎなかったことが
すべて真に体験される。
自分自身を知らず、知 る 者 がそこにいないのに、どうして他のものを知るこ
とができるだろう?
あなた自身が深い闇のなかにいるなら、あなたが外につくりだした光はすべて
まやかしであり、幻想だ。
(p159)
(´・(ェ)・`)
(つづく)

226 避難民のマジレスさん :2019/01/13(日) 09:46:07 ID:LC3de7YgO
>>225
>生こそが私たちを所有している。
どうして私たちが生を所有しえるだろう?
私たちはもっともっと生の手中に落ちていかなければならない。
構図ゲシュタルトがそっくり変わらなければならない。

(´・(ェ)・`)つ
うむ。
なるへそ。生、生命も意識と同じでありますね。 てか、生命と意識を分別しなくてよいのでありますね。

227 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/13(日) 21:22:46 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、全て一つなのじゃ。
空間にも意識が息づいているのがわかるじゃろう。

黄金の光とは感覚や心で感じるものではないというのじゃ。
無意識によって感じるものというのじゃ。
全てがその光であり、自分の中の光とも同じものと感じるのじゃ。
ここで肉体に気を巡らせる行は精神の行ともなるのじゃ。
肉体の命と精神の性を同時に行じる性命双修となるのじゃ。

228 避難民のマジレスさん :2019/01/13(日) 22:18:33 ID:LC3de7YgO
>>225
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第五話 解放の機縁(つづき)
 より抜粋

宗教的な探索クエストは、ありうるなかで 最も深遠な探索だ。
この探索に関して理解 しておかなければならないことが二、三ある。
まず第一に、宗教は地を這うものであっては ならない―それは踊るものでなけ
ればならない 、踊りを忘れたら宗教は死んでしまう。
世間に欠けているのはまさにそれだ― 踊りを忘れたがゆえに、宗教は死んでい
る。
宗教は身を伏せて地を這いまわっており、 飛び方を忘れてしまっている。
宗教は教義ドグマと化してしまった。
教義は死であり、屍しかばねだ。
流れ、躍動し、飛び続けるためには、宗教は体験 として―理論としてではなく
、神学としてではなく― 瞑想として存在しなければならない。
神についての哲学ではなく、 個的な神の体験として存在しなければならない

そして、よくわきまえておきなさい― 神 に つ い て 知ることは 神 を 知る
ことではない。
神にまつわる知識をいくら蓄え続けても、けっして 神を知ることはない。
間接的に知ることは、 その中核そのものを貫かずに堂々巡りを続けることだ。
宗教は地を這うものであってはならないのに、そうなってしまっている。
キリスト教、ヒンドゥー教、イスラム教― それらはみな地を這いまわっている。
それらはみな護教的な立場をとっている。
それらはみな世界に科学が発達することを恐れている。
彼らは科学と闘ってきた。
彼らは科学の発達を妨げるためにできることはすべて試みてきたが、失敗した。
今や彼らは科学の裏付けを得ようと必死になり、やれることなら何でもやろう
としている。
だが、彼ら は自分たちが二義的なものになってしまったことを熟知している。
彼らは科学の裏付けなくしては存在しえない。
彼らは科学的な論証を支えとせずには存在しえない。
これは卑屈な振る舞いだ。
宗教はもはやみずからの基盤の上にみずからの足で立ってはいない。
それは科学 の裏付けを必要としている。
それは借り物の存在、借り物の生命として生き長らえている。
その時代は終わった。
なぜこのような事態が起こったのだろう?
宗教がひとたび教義ドグマと化し、もはや体験で なくなってしまうと、それは
ひとりでに死に絶える。
そして死体は自分の足で立てず、支えを必要とする。
教会や寺院はすべて支えを借り、みずからの足で立っていない。
仏陀のような人がいるとき、 彼はみずからの足で立っている。
キリストのような人がいるとき、 彼はみずからの足で立っている。
そのときには宗教は踊り、歌を歌っている。
そのときには宗教は息つ゛き、花を咲かせ、 千とひとつの花が開き、かぐわし
い香りが解き放たれる。
私はここで宗教を再び踊らせようとしている。
いかなる裏付けをも求める必要はない。
なぜなら、 宗教そのものがこのうえもなく真正な体験だからだ。
裏付けを求めて科学に目をやるのは宗教ではない!
宗教が踊りだし、息吹に満ちるようになれば、 科学がその裏付けを必要とする
ようになるだろう。
なぜなら、科学そのものが基盤を失いつつあるからだ。
科学は日毎にますます醜悪なものになりつつある。
科学は日毎にますます生を否定するものになりつつある。
科学は日毎にますます政治的なものになりつつある。
科学が発見したものはすべて政治家たちの手に落ちている。
科学が発見したものはすべて死に奉仕し、もはや生に 奉仕するものではない。
科学者の努力の九十パーセントは戦争に捧げられている。
科学は面子メンツを失いつつある。
宗教が踊りはじめないかぎり、 もはや科学にすら未来は残されていない。
科学はみずからを支えるために宗教から放たれるエネルギーを必要としている。
宗教が息吹を取りもどすことができれば、科学は宗教の一部、 影になり、そこ
ではじめて政治家とその狂気から自由になる ことができる。
さもなければ、それは不可能だろう。
人間は地球上の生命を絶滅させてしまう地点に どんどん近つ゛きつつある。
人間を救い、人類を救う ことができるのは、宗教的なエネルギーの解放だけだ。
(p161)
(´・(ェ)・`)
(つづく)

229 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/14(月) 22:28:15 ID:1d4drIFg0
ここで丹の完成から心の修行に入っていくのじゃ。
そもそも全ての気を巡らせる行から丹の完成まで全ては心を修めることのためにあったのじゃ。
丹を作り精神が深く集中したサマーディに入り、心から性を見る修行になるのじゃ。
本性を見る見性が可能になるのじゃ。
それが性命双修の道なのじゃ。

230 避難民のマジレスさん :2019/01/15(火) 03:50:14 ID:LC3de7YgO
>>228
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第五話 解放の機縁(つづき)
 より抜粋

私たちがここでやっているのはごく小さな実験に 見えるかもしれない。
だが、そこに潜む力は無限だ。
人類の未来はひとえにこの一事にかかっている。
宗教が再び人間を導くことができるかどうか、 宗教が再び人間に根源的な影響
を与えることができるかどうか、 宗教が再び人類の夢となることができるかど
うかに。
そして、それはひじょうにむずかしい夢であることを―不可能に近い夢である
ことを覚えておきなさい。
神とともにあるという夢、神のなかにあるという夢 は、実現しえない夢のよう
なものであって当然だ。
人間は勇気を失ってしまった。
今や人間の夢はちっぽけなものに、 ごく世俗的なものになってしまっている。
もはや人間が超越的なものを夢見ることはない。
そして、いいかね、超越的なものを夢見ることを止めてしまったら、人は無意
味な生を生きることになる。
意味というものは超越的なものに触れてはじめて生まれてくるものだ。
意味というのは人が大いなる全体の一部、 自分よりも高次なものの一部、自分
よりも 大きなものの一部となってはじめて生まれるものだ。
人が自分自身を超えようとするとき、そこに宗教が生まれる 。
そして私が「宗教のダンス」と呼んでいるものはそれだ ―自分自身を超越しよ
うとすること。
それができる動物は 他にいない。
他の動物にはそれはできない。
人間だけが 自分自身を超越する潜在能力と、その可能性を有している。
そして自分自身を超越した者が何人かいる。
彼岸に到達した者が何人かいる。
あなたがたに語っているとき、 私は彼岸から語りかけている。
それゆえ、私は それを借り物の知識から語っているのではない。
私は自分自身の体験から語っている。
私は不可能なことが可能になりうることを知っている。
私のなかで実現したのだから、それはあなたのなかでも 実現しうる。
ひとたびあなたの内なる実存が光で満たされれば 、ひとたびあなたの内側に闇
がないことを知れば、 あなたは宗教的になる。
不可能な夢を見なさい。
最初はほとんど馬鹿げているように見える かも知れない。
確かにそう見える。
だが、その夢が充分に強ければ、 あなたの現実リアリティは変容を遂げる。

聞いた話だが…… 丘の中腹に三本の樹が生えていた。
樹々はそよ風に 揺られ、自分たちがなりたいものを夢に見ていた。
「いつか切り倒されて、ゆりかごになりたいなあ」と最初の樹 が言った。
「いつか切り倒されて、海を渡る大きな船になり、 宝物や宝石を運びたいなあ
」と二番目の樹が言った。
すると三番目 の樹が言った。
「丘の上に立って、人々に天国を指し示したいなあ」
ある日のこと、樵きこりたちがやって来て、最初の樹を切り倒し 、
「これで馬小屋をつくろう」と言った。
樹は 「僕は馬小屋なんかになりたくない。ゆりかごになりたいんだ」 と言って
泣き叫んだが、樵たちは馬小屋にしてしまった。
やがてイエスが生まれ、他に場所がなかったので、彼らは 赤ん坊をその馬小屋
にそっと寝かせた。
すると樹は言った。
「おやおや、僕が夢に見ていたものよりずっとすばらしいじゃないか」
樵たちは二番目の樹を見て「この樹で漁船をつくろう」と言った。
樹は「いやだ!漁船なんかになりたくない。僕は宝物や宝石を運ぶ 大きな船に
なりたいんだ」と言ったが、樵たちは漁船をつくり、それを島の湖に浮かべた。
するとシモン・ペテロという名の漁師がその船 を買い、イエスがその船に乗っ
て人々に説教した。
すると樹は言った。
「おやおや、僕が夢に見ていたものよりずっとすばらしいじゃないか」
樵たちは三番目の樹を見て、
「これで十字架をつくろう」と言った。
樹は「十字架なんかになりたくない。人がその上で死ぬなんて耐え られない。
僕は丘の上に立って人々に天国を指し示したいんだ」と 言った。
だが樵たちはその樹で十字架をつくり、やがてイエスが 磔はりつけにされた。
そして、いつの時代にも人々は 十字架に目を向けてきたが、それは神を指し示
している。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

231 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/15(火) 22:43:19 ID:1d4drIFg0
中国では儒教、道教、仏教の三教を同一の父子を目指すものとみるのじゃ。
この書にも仏教の教えが多く入っているのじゃ。
光を見るのも、丹を作るのもサマーディに入るためのものとするのじゃ。
道教によくある不老不死の仙人をめざすものではなく、悟りを目指すための書なのじゃ。

232 避難民のマジレスさん :2019/01/15(火) 23:38:22 ID:LC3de7YgO
>>230
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第五話 解放の機縁(つづき)
 より抜粋

樹でさえ、夢を見、それを実現できるとしたら、人間は言うに及ばない。
人間はこの世で最もすばらしい潜在能力 をもっている。
欠けているものがあるとしたら、それは自分自身を超えたいという大きな夢が
欠けているということだ。
あなたは世俗的なもので満足してしまっている。
あなたは身を伏せて、大地を這いずりまわり はじめている。
あなたは上を見あげていない。
遥か彼方から呼びかけてくるものがある!
遥か彼方から挑みかけてくるものがある。
彼方からの挑戦を受け入れる者のみが人間だ。
そうでない者たちは「人間」と呼ばれていても 、人間の姿はしていても、真の
人間ではない。
人間でありなさい!
未知なるもの、彼方なるものの挑戦を受け入れなさい 。
それをあなたの実存の大いなる夢にするがいい。
(p164)
今見えているあなたは種子にすぎない。
種子は土中に落ち、死ななければならない。
そして樹となり、花を咲かせなければならない。
種子を割っても、そこには花は見つからない。
科学が大切 なことをそっくり見逃しているのはそこだ―科学は種子を 割り続け
てゆく。
科学は言う。
「この種子からみごとな花 が咲くだって?だったら種子を割って、分析して見
てみよう」
そして、彼らは種子を割って分析する。彼らは種子を分析する方法を手にして
いるが、花は見つからない。
そこで彼ら は花などないと言う。
彼らはそのようにして神は存在しない 、彼方なるものは存在しない、生命は偶
然の産物にすぎず、 天命などというものはない、という結論に到った。
一休禅師の有名な道歌がある。
桜木をくだきて見れば花もなし
花をば春の空ぞ持ち来る
春が来るのを待ちなさい。見たければ、春が来るのを待ちなさい。
あなたはそこで人ではなく、 ひとりの仏陀を見いだすだろう。
人ではなくひとりのイエスを見いだすだろう。
人ではなくひとりのクリシュナを見いだすだろう。
そのときあなたが見いだすのは 花であり、種子はもうどこにもない。
種子は消え失せた。
種子の役割は終わった。
それはこのうえもなく価値のあるものを守っていた。
それは青写真を運んでいた。
もうそれは必要ではない。
土が見つかり、春がやって来て、 そして種子には死ぬ勇気があった。
人間の自我エゴは種子に他ならない。
それは あくまでも自分を守ろうとする。
人々は私に尋ねる。
「自我エゴが神に対してこれほどの障壁となる なら、そもそも自我はどうして
存在するのですか?」
それはあなたを守るために存在している。
ちょうど 固い殻が種子の潜在力を守るために存在しているように。
その潜在力はひじょうに柔らかい。
まわりに固い殻が なければ壊されてしまうかもしれない。
固い殻は敵ではない。
固い殻が敵になるのは、春が来て、土壌が用意されて いるのに、種子が死ぬこ
とを拒むときだけだ。
固い殻が 「さあ、春を敵にまわしても、おまえを守り続けるぞ。 この土から君
を守ってやるぞ」と言えば、問題が生じてくる。
問題が生じるのはそこだ。
自我エゴそのものが問題 なのではない。
子供には自我がいる。
さもなければ 子供はまったく無防備のままにさらされる。
子供はこの 闘争の世界をどう生き延びてゆけばいいのかわからない。
子供はたび重なる危険から身を守る術を知らない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

233 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/16(水) 22:23:24 ID:1d4drIFg0
種子とは仏性とかアートマンともいえるじゃろう。
それらも観念に過ぎないものじゃ。
自我の持つ観念であるがそれがあるために目覚めることもできるものじゃ。
自我があることでそれらの観念を保持して実践し、目覚めることもできるのじゃ。
肉体の種子と精神の種子を合致させて華も開くのじゃ。

234 避難民のマジレスさん :2019/01/17(木) 05:58:35 ID:LC3de7YgO
>>232
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第五話 解放の機縁(つづき)
 より抜粋

子供はひじょうに柔らかく、もろい。
覚者ブッダになる前に死んでしまうだろう。
自我が彼を助ける。
自我は一種の鎧よろいであり 、心マインドもそうだ―それは子供を守っている。
それはあなたの敵ではない。
それが敵になる のは次のような時だけだ。
その瞬間がやってきて 、あなたには瞑想に入ってゆく用意ができているのに、
師マスターを見つけだし、技法を見つけだし 、用意ができているのに、心マイ
ンドは言う。
「いやだ、俺は死ねない。俺がおまえに注いできた祝福のすべてを思い起こせ
。俺がおまえに与えてきた 恩恵をすべて思い起こせ。俺がおまえにしてやった
ことをすべて思い起こすんだ!感謝してしかるべきだ 。俺を滅ぼそうとするん
じゃない」
そうなったら問題が生じる。
そうなったら、守りであったものが破壊的になる。
そうなったら、あなたは自分自身の心と闘わなければ ならない。
自分自身の自我と闘わなければならない。
自分自身の鎧と闘わなければならない。
もはや鎧は必要ではないからだ。
あなたは 内なる潜在力を解き放たなければならない ―春がやって来ている。
だから、春がやって来て、はじめてそれが問題になる。
さもなければ、それは問題にはならず、助けになる 。
が、助けとなるものも障害になりかねない。
時が到れば、それは去らなければならない。
不可能な夢、自分自身を超えてゆく夢、 にゃはんニルヴァーナの夢、解脱モ
クシャ の夢、神の王国の夢を見るがいい― 夢見ることで、はじめてあなたはそ
れに向かって働きかけ、進みはじめる。
その夢を抱くことで、はじめてあなたの足に踊りの気配リズムが感じられるよ
うになる。
夢がなければ、あなたは鈍感になってしまう。
人々がだらだらと生きているのはそのためだ。
どうして踊ることができるだろう?何のために?
毎日ただ会社に行って仕事をし、家に帰って妻と口論したり、子供の不平に耳
を傾けるためにかね?
次の日に はまた同じことがはじまり、それが年がら年中続いてゆく。
踊りたい気分にさせるものがあるだろうか?
実のところ 、人が生き続けているのは、自殺してしまわないのは奇蹟だ。
彼は何のために生きているのだろう?
彼を待ちうけているものは何もない。
彼が見あげることのできるものは何もない。
夜空に星はなく、漆黒の闇が広がっている。
人が生き続けているのは、なんとか生き ながらえているのは奇蹟だ。
自殺する人々のほうが、道理にかなっているように見える。
生き続けている人々は、まるで道理をわきまえていないように見える。
惨めで、うんざりし、足 を引きずりながら、それでも生き続けている。
だが、そこには何かがある。
そこにはひとつのことが示されている。
それは、あなたの内奥の実存はどこかに 可能性があることを知っているとい
うことだ。
いつその潜在力、可能性に目を開くかもしれない。
いつその夢があなたをわしつ゛かみにするかもしれない。
そうなったら意味が生まれ、踊りが起こる。
「宗教は芸術アートだ」とウイリアム・ブレイクは言った―「宗教は芸術であ
って、金ではない」と。
この言明にはひじょうに深遠な意味が含まれている。
そしてこんなことを言えるのは、ウイリアム・ブレイクのような人だけだ。
彼は神秘家の詩人だ。
芸術アートとは何か?
「芸術とは、何かを為す道だ」 と彼は言う。
絵画、詩、踊り、彫刻、音楽、陶芸、織物。
「芸術とは、何かを為す道だ」 彼は自分自身を創造することについては何も言っ
ていない。
だが、宗教とはまさにそれだ。
それは絵画ではない。
それは詩ではない。
それは彫刻ではない。
それは音楽ではない。
だが、同一線上にある何か、彼方の何か ― 自分自身を創造することだ。
宗教もまた何かを為す道だ― 生きること、愛すること、見ること、在ること

芸術アートとは"創作すること"に他ならない。
それは神の創造を助けることだ。
私が「お手伝いいたしましょうか?」と尋ねた天使を「宗教的な人物」と呼ぶ
のはそのためだ。
創造主を知りたければ、あなたもいくらかは自分の力で創造しなければならな
い。
(´・(ェ)・`)つ

235 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/17(木) 22:33:25 ID:1d4drIFg0
物理的な面から見れば人はただ生まれては死んでいくだけのものにすぎないのじゃ。
そこには何も残らないじゃろう。
しかし、気や光があるものならばそれを操る者に不死と真善美の世界が開かれるのじゃ。
自らの身体に光を巡らし、黄金の華を咲かせて身体の可能性を広げることができるのじゃ。
それこそ真の芸術といえるのじゃ。

236 避難民のマジレスさん :2019/01/17(木) 23:27:24 ID:LC3de7YgO
>>235
芸術は真理の表現だと、くまは思うであります。
(´・(ェ)・`)つ

237 避難民のマジレスさん :2019/01/18(金) 05:50:29 ID:LC3de7YgO
>>234
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第五話 解放の機縁(つづき)
 より抜粋

詩は宗教そのものではないかもしれないが、 正しい方向を指し示している。
真に創造的な境地にあるなら、 詩人にも宗教のことが少しはわかる― 遥か彼
方から音楽が聴こえてくる。
というのも、創造的な境地にあるとき、 人は自分自身でなくなるからだ。
彼は参加している―ごくわずかではあるが、 彼は神のもとに参じている。
神聖の一滴が彼のなかに入ってくる。
優れた詩人たちが
「詩を書くとき、創造しているのは私たちではない。私たちは 乗っ取られる。
ある未知のエネルギーが入ってきて、それが私たちのなかで歌い、踊る。私た
ちはそれが何であるのか知らない」
と言うのはそのためだ。
我を忘れて絵を描くとき、画家は絵を描くことに完全に没頭していて、彼の自
我エゴは消えてしまう。
ほんの一瞬にすぎないかもしれないが、この無我の瞬間に、神が彼を通して描
いている。
あなたが神のもとに参じれば、神もあなたのもとに参じてくる。
芸術は無意識な姿をした宗教だ。
宗教は意識された芸術だ。
芸術は夢のなかで宗教的であるようなものだが、それは正しい方向を指し示し
ている。
芸術家は宗教的な人にもっとも近い。
だが、そのようには理解されていない。
あなたがたは詩人を宗教的だと見なしたり、画家を宗教的だと見なしたりしな
い。
むしろ逆に、誰かが断食して、肉体を痛めつけ、その実存を 醜いものにしたら
、そういう人こそ宗教的だと見なすようになる。
彼はただ自分自身に暴力を振るっているだけだ。
彼はただ 自滅的で、神経症を病んでいるだけなのに、宗教的だと見なされる。
神経症を病んでいる者が大聖マハトマになる。
彼らは聖者として敬われ、崇められる。
彼らは少しも 宗教的ではない。
いわゆる聖者と人殺しのあいだに大差はない。
人殺しは他人を殺し、いわゆる聖者は自分を殺す。
だが、どちらも同じことをやっている。
どちらも暴力的であり、どちらも破壊的だ。
そして破壊的になるときは必ず、人は神からもっとも遠く離れている。
なぜなら、神は創造性だからだ。
私にとっては、倫理を説く者ではなく、美を愛する者こそが宗教性のもっとも
近くに立っている。
レーニンは「倫理学が未来の美学になる」と言ったと 伝えられている。
だが私は言う―それは違う、まったく 逆であり、美学こそが未来の倫理学にな
るだろう。
美が未来の真理になる。
なぜなら、美は創造することができるからだ。
美を愛し、美を生き、美を創造する美しい人は、努力せずとも道徳的だ。
彼の道徳は培われたものではない。
彼を道徳的にさせているのは美的感覚に他ならない。
彼が殺せないのは、生命を奪うこと が美しいことだとは思えないからだ。
彼は美を基準にして判断する。
そして私は「宗教は芸術アートだ」 というウィリアム・ブレイクに同意する

芸術アートとはものをつくることに他ならない。
創作には必ずある種の信頼が必要となる。
人がそこにないものを見て、見ることも 触ることも、聞くこともできなかっ
たものに時間と空間のなかでの形を与える。
絵であれ、詩であれ、庭園であれ、つくりだされた作品は五感ではっきりとら
えることができる。
だが、芸術と生み出された作品を混同してはならない。
これは心にとめておくべきすばらしい区別だ。
それはあなたが宗教を理解する上でこのうえもない助けになるだろう。
芸術は一枚の絵でもなければ、一体の彫刻でもない。
画商が売り買いするものは芸術作品ではあっても、 芸術そのものではない。
芸術作品は一種の財産だ。
芸術と芸術作品が同じものではないように、宗教が 生み出す教義ドグマ、教説
、『聖書』『コーラン』 『ギータ』、教会、寺院、大聖堂などといった事物 や
作品と宗教そのものを混同してはならない。
それらはあくまで芸術作品だ。
それを「宗教的な芸術作品」と呼んでもいいが、宗教とそれらを混同してはな
らない。
教会はあくまで教会だ。それは美しいかも しれないが、それそのものが宗教で
はない。
それは副産物であり、紡ぎだされたものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

238 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/18(金) 22:52:52 ID:1d4drIFg0
>>236 人は美しいものと合一することを望むのじゃ。
醜い神仏と一つになりたいと思う者は珍しいじゃろう。
美の中にのみ自我を明け渡し、死ぬことが出来るのじゃ。
それが教会や神仏が麗々しく飾られる理由なのじゃ。

239 避難民のマジレスさん :2019/01/19(土) 00:20:54 ID:LC3de7YgO
>>238
うむ。
くまも、そう思うであります。
くま、もうそれしかないと思うであります。
くま、最近、悟ったつもりで生きる作戦を実践中である。
なかなかたいへんなのであるが、普通に過去未来に生きるより、よっぽど楽なのである。
(´・(ェ)・`)つ

240 避難民のマジレスさん :2019/01/19(土) 08:07:06 ID:LC3de7YgO
>>237
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第五話 解放の機縁(つづき)
 より抜粋

『コーラン』は紡ぎだされた芸術品としては美しい詩だ。
モハメッドのこころハートに何かが起こった―それは宗教だったが、目に見え
ぬものとしてあり続ける。
何かが彼の魂のなかでかき立てられたので、 彼は歌い出し、狂ったように表現
をはじめた。
彼がはじめて山の上で独りっきりになり、神の臨在を感じはじめたとき、確か
に彼が思った通りのことが起こっていた。
彼は驚愕し、恐怖に 駆られるあまり、自分は気が狂ってしまったか、 詩人にな
ってしまったか、そのどちらかだと考えた。
彼は家に駆けもどった。
彼は熱に浮かされ、がたがた 震えていた。
突然、高熱に襲われたのだと考えた妻は 「どうなさったのですか?」と尋ねた

すると彼は言った。
「気が狂ったか、詩人になってしまったか、そのどちら かだ。
何かとてつもないことが起こっている。
それが何 なのか、それがどこからやって来るのか、私にはわからない。
私の身にはあり余るものが……私は自分の目が 信じられない。
自分のこころが、自分が感じていることが信じられない。
それがあまりに美しく、すばらしく、 広大だから、しかととらえることができな
い」
それは宗教だった。
数日続いた熱も下がり、モハメッドはその 新しい状態に、法悦に、サマーディ
に落ち着いた。
そして何かが流れ出るようにして、美しい『コーラン』 が生まれた。
だが『コーラン』は副産物だ。
『ギータ』もそうだし、『法華経ダンマパダ』もそうだ。
つねに覚えておきなさい。
聖典のなかに宗教はないし、ありえない。
聖典はどれも宗教の副産物―時の浜辺に 残された影、足跡だ。
だが、足跡は足跡にすぎない。
仏陀が浜辺を歩けば、言うまでもなく足跡 が残る。
だが、この足跡は仏陀自身ではない 。
この足跡は仏陀のものであるがゆえに美しい。
足跡に頭を垂れるがいい!
だが、それが副産物にすぎないことを忘れては ならない。
そして、足跡を崇めてばかりいないで、 あなたがひとりの覚者ブッダにならな
ければいけない。
芸術作品は一種の財産だ。
それを売り買いできるのは そのためだ。
が、芸術そのものを売り買いすることは できない。
パブロ・ピカソに芸術を売ってくれと頼んでも、それは不可能だ。
あなたにはどんな大金でも払う用意があるかもしれないが、彼は売ることがで
きない。
絵なら売れるが、彼の芸術を売ることはできない。
ものではないから売りようがない。
それはつねに不可視のままにとどまる。
目に見えるのはその結果だけだ。
神は目に見えないものであり、神は世界のなかにあってはじめて目に見えるよ
うになる。
あ な た は目に見えず、ただ肉体だけを目にすることができる。
ブレイクが「宗教は金ではない」と言うのはそのためだ。
彼は正しい。
彼は宗教は財産ではないと言っている。
宗教は財産のような ものではなく、宗教は愛に似ている―それは 買うことも売
ることもできないし、銀行に預けることもできない。
それを所有することはできない。
むしろ逆に、あなたのほうがその手のなかに落ちてゆく。
芸術作品は所有することができる。
それは財産だ。
それは死んでいる。
『コーラン』や『ギータ』や『聖書』 を学ぶことはできるが、宗教を学ぶこと
はできない。
あなたはそれを生きなければならない― それを学ぶすべはない。
あなたは 神の手のなかに落ちてゆかねばならない。
あなたは神に身をゆだねなければならない。
あなたはみずからの実存を開かなければならない。
あなたは退かなければならない。
神が入ってきて、あなたのすみずみまで占めることが できるよう、あなたはか
らっぽにならなければならない 。
まさにそうして身をまかせることで、あなたは 人類を超越する。
あなたはもはや人ではなく、ひとり の神、ひとりのキリスト、ひとりの仏陀だ。
(p171)
(´・(ェ)・`)
(つづく)

241 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/19(土) 22:54:58 ID:1d4drIFg0
>>239 どんどんやるとよいのじゃ。
 美の中に全てを明け渡すのじゃ。

時々人は光を巡らせなくとも、クンダリニーをあげようとしなくとも自然にサマーディにはいることがあるのじゃ。
長く座り続けていたとか、背骨か尾てい骨に衝撃を受けたとかの原因によるものじゃ。
その時人は脳が活性化してさまざまな芸術を自らつくりだすというのじゃ。
光を巡らすのもクンダリニーをあげるのもその模倣といえるのじゃ。

242 避難民のマジレスさん :2019/01/20(日) 13:28:50 ID:LC3de7YgO
>>240
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第五話 解放の機縁(つづき)
 より抜粋

これらの経文は人が青写真としてたずさえ、 種子の形で宿しているこの覚者ブ
ッダの本質を、 あなたが解き放つよう助ける秘法を教えている ―その本質が開
花し、大樹となって葉を繁らせ 、たくさんの花をつけるよう助ける秘法を。

さあ、経文だ―
呂祖師は言った。
解放の機縁は目のなかにある……

私があなたがたに語ってきたこの潜在能力、このブッダの本質、このキリスト
意識、クリシュナ意識、あるいはなんと呼んでもいいが、それは第三の目のな
かにある。
二つの肉眼のちょうど真ん中に、からっぽの空間がある。
そして、そのからっぽの空間は、神としてのあなたが潜んでいる種子だ。
その第三の目が働きはじめないかぎり、あなたの潜在能力は解き放たれない。
それゆえに―呂祖師は言った。
解放の機縁は目のなかにある……解放とはにゃはんニルヴァーナ、解脱モクシ
ャ、救済、自由を意味する。
解放とは光明を得ることだ。
第三の目が働きはじめることができたら……それは眠っていて、機能していな
い。
あなたのエネルギーはそこまで到達していない。
その仕組みは完璧だが、そこまでエネルギーが届いていない。
あなたのエネルギーは下降して性欲、欲望、怒りに、世俗的なことがらに流れ
込んでいる―あなたのエネルギーは下方へ、外側へと流れている。
あなたには第三の目の中枢にまで届くだけのエネルギーがない。
あり余るほどのエネルギーをもたないかぎり、それは第三の目には到達しない。
あなたはエネルギーの貯水池にならなければならない。
貯水池になり、エネルギーが浪費されなければ、日毎にその水量は増してゆく。
やがてそれは第三の目に到達する。
そしてエネルギーが第三の目に触れたとたん、間髪をいれず、ただちにそれは
機能しはじめる。
そうなったら、あなたは生のヴィジョンを、そのあるがままの姿を見る。
第三の目を通してはじめて、あなたは神、実在、あるがままのものを知ること
ができる。
肉目を通して、あなたはこの世界を知る。
そして目が二つあるために、世界は分割され、二元的なものになっている。
あなたの両目が世界を分割させている。
世界そのものはひとつ だが、あなたの見方が世界を二つに分けてしまう。
それはプリズムを通過する光線に似ている。
光線 はひとつだが、プリズムを通過するやいなや七つ に分かれてしまう。
それは分光して七色になる。
虹はそのようにしてつくられる。
太陽光線が雲のなかの水滴を通り抜けてゆく。
この浮かぶ水滴が プリズムの役割を果たす。
その水滴を通った 太陽光線は、ただちに七色に分かれる。
あなたのエネルギーが両目を通して動くと、 世界全体が二分されてしまう。
そうなると、 あなたは昼と夜を対立物として、生と死を 対立物として、愛と憎
しみを対立物として、 物質と意識を対立物として見てしまう。
両目はあらゆるものを二元的にし、極性をもたせる。
そして、この両目のせいで、あなたは <存在>がひとつであることを見ることが
できない。
二つの目がひとつにならないかぎり、あなたが 不可視のもの、宇宙的なものを
知ることはけっしてない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

243 避難民のマジレスさん :2019/01/20(日) 15:48:19 ID:LC3de7YgO
>>242
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第五話 解放の機縁
 より抜粋

この書物、『黄金の華の秘密』は言う。
外に向かう エネルギーは二元的になるが、その流れを逆転させると、再びひと
つになる―二元性を失い、不二になる。
エネルギーが両目からもどってくると、それは 本来の源へと落ちてゆきはじめ
る。
虹の七色を混ぜ合わせてひとつにすると、それは白色になり、ひとつの色にな
る。
その技法は同じだ。
外に流れるエネルギーが両目を通り 抜けると、全存在は二つに分かれる。
逆転したエネルギーが両目を通過してひとつ の目、眉間みけんの中央にある第
三の目に流れ 込むと、突然すべてがひとつになる。
これが サマーディだ。
あなたは神とひとつになっている。
解放の機縁は目のなかにある……人間の身体の華の種子は 上方のからっぽの空
間に集中されねばならない。
今現在、その空間はからっぽだ。
だが、ひとたびエネルギーが内側に向かいはじめたら、それは光で満たされる

不死はこのなかにあり、また世間の超克もこのなかにある。
あなたがみずからの実存のある一点に到達したとき……イエスは「両目がひと
つになるとき、あなたは神の王国に入っている」と言っている。
あなたは不死なるものを知る。
今やあなたは生と死は対立し合うものではなく、鳥の二つの翼であることを知
っているからだ。
死は生を破壊するのではなく、生が新たによみがえるのを助けている。
死は敵ではなく友人だ。
死はたんに生が古くなった衣装を変えるのを手伝う。
その衣装は使い古され、ぼろぼろになり、もう着ることができなくなってしま
っている。
死はあなたが家を替えるのを手伝うだけであり、あなたを終わらせるわけではな
い。
死はたんに新たな始まり、新鮮なエネルギーをあなたに貸し与えるだけだ。
そうなったら光と闇は二つではない。
そうなったら対立物は消え失せ、互いに補い合うものになる。
そうなったら全存在が男性エネルギーと女性エネルギーのあいだで交わされる
踊りになる。
それは深い歓びオルガズムに満ちた踊りになる。
両者はひとつになり、出会い、互いのなかに溶け合っている。
葛藤は消え失せる。そして、いかなる葛藤もなく全存在を見るとき、そこには
必ず大いなる歓びが生まれてくる。
そこに死というものはない。
人は死を外側からしか見ない。あなたは他の誰かが死んでゆく姿は目にしても
、自分自身が死んでゆくのを見たことはない。
誰も自分自身が死ぬのを見た者はいない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

244 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/20(日) 22:48:29 ID:1d4drIFg0
仙道の技法はエネルギーの方法ともいえるのじゃ。
光とか気と呼ばれるエネルギーを体に巡回させることで深い集中を可能にするのじゃ。
初めから気を感じることを学ぶから確実に作用するのじゃ。 
身体と精神の両方からの修練がより近道であるというのじゃ。

245 避難民のマジレスさん :2019/01/20(日) 23:08:54 ID:LC3de7YgO
>>243
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第五話 解放の機縁(つづき)
 より抜粋

ソクラテスは毒を盛られたとき、胸をときめかせていた。
弟子たちが涙を流して悲しんでいると、彼は言った。
「悲しんではいけない。まもなく私は逝ってしまう。そうしたら心ゆくまで悲
しむがいい。今は、私に起こっているこの大いなる実験を見るがいい。私は死
というものにひじょうに興味をそそられている―私はほんとうに死ぬのかどう
か。この機会を逃してはならない。私のまわりに坐って見守りなさい」
師マスターはみずからの生を通して教えるだけでなく、みずからの死を通して
も教える。
師はあらゆる機会を使う―
弟子に教えるためにはみずからの死さえも使う。
彼が大きな声を出し、ひどく腹を立てながら
「涙を流したり、悲しむのはやめて、近くに来るのだ!この機会を逃してはな
らない!」
と言ったので、弟子たちは目を向けた。
するとソクラテスは言った。
「待ちなさい、毒がまわってきつつある。さあ、私の内側で何が起こっている
か話してあげよう。そうすれば、おまえたちも目に見えないものに気つ゛くこ
とができるだろう」
さらに彼は続けた。
「膝から下は死んでしまった。だが、私自身は少しも変わらず、前と同じよう
に何も損なわれていない」
さらに彼は続けた。
「脚全体が死んでしまった。腰から下は何も感じない」
彼は弟子に足に触って、つねってみるように言ったが、何も感じることができ
なかった。彼は言った。
「感覚がないのは、私の身体の半分が死んでしまったということだ。だが、私
は今まで通りまったく損なわれていない。内なる感覚は、半死半生といった感
じではない。私は今まで通り生きている!身体の半分が死んでしまったが、私
の実存は影響を受けていない」
やがてゆっくりと手が死にはじめ、呼吸が止まりはじめると、彼は最後の言葉
を語った。彼は言った。
「だんだん舌がまわらなくなってきたので、もうしゃべれない。だが、最後に
言っておきたいことがある。身体のほとんど九割が死んでしまったが、私は十
全に生きている。これから察するに、おそらく身体が死んでしまっても、 私は
生きているだろう。 身体の九割が死んでしまっても、私は 今まで通り何も損な
われていないからだ。 だから最後の1割が死んでしまっても……。 おまえたち
は私の内側で何が起こっているのか見ることができないが、私は見ることができ
る」
ソクラテスは、ギリシャの他の哲学者のような 凡庸な哲学者ではない。
彼の弟子のプラトンや アリストテレスでさえ……アリストテレスは、 実のとこ
ろ、弟子ではなく敵だ。
彼はソクラテス をまったく理解していない。
彼が提唱したものは 完全にソクラテスに反している。
ソクラテスは神秘家だ。
彼の哲学は探求の方法にすぎない―それは実に鋭い探求だ。
彼は死でさえもはずさない。
彼は死のなかを探ってゆく。
最後の瞬間まで、彼はみずからの探求の方法に忠実だった。
(p176)
死は外側からしか見ることができない。
あなたは他の人々が死んでゆくのを目にする。
だが、生きているというのは別のことだ。
生は内側から見ることができる。
生きて いれば苦痛や快楽を覚え、愛したり、 恐怖を抱いたりすることがある。
生きていれば創造することができる―ないものを考え出し、それに形を与える
ことができる。
創造的な人がもっぱら生の高次の姿を知ってゆくのはそのためだ。
なぜなら、創造するとき、人はみずからのエネルギーを最大限に発揮するから
だ。
創造するとき、人は神の一部になっている。
どうして人がそれを為しうるのかは神秘だ。
どうして人が存在しうるのかは神秘だ。
結果にはすべて原因があるにちがいない。
私たちが「因果の法則」と呼んでいるのは まさにそれだ―私たちはそう教えら
れてきた。
だが、私を今ここにあらしめている原因を私は見つけることができない。
私は奇蹟に運ばれているのを自覚している。
私の理性は私によくつくしてくれるが、私という存在ビーイングの神秘の前で
は色を失う。
理性そのものがこの神秘の道具なのだ。
理性が神秘を知りえないのはそのためだ。
あなたは内側を見なければならない。
生が何であるかを見るには、まず内側からそれを感じ取らなければならない。
そして生を感じ取るための最良の方法は創造的になることだ。
そうすれば最大限の力が発揮されるからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

246 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/21(月) 23:00:58 ID:1d4drIFg0
死の最後の瞬間まで自己を追求するチャンスはあるものじゃ。
死なない意識に到達できれば不死なのじゃ。
マハリシもそれができたのじゃ。
死の最後の瞬間まで諦めてはいかんのじゃ。

247 避難民のマジレスさん :2019/01/22(火) 00:23:48 ID:LC3de7YgO
>>245
19黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第五話 解放の機縁3
 より抜粋
通常、人々は最小限の生き方をしている。
人々がやり続けていることはみな最小限の力で行なうことができる。
それはただの習慣、身についた日々の決まりきった仕事にすぎないからだ。
それらの仕事は意識から、身体の自動的に機能し続けるロボットの部分に伝達
されている。
言うなれば、車の運転の仕方を覚えてしまったようなものだ。
習いはじめは危ないので、あなたはひじょうに敏感で、すき がない。
何が起こるかわからないから、目が離せない。
色々 なものに気を配り続けなければならない。
ハンドル、道路、 クラッチ、ギア、アクセル、ブレーキなど、気を配らねば な
らないもの、目を離せないものがたくさんある。
そして 行き交う車の流れ、傍らを通り過ぎてゆく人々、傍らを通り過ぎてゆく
車、だが、運転を覚えてしまうと、その知識は身体のロボットの部分に伝達さ
れてしまう。
そうなったら気を配る必要はない。
友達と話したり、歌を 歌ったり、タバコを吸ったり、ラジオを聴いたりしてもい
い。
身体が運転を続けてゆく。
まれな時を除けば、目を見張っている必要はない。
事故が起こりそうになると、あなたは一瞬のあいだ目覚める。
あまりに大きな危険が身に迫り、頭が真っ白になってしまうので、ロボットの
部分が対処できないからだ。
そんな ことは一度も起こったことがない、まったく新しいことだ。
普通の生活は機械的で型にはまったものになり、人は最小限の力で生きるよう
になる。
最大限に燃えあがることはけっしてない。
創造性を発揮することで人は燃えあがる。
これが私のサニヤシンに対するメッセージのひとつだ ―創造的でありなさい。
創造的であることが礼拝になるからだ。
創造的であることが祈りであり、創造的であることが瞑想だ。
創造的であることは神の近くにあることだ。
カーバ(メッカにあるイスラム教の聖殿)へ行く必要はない。
神はカーバと同じようにここにもいるからだ。
ヒマラヤに行く必要はない。
神はどこでも等しく手を差し延べているからだ。
だが、その手を取ることができるのは最大限に 生きている者たち、生命の炎が
くすんでいない者たち 、すべてのエネルギーをそれに注いでいる者たちだけだ。
そしてそれは創造性を通してはじめて起こる。
だから私のサニヤシンの定義は、感受性を失い、死んだように坐っている古い
タイプの聖者の定義とは異なっている。
サニヤシンの定義は創造的であることだ。
踊ったり、歌ったり、音楽や絵や彫刻を創作したり、あるいは何でもやりたい
ことをやりなさい。
最も深い喜びとなるものを見つけだし、それをやりなさい!
そして行為とは目に見えないものを見えるものにするということだ。
行為とは夢をこの世にもたらすということだ。
夢を実現させなさい。
潜在能力を発揮させなさい。
それにまさる喜びはない。
未知なるものを知りうる世界へともたらすことができたとき、創作し、創造し
、夢を現実にすることができたとき、神に手を貸したとき、そのときはじめて
真の至福が得られる。
何らかのやり方で、自分なりのやり方で世界をもう少し美しくしたとき、 世界
の喜びを増したとき、そのときあなたはサニヤシンだ。
この道に、あなたの内なる生に気つ゛くことは、自分が不死であることを知る
助けになる。
ひとたび潜在能力を完全に発揮している自分の姿を知ったなら、 内なる松明た
いまつが両側からめらめらと燃えているときの自分の姿を知ったなら、 死など
存在しないことがわかるだろう。
力が最大限に発揮されると、 第三の目が働きはじめる― 最大限に発揮された
ときはじめて。
だから、だらだらとした生き方をしてはいけない。
生が重荷でもあるかのような、果たさねばならない義務であるかのような生き
方をしてはいけない。
生を踊りにしなさい。生を祝祭にしなさい。
(p179)
不死はこのなかにあり、また世間の超克もこのなかにある。
生の炎が第三の目に到達するのをそのままにしておけたら、死など存在しない
ことがわかる。
そしてふと気つ゛くと、もはやあなたは世間に執着していない。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

248 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/22(火) 22:05:16 ID:1d4drIFg0
止観の法を伝える仏教でさえ観察の法は廃れてしまっているのじゃ。
四諦も因縁も知識や理論だと思われているのじゃ。
それらは感性を磨いて観察するための方法なのじゃ。
記憶だけして居ればよいというものではないのじゃ。
常に感性を磨いて観察力を増進して観察しなければいかんのじゃ。
それには芸術を産む創造性が必要なのじゃ。
芸術は自然を観察して模倣するのが王道であるからのう。

249 避難民のマジレスさん :2019/01/22(火) 22:49:09 ID:LC3de7YgO
>>247
19黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第五話 解放の機縁3
 より抜粋

さあ、この違いを覚えておかなければならない。
古いサニヤス、昔のいわゆる宗教的な生き方は、人々に世間との関係を絶つよ
うにと教えてきた。
私は関係を絶つことは教えない。
私はあなたの生命エネルギーを最大限に発揮するよう教えている。
ひとたびみずからの実存のなかにある真実のものを見れば、世間はもはや意味
を失ってしまう。
高次のものが生まれれば、低次のものは意義を失う。
それを棄て去る必要はない。
それはすでに落ちている。
どこにも逃げ出す必要はない。
あなたは世間で生きることができる。
だが、あなたは世間を超越している。
そして、覚えておきなさい。
逃避するのと、超越するのはまったく違うことだ。
真のサニヤシンは、世間との関係を絶つのではなく、それを超越しなければな
らない。

光は肉体のなかだけにあるのではなく、 肉体の外だけにあるのでもない。
ひとたび内なる光を見たら、あなたは光は内側だけにあるのではなく、外側に
もあることに気つ゛くようになる。
光は、あ な た のなかだけに封じられているものではない。
いいかね、暗闇は個的なものだが、光はあまねく存在している。
死は個的なものだが、生はあまねく存在している。
惨めさは個的なものだが、至福はあまねく存在している。
惨めさがあるためには、あ な た が存在していなければならない―孤立したあ
なたが存在していなければならない。
そして至福が訪れるためには、あなたは全体の一部になり、全体と調和しなけ
ればならない。

光は肉体のなかだけにあるのではなく、肉体の外 だけにあるのでもない。
山河大地は太陽と月に照らされるが、それはすべてこの光である。
ひとたび内側に光を見たら、光が至るところに―月のなかに、太陽のなかに―
あることに気つ゛くだろう……。
光はすべて同じだ―内なる光であろうが、外側の光であろうが変わりはない。

それゆえに光はたんに肉体のなかにだけあるのではない。
理解と明晰さ、知覚と光明、そして(精神の)すべての働きは この光に他なら
ない。
あなたが月に見る光と、内側にある第三の目に見る光は同じものだ。
それが同じ光であることに気つ゛けば、内界と外界の違いはもはやなくなって
しまう。
内は外であり、外は内だ。
それゆえに、禅師は
「輪廻サンサーラこそがにゃはんニルヴァーナ」―世間が、この世間そのもの
が悟りだ、と言う。
この身体がそのまま覚者ブッダであり、この世がそのまま楽園である、と。
仏陀が光明を得たとき、「不思議な、信じがたいようなことだが、私が光明を
得たとたんに、全世界がともに光明を得た」と言ったのはそのためだ。
何世紀にもわたり、仏教の瞑想者たちはそれに瞑想してきた。
「仏陀は何を言おうとしているのだろう?
仏陀は何が言いたかったのだろう?
『私が光明を得たとたん、全世界が光明を得た』
とは?どうしてそんなことがありえるだろう?
まだ光明を得ていない人は無数にいるのだから。
仏陀は何を伝えようとしたのだろう?」
瞑想者自身、
「少なくともこの私は光明を得てはいないのだから、全存在が光明を得ている
はずがないではないか」
と考える。
仏陀にとっては全存在が光明を得ている。
彼は、内と外を分けているのが自我エゴ―自我という薄いカーテン―にすぎな
いことに気つ゛いたからだ。
そのカーテンが落ちてしまえば、内なるものもなく、外なるものもない。
それゆえに、仏陀は「私は光明を得た」と言うことができない。
彼は「生きとし生けるすべてのものが光明を得た」と言う。
あらゆる樹々、あらゆる川、あらゆる山々、あらゆる人々、あらゆる動物たち
、あらゆる星々―いっさいのものが光明を得た。
もはや彼には分離した自己認識アイデンティティーがないからだ。
彼は、あなたは光明を得ていると言おうとしているのではない。
彼はたんにこう言っているだけだ。
「『この私が光明を得た』とは言えない。
ただ『私は束縛されていた』と言うことしかできない。
ただ『私は無知だった』と言うことしかできない。
ただ『私は苦しんでいた』と言うことしかできない。
だが、今やその私がいないのだ」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

250 避難民のマジレスさん :2019/01/22(火) 22:51:44 ID:LC3de7YgO
マハラジは天才物理学者の様に語り、OSHOは天才詩人のように語ってるように思えるでありす。
(´・(ェ)・`)つ

251 避難民のマジレスさん :2019/01/23(水) 18:35:51 ID:LC3de7YgO
>>249
19黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第五話 解放の機縁3
 より抜粋

<存在>は至福に満ちている。
<存在>は光に満ちている。
そして内なる光と外なる光は同じものだ―内なるものもなければ、外なるもの
もない。
光が第三の目―ひとつの目、唯一の目に入り込めば、あらゆる区別が消える。
区別という区別がみな消え失せる。
虹は再び白一色の光線になる。

つい先日、こういう質問があった。
「和尚、あなた自身は白を着ておられるのに、どうして 私たちにはオレンジ色
の衣服を着ろとおっしゃるのですか?」
それはただの象徴であり、あなたがたは複数の色が消えて、何の区別もない白
い光線だけが残る地点に到達しなければならないということを示しているにす
ぎない。
(p182)
理解と明晰さ、知覚と光明、そして(精神の)すべての働きは この光に他なら
ない。
それゆえに光はたんに肉体の外にだけ あるのではない。
光は外界にだけあるのではないし、内界にだけあるのでもない。
光は至るところにある―内側にもあれば、外側にもある。
それは同じ光―草木や花の上で輝き、蓮の花の上で踊っているのと同じ光だ。
そして、いいかね、師は「知識」ではなく「理解」だと言っている。
師は「答え」ではなく「明晰さ」だと言っている。
人がひじょうに明晰になると、問いは消えてしまう。
何かの答えを得るというのではない。
あまりに明晰なので、もはやそこに混乱がなくなるというだけのことだ。
答えがあるのではなく、問いそのものがなくなるということだ。
それが「知識」ではなく「理解」と呼ばれるのはそのためだ。
つい先日、アニルッダも尋ねていた。
「私たちの知識とあなたの知識の違いはどこにあるのですか?違いがあるよう
に思えるのですが」と。
違いは知識にあるのではない。
彼は私のほうがよりたくさんのことを知っていると考えていたにちがいない。
実情はまったくその逆だ。
私はあなたがたほどものを知らない。
実のところ、あなたがたは知っているが、私には知識がない。
私はたんに明晰なだけだ―それは明晰さ、理解力であって、知識ではない。
私より、ものをよく知っている者はここにも大勢いる。
そしてそれが彼らのつまつ゛きになっている。
彼らはその知識を落とさなければならない。
私は何も知らない。
明晰さがあるだけだ。
あなたが私に質問をしても、私はそれに対する答えをもっているわけではない

明晰さの焦点をその問いに合わせ、理解しようとするだけだ。
そしてその明晰さから生まれてくる感応が何であれ、私はそれをあなたに与え
る。
それは知識ではなく、見抜く力にすぎない。
知識は人々を盲目にする。
彼らの目は知識で一杯になりすぎて、観ることができない。
あなたが質問をする前から、彼らは既成の答えをもっている。
彼らはいつでも答える用意がある。
彼らはあなたの質問など聞いていない。
彼らは質問者に耳を傾けていない。
彼らは質問者の実存になど耳を傾けない。
彼らは質問者のなかをのぞき込み、相手が何を言おうとしているのかを見よう
とはしない。
彼らは既成の答えをもっている。
彼らは鸚鵡オウム返しに答えを返し、そして論拠となるものや経典を用いてそ
の答えの正しさを証明しなければならない。
そしてあらゆる種類の裏付けを差し出さなければならない。
私はただ一種の理解力、洞察力、見抜く力をもっているにすぎない。

それゆえに、呂祖師は言う―
理解と明晰さ、知覚と光明……と。
それは知識でない。
それは雲ひとつない内なる大空だ。
(p183)
(´・(ェ)・`)
(つづく)

252 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/23(水) 23:44:26 ID:1d4drIFg0
>>250 そうじゃ、オショーは詩人のように人の感情に働きかけるのじゃ。
 そうであるから人を熱狂させるブッダなのじゃ。
 そのようにして人を悟りの道に誘導するのじゃ。
 偉大な如来なのじゃ。

253 避難民のマジレスさん :2019/01/24(木) 19:23:46 ID:LC3de7YgO
>>251
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第五話 解放の機縁(つづき)
 より抜粋

天地の光の華は数限りない空間を満たしている。
だが、個々の身体の光の華も天にみなぎり、地を覆っている。
それは光の華、この森羅万象のすべてだ。
これは神秘家の体験だ。
森羅万象をつくりあげているのは光以外の何ものでもない。
それはすべて光だ。
光は森羅万象を構成する基本的な要素だ。
そして現代物理学はそれに同意する。
かれらはそれを「電気」と呼んでいる。
光は彼らにとってはあまりに詩的すぎる。
彼らはそれを大地に引き降ろさなければならない。
それは電気になる。
だが、彼らが語っているのはまったく同じものだ。
物質は現代物理学から姿を消した。
物質はもはや存在しない。
物質のもっとも深い中核にあるのは、電気、電子、電気を帯びて舞っている粒
子、質量をもたない踊るエネルギーの粒子に他ならない。
これは何世紀にもわたり、神秘家たちが例外なく体験してきたことだ。
その神秘家の生まれた国がインドであろうが、中国であろうが、チベットであ
ろうが違いはない。
これはすべての神秘家が共有するもっとも基本的な体験だった。
森羅万象をつくりあげているのは光以外の何ものでもない。

『黄金の華の秘密』は言う―この光、この光の華、この光の花弁が内と外のあ
らゆる空間を満たしている、と。

それゆえに、光が巡ると、たちまちにして天地山河 いっさいのものがそれと同
時に循環する。
仏陀が言っていたのと同じことが違う言葉で語られている。
自分の内側で光が巡っているのを見るやいなや、あたり一面に光が輝きだすの
を見ることができるようになる。
まわる星々、山や川―すべては光の流れ、光のエネルギーのとほうもない踊り
に他ならない。
(p184)
人間の身体の華の種子を上方の両目のあいだに集中させること、 それが人間の
身体の大いなる鍵である。
弟子たちよ注意せよ!
瞑想を一日怠れば、この光は流出してゆき、どこへ消えてゆくのか誰にもわか
らない。
もし一刻でも瞑想するなら、一万の劫こうも一千の生涯も取り除くことができ
る。
あらゆる技法は 静けさのなかに帰す。
この不可思議な力は計り知れない。
呂祖師は言う―二十四時間の内、たった十五分でいい、と。
十五分間静かに坐り、第三の目に集中することができたら、あなたの未来全体
を変えるにはそれで足りる。
再び肉体に生まれ変わってくる必要はなくなる。
再びこの世に投げ返される必要はなくなる。
あなたは学ぶべきものを学び終えた。
肉体や肉体の限界をもたずに活動するにふさわしい存在になった。
あなたの魂は、いっさいの束縛やしがらみを離れて自由になる。
そうなったら、死も誕生も存在しなくなる。
あなたはこの限りなき<存在>における永遠の華になる。
たった十五分で?そう、たった 十五分で奇蹟を起こすことができる。
だが、人々にはたった十五分ですら 沈黙し、静かにしている用意がない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

254 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/24(木) 22:14:46 ID:1d4drIFg0
光とは気とかプラーナとかエーテルと呼ばれるものと同じなのじゃ。
それは人の中にもあり、全ての宇宙も満たしているのじゃ。
全ては同じ本質を持ち、同じ意識の現われなのじゃ。
光を眉間に集中してサマーディに入ればそれが如実に感じられるじゃろう。
そのために今までの技法はあったのじゃ。

255 避難民のマジレスさん :2019/01/25(金) 02:37:06 ID:LC3de7YgO
>>253
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第五話 解放の機縁(つづき)
 より抜粋

聞いた話だが…… イグナチウス・ロヨラは、彼に敵意を抱いている男が法王
に選ばれたという知らせを受けた。
ロヨラが生涯をささげてきたイエズス会の解散を、この新しい教会の首長に命
じられたらどうするかと尋ねられたとき、彼は答えた。
「十五分の祈りさえあれば、何も変わりはしない」
この答えにはこのうえもなく深い意義がある。
彼に敵意を抱いている法王が権力の座につけば、 ロヨラの仕事全体がつぶされ
てしまう恐れが高かった。
彼は小さな神秘家の共同体をつくっていた。
その働きは秘教的なものだった。
キリスト教は、つねに秘教的な働きに反対し続け、つねに神秘家を恐れてきた

なぜなら、神秘家たちは危険だからだ。 彼らはこの世に真理をもたらす。
そしてひとたび彼らがこの世に真理をもたらしたら、人々はもはや儀式、無力
な儀式には興味をもたなくなる。
そうなったら、誰が教会のことを気にかけるだろう?
それゆえにキリスト教は、教会から誰も離れられないように、神に通じる別の
扉が誰の手にも入らないように、誰もが聖職者 のもとへ行かざるをえないよう
に、あらゆる神秘家たちの集団 を執拗に破壊し続けてきた。
たとえ神を探求したいという願望が生まれても、どこにも選択の余地は残され
ていない。
この馬鹿げた観念のせいで、キリスト教は世界中の宗教を破壊してきた。
というのも、世の中にはさまざまな人々がいて、それぞれ自分に合ったタイプ
の集団を必要とし、自分に合ったタイプの手法を必要としているからだ。
そして、本当に誠実な探求者たちは秘教グループを見つけださざるをえない。
彼らは形式的な宗教の一部になることができない―物足りないからだ。
それは なまぬるく、きわめて表面的だ。
西洋では、教会のせいで真の宗教は地下にもぐらなければならなかった。
人々は真実の姿を隠すために様々な偽装をこらさねばならない。
錬金術というのはその偽装のひとつだった。
本当にやろうとしていたのは別のことだった。
錬金術師は、卑金属を黄金に変える仕事をしているのだという印象をまわりに
かもしだそうと努めた。
それなら許されるからだ。教会は大いに満足していた。
卑金属を黄金に変えようとしているのなら、まったく問題 はない。
やりたければそれをやればいい。
成功すれば、教会の黄金が増えるだけのことだ。
恐れることは何もない。
だが、それは偽装にすぎなかった。
それは真の錬金術ではなかった。
それは見せかけにすぎなかった。
カーテンの裏で行なわれる真の作業ワークはまったく別のものだった。
それは低次の実存を高次の実存に変容させることだった。
それこそまさに性欲、すなわち卑金属をいかにして霊性、すなわち黄金へと変
容させるかという "黄金の華"の秘法に他ならなかった。
だが、不必要な手間をかけねばならなかった。
彼らは黄金 を扱う仕事をしているのだと世間が納得するように見せかける工夫
をしなければならなかった。
そして、誰もが黄金に興味を もっている。
教会は、神ではなく黄金に強い興味を寄せている。
ロヨラは言った。
「十五分の祈りさえあれば 、何も心配することはない。 十五分もあれば私は
瞑想に深く 入ってゆける。
それだけでいい。
そこにいるかぎり、何も問題はない、 まったく何の問題もないからだ」

呂祖師は言う十五分間だけで……一万の劫こうも一千の生涯も取り除くことが
できる。
あらゆる技法は静けさのなかに帰す。
それを覚えておきなさい。どんな技法を選んでも、ゴールは同じだ―静けさ、
内なる完全な沈黙、無思考、いかなる中身もない純粋な意識。

この不可思議な力は計り知れない。
その深さは計り知れない。
思考が消え、あなたが完全に沈黙すると、その静寂は底知れぬ深淵となり、測
ることができない。
太平洋の深さは測ることができる―八千メートルの深さがある。
だが、あなたの内なる太平洋の深さは測ることができない―それは底知れない

どこまでも掘り進み、どこまで深く潜っていっても、その深さを測ることはで
きない。
その底にはけっして達しない。
測ることができるのは思考だけであり、無念無想の状態を測ることはできない

それゆえに、無念無想の状態は神の別名だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

256 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/25(金) 22:43:31 ID:1d4drIFg0
通常の道教の経典では陽神をつくり出神する方向に進むのであるがこの書は違うのじゃ。
丹を作った後に眉間に集中して定に入るのじゃ。
そして光が自らの中にも全てにもあることを見出すのじゃ。
悟りに向かう書なのじゃ。

257 避難民のマジレスさん :2019/01/25(金) 23:53:05 ID:LC3de7YgO
>>256
鬼和尚、いつもありがとうであります。
超勉強になるであります。
(´・(ェ)・`)つ

258 避難民のマジレスさん :2019/01/26(土) 00:05:53 ID:LC3de7YgO
>>255
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第五話 解放の機縁
 より抜粋

だが、いいかね。思考のない状態は一種の眠りであってはならない。
なぜなら、それはごくありふれたものだからだ。
それは毎日起こっている。
深い眠りのなかで、夢が消えたとき、あなたはその深淵のなかへと落ちてゆく

ぐっすり眠ると若返ったように、さわやかになるのはそのためだ。
朝になると再び活力がみなぎり、あなたは新しく生まれ変わっている。
だが、それは無意識に起こることだ。
パタンジャリは、深い眠りとサマーディはひじょうによく似ているが、ひとつ
だけ違いがあると言っている。
眠っている時には人は無意識だが、サマーディの状態では意識している。
だが、あなたは同じ空間―内側にある、同じ測ることのできない不可思議な空
間におもむいている。
そこには思考もなく、欲望 もなく、想念の波動もなく、まったく静かだ。
あらゆる技法はそこに到る。
ヨーガ、タントラ、タオ、ハシディズム、スーフィズム ―あらゆる技法は異な
る角度からそこにたどり着く。
それら はさまざまなタイプの人々のために編み出されたものだ。
(p188)
だが、実修をはじめるにあたり、人は浅いものから深いものへ、粗雑なものか
ら微細なものへと進んでゆかなければならない。
最初は大いなる努力が必要とされる。
人は浅いものから深いものへと進んでゆくしかない。
浅いものとは何だろう?
浅いものとは絶え間のない思考のプロセスだ。
深いものとは何だろう?
思考のない状態のことだ。
粗雑なものとは何だろう?
心の中身はみな粗雑だ。
微細なものとは何だろう?
中身のない状態は微細だ。
人は進みつつ゛けなければならない。
最初のうちは大いなる努力が必要とされる。
最初のうちは行法ワークに完全に身を投じ
なければならない。
そうしてはじめて瞑想は無努力になり、至福の瞬間が生まれてくる。
まず瞑想は男性的エネルギーでなければならない。
それが尽きてはじめて女性的エネルギーになることができる。
私がまず最初に激しい動きをともなう技法を強調するのはそのためだ。
全力をふりしぼり、最大限の努力をするがいい。
しりごみせずに、もてるすべてを賭けるのだ。
そうすれば、やがていつか努力せずにくつろぐことができるようになる。
目を閉じるだけで第三の目に到達することができるようになる。
だが、実修をはじめるにあたり、人は浅いものから深いものへ、 粗雑なものか
ら微細なものへと進んでゆかなければならない。
すべては間断なく持続するかどうかにかかっている。
それを規則正しく行ないなさい。

実修は始めから終わりまで一貫していなければならない。
この間に、冷暖をおのずから知るのである。
だが、目指すべきは 空の広大さと海の深遠さに到ることであり、そうすればあ
らゆる技法をいともたやすく身につけることができる。
そこではじめてそれを体得したと言える。
努力が不要になり、いっさいの努力が落ちたとき、あなたはそれを真に体得し
ている。
技法が不要になり、いっさいの技法が落ちたとき、あなたはそれを真に体得し
ている。
瞑想がもはやすることではなくなり、みずからの境地になったとき、あなたは
それを真に体得している。
あなたはそのなかに生き、歩くときも、坐るときも、そのなかにある―「坐る
ことも禅であり、歩くことも禅だ」
食べるときも、眠るときも、あなたは瞑想の内にあり、それになりきっている

いずれはそのときが来る。
だが最初は全身全霊で取り組まなければならない。
いいかね、水が百度の熱で蒸発するように―九九度や九九・九度ではなく百度
で蒸発するように、あなたがもてるすべての力を振り絞って百度に達したとき
には、ただちに卑金属が黄金に変わる。
性エネルギーは、ただちに霊的世界にまで到達する。
流出していたエネルギーはただちに百八十度の転換を遂げ、二つの目はひとつ
になる。
そうなったら内界と外界はくまなく光明で満たされる。
イエスは言った。
「木を切りなさい、そうすれば私がみつかるだろう。石を打ちなさい、そうす
ればそこに私がいる」
これは究極の境地だ。
木を切ると神を見いだし、石を打つと神を見いだす。
あなたは神として、神のなか、神の上を歩いている。
あなたは神を呼吸し、神を食べ、神を飲んでいる。
なぜなら、すべてが神だからだ。
この究極の体験こそ、呂祖師の言う開放だ。
そしてそれは第三の目のなかにある。
(p190)
(´・(ェ)・`)

259 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/26(土) 22:44:04 ID:1d4drIFg0
>>257 そうじゃ、どんどん学ぶと善いのじゃ。

オショーがこの書を解説するのも悟りにまで通じる実践の書であったからなのじゃ。
通常のただ単に集中だけをする修行であるとサマーディにまでたどり着くのに才能と時間が必要なのじゃ。
このように気とか光を身体に巡らせて使えばより短期間で才能の無い者にもサマーディに辿りつけるのじゃ。
それが性命双修の貴重なところなのじゃ。

260 避難民のマジレスさん :2019/01/27(日) 10:22:03 ID:LC3de7YgO
>>258
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第六話 風景の焦点ゲシュタルトを変える
 より抜粋

呂祖師は言った。
観想なくしては何事も成しとげられない。
覚知することにより人は目標に到る。
内観によって反転させなければならないのは自意識をもったこころである。
万物を形つ゛くる精神が顕現してくる前の状態へとそれを導かなければならない

昨今の人々はたった一時間か二時間坐って瞑目し、ひたすら己の自我を見つめ
、それを内観と呼んでいる。
そのようなやり方でどうして何かを得ることができるだろう?
人は鼻の頭を見るべきである。
だがこれは、みずからの思念を 鼻の頭に固定させるという意味ではない。
またこれは、目で鼻の頭を見つめながら思念を「中心の黄色」に集中させると
いう意味でもない。
視線が向かうところに、こころも向かうものである。
どうしてそれを同時に上方と下方に向けることができるだろう?
こういったことはみな、月を指す指を月そのものと取り違えるようなものであ
る。
では、これは実際には何を意味するのか?
「鼻の頭」という表現はよく考えて選ばれたものだ。
鼻は視線の目安とならなければならない。
鼻に視線を向けていない場合 には、目を大きく開けて遠くを見ているため鼻が
見えないか、 あるいは目を閉じ過ぎていて鼻が見えない。
目を大きく開け過ぎると、視線を外に向けるという誤りを犯し、気が散りやす
くなる。
目を閉じすぎると、視線を内に向けるという誤りを犯し、夢を見るような空想
の状態に沈みこんでしまう。
ただ瞼まぶたを適度に半分ほど閉じると、ちょうどよい具合に 鼻の頭が見え
るようになる。
そのために鼻を目安にするのである。
大切なのは、瞼を適度に閉じて、意識を集中させて光を流れ込ませようとする
のではなく、光が自然に流れ込むようにすることである。
鼻の頭を見ることは、ひとえに内なる集中をはじめる際に役立つのであり、そ
うすることで視線が正しい方向に向かい目安が定まれば、後はそのまま放置す
ればよい。
これは大工が下げ振りをつるすにあたり、いったんそれをつるし終えると、絶
えずその糸を見ることにこだわらないようなものである。
両目で鼻の頭を見ながら、背筋を伸ばして楽な姿勢で坐り、こころを諸条件の
只なかにある中心にたもつ。
それは必ずしも頭の中心を指しているわけではない。
大切なのは、ただみずからの思念を両目の中間に定めることである。
そうすればすべては整う。
光ははなはだ動きやすい。
両目の中間に思念を定めると、光は自然に流れ込んでくる。
注意をことさら中心の宮殿に向ける必要はない。
大切なことはこの数語に要約されている。
「諸条件の只なかにある中心」というのは、ひじょうに 微妙な表現である。
中心は至るところにあり、いっさいのものが そのなかに含まれている。
それはあらゆる創造のプロセスが 解き放たれる点と結びついている。
一点を見つめ観想することが不可欠である。
この技法はすみやかに光明を得ることを保障する。
世俗の想念が浮かびあがってきたなら、そのままじっと坐りつつ゛けてはいけ
ない。
その想念はどこにあるのか、どこではじまり、どこへ消えてゆくのかを調べな
ければならない。
内省をどこまで押し進めても何も得られない。
この想念がどこから生まれてきたかを見ることでよしとし、その先を究めよう
としてはならない。
こころを探し求めても、とらえることはできない(意識によって意識の背後に
達することはできない)からだ。
人はみなこころを落ち着かせようとする。
これが正しい観想である。
これと矛盾するのは誤った観想であり、何も得るところがない。
雑念が果てしなくつつ゛いてゆくときには、立ち止まり、観想をはじめなけれ
ばならない。
観想したら、再び見つめる。
これがすみやかに光明を得るための二重の技法、つまり光を巡らせることであ
る。
巡らせるとは見つめることであり、光とは観想のことである。
観想せずに見つめるのは光のない循環であり、見つめずに観想するのは循環の
ない光である。
これに注意しなければならない!
(´・(ェ)・`)
(つづく)

261 避難民のマジレスさん :2019/01/27(日) 10:31:01 ID:LC3de7YgO
>>260
「中心の黄色」とは、何でありますか?
(´・(ェ)・`)つ

262 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/28(月) 00:28:43 ID:1d4drIFg0
>>261 眉間のことなのじゃ。
 黄庭とか中宮とかいろいろにいうのじゃ。
 要するに鼻の頭に視線を向ければ自然に気が眉間に集まるというのじゃ。
 無理に集中する必要は無いというのじゃ。

263 避難民のマジレスさん :2019/01/28(月) 07:34:25 ID:LC3de7YgO
>>262
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

264 避難民のマジレスさん :2019/01/28(月) 07:51:21 ID:LC3de7YgO
>>260
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第六話 風景の焦点ゲシュタルトを変える(つづき)
 より抜粋

盲人が友達の家を訪ねた。
彼が帰宅する頃には暗くなっていたので、友人たちは提灯ちょうちんを手渡し
た。
「ありがとう。でも、いらないよ。明るくても暗くても、私にとっては変わり
ないからね」
「まあ、とにかくもっていけよ。そうすれば人がぶつかってこないだろう」
彼が家を出ると、すぐに誰かがぶつかってきて、怒鳴った。
「どうして前をちゃんと見ていないんだ」
「君こそ、この提灯が見えないのか?」
「あいにくだがね」
と相手は言った。
「蝋燭ろうそくが消えてしまってるぜ」
瞑想というものを知らない人々が手にする聖典は、盲人が手にする提灯のよう
なものであり、まったく役に立たない。
そして盲人には提灯の明かりがついているか消えているかどうかもわからない

