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鬼和尚の仏教講読会 別館2

1 避難民のマジレスさん :2020/09/21(月) 19:36:15 ID:WJISoscI0
前々スレ:https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
前スレ:https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/l50

現在:狂雲集(一休宗純)講読会・開催中であります。

2 避難民のマジレスさん :2020/09/22(火) 19:09:26 ID:gzlQJyKs0
182
示耽名僧 2/3  名に耽る僧に示す
南北東西不可量     量るべからず
扶桑栗散國封疆 扶桑ぞくさん國のほうきょう
耽名愚鈍畜生道 名に耽る愚鈍畜生道
望帝一聲聴断膓 望帝一声聴いて断腸

くま訳
東西南北、領地の広さを測ってもしょうがない。
日本国は国境にある小国である
名誉を追い求める輩は、愚鈍な畜生である。
古代の高徳の皇帝望帝は、死後も民を思い、ホトトギスとなって、春、種まきの時期を知らせているという
のに、ホトトギスの一声を聞く度に、日本国の現状を残念に思う次第である。

*不可量(ふかりょう): 程度が、はかり得る範囲を越えていること。また、そのさま。
*粟散辺地(そくさんへんじ):辺地にある、あわ粒を散らしたような小国。粟散辺土。
*封境・封疆(ほうきょう):領土のさかい。国境。
*望帝杜宇(ぼうていとう)は、古代の蜀にあった古蜀の第4代君主とされる人物。
(´・(ェ)・`)つ

3 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/09/22(火) 21:44:56 ID:1d4drIFg0
>>1 ご苦労さんなのじゃ。

4 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/09/22(火) 21:47:17 ID:1d4drIFg0
また売名に耽る僧に忠言するのじゃ。
東西南北の地平は計り知れないというのじゃ。
その全てに名を届かすのは不可能なのじゃ。
それは名に執着する畜生道なのじゃ。
ただひたすらに善事に励む者が自然に名も高くなるというのじゃ。

5 避難民のマジレスさん :2020/09/23(水) 20:57:59 ID:ohh/vbbw0
>>4鬼和尚、ありがとうであります。
くま訳改
第4句:望帝のように高徳な者の名は自ずと残るのだ。

183
示耽名僧 3/3
金鳥玉兎照籠中    籠中を照らす
百億須彌逼碧空   のしゅみ碧空にせまる
香水無邊四大海   無辺し大海
畜生無始又無終

くま訳
太陽と月(の神)が、籠の中を照らしているのだ。
無限の大宇宙は紺碧の空だ
仏に捧げる水が、大宇宙をつつむ海なのに。
良からぬ事をするやつらは、永遠に畜生に生れ変るのだ。

*金烏玉兎(金うぎょくと):「金烏」太陽。また、日月のたとえ。「金烏」、中国古代の伝説で、太陽に 
 すむ三本足のカラス。転じて、太陽のたとえ。「玉兎」は、中国古代の伝説で、月にすむウサギ。転 
 じて、 月のたとえ。
 八咫烏(やたがらす、やたのからす)は、日本神話に登場するカラス。3本足は、天・地・人を表し、神 
 と自然と人が、同じ太陽から生まれた兄弟であることを示すとしている。
*籠中(こちゅう):籠(かご)の中。
*逼(ヒツ)せまる、事態が差しせまる。身動きできない。
*香水(こうずい):寺院や仏壇において、仏に捧げられるものの一つ。樒という照葉樹の一枝を刺すこと
 によって水が香水となることを、鑑真によって伝えられた。
*四大海(しだいかい):須弥山 (しゅみせん) の四方にあるという大海。
*無始無終:始めも終わりもなく、限りなく続いていること。生ある者があの世からこの世へと生まれ、苦 
 しみを味わい、再び死んであの世へ戻っていくという輪廻りんねが無限であること。
*畜生:生前に悪徳の行為をしたものは,死後にこれに生れ変るという。
(´・(ェ)・`)つ

6 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/09/23(水) 21:59:39 ID:1d4drIFg0
日月も己の心の中に在るのじゃ。
百億のチョモランマも紺碧の空もまたあるのじゃ。
香水が無辺の海となってあるのじゃ。
畜生もまた無始無終の本来仏なのじゃ。

7 避難民のマジレスさん :2020/09/24(木) 21:02:19 ID:ur8PhUy20
くま訳改
日月は心の中にあるのだ。
無限の宇宙は紺碧の空だ
仏に捧げる水が、大宇宙をつつむ海なのだ。
畜生も、本来無始終の仏なのだ。

184
除夜
金吾除夜死山名 金吾除夜に山名を殺す
従此黄泉幾路程 此れよりこうせん幾路程
太平天子東西穩 太平の天子東西おん
九五青雲無客星 九五青雲客星無し

やまんなか先生訳
年末に、金吾山名宗全が死んだ。
黄泉の国への道程はかなりといことであろう。
東西の戦も止み、天子の世は穏やかになったが、
人物はいなくなった。

くま訳
西軍総大将・天子の護衛職として、戦乱末期に山名宗全が殺された。
黄泉(よみ)へ行く道は遠いことであろう。
天子の世は太平になり、東西戦乱はやんだ。
天子の世は晴れ渡ったが、新星の如く現れた人物はもはや無い。

*金吾(きんご):官職名《漢代に宮門の警備や天子の護衛に当たった武官「執金吾」の略》衛門府の唐名
。 山名宗全(そうぜん)(応仁の乱の西軍総大将全)の官職名
*黄泉・黄泉路(よみじ):黄泉よみへ行く道。冥途めいどへの道。また、黄泉。
*九五:易で、九を陽とし、五を君主の位に配するところから天子の位
*客星:ふだんの定まった星座の中に突然に現れた星をいう。多くは彗星(すいせい)で、尾があって星座
 の間を動き回るので分かるが、時として急に明るさを増す新星という場合もある▲歌人・藤(ふじ)原
 (わらの)定家(さだいえ)の「明月記」には「後冷泉院(ごれいぜいいん)の天喜二年」に「天関(て
 んかん)星」――おうし座方向に客星が現れたとある。これは中国やアラビアでも目撃された1054年 
 のかに星雲の超新星爆発とみられる。(毎日新聞2020年2月11日)

西軍の山名宗全と対した東軍大将の細川勝元の後継者は、聖徳太子の化身と言われた細川政元。一休さんの
友達である蓮如とその外護者である政元との親密であった。僧でありながら蓮如は政元を魚食で接待したと
いう程。蓮如・教団と政元の接近がその後の戦国時代での悲劇を生む一因であったのかも知れない。(やま
んなか先生解説より抜粋)

うむ。蓮如は、一休さんより世渡り上手っぽいが、やってることは、榮玄の徒のようである。
(´・(ェ)・`)つ

8 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/09/24(木) 21:26:10 ID:1d4drIFg0
応仁の乱の頭首が死んで一応乱は収まったと書いたのじゃ。
しかし、それは戦国時代の始まりに過ぎなかったのじゃ。
むしろ長く生きたほうが少しは増しだったかもしれん。
まとめる人が居なくなれば大衆はそれぞれ徒党を組むからのう。

9 避難民のマジレスさん :2020/09/25(金) 21:28:32 ID:nTGHwvYg0
やばい人みたいな一休さん
185
嘆日旗落地   にっ旗地に落つるをたんす
錦旗日照動龍蛇 錦旗日照らして龍蛇を動かす
聖運春長救國家 聖運春長うして國家を救ふ
化雷踢殺五逆輩 雷と化して五逆のともがらをてき殺し
誓爲朝廷作悪魔 誓って朝廷の為に悪魔とならん

くま訳
日旗が地に落ちることを嘆く
錦の御旗の翻るところ、聖人も凡夫も皆随うのだ
皇運の勢いが長くつづくように、国家を救うのだ
雷となって、反逆者どもを蹴り殺すのだ
誓って、朝廷の為に悪魔となるのだ。

*龍蛇:西村惠信先生解説抜粋
 凡聖同居し、龍蛇混雑す(『碧巌録』三十五) 凡夫と聖人が同居している
 「悟りの世界は清も濁も併せ呑む素晴らしい世界である。そういう世界には、天にも登る龍がいるかと思 
 えば、地面を這い続ける蛇もいる」ということ。「南方にはどのような仏法があるか」という文殊菩薩の 
 問いに対して、答えた無著禅師のことばである。優れた人と困った人が仲良く同居する世界
(´・(ェ)・`)つ

10 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/09/26(土) 22:57:53 ID:1d4drIFg0
一休は皇族の血を引いているというのじゃ。
天皇からもいろいろ世話になったというのじゃ。
親族の付き合いであったもしれんのじゃ。
世が乱れようとする時期に精一杯の応援だったもしれん。

11 避難民のマジレスさん :2020/09/27(日) 17:42:53 ID:Cu43pdJw0
のたうちまわる一休さん
186
示邪淫僧       に示す
銀燭畫屏残月暁 銀燭画へい残月の暁
錦茵甲帳落花春 錦いんかふ帳  の春
生身若堕在火坑 しょうしん若し火きゃうに堕在せば
花顔玉貌他何人 かがんぎょくぼうまたなんびとぞ

くま訳
銀の燭台が美しい屏風を照らす、残月(秋)の暁
美しい布団に、宝石で出来たとばりが掛かる、花散る春
菩薩でも、もし人間界に落ちれば、煩悩の地獄の業火に焼かれ苦しむだろう。
宝石や花のように美しい容貌に惹かれるのであるが、容貌が何だというのだ。

*錦茵(きんいん):にしきのしとね。美しいふとん
*甲帳(こうちょう):宝石でできたとばり
*生身(しょうじん): 仏・菩薩が人間の姿をとって現れたもの。
*堕在:悪い世界や境遇に落ちて、そこにとどまること。
*火坑(かきょう):火の燃えている穴。特に、地獄にある火の穴。また、煩悩(ぼんのう)の恐ろしさをた
 とえていう
(´・(ェ)・`)つ

12 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/09/27(日) 22:01:53 ID:1d4drIFg0
次は邪淫の僧に示すというのじゃ。
娼家の豪華に飾られた部屋とか美しい女子がなんだというのじゃ。
それは生きながら地獄に落ちていると同じなのじゃ。
一休は純愛であるからよいのじゃ。
愛の無い交わりが邪淫なのじや。

13 避難民のマジレスさん :2020/09/28(月) 20:24:39 ID:X/vQDPl.0
187          1/9
文安丁卯秋 大徳精舎有一僧   文安丁ほうの秋 大徳精舎に一僧有り
無故而自殺矣 好事之徒遂讃之官 故無くして自殺す 事を好むの徒 遂に之を官にしんす
繋其餘殃而 居囚禁者七五輩   その余おうにかかりて しん禁におる者しちご輩
足爲吾門之大亂 時人喧傳焉   我が門の大乱と為すに足る 時の人喧伝す
予聞之 即日晦迹山中      予之を聞いて 即日あとを山中にくらます
其意盖出於不忍耳        その意けだし忍びざるに出づるのみ 
適学者自京城來         たまたま学者の京城より来たり
説本寺件件之故 愈弗勝慨嘆   本寺件々の事を説く いよいよ慨嘆に堪へず
作偈言懐 時値重陽 故成九篇云 偈を作り懐を言ふ 時に重陽にあふ 故に成九篇を成すと云ふ

地老天荒龍寶秋         地老い天ある龍宝の秋
夜來風雨悪難収         夜来風雨あらうして収め難し
對他若作是非話         他に対して若し是非の話をなさば
髣髴雲門關字酬         雲門の関字の酬いに彷彿たらん

山折哲雄先生訳
大徳寺のある僧が
「故なくして」自殺した。物好きがいて幕府に通報したところ、
連座して獄につながれる者がでた。
もつて我が宗門の一大事が勃発したのであるが、世間はこれをみて騒いだ。
自分はこれをきいて、即日山中(譲羽山)に入つてを身をくらましたが、
それはそのような不祥事に我慢することができなかつたからだ。
たまたま情報通の奴がやつてきて、
ことの顛末を話してくれたが、いよいよもつて慨嘆にたえなかつた。
時あたかも九月九日の重陽節にあたつていたので、想うところをのべて九偶を作つた。以下のごとし。

くま訳
天地荒れ果てた龍宝山大徳寺の秋
夜来の風雨が嵐になり、収まらない。
誰かに対して若し、是非の話をするならば、
雲門の関字の公案に対する、返事をほうふつとさせるのである
(大燈國師が年かかって透関して開悟した、雲門の関、のことである)

*重陽:9月9日菊の節句
*天荒地老:((成語)) 経過した時間が長い(中国語辞典)
*関:大徳寺開山の宗峰妙超禅師 (大灯国師)は師の南甫紹明禅師 (大応国師)より「雲門の関」の公案を与え
 られ辛苦参禅修行三年にして、雲門の「関」を透過し、悟りの境地を得たという。そのときの境地を詩偈に
 して大応に示し悟りの認可を与えられたのである。 

 是か非か、問われて、その答えの出るところの内側にいるのだ。是是非非だということでありましょう
 か?
(´・(ェ)・`)つ

14 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/09/28(月) 21:29:29 ID:1d4drIFg0
関を透過したのならばもはや是も非もないのじゃ。
非是非非じゃな。
しかし、世間はそうは見ないじゃろう。
煩わしいことじゃと、すべて捨てて山の中に入ったのじゃ。

15 避難民のマジレスさん :2020/09/29(火) 19:49:52 ID:yjDFQbds0
188    2/9
慚我聲名猶未韜 漸づ我れ声名なお未だつつまず
参禪学道長塵労     ぢんらうを長ず
霊山正法掃地滅      地をはらつて滅す
不意魔王十丈高 おもはざりき魔王の十丈高からんとは

山折哲雄先生解説
第一句は、今度の不祥事に関連して一休自身も世間の指弾をうけたであろうことを予想させる一節である。
そして自分の声各が、いまだ世間を離れて轄まれていないこと世俗から覆い隠されていないことを漸じ、嘆
いている。そこには、参禅学道の士というものにたいするかれの切実な感懐がこめられているはずである。

くま訳
愧ずらくは、未だに私の評判が消えないことである
参禪して、仏道を学んだ結果、俗世間の煩わしい苦労が増えてしまった。
霊山の残した正しい法は、きれいさっぱり消えうせてしまった
思いもよらなかったのは、煩悩の魔王が、こんなにも大きいいことだ。

*慚(はず・ざん):仏教が教える善のひとつ。他者の徳に対する恭敬、もしくはみずからを観察すること
によっておのれの過失を恥じること。自らを顧みて恥じること。
*声名:評判。ほまれ。名声
*韜(トウ・かくす・つつむ・ゆごて・ゆみぶくろ)1ゆみぶくろ。弓を入れておく袋。
*塵労(ジンロウ): 世の中・俗世間における煩わしい苦労。
*正法(しょうぼう):1正しい教え、すなわち仏法。釈迦(しゃか)の死後を三時期に分けた、はじめの五
 百年または千年間。正しい仏法が行われていたとされる時期。
*地を掃う(チヲハラウ)ほうきではき清めるように、すっかりなくなる。
*魔王:悪魔の王様・悪魔は、仏教では仏道を邪魔する悪神を意味し、煩悩のことであるとも捉えられる
(´・(ェ)・`)つ

16 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/09/29(火) 20:48:27 ID:1d4drIFg0
自分にはまだ名声に囚われる心があったとはじるのじゃ。
禅と学びに長く苦労したがまだあったのじゃ。
霊山の正法は少しもなくなったのじゃ。
魔王がまだ心に居ったのじゃ。

17 避難民のマジレスさん :2020/09/30(水) 20:58:37 ID:RP0W9tDs0
鬼和尚、いつもありがとうであります。
くま訳改
第1句:愧ずらくは、未だにわしが、自分の名声に囚われていることである

189    3/9
停因一月老虚堂 ひとやにとどまる一げつ老き堂
身上迍邅休断膓   のちゅんてん断腸するをやめよ
苦楽寒温箇時節     この時節
黄花一朶識重陽 くわうか一だちょうようをしる

くま訳
虚堂老師も一ヶ月間拘禁されたことがあるのだ。
身に降りかかったことに付いて、悩み苦しむのはやめなさい
暑い寒いの苦はない季節である、
一輪の菊が菊の節句であることをしらせてくれるだろう。

*屯邅・迍邅(ちゅんてん)〔易経〕行きつもどりつして悩むこと。悩み苦しむこと。
*黄花:菊,菊の花
*一朶(イチダ): 花のひと枝。また、一輪の花。
*重陽(ちょうよう):五節句の一つで、9月9日のこと。旧暦では菊が咲く季節であることから菊の節句
 とも呼ばれる。
(´・(ェ)・`)つ

18 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/01(木) 22:00:52 ID:1d4drIFg0
苦楽に悩むのは無意味というのじゃ。
休めばよいのじゃ。
ただ時間が過ぎれば苦悩も無くなるというのじゃ。
冬が春になるようにのう。

19 避難民のマジレスさん :2020/10/02(金) 20:21:51 ID:82F.1L.20
190    4/9
清淨本然現大千 清淨本然大千をげんず
現前境界是黄泉 現前境界これくわう泉
慣戦作家赤心露 戦いに慣うさくけ赤心あらはる
眉間掛剣血澆天 眉間に剣を掛けてち天にそそぐ

くま訳
人は生まれながらにして仏心を持っているのである。
今この現状が死後の国と同じなのなのである。
論争に慣れてしまい、師家が本心をさらけ出しているのである。
眉間に剣を打ち掛けて、天に血が噴出しているのである。

*本然清:人は生まれながらにして仏心(清らかな心)を持っているという意味
*赤心:嘘いつわりのない、ありのままの心。丹心。まごころ。
(´・(ェ)・`)つ

20 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/02(金) 21:38:43 ID:1d4drIFg0
一休の悟りの境地なのじゃ。
悟りを得れば大千世界も己になるというのじゃ。
そこではもはやこの世とあの世の区別も無いのじゃ。
赤心を以って弟子を教え、知恵を尽くして天に還るのじゃ。

21 避難民のマジレスさん :2020/10/03(土) 20:12:56 ID:HgpRjtdk0
191    5/9
正傳傍出妄相争 正傳傍出して妄りに相争ふ
曠劫無明人我情 くわう劫の無明にん我の情
人我擔來擔子重 人我になひ來つてたんす重し
空看蛺蝶一身軽 空しく看るけふてふ一身のかろきを

くま訳
正当な後継紗か、傍出か、勝手気ままに争っているのでる。
永遠に智慧の光照らされることのない、執着心
その執着心を担いで来て、責任が重い
我が身虚しく、軽やかな蝶々をうらやましく見やる

*擔子(たんす): 担子 天秤棒で担かつぐ荷物 、責任
*蛺蝶(きょうちょう・たてはちょう):止まる時は、はねを閉じて直立させる。日本ではキタテハ・ルリ 
 タテハ・オオムラサキなど約50種が知られる。
(´・(ェ)・`)つ

22 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/03(土) 21:47:09 ID:1d4drIFg0
昔もわしが正統な後継者じゃとか、いやわしが伝統を継いだとか争いがあったのじゃろう。
それこそ無明の我による苦なのじゃ。
一休の下にも多くの弟子が来たが、責任が重いのじゃ。
むしろ蝶のように身軽になりたいというのじゃ。

23 避難民のマジレスさん :2020/10/04(日) 21:17:02 ID:BDVNOiQA0
193    7/9
棒喝徳山臨済禪 棒喝徳山臨済の禪
商量三要與三玄 商量す三要と三玄と
漢王鑄印却消印 漢王印を鋳てかへって印をせうす
胡亂更参三千年 うろん更に参ぜよ三千年

くま訳
徳山の棒,臨済の喝が我らの禪である
状況に応じてはかり、考える、三要三玄も伝えられたと言うのである。
漢王が作り日本に送ったといわれる金印は、消えてしまったのである。
本当に伝えられたのか、胡散臭い話である。もう一度、一から三千年かけて修行するしかないのである。

*棒喝:徳山の棒,臨済の喝。大喝一声,一喝を与えるなど,必ずしも叱るのではなくて,いきなり相手の
 仏性を喚起する場合もある。
*商量;種々の条件・状況などをはかり考えること。
*三玄:臨済録・何をさすか明示されていない。一説に、玄中玄(真理そのもの)、句中玄(言語における 
 真理)、体中玄(修行で現れる真理)の三つをあげる。
*漢王鑄印却消印:『後漢書』東夷傳」にある金員のことかなと愚考してみた。
*更參三十年(更に参ぜよ三十年)「もう一度はじめから修行をやりなおせ。学人の修行未熟な点をついて、
 叱咤激励する言葉」
*胡乱:(うろん〕①疑わしく怪しい・こと(さま)。胡散うさん。②不確実であること。あやふやなこと。
また、そのさま。胡散。 ③みだりがわしいこと。勝手気ままなさま。乱雑
(´・(ェ)・`)つ

24 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/05(月) 21:59:17 ID:1d4drIFg0
徳山臨済の棒喝が正しい禅というのじゃ。
それにはただ厳しいばかりではなく三要三玄も慮られていたというのじゃ。
漢王は将軍の印を作って与えて後で取り上げたりしたのじゃ。
更に後で将軍を粛清したりしたのじゃ。
にせものの伝統もそのようなものじゃ。

25 避難民のマジレスさん :2020/10/06(火) 20:13:55 ID:xqChlqfQ0
>>23 くま訳改
第三句:漢王により与えられた地位は、漢王により召上げられるのである。
第四句:権威は消失すれば、同等の権威づけを得るのに三千年かかるのだ。

192    6/9
上古道光今日明 上古の道光今日明らかなり
議論臨済正傳名 議論す臨済正傳の名
屋前屋後樵歌路 屋前屋後せう歌の路
憶昔山陽笛一聲 おもふ昔山陽のてき一声

くま訳
浄土宗の場合は、(法然-弁長-良忠-道光と)相伝することの正当性は、今日明らかである。
臨済宗に於いては、正伝するものが誰かが議論されているのである。
庵の前も後ろも、樵の歌が聞える奥深い山中である。
昔を懐かしくに思いださせるのである。山陽賦の詩の笛音である。

*上古:遠い昔。昔。歴史時代の最も古い時代をさす。普通大化の改新頃までをいう。
*賦(ふ)山陽笛:古代中国の韻文における文体の一つ。唐の詩や宋の詞などと並び、漢帝国を代表する文 
 芸である。あらゆる場所・物・感情を網羅的に表現する手段として用いられた。

昨日の詩と今日の詩、順番が逆でありました。
(´・(ェ)・`)つ

26 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/06(火) 21:29:03 ID:1d4drIFg0
昔の仏道は今明らかになっているのじゃ。
今臨済宗の正伝を議論するのは無意味なのじゃ。
家の前後で歌う樵の歌の様にさわがしいだけなのじゃ。
山陽の笛のように思い出させる声が真の正伝なのじゃ。

27 避難民のマジレスさん :2020/10/07(水) 20:23:57 ID:ptHTMwQ20
>>25
くま訳改
昔からの仏道は明らかである。
今臨済宗の正伝を議論あいているのである。
庵の前後で歌われる樵の歌のように騒がしいだけである、
真の正伝はは山陽の笛のように心をふるわせるのである。

194    8/9
近代久参学得僧 近代久参学得の僧
語言三昧喚爲能 語ごん三昧喚んで能と為す
無能有味狂雲屋 無能味わひ有り狂雲のおく
折脚鐺中飯一升 せっきゃく鐺中飯一升

くま訳
最近のベテラン修行僧たちは、
口ばかり達者で、それを能力と称しているのだ 
そのような能無く、味わいがある狂雲一門なのだ。
なんで、なべの中に飯が一升も入ってるようなことがあるというのだ。

*大徳寺の開祖 宗峰妙超 (大燈国師)遺戒:
老僧行脚の後、或いは寺門繁興、仏閣経卷、金銀を散りばめ、多衆閙熱(にょうねつ)、
或いは誦経、長坐不臥、一食卯斎(ぼうさい)、六時行道、たとひ恁麼(いんも)にし去ると雖も、
仏祖不伝の妙道を以って、胸間に掛在(くざい)せずんば、
忽ち因果を撥無(はつむ)し真風地に墜つ。皆是邪魔の種族なり。
老僧世を去ること久しくとも児孫と称することを許さじ。
或いは一人あり、野外に綿絶し、一把茅底(いっぱぼうてい)、
折脚鐺内(せっきゃくしょうたい)に野菜根を煮て喫して日を過ごすとも、
専一に己事を究明する底は、老僧と日日相見報恩底の人なり。
誰か敢えて軽忽(きょうこつ)せんや。勉旃(べんせん)、勉旃(べんせん)

禅と悟りHP訳
私の死後、この大徳寺は金銀を散りばめ、伽藍は繁栄し、多数の僧侶が集まるかも知れない。
また、盛んに読経し、長時間横にならないで坐禅したり、午前中1食で、1日中勤行したり、
型の如く整然と修行したりするかも知れない。
しかし、そのように型の如くいくら修行しても、仏祖直伝の言葉に表わすことのできない
禅の妙道が、無ければ、因果の理法が否定され、禅の真風が地に落ちてしまうだろう。
このような人達は悪魔の種族と言うほかない。
私が死んでずっと時が経っても私の児孫だと言うことを許さないだろう。
しかし、たとい一人であっても野外で人家から離れた所で小さなあばら屋に住んで、
破れ鍋に野菜根を煮て食べて毎日過ごすような貧乏生活をしていても、
「己事究明」の禅に専念する者は、私と毎日顔を会わせているのだ。
そのような人は仏道に報いる真の仏弟子である。
そのような人を誰が敢えてなおざりにするようなことがあるだろうか? 
「己事究明」に努力せよ! 努力せよ!
(´・(ェ)・`)つ

28 避難民のマジレスさん :2020/10/07(水) 20:37:43 ID:ptHTMwQ20
>>27 訂正
今臨済宗の正伝を議論あいているのである→今更臨済の正伝を議論しても、
(´・(ェ)・`)b

29 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/07(水) 21:24:39 ID:1d4drIFg0
今の久参の学僧などは言葉だけで三昧を能く得たとかのたまうだけなのじゃ。
それは三昧ではないのじゃ。
忘我にして能無きを三昧と呼ぶのじゃ。 
それは茶のための湯を沸かす小鍋に飯を一升も入れているようなものじや。
三昧が何であるのかも知らず、言葉で頭を一杯にしているだけなのじゃ。

30 避難民のマジレスさん :2020/10/08(木) 20:28:58 ID:tWqamcf60
>>29 鬼和尚、いつもありがとうであります。
くま訳改
最近の、長く修行している僧は、
言葉だけで三昧を知った気になっているのである。
三昧とは何事かを成し遂げる力ではないのである。
頭を言葉・観念で満たしても、三昧を知ることはできないのである。

195    9/9
風外松杉亂入雲 風外のしょうさん乱れて雲入る
諸方動衆又驚群 諸方は衆を動かし又群を驚かす
人境機関吾不會 じん境機関われゑせず
濁醪一盞醉醺々  濁ちゅう一さん酔ってくんくん

富士正晴先生訳
風もないのに外の松杉乱れ 官に近づくこれ何じゃ
諸方の寺々大衆動員 坊主さわがしこれ何か
人事のからくり わしゃわからん
どぶろくの一盃 酔うてごきげん 

くま訳
風外(事件と無関係)の松杉まで、掻き乱されて雲の中に入ってしまった。
諸方の人々が、出家、在家の仏教徒をけしかけ、又人々を驚かせる。
俗世間の習慣など、わしは分からんのだ。
ドブロク飲んで酔っ払ってしまったのである。けへぇぇ〜

*風外:吹く風の外の方。喧噪や教化の及ばない所などにたとえる。
*濁醪(読み)ドブロク だくろう "
(´・(ェ)・`)つ

31 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/08(木) 21:37:43 ID:1d4drIFg0
>>30 どういたしまして、またおいでなさい。


風で松とか杉の木が乱れてうるさいというのじゃ。
諸方の衆が騒いでいるというのじゃ。
境界がどうのと騒いでいるようじゃ。
悪い酒を飲んで皆酔っ払ってでも居るようじゃ。

32 避難民のマジレスさん :2020/10/09(金) 21:10:25 ID:8JZg..ko0
>>30
くま訳改
第四句:ドブロクを飲んで皆酔っ払ってでも居るようだる

196
閑工夫辱榮衒徒    栄衒が徒をはずかしむ
金襴長老一生望 金襴の長老一生の望
集衆参禪又上堂 衆を集めて参禪また上堂
樓子慈明何作略 楼し慈明何の策略ぞ
風流可愛美人粧 風流愛すべし美人のよそほひ


くま訳
禅の奥義を見極めようと、万事に工夫を凝らすことをしない、虚栄心だけの輩は禅を汚す
金ぴか長老(たぶん養叟)の一生の望は
修行僧達を集めて参禪して、説法をすること
楼子和尚や慈明和尚の話を引き合いに出すのは何の策略かな
楼子、慈明も愛した風流を愛すべし、美しい人をよそおうのだ。

*栄衒徒:(えいげん)自分をひけらかして売り込み栄華を求めること。虚栄心、支配欲のかたまり。名聞 
 利養に邁進する輩
*楼子和尚:楼上の吟を聞いて悟った楼子和尚の故事あり
*慈明和尚が苦寒の中で股に錐を刺して眠気を退散させた)の故事あり
(´・(ェ)・`)つ

33 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/09(金) 21:44:08 ID:1d4drIFg0
実践を疎かにする者は栄衒の徒として辱しめられるのじゃ。
金襴の僧衣で大衆を寺に集めるのが望みとはおかしなことじゃ。
先達の僧が必死に工夫してきたのは何のためだったのか。
化粧をしてかわいいのは美人だけなのじゃ。
禿げ親父が金襴の僧衣を着ても無意味なのじゃ。

34 避難民のマジレスさん :2020/10/10(土) 20:14:16 ID:F0qyauXY0
くま訳改
実践を疎かにする者は栄衒の徒として辱しめられるのだ
金襴の僧衣の長老の一生の望みは、
大衆を集めて説法をすることなのだ。
楼子や慈明の工夫をを理解できないのだ。
化粧をしてかわいいのは美人だけなのだ

おまけ:80歳を越えた一休の作である。
一休像の賛。
大円相裏現全身
画出虚堂面目真
盲女艶歌笑楼子
花前一曲万年春

大円相裏に全身を現す、
虚堂の面目真を、画き出している。
盲女の艶歌を、楼子和尚は笑っているだろう、
花前の一曲を聞く、万年の春。

一休は花のような美人と向かい合い一曲を聞く。
盲女の艶歌を笑っている楼子和尚とは違い、
一休はまさに万年の春だ。
(´・(ェ)・`)つ

35 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/10(土) 21:06:32 ID:1d4drIFg0
だいたいそのような感じなのじや。
花の前で歌う一時が永遠なのじゃ。

36 避難民のマジレスさん :2020/10/11(日) 20:25:08 ID:bfHYesdw0
197    1/2
船子釣臺圖二首 せんしちょう台の図
金鱗難得急流前 金鱗得難し急流の前
坐断釣臺三十年 坐断す釣台三十年
絲線一通名利路 し線一たび通ふ名利の路
子陵可唉來山禪 し陵はわらふべしかつ山の禅

小船の船縁に座り釣りをする絵を見て二首
美しい魚は釣れ難い急流。(悟りを伝えることが出来る弟子に出会うことは困難である、短い人生で)
どっかりと釣台に坐ること30年(待ちに待った30年)
運命の糸が、名利の路につながってしまった。
子陵厳光なら、わらうことだろう、來山の禪を(名利を嫌った厳光なら、禪により名を残すことを嫌ったで
あろう。)

*船子:夾山禅師を悟りに導いた船子徳誠禅師、樂山惟儼禅師の法嗣「汝今、已に得たり。向後、 城隍・
聚落(城中や人里)に住することなかれ。」と言い残したらしい。
*夹山:善会(804-881),唐高僧の世称、船子の法嗣
*金鱗:金色のうろこ。また、美しい魚。
*坐断・座段(ざだん):仏語。誤った考えや執着など、一切の差別の相を断ち切ること。俗念を断つこと。
 殺破ともいう。② どっかりとすわること。腰をすえること。
*名利:名聞利養、名聞とは名誉が世間に広がる事、利養とは財を追い求める事、
*子陵;厳 光(げん こう、紀元前39年 – 41年)後漢時代初期の隠者・逸民。
 光武帝となる劉秀と同門に学ぶ。劉秀が皇帝となると、厳光は姓名を変えて身を隠した。光武帝はその才
 能を惜しみ行方を捜させたところ、後斉国で羊毛の皮衣を着て沢の中で釣りをしているところを見いださ
 れて、長安に召し出された。宮中の作法に詳しい司徒の侯覇が厳光と親しかったが、厳光は細かい礼に従
 わず、光武帝はそれでも「狂奴故態を改めず」と笑っただけだった。それどころか自ら宿舎に足を運んで
 道を論じたという。ある夜、帝と光がともに就寝し、光が帝の腹の上に足を乗せて熟睡し、翌日大夫がそ
 の不敬を奏上して罰しようとしたが、帝は「故旧とともに臥したのみ」とこの件を取りあげなかった。諫
 議大夫に挙げられたがこれを断って富春山(浙江省富陽県)で農耕をして暮らし、その地で没する。
(´・(ェ)・`)つ

37 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/11(日) 21:51:39 ID:1d4drIFg0
来山は三十年修行して悟りを得ようとしたのじゃ。
しかし、名利に走ってしまったというのじゃ。
仏道も伝わらず出家もしていない厳光でさえ名利を捨てたというのに来山はいかんというのじゃ。

38 避難民のマジレスさん :2020/10/13(火) 23:19:57 ID:GfXvZ/NU0
>>37
来山は悟っていたが、それを伝授する弟子を30年間待ち続けた。
伝授したいという、思いが、悟っていない証だみたいな理解でよいのでありましょうか?
来山が、自分は悟ったと思ったのは、勘違いだったのでありますね。
(´・(ェ)・`)b

39 鬼和尚 ◆01mzPGVdXo :2020/10/15(木) 00:06:02 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃろう。
 小悟だったのじゃろう。
 人を待たなくてよいのじゃ。
 弟子をすべて悟らせればよかったのであるからのう。

40 避難民のマジレスさん :2020/10/15(木) 23:11:31 ID:TR9.sBGI0
198    2/2
千尺絲綸豈得収 千尺のしりんあに収るを得ん
一天風月一江舟 一天の風月一江の舟
舟飜人去名猶在 舟飜り人去って名猶ほ在り
洙水何因不逆流 しゅ水何に因ってか逆流せざる

くま訳 (伊井暇幻先生の解説を参考にした)
千尺(約300m)の釣り糸をどうして簡単に巻き上げられるか。(30年間待ち続けた弟子の決着をつけるのは容易ではない)
永遠の時の流れの中の、束の間の人生
(來山を悟りに導いた)船子は海に飛び込んで死に、(船子に海に突落され死にかけた)來山は開悟して名利を得た。
孔子の学問を考え続けても、時の流れを逆流させることはできない。

*綸(リン):1 絹糸をより合わせたひも。「綸綬(りじゅ)」2 釣り糸。「垂綸」3 おさめ整える。「経綸」4 天子の言葉
*洙水(しゅすい):泗水(しすい)の支流。流域で孔子が弟子たちに道を講じた。洙泗:孔子の学問

一休さんの悟った人比較1位・子陵厳 光、2位・船子徳誠、3位・ 夹山善会。生没年が分かったのは、3位の
來山のみ。名僧は、何処からともなく来て、歴史の彼方へ消えてゆくのでありましょう。一休さんはきっと
例外でありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

41 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/16(金) 22:25:51 ID:1d4drIFg0
そのようなかんじなのじゃ。
時は巡って戻らないというような意味じゃな。
名とか教えを残すことができるだけなのじゃ。
儒教などではできないことなのじや。

42 避難民のマジレスさん :2020/10/17(土) 21:40:24 ID:U9XfzBUM0
199

脳亂春風何所成 春風を脳乱して何の成る所ぞ
遊絲百尺惹多情 遊糸百尺多情を惹く
不知問取桃花去 知らずんばとう花に問取して去れ
換却霊雲雙眼睛 霊雲の双眼睛を換却す

伊井暇幻 先生解説
春風に心乱された一休は、寄り添う肉体を欲し
「遊絲百尺惹多情」との境地に陥る。いや、なに、千尺もはない、ただの百尺である。単位は、執着の深さ
を示すか。
折しも桃の花が咲き誇っている。一休はウキウキと萌す人恋しさに浸りつつ、花を愛で香りを愉しみ、通り
過ぎる。生命を讃えているのだ。
振り返って、霊雲が桃の花を見て悟りを得たことを思い出す。しかし、桃花を視れども悟りは見えず。霊雲
と眼を取り替えたいものだ

……とか口先では云っているが、一休の詩から深刻な苦悩は読み取れない。「あっはっはっ、こんな可憐な
花を見てウキウキしないどころか、悟りを得るなんて、霊雲って奴ぁとんでもないトーヘンボク……あ、い
や、大した漢だったんだなぁ。目玉を取り替えてほしいものだ」と笑って済ませているようだ。
勿論、筆者の思い込みに過ぎぬのだが、道元らの銅睛鉄眼さえ嗤う一休、夾山・船子が命懸けで示した悟り
を厳子陵や孔子より下等と決め付ける一休が、果たして霊雲の悟りを本当に評価しているか、甚だ怪しくな
ってくる。此処で取り上げた一連の詩で一休は、何やら自分の属する禅宗に対し、批判の矛を向けているよ
う感ぜられる。

くま訳
狂おしく頭を悩ます春風、どうしたら良いのだ。
遊里からお誘いがあり、30mくらいの煩悩が引き起こされた。(船子の悟りを伝える弟子に出会いたい欲
は300m)
この風流の喜びが分からないというなら、咲き誇る桃花に聞いて、立ち去れ。
霊雲は桃の花を見て覚醒したと言うのだ。
(´・(ェ)・`)つ

43 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/17(土) 21:57:46 ID:1d4drIFg0
なにやら勇壮な感じもする詩じゃな。
多情もまた仏道のもとになるというのじゃ。
桃の花を見て悟った僧も居るというからのう。
理趣経でいうところの慾箭淸淨句是菩薩位というところじゃな。

44 避難民のマジレスさん :2020/10/18(日) 21:15:11 ID:S8EEZCdM0
200
雪圑
乾坤埋却没門関 乾坤埋却し門関を没す
収取即今為雪山 収取し即ち今や雪山たり
狂客時来百雑砕 狂客、時に来りて、百雑砕
大千起滅刹那間 百雑砕。大千{世界}の滅を起こすや、刹那の間

伊井暇幻 先生訳
雪が降り、一面銀世界に変じた。純白無垢の世界である。
掻き取って無邪気に雪山を作った。霊山か沙弥山か。雪山を眺め瞑想に耽る。此が、眼前する全世界である。
突然、寺内に乱入した狂客が、雪山を踏み砕いてしまった。
思いを巡らせた世界が、刹那の間に崩壊してしまった。

くま訳
一面雪に埋没して、門も玄関も埋もれた
雪かきをして、雪山を作った。
狂客がとつぜん乱入して、雪山を踏み砕いた
世界が崩壊するのは、一瞬の出来事だ。

伊井暇幻先生解説
一般に、「狂客」とは否定的な含意がありそうなのだが、一休の「狂雲集」に限って云えば、親愛のニュア
ンスを込めている疑いもあろう。元より「狂客」は、一休の瞑想になんざ無頓着である。雪山を踏み砕いた
理由を尋ねても、せいぜい「Because It Is There」ぐらいの返答しか得られまい。
 己の思い込みを注入した世界を踏み砕かれた者は当然、怒り狂うに違いない。一休とても、一瞬は眉を顰
めたかもしれぬ。しかし、だとしたら、次の瞬間、己の執着を恥じはしなかったか。瞑想に没入し、己が世
界に凝り固まる自分に気付かされたのではなかったか。或いは、一休も哄笑を上げながら庭に駆け下り、狂
客と一緒になって雪山を踏み砕いたかもしれぬ。いや、「狂客」は、一休自身かもしれない。
 で、まぁ、こんなだから、一休は、兄弟子たる養叟が指揮する営利企業大徳寺から逃げ出すことになる。
(´・(ェ)・`)つ

45 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/18(日) 21:37:41 ID:1d4drIFg0
だいたいそんな感じじゃな。
門も埋もれた雪山を客が崩したのじゃ。
世界が壊れるのも刹那の間であると観じたのじゃ。
積もった雪山に世界を観たのじゃな。

46 避難民のマジレスさん :2020/10/19(月) 20:43:23 ID:7jrpjuM20
201
破邪禪     邪禪を破す
瞿曇四十九年説 ぐどん しじゅうく年の説
看看毘耶與摩謁 看よ看よびやとまかつと
邪師臆説拈話頭 邪師臆説に話頭をねんず
閻王前豈免抜舌  閻王の前あに抜ぜつを免れん

邪禅を打ち破る
ゴータマは49年間教化の説法を続けた
見よ、びや、まかつ の街での説法を
邪師の根拠のない説を論破した
邪師は閻魔様の前に出たら、舌を抜かれることは免れまい。

*歴代三宝紀 巻1・「釈迦一身教化衆生四十九年。」
*毘耶1びや:古代インドの跋耆(ヴァッジ)連合国の首都。釈迦は民衆教化のために、たびたびこの地を訪
 れ、在家の仏弟子である維摩詰もこの地に住んだ。また釈迦の滅後に、この地で第二回の仏典結集が行わ 
 れた。
*摩謁(まかつ):マガダ国・周囲の大小の国を征服、ビンビサーラ(頻婆娑羅〈びんばしゃら〉釈迦に帰 
 依した。釈迦没後アショーカ王の時代にはインド亜大陸のほぼ全域を支配
(´・(ェ)・`)つ

47 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/19(月) 22:21:20 ID:1d4drIFg0
お釈迦様が四十九年説法わしたことを詠うのじゃ。
邪説の外道を軽く捻ったというのじゃ。
それらの外道の如く邪説の外道は地獄に落ちるというのじゃ。
今の邪師にも警告しているのじゃ。

48 避難民のマジレスさん :2020/10/20(火) 21:49:24 ID:pCc6rk3k0
202
警策   1/2
苦哉色愛太深時 苦なる哉色愛はなはだ深き時
忽忘却文章與詩 忽ち忘却す文章と詩と
不前知是自然福 前知せずこれじねんの福
猶喜風音慰所思 猶ほ喜ぶ風いんの所思をゐするを

くま訳
恋愛の情がぐっと深まる時は、苦しいものである
たちまち、文章も詩も忘れてしまうのである。
そのことを前もって分からないのが自然であり、幸福である。突然恋におちるのだ。
そんな時にも喜ばしいのは、自然の風音が恋心を慰めてくれることである。

*警策:禅堂内で警策は文殊菩薩の手の代わりであると考えられている。つまり警策で打つという行為は、
 坐禅修行が円滑に進むようにという「文殊菩薩による励まし」という意味を持つ。

うむ。恋におちてしまうと、恋そのものになってしまい、思いを言葉に転写できなくなってしまうのであ
りますかね。一休さんの禅における心の観察は、そのものになり切るとは表現できないのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ

49 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/21(水) 21:39:27 ID:1d4drIFg0
恋愛に執着すれば苦も又深くなるというのじゃ。
詩文も忘れるほどなのじゃ。
前にはそれが自然のもたらす福音とはしらなかったのじゃ。
昔の恋愛を思えば風音に触れた如く慰められることを喜ぶのじゃ。

50 避難民のマジレスさん :2020/10/22(木) 21:27:59 ID:frfZOL6g0
203    2/2
夢熟巫山夜夜心 夢は熟すふざん夜々の心
蘇黄李杜好詩吟 そくわうりと好詩の吟
若将淫欲換風雅 若し淫欲をもって風雅にかへば
價是無量萬両金 あたひは是れ無量萬両の金

くま訳
妄想が熟してしまい、エッチがしたいと毎晩思うのである。
そんな時は、蘇黄李杜の好きな詩を吟じるのだ。
若しこの淫欲を風雅にかえることが出きるのなら、
その価値たるや、お金に換算できないほどである。

*巫山之夢 (ふざん):男女の交わり、情交のたとえ。「巫山」は中国の四川省と湖北省の間にある山の
 名前で、女性の神が住んでいるとされている。戦国時代の楚の壊王が昼寝をしていると、夢の中で巫山の
 女性の神と情交して別れ際に、「朝には雲となって、夕方には雨になってここに参ります」と言ったとい
 う故事から。
*蘇 軾(そしょく1037-1101)北宋の政治家、宋代きっての文豪、書家、画家、音楽にも通じていた
*黄 庭堅(こう ていけん1045-1105)北宋時代の書家・詩人・文学者
*李 白(り はく701- 762)盛唐の詩人、「詩仙」奔放で変幻自在な詩風
*杜 甫(と ほ、712- 770)盛唐の詩人、「詩聖」律詩の表現を大成させた。李白と並ぶ中国文学史上最高
 の詩人
(´・(ェ)・`)つ

51 避難民のマジレスさん :2020/10/22(木) 21:36:40 ID:frfZOL6g0
202くま訳改
第三句:前にはそれが自然のもたらす福音とはしらなかったのである。
第四句:昔の恋愛を思えば風音に触れた如く慰められることを喜ぶのである。
(´・(ェ)・`)b

52 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/23(金) 21:32:33 ID:1d4drIFg0
大体正しいのじゃ。
性欲を芸術的な感動に昇華するべきというのじゃ。
そうすれば名作も次々に生まれるのじゃ。
難しいことではあるがのう。

53 避難民のマジレスさん :2020/10/24(土) 20:56:00 ID:NpTi/yjM0
204
亂裡二首 1/2
國危家必有餘殃 國あやふうして家必ず余おう有り
佛界退身魔界塲 佛界身を退く魔界の場
臨時殺活衲僧令 時に臨む殺活衲僧の令
君看忠臣松栢霜 きみ看よ忠臣しょうはくの霜

くま訳
争乱の中で
国家が危機を迎えると、家にも必ず報いが及ぶ
仏界が退き、魔界の場となる
機に臨み、殺活自在であるのが禅僧の役割である。
君、見てください、松や柏が冬になっても緑のままであるように、忠臣は、国難にあっても屈しないことを。

*餘殃(ヨオウ):先祖の行った悪事の報いが、災いとなってその子孫に残ること。
「易経」
 積善之家必有餘慶   積善の家には必ず余慶あり
 積不善之家必有餘殃  積不善の家には必ず余殃有り
*松柏の霜の後に顕れ忠臣は世の危きに知らる(ことわざ)
 常緑樹の松や柏が冬になっても緑の色を変えることがないことから、逆境にあっても、いかな 
 る困苦にも屈しない、堅固な節操をいう。
 また艱難にあってはじめて、節操のある人か否か、人の真価がわかること。
 また、平和な世には君子も常人と違わないが、事変にあうと真価があらわれることのたとえ。
(´・(ェ)・`)つ

54 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/24(土) 22:10:09 ID:1d4drIFg0
もはや戦国時代が始まろうとしていたからのう。
国家が危機に成れば家にも災いが来るというのじゃ。 
そのような戦乱でも禅僧は臨機応変に対処するとよいのじゃ。
松や柏の葉が冬の霜に耐えて青いようにのう。
それが忠臣なのじゃ。

55 避難民のマジレスさん :2020/10/25(日) 11:38:14 ID:y3Ntem1Q0
おまけ
公益社団法人関西吟詩文化協会HPより
別妻子良友 <謝 枋得>。 妻子良友に別る<謝 枋得>。
雪中松柏愈靑靑 雪中の松柏いよいよせいせい
扶植綱常在此行 綱常を扶植するは 此の行に在り
天下久無龔勝潔 天下久しく無し きょうしょうの潔
人間何獨伯夷清 人間何ぞ獨り 伯夷のみ清からんや
義高便覺生堪捨 義は高くして便ち覺ゆ 生の捨つるに堪えたるを
禮重方知死甚輕 禮は重くして方に知る 死の甚だ輕きを
南八男兒終不屈 南八男兒 終に屈せず
皇天上帝眼分明 皇天上帝 がん分明

*雪中松柏:「論語」に「子曰歳寒然後知松柏之後凋也」《子曰く、歳(とし)寒くして然(しか) 
 る後に松柏の凋むに後るるを知るなり》とある
*綱常:人の守るべき道徳《三綱五常の略語》(三綱=君臣、父子、夫婦)(五常=仁、義、礼、智、 
信)
*扶植:しっかりとうえつける
*龔勝・伯夷:人名 龔勝は前漢末の人 伯夷は殷代末の人 いずれも清廉潔白な人
*南八:人名 南霽雲(なんせいうん)のこと 安禄山の乱のとき正義をつらぬいた人 
*上帝:天子のこと

 雪中の松や柏は、色愈々青く、歳寒に耐えることができるが、(今自分もちょうどそれと同様に死を覚悟
で北京に送られる)。
 この行為は人の守るべき道徳をしっかりと植えつけるためである。
 天下には久しく龔勝のように清廉な人間はいないが、
 人間の中でどうしてただ伯夷のみが潔白といえようか。自分もこの人達のように清潔でありたい。
 義は元来高尚なものであって、これを貫きとおすためには命をすてる、というぐらいの覚悟がいり、 また礼の精神はま
ことに大切で、これを守るためには死など非常に軽いものであると自覚している。
 南八男児は不義には遂に屈しなかった、(自分もこの思いは同じである)天の神や天子の眼は明らかにものを見分けられ
るので、この正しい心をはっきりとお分かりになられることであろう。
(´・(ェ)・`)b

56 避難民のマジレスさん :2020/10/25(日) 11:41:44 ID:y3Ntem1Q0
205    2/2
獨坐頻忙臈晦心 獨坐しきりに忙しらふまいの心
誰人忠義此時深 たれびとか忠義此の時深き
暁天一睡枕頭恨 暁天一睡ちん頭の恨み
朝日三竿夢裡吟 朝じつさんかんむりの吟

くま訳
獨坐しきりに忙しがる、自分の年功のみを考え、国難に関心を示さない暗い心。
誰が今この時に忠義心深き者であろうか
明け方に少しだけ眠れた、枕辺に悔しく思う。
朝日が竿三本ほどの高さに上った8時頃、夢の中の吟である。

*﨟(ろう)僧が受戒後一夏(いちげ)九旬の間修行して功を積むこと。﨟の多いほど僧の位は高くなる。
*晦:(カイ・[訓]つごもり くらい くらます)1 月の末日。2 月が出ず、暗い。3 よくわからな 
 い。4 人に知られない。くらます
 﨟晦心(ろうまいの心);國訳禪学大成の脚注では、12月31日の心、即ち忽忽たる心持をいふ、とある。
*朝日三竿:國訳禪学大成の脚注では、日出でて竿三本ほどの高さに上りたる時刻に意にして、即ち午前8 
 時頃日稍々上りてよりのこと、とある。
(´・(ェ)・`)つ

57 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/25(日) 21:59:51 ID:1d4drIFg0
戦乱が激しくなってきて夜も寝られんというのじゃ。
忠義の者がおらんかと嘆くのじゃ。
少しだけ寝て気がつくと朝になっていたというのじゃ。
悟っても人々の苦難に一休は悩むのじゃ。
自他一如であるからのう。

58 避難民のマジレスさん :2020/10/26(月) 18:34:17 ID:tJzoXanI0
206  1/5
大燈國師三轉語曰 朝結眉夕交肩    大燈國師の三転語にいわく、朝眉をひそめ、夕方には肩を並べる。
我何似生 云々 何似生        我れかじせい 云々 何似生 
雖古尊罕有受用之者 唯慈明下清素首座 古尊宿と雖も受用の者有ることまれなり 唯慈明下の清素首座 
能用之 雖然晩年偶兜率悦公      よく之を用ふ 然りと雖も晩年兜率の悦公にあって
食茘支之次 遂納敗一塲        れいしを食らふの次いで 遂に敗をいるること一場 
惜乎有始而無終            惜しいかな始有りて而しておはり無きことを。
感懐之餘 作五偈記之 偈曰      感懐のあまり五偈を作り之を記す 偈に曰く

這箇誵訛受用徒 しゃこがうぐわ受用の徒
古今衲子一人無 古今のなつす一人も無し
素老慈明的傳子 素老は慈明的傳の子
茘支核子嚼何麁 れいしのがいしかむこと何ぞそなる

くま訳
大燈國師の三転語にいわく、朝眉をひそめ、夕方には肩を並べる。これはどういうことか、云々
どういうことか、古の有徳の高僧といえども、受け入れる人はまれでありましょう。ただ、慈明禅師のもと
で修行した清素首座は、よくこれを用いる。だからと言って、晩年兜率にあって、茘支をご馳走になった後
に、最後に負けてしまい、詳しく説明してったことは、残念である。惜しむらくは、始めあって、終りが無
いことである。ここで、心に感じいだく思いを5偈として作りここに記する。

これらの、ややこしいことを受け入れる修行僧は、
古今を問わず一人もいない。
わしは、慈明の正伝なのだ
ライチの種を噛むようなお粗末なことをするわけないだろう。ちゃんと自分で取り除くのだ。

*這箇(シャコ):これ。これら。この。
*誵訛(ごうか):いりくんで、むつかしきこと
*核子(かくし):果物の種子。
*的傳:伝統による伝授、正統から正統へと相伝すること
*尊宿:老いた僧、有徳の高僧
*慈明禅師:臨済下七世、慈明禅師石霜楚円(986-1039)
 一休の墓は、敬慕する慈明禅師と楊岐禅師の名を取って「慈揚塔」と名付けられた
*兜率従悦(1044〜1091)は清素首座に茘支を献じたあと、自分の修行経過や見解を述べた。すると清素は、 
只だ仏に入るべきも、魔に入るべからず。須らく知るべし、古徳の、「末後の一句始めて牢関に到る」と 
 謂いしことをとどめを刺す言葉に参ずることによって、悟りへ立ちふさがる堅固な関門に至ると延べ兜率 
 を導いた(禪宗史話)
*麁(そ):肌理きめがあらい。粗末な。おおきい。ほぼ。玄米。
(´・(ェ)・`)つ

59 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/26(月) 23:09:56 ID:1d4drIFg0
大燈国師の三転語は新しく出来た公案なのじゃ。
それを継ぐのは一休一人というのじゃ。
昔は清素が用いたが言葉が多くてどじを踏んだのじゃ。
わしはれいしのたねをかじるようなそんなどじはふまないのじゃというのじゃ。

60 避難民のマジレスさん :2020/10/27(火) 20:45:04 ID:YDRc0VdY0
207    2/5
慈明狭路得楊岐 慈明の狭路楊岐を得
覿面之機痛處錐 覿面の機痛処のすゐ
天澤愁吟風月客 天澤愁吟す風月の客
繍廉吹動軟風扉 しゅうれん吹き動かす軟風の扉

柳田聖山先生訳
慈明老漢に弟子の楊岐がいたのは
痛い処を鋭い矢尻で突かれたため
虚堂の孤独な詩情を慰める客なく
独り寝の部屋には肌に風のみ吹く

くま訳
慈明は狭い困難な路を行ったお陰で、後継者としての楊岐に出会えた。
効果覿面のきっかけは、脚を錐で刺して睡魔を払い修行に打ち込んだことである。
虚堂のお墓からは愁いの吟が聞えてくるようだ、詩作をするような風流な看話禪の後継者がいないこで。
美しいすだれを吹き動かす、扉からわずかに入る風が、詩情を駆り立てるのである。

*楊岐方會:ようぎ ほうえ、992-1049・宋代の臨済宗の僧。後世五家七宗の一つ楊岐派の祖。日本の臨済 
 禅のうち、栄西によるものを除く全てがこの楊岐派に属する。慈明の法嗣
*覿面(テキメン):1 面と向かうこと。まのあたりに見ること。また、そのさま。転じて、まのあたり。
目前。2 効果・結果・報いなどが即座に現れること。また、そのさま
*慈明禅士は汾陽禅師のもとで厳しい修行に堪えていた。
 寒厳の中、慈明は修行仲間の大愚、瑯椰たちと結制して座禅修行に励み夜も横になろうとしなかった。慈 
 明らが硬く決意したことは「古人刻苦、必ず盛大なり」といっては大勇猛心を起こし、眠気がくれば自ら 
 の腿に錐を刺して睡魔を払って修行に励むことだった。
  刻苦の甲斐あってついに汾陽禅師の法を継ぎ、さらに慈明自らの禅風はさらに振るったという。
*機:1 物事の起こるきっかけ。また、物事をするのによいおり。機会。時機。2 物事の大事なところ。 
 かなめ。3 仏語。仏の教えに触発されて活動を始める精神的能力。教えを受ける人、あるいは修行をする 
 人の能力・素質。機根。
*天澤庵:径山にある虚堂の墓塔
*風月:①清風と明月。心を慰める自然の風物を代表するものとしていう。②自然の風物に親しんで風流を 
 楽しむこと。③詩歌や文章を作ること。また、その才能。
*繡(しゅう):ぬいとり。ししゅう(刺繡) ②にしき。 ③うつくしい。美しく飾ったさま。美しい
*繡(れん):すだれ
*軟風(なんぷう): 風があることを感ずる程度の風。 軟弱な気風。
(´・(ェ)・`)つ

61 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/27(火) 21:35:32 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
慈明に善い弟子が出来たのは、自分が錐で足を突いて痛い目にあっても修行を続けたからというのじゃ。
よい弟子が無いのは自分の修行のせいだというのじゃ。
善い弟子が居ないのは寂しいものじゃというのじゃ。

62 避難民のマジレスさん :2020/10/28(水) 21:53:54 ID:hqpPt0vs0
208    3/5
工夫日用閉門車 工夫日用門車を閉づ
五十年来烏有歌 五十年来ういうの歌
素老茘支真敗闕 素老の茘支真の敗闕
徳山臨済竟如何 徳山臨済つひにいかん

くま訳
禅の奥義を窮める為の工夫として、門を閉じる。
五十年来、もともと無いもの、空想の詩を詠んで来た。
わしの茘支、即ち、看話禅による導き法は、完全に壊れている。
臨済の喝、徳山の棒、の禅風は、どうなってしまうのだろうか。

*烏有に帰す:すっかりなくなってしまうこと。特に火事ですべてを無くしてしまうことをいう。「烏有」 
 は漢文で「烏(いずくん)ぞ有らんや」と読み、全くないこと。
*工夫:坐禅参学における精進の意味を含む。公案の思量でもあり、また坐禅そのものとしての意も含む。 
 本分の工夫をなす人とは本当に禅の奥義を窮めようとする人のことで、真の参禅修行するものは、日常の 
 万事が修行であり、修行とそれ以外の俗事などとは分け隔てた生活はしないものである。
*敗闕(はいけつ): きずつきこわれること。また、欠けていること。欠点があ
*素:①他のものを付け加えない、ただそれだけの、などの意を表す。②人を表す語に付けて、ただの、み 
 すぼらしい、などのさげすむ意を表す。
(´・(ェ)・`)つ

63 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/29(木) 21:08:27 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。
寺に閉じこもって日々工夫したのじゃ。
五十年修行して烏の歌で目覚めたのじゃ。
しかしもはや茘支を捧げる弟子も受ける弟子も無いというのじゃ。
徳山臨済の伝統は廃れてしまうのかと嘆くのじゃ。

64 避難民のマジレスさん :2020/10/30(金) 20:19:28 ID:eGllDJ6Q0
209    4/5
暮天細雨片雲朝 暮天はさいう片雲はあした
名属成都萬里橋 名は成都の萬里橋に属す
百年東海獨休歇 百年東海獨り休けつ
艶簡吟魂永日消 艶簡の吟魂永じつ消す

くま訳
夕方は小雨が降り、明日の朝は曇りでしょう。
狂雲(狂夫)の名は、成都萬里橋にあるのだ、
百年つづく虚堂の法統で寂滅なる悟りを得たのは一休独りである。
艶簡吟魂も一日中消えうせたのである。

*おまけ:劉禹錫 『竹枝』  劉禹錫
 日出三竿春霧消, 日は 三竿を出で春霧消え,
 江頭蜀客駐蘭橈。 江頭の蜀客 蘭橈を駐む。
 憑寄狂夫書一紙, 狂夫に憑りて 書一紙寄す,
 住在成都萬里橋。 成都 萬里橋に住みて在り。

 石川忠久先生訳
 太陽が竿三本分の高さまであがって、春の霧も消えた時分、
 川のほとりに蜀の旅人が美しい舟をとめている。
 舟のお方にお願いします。
 私のしょうがない夫に手紙を一本届けてくださいな
 成都の万里橋のあたりに住んでいるのですが。

*楚の襄王が高唐に遊び、夢で巫山の神女と契った時、神女は朝は巫山の雲となり夕べには雨になると言っ 
 た故事あり
*休歇(きゅうけつ):休も歇も止むこと。止めること。一切の煩悩が止まることに掛けて、寂滅なる悟り 
 をも表す。
(´・(ェ)・`)つ

65 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/30(金) 22:48:25 ID:1d4drIFg0
竹枝の写しじゃな。
今で言えば替え歌のようなものじゃ。
古歌を写して今の境地を詠んだのじゃ。
雨が晴れたような心境というのじゃ。
悟りを得て名を上げたのじゃ。
百年の伝統をついで艶事も消えたというのじや。

66 避難民のマジレスさん :2020/10/31(土) 19:36:20 ID:ZRMAMl/o0
210    5/5
工夫弄棹奯公舟 工夫棹を弄すくわつ公の舟
尊宿織鞋蒲葉秋 尊宿あいを織るほえいの秋
野老難蔵簔笠誉 野老蔵し難しさりゅうのほまれ
誰人江海一風流 誰人か江海の一風流

くま訳
工夫は、釣り竿について成されなければならないカツ公(鄂隠慧奯)の舟 (↓おまけの詩参
老いた僧もわらじをを編む、蒲葉(ほよう)の生い茂る秋である
一休爺は、引っ込んでられないのだ、箕のをまとい、稲刈りをするのが、誉れなのだ
さて、誰が俗世間から離れて一番風流と言えるかな。

*鄂隠慧奯(がくいん えかつ):1366-1425 一休さんより28歳年上。臨済宗の絶海中津にしたがって出 
 家。夢窓派。明で10年修行し,帰国後,絶海の法をつぐ。応永21年鹿苑院(ろくおんいん)塔主(たっす)に
 任じられ,のち天竜寺住持もかねた。将軍足利義持と不和になり,土佐(高知県)の吸江庵(ぎゅうこうあん) 
 に隠退。一休さん35歳の時に60歳で他界。
*鞋(あい):わらじ
*蒲葉(ほよう):ガマの葉。坐禅の時に敷く敷物の中に蒲(がま)が詰めらている。蒲の葉で編んだものも 
 あるそう。もとは「蒲団」と書いた。
*蓑笠・簑笠(さりつ:みのとかさ。雨雪をしのぐために、蓑をまとい、笠をかぶること。さりゅう
*紅海:① 川と海。入江と海。② 俗世間から離れた場所。③ 量が莫大なことをたとえていう語。" "葫蘆

*おまけ:鄂隠慧奯 の詩 
葫蘆葫蘆  ころころ    、 
縮項坦腹。 しゅくこうにしてたんふく
擬得鮎魚、  鮎魚を得んと擬(ほっ)せば  
待跳上竹。  竹に跳び上るを待て

芳澤 勝弘先生訳
(瓢箪は)コロコロ、
(鮎は)短首で太腹
鮎をつかまえるなら、
(鮎が)竹に跳び上がるのを待て。
(´・(ェ)・`)つ

67 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/10/31(土) 22:08:54 ID:1d4drIFg0
魚を釣るには豪華な船を持つことが大事ではなく、釣竿を工夫しなければならないというのじゃ。
善く歩くには蒲の穂で草鞋を編むべきというのじゃ。
雨をしのぐ蓑笠にも難しい工夫が秘蔵されているというのじゃ。
そのように人の目に付かない所に工夫を重ねることが大事というのじゃ。
それが出来る一風流の者は誰じゃと尋ねているのじゃ。

68 避難民のマジレスさん :2020/11/01(日) 11:14:52 ID:zvxCgIyg0
くま訳改 210
魚を釣るには工夫が必要なのである。
達磨が蒲葉を編んだ舟で禅を伝えたように禅を伝えるには工夫をするのだ。
野にある一休も箕のを編む工夫をしているのだ。
さて、誰が俗世間から離れて一番風流と言えるかな。

211
示弄業文筆僧  らう業分筆の僧に示す
苦楽愛憎影與身 苦楽愛憎影と身と
寒温喜怒境兼人 寒温喜怒境と人と
平生吟興黄泉路 平生の吟興こうせんの路
地獄門前桃李春 地獄の門前桃李の春

くま訳
遊び半分に詩文を書く僧に示す
苦楽、愛憎は、いつも表裏一体である。 
寒温、喜怒は、人の知覚の対象である。
常日ごろその心模様を観察することが、冥土へ行く路である。
地獄の門前で試験官が待っている春である

*業:1 なすべきこと。仕事。わざ。2 暮らしの手だて。生業。職業。3 学問。技芸。4 「実業界」 
 「業界人」の略。 
 〈ギョウ〉1 苦労してなしとげる事柄。2 生活のために行う仕事。3 やしき。
 〈ゴウ〉1 報いを招く前世の行い。2 怒りの心。
 〈わざ〉
 《〈梵〉karmanの訳》1 仏語。人間の身・口・意によって行われる善悪の行為。2 前世の善悪の行為 
 によって現世で受ける報い。3 理性によって制御できない心の働き。
*弄する:もてあそぶ。思うままに操る。あざける。からかう。なぶりものにする。
*影身(かげみ):影法師が身に添うように、いつも寄り添って離れないこと。
*境:。視覚 (眼) ,聴覚 (耳) ,嗅覚 (鼻) ,味覚 (舌) ,全身体的触覚 (身) ,心の感覚 (意) の6種 
 の知覚器官 (六識 ) によって知覚される対象のことで,それぞれ,形 (色) ,音声 (声) ,匂い (香) , 
味 (味) ,接触されるもの (触) ,考えられるもの (法) をいう (→六境 ) 。
*平生(ヘイゼイ):ふだん。いつも。つね日ごろ。
*黄泉路(よみじ)黄泉へ行く道。冥途への道。
*桃李(トウリ)」:唐の劉禹錫(りゅううしゃく)の「満城の桃李春官(しゅんかん)に属(しょく)す」の詩 
 句から、試験官が採用した門下生。自分がとりたてた人材。
(´・(ェ)・`)つ

69 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/01(日) 21:45:08 ID:1d4drIFg0
だいたいそんな感じなのじゃ。
文筆も真面目に修行として修めるべきだというのじゃ。
苦楽愛憎感温喜怒を全て筆で現すことも出来るのじゃ。
そのように己を知るために吟興を用いるべきだというのじゃ。
遊び半分では地獄行きだというのじゃ。

70 避難民のマジレスさん :2020/11/02(月) 18:51:15 ID:0QoXVJ3I0
212
山名金吾鞍馬毘沙門化身 山名金吾は鞍馬毘沙門の化身
鞍馬多門赤面顔 鞍馬の多門しゃく面顔、
利生接物人間現 利しょう接もつ人間にげんず、
開方便門真實相 方便門を開く真実の相
業属修羅名属山  業は修羅に属し名は山に属す

やまんなか先生 訳・解説
山名宗全は鞍馬の毘沙門天の化身である。
鞍馬の多聞天の容貌は赤面であり、
その多門天が利益をもたらす為に人間に現れた。
方便の門を開いて真実のあり方を示す。
その業は修羅の道を歩み、その名は山に属す、即ち山名である

武田鏡村先生訳
鞍馬寺の多聞天は、
赤い顔をして
衆生を利益せしめるために、人の世界に出現した。
仏の真実の教えを方便を用いて説いたが、
その行ないはあたかも修羅の如しで、その名を山名という。

くま訳
山名金吾は鞍馬の毘沙門天の化身
鞍馬多門は赤面顔。
衆生済度、待機説法の為に人間界に現われた
方便を駆使して真実相を説いた。
その業は修羅の如くであった。その名は山名である。

*接物利生(せつもつりしょう):衆生済度、待機説法(碧巖録第88則)
*金吾:支邦武官を称するの語なり、「吾は禦なり、金革を執りて以て非常を禦(ふせ)ぐなり」と、故に
「業は修羅に属し、名は山に属す」るなり。(國訳禪学大成・脚注)
*金革:1 刀剣と甲冑(かっちゅう)。武器。武具。2 戦争。いくさ。
(´・(ェ)・`)つ

71 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/02(月) 22:02:31 ID:1d4drIFg0
山名宗全は応仁の乱で西軍の首領だった者じゃな。
政治的にはいろいろあったが、信心深く寺社の保護をしたというのじゃ。
出家もしていたのじゃ。
それで一休も仏教を守護する毘沙門天の化身というのじゃ。

72 避難民のマジレスさん :2020/11/03(火) 18:45:45 ID:cjHTbEFw0
213 陳蒲鞋 八首1/8 ちんほあい
老禪本鐡眼銅睛 老禪もと鉄げん銅ぜい
不是北堂慈愛情 是れ北堂慈愛の情にあらず
天下衲僧脚跟下 天下の衲僧脚跟下
宗門潤色綠蒲青 宗門の潤色緑ほ青し

くま訳
老禅僧は、もともと、真理を見抜く鋭いが眼力があるのだ。
これから言うことは、母親の愛情の様なものではないのだ。
天下の禅僧は、足下を見よ。
宗門は取り繕っているが、緑蒲は青く、未熟なのである。


*蒲鞋(ほあい):便所の草履。黄檗希運の法嗣なる睦州道縱、かつて自ら草履を製し、道路に棄て、以て 
 行人に便ぜしという、俗姓陳氏なる故に、時人呼んで、陳蒲鞋という。
*鐡眼銅睛(てつげんどうぜい):①鉄や銅の眼睛(仏祖の肝心要の道理)②すぐれた眼力を譬える言葉
*北堂:母の居る所、母の別称
*潤色:1 色をつけ光沢を加えること。2 表面をつくろい飾ったり事実を誇張したりしておもしろくする 
 こと。3 天の恵み。また、幸運。
*脚跟下:五祖法演禅師が、寺に帰る途中、提灯の火が突然消えた。「この場に臨んで各自一句を 
 述べてみよ」と命じた。克勤(こくごん)は、「看脚下」と答え、師匠を感服させた。
 暗闇に灯火を失ったような人生の悲劇に遭遇したとき、人は多く右往左往してこれを見失い、 
 占いや苦しいときの神頼みに走り、あるいは悲劇のドン底に沈淪しがちなものだが、道は近き 
 にあり、汝自身に向かって求めよと教えるのが、「看脚下」の一語である。
*緑蒲(りょくほ)」:緑色したガマ(の葉)
*青し:未熟。年少の。若い。
(´・(ェ)・`)つ

73 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/03(火) 22:31:11 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。
習熟した禅僧は鋭い眼を持つというのじゃ。
観察するためなのじゃ。
母親の慈愛の如き優しいものではないのじゃ。
天下の僧は己の足元のみを見よというのじゃ。
宗門がどうとか言っているのはまだ青臭い輩なのじゃ。

74 避難民のマジレスさん :2020/11/04(水) 19:58:50 ID:caBPdlkw0
214 陳蒲鞋 2/8
唯有宗門零落愁 唯だ宗門零落の愁有り
錯來末法幾禪流 あやまりきたる末法幾禪流
春風桃李吟無酒 春風桃李吟に酒無し
尊宿榮華蒲葉秋 尊宿の榮華ほえふの秋
  
くま訳
ただ、宗門零落の愁あり。
混乱窮まる末法の世に幾つもの禅宗流派が存在する。
春風に桃李の花咲き、風流なお膳立てがあっても、吟も酒もない。
高徳の僧の榮華は蒲葉(ほよう)も枯れ落ちる秋を迎えているのだ。

*末法:仏の在世から遠く隔たったため、教法が次第に微細・瑣末になり、僧侶が戒律を修めず、争いばか 
 りを起こして邪見がはびこり、釈迦の仏教がその効力をなくしてしまう時期
*桃李:桃李(トウリ):1 桃とすもも。2 唐の劉禹錫(りゅううしゃく)の「満城の桃李春官に属(しょ 
 く)す」の詩句から試験官が採用した門下生。自分がとりたてた人材。
(´・(ェ)・`)つ

75 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/04(水) 22:24:16 ID:1d4drIFg0
末法の世になって禅もいくつもの宗派ができてしまったというのじや。
さらにそれぞれの宗派で争ったりしているのじゃ。
正に末法の世なのじゃ。
豪勢な寺とか高い経典などの膳立てがあっても、正しい法はないというのじゃ。
高僧の栄華も落ち目であると言うのじゃ。

76 避難民のマジレスさん :2020/11/05(木) 20:37:13 ID:n0q2q3AQ0
215 陳蒲鞋 2/8
黄衣尊宿事如何 くわうえの尊宿こといかん
不是當機信手拏 是れ当機手にまかせてとらふにあらず
三家村裡野老業 三け村裡野老の業
棒喝商量豈作家 棒喝の商量豈に作家ならん 

くま訳
黄衣を着た高徳の僧(陳蒲鞋 )はこの件をどのように思われるであろうか。
これは、当機の手を使って相手を捉えようというのではない。
へんぴな田舎の村に住む爺さんの業で興味があるのだよ。
棒喝と、問答応酬により人生の一大事を明らめようというのが禅宗師家ではないのかい。

*当機(とうき):相手の能力素質に応じた導き方をすること。
*手。②(器具の)取っ手。横木。③筆跡。文字。④腕前。技量。⑤(物事の)やり方。型⑥部隊。軍勢。 
 配下。⑦傷。負傷。
*三家村裡:へんぴな小村 50の詩 参

77 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/05(木) 22:41:31 ID:1d4drIFg0
そんな派閥闘争にあけくれている今の僧をみたら高僧はどう思うじゃろうか。
これは当機即妙に導く法ではないのじゃ。
田舎の爺さんの派閥争いのようなものじゃ。
棒と喝や問答を形だけやっていてもそれが禅ではないのじゃ。

78 避難民のマジレスさん :2020/11/06(金) 19:04:17 ID:emCATIgM0
くま訳改
第2句:これは、当機の手を使って相手を導く法ではないのである。
第3句:へんぴな田舎の村に住む爺さんの争いではないのである。
第4句:棒喝と、問答応酬を形だけやっていてもそれが禅ではないのである。

216 陳蒲鞋 3/8
元來黄檗下之尊      の尊
臨済師兄不要論   師ひん論を用ひず   
佛法南方今落地 仏教南方今地に落つ
北堂寂莫苦吟魂 北堂寂莫として吟魂を苦しむ

くま訳
元來、陳蒲鞋は、黄檗下の禅師様であって、臨済を黄檗に参じさせた、
臨済兄弟子は論は用いなかった、
(論重視の南方仏教は今落地に落ちた、
北のお堂(大乗仏教)は、ひっそりと静まり返り、吟魂に苦しんでおるのだ。

*師兄(すひん・しひん):禅宗で、法系上の兄弟子をいう。
*論:仏教の教説を解説した書物の総称。本来はアビダルマの漢訳語であり、経・律・論のひとつとして、  
 狭義にはこれを指すが、漢訳圏の大乗仏教ではアビダルマだけでなく、教学の綱要書や、経典あるいはア 
 ビダルマへの注釈の形を取った思想書などをまとめて論書として扱う。
(´・(ェ)・`)つ

79 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/06(金) 21:57:48 ID:1d4drIFg0
元は黄檗宗の者だったというのじゃ。
臨済宗の師兄は論を不要としたというのじゃ。
南方禅は地に落ちたのじゃ。
北方禅も寂しく苦吟するありさまなのじゃ。

80 避難民のマジレスさん :2020/11/08(日) 18:30:59 ID:ebQjNP9E0
217 陳蒲鞋 5/8
眞正工夫任変通 眞正の工夫変通に任す
達磨建立佛心宗 達磨建立す佛心宗
雲起南山北山雨 雲南山に起れば北山は雨
夜來吹過樹頭風 夜來吹き過ぐ樹頭の風

くま訳
禅の奥義を窮める為の眞正工夫とは、状況に応じて自由自在に変化適用することである。
達磨は経論によらず、坐禅を主な修行法とする佛心宗(禅宗)を建立したのである。
雲が南山に起れば、北山に雨が降る ありのままを見るのだ
夜來吹きぬける樹頭の風 じゃい。 

*変通:その場その時に応じて、自由自在に変化・適応してゆくこと。
*佛心宗:経論などによらずただちに仏心を悟ることから、座禅をおもな修行方法とする仏教の一宗派。
 禅宗の別称
(´・(ェ)・`)つ

81 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/08(日) 21:55:54 ID:1d4drIFg0
本当の座禅の工夫とは何が起きてもあるがままに任せるということなのじゃ。
それが達磨の教えた仏の心という宗派なのじゃ。
雲が南に起これば北に雨が降るという人の理解できぬことも受け容れるのじゃ。
夜が来れば風が樹の葉を吹き鳴らす音を流れるままに受け容れるのじゃ。

82 避難民のマジレスさん :2020/11/09(月) 19:00:38 ID:2UjGVukA0
218 陳蒲鞋 6/8
堪笑米山無米銭 笑ふに堪へたり米山米銭無し
誰参尊宿織蒲禪 誰か参ず尊宿織蒲の禪
衆生五欲八風起 衆生五欲八風起こる
看看正邪今現前 看よ看よしょう邪今現前

くま訳
しかし、陳蒲鞋が母を養った米山には米を買う銭も無しとは、お笑いである
高僧がわらじを織る寺で、誰が修行をするのか
人には五欲八風が起こるものなのである。
・・・ほれ見なさい、今まさにそれは正しい、いや、間違ってるという思いが起きたでありましょう。

*五欲:5つの感覚器官に対する5つの対象,すなわち形体のある物質 (色) ,音声 (声) ,香り (香) , 
 味,触れてわかるもの (触) をいう。これらは,欲望を引起す原因となるので五欲という。また,財欲, 
 色欲,食欲,名誉欲,睡眠欲を五欲という場合もある。
*八風(はっぷう):仏の教えに基づいた修行を妨げる8つの出来事の事。人間が求める4つの出来事四順
 (しじゅん)と、人間が避ける4つの出来事四違(しい)とからなる。四順①利い(うるおい)‐目先の
 利益、②誉れ(ほまれ)‐名誉をうける、③称え(たたえ)‐称賛される、④楽しみ(たのしみ)‐様々
 な楽しみ。四違①衰え(おとろえ)‐肉体的な衰え、金銭・物の損失、②毀れ(やぶれ)‐不名誉をうけ 
 る、③譏り(そしり)‐中傷される、④苦しみ(くるしみ)‐様々な苦しみ
(´・(ェ)・`)つ

83 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/09(月) 21:39:17 ID:1d4drIFg0
米山という地名で米も銭も無いのはお笑いじゃというのじゃ。
草鞋を編む僧は誰も参じないというのじゃ。
衆生は五欲と八風に囚われているからのう。
正邪が今現前しているのを見よというのじや。

84 避難民のマジレスさん :2020/11/10(火) 20:12:27 ID:n2jj.iZI0
219 陳蒲鞋 7/8
説道談禪長利名 どうを説き禪を談じて利名を長ず
工夫乱裡築愁城 工夫は乱裡に愁城を築く
門閫空折韶陽脚 門こん空しく折るぜう陽のあし
折得江湖門弟情 折り得たりこう湖門弟の情

くま訳
道を説き、禪の話をして名利を上げる。
誤った工夫により、愁いの城を築き上げる
宗門の法脈が途切れてしまった、雲門宗のように、
禅宗の法脈も断たれてしまうこともあるものなのである。(既に断たれたしまった。)

*閫(しきみ・こん):門戸の内外の区別のために下に敷く横木。門や家屋の入口の横木。また、敷居。
*韶陽(しょうよう):雲門文偃の居た場所。雲門をさす
*江湖(ごうこ、こうこ):唐代に馬祖道一と石頭希遷の2人が活躍した地域。そこから禅宗僧侶の世界を
 「江湖」と称するようになり、後に「江湖会」と言えば、夏安居を指すようになった。
(´・(ェ)・`)つ

85 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/10(火) 22:29:35 ID:1d4drIFg0
売僧は仏道を説き禅を話すのも名利のためだというのじゃ。
その工夫も乱れて虚しいものじゃ。
門派の脚は折れ、徒弟も嘆くのじゃ。
何やら悲壮な感じじゃな。

86 避難民のマジレスさん :2020/11/11(水) 21:13:16 ID:iUpUjRSA0
220 陳蒲鞋 8/8
無米米山名下空 べいなうしてべいさん名のもとむなし
宗門玄要老禪翁 宗門の玄要老禪翁
七寶荘厳之冨貴 七寶しゃう厳之冨貴
平生永雪又寒風 平ぜい氷雪又寒風

くま訳
米が無くて米山と言う名は空なのだ。言葉は、そのものではないのだ。
禅宗門の玄要とは、陳蒲鞋老禪翁の存在が示していることなのだ
仏具、仏像を七寶荘厳に飾る冨貴も、
日常の、永雪、寒風に堪えること、あるがままなのだ。
(´・(ェ)・`)つ

87 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/11(水) 21:51:48 ID:1d4drIFg0
米の無い米の山は空名なのじゃ。
それこそこの門の玄妙で大事なところなのじゃ。
七宝荘厳の富貴とは平生の氷雪寒風と同じなのじゃ。
皆空平等であるからなのじゃ。

88 避難民のマジレスさん :2020/11/12(木) 20:12:18 ID:1HJphfiA0
221
童謡 二首 1/2
童謡逆耳野村謳 童謡耳にさからふやそんの歌
唱起家々亡國愁 唱起すかか亡國の愁
十年春雨扶桑涙 十年春雨扶桑の涙
稼穡艱難廃址秋 かしょく艱難廃址の秋

武田鏡村先生訳
近ごろの子どもがうたう歌を聞くと、野卑な歌ばかりで耳になじまない。
あちこちの家々では、国を亡ぼすような歌をうたい始めたぞ。
この十年ふりつづいた春雨は、日本の国の涙にほかならない。
生計するも困難な廃墟にも秋はめぐってくる。

くま訳 
童謡は耳障りな、下品な歌である。
このような歌が、巷で歌われるとは、亡国の兆しではないかと愁う。
十回目の春雨の時季節を迎えた、日本国の涙であろう。
農作業をして刈入ををするのも困難な大徳寺炎上後の廃墟にも、秋は廻り来る。

*鄙野(ヒヤ)下品で洗練されていないこと。また、そのさま。野卑
*逆耳: 耳障りである,耳に痛い
*鄭衛之音、亂世之音也、比於慢矣。桑間濮上之音、亡國之音也、其政散、其民流、誣上行私而不可止也。
『礼記』・楽記  
禮記の樂記に曰く、「鄭衛の音は乱世の音なり、慢に比し、桑閒濮上の音は亡國の音なり、其の政は散じ、 
其の民は流す、上を誣ひ、私を行ひ、しかして止むべからず」と。即ち其の鄙野の音を聞いて愁ふるなり。
*廃址(ハイシ):建物や城などのすたれたあと。
*濮上之音 :(ぼくじょうのおん):国を滅ぼすような淫乱な音楽のこと。春秋時代、衛の霊公が濮水の 
 ほとりで聞いた音楽が気に入り、晋の平公の前で披露させたところ、晋の楽官の師曠が殷を滅亡させた淫 
 靡な音楽だといってやめさせた故事から。
 鄭衛之音(ていえいのおん): 同 濮上之音。「鄭」と「衛」は春秋時代の国の名前で、両国の音楽はみ 
 だらなものであったとされている。『礼記』「楽記」
(´・(ェ)・`)つ

89 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/12(木) 21:45:57 ID:1d4drIFg0
中国の迷信では国が滅びる時は先ず子供の歌に兆しが現われるというのじゃ。
今おかしな童謡が聞こえるのも亡国の予兆ではないかというのじゃ。
十年も続く雨は日本の涙なのじゃ。
乱世で仕事もなく廃れていく家々があるばかりなのじゃ。

90 避難民のマジレスさん :2020/11/14(土) 16:11:14 ID:vnzMlciY0
222 童謡 二首 2/2
皇城山野野皇城
変雅変風人不平 がを変じ風を返じて人平かならず、
骼皮秋瘦山骨露 かく皮秋瘦せて山骨露る
狂雲一片十年情  狂雲一ぺん十年の情

武田鏡村先生訳・解説
皇居は山野の田舎ほどに荒れはててしまった。
混乱の世の中をうたった詩は、人の不平と不満を述べている。
それは、あたかも秋に山肌の骨格がむき出しになってしまうように、荒れはてている。
狂雲子一休の詩も、この十年の荒涼とした風景を憤りをもって吟じたものである。

肝冷斎先生訳・解説
みやこが壊れて原野になったり、原野がみやこになったり、
みやこの歌も変わり、田舎歌も変わったが、人の不平は収まらぬ(から、いつの世にも歌は生まれてくるの
だ)。
それでも季節は廻り来る。
秋の大地は骨も皮も痩せ、山々は巌をむき出しにする(人間の心も乱世には真実の本心をむき出しにするの
だ)、
狂ったおれはただひとひらの雲になって、この十年を彷徨い続けている。

「雅」と「風」は「上流の文化」と「しもじもの風俗」と考えてもいいと思うのですが、「詩経」の王家の
儀礼歌「雅」と各国の民謡「風」をイメージしていると思うので、みやこ歌と田舎歌、とさせていただきま
した。
「骼」(かく・らく)は骨、特に「骨組み」という意味に使われます。ここは、秋の「骼」と「皮」は、お
そらく草とか木葉のことで、それらが痩せ落ちて山の本体である岩石が露出してきたことをかっこよく言っ
ているのでしょう。もちろんそこにはニンゲン世界の比喩がある。

くま訳
皇居が山野のようになってしまった。野が全て皇居である。
人々の情緒は変わってしまい、平安な気持ちで居られなくなっている。
秋に野枯れ、岩肌が露になるように、人の荒れた心もむき出しになっている。
狂雲、一片の雲として流れ流れてきた十年である。
(´・(ェ)・`)つ

91 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/14(土) 21:56:57 ID:1d4drIFg0
都も荒れ果て野も城も同じになったのじゃ。
それを見て人は不平をもらすのじゃ。
山も地肌がむき出しじゃ。
一休も乱世の十年を嘆くのじゃ。

92 避難民のマジレスさん :2020/11/15(日) 16:44:39 ID:sCeJO2BA0
223
地獄 二首 1/2
十方世界盡乾坤     じん乾坤
水火寒温人命根     人のみょうこん
看看米穀閑田地 看よ看よ米穀閑田ぢ
是衆生之地獄門 是れ衆生の地獄門

くま訳
天上天下全世界
万物全感覚そして人命
看よ耕されることのない閑田地を、(自分とは何かを探求されることなく放置された心)
それこそ衆生の地獄の入り口だ。

*田:めいめいに備わっている心、仏心のこと。

おまけ:五祖法演 投機偈
山前一片閑田地
叉手叮嚀問祖翁
幾度賣来還自買
為憐松竹引清風

本覚寺HP 訳・解説
この寺の前に一片の休耕地がある
礼儀を正して、この田んぼは一体誰ものですかと人に聞いて回った
誰のものかわからないので幾度か売ったり買ったりしてきた
主は誰なのか分かってしまえば松竹の涼しい清風を味わうばかりである

※五祖法演禅師(1024-1104)は、臨済宗中興と言われ古則公案を通じた禅修行を確立。自らの悟りの境地を
詠んだ投機偈。
(´・(ェ)・`)つ

93 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/15(日) 21:46:55 ID:1d4drIFg0
十方の全ての世界に陰陽の気すらもなくなったというのじゃ。
エネルギーが無くなったということじゃな。
水火も感温もなく人の命も尽きたというのじゃ。
米穀を生み出す田もすっからかんなのじゃ。
是は衆生の地獄の始まりなのじゃ。
正に乱世なのじゃ。

94 避難民のマジレスさん :2020/11/16(月) 20:28:24 ID:cbNVEJfo0
224
地獄 二首 2/2
黄泉境界幾多勞 くわうせんの境がい幾ばくか勞す
劒是樹頭山是刀 剣は是れ樹頭 山は是れたう
朝打三千暮八百 朝打三千ぼ八百
目前獄率眼前牢 目前は獄率眼前は牢

くま訳
黄泉の国へ行く境界線を越えて行くのは、幾らか苦労するのだ。
地獄の樹木は剣で出来ており、山には刀が植えてあるのだ。
禅修業では、朝三千、暮八百、警策で打たれるのだ。
目前には獄率が警策を持って立ち、眼前には、地獄の牢獄があるのだ。

*剣樹:枝・葉・花・実などがすべて剣でできているという地獄の樹木。
*刀山(トウセン):地獄にあるという、刀剣を植えた山。つるぎの山。
(´・(ェ)・`)つ

95 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/16(月) 21:09:57 ID:1d4drIFg0
黄泉の境界には幾多の労苦があると言うのじゃ。
つまり死ぬ時のことじゃな。
死の恐れと苦痛が剣の樹とか刀の山の如く襲い掛かるのじゃ。
朝には三千も打たれ、暮れには八千も打たれるような苦なのじゃ。
そして目の前には地獄の羅卒がいて牢がある如くなのじゃ。

96 避難民のマジレスさん :2020/11/17(火) 00:33:36 ID:bMgyWGqw0
うむ。
恐ろしい「死」を克服する為には、真剣な修行か必要であると、くまは解釈したのでありますが、ちょぴっと違ったようであります。
いつも、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

97 避難民のマジレスさん :2020/11/17(火) 19:34:26 ID:JTqM/nX60
225
拝關山和尚塔  關山和尚の塔を拝す
荒草不鋤乃祖玄 荒草鋤かずない祖の玄
涅槃正法妙心禪 涅槃正法妙心の禪
杜鵑叫落關山月 とけん叫落す関山の月
誰在花園躑躅前  誰か花園ていちょくの前に在る

くま訳
関山和尚の墓塔を拝す
無明な僧たちは、未だ鋤き返されておらず、亡き師の「玄」を理解できない。
大悟の境界に於ける幽玄なる仏心を探求する禪
ほとどきすが声を振り絞ったように鳴き叫ぶのは、関山の偉功を偲んでいるのだ。
誰がつつじの花園妙心寺で、関山和尚の法脈を継いでいるといえるのだ。

*關山:①大燈國師が、妙心寺開山、関山慧玄(かんざんえげん、1277年-1361)に与えた道号。②日本原 
 産のヤエザクラ 
 禅風は厳格で、その生活は質素をきわめ、枯淡な禅風で修禅に専念したという。『沙石集』には「本朝な 
 らびなき禅哲なり」と称賛されている。 1360年12月12日、関山は旅の支度をして授翁に行脚に出ると 
 いい、「風水泉」と称する井戸の辺で授翁に遺戒し、立ったまま息をひきとった。
 語録や著書はなく、遺命して肖像を残させなかったた。
 南浦紹明(大応国師)から宗峰妙超(大灯国師)を経て関山慧玄へ続く法系を「応灯関」といい、現在、 
 日本臨済宗はみなこの法系に属する。関山の禅は、後に系統に白隠慧鶴が出て大いに繁栄し、他の臨済宗 
 諸派が絶法したのに対し、その法灯を今日に伝えている。(wikipedia解説抜粋)
*荒草(こうそう):荒果てた草地。禅宗では悟りに至る前の無明(むみょう)の喩に用いる。
 臨済録 上堂1-2
 座主有り、問う、「三乗十二分教は、豈に是れ仏性を明かすにあらざらんや?」
 師云く、「荒草曽って鋤かず」。
 禪と悟りHP訳
 座主(ざす)が質問した、「仏教の三乗十二分教は、すべて仏性を説き明かすものではありませんか?」
 師は云った、「そんなものでは無明の荒草を鋤き返すことはできんよ」。
*乃祖(ないそ):汝 の祖父。また、祖先。

*涅槃妙心:正法眼蔵涅槃妙心  釈尊が体得した甚深不可思議の真理?の内容を表現した語として、禅宗 
 で尊重される。単に、正法眼蔵とも。大悟の境界に於ける幽玄なる仏心は、言教をもっては表現したり、 
 認識によって把握したりすることはできない。
*316望帝杜宇(ぼうていとう):古代の蜀・古蜀の第4代君主・杜鵑に生れ変って春を知らせる
*杜鵑叫落桃花月 血染枝頭恨正長 
 咲き誇る桃の花を照らしながら傾く月のなかに、ほとどきすが血を振り絞ったように鳴き叫ぶ恨みの声
 (黄檗宗のみが用いている施餓鬼法要の経本『瑜伽焔口科範』)
*躑躅(つつじ)妙心寺のつつじは有名らしい。一休さんの頃から植えられてたのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

98 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/17(火) 21:05:31 ID:1d4drIFg0
そのような感じなのじゃ。

祖師の玄妙なる境地は捨て去られているのじゃ。
涅槃に導く正法の妙なる心の工夫による禅なのじゃ。
ほととぎすも月に鳴いているのじゃ。
誰かそれを聞く者が花園躑躅の前に居るであろうかというのじゃ。

99 避難民のマジレスさん :2020/11/18(水) 23:09:38 ID:L4550tNs0
一休さんの帝王学
226  1/4
善悪未嘗混     善悪未だ嘗て混せず
世為善者皆朋舜   世に善を為す者は、皆舜を朋とし、
而悪者皆黨桀也   而して悪を為す者は皆桀(けつ)に党すなり。
雉必為鷹所撃    きじは必ず鷹の為に撃たれ
鼠必為猫所咬    鼠は必ず猫の為にかまる、
是天賦所前定也   是れ皆天賦前定する所也。
一切衆生之歸佛   一切衆生の佛に帰して、
善而免生死之淪没者 善にして而してしょう死の淪没を免がるる者も
亦猶若茲      また猶ほかくの如し
因作偈以示衆云   因つて偈を作つて以て衆に示すと云ふ     

鷹雉鼠猫元自然   ようちそめう元じねん
威音劫來舊因縁   威音劫來旧因縁
照看華清残月暁   照らし看る華清残月の暁
明皇龜鑑馬嵬前    めいくわうの亀鑑馬くわいの前

くま訳
善悪が混ざり合うということは、未だ嘗て無い。
世に善を為す者は、皆、英明な古代の皇帝「舜」を朋とし、
悪を為す者は皆、古代の暴君「桀」(けつ)の仲間である
きじは必ず鷹に撃たれ
鼠は必ず猫にかまれる
是れ皆生まれながらにして決まっていることである。
一切衆生、佛に帰依したもので、
善を行い、生死に捕らわれた迷いの境地から逃れることができる者もまたかくの如しである。
因つて偈を作つて以て修行僧に示すと言って、
     
鷹と雉、鼠と猫の話は元来自然なことである。
大昔からの因縁である。
玄宗皇帝は、かつて華清宮で楊貴妃と見た暁の残月を眺め、
舜という英明な皇帝のお手本があったのに、玄宗は馬嵬(ばかい)で臣下に脅されて、いやいや楊貴妃を殺
害する命令を下し、後で後悔しているのである。(臣下の登用を誤ったのである。)

*舜(しゅん):神話に登場する君主。五帝の一人。儒家により神聖視され、堯(ぎょう)と並んで堯舜と 
 呼ばれて聖人と崇められた。
 母を早くに亡くして、継母と連子と父親と暮らしていたが、父親達は連子に後を継がせるために隙あらば 
 舜を殺そうと狙っていた。舜はそんな父親に対しても孝を尽くしたので、名声が高まり堯の元にもうわさ 
 が届いた。
 舜の周りには自然と人が集まり、舜が居る所は3年で都会になるほどだった。
 堯は舜を登用し、天下を摂政させた。そうすると朝廷から悪人を追い出して百官が良く治まった。それか 
 ら20年後、堯は舜に禅譲した。
 英明な皇帝の代表。
*桀(けつ)は、夏の最後の帝。暴君の代名詞となった。
*華清宮(かせいきゅう):唐代の離宮。『長恨歌』において、楊貴妃が湯浴みしたことで知られる。
*龜(亀)鑑(キカン):「亀」は甲を焼いて占ったもの。「鑑」は鏡の意。行動や判断の基準となるもの。
 手本。模範。
*照看:世話をする,面倒を見る,(物の)番をする,見張る
(´・(ェ)・`)つ

100 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/19(木) 22:02:10 ID:1d4drIFg0
大体そのような感じなのじゃ。
善悪は決して交わらないというのじゃ。
雉は鷹に狩られ、鼠は猫に食べられるのが定めなのじゃ。
衆生が仏に帰依して悟りを得られるのも定めなのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。

101 避難民のマジレスさん :2020/11/20(金) 21:46:46 ID:eUuVdyI60
227    2/4
過現未誰人了達 過現み誰人か了達す
悪人沈淪善者脱 悪人は沈淪し善者は脱す
風流可愛公案圓 風流愛すべし公案まどかなり
徳山棒兮臨済渇  徳山の棒、臨済の渇

くま訳
いったい誰が、過去・現在・未来にわたって、一切を明らかに悟っていると言うのか。
悪人は落ちぶれ、善者は苦境を脱するのだ。
風流を愛すべきである。公案を円熟させるのである。
徳山の棒や臨済の渇も大切である。

*過現未(かげんみ):過去と現在と未来。前世と現世と来世。三世 
*三世了達(さんぜりょうだつ):過去・現在・未来にわたって、一切を明らかに悟っていること。諸仏の
智慧は3世を見通しであること。
*沈淪(ちんりん)「沈」も「淪」もしずむ意〕①深く沈むこと。②おちぶれること。零落。淪落。
(´・(ェ)・`)つ

102 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/20(金) 23:00:53 ID:1d4drIFg0
三世に誰がそれらの因果を知り尽くしているじゃろうかというのじゃ。
それを知れば悪人は地獄に沈み、善人は娑婆世界を脱して天にいくのじゃ。
更に善根の者は公案を実践するじゃろう。
そのような者こそ徳山の棒、臨済の渇を継ぐべき者じゃ。

103 避難民のマジレスさん :2020/11/21(土) 10:16:24 ID:CZmSsnrc0
228    3/4
風流脂粉又紅粧 風流の脂粉又紅粧
等妙如来奈断膓 とう妙如来断膓いかんせん
知是馬嵬泉下魄 知んぬ是れ馬くわい泉下のはく
離魂倩女謫扶桑 離魂のせん女扶桑にたくせらる

武田鏡村先生訳・解説
紅とおしろいで化粧した
風流な女性の断腸の思いは、いかに仏さまであってもどうすることもできない。
その断腸の思いは、馬嵬で殺されてあの世に行った楊貴妃の魂であることを知っている。
楊貴妃の魂は倩女のように離れて、もう一人の楊貴妃すなわち日野富子として日本に現れて、罰せられてさまうだろう。

一休は富子が楊貴妃のように凄惨な末路で死をむかえ、・・・と断言した。だが、一休は富子の死をみることなく没している。

くま訳
風流に化粧した楊貴妃、
等妙如来は、彼女の断腸の思いを、どうやって救ってくれるというのだ。
馬嵬で処刑された、楊貴妃の思いを。
倩女のように肉体を離れた楊貴妃の魂が、戦乱威明け暮れる日本國を罰しているようだ。

*等妙如来:等覚と妙覚をもつ仏の尊称。
*離魂の倩女:『無門関』三十五則にある公案で、倩女という女性がその魂と肉体が分離し、一人の倩女は 
 結婚して幸せになり、もう一人の倩女は病床に臥して苦しんでいたが、その倩女が一つに合体した。どち 
 らが本当の倩女か、というもの。一人の倩女は楊貴妃をさし、もう一人の倩女は富子をさす。・・・一休 
 は富子が楊貴妃のように凄惨な末路で死をむかえ、・・・と断言した。だが、一休は富子の死をみること
 なく没している。(↑武田鏡村先生解説)
*魄(ハク):たましい。精神をつかさどる陽の気を魂(こん)というのに対し、肉体をつかさどるという陰
 の霊気。
*離魂(りこん):魂が肉体から分離すること。また、肉体から離れた魂。ドッペルゲンガー(二重身)
*『倩女離魂』(せんじょりこん)は、元の鄭光祖による雑劇で、鄭光祖の代表作。唐代の伝奇小説『離魂 
 記』に題材を取り、科挙試験のために旅だった王秀才を恋いる倩女の生霊が追う内容を持つ。
*謫(タク・テキ・せめる):とがめる。せめる。2.官吏がとがめを受け、位をおとされ遠方へ流される
(´・(ェ)・`)つ

104 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/21(土) 21:49:09 ID:1d4drIFg0
日野富子は応仁の乱の原因を作ったとも言われているのじゃ。
その乱を利用して財産を増やしたともいうのじゃ。
傾国の美女と思ったのじゃな。
宮廷の乱れが乱世の原因にもなったのじゃ。

105 避難民のマジレスさん :2020/11/22(日) 08:56:52 ID:gsjWwTOg0
229    4/4
身心不定假兼眞 身心定まらず仮と眞と
欲界衆生沈苦辛 欲界の衆生苦辛に沈む
愁夢三生六十劫 愁夢三生六十劫
劫空無色馬嵬神  劫空無色馬嵬の神

くま訳
身心は定まらないものだ。仮のことか真実か。(分離した魂が、誰のものかも定まらない)
欲界の衆生は苦辛に沈むのだ。
悪夢は三回生れ変っても延々とつづくであろう。
世界が壊滅して空漠とした期間が。馬嵬の神仕業であろうか。

*真仮(しんか・しんけ):まことのことと仮のこと。真実と虚偽。
*空劫(くうごう・くうこう):世界が壊滅して空漠とした期間。

武田鏡村先生は、「一休は富子が楊貴妃のように凄惨な末路で死をむかえ、「三生六十劫」にわたって地獄
の輪廻をさまようと断言した。」と解してるのである。
(´・(ェ)・`)つ

106 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/22(日) 23:57:43 ID:1d4drIFg0
心身が定まらない時に仮も真もわからないというのじゃ。
それで欲界の衆生は辛苦に沈むというのじゃ。
地獄に落ちて過去現在未来と悪夢に見舞われるのじゃ。
それもまた空であり無色であるのじゃ。

107 避難民のマジレスさん :2020/11/23(月) 19:18:15 ID:jN2NZNXs0
くま訳改
第一句:心身が定まらなければ、仮も真もわからないのである。

ハイテンション一休さん
230
華叟子孫不知禅 華叟の子孫、禅を知らず
狂雲面前誰説禅 狂雲面前、誰か禅を説く
三十年来肩上重  三十年来、肩上重し
一人荷担松源禅  一人荷担す、松源の禅

くま訳
華叟の子孫は禅を知らない
狂雲の面前で誰が禅を説けるというのだ
三十年来、禅を背負ってきた、肩の荷が重いのであるが、
これからも一人で松源の禅を担いで行くのだ。

*松源崇岳(しょうげんすうがく1132〜1202)南宋時代の禅僧。禅宗の看話禅及び默照禅に存在した不正 
 行為を正すため、松源崇岳は座禅の方法を改革した。
 「松源二転語」です。つまり、「開口不在舌頭上(口を開いて物を言うことは単に口先だけのことではな 
 い)」、「大力量人,因甚抬脚不起(力の強い人が、なぜ足を上げないでいるのか)」という二つの転 
 語から、看話禅と默照禅を見た。松源転語 >>112 113 114 参
(´・(ェ)・`)つ

108 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/23(月) 21:59:03 ID:1d4drIFg0
自分以外に松源の禅を知る者は居ないというのじゃ。
なかなか壮大な自負なのじゃ。
正に狂雲なのじゃ。
これからもただ独りで松源の禅を背負っていくというのじゃ。

109 避難民のマジレスさん :2020/11/24(火) 19:33:31 ID:zt/s8/ZE0
自賛  2/3
風狂々客起狂風 風狂の狂客狂風を起こし 
来往婬坊酒肆中 来往のすい坊酒しのうち 
具眼衲僧誰一拶 具眼の衲僧誰ぞ一拶するは
画南画北画西東  南を画し北を画し西東を画す

ある男の残日HP 宇野直人先生訳・解説
自賛    自ら賛す   
自分自身の肖像画に書きつけた作品。 
何物にも囚われず 理想に突き進む私は いつも激しい風を巻き起こす
出入りするのは歓楽街や酒場     
見識のある僧侶で誰か私を叱る人はいないのか  
南と言えば北 いや西だ東だと 勝手なことを言う私を

(前半)
一句は露悪的に自己紹介。風は自由でとらわれないの意。狂は漢詩では「理想に向かって突き進む・これと
思ったことに熱中する」
二句の婬坊酒肆は公案の中の語で「本当の悟り」という事を象徴的に表す。山奥で得た悟りはまだ次元で低
いもので、逆に「巷の色々な人に付き合い、得た悟りこそ本当のものだ」という公案を採用している。とい
う事は、一見破戒僧の様に行動しているが、自分は一段高い次元を目指して行動していると主張している。
(後半)
周囲の禅僧に向けた挑発的な言葉となる。4句も禅の言葉。人を食った結びになっている。この詩で自分の
生き方を主張したが、では一休が主張した次元の高い悟りとはどんなものか次の詩で見てみる。

・婬坊いんぼう酒肆しゅし:歓楽街・酒場
・具眼:物の本質を見抜く力 見識がある
・画皆画北画西東 禅語で「指東劃西」と言えば、東を指したり西を指したりしていい加減にその場をごま 
 かすことを言う。お茶を濁す。

柳田聖山 訳
<訳>
風にいかれた酔っ払いが、狂った風を巻き起こし、
女郎屋や酒場をうろついている。
眼の開いた修行僧なら誰でも一突きにするがよい。
(狂風が相手ゆえ)東西南北あてもなく滅多打ちにするだけだ。
※一休自身を賛した詩であるが、どこか己と普化を重ねているように思われる。
(´・(ェ)・`)つ

110 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/24(火) 23:48:55 ID:1d4drIFg0
自賛ならば自分について詠っているのじゃ。

わしは風狂の者であるから世間の常識に囚われず教えるのじゃ。
売春宿や酒場で教えるのじゃ。
修行が出来た具眼の僧にはわかるじゃろう。
そのような者に四方の仏説を教えるのじゃ。

111 避難民のマジレスさん :2020/11/25(水) 19:12:41 ID:sdUQpy3s0
自賛   3/3
大燈仏法没光輝 大燈の仏法、光輝を没す、
竜宝山中今有誰 竜宝山中、今、誰か有る。
東海児孫千歳後 東海の児孫、千歳の後
吟魂猶苦許渾詩 吟魂、猶、苦しむ、許渾の詩。

石井恭二先生訳
大燈国師の仏法は光を失った、
竜宝山大徳寺の中に、今、どんな人物がいるのか。
達磨大師このかた、千年の後、
日本の法孫である私は、詩情を抱いているのに、
  許渾の詩のように、すでに白髪頭となって苦しんでいる。
(´・(ェ)・`)つ

112 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/25(水) 21:50:26 ID:1d4drIFg0
もはや正しい禅の伝統は光をうしなったというのじゃ。
わしだけがそれを知っているというのじゃ。
伝法も千年を経て善い弟子が居ないことを苦に思うのじゃ。
もはや乱世であるから修行しようとする者もいないのじゃろう。

113 避難民のマジレスさん :2020/11/26(木) 19:51:54 ID:T9jfcAc60
喜びいっぱいの一休さん
231
新造大應國師尊像 大應國師の尊像を新造す
活眼大開眞面門  活眼大いに開く眞面門
千秋後尚弄精魂  千秋ののち尚ほ精魂を弄す
虚堂的子老南浦  虚堂のてき子老南浦
東海狂雲六世孫  東海の狂雲は六世の孫

柳田聖山先生訳
尊像の眼は大きく開き、口元も鋭い。
何年経っても魂を見透かすようだ。
虚堂の高弟、南浦紹超、東海の狂雲、六世の孫。

くま訳
新造の大應國師尊像
目をくわっと見開き、ありのままだ。良く出来てよかったのだ。
長い年月を経ても、こちらの精魂を思いのままに操るようだ。
虚堂直伝の南浦老師、
正伝の狂雲は六世の孫弟子なのだ。

中村満次郎先生HP解説
1453年七月、大徳寺は焼失し、灰燼となっている。この漢詩は、康正二年、六十三歳の作で、大徳寺が
炎上して三年後のことになり、多分尊像も失われたので、新造されたのであろう。
ちなみに、このころ田辺の薪に入り、大応国師の塔所、妙勝寺が興されている。
*真面目:本来の姿・ありさま。転じて、真価 まじめであること。
*弄精魂:通常は妄想分別によって精魂を消し尽くされることを意味している。しかし、道元禅師は精魂を 
 尽くして日常底に修行弁道する意味であるとした。
(´・(ェ)・`)つ

114 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/26(木) 21:55:30 ID:1d4drIFg0
新しい寺の仏像ができたようじゃ。
一休もよろこんでいるのじゃ。
鋭い眼は今も己の心底を見抜いているようじゃ。
千年たってもまだ精魂をこめて実践しているようじゃ。
わしはその六世の弟子なのじゃというのじゃ。

115 避難民のマジレスさん :2020/11/27(金) 19:09:34 ID:n2jj.iZI0
232
脱鱗鯉魚庖中得活 鱗を脱するり魚 庖中にして活するを得たり
活潑々時池水清 活潑々の時ち水清し
怪哉端的死中生 怪しい哉端的死中の生
飛潜天池衲僧眼 天池に飛潜す衲僧が眼
雲暗龍門點額情 雲は暗し龍門點額の情

くま訳
鱗を剥がされた鯉が包丁の下で活路を得た。
ピチピチト元気がよい時は、池の水は清い。
怪しいのである。わしの場合、まさに死中に活である。
天地を飛び廻り禅僧の洞察眼をもって、見てみると、
暗雲立ちこめる大徳寺、住持など引受けなけりゃよかったかも。

*死中得活(しちゅうにかつをうる):『碧巌録』九則絶体絶命のところで活路を開くこと。
*活潑潑地(カッパツハッチ):生き生きと活動すること、意気盛んで、元気のいい様子を言う
*怪哉:おまけ① 参
*飛潜(とびくく・ひせん):木々の枝の下をくぐるように飛ぶ。

おまけ①
怪哉:bigbossman先生解説解説東方朔というのは人名で、前漢の武帝に仕えた宰相、前2世紀頃の人物で
す。
 豪放磊落な性格で、仙人のような暮らしぶりであったとも言われ、
 いろいろと不思議な逸話が多い人です。
 中国の南北朝時代の殷芸(いんげい)が書いた『小説』には、
 前漢の武帝が東方朔をともなって旅行に出かけた際、行く道の途中に、
 頭、目、牙、耳、鼻、歯が人間のようにそろった奇妙な虫がたくさんいた。

 それを見た武帝が「怪哉 あやしいかな」と言ったので、その名がつけられた。
 東方朔は武帝の問いに答えて、「これは秦の時代、始皇帝が厳しい法律で
 人々を縛ったので、罪を受けた者の魂が虫に変化したものと考えられます」
 重ねて武帝が、「どうすればよいのか」と尋ねると、

 「古来から、酒を飲めば憂いを忘れるといいます」東方朔はそう言って、
 虫たちを酒の入った瓶に入れた。すると虫たちはみな、
 満足した様子で散り散りにその場を去っていた。
 後に、古地図を元に調べてみると、はたしてそこは、秦の時代に
 牢獄があった場所であった・・・こういう故事が書かれています。

「怪哉」をこの意とすると、訳は「妖怪怪哉は、刑死した人の生れ変りだから、明らかに死中に活だ。」と
なるが、これは、ないでありましょう。

おまけ②:點額魚(白楽天)
 龍門點額意如何
 紅尾青鬐却返初
 見説在天行雨苦
 為龍未必勝為魚

 ほととんぼ先生HP訳・解説(抜粋)
 意訳:龍門の急流を上りきれず、額を石に打ちあてて、
 むざむざと尾鰭を垂れて返る魚の気持ちは、如何(いかが)なものであろうか。
 聞けば、龍となって天に上れば、雨を降らせる苦しみがあるそうだ。
 そんな苦しみをするよりは、魚のままで、自由に泳ぎまわっているほうが、かえってましかもしれないよ。
 ※紅尾=魚は疲れると尾が赤くなるという。青鬐=魚の青い背鰭(ひれ)。

 白楽天の詩は、・・・人間、実力もないのに無理に出世し、後々苦しむよりは、むしろ下位にあって悠々  
 としているほうがよいという意味です。" "りゅうもん てんがくのい いかん
 こうびせいき きゃくへんのはじめ
 いうならく てんにあって あめをおこなうのく
 りゅうとなるは いまだかならずしも ぎょとなるにまさらず
(´・(ェ)・`)つ

116 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/27(金) 23:38:00 ID:1d4drIFg0
まな板の鯉は却って生きているというのじゃ。
清水の池の中では晩いのじゃ。
死の中に生があるとは人は怪しむのじゃ。
龍の如く天の池に潜む僧の目は飛翔に備えているのじゃ。
暗雲が立ち込める寺の門に入るのも慈悲なのじゃ。

117 避難民のマジレスさん :2020/11/28(土) 11:30:40 ID:fukTh4tE0
233
香嚴擊竹 1/3     きゃうげんきゃくちく 1/3
對盡(畫)忽然盡情識 画に対してこつねん情識を尽くす
道人龜鑑太分明    道にんの亀鑑はなはだ分明
娘生佛見南陽境    にゃう生佛南陽の境を見る
断膓黄陵夜雨聲    はらわたを断つこう陵夜うの声

くま訳
「画にかけるもちひは、うゑをふさぐにたらず」と思い立ち、にわかに迷いの心が起った。
香厳道人は、模範になる禅師であることは、真に明らかである。
香厳は、母親から生れたこの身体を自分と思っていたが、仏を見たのだ(父母未生以前の本来の面目に気づい
たのだ。)南陽の境で。
はなはだ愉快で笑いがこみ上げる、墓守をする、南陽慧忠の陵墓に降る夜の雨音

*香嚴擊竹:正法眼蔵渓声山色の巻に香厳智閑の悟りの契機が語られる。
 愛知学院大学 禅研究所HP解説
 香厳は大潙禅師の下で修行していた。ある時、大潙が言った「君は聡明で物知りだ。お経の注釈なんかか 
 らでなく、君の父母も生まれる前の所からわしのために一句を言ってくれ」と(汝聡明博解なり。章疏の
 なかより記持せず、父母未生以前にあたりて、わがために一句を道取しきたるべし)。香厳は答えようと
 試みるがどうしても出来ない。今まで色々勉強してきたことは何だったのか、年来集めた書物も焼いて
 「画にかけるもちひは、うゑをふさぐにたらず。われちかふ、此生に仏法を会せんことをのぞまじ、ただ
 行粥飯僧(ぎょうしゅくはんそう)とならん」その後、大証国師の跡を武当山に訊ねて庵を結んで暮らし
 た。ある時、掃除をしていて、掃いた石が竹にカチンと当たった音を聞いて大悟したという。まさに、自
 然の語る真理の声を聞いたのだった。それこそが父母未生以前の一句だった。
*亀鑑:人のおこないの手本。模範
*道人:仏道の修行をする人。また、出家得道した人。
*黄陵:黄帝陵:中華民族の始祖とされる黄帝の陵墓
 黄帝:神話伝説上の五帝の最初の帝。紀元前2510年〜紀元前2448年)
*世俗の我(仮我)と真実の我(真我)は、仏教(『大般泥洹経』)。世俗の我(仮我)、自分という場
合、 一義的には、父母から享けたこの身体(人身)を私だと思ってきた(これを「娘生の面目」という。)
その一方に「本来の面目」がある)。
 この世俗の我を空海は 「五蘊の仮我」 と呼ぶ。人間は色・受・想・行・識の五蘊から構成された仮初の我 
 に過ぎないということ。
 本来の面目= 「父母未生以前の本来の面目」とは、何かと言う公案に答えられず、香厳は、一度悟るのを 
 諦めた。
*對法:阿毘達磨(アビダンマ)とは、仏教の教説(具体的には経蔵、律蔵など)の研究・思想体系、およ 
 びそれらの解説書・注釈書のこと。
 くま訳では、絵に描いた餅の香厳の故事に基づいた訳にしたが、 對法:阿毘達磨と解せば、「阿毘達磨 
 などの思想の探求が尽きて」でもよいかも。テキストでも、(盡・尽)と(畫・画)の2通りあり。
*断腸:① はらわたを断ち切ること。また、はらわたがちぎれるほどの悲しさ、つらさなどをいう。
 ② はなはだしく興趣のあること。また、哄笑するほどおもしろいこと。
*南陽慧忠(なんよう えちゅう、675-775唐代の禅僧。諡は大証禅師。
(´・(ェ)・`)つ

118 避難民のマジレスさん :2020/11/28(土) 15:17:40 ID:W0SWfBm20
くま訳、全面改
清水の中にいる時は、元気がよさそうに見えるのだ
死中に生があるとはと、人は怪しむのである。
天の池に住む龍ような洞察眼をもつ僧は飛翔に備える。
暗雲立ちこめる大徳寺、住持を引受けたたのも、慈悲である。
(´・(ェ)・`)b

119 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/28(土) 22:50:17 ID:1d4drIFg0
>>117 情と識が尽きたのであるから三昧が起こったのじゃな。
 香厳の書か何かを見て情識が尽きたのじゃ。
 名僧の亀鑑は真に正しいのじゃ。
 南陽境で父母未生の仏を見たのじゃ。
 墓場で夜雨がっていても爽快なのじゃ。

120 避難民のマジレスさん :2020/11/29(日) 17:16:40 ID:e5flW1XM0
234
香嚴擊竹 2/3
携來苕帚動風塵 ぜうしう(じょうしゅう)携え来って風塵を動かす
看看聞聲悟道新 看よ看よ聞しゃう悟道新たなり
半夜千竿脩竹雨 半夜千かん修竹の雨
南陽塔下弄精神 南陽塔下精神を弄す

くま訳
ほうきで、砂ぼこりを巻き上げる。
看よ、音を聞いて悟り、新たになったのだ。
深夜、高い背丈の千竿の林竹に降る雨
南陽慧忠の墓塔の下で心をもてあおぶ。

*脩竹:修竹:長く伸びた竹
*風塵:1 風で舞い立つちり。きわめて軽いもののたとえにもいう。2 わずらわしい俗世間。また、こま
ごました雑事。
*半夜:子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二支で表した。子(ね)の刻は、午前0時 
 を中心とする2時間、前日の午後11時から当日の午前1時までを指す。(一つの刻を、30分刻みで四等 
 分して、たとえば、丑一つ(丑1刻)は、午前1時から午前1時30分までの間)
(´・(ェ)・`)つ

121 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/11/29(日) 23:41:09 ID:1d4drIFg0
掃除をしていたのじゃ。
今ここで風の音を聞いたりしていると悟道はいよいよ新たに見られるのじゃ。
塔の下で竹林にふる雨の音もありのままの精神を曝け出すのじゃ。

122 避難民のマジレスさん :2020/11/30(月) 21:53:09 ID:GB63TOaY0
235
香厳撃竹 3/3
久響香厳一撃聲 久しく響くきゃうげんいっきゃくの声
可憐悟道発佳名 憐れむべし悟道佳名を発するお
蕭蕭逆耳竹扉雨 しょうしょうとして耳に逆らふ竹ひの雨
滴盡南陽塔下情 滴じんす南陽塔下の情

くま訳 
久しく鳴り響く香厳一撃の音
微笑ましいのである、悟りを開いたという名声が聞えることは
しかし、竹扉をうつ雨の音は、もの寂しくて耳障りなのである。
雨降り終り、なおつづく南陽慧忠の墓塔の下の感動である。

*可憐: いじらしく、かわいらしいこと。姿がやさしく美しいこと。愛らしいさま。
*佳名:名声・蔭木英雄先生によると、「佳名」は、好ましい名声として使われ、それに対する言  
 葉として、「蠚苴」(らそ・放胆。荒々しい。351、132の詩参)が使われている。
*蕭蕭(ショウショウ):1 もの寂しく感じられるさま。2 雨や風の音などがもの寂しいさま。
*逆耳: 耳障りである,耳に痛い.
(´・(ェ)・`)つ

123 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/01(火) 21:35:21 ID:1d4drIFg0
同じような詩が続くのじゃ。
やはり声の響きで悟ったというのじゃ。
悟道は良い名で発するというのじゃ。
雨の音が耳障りなのじゃ。
しずくが墓にも垂れるのじゃ。

124 避難民のマジレスさん :2020/12/02(水) 19:05:53 ID:5u0Gq2zM0
236    1/2
小欲知足 二首
千口不多富貴愁 千口も多からず富貴の愁
家貧甚苦一身稠 家貧しうして甚だ苦しむ一身もおおしと
涓水鯉魚斗水望 けん水のり魚斗水の望
明朝臘扇廣河流  明朝らう扇広河の流れ

くま訳
千人いても足りないこともあるのが、富貴の愁であり、
家貧しければ、一人でもはなはだ苦しむのである。
今、水溜りにいる鯉は一斗樽の水を望むのである。
明日の朝の広い川は役にたたないのである。

*涓:(みず・さんずい・したみず)涓水(けんすい)①水のしずく。②小さい流れ。 ③わずか。すこし。
 ④はらい清める。
*斗:①ます。とます。ひしゃく。また、ますやひしゃくの形をしたもの。「科斗」 ②尺貫法の容量の単 
 位。一升の一〇倍。約一八(リットル)。③星座の名。天の南と北にある星座「南斗」「北斗」のこと。
*臘扇(ろうぜん):冬のおうぎつまり、役に立たないもの、無用なものという意味"
(´・(ェ)・`)つ

125 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/02(水) 21:42:24 ID:1d4drIFg0
金が有り余っていれば客が千人でも足りないと愁えるのじゃ。
家が貧しいと一人でも多いと苦しむのじゃ。
僅かな水に住む鯉は一斗の水でも欲しがるのじゃ。
黄河の水も不要なのじゃ。
自らの必要に応じて足るを知れということじゃな。

126 避難民のマジレスさん :2020/12/03(木) 19:39:49 ID:hh98Jcm20
237    2/2
小欲知足 二首
果満羅漢有三毒 果満の羅漢も三毒有り
純一願小欲知足 純一に小欲知足を願ふ
無衣貧病得相治 無えの貧病あいおさむるを得たり
山堂一夜聞促織  山堂一夜促織を聞く

くま訳
修行の効により、果として阿羅漢になった者にも、貪・瞋・癡の三毒はあるのである。
一休、嘘偽り無く、小欲知足を願っているのである。
着るものも無い貧しさが、病を治し、病が治まったから貧しさから脱することも出来たのだ。・・断食療法
でありましょうか?
山堂で一夜、こおろぎの鳴き声を聞く。

一休さん、もしかして、こおろぎを食してたのでありましょうか?
*果満:修行の功により「果」としての悟りが完成すること。
*三毒:克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、貪・瞋・癡(とん・じん・ち)人間の諸悪・苦 
 しみの根源とされている。(むさぼり・怒り・愚痴(おろかさ))
*純一:まじりけがないこと。飾りけや、うそ偽りがないこと。また、そのさま。純一将軍・一休さん
*薬病相治(薬病相(やくへいあいじす):薬は病気を治すために用いるが、病気が治ると薬は不要になる。
*促織(そくしょく):こおろぎ(蟋蟀)中国では闘こおろぎ等の為、ペットとして盛んに飼育されたが、 
 東南アジアでは食用や民間療法の薬として、売られている。アメリカではコオロギの粉末を原料としたプ 
 ロテイン・バーを開発・販売し日本では徳島大学発スタートアップ企業で参入を計画している。養殖コオ 
 ロギから醤油もできるらしい。
(´・(ェ)・`)つ

127 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/03(木) 22:13:10 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。
断食かもしれん。
こおろぎは食べていないじゃろう。
声を聞いただけなのじゃ。

128 避難民のマジレスさん :2020/12/04(金) 18:50:44 ID:1GQG89x.0
反権力クレーマーの一休さん
238
剪妙勝寺竹木  妙勝寺の竹木を切る
在官忘却不容針 官に在って忘却す針を容れざることを
妙勝封疆剪樹林 妙勝の封きゃう樹林を切る
立破商君胡亂法 立ちどころに商君うろんの法を破る
去來没跡一身吟 去來あとなし一身の吟

くま訳
妙勝寺の竹木をきる
官職にある者は、公の事をなすにあたっては、峻厳でなければいけない事を忘れているのである。
妙勝寺の敷地の境界の樹林を切れと言われたのである。
たちどころに、論破したのである。商君書のような強権的で根拠曖昧な相手の主張を。
過去の慣例を引き合いに出すなど未熟ものである。我が主張を通したのである。

うむ。一休さんに木を切れと言ったお役人さんは、かなり凹まされたでありましょう。

*妙勝寺:1288-1293年に南浦紹明が開いた妙勝寺が前身。1331-1334年に兵火にあって衰退していたのを、
 1456年に一休宗純が草庵を結んで中興し、宗祖の遺風を慕い師恩に酬いる意味で酬恩庵と号した。その
 後、一休は1481年12月12日、88歳で亡くなるまでをここで過ごした。
*官不容針私通車馬:官には針をも容れず、私には、車馬をも通ず。曹山と鏡清との問答の中で曹山が語っ 
 た言葉。公けには針をも通さないほど峻厳でも、裏口からは馬車をも通すほどツーカーであるということ。
 建前と本音とは大きく異なっていること。(龍泉院HP解説抜粋)
*封境・封疆(ほうきょう):領土のさかい。国境。
*立破(リュウハ・りっぱ):因明(いんみょう)で、論議の際の主張と、それに対する反論のこと。また、 
 自分の主張を立てて、他人の非説を破ること。りっぱ。
*商君書(しょうくんしょ):戦国時代の政治家で,法家の祖の一人,商鞅 (しょうおう) の著・土地の開 
 墾と戦功をあげることを国策の主眼とし,労働力増加のため貴族の特権を抑制し,分家を奨励し,耕作者 
 に耕地を解放し,諸子遊説の策謀を禁じ,学問,文学を排し,商業を押え,また厳罰主義をとり,隣保の
 連座制をしき,税制,度量衡の統一を説き,酷薄な国家統治の典型を示している。
*胡乱(ウロン):1 正体の怪しく疑わしいこと。また、そのさま。2 確かでないこと。真実かどうか疑 
 わしいこと。また、そのさま。
*没從跡(もっしょうせき):自分の跡を消す。修行の跡が見えるのは未熟者。努力の跡など見せるもので 
 はない。
(´・(ェ)・`)つ

129 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/04(金) 21:50:14 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。
本来切ってはいけない筈の寺の竹とか木を切りに来たのじゃな。
論破して立ち去らせたのじゃ。
乱世になって役人も法を破って儲けようとしたのじゃろう。
おかしなことじゃ。

130 避難民のマジレスさん :2020/12/05(土) 10:24:43 ID:en9FgLnA0
239
一休贋詩作家説(83の詩 参)
偶作  1/3
患是衆生良薬訣 患は是れ衆生良薬のけつ
祖病當機臨済渇 祖病機に当たる臨済の渇
吟臺暮雲茂陵吟 吟台の暮雲も陵の吟
五十年来相如渇 五十年来相如が渇

くま訳
病こそが衆生にとって良薬というのが、奥義である。
祖師の病とは、相手の能力素質に応じて導くこものである。その一つが臨済の渇である。
黄昏時の吟台、古代司馬相如が茂陵で吟じたのだ。
五十年来相如のような艶詩を吟じてきたのだ。これが狂雲の渇愛(病)なのだ。

*患(カン・わずらう ゲン・うれえる)1.病気。わずらう。2.心を苦しめなやます。苦しみ。なやみ。う
 れえる。
*訣(ケツ):1 きっぱりと別れを告げる。2 簡潔に言い切った秘伝の文句。奥義
*当機(とうき):相手の能力素質に応じた導き方をすること。
*司馬相如:[前179〜前117]漢代を代表する賦の第一人者で、富豪の娘卓文君との駆け落ちは有名。
*渇愛(かつあい):十二因縁の一つで、対象のものごとを貪ったり、執着することを指す。仏教においては
中核的概念のひとつ、身体・精神的な「渇き、欲望、渇望、貪欲」を指している。愛(あい)とも訳される.
(´・(ェ)・`)つ

131 避難民のマジレスさん :2020/12/05(土) 10:30:54 ID:en9FgLnA0
おまけ: 碧巌録 第八十七則 雲門薬病相冶 (禅者の一語 (isuzen)先生訳・解説 )
*垂示に云く、明眼の漢は窠臼(かきゅう)を没す。
 ある時は孤峰頂上に草漫漫(くさまんまん)。
 ある時は閙市裏頭(どうしりとう)に赤灑灑(しゃくしゃしゃ)。
 忽(たちま)ち もし忿怒(ふんど)せば、
 那吒(なた)のごとく三頭六臂(さんとうろっぴ)を現ぜん。
 忽ちもし日面(にちめん)月面(がちめん)ならば、
 普攝(ふしょう)の慈光(じこう)を放ち、
 一塵において一切身(いっさいしん)を現じ、
 随類の人となって、和泥合水(わでいごうすい)せん。
 忽ち もし向上の竅(きょう)を撥着せば、
 佛眼(ぶつげん)もまた覷不着(そふちゃく)ならん。
 設使(たとい)、千聖出頭(せんせい しゅっとう)し来たるも、
 また倒退(とうたい)三千里なるべし。
 また同得同證(どうとくどうしょう)の者ありや。試みに挙す看よ。

isuzen先生訳・解説
【垂示】圓悟が座下の求道者たちに垂示した。
 禅者は、何を言い、何を行っても、すべて禅にかなう=「禅による生活」をしている・・のだから、ある 
 時は、達磨の九年間の面壁・・のごとき気高いこともあるし、ある時は、繁華街のうるさい処で、商売繁 
 盛を願って、赤裸々に「大安売り」を声高に宣伝して振舞っていることもある。
 また、時には、インド、毘沙門天の息子、無双の力自慢、那吒(なた)太子のように、暴れて手が付けられ
ないこともある。また、ある時には、日面(にちめん)、月面佛(がちめんぶ 
 つ・・
 日夜、絶え間なく)となって、臨機応変(りんきおうへん)、泥まみれで衆生済度していることもある。
 さらには、忽然(こつぜん)として、廓然無聖(かくねん むしょう)の向上心を現わした、釈尊や、道を究 
 めた禅者達・・窺い知れない三千里も遠離(おんり)した所から超人的活動をなす場合もある。
 サア・ここに、そのような禅者に共鳴できる者がいるか、どうか。
 試みに挙す看よ。

*擧す。雲門、示衆して云く・・
 「薬病相治(やくびょうそうち)。盡大地(じんだいち)これ薬。
 那箇(なこ)か これ自己なるぞ」 

isuzen先生訳・解説
【本則】ある日、雲門文偃が、座下の求道者に・・
 「皆は、常識とか既定の約束とかに囚われて、迎合することに意義があると思い込んでいる。
 例えば、薬は病気を治すと決めているが、実は、病気が薬を治すのである。
 宇宙の森羅万象は、すべてこれ、薬そのもの。病は、この薬の悪用に他ならない。
 病気とは、人が薬を悪用する仕業なのだ。お前たちは今、宇宙の妙用に参画して、薬の役になっ 
 ているか・・それとも、病の役を努めているか・・どっちなのだ。答えて見よ」と迫った。

*盡大地(じんだいち)はこれ薬なるに、
 古今(ここん)、何としてか、はなはだ錯(あや)まれるや
 門を閉じて車を造(つく)らざれ。
 通途(つうと)は自(おの)ずから寥廓(りょうかく)なればなり。
 錯(あや)まれり。錯まれり。
 鼻孔(びくう)は遼天(りょうてん)なるも、また穿却(せんきゃく)せられん。

isuzen先生訳・解説
【頌】雲門は、宇宙すべての作用は、これ薬であると喝破(かっぱ)した(ソレ・・見抜いたぞ)
 これを、利得第一主義で生きている古今東西の欲深(よくふか猿=人間)は、自己中心的に考えて、軽率 
 な結論を出してしまう。
 (オイオイ・・そりゃ大変な間違い。大間違いだぞ)
 この間違いのもとは、常識とやらの世間体に拘泥するからだ。昔、中国の道幅は、車の轍(わだち)、両輪
 の幅まで杓子定規に策定されていたという。
 今どきの世間でいえば、どいつも規格(マニュアル化)されてしまった人間と、氾濫するスマホ文化に毒 
 された社会を言う。
 これを「禅者」に当てはめると「禅による生活」の大道は、寥廓(寥々廓々りょうりょうかくかく)実に 
 広大無辺なものである。
 道幅も、規制や規格サイズもあつたものではない。古今の人々は、自分の鼻は、天まで高いと思いこんで 
 いるが、雲門に自慢の鼻をひねられて半泣き顔になったのは・・どこのどいつだ。
(´・(ェ)・`)つ

132 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/05(土) 21:59:34 ID:1d4drIFg0
衆生が患うのは実は悟りに導く薬だというのじゃ。
祖師達も病に当たって臨済の喝に入ったのじゃ。
それが今も昔も変らぬ真実なのじゃ。
五十年来変らぬ喝なのじゃ。

133 避難民のマジレスさん :2020/12/06(日) 13:13:11 ID:ephB6SPw0
くま訳訂正
渇 → 喝

240
偶作   2/3
我唯有一息出入 我唯だ一息出入有り
日面月面志左右 日面ぐわち面左右を忘ず
釋迦老師大覺尊 釋迦老師大覺尊
祖病治得用牛乳 祖病のぢとく牛乳を用ふ 

くま訳
私はただ、一息一息が有るのみである。
千八百年生きようが、一日生きようが、志次第である。
釋迦や老師や大学尊も同じである。
祖病に徳があるのは、命がけで瞑想し、スジャータの乳粥を食してい悟りをひらいた釈迦のお陰なのだ。

* 日面仏、月面仏:おまけ 参
* スジャータの乳粥供養:は、釈迦が悟る直前に乳がゆを供養し命を救ったという娘である(乳粥供養)。
 釈迦の苦行放棄のきっかけとなった

おまけ:『碧巌録』第三則( 細川景一先生訳・解説)
 馬大師不安。院主問う、「和尚、近日尊候如何」。大師云く、「日面仏、月面仏」。
 「馬大師」とは、禅宗第八祖馬祖道一禅師(唐代の代表的禅僧。709〜788)のことです。「不安」 
 とは、病気になること、「院主」とは、寺務を主宰する役です。
 馬祖道一禅師が、あるとき病気になられます。病勢いよいよ悪化して、余命いくばくもないとき、寺の執 
 事があたふたと見舞いにかけつけます。「和尚、ご機嫌いかがですか」という問いに対して、馬祖は答え 
 ます。「日面仏、月面仏」と。
 「日面仏」とは、賢却千仏(現世において出世される千人の仏さまたち)の第五十八仏で、千八百歳とい 
 う寿命の長い仏さんです。「月面仏」とは、“がちめんぶつ”と読み、賢却千仏の第二百二仏に当たり、 
 一日一夜という寿命の短い仏さまです。
 馬祖は千八百歳まで生きる仏さまもあれば、一日一夜の仏さまもあるではないか、病気など気にするな、 
 「生きるもよし、死ぬるもよし」と、泰然自若として言いきったのです。
 病む時は、病むがよろしく候
 死ぬ時は、死ぬがよろしく候 (良寛和尚)
(´・(ェ)・`)つ

134 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/06(日) 21:54:59 ID:1d4drIFg0
もはや自我は無く一息一息の出入りがあるのみというのじゃ。
完全にサマーディに入っているのじゃ。
日月も左右も無いのじゃ。
お釈迦様も牛乳を用いて病を治したというのじゃ。

135 避難民のマジレスさん :2020/12/06(日) 22:27:40 ID:hslAgoC60
いつもありがとうであります。
釈迦が牛乳で病気を治したと言う話しは、どの経典にのってるのでありましょうか。
(´・(ェ)・`)b

136 避難民のマジレスさん :2020/12/07(月) 17:51:48 ID:Q/57jf6g0
くま訳改 
第2句、日月も左右もないのである。
第3句、釈迦も老師も大学尊も、
第 4句、牛乳を飲んで病、、治したのである。
(´・(ェ)・`)b

137 避難民のマジレスさん :2020/12/07(月) 18:50:01 ID:ZaLEVu0w0
241
偶作  3/3
室内閑吟一盞燈 室内の閑吟一さんの燈
自然無道箇詩僧 じねんに道無しこの一僧
愁人春興猶寒夜 愁人春興猶ほ寒夜
袖裡花牋梅蕚氷  愁人春興猶ほ寒夜

くま訳
室内で静かに詩歌を吟じる一燈の下
真理を説く道などなく、独り詩を詠む
風流人、春の興趣を詠う、まだ寒い夜である。
袖のなかに詩を書く為の美しい紙を持つ、梅のがくに氷つくような寒い夜である。

*閑吟:しずかに詩歌をくちずさむこと。
*盏(盞)(さん):1 小さな杯.2量詞 灯火・明かりの数を数える.一盞燈:おまけ 参
*自然(じねん):(1) おのずから,ひとりでに,(2) 事物の本性,仏教の真理,(3) 自然発生的な存在,
(4) 特別な原因がなく万物は自然に生成変化する (無因論) ,といったいろいろな意味に用いられる。
*愁人:① 悲しい心を抱いている人。なやみのある人。② もののあわれを解する人。風流人。詩人。文人。
*花箋・華箋(かせん):① (「箋」は料紙、手紙用の紙の意) 先方の手紙を敬っていう語。すぐれた書簡。
 ② 美しい料紙。花牋。
*萼(うてな):「花の台(うてな)」の意か〕花の萼(がく)花の最も外側に生じる器官。数個の萼片か 
 ら成り、多くは緑色。タンポポの冠毛は萼が変形したもの。 → 花被(かひ)"

おまけ:『碧巌録』第十七則【評唱】
 「後来、僧問う、如何なるか是れ室内一盞の灯。林云く、三人、亀を証して鼈と成す。又た問う、如何な 
 るか是れ衲衣下の事。林云く、臘月、火、山を焼くと。」
 後になって、ある僧が香林に尋ねた。
 「如何なるか是れ室内一盞の灯――部屋の中の一皿の灯明、これは何ですか」
  お互いの心の中の灯し火、お互いの生きておる命、これはいったい何ですか、と。すると香林が答えて、 
「三人、亀を証して鼈と成す――三人が皆な亀を呼んでスッポンだと言う」
  いろいろな人が説明するが皆ウソだ、説明してしまったら、亀がスッポンになってしまうゾ、と。説明 
  のできん生きておる命が、室内一盞の灯でなければならん。
  またある僧が問うた。
 「如何なるか是れ衲衣下の事――雲水の修行中の心得はいかがでございますか」
  それに香林が答えて、
  「臘月、火、山を焼く――暮れになると百姓が山に火をつけて草焼きをする」
  山を焼くことによって、来年の春、新しい立派な芽が出て来る。暮れに山を焼いておけば、来年の春、 
  素晴らしいワラビが採れるということだ。雲水をしておる間は、百姓が冬の山を焼くようにしっかりと
  苦労をして、煩悩妄想焼き尽くせ。雲水中に利口ぶったやつは駄目だ、馬鹿になって何もかも真箇焼き
  尽くした時に、将来、立派なワラビが生えて来て、皆がその山へ集まって来るのである。雲水中に功徳
  を積んでおかんと、将来、法は栄えんということだ。陰徳を積んでおかんといかん。
(´・(ェ)・`)つ

138 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/07(月) 20:59:53 ID:1d4drIFg0
>>135 スジャーターに乳粥をもらった時なのじゃ。
 苦行に囚われる病が治ったのじゃ。
 治らなければそのまま死ぬところだったのじゃ。

139 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/07(月) 21:06:43 ID:1d4drIFg0
部屋の中で明かりをつけて詩を詠むのじゃ。
自ずから道なき道を行く詩僧なのじゃ。
愁人には春でもなお夜は寒いのじゃ。
袖の中の花牋は氷った海蕚のようじゃ。

140 避難民のマジレスさん :2020/12/07(月) 21:42:00 ID:9WeB0o4g0
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)b

141 避難民のマジレスさん :2020/12/08(火) 18:48:50 ID:ZQVqKKDE0
242    1/4
大慧武庫曰 有俗士投演出家   大慧武庫にいはく、「俗士有り、演を投じて出家し、
自曰捨縁 演曰 何請捨縁    自ら捨縁といふ。演いはく『何をか捨縁といふ』
士曰 有妻子捨之 請之捨縁   士いはく、『妻子有り之を捨つ、 之を捨縁といふ。』
演曰 我也有箇老婆還信否    演いはく、『我もまたこの老婆有り、還って信ずるや否や』
士黙然 演乃頌曰 我有箇老婆  士黙ぜんたり、演すなわちじゅしていはく、『我にこの老婆有り、
出世無人見 晝夜共一處     出世して人の見る無し、昼夜共に一処 
自然有方便 云云 余亦作頌記之 じねんに方便有り』うんぬん。」  余もまたじゅを作り之を記す。
     1/4
愛孫愛子對妻歌 そんを愛し子を愛し妻に対して歌う
滅却魔宮猶入魔 魔宮を滅却して猶ほ魔に入る、
貪着風流年少境 風流年少の境似貪着して
自然無一點漚和 じねんに一点のおうわなし

くま訳
大慧禅師が弟子に語った、こんな話がある。「見識の無い弟子入り希望者が、演禅師に身を捧げて出家し、
自ら捨縁して来ましたと言った。演禅師が尋ねた『何を捨縁と言うのかね』 
士が答えて言った、『妻子が有りましたが、捨てました』
演禅師が言った。「わしにも老いた母が有る。信じるかね』
士黙りこんでしまった。演禅師は詩文にして言った、『我に有一人の老婆有り、
わしが出家したので世話するもの無し、それで昼夜一緒に住んでいる、
人の本性として、自ずとなるべくしてなるための方便は有るのだ。云云 これを読んで、わしもまた、詩文
を作り示すのである。
         
孫子を愛し、妻に向かって歌う、
欲の魔宮は滅却したつもりだったが、なおもまた魔に魅入られているのである、
貪り執着しているのである風流な少女に、そんな境涯である。
自然にしていては、全く漚和(問題解決の方法)は機能しないのである。

*大慧宗杲1089-1163宋代の臨済宗の僧。諡は普覚禅師。仏日大師。
 真の禅法をめぐって曹洞宗に属した宏智正覚と、真の禅法をめぐって激しく対立した。宗杲は、公案を用
 いることによって言語による思考に大きな疑問を抱えつつ坐禅し、その疑問を打ち破ることにより悟りへ 
 と向かうという、臨済宗の禅法を正しいものと認めた。対立する正覚は、悟りという目標を設定すること 
 によって無明と悟りという二元論的構造が生じることを避けるために、坐禅すること自体が坐禅の目的で 
 あるような自己完結的な禅法の中で本来具有している仏性が顕れるとしたので、宗杲はこれを「黙照禅」
 と呼んで批判した。" "大慧武庫:宋朝禅林の逸話を集める。大慧が弟子たちに語ったもの
*俗士:世間並みの人。また、見識のないつまらない人。俗人。
*頌(しょう・すしょう・する・じゅ・ず)文体の一種。もと『詩経』の作品を風,雅,頌の3体に分けた
 一つで,周の宗廟の祭祀にあたって奏され,先祖の功徳をたたえる韻文であったが,のち一般に人や物事 
 をほめる内容の文章の一体をさすことになり,散文でも韻文でもつくられるようになった。
*自然:人為を離れて、法の本性としてそうなること。
*漚和:截流機指斷滅煩惱而得解脫;即以各種方便法而求絕對之解脫。Waheはサンスクリット語のupāya 
 (便宜)の音訳であり、閉鎖マシンとは、トラブルを解消して救済を得る、つまり、さまざまな便利な方
 法で絶対的な救済を求めることを意味する。
 18の詩 https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/567-n >>638 参
(´・(ェ)・`)つ

142 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/08(火) 21:57:19 ID:1d4drIFg0
孫を愛し、子を愛し、妻に対し詠うのじゃ。
それは魔を滅却してまた魔に入るようなものじゃ。
風流にも貪り執着するのは子供の境地なのじゃ。
そうなれば自然に苦に陥って何も出来なくなるのじゃ。

143 避難民のマジレスさん :2020/12/09(水) 17:50:21 ID:PfnRtg620
くま訳改
第3句、風流を貪り執着するのは子供の境地である。
第 4句、そんなことでは、苦に陥って何も解決しないのである。
(´・(ェ)・`)b

144 避難民のマジレスさん :2020/12/09(水) 18:52:18 ID:Nev.XIZs0
243    2/4
有僧眼白在妻青 僧にありてはまなこ白く妻に有っては青し
對客唯言我薄情 かくに対して唯だ言ふ我れ薄情と
花前酌盡一樽酒 か前にくみ尽くす一そんの酒
半醉夜深猶半醒 半酔夜ふけて猶ほ半醒

くま訳
僧に対しては、視線をそらして相手にせず、妻とはしっかり向き合う、
客にはただ。わしは薄情なのだと言う、
花見酒で、一樽飲み干した
半酔ので更けたが、まだ、しっかりしてるんじゃい。

*おまけ:青眼白眼:晋書・巻四十九・阮籍伝
 籍又能為青白眼、 籍、又 能く青白眼を為し、
 見禮俗之士、   禮俗の士に見(まみ)ゆるに、 
 以白眼對之。   白眼を以に對す。
 
 紀 頌之先生訳・解
 阮籍は、青(黒)目と白目を使い分ける事ができ、
 礼儀作法にとらわれている俗人と会う時には、
 白目をむいて向かい合った。
 白眼とは、視線をそらす、ということ
 
 まともに目をあわせると、黒目がしっかりと見える。これが青眼で、顔はむけけてても視線をそらせると
,4相手に自分の白目を多くみせることになる。これが白眼である。視線をそらすとか相手の目をちゃんと
みないというのは、不誠実のあらわれ
 つまり、阮籍は世俗人には実に自由奔放に、気の無い冷たい態度で接するということで自分の意思を示し 
 たのである。
(´・(ェ)・`)つ

145 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/09(水) 21:49:20 ID:1d4drIFg0
もはや僧には白目で逢い、妻には愛想が善いというのじゃ。
それを聞いた客はわしが薄情というのじゃ。
花を前に。一樽の酒を飲む干すのじゃ。
半分酔って夜更けてまだ半醒なのじゃ。

146 避難民のマジレスさん :2020/12/10(木) 18:35:12 ID:bIDx.y1I0
一休さん、泥酔しているようであります。
244    3/4
醉郷藁屋我家山 酔郷かう屋我がか山
燭影三更對玉顔 燭影三更玉顔の対す
夜雨無愁歌吹海 夜雨愁無し歌すい海
姮娥須是堕人間 ごうがは須らく是れ人間に堕すべし

くま訳
酔ってご機嫌なら、わらぶき屋根の我山の家も別天地である。
燭台に照らされ、深夜、美人の顔を見ている。
夜雨も愁い無いのが、遊里なのだ。
不死の薬を盗んで月に逃げ、ヒキガエルになった美人の仙女よ、人間界に皆戻って来い。

*酔郷:王績「酔郷記」酒を飲んだときの心地よい気分を別天地にたとえた語。
*藁屋(ワラヤ、・こうや):わら屋根の家。また、粗末な家。長男ブーの家
*三更:五更の第三。およそ現在の午後11時または午前零時からの2時間をいう。子 (ね) の刻。丙夜  
 (へいや) 。
*歌吹海(カスイカイ):歌舞または遊興の盛んな場所。遊里。
*姮娥(コウガ・ごうが):西王母の仙薬を盗んで月へ逃げたという「淮南子(えなんじ)」覧冥訓に見える
 女の名から》月の異称。嫦娥(じょうが)。蟾蜍(ヒキガエル)[1]になったと伝えられる(嫦娥奔月)。
(´・(ェ)・`)つ

147 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/10(木) 21:48:11 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
今のキャバクラみたいなところに行ったのじゃな。
美人と飲んでこれは月に行った嫦娥が人間界に落ちてきたのかというのじゃ。
楽しいようじゃ。

148 避難民のマジレスさん :2020/12/11(金) 19:46:35 ID:J6INucMs0
245   4/4
観法看経眞作家 観法看きん眞の作家
黄衣棒喝木床斜 黄え棒喝もく床斜なり
蠚苴元是我家業 らそ元これ我が家の業
女色多情加勇也 女色多情加男色を加ふ

くま訳
瞑想実践、経の黙読を行うのが真の禅僧である。
黄衣をまとい、棒喝を駆使する。禅堂の床は斜めでもよいのだ、
荒々しいのは、禅宗の業である。
女色、多情、に男色まで加わてしまった。・・・

*観法(かんぽう):真理と現象を心のなかで観察し念じる瞑想の実践修行法のこと。
*看経(かんきん):。経典を黙読すること
*蠚苴(らそ):放胆。荒々しい。171 235の詩参

うむ。この四連で何を言いたかったかと云うと、我が欲情を解決してくれる漚和(オウワ)などという、万
能な解決法などはなく、わしは相変わらず魔に魅入られたままであるが、ありのまの自分を観ることが、悟
りの境地につながるのだ・・・と、いう様なことでありまあようか?
(´・(ェ)・`)つ

149 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/11(金) 23:07:23 ID:1d4drIFg0
女色多情にも勇を加えるじゃな。
勇気を出して厭離するというような意味じゃな。
それで全体の意味が通じるのじゃ。

150 避難民のマジレスさん :2020/12/12(土) 10:28:01 ID:yBAO6tJo0
原文は↓②③を参考にして、読み下し文は①を参考にしてるのであります。
ここは、鬼和尚解説の通り解釈しないと、意味が通じないでありますね。
①國譯禪學大成(二松堂書店・昭和5年)・・・男色
②狂雲集(寛永壬午孟春吉旦 西村又左衛門新刊)・・・勇色 
③狂雲集(民友社・明治42年)・・・勇也    

くま訳改
第4句、女色多情にも勇気を出して厭離するのだ。

246
相國寺沙喝騒動 相國寺しゃかつ騒動
元來長久萬年山 元來長久萬年ざん
葉戦松杉風外聞 葉そよぐ松さん風外の間
済北蔭涼宗風滅 済北の陰涼宗風滅す
白拈手段活機関 びゃくねん手段活機関

くま訳
相國寺沙喝(禅寺の給仕係の少年)騒動・・・何か世間を騒がせた騒動があったのでありましょうか?
元來、長寿の御利益があるといわれれ、萬年山と号す。
葉がそよぐ松杉、街の喧騒から離れたところにあるのだ。
済北庵の虎関禅師の宗風は滅してしまった。
白昼堂々、気づかれぬうちに、虎関禅師は禅師の活策略を発揮していたのだ。

*相國寺:臨済宗相国寺派の大本山。山号は万年山。開創は1383年、開基は足利義満、師の夢窓疎石が第1 
 世。京都五山の第二位。
*沙喝(しゃかつ)沙弥喝食(しゃみかつしき)の略:禅宗の寺院で、食事の時に食物の名を唱え、給仕を
 する少年。沙喝(しやかつ)。喝食(かつしき)。
*済北:虎関の庵の名称。『済北集』とは、虎関師錬が著したもので全20巻からなる。五山文学(鎌倉時
 代末期から室町時代にかけて禅宗寺院で行われた漢文学)の一つ。
*虎関師錬(こかんしれん1278-1346)諡号 本覚国師、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての臨済宗の僧。
 漢詩・漢文に優れ、五山文学の代表者の一人である。白河済北庵で『元亨釈書』を著した。
*陰涼(いんりょう): 物陰になっていて涼しいこと。
*白拈賊:碧眼録に雪峰禅師が、臨済禅師を「大いに白拈賊に似たり」と評するくだりあり。白昼に堂々と 
 仕事をする盗賊のこと。昼間でも人目につくことなく巧みに盗みをはたらくほど機敏な者、つまり相対し 
 ているヒトが気づかないうちにスッと迷いや煩悩を吸い取ってくれる導師だと評している
*活作略:作略は師家が弟子を導くために用いる方法は、手段のこと。いきいきとした適切な手段。
(´・(ェ)・`)つ

151 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/12(土) 23:48:38 ID:1d4drIFg0
小坊主が騒がしかったのじゃな。
今も昔も子供は騒がしいものじゃ。
むしろ活気があると言えるのじゃ。
活気の有る善い寺というのじゃな。

152 避難民のマジレスさん :2020/12/13(日) 13:56:13 ID:YjUB.3ns0
ふむふむ。
小坊主が騒がしい→活気の有る善い寺と、読み解けばよいのでありますね。

247
題白樂天像   白楽天の肖像画と題して    
勲業名高白樂天 勲業名高し白樂天
自然流樂絶塵縁 自ねん流樂してじん縁を絶す 叢林こころざしを失す山林のともがら
叢林失志山林輩 叢林こころざしを失す山林のともがら
莫訝雙林寺裡禪 訝るなかれ双林寺りの禪

くま訳
詩の功績を以て名高い白楽天
自然の流れを楽しみ、俗世間から離れる。
禅宗五山叢林派の寺院は志を失ってしまい、山林派と同類になってしまった。
不審に思ってはいけない、公案禅を取り入れた曹洞宗の双林寺における禅を。

*勲業:国家や君主に尽くす働き、仕事。功業。絶塵(読み)ゼツジン
*絶塵:1 俗世間から離れること。絶俗。
*叢林:禅林:禅宗寺院のこと。中世以後の五山制度及びそれに所属していた寺院を一括した総称としても 
 用いられている。
*山林派・林下(りんげ、りんか]);中世以降の臨済宗を中心とする禅寺のうち、在野の寺院を指す呼称 
 である。京都において五山十刹など幕府の庇護と統制下にあった「禅林」または「叢林」の一派に対し、 
 林下は座禅修行に専心する厳しい禅風を特色としている。代表的な林下の寺院としては臨済宗大応派の大 
 徳寺や妙心寺が挙げられる。
*雙林寺 (群馬県渋川市) 1444年 -1452年)、州正伊が開創した寺 一休さん56歳頃
 ↑、くま調べ通りだとすると、京都から遠く離れた群馬の最新情報であります。一休の會裡徒の中には
 曹洞宗の人もいたそうなので、この一件には一休さんが一枚かんでるのかもしれぬと、愚考し 
 てみたである。
*ところで、白楽天は、どのように関連するのか。
 融通無碍な白楽天の生き様が、禅の存亡にかかわる事態に対して、是々非々で臨もうとする一休さんの心 
 情にマッチしたのかなと、これまた、愚考してみたのである。
(´・(ェ)・`)つ

153 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/13(日) 23:40:39 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
林に掛けたのじゃな。
曹洞宗に負けるなというのじゃな。
洒落なのじゃ。

154 避難民のマジレスさん :2020/12/14(月) 18:37:59 ID:NxgCcdWQ0
一休さんの歴史認識
248    1/2
冬夜螢火 
和州紀宗両國際 和州紀州両國のあひだ
山野充満    山野に充満す 
因禪詩二章   因つて禪詩二章  
以祝之云    以て之を祝すと云ふ
    
螢火争陽智與愚 螢火陽を争ふ智と愚と
衆生定業佛難扶 衆生のぢゃう業佛もたすけ難し
一天星斗皆朝北 一天の星斗皆北に朝す
帝業南方一點無 帝業南方一點も無し

くま訳
冬の夜の螢火(のように、あっというまに消える争乱の火種)が 
朝廷と紀州の国境では、
山野に充満していた。 
因って、禪詩二章を作り 
以って祝いを云うのである
    
螢火が明るさを争う、智と愚と
衆生の前世から定まっている善悪の業報は仏にも救えない。
天空の北斗星は明け方には北空に消え去るのである。正統性の無い北朝は消え去る運命である。
南朝の統治の正当性には一点のくもりもないのである。

*和州:大和国の別称
*紀州:古事記・神武天皇が大和に入る時に紀伊熊野を通った。奈良盆地を地盤とするヤマト王権から知ら
 れた国であった。平安時代後期に熊野三山が成立し、熊野古道が整備され熊野詣が流行った。紀三井寺、 
 空海の高野山金剛峯寺、道成寺、根来寺など大寺大社が紀州の地に建てられた。
 熊野別当家を総帥とする熊野水軍が発達し勢力を伸ばした。源氏方として源平合戦(治承・寿永の乱)に 
 も関与した。
 戦国時代には、ルイス・フロイスが「四つ五つの共和国的な存在があり、いかなる権力者もそれを滅ぼす 
 ことができなかったと述べている通り、雑賀衆に代表される国人衆や寺社勢力が割拠する状態が続いた。
 紀伊の割拠状態は1585年(天正13)の羽柴秀吉による紀州征伐によって終焉した。
*陽:1 易学で、陰に対置されて、積極的、能動的であるとされるもの。2 表から目に見えるところ。う
 わべ。3 日の照らすこと。明るいこと。また、そのような所。
*定業(ジョウゴウ):1 前世から定まっている善悪の業報。2 座禅によって精神を集中し、仏を観ずる 
 こと。
*北斗:「斗」は北斗星など天の南北にある星座の名。星辰(せいしん)。
*帝業:天子が国を統治する事業。
(´・(ェ)・`)つ

155 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/14(月) 22:38:14 ID:1d4drIFg0
智慧者と愚者の違いは蛍の火が太陽と比べられるようなものというのじゃ。
衆生が自ら悪業を作れば仏といえども救えないのじゃ。
全ての者が北朝になり、南朝にいくものは一人もいないのじゃ。
南北朝に喩えて今の世を嘆いているのじゃな。

156 避難民のマジレスさん :2020/12/15(火) 18:13:18 ID:PVzkRgUY0
一休さんの現状認識。智者は歴史から学ぶのでありますね。
249    2/2
満山蛍火諸人看 満山の蛍火諸人看る
凶事南方也太難 凶事南方またはなはだ難
可憐貴賎共自滅 憐れむべし貴賎共に自ら滅するを
廢北秋風冬夜寒 廃北の秋風冬夜寒し

くま訳
南北朝時代においては、福岡県宝満山においても、戦乱の火を人々は見た。
不幸な出来事が南方で起り、なかなか解決しないのである。
貴族も平民も皆ともに自滅したのである。
そして今や、
南朝の重臣北畠親房の子孫が伊勢国司となって南伊勢に勢力を誇り、北伊勢を治める幕府守護と対立してい
たが、終に、1441年、伊勢国守護も兼ね、幕府軍を事実上屈服させたのである。
廃れた現政は秋風が吹き、寒い冬の夜を迎えようとしているのである。

*南北朝時代 1336〜1392 57年間
*南朝または吉野朝廷:南北朝時代に京都以南の大和国の吉野を本拠とした大覚寺統の後醍醐天皇に属する 
 朝廷。叙位や元号の制定など政権としての機能を有した。
*北朝:南北朝時代に、足利氏を頂点に、全国の多くの武士、及び大多数の公家が支持した持明院統の朝廷 
*紀州の南北:室町幕府成立後も、南朝の重臣北畠親房の子孫が伊勢国司となって南伊勢に勢力を誇り、北 
 伊勢を治める幕府守護と対立した。5代国司(伊勢北畠家としては4代)北畠教具の代に幕府と和睦し、 
 伊勢守護も兼ねるようになった。北畠教具:5代。嘉吉元年(1441年)任官。伊勢国守護も兼ねる
*宝満山は大宰府北東。古くからの信仰の山として知られる。『扶桑略記』に延暦22年(803)、最澄が渡 
 海の平安を祈るため、太宰府竈門山寺に薬師仏を造ったとみえる。修験道と結合して英彦山の胎蔵界に対
 し、金剛界の行場として、修験の山となった。筑前の守護武藤少弐氏が山中に城を構築し、南北朝の争乱 
 の舞台ともなった。
*六郷満山:大分県国東半島一帯にある寺院群の総称である。独特の山岳宗教文化が栄えた
*応仁の乱:1467年、一休さん74歳 6月、
(´・(ェ)・`)つ

157 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/15(火) 21:58:26 ID:1d4drIFg0
また戦乱が起ころうとしているのじゃ。
南方から凶事が来るというのじゃ。
帰属も庶民も自滅なのじゃ。
北朝の末も廃されて冬の夜空に寒風がとくのみなのじゃ。

158 避難民のマジレスさん :2020/12/16(水) 20:47:22 ID:CD61wBH20
255
嘲文章  1/2  文章をあざける
人具畜生牛馬愚 人はそなふ畜生牛馬の愚
詩文元地獄工夫 詩文は元地獄の工夫
我慢邪慢情識苦 我慢邪慢情識の苦
可嘆波旬親得途 たんすべし波旬親しく途をうることを

蔭木英雄先生訳・解説
(牛は牛、馬は馬のままで至道無難なのだが)人間というものは(それに気付かず)畜生の牛馬の愚かさを
持っておる  
詩文はもともと地獄行きの工夫なのじゃ
我慢や邪慢の心で(詩を作って)情欲や分別的知識に苦しんで  
悪魔につけこまれるとは嘆かわしい事じゃ

一休にとり詩作は地獄入りの片道切符であり、本来否定さるべきものであった。結句は、『碧巌録』九十七
の、”伎禰既に無ければ、波旬途を失う”(清い透明な心を持っていて、情欲や知識の働きをとめると、悪
魔も誘惑のしようがない)の裏返しなのである。しかも一休は、”狂雲は大徳下の波旬”と、自分を大徳寺
門下の悪魔であると自認している。従って結句は、一休自身が詩魔にほかならず、その自己を嘲りつつ苦し
んでいると解釈出来よう。
中国の詩論書『詩品』の冒頭は、人の感性は外物からの刺激に反応して、そこから詩が生じることを述べる。
室町時代の気が物情を動かし、室町禅林の乱れた景物が一休の歴史的心情を揺り蕩かして、一見、抜舌罪や
不邪淫戒を犯すような罵署の偈や、耽色の詩が生まれたのであった。西脇順三郎が、詩人は詩作することに
よって、自分の脳髄の心理的調整をはかろうとする。あるいはまた心理的体操をやって脳髄の健康と安定を
保とうとする。        
と述べているのは、詩人一休の心情に部分的にあてはまる。

くま訳
人は、畜生牛馬の愚かさを備えてているのである。
地獄の欲界における工夫なのである。  
我に執着して拠り所とし、徳がないのに、あるといって昂ぶる、迷情による心の働きにより苦しむのである。
自分から進んで悪魔に付入る途を与えるとは、嘆かわしいことである。
(´・(ェ)・`)つ

159 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/16(水) 21:37:17 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
人は畜生と同じくらい愚かだというのじゃ。
それが詩文でもっと苦しむというのじゃ。
慢心が起こるからなのじゃ。
魔と共に歩む道なのじゃ。
自省の詩じゃな。

160 避難民のマジレスさん :2020/12/17(木) 20:24:40 ID:B8f1YkOs0
250
蛙       あ
慣釣鯨鯢笑一塲 けいげいを釣るに慣れてわらひ一場 
泥沙碾歩太忙忙 泥沙に歩をきしりてはなはだ忙忙
可憐井底称尊大 あわれむべしせい底に尊大と称す
天下衲僧皆子陽 天下の衲僧皆しやう

カエル
鯨釣りに慣れて、お笑いの一席である。
小者の奴らが、うるさく寄って来て、せわしないのである。
憐れむべきは、井戸の中で我尊しと称していることである。
天下の禅僧は皆、力量無いのに、天下を取ったつもりになり、やがて滅ぼされる運命の子陽のような奴らである。

*鯨鯢(けいげい):「鯨」は雄鯨「鯢」は雌鯨
*一場:①一つの場所。ある場所。②その場限り。わずかの間。③ひとまとまり。一席。
*泥砂・泥沙(でいしゃ):どろとすな。また、価値のないもののたとえ。でいさ
*碾(きしりて・テキスト読み)、ひく/うすでひく/うす/ひきうす/いしうす
 きし・る軋る/轢る/輾る 1 堅い物が強くすれ合って音を立てる。きしむ。2 すれ合わんばかりに近 
 づける。3 かじる。かむ。
*忙忙(セワセワ):せわしくて落ち着かないさま。せかせか。
*子陽:公孫述・前漢・後漢交代期の軍閥の一人。字(あざな)は子陽。蜀郡太守となり、その地の豊かさを
 頼りに自立して、まず、蜀王と称し成都に都を置いた。ついで劉秀(光武帝)が帝位についた年、天子を
 称して成家(成王朝の意)を建てた。10余年にわたり後漢と対抗したが、内政にみるべきものはなくや
 がて、破られて、一族とともに滅亡した。
(´・(ェ)・`)つ

161 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/17(木) 23:01:00 ID:1d4drIFg0
そのような感じじゃな。
戦乱の前から仏教の諸流派はかなりの権力をもっていたのじゃ。
後の一向一揆のように国も左右するほどの権勢だったのじゃ。
そのような僧は笑うべきものというのじゃ。
どんなに尊大に成ってもいずれは滅ぼされる定めというのじゃ。

162 避難民のマジレスさん :2020/12/17(木) 23:02:22 ID:j2hGh5Q20
一つ抜けてしまったのである。

256
嘲文章   2/2
傑作詩文金玉聲 傑作の詩文、金玉の声
言言句句詩人驚 ごんごん句句諸人驚く
閻魔王豈雅頌妙 閻王豈に雅じゅの妙う許さんや
銕棒可恐鬼眼睛  鉄棒恐るべし鬼眼睛

くま訳
傑作の詩文、美しい声
一言一句が詩人の心を揺り動かす
閻魔大王がどうして雅な詩文の妙味を許すことがあろうか
獄卒の鉄棒恐るべし、閻魔様には鋭い洞察眼があるのだ。

*金玉の声(きんぎょくのこえ):美しい声。また、すばらしい辞句。賞賛すべき物事。
(´・(ェ)・`)つ

163 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/18(金) 21:59:03 ID:1d4drIFg0
人々を驚かす美しい詩も閻魔の前には無意味というのじゃ。
悪事をすればどんなに美しい詩歌を作れても地獄行きなのじゃ。
自分のしたことの報いが死後に現われるのじゃ。
どんどん善事を積むと善いのじゃ。

164 避難民のマジレスさん :2020/12/19(土) 00:24:39 ID:QdkMQi020
くま訳改
傑作の詩文や美しい声、
一言一句が人々の心を揺り動かすが、
閻魔大王には、雅な詩文の妙味は通用しないのである。 
獄卒の鉄棒恐るべし、閻魔様には鋭い洞察眼があるのだ。
(´・(ェ)・`)b

165 避難民のマジレスさん :2020/12/19(土) 14:03:14 ID:7eWkIgMw0
257
普明國師破百丈大智禪師法 普みょう國師百丈大智禪師の法を破る
破夏文殊宗旨勲 夏を破す文殊宗旨の勲
衲僧三昧似商君 衲僧の三昧商君に似たり
祖師大用現前境 祖師大ゆう現前の境
南嶽巫山一片雲 南がく巫山一片の雲

くま訳
普明國師が住持をつとめる相国寺は、百丈山を模して建立された建仁寺より高い格付けを、足利義満からも
らった。(ことにより、普明が百丈の法を打ち破った・・・わけではなかろう)
夏安居で文殊菩薩が宗旨において、大迦葉を打ち破ったようなものだ。
禅僧が三昧に入れば、政治家・軍人・思想家として秦の礎を築いた商君のような、働きをする。
祖師のおおいなるはたらきが、まさに現れた境涯であろう。(商君は最後には政敵に滅ぼされたが)
百丈の師であった南嶽懐譲禅師の夢に、一片の雲が流れてきた(が、直に消え去るだろう)

*知覚普明国師(諡号しごう・おくり名):春屋 妙葩(しゅんおく みょうは、1312-1388臨済宗相国寺の
 第二世・事実上の開山国師。五山文化の発展に寄与した。師 夢窓疎石の法嗣(1345)室町幕府に対して 
 五山第一の南禅寺(臨済宗)の楼門新築を提言。園城寺(天台寺門宗総本山)、比叡山(天台宗の総本山
 延暦寺)との紛争は政治問題に発展する。管領の細川頼之と対立して隠棲する。1379年頼之が失脚した
 後に入京し、南禅寺住職として復帰する。妙葩は頼之が失脚する直前に丹後を出立しており、政変への関
 与も考えられている。3代将軍足利義満の帰依を受け、初代の僧録となる。同年、義満の要請により全国
 の禅寺を統括。義満は相国寺を創建すると、師の夢窓疎石を開山始祖とし、妙葩は第二世住持となった。
 五山十刹制度を作り五山派を興した。五山文化の発展に寄与した。また多くの弟子を育て、彼らは日明貿 
 易を行う際に幕府の外交顧問となった。
*建仁寺:臨済宗建仁寺派の総本山は、栄西(ようさい)禅師により1202に創建された、百丈山を模して
 建立された。足利義満によって五山の第三位とされた。
*百丈懐海(ひゃくじょう えかい、749- 814唐代。諡は大智禅師。馬祖道一の法を継ぐ。
*南嶽懐譲(なんがく かいじょう、677- 744唐。大慧禅師 弟子 馬祖道一
*大用現前(だいゆうげんぜん):大いなる作用・はたらきが自由自在に現われること。
*商 鞅(しょう おう、紀元前390- 紀元前338)は、戦国時代の秦国の政治家・将軍・法家・兵家。
 商鞅とは、後に秦の商・於に封じられたため商君鞅という意味の尊称である。法家思想を基に秦の国政改 
 革を進め、後の秦の天下統一の礎を築いたが、性急な改革から自身は周囲の恨みを買い、逃亡・挙兵する 
 も秦軍に攻められ戦死した。
(´・(ェ)・`)つ

166 避難民のマジレスさん :2020/12/19(土) 14:08:17 ID:7eWkIgMw0
おまけ:正法眼蔵 75巻本72安居 石井恭二先生
世尊は一つの所で、九旬安居されたが、最後の日になって、文殊が突然やって来て、法会に参じた。
大迦葉、文殊に問うた、「この夏は何処で安居したのか」。
文殊は云った、「今夏は三つの所で安居した」。
大迦葉は、これを聞いて大衆を集め槌を撃って文殊を追い払おうとした。まさに犍槌(けんつい)を挙げよ
うとしたとき、たちまち数知れず多くの寺院が表れて、その一寺ごとに一人の文殊があり、一人一人の大迦
葉があって、槌を挙げて文殊を追い払おうとしているのが見えた。
 世尊はそこで大迦葉に告げて云われた、「お前は今、どの文殊を追い払おうとしているのか」。
 そのとき大迦葉は茫然とするばかりであった。
 (39)園悟禪氏は拈古に云った、「鐘は撃たなければ響くことはない。鼓は打たなければ鳴ることはない。
 大迦葉がいま大切な涅槃に到る渡し場を占めれば、そのとき文殊は十方に坐った。その当時の仏道が顕現 
 した好場面である。惜しむべきは、一手も下さなかったことだ。釈迦老子がどの文殊を追い払おうとする
 のかと云うのを待って、一撃を与えてみればよいではないか、他にどんな収拾の仕方があるのか」。

 園悟禅師は頌古に云っている、
 大象は兎径に遊ばず、
 燕雀安んぞ鴻鵠を知らん
 令に拠ること宛ら風を成すが如し、
 破的し渾(す)べて鏃を囓するがごとし。
 遍界是れ文殊、
 遍界是れ迦葉、
 相対して各儼然たり。
 挙椎何れの処か罰せん好一箚、
 金色の頭陀曾て落却せり。
 
 大象は兎の小径では遊ばない、、
 燕雀はどうして大鵬を知ることがあろう。
 規則に拠りながら宛かも風を成すように自然である、
 的を射れば鏃(ぞく)がすべて命中するが如きである。
 世界に遍く文殊が出現し、
 世界に遍く迦葉が出現し、
 しかも相対してそれぞれは厳然としている。
 椎を挙げて何処に振り下ろして罰しようとするのか、これは好い見物だ、
 大迦葉はそのとき槌をとり落したのだ。、
 
*商 鞅(しょう おう、紀元前390- 紀元前338)は、戦国時代の秦国の政治家・将軍・法家・兵家。
 商鞅とは、後に秦の商・於に封じられたため商君鞅という意味の尊称である。法家思想を基に秦の国政改 
 革を進め、後の秦の天下統一の礎を築いたが、性急な改革から自身は周囲の恨みを買い、逃亡・挙兵する 
 も秦軍に攻められ戦死した。"
(´・(ェ)・`)b

167 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/19(土) 23:25:43 ID:1d4drIFg0
応仁の乱の前には既に仏教諸派の騒乱があったのじゃ。
それが既に国が敗れる兆しであったというのじゃな。
先師の法を破るのは迦葉が文殊菩薩を破るようなものだというのじゃ。
そのような僧の三昧は国事で自ら身を滅ぼした商君のようなものじゃ。
祖師の法はそのような小事にかかわず悟りという大いなる用法を現前するものじゃ。
国も身も敗れれば国事による一時の栄光は山にかかる一片の雲の如しなのじゃ。

168 避難民のマジレスさん :2020/12/20(日) 06:12:49 ID:3uawh5ng0

くま訳全面改
第1句、先師の法を破るのは迦葉が文殊菩薩を破るようなものである。
第2句、そのような僧の三昧は国事で自ら身を滅ぼした商君のようなものである。
第3句、祖師の法はそのような小事にかかわず悟りという大いなる用法を現前するものなのだ。
第 4句、国事による一時の栄光は山にかかる一片の雲の如しなのである。
(´・(ェ)・`)b

169 避難民のマジレスさん :2020/12/20(日) 15:46:30 ID:Zqpiuruw0
258
敬上天子堦下 二首 1/2 敬って天子の堦下にのぼる 二首 1/2
財寶米銭朝敵基 財宝米銭朝敵のもとゐ
風流兒女莫相思 風流兒女あい思ふこと莫れ
扶桑國裡安危苦 扶桑國裡の安危の苦
傍有忠臣心亂絲 かたわらに忠臣心有りて心しを乱す

宇野 直人先生訳・解説
敬んで天子の堦下に登る二首  日野富子を批判した詩
財宝や米 金銭が朝敵のよりどころ
ふしだらな女に思いを向けてはならない
日本は今 滅びるかどうかのの正念場
傍に忠臣(自分の事)がいて、心を砕いています

応仁の乱は最終段階。日野富子が金銭を使って色々と政治工作をやっている頃。日野富子はとかく政治に介
入し、米相場の操作、高利貸、収賄など蓄財に奔走していた。その様な日野富子を批判し、天皇へは忠臣の
私が付いていますとのメッセ-ジ。

・日野富子:室町幕府八代将軍足利義政夫人。実子義尚を将軍継嗣に立てようとして、応仁の乱の端緒を
作った。悪女のイメ-ジ。

くま訳
金銭、食料が朝敵の拠り所であります。
風流な女子供と思いあっている場合ではないであいます。
日本國存亡の危機であります。
忠臣一休が、傍らに控えてるであります。
(´・(ェ)・`)つ

170 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/20(日) 23:36:08 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
幕府の者が私財を儲けようとするのは、民の財を取り上げることに成るからいかんのじゃ。
そうであるから財宝米銭は朝敵の基なのじゃ。
それも権力者が好いた女子に権力を与えるという出鱈目をしているからそうなるのじゃ。
国が傾く時忠臣は心を痛めるのじゃ。

171 避難民のマジレスさん :2020/12/21(月) 17:30:58 ID:gkLEI3Co0
259    2/2
乾坤海内起烟塵 乾坤海だい煙塵起る
昨夜東風逼四隣 昨夜東風四隣にせまる
禍復美人身上事 わざわひは復す美人身上のじ
榮華可悔馬嵬春 榮華悔うべし馬かいの春