彼はたんにいらぬ重荷を持ち歩いているだけだ。
実のところ、何の役にも立たないどころか、むしろ邪魔になりかねない。
提灯をもたずに歩いていたら、盲人はもっと注意深く用心していただろう。
提灯をもった ばかりに、目があるつもりになって歩き、注意力がすっかり散漫
になっていたにちがいない。
人類全体に起こっていることはまさにそれだ。
人々は『聖書』『コーラン』『ギータ』をもち歩いている。
それらの聖典はこのうえもなく美しい光を放つランプだ。
が、あなたの目は見えない。
『ギータ』は五千年も前のものであり、光はとうの昔に消え ている。
クリシュナの死とともに、光は消えた。
『聖書』や 『コーラン』、その他の世界中のあらゆる聖典の場合も同じだ。
師マスターが死ぬと、光も消える。
だが人々は聖典を手放そうとはしない ― 聖典を信じ込み、偉大な師のメッセ
ージを伝えているのだから、自分たちの生はいつまでも光に満たされてゆくと
期待している。
そのメッセージ はただの言葉にすぎない。それは不用な重荷だ。
世にある聖典がすべて消えてしまったら、人間はもっと用心深くなり、もっと
気を引き締めて、自力で光の源を 探しはじめるかもしれない。
頼れるものが何もないので、 自分の足で立つことを学ばなければならない。
あるとき龍潭りゅうたんのもとを徳山がとくざんが訪ね、夜ふけまで教えを請
いつつ゛けた。
とうとう龍潭は言った。
「夜もふけてきた。そろそろもどりなさい」
徳山はいとまを 告げると、襖ふすまを開けて出ていった。
外があまりに暗かった ので、徳山は引き返してきて言った。
「外は真っ暗です」
そこで龍潭は提灯ちょうちんに火をともし、それを徳山に差し出した。
徳山がそれを受け取ろうとしたまさにそのとき、龍潭は不意にそれを吹き消し
た。
この瞬間、徳山は忽然と目覚め、礼拝した。
龍潭は言った。
「どのような真理を得たのか?」
徳山は言った。
「今日より後、祖師たちの言葉をけっして疑うことはありません」
翌日、龍潭は弟子たちの前に姿を現して言った。
「この会衆のなかに、剣でできた樹のような牙をもち、口を 血だらけにして、
棒で殴られても振り向こうとしない男がいる。
やがてこの男は人里離れた山の上に、私の道を打ち立てるだろう」
徳山は、僧堂の前で経典の注釈書を取り出し、火をかざしながら言った。
「際限なくものごとを分析しつつ゛けてゆくことは、虚空に一本の髪の毛を置
くようなものであり、俗世の力は広大な谷間に一滴の水を投げ入れるようなも
のだ」
目がなければ、光ですら役に立たない。
あなたが手にしている提灯は無用の長物 であり、まったく何の役にも立たな
い。
だが、目があれば、蝋燭ろうそくを吹き消すことですら悟りの体験になりうる。
問題なのは目だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

265 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/28(月) 22:28:35 ID:1d4drIFg0
>>263 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。

視線を鼻の頭に向けていれば光が入ってくるというのじゃ。
雑念がわいたらそれがどこから起こるのか探すのじゃ。
それがわかって雑念が止んだらまた鼻の頭を見つめるのじゃ。
そのようにして日々続けていくというのじゃ。

266 避難民のマジレスさん :2019/01/28(月) 22:51:03 ID:LC3de7YgO
>>265
くまは、目を閉じてやるのが好みであります。
なれたやり方で良いでありますよね。
(´・(ェ)・`)つ

267 避難民のマジレスさん :2019/01/28(月) 23:02:53 ID:LC3de7YgO
>>264
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第六話 風景の焦点ゲシュタルトを変える(つづき)
 より抜粋

龍潭のもとを徳山が訪ねた。
龍潭は師であり、徳山は弟子だ。
外が真っ暗なのを見て、弟子は師に言った「真っ暗です」 師は蝋燭に火をとも
すと、それを弟子に差し出した。
弟子が受け取ろうとしたそのとき、師は火を吹き消した。
突然、闇がもどってきた。
闇は一段と深さを増した。
不意に蝋燭を吹き消されたことが、予期せぬ一撃になったにちがいない。
しばらくのあいだ、弟子は二つの思考のはざまに落ちていったにちがいない。
しばらくのあいだ、思考が消え失せ、観想が起こった。
しばらくのあいだ、完全な沈黙があった。
その沈黙のなかで彼は大切なことをつかむことができた。
翌日、彼はもっていた経典をすべて燃やしてしまった。
もはやそれらは必要ではなかった。
彼はみずからの体験を通して真理を知ったからだ。
ごくわずかの体験でも、山のような知識よりも価値がある。
太陽や月やすべての星々よりも、たった二つの小さな目のほうが価値がある。
大切なのは、宗教とは体験であるということだ。
それは推測ではない。
絶え間ない分析ではない。
それは洞察だ。
(p196)
さて、経文だ。
これらの経文にはここのうえもない価値がある。
なぜなら、それは最も簡潔な表現で手法を授けて いるからだ。
あなたが複雑なものにしようとしないかぎり、この手法は実に単純だ。
こころマインドはいつも単純なものごとを複雑なものに変えてしまう。
それに気をつきなさい。
なぜなら、心は単純なものとは共存できないからだ。
それは必要とされない。
もしものごとがごく単純で あれば、心の出る幕はない。
ものごとが複雑であってはじめて心が必要になってくる。
そうなったら、あなたは心に頼らざるをえなくなる。
心が謎を解く道を見いだしてくれるからだ。
だが、謎がなければ、心はまったく無用だ。
あなたは心を捨てることができる。
だから、心はものごとを複雑にしてしまう。
これらの経文は実に単純であることを覚えておきなさい。
真理はつねに単純だ、まったく単純だ。

呂祖師は言った。
観想なくしては何事も成しとげられない。
観想とは何か?無思考の瞬間だ。
「観想contemplation」という言葉には、ディヤーナの正しい意味が含まれていない。
英語には「ディヤーナ」という言葉に当たる適切な訳語がない。
使えそうな言葉が三つある。
ひとつは「集中concentration」
だが、この言葉はひどくかけ離れている。
集中とは努力、緊張を意味している。
それは強いられた状態であって、無碍むげ自在に流れている状態ではない。
ところが、ディヤーナとは無碍自在に流れている状態だ。
そこには緊張がない。
だから「集中」という言葉は訳語としてはふさわしくない。
次は「観想contemplation」という言葉だが、観想には思考の含みがある。
誰かが観想していると言えば、何かについて考えているということになる。
三番目の言葉は「瞑想meditation」だが、これもやはり 考えること、何かにつ
いて瞑想することを意味する。
この三つの言葉にはどれもディヤーナの意味が含まれていない。
ディヤーナとは無思考の状態、沈黙の状態、意識的でありながら中身がない状
態を意味する。
鏡がそこにあるが、何も映し出していない、まったく 何も映し出していない。
ちょうどその鏡のように、意識がそこにあるが、何もそれをふさいでいない。
その何も占められていない醒めた意識がディヤーナだ。
道家の人々は「ディヤーナ」の訳語として「観想」を使っている。
いずれにせよ何らかの言葉を使わざるをえないからだ。
だから、その意味を覚えておきなさい ― それは辞書に記された意味ではない。
辞書を調べると、まったく違った観想の概念 ― 『黄金の華の秘密』が「誤っ
た観想」と呼んでいるものが載っている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

268 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/29(火) 21:44:12 ID:1d4drIFg0
>>266 そうじゃ、自分のやり易い方法で善いのじゃ。
 経典は参考にする程度で善いのじゃ。

ディヤーナとは意志によって集中しないでも続く心の鎮まった状態なのじゃ。
初心者のうちは集中しなくては心は鎮まらないのじゃ。
慣れてくればいつもの座り方をするだけで心は鎮まるのじゃ。
それがディヤーナなのじゃ。
禅の語源なのじゃ。

269 避難民のマジレスさん :2019/01/29(火) 22:10:26 ID:LC3de7YgO
>>267
21黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第六話 風景の焦点ゲシュタルトを変える(つづき)
 より抜粋

「誤った観想」とは、何かについて考えることだ。
それは神 かもしれない ― キリスト教徒が「観想(黙想)」という言葉 で言お
うとしているのはそれだ ― 神について考えること、聖なるもの、超越的なも
のについて考えること。
だが も の は も の であり、神聖なものであろうが、世俗的なものであろう
が違いはない。
思考は思考であり、セックスについて考えようと 、サマーディについて考えよ
うと違いはない。
無思考の状態、間合い…… それはいつも起こっているのだが、あなたは注意
深く醒めていない。
醒めていたら何も問題はない。
ひとつの思考がやって来る。
続いて別の思考がやって来る。
この二つの思考のはざまにはいつも小さなギャップすきまがある。
そのすきまが聖なるものへの扉だ。
そのすきまが観想だ。
そのすきまを深くのぞき込めば、それはどんどん大きくなってゆく。
心マインドは交通の激しい道路のようだ。
車が次から次へと通り過ぎてゆく。
車に目 を奪われるあまり、二台の車のあいだに必ずあるすきまが見えない。
すきまがなければ車は衝突してしまう。
衝突しないのは、車と車のあいだにすきまがあるからだ。
あなたの思考は衝突しない。
互いにぶつかったり、相手を轢きつぶしたりはしない。
互いに重なり合うことすらない。
どの思考にも境目がある。
どの思考 も区切ることができる。
だが、思考の進行があまりに すばやく速いので、本当にそれを待ち受け、見つ
けようとしないかぎり、あなたはすきまを見ることができない。
観想とは見ている風景の焦点をそっくり変えることだ。
ふだん私たちは思考を見ている。
思考が次から次へと現れる。
風景の焦点を変えると、すきまが次から次へと現れる。
あなたはもはや思考ではなく すきまを重視している。
例えば、あなたがたはここに坐っている。
私があなたがたを見る方法は二つある。
ひとりひとりを順番に見てゆくやり方と―人に目をやれば、私は人数を数える
ことができる ―人のことは忘れ、人と人のあいだにあるすきまを勘定し、すき
まがいくつあるかを数えるやり方だ。
そうすればものの見え方がひっくり返る。
すきまを数えたら驚くようなことが起こる。
すきまを見つめ、すきまを数えているために、人の輪郭がぼやけ、はっきり見
えなくなってゆく。
いつか道端に立って、通り過ぎてゆく すきまを数えてみるといい。
あなたは驚くだろう― 車の色は目に入らない、車の型は目に入らない、車の運
転手や乗客は目に入らない。
目に飛び込んでくるのはすきまだ ― ひとつのすきまが過ぎ去ると、次のすき
まがやって来る。
あなたはすきまを数えつつ゛ける。
風景の焦点は変化している。
観想とは見ている風景の焦点を変えることだ。
ひとつの思考から別の思考へと飛び移るのではなく、ひとつのすきまから次の
すきまへと飛び移ってゆく。
徐々に徐々に、すきまへの気つ゛きが増してゆく。
それは生の最大の秘密のひとつだ。
なぜなら、そのすきまを通して、あなたはみずからの実存へ、みずからの中心
へ と落ちてゆくからだ。

観想なくしては何事も成しとげられない。
覚知することにより人は目標に到る。
覚知すること、ただ覚知すること……それはインドでは「ダルシャン」と呼ば
れている。
見ることにより、人はどこにも出かけることなく目標に到る。
どこにも出かける必要はない。
ただ見ればいい。
ひとたび間隙かんげきを、すきまをのぞきはじめたら、あなたは自分が誰であ
るのかを見ることができるようになる。
そしてあなたは目的地だ。
あなたは出発点であり目的地、始まりであり終わり、アルファでありオメガだ。
渇望していたすべてのものがすでにあなたのなかにある。
欲しがっていたすべてのものがすでにあなたのなかにある。
欲しがっていたすべてのものをあなたはもっている。
乞食でいる必要はない。
すきまを見ることを選べば帝王になり、思考を見つつ゛けていたら乞食のまま
でいるしかない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

270 避難民のマジレスさん :2019/01/30(水) 08:35:46 ID:LC3de7YgO
>>269
マハラジ
>もしあなたが注意深く見守れば、あなたの日常の意識は、つねに隙間が現れ
 るひらめきのようなものでしかないと知るだろう。
 その隙間のなかには何があるのだろうか?
 ほかでもない、あなたの永遠なる真の実在だ。

OSHOがマハラジの言葉を詳しく解説してくれてるようであります。
(´・(ェ)・`)つ

271 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/30(水) 22:40:14 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、全ての目覚めた者は同じ事を説いているのじゃ。
自らの心を観ることが常に説かれるのじゃ。
この書に書かれていることもまたその方法の一つなのじゃ。
全ての教えは自らの心を観ることに尽きるのじゃ。

272 避難民のマジレスさん :2019/01/30(水) 23:51:00 ID:LC3de7YgO
>>269
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第六話 風景の焦点ゲシュタルトを変える(つづき)
 より抜粋

覚知することにより人は目標に到る。
自分自身から一歩たりとも踏み出してはならない。
神はすでにあなたのなかにいるからだ。
神は既成の事実だからだ。
それはあなたの内奥にある中核だ。
神は天上に、空のどこかにいるわけではない。
神はあなたの内側に、もはや思考によってかき乱されないところにいる。
沈黙がみなぎり、何ひとつ映し出していない、中身のない意識があるところに

そのとき、あなたは自分自身の味をはじめて体験し、みずからの実存のかぐわ
しい香りに包まれる。
黄金の華が開く。
(p200)
内観によって反転させなければならないのは自意識 をもったこころである。
万物を形つ゛くる精神 が顕現してくる前の状態へとそれを導かなければならな
い。
思考は顕れたものであり、無思考は顕れていないものだ。
自分が見ている風景が思考だけで成り立っているとしたら、エゴ自我以上のも
のは何もわからないだろう。
自我は「自意識をもったこころ」と呼ばれている。
あなたは思考のかたまり以外の何ものでもない。
その思考のかたまりのせいで、あなたは「私はある」という自意識をもつよう
になる。
近代西洋哲学の父であるデカルトは「我思うゆえに我在り」と言う。
彼は瞑想者ではないから、まったく別のことを言おうとしているのだが、その
言明そのものは美しい ―
まったく異なる文脈のなかに置くなら美しい。
私はそれに別の意味を与える。
そう、私は私が考えるときにのみ存在する。
思考が消えれば、私も消え失せる。
「我思うゆえに我在り」 ― この私の感覚、この「自意識をもったこころ」と
は連続する思考に他ならない。
それは本当は実体がなく、偽物であり、幻覚だ。
手に松明たいまつをもってぐるぐるまわしてゆくと、現実にはない火の輪が見
える。
だが、松明の動きがすばやいために、まぼろしの火の輪が生み出されている。
それは火の輪の幻覚を生じさせる。
それはそこにはない。
思考の動きがあまりに速いので、私という観念がつくりだされる。

呂祖は言う ― 人は「自意識をもったこころ」から"自意識をもたないこころ"
へと移らなければならない、と。
人は自我から無我の状態へと移らなければならない。
人は自己から無自己へと移らなければならない。
自己は顕現している部分であり、ちっぽけで、ひじょうに小さく、粗雑だ。
無我は顕現していない部分であり、果てしがなく、永遠だ。
自己はつかのまの現象であり、いつか生まれて、いつか死ななければならない

無我 ― 仏陀は「アナッター」、無自己と呼んでいる ― は永遠の一部であり
、生まれることもなく、死ぬこともない。
それはいつまでもとどまる。

六尺の身体の内に、天地が未だ現れる前にあった形を求め、努力しなければな
らない。
そしてあなたの六尺の身体のなかでは、その本質が、天地がつくられる前から
あったその本質が、今もなお息つ゛き、鼓動している。

禅の人々はそれを「本来の面目」と呼んでいる ―天も地も、何ひとつ生まれず
、いっさいのものが姿を現さず、沈黙だけがそこにあり、物音ひとつ立たなか
ったとき……形がなく、すべて無相であり、あらゆるものが種子の状態であっ
たときにそこにあったもの。
その本来の静寂があなたの内側にある。
ヒンドゥー教徒はそれを「アナハトナッド」と呼ぶ。
仏教徒たちは「隻手せきしゅの音声おんじょう」
という特有の表現をする。
それはあなたの内側にある。
それはあなたの真の姿だ。
それを味わえば、あなたは不死になる。
それを味わえば、あなたは黄金になる。
そうなったら塵ちりは変容して神々しいものになる。
錬金術はみな、卑金属を黄金に変容させることを目指している。
(´・(ェ)・`)
(つづき)

273 避難民のマジレスさん :2019/01/30(水) 23:54:39 ID:LC3de7YgO
>>272
「隻手の音声」についての、OSHOの解釈は、本来の意味なのかもしれぬと思うくまであります。
(´・(ェ)・`)つ

274 避難民のマジレスさん :2019/01/31(木) 12:09:15 ID:LC3de7YgO
>>272
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第六話 風景の焦点ゲシュタルトを変える(つづき)
 より抜粋

昨今の人々はたった一時間か二時間坐って瞑目し、ひたすら己の自我を見つめ
、それを内観と呼んでいる。
そのようなやり方でどうして何かを得ることができるだろう?
坐って瞑想しながら、自分の自我エゴを見つめてばかりいるといったことにも
なりかねない。
人々が「観想」と呼んでいるものはそれだ。
彼らは自分たちの思考を見つめているが、見ている風景の焦点を変えてはいな
い。
彼らにそれしか起こらないのは、ふだんは実にたくさんのことに心を奪われて
いるので、思考を見つめることができないからだ。
瞑想のために特別に坐ると、しばしのあいだ世間を忘れ、思考がふだんよりも
鮮明になり、思考に対してより敏感になる。
これは哲学者の心境だ。哲学者はそのようにして考え、推測し、哲学を組み立
ててきた。
これは真の観想ではない。
そしてこのようなやり方では、自我を超え、死を超え、時間を超えてゆくこと
などできるはずがない。
だが、人間の目的はまさに超越にある。
くり返そう。
瞑想をしたければ、見ている風景の焦点を変えなければならない。
目を閉じて自我を見つめているだけでは役に立たない。
イギリスの偉大な哲学者、デービッド・ヒュームは書いている。
「偉大な教師マスターたちがそろって口にする
『汝自身を知れ、瞑想をせよ』という金言や助言を何度も何度も聞いたり読ん
だりしたので、私も瞑想をやってみた。だが、内側には思考、記憶、空想、夢
しかなかった。他には何も見つからなかった」
彼がそう言うのももっともだ。
彼は瞑想が何であるかを知らないからだ。
彼は哲学者、世界でもっとも才能ある哲学者のひとりだ。
その論理は実に鋭く、首尾一貫している。
が、彼は瞑想者ではなく、たんなる哲学者にすぎない。
その言葉通り、彼はやってみたにちがいない。
彼は内側をさまよっているたくさんの思考に出くわしたにちがいない。
そこで彼は言う。
「自己もなく、静寂もなく、神も存在していない。こんなことをしても虚しい
だけだ」
彼は取り逃がした。
まず見ている風景の焦点を変えねばならないということに気つ゛いていなかっ
たからだ。
思考を見つめる必要はなない。
すきまを求め、すきまをのぞき込まなければならない。
すきまを探し、そのすきまのなかに飛び込まなければならない。
すきまに飛び込んでいたなら、彼は思考が消え、夢が消え、記憶が消えてゆく
のを見ただろう。
あらゆるものが置き去りにされ、しだいにそれは遥か遠くに聞こえる物音にな
ってゆく。
そしてある瞬間がやって来る……それが すっかり消え失せると、あなたは超
越している。
あなたは向こう岸に到達している。
人は鼻の頭を見るべきである。

さあ、ここは経文のなかでも実践に役立つ箇所だ
― とても単純だが、正しく理解するように。
なぜなら、心マインドは単純なものごとですら曲解したがるからだ。
心とは曲解しようとするからくりだ。

人は鼻の頭を見るべきである。
なぜか、それが助けになるからだ。
そうすればあなたの意識は第三の目の延長線上にくるからだ。
両目が鼻の頭に向けられていると、たくさんのことが起こる。
基本的なことは、第三の目は鼻先と一直線上に ― 五、六センチ上だが同じ直
線上に ― 位置しているということだ。
ひとたび第三の目の延長線上にのれば、その第三の目の魅力、その第三の目の
吸引力、磁力があまりに大きいので、あなたは知らないうちに引きつけられて
しまう。
その線の上にのりさえすれば、第三の目の魅力、引力が作用しはじめる。
ひとたびその線の真上に来れば、努力をする必要はいっさいなくなる。
ふと気つ゛くと、世界の見え方が変わっている。
両目は二元的な世界や思考をつくりだし、両目のあいだにあるひとつの目はす
きまをつくりだすからだ。
これは見ている風景の焦点を変える単純な技法だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

275 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/01/31(木) 23:25:35 ID:1d4drIFg0
>>273 そうじゃ、公案も本来は修行者の心を鎮めさせるために編み出されたものじゃ。
 面白いクイズではないのじゃ。

呂祖も自我を観ることを否定してはいないのじゃ。
ただ思考が雑念として沸き起こる状態では見ることができないというのじゃ。
そのために鼻頭を観ることで眉間に気を集める法を教えるのじゃ。
止観の止を教えているのじゃ。

276 避難民のマジレスさん :2019/02/01(金) 15:39:21 ID:LC3de7YgO
>>274
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第六話 風景の焦点ゲシュタルトを変える(つづき)
 より抜粋

人は鼻の頭を見るべきである。
だがこれは、みずからの 思念を鼻の頭に固定させるという意味ではない。
心マインドはそのように曲解しかねない。
心は「よし、じゃあ鼻の頭を見つめればいいんだ。鼻先のことを考えて、それ
に集中すればいいんだ」と言いだしかねない。
鼻の頭に集中し過ぎたら、肝心な点を取り逃がしてしまう。
鼻の頭に視線を下ろしつつも、第三の目によって引き寄せられるように、ゆっ
たりくつろいでいなければならないからだ。
鼻の頭に集中し過ぎて、そこに根をはやし、焦点を合わせ、固定してしまった
ら、第三の目はあなたを引き寄せることができない。
第三の目はこれまで一度も働いたことがないからだ。
その吸引力は、最初はそれほど大きなものではありえない。
それは徐々に徐々に大きくなってゆく。
ひとたび第三の目が機能しはじめ、それによって周囲につもったほこりが消え
、仕組みが順調に働いてゆくようになれば、鼻先に意識を向けるだけで、あな
たは引き寄せられるようになる。
だが、はじめはそうはゆかない。
あなたは肩がこらず、圧迫もなく緊張もない、軽々とした状態でいなければな
らない。
あなたはただ一種の手放し状態のなかでそこにいなければならない。

またこれは、目で鼻の頭を見つめながら思念を 「中心の黄色」に集中させると
いう意味でもない。
だから、鼻の頭に意識を集中させないこと ― さもないと心マインドは第二の策
略トリックを弄しかねない……
師は心が引き起こしうるあらゆる事態、あらゆるゲームに注意を向けさせよう
としているだけだ。
心はまず言う。
「よし、では師は『鼻の頭に集中せよ』と言ってるんだ」
師は「鼻の頭に集中せよ」などとは言っていない。師は「見なさい。軽やかに
、力まずに見なさい」と言っているだけだ。
あるいは心はこう言うかもしれない。
「そうか、鼻の頭をとりあえず見て、意識を第三の目に集中させればいいんだ
な」心はつねに集中する側にまわる。
心は集中を餌とし、集中を食べて生きているからだ。
学校や大学で、瞑想ではなく集中が教えられるのはそのためだ。
学校はすべて心をつくりだす工場だからだ。
それは心を製造している。

視線が向かうところに、こころも向かうものである。
どうしてそれを同時に上方と下方に向けることができるだろう?
そうなったら、心マインドはこう言うだろう。
「いいかい、そんなことはできっこない。不合理な要求さ。どうして二つの方
向を、鼻の頭と第三の目を同時に見るなんてことができるだろう?そんなこと
は不可能だ、やれるはずがない。馬鹿を言っちゃいけない」
さあ、何かをつじつまが合わないと言って非難するのが、心の第三のゲーム
だ ― 心はまずまやかしの観念をつくりだしておいてから、それを壊そうとす
る。
そして壊すことに大きな喜びを覚える ― ひじょうに自虐的、加虐的な喜びだ

心は言う。
「いいかい、師はこんなことを言っているんだぜ。馬鹿げているよ!まず鼻の
頭を見て、それからさらに第三の目を見ろだって― どうして上と下を同時に見
るなんてことができるだろう?そんなことはできっこない」

こういったことはみな、月を指す指を月そのものと取り違える ようなもので
ある。
では、これは実際には何を意味するのか?
「鼻の頭」という表現はよく考えて選ば
れたものだ。
鼻は視線の目安とならなければならない。
それだけのことだ ― それは目安にすぎない。
それを目安にすることで、あなたは第三の目の磁場、エネルギー場に入り、第
三の目の磁力のすぐそばにいることになる。
第三の目はそのような形でしか機能しえない。
あなたはその磁力に身をさらし、磁場のなかにたたずんでいるだけでいい。
そうすればその力があなたを引き込んでくれる。
入ってゆく必要はないし、入ってゆこうと努力を する必要もない。
それはひとりでに起こるからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく`)

277 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/01(金) 21:48:03 ID:1d4drIFg0
眉間に集中する方法はなかなか難しいものじゃ。
あまりに集中すると眼が疲れて痛くなり、頭痛までしてくるのじゃ。
ヨーガでは視線は一メートルぐらいの地面に固定して意識だけ集中するというのじゃ。
この書では逆に視線を鼻の頭に固定して意識は向けないようにするのじゃ。
いろいろ試してみると善いのじゃ。

278 避難民のマジレスさん :2019/02/02(土) 00:08:31 ID:LC3de7YgO
>>276
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第六話 風景の焦点ゲシュタルトを変える(つづき)
 より抜粋

鼻に視線を向けていない場合には、目を大きく開けて遠くを 見ているため鼻が
見えないか、あるいは目を閉じ過ぎていて 鼻が見えない。
目を大きく開けすぎると、視線を外に向ける という誤りを犯し、気が散りやす
くなる。
鼻の頭を軽く見ることで別の効果が現れる ―
そうすれば目を大きく開いたままではいられない。
目を大きく見開くと、世界のすみずみが視野に入ってくる。
そして気を散らさせるものが無数にある。
美しい女性が通りかかると、あなたはそれについてゆく ― 少なくとも心のな
かで。
あるいは誰かが喧嘩をしていると、関係などないのに、「どうしたのだろう?」
と考えはじめる。
あるいは誰かが泣いていると、好奇心に駆られる。
千とひとつのものごとが絶えずあなたのまわりで起こりつつ゛けている。
目を大きく開いたら、あなたは男性エネルギー、<陽>になる。
目を完全に閉じてしまうと、あなたは物思いにふけり、夢を見はじめる。
あなたは女性的エネルギー、<陰>になる。
両方を避けるために、何気なく鼻の頭を見る― 単純な方策だが、その成果には
目を見張るものがある。
これは道家の人々だけでなく、仏教徒たちも知っている、ヒンドゥー教徒たち
も知っている。
いつの時代にも瞑想者たちは、目を半眼にすることで二つの罠を巧妙に避ける
ことができるという事実にゆきあたった。
外界にかき乱されるか、内なる夢の世界にかき乱されるか、二つの落とし穴が
ある。
内界と外界の境界の真上にとどまっていればいい。
まさにその場所だ。
内界と外界の境界の上にあるというのは、その瞬間、あなたは男性的でも女性
的でもないということだ。
あなたの視界は二元性から解放されている。
あなたの視点は内なる分割を超えている。
内なる分割を超えてはじめて、あなたは第三の目が放つ磁力の圏内に入る。
目を閉じ過ぎると、視線を内に向けるという誤りを犯し、夢を見るような空想
の状態に沈みこんでしまう。
ただ瞼まぶたを 適度に半分ほど閉じると、ちょうどよい具合に鼻の頭が見える
ようになる。
そのために鼻を目安とするのである。
大切なのは、瞼を適度に閉じて、意識を集中させて光を流れ込ませようとする
のではなく、光が自然に流れ込むようにすることである。
これを覚えておくことはとても重要だ。
光は引き入れるものではない、力ずくで引き込むものではない。
窓が開いていれば、光はひとりでに入ってくる。
扉が開いていれば、光はあふれるように差し込んでくる。
光はもち込まなくてもいい。
光は押しいれなくてもいい。
光は引き込まなくてもいい。
光をどうして引き込むことができるだろう? 
光をどうして押し入れることができるだろう?
心を開き、光に対して感じやすくなっているだけでいい。
鼻の頭を見ているときに起こっているのはまさにそれだ。
集中せずに、ただ見ていると……重くならず、力まず、ただ見ていると、突然
、第三の目の窓が開き、光が流れ込んでくる。
いつも外に流れ出していた光が流れ込みはじめ、輪が完結する。
そしてこの輪は人間を完成させる。
この輪は人間を完全に落ち着かせ、くつろがせる。
この輪は人間を円満で神聖なものにする。
人間はもはや分かたれていない。
そうでないかぎり、人はみな多かれ少なかれ精神分裂症にかかっている。
光の輪をつくりだせた人間だけが ―光の循環は精神分裂症を超えている ― 本
当に健やかであり、神経症を少しも患っていない。
さもなければ人はみな似たりよったりだ。
神経症を病んでいる者とそうでない者の違いは程度の差にすぎない。
実際、患者と精神分析医は別の人種ではなく、同類だ。
ひとりの神経症患者がもうひとりの神経症患者を助けようとしている。
そして、ときには手を貸している方が相手よりも重いい神経症にかかっている
といったことがある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

279 避難民のマジレスさん :2019/02/02(土) 11:35:33 ID:LC3de7YgO
>>278
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第六話 風景の焦点ゲシュタルトを変える(つづき)
 より抜粋

世にある職業のなかで精神分析医が神経を病む率が最も高い。
世にある職業のなかで精神分析医の自殺率が最も高い。
なぜだろう?
ある意味で、それは当然のことであり、つじつまがあう。
神経症やありとあらゆる狂気を扱ってばかりいるのだから、自分自身も癒えて
いない彼らが影響を受けてしまうのは当然だ。
彼らはこれらの神経症を体内で養っている。
患者が語るすべてのたわごとに耳を傾けていると、精神分析医は無意識のうち
にそれを取り込んでしまう。
患者はありとあらゆるたわごとを精神分析医にぶちまけてゆく。
実際、そのために患者は金を払っている。
徐々に徐々に、精神分析医のなかに大量の神経症がため込まれ、やがてそれが
爆発することになる。
そうなっても無理はない。
もし精神分析医を任命する権限が私に与えられたなら、光を巡らせるこのプロ
セスを精神分析医に求められる基本的な条件、根本条件とするだろう。
みずからの光を巡らせることができるまで、他人を治療する資格はない。
内側で光を巡らせることができるなら、その人はいかなる神経症にもけっして
影響されることがない。
彼は乱されることなく、耳を傾け、手を貸すことができる。
光を巡らせることで、彼はみずからを清め、浄化している。
彼は聖なる人になる。
導師グルと精神分析医の違いはそこにある。
導師だけが真の精神分析医になることができる。
導師だけが真のセラピストになることができる。
みずからの全体性に到った者だけが道の上で苦闘し、暗闇でつまつ゛いている
者たちに本当に手を貸すことができる。
さもなければ、盲人が別の盲人の手引きをしているだけだ ― ふたりはそろっ
てどこかの井戸に落ちることになる。
この『黄金の華の秘密』という書物は、将来、精神分析医になりたい者たちに
とって、最も根本的な実践の手引きとなるにちがいない。
あなたは驚くだろう ― この書物をはじめて西洋の言語に翻訳したのはヴィル
ヘルムだが、彼自身もまた優れた心理学者だった。
彼がこの書物に興味をもつようになったのはそのためだ。
だが、翻訳を終えた後、彼は狂ってしまった。
彼はひどくかき乱されてしまった。
彼が受けた精神分析の訓練とこの書物の内容が 彼のなかで大きな矛盾を引き起
こし、解きがたい 謎を引き起こし、彼は今まで以上に分裂してしまった。
この書物を翻訳することで、彼は一種の狂気へと追い立て られていった。
それまで受けてきた訓練、知識がことごとくかき 乱されてしまったために、彼
は方向感覚をすっかり失ってしまった。
それを覚えておきなさい。
秘法はそれほどむずかしくない。それが むずかしいのはそこだ ― あまりに
単純なので、ただ心マインドが複雑にしてしまわないよう、勝手にひねりを加
えてしまわないよう、見張りつつ゛けることだけが求められる。
そのために鼻を目安とするのである。
大切なのは 、瞼を適度に閉じて、意識を集中させて光を流れ込ませようとする
のではなく、光が自然に流れ込むようにすることである。
意識を集中させて光を取り入れる必要はない。
光は自然に入ってくる。
そして自然に入ってくるなら、その光は美しい。
光を内側にとり入れようとしはじめたら失敗するだろう。
努力すれば必ず失敗する。
そして失敗すればするほど、あなたはさらに懸命に努力する。
やればやるほど、あなたの失敗はいっそう確実なものになってゆく。
光をとり入れようとしないこと。
光が自然に入ってくる正しい状況に身を置けばいいだけだ。
例えば、夜、月が出ているときに、窓辺に近つ゛き、窓のそばに立てば、月は
自然に甘露を降り注ぎはじめるだろう。
あなたは何もしなくていい。
月の光が降り注いでいる場所に立てばいいだけのことだ。
みずからを正しい<場>に置くだけで、ものごとは起こりはじめる ―このうえ
もなく価値のあることが。

鼻の頭を見ることは、ひとえに内なる集中をはじめる際に役立つのであり、そ
うすることで視線が正しい方向に向かい 目安が定まれば、後はそのまま放置す
ればよい。
これは大工が下げ振りをつるすにあたり、いったんそれをつるし終えると、絶
えずその糸を見ることにこだわらないような ものである。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

280 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/02(土) 23:14:27 ID:1d4drIFg0
瞑想が難しくなるのは何もしないことが難しいからなのじゃ。
何かがうまくいっていると人は何かを必ずしたくなるのじゃ。
それによって静けさや沈黙が破れてしまうのじゃ。
初心者のうちにはうまくいっいていた瞑想が上達するとうまくいかなくなるのもそのためなのじゃ。
再び何もしないことができるには長い時間が必要になるのじゃ。
流れてくるエネルギーや微妙な静けさや沈黙をそのままにしておくことが瞑想の秘訣なのじゃ。

281 避難民のマジレスさん :2019/02/03(日) 00:03:26 ID:LC3de7YgO
>>279
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第六話 風景の焦点ゲシュタルトを変える(つづき)
 より抜粋

両目で鼻の頭を見ながら……いいかね、両目が鼻の先端でその二元性を失うよ
うに、あなたは両方の目で鼻の先端を見なければならない。
そうすればその鼻先で、両目から流れ出している光がひとつになる。
光は一点に集まる。
二つの目が出会うところ……まさにそこに窓が開く。
そうなったらすべてがうまくゆく。
そうなったらそのまま放置すればいい。
そうなったらただ楽しめばいい。
ただ祝い、ただ喜び、楽しめばいい。
そうなったらすることは何もない。
(p211)

両目で鼻の頭を見ながら、背筋を伸ばして楽な姿勢で座り……背筋を伸ばして
坐ることは役に立つ。
背筋を伸ばしていると、性の中枢センターから来るエネルギーをも第三の目で
使うことができるようになる。
単純な方策であり、そこには何も複雑なものはない……両目が鼻の頭で出会う
と、あなたは第三の目にはいってゆくことができる。
性エネルギーもまた第三の目に入ってゆかせるがいい。
そうすれば効果は二倍になる。効果は絶大になる。
なぜなら、性の中枢にはあなたが携えているすべてのエネルギーがあるからだ

背骨をまっすぐに立てると、性の中枢をも第三の目で使うことができるように
なる。
第三の目は二つの次元から攻めるほうがいい。
第三の目は二つの角度から貫こうとするほうがいい。
背筋を伸ばして楽な姿勢で座り……師はことを単純明快にしている。
背筋を伸ばすのはいいが、それを心地の悪いものにしてはいけない。
そうでなければ、再びその心地の悪さに気をとられてしまう。
ヨーガの体位の意味はそこにある。
サンスクリット語の「アーサナ」とは心地のよい姿勢を意味している。
心地のよいことが何よりも肝心だ。
心地よくなければ、心は不快さに気をとられてしまう。
それは心地よいものでなければならない。
東洋人がよくするように床の上に坐ることができなければ ― 彼らは何世紀に
もわたり坐りつつ゛けてきた ― 西洋の探求者が床の上に坐ることができなけ
れば、坐ることに無理があり、心地が悪く、痛みに満ちたものになるなら、椅
子に坐って背筋を伸ばす方がよい。
だが、椅子の背は直角でなければならない。
古代エジプトの王や王妃の絵や彫像を見たことがきっとあるだろう。
彼らの椅子の背は直角になっている。
そのようにして坐るといい。それもヨーガの姿勢のひとつだ。
古代のエジプト人たちはその秘密を知っていた。
とにかく二つのポイントがある。
背骨をまっすぐに伸ばすことと、楽な姿勢を取ることだ。
どちらかが無理な場合には……ときにはそういうこともある。どちらかができ
ない場合がある。
背骨をまっすぐ伸ばすと、心地が悪くなり、楽な姿勢を取ると、背骨が曲がってし
まう。
そんな場合には楽な方を選びなさい。
最善では ないにせよ、心地よさを選ぶ方がいい。
そして背骨 や背筋を伸ばすことなど忘れてしまいなさい。
という のも、心が散漫になってしまうと、何も起こらないからだ。
両方をかなえることができるなら、それに越したことはない。
(p213)
楽な姿勢で座り……背筋を伸ばし楽な姿勢で坐り…… こころを諸条件の只なか
にある中心に保つ。
そして世間から逃げださないこと。
世間のなかで、その諸条件の只なかで生きなさい。
車の騒音が聞こえてくる。
飛行機が飛び去ってゆく。
汽車が行ったり来たりしている。
ありとあらゆるものごとがそこにある……世間が。
だが、世間の只 な か で静かに座りなさい。
なぜなら、ヒマラヤの洞窟へ逃げだすことにはつねに危険がつきまとうからだ

危ないのはヒマラヤの静寂がしみ込みやすいため、自分は沈黙を達成したと勘
違いしかねないからだ。
大気の涼しさがしみ込みやすいため、平常心を達成したと勘違いしかねないか
らだ。
それは借り物だ。
人でにぎわう街にもどってくれば、それはみなたちどころに消えてしまう。
そしてヒマラヤでのあの年月は無駄だったことが、完全に無駄だったことがわ
かる。
あなたは自分をだましていただけだ。
世間の只なかで、中心感覚を獲得するほうがいい。
なぜなら、それはあなたから取り去ることができないからだ。
だからどこにいようと、あなたはこれらの諸条件の只なかで中心にとどまらな
ければならない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

282 避難民のマジレスさん :2019/02/03(日) 09:05:58 ID:LC3de7YgO
>>281
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第六話 風景の焦点ゲシュタルトを変える(つづき)
 より抜粋

それは必ずしも頭の中心を指しているわけではない。
中心感覚とは、頭の中心にとどまるということではない。

大切なのは、ただみずからの思念を両目の中間に定めることである。
そして、いいかね、意識の集中ではなく、ただ油断なく目を見張りつつ゛けて
いること、軽やかに注意を払うということだ。
鼻の頭を見ながら、第三の目に軽く注意を払いなさい。
実のところ、鼻の頭を見たとたん、あなたは第三の目に敏感になる。
なぜなら、それは鼻のもう一方の極だからだ。
ひとつの極、外側の極は鼻の頭であり、それは末端だ。
もうひとつの末端は第三の目とつながっている。
鼻の頭に意識を向けるやいなや、もう一方の端もただちに意識に昇ってくる。
だが、ただ気つ゛いていること、努力せずに気つ゛いていること。

大切なのは、ただみずからの思念を両目の中間に定めることである。
そうすればすべては整う。
すばらしい言明だ ― そうすればすべては整う。
あなたはわが家にたどり着きはじめている。
あなたは変革の入り口に立っている。

光は、はなはだ動きやすい。
光はつねに動いている。
光とは運度に他ならない。
この世で光ほど速く動くものはない。
光の速さは一秒間に十八万六千マイルだ。
光より速いスピードで動くものはない。
光は純粋な速さだ。
それは速さの別の名前だ。
光はけっして眠り込まない。
光はつねに躍動し、つねに動き、つねに流れている。
光は、はなはだ動きやすい。
両目の中間に思念を定めると、光は自然に流れ込んでくる。
心配しなくてもいい。
窓を開けて、ただ待てばいい。
光は動いてやまない現象だから、窓が開いていれば、流れ込んでくる。
実のところ、光は何生にもわたって窓を叩きつつ゛けてきたのだが、窓は閉ざ
されたままだった。
そして光は窓をこじ開けることができない。
それは朝がきて太陽が昇っているのに、深く眠りこけているのに似ている。
光線は窓に達し、窓を叩いている。
だが、そのノックの音は聞こえない。
光は音を立てないからだ。
光はそこで待っている。
目を覚まして、窓を開けたとたんに、光が流れ込んでくる。
そして光とともに生命が入ってくる。
光とともに喜びが入ってくる。

両目の中間に思念を定めると、光は自然に流れ込んでくる。
「自然に」という言葉に心をとめなさい。
あなたは行為の主体ではない。
あなたは一種の手放し状態にある。
あなたは光に明け渡している。

注意をことさら中心の宮殿に向ける必要はない。
大切なことはこの数語に要約されている。
あなたの実存をすっかり変容させてしまう秘法、神の王国の秘法、にゃはんニ
ルヴァーナの秘法……。
「諸条件の只なかにある中心」というのは、ひじょうに 微妙な表現である。
中心は至るところにあり、いっさいのものがそのなかに含まれている。
それはあらゆる創造のプロセスが解き放たれる点と結びついている。
あなたが第三の目の地点に到り、そこに中心を据えると、光があふれるように
押し寄せてくる。
そのときあなたは、あらゆる創造がそこから湧き起こる地点に到達している。
あなたは形なきもの、顕れていないものに到達している。
それを「神」と呼んでもいい。
これこそ万物が湧き起こる地点、その空間だ。
これこそ森羅万象の種子そのものだ。
それはあらゆる力をもち、至るところに遍満している永遠なるものだ。
もはや死を知ることはない。
もはやあなたはいかなる肉体との同一化、老若・美醜も知ることはない。
もはやあなたはいかなる種類の病も知ることはない ― 肉体が病まないという
のではないが、病はもはやあなたには起こらない。
なぜなら、あなたはもう同一化してはいないからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

283 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/03(日) 22:01:53 ID:1d4drIFg0
瞑想の真の秘訣がここでもまた強調されるのじゃ。
瞑想中に何か起ころうとそのままにしておくのじゃ。
集中以外の全ての意思をも放棄して座り続けるのじゃ。
そこにこそ至高の境地が花開くのじゃ。
全ての意識が体を超えて広がっているのが感じられるのじゃ。

284 避難民のマジレスさん :2019/02/03(日) 22:39:12 ID:LC3de7YgO
>>282
23黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第六話 風景の焦点ゲシュタルトを変える(つづき)
 より抜粋

ラマナ・マハリシは癌で死んだ。
肉体は ひどく苦しんでいたが、彼は微笑んでいた。
医者たちは当惑し、目を疑った。
それは信じがたいことだった。
肉体がこれほどひどい苦痛にさいなまれているのに、彼はすばらしい歓喜に浸
っている。
どうしてそんなことがありえるのだろう?
彼らが何度も「どうしてこんなことがありえるのでしょう?」 と尋ねるたびに
、彼はこうくり返した。
「不思議なことは何もない。私は肉体ではないからだ。だから肉体に何が起こ
っていようと、君たちが私の肉体を見ているのと変わりない。私も自分の肉体
を見ている。 君たちは少しも痛みを感じないだろう?私もそうだ。君たちは目
撃者であり、私も目撃者だ。 肉体は対象、私たちのあいだにある対象物にすぎ
ない。君たちは肉体が苦しんでいるのを外側から見ている。私は肉体が苦しん
でいるのを内側から見ている。君たちが動揺せずに見ていられるなら、どうし
て私にできないことがあるだろう?」
実のところ、医者たちは動揺していた。
彼らは深い同情を感じていた。
彼らは悲しかった。
彼らは無力感を感じていた。
彼らはこの人を救いたいと思っていた ― かつてこの世に生きた最も美しい人
々のひとりを。
だが、それはできなかった。
彼らは泣いていた。
だが、ラマナはまったく動揺していなかった。
人間のなかには超越の地点がある。
姿を顕しているいっさいのものから突如 断絶し、姿を顕していないものと結
びつく地点が。
姿を顕していないものと結びつくことが 自由になること、あらゆる惨めさか
ら自由になること、あらゆる限界、あらゆる束縛から自由になることだ。
一点を見つめ観想することが不可欠である。
これは避けることのできないものだ ―これは欠かせない。
至福の状態に到達したければ、この一点を見つめること、観想、瞑想、あるい
はディヤーナのこのプロセスを通り抜けなければならない。
(p217)
この技法はすみやかに光明を得ることを保障する。
世俗の想念が浮かびあがってきたなら、そのままじっと坐りつつ゛けてはいけ
ない。
さて、ひじょうに重要な、師の第二の助言だ。

世俗の想念が浮かびあがってきたなら、そのままじっと坐りつつ゛けてはいけ
ない。
その想念はどこにあるのか、どこではじまり、どこへ消えてゆくのかを調べな
ければならない。
最初からそれがうまくゆくことはないだろう。
鼻の頭を見ていると、思考がやって来る。
思考は何生にもわたってやって来ているのだから、そうやすやすとあなたを独
りにしてはくれない。
思考はあなたの一部となり、ほとんど組み込まれてしまっている。
あなたはプログラムされたに等しい生を送っている。
自分が何をやりつつ゛けているか観察してみたことがあるだろうか?
なかったら、明日の朝、あることをやってみるといい。
朝、目を覚ましたら、すぐに自分がしていることを観察してみるといい
― どのようにベッドから起きるか、どのように身体を動かすか、どんな思念
が頭をよぎるか……ただ、見守ってみるといい。
一週間も観察すれば、きっと驚くことだろう。
あなたは毎朝まったく同じことをくり返している。
同じ仕草、同じ表情、ほとんど同じ思考。
何から何まですっかりプログラムされてしまっている。
そしてあなたはこれを一生のあいだやってきた
―もしかすると何生ものあいだやってきたのかもしれない。
腹が立ったら、観察してみるといい
―それはいつも同じプロセスを踏んでいる。
あなたは同じ空間を通り抜けてゆく。
幸せなとき、観察してみるといい。
恋に落ちるとき、観察してみるといい。
失恋するとき、観察してみるといい。
それはほとんど同じプロセスだ。
あなたは同じ愚行を何度も何度もくり返し、同じたわごとを何度も何度も口走
っている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

285 避難民のマジレスさん :2019/02/04(月) 07:33:06 ID:LC3de7YgO
>>284
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第六話 風景の焦点ゲシュタルトを変える(つづき)
 より抜粋

あなたは意識的な生を生きていない。
あなたの九十九パーセントはプログラムされている
― 他人にプログラムされているにせよ、社会にプログラムされているにせよ
、あなた自身の手でプログラムしているにせよ、プログラムされていることに変わりはない。
だから、はじめて坐って鼻の頭を見つめているときに、思考がこのように言う
ほど、ことは容易ではない。
「こいつのそばには近寄らないほうがいい。このかわいそうなやつを見てみろ
―瞑想なんかにすっかりはまり込んでいる!鼻の頭を見つめていやがる……今こ
いつのところへゆくのはやめておこう」
思考はあなたのことなどおかまいなしに、どんどん走りまわるだろう。
鼻の頭を見たぐらいで止まりはしない。
むしろ逆に、この男が思考の支配から逃れようとしているのを見物しようと、
それまで以上にもっとしつこくやって来るだろう。
静かに坐って瞑想をしていると、ふだんよりも、いつもよりももっと多くの思
考がやってきて、ほとんど爆発しそうな勢いになる。
何百万もの思考が押し寄せてくる。
思考はあなたにかなりの投資をしてきたのに、あなたはその支配から抜け出そ
うとしているからだ。
かれらはあなたをこっぴどい目に合わせようとする。
だから、思考が必ずやって来る。
これらの思考をどうしたらいいだろう?
ただそこにぽつんと坐っているわけにはゆかない。
あなたは何かをしなければならない。
闘っても役には立たない。
闘いはじめたら、鼻の頭を見たり、第三の目を意識したり、光を巡らせること
を忘れてしまうからだ。
あなたはすべてを忘れ、思考のジャングルに迷い込んでしまう。
思考を追いかけはじめたら、道に迷ってしまう。
思考の後を追えば、道に迷ってしまい、思考と闘っても、道に迷ってしまう。
では、どうすればいいのだろう? これがその秘法だ。
仏陀も同じ秘法を使っていた。
実際、秘法というのはほとんど同じものだ。
人間が ― 鍵穴が同じだからだ。
だとすれば 鍵も同じにならざるをえない。
これがその秘法だ。
仏陀はそれを「サマサティ」
― 正しい想起 ― と呼んでいた。
ただ想起すること
― 思考がやって来ても、敵意を抱かず、正当化をせず、非難をせずに、その
ありのままの姿を観る。
科学者が客観的になるように、ただ客観的になる。
それがどこにあるか、どこからやって来たか、どこへ去ってゆくかを観る。
それがやって来るのを観、とどまるのを観、去ってゆくのを 観る。
思考はひじょうに動きやすく、長くとどまってはいない。
あなたは 思考が湧き起こり、思考がそこにとどまり、思考が去ってゆくのをた
だ観守っていればいい。
闘ったりしないこと。
ただ静かに観察していればいい。
するとあなたは驚くだろう
― 観察がしっかりしたものになればなるほど、やって来る思考は減ってゆく。
観察が完璧になると、思考は消え失せてしまう。
後にはすきまが、間合いだけが残る。
だが、もうひとつのポイントを覚えておきなさい。
こころが再び策を弄しかねないからだ。
(p220)
内省をどこまで押し進めても何も得られない。
だが、内省をどこまでも押し進めようとしないこと。
フロイト派の精神分析はまさにそれを行なっている。
思考を自由に連想させてゆく。
ひとつの思考がやって来たら、次の思考が湧いてくるのを待つ。
それがどんどん鎖のようにつつ゛いてゆく……精神分析の諸派がやっているの
はまさにそれだ―あなたは過去にもどってゆき始める。
ひとつの思考が別の思考を呼び覚まし、それが延々と果てしなくつつ゛いてゆ
く。
それにはきりがない。
それに入り込んでしまったら、あなたはまったく何の益にもならない永遠の旅
に出ることになる。
心はそれをやりかねないから、気をつけなければならない。

内省をどこまで押し進めても何も得られない。
この想念がどこから生まれてきたかを見ることでよしとし、その先を究めよう
としてはならない。
こころを探し求めても、とらえることはできない (意識によって意識の背後に
達することはできない)からだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

286 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/04(月) 23:05:05 ID:1d4drIFg0
雑念を見守り、消えていくに任せるのは集中には欠かせない方法なのじゃ。
それに囚われてはいかんが、あまりに追求しすぎてもいかんのじゃ。
泡の如く生まれては消え去るさまを観ているだけでよいのじゃ。
そうすれば消えていくのじゃ。

287 避難民のマジレスさん :2019/02/04(月) 23:35:19 ID:LC3de7YgO
>>286
淀みに浮かぶうたかたであります!
(´・(∀)・`)つ

288 避難民のマジレスさん :2019/02/04(月) 23:47:10 ID:LC3de7YgO
>>285
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第六話 風景の焦点ゲシュタルトを変える(つづき)
 より抜粋

意識によって意識を超えることはできない。
だから、いたずらに無益なことは試みないこと。
そうしないと次から次へと現れる思考に振りまわされて、自分がそこで何をし
ようとしていたのかすっかり忘れてしまう。
鼻の頭は消え、第三の目は忘れられ、光の循環は遥か彼方に遠ざかってしまう

だから思考をつなげないよう、ひとつの思考だけにする。
連想をはじめてはいけない。
ひとつの思考が現れてくる―それがどこにあり、どこから現れて、いつ消えて
ゆくのかを見守りなさい。
見守っていると、それは消えてしまう。
これを心にとめておきなさい。
仏教徒は思考が現れると、「思考、思考」と言って油断なく目を見張る。
それはちょうど家に泥棒が入ったら、「泥棒だ!泥棒だ!」
と叫んで、みんなの注意を呼び覚ますようなものだ。
ただ「思考、思考」と言うだけで、あなたは油断なく目を見張り、注意深くな
る。
泥棒が入った。さあ、泥棒が何をしているか見守るがいい。
あなたが気つ゛くと、思考はただちに止まる。
思考はあなたを見て、そして少し驚く。
あなたはこれまで一度もそんなことをしたことがなかったからだ。
思考はあまり歓迎されていないのを感じる。
「こいつはどうしてしまったんだろう?いつもよくもてなしてくれたのに、
『泥棒!泥棒!思考だ、思考だ』などと言っている。こいつはどうしちまったんだろう?」
思考は当惑し、何が起こっているのか理解することができない。
「こいつはおかしくなりはじめているのだろうか。鼻の頭を見ながら『思考、
思考』とくり返しているぞ」
気つ゛きそのものが思考の動きを一瞬止める。
思考はその場に釘つ゛けになる。
そして見守りつつ゛けなさい。
非難してはいけない。
放り出そうとしてはいけない。
闘ってはいけない。
非難しても正当化しても、思考と同一化することになるからだ。
ただそこにあって、油断なく目を見張り、思考を見つめなさい。
そうすれば思考は消えはじめる。
現れたときと同じように消えてゆく。
それは空想から生まれ、空想のなかに消えてゆく。
思考が消えれば、観想にもどればいい。
思考には根などないのだから、その元をたどる必要はない。
さもなければ大宇宙の源そのものまでたどらなければならなくなる。
精神分析にきりがないのはそのためだ。
それはけっして終わらない。
精神分析を完全に終えた者などこの世にひとりもいない。
精神分析を完全に終えることなどありえない。
一年、二年、三年、四年、五年、六年、七年と―精神分析に七年間通っている
人もいる。
あなたはどう思うかね?
彼らが止めるのは精神分析が終了したからだと思うかね?
いいや、彼らは精神分析にうんざりし、精神分析医は彼らにうんざりしてしま
ったからだ。
ものごとはいつか決着をつけなければならない。
終止符を打たなければならない。
いつまでつつ゛けられるだろう?
だが、精神分析が完了したことは一度もない―それはありえない。
それはむいてもむいてもなくならない玉葱たまねぎのようなものだ。
その皮をえんえんと剥むきつつ゛けることはできるが、どこまでいってもきり
がない。
だがそれは助けになる。
それは自分自身に、そして社会にもっと適応するのを助けてくれる。
それはあなたを変容させるのではなく、正常な異常者にするだけだ。
それはあなたが住んでいる神経症的な社会にあなたが適応するのを助けてくれ
る。
それはあなたを、変容を遂げた輝かしい存在にするのではなく、生がもたらす
ものは善悪を問わずことごとく受け入れ 、誰もがしているように身をひきずり
ながら歩いてゆくふつうの人間にしてくれる。
それは嘆きながら生を受け入れることを教えてくれる。
それは本当の受容ではない。
真の受容はつねに祝祭をもたらすからだ。(´・(ェ)・`)
(つづく)

289 避難民のマジレスさん :2019/02/04(月) 23:49:12 ID:LC3de7YgO
>>288
OSHOはきっと、正常な異常者だったのでありましょう。
くまも、それを目指すであります。
(´・(ェ)・`)つ

290 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/05(火) 22:59:22 ID:1d4drIFg0
>>287 そうじゃ、兼好法師も修行していたのじゃろう。
 
>>289 目指すと善いのじゃ。

批判も正当化もせずに見守るのはなかなか難しい事じゃ。
分別の判断は瞬時に起こってしまうからのう。
それが起こったならば起こったとまたありのままに観るとよいのじゃ。
そうすれば自己同一化されずに消えていくのみなのじゃ。

291 避難民のマジレスさん :2019/02/06(水) 03:10:06 ID:LC3de7YgO
>>290
鬼和尚、いつもありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

292 避難民のマジレスさん :2019/02/06(水) 06:48:17 ID:LC3de7YgO
>>288
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第六話 風景の焦点ゲシュタルトを変える(つづき)
 より抜粋

ジークムント・フロイトは言った―人間は幸福にはなれない。
せいぜい楽になることができるだけだ。
生をもっと心地よいものにすることはできるが、ただそれだけのことであり、
幸福にはなれない。
それは不可能ではない―精神分析によっては不可能だが― なぜなら、幸福な人
々というのは存在してきたからだ。
私 たちは彼らを知っている。
仏陀や老子やクリシュナのような人たち、私たちはこういった舞い踊る人々を
知っている。
フロイトは幸福ではない。
それは本当だ。
彼は幸福になることはできない。
精神分析を落とし、瞑想的なプロセスに入ってゆかないかぎり、彼は幸福には
ならない。
彼が瞑想を学ぶにはさらにいくつかの生が必要になるだろう。
実のところ、彼は瞑想をひどく恐れていた。
ジークムント ・フロイトだけでなく、カール・グスタフ・ユングのような人で
さえ、恐れていた。
カール・グスタフ・ユングは、この 『黄金の華の秘密』という書物の解説を書
いている。
だが それは知的なものにすぎず、実存的な価値はない。
彼には瞑想の体験がまったくなかった―どうしてそれが実存的な価値をもちう
るだろう?
そして、彼はきわめてエゴの強い人間だった。
エゴの強い人間は瞑想に入ってゆくのがひじょうにむずかしい。
なぜなら、そのまさに戸口のところでエゴを落とさなければならないからだ。
ユングがインドを訪れたとき、まだラマナ・マハリシ は生きていた。
そして、多くの人がユングに勧めた。
「インドにおいでになったのだし、あなたは生の内なる神秘に大きな関心をも
っておられるのだから、ラマナのもとへ行かれるのがいいでしょう。あなたは
『黄金の華の秘密』の注釈を書いて おられますが、ここでは満開の"黄金の華"
が咲いています。 どうしてラマナのもとへ行かれないのですか?」
だが、ユングは一度も足を向けなかった。彼はインドを旅して多くの人々に出
会ったが、ラマナには一度も会いに行かなかった。
なぜだろう?
何を恐れていたのだろう?
この人物に出会うことを恐れ、この鏡と顔を合わせることを恐れていたのだ。
ユングの写真を見たことがあるだろうか?写真を見ただけでも、彼のエゴは歴
然としている。
フロイトはユングほどエゴが強そうには見えない。
おそらくユングは、みずからのエゴゆえに師である ジークムント・フロイトと
袂たもとを分かち、彼を裏切ったのだろう。
ちょっと彼の写真を見てみるといい。その目はとても抜け目なく、計算高い。
いつでも人に食ってかからんばかりだ。
とほうもなくエゴが強いが、ひじょうに頭がよく、聡明で、知性が発達してい
る。
いいかね、精神分析であれ分析心理学であれ他の流派であれ、分析と言うゲー
ムに興じるかぎりあなたは幸福にはなれない。
そのゲームのゆき着く果てはなまぬるい順応生活に他ならない。
それらはあなたが祝祭の炎と化すのを助けはしない。
祝祭は 彼らの手にあまる。
なぜだろう?
それは彼らが思考を分析しつつ゛けているからだ。
分析は必要ではない。
それゆえに『黄金の華の秘密』は言う―人はみなこころを落ち着かせようとす
る、これが正しい観想である。
私たちは実存全体に完全な安らぎをもたらしたい。
分析は助けにならない。
分析は混乱を、不安な状態を生み出すからだ。

これと矛盾するのは誤った観想であり……分析は「誤った観想」だ。

何も得るところがない。雑念が果てしなくつつ゛いてゆくときには、立ち止ま
り、観想をはじめなければならない。
だから、この二つを覚えておくといい。
これらは両翼だ。
ひとつは、間合いがあり、思考がやって来ていないときに観想するということ

そして思考がやって来たら、これら三つのことを見る―思考はどこにあるか、
どこからやって来たか、どこへ去ってゆくか。
しばらくすきまを見ることをやめて、思考を見つめ、思考を観察し、思考に別
れを告げる。
思考が去ったら、ただちに観想を再開する。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

293 避難民のマジレスさん :2019/02/06(水) 07:06:10 ID:LC3de7YgO
>>289
正常も異常も、観念的、相対的なものであり、分別を越えたところを目指すのかなと、考えすぎたようであります。
思考の隙間、沈黙の世界をみつめなければいけないのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

294 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/06(水) 22:26:02 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、ただひたすらに座り続けるのじゃ。

 雑念が去ったならばもはや手をつけないでいることが正しい観想というのじゃ。
 努力しないことで努力の及ばない彼方にいくことができるのじゃ。
 それが真の瞑想なのじゃ。
 主体に関係なくただ起こるだけの瞑想がそこに華開くのじゃ。

295 避難民のマジレスさん :2019/02/06(水) 23:31:46 ID:LC3de7YgO
>>292
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第六話 風景の焦点ゲシュタルトを変える(つづき)
 より抜粋

もう一度、譬たとえを使って説明してみよう。
道路を走っている車と車のすきまを見ているとき、車がやって来たらどうする
だろう?
あなたは車にも目をやるが、車の細部のことは気にかけない。
型、車種、年式、色、運転手、乗客のことは気にかけない。
そういった分析にはかかずらわない。
あなたはただ車を目にとめるだけだ。
車がやって来て、あなたの前を通り、去ってゆく。
再び、あなたはすきまに注意を払うようになる。
あなたの関心はひたすらすきまに注がれている。
だが、車がやって来たら、しばらくのあいだ車にも注意を払わざるをえない。
やがて車は去ってゆき、あなたは再び安らぎ、観想、間合いのなかに落ちてゆ
く。
雑念が果てしなくつつ゛いてゆくときには、立ち止まり、観想をはじめなけれ
ばならない。
観想したら、再び見つめる。
だから、思考がやって来るたびに、それを見つめ、思考が去るたびに、観想す
る。

これがすみやかに光明を得るための二重の技法、つまり 光を巡らせることであ
る。
巡らせるとは見つめることであり、光とは観想のことである。
観想するたびに、光があふれんばかりに押し寄せてくる。
見つめるたびに、あなたは循環を生みだし、循環を起こさせている。
どちらも必要だ。

光とは観想のことである。
観想せずに見つめるのは光のない循環であり……まさにそれが起こっている。
ハタ・ヨーガにその不幸なあやまちが起こった。
彼らは一点を見つめ、集中するが、光を忘れてしまった。
彼らは客をすっかり忘れてしまった。
彼らはひたすら家の準備をしつつ゛ける。
家を準備することにかまけるあまり、彼らは何のために、誰のために家を準備
しているのか、その目的を忘れてしまった。
ハタ・ヨーガは絶えず肉体を準備し、肉体を浄化してゆく。
ヨーガの姿勢を取り、呼吸法を実践しながら、それをどこまでも果てしなく
つつ゛けてゆく。
ヨーガ行者は何のためにそれをやっているのかをすっかり忘れてしまっている

そして目の前にある光を認めようとしない。
光は人が完全に手放しになったときにはじめて入ってくることができる。

観想せずに見つめるのは光のない循環であり……これがいわゆるヨーガ行者に
起こるあやまちだ。
別の種類のあやまちが精神分析医、哲学者に起こる。

見つめずに観想するのは循環のない光である。
彼らは光について考えるが、それが押し寄せてくるのにそなえて準備したこと
がない。
彼らは光について 考 え る だけだ。
彼らは客について考える。
客について千とひとつのことを想像するが、家の準備ができていない。
どちらも取り逃がす。

これに注意しなければならない!
さもなければ、あなたもまた取り逃がすかもしれない。
準備して待ちなさい。
用意を整えるのだ。
鼻の頭を見つめ、第三の目に注意を向け、背骨をまっすぐに伸ばし、楽な姿勢
を取る―あなたがしなければならないのはそれだけだ。
それ以上のことは必要ない。ヨーガの姿勢を年がら年じゅうやりつつ゛ける必
要はない。
それは馬鹿げている。
いわゆるヨーガ行者がひどく愚かで知性を欠いているように見えるのはそのた
めだ。
彼らの肉体は頑丈であり、長生きするかもしれないが、それに何の意味がある

光がなければ、生は知性の欠けた暗いものになる。
長生きしようが、早死にしようが違いはない。
大切なのはたとえ一瞬でも光のなかに生きることだ。
それで充分だ。
その一瞬は永遠になる。
そして光について考えてばかりいる哲学者たちがいる―光とは何か?光をどう
定義すればいいか、どう定義するのが最良か―彼らは様々な理論、定理、壮大
な思想体系を続々とつくりだすが、光に対する準備ができていない。
光は扉の前でひたすら待ちつつ゛けているというのに。

これに注意しなければならない!
この二つの誤りを犯してはならない。
目を見張ったままでいることができれば、それはごく単純なプロセスであり、
大きな変容力をそなえている。
正しく理解する者は、ほんの一瞬のうちに、もうひとつの実在リアリティに入
ってゆくことができる。
神は遠くにあるのではない。
神はあなたの内側にある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

296 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/07(木) 22:37:42 ID:1d4drIFg0
ヨーガにも眉間に集中する法はあるのじゃ。
しかし、長く時間がかかるのじゃ。
気を巡らさないから効果も遅いのじゃ。
気を巡らせてから集中することで速やかに効果も訪れるのじゃ。

297 避難民のマジレスさん :2019/02/08(金) 04:14:27 ID:LC3de7YgO
>>295
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第七話 光の循環と呼吸
 より抜粋

呂祖師は言った。
純一なこころハートで決然と実行しなければならない。
そうすれば成果は求めずとも、おのずからやって来る。
初心者がまず陥りやすい誤りは主に二つある。
それは昏沈こんちんと散乱だ。
それに対処するには、呼吸にあまり深く気をとられてはならない。
呼吸はこころハートから生じる。
こころから呼吸が生じるのである。
こころが動くと、ただちに気(呼吸エネルギー)が生まれる。
気とは元来、こころの活動が変容したものである。
我々の思念は実にすばやく動いて、またたく間に空想に走るが、ひとつの空想
には必ずひとつの息がともなっている。
内なる呼吸と外なる呼吸は、声とこだまのように 一体になっているからだ。
我々は毎日数知れぬほど息をし、それと等しい数の空想を抱いている。
こうして精神の明晰さは、樹が枯れ、灰が冷たくなるように衰えてゆく。

では頭のなかで空想してはならないのだろうか?
人は空想せずにはいられない。
呼吸をしてはならないのだろうか?
人は呼吸せずにはいられない。
最良の方法は、病から薬をつくりだすことだ。
こころハートと呼吸が互いに依存し合っているなら、光の循環を呼吸のリズム
と結び合わせなければならない。
このためには、とりわけ耳の光が必要である。
目の光があるように、耳の光がある。
目の光は外界にある太陽と月が合体したものである。
耳の光とは内なる太陽と月が合体して生まれる種子である。
したがって理解(耳)と明晰さ(目)はひとつのものであり、 同じ霊妙な光に
他ならない。

坐るときには、瞼まぶたを下げて、下げ振りをつるすように視線を定め、光を
下方に向ける。
しかし、下にうまく注意を向けられないときには、呼吸に耳を傾けるようにこ
ころハートを導く。
出入りする息の音が聞こえるようではいけない。
聞こえるのは乱れた息である。
息が乱れると、たちまち 呼吸は荒く、うわついたものになり、伸びやかに広が
ってゆかない。
こころをひじょうに軽やかで微細な状態にしなければならない。
枷かせを解かれれば解かれるほど、こころの働きは微かすかになり 、微かにな
ればなるほど、こころは静かになってゆく。
不意にこころは限りなく静かになって、動きを止める。
そうなったら真の呼吸が出現し、 こころの真の姿が意識されるに到ったので
ある。
こころハートが軽やかであれば、息も軽やかになる。
それはこころのあらゆる動きが気(呼吸エネルギー)に 影響を与えるからだ。
息が軽やかであれば、こころも軽やかになる。
それは気のあらゆる動きがこころに影響を与えるからだ。
こころを安定させるには気を養うことからはじめなければならない。
こころに直接働きかけることはできないからだ。
それゆえに手がかりとして調息法を用いる。
これが「気の力を集中して保持する方法」と呼ばれているものだ。

弟子たちよ、おまえたちは"動き"の本性を理解していないようだ。
動きは外界の事物によっても引き起こされる。
それは支配されるということに他ならない。
走るだけでこころが揺れ動くなら、身動きしないことによって それを鎮めるこ
とはできないだろうか?
こころと気が相互に影響し合うことを知った偉大な聖者たちは、後世の人々に
役立つよう、より簡易な方法を考案したのである。

「鶏が卵をかえすことができるのは、 そのこころハートがつねに耳を澄ませて
いるからだ」
これは不思議な力をもつ重要な言葉である。
鶏は熱の力によってその卵をかえす。
だが熱の力は殻を暖めるだけであり、中まで浸透することができない。
そこで鶏はこころを用いてこのエネルギーを内部に導き入れる。
鶏は耳を澄ますことによってこれを行う。
そのようにしてこころを一心に集中させる。
こころが浸透すれば、気も浸透し、ひなは熱の力を受けて、生命を得る。
それゆえに鶏は、卵から離れるときでさえ、つねに耳をそばだてて聴く態勢を
取っている。
このようにして精神の集中は途切れることがない。
精神の集中が途切れないために、熱の力は昼夜絶えることなく、精神はいきい
きと目覚める。
精神の目覚めは、こころハートが死ぬことによってはじめて達成される。
こころを死なせることができれば、原初の精神はいきいきと目覚める。
こころを死に到らしめるというのは、それを枯渇させ、しぼませてしまうこと
ではなく、こころが分断されずにひとつにまとまるという意味である。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

298 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/08(金) 22:51:46 ID:1d4drIFg0
呼吸を調えることを調息というのじゃ。
それは微かであればあるほどよいというのじゃ。
鼻先に羽毛を貼り付けて、それか息で動かないほどに静かにする法もあるというのじゃ。
息が静かになれば心も鎮まるのじゃ。

299 避難民のマジレスさん :2019/02/08(金) 23:52:46 ID:LC3de7YgO
>>297
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第七話 光の循環と呼吸(つづき)
 より抜粋

物語をひとつ……
いにしえの禅師、道悟どうごには崇信そうしんという弟子がいた。
道悟に帰依したばかりの崇信は、教師が生徒を教えるように、師が禅の手ほど
きをしてくれるものと思い込んでいた。
だが、道悟はこれといって何も特別なことは言わなかった。
どうやら師には何も変わったことを弟子に伝えるつもりがないようだった。
とうとう我慢できなくなった崇信は、少しも禅を教えてくださらないと言って
師を責めた。
「おまえがここに来てから、禅を教えなかった日はない」と道悟は言った。
「なんですって?」と崇信は言った。
「いつ教えてくださったというのです?」 「朝、おまえがお茶を運んでくれば」と道悟は言った。
「私はそれを飲む。食事を運んでくれば、私はそれを 食べる。おまえがおじぎ
をすれば、私もおじぎをする。
禅を学ぶのに、おまえは他に何を期待しているのかね」
タオは分かち合うことはできるが、分割することはできない。
タオは示すことはできるが、言葉で表現することはできない。
師はタオのなかに生きている。
弟子はその精神スピリットをくみ取らなければならない。
それは教えではないし、教えにはなりえない―教えというのはすべて皮相的な
ものだ。
それは教えよりも深いものでなければならない。
それはエネルギーの伝達でなければならない。
それはこころハートからこころハートへ、 魂から魂へ、肉体から肉体へと伝わ
ってゆくものでなければならない。
それを言葉にすることはできない。
そして弟子は、師の姿をとって顕れているエネルギーを見、観察し、感じ、愛
さなければならない。
やがて徐々に徐々に、師のそばに坐っているだけで、弟子はけっして説かれる
ことのない多くの奥義を学んでゆく。
最も深い奥義のひとつは、師のそばに坐っていると、弟子の呼吸が師の呼吸と
合いはじめるということだ。
距離を越えた響き合い シンクロニシティが起こる。
そうして距離を越えて響き合うことで、二人は出会う。
それは恋人どうしのあいだでも起こる。
深い恋に落ち、愛する人と一緒に肩を並べて坐っているとき、そこで観察する
なら、あなたは驚くだろう。
突然、まったく何の理由もなく、合わせようとしたわけでもないのに 二人の呼
吸が合ってくる。
恋人が息を吐くと、あなたも吐く。 恋人が息を吸うと、あなたも吸う。
突然、二人はつながり、輪になっている。
呼吸はこのうえもなく重要だ。
母親はそのようにして子供とつながっている。
ときに子供と母親が何千マイルも遠く離れているのに、子供に危険が迫ると、
母親の心臓は即座に影響を受けるということがある。
彼らの呼吸は深くつながっている ―彼らは同じような呼吸をしている。
そしてそうなるには明らかな理由がある。
母親の胎内にいる子供は九ヶ月のあいだ母親を通して呼吸していた。
子供は自力で呼吸していたのではない。
それは母親の呼吸だった。
子供は母親の呼吸に従っていただけだ。
母親は子供のために、彼に代わって呼吸をしていた。
九ヶ月のあいだ、二人は深いシンクロニシティのなかで生きていた。
子供が生まれた後でさえ、それはつつ゛いてゆく。
本当の愛があるなら、それは生涯にわたってつつ゛いてゆく。
今や科学でさえもそれを証明している。
アメリカや、ロシアや、他の国々でも、最近、鳥や動物を使った実験がひんぱ
んに行なわれている。
子供を遠くへ連れ去って殺し、同時に最先端の装置につないだ母親を観察する。
子供が殺されると―たとえ何千マイル離れていても―ただちに母親の呼吸が変
化する。
まさにその瞬間、間髪を入れず、母親の呼吸は乱れ、身体に震えが走る。
理由などないのに、はっきりした理由などないのに、母親はパニックに襲われ
、苦痛を感じる。
母親と子供のあいだには何の媒体も介在しない。
何か直感的なつながりがある―彼らを結びつけているものを目でとらえること
はできないが、どこかに見えない糸がある。
弟子は師が何を説いているかではなく、師 の 実 存 の あ り よ う を学ばな
ければならない。
道悟が言おうとしているのはそのことだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

300 避難民のマジレスさん :2019/02/09(土) 10:53:46 ID:LC3de7YgO
>>299
25黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第七話 光の循環と呼吸1
 より抜粋

「おまえがここに来てから、禅を教えなかった日はない。 朝、おまえがお茶を
運んでくれば、私はそれを受け取る。 私がどのような仕草で受け取るか、観察
したことはないかね? 私が茶を受け取るとき、私と深い調和を感じたことはな
かっただろうか? おまえが食事を運んでくれば、私はそれを食べる。 おまえが
おじぎをすれば、私もそれに答える。禅を学ぶのに、他に何を期待しているの
かね?」
師は言っている。私の仕草を見守りなさい― 私がどのように歩き、どのように
坐り、どのように息をしているかを、どのようにあなたとともにただ坐ってい
るかを、どのようにあなたを見ているかを、どのように千とひとつの小さな仕
草で私がものごとに感応しているかを。
教義を待ってはいけない。
師の臨在より他に教義などない。
真の教えはまったく教えなどではない。
それは伝達だ―言葉を超え、経典を超えた伝達だ。
そして伝達は呼吸の調和を通して起こる。
私もまた言いたい。
私もまた教え、哲学、宗教として あなたに与えるものなど持っていない、と。
教えることなど何もない。
分かち合うものはたくさんあるが、 教えることは何ひとつない―あるいは、
ただ<無>を教えている!
だが、私が伝えたいその<無>を感じるためには、 私とリズムを合わせなけれ
ばならない。
些細なことが、ごく些細なことが妨げになる。
あなたは何が妨げになるのか 少しつ゛つ気つ゛いてゆかねばならない。
夜のダルシャンの席で、ときどき私は数人のサニヤシン を呼んで、エネルギー
を伝達するのを手伝ってもらっている。
私は何度もプラディーパを呼んだが、彼女を呼ぶと後で必ず気分 が悪くなる。
私は首をかしげた。
何が起こっているのだろう?
彼女は本当にすばらしい女性であり、私をとても愛してくれている。
彼女を呼んで手伝ってもらっているのはそのためだ。
だが、彼女 を呼ぶと必ずそれが起こる。
前回、気分があまりに悪かったので、 私はことの全体を調べてみなければなら
なかった。
そして私には 理由がわかった。
彼女は野菜以外のものを―肉や卵やその他のもの を食べているにちがいない。
それが彼女の呼吸を醜くしている。
それが彼女の内なる調和ハーモニーをそっくりかき乱している。
彼女が私に波長を合わせることができないのはそのためだ。
そして 、波長を合わせることができなければ、障害がつくりだされる。
彼女は私を愛しているが、その愛はいまだに無意識のものだ。
もう少し意識的になれば、彼女はそれに気つ゛くだろう。
私ととも にあるためには、内側にあるたくさんのものを変えなければ ならない
ことに気つ゛くだろう。
私とともにあるためには、私とともにもっと深く進んでゆくため には、こころ
ハートとこころハートの触れ合いをもつためには、 あなたはもち歩いている不
要な荷物を落としてしまわなければ ならない。
つまり肉を食べる必要はないということだ―肉食は 瞑想者にはふさわしくない。
肉を食べると、不要な障害をつくりだすことになる。
それは優しさをかき乱し、あなたのなかに一種の残忍さを 生じさせる。
あなたはそれに気つ゛いていないかもしれない。
なぜなら、あなたはまったく醒めていないからだ。
だが、 私のもとへ来れば、私はまさに鏡のように映し出す。
さあ、プラディーパはみずからの実存のなかに大へんな 吐き気をつくりだして
いるにちがいない。
おそらく彼女自身は 慣れてしまっているので、それに気つ゛かないのだろう。
だが、 私は何度も何度も吐き気を感じた。
というのも、あなたが エネルギーで私と関わるとき、それは一方通行ではない
からだ。
私のエネルギーがあなたのなかに入ってゆき、あなたの エネルギーが私のなか
に入ってくる。
それは一方通行では ありえない。
輪がつくりだされる。
循環が起こりはじめる。
これはひとつの例にすぎない。
そしてこれはプラディーパ だけの問題ではなく、みんなの問題だ。
もっともっと深く私と波長を合わせたいなら、 私に起こったタオを分かち合い
たいなら、あなたは もっと意識し、自分が何をしているか、何を食べているか
、何を読んでいるか、何を聴いているか、どこへ行こうとし、 誰とつき合って
いるかを油断なく見守っていなければならない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

301 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/10(日) 00:21:47 ID:1d4drIFg0
師のエネルギーによって弟子を導くことも出来るのじゃ。
肉を食べていれば体の調子が悪いというだけで悟りを得られないとか、汚染されているのではないのじゃ。
体の調子が悪ければ悪いエネルギーの影響を他にも及ぼしてしまうのじゃ。
根菜類とか緑黄色野菜の小食が健康にもよいのじゃ。

302 避難民のマジレスさん :2019/02/10(日) 10:09:06 ID:LC3de7YgO
>>300
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第七話 光の循環と呼吸(つづき)
 より抜粋

小さなことでも寄せ集まると、 大きな影響を及ぼすことになるからだ。
誰かに腹を立てたり、誰かと喧嘩したりしたあとで 私のもとへ来れば、当然、
あなたは私から遠く離れている。
イエスがこう言うのはそのためだ。
「寺院へ祈りを捧げに行って、誰かを傷つけたこと、誰か を侮辱したこと、誰
かに腹を立てたことを思い出したら、 あるいは誰かに腹を立てていることに気
がついたら、まず 行って許しを請いなさい。それをすましてから祈りを捧げに
くるがいい。そうでなければ、神と関わることはできない。 まず行って許しを
請いなさい。まずものごとを清算しなさい」
ミケランジェロがシスティナ礼拝堂で仕事をしていたときのことだ ……彼はイ
エスの絵を描いていた。
絵はほとんど完成していて、 あとは仕上げの筆を待つばかりだった。
だが、なかなか最後の一筆 を加えることができなかった。
イエスがイエスらしく描けていなか ったのだ。
イエスの顔に何かが足りなかった―その柔和さ、その 女性的な資質がそこには
欠けていた。
そこにはあの愛の質が欠けていた。
連日、懸命に努力しているうちに、ミケランジェロは、ある 友人と口論をした
ことを思い出した。
彼はまだそれを内側に 抱えていたのだ。
さらに彼は「祈りに行ったとき、友や兄弟 に良い感情を抱いていないことに気
つ゛いたら、まず行って 許しを請いなさい」というイエスの言葉を思い出した。
彼は礼拝堂から駆け出ると、その友人のところへ行って 許しを請い、ことの顛
末てんまつをすべて話した。
「何日も仕事をしていたんだが、イエスの顔がどうしてもうまく 描けなかった
んだ。何か怒りのようなものがそこには残っていた」 ―それは彼の内部にある
怒りだった。
怒りや悪感情を 抱いたまま絵を描こうとすれば、それはあなたの両手 で描かれ
るのだから、その絵にはあなたの内面が表れて くる。その絵には基本的にあな
たが映し出されてくる― 許しを請い、それが受け容れられたとき、 ミケランジ
ェロは気分を一新することができた。
わずか数分の仕事で、絵は完成した。
それは最も 美しいイエスの絵のひとつだ。
わずかに筆を加える だけで、絵はいきいきとし、イエスが浮かびあがってきた。
今やミケランジェロのこころは調和のなかにあったからだ。
(p237)
タオを分かち合うことはできる。
だが、あなたは それを分かち合う方法を学ばなければならない。
そして 多くのことがらにひじょうに注意深くならなければいけない。
それはある意味では単純だが、ひじょうに複雑でもある。
単純なのは、あなたが本当に開き、調和していたら 、それはほんの一瞬のうち
にも起こりうるからだ。
複雑なのは、あなた自身もまったく気つ゛いていないようなごく小さな習癖を
変えなければならないからだ。
あなたは生全体を変えねばならなくなる。
あなたがたに教えとして差し出すものなど何もない、と私が言うのはそのため
だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

303 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/10(日) 22:51:21 ID:1d4drIFg0
心は実に微妙で正直な反応をするものじゃ。
心にほんの僅かな恐れがあっても自我を明け渡すことは出来ないのじゃ。
自我を明け渡せるその瞬間がやってきても恐れが少しでもあれば何か口実を作って逃げてしまうのじゃ。
心の僅かな働きにもよく注意しなければならないのじゃ。

304 避難民のマジレスさん :2019/02/11(月) 05:21:04 ID:LC3de7YgO
>>302
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第七話 光の循環と呼吸(つづき)
 より抜粋

私はあなたがたを挑発 するエネルギーを分け与えることならできる。
私は哲学や神学の体系を与えているのではない。
私は私そのものを与えている。
それは挑戦だ。
私はここであなたがたを目覚めさせようと努力している。
あなたがたは開き、リズムを感じ、そして生の小さな ものごとを観察しなけれ
ばならない。
呼吸は最も重要 なものだ。
あなたはサットサングのなかにあるときの 息つ゛かいを、師のそばにあるとき
の息つ゛かいを、 愛のなかにあるときの息つ゛かいを学ばなければならない。
呼吸は感情とともに絶えず変化している。
腹を立てているときには、あなたの呼吸はリズムを失い、不規則になっている。
情欲に駆られているときには、あなたの呼吸はほとんど気違いじみたものにな
っている。
穏やかで、静かで、喜びに満ちているときには、あなたの呼吸は音楽的な質を
おびていて、ほとんど歌のようだ。
<存在>にくつろいでいると、欲望を抱かず、満足感を 味わっていると、突然、
呼吸は止まったように静かになる。
畏敬の念に打たれたり、驚異に息を呑んでいるときも、 呼吸はしばらくのあい
だ止まる。
それは生の最もすばらしい 瞬間だ。
ほとんど呼吸が止まりそうになる、そういった瞬間 にのみ、あなたは<存在>と
完全に同調しているからだ。
あなたは神のなかにあり、神はあなたのなかにある。
あなたは呼吸をもっと深く体験し、詳しく調べ 、観察し、見守り、分析しなけ
ればならない。
呼吸が感情とともにどう変化するかを見てみなさい。
例えば、恐怖に駆られているとき、呼吸に起こる変化を 観察するがいい。
そして、いつか恐怖に駆られたときと 同じパターンに呼吸を変えてみるがいい。
あなたは驚く だろう―呼吸を恐怖に駆られたときとまったく同じパターン に変
えると恐怖が湧いてくる。それも即座にだ。
誰かと深く愛し合っているときに、自分の呼吸を観察するがいい。
恋人の手を取り、抱きしめながら、自分の呼吸を観察しなさい。
そして、いつか樹の下に静かに坐り、自分が 再び同じような呼吸をしているの
を見守りなさい。
パターンをつくりだし、同じ光景ゲシュタルト を呼びもどすのだ。
まるで恋人を抱擁している かのように、同じ仕方で呼吸をするがいい。
すると、驚くようなことが起こる。
全存在があなたの恋人になる。
再び大いなる愛があなたのなかに湧いてくる。
それらは連動している。
それゆえにヨーガ、タントラ、タオ―人間意識とその拡大 に関するこの三つの
深遠な方法論システムと科学に おいて、呼吸は鍵なる現象のひとつになっている

この三つはそろって呼吸に働きかけてきた。
(p239)
仏陀の瞑想法のすべては、ある一定の 呼吸の質にかかっている。
彼は言う― 「ただ自分の呼吸を見守りなさい。呼吸を変えなくて もいい。少し
も変えることなく、ただ見守るのだ」と。
だが、不思議なことに、見守るやいなや、ただちに 呼吸は変わる、ひとりでに
変わらざるをえない。
仏陀は 「呼吸を変えてはいけない。ただ見守りなさい」と言う。
だが、見守るやいなや、ただちに呼吸は変わってしまう。
注意深さには独自のリズムがあるからだ。
仏陀が 「呼吸を変えなくてもいい。ただ見守りなさい」 と言うのはそのためだ。
注意深さそのものが独自 の呼吸を生み出す―変化はひとりでに起こる。
そして、次第に不思議 なことが起こってゆく― 注意深くなればなるほど、
さらに呼吸は減ってゆく。
呼吸 はより長く、より深くなってゆく。
例えば、一分間に十六回呼吸をしていたなら、 呼吸の数は六回、四回、三回と
減ってゆく。
あなたが注意深くなるにつれ、呼吸はより深く、 より長くなってゆき、呼吸の
回数がどんどん減ってゆく。
また逆に、呼吸の側から働きかけることもできる。
ゆったりと静かに深く長い呼吸をしてゆくと、突然、 あなたのなかに注意深さ
が生まれてくる。
あたかも ひとつひとつの感情が呼吸システムのなかに もう一方の極をもってい
るかのようだ。
感情は呼吸によって誘発することができる。
だが、一番いいのは、恋をしていたり、友人 のそばに坐っているときに観察す
ることだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

305 避難民のマジレスさん :2019/02/11(月) 14:16:52 ID:LC3de7YgO
>>304
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第七話 光の循環と呼吸(つづき)
 より抜粋

自分の呼吸を見守りなさい。
なぜなら、その 愛に満ちた呼吸のリズムが最も重要だからだ。
それはあなたの実存全体を変容させる。
愛のなかでは、分離した存在として身構えることの 馬鹿らしさ、虚偽を最も痛
切に感じ取ることができる。
だが、まさにこの分離、この不条理さによって、 人は他の方法では表現しえな
いことを表現すること ができる。
他者であるというまさにそのことによって 、人は互いがひとつであることを祝
えるようになる。
そこに愛の逆説パラドックスがある。
あなたがたは二人でありながら、 一体感を感じている。
ひとつでありながらも 、二人であることを知っている。
二人でありながら ひとつになった状態―そこに愛の逆説がある。
そしてそれは祈りの、瞑想の逆説でもなければならない。
究極的には、あるまれな価値ある瞬間において、人は 恋人、友人、母親、子供
に感じるような一体感 を<存在>に対して感じなければならない。
他者として分かたれているからこそ、人は 互いがひとつであることを祝うこと
ができる。
『ヴェーダ』は言う―タットヴァマシ、我はそれなり。
そこには分かたれているという明晰な自覚がありながら 、しかも深い合一感が
ある。
彼は大洋から分かたれて いながら、しかも大洋から分かたれていない。
自分が愛にあふれている瞬間 をもっともっと見守りなさい。
注意深く醒めていなさい。
呼吸がどのように変化するかを見るがいい。
身体がどのように打ち震えるかを見るがいい。
恋人を抱きしめて、実験してみるといい。
すると不思議なことが起こる。
いつか抱擁し、互いに溶け合いながら、 少なくとも一時間は一緒に坐ってみ
るといい。
すると驚くようなことが起こる― それは最もめくるめく体験のひとつになる
だろう。
一時間、何もせずに、ただ抱き合い、互いの なかに落ちてゆき、互いのなかに
溶けてゆくと 、やがて徐々に、呼吸がひとつになってゆく。
身体は二つだが、こころハートはひとつ であるかのように、息が合ってくる。
二人は一緒に呼吸している。
一緒に呼吸しているとき、 努力して合わせるのではなく、愛の感覚に圧倒さ
れて自然に息が合っているとき―それ は最も貴重な、最もすばらしい瞬間 であ
り、この世のものではなく、はるか 彼方からやって来たものだ。
そういった瞬間、あなたははじめて 瞑想的なエネルギーを一瞥いちべつする。
そういった瞬間、文法は意味を失い、 言葉は途絶える。
それを口にしようとしても、言葉にならず、そのまさに 言葉を失うことで、言
語を絶したものが示される。
そしてそれが、より深い次元レベルにおいて、 師との関係にならなければいけ
ない。
そのときはじめてタオは師から弟子 へ炎のように飛び移ることができる。
あなたは呼吸のわざアートを学ばなければならない。
(p241)
さて経文だ―
純一なこころハートで決然と実行しなければならない。
そうすれば成果は求めずとも、おのずからやって来る。
とてつもなく深い意味を秘めた言明だ。この言葉が鍵となる―

純一なこころハートで決然と実行しなければならない。
まず第一に、人は決然とした態度を取るようになってはじめて生まれる。
決意とともに、人間が誕生する。
優柔不断な生き方をしている者たちは、本当は人間ではない。
そして何百万もの人々が優柔不断な生き方をしている。
彼らは何についても決めることができない。
彼らは他人によりかかってばかりいる。
誰かが彼らの代わりに決めてやらなければならない。
権威者のまわりに人々が群がるのはそのためだ。
権威主義がこの世から消えない唯一の理由は、無数の人々が自分で決められな
いでいるからだ。
彼らは命令が下されるのを今か今かと待っている。
ひとたび命令が下されれば、彼らはそれに従う。
だが、これは隷属であり、彼らはそのようにしてみずからの魂が誕生するのを
阻んできた。
決意があなたの実存のなかに生まれてこなければならない。
決然とした態度とともに、まとまりが生まれてくるからだ。
いいかね、いくつか決断をするがいい。
決断することで、あなたは個になってゆく。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

306 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/11(月) 22:44:06 ID:1d4drIFg0
ヴェーダにはプラーナがアートマンと記されているのじゃ。
呼吸なのじゃ。
呼吸という空間と繋がる働きは意識が在り、アートマンそのものといえるのじゃ。
呼吸によって個我はなく、全てが繋がっていると物理的に証明されているのじゃ。
それこそアートマンと呼ぶべきなのじゃ。

307 避難民のマジレスさん :2019/02/12(火) 00:01:12 ID:LC3de7YgO
>>306
うむ。
薄い大気の層に包まれた、一つの生命であり、意識でありますね。
超科学的なような気がするのであります。
(´・(∀)・`)つ

308 避難民のマジレスさん :2019/02/12(火) 00:13:01 ID:LC3de7YgO
>>305
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第七話 光の循環と呼吸(つづき)
 より抜粋

優柔不断さとは何か?
それはあなたが臆病であるということだ。
あなたのなかには矛盾し合う声がたくさんあり、どちらへ行ったらいいのかさ
えも決められない。
人々は小さなことにも優柔不断だ―どの映画を見にゆくかといったことさえ決
められない。
優柔不断さがほとんど彼らの生活様式になってしまっている。
これを買おうか、あれを買おうか?買物をしている人々を見てみるがいい。な
んと優柔不断なことか。
どこかの店に坐って人々が、客が出入りするのを見てみるがいい。
あなたは驚くだろう―人々はどうやって決めればよいのかわからない。
そして、どうやって決めればよいのかわからない人たちは、いつもぼんやりと
、もうろうとしていて、混乱している。
決意とともに、明晰さが生まれてくる。
そして決然とした態度がすみずみにまで及び、あなたの基盤と関わるようにな
ったなら、必ず人間が誕生する。
ところで、私のもとにもたくさんの人々がやって来てこう言う。
「サニヤスに跳びこもうかどうか迷っているのです」彼らは私に「跳びなさい」
と言ってほしい。
だが、そうなったら、彼らは要点をそっくり見逃してしまう。
「思い切ってサニヤシンになりなさい」と 私 が言ってしまったら、あなたは決
断するという機会を、大いなる機会を逃してしまう。
またしてもあなたは他人によりかかってしまうが、そんなやり方では魂は成長
しない。
そしてこれは深遠な決断であり、計り知れないほど大きな意義がある。
なぜなら、それはあなたの生活様式を根こそぎ変え、新しい世界観を与えるこ
とになるからだ。
あなたは新しい方向に向かって進んでゆく。
あなたはすっかり変わってしまう。
これほど甚大な影響を与える決断は他人の手を借りず、みずからの力で行なう
べきだ。
人はみずからを賭けるべきだ。
賭けることで、勇気を奮い起こすことで、はじめて人間が生まれる。
そして決断をするなら―いいかね、決断するなら、必ずそれを実行すること。
それができなければ、決断などしない方がいい。
なぜなら、そのほうがもっと危険だからだ―優柔不断であるよりももっと危険
だ。
決断しながら実行しなければ、あなたはまったく無気力な人間になってゆく。
それなら決断などしない方がましだったことになる。
決意しながら、いつまでたってもそれを実行しない者たちがいる。
彼らはみずからの実存に対する信頼や自信を徐々に失ってゆく。
何を決意しても実行などできないのだということがだんだんわかってくる。
彼らは分裂してしまう。
彼らは自分を当てにできなくなる。
決断しているその時ですら、自分はそれを実行しないだろうということがわか
っている。
なぜなら、自分が過去に何をやってきたか知っているからだ。
彼らは決断するたびにそれを裏切ってきた。
そうなったら、ごく小さな決断でさえ、ひじょうに破壊的なものになりかねな
い。
「今日からタバコを止めるぞ」といったごく小さな決断、ごくありふれた決断
、何でもないような決断でさえ…… タバコを吸う、吸わないは大したことではな
い。
それで世界が変わるわけではない。
二十年もすれば結核を患うかもしれないが、それは 治すことができる。
あるいは二、三年早く死んでしまう かもしれないが、それがどうしたというの
だね?
どちらにしても本当に生きたことなどなかったのに。
先日、私は漫画を見ていた。
男が女に、「君は死後の生を信じるかい?」と尋ねる。
すると女が言う。「何言ってるの、これがその『死後の生』よ!」
信じなくてもいい。これがその死後の生だ。あなた はまるで活気のない死人の
ような生き方をしている。
死んだとしてもこれ以上悪くなることはない。
何ひとつ 変わりはしないだろう。
まさにこれが「死後の生」だ!
だが、小さな決断、タバコを吸わないといった取るに足りない 決断でも、実行
しなければ危険なことになる。
あなたは自信を なくしてしまう。みずからの実存に対する信頼を失ってしまう。
自分が当てにならなくなる。
そんな決断はしない方がいい。
タバコを吸いつつ゛けなさい。
決断をするなら、 肚を決めることだ。
そうなったら何が起ころうと、 それをやり遂げるがいい。
そして、それをやり遂げることができるなら、 明晰さが内側に湧き起こり、雲
が消え、何かが 自分のなかで根つ゛き、中心を定めてゆくのがわかる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

309 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/12(火) 23:17:29 ID:1d4drIFg0
>>307 そうじゃ、いずれ全て感じられるじゃろう。

悟りへの最後の関門は恐れなのじゃ。
自分をなくす恐れがあれば逃避し続けて悟りにも進めないのじゃ。
それを乗り越えるのが勇気なのじゃ。
自分という全ての主体を捨てる勇気があれば恐れを乗り越えて悟りにも到達できるのじゃ。

310 避難民のマジレスさん :2019/02/13(水) 05:59:45 ID:LC3de7YgO
>>308
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第七話 光の循環と呼吸(つづき)
 より抜粋

決然とした態度を取ることは、とほうもなく 重要なことであり、意味がある。
純一なこころハートで決然と実行しなければならない。
呂祖が言おうとしているのはそのことだ。
いったん決意したなら、全身全霊を込めてそれを実行しなければならない。
後もどりしないことをはっきりさせておかなければならない。
サニヤシンたちに「橋を壊しなさい」とくり返して言うとき、私が言おうとし
ているのはそのことだ。
後もどりしないのだから、橋を残しておく必要などないではないか?
梯子を捨ててしまいなさい。
船を沈めてしまいなさい。
昔の岸辺に二度ともどることはないのだから。
船を安全な岸辺につないでおくことは、あなたがまだ揺れ動いているというこ
とを、まだ「いつかはもどらなければならないかもしれない」と考えているこ
とを示している。
数ヶ月前、アヌプが合衆国へ発った。
私は行こうとしている彼に言った。
「今度は、橋を完全に壊してくるがいい」彼は「はい、和尚」と言った。
彼は今もどってきて、私が「どうだった?橋はどうなったかね?」と尋ねると
「壊せませんでした」と言った。
それは何を意味しているのだろう?
彼はここに半身でいることしかできないということだ。
彼はもどるための扉を開けたままにしてきた。
彼は身の安全や保障をすべて確保してきている。
が、問題はこういうことだ―全一にここにいるのでないかぎり、彼は成長しな
いだろう。
そしてこれは悪循環だ―成長しなければ、数ヶ月もすればこう考えるだろう。
「橋を壊してこなくてよかった。和尚の言うことを聞いて橋を壊していたら、
たいへんなことになっていたぞ。こ
こでは何も起こっていない!向こうにすべてを残しておいてよかった。いつだ
って家に飛んで帰れるからな」
彼は一番賢く、良識的な行動を取ったと思うだろう。
だが、彼ははなから逃げもどるための橋を確保し、扉を開けたままにしておい
た。
中途半端で生ぬるく、優柔不断ではっきりしない、逃げ腰の姿勢でここにいた
にすぎない。
逃げ腰の姿勢でいては、私とともにいることにはならない。
純一なこころハートで決断しないかぎり、私とともにいることはできない。
そ の と き 成長が起こりうる。
そ の と き はじめて成長が起こりうる。
だから要点を見るがいい。あなたが私とともにここで全一にいれば、成長は起
こりうる。
そうなったら後もどりする必要はないし、橋もいらなくなる。
だが、私とともにここで全一でいなかったら、そのときには橋が必要になる。
そして「和尚に耳を貸さなくてよかった―自分はなんで賢いのだろう」と感じ
るだろう。
「見ろよ、ここでは何も起こっていない。だからもどるしかない。橋をすべて
壊していたら、どうなっていたことやら」論理的な精神マインドはそのように
働く。
それは自滅的な状況をつくりだす。
純一なこころハートで決然と実行しなければならない。
そうすれば成果は求めずとも、おのずからやって来る。
もっとも重要なのは、成果を求めている者はすでに分裂しているということだ
。そうなったら、あなたのこころハートは働いていない、すでに成果に目を奪
われている。
分裂していたら、成果をあげることはできない。
成果をあげられるのは、ことの成り行きや結果を気にせず、旅そのものをこの
うえもなく楽しみ、目的地のことなどかまわずにいられる分裂していないここ
ろだけだ。
ゴールのことなどまったく気にかけない者だけがたどり着く―彼らの精神マイ
ンドは少しも分裂しておらず、旅の一瞬一瞬が、旅の一歩一歩がゴールになる
からだ。
どこいいようと、自分がいるところがゴールになる。
成果のことなどまったく気にかけない霊的スピリチュアルな道の上にいる人々
が成果をあげる。
成果を気にかけていたら、成果をあげることはできない。
思考が未来のどこかにあって、あなたは現在で働いていないからだ。
そして、仕事が現在において全一に為されてはじめて、成果をあげることがで
きる。
この瞬間が次の瞬間を生んでゆく。
この瞬間が全一に生きられたなら、 次の瞬間は必ずより深い全一性を、 より高
い全一性の質をおびるようになる。
だが人々は分裂したままだ。
この問題は考察するに値する。
なぜなら、これはすべての人の問題だからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

311 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/13(水) 22:26:22 ID:1d4drIFg0
お釈迦様も苦行をやめて最後の瞑想に入る時に悟りを得なければもはやこの座を立たないと決意して座ったのじゃ。
強い決意が無ければどのような法も悟りの助けにはならないのじゃ。
悟りを得るための強い決意こそ最後の関門を破る唯一の力となるのじゃ。
主体である自分を捨てることは全てを捨てることであるから強い決意が必要なのじゃ。

312 避難民のマジレスさん :2019/02/14(木) 06:42:51 ID:LC3de7YgO
>>310

黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第七話 光の循環と呼吸(つづき)
 より抜粋

先日、アショカが手紙を書いてきた。
彼はここにいるが、 まだ部屋にサティヤ・サイババの写真を飾っているそうだ
―部屋に誰の写真を飾ってもかまわないが、それは たんなる部屋の問題ではな
い。
さあ彼は悩んでいる。
私は彼に言った。「サティヤ・サイババのところへ行きなさい。そして、どう
か向こうでは私の写真を部屋に飾らないでほしい。そうしないと、あなたはま
たもや取り逃がしてしまうからだ。 ここにいてもいいし、あちらにいてもいい
が、大切なのは 純一なこころハート、まとまりをもったこころだ。半身でいる
くらいなら、私とともにいるよりも サティヤ・サイババのもとにいるほうがいい」
だが、私には彼の問題がわかる。
彼は向こうでも私の写真を離さないだろう。
だから、彼がしくじるのは目に見えている。
人は選ばなければならない。
人は決断しなければならない。
人生の旅路を一歩進むごとに、人は岐路に立たされ、選ばなければならなくな
る。
すべての道をわがものとすることはできないし、すべての道を歩くことはでき
ないからだ。
私はものごとの善し悪しを云々しているのではない。
何であれ、あなたが全身全霊で選んだものが正しい 、と私は言っているのだ。
ときには全面的な明け渡しがあったがゆえ に、光明を得ていない師のもとです
ら 弟子が光明を得たことがある。
そして申し分のない師のもとにいながら 何ごとも起こらないということも往々にしてある。
師が完全であるか否かよりも、 弟子の全一性のほうが問われる。
間違った人物のもとにいても、あなたは変容を遂げうる。
その間違った人物でもあなたを変容させられるというのではない が、あなたに
全一な決断があれば、そのあますところのない 決断があなたを変容させる。
そのことのほうがはるかに重要だ。
それがなかったら、仏陀のような人とともにいることができても、 あなたが半
身にとどまり、分裂しているなら、何ごとも起こらない。
いかなる分裂も―未来と現在、目的地と旅、この道と あの道、この師とあの師
―分裂はどれもみな危険だ。
そうなったらあなたのエネルギーは無駄に費やされ、あなたは責任を他人に転
嫁するようになる。
たとえば、ここでアショカに何も起こらなかったら― こんなやり方では何ひと
つ起こるまい―当然、彼は 間違った場所にきてしまったと結論つ゛けるだろう。
彼は自分が分裂しているというポイントを見ようと しないだろう。
彼に、間違った場所にきてしまった、 「この場所は私には向いていない」と
いうことだけしか 見えない。
だが、自分が分裂しているかぎり、どこにいても 、同じことが何度も何度もく
り返し起こるだろう。
勇気を奮い起こしなさい。
私は頭マインド がずる賢く振る舞いたがるのを知っている。
頭は言う。
「両方とっておけばいいじゃないか。何が起こるかわからないぞ。 どちらも選
べるようにしておくんだ。こっちがうまくゆかなくても 、あっちがうまくゆく
かもしれない」
だが、生はそのようには動かない。
ケーキを食べながら取っておくことはできない。
それは不可能だ。
呂祖は言う―
成果は求めずとも
……なぜなら、それすらも分裂になるからだ。
分裂せずに、完全に今ここにあるがいい……

成果はおのずからやって来る。
そして、成果がおのずからやって来るとき、そこにはとほうもない美がかもし
だされる。
成果をたぐりよせなくても、それは花のように開く。
花を無理やり咲かせなくてもいい。
無理やり咲かせたなら、花は死んでしまう。
そういったやり方はよくない。それに早く咲かせすぎたら、その花には香りが
なくなってしまう。
香りを集め、香りをつくりだすために、花は正しい瞬間を待たなければならな
いからだ。
香りの準備が整ったときはじめて花はひとりでに開く
。今や<存在>と分かち合うものをそなえているからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

313 避難民のマジレスさん :2019/02/14(木) 19:14:03 ID:LC3de7YgO
>>312
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第七話 光の循環と呼吸(つづき)
 より抜粋

人は瞬間を楽しまなければならない。
瞬間に全一に入り込んで、他のすべてを忘れなければならない。
そうすれば、いつの日か、突然、成果が現れる。
いつの日か、見る見るうちに黄金の華が開き、あなたは別世界へと運ばれてい
る。
(p248)
初心者がまず陥りやすい誤りは主に二つある。
それは昏沈こんちんと散乱だ。
この二つの誤りを理解しなければならない。
ひとつは女性的な精神マインドが犯す誤りであり、もうひとつは男性的な精
神マインドが犯す誤りだ。
女性的な精神は、受動的であるために昏沈、怠惰な状態をつくりだすことがあ
る。
そして男性的な精神は、能動的になりすぎて散乱をつくりだすことがある。
これもあれもと手を出して、ところかまわずあらゆる方角へ突進したがる。
女性的な精神は受動的だ。
それは待ちたがる。
ものごとを起こるがままにしたい。
だが、もしそれが無気力な状態、怠惰な状態、一種の死のようなものになって
しまうなら、やはりそれも危険なものになりかねない。
いいかね、能動性にもよいものとよくないものがあるように、受動性にも好ま
しいものと好ましくないものがる。
好ましい受動性とは、注意深く、意識をとぎ澄ましながら待つということだ。
好ましくない受動性とは、眠りこけ、いびきをかきながら、待っているつもり
になることだ。
恋人がやってこようとしている……彼がいつドアを ノックするかもわからない。
さあ、あなたは二つのやり方で待つことができる。
ドアを開け、目を門にくぎつ゛けにし、耳を澄ますというのが積極的な待ち方
だ。
少しでも音がしたら―足音がしたり、ドアをノックする音が 聞こえたら、ある
いは枯れ葉が風にひらひら舞うだけでも、あなたは戸口に駆け寄る。誰かが道
を通りすぎただけでも、あなたは戸口に駆け寄る―彼が来たのかもしれない。
これが積極的な待ち方だ。それは美しいものだ。
だが、ドアに鍵をかけ、明かりを消して、「彼がやって来て、ノックをしたら
、迎えに出ればいいわ」と言っていびきをかきはじめるようなら、それは好ま
しくない方の受動性だ。
これは昏沈だ。
神を待つことそのものはいいけれど、あなたの受動性はいきいきとした生気に
あふれるものでなければならない。
さて、二番目は散乱だ。それは男性的な精神マインドの質だ。
男性の精神は絶えず周囲に気を散らしている。
女性的な精神 はひとりの夫で満足するのに、男性的な精神のほうはたくさんの
妻を抱え込むのはそのためだ。
彼は絶えず気を散らし、通りすがりのどんな女性にも目を奪われる。
彼は自分が結婚していることをすっかり忘れてしまう。
「君は僕の命 だ。僕は君のためだけに生きるよ。君は僕の喜びだ。僕の愛は永
遠だ」 とささやいた当の女性のことをすっかり忘れてしまう。
一瞬のうちに、彼はそういったすべてのたわごとを忘れてしまう。
彼の注意力はいともたやすく四散してしまう。
男性的な精神は活動的すぎる。
だが、好ましい活動はよいものだ。
好ましい活動とは集中した活動、一心不乱な活動を指している ―井戸を掘るた
め、ひたすら一カ所を掘り進めることをいう。
好ましくない活動とは、井戸を掘るため、次から次へと新しい 場所を掘り返し
、水脈を発見できずに土地を荒しまわることをいう。
男性的な精神にはそれが起こる。
彼はこの女、あの女と恋人を 次々に変えてゆくが、真実の愛に触れることはけ
っしてない。
それはたんに表面的な現象にとどまっている。
それはけっして親密なものにはならず、深みをおびることもない。
けっして心から身をゆだね合うことがなく、表面的なつき合い、 せいぜい肉体
と肉体の性的な触れ合いにとどまっている。
それは けっしてまごころハートに触れず、もちろん魂にも触れることがない。
なぜなら、まごころに触れ、魂に触れる ためには、時間がかかるからだ。
人は待ち、そして深く掘り下げなければならない。
これがよく犯しがちな二つの誤りだ。それに用心するがいい。
活動的になりすぎては いけないし、怠惰になりすぎてもいけない。
中間にとどまりなさい。穏やかに活動し、 いきいきとくつろぎなさい。
中間にとどまるがいい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

314 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/14(木) 22:41:14 ID:1d4drIFg0
昏沈とはほとんど意識を失っている状態なのじゃ。
何も覚えていないのじゃ。
しかし、実際には意識はあるものじゃ。
記憶が無いから意識も無いと思うのじゃ。
意識は常にあり、記憶が無いことすらわかるのじゃ。
肉体の意識と記憶があるからのう。
それに気付けば常に意識はあったとわかるのじゃ。
散乱は頭に気が上りすぎて起こるものじゃ。
特に気を頭に上げる法では起こりやすいのじゃ。
それも常に気を巡らす法を行っていればコントロールできるものじゃ。

315 避難民のマジレスさん :2019/02/15(金) 04:40:21 ID:LC3de7YgO
>>314
忘我も昏沈でありますね。
意識的に忘我を作り出すことができれば、苦しみを一時的に忘れる助けにはなるでありますね。
そして、仮に相当に深刻だと思っている苦しでも、そのようにして忘れられる程度のものであると、忘我によって知ることができるでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

316 避難民のマジレスさん :2019/02/15(金) 06:30:39 ID:LC3de7YgO
>>313
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第七話 光の循環と呼吸(つづき)
 より抜粋

あなたの行為には待つという質が そなわらなければならないし、 あなたの待
機には活動の質が そなわらなければならない。
そうなれば、必ず成果があがる。
成果のことは考えなくてもいい― それはひとりでにやって来る。
そして、これらの誤りは正すことができる。
(p250)
それに対処するには、呼吸にあまり深く気をとられてはならない。
呂祖師は、あなたがたにもっとも重要な奥義のひとつを授けている。

それに対処するには、呼吸にあまり深く気をとられてはならない。
少しもあわてて呼吸せず、呼吸に無関心になり、超然として、遠くに離れてい
るかのように、とても静かに呼吸をすることを学ばなければならない。
呼吸に対して距離を保ち、超然としていることができたら、あなたは中道を達
成することができる。
その瞬間、あなたは男性的でもないし女性的でもない。
あなたはその両方であり、かついずれでもない。
あなたは超越している。そうなったら、この二つの誤りは消え失せている。

呼吸はこころハートから生じる。 こころから呼吸が生じるのである。
こころが動くと、ただちに気(呼吸エネルギー)が生まれる。
気とは元来、こころの活動が変容したものである。
気が散っているときには、見守りなさい。
呼吸も乱れているはずだ。
気が散らず、何にも意識をそらされることなく静かに坐っているときには、呼
吸は穏やかで、静かで、リズムをともなっている。
そこには微妙な音楽の質がある。
その質こそまさに中道だ。
というのも、あなたは何もしてはいないが、眠りこけているわけでもないから
だ。
あなたは活動的ではないし、不活発でもない。
あなたはバランスがとれている。
そういったバランスがとれた瞬間に、あなたは実在リアリティに、神に、天国
に近つ゛いている。

我々の思念は実にすばやく動いて、またたく間に空想に走るが、 ひとつの空想
には必ずひとつの息がともなっている。
内なる呼吸と外なる呼吸は、声とこだまのように一体になっている からだ。
我々は毎日数知れぬほど息をし、それと等しい数の空想を 抱いている。
こうして精神の明晰さは、樹が枯れ、灰が冷たくなる ように衰えてゆく。
いいかね、どの呼吸もただの呼吸ではない。
それは思考でもあり、感情でもあり、空想
でもある。だが、それは数日のあいだ呼吸
を観察してはじめてわかることだ。
愛を交わしているとき、呼吸を見守りなさい。
きっと驚くだろう―呼吸は混沌としている。
性的なエネルギーというのはひじょうに荒々しく、粗野なエネルギーだからだ。
性的な空想は荒々しく、 粗野で、動物的だ。
性欲にはこれといって特別なものはない ―動物にはみな性欲がある。
性欲に突き動かされると、人は どんな動物にも負けないような振る舞いをする。
私は動物であることは悪い ことだと言っているのではない。
ただ事実を指摘しているだけだ。
私は事実を述べているにすぎない。
だから性愛を感じるたびに、呼吸を見守りなさい。
それは完全にバランスを失っているはずだ。
だから、タントラでは、セックスの途中に 呼吸を穏やかでリズミカルに保つこ
とを学んではじめて愛を交わすことが許される。
そうなったら、まったく異なる質がセックスに現れる。
それは祈りに満ちたものになり、神聖なものになる。
部外者が見れば何の違いもない。 あなたが相手の男性や女性と愛を交わして
いる姿は、部外者の目には同じに映る。
だが、タントラに精通している者たち、 それを知っている者たちには大きな
違いがある。
これらの秘法が開発され、実験され、観察された 古代のタントラの道場において、
それは一連の 実験の中心課題のひとつになっていた。
呼吸をまったく乱さずに愛を交わす ことができたなら、それはもはやセック
スではなく神聖な行為になる。
そうなったら、あなたはみずからの 実存の大いなる深みへと運ばれ、そして
生の神秘への扉が開かれる。
呼吸はたんに呼吸であるにとどまらない。
呼吸は生命いのちだからだ。
呼吸のなかには生命に内在する すべてのものが含まれている。
では頭のなかで空想してはならないのだろうか?
人は空想せずにはいられない。
呼吸をしてはならないのだろうか?
人は呼吸せずにはいられない。
最良の方法は、病から薬をつくりだすことだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

317 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/15(金) 22:48:51 ID:1d4drIFg0
>>315 そうじゃ、サマーディに入れば気付きも起こりやすくなるものじゃ。
 そうであるからこの書でもそれを求めるのじゃ。

 サマーディに入れば呼吸は殆ど止まるのじゃ。
 呼吸の停止によって心も停止したと知れるのじゃ。
 呼吸と心は常に連動しているのじゃ。
 意識して呼吸しないと苦しくなったりするのじゃ。

318 避難民のマジレスさん :2019/02/16(土) 09:18:19 ID:LC3de7YgO
>>316
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第七話 光の循環と呼吸(つづき)
 より抜粋

これはタントラの方法論であるとともに、タオの方法論でもある―病から薬を
つくりだす……。
タオとタントラが並外れているのはここだ。
ヨーガは「セックスを避けなさい。セックスを迂回するのだ―それは危険なも
のだ」と言う。
だが、タオとタントラはいずれも「セックスを避けてはいけない。
そのエネルギーを変容させるのだ。
そうすれば、病そのものが薬に変わりうる」と言う。
科学者に尋ねてみるがいい。
彼らはそれとまったく同じことをやっている、とりわけ逆症療法アロパシーに
おいて。
病気そのものから抽出された成分が注射されて、それが薬になる。
逆症療法が近年になって発見したことは、タントラやタオによってはるか昔に
発見されていた。
神から与えられたものにはすべてとほうもない目的が隠されているにちがいな
い。
それを避けてはいけない。それを避けたら、貧しいままでいなければならない

それから逃げ出してはいけない。逃げ出したら、あなたのなかには生きなかっ
た部分が残ってしまう。
いわゆるヨーガ行者が絶えず性的妄想に苦しめられているのはそのためだ。
彼はぐっすり眠れない―それは不可能だ―昼間に彼が拒絶してきたことが、夜
になるといっせいに逆襲して来るからだ。
無意識のなかに抑圧してきたすべてのことが、眠りに就き、コントロールが
弱まると、再び浮上してきて夢になる。
ヨーガ行者、いわゆるヨーガ行者は、絶えず恐れている。
彼は女を見るのが怖い、女に触れるのが怖い。
彼はおどおどしている。いったいこれが「自由」と呼べるだろうか?
こんな恐れを抱いていては自由になれるはずがない。
タオとタントラはまったく異なる姿勢で迫ろうとする。
彼らは言う―神から授かったものはことごとく変容させるがいい、と。
それは生の素材だ。
そのなかにはすばらしい宝が隠されているにちがいない。
呼吸の仕組みシステムを変えることができれば、性エネルギーを変容させるこ
とができる。
呼吸の仕組みを変えることができれば、怒りを変容させることができる。
腹を立てたとき、どんな呼吸をしているか観察してみるがいい。
そして次に怒りを覚えたときには、これまで腹を立てるたびにしてきたような
呼吸をしないようにする。
すると不思議なことに、あなたはもう怒れなくなってしまう。
あるやり方で呼吸しなければ、怒りは続かず、消えてしまう。
怒りの代わりに、憐れみが湧いてくる。
同じように、セックスも消え、セックスの代りに、愛が湧いてくる。
愛はじつに人間的なものだ。
セックスは人間だけのものではなく、動物のものでもある。
だが、愛を知っている動物はいない。
セックスは動物的なものであり、
愛は人間的なものであり、祈りは神的なものだ。
セックスは愛に変容されねばならないし、愛は祈りに変容されねばならない。
セックスのなかでは呼吸は混沌としたものになる。
だからこそ私は、ある目的をもって混沌とした瞑想を選んだ―それは感情を発
散浄化させるためだ。
混沌とした瞑想、混沌とした呼吸は抑圧された怒り、セックス、欲望、嫉妬、
憎しみといったものをことごとく打ち、表面に浮かびあがらせる。
それは大いなる浄化のプロセスだ。
セックスのなかでは、呼吸は混沌としたものになる。
愛のなかでは、呼吸は音楽的になる。
祈りのなかでは、呼吸は止まってしまったように静かになる。

こころハートと呼吸が互いに依存し合っているなら、 光の循環を呼吸のリズム
と結び合わせなければならない。
息を吐くときには、両目から光が出てゆくようにする。
息を吸うときには、光が内側にもどってくるようにする。
呼吸と光の循環を結び合わせなさい。
このようにして呼吸に仕事を与えることで 、呼吸は他の余計な空想から解き放
たれる。
これもまた空想のひとつだ―あなたはあるもの を与えている。呂祖が「人は空
想せずにはいられない」 と言うのはそのためだ―少なくともはじめのうちはそ
うだ。
最高の頂に到ってはじめて空想を落とすことができる。
だが、私たちはそれを使うことができる、 それを踏み石にすることができる。
息が出てゆくときには、光も出てゆくように想像する がいい。
息を吸うときには、光も入ってくる、と。
それを単純な方法でやってみるといい。
息を吐くときには、内側にあった光がすべて放出 されてゆくと感じなさい。
そして息を吸うときには、 <存在>のすべての光が入ってくると感じなさい。
じきに想像は呼吸と結びついて、それと一体になる。
こうすれば空想を使ったことになる。
こうしてゆっくり と呼吸をもっと穏やかで静かなものにさせてゆけばよい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

319 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/16(土) 22:54:17 ID:1d4drIFg0
人体の内部で気を巡らせるのを小周天と呼ぶのじゃ。
自然の気を外から取り入れて体に巡らすのを大周天と呼ぶのじゃ。
それも気が同じであるからできるものじゃ。
気は人の中にあり、人は気の中に在るというのじゃ。

320 避難民のマジレスさん :2019/02/17(日) 07:59:57 ID:LC3de7YgO
>>318
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第七話 光の循環と呼吸(つづき)
 より抜粋

ヨーガの呼吸法、プラーナーヤーマでやるような 特定のリズムを実修する必要
はない。
人はそれぞれ 自分に合った方法を見いださねばならないからだ。
肉体が違い、心理構造マインドが違うのだから、 あなたがたの呼吸も同じもの
ではありえない。
あなたは徐々に自分に合った方法 を見つけてゆかなければならない。
ひとつ忘れてはならないことがある。
呼吸は穏やかで、静かで、音楽的なものに なってゆかなければいけない。
(p255)
このためには、とりわけ耳の光が必要である。
ここで呂祖はまた別の手ほどきをする。彼は言う―
光は目から入って、そこを出入りするように、耳からも入って、そこを出入り
する、と。
光が耳から出たり入ったりするのを見ることはできないから、これは不思議な
言明だ。
だが、現代の物理学者に尋ねてみるといい。彼らは、音とは電気、電気の作用
に他ならないと言う。音は電気だ。
呂祖が古代の言語で「光」と呼んでいるのはまさにそれだ。
音は耳から入り、耳から出てゆく。
目が肉体の男性的な部分であるように、耳は肉体の女性的な部分だ。
目が外向的であるように、耳は内向的だ。
それゆえに、世界には二種類の瞑想がある。
目のエネルギーに関わる瞑想と、耳のエネルギーに関わる瞑想だ。
耳のエネルギーに関わる瞑想は女性的な瞑想であり、受動的だ―あなたは何も
せずに、ただ耳を傾ける。
鳥の声、松林を通り抜ける風の音、あるいは音楽や、往来の騒音に耳を傾ける。
何もせずに、ただ耳を傾ける。
すると深い静けさが訪れて、大きな安らぎが降り注ぎ、あなたを包みはじめる。
それは目よりも、耳を通してやるほうがやさしい。
耳を通してやるほうがやさしいのは、耳が受動的で、攻撃的ではないからだ。
耳は<存在>に対して何もすることができない。
ものごとを起こるにまかせるだけだ。
耳は扉であり、ただ受け容れる。

目の光があるように、耳の光がある。
目の光は外界にある 太陽と月が合体したものである。
それは外向的だ。

耳の光とは内なる太陽と月が合体して生まれる種子である。
それは内向的だ。

ゆえに種子とは光が結晶化したものである。
いずれも同じ起源をもち、名前が異なっているだけだ。
光と音は名前が違うだけだ。
インドには物語がある―実話かもしれない。いずれ科学がその正しさを証明す
るときがくるだろう。
インドの物語によれば、ある種の旋律メロディには火を生みだす力があるとい
う。
音楽家の前に火のともっていない蝋燭ろうそくを置き、音楽家がある旋律、あ
るラーガを演奏すると、突然、蝋燭に火がつく。
さあ、そんなことはありえないようだし、ただの物語にすぎないように思える。
おそらく神話か、譬たとえ話にすぎないだろう。
だが、音が電気だとしたら、ある種のパターンを形成した波動は火をつくりだ
すことができる。
今や実験が行なわれている。
私が思うに、遅かれ早かれ、科学的にそれを再現することが可能になるだろう。
これはよく知られている事実だが、軍隊が橋を通過するとき、兵隊たちは必ず
リズムを崩すように命じられる。
彼らはふつうは左、右、左、右、左、右といった具合に、一定のリズムを取り
ながら歩いている。
軍隊があるリズムをとって通過してゆくと橋が壊れてしまうということがよく
起こった。
だから、橋を渡るとき、軍隊は右、左のリズムを崩さなければならない。
今ではこれが周知の事実となっている。
ある種の波動が橋にとっては危険なのだ。
カナダでは、植物と音楽との関わりを調べる実験が行なわれた。
ささやかな実験だが、計り知れないほどの意義がある。
同じ季節の花が、同じ時期に、同じ肥料で、二か所に植えられ、同じ庭師がそ
れらの面倒を見た―
それぞれの区画は何から何までまったく同じだった。が、一方の区画には、
ラヴィ・シャンカールのシタールのレコードが用意され、絶えずその音楽が流
されていた。
そしてもう一方の区画には、ポップ・ミュージックが流された。
それはひじょうに示唆に富んだ現象だった。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

321 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/17(日) 22:58:14 ID:1d4drIFg0
人は集中する時に目を使うものじゃ。
何かを注視する時の動作を心でも行うのじゃ。
それとは別に耳で聞く時のように集中する法も在るのじゃ。
それを返聴法と呼ぶのじゃ。
丹田に集中するならば丹田の音を聞くかのように集中するのじゃ。
ヨーガでも呼吸音とか心臓の音を聞くように集中する法があるのじゃ。

322 避難民のマジレスさん :2019/02/17(日) 23:35:52 ID:LC3de7YgO
>>320
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第七話 光の循環と呼吸
 より抜粋

ポップ・ミュージックが流された区画の植物は、いっせいに音響装置をよける
ようになりはじめた。
まるで逃げだしたがっているかのように、聞くのがいやで、うんざりしている
かのように、植物たちはみな音響装置から身を遠ざけるようになりはじめた。
そして、その区画の花は小さく、成長するのに時間がかかった―他の区画の植
物のほぼ二倍の時間がかかった。
ラヴィ・シャンカールのシタールが流されている他の区画では、 植物たちは音
響装置に身を寄せはじめた。
植物は音響装置を抱き かかえるように、それを覆いつくした。
しかも二倍の速さで成長 し、花も大きく、予想されていたよりも早く花を咲か
せた。
植物でさえ、音響の違いを感じとる。
上空を飛んでゆく飛行機は人間を狂気に駆り立てる。
騒音は日毎にますますひどくなってゆく。
人間が 生き延びられるとしたら、それは奇蹟と言っていい。
いずれも同じ起源をもち、名前が異なっているだけだ。
実のところ、あらゆるものは同じだ。それらはみな「光」「火」「電気」と呼
ばれる素材からできている。
どんな名前で呼んでもいい。違うのは形だけだ。
したがって理解(耳)と明晰さ(目)はひとつのものであり、 同じ霊妙な光に
他ならない。
理解は耳を通して生まれる。明晰さは目を通して生まれる。
明晰さは男性的であり、理解は女性的だ。女性のほうが弟子になりやすい、と
私がいつも言うのはそのためだ。
 質問者 それでは、あなたはどこに住んでいるというのでしょうか?
 マハラジ
 存在と非存在を超えた、意識を超えた空のなかだ。
 その空はまた充満してもいるのだ。
 私を哀れんではいけない。
 それは、「私は私の仕事を終えた。もう何もするべきことはない」と言う人
 のようなものだ。
 質問者 あなたは真我の実現の確かな日時を伝えています。それはつまり、
     その日に何かが起こったということでしょうか? 何が起こったの
     でしょうか?
 マハラジ
 マインドが出来事をつくり出すことをやめたのだ。
 遙かなる昔からの絶え間ない探求が終焉したのだ。
 私は何も望まず、何も期待せず、何ひとつ私のものとして受け取らなかった。
 そこに闘おうとする「私」は残っていなかった。
 ただの「私は在る」さえも消え去ったのだ。
 もう一つ気づいたことは、すべての習慣的な確信を失ったということだ。
 以前、私は多くのことに確信をもっていた。
 今、私には何ひとつ確かなことはないのだ。
 だが、知らないことで何かを失ったようには感じない。
 なぜなら、私のすべての知識が偽りだったからだ。
 私が知らないということ自体、すべての知識は無知なるものだという事実の
 知識なのだ。
 「私は知らない」だけが私にできる唯一の表明だ。
 「私は生まれた」という考えを例にとってみなさい。
 あなたはそれを真実だと受け取っているかも知れない。
 そうではないのだ。
 あなたはけっして生まれなかったし、けっして死ぬこともないだろう。
 生まれて、そして死んでいくのは観念であり、あなたではないのだ。
 あなた自身を「私は生まれた」という想念と同一化することで、あなたは死
 をまぬがれない者となる。
 映画のなかではすべてが光であるように、意識が広大な世界となるのだ。
 よく見てみなさい。
 すべての名前と形は、意識の大海のはかない波にすぎず、ただ意識だけが存
 在するのだ。
 意識のかぎりない広がりのなかに、ひとつの光が現れる。
 小さな点は急速に動き、紙の上にペンで形を描くように思考、感情、概念、
 観念を描きだす。
 その描きだすインクが記憶だ。
 あなたはその小さな点であり、あなたの動きによって世界はつねに再創造さ
 れていくのだ。
 動くのをやめなさい。
 すると世界はなくなるだろう。
 内側を見なさい。
 すると身体のなかの広大な光の反映は、「私は在る」という感覚としての小
 さな光の点だと見いだすだろう。
 ただ光だけがあり、それ以外のすべては現れにすぎないのだ。
 質問者 あなたはその光を知っているのでしょうか? それを見たのでしょ
     うか?
 マハラジ
 マインドにとってそれは暗闇として現れる。
 それはその反映を通してだけ知ることができる。
 日の光以外はすべて日の光のなかで見られるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

323 避難民のマジレスさん :2019/02/18(月) 21:03:47 ID:LC3de7YgO
>>322
γ⌒:"-ヽ〟
(∪(   )
∪∪∨-∨
最初から3分の1くらいのところ、
> 質問者 それでは、あなたはどこに住んでいるというのでしょうか?

から最後まで、マハラジのI AM THATの文章を挿入してしまいました。
ごめんなさい。

324 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/18(月) 22:15:40 ID:1d4drIFg0
マハラジも光について語るのじゃ。
シンクロニシティじゃな。

プラーナや光を通じて人は全てと繋がっているのじゃ。
音も光も一つのものであるから互いに影響し合うのじゃ。
それを感じれば孤独も不安も幻想であったと気付くのじゃ。
個我の幻想が去れば孤独や不安の幻想も存在できないからなのじゃ。

325 避難民のマジレスさん :2019/02/18(月) 22:22:36 ID:LC3de7YgO
>>324
うむ。不思議とシンクロしてるでありますね。
(´・(∀)・`)つ

326 避難民のマジレスさん :2019/02/18(月) 22:33:04 ID:LC3de7YgO
>>322
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第七話 光の循環と呼吸(つづき)
 より抜粋

女性のほうが男性よりも簡単に明け渡し、簡単に理解する。
男は論理的な明晰さ、論理的な説得力を求める。
女は他のものを、心地よいリズムに富んだ説得力を求める。
女性は直感的に耳を傾ける。
女性はそれを言っている人の波動を感じる。
女性の関心は何が語られているかではなく、誰が語っているか、どのように語
っているか、それがどこから生まれてきたかのほうにあるようだ。
女性のほうが深くまで進み、そのまさに精神をつかむ。
男はいつまでも文字に気をとられる。
そして書物の形で誰もが新聞や経典を入手できるようになったために、大きな
変化が起こった。
もともと教えというものは師の口から直接聴くより他にすべがなかった。
それらは口語で伝えられたので、それを受け止める中枢は耳にあった。
今では書物が手に入る。
クリシュナがアルジュナに語り、アルジュナがそれを聴いていたとき、彼は耳
を働かせていた。
大いなる理解が起こり、彼は変容を遂げた。
だが、アルジュナは女性のように耳を使っていた。
今では、あなたは「ギータ」を読む。
読むというのは目を使うということだ。
そして目は理解のことなど気にかけない。
目は論理的な明晰さを求める。
目はまったく違う姿勢でことに当たる。
何世紀にもわたって、世界中のあらゆる宗教が「教えを文字に書き記してはな
らない」と主張してきた。
それには理由があった。
ひとたび書き記されると、質がそっくり変わってしまうからだ。
ひとたび書き記されると、目が重要になり、耳は軽視されるようになる。
私に耳を傾けるのと、私の言葉を読むのとではまったく違う。
本を読むときには、あなたは男性的な精神マインドを働かせている。
耳を傾けるときには、あなたは女性的な精神を働かせている。

坐るときには、瞼まぶたを下げて、下げ振りをつるすように 視線を定め、光を
下方に向ける。
しかし、下にうまく注意を 向けられないときには、呼吸に耳を傾けるようにこ
ころハート を導く。
出入りする息の音が聞こえるようではいけない。
聞こえるのは乱れた息である。
息が乱れると、たちまち呼吸は 荒く、うわついたものになり、伸びやかに広が
ってゆかない。
こころをひじょうに軽やかで微細な状態にしなければならない。
枷かせを解かれれば解かれるほど、こころの働きは微かすかになり、微かにな
ればなるほど、こころは静かになってゆく。
だから呼吸に耳を澄ませなさい。
音が聞こえるのは、息が荒いということだ。
乱れているのは、息が荒いということだ。
感じるだけで音がしなければ、呼吸は
穏やかで静かになっている。
それが<存在>と調和し、自分自身と調和し、実在と調和する正しい方法だ。
呼吸が静かになればなるほど、あなたはさらに深みへと入ってゆく。
ときどき呼吸が止まると……呼吸は実際に止まることがある!
それはここで多くのサニヤシンに起こっている。
彼らは私に知らせにやって来る。
なぜなら、彼らはひどくおびえてしまっているからだ。
呼吸が止まると、自分は死んでしまうという考えが脳裏をよぎる。
先日、サグナが質問をした。
彼は死んでゆくような気分になったという。
彼はおびえてしまった。
おびえてはいけない。呼吸が止まったら、そのままにして、それを楽しみなさ
い。
あなたは死んだりはしない。
そのまさに呼吸が止まることで、あなたは実在の真の姿を知るだろう。
永遠の生を知るだろう、死を知らないものを知るだろう。

不意にこころは限りなく静かになって、動きを止める。
そうなったら 真の呼吸が出現し、こころの真の姿が意識されるに到ったのであ
る。
そのままにしておくことができれば……。
だから私はサグナに言った。
「サグナ、馬鹿だね。君は取り逃がしてしまった!今度それが起こったら、取
り逃がさないように」
呼吸が止まれば、真の呼吸が出現し、真の生命が現れる。
呼吸に依存しない生命、永遠の生命、肉体の一部ではなく、肉体が崩れ、塵ち
りとなって消えた後にも残る生命が。
そしてその瞬間に、意識が達成される。
人はブッダになる。
ブッダとは完全に意識的になった、目覚めた人のことだ。

こころハートが軽やかであれば、息も軽やかになる。
それはこころの あらゆる働きが気(呼吸エネルギー)に影響を与えるからだ。
息が軽やかであれば、こころも軽やかになる。
それは気のあらゆる 動きがこころに影響を与えるからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

327 避難民のマジレスさん :2019/02/19(火) 19:38:29 ID:LC3de7YgO
>>326
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
 
第七話 光の循環と呼吸(つづき)
 より抜粋

こころを安定させるには気を養うことからはじめなければならない。
こころに直接働きかける ことはできないからだ。
それゆえに手がかりとして調息法を用いる。
これが「気の力を集中して保持する方法」と呼ばれているものだ。
弟子たちよ、おまえたちは"動き"の本性を理解していないようだ。
動きは外界の事物によっても引き起こされる。
それは支配される ということに他ならない。
坐るだけでこころが揺れ動くなら、 身動きしないことによってそれを鎮めるこ
とはできないだろうか?
こころと気が相互に影響し合うことを知った偉大な聖者たちは、 後世の人々に
役立つよう、より簡易な方法を考案したのである。
あなたはそれを知っている。
走れば、息は激しく乱れ、どんどん速くなってゆく。
ヨーガの各種の体位はそのためにある―例えば完全な蓮華座。
背筋をまっすぐ伸ばして坐り、完全に沈黙して、大理石の彫像になってしまっ
たかのように、不動の姿勢を保つ。
それはランニングとはまったく逆の姿勢だ。
これは呼吸を静めるための外的な手段にすぎない。
走ることで呼吸を速めることができるなら、仏像とそっくりな姿勢で坐ること
で、それを鎮静させることもできるはずだ。
身動きせず、仏像のように坐っていれば、確かに呼吸はだんだんゆるやかにな
ってゆき……やがて止まる。
最初はほんの一瞬にすぎない。
心臓発作ハートアタックか何かに襲われたのではないかと恐れる必要はない。
それは神の到来ゴッド・アタックだ。

「鶏が卵をかえすことができるのは、そのこころハートがつねに 耳を澄ませて
いるからだ」これは不思議な力をもつ重要な言葉である。
鶏は熱の力によってその卵をかえす。
だが熱の力は殻を暖めるだけ であり、中まで浸透することができない。
そこで鶏は こころを用いてこのエネルギーを内部に導き入れる。
鶏は耳を澄ますことによってこれを行なう。
そのようにしてこころを一心に集中させる。
こころが浸透すれば、気も浸透し、ひなは熱の力を受けて、生命を得る。
それゆえに鶏は、卵から離れるときでさえ、つねに耳をそばだてて 聴く態勢を
取っている。
このようにして精神の集中は途切れることがない。
これは鶏だけでなく、すべての女性、すべての母親、人間の母親にすら当ては
まることだ。雷をともなう激しい嵐がやってきても、彼女には聞こえず、彼女
が眠りから覚めることはない。
だが、子供が泣きだしたり、身動きをはじめたりするとそれだけで、耳が絶え
ず子供に焦点を合わせていたかのように、彼女は即座に目を覚ます。
汽車が通りすぎても彼女は目を覚まさない。
飛行機が通りすぎても彼女は目を覚まさない。
だが、子供が少しでもそわそわしだすと、彼女はただちに耳をそばだてる。
彼女は全身耳となって子供に耳を傾けている。
彼女は耳を通して子供とこころハートとこころハートで結ばれている。
まるで子供の心臓ハートの鼓動そのものを聞くことができるかのように、彼女
は絶えず耳を澄ましている。
これはすべての瞑想者がみずからの鼓動を聞くことができるほど深く耳と結び
つく方法だ。
最初のうちは、呼吸を聞くことができるのは息がひどく乱れているからだ。
だが、あなたが聴いて、聴いて、聴きつつ゛けるならば、その聴こうとする努
力そのものが呼吸をさらに静かにさせてゆく。
そしてその傾聴が深まり、聴くこつがわかり、いかに醒めているかがわかると
、すべての音色、すべての音が消え、呼吸が止まる瞬間がくる。
それは歓喜、洞察、悟り、サマーディの大いなる瞬間だ。

精神の集中が途切れないために、熱の力は昼夜 絶えることなく、精神はいきい
きと目覚める。
精神の目覚めは、こころハートが死ぬことによって はじめて達成される。
瞑想中に突然、心臓が止まりそうに感じても、心臓発作だと勘違いしてはいけ
ないと私が言ったのはそのためだ。
呼吸が止まると、心臓が止まりそうな感じがする。
それは死ではない。あなたの真のこころハートが誕生しようとしているのだ。

こころを死なせることができれば、 原初の精神はいきいきと目覚める。
こころを死に到らしめるというのは、 それを枯渇させ、しぼませてしまうこ
とではなく、 こころが分断されずにひとつにまとまる という意味である。
これが黄金の華の秘密だ。
こころが死ぬことができれば、花が開く。
今あるあなたとして死になさい。
そうすれば再誕生することができる。
イエスは言う。
「再び生まれないかぎり、人が神の王国に入ることはない」
(´・(ェ)・`)
(おわり)

328 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/19(火) 23:02:48 ID:1d4drIFg0
>>325 そうじゃ、全ては繋がっているのじゃ。
 マハラジもオショーなのじゃ。

サマーディに入ると呼吸は止まるのじゃ。
日常でも強く集中しなくてはならない時には呼吸を止めるじゃろう。
それが無意識のうちに起こるのがサマーディなのじゃ。
それが始まると恐れてしまう者もいるじゃろう。
知識があれば恐れずに進むことも出来るのじゃ。

329 避難民のマジレスさん :2019/02/20(水) 00:01:55 ID:LC3de7YgO
>>327
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第八話 昏沈こんちんと散乱の克服1
 より抜粋