くま訳
国内全土に戦火が起こり、
昨夜京都は東から攻め入れられ、取り囲まれた
禍は繰り返し、美人の身のうえにふりかかる
栄華を誇ったことを悔いるべきでありましょう。楊貴妃が、愛する武帝の命令で殺害された春である。

*烟塵:煙塵
(´・(ェ)・`)つ

172 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/21(月) 21:59:13 ID:1d4drIFg0
乱世が来ようとしているのじゃ。
もはや戦がはじまるのじゃ。
自分は大丈夫とか思っているものにも災いは来るのじゃ。
それも今までの栄華が招いたことなのじゃ。
悔いてももはや遅いのじゃ。

173 避難民のマジレスさん :2020/12/22(火) 20:32:10 ID:xpD5ITNM0
260
題江口美人勾欄曲 かうこう美人こうらんの曲に題す
見色聞聲吟興長  見識聞声吟興長し
明心悟道没商量  明心悟道もつ商量
愁人不識普賢境  愁人はしらず普賢の境
歌吹樽前総断腸  そん前にかすいしてすべて断腸

第四句:柳田聖山先生訳[樽が歌うて、腸しぼる]
    平野宗浄先生訳[ただ酒樽を前にしての眼や歌えの遊興三昧。そのあとはすべて断腸の思いをする 
    だけである]

中西明子先生訳
第三句:煩悩を捨てきれぬ我が身をただ悲しむ者には普賢菩薩があらわれるに至る境涯がわからない
第四句:遊びに興じ酒樽の前で私は、言い切れぬ悲しみとこの上もない悦びを抱く

くま訳
謡曲『江口』の遊里から聞える曲と題して
自然の音を聞き、花を見て詩興がのり、いつまでも吟じていたい。
ありのままの心を明らめるのだ。悟りに至る道は無分別の道である。
煩悩を愁う人は、悟りを求める思い極まり、普賢菩薩があらわれる境涯を知ることはないのである。
酒樽の前で、歌い、演奏する、何もかも全てのことに興がのり愉快なのだ。

*江口美人:神崎川が淀川から分岐する場所で摂津国江口の娼家にいる遊女。江口:は日本最古の遊里
*勾欄:遊女屋
*見識聞聲 明心悟道:(聞声悟道 見色明心・碧眼録78)香厳が小石の竹にぶつかる音を聞いて悟ったこ 
 とと、霊雲が、満開の桃の花を見て悟ったこと。
*没商量:思慮分別をさしはさむ余地のないことで、その思いはかり難さをいう
*愁人:詩を吟じる者、または学者
*普賢:文殊と共に釈迦如来の二脇士をつとめ、文殊が仏の智・慧・証の徳を代表するのに対し、普賢は仏 
 の理・定・行の徳を代表する。
*普賢境:悟りを求める仏道を行おうとする心即ち菩提心を究め、普賢菩薩があらわれるに至る境涯
*断腸:①はらわたがちぎれるような切実な悲しみや思いにせめられること、②わらってお腹が痛くなるほ 
 ど愉快であること
(´・(ェ)・`)つ

174 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/22(火) 23:47:05 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
悟りの道があれば歌舞音曲も分別を没し心を明らかにすることができるというのじゃ。
それを愁える者は普賢菩薩の境地をしらんのじゃ。
普賢菩薩も鈴

175 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/22(火) 23:48:06 ID:1d4drIFg0
をもったりしているからなのじゃ。
歌って踊って酒樽の前で憂いを忘れるのじゃ。

176 避難民のマジレスさん :2020/12/23(水) 18:15:42 ID:gsJwLQD20
『風流』とは、ありのまま
261
見桃花圖    桃花を見る図
見處風流悟道心 見処風流悟道の心
桃花一朶價千金 桃花の一だ値千金
瑤池王母春風面 えうちの王母春風のおもて
我約愁人雲雨吟 我れは約す愁じん雲雨の吟

くま訳
わしの悟境についての見解は、風流即ち、心にうつり行くありのままこそが悟道心ということである。
桃花一枝は値千金である。霊雲は桃の花を見て悟ったと云うではないか、
天界の女神(蟠桃園の主人)も、春風に誘われ、華やいだ面持である。
わしは、女神と逢瀬の約束をして、情交の詩を吟じるのだ。


*見処・見解(見毛):修行者が師家の室内で呈する自己の悟境の表現。公案への見方、解答でもある。簡潔 
 な言葉や動作で示される。理論にわたらぬことが大切である。見処ともいう。
*瑤池(ようち):崑崙(こんろん)山中にあり神仙が住むという伝説上の池。周の穆王(ぼくおう)が西方を
 旅行し、この池のほとりで西王母に会ったと伝えられる
*王母・西王母(せいおうぼ、さいおうぼ):女仙、女神。俗称の王母娘娘、西王母とは、西方にある崑崙 
 山上の天界を統べる女性の尊称である。天界にある瑶池と蟠桃園の女主人でもあり、すべての女仙を支配
 する最上位の女神
(´・(ェ)・`)つ

177 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/23(水) 23:44:29 ID:1d4drIFg0
見るところ全てが風流であるというのが悟道の心というのじゃ。
桃花の一枝さえ千金の値があるように見えるのじゃ。
それは天の池に居る西王母が春の風に面を向けているようじゃ。
わしは愁人が雲雨に降られようとも詠い続けることを約束するのじゃ。

178 避難民のマジレスさん :2020/12/24(木) 10:37:39 ID:Fdz43.Xw0
見るところ全てが風流であるというのが悟道なのだ。桃花の一枝さえ千金の値があるように見えるのだ。それは天の池に居る西王母が春の風に面を向けているようなのだ。わしは愁人が雲雨に降られようとも詠い続けることを約束するのだ。
  ○⌒\  
  (二二二) メリクリ
(⌒(´・(ェ)・`)
(  o  つc旦
(__し―J

179 避難民のマジレスさん :2020/12/24(木) 12:52:02 ID:Fdz43.Xw0
262
元日賀官軍凶徒 元日官軍の凶徒を破るを賀す
元正先破豪   元正先づ豪を破る
處處凱歌高   處處凱歌高し
百萬朝廷卒   百萬朝廷の卒
不能損一毛   一毛を損するあたわず

元日に官軍が凶徒を破ったことを祝す
元旦にまず、勢いのある敵を破ったのである
彼方此方で凱歌が聞えるのである。
百萬の朝廷の兵卒には
一人の戦死者もいなかったのである。

元正(がんしょう.がんしょう): ①一月一日。元日。元旦。がんせい。②元正天皇680―748.奈良/第 44代
の天皇 (在位 715〜724) 。奈良朝第2代の女帝。母元明天皇の譲を受けて即位した。養老2 (718) 年には
『日本書紀』ができあがり,同7年には三世一身の法が打出された。辺境に隼人
蝦夷の反乱もあり,内外多端であった。
豪:①力や才知などがすぐれている。すぐれた人。②見かけが大きく勢いがある。度はずれている。
(´・(ェ)・`)つ

180 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/24(木) 22:28:25 ID:1d4drIFg0
その通りじゃな。
朝廷の兵が勝ったと言うのじゃ。
実は勝ち組につくのが朝廷であるからいつでも勝っているがのう。
実は乱世の始まりだったのじゃ。

181 避難民のマジレスさん :2020/12/25(金) 12:26:20 ID:y8r1aV7o0
263
懺悔抜舌罪   抜舌の罪を懺悔す
言鋒殺戮幾多人 言鋒殺戮す幾多の人
述偈題詩筆罵人 偈を述べ詩を題して筆人をのる
八裂七花舌頭罪 八裂七花舌頭の罪
黄泉難免火車人  くわうせん免れ難し火車の人

蔭木英雄先生訳・解説
ワシは剣のような言葉でどれ程多くの人を殺してきた事か
偈や詩を作って、筆で人を罵倒する(しかし、これは雲門や黄檗のように慈悲行なのじゃ)
人を惑わす舌先三寸の罪は  
死出の旅路で火車に乗せられることだろう。

碧眼録 六 平鋪の処に到って又却て人を罵る(雲門文語は日常会話でも人を罵って導く)
碧眼録 十一 人多く喚んで、「黄泉人を罵る」と為す。具眼の者は自ら他の落処を見ん(多くの人は 
「黄壁希運は、よく人を罵るお方だ」と言うが、具眼の者は黄壁の真意を知っているだろう)。
の用例で明らかな如く、罵署の詩偶は胡乱の修行者を覚醒させ、警策する接化の手段なのであった。

くま訳
懺悔する。悪言を吐いて舌を抜かれる罪を犯したのである。
言葉を剣として、幾多の人を殺戮したのだ。
偈や詩により、筆で人を罵ったのだ。
人々をばらばらに裂き、砕けさせる舌頭罪を犯したのだ。
黄泉の旅路で火の車に乗せられることは免れないであろう。
           
*鋒(ホウ):1 刃物の先端。ほこさき。きっさき2 軍隊の先陣。「先鋒」3 物事の鋭い勢い。
*七花八裂(シチカハチレツ):ばらばらに裂け砕けること。
(´・(ェ)・`)つ

182 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/26(土) 23:28:12 ID:1d4drIFg0
一休も懺悔するのじゃ。
今まで毒舌を吐いたことをわびるのじゃ。
しかし、実は自分の筆の鋭さを誇っているようにも見えるのじゃ。
筆先だけで地獄にも落ちる罪を重ねたというからのう。
かなりの筆力なのじゃ。

183 避難民のマジレスさん :2020/12/27(日) 13:05:33 ID:W4iRKgJs0
264
贈山徒     比叡山の僧兵(官軍)に贈る     
顕密天台妙樂途 顕密天台妙樂の途
分明傳教大師徒 分みょうに傳教大師の徒
山猿叫落西楼月 山猿叫落す西楼の月
七社霊神鎮帝都 七社の霊神帝都を鎮す

顕密天台は妙樂の途
明らかに最澄伝教大師の門徒である
山猿(西軍総大将全山名宗全)は叫び声をあげて敗れ去った西楼に月が照る
(又は、神猿(まさる)さん(官軍・僧兵)が叫び声をあげて転がるようにかけつけた、西楼に月照る晩。)
日吉七社霊神七社霊神(僧兵)が後醍醐天皇の帝都に平和をもたらしたのである。

*顕教は其の原顕然として能く衆生の機に応じて説きたる教法なり、密教は真言宗の如き悠遠の教理を説く 
 教えをいふ。(国訳禪学大成・脚注)
 顕密(けんみつ)は、顕教と密教を併せたもの。本来は仏教の教相判釈における二分法であるため、仏教
 そのものを指すことになる。ただ顕密仏教、顕密体制という場合、体制側、国家側の官僧の系譜を引くも
 のを指し、いわゆる鎌倉新仏教を含まないことが多い。またベースには「密教的思潮」ないし本覚思想が
 あるとされている。(天台宗HP)
*妙薬:①不思議なくらいによく効く薬。秘薬。 ②物事の解決に有効な手段
*伝教大師・最澄(さいちょう)は、平安時代の僧(766/767 -822)天台宗の開祖であり、伝教大師。中国
 に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建てて天台宗の開祖となった
*神猿(まさる)さん・山王さん。「山王」とは日吉の神様の別名で、天台宗・比叡山延暦寺の守護神
*山名宗全(そうぜん)(応仁の乱の西軍総大将全
*七社霊神:太平記 巻第十七に、『後醍醐天皇は・・・とりあえず衆徒らの士気を高めるために、七社
(日 吉七社)の霊神と九院(比叡山の 主要な九つの堂塔)の仏閣に対して、それぞれに大きな荘園を二、

 三ヶ所寄付されました。』とある。
(´・(ェ)・`)つ

184 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/27(日) 22:00:47 ID:1d4drIFg0
比叡山の僧兵はよくやっているというのじゃ。
実際は政治や軍事に加担しすぎたようであるがのう。
それが後に信長による焼き討ちにも繋がったのじゃ。
政治には関わらない方が善いのじゃ。

185 避難民のマジレスさん :2020/12/28(月) 20:39:57 ID:1W/eCbXI0
265
示病僧紹珠首座 病僧紹珠首座に示す
業識忙忙從劫空 業識忙忙劫空よりす
平生伎倆到今窮 平生の伎倆今に到って窮まる
四百四病一時發 し百し病一時に發す
苦屈苦辛安樂中 苦屈苦辛安樂のうち。

くま訳
病僧紹珠首座に示す
生来の分別心に延々とかかずらわり、
日ごろの修行のお手並みも窮まってしまい、
人が罹る一切の病が一時に発したのだ。
苦しみにくじけることも、その苦辛も、不壊の永遠の安らかさの中にあると知るのだ。

*首座:禅宗の役僧。修行僧の中で首位にある者。
*業識(ごっしき): 父母の和合によって母胎に宿る個人(子)の主体である識別作用。
*忙忙:せわしくて落ち着かないさま。せかせか
*空劫(くうこう):四劫(しこう)の第四。世界が全く壊滅して、次にまた新たに生成の時が始まるまでの 
 長い空無の期間。
*四百四病:人のかかる病気のすべて。人体は地・水・火・風の四つの元素(四大しだい)から構成されて 
 いて、これが不調なとき、それぞれ百一の病気を生ずるとされる
*四劫:仏教用語。世界の成立から無にいたるまでの期間を4期に分類。(1) 成劫 (じょうごう)  山河, 
 大地,草木などの自然界と生き物とが成立する期間。人間の寿命が8万 4000歳のときから 100年ごとに
 1歳ずつ減少していって寿命が 10歳になるまでの期間を1減とし,10歳のときから 100年ごとに1歳ず 
 つ増加していって8万 4000歳となるまでの期間を1増というが,この成劫では 20増減 (20小劫) があ
 るという。 (2) 住劫 自然界と生き物とが安穏に持続していく期間。 20増減がある。(3) 壊劫 (えこ
 う)まず生き物が破壊消滅していき,次に自然界が破壊されていく期間。20増減がある。(4) 空劫 破壊
 しつくされて何もなくなってしまった時期。これにも 20増減がある
*安楽(あんらく):み仏さまの境地、心の安らぎ、心楽しさ、心身の理想の安らかさをいいます。
 全てのものの、不壊の永遠の安らかさをあらわします。自らも、そして常に周囲の人々や社会の幸福や安
 心の祈念を意味するものです。真言宗 『観自在』 より
(´・(ェ)・`)つ

186 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/28(月) 23:28:42 ID:1d4drIFg0
首座の僧が病で寝ているのじゃな。
本来修業に費やすべき心身を空しく浪費してしまったというのじゃ。
そのせいで今の困窮があるのじゃ。
多くの病に犯されて苦しくとも楽ありというのじゃ。

187 避難民のマジレスさん :2020/12/29(火) 20:11:35 ID:g1X3Iees0
天子に直訴でありましょうか?
266
因亂 二首 1/2 乱に因って                                  
請看凶徒大運籌 請ふ看よ凶徒大いにはかりごとをめぐらす
近臣左右妄優遊 近臣左右みだりに優遊
蕙帳畫屏歌吹底 けいちょう画へい歌すい底
衆人日夜醉悠悠 衆人日夜よふて悠悠たり

くま訳
御覧になって下さい、謀反を企む者等の大陰謀を。
近衛府の近臣が、でたらめに、心のままに振舞っております。
香草で編んだとばり、美しい屏風の内で、遊芸、遊興に耽るありさまです。
民衆も酒に酔い、緊張感など皆無であります。

*凶徒:殺人・強盗・謀反など凶悪な犯罪を行う者。
*運籌(うんちゅう):はかりごとの意。
*妄ボウ[訓]みだり〈モウ〉道理がわからない。筋道がなく、でたらめ。「
*優遊:のんびりと心のままにするさま。
*蕙帳(ケイチョウ)」蕙草(香草)で編んだカーテン
*画屏(がびょう):美しい絵が描いてある屏風(びょうぶ)。転じて、美しい眺めにたとえていう。
*歌吹:歌をうたい、笛を吹き鳴らすこと。遊芸や遊興。"
(´・(ェ)・`)つ

188 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/29(火) 21:44:06 ID:1d4drIFg0
応仁の乱の時は両派が朝廷に何度も働きかけて、勅諭が乱発されたり取り消されたりしたというのじゃ。
そのために朝廷や幕府の権威が低下してしまったのじゃ。
凶徒がはかりごとを廻らして、近臣に金や接待で働きかけて政を乱したというのじゃ。
民衆もなにごとが起きているのかを知らず、迷うばかりなのじゃ。

189 避難民のマジレスさん :2020/12/30(水) 15:23:08 ID:qI/s/4Kg0
267 
因亂   2/2
忠臣愁思在功勲 忠臣の愁思功勲に在り
世上汗淋不識君 世上の汗淋きみを識らず
儒雅十年情寂寂 儒雅十年情せきせき
貴遊一夜醉醺醺  貴遊一夜酔ふて醺醺たり

柳田聖山先生訳
杜甫は嘆く忠臣の勲功は手柄で決り
世間の文人は天子の顔すら知らない 
儒者はこの十年を淋しく耐えてきた
貴族たちは今夜も酔い今を忘却する

くま訳
忠臣の愁いは功勲のことであります。
世間の人の苦労は天子の知らないことでありましょう。
見識のある儒者はこの十年、ひっそりと押黙り、
貴族は一夜の酒に酔い痴れているのえあります。

*淋汗(りんかん): 夏の風呂。夏の入浴。また、入浴場で飲食すること。※壒嚢鈔(1445‐46)「禅家
 に、風呂を、りんかんと云は何ぞ 淋汗(リンカン)と書く。汗淋(あせをながす)とて、夏の風呂を云也」
*儒雅:①儒教の正しい道理。②立派な儒者。
*貴遊:高貴の家がら。上流社会。また、その家、その人。

柳田先生の訳にある、杜甫 のそれらしき詩を探してみたが見つからなかったのおである。

(´・(ェ)・`)つ

190 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/30(水) 23:13:19 ID:1d4drIFg0
忠臣は戦で勲功上げる事ばかり思っているといのじゃ。
そのために汗水たらして働く民は君主も知らないありさまなのじゃ。
儒者はこの十年それを寂しく見るばかりなのじゃ。
貴族は夜遊びに精を出しているのじゃ。

要するに国が上下ばらばらということじゃな。
正に乱世なのじゃ。

191 避難民のマジレスさん :2020/12/31(木) 13:27:06 ID:Ky9gXzIs0
268
山路 譲羽   さんろ じょうう(ゆずりは)
呑聲透過鬼門關 声を呑んで透過す鬼門の関
豺虎蹤多古路間 さい虎跡多し古路の間
吟情終無風月興 吟情終に風月の興無し
黄泉境在目前山 くわうせんの境目前の山在り

*譲羽山・1447 54歳 大徳寺の一僧自殺、数人が投獄される。一休、譲羽山へ退隠し断食するが刺命によ
り中止
*豺虎(さいこ)① 山いぬととら。猛獣。② 猛々しい悪人のたとえ。

くま訳
声を呑んで鬼門を通り過ぎる
猛々しい悪人が幾人も通って行った古道である。
風月に対して吟情がわくこともない
黄泉との境は目前の山だ。死は目前に迫っているのだ。
(´・(ェ)・`)つ

192 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2020/12/31(木) 21:21:03 ID:1d4drIFg0
山の中に来たのじゃな。
声も出せずに鬼門の関を通ったのじゃ。
古い道には獣も多いのじゃ。
風月の味わいも無いのじゃ。
生死の境は目前の山にあると言うのじゃ。

193 避難民のマジレスさん :2020/12/31(木) 21:28:35 ID:HNqEgA8Q0
本年5月6日から開始した、一休さん講読会、鬼和尚のご指導の下、かなり初期の段階で、『狂雲集』講読会に昇格することができたのである。
ようやく道半ばである。来年8月頃までには終わる予定であります。

(´・(ェ)・`)b

194 避難民のマジレスさん :2021/01/01(金) 10:38:04 ID:ts4ClNsk0
269  1/3
自讃毀他戒 三首
魔王眷属没商量 魔王のけん属もつ商量
得失是非幾斷膓 得失是非幾断腸
前他後我如來願 前他後我如來の願
前後工夫三會長 前後の工夫三ゑ長し

くま訳
自分自身をほめたたえ、他人をそしりけなすことを禁じた戒
魔王の仲間は、分別せず!
得失是非、何度断腸の思いをしたことか。
自己渡らんとすれば、先ずづ人を渡らせよというのが、如来の願いである。
渡る前も渡った後も、衆生済度の為の坐禅修行は長くつづくのである。

*自讃毀他戒:十重禁戒の第七番目の戒である。菩薩は、人々がけなされ、それに耐えているときには、そ
 の人に代わってこれを受け、また悪いことは自分の方に向け、善いことは他人に与えなくてはならない。 
 それに反して、自らの徳を宣揚し、他人のよいところを覆い隠し、誰かに非難させるようなことがあれば 
 波羅夷罪とされる。
*魔王:天魔(てんま)とは第六天魔王波旬(はじゅん、サンスクリット語: pāpīyas、より邪悪なもの)、
 仏道修行を妨げている魔のことである。天子魔(てんしま)・他化自在天(たけじざいてん)・
 第六天魔王(単に魔王)ともいう。また、天魔の配下の神霊(魔縁参照)のことを表す場合もある。
 一休さんは、自分のことを『魔王』になぞらえて、鬼のように衆生を導き、自ら励むと宣言しているので
 はありますまいか。(くま説)
*眷属:随行者とか従者を意味します。特定の仏様や菩薩に、一族のように従う使者を指す。
 古代のインドには、一族やたくさんの召使を養うような、豊かな暮らしを理想とする考え方があったので、
 仏様の世界にもそれが影響した。
*没商量:中国語訳・相談する余地がない。融通をきかせる余裕がない。(日本古語もつ商量):思慮分別を 
 さしはさむ余地のないことで、その思いはかり難さをいう
*得失:1 得ることと失うこと、。2 成功と失敗 是非:1.是と非。正しいか正しくないか。
*前他後我如來願:自己渡亂とすれば、先ずづ人を渡らせよの意なり。(国訳禪学大成脚注)
*三会:①仏が三度大法会(ほうえ)を開き,衆生済度の説法をすること。多く弥勒仏の竜華三会(りゆう
 げ)をいう。②禅宗で,鐘または鼓を三六回打つのを一会,一〇八回打つのを三会という。
(´・(ェ)・`)つ  あけおめ、ことよろ。であります。

195 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/01(金) 21:49:16 ID:1d4drIFg0
あけおめことよろなのじゃ。

商量しないのは魔王の眷属だというのじゃ。
それで得失に関わりあって苦しむのじゃ。
自らを後にして他人を救うのが如来の誓願なのじゃ。
悟るまえも後も精進在るのみなのじゃ。

196 避難民のマジレスさん :2021/01/02(土) 00:18:34 ID:8fnBXJgQ0
『没商量-商量しない』は、無分別と解してはいけないのでありますね。

くま訳全面改
魔王の仲間は、商量しないのである。
得失是非に囚われると、何度も断腸の思いをすることになるのである
自己よりも、先ずづ人を渡らせよというのが、如来の誓願である
悟る前も後も、修行は長くつづくのである。
(´・(ェ)・`)b

197 避難民のマジレスさん :2021/01/02(土) 09:09:54 ID:yB/WV.lo0
270   2/3
自讃毀他戒三首  
五逆聞雷臨済訣 五逆聞雷臨済の訣
大慈大非太親切 大慈大非はなはだ親切
活人剣兮殺人刀 活人剣せつ人刀
欲汚人満口含血 人を汚さんと欲して満くに血を含む

くま訳
五逆大罪人が天罰の知らせの雷鳴に怯えるような心もちで修行に取り組むのが、臨済の奥儀である。
仏の限り無い慈しみ、はなはだ親切なことである。
行者の智慧のはたらきをとどめ、修行の完成に向かって自由自在に導く活殺自在の剣である。
人を罵ろうとして、口いっぱいの血のような悪意をためるのである。

*五逆聞雷:五逆の大罪、父、母、阿羅漢、を殺すこと、仏を傷つけること、寺院 を破壊し焼き払い、教
 団の和を破壊すること。罪人は、雷鳴を聞いただけでぎくりとする。求道者もそういった心を持てという
 戒めの言葉。
*何事にも畏れる心を持てということ。
*訣(ケツ):1 きっぱりと別れを告げる。2 簡潔に言い切った秘伝の文句。奥義。
*大慈大悲:仏の限りなく大きな慈しみのこと
*親切:1 相手の身になって、その人のために何かをすること。思いやりをもって人のためにつくすこと。
 また、そのさま。2 (深切)心の底からすること。また、そのさま。
*殺人刀活人剣:師が修行者の智慧のはたらきをとどめ、修行の完成に向かって自由自在に導くはたらき
 を活殺自在の剣にたとえた言葉
(´・(ェ)・`)つ

198 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/03(日) 00:02:02 ID:1d4drIFg0
五逆の者は雷に打たれて死ぬというのじゃ。
そうであるから五逆の者が雷鳴を恐れるような謙虚な気持ちで居るのが臨済の教えというのじゃ。
大慈大悲で大いに親切なのじゃ。
自我を滅し、涅槃に活かす刀剣なのじゃ。
人を謗る者の口には自らを汚す血が満ちているのじゃ。

199 避難民のマジレスさん :2021/01/03(日) 17:50:18 ID:UGqRHdIQ0
271    3/3
自讃毀他戒 三首
誰共修歸正破邪 誰と共にか正に帰し邪を破ることを修めん
若非情識又何過 若し情識にあらずんば又何のあやまちぞ
這般作略子細看 しゃ般の作略し細に看れば
座主見知還作家 座すの見知かへって作け

くま訳
誰と共に正しい考えに立ち返り、邪説を打ち破るか
若し迷情に囚われてるのでのでなければ、どうして過つことがあろうか。
あれこれと、道をただす策略仔細に見てみると、
ここは、主席の僧の知見の方が師家にふさわしいのである。

座主=主席の僧とは、主席の僧とは、誰のことでありましょうか
(´・(ェ)・`)つ

200 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/03(日) 23:45:06 ID:1d4drIFg0
座主とは今で言えば主体というようなものじゃな。
自分が自分と認識する観念なのじゃ。
自分の核であり、他と区別する原因なのじゃ。


誰か共に破邪帰正の修業をする者はいるであろうかというのじゃ。
感情や認識に拠って苦の過ちが在るのじゃ。
一切の心の働きを仔細に観れば、
主体による知見は自分に還るのじゃ。

観察すれば観察する主体が変容すると言っているのじゃな。

201 避難民のマジレスさん :2021/01/04(月) 03:06:25 ID:h2Xu8weQ0
鬼和尚、いつもありがとうであります。
くま訳全面改
誰か共に正しい考えに立ち返り、邪説を打ち破る者はおらぬか!
迷情に囚われてるから、過つのだ。
一切の心の働きを仔細に見を見れば、
観察の主体の知見は自分に還り、主体が変容するのである。
(´・(ェ)・`)b

202 避難民のマジレスさん :2021/01/04(月) 08:20:46 ID:nhjeGxgM0
272   1/2
看杜詩 二首  杜詩を看る
古今詩格舊精魂 古今の詩格旧精魂
江海飄零亦主恩 江海飄零すまた主恩
仰叫虞舜一生涙 仰いでぐ舜と叫ぶ一生の涙
涙痕濺酒裛乾坤 るい痕せん酒して乾坤をつつむ

くま訳
古今の詩の風格は、詩聖杜甫の詩魂によって決まるのだ。
世界は落ちぶれ、天子の恩に報いる気持ちも廃れた。
天を仰ぎ伝説の名君虞舜の名を叫び、生涯涙する
涙と酒が、天下をおおうのだ。

*詩格:風格、品格。
*旧精魂:ここでは、詩聖杜甫の魂と解した。
*飄零・漂零(ヒョウレイ):落ちぶれること。「漂零」
*裛(ユウ):つつむ。水気がしっぽりとつつむさま。前スレ>>688 参 
 https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/589-n
*濺(音セン・訓そそぐ):①そそぐ。水をそそぎかける。 ②水の流れるさま。
(´・(ェ)・`)つ

203 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/04(月) 23:16:24 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
杜甫の詩を読んで感動しているのじゃ。
今の時勢にも似ているのじゃ。
誰もが君主を忘れ争っているのじゃ。
乱世を悲しむばかりなのじゃ。

204 避難民のマジレスさん :2021/01/05(火) 08:12:31 ID:EuqmL.060
273
看杜詩 二首2/2
涙愁春雨又秋風 涙して愁ふ春雨又た秋風
食頃難忘天子宮 じきけいも忘れ難し天子の宮
詩客名高天宝事 詩客の名は高し天宝のじ
寒儒忠義也英雄 寒儒の忠義また英雄

くま訳
涙して愁う春雨又秋風
片時も忘れ得ぬ天子の宮殿
詩人杜甫が、玄宗皇帝楊貴妃を詠んで名高き天宝時代の事である。
冷遇される儒者の忠義心も英雄のものである。

*食頃(じきけい・しょうけい):食事をするほどの、短い時間のこと。しばらくの間。頃は、首をかしげ
 るほどの短い時間を表す。
*詩客:詩人、ここでは杜甫のこと。
*天宝:「日本の禅語録十二 一休」の解説(P306)によると、「漂泊詩人、杜甫。かれが明主と仰ぐ玄宗
 は、楊貴妃にうつつをぬかして、天下を混乱におとし入れる。天宝とは、そんな時代の名である。それは、
 詩人の忠節心のたかまりと表裏する。杜甫をよむ一休は、応仁・文明の日本を読んでいる」とあります。
*寒儒:貧しい儒者。
(´・(ェ)・`)つ

205 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/05(火) 23:31:32 ID:1d4drIFg0
まだ泣いているのじゃ。
食べるのも忘れて天子を想うというのじゃ。
それが杜甫だというのじゃ。
儒者でも忠義の英雄だというのじゃ。

206 避難民のマジレスさん :2021/01/06(水) 10:34:26 ID:ockTUM7.0
274
臨済焼机案禪板 臨済机案禪板を焼く
此漢宗門第一禪 此の漢宗門第一の禪
奪人奪境體中玄 奪にん奪境体中玄
安心立命在那處 安じん心りゅう命いずれのところにか在る
劫火洞然焼大干 劫火どうねん大千を焼く

松本市壽先生訳
臨済義玄は机案禅板をも焼いてしまった。
この男は宗門第一の禅者だ。
弟子の主体性も客体性をも奪って、真理の何たるかを悟らせる。
しかし、何もかも奪ってしまえばそこで安心立命できるのか。待てよ。安心立命したいのも迷いというもの
だ。
最後は何もかもすっかり焼き尽くしてしまうのだ。

くま訳
臨済は机も禅板も焼き棄てた。
この男は宗門一の禅師である。
修行者を徹底的な無の境地に導き、修行で現れる真理を悟らせる。
すべてを絶対のものにまかせて,心が動揺しない境地何処にあるのか。
それは、虚ろな世界を焼き尽くしたとところにあるのだ。

*几案・机案(きあん):几、案とも机つくえの意
*禪板:坐禅の時労を除かんがために衆僧の蓄ふる板、手を案じたり、身を靠(もた)らす器なり。
*安心立命:安心は仏教用語,立命は儒教の用語。すべてを絶対のものにまかせて,心が動揺しないこと。
*奪人奪境:166の詩:人境倶奪
 四料簡 しりょうけん(飛不動HP解説) 前スレ31〜34の詩・参照
 臨済義玄禅師が提唱、臨機応変に修行者を導くことを示した四種類の指導方法。
 1、奪人不奪境:修行者が自分を見つめることを否定して、現象とか環境に没入させる。
 2、奪境不奪人:修行者が現象とか環境に没入することを否定して、自分のみ見つめさせる。
 3、人境両倶奪:修行者を徹底的な無の境地に導く。
 4、人境倶不奪:修行者に、すべてありのままに受け止めさせて、何ものにも束縛されない境地に導く。
*玄:臨済録・何をさすか明示されていない。一説に、
 玄中玄(真理そのもの)、句中玄(言語における真理)、体中玄(修行で現れる真理)の三つをあげる。
*洞然(とうねん、とうぜん):① 洞穴のように抜け通っているさま。奥深くて静寂なさま。また、雑念が 
 なくて心が空なさま。② ぼんやりとしたさま。
*大千:三千大千世界:一人の仏が教化する世界のこと、仏教の世界観における宇宙の単位。
(´・(ェ)・`)つ

207 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/06(水) 23:27:53 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
よく出来たのじゃ。

臨済は全て焼いたというのじゃ。
宗門の祖師なのじゃ。
自我も境地も奪い体に玄妙なる智慧を持っていたのじや。
安心立命すらも無いのじゃ。
全てを焼き尽くすと善いのじゃ。

208 避難民のマジレスさん :2021/01/07(木) 20:17:45 ID:Obt11fUQ0
275
運庵還松源衣留頂相 運なん松源の衣を還して頂相をとどむ
這三轉痛處針錐   この三転痛処も針すい
看看宗門句裏機   看よ看よ宗門句裏の機
爭奈石渓肩上土   いかんせん石渓けん上の土
拾來脱屣號傳衣   脱しを拾ひ来って伝えと号す

くま訳
運庵和尚と松源和尚の夢を見て、頂相を書いたのである
その賛・三転語は痛い処をつく、針や錐のようだ。
看よ、宗門でこの句にまつわり説かれる禅機を。
どうしたものか、石渓和尚の頭についた土(くま注 参)
拾った草履を持って来て、正伝の証拠だと言う様なものである。

*運庵:臨済宗虎丘派松源下の運庵普巌(1152〜1226または1156〜1222)といえば、南宋中期臨済宗虎丘派 
 (松原派祖)の松源崇嶽の法を嗣いだ高弟の一人として知られ、江浙の禅林で活動し、法嗣に虚堂智愚、
 石帆惟衍という二人のすぐれた禅者を育成したことで名高い
*衣を返す(ころもをかえす):衣を裏返に着る。こうして寝ると思う人を夢に見ることができるという俗 
 信があった
*頂相(ちんぞう):禅僧の肖像画。禅宗では,法の師資相承を重んじることから印可の証明として,師の 
 肖像画と法語を弟子に与える。北宋時代から盛大に行われ,日本にも伝来し鎌倉,室町時代に盛行した。 
 上部に師の自賛が墨書されるのが原則。
*綿上・肩上・綿嚙(わたがみ):① 鎧(よろい)の前面と背面とをつなぎ、左右の肩にかけて全体をつるす部
分。② 後頭部。うしろ髪。
*石渓心月:南宋時代の禅僧として名高い石渓心月(円覚寺HP解説抜粋)
 円覚寺開山・無学祖元禅師がまだ中国で修行中の頃、石渓心月禅師の住持するお寺に怪石という僧がいて、
 石渓心月禅師が住持であったにもかかわらず、修行僧は誰も石渓心月禅師に参禅をせずに、その怪石とい
 うのが修行僧を煽り立てたという・・・
 それが無字の工夫をやっていたのですけれど、行き過ぎてしまいます。異常なまでに、まるで神がかりの
 ようになって、大きな「無」の字を掲げて張り出して、100〜500人の修行僧が立ったまま、あるい
 は、坐ったまま「ムームー・・・」と大声で叫びような修行をしていた。
 中には、高い崖の上から「ムー」と叫んで飛び降りて、けが人も出るは、果ては、死人まで出てくる。そ
 して、怪石は、また、言う。「本当の無字になったならば、たとえ、死んでも目だけは残る。」と。
 邪教は恐ろしいもので、それで、修行僧を煽り立てて、きちがいの集団のようになってしまった。成り切
 るということは、大事でありますが、しかし、ちゃんと教えを学んで冷静に観ていくという「観(か
 ん)」という眼(まなこ)もまた必要であります。
*肩上(献上・わたがみ):① 鎧(よろい)の前面と背面とをつなぎ、左右の肩にかけて全体をつるす部 
 分。② 後頭部。うしろ髪。
*屣(し):わらぐつ、草履の類なり
(´・(ェ)・`)つ

209 避難民のマジレスさん :2021/01/07(木) 20:20:26 ID:Obt11fUQ0
おまけ
佐藤秀孝先生 論文より
妙心寺に松源崇嶽と運庵普巌の師資を描いた対幅の頂相が存し・・賛はどちらも大応派妙心寺派)の
雪江宗深(仏日真照禅師 )1408-1486によって、拝写された。

断楊岐正脉 滅臨済綱宗   楊岐正脉を断じ、臨済の綱宗を滅す。
猿啼碧嶂 月鎖千峯    猿は碧嶂に啼き、月は千峯を鎖す。
影落于闐国 人在大遼東  影は于闐国に落ち、人は大遼の東に在り。
応縁淡泊 無分従容 縁に応じて淡泊にして、従容するに分無し。
謂是運菴真面目 是れを運菴の真面目なりと謂わば、
澄潭不許臥蒼龍 澄潭には蒼龍を臥せしむるを許さず。

右運菴祖翁自賛 右は運菴祖翁の自賛なり。
拙孫宗深 、 拙孫宗深 ,
焼香九拜謹写 焼香九拝して謹んで焉れを写す。

*雪江宗深(せっこうそうしん、1408-1486妙心寺の六祖 1462大徳寺の住持となった。乱後は後土
 御門天皇の勅命を受け、細川勝元・政元の援助を受けて大徳寺・妙心寺・龍安寺を再興した。
 一休さんが住持になったのは、1474年であります。雪江さん41世、一休さん47世である。
(´・(ェ)・`)b

210 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/07(木) 22:28:23 ID:1d4drIFg0
運庵は松源の衣を還して絵だけ留めたというのじゃ。
教えを蔑ろにして形だけのものにしたというのじゃな。
このように教えを三転したことは針で突かれたような痛みなのじゃ。
宗門の機密は言葉の裏に在るのじゃ。
石渓の頭の土はどうにもならんのじゃ。
脱ぎ捨てた靴を拾って伝来の衣というようなものじゃ。

211 避難民のマジレスさん :2021/01/08(金) 18:50:36 ID:aE0R8Ro20
くま訳全面改
運庵は松源の衣を裏返して、その絵だけを残したのである。 
このように師の教えを三轉したことは、針で突かれたような痛みである。
看るべきは、宗門の言葉の裏にある禪機である。
石渓の頭の上の土は、どうにも出来ないのだ。
脱ぎ捨てられたた靴を拾って伝来の衣というようなものである。

276   1/2
洞山三頓棒   洞山三とんの棒
這棒頭宗門大功 この棒頭宗門の大功
慈明之子是黄龍 慈明の子是れ黄龍
明皇不識風流道 明皇は識らず風流の道
今夜馬嵬千歳風 今夜馬嵬千歳の風

柳田聖山先生訳
この棒で叩くのが、そもそも禅の極みである。
慈明の弟子は黄竜を措いて他にはいない。
楊貴妃を亡くした唐の玄宗は風流を知らない。
馬嵬の悔恨は尽きず、今夜も無情の嵐である。

くま訳
洞山三頓の棒 
この棒の活用こそが、宗門第一の功績である。
慈明禅師の一番弟子が黄龍禅師である。
玄宗皇帝は風流を知らなかった、
今夜も楊貴妃が処刑された馬嵬には、玄宗千年の後悔の風が吹く

*洞山三頓の棒:(堅田観光協会HP解説)洞山守初が若い頃、師の雲門分堰から「どこから来たか、どこ
で過ごしたか」などと問われたので、これまでの行脚のあとをこまごま答えると、雲門は「このうつけ者
が。三頓の棒をくれてやるところだが勘弁してやる、即刻立ち去れ。」と叱らはった。何がなんだか分か
らない洞山は、再び雲門に参じ、自分の答えのどこが悪かったのかを問いなおすと、またもや大声で叱り
つけられはった。けどその瞬間、洞山は師が何を求めようとされていたのかが分かり、初めて悟ることが
出来たというのです。
そして、悟りというものは師や周りからもらえるものではなくて、自分への問いかけの中から見つけ出し
つかむもの。そのためには、心の中のこだわりを一切捨て切り、爽やかな心に立ち返りなさい、それが分
からない者は棒で叩くよりない、というのがこの公案の教えるところやということです。
*7臨済下七世の慈明禅師(986-1039)師匠である汾陽禅師は何も教えず、顔を見るたびに罵る、または、 
 誹って追い出した。「どうして何も御教えにならないのですか?」というと、慈明禅師を杖でもって打ち 
 のめして、追い出して、さらに慈明禅師が何かを言
 おうとしたとき、その口をぐっと押さえつけて、その瞬間、慈明禅師が悟ったそうである。。
*黄龍慧南(おうりょう えなん、1002-1069)宋代の臨済宗の僧。後世五家七宗の一つに数えられる黄龍派 
 の祖。日本に伝えられた臨済禅のうち、栄西によるものがこの黄龍派に属する。
 慈明石霜楚円を紹介されてその弟子となった。1037年、趙州勘婆の公案より大悟する。公案を用いて宗 
 風を振るい大いに法を広めた。普覚禅師と諡された。
(´・(ェ)・`)つ

212 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/08(金) 23:38:32 ID:1d4drIFg0
棒をくれてやるのが宗門の大いなる功力だというのじゃ。
慈明の弟子黄龍はこれで悟ったのじゃ。
玄宗はこれを知らないから国を傾けたのじゃ。
愛する者をこそ厳しく教育すべきなのじゃ。
今も楊貴妃の墓には千年の後悔の風が吹くのじゃ。

213 避難民のマジレスさん :2021/01/09(土) 08:01:22 ID:a9Oiz5LE0
くま訳全面改
棒をくれてやるのが宗門の大いなる功力である。
慈明の弟子黄龍はこれで悟ったのである。
玄宗はそれを知らないから国を傾けたのだ。愛する者をこそ厳しく教育すべきなのだ。
今も楊貴妃の墓には千年の後悔の風が吹くのである。

277
洞山三頓棒 2/2
遭人罵辱長嗔情 人にあってめ辱してしん情を長ず
是即眞迷道衆生 是れ即ち其の迷道の衆生
無始無終黒山下 無始無終黒ざんのもと
無明濁酒幾時醒 無明の濁酒幾時か醒めん

くま訳
人にののしられ、はずかしめられると、怒りの感情に長く苛まれる。
これがまさに、衆生の執着による迷道である。
永遠の暗黒の下にあるのである。
自我に執着する無明の濁り酒の酔いから、いつになったら覚めるのだ。

*罵辱(めじょく・めにく): ののしりはずかしめること
*瞋恚・嗔恚(しんい・しんに):①三毒・十悪の一。怒り・憎しみ・怨うらみなどの憎悪の感情。②怒り
 恨むこと。腹立ち。いかり。
*黒山:三千大千世界をもってして、須弥界世界つまりこの仏教界宇宙が構成されているのである。 中央
 から北に向って三ヶ所に其々、三重に囲まれている黒山がある。臨済禅師「黒山の鬼窟、誠に怖畏ふいす
 べし」
(´・(ェ)・`)つ

214 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/10(日) 00:01:22 ID:1d4drIFg0
善く出来たのじゃ。

侮辱されて怒っても迷いなのじゃというのじゃ。
暗い生死の道にいて夢幻をみているのじゃ。
いつそれが覚めるのじゃというのじゃ。

215 避難民のマジレスさん :2021/01/10(日) 21:33:05 ID:FZS7ebmw0
278
鰥齋      くわん齋
古佛堂中交露柱 古佛堂中露柱に交わる
斬成兩段定誵訛 斬って兩段と成してがいぐわを定む 
青山綠水一閑客 青山緑水一閑客
可咲岩頭黒老婆 わらふべし岩頭の黒老婆

くま訳
禪僧
古佛は堂中で無心を窮める
いりくんだ物事を一刀両断にして、単純にするのだ。
森羅万象生も死も、閑な客人みたいなもんだ
厳頭が撈波(エビ漁のかご)老婆と間違って伝わり、そのままもっともらしく論じられてるなど、お笑いである。

*鰥(かん)①大魚の名。「魴鰥(ホウカン)」類鯤(コン) ②やもお。妻のない男。男やもめ。 ③や
 (病)む。なやむ。
*齋:①心身をきよめて神に仕えること。また,その人。②神をまつる場所。
*古仏は露柱と相交わるという公案の精神は「露柱は無心で立っている。それと同じように古仏は無我無心
 の境涯に居る。」ということ(禅と悟りHP解説)
*青山緑水:青い山、緑の水。雄大な自然の情景。天地森羅万象との融和を意味しています。
*岩頭黒老婆:『聯燈會要』30巻南宋初(1183)晦翁悟明 編纂の『祖堂集』(おまけ 参)
(´・(ェ)・`)つ

216 避難民のマジレスさん :2021/01/10(日) 21:35:32 ID:FZS7ebmw0
おまけ: 岩頭黒老婆 『聯燈會要』より
余乾道初。客建康蔣山。邂逅泉州一老僧。
有巖頭錄。因閱之。見其問僧。甚處去。
僧云。入嶺。禮拜雪峯去。
巖頭云。雪峰若問儞。巖頭如何。但向他道。
巖頭近日在湖邊住。只將三文。買箇撈波子。
撈蝦摝蜆。且恁麼過時。
因問老僧。余閱巖頭錄。他本盡作老婆。
此云撈波。何也。渠笑云。
老婆誤也。巖頭雪峯皆鄉人。
吾鄉以撈蝦竹具。曰撈波也。鄉人至今。
如是呼之。後人訛聽。作老婆字。
教人一向作禪會。・・・所謂字經三寫。烏焉成馬。
於宗門雖無利害。不可不知。
雪峰空禪師頌。有云。
三文撈波年代深。化成老婆黑而醜。
蓋方語有所不知。不足怪也。

衣川賢次先生訳〈抜粋)
乾道年間の初め、建康蒋山に滞在した時、泉州から来た老僧にめぐり逢った。
その人が『巖頭録』をお持ちだったので拝見した。その一節にこうあった。
僧に問う、「どこへ行くのか?」僧「嶺を越えて雪峯禪師に拝謁に参ります。」
巖頭「雪峯がきみに、わしはどうしているかと尋ねたら、こう言ってくれ。
近頃は湖のはたに住みついて、三文で買った撈波子で、
えびやしじみなんぞをすくって、そんなふうに日を送っておる、とな。」 
わたしはその老僧に問うた。「わたしが以前読んだ『巖頭録』はみな〈老婆〉
となっておりましたが、ここは〈撈波〉です。どうしてでしょうか。」その人は笑って
「〈撈波〉は間違いだ。巖頭と雪峯はふたりともわしの同郷人で、
わしのところではえびをすくう竹製のざるを〈撈波〉というのだ。村の者は今でも
そう呼んでおる。」となるほど、のちの人が〈撈波子〉と聴きまちがえたうえに、
禪的理解を押し付けていたのだ。・・・いわゆる「字は三寫を経て、烏焉は馬と成る」
という類で、宗門に直接の害はないけれども、注意しておくべきである。
雪峯慧空禪師は頌を作って皮肉っている。
「三文の撈波、年代深し、化して老婆と成り黒くて醜し」と。
けだし、方言を知らぬことによる誤解で、無理もないことではある。
(´・(ェ)・`)b

217 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/10(日) 23:59:49 ID:1d4drIFg0
古の仏などは堂の柱と一緒だというのじゃ。
それを拝んでも悟りは訪れないのじゃ。
公案は訛りの間違いを断じて正したのと同じなのじゃ。
大千世界に独りの己を観て悟りは訪れるのじゃ。
古の仏を拝むのは訛りの間違いを在り難く伝えているのと同じ笑うべきことなのじゃ。

218 避難民のマジレスさん :2021/01/11(月) 16:27:53 ID:Ozq3PxCA0
くま訳全面改
古仏などは堂の柱と一緒なのだ。
慎みなく、錯雑して判然としない言葉の意味を断じて正すのだ。
大千世界に独りの己を観て悟りは訪れるのだ。
古の仏を拝むのは訛りの間違いを在り難く伝えているのと同じ笑うべきことなのだ。

鰥齋(かんさい)を禅僧と訳してみたのでありますが、これで良かったでありましょうか?  
    
*279〜286は、テキストに依って、ちょぴっと編集が異なってるのである。
国訳禅学大成(以下国訳大成)、寛永版 狂雲集(以下寛永)、明42.9民友社版 狂雲集(以下民友社)
民友社版は、8/8が8/4の後に置かれてるのである。

279        1/8
龍寶山大徳禪寺入寺法語 
山門
一跳直入 一ちょうじきにいる
龍寳三門 龍宝の
門々有路 もんもんみち有り
逼塞乾坤 けんこんにひっそくす

くま訳
山門(三門)
一足飛びにすぐに山門(三門)から仏国土へ入れるのだ
龍に守られた釈迦の三門
門へ通じる道はいろいろあるのだ。
て、言うか、そもそも天地はその門に守られた内側にあるのだ。既に仏国土にいるのだ。

*三門は空門・無相門・無願門の三境地を経て仏国土に至る門、三解脱門を表すとされる。
*既にhttps://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/で取上げた詩である。くま訳第4句を
修正してみたのである。
(´・(ェ)・`)つ

219 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/11(月) 23:44:05 ID:1d4drIFg0
↑よかったのじゃ。
禅僧もまたまだ病に陥っている者であるからのう。
無明の病を治すために修業しているのじゃ。

その通りなのじゃ。

220 避難民のマジレスさん :2021/01/12(火) 14:00:40 ID:E.c2fM8.0
280 2/8 
佛殿
古佛堂中露柱雲雨 古佛堂中露柱雲雨
作以手分破勢云  手を以って分くる勢をなしていわく
分破後如何    分破して後如何
雲門霧露     雲門霧露 

くま訳
古佛は堂中の柱や雲雨と同じである。
直接自ら道を切り開いた経験から云うのである。
切り開いた後、さて、どうなるかというと、
雲門が言うように、いつでもどこでも霧露は霧露と言うことである。

*雲門文偃(うんもん ぶんえん、864-949年、中国の唐末から五代の禅僧。五家七宗の一つ、雲門宗の
開祖。一休さんお気に入りの師匠。
 雲門語録:「誕生したばかりの世尊は、七歩あるいて、「天上天下、唯我独尊」と言われました。この世
尊の故事を評して雲門は、「我れ当時(そのかみ)、若し見しかば、一棒に打殺して、狗子(くし)に与え
て喫却せしめて、貴ぶらくは、天下太平を図(はか)りしに」と言ったのです。「俺がその場にいたら、そ
の赤子を打ち殺して犬に食わせたものを、そうすれば、天下は太平であったのだ」というような意味で
す。」(禅文化研究所のブログ)
*露柱雲雨:雲門の示衆に曰く「古佛露柱と交わるる、是れ第幾機ぞ。」自ら代わって曰く、「南山に雲を
起し、北山に雨を下す」と。即ち釈迦も達磨も彌勒も露柱も皆同じなり。同一真理何も別はない、南山も北
山も自ら創痍ならずして雲雨の相応するの自然、具眼者須らく自得すべし。(国訳禪学大成脚注)
(´・(ェ)・`)つ

221 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/12(火) 22:02:53 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
古仏は柱と同じであり雲と雨も同一じゃな。
分別の手を以って分ければどうなるかというのじゃ。
雲門は霧露の同じ水である如しというのじゃ。

222 避難民のマジレスさん :2021/01/13(水) 15:38:56 ID:X71OGAw20
くま訳全面改
古佛は堂中の柱と同じであり、雲と雨も同じなのである。
分別をする方法で、
分けると、どうなるかというと、
雲門は霧露の同じ水である如しというのである。

281 3/8
土地堂
上天是梵天帝釋    上天は是梵天帝釋
下天是多聞持國護法神 下天は是多聞持國護法神
向何處見新長老    いずれのところに向かってか新長老を見ん、
新長老聻六六三十六  新長老、にい、六六三十六

くま訳
上天は是れ梵天帝釋天
下天は是れ多聞持國護法神
どちらを向けば、新長老たるわしを見れるかというと、
新長老、おぉいと呼びかければ、森羅万象がわしなのである。

*土地堂:土地神及び護法神を奉祀する堂なり
*帝釋:須彌山の頂上、忉利天の天主にして、善見城に居り、四天王及び三十二天を領して。仏法帰依の人 
 を護り、阿修羅の軍を征する天王なりといふ
*多聞・持国、四天王の2を挙げて4を兼ねる。欲界六天四方に住し、正法護持し、又世を守る
*聻(にい・ジ・セキ・セン): 1物事を指すさま。者を指すときの語なり。2鬼が死んだ後になるもの。
 この鬼とは人が死んだ後になる、幽霊や亡者のことを指す。
(´・(ェ)・`)つ

223 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/13(水) 23:36:17 ID:1d4drIFg0
上の天は梵天帝釈天がおり、下の天は多聞天とかの護法神がいるというのじゃ。
それでは新たに悟りを得て死んだ長老はどこにいったのじゃ?
それらの長老は三千大千世界の全てになったというのじゃ。
天でさえも輪廻の中であるから悟れば天も超越するのじゃ。

224 避難民のマジレスさん :2021/01/14(木) 19:47:34 ID:X71OGAw20
くま訳改
第3句:どちらを向けば、新たに悟りを得て死んだ長老は見れるのかというと、
第4句:新長老は、森羅万象になったのだ。

282   4/8 
祖師堂
祖師何人我何人 祖師何人ぞ、我何人ぞ
咄誰奪境奪人  咄、誰か境を奪ひ人を奪ふ。

くま訳
祖師堂で、我とは何だと問い続けるのだ
自分に全てをありのままに受け止めさせて、何ものにも束縛されない境地に導くのは、自分しかいないのだ。
*奪境奪人:人境倶不奪にんきょうぐふだつ 修行者に、すべてありのままに受け止めさせて、何ものにも 
束縛されない境地に導
(´・(ェ)・`)つ

225 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/15(金) 00:18:44 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
祖師とは何じゃ、我とは何じゃ、と追求し続けるのじゃ。
奪境奪人をするのは誰じゃと更に追求し続けるのじゃ。
どこまでも己を追及し続けるのじゃ。
そうすれば悟りは向こうからやってくるのじゃ。

226 避難民のマジレスさん :2021/01/15(金) 12:40:07 ID:X71OGAw20
283 5/8
拈衣 
小艶平生心亂絲 小艶平生心しを乱す、
慈恩先祖手中絲 慈恩先祖手のし
順老明巖衲僧 順老みょうげんの衲僧
擲袈裟云 袈裟をなげうって云く、
是甚脚下紅絲 是れ何の脚下の紅しぞ。

嗣法の儀式で衣を授かる衣
小艶詩が日頃心を乱してるのである、
けど、先祖のお陰さま、ご縁に恵まれてるのである。
順爺は鋭い洞察眼ある僧なのである。
袈裟をなげうって云ったのである、、
これ何の因縁であるか。

*拈衣(ねんえ):衣は嗣法の信として師之を弟子に授く、弟子衣を拈じて法語を挙して披す。
*順爺:一休さんのペンネームの一つ、と、どこかで読んだような気がするのである。
(´・(ェ)・`)つ

227 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/15(金) 22:33:00 ID:1d4drIFg0
糸に掛けているのじゃな。
小艶等で日頃から心の糸を乱していると、
先祖の霊が婚姻の糸を結んだりするのじゃ。
明厳の僧が袈裟を擲って言うのじゃ。
足を結ぶ婚姻の赤い糸がついていると。

まだ色情から離れていない者は直ぐにわかるというのじゃ。

228 避難民のマジレスさん :2021/01/16(土) 11:38:15 ID:X71OGAw20
くま訳全面改
小艶詩が日頃心の糸を乱してるのである、
先祖から、ご縁の糸を結んでもらえたりするのである。
洞察眼ある僧が、
袈裟をなげうって云うのである、
婚姻の赤い糸が見えてるぞ、色情をを離れてない者は直にわかるのだ。

284 6/8

明頭來明頭打    みょう頭來明頭打
暗頭來暗頭打    暗頭來暗頭打
四方八面來旋風打  四方八面來旋風打
虚空來連架打    虚空來や連架打
新長老 聻     新長老、にい
乾坤一箇蠚苴僧   乾坤一箇の蠚苴僧
喝一喝云      喝一喝して云く
無人來問相如渇   人の来って相如が渇を問ふことなし、
敲破梅花一夜氷 打  かう破す梅花一夜氷 打  
 
くま訳
是非分別で来るなら、それなりに対処し、
差別なく一味平等で来るなら、それなりに対処する。
四方八方から来るなら、旋風のように対処し、
虚空から来るなら、連打して対処する。
新長老は、
天下一、がさつな僧である
喝一喝して云ってやる
誰一人として司馬相如の渇(のような人間の苦しみ)を問うて来るものはいないのであるが、
叩き割るのだ、春を告げるまだ寒い朝の梅花についた氷を。(薄い氷の様な「観念」を叩き割り、ありのま
まの真実のあり様に気付きさえすれば、そこに悟りがあるのだ)

* 明頭来や明頭打、暗頭来や暗頭打:「明頭来」の明は大小・長短・是非・美醜などの差別の歴然として
 いること、活人剣の働きである。「暗頭来」の暗はその反対で差別がなく一味平等なことである。殺人剣
 の働きがある。「打」の一字は、「それに即応して、行動する」という意味。
*四方八面来や旋風打:殺中の活有り、活中の殺有りというように、手目を見せず千変万化して出てくるこ
 と。そして相手がこのように縦横無尽に千変万化して出てくるならば、こちらもあたかも「旋風」つむじ
 風のように、変転自在、虚実とりまぜて応対するということ。 
*虚空來連架打:「虚空来」とは、虚空のような真空無相、清浄無一物の肚から、明だの暗だの、殺だの活
 だのという一切の定石を離れ、軌格を超越して無心に出てくること。普化和尚はこれに対しては、「連架
 打」で応対するというのである。連架というのは、小豆などの脱穀に使う農具で、太い棒の先端にクルリ
 クルリと変転自在に回転する小さい棒をとりつけたもの。相手が真空無一物の場から無心に働いてくるな 
 らば、こちらもあたかも連架のように変転自在で無心で対応するということ。
*相如が渇:侍臣に文才秀れた司馬相如がいたが糖尿病を病んで苦しんでいた。帝は、それを知らぬはずの
 ないのに、豪華に設えた承露盤の露、それは不老長寿の薬であり、盃に一杯だけでも賜ろうとしなかった。
*敲破(こうは):中国語・叩割る,叩き割る
(´・(ェ)・`)つ

229 避難民のマジレスさん :2021/01/16(土) 11:39:47 ID:X71OGAw20
おまけ: *明頭暗闘 (普化和尚の話 瑞雲院法話のページHPより抜粋) 臨済録:勘弁 参
 奇僧として知られる普化(ふけ)和尚は、唐代の人。生没年、生地、などすべて不詳、馬祖大師の法嗣の 
 盤山宝積(ばんざん・ほうしゃく)禅師に師事して深く堂奥(どうおう)に入り法を密受したが、常に狂
 をよそおいその発言は尋常ではなかった。
 ・・・盤山禅師が亡くなると普化は臨済宗の宗祖、臨済禅師が住む河北省鎮州へ行き、街頭や墓場で鐸
 (たく。大きな鈴)を振りながら人々に呼びかけて言った。「明頭に来たるもまた打し、暗頭に来たるも 
 また打す」。あるとき臨済和尚が一人の僧に命じて普化を試みた。その僧は普化和尚の胸ぐらをつかむと 
 言った。「明ならず暗ならざる時は如何」。普化和尚が言った。「ありがたいことに、明日、大悲院でお 
 斎(とき。食事)の供養がある」
 また普化和尚は人の耳のそばで鐸を振り、あるいは鐸で人の背を打ち、そして相手が振り返ると言った。 
 「我れに一銭供養せよ」。このようにおよそ人を見れば、相手の高下にかかわらず鐸を振ること一声した 
 ことから普化(普遍の教化)と号したという。
 ・・・滅を示すべく市に入り人々に言った。「我れに衣を一枚供養せよ」。ところが人々が衣を与えても
 受けとらなかった。そこで臨済和尚が人をつかわして棺桶を一つ与えると、普化はそれを受けとって言っ
 た。「臨済の小僧は饒舌だ」。そして皆に別れを告げて言った。「明日、東門へ行って遷化する」
 翌日、人々が連れ立って見送りに行くと普化は言った。「今日は日が悪い。二日後に南門で遷化する」。 
 人々が南門へ行くとまた言った。「明日、西門から出発するのが吉だ」。ところがその日も遷化せず、見 
 送る人がようやく少なくなってきた。そして四度目には北門へ行き、門の外に棺桶をかつぎ出すと鐸を振 
 りながら自ら棺桶に入って亡くなった。それを聞いた人々が競って北門へ走り棺桶のふたを開けると、そ
 こに和尚の姿はなくただ遠ざかる鐸の声を聞くのみであった。
(´・(ェ)・`)b

230 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/17(日) 00:01:07 ID:1d4drIFg0
大体そのような感じじゃな。
聡い物には聡い教えを授け、愚昧な者には愚昧な教えを授けるというのじゃ。
さまざまな求めには、さまざまに応じ、無心の者には無心に応じるというのじゃ。
一休は気合のものであるから森羅万象に喝をいれるのじゃ。
一喝して曰く司馬相如のように誰も見抜けぬような渇を抱える者にも、氷を破って水を与えるのじゃ。

231 避難民のマジレスさん :2021/01/17(日) 14:13:15 ID:X71OGAw20
285
龍寶山大徳禪寺入寺法語   7/8
退院
平生蠚苴小艶吟     平生らそ小艶の吟、
酒婬色婬詩亦婬     酒に婬し色に婬し、詩も亦婬す  
擲拄杖云        しゅじょうなげうって云く
七尺拄杖還常住     七尺の拄杖、常住に還す。
吹尺八云一枝尺八少知音 尺八を吹いて云く一枝の尺八、知音なり。

くま訳
日頃は気合で、艶詩を詠み、
酒色に耽り、詩に耽。
杖を投げ出して云うのだ、
七尺の拄杖は寺の公用物なので返還すると。
尺八を吹いて云ったのだ、一枝の尺八の風流を解する者、わしの仏道を解する者はこの寺にはおらんのだ。

286 8/8
帖 てふ (ちょう)
頂戴即是 即ち是
放下即是 即ち是

くま訳
書置き
大徳寺の住持を引受けるも是
投げ棄てるも是なのである。

入院の時に、退院の書き置きをしている法語でありました。

232 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/17(日) 22:03:02 ID:1d4drIFg0
大体そのような感じじゃな。
入山なのに退院なのじゃ。
平静は艶詩などを詠い、酒色と詩に溺れているのじゃ。
任杖を投げ捨てて云うのじゃ。
七尺の任杖は仏性に還すと。
尺八を吹いて云うのはその意を知る者が少ないことじゃ。

233 避難民のマジレスさん :2021/01/18(月) 13:58:26 ID:eA/TPUFU0
287 臨済録パロディーで山居を嘆く
山居
孤峰頂上出身途 孤峰頂上出身の途
十字街頭向背衢 十字街頭かうはいのちまた
空聞夜夜天涯雁 空しく聞く夜夜天涯の雁
郷信封書一字無 郷信の封書一字も無し

くま訳
孤峰頂上は、解脱した者の道である。
街中にあれば、迎合したり、対立したりすることもあるのである。
山居していると、空しく夜毎雁の鳴き声を聞くことになるのである。
故郷からの便りはない。封書どころか、一字とてないのである。

*出身:解脱する、解脱せしむるの両方の意味があり(円覚寺HP解)
*向背:正面を向くことと背面を見せること、迎合と背棄。(円覚寺HP解)
*昔漢の蘇武、雁の足に書をつけて故国に放つ、時の昭皇帝の上林宛てに幸ありし時、雁の足に文付け来る、
 帝の傍らに下り来る、之を取って見、蘇武の書の細々しき誠忠の程、伺わさせられて、やがて帰国叶い、 
 元の燗に復しけりと。故に音信を一に雁書ともいひ、その昔を偲ぶなり(国訳大成 脚注)

おまけ:臨済録 上堂 (沢田天瑞先生・庭園の構想に関する研究Ⅲより)
 一人在孤峰頂上無出身之路、 一人は孤峰(こほう)頂上に在って、出身の路無く
 一人在十字街頭亦無向背。  一人は十字街頭に在って、亦た向背無し。
 那箇在前、那箇在後。    那箇(なこ)か前に在り、那箇かしりえに在る。
 不作 維摩詰、不作 傅大士。 維摩詰となさざれ、ふだい士となさざれ。
 珍重            ちんちょう
 
円覚寺HP解説抜粋
 孤峰頂上にあって、人を導く方便を持たない・・・、徳山禅師を念頭においていると言われます。
 峻厳一徹の徳山禅師は、誰がなんと言おうと三十棒を与えたのでした。
 しかし、臨済禅師は、そうではなく、人に応じて自在に教えを説かれました。
 否定するだけではなく、相手の境地に応じた教えを説いたのです。
 ですから臨済禅師は、この二人のありようを示しておいて、自分は後者を取ると言いたいのだと思われま 
 す。

沢田天瑞先生訳
 一人は孤峰の頂上ともいうべき悟りの絶対的な世界な世界にとどまって、その世界から出て活動する路がなく、
 もう一人は十字街道ともいうべき世俗の相対的世界にとどまって、進退の自由を失っている。
 いずれに優劣があるかといえば、いずれも取るべきものがみられない。
  維摩居士か、それとも傅大士か、などとこの二人をなぞらえて考えてはならない。
 ご苦労さま。
 
*維摩詰:維摩経に登場する主人公で、古代インドの毘舎離(びしゃり)城に住んだとされる大富豪。学識 
 に富み、在家(ざいけ)のまま菩薩の道を行じ、釈迦の弟子としてその教化を助けたといわれる。
*傅大士(ふたいし):[497〜569]中国、南北朝時代の在俗仏教者。善慧大士と号し、双林寺を建て、大
 蔵経を閲覧する便をはかって、転輪蔵を創始した。俗に「笑い仏」といわれる。
(´・(ェ)・`)つ

234 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/18(月) 23:31:24 ID:1d4drIFg0
孤峰頂上の途に出る身なのじゃ。
十字の街頭には背を向けるのじゃ。
毎晩空しく天に鳴く雁の声を聞くのじゃ。
故郷の便りには一字も無しじゃ。

今度は字に掛けているのじゃな。

235 避難民のマジレスさん :2021/01/19(火) 09:11:39 ID:eIfwtw9k0
くま訳全面改
わしは孤峰頂上に出る身なのである。 
けど、十字街頭に背を向けることはしないのだ。
毎晩空しく天に鳴く雁の声を聞くのである。
故郷の便りには一字も無いのだ。

288
山居僧擁葉   山居の僧、葉を擁す
孤峯頂上謝塵寰 孤峰頂上塵くわんを謝す
三十年來不出山 三十年來山を出でず
因憶南陽擁葉意 因っておもふ南陽葉を擁す意
半身暖氣半身寒 半身は暖氣半身は寒

くま訳
山居の僧、葉を抱きかかえる。
孤峰頂上に住み、俗世間から去る。
三十年來山から下りなかったと伝えられる、
南陽慧忠禪師は、長年山居して枯葉につつまれていた間は、どんな思いだったのだろう、
半身暖かく、半身寒かっただろう。

*塵寰(じんかん):俗世間。塵界。
*謝す:去る。①わびる。謝罪する。②感謝する。③(恨みなどを)晴らす。たち切る。
*南陽慧忠禪師、唐・675年 – 775年・慧能のもとで悟りを得た後、南陽の白崖山にある党子谷に庵を結び
 40年の間隠棲した。その後、皇帝粛宗の招請により都に上り、宮廷において教えを授けた。死後、皇帝 
 は国師号を贈った。 中国では単に国師といえば、ほとんどの場合慧忠のことを指すといわれる。
(´・(ェ)・`)つ

236 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/19(火) 23:04:14 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

山の頂に居て俗世間から離れたのじゃ。
三十年も山を出なかったのじゃ。
それに因って南陽が葉っぱを抱いていた意味を知ったのじゃ。
半身は温かく、半身は寒いのじゃ。

三十年も山に居て南陽が葉っぱを抱いていた意味を知ったというのじゃ。
まだ半分仏で半分は俗人だったというのじゃ。
小悟であったのじゃな。
完全に大悟していればそんなに長く山に居る必要もないからのう。
まだ修行が必要だから長く山にいたのじゃ。

237 避難民のマジレスさん :2021/01/20(水) 11:03:24 ID:0zM9Wu460
289
慈楊塔    
不是平生好境痕 是れ平生好境の痕にあらず
任他鶏足月黄昏 さもあらばあれ鶏足月くわうこん
誰氏風流我盟約 誰かうじぞ風流我が盟約
馬嵬青塚舊精魂 馬くわいの青ちょう旧精魂

柳田聖山先生訳
これは拙僧の寿塔ではなくて夫婦塚なのだ
鶏足山に眠る迦葉が弥勒の出現を臨んだが
二人が相思相愛を誓い合った盟約の記念碑
馬嵬の楊貴妃と青塚の王昭君の亡霊である

くま訳
この塔は、日頃の恵まれた境遇の記念碑ではないのだ、
夕暮れの鶏足山で弥勒を待つ摩訶迦葉のようなわしの心境の碑なのだ。
わしが風流な約束(三生の誓い)をした相手は誰か、
馬嵬で死んだ楊貴妃、青塚に眠る王昭君のような美女の生れ変りである、森の為の塔なのである。

*慈楊塔:1475年,一休の敬慕する宋の慈明禅師と楊岐禅師の名を取って「慈揚塔」と名付けられた。今日
の建物は「法華堂」と改称されている、宮内庁が後小松天皇落胤説に基づき陵墓(宗純王廟)として管理
している 
*鶏足山:大迦葉が、入定された地。その時お釈迦様から衣と言葉を預かり、56億7千万年の後、弥勒菩 
 薩が鶏足山に姿を現した時、それらを授けると言われている
(´・(ェ)・`)つ

238 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/20(水) 23:07:54 ID:1d4drIFg0
大体そのような感じじゃな。

これは平生の境地の塔ではなく、迦葉と弥勒のための塔というのじゃ。
二人の盟約の塔であり、馬嵬や青塚のような後生を誓う精魂の塔というのじゃ。
慈明と楊岐が弥勒の世に会う盟約の塔という意味じゃな。

239 避難民のマジレスさん :2021/01/21(木) 19:28:58 ID:ZSuyUWXo0

くま訳全面改
第一句:これは平生の境地の塔ではないのである。
第二句:夕暮れの鶏足山で弥勒を待つ摩訶迦葉のための塔なのだ。
第三句:慈明と楊岐が弥勒の世に会う盟約を刻んだ塔なのだ
第四句:馬嵬や青塚のような後生を誓う精魂の塔なのだ。

290
示斬猫僧    ざんめう僧に示す
是吾會裏小南泉 是れわがえりの小南泉
信手斬猫公案圓 手にまかせてめうを斬る公案まどかなり、
錯來自悔行斯令 あやまり来って自ら悔ゆこのれいを行じて、
驚起牡丹花下眠 牡丹花下の眠りを驚起することを。

くま訳
猫を斬った僧に示す
これ、一休会派のえりの徒の、小南泉の話である。(南線禅師の真似をして、猫を斬ったのである)
無造作に猫を斬る公案は、よく出来ている。
錯って、この公案と同じ様に猫を斬った僧は後悔しているのである。
猫ではなく、自分が、夢に驚き飛び起きる破目になったのである。

*小南泉:南泉普顧禅師、座下の雲水に対する提示に類するをいう(禪学大成脚注)・
*「南泉斬猫」は『碧巌録』『無門関』に採録。東西両堂が猫の子の仏性の有無について争ったとき、南泉 
 が猫の子をとらえ会得したところを明らかにせよと迫り、返答がなかったためその猫を斬ったという故事。
*牡丹花下眠猫児(ぼたんかかすいびょうじ)牡丹の花の下に眠っていた子猫が、人の気配を感じてすぐに
 起きて逃げてしまった。この猫は眠っていたのか、寝ているふりをしていたのか。という禅問答(公案)
(´・(ェ)・`)つ

240 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/21(木) 23:50:40 ID:1d4drIFg0
公案をまねて猫を切った僧が居たというのじゃな。
公案を完成させるために根を切ったというのじゃな。
それが間違いだったと一休に懺悔したのじゃな。
それを又考案にかけて牡丹の花の下で寝ていたのを驚き起こされたというのじゃ。

241 避難民のマジレスさん :2021/01/22(金) 14:25:29 ID:eDempLCw0
くま訳改
第二句:公案を完成させるために根猫切ったというのである。
第三句:それが間違いだったと懺悔してきたのである。
第四句:それを又考案にかけて牡丹の花の下で寝ていたのを驚き起こされたと言うのである。

291
心隋萬境轉   心はばん境に随って転ず
今日佛心猶未生 今日佛心猶ほ未だ生ぜず
衆生界地獄先成 衆生界地獄先づ成る
萬機萬境皆情識 萬機萬境皆情識
轉處能幽劍戟城 転処能く幽なり剣戟城"

くま訳
心は外界に随って移ろい行くのである。
今日仏心がまだ生じてないならば、
衆生が輪廻する六道では、先ず地獄が作られるのだ。
あらゆる機会、あらゆる境遇で、迷いが生じたら、
心を転じて執着を離れ、幽玄の境地の城を剣と矛で守るのだ。

おまけ:『景徳伝灯録』・摩拏羅尊者 の偈
心随万境転  心は万境に随って転ず
転処実能幽  転処実に能(よ)く幽なり
随流認得性  流れに随って性(しょう)を認得すれば
無喜亦無憂  喜びもなくまた憂いもなし

*承福禅寺HP訳・解説(〜朝日カルチャー「禅語教室」より〜)抜粋
人の心と言うものは、外界の現象に惑わされて揺れ動き、移ろい変わりやすいものである。
しかしその外界の現象に執着することなく、無心無自性であれば自由無碍であり、まさに幽玄
なる心境にあ
るといえる。
たとえ外界はたえず揺れ動き、激しく変貌することがあっても、心中においては常に平常であり
喜びも、悲しみも時の流れのままに処して何のわだかまりもなく、随処に主となる
ところの境地である。
喜怒哀楽はつきものである。悲しみ、喜びはあれど、実はその実体は何もなくただ、縁に随い、感に赴いて
いるにすぎないのだ。すなわち「心は縁に随って転ずる」だけなのだ。このように悟れば喜び悲しみあれど
その時その時、その場その場に応じて自ずから心のままに泣き、また悲しみ、また喜べばよい。心のままに
あって二念、三念なければ転処実によく幽の境いられよう。
*『景徳傳燈録』:北宋代に道原によって編纂された、禅宗を代表する燈史。禅宗を研究する上で代表的な
資料であり、必ず学ぶべきものとされる。

(´・(ェ)・`)つ

242 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/22(金) 23:40:26 ID:1d4drIFg0
心はよろずの境に従って転じるというのじゃな。
環境や境地に従って変化するというのじゃ。
今日仏心が生じていないならば、衆生の住む世界は地獄が先ず生じるというのじゃ。
全ての心の働きや状況は皆、感情や認識として捉えられるのじゃ。
その心が転じれば攻撃的な心や自らを守る心として能くとらえられるのじゃ。

243 避難民のマジレスさん :2021/01/23(土) 12:33:18 ID:KIqelnRo0
くま訳改
心は環境や境地に従って変化するのである。
第三句:全ての心の働きや状況は皆、感情や認識として捉えられるのである。
第四句:その心が転じれば攻撃的な心(劍戟)や自らを守る心(城)として能くとらえられる(幽なり)。

292
泉涌寺雲龍院後小松院廟前菊 泉にう寺雲龍院後小松の院廟ぜんの菊
袞龍錦袖碧雲天 こんりょうきんしう碧雲の天
叡信宗門列祖禪 叡信す宗門列祖の禪
生銕鑄成黄菊意 しゃう鉄つい成すくわう菊の意
秋香未老玉堦前 秋香いまだ老いず玉かいの前

くま訳
泉涌寺雲龍院の後小松院廟前の菊
後小松天皇の威徳を讃えるような青空
宗門祖師の禅を信仰されたのだ。
鍛えられてない鉄を、仕上げよと言うのが、後小松天皇のご意志であった。
その時の秋の香が、未だに衰えることがない宮中のみはしの前であります。

*雲龍院(うんりゅういん):真言宗泉涌寺派の寺院。南北朝時代は北朝の後光厳天皇の勅願により、応安
 5年(1372年)に龍華院と共に創建された。後円融天皇、後小松天皇、称光天皇など皇室の帰依を受けて
 発展したとされる。文明2年(1470年)には応仁の乱の余波を受けて全焼
*袞竜の袖(こんりょうのそで):1 天子の衣の袖。2 天子の威徳のたとえ。
*叡信(えいしん):天子が神または仏を信じ尊び、従われること。また、その信じる心。天皇の信仰。
*列祖:代々の祖先。歴代の祖先。
*鑄(ちゅう):1鋳造する,鋳る.2作り上げる,形成する.
*玉階(ギョッカイ):① 宮中、または神社の階段。御階。みはし。② 広く、階段の美称。
(´・(ェ)・`)つ

244 避難民のマジレスさん :2021/01/23(土) 13:00:30 ID:KIqelnRo0
一休さんの青春
303
年譜:應永十六年 師十六歳
結制日。秉拂僧喜記氏族門閥掩耳出堂。
乃作二偈呈慕喆翁。曰。今叢林頽靡。
非一柱可及。三十年後子言必行。
忍以侍之。其偈曰 

戸谷太一先生訳
師(一休)16歳、
結制の日(禅寺の行事)に、ひんほつの僧(説教をする僧)が喜んで氏族や門閥の話(家柄自慢)を記して
いるのを聞き、耳をふさいでお堂を飛び出した。
そして、詩を二つ作り慕哲翁(一休の詩の師匠)に見せたところ、翁は言った、今の叢林(当時の禅宗社
会)の頽廃は一人の人間で支えられるものではない、30年後に言ったことを実行しなさい、なので忍んで
機会を待ちなさい。
(´・(ェ)・`)つ

245 避難民のマジレスさん :2021/01/23(土) 13:06:40 ID:KIqelnRo0
304
余四十年前、秉拂僧在法堂上  余40年前、ひんぽつ僧の法堂上に在りて、
而説禪客之氏族焉。      禅客の氏族を説くを聞く     
于商于工手行僕者流      商にあれ、工にあれ、行僕者の流れにあれ、
各訐其所業。         各々其の業とする所をあばく。
甚者乃臻出手以爲模様。    甚だしきは、すなわち手を出して以て模様を為すにいたる。
吁是何爲也。即乃掩耳而出矣。 あぁ、是れなんするものぞ。すなわち耳をおおうて出づ。
因廼べ述二偈意在革弊。    因りて二偈を述ぶ。意は弊をあらたむるに在り。
凡四姓之入吾門。皆稱釋氏、  およそ四姓の吾が門に入って、皆な釈氏と称するは、
以其乞食而資姓乞法而資姓也。 其の乞食して命をたすけ、乞法して身を資くるを以てなり。
亦何貴冑望族之有哉。     亦た何の貴ちゅう望族が之れ有らん。
今世山林叢林之論人、     今の山林叢林の人を論ずる、
必議氏族之尊卑焉。      必ず家柄の尊卑の話をする。     
是可忍孰不可忍乎。      是を忍ぶべくんば、いずれか忍ぶ可からざらん。
遂寫前偈以掲示四方。     遂に前偈を写して以て四方に掲示す。
誰敢撃節。其偈曰       誰か敢えて撃節せん。其の偈に曰く、

     1/2
説法説禅挙姓名 法を説き 禅を説いて姓名を挙げる
辱人一句聴呑声 人を辱かしむるの一句 聴いて声を呑む
問答若不識起倒 問答もし起倒を識らずんば
修羅勝負長無明 修羅の勝負無明を長ぜん

くま訳
わしは、40年前、説法する僧が、法堂上で、
法談に招かれた僧の家柄の話をするのを聞いた。
商業者、工業者、仏道修行者や身分の低い人等、
各々其の業とする所をあばいた。
甚だしきは、作り話をでっちあげることまでした。
あぁ、是れは何とした事か。その場で耳をおおい、退出した。
その事ににより、二偈を述べた。意図するところは、悪しきならわしをあらたむることである。
およそ四つの身分の者が我が門に入って、皆、釈氏と称するは、
其の乞食して命をつなぎ、法を学んで身をたすけるからである。
そこにおいて、何の血筋や家柄の違いがあろうか。
今の禪寺では人を評価する時に、必ず家柄の尊卑の話をする。
そんな話を我慢して聞けるくらいなら、我慢できない話など何もないであろう。
今日に至って、前に作った偈を写して以て四方に掲示する。
誰か敢えて共感する者はいないか。その偈に曰く、

法を説き 禅を説く者でありながら、身分をあげつらう。
そのことで人を辱かしめる言を吐くのを聞いて、声が出ない。
問答における勝敗のつけ方を知らないのであれば、
醜い言い争いが、決着がつかないまま、愚かにいつまでも続くであろう。

*秉(ヒョウ・ヘイ・ヒン・とる):①いねたば。ひとにぎりのイネの束。 ②とる。手に持つ。にぎる。 
 ③まもる。心にかたく守る。④え(柄)。転じて権勢。「権秉」
*払(ホツ・はらう):1 はらいのける。はらう。2 やみをはらうように空が明ける。
*秉払の(ひんぽつ)::払子を持つ
*払子(ほっす):仏教の法要の際に僧が威儀を示すために用いる法具である。麈尾(しゅび、しゅみ)、
 白払(びゃくほつ)ともいう。
*客僧:1 旅の僧。旅僧。かくそう。2 他の寺に身を寄せている僧。また、法談などのため招かれた僧
*修羅: 醜い争いや果てしのない闘い、また激しい感情のあらわれなどのたとえ。
*貴冑望族:貴族又名望家の族
*撃節;節を撃たん・意に適って、手又は膝を打ちて、同意を表すをいふ。
(´・(ェ)・`)つ

246 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/24(日) 00:53:34 ID:1d4drIFg0
後小松院廟の前に菊が供えられていたか花壇があったのかもしれん。
それを詠んだのじゃな。

天子の衣のような紺碧の空というのじゃ。
それは天皇の威徳が空一杯に広がっているということじゃな。
後小松天皇は宗門の禅に列して修行したのじゃな。
生鉄を練成して黄色い菊にしたというのじゃ。
修業を完成させたというのじゃ。
黄色い菊は皇室の印じゃな。
その菊の香りがまだ廟前に残っているというのじゃ。

247 避難民のマジレスさん :2021/01/24(日) 11:06:04 ID:eGllDJ6Q0
鬼和尚、いつもありがとうであります。
>> 245の詩もお願いするであります。
γ⌒:"-ヽ〟
(∪(   )
∪∪∨-∨

248 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/24(日) 23:43:11 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じなのじゃ。
そもそもお釈迦様は生まれに拠って四性の区別があるのではなく、行いによって四性があると説いたのじゃ。
そうであるからその弟子の筈である僧が、四性の生まれた家柄による差別を語ってはおかしいのじゃ。
一休も当然それを知っていたが、無知な僧は知らずに論っていたのじゃ。
その頃は一休はまだ若いから説教とかできなかったのじゃな。

一休が四十年前、権威のある僧が法堂上にあって他の客僧がどこの氏族の生まれであるか説いたのを聞いたのじゃ。
商家、工人の家、肉体労働者の流族であるとか暴き、酷いのは手でその生業を真似て示したりもしたのじゃ。
一休は何じゃ、これはと嘆いて耳を覆って堂から出たのじゃ。
是に因り二偈を述べて悪幣を改めるつもりなのじゃ。
およそ四性の者がわが門に入って皆、釈氏と称するのは乞食行をして、身を養うからなのじゃ。
それなのに素性の貴さを望むことなどありえないのじゃ。
今の人が僧を論じる時に必ず出身の家柄の尊卑を語るのじゃ。
このようなことを忍ばなかったら、何を忍ぶというのか。
遂に前の偈を写して四方に掲示するのじゃ。
誰か是をあえて同意する者はいないかというのじゃ。

その偈はこの通りなのじゃ。
 
法を説き、禅を説く者が氏素性をあげつらう。。
それによって人を辱める一句を聞いて声を呑むのじゃ。
そのような問答の利害がわからなければ、修羅の如く勝敗に係り患って無明を強化するのみなのじゃ。

249 避難民のマジレスさん :2021/01/25(月) 18:18:36 ID:68E1el720
305    2/2
犀牛扇子与誰人 犀牛の扇子、誰人にか与えん、
行者盧公来作賓 あん者ろ公、来って賓となる。
姓名議論法堂上 姓名を議論す、法堂の上、
恰似百官朝紫宸 あたかも百官の紫宸に朝するに似たり

仏性(仏になるための性質 )をあらわす犀牛の扇子は与えるまでもなく誰もが持っているのだ。
六祖慧能は出身がいやしくとも、見出されて五祖の客となった
身分のことを法堂上で議論しているのである、
あたかも朝廷に仕える役人のようである。

*行者盧公:六祖慧能:中国の禅僧。ここでは、出身が貧しい慧能が師に見抜かれた、ということ

*おまけ①:犀牛の払子『碧眼録』第91則「塩官の扇子」
【本則】
 挙す。塩官、一日侍者を喚ぶ、「我が与に犀牛の扇子を将ち来れ」。
 侍者云く、「扇子破れたり。」
 官云く、「扇子既に破れたれば、我に犀牛児を還し来たれ」侍者対うること無し。
 投子云く、「将棋出だすことを辞せざるも、恐らくは頭角全からざん」。
 雪竇拈げて云く、「我は全からざる底の頭角を要す」。
 石霜云く、「若し和尚に還さば即ち無からん」。
 雪竇拈げて云く、「犀牛児は猶お在り」。
 資福一円相を画き、中に一つの牛の字を書く。
 雪竇拈げて云く、「適来、為什麼にか将き出ださざる」。
 保福云く、「和尚は年尊し、別に人に請えば好し」。
 雪竇拈げて云く、「惜しむべし、労して功無し」。

 横田観風先生訳・解説抜粋
塩官というのはお師匠さんで、ある日世話係(待者)を呼んで「わしのために犀牛の骨で作った扇子を持っ
て来てくれ」と言った。すると世話係は「扇子は破れて使い物になりませんよ」と言った。
・・・すると塩官は「扇子が壊れたなら、わたしに犀牛そのものを持ってきてくれと」言った。
・・・すると世話係は何も答えられなかった。
・・・塩官が示唆した犀牛というのを、我々が生まれついて持ってきたものが隠れて無くなったものととら
えられれば、何か答え方があった訳である。
「お師匠様、いつも持っているじゃないですか」とか。
ここでは世話係が答えられなかったという事実があるので、後の世の人達がこれを禅問答の材料にしている。
投子は「犀牛を引っ張り出してくる事は良いとしても、恐らく角は完全じゃありません」と言った。
結局、犀牛とは言葉にならない世界、形にならない世界のもの、つまり仏性、それを表に見えるように出す
となると、もう完璧ではなくなる。
欠けたようにしか出せませんよと、そういう意味。
見えないものがそのまま備わっているのに、何もかたちにして見せる事ないだろうと。
雪竇は「私ならば、その不完全な頭角の犀牛児が必要なのだ」と言った。
説明するためには必要という事。
石霜は「もし、和尚に返したら無くなってしまいます。」
だいたい誰にも備わっているものを返せというのがおかしい。
説明しなければ、返したり返さないとかできないけれども、人に知らしめるためには表現しなくてはいけな
い。
表現するにはそういうものは必要だ。お師匠さんから弟子らにいっぱい話をしないといけないとか。
雪竇は「犀牛児はなお在り」と言った。
もともと誰の中にもある。在るとか無いとかの問題でないので、禅は反対の事を言う。片方が無いと言うと
、もう一方は在ると言う。どっちも正しい。
そういう世界では無い所を求めているので、こういう言い方をしている。
資福は犀牛児を円相で描いた。これは表現できないものを丸で表現して象徴化した。さらにその中に牛(仏
性)と描いた。
すると雪竇は「そんなに立派な牛がいるのなら、どうして持ち出して来なかったのだ?」と言った。
これは宇宙そのものが牛なのだという風に表現した。
保福は「和尚は随分年取ったぞ、別の人に頼んで下さい」と言った。世話係の引退宣言。
雪竇は「惜しい事だ。お前さんも長く勤めてくれたがさっぱり功が無かったなあ」と言った。
私だったら何と言うか。「和尚はすでに持っているのに、欲張りですね」とか。いろいろある。
(´・(ェ)・`)つ