呂祖師は言った。
昏沈こんちんと散乱という二つの誤りは、静かな行を 中断せずに毎日続けるこ
とによって克服しなければならない。
そうすれば確実に成果が現れるであろう。
静座して瞑想しなければ、しばしば散乱していてもそれに気つ゛かない。
散乱に意識を向けることにより、おのずと散乱を取り除くことができる。
昏沈に意識を向けるのと、昏沈に無意識であるのとでは実に大きな 違いがある。
昏沈に無意識であることが真の昏沈である。
意識されている昏沈は完全な昏沈ではない。
そこにはなおいくばくかの明晰さがあるからだ。
散乱は想念マインドをさまようままに放置することから起こり、 昏沈は想念が
まだ清らかでないことから起こる。
散乱は昏沈よりもずっと容易に直すことができる。
病気に例えてみれば、痛みやかゆみを感じている場合には それを治療する薬が
あるが、昏沈は感覚を失ってしまう病気に似ている。
散乱は鎮めることができるし、混乱は整えることができる。
だが昏沈や無気力な状態は重くて暗い。
散乱や混乱にはまだ一定の場所があるが、 昏沈や無気力な状態ではただ魄アニ
マのみが活動している。
散乱の場合にはまだ魂アニムスが存在しているが、 昏沈の場合にはまったき闇
が支配している。
瞑想中に眠気をもよおすならば、昏沈の影響を受けている。
昏沈の克服に役立つのは呼吸だけである。
鼻から出入りする息は真の呼吸ではないが、 真の呼吸の出入りはこれと結びつ
いて起こる。
それゆえに、坐るときにはつねにこころハートを静かに保ち、 気エネルギーを
集中させなければならない。
こころを静めるにはどうすればよいか?
呼吸によってである。
息の出入りをこころが意識していれば いいのであり、耳に聞こえてはならない。
耳に聞こえなければ、息は軽く、軽ければ、純粋である。
耳に聞こえるようなら、気息は荒く、荒ければ、濁っている。
濁っていれば、昏沈と無気力な状態が生じ、眠気に誘われる。
これは自明の理である。
呼吸するとき、こころハートをいかに正しく使うか を理解しなければならない。
それはこころをを用いない用い方である。
聴くことに微かすかに光を当てるだけでいい。
この句には秘められた意味がある。
光を当てるとはどういうことか?
それは目の光がもつ自然に照らしだす働きのことだ。
目は内側を見るだけで、外界を見るわけではない。
外を見ることなく明るさを感じていることが 内側を見るということであり、内
側を実際に見るということではない。
聴くとはどういうことか?
それは耳の光がもつ自然に聴く働きのことだ。
耳は内側を聴くだけで、外界の音を聴くわけではない。
外界の音を聴くことなく明るさを感じていることが 内側を聴くということであ
り、内側の音を実際に聴くということではない。
したがってこの場合、聴くというのは無音の状態を聴くだけであり、 見るとい
うのはそこに何の形もないのを見るだけである。
目が外界を見ず、耳が外界の音を聞かなければ、それらは おのずと閉じて内界
に沈んでゆきがちである。
内側を見、内側に耳を傾けるときにのみ、 感覚器官は外に向かうこともなく、
内に沈み込むこともない。
このようにして昏沈と無気力な状態を取り除くことができる。
これが、太陽と月がその精と光を結合させることである。
昏沈に襲われて眠気をもよおしたなら、 立ちあがって歩きまわるがいい。
頭がすっきりしてきたら、坐りなおす。
やがて修行の成果が現れてきて、 昏沈や眠りに陥ることはなくなるだろう。
ある暑い昼下がりのことだ。
一匹のフクロウが樹にとまっていると、白鳥が飛んできて一緒にとまった。
「ふうっ、暑いねえ、フクロウさん」
と白鳥は言った。
「太陽が照っているので、暑くて汗びっしょりだ」
「何だって?」とフクロウが言った。
「君は何を言っているんだい?太陽だって?暑いだって?闇が深まれば暑くな
るのさ。君の言う太陽とやらはいったい何のことだ?君は頭が変にでもなって
しまったのかい?君は私に何を言いたいんだ?太陽なんてものはありゃしない
。あったためしがない。その熱を発する光とやらはいったい何のことだ?そん
なものなど聞いたことがない。闇が深まれば暑くなるに決まってるじゃないか
。私を馬鹿にしようとしているのかい?私ひとりが言ってるんじゃないよ。私
たちのどの経典にもそう書いてあるんだ」
白鳥は唖然として、「この盲目の老いたフクロウにどうやって説明すればいい
のだろう?」と考え込んだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

330 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/20(水) 23:27:05 ID:1d4drIFg0
昏沈と散乱は陰陽のどちらかに偏りすぎたために起こるというのじゃ。
陽気に傾きすぎれば散乱し、陰気に傾きすぎれば昏沈するのじゃ。
それを防ぐには日々の精進とあまり凝視しすぎないことというのじゃ。
耳を僅かに傾けるような返聴法ならば陰陽どちらにも偏らずに実践できるというのじゃ。
それが陰陽合一の法というのじゃ。

331 避難民のマジレスさん :2019/02/21(木) 07:03:29 ID:LC3de7YgO
>>329
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第八話 昏沈こんちんと散乱の克服(つづき)
 より抜粋

「いいかい、兄弟。俺はこの目で見ることができるんだ。今は真昼で、太陽が
照りつけているから、とても暑いんだ。なのに君は暗いと言う。どうすれば説
明できるんだろう?」
フクロウは言った。
「じゃあ、あの大木のととこへ行こうじゃないか。あそこにはフクロウがたく
さんいるし、偉い学者さんもいる。彼らに聞こうじゃないか―彼らは経典に精
通しているし、ものをよく知っている連中もいる。さあ、行こう!君が私を馬
鹿にしているのかどうか今にわかるさ」
彼らは飛んでいった。そこは盲目のフクロウでにぎわっていた。
「この白鳥がやって来て」とフクロウは言った。
「今は真昼で、 太陽が照りつけていて、至るところに光があるから暑いんだと
言うんだ。みんなはどう思う?」
「何を言っているんだ」
とフクロウたちは言った。
「俺たちの村では 、親父もその親父もそのまた親父も、誰ひとり太陽なんて見
た者 などいないし、記録にも残っていない。だから、太陽なんてものは ないん
だ。そんなものあるはずがない。あいつはおまえをかついで いるだけだ。あい
つに耳を貸してはいけない。あいつは狂っているか 、大ぼら吹きか、そのどち
らかだ。あいつは俺たちの宗教をつぶそう としているんだ。俺たちはいつも暗
闇のなかに住み、いつも暗闇を 崇拝してきた。闇は俺たちの生き方の土台その
ものだ。あいつは 俺たちの生き方を壊してしまう。あいつはそういうやつなん
だ。 お望みなら、多数決で決めてもいい」
あるフクロウが顔をあげて言った。
「どちらが真実なのだろう? 存在するのは闇だろうか?それとも光だろうか?」
「闇だ、闇だけが存在する」
とフクロウたちはいっせいに叫んだ。
「では、どうしてこんなに暑いのだろう?」
「闇が深いからだ」
と フクロウたちは叫んだ。
「熱は闇の作用なのだ」
「やつをここに置いておくわけにはゆかない」
とフクロウたちは 再び叫んだ。
「やつは我々の宗教、伝統、我々が大切にしてきた 過去そのものをだいなしに
してしまう。ただちにやつを追放しろ! あいつは目がつぶれているか、完全に
いかれている」
この小さな寓話には、たいへん価値のあるいくつかの真理が含まれている。
まず、真理は伝達することができない―真理を伝える方法はない 。
私の真理は私の真理だ。
それを語ることはできるが、語ること で真理が伝わるわけではない。
それに耳を傾けることは理解する ことではない。
あなたは自分自身の目を開かなければならない。
真の師マスターの役割は、「神は存在する」と語ることでは ない。
それはあなたが目を開き、魂の窓を開くのを助け、目 が見えるようになり、
「神」という言葉が意味するものを みずからの血と骨と髄に体現できるように
させることにある。
あなたの代わりにこの目で見ることはできない。
あなたの代わりにこの足で歩くことはできない。
あなたの代わりにこの翼で飛ぶことはできない。
あなたはみずからの生を生き、 みずからの死を死ななければならない。
これはつねに覚えておくべき 最も基本的なことがらのひとつだ。
さもなければ、人は借り物の知識 という重荷を背負うはめになる。
それは知識とはまったく無縁な贋にせのコインにすぎないが、知識に似ている
ので、あなたがたは だまされてしまう。
人類に起こっていることはそれだ。
人類は借り物の知識の呪いのもとで生きている。
人々は『聖書』『コーラン』『ギータ』を鸚鵡おうむのように唱えている ―盲
目の老いぼれフクロウが『コーラン』『ギータ』『聖書』を唱えている。
だが、それは彼ら自身が体験したものではない。
彼ら自身が体験しているのはまったく逆のことだ。
彼ら自身の体験は『ギータ』『聖書』『ヴェーダ』『法華経ダンマパダ』 の真
理をひたすら否定するものでしかない。
彼らの本音はこうだ―
「仏陀は狂っている」、
「イエスは人をだましている」、
「ソクラテスはひじょうに賢いかもしれないが、用心しなければならない。
彼に耳を傾けてはならない。彼は我々の宗教をつぶしてしまう」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

332 避難民のマジレスさん :2019/02/21(木) 20:17:26 ID:LC3de7YgO
>>331
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第八話 昏沈こんちんと散乱の克服(つづき)
 より抜粋

人間は盲目のまま宗教をつくりあげてきた。
しかもひとつではなく無数の宗教を。
盲目の目には<一なるもの>が見えないからだ。
盲目の目は多くのものを信じることしかできない。
それゆえにこれほど多くの宗教がある―この小さな地球に三百前後の宗教がある
― そしてそれぞれの宗教がこう主張している。
「私の真理が唯一の真理だ」、
「私の 神が唯一の神だ」、
「他の神はすべて偽物だ」、
「他の真理はすべてでっちあげだ」 、
「他の道はすべて荒野に行き着くだけだ―私の道だけが天国に通じている」
この三百の宗教は絶えず闘い合っている。
どの宗教も現実に気つ゛いて いない。
どの宗教も現実を真正面からのぞいていない。
彼らは信じている。
これらの宗教は宗教ではなく形骸化した伝統だ。
彼らは耳で聞き―いつの時代 にも耳で聞き―そして信じてきた。
信じることは安易であり、探索することには 危険がともなうからだ。
鸚鵡おうむのようにくり返すことは何の苦もない。
冒険に満ちた発見の旅にでかけるためには生命を賭けなければ ならない。
それは危険だ。
探索することは危険だ。
信じることは、 手軽で、慰めになる。
あなたはどこにも赴かなくてすむ。
それは 既製品としてあなたに与えられる。
だが、それには手垢がついている。
そして手垢にまみれた神とともに生きる人間は悲惨だ。
神は新しいものでしかありえないからだ。
体験はどこまでもあなた自身のものでなければならない。
他人の体験は真実の生の基盤となりえない。
仏陀は見たかもしれないが、仏教徒になることは助け にならない。
仏陀は仏教徒ではなかった―それは確かだ。
イエスは見て、直面し、了解したかもしれないが、キリスト 教徒になることは
まったく愚かしい。
キリストにならないかぎり 、けっして神を知ることはない。
真に宗教的な人は形骸化した伝統を避ける。
真に宗教的な人は手垢にまみれた神を避ける。
信仰を避け、自分を開いたままにして、 いつ真理が立ち現れても応じる姿勢
でいる。
もちろん彼は働きかける―働きかけるのは宗教的な人だけだ ―信者たちはけっ
して自分に働きかけたりしない。
信者たちは自分に働きかける必要がない。
真理を探索し、探求し、探し求める者は自分自身に懸命に働きかける。
なぜなら、落とさなければならないものがたくさんあるからだ。
落とさなければならない不純なものがたくさんあるし、 溶かさねばならない障
害物や障壁がたくさんあるからだ。
目を開けて、耳をふさいでいるものをはずし、 ハートの感受性を取りもどさな
ければならない。
人は存在とリズムを合わせなければならない。
<存在>と完全にリズムが合っていれば、 目が開いて、そこではじめて見る こ
とができるようになる。
その見ることが変容になる。
その見ることがあなたを根こそぎ変える。
その見ることが新しい洞察力、新しい生命、 新しいもののとらえ方になる。
あなたは もはや肉体に閉じ込められてはいない。
もはや想念に閉じ込められてはいない。
もはや何にも閉じ込められてはいない。
あなたは解き放たれていて、無限であり、永遠だ。
そしてあなたのなかを流れるこの永遠を感じる ことが、神を知ることだ。
永遠の過去と永遠の未来へと延び広がっている この無限を見ることが神を見る
ことだ。
あなたの実存のなかに宿る神性を感じる ことが、神を知ることだ。
これは手垢にまみれることがない。
キリスト教徒やヒンドゥー教徒やジャイナ教徒やイスラム教徒を見る と、そこ
には手垢にまみれた人々がいる。
あなたは街で履きふるされた 靴など買いたくない。
街で他人が使った古着など買いたくない。
だったらなぜ魂のために手垢のついた信仰を、使い古され、 ぼろぼろになって
いる、汚く醜い中古の靴や着物を買うのだろう。
そして自分の人生を美しく飾ったつもりになるなんて。
あなたは自分の魂を侮辱している。
あなたは自分自身の人間性をおとしめている。
キリスト教徒になったり、仏教徒になることは、 自分自身の人間性をおとしめ
ることだ。
探求は独りで行なうべきものだ。
探求はどこまでも個的なものでなければならない。
多数決によって真理を決めるわけにはゆかない。
真理はどこまでも個的であり、かつ私的なものだからだ。
それは客観的な現象ではない。
あなたは私の肉体を見ることができる。それは客観的な現象だ。
私の肉体が存在するかどうかを他人は簡単に判別することができる。
だが、私が光明を得ているか どうかを他人が判別することはできない ―まし
てや多数決で決めることなどできない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

333 避難民のマジレスさん :2019/02/22(金) 07:11:13 ID:LC3de7YgO
>>332
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第八話 昏沈こんちんと散乱の克服(つづき)
 より抜粋

覚者ブッダが覚者ブッダなのは、彼が覚者 であることを人々が多数決で決めた
からではない。
彼が覚者なのは、誰のものでもない彼みずからの宣言によるものだ。
彼の他には誰も証人はいない。それはまったく私的なことだ。
あまりに内面的なことなので、誰もそこまで立ち入ることができない。
真理は多数決では決められない。
だが、人々はそのようにして決めている。
宗教が信者を増やすことに熱中するのはそのためだ。
信者の数が多ければ多いほど、真理を多く手にしていること になるからだ。
キリスト教徒のほうがジャイナ教徒よりも多くの真理を手に していると主張で
きるのは、彼らの背後に大群衆がひかえているからだ。
投票をすれば、キリスト教徒が勝って、ジャイナ教徒が負けるだろう。
だが、それは投票で決まる問題ではない。
千匹のフクロウが投票で 「世界には闇しかない。太陽は存在せず、光も存在し
たことがない」 と決めたとしても、嘘が嘘であることに変わりはない。
1羽の白鳥が「昼だ」と宣言すればそれで充分だ。
真理は民主的なやり方で決められるものではない。それは群集とは何の関係も
ない。
カトリックは産児制限に反対しているし、イスラム教徒も産児制限に反対して
いるが、そこには単純な理由、政治的な理由がある。
その理由というのは、もし産児制限 が認められたら、信者の数が減りはじめる
からだ。
そして彼らの力はひとえにそこに かかっている。
彼らはいつか世界にこう証明できるよう、信者の数を増やしたいのだ。
「見ろ、こんなにたくさんの人々が我々についているのだから、 真理は我々の
もとにあるにちがいない」
ジョージ・バーナード・ショウの有名な言葉を覚えているだろうか。
彼と論争していたある男が言った。
「でも、こんなにたくさんの人が私の言葉を 信じてるんですよ。これだけ大勢
の人たちが間違うはずがないじゃないですか」
するとバーナード・ショウはこう言い返した。
「こんなに大勢の人たちが信じているのだったら、間違っているに ちがいない。
これだけたくさんの人たちが正しいなんてことがありえるかね?」
これだけたくさんの人たちが正しいなんてことがありえるかね?
(p274)
群集は盲目だ。
群集は光明を得ていない。
真理はつねに少数派の手にある。
仏陀が現れるとき、彼は独りだ。
イエスがエルサレムを歩くとき、彼は独りだ。
ソクラテスが闘うとき、彼は独りだ。
確かに、少数の探求者たちがソクラテスのまわりに 集まってきて、ある学派が
生まれるが、その学派は少数派だ。
そしてソクラテスと行動をともにするには勇気がいる。ガッツがいる。
なぜなら、彼はあなたを慰めるためにいるわけではないからだ。
彼は慰めになるものを一掃してしまう。
あなたの 幻想をこなごなに打ち砕いてしまう。
なぜなら、それが あなたに真理をもたらす唯一の方法だからだ。
彼はあなたの目を無理やり開かせる。
彼はあなたを眠りにつかせるための子守唄など歌わない。
彼はあなたを目覚めさせるために屋根の上から大声で叫ぶ。
彼はあなたにショックを与え、あなたを叩く。
先日、プラディーパが私に会いにやって来た。
彼女は泣いていた ―私が深い衝撃を与えたのだから無理もない。
彼女は、ある日、 不意にハンマーで頭を殴られるなどとは夢にも思っていなか
った。
そして自分が私の吐き気の原因であったことにもこころハートを 痛めていた。
彼女は私にこころを寄せて、みんなと同じように私を 愛しているからだ。
こういったすべての理由で彼女は泣いていた。
だが、私はあなたがたに、とりわけプラディーパに言わなければ ならない。
私が強く打つときには感謝するべきだ、と。
なぜなら、 打つに値すると見ないかぎり、あなたを強く打つことはないからだ。
私は相手かまわず打ちはしない。
私が打つのは、誰かが 本当に成長していると見なしたときだけだ。
あなたが成長 すればするほど、より多くのことが求められるようになる。
私はみんなに肉食を落とせと言ったわけではない。
だが、私は プラディーパが深い衝撃を受けて肉食を落とすような言い方を した。
彼女の意識が成長しているので、今や肉食は障害になっている。
高く舞いあがっていない者たち― 彼らは好きなだけ重荷を担いでもいい。
だが、高く舞いあがりはじめた者たち― 彼らは不用な荷物をすべて落とさな
ければならない。
あなたのエネルギーの純度が高まれば高まるほど、 もっとそのことに注意深く
ならなければいけない。
なぜなら、貴重なものが失われてしまうかもしれないからだ。
その貴重なエネルギーをつくりだすのは実にたいへん だが、なくしてしまうの
はごく簡単だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

334 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/22(金) 23:00:15 ID:1d4drIFg0
真の宗教とは信じる者が自ら探求することを要求するのじゃ。
アートマンは知識ではなく実践し、探求すべきものとヴェーダにも記されているのじゃ。
お釈迦様も修行者に怠けている者は死んでいるのと同じであり、精進する者だけが生きているとまで言うのじゃ。
神も本の中の聖人による知識ではなく自ら探求して見出されるべきものなのじゃ。

335 避難民のマジレスさん :2019/02/23(土) 00:38:33 ID:LC3de7YgO
>>333
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第八話 昏沈こんちんと散乱の克服(つづき)
 より抜粋

失うものが何もない者たち―彼らは悩まなくてもいい。
彼らはあらゆる種類の愚行をやりつつ゛けてゆけばいい。
彼らの全存在はそうした愚行とぴったり波長が合っている。
このことはひとりひとりが覚えておかなければならない。
あなたがたが成長してゆくにつれて、私はもっともっと 多くのことをあなたが
たに求めるようになるだろう。
美しい物語がある…… インドには偉大な画家、最も偉大な画家のひとりである
ナンダラル・ボースという天才がいた。
彼はもうひとりの天才、 アヴィニンドラナート・タゴールの弟子だった。
アヴィニンドラナート・タゴールは、ラヴィンドラナート・タゴール の叔父だ
った。
ある日の早朝、アヴィニンドラナートとラヴィンドラナート は一緒に坐り、お
茶を飲みながら、あれこれのことを語り合っていた。
そこへナンダラルがクリシュナの絵をもって来た。
ラヴィンドラナートは追想録のなかでこう書いている。
「これほど美しいクリシュナの絵は見たことがなかった―今にも 絵のなかから
飛び出してきそうなほどいきいきとしていた―今にも フルートから笛の音がこ
ぼれてきそうだった。私は茫然とした」
その絵を見たアヴィニンドラナートは、それを家の外に放り出し、 ナンダラル
に言った。
「こんなクリシュナの描き方があるものか。 ベンガルの下手な画家だってもっ
とうまく描く」
ラヴィンドラナートはひどいショックを受けた。
ラヴィンドラナートは 叔父の絵も知っていた。
叔父もまた生涯にわたりクリシュナを描いていた。
ラヴィンドラナートは、ナンダラルの絵と比べれば叔父の絵など足もと にも及
ばないと確信していた。
ナンダラルの絵のほうがはるかに優れていた。
だが、彼は黙っていた。師と弟子の あいだに口をはさむのはよくないことだ
った。
ナンダラルはアヴィニンドラナートの足に触れて 、出ていったまま、三年間、
姿を現さなかった。
ラヴィンドラナートは何度もアヴィニンドラナートに尋ねた。
「かわいそうに、あの男に何をしたんです? -彼の絵のほうが優れていたの
に!」
するとアヴィニンドラナートは泣きながら言った。
「おまえの言う通りだ。彼の絵のほうが優れている。私は あんなにすばらしい
作品を一度もつくりだすことができなかった」
ナンダラルがいなくなると、アヴィニンドラナートはその絵 を取りに行き、そ
れをいつも部屋に飾っていた。
「だったら、なぜ」とラヴィンドラナートは尋ねた。
「あなたはあんな無慈悲な振る舞いをしたのですか?」
アヴィニンドラナートは言った。
「私はまだあれ以上のものを 彼に期待しているからだ。彼が美しい絵を描くか
どうかが問題 ではない。これは始まりにすぎない。彼はもっと大きな力を 秘め
ている。私はもっとたくさんのことを彼に求めるつもりだ」
そしてナンダラルは三年間ベンガルの村々をさまよった。
師に 「村の画家だってもっとましなクリシュナの絵を描くぞ」と言われた から
だ。
彼は村の画家、ふつうの貧しい画家について習った。
三年間、 彼はベンガルをさまよい、あらゆる地方を訪ねた。
そして、 ある日のこと、彼は姿を現し、師の足に触れて言った。
「あなたのおっしゃった通りでした。 私はたくさんのことを学びました。 よ
く私の絵を投げ捨ててくださいました」
アヴィニンドラナートは彼を抱きしめて言った。
「待っていたよ。歳を取るにつれ、おまえは帰ってくるだろうか と不安になっ
ていた。私は幸せだ。おまえの絵はみごとだったが、 おまえにはもっと大きな
力が秘められている」
あなたのなかにもっと大きな力が秘められて いるのを見たら、私はすかさずあ
なたを打ちすえる。
あなたがたが私とともにここにいる、私があなたがたと ともにここにいる理由
はただそこにある。
あなたのなかで眠っているものがすべて上昇し はじめられるように、高く舞い
あがれるように、 私はあなたがたを根底からかき立てなければならない。
あなたは自分の潜在力に気つ゛いていないが、私は知って いる。
だから、私が要求をしたらいつも、感謝するがいい。
あなたはこれを聞いたら驚くだろう―禅院では、 師が誰かの頭を棒で叩くたび
に、叩かれた僧は 七度おじぎをして、師の足に触れ、感謝を表す。
そして弟子はその叩かれる瞬間を待っている。
師がわざわざ棒で頭を打ってくれるその 至福に満ちた瞬間が来ることを願う。
いいかね、ここは錬金術の学院アカデミーだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

336 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/23(土) 23:01:27 ID:1d4drIFg0
誰でも真の悟りに達する力はあるものじゃ。
自分自身でそれが出来ないと思えば出来ないのじゃ。
師匠の役目はその力に気付かせることもあるのじゃ。
全ての者に悟りに至る力は在るのじゃ。

337 避難民のマジレスさん :2019/02/24(日) 00:39:53 ID:LC3de7YgO
>>335
30黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第八話 昏沈こんちんと散乱の克服2
 より抜粋

あなたがたはただもてなしを受けるためでは なく、変容を遂げるためにここに
いる。
そして変容は苦痛に満ちている。
なぜなら、古いものをたくさん落とさなければならないからだ。
その古いものは簡単に脱げる着物のようなものではない― それは皮膚と化して
いる。
皮膚をはがされたら痛い。
だが、あなたを正気に連れもどすにはそうするより他にない。
あなたの緩衝器を破壊するにはそうするより他にない。
あなたを覆い、拘束している鎧よろいを打ち壊すには そうするより他にない。
徐々に徐々に、あなた自身のエネルギーが起こりはじめ、 あなたの目が開き、
あなたの耳が聞こえるようになる。
そうなったら神は直接の体験になる。
つねに覚えておきなさい。 神の直接体験のみが真の体験となる。
それは多数派が決めるものではない。
それは伝統が決めるものではない。
それを決めるのは神と遭遇したみずからのエネルギーだけだ。
白鳥は狂っているとフクロウが考えても少しもおかしくない。
人々はいつもそのように考えてきた―仏陀も狂い、マホメット も狂い、ツァラ
ツストラも狂っている、と。
自分たちに見えない ものを、どうして信じることができるだろう?
フクロウが白鳥を追い出し、追放しても少しもおかしくない。
彼らは怖くなり、動揺してしまった。
この白鳥がこの樹の上で 暮らすことを認めたら、フクロウの伝統はつぶされて
しまう。
白鳥はフクロウの生き方を壊してしまう。
フクロウたちはいつも暗闇のなかで生きてきたので、いつも暗闇を信じている。
暗闇が彼らの神だ。
彼らの儀式はすべて暗闇から生まれたものだ。
フクロウの 聖職者たちは暗闇を讃え、学のあるフクロウたちは暗闇に関する大
論文を書く。
彼らの哲学には太陽や光や昼の出る幕がない。
そこにこの狂った白鳥が現れて 、異様な考えをフクロウの世界に密かにもち込み、
吹き込もうとする。
フクロウ社会の構造全体が崩れてしまう。
イエスが十字架にかけられたのはそのためだ。
人々が私にひどく反発しているのはそのためだ。
私はあなたがたに新しい光景ゲシュタルト、新しいパターン、 新しい生き方、
実在への新しい参入の仕方を授けようとしている。
当然、古い生活様式に大量のもとでをかけてきた者たちは腹を立てる。
狂ったように腹を立てるだろう。
彼らは自分たちの世界から私を追放したい ―彼らはまさにそれをやろうとして
いる。
それはまったく自然で、単純なことだ。
ひとたびそれを理解したら、あなたは笑いはじめるだろう。
人はどのようにして、またなぜ神の存在を信じつつ゛けているのだろう?
人はどのようにして、またなぜ魂の存在を信じつつ゛けることができるのだろ
う?
フクロウたちと同じ理由からだ……「俺たちの村では、親父もその親父 もその
また親父も、だれひとり太陽を見たことがない。だから太陽なんて ものはない
んだ。あいつはおまえをかついでいるだけだ。あいつに耳を 貸してはいけない
。あいつは俺たちの宗教をつぶそうとしているんだ」
あなたは父親から「神は存在する。神はキリスト教を伝えた」 とか「神はヒン
ドゥー教を伝えた」と聞かされたことがあるだろう。
父親もまたその父親から聞かされ、それが延々とつつ゛いてきた。
うわさ話、ゴシップだ。父親も知らなければ、あなたも知らない。
勇気を奮い起こし、借り物の知識はすべて落としてしまいなさい。
サニヤシンに最初から求められるのはこれだ―そしてこれは 真理を科学的に探
索してゆくに当たり、最初に求められることでもある。
先入観をすべて落とすこと。
先験的アプリオリな概念をすべて落とすこと。
あたかもそれ以前には伝統などなかったかのように、 経典などなかったかのよ
うに、まるでアダムやイヴのように、 最初から、最初の第一歩から、ABCからは
じめること。
D・H・ローレンスはこう言っている―私は彼にまったく同意する―
「世界中の経典がすべてなくなってしまったら、人間は宗教的になるかもしれ
ない」
あらゆる伝統が完全に消え去れば、そのときはじめて希望が生まれる。
そうでないかぎり、誰が探索したいと思うだろう?
苦労せずとも 伝統があてがってくれるし、何の代価も払う必要がないのだから
、 気にすることはない。
他の人々が知っているのだから、ただ信じればいい。
だが、知ることと信じることは正反対のことだ。
信じることは暗闇のなかで生きつつ゛けることであり、 知ることは変容するこ
と、変身すること、永遠に輝く もうひとつのヴィジョンへと移行することだ。
これらの経文を信じる必要はない。
それらは実地に試してみなければならない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

338 避難民のマジレスさん :2019/02/24(日) 10:29:38 ID:LC3de7YgO
>>337
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第八話 昏沈こんちんと散乱の克服2
 より抜粋

これらの経文はたんに手掛かりであり、あなた の実存のなかで実証してゆくべ
きものだ。
やってみないかぎり、あなたは要点を見逃しつつ゛けるだろう。
あなたはみずからの肉体を深遠な霊性の 研究室と見なすようにならなければ
いけない。
そしてみずからの生を、実在を究明する 大いなる冒険として見なければなら
ない。
そしてあなたは意識をとぎ澄まし、注意を払い、 内と外で何が起こっているか
見なければならない。
これらの経文は鍵だ。
みずからの実存に本当に働きかけようとしたなら、驚くだろう。
あなたはみずからの実存にすばらしい宝、無尽蔵の宝を秘めて いる帝王であり
ながら、乞食のように振る舞っている。
昏沈こんちんと散乱という二つの誤りは、静かな行を中断せずに 毎日続けるこ
とによって克服しなければならない。
そうすれば 確実に成果が現れるであろう。
成果は副産物だ。
成果のことは考えなくてもいい。
それについて考えると、それを得られなくなる―それが条件だ。
成果のことを考えてはならない。
成果のことを考えはじめたら、あなたは分裂してしまうからだ。
そうなったら修行は中途半端なものになり、実質のある精神マインドは未来に
飛んでゆく―「どうやって成果をあげよう」と。
あなたはすでに成功した自分の姿を、ブッダになった自分の姿を夢見はじめて
いる―どれほどの美が、どれほどの恵みが、どれほどの祝福があなたのものに
なるかを。
精神が貪欲どんよくさの、野心の、自我エゴのゲームを演じはじめている。
けっして成果のことを考えてはならない。
成果はおのずと生まれる副産物だ。
本当に誠実に自分自身に働きかけていたら、影があなたにつきそうように、成
果はおのずとついてくる。
成果をあげることを目的にしてはならない。
呂祖が「成否のことは思い煩わず、静かに黙々と働きかけなさい」と言うのは
そのためだ。
そして、いいかね、成果のことばかり考えているということは、失敗の恐れも
念頭から離れないということだ。
それらはともに連れそっている。
それらはひとつの包みに入っている。
成功と失敗は切り離すことができない。
成果のことが頭にあるかぎり、どこか奥深いところに恐怖もある。
あなたがそれをなし遂げられるかどうか誰にもわからない。
あなたは失敗するかもしれない。
成果を思い浮かべると未来に連れ去られ、貪欲さというゲーム、自我の投影、
野望が湧き起こる。
そして恐怖もまたあなたに動揺を与え、身震いさせる―あなたは失敗するかも
しれない。しくじる恐れがあるために、あなたはたじろぐ。
このたじろぎ、この欲望、この野心を抱えながら、静かに働きかけることなど
できない。
その実践は混乱したものになる。
ここで働きかけていながら、目は向こうを見ている。
この道を歩きながら、目はどこか空の彼方を見つめている。
星の研究をしていたギリシャの占星術師のことを聞いたことがある。
ある満天の星空の夜に、彼は井戸に落ちた。
星を見ながら歩きまわっていたからだ―星に夢中になるあまり、彼は自分がど
こにいるのか忘れてしまい、どんどん井戸に近つ゛いていって、とうとう落ち
てしまった。
近所に住んでいた老女が物音を聞いて駆けつけた。
彼女は井戸をのぞき込み、縄をもってくると、偉大な占星術師を引きあげた。
占星術師は大いに感謝した。
彼は老女に言った。
「ご存じではないでしょうが、私は国王から特別に任命された王宮の占星術師
です。料金は安くありません―大金もちだけが未来を占うだけの料金を払える
のです。でも、あなたは私の命の恩人です。明日どうぞ私のもとにおいでくだ
さい。あなたの手相を読み、出世図を調べ、星占いをしてあげましょう。そう
すれば、あなたの未来が何から何まではっきりとわかりますよ」
老女は笑いだして、こう言った。
「そんなことはすべて忘れちまいな。おまえさんは目の前にある井戸さえ見え
ないくせに、私の未来を占おうって言うのかい?まっぴらごめんだね!」
あまり先を見過ぎてはいけない。
さもないと、目前の一歩を踏みそこなうことになる。
呂祖は、成果はおのずからやって来ると言う。
成果のことは放っておきなさい。
この<存在>は実に気前がよい。
報われないものなど何ひとつない。
これがインドのカルマの哲学のすべてだ―
何事にも善い報いか悪い報いが必ず
ついてくる。
間違ったことをすれば、悪い報いが影のようについてくる。
正しいことをすれば、必ず善い報いがやって来る。
報いの善し悪しを気にかける必要はない。
少しも考える必要はない。
あなたの意識の一片すらそれにかかずらう必要はない。
それらはやって来る―ひとりでにやって来る。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

339 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/24(日) 22:22:00 ID:1d4drIFg0
何事かを為そうとする意識的な努力が悟りを遠ざけるのじゃ。
何もしないことが出来れば悟りは自ずからやってくるものじゃ。
それができなければただひたすらに目前のものに集中するか観察し続けるのじゃ。
自分がしているという意識さえ無くなれば悟りもやってくるのじゃ。

340 避難民のマジレスさん :2019/02/24(日) 23:03:43 ID:LC3de7YgO
>>338
30黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第八話 昏沈こんちんと散乱の克服2
 より抜粋

あなたは道を歩きながら、影がついてきているかどうかを確かめるために何度
も何度も振り返るだろうか?
何度も何度も振り返り、影がついてきているかどうか確かめている人がいたら
、あなたは彼は狂っていると思うだろう。
影はついてくる。必ずついてくる。だから、あなたの働きかけが正しい方向を
向き、全身全霊で、正しい努力をもって行なわれていれば、成果はひとりでに
やって来る。
さて、どのように働きかけるのか?まず第一に……昏沈こんちんと散乱という
二つの誤りは、静かな行を中断せずに 毎日続けることによって克服しなければ
ならない。
昏沈とは怠惰、無気力な状態を言う。
それはあなたの女性的な部分ゆえに引き起こされる。
女性的な部分が怠惰で、不活発なのは、それが受動的だからだ。
そして、もうひとつは散乱だ。
それはあなたの男性的な部分ゆえに引き起こされる。
男性的な部分はいつも落ち着きがなく、活動的だ。
それは千とひとつのことを同時にやりたがる。
カミュの小説に出てくる人物は言う。
「俺は世界中の女をすべて手に入れ たい。ひとりでも、数人でも、大勢でも満
足できない。俺は世界中の女が みな欲しいんだ。」
これは極端な男性的態度だ。
女性はひとりの相手で 満足する。
男は大勢でも満足しない。
女性にとっては満足する ことは自然だが、男性にとっては満足しないことが自然
だ。
いずれの部分にも好ましい面と好ましくない面の両極がある。
女性がみずからの受動性に好ましくない形を取るのを黙認したら、 無気力な状
態が引き起こされる。
女性がこの世に多くのものを 創造してこなかったのは、ごくわずかのものしか
創造してこなかった のはそのためだ―優れた女流の画家や詩人や科学者はいない

それは必ずしも男性が許してこなかったせいばかりではない。
たとえ 自由が与えられ―自由は現に与えられている―女性が解放されたとして
も、この不活発な状態は女性の実存の一部だ。
彼女は行為にはほとんど 関心がない。
彼女は行為よりも在ることに関心を寄せている。
そして、この関心は大いなる祝福にもなりうるし、災いともなりうる。
それは状況しだいだ。
もしこの落ち着きが瞑想的なものになれば、もし この落ち着きが本当に<存在>
に対する満足、<存在>との調和になったら、 それは祝福になる。
だが、通常は九分九厘、無気力な状態になってしまう。
私たちはみずからの祝福をどう使えばいいのかわからない。
すると祝福は苦くなり、災いに変わってしまう。
そして男性的な精神マインドは落ち着きがない。
ここにも祝福の可能性がある 。
男性はきわめて創造的になりうる。
だが、実情はそうではなかった。
創造的 であるどころか、破壊的になってしまった。
祝福が呪いに変わってしまった。
その落ち着きのなさゆえに、男性は大きな不安に襲われ、不安で一杯になり、
緊張しきっている。
彼の精神はすみずみまで絶えず煮えたぎっている。
彼は いつも狂気の淵に立っている。
なんとか自分自身をつなぎとめているが、彼の 奥底には爆発寸前の群衆がいる

ちょっとした口実があれば、男は発狂しかねない。
この落ち着きのなさゆえに、男は美しさを、優美さをなくして しまった。
女性は優雅で美しい。
女性を観察するといい。
彼女 の歩き方、坐り方には気品がある。
彼女の実存には微妙な静寂、 落ち着きがある。
彼女の波動のなかにそれを感じることができる。
女性が住んでいない家はどこもかしこもめちゃくちゃだ。
その家に住んでいるのが独り者なのかどうかはすぐわかる。
何もかもがひっくり返り、めちゃくちゃになっている。
その家に女性の気配があるかどうかすぐわかる。
すべてが調和して いて、しかるべき場所に納まっているからだ。
その家には、ある優雅さ 、ある種の繊細な気配、とても微妙な愛や文化の気配
、音楽的な趣がある 。
男が独りで暮らしている家には神経症の匂いが漂っている。
正しく使われているなら、そのどちらも美しいものになる。
そうなったら 、女性的な部分は優雅さをもたらし、男性的な部分は創造性をも
たらす 。
そして優雅さと創造性が出会うとき、人は全体になっている。
だが、それはめったに起こらない―仏陀や、ミーラや、テレサや、 イエスや、
マグダレーナのような人のなかでしか、ごくまれにしか 起こらない。
ふつうはそれと正反対のことが起こる。
つまり悪い面が 出会うのだ。
男の落ち着きのなさや神経症と女の無気力な状態―この 二つが出会う。
そうなったら最も醜い現象を目にすることになる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

341 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/25(月) 23:01:35 ID:1d4drIFg0
アニマといいアニムスというのはインドのグナと同じなのじゃ。
活発で活動的なラジャスと不活性で暗いタマスなのじゃ。
それらを克服してサットヴァを優勢にするのと同じというのじゃ。
サットヴァの下で調整されたラジャスとタマスが完全な調和をもたらすというのじゃ。

342 避難民のマジレスさん :2019/02/25(月) 23:22:08 ID:LC3de7YgO
>>341
アニマ、アニムスもインドの言葉かと思ってたであります。
ググったら、ラテン語であり、ユングの用語でまあったなでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

343 避難民のマジレスさん :2019/02/25(月) 23:39:06 ID:LC3de7YgO
>>340
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第八話 昏沈こんちんと散乱の克服(つづき) 
 より抜粋

さて、ここでもう一度思い出してほしい。
男と女について 話しているとき、私は生物学の用語を使っているのではない。
どの男の内側にも男性だけでなく内なる女性がいる。
その女の内側にも女性だけでなく内なる男性がいる。
男はたんなる男ではなく、女はたんなる女ではない。
彼らは両方だ。
男女ともに両性だ。
彼らは両方の性をそなえている。
ある人が男なのは、おそらく一方が優勢だからだろう。
男性の部分が優位に立って―つまりアニムスが意識に昇り、 アニマが無意識の
奥深くに潜んでいると、あなたは男になる。
あるいは、あなたが女であるというのは、アニマが意識に昇り、 女性的な部分
が優位に立って、男性的な部分、アニムスが無意識の なかに潜んでいるという
ことだ。
だが、両性がつねにともにある。
陰陽の極なくして電気が存在しえないように、両極なくして生物は 存在しえ
ない。
「男と女」「陰と陽」「明と暗」「シヴァとシャクティ」 ―あなたは好きな名
前で呼べばいい。
この二つの誤りを克服しなければならない。
静かな行を中断せずに毎日続けることが必要になる。

そうすれば確実に成果が現れるであろう。
この静かな行とは何か?
これが静かな行だ―
(p285)

静坐して瞑想しなければ、しばしば散乱していてもそれに気つ゛かない。
あなたはそれを観察したことがあるにちがいない。
たくさんの人々が私に報告している。
私のまわりでは何千人もの人々が瞑想しているからだ。
これは瞑想者が等しく認める体験だが、瞑想をはじめると、人は突然奇妙な現
象に気つ゛くようになる。
瞑想をすると、これまで一度もなかったほど心マインドが落ち着かなくなって
くる。
最初のうちはこれがひどく奇妙に思える。
瞑想すれば心が静かになるものと期待しているからだ。
ところが、起こっているのはまったく逆のことだ。
心はますます落ち着きを失ってゆく。
日常の生活をしているときよりも多くの思考がやってくる。
店や会社や工場で働いているときには、さほど思考は邪魔にならない。
ところが 、お寺やモスクや教会に坐って数分でも瞑想すると、突然、思考が群
れをなしてやって 来て、まわりを取り囲み、あちこちに引きずりまわしはじめ
る。
頭がおかしくなりそう になり、わけがわからなくなる。
瞑想者は穏やかで静かになるものと思っていたからだ。
ところがまったく逆のことが起こっている。
どうしてこんなことになるのだろう?
その理由はこうだ。
あなたがたはいつもこれらの思考と行動をともにしてきた。
店や工場や会社で働いているときでさえ、これらの思考はつねにそこにあった
のだ。
だが、仕事に夢中になるあまり、気つ゛かなかっただけのことだ。
目新しいのは 思考の群れではない―思考はあなたがどこに坐っていようが気に
かけない。
教会なのか、寺院なのか、瞑想ホールなのか、思考は気にかけない。
ようするに、坐って瞑想しているときには外界の事物に気を取られていない の
で、心がいつも内側で騒ぎ立てているすべてのものにはっきりと気つ゛く よう
になるというだけのことだ。
瞑想のせいでいつもより多くの思考がやって 来るわけではない。
瞑想によってあなたはそこにあるものに、いつもそこにあった ものに気つ゛く
ようになる。あなたが前よりももっと気つ゛くようになるだけだ。
静坐して瞑想しなければ、しばしば散乱していてもそれに気つ゛かない。
散乱に意識を向けることにより、おのずと散乱を取り除くことができる。
外界の雑務から身を引き、完全に身を引き、全力をあげて内界を観察するため
に、少なくとも毎日一、二時間、坐って瞑想することが強調されるのはそのた
めだ。
最初のうちはパンドラの箱を開けたように見えるだろう。
最初のうちは精神病院に踏み込んだように見えるだろう。
あなたは逃げだして、再び雑務に没頭したくなる。
この誘惑を避けなさい。
この誘惑はなんとしても避けなければならない。
さもなければ、けっして瞑想をすることはできない。
この内なる混乱から目をそらすために数々のトリックが見いだされてきた。
超越瞑想は瞑想のテクニックではなく、内なる現実に直面するのを避けるため
のテクニックだ。
マントラが与えられ、それをくり返すように告げられる。
それは役に立つ―瞑想の助けになるのではなく、気を紛らわしておく助けにな
る。
(´・(ェ)・`)
(つづく`)

344 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/26(火) 22:57:42 ID:1d4drIFg0
>>342 そうじゃ、心理学の用語なのじゃ。
 それもまた観念であるがのう。

始めて瞑想して自分の心を観るのは勇気が要るものじゃ。
今まで避けてきた自分の心の苦しみや痛みと向き合うのであるからのう。
その苦を超えなければ心は見えないのじゃ。
強い意志が必要なのじゃ。

345 避難民のマジレスさん :2019/02/26(火) 23:24:37 ID:LC3de7YgO
>>344
くまは、止の行には勇気を必要としなかったでありますが、観にはちょびっと必要な気がするであります。
(´・(ェ)・`)つ

346 避難民のマジレスさん :2019/02/27(水) 01:58:24 ID:LC3de7YgO
>>343
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第八話 昏沈こんちんと散乱の克服(つづく) 
 より抜粋

あなたは「ラム、ラム、ラム……」あるいは「コカ・コーラ、コカ・コーラ、
コカ・コーラ……」とくり返しつつ゛けてゆく―どんな言葉でもいい。
自分の名前でもいい。どんなに馬鹿げた音でもいい。あなたはくり返しつつ゛
けてゆく。
それをくり返すことで、あなたの心は一杯になる。
そうして忙しくすることで、あなたは内なる混乱を回避している。
これでは何の違いもない。
あなたは会社でわき目もふらず働いていた。
あなたは夢中になって映画を見ていた。
あなたは夢中になってラジオを聴いていた。
あなたは夢中になって新聞を読んでいた。
今やあなたはマントラに夢中になっている。
これは瞑想でもなければ超越でもない。
真の瞑想とはこれだ―内なる精神病院から目をそらさないようにして、そのな
かに入り、顔をそむけずに遭遇し、注意深く観察してゆくこと。
なぜなら、注意深い観察によってはじめてそれを克服することができるからだ

それがどんどん大きくなってしまったのは、それから目をそむけてきたからだ

あなたは避けられるだけ避けてきた!もうマントラの助けを借りる必要はない

助けはいっさいいらない。
ただ静かに坐りなさい。
禅は最も純粋な瞑想だ。
何もせず、ただ静かに坐る。
何もせず、ただ静かに坐ることほどむずかしい瞑想はない。
人々は私に尋ねる。
「何か依るべになるものをください。何かマントラをくだされば助かるのです
が。何もせず、ただ静かに坐っているのはたいへんです。こんなにむずかしい
ことはありません」
あなたにはありとあらゆることが起こってくる。
身体はあなたを狂気に駆り立てはじめる。
頭がかゆくなったり、突然、蟻が身体を這っているような感じがする。
が、いくら見ても蟻などいない。
身体がトリックを仕掛けているだけだ。
身体が助け舟を出して、あなたを忙しくさせようとしている。
身体は姿勢を変えたがるし、足はしびれてくる。
身体はいろいろなものをもちだしてきて、あなたの心を一杯にしようとする。
心を一杯にさせることはすべて避けなさい。
しばらくのあいだ心をふさぐのをやめて、内側で起こっていることをもらさず
に見るがいい。
するとあなたは驚くだろう、本当に驚くだろう。やがて、ただひたすら見つつ゛
けているだけで、思考が消えてゆく。
「何もせず静かに坐っていると、春が来て、草はひとりでに生える」
これが瞑想の純粋な姿だ。
これこそが「超越瞑想」だ。
だが、マハリシ・マヘーシュ・ヨギが商標にしてしまったために、誰もそれを
「超越瞑想」と呼ぶことはできない。
TMは今や登録商標トレードマークになっている!
こんなやりかたで商売をした者などひとりもいない。
自分の瞑想を超越瞑想と名つ゛けたら、法廷に訴えられる恐れがある。
それは商標登録がしてある。
その馬鹿さかげんをそっくり見るがいい。
瞑想は街で売られる日用品のようになってしまった。
こういうことが何度もくり返されてきた。
アメリカに行ったいわゆるインドのグルたち―彼らは誰ひとり変えることがで
きなかったが、アメリカはみごとにグルたちを変えた―グルたちはみな ビジネ
スマンになった。
彼らはみなアメリカ流のやり方を身につけはじめた。
彼らの手ではけっして誰も変わらない。
変わるはずがない。
人を変えることができたなら、彼らはどこにも行かなかっただろう― 変わりた
いと思う者たちがグルたちのもとへやって来ただろう。
グルたちはどこにも出かける必要がなかっただろう。
喉が渇いていれば、人は水を探しはじめる。
井戸が渇いた人のもとへ出かける必要はない― 井戸はどこにも出かけない―渇
いた者が井戸にやって来る。
給水車を見かけたら、用心するがいい!
(p288)
散乱に意識を向けることにより、おのずと散乱を取り除くことができる。
とほうもなく深い意味を秘めた言明だ。
散乱を取り除く唯一の方法は、それに気つ゛き、それを見守り、それに静かに
意識を向け、心マインドがあなたにしていることを―絶えずあなたの気をそら
していることを見ることだ。
ただそれを見守りなさい。
あなたは何度も忘れるだろう。なぜなら、心は狡猾で、ひじょうにずる賢く、
かけひきがうまいからだ。心は政治家の策略をすべて知りつくしている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

347 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/28(木) 00:43:57 ID:1d4drIFg0
>>345 そうじゃ、勇気が必要じゃ。
 勇気を奮い起こして心を観るのじゃ。
 
禅もまたアメリカでビジネスになってしまったのじゃ。
誰もが気晴らしのクイズや儀式で悟ったつもりになっておる。
最近の流行は南伝の瞑想からとりいれたマインドフルネスと名づけられたものじゃ。
グーグルは社員にそれをやらせて何億ドルも稼いだというのじゃ。
愚かなことじゃ。

348 避難民のマジレスさん :2019/02/28(木) 06:33:22 ID:LC3de7YgO
>>346
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第八話 昏沈こんちんと散乱の克服(つづき) 
 より抜粋

心は本質的に政治家だ。
心はあなたにあらゆる魔法をかけようとするだろう。
あなたが抑圧してきたすべてのものを心マインドはもち出してくる。
あなたがセックスを抑圧していたら、瞑想をはじめたとたん、アブサラたちが
天国から舞い降りてくるのが見える。
心は言う。
「見ろ!おまえは何をやってるんだ、時間の無駄じゃないか。インドラ神から
美しい女が送られてきたのに、何をやってるんだ」
セックスを抑圧していたら、心はあなたをとらえる餌としてセックスを使う。
野心を抑圧していたら、心は大統領や首相になったあなたの姿を空想しはじめ
、あなたはその罠に落ちはじめてゆく。
今まで食事を拒み、断食をしてきていたら、心はいかにも美味しそうな贅沢な
料理をつくりだす。
その食べ物の香り、匂い……あなたの心は一杯になってしまう。
私がサニヤシンたちに「抑圧してはいけない。そんなことをすれば、けっして
瞑想することはできない」としきりに言うのはそのためだ。
抑圧すれば、瞑想中に自分が抑圧してきたものと遭遇しなければならなくなる

そして、何であれ抑圧したものは強力に、すさまじく強力になる。
それはあなたの無意識に根をおろしている。
インドの昔話に登場する賢者たちのことだが―彼らは年老いていた。
森に住んで断食をしていたので、彼らは老いぼれ、すっかり生気を失い、やせ
衰えて骨と皮ばかりになっていた。
そこへある日突然、インドラ神に仕える最も美しい踊り子ウルワシが現れ、彼
らのまわりで踊った。
この骸骨のような連中はウルワシの目にどう映ったのだろう?
彼女はどうしてこんな骸骨のような連中に興味をもつのだろう?
何のために?
物語では、彼らを誘惑するためにインドラ神がウルワシを送ったことになって
いる。
まったく馬鹿馬鹿しい話だ。
インドラ神など存在しないし、誘惑者の役割を演じる者もいない。
悪魔も魔王もいない。
悪魔とはあなたの抑圧された心に他ならない。
こういった連中は性欲を抑圧しつつ゛けてきた。
抑圧があまりに大きいので、瞑想中にリラックスすると、抑圧されていたもの
がすべて浮上しはじめる。
それは美しい姿をしている。
だから私は「抑圧してはいけない」と言う。
このアシュラムで行なわれている精神療法セラピーはどれも、社会があなたに
強いた抑圧を吐き出すのを助けるためにある。
ひとたびこの抑圧されたものが吐き出され、あなたの身体組織から投げ出され
たら、ひとたびこれらの毒素があなたの身体組織から取り出されたら、瞑想は
ひじょうに簡単でやさしいものになる。
ちょうど羽がゆっくりと地面に落ちてゆくように、枯れ葉が樹からゆっくりゆ
っくりと落ちてゆくように……瞑想はごく単純な現象になる。
そうであって当然だ。
それは内側から自然に湧き起こってくるものだからだ。
あなたはみずからの本性に向かって進んでゆく。
本性に向かう動きは易しいものであり、本性から遠ざかる動きは困難なものに
なるが、それは当然のことだ。
瞑想はむずかしくない。だが、あなたの心マインドと実存のあいだには、散乱
を引き起こす千とひとつの抑圧がある。
呂祖は正しい。
これらの散乱をただ見守りなさい。
油断なく目を見張るのだ。
精神が散漫になり、瞑想を忘れてしまっても、心配することはない。
散漫になっていたことに気がつけば、ただちにもどって、精神を静め、精神を
穏やかにし、再び静かに呼吸をじはじめればいい。
気が散漫になってしまったと悔やむ必要はない。
それもまた散乱のひとつに他ならないからだ。
私が「心マインドは狡猾だ」と言うのはそのためだ。
心はまず散乱を引き起こしておいて、あなたがそれに気つ゛くやいなやこうさ
さやく。
何をやってるんだ?おまえは瞑想をしながらヴリンダーヴァン(和尚コミュー
ンのレストランの名前)へ行き、食事をしたりして……何をやってるんだ?
のろまなやつだ―。
そうなると、あなたは罪悪感を覚えはじめる。
それはよくない。
罪悪感を覚えることも散乱のひとつだ。
今度は罪悪感があなたを苦しめる―
あなたは別の形の散乱に苦しむ。
散乱が次の散乱を引き起こす。
罪悪感を覚えてはいけない。
怒りを覚えてはいけない。
心が散漫になっているその現場を押さえたなら、ただちに不平を言わずもどれ
ばいい。
それは自然だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

349 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/02/28(木) 22:56:02 ID:1d4drIFg0
修行中に見る幻影は本人の隠蔽していた欲から起こるものじゃ。
全ては心の中から起こるのじゃ。
それをみないようにしていればいつまでも執着は残るのじゃ。
ただ観察する事でそれは消えていくのじゃ。

350 避難民のマジレスさん :2019/03/01(金) 05:51:33 ID:LC3de7YgO
>>348
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第八話 昏沈こんちんと散乱の克服(つづき) 
 より抜粋

あなたは何百万もの生にわたって抑圧 してきたのだから。
心が散漫になるのも無理はない。
それを当然のことと受け止めて、引き返し、再び中心に もどってくるがいい。
何度も何度ももどってくるがいい。
そうすれば、徐々に徐々に、中心に とどまっている時間が長くなってゆき 、
散乱が起こる回数が減ってゆく。
そしてある日、ふと気つ゛くと 、あなたは中心にいて、 散乱は影を潜めてい
る。
これが成果だ。
なぜこれを「成果」と呼ぶのだろう?
そこで人は 自分が神であることを、神以外のものではなかったことを、 眠りに
落ちて乞食になった夢を見ていたことを知るからだ。
昏沈に意識を向けるのと、昏沈に無意識であるのとでは実に大きな違いがある。
昏沈に無意識であることが真の昏沈である。
意識されている昏沈は完全な昏沈ではない。
そこにはなおいくばくかの明晰さがあるからだ。
怠けるなら、意識的に怠けなさい。
自分が怠け者であることに気つ゛いていなさい。
自分の怠惰さを見守るのだ。
散乱を見守ったように、自分の怠惰さを見守りなさい。
少なくとも見守ることは怠惰ではない。
見守ることは無気力ではない。
だから怠惰でない何かがそこにはある。
注意力のなさに注意を向けるときには、あなたの内にある 何 も の かが依然
注意を注いでいるので、完全に注意力を失っているわけではない。
その気が抜けたり、散乱していない小さな一点にすべての望みがかかっている。
その小さな一点は種子に似ている。
それは小さく見えるが、時間をかけて辛抱強く待てば、豊かに葉を繁らせる大
樹になる。
そして、いつか黄金の華が開くだろう。

散乱は想念マインドをさまようままに放置することから起こり、 昏沈は想念が
まだ清らかでないことから起こる。
散乱は昏沈よりもずっと容易に直すことができる。
病気に例えてみれば、痛みやかゆみを感じている場合には それを治療する薬が
あるが、昏沈は感覚を失ってしまう病気に似ている。
散乱のほうが取り組みやすい。
なぜなら、散乱は外に向かうものだからだ。
昏沈のほうが内に向かうので取り組むことがむずかしい。
散乱は男性的であり、昏沈は女性的だ。
散乱は活動的であることによって絶えがたいほどの緊張を生じさせるので、容
易に自覚することができる。
だが、昏沈はなかなか自覚できない。まず人は散乱に気つ゛かなければならな
い。
散乱がすべて消えてしまうと、人は昏沈に気つ゛くようになる。
そうなったら、内側を見るためにすべてのエネルギーを使うことができる。
すると岩のようにあなたを押さえつけている、不活発で、非創造的な昏沈がそ
こにあるのが見えてくる。
そうなったらそれを見守ればいい。
そしていいかね。見守ることが唯一の鍵だ。
観察することが瞑想だ―瞑想とはそれにつきる。
それは醒めていることを表す別の言葉だ。
そして不思議なことに、あなたが何かに気つ゛くと、完全に気つ゛くと、それ
は消えてゆく。
それはあなたが無自覚なときにしか存在できない。
無自覚さが散乱と昏沈の餌になる。
あなたが気つ゛いていれば、もはや餌がもらえなくなり、それらは飢えはじめ
る。
やがてそれらはひとりでに消えてしまう。
散乱は鎮めることができるし、混乱は整えることができる。
だが昏沈や無気力な状態は重くて暗い。
散乱や混乱にはまだ一定の場所があるが、昏沈や無気力な状態では ただ魄アニ
マのみが活動している。
散乱の場合にはまだ魂アニムスが 存在しているが、昏沈の場合にはまったき闇
が支配している。
瞑想中に眠気をもよおすならば、昏沈の影響を受けている。
昏沈の克服に役立つのは呼吸だけである。
鼻から出入りする息は 真の呼吸ではないが、真の呼吸の出入りはこれと結びつ
いて起こる。
瞑想中に強い睡魔に襲われたら、呼吸を見守りはじめなさい。
そうすれば眠気は消える。
ヴィパッサナをやっている多くの仏教徒が不眠症に悩まされるようになるのは
そのためだ。
私はヴィパッサナをやっているために、不眠症になっている人たちに大勢出会
った。
しかも彼らはそれに気つ゛いていない。
呼吸を見守っていると、眠りが妨げられるのだ。
だから、私はサニヤシンたちにこう言っている―けっして一日に二、三時間以
上ヴィパッサナをやってはいけない、と。
しかもその数時間は日の出から日没までのあいだにかぎられる。
日が暮れたらけっしてやってはいけない。
夜中にヴィパッサナをすると、眠りがかき乱される。
そして眠りがかき乱されると、身体中のメカニズムがかき乱される。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

351 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/01(金) 22:56:40 ID:1d4drIFg0
散乱と昏沈も自覚していればそれは障害ではないとオショーは言うのじゃ。
それに気付いていれば取り除かれるのじゃ。
瞑想とは観察し、気付いていることなのじゃ。
それができれば全ての障害は乗り越えられるのじゃ。

352 避難民のマジレスさん :2019/03/01(金) 23:49:56 ID:LC3de7YgO
>>350
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第八話 昏沈こんちんと散乱の克服(つづき) 
 より抜粋

あるセイロンの僧侶が私のもとに連れてこられた。
三年間、彼は眠れない状態が続いていた。
真面目な僧侶だった……それが彼の問題だった。
ヴィパッサナのすばらしさを信じるあまり、彼は朝から晩まで一日中それをや
っていた。
寝床に入って、なかなか寝つけないときにも、ヴィパッサナをやっていた。
寝床でヴィパッサナをやれば、眠れなくなってしまう。
呼吸に繊細な注意を払っている人に眠りは訪れてこない。
試してみるといい―不眠症になりたければ、試してみるといい。
睡魔を払うには呼吸を見守るのが一番だ。
なぜなら、呼吸は生であり、眠りは死だからだ。
それらは互いに対立し合っている。
子供はまず呼吸をすることによって生きることをはじめる。
人生で最初に行なわれる行為は呼吸であり、最後に行なわれる行為は息を吐き
出して、二度と呼吸をしないことだ。
最初の行為は息を吸うことであり、最後の行為は息を吐くことだ。
息をしていなければ、死んでいるとみなされる。
これを覚えておきなさい。
眠るためには呼吸の ことをすっかり忘れてしまわなければならない。
眠りは小さな死、ささやかな死であり、美しい死だ。
眠りは休息とくつろぎを与え、人は翌朝になると溌剌として 若返り、元気にな
って死体置場からもどってくる。
瞑想中に睡魔に襲われたら、呼吸を見守りなさい。
そして、夜はけっして呼吸を見守る瞑想をしてはならない。
(p294)
経文に述べられている次に重要なことがらは、 私たちがくり返している呼吸は
本当の呼吸ではない ということだ。
それは本当の呼吸の乗り物にすぎない。
本当の呼吸とは何か?
インドではそれを「プラーナ」と呼んでいる。
いわゆる呼吸は馬にすぎず、騎手は目に見えない。
呼吸はたんなる馬 であり、プラーナ、精気、あるいはヘンリ・ベルグソンが
「生命力」 と呼んでいたものがその乗り手だ。
それは目には見えない。
息を吸うとき、あなたは空気を吸っているだけではない。
あなたは生命を吸っている。
空気がなければ、生命は消えてしまう。
生命は空気を通して存在している― それは空気の目に見えない部分だ。
呼吸は花のようであり、生命は花を包む香りに似ている。
息をするときには、二重のプロセスが進行している。
ヨーガがプラーナーヤーマに大きな関心を寄せるのは そのためだ。
プラーナーヤーマとは呼吸の拡張を意味する。
呼吸が深くなればなるほど、あなたはもっと深くから生きるようになる。
呼吸が正しいものになればなるほど、あなたは長生きすることができる。
ヨーガはその秘密に大きな関心を寄せるようになった。
不老長寿の霊薬エリクサは呼吸の仕組みのなかにある。
人は長寿を保つことができる。
ヨーガ行者は最も長生きをする。
私は不老長寿をめざせと言っているのではない。
長くても愚かな人生を送る人もあるからだ。
寿命の長さが問題なのではない。
大切なのは強烈さ、深さだ。
私は長生きすることには関心がない。
それでどうなるというのかね?
愚かであるなら、早死にするほうがましだ。
あるときチンギス・ハーンが偉大な賢者に尋ねた。
「あなたの ご意見をお聞きしたいのだが、人は長生きすべきだろうか?長生き
するために何かをすべきだろうか?寿命は天が決めるものなのだろうか?」
賢者は言った。
「閣下、それは人によりけりです。例えば、あ な た が長生きされるのでした
ら、大いに困ったことになりますが、 あなたが早死にされるのなら、それは大
いなる祝福です。 あなたが二十四時間眠りつつ゛けられるのなら、それは 実に
すばらしいことです。世界のもめごとが減るからです」
それは人によりけりだ。
だが、ヨーガは不老長寿に大きな関心を寄せるようになった。
まるでそれ自体 が目標であるかのように。
ヨーガはそこで道を踏みはずしてしまった。
ヨーガはどんどん生理学的なものになっていった― ヨーガの関心は重要ではな
いものごとに注がれるようになった。
だが、秘密はそこにある―それは呼吸のなかにある。
(´・(ェ)・`)
(つづき)

353 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/02(土) 22:36:12 ID:1d4drIFg0
ヴェーダにはプラーナがアートマンであると記されているのじゃ。
プラーナにも意識は在るのじゃ。
全てに遍満する意識の一部なのじゃ。
人と同じ本質を持つアートマンなのじゃ。

354 避難民のマジレスさん :2019/03/02(土) 22:56:50 ID:LC3de7YgO
>>353
プラーナとは、熱感や痺れとして、実感できる気と同じでありますか?
(´・(ェ)・`)つ

355 避難民のマジレスさん :2019/03/02(土) 23:10:31 ID:LC3de7YgO
>>352
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第八話 昏沈こんちんと散乱の克服(つづき)
 より抜粋

呼吸は二つのエネルギーの乗り物だ。
ひとつは目に見える空気、 酸素を含んだ触知できる空気だ。
そして酸素にまつわるようにして、 あなたをもっともっと深く躍動させ、生命
とともに燃えあがらせる 生命力エラン・ヴィタール、プラーナがある。
だから、睡魔に襲われるたびに、ただ呼吸を見守るだけで、 眠気は消えてゆく

そして呼吸とともにより多くの生命が あなたのなかに流れ込むことで、昏沈も
消えてゆく。
それゆえに、坐るときにはつねにこころハートを静かに保ち、 気エネルギーを
集中させなければならない。
こころを静めるにはどうすればよいか?
呼吸によってである。
ここでも 呼 吸 に よ っ て だ。
呼吸は最もすぐれたテクニックのひとつとして用いられてきた。

息の出入りをこころが意識していればいいのであり……息が入っては出てゆく
のを見守っていればいい。
そうして注意深く見守ることで、あなたの眠りは消えてゆく。
昏沈は消えてゆく。
そしてあなたは中心感覚を得る。
呼吸は二か所で観察することができる。
空気が身体に最初に入ってくるときに触れる鼻先か、あるいは息が入ってきて
腹を上下に動かす最後のセンター、臍へそのセンターだ。
これが見守ることができる二つのセンターだ。
つい先日、こう尋ねた者がいる。「和尚、鼻の先を見守るのはいいのですが、
ユダヤ人のようなかぎ鼻の場合はどうなのでしょう?」
実のところ、鼻があるのはユダヤ人だけだ。
他の者たちは鼻があると思い込んでいるだけだ。
かぎ鼻ならば、空気が入ってくる鼻先を見守りなさい。
かぎ鼻はこの手の瞑想にはすばらしい助けとなる。
かぎ鼻であることを喜びなさい。
ここにいる人々の少なくとも半分はかぎ鼻だ。
ここにいる人々の半数はユダヤ人だからだ。
質問を読んでいて、私は本当に驚いた。
といいうのも、呂祖師や彼がこの技法を授けた中国の人々のことがとても心配
になってきたからだ。
彼らにはまったく鼻というものがない!
彼らにとって鼻先を見守ることはさぞかし困難だったことだろう。
先端などあるのだろうか?