250 避難民のマジレスさん :2021/01/25(月) 18:28:56 ID:68E1el720
*おまけ②:犀牛の払子『碧眼録』第91則「塩官の扇子」
【頌】
 犀牛の扇子用うること多時、問著れば元来総な知らず。
 限り無き清風と頭角と、尽く雲雨と同に去って追い難し。
 雪竇復た云く、「若し清風の再び復し、頭角重ねて生ぜんことを要せば、請う禅客、各一転語を下せ」。
 問うて云く、「扇子既に破れたれば、我に犀牛児を還し来たれ」。
 時に有る僧出でて云く、「大衆、参堂し去け」。
 雪竇、喝して云く、「鈎を抛って鯤鯨を釣りしに、箇の蝦蟆を釣り得たり」と。
 便ち下座す。

横田観風先生・訳・解説より
犀牛の扇子を用いる事久しくとも、どういうものかと聞いても、誰も知らない。
認識を超えて霊妙不可思議というものは知っているけれども、こういう形があるとかは誰も知らない。
知ろうとしてもわからないものだ。
塩官と世話係の問答について、五人(投子、石霜、資福、保福、雪竇)がいろいろ見解を述べて答えている
が、皆、悟っている人なので、そのものズバリとは言わないが、それぞれ答え方が清い風を受けるようなも
のだ。
雪竇が塩官の真似をして「誰か、弟子の中で答えが言える人はいるか?」と皆に言った。
するとある僧が出て来て「大衆、禅堂に帰れ」と言って、皆を禅堂に帰す働きを示した。
すると雪竇は誰かに出て来てもらって問答したかったのに、帰されてしまったので、喚いて「わしは皆に釣
り針(言葉)を投げかけて、誰か鯨みたいな大物がいないか釣り上げようと思ったのに、何と釣り上げたの
は余分な事をするちっぽけな蛙だったわい」と言ってすっと帰ってしまった。
(´・(ェ)・`)b

251 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/25(月) 23:12:40 ID:1d4drIFg0
法を継ぐ者の証である犀牛の扇子を誰に与えるべきかというのじゃ。
身分が低い家の出であった慧能が受けるべき賓客となったのじゃ。
法堂で生まれた家の貴賎を語るのは役人が朝廷に集まっているのにも似るのじゃ。
俗臭紛々なのじゃ。

252 避難民のマジレスさん :2021/01/26(火) 16:47:52 ID:Zd7tgxm60
306
自戒
罪過彌天順藏主 罪過彌天順藏主
世許宗門賓中主 世に許す宗門賓中の主と
説禪逼人詩格工 禪を説いて人にせまる詩格の工
無量劫來悪道主 無量劫來悪道の主

くま訳
自戒
罪過は天いっぱいに拡がるほど多いのである。
世間から禅宗門は、修行者は師よりも劣ると看做されているのであるが、
わしが禅を説く際に、聞き手に強い印象を与えるのは、言葉選びがたくみななだけである。
永遠の、悪道主でる。

*罪過弥天(ざいかみてん):弥はあまねくいきわたるという意味で、罪や過失が空一面に広がるほど大き 
 く甚だしいことを意味する。
*賓中主:飛不動HP解説 
 四賓主は、賓と主、二人の能力の関係を四通りに分けたものです。賓は客、主は亭主。通常、客が修行者、
 主は師となります。
 ① 客看主 「客、主を看る」
 修行者が力量のある者で、師に力量がない=劣る場合。
 ② 主看客 「主、客を看る」
 師に力量があり、修行者に力量がない=劣る場合。
 ③ 主看主 「主、主を看る」
 師も修行者も、ともに優れた者の場合。
 ④ 客看客 「客、客を看る」
 師も修行者も、ともにまだ悟っていない力量不足者同志の場合。
 以上は臨済宗の場合で、曹洞宗では、
 ①主中賓 ②賓中主 ③主中主 ④賓中賓 と表します。

 ① 修行者に見破られている状態。
 ② にわか住職に見破られている状態。
 ③ 共に悟りの眼があり、禅の話をして相通じる状態。
 ④ 共に悟りの眼がないので、お互い話がチンプンカンプンの状態。
*詩格:1 詩の作り方の規則。詩の法則。2 詩がもつ風格。詩の品格。
(´・(ェ)・`)つ

253 避難民のマジレスさん :2021/01/26(火) 18:24:52 ID:x7otsCkY0
305の詩・くま訳全面改
法を継ぐ者の証である犀牛の扇子を誰に与えるべきであるか。
身分が低い家の出であった慧能が弘忍に認められたて六祖となったのだ。
法堂で生まれた家の貴賎を語るのは
役人が朝廷に集まっているのにも似るのだ。
(´・(ェ)・`)b

254 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/26(火) 23:28:50 ID:1d4drIFg0
自戒の詩じゃな。

わしの罪過は天に満ちるほど多いのじゃ。
世間ではわしは宗門でも一番の名僧とされているのじゃ。
しかし実は詩の作り方がうまくて人に禅を説いているだけなのじゃ。
無量劫にも無いほどの悪道の者なのじゃ。

255 避難民のマジレスさん :2021/01/27(水) 16:29:04 ID:QvALKIzw0
くま訳全面改
わしの罪過は天に満ちるほど多いのだ。
世間ではわしは宗門でも一番の名僧とされているのだ。
しかし実は詩の作り方がうまくて人に禅を説いているだけなのだ。
無量劫にも無いほどの悪道の者なのだ。

307
大徳寺火後題大燈國師塔 大徳寺火後大燈國師の塔に題す 1283 1338 
創草百二十八年 創草百二十八年
看來今日體中玄 看來ればこんにち體中玄
正邪境法滅卻後 正邪境法滅卻して後
猶是大燈輝大千 猶ほ是れ大燈大千に輝く

くま訳
大徳寺火災後の大燈國師塔と題して
大徳寺は創建されて百二十八年で(炎上してしまったので)ある。しかし、
創建されて以来の真実は大燈國師の中に見出せるのである。
正邪、意識対象となるもの全てを滅却した大燈国師は、
これからも三千大世界に輝き続けるのである。

*三玄三要(臨済録):玄は黒を表わし、奥の深い状態を指すので、真理、真実を深く極めた人という意味  
 で捉える事ができる。89の詩 参
 1、「体中玄」とは、物事の姿や形の中に真実を見つけ出そうということ
 2、「句中玄」とは、言葉に込められた根本の意味を見つけ出そうということ
 3、「玄中玄」とは、形や言葉に囚われない真実の姿を求めること
  臨済録・何をさすか明示されていない。一説に、玄中玄(真理そのもの)、句中玄(言語における真 
  理)、体中玄(修行で現れる真理)の三つをあげる。265の詩 参

*大徳寺・山号は龍宝山 開基は大燈国師宗峰妙超、1325年
 1453年・60歳の時・大徳寺が炎上。
(´・(ェ)・`)つ

256 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/27(水) 23:26:53 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

大燈国師の塔が再建されたのじゃな。
大徳寺が創建百二十八年というのじゃ。
看に来たれば体中玄なのじゃ。
正邪も滅却して後、なおも大燈国師の威光は大千世界に輝くというのじや。

257 避難民のマジレスさん :2021/01/28(木) 17:24:07 ID:GLxyV7yo0
くま訳改
第二句:看来れば、物事の姿や形の中に真実を見いだせるのだ。
第三句:正邪、意識対象となるもの全てを滅却した後も、
第四句:なおも大燈国師の威光は大千世界に輝くのである。

308
賛鳥窠和尚   てうくわ和尚を賛す
巣寒樹上老禪翁 巣は寒し樹上の老禪翁
寂寞淸高名未空 せきばくせいかう名いまだむなしからず
諸悪莫作善奉行 諸悪まくさ善奉行
大機須在醉吟中 大機はすべからくすゐ吟のうちに在るべし

肝冷斎先生訳・解説より
そこの巣は寒くはございませんか、樹上の老いた禅じじいよ、
孤立し、清く高尚で、その名は今でも知られている。
白楽天の問いに答えて、「悪いことはしてなりません、いいことをしなさい」と(外面よく答えたが)
(悟りへの)大きな転換ポイントは酔歌する(ようなキモチ)の中にこそあるはずだ。

「酔吟」・・・白楽天が晩年に「酔吟先生」と自称しているので、それを踏まえると、(悟りへの)大きな
 転換ポイントは、白楽天の方にあるはずだ(和尚の方はヒントを示しているだけだ)。

くま訳
鳥巣(ちょうか)和尚について詠うのだ
松の木の上に住んだ鳥巣老僧は、寒かったでありましょう。
寂寞たる中で、清らかに生きたその名は、未だに思い起こされてるでありますよ。
悪事をなさず、善事をなせ。(よと、鳥窠和尚は白楽天の問いに答えて言ったのだ。)
悟りを求める実践法は、すべからく、酔吟のうちにあるのだ。

*鳥窠道林(ちょうかどうりん、741-824、唐代 白居易との交流で知られる。198 40の詩 参    
*道林和尚と白楽天の間に交わされたという有名な問答の概要・禅の視点 - life - HPより
 
 白居易来って宗要を問ふ、居易曰く、「禪師の住所甚だ危険なり」と。
 窠曰く、「居士の危険尤も甚だし。」
 居士曰く、「弟子の位、江山に鎮す、何の険なることか之れあらん」と。
 窠曰く、「薪火相交って識性停まらず、険に非らざることを得んや。」
 
「和尚さん、そんなところで坐禅をしていては危ないのではないですか?」
「ワシには、あなたのほうが危険に見えるが」
「私はこの度新しく杭州の長官として赴任してきた白居易です。この辺りはすべて私が治めています。何の 
 危険があるというのでしょうか」
「薪を燃やすかのように、煩悩の炎が燃えあがっておる。どうして危険がないなどということが言える 
 か」(この後に135の詩の詞書がつづく)
*諸悪莫作善奉行:一休さんお気に入りの言葉。
*寂寞(ジャクマク・せきばく):ひっそりしていてさびしいこと。また、そのさま。静かなさま。
*清高:清らかですぐれている・こと(さま)。
*大機:大乗の教えを受け、それを実践する資質。また、その資質を有する者
(´・(ェ)・`)つ

258 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/28(木) 23:38:35 ID:1d4drIFg0
鳥巣和尚の賛じゃな。
寒樹は葉の落ちた樹なのじゃ。

寒樹の上に巣を作る禅翁なのじゃ。
清き涅槃の境地によって高名未だ空しくないのじゃ。
鳥巣禅師は白居易に諸々の悪はなさず、善き事を奉じ行えと説いたのじゃ。
なぜならば悟りへの大いなる機会とは白居易自らの中にあらねばならぬからなのじゃ。

259 避難民のマジレスさん :2021/01/29(金) 17:29:17 ID:Mq7fRKlY0
くま訳全面改
第一句:寒樹は葉の落ちた樹の上に巣を作る禅翁なのだ。
第二句:清き涅槃の境地によって高名未だ空しくないのだ。
第三句:鳥巣禅師は白居易に悪事はなさず、善事を行えと説いたのだ。
第四句:なぜならば悟りへの大いなる機会は白居易自らの中にあらねばならぬからなのだ。

一休さんらしいオチと言うべきでありましょうか。
309
賛靈昭女    靈昭女を賛す
笟籬賣却甚風流 さうりまい却して甚だ風流
一句明明百草頭 一句明明たり百草頭
相對無心弄禪話 相對して禪話を弄ずるに心無し
朝雲暮雨不甚愁 朝雲暮雨愁に堪えず

くま訳
賛靈昭女(りんしょうじょ)について詠うのだ。
竹かごを売って生活していた風流な女性である。
森羅万象はありのまま、(仏法の真髄、悟りの法)の一句を遺している
相対して禅話をしても、無心なのだ。
しかし、情を交わすことがあったとしても、ものわびしく感じてしまうであろう。

*靈昭女:(りんしょうじょ・れいしょう)龐居士(ほう)の娘、一家そろって禪宗に在家で歸依、竹漉籬 
 売りて父母を養ふ。 
 150の詩参
*おまけ: 龐居士VS 靈昭女 親子問答
居士一日坐次。問靈照曰。     居士一じつ坐する次いで、りんしょうに問とうて曰く、
古人道。明明百草頭。明明祖師意。 古人いう、明明たり百草頭、明明たり祖師意、と。
如何會。              如何が会す 
照曰。老老大大。作這箇語話。 照曰く、老老大大として這箇の語話をなす。
士曰。你作麼生。 士曰く、なんじはそもさん。
照曰。明明百草頭。明明祖師意。 照曰く、明明たり百草頭、明明たり祖師意。
士乃笑。 士、すなわち笑わう。

細川景一先生訳・解説抜粋
父、龐居士が娘に問いかけます。「古人いう、明々たりひゃくそうとう、明々たり祖師そし意い、如何にえ
すや」。
霊照が答えます。「老々ろ大々、お父さん、いい歳をして何をいっているのですか」。龐居士、驚いた顔を
して問います。「じゃ、お前ならなんという」。
霊照、おもむろに、「明々めいめいたり百草頭、明々たり祖師意」。
龐居士、頷いてにっこり笑います。

答えは一緒です。どう違っていたのでしょうか。龐居士は、ただ古人の言葉として取り上げたにすぎません。
霊照はこの「明々たり百草頭、明々たり祖師意」の語を、自分の見解(けんげ)として呈し、その真意を体得
したのです。そこを看て取って龐居士は頷いたのです。
「明々」とは、はっきり・・、ありあり・・としているさま。「頭」は意を強める助辞。また、文字通りの
頭、先のことと解することもできます。「百草」とは、草花に限りません。森羅万象、山河大地、草芥人畜、
一切の存在と現象を意味します。「祖師意」とは、祖師西来意・・といわれるもので、達磨大師がインドか
ら中国にやって来た本当の意ということから、禅問答の中では、仏法の真髄・・とか悟り・・とかの意に用
いられます。
「明々たり百草頭、明々たり祖師意」。私たちの目前に拡がる山川草木、禽獣、虫魚、瓦礫塵芥(がりゃく
じんかい)等一切の存在と現象一つ一つが、そのまま仏法の真理であり、悟りであるというのです。故に一
草、一木、一匹、一箇の事々に、物々の一つ一つに耳を傾け、目を凝らし、心を通わせ、その真実の姿を収
得しなければならないのです。霊照は父親の手引きで、目前の一草一木の先に輝く仏の命を学び取ったのです。
(´・(ェ)・`)つ

260 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/29(金) 23:39:43 ID:1d4drIFg0
靈昭女は竹かごを売却してはなはだ風流なのじゃ。
一切が明らかになった境地を句に表したのじゃ。
相対すれば無心で禅話を玩弄するじゃろう。
それが一夜の逢瀬で終わったとしても愁いが甚だしいこともないのじゃ。

261 避難民のマジレスさん :2021/01/30(土) 17:25:12 ID:VDH662kQ0
くま訳改
第四句:それが一夜の逢瀬で終わったとしても愁いが甚だしいこともないのだ。

不甚(たえず))あまり…でない.あまりはっきりしない,よくわからない.そんなにはっきりしていない.
くまの元訳は、耐えずと誤訳してしまったのである。

310    1/2
大燈國師百年忌 二首
曩覔青銅無半文 さきに青銅をもとむるに半文無し
酬恩一句豈驚群 恩にむくゆる一句あに群を驚かさん
祖師遷化己百載 祖師のせんげすでに百さい
空拝婆年婆子裙 むなしくば年を拝すばしがくん

柳田聖山先生訳
いくら頭陀袋を探しても、半文もないのに
どうして気の利いた詩句を捧げられようか
祖師が亡くなって早や百年が過ぎた年月は、
老婆が年月を数えるように、虚しい限りだ。

くま訳
まずは、銭を探してみたが半文も無いのである
大燈國師の恩に報いたくて一句を詠んでも、多くの人の注意をひくことが出来ない。
大燈亡くなってすでに百年
虚しく老婆の様に年を数える

*半文:斎宮歴史博物館HPによると、平安時代の貨幣価値は、1文24円くらいだそうである。くまより貧 
 乏な一休さんであるが、いずれ、一休文化サロンのパトロン達から何十億円も寄付を集めて、大徳寺を再 
 建するのである。
(´・(ェ)・`)つ

262 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/31(日) 00:18:14 ID:1d4drIFg0
大燈国師の百年忌なのじゃ。

財布の中には半文の銅銭もないというのじゃ。
恩に報いるのに金は無く詩の一句だけであるがそれで群集を驚かすことなどあろうかというのじゃ。
なぜならば祖師の遷化して百年経ったことを祝うというのは、老婆が年古びた腰巻を空しく拝むようなものであるからなのじゃ。

263 避難民のマジレスさん :2021/01/31(日) 14:20:37 ID:4O1q8XE60
くま訳改
第四句:それを祝うというのは、老婆が年古びた腰巻を空しく拝むようなものなのだ。

311    2/2
児孫多踏上頭関 児孫多く踏む上頭の関
一箇狂雲江海間 一個の狂雲紅海のあひだ
大会齋還在何處 大え齋かへっていずれのところにか在る
白雲蒸飯五臺山 白雲はんを蒸す五台山

慧智和尚 の解釈
伝統や系譜を肩にかけた頭でっかちの“お偉い”先輩弟子が公案を通るが、頭を捨て去り融通無碍に生きて
こそ本物である。

柳田聖山先生訳
弟子は皆、上へ上へと階段を昇るのだが、
狂雲子のボクだけは、海辺に、河辺に遊
百年祭など、どこで執り行われるのだろう。
白雲が湯気を立ち込めるあの五台山あたり。

くま訳
大燈の弟子たちは、どんどん出世してゆくが、
狂雲は一人海辺、川辺で遊んでいるのである。
大燈百年忌の大会斎はどこで行われるのだろう、
盛大な宴会のための炊飯の湯気が、仏教の聖地五大山を曇らせているであろう。
(´・(ェ)・`)つ

264 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/01/31(日) 23:55:03 ID:1d4drIFg0
孫弟子や曾孫弟子達が墓の中の大燈国師の頭上を踏んづけているというのじゃ。
一休だけは川海に降りて踏んでいないのじゃ。
祖師の没後百年を忌む心がどこにあるのかというのじゃ。
僧達が寄り集まり物見遊山の気分で飯を炊いて食べる蒸気が白雲となって五台山にまで届くというのじゃ。

虚礼を批判して本心を尊ぶ一休らしい二首なのじゃ。

265 避難民のマジレスさん :2021/02/01(月) 08:36:51 ID:EjUwW3wo0
くま訳全面改
孫弟子や曾孫弟子達が墓の中の大燈国師の頭上を踏んづけているのだ。
わしだけは川海に降りて踏んでいないのだ。
祖師の没後百年を忌む心がどこにあるのかというのか。
僧達が寄り集まり物見遊山の気分で飯を炊いて食べる蒸気が白雲となって五台山にまで届くのだ。

312
偶作
昨日俗人今日僧 さく日は俗じんこん日は僧
生涯胡亂是吾能 生涯うろん是れわが能
黄衣之下多名利 くわうえのもと名利多し
我要兒孫滅大燈 我は要す兒孫んの大燈を滅せんことを

くま訳
昨日は俗人今日は僧
わしは生涯怪しい奴なのだ。
僧衣を着てると名声や利益が転がり込むのだ
わしには、それが必要なのだ、大燈の後継者と称する奴等を滅ぼす為に。

*俗人:世間一般の人。利益や評判しか考えないような、くだらない人物。風雅の心がわからない人
*胡乱;確かでなく、怪しいこと。うさんくさいこと。
(´・(ェ)・`)つ

266 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/01(月) 23:30:33 ID:1d4drIFg0
昨日は俗人となり、今日は僧となる。
生涯うろんな奴となるのが我が智慧に拠って能くすることなのじゃ。
なぜならば僧の黄衣を着ているだけでも名声や利益が集まってしまうからなのじゃ。
わしには大燈の伝統を継ぐものとしての名声さえも滅することが必要なのじゃ。

一休は僧としての名声や利益さえも不要と言うのじゃ。
見上げたものじゃ。

267 避難民のマジレスさん :2021/02/02(火) 18:40:58 ID:1so70pj20
くま訳全面改
昨日は俗人今日は僧
わしは生涯怪しい奴になるのが我が智慧に拠って能くすることなのだ。
僧衣を着てると名声や利益が転がり込んでしまうのだ。
わしは、大燈の後継者ととしての名声さえも滅することが必要なのだ。

313
苦中樂
酒喫三盃未濕唇 酒三盃を喫して未だしんを潤さず
曹山老漢慰孤貧 曹山老漢 孤貧をいす
直横身火宅中看 直に身を火宅のうちに横たえて看れば
一刹那間万刧辛  一刹那かん万ごうのしん

くま訳
酒三盃をあおっても、未だ酔えない。
曹山和尚ならば、既に狐貧の境涯に達していると慰めてくれるだろうが、
直接我が身を娑婆世界に置いてみれば、
この一瞬が、永遠の苦しみのように感じるのだ。

*『無門関』第十則にある「清税孤貧(せいぜいこひん)」
 清税和尚(税闍梨・ぜいじゃり)が、 曹山本寂(ほんじゃく)和和尚に問う。
 「清税孤貧、乞う師、賑済(しんさい)せよ」 私は狐貧(本來無一物)の境涯を得たが、
                       この上、何を会得したらいいのでしょう。
 曹山云く、「・・酒、三盞(さんせん)喫し了って猶お道(い)う、未だ唇を沾(うるお)さず」と。
(´・(ェ)・`)つ

268 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/02(火) 23:04:15 ID:1d4drIFg0
大悟すれば全てで満ち足りている故に三杯の酒を飲んでも唇をぬらす程度にもならぬのじゃ。
曹山和尚ならば真の孤貧の悟りに拠ってわかるのじゃ。
俗世に在ればそれは刹那でも何万年の苦と感じるじゃろう。

269 避難民のマジレスさん :2021/02/03(水) 17:53:25 ID:381gV8NM0
くま訳全面改
大悟すれば全てで満ち足りている故に三杯の酒を飲んでも唇をぬらす程度にもならぬのだ。
曹山和尚ならば真の孤貧の悟りに拠ってわかるのだ。
俗世に在れば
それは刹那でも何万年の苦と感じるものなのだ。

314
嫌抹香     抹香を嫌ふ
作家手段孰商量 作家の手段たれか商量せん 
説道談禅舌更長 説道談禅舌更に長し  
純老天然悪殊勝 純老は天然殊勝をにくむ 
時顰鼻孔佛前香 ひそかに鼻くうをしかむ仏前の香

仁先生訳
本当に悟りをえた者の境地を一体誰が思量することができるだろうね。  
悟ったように道を説き、禅をお喋りしている者たちの舌は、長すぎるよ。   
ぼくはね、天然の木偶の坊だからね、くそまじめ精神が嫌いなんだ。 
仏前の抹香臭さには、たまらず鼻を顰めてしまうよ。 

くま訳
禅宗師家が弟子を導く方法について、誰が、評価できるというのだ。
仏道を説き、禅を談じる際にはたいへん饒舌な奴らである。
わしは、ありのままを追求するのだ、本來殊勝な奴は嫌いなのだ。
仏前の抹香臭いには鼻をしかめてしまうのである。
(´・(ェ)・`)つ

270 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/03(水) 21:33:40 ID:1d4drIFg0
大体そのような感じじゃな。

仏陀の法を誰が理解することが出来るのかというのじゃ。
まだ目覚めぬ者が法について長口舌するのじゃ。
わしはあるがままに在ることが法であり、殊更に優れた法を分別するのは悪とするのじゃ。
仏前に供える抹香も多すぎれば臭すぎて鼻を顰めるようなものじゃ。

271 避難民のマジレスさん :2021/02/04(木) 06:31:54 ID:z5R.lv3M0
くま訳改
第三句:わしはあるがままに在ることが法であり、殊更に優れた法を分別するのは悪とするのだ。

一休さん、東福寺(涅槃図)広報の詩
315
涅槃像  1/2
作佛被毛無主賓 さぶつひ毛主賓無し
春愁二月涅槃辰 春愁二月涅槃のとき
有情異類五十二 有情異類五十二
混雑紫磨金色身 混雑す紫磨金じきのみ

中瀬祐太郎先生訳・解説
涅槃に入るお釈迦さんと、その周囲で嘆き悲しんでいる動物たちとに、主体も客体もない。
その涅槃の季節は物悲しい春の二月である。
五十二種類にのぼる一切の生きとし生ける者たちが集まって、
美しく輝く御釈迦さんの周囲をうじゃうじゃさわがしく取り巻いている。
〔語注〕
・作佛…佛になること。 ・披獣…獣になること。 ・主賓無し…自他などの相他した区別のない世界。
・五十二…入滅の際し集まった五十二種の衆生。

くま訳
佛も衆生も分け隔て無し
春愁二月涅槃のとき
五十二の人や動物が描かれている
みな集まる、金色の仏

*紫磨金(シマゴン)紫色を帯びた純粋の黄金。紫磨黄金。紫金(しこん)。
*現在では、酬恩庵一休寺に、南北朝、室町、江戸後期に製作された涅槃図が所蔵されており、釈迦(しゃ
か)の命日とされる旧暦の2月15日に涅槃会(ねはんえ)が行われ、涅槃図3幅が特別公開されているの
である。 一休さんが見に行ったのは↓
参)東福寺所蔵の8x15mの巨大図絵 (猫も描き加えられていることで有名)
http://www.rinnou.net/nehanzu/1_kaisetsu/1-1_jinbutsu/shakuson.html 
(´・(ェ)・`)つ

272 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/04(木) 23:28:44 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 お釈迦様が涅槃に入って一切衆生が悲しんでいる図というのじゃ。
 二月の春というのじゃ。
 52種類の衆生が描かれているのじゃ。
 金色の仏陀の体を取り巻いて混雑しているというのじゃ。

273 避難民のマジレスさん :2021/02/05(金) 19:16:06 ID:TUYcrgkw0
316
涅槃像  2/2
頭上北洲脚下南 頭上は北洲 脚下は南    
前三三也後三三 前三三や後三三  
逼塞乾坤釈迦像 乾坤に逼塞す釈迦の像    
看來慧日一迦藍 看来れ 慧日の一迦藍   

中瀬祐太郎先生訳解説
頭は北向き足は南向きで、
ごろんと横たわっているお釈迦さんの周りに、あっちこっちにちらほらと数人ずつの者たちがへばりついて
いる。
天地をいっぱいにふさげているこの巨大な涅槃図を、
東福寺の佛殿へ、ぜひ見にいらっしゃい!
〔語注〕
*北洲…来倶盧洲。四大洲のひとつ。 
*前三三後三三…こちらにちらほらあちらにちらほら。『碧巌録』三十五即に出ることば。
*乾抻…天地。 
*慧日…東福寺の山号。(仏語。仏の智慧が煩悩や罪障を除くことを、太陽にたとえていう語。)
    
くま訳
頭は北向き、足は南
前に後ろに、みんないる
天地いっぱいに描かれた涅槃像、
見にいらっしゃい、東福寺へ!
(´・(ェ)・`)つ

274 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/05(金) 23:47:32 ID:1d4drIFg0
なにやら宣伝文句みたいじゃのう。
頼まれて書いたのかもしれん。

北枕でお釈迦様はねているのじゃ。
前後に衆生が居るのじゃ。
画幅一杯に書かれた釈迦像なのじゃ。
寺に来てみるとよいのじゃというのじゃ。

275 避難民のマジレスさん :2021/02/06(土) 13:55:58 ID:Az3frn.E0
317
地獄
三界無安 三がい無安  
猶如火宅 猶ほ火宅のごとし
箇主人公 箇の主人公
瑞岩應諾 ずゐ岩應諾す

くま訳
地獄
三界(欲界・色界・無色界)は心休まることなく、
燃え盛る家の中にいるようなものである。
主人公(本来の面目)よぉぉ、と自分に呼びかけて、
瑞岩和尚の真似をして、はい!と応えてしまったら、地獄でありましょう。

おまけ:瑞巌主人公 無門関十二則「瑞巌主人」禅と悟りHPより抜粋
本則:瑞巖彦和尚。毎日自喚主人公。  瑞巌彦(ずいがんげん)和尚、毎日自ら「主人公」と喚び、
   復自應諾。           復(ま)た自ら応諾す。
   乃云。惺惺著。喏。       乃(すなわ)ち云く、「惺惺着(せいせいじゃく)、諾。 
   他時異日。莫受人瞞。喏喏。   他時異日、人の瞞を受くること莫れ。諾諾」。

   瑞巌彦(ずいがんげん)和尚は毎日自分に向って「おい主人公!」と喚びかけ、
   自分で「はい」と答えた。
   その後「おい、しっかりしろよ」。「はい」。
   さらに、「どんな時でも他人に騙されるなよ」と喚びかけ、自分で「はい、はい」と応え自問自答し    
   ていた。
評唱:瑞巌和尚は、自作自演の胡散臭い一人芝居をしているわい。
   一体彼は何が言いたいのだろう。
   さあここだぞ。
   一人は喚ぶ者、一人は応える者。一人ははっきりと目覚めている者、一人は騙されない者。
   しかし、この内どの一人を容認してもダメだ。
   そうだと言って若し瑞巌和尚のまねでもしたら、それこそ野狐禅に陥るだろう。

頌:参禅修行者が真実を識らないのは、分別意識に惑わされるためである。
  過去から積もった人生の苦の本である分別意識(理知脳)を、
  本来の面目だと誤認して「本来人」と呼んではならない。

承福寺HP解説抜粋
この主人公とは、禅で言うところの「本来の面目」ということである。すなわち、
本来の自己、真実の自己ということであり、本来備わる「仏性 (ぶっしょう)」のことである。禅の目指すと
ころは「己事究明」による「見性成仏」である。己の内心を究明し究明して、生まれながらに頂いている仏
性への目覚めに修行の眼目があるのだ。
(´・(ェ)・`)つ

276 避難民のマジレスさん :2021/02/06(土) 14:03:50 ID:Az3frn.E0
おまけ・臨済椂 示衆  禅と悟りHPより
大徳、三界無安、猶如火宅。 大徳、三界安きこと無く、猶お火宅の如し。
此不是爾久停住處。 此は是れ汝が久しく停住する處にあらず。
無常殺鬼、一刹那間、不揀貴賤老少。 無常の殺鬼、一刹那の間に、貴賤老少を揀ばず。
爾要與祖佛不別、但莫外求。 汝は祖佛と別ならざんと要せば、但だ外に求むること莫れ。
爾一念心上清淨光、是爾屋裏法身佛。 汝が一念心上の清淨光は、是れ爾が屋裏の法身佛なり。
爾一念心上無分別光、是爾屋裏報身佛。汝が一念心上の無分別光は、是れ爾が屋裏の報身佛なり。
爾一念心上無差別光、是爾屋裏化身佛。汝が一念心上の無差別光は、是れ爾が屋裏の化身佛なり。
此三種身、是爾即今目前聽法底人。 此の三種の身は、是れ汝即今目前聽法底の人なり。
祇爲不向外馳求、有此功用。 祇(た)だ外に向って馳求せざるが爲に、此の功用有り。
據經論家、取三種身爲極則。 経論家に拠らば、三種の身を取って極則と為す。
約山僧見處、不然。 山僧(さんぞう)が見処に約すれば、然らず。
此三種身是名言、亦是三種依。 この三種の身は是れみょう言にして、亦た是れ三種の依なり。
古人云、身依義立、土據體論。    古人云く、「身は義に依って立て、土は体に拠って論ず」と。 
法性身、法性土、明知是光影。    法性の身、法性の土、明らかに知んぬ、是れ光ようなることを。
大徳、爾且識取弄光影底人、     大徳、汝しばらく光影ようを弄する底の人を識取せよ。
是諸佛之本源、一切處是道流歸舍處。 これ諸仏の本源にして、一切処是れ道流が帰舎の処なり。
是爾四大色身、不解説法聽法。    是れ汝が色身は、説法聴聞する解(あた)わず。 
脾胃肝膽、不解説法聽法。      脾胃肝胆(ひいかんたん)は説法聴聞する解(あた)わず。
虚空不解説法聽法。         虚空は説法聴法する解(あた)わず。 
是什麼解説法聽法          是れ什麼(なに)ものか 説法聴法を解(よく)くす。
是爾目前歴歴底、          汝目前歴歴底(れきれきてい)にして、 
勿一箇形段孤明、          一箇の形段(ぎょうだん)勿(な)くして孤明(こめい)なる、   
是這箇解説法聽法。         是れ這箇(しゃこ)、説法聴法を解(よく)くす。
若如是見得、便與祖佛不別。     若し是(かく)の如く見得すれば、便ち祖仏と別ならず。
但一切時中、更莫間斷、觸目皆是。  但(およ)そ一切時中、更に間断莫く、触目皆な是(ぜ)なり。   
祇爲情生智隔、想變體殊、      ただ情生ずれば智隔たり、相変ずれば体殊(こと)なるが為に、      
所以輪回三界、受種種苦。      所以(ゆえ)に三界に輪廻して、種々の苦を受く。
若約山僧見處、           若し山僧(さんぞう)が見処に約せば、
無不甚深、無不解脱。        甚深(じんじん)ならざるは無く、解脱せざるは無し
(´・(ェ)・`)
(つづく)

277 避難民のマジレスさん :2021/02/06(土) 14:06:00 ID:Az3frn.E0
おまけ・臨済椂 示衆  禅と悟りHPより現代語訳
諸君、法華経に「三界は安きこと無し、猶お火宅の如し」とあるように、
火宅のようなこの世界は君達が久しく留まる処ではない。
死の殺鬼は一刹那(せつな)の間に貴賎老若を選ばず生命を奪ってしまうのだ。
君達が祖仏と同じになりたいならば、決して外に求めてはならん。
お前達の本来の心に具わる清浄光がお前達の法身仏(ほっしんぶつ)なのだ。
お前達の本来の心に具わる無分別光がお前達の報身仏(ほうしんぶつ)だ。
お前達の本来の心に具わる無差別光が、お前達の化身仏(けしんぶつ)なのだ。
此の三種の仏身とは、今わしの目前で説法を聴いているお前達そのものだ。
外に向って探し求めないからこそ、このような働きがあることが分かる。
経論の専門家は、仏の三身を仏法の究極だとしている。
しかし、わしの見地からはそうではない。
この三身仏は単なる名前で、仮りの拠り所に過ぎない。
古人も「三身仏は仏教の教義から出てきたもので、
仏国土はその概念から設定したものだ」と云っている。
法身仏とか、法性の仏国土などは、明らかに単なる思想や概念に過ぎない。
諸君よ、その思想や概念をちらつかせている本体を見て取らねばならない。
それこそ諸仏の本源であり、お前達が帰り着くべき家郷なのだ。
お前達の生ま身の肉体は、説法も聴法もできない。
胃や肝臓などの内臓も説法も聴法もできない。
また虚空も説法も聴法もできない。
それでは一体何者が説法したり聴法したりしているのだろうか。
今わしの目前にはっきりと居て、はっきりと肉体としての形体はないが
独自の輝きを発しているお前達そのもの、
それこそが説法したり聴法することができるのだ。
もし、そのように理解できれば、お前達は祖仏と同じだ。
そうなれば朝から晩までとぎれることなく、目に触れるもの全てが肯ける。
ただ情念が起こると智慧は遠ざかり、想念が変化すれば本体も変わるために、
迷いの世界に輪廻して、種々の苦しみを受けるのだ。
もし、わしの見地に立てば、全ては深遠極まりなく、
そのままで解脱しないものは無い」。
(´・(ェ)・`)b

278 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/07(日) 00:16:26 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

三界に安心はなく、火事の家のようだというのじゃ。
この地獄の主人公は瑞岩が答えた者だというのじゃ。
幻想の自我なのじゃ。

279 避難民のマジレスさん :2021/02/07(日) 03:15:34 ID:R5IWtaC60
318  1/2
泉堺衆絶交   泉堺の衆と交を絶つ
耽利好名天澤孫 利に耽り名を好む天澤の孫
靈光失脚大燈門 靈光失脚す大燈の門
梨冠爪履人疑念 梨冠くわり人の疑念
伎倆當機報佛恩 伎倆機の当たって佛恩を報ず

泉堺の衆と交を絶つ
名利を上げることを好む虚堂の孫弟子
大燈・關山のように世俗の名利から徹底して超脱する禅風は失われた大燈の門
人に疑われるようなことはしない方が良いのである。絶交しても、
小手先の技で、その場に応じて佛恩に報いることもできるのである。

*靈光:大燈・關山のように世俗の名利から徹底して超脱する禅風のことと解した。
 ・大燈国師:宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)1283-1338、1307、26歳のとき、印可を得た。嗣法の 
 後、約20年草庵にあって京都で乞食行をする。峻烈無比の禅風の故に近づく人も少なかった。 
 ・関山慧玄(かんざんえげん)1277-1361、1329雲門の関字の公案で開悟し、宗峰がこれを証明、1342宗峰 
 (大燈)が推挙し、妙心寺開山となった。禅風は厳格で、その生活は質素をきわめ、枯淡な禅風で修禅に専 
 念した
大燈国師宗峯妙超遺誡
 或いは儻もし一人あり野外に綿絶し、一把茅底。折脚鐺内に野菜根を煮て喫して日を過ごすとも、専一に
 己事 を究明する底は、老僧と日々相見報恩底の 人なり。誰か敢て軽忽せんや。勉旃勉旃。
*瓜田不納履、李下不正冠  かでんにくつをいれず、李下に冠を正たださず:人などに疑われるような事 
 はするなということ。『古楽府・君子行』瓜の畑の中で靴を履き直すと、瓜を盗むと疑われる。李すもも 
 の木の下で冠を被り直せば、李を盗むと疑われるということから。
(´・(ェ)・`)つ

280 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/08(月) 00:04:58 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

泉堺の衆は利益に耽り、名を好むのに天澤の孫弟子というのじゃ。
そんな大燈の門からは既に霊光が失脚しているのじゃ。
李下に冠を直し、瓜の畑で履を直すのは人の疑いを招くのじゃ。
技量に拠って佛恩に報いる心構えが大事なのじゃ。

281 避難民のマジレスさん :2021/02/08(月) 01:34:58 ID:QDrltYHs0
319 
泉堺衆絶交2/2 
参學之徒無道心 参學の徒道心無し
紅紫朱色似鍮金 紅紫朱色ちゅうに似たる金
忠言可逆人人耳 忠言逆ふべしにんにんの耳
牛馬面前空鼓琴 牛馬面前むなしく琴を鼓す

くま訳 
参禅して仏道を学ぼうとする者に悟りを求める志が無い
紅紫朱色の法衣、真鍮のような偽物の金。名利を求めてるだけである。
忠言しても聞き入れない人々
愚か者達の前でむなしく法話、説教をしたり、音曲の宴に交わったりしていたのである。

*法衣の色:緋色(ひいろ:黄色がかった濃い赤色)や紫色を上位の色と定めていることが多い。
(´・(ェ)・`)つ

282 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/08(月) 23:14:55 ID:1d4drIFg0
泉堺の参学の者には悟りを求める心が無いのじゃ。
知識だけで僧になろうとするのは紅紫朱の色で金に似せようとするようなものじゃ。
忠言は耳に逆らうというのじゃ。
牛馬の面前で空しく琴や鼓を演奏するようなものじゃ。

283 避難民のマジレスさん :2021/02/09(火) 12:00:18 ID:TSYbI.Qo0
くま訳改
第二句:知識だけで僧になろうとするのは紅紫朱の色で金に似せようとするようなものなのだ。

320
蓑笠 庵號   さりゅふ 庵号
樵客漁人受用全 せうかくぎょじん受用まつたし
何須曲椂木牀禪 何ぞもちひん曲ろくもくしょうの禅
芒鞋竹杖三千界 ぼうあいいちくぢゃう三千界
水宿風飡二十年 水宿風さん二十年" "蓑笠 庵號

くま訳
みの笠 庵号
きこり、漁師、誰でも受け入れる。
どうして、寺院で踏ん反り返って偉そに説法する禅などを用いるのだ。
わらじを履き、竹の杖をもって放浪の旅をしながら、三千大世界を廻るのだ。
大燈国師は大悟し後二十年間、師匠大應の指示に従い乞食行をしたのだ。

*曲椂(きょくろく):法会(ほうえ)の際などに僧が用いる椅子(いす)。背のよりかかりを半円形に曲げ、
脚をX字形に交差させたものが多い。

この詩は、蓑笠庵紹徳山主と関係あるのか、よく分からないのである。
この詩を印可の証と勘違いしたのでありましょうか?あるいは、 破門はしたものの、友達だったので、励
ましの詩を贈ったのでありましょうか? 
・一休さんと蓑笠庵紹徳山主は、元は仲良しだったのである。真珠庵蔵一休像に付されてる讃は蓑笠庵紹徳 
 山主の求めに応じて、一休自ら付したもの・・・だったらしい。
・しかし、ある時、一休は会下にあった曹洞宗の蓑笠庵紹徳山主を擯斥している。
 一休会下二曹洞ヨリ来ル者、アヤマラサルハスクナシ。中ニモ蓑笠庵ハ、名聞ヲコノム人ニテ、印可ヲノ 
 ソム。又、カタヲカノ太郎左衛門ト云者、仏法名聞アリ。彼等ハ、我死後ニハ、一定、一休ノ印可也ト云
 テ、クチタテヲスヘシ。我ハ華嬰ヨリノ印可ナシ壬華曼モ亦壬言外ヨリノ印可ナシ。サルポトニ、人ヲモ
 印可スルコトアルヘカラス。
 一休の会下において、自分は一休より印可を得たと称する輩が後を絶たなかった(飯塚大展先生)らしい 
 のである。
参)https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/  >>669 崇宗蔵主絶交
(´・(ェ)・`)つ

284 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/09(火) 23:50:11 ID:1d4drIFg0
蓑笠庵は名聞を好み、一休の印可を欲しがったというのじゃ。
それを諌めているのじゃな。

樵も漁師も完全な三昧を受持し、用いているというのじゃ。
何ゆえ豪華な椅子や台が禅に必要なのかというのじゃ。
ぼろわらじや竹の杖で三千世界には十分なのじゃ。
大燈も川に宿り、風に食らう乞食行を悟後に二十年続けたのじゃ。

その孫弟子達に何故名聞が必要なのかというのじゃな。

285 避難民のマジレスさん :2021/02/10(水) 04:45:10 ID:4B.mEajw0
くま訳全面改
樵も漁師も完全な三昧を受持し、用いているというのに、
何ゆえ豪華な椅子や台が禅に必要なのか。
ぼろわらじや竹の杖で三千世界には十分なのである。
大燈も川に宿り、風に食らう乞食行を悟後に二十年続けたのだ。

321
謹奉録呈
 一休老和尚座下  
  
  狂風徧界不曾蔵   狂風偏界かつてかくさず
  吹起狂雲狂更狂   吹き起こす狂雲 狂さらに狂
  誰識雲収風定處   誰か識る雲収まり風定まる処
  海東初日上扶桑   海東の初日 扶桑に上がらず
  
  幻住孫眞建 九拝  幻住の孫眞建 九拝

和韻
慙愧聲名不覆蔵 慙愧す聲名の覆蔵せざるを
佯歌爛醉我風狂 佯歌爛醉我れ風狂
吟懐夜夜中峯月 吟懐夜夜中峯の月
幻住僧無三宿桑 幻住の僧に三宿の桑無し

くま訳
謹んで一詩奉る
 一休老和尚様へ
  狂風は、何ものをも隠すことはない
  一休和尚が巻き起こす旋風が、世間に吹きまくる。
  この風が何をもたらし、何時やむのか、誰もしらない。
  大風がやむまで、日本國禅宗は始まらない
 
愧じているのである。名声を隠せないでいることを。
戯れ歌を詠み、飲んだくれるのが、我風狂である。
詩情を湧き立たせる夜毎の山頂の月なのである。
眞建和尚の師匠、幻住道人は桑の木の下に三泊せず、人の恩恵を受けず絶切ったとのことでありますが、か
く在りたいものである。

*和韻(わいん):他人から漢詩を詠みかけられた時などに、それにこたえて、その詩と同じ韻字を用 
 いて詩を作ること。次韻・用韻・依韻の三体がある。
*眞建和尚:中峰明本の法脈を承ける幻住派の僧
*幻住和尚中峰明本(ちゅうほう みんぽん、1263-1323)元代。臨済宗楊岐派の禅僧。智覚禅師。幻住道人。
 南嶽懐譲下の第22世。定住処を持たず、「幻住庵」と名づけた庵を各地に造って、そこに仮寓した。
 1318年には、仁宗によって宮中に召されたが、応じなかったが、金襴の袈裟を下賜され、さらに「師子 
 正宗寺」の院号を賜った。「教禅一致」や「禅浄一体」をも主張している。実際、明本は浄土信仰者で 
 あった。
*遍界不曾蔵:遍界とは遍法界のこと。「遍界、曾て蔵さず」と訓じ、この世界には、何ものをも隠すこと 
 はないこと。道理は常に顕れきっていることから、容易に形而上学的な思考を弄ぶことを諫めた言葉。
*腹蔵・覆蔵:心の中に秘め隠すこと。
*佯:いつわり・さまよう・あざむく
*爛:ただれる・あふれる
*吟懐:詩歌を作りたいという思い。また、 思いをこめた詩歌。
*韜晦(とうかい):才能・地位などを隠し、くらますこと。姿を隠すこと。行くえをくらますこと。
*僧は桑の木の下に三泊しない。人の恩恵を受けず絶ちきるの意『後漢書』裏楷伝
(´・(ェ)・`)つ

286 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/10(水) 22:09:44 ID:1d4drIFg0
一休と弟子の交流じゃな。

狂風一休は衆生界に隠れも無い名僧というのじゃ。
その吹き起こす名声の風は雲を起こし更に吹きまくるのじゃ。
誰がその雲が収まり、風の定まるところを知るじゃろうかというのじゃ。
海東のこの日本に初めて日が昇ったのじゃ。

自分の名声が隠せないことを恥じるというのじゃ。
詩を詠い酒に酔う我は風狂であるのじゃ。
夜中に峯月を詠む心地なのじゃ。
幻住僧の如く桑樹に三日と宿らずの境地なのじゃ。

287 避難民のマジレスさん :2021/02/11(木) 11:19:25 ID:8lHBfo7Y0
読み下し訂正; 扶桑に上がらず⇒扶桑にのぼる
くま訳全面改
眞建より一休和尚へ
狂風一休は衆生界に隠れも無い名僧であります。
その吹き起こす名声の風は雲を起こし更に吹きまくるでありましょう。
誰がその雲が収まり、風の定まるところを知ることが出来るでありましょうか。
海東のこの日本に初めて日が昇ったのであります。

和韻 一休より眞建和尚へ 
自分の名声が隠せないことを恥じるのである。
詩を詠い酒に酔う我は風狂なのである。
夜中に峯月を詠む心地なのである。
幻住僧の如く桑樹に三日と宿らずの境地なのである。

322
示衆
参玄衲子道難成 参玄衲子みちじゃうじ難し
但願皈依常不輕 但だ願はくは常不きゃうに帰依せんことを
一片吟懐向誰解 一片の吟懐誰に向ってか解かん
楚雲湘水十年情 楚雲湘水十年の情

くま訳
弟子達に示す
仏道修行を完成させるのは難しい。
只、願わくは、人皆成仏するとして、会う人毎に軽んずることなく礼拝した常不軽菩薩に帰依したまえ。
この一片の詩情を誰に向って解いていると言うのか、まさに君達に向かって説いているのだ。
雲水行脚十年、師に法を追い求める情を詠っているのだ。

*参玄衲子:玄玄微妙の法を實参實究する人に意、仏道修行の人のことなり。(禅学大成脚注)
*楚雲湘水:楚山の雲、湘江の水で、楚雲湘水の辺りを行遊したこと。行脚多年、善知識に法を求むる情を 
 いふ。(禅学大成脚注)
*常不軽(ジョウフキョウ):「法華経」常不軽菩薩(ぼさつ)品に出てくる菩薩。人はみな成仏するとして、
 会う人ごとに軽んずることなく礼拝したという。
*善知識・善智識:善法、正法を説いて人を仏道にはいらせる人。外から護る外護、行動を共にする同行、 
 教え導く教導の三種を数える。禅宗では師僧を尊んでいうことがある。
(´・(ェ)・`)つ

288 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/11(木) 22:04:08 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

仏道は成り難しというのじゃ。
ただ不軽菩薩に帰依せんことを願うというのじゃ。
一片の吟懐は誰に向かって説くのかというのじゃ。
十年師を求めてさまよう者に情けをかけたのじゃ。

289 避難民のマジレスさん :2021/02/12(金) 03:16:20 ID:xZ7o5x6w0
乙石御用人・・・何者でありましょうか?やんごとなき武家のお嬢様でありましょうか?
323 
乙石御用人向妙勝寺眞前髪置賀頌 乙石御用にん、妙勝寺のしんぜんに向かひ、髪置の賀頌 
三歳生年小女兒 三歳のせい年小女児
終吾門老比丘尼 つひに我が門の老比丘尼、
壽算婆裙錦延錦 寿算婆くん綿延の錦
孾孩垂髪白如絲 えいがい髪を垂れて糸よりも白し

くま訳
乙石御用人、妙勝寺の前で髪置の儀式の賀頌を詠む。 
三歳の女児、
いずれ報恩庵の老比丘尼となり、
長寿めでたく、裾から錦の衣が見えるまで。
赤ん坊の頭に白髪になぞらえた白糸などを置いて祝う。

*妙勝寺:酬恩庵の旧称
*髪置(かみおき):幼児が頭髪を剃ることをやめて伸ばしはじめるときの儀式。髪立,櫛置などともいう。
 平安時代末期から行われた。綿帽子,白髪になぞらえた白糸などを頭上に置いて祝う。公家では2歳で,
 武家では3歳の 11月 15日にこれを行い,5〜6歳になると髪削 (かみそぎ) ,深曾木 (ふかそぎ) と 
 いって将来の生髪を祝う儀式を行う習慣があった。
*嬰孩(えいがい):赤ん坊。ちのみご。嬰児 (えいじ) 。
*垂髪(すべらかし);女性の髪形の一。前髪を膨らませ、後頭部でそろえて束ね、背中に長く垂らしたもの。 江戸初期まで成人の女子の髪形であったが、のちには高貴な婦人の正式な髪形となった。さげがみ。すべ 
 しがみ。すべしもとどり。おすべらかし。
*綿延(めんえん): 長く連なり延びること
(´・(ェ)・`)つ

290 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/12(金) 23:47:29 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

三歳の女子が我が門の老比丘尼になればよいというのじゃ。
年を数えて老婆の腰巻が伸び、幼子の垂れ髪は糸の如く白くなるまでというのじゃ。

291 避難民のマジレスさん :2021/02/13(土) 00:26:59 ID:td4//x260
324

暫時此地弄精魂 暫時此の地に精魂を弄す
臨済後身興祖門 臨済の後身祖門を興す
美譽芳聲世間外 美誉芳声世間のほか
五雲天上月林孫 五雲天上月林の孫

くま訳
ほめたたえる
しばらくの間この地で修行するのである。
臨済の後継者(月林道皎)が宗門を興した
京都五山の名誉や評判などは俗世間での話である。
天女の住むような寺で、月林道皎の孫弟子(山名宗全)が再興したのだ。

*ここで詠まれてるのは、京都五山の一つ長福寺と解してみた。
 長福寺:最初は天台宗に属していたが、1339年、月林道皎が入寺して臨済宗の寺院に改められ中興され 
 た。応仁の乱で焼失するが、山名宗全によって再興された。
 参)https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/ >>7 184・>>70 212.>>183  
 264
*五雲:五色の雲・青黄赤白黒。五色を備えた雲は、古来仙女の住むところうとされ、慶事の言葉。
*弄精魂:通常は妄想分別によって精魂を消し尽くされることを意味している。しかし、道元禅師は精魂を 
 尽くして日常底に修行弁道する意味であるとした。
*月林道皎(げつりん どうこう/どうきょう1293-1351))松源派の僧侶。普光大幢国師。大徳寺の宗峰 
 妙超に学ぶ。後に花園上皇の帰依を受けるが、1322年に元に渡り、文宗皇帝から仏慧智鑑大師の称号を
 贈られたが、師の古林清茂が没した翌年の1330年に帰国した。梅津清景の庇護によって天台宗の寺院で 
 あった長福寺を与えられ、これを禅寺に改めて開山となった。
(´・(ェ)・`)つ

292 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/13(土) 23:06:05 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
長福寺に滞在したのじゃな。

しばらくこの寺で精魂をいじるのじゃ。
臨済の後進の者がこの寺を興したのじゃ。
世間の名声とは無縁の寺なのじゃ。
五雲天上の者の如き月林の孫弟子なのじゃ。

293 避難民のマジレスさん :2021/02/14(日) 07:40:37 ID:phtihVVY0
325
心念所作
三十年來江海情 三十年來江海の情
空吟野水釣船横 空しく吟ずや水てう船の横たはるを
偶然我負子陵業 偶然に我子陵が業にそむく
興在詩非勦絶名 興は詩に在りてさう絶の名にあらず

くま訳
心のはたらきと所作(の我が実際)
三十年来俗世間を離れていた心のはたらき。
空しく吟じ、野川の釣船で横たわり過した。
たまたまわしは、子陵の生き様に反することになった。
詩作は楽しみであり、滅ぼしつくすものではないのだ。

*四念住;肉体が不浄のものであると知る「身念住」・感覚されるものは畢竟苦であると知る「受念住」・
 心は無常であると知る「心念住」・事物は無我であると知る「法念住」。常楽我浄の四顚倒を退治する修
 習法
*隋自意三昧
*江海:① 川と海。入江と海。② 俗世間から離れた場所。③ 量が莫大なことをたとえていう語。
*情󠄁:1.人間の心のはたらき。こころ。きもち。意地。2.快・不快を主とする意識の主観的側面。
*勦絶(ソウゼツ):滅ぼしつくすこと。皆殺しにすること。勦滅(そうめつ)。
*子陵:厳光(げん こう)紀元前39 -41)後漢時代初期の隠者・字は子陵、若くして才名あり、のちの光武
 帝となる劉秀と同門に学ぶ。劉秀が皇帝となると、厳光は姓名を変えて身を隠した。光武帝はその才能を
 惜しみ行方を捜させたところ、後斉国で羊毛の皮衣を着て沢の中で釣りをしているところを見いだされて、
 長安に召し出された。厳光は細かい礼に従わず、光武帝はそれでも「狂奴故態を改めず」と笑っただけ 
 だった。それどころか自ら宿舎に足を運んで道を論じたという。ある夜、帝と光がともに就寝し、光が帝 
 の腹の上に足を乗せて熟睡し、翌日大夫がその不敬を奏上して罰しようとしたが、帝は「故旧とともに臥 
 したのみ」とこの件を取りあげなかった。諫議大夫に挙げられたがこれを断って富春山で農耕をして暮ら 
 し、その地で没した。
(´・(ェ)・`)つ

294 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/14(日) 23:37:25 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

三十年来野に暮らしたのじゃ。
川の釣り船の横で空しく詩を吟じていたのじゃ。
偶然子陵とは別の生業をすることになったのじゃ。
しかし、詩は楽しいからやめないのじゃ。

295 避難民のマジレスさん :2021/02/15(月) 00:12:23 ID:e8HPhVb.0
くま訳改
第二句:野川の釣り船の横で空しく詩を吟じていたのだ。
第四句:詩は楽しいからやめないのだ。

326
佛誕生
三世一身異號多 三世一身異号多し
何人今日定誵訛 何びとかこんにちごうがを定めん
娑婆来往八千度 娑婆来往八千度
馬腹驢胎又釈迦 馬腹ろたいも又釋迦

くま訳
法報応(ほっぽうおう三身)の仏は一つであるが、異なった多くの呼ばれ方をする。
誰が、今日、この仏の現われの入り組んで、むつかしきを正しく理解できているのか
衆生教化のために、この世に来生されたことが、すでに八千遍に達すると、言われるのだ。『梵網経』
馬や驢馬の子も、万物ありのままが釈迦なのだ
あるいは、見るロバも見られる驢馬も又釈迦というのが、法身のたとえである。『従容録』第五二則

*誵訛(ごうが):聱訛とも書く。いりくんで、むつかしきこと
*三世:有為の事物は一刹那の間も止まらず、生じ終わると直ちに滅す。よって来生を未来世となし、生じ 
 たるを現在世となし、滅し終えたるを過去世となす。仏教では、時間を実体的に捉えず、つまり実在する
 ものとは見ない。変化し移ろいゆく現象や存在の上で、仮に3つの時間的な区分を立てるに過ぎないとす 
 る。
*三身:      [説明]                   [三徳]  [仏 / 如来] 
法身(ほっしん) 宇宙の真理、仏性。 法身 毘盧遮那仏
報身(ほうじん) 仏性のもつ属性、はたらき。修行して成仏する姿。般若 阿弥陀仏
応身(おうじん) この世において悟り、人々の前に現れる釈迦の姿。解脱 釈迦牟尼仏

*井の驢を覷るが如し:『従容録』第五二則「曹山法身」に出てくる言葉で、仏の真法身は虚空のようであ 
 るが、物に応じて形を現す。その様子を徳上座が「驢の(驢馬が)井(井戸)を覷(見)るが如し」と 
 言ったのに対し、まだ不十分だとして、曹山禅師が言った言葉が先の「井の驢を覷るが如し」
 驢馬にも目があるので井戸を見れば、主観(見るもの)と客観(見られるもの)とが成立する。しかし、 
 井の驢を覷るが如しでは、目のない井戸が見るとは、無心で見るあり方を言っていると考えらる。
(´・(ェ)・`)つ

296 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/15(月) 23:39:44 ID:1d4drIFg0
仏は三世に一つの身でるが名前が違うというのじゃ。
誰がその正邪を定められるのかというのじゃ。
八千度も娑婆世界に生まれかわって法を説いているのじゃ。
馬もロバも皆釈迦というのじゃ。

三世の娑婆世界も一切衆生も皆仏ということじゃな。

297 避難民のマジレスさん :2021/02/16(火) 00:38:02 ID:yHQUUtXM0
一休さんの元気がでる説法!
327
送僧行脚    僧の行脚を送る
参禪学道扣玄人 参禪学道玄をたたく人
世界蒲鞋脚下塵 世界のほあい脚下の塵
象骨老師三九旨 象骨の老師さんくの旨
常成飯頭苦心身 常に飯ぢゅうとなって心身を苦しむ

くま訳
行脚に出発する僧を見送る
参禪して、仏道を学び、奥深い道理を尋ねる人よ、
世界は足下のわらじの塵である。
象骨山に崇聖寺(すうしょうじ)を開いた雪峰義存は、投子大同(とうすだいどう)、洞山良价(とうざ
ん・りょうかい)にそれぞれ三度九度会いに行ったがなかなか大悟できなかったが、徳山の下で大悟した。
その間常に禅寺の食事係となって心身を苦しめたのである。

*玄:奥深い道理であり、あらゆる事物の根本の道。
*扣(たたく):①ひかえる。ひきとめる。 ②たたく。うつ。 ③さしひく。へらす。 ④尋ねる。問う。
*雪峰義存禪師922-908:象骨山(ぞうこつざん。雪峰山)に崇聖寺(すうしょうじ。雪峰寺)を開いた。 
 三度、投に到り、九度洞山に上りて、参學甚だ黽(つと)むるも、縁遂に徳山に契(かな)ひ、祖の法を嗣 
 承す。善知識を求むるに汲々たるをいふ。
 洞山の命令で徳山宣鑑 に師事して、巖頭に諭されて大悟した。巖頭、欽山と3人で巡歴の旅が有名。
*飯頭(ハンジュウ・はんとう):禅寺で、粥飯(かゆめし)を大衆(だいしゅ)に供する役僧.
(´・(ェ)・`)つ

298 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/16(火) 23:10:48 ID:1d4drIFg0
大体その通りじゃな。

参禅し道を学び玄を尋ねようとする者は、世間を草履についた塵の如く捨てるのじゃ。
象骨の老師もかつては師匠に三度九度と道を尋ね、常に飯係となって苦心したのじゃ。

299 避難民のマジレスさん :2021/02/17(水) 00:14:55 ID:sz5TEFYA0
くま訳改
第二句:参禅し道を学び玄を尋ねようとする者は、
第三句:世間を草履についた塵の如く捨てるのだ。

水葬になった庵主さんを探してみたが不明でありました。
328
學林宗参庵主水葬
参禪学道閙忽忽 参禪学道ねうそうそう
六十年來任變通 六十年來變通に任す
流水千江機輪轉 流水千かう機輪轉ず
閻浮樹下月如弓 閻ぶ樹げつき弓の如し

くま訳」
學林の宗参庵主が水葬された。
参禪学道の弟子達は騒がしくしているが、心空ろなようである。
六十年來柔軟に対処してきた方であった。
川の流れにより回る水車のように、鋭敏な禅機を働かせてきた方であった。
春の三日月を見ながら古人を偲ぶ。

*閻浮樹:印度の所在にある喬木にして、四五月頃花開き、深紫色の果を結ぶ。閻浮提州の北方に産す。
*閙(ニョウ・ドウ・ トウ・さわが-しい)
*忽忽(こつこつ・そうそう):①速やかなさま。たちまち変わるさま。②心がうつろなさま。 「心も-と 
 してどこへ行くやらん覚えぬやうなり③我を忘れて、うっとりしているさま。
*変通:その場その時に応じて、自由自在に変化・適応してゆくこと。
(´・(ェ)・`)つ

300 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/18(木) 00:51:56 ID:1d4drIFg0
どこかの庵主を水葬にしたのじゃな。

葬式に集まった僧達が騒然としながらも失意におちているのじゃ。
六十年来臨機応変に生きてきた者だったのじゃ。
流れる水が千の川を潤し水車を回すようなものじゃ。
閻浮樹の下で月が弓の如くであるのを見るのじゃ。

301 避難民のマジレスさん :2021/02/18(木) 01:14:29 ID:NK3zmx/U0
329    1/2
示榮衒悪知識 二首 榮衒の悪知識に示す
参禪婆子楊花帳 参禪の婆子楊花のちょう
入室美人蘭蕙茵 入室の美人蘭けいのしとね
近代箇邪師過謬 近代箇の邪師の過びう
馬牛漢非是人倫 馬牛の漢是れ人倫にあらず

雑学の世界HP訳・解説より
女をまっ白なとばりの中に入れて参禅をさせ、
香りのいい美しい敷物をしいた室に美人を入れて、これまた参禅をさせる。
近頃のこの邪悪老師の間違ったやり方は、
馬や牛と同じであり、人間ではない

「楊花」とは、柳絮(りゅうじょ)と同じく、中国の柳の花であるが、ここではまっ白な幔幕(まんまく)を形
容したものである。
蘭蕙 とは、元来二種の香りのいい草で、それを一語にすると、漢詩文では、よく女性のイメージとして使
われる。
これは、第一句・第二句で示されるような、女性を参禅させることに対して、養叟を痛烈に攻撃している詩
である。


くま訳
名利を求め、邪法を説く悪僧に示す
参禪する女を、白いとばりの中さそい
香のいい部屋に美人を入室させる
最近この邪師が犯しているあやまちは、
畜生同然であり、人倫に反しているのである。

*栄衒:自分をひけらかして売り込み栄華を求めること。虚栄心、支配欲のかたまり。名聞利養に邁進する 
*悪知識:悪法・邪法を説いて悪に誘い込む人
*楊花(ようか):柳の花。また、なよやかな美女をたとえていう。
*蘭蕙(ランケイ):蘭と蕙。ともに香草で、賢人君子にたとえられる。
(´・(ェ)・`)つ

302 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/19(金) 00:20:55 ID:1d4drIFg0
悪い僧に示すのじゃな。

参禅する女子を楊花の帳に入れ、更にその美人を褥に入れるというのじゃ。
そのような最近の邪師の過ちは 畜生の如く人倫にもとるというのじゃ。

303 避難民のマジレスさん :2021/02/19(金) 02:42:34 ID:8lHBfo7Y0
330   
示榮衒悪知識 二首 2/2
棒心自稱法王身 棒心自ら称す法王身
世上弄嘲徒怒嗔 世上弄嘲いたずらに怒しんす
一箇猢猻没巴尾 一箇のこそんはびなし
出頭大用現前人  出頭す大用現前の人

くま訳
ボウシン(職人の世話役)みたいな奴が、自称法王身とは・・・
世間からはあざけられて、本人はかんかんである
尻尾の無くした猿が、
大徳寺大用庵にて、人前に現れるのである。

*棒心:職人を指揮するもの。「世話役」
*猢猻(こそん);猿の異称。
(´・(ェ)・`)つ

304 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/20(土) 00:14:00 ID:1d4drIFg0
世間のちょっとばかり気の利いた者が法王と称するのじゃ。
世間の者は嘲笑い、怒り狂うのじゃ。
一匹の猿から尻尾を取れば、そのような者が忽ち現われるじゃろぅ。

305 避難民のマジレスさん :2021/02/20(土) 17:13:16 ID:.7dvj9vM0
くま訳改
第二句:世間の者は嘲笑い、怒り狂うのだ。
第三句:一匹の猿から尻尾を取れば、
第四句:そのような者が忽ち現われるのだ。

331   
思舊齋 二首 1/2 旧齋を思ふ
山陽長笛子雲吟 山陽の長笛子雲が吟
蜜漬茘子素老心 蜜茘子にひたす素老の心
熟處三年六十劫 熟處三年六十劫
一聲望帝月西沈 一聲の望帝月西に沈む

くま訳
故人を偲ぶ詩に付いて思う。 
向秀が詠んだ、山陽長笛・故人を偲ぶ詩は、漢の子雲の詩に基づいているのである。
そのままでも美味の茘子を蜜漬にするような実に度が過ぎた技巧である。
詩文の奥義は大昔からあるのだ。
望帝が杜鵑に生れ変ったことが詠まれた時代(4‐5千年前)から、月は西に沈むのだ

*齋:朝の粥に対し、午時の食をいふ。僧侶に食事を供養するをいふ。又転じて亡霊の為に読経するこをも 
 いふ。(禅学大成脚注)
*山陽長笛:晋書向鷹傳に、「秀、山陽の舊鷹を經、隣人笛を吹くものあり、聲を撥すること寥亮(りょう 
 りょう)たり、秀、乃ち思舊賦を作る」と。(禅学大成脚注)
 笛の音を聞いて故人を偲ぶ詩のパターンがあるらしい。
*寥亮(りょうりょう):声や音が澄みとおるさま。声高くほがらかにひびくさま。
*向秀(しょう しゅう:三国時代の文人。三国時代(黄巾の乱の蜂起(184年)による漢朝の動揺から 
 西晋による中国再統一(280年)まで)
*子雲:揚雄、紀元前53年-18年漢の文人・学者(甘泉賦、長揚賦、逐貧賦)
*熟処:① よくなれたところ。住みなれた場所。② 学芸、武術などの奥深い肝要なところ。奥義
*望帝杜宇(ぼうていとう)は、古代の蜀の第4代君主。死後も民に慕われ、2月に鳴くホトトギスは、望
 帝の魂が鳴いて教えてるのだと語り継いだ
*古蜀:約5000年前から約3000年前頃に栄えた。司馬遷の『史記』では、紀元前316年に秦の将軍司馬錯
 に滅ぼされた

向秀は、竹林の七賢と呼ばれ、荘子の注釈書を書いて絶賛された。隠者仲間が「無用な人間である」という
かどで処刑された途端、役人になり、その変節を笑われると、「隠者は気難しいだけで聖王の心に及びませ
ん。敬慕するに足りましょうか。」といった人とのこと。
(´・(ェ)・`)つ

306 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/20(土) 23:40:39 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

山陽の長笛は子雲が吟じたのじゃ。
その味はれいしの実を蜜につけて素の味わいを失くしたようなものじゃ。
三年もつけて六十劫も漬けたような味を出そうとしているのじゃ。
ほととぎすが鳴けば月は西に沈むというように自然をありのままに詠むがよいのじや。

307 避難民のマジレスさん :2021/02/21(日) 00:36:30 ID:hMUY06UY0
くま訳全面改
山陽の長笛は子雲が吟じたのである
その味はれいしの実を蜜につけて素の味わいを失くしたようなものである。
三年もつけて六十劫も漬けたような味を出そうとしているのだ。
ほととぎすが鳴けば月は西に沈むというように自然をありのままに詠むがよいのだ。

332   2/2
思舊齋 二首
昔年黄犬與蒼鷹 そのかみのくわう犬と蒼よう 
苦楽悲歓地獄能 苦楽悲歓地獄の能
欺得楊岐吾屋壁 楊岐を欺き得たりわが屋壁
乾坤一鉢一衣僧  乾坤一はつ一えの僧

くま訳
昔は黄犬と蒼鷹(失脚引退と鷹狩りに行けるほどの栄華)といわれた。
楽しみを知った上での苦しみ、歓びを知った上での悲しみは、地獄の思いを際立たせる事の譬えである。
わしは庵のボロさにおいて、楊岐を凌駕することが出来たのである。家のボロさこそ、誉なのである。
天下に一鉢一衣僧である。

*從(たと)い黄を牽くも蒼を手にするも:黄犬:黄犬を牽く・・故郷に退き隠栖のみとなること
 手蒼:蒼鷹を手にする・・鷹狩りができるような高貴なみとなること。『史記』に秦(前 221~前 206)の 
 時代の表現
*欺く:比較する対象を見くだしてもよいほどである。その状態の度合が高いとされるものと比べても、そ 
 れよりまさる、という意に用いる。…とまぎれるほどである。…に劣らない。…をしのぐ。
(´・(ェ)・`)つ

308 避難民のマジレスさん :2021/02/21(日) 13:42:32 ID:.biVZzmM0
鬼和尚、森さんが「女性が場にいるとダラダラする」旨の発言をして会長辞職されましたが、蓮舫議員は「夫はペット以下」と発言したのにもかかわらず辞職をしていません
SNS上ではフェミスニトが意気揚々としている昨今ですが、鬼和尚は今の日本は男女平等と言えいますか?また、そうでないのならば、男女どちらが優勢ですか?

309 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/22(月) 00:17:58 ID:1d4drIFg0
昔は高僧とされたり、隠遁したりといろいろあったのじゃ。
苦から楽へ、悲哀から歓楽へと移り変わるのは地獄なのじゃ。
今は楊岐も認めずにはいられんほどの我が屋なのじゃ。
一つ衣の僧の一つの鉢に全てが入っているのであるからのう。

310 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/22(月) 00:21:17 ID:1d4drIFg0
>>308 それは人によって違うのじゃ。日本は無いのじゃ。
 森さんの頭の中はまだ平等ではないのじゃろう。
 斉藤さんは自分のほうが偉いと想うのじゃ。
 しかし今も旦那のDVに苦しめられる弱い女子も多いのじゃ。
 おぬしはそのようなものを助けてやると善いのじゃ。

311 避難民のマジレスさん :2021/02/22(月) 00:30:08 ID:84uyzmOA0
くま訳改
第四句:一つ衣の僧の一つの鉢に全てが入っているのである。

333   1/2
題養叟大用庵 二首 養叟の大ゆう庵に題す
叢林零落殿堂踈 叢林零落して殿堂疎なり。
臨済宗門破滅初 臨済の宗門破滅のはじめ。
大用栴檀佛寺閣 大用は栴檀佛寺閣。  
崢嶸林下道人居 さうくわうたり林下道にんの居

『雑学の世界』HP先生訳
禅道場は皆おちぶれて、仏殿法堂の諸伽藍は、まばらである。
臨済宗の宗門は、いよいよ破滅し始めた。
しかし、大用庵のみは立派な伽藍を保っている。
ここは、一段と高くそびえたわが大徳寺内の求道人の住いなのだ

くま訳
禅宗寺院は零落し、寺に訪れる人もまばらである。
臨済宗門の破滅の始まりである。
大用庵は栴檀の立派な建物である。
高くそびえるその建物は修行僧養叟の住まいである。

*崢嶸(ソウコウ):高くけわしきことの形容(大成脚注)
(´・(ェ)・`)つ

312 避難民のマジレスさん :2021/02/22(月) 10:21:59 ID:Zf21K71k0
>>310 失礼ですが、斉藤さんとはどちらの斉藤さんのことでしょうか?

313 避難民のマジレスさん :2021/02/22(月) 13:26:56 ID:r9st524s0
すみません蓮舫さんの苗字は齋藤さんでしたね

314 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/22(月) 23:15:26 ID:1d4drIFg0
>>311 それでよいのじゃ。

禅の寺は零落して人もまばらなのじゃ。
臨済宗の門は破滅し始めたのじゃ。
しかし大用庵は立派な寺なのじゃ。
高くそびえた道人の居むところなのじや。

>>312>>313 そうじや、斉藤さんなのじや。

315 避難民のマジレスさん :2021/02/23(火) 02:03:17 ID:DNJTu0hM0

334    2/2    
山林富貴五山衰 山林は富貴、五山は衰う、
唯有邪師無正師 ただ邪師のみあって正師なし。
欲把一竿作漁客 一竿を把って漁客と作らんと欲す、
江湖近代逆風吹 江湖近代逆風吹く

『雑学の世界』HP先生訳
この頃、山林派は富貴となり、五山は衰微している。
ただよこしまな師家ばかりおって正しい師家はいない。
そこで、自分は竿をかついで釣人となろうとするのだが、
川や湖ではこの頃逆風が強く吹くので、釣人もなかなか思うようにゆかない

くま訳
山林派は富貴になり、五山派は衰退しているのだ。
ただ、山林派には邪師のみがいて、正師がいないのである。
わしは、竿を握り釣り人になりたいのであるが、
最近の湖川には逆風吹くのである。わしの話に耳を傾けるものはいないのだ。
(´・(ェ)・`)つ

316 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/23(火) 23:19:24 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

山林は富貴になり、五山は衰えたのじゃ。
ただ邪師あり、正師はいないのじゃ。
竿でも手にして漁師に成りたいのじゃ。
川や湖では近頃逆風が吹くのであるがのう。

317 避難民のマジレスさん :2021/02/24(水) 00:40:26 ID:QQdhDUfw0
336
賀大用庵養叟和尚 大用庵養叟和尚、
賜宗慧大照禪師號 宗慧大照禪師號をたまふを賀す
紫衣師号奈家貧 紫衣師号、家の貧をいかんせん
綾紙青銅三百緡 りょうし青銅三百ミン
大用現前贋長老 大用現前がん長老
看来真箇普州人 看来たれば真箇普州の人

『雑学の世界』HP先生解説・訳 334のつづき
その後、政治的手腕に恵まれ、渡世(とせい)の才幹(さいかん)にも人一倍たけていた師兄養叟は、さらに商
業的教団演出者としての離れ技を出して、康正3年(1457)9月20日「宗恵大照(そうえだいしょう)禅師」と
いう号を手に入れた。没後の追賜は別として大徳寺の住持に禅師号を特賜されたのは、養叟が初めてである。
すなわち、彼は極度に衰微した大徳寺を紫(し)衣(え)勅許の出世道場にしあげたのである。あくどい手段で
獲得した虚名に対し、一休は「大用庵養叟和尚、宗恵大照禅師の号を賀す」という詩を以て、次のように吟
じた。
「緡」は、お金を通す糸である。「普州人」は、昔四川省の普州には盗人がたくさんいたと言われる。一休
から見れば、

紫衣や禅師号をいただいたのはいいが、肝心の養叟一家の禅風の貧しいことはどうだ。
禅師号の綸旨(りんじ)は、青銅の三百緡にも等しい価値があるそうだなあ。
にせ住職のこのたびのはたらきは、面目躍如たるものがある。
よく見たら、この老師は本物の普州の盗人である。

くま訳
紫衣師号を賜っても、禪風の貧しさはどうにもならんのである。
賜った綾紙(綸紙及び賜物)は青銅三百緡の価値があるそうではないか。
偽せ長老の面目躍如であるな。
今まで見てきたが、お前は真の盗賊であるな。

*宗恵大照禅師:養叟 宗頤(ようそう そうい)の諡号
*綾紙青銅三百緡:綸紙及び賜物をいふ、緡は銭を通す絲なり
*普州:支邦の普州は昔盗賊の集會する所として傳ふ、故に普州の人とは盗賊を意味するなり。にせ長老は
 えらい儲けものをした、丸で泥棒のようなものであると、還って大用庵の大用たる活眼の人自ら之を知る
 のみと、一休なかなかのすれ者なり。
*大用:1 大きな作用。大事な働き。2 大きな効用・効果。
*1453年8月、大徳寺山内の諸堂が焼失。浴堂と山門の庇、妙意庵と大用庵以外はことごとくを焼失。 
 大用庵を開創した養叟宗頤は、大徳寺再興に着手している。まもなくして法堂と方丈がなる。そして大用
 庵の建物を移し、雲門庵を再建している。被災5年後の1457年、宗頤は、後花園天皇より宗慧大照禅師
 の号を賜っている。これは大徳寺再興の功によるものだと考えられている。
(´・(ェ)・`)つ

318 避難民のマジレスさん :2021/02/24(水) 00:47:06 ID:QQdhDUfw0
おまけ 『雑学の世界』HP先生解説・訳 のつづきである。この後、329 330 へつづくのである。
それだから、一休は養叟の号「宗恵大照」の発音を似せて、彼を「宗穢大焼」禅師と称した。
一休が、これほど師兄養叟を痛烈に攻撃するのは、その旺盛な名誉心への反感だけでなく、またその悪劣な
商法を髄から悪むからである。「得(とく)果(か)投(とう)機(き)多く人に教ふ、青銅の定価両三緡(古則公
案を種々人に教え、その代償として定価二、三緡をとる)」「金を擢(つか)む手段機輪転ず、君子果(か)然
(ねん)多く財を愛す(養叟の金をつかむ手段は、あたかもバネの輪が転ずるようにすばやい。君子ははたし
てたいそう財を愛せられるわい)」等と、一休はその悪行(あっこう)を次々に摘発し、糾弾した。彼は、
すっかりお金に目がくらんで、その儲けに疾(と)うに手段を選ばない牛馬のような人非人に堕落してしまっ
たため、一休はさらに、「栄衒(えいげん)の悪知識(あくちしき)に示す」(2首)をもって、その憤慨を噴き
出した。

↓は、330の詩(>>303)の際に省略した、訳及び解説である。

人の真似をすることしか知らぬのに、自分は一番偉い僧だといっている。
世間がそれをあざけり笑っているのに対して、ただぷんぷん怒っているのみだ。
とりえのない一匹の猿がしゃしゃり出て、
大機大用のお師(し)家(け)様だといばっている
と、一休は詠んでいた。
このように、一休の養叟批判はますます激しく、康正元年(1455)そのピークに達したのである。「年譜」に
よると、その年の「正月、泉南の(養叟に対する)嘲りの偈が京まで伝え届いた。師(一休)は、それに和韻を
し、二百首余りの偈を作り、編集して一巻となった。それに題して「自戒」という。」「自戒集」には、漢
詩のほかに、また仮名交じりの散文もかなり集録されている。「年譜」に記されたように、これはもっぱら
養叟を論難するために作った作品集だから、その数々の作品は、ほとんど具体的に養叟の悪事をいちいち指
摘して、難詰したのである。
(´・(ェ)・`)b

319 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/25(木) 00:11:17 ID:1d4drIFg0
その大用庵を養叟和尚が継いだのじゃな。
政治と金に囚われた養叟和尚を批判したのじゃな。

紫衣師号を得たが禅家として貧しいのじゃ。
綸旨は銭三百緡で得たのじゃ。
大用庵に偽和尚が現われたのじゃ。
見に来てみればほんとに盗賊だったのじゃ。

320 避難民のマジレスさん :2021/02/25(木) 01:06:15 ID:9PDneoNQ0
335
拈華微笑    ねんげみせう
鷲峰會上現前辰 しうぶゑ上現前のとき
鶏足室中來劫春 鶏足しつ中來がふの春
中毒人應知毒用 毒にあたる人はまさに毒の用を知るべし
西天此土野狐身 西天しどやこの身

くま訳
鷲峰山において、迦葉が釈迦から法を授けられた時、
鶏足山の迦葉の部屋から世界の永遠の春が約束されたのである。
毒に当たってしまう人は、毒がいかに苦をもたらすかをよく知るべきである。
極楽を現世に実現しようとするのは、野狐の身である

*鶏足山は狼足山、又は尊足ともいふ。印度摩迦仏陀國伽耶の東南七哩にあり、摩訶迦葉入寂の地となり、 
 世尊の大法を鷲靈山の會に受けてより、鶏足室中生々世世の春は、この時に開かれたのである。
*鷲峰會上:霊山会上りょうぜんえじょう。釈尊がしばしば説法された霊鷲山(りょうじゅせん)の会座(え
 ざ)。滅後その仏舎利までも留められたインドの霊鷲山のこと
(´・(ェ)・`)つ

321 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/25(木) 23:18:17 ID:1d4drIFg0
拈華微笑じゃな。

鷲の峯の集会で拈華微笑が現前したのじゃ。
鶏足の部屋に春が来たのじゃ。
毒にあたれば毒の作用が知れるのじゃ。
西天がこの地であると野狐もわかったのじゃ。

322 避難民のマジレスさん :2021/02/26(金) 00:11:30 ID:Iacc0dmo0
くま訳改
第三句:毒にあたれば毒の作用が知れるのだ。
第四句:西天がこの地であると野狐もわかったのだ。

337
脚下紅絲線   脚下紅糸線
持戒爲驢破戒人 持戒は驢となり 破戒は人となる
河沙異號弄精神 河沙の異號精神を弄す 
初生孩子婚姻線 初生孩子婚姻の線 
開落紅花幾度春 開落紅花幾度の春

ヴィート・ウルマン先生訳
戒を守ればロバになる、戒を破れば人になる。
河の沙の粉ほど無数のことについて考えて無駄に精神を費やした
初生の子供、婚姻の線
赤い花が何回春開いて落ちたか

くま訳
戒を守らねばならないとして、守るのであれば、ロバに生れ変るであろう、戒を破っても法を越えない様で
あって初めて人になれるのだ。
河の砂ほど数多の戒律に囚われても精神を弄するだけである。
生れたばかりの赤ん坊にも婚姻線はあるのだ。
咲けば散る花を幾春繰り返したことか。

*脚下紅絲線:脚下の纏綿、即ち修行の戒律等を云ふ、却って戒律に苦しめらるる様にては、他生は驢馬と 
 生まるるならん、戒によらず自ら戒にあたるは、蓋し人間界に生を受けんと。(大成脚注)
 纏綿(てんめん):まといついて離れにくいさま。特に、愛情が深くこまやかなさま。
*河沙異號:恒河沙の数程の数多の名目の戒、實び精魂を飜弄することである。
(´・(ェ)・`)つ

323 避難民のマジレスさん :2021/02/26(金) 00:12:56 ID:Iacc0dmo0
*おまけ:壁巌録 第八十則「趙州初生孩子(趙州孩子六識)」
 挙。僧問趙州。      挙す。僧、趙州に問う。
 初生孩子還具六識也無。  初生(ショショウ)の孩子、還って六色を具すや無しや?
 趙州云。急水上打毬子。  趙州云う。急水上に毬子(キュウス)を打す。
 僧復問投子。       僧、復、投子に問う。
 急水上打毬子。意旨如何。 急水上に毬子を打す。意旨如何?
 子云。念念不停流。    子云う。 念念不停流。

 釈迦と老子と禅の人々&歎異抄HP解説抜粋
 *挙:あげる。問う、尋ねる
 *六識:分別、判断、心を生じる認識作用。 眼、耳、鼻、舌、身、意、の六つの認識作用。
 *毬子(キュウス):手毬、まり。
 *投子:ジョ州投子山の大同禅師の事(819-914)
 *意旨:言わんとするところ。意味。
 *念:心、想い。" "釈迦と老子と禅の人々&歎異抄HP解説

 禅問答の、ああ言えば、こう言う類のやりとりに、趙州和尚が 如何に対応されたか。
 「無我」が悟りの境地であるならば、・・・「赤ん坊」と「仏」の違いはどこにあるのか?
 その様な問題に関して何かを答えたとしたら、急流に投げた毬が、転々としながら流れに流されて、果て 
 しない議論になるだろう、という事。・・・
 そして、もう一つが、この僧とのやりとりにおける投子和尚の極めて直裁な答えであります。投子和尚の 
 答えは、「念念不停流。」です。
 念(想い)から念へ、想いというものは、流れてとどまらないものだ、という訳です。

 ・・赤ん坊に六識があるか否か、つまり赤ん坊を仏の境地と言われる「無我」と見なせるかどうか、とい 
 う問いは、まさに、「無我」という言葉に囚われて、溺死寸前の禅僧と言えるかも知れません。
 ・・・仏とは「我」を自覚認識した上で、自身を浄化させる事によって、「我」を極力減少させ、自他を 
 平等に見る眼を得た人、ここに身贔屓にとらわれない「仏知見(如実知見)」が得られる訳ですが、まさ 
 に、この様な境地を体得した人をこそ仏と言うのでしょう。
(´・(ェ)・`)b

324 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/27(土) 00:02:07 ID:1d4drIFg0
戒だけを守って心を忘れればロバとなり、戒よりも心を大事にすれば人となるのじゃ。
このようにして何度も生まれかわり河砂の如く多くの異なる名前で心を苦しめてきたのじゃ。
初めて生まれた子にも婚姻の線が在るのじゃ。
そのために花が開いては落ちるような春を何度も迎えているのじゃ。

325 避難民のマジレスさん :2021/02/27(土) 01:08:53 ID:E29EzVtE0
くま訳全面改
戒だけを守って心を忘れればロバとなり、戒よりも心を大事にすれば人となるのだ。
このようにして何度も生まれかわり河砂の如く多くの異なる名前で心を苦しめてきたのだ。
初めて生まれた子にも婚姻の線が在るのだ。
そのために花が開いては落ちるような春を何度も迎えているのだ。

338    1/2
示會裏俗徒警策 詩 示會裏の俗徒に示す警策 詩
前車覆處後車驚   前車くつがえるところ後車驚く
警策怠時禍必生   警策怠る時、くわ必ず生ず
半醉半醒夜遊客   半醉半醒夜遊の客
烏啼月落夜三更   カラス鳴き、月落ちて、深三更

くま訳
会派の在家信者への警策 詩 
先人や周囲の人の失敗を見ることは、教訓となるのだ。
睡魔襲来の警策を怠る時、必ず打たれるものと心得て、修行精進を策励せよ。
怠る者は、酔っ払いの夜遊び客と同じだ
カラスが鳴き、月落ちて、深夜になるまで怠ってはならぬのだよ。

*俗徒:出家していない、在家の人々のこと
*前車の覆(くつがえ)るは後車の戒(いまし)め:「漢書」賈誼伝・前の車が覆るのを見たら、あとの車は同
 じわだちの跡を行かないようにせよという諺から、先人の失敗は後人の教訓となるというたとえ。
*警策:警覚策励・睡魔の襲不を警策し、修行精進を策励するなり。
(´・(ェ)・`)つ

326 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/27(土) 23:44:07 ID:1d4drIFg0