息の出入りをこころが意識していればいいのであり、 耳に聞こえてはならない

耳に聞こえなければ、 息は軽く、軽ければ、純粋である。
耳に聞こえるようなら、気息は荒く、荒ければ、濁っている。
濁っていれば、昏沈と無気力な状態が生じ、眠気に誘われる。
これは自明の理である。
呼吸するとき、こころハートをいかに正しく使うかを理解しなければならない。
それはこころを用いない用い方である。
努力なき努力。修行なき修行。道なき道、門なき門―タオや禅はこのような表
現をする。
あなたは力まず、緊張をせずにものごとを為さねばならない。
そこで師は言う―それはこころを用いない用い方である。
聴くことに微かすかに光を当てるだけでいい。
あなたは手放し状態にならなければいけない。
これがヨーガとタオの違いだ。
ヨーガは意志の道であり、タオは明け渡しの道だ。
ヨーガは言う。「息をこうして吸いなさい。息をこれくらい深く吸ってしばら
く止め、それから深く吐き出してしばらく止める―意志の力である一定のパタ
ーンをつくりだしなさい」
タオは「呼吸はそのままにせよ」と言う。
聴くことに微かに光を当てるだけでいい―ちょうどあなたがたが私に耳を澄ま
しているように。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

356 避難民のマジレスさん :2019/03/03(日) 10:28:25 ID:LC3de7YgO
>>355
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第八話 昏沈こんちんと散乱の克服(つづき)
 より抜粋

タオは「呼吸はそのままにせよ」と言う。
聴くことに微かに光を当てるだけでいい―ちょうどあなたがたが私に耳を澄ま
しているように。
私の言葉はあなたの耳に向かっている。
言葉に飛びつく必要はない。
言葉を引っぱりこむ必要はない―そんなことはしなくていい。
あなたはただ注意深くして、静かに耳をそばだて、開いていればいい。

この句には秘められた意味がある。
光を当てるとはどういうことか?
それは目の光がもつ自然に照らしだす働きのことだ。
目は内側を見るだけで、外界を見るわけではない。
外を見ることなく明るさを感じていることが内側を見るということであり……
一種の手放し状態にあるときにはいつも、あなたの内側には大いなる光が感じ
られる。
手放し状態にあれば、それはひとりでに起こる。
<存在>に明け渡しているなら、内側にまばゆい光が感じられる―大いなる光ラ
イトが内側にあり、大いなる喜びデライトが外側にある。
それは自然に起こる。
そして内側にその明るさを感じていることが内側を見るということだ。

外を見ることなく明るさを感じていることが内側を見る ということであり、内
側を実際に見るということではない。
聴くとはどういうことか?
それは耳の光がもつ自然に聴く働きのことだ。
耳は内側を聴くだけで、外界の音を聴くわけではない。
外界の音を聴くことなく明るさを感じていることが 内側を聴くということであ
り……目の裏に、耳の内側に、あなた自身の内奥の源に光を感じはじめたら、
あなたは安定し、中心が決まり、こころハートは静かになっている。
そうなったら、あなたは世間にいながら世間を超えている。
これが超越だ。

内側の音を実際に聴くということではない。
したがってこの場合、聴くというのは無音の状態を聴くだけ であり、見るとい
うのはそこに何の形もないのを見るだけである。
内側には何の形も見えず、何の音も聞こえない。
見えるのは穏やかな光―音なき音、形なき光だけだ。
それゆえに神は"音なき音""形なき形"と定義される。

目が外界を見ず、耳が外界の音を聞かなければ、 それらはおのずと閉じて内界
に沈んでゆきがちである。
内側を見、内側に耳を傾けるときにのみ、 感覚器官は外に向かうこともなく、
内に沈み込むこともない。
このようにして昏沈と無気力な状態を取り除くことができる。
これが、太陽と月がその精と光を結合させることである。
内側に耳を傾け、内側に目を向けているなら―それは内側に形のない光、音の
ない音、沈黙の音楽を感じているということだが―そこで内なる男性と内なる
女性が出会っている。
これが結合、完全なオーガズム、神秘の合一ユニオ・ミスティカだ。

昏沈に襲われて眠気をもよおしたら、立ちあがって 歩きまわるがいい。
頭がすっきりしてきたら、坐りなおす。
やがて修行の成果が現れてきて、昏沈や眠りに陥ることはなくなるだろう。
この経文は実地に行なってみなければならない。
労することなく、これらの経文の奥義に入りこむ努力をしなければならない。
力むことなく、明け渡し、手放し状態になることを学びなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

357 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/03(日) 22:38:55 ID:1d4drIFg0
>>354 そうじゃ、体の中に流れるエネルギーとして感じる気と同じなのじゃ。
 熱かったり冷たかったりするのは気が変化しているだけで無くなっては居ないのじゃ。
 常に肉体にも空間にも遍満するエネルギーなのじゃ。

心を用いないとは聞く事無く聞き、見ることなしに見ることなのじゃ。
聞くことや見ることに没頭すればそれは実現するのじゃ。
没頭して主体が無くなれば自然に心を用いなくなるのじゃ。
心を用いる主体が無ければ用いることも無いのじゃ。

358 避難民のマジレスさん :2019/03/03(日) 23:34:56 ID:LC3de7YgO
>>356
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第九話 大地が明るい春を迎える
より抜粋

呂祖師は言った。
汝らの修行は次第に集中し、成熟してゆくだろう。
だが、断崖に立つ枯れ木のように打坐する境地に到るまでには、 まだ多くの錯
誤を犯す可能性がある。
これに関しては特に注意を促しておかねばならない。
このような境地は、身をもって体験することで はじめて認識できるものである。
まず錯誤について語り、それから確認の しるしとなる体験について話すこと
にしよう。

修行をはじめるときは、何よりもまずゆったりと くつろいだ気持ちでのぞむよ
うに配慮しなければならない。
あまり多くのことを求めてはならない。
気の動きとこころハートの動きがおのずから 調和するように配慮しなければな
らない。
そうしてはじめて静かな境地に入ってゆける。
この静かな境地に入っているときには、 正しい状況と正しい空間をつくらな
ければならない。
世事の只なかで坐ってはいけない。
すなわち精神は虚しい熱中から自由でなければならない。
世間のしがらみをすべて脇によけ、 泰然自若としていなければならない。
また正しい手順にこだわり過ぎてもいけない。
あれこれ工夫をしすぎるとこの危険が生じる。
私は工夫をしてはならないと言っているのではない。
正しい道は有と無のあいだに等しい距離を保つことにある。
目的を通して無目的を達成することができるなら、要点を体得したことになる。
みずからを方下し、超然と乱れず、泰然自若としていればいいのである。

また人は誘惑に満ちた世界の餌食になってはいけない。
誘惑に満ちた世界とは、五つの暗い悪魔が遊び戯れる場所だ。
不動の境地と言うと、人はよく枯れ木や冷たい灰を思い浮かべるが、 大地が明
るい春を迎えている姿を思い浮かべることはめったにない。
そのようにして人は暗黒の世界に沈んでゆくのである。
そこではエネルギーは冷え、息は荒くなり、寒さと衰亡のイメージが 頻繁に現
れてくる。

そういう状態に長くとどまっていると、植物や石の世界に入ってゆく。

また人は数知れない誘惑に惑わされてはならない。
これが起こるのは、静かな境地がはじまった後、 突然あらゆる妄想のつながり
が続々と現れてくるときである。
それを打ち破ろうとしても、どうにもならない。
その妄想を追うと、気分が軽くなったような感じがする。
これは主人が召使になってしまったことを意味する。
もしこのような状態に長くとどまっていると、 幻想に満ちた欲望の世界に入っ
てしまう。

最善の場合には、天国に生まれ、最悪の場合には、野狐の世界に生まれる。
確かに、こういった野狐の霊は有名な山に住み、風や月、花や果実を楽しみ、
珊瑚のような樹や宝石のような草を楽しんでいるが、果報が尽きれば、 再び混
乱の世界に生まれ変わるのである。
あるとき、暗い森の奥深くにわけ入った狩人たちが小屋を見つけた。
小屋のなかでは隠者が木の十字架の前で祈っていた。
彼の顔は喜びで輝いていた。
「こんにちわ、兄弟ブラザー。どうか素晴らしい午後になりますように。あな
たはとても幸せそうですね」
「私はいつも幸せです」
「あなたはこの人里離れた小屋で苦行をしながら幸せに暮らしていらっしゃる
。私たちは何もかも手にしているのに、幸せじゃありません。どこで幸せを見
つけたのですか?」
「私はこの洞窟で見つけたのです。あの穴をのぞいてごらんなさい。そうすれ
ば私がなぜ幸せなのか少しはわかるかもしれません」―そう言って彼は小さな
窓を見せた。
「かつぎましたね。私たちには樹の枝しか見えませんよ」
「もう一度見てごらん」
「見えるのは樹の枝と、それから、青空がほんの少し」
「幸せの秘訣はそれですよ」
と隠者は言った。
「天国がほんの少し……」
至福は人間に内在している本性だ。
それを獲得する必要はない。
それは再発見すればいいだけだ。
私たちはすでにそれをもっている。
私たちはそれだ。
それをどこか他の場所に探し求めたら、確実に取り逃がすことになる。
探すのをやめ、内側を見るがいい。
そこではあなたの人生で最大の驚きが待ち受けている。
何世紀にも、何生にもわたって探し求めてきたいっさいのものが、すでにそこ
にある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

359 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/04(月) 20:52:21 ID:1d4drIFg0
全ての目覚めた者達は常に心を観ることを説いているのじゃ。
悟りも極楽も平安も幸福も全て心の中にあるものじゃ。
一切苦であるこの世には無いのじゃ。
この世に幸福や天国を求める者はそれを見つける事無く終わるじゃろう。
心の中に探す者が永遠の幸福と天国を見出すことができるのじゃ。

360 避難民のマジレスさん :2019/03/05(火) 08:32:28 ID:LC3de7YgO
>>358
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第九話 大地が明るい春を迎える(つづき)
より抜粋

乞食になる必要はない。
あなたは生まれながらの帝王だ。
だが、神の王国はあなたの内側にあるのに、あなたの目は外を探しつつ゛けて
いる。
あなたが取り逃がしつつ゛けているのはそのためだ。
それは目の前ではなく、目の後にある。
神の王国は対象ではない。
それはあなたの主観だ。
それは探求者の本性そのものだから、探す必要はない。
それがわかれば、昼なお暗い森の洞窟に独りぼっちで暮らしていても、人は幸
せになることができる。
さもなければ宮殿でさえ惨めさを引き起こすだけだ。
世界にはあらゆる種類の惨めさがある。
貧しい者には貧しい者の惨めさがあり、金持ちには金持ちの惨めさがある。
だが、惨めさに関するかぎり、違いはない。
ときには金持ちの苦しみのほうが大きいことがある。
金持ちには余裕があるからだ。
金持ちのほうが多くの可能性 、選択肢を手にしている。
貧しい者は惨めさをいくつも買うことはできないが、 金持ちは買うことができ
る。
だから、最も裕福な人々がこの世で最大の惨めさを 味わっている。
この意味では、最も裕福な人々が最も貧しい人々になる。
実際、金持ちになったとき、人ははじめて人生の貧しさを感じ取る。
貧しいときには、いつか裕福になって、楽しみ祝えばいいと希望を託す ことが
できる。
だが、外側の豊かさを達成したら、不意に希望が消え失せ、 深い失望がそこに
腰を据える。
あなたは絶望に取り囲まれている。
今や希望もなく、未来もない。
もはや最後の希望もついえてしまった。
あなたは「いつか金持ちになるぞ。そうすれば何もかもうまくゆく」 と考えな
がら生きてきた。
ところが金持ちになっても、何ひとつ変わらない。
内面の惨めさは依然としてつつ゛いている。
実際、外側の豊かさゆえに、外側の豊かさとの対比ゆえに、 内なる貧しさをよ
り鮮明に、より正確に、より鋭く見ることができる。
外側の豊かさは内なる貧しさを感じるための下地を提供するだけだ。
ものをもつことで、あなは内なる空虚さに気つ゛く。
それゆえに、富める国が宗教的になるのは不思議なことではない。
仏陀やマハーヴィーラの時代のインドは富にあふれていたので、 宗教的だった

インドは裕福だった。
その裕福さゆえに インドの人々は内なる貧しさに気つ゛いていた。
そして内なる貧しさに気つ゛くとき、人は内界を探求しはじめる。
物質では内なる渇望を充たせないことに気つ゛くとき、物質は どこまでももの
であり、内側には取り込めないことに気つ゛く とき、それが揺るぎない確信と
なったとき、人は新たな探求、 新たな冒険に乗り出す。
その冒険が宗教だ。
今日のインドは宗教的ではありえない。
インドは世界で最も貧しい国のひとつだ ―そのインドがどうして宗教的であり
えよう?
宗教的たりえるだけの余裕がない。
宗教は最も高い次元の贅沢、究極の贅沢だ。
それは究極の音楽、究極の詩、究極の踊りだ。
それは<存在>そのものに完全に酔いしれることだ。
腹を減らし、飢えていては、それを探求することはできない。
空腹なときに必要なのはパンであって、瞑想ではない。
病気のときに必要なのは薬であって、瞑想ではない。
健康な人だけが、瞑想でなければ充たせない何かが欠けていることを自覚できる

人々は私に、ここで講話に参列しているインド人が少ないのはなぜかと尋ねる。
それは不思議なことではない。
彼らは瞑想に関心がないのだ。
彼らはもの に興味をもっている。
彼らはすっかりものに取り憑かれている。
もちろん霊性について語りはするが、それはたんなる口先であり、過去の遺物
にすぎ ない。
彼らはそういったことを得々として語る―少なくとも自分たちは霊性をそなえ
て いると。
ものは足りないけれど、霊性なら自慢することができるというわけだ。
だが、私にとって精神主義は物質主義よりも高次の段階にある。
物質主義は踏み石の役目を果たす。
富める国だけが精神の貧しさを感じる ようになる。
そして精神の貧しさを感じるようになったら、可能性は二つしかない。
自殺をするか、内なる変容を通り抜けるか、そのどちらかだ。
瞑想は内なる変容の技法だ。
自殺と瞑想が残された唯一の 選択となれば―生全体が無意味だから自分自身を
壊してしまう か、存在の新しい次元へと自分自身を変容させるか― 人は自殺か
瞑想のどちらかを選ばなければならない。
世界の富める国々は自殺を選ぶか、瞑想を選ぶかというこのジレンマをいつも
抱えて いる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

361 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/05(火) 22:48:58 ID:1d4drIFg0
神の王国は目の前ではなく、眼の後ろにあるとオショーは言うのじゃ。
それは客観ではなく主観であるからと説いているのじゃ。
それ自身は認識できない認識主体、アートマンのことなのじゃ。
それに達すれば全ての喜びの王国は永遠にあり続けるのじゃ。

362 避難民のマジレスさん :2019/03/06(水) 06:47:13 ID:LC3de7YgO
>>360
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第九話 大地が明るい春を迎える(つづく)
より抜粋

富める国々のほうが貧しい国々よりも自殺や狂気の悩みを多く抱えている。
貧乏人は自殺のことなど考えているひまがない。
生きることで精いっぱいだ。
貧乏人 は自分のエネルギーを変容させることなど考えているひまがない。
彼の頭は子供たち を養い、雨露をしのぐにはどうすればいいかでいっぱいだ。
彼は肉体より高次なもの、 肉体より深いものにはいっさい興味がない―それも
無理のないことだ。
私はそれを非難しているのではない。
それはまったく自然なことだ。 そうあってしかるべきだ。
世界の貧しい国々がどんどん共産主義に傾いてゆき、 世界の資本主義国がどん
どん精神主義に傾いてゆくのはそのためだ。
マルクスの予言は外れた。
マルクスは富める国々が共産化するだろうと 言っていたが、それはたわごとで
あることが判明した。
貧しい国々だけが 共産主義になった。
ロシアは最も貧困に悩む国のひとつだった。
中国もそうだし、 インドもそうだ。
インドはいつなんどき共産主義の餌食になるかわからない。
それは途上にあって、待ち構えている。
アメリカは共産主義にならなかった。
マルクスは富める国々が共産化するだろう と予言した。
私はこう予言する。
富める国々は必ず宗教的になり、貧しい国々は 共産主義になる、と。
そして、共産主義を通してひとたび国が豊かになると、 その国は宗教を探し求
めるようになる。
それが今ロシアの魂の深部で起こって いることだ。
今やロシアは、再び神や瞑想や祈りについて考えることができる 地点にやって
来ている。
あなたは驚くかもしれないが、ロシアの人々は密かに 集まって祈っている。
祈りは政府から固く禁じられているからだ。
宗教的であることは、犯罪とみなされている。
この国では、寺院はあるが、訪れる者はいない。
教会はあるが、せめて日曜日には 教会に通うよう、なんとか人々を説き伏せな
ければならない。
人々を寺院や教会や モスクやグルドワラに行かせるには、うまく丸めこまなけ
ればならない。
人々が 密かに地下室に集まり、音が漏れないように黙って祈りを捧げている国
を想像できる かね?
ロシアの魂の奥深くで、再び宗教が浮上しつつある。
それは浮上してきて しかるべきだ。
今やロシアは高い次元のものごとについて考えられるほど豊かに なっている

私の生のヴィジョンでは、物質主義と精神主義は矛盾するものではない。
物質主義は宗教のための道を整える。
私が完全に物質主義者であるとともに、 完全に精神主義者でもあるのはそのた
めだ。
これは、私があなたがたに説いて いる最も基本的な教えのひとつだ。
けっして肉体と魂、世間と神を対立させては いけない。
けっして物質主義と精神主義を対立させてはいけない―肉体と魂の ように、そ
れらはともに手を携えてゆく。
物質主義の立場を取りながら、それを霊性への踏み石として使いなさい。
この姿勢は人々の心マインドに大きな混乱を引き起こすだろう。
というのも、 人々はつねに貧しさを精神的なものだと見なしてきたからだ。
それはまったく 馬鹿げている。
貧しさはこの世で最も非精神的なものだ。
貧乏人は精神的にはなれない。
いくら努力しても、その精神性は表面的なものに とどまる。
彼はまだ豊かさに幻滅したことがない。
その彼がどうして精神的に なりえよう?
大いなる幻滅が必要だ。
外の世界に対する大いなる幻滅が。
そうなったら人は内側を向く。
外の世界に完全に幻滅する地点に到って はじめて人は内を向く―
あなたは世間を見てきた。
あなたは世間を生きてきた。
あなたは経験を積み、そこには何もないことを、すべてはしゃぼん玉のような
はかない体験であることを知るに到った。
世間は大きな約束をするが、何も もたらしはしない。
最後には虚しさだけがその手に残る。
外の世界が人に与える ことができるのは死だけだ。
生命は内側に探求されなければならない。
生命の源はあなたの 内 部 に ある。
樹は種子のなかに潜んでいる。
だが、種子を割って開いても、もちろん樹は 見つからない。
そういうやり方では見つからない。
あなたは種子を育てなければ ならない。
そうすれば種子のなかに隠されていた設計図がひもとかれる。
母親の子宮に宿った子供は種子にすぎないが、あらゆる設計図、あらゆる 可能
性がそなわっている―どんな肉体をもつか、どんな顔になるか、目の色は どう
か、髪の毛、身長、年齢、どれだけ長く生きるか、健康かどうか、男か女か 、
黒人か白人か―あらゆるものが種子に含まれている。
生命はその種子から成長する。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

363 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/07(木) 00:04:09 ID:1d4drIFg0
金も権力も人を幸福にはしてくれないのじゃ。
それを知るために一度は金や権力を得てみる必要がある者も居るじゃろう。
実際に得てみて絶望すれば真の幸福への道に眼を向けることもあるのじゃ。
金や権力を得てもそれができなくて薬や酒で死んでしまう者も多いがのう。

364 避難民のマジレスさん :2019/03/07(木) 06:05:58 ID:LC3de7YgO
>>362
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第九話 大地が明るい春を迎える(つづき)
より抜粋

瞑想とはそこからすべてのものが現れてきた―肉体が現れ、欲望が 現れ、精神
作用マインドが現れてきた―内奥の
中核に引き返すことだ。
あなたは源にもどらなければならない。
宗教とは源への回帰だ― そして源を知ることが神を知ることだ。
源を知ることが目的地を知ることだ。
それらはひとつだからだ。
あなたが最初に芽生えた内奥の中核にもどることは、 あなたが到達したいと願
っている<究極なるもの>に到ることだ。
円は完結する。
アルファがオメガになる瞬間がある。
そのときそこに成就がある。
円が完結するとき、そこに成就がある。
それが呂祖師の『黄金の華の秘密』の教えのすべてだ。
彼は道をはっきりさせようとしている。
どうすれば円を完結させることができるか、
どうすれば光を巡らせることができるか、
どうすれば内側に動いてゆけるか、
どうすればほんの少しの青空を、
ほんの少しの天国を手に入れることができるか―
そうすれば、どこにいても幸せでいられる。
あなたは地獄にいても幸せだ。
今のままのあなたでは、どこにいても不幸になる。
たとえ天国にいても不幸になる。
あなたはそこでも不幸になる手段や方法を見つけだす。
なぜなら、 あなたは嫉妬や怒りや貪欲や所有欲をすべてもち歩いているからだ。
あなたは激怒、性欲、抑圧をすべてもちあるいている。
あなたはこの荷物をそっくりもち歩いている。
天国に着いた瞬間、 あなたはそこでもまたまわりに地獄をつくりだす。
なぜなら、 あなたは地獄の種子をもち歩いているからだ。
清らかであれば、静謐せいひつであれば、あなたは天国 にたどり着くと言われ
ているが、真相はまったくその逆だ。
清らかであれば、静謐であれば、天国があなたのもとにやって来る。
人はけっしてどこへも行かない。
人はつねにここにいる。
だが、ひとたび内側が光で満たされたなら、 外側の世界すべてが変容を遂げる

仏陀はあなたがたと同じ世界で活動している。
仏陀はあなたがたが歩くのと同じ通りを歩いている。
だが、 仏陀はまったく異なる世界に生きている。
仏陀は楽園で暮らし、あなたは地獄で暮らしている。
あなたは仏陀の隣に坐っているかもしれない。
彼の手を取ったり、彼の足に触れたりしているかもしれない。
それほど近くにいても、二つの世界は遥かに遠く離れ、分かれている。
天国にある、完全な祝福のなかにある、神という名のその光輝に包まれる 秘法
は何か?
これがその秘法だ―
呂祖師は言った。
汝らの修行は次第に集中し、成熟してゆくだろう。
タオの道は頓悟とんごの道ではない。
それは禅のようではない。
禅は頓悟だ。
タオはゆっくりと成長してゆく。
タオは突然起こる、唐突な変化を信じない。
タオは<存在>と歩調を合わせることを信じ、けっして自分の流儀を押し付けた
り、川を押したりせず、ものごとをひとりでに起こらせてゆく。
そしてタオは言う。
永遠の時間があるのだからあわてる必要はない。
適切な時に種子を蒔いて、待てばいい。
そうすれば春がやって来る。
春はいつでもやって来る。そして春が来れば、花が咲く。
とにかく待ちなさい。急いではいけない。
樹の成長を速めようと引っぱったりしてはいけない。
「すべてが インスタント・コーヒーのようになればいい」とねだったりしては
いけない。
待つことを学びなさい。自然は実にゆうゆうと動いてゆくからだ。
このゆったりとした動きゆえに、自然には優美さがある。
自然はとても女性的であり、女性のように移ろってゆく。
自然は走らず、急がず、あわてることがない。
自然はひじょうにゆっくりと進む、静かな音楽のようだ。
自然は実に忍耐強い。
そしてタオは自然の流儀を信じている。
タオとはまさに"自然"を意味する。
それゆえに、 タオはけっして急がない。
これを理解しておかなければならない。
タオの基本的な教えはこれだ― 忍耐強くあることを学べ。
無限に待つことができるなら、 それは即座に起こるかもしれない。
だが、即座に起こることを求めてはいけない。
求めれば、それはけっして起こらないだろう。
あなたが求めるそのことが障害になる。
その欲望 そのものがあなたと自然のあいだに溝をつくる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

365 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/07(木) 22:19:32 ID:1d4drIFg0
タオの法はそれ自体が静寂の法となっておる。
受動性を極めるという目指し方が悟りを得た後の静寂とも重なるのじゃ。
悟る前に既に悟りの妙趣を味わう如きなのじゃ。
それが仏教とは違うところなのじゃ。

366 避難民のマジレスさん :2019/03/08(金) 07:52:14 ID:LC3de7YgO
>>365
止からはじめて、まず荒れ狂う心を鎮め整え、観に取り組み、思考、感情をコントロールする方法を身につけり、また気功により、実感することと思考とのちがいを体験することにより、
くまは、悟りの妙趣を味わうとまでは言えませぬが、かなり生きるのが楽になったであります。
これは、仏教的な方法ではないのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

367 避難民のマジレスさん :2019/03/08(金) 08:12:28 ID:LC3de7YgO
>>364
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第九話 大地が明るい春を迎える(つづき)
より抜粋

自然と調和を保ち、自然にみずからの道をとらせなさい― それはいつ起こって
もかまわない。
それはいつも時を逸することがない。
起こるのが い つ で あ っ て も だ。
たとえ長い年月がかかるとしても、 それで遅れたことにはならない。
それはけっして遅れない。
それはつねに正しい瞬間に起こる。
タオはあらゆることが必要な時に起こると信じている。
弟子に用意ができたとき、師が現れる。
弟子に究極の用意ができたとき、神が現れる。
それを可能にするのは、性急で、慌ただしい、攻撃的な姿勢ではなく、
あなたのふところの深さ、虚空、受容性、受け身の姿勢だ。
真理は征服できないことを覚えておきなさい。
人は真理に明け渡さなければならない。
人は真理に征服されねばならない。
だが、いつの時代にも、あらゆる国々で 攻撃的で野心に満ちた教育が行なわ
れてきた。
私たちは人々をせきたてる。
私たちは人々の恐怖を煽る。
私たちは彼らに言う。
「時は金であり、じつに貴重なものだ。過ぎ去った時間は もどってこない。だ
からぐずぐずしてはいられない。急げ」と。
これが人々を狂気に駆り立ててきた。
彼らはここからあそこへとあわてて 飛びまわり、どこにいても少しも楽しむこ
とがない。
彼らはこの国際ホテル から別の国際ホテルへと世界中を駆け回る。
どのホテルも似たりよったりだ。
東京であろうが、ボンベイであろうが、ニューヨークであろうが、パリであろう
が 大差はない。
これらの国際ホテルはみな似たりよったりだ。
ところが人々は、この国際ホテルからあの国際ホテルへと駆けまわりながら、
世界一周旅行をしているつもりになっている。
どこもかしこも同じなのだから、 どこかの国際ホテルに腰を据えていればよか
ったし、他のところに出かけてゆく 必要などなかったのだ。
だが人々はどこかに向かっていると考えている。
スピードは人々を神経症に追いやっている。
タオは自然の道だ。
樹が育ち、川が流れるように、 そして鳥や子供たちのように…… それとまっ
たく同じように、人は 神のなかへ成長してゆかなければならない。

呂祖師は言った。
汝らの修行は次第に集中し、成熟してゆくだろう。
あわてないこと。死に物狂いにならないこと。
今日うまくゆかなくても、希望を失うことはない。
今日しくじったとしてもどこもおかしくない。
数日のあいだ失敗がつつ゛いてもどこもおかしくない。
人々は失敗することをひじょうに恐れている。
ただ失敗するのが怖いために、けっしてやってみようとはしない。
怖がるあまり恋をしない人々が大勢いる―誰にわかるだろう?
拒絶されるかもしれないではないか。
そこで彼らは愛情を表現しないでおこうと心に決めた。
そうすれば誰にも拒絶されることはない。
人々は失敗を恐れるあまり、けっして新しいことをやろうとしない―わかるも
のか。
失敗したら、どうするんだ?
そして言うまでもなく、内側に入ってゆくためには何度も失敗せざるをえない

一度もそこに入ったことがないからだ。
あなたは外界での活動や外向的な仕事をこなす手腕や力はそなえているが、ど
うやって内側に入ればよいのかわからない。
人々は「内側に入りなさい、なかに入りなさい」という言葉を耳にしても、何
のことだかわからない。
彼らが知っているのは出てゆく方法だけだ。
彼らが知っているのは他人のところへ出かける方法だけだ。
彼らは自分自身に到る方法をまったく知らない。
それも無理はない。
過去からの習慣ゆえに、あなたは何度も失敗するだろう。
希望をなくしてはいけない。
成熟はゆっくり起こる。
成熟は必ず起こるが、それには時間がかかる。
そして、いいかね。人が違えば、成熟する速さも違う。
だから比較しないこと。
「あの人はとても静かで、楽しそうなのに、私はまだなっていない。いったい
どこがいけないのだろう?」と考えてはいけない。
他人と比較してはいけない。
人はそれぞれ異なる過去生を生きてきたのだから。
今生ですら人々の生き方は様々だ。
例えば、詩人は科学者よりも内側に入ってゆきやすいかもしれない。
受けた訓練が違うからだ。
科学的な訓練は、客観的であること、対象となる事物に注意を向け、対象とな
る 事物を観察し、主体を忘れることにある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

368 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/08(金) 22:40:35 ID:1d4drIFg0
>>366 そうじゃ、違うのじゃ。
そもそも仏教では感覚も初めの段階から厭離することを実践するからのう。
何かを感じることも無いのじゃ。

タオの法は全てが起こるままにさせておくのじゃ。
自らは何にも関わらない。
全てが起こるままにしておけば心は鎮まっていくのじゃ。
そのように何の期待もなくあるがままにしていくことで全ての障害を乗り越えていくのじゃ。

369 避難民のマジレスさん :2019/03/08(金) 23:05:15 ID:LC3de7YgO
>>368
なるへそであります。
くまは仏教でなくても良いのであります。
楽になれた事実と、実感が求める全てでありますから。
て、ことは、仏教的には、くまは外道でありますね。
(´・(∀)・`)つ

370 避難民のマジレスさん :2019/03/08(金) 23:45:50 ID:LC3de7YgO
>>367
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第九話 大地が明るい春を迎える(つづき)
より抜粋

科学者は、科学者であるためには、 実験から完全に距離を置かなければならな
い。
科学者は実験に巻き込まれては いけない。
そこに感情をもち込んではいけない。
科学者はコンピュータのように まったく平然としていなければならない。
科学者は人間であってはならない。
そうなってはじめて人は真の科学者となり、科学で成果をあげることができる

さあ、詩人の技量はこれとはまったく違う。
詩人は巻き込まれる。
詩人は花を観察しながら、まわりで踊りはじめる。
詩人は身をもって参加する。
詩人はたんなる超然とした観察者ではない。
舞踏家のほうがもっと容易かもしれない。
舞踏家とその踊りは一体であり、踊りは内に深く根ざしているので、 舞踏家は
たやすく内なるスペースに入ってゆける。
それゆえに、古代の世界各地の神秘的なミステリー・スクールにおいて 舞踏は
秘められた技法のひとつだった。
舞踏はミステリー・スクールや寺院において進化した。
舞踏は最も宗教的な現象のひとつだ。
だが、それはその意味を完璧に失い、まったく正反対のものに成り果ててしま
った。
それは性的な現象になってしまった。
舞踏は霊的な次元を失ってしまった。
だが、いいかね、霊的なものはすべて堕落したら性的なものになってしまうし、
性的なものはすべて上昇すれば霊的なものになりうる。
霊性とセクシャリティは織り合わされている。
数学者よりも音楽家のほうが瞑想に入ってゆきやすい。
人が違えば、 得意な分野も違い、精神構造も違い、条件つ゛けも異なっている

例えば、キリスト教徒のほうが仏教徒よりも瞑想することがむずかしいかもし
れない。
仏教徒たちは二十五世紀ものあいだ瞑想を絶やさ なかったので、その門人たち
はある特定の質をそなえている。
仏教徒が私のもとへ来ると、ひじょうに簡単に瞑想に入ってゆける。
キリスト教徒がやって来ても、瞑想にはまるで馴染みがない。
キリスト教徒は瞑想を完全に忘れてしまっているからだ。
キリスト教が知っているのは祈りだけだ。
祈りはまったく異なる現象だ。
祈りのなかでは他者が必要とされる。
祈りはけっして自立したものではありえない。
祈りはむしろ愛に似ている。
祈りは対話だ。
瞑想は対話ではない。
それは愛に似たものではなく、 愛とはまったく逆のものだ。
瞑想のなかで、あなたは独りっきりになってしまう。
行く場所もなく、関わる相手もなく、対話もない。
他者がいないからだ。
あなたはどこまでも自分自身であり、自分自身以外の何ものでもない。
これはまったく異なる取り組み方だ。
だから、それはあなたが成長する途上で身につけた技能、精神構造、条件つ゛け
、 教育、宗教に左右される。
読んできた本、一緒に暮らしてきた人々、みずからの 内側にかもしだしてきた
波動に左右される。
それは千とひとつのものごとに、 あなたがどれだけ多くのものを吸収すること
ができるかどうかに左右される― が、それは必ず、確実にやって来る。
必要なのは忍耐、黙々と実践することであり、 辛抱強く働きかければ、集中が
生まれ、成熟が起こる。
実のところ、成熟した人と集中力のある人は同じ現象の両側面にすぎない。
だからこそ子供たちは精神を集中できない。
彼らは絶えず動きまわり、一か所に じっとしていられない。
あらゆるものが珍しい―車が通り過ぎてゆく、鳥が鳴き、誰 かが笑いはじめる
、隣の人がラジオをつけている。
蝶々が飛んでゆく―あらゆるもの が、全世界が魅了する。
彼らは次から次へと目移りしてゆく。
彼らは集中できない。
他のことを忘れてしまうほど、世界が存在しなくなるほど、 しっかり腰を据え
てひとつのことに取り組むことができない。
成熟するにつれ、集中力が生まれてくる。
成熟と集中力は言葉は違うが同じものを指している。
だが、まず覚えておかなければならないのは、 それは徐々にやって来るという
ことだ。
比較してはいけない。あわててはいけない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

371 避難民のマジレスさん :2019/03/09(土) 13:21:53 ID:LC3de7YgO
>>370
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第九話 大地が明るい春を迎える(つづき)
より抜粋

だが、断崖に立つ枯れ木のように打坐する境地に到るまでには、 まだ多くの錯
誤を犯す可能性がある。
これに関しては特に注意を促しておかねばならない。
呂祖師は言う―断崖に立つ枯れ木のように打坐する境地に到るまでには
・・・・・・これはとほうもなく美しく、意義深い道家タオイストの表現だ。
これは生きながら死に、
死にながら全一に生きる
ことを意味している。
喜びにあふれ、祝いながら世間のなかで暮らし、しかも世間の一部にはならな
いこと、世間のなかにありながら、
世間が自分のなかに入ってこないようにさせることを意味している。
断崖に立つ枯れ木のように
―それは死人のように生きることだ。
アレキサンダー大王は、サニヤシンをインドから母国へ連れて帰りたかった。
師である偉大な哲学者アリストテレスから「インドからもどるときには、
サニヤシンを連れてきてほしい」と頼まれていたからだ。インドが世界に
貢献したもので、サニヤシンの道、サニヤシンの生き方にまさるものはない。
アリストテレスは深い関心を寄せていた。
彼はサニヤシンがどういう種類の人間なのか見たかった。
それはインドでしか見られないからだ。
それはインドが世界の文化と人類に対して捧げた特別な貢献だ。
世間で生きながら、世間の一部とならず、
超然と離れたままでいるという、まったく異なる世間の生き方だ。
それは池に咲く蓮の花が水中にありながら、水に触れられないのに 似ている。
蓮の花びらにたまった露に朝日が当たると、それは真珠 のように美しく見え
る。
が、露は少しも花に触れていないし、花も 少しも露に触れてはいない。
それほど近くにありながら、遠く離れている……。
「サニヤシンとはどういう種類の人間だろう?」―アリストテレスの関心は哲
学的 なものだった。
彼はサニヤシンになるような人間ではなかったが、アレキサンダー にサニヤシ
ンを連れてくるよう依頼した。
「あなたはたくさんのものをもち返って くるだろう。どうか私には、忘れずに
サニヤシンを連れてきてほしい」
インドを発とうとしていたアレキサンダーは思い出した。
「そうだ、サニヤシンだ」彼はインドの最後の滞在地で人々にサニヤシン のこ
とを尋ねた。
すると人々は言った。
「ええ、この国にはすばらしいサニヤシン がいますが、彼を連れてゆくのはま
ず無理です」
アレキサンダーは言った。
「私にまかせればいい。心配することはない。おまえ たちは私のことを知らな
いな。私がついて来るように命じたら、ヒマラヤの山々 でさえついて来ざるを
えない。サニヤシンなどわけもない。彼はどこにいる? 居どころを教えてくれ
さえすればいい」
そしてその居どころがわかった。
そのサニヤシンとは、川のほとりに住んでいる裸の行者ファキールだった。
そのサニヤシンをアレキサンダーのもとへ連れてくるために、抜き身の剣を 手
にした四人の屈強な男がおくられた。
抜き身の剣を手にした四人の屈強な男たちを見て、サニヤシンは笑いはじめた。
男たちは言った。
「わかっていないようだが、これはアレキサンダー大王の 命令だ。宮廷までつ
いて来てもらおう。大王がお待ちだ」
するとサニヤシンは言った。
「私はずいぶん昔に去来するのをやめた。
私に会いたければ、大王のほうから会いにくればいい。
だが、私はもう 去来はしていない。
去来することは私の心とともに消えた。
もはや来る者もいなければ、去る者もいない。
私はもう存在していない!」
もちろん、このギリシャ人たちは理解することができなかった。
ギリシャ人はインド人とは正反対だ。
インド人は基本的に非論理的であり、
ギリシャ人は基本的に論理的だ。
インド人は詩的、直感的であり、
ギリシャ人 は理知的だ。
この四人の兵士は彼に言った。
「なんというたわけたことを 言っているのか。おまえを引きずってゆくことだ
ってできるんだ!」
サニヤシンは言った。
「 身体を引きずってゆくことはできても、 この私を引きずってゆくことはでき
ない。
身体を牢屋に閉じ込めることはできても、 この私を閉じ込めることはで
きない。
私の自由は損なわれないままだ。
私は蓮の花であり、水は私に触れることができない」
さあ、この言葉はギリシャ人にはさっぱり通じなかった。彼らは言った。
「待っていろ。大王様にお伝えして、処置を仰ぐことにしよう」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

372 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/09(土) 23:30:01 ID:1d4drIFg0
>>369 仏陀になるための教えは全て仏教なのじゃ。
 オショーもタオも逃れられないのじゃ。
 わっはっはっは。

断崖の枯れ木のように座れというのじゃ。
もはや全ての計らいを捨てて座るのじゃ。
タオでは座禅のように座ることを座忘というのじゃ。
全てを忘れて座るのじゃ。
自分も忘れたらサマーディに入るのじゃ。

373 避難民のマジレスさん :2019/03/09(土) 23:34:06 ID:LC3de7YgO
>>372
苦がのないのが覚者でありますね。
(´・(∀)・`)つ

374 避難民のマジレスさん :2019/03/09(土) 23:47:45 ID:LC3de7YgO
>>371
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第九話 大地が明るい春を迎える3(つづき)
より抜粋

アレキサンダー はこのサニヤシンの美しい言葉を耳にし、ことの顛末てんまつ
を聞いた。
「 彼はすばらしい人で、川岸で日の光を浴びながら裸で坐っています。 彼は
大王のように見えますが、まわりには何ひとつものがありません。 彼は無一物
であり、乞食こつじきに使う鉢さえもっていませんが、 どうどうとしていて、
優美です!彼の目をのぞき込めば、全世界 を支配する皇帝のように見えます。
彼は私たちの愚かさを、私たちが 抜き身の剣を携えていったことを笑い飛ばし
、少しも動じませんでした。 そして『身体は殺せても、この私を殺すことはで
きない』と言ったのです」
アレキサンダーは興味をそそられた。
彼はこの裸のサニヤシンに会いに行った
彼は感動 し、深く心を打たれ、こう言った。
「私と一緒に来ていただこう。これは命令だ!」
だが、サニヤシンは言った。
「 サニヤシンになったその日から、 私は他人の命令に従うことをやめた。 私
は自由な人間であり、奴隷ではない。 誰も私に命令することはできない。私を
殺すことはできても、私に命令することはできない」
アレキサンダーは腹を立て、剣を抜いて言った。
「この場で首をはねてしまうぞ!」
するとサニヤシンは再び笑いはじめた。彼は言った。
「 首をはねるのはいいが、首などとっくの昔に 自分ではねてしまったよ。私は
死人なのだ」
さあ、これが真のサニヤシンの意味だ――死人。
その男は言った。
「死人を殺せるわけがない。それはまったく馬鹿げている。 どうして死人を殺
せるだろう?死人はすでに死んでいて、もうこれ以上死ぬ ことなどできはしな
い。何もかもすでに終わってしまった。あなたは来るのが 少し遅すぎた。私は
もう存在していない。そう、首をはねることはできる。 あなたは私の首が砂の
上に転がってゆくのを見るだろう。 私もまた自分の首が砂の上に転がってゆく
のを見る。 私は見守る者、目撃者だ」
これが「断崖に立つ枯れ木」の意味だ。
アレキサンダーは断崖であり、 このサニヤシンは枯れ木だった。
断崖が枯れ木に何ができるだろう?
枯れ木はすでに死に、息絶えている。
断崖は枯れ木を殺すことができない。
枯れ木は断崖を恐れない。
だが、こうなるまでにはまだ多くのことが起こりうる――
(p318)
まだ多くの錯誤を犯す可能性がある。
これに関しては特に注意を促しておかねばならない。
このような境地は、身をもって体験することではじめて認識できるものである。
いいかね、このうえもなく価値のあるメッセージ――これは探求者たちにとっ
て最もすばらしい論書のひとつだ――
のなかで呂祖が言っていることはすべて、 彼自身がその旅の途上で体験したも
のだ。
だから彼はそれを言っている。
彼はこれらの錯誤を犯したことがある。
弟子たちがこれらの錯誤に足を取られないですむよう、 これらの錯誤に心を乱
されずにすむよう、彼は弟子たちに教えたい。
一度も瞑想をしたことがない者たちには、これらの錯誤が何であるか わからな
いだろう。
身をもって体験してはじめて、彼らもそれをようやく 理解することができるよ
うになる。
だが、<道>の途上にある者たちには心の 用意をさせて、途上にどんな罠が待ち
受けているかを言っておかねばならない。
<道>はそれほど単純ではない。
色々な 場所からたくさんの道が枝分かれしている。
行き止まりの道を選んでしまうこともあるが、 それが行き止まりであること
に気つ゛いたときには すでに何年も、あるいは何生もが過ぎ去ってしまっている。
そして、費やしたすべての努力と旅は無駄になり、 本道を見失った地点まで、
またもどってこなければならなくなる。
そして、道標みちしるべとなるものはない。
いつも使える地図は手に入らないし、そんな地図はつくれない。
なぜなら、神は変化しつつ゛けているからだ。
神の存在とは絶えざる変化のことだ。
変わらないのは変化だけであり、 あらゆるものが変化しつつ゛けてゆく。
だからいつも使える地図などつくれない。
ただヒントだけが与えられる。
これらはヒントだ。
これらのヒントを理解したら、あなた は正しい道をたどることができる。
そして過ちを犯しそうになるたび に、あなたの理解が助けとなる。
まず錯誤について語り、それから確認のしるしとなる体験について話すことに
しよう。
呂祖は言う――「まず起こりそうな錯誤について話し、それから正しい道の上
にいることをはっきりと確認できるしるしについて語ろう」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

375 避難民のマジレスさん :2019/03/10(日) 07:31:58 ID:LC3de7YgO
>>374
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第九話 大地が明るい春を迎える(つづき)
より抜粋

修行をはじめるときは、何よりもまずゆったりと くつろいだ気持ちでのぞむよ
うに配慮しなければならない。
これが最初に理解すべきことがらだ。
ひとたび内なる道を行こうと決意したら、
ひとたびサニヤシン、瞑想者になろうと決意したら、
ひとたび内なるものの呼びかけに応え、
「私は誰か?」
という問いの探求、探索に乗り出したら、まず力んではいけないということを
覚えておかねばならない。
ゆったりとした気持ちでのぞみ、
内なる旅が快適なものになるよう心がけなければならない。
さあ、これはとても重要なことだ。
ふつう、この最初の錯誤は誰にでも起こる。
人々は内なる旅をいたずらに複雑で、不快なものにしてしまう。
それはある理由から起こる。
人々は日常の生活で他人に腹立ちを覚えている。
彼らは日常の生活で他人に暴力的になっている。
外に向かうふつうの旅では、人々はサディストになり、
他人を苦しめて楽しんでいる。
他人を打ち負かすことを楽しんでいる。
他人と張り合い、他人を征服するのを楽しんでいる。
他人に劣等感を抱かせることさえできれば嬉しいのだ。
外に向かう旅とはそういうものだ。
政治とはそういうものだ。
これは合法的に、あるいは非合法的に、絶えず他人よりも秀でようとしている
政治的な心理マインドだ。
とにかく、何がなんでも、他人を打ち負かそうと絶えず努力をしている。
相手を叩きつぶさなければならないとしても、臆することはない、叩きつぶせ
ばいい。
とにかく人は勝利をおさめなければならない。
首相や大統領の座につかなければならない。
これやあれやにならなければならない――いかなる犠牲を払ってもだ!
全員が競争相手なのだから、まわりはみな敵だ。
これを覚えておきなさい――そもそも教育というものは、人に闘いの準備をさ
せ、闘う覚悟を決めさせるものだ。
友情や愛の下地を準備させるのではなく、闘い、憎しみ、戦争にそなえさせる
ものだ。
競争があれば、必ず憎悪が生まれてくる。
張り合っている相手に、互いに油断できない相手にどうして友好的な態度を取
れるだろう?
彼らが勝ってあなたが負けるか、あなたが勝って彼らが負けるか、二つにひと
つだ。
だから、あなたがたのいわゆる友情は見せかけ、形だけのものにすぎない。
それは人生を円滑に送るための潤滑油の一種だ。
が、奥深くでは友人はひとりもいない。
友人たちでさえ友人ではない。
なぜなら、彼らは互いに比較し合い、張り合っているからだ。
野心、政治的な駆け引きに満ちた教育のために、この世界は戦場になってしま
った。
人が内側に方向を転じると、問題が起こってくる。
これらの怒り、憎しみ、攻撃性、暴力はどうなるのだろう?
今や彼はひとりだ。
彼は自分自身を痛めつけはじめる。
彼は自分自身に腹を立てる。
いわゆる大聖マハトマたちはまさにそれだ。
彼らは
なぜ自分を痛めつけているのだろう?
なぜ断食しているのだろう?
なぜ針のベッドの上に横たわっているのだろう?美しい木陰があるのに、
なぜ焼けつく太陽の下に立っているのだろう?暑いのに、
なぜ火のそばに立っているのだろう?
寒いのに、
川や雪のなかになぜ裸のまま立っているのだろう?
これは姿を変えた政治家たちだ。
彼らは最初は他人と闘っていたが、まわりに誰もいないので、自分自身と闘っ
ている。
彼らの精神は分裂している。
彼らは自分自身を分裂させてしまった。
それは今や内戦だ。彼らは肉体と闘っている。
肉体はいわゆる大聖マハトマたちの犠牲になっている。
肉体に罪はない。
肉体はあなたに何ひとつ悪いことはしていない。
だが、いわゆる宗教は「肉体は敵だ、肉体を痛めつけろ」と説きつつ゛けてき
た。
外へ向かう旅はサディズムの旅だった。
内へ向かう旅はマゾヒズムの旅になる―― 人は自分自身を痛めつけはじめる。
そして、自分自身を痛めつけることには、 ある種の歓び、倒錯した喜びがある

歴史を調べてみれば、驚くだろう。
人間が自分自身に対して何をしてきたか、とても信じられないだろう。
人々はみずからの身体を傷つけ、手当てもせずに放置してきた――身体は敵だ
からだ。
キリスト教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、その他様々な宗派があるが、彼らは
実に抜け目のない、狡猾な、うまいやり方で身体を痛めつけるようになった。
彼らは身体を痛めつける大した技法を開発した。
断食を称賛するだけでなく、みずからの身体を叩き、鞭打つキリスト教の一派
があった 。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

376 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/10(日) 21:55:10 ID:1d4drIFg0
>>373 そうじゃ、覚者には苦が無いのじゃ。

タオではまずくつろぐことが大事というのじゃ。
全ての争いや競争や欲を捨てて座るのじゃ。
あらゆる社会や組織での競争や価値観をも捨てるのじゃ。
塵に等しい者となることで全てを捨てるのじゃ。

377 避難民のマジレスさん :2019/03/10(日) 22:39:30 ID:LC3de7YgO
>>375
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第九話 大地が明るい春を迎える(つづき)
より抜粋

最もすぐれた聖者とは、みずからの手で最も自分の身体をひどく傷つけた者だ
った。
人々はやって来て、彼らの傷を数えたものだった。
他人の傷を数えるとは、いったい どういう連中だろう?
彼らもまた倒錯した喜びに浸っていたにちがいない。
インドではジャイナ教の行者ムニたちが身体を傷つけている。
ディガムパラ派に属する ジャイナ教の僧侶は毎年髪の毛をむしり取る。
そして彼らが髪の毛をむしるときには 大勢の人が集まってくる。
それは苦痛に満ちているが、人々は「立派な苦行が行なわれ ている」と楽しみ
にしている。
その男はたんなる倒錯した精神病者にすぎない。
彼には 電気ショックが必要だ。
それ以外のものでは役に立たない。
髪の毛をむしりはじめる行為には、ある種の狂気が含まれている。
そして、 あなたが夫であれば知っているように、怒り狂った妻は、ときどきそ
れをやる ことがある。
妻のほうがそれをよくやるのは、妻は夫を殴るべきではないと教え られてきた
からだ。
ではどうすればいい?夫を殴りたいが、殴るわけにゆかない。
経典には夫は神であると述べられている。
それがまったくのたわごとであることは わかっているが、経典は経典だ。
彼女は夫のことを知り尽くしている――夫が神だと したら、いったい悪魔は誰
だろう?
だが、それは口にしてはならない。
彼女は夫の 足に触れなければならない。
妻が夫に愛の便りを送るときには「あなたの下僕」と 書かなければならない。
どちらが下僕か彼女は知っているのだが!
誰もが実情を知っているが、うわべを取り繕わねばならない。
妻が夫を殴れば、何か 罰当たりなことをしたような、罪を犯したようなやまし
さが湧いてくる。
だから夫を 殴るわけにはゆかない。
だが、彼女は 本 当 に 殴りたいのだ!
だったらどうすれば いい?皿を割るか――そんなことをしたら損をするだけで
、自分が苦しむだけで、何の 役にも立たない――それとも最も手軽で、安価で
、経済的な方法を取り、自分自身を 叩き、髪の毛をかきむしり、壁に身体を打
ちすえ、壁に頭をぶつけるか。
これが一番安上がりな方法だ。
彼女は夫の頭をぶちたいのだが、そうすることはでき ない。
それは許されておらず、倫理にもとる。
誰がこの観念を彼女に吹き込んだのだ ろう?
夫や彼の仲間の僧侶や政治家たちだ。
精神病院に行けば、髪の毛をかきむしっている人が大勢いる。
人々が髪の毛をかきむしることには一種の狂気がある。
さて、髪の毛をむしり取っているジャイナ教の僧侶は、本当は病気だ。
だが、人々は 集まってお祝いをする――「とても偉大なことが行なわれている
!見ろ!なんと すばらしい聖者だろう!」
こういった人々は病気だ、と言ったばかりに、私は反感を 招いてしまった。
ことは単純だ、ごく単純だ。彼らは私に反発せざるをえない。
キリスト教の宗派には……かつてロシアには性器を切り取る一派があって、盛大
な 集会が開かれたものだった。
ある定められた日に、人々はそれを行なった。
それは 精神錯乱だった。
ひとりが自分の性器を切り取り、それを投げ捨てると、あたり一面 に血がまき
散らされる。
するとその錯乱状態が、ただ見物にきていた人たちに乗り移る 。
つつ゛いて誰かが飛び込んで、その行為に加わってゆく。
祭りが終わる頃には、 性器の山ができている。
こういう連中が偉大な聖者と見なされた。
女性たちはどうしていいかわからなくなり、乳房を切り落としはじめた。
負けてはいられないからだ。
女性たちは乳房を切り落としはじめた。
単純な錯誤からあらゆる種類の愚かな行為が起こりかねない。
あなたが内側に向かいはじめると、それまで他人の人生に難癖を つけてきた古
い思考様式マインドが、あなた自身の生に難癖を つけようとする――そういっ
た錯誤が起こりかねない。
いいかね、内なる探求者はゆったりとした気分でいなければならない。
ゆったりとくつろいでいるときにのみ、何かが起こりうるからだ。
緊張し、不快な気分を味わっているときには、何も起こらない。
緊張し、不快な気分を味わっているときには、心が乱れ、 穏やかな気分ではい
られない。
腹が減っているのに、どうして穏やかな気分でいられるだろう?
ところが人々は断食を説いてきた。
彼らは断食は瞑想の助けになると言っている。
ときおり断食が体調をよくする助けになることはあるだろう。
不要な体重がいくらか減るかもしれない。
だが、断食は瞑想の助け にはならない。
断食していると、食べ物のことばかりが頭に浮かぶ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

378 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/11(月) 23:55:42 ID:1d4drIFg0
苦行は世界のどこにでもあったものじゃ。
それは他人に恐れと恐れの克服を見せるが故に畏敬の対象になったが悟りとは関係ないものじゃ。
苦行では悟りは訪れないのじゃ。
そうであるからお釈迦様も苦行を捨てたのじゃ。

379 避難民のマジレスさん :2019/03/12(火) 03:52:08 ID:LC3de7YgO
>>377
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第九話 大地が明るい春を迎える(つづき)
より抜粋

聞いた話だが…… 結婚したカップルが地区の牧師に相談に来た。
最初は深刻そうだった会話も 次第に打ち解けてきて、牧師はこの地区にかわいい娘が何人いるか数えあげた。
「牧師さん」と夫は言った。
「驚きましたよ」
「なぜですか?」と牧師は尋ねた。
「ダイエット中でも、メニューは見ていいんですね」
セックスを抑圧している人々はメニューばかりを見ている。
空腹を抑えている人々は食べ物のことばかり考えている。
それは自然なことだ!
瞑想などできるはずがない。
断食していれば、次から次へと料理の名前が心に浮かび、 美味しそうな料理が
続々と湧いてくる。
美味しい食べ物の香りや味覚に触れて、あなた ははじめて鼻が生きているのを
感じ、はじめて舌が生きているのを感じるようになる。
ときどき断食して食べ物に対する興味を取りもどすのはよいが、それは 瞑想の
役には立たない。
味覚を取りもどすために、身体をもう少し敏感に させるのはよい。
だが、断食は断食明けのごちそうに役立てるべきだ!
食欲を取りもどすためにときおり食べないのはよい。
それは健康のためにはよい。
だが、瞑想は断食とはいっさい関係がない。
満ち足りているときよりも、 腹を減らしているときのほうが瞑想はむずかしく
なる。
確かに、食べ過ぎも また問題をつくりだす。
食べ過ぎてしまうと眠くなるからだ。
まったく何も食べずにいると、空腹を感じる。
真ん中にいることが正しい道――中庸だ。
空腹を感じずにすむように食べなさい。
だが、 胃がもたれ、眠気をもよおす
ほど食べ過ぎてはいけない。
そうすれば瞑想がやりやすくなる。
中庸は、あらゆる面で、あらゆる状況において実践されなければならない。
ゆったりとくつろぎなさい。
自分自身を痛めつける必要はない。
不要な問題をつくりださなくてもよい。
怒り、暴力、攻撃性に満ちた想念マインドを落としなさい。
そうしてはじめて内側に入ってゆくことができる ――くつろいだ意識のなかで
、はじめて人は内側に 深く深く漂ってゆくことができるようになるからだ。
完全なくつろぎのなかで、人は内奥の中核にたどり着く。
(p325)
修行をはじめるときは、何よりもまずゆったりとくつろいだ気持ちでのぞむよ
うに配慮しなければならない。
あまり多くのことを求めてはならない。
求め過ぎると、緊張が起こり、不安が生まれるからだ。
実のところ、何ひとつ求めてはならない。
ただ待つのだ。
こころハートに種子をまいて仕事をはじめ、春を待つがいい。

あまり多くのことを求めてはならない。

人々は多くのことを求めるようになる。
彼らは即席の悟り、サマーディを欲しがる。
彼らは即席のニルヴァーナを欲しがる。
ときどき愚かな人々が私のもとに来てこう言う―-
「七日も瞑想したのですが、まだ何も起こっていません」
七日だって?七千万回も生まれ変わりながら、彼らは瞑想に反することばかり
やってきたというのに。
たったの七日で……。
まるで神や私に貸しがあるかのようだ。
彼らは不平を言いながらやって来る。
「何も起こりませんでした。七日が過ぎ、キャンプはあと三日しか残っていな
いのに、私たちはまだ光明を得ていません!」
求め過ぎてはいけない。
あまり欲張ってはいけない。
もう少し分別をもちなさい。
ものにはすべて時間がかかる。

気の動きとこころハートの動きがおのずから調和するように配慮しなければならない。
いいかね、成果のことは気にかけなくていい。
成果はつねにあなたの必要と力量に応じて現れる。
何であれあなたに準備ができていることが起こる。
成果が現れなければ、それはたんにあなたにはまだ準備ができていないという
ことだ。
そのための準備をしなさい。
成果を求めても役に立たない。
自分にまだ力量が足りないことを認め、こころハートを
もっと浄化し、
もっと意識を集中し、
もっと瞑想し、
もっと静かになり、くつろいで、内界と
もっと調和してゆくことだ。
そして待ちなさい。
こころハートと気エネルギーが調和すると、成果はおのずと現れるからだ。
種子をまいてしまえば、土を掘り返し、毎日種子の様子を調べる必要はない。
そんなことをすれば種子は死んでしまって、けっして何も起こらなくなる。
何ヶ月も何も起こらないとしても、あなたはただ待つより他にない。
何ヶ月も何も起こらないとしても、あなたは水をやり、肥料をやり、
世話をしつつ゛けなければならない。
するとある日、朝早く、不意に奇蹟が起こり……
種子が芽を吹く。小さな双葉が顔を出し、奇蹟が起こっている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

380 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/12(火) 23:41:21 ID:1d4drIFg0
瞑想し、観察をすれば変化は着実にやってくるじゃろう。
しかし、変化を期待したり、変化しようとしてはいかんのじゃ。
日々の集中と観察にただひたすら努めるのじゃ。
そうすれば変化は自ずからやってくるのじゃ。

381 避難民のマジレスさん :2019/03/13(水) 00:09:59 ID:LC3de7YgO
>>379
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第九話 大地が明るい春を迎える(つづき)
より抜粋

見えなかったものが目に見えるようになっている。
この世にこれにまさる奇蹟はない。
種子が芽を出している。
さあ、踊りなさい!
だが、ものごとにはつねにふさわしい時というものがある。
(p326)

そうしてはじめて静かな境地に入ってゆける。
この静かな境地に入っているときには、 正しい状況と正しい空間をつくらな
ければならない。
言うまでもないことだ。
薔薇の園をつくろうとしているなら、土をそっくり入れ替えなければならない

石を取り除き、古い根を取り除き、雑草を取り除かなければならない。
あなたは外界から守られた、新しい状況と新しい空間をつくりださなければな
らない。
あなたは周囲に柵を設けなければならない。
薔薇を栽培するつもりなら、こうしたことをすべて整える必要がある。
瞑想は薔薇、最もすばらしい薔薇、人間意識の薔薇だ。
この書物が『黄金の華、黄金の薔薇の秘密』と呼ばれているのはそのためだ。
正しい状況とは何だろう?
正しい空間とは何だろう?
世事の只なかで坐ってはいけない。
瞑想が深まる場所を見いださなければならない。
例えば、映画館に行って最前列に坐ったり、駅に行ってプラットホームに坐る
よりも、樹の下に坐るほうが助けになる。
いまだにタオがあたり一面に流れ、その波動を放ち、脈打ち、ほとばしってい
る大自然、山々のなか、樹々のもと、川のそばへ出かけていったほうがいい。
樹は絶えざる瞑想のなかにある。
樹の瞑想は静かであり、無意識だ。
私は樹になりなさいと言っているのではない。
あなたはブッダにならなければいけない!
だが、ブッダと樹には共通点がひとつある。彼は
樹のように青々と繁り、
樹のように樹液に富み、
樹のように祝っている。
もちろん、違いもある――
ブッダには意識があるが、樹は無意識だ。
樹は無意識な状態でタオのなかにあり、
ブッダは意識とともにタオのなかにある。
だが、その違いは大きい。
天と地ほどの差がある。
だが、樹のそばで坐っていると、まわりで美しい鳥たちが歌い、孔雀が舞い踊
り、流れる川のせせらぎが聞こえてくる。
あるいは滝のそばで坐っていると、そのすばらしい音楽が聞こえてくる。
自然がまだ乱されず、汚されていない場所を見つけなさい。
そういう場所が見つからなければ、戸を閉めて、部屋のなかで坐りなさい。
もしそれができるなら、瞑想だけをする部屋を用意するといい。
ほんの片隅でいいから、瞑想だけに使うようにする。
専用にするのは、どんな種類の行為も独自の波動を放つからだ。
そこで瞑想だけをすれば、その場所は瞑想的になる。
毎日瞑想をするたびに、その場所はあなたの瞑想の波動を吸収する。
翌日部屋に入ると、その波動があなたに返ってくるようになる。
それは助けになる。
それはもどってくる。
それが応えてくれる。
寺院、教会、モスクの背景にはそのような着想がある。
その着想はすばらしい。
みんなが祈りや瞑想に使う部屋を個別にもつことはできないかもしれないが、
村で専用の部屋を設けることならできる――人がたむろせず、俗事が行なわれ
ることのない、川岸の樹々に囲まれた寺院。
瞑想がしたくなれば、その寺院にゆけばいい。
そして寺院にいる人の邪魔をしてはいけないことをみんなわきまえている。
聖地とは瞑想にふさわしい条件を満たした空間に他ならない。
激しい怒りを感じているなら、それは瞑想にふさわしい時ではない。
それでは流れに逆らうことになる。
ひじょうに貪欲になっているなら、それは瞑想にふさわしい時ではない。
なかなか瞑想に入れないだろう。
だが、簡単に瞑想に入ってゆける瞬間がある。
太陽が昇ってゆく。
日の出を見ていると、突然、内側がひっそりと静まり返り、まだあなたは騒が
しい街の一部ではない――これこそ瞑想にふさわしい時だ。
今日は気分がよく、健やかで、誰とも言い争いをしていない――これこそ瞑
想にふさわしい時だ。
友達がやってきて、あなたは愛に満たされている――これこそ瞑想にふさわし
い時だ。
あなたは恋人とともにいて、二人はこのうえもなく幸せだ――一緒に坐って瞑
想するがいい。
恋人や友人と一緒に瞑想することができたら、あなたは人生で最大の喜びが生
まれているのを見いだすだろう。
正しい状況を見いだせない者などひとりもいない。
二十四時間のうちには、たやすく瞑想に変容できる瞬間が何度も訪れる。
そういった瞬間には、あなたは自然に内側に入ってゆきつつあるからだ。
満天の星空の夜、大地に身を横たえ、星を眺め、調和を感じ……そして瞑想す
るがいい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

382 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/13(水) 23:05:32 ID:1d4drIFg0
世間で遊び呆けていながら瞑想に入ることは出来ないものじゃ。
一度座ろうとしても遊び仲間が誘いにきたりするじゃろう。
そして遊んでしまうじゃろう。
瞑想には生活をも変える必要が在るのじゃ。
一度でできなければゆっくりとでも変えていくが善いのじゃ。

383 避難民のマジレスさん :2019/03/13(水) 23:24:45 ID:LC3de7YgO
>>381
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第九話 大地が明るい春を迎える(つづき)
より抜粋

ときどき山で休暇を過ごすのもいい――だが、ラジオをもってゆかないこと。
さもないと、がらくたを丸ごともってゆくことになる。
そして山に行くときには、自分の連絡先や電話番号を誰にも教えてはいけない。
教えるくらいなら、どこにも出かける必要はない。
山に行くのなら、数日のあいだ世間のことをすっかり忘れてしまいなさい。
それが休日(holiday)の意味だ。
それは神聖(holy)なものでなければならない。
それではじめて休日の名に値する。
神聖なものでなければ、神々しいものと調和していなければ、それは休日では
ない。
人々は自分たちの世界をもち歩いている。
私は数人の友人とともにヒマラヤに行ったことがあるが、
そこで独りにさせて欲しいと頼まなければならなかった。
というのも、彼らはトランジスター・ラジオや新聞や雑誌や読みかけの小説を
もってきていたからだ。
そして彼らは絶えずおしゃべりをして、いつもくり返している話題をまたもや
もち出してきた。
だから、私は彼らに言った。
「何のためにヒマラヤに来たのかね?その話は家でたっぷりしてきたはずなの
に、またここで同じ話を、同じゴシップを、同じうわさ話をくり返すのかね」
私と一緒に美しい場所へ行くたびに、彼らはカメラを取り出して、写真を取っ
た。
私は彼らに言った。
「ここに来たのは目で見見るためだろう。ヒマラヤを見るためにカメラをもっ
てきたわけじゃないだろう!」
だが彼らは言った「すてきなアルバムをつくるんだよ。どんなにすばらしい場
所を訪れたかあとで振り返るんだ」
ところが、彼らはその場にいなかった。
彼らはひたすらカメラのシャッターを押していた。
こういった愚かな振る舞いをもち込んではいけない。
そして、ときどき山に行くのはいい。
だが、私は山で暮らしはじめなさいと言っているわけではない。
それはよくない。
なぜなら、あなたは山に中毒し、世間にもどるのが怖くなってしまうからだ。
休日はあくまで休日だ。
休日が終われば、世間にもどり、聖なるものの 安らぎ、静けさ、体験をすべて
もち帰るのだ。
それを一緒にもち帰るのだ。
それがにぎやかな街のなかでも自分のもとにとどまるように努力するがいい。
これらの示唆は初心者のためのものだ。
本当に瞑想が身につけば、映画館の席に坐っていても 瞑想できるし、駅のプラ
ットホームでも瞑想できる。
十五年前、私は休む間もなくインドを旅していた。
旅は途切れることなく、 年がら年中、来る日も来る日も、昼夜を問わず、いつ
も汽車や飛行機や 車に乗っていた。
だが、どこにいても同じだった。
みずからの実存に 本当に根つ゛いてしまえば、どこにいても変わらなくなる。
だが、それは初心者にはむずかしい。
樹が根つ゛いてしまえば、風が吹こうが、雨が降ろうが、雷が鳴ろうが、 まっ
たくかまわない。
かえってそのおかげで樹は完全なものになる。
だが、 樹が小さくてひ弱なときには、子供でさえも危険だ。
あるいは牛が通り 過ぎただけで、その聖なる動物に踏みつぶされてしまうかも
しれない。
初心者には、いいかね、この呂祖の示唆はこのうえもなく重要だ。
すなわち精神は虚しい熱中から自由でなければならない。
世間のしがらみ をすべて脇によけ、泰然自若としていなければならない。
瞑想しようとしているときには、電話をはずし、人との関わりを絶つ。
ドアに「瞑想中につき、一時間はノックをしないように」と書いた紙を貼って
おくといい。
そして瞑想ルームに入ってゆくときには、靴を脱ぎなさい。
聖地の上を歩いているからだ。
さらに靴だけでなく、頭を占めていたものをすべて脱ぎ捨てる。
意識しながら靴と一緒にあらゆるものを置いて、からっぽの状態で内側に入っ
てゆく。
二十四時間のうち一時間くらいなら都合がつけられるだろう。
二十三時間は仕事、欲望、思考、野心、投影に当てればいい。
こういったことすべてのなかから一時間だけ暇をつくりだしなさい。
最後には、生涯のうちその一時間だけが自分の人生の本当の時間だったこと
に気つ゛くだろう。
他の二十三時間はまったくの無駄だった。
その一時間だけが手元に残り、他の時間はすべて水泡に帰してしまったと。

また正しい手順にこだわり過ぎてもいけない。
覚えておかねばならない二番目のことがらは、正しい手順に気をとられ過ぎて
はならないということだ。
さもなければ、特定の姿勢で坐るべきだといったような考えが頭にこびりつい
て離れなくなる。
坐ることができるのはいいが、もしそれが不要な脅迫観念になるようなら、落
としてしまいなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

384 避難民のマジレスさん :2019/03/14(木) 20:04:36 ID:LC3de7YgO
>>383
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第九話 大地が明るい春を迎える(つづき)
より抜粋

例えば、正式な蓮華座では坐ることができないかもしれない――それはずっと
椅子の生活をつつ゛けてきた人にはむずかしい。
筋肉が特定の仕方で発達しているためにむずかしい――そうなると脚が気にな
って仕方なくなってくる。
だから、蓮華座を無理強いする必要はない。
蓮華座を組むのがやさしければ問題はない。
組めなければ、どんな姿勢でも蓮華座になる。
床の上に坐れなければ、坐るのがむずかしければ、椅子に坐ればいい。
瞑想は椅子を怖がったりなどしない。
それはどこでも起こりうる。
先日、レヌがこう尋ねた。「木馬の上でも悟りは起こりますか?」
起こるかもしれない。それどころか木馬ですら悟るかもしれない!
そのことは心配しなくてもよい。
だから、呂祖は言う……
また正しい手順にこだわり過ぎてもいけない。
わずかに注意を払うだけでいい。
背骨が本当にまっすぐ伸びているかどうか、頭が背骨の上にちゃんと乗ってい
るかどうか、両目が呂祖の指示通りに向けられているかどうか……
それにあまりこだわり過ぎてはいけない。
あなたがたの目と呂祖が語っている目とは種類が違う。
中国人とその目のことは知っているだろう。
実のところ、中国人たちはいつも鼻の頭を見ているように見える。
彼らの目は半分つぶっているようだ。
中国人にサニヤスを授けるとき、私は彼らの目を見つめるのに大へん苦労する。
あなたがたは違う種類の目をもっている。人によって目の種類も鼻の種類もそ
れぞれ違っている。
だから、こういった小さなことにあまりこだわり過ぎないこと。
それらはしるしにすぎない。
それらを理解し、吸収したら、自分の道を行くがいい。
自分自身の道を見いだしなさい。
覚えておかねばならない基本的な注意は、ゆったりとくつろいでいなければな
らないということだ。

あれこれ工夫をしすぎるとこの危険が生じる。
私は工夫をしてはならないと言っているのではない。
正しい道は有と無のあいだに等しい距離を保つことにある。
人はちょうど真ん中にいなければならない。
人々は活動的になり過ぎるか、怠惰になり過ぎるかする。
活動的になり過ぎると、不安が――一種のあわただしさ、性急さ、速さ、落ち
着きのなさが起こってくる。
怠惰になり過ぎると、眠気、一種の無気力さ、昏沈が生じてくる。
真ん中にとどまることをつねに判断の基準とするべきだ。
食べ過ぎてはいけない。
腹をすかし過ぎてはいけない。
寝過ぎてはいけない。
睡眠不足もいけない。
つねに真ん中にとどまることを忘れてはならない。
行き過ぎは禁物だ。
あらゆる極端を落とさなければならない。
なぜなら、真ん中にのみ、くつろいだ心の状態があるからだ。

目的を通して無目的を達成することができるなら、ものごとを体得したことに
なる。
この種のバランスを、
努力と無努力、
目的と無目的、
存在と不在、
心と無心、
有為と無為のあいだで達成することができるなら……

目的を通して無目的を――努力を通して無努力を、有為を通して無為を――
達成することができるなら、要点を体得したことになる。
みずからを放下し、超然と乱れず、泰然自若としていればいいのである。
これが基本だ。
そうなれば人は事物の流れとともに流れてゆける。
人は自分を解き放つことができる。
(p333)
また人は誘惑に満ちた世界の餌食になってはいけない。
誘惑に満ちた世界とは、五つの暗い悪魔が遊び戯れる場所だ。
不動の境地と言うと、人はよく枯れ木や冷たい灰を思い浮かべるが、 大地が明
るい春を迎えている姿を思い浮かべることはめったにない。
いいかね、
宗教的な人間にとって最大の課題は深刻になり過ぎないことだ。
宗教的な人間にとって最大の課題は悲しまないことだ。
宗教的な人間にとって最大の課題は否定的にならないことだ。
なぜなら、ふつうはそうなってしまうからだ――宗教的な人間は悲しみに沈み
、ひどく深刻になり、生に対して否定的になる。
彼らは春のことをすっかり忘れてしまう。
彼らは枯れ木や冷たい灰のことばかり考える。
彼らはバランスを失っている。
ときには大地が明るい春を迎えている姿を想起しなければならない。
真に宗教的な人間はユーモアの感覚をもち合わせている。
真に宗教的な人間は誠実ではあるが、けっして深刻ではない。
為すべきことに完全に身を捧げているが、けっして「俺のほうがおまえより高
潔だ」といった態度は取らない、絶 対 に 取らない。
けっして優越感にひたることはなく、謙虚だ。
真に宗教的な人間は雨や風とともに踊ることができる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

385 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/14(木) 23:03:17 ID:1d4drIFg0
何かに拘りすぎればそれもまた障害になるものじゃ。
法にさえ拘れば道を外れてしまうのじゃ。
なにものにも拘らずに進んでいくのじゃ。
その拘らないことにも拘らないようにするのじゃ。
自己が知れようとしたときには何もかも捨てて邁進するがよいのじゃ。

386 避難民のマジレスさん :2019/03/14(木) 23:22:42 ID:LC3de7YgO
>>384
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第九話 大地が明るい春を迎える
より抜粋

子供たちと一緒に微笑み、笑うことができる。
生のあらゆる状況にくつろぐことができる。
それが自由だ。
それは自我エゴからの自由だ。
自我は人を深刻にする。

そのようにして人は暗黒の世界に沈んでゆくのである。
深刻になり過ぎると、暗黒の世界に、否定的な世界に沈んでゆく。

そこではエネルギーは冷え、息は荒くなり、 寒さと衰亡のメッセージが頻繁に
現れてくる。
いいかね。冷淡になってはいけない。
世のいわゆる聖者たちは冷えきっている。
彼らは要点をすっかり取りちがえている。
冷静クールになるのはいいが、けっして冷淡コールドになってはいけない
――この二つには大きな違いがある。
そこにはとても深いパラドックスがある。
私は「涼しいクール」と言う。
それは熱を帯びた情熱と比べれば涼しいが、死の冷たさと比べたら温かい。
死の冷たさと比べれば温かいが、ぎらぎらした生への欲望に比べれば涼しい。
それは温かくもあり涼しくもある。
真に宗教的な人間は情欲をもたないがゆえに涼しい。
彼は悲しんだり深刻になることがないので温かい。
そういう状態に長くとどまっていると、植物や石の世界に入ってゆく。
あまりに冷え過ぎると、やがてあなたは岩のようになり、無意識になってしま
う。
あなたは人間から転落する。
私の観察によれば、巷の聖者の多くは人間から転落してしまっている。
彼らは超人になるのではなく、人間以下に落ちてしまった。
彼らは岩や石の世界に属している。
(p335)