前の車が覆れば後車は驚くのじゃ。
警策を怠れば必ず災いを生むというのじゃ。
半醉半醒の夜遊びの者は、カラスが鳴き月が落ちる深夜まで何も気付かず遊びまわるのじゃ。

警策で叩くのは修業が疎かになって全て無駄にならないための警告ということじゃな。

327 避難民のマジレスさん :2021/02/28(日) 01:04:05 ID:tYkVRNNg0
くま訳全面改
前の車が覆れば後車は驚くのだ。
警策を怠れば必ず災いを生むのである。
半醉半醒の夜遊びの者は、
カラスが鳴き月が落ちる深夜まで何も気付かず遊びまわるのだ。


339    2/2
示會裏俗徒警策 詩 示會裏の俗徒に示す警策 詩
詩歌吟詠失全功 詩歌吟詠全功を失す
天上人間軍陣中 天上人間軍陣のうち
意舞酔歌休度日 意舞醉歌して日をわたるをやめよ
飛揚跋扈爲君雄 飛揚ばっこ君が為に雄

武田鏡村先生訳・解説抜粋
詩をつくり歌をうたうなどは、いざというときには、なんの力にもならぬ。
我々人間界は、いまや戦陣の真っ只中にある。
毎日、心を乱舞させ、狂酔して歌をうたうなど、やめよ。
そんな放恣な生活は、お前自身のためにしかすぎないのだ。頭を冷やして、国のこと、民のことを考えよ。

一休は杜甫の「贈李白」の詩をふまえて、こう義政らを叱る。
一休の為政者に向ける怒りと憤りは、・・おさまらない。この乱世では、詩をよみ、うたうことが、いかに
無意味なものであるとわかっていても、一休は詩に託して、その憤怒を吐き出すしかない。
・・・『年譜』によると応仁元年、七十四歳の一休は、寓居する瞎驢庵を八月に兵火を避けるために出て、
東山の虎丘(くきゅう)庵に移ったが、九月一日に薪村の酬恩庵に入ったと伝えている。その間、瞎驢庵は
兵火に焼かれ、大徳寺もまた炎上、焼失していた。これ以降、一休はその死をむかえるまで、洛中において
寓居することはなかった。

くま訳
会派の在家信者への警策 詩 2/2
詩を詠み、歌うことなど、一切の攻を無くした。
天上人も、人間も戦陣のただ中にあるのだ。
浮ついた気持ちで、酔歌して日を送るのをやめよ
権勢を振るい思いのままに振舞うのは、君自信の為だけの蛮勇にすぎないのである。

*うむ。在家信者に擬して、足利義政等、為政者をしかったのでありますかね。
*飛揚跋扈(ひようばっこ):思うままにのさばり振る舞うこと。また、臣下が権威をほしいままにして君主 
 をしのぐたとえ。▽「飛揚」は猛禽が飛び上がる、舞い上がること。「跋扈」の「扈」は水中に仕掛けて 
 魚を捕らえる竹垣の意。「跋」は越える意で、大魚がそれを越えて抜け出ること。規制や拘束などを無視 
 して横暴に振る舞うこと。
*雄:おおしい。勇ましく強い。胆力・知力のすぐれた人。

おまけ:杜甫 李白を詠う
贈李白     李白に贈る
秋来相顧尚飄蓬 秋来相顧みれば 尚お飄蓬(ひょうほう)たり
未就丹砂愧葛洪 未だ丹砂(たんしゃ)を就(な)さずして葛洪(かつこう)に愧ず
痛飲狂歌空度日 痛飲狂歌空しく日を度り
飛揚跋扈為誰雄 飛揚跋扈(ばっこ) 誰(た)が為にか雄なる

紀 頌之 先生訳
秋になり顔を見合わせると  瓢か蓬のように頼りない
いまだ丹砂にも辿りつけず  葛洪に合わせる顔がない
飲み明かし  歌い狂って  空しく日を送り
飛び跳ねて暴れているが  誰のためにやっているのだ
(´・(ェ)・`)つ

328 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/02/28(日) 23:53:53 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

詩歌の吟詠などは修業の効果を失ってしまうのじゃ。
天上人も戦場のような皆苦の娑婆世界にいるのじゃ。
酔っ払って歌舞して日を過ごすのは休むと善いのじゃ。
どれほど権威を振りかざしても自己満足に過ぎないのじゃ。

329 避難民のマジレスさん :2021/03/01(月) 00:08:07 ID:nxjeLtmE0
340
乙石御料人待知客歸寺 おと石御料人しかの寺に帰るを待つ
知客他行乙石愁 知客の他行乙石の愁
歸來日数在心頭 帰来日数心頭にあり
斫額天衢望晴雨 しゃく額してく晴雨を望む
愛看昔日摘星楼 愛し看る昔日の摘星楼

くま訳
乙石婦人は、接待係の僧が寺に帰るのを待っている。
接待係が他所へ行くのが乙石婦人の愁いであった。
帰って来てから幾日もたっていることを知っていた。
額に手をあてて、天への道、晴天、雨天を眺める。愛憎の思いに耽っているのだろう
愛し看る、摘星楼で紂王に正妻を殺させた寵姫、妲己のようだ。

*御寮人、御料人(ごりょうにん):中世以降用いられた、主に女性に対する敬称
*知客(しか):禅宗寺院の役職の一つ。第四位。知賓(しひん)ともいった。
 修行年数の多い修行僧の中から選ばれ、外部からの来客の接待、新たに入門した修行僧の世話などを行う。
*他行:よそへ行くこと。外出すること。
*斫額望汝(しゃくがくして汝を望まん。)額に手をかざして遙かにお前を見上げて、敬遠することであろ 
 うて)」「啓して遠ざける」
*天衢:(中国語翻訳サイト)天国への道
*殷王朝の末期、紂王が、寵姫妲己の謀略により正妻を突落して殺害したのが摘星楼である。

乙石なる人物が誰なのか、不明。
知客とは、一休さん自身にことではありますまいか?(乙石さんに、そう名乗ったのでありましょう。)
乙石さんは、一休さんの火遊びの相手でありましょう。
一休さんは、分かれたくて、寺を出て身を隠した。ほとぼりが冷めた頃かと帰ってみると、乙石が待ち続け
ていた。それを物陰から見て、冷や汗をかく一休さん・・という詩でありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

330 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/01(月) 23:39:19 ID:1d4drIFg0
一休さんではないじゃろう。
昔坊さんと道ならぬ恋に走った、そういう名前の女子がいたのじゃろう。

知客の僧がどこかに行っているのが乙石の愁いなのじゃ。
帰る日を数えて頭の中が一杯なのじゃ。
おでこに手を当て天気を見るのじゃ。
道ならぬ恋に落ちた昔を思い出しているのじゃ。

331 避難民のマジレスさん :2021/03/02(火) 00:04:23 ID:7sxj34Oc0
うむ。邪推をしてしまったであります。

341  1/2
示焚書籍僧   書籍を焼く僧に示す
始皇自然辨邪正 始皇じ然に邪正を辨ず
波旬餘殃如看掌 波旬の余あうたなごころを看るが如し
看看劫火洞然時 看よ看よ劫火洞然の時
書籍金剛不壊性 書籍金剛不えの性

くま訳
書を焼いた僧に示す
始皇帝は自ずと正邪を弁えていたのである。
悪魔も自分の悪行により子孫が報いを受けるか占う為に占は書を焼かなかったのだ。
見よ、この世の終末、劫火が激しく燃えても、
本当に価値のある書籍は、決して消失することはないのだ。

*秦の始皇、丞相李斯の言を用ひて、醫薬卜筮(ぼくぜい)種樹に關する書の外、皆之を集めて焚き、然して 
 天下の民を愚にして、上の政を議するなからしめたり、然れども遂に波旬の餘殃掌を返すが如く、萬萬代
 と豫想したりし帝業も、項羽が一火の爲に東籬の春雪の如く消え失せぬ(脚注) 
*劫火洞然時:僧、大隋法眞禪師に問ふ、劫火洞然として大千倶に壊す、這箇壊か不壊か。隋曰く、壊と。 
 此の世界の滅する時、大火ありて、壊する時をいふ、これを又臨銘終の時に比す、眞の書籍は火位では焼
 けぬ(脚注)
*臨命終時(りんみょうじゅうじ):人の命が尽きようとするとき。略して、臨終
*余殃(よおう):先祖の行った悪事の報いが、災いとなってその子孫に残ること
(´・(ェ)・`)つ

332 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/02(火) 22:01:00 ID:1d4drIFg0
本を焼いた僧が居たのじゃな。

始皇帝は邪な本を焼くと言ったのじゃ。
しかし、悪魔が掌を裏返すが如く国が破滅したのじゃ。
本を焼くのはこの世の終わりの劫火のようじゃ。
しかし、本の知識は焼くことができないのじゃ。

333 避難民のマジレスさん :2021/03/02(火) 23:42:48 ID:fR/zFjE20
くま訳全面改
始皇帝は邪な本を焼くと言ったのだ。
しかし、悪魔が掌を裏返すが如く国が破滅したのだ。
本を焼くのはこの世の終わりの劫火のようである。
しかし、本の知識は焼くことができないのである。

342  2/2
示焚書籍僧  
樹下石上茅廬 樹下石上のぼうろ
詩文疏鈔同居 詩文そせう同居す
欲焚嚢中遺藳 なう中の遺かうを焼かんと欲せば
先須忘腹中書 まづ須らく腹中の書を忘るべし

くま訳
仏道修行中の身なれば、家は粗末である。
詩文や経典の写本と同居してるのである。
袋に入れてある遺稿を燃やしたいと思うなら、
先ずは、記憶の文書を忘れねばなりますまい。

*樹下石上(じゅげ-せきじょう):出家行脚あんぎゃする者の境遇のたとえ。仏道を修行する者が宿とする、 
道ばたの木の下や石の上の意から
*茅廬(ぼうろ):かやぶき屋根の家。粗末な家。転じて、自分の家をへりくだって云う語
*疏(ショ):経典の注釈。また、その書物 鈔(ショウ): 写しとる。写し。抜き書き
(´・(ェ)・`)つ

334 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/03(水) 21:55:17 ID:1d4drIFg0
それでよいのじや。

木の下、石の上のボロ屋でも詩文や経典が同居するのじゃ。
袋の中の遺稿を燃やそうとするならば、先ずは腹の中の書を忘れなければならんのじゃ。

本を燃やしても頭の中に書があれば無駄ということじゃな。

335 避難民のマジレスさん :2021/03/03(水) 22:55:41 ID:ppWy.NFQ0
343   
紹固喝食    しょうこかつしき
四歳女兒歌舞前 四歳の女兒歌舞の前
約深難警舊因縁 約深うしていましめ難し旧因縁
葉恩入無爲手段 恩を棄てて無爲の手段に入る
座主作家誰是禪 座主作家誰か是れ禪

くま訳
紹固喝食
四歳の女児が歌舞をしていた頃から知っているのである。
古くからの因縁が深くて、過ちを犯さないようにするのが難しいのだ。
恩愛の情を捨て、世俗の執着を断ち切り、無為の道に入るの事だけが、
座主や作家の禅というわけではありますまい。

*紹固喝食:四歳のお稚児さん。(後に一休さんから 堅岳という道号を与えられた) 森は、紹固に激しく 
 嫉妬して、そのために断食自殺を図った。
*喝食(喝食):正式には喝食行者(かつじきあんじゃ/かっしきあんじゃ)と呼ばれ、本来は禅寺で斎食を 
 行う際に衆僧に食事の順序などを大声で唱える者。本来は年齢とは無関係である。
 禅宗とともに中国から日本に伝わった。幼少で禅寺に入りした小童が務めるものとされた。
*棄恩入無為(きおんにゅうむい):恩愛の情を捨て、世俗の執着を断ち切って、悟りの道にはいること。 
 「棄恩入無為、真実報恩者」と用いられ、出家受戒のおりに唱えられる。
*禅(梵: ディヤーナ、巴:ジャーナ、禅那:ぜんな)とは、心が動揺することがなくなった一定の状態を指 
 す。サンスクリット語の の音写である。静慮とも訳される。
*(参)御阿姑:森と出会う直前の愛人らしい。
(´・(ェ)・`)つ

336 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/04(木) 23:56:38 ID:1d4drIFg0
歌舞前の四歳の女子が婚約とかしていた相手と因縁が深かったというのじゃ。
それでも恩を捨てて仏道に入ったというのじゃ。
座主とか作家が誰であるか追及するのが禅なのじや。

337 避難民のマジレスさん :2021/03/05(金) 00:52:15 ID:r3/lY5EY0
くま訳全面改
歌舞前の四歳の女子
婚約していた相手と因縁が深かったのである。
その恩を捨てて仏道に入ったのだ
座主、作家が誰であるか追及するのが禅なのだ。

344
賛端師子    端ししを賛す
弄師子處正明心 師子を弄するところ正に心を明きらむ
不托回頭口若暗 回頭にたくせず口おしのごとし
讀誦蓮經風雪燭 読じゅれん経風雪のしょく
漁歌一曲五更吟 漁歌一曲五更の吟

くま訳
白雲守端禅師を賛す
守端禅師が思い廻らすすことは、明らかに正しいことである。
考え思いを廻らすことに頼らず、沈黙することもある。
法華経を読誦することをもって吹雪の中の、目印の灯りとすることもあれば、
漁歌一曲明け方に吟じる風流人でもある。

*賛端師子:白雲守端禅師(1025-72)楊歧方会(992-1049)の弟子。五祖法演(不明 - 1104年)の師匠
*不托(ふたく):信用しない、頼まれない、頼まない(中国語翻訳サイト)
*回頭:① 頭をめぐらすこと。ふりむくこと。
*弄する:心の中をあれこれとたどってみる。思いめぐらす。
(´・(ェ)・`)つ

338 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/05(金) 23:16:42 ID:1d4drIFg0
端師子の賛じゃな。

端師子は修業に拠って心を正しく明らかにしたのじゃ。
思考を廻らさず、言葉も口にしなかったのじゃ。
風雪を灯りにして法華経を読んだのじゃ。
漁歌を朝に歌うこともあったのじゃ。

339 避難民のマジレスさん :2021/03/06(土) 00:08:45 ID:PHPmkWWA0
くま訳全面改
端師子は修業に拠って心を正しく明らかにしたのだ。
思考を廻らさず、言葉も口にしなかったのだ。
風雪を灯りにして法華経を読んだのだ。
漁歌を朝に歌うこともあったのだ

345
君子財
詩人財寶是文章 詩人の財宝は是れ文章
儒雅乾坤日月長 儒雅の乾坤じつ月長し
窓外梅花吟興樂 窓外の梅花吟興の楽しみ
膓寒雪月暁天霜 はらわたは寒し雪月暁天の霜

くま訳
詩人の宝は文章である
教養深い者にとっては、世界の月日はゆったりとに流れる。
窓外の梅花は詩情を誘う樂しみである。
底冷えのするときでも、雪月や、明け方の霜などに心よせて詩を詠むのである

*儒雅:学問が深くふるまいが上品である.
*日月長(じつげつながし):時間に追われることなく悠々と人生を送ること
(´・(ェ)・`)つ

340 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/07(日) 00:13:19 ID:1d4drIFg0
よくできたのじゃ。

詩人の財宝は文章なのじゃ。
儒の雅は乾坤日月長いというのじゃ。
窓の外には梅花を詠う楽しみがあるのじゃ。
腸が寒くとも雪月や朝霜を詠むのじゃ。

341 避難民のマジレスさん :2021/03/07(日) 00:27:32 ID:yVAtIrvo0
346
趙州三轉語   趙州の三轉語
泥佛不渡水   泥佛水を渡らず 
木佛不渡火   木佛火を渡らず 
金佛不渡爐   金佛爐を渡らず 

詩成小艶述愁情 詩成つて小艶愁情を述ぶ
一枕多年夜雨聲 一ちん多年や雨の聲
長笛暮楼誰氏曲 長笛暮楼たが氏の曲ぞ
曲終江上数峰青 曲終へて江上数峰青し

くま訳
趙州三轉語
泥の仏は水を渡ることはできず(水に溶けなければ、本物の仏、真の自己だ。だから、伝える事が出来る)
木の仏は火を渡ることはできず(火のような燃える煩悩は消してしまえば、仏、真の自己を発見できる)
金の仏は溶鉱炉を渡ることはできない(全てを溶かす溶鉱炉のような観念、言葉、「仏」という言葉も仏
そのものではない。溶鉱炉を打ち壊し、真の自己を見つけ出すのだ)

詩を作って、本心が伝わるようにと願いつつ、愁情を述べる。
枕辺に多年、夜雨の音のような声を聞いてきた。
長く響きわたる笛の音が、夕暮れ時の楼閣から聞える。誰の曲であろうか。
曲が終り、音が消えて、河上の峰々の暗い景色のみが残った。

*「趙州録」の法語:會元第四趙州の章「常堂に曰く、金佛爐を渡らず、木佛火を渡らず、泥佛水を渡らず、  
 眞佛内裡に座す、菩提涅槃眞如佛性、盡く是れ貼體の衣服亦は煩悩と名く、實際理地是れ何の處にか着 
 けん、一心生ぜざれば、萬ホウ咎無し云々」(大成脚注)

*碧巌録 趙州三轉語 第九十六則
(´・(ェ)・`)つ

342 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/07(日) 23:18:46 ID:1d4drIFg0
趙州の三轉語というのじゃ。
泥の仏は水を渡れないのじゃ。
木の仏は火を渡れないのじゃ。
金の仏であっても炉を渡れないのじゃ。

泥でも木でも金でも観念があれば苦が在り、彼岸には渡れないということじゃな。

小艶詩が出来て愁情を述べるというのじゃ。
一つ枕で多くの雨の夜を過ごしたのじゃ。
誰の曲か暮れの楼閣に長笛が響くのじゃ。
曲が終わると河の上に青い峯が幾つも見えたのじゃ。

343 避難民のマジレスさん :2021/03/08(月) 00:08:37 ID:EG/mVQzA0
くま訳改
第二句:一つ枕で多くの雨の夜を過ごしたのだ。

347
高野大師入定  高野大師入定
生身大日覚王孫 しょう身大日覚王孫
出入神通活路門 出入神通活路門
迦葉惠持長夜魄 迦葉えぢす長夜のはく
秋月春雨月黄昏 秋月春雨つきくわうこん

柳田聖山先生訳
弘法大師入滅
生き身の大日如来で、覚王仏陀の孫である大師は
神秘な活路の門を開き、その中にお入りになった
摩訶迦葉は鶏足山で入滅され、釈迦の言葉を守り 
秋には風、春には雨、夕月夜の風情が満ちている

くま訳
空海弘法大師入滅
生身の大日如来、仏陀の子孫。
本来の自己が出入りする、禅定の道を切り開いたのだ。
迦葉が受け継ぎ連綿と伝わる釈迦の魂がそこにある。
それは、秋月春雨月黄昏のように、ありのままである。

*高野大師:空海(774-835年)平安時代初期。弘法大師諡号 真言宗開祖 佐伯眞魚(さえき の まお)
 日本天台宗の開祖最澄と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換してい 
 く流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。
*大日如来:真言密教の教主である仏であり、密教の本尊。一切の諸仏菩薩の本地。
*覚王:仏陀を敬っていう語。覚帝(かくたい)。
*入定:1.禅定に入ること。2.高僧が死ぬこと。入滅。
*出入:赤肉団上に一無位の真人有り。常に汝等諸人の面門より出入す。 
(´・(ェ)・`)つ

344 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/08(月) 22:48:41 ID:1d4drIFg0
弘法大師の入滅に寄せたのじゃな。

生身の大日如来、覚王如来の孫であるのじゃ。
活路の門に出入りし、神通自在だったのじゃ。
それは迦葉が長年維持した法の魂魄と同じなのじゃ。
春夏秋冬日月万物の全てなのじゃ。

345 避難民のマジレスさん :2021/03/08(月) 23:35:13 ID:NK3zmx/U0
348
佛魔一紙
聖凡萬里隔郷關 聖凡萬里郷關を隔つ
清淨沙門塵事間 清淨の沙門塵事の間
殘雪殘梅窓外月 殘雪殘梅窓外の月
吟中猶劍樹刀山 中猶ほ劍樹刀山のごとし

松本市壽先生訳
聖人と凡人とには、万里もの隔たりがあるものだ。
清浄な僧と、俗事との間も大きな隔たりがあるものだ。
窓の外は残雪と残梅を月が照らしていてとても美しい。
しかし、それを吟じている私の腹の中は、剣樹が乱立する地獄絵図のような煩悩が巣くっている。
仏魔紙ひとえというもので、表面から見てもわかりにくいというだけだ。

くま訳
仏魔紙一重
聖人と凡人は万里も隔たりがあるのだ。
清淨な僧と俗事の間の関係はどうか。
残雪と残梅を窓外の月が照らしている。
それを吟じる我が胸中は、剣樹刀山の地獄の山でのたうちまわっているのだ。

*刀山剣樹:酷く危険な境遇。「刀山」は刀の刃が上を向いた状態で、無数に立てられている山。
 「剣樹」は葉や枝、花、実の全てが剣で出来ている樹。刀山を歩かされたり、剣樹を登らされては落とさ 
 れるという地獄で行われている刑罰のことから。
(´・(ェ)・`)つ

346 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/09(火) 22:02:32 ID:1d4drIFg0
聖人と凡人では万里の差があると言うのじゃ。
清浄な僧でも凡俗とは塵のように小さな差しかないのじゃ。
残雪残梅の外に月が出ているような風流を吟じている中にも剣の木、刀の山があるのじゃ。

清浄な僧も直ぐにも堕落するかもしれんから気をつけろということじゃな。

347 避難民のマジレスさん :2021/03/09(火) 23:00:29 ID:DpJVeXtI0
くま訳改
第二句:清浄な僧でも凡俗とは塵のように小さな差しかないのである。
第三句:残雪残梅の外に月が出ているような風流
第四句:それを吟じている中にも剣の木、刀の山があるのである。

349   1/2
止大用庵破却  大用庵の破却をとどむ
 二首 寛正五年 
破邪歸正識情 邪を破ししゃうに帰す識情
勝負人我無明 勝負にんが無明
可羨出塵羅漢 しゅつ塵の羅漢をうらやむべし、
青天月白風淸 青天月白く、風淸し

くま訳
大用庵の完全なる破壊を止めた。 寛正五年(一休七十一歳)
邪道を打破し正しく識別する道に帰した。
勝負に拘るのは、自我に囚われた無明故である。
俗世間を離れた阿羅漢をうらやむべきであろう。
有明月は白く、風は淸い

*破却:原形をとどめないように、すっかりこわすこと。
*識情:事物を識別することと感情。総じて迷情による心のはたらきをさす。情識。
(´・(ェ)・`)つ

348 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/10(水) 22:03:31 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

邪道を破って識情は正道に帰ったのじゃ。
勝負に拘るならばまだ無明なのじゃ。
ただ悟りを完成した阿羅漢を羨むと善いのじゃ。
青天月白く風清いのじゃ。

349 避難民のマジレスさん :2021/03/10(水) 23:15:38 ID:PDgIfnws0
350   
止大用庵破却 2/2  
認定盤擔板漢禪 定盤をとむたん板漢の禪
衲僧作略豈膠絃 衲僧の作略豈に絃にかうせんや
殺活從横悪手段 殺活從横悪手段
鑄消正印漢王前 正印をちうせうす漢王の前

くま訳
物事を判断する厳格な基準の存在を認めるのが、一面のみを見て、全面をしらざる禅である。
真の師家が何で、絃の張り具合に拘る事があろうか、中ぐらいが良いのである。
恣意的な基準で活かしたり殺したりするのは、悪い手段である。
漢王も将軍の印を作って与えて後で取り上げたりしたのである。

*定盤:表面を水平で平滑になるように作った平面盤。組み立てなどを正確に行うのに用いる。
*擔板漢(たんばん):一面のみを見て、全面をしらざる痴漢をいふ。
*膠す:① ねばりつく。くっついて動かない。② 物事にこだわる。拘泥(こうでい)する。
*弾琴の喩:一生懸命に修行をしているのに、いっこうに悟りの境地に至ることができないと、修行に行き 
 詰った悩みを弟子ソーナ(琴奏者)から打ち明けられた際に、琴をかなでるには、弦をつよく緊(し)めす 
 ぎず、ゆるすぎず、ほどよく弦を緊めることが大事、修行も琴の音を調える時のようにその中道をとらね 
 ばならない、と助言して悟りに導いた。
*鑄消正印漢王前:https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/ >>23 >>24
(´・(ェ)・`)つ

350 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/11(木) 23:04:44 ID:1d4drIFg0

上っ面だけで全面を知らないのが今まで大用庵を修めていた衲僧の禅であるというのじゃ。
その策略は膠に糸がこびりついたような殺活縦横の悪手段なのじゃ。
正に漢王が印を鋳して取り消すが如きものなのじゃ。

351 避難民のマジレスさん :2021/03/12(金) 00:03:38 ID:0boY72FE0
くま訳全面改
上っ面だけで全面を知らないのが今まで大用庵の禅であったのだ。
その策略はニカワに糸がこびりついたような
殺活縦横の悪手段だったのだ。
正に漢王が印を鋳潰して取り消すが如きものだったなのだ。

378(順番繰上げ)
題如意庵校割未 如意庵校割の未に題す
 
將常住物置奄中 常住もつをもつて庵中に置く
木杓笊籬掛壁東 もくしゃくさうり壁東に掛く
我無如此閑家具 我に此くの如き閑家具無し
江海多年簔笠風 江海多年さりゅうの風

伊井暇幻先生訳・解説より
一休は一時、大徳寺管轄下の如意庵に住した。校割は庵の引き継ぎ書類である。其の端に書き付けた、との
体裁をとる。
寺の備品を庵内に整頓する。
木杓やら籠やらを壁東に掛ける。
元々自分は、このような無用物を持たなかった。
世間に長い間さすらってきた。蓑笠こそ我が家であり、庵に引き籠もることは自分に似合わない。

くま訳
如意庵の校割帳の端に書き置く
寺の備品は庵内に置く。
木杓や笊籬を壁東に掛ける。
わしは、このような無用物を持たないのだ。
長年世間をさすたってきたのだ。蓑笠をまとい風の中をゆくのだ。

*如意庵:1440 47歳6月20日、請われて大徳寺・如意庵に入住し、27日より華叟13回忌を営む。
29日、庵を去る
*校割:寺の什物帳なり、新舊(旧)交代の時、什物と自己の所有物とを区分明記して、疑なからしむるも
のなり。(禪学大成脚注)
*常住物:寺に住む僧が勝手に私有したり売却してはならない共有物で、長く寺に備えて僧の受用に供すべ
きもの。寺舎・田園雑具、また僧の常食など
*木杓(きさく)木でつくった柄杓(ひしゃく)
*笊籬(そうり) 竹で編んだかご。ざる。・簑笠(さりゅう):みのとかさ
(´・(ェ)・`)つ

352 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/12(金) 23:46:06 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

常住物をもって庵の中に置くのじゃ。
木杓笊などは東の壁にかけるのじゃ。
わしはこのような家具はもってなかったのじゃ。
世間を多年蓑笠でさすらっていたのじゃ。

353 避難民のマジレスさん :2021/03/13(土) 00:28:11 ID:g5ULF.Cg0
351
如意庵退院寄養叟和尚 如意庵退院養叟和尚に寄す
住庵十日意忙忙 住庵十じつ、意忙々、
脚下紅絲線甚長 脚下の紅糸線、甚だ長し。
他日君來如問我 他日、君来ってもし我を問はば、
魚行酒肆又淫坊 魚行、酒肆、又た淫坊

柳田聖山先生訳
如意庵に住んで十日だが、多情抑えがたく
いかにも赤提灯が足元を照らすものだから、
若し他日、この私を訪れてきてくれた時、
魚屋か、居酒屋か、女郎屋を探してくれ。

伊井暇幻 先生
庵に十日ばかり居着いてみたが、出て行きたくて心はソワソワとしていた。
庵に座り込んで過ごしたため、足の裏に赤い筋が長く出てきたし、愛すべき人を求める紅絲線が長く伸び人
恋しくて堪らない。
譬えば君が何時か庵に来て私の所在を尋ねるとしよう。その時、
私は恐らく、釣りに行っているか酒屋で蜷局を巻いているか、もしくは女郎屋に転がり込んでいるだろう」。
(´・(ェ)・`)つ
くま訳
如意庵退院に際して養叟和尚に贈る
如意庵に住持して十日、気忙しく落ち着かないのである。
足元の赤い糸が、わしを呼び寄せるのだ。
他日、君が来て、わしの行方を尋ねるのであれば、
釣り場、酒場、遊里辺りを探してくれ。

*寄す(他動):相手に送る。贈る。寄進する(心を)寄せる。頼りにする。ゆだねる。

354 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/13(土) 21:57:58 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

如意庵に住んで十日で心が乱れたのじゃ。
脚の赤い線が長く伸びたのじゃ。
他日、君が来てわしを問わば 魚屋か居酒屋か女郎屋にいるじゃろう。

355 避難民のマジレスさん :2021/03/13(土) 23:03:04 ID:ExRB.JVA0
352   
賛栽松道者   さいしょう道者を賛す
周家當處出生來 周家当初に出生し来たる
為法喪身徒苦哉 法の為に身を喪すただ苦なるかな
宿昔植何時徳本 宿せきいずれの時の徳本をかうう
栽松老漢也黄梅 さいしょうろう漢また黄梅

くま訳
栽松道者を讃える
五祖弘忍は周家の住まいのある地で生れた。
仏法を求めるために身命に執着せず、転生するのは、ただただ苦しいであろう
父栽松道者が周家に宿を借りたついでに、いつの間にか、娘を孕ませて転生したのだ。
五祖弘忍に転生した栽松じいちゃは、黄梅に住して、禅の教えを広めたのである。

*五祖弘忍(ぐにん・こうにん)大満禅師(688〜761)の前世が栽松道者(さいしょうどうじゃ)と呼ばれ
 る松を植えるだけの僧だったという伝説あり。
 仏教はできるだけ世間から遠く離れた山や野の中で自分で働き、自分で食べていく事とするこの生活を 
 「農禅生活」という。農作業をしながら修行する生活は、五祖から始まった。
(´・(ェ)・`)つ

356 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/14(日) 23:49:34 ID:1d4drIFg0
栽松道者の賛じゃな。

もとは富豪の周家に生まれていたそうじゃ。
法のために一遍死んで苦しんだのじゃ。
昔宿にていつのまにか徳の本を植えたというのじや。
そして栽松道者は黄梅の人となったというのじゃ。

黄梅の人とは五祖弘忍のことじゃな。

357 避難民のマジレスさん :2021/03/15(月) 00:17:22 ID:oVxihHho0
くま訳改
第三句:昔宿にていつのまにか徳の本を植えたのである。

お知らせ
昨年5月6日から始めた一休さん講読会は、結局『狂雲集』講読会となりました。本日、狂雲集の全ての詩
の下調べが完了いたしました。順次掲載して参ります。鬼和尚に注釈・翻訳いただいているお陰さまで、た
いへん有意義な講読会になっております。鬼和尚、いつもありがとうであります。
掲載完了までまだ7ヶ月以上かかると思いますが、いずれ、鬼和尚の翻訳を、國訳禪学大成版『狂雲集』の
編集に即して、並べ替えて別にまとめたいと思います。現在は原則「あいうえお」順で進行中であります。

353
長門春草    (弟子が編集した年譜に掲載されている一休さ13歳の作)
秋荒長信美人吟 秋こうの長信 美人吟ず
経路無媒上苑陰 経路 媒無くして上苑陰たり
栄辱悲歓目前事 栄じょく悲歓目前の事
君恩浅処草方深 君恩浅き処 草方まさに深し

碇豊長(イカリ トヨナガ)先生訳・解説より
秋の雑草が生える(頃)、長信宮(=後宮)の宮女がうたっている
(帝が通っておいでになる)道筋には、(帝と宮女との)仲立ちをする案内人の姿が見えなくて(=帝が
やって来なくて)、禁苑の緑は深まるばかりである。 
名誉や恥辱、悲しさや嬉しさというものは(目に見えない物ではなくて、)実際に目の前に見て取れるもの
ごとなのだ。
帝の恩寵が浅い(宮女の住む)所は、(帝のお成りが無いために、手入れがされずに)草が深く繁ったまま
になっているのだ。(このように実際に見て取れるのだ、と)

ある男の残日HP 宇野直人先生生訳・解説より 
春なのに秋の様にさびれた長信宮で 美しい人が歌を歌う
御所から続く道に 使者の訪れは無く 御所は静かなまま
愛される幸せと 忘れられる辛さは それは紙一重のこと
帝の愛の薄れた今 草だけが深く生い茂っている

愛を失って退いた女性、その悲しみという事をテ-マとしている。その女性の心境を想像してその身になっ
て詠んでいる。一休は歴史上の悲運の女性を繰り返し題材にした。漢の時代の王将君・唐の楊貴妃・・・。
不幸な母への想いと思われる。これが後に変化して女人崇拝となっていく。

*長信:漢代の班婕妤(はんしょうよ)という女性が天子の寵愛を失った後に住んだ、皇太后の宮殿「長信 
 宮」のこと
*秋荒:秋の雑草が地を覆う。秋になって、後宮に繁った雑草(雑草=帝が来なくなった意)に感じること 
 があっての怨みの詩。
*美人:「虞美人」の「-美人」のように、女官の名称。後宮の女性を謂う。ここでは、失寵の後宮の女性
(=一休の母を指す。)
*媒:(帝と宮女との)仲立ちをする案内人
*陰:おおう。おおわれる
 
くま訳
長門春草 
秋、荒れ果てた後宮で、天子の寵愛を失った官女が歌う
天子がお渡りになる経路には、案内人の姿無く、雑草におおわれている
栄辱悲歓がそのまま目前に現れて、見て取れる 
君恩が浅い官女の住むところは、草深くなるのだ。
(´・(ェ)・`)つ

358 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/15(月) 22:52:42 ID:1d4drIFg0
↑ご苦労さんなのじゃ。

秋の荒廃に長信宮より美人が吟じるのじゃ。
宮への経路に案内の者が居らず、上苑は陰気であるのじゃ。
栄辱悲歓は今ここ目前にあるものじゃ。
君恩が浅ければ草も深いのじゃ。

これが13の作とは信じがたいのじゃ。
後宮の悲哀に喩えて失恋とか父母君恩の浅きを嘆いているようじゃ。

359 避難民のマジレスさん :2021/03/15(月) 23:06:16 ID:td4//x260
11(再掲)懐古 1/2 https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>618
        こ の詩は、昨年5/8に、この講読会で初めて取り上げた狂雲集の漢詩である。
愛念愛思苦胸次 愛念愛思胸次を苦しむ 
詩文忘却無一字 詩文忘却して一字無し 
唯有悟道無道心 ただ悟道ありて道心無し
今日猶愁沈生死 今日猶ほ愁ふしょう死に沈まんことを 

(鬼和尚解説に基づき、くま訳全面改済み)
愛着の念が胸にあって苦しければ、
詩文も忘れてしまうであろう。
ただ悟道があって道心無ければ
今日もまだ生死に愁い沈むばかりであろう。

354
懐古   2/2
十年溺愛失文章 十年愛に溺れて文章を失す 
不是行天然即忘 是れ逆にあらず天即ち忘ず 
翰墨再論近年事 かんぼく再び論ず近年のじ  
輪廻断尽隔生腸 輪廻断じ尽す隔生のはらわた

蔭木英雄先生訳
十年間愛欲に溺れて文章を失っていたが 
これはわざとでなく自然に忘れていたのじゃ  
詩文を再び論じはじめたのはつい近年の事で 
(愛欲と詩文との)輪廻を切断するのが来世の願いなのじゃ

くま訳
十年愛に溺れて文章を書かなかったのである。
これは、わざとしたのではなく、自然にわすれていたのだ。
筆を取り、論じだしたのは、最近のことである。
何としても、輪廻を断じ尽くす覚悟である。

*翰墨(かんぼく):筆跡
(´・(ェ)・`)つ

360 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/16(火) 22:53:52 ID:1d4drIFg0
十年愛に溺れて文章を失ったのじゃ。
作文を実践していなかったから天はすぐに忘れさせたのじゃ。
近年になって書くのを再開したのじゃ。
輪廻を断ち尽くし、生はらわたも離れたからなのじゃ。

361 避難民のマジレスさん :2021/03/16(火) 23:27:56 ID:pH6aTtb20
鬼和尚、いつもありがとうであります。
「生はらわたを離れる」とはどの様な意味でありましょうか?」

355
杜牧  1/2
誰記慈明老漢婆 誰か記す慈明老漢の婆
無能懶性甕呑蛇 無能のらんしょう亀じゃを吞む
工夫雪月吟魂冷 工夫雪月吟魂冷たし
閑唱桑間濮上歌 閑に唱ふ桑間ぼく上の歌

くま訳
誰が慈明老僧が同棲するお婆さんのことを詩に詠むであろうか(テーマ選択×)
参174の詩 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>980
詩の才能無くけだるい。のろまな地をはう亀に吞みこまれる蛇のようである。(言葉選択×)
工夫して雪月を詠んでも、詩情は薄い(感性×)
閑にまかせて歌うのは、傾国の淫靡な歌である。(作品下品)

*慈明:慈明禅師石霜楚円(986-1039)、北宋の臨済宗第七祖。
 修行時に睡魔に襲われると錐でその腿を刺して凌いだという逸話あり。数多くの法嗣がいたが、なかでも 
 黄龍慧南と楊岐方会はそれぞれ黄龍派と楊岐派の祖となり臨済宗の隆盛に大きく貢献した。
*杜牧(とぼく)803-853年晩唐の詩人。 
 晩唐の繊細な技巧的風潮を排し、平明で豪放な詩を作った。風流詩と詠史、時事諷詠を得意とし、艶麗と 
 剛健の両面を持つ。七言絶句に優れた作品が多い。
 長安の名門階級に生まれ。828年、25歳で進士に及第。官吏となる。833年、31歳の時に書記を勤めた。 
 このころ詩作を始める。揚州在任の3年間、毎晩妓楼に通い、風流の限りを尽くしたと言われる。835年、 
検閲官に任命され長安に戻ったが、以後各地で多くの官職を歴任するが、政変のため中央での出世は得ら 
 れなかった。杜牧は自分の経歴や処遇への不満を詩に表し始めた 。
 848年に勲功部の副長官に任命された彼は中央に戻り、役職を歴任、853年病に倒れ亡くなった。
 漢詩、賦、古典散文。歴史的な名所や神秘的な情景を描いた繊細で叙情的な絶句を得意としていた。離別 
 や退廃、無常観などを描く詩もある。古典的な形と口語的な語法や語順、言葉遊びなどを組み合わせたス 
 タイルを用いた。彼はまたストーリー性のある長編の詩や孫子の注釈も書いている。
 恋愛詩を作ったことでも知られている。しかし死ぬ前年にその恋愛詩の多くを自ら焼き払ってしまいった。
*桑間濮上(ソウカンボクジョウ):濮水のほとりの桑間という地の意。国を滅ぼすような淫靡(いんび)な
 音楽。また、淫乱であること。殷の紂王が師延(しえん)にみだらな音楽を作らせたが、殷は滅び、師延は
 濮水に身を投げて死んだ。後に、濮水のほとりで聞こえた曲を師涓(しけん)が写し取り、晋の平公のため 
 に演奏したところ、師曠(しこう)が亡国の音楽であるとして止めたという故事による。
(´・(ェ)・`)つ

362 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/17(水) 23:49:12 ID:1d4drIFg0
↑それは性欲とか、攻撃欲とかの本能的な衝動の原因となる体の器官から離れたということじゃな。
 昔はそれが腸にあると考えられていたのじゃ。
 昔は愛欲に溺れて文もまずかつたが、輪廻を断ち腸も空になって文がよくなったというような意味じゃな。

363 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/17(水) 23:54:15 ID:1d4drIFg0
杜牧の詩なのじゃ。

 誰が記すか慈明は老人の女子だと。
 無能で怠け者で大蛇の如く甕酒を飲む者だったのじゃ。
 詩を工夫することは雪月の如く冷たい魂であつたのじゃ。
 それで暇に任せて淫歌を歌ったのじゃ。

 慈明と書くが杜牧のことなのじゃ。
 二人とも同じ性癖があつたというのじゃ。
 男色なのじゃ。

364 避難民のマジレスさん :2021/03/18(木) 00:42:04 ID:UEsw8PFo0
鬼和尚、ありがとうであります。
大腸と、脳が密接に連動してるのでありますね。
慈明(と杜濮)の性癖に付いてのご指摘は、言われてみれば、確かに、『慈明老漢婆』と書いてあるでありま
すね。
くまは、この畳みかかる様な罵詈雑言は、一休さんが、自分自身の事を卑下して見せているのかなと思って
おりました。

くま訳全面改。
誰が記すか慈明は老人の女子であり、
無能で怠け者でうわばみの如き大酒飲みだったのだ。
詩を工夫する魂は、雪月の如く冷めていたのだ。
それで暇に任せて淫歌を歌ったのだ。

356
杜牧   2/2
宗門活句阿房宮 宗門の活句阿房宮
六國興亡六國風 六國の興亡六國の風
筆梅詞林何所似 筆海詞林何の似たる所ぞ
晴天萬里月方中 晴天萬里月正に中す

蔭木英雄先生訳・解説
杜牧の「阿房宮賦」は臨済禅を生きいきと表す活句であり
(杜牧も賦す如く)六国の興亡は(秦が原因でなくて)六国自身の国風によったのだ(故に己事を究明し、
脚下を照顧せよ)  
杜牧の筆する詩句は何を似(しめ)しているのか
広大な青空のマン中に月が輝いている

杜牧は「阿房宮賦」で、鳴呼、六国を滅ぼす者は六国なり。秦に非ざるなり。   
と賦(うた)う。これは禅者にとり活句である。『碧巌録』二十に、”須らく活句に参ずべし、死句に参ずる
莫れ”と教えている。また『碧巌録』三十九に、”水中に元思量し。月は青天に在り”と述べているが、一
休は結句で、杜牧の筆する詞句は、その青天の月(=真如)を似(しめ)している。と吟破するのであった。
くま訳
臨済禅を生き生きと活写する「阿房宮」
六國興亡は六國國風に原因があったのだ。
この詩句、言葉は何を示してるのか、
広大天に輝く月、真理(六國の興亡は、六國自体に原因がある)を示しているのである。

*活句:禅宗で、有益に生かして用いられた文句。生きた語句。 俳諧で、言外に奥深い味わいのある句
*筆海(ヒッカイ):文字の集まりの意から文章。詩。
*詞林:詞林: 詩文を多く集めた書。詩人・文人の仲間。文壇。 辞書。
(´・(ェ)・`)つ

365 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/18(木) 23:15:28 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、更に学ぶのじや。

そのような杜牧の「阿房宮賦」は宗門を活かす句なのじゃ。
それには六国が興り滅びたのは六国自身の国風によるとあるのじゃ。
その筆先が何を示しているのか、万里に晴れわたる天の月のように明白なのじゃ。

つまり宗門を栄えさせたければ自ら風紀を善くするようにと言うのじゃな。

366 避難民のマジレスさん :2021/03/18(木) 23:41:50 ID:.FRkq9Z20
くま訳改
第三句:その筆先が何を示しているのか、
第四句:万里に晴れわたる天の月のように明白なのである。つまり宗門を栄えさせたければ自ら風紀を善く
するようにと言うのである。

357
看靈山行状   靈山の行状を看る
宗門極則又聱訛 宗門の極則又がうぐわ
乃祖靈山前釋迦 ない祖靈山前釋迦
採筆誰人點鬼簿 筆を採って誰人か鬼簿に点ず
工夫日用俗塵多 工夫日用俗塵多し

くま訳
靈山徳禪寺の行状を看る
宗門の規範はいりくんで、むつかしい。
開祖徹翁義亨は釋迦の正伝である。
実務として過去帳の作成などもしつつ、
一心に修行に励むが、俗世間との煩わしい事柄も多い

*霊山徳禅寺:徹翁が創建、応仁の乱で焼失、一休さんが再興。
 徹翁義亨(てっとう ぎこう)1369-1295 大徳寺1世。五山の禅に満足できないため,大徳寺の宗峰妙超  
 に参禅して法を嗣いだ。霊山徳禅寺を開創し,寺域内には石を配し,池を掘り船が浮かぶ庭園を築き,また 
 寿塔の正伝庵を設けた。足利義詮 や花山院覚円などの外護者を得ている。寺院経営,門徒の掌握と徹翁一
 派による大徳寺とその教団運営の基礎確立にすぐれた才能を発揮した
*極則:規範中の規範?奥義?
*聱訛(ごうが):いりくんで、むつかしきこと
*乃祖:祖父。また、祖先。
*点鬼簿:死者の姓名を書いた帳面。過去帳
*俗塵:浮世のちり。俗世間の煩わしい事柄。
*工夫日用:一心に修行に励む、日常
(´・(ェ)・`)つ

367 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/19(金) 23:59:24 ID:1d4drIFg0
靈山の行状を看て説いたのじゃな。

宗門の規則は又難しく入り組んでいるのじゃ。
霊山の祖であるお釈迦様の頃にはそんなに難しく入り組んでなかったのじゃ。
誰が故人の記に筆を加えてこんなにしたのか。
日用に俗塵を多くする工夫をしてはいかんのじゃ。

368 避難民のマジレスさん :2021/03/20(土) 00:25:20 ID:5u2wfoj60
くま訳改
第三句:霊山の祖であるお釈迦様の頃にはそんなに難しく入り組んでなかったのだ。
第四句:誰が故人の記に筆を加えてこんなにしたのか。日用に俗塵を多くする工夫をしてはいかんのだ。

358
歇林紹休侍者相攸搆居扁曰傳正。 けつ林紹休侍者ところを相し居を構え、扁して傳正といふ、
因作偈以爲證云         因って偈を作り、以って證と為すと云ふ

宗門滅卻法筵開 宗門滅卻す法えん開く
狭路慈明顚倒來 狭路の慈明顚倒し來たる
墻外自然樵客迹 しょう外はじ然しううかくのあと
風流河愛斷岸梅 風流愛すべし斷岸の梅

くま訳
臨済宗をやめて、一休と同行する侍者と良い場所を探して居を構えたことが、誤った伝えられ方をしている。
そこで、偈を作り証するのである。

大徳寺宗門は滅卻したので、法会を開くのである。
色欲を抑制する狭路を慈明禅師がひっくり返して、以来
垣根の外は、自然であり、きこりの足跡もある(庶民が集まってくる)
風流を愛すべきである、険しい崖に咲く梅の花を愛でるのである。(困難なところに身を置いてこそ風流を
味わえるのだ)

*歇(けつ・かつ・やめる・ やむ・ つきる・ やすむ・ かれる)
*林下(りんげ・りんか)山林派とは中世以降の臨済宗を中心とする禅寺のうち、在野の寺院を指す呼称で 
 ある。五山十刹など幕府の庇護と統制下にあった「禅林」または「叢林」の一派に対し、林下は座禅修行 
 に専心する厳しい禅風を特色としている。臨済宗大応派の大徳寺や妙心寺。
*紹(ショウ):1.ひきあわせる。2.前代の事業・国家・家などをうけつぐ。つぐ。
*相攸(そうしょ):好い場所を観察して選択する(中国語翻訳サイト)
*法筵(ほうえん):仏法を説く所。法会・説法の席。法 (のり) の筵 (むしろ)
*偏する:考え方・感情・方法・方向などが一方にかたよる
*顚倒:①逆さまにすること、なること。②倒れること。ひっくりかえること。③うろたえること。④
「てんどう」煩悩のために誤った考えやあり方をすること。2020/08/08鬼和尚コメ参。 
   https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>888
*石霜楚円(慈明禅師、986 – 1039年)
*楊岐方会(ようぎ ほうえ、992-1049)宋代の臨済宗の僧。後世五家七宗の一つに数えられる楊岐派の祖 
 として知られる。日本に伝えられた臨済禅のうち、栄西によるものを除く全てがこの楊岐派に属する
*牆外・墻外(しょうがい):垣根の外側。
(´・(ェ)・`)つ

369 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/20(土) 23:26:20 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

宗門から離れて法会を開くのじゃ。
慈明禅師の如き苦行は中道ではない本末転倒なのじゃ。
樵のような一般人も自然に来るような法会であるべきなのじゃ。
時には断崖の梅も愛するような風流の心が大事なのじゃ。

370 避難民のマジレスさん :2021/03/21(日) 00:12:13 ID:Y54sIEBM0
くま訳改
第二句:慈明禅師の如き苦行は中道ではない本末転倒なのである。
第四句:時には断崖の梅も愛するような風流の心が大事なのである。

359
賛臨済和尚   臨済和尚を賛す
従来道業是毘尼 従来道業是れびに
黄檗棒頭忘所知 黄檗の棒頭に所知を忘す
正傅的的克勤下 正伝的的こくごんか
吟破風流小艶詩 吟破す風流小艶の詩

くま訳
従来仏道修行は戒律に基づいてなされたのである。
臨済義玄禅師は、黄檗の三頓の棒を喫したことを契機に大悟した。
臨済の教えは、圜悟克勤(えんごこくごん)により正しく伝えられたのである。
吟破するのである、風流な小艶詩(雁艶詩)にのせて。

*道業:仏道修行のこと。悟りを成就するための修行の行為。
*毘尼(びに)毘奈耶(びなや):(vinaya の音訳。律と訳す) 比丘、比丘尼に関する、仏が制定した禁戒 
 をいう。三蔵中の律。
*臨済、黄檗の三頓の棒を喫して、遂に 辭して大愚の所に至る、因って前話を擧して、有過無過を問ふ、
 大愚曰く、「黄檗與麼に老婆なり、汝が爲に徹困なることを得たり、更に這裏に来たって有過か無過かと 
 云ふ。」師言下に大悟す。
*与麼:恁麼(いんも):1 (多く「の」を伴って連体詞的に用いて)疑問を表す。どのよう。いかように。
 2 (「に」を伴い副詞的に用いて)指示を表す。このよう。かくのごとく。
*臨済義玄(りんざい ぎげん、? -867)唐代の禅僧。諡は慧照禅師。臨済宗の開祖。言行録は、弟子の三 
 聖慧然によって『臨済録』としてまとめられており「語録の王」と称された。
*圜悟克勤(えんごこくごん)1063-1135宋の臨済宗の僧。字は無著。『碧巌録』の著者として著名。五祖 
 法演 (ほうえん) に参禅して大悟し,一家をなした。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/  >>251〜 参
(´・(ェ)・`)つ

371 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/21(日) 21:47:31 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

臨済の賛じゃな。

従来仏道は戒律を以って業とするものじゃった。
黄檗に棒で頭を叩かれて知る所を全部忘れたのじゃ。
その正伝は克勤の下にあるのじゃ。
今はそれを風流小艶詩にて吟破するのじゃ。

372 避難民のマジレスさん :2021/03/21(日) 22:04:59 ID:LGwG7GQI0
360
以淫欲換詩文  淫欲を以って詩文にかふ
衆寮及第大雄尊 衆寮及第す大雄尊
著述佳名我命根 著述の佳名我が命根
愁夢未修雲雨約 愁夢未だ修せず雲雨の約
君恩猶喜費吟魂 君恩猶ほ喜ぶ吟魂を費やすことを

蔭木英雄先生訳
衆寮で開悟して、わしは釈尊と同じになったものの  
詩文を作る名声こそが
我が命なのじゃ
愁いの夢の中で、情を交す約束をまだ果さぬが
そなたの愛情が喜ばしい。なぜなら恩愛によって一そう詩情をそそるからだ

茶の湯に親しむHP
学寮を修了して、大にして雄なる尊者の一員となり、
述べ著すものの名声が私の命綱である。
あなたと交わした夫婦の契りは悲しい夢のまま収まりが付かず、
君の深情けは喜びのまま私の詩心を浪費させるよ

くま訳
淫欲を詩文に変換するのだ。
寺での修行により、透関して開悟したのである。
著述により名をあげることが、天から与えられた使命なのだ。
愁夢の中での情交の約束はまだ果たせていないが、
君への恩は喜ばしいのである。詩情を駆り立ててくれるのである。

*衆寮:禅寺で、座禅をする僧堂に対し、僧が経や語録を読み、修行を深める自習用の建物。
(´・(ェ)・`)つ

373 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/22(月) 23:25:09 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

衆寮で及第して大雄尊になったのじゃ。
しかし著述による佳名こそ我が命根なのじゃ。
愁えるのは雲雨の約束が未だはたされぬことじゃ。
君恩に吟魂を費やすことをまだ喜びとしているのじゃ。

374 避難民のマジレスさん :2021/03/22(月) 23:49:18 ID:EdnDjoe.0
くま訳改
第二句:しかし著述による佳名こそ我が命根なのである。
第三句:愁えるのは雲雨の約束が未だ果たされぬことである。
第四句:君恩に吟魂を費やすことをまだ喜びとしているのである。

361
大燈忌宿忌以前對美人 大燈忌宿忌以前美人に對す
宿忌之開山諷経 宿忌の開山諷ぎん  
経咒逆耳衆僧聲 経じゅ耳に逆らう衆僧の声
雲雨風流事終後 雲雨風流こと終つて後
夢閨私語笑慈明 夢閨の私語慈明を笑ふ

西田正好先生訳・解説
大燈忌法要の読経の声が、 
せっかくの情事を妨げ気分をそぐもんだ。 
美人とこと終わって、
寝床の睦言を交わしながら、宋の慈明禅師も色好みであったわい、と笑えることよ

水上勉先生訳
大徳寺の開山大灯国師の百回忌、
僧侶たちの読経の声が聞こえてくるが、耳に逆らって、
自分は美人とよろしくやっている。
女を囲っていたという中国の慈明和尚もかなうまい。

柳田聖山先生訳・解説(牧原 一路先生ブログ)より抜粋
大灯国師の法要に、国師のことなんかちっとも判っていない連中が
経をあげて、法要した気になっている。
そんなエセ坊主の仲間になどはいらず、
自分は大灯国師と夢の中で親しく膝を交え、対話をした。
大灯国師の禅を本等に知る者は自分だけだ。

「逆耳」は中国の屈原を指している。屈原は、世の中を悲観して川に身を投げようとする。その時、漁夫が
「おまえさん、何をそう悩んでいるね。濁った川の水で冠を洗おうとするから悩むのだ。濁り水では靴を洗
えばいい、川の水がきれいになったら冠を洗えばいいではないか」と忠告してくれる。しかし屈原は、その
漁夫の忠告にも耳をかさず、「耳に逆らって」川に身を投じた。
一休は20歳の時、将来を悲観して瀬田川に身を投げようとしたことがある。屈原も王の子であった。後小
松天皇の子でありながら、世の矛盾に苦しむ自分を屈原と照らし合わせてみていたのである。
そして柳田氏は言う。「美人」は女性とは限らない、屈原も美人と評されていた。

くま訳
大燈の法要の宿忌よりも前に美人に対面したのである。
大燈の法要で勤行が行われている。  
経咒を唱える衆僧の声が耳障りだ。 
ワシは夢の中で大燈と親しく会い、
ワシは夢の中で慈明の禅の伝統に付いて話して、笑いあったのである。

*宿忌:開山忌、正忌の当日に対し、開山忌の前日のこと。その前夜に物忌みすることを言います。
*諷経(フギン):声をそろえて経を読みあげること。禅宗では、仏前での勤行(ごんぎょう)をいう
*経呪:経文と陀羅尼(だらに)。経陀羅尼。
(´・(ェ)・`)つ

375 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/23(火) 23:36:42 ID:1d4drIFg0
宿忌の開山を祝う読経の声、
衆僧の唱える経呪の声は耳に逆らうのじゃ。
それはまるで雲雨風流の事が終わりて後、
閨で夢見ながら語るようで慈明も笑うじゃろう。

376 避難民のマジレスさん :2021/03/23(火) 23:58:43 ID:pDXcCfPA0
くま訳改
第三句:雨風流の事が終わりて後、
第四句:閨で夢見ながら語るようで、慈明も笑うでありましょう。

362
梅子熟     梅し熟す
熟處年年猶未忘 熟処年年猶ほ未だ忘れず
言中有味孰能甞 ごん中に味はひ有りたれか能くなめん
人斑初見大梅老 人ぱん初めて見るだい梅老
疎雨淡煙青巳黄 疎雨淡煙青すでにわう

くま訳
悟りの境地が年々深まっても、大悟の契機となった言葉は忘れない。
言葉に味わいは有りだれも剽窃することができないのである。
移り気な人の中で初めて見る大梅老師。
まばらに降る雨、薄もやの中、青葉はすでに紅葉に熟していたのである。

*大梅法常(たいばい・ほうじょう。752-839)唐。幼年より多くの経を暗唱する博覧強記の人であったが、
 長じては禅に志向し馬祖大師の法を嗣いだ。
*熟処① よくなれたところ。住みなれた場所。② 学芸、武術などの奥深い肝要なところ。奥義(おうぎ)。
*甞(なめる):抜キ取ルノ意ニシテ、一般窃取ノ行為ヲ云フ。掏ルコト、買フト同意。
*斑:1 色の濃淡、物の厚薄などがあって一様でないこと。また、そのさま。まだら。2 物事がそろわな 
 いこと。一定していないこと。また、そのさま。3 気が変わりやすいこと。また、そのさま。
 
おまけ: 大梅法常禅師(大成脚注)
 馬祖下の尊宿なり。曾て馬祖に参じて問ふ、「如何(いか)なるかこれ仏」と。
 馬祖曰く、「即心是仏(そくしんぜぶつ。心が仏である)」と。
 師(法常)言下に大悟し、それより大梅山に深居し松実を食とし、荷葉を衣とし、只管打坐すること三十年 
 なりき。一日馬祖故らに僧を使はして問はしむ、「和尚そのかみ馬祖に参見して何の道理を得てか此の山 
 に住するや。」師曰く。「馬祖吾れに向かって卽心卽佛と言ふ、我これより此の山に住せり」と。僧曰く、
 「馬祖佛法近来別なり。」師曰く、「作麼生か別なる。」僧曰く、「馬祖曰く、非心非佛と。」師曰く、 
 「這の老漢人を惑乱することを了期あるべからず。さもあらばあれ非心非佛、我は祗だ卽心即佛と。」 僧 
 還りて馬祖に挙似す、馬祖曰く」、「梅子熟せり」と。  
 僧が帰って報告すると馬師が言った。「梅子(ばいし)熟せり」。
 これよりようやく世に知られるようになり、大梅山に修行者が集まってきた。
 
*大梅山:漢の時代に梅子真(ばいししん)という人が隠棲して仙人になったと伝えられる山。。
*作麼生 (そもさん):禅問答の際にかける言葉で、問題を出題する側が用いる表現。「さあどうだ」といっ
 た意味合いである。問題を出題される側は、「せっぱ(説破)」と応えるのが一般的である。

 大梅禅師の言葉。
 「汝ら諸人、おのおの回心して本に達し、その末を追うなかれ。その本を得れば、その末おのずから至る。
 もし本を知らんと欲せば、ただ自心を了ぜよ」
 「この心はもとこれ一切世間出世間法の根本なり。ゆえに心生ずれば種々の法生じ、心滅すれば種々の法 
 滅す。心もし一切の善悪に付さずして生ぜば、万法はもと如々たり」  禅師は八八歳で遷化した。亡く 
 なる直前、弟子たちに言った。「来るに拒むべきなく、往(ゆ)くに追う 
 べきなし」。それからしばらくくつろいでいたが、ムササビの鳴く声を聞くとまた言った。「この物は他 
 物にあらず。汝ら諸人、よくこれを護持せよ」。言いおわると示寂した。
 智覚禅師延寿が讃えて言った。「師、はじめに道を得るは、即心是仏。最後に徒に示すは、物は他物にあ 
 らず。万法(ばんぽう)の源をきわめ、千聖(せんしょう。諸仏諸祖)の骨に徹す。真化は移らず。何ぞ 
 出没を妨げん」
 出典「景徳伝灯録巻七、明州大梅山法常禅師」「宋高僧伝巻十一、唐明州大梅山法常伝」
(´・(ェ)・`)つ

377 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/24(水) 22:07:50 ID:1d4drIFg0
梅の実が熟したというのじゃ。

梅の実は熟した所は年月がたっても忘れないものじゃ。
言葉の中に味があり、誰がそれを嘗めて知ることが出来るじゃろうかというのじゃ。
はじめて老いた大梅の木を見るに人もまばらなのじゃ。
小雨で淡い煙の中で梅はすでに青い葉も黄色くなっているのじゃ。

梅に仮託して育った寺の衰退を嘆いているのじゃな。

378 避難民のマジレスさん :2021/03/24(水) 22:23:14 ID:JY.8aDeU0
くま訳全面改
梅の実は熟した所は年月がたっても忘れないものである
言葉の中に味があり、誰がそれを嘗めて知ることが出来るだろうか。
はじめて老いた大梅の木を見るに人もまばらである。
小雨で淡い煙の中で梅はすでに青い葉も黄色くなっているのだ。

363
大隋菴邊有一龜。    大隋菴べんに一亀有り。
僧問。一切衆生皮褁骨。 僧問。一切衆生皮骨をつつむ。
這箇衆生爲嗔骨褁皮。  しゃこの衆生なんとしてか骨皮をつつむ。
大隋以草鞋蓋於背上   大隋草あいを以ってはい上におおふ

衆生顛倒幾時休 衆生顛倒幾ときか休せん
打着前頭又後頭 前頭を打着して又後頭
信手救猫趙州老 手にまかせてめうを救ふ趙州老
草鞋載去也風流 草あいいただき去るまた風流

くま訳
大隋庵の近くに一匹の亀がいた。
僧問う。一切の生き物は、骨を皮がおおっているが、
亀はどうして骨(甲羅)が皮をおおっているのでしょうか。
大隋禅師はわらじを亀の背に乗せておおった。

人は思い違いをして、混乱している。しばらく頭を休めるべきである。
頭を前に後に打ち付けて考えても、行き詰まるのだ。
何も考えずとも、子猫が切り殺されないように救える趙州老のよに、
草履を頭に載せて立ち去るのも風流である。

*大隋開山神照禅師(だいずいかいさんしんしょう):百丈下三世(834-919)  
     ┏黄檗希運
     ┃
百丈懐海━╋潙山霊祐
     ┃
     ┗西院大安━大隋神照
(´・(ェ)・`)つ

379 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/25(木) 22:53:06 ID:1d4drIFg0
衆生は顛倒して休む時も無いのじゃ。
前頭を打ったかと思えば次は後頭を打つのじゃ。
趙州老ならば手にとって猫を救えたのじゃ。
頭に草履を載せて去るのが風流なのじゃ。

380 避難民のマジレスさん :2021/03/25(木) 23:09:51 ID:bKscMpEk0
くま訳全面改
衆生は顛倒して休む時も無いのだ。
前頭を打ったかと思えば次は後頭を打つのだ。
趙州老なら手にとって猫を救えたのだ。
頭に草履を載せて去るのが風流なのだ。

364       2/2
羅漢遊淫坊圖二首  
羅漢出塵無識情 羅漢の出塵識情無し
婬坊遊戯也多情 淫坊のゆけまた多情
那邊非矣那邊是 な辺非かな辺是か
衲子工夫魔佛情 衲子の工夫魔佛の情

柳田聖山先生訳
煩悩を捨てた羅漢は情を知らない
遊里で遊ぶのは多情の証しである
色好みの是非を問うのは遊戯以前
僧侶たるものは魔と仏を見極めよ

くま訳  
羅漢は俗世間を離れ、迷いが無い。
遊里で遊ぶのは多情だからである。
そのことの是非は
僧侶なら、自分で魔佛の情を見極めねばなりますまい。
(´・(ェ)・`)つ

381 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/26(金) 23:09:33 ID:1d4drIFg0
阿羅漢は俗塵を排出して識情がないのじゃ。
俗人が淫坊で遊べば情が多いのじゃ。
同じ情なのにどこに非があり、どこに是があってそのようになるのか。
修行者の工夫次第で魔にもなり、仏にもなるのが情なのじゃ。

382 避難民のマジレスさん :2021/03/27(土) 00:07:42 ID:WG8H9gto0
くま訳全面改
羅漢は俗塵を排出して識情がないのである。
俗人が遊里で遊べば多情である
同じ情なのにどこに是があり、どこに非があてってそのようになるのか、 
修行者の工夫次第で魔にもなり、佛にもなるのが情なのである。

365
羅漢遊淫坊圖二首 2/2
出塵羅漢遠佛地 出塵の羅漢佛ぢに遠ざかる
一入淫坊發大智 一たび淫坊に入って大智を発す
深笑文殊唱楞嚴 深く笑ふ、文殊りょうごんを唱ふるを
失却少年風流事 失却す少年風流のじ

くま訳
俗世間を離れた羅漢は仏の地から遠のいてしまうのである。
一度遊里で、大いなる悟りの智慧を発すれば、
阿難の(遊里で、心神耗弱状態にされ犯されそうになったときに文殊が助けに行ったという)楞厳経の逸話を
読んで大笑いするだろう。
阿難は、悟る機会を逸したのである。

*出塵:俗世間の汚れから逃れること。出家して僧となること。
*楞嚴:大佛頂如来密因修證了義諸菩薩萬行首楞厳経・釋迦、女郎屋に拉致された阿難の救出を文殊に指示。
(´・(ェ)・`)つ

383 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/27(土) 23:13:38 ID:1d4drIFg0
俗世を離れた阿羅漢が仏の境地を離れ、一度淫坊に入ったとしても、大智を発するじゃろう。
楞厳経の文殊が淫坊に助けに入った故事を深く笑うじゃろう。
そのような若造の境地をもはや失却しているからなのじゃ。

384 避難民のマジレスさん :2021/03/28(日) 00:11:22 ID:PWOU9dF20
くま訳全面改
俗世間を離れた羅漢が仏の境地から離れて
一度遊里に入ったとしても、大いなる悟りの智慧を発するでありましょう。
楞厳経の文殊が淫坊に助けに入った故事を深く笑うでありましょう
そのような若造の境地をもはやなくしているからである。

366
耽色喪徳    色に耽って徳を喪す
酒伴詩僧久絶交 酒はん詩僧久しくまじはりを絶つ
獨吟月影滿松梢 獨吟月影松ぜうに満つ
楚臺秋夢是吾業 楚台の秋夢是れ吾が業
杜牧昧淸淫色嘲 杜牧み清し淫色のあざけり

くま訳
女色に耽り徳を失う
飲み仲間の詩僧と久しく交わりを絶った
独り吟じる、松の梢の彼方に見える滿月
情交を夢見るのは我が業である
杜牧のように淫色の詩を詠む時でもその言葉は清淨でありたいものである。

*酒伴:飲み仲間
*楚臺秋夢:漢書に、楚は牽花の臺を起して黎民散ずと、即ち其の女色に耽るをいふなり(国訳脚注)
*花臺:美しい楼台
*黎民:一般人民
*楚台の夢・巫山の夢・楚夢雨雲:男女の交わり、情交のたとえ。戦国時代の楚の懐王が昼寝をした際、夢 
 の中で巫山の女神と情交を結んだ。別れ際に女神が「朝には雲となって、夕方には雨となってここに参り 
 ます」と言ったという故事から。
*杜牧(とぼく…803〜852):晩唐を代表する詩人
*嘲(チョウ・あざける) ばかにして笑うこと。あたりかまわず勝手な口をきく。また、大きな声を出す。
ふざける。声をあげて詩歌を口ずさむ。うそぶく。
(´・(ェ)・`)つ

385 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/28(日) 21:25:52 ID:1d4drIFg0

酒の伴の詩僧とは久しく絶交しているのじゃ。
月の影が松の梢に満ちる時、独り吟詠するのじゃ。
楚台の秋夢は我が業なのじゃ。
杜牧の詩は味清き淫色の嘲なのじゃ。

386 避難民のマジレスさん :2021/03/28(日) 21:36:35 ID:rVU5IKF60
くま訳改
第四句:杜牧の詩は味清き淫色の嘲なのじゃ。

367
松源和尚 1/2
松源靈隱老師禪 松源はりんにん老師の禪
破法攀條省數錢 法を破りでうをよづ省数銭
嚢中我沒半文蓄 なう中に我半文の蓄え無し
狂客江山三十年 狂かくかう山三十年

くま訳
松源老師の禪
あやまった伝統、法など破り棄て、文章をひねり出し、節約して数銭を稼ぐのである。
財布の中には半文の蓄えも無いのである。
風狂に、山河に遊んだ人生三十年である。

*松源崇岳(しょうげんすうがく<1132〜1202年>)南宋時代の禅僧・23歳、応庵禅師の門下となり3 
 3歳で悟りを開いた。仏法を世の中に広め各寺の住職を務め、禅宗の看話禅及び默照禅に存在した不正行
 為を正すため、松源崇岳は座禅の方法を改革した。霊隠寺の住持をつとめ、霊隠寺で示寂した。
 松源和尚三轉語 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/
*破法(はほう):仏の教えにそむき、これをそしること。謗法
*攀(よじる、引く、すがる)
*條(じょう)えだ。すじ。すじ状に書いた文書。転じて、法律、規則、契約の類。すじみち。ことがら。
*攀條(中国語翻訳)枝を登ったり壊したりする。・・・を登ってその栄光を壊し・・
*嚢中(のうちゅう)1 袋の中。2 財布の中。また、所持金。
*狂客(きょうかく)① なみはずれた奇抜な行ないをする人。また、狂人。② 風雅を愛する人。風雅に徹
 した人。風狂の人。狂仁。③ 楊花(柳の花)や桃の異名。
*江山(こうざん)川と山。山川。山水。また、水陸の交わる景色。
(´・(ェ)・`)つ

387 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/29(月) 21:59:17 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

松源は靈隱老師の禪を伝えたのじゃ。
破法を破壊して、節約して暮らしたのじゃ。
財布の中には半文の蓄えもなかったのじゃ。
江山に三十年狂客として住んだのじゃ。

388 避難民のマジレスさん :2021/03/29(月) 23:13:24 ID:UGqRHdIQ0
368
松源和尚 2/2
巡堂合掌又焼香 巡堂合掌又焼香
竪拂拈槌坐木床 じゅほつねんつゐしょうに坐す
臨済正傳也何處 臨済の正伝またいづれのところぞ
一休東海斷愁膓 一休東海に愁膓を断つ

くま訳
巡堂合掌又焼香という坐禅の作法に従い
竪拂拈槌(じゅほつねんつい)により師の指導を受けて床に坐す。ただそれだけのことなのに、
臨済の門徒のなかに、法を正しく受け継ぐ者はどこにいるというのだ。
一休は日本国において独り松源を受け継ぐものとして斷膓の思いである。

*巡堂合掌又焼香:坐禅の作法
*拈鎚竪払(ねんついじゅほつ):鎚をとり上げ、払子を立てる。師家が学人を接得する手段。
*愁腸(しゅうちょう):うれえ悲しむ心。愁心。
(´・(ェ)・`)つ

389 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/30(火) 23:38:57 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

巡堂し合掌して又焼香して供養するのじゃ。
竪拂拈槌し木床に座禅するのじゃ。
臨済の正伝はいずこににあるのじゃろうか。
一休は東海で断腸の愁いを抱えているのじゃ。

390 避難民のマジレスさん :2021/03/31(水) 02:44:52 ID:isomS8To0
369
自賛   1/4
大機大用總絃膠 大機大ゆう総てげんかう
如法作家淸宴餚 にょ法の作け淸宴のこう
文君絞酒相如琴 文君がかう酒相じょが琴
終奈薄情無賴嘲 つひに薄無頼のあざけりをいかんせん

くま訳
大きな機会を充分に活かすための表現法があるのである
法に従った禅宗師家の雅な宴のさかな(=悟りへ導く指導技術)みたいなものである。
卓文君が夫の二心を悲しみ、別れの杯を交すと詠い送ったのが相如の琴線に触れたのである。
さてと、相如は薄情な無頼漢だというそしりをどうしたものか。

*絃膠(げんこう):東方朔の十洲記に、「鳳啄麟を以て膠を作る、續絃膠と名く、能く繼絃を續ぐ」と、
故に再び妻を娶るについて續絃といふ、司馬相如、卓文君を娶り、後、かえって将に茂陵の人の女を聘(め)
して妾となさんとす、卓文君、白頭吟を作って以て自ら絶つ、相如乃ち止むと。多情をいふなり。(大成脚注)
*鸞膠續絃法(中国語翻訳):漢王朝の武帝に捧げられた鳳凰骨髄を煮て作った非常に粘り気のある接着剤に
よる接着⇒やや無理がある設定で整合性を高めるようなしかけをする、表現技法・文法。
*餚(コウ・さかな)火をかけて調理した鳥・獣・魚などの肉。乱す。乱れる
*東方 朔(とうほう さく紀元前154年 – 紀元前93年)は、前漢の武帝時代の政治家。下界に住む仙人、お
笑いの神様。
*鸞膠續絃法(中国語翻訳):漢王朝の武帝に捧げられた鳳凰骨髄を煮て作った非常に粘り気のある接着剤に
よる接着⇒やや無理がある設定で整合性を高めるようなしかけをする、表現技法・文法。
(´・(ェ)・`)つ

391 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/03/31(水) 23:58:23 ID:1d4drIFg0
大機大用などは浮気性のようなものじゃ。
法に従う作家は宴会の肴なのじゃ。
文君が酒を絞り、相如が琴を弾くのじゃ。
遂に薄情無頼漢の嘲りをどうにもできないのじゃ。

392 避難民のマジレスさん :2021/04/01(木) 02:25:35 ID:/M7/YgoQ0
くま訳全面改
大機大用などは浮気性のようなものである。
法に従う作家は宴会の肴なものである。
文君が酒を絞り、相如が琴を弾くのだ。
遂に薄情無頼漢の嘲りをどうにもできないのだ。

370
自賛  2/4
文章禪話不知真 文章禪話真を知らず
未得道流分主賓 未だだうる主賓を分かつことを得ず
慚愧永劫抜苦業 慙愧すやう劫抜苦の業
筆頭罵詈一天人 筆頭一天の人をめりす

くま訳
文章を読み、禪話を聞いても真理は分からないのだ
未だに修行者達は無分別の境地になれないので、、
慚愧の念に堪えないことに、永劫の苦を取り除かねばならないのである。
まずはその点に付き、天下の人を罵るのである。

*道流(どうる);臨済は修行僧達を「道流」と呼んだ。も本来「道教を奉じる人達」という意味
*慚愧:仏教では、対象を認識する心の中核部分(心)とそれに付随して働く心の作用の部分(心所)から 
 なる総合体として心を捉える。「慚」とは自分自身と法(仏教の教え)に照らして自分がなした過ちを恥
 じると共に、有徳者や善なるものを尊重することである。「愧」とは世間(法律や慣習などの規範) に
 照らして自分がなした過ちを恥じると共に、悪行から離れることである。この慚と愧は一応は区別される
 が、必ず相伴って生ずるとされる。そして、この二つは、心が善なるときは「精進」などの他の善の心の
 作用と共にいつも生じ、逆に心が不善(悪)のときは“恥じない想い”である「無慚」と「無愧」の二つ
 が必ず生ずると考えられている。
(´・(ェ)・`)つ

393 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/01(木) 23:29:18 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

文章や禅話では真理はわからんのじゃ。
悟りを得ていない坊主は主体と客体を分別しているのじゃ。
慚愧は永劫の苦を抜く法なのじゃ。
そのために天下の人々を罵るのじゃ。

394 避難民のマジレスさん :2021/04/01(木) 23:54:13 ID:v8V8Mfq60
くま訳改
第三句;慚愧は永劫の苦を抜く法なのだ。
第四句:そのために天下の人々を罵るのだ。

いわれて見れば、うむ。なるへそと思えるのであるが、独力では↑このような訳が思い浮かばないくまであります。

371
自賛   3/4 
傍若無人閑逸心 傍若無人閑逸の心
奈何床下法塵深 しょう下の法塵の深さをいかんせん
夢閨銀燭繍簾月 夢閨の銀燭しうれんの月
白日青天咲朗吟 白日青天わらってろうぎんす

くま訳
俗世間から離れ、他人の目を気にしない。
地の底からわいてくる煩悩をどうするかと言うと、
夜は遊里の銀の燭台や繍簾越し月を眺め
晴れ渡った日中は、笑って詩を詠み吟じるのだ。

*傍若無人:他人の目を意識しない行動。「傍(かたわ)らに人無(ひとな)きが若(ごと)し」と読む。
*閑:1しずか。2.することがなくてひま。のんき。何もしないでいる。
*逸:世間から隠れる。世間に知られない。失われた。
*法の塵(のりのちり)仏法をけがすものを塵にたとえていう語
 六塵:仏語。色・声・香・味・触・法の六境のこと。心を汚し煩悩を起こさせるのでいう。
*夢閨(むけい):一休さんのペンネームの一つ
*繍簾(シュウレン): 刺繍をした簾(すだれ)。
*青天白日:よく晴れわたった青空と日の光。転じて、潔白で後ろ暗いことのないことのたとえ。また、無 
 実であることが明らかになること。▽「白日」は輝いて白い太陽のこと。「白日青天はくじつせいてん」 
 ともいう。
(´・(ェ)・`)つ

395 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/03(土) 00:04:25 ID:1d4drIFg0
>>394 学問も日々の精進が大事なのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

心は傍若無人にして他人に無関心なのじゃ。
床下の法塵は深くしてどうしようもないからなのじゃ。
わしの銀燭は繍簾の月のようじゃ。
白日晴天ならば朗吟を咲かすのじゃ。

396 避難民のマジレスさん :2021/04/03(土) 00:50:26 ID:IwyI08X60
鬼和尚、いつもありがとうであります。
くま訳全面改
心は傍若無人にして他人に無関心なのだ。
床下の法塵は深くしてどうしようもないからなのだ。
わしの銀燭は繍簾の月のようである。
白日晴天ならば朗吟を咲かすのだ。

*「わしの銀燭は繍簾の月のようじゃ」とは、「ワシは(煩悩についての)物事の見方において、繍簾を通
して月を見るようなものだと譬えるのだ。」という理解で良いので有りましょうか?

372
自賛   4/4
純老佳名發海東 純老が佳名海東に發す  
天源派脈截流通 天源の派脈流れをきって通ず
徳山臨済在何處 徳山臨済いずれのところにか在る
歌吹夢閨殘暁鐘 歌吹す夢閨殘暁の鐘

くま訳
一休純老の名声は大應國師を受け継ぐものなのだ。
大いなる源からの流れは、邪法を断ち切り、一休により正しく伝えられるのさだ。
徳山や臨済の流れを受け継ぐものが、他に何所にいるのか、
歌い笛を奏でつつ、一休は一人明け方鐘の音を聴くのである。(祖師たちの教を受け継いでいるのだ)

*純老・夢閨:一休さんのペンネーム
(´・(ェ)・`)つ

397 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/03(土) 23:23:47 ID:1d4drIFg0
↑それでもよいのじゃ。
 更に進歩していけば他の解釈も浮かぶじゃろう。
 それにも囚われずに進むのじゃ。


 わしの名声は尾張海東郡から発したのじゃ。
 天源派の法脈を斬ってわしが通じたのじゃ。
 徳山臨済の正伝はどこにあるのじゃ?
 わしは残照の鐘とともに歌うのじゃ。

 正伝はどこにあるというのは反語じゃな。
 勿論わしの所にあるのじゃ、ということじゃな。

398 避難民のマジレスさん :2021/04/04(日) 02:41:42 ID:cHNtCD760
くま訳改
第一句:わしの名声は尾張海東郡から発したのだ。
第二句:天源派の法脈を斬ってわしが通じたのだ。
*尾張:愛知県の妙興寺:大応国師没後その法嗣(ほうし)として国師の頂相を付与された円光禅師が創建
した古刹。大應の木像が
*海東郡:静岡県の円通堂には、大応国師が生まれた時に産湯の水を汲んだと伝えられる、
「東海児孫日転多(ひにうたたおおし)」:虚堂の法を南浦が日本に広めるのを予言した
*天源派=大応派・大応国師の法を継ぐ宗派。天源院、南浦紹明(大応国師)の塔所として、鎌倉市建長寺 
内にある

373    1/3
示淫色人    淫色の人に示す  
巫山雲雨夢中神 ふ山雲雨夢中の神
君子猶迷況小人 君子なほ迷ういはんや小じんおや
風流聖主馬嵬涙 風流の聖主馬くわいの涙
龜鑑明々今日新 亀鑑明々今日あらたなり

くま訳
楚の暗君懐王の夢には女神があらわれたという、
君子でさえ迷うのだから、小人ならいうまでもなく翻弄されただろう。
雅な名君玄宗が馬嵬で流した涙の話は、
今日、教訓とすべきことは、全く明らかである。

*巫山雲雨 ふざんうんう:男女の交わり、情交のたとえ。( 巫山」女神が住んでいたとされる山)。戦国時
代の楚の懐王が昼寝をした際、夢の中で巫山の女神と情交を結んだ。別れ際に女神が「朝には雲となって、
夕方には雨となってここに参ります」と言ったという故事から。
*懐王(かいおう、? - 紀元前296年)戦国時代の楚の王。秦の張儀の謀略に引きずり回され、国力を消耗
 し、最後は秦との戦いに敗れ秦に幽閉されたまま死去した。戦国時代の暗君の代名詞的存在と目され、楚
 の悲劇の象徴とされた。
*馬嵬駅の悲劇:756年に唐の馬嵬駅で、安史の乱により蜀に逃げ延びる途上の皇帝玄宗に対して兵たちが
 楊国忠・楊貴妃を殺害するように迫り、楊貴妃が悲劇の死を遂げた事件
*聖主:徳の高い、すぐれた君主。
*亀鑑(キカン):「亀」は甲を焼いて占ったもの。「鑑」は鏡の意。行動や判断の基準となるもの。手  
 本。模範。
(´・(ェ)・`)つ

399 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/04(日) 21:56:03 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

巫山には夢で雲雨となる女神が現われたのじゃ。
君子でも迷うのに小人は迷わずにいられないのじや。
風流な聖主も馬嵬では楊貴妃を葬り涙したのじゃ。
以上のような亀鑑に明らかなように今日新たに心がけて淫心を慎むべきなのじゃ。

400 避難民のマジレスさん :2021/04/04(日) 23:03:07 ID:Hw95uq0M0
374    2/3
示淫色人    淫色の人に示す  
濮上桑間唱哇音 ぼくじょうさうかんあいおんをとなふ
風流年少寵尤深 風流年少寵もっとも深し 
世界三家村裏客 世界三か村裏の客
重華不識二妃吟 ちょう華しらず二妃の吟

くま訳
傾国の淫靡な音楽を大きな音で奏で、
風流な若者を溺愛する。
そんなやつらは、
世界のはての田舎者の客だ
あざやかさだけを有難がり、無学で、娥皇と女英という舜の二妃の吟など知らぬだろう。

*桑間濮上(そうかんぼくじょう):濮水のほとりの桑間という地の意。国を滅ぼすような淫靡な音楽。 
 また、淫乱であること。殷(いん)の紂王(ちゅうおう)が師延(しえん)にみだらな音楽を作らせたが、殷は
 滅び、師延は濮水に身を投げて死んだ。後に、濮水のほとりで聞こえた曲を師涓(しけん)が写し取り、晋 
 の平公のために演奏したところ、師曠(しこう)が亡国の音楽であるとして止めたという故事による。
*哇:わーわーきゃーぎゃー大声で叫ぶ
*三家村:寒村,片田舎.
*娥皇(がこう)は、古代中国の伝説上の女性。堯の娘で、妹の女英とともに舜の妻となった。堯は舜の人 
 格を見極めるために、娘の娥皇と女英の2人を舜に降嫁させた。舜の父母や弟はたびたび舜を死地に置い
 たが、舜は娥皇と女英の機転に助けられて危地を脱した。舜が即位して天子となると、娥皇は后となり、 
 女英は妃となった。聡明貞仁で天下に知られた。舜が死去すると、娥皇と女英は江湘の間で自殺し、俗に 
 湘君(湘江の川の神)となったと伝える。
(´・(ェ)・`)つ

401 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/05(月) 21:08:12 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

傾国の歌を声高に歌い、
年少を深く寵愛することを風流とする者は、
世間知らずの田舎ものなのじゃ。
瞬王がまだ二妃の歌を知らなかった頃のようなものじゃ。

402 避難民のマジレスさん :2021/04/05(月) 23:20:32 ID:uaEwwF2M0
くま訳改
第二句:年少を深く寵愛することを風流とする者は、
第四句:瞬王がまだ二妃の歌を知らなかった頃のようなものである。

*重華:古代中国の伝説上の帝王。名は重華。虞舜[ぐしゅん]ともいう。五帝の一人。堯王[ぎょ 
 う]とともに堯舜と併称され、ともに儒教では理想的な帝王とされた。『史記』によると、頑迷な父 
 をはじめ家族は悪徳で乱れていたが、舜は孝行して導いた。これを知った堯王から認められ、帝位を譲り 
 受け国号を虞とし、善政を行った。

375
示淫色人  3/3
所愛肉身飡食忠 所愛の肉身さんしの忠
心肝生鐵一天功 心肝しょうてつ一天の功
男兒死處色何屈 男兒の死処色何ぞ屈せん
悩亂楊花甲帳風 悩らんす楊花甲帳の風

くま訳
肉体が好むところは、食欲に忠実である。
心は鍛えられてなくても、それが世に示される功績につながることもあるのだ。
男子の死に場所として色欲に屈してよいものかと思うのだが、
心乱されてしまうのである、なよやかな美女がいる遊里のとばりの風に

*心肝1 心の中。2 思慮。考え。才覚。
*悩乱:悩み苦しんで心が乱れること。
*楊花(ようか):柳の花。また、なよやかな美女をたとえていう
*甲帳:美しいとばり、
(´・(ェ)・`)つ

403 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/07(水) 00:07:43 ID:1d4drIFg0
肉体を愛する者は忠誠の心をゴミのように掃きちらしてしまうものじゃ。
心肝を鉄とすれば天下の功業もなすことができるのじゃ。
男児の死処が色欲で屈してよいものか。
美女に悩乱すれば花街の風となって消えるのみじゃ。

心臓は忠誠、肝臓は勇気を出すところと考えられていたのじゃ。
鉄の心肝とは忠勇無双と言うことじゃな。

404 避難民のマジレスさん :2021/04/07(水) 01:36:43 ID:2riPeU5I0
くま訳全面改
肉体を愛する者は忠誠の心をゴミのように掃きちらしてしまうものなのだ。
心肝を鉄とすれば天下の功業もなすことができるのだ。
男児の死処が色欲で屈してよいものか。
美女に悩乱すれば花街の風となって消えるのみである。

*生鐵:=銑鉄・高炉や電気炉などで鉄鉱石を還元して取り出した鉄のこと。銑鉄を生産するプロセスのこ
とを製銑(せいせん)と呼ぶ。古くは銑(ずく)と呼ばれた。

376
雲門示衆云      雲門衆に示していわく、
古佛興露柱相交。   古仏と露柱と相交わる、
是第幾機。      これだいいく機ぞ。
自代云。       自ら代わっていわく、
南山起雲。北山下雨。 南山に雲を起こせば、北山に雨を下す 

小姑縁底嫁彭郞 しょうこなにによってかほうろうにかす。
雲雨今宵夢一場 うんう今宵夢一場
朝在天台暮南岳 あしたに天台に在り暮に南岳
不知何處見韶陽 知らず何れのところにかしょう陽(雲門)を見ん

くま訳
雲門が説法で修行者に尋ねた。
古佛がお堂の柱と交わる
これにはどんな機縁、悟りに導く縁があるのか?
雲門自ら答えて言った。
南山に雲が起これば、北山に雨が降る。(分別せずにありのままを見れば、仏法の真実が眼前に顕れている
としれるのだ。)

小姑はなぜ彭郞と結婚したか
愛し合う、夢のような一夜
朝は天台に在り、暮には南岳
どこに韶陽があるのだろうか。(雲門はどこにいるのであろうか)

・・小姑と彭郞の波乱万丈の人生の中にも、分別せずにありのままを見れば、仏法の真実が見えるという意
味で有りましょうか?

*彭郞:中国語の翻訳サイトで調べてみた。地名の由来についての伝説が、語られてるであるが、半分も分 
 からない。一休の説明から、たぶんこんな話であろうと推測してみた。
 禁断の恋をして結婚、誘拐、逃亡、再会、波乱万丈の人生を送った彭郞。廃止されて既にない韶陽を懐か  
 しくおもう。
*韶陽(韶州の別名)589年、隋により韶州と改称された。翌年には廃止
 韶陽=雲門。雲門大師が韶州雲門山に住するによる
(´・(ェ)・`)つ

405 避難民のマジレスさん :2021/04/07(水) 01:41:56 ID:2riPeU5I0
おまけ
佐藤悦成×先生訳
和訳)諸君、よく聞きなさい。雲門文偃が学人に教えていわれました。
「仏としての衲が外をみるのは、第何番目の働きでしょうか。」と大衆は答えませんでした。
そこで雲門が代わって
「南山に雲が起これば、北山に雨が降る」といいました。

釈意)雲門は、自己の内にある分別を用いることなく、すべてをありのままに観ることができなければ、実
相の会得には至らないと示した。
露柱はその例として説いたのであり、仮有空無の意味を説いている。真実の仏法が何であるか、と問われた
大衆は、あまりに初歩的な質問と捉えて逡巡したのか、問いかけに応じることができなかった。仕方なく雲
門は自らの問に自身で答えることになった。雲が発生すると雨が降るように、思慮分別が入ることなく、自
身の心に隙間が生じなければ。眼前の仏法の真実が現れていることを識ることができるのである。
(´・(ェ)・`)b

406 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/07(水) 23:46:16 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃろう。
どんな者でも真摯に修業すれば悟りに至れるということじゃな。

小姑はどのような縁で彭郎の嫁になったのか。
雲雨は今宵一晩の夢なのじゃ。
朝には天台にあり、暮れには南岳にあるのじゃ。
どこにいけば韶陽が見られるのかわからんのじゃ。

407 避難民のマジレスさん :2021/04/08(木) 01:40:31 ID:PVB4a6ig0
くま訳改
第二句:雲雨は今宵一晩の夢なのだ。

377
感龍翔寺廢   龍翔寺の廃を感ず
常住物誰用己身 常住もの誰か己身に用ふ
山門境致剪松筠 山門境致しょういんをきる
殿堂只與花零落 殿堂只だ花とともの零落し
廢址秋風二月春 廃しの秋風二月の春

柳田先生訳
寺の什物は誰が私したのか、
境内の松竹も切りとられている。
仏殿も法堂も花が散るように壊れてしまい、
廃墟には春の二月というのに秋風が吹く

くま訳
龍翔寺の荒廃してしまったと感じたのだ
寺の公用物を誰が私物化したのか。
山門から境内までの松竹は切り払われ、
殿堂は花が散るように零落してしまい、
廃墟には春だと言うのに秋風が吹いているのだ

剪松筠(しょういんをきる):松筠は松及び竹にて、山門の風致を添える松や竹などを切り払ひ、見る影も
なきを云ふ。(国訳大成脚注)
廢址秋風二月春:荒廃の跡、楊梅香る春も錦紅散ずる秋も。共に寂々として昔の面影はなし。(国訳大成脚
注)
*大徳寺境外塔頭である龍翔寺(りゅうしょうじ)は、境内3000坪(1万㎡)を有している。
 正式には萬歳龍翔禅寺という。「本派専門道場」とも呼ばれている。山号は瑞鳳山という。 
 大徳寺派の修行専門道場になる。 南北朝時代、1378年、焼失する。 室町時代、1431年以降/文明年間 
 (1469-1487)、林下(りんか/りんげ、在野寺院)になる。以後、徐々に衰微した。 1458年/1461年、一休
 が寺を訪れた。荒廃していたため、修理料(21貫500文)を寄せたという。
*かげまるくん行状集記HP解説より
 『東海一休和尚年譜』寛正2年(1461)辛巳条(師68歳)によると、一休宗純は春に嵯峨に遊び、西京を経由して龍
 翔寺に参詣した。荒涼として僧少なく、堂宇は傾いていた。昭堂(普光塔)は大徳寺が管理していたため
 問題はなかったのであるが、庫院は荒廃が最も甚だしく、僧の威儀をただす太鼓の音は沈黙していた。一
 休宗純はこれを嘆いて、銭数千緡(びん)によって修造を行なったという。1緡(びん)は1貫文にあた
 るため、「千緡」は「十緡」の可能性を指摘される(今泉1998)。両史料の年代は3年食い違っているが、
 どうやら『臥雲日件録抜尤』の方が正しいようで、『東海一休和尚年譜』は年代の錯簡とみられる。
(´・(ェ)・`)つ

408 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/08(木) 23:10:57 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

常住物は誰が己の物としたか。
山門から境内の松竹は切られている。
殿堂はただ花と共に零落しているのじゃ。
廃寺の址に二月というのに秋風が吹くのじゃ。

409 避難民のマジレスさん :2021/04/09(金) 00:17:37 ID:CUHV1Hts0
379 (378→351の前)    1/2
虎丘雪下三等僧 二首  虎丘雪下三等の僧
少林積雪置心頭 少林の積雪せきせつ心頭に置く
公案円成上等仇 公案円成す 上等の仇い。
僧社吟詩剃頭俗 僧社に詩を吟ず 剃頭ていとうの俗
飢腸説食也風流 飢腸(ちょう)食(じき)を説く也た風流

瑞巌寺住職 平野宗浄先生解説・抜粋 (一休和尚を語る・NHK教育)
『大慧武庫(だいえむこ)』という宗代の禅の語録に、 ・・・圓通禅師という人がですね、雪の降る日に
、自分の友達の僧堂へ遊びに行った。ところが虎丘雪下という。虎丘というのはお寺の名前で、そこでは丁度、
雪の降る日ですが、お休みの日だったんですね。そこに三種類のグループがおると。一番上等が、達磨さん
が少林におった時に、二祖慧可(えか)がお弟子になりたいと、雪のもの凄く降る胸まで積もる雪の中にジッ
と耐えておったと。それを頭に入れながら、寒い禅堂の中で、坐禅をしておる。これが一番。それから上等
の仇(きゅう)というのは、これは上等の類(たぐい)ということなんです。それから「僧社に詩を吟ず」は第
二番目です。「僧社に詩を吟ず剃頭の俗」というのは第二番目で、筆を執って、墨を刷って、雪に因んだ詩
を作っておる。そういうグループがある。これは中クラスです。それで一番落ちこぼれの人達は、「飢腸
(きちょう)」、・・・腹が減ったという。
腹が減って囲炉裏を囲みながら、食べ物の話をしている。
ところが、(一休さんは、・くま記)風流だと言うんですね。だからね、実はこれを三番目の落ちこぼれを、
つまり救いたいと。これが一番問題だと。一休さんはおっしゃるんですね。お腹を空かしている。落ちこぼ
れの弟子達、これを風流という言葉で、高めて、・・・これを高級な意味での風流という。・・・ここでは
ですね、いろんな食べ物の話は楽しいですよ。・・・ 決して、これは嫌(いや)らしいものでも、何でもな
い。人間としての本来のあるべき姿だと。こういうふうで風流と言っておるんですね。人間の一番大事なこ
とを風流という意味に高めておりますね。

Didier, DAVIN先生解説
『大慧武庫』にある話を背景にしていて、雪が降りますと寺で三種類の僧がいると説明する話である。
上等の僧は僧堂で座禅をしていて、中等の僧は雪を題に詩を詠んで、三等の僧は炉の近くに食べ物の話をす
る。上下ははっきりしているのに、一休は最下位を風流と褒める。作詩は僧のやるべき事ではない、それを
する人は頭を剃った在家と同じであるというのは、最初に見た詩は閻魔の許さない趣味に過ぎない行為であ
るとよく似ている。ただ、讃えられている三等の僧と冷たく認められている上等の間にある詩の立場をどう
理解すればいいのであろうか。一つの仮説として、詩は俗の世界と悟りの世界の仲介にあると考えられる。
僧侶として悟りの境地を理想にしているのは当然な事であり、その悟りから俗の世界に戻るべきというのは
また禅の教えである。禅の修行を大事にする僧に花丸をあげるが、お腹がすいて美味しい食べ物の話を素直
にする僧も立派な人である。ここで救いのない行為は作詩だけである。
しかし、この世界は超えなければならない欲の世界だと言いたい時に、一休は作詩あるいは作詩に引きつら
れる自分を詠う。

くま訳
虎丘の雪下で圓通禅師が三等と評した僧の話
達磨さんが少林にいた頃に、二祖慧可がお弟子志願して、積雪中に耐えていた。
それを念頭に置き、寒い禅堂の中で、坐禅をしている僧は上等な類である。 
僧社で詩を吟じているのは、頭を丸めた俗物である。 
腹が減ったと食べ物の話をしているというのは、風流である。

*虎丘(蘇州):『史記』 の記載によると、2400年前の春秋時代、越王との戦いに敗れた呉王の闔閭
(こうりょ) がこの地に埋葬されてから3日後、その墓に白い虎が現れたことから 「虎丘」 となったと
いう伝説があるようです。しかし、一方では “ 丘がうずくまっている虎のように見えるから ” という説
もあったりで、この辺は今となってはどちらが正解という訳でもなさそうですね。

*虎丘庵:方丈庭園の背後、小高い位置にある小さな茶室。ここは、かつて一休さんが森女さんとお住まい
になっていた虎丘庵です。 二畳の水屋と、六畳、三畳の小部屋だけの、とても簡素なたたずまいの建物で
す。もとは京都東山のふもとにあったのですが、一休さんが74才の時に起こった応仁の乱(1467年〜1477
年)から避難する時に、ここ(現在地)に移築されました
(´・(ェ)・`)つ

410 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/09(金) 23:27:14 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

虎丘寺の三等の僧じゃな。

少林の積雪を心頭に置き、公案を円成するは上等の類じゃ。
僧社に詩を吟じるのは禿げ頭の俗人なのじゃ。
腹が減って食べ物の話をするのが風流なのじゃ。

詩を詠むのは論外の俗人なのじゃ。
修行中の者はまだ悟っていないのじゃ。
悟り終えてもはや何の苦も無く食べ物の話をしているのが一番えらいというのじゃ。

411 避難民のマジレスさん :2021/04/09(金) 23:54:56 ID:OdNWOKxA0
380    2/2
虎丘雪下三等僧 二首 
禪者詩人皆痴鈍 禪者詩人皆痴鈍
雪下三等多議論 雪下の三等多議論し
妙喜若是大慈心 妙喜かくのごとく大慈心
説食僧與香積飯 じきを説く僧に香しゃく飯を与ふ

くま訳
禪者や詩人は皆愚鈍である
『大慧武庫(だいえむこ)』の雪下三等の僧は誰かと議論ばかりしてるのである。
浄土では大いなる慈悲を以って、
食ベ物の話をしていた僧に飯が振舞われるのである

*妙喜世界(浄土):仏や菩薩が住む清浄な国土のこと。
*香積飯:香積如来の食べるご飯。転じて、僧の食べる物を敬っていう。
(´・(ェ)・`)つ

412 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/10(土) 23:18:06 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

禅者も詩人もみんな痴鈍なのじゃ。
雪下の三等は議論が多いのじゃ。
妙喜ではこのように大慈悲の心を起こして、
食を説く僧に香積飯が与えられるのじゃ。

413 避難民のマジレスさん :2021/04/11(日) 00:52:29 ID:hqpPt0vs0
くま訳改
第二句:雪下の三等は議論が多いのである。
第三句:妙喜ではこのように大慈悲の心を起こして、
第四句:食を説く僧に香積飯が与えられるのだ。

381
禪門寶訓云。圓悟謂妙喜曰。大凡擧措當謹始終。
謹終如始。則無敗事。故曰。靡不有初鮮克有終。
昔晦堂老叔曰。黄檗勝和尚奇衲子。但晩年謬耳。
観其始得。不謂之賢云云。因作偈題後云。

禪門寶訓に云く。「円悟、妙喜にいって曰く、『おほよそ挙措まさに始終をつつしむべし。
終りを謹むこと始めの如くなるときは、すなわち敗事無し、故に曰く、初め有らずといふこと無し、よく終
り有ることすくなし。』
昔まい堂老叔曰く、『黄檗の勝和尚、亦(また)奇なつすなり、ただ晩年あやまるのみ、
その始めに得るを観て、これを賢とはいはず、うんぬん』と。」よってげを作り、後に題すという。

    1/3
鐘楼讃兮猛虎途 鐘楼の讃猛虎の途
衲子金言臨濟徒 なっすの金言臨濟の徒
擡搦與奪辨邪正 だいぢゃく与奪邪正を弁ず
諸祖當機非一模 諸祖の当機一模に非ず

くま訳
禪門寶訓に記されているところによると、「圓悟大師が妙喜に対して言った。『おおよそ立ち居振る舞いは
終始慎み深くしなさい。
終りを慎ましくあることが、始めの如くであれば、間違える事がないであろう。
故に言った、初めに(慎み深い振る舞いが)有らずといふこと無し、(慎み深い振る舞いが無ければ)、良
い終りがあることは少ないであろう。』昔、晦堂老師が曰く、黄檗勝和尚(慧南禅師)は普通とは違った禅
師である。ただ晩年あやまっただけであり、始めから(慎み深さを)得ているからと言って、賢とはいわな
いのだ。この法話に因んで作詞するのである。
    1/3
寺院の鐘楼でほめたたられるのは、猛虎のような(厳しい修行の)道である。
禅師の公案などによる金言で導かれるのが、、臨濟の門徒である。
持ち上げたり、からめとったり、与えたり奪ったりして、正邪をさばくのである。
諸師たちの、悟りへと導く方法は一様ではないのだ。

*禅林宝訓・禅門宝訓:大慧宗杲と竹庵士珪が編集したものを、東呉の沙門浄善が増補改修し、1174-89に
完成。
*妙喜:圜悟克勤の法嗣大慧宗杲の号、1089-1063
*挙措:立ち居振る舞い
*晦堂(まいどう)祖心:=黄龍慧南1025-1100の弟子、建仁寺開山栄西禅師がその法脈に連なる名僧
*讃:1.他人の美徳をほめる。たたえる。2.仏徳をたたえる韻文

おまけ:『五燈会元』巻第十七、黄龍祖心禅師章(霊芝山 光雲寺HPより抜粋)
晦堂祖心、・・・十歳にして出家得度され、長じてのちに雲峰文悦禅師に参じること三年、何らの所得もな
く辞去せんとしたところ、文悦禅師は「必ず黄檗山に住する慧南禅師の道場に行ってご指導を受けよ」とさ
とした。・・・祖心禅師は黄檗に至って慧南禅師のもとで刻苦すること四年、しかもなお開悟することはで
きなかった。この道場は自分には機縁がないと思われたのか、また辞して文悦禅師のところへ戻られた。
・・・或るとき、中国の禅宗史である『景徳伝燈録』を読んでいて、「僧が多福(無字の公案で有名な
趙州の法嗣)に、『多福の竹林とはどのようなものか』と問うと、多福は『一本、二本は斜めの茎だ』と答
えた。僧が『分かりません』というと、多福は『三本、四本は曲がっている』と応じた」という箇所に出く
わした。竹に託して多福の家風をたずねた僧に対して、実際の竹の光景をもって答えたのに妙味がある。こ
の一段に至って祖心禅師は開悟して、自分がいままでついた二人の老師の作略(さりゃく、修行者を導く手
法)の何たるかを徹見した。
ただちに黄檗に戻り、慧南禅師に対して礼拝の坐具をのべようとしたところ、慧南禅師がすぐさま見抜いて、
「お前はすでにわしの宗旨を会得したわい(わが室に入れり)」というと、祖心禅師は跳(と)んで踊らん
ばかりに歓喜して、「仏法の一大事は本来このようなものなのに、どうして老師は公案などを使ってあれこ
れと探索させられたのですか」と問いただすと、慧南禅師は、「もしわしがお前をそのように究め尋ねるこ
とをさせて無心の境地に到らしめ、みずから見て、みずから納得するような体験をさせなかったならば、わ
しはお前を台無しにしたことであろう」といった。
(´・(ェ)・`)つ

414 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/11(日) 23:32:02 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

鐘楼は猛虎の道を讃美するのじゃ。
僧は金言を臨済の徒に与えるのじゃ。
さまざま手段を与奪し、邪正を説くのじゃ。
そのように諸祖は機に当たって一様ではない手段を尽くすのじゃ。

415 避難民のマジレスさん :2021/04/12(月) 03:15:17 ID:5SaWg6N20
382   2/3
晦堂老痛處針錐 晦堂老痛処の針すい
隠去彌彰惟勝機 隠し去ればいよいよあらはるゐ勝の機
明眼非元來即是 みゃうげんの非は元来すなわち是
一休是正本來非 一休が是は正に本来非なり

くま訳
晦堂老が晩年過ったのは、針で突かれたような痛みなのだ。
隠し去ることによって、逆に悟りへの道が開かれるのだ。
悟った者が言う非は元来そのまま是なのである。
一休が言う是は正に本来非なのである。

*明眼(みょうげん):物事の真実を明らかに見通せる心の眼。
(´・(ェ)・`)つ

416 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/12(月) 21:49:59 ID:1d4drIFg0
晦堂老は正に痛む所に的確に針を刺すのじゃ。
隠居してもその勝機はいよいよあらわれるばかりなのじゃ。
明眼の者は非は元来即是であると説くのじゃ。
一休は是こそ本来非であると説くのじゃ。

色即是空空即是色ということじゃな。

417 避難民のマジレスさん :2021/04/13(火) 03:17:29 ID:zbIV22Qs0
くま訳全面改
晦堂老は正に痛む所に的確に針を刺すのだ。
隠居してもその勝機はいよいよあらわれるばかりなのだ。
明眼の者は非は元来即是であると説くのだ。
一休は是こそ本来非であると説くのだ。

*この詩は全く読解できなかったであります。がっかりでありました。
 鬼和尚、いつもありがとうであります。
 >>413 の詞書の訳・解説もお願いするであります。

381再掲
禪門寶訓云。圓悟謂妙喜曰。 禪門寶訓に云く。「円悟、妙喜にいって曰く、
大凡擧措當謹始終。     『おほよそ挙措まさに始終をつつしむべし。
謹終如始。則無敗事。    終りを謹むこと始めの如くなるときは、すなわち敗事無し、
故曰。靡不有初鮮克有終。  故に曰く、初め有らずといふこと無し、よく終り有ることすくなし。』
昔晦堂老叔曰。       昔まい堂老叔曰く、
黄檗勝和尚奇衲子。     『黄檗の勝和尚、亦(また)奇なつすなり、
但晩年謬耳。観其始得。   ただ晩年あやまるのみ、その始めに得るを観て、
不謂之賢云云。       これを賢とはいはず、うんぬん』と。」
因作偈題後云。       よってげを作り、後に題すという。

くま訳
禪門寶訓に記されているところによると、「圓悟大師が妙喜に対して言った。
『おおよそ立ち居振る舞いは、終始慎み深くしなさい。
終りを慎ましくあることが、始めの如くであれば、間違える事がないであろう。
故に言った、初めに(慎み深い振る舞いが)有らずといふこと無し、(慎み深い振る舞いが無ければ)、良
い終りがあることは少ないであろう。』
昔、晦堂老師が曰く、
黄檗勝和尚(慧南禅師)は普通とは違った禅師である。
ただ晩年あやまっただけであり、始めから(慎み深さを)得ているからと言って、
賢とはいわないのだ。
この法話に因んで作詞するのである。
(´・(ェ)・`)b

418 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/13(火) 21:43:05 ID:1d4drIFg0
大体よいようじゃ。


 円悟は、妙喜に言ったのじゃ。

 おおよそ挙措動作は正に終始を慎むべきなのじゃ。
 終わりを慎むこと、始めの如くであればすなわち敗れることはないのじゃ。
 故に曰く、初めに慎みが無ければ、終わりにも有る事は少ないのじゃ。

 昔、晦堂老師が言ったのじゃ。
 
 慧南禅師は得がたい僧であったが、晩年に誤ったのじゃ。
 その初めに慎みがあるからと、賢者と言われるものではないのじゃ。

 よって偈題を成し後に伝えるのじゃ。

 慧南禅師というのは晩年に火事を出して牢に入れられたというのじゃ。
 そのために非難されるのじゃ。
 悟っても粗忽な振る舞いをすることなく、初心の者のように慎み深く謙虚に過ごせというのじゃな。

419 避難民のマジレスさん :2021/04/13(火) 23:15:37 ID:xuQJwPRo0
くま訳改
四行目:故に曰く、初めに慎みが無ければ、終わりにも有る事は少ないのだ。

383   3/3
但歸依積翠庵禪 ただ積翠庵の禅に帰依して
慚愧狂雲名利前 慚愧す狂雲名利の前
一夕一朝日月蝕 一夕一朝じつ月の蝕
終分明白日青天 つひには分明なり白日青天

石井恭二先生訳
ただただ、積翠庵の黄竜慧南の禅に敬服する、
まだ名刹に囚われている自分を、朝夕に恥じる。
日蝕も月蝕も、やがては終り、
ついには晴天白日の空になることは明らかだが。

くま訳
積翠庵に住した黄龍慧南禅師に帰依するのである
愧ずらくは、狂雲が名利に囚われていることである。
日食月食もすぐにおわり、
やがて、天空は晴れ渡るのだ

*積翠庵:黄龍慧南が1066年前後に住んでいた庵
(´・(ェ)・`)つ

420 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/14(水) 21:13:39 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

ただ積翠庵の禅に帰依するのじゃ。
狂雲の名利に囚われていたことを慙愧するのじゃ。
日月の蝕は一夕、一朝しか続かないのじゃ。
すぐに終わって白日晴天が分明になるのじゃ。

421 避難民のマジレスさん :2021/04/14(水) 22:47:14 ID:ZaDitCsY0
384
陳蒲鞋    陳ほあい   
賣弄諸人瞞諸方 諸人をまいろうし諸方まんず  
徳山臨済沒商量 徳山臨済もつしゃうりゃう。  
拈槌竪拂非吾事 ねんついじゅほつわがじにあらず    
只要声名属北堂 只だ要す声名の北に属せんことを  

くま訳
人々に自分の力量をひけらかし、周囲をだましたのだ。
徳山や臨済は思考することを否定した。
槌を手に取り、払子を立て、 弟子を育てることなど我ことではなく、
ただひたすら、北方禅(漸悟的な禅)の名声を上げることだけを求めたのだ。

* 陳蒲鞋:黄檗希運禅師の法嗣睦州道明、あるいは、道蹤(どうしょう)禅師、臨済を策励したり、雲門 
 の脚を折ってまでして接得(修行者を親しく指導すること)した人。峻厳極まりない機鋒の禅匠。母親孝行
 でもあり、草鞋(わらじ)を作って母を養ったことで、「陳蒲鞋(ちんほあい)」とも呼ばれた。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/ >>72〜87
*賣弄(まいろう):(才能・賢明さ・媚態などを)見せびらかす,ひけらかす.
*瞞(まん):だます・あざむく
*商量:① 事の由来、すべき方法、事の善悪などをあれこれと考えること。② 相談すること。相談して考  
 えること。
*頓悟・漸悟(とんご・ぜんご):ただちに悟りの境地に達することを頓悟,順を追って次第に悟りに近づ 
 くことを漸悟という。またすみやかに悟りの境地に入ることを頓証菩提という。法相宗では修行の段階で 
 ある声聞,縁覚の位を経ないで,いきなり菩薩の位に入るときには頓悟の菩薩として区別した。また中国 
 の禅宗では,南方に広まった慧能の禅風を頓悟,北方の神秀の禅風を漸悟と呼び,南頓北漸といった。そ  
 の後南宗禅が栄えたため,現在伝わるものは頓悟的な禅である。
*陳蒲鞋に対する一休さんの評価が低かった決定的な理由は何でありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

422 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/15(木) 20:33:45 ID:1d4drIFg0
人々に自分の才能をひけらかし、各方面を騙したのじゃ。
徳山臨済のことなど考えなかったのじゃ。
槌をとり払子を用いるのは我が事ではなく、
ただ声名を北堂に属させようとするためだつたのじゃ。

423 避難民のマジレスさん :2021/04/15(木) 21:16:02 ID:H3hNGvDU0
くま訳改
第二句:徳山臨済のことなど考えなかったのだ。
第四句:ただ声名を北堂に属させようとするためだつたのだ。

*ここで、北堂は母のことでありますか?
 第四句は、母親のために名声を上げたいと言うような意味でありましょうか?

385
示榮衒徒    榮衒の徒に示す
人家男女魔魅禪 人家の男女魔魅の禪
室内招徒使悟玄 室内に徒を招いで玄を悟らしむ
近代癩人頥養叟 近代癩人のい養そう
彌天罪過獨天然 み天の罪過独り天然

くま訳
名利を求める榮衒の徒に示す詩
男女をだまくらかす技としての禅。
室内に修行者を招入れ、玄旨を悟らしめんとするのが、
最近の癩病患者養叟である。
天下に及ぼす罪悪は奴の天性によるものである

https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>808靈山徹翁和尚示榮衒徒法語  
 徹翁義亨(大徳寺1世)の法語
*頥養叟:宗頥養叟禅師
*彌天(みてん):空いっぱいに広がること。天一面に満ちわたること。また、天宮の全体。大きいこと、 
 数量が多いこと、あるいは人格的にすぐれていることなどにたとえる。
(´・(ェ)・`)つ

424 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/17(土) 00:06:21 ID:1d4drIFg0
>>421 寺とか宗派を捨てて母親のところにいつたからじゃろう。
 まだ囚われがあったというのじゃな。
 

>>423 そうかもしれん。
 母親のために禅を捨てたというのじゃな。

425 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/17(土) 00:12:21 ID:1d4drIFg0
また養叟の批判じゃな。

 人家の男女に魔魅の禅を教えるの゛ゃ。
 室内に修行者を招いて玄を悟らせるのじゃ。
 近代のライ病の養叟なのじゃ。
 天に満ちるほどの罪はいずれ天が然らしむことになるじゃろう。

426 避難民のマジレスさん :2021/04/17(土) 07:19:15 ID:YIG4xlXs0
鬼和尚、いつもありがとうであります。

386
龍門亭題偈賀天龍寺再興 龍門亭に偈を題して天龍寺の再興を賀す
盡乾坤乃祖門風 じんけんこんない祖の門風
萬嶽嵯峨烟雨中 ばん岳嵯峨たりえん雨のうち
三級浪高黑雲鎖 三級浪高うして黒雲とざす
潜鱗直得化天龍 せんりん直に天龍と化するを得たり

くま訳
龍門亭に偈を捧げて、天龍寺の再興を賀すつのである。
夢窓国師の門風は既に消失してしまっている。
聖地嵯峨の山々は霧雨の中にけむる。
悟りを求めるものにとっての登竜門は、愚か者達によってとざされてしまったが、
生あるものは全て、直接悟りを得ることができるのだ。

*天龍寺:臨済天龍寺派の本山。京都五山の第一位
 天龍寺龍門亭:南北朝時代の1346年に夢窓疎石・夢窓国師が選んだ「十境」のひとつ 
*夢窓疎石(むそう そせき):1275〜1351南北朝時代の臨済宗の僧。9歳のとき甲斐平塩寺の空阿の弟子 
 となって密教を学び,18歳で得度し,奈良,東大寺戒壇院で慈観について登壇受戒した。 20歳で上京, 
 建仁寺の無隠円範に参じて禅に帰し,のちに中国より一山一寧が来日したとき,鎌倉に下って学んだが機 
 縁は契 (かな) わなかった。1325年 後醍醐天皇の勅により南禅寺の住持となるが,北条氏に請われて 
 鎌倉に入り,北条氏滅亡後上京して再び南禅寺に入った。京都騒乱後に足利尊氏の帰依を受け,天竜寺の 
 開祖となった。天竜寺船による貿易を促し、また造園芸術を発展させた。門派は夢窓派といい、五山文学
 の最盛期をつくった。足利氏は末代にいたるまで疎石の門徒に帰依することを約束し,室町時代を通じて 
 夢窓派が隆盛することとなった。
*萬嶽:万岳・多くの山々。
*潜鱗:水中にひそんでいる魚。

おまけ・『碧巌録』第七則 茶席の禅語選HPより抜粋
三級浪高魚化龍、癡人猶戽夜塘水。 三級浪高くして魚龍と化し、癡人猶おくむ夜とうの水。

「修行者が師家のもとに参じその鉗鎚を受けると、鯉が竜門を透過すると竜と化してしまうように、おろか
な人も悟りを得て禅門の竜象となるという意。俗に毎年三月三日に鯉がその滝を遡って竜門を透過すると、
角を生やして竜になるという故事」
「竜門の三段の堰の高なみを上って魚はすでに竜となったのに、愚かものが魚を捕えようと、なお夜の淵の
水をかい出している。言葉づらにとらわれて、勘所を押さえきれない愚かさを喩える」
「鯉は疾くに龍となつて禹門の三級を上つたのに、馬鹿者が何時迄も水をかえている」
「禹帝治水の時、龍門の瀧を切り開きて三段と爲せり。此三段の瀧を、春三月三日桃花の咲く時鯉魚が跳び
越へると、火を發して尾を焦き角を生じて龍となるといふ。鯉魚が已に龍と化したのも知らずに、愚人は暗
夜の池水を汲み干して鯉を探して居るは見るに堪へぬ」

*三級 … 三段になった滝のこと。
*鉗鎚(ケンツイ):「鉗」は金ばさみ、「鎚」は金づちの意。禅家で、師僧が弟子を厳格に鍛え、教え導
 くことをたとえていう語
(´・(ェ)・`)つ

427 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/17(土) 23:53:09 ID:1d4drIFg0
天龍寺の再興ができた賛じゃな。

乾坤宇宙全てを包含する祖師の門風なのじゃ。
嵯峨の万の山は煙雨の中なのじゃ。
三段の滝が波高く黒雲を縛るのじゃ。
それでも潜む鱗類は直ぐに天龍と化することを得るのじゃ。

要するに天龍寺で修業すれば直ぐにでも悟れるのじゃ、ということじゃな。

428 避難民のマジレスさん :2021/04/18(日) 06:37:40 ID:QdkMQi020
くま訳全面改
乾坤宇宙全てを包含する祖師の門風なのだ
嵯峨の万の山は煙雨の中なのだ。
三段の滝が波高く黒雲を縛るのであるが、
それでも潜む鱗類は直ぐに天龍と化することを得るのだ。

*乃祖:(ない) 汝の祖父。また、一般に、祖先。だいそ。
*盡:つきる。なくなる。つくす。きわめる。なくす。ことごとく。全部。すべて。

*「三段の滝が波高く黒雲を縛る」は、天龍寺での厳しい修行をすれば、悟りを妨げる障壁を取り除くとい 
 う理解でよいでありましょうか?

387
滅燈齋 
眞前一盞太分明 眞前の一さんはなはだ分明
乃祖靈光照太淸 ないその霊光太淸を照らす
徳嶠悟道我不會 徳けうの悟道、我ゑせず
江湖夜雨十年情 がう湖や雨十年の情

くま訳
目の前に盃があることは、はなはだ明らかなのだ。
祖師から受け継いだ尊い光は天下全てを照らすのだ
徳嶠の悟道は、わしには分からぬが、
江湖の夜雨 ともに修行した十年の情で気にかかるのだ

*中川徳之助先生解説より抜粋。()内はくま添
 自戒集を見ると寛正2年(1461)6月16日、一休は大燈国師の頂相を本寺に返して念仏宗に改宗すること 
 を宣言する。その動機となったのは、一休会下の久参の僧が「我カ印可ト云テ年来久参タテヲシテ、一休ノ後ハ我ニ仏 
 法ヲ問ヘト会裡ノ人々ニ申シアエリ。」とあるような行動をとったことで、この僧を前年の6月11日に擯出し、1年
 後の改宗宣言であった。
 (この)擯出された僧とは、(謹白久参人・・ 
 https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>669(にある)崇宗蔵主のことかもしれ 
 ない。(滅燈斎=崇宗蔵主の斎明)
 (387)の頌は、龍潭信禅師と徳山宣鑑の滅燈の問答をふまえて作られているが、あるいはこの頌を一休 
 よりの印可と思い誤り、崇宗蔵主(滅燈斎)は擯出される結果になったのではありますまいか?
*齋:雅号などの何々斎という名。もとは僧侶が法名のほかに付けたもの
*盞(さん):盃
*太淸:天
*徳嶠:徳山のことでありましょうか?
*黄庭堅の詩(サワラ君の日誌blogより)
 桃李春風一杯酒 
 江湖夜雨十年燈
 桃李の花の下で 春風に吹かれて一杯の酒
 江湖の夜雨 別れて以来十年の灯火
*龍潭信禅師と徳山宣鑑の滅燈の問答(じ・た・る先生blogより)
 徳山禅師が、天下に聞こえた龍潭和尚をしたってようやく龍潭を訪ねることができたときのことである。
 龍潭和尚の部屋に入って、師から懇切な教えを聴いていた徳山は、ときの経つのをすっかり忘れていた。
 龍潭和尚が 「夜もだいぶ更けたようじゃ。そろそろ引き上げたらどうじゃ」 と言われたので、ていね
 いに別れを告げて、簾を上げて外へ出ると、外は既に真っ暗闇だった。 しかたなく、龍潭和尚のところ
 に戻ってきた徳山は、恐縮しながら 「暗くて道が分からないのですが」と申し上げた。すると龍潭和尚
 が自ら紙燭(紙に油を染み込ませた物)に灯を灯して目の前に出された。ところが徳山がそれを受け取ろ
 うとすると、龍潭和尚がにわかにその紙燭の灯をフーッと吹き消してしまった。そのとたん、徳山は忽然 
 として悟りを開いてしまった。
(´・(ェ)・`)つ

429 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/18(日) 23:20:40 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、龍は雲に乗って昇天するから黒雲が縛られたら昇天できないのじゃ。
それが悟りの障害を乗り越えることの喩えじゃな。

430 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/18(日) 23:44:56 ID:1d4drIFg0
燈明を滅する滅燈齋というから徳山じゃろう。

顔面の真ん前の明かりははなはだしく明るいのじゃ。
祖師の霊光は天まで届くのじゃ。
徳山の悟道にわしは会っていなかったが、
世間で夜雨に遭えば十年の情がわくのじゃ。

431 避難民のマジレスさん :2021/04/19(月) 11:24:53 ID:5liPk8Gc0
くま訳全面改
顔面の真ん前の明かりははなはだしく明るいのだ。
祖師の霊光は天まで届くのだ。
徳山の悟道にわしはあっていなかったが、
世間で夜雨に遭えば十年の情がわくのだ。

*盞→ 一盞明灯=狼煙、かがり火
*「世間で夜雨に遭えば十年の情がわく」とは、自分を慕って訪ねたてきた徳山に対して、龍潭和尚が、導い 
 て徳山自身の内側の光明に気付かせて悟らせた、その機縁についてのことでありますか?

388
賛六祖    六祖を賛す
隋身擔子鈯斧 隋じんのたんすとつぷ
不知何處山翁 知らずいづれのところの山翁ぞ
南方佛法會否 南方の佛法會すや否や
盧公老老盧公 ろ公老老ろ公

くま訳
薪を担ぎ、なたを持ち歩く、
素性の知れぬ山男とみなされていたが、
南宗頓悟禅を打ち立てて五祖の法嗣として認められることになったのだ。
六祖慧能よ!慧能老師よ!

*随身(ずいじん)1 平安時代以降、貴人の外出のとき、警衛と威儀を兼ねて勅宣によってつけられた近衛 
 府の官人。2 神社の左右の神門に安置される守護神。3 桃の節供に飾る雛(ひな)人形の一。4 供とし 
 てつき従っていくこと。また、その人。おとも。5 物を身につけること。携帯すること。
*擔子:天秤棒で担ぐ荷、責任
*鈯斧:なた、斧の類なり(大成脚注)。切れ味が鈍くなってしまった斧、鋭くない斧、不鮮明な
*南方佛法會否:五祖に参じ、八月遂に黄梅の衣法を伝持して山を下る、五祖の指示により南方に遁れ、漁 
 恠にかくれ、後印宗法印の非風動、非幡動の旨を断じ、遂に剃具すと(大成脚注)
 六祖慧能禅師は五祖弘忍(ぐにん)禅師の法の奥義を受け伝法衣を引き継いだものの、身分なく真っ 
 当な出家得度者でなかったことなどから、五祖門下の承認が得られず弘忍の奨めによって、さらに修行行
 脚の旅にでた。そんなあるとき広東省・法性寺の印宗和尚の「涅槃経」の講座があることを聞きつけて
 法性寺を訪ねたときのことである。講座が開かれる法堂の前には幡が立てられて折からの風にあおられて 
 パタパタと音をさせてはためいていていた。・・風が動いているのか、幡が動いているのかという議論に
 対して「風動くに非ず、幡動くに非ず、仁者(あなたがた)の心が動いているのだ」と。断じた。
(´・(ェ)・`)つ

432 避難民のマジレスさん :2021/04/19(月) 11:31:24 ID:5liPk8Gc0
*おまけ:
 慧能(えのう)wikipediaより抜粋:638-713年南宗の六祖。父が早くに亡くなり、薪を売って母親を
 養っていた。ある日、町で『金剛般若波羅蜜経』の読誦を聞いて出家を思い立ち、東山の五祖弘忍の下に 
 参じたが、文字が読めないため、行者(あんじゃ)として寺の米つきに従事した。
 その後、弘忍の法を受け継いで広州に帰り、兄弟子の印宗より具足戒を受けて正式な僧侶となり、曹渓宝 
 林寺に移って布教を続け、兄弟子の神秀より朝廷に推挙されるも病と称して断り、以後713年に亡くなる 
 まで布教を続けた。
 伝説
 壁に書かれた詩について
 慧能が弘忍の跡継ぎとして認められた時、次のような伝説がある。弘忍は悟りの心境をうまく詩に表せた 
 者を後継者と認めようといい、当初、弘忍門下筆頭だった神秀が壁に偈を書いたが、弘忍は認めず、それ 
 を聞いた慧能が神秀の詩を否定するような詩を書き、それを弘忍が認めたので六祖となったという。
 神秀の詩
 身是菩提樹 心如明鏡臺(身は是れ菩提樹 心は明鏡台の如し)
 時時勤拂拭 莫使有塵埃(時時に勤めて拂拭し 塵埃を有らしむること莫れ)
 慧能の詩
 菩提本無樹 明鏡亦非臺(菩提もと樹無く 明鏡亦また臺に非ず)
 本來無一物 何處惹塵埃(本来無一物 いずれの處にか塵あいを惹かんと)

 慧能が弘忍の命令で達磨から受け継がれた袈裟を持って大庾嶺まで逃げたところ、500人の僧が追ってき 
 たが、法論して負けて逆に弟子になった者もいるという。

 思想
 慧能は「本来正教無有頓漸(正しい教えに本来は頓も漸もない)」と説いたことは、法話集である『六祖 
 壇経』から明らかであるが、荷沢神会を始めとした鼓吹派が、神秀の漸修禅(北宗)に対して頓悟禅(南 
 宗)を説き、それが新興士大夫階級に受け入れられて爆発的に教線が拡大し・・・後の五家七宗全てがそ 
 の一門から出た。
(´・(ェ)・`)b

433 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/19(月) 22:22:17 ID:1d4drIFg0
>>431 そうじゃろう。
 娑婆世界の苦を経て慈悲深い師匠についたということじゃな。

六祖の賛じゃな。

荷を担ぎ鉈斧を持ち歩く、
どこの山の親父かわからんような者だったが、
南方の仏法に逢うやいなや、
盧公老師、老師の盧公と呼ばれる身になったのじゃ。

434 避難民のマジレスさん :2021/04/19(月) 22:57:36 ID:6XTolzis0
くま訳改
第三句:南方の仏法に逢うやいなや、
第四句:盧公老師、老師の盧公と呼ばれる身になったのだ。

389
桃花浪
随波逐浪幾紅塵 ずいはちくろういくこうじんぞ
又値桃花三月春 又あたふとうか三げつの春
流恨三年六十劫 恨みを流す三年六十劫
龍門歳歳曝金鱗 龍門歳歳 金りんをさらす

くま訳   
俗世で波を追い、波の中に(龍=悟りを)探す。
又、鯉が滝を登り龍になると(伝説)にいわれる桃花の3月が来た。
伝説を信じたことを、永遠にうらみつづけるだけだ。
禅門の師家は、登ってくるのが龍か魚か見分けるのだ。

*桃花浪:「禹帝治水の時、龍門の瀧を切り開きて三段と爲せり。此三段の瀧を、春三月三日桃花の咲く時
 鯉魚が跳 び越へると、火を發して尾を焦き角を生じて龍となるといふ。鯉魚が已に龍と化したのも知ら
 ずに、愚人は暗夜の池水を汲み干して鯉を探して居るは見るに堪へぬ」>>386 *くま注再掲
*龍門歳歳曝金鱗:「禹門三級の浪あり、三月に至る毎に、桃花の浪漲る、魚能く水に逆らひ躍つて浪を過 
 ぎる者は龍と化し、 風雷を起こし、其の尾を焼いて天に登る」と。之を飜出したるなり
*紅塵(こうじん):俗世の煩わしさ。
(´・(ェ)・`)つ

435 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/20(火) 21:55:53 ID:1d4drIFg0
俗世の波に随い流れをおって何年も暮らしたのじゃ。
又桃花の咲く三月になったのじゃ。
長年の恨みを流し捨て、
龍は門を出でて毎年金の鱗を曝すのじゃ。

436 避難民のマジレスさん :2021/04/20(火) 23:29:20 ID:Z3zUjfmQ0
くま質問
1.「長年の恨みを流し捨て」とは、鯉が滝を登り龍になるという伝説、頑なに信じることをやめると言う理解 
 で良いのでありましょうか?
2.「龍は門を出でて毎年金の鱗を曝す」とは、悟った禅僧は、世間に出て禅機を発揮するのだ、みたいな理解
でよいでありましょうか?
*金鱗:勝れた禅僧の喩え

391
聞聲悟道    もんしょうごどう
見色明心    見色明心    
雲門拈云    雲門ねんじていはく 
観世音菩薩   観世音菩薩
将銭来胡餅   銭を持ち来たりてこびょうを買ひ、 
放下手曰    手をほうげしていはく
元來是饅頭   元来これ饅頭と

即現観音奴婢身 即ち観音に現ず奴婢の身
饅頭胡餅谷精神 饅頭胡餅精神やしなふ
舊時難忘見聞境 旧時忘れがたし見もんの境
滿目山陽笛裏人 満もく山陽てきりの人
 
くま訳
自然の音を聞いて真実を悟り、
色を見て心のあり様を明らめる。
雲門はちょぴっとひねって、話を続けた。
観音さんが、
銭を持って来て胡餅を買った。(菩薩は自分が本来ブッタであることを忘れてるのだ。
手を開いてみたら饅頭だった。(衆生も又本來ブッタであるのだ)

これは、観音菩薩が衆生の身で現れるという意味である
饅頭か餅か(仏陀か衆生か)分別しようと囚われる
以前から知ってるつもりのことに囚われて物事を見たり聞いたりする
目を見開いて、気付けば全ての衆生は仏陀なのだ。

https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
 >>924
*即現観音奴婢身:三十三應身の所なり。
 三十三応身【観音経】より
 …元来は,単独に読まれたのを,中国で合体したもので,後代はもっとも人気ある経典として,再び独立 
 して読まれるようになる。観世音菩薩が衆生の願いに応じて姿を変える三十三応身と,十九の説法につい 
 て説き,衆生がその名をよぶことによって,あらゆる願いが満足されるとするもの。中国では,六朝以来,
 種々の霊験集が編まれるとともに,唐代に密教系の千手千眼観音の信仰が広まると,各地にその霊場が出 
 現する
*滿目山陽笛裏人:丁度昔時の知親に逢う感がするなり。(大成脚注)
(´・(ェ)・`)つ

437 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/21(水) 23:56:01 ID:1d4drIFg0
>>436 それより煩悩を流しつくしたというような感じじゃな。
    長く修業して全て捨てたのじゃ。

 2 そんな感じじゃな。
   悟りを得て巣立ったのじゃ。

438 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/22(木) 00:29:00 ID:1d4drIFg0
声を聞いて悟りを得て、
色を見て心を明らかにしたのじゃ。
雲門がひねって言うのじゃ。
観世音菩薩
銭をもって胡餅を買い、
手を開いてみれば
元来これ饅頭なのじゃ。

即ち観音ではなく奴婢の身なのじゃ。
饅頭も胡餅も身ではなく精神を養うのじゃ。
昔見聞した境地は忘れがたいものじゃ。
見渡す限りの山に陽があたり笛の声に没入するのじゃ。

439 避難民のマジレスさん :2021/04/22(木) 15:02:14 ID:8x8UFS8o0
>389
くま訳改
第三句:長年の修行で煩悩を流し尽くしたのだ。
第四句:悟りを得た龍は門を出て巣立っていったのだ。

>390
くま質問
1.「観音ではなく奴婢の身」とは、お金を出して胡米餅を買う時点で、菩薩であることを忘れた奴婢の身で 
 あると言う理解でよいでありましょうか?
2.「饅頭も胡餅も身ではなく精神を養う」とは、食べ物の値段が高いか安いかによって、身の養われ方に違 
 いがあるのではなく、値段にこだわる精神が卑しいみたいな理解で良いのでありましょうか?
3.「昔見聞した境地」とは、悟る前の分別心のことでありますか?
4.「見渡す限りの山に陽があたり笛の声に没入する」とは、ありのままをありのままに見聞きするという理解 
 で良いで有りますか?

44(再掲・https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>688 1/4〜3/4)
三界1/3
來往生霊六道街 らいわうすしゃうりゃう六道のがい
修羅闘諍没生涯 修羅の闘争生涯なし
人間未得諸天樂 人間いまだ諸天の楽しみを得ず
闕減娑婆事々乖 けつげんの娑婆じじそむく

くま訳
生霊が行き来する六道街
修羅道では生涯醜い闘争に明け暮れる、
人間道では、天界の楽しみを知ることはない、
もの足りない娑婆で、ひねくれて事々に背いてみたりする。

*三界:欲界・色界・無色界の三つの世界、衆生が生死を繰り返しながら輪廻す。三有(さんう)ともいう。
*六道(ろくどう、りくどう):衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界(あるいは境涯)のこ
 と。六趣、六界ともいう。天道(てんどう、天上道、天界道とも)・人間道・修羅道(阿修羅道とも)・ 
 畜生道・餓鬼道・地獄道
(´・(ェ)・`)つ

440 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/22(木) 23:02:54 ID:1d4drIFg0
>>439 一 それでよいのじゃ。

 二 それは食べ物によって悟りの道を示したと一休が書いたということじゃな。
    値段は関係ないのじゃ。

 三 ただ悟る前の境地であるのみなのじゃ。

 四 昔、日の当たる山の中で笛の声を聞いて三昧の境地に入ったということじゃな。
    悟る前にそのような境地に入れたということは、もとから仏であったからということじゃな。

441 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/22(木) 23:08:23 ID:1d4drIFg0
三界の有り様じゃな。

生霊が往来する六道の街なのじゃ。
修羅は生涯闘争に没入しているのじゃ。
人間はまだ天の安楽を得ていないのじゃ。
欠乏している娑婆の者は事毎にそむくのじゃ。

442 避難民のマジレスさん :2021/04/22(木) 23:41:24 ID:Y1elTGOI0
>439くま訳全面改
卽ち菩薩であることを忘れた奴婢の身なのだ。
饅頭も胡餅も身ではなく精神を養うのだ。
悟る前の境地は忘れ難いものなのだ忘れがたいものなのだ。
見渡す限り陽があたる山中で笛の声を聞いて三昧の境地に入れたのは、もとから仏であったからなのだ

くま再質問「食べ物によって悟りの道を示した」とは、日常の食べ物である胡餅に対して、特別な食べ物であ
る饅頭。修行によって整えられた意識のあり様みたいな意味でありましょうか?

45(再掲・https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>688 2/4)
2/3
餓鬼畜生無菩提 餓鬼畜生菩提無し
劫空法習徹吾臍 劫空の法しふわがほぞに徹す
無色衆生涙如雨 無色の衆生涙雨の如し
月沈望帝一声西 月は沈む望ていいっせいの西に

くま訳
餓鬼畜生道には、救ってくれる菩提はいない
永遠の法を思い知らされる。
今や姿かたちなく、住人は雨のように涙する。
月が沈むのは、民に慕われた望帝がかつていた西のほうだ。

*望帝杜宇(ぼうていとう):古代の蜀の第4代君主。死後も民に慕われ、2月に鳴くホトトギスは、望帝 
 の魂が鳴いて田植えの時期を教えてるのだと語り継がれた。
*古蜀:約5000年前から約3000年前頃に栄えた。
(´・(ェ)・`)つ

443 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/23(金) 23:16:20 ID:1d4drIFg0
胡餅は衆生であり饅頭はもはや仏陀の喩えなのじゃ。
衆生はもとより仏陀であるという喩えに使われたのじゃ。



餓鬼畜生は苦や無知なために悟りを得ることが出来ないのじゃ。
しかし、人である我は長年の修行で悟りが訪れたのじゃ。
天の最高である無色界の天人衆でも死ぬ時には雨のように涙を流すのじゃ。
ほととぎすの声と共に月が西に沈むようにのう。

444 避難民のマジレスさん :2021/04/24(土) 00:04:22 ID:2kJAG2Oc0
くま訳全面改
餓鬼畜生は苦や無知なために悟りを得ることが出来ないのだ。
しかし、人である我は長年の修行で悟りが訪れたのだ。
天の最高である無色界の天人衆でも死ぬ時には雨のように涙を流すのだ。
ほととぎすの声と共に月が西に沈むように

46(再掲・https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>688 3/4)
3/3
威音那畔本去刧 ゐおんなはんもときょごふ
彌勒當來又來劫 弥勒当来又来ごふ
依草附木舊精魂 えそうふぼくの旧(きゅう)せいこん
可憐三年六十刧 憐れむべし三しゃう六十刧

くま訳
誰でも悟らせることが出来た威音王如来が居たのは、昔々お大昔であり、
未来仏である彌勒さんが来るのは、ずっとずっと遠い未来のことだ
死後成仏するまでの間は、魂は生きてたときのままだ。
憐れむべきは、三回生まれ変わり、六十刧の間待たなければならないかもしれないことだ。

*威音王如来(いおんのうにょらい):大昔の仏、誰でもを悟らせることができた仏
*依草付木(えそう ふぼく)① 死後、中有(ちゆうう)の間、人の霊魂が草木に宿っていること。
 ②修学者が言葉や文字にとらわれて、真理の根本を会得せず、悟りの境地に到達し得ないでいること
(´・(ェ)・`)つ

445 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/24(土) 23:13:00 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

威音王如来は大昔に去ったのじゃ。
弥勒の到来は又はるか先のことなのじゃ。
草に依り木々に付属する古い精魂は
三世六十劫の修業をせねばならぬのは哀れなのじゃ。

446 避難民のマジレスさん :2021/04/25(日) 00:34:13 ID:ridkw7yo0
391
三界   4/4
須参最上乗之禪 須らく参ずべし、最上乗の禅、
等妙如來豈自然 等妙の如来、豈に自然ならん。
三界無安猶火宅 三界無あんなほ火宅のごとし
三車不識在門前 三車門前に在るを識らず。

くま訳
当然為すべきこととして、最上の修行法としての坐禅をしよう。
如来の如くにありたいのなら、何もしなくてもいいはずがあるまい。
何もしなければ、三界はやすまる処無く、火事の家の中にいるようなものだ。
何もしなくても、誰かが救ってくれることなど無いのだ。

*自然(じねん):「はからいのない」
(´・(ェ)・`)つ

447 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/25(日) 22:03:57 ID:1d4drIFg0
最上の乗物の禅に是非とも参加するのじゃ。
平等妙心の如来に自然に成るのじゃ。
三界には安心は無く、今なお火宅の如くなのじゃ。
三乗の法が門の前にあるのを衆生は知らないのじゃ。

448 避難民のマジレスさん :2021/04/25(日) 22:43:52 ID:emCATIgM0
くま訳全面改
最上の乗物の禅に是非とも参加するのだ。
平等妙心の如来に自然に成るのだ。
三界には安心は無く、今なお火宅の如くなのだ。
三乗の法が門の前にあるのを衆生は知らないのだ。

*三車:法華経譬喩品(ひゆほん)に説くたとえ。ある長者の家が火事になったとき、家の中の子供たちに羊 
 (よう)車・鹿(ろく)車・牛(ご)車を与えるからと言って屋外に避難させた。長者を仏に、火事の家をこの 
 世に、子供を世の人に、羊車・鹿車・牛車をそれぞれ声聞乗(しょうもんじょう)・縁覚乗(えんがくじょ
 う)・菩薩乗(ぼさつじょう)にたとえたもの。
 三乗:悟りの世界に入るための3種の教え,実践あるいは道を乗物にたとえたもの。 (1) は声聞乗。苦,
 集,滅,道の四諦 (→四聖諦 ) を悟り阿羅漢となるための教えあるいは実践。 (2) は縁覚乗。十二因縁 
 悟って独覚 (→縁覚 ) となる行き方。 (3) は菩薩乗。無上菩提を証得せんとする菩薩たちの道。

392
忍辱仙人    忍にく仙人
須成忍辱波羅蜜 須らくじゃうずべし忍辱波羅密
是如來甚深秘密 是れ如來の甚深秘密 
心火焼盡菩提根 心火焼じんす菩提のこん
阿修羅王滅佛日 阿修羅王仏にちを滅す

茶の湯に親しむHP訳
とにかく耐え忍んで悟りへの修行を成就すべきことが、
如来の究極の教えである。
そうしなければ、業火は悟りの心根を焼き尽くし、
阿修羅は仏や太陽までも握りつぶすのだから

くま訳
当然なすべきこととして、侮辱や迫害を耐えしのび、不動心を得る修行に取り組むのだ
これこそがまさに、悟りを得る為の如来の秘密の教である。
怒りに燃える感情は、悟りを求める心を焼き尽くす。
阿修羅王の怒りは仏の光明を滅してしまうのである。
*忍辱仙人:釈迦の前世が暴虐な歌利王に四肢や耳・鼻を削がれながらも、怒り恨むことなく耐え忍び、 
 最後に国王を改心させるという説話あり。(三宝絵・忍辱波羅蜜)
 参 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/  >>858
*忍辱波羅蜜:菩薩の六種の修行徳目(六波羅蜜)の一つ。種々の外からの侮辱や迫害を耐えしのんで、心 
 を動かさず安らかにする行。
*心火:怒り・しっとなどで燃え立つ感情
(´・(ェ)・`)つ

449 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/26(月) 21:52:35 ID:1d4drIFg0
大体善いのじゃ。

修行者は忍耐の完成を成し遂げるべきなのじゃ。
これが如来の甚だ深い秘密なのじゃ。
忍耐がなければ怒りの火は菩提の根を焼き尽くし、
阿修羅王の如く仏や日を滅してしまうのじゃ。

450 避難民のマジレスさん :2021/04/26(月) 22:46:36 ID:zvxCgIyg0
393
余誡會裏徒曰。  余、会裏の徒を戒めて曰く。
喫酒必須用濁醪。 酒を喫せば、必ず須らく濁らうを用ふべし、
肴則其糟而巳。  かうは則ち其のかすのみ。
遂名之曰乾一酒。 遂に之を名づけて乾一酒といふ。
仍作偈以自笑云。 よって偈を作り以って自ら笑ふと云ふ。

醉裡衆人奈酒腸 醉裡衆人酒腸をいかんせん
醒時伎盡啜糟糠 さむる時伎尽きて糟糠をすする
湘南流水懷沙怨 湘南の流水わい沙のうらみ
引得狂雲笑一場 狂雲が笑一場を引き得たり

くま訳
余は、一休会下の弟子達に戒めをを与えたのである。
飲酒する時は、必ずにごり酒にせよ。
肴は必ず酒糟のみとせよ。と。
ついにこの規則を名づけて、さかな一品酒としたのである。
そんなことを、偈にして笑ったのである。

弟子達が酒に酔っていることに対して、はてどうしたものか(と作った規則である)。
酔いから覚めたら、芸も尽き、貧しさを噛締めることになるであろう。
湘南の流水に、懐(ふところ)に重しの石を入れて、入水自殺をした楚の国の屈原が抱いたよな怨みはなど、
狂雲なら、その場で笑いとばしてやることができただろう。

醉裡衆人奈酒腸:屈平が漁夫の辞に曰く、「世を挙げて皆濁り、我独り清めり、衆人皆酔えり、我独り醒む、
是を以って放たる。」と。漁夫の辞に曰く。「衆人皆酔はば、何ぞ其の糟を食うて、其の釃(しる)を歠
(すす) らざる。」と蓋(けだ)し此れ漁夫の意に随うなり。(禅学大成脚注より)
*136漁父: https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>850
*糟糠:酒かすと米ぬか。貧しい食事の形容。"
(´・(ェ)・`)つ

451 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/27(火) 23:40:33 ID:1d4drIFg0
だいたいそんな感じじゃな。

わしは会のものにいさめて曰く
酒を飲むなら濁り酒なのじゃ。
肴はその酒糟のみなのじゃ。
これを名づけて乾一酒というのじゃ。
よって偈を作り自ら笑うのじゃ。

酔っ払った者達をどうすべきかのう。
醒めれば技も尽きて糟糠をすするのじゃ。
湘南の流水に砂を抱いて入った屈原のように独りわしは醒めているのじゃ。
わしが笑いを一つ引き受けたのじゃ。

452 避難民のマジレスさん :2021/04/27(火) 23:55:17 ID:Up5zCyqU0
97 (再掲 https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>936)
偶作  1/2
慧命微微懸一絲 えみょう微々として一糸をかく
分明臨済正傳師 ふん明なり臨濟正伝の師
識情名利山林客 識情名利山林の客
夜夜秋風枕上吹 ややの秋風ちん上に吹く 

たまたま出来た詩
悟りの智慧など極々わずかで、その細い糸に命を懸けるのである。
誰が臨済の正傳であるかは、明らかである。
迷い、名利を求める参拝者達
毎晩、秋風が枕元を吹き過ぎるような、思いだ

*慧命:悟りの智慧を生命にたとえた語。法命 
*識情:迷いの心
(´・(ェ)・`)つ

453 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/28(水) 22:03:19 ID:1d4drIFg0

正伝の叡智は微かに一本の糸でつながっているのじゃ。
その正伝の師匠は誰か明らかなのじゃ。
名利に迷う客も多いのじゃ。
夜夜秋風が枕の上に吹くような心地なのじゃ。

454 避難民のマジレスさん :2021/04/29(木) 23:11:23 ID:mQQhlngY0
くま訳全面改
正伝の叡智は微かに一本の糸でつながっているのだ。
その正伝の師匠は誰か明らかなのだ。
名利に迷う客も多いのだ。
夜夜秋風が枕の上に吹くような心地なのだ。

394
偶作   2/2
睡裡海棠春夢秋 睡裡の海棠春夢の秋
明皇離思獨悠々 めい皇離思独り悠々
三千宮女情難慰 三千の宮女情慰しがたし
更遂馬嵬泉下遊 更に馬くわい泉下の遊びをおふ

くま訳
夢の中の海棠の花のようだと美しさを喩えて詠んだ、
そんな楊貴妃との別離の思いを、英明な玄宗皇帝が悠々と詠んだのだ。
三千人の女官がいても、誰も皇帝を慰めることが出来ない。
更にその(楊貴妃の)魂は、(冨子に乗り移り、)遊び続けているのだ。

https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/  >>103

*海棠(かいどう)の睡(ねむ)り未だ足らず」玄宗皇帝が楊貴妃を評した言葉。眠りが足りず酔いのさめ
きらない美人(楊貴妃)のなまめかしさを海棠の花にたとえたもの。
*明皇:英明な皇帝。
*離思(りし):別離のおもい。離別の情。
(´・(ェ)・`)つ

455 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/04/30(金) 23:15:31 ID:1d4drIFg0
睡る海棠の春夢は終わったのじゃ。
英君も離苦の思いに独り泣くのじゃ。
三千の官女も慰めることができないのじゃ。
いまだに馬嵬の泉下に居る者を想っているのじゃ。

456 避難民のマジレスさん :2021/04/30(金) 23:34:18 ID:ASe9QUTg0
くま訳全面改
睡る海棠の春夢は終わったのだ。
英君も離苦の思いに独り泣くのだ。
三千の官女も慰めることができないのだ。
いまだに馬嵬の泉下に居る者を想っているのだ。

266(改) 2020/8/23に掲載したくま訳を、鬼和尚解説読後に改めた
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/>>927
この詩に関しては、当初、↓①を基に、くま訳しました。
①國譯禪學大成(二松堂書店・昭和5年)・・・氷輪
②狂雲集(寛永壬午孟春吉旦 西村又左衛門新刊)・・・水輪 
③狂雲集(民友社・明治42年)・・水輪
今回、当時の鬼和尚解説に従い、全面改であります。

井    1/2 
高下互看打水輪 高下互ひに看る水輪を打するを
衲僧轆々轉機輪 衲僧ろくろく機輪を転ず
安禪出定淸華暁 安禪出じょう淸華の暁
汲盡天邊月一輪 汲み尽くす天辺月一輪

くま訳全面改
水車が回るように日々倦まずに精進すれば、
禅僧は禅機を発揮できるよになるのだ。
安禅は清い華の如く暁を出だすというのだ。
そして、天に輝く月一つを汲み尽くすのだ。(月を映す水が無ければ月も映らないのだ。)

*安禅:いっさいの動揺を去り、身心安楽になるところから一心に坐禅を行なうこと。坐禅。
*淸華:栄華・ 権力や財力を得て、はなやかに栄えること。
(´・(ェ)・`)つ

457 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/01(土) 21:25:44 ID:1d4drIFg0
いかすのう。
それでよいのじゃ。

458 避難民のマジレスさん :2021/05/01(土) 22:34:51 ID:5Egb2YzY0
395
井    2/2
吸盡西江公案圓 西がう汲み尽くして公案まどかなり
工夫不管溺深泉 工夫管せず深泉に溺るることを
不借寸繩千尺底 寸じょうをからず千尺の底
西來祖意爲人禪 西來の祖意爲人の禪

くま訳
西江の水を汲み尽くすという公案は、完璧である。
深い泉で溺れようとも、一心に禪の修行に励むとは、
短い縄を借りて、長い縄のようにしろというのではない。
達磨の意図は人が為せる禅である

*大河の水を呑み尽くす:一口に吸尽す西江の水―(『馬祖録』)
 龐居士(150の詩 参)が馬祖道一禅師に質問した。「世界のあらゆる存在と与しない、独立自存の人と
 は、いったいどのような人ですか」。その質問に答えた馬祖の語。「お前が西江の水を一口に飲み尽くし
 たら、それを教えてやろう」ということ。禅は独脱無依の絶対主体性を確立することである。自分以外の 
 一切のものと与しないような完全に自立した人間になることである。
*西江(せいこう)は、中国南部流れる川、長江・黄河に次ぐ3番目の長さ。
*不管〜(都): ①「〜であろうと・・・だ」「〜にかかわらず・・・だ」②構わぬ
*水不借路路不借水
 みずみちをからず みちみずをからず
 水は道を借りて流れているわけではない。
 道に沿って流れ、流れに応じて道ができる。
(´・(ェ)・`)つ

459 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/02(日) 22:54:26 ID:1d4drIFg0
西江の水の公案は全く正しいのじゃ。
弟子の工夫は深い泉で息が詰まって溺れるような程度なのじゃ。
一寸の縄程度の智慧で千尺の底を測れなくても惜しいとは言わんのじゃ。
祖師が西来したのは正に人の為に禅を教えに来たのじゃ。

要するに弟子の足りない智慧で役に立たないわからんことを言っても無意味ということじゃな。

460 避難民のマジレスさん :2021/05/03(月) 00:46:46 ID:W4iRKgJs0
くま訳全面改
西江の水の公案は全く正しいのだ。
弟子の工夫は深い泉で息が詰まって溺れるような程度なのだ。
一寸の縄程度の智慧で千尺の底を測れなくても惜しいとは言わんのだ。
祖師が西来したのは正に人の為に禅を教えに来たのだ。
396
賛仰山 二首 1/2 仰山を賛す
小釈迦唐朝出生 小釈迦唐朝に出生す
夢中兜率太分明 夢中兜率はなはだ分明
耽源體也潙山用 耽源は体や潙山は用
體用中唯開眼晴  體ゆうのうちただ眼晴を拓く

仰山を賛す
小釈迦が唐の時代の中国に生れたのだ。
夢の中で兜卒天(とそつてん)に昇り弥勒菩薩の所に行ったというのは、明らかだ。
耽源老師によって体を得ることができ、潙山老師によって用を得たのである。
体用の中で悟りを開いたのである。

*仰山慧寂(ぎょうざん えじゃく、804- 890年):唐代の禅僧。諡は智通禅師。
 17歳の時に出家し、各地を遊方した。耽源に会って大悟した。潙山霊祐に出会い、15年前後の間師事し 
 た。後に、仰山に住したので、その名となった。師の住した潙山と合わせて、その系統を潙仰宗と呼んだ。
*體用たい‐ゆう 本体とその作用。たいよう。

*碧巌録「千尺井中」(岩井茂樹先生)
ある時、仰山慧寂が耽源という老師に「井戸に落ちた人を短い縄も使わずに助けるにはどうすればいいので
すか」と尋ねた。それに対し、耽源は即座に答える。そこで放たれるのが「咄、痴漢、誰か井中にある」と
いう言葉だった。意味は「こら、馬鹿者、誰が井戸の中にいるというのだ」というものである。悟ることの
できなかった仰山は、次に潙山霊祐という老師のもとに行き、同じ問いを投げかける。すると潙山は仰山の
名である「慧寂」と叫ぶ。
それに対して仰山は「はい」と答えたが、潙山は「よし出た」と言う。これによって、仰山は悟ることがで
きた。後に仰山は「耽源老師によって体を得ることができ、潙山老師によって用を得た」と回顧したという。
ちなみに、最後の部分は『景徳伝灯録』など中国の経典では「耽源老師によって名を得て、潙山老師によっ 
て地を得た」となっている点が異なっている。
この公案は仰山の語録や事跡が紹介されるたびに引かれたり、禅の公案書に引かれたりして、公案の中でも
もっとも有名なものの一つとなった。日本ではやはり『碧巌録』に引かれたことが大きかった。
(´・(ェ)・`)つ

461 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/03(月) 23:22:09 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

小釈迦は唐朝で出生したのじゃ。
夢の中で兜率天に行ったのはとても分明なのじゃ。
耽源に体を得て、蕃山に用を学んだのじゃ。
体用の中で眼を開いたのじゃ。

体は悟りの本質であり、用は智慧とも言えるじゃろう。

462 避難民のマジレスさん :2021/05/04(火) 11:57:00 ID:MyFrn1YY0
397
賛仰山 二首 2/2
枕子夜來推出時 ちんす夜來推出する時
一宗敗闕少人知 一宗敗闕人の知ることまれなり
法身説法座主説 法身説法座すの説
黄葉一枝誑小兒 くわうえふ一枝小児をたぶらかす

くま訳
夜間、枕を手探りで探して、推し出してしまったようなものである。
潙仰一宗禪は衰えて、もはや知る人も少ない
悟りの境地を座主が言葉で説明できるという説である。
もう枯れ果てた宗門であるが、子供を騙しているのである。

*潙仰一宗禪:潙山霊祐、仰山慧寂により鼓吹された禅風。宗風には、黙照禅と称される曹洞宗に類似した
 点も見られるが、家族的で、孤立的な性格があったものと思われる。その宗風が、逆に災いし、同系の臨 
 済宗が隆盛するにつれて、衰退して行き、宋代に至って遂に吸収同化されてしまったものと考えられる。
*"https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>665 948
* 枕子夜來推出時:夜間に手を背(うしろ)にして枕子を摸する
 道元禅師は、以下のように提唱される。
 道吾いはく、如人夜間背手摸枕子。いはゆる宗旨は、たとへば、人の夜間に手をうしろにして、枕 
 子を摸索するがごとし。摸索するといふは、さぐりもとむるなり。夜間はくらき道得なり、なほ日 
 裏看山と道取せんがごとし。用手眼は、如人夜間背手摸枕子なり。これをもて用手眼を学すべし。 
 夜間を日裏よりおもひやると、夜間にして夜間なるときと、撿点すべし、すべて昼夜にあらざらん 
 ときと撿点すべきなり。人の摸枕子せん、たとひこの儀すなはち観音の用手眼のごとくなる、会取 
 せざれども、かれがごとくなる道理、のがれ・のがるべきにあらず。 『正法眼蔵』「観音」巻

*法身説法 :真言宗泉涌寺派 大本山 浄土寺HPより
 密教ではこの現象世界を、真理そのものを仏格化した法身(ほっしん)である大日如来が説法している実 
 在の世界そのものと把える。(法身説法)
 即ち、他ならぬこの現象世界を離れて真実の世界はなく(即時而真(そくじにしん))、悟りの境地も文 
 字や象徴的表現をかりて説く事ができる(果分可説)とする。"
(´・(ェ)・`)つ

463 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/04(火) 23:53:17 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

枕を夜に推しだしてしまうのじゃ。
一宗の敗闕は知る者も少ないのじゃ。
法身の説法は座主の説であるというのじゃ。
黄葉の一枝で子供を誑かすようなものじゃ。

464 避難民のマジレスさん :2021/05/05(水) 00:27:44 ID:CJJLwlm.0
398
雨滴齋     雨滴 齋名
蕭々門外是何聲 せうせう門外是れ何の聲ぞ
不會當機問鏡淸 ゑせずんば当機鏡しゃうに問へ  
顚倒衆生迷逐物 てんだうの衆生迷ふて物をおふ
窓前半夜一燈青 窓前半夜一燈青し

吟魂→窓前

くま訳
門外から聞えるのは何の音であるかと、鏡清禅師が尋ねた。
師とのやり取りが理解できなくて、弟子が更に問い返すと、師は適切な指導をした。
衆生は本末転倒して、事物を追いまわして自己を見失ってしまう。自己の外側に意識をさ迷わせて、己を見失う
夜半燈火ともる窓辺である。

*斎名(さいめい・さいみん)雅号などの何々斎という名。もとは僧侶が法名のほかに付けたものだが、後 
 に俗人も用いるようになった。また、広く軒号・院号・庵号をも指す場合もある。斎号。
*蕭蕭(しょうしょう)1 もの寂しく感じられるさま。2 雨や風の音などがもの寂しいさま。
*雨滴聲『碧巌録』第四十六則  (茶席の禅語選HPより)
 擧。鏡清問僧。   こす、鏡清、僧に問う、
 門外是什麼聲。   門げ是れなんの声ぞ。
 僧云。雨滴聲。   僧云わく、雨滴声。
 清云。       清云わく、 
 衆生顚倒迷己逐物。 衆生はてんどうして己に迷うて物を逐う。

 『碧巌録』第四十六則の頌に「虚堂(きょどう)雨滴聲」とある。誰もいない家に雨だれの音がしている 
 情景をさす。
 『新版 禅学大辞典』には、「鏡清道怤と一僧が門外の雨だれの音について問答した公案」とある。 
*鏡清:鏡清道怤禅師
(´・(ェ)・`)つ

465 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/05(水) 23:21:06 ID:1d4drIFg0
鏡清は蕭蕭と門の外の声は何じゃ、と聞いたのじゃ。
弟子は鏡清の問いに上手く答えられなかったのじゃ。
すると鏡清は顛倒の衆生は迷って物をおっているのじゃと言ったのじゃ。
窓の前には半夜一つの青い灯りがあつたのじゃ。

466 避難民のマジレスさん :2021/05/05(水) 23:43:03 ID:zbG8/PUw0
399
吊戦死兵    戦死兵を弔(てう)す
赤面修羅血氣繁 赤面の修羅血気繁し
悪聲震動破乾坤 悪聲震動し乾坤を破る 
闘爭負時頭脳裂 闘諍負くる時頭脳裂く
無量億劫舊精魂 無量億劫の旧精魂

くま訳
戦死した兵を弔う 
赤面の阿修羅、血気盛ん。
悪声を放って天下を震撼させた。
闘争に負けた時に脳天を裂かれたが、
永遠にその魂は消えないであろう。
(´・(ェ)・`)つ

467 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/06(木) 21:32:33 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

真赤な顔の阿修羅は血気盛んなのじゃ。
大声で天地を振動させて破るほどなのじや。
闘争に負ければ頭脳が裂けるのじゃ。
その精魂は地獄に行って無量億劫も出ることが出来ないのじゃ。

468 避難民のマジレスさん :2021/05/06(木) 23:23:48 ID:cHJhfcC60
400
確頌曰     確じゅに曰く
世間種種奯公圖 世間種々くわつ公の図
道伴知音一箇無 道伴知いん一箇も無し
夜雨蓬窓江海燭 夜雨ほう窓江海の燭
宗門零落盡工夫 宗門の零落工夫を尽くす

くま訳
世間には岩頭全奯禅師の絵が種々あるが、
岩頭の事がよく伝わる絵は一枚も無いのだ。
夜雨降る、水辺に面したあばら屋の窓辺の灯
宗門は零落したが、色々と工夫していたのだ。

*奯公(かつ公):岩頭全豁(ぜんかつ)禅師:、828- 887年)唐代の禅僧。青原行思の下で、仰山慧寂・  
 徳山宣鑑に
 参じ、徳山の法を嗣ぐ。887年、賊に首を斬られて死す。
*知音(チイン)《中国の春秋時代、琴の名人伯牙は親友鍾子期が亡くなると、自分の琴の音を理解する者 
 はもはやいないと愛用していた琴の糸を切って再び弾じなかったという「列子」湯問などの故事から》1  
 互いによく心を知り合った友。親友。「年来の知音」2 知り合い。知己。「知音を頼る」3 恋人となる 
 こと。また、恋人。なじみの相手。
*蓬窓(ホウソウ):蓬(よもぎ)の生い茂った所に面した窓。転じて、貧しい粗末な家。
(´・(ェ)・`)つ

469 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/08(土) 00:52:03 ID:1d4drIFg0
世間には種々の岩頭全豁の図があるが、
修行者仲間と居る図は一つもないのじゃ。
夜雨が古窓から見える江海の灯りに降るのじゃ。
宗門の零落は工夫を尽くしても止められなかったのじゃ。

470 避難民のマジレスさん :2021/05/08(土) 02:38:22 ID:isomS8To0
くま訳改
第三句:夜雨が古窓から見える江海の灯りに降るのだ。
第四句:宗門の零落は工夫を尽くしても止められなかったのだ。

401
拈華微咲    拈華み笑
世尊拈出一枝花 世尊拈出す一枝の花
一代禪宗意氣奢 一代の禅宗意気奢る  
金色頭陀獨傳法 金色の頭陀独り伝法
近年知識若河沙 近年知識河沙の若し

くま訳
釈迦は皆の前で一枝の花をかしげて見せたのだ。
これこそ(以心伝心、)正法の禅の始まりである。
仏法の極意が伝わったのはただ一人( 摩訶迦葉)だけであった
最近は、知識ばかり河の砂ほど増えすぎてるのである。(真理は何も伝わらないのである)
(´・(ェ)・`)つ

471 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/08(土) 21:53:32 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

世尊は一枝の花を捻って出したのじゃ。
禅宗一代目の祖師となった迦葉が微笑して答えて意気を上げたのじゃ。
金色の僧迦葉が独り言外の法を伝えたのじゃ。
近年では知識を集めて言外の法を失ったものばかりが河砂の如く多いのじゃ。

472 避難民のマジレスさん :2021/05/08(土) 23:12:59 ID:QYy2xejs0
402
會裡僧與武具 1/2 會裡の僧に武具を与ふ
説禪學道本無能 説禪學道もと無能
亂世英雄一錫僧 乱世の英雄一しゃくの僧
覿面當機若行令 てき面当機若し令を行ぜば、
鐵圍百億棒頭崩 鉄ち百億棒頭に崩れん

くま訳
一休会下の僧に武具を与えるのである 
禅を説き、仏道を学ばせても役に立たないのである。
乱世においては単なる錫僧でも英雄になれるのである。
わしの指示通りにして、効果覿面の禅機を発揮すれば、
この世の最果てを取り囲む山々をも、君達は人足頭として、切り崩すことができるであろう。

*錫僧(しゃくそう):法会のとき、偈(げ)を唱え、錫杖(しゃくじょう)を振る役の僧。
*覿面(テキメン):① まともに見ること。まのあたりに見ること。親しく見ること。また、そのさま。
 ② (転じて) まのあたり。まとも。目前。即座。また、面と向かってじかにするさま。③ 目の前に著し 
 い結果が現われること。ある事柄の効果や報いが即座に現われること。また、そのさま。
*当機(とうき):相手の能力素質に応じた導き方をすること。
*令:①(神などの)お告げ。②上位者による指示。命令③よい事。令息、令嬢、令室、令名、令月
*鐵圍:鉄囲山てっちせん:世界の中心にある須弥山(しゅみせん)をめぐる九山八海の最も外側にある鉄で
 できた山。鉄輪囲山。金剛山(こんごうせん)。
*棒頭:① 駕籠かき人足のかしら② 転じて、一般に人足のかしら。
(´・(ェ)・`)つ

473 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/09(日) 23:16:30 ID:1d4drIFg0
会の僧に武器を与えるというのじゃ。
僧兵じゃな。

禅を説き道を学ぶは本から無能力なのじゃ。
乱世の英雄は錫杖一本の僧なのじゃ。
目前の好機に当たってもし命令どおりに行うならば、
鉄囲山の百億も棒の先で崩れ落ちるほどの効果が在るのじゃ。

474 避難民のマジレスさん :2021/05/09(日) 23:45:59 ID:2Ox854ic0
くま訳改
第二句:乱世の英雄は錫杖一本の僧なのだ。
第三句:目前の好機に当たってもし命令どおりに行うならば、
第四句:鉄囲山の百億も棒の先で崩れ落ちるほどの効果が在るのだ。

403       
會裡僧與武具 2/2 
道人行脚又山居 道にん行脚又山居
江海風流簑笠漁 がう海の風流さりゅうの漁
逆行沙門三尺剣 逆行沙門三尺の剣
不看禪録讀軍書 禅録を看ずして軍書を読む

くま訳
出家僧は行脚して、又山奥に住み、
海辺川辺の風流を楽しみ、みのを着て漁をする。
そのような修行僧としての道に逆らい三尺剣を帯びて、
禅録は読むのではなくて、軍書を読めばよいのだ。

*道人(どうにん )1仏道の修行をする人。出家得道した人。2 道教を修めた人。神仙の道を得た人。
 3 俗事を捨てた人。世捨て人。
*今川雑記ブログ(山紹先生)より抜粋
 大徳寺では、一休宗純が大徳寺40世春浦宗煕に「法中の姦賊」と悪罵したことに端を発し、一休宗純と 
 春浦宗煕が対立していた。
 一休宗純は、詩集『狂雲集』や『自戒集』で、春浦宗煕批判を展開していて、・・・
 大徳寺72世東渓宗牧が、伊勢宗瑞(北条早雲)に与えた「道号頌」には、伊勢宗瑞は武勇の禅人で、大 
 徳寺で春浦宗煕の弟子として修行していたとある。
 一休宗純が非難した、軍書を読んでばかりいた代表例が伊勢宗瑞といえる。
 今川義忠の後を継いだ今川氏親を伊勢宗瑞は武によって、宗長は文によって支えている。今川氏親の許で、
 一休宗純に心酔していた宗長と春浦宗煕の弟子伊勢宗瑞の間に確執はなかったのだろうか。
(´・(ェ)・`)つ

475 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/10(月) 21:57:47 ID:1d4drIFg0
ほぼそのような感じじゃな。

修行僧は諸国行脚し、又山に住むのじゃ。
川海の風に流れて蓑笠で漁するのじゃ。
逆行の僧は三尺の剣をもち、
禅録を看ず、軍書を読むのじゃ。

僧兵になっても軍書ばかり読んでいてはいかんというのじゃな。

476 避難民のマジレスさん :2021/05/11(火) 00:21:40 ID:32coR6eI0
くま訳改
第三句:そのような修行僧としての道に逆らい三尺剣を帯びる者は、
第四句:禅録は読まず、軍書ばかりを読むようになるのだ。それではいかんのだ

404
嘆孤獨老人多欲 孤獨老人の多欲を嘆ず
千古無多富貴時 千古多きこと無し富貴の時
青銅十萬譲阿誰 青銅十萬誰にか譲る
必定後生三悪道 必定後生三悪道
老人何事不前知 老人何事ぞ前知せざる

くま訳
孤独老人の多欲を嘆く
昔は欲は多くなかった。裕福だった時には、
青銅十萬を誰に譲ろうかと思案したものだ。
年老いて欲深では、死後三悪道に堕ちるも必定である。
老人は何でその道理を前もって知ることが出来ないのだ

*三悪道・三悪趣:「道」は梵語 gati の訳語。衆生がみずからの業によっておもむくところの生存の状態、
 またはその世界をいう。悪業の結果堕ちる三つの悪道。地獄道、餓鬼道、畜生道の三つ。三悪趣。三悪。
(´・(ェ)・`)つ

477 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/11(火) 21:33:55 ID:1d4drIFg0
だいたいそんなところじゃな。

孤独な老人の多欲を嘆くのじゃ。

昔は今の時代ほど多くの富貴の者はいなかったのじゃ。
青銅十万銭を死後誰に譲るというのじゃろうか。
多欲であれば死んだ後に三悪道に堕ちるのは必定なのじゃ。
老人はなぜそのことを前もって知らないのじゃろうか。

478 避難民のマジレスさん :2021/05/11(火) 22:25:53 ID:ppWy.NFQ0
くま訳改
第一句:昔は今の時代ほど多くの富貴の者はいなかったのだ。
第二句:青銅十万銭を死後誰に譲るというのだ。

405
端午
千古屈平情豈休 せんこくっぺいじょうあにきゅうせんや
衆人此日醉悠々 衆人この日酔って悠々たり
忠言逆耳誰能會 忠げん耳に逆らふたれかよくえせん
只有湘江解順流 只しょうこうの順流をげするあり

碇豐長先生訳抜粋
大昔、楚の屈原(が憂国の情のあまり、自殺したあの時)の思いはどうして休まる時があろうか。 
人々は、(今日の端午の節句)の日にも、酒に酔って、ゆったりと落ち着いている。 *周りのみんなは、
憂国の情などの片鱗もなく、気楽に日を送っている。 
忠告とは聞きづらいもので、(屈原の憂国の言を)一体誰が理解できたことだろうか。
ただ湘江だけが理解してくれて、素直に流れてゆくのみである。 *(屈原が彷徨ったことのある)湘江以
外は、(屈原の心を)理解しようとはしない。 ⇒そのように、わたし・一休宗純の心を理解してくれる者
もいない。ふるさとの山河だけが理解してくれようか。 

くま訳
端午の節句
大昔の屈原の情を思うと、心休まることがない。
大衆は端午の節句の今日、酒を飲み悠々と過している
正しい忠告とは耳に痛いものだという事を理解できる者はいない。
ただ、屈原が身を投げた湘江の流れのみが、彼をつつみ流れてゆく

*會:さとる。理解する。動詞。

碇豐長先生解説抜粋
※端午:旧暦五月五日。屈原が汨羅に身を投げた日。秦が楚の都郢を攻めた時、屈原は汨羅江に身を投げて、
 自殺した命日に当たる。時に、紀元前278年の五月五日で、端午の節句の供え物の粽(ちまき)は、屈 
 原を悼んでのものという。この作品は、世に容れられなかった、楚の屈原を詠うことで、同時に自分の感 
 懐を伝えている。

屈 原(くつ げん、紀元前343 – 278年)は、戦国時代の楚の政治家、詩人。秦の張儀の謀略を見抜き、踊
らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。
端午の節句を詠んだ作品。5月5日は楚の「屈平」が「汨羅」にを投じた日。屈平の霊を祭る為に端午節が
出来た。21歳のとき人生に悲観して瀬田川に身を投じたが運よく助けられた一休、「汨羅」の江に身を投
じた楚の「屈平」に想いを馳せ、慈しんで詠ったか"
(´・(ェ)・`)つ

479 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/12(水) 21:05:59 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

大昔の屈原の憂国の情を思えばわしの心も休まらないのじゃ。
人々はこの屈原の命日の節句の日も酒によって悠々としているのじゃ。
国を思う忠言は耳に逆らい誰が理解するじゃろうか。
ただ湘江の流れる水となった屈原だけが理解できるじゃろう。

480 避難民のマジレスさん :2021/05/12(水) 22:39:32 ID:6CTdDagY0
くま訳改
第一句:大昔の屈原の憂国の情を思えばわしの心も休まらないのだ。
第四句:ただ湘江の流れる水となった屈原だけが理解できるだろう。

406
百丈野狐
千山萬水野僧居 千山萬水や僧の居
甲子今年五十餘 かつしこん年五十餘  
枕上終無老來意 ちん上つひに老らいの意無し
夢中猶讃小事書 夢中猶読む小事の書
 
くま訳
百丈野狐(不落因果、 不昧因果)
全国の山河が修行僧の住まいである
六十年周期で世が乱れるとされているが、今年で既に五十年以上経過している
うとうとしている間に気付いたら、年老いてしまうのだ。
夢の中で小事の書を読んでいる場合ではなおのである。

*甲子の年:西暦年を60で割って4が余る年が甲子の年となる。
 王朝交代の革命の年である辛酉の年の4年後で、天意が革(あらた)まり、徳を備えた人に天命が下され 
 る「革令」の年、すなわち変乱の多い年とされた(甲子革令)。それを防ぐ目的で、日本の平安時代以降 
 この年にはよく改元が行われた。
 一休さん存命中(1394〜1481年)前後の期間の甲子の年は1384年、1444年、1504年

* 百丈野狐(無門関):野狐老人は、因果にとらわれて因果に落ちない(不落因果 )世界を妄想し、住職 
  として説いた為に、野狐の身に堕とされ、五百年間苦しんだ。
  百丈和尚は、大修行底の人でも、因果律は免れない。因果律の中にあって、それに執らわれないことを 
  を「不昧因果」と説き、それを聞いた野狐老人を五百年の闇から解放された。 
(´・(ェ)・`)つ

481 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/13(木) 23:53:49 ID:1d4drIFg0
千の山、万の水の野に住む僧がいたのじゃ。
甲子の今年で五十あまりなのじゃ。
無想に陥り老いが来るのもわからなかったのじゃ。
夢の中でなお小事の書を讃えたりしているのじゃ。

僧が法をわきまえず、狐になってもなお外道の法をもち続けているというのじゃな。

482 避難民のマジレスさん :2021/05/14(金) 02:39:51 ID:M582UHYA0
くま訳全面改
千の山、万の水の野に住む僧がいたのだ。
甲子の今年で五十あまりなのだ。
無想に陥り老いが来るのもわからなかったのだ。
夢の中でなお小事の書を讃えたりしているのじゃ。

くま質問:「今年で五十あまり」とは、何が五十あまりなのでありますか?
  