また人は数知れない誘惑に惑わされてはならない。
これが起こるのは、静かな境地がはじまった後、突然 あらゆる妄想のつながり
が続々と現れてくるときである。
それを打ち破ろうとしても、どうにもならない。
その妄想を追うと、気分が軽くなったような感じがする。
精神分析が道を誤ったのはここだ。
精神分析は自由連想の技法になってしまった。
あなたはどこまでもつつ゛けてゆくことができる。
想念が次から次へと現れ、それが無限につつ゛いてゆく。
次から次へと現れる想念から身を引いたままでいなければいけない。
想念はやって来て、四方からあなたを取り囲む。
想念は雲に似ている。
わずかに顔をのぞかせていた青空さえも消えてゆく。
そして想念ではち切れそうになると、人は本能的に闘いはじめる。
瞑想とは無念無想の状態であることを読んで知っているからだ。
だが、
闘ってもけっして無念無想にはなれない。
闘っても負けるだけだ。
闘うことそのものが敗北の原因になる。
影と闘うことはできない。
闘っても負けるだけだ。自分の影と
闘おうとしたら、あなたは負けるしかない――
影がとても強いからではなく、
影など 存 在 し な い からだ。
存在しないものと闘って、どうして勝つことができるだろう?
想念は影だ。闘ってはいけない。
闘わなければ、もうひとつの道が開かれる――精神分析が選んだのはそれだ。
その場合には、想念とともに動き、想念を自由に漂わせ、自由に連想を起こら
せる。
ひとつの想念が別の想念に結びつき、またその想念が別の想念に結びついて次
々と連想が起こり、それが延々と果てしなく、うんざりするほどつつ゛いてゆ
く。
これには一種のくつろぎに似た感覚がともなう。
精神分析が終わると、人々が安堵し、救われた気持ちになるのはそのためだ。
救われたわけでもないし、助かったわけでもない。
たんに闘いが消えただけだ。
あなたが緊張するのは闘うからだ。
闘わなければ緊張は消える――そして緊張が消える ことで、あたかも救われた
ような気分になる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

387 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/15(金) 22:44:25 ID:1d4drIFg0
想念が次々に浮かんで止まらないのは初心の内にあることじゃ。
それをただ眺めるようにしていればやがては止まるのじゃ。
無理に戦ってはいかんのじゃ。
それがこつなのじゃ。

388 避難民のマジレスさん :2019/03/16(土) 00:51:00 ID:LC3de7YgO
>>386
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第九話 大地が明るい春を迎える(つづき)
より抜粋

ムラ・ナスルディンは、二サイズも小さい、きちきちの靴をはいていた。
彼は一日中不平をこぼし、靴に腹を立てていた。
ある日、私は彼に尋ねた。
「靴を変えればいいじゃないか。どうして文句ばかり言っているんだい? 誰も
その靴をはけと無理強いしていないだろう。新しい靴を買えばいいじゃないか」
彼は言った。
「だめだ!絶対にいやだ!」
私は言った
「なぜだい?」
彼は言った。
「それが唯一の慰めだからだよ。一日中靴と格闘したあと、家に帰って靴を 放
り出し、ベッドに横になると、とても気分がいいんだよ!」
それは気分がいい。
想念と闘っても勝ち目がないので、闘うことをやめ、 想念を自由に漂わせ、想
念とともに動いてゆくと、気分がよい。
精神分析の 秘密はひとえにそこにある。
精神分析はまったく助けにならない。
闘いをやめさせるから、気分がよくなるだけだ。
呂祖は言う。
「どちらも正しくない。闘う必要はないし、 想念を野放しにして、その後を追
う必要もない。 あなたは見守る人、目撃者のままでいればいい」
これは主人が召使になってしまったことを意味する。
想念の後を追えば、主人が奴隷になってしまう。
もしこのような状態に長くとどまっていると、 幻想に満ちた欲望の世界に入っ
てしまう。
主人の立場を取りもどさなければならない。
あなたは奴隷ではなく主人にならねばならない。
主人であるとはどういうことだろう?
目撃者でいることが主人であることだ。
そこにある想念を見守りなさい。
穏やかに、静かに、見守りなさい。
想念が来ては去るにまかせなさい。
想念が現れては消えるにまかせなさい。
あなたはただ気つ゛いている――
想念が現れ、とどまり、去ってゆく――
すると、まもなく想念が現れる回数がどんどん減ってゆくポイントが来る。
そしていつの日か、すきまが現れ……
いっさいの想念が消えている。
そのすきまのなかで、最初の神の体験が起こる。

最善の場合には、天国に生まれ、最悪の場合には、野狐の世界に生まれる。
確かに、こういった野狐の霊は有名な山々に住み、風や月、花や果実を楽しみ、
珊瑚のような樹や宝石のような草を楽しんでいるが、果報が尽きれば、 再び混
乱の世界に生まれ変わるのである。
瞑想がうまく進むと、あなたは天国に、永遠の至福のなかに生まれる。
しくじり、道をはずれると……道家では、そうして道をはずれることを、
最悪の場合には、野狐の世界に生まれる、と表現している。
野狐とは詩人の精神スピリットだ。
野狐とは空想力に富んだ精神のことだ。
瞑想の途中でしくじっても、何かが得られる。
あなたは樹や花、世界やその美しさを前よりももっと楽しむことができるよう
になる。
だが、やがて瞑想によってつくりだされたエネルギーは尽き、あなたは昔の混
乱に舞いもどらざるをえなくなる。
いいかね、瞑想がうまく進むと、喜びは永遠にあなたのものになる。
だが、失敗してもすばらしい喜びや詩の瞬間がいくつかは訪れる。
瞑想をしくじった者は詩人になる。
瞑想を達成した者は見者になる。
見者は永遠の詩人であり、詩人はつかのまの詩人だ。
だから、ときどきこういうことが起こる。
あなたは瞑想を少しかじるが、気分が高揚するとやめてしまう。
あなたはすべてが達成されたと思い込む。
緑の樹も赤い薔薇も鮮やかさを増し、恋はすばらしく、様々なことが起こりは
じめている――もう面倒なことはやめよう。
だが、つくりだされたエネルギーはまもなく尽きる。あなたは野狐になる。
世界中で薬物ドラッグによって生み出されているものはそれだ。
薬物は野狐しか生みださない。
だが、瞑想も、完結しなければ、薬物と変わらないものになる。
ひとたび決意したら、全身全霊で関わらねばならない。
あなたは何があってもその 果 て ま で 行かねばならない。
それは挑戦だ。この挑戦を受け入れ、内なる探求の最も美しい旅に出かけなさ
い。
そして到達するまで、台風の目に入るまで、
けっして途中で止まってはいけない。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

389 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/16(土) 22:53:09 ID:1d4drIFg0
全てを見ていながら、見るもの、見る対象に関わらないでいることで人は見る者になるのじゃ。
そして見ているだけならば思考が止む時が訪れる。
その時、人は思考が無くても意識はあることがわかるのじゃ。
そのようにして自分とは思考ではないことが知れるのじゃ。
思考のもたらす苦が無くなり、思考が無くなる不安も無いじゃろう。

390 避難民のマジレスさん :2019/03/17(日) 00:39:46 ID:LC3de7YgO
>>388
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十話 結晶する黄金の華
より抜粋

呂祖師は言った。
様々な種類の確証の体験がある。
人は小さな要求に満足せず、 生命あるものをすべて救済せんとする高邁こうま
いな決意をもたなければならない。
軽薄で無責任なこころに陥らず、みずからの言葉を行為によって 実証するよう
努力しなければならない。

静けさのなかで、精神は途切れることなく大いなる喜びにあふれ、 酔ったよう
な、湯を浴びたような感じがつつ゛く。
これは光の原理(陽)が全身を巡って調和しているしるしだ。
このとき黄金の華の蕾つぼみが芽生えはじめる。
さらにすべての窓が静まり、銀色に輝く月が中天にかかり、 この大地は明るい
光に満ちた世界のように感じられてくる。
これはこころハートの本体が開き、澄んできたしるしである。
これは黄金の華が開いてゆくしるしである。

さらに、全身に力がみなぎり、嵐も霜も恐れなくなる。
人々が不快に感じるものごとに出会っても、 精神の種子の明るさが曇ることは
ない。
黄金で家を満たし、白い宝玉で階段をつくるようなものだ。
朽ち果て腐臭を放つこの世の事物も、 真のエネルギーの一息に触れると即座
によみがえる。
赤い血はミルクに変わり、もろい肉体は純金やダイヤモンドに変わる。
これは黄金の華が結晶したしるしである。
光の輝きは次第に結晶化する。
こうして大いなる台座が出現し、やがてその上にブッダが現れてくる。
黄金の本性が現れるとき、それはブッダに他ならない。
ブッダとは大いなる悟りを得た黄金のように輝く聖者だからである。
これは大いなる確証の体験である。
寓話をひとつ……
ある日のこと、ヴィシュヌ神は遠い山の深い洞窟に座り、弟子と一緒に瞑想し
ていた。
瞑想が完成したことにいたく感動した弟子は、ヴィシュヌの足もとにひれ伏し
、感謝のしるしに何かの奉仕をさせて欲しいと言った。
ヴィシュヌは笑いながら首を振った。
「私が無償で与えたものに、行為で報いることほどむずかしいことはない」
弟子は「主よ、どうか何かのお役に立てさせてください」と言った。
「よかろう」とヴィシュヌは優しい声で言った。
「冷たくてうまい水が飲みたい」
「すぐにもってまいります」
――弟子はそう言うと、嬉しそうに歌を歌いながら山を駆けおりていった。
やがて彼は美しい谷の端にある小さな家の前に来て、戸を叩き
「私たちはさすらいのサニヤシンで、この世に家をもたない者です」
すばらしい乙女が現れて、崇敬の念もあらわに彼を見つめた。
「まあ」と彼女はささやいた。
「遠い山の頂きであの聖者にお仕えしていらっしゃるのですね。どうぞ、なか
にお入りになって、祝福を授けてくださいな」
「申し訳ありません」と彼は言った。
「急いでいるのです。水をもってただちに師のもとへ帰らなければならないの
です」
「でも、祝福をしてくださっても、あのお方はお怒りになりませんわ。
あのお方は偉大な聖者なのですから、その弟子であるあなたは、私たちのよう
に幸運に恵まれない者たちを助けてくださらなければなりません……どうかお
願いです」と彼女はくり返した。
「この貧しいわが家を祝福してください。あなたをここにお迎えして、あなた
を通して主にお仕えできるなんて、
本当に光栄ですわ」
さらに物語はつつ゛く。
彼は態度をやわらげ、家のなかに入り、そのなかにあったすべてのものを祝福
した。
やがて夕食の時間になったので、まだ帰らずに、彼女が料理したものを食べて
、それを祝福する(食べることが祝福になる)ように勧められた。
そして夜も更けてきたので、「山までの道は遠いし、暗闇で足を滑らせ、水を
こぼすかもしれません。今夜はここで寝て、朝早く旅立てばいいではないです
か」と勧められた。
ところが朝になると、誰も乳搾りを手伝う者がいなかったので雌牛が苦しみだ
し――雌牛はクリシュナ神の聖なる使いであり、苦しませてはならない――
「一度でいいからあなたが手を貸してくれるならとてもありがたいのですが」
と頼まれた。
こうして日々が過ぎていったが、彼はまだとどまっていた。
彼らは結婚し、たくさんの子供をもうけた。
彼は土地を耕して、すばらしい収穫をあげた。
さらに土地を買って穀物を栽培した。
まもなく近隣の人々が助言や手助けを求めて会いにくるようになった。
彼は無償でそれを与えた。一家は繁栄した。
彼の努力で寺院が建てられ、学校や病院がジャングルを切り開いてつくられた。
谷はこの世の宝石になった。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

391 避難民のマジレスさん :2019/03/17(日) 10:09:27 ID:LC3de7YgO
>>390
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十話 結晶する黄金の華(つづき)
より抜粋

かつては荒野でしかなかった場所に調和がみなぎっていた。
その繁栄と平和の知らせが国中に広がるにつれ、人々は谷に殺到した。
そこには貧困も病気もなく、人々はみな働きながら神への讃歌を歌った。
彼は子供たちが大きくなり、孫たちができるのを見守っていた。
平穏無事な日々がつつ゛いていた。
ある日のこと、谷を見下ろす低い丘に立ちながら、老人はここにやって来てか
ら起こったすべてのことを思い起こした。見渡すかぎり農園が広がり、村は豊
かに繁栄していた。
老人は満足した。
が、そのとき突然、山津波が押し寄せ、みるみるうちに村中を飲み込んでしま
った。
あっという間に、すべてが消えてしまった。
妻も子供も農場も学校も近所の人々も――すべてが飲み込まれてしまった。
彼は茫然として、眼前でくり広げられる大災害を見つめていた。
見ると、師のヴィシュヌが激流の上に乗っていた。
ヴィシュヌは、彼を見ると悲しげな笑みを浮かべて言った。
「私の水はまだかね!」
これは人間の物語だ。
これは万人に起こっている。
私たちは完全に忘れ去っている――
なぜここにいるのか、
いったい何をしにやって来たのか、
何を学び、何を得、何を知るためなのか、
自分は誰であり、どこから来てどこへ行くのか、
私たちの源はどこにあるのか、
生、肉体、現世 への旅を引き起こしたものは何なのか、
そして今まで に何を達成してきたのかを完全に忘れ去っている。
もし山津波がやって来れば――それは必ずやって来る。 それはつねにやって来
ている、その名前は死だ――すべてが消えてしまう。
子供、家族、名前、名声、金、権力、地位…… 一瞬のうちにすべてが消え去り
、あなたは たった独りで、完全に独りぼっちで取り残される。
あなたの業績はすべて山津波によってかき消されてしまう。
築きあげてきたものはすべて夢に他ならなかったことが明らかになる。
そしてあなたの手も、こころハートもからっぽだ。
が、あなたは神と顔を合わせなければならない、
<存在>と顔を合わせなければ
ならない。
<存在>はあなたを待ちつつ゛けている。
最初に頼んだものをあなたがもち帰ってくる ことを延々と待ちつつ゛けている

だが、あなたは眠りこけていて、千とひとつの夢を見ている。
今まであなたがやってきたことはすべてみな夢に過ぎない。
なぜなら、死がやって来れば、すべて押し流されてしまうからだ。
実在するものは死によっても押し流されることがない。
実在リアリティは死を知らない。
実在は死ぬことがない。
実在は不死だ。
実在は永遠だ。
死にゆくものはすべて、死ぬこと によって本物ではなかったことが、 幻想、
マーヤ、夢――すてきな夢かも しれないが夢でしかなかったことが判明する。
あなたは地獄の夢を見ているかもしれないし、天国の夢を見ているかもしれない

どちらにしても大差はない。
目覚めた瞬間、あなたは自分が完全にからっぽ であることに気つ゛くだろう
――それは仏陀が知っている 肯定的な意味の空くうではなく、否定的な意味の
空虚さだ。
自我エゴの消滅ではなく、 自我がなし遂げようと努めてきた いっさいのもの
の消滅…… 自我でいっぱいだけれど、 達成もなく、了解りょうげもなく、知
識もない状態。
だが、 自我が知識を求めていないというわけではない。
自我は知識を求めている。
自我は膨大な知識をそなえ、情報を集めている。
自我は偉大な収集家だ。
金を集め、情報を集め、ありとあらゆるものを集める。
自我は蓄えることを信奉している。
自我とは貪欲、まさに貪欲そのものに他ならない。
自我とは貪欲の別名だ。
それは所有したがる が、あなたが手にしているものはすべて消えてゆく。
そしてあなたがやってきたことは、すべてみな夢のなかの仕業だった。
目覚めた瞬間、あなたは驚くだろう。
どれだけ多くの時間を無駄にしてきたことか、 どれだけ多くの生を夢見ながら
過ごしてきたことか、 どれだけ多くの夢を生きてきたことか。
探求者であるというのは、 この夢から出てくること、 この夢見る状態の意識
から出てくることをいう。
探求者であるということは、
目覚めようと努力することだ。
目覚めるとは覚者ブッダになることだ―― 油断なく醒め、意識し、内なる光に
満たされることで、 無意識がすべて消え、眠りがすべて消え、眠りの闇が内側
から消え、 あなたは十全に目覚めている。(´・(ェ)・`)
(つづく)

392 避難民のマジレスさん :2019/03/17(日) 10:17:59 ID:LC3de7YgO
>>391
弟子の瞑想は完成してなかったのでありますね。
(´;(ェ);`)つ

393 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/17(日) 23:05:01 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、まだこの世に未練があったのじゃ。

道教では気が集まって丹になり、更に凝縮して陽神になるというのじゃ。
黄金の花はその兆しなのじゃ。
そして陽神は体を抜け出すのじゃ。
ヨーガでは脱身というのじゃ。
仏教でも意生身というのじゃ。
気の修行が完成した証なのじゃ。

394 避難民のマジレスさん :2019/03/17(日) 23:23:30 ID:LC3de7YgO
>>391
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十話 結晶する黄金の華(つづき)
より抜粋

こんなことがあった…… 偉大な占星術師が仏陀の姿を目にした。
彼はわが目を疑った。
その身体、 身体を取り巻いているその黄金のオーラ、その美しい顔――湖のよ
うに静かで、 湖のように深く澄みきった、その水晶のような透明さ、その歩く
優美な姿。
彼は仏陀の足もとにひれ伏して言った。
「私は占星術と手相を研究してきました。私は生涯をかけて人間のタイプを 研
究してきました。ですが、あなたのような方にお会いするのははじめてです!
あなたはどのようなタイプに属しておられるのでしょう?あなたは地上に 降り
立った神なのですか?ともてこの世に属する方のようには見えません。 あなた
には重さが微塵みじんもありません。あなたは軽々としていて重さがない。 あ
なたはどのようにして地上を歩かれるのですか? あなたは重力の作用を受けて
おられるようには見えません。 あなたは地上で何が起こっているかを見るため
に天国から降りて来られた神 なのですか?神の使者なのですか?預言者なので
すか?あなたは誰なのです?」
すると仏陀は言った。
「私は神ではない」
占星術師は尋ねた。
「では、インドの 神話に出てくるヤクシャなのですか?」――ヤクシャという
のは神より一段低い 存在だ。
仏陀は言った。
「いいや、私はヤクシャでもない」
「では、あなたは誰 なのです?あなたはどういう種類の人なのですか?あなた
をどう分類すればいい のでしょう?」
仏陀は言った。
「私は男でもなければ女でもない」
占星術師は途方に暮れてしまい、こう言った。
「それはどういう意味ですか?
あなたは動物だとでも……動物の精、樹の精、山の精、川の精だとでも おっし
ゃるのですか?」――インドの神話は汎神論的だから、それはあらゆる 種類の
精霊を信じている。
「では、あなたは誰なのです?薔薇の精なのですか?あなたはとても美しく、
とても無垢に見えます」
すると仏陀は言った。
「いいや、私は動物でもなければ 、樹や山の精でもない」
「では、あなたは誰なのですか?」
占星術師は困り果てて しまった。
すると仏陀は言った。
「私は醒めた意識に他ならない。あなたは私を 分類することができない。なぜ
なら、分類はどれも夢にしか当てはまらないからだ」
自分は男であるという夢を見ている者もいれば、 自分は女であるという夢を見
ている者もいる。
そのようにして夢はどこまでもつつ゛いてゆく。
分類は夢の世界に属している。
目覚めると、人はその目覚め、 覚醒の本質そのものになっている。
人は目撃者、純粋な目撃者以外の 何ものでもない。
雲はすっかり晴れている。
男や女、動物、神、樹といった"雲"―― どんな雲や形もひとつ残らず消え去
っている。
人はまさに形のない醒めた意識、終わりもなく 果てもない広大無辺な澄んだ大
空になっている。
この醒めた意識には雲がなく、ただ青空が広がっている。
これが肯定的な虚空であり、これがにゃはんニルヴァーナだ。
それから否定的な虚空がある。
あなたは雲でいっぱいになっている―― すっかり雲に覆われて、かすかな青空
ものぞめない。
あなたは知識でいっぱいに なっている――いっぱいになり過ぎて、瞑想のため
の空間が少しも残されていない。
何も知らないのに、知っているつもりでいる者――よく「パンディット」 とか
「学者」と呼ばれている連中は愚か者だ。
彼らを避けなさい。
何も知らず、自分が知らないということも知らない のは、無垢な人であり、子
供だ。
彼を目覚めさせるがいい。
何も知らず、自分が知らないということを知っている のは、覚者ブッダだ。
彼に従いなさい。
「私は誰でもない」というこの自覚に到る ことが、覚者ブッダになるというこ
とだ。
ブッダとはある人物の名前ではない。
ブッダとは 誰 で も な い 状 態 を表す名前だ。
ブッダは人物ではない。
ブッダとはまさに空間、開け放たれた空間、 開放状態のことであり、その開放
状態、開け放たれた大空を表す名前だ。
自分の想念マインドを見守りなさい。
どれほど多くの夢がつつ゛いていることか。
あなたは夜、夢を見るだけではなく、絶えず夢にひたっている。
昼間、目覚めているつもりでいるとき ですら、夢が途切れることはない。
いつでも目を閉じてくつろぎさえすれば、 ただちにそこを漂っている夢が見え
てくる。
夢はつねに底流のようにそこにある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

395 避難民のマジレスさん :2019/03/17(日) 23:40:30 ID:LC3de7YgO
>>393
鬼和尚は脱身できますか?
(´・(ェ)・`)つ

396 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/18(月) 21:20:55 ID:1d4drIFg0
↑誰でもできるのじゃ。
実際に寝ている時は誰でも脱身しているのじゃ。
肉体の意識から離れているのじゃ。
自分ではわからないだけなのじゃ。
意識的にできるようになるのが脱身なのじゃ。
本当は意識が拡大しているのじゃ。
肉体に囚われない意識に広がるのじゃ。

397 避難民のマジレスさん :2019/03/18(月) 22:30:17 ID:LC3de7YgO
>>396
ふむふむ。
で、その脱身を気を体内に巡らすことができるように、意図的に操作できるようにもなるのでありますか?
(´・(ェ)・`)つ

398 避難民のマジレスさん :2019/03/18(月) 22:43:47 ID:LC3de7YgO
>>394
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十話 結晶する黄金の華(つづき)
より抜粋

夢はけっしてあなたのもとを離れず、絶えずそこにあって、 あなたの実存に影
響を与えつつ゛けている。
夢は意識にはのぼらない。
あなたはそれに気つ゛いていないかもしれない、 その存在さえ知らないかもし
れない。
だが、夢は絶えずそこにある。
私に耳を傾けているときでさえ、 その映画、その夢のドラマはつつ゛いている。
私が言っていることが耳に入らないのはそのためだ。
それはまずあなたの夢を透過しなければならないために歪んでしまう。
あなたは語られてもいないことを聞く。
あなたの夢が歪ませ、操作し、投影を起こし、ものごとを変えてしまう。
私があることを言うと、あなたはまったく別のことを聞く。
そしてこれらの夢は内側で強い力を振るっているので、 あなたはその夢をどう
扱えばいいのかわからない。
実のところ、夢にあまりにも深く同一化しているので、 自分がそれではないこ
と、見守ることができ、距離を保つこと ができ、傍観者でいられることがわか
らなくなっている。
あなたは夢に同一化し過ぎている。
先日、私は気の毒なハビブのことを話した。
彼はユング派の分析家であることに こだわるあまり、何が起こっているのか見
ることができずにいる、と。
その話をした のは、ほんの二日前のことだ。
私は九時四十五分に話を切りあげたが、彼はわずか 十分後の九時五十五分に手
紙を書いてきた。
昨日はもっとひどかった。
私が話している最中に彼は手紙を書いていた!
私が彼のことを話しているあいだ、彼は十分も待つことができなかった。
私が 「少し待ちなさい。そんなにあわてずもう少し我慢して、それに瞑想して
ごらん。 あなたはこういったことをこの場で理解することはできない。あなた
は理解力、 明晰さ、識別力がある状態ではないからだ」と言っていたのはその
ことだった。
だが、私の話の最中に、彼は手紙を書きはじめた。
私が話しているさなかに 、彼は手紙を書いていた。
さあ、そんな状態で何を書くことができるだろう?
私は語っていなかったのと、話してすらいなかったのと同じだ。
彼は自分自身の内なるつぶやきを聞いていたにちがいない。
そこから手掛かりを得ていたにちがいない。
彼は一言も理解することができなかった。
彼の夢はあまりにも強過ぎたのだろう。
彼は知識の重荷を背負っている。
私は「ユング派の自我エゴを落としなさい」と言っていたのに。
だが、何が起こったと思うかね?
ハビブは死んでしまった――彼はユング派の自我エゴを落とす よりもサニヤス
を捨ててしまった。
彼の耳にはそう聞こえたのだ。
私が「ユング派の自我エゴを落としなさい!」と言ったとき、彼は別のことを
聞いた。
彼の耳にはこのように聞こえた。
「では、サニヤスは私には向いていない。私には向いていない。私には 知識は
落とせない。それは私がもっているすべてのものだ。それに、どうやって 落と
せばいいのだろう?どうやって思考マインドを脇によければいいのだろう? そ
んなことはできっこない!それなら、サニヤスを落とす方がましだ」と。
彼はサニヤスを落とした。
もはやハビブは存在しない。
彼は夭逝してしまった。
実のところ、彼は流産してしまった。
何が起こったのだろう?
要点が見抜けなかったのだろうか?
誰がその邪魔をした というのだろう?
彼の頭マインドは雑念だらけになっていたにちがいない。
本を読み、蓄積してきたいっさいのもの――彼はそれに執着し過ぎていた。
彼は探求し、探索するためにここにやって来た。
自我を手放す用意が微塵もないのに、 それが探求と言えるだろうか?
それが探索と言えるだろうか?
人は往々にして、自我エゴに何かをつけ足すことができると、 自分は霊的な探
求者であると思い込むことがある。
あなたがたの言う霊的な旅というのは、 巧妙な自我の幻想にすぎない。
人々は 自我をもっと満足させたい、 自我をもっと強くしたい、 自我にもっと
活力を与えたい。
彼らは自我を聖なる霊光オーラで包みたい。
が、聖なる霊光は 自我が消えてはじめて現れるのであり、この二つは共存できな
い。
人を覚醒させることのできる教えに巡り合うのはまれなことだ。
人を揺さぶり起こし、深々と根を下ろした長い長い夢から 引きずりだせる師マ
スターに巡り合うのはまれなことだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

399 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/19(火) 23:30:07 ID:1d4drIFg0
>>392 そうじゃ、できるのじゃ。
本来意識は肉体に制限されているものではないからのう。

誰もが自分について幻想を見ているのじゃ。
肉体が自分とか知識が自分とかのう。
仏教とかタオとかヨーガはその夢から覚ましてくれるものなのじゃ。
そのような貴重な教えは稀にしか逢えないのじゃ。

400 避難民のマジレスさん :2019/03/20(水) 05:24:56 ID:LC3de7YgO
>>398
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十話 結晶する黄金の華(つづき)
より抜粋

師との遭遇は希有な現象であり、 それを取り逃がしてしまうことはたやすい。
簡単に取り逃がすのは、 大鎚おおつ゛ちで叩きつぶしてもらえるよう 師の前
に頭を差し出すことが、師とともにある ための第一条件だからだ。
師とは大鎚だ。
人々は勘違いをして、師が「よし!君は偉大な霊的探求者だ」と言ってくれる
状況 を探し求めている――彼らは師が自我エゴを支えてくれるものと思い込ん
でいる。
今は亡きハビブが望んでいたことはそれだ。彼は私にこう言って欲しかった―― 「君は偉大な霊的探求者だ。君がしてきたことはまったく申し分なく、寺院の基礎は 完成している。


39黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十話 結晶する黄金の華2
より抜粋

君はほとんど用意ができており、ほんのわずかのものが加われば、 すべてが完成するだろう」と。
彼が求めていたもはそれだ。
が、それはありえない。
なぜなら、 まず最初に私はあなたを壊さなければならないからだ。
完全に壊れてはじめて、あなたは目覚めることができる。
が、壊れることは辛く、痛みに満ちている。
有名なユダヤ教神秘主義の諺ことわざがある
―― 神はやさしくない。神は叔父さんではない。神は地震だ! 師マスターもま
たそうだ――
師は叔父さんではない。
師はやさしくない。
師は地震だ。
すべてを余すところなく賭ける覚悟のある者だけが、 自我エゴとして死ぬ用意
のある者だけが、生まれることができる。
「あなたがたは肩にみずからの十字架を担がなければならない。 私について来
たければ、肩にみずからの十字架を担がなければならない」 と言うとき、イエ
スが言おうとしているのはそのことだ。
カビールは言った。
「本当に私について来たければ、ただちに家を焼き払いなさい!」
彼の語る家とは何だろう?
人は再び広い大空のもと、星、太陽、月のもとに出られるように、 今まで暮ら
してきた夢の家を焼き尽くさなければならない。
そうすれば 再び風や雨に打たれることができ、 再び大自然にハートを開くこ
とができる――神とは 最も深く隠された大自然の中心に他ならないからだ。
神は知識というよりも、いわば無垢な状態に似ている。
知識ではなく、 完全に無垢になることによってあなたは神を知る。
だが、それは自我エゴにはとてもむずかしい…… これらの言葉を聞くことでさえむずかしい。
自我はただちにそれを歪め、操作し、すり変え、色つ゛けし、 上塗りをし、み
ずからを壊すどころか、それを支えるものに仕立てあげる。
自分は死んだと思い込んでいた男の話があるが、これを見れば 自我がどのよう
に働くかがよくわかる。
彼は精神科医に助けを求めに行った。
精神科医は知っているテクニックをすべて 使ってみたが、役に立たなかった。
最後に精神科医は患者の論理に訴えかけてみた。
「死人は血を流しますか?」と医者は尋ねた。
「いいや、もちろん流さない」と 患者は答えた。
「なるほどね」と医者は言った。
「では、調べてみましょう」 医者が鋭い針を取り出して、患者の皮膚を刺すと
、おびただしい血が流れはじめた。
「ごらんなさい!さあ、なんとおっしゃいますか?」と医者が尋ねた。
「おや、なんてことだ!」と患者は答えた。
「驚いたなあ!死人というのは血を流すものなんだ!」
自我エゴはこのように働く、頭マインドはこのように働く。
つまりものごとを証拠、裏つ゛け、餌に変えて使ってゆく。
自我は実に微細であり、実に巧妙な手段を取って、あなたに 「自分は正しい」
と思い込ませることができる。
それはありとあらゆる策を弄して
「正しいのは私であり、私に逆らうものはすべて間違っている」
と思い込ませようとする。
覚えておきなさい。
自我が正しいことなど け っ し て ありえない! そして、自我に逆らうもの
はすべて……そのチャンス を逃さずに、自分の自我を壊すための機会に使いな
さい。
自我を壊すことができるとき、それは 大いなる祝福の瞬間となる。
なぜなら、あなたがいないときに、神が存在し、 あ な た が い な い と き
に、あ な た が 存 在 す る からだ。 これは生と<存在>における最大のパラドックスだ
―― あなたがいないときに、はじめてあなたは存在する。 ヴィシュヌの気が進
まなかったのはそのためだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

401 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/20(水) 23:09:34 ID:1d4drIFg0
師匠が道標として役に立つのは弟子に準備が出来たときとよく言われるのじゃ。
その準備とは自分を含めた全てを捨てる準備なのじゃ。
そのような準備が出来た者は稀なのじゃ。
しかし、死によって全てが奪い去れることを自覚すればその準備もできるようになるのじゃ。
いずれ全てなくしてしまうものを捨てることで永遠を獲得するのじゃ。

402 避難民のマジレスさん :2019/03/21(木) 01:32:10 ID:LC3de7YgO
>>400
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十話 結晶する黄金の華(つづき)
より抜粋

ヴィシュヌは弟子に言った。
「私が無償で与えたものに行為で報いることほどむずかしいことはない」
――なぜだろう?なぜそれが一番むずかしいのだろう?
師は弟子がまだ夢のなかにいることを、まだ自我 エゴのなかにいることを知っているからだ。
実のところ、「お返しをしなければいけない。これほどたくさんのことをして
頂いた のだから、あなたに何かをし
てさしあげたい」という考えそのも
のが自我の思いだ。
弟子が自我を落としてしまったら、 誰が返礼するというのだろう?
いったい誰が? 「ありがとう」と言う者さえいるだろうか?
誰もいない。
完全な沈黙だけがある。
その完全な沈黙のなかで、師は顔をほころばせる。
弟子はこの完全な沈黙を通して感謝を表している。
ある男が仏陀のもとへ行った。
彼は人類のために何かをしたかった。
彼は大金持ちだった。
彼は仏陀に尋ねた。
「人類のために私にできる ことを教えてください。私にはたくさんの金があり
ます。子供もなく、 妻は死に、独り身ですから、何でもすることができます」
仏陀はとても悲しげな目で男を見つめて沈黙していた。
男は言った。
「なぜ黙っておられるのですか?なぜ話をしてくださらないのですか? あなた
はいつも慈悲について語っておられます。私には何でもする用意があります。
おっしゃってくだされば何でもします。大丈夫です――私には充分な金が あり
ますから!どんな仕事でも与えてくださればやり遂げます」
仏陀は言った。
「あなたが言っていることはわかるが、私は悲しいのだ。 あなたはものごとを
為すことができない。なぜなら、 あなたはまだ存在していないからだ。 何かを
為すことができるようになる前に、人は まず存在するようにならなければいけ
ない。 問題はどれだけ金をもっているかではなく、 あ な た 自身がいないこ
とにある!」
慈悲心という質は実存の影なのだが、その実存が欠けている。
自我エゴはけっして慈悲心をもつことができない。
自我は非情だ。慈悲のゲームを演じているときでさえ、自我は非情だ。
自我が消えてしまうと……ときには 自我のない人がとても非情に見えること
がある。
が、そうではない。
彼は非情ではありえない。
彼のその非情さですら深い慈悲にちがいない。
禅師が弟子の頭を棒で打つのは非情ではない。
それはとほうもない慈悲だ。
禅師が弟子に飛びかかって殴るのは非情ではない。
なぜなら、ときおり師の一撃によって、一瞬のうちに、 稲妻が闇を切り裂くよ
うに弟子が光明を得ることがあるからだ。
仏陀は言った。
「あなたには何もできない。 金があることは知っている。あなたのことは耳に
していた。だが、あなたを のぞき込んだとき、私はひどく悲しくなった。あな
たは何かをしたがっているが、 何かを為すことができる要素が欠けている。あ
なたは夢を見ることしかできない」
だからヴィシュヌは言う。
「私が無償で与えたものに行為で報いることほどむずかしいことはない」
ゲオルギー・グルジェフが弟子たちに言っていたのはそのことだ。
彼がP・D・ウスペンスキーに最初に言ったことはそれ、まさにそれだった。
ウスペンスキーは偉大な探求者、知識の探求者だった。
はじめてグルジェフに 会いに行ったとき、彼はすでに世界的に有名な数学者、
思想家だった。
彼が書いた 最も優れた本『テルティウム・オルガヌム』はすでに出版されてい
た。
それは類まれな本だ――著者がまだ覚醒していなかったという意味でもまれだ。
こんなに美しい作品をどうして書くことができたのだろう?
覚醒した人間にしか わからないような誤りが二、三あるが、ふつうの人間なら
まず気つ゛かない。
それはまるでブッダが書いたかのように、ほとんど完璧だ。
だが、ゲオルギー・グルジェフはその本に目を通すと、あちこちの 頁をぱらぱ
らとめくって、それを部屋の外へ投げ捨て、こう言った。
「まったくのたわごとだ! 君は何もわかっちゃいない! そもそも君はいな
いのだ。 その君にどうして知ることができるだろう? 人はまず存在しなければ
ならない。 そこではじめて人は知ることができるようになる」
ウスペンスキーは師マスターを探して東洋をくまなく旅した人物だった。
これは美しい物語であり、まるで寓話のようだ。
彼はインドを旅した。彼はセイロンやビルマへ行った。
彼は僧院やヒマラヤの洞窟で 暮らしたことがある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

403 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/21(木) 23:47:53 ID:1d4drIFg0
法華経には菩薩が何万と集まろうと仏陀の智慧はわからないと書いておるのじゃ。
その通りなのじゃ。
自ら到達しなければ悟りの智慧はわからないのじゃ。
どれほど知識を集めても悟らない限り仏陀の智慧には届かないのじゃ。

404 避難民のマジレスさん :2019/03/22(金) 02:42:53 ID:LC3de7YgO
>>402
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十話 結晶する黄金の華(つづき)
より抜粋

ラマやスワミやたくさんのヒンドゥー教の神秘家に会ったが、 誰も彼を満足さ
せることができなかった。
なぜか?
それは彼らが語ったことはみな 経典の焼き直しに過ぎず、ウスペンスキーがす
でに学んでいたことだからだ。
彼ら自身の言葉はひとつもなかった。
失意のうちに、彼は帰途についた。
彼はロシアに、かつて暮らしたペテルブルグにもどってきた。
ペテルブルグのある喫茶店で、彼はグルジェフに会った。
その最初の 出会いのとき、師のまなざしを見て、ウスペンスキーは悟った。
「この男こそ私が捜していた人物だ。私はこの町にずっと暮らし、この喫茶店
に 何年も通いつつ゛けてきたが、探し求めていた人がこの喫茶店に坐っている!
セイロン、ネパール、カシミールなど遥か遠くの場所で探しつつ゛けていたのに

グルジェフは、まずウスペンスキーにこう言った。
「自分が存在しないかぎり、君はものごとを知ることができない。 自分が存在
しないかぎり、君はものごとを為すことができない」
ところがパラドックスは、 自分が存在しなくなってはじめて、 「私」という
言葉が通用しなくなってはじめて、 人は存在するようになるというところにある。
(p355)
これらの経文は、覚者ブッダの境地をつくりだすための鍵だ―― あなたは覚醒
そのものであって、何者でもなく、 光に満ちてはいるが、完全にからっぽだ。
さあ、経文だ――
炉祖師は言った。
様々な種類の確証の体験がある。
確証の体験は、あなたが我が家に近つ゛きつつあるしるしだ。
人は確証の体験を理解し、それに気つ゛いていなければならない。
なぜなら、そこから勇気と希望が得られるからだ。
それは活力を与えてくれる。
あなたは探求が無駄ではないことを、
朝がすぐそこまで来ていることを感じるようになる。
まだ夜は暗いかもしれないが、最初の確証の体験がこもれ日のように差し込み
はじめている。
星が消えてゆき、東の空が赤く染まりつつある。
太陽はまだ昇っていないが、空はもう明るくなっている――
もうまもなく太陽が顔を出すにちがいない。
東の空が赤く染まれば、もうじき太陽が地平線から顔をのぞかせる。
鳥たちは朝の到来を讃えている。
樹々はいきいきとし、眠りは消えてゆく。
人々が起きはじめた。
これが確証の体験だ。
それとまったく同じように、霊的な道においても、紛れもない確証の体験が起
こる。
それはまだ目には見えない美しい庭園に向かって歩いてゆくと、近つ゛けば近
つ゛くほど、風が涼しくなってゆくのが感じられるようなものだ。
庭園から遠ざかってゆくと、涼しさも消えてゆく。
近つ゛いてゆくと、再び涼しくなってくる。
もっと近つ゛いてゆくと、風が涼しくなるだけでなく、花の香りが、たくさん
の花の香りが漂ってくる。
遠ざかってゆくと、香りも次第に消えてゆく。
近つ゛けば近つ゛くほど、梢で歌っている鳥たちの声が聞こえてくる。
樹は見えないけれど、鳥たちの声が聞こえてくる
・・・・・・遠くでカッコウが鳴いている・・・・・・
マンゴーの茂みがあるにちがいない。
あなたはどんどん近つ゛いてゆく。
これが確証の体験だ。
それとまったく同じことが内なる庭園――
内なる生命、喜び、沈黙、至福の源
泉へと進んでゆくときに起こる。
中心に向かって進んでゆくと、いくつかのことが消え、
いくつかの新しいことが現れてくる。

人は小さな要求に満足せず、生命あるものをすべて救済せんとする 高邁こうま
いな決意をもたなければならない。
そして、いいかね、確証の体験が現れはじめても、すぐに満足してしまっては
いけない。
涼しい風が吹いてくると、あなたはそこに坐りこんで到着したと考える。
涼しさはすばらしい、涼しさは喜びに満ちている。
だが、あなたは先に進んでゆかなければならない。
小さなことで満足してはならない。
それらが起こりはじめたことを喜び、
それらを道標みちしるべと見なしなさい。
だが、そこはまだ目的地ではない。
それらを楽しみ、神に「ありがとう」と感謝して、
確証の体験がやって来る方向に進みつつ゛けるのだ。
小さな要求で満足してはならない。
例えば、安らぎは小さな要求だ。
それはたやすく達成することができる。
緊張のない心の状態はたやすく達成することができる。
それは大したことではない。
心安らかで心配や不安がない
というのは、それほど大したことではない。
では、偉大なこととは何だろう?
人は目標として何を胸に抱きつつ゛ければよいのだろう?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

405 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/22(金) 23:05:18 ID:1d4drIFg0
悟る前にはいろいろな現象が起こるじゃろう。
自分の体が消えたように感じたり、何もかもが自分であるように感じたりするのじゃ。
サマーディに入り、安らぎと喜びを感じる者も居るじゃろう。
それらはよい兆しであるが囚われてはいかんのじゃ。
囚われれば修行は止まってしまうのじゃ。
囚われずに進むのじゃ。

406 避難民のマジレスさん :2019/03/23(土) 06:12:00 ID:LC3de7YgO
>>404
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十話 結晶する黄金の華(つづき)
より抜粋

生命あるものをすべて救済せんとする 高邁こうまいな決意をもたなければなら
ない。
これが判断の基準になっていることにあなたは驚くだろうが、それはいつも判
断の基準とされてきた。
仏教ではこれを「菩薩の誓願」と呼んでいる。
内なる中心に近つ゛けば近つ゛くほど、この世界に住む生きとし生けるすべて
のものの苦しみを感じるようになってゆく。
一方では深い穏やかさと静けさを感じ、
一方では苦悩するすべてのものたちへの深い憐れみを感じはじめる。
苦しみに次ぐ苦しみ、そしてまた苦しみ。
どこもかしこも苦しみで満ちている。
一方では大いなる喜びが沸きあがってくるが、一方では深い悲しみもまた湧い
てくる。
何百万もの人々が苦しんでいるからだ――
それも何の理由もない馬鹿げた苦しみを味わっている。
あなたが味わっている至福を達成することは、彼らの生得権でもある。
だから、もう自分は至福に満ちているから、
すべては終わったのだと満足してはならない。
あなたが至福に満ちるようになっても、
すべてが終わったわけではない。
今や旅は新たなる方向へと転じる。
覚者ブッダの境地を達成し、わが家にたどり着いたら、いよいよ真の仕事ワー
クがはじまる。
これまでは夢にすぎなかった。
今や、他の人々が夢から出てくるのを助ける真の仕事がはじまる。
弟子が達成したら、彼は師にならなければならない。
キリスト教で「キリスト意識の誓い」と呼ばれているのはこれだ。
それを本当に理解しえたキリスト教徒はいない。
彼らはそれを誤解してきた。
彼らはイエスだけがキリストであると考えている。
「キリスト」という言葉は「クリシュナ」から来ている。
それは誓いだ。
自分が救われたら、あらゆるものを救わなければならないというのがその誓い
だ。
苦しみから救われることは無上の喜びだが、他の者たちを苦しみから救ってゆ
くことと比較すれば何でもない。
自分が苦しみから救われることは、依然として自己中心的であり、自己に焦点
が合わせられている。
自己の何かが依然として残っている。
あなたは自分のことにしか関心がない。 自己が消え、あなたが救われたからといって、 どうしてその旅をやめることが
できるだろう?
さあ、今度は他の者たちを救わなければならない。
イエスが救済者と呼ばれるのはそのためだ。
だが、彼が唯一のキリストではない。
彼の前にもたくさんのキリストがいたし、 彼の後にもたくさんのキリストがいた。
これからもたくさんのキリストが現れるだろう。
覚者ブッダになる者はみな、必然的に あらゆる者を救済しなければならなく
なる。
人間の喜び、安らぎ、至福は小さなものだ。
そういうもので満足してはならない。
いつか分かち合わねばならないことを、
いつか他の人々が目覚める手助けをしなければ ならなくなることを片時も忘れ
てはいけない。
この種子をあなたのこころハートの奥深くに植えつけなさい。
仏性が花開いたときも、あなたが世界から消えてしまわないように。
仏教には二つの言葉がある。
ひとつは「アルハト」だ。アルハトとは、光明は得たのだが、 すべてが終わり
、為すべきことは完了したと考えている者をいう。
彼は消え失せてしまう。
もうひとつは「ボーディサットヴァ」と呼ばれる。
彼は光明を得たが、消えず去らずに、 懸命にこの世にとどまろうとする。
彼は滞在を引き延ばし、可能なかぎり この世にとどまろうとする。
こんな話がある。
仏陀がにゃはんニルヴァーナの扉に到達した。
すると扉が開き、天上の音楽が奏でられ、黄金の花が降り注ぎ、 花輪を手にし
た天人たちが彼を歓迎しようと待ち構えていた。
ところが、仏陀は入ることを拒み、扉に背を向けた。
天人たちは驚いて、目を疑った。
彼らは何度も何度も彼に尋ねた。
「何をしておられるのです?あなたは今生だけではなく、何生 にもわたって
こ の 扉 を探し求めてこられたのでしょう。 ようやくたどり着かれたのに、
扉に背を向けられるとは? 私たちはあなたをお待ちしていました。 またひとり
覚者ブッダが増えたと、天国は喜びで湧きかえっています。 どうかお入りくだ
さい!一緒にあなたの 仏性の開花を祝おうではありませんか」
だが仏陀は言った。
「苦しんでいる者がひとり残らず救われないかぎり、 私はなかには入らない。
私は待たなければならない。 私は最後に入るつもりだ。他の者たちを先に入れよ
う」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

407 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/23(土) 23:36:08 ID:1d4drIFg0
大乗仏教では修行に入る時に菩薩の誓願わするのじゃ。
悟ったら娑婆世界に戻って衆生を導くと誓うのじゃ。
その誓いがあれば悟った後に戻ってくることもできるのじゃ。
そして教えを説くこともできるのじゃ。
そうでなければ大抵はそのままニルヴァーナ行きなのじゃ。

408 避難民のマジレスさん :2019/03/23(土) 23:45:43 ID:LC3de7YgO
>>407
鬼和尚、いつもありがとうであります。
小乗の悟りでは涅槃行きでありますか?
肉体的にも死んじゃうのでありますか?

「苦しんでいる者がひとり残らず救われないかぎり、 私はなかには入らない。
私は待たなければならない。 私は最後に入るつもりだ。他の者たちを先に入れよ
う」
←これは、大乗あるいはOSHOの創作でありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

409 避難民のマジレスさん :2019/03/24(日) 00:01:25 ID:LC3de7YgO
>>406
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十話 結晶する黄金の華(つづき)
より抜粋

この美しい物語によると、仏陀は今も なお扉の前で待ちつつ゛けているとい
う。
扉は開いている。
いつ仏陀が入りたいと言うか わからないから、天人たちも扉を閉めるわけには
いかない。
彼にはなかにはいる権利があるので、扉は開いている。
仏陀のために扉は開け放しになっている。 こうして天上の音楽は流れつつ゛け
、花は今も降り注ぎ、 天人たちは花輪を手にして待ちつつ゛け・・・・・・ そして仏
陀は外に立っている。
彼は人々を勇気つ゛けている。
呼びかけ、挑み、奮い立たせている。
彼は人々に言っている。
「扉は開いている。 この機会を逃してはならない。なかに入りなさい! 私は
最後に入ることになるだろう。もう扉は二度と閉まらない。 すべての人が救わ
れ、光明を得ないかぎり、 扉が閉まることはない」
これは寓話にすぎないが、とほうもなく意義深い。
それを歴史的事実だと見なしてはならない。
そんなことを すれば要点を見逃してしまう。
扉もなければ、天人もいないし 、花輪もなければ、天上の音楽もない。
そして仏陀は、光明を得た瞬間に消えてしまった。
その彼がどうして扉に背を向けたまま立っていられるだろう?
誰がそこに立っているというのだろう? だが、その誓いは・・・・・・。
仏陀が<存在>のなかに解き放ったエネルギーは今もなお作用している。
真 に 探し求めている者たちは、今でもそのエネルギーを手に入れることができ
る。
そのエネルギ-はどこまでも作用しつつ゛けてゆく、 永遠に作用しつつ゛けて
ゆく。
イエスはもはやいないが、そのキリスト意識は新しい位相に入っている。
マハーヴィーラはもはやいないが、その意識はこの生命の大海に入っている。
これらの人々は<存在>の一部となり、波動を放っている。
それがこの寓話の意味だ。
彼らは今もあなたを奮い立たせている。
そのメッセージを受け取る用意があるなら、彼らは今でも あなたを向こうの岸
辺に連れてゆこうとしている。
死を迎える瞬間、師マスターは無限のエネルギーの一部になる。
そのエネルギーには仏陀が加わっている。
マハーヴィーラが加わっている。
ツァラツストラが加わっている。
老子、イエス、マホメットが加わっている。
師が死を迎えるたびに、より多くのエネルギーが解放され、 それが大きな潮の
うねりになってゆく。
じつに多くの人々が光明を得てきたので、 それはひとつらなりの潮流になって
ゆく。
あなたがたは幸運だ。
あなたの憧れが本物ならば、 あなたの願いが本物ならば、 この潮のうねりに
運ばれて 向こうの岸辺に行くことができる。
それを胸の奥に刻んでおきなさい。
小さなものごとで満足してはいけない。
途上ではたくさんのことが起こるだろう。
奇 蹟 の よ う な こ と が数多く起こるだろう。
だが、どれにも満足してはいけない。
いいかね、あなたは キリスト意識、ボーディサットヴァ にならなければいけ
ない――それ以下の ものではあなたを満足させることはできない。
これは聖なる不満足だ。
(p361)
軽薄で無責任なこころに陥らず、みずからの言葉を行為によって実証するよう
努力しなければならない。

探求者の生はつまらないことで占められてはならない。
些細なことをやりつつ゛けるたびに、時間、エネルギー、生命いのちが無駄に
なってゆくからだ。
探求者は時を無駄にすることができない。
その生涯はひたすらある一点に向けられ、捧げられねばならない。
彼はふらふらしてはいられない――
喫茶店に坐り込み、どうでもいいうわさ話に興じてなどいられない。
役にも立たないものを読んではいられない。
彼は旅の役に立たないことはいっさいしない。
あとで重荷になり、落とさなければならなくなるようなものはいっさい集めな
い。
彼は質素シンプルなままでいる。
この質素さは禁欲主義とはいっさい関係がない。
この質素さはまったく科学的なものだ。
彼はもち歩かねばならないようながらくたを集めない。
彼は重荷を担がない。
そして知識以上のがらくたはない。
なぜなら、他のがらくたは外にあるが、知識は内側に入り込んでいるからだ。
知識のために、軽々としていなければならない頭が、ひどく重たくなる。
「だるま」と呼ばれる日本の人形を見たり、観察したことがあるだろうか?
ボーディダルマは日本では「だるま」と呼ばれている。
その人形はみごとだ。
だるま人形――それは光明を得た人を表している。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

410 避難民のマジレスさん :2019/03/24(日) 13:35:08 ID:LC3de7YgO
>>409
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十話 結晶する黄金の華(つづき)
より抜粋

みごとというのは、どんなに放り出されても、不思議なことに、それは必ずも
との姿勢にもどってくる。
立ち直ってくるからだ。
放り投げても、けっしてひっくり返らずに、再びもとの姿勢にもどってくる。
その人形は底が重くて頭が軽いので、けっして逆さにはならない。
それはつねに正しい姿勢で坐っている。
人間の場合はそれとまったく逆になっている。
人間は逆さになっている。
頭がひじょうに重く、頭でっかちだ。
人間は逆立ちしている。
知識でいっぱいになっている人は逆立ちをしている。
彼はいつもシルシュアーサナ、逆立ちのポーズを取りつつ゛けている。
頭のなかに知識がない人――
頭が空っぽで、静かな人は、正しい姿勢をしている。
彼は蓮華座で坐っている。
彼は”だるま人形”だ。
彼をひっくり返すことはできない。
どんなに頑張ってみても、彼は必ずもどってくる。
彼をかき乱すことはできない。
どんなに頑張っても、
彼の不動の境地は揺るがない。

軽薄で無責任なこころに陥らず……
責任とは何だろう?
ふつうこの言葉の意味は間違ったものと結びつけられている。
真の責任は神への責任に他ならない。
あるいは、真の責任は自分自身の本性への責任に他ならない。
あなたは社会や教会や国家に責任を負っているのではない。
あなたに家族や社会に対する責任はない。
あなたが責任を負わねばならないのはただひとつ、それはあなたの本来の顔、
あなたの本来の実存だ。
その責任を取ることで、他のすべての責任はおのずと果たされる。
自然になりなさい。
自然な人間は責任リスポンシビリティを取ることができる――
なぜなら、彼は感応リスポンスするからだ。
自然ではない人間はけっして感応しない。
彼は単に反応リアクトするだけだ。
反応とは機械的であるという意味であり、
感応とは機械的ではなく、臨機応変に応答することをいう。
美しい花を見ると、あなたはふと「きれいだな」とつぶやく。
それが反応なのか感応なのか見守りなさい。
それを深くのぞき込み、詳しく調べてみなさい。
口にした「きれいな花だ」という言葉は、この瞬間、今ここで、あなたの内側
から自然に湧き起こった感応だろうか?
それは生の体験なのか、それとも他人が「花はきれいだ」と言っているのを聞
いたので、決まり文句をくり返しているだけなのだろうか?
それをよく調べ、観察してみるがいい。
誰があなたを通して話しているのだろう?
それは母親かもしれない……あなたは母親に連れられてはじめて庭に、公園に
行った日のことを思い出さないだろうか。彼女はあなたに
「この薔薇を御覧なさい。なんてきれいなんでしょう!」と言った。
そしてこれまで読んできた本、これまで見てきた映画、かつて話した人々――
それらすべてが「薔薇はきれいだ」と言っていた。
それがあなたのなかにプログラムして組み込まれてしまっている。
薔薇の花を見たとたんに「きれいだ」と言うのは、
あなたではなく、そのプログラムだ。
それはレコードにすぎない。
録音テープにすぎない。
外側の薔薇が引き金になって、ただテープがくり返しているだけだ。
それは反応だ。
感応とは何か?
感応とはその瞬間に起こる
プログラムされていない
生の体験だ。
あなたは花を見ている、
観念で目をふさがれることなく、
しっかり花を見ている。
あなたは こ の 花を、その現前げんぜんを見ている!
知識はすべて脇によけられている。
こころハートは感応し、頭マインドは反応する。
責任はこころハートから生まれる。
あなたは何も言わないかもしれない。
実際、「これはきれいだ」などと言う必要はない。
聞いた話だが……
老子はよく朝の散歩に出かけたものだった。
隣家の男がついて行きたいと言うと、老子は言った。
「だが、いいかね。ぺらぺらしゃべらないこと。
ついて来てもいいが、おしゃべりはごめんだ」
男は何度も口を開きたくなったが、老子の視線を感じて、なんとか言葉を押し
とどめた。
だが、太陽が昇りはじめると、その日の出があまりにきれいなので、誘惑に逆
らえなくなり、老子が言ったことをすっかり忘れてしまった。
彼は「なんて美しい朝だろう!」とつぶやいた。
すると老子は言った。
「ほら、口数が多くなってきた。君はしゃべりすぎる! 君も私もここにいて、
太陽があそこに昇ってきている――私に向かって 『きれいな朝日だ』などと言
って何になる? 私には見えないというのかね? 私は盲目だとでもいうのかね?
そんなことを言って何になる? 私もここにいるんだから」
実のところ、「きれいな朝だ」とつぶやいた男はそこにはいなかった。
彼はくり返していたのであり、それは反応だった。
(´・(ェ)・`)
(つづく`)

411 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/24(日) 21:49:19 ID:1d4drIFg0
>>408 小乗の悟りとか大乗の悟りというものはないのじゃ。
 大乗の誓願もただ修行を勧めるための方便なのじゃ。
 他人の為に頑張る者のための法なのじゃ。
 お釈迦様のように誓願をしなくとも他人の為に法を説く目覚めた者もいるのじゃ。
 もはや涅槃に行くというならば座り続けて餓死したりするのじゃ。

 そのような誓願は大乗に本当に在るのじゃ。
 オショーの創作ではないのじゃ。
 大乗の経に書いて在るのじゃ。

412 避難民のマジレスさん :2019/03/24(日) 22:25:11 ID:LC3de7YgO
>>411
鬼和尚、ありがとうであります。
悟ると、一切の執着なくなるので、教えを説く以外に命を長らえようとしなくなるのでありますね。
テラワダの僧侶とかは悟ったら涅槃行きなのですかね?
(´・(ェ)・`)つ

413 避難民のマジレスさん :2019/03/24(日) 22:41:22 ID:LC3de7YgO
>>410
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十話 結晶する黄金の華(つづき)
より抜粋

感応するときには、言葉が まったく不用になることもあれば、ときには必要
になることもある。
それは状況による。
だが、必ずしも言葉がともなうとはかぎらない。
言葉がともなうこともあれば、ともなわないこともある。
感応はこころハートから生まれる。
感応は感情フィーリングであって、思考ではない。
あなたはわくわくする――薔薇の花を見ると、 何かがあなたの内側で踊りはじ
め、あなたの実存の内奥の核で 何かがかき立てられる。
何かがあなたの内側で開きはじめる。
外側の花が内なる花に挑みかけ、 内なる花がそれに感応する。
これがこころハートの応答する力リスポンシビリティだ。
つまらないものにこころを奪われていなければ、 こころハートがこの内なるダ
ンスを踊れるだけのエネルギー、 有り余るエネルギーを蓄えることができる。
エネルギーが 思考に消費されると、あなたの感情は飢えてしまう。
思考は寄生虫だ。
思考は、本来なら感情に用いられるはずのエネルギーを食べて生きている。
思考はエネルギーを搾取している。
思考はあなたの実存に起こる漏電のようなものだ。
思考はあなたのエネルギーを抜き取ってしまう。
そうなったら、あなたは穴だらけの壷のようになる―― 何も溜めておけないの
で、あなたはいつまでたっても貧しいままだ。
思考がないと、 エネルギーが内部に蓄えられて、 そのレベルがどんどん高く
なってゆく。
あなたは一種の飽和状態になる。
その満たされた状態 において、こころハートが感応する。
そうなったら生は詩になる。
そうなったら生は音楽になる。
そこではじめて、そこでようやく、みずからの 言葉を行為によって実証すると
いう奇蹟 を行なうことができるようになる。
そうなったら「君を愛しているよ」と言うだけでなく、 あなたの存在そのもの
が愛の証となる。
そうなったらあなたの言葉は無力なものではなく、 そのなかに魂を宿すように
なる。
あなたの言葉と行動が一致するとき、
あなたの言葉と行動がちぐはぐにならないとき、
あなたの言葉が誠実さで満たされるとき、
あなたが自分の言った通りのものになるとき
――そのような生のみが生きるに値する。
それまでは、あなたは一種の分裂した状態で生きている。
口ではあることを言いながら、別のことをやってしまう。
あなたの精神は分裂したままだ。
言葉と行動がもはや分離せず、
同じ現象の二つの側面になる地点に到達しないかぎり、
人類はみな精神分裂症にかかっている。
あなたは感じる通りのことを言葉にし、
言葉通りのことを感じるようにならなければいけない。
言葉通りのことを行い、
行なう通りのことを言葉にするように。
そうなれば、あなたを観察するだけで、
あなたの実存がまがいものでないことが見えてくる。
静けさのなかで、精神は途切れることなく大いなる喜びにあふれ、
酔ったような、湯を浴びたような感じがつつ゛く。
これは光の原理(陽)が全身を巡って調和しているしるしだ。
このとき黄金の華の蕾つぼみが芽生えはじめる。
静けさのなかで――すばらしい確認のしるしだ――
精神は途切れることなく大いなる喜びにあふれ……。
まったく何の理由もないのに、あなたは突然喜びに包まれる。
普段の生活では、喜びを感じるときには何らかの理由がある。
美しい女性に会ったので嬉しいとか、前から欲しかった金が手に入ったので嬉
しいとか、きれいな庭のある家を買ったので嬉しいとか――だが、こういった
喜びは長続きしない。
それはつかのまのものだ。それが途切れずつつ゛くということはない。
聞いた話だが……
ムラ・ナスルディンが、家の前で、ひどく悲しげな顔をして坐っていた。
隣人が尋ねた。
「ムラ、どうしてそんなに悲しそうな顔をしているんだい?」
するとムラは言った。
「というのもね、十五日前に叔父が死んで、五万ルピー残してくれたんだ」
隣人は言った。
「それで悲しむなんておかしいよ。喜べばいいじゃないか」
ムラは言った。
「とにかくまず話を最後まで聞けよ。七日前にまた別の叔父が死んで、七千ル
ピー残してくれたんだ。でも、それっきりで、もう何も起こらないんだ……誰
も死なないし、何も起こらない。
一週間が過ぎていって、僕は本当に悲しいよ」
何かによって引き起こされた喜びは消えてゆく。それはつかのまのものであり
、すぐにあなたは深い悲しみのなかに取り残される。
喜びはすべてあなたを深い悲しみのなかに残してゆく。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

414 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/26(火) 00:00:33 ID:1d4drIFg0
>>412 そうかもしれん。
 お釈迦様の伝統があるから法を説くかもしれん。
 大乗の禅の坊主にも悟ってから法を説かなかったものもいるのじゃ。
 自由なのじゃ。

陽気が全身に満ちれば常に体は軽く精神も晴れ晴れとしているというのじゃ。
その状態を目指して気を体内に巡らせる行もあるのじゃ。
宗派によっては気を巡らせずひたすら丹田に気を蓄積するものもあるのじゃ。
行き着くところは同じなのじゃ。

415 避難民のマジレスさん :2019/03/26(火) 04:04:50 ID:LC3de7YgO
>>413
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十話 結晶する黄金の華(つづき)
より抜粋

だが、確認のしるしとなる別の種類の喜びがある。
まったく何の理由もないのに、あなたは突然喜びに包まれる。
その理由をつきとめることはできない。
誰かに「何を喜んでいるのです?」
と問われても、答えることができない。
私は自分がなぜ喜びに包まれているのか答えることができない。
理由はない。
ただ喜びに包まれているのだ。
さあ、こ の 種の喜びは乱されることがない。
何が起ころうと、それはつつ゛いてゆく。
それは昼も夜もそこにある。
あなたは若者かもしれない、年老いているかもしれない、 元気かもしれない、
死を迎えつつあるかもしれない―― が、それはつねにそこにある。
周辺が変化しても持続する、不変の喜びを見いだしたら、 あなたは確実にブッ
ダの境地に近つ゛いている。
これが確認のしるしだ。
来ては去るような喜びに大した価値はない。
それは世俗的な現象だ。
喜びが持続するなら、途切れることなく持続するなら―― まるで陶酔したよう
な、麻薬なしで酔いしれたような気分になるなら、 まるで風呂あがりのような
、朝露のようにすがすがしく、春の若葉の ようにさわやかで、池の蓮のように
みずみずしい気分になるなら、 まるで湯を浴びたばかりのような気分になるな
ら―― そのすがすがしい気分がどこまでも途切れずにつつ゛く なら、あなたは
紛れもなくわが家に近つ゛いている。
これは光の原理(陽)が全身を巡って調和しているしるしだ。
今や、あなたの全身は調和のとれた統一体として働いている。
あなたの全身は調和がとれている。
あなたはもはや分裂していない。
あなたはもはや断片ではない。
これが個性化だ。
あなたはひとつの全体としてまとまり、
部分はすべて共振しながらともに働いている。
どの部分も実存というオーケストラの一員を演じている。
調和からはずれているものは何もない。
肉体、心、魂、最も低いものと最も高いもの、
セックスからサマーディまで……すべてがこのうえもない調和のうちに、
一糸乱れずまとまりながら働いている。
(p368)

このとき黄金の華の蕾つぼみが芽生えはじめる。
さらにすべての窓が静まり、銀色に輝く月が中天にかかり、 この大地は明るい
光に満ちた世界のように感じられてくる。
これはこころハートの本体が開き、澄んできたしるしである。
これは黄金の華が開いてゆくしるしである。
さらに頭脳マインドだけではなく、すべての窓、すべての感覚が静まると……
頭脳は内なる感覚器官だ。
まずそれを静めなければならない。
さらに頭脳に餌を与える五感、目や耳や鼻などすべての感覚器官がある。
それらは外界から絶えず情報を送り込み、
それを内側に、頭脳に蓄えつつ゛けてゆく。
その感覚器官も静まり、何も持ち込まず、物音ひとつ立てず、受動的になっているとき……
目は眺めているが、何も持ち込もうとしない。
耳は聞いているが、聞こえるものに執着しようとしない。
舌は味わっているが、味をむさぼろうとしない。
あなたの感覚はすべて静まり、銀色の月が中天にかかっている……
銀色の月とは女性原理の象徴だ。
銀色の月が中天にかかり、すべての感覚が鳴りを潜め、頭脳が受動的になり、
静まるとき、あなたは受け身で待つという女性原理を達成している。
あなたは子宮になっている。
満月の夜だ。
すべてが涼しく、
静かで、ひそやかだ。
何も身動きしない。
その喜びは果てしない!