407
題大徳寺動亂 1/2 大徳寺の動亂に題す 
禪者爭禪詩客詩 禪者は禪を爭ひ詩客は詩
蝸牛角上現安危 蝸牛角上安危を現ず
殺人刀矣活人劍 殺にん刀活にん劍
長信佳人獨自知 長く信ず佳人独り自知することを

くま訳
大徳寺動乱に付いて詠う 
禅者は禅を争い詩人は詩を争う
かたつむりの角のようなせまい場所で、安危の瀬戸際を争うようなものである
禅師には修行者を導く活殺自在の力があるということを
優れた人は自ずと知るものであると、長く信じているのである。

*対酒 白居易 酒に対す 
蝸牛角上争何事 蝸牛角上(かくじょう)何事をか争ふ
石火光中寄此身 石火光中此の身を寄す
随富随貧且歓楽 富に随ひ貧に随ひ且(しば)らく歓楽せよ
不開口笑是癡人 口を開いて笑はざるは是れ癡人

熊大医学部硬式庭球部の学生さんのための、格言・故事成語」『漢詩』・旺文社)訳
かたつむりの角のような小さなせまい場所で、
(人々は)いったい何を争っているのか。
(人生は)火打ち石から飛び出す火花のような一瞬のうちに、
この身をかり住まいさせているのである。
(そう思えば)貧富それぞれ分相応に、ともかくよろこび楽しんで過ごすべきである。
(くよくよと思い悩んで)大口をあけて笑うこともしないのは、まったくおろかな人である。

*「蝸牛角上の争い」:かたつむりの角の上の意で、人間世界の微小なことをたとえたもの。『荘子』に見
える話で、かたつむりの左の角に国を置く触氏と、右の角に国する蛮氏とが領地を争って戦い、
数万の死体をさらしたという寓話による
[荘子則陽]
(蝸牛の左の角に国をもつ触氏と右の角に国をもつ蛮氏とが互いに戦ったという寓話から)
大局から見ると意味のないような小さい事柄で争うこと。ささいな争いや、取るに足りない細かい議論をい
う。また、宇宙の悠久無限に対して人間世界が微小であることにもたとえる。
「蝸牛の角(つの)の争い」「蝸角(かかく)の争い」とも。
*安危:安全か危険かの瀬戸際の状態。
*殺人刀活人剣(せつにんとうかつにんけん):禅宗で、師が修行者の妄情を断ち切り、修行の完成に向 
 かって自由自在に導くはたらきのたとえ。
*自知:自分のことを自分で知ること。
(´・(ェ)・`)つ

483 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/14(金) 23:05:17 ID:1d4drIFg0
>>482 甲子の巡るのが五十回ということじゃろう。
 甲子が十年で巡るとして五十回で五百歳なのじゃ。
 狐の身になって五百歳ということじゃな。

484 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/14(金) 23:11:06 ID:1d4drIFg0
大体それでよいのじゃ。
大徳寺の動乱の題じゃな。

禅の者は禅で争い、詩人は詩で争うのじゃ。
そんなものは蝸牛の角の上での争いなのじゃ。
殺人刀を活人剣にするのじゃ。
善男子はそれを独りでに知ることができると信じるのじゃ。

485 避難民のマジレスさん :2021/05/15(土) 02:38:41 ID:r1ozM1WA0
くま訳改
第三句:殺人刀を活人剣にするのだ。
第四句:善男子はそれを独りでに知ることができると信じるのだ。

408
題大徳寺動亂 2/2
伏虎将軍是我徒 ふくこ将軍是れ我が徒
英雄不失悪魔途 英雄は失せず悪魔の途
吹毛三尺掌握内 吹毛三尺掌握の内
佛法南方一點無 佛法南方一點無し

くま訳
伏虎将軍、山名宗全は、わしの弟子である。
英雄は悪魔のように好機を逃さないのだ。
切れ味のよい三尺の剣掌中に握り
わしの佛法には南方の雪峰のような生ぬるさは全く無いのだ。

*吹毛三尺;鋭利毛を吹くべきの銘剣をいふ、機鋒鋭きに譬ふ。(大成脚注)吹きかけた毛をも、両断 
 してしまうほどの、切れ味のよい三尺の剣
*伏虎将軍;屏風の虎で有名な足利義満のことかと考えましたが、義満は一休14歳の時に死んでるような 
 ので、弟子ではないでありましょう。
 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/ >>7 184・>>70 212.>>183 264 
 の詩で取上げてる山名金吾・山名宗全を指すのでありましょう。←虎伏城(とらふすじょう):竹田城の 
 別称:築城者 :1431年山名宗全(山名政豊)西軍の総大将
 義満1358年-1408年
 一休1394年-1481年
*佛法南方一點無:
 http://iriz.hanazono.ac.jp/pdf/st04/st04_0201a.pdf
 雪峰義存(せっぽう ぎぞん、822年- 908年
 趙州従諗(じょうしゅう じゅうしん、778年 – 897年)
 wiki解説によると、二人の禅風は、共に棒喝よりも、平易な言葉で説明する指導法だったようでありま
 すが、趙州は雪峯を「ぬるま湯」(軟暖處)と呼んでいたそうであります。
(´・(ェ)・`)つ

486 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/15(土) 21:29:54 ID:1d4drIFg0
まだ大徳寺に動乱があるというのじゃ。

伏虎将軍は我が徒弟なのじゃ。
英雄は悪魔の逃げ道を見失わないのじゃ。
吹毛三尺の鋭い剣は手の中なのじゃ。
仏法は南方には一点もないのじゃ。

487 避難民のマジレスさん :2021/05/15(土) 22:21:10 ID:EL3.0Jps0
くま訳改
第四句:仏法は南方には一点もないのだ。

409
再住妙勝寺之次。 再び妙勝寺に住するついで、
披虚堂和尚法衣。 虚堂和尚の法えをひらく。
因合山淸衆需一偈 ちなみに合山の淸衆一偈をもとむ
書以寒其請    書して以て其のこひをふさぐ。

先祖還衣 先祖はえを還し
順老留衣 順老は衣をとどむ
斬作兩段 斬って兩段となす
是松源衣 是れ松源の衣

*くま参照のテキストの原文↑とちょっぴと異なるのであるが、多分、これ↓でありましょう。
 
 妙勝寺で虚堂の袈裟を身につける
 運庵還衣
 純老留衣
 載作両断
 是松源衣
 
 柳田聖山先生訳・解説
 運庵は虚堂の師で松源の衣を嫌い
 拙僧は今虚堂の袈裟を肩に掛ける
 松源の禅は自分一人で荷担する物
 なぜなら松源の袈裟は松源の所有

くま訳
再び妙勝寺に住することになったので、
虚堂和尚の法衣を開いてみた。
その際に叢林の修行僧達から一偈を求められた。
書してその願いに応えたのである。

ご先祖様(の運庵)は(松源の)法衣を返し
一休は、(虚堂の)法衣をとどめる。
どちらでも良いのである。
松源の衣は松源のものである。

*妙勝寺:南浦紹明=大応国師が中国から帰って「妙勝寺」でその教えを弟子たちに伝え、大燈国師も晩年 
 ここで暮らした。 その後酷く荒廃してしまったこの寺を大応国師を尊敬する一休禅師が、修復をし、 
 「報恩庵」として自らも住まわれました。
*運庵:松源に参じること十八年、その法を嗣ぐが、伝衣は引き継がなかった。寿像のみ受け取ったのであ 
 る。
(´・(ェ)・`)つ

488 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/16(日) 21:07:27 ID:1d4drIFg0
再び妙勝寺に住むのに
虚堂和尚の法衣を披露したのじゃ。
それに因んで僧達から一喝を求められた
それを書くのじゃ。

運庵和尚は松源の衣を返し、
わしは虚堂和尚の衣を着るのじゃ。
それを両方正しいとするのは、
それこそが松源の衣を継ぐということであるからなのじゃ。

法衣を継ぐというのは、師匠の法を正しく受け継ぐという意味が在るのじゃ。
師匠の着物を返そうと、着ようと、どちらにしても正しい法を伝えることが法衣を継ぐということなのじゃ。

489 避難民のマジレスさん :2021/05/16(日) 22:44:00 ID:43HwC0AI0
くま訳改
第四句:それこそが松源の衣を継ぐということであるからである。

410
不殺生戒
全體作用迸鬼眼 全體作用鬼眼をほとばしらしむ
勝負修羅英雄念 勝負修羅英雄の念
望帝一聲月三更 望帝一聲月三更
殺人刀與活人劍 殺にん刀と活にん劍と

くま訳
その本質的な意味と、この戒によりもたらされる作用、効果が激しい対立を生じさせる。
戦って勝負を付けたいというのが才知・武勇にすぐれた人の思いである。
古代神話の聖人君子の一声は、今も深夜の月の様に魅力的に輝くが
今は、殺人刀と活人劍、即ち本来の意味で人を活かす、悟りに導く道を捉えるべきである。

*不殺生戒:在家信者が守るべき五戒の一つ。 生き物を故意に殺してはならない。
*望帝・中国神話上の蜀王。最後にホトトギスになったという伝説がある。
 望帝はもとは杜宇(とう)という名の天神だった。その望帝が百余歳のころ、楚の国で鼈霊(べつれい)
 という男が死んだ。ところが、その死体は長江を遡り、蜀の都に流れ着いて生き返り、望帝に会いに来た。
 そこで、望帝は鼈霊を宰相に任命した。おりしも、蜀で大洪水が起こり、鼈霊がまるで禹と同じように活
 躍し、それを治めた。ところが、この後、望帝は鼈霊の妻と密通してしまい、良心の呵責にさいなまれて
 鼈霊に位を譲った。王となった鼈霊は開明帝と称したが、望帝の方は退位後に修行を積んでホトトギスと
 なり、毎年春が来るたびに鳴いた。蜀の人々はその鳴き声を聞いて望帝をしのんだという。
*殺人刀…「秀れた禅匠が修行者を切磋琢磨する時の切れ味を刀劔に喩える」とある。
活人剣…「殺活自在に学人を導く師家のはたらきをたとえていう。学人をして起死回生させるはたらき。
殺人刀活人劍…「活殺自在の手段のこと。宗師家が学人を指導する自由のはたらきを刀剣を借りて示した 
 もの。宗師家が学人に接する場合に、奪って許さない手段が殺人刀、与えて容れる手段が活人剣である。 
 真の宗師家はそのいずれにもかたよらず、自由のはたらきを示す」
 「悟りの一刀手にあり、活殺自在だ」

* 一休さんは、不殺生戒をどのように解していたのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

490 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/17(月) 21:13:25 ID:1d4drIFg0
全身を武器として用い、鬼のような眼力を迸らす
勝負に賭ける修羅の如く戦う者は英雄であろうとするのじゃ。
ホトトギスが鳴く夜更けの月を見て、
殺人刀を活人の剣とするがよいのじゃ。


正にこの歌の如く殺人刀を活人剣とすることこそ真の不殺生戒と思っていたのじゃろう。
気が弱いものが生き物を殺せないのは戒ではないのじゃ。
殺人も厭わない者が殺さず、生かすことが不殺生戒なのじゃ。

491 避難民のマジレスさん :2021/05/17(月) 21:59:12 ID:ZYc4pXP60
くま訳全面改
全身を武器として用い、鬼のような眼力をほとばしらせるのだ。
勝負に賭ける修羅の如く戦う者は英雄であろうとするのだ。
ホトトギスが鳴く夜更けの月を見て、
殺人刀を活人の剣とするがよいのだ。

鬼和尚、ありがとうであります。
>殺人も厭わない者が殺さず、生かすことが不殺生戒
厭わないもの、しようと思えばできる者がしないのと、したくてもできないものは、違うでありますね。
肉体的にも、精神的にも、できる限り鍛えろという事でありましょうか?

411
山中開藥圃   山中に藥ほを開く
要錢賣薬不修琴 せんをもとめ薬を売って琴を修めず
度世工夫貪欲深 度世の工夫貪欲深し
山堂夜雨風流榻 山堂の夜雨風流のたふ
自絶松風閑道吟 自ら絶つ松風閑道の吟

くま訳
山中に薬草園を開いたのである
薬を売って代金を得ているが、自分は不養生である。
世渡りの工夫をしているし、欲深いのである。
山堂で静かに夜雨の音を聞きながら、禅榻に坐る
そんな禅は棄てたのである。閑坐して松風を聴きながら吟じるのである

*薬圃:薬草を栽培する畑。
*修琴:人体を琴になぞらえ健康体を作るということ
*風流榻;禅榻(ぜんとう)の事でありましょう。禅定を修する時に用いる腰掛け。座禅に用いる腰掛け。
 閑道: 何事もなくおだやかなこと。またそのような境地。
 茶席の禅語選hpより
 閑坐聽松風 閑坐して松風を聴く
 閑坐 … 一切の妄念を離れて坐禅すること。
 松風 … 松の木に吹く風(の音)。静寂の世界を表す。また、茶の湯では茶釜の煮えたぎる音をさす。
(´・(ェ)・`)つ

492 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/18(火) 21:04:35 ID:1d4drIFg0
↑そのようなことじゃな。
 努力して殺人刀を活人剣に鍛えるのじゃ。

493 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/18(火) 21:10:24 ID:1d4drIFg0
山中に薬屋を開くのじゃ。

銭を求め薬を売って琴はひかないのじゃ。
世渡りの工夫ばかりして貪欲が深いのじゃ。
山堂で夜雨が降る風流な時にも
松風に閑にあかせて詩吟をすることを自ら断つのじゃ。

494 避難民のマジレスさん :2021/05/18(火) 23:44:49 ID:ZOObvIOs0
くま訳改
第一句:銭を求め薬を売って琴はひかないのだ。
第四句:松風に閑にあかせて詩吟をすることを自ら断つのだ。

412 (詞書)
松源和尚上堂云。  松源和尚上堂に云く。
擧僧問巴陵、    挙す、僧はりょうに問ふ、
祖意教意是同是別。 祖意教意是れ同か是れ別か、
巴陵云鶏寒上樹。  巴陵云く鶏寒うして樹にのぼり、
鴨寒下水。     鴨寒うして水に下る。
白雲師祖云。    白雲師祖云く、
巴陵只道得一半。  巴陵は只だ一半をいひ得たり、 
白雲則不然。    白雲は則ちしからず
掬水月在手。    水をきくすれば月手に在り。
弄花香滿衣。    花を弄ずれば香、衣に満つと。
師拈云。      師ねんじて云ふ、
白雲盡力道。    白雲力を尽くして云ふ、
只道得八成。    只だ八じゃうをいひ得たり、
有問靈隠只向他道。 りんにんに問ふこと有らば、只だ他に向かっていはん、
人我無明一串穿   人我無明一くわんにうがつと。

くま訳
松源和尚が上堂で説法のときに言った
ある僧が巴陵にう問うた、
「祖師直々の教え(祖意)と、経典の教え(教意)と、同じか、別か」と。
巴陵はこう答えた。「鶏は寒いときは樹に上るが、
鴨は寒いとき水にもぐる」と。
白雲師祖は言った、
巴陵は半分は云い得ている。
白雲は、ちょぴっと違う意見なのである。
「水をすくえば、月は掌にあり、
花をいじれば、衣は香で満ちるのである」と。
師(松源)は更にちょぴっとひねって云った。
「白雲は、全力で応えたのである。
だいたい、八割方良い応えである。
ただ霊隠寺の松源が問うことがあるとすれば、他者に向かって云うことでありましょうか?と云う事である。
自己について知ることが無ければ、一蓮托生でありましょう。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)

495 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/19(水) 22:56:48 ID:1d4drIFg0
松源和尚は上堂でいったのじゃ。

僧の巴陵に聞くのじゃ。

師匠の教えと経典と同じか別か。

巴陵は「鶏は寒くなれば木の上に登り、鴨は水にもぐる」
そのように人に拠って違うというのじゃ。

巴陵はまだ悟りの道の半分位なのじゃ。

白雲そうではないというのじや。
水を手に掬えば月が写り、花を弄れば香りが衣につく。
そのように二つとも実践すれば何かの成果は得られるというのじゃ。

白雲は力の限り話したが、まだ悟りの道の八割程度なのじゃ。

もしこのわし松源に問う者が居ればこのようにいうのじゃ。

両方共自他の無明を滅する手段であるから串の如く一つなのじゃ。

496 避難民のマジレスさん :2021/05/19(水) 23:30:20 ID:lR2AhK260
くま訳改
有問靈隠只向他道 : もしこのわし松源に問う者が居ればこのようにいうのだ。
人我無明一串穿  : 両方共自他の無明を滅する手段であるから串の如く一つなのだ。

413
祖意教意別與同 祖意教意別と同と
商量今古未會窮 商量今古いまだかつてきわまらず
松源老老婆心切 松源老老婆心切
人我無明屬己窮 にん我無明己きゅうに属す

くま訳
祖師直々の教え(祖意)と、経典の教え(教意)とは、別か同じか
古今について考えてみても、思考が尽きないのである。
松源老師は丁寧に説明し過ぎたのである。
自己に付いて知ることが出来なければ、己が行き詰まるだけだと言っておけば良いのである。

うむ。直接聞いたことでも、読んだことでも、それを受取る自分について知ることから始めなさいと云う事
でありましょかね。

*老婆心切:老女が子や孫をよくいつくしむ意。慈愛の心が深く厚いこと。必要以上に世話を焼くこと。
*松源崇岳(すうがく<1132〜1202年>)は南宋。 霊隠寺(中国)日本語hpより抜粋
 一、応庵禅師の教えによって悟りをひらき、臨安の白蓮精舍において本格的に出家した(三十三歳)。
 二、悟りを開いたあと、密庵とともに霊隠に住職となり、また、のちに皇帝に命ぜられ、霊隠寺の住職と 
 なった。
 霊隠寺で住職をしていた間、禅宗の看話禅及び默照禅に存在した不正行為を正すため、松源は座禅の方法 
 を改革した。その中で一番影響力があって後の人に高く評価されたのが「松源二転語」、「開口不在舌頭 
 上(口を開いて物を言うことは単に口先だけのことではない)」、「大力量人,因甚抬脚不起(力の強い 
 人が、なぜ足を上げないでいるのか)」という二つの転語から、看話禅と默照禅をそれぞれ見た。一方、 
 松 源禅師は「悟り」を座禅の方法論とすることを提唱し、「悟り」に重きをおき、通常の口頭表現を普 
 通ではなく、特別なものに表します。松源禅師の弟子たちの努力をへて、「松源系」禅法は次第に形がで 
 きあがり、後世の禅宗に深い影響をあたえた。
 更に重要なのは、松源崇岳禅師の日本の禅宗に及ぼした影響です。蘭溪道隆(らんけい どうりゅう)は 
 松源崇岳の法の上での弟子であったばかりでなく、具体的な禅の方法に関しても松源の影響を受けた。つ 
 まり、「座禅」そのものに対する重視です。日本仏教への松源系の禅の方式の影響もここに確認できる。 
 遠く日本まで行って、松源崇岳禅師に従って仏法を学んだ学僧には:蘭溪道隆、大休正念、西澗子曇、明 
 极楚俊、竺仙梵仙らがあり、日本から中国へ仏法を学びに来た松源系の学僧には:南浦紹明、无象静照、 
 月林道皎、石室善玖らがある。
(´・(ェ)・`)つ

497 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/21(金) 00:05:47 ID:1d4drIFg0
そういうことじゃな。
師匠の教えも経典もそのためのものじゃ。
その骨子を忘れてはいかんということじゃな。

それでよいのじゃ。

祖意と教意とは別か同じか。
今も昔も考えは尽きないのじゃ。
松源和尚は老婆のように親切なのじゃ。
自他の無明は己が極め尽くすことが大事なのじゃ。

498 避難民のマジレスさん :2021/05/21(金) 00:41:54 ID:2UjGVukA0
414
大燈國師三轉語1/3
朝結眉夕交肩我何似生 あしたに眉を結び、夕べに肩を交じふ、我かじせい
透關更有一重關 透関更に一重の関有り
隨例依條不可攀 例に従い条に依るよづべからず
奇菓茘支天井味 きくわのれいし天上のみ
名從天寶落人間 名は天宝より人間に落つ

朝は眉をひそめ、夕方には肩を並べる。これはどういうことか
関門を一つ乗り越えても、又別の関門があるということなのだ。
過去の事例や規則拘ってはならないのである。
貴重な果物のレイシ(古則・公案)は、天上のあじである。
その名は天宝の昔からつたわる天の宝なのだ。

https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/  >>58 詞書

*大燈国師・宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう、1283-1338)大徳寺開山。
*結眉:眉をひそめる(中国語から訳)
*天宝(てんぽう)は、唐の玄宗の治世後半に使用された元号。742年 – 756年。
*茘子:兜率従悦(1044〜1091)は清素首座に茘支を献じたあと、自分の修行経過や見解を述べた。すると
清素は、只だ仏に入るべきも、魔に入るべからず。須らく知るべし、古徳の、「末後の一句始めて牢関に 
到る」と謂いしことをと、とどめを刺す言葉に参ずることによって、悟りへ立ちふさがる堅固な関門に至 
ると延べ兜率を導いた(禪宗史話)
*六祖慧能は、恵明に悟りの真実を教えて欲しいと問われた時、に懇切丁寧に、本来の自己、ありのままの
自己を知ることだと答えたという。
(´・(ェ)・`)つ

499 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/21(金) 21:30:53 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

朝には眉を結び、夕方には肩を交えるのはどえいうことじゃろうか。
関を透過してもまた一重の関があるのじゃ。
例に従い、条文に拠ってはいかんのじゃ。
奇菓のれいしは天上の味わいなのじゃ。
その名は天宝より俗世間に落ちたのじゃ。

500 避難民のマジレスさん :2021/05/21(金) 22:34:13 ID:souDNMZY0
くま訳改
第四句:その名は天宝より俗世間に落ちたのだ。

くま質問
「朝には眉を結び、夕方には肩を交える」とは。昼間はいがみ合ってた者どうしが、夕方には仲良く肩を並
べてるみたいに読めるのでありますが、それがどうして「関を透過してもまた一重の関がある」とつながる
のでありましょうか?

415
大燈國師三轉語2/3
露柱盡日往來   露柱尽日往来、
我因甚不動    我なにによってか動かざる    

草鞋脚瘦没知音  さうあい脚瘦せてちいんなし
露柱同行伴我吟  露柱同あん我吟に伴ふ
銭有霊神十万貫  せんに霊神有り十万貫
杜鵑啼血託春心  とけん血にないて春心に託す

くま訳
大燈國師三轉語2/3
お堂の中でひねもす、行き来する、
自分ははどうして動かないでいられようか

わらじのを履いた脚は瘦せて、聞き馴染んだ足音が聞えない
無情なるものの中で、聞えるのは私の吟じる声だけだ
銭は霊験新たかな神だ、十万貫(妙勝寺再建に掛かる予算でりましょうか?)
ホトトギスは血を吐きながら鳴いて春を告げる

*露柱:むきだしの柱、目に見えている柱、燈籠、牆壁、瓦礫などの語と共に、無情又は非情の意を現はす
代表語に用ふ、「露柱に問取して去れ」といふが如き是れなり。(大成脚注)
*同行(どうあん): 信仰を同じくして仏道を修行する人々。
*妙勝寺(報恩庵)再建:三十六歳の頃に立ち寄った大応国師が建立された薪の妙勝寺が、見る影とてなく荒 
れ果てていたことに心をいため、その再建を決めた。完成したのは、一休さんが六十三歳の時であった。
(´・(ェ)・`)つ

501 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/22(土) 21:49:11 ID:1d4drIFg0
そのような世間の離反や仲直りもまた関の一つということじゃろう。
それがあとの文の前例や条例に従っていてはいかんということにもつながるのじゃ。
生きている限りは臨機応変にするべきというのじゃな。

502 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/22(土) 21:54:58 ID:1d4drIFg0
柱の周りを行き来して一日終わるのじゃ。
わしはどうして動かないのか。

草鞋履きの足をした友は顔を見せないのじゃ。
柱だけが伴となりわしは吟じるのじゃ。
十万貫の銭に霊神あるのじゃ。
ホトトギスが鳴いて春心に血を託すのじゃ。

503 避難民のマジレスさん :2021/05/22(土) 23:10:09 ID:g3I.sIL.0

くま訳全面改
終日誰も訪ねてくる事がなくても、
心を動かされる事はない

ともに行脚した友は尋ねてこない
柱だけが伴となりわしは吟じるのだ。
十万貫の銭があれば、それが霊神となり、人を引き寄せるのだ。
わしはホトトギスが鳴いて春心に血を託すように、詩を詠むのだ。

*こんな、読解で良いでありましょうか?

416
大燈國師三轉語3/3
若透得箇兩轉語 若しこの両転語をとうとくせば
一生参学事畢  一生参学のじおわんぬ

二十餘年曾苦心 二十余年かつて苦心す
乾坤誰是我般人 けんこん誰かこれ我つらの人
参來直徹幽玄底 参じ来たって直ちに幽玄の底に徹す
歇去獨登要路津 けっし去ってひとり要路のしんに登る

くま訳
大燈國師三轉語3/3
もしこの二つの転語を透得すれば、
修行はそれでおわりだ。

大燈に倣い、自分も二十余年の間、苦心した。
今の世に わしと同等な人がいるだろうか。
修行に打ち込み、玄妙な境涯に達するような人が。
煩悩の束縛を離れ独り、旅立つための港へむけて歩むのだ

*歇去(けっし去る):生死煩悩の羈絆を脱するなり。(大成脚注)
 羈絆(きはん):行動する人の足手まといになるもの。束縛になるもの。ほだし。
(´・(ェ)・`)つ

504 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/23(日) 21:57:03 ID:1d4drIFg0
↑そのような感じでよいじゃろう。
寺を修復して人を待つというのじゃな。

505 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/23(日) 22:51:11 ID:1d4drIFg0
もしこの二つの転語を透得するれば一生の参学は終わりなのじゃ。

20余年かつて苦心したのじゃ。
この世で誰かわしと同じ人が居るであろうか。
修行に入れば直ちに幽玄の底まで徹したのじゃ。
煩悩を去って独り正しい道を真っ直ぐに上ったのじゃ。

506 避難民のマジレスさん :2021/05/23(日) 23:07:03 ID:qnGvIGDc0
417
毀破曹洞悪見  曹洞の悪見を毀破す
曹洞今時無分別 曹洞こん時無分別
與臨濟受用遥別 臨濟の受用とはりかに別なり
野老百姓眞家風 野老百せい真の家風 
曹洞臨濟受用別 曹洞臨濟受用別なり

くま訳
曹洞宗の誤った見解を破棄するのである。
曹洞宗も今時は無分別智を説くが、
臨濟宗が受入れているところとは遥かに異なるのである
野にあって百姓もするのが真の禅家の家風とするのが臨済宗である
曹洞宗と臨濟宗では何を受入れるかが全く別なのである

*悪見:種々の煩悩の中で、その最も根本的なものとして六種の煩悩をあげ、これを六大煩悩、根本煩悩、
 根本随眠などとよんでいる。貪欲、瞋恚、愚痴、憍慢、疑、悪見である。この中、最後の悪見は、他の五
 種の煩悩が主として人間の感情的なものに関係するのに対して、知性的な煩悩と考えられる。その点で、 
 この悪見を見随眠とか見濁とかよぶ。                          
(´・(ェ)・`)つ

507 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/24(月) 23:57:31 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

曹洞宗の悪見を論破するのじゃ。

曹洞宗は今時無分別を説くのじゃ。
臨済宗の現成受用とははるかに別なのじゃ。
民間の老爺や名も無き庶民の素朴な心こそ真の禅家の風なのじゃ。
そのように曹洞宗と臨済宗の現成受用は別なのじゃ。

508 避難民のマジレスさん :2021/05/25(火) 01:02:20 ID:j6e/U5/Q0
くま訳改
第三句:民間の老爺や名も無き庶民の素朴な心こそ真の禅家の風なのだ。

418
靈山徹應和尚百年忌 1/2 霊ぜん徹應和尚百年忌 
僧運酬恩妙勝薪 僧は運んで恩に酬ゆ妙勝のしん
靈山昔日涅槃辰 靈山昔日涅槃のとき
二千四百年前境 二千四百年ぜんのきゃう
梅雨流紅五月春 ばい雨こうを流すごげつの春

くま訳
僧一休が薪の妙勝寺へ行って、師から受けた恩に酬いるのである。
霊山徳禅寺を建立した徹翁義亨が昔、涅槃堂にあって死を迎えようとしていたとき、
二千四百年前、釈迦が死を前にしていた頃のような様子であったでありましょう。
春五月だというのに、梅雨に流される真紅の紅葉のような血の涙を流して悲しんだでありましょう。

*霊山:大徳寺境内の南東に、塔頭・徳禅寺がある。かつて、大徳寺とは独立した禅寺だった。霊山徳禅寺
 とも称される。山号は霊山(りょうせん)という。
*徹翁義亨(てっとう(てつおう) ぎこう)1295‐1369、五山の禅風にあきたらず,宗峰妙超(しゆうほうみ
 ようちよう)(大灯国師)の門に入り,その法を継いだ。妙超が大徳寺を開くとこれに随い,妙超没後の
 1338年より大徳寺2世として入寺し,別に寺前に徳禅寺を建立した。
 一休さん、1468 75歳 霊山徹翁100年忌を、酬恩庵にて営む。
*妙勝寺:大應国師(南浦紹明)が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後禅の道場を建てたのが始めである。 
 元弘の戦火にかかり復興もならずにいたものを、六代の法孫に当たる一休禅師が1455〜6年、宗祖の遺風
 を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名した。禅師はここで後半の生涯を送り八
 十一歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたのであり、1481年八十八歳の高齢を以って当寺に
 おいて示寂され遺骨は当所に葬られたのである。このように禅師が晩年を過ごされたことにより「一休
 寺」の通称が知られるに至ったのである。
*薪(たきぎ)京田辺市薪
(´・(ェ)・`)つ

509 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/25(火) 22:51:50 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

霊山和尚の百年忌だというのじゃ。

僧一休は薪の妙勝寺に足を運んで祖師の恩に報いるのじゃ。
霊山が昔日の涅槃の時は
二千四百年前のお釈迦様の涅槃と同じ境地であつたじゃろう。
梅雨が五月の赤い花を流す春じゃった。

510 避難民のマジレスさん :2021/05/25(火) 23:29:12 ID:AAHC8BY.0
くま訳改
第四句:梅雨が五月の赤い花を流す春であったのだ。

419
霊山徹應和尚百年忌 2/2
癩兒牽伴出人前 癩児伴をひいてじん前にいづ
魔魅人家常説禪 じん家を魔魅して常に禪を説く
龍寶封彊幸滅卻 龍寶の封きゃう幸に滅却す
靈山記莂瞎驢邊 靈ぜんの記別かつろへん

くま訳
癩児がお供を引き連れて人前に出る
一般大衆をたぶらかして禅を説く
幸いなことに、臨済禅の真の伝承の境は既に閉じられているのだ。
霊山徹應和尚がこの瞎驢邊、すなわち一休の承伝を予言してるのである。

*魔魅:人をたぶらかす魔物。また、邪悪な人のたとえ。
*封境・封疆:くにざかい。国境。
*鈴木真弓先生ブログより抜粋
 臨済義玄は、亡くなるとき、“自分の精神を絶やしてはならぬ”と言い、それを聞いた弟子の三聖和尚が 
 「安心してください、自分が継ぎます!」と言って師匠お得意の“一喝”を真似た。それを見た臨済は 
 「お前のような瞎驢(かつろ=盲目のロバ)によってわが法は滅却した」と歎いて亡くなったそうです。 
 ・・・一休さんは「自分こそ瞎驢だ!滅法だ!」と宣言。自分の師匠からもらった印可(悟りを得た証明
 書)を破り捨ててしまいました。・・・禅とは、原理原則を示した聖典があって、師匠がそれを代々受け
 継いで、弟子に順を追って習得させ、お墨付きや資格証明を与える・・・という宗教ではないんじゃない 
 かと思います。己の内にある仏性を己の力で磨き上げていく自律の宗教だろうと。一休さんはその本質を
 とらえ、形式的な嗣法を否定したのではないでしょうか。
*記莂:仏が弟子の未来成仏を明らかにすること。記は仏が未来世の弟子の仏果を予言し成仏を記すること、
 別は具体的に弟子の未来世の成仏の時・国土・仏名などを分別することをいう。仏が弟子に記別を授ける 
 ことを授記と呼ぶ。
*瞎驢邊:盲目のロバ、愚か者、臨済の最後の言葉、一休さんのペンネームの一つ。
(´・(ェ)・`)つ

511 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/26(水) 22:24:22 ID:1d4drIFg0
ほぼそんな感じじゃな。

癩兒が伴をつれて人前に出るのじゃ。
魔魅は人家で常に法を説くのじゃ。
幸いに龍の宝ともいえる法の伝統は境界が滅しているのじゃ。
霊山の記すとおりに驢馬の名を持つわしに伝わっているのじゃ。

512 避難民のマジレスさん :2021/05/26(水) 23:52:58 ID:jPv4kKCg0
くま質問
「法の伝統は境界が滅している」とは正法がすでに一休により受け継がれてるので、邪師が邪法をいくら説
いても、問題ない、みたいな意味でありましょうか?

420
自然外道 1/2  自ねん外道 
大道廢時人道立 大道廃る時人道立つ
離出智慧義深入 智慧を離出して義深く入る
管絃歌吹人倫能 管絃歌吹人倫の能
風雨世間之音律 風雨は世間の音律

くま訳
自然外道 1/2
大いなる道が廃れた時に、人道が確立する
智慧を離れれば正しい道に深く入ることが出来る
音楽や歌は、人倫の為に役立つ
風雨等の自然の音は、世間の音律である。

*自然外道:「あらゆる存在(一切法、一切万物)は因縁によらないで自然に有る」(岩波仏教辞典)とする説 
 を唱える人を云う。
*義:条理。正しい道。道理にかなったこと。人道に従うこと

「老子(老子道徳経)」の一節『大道廃有仁義』
大道廃有仁義 大道廃れて仁義有り
智慧出有大偽 智慧出でて大偽有り
六親不和有孝慈 りくしん和せずして孝慈有り
国家昏乱有忠臣 国家昏乱して忠臣有り

走るメロス先生訳
(無為自然の)大いなる道が廃れたので、仁義(の概念)が生まれた。
(悪)知恵を持った者(儒者)が現れたので、人的な秩序や制度が生まれた。
親兄弟や夫婦の仲が悪くなると、孝行者(の存在)が目立つようになる。
国家が乱れてくると、忠臣(の存在)が目立つようになる。
(´・(ェ)・`)つ

513 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/27(木) 21:49:01 ID:1d4drIFg0
↑そういうことじゃな。
一休が既に真の法を継いでいるのじゃ。

514 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/27(木) 21:52:08 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

大道が廃れて人の道が出来たのじゃ。
知恵を離れれば法の正しい意味が深く知れるのじゃ。
管弦の笛や琴や歌は人の能くするところじゃ。
しかし自然の風雨はこの世の音律なのじゃ。

515 避難民のマジレスさん :2021/05/28(金) 00:07:04 ID:kOUpZu5E0
鬼和尚、いつも、ありがとうであります。
くま訳改
第三句:管弦の笛や琴や歌は人の能くするところであるが、
第四句:しかし、自然の風雨はこの世の音律なのじゃ。
(´・(ェ)・`)つ
大道とは、仏道のことでありましょうか?その仏道とされるものすらも、むしろ廃れてしまったほうがよく、人為的なものよりも、自然のありのままがよいと、一休さんは言いてるようでありますね。

421
自然外道 2/2
聰明外道本無知 聡明の外道もと無知
精進道心期幾時 精進道心幾時をか期せん  
天然無釋迦彌勒 天然釋迦彌勒無し
萬巻書經一首詩 萬巻の書経一首の詩

くま訳
聡明そうに装っても、外道は無知なのである
一心に仏道修行していずれの日にか仏道を窮めたいという心が大切なのである。
天然の釋迦や彌勒などいないのである。
萬巻の仏教書や經も一首の詩と変わらないのである。

*精進:雑念を去り一心に仏道修行すること。
*道心:菩提(ぼだい)を求める心。仏道を信奉する心。

516 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/28(金) 23:05:46 ID:1d4drIFg0
↑そのような意味じゃろう。
老子の言葉を写してありのままの自然を道とすることを説いたのじゃな。

517 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/28(金) 23:12:24 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

聡明な外道は実は無知といえるのじゃ。
正しい道に志して精進すればいつかは悟りも得られるのじゃ。
天然には釈迦や弥勒も居ないのじゃ。
万巻の書物も一首の詩に等しいのじゃ。

518 避難民のマジレスさん :2021/05/28(金) 23:59:48 ID:.L624uJ20
422
黄檗禮佛    黄檗佛をらいす
麄行沙門鬼眼開 そぎゃうの沙門鬼眼を開く
身長七尺甚奇哉 身長しち尺はなはだ奇なるかな
不知何處見黄檗 知らずいずれのところにか黄檗を見ん
立法商君破法來 法を立つる商君法を破り来たる

くま訳
黄檗は何故佛を礼拝するのかと、後の皇帝、宣宗は質問した 
その皇帝宣宗より麁行沙門(荒々しい沙門)の名を送られた黄檗が、鬼の様に鋭い眼を開く。
身長2メートル超で、甚だ奇怪な容貌。
その黄檗の仏法を今やどこに見ることができるであろうか、
商鞅は、自ら作った法を破り、沒したのである。

*黄檗希運(おうばく きうん)
 宗派 洪州宗
 生年不詳 -850年)唐代の禅僧
 百丈懐海(749年 – 814年)の法嗣
 髪塔を広業塔といった。
 宰相の裴休(797年 - 870年)に尊崇された。
 弟子に、臨済義玄らがいる
*麄行・麁行:荒々しい
 麁行は黄檗禅師の異称。黄檗が塩官斉安の会下で首座となっていた折、仏に礼拝する黄檗に、塩官のもと 
 に寄宿していた宣宗(唐朝十九代皇帝)が、礼拝して何を求めるのかと尋ねたところ、黄檗に三度打たれ 
 たという。これにより宣宗は即位の後、黄檗に麁行沙門の名を贈った
*宣宗(唐朝十九代皇帝):https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>962
*商君書:戦国時代の政治家で,法家の祖の一人,商鞅 (しょうおう) の著・土地の開墾と戦功をあげるこ
 とを国策の主眼とし,労働力増加のため貴族の特権を抑制し,分家を奨励し,耕作者に耕地を解放し,諸
 子遊説の策謀を禁じ,学問,文学を排し,商業を押え,また厳罰主義をとり,隣保の連座制をしき,税制,
 度量衡の統一を説き,酷薄な国家統治の典型を示している。
 商鞅は、法家思想を基に秦の国政改革を進め、後の秦の天下統一の礎を築いたが、性急な改革から自身は 
 周囲の恨みを買い、逃亡・挙兵するも敗れ、法の為に車裂の刑に処せられて死んだ。
 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/  >>128
(´・(ェ)・`)つ

519 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/29(土) 22:44:35 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

粗暴な沙門が鬼のような眼を開くのじゃ。
身長七尺とてつもなく奇怪なのじゃ。
そのような黄檗をどこで見られるじゃろう。
法を作った商君でさえ自分で法を破りさったというのにのう。

520 避難民のマジレスさん :2021/05/29(土) 23:17:09 ID:mj61COcs0
くま質問
仏法は、仏法であるから価値があるのではなく、悟りを求める人ごとに、その人が悟りを得る為の方法をと
して、それを実践するときに、価値が生れるのだということでありましょうか

423
徳政
賊元來不打家貧 賊は元來家の貧しきを打せず
孤獨財非萬國珍 孤獨の財萬國の珍にあらず
信道禍元福所復 いふことを信ず禍は元福の復する所
青銅十萬失靈神 青銅十萬靈神を失す

くま訳
盗賊は元来貧しい家を打ちのめしたりはしないのである。
孤独であることが宝であると言うことはどこの国においても珍しいことではない。
世間で言われてる所を信じれば、禍は元、幸福だったのがひっくり返っただけである。
青銅十万で霊神を売ってしまうこともあるかもしれぬのである。

徳政令:1428年、一休さん35歳、風狂な生活を送っていた頃、幕府や五山の腐敗に怒った近江の庶民た
ちが徳政(借金棒引き)を求めて暴動を起こした(正長の土一揆)。暴動は瞬く間に畿内各国へ拡大、手の
施しようがなくなってしまった。これにより、畿内各国の守護や大寺社は、庶民の要求をのんで徳政令を発
令した。
(´・(ェ)・`)つ

521 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/30(日) 22:15:18 ID:1d4drIFg0
↑そのような意味じゃな。
 悟りを求めない者には黄檗もただの恐ろしげなおっさんに過ぎないということじゃな。

522 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/05/30(日) 22:23:38 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

賊はもともと貧しい家を襲わないのじゃ。
孤独の財は万国に珍しくは無いのじゃ。
悟りの道を信じれば禍は元元福が帰ってくるところと知れるのじゃ。
銭が十万もあれば正気を失うこともあるからのう。

523 避難民のマジレスさん :2021/05/30(日) 22:52:48 ID:qzveYPbg0
くま訳改
第四句:銭が十万もあれば正気を失うこともあるからのだ。

424
應無所住而生其心 応無所住にしょうご心
祖師禪不是如來 祖師禅は是れ如来にあらず、
接物利生尤苦哉 接もつ利しょう、もっとも苦なるかな。
明歴歴金剛正體 明歴歴金剛の正体
百花春到爲誰開 百花春到ってたがために開く

くま訳
應無所住而生其心(何ものにも囚われることなく、無心で、新鮮な意識。)「金剛經」
祖師禪は、如來禅ではないのである。
衆生を導き済度するのは、苦労が多いのである。
極めて明らかなのである、金剛経の云わんとしている事は、
春になると花が一斉に咲くのは、誰のためにというわけではない。無心に咲くのだよ、と云う事である。

*應無所住而生其心:原典・金剛経/山田無文解説抜粋(禅文化研究所)
 心が無である、「応無所住」、どこにも住しない、心が空っぽであって、その時に面白いと言うて笑い、 
 悲しいと言うて泣いたら、それがそのまま仏心でなければならない。心に裏づけのない斬新な心が仏の心 
 でなければならんのであります。そういう新しさというものが私どもの心にいつもなければならん。意識 
 がいつも新しくなければならん。・・・心の中に魂胆がない。そういう無邪気な、無心な心、いつも新鮮 
 な意識で生活できることが仏心というものでなければならぬはずであります。 
 六祖慧能は、出家する前に、街でたまたま、この一節を聞いて大悟したそうである。
*祖師禅:祖師達磨の流れをくむ禅。教外別伝・不立文字を主張し、言語や文字によらず、直接師から弟子
 へ以心伝心で悟りが伝えられることを説く。南宗禅。
 如来禅:如来の教えに従い、自心は本来清浄であることを悟る禅法。もとは楞伽経(りょうがきょう)に説 
 くが、祖師禅が起こってからは、それよりも低次のものとされた。
 (菩提達磨が伝えた禅。中国,唐代の華厳宗の僧,宗密が称したのに始る。これに対して批判が起り,教
  外別伝を唱える人々は,菩提達磨の禅を祖師禅と称し,宗密のものを如来禅と風刺的に称した。・・昔 
  から、もめていたらしいのである。) 
*接物利生:衆生済度、待機説法。
(´・(ェ)・`)つ

524 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/01(火) 00:05:38 ID:1d4drIFg0
住するところ無きに応じて心を生ずるのじゃ。

祖師禅は如来ではないのじゃ。
物に接し、衆生を利することが苦を生むのじゃ。
それに気付けば金剛経の意味も明白なのじゃ。
春になれば百花が開くのは誰のためでもないが衆生を喜ばせるようにのう。

525 避難民のマジレスさん :2021/06/01(火) 00:22:07 ID:yvir9WOQ0
くま訳改
第二句:物に接し、衆生を利することが苦を生むのである。
第三句:それに気付けば金剛経の意味も明白なのだ。
第四句:春になれば百花が開くのは誰のためでもないが衆生を喜ばせるように。

425
美人陰有水仙花香 美人の陰、水仙花の香有り
楚台應望更應攀 楚台まさに望むべし更にまさによづべし  
半夜玉床愁夢間 半夜玉床愁夢のあひだ  
花綻一茎梅樹下 花はほころぶ一けい梅樹のもと 
凌波仙子遶腰間 りょうはの仙子ようかんをめぐる  

富士正晴先生訳
女体視るべし のぼるべし
夜半のベッド 人恋し気な顔がある
花はほころぶ一茎 梅樹の下に
水仙は腰の間をめぐるなり

柳田聖山先生訳
楚王が遊んだ楼台を拝んで、今やそこに登ろうとするのは、 
人の音せぬ夜の刻、夫婦のベッドの悲しい夢であった。  
たった一つだけ、梅の枝の夢がふくらんだかと思うと、  
波をさらえる仙女とよばれる、水仙の香が腰のあたりに溢れる

くま訳
遊里の楼台を見上げて、今まさに登ろうとしているとき、
深夜、ひと時の逢瀬に心締め付けられるような切ない思いでいるとき
花ほころぶ一枝の梅樹の下で
軽やかな美人に、の香が腰の辺りに漂う

*凌波仙子(りょうはの仙子):中国語辞典・水 仙 の花 ;足 取りの軽 い美人 の喩え
(´・(ェ)・`)つ

526 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/01(火) 21:50:14 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

楚台は正に望み、登るべきものじゃ。
半夜の玉床は愁夢の間の喜びなのじゃ。
花は梅ノ木の下の一茎に綻ぶのじゃ。
仙子の凌波は腰間を巡るのじゃ。

527 避難民のマジレスさん :2021/06/01(火) 23:16:37 ID:enr795LI0
426
賛兜率悦禪師  兜率悦禪師を賛す
素老天生薄福徒 素老は天生薄福の徒
佛魔公案的傳無 佛魔公案的傳無し
鬱襟忽發烈史筆 うつきんたちまち発す烈史の筆
永辱楊雄莽大夫 永くはずやうゆうまうが大夫

くま訳
兜率寺の従悦禪師を讃える。
わしは天生幸が薄いのである。
仏も魔も投げ棄てろという公案を師から直伝されて無いのである。
そんな憂鬱な気分を忽ち晴らしてくれる、勢いのある文章の書き手である。
楊雄は王莽の大夫であったことを永く恥じたのである。自分の本性を究明して気付くことができずに生きる
ことは、王莽の本性を知らずに、その大夫であるようなものである。

*兜率の三関(無門関第47則)
 「兜率悦和尚、三関を設けて学者に問う。
  一. 撥草参玄はただ見性を図る。即今、上人の性、いずれの処にか在る。
  二. 自性を識得すれば、まさに生死を脱す。眼光落つる時、そもさんか脱せん。
  三. 生死を脱得すれば、すなわち去処を知る。四大分離して、いずれの処に向かってか去る。」
*仏魔:「仏」を貴い絶対的なものとして求めれば、それが自分を束縛する魔に変化するという意味。
*的伝:師から直接に伝授を受けること。正統から正統に伝えること。直伝
*襟(きん):胸のうち。心。 要害の地。「襟帯」
*烈:1.はげしい。ひどい。きびしい。2.火の勢いが強くてはげしい。
*史:1.できごとを書きしるした書。時勢の変遷・発達の過程の記録。またその過程。2.できごとを書きし 
 るす役人。書き役。ふびと。文章にたずさわる人。
*揚 雄(よう ゆう、紀元前53年-18年):前漢時代末期の文人、学者。
 揚雄は年少の頃から学問を好み、人と論争するのは得意ではなく、黙って思惑に耽ることを好んだ。また 
 富谷や名声を求めようとしなかった。・・貧しかったが、安らかで落ち着いており、度量が大きかった。
 30歳を過ぎたときはじめて都の京師に上るが、彼の文学の才能を推薦する者がおり、これが認められて 
 待詔(皇帝の下問に答える者)となった。・・成帝の勅許を得て3年間勉学のために休職すると、その成
 果を踏まえ辞賦作家としての名声をほしいままにした。
 揚雄63歳のときのことである。漢の高祖の廟から王莽を天子に指名する符(ふだ)が出たと称して帝位
 についた王莽は、以後はその符の神秘性・高貴さを保持するため、新たに符命を称することを禁じた。し
 かし、これに違反して劉歆の子の劉棻らが改めて符を莽に献上してしまったことから、莽は激怒、関係者
 の処罰に乗り出した。
 劉棻は揚雄の門人で、以前符の書式について棻に助言したことがあるなどの経緯から、司直の手を逃れら
 れぬと感じた揚雄は、思い余った末に天禄閣の上から投身自殺を図る。揚雄と顔見知りの間柄であった王
 莽は事を荒立てるつもりはなかったが、揚雄の一人合点で大事に至った。・・自殺未遂に終わったことも
 手伝って、都中に知れ渡るところとなった。この後、揚雄は8年ほど生き長らえた。享年71。

*王 莽(おう もう、前45-23年)は、新朝の皇帝。
 前漢の元帝の皇后の王政君(孝元皇后)の甥。・・14歳で死去した平帝の後継として僅か2歳の劉嬰を立 
 てるも皇帝ではなく皇太子とし、「符命」(一種の予言書にあたるもの)に基づいて自らが摂政として皇 
 帝の業務を代行することとした。そして自らの呼称を「仮皇帝」・「摂皇帝」としてほぼ皇帝と同格の扱 
 いとし、居摂と改元、周公旦の故事に倣って朝政の万機を執り行った。
 王莽の治世においては労役負担と税負担共に重く、貨幣制度や経済政策は現実離れし、また余りにも異常 
 な政策が実行された。
 天に救いを求めるために、泣き声の悲哀な者を郎(官僚)に取り立てた。このため、郎の数だけで5000 
 人に達したと言う。
(´・(ェ)・`)つ

528 避難民のマジレスさん :2021/06/01(火) 23:25:34 ID:enr795LI0
おまけ
*兜率の三関(無門関第47則)・兜率寺の従悦和尚の3つの関門 服部潤承先生解説抜粋
兜率寺の従悦和尚(1044〜1091)は、人並みはずれた禅僧で、その力量を慕って、大勢の修行者がやって来
ました。
 そこで、従悦和尚は誰にでも同じ3つの質問をして、修行者の実力を量りました。
 まず第1の関門です。
 草をかき分け、参禅勉道の旅をするのは、ただ見性することが目的であります。今、あなたの本性はどこ
にあるのか。さあ、答えてみよ。というのです。
 見性とは、自分の本性に気づくことでありますし、自己の本性とは、「衆生本来仏なり」と言う、本来自
分にそなわっている仏性のことであります。
 臨済宗祖の臨済義玄禅師は、「赤肉団上に一無位の真人有り。」とあり、「自性とも、自分の本性とも、
一無位の真人とも、仏性とも言う真実の自己が生身の体に宿っている。」とおっしゃっています。
 とんちで有名な一休禅師は、「阿弥陀とは南をあるを知らずして 西を願ふははかなかりけり」とあり、
南は皆身で、阿弥陀様はそれぞれの身にあるとおっしゃっています。
 次に、第2の関門です。
 自分の本性に気づくと、生死の問題は解決できるはず。生死の問題が解決したならば、生死の迷いから脱
することができる。今、死を目前にして、どのように生死の迷いを脱するのか。さあ、答えてみよ。と言う
のです。
 黄檗宗祖の隠元禅師は、『黄檗宗祖真空華光大師ご遺誡』で、「生死大事ために(中略)昼三夜三己躬下
の事を究明するを努めとせよ。」とあり、「生と死は二元対立の世界であって、それを生死一如(同一体)
と悟るためには、昼夜を分かたず、己事究明(物事の本質を見極めること)に努力せよ。」とおっしゃって
います。
 己事究明の結果、「来る時、一物も無し。去る時、空索索。(隠元禅師語録26巻)」と、生まれて来る
時は無から生じて丸裸。死ぬ時は四大分離して無に帰する。まさに「有無倶に是れ錯。」とおっしゃって、
有る無しはともに同一体、これこそ安心なのですと、おっしゃっています。
 隠元禅師が示寂する5日前、・・・「快活。快活。生も也た快活。死も也た快活。」と、心地よい、心地
よい。生きるも心地よい。死ぬるも心地よいと、生死一如の心境が語られています。
 佛日寺の初代、慧林禅師も遺偈(死を目前にして詠んだ漢詩)に、「来るも也た錯。去るも也た錯。」と、
生まれてくるのも安心。死んで去るのも安心と、やはり生死を超越した心境が悟られています。
 最後に第3の関門です。
 生死の問題が解決すると、行き着くところが分かるはずです。四大分離と申しまして、肉体や心が分散し
て、どこに向かって行くのか。さあ、答えてみよ。と言うのです。
 本性に気づくと、死んでどこへ行くのか。死んだ後、どうなるのか。が分かってきます。
 一休禅師は、「死にはせぬどこへも行かぬ ここに居る たづねはするな ものは言わぬぞ。」と。
 窪田空穂は、「不生とは 不滅の意なり 在るものは 形を変へて 永久に生く。」と。
 隠元禅師は、・・示寂の際にしたためた遺偈に、「今日身心倶に放下して、頓に法界を超えて一真空」と
あり、本日、身も心も放下(捨て去る)すると、たちどころに、僧俗二世界はもちろん、僧の一法界をも超
えて、真実唯一の空に到るとおっしゃって亡くなったのであります。
(´・(ェ)・`)b

529 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/02(水) 22:00:04 ID:1d4drIFg0
兜率悦禪師の賛というのじゃ。

老師は天生から薄福の人なのじや。
仏魔の公案も伝承されていないのじゃ。
鬱を開いて忽ち烈史の筆を発するのじゃ。
楊雄が王莽の大夫であったことを長く恥じていたようなものじゃ。

530 避難民のマジレスさん :2021/06/02(水) 23:45:58 ID:isomS8To0
くま質問
兜率悦禪師は名僧だったらしいでありますが、何故に薄福といわれるのでありましょうか?
「仏魔の公案」とは、邪教の教みたいなものでありましょうか?
「楊雄が王莽の大夫であったことを長く恥じていたようなもの」とは、兜率悦禪師のどのような点をそのよ 
 うに捉えていたのでありましょうか?

427
牛庵 齋名
某甲潙山僧一頭 それがしは潙山僧一頭
長渓路上即忘不 長渓路上すなわち忘ずるや否や
閑中無復祖師見 閑中また祖師の見無し
花屬春風月屬秋 花は春風に属し月は秋に属す

伊井暇幻先生訳・解説
「高名な禅僧が生まれ変わった牛にはイザン僧某甲と書いてあった。
其の牛は、名前が書いてあったぐらいだから、輪廻の長い道程で自分の過去を忘れずにいたのだろう。
とはいえ、牛小屋の中に祖師の姿はない。
僧たるイザンも牛たるイザンも、其の仏性の中核は同一であるとも思えるが、姿は似ても似つかない。

自然の摂理は、或る時には春風を起こし、或る季には秋となる。花は春風に属し、月は秋に属するものだ。
花と月は全くの別物ではあるが、元を辿れば、自然の摂理に依る存在だ。
僧としての仏性を発現するためには人間の姿をとるだろうし、牛として仏性を発現するに当たっては牛の姿
になるということなのだろう」

くま訳
それがしは、潙山僧である、と書いてある牛一頭
長い輪廻の流れの中で名前は忘れなかったのでありましょう。
静まり返った中に中に祖師の姿はない。
花は春に咲き、月は秋に映えるように、ありのままの在り様に仏性を見出すのだ。
(´・(ェ)・`)つ

531 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/03(木) 23:39:53 ID:1d4drIFg0
>>530 時代が薄福だったのじゃな。
 仏の公案が魔の公案になったということじゃな。
 当時の中国では皇帝や高官に法嗣の印可を与えていたというのじゃ。
 当然それらの者は実際にはあまり修業もしていない者たちだったじゃろう。
 そのように宗教での名誉を与えて宗派の保護を頼んでいたのじゃ。
 薄福の時代であり、公案も正統な伝統を外れて魔となり、権力におもねる恥となったのじゃ。

532 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/03(木) 23:47:10 ID:1d4drIFg0
某は蕃山僧と書いてあった牛がいたのじゃ。
長い路上でも忘れなかったのじゃ。
閑な時でも祖師の見解はなかったのじゃ。
花は春に属し、月は秋に属するようにのう。

533 避難民のマジレスさん :2021/06/04(金) 00:09:43 ID:pM9ExD920
くま質問
閑な時でも祖師の見解はなかったとは、牛としての仏性はあっても、祖師としての見解は示す事ができない、
みたいな意味でありましょうか?

428
臨濟曹洞座主各未後句 1/2 臨濟曹洞座主おのおの未後の句 
大死底人心塊土 大死ていの人こころくわいど
元來是燈籠露柱 元來是れ燈籠露柱
變易分段只任他 変易分段只ださもあらばあれ
新月黄昏五更雨 新月くわうこん五更の雨

石井恭二先生訳
大往生した人でも、心は土塊にすぎず、
もともと、灯籠や露柱と同じだ。
変易生死とか分段生死とか、聖者の生死と凡夫の生死を
別にするけれど、そんなことはほうっておこう、
夕方に三日月が見えたと思えば、夜明け前には雨が降り出した。

くま訳
臨濟宗や曹洞宗の座主達の最後のことば
全く自己を忘じた、大悟した人の心は、土くれと同じである。
元来、これ燈籠や露柱と同じなのである。
大悟した聖者の死と、凡夫の死の違いがあると言うのであれば、それもよかろう。
新月の黄昏、明け方の雨

*大死底人「死にきった人。万死に一生を得た人。一切の見聞覚知・情識分別を離れ、世出世・順逆を見な 
 い大悟人をいう」「死に切った人」「全く自己を忘じて、一切殘り物のない大悟底の人をいふ。また、大 
 悟者にして未だ敎化の機を發せざる者を、死在底の漢といふことあり。畢竟大死は消極の絶點を云ひ、そ 
 の絶點即ち大活の現成なる意を寓せる也」
*塊土:土塊(つちくれ)土のかたまり。また、土のこと
*分段生死:六道に輪廻 (りんね) する凡夫の生死。人の身は寿命・果報などに一定の限界があるところか
 ら分段という
 変易生死:聖者が迷いの世界を離れて、輪廻 (りんね) を超えた仏果に至るまでに受ける生死。
*五更:1.一夜の、昔の五区分法。ほぼ午後七時から二時間ずつに区分した、初更(甲夜)・二更(乙夜
 (いつや))・三更(丙夜)・四更(丁夜)・五更(戊夜(ぼや))。
 2.五更⑴の第五更。寅(とら)の刻(午前三時〜五時までの間)
(´・(ェ)・`)つ

534 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/04(金) 23:16:27 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、牛に生まれかわるのもそうなる行いがあつたからであるからのう。
 名前を忘れずに居て時間があっても祖師としての見解は示せないのじゃ。

535 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/04(金) 23:39:13 ID:1d4drIFg0
大体善いのじゃ。

大悟して死んで生きる仏陀の心は土塊と同じようなものじゃ。
元来灯篭や柱と同じく無でありながら用を足すことができるものじゃ。
分別や知識は他の者に任すのじゃ。
黄昏に新月、五更には雨なのじゃ。

536 避難民のマジレスさん :2021/06/04(金) 23:49:03 ID:V7K29P4Y0
くま訳全面改
大悟して死んで生きる仏陀の心は土塊と同じようなものなのだ。
元来灯篭や柱と同じく無でありながら用を足すことができるものなのだ。
分別や知識は他の者に任すのだ。
黄昏に新月、五更には雨なのだ。

429
臨濟曹洞座主各未後句 2/2 臨濟曹洞座主おのおの未後の句 2/2
平生信施涅槃堂 平ぜいの信施涅槃堂
暮往天台南岳朝 暮に天台にゆき南岳はあした
公道世間只病苦 世間に公道たるはただ病苦
貴人身上不會饒 貴人身上もかつてあまさず

くま訳
臨濟宗や曹洞宗の座主達の最後のことば 2/2
常日ごろ信者がお布施を捧げる、涅槃堂
暮には天台宗の寺に行き、朝には南嶽の禅寺に行く
世間ではそれが当たり前だが、それはただの病苦である。
貴人の身の上に関しても、それは全く同じことである。

*信施:信者が仏・法・僧の三宝にささげる布施
*天台宗(天台法華宗):妙法蓮華経(法華経)を根本仏典とする。実質的開祖の智顗が天台山に住んでいた
 ということに由来する
*南嶽懐譲:677年 - 744年、師 慧能
 懐譲は慧能の元に赴き型通りの初相見となったが、自己紹介の後に「ノコノコとわしの前に出てきた奴は
 何者か」と再度問われ答えることができなかった。懐譲は長い修行の間、この這個の問答が胸につかえて 
 いたが、8年経って忽然として気が付き、師に「あの時は答えることができませんでしたが、ようやく見
 解を呈する自信がつきました」と伝えた。聞かせてみよ、と促されて懐譲が呈したのが「説似一物即不
 中」(ある程度それらしい説明はできるが、その真味を伝えることは到底できない)である。
 弟子に著名な禅僧である馬祖道一がいた。仏になろうと座禅の修行にひたすら打ち込む道一に対し、瓦を 
 磨いて鏡にしようとするのと同じだ、と戒めた。

↑懐譲が慧能に対して、凡庸な答えを言うのに8年間かかたのは、大悟した者の心は、土くれと同じだから、
 格別気の効いた事を云わなくても良いのだと悟ったからでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

537 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/05(土) 21:56:59 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

平生は信者が信心深く施しをする涅槃堂なのじゃ。
しかしそれらのものは暮れには天台に行き、朝には南岳に行ったりするのじゃ。
世間では当然のことであるが病苦のもとなのじゃ。
貴人でさえも同じなのじゃ。


違うのじゃ。
それは真に言葉に出来ないことを悟ったからなのじゃ。
以前はまだ気付いていなかったのじゃ。
それを悟ってまた相見できたのじゃ。

538 避難民のマジレスさん :2021/06/05(土) 23:07:06 ID:uxoZjgoI0
くま訳改
第三句:世間では当然のことであるが病苦のもとなのじゃ。
第四句:貴人でさえも同じなのじゃ。

430
扶起東福寺荒廢蓋因美少年之舊交 甲子十二 東福寺の荒廢を扶起す、けだし美少年の旧交に因る、かつし十二 1/2
看看慈楊禪正傳 看よ看よ慈楊禪の正傳
誰來純老面門前 誰か來たる純老面門の前
宗門潤色風流道 宗門の潤色風流の道
舊約難忘五十年 旧約忘れ難し五十年

くま訳
東福寺の荒廃を立直す、一休が美少年だった頃、昔からの縁があるのだ。 1405年一休12歳・1444年一休
55歳  1/2
見よ、慈楊禪の正伝を!
誰か一休の面前に出て来れるものはいるか!
宗門の上辺を取り繕う、風流道
昔の約束が忘れ難いのだ五十年たっても

*一休年譜によると、一休十二歳、山城嵯峨宝幢寺において清叟師仁(虎関師錬の弟子、東福寺聖一派の
 人)の『維摩経』の講席に連なり
*慧日山東福寺:臨済東福寺派の本山、京都山の、聖一國師開山、藤原道家の創立による(禅学大成脚注)
*扶起(ふき)立直す・(中国語辞典)
*蓋し:1 物事を確信をもって推定する意を表す。まさしく。たしかに。思うに。2(あとに推量の意味 
 を表す語を伴って)もしかすると。あるいは。3(あとに仮定の意味を表す語を伴って)万が一。もしも。
 ひょっとして。4 おおよそ。大略。多く、漢文訓読文や和漢混淆文などに用いる。「よって勧進修行の 
 趣、―もって斯(か)くの如し」〈平家・五〉
*甲子(かつし):きのえね(十干の甲は陽の木、十二支の子)
 西暦年を60で割って4が余る年が甲子の年⇒1444年 一休さん55歳
*潤色:1 色をつけ光沢を加えること。2 表面をつくろい飾ったり事実を誇張したりしておもしろくする
 こと。「潤色を加える」「事件を潤色して伝える」3 天の恵み。また、幸運。
(´・(ェ)・`)つ

539 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/06(日) 21:40:29 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

見よ見よ慈楊禪の正傳はここにあるのじゃ。
誰か門前でわしに面会する者はあるのかのう。
宗門の潤色は風流の道なのじゃ。
五十年前の約束も忘れがたいものじゃ。

540 避難民のマジレスさん :2021/06/06(日) 22:10:42 ID:fCy0.NNc0
くま訳改
第二句:誰か門前でわしに面会する者はあるのかのう。
第三句:宗門の潤色は風流の道なのだ。

「宗門の潤色は風流の道」、宗門の うわべをつくろい飾るのが風流道であると、
風流道を評価してるのでありますね。

431
扶起東福寺荒廢蓋因美少年之舊交 甲子十二2/2
大慈聖一是開山 大慈は聖一是れ開山
建立魔宮救五山 魔宮を建立して五山を救ふ
東福分派南禪寺 東福派を分つ南禪寺
千歳猶輝慧日山 千ざいなほ輝くゑにち山

くま訳
大いなる慈悲を以って聖一国師が開山された
魔宮を建立して京都五山を救ったのである。
東福寺の分派が南禪寺である
慧日山東福寺は千年後も輝き続ける出ありましょう。

*聖一:円爾(えんに、1202-1280年)鎌倉時代中期の臨済宗の僧。駿河(静岡県)の出身。諡号(しご 
 う)は聖一国師(しょういちこくし)。
 1235年、宋に渡航して無準師範の法を嗣いだ。1241年、帰国後、博多にて承天寺を開山、のち上洛して
 東福寺を開山する。宮中にて禅を講じ、臨済宗の流布に力を尽くした。その宗風は純一な禅でなく禅密兼
 修で、臨済宗を諸宗の根本とするものの、禅のみを説くことなく真言・天台とまじって禅宗を広めた。こ 
 のため、東大寺大勧進職に就くなど、臨済宗以外の宗派でも活躍し、信望を得た。

541 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/07(月) 23:41:10 ID:1d4drIFg0
↑そういうことじゃな。
 本来仏道には要らないものであるからのう。
 虚飾を風刺しているのじやな。

542 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/07(月) 23:44:01 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

大慈の聖一国師が開山したのじゃ。
魔宮を建立して五山を救ったのじゃ。
東福寺の分派の南禅寺なのじゃ。
千年後もなお輝く慧日山なのじゃ。

543 避難民のマジレスさん :2021/06/08(火) 00:45:57 ID:ihBMrWr20
432
大機居士卜小築   大機居士しょう築をぼくし
額曰瞎驢因贅以偈云 額してかつろといふ、よってぜいするに偈を以ってすといふ
大人消息有誰通   だいにんの消息、誰有ってか通ぜん   
不堕靈山記莂中   りょうぜんきべつのうちに堕せず  
臨濟宗風掃地滅   臨済の宗風地をはらって滅す  
紅塵紫陌閙忽忽   こうじんしはく ねうそうそうたり

くま訳
大機居士(陶山公)が、小さな建物を、占って選んでくれたので、
瞎驢(庵)と命名して掲額した。ここで、蛇足の偈を付すのである。
大人たる師の動静は誰からともなく伝えられるものである。  
世尊が迦葉に伝授した奥義、「不立文字」。言葉に捉えられてはいかんのだ。無論この言葉も含めて。 
臨濟の宗風はきれいさっぱり消滅してしまった。(今後はこの瞎驢一休が背負うのだ) 
俗世間が煩わしくてかなわんわんのである。

*瞎驢:「盲目の驢馬」臨済義玄の末期の一語に由来。臨終の間際に「誰知吾正法眼藏、向這瞎驢邊滅卻」
(豈図らんや、吾が正法眼蔵(しょうぼうげんぞう。仏法の正しい教え・真髄。)が這(こ)の盲目の驢馬
(臨済義玄の弟子)のところで滅びてしまおうとは!)と言い終わると、端然として亡くなった。
*卜する(ぼくする);1うらなう。うらなって、よしあしを判断する。2うらなって定める。また、判断し
 定める。
*1444 一休51歳 妙心寺 日峰宗舜の大徳寺入山を、養叟と謀って拒み、華叟が説いた大燈徹翁下の一 
 流相承を固持する。
 1447 一休54歳 大徳寺の一僧自殺、数人が投獄される。一休は再び譲羽山へ退隠し断食するが刺命に 
 より中止する。
 1448 一休55歳 陶山公の旧隠を売扇庵と名付け、ここに身を寄せる。先に火中に投じた印可が未だ保 
 存されているのを知り、再びこれを焼却する。
 1452 一休59歳 売扇庵南の小庵に移り、そこを瞎驢庵と名付ける。
*瞎驢庵は陶山氏に庇護されていた。
*陶山氏は一休の命名で大機居士と称した。
*陶山氏(すやまし)とは、平安時代から鎌倉時代にかけて備中国に割拠していた武士団のひとつ。国人と 
 して次第に成長し、室町幕府では奉公衆として名を連ねている。
*贅する;蛇足を添ふることなり(禅学大成脚注)・言わなくてもよいことを言う。。
*大人(だいにん・だいじん):師、徳の高いりっぱな人。度量のある人。大人物。地位や身分の高い人。父、
 成人男子に対する敬称。
*不堕靈山記莂中;世尊、靈山に於いて迦葉尊者に伝え給う時の、「我に不立文字教外別伝、正法眼蔵涅槃
 妙心あり、爾に授く」とて禪法の奥旨を許し給う。而して又かかる言句の為に捉えられぬを云ふ。(禅学 
 大成脚注)
*紅塵紫陌:帝都の賑(にぎ)やかな通りの塵(ちり)。〔寓意:帝都では、煩(わずら)わしい俗世間の 
 塵 ・紫陌:しはく;都の市街。帝都の郊外の道路。・紅塵:賑やかな街の埃(ほこり)。市街地に立 
 つ土ぼこり。繁華な市街地。また、空が赤茶けて見えるほどの土ぼこり。また、浮き世の塵。煩(わず
 ら)わしい俗世間。俗塵。(詩詞世界HP解説)
*閙:呉音 : ニョウ(ネウ)漢音 : ドウ(ダウ)慣用音 : トウ(タウ) さわぐ。さわがしい。にぎやかなさ 
 ま。みだれる。みだす。かきみだす。あらそう。あらそい。
*忽忽・惚惚(こつこつ):① 物事をかえりみないさま。② 失意のさま。がっかりしたさま。気がふさい 
 ださま。③ すみやかなさま。たちまち。④ うっとりとしたさま。気がぬけたさま。⑤ まようさま。⑥  
 堅苦しいさま。傲慢で気取っているさま。
(´・(ェ)・`)つ

544 避難民のマジレスさん :2021/06/08(火) 00:50:37 ID:ihBMrWr20
おまけ;*一休年譜
 永亨九年丁巳 師年四十四歳
(京都はんなり旅HPより)
 純藏主悟徹後、  純蔵主(じゅんぞうす)悟徹の後、
 與一紙法語、   一紙の法語を与えしに、
 道是甚麼繫驢橛、 是(こ)れ甚麼(なん)の繫驢橛(けろけつ)ぞと道(い)いて、
 拂袖去、     払袖(ほっしゅう)して去る。
 可謂瞎驢邊滅類也、謂(いい)つべし、瞎驢(※1)辺に滅するの類(たぐい)なり、と。
 臨濟正法若墮地、 臨済(りんざい)の正法(しょうぼう)、若し地に堕ちなば、
 汝出世來扶起此、 汝、世に出で来(きた)りて此れを扶起(ふき)せよ。 
 汝是我一子也、  汝は是れ我が一子なり。
 念之思之、    之を念(おも)い、之を思え。
 應永二十七年五月日 華叟 

 純蔵主が悟りの境地に入った後、
 わし(師華叟)は一枚の法語(左券)を一休に与えた。
 すると一休が、左券を受取ればまるで驢馬が棒杭に繋がれて身動きできなくなるようなもので邪魔物でし 
 かない(左券に執着して挙句の果てには束縛されるだけだ)、と言って、
 左券を袖で払い捨てて去ってしまった。
 このままでは臨済和尚が臨終の間際に言われた「瞎驢辺に滅却」することになる(盲目の驢馬のようにも 
 ののわからぬ未熟者の代で法統を途絶えさせてしまうことになる)。
 だが、臨済の正しい教えがもし地に堕ちるようなことになれば、
 一休よ、汝が世の前面に出てこれを立て直せ。
 汝は我が法統を嗣ぐ者、これができるのは汝をおいてほかにない。
 このことをよくよく心に留め置き、考えよ。
 応永二十七年五月日 華叟 
(´・(ェ)・`)b

545 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/08(火) 21:48:41 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

大機居士という者が占って小さな庵を建てたから瞎驢庵と額して蛇足として詩をよんだのじゃな。

大人の消息は誰が知っているじゃろうか。
霊山の記は堕落していないのじゃ。
臨済宗の風は地を掃って滅したのじゃ。
世間はさわがしくさまようものばかりなのじゃ。

546 避難民のマジレスさん :2021/06/08(火) 23:30:09 ID:Ou5pO.120
433
戒参玄僧智愚  参玄僧の智愚を戒む
大智元來迷道愚 大智元來迷道の愚
未聞小智菩提扶 未だ聞かず小智菩提のたすけなることを
一千公案繋驢橛 一千の公案けろけつ
學者江湖飯袋徒 學者は江湖飯たいの徒

くま訳
求道野僧を智愚が戒めたのである
元来、智恵などというものは過ぎれば、愚かしく道に迷うはめになるのである。
だからと言って、小智が悟りの助けになるなどとは、聞いた事がない。
一千の公案に取り組んでみても、足手まといになるだけであるのである。
夏安居の間、學者ぶってる奴は、役立たずである。

*繋驢橛(けろけつ);驢を繋ぐ杭、杙の類をいひ、却って羈絆となるをいふ(禅学大成脚注)
*虚堂智愚(きどうちぐ)1185―1269,南宋の臨済宗の僧。南浦紹明 (なんぽじょうみょう) は虚堂の法脈 
 を受けた臨済禅を日本に伝えた。
*大智(だいち)1290-1367、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての曹洞宗の僧。
 大智という法名に関して、以下のような伝説が伝わっている。 齢七つの萬仲は、肥後大慈寺の寒巌義尹 
 に弟子に入ることとなった。相見の時に寒巌が年齢を問うた「名前はなんと申す」「萬仲と申します」 
 「幾つになる」「齢七つになります」そこで寒巌は手元の饅頭を勧めた。饅頭を食す姿を見て寒巌は問う 
 た。「萬仲が饅頭を食べるとは、いかなる心地か」すると萬仲は澄まして答える。「大蛇が小蛇を食らう 
 ようなものです」その答えに甚く感心した寒巌は、川(大慈寺の傍を流れる緑川)を指差して言った。 
 「この川は川舟の往来が激しく騒がしい、この場で舟の往来をとめて見せよ」萬仲座を立ち川を望む側の
 障子を閉て座に戻ると言った。「これで舟はとまりました」「ならば、その場を動かずにとめて見せよ」 
 萬仲は黙って目を閉じた。七歳の智慧に甚く感心した寒巌は「なかなか知恵の回る小僧だ、出家したら小 
 智と名乗るがよかろう」「いやでございます」「何故じゃ」「小智は菩提の障りとなります」寒巌は笑い、
 大智と名付けたという。"
*江湖(ごうこ、こうこ)大きな江(川)と湖(狭義ではその代表たる長江と洞庭湖)の併称で、転じて官 
 に対する民間、世間一般を指す言葉。禅宗用語 – 夏安居の別称
 安居(あんご)は、それまで個々に活動していた僧侶たちが、一定期間、1か所に集まって集団で修行す 
 ること。および、その期間のことを指す。
*酒嚢飯袋(しゅのうはんたい)「酒嚢」とは酒を入れる革袋、「飯袋」はご飯を入れるおひつのことで、 
 大酒を飲み、飯をたらふく食べるだけで、何の役にも立たない無能な人物のこと。
(´・(ェ)・`)つ

547 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/09(水) 21:49:28 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

弟子の智愚といものをいさめたというのじゃ。


大智は元来迷い道の愚なのじゃ。
小賢しい智慧が菩提の助けになったことは未だ聞かないのじゃ。
一千の公案も驢馬を繋ぐためなのじゃ。
世間の学者は飯袋であるのみなのじゃ。

548 避難民のマジレスさん :2021/06/09(水) 22:55:49 ID:8o3Hfofg0
くま訳全面改
弟子の智愚というものをいさめたというだ。

大智は元来迷い道の愚なのだ。
小賢しい智慧が菩提の助けになったことは未だ聞かないのだ。
一千の公案も驢馬を繋ぐためなのだ。
世間の学者は飯袋であるのみなのだ。。

*智愚とは、虚堂智愚のことではなくて、一休さんの弟子のことだあったのでありますね、

434
百丈絶食
大智禪師難行道 大智禪師難行道
末法爲人眞落草 末法ゐ人眞の落草
飽食痛飲熱鐵丸 飽じき痛飲熱鉄丸
初懼泉下閻羅王 初めておそる泉下閻ら王

くま訳
百丈絶食
大智禪師は修行をもって悟りの境地に達しようと難行道を歩んだが、
末法の世にあって、地に落ちてしまった
たらふく飲み食いし過ぎて、消火できず、 更に真っ赤に燃える鉄の塊を呑んだようなものだ
初めて、あの世での閻魔様に対面して震え上がっているであろう。

一休さんは、大智禪師の、どの様なところが「真の落草」だと指摘しているのでありましょうか?
曹洞宗の教え、実践法に対する批判をしてるのではありょうか? 

*百丈懐海(ひゃくじょう えかい、749- 814年唐代の禅僧。諡は大智禅師。南宗禅中の洪州宗の祖馬祖道 
 一の法を継ぐ。一日(いちじつ)作(な)さざれば 一日食(くら)わず。
 師がご高齢となり 周囲の者が気遣い 作務を行わなくともよいようにしようとしたが、老師は納得され 
 ない。仕方が無いので 作業の道具を隠してしまった。道具がないのに気付いた老師は 黙って部屋に入 
 り、幾日もの断食に入られた。
*難行道:自力による修行をもって悟りの境地に達する方法。聖道門⇔易行道
*末法思想(まっぽうしそう)とは、釈迦が説いた正しい教えが世で行われ修行して悟る人がいる時代(正
 法)が過ぎると、次に教えが行われても外見だけが修行者に似るだけで悟る人がいない時代(像法)が来 
 て、その次には人も世も最悪となり正法がまったく行われない時代(=末法)が来る、とする歴史観のこ
 とである
*落草:((宋元明清時代の話し言葉の上に形成された書き言葉)) 盗賊の仲間に入る,山賊になる。
 鷹が鳥を追い落とした草原。また、鳥が飛びおりて隠れる草むら。
*泉下:死人が行くという地下の世界。
*閻羅王:=閻魔王。冥界の王、悪罪に対して刑罰を司る冥界の覇者
(´・(ェ)・`)つ

549 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/10(木) 20:45:30 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、弟子に居たのじゃろう。
死んだ者をいさめても意味がないからのう。

大智禅師は戒に拘りすぎたからじゃな。
そんな小さなことに囚われるより法を説くべきだったのじゃ。
それこそ真の師匠が成すべき務めだったのじゃ。
それを怠って断食をしていたから落草なのじゃ。

550 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/10(木) 20:48:32 ID:1d4drIFg0

百丈の断食わ批判じゃな。

大智禅師の行道は難ありなのじゃ。
末法の人のために真の落草なのじゃ。
飽食の痛みは熱く焼いた鉄丸を飲む如しなのじゃ。
冥土で閻羅王に会って初めて驚くのじゃ。

551 避難民のマジレスさん :2021/06/10(木) 22:47:12 ID:4UJkw2b.0
くま訳全面改
百丈絶食
大智禅師の行道は難ありなのだ。、
末法の人のために真の落草なのだ。
飽食の痛みは熱く焼いた鉄丸を飲む如しなの
冥土で閻羅王に会って初めて驚くのだ。

くま質問
「末法の人のために真の落草」とは、末法世で悟りを求める修行者に対して、戒に拘るような修行法を示す
ことは、盗賊のような在り様である、みたいな意味でありましょうか?、

435
題大燈国師行状末 大燈国師行状のすゑに題す
挑起大燈輝一天  大燈をかかげ起して一天に輝く、
鸞輿競誉法堂前  らんよ、ほまれを競う法堂の前。
風飡水宿無人記  風さん水宿人の記する無し。 
第五橋辺二十年  第五橋辺二十年。

くま訳
大燈国師行状のすゑに題す 
大燈をかかげ起して天下に輝く、
説法を聞きに来る天子の御者が、法堂前で誉を競う
ここには大燈が風を食い水辺に寝た乞食行のことを記していない。 
五条大橋の下での二十年間の乞食行のことである。

*大燈国師行の行状;是れは大燈録の終りに附せる行状にて春作禪興の作なり、其の行状の終に題せられし 
 もの。偈の意に謂ふ、「春作は盲坊主なり、國師が天子の歸依を受けられし事ばかり麗々しく書きたてて、
 第五橋邊二十年を恥と思ふて載せず、何と云ふ手落ちまりや」と。風餐水宿、頭陀乞食を発揮せられたる 
 作なり。(大成脚注)
*春作禅興:華叟と同門の兄弟弟子
*1451年 一休 58歳 春作禅興作「大燈国師行状」を批判、養叟との対立が表面化。
*鸞輿(ランヨ):天子の乗る輿(こし)。鳳輿(ほうよ)。鳳輦(ほうれん)。
*風飡水宿(ふうさんすいしゅく):「風を食い、水のほとりで寝た」という意味。
(´・(ェ)・`)つ

552 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/11(金) 21:36:49 ID:1d4drIFg0
↑そのような意味じゃろう。
 戒は修行者が修行しやすい生活を整えるためのものじゃ。
 それに拘って本来の修業を教えないのでは本末転倒なのじゃ。
 真の落草なのじゃ。

553 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/11(金) 21:50:37 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

大燈国師の行状の末に題するというのじゃ。

大燈をかかげ起して天下一に輝いたのじゃ。
天覧の誉れを法堂前で受けるのじゃ。
風を食らい水に宿る生活をしていたことを記す者は無いのじゃ。
第五橋の辺に二十年いたのじゃ。

554 避難民のマジレスさん :2021/06/11(金) 22:10:32 ID:Q18p6jK20
くま訳改
第二句:天覧の誉れを法堂前で受けるのだ。

436
大應國師賛 妙勝寺
大唐國裏沒禪師 大唐國裏禪じなし
傳授明明東海兒 傳授明々たり東海の児  
一天法窟妙勝寺 一天のほつ窟妙勝寺
天澤宗風更有誰 天澤の宗風更に誰か有る

くま訳
大應國師賛 妙勝寺
大唐國にはもう禪師はいない。
禅が日本の僧に伝授されたことは明白である。
天下一の修行道場となった妙勝寺
臨済の宗風をを伝える適任者が他に誰がいるというのか。

*大応国師(南浦紹明):25才の時に唐に渡り、虚堂智愚に禅を学び、帰国。弟子・宗峰妙超(大燈国師)
 が京都の大徳寺を開山。中国から帰って「妙勝寺」でその教えを弟子たちに伝え、晩年ここで暮らした。
 その後酷く荒廃してしまったこの寺を大応国師を尊敬する一休さんが、修復をし、「報恩庵」として自ら 
 も住まわれた。
*法窟(ほうくつ):修行の道場
(´・(ェ)・`)つ

555 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/12(土) 23:19:50 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

大応国師の賛というのじゃ。

大唐国にはもはや禅師はいないのじゃ。
日本の僧によって正統な伝授が受け継がれたことは明白なのじゃ。
天下一の法の修行場である妙勝寺なのじゃ。
天澤の宗風が更に誰に有ると言うのじゃ。

556 避難民のマジレスさん :2021/06/12(土) 23:55:30 ID:RV3c13Ko0
437
賛二祖 二祖(慧可)を賛す
大唐今古沒禪師 大唐今古 禅じ没(な)し
断臂虚傳人不知 だんぴのきょでん人知らず
只許南山道宣筆 只許南山道宣が筆
恰如痛處下針錐 あたかもつうしょにしんすいをおろすがごとし

くま訳
二祖(慧可)を讃える
大唐国には今はもう禅師はいない。
太祖慧可が達磨さんに弟子入りを請うために腕を切り落としたという伝説は嘘であることを皆しらないの
だ。南山道宣が書いた続僧傳にのみ真実が語られているのである。
あたかも、痛いところに針を刺すような話である。
(賊に腕を切り落とされたが、法を以って心を御し痛苦を覚えず、火を持って切ったところを焼いたとのこ
とである。)

太祖慧可 
南山道宣:続高僧伝
道宣(どうせん):596-667年 唐代の律宗の僧侶。南山律宗の開祖。
道宣の弟子は千人を数え、その教えを拡大させ、南山宗は一世を風靡し、現在の中国の僧侶も彼の四分律を
学んでいる。法席を嗣いだのは周秀である。また、弟子の文綱系統からは鑑真が出ている
(´・(ェ)・`)つ

557 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/13(日) 21:54:27 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

二祖の賛じゃな。

大唐には古今の禅師がいなくなつたのじゃ。
腕を切ったのは嘘であると皆知らないのじゃ。
ただ南山道宣の書いたことが正しいのじゃ。
あたかも痛いところに針を刺すようなものじゃ。

558 避難民のマジレスさん :2021/06/13(日) 22:57:22 ID:jip11rhE0
438
文明甲午春     文明かぶ午の春
拝大徳禪寺住持勅請 大徳禪寺住持勅じょうを拝す
門客交賀 吁    門客かわるがわる賀す。ああ
五十年簑笠淡如   五十年さりゅうたんじょたり
勅黄捧照      勅おうほう照して
無愧于懐乎     かいに愧づる無からんや
因作詩泄之     因って詩を作り之をもらす

大燈門弟滅残燈 大燈の門弟殘燈を滅す
難解吟懐一夜氷 解け難し吟懐一夜の氷
五十年来簑笠客 五十年來さりゅうの客
愧慙今日柴衣僧 愧慙す今日柴えの僧

柳田聖山先生訳
大灯国師の弟子である拙僧が消えのこる灯火を滅す
懐に抱いている氷の塊が一晩では解けそうにはない
ここ五十年というもの蓑笠のみで放浪した身なのだ
今朝は紫の袈裟を羽織る姿となって恥入るばかりだ

茶の湯に親しむHP先生訳
大灯国師の門弟たる者がわずかに残されていた灯明を消してしまった。
このため、詩心は一夜の氷のように固まって解け難い。
五十年来、放浪の旅人であったが
今日は恥かしくも紫衣をまとう(名利をまとう)僧侶に成り果ててしまった

くま訳
1474(文明6年)一休81歳 春
刺命により、大徳寺住持拝受。
祝賀の客が後を絶たない。あぁぁ
五十年間簑笠を着てあっさりとした生活してたのである。
天子様からの勅命をいただいてしまい、
内心恥ずかしく無いわけがなかろうもん!
そこで、詩を作ってその思いをもらすのである。

大燈の弟子達が大燈の教の残灯を消してしまう。
胸中の凍てついた詩情は、一夜の氷のようで溶け難い。
五十年来簑笠を着て行脚を続けてきたのであるが、
今日は、紫衣を着る羽目となり恥じ入るばかりである。
(´・(ェ)・`)つ

559 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/14(月) 22:54:25 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

天皇からの命令で大徳寺の住持を受けたのじゃな。

祝賀の客が後を絶たず悲鳴を上げるのじゃ。
五十年蓑笠を着て淡白に暮らしていたのじゃ。
勅命に照らされて恥ずかしいことであるからこの詩を作ったというのじや。

大燈の門弟達は法の残り灯を消してしまったのじゃ。
懐に抱く氷は一夜では融けないのじゃ。
五十年来蓑笠の客であったのに、
今日紫衣僧になったことを恥じるのじゃ。

560 避難民のマジレスさん :2021/06/15(火) 02:15:52 ID:MyFrn1YY0
徹翁和尚
大燈子大應孫 大燈の子大應の孫
正傳臨濟宗門 正傳臨濟の宗門
儼然靈山一會 儼然たりりょうぜんの一ゑ
何妨三界獨尊 何ぞ妨げん三界の獨尊

くま訳
大燈の弟子、大應の孫弟子である
臨濟宗門の正伝である
釋迦が説法をした霊鷲山の法会の伝統が今でも厳然として続いているのである。
三千世界で釋迦独り尊しとすることに、何の妨げがあろうか

*徹翁義亨〈てつおうぎこう〉南北朝時代の臨済宗の僧。おそらく出雲守護佐々木氏の一族であろう。19
 歳で出家し,上洛して建仁寺,南禅寺に参じたが,五山の禅風にあきたらず,東山の雲居(うんご)庵に
 隠棲していた宗峰妙超(しゆうほうみようちよう)(大灯国師)の門に入り,その法を継いだ。妙超が大徳
 寺を開くとこれに随い,妙超没後の1338年,勅により大徳寺2世(1世説多)として入寺し,別に寺前に
 徳禅寺を建立した。
*三界:① 欲界・色界・無色界の総称。衆生が輪廻する世界。②三千大千世界の別称。③三世 – 過去世・ 
 現在世・未来世の総称。三界ともいう。
(´・(ェ)・`)つ

561 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/15(火) 21:54:11 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

徹翁和尚の詩じゃな。

大燈の子であり大應の孫なのじゃ。
臨済宗門の正伝なのじゃ。
霊山の一会から厳然として続いているのじゃ。
三千世界に独り尊しと宣言しても何の妨げも無いのじゃ。

562 避難民のマジレスさん :2021/06/15(火) 22:11:49 ID:MyFrn1YY0
くま質問
「三千世界に独り尊しと宣言しても何の妨げも無いのじゃ。」において、尊いのは、徹翁=悟った人と一休
さんは読んでるのでありましょうか?