この大地は明るい光に満ちた世界のように感じられてくる。
それは内側だけで感じられるものではない。
それが内側にあるときには、ただちに外側にも感じられるようになる――全世
界が明るい光に満ちている。

これはこころハートの本体が開き、澄んできたしるしである。
あなたは透きとおり、澄みわたり、
清らかになり、知覚力が冴えてゆく。
女性原理は受動的な原理なので清澄さをもたらす。
それは休息を、完全な休息をもたらす。
あなたは何もせずにただそこにいる。
すべてが冴えわたり、一片の雲もない。
あなたは実在をどこまでも見通すことができる。
内側にも静謐せいひつさと喜びがあり、
外側にも静謐さと喜びがある。

これは黄金の華が開いてゆくしるしである。
最初は蕾つぼみがふくらみかけただけだったが、
今や花が開きつつある。さらなる一歩が踏み出された。

さらに、全身に力がみなぎり、嵐も霜も恐れなくなる。
沈黙と喜びが深まってゆくにつれ、あなたはみずからの死が存在しないことを
感じはじめる。
死に際し、死んでゆくのはペルソナ、人格だけであり、本質はけっして死ぬこ
とがない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

416 避難民のマジレスさん :2019/03/26(火) 19:40:29 ID:LC3de7YgO
>>415
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十話 結晶する黄金の華(つづき)
より抜粋

みずからの内に宿るもの、けっして変わらぬもの――
どんな状況のもとにあってもつつ゛いてゆく喜び――
を知るとき、はじめてあなたはみずからの内に不死なるものがあることを、永
遠なるものがあることを知る。
その瞬間、力がみなぎり、底力が湧きあがり、恐怖が消える。
そうなったら人は恐れない。
そうなったら震えはとまる。
あなたははじめて恐怖をもたずに実在をのぞき込んでいる。
そうでないかぎり、世に言ういわゆる神々は恐怖の産物にすぎない。
人はみずからを慰めるために神々をつくりだした。
人は恐怖から身を守る後ろ盾として、防御として、
鎧よろいとして神々をつくりだした。
あなたは恐れている。
あなたには誰かすがりつく相手が必要だ。
それらは偽りの神々だ。
それらは本当の神々ではない。
恐怖に駆られながら、どうして真の神を見いだすことができるだろう?
いわゆる宗教家たちは神を恐れ敬う人々として知られている。
真の宗教家には恐怖がない――彼は世間も神も恐れない。
恐れのない境地のなかで、まったく異なる神のヴィジョンが生まれてくる。
(p370)

人々が不快に感じるものごとに出会っても、精神の種子の明るさが曇ることは
ない。
もう曇ることはない。あなたの精神を打ちひしいだり、澄んだ意識を歪めるこ
とのできるものは何もないからだ。
あなたはつまらないことに興味を示し、本質的なことを忘れてしまっている。
浜辺で貝殻やきれいな石を集めているだけで、すぐそばにあるダイヤモンドの
ことなどすっかり忘れてしまっている。
あなたは死が奪い去ってゆくがらくたを集めている。
私は死によっても奪われることのない宝物を手に入れるよう呼びかけている。
ラザロよ!墓から出てきなさい!
そして、
聴く者は弟子になる。
聴く者はサニヤシンになる。
聴く者は内なる世界へと動きはじめる。
彼の旅は他の人々の旅とはまったく違うものになる。
彼は世間で暮らしているかもしれないが、もはやそこにはいない。
彼の関心はまったく別のところにある。
赤い血はミルクに変わり……
マハーヴィーラの有名な寓話が伝えようとしているのはこのことだ。
それによると、蛇が、とても危険な蛇がマハーヴィーラに襲いかかり、
彼の足を噛んだが、血の代わりにミルクが流れ出たという。
ところがジャイナ教徒たちはそれを文字通りに解釈し、
物笑いの種になっている。
それは文字通りに解釈すべきものではない。
それは寓話だ。
赤い血は暴力を表し、ミルクは愛を表している。
子供が生まれると、母親の乳房はすぐにミルクでいっぱいになる――生まれた
ばかりの子供への愛と思いやりから。
突然、彼女の血はミルクに変わりはじめる。
みるみるうちに母親の生化学のなかで奇蹟が起こりはじめる。
今まで彼女は女にすぎなかったが、今では母親になっている。
子供の誕生とともに、二人の人間が生まれる――
一方には子供が、そしてもう一方には母親が。
母親の生化学はふつうの女性とは違っている。
奇蹟が起こっている。
愛ゆえに、血はミルクに変わりはじめる。
それは象徴的だ。
血は暴力であり、ミルクは愛だ。
人がこの境地に達すると、暴力はすべて影を潜める。
彼は愛そのものであり、愛より他の何ものでもない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

417 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/26(火) 22:02:18 ID:1d4drIFg0
肉体や人格は死ぬが本質は死なないというのじゃ。
その本質とは全てのものの本質と同じなのじゃ。
全ては同じ本質を持ち時とともに変るものではないのじゃ。
それを実感すれば全てに戻るのじゃ。

418 避難民のマジレスさん :2019/03/26(火) 22:25:22 ID:LC3de7YgO
>>416
41黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十話 結晶する黄金の華4
より抜粋

もろい肉体は純金やダイヤモンドに変わる。
そして見える者たち、見る目をそなえた者たちは、ブッダの身体のなかに、も
ろい肉体ではなく純金やダイヤモンドを見ることができる。
弟子たちが話すことを他の人々が信じないのはそのためだ。
他の人々は、弟子たちは催眠術にかけられていると考える。
なぜなら、弟子たちは他人には見えないものを、身近な弟子たちにしか感知で
きないものを見はじめるからだ。
彼らはふつうの肉体のなかに別のものを、他の身体、黄金やダイヤモンドでで
きた身体、永遠の身体を見はじめる。
この肉の身体は時間の身体だ。
その背後には永遠の身体が隠されている……
だが、それを見るには目をもたなければならない……
そして愛と明け渡しだけが、あなたに目を授けることができる。

これは黄金の華が結晶したしるしである。
だが、この内なる旅に入ってゆくと、人はみずからの身体を黄金やダイヤモン
ドとして見ることができるようになる。
そうなったら、黄金の華が結晶したと確信してもいい。
最初、それはふくらんでゆく蕾つぼみにすぎなかったが、しだいに花が開いて
ゆき、今や結晶している。

光の輝きは次第に結晶化する。
こうして大いなる台座が出現し、 やがてその上にブッダが現れてくる。
今やブッダはそれほど遠くないことを、夜明けが近つ゛いてきていることを、
夜が明けつつあることを確信することができる。
光の輝きが結晶化するにつれ、台座が現れ……
この黄金やダイヤモンドのヴィジョン、永遠の身体のヴィジョンという台座の
上に……やがてブッダが現れてくる。
この地点を過ぎれば、為しうることは何もない。
後はただ待たなければならない。
何もせず、静かに坐っていると、春が来て、草はひとりでに生えてくる。

やがて
――春が訪れると――

その上にブッダが現れる。
黄金の本性が現れるとき、それはブッダに他ならない。
東洋人はそれを「ブッダ」と呼び、
西洋人はそれを「キリスト」と呼んできた
――それは同じ本質を指している。

ブッダとは大いなる悟りを得た黄金のように輝く聖者だからである。
これは大いなる確証の体験である。
みずからの内側に光輝く台座、結晶化した光が見え、 その台座の上にブッダが
現れたら――黄金の華が開き、 花を咲かせ、その黄金の蓮の上にブッダが現れ
てきたら、 あなたはわが家に帰り着いている。
これが究極のゴールだ。
これを見いださなければならない。
これを見いだすことはできる。
これはあなたが生まれながらにしてもっている権利だ。
取り逃がすとしたら、誰のせいでもない、 その責任はひとえにあなたにある。
 す べ て を賭けなさい。
 だが、逃してはならない!
 す べ て を犠牲にするがいい。
 だが、逃してはならない!
(´・(ェ)・`)
(おわり)

419 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/27(水) 22:34:59 ID:1d4drIFg0
金は千年たっても輝きを失わないから永遠の象徴なのじゃ。
修行を終えた者は黄金の肉体となるというのも不死の境地に入った喩えなのじゃ。
死ぬ者が不死の境地に入ることは卑金属が金になると同じ錬金術なのじゃ。
それが黄金の華の秘密なのじゃ。

420 避難民のマジレスさん :2019/03/27(水) 22:57:50 ID:LC3de7YgO
>>418
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十一話 確証の体験
より抜粋

呂祖師は言った。

ところで、点検できる確証の体験が三つある。
その第一は、瞑想の状態に入ったときに神々が谷間にいるという体験である。
人々の話し声が数百歩も離れたところから響いてくるように聞こえ、 そのひと
つひとつがひじょうに鮮明である。
だが、その音はすべて谷間でこだまが反響するように聞こえる。
いつも聞くことができるのだが、自分自身の声はけっして聞こえない。
これが「神々が谷間にいる」といわれる体験である。

ときおり次のような体験が起こることがある。
人が静かな状態になるとすぐに、目の光が燃えあがりはじめ、 眼前にあるもの
がすべて明るく輝き、まるで雲のなかにいるかのように感じられる。
目を開けて身体を探しても、もはやどこにも見つからない。
これが「からっぽの部屋が明るく輝く」という体験である。
内も外も、あらゆるものが等しく輝いている。
これはひじょうによいしるしである。

あるいは、坐って瞑想していると、肉体が絹か宝玉のようにまばゆく輝きはじ
める。
坐ったままでいるのがむずかしくなる、上に引きあげられるような感じがする

これは「精神が天に帰り、その頂点に触れる」と呼ばれる体験である。
やがて、本当に上昇するような体験をすることがある。

さて、これらの三つの体験はすべてこの世で得ることができる。
だが、これですべてを説明しつくせたわけではない。
各人の気質や性癖に応じて異なった現象が現れるからだ。
もしこういったことを体験したなら、それはよい素質のしるしである。
こういった現象は、人が水を飲んで、その冷暖をおのずから知る ような性質の
ものである。
それと同じように、人はこれらの体験を自分で 確かめてみなければならない。
そのときはじめてそれは本物の体験になる。

呂祖師は言った。

光を巡らせる訓練は徐々に成果が現れてゆく。
その際、日常の務めを放棄してはならない。
古人は 「仕事がやって来れば、それを引き受けなければならない。 ものごとが
やって来れば、それを根底から理解しなければならない」と言っている。
正しい思考によって事を適切に処置してゆくなら、 光は外界の事物によって散
らされることなく、みずからの法則に従って巡る。
穏やかな目に見えない光の循環でさえこのようにして起こりはじめる。
すでにはっきりとした形をとった真の光の循環の場合は言うまでもない。

日常生活のなかで、自他の思いをいっさい混入することなく、 ものごとに対し
てつねに打てば響くように対処する力をもつなら、 それは環境から生じる光の
循環である。
これが第一の奥義である。

朝早く、世間のしがらみをいっさい断って、 一、二時間瞑想することができれ
ば、さらに、 あらゆる外界の活動と事物に主観をいっさい交えず、 打てば響く
ように対処することができれば、そして それを途切れることなくつつ゛けるこ
とができれば、 二、三ヶ月後には天上から真人たちがやって来て、 その行為を
認めてくれるであろう。

ある美しい朝のことだった。
今朝と同じような朝だったにちがいない。
涼しい風が吹き、濡れた大地の甘い香りが一面に立ちこめていた。
鳥たちが歌い、太陽が地平線から顔を出そうとしていた。
朝露が草葉の上で真珠のように輝いていた。
朝はいつも美しい。
必要なのはそれを見る目だけだ。
鳥たちがそこにいて、毎朝のように歌っている。
だが、誰がそれを聴いているだろう?
樹々は花を咲かせているが、誰がその美を味わっているだろう?
美的な感覚をそなえたこころハートが欠け、計算高い頭マインドだけが働いて
いる。
あなたが醜い世界に住んでいるのはそのためだ。
私はあなたがたに遠い昔の物語を話そうとしている。
ゴータマ仏陀のサニヤシンたちがマンゴーの樹々の下で瞑想をしていた……
朝ほど瞑想にふさわしい時はない。
一晩中休息を取ったおかげで、
あなたはみずからの実存のすぐ近くにいる。
他のどの時間よりも、早朝ほど意識して
中心に入ってゆきやすい時はない――
あなたは一晩中その中心にいて、たった今そこを後にしてきたばかりだからだ。
千とひとつのものごとが立ち現れる世界はまだはじまっていない。
あなたは事物に向かい、外界に出てゆく途上にあるが、
内なる中心はすぐそこに、ほんの間近にある。
ちょっと振り返れば、そこにあるものを
――真理、神、光明を見ることができる。
夢も見ないほど深い眠りのなかで訪れていたものを見ることが
……だが、あなたはそのときは無意識だった。
深い眠りには若返らせる力がある。
あなたは実存の中核に入ってゆくからだ――
(´・(ェ)・`)
(つづく)

421 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/28(木) 22:36:55 ID:1d4drIFg0
虚室生白とか呼ばれる現象なのじゃ。
元々荘子の言葉なのじゃ。
サマーディに入った状態なのじゃ。
自己を忘れ、意識が拡大していく過程なのじゃ。

422 避難民のマジレスさん :2019/03/28(木) 23:52:48 ID:LC3de7YgO
>>420
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十一話 確証の体験(つづき)
より抜粋

呂祖師は言った。

無意識ではあるが、入ってゆくことに変わりはない。
外界での疲れはすべて取り去られ、傷はすべて癒され、
ほこりはすべて消え失せる。
あなたは湯を浴びてきた。
みずからの実存のなかに深く身を浸していた。
パタンジャリが「深い、夢のない眠りはサマーディとよく似ている」
と言うのはそのためだ。
だが、よく似てはいるが、まったく同じではない。
どこが違うのだろう?
違いはごくわずか だとも言えるし、ひじょうに大きいとも言える。
が、そこにはこれだけの違いがある――つまり眠りのなかでは意識がないが 、
サマーディのなかでは意識がある。
だが、その空間は同じだ。
だから、朝、眠りから覚めたばかり のとき、あなたは中心のすぐそばにいる
…… 間もなく周辺があなたをつかまえ、乗っ取ってゆく。
あなたは仕事の世界に入ってゆかなければならない。
その外界の旅に出かける前に、 意識的に自分が誰であるかを見る ことができ
るように振り返ってみる―― まさにそれが瞑想というものだ。
だから、いつの時代にも、朝には、 大地が目覚め、鳥たちが目覚め、太陽が
目覚め、 大気全体に目覚めが満ちてゆく早朝には、 この状況を使うことができ
る。
あなたはこの目覚めの潮流に乗って、 油断なく目を見張り、醒めながら、み
ずからの 実存のなかに入ってゆくことができる。
そうすればあなたの生全体が変容を遂げる。
あなたに異なる方向感覚がそなわることで、 その日一日がそっくり変容を遂げ
る。
そうなったら街の雑踏マーケットプレイスに入ってゆきながら、 内なる中核と
依然として接触を保ちつつ゛けることができる。
そして、それは最も深遠な秘法、黄金の華の秘密だ。
……その朝、仏陀のサニヤシンたちはマンゴーの樹々の下で瞑想をしていた
…… あなたがたが私のまわりに集まってきているように、何千人もの人々が 仏
陀のまわりに集まってきていた。
瞑想の他に学ぶべきものはなかった。
ブッダたちは教えるのではなく、ただ分かち合うだけだ。
彼らは教義を授けるのではなく、まさしく実践法を授ける。
彼らは信条を授けるのではなく、まさしく信頼の味を味わわせる。
そして信頼をほんの一滴味わうだけで、生は変貌を遂げる。
覚醒した人と結びつくには、あなた の側でも少しは醒めるより他にすべはな
い。
なぜなら、似た者同士しか親しくなれないからだ。
ブッダとともにあるためには、日常生活で 求められるよりもいくらか多くの注
意深さが求められる。
日常生活では、あなたはロボットのように機械的にならなければいけない。
師のもとへ行くと、あなたは 機械的であることをやめ、自動的に反応するこ
とをやめ、 もう少し注意深くなり、ものを見つつ゛けるだけでなく、 みずから
の実存をも想起することを求められる。
……仏陀の弟子たちは瞑想をしていた……
こんなに美しい朝を取り逃がすわけにはゆかない。
鳥たちが朝の太陽を讃えているときには、 あなたも神を讃えなければならない。
樹々が風にそよいでいるときには、 あなたもこの永遠の舞ダンスに加わらな
ければならない。
あなたもお祝いをしなければならない。
新しい日がはじまる―― 過去を忘れ、過去を引きずらず、 新しく生まれ変わ
りなさい。
(p380)
……仏陀にはスブーティという名前の弟子がいた。
弟子たちの何人かは本当に稀な者たちだった。
スブーティは 覚者ブッダの境地の瀬戸際に立っていた希有な者たちのひとりだ
った。
あとわずか一歩で、彼はブッダになるところだった。
彼はわが家に帰りつつあった。
刻一刻とわが家に近つ゛きつつあった。
自我エゴが消え神が生まれる中心へと、 あなたが死んで全体が生まれる中心
へと どんどん近つ゛きつつあった。
中心に到ると、部分は全体のなかに消え、調和のとれた宇宙が生まれ、 あなた
はもはや死を恐れ身震いしている分離した存在ではなくなる。
そうなったら、あなたはこの<存在>の永遠の遊戯の一部になる。
スブーティはまさに瀬戸際にいた。
彼は仏陀の弟子のなかで 最 も 静かな者たちのひとりだった。
あまりに静かだったので、ほとんど存在していないかのようだった、 と経典は
伝えている。
彼がやって来ても、誰も注意を払わなかった。
彼が通り過ぎても、誰も彼が通り過ぎたことに気つ゛かなかった。
彼はじつに静かなそよ風のようだった…… ふつうあなたは 注目を浴びたがっ
ている。
注目されないと、あなたは傷ついてしまう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

423 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/29(金) 22:21:22 ID:1d4drIFg0
朝目覚めた時、一瞬だけ人は自分を忘れていると自覚できるのじゃ。
それは自然なサマーディともいえるのじゃ。
朝には智慧が浮かび、心も静かに鎮まっているのじゃ。
瞑想はその時を自分の意志で生み出せるようにする法なのじゃ。

424 避難民のマジレスさん :2019/03/30(土) 02:31:40 ID:LC3de7YgO
>>422
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十一話 確証の体験(つづき)
より抜粋

呂祖師は言った。

あなたは 注目を浴びたい。
注目をされたがっているのはいったい誰なのだろう?
自我エゴが注目を浴びたがっている。
自我は注目を浴びることで生きている。
誰にも相手にされなかったら――あなたがやって来ても誰も気つ゛かなかった
ら 、あなたが通り過ぎてもまるで相手にされず、誰も「おはよう、元気かい?」
と 声をかけなかったら――あなたは傷ついてしまう。
あなたはこのように考えはじ める。
「私は無視されている。私が誰であるかをあの連中に教えてやらなければ」
自我はつねに注目を浴びたがっている。 ……スブーティはとても静かだった。
注目を浴びたいという彼の欲望は消えてしまっていた。
注目を浴びたいという欲望が消えたとたん、あなたの 実存からはいっさいの政
治が消える。
そうなったらあなたは宗教的になっている。
そうなったらあなたは自分が何者でもないことにすっかりくつろいでいる。
そうなったらあなたはまったく異なった生を生きる。
そうなったらあなたはとても静かに生きるので、 どんな物音も立てず、さざ波
ひとつ立てず、一度も 去来したことがないかのように去来してゆく。
スブーティはいながらにしていなかった…… 実のところ、真 に 存在する瞬間
、あなたは 自我エゴという観念をそっくり落としてしまう。
人々が自我という観念をもち歩いて いるのは、彼らが存在していないからだ

この逆説を理解しようとしてみなさい。
存在していない者たちには自負心がある。
彼らは何がなんでも自負心を もたざるをえない。
彼らは世間に向かって自分を証明しなければならず、 絶えず演技をしつつ゛け
ている。
演技をしなければ、自分が誰でもない者に なってしまうことを知っているから
だ。
彼らは演技をし、声を張りあげ、 騒ぎ立て、他人の目を引きつけなければなら
ない。
アドルフ・ヒトラー、ジンギス・カーン、チムールや歴代の無数の愚かな政治
家 たち、彼らがしてきたことは、人
々の注意をもっともっと自分に引きつけること だった。
こういった連中は真に存在していない人々だ。
存在している人々はみずからの実存に深く満足している。
他人が注目するかどうかなど誰がかまうだろう?
彼らは自分だけで満ち足りている。
自分自身で充分に満足している。
だから、これはパラドックスだ。
存在していない人間は、 自分を大きく見せようと努力し、特別な誰かであるふ
りをする。
存在している人間はふりをせず、 自惚れず、とても静かな存在になる。
……彼はあたかもいないかのように存在していた……
そして不在のなかではじめて真の臨在プレゼンスが現れてくる。
人物が消え失せて、臨在が現れてくる。
……彼はゆっくりと溶けてゆき、人物として消え去った……
それが起こるとき、その奇蹟が起こるとき、 そのまさに不在そのものが光輝く
臨在となる。
……スブーティも樹の下に坐っていたが、瞑想すらもしていなかった。
他の者たちは瞑想をしていたが、彼はただ何もせずそこに坐っていた。
それは最も高度な瞑想の姿だった…… 瞑想を す る のは、あくまで初心者に
すぎない。
初心者は瞑想をしなければならない。
だが、瞑想を理解した者は す る という見地でとらえることさえできない。
何かをしたとたん、あなたが揺れ動くからだ。
何かをしたとたん、あなたは緊張する。
何かをしたとたん、自我が再び裏口からしのび込む ――行為とともに行為する
者が現れてくるからだ。
瞑想とは無為の境地だ。
確かに最初のうちは や ら なければならない。
だが、ゆっくりと瞑想が深まるにつれ、理解が生まれ、行為は消えてゆく。
そうなったら 瞑想は行為ではなく、実存のありようになっている。
行為は所有の世界の一部だ。
行為は所有のもうひとつの側面だ。
もちたければ、 行為しなければならない。
もちたければ、 行為せざるをえない。
数限りない人々が行為と所有の世界にとどまっている。
これら二つの彼方にもうひとつの世界 ――存在ビーイングの世界がある。
そこではあなたは何ももたず、行為の主体でもない。
すべては完璧に静かだ。
すべては完全に受動的であり、さざ波ひとつ立っていない。
……だから彼は瞑想をしていたのではない、いいかね。
彼は何もせずにただ坐っていただけだ。
すると突然、彼のまわりに花が舞い落ちはじめた。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

425 避難民のマジレスさん :2019/03/30(土) 09:56:03 ID:LC3de7YgO
>>424
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十一話 確証の体験(つづき)
より抜粋

それはふつうの花ではなかった。
この世の花ではなかった。
地上の花ではなかった。
それらは樹々から落ちてくる のではなく、空から舞い降りてきた。
いずこからともなく、忽然と現れてきた。
彼はこれほど美しく、鮮やかで、 かぐわしい花を見たことがなかった。
それらは彼方の花、黄金の華だった。
彼が畏敬の念に打たれ、驚嘆したのも当然だ。
すると神々が 「あなたの空くうについての講話は何とすばらしいのでしょう」
とささやきかけてくる声が聞こえてきた。
彼はすっかり当惑してしまった。
「空についての講話ですって? 私は空について話してなどいません」
とスブーティは言った。
「あなたは空について話さなかったし、 私たちは空について聴きませんでし
た」と神々は応えた。
「それが真の空なのです」
そして花がスブーティの上に雨のように降り注いだ。
これは私がこれまでに出会った最も美しい物語のひとつだ。
そこには深遠な意味が隠されている。
あなたが沈黙していれば、完全に沈黙していれば、 <存在>があなたの上に降り
注ぎはじめる。
祝福が雨のように降り注いでくる。
あなたが沈黙していれば、 あなたが瞑想の状態にあり、 何もせずただ存在し
ているなら、 全存在が、その恩寵のすべて、その 美と祝福のすべてをあなたの
上に結集させる。
これがイエスが「至福の境地」と呼んでいる状態だ。
はじめてあなたは<存在>の荘厳な輝きに気つ゛くようになる。
そうなったら、一瞬一瞬が永遠であり、息をする ことでさえすばらしい喜び、
すばらしい祝祭になる。
あなたが消えた瞬間、苦しみも消える。
苦しみは自我の影だ。
が、祝福は自然な現象であり、 それはあなたがからっぽになった とたんに、
ひとりでに起こってくる。
全存在が押し寄せ、爆発する。
ルートヴィッヒ・ヴィットゲンシュタインは「神秘的なのは 世界の成り立ちで
はなく、それが存在するということだ」と言っている。
世界が存在すること自体が神秘だ。
どこか他の場所に出かけてゆく必要はない。
神秘は隠されていない。
神秘は至るところにある。
世界が存在すること自体が神秘だ!
神秘を探すために深く掘り下げる必要はない。
神秘は至るところにある。
深みにだけでなく表面にもある。
ただそれを感じるこころハートがあればいい。
ただいつでも呼応できるように開いている実存があればいい。
ただ油断なく醒めていれば――努力や緊張をいっさいともなわずに 油断なく醒
めていればいい。
必要なのは瞑想の状態だけだ。
それがあれば、<存在>の恩恵が雨のように降り注ぎはじめる。
(p384)
さて、経文だ――
呂祖師は言った。
ところで、点検できる確証の体験が三つある。
その第一は、瞑想の状態に入ったときに神々が谷間にいるという体験である。
人々の話し声が数百歩も離れたところから響いてくるように聞こえ、 そのひと
つひとつがひじょうに鮮明である。
だが、その音はすべて谷間でこだまが反響するように聞こえる。
いつも聞くことができるのだが、自分自身の声はけっして聞こえない。
これが「神々が谷間にいる」といわれる体験である。
呂祖は、三つの確かな手応えのあるしるしについて語っている。
彼は最初のしるしを「神々が谷間にいる」と表現している。
歩んでゆく者たちは――あなたがたはみな瞑想に向かって歩んでいる――この
奇妙だがとてつもなく美しい空間に出くわすことになる。
瞑想があなたの内側で結晶しはじめた最初のしるしは「神々が谷間にいる」と
述べられている体験だ。
この隠喩メタファーは何を意味しているのだろう?
それは瞑想があなたのなかで起こりはじめると、たちまち全存在が谷間となり
、あなたは丘の頂上に立つということだ。
あなたは上昇しはじめる。
全世界が遥か遠くに見下ろせる深い谷間となり、あなたは日の照る丘の上に坐
っている。
瞑想はあなたを上昇させる――物理的にではなく、霊的にだ。
その現象が起こるときにははっきりわかる。
それらがしるしになる。
瞑想しながら内側に入ってゆくと、突然、あなたは自分と周囲の騒音のあいだ
に大きな距離が生まれているのに気つ゛く。
あなたは雑踏マーケットプレイスの只なかに坐っているかもしれないが、突然
、自分と騒音のあいだにすきまが生まれているのに気つ゛く。
ほんの一瞬前には、これらの騒音はほとんどあなたと一体化していた。
あなたはそのなかにあった。
今やあなたはそれらから遠ざかりつつある。
あなたの身体は前と同じようにそこにある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

426 避難民のマジレスさん :2019/03/30(土) 10:01:31 ID:LC3de7YgO
>>425
>「神々が谷間にいる」・・・それは瞑想があなたのなかで起こりはじめると
、たちまち全存在が谷間となり、あなたは丘の頂上に立つということだ。
あなたは上昇しはじめる。
全世界が遥か遠くに見下ろせる深い谷間となり、あなたは日の照る丘の上に坐
っている。
・・・・瞑想しながら内側に入ってゆくと、突然、あなたは自分と周囲の騒音
のあいだに大きな距離が生まれているのに気つ゛く。

これが、虚室生白 であり、「神々が谷間にいる」の意味でありますね。
(´・(∀)・`)つ

427 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/30(土) 22:54:44 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、サマーディに入り、身体から意識が拡大してきている状態なのじゃ。
自分が無く、光だけがあると感じるのじゃ。
いくつも意識が在るように感じるのじゃ。
どこまでも意識が大きくなっているから上に跳んでいくように感じるのじゃ。
わかっていれば怖くないのじゃ。

428 避難民のマジレスさん :2019/03/30(土) 23:42:29 ID:LC3de7YgO
>>425
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十一話 確証の体験(つづき)
より抜粋

山に出かける必要はない――
これは内側にある本当の山を見いだす方法だ。
これは内側にあるヒマラヤを見いだす方法だ。
あなたは深い静けさのなかへと入ってゆく。
すると、すぐそばで聞こえていた騒音が――そこにはひどい混乱があった――
にわかに遠ざかり、後退してゆく。
外の世界はすべてこれまで通りで、何ひとつ変わっていない。
あなたは瞑想をはじめた同じ場所に坐っている。が、瞑想が深まってゆくにつ
れて、それが感じられてくる。
外界の事物とのあいだに距離が生じてくるのが感じられる。
人々の話し声が数百歩も離れたところから響いてくるように聞こえ……まるで
ふいに世界があなたから遠ざかってしまったかのようだ。
あるいはあなたが世界から遠ざかってしまったかのようだ。
だが、ひとつひとつの思考はきわめてはっきりとしている。
外側で語られている言葉はすべてきわめてはっきりしている。
実のところ、かつてなかったほどはっきりしている。
これが瞑想の不思議な働きだ。
あなたは無意識になってゆくのではない。というのも、無意識のときにも騒音
は消えてゆくからだ。
例えば、クロロホルムを嗅がされれば、あなたはこれと同じ現象が起こってゆ
くのを感じるだろう。
騒音がどんどん遠くへ遠くへ遠ざかってゆき……やがて消えてゆく。が、あな
たは無意識になってしまっている。
何ひとつはっきりと聞くことはできない。
瞑想のなかでもまったく同じことが起こるが、違いがある――騒音がどんどん
遠ざかってゆくが、ひとつひとつの音がひじょうにはっきり聞こえてくる。
かつてなかったほどはっきりと聞こえる。
それは目撃者が生まれてきているからだ。
最初はあなたも騒音の一部と化していた。
あなたは騒音のなかに失われていた。
今やあなたは目撃者、観察者であり、あまりに静かなので、あらゆるものをあ
りありと鮮明に見ることができる。騒音は遠くにあるが、かつてなかったほど
鮮明にはっきり聞こえてくる。
瞑想しながら音楽を聴いていると、これが起こる。
まず音楽が遠ざかってゆくのが感じられる。
つつ゛いて、それと同時に、ひとつひとつの音がかつてなかったほど鮮明には
っきり聞こえてくる。
以前は、音と音が混ざり合い、互いに重なり合っていた。
今や、ひとつひとつの音がみな原子のようにきわだっている。
ひとつひとつの音が分離している。
人々の話し声が数百歩も離れたところから響いてくるように聞こえ、 そのひと
つひとつがひじょうに鮮明である。
だが、その音は すべて谷間でこだまが反響するように聞こえる。

そして、三つめのことが感じられる。
音が直接ではなく、間接的に聞こえてくる。
まるで音そのものではなく、こだまのように。
音はだんだん希薄になり、その実体が失われる。
音はだんだん実質をなくし、その物質性が消える。
それらはもはや重くなく、軽い。
その重力のなさを感じることができる――それはこだまのようだ。全存在がこだまのようになる。
ヒンドゥー教の神秘家たちが世界を「マーヤ」――まぼろし――と呼ぶのはそ
のためだ。
「まぼろし」とは非現実という意味ではなく、たんに影やこだまに似ていると
いうことだ。
それは実在しないという意味ではなく、たんに夢に似ているということだ。
影のようであり、夢のようであり、こだまのようだ――そのように感じられる。
それらが現実だとは感じられない。
全存在が夢と化し、ひじょうに鮮明にくっきりと見えるのは、あなたが目を見
張っているからだ。
夢まぼろしのようなのは、あなたが目を見張っているからだ。
最初、あなたは夢のなかに我を忘れていた ――注意を怠り、これが現実だと考
えていた。
あなたは自分の想念マインドに同一化していた。
今はもう想念に同一化することなく、 分離した実体があなたのなかに生まれ
ている ――それが注意深く見守る状態、サクシだ。
いつも聞くことができるのだが、自分自身の声はけっして聞こえない。

そして四つめのことが感じられる。
あなたはまわりにあるすべてのものを聞くことができる――人々が話したり、
歩いたりしている。子供たちが笑っている。誰かが泣いている。
鳥が鳴き、車が通り過ぎる。
飛行機や汽車……あなたはあらゆる音を聞くことができる。
が、ただひとつ例外がある――あなたは自分自身の声を聞くことができない。
あなたは完全に消えてしまっている。
あなたは空からであり、ひとつのスブーティになりつつある。
あなたはもぬけのからだ。
あなたはひとつの実体として自分自身を感じることができない。
あらゆる騒音がそこにあるのに、あなたの内なる騒音だけは消えている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

429 避難民のマジレスさん :2019/03/31(日) 07:23:45 ID:LC3de7YgO
>>428
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十一話 確証の体験(つづき)
より抜粋

ふつうは外界よりも内界のほうが騒々しい。
本当の混乱はあなたの内側にある。
本当の狂気はそこにある。
そして、外側の狂気と内側の狂気が出会うとき、地獄が生み出される。
外側の狂気はつつ゛いてゆく。
それはあなたがつくりだしたわけではないから、消し去ることはできないが、
内なる狂気は簡単に消し去ることができる。
それはあなたの手の内にある。
内なる狂気が消えてしまえば、
外なる狂気は実体を失う。
それは現実感をすっかり失って、まぼろしになる。
自分の古い声は見つからない。
内側に思考が湧いてこないので、音がない。
これが「神々が谷間にいる」と呼ばれる体験だ。
あなたはからっぽになっている。
あらゆるものが谷の底深くに沈んでゆき、
聞こえてくるのはこだまだけだ。
そして、こだまが聞こえてきても、
あなたはけっして影響を受けることがない。

先日、狂った男がアヌラーダを強姦しようとした。男は強姦未遂でつかまった。
私は、彼女がその事件に影響されたかどうか確かめようとアヌラーダを呼んだ。
ひじょうに嬉しいことに、
彼女はまったく影響されていなかった。
事件はまったく尾を引いていなかった。
瞑想のなかへと成長することの美しさがそこにある。
たとえ殺されても、あなたは影響を受けないままでいる。
さあ、彼女を強姦しようとするのは残忍なことだ。
ひとりのインド人が強姦しようとした。
これがインドの真の姿であることをモラジ・デサイに知らせてやろう。
そして事件はこれ一件だけではない。
それはありふれた出来事になりつつある。
私のサニヤシンが外を歩くのはひじょうに危なくなっている。
この醜いインドは私のインドではない。
この醜いインドはモラジ・デサイやシャラン・シンやアドヴァニやその一党に
属している。
私はこの醜いインドとはまったく関係がない。
だが、もうひとつのインドがある。
覚者ブッダたちのインド、永遠のインドだ。
私はその一部だ。あなたがたはその一部だ。
実のところ、瞑想が起こっている場所ならどこでも、その人はこの永遠のイン
ドの一部になる。
その永遠のインドは地理的なものではなく、霊的な空間だ。
その永遠のインドの一部になることがサニヤシンになることだ。
私は嬉しかった。
このうえもなく嬉しかった。
アヌラーダを見ると、彼女はまったく影響されていないし、恐怖のかけらすら
なく、何もなかった――まるで何事もなかったかのように、まるでその企ては
夢のなかで行なわれたかのように。
人はこのようにしてゆっくり瞑想のなかへ成長してゆく。
あらゆるものが実体を失ってゆく。
人はあらゆるものを見ることができる。
彼女は応戦した。
彼女は勇気があり、どうどうとしていた。
彼女は為すべきことはすべてやった。
彼女は屈服しなかった――が、内なる意識は影響を受けていなかった。

これが「神々が谷間にいる」といわれる体験である。
ときおり次のような体験が起こることがある。
人が静かな状態になるとすぐに、目の光が燃えあがりはじめ、 眼前にあるもの
がすべて明るく輝き、 まるで雲のなかにいるかのように感じられる。
目を開けて身体を探しても、もはやどこにも見つからない。
これが「からっぽの部屋が明るく輝く」という体験である。
内も外も、あらゆるものが等しく輝いている。
これはひじょうによいしるしである。
さあ、第二のしるしは「からっぽの部屋が明るく輝く」と呼ばれている。
からっぽにならないかぎり、あなたは暗いままだ、暗闇のままだ。
「からっぽの部屋が明るく輝く」――
あなたが完全にからっぽであり、
あなたの内側に誰もいないとき、
光が現れる。
自我エゴの存在が闇をつくりだす。
暗闇と自我は同じ意味だ。
無我と光は同じ意味だ。
だから瞑想の技法はすべてみな、どこを目指そうとも、最終的には、あなたの
内なる実存であるこのからっぽの部屋に向かう。
沈黙の空間だけが残され、あなたはその空間に、光源をもたない大いなる光が
現れるのを見る。
それは太陽が昇るときに見える光のようではない。
太陽からやって来る光は永遠のものではありえないからだ。
夜になればそれは再び消え失せる。
またそれは燃料を必要とする光のようではない。
なぜなら、燃料がつきるとその光は消えてしまうからだ。
この光にはひじょうに神秘的な性質がある。
それには源がなく、原因がない。
それは引き起こされるものではない。
それゆえに、この光はひとたび現れると 存続し、けっして消えることがない。
実際、それはすでにそこにある。
それが見えるほどあなたがからっぽでないだけだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

430 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/03/31(日) 22:56:33 ID:1d4drIFg0
インドもなかなか物騒になっているというのじゃ。
時代の転換期なのじゃろう。
インドに目覚めたものが多いのは、病んでいるから医者が多いようなものとオショーも言っていたのじゃ。
しかし、お釈迦様やオショーも生んだインドは永遠の目覚めの光を世界に放っているのじゃ。

431 避難民のマジレスさん :2019/04/01(月) 06:52:40 ID:LC3de7YgO
>>429
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十一話 確証の体験(つづき)
より抜粋

そしてこの光が内側で成長しはじめると、 人が静かな状態になるとすぐに 次
のような体験が起こる。
あなたが沈黙して坐り、静かで、穏やかになり、 内も外も不動であるなら、た
だちに 目の光が燃えあがりはじめる。
突然、目から光が放たれているのに気つ゛く。
これはまだ科学が気つ゛いていない体験だ。
科学者は光が目に飛び込んでくると考えるが、その逆はけっして思いつかない。
光は外からやって来て、目に飛び込み、あなたのなかに入る。
これは物語の半分に過ぎない。
後の半分は神秘家と瞑想者だけが知っている。
光が入ってくる――これは一面にすぎない。
光が目から放たれるというもうひとつの側面がある。
そして 光が目から放射されはじめると、 目の光が燃えあがりはじめ、 眼前にあるものがすべて明るく輝く。
そうなったらこの存在全体が明るく輝く。
そうなったら樹々はかつてなかったほど青々 と繁り、その緑は光輝くような性
質を帯びてくる。
そうなったら薔薇はかつてなかったほど色鮮やかに見える。
薔薇は同じだし、樹々も同じだが、 あなたから放たれた何かが注ぎ込まれる
ことで、 今まで以上にはっきりと見える。
そうなったら小さなものごとがすばらしく美しくなる。
覚者ブッダの目にはただのきれいな石が、エリザベス女王に とってのコイヌー
ル・ダイヤモンドよりも美しく見えている。
エリザベス女王には世界最大のダイヤモンドであるコイヌールでさえ、 覚者の
目に映るふつうの石ほどにも美しく見えてはいない。
なぜだろう?
覚者の目は光を放つことができるからだ。
その光を浴びると、 ふつうの石がコイヌールになる。
ふつうの人々が覚者になる。
覚者にとっては、あらゆるものが仏性に満ちている。
「私が光明を得た日、全存在が光明を得た。 樹や山や川や岩――あらゆるもの
が光明を得た」 と仏陀が言ったのはそのためだ。
全存在がさらなる豊かさへと高められた。
それは、あなたが<存在>にどれだけ 多くのものを注ぎ込めるかにかかってい
る。
あなたが注いだ分だけが返ってくる。
何も注ぎ込まなければ何ひとつ返ってこない。
得るためにはまず注ぎ込まなければならない。
創造的な人々が非創造的な人々よりも 美や喜びをたくさん知っているのはそ
のためだ。
なぜなら、創造的な人々は<存在>に何かを注ぎ込んでいるからだ。
<存在>は応えてくれる……気前よく応えてくれる。
あなたの目はうつろだ――何も与えず、ひたすら養ってゆく。
ため込むばかりで、分かち合うことがない。
だから分かち合う力をもった目に出くわすと、 必ずそこにはとほうもない質の
違いが、 とほうもない美しさ、静けさ、力、潜在能力がある。
光をあなたに注ぎ込むことのできる目を見ること ができたら、あなたはこころ
の底から揺り動かされる。
だが、その光を見るのでさえ、今より もう少し注意深くならなければいけな
い。
太陽が昇り、夜が明けているのに、あなたはぐっすり眠っているかもしれない

だとしたら、あなたにとって太陽は昇っていないし、朝は来ていない。
あなたは暗い夜のなか、悪夢のなかをさまよっているのかもしれない。
あなたはもう少し醒めていなければならないのに、こうしたことが起こってい
る。
現代人の意識のなかで、この種の体験は幻覚剤サイケデリックスを通して わず
かながらも訪れた。
それは強いられたものであり、暴力的なものだ。
それは自然なものではなく、みずからの生化学反応を無理やりねじ伏せている

だが、その体験は起こり、たくさんの人々が薬物ドラッグを通して 瞑想にたど
り着いた。
それは薬物が、彼らが一度も自覚して いなかったことに気つ゛かせてくれたか
らだ。
ある薬物を取ると、世界が今よりもっと美しく見えてくる。
何の変哲もないものが並はずれたもののように見える。
何が起こっているのだろう?
その薬物は、内なる光があなたの目から事物の上に放たれるように強いている
―― だが、それは強いられた現象であり、危険だ。
薬物による幻覚体験が終わるたびに 、あなたは前よりももっと深い暗闇に落ち
てゆく。
そして薬物を長いあいだ 常用してきた人の目は ま っ た く うつろになってし
まう。
彼は目から光を放射してきたが、それをつくりだすすべを知らないからだ。
彼はもっと多くの光をつくりだすために、どうやって内なる光を巡らせたらよ
いかを 知らず、放射してばかりいる。
だから薬物を摂取する者は次第に目の活力、目の 若々しさを失ってゆく。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

432 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/04/01(月) 22:29:01 ID:1d4drIFg0
人が物を見ることができるのは自分の眼から光が出ているからという信仰が在るのじゃ。
光や気のエネルギーは人の体に入ってくるだけでなく出て行く道も在るのじゃ。
それは常に全てと循環しているのじゃ。
目覚めれば全てはそのような本質の光と気付くのじゃ。

433 避難民のマジレスさん :2019/04/02(火) 04:35:26 ID:LC3de7YgO
>>431
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十一話 確証の体験(つづき)
より抜粋

彼の目はどんよりと曇った、暗い、ブラックホールになる。
それとまったく逆のことが瞑想を通して起こる。
あなたが静かになればなるほど、 さらにたくさんの光が生み出される―― そ
して、それは強要された現象ではない。
あなたがあまりに多くの光を蓄えているので、 それはあなたの目からあふれは
じめる。
それはただただあふれはじめる。
雲が水分でいっぱいになると 雨を降らさざるをえないように、 ありあまるほ
どもっているので あなたは分かち合わざるをえなくなる。
あなたが光に満ちていると、そこへ さらにたくさんの光が入り込込んできて
、 刻一刻と流れ込み、それが果てしなくつつ゛いて ゆく――今やあなたは分か
ち合うことができる。
あなたは樹々や岩や人々と分かち合うことができる。
あなたは天地万物に与えることができる。
これはひじょうに好ましいしるしだ。
だが、薬物ドラッグにだまされてはならない。
薬物によって得られるのは 偽りの体験、強要された体験にすぎず、そして強い
られた体験はすべて あなたの内なる生体環境エコロジー、あなたの内なる調和
にとって 破壊的であり、最後には、あなたは得るのではなく、失ってしまう。
ときおり次のような体験が起こることがある。
人が静かな状態になるとすぐに、 目の光が燃えあがりはじめ……
あなたはそれを体験するだろう!
あなたの目は炎のように燃えあがる。
そして目が燃えあがると、まるで事物がもはや三次元ではなく四次元になった
かのように、天地万物のすべてが新しい色合い、新しい深み、新しい次元を帯
びるようになる。
新しい次元――光輝く次元がつけ加わる。

目の光が燃えあがりはじめ、眼前にあるものがすべて明るく輝き、 まるで雲の
なかにいるかのように感じられる。
あたかも太陽に照らされて、
雲全体が燃えているかのようであり、
あなたは雲のなかにいて、その雲は
陽光を反射し火のように輝いている。
人はこの光の雲のなかで暮らすようになる。
人はそのなかで眠り、そのなかを歩き、そのなかで坐る。
この雲には切れ目がない。
この雲は霊光オーラとしてとらえられてきた。
見る目をそなえた人々は聖人の頭のまわりや、身体のまわりに光を見る。
精妙な霊光が彼らを取り巻いている。
今や科学でさえそれを認めつつある――特にロシアでは、キルリアン写真はき
わめて意義深い結論に達した。
そのひとつはあらゆるものが精妙な霊光に囲まれているというものだ――見る
目さえあればいい――
その人の状態が変わると霊光も変わる。
さあ、これは科学的な結論だ。
病気のときには、あなたの霊光も変わる。
それはくすんでいて、悲しげで、艶がない。
死が六か月以内に迫っていれば、あなたの霊光は消えてしまう。
そうなるとあなたの身体のまわりには光がなくなる。
あなたが幸せで、喜びにあふれ、充実し、満たされていると、霊光はどんどん
大きく広がり、どんどん明るくなってゆく。
もちろん、キルリアン写真の実験は覚者ブッダにはまだ行なわれたことがない。
それにソ連では、とりわけ現代では、仏陀のような人を探し出すのは容易なこ
とではない。
不幸なことだが、国中がまったく愚かな罠に陥ってしまっている。
国中が唯物主義の罠に陥っている。
これまで唯物主義がひとつの国を支配したことはなかった。
ソ連のようにひとつの国が唯物主義に条件つ゛けられたことはかつてなかった。
子どもたちは神も魂も存在せず、人間はただの肉体にすぎないと教え込まれる。
祈りのことなど、瞑想のことなど、いかにして静かになるかなど眼中にない。
イエスや仏陀やスブーティのような人に出くわしたら、キルリアン写真の技術
者は奇蹟を目の当たりにするだろう。
そうなったら彼らは最も純粋な光、最も涼しい光に出くわすだろう。
それは光であり、生命であり、愛だ。

目を開けて身体を探しても……
あなたの内側が光に満ち、目が火を放ち、全存在が新しい生命の炎と化してい
るその瞬間に、目を開いて身体を見つけようとしても見つからない。
こういった瞬間には物質は消滅する。
実際、現代物理学は「物質はいっさい存在しない。すべてはまぼろしだ」
と言っている。
あなたの身体はけっして固いものでできているのではない。
現代物理学は「奥深くでは、あなたの身体は電子でできている」と言う。
電子とは光の粒子、光の原子のことだ。
だからこの内なる火があかあかと燃えあがり、そこに現前しているときに、目
を開いても、自分の肉体を見つけることはできない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

434 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/04/02(火) 22:59:37 ID:1d4drIFg0
西洋でも昔はエーテルというものが大気に満ちていると考えられていたのじゃ。
科学的な実験で否定されてしまったのじゃ。
しかし、エーテルがあるとしたほうが説明の付くことも多いのじゃ。
気もエーテルと同じく全てにあるものじゃ。
それは全てとつながるエネルギーなのじゃ。

435 避難民のマジレスさん :2019/04/03(水) 07:11:52 ID:LC3de7YgO
>>433
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十一話 確証の体験(つづき)
より抜粋

身体がそこにないのではない。
それはそこにあるのだが、
これまで見てきたように
それを見ることはできない。
それは光の雲と化している。
あなたは霊光オーラを見ている。
光景が一変してしまっている。
これまで一度も見たことがないものが見え、
それまで見てきたものはすべて姿を消している。
それはあなたの透視力ヴィジョンによる。
霊的なものを見る透視力をそなえていないので、あなたは肉体、物質的なもの
しか見ることができない。
物質を見るには、何もいらない――知性もいらないし、
瞑想的な質もいらないし、祈りもいらない。
物質を見るのはひじょうに粗雑なことだ。
霊的なものを見るのはひじょうに精妙なことだ。
ひとたび霊的なものを見ることができれば、あなたは物質が消え失せるのを目
にすることができる。
その二つを同時に見ることはできない。
もう一度くり返そう。
ヒンドゥー教の神秘家たちがこの世界を「まぼろし」と読んだのはそのためだ。
つまり彼らは物質が存在していないことを見抜く地点にまで到達したのだ。
存在しているものはすべて神に他ならない。
ただ意識だけが存在している。
物質というのは錯覚にすぎない。
あなたが正しく見たことがないために、物質が立ち現れてくる。
それは 意 識 に他ならない。
例えば、私があなたを見るとき、私はあなたを物質ではなく意識として見ている。
あなたに触れるとき、私はあなたの身体に触れているのではなく、あなたの内
奥の中核に触れている。
あなたのエネルギーに触れている。
あなたの目をのぞき込むとき、私はあなたの肉眼をのぞき込んでいるのではな
く、 あなたの霊眼に触れようとしている。
それはそこにある。
あなたにとって、それはまだ存在していないけれど、 私にとってはそれはすで
に存在している。
あなたが私に耳を傾け、 分かち合われているものを理解しようとするなら、
じきにそれはあなたにとっても現実になるだろう。
神があるか、世界があるか、そのいずれかだ。
両者がともに見つかることはけっしてない。
世界を見ている者たちはけっして神を見ることがない。
そして神を見た者たち、彼らにとって世界は消え失せている。
"世界"というのはたんなる誤解にすぎなかった。
それは数を数えたり、算数をしていて計算間違いをするようなものだ。
二足す二を五にしてしまうと、ものごと全体がおかしくなってしまう。
もとにもどって誤りを見つけだし、それを正せば、 二足す二は再び四となり、
ものごと全体が変わる。
それとまったく同じように、物質というのは目の錯覚だ。
それはヒンドゥー教の神秘家たちが言っていることとそっくりだ。
暗闇のなかで縄を見ると、あなたはそれを蛇だと思い込んでしまう。
蛇だと思い込んだため、あなたは駆けだしてしまう。
心臓はドキドキし、息は切れ、震えている。
涼しい夜だというのに、あなたは汗をかいている。
あなたは心臓発作さえ起こしかねない。
まったく何の理由もないのに!
朝になれば、それが縄にすぎなかったことがわかる。
これはひじょうに馬鹿げたことだ。

私はあるとき友人とともにある家に泊まったことがある。
その家にはハツカネズミ やドブネズミがぞろぞろいた。
その夜のこと、私たちが寝ているあいだにネズミが 友人のベッドに入り込んだ
にちがいない。
ネズミが彼を、その足を噛もうとした ところで、彼は目を覚ました。
彼はベッドから飛び出して、大きな悲鳴をあげた。
ネズミはきっと逃げたのだろう。
何の害もなかった――噛まれる寸前ではあったけれど 。
だが、彼はとても心配した。
彼はそれが蛇だったのではないかと不安になった。
私は 「馬鹿だな!蛇なんかいないよ。いるはずがないじゃないか」と言って、
二人であたり を見まわした。
「君の家にもネズミはたくさんいるだろう。きっとネズミだよ」 ――それで彼
も納得した。
私たちは眠りについた。
すべては丸くおさまった。
私たちは川に行き、そこで泳いだ後、帰宅した。昼食をすませた頃、家のなか
で蛇が 見つかった。
すると友人はたちまち気絶してしまった――蛇がいると思っただけで!
私は色々やってみたが、すでに気を失ってしまっているので、どうしようもな
かった。
一時間半ほど彼は気を失い、ある種の昏睡状態に陥っていた。
医者たちが呼ばれて、彼らが診察した。
「毒なんてこれっぽっちもありませんよ。 ネズミでさえ何の悪さもしていな
いのに、蛇が何かをするわけがないでしょう」
だが、それでも彼を正気にもどすために注射が打たれた。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

436 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/04/03(水) 22:15:05 ID:1d4drIFg0
オショーの説くとおり全ては意識なのじゃ。
全ての宇宙には意識だけがあると言えるものじゃ。
物質も大気も全て意識の一欠けらに過ぎないものじゃ。
それらを別の名称で呼び、イメージによって認識するのは記憶による仮設であるだけなのじゃ。
全ては隙間もなく繋がり合い、永遠に存在する意識であるだけなのじゃ。

437 避難民のマジレスさん :2019/04/03(水) 23:06:39 ID:LC3de7YgO
>>435
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十一話 確証の体験(つづき)
より抜粋

ちょっとした思い込み……が、思い込みが現実をつくりだすことがある。
縄を見て、駆けだすとする―― そのとき駆けているのは現実であり、 心臓が
ドキドキしているのも現実だ。
あなたは心臓発作を起こして、 死んでしまうことさえある――それは現実だ!
だが、蛇はそこにいなかった。
それはただの思い込みにすぎなかった。
神秘家たちは、「世界はただの思い込みにすぎない」 と言う。
あなたは怖がらなくてもいいのに怖がり、 逃げなくてもいいのに逃げだし、
心配しなくてもいいのに心配している。
それはただの思い込み、勘違いにすぎない。
世界は存在せず、ただ神のみがある。
すべてのものはただ意識のみで成り立っている。
目を開けて身体を探しても、もはやどこにも見つからない。
これが「からっぽの部屋が明るく輝く」という体験である。
内も外も、あらゆるものが等しく輝いている。
これはひじょうによいしるしである。
これらのことを理解しておかなければいけない。
こういったことは、あなたがたにもいずれ起こることになるからだ。
理解しておくことは助けになる。
そうしておかないと、ある日、目を開けて、自分の身体が見つからなかったら
、あなたは狂ってしまうかもしれない。
あなたはきっと何かまずいことが起こったと思うだろう――死んでしまったか
、狂ってしまったかのどちらかだ。
身体はどうなってしまったんだろう?
だが、この経文を理解しておけば、正しい瞬間が来たときに思い出すだろう。
私がこれほど多くの経典について語っているのはそのためだ。
ことが起こった時にあなたがふいをつかれないよう、
ありとあらゆる可能性に気つ゛かせるためだ。
あなたには知識があり、理解する力があり、すでに地図をもっている。
あなたは自分がどこにいるかを確かめることができ、その理解のなかに安らぐ
ことができる。
あるいは、坐って瞑想していると、 肉体が絹か宝玉のようにまばゆく輝きはじ
める。
坐ったままでいるのがむずかしくなり、 上に引きあげられるような感じがす
る。
これは 「精神が天に帰り、その頂点に触れる」 と呼ばれる体験である。
やがて、本当に上昇するような体験をすることがある。
第三のしるしだ――「精神が天に帰り、その頂点に触れる」
これはすぐに起こる。
これはごく初歩的な段階で起こりはじめる。
静かに坐っていると、突然、地面から少し、十五センチほど浮いているような
感じになる。
びっくりして目を開けると、あなたはちゃんと地面の上に坐っている。
そこであなたは夢を見ていたにちがいないと考える。
いいや、夢を見ていたわけではない。
あなたの肉体は地面の上にとどまっていた。
だが、あなたには別の身体、肉体の内に隠されている 光の身体――アストラル
体、微細体、ヴァイタル体、あるいは なんとでも好きなように呼べばいい――
がある。
その身体が浮かびあがりはじめる。
内側から感じられるのはその身体に他ならない。
なぜなら、それはあなたの内界だからだ。
目を開けると、肉体は地面の上に、 前と同じ姿でちゃんと坐っている。
幻覚を見ていたのだと決めつけてはいけない。
それは現に起こったことだ。
あなたは少し浮かびあがったのだ―― ただし、第一身体ではなく第二身体が。
肉体が絹か宝玉のようにまばゆく輝きはじめる。
それと同時に、いつであれ地面から浮上したと感じるときには――まるで重力
がもはやあなたに影響を与えなくなり、別の法則が働きはじめたかのようだ
……私はその法則を「恩寵の法則」と呼んでいる。
法則のひとつは重力の法則であり、それはあなたを下に引きおろす。
私はもうひとつの法則を「恩寵の法則」と呼んでいるが、それはあなたを上に
引きあげる。
そして、遅かれ早かれ、科学はそれを必ず発見するにちがいない。
なぜなら、法則はすべて必ず正反対の法則によって補足されるものだからだ。
単独で存在しうる法則はない。
重力にはそれを補うものがあるはずだ。
昼には夜があり、夏には冬があり、男には女があり、愛には憎しみがあり、
生には死があり、<陰>には<陽>があるように。
だから、それとまったく同じように、もう一方の極を補い、補完する法則があ
るにちがいない。
その法則を私は「恩寵の法則」と呼んでいる。
それはあなたを上に引きあげる。

肉体が絹か宝玉のようにまばゆく輝きはじめる
、という体験が起こると、それと同時に……坐ったままでいるのがむずかしく
なり、 上に引きあげられるような感じがする。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

438 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/04/04(木) 22:44:36 ID:1d4drIFg0
瞑想をしていればいろいろな現象が起こるものじゃ。
意識が拡大したせいなのじゃ。
今までの常識が覆ることに驚き、怖くなる者もいるじゃろう。
それでも恐れずに進むことが大事なのじゃ。

439 避難民のマジレスさん :2019/04/05(金) 01:28:14 ID:LC3de7YgO
>>437
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十一話 確証の体験(つづき)
より抜粋

これは 「精神が天に帰り、その頂点に触れる」 と呼ばれる体験である。
今や上昇の旅がはじまろうとしている。
そして、いいかね。
上昇と内向は同じものを指し、外向と下降は同じものを指している。
内側に入れば入るほど、あなたはさらに高く上昇してゆく。
高みに達すれば達するほど、あなたはさらなる深みに入ってゆく。
それらは同一の次元であり、同じ次元の二つの局面だ。
やがて、本当に上昇するような体験をすることがある。
それもまた起こる。
この内なる身体がとても高く上昇しはじめ、とほうもない力を放ちはじめると
、肉体すらも一緒に浮かびはじめるかもしれない。
それは起こりうるが、わざわざそれを起こす必要はない。
それは愚かなことだ。
いつの日かそれが自然に起こったら、それを楽しんで、気楽に受けとめるがい
い。
こういった確かな手応えとなるしるしは理解すべきものであって、得意気に自
慢するようなものではない。
こういった体験は誰にも話してはいけない。
そうしないと自我エゴがもどってきて、そういった体験を食いものにしはじめ
る。
そしてひとたび自我が入り込めば、体験は消えてしまう。
けっして言いふらしてはならない。
もしそういった体験が起こったなら、ただそれを理解し、留意して、それにま
つわることはみな忘れてしまいなさい。

さて、これらの三つの体験はすべてこの世で得ることができる。
だが、これですべてを説明しつくせたわけではない。
この三つの体験は実際に起こりうる。
だが、それを体験したとしても、それを言葉にすることはできないだろう。
それに、ここで言われていることはみな象徴にすぎない。
ほんとうの体験は語ることができない。
言ったことはみな嘘になってしまう。
それを口にすれば、真実を曲げてしまうことになる。
真実は語ることができない。
だが、それでも私たちは何かを言わなければならない。
「神々が谷間にいる」「からっぽの部屋が明るく輝く」「精神が高みに帰る」
または「精神が天に帰り、その頂点に触れる」
――こういった隠喩メタファーが編み出されてきたのはそのためだ。
これらはあるものを指し示す象徴、隠喩にすぎない。
が、体験は広大無辺だ!

各人の気質や性癖に応じて異なった現象が現れるからだ。
これもまた覚えておかねばならない。こういったことすべてがあなたに起こる
わけではないかもしれない。
あるいは違った順序で起こるかもしれないし、違った形で起こるかもしれない。
人はみな本当にひとりひとり違っているから、起こりうることがらも数限りな
い。
これらの体験は、ある人にはここに描かれているような形では起こらないかも
しれない。
例えば、ある人には上昇してゆくような感じは起こらずに、どんどんどんどん
身体が大きくなって、部屋中に広がってゆくような感じが起こるかもしれない

身体はさらに広がりつつ゛け、家はその人のなかにすっぽりおさまってしまう。
それはひじょうに戸惑う体験でもある。
人は目を開けて、何が起こっているのか見たいと思う。
「私は狂ってゆくのだろうか?」――そしてまた
「全存在は私の内側にある。私はよそ者ではない。<存在>は私の外にあるので
はなく、私の内にある。星は私の内側をまわっている」と理解する瞬間が訪れ
てくることもある。
あるいはどんどん小さくなって分子になり、ほとんど目に見えなくなり、つい
には原子になって消えてしまう といった体験が起こる人もある。
それもまたありうる。
パタンジャリは起こりうる体験をすべて網羅している。
気質、才能、潜在能力は人によってそれぞれ違う。
だから体験はすべて人によって違う起こり方をする。
それはこれに似たことが起こるかもしれない ことを示唆しているにすぎない。
だから、狂うのではないかとか、 何か異様なことが起こりつつある などと考
えてはいけない。
こういった現象は、人が水を飲んで、その冷暖をおのずから知る ような性質の
ものである。
それは体験することだ。
水を飲んで、その水が冷たいか暖かいかわかるのはあなただけだ。
喉が渇いているなら、それで渇きがおさまるか、ますますつのるか、それがわ
かるのはあなただけだ。
坐ってあなたを外から観察している者には、あなたの内側で何が起こっている
のかわからない
――渇きがおさまるか、ますますつのるか、水は冷たいか暖かいか
――誰も外側からうかがい知ることはできない。
水を飲むあなたの姿を見ることはできても、あなたが味わっている体験を味わ
うことはできない。
人々はあなたが瞑想しているのを見ることができるが、内側で起こっているこ
とを見ることはできない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

440 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/04/05(金) 22:26:24 ID:1d4drIFg0
そのような体験は誰にでも起こり得るものじゃ。
しかし、起こらないこともあるのじゃ。
それが起こったからえらいと言う事はなく、起こらないからまだ未熟ということもないのじゃ。
囚われればそれも魔になるものじゃ。
囚われずに進むのじゃ。

441 避難民のマジレスさん :2019/04/05(金) 22:46:10 ID:LC3de7YgO
>>439
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十一話 確証の体験(つづき)
より抜粋

ここにやって来て、人々が瞑想しているのを観察してもいいでしょうかと尋ね
る人が大勢いる。
私は言う――
「どうやって観察するつもりかね?」
観察することができた者はひとりもいない。
みんなが坐ったり、踊ったり、歌ったりしているのを見ることはできるが、そ
れは本当に起こっていることではない。
瞑想は彼らの内側で起こっている。
それは彼らにしか見ることができない。
だから、ほんとうに見たいのなら、あなたも参加しなければならない。
あなたは瞑想者にならなければいけない。
それが唯一の道だ。
それは借りるわけにはゆかない。
誰もあなたに知らせることはできない。
だから見物人としてここにやってくる者たちは時間を無駄にしているだけだ。
こういったことは参加してはじめて知ることができる。
それと同じように、人はこれらの体験を自分で確かめてみなければならない。
そのときはじめてそれは本物の体験になる。
呂祖が言っているからといって、それを鵜呑みにしてしまってはいけない。
ただ彼を理解しようとするがいい。
それはあなたの記憶にしまっておきなさい。
こういったことを信じる必要はないし、また疑う必要もない。
ただそれらを記憶のすみにとどめておきなさい。
そうすれば機が熟して何かが起こりはじめたら、いつでも理解することができ
る。
これはあなたが道に迷わないように地図を与えているだけのことだ。
なぜなら、内なる旅の道程にも道からはずれる地点がたくさんあるからだ。
人は思い違いをしかねない。
恐怖に駆られ、怯えてしまいかねない。
人は内なる世界から外界へと逃げてしまいかねない。
こういった体験は断じて人を怯えさせるようなものではないが、あなたの解釈
がそれを恐ろしいものにしてしまうかもしれない。
考えてもみるがいい。
ある日、目を開けると自分の身体が見えない。
あなたの解釈は恐怖を煽ってしまいかねない。
「これは紛れもない狂気のしるしだ」と。
あなたは瞑想をしなくなり、瞑想を恐れるようになってしまうかもしれない。
なぜなら、こうなるともう次に何が起こるか、どこへ進んでゆくのか、どこへ
向かってゆくのか、誰にもわからないからだ。
あなたは体験全体に疑いの目を向けるようになる。
あなたは自分が神経症になりつつあると思い込む。
毎日のように人々は私のもとにさまざまな体験を抱えてやって来る。
自分たちの体験を口にするとき、彼らの顔や目に恐怖を見てとることができる
――彼らは恐れている。
私がそれはよいしるしだと言うと、ただちに空気が変わる。
彼らは笑いはじめる。
彼らは嬉しくなる。
「これはすばらしい」
「あなたはよくやっている」
「あなたはうまく成長している」といった私の言葉を聞くやいなや、その場で
ただちに大きな変化が起こる。
悲しげな顔つきは消え、飛びあがって大喜びをする。
何も変わってはいない。
彼らの体験は同じだ。
ただ私が違う解釈を与えただけだ。
彼らは知らなかったので怯えていただけだ。
こういったことがらは信じる必要もないし、無視する必要もない。
ただいつかその時がきたら正しく解釈できるように、記憶の片隅にとどめてお
けばいい――
そして正しい解釈には こ の う え も な い 意義がある。
それなくしては内なる旅はきわめてむずかしいものになる。
きびすを返し、世間にもどって、まともな人間になりたいと思う地点がたくさ
んある。
人は何か異常なことが起こっていると思いはじめるが、「異常」という言葉に
は非難が込められている。
瞑想を一度もしたことがない人々に話したら、彼らは言うだろう。
「精神分析医か精神科医のところへ行ったらどうだい。診てもらったほうがい
いよ。君はまったくおかしなことを言っている――身体が大きくなるだって!
理性をすっかりなくしちまったのかい?身体が浮かびあがり、重力が消えてし
まうだって?あるいは、どんどん小さくなってゆき、消えてしまうだって?君
は幻覚を見ているんだよ、まぼろしの餌食になっちまったんだ。精神科医のと
ころへ行きたまえ、君をちゃんともと通りにしてくれる、君を治してくれるよ」
そして、精神分析家や精神科医のもとへ行ったら、 確 か に 彼らは治してく
れるだろう。
彼らは自分たちのいわゆる知識でもってあなた の頭をぶっ叩くだろう。
彼らは瞑想に関しては何も知らず、瞑想はまだ彼ら の意識のなかには入ってい
ない。
彼らは道の途上で起こる体験に関しては 何も知らないが、狂った人々のことな
らたくさんのことを知っている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

442 避難民のマジレスさん :2019/04/06(土) 09:37:17 ID:LC3de7YgO
>>441
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十一話 確証の体験(つづき)
より抜粋

そして、ここでひとつこころにとめておくべきことがある。
それは、瞑想者にも起こるが狂人にも起こる類似した体験がたくさん あって、
それらがひじょうに紛らわしいので、精神科医はまず間違いなく 「この人は狂
っているから、治さなければならない」と見たてるだろうということだ。
彼はあなたを狂人として治療する――彼はあなたに薬を飲ませ、 注射を打ち、
電気ショックを与え、正常な精神状態に連れもどす。
彼はあなたの瞑想への可能性をすべて台なしにしてしまうだろう。
今や西洋ではこうした大きな危険がある。
瞑想を学んでいる人々が西洋にもどり、 自分たちの解釈を超えた何かが起こっ
たので、それを聖職者に話したとする―― キリスト教の聖職者は瞑想のことは
まったく何も知らない――聖職者は彼らを 精神科医のもとへ送り込む。
精神科医に話しても、彼が知っているのは 狂人に関することだけであり、覚者
ブッダに関してはまったくの無知だ。
しかも彼らの体験のいくつかは似かよっている。
医者はきっとこう解釈するだろう
――あなたは正常な状態から転落したのであり、引きもどしてやらねばならない。
そして彼がやることはどれも破壊的であり、あなたの身体、あなたの精神に打
撃を 与える。
その害があまりに大きいので、あなたは二度と再び瞑想に入れなくなって しま

――医者はそういうひどい障害をつくりだしかねない。
だから、ときに何かが起こったら、必ず 瞑想している人々のところへ行きな
さい。
世界中にセンターを開きなさい、 と私がしきりに言っているのはそのためだ

そうすればそこでサニヤシンは瞑想することができるし、 何かが起これば他の
サニヤシンに会うことができるし、 体験を分かち合いに行くことができる。
少なくともそこには共感を示してくれる人が誰かいるだろう。
少なくともあなたを非難しない人がいるだろう。
その人は あなたの体験を尊重し、 あなたの体験を受け入れ、 あなたに希望と
霊感を与え、
「それでいい、先へ進みなさい。もっと多くのことが起こるだろう」 と言って
くれる。
まさにこのために師が必要とされる―― あなたが信頼を寄せることのできる
誰か、ただ 「それでいい、もっと先へ進みなさい」 と言ってくれる誰かが。
そこでようやくあなたは前進することができる。 その旅は危険に満ちているか
らだ。
(p405)
呂祖師は言った。
光を巡らせる訓練は徐々に成果が現れてゆく。
その際、日常の務めを放棄してはならない。
私もまたそれを強調している――
サニヤシンは世間を放棄してはいけない。
あなたの瞑想は世間の只なかで成長してゆかねばならない。
それは日常生活の一部にならなければいけない。
あなたは逃避主義者になってはいけない。
なぜか?
古人は「仕事がやって来れば、それを引き受けなければならない。 ものごとが
やって来れば、それを根底から理解しなければならない」 と言っている。
正しい思考によって事を適切に処理してゆくなら、 光は外界の事物によって散
らされることなく、みずからの法則に従って巡る。
穏やかな目に見えない光の循環でさえこのようにして起こりはじめる。
すでにはっきりとした形をとった真の光の循環の場合は言うまでもない。
まず第一に、あなたがどのような状況のもとにいようとも、
それは神が授けた状況なのだから、拒絶してはいけない。
それはひとつの機会であり、成長するための好機だ。
もしその機会から逃げだしたら、あなたは成長しない。
ヒマラヤの洞窟に行き、そこで暮らしはじめ、その洞窟に深い愛着を抱くよう
になった人々は大人になれずにいる。
彼らは幼稚なままだ。
彼らは鍛えられていない。
世間に連れてこられたら、彼らはこなごなに打ち砕かれてしまう。
彼らはそれに絶えることができない。
数日前のこと、ヒマラヤで三ヶ月暮らしたサニヤシンがやってきた。
彼女は「もうここにいるのはこりごりです。私はもどりたいのです」
と言った。
さあ、これでは成熟を遂げたとは言えない。
彼女は今やヒマラヤに取り憑かれている。
彼女が自分の瞑想、静けさだと考えているものはすべて彼女のものではない。
それはたんなるヒマラヤの静寂の副産物にすぎない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

443 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/04/06(土) 22:33:27 ID:1d4drIFg0
瞑想は悟りという世間外の境地を目指す故に、常に常識外の体験が起こるものじゃ。
それを恐れて瞑想をやめてしまってはいかんのじゃ。
むしろそれを歓迎して、囚われないようにするのじゃ。
そのようにして進めば新しい、真実の世界が見えてくるのじゃ。

444 避難民のマジレスさん :2019/04/06(土) 22:56:54 ID:LC3de7YgO
>>442
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十一話 確証の体験(つづき)
より抜粋

私は彼女に言った。
「ここに三週間ほどいて、それからあなたの静けさや瞑想がどうなったか話し
にきなさい。
もしそれが消えてしまうようなら、それはあなたのものではなかったというこ
とだ。
そうだとしたら、ヒマラヤになど行かないほうがいい。
ここで瞑想を深めなさい!
この人混みのなかで瞑想的になってからヒマラヤに行くのであれば、あなたの
瞑想は何千倍も深められるだろう。
息抜きに行くのはいいが、そこに執着してはいけない。
必ず世間にもどってきなさい」
そう、ときおり山に入るのはいい、それはすばらしいが、それに中毒してしま
い、世間を捨てることを考えはじめるのは完全に間違っている。
なぜなら、世間の嵐にもまれてこそ人は円熟してゆくからだ。
世間の挑戦を受けてこそあなたは結晶化する。
呂祖は「自分が置かれた状況を受け容れなさい。
それはあなたにふさわしい状況にちがいない。
だからあなたはそのなかにいるのだ」と言っている。
<存在>があなたの面倒を見てくれている。
それは何らかの理由があってあなたに与えられている。
それは偶然ではない。
偶然に起こることなど 何 も ない。
何であれあなたに必要なものがすべて与えられる。
ヒマラヤにいることが必要で あったなら、あなたはヒマラヤにいたことだろ
う。
必要に応じて、あなたがヒマラヤに出かけてゆくか、さもなければ ヒマラヤが
あなたのもとへやって来るかそのどちらかだ。
だから弟子に用意ができたときには……師が現れる。
あなたの内なる静けさが整ったときには、神がやって来る。
そして何であれ道の途上で必要なものはいつでもすべて与えられる。
<存在>は面倒を見てくれる。
母親のように世話をしてくれる。
だから心配することはない。
それよりもその機会を使いなさい。
この挑戦に満ちた世間、この外界の 絶えざる混乱を使わなければいけない。
あなたはその目撃者でいなければいけない。
それを見守りなさい。
どうすればそれに影響されない でいられるか、それを学びなさい。
水中の蓮の葉のように、その影響を受けず、 触れられないままでいる こつを
学びなさい。
そうなったら感謝の気持ちが湧いてくるだろう。
なぜなら、混乱のすべてに注意を向けることではじめて、 ある日、突然「神々
が谷間にいる」という体験が現れるからだ。
あなたは人混みが遠くに消えてゆき、 こだまのように響いているのに気つ゛く

これがまやかしでない真の成長だ。
日常生活のふつうの仕事のなかで 瞑想的であることができたなら、 あなたに
起こりえないものは何もない。
光が巡りはじめ、あなたは ただ注意深く見守っている。
朝、瞑想をして、中心の近くにとどまりつつ゛けなさい。
世間に出て行っても、中心の近くに とどまって、自分自身を想起しつつ゛け
なさい。
自分がしていることを意識しつつ゛けなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

445 避難民のマジレスさん :2019/04/06(土) 23:34:51 ID:LC3de7YgO
>>444
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十一話 確証の体験(つづき)
より抜粋

日常生活のなかで、自他の思いをいっさい混入することなく、 ものごとに対し
てつねに打てば響くように対処する力をもつなら、 それは環境から生じる光の
循環である。
これが第一の奥義である。
そして、様々なものごとが立ち現れたら、
行為しながら、しかもその行為に同一化してはいけない。
傍観者にとどまりなさい。
何であれ必要なことは打てば響くようにやりなさい。
必要なことはすべてやりつつ、
しかもやり手になってはいけない。
それに巻き込まれてはいけない。
それをやり、それを終わらせてしまいなさい――打てば響くように。
朝早く、世間のしがらみをいっさい断って、一、二時間瞑想することができれ
ば、 さらに、 あらゆる外界の活動と事物に主観をいっさい交えず、 打てば響
くように対処することができれば、 そしてそれを 途切れることなくつつ゛ける
ことができれば、 二、三ヵ月後には天上から真人たちがやって来て、 その行為
を認めてくれるであろう。
主観を交えずに行動しなさい。
状況に留意して、何であれ必要なことをやるがいい。
だが、その行為に執着してしまってはいけない。
そのことを心配してはいけない。
結果を考えてはいけない。
必要なことをただやり、
油断なく目を見張り、
泰然自若として、
遠く離れた中心にとどまり、
そこに根をおろすがいい。

だが、その中心を一日中想起しつつ゛けられるように、
毎日、早朝に、内なる中心に自分を方向つ゛けなさい。
最良の時間は二度ある。
最初のよい時間は早朝だ。
自分自身を中心に方向つ゛ければ、
周辺で暮らしながらも中心を十全に想起したままでいられる。
そして第二の時間はベッドに入る前だ。
再び自分自身を中心に方向つ゛ければ、
深く眠っていても――夢を見たり、無意識になっているあいだですら
――できるかぎり中心の近くにとどまりつつ゛けることができる。
この二つが最良の時間だ。
この二度の時間に瞑想することができれば、どこにも行かなくていい。
僧院や洞窟に入る必要はないし、世間を捨てる必要もない。
そうすればいつの日か、ふと気つ゛くと
花が頭上に降り注ぎ、神々が耳元で
囁いている。
ひとつの魂がわが家に帰り着く瞬間、
全存在がそれを喜び祝う。
スブーティに起こったことはあなたにも起こりうる。
それを熱望しなさい。
それはあなたが生まれながらにもっている権利だ。
その権利をどうどうと主張するがいい。
(p409)
(´・(ェ)・`)
(おわり)

446 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/04/07(日) 20:45:06 ID:1d4drIFg0
静けさを求めて人の居ない所で瞑想しても、寂しさに耐えられなければ無意味なのじゃ。
それはむしろ常に他人のことばかり考えて瞑想には害になるじゃろう。
それよりは街中の自分の家で瞑想した方がよいのじゃ。
そこでもなにものにも囚われずに瞑想できたならば、悟りはやってくるじゃろう。

447 避難民のマジレスさん :2019/04/07(日) 22:26:33 ID:LC3de7YgO
>>445
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十二話 六月に白い雪が舞う
より抜粋

呂祖師は言った。
四つの詩句は、気(エネルギー)の空間に精神を結晶させる。
六月に、突然、白い雪が舞う。
三更(午前零時)に、日輪がまばゆい光を放つ。
水中にそよ風が吹く。
天上をさすらいながら、受容の精神の力を食べる。
そして、さらに深い秘法のなかの秘法がある――
どこにもない国こそ、真のわが家である。

これらの詩句は神秘に満ちている。
それが意味するのは、深遠なるタオにおいて最も重要なのは 「無為の為」とい
う語句である、ということだ。
無 為 は人が形象(物質性)に巻き込まれるのを防いでくれる。
無 為 に して 為 す ことで、人は鈍くうつろな状態や 生気のない虚無に沈み
込むことから逃れることができる。

これまで光を巡らすことについて語ってきたのは、
外側から内なるものに働きかける、
最初の悟りの手がかりを示すためだ。
これは師を得るのを助けるためのものであり、
初歩の境地にある学人たちに向けられたものだ。
彼らは上方の関門に達するために、下方の二つの関門を通り抜ける。
ものごとが次第に明らかになり、悟りの機縁がうかがわれると、
天は道を明らかにすることを惜しまず、究極の真理を明かしてくれる。
弟子たちよ、これを秘密にし、努力を怠らぬようにせよ。

光を巡らすとは一般的な用語である。
修行が進むごとに、黄金の華はよりいっそう大きく開いてゆく。
だが、それよりもまだすばらしい循環がある。
これまで我々は内側にあるものに外側から働きかけてきたが、
今や中心にとどまって永遠なるものを支配する。
これまでは師を助けるための奉仕だったが、 今や師の指令を広めるのである。
こうして関係はすっかり逆転する。

この技法によってさらに精妙な領域に入って行きたければ、
まず身心を完全に統御し、完全に自由で安らかな状態に入り、
いっさいのしがらみを放下し、どんな些細なことにも心をとめず、
天上のこころを正しく中心に置くよう心がけなければならない。
巡る光が内なるものを照らしだすと、ものに左右されなくなり、 暗いエネル
ギーの動きは封じられ、黄金の華が集中的に照らすようになる。
これが凝縮した極の光である。同類のものは互いに引き合う。
したがって、極性を帯びた深淵の光は上昇する。
それはもはや深淵の光であるだけではなく、 創造的な光が創造的な光に出会う
ことだ。

この二つの実体が出会うと、それらは固く結ばれて離れなくなり、 尽きること
のない生命が発現する。
それはおのずと根元の気(エネルギー)の宮のなかを去来し、浮き沈みをくり返
す。
人は光輝く無限なるものを目のあたりにする。
全身が軽やかになり、今にも飛びそうになる。
「雲が千の山々にかかる」と呼ばれる状態である。

それはあちこちを軽やかに去来し、覚知しえぬほど静かに浮沈する。
脈拍は穏やかになり、呼吸は止まる。
これが真の創造的な交合の瞬間であり、 「月が無数の水面を吸引する」と呼ば
れる状態である。

この暗黒の只なかに、突然、天上のこころが動きはじめる。
これが一陽来復であり、新しい生命
が兆すときである。

ある王に三人の息子があった。
息子たちのうち誰が将来王国を治めるにふさわしいか、適正を調べたいと思っ
た王は、風変わりなテストを思いついた。
王は息子たちに弓と矢をもってついてくるよう命じると、馬に乗って田舎に出
かけていった。
広々とした畑のそばの道端で馬を止めた王は、すぐに射落とせるほど近くの
樹の枝にとまっている禿鷹を指さした。
「おまえにあの禿鷹を射落としてもらいたい」と王は長男に向かって言った。
「だがその前に、何がおまえの目にとまるか言ってごらん」
王子は怪訝な顔をして答えた。
「えーっと、見えるのは草や雲や空や川や樹や……」
「もうよい!」と王は言い、次男に弓矢を構えるよう合図した。
まさに矢が放たれようとしたそのとき、王は再び言った。
「その前に、何がおまえの目にとまるか言ってごらん」
「私には馬、大地、麦畑、それに禿鷹がとまっている朽ち果てた老木が見えます」
と次男は答えた。
「もういい、弓矢を納めなさい」と言って、三男の方を向き、禿鷹を射るように
命じたが、再び同じ質問をくり返した。
「まずおまえには何が見えるかね?」三男は矢をつがえ、弓をぴんと引きしぼ
ると、獲物から一瞬も目を離さずに、落ち着いた口調で答えた。
「見えるのは翼のつけ根だけです……」若者はそう言って矢を放った。
禿鷹は地面にころがり落ちた。
この三番目の息子が王になった。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

448 避難民のマジレスさん :2019/04/07(日) 22:35:04 ID:LC3de7YgO
>>447
四つの詩句
>六月に、突然、白い雪が舞う。
三更(午前零時)に、日輪がまばゆい光を放つ。
水中にそよ風が吹く。
天上をさすらいながら、受容の精神の力を食べる。
どこにもない国こそ、真のわが家である。

うむ。
この難解な詩句を、じっくり解説してくれるようであります。
楽しみであります。
(´・(∀)・`)つ

449 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/04/09(火) 00:00:12 ID:1d4drIFg0
六月とは昔の中国の陰暦では真夏なのじゃ。
六月に雪が舞うとは陽気が満ちているところに陰の気があるということなのじゃ。
真夜中に太陽が照らすとは陰の気の中に陽の気があるということなのじゃ。
水は眼であり、眼によって風を起こすとは気を眼の光で導くことなのじゃ。
即ち丹田に眼光を注いで陽気を起こし、眼光で頭頂の上丹田に導くのじゃ。
そうすると陽の気が陰の気に変るから、それをまた丹田に戻すのじゃ。
そうすると頭の中は陽の気で満たされて陰の気が次々に生じて下るのじゃ。
これが陽の気の中に陰があることなのじゃ。
陰の気が次々に下ると丹田は陰の気に満たされて更に陽の気を発する。
これが陰の気の中に陽の気がある状態なのじゃ。
このようにして互いに陰陽の気を強めあう真の回光が起こるのじゃ。
そして意識は気と合致して天地も合一する境地に入るのじゃ。

450 避難民のマジレスさん :2019/04/09(火) 06:10:44 ID:LC3de7YgO
>>449
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

451 避難民のマジレスさん :2019/04/09(火) 06:30:29 ID:LC3de7YgO
>>447
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十二話 六月に白い雪が舞う(つづき)
より抜粋

王国は集中力をもって働きかけることのできる者が治めるものだが、内なる王
国となればなおさらのことだ。
方向、目標、明晰なヴィジョンをもって生きてゆくことで、あなたのエネルギ
ーは結晶化する。
目標というのはたんなる口実にすぎない。
方向というのはたんなる方便にすぎない。
ふつうあなたの注意力はばらばらに四散していて、ある部分はこちらへ行こう
とし、別の部分はあちらへ行こうとしている。
ふつうあなたは複数であり、 群集であり、あなたの存在の断片が絶えず他の断
片とせめぎ合っている。
そのあなたが どうしてこの世で何かを達成しうるだろう?
どうして充実感を味わうことができるだろう?
あなたの生涯がとことん惨めなものになり、その一生が悲劇に 他ならないもの
になってしまったとしても、驚くべきことではない。
あなた以外の誰にも責任はない。
あなたには無尽蔵のエネルギーがあるが、 そのエネルギーでさえ無駄に費やさ
れることがある。
あなたの断片のひとつひとつが一種の内戦状態にあれば、 価値あることは何ひ
とつ成し遂げられない―― 神に関し
ては言うまでもないし、真理に関しては言うまでもない。
あなたは価値あることを 何 ひ と つ 成し遂げられないだろう。
なぜなら、内側のものであれ外側のものであれ、何かを 実現するためには必ず
ひとつのことが求められるからだ。
つまり、あなたはひとつになっていなければならない―― あなたのエネルギー
が余さずワークに注ぎ込まれ、 あなたの全エネルギーがひとつの問いと化すこ
とができるように。
あなたはたくさんの問いを抱えているが、そのすべての問いが一丸となり、 あ
なたの内にただひとつの問いを生み出さないかぎり、それは役に立たない。
あなたの生がひとつの問いと化し、ひとつの 方向をもてば、それは成就に向け
て動きはじめる。
そうなればそれは結晶化する。
結晶化とは、 あなたがゆっくりとひとつにまとまってゆくこと、 あなたの内側
にすこしずつ<個>が現れてくることを意味している。
そして真理の究極の実現とは、あなたの 実存のなかに究極の統合が実現され
ることだ。
「神」という言葉はそれを指している。
天国のどこかであなたを待っている神などいない。
神はあなたの内側で待っているが、あなたがひとつ であってはじめて彼を見い
だすことができる。
一なるものだけが一なるものを見いだせるからだ。
偉大な神秘家プロティノスの有名な言葉を思い出しなさい
――"一者から一者への飛翔"
まずあなたは独りにならなければいけない。
昨日、私がアムリットに言っていたのはそのことだ。
独りになりなさい、と。
独りアローンとは、 すべてがひとつオール・ワンになることだ。
散逸がいっさいなくなるので、
この独りあること、あるいはすべてがひとつの状態、
この内なる統合は無尽の力を解き放つ。
あなたは漏れなくなる。
凡人というのはあちこちに穴が開き、至るところから漏れている素焼きの瓶かめ
のようなものだ。
いくら水を入れても入れても、どんどんからになってゆく。
いくら努力をしても か い がない。
まず穴をふさがなければならない。
人生は ひ とつ になるための大いなる機会なのだととらえなさい。
いったんひとつの方向に進みはじめたら、 あなたは自分をひとつにまとめるこ
とができる。
あなたのなかで何かが落ち着きはじめる。
中心が生まれ、その中心が神への扉となる。
これらの経文にはこのうえもない価値がある。
それはまたひじょうに神秘的でもある。
というのも、真理を分かち合いはじめるときには、
詩や寓話や神秘の言語を用いなければならないからだ。
そうするより他にない。
数学の言語は適切ではない。
人は譬たとえを多く用いなければならない。
経文に入ってゆくまえに、この小さな話に耳を傾けなさい。
偉大な禅師である南泉はひじょうに歳老いていたが、 法を継ぐ者が現れるのを
待ちつつ゛けていた。
実際、彼には いつでも肉体を離れる用意ができていたが、彼が得たものをすべ
て伝え、 鍵をわたせるように、ただひたすら法を継ぐ者が現れるのを待ちつつ゛
けていた。
彼にはたくさんの弟子たちがいたから、それはとても奇妙に思える。
彼には何千人もの弟子がいた。
なぜ彼は何千人もの弟子たち のひとりに鍵をわたすことができなかったのだろ
う?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

452 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/04/09(火) 22:37:16 ID:1d4drIFg0
>>450 どういたしまして、またおいでなさい。

この回光は実践し続けることで、最後には座っただけで自動的に起こるようになるのじゃ。
陰陽の気が自然に肉体を巡り、肉体からサマーディに入っていくのじゃ。
それを大周天と呼ぶ宗派もあるのじゃ。
もはや意識的な行も必要ではないのじゃ。

453 避難民のマジレスさん :2019/04/10(水) 01:38:15 ID:LC3de7YgO
>>451
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十二話 六月に白い雪が舞う(つづき)
より抜粋

彼のまわりにはすぐれた学者たちがいた――きわめて技量があり、 論理を巧み
に使いこなし、弁舌に優れ、知識が豊かな学者たちが。
だが、彼は待たなければならなかった。
これらの人々は論理は理解できたが、 愛を理解することはできなかった。
そして、 愛はまったく異なる言語を話す。
これらの人々は数学を理解することはできたが、 隠喩メタファーの言葉はまる
で理解することができなかった。
これらの人々は散文を理解することにかけては申し分なかったが、 詩の神秘に
こころを開くことができなかった。
だから彼は待たねばならなかった。
彼は病んだ老躯ろうくを私室のベッドに横たえ、 古びた肉体にかろうじてとど
まっているという状態だった。
法を継ぐ趙州じょうしゅうが部屋に入ってくるのを 南泉がはじめて目にしたの
はその日のことだった。
彼はさっそうと現れ……言葉はひとことも発せられなかった。
師もしゃべらなければ、のちに弟子となる趙州もしゃべらない。
彼はよそものだったが、その部屋に入るときの仕草だけで充分だった。
師は彼に尋ねた。
「おまえはどこから来たのか?」
師はもう何日も口を開いていなかった。高齢の師の病は重かった。
彼はひたすら気力を蓄えておくために、話すことさえしなかった。
何日も過ぎて、彼が趙州に話しかけた最初の言葉が
「おまえはどこから来たのか?」だった。
趙州は言った。
「瑞像ずいぞう院から参りました」。
瑞像とは"至福の姿"という意味だ。
南泉は笑いながら――彼はもう何か月も笑ったことがなかった――尋ねた。
「おまえは至福の姿を見たことがあるかね?」
趙州は言った。
「至福の姿は見たことがありませんが、 横たわる仏は拝見したことがあります」
ここで南泉は立ちあがった――彼はこの一年近く、 床から出たことがなかった
。そこで南泉は立ちあがり、尋ねた。
「おまえにはすでに師があるかね?」
趙州は答えた「ええ、ございます」
南泉は尋ねた。「おまえの師匠は誰だ?」
病気がすっかり消え失せてしまい、再び若返ったかのようだった。
彼の声ははっきりとして、若々しく、溌剌として、生気に満ちていた。
「おまえの師匠は誰だね?」
趙州は笑いながら言った。
「冬の寒さも峠を越えましたが、まだ寒い日がつつ゛きます。 どうか師よ、お
身体を大切になさってください」
まさに絶妙の表現だった。
南泉は言った。
「これで私も安らかに死んでゆける。 私の言葉が通じる者がやってきた。 表
面ではなく深みで出会うことのできる者がやってきた」
趙州は言った。「師よ、お身体を大切になさってください」 ただそう言っただ
けで、師弟の絆が結ばれた。
そして趙州が 「冬の寒さも峠を越えましたが、まだ寒い日がつつ゛きます。
どうか師よ、お身体を大切になさってください」と言うとき、 彼はどのように
譬たとえを使えばいいかを知っている。
彼は詩というものを知っている。そして 彼は愛というものを知っている。
だから 彼は言った。「どうか師よ、お身体を大切になさってください。 どうか
横になってください。床から飛び起きる必要はありません。 あ な た が私の
師です! 私はまだ至福に出会ったことはありませんが、仏を拝見しました」
師は弟子を認め、弟子は師を認めた ――ほんの一瞬のあいだに。
何が起こったのだろう?
起こったことは言葉を超えているが、 それでもそのことを、少なくともその
ことを 言葉で語らなければならない。
少なくともこの物語を 言葉で伝えなければならない。
他に方法はない。
これらの呂祖師の言葉はひじょうに神秘的だ。
深い愛に満ち、共感できるこころハートをもって 理解しようとしてみなさい。
聴き方には二つある。
ひとつは内側で絶えずあら探しをして、とやかく口をはさみ、ものの善し悪し
を決め、 それが自分に合致するかどうか、自分の知識に適合するかどうかを判
定している 批評家の聞き方だ。
批評家は絶えずものを比べて、品定めをしている。
それはこれらの美しい経文を理解するにふさわしい態度ではない。
これらの経文は批評の好きな人の手にはおえない。
これらは共鳴できる力をそなえている人、あるいは、さらに言うなら 感情を分
かち合うことができる人、 波長を合わせることができる人、 こころを開き、全
一に耳を傾けることができる人 にのみ開かれている。
そうすれば肉体の心臓ハート だけでなく、深いところに隠されている 霊的な
こころハートまでもが揺り動かされる。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

454 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/04/10(水) 21:25:46 ID:1d4drIFg0
悟った者同士には妙観察智による智慧が在るから互いに一目で分かるものじゃ。
お釈迦様と迦葉の捻華微笑のようにのう。
趙州はまだ悟っていなかったが、決意して修行して既に智慧が付いていたのじゃ。
話す言葉にも含意、隠された意味があったのじゃ。
瑞像院とは南泉の寺なのじゃ。
そこが既に自分の寺というのじゃ。
横たわる如来とは南泉のことなのじゃ。
師匠は南泉じゃと答えたのじゃ。
南泉もそれに気づいて趙州はもはや悟る寸前と知ったのじゃ。

455 避難民のマジレスさん :2019/04/10(水) 23:18:25 ID:LC3de7YgO
>>453
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十二話 六月に白い雪が舞う(つづき)
より抜粋

呂祖師は言った。
四つの詩句は、気(エネルギー)の空間に精神を結晶させる。
あなたにはエネルギーがある、
あなたは必要とするすべてのものをもち合わせている。それなのに
あなたは貧しく、いまだに乞食のままだ。
あなたは自分のエネルギーを使ったことがない、
自分の財宝をまだ開けてみたことがない。
あなたは神から授けられたものに目を向けたことすらない。
あなたは内側を見ずに外に駆けだしてゆくせいで惨めになる。
そして、その惨めさはつつ゛いてゆく。
というのも、あなたを満足させるものは外界には何ひとつ見つからないからだ。
外の世界で何かを見つけた者などひとりもいない。
アレクサンダー大王でさえもだ。
あなたはこの地球をそっくり手中におさめることもできる。
あなたはこの七つの大陸、全世界を支配する天輪聖王チャクラヴァルテインに
なることもできる。
意外に思うだろうが、現代の地理学によれば大陸は六つしかないのに、
古代インドの地理学では大陸は七つあることになっている。
そこにはアトランティス大陸が含まれているにちがいない。
そして七つの大陸すべてを制覇した者は「天輪聖王」と呼ばれている。
たとえ天輪聖王になったとしても、あなたは貧しいままであり、何ひとつ得て
はいない。
それどころか、あなたは多くのものを失っているだろう。
なぜなら、あなたは一生をかけてつまらないもの、世俗的なもの、意味のない
もの、無益なものを求め格闘してきたからだ――そういったものはいつでも死
によって取り去られてしまう。
内なる何かを得ないかぎり、あなたが豊かになることはない。
内なる王国だけが人を豊かにする。
死ですらその豊かさを取り去ることができないからだ。
それが奪い去られることはない。
それが破壊されることはない。
それが取りあげられることはない。
ひとたびそれを知れば、それは永遠にあなたのものになる。
あなたには内なる空間がある。
あなたには内なるエネルギーがある。
すべてのものを手に入れることができる。
あなたはまだそれをのぞき込んだことがないだけだ。
あなたはすばらしいヴィーナを手にしているのに、まだそれに触れたことさえ
ない。
あなたはそのなかにどんな音楽が含まれているのかまだ見たこともない。
あなたはそれをほとんど忘れかけている。
呂祖は言う。四つの詩句は……
たった四つの詩句が
あなたの実存を結晶させ、
あなたの内側に帝王をつくり、
あなたをブッダやキリストやクリシュナ
のような人にすることができる。
この四つの詩句とは何か?
さあ、この四つの隠喩メタファーを理解しようとしてみなさい。

一、六月に、突然、白い雪が舞う。
二、三更(午前零時)に、日輪がまばゆい光を放つ。
三、水中にそよ風が吹く。
四、天上をさすらいながら、受容の精神の力を食べる。
そして、さらに深い秘法のなかの秘法がある――
どこにもない国こそ、真のわが家である。
さあ、この神秘的な詩句、この秘教的な言辞を解読しようとしてみなさい。
そこには隠された大いなる美と隠された大いなる意味がある。
深く共感するこころをもちなさい。
なぜなら、それが秘教的なものを理解する唯一の方法だからだ。

一、六月に、突然、白い雪が舞う。
六月は一年のちょうど真ん中だ。
それはあらゆるものの真ん中を意味している。
あらゆるものの真ん中にあることができて、けっして極端に偏らなければ、最
初に必要とされる条件を満たしている。
真ん中にありなさい――
これは探求者にとって、実存的な探求の途上にある者にとって計り知れない価
値がある。
いつも真ん中、「中庸」を覚えておきなさい。
食べ過ぎてはいけないし、
完全に食を断ってもいけない――これでもなくあれでもない。
ものに執着し過ぎてもいけないし、ものを捨ててもいけない。
人々とともに暮らしながら、馴れ合い過ぎないこと。
馴れ合い過ぎると、まったく少しも独りでいることができなくなる。
また独りぼっちで暮らしはじめてはいけない。
孤独に病みつきになり、人を避けるようではいけない。
世間にいながら、世間を自分のなかに入らせてはいけない。
世間から逃げだす必要はない。
けっして極端に走らないこと――
これは覚えておくべき最も基本的なことがらだ。
なぜなら、心マインドはつねに一方の極端からもう一方の極端へと動くからだ。
心は極端を通して生きているものであり、真ん中では死んでしまう――これが奥義だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

456 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/04/11(木) 21:28:31 ID:1d4drIFg0
未だ学問によっても解明できないエネルギーは確かに人の体の中にあるものじゃ。
それが明らかになれば今の医学も根本的に変らなければならないじゃろう。
それは人をサマーディに導くことが出来るエネルギーなのじゃ。
中国では気といい、インドではプラーナというのじゃ。

457 避難民のマジレスさん :2019/04/11(木) 22:48:48 ID:LC3de7YgO
>>455
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十二話 六月に白い雪が舞う(つづき)
より抜粋

食べすぎたあと、何日間か食事を制限する人々がいる。
そして数日間いわゆるダイエットに苦しんだあと、彼らは再びがつがつとむさ
ぼるように食べはじめる。
そしてまた……これは悪循環だ。
彼らはひとつの極端からもうひとつの極端へと動き、もうひとつの極端から再
び元にもどってくる。
行ったり来たり、行ったり来たり、古い時計の振り子のようにどこまでも動
きつつ゛ける。
彼らは振り子の動きによって時計が進んでゆくことを知らない。
時計――これはすばらしい譬たとえだ。
振り子が真ん中にとどまれば、時計は止まる。
心マインドもそうだ――
あなたが極端からもうひとつの極端へ動いていると、
心は存続し、時間は存続する。
心と時間は同義語だ。
あなたが真ん中で止まる瞬間、
時間は消え失せ、時計が止まる。
心は消え失せ、心が止まる。
心も時間も消えてしまったとき、突然、
あなたははじめて自分が誰であるかに気つ゛く。
雲はひとつ残らず消え、広々とした空に太陽が明るく輝いている。

六月に、突然、白い雪が舞う。
そして中国では、この経文が書き記された地方では、毎年六月に初雪が降る。
あなたの実存は冷やされて鎮まる――それが中道だ。
白い雪はいくつかのことを表している。
まず、純白さ、純粋さ、涼しさ、静謐せいひつさ、
すがすがしさ、美、恩寵。
真ん中にいるなら、あなたはみずからの内なる実存がヒマラヤのように、清ら
かな雪に覆われたヒマラヤの頂きのようになってゆくのを見るだろう。
あらゆるものが冷やされて鎮まり、完全な静寂に包まれ、すべてがじつにさわ
やかで、いっさいの汚れが消えている。
汚れは心マインドのものだ。
心がなくなり、思考がなくなれば、不純なものもなくなる。
あなたの実存を汚すのは思考だ。

六月に、突然、白い雪が舞う。
それはにわかに起こる。
ただ真ん中にいるだけで、どこからともなく、忽然と、白い雪が降りはじめる。
試してみるといい。
これは実験だ。
これは理解しなければならない哲学ではなく、試してみるべき実験だ。
何についてもその真ん中にあろうとしてみなさい。
そうすれば大いなる涼しさ、穏やかさ、落ち着きがあなたの内に生まれてくる
のに気つ゛くだろう。
(p423)

三更(午前零時)に、日輪がまばゆい光を放つ。
こして、これが二つめの譬たとえ――三更(午前零時)だ。
人間には三つの層がある。
ひとつめは肉体ボディ、二つめは心マインド、三つめは魂ソウルだ。
第一の条件を満たしたなら、第二の条件に取り組むことができる。
最初の条件を抜きにして、二番目に取り組むことはできないから、順を追って
進んでゆかねばならない。
途中からはじめるわけにはゆかない。
どこから手をつけてもいいというわけではない。
ものごとには順番というものがある。
まず、あらゆることがらの真ん中を達成しなさい。
そして、心が極端に向かおうとしているかどうか一日中見守りなさい。
極端を避けるようになれば、第二のことがらが可能になる。
極端を避けるようになると、あなたは内側にある三つのもの――
自分の粗雑な部分である肉体、精妙な部分である心、そして彼方のものである
魂に気つ゛くようになる。
肉体と心は物質の二つの側面だ。
肉体は目に見える物質であり、
心は目に見えない物質だ。
そして心と肉体の両方を同時に見るとき、見ているあなたは第三のものだ。
それが三更ザ・サード・ウオッチ――
見張り、観察者、目撃している者だ。

三更(午前零時)に、日輪がまばゆい光を放つ。
見守ることに専念し、目撃者になりきっていると、 突然、まるで真夜中に太陽
が昇り、まばゆい光を放っている かのように、あなたは内も外も光で満たされ
る。
全存在が燃えあがる。
(p424)
そして三つめの詩句は――
水中にそよ風が吹く。
道家では、水は事物の究極の源を表している。
それはタオそのものを表している。
老子はみずからの道を「流水の道」
と呼んだが、それにはたくさんの理由がある。
まず、水は柔らかく、謙虚であり、最も低い場所を探し求める。
イエスが「この世で一番後になる者が私の王国では最初となり、
最初の者が一番最後になる」と言っているように、水は最も低い場所、くぼみを探し求める。
雨はエベレストに降るかもしれないが、そこにはとどまらず、谷に向かって流れはじめる。
そして谷のなかでも一番深いくぼみにたどり着く。
水はいつも最後にいて、野心をもたない。
水には一番になろうとする野心がない。
そして水になることがサニヤシンになることだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

458 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/04/12(金) 23:06:59 ID:1d4drIFg0
このような古書は時節の八卦に託して真意を伝えたりするものじゃ。
翻訳されるとわけが分からなく似るのじゃ。
周易参同契にも卦に託して道教の周天等が説かれているのじゃ。
説くところは大体同じなのじゃ。

459 避難民のマジレスさん :2019/04/12(金) 23:55:51 ID:LC3de7YgO
>>458
確かに、この4つの詩句は、歴史や、古文献の知識がないくまには、OSHOや鬼和尚の解説がなければ、理解不能であります。
OSHOは、かなり自由に解説してるように思えるであります。
(´・(ェ)・`)つ

460 避難民のマジレスさん :2019/04/13(土) 00:12:45 ID:LC3de7YgO
>>457
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十二話 六月に白い雪が舞う(つづき)
より抜粋

水のようになることは、何者でもないものであることに完全な幸せを感じるこ
とだ。
そして第二に、水とは流動に他ならない。
水はつねに流動している。
動きが止まると、水は汚れ、汚水となって、毒すら帯びるようになる。
水は死んでしまう。
水の生命は流動のなかに、生き生きと躍動し、流れることにある。
生命はすべて流れであり、制止しているものはない。
科学者のエディントンはこう言ったと伝えられている――
「『静止』という言葉はまったく意味をなさない。なぜなら、存在しているも
ので静止しているものなど何ひとつないからだ」と。
それは現実に、事実に合致していない。
あらゆるものが成長の、動きの途上にある。
生は巡礼の旅だ。
生においては、名詞は偽りであり、ただ動詞だけが真実だ。
私たちは言語のなかに名詞をつくりだした。
これらの名詞は生に関してひじょうに誤った印象を与える。
それは正しくない。
いつか将来、言語がもっと実存的なものになるときがくれば、名詞は消えて動
詞に置き換えられるだろう―― あ ら ゆ る 名詞が。
川というものはなく、川 と し て 流 れ ゆ く であり、
樹というものはなく、樹 と し て そ び え ゆ く だ。
なぜなら、一瞬といえども樹は静止していないからだ。
それはけっして存在イズネスの状態にはない。
それはつねに生成ビカミングし、流れ、どこかへ向かっている。
<存在>は流動的であり、ゆえに水、"水中"が隠語メタファーになる。
目撃者に気つ゛けば、第三のものが可能になる。
あなたは流れることの美しさに気つ゛くだろう。
安定を渇望したり、現状がいつまでもつつ゛くことを願ったりしなくなる。
あなたは川とともに流れはじめ、
<存在>という川の一部になる。
あなたは変化を楽しむようになる。
人々は変化を心底から恐れ、変化に対して大きな恐怖を抱いている。
ものごとがよい方向に変わってゆくときでさえ、恐れる。
彼らは新しいものを恐れる。
心マインドというものは古いものには実に賢く振る舞えても、
新しいものに出会うと必ず当惑するからだ。
心は新しいものを再びイロハから習わなければならない
――誰が習いたがるだろう?
心は世界をそのまま停止させておきたい。
社会が法を遵守し、古い型を守るのはまさにこの心があるためだ。
世界中で数限りない人々が因襲にとらわれている。なぜだろう?
そこにはかなりの資本が投下されているにちがいない。
これは投資だ――
誰も学びたくはないし、誰も成長したくはないし、
誰も新しいものに慣れ親しみたくはない。
人々はどこまでも古い型を守りつつ゛けようとする。
が、そうなると当然、退屈してくる。
そこで彼らは「どうして退屈なんだろう?どうすれば退屈せずにすむだろう?
」と言う。
彼らは自分たちで退屈をつくりだしておきながら、退屈をつくりだしたそのか
らくりを見ていない。
大勢の人が私のもとにやって来て、自分は退屈していると言う。
「どうすれば退屈から抜け出せるでしょう?」と。
退屈が問題なのではない。
退屈は副産物だ。
問題の奥にあるのは、新しいものを探求する用意ができているか?
冒険に出る用意ができているか?
ということだ。
冒険とは賭けることだ。
それはよくなるかもしれないし、これまで知っていたよりもさらに悪くなるか
もしれない
――それは誰にもわからない。
それに関してはひとつも確実なことは言えない。
生で唯一確かなのは、それが不確かなものであるということだけだ。
人は不確かさより他には何も当てにすることができない。
新しいものは人をひどく不安にさせる。
彼らは古いものにしがみつく。
世界に因襲にとらわれた人々がいるのはそのためだ――
彼らは無用な重荷になっている。
彼らのおかげで世界はよどんでいる――
彼らは古い型を踏襲することにこだわりつつ゛けている。
例えば、インドの歴史はほぼ五千年に達するが、マヌがつくりあげた社会構造
はそのまま残っている。
それは当時は良いものだったかもしれないし、何らかの意義があったにちがい
ないが、五千年が経ったというのにインドにはいまだに不可触賎民がいる。
触れることすら許されない人々がいる。
彼らは人間ではない。
正統派を自認する者たちは彼らの影にさえ触れない。
かつてはそうだった。
今でもいくつかの村では、不可触賎民、スードラが通りを歩くときには「どう
かわきによけてください。そちらに行きますよ」と叫ばなければならない
――というのも、カーストの高い誰かに影が触れると罪になってしまうからだ

彼は叩かれ、へたをすると打ち殺される!(´・(ェ)・`)
(つづき)

461 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/04/13(土) 22:31:02 ID:1d4drIFg0
>>459 そうじゃ、そもそもその詩は四行でもないのじゃ。
 かなり意訳されているのじゃ。
 無為にして為すという秘訣が欠けているのじゃ。
 それだけでオショーならば一章分は説法できたであろうにのう。
 日々の精進の果てに全ての思考も捨てて何の計らいもなく、肉体が自らサマーディに入る神秘の法門なのじゃ。

462 避難民のマジレスさん :2019/04/13(土) 22:56:13 ID:LC3de7YgO
>>460
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十二話 六月に白い雪が舞う(つづき)
より抜粋

今でもこの罪を着せられ焼き殺される人々が いるが、この愚劣な社会構造は五
千年も生き延びてきた。
これほど非人間的なのに!
これほど非民主主義的なのに!
インドでは民主主義が成功しそうにないのはこのためだ。
ヒンドゥー教の精神そのもの が民主的ではない。
精神構造のすべて、心理的な条件つ゛けが民主主義に反している のに、どうし
て民主的な国をうまくつくりあげることができるだろう。
民主主義において最も大切な基本は、万人が平等であるということだ。
誰かが誰かよりも価値においてまさるというわけではない――ところが ヒンド
ゥー教徒はそれを受け容れることができない。
事実、スードラ、 不可触賎民は人間として認められていない。
彼は人間ではなく、家畜扱い をされている。
女を人間と見なすことはできない。
女性もまた家畜扱いをされてきた。
さあ、この種の精神――それがどうして民主的になりえよう。
だから民主主義の 名のもとにあるのは混沌以外の何ものでもない。
なぜなら、民主主義の基盤が 存在していないからだ。
だが、この国は五千年にわたりこの社会構造とともに 存続してきて、それを手
放す用意ができていない。
この構造のどこに美点があるのだろう?
美点などどこにもありはしない。
それはただただ醜く、おぞましく、忌まわしく、吐き気をもよおすほどだ!
人々はあまりにも長くそれと暮らしてきたので、もう他のことは何も学びたく
ない ――ただそれだけのことだ。
彼らはそれとともに生きてゆきたい。
彼らはそれが あると安心することができる。
彼らはどんな変化も毛嫌いしている。
いいかね、この傾向は多かれ少なかれどんな人間のなかにもある。
あなたは変わりたくはない。
あなたは変化を恐れている。
なぜなら、変化とともに新たな挑戦が生まれるからだ。
そしてあなたは新しい状況に対処できるかどうか不安に思っている。
古いものならうまく扱えるし、手際よくさばけるから、 古いものに寄り添って
いるほうがましだ。
古いものは意のままに操ることができる。
新しいものはどうなるかわからない。
思い通りになるかもしれないし、 思い通りにはならないかもしれない。
学ぶことができるのは子どもたちだけだ。
子どもたちには何も過去がないので、 しがみつくべき古いものがいっさいな
いので、 いつでも喜々として学ぶことができる。
大きくなればなるほど学ぶことができなくなる。
十三歳位で、人々は学ぶことをやめる。
それが彼らの精神年齢になる。
探求者であるなら、あなたは 絶えず学びつつ゛けなければならない。
生きることは学ぶことだ。
学ぶことはけっして終わらない。
死の瞬間においてすら、 探求者は学びつつ゛ける。
彼は死を学ぶ。
彼はいつでも変わる用意ができている。
水は変化する要素を、永遠の変化を、 流動的な現象を表している。
いつでも変化でき、過去を忘れ、 過去を許すことができ、瞬間とともに進ん
でゆく 用意のある者たちこそが真の人間だ。
なぜなら、彼らは冒険家だからだ。
彼らは生の美を、生の祝福を知っている。
そして生はその神秘をこのような人々に、 こ の よ う な 人 々 に だ け 明
かしてくれる――なぜなら、 彼らはそれに値するからだ、 みずからの手でそれ
を稼ぎ取ったからだ。
賭けることで、彼らはそれを稼ぎ取った。
彼らには勇気がある。
水中にそよ風が吹く。
もしあなたが水のような現象になり、
変化し、絶えず移り変わり、動き、流れ、
けっして過去や古いものにしがみつかず、
いつも新しいものを探し求め、
つねに新しいものを楽しんでいると……
"そよ風"が吹いてくる。
あなたは恩寵に包まれる。
あなたの実存は至福に包まれる。
そうなったら、あなたの内側ではじめて聖なるものが踊りだす……
"そよ風が吹く"とはそのことだ。
神はとてもやさしい。
神はけっしてあなたの扉を叩かない。
神の足音はけっして聞こえない。
訪れるときには、
神は音を立てずに、ひっそりとやって来る。
あなたが水のようになっていないかぎり、
神のそよ風があなたの上に吹いてくることはない。
まず流動的になりなさい。
流動的でありつつ゛けること――これはサニヤシンに対する私のメッセージで
もある。
そして、いいかね。未来は絶えず変化してゆく用意がある者たちのものになる。
なぜなら、今や世界はめまぐるしい速度で変化しているので、
古いものにしがみついている者たちは大きな苦しみを味わうことになるからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

463 避難民のマジレスさん :2019/04/15(月) 00:45:23 ID:LC3de7YgO
>>462
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十二話 六月に白い雪が舞う(つづき)
より抜粋

彼らはこれまで大きな苦しみを味わったことがなかった。
むしろ逆に、進んで変わろうとする者たちのほうがひどい苦しみをなめてきた。
これからは状況が逆さになるだろう。
これからの時代は変化を愛し、喜々として踊りながら変わってゆこうとする者
たち、変化を祝う者たちのものになる。
そして、いつなんどき変化の機会が訪れても、彼らはそれを逃がさない。
未来は彼らとともにあることになる。
歴史は大きな転換をとげ、別の地平を進もうとしている。
「何かが変化しつつあるときには、
けっしてそれを妨げてはいけない」
と私がいつも力説しているのはそのためだ。
恋人との関係が変化しつつあるなら、それを妨げてはいけない。
それを受け入れ、なるようにならせなさい。
別れなければならなくなっても、くよくよしないこと。
執着心があると、いつまでも惨めなままでいなければならない。
変わってゆくものは変わってゆく!
その変化を楽しみ、その新しさを楽しみなさい。
新しいものを受け入れ、歓迎するがいい。
過去をあげつらわずに、 新しいものを受け容れることができるようになれば
、 まもなくあなたはみずからの生が格調の高さ、優美さ、 穏やかな気品を帯び
はじめたことに気つ゛くだろう。
あなたは柔らかな花のようになる。
まさにその瞬間に探求者は踊りはじめる。
まさにその瞬間に祝祭がはじまる。
そしていいかね、イルカやチンパンジーは 遊びを知っているかもしれないが
、 祝うことができるのは人間だけだ。
祭り祝うことはまさに人間的だ。
色々な定義を耳にしたことがあるだろう―― 「人間は理性的な動物である」と
言う者もいれば、また別のことを言う者もいる。
私は「人間は祭り祝う動物である」と言う。
人間が他のすべての動物と袂をわかつのはそこだ。
だが、古いものにしがみついて いたら、どうして祝うことができるだろう?
過去に生き、死んだもののなかで生き、 生があなたに触れるのを許さないな
ら、 あなたは墓のなかで暮らしている。
それは薔薇の茂みが咲き終わり、 しぼんでしまった花に執着し、散った花び
らばかりを集め、 新しい蕾つぼみや新しい花を恐れたり、春を恐れたりしてい
るようなものだ。
これが何百万もの人々、大多数の人々の状況だ
――彼らは咲き終わり、 しぼんでしまった花びらにいつまでも執着し、それを
集めつつ゛けている。
彼らは記憶のなかに生きている……彼らはそれを「郷愁ノスタルジア」 と呼ん
でいるが、愚かなことこのうえもない。
真の人間は郷愁などまったく抱かない。
過去はもうそこにないのだから、 けっしてあとを振り返ることがない。
彼は瞬間に生き、未来に対しては開いたままでいる。
現在は 彼のものであり、その現在ゆえに、 彼は未来を受け容れることができる
ようになってゆく。
彼の窓は風に、雨に、太陽にいつも開かれている。
彼は広場だ。
水中にそよ風が吹く。
人はこの瞬間に到ってはじめて神に気つ゛く。
まず、あなたは中心においてバランスを取りはじめる。
次に、あなたは目撃者、魂に気つ゛くようになる。
そして第三に、あなたは臨在プレゼンスに、ある未知の神秘の臨在に、"そよ風"
に気つ゛きはじめる。
(p431)
そして第四に……

天上をさすらいながら、受容の精神を食べる。
第四の現象はこれだ――
神の臨在に気つ゛きはじめると、
あなたの二元性、あなたの根本的な極性は消えはじめる。
そうなったら、あなたは
男でもないし女でもない、
<陽>でもないし<陰>でもない。
すると突然、
あなたの男が女を食べ、
あなたの女が男を食べる。
この地点で、ヒンドゥー教の
アルダーナリシュバル(両性具有)
という概念が重要な意味をもってくる。
そうなったら、あなたは両方であると同時にいずれでもない。
あなたは肯定と否定の二元性を超越している。

天上をさすらいながら……

だがこれは、あなたがそよ風、霊妙な踊り、神の臨在を知り、
広々とした大空をさすらうようになってはじめて可能になる。
あなたはもはや何にも執着していない。
あなたはもはや地の上を卑屈に這いまわってはいない。
あなたは墓のなかにはいない。
あなたは翼を広げている。
あなたは大空を羽ばたいて、<存在>と<存在>がもたらす
すべての挑戦にいつでも応じることができる――
もはや正統派の考えにとらわれることもなく、
因襲にとらわれることもなく、
社会の規範にとらわれることもない。
あなたは反逆者だ。
そして反逆的な魂だけが
神の臨在を感じるようになる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

464 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/04/15(月) 02:21:54 ID:1d4drIFg0
間違った翻訳でも陰陽が合一するという根本的な主題は正しいのじゃ。
肉体の中にエネルギーがあり、それが陰陽に区別されるというだけでも科学で解明されていない現象なのじゃ。
更にその合一がもたらす変容にはいつの日にか、科学がたどり着けるかどうかもわからんのじゃ。
多くの者に理解不能であるから秘伝とも言えるのじゃ。

465 避難民のマジレスさん :2019/04/15(月) 07:49:05 ID:LC3de7YgO
>>464
鬼和尚、いつもありがとうであります。
間値がった翻訳はどの部分でありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

466 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/04/15(月) 23:55:49 ID:1d4drIFg0
↑その詩は本来
玉清留下逍遙訣。四字凝神入氣穴。六月俄看白雪飛。三更又見日輪赫。水中吹起藉巽風。天上遊歸食坤德。更有一句玄中玄。無何有鄉是真宅。
と続くのじゃ。
 かなり長いのじゃ。
 四字とは無為にして為すということなのじゃ。
 それによって気は穴に入るというのじゃ。
 欲心では入らないのじゃ。

 水の中の巽の風なのじゃ。
 それは目を持って気を導く事なのじゃ。

 更に一句有り玄の中の玄とは陰の中の陰なのじゃ。
 一切を捨て切り受容性の極地に入るのが深奥の秘訣なのじゃ。
 老子から続く道家の法なのじゃ。
 全て詳しく解説すれば本が一冊できるほどなのじゃ。

467 避難民のマジレスさん :2019/04/16(火) 00:19:03 ID:LC3de7YgO
>>466
おー!
流石であります、鬼和尚!
読み方すらわからぬ、情けないくまであります。
(´・(ェ)・`)つ

468 避難民のマジレスさん :2019/04/16(火) 00:34:58 ID:LC3de7YgO
>>463
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十二話 六月に白い雪が舞う(つづき)
より抜粋

神の臨在――これこそが天国だ!
そうなったら、あなたを完全に結晶化させる
第四の奇蹟が起こり、あなたの二元性は消える。
これが起こるまでは、あなたは奥深くでは分裂している。
あなたが男であれば、あなたはみずからの女性性を抑圧しつつ゛けているし、
また抑圧せざるをえない。
社会はあなたに「自分が男であることを忘れるな」と教える。
もしあなたが声をあげて泣いたなら、誰かがきっとこう言うだろう。
「何をやっているんだ。女だったら声をあげて泣いてもかまわないが、
君は男だろう。だったら泣くんじゃない」
すると即座に涙は止まる。
あなたは涙を抑え、涙をぐっとのみこむ。
あなたは男であり、男らしくしなければならないから、泣いてはいけない。
泣くことができなければ、
どうして笑うことができるだろう?
あなたの笑いは中途半端で生ぬるい。
それは笑いすぎたら緊張がすっかりゆるみ、
抑えていた涙がこぼれはじめるかもしれないという恐れがあるからだ。
この現象を観察したことはないだろうか?
人は笑いすぎると、泣きだしはじめる。なぜだろう?
笑いすぎると、どうして涙があふれてくるのだろう?
笑うということは、あなたが自分を容認しているということだからだ。
容認すれば、あなたはあらゆるものを受け容れてゆく。
ひとつのことだけを認め、あとは認めない
などということはできない。
ひとつのことを抑圧すれば、あなたはありとあらゆるものを抑圧せざるをえな
くなる。
これは覚えておかねばならないとても基本的なことがらだ――
ひとつのことを抑圧すると、それと同じ分だけ自分の全人格を抑圧しなければ
ならなくなる。
泣くことができなければ、あなたは
笑うこともできない。
笑うことができなければ、あなたは
泣くこともできない。
怒ることができなければ、あなたは
慈悲心をもつこともできない。
慈悲深くなることができなければ、あなたは 怒ることもできない。
生はある一定の水準を保っている。
何であれひとつのことを受け容れれば、 生の他のことも同じ分だけ受け容れ
ざるをえなくなる。
あなたにはできないことがひとつある―― 「涙は抑えるけれども、腹の底から笑う」――それは無理な相談だ。
男はもっともっと男らしくなるように教え込まれる。
小さな男の子たち――私たちは彼らの土台を、基本的な バランスを変えようと
し、単極になるよう強要してゆく。
男の子たちを無理やり男に仕立てあげねばならないので、 いくつかのことを禁
じなければならない。
喧嘩をしても、私たちは何もとやかく言いはしない―― 男は命を懸けて闘うも
のだというわけだ。
銃やピストルで殺し合い ごっこをしたり、探偵小説を読んだりしても、私たち
はとがめはしない。
だが、女の子には銃をもたせない。
女の子にはこう言い聞かせる―― 「人形で遊びなさい。お見合いをしたり、お
母さんになったり、お家をつくったり、 ご飯をつくったりするのよ。そういう
ことをして遊びなさい。それがあなたの 人生なの、そうなることになっている
の。だから、準備をするのよ」
女の子は樹に登り、枝から逆さにぶらさがったりしてはいけないと言われる。
私たちはそれをさせない。私たちはこう言う――「おまえは女の子なんだよ。
女の子はこういうことはしないものさ。おまえには似つかわしくないね」。
徐々に徐々に、私たちは極を、一方の極を強調し、他の極を完璧に抑圧してゆ
く。
これが精神分裂症のもとになる。
社会はいまだに人の実存を丸ごと受け容れる ことができないので、誰もが分裂
症にかかっている。
実存するものリアリティに向かって進んでゆくにつれて、 あなたは自分の実存
を丸ごと受け容れなければならなくなる。
あなたは男であると同時に女、 または女であると同時に男だ。
誰も男だけではないし、 誰も女だけではない。
そして、あなたがそのどちらでもある というのはすばらしいことだ。
なぜなら、それによって あなたの人生、あなたの実存は豊かになるからだ。
それは あなたに様々な彩りを加える。
あなたは七色のスペクトル、虹そのものになる。
あなたは単色ではなく、すべての色があなたのものになる。

四つめに、あなたが 神の臨在のなかに入ってゆくようになると、 分裂症は跡
形もなく消え失せる―― 分裂症が消えるにはそうするより他にない。
精神分析は大して役には立たない。
実のところ、それはあなたの極性を強調しつつ゛ける。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

469 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/04/16(火) 23:14:02 ID:1d4drIFg0
>>467 言葉の意味だけはオショーの説くのと同じなのじゃ。
 含意は周天の法の奥義なのじゃ。

例えば初心の者が偶然姿勢を正しくしてサマーディに入れたとしても、数秒から数十分位で終わってしまうのじゃ。
未だ気が足りず、循環もしていないからなのじゃ。
丹田の陽気が大量に生じて頭頂に入り、そこからまた大量の陰気が生じて丹田に戻るという循環が起これば、いつまでもサマーディに入っていられるのじゃ。
それを恐れて思考や分別が起これば、止まってしまうのじゃ。
肉体の陰陽の気の循環と、全てを受容する心構えがあってサマーディは長時間続けることが出来るのじゃ。
その秘訣を伝えた詩なのじゃ。

470 避難民のマジレスさん :2019/04/17(水) 06:57:26 ID:LC3de7YgO
>>469
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

471 避難民のマジレスさん :2019/04/17(水) 07:21:24 ID:LC3de7YgO
>>468
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十二話 六月に白い雪が舞う(つづき)
より抜粋

心理学はいつか男性優位ではない地点にまで到らなければならない。
さもなければ、心理学の名のもとにいつまでも愚行が演じつつ゛けられてゆく。
ジークムント・フロイトは、女性は男根への羨望を抱いていると言う。
まったくのたわごとだ!彼は男性は乳房への羨望を抱いているとはけっして言
わない。
これは男性指向の考え方だ。
実際、女性はどんな羨望にも苦しんでいない。
むしろ逆に、男が多くの羨望に苦しんでいる。
それは男には子どもが産めないからだ、子どもをつくることができないからだ

子どもをつくることができないので、男は その代用として他のたくさんの創造行為を行なう。
詩を書いたり、絵を描いたり、 彫刻をしたり、建築をしたりする。
これらは代用の創造行為だ。
奥深くで彼は ひとつのことを――自分が生命を産みだせないことを知っている
からだ。
そちらのほうがはるかに真実に見えるが、 フロイトはそのことについては一言
も語っていない。
彼は女性はひとり残らず男根への羨望を抱いていると言う。
これはまったくのたわごとだ。
心理学はいまだに男と女という 古びた区分けを手放せないでいる。
人間は男と女の両方だ。
だが、この究極の統合は第四のステージではじめて起こる。
天上をさすらいながら、受容の精神を食べる。
"受容"とは女性性を意味している。
あなたはその対極を食べる。
そして、いいかね、食べるとは吸収するということだ。
「弟子たちはみな人の肉を食べなければならない」
といういにしえの格言があるのはそのためだ――
それは師を食べなければならないからだ。
それを文字通りに受け取ってはいけない。
それは譬たとえにすぎないが、ひじょうに深い意味が込められている。
食べるとは吸収すること、消化することを意味しているからだ。
師はあなたの一部になり、もはや分離してはいない。
イエスが最後の晩餐で弟子たちに別れを告げるとき言っていたのはそのことだ

彼はパンを裂いて弟子たちに配り、
「このパンは私だ。それを食べなさい。それは私の肉だ」
と言い、ワインを注いで弟子たちに配り、
「このワインは私だ。それを飲みなさい。これは私の血だ」と言う。
これもやはり譬えだ。彼は弟子たちに言っている。
「人食いになりなさい。師を食べ、師を消化しなさい。そうすれば、あなたと
師のあいだに分離はなくなる」
それはこの第四の言辞についても当てはまる。
あなたは自分のなかのもうひとつの極を食べなければならない。
呂祖は男性の弟子たちに語っていたにちがいない。
なぜなら、いつの時代でも、男たちのほうが冒険心や探究心が旺盛だからだ。
女性のほうがもっと落ち着き、くつろいでいるように見える。
だから、そこにいたのは男性の弟子たちだったにちがいない。
彼は男性の弟子たちに語っていたにちがいない。
だから彼は「みずからの女性を食べなさい」と言っている。
だが、それは女性の弟子たちにも当てはまる。
彼女たちはみずからの男性を食べなければならない。
二元性が消え失せるように、内側でもう ひとつの極を吸収しなければならな
い。
ひとたびこの四つの詩句が成就されたなら、 すべてのなかで最も深遠な秘密が
明かされるだろう。
そして、さらに深い秘法のなかの秘法がある―― どこにもない国こそ、真のわ
が家である。
さあ、ここではじめてあなたは自分が存在していないことに気つ゛く。
だが、自分が存在しないといっても、それはたんなる空虚な状態を意味するも
のではない。
あなたのなかの人格は姿を消すが、臨在が現れてくる。
内側にあった<存在>からの分離感は消え失せるが、全体があなたのなかに宿る
ようになる。
あなたはもはや孤島ではない。
今や自分がどこにいるかをつきとめるすべはない。
それゆえに……

どこにもない国こそ、真のわが家である。
もう自分がどこにいるのか、
自分が誰であるのか言うことはできない
――それこそが真のわが家だ。
この"どこにもない"というのは、実にすばらしい言葉だ。
インドの偉大な神秘家スワミ・ラーマティルタは、
最高裁判所で検事をやっていた友人の話を何度も何度もくり返したものだった。
この友人は完璧な無神論者であり、絶えず神の存在を否定する説を唱えていた

彼は筋金入りの無神論者だったので、みんなに注意をうながすために、居間の
壁に誰の目にもわかる大きな文字で「神はどこにもない GOD IS NOWHERE」と書
きつけていた。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

472 避難民のマジレスさん :2019/04/17(水) 08:44:44 ID:LC3de7YgO
>>466
玉清留下逍遥訣
四字凝神入氣穴
六月俄看白雪飛
三更又見日輪赫
水中吹起藉巽風
天上游歸食坤徳
更有一句玄中玄
無何有郷是真宅

玉清は逍遥訣を留め下せり
四字は神を凝らして氣穴に入る
六月に、俄かに白雪の飛ぶを看て
三更に又、日輪の赫たるを見る
水中に吹起し巽風を藉る
天上に游歸し坤徳を食らう
更に一句有り、玄中の玄
無何有郷はこれ真宅なり

↑読み方見つけたであります。
(´・(∀)・`)つ

473 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/04/17(水) 23:06:04 ID:1d4drIFg0
↑それでよいのじゃ。

気を鍛錬する秘訣でありながら、心を制御することが大事とされているのじゃ。
無為の為によって神気を貯めるのじゃ。
欲心も分別もせずに全てを忘れて丹田に集中するのじゃ。

気が大量に発生して体を通れば、さまざまな現象が起こったりするのじゃ。
体が震えたり、自動的に動いたり、映像が見えたりするのじゃ。
それらに囚われず全てを受け容れる境地が玄の中の玄なのじゃ。

474 避難民のマジレスさん :2019/04/18(木) 06:51:12 ID:LC3de7YgO
>>471
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十二話 六月に白い雪が舞う(つづき)
より抜粋

彼に会いにきたり訪ねてきた者たちはみな、まずこの「神はどこにもない」と
いうこの文字をいやでも目にすることになる。
あなたが「神はある」と言おうものなら、
手ぐすねを引いて待っていた彼がただちにとびかかってくる。
そうこうするうちに子どもが生まれて、子どもは言葉を覚えはじめたが、まだ
まだたどたどしかった。
ある日のこと、父親の膝に坐っていた子どもがその文字を読みはじめた。
「どこにもない NOWHERE」という単語は長すぎて読めなかったので、子どもは
それを二つに分けてこう読んだ――
「神は今ここにいる GOD IS NOW HERE」
NOWHERE は NOW と HERE の二つに分けることができる。
父親は驚いてしまった。
この言葉を書いたのは自分だが、一度もそんな読み方をしたことはなかったか
らだ。
意味がまるで逆さになってしまう……神は今ここにいる。
彼は子どもの目を、その天真爛漫な目をのぞき込み、
はじめて何か神秘的なものを感じた。
はじめて子どもを通して神が話しかけたような気がした。
彼の無神論、生涯をかけた無神論は、
この子どもの言葉ゆえに消え失せてしまった。
そしてラーマティルタは、この友人は息を引き取るときには、
彼が知るかぎり最も敬虔な人物のひとりになっていたと言っている。
が、その変化は子どものちょっとした読み違いで起こった。
子どもは「どこにもない NOWHERE」を一息で読むことができなかった。
この「今ここ NOW-HERE」
と「どこにもない NOWHERE」という言葉はすばらしい。
神が今ここにいることがわかると、
神はどこにもいないことがわかる。
どちらも同じことだ。
神はどこか特定の場所にいるわけではなく、それは確かに真実なので、神はど
こそこにいるという言い方はできない。
居場所をつきとめることはできないし、それを確定することはできない。
ナナークは、
神の居場所を尋ねるのはまるで見当違いであり、
神がいない場所はどこかと尋ねるべきだと言っている。
神があまねく存在しているのであれば、
神は至るところにいると言っても、
神はどこにもいないと言っても大差はない。
神があまねく存在しているのであれば、
ど こ そこ に と言うことには意味がないからだ。
神はある。
どこにもない国とは今ここのことだ。
今が唯一の時間であり、ここが唯一の場所だ。
今ここで神を見いだすことができなければ、
どこへ行っても神を見つけることはできない。
この瞬間、ま さ に こ の 瞬 間 に ……
三つのステップが実現され、
第四のものが達成されたら、
これが起こる。
これは秘法のなかの秘法だ――
神はどこかに腰かけている人物ではない。
神が人物として知られることはけっしてないし、
人物として知られたことも一度もない。
神を人物として認知した人々はみずからの空想にだまされていただけだ。
キリストの姿を見るなら、それはあなたの空想だ。あなたがそれをつくりだし
ている。
クリシュナの姿を見るなら、それはあなたの空想だ。
空想力を培うことはできるし、空想の翼を広げることはできるが、あなたは夢
をつむぎだし、夢を投げかけている。
それはあなたの夢を見る心の働きだ。
真理は人物ではないし、真理は ど こ か に、外にあるものではない。
それは客体として見つかるものではなく、
みずからの目撃しつつある主体だ。
そしてそれは、あなたの男と女が消えて
ひとつになってはじめて実現する。
フランス人が言うように、三つの性別がある――男、女、そして聖職者。
彼らは冗談で言っているのだが、そこにはなかなか深い意味が込められている。
まさに三つの性別がある――男、女、そしてブッダだ。
ブッダは男とも呼べないし女とも呼べない。
いずれかの肉体をもってはいるが――
男の肉体かもしれないし女の肉体かもしれない――
ブッダはもはや自分の肉体に同一化していない。
彼はただ純粋な目撃者だ。
彼は、あなたが彼の肉体から離れているように自分の肉体から離れている。
あなたと彼の肉体とのあいだには距離があるが、 彼とその肉体のあいだにも同
じような距離がある。
あなたは外に立って彼の肉体を見ているが、 彼は内側の深いところに立って自
分の肉体を見ている。
だが、 あなたと彼の肉体のあいだの距離 と、彼とその肉体のあいだの距離は
同じだ。
彼はもはや自分の肉体に同一化していない。
彼は男とも呼べないし女とも呼べない。
彼はただ超越している。
そしてこの彼方なるものが開かれたとき……
どこにもない国こそ、真のわが家である。
あなたはわが家に帰り着いている。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

475 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/04/18(木) 22:26:08 ID:1d4drIFg0
回光して陰陽の気を循環させた肉体は何か人と違うものに変化するのではないのじゃ。
むしろ人間の本来の姿に戻るというのじゃ。
子供に近いからだがその本来の姿なのじゃ。
欲はなくなり、常に快があり、知識は乏しくとも智慧は在るのじゃ。
そのような肉体に戻ることが真宅に還ることなのじゃ。

476 避難民のマジレスさん :2019/04/18(木) 22:44:11 ID:LC3de7YgO
>>475
うむ。
くま禅病予防のため、熱感として感じられる「気」をコントロールして巡らせていたとき、明らかに精神的な瞑想とは異なり、肉体の実感として容易く感じられるものだったので、
あの先に、そんな世界が広がっているとは、思えなかったであります。
むしろ、集中して座っているとき以外に、日常で、腰や背中、脚などが突然発熱してきたりしてたので、あまり深入りしない方がよいかなと思ってしまったのでありました。
(´・(ェ)・`)つ

477 避難民のマジレスさん :2019/04/18(木) 23:22:48 ID:LC3de7YgO
>>474
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十二話 六月に白い雪が舞う(つづき)
より抜粋

この詩句は神秘に満ちている。
それが意味するのは、深遠なるタオにおいて 最も重要なのは「無為の為」とい
う詩句である、ということだ。
わが家に帰り着いてはじめて「無為の為」
という言葉の究極の意味がわかるよ
うになる。
だが、あなたはまさにその始めから、その方角に向かって進んでゆかなければ
ならない。
そうしてはじめて、いつの日か究極なるものが起こる。
無為の為とは何だろう?
活発に動きまわるのはとても簡単だし、
何もしないでいるのもとても簡単だ。
夜も昼も活動的で、絶えず動きまわり、落ち着きのない人々がいる。
西洋ではそれが起こっている。
人々は過剰なほど活動的になってしまっている。
彼らはほんの一瞬も落ち着いて坐ることができない。
坐り心地のいい、すてきな椅子に坐っているときでさえ、そわそわしながら姿
勢を変えてばかりいる。
彼らは落ち着くことができない。
人生そのものが騒々しい。
彼らはいつも忙しくしているための何かを必要としている。
彼らは忙しく動きまわり、自分自身を狂気に駆り立ててゆく。
東洋の人々はひじょうに消極的で、怠惰になってしまった。
彼らは怠惰のあまり死に瀕している。
彼らは怠惰のせいで貧しい。
彼らは自分たちが貧しいのは世の中のせい、他人のせいだと言わんばかりに、
世界全体を非難しつつ゛けている。
彼らが貧しいのは、彼らが怠け者、完璧な怠け者だからだ。
彼らが貧しいのは、行為が完全に消え失せてしまったからだ
――その彼らがどうして生産的になれるだろう?
どうして豊かになれるだろう?
彼らは搾取されてきたから貧しいのではない。
インドの裕福な人々の有り金をすべて分配したとしても、貧困はなくならない
だろう。
裕福な人々がみな貧乏になることは確かだが、貧乏人が金持ちになることはな
い。
貧困はずっと奥深いところに、無為ゆえにある。
そして一方の極を選ぶのはとても簡単だ。
為すことは男性的であり、無為は女性的だ。
呂祖は「人は無為の為を学ばなければならない」と言う。
人はこの複雑なゲームを学ばなければならない。
人は行為しなければならないが、やり手になってはいけない。
人はあたかも神の道具として働いているかのように行為しなければならない。
人は行為しながら、しかも無我の状態にとどまらなければならない。
行動し、対応しながら、しかも落ち着きを失ってはいけない。
行為を為し終え、適切な対応をすませたら、休息を取ればいい。
働かなければならないときには働き、遊ぶときには遊べばいい。
働き、遊んだら、休息を取り、浜辺で寝ころべばいい。
浜辺で太陽の光を浴びながら寝そべっているときには、
仕事のことは考えないこと――
会社のことを考えてはいけないし、
書類のことを思い浮かべてはいけない。
世間のことはすっかり忘れてしまいなさい。
太陽の光を浴びて、そのなかに身を横たえなさい。
それを楽しむのだ。
これはあなたが無為の為を身につけてはじめて可能になる。
そして会社では何であれやらなければいけないことをやりなさい。
工場でやらなければならないことをすべてやりつつも、
行為しているときでさえ、目撃者でありつつ゛けること。
奥深くでは、ゆったりとくつろいで、完全に
中心が定まり、周辺は車輪のように動いているが、
中心は台風の目のようになっている。
中心では何も動いていない。
これが完全な人間だ。
彼の魂はくつろいでいる。
彼の中心は完全に穏やかだ。
彼の周辺は活動し、世間の千とひとつのことを行なっている。
これが私のサニヤシンの概念だ。
だから私は
「世間を捨ててはいけない、世間にとどまりなさい」と言う。
世間のなかで行為し、やらねばならないことはすべてやりながら、しかも泰然
とし、超然とし、触れられずに、池のなかの蓮のようでありなさい。

無 為 は人が形象(物質性)に巻き込まれるのを防いでくれる。。
みずからの内奥の中核が無為のなかにあることを思い出せば、あなたはだまさ
れることはないし、形やイメージに巻き込まれることはない。
それは物質的なものだ。
あなたは世俗的にはならない。

無 為 に し て 為 す ことで、 人は鈍くうつろな状態や生気のない虚無に沈
み込む ことから逃れることができる。
そしてもうひとつの危険は、ある種の鈍さ、生気のなさ、鈍感さ、否定的な
空虚さ、虚無に退行することがあるということだ。
これもまた避けなければならない。
無為の為がこれを防いでくれる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

478 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2019/04/19(金) 22:15:20 ID:1d4drIFg0
>>476 そのような熱感も気を通す時期によくあることじゃ。
 ありのままに受け容れる心構えがあれば続けられたじゃろう。
 知識もまた必要なのじゃ。
 深く学び実践して恐れを超えて進むのじゃ。

479 避難民のマジレスさん :2019/04/19(金) 23:49:34 ID:LC3de7YgO
>>478
うむ。
確かに、怖れであったのでありましょう。
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

480 避難民のマジレスさん :2019/04/20(土) 09:10:58 ID:LC3de7YgO
>>477
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第十二話 六月に白い雪が舞う(つづき)
より抜粋

行為はあなたを積極的にさせ、無為はあなたを消極的にさせておく。
行為はあなたを男性的にさせ、無為はあなたを女性的にさせておく。
両方のバランスが取れたら、それらは互いを打ち消し合って、彼方なるものが
開き、突然、あなたの内にブッダが生まれてくる。

これまで光を巡らすことについて語ってきたのは、 外側から内なるものに働き
かける、 最初の悟りの手がかりを示すためだ。
これは師を得るのを助けるためのものであり……
最初の二つの詩句――六月に、突然、白い雪が舞う
と、次の三更(午前零時)に、日輪がまばゆい光を放つ
――これらは初歩の境地であり、あとの二つの詩句――
水中にそよ風が吹くと、次の天上をさすらいながら、受容の精神の力を食べる
はより高い境地だ。
最初の二つは初歩の境地であり、あなたが師を見いだす助けになる。
師と出会ったときには、この二つの境地を体得していてはじめてその人を師と
認めることができる。
体得していなければ、仏陀のような人に出会ったときも、自分が何を取り逃が
したのかも気つ゛かずに彼の傍らを通り過ぎてしまうかもしれない。
いつかあとになってこの二つの境地を体得したなら、あなたは声をあげて泣き
、後悔するだろう。
ブッダと道ですれ違ったことを思い出すからだ。
そうなったら、「どうして取り逃がしてしまったのだろう」
とひどく悔やむことになる。
最初の二つはあなたが師を見いだす助けになる。
最初の二つの境地は、外側から内側へと働きかけなければならない。
働きかけは外側からはじめなければならない
――今まさにあなたはそこにいるからだ。
そして内側に入ってゆきはじめなければならない。
次の二つの段階では、あなたは師を見いだし、師はあなたを見いだしている。
次の二つは師の指令を実行することにある。
プロセスは逆になる。
今や内なるものが外に働きかけるようになる。
最初の二つの段階では、あなたは修養し、実践し、瞑想していた。
あなたは働きかけ、探し求め、闇のなかを手さぐりしていた。
次の二つの段階では、あなたは師を見いだし、彼の声を聴き、彼の目を見つめ、
彼のハートを感じている。
師の臨在があなたの実存に満ちわたっている。
信頼が湧き起こっている。
今やただ従って、師の指令をひたすら実行すればいい――
これらの指令を実行してゆくことが、あなた自身を実現することになる。

これは……初歩の境地にある学人たちに向けられたものだ。
彼らは上方の関門に達するために、下方の二つの関門を通り抜ける。
ものごとが次第に明らかになり、悟りの機縁がうかがわれると、
天は道を明らかにすることを惜しまず、究極の真理を明かしてくれる。
弟子たちよ、これを秘密にし、努力を怠らぬようにせよ。
最初の二つにはあなたの側の大きな集中的な努力が必要とされる。
あなたは意識的に働きかけ、腰を据えて働きかけなければならない。
それは骨が折れる。
最初の二つの境地が容易でないのは、あなたの目が閉じているから、あなたの
ハートが鼓動していないからだ。
次の二つの境地が易しいのは、今やあなたの目が開いているからだ。
あなたは師の存在を知り、師のメッセージを聞いた。
今やものごとは明らかになった。
今やあなたは見ることができる。
ヒマラヤの頂は遥か遠くにあるかもしれないが、あなたはそれを見ることがで
きる。
まだ千マイルも旅をしなければならないかもしれないが、あなたはそれを見る
ことができる。
遥か遠くからでも陽に照らされたヒマラヤの頂を見ることができる。
あなたはそれがそこにあることを知っている。
今やそれはたんに時間の問題でしかない。
あなたはあの頂と麓を何度も何度も往復したことがある
案内人ガイドがそばにいることを知っている。
今やあなたは耳を傾け、従うことができる。
最初の二つの境地は大きな疑いに包まれている。
人は悪戦苦闘しなければならない。
そこでは道を誤る可能性がひじょうに高い。
些細なことで、実に些細なことで人は道をはずれてしまいかねない。
あとからふりかえってみれば、そのばかばかしさがわかるだろう。
ごく些細な、まったく取るに足りないことなのに、それが妨げになってしまう
ことがある。
探求者は油断なく、しっかりと目を見張っていなければならない。
最初の二つの境地では、ごくごく注意深くあらねばならない。
そうしてはじめて初歩の境地を体得することができる。
初歩の境地を体得すると、高い境地に手が届くようになる。
天は道を明らかにすることを惜しまず……
師を通して、天は<道>を明らかにしはじめる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

481 鬼和