440
拝大徳寺住持勅請之頌 大徳寺住持勅じょうの頌を拝する
呈廣徳堂上柔仲和尚  廣徳堂上にゅう仲和尚に呈す
大徳大燈龍寶山 大徳大燈龍寶山
靈光天上又人間 靈光天上又人間
焼香酬恩曇華叟 香をたき恩に酬ゆどん華そう
金色頭陀曾破顔 金色の頭陀かつて破顔す

柳田聖山先生訳
大燈国師の開かれた竜宝山大徳寺
霊験は天界と人間社会を照し出す
華叟和尚の恩に酬いるため焼香す
頭陀袋が金色になっても心は同じ

くま訳
大徳寺住持勅請の頌を拝したので
廣徳寺堂上柔仲和尚に呈する

大燈国師が開かれた龍寶山大徳寺
靈光は、天上界又人間界を遍く照らす
華叟宗曇和尚の恩に酬いる為に焼香します
金色の頭陀袋を見て昔、笑ってくれたものである。

*廣徳寺は、兵庫県尼崎市寺町にある臨済宗大徳寺派の寺院。山号は瑞雲山。1390年に京都から尼崎の大 
 物に移された。1478年頃には柔仲宗隆が住持となった。
*華叟宗曇(かそう そうどん、1352-1428年。大徳寺の徹翁義亨に投じ、14歳で出家。のち徳禅寺の言外 
 宗忠に参じ、印可を得る。
 一休さんの名付け親。「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」の言葉から、華 
 叟が道号として授けた。
(´・(ェ)・`)つ

563 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/16(水) 21:47:16 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、徹翁なのじゃ。
お釈迦様と同じ大悟徹底したから独尊でよいのじゃ。
 大悟すれば皆同じなのじゃ。

564 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/16(水) 21:54:12 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。


柔仲和尚に呈する詩なのじゃ。

大徳寺は大燈が龍宝山に開いたのじゃ。
その霊光は天上と人間も照らすのじゃ。
焼香して華叟宗曇和尚の恩に報いるのじゃ。
かつては金色の僧は笑っていたのじゃ。

565 避難民のマジレスさん :2021/06/16(水) 23:30:56 ID:xp4dYwns0
くま訳改
第四句:かつては金色の僧は笑っていたのだ。

*頭陀:衣食住に関する貪欲(どんよく)を払いのけて仏道修行にはげむこと。その修行のため、食を乞いな
 がら野宿などして旅を続けること、またはその僧。

霊山和尚の元気が出る修行決意宣言!
441
汲井輪略無停息  きゅうせい輪ほぼていそく無きがごとし
今既得出家    今既に出家することを得て、
僧相圓備     僧相円備
在三衣一鉢下   さんえ一はつげに在り
想是過去幾生修來 想ふに是れ過去幾生が修し來つて  
得如此乎     かくの如きことを得るか。
若是再      若し是れ再び
入驢胎馬腹去   ろ胎馬腹に入り去らば
不知又經幾生   知らず又幾しょうを経てか  
歸來改修此錯   帰り来たってこのあやまりを改修せん
努力努力     努力せよ努力せよ
切須今生了達   切に須らく今じょうに了達して、
無如是殃過    かくの如きのおう過無かるべし
念之思之     之をおもへ之を思へ

右靈山和尚法語  右靈ぜん和尚の法語
題其後云     其の後に題すと云ふ

互操高低汲井輪  互ひに高低をとるきふせい輪
威音彌勒一回春  威音の彌勒一回の春  
三世諸佛歴代祖  三世の諸佛歴代の祖
泉聲滴涙苦吟身  泉せい涙したたる苦吟のみ

くま訳
井戸の釣瓶の滑車が、ほぼ停まることなく動くように、常に自覚せねばならぬのだ。
今既に出家することができたのであるから、
僧としての見てくれは、完璧に調えねばならぬ。
三衣一鉢のみを持って生きるのだ。
思うに、過去生で、何度も修行を重ねてきたお陰さまで、
いま、このようにして在れるのである。
もしこの度もまた、驢馬の胎に戻るような事があっても、
何回生れ変らねばならぬのか分からないが、
必ず修行者に生れ変ってきて、その誤りを正すのだ。
努力努力
切に、何としても、今生で修行を完成させて、
どうか、何としても、このような災難が起こらないようにするのだ。(輪廻から解脱するのだ。)
これを念じるのだ。これを思うのだ。

上記靈山和尚の法語
其の後に題して云う。

互いに上がったり下がったりする、井戸の釣瓶
悠久の過去から弥勒の未来まで、春は一回きりである。
過去・現在・未来の三世にわたって存在する一切の仏、歴代の祖師は、
多くの言葉で、何とかして伝えようと、涙するほど苦しんで言葉を紡ぎ出しているのである。

*汲井輪:井戸の釣瓶(つるべ)の滑車などの機構。
*三衣一鉢:三衣と一個の食器用の鉢。僧侶が携帯するささやかな持ち物。
*殃禍(おうか):わざわい。災難。
*威音:威音王仏のことで、『妙法蓮華経?』「常不軽菩薩品」にて説かれる、過去荘厳劫?最初の仏陀。そ 
 のことから、無量無辺の極遠に喩えられる。
*弥勒:現在仏であるゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行 
 者)で、ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済す 
 るとされる。未来仏。
(´・(ェ)・`)つ

566 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/17(木) 21:40:00 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

井戸水を汲む輪が止まらないように
今既に出家することができて
僧としての装備を完全にして
衣三枚と鉢一つ手に在り
思うにこれは過去何世か修行してきて
このように僧になれたのであろう。
もしこれで再び
驢馬や馬に入るようなことになれば
又何生か経て帰り来たって過ちを修正しなければならないかわからないのじゃ。

努力努力するのじゃ。
どうしても今の世で悟りに達してそのような災いが無いようにするのじゃ。
これを念じ、これを思うのじゃ。

567 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/17(木) 21:51:36 ID:1d4drIFg0
その霊山和尚の法語に後に題して言うのじゃ。

互いに上下する井戸汲みの輪の如く
威音仏から弥勒まで仏は一度ずつ世に現れるのじゃ。
三世の諸仏や歴代の祖師は
水音が出るほどに涙したたる苦吟の身の衆生のために現われるのじゃ。

568 避難民のマジレスさん :2021/06/17(木) 22:55:28 ID:Ky9gXzIs0
くま訳改
第二句;(その如く、)威音仏から弥勒まで仏は一度ずつ世に現れるのだ。
第三句:三世の諸仏や歴代の祖師は、
第四句:水音が出るほどに涙したたる苦吟の身の衆生のために現われるのである。

442
薄氷
但看江海薄氷池 ただかう海薄氷のちを看て
不管人人身上危 にんにんしん上の危をかんせず
可憐極苦目前急 憐れむべしごく苦目前に急なり
迷道衆生終不知 迷道の衆生つひに知らず。

くま訳
薄氷
但看江海薄氷池 ただ、薄氷が張った水辺に佇んで見ても、
不管人人身上危 人々は身の危険を感じないのである。
可憐極苦目前急 憐れむべきである。最大の苦(死)が目前に迫っているのである。
迷道衆生終不知 道に迷う衆生は、最後(死ぬ)までその事に気付かないのである。

*江海(こうかい)① 川と海。入江と海。② 俗世間から離れた場所。
*不管〜(中国語):〜にかかわらず ,〜を問わず
(´・(ェ)・`)つ

569 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/18(金) 23:04:21 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

ただ河海の氷が張っているのを看ても
人々は身の上の危険を知らないのじゃ。
憐れむべし極苦が目の前にせまるのを
迷い道の衆生は遂に知らないのじゃ。

570 避難民のマジレスさん :2021/06/18(金) 23:15:12 ID:TzONvbZk0
443
山庵雑録曰。       山なん雑録に曰く。
楚石住嘉興天寧。     「楚石、か興天寧に住す。
値有司重作官宇闕木石。  有司の重ねて官宇を作るに、木石をかくに値ふ。 
欲取村落無僧廢庵應所需。 村落無僧の廃庵を取って、もとむる所に応ぜんと欲す。
因集諸寺住持議之。    因って諸寺の住持を集めて之を議す。
時楚石力陳不可者沮之。  時に楚石つとめて不可なる者をのべて之をはばむ。
有司不聴。        有司聴かず。
遂撾退鼓皈海鹽天寧。   遂に退くをうってかいえんの天寧に帰る。
二老皆勇於行義      二老皆義を行ふに勇み、
視棄師席之尊不啻如葉弊屣。師席の尊を棄つることただにへいしを棄つるが如くなるのみならざるを視る。
今雖荐禍患嬰己。     今しきりにくわげん己にかかるといえども、
而猶濡忍戀戀       しかもなほじゅ忍恋々たり、
亦獨何哉。        また独りなんぞや。」
予讀此有感因作偈云。   予これを読んで感有り、因って偈を作ると云ふ。
又有了庵一事省之     又了庵の一事有り、之れを省く。

奪人奪境事猶稠 奪じん奪境じなほしげし
幽谷閑林不自由 幽谷閑林自由ならず
莫道江山無定主 いふなかれかう山定主無しと
普天之下帝王州 普天のもと帝王の州

くま訳
山なん雑録に曰く。
「楚石、か興天寧に住んでいた。
役所の担当者が、寺を作りたくても、木石が無いので。 
僧が居ない村落の廃寺の廃材を取って、希望する所に応じたいので、
そこで、諸寺の住職を集めてこれを議論すると言って来た。
その時に楚石は、強く反対意見を述べてこれを阻止しようとした。
役人は聴き入れなかったので、
礎石は遂に席を蹴って、かいえんの天寧に帰ってしまった。
二人はともに議論することに熱くなり、
それなりの立場にある人が、その尊厳を棄てるのに、まるで使い古しの靴を棄てるような、無用なものを棄
てるようにしかできないように見えるのである。
今まさに禍が自分に降りかかろうとする時でも、
しかもなお何かもじもじと耐えているのである。
これはいったい、どういう事でありましょうか。」
予これを読んで観想があるので、因って偈を作るのである。
又了庵の一事有り、之れを省く。

徹底した無の境地になり、自我も「境地」も奪い去られた後でも、いろいろと面倒なことはおこるのだ。
のどかな深山幽谷であっても、きままで自由なわけではないのである。
言うのはやめておきなさい、山河に定まった主などいないのだなどと。
天下は全て、帝王の島なのであります。天子様が主なのであります。

*山庵雑録;恕中無慍禪師の撰する所、叢林の先徳先閒の学者の勧善懲悪の資料たるべき嘉言善行を編録せ
 るものなり(禅学大成脚注)
*楚石梵琦(ぼんき):1296‐1370元末・明初の禅者。臨済宗大慧宋杲(そうこう)下6世の法孫である。
*有司: その職を行なうべき官司。また、そこに属する官人。官署。官吏。
*闕;1 宮城の門。また、宮城。2 (「欠」と通用)不足する。かける。3 あやまち。
*宇:1 大きい屋根で覆った家。ひさし。のき。大空に覆われた世界。天下。3 器量。度量
*弊屣:(中国語)使い古した靴を意味します。役に立たないもの。
*濡(ジュ)ぬれる・うるおう・とどこおる・こらえる。たえしのぶ。
*奪人奪境:人境両倶奪:修行者を徹底的な無の境地に導くこと。自我も境地も奪い去ること。
(´・(ェ)・`)つ

571 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/19(土) 22:07:06 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

山庵雑録に書いてあったというのじゃ。

楚石が嘉興天寧に住んでいたのじゃ。
役人が役所を更に建てようとしたが木石が足りなかったのじゃ。
村の無僧の廃寺などから取ろうとしたのじゃ。
よって寺寺の住持を集めて議論したのじゃ。
楚石は反対したが役人は聞かないから天寧に還ったのじゃ。
二人のいい大人が自分が正しいと思って勇みたってのことなのじゃ。
議論の席を捨てるに古靴を捨てる如しなのを見たのじゃ。
今しきりに災いが己にかかるというのに、しかもなお辱めに耐えることが出来ないのじゃ。
これが一人だったらまたどうじゃろうか。

わしはこれを読んで感じることがあり偈を作るのじゃ。
また了庵の一事有もあるがこれを省くのじゃ。

572 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/19(土) 22:09:11 ID:1d4drIFg0
奪人奪境も猶騒がしいものじゃ。
幽谷閑林も不自由なのじゃ。
河山に定めた主無しと言ってはいかんのじゃ。
天下は全て帝王のものなのじゃ。

573 避難民のマジレスさん :2021/06/19(土) 23:37:12 ID:yFDyK2DQ0
くま訳改
而猶濡忍戀戀(しかもなほじゅ忍恋々たり):しかもなお辱めに耐えることが出来ないのだ。
亦獨何哉(また独りなんぞや):これが一人だったらまたどうだろうか。

444
面壁達磨
誰人任運問安心 誰人か任運に安じんを問ふ
昔日神光侍少林 昔日神光少林に侍す
面壁功成無面目 面壁功成って面目無し
不知積雪滿庭深 知らず積雪滿庭に深きを

くま訳
面壁達磨
天地自然の法則に随い、安心を求める者は誰か、
昔、少林寺に、人為を超えた霊妙不可思議な光(達磨さん)が、降臨したのだ。
面目無き所、即ち真面目なりである。 ほんとうに豊かなものはどこか不足しているよう見えるものなのだ。
知らない内に雪が降り積もり、庭一面深雪になっているように、達磨さんの御利益が降り積もるのだ。

*任運問安心:天地自然の法則に随うは即ち任運なり、自然に安心を問ふ、即ち達磨不答の所、自然なれば 
 なり。(大成脚注)
*面壁功成無面目:面目無き所、即ち真面目なり、老子の「大辨咄の如し」の意なり。(大成脚注)
 <老子>大弁如訥『大弁は訥なるが如し』茶臼甕tyausukame先生ブログより
 「大直は詘(くつ)するが如く、大巧は拙なるが如く、大弁は訥なるが如く、大嬴(たいえい)は絀(ちゅつ) 
 なるが如し」である。
 真の雄弁は訥弁(とつ弁)と変わりがない。雄弁よりも訥弁、訥弁よりも無言の説得をよしとする考えに
 他ならない。「ほんとうにまっすぐな者は、曲がっているように見える。真の雄弁は訥弁と変わりがない。
 ほんとうに豊かなものはどこか不足しているように見える」
 ことごとく逆説的表現であるが、それでいてある真実を的確にとらえている。それは、「大弁は訥なるが 
 如し」の一句をとりあげてみても明らかであろう。ここで『老子』の謂わんとしているのは、しゃべり過
 ぎの害である。※ しゃべり過ぎは百害あって一利なしである。
*訥弁(とつ弁):つかえつかえしゃべる話し方 
*少林寺:禅宗の開祖達摩による禅の発祥の地と伝えられる
*神光:人為を超えた霊妙不可思議な光
(´・(ェ)・`)つ

574 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/21(月) 00:01:31 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

誰か運を天に任せ、安心を問う者はおらんのじゃろうか。
昔は少林寺に神光があったものじゃ。
達磨が面壁九年の行を成し遂げ大悟徹底したのじゃ。
積雪が知らないうちに庭を深く満たしたようにのう。

575 避難民のマジレスさん :2021/06/21(月) 00:11:44 ID:jaQ9dkAw0
くま訳改
第三句;達磨が面壁九年の行を成し遂げ大悟徹底したのだ。

445
賛魚籃観音   魚らん観音を賛す
丹瞼青鬟慈愛深 丹けん青くわん慈愛深し
自疑雲雨夢中心 自ら疑ふ雲雨夢中の心
千眼大悲看不見 千げん大悲看れども見えず
漁妻江海一生吟 漁妻かう海一生の吟

くま訳
賛魚籃観音
赤い瞼、美しい黒髪慈愛深い容貌。
自分は、朝雲暮雨、恋焦がれているのではないかと疑う。  
大悲呪を唱えても千手千眼観音は見えない。
魚籃観音を妻と念じて俗世間から離れて一生思いを吟じつづけるのだ。

*魚籃観音(ぎょらんかんのん):三十三観音に数えられる観音菩薩の一つ。中国で生れた観音の一つで、
 同じ三十三観音のひとつである馬郎婦観音(めろうふかんのん)と同体ともされる。
 唐の時代、魚を扱う美女がおり、観音経・金剛経・法華経を暗誦する者を探し、めでたくこの3つの経典
 を暗誦する者と結婚したがまもなく没してしまった。この女性は、法華経を広めるために現れた観音とさ
 れ、以後、馬郎婦観音(魚籃観音)として信仰されるようになったという。この観音を念ずれば、羅刹・
 毒龍・悪鬼の害を除くことを得るとされ、日本では中世以降に厚く信仰された。
 形象は、1面2臂で魚籃(魚を入れる籠)を持つものや、大きな魚の上に立つものなどがある。日本では
 あまり単独で信仰されることはないが、東京都港区の魚籃寺などにある。
 得度者既皆現此而以説法の誓願に出づ一例を仮説せるもの(大成脚注)
*青鬟(せいかん)中国語:美しさを表すために借りた黒いリング状の髪のお団子を意味します
*鬟:みずら/髪を中央から左右に分けて、両耳のあたりで輪に束ねた上代の成人男子の髪の結い方/わげ
 /髪を頭の上で束ねた髪形などの意味をもつ漢字。"
*丹(タン あか・に):硫化水銀鉱、すなわち辰砂(しんしゃ)の色。あか色。
*雲雨:朝雲暮雨(ちょううんぼう)
【故事】楚の懐王が高唐に遊び、夢の中で女と契ったが、その女が別れ際に「朝には雲となり、夕には雨 
となって君にお会いします。」と言った。夢から覚めた王は朝雲を見て神女であったことを知り、巫山の 
陽に廟を立てたという。
*大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)は、仏教の陀羅尼である。主に禅宗で広く読誦される。普及したのは
鎌倉末期から室町時代以降と推定されるが確証はない。臨済宗では略称大悲呪、正式呼称大悲円満無礙神
咒と呼ばれる。
陀羅尼(だらに):呪文の一種で、比較的長いものをいう。通常は意訳せずサンスクリット語原文を音読し
て唱える。意訳して総持、能持、能遮等ともいう。「記憶して忘れない」という意味 。本来、暗記して繰
り返しとなえる事で雑念を払い、無念無想の境地に至る事を目的とした。「能遮」という意訳は雑念妄想
を「能(よ)く遮(さえぎ)る」という意味である。
(´・(ェ)・`)つ

576 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/21(月) 21:29:01 ID:1d4drIFg0
魚籃観音の賛なのじゃ。

赤い瞼に青巻髪の慈愛深い菩薩なのじゃ。
しかし、自ら疑えば雲雨の中でも夢の如しなのじゃ。
それでは千の眼、大慈悲の観音も看ようとしても見れないのじゃ。
漁師の妻はそれ故に河海に一生観音呪を吟じるのじゃ。

577 避難民のマジレスさん :2021/06/21(月) 22:07:46 ID:FtEx7/DM0
くま訳改
第二句:しかし、自ら疑えば雲雨の中でも夢の如しなのだ。
第三句:それでは千の眼、大慈悲の観音も看ようとしても見れないのだ。
第三句:漁師の妻はそれ故に河海に一生観音呪を吟じるのだ。

くま質問
「しかし、自ら疑えば雲雨の中でも夢の如し」とは、自分が見たもの、思ったことに対して、ありのまま
に気付いていろみたいな意味でありましょうか?

446
香嚴擊竹
潭水北兮湘水南 たん水の北しゃう水の南
竹枝曲裏口喃喃 竹し曲裏口なんなん
樽前爛醉豪家客 そん前爛醉す豪家の客
不識愁人夜雨談 しらず愁人夜雨の談

くま訳
香嚴擊竹
李白が詠う潭水は北、水墨画に描かれる湘水は南
屈原も歌うはやり歌竹枝はいつまでも歌い続ける
樽の前で酔っ払う豪邸の客
愁人には雨の夜になにを談じたらよいのか分からないのだ。

*潭水:(参)贈汪倫 李白 汪倫(王倫)に贈る 李白
      李白乗舟将欲行 李白舟に乗って将に行かんと欲す、
      忽聞岸上踏歌声 忽ち聞く岸上踏歌の声
      桃花潭水深千尺 桃花潭水深さ千尺
      不及汪倫送我情 及ばす汪倫が我を送るの情に

      李白は舟に乗って今や出発しようとしていた。
      ちょうどその時、岸の上から足を踏み鳴らして歌う声が聞こえてきた。
      桃花潭の水は深さが千尺もあるというが、
      それでも汪倫が私を送ってくれる情の深さには、及ばないだろう。

*香嚴擊竹:https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/。 >>117 〜
*湖水:瀟湘八景(しょうしょう はっけい)、山水画の伝統的な画題。瀟水と湘江の合流するあたりを瀟
 湘といい、古より風光明媚な水郷地帯として知られる
 湘水は、江西省僮族自治区興安県の陽海山を源とし、延々と八百十七キロの旅をして、湘陰県濠河口で洞 
 庭湖に注ぐ。洞庭湖は、湖南省の長江中流の中南区に位置する。中国第一の湖である
*竹枝:土地のはやり歌なり、劉萬錫、阮湘に在り、俚歌鄙陋なるを以って、乃ち屈原が作る所の九歌によ 
 りて竹枝新詩を作り、里中の小児をして之を歌わしむ。もと巴蜀の歌なり。(大成脚注)
*喃喃「喃」はしゃべる音、またはしゃべる意) しゃべり続けること。小声でいつまでもしゃべっているさ 
 まをいう。
*愁人:① 悲しい心を抱いている人。なやみのある人。② もののあわれを解する人。風流人。詩人。文人。
(´・(ェ)・`)つ

578 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/22(火) 21:48:34 ID:1d4drIFg0
↑神仏も疑う心があれば見えないという事じゃな。
信じれば見えるのじゃ。

579 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/22(火) 21:56:31 ID:1d4drIFg0
香嚴が飛んだ石が竹を撃った音で目覚めたという題じゃな。

潭水の北、湘水の南なのじゃ。
流行り歌をひそかに歌い続けるのじゃ。
酒樽の前で酔い乱れる豪家の客なのじゃ。
愁人は夜雨に何を話せば善いのかしらんのじゃ。

580 避難民のマジレスさん :2021/06/22(火) 22:58:25 ID:5azQ.QpI0
447
傀儡
抽牽者即主人公 抽けんは即ち主人公
地水合成隋火風 地水合じゃうして火風に随ふ
一曲勾欄曲終後 一曲のこうらん曲終ってのち
本然大地忽爲空 本ねん大ぢたちまち空と為る

植田 信隆先生ブログ翻訳・解説より
人形の糸を引く者が主人公であり、
地水からなる粗雑なものが火風のような精妙なものに従うのに似ている。
人形の立ち位置となる手すりがいわば、大地であったが、曲が終われば
忽ち空虚となる
水上勉先生解説より抜粋
案外、この世は、すべて、一曲の人形芝居かもしれぬ。うらで糸をひき、操る者がいて、人も風も、火もう
ごく。操るものは主人公である。その主人公をとっつかまえねばならぬ。いや、その主人公こそ、求めつづ
ける正伝の正体なのだ。狂雲もまた狂風に舞っている。

くま訳
操り人形
糸を引くものが即ち主人公である。
地水が合成して火風に随うようなものである。
演劇一曲の舞台。曲が終って後は、
本来自然の大地、空となる。

https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/  >>727
*勾欄(こうらん):宋・元(960‐1367)時代,諸都市に設けられた劇場をいう。原義は欄干のことであるが,
 舞台のまわりを欄干で囲んでいたため,一般に劇場をこの名でよんだ。
(´・(ェ)・`)つ

581 避難民のマジレスさん :2021/06/22(火) 23:01:08 ID:5azQ.QpI0
くま質問
『香嚴擊竹』で一休さんは何を詠んでるのでありましょうか?
何も思い浮かばないこともあるという、ありのままを詠んでるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)b

582 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/23(水) 23:06:17 ID:1d4drIFg0
↑竹の音と竹枝にかけているのじゃな。
流行り歌も豪家の客が聞けば楽しいが、愁い人には楽しくないのじゃ。
同じように竹の音で香嚴は悟りを得たが、修行していない者が聞いても何も得られ無いのじゃ。
実践が大事なのじゃ。

583 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/23(水) 23:09:03 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

操り人形の糸を引くものが主人公なのじゃ。
地水が合わさって火風を随わせるようなものじゃ。
一曲の舞台曲が終わり、
本然の大地はたちまち空と成るのじゃ。

584 避難民のマジレスさん :2021/06/23(水) 23:39:23 ID:IbBEeE2.0
448
東坡像     東ば像
竺土釋迦文殊師 竺土の釋迦文殊師
即今蘇軾更看誰 即こん蘇しょく更に看よ誰ぞ
黄龍禪味舌頭上 黄龍の禪味舌頭の上
萬象森羅文與詩 まん象森羅文と詩と

くま訳
東坡像
天竺の釋迦や文殊師
即今挙げるとすれば、蘇東坡の他に見るべき人はあるまい。
四神の長のような禪機に充ちた言動である
森羅万象を、文と詩で表現しているのである。

*東坡 (とうば):蘇軾 – 北宋の詩人、政治家。号が東坡
 蘇軾(そ しょく)1037-1101年)宋代きっての文豪としてもあらゆるジャンルで輝かしい業績をあげた。 
 書家、画家として優れ、音楽にも通じていた。
 東坡居士と号したので、蘇東坡(そとうば)とも呼ばれる。

 経済政策や、教育政策に反対したため、2度にわたり流罪を被り辺鄙な土地へ名ばかりの官名を与えられ 
 て追放された。
 最初の追放は1079年44歳。
 左遷先の土地を東坡と名づけて、自ら東坡居士と名乗った。黄州での生活は足かけ5年にも及び、経済的 
 にも自ら鋤を執って荒地を開墾するほどの苦難の生活だったが、このため彼の文学は一段と大きく成長し 
 た。流罪という挫折経験を、感傷的に詠ずるのではなく、彼個人の不幸をより高度の次元から見直すこと 
 によって、たくましく乗り越えようと努めた。1086年に名誉を回復され50歳で中央の官界に復帰した。
 1094年に再び左遷され(59歳)、恵州に流され、さらに62歳の時には海南島にまで追放された。二度目 
 の追放である。黄州時よりもより高い役職に就いていた為、左遷時の罰も重かった。それでも飽き足りな 
 かった朝廷側は、場所をさらに恵州から昌化軍(現在の海南島西部)に移した。熱帯で異民族の黎(ロ 
 イ)族がいる環境で一層侘しい生活を送る。
 66歳の時、ようやく許された。名誉職を授けられたが、都に向かう途中病を得て、常州で死去した。し 
 かし、この苛酷な運命にあっても、彼の楽天性は強靭さを失わず、中国文学史に屹立する天性のユーモリ 
 ストであった。
*黄竜:中国の伝承五行思想に現れる黄色の竜。黄金に輝く竜であると言う異説もある。四神の中心的存在、 
または、四神の長とも呼ばれている。黄竜は皇帝の権威を象徴する竜とされたが、後に麒麟と置き換えら 
 れたり、同一視されるようになった。

* 東坡のことを正しく評価できた一休さんは、やっぱりすごいでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

585 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/24(木) 21:18:51 ID:1d4drIFg0
↑そうかもしれん。

東坡の像なのじゃ。

天竺の釈迦や文殊菩薩を
今蘇軾以外に誰に看られるか。
黄龍の禪味が舌頭の上にあるのじゃ。
森羅万象がその文と詩にこめられているのじゃ。

586 避難民のマジレスさん :2021/06/24(木) 23:56:38 ID:rzzREG9o0
449
童子南詢圖   童子南詢の図
知識華嚴五十三 知識華嚴五十三
美人焦熱抱持談 美人焦熱抱持の談
南方佛法非吾事 南方佛法吾が事のあらず
膓斷風流童子参 膓斷す風流童子の参

くま訳
善財童子南方を尋ね廻るの絵
華厳経によると善知識五十三人を尋ね廻った 
布施行を実践する美人・信女自在や、 苦行により煩悩を焼き尽くす波羅門方便命が、色々と持ちネタを語るのだ
南方佛法は、わしには関係ないのだ
興味をそそる、風流ば童子と五十三人の交流ではある。

*善財童子(ぜんざいどうじ)は、仏教の童子の一人であり、『華厳経入法界品』、『根本説一切有部毘奈 
 耶薬事』などに登場する。
 『華厳経入法界品』については仏道修行する内容で広く知られる。
 インドの長者の子に生まれたが、ある日、仏教に目覚めて文殊菩薩の勧めにより、様々な指導者(善知 
 識)53人を訪ね歩いて段階的に仏教の修行を積み、最後に普賢菩薩の所で悟りを開くという、菩薩行の 
 理想者として描かれている。 善知識の中には比丘や比丘尼のほか外道(仏教徒以外の者)、遊女と思わ 
 れる女性、童男、童女も含まれている。

*十、 波羅門方便命226(苦行により煩悩を焼き尽くす)
 十四、信女自在227年尚ほ若く花のような容色(布施行)
*断腸:① はらわたを断ち切ること。また、はらわたがちぎれるほどの悲しさ、つらさなどをいう。② は 
 なはだしく興趣のあること。また、哄笑するほどおもしろいこと。
(´・(ェ)・`)つ

587 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/25(金) 22:49:35 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

善財童子が南を巡った話というのじゃ。

華厳経には童子が五十三の善知識とあったというのじゃ。
美人とか熱いものをもち続ける者とかなのじゃ。
南方仏教はわしの専攻ではないが、
風流童子の善知識のもとに推参する話はとても面白いのじゃ。

588 避難民のマジレスさん :2021/06/25(金) 23:37:51 ID:4B.mEajw0
450
亂世正工夫  亂世しゃう工夫
丈夫須具正見 
諸妄想隋境現 諸々の妄ざう境に随って現ず
馬問良馬麼無 馬は問ふ良馬なりやいなやと  
人答此刀利劍 人は答ふ此のとう利劍

くま訳
乱世に於ける正しい工夫
一人前の男は須らく正しい物事の見方考え方を具えなければならないのである。
諸々の妄想は世界環境の変化に随って現れる。
良馬かどうかと問う、(愚者は生れの良し悪しを問う、)
人は答える、この刀は、剣として使えると。(賢者は、能力の存否を問うのである。)
(´・(ェ)・`)つ

589 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/26(土) 21:45:52 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

乱世の正しい工夫なのじゃ。

大丈夫はすべからく正見を身に付けるべきなのじゃ。
もろもろの妄想は環境や境地に従って現われるものじゃ。
馬は己を良馬か否かと問うじゃろうか。
人はこの刀は利剣と答えるじゃろうか。

590 避難民のマジレスさん :2021/06/26(土) 22:20:52 ID:ZSZp25UE0
くま訳改
馬は己を良馬か否かと問うであろうか。
人はこの刀は利剣と答えるであろうか。

451
羅漢菊
茶褐黄花秋色深 茶褐黄花秋色深し
東籬風露出塵心 東籬の風露出塵の心
天台五百神通力 天台五百の神通力
未入淵明一片吟 未まだゑん明が一片の吟に入らず

柳田聖山先生訳
羅漢菊
茶褐色の羅漢菊が晩秋を彩る
東の垣根は風露に濡れ静寂だ
天台の羅漢らは神通力も衰え
陶淵明の詩情一句に及ばない

くま訳
茶褐色の羅漢菊が咲き誇る晩秋
東のまがきの菊に吹く清らかな風が、俗心をあばき出す。
天台五百羅漢の神通力は、
陶淵明の一片の詩にも及ばない

*東籬風露出塵心:東のまがき、東籬の君は菊をいふ、陶淵明が東籬に菊をうゑしよりいふ(大成脚注)
*天台五百神通力:天台山の石橋は、古来五百羅漢の霊場として大いに崇敬せらる(大成脚注)
*風露:風と露か、露出か?柳田先生と違う解釈をしてみた。
*塵心(じんしん):俗塵に汚れた心。俗世間の名利をむさぼる心。俗心。
(´・(ェ)・`)つ

591 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/27(日) 21:18:17 ID:1d4drIFg0

それでよいのじゃ。
羅漢の菊じゃな。

茶褐黄色の花が咲いて秋が深いのじゃ。
東籬の風は塵心を露出するのじゃ。
天台の羅漢五百人の神通力は、
陶淵明の一片の詩にも入らないのじゃ。

592 避難民のマジレスさん :2021/06/27(日) 22:27:26 ID:.vBRUEPs0
452
示入定僧     入定僧に示す     
塵縁塵境萬端稠 塵縁塵境萬端しげし
到此誰人截衆流 ここに到って誰人か衆流をきらん
誓心決定魔宮動 誓心決じゃうすれば魔宮動く
長信西風琪樹秋 長信の西風き樹の秋

くま訳
禅定に入ろうとする僧に示す
俗世間との関係、諸々の感覚の対象は煩わしいものでる。
であれば、この世の妄想や気を散らす邪魔な考えを完全に断ち切ろうとする者は誰かいないか、
強い決意さえあれば、魔宮でも動かせるのだ
長信愁詞のように、ただ嘆いているだけでは取り逃がしてしまうのである。しっかり、定をつかまえるのだ。

*入定:原義は単に「禅定に入る」
*塵縁:俗世間のわずらわしい関係。世俗とのつながり。
*塵境:六根の対象となる、色・声・香・味・触・法の六塵。
*稠し:おおい。しげる。こ(濃)い。こみあう
*截断衆流(せつだんしゅる):この世の妄想や気を散らす邪魔な考えを完全に断ち切ること。「截断」は断
 ち切ること。「衆流」は様々なものの流れという意味から、雑念や煩悩のたとえ。「衆流を截断す」
*琪樹:(きじゅ)玉のように美しい木。雪をかぶった木のさま。
*西風:秋風。
*長信の西風き樹の秋:李白が長信秋詞の詞に曰、「眞成薄命久しく尋思す、夢に君主を見て覚めて後疑ふ、
 火は西宮を照らして夜飲を知る、分明に複道恩を奉ずる時」と。夢に見る位では到底駄目である、現に之 
 れをとらへなければならぬと云ふ意なり・・と(大成脚注)にありましたが、長信秋詞は・・王昌齢 の作 
 らしいのである。
長信秋詞 王昌齢
長信宮に孤独な秋の夜を過ごす班はん婕しょう妤よの嘆きを歌ったもの。。
王昌齢 … 698〜755。盛唐の詩人。727年進士に及第。秘書省の校書郎に任ぜられたが、素行が悪かったた
め、左遷された。のちに安禄山の乱が起こったので故郷に逃げ帰ったが、殺されたという。李白とともに七
言絶句の名手として有名。。

眞成薄命久尋思 真成に薄命なるかと久しく尋思し
夢見君王覺後疑 夢に君王を見 覚めて後疑う
火照西宮知夜飮 火は西宮を照らして夜飲を知しる
分明複道奉恩時 分明なり 複道に恩を奉ぜし時

真成 … ほんとうに。真実に。
薄命 … 不幸せなこと。不運。薄運。
尋思 … いろいろ考えること。次々と思いをめぐらすこと。
西宮 … 長信宮。
夜飲 … 夜の酒宴。
分明 … ありありと、はっきりとしていること。
複道 … 上下二重の宮中のわたり廊下。上は天子、下は臣下が通る。
奉恩時 … 天子の寵愛を受けたとき。"

*長信(ちょうしん、1014-1072年:平安時代中期の真言宗の僧侶。1054年には東寺と真言宗全体の長であ 
 る第29代東寺長者に任じられて法印に昇進する。1066年)権僧正となり、この年の旱魃に際して僧侶20 
 人を率いて雨乞いの修法を行った。1070年には僧正に任じられて、後三条天皇の信任が厚く、この年に
 は百官を連れて長信の元を訪れ、封戸25戸を下賜された。
(´・(ェ)・`)つ

593 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/28(月) 20:59:43 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

入定する僧に示すのじや。

入定しようとすれば万端の塵の如き縁と塵の如き境界が激しく襲い掛かるじゃろう。
そのような心境に至っても誰か衆流を切ろうとすれば、
その誓心の決定が魔宮をも動かすのじゃ。
西風の長い便りが宝樹を揺らして秋を知らせるようなものじゃ。

594 避難民のマジレスさん :2021/06/28(月) 22:40:45 ID:vmWuQ8p20
くま訳全面改
入定しようとすれば万端の塵の如き縁と塵の如き境界が激しく襲い掛かるであろう。
そのような心境に至っても誰か衆流を切ろうとすれば、
その誓心の決定が魔宮をも動かすのだ。
西風の長い便りが宝樹を揺らして秋を知らせるようなものである。

453
圓悟大師投機  圓悟大師の投機
沈吟小艶一章詩 沈吟す小艶一章の詩
發動乾坤投大機 乾坤を発動して大機を投ず、
撃竹見桃若相問 きゃく竹見桃若し相問はば、
須彌脚下石鳥龜 しゅみ脚下の石うき

蔭木英雄先生訳・解説
(園悟禅師は)小艶詩を静がに吟じて
天地を動かし仏祖の機(はたらき)に合致して大悟した  
香厳和尚の撃竹や霊雲禅師の見桃(の大悟の契機)をもし問う者がいたら
ワシは「二人とも須弥壇下の黒亀のような大馬鹿者じゃ」と答えようぞ。(小艶詩はすばらしい)

一休の師の華聖宗曇は諡号を大機弘宗禅師というので、承句は起句と同様、一種の懸詞である(禅文学では
機縁の語という)。従って起承句は、
わし(一休)も小艶詩を吟じて、天地を憾がして華叟老師に参禅した。と解釈する事が可能である。香厳智
閑と霊雲志勤とが、石烏亀の如くに不動であったのに対し、園悟と一休とは、小艶詩を吟じて天地を震憾さ
せたのだった。

くま訳
円悟大師の悟りについて
小艶詩をじっくりと吟じて、
天地を動かして、大いなる機に身を投じ、一体となったのだ。
香厳撃竹や霊雲見桃に付いて、もし問う者があれば、
須弥壇の下の石の亀のように、彼等は不動であったとだけ言っておこう。

烏亀(うき)中国語(亀の正式な呼び方)・・亀は首をすくめて甲羅の中に隠れることから、不甲斐ない男
という意味に使われる・・侮蔑語として使われることがあるらしい。
@禅学大成のみ、石烏亀⇒赤烏亀
(´・(ェ)・`)つ

595 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/29(火) 22:00:10 ID:1d4drIFg0
よくできたのじゃ。

円悟大師の投機なのじゃ。

小艶一章の詩を沈吟したのじゃ。
天地を揺るがし大いなる投機を得たのじゃ。
竹を打つ音や桃を見る投機について問われれば
須弥山の下の石の鳥亀の如しというのじゃ。

596 避難民のマジレスさん :2021/06/29(火) 22:56:51 ID:gyukOno20
454
@民友社版、454の詩の題は、「見桃花悟道」である。
 禅学大成と寛永版は、「見桃花圖 二首」、 261の詩と454の詩を分類している。
 ここに於いては、民友社版分類に随った。
参)261の詩「見桃花圖」https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/ >>173
又、民友社版は、玄沙が玄妙となっているが、玄沙と読んだ。

見桃花悟道
開陣玄妙法戦場 陣を開く玄しゃの法戦場
宗門議論老禪場 宗門の議論老禪の場
衲僧遊戯諸三昧 衲僧ゆけ諸三昧
拄杖腰包桃李場 しゅ杖やう包桃李の場

くま訳
桃花を見て悟りを開く件に付いて、   
玄沙師備禪師は法戦場での議論をやめたのだ。
禅宗各派は昔から議論に明け暮れてるのである。
禅僧であれば誰でもお遊びの様に三昧の境地に到れるのだ。
杖を持って行脚をし、錢を持って師匠の試験を受けに行き、悟りの印可をもらう方法を議論する場になって
しまっているのだ。

*開陣:かいじん、陣を開く: 兵を引き揚げ、陣営をあけること。帰陣(きじん)。
*玄沙:玄沙師備禪師なり(大成脚注)
 玄沙師備(げんしゃ しび、835-908年、号は宗一大師。
 30歳まで漁師をしていたが(異説あり)、突然出家を思い立ち、芙蓉霊訓の所で出家した。兄弟子に当 
 たる雪峰義存と意気投合して、共に雪峰山に登って寺院を開創した。
 雪峰門下においては堅固な求道者ぶりから「備頭陀」と称されるほどで、一番弟子として布教を行い、閩 
 の王審知の帰依を受け、師の雪峰と共に政庁で供養を受け、紫衣と宗一大師の号を賜った。
 のちに独立して玄沙院で布教活動を続け、雪峰の禅風を発展させて「十方世界は一顆の明珠」という独自 
 の思想を開発し、やがてそれは羅漢桂琛・法眼文益と受け継がれ、五家七宗の一つである法眼宗へと発展 
 していった。
 864年 出家、道玄律師のもとで具足戒を受ける
 866年 雪峰義存に嗣法
 この世界は全て悟りその物であるという、「尽十方世界は一顆の明珠」という思想を成し遂げ、その豪快 
 な禅風は、多くの弟子を教化した。
*法眼宗https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>665
*拄杖(しゅじょう)つえ。特に、禅僧が行脚(あんぎゃ)のときに用いるつえ。
*腰包(中国語)(腰につける)きんちゃく,銭入れ.(比喩的に)懐,財布.
*桃李:1 桃とすもも。また、桃の花とすももの花。2 《唐の劉禹錫 (りゅううしゃく) の「満城の桃李 
 春官 (しゅんかん) に属 (しょく) す」の詩句から》試験官が採用した門下生。自分がとりたてた人材。

*261の詩、鬼和尚訳解説(2020/12/23(水)再掲
見桃花圖    
見處風流悟道心 見るところ全てが風流であるというのが悟道の心というのじゃ。  
桃花一朶價千金 桃花の一枝さえ千金の値があるように見えるのじゃ。
瑤池王母春風面 それは天の池に居る西王母が春の風に面を向けているようじゃ。 
我約愁人雲雨吟 わしは愁人が雲雨に降られようとも詠い続けることを約束するのじゃ。
(´・(ェ)・`)つ

597 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/06/30(水) 21:27:10 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

霊雲が桃の花を見て悟ったというのじゃ。

玄妙なる法の戦場が開陣したのじゃ。
宗門の議論は老いた禅場なのじゃ。
真の僧は諸々の三昧に遊ぶのじゃ。
杖を腰に包み、桃李の場に休むのじゃ。

598 避難民のマジレスさん :2021/06/30(水) 22:37:55 ID:uGxGcTws0
くま訳改
第二句:宗門の議論は老いた禅場なのだ。
第四句:杖を腰に包み、桃李の場に休むのだ。


455
不飲酒戒    不おん酒戒
痛飲三盃未濕唇 痛飲三盃未まだしんをうるほさず
醉吟只慰楽天身 醉吟只だ慰す楽天が身
稜道者任念氣處 りょう道じゃ念氣のところに任す
宣明酒伴也誰人 宣明酒伴また誰人ぞ

くま訳
不飲酒戒
三杯、ぐっと飲み干しても満足することはない。
酔って吟じ、ただ。ただ身心を安らげるのである。
威光ある仏道を歩むものとして、思うところに任せるのだ。
酒は我が友であると宣言してはばからない僧は他にいるか。

*楽天:自分の運命や境遇を、天から与えられたものとして受け入れ、物事にあくせくしないこと。人生を 
 楽観すること。のんきなこと。⇔厭世。
(´・(ェ)・`)つ

599 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/01(木) 21:58:06 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

痛飲三杯でも唇を潤せないほどなのじゃ。
ただ酔っ払って詩吟をするのが楽しい身なのじゃ。
千鳥足で行く者は気に入りの所に行くのじゃ。
酒を共にすると宣明する者は誰かおらんかのう。

600 避難民のマジレスさん :2021/07/01(木) 22:46:15 ID:DZtocCFw0
くま訳改
第三句:千鳥足で行く者は気に入りの所に行くのだ。

456
誹謗三寶戒
杜撰飯袋悪禪和 杜撰の飯たい悪禪な
塞壑滿溝亡國家 がくにふさがり溝に満ちて國家を亡ぼす
歸依佛法僧檀越 帰依佛法僧の檀のつ
閑看世間殘照斜 閑に看る世間殘照のななめなるを

くま訳
仏・法・僧の三宝をそしることを禁じる戒
杜撰な無駄飯ぐらいの悪辣な禪者達が、
溝をうずめ、谷をふさぐようにそこらじゅうで、幅を利かせると国が滅びてしまう。
仏・法・僧に帰依する檀家さんたちは、
落ち着いて世間の残照を見るのだ、斜に構えて見るようにするのだ。騙されてはいかんのだ。

*謗三宝戒(ほうさんぼうかい)
 仏・法・僧の三宝をそしることを禁じた戒。このようなことを誰かに教えて、させることも禁止されてい 
 る。不誹謗ふひほう三宝戒、毀謗きほう三宝戒、助謗じょぼう三宝戒などともいわれる。菩薩は、仏教徒 
 以外の人や悪人が仏をそしるのを聞いたときには、自らの心が切り刻まれるような思いをすべきであり、 
 また人々を教え導くことを役目とするのに、自ら三宝をそしり、あるいは他人に三宝をそしらせ、悪人を 
 増長させ間違った考えを助長させるのであれば、波羅夷罪とされるのである。
*"壑(ガク・たに・ みぞ)
 渓壑1 深い谷。渓谷。2 深い谷川の水は尽きないところから欲望が次から次と起こって満足を知らない 
 ことのたとえ。
 填溝塞壑:「溝に填ち壑を塞ぐ」と読み、別々の物が一体になっている様子を示す言葉。
 而今の大悟は、自己にあらず、他己にあらず、きたるにあらざれども、填溝塞壑なり、さるにあらざれど 
 も切忌隨他覓なり。 『正法眼蔵』「大悟」
*「填溝塞壑」(みぞをうめたにをふさぐ)
 少しの隙間もなく(真理で)満たされていること。<あたり一面真理で満たされているにもかかわらず、   
 それに気付く者がいない>と碧巌録には記述されている。【碧巌録・宋】
*檀越(だんのつ だんおつ)〈梵〉dāna-patiの音写。施主の意》寺や僧に布施をする信者。檀那。檀家。
(´・(ェ)・`)つ

601 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/02(金) 21:59:32 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

三宝を誹謗するのを禁じる戒じゃな。

杜撰な飯袋の悪禅者は、
谷に落ち溝に満ちて国家を滅ぼすのじゃ。
仏法僧に帰依する檀家の者は
静かに世間を斜めの残照から見るのじゃ。

602 避難民のマジレスさん :2021/07/02(金) 23:19:15 ID:Vo1wDGXs0
457
寒夜嘆雪山鳥  寒夜雪山の鳥をたんず
朝來公案晩來吟 朝來の公案晩來吟ず
求食忘巢前業深 じきを求め巢を忘じて前業深し
晝夜人人雪山鳥 昼夜にんにん雪さんの鳥
無間苦痛月沈沈 無げんの苦痛月沈沈

くま訳
夜寒さを嘆く雪山の鳥
朝が来ると公案に取り組み、夜になると詩を吟じる
食(欲)を求め、巣作り(やるべきこと)を忘れる。前世の業が深いのだろう。
昼夜別なく、皆、雪山の鳥の苦を思わねばならぬのだ。
無限に苦痛は続くのだ。風流な月は沈んでゆくのだ。 

*雪山の寒苦鳥 大谷大学HP
 印度の雪山( せつせん)、高みなる故夜の寒気、それはそれはすさまじく草木も凍るが、昼また陽光あ 
 たたかなり。この雪山に、寒苦鳥と名付く鳥あり。夜は寒苦に堪えず、岩の間( はざま)に身をおいて、
 がたがたとふるえ乍ら、「明日は必ず巣を作らん、明日は必ず巣を作らん」と鳴いて一夜を送り、夜明く 
 れば、朝日の暖かさにたちまち寒苦を忘れ、一日を遊び呆け、夜はまた寒苦に泣くとある。
 近世後期の法座手控の類に多く見える故、寺院における法談の隆盛と共に成長した説話であろう。
 ただし、これは生活の中の仏教用語ではなく、我々の心の実際の有様を、「怠惰から生れた希薄な決意な 
 ど、何の役に立とうか」と喝破した、仏教の眼である。
*前業:前世の業因。これによって現世の禍福が定まるとされる。先業
(´・(ェ)・`)つ

603 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/03(土) 21:10:17 ID:1d4drIFg0

それでよいのじゃ。
雪山の寒苦鳥の嘆じゃな。

朝に公案を練り、夜に詩吟するというのじゃ。
食を求めて巣を忘れる前世の業の深さなのじゃ。
昼夜人々は寒苦鳥を思うのじゃ。
無間地獄の苦痛に人は嘆くも、月は沈んでいくのじゃ。

604 避難民のマジレスさん :2021/07/03(土) 23:03:02 ID:cSbDI/2w0
458
畫虎      画虎
覿面當機誰一拶 てき面当機誰か一拶せん
寒毛卓竪老岩頭 寒毛卓じゅ老岩頭
恠哉儞在扶桑國 あやしいかななんじ扶桑國にあり、
凛凛威風四百州 凛々たる威風し百州

くま訳
画虎
まのあたりに、正面対峙して、ためしてみようなどと誰も思うまい。
盗賊に殺される際にも、大いに吼ゆること一聲した岩頭和尚でさえも、身の毛もよだつ恐ろしさを感じるだ
ろう。 
不思議なことである。汝は日本国に居る、
なのに、その凛々たる威風堂々の姿は全世界に知れ渡っているのだ。

*覿面:「まのあたり」といふことなり(大成脚注)
*老岩頭:岩頭和尚、常に曰、「死にあたて正に一吼すべし」と。唐の光啓中、仲原賊起り、師を責むるに、 
供の饋(おく)ることなきを以ってし、遂に刄を倳(し)するに、神色自若、大いに吼ゆること一聲し了って
 寂す、其の意気又比すべきか。(大成脚注)
*一拶(いっさつ):(「拶」は強くふれる意) 禅家で、禅者同士が出会うときに、ことばや動作で相手をた 
 めすこと。
*寒毛卓堅(かんもうたくじゅ):恐れあわてるるさま。悚然(しょうぜん)
*四百州:中国全土のこと。
*伊井暇幻先生訳・解説抜粋
 画虎よ、オマエと真正面から出会い頭に顔を合わせ、誰が落ち着いて世辞なんぞ言えようものか。
 侵略軍に包囲されてもジタバタするどころか、却って殺された瞬間に生命の重さを主張し暴力を叱咤して 
 遙か彼方まで聞こえる叫びを上げた豪毅な岩頭老和尚でさえ、鳥肌を立て恐ろしがるに違いない。
 不思議なことだ。画虎よ、オマエは日本にいる。
 なのにオマエの発する威風は、中国全土さえ圧している

 一休は、「自山中帰市中」で他の禅僧に負けぬ宗教倫理を堅持していることを宣言した。当然、反論が予 
 想される。女郎街に入り浸る破戒僧が何を云うか、と。対して一休は、老婆焼庵の公案を引き合いに出し、
 「清浄の沙門」をこそ糾弾する。更に「画虎」で、自分は甚だ強固な倫理を以て自律していると主張する。
 狂雲集に載す「画虎」は、表面上の破戒を繰り返す一休が心に秘めた宗教倫理であった。

*自山中帰市中:https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>959 165の詩


*くま質問
「儞在扶桑國」この儞(なんじ)とは、一休さん自身のいことでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

605 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/04(日) 23:56:51 ID:1d4drIFg0
↑岩頭和尚のことじゃな。
扶桑國とは神仙が住むという仙境なのじゃ。
虎の絵の賛にみせかけて岩頭和尚の賛じゃな。

誰が面と向かって挨拶できるじゃろうか。
岩頭和尚にあえば皆恐れるのじゃ。
災いにあって和尚は仙境に在るが、
威風凛々として中国全土に名は轟いているのじゃ。

606 避難民のマジレスさん :2021/07/05(月) 00:10:29 ID:d.4pDBUY0
くま訳全面改
誰が面と向かって挨拶できるだろうか。
岩頭和尚にあえば皆恐れるのだ。
災いにあって和尚は仙境に在るが、
威風凛々として中国全土に名は轟いているのだ。
9
寄南江山居   南江の山居に寄す
天下禅師賺過人 天下の禅師人をけん過 す
黒山鬼窟弄精神 黒山鬼窟に精神を弄す
平生杜牧風流士 平生杜牧は風流士の
吟断二喬銅雀春 吟じ断つ二喬けう銅雀の春

くま訳
山居している 南江宗沅に送る
天下の禪師は人をたぶらかしてるのである。
邪悪な外道が精神を疲れさせてるだけなのだ
つねひごろ、杜牧は風流な人であった
天下分け目の赤壁の戦いを、二人の美女が曹操のものになっていたかという詩にまとめてしまっているのである。

*南江宗沅(なんこうそうげん)1387-1463僧,五山文学者。一休を師として参禅に励むかたわら、堺で 
 ともに遊んだ。https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>822 126の詩
*野毛孝彦先生解説:一休と同じく淫坊を往来して女を愛した南江に対して、杜牧と同じ悠々たる風流の士 
 であることを詠んだもの。"
*賺過:たぶらかす を云ふ(大成脚注)
*黒山鬼窟(こくさんきくつ):不浄な苦悩に満ちた山やおそろしい鬼などの住むほらあな。転じて、蒙昧 
 な外道(げどう)の世界のたとえ。仏道以外の邪悪な世界。 
*二喬銅雀春:杜牧之の赤壁の詩に曰く、「折戟沙を沈めて恨み未だ鎮せず、自磨洗を将って前朝を験めす、 
東風周郎の與に便ぜずんば、銅雀春深うして二喬を鎖さん」と。赤壁の戦いに曹操、周瑜の爲に破れ、二
 喬をとらる。(二喬は二人の美女、喬公の両女をいふ。)(大成脚注)

*おまけ
折戟沈沙鐵未銷 折戟(せつげき)沙に沈んで 鉄未だ銷せず
自將磨洗認前朝 自ら磨洗をもつて 前朝を認む
東風不与周郎便 東風 周郎の与に便せずんば
銅雀春深鎖二喬 銅雀 春深うして 二喬を鎖(とざ)さん

左大臣光永先生HP訳・解説抜粋
砂の中に折れた矛が埋もれていた。
掘り出してみると鉄はいまだにさび付いていない。
自分で磨いてみると、まさに三国時代のものとわかった。
もし赤壁の戦いで、呉の周瑜や蜀の諸葛亮が望んだように東風が吹かなかったら、
美人で名高い大喬・小喬姉妹は魏の宮殿【銅雀台】に捕らえられ、曹操の慰みものにされていただろう。
赤壁の戦い(208年)は、孫権・劉備連合軍が曹操軍を破った戦いです。               

この時、孫権軍の最高司令官周瑜は、武将黄蓋の策を容れて魏の船団の密集している所を焼き討ちにします。
この策が成功するにはどうしても東南の風が吹くことが必要だったのです。それを孔明が天に祈って風を吹
かせたという話です。                                      
周瑜公瑾(175年 – 210年)「美周郎」などといわれ、イケメンの印象が強い人です。大喬・小喬姉妹は呉
の喬玄の美人姉妹。 姉の大喬は孫策に、妹の小喬は周瑜に嫁ぎました。              
【折戟】 折れた矛。 【未銷】 まだ錆びていない。
【前朝】 以前の王朝。三国時代。 【銅雀】 曹操の宮殿。銅雀台。
(´・(ェ)・`)つ

607 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/05(月) 21:20:13 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

天下の禅師は布施を稼ぐめに人をだますのじゃ。
里山や鬼窟で精神をもてあそぶのじゃ。
平生は風流士として通っていた杜牧が、
詩では二喬が銅雀台で春を詠っていたであろとう断じるようなものなのじゃ。

608 避難民のマジレスさん :2021/07/05(月) 21:47:01 ID:7xB60k7w0
460
佛成道     仏じゃう道   
天上人間称獨尊 天上人間獨尊と称す
今朝成道受誰恩 こんてう成道たれか恩を受く
分明衲子流星眼 ふんみょうなりなっす流星のまなこ
便是瞿曇的々孫 すなはちこれぐどんてきてきのそん

くま訳
この全宇宙で人間のみができる、たった一つの尊い目的があるのだ。
釋迦が成道されたことによる恩義を、今、受けているのは誰であろうか、
それは、修業する禅僧であることは、彼らの眼の輝きを見れば明らかである。
すなわち、ゴータマの教えが正しく伝わっているのだ

*瞿曇 (くどん)〔梵 Gautama〕仏教の開祖釈迦の姓。ゴータマ。
(´・(ェ)・`)つ

609 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/06(火) 21:48:20 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

仏陀の成道じゃな。

天上天下唯我独尊と称するのじゃ。
今、誰がその成道の恩を受けているじゃろうか。
目を光らせた今の僧であることは明らかなのじゃ。
即ちこれらのものがゴータマの後々の孫なのじゃ。

610 避難民のマジレスさん :2021/07/06(火) 22:31:36 ID:Xw4gRdPM0
461
太平正工夫   太平しゃう工夫
天然胡亂正工夫 天然うろんの正工夫
昨日聡明今日愚 さくじつの聡明こんにちの愚
宇宙陰晴任變化 宇宙の陰晴變化に任す
一囘斫額望天衢 一回しゃく額して天くを望む

くま訳
世の中が平和に治まるための工夫
天性怪しい人の工夫
昨日は聡明だったのに、今日は愚かだったり、
宇宙全体、はっきりしたり、ぼやけたり、変化に任せる
一度額に手を当てて、天への分かれ道を考えてみる。

*太平: 世の中が平和に治まり穏やかなこと。また、そのさま
 太平興国南禅禅寺:臨済宗南禅寺派の総本山。瑞竜山と号し,正式には太平興国南禅禅寺という。
*胡亂(うろん)1 正体の怪しく疑わしいこと。また、そのさま。2 確かでないこと。真実かどうか疑わし 
 いこと。また、そのさま。3 乱雑であること。また、そのさま。
 中国語はっきりしない、あやしげな。うさんくさい。いい加減な、でたらめな。
*陰晴:曇りと晴れ。晴曇(せいどん)。"
*斫額望汝(しゃくがくして汝を望まん。さだめし人はみな額に手をかざして遙かにお前を見上げて、敬遠 
 することであろうて)
(´・(ェ)・`)つ

611 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/07(水) 23:47:42 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

太平の世の正しい工夫というのじゃ。

正しい工夫などもとから天然胡乱なものじゃ。
修行者は昨日は聡くても、今日は愚になったりするからのう。
宇宙の陰晴の変化に任せるのじゃ。
一度は額に手を当てて天国を望むと善いのじゃ。

612 避難民のマジレスさん :2021/07/08(木) 01:48:57 ID:GUxYpGdQ0
462
不行成佛    成仏を行ぜず
天然之釋迦彌勒 天然の釋迦彌勒
六六元来三十六 六六元来三十六
達磨九年佛六年 達磨く年佛六年
成佛作祖盡精力 成佛作祖精力を尽くす

くま訳
死んで成佛するための修行ではないのである。
本来、元から釈迦・彌勒なのだ。
六根六境、感覚や意識とその認識対象を分別し、認識主体ありとする凡人も、本来仏なのだ。
達磨は九年、釈迦は六年修行したのだ
仏であることに気付く為に全精力を尽くすのだ

*六六元来三十六https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>959 166の詩
(´・(ェ)・`)つ

613 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/08(木) 21:58:38 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

仏は成るものではないというのじゃな。

釈迦も弥勒もありのままのものなのじゃ。
六根六境は元から三十六なのじゃ。
達磨は九年、お釈迦様は六年
祖師は精力尽きて成仏をなしたのじゃ。

614 避難民のマジレスさん :2021/07/08(木) 22:27:42 ID:lR2AhK260
463
亂中大嘗会   乱中大嘗会  
當今聖代百王蹤 当今の聖代、百王のあと、
玉体金剛平穏客 玉体金剛平穏のすがた 
風吹不動五雲月 風吹けども動ぜず、五雲の月、 
雪圧難摧万歳松 雪おせどもくだけ難し、万歳の松。
 
『雑学の世界』HP解説・訳 抜粋(年表解説含む)
文正元年(1466)12月後土御門天皇の大嘗会(だいじょうえ)に対して、彼は「乱中大嘗会」と題し、次のよ
うに詠んだのである。

現在今上(きんじょう)の御代は、歴代の帝王の後裔によるが、
その帝のお体は金剛石のごとく不動で安らかである。
この皇位は風が吹いてもびくともせぬ五色の雲中の月のごとく、
雪が積もってもくだけることなく、万年の寿(ことぶき)を保つ松のようである

*亂中:(1466年文正元年 一休73歳-市川白弦氏・関連略年表)
 四月義政宴楽にふける。費用巨額。加えて大嘗祭挙行。諸国の疲弊甚しく諸将臨時の課役に堪えず、しき 
 りに民戸に強要し富家に借り、徳政を行って返却せしめず。四民蜂起売米売酒を劫掠。「悪党」ら酒屋・
 土倉に乱入、所々に放火、馬借、下層町人ら加わる。奈良馬借一揆。興福寺等の学侶ら武装出陣。
 これは応仁の乱の前夜で、乱世を作る物騒(ぶっそう)な世の中である。だから皇位も世相も決して一休の
 詠んだように「風吹けども動ぜず」「雪圧せども摧け難し」というものではない、・・・、(大嘗祭)これ 
 は皇室の権威をできる限り取り戻そうとする大事な行事だから、一休は口を極めて賛美したのである。。

くま訳
乱中大嘗会  
今上陛下は、歴代の後裔であります。
お体は金剛の様にお強く、平穏なおすがたであります。 
風吹けど動ぜず、五月の雲の中の月のようであります。 
積雪でくだける事の無い、万歳の松のようであります。
(´・(ェ)・`)つ

615 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/09(金) 21:52:48 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

乱の中の大嘗会じゃな。

今の天皇陛下は百王の後裔なのじゃ。
その玉体はダイヤモンドのように平穏なのじゃ。
風吹けど動じない五色の雲の月なのじゃ。
雪が積もっても砕けない万歳の松なのじゃ。

616 避難民のマジレスさん :2021/07/09(金) 23:12:24 ID:OqAvNVVA0
464
作偈博飯喫   偈を作りはんにかへて喫す
來往東山昔如今 とうざんに来往す昨日今日の如し
飢時一飯価千金 き時の一飯あたひ千金
茘支素老仏魔話 茘支素老仏魔の話
慙愧詩情風月吟 慙愧す詩情風月の吟

蔭木英雄先生訳・解説抜粋
東山建仁寺に昔も今も往来し  
空腹時の一椀の飯は千金の価値がある
茘支をたべた清素は仏魔の話をしたが  
ワシば飯をたべ詩情を抱いて風月を吟じるのははずかしい

一休は周建と称した少年時代、
東山建仁寺の慕喆龍攀(ぼてつりゅうはん)につき「三体詩」を」学んだ。・・・兜率従悦(とそつしょうえつ
1044-1091)は淸素首座に茘子を献じたあと、自分の修行経過や見解を述べた。すると清素は、
只だ仏に入るべきも、魔に入るべからず。須らく知るべし、古徳の、「末後の一句始めて牢関に到る」と
謂いしことを。
と述べ、兜率を導いた。― この禅宗史話を踏まえて転結句を解釈しなおすと、
(故郷の果物の)茘子を食った清素首座は、(茘子をくれた兜率に)仏魔の公案を与えて接化教導した。とこ
ろが、作偈の代償に飯を食ったワシは修行者を指導することなく風月を吟じているのが愧かしいわい。となる

くま訳
偈を作り売って飯を食う
東山建仁寺に昔来ていたのが、まるで昨日のようだ。 
飢えてる時の一椀の飯は価千金である。
茘支をたべた素老は仏魔の話をしたが、  
ワシは食うために、風月に対する詩情を吟じるのははずかしいのである
(´・(ェ)・`)つ

617 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/10(土) 23:04:24 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

偈を作り飯にかえて食べるのじゃ。

東山に来たら昔が今の如しなのじゃ。
餓えた時の一飯は価千金なのじゃ。
素老は茘支で仏魔の話をしたが、
わしは詩情で風月を吟詠するだけで恥ずかしいばかりなのじゃ。

618 避難民のマジレスさん :2021/07/10(土) 23:37:33 ID:caBPdlkw0
465
因亂寄坊城小納言詩 乱に因りて坊城少納言に寄す 詩
當代菅儒小納言 当代菅儒少納言
詩文家業動乾坤 詩文の家業乾坤を動かす
英雄亂世好風月 英雄乱世に風月を好む
長劍大弓酬主恩 長劍だいきゅう主恩にむくゆ

くま訳
戦乱に際して、坊城少納言に寄す
当代の菅儒小納言殿、
詩文の家業は天下を動かすものであります。
英雄は乱世においても風月を好むものであります。
長劍、大弓で主恩に酬いるのであります。

*wikiによると、東坊城和長が少納言に叙せられたのは、一休さんの死の5年後でありますが、おそらく、 
 この人の事でありましょう。
 東坊城和長の『和長卿記』1494年の条に「秘伝に云う、一休和尚は後小松院の落胤の皇子なり。世に之 
 を知る人無し」とある
 1479年には文章得業生となり、1486年に少納言を兼ね、同年11月15日に従五位上に叙された。1520年 
 に権大納言に任ぜられる。1522年に氏長者「北野の長者」に任ぜられる。同年に権大納言を辞任。1529 
 年、薨去。享年70。
 和長が8歳の時に始まった応仁の乱によって、朝儀に必要な有職故実や紀伝道の知識も喪失の危機にあっ 
 た。こうした状況の中で和長は菅原氏の紀伝道をこれまでにない方法で再興し、存続させると言う課題に 
 取り組むことになった。元来、紀伝道とりわけ菅原氏の人々の間では古来から受け継いできた伝統的な学 
 説を守り続けることが最も重要なことと考えられ、自らの手で新たな説を立てたり、著作を書いたりする 
 ことには積極的ではなかった。和長もこの考え方を重要視し、例えば紀伝儒(紀伝道に伝わる儒学)を正 
 統視する立場から五山の宋学などの新しい学問に対しては批判的な態度を取っていた。
 当時の紀伝道の人々は文章家として、仏事などの行事に用いられる願文や諷誦文、祭文などの制作を依頼 
 されることが多かった。

 東坊城家(本姓・菅原氏高辻庶流五条庶流)は、五条長経(1242-1315年)の次男東坊城茂長(1284–1343 
 年)を祖とする堂上家である。ただし、茂長の時代には「坊城」と称し、孫の秀長・言長兄弟の時代に分 
 立して「東坊城」「西坊城」と称したことから、秀長をもって祖をする考え方もある。極官は室町時代の 
 東坊城益長(1407–1474年)以降、代々文章博士・大学頭・少納言・大蔵卿等を経て権大納言を極官とす 
 る。家業は紀伝道で、代々天皇の侍読を務めた。歴代当主の中には漢学の才を認められる者も多い。
(´・(ェ)・`)つ

619 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/11(日) 22:29:18 ID:1d4drIFg0
昔の官位は貴族の世襲だからわかっていたのじゃろう。

それでよいのじゃ。

乱によりて坊城小納言に寄す詩なのじゃ。

当代の菅儒者である少納言なのじゃ。
詩文の家業は天地も動かすのじゃ。
英雄は乱世でも風月を好むのじゃ。
長劍大弓で主恩に報いるのじゃ。

620 避難民のマジレスさん :2021/07/11(日) 22:54:37 ID:XE3BOl/w0
466
賛達磨大師半身 達磨だい師の半身を賛す
東土西天徒弄神 東どさい天いたずらに神を弄す
半身影像現全身 半身のやう像全身を現ず
少林冷坐成何事 少林冷坐何事をか成す
香至王宮蕙帳茵 香し王宮けい帳のしとね

くま訳
賛達磨大師半身 
東土日本も、西の天竺も、誠の信心があやしくなってきている。
半身の御姿から、全身を現すように見える絵である。
少林寺で坐禅修行に打ち込んで、成し遂げたことは偉大である。
南インドの香至国の王宮のきらびやかな部屋で生誕されたのだ。

*1465(寛正 6)72歳の時に、弟子の黒渓の描いた達磨の図に書いた賛。真珠庵に秘蔵。↓
 https://teaceremonytouan.com/blog-entry-366.html?sp
*香至王宮蕙帳茵:達磨は南印度香至國王の第三王子なり、蕙帳の裡に生れて、かくの如き難行苦行をなさ 
 るをいふ。(大成脚注)
*達磨:(378-528):南インドの香至国の国王の三男。名前、菩提多羅。
*神弄(かみいじり): 誠の信心からではなく、みえや形式だけで神参りすることをとがめていう語。神い 
 びり。神せせり。神なぶり。 
*蕙帳(けいちょう)(「蕙」は、かおり草) 蕙の模様のあるとばり。また、それをかけた部屋
*おまけ:達磨(長南瑞生先生解説)(378-528)は、南インドの香至国の国王の三男として生まれ 
 ました。名前を菩提多羅といいます。
 菩提多羅が7歳のある日、行脚の旅をしていた般若多羅という僧侶が香至国を訪れました。
 国王が宮中に招いて教えを受けると、尊い仏教の教えを説いたので、お礼に宝珠を贈りました。
 そして、3人の王子たちにも挨拶させると、般若多羅はこう言いました。
 「国王から頂いたこの宝珠は、まことにすばらしいものです。王子様がた、この世には、この宝珠以上の 
 宝は、果たしてあるものでしょうか?」
 第一の王子はこう答えました。
 「この宝珠は、この国最高の宝物です。この世にこれ以上の宝物はありますまい」
 第二の王子もこう答えます。
 「兄の言う通り、尊者のような高徳の方のみに許される最高の宝です」
 上の2人はこの世にこれ以上の宝はない、という答えだったのですが、第三王子の菩提多羅は違いました。
 「確かにこの宝珠はすばらしい宝です。しかし、何が最高の宝かといえば、正しい教えこそが、最高の宝 
 でありましょう。この宝珠もすばらしい輝きを放ちますが、智慧の光こそが最もすばらしい輝きを放つも 
 のと思います」
 この立派な答えに感心した般若多羅は、出家を勧め、国王も承諾しました。
 やがて国王が病気になり、苦しんで亡くなりました。
 その姿を見た菩提多羅は
 「死んだらどうなるのだろう」
 と思いました。7日間瞑想して考えましたが、わかりません。
 菩提多羅はこれをきっかけに出家し、般若多羅に弟子入りしたのでした。
 このとき菩提多羅は「菩提達磨」という名前をもらい、般若多羅の弟子として、厳しい修行に打ち込みま 
 した。40年以上の厳しい修行の末、ついに一人前と認められたのです。
 お師匠さまに、
 「どこへ仏教を伝えに行ったらよろしいでしょうか」
 とお尋ねすると、驚くべき答えが待っていました。
 「お前は一人前になったといっても、有頂天になって自惚れるでない。私の元でこの後も修行を続けるの 
 じゃ。ただし、私が死んだら67年間、インド中をくまなく歩いて仏教を伝えるがよい。その後は中国へ 
 渡って、仏教を伝えるのだ」
 こうしてしばらくの間師匠のもとで修行を続け、般若多羅が亡くなってから、旅に出たのです。
(´・(ェ)・`)つ

621 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/12(月) 21:50:23 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

達磨大師の半身の賛なのじゃ。

東土西天は徒に神をもてあそぶだけなのじゃ。
半身の影像でも全身を現しているのじゃ。
少林寺で座禅して何事を成し遂げたのじゃろうか。
王宮の帳のしとねは至高の香気がまだ漂っているのじゃ。

622 避難民のマジレスさん :2021/07/12(月) 22:46:37 ID:H3hNGvDU0
くま訳
賛達磨大師半身 
第一句:東土西天は徒に神をもてあそぶだけなのだ。

『修証義』第三章 第十一節 禅の視点 - life -Hp訳

次には深く仏法僧の三宝を敬い奉つるべし、生をかえ身を易えても三宝を供養し奉らんことを願うべし、西
天東土仏祖正伝する所は恭敬(くぎょう)仏法僧なり。

life -Hp訳
仏の道を歩む者は「真実を悟った者」「真実についての教え」「真実に沿って生きる人々」の3つの宝を尊
重しなさい。
生まれ変わり死に変わってもこの三宝(さんぼう)を尊重し続けるような強い志しを持っていなさい。
インドから中国へ、中国から日本へと伝わってきたブッダの教えの根本にあるのは、この3つの宝を敬う心
である。


467
嫌佛閣
徳嶠韶陽門大開 徳けうせうやう門大いに開く
喚爲嫌佛一楼臺 よんでけん佛の一楼台となす
這般知識説邪法 しゃ般の知識を邪法を説く
問話者從魔界來 問なの者は魔界より來たる

くま訳
仏嫌いの御殿
徳が極めて高いという 韶陽以遠 が、大雄山最乗寺第二代住持となった。
人よんで、仏嫌いの殿堂となす
そんな坊主が邪法を説くのである
信者は魔界から来るのであろう。

*徳嶠*嶠は山が鋭く高い意味。
*韶陽以遠(しょうよう いおん):室町時代の曹洞宗の僧。)相模(さがみ)(神奈川県)最乗寺の了庵慧明
(りょうあん-えみょう)に師事し,その法をつぐ。丹波永沢(ようたく)寺(兵庫県)の住持をへて,応永(1394-
1428)のころ最乗寺2世となった
*韶陽豆知識①:天正10(1582)年10月10日(信長の百か日)、豊臣秀吉が信長の後継者として大徳寺で盛大
 な葬儀を執り行った。織田信長6女/三の丸殿 (韶陽院) は氏郷の養女として豊臣秀吉の側室となる。
 うむ。一休さん没後100年以上たってからでありますが、妙心寺の韶陽院という建物に、信長の6女がす 
 んでいたらしい。
 韶陽②:雲門宗のこと。韶陽は、雲門大師が韶州雲門山に住するによる
*問話(もんな): 問禅のこと。また広く、禅寺で修行者が疑問を師家などに問うこと。
(´・(ェ)・`)つ

623 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/13(火) 23:45:55 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

仏嫌いの閣殿じゃな。

傲慢な韶陽が門を大いに開いたのじゃ。
人呼んで仏嫌いの一楼閣なのじゃ。
ここの僧は邪説を唱えるのじゃ。
それを聞く者は魔界から来たものじゃ。

624 避難民のマジレスさん :2021/07/14(水) 00:03:38 ID:XTDObFBA0
くま訳改
第一句:傲慢な韶陽が門を大いに開いたのだ。

468
病中作     病中の作
徳山捧兮臨濟喝 徳ざんの捧臨濟の喝
嘆我破他機境奪 嘆ず我れ他の機境に奪はるることを、
若人問馬祖不安 若し人馬祖の不安を問はば、
慙愧一生相如渇 慙愧す一生しょうじょが渇

くま訳
病中の作
気合だ!気合だ!
嘆かわしいのは、わしの根気と観察対象が病に奪われていることである。
若し、わしが、馬祖と同じように、不安があるかと問われたら、
司馬相如が一生病に苦しむ中で書き続けた立派な文章程のものが書けてないのではないかと恥かしく思うの
である。

*機境;行者の根機こんき (素質能力) と観察かんざつの対象のこと。
*問馬祖不安:馬大師、不安、院主問ふ、「和尚近日尊候如何。」大師曰く、「日面佛、月面佛」と。即ち 
 馬祖の面目は日月寒暑昼夜春愁の如く、安不安によりて別状あるなしとの意。もし一休がかくの如き問を 
 うけたならば何と答ふべきと。(大成脚注)
*相如渇:司馬相如一生消渇の病に苦しめども、其の一代の文章に於ける実に見るべきものあり、正に之に 
 恥づべきものか。(大成脚注)
(´・(ェ)・`)つ

625 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/14(水) 22:02:20 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

病の中の作というのじや。

徳山の捧と臨濟の喝
わしは他のもの心を奪われることを嘆くのじゃ。
もし人が馬祖の不安を問うならば、
一生相如の渇に囚われることを慙愧するのじゃ。

626 避難民のマジレスさん :2021/07/14(水) 23:19:20 ID:IU0vfEmI0
469
賛普化     普けを賛す
徳山臨濟奈同行 徳山臨済、同あんをいかんせん、 
街市風顚群衆驚 街市の風てん群衆驚く。
坐脱立亡多敗闕 坐脱りゅうぼう敗けつ多し、
和鳴隠隠寶鈴聲 くわめい隠々たり宝れいの声。

柳田聖山先生訳
徳山の棒、臨済の喝も、(普化が)一緒ではどうにもならず、
町のフーテン沙汰は、群衆を慌てさせる。
座って死んでも、立って死んでも、(普化の死にようには)到底敵わず、
響き合ってありありと(姿なき虚空に聞こえる)、宝塔の鈴の音だった。"

くま訳
徳山さんも臨済さんも、普化さんが同行するとなると、ちょぴっとなぁてな感じでありましょか?
街中で騒ぎを起こして町民を驚かせるでありましょうから。
坐って解脱しても、立ったまま昇天しても、(消えてしまった)普化さんにはかないませぬ。
かすかに聞える鈴鐸の音だけを残して普化は消えたのだ。

うむ。普化さんみたいなくまになりたいものであります。

*普化(ふけ、生没年不詳)唐代の禅僧、臨済義玄(? - 867年)『臨済録』の中で、臨済がシテの立場、 
 普化はワキの役どころを演じているが、その行動が異様なものが多く、風狂僧や神異僧の部類に属する。
 師の入滅前の、門弟子たちに対する「私の本当の姿を描けるか」という問いに対して、普化のみが、ただ 
 トンボ返りをうったことで、師に喜ばれ、「風狂を演じあげて、世間を騒がせよう」と賞賛されたと伝え 
 られている。
 また、その名も、通称であり、本名はおろか、受戒の僧名も明らかではない。普化とは、神出鬼没の普化
 が、突然に街頭に現れ、道行く人の耳もとで鈴を振り乞食した、つまり「普く化を求めた」ことから付い 
 た俗称である。この場合の「化」は、「施し、布施」の意味である。
 また、その寝泊りする場所は、墓地であったという。日が昇ると、市場に現れたという。そして、鈴を振 
 りながら叫ぶ「明るいのが来れば打つ、暗いのが来れば打つ」と。それを聞いた臨済が小坊主を使って探 
 りを入れる。「全くどこからも来なければ、どうするんだ」と。普化の答えは、「明日は、大悲院でお斎 
 (とき)があるよ」という意外なものであった。
 翌日、普化が臨済院を訪れる。臨済は歓待する。普化の食べ方がおかずだけを平らげるという異様なもの 
 だったので、臨済が「まるでロバだ」と批評する。普化は「メー」と鳴く。臨済は絶句。すかさず普化が 
 「小僧(=臨済)には、片目しかないね」と言って去って行く。
 というのが、『臨済録』中の、臨済と普化の有名な逸話である。了然大悟した筈の臨済の上を行く存在と 
 して、普化は重要な役割を演じている。
 その最期に付いては、https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>924 "普 
 化(ふけ)和尚:瑞雲院法話のページより抜粋 "

 これは、道教の尸解(しかい)に類したもので、仏僧でも、高僧の最期としては、達磨にも見られるよう 
 に、珍しいものではないらしいのである。
(´・(ェ)・`)つ

627 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/15(木) 22:01:34 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

普化の賛じゃな。

徳山や臨も同行しないのじゃ。
街中の風狂は群集を驚かすのじゃ。
坐脱立亡には誰もが負けるのじゃ。
宝鈴の音があわせて隠隠と響くのじゃ。

628 避難民のマジレスさん :2021/07/15(木) 22:47:32 ID:v1y86gyc0
470
訪養叟的子熈長老癩病 1/2 養そうの的子き長老の癩病をとふ 
毒蛇窟宅洛陽東 毒蛇の窟宅洛陽の東
癩病深懼亨徹翁 癩病深くおそるきゃう徹翁
紹熈養叟正傳子 ぜうきは養叟しゃう傳の子
學得天衣佛日風 學び得たり天え佛日のふう

くま訳
養叟宗頤の弟子である癩病の春浦宗煕を訪ねる
毒蛇の巣窟、都の東
癩病を深く恐れていた師匠徹翁義亨
春浦は養叟をしっかりと正伝したのであるな。
学び得たようである、天人のように着飾り無知な衆生を騙す禅風を。

*春浦宗煕(しゅんぽ そうき)1409/16-1496 室町時代の僧。大徳寺の養叟宗頤(ようそう-そうい)の法を 
 つぎ,寛正(かんしょう)2年1461年同寺の住持となる。応仁(おうにん)・文明の乱を摂津,和泉(いずみ) 
 にさけ,乱後は大徳寺の復興につくした
*煕・頤・熈 など出典により、新旧違うのである皆「き」である。
*養隻宗熈や春浦宗熈を批判する際好んで引用する徹翁義亨の「示榮衒徒法語」をふまえているのである。 
 (飯塚大展先生)
 参)https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>808
*仏日:仏の光明が衆生の無知の闇を照らすことを太陽にたとえていう
(´・(ェ)・`)つ

629 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/16(金) 21:50:27 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 今度は養叟の弟子のライ病の宗煕を訪ねるというのじゃ。

 毒蛇の巣窟である都の東
 ライ病深く恐れる亨徹翁なのじゃ。
 紹熈は紹熈の正伝の弟子なのじゃ。
 天衣仏日の風を学び得たのじゃ。

630 避難民のマジレスさん :2021/07/16(金) 22:36:16 ID:KDtOGFaQ0
471
訪養叟的子熈長老癩病 2/2
病輕脈重咸淳禪 病かろく脈重きは咸淳の禪
病重脈輕會昌禪 病重く脈かろきはゑ昌の禪
就中腐爛養叟輩 中に就いて腐らんす養叟のともがら
病脈並損今日禪 病脈ならびに損すこんにちの禪

くま訳
訪養叟的子熈長老癩病 
ふむ。病状軽く、脈重いのであれば、咸淳の度宗皇帝に、意識を集中してるのであろう。(ふむ。脳溢血で死ぬであろう。)
ふむ。病状重く、脈軽いのであれば、会昌の武宗皇帝に、意識を集中してるのであろう。(ふむ。薬中毒で死ぬであろう。)
ふむふむ。なかんづく、腐乱してるのであるよ、養叟のところの輩は。
脈から推察されるところの病は、本日の看立て診断によると、悪化しているようである。

*咸淳(かんじゅん)は、南宋の度宗の元号。1265年–1274年。
*会昌(かいしょう)は、唐代の武宗の元号。841- 846年。このころに仏教弾圧が行われる(会昌の廃 
 仏)。
*度宗(たくそう)は、南宋の第6代皇帝。
 1240年、紹興で生まれる。幼少より節度がある言動が認められ、1260年に皇太子に立てられた。厳格な
 儒学的教育を受けた。1264年、皇帝として即位する。年齢が若かったこともあり派閥抗争を抑制するこ 
 とができず、モンゴル帝国のクビライの侵攻を防止することができなかった。南宋の滅亡が決定的となっ
 た。1274年に35歳で崩御。死因は酒色による脳溢血とされる。
*武宗(ぶそう)は、唐朝の第18代皇帝。穆宗の五男。
 武宗は冷静沈着で、明晰かつ決断力に富んだ人物であった。宦官勢力の抑制や中央集権体制の立て直しに 
 努めた。道士である趙帰真を信任し、道教に傾斜するあまり「会昌の廃仏」と称される廃仏令を出してい 
 る。846年、丹薬による中毒で33歳で崩御した。死の間際に炎と改名している。
*就中・なかんずく その中でも。とりわけ。
(´・(ェ)・`)つ

631 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/17(土) 23:22:38 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

前と同じじゃな。

病軽く脈が重いのは咸淳の亡国の禪なのじゃ。
病重く脈が軽いのは会昌の廃仏の禅なのじゃ。
それらよりも腐敗しているのが養叟の輩なのじゃ。
病も脈も損なっている今日の禅なのじゃ。

632 避難民のマジレスさん :2021/07/18(日) 03:59:56 ID:KI1Uku5o0
くま訳全面改
第一句:病軽く脈が重いのは咸淳の亡国の禪なのだ。
第二句:病重く脈が軽いのは会昌の廃仏の禅なのだ。
第三句:それらよりも腐敗しているのが養叟の輩なのだ。
第四句:病も脈も損なっている今日の禅なのだ。
 
472
達磨忌 
毒薬数加賊後弓 毒薬しばしば加ふ賊後の弓
大千逼塞佛心宗 だいせんひっそくす
西來無意我有意 せいらい意無し我意有り
熊耳山中落木風 ゆうじさんりゅうらくぼくの

達磨忌 10月5日の達磨大師の忌日に行う法会
毒薬がしばしば盛られていたことが後から分かったが、後の祭りだった
世界中の禅宗門が喪に服した
達磨がインドから来た意味、禅とは何かの答えは、外側には無い。わが心の中にあるのだ。
葬られた熊耳山(ゆうじさん)には、強風が吹いてるだろう。

*祖師西来意は禅の代表的な公案のひとつ。
 『無門関』第三十七則
 一人の僧が趙州和尚に問うた。
 「如何なるか是れ祖師西来意」(大意:達磨大師が遠路、インドから中国へと来られた真意は何なので 
 しょうか?)
 趙州和尚は答えた。
 「庭前の柏樹子」
 『趙州録』
 また僧は続けて問うた。
 「和尚、境を将て人に示すこと莫かれ」(大意:私は禅とは何か尋ねているのです。心の外の物で答えな 
 いで下さい)
 趙州和尚は続けて答えた。
 「我れ境を将て人に示さず」(大意:私は心の外の物で答えてなどおりません)
 僧は再度問うた。
 「如何なるか是れ祖師西来意」
 趙州和尚は、再度答えた。
 「庭前の柏樹子」

*景徳伝灯録巻三。第二十八祖菩提達磨(瑞雲院法話のページより)
 大師は風のごとく雨のごとく、あまねく甘露の正法を施した。そのためその活動をうらやむ者によって毒 
 を盛られ、六度目に毒を盛られたとき、説くべきことは説き、法を伝える人も得たと、495年10月5日、 
 端然として亡くなった。150歳であった。
 遺体は熊耳山(ゆうじさん)に葬られ、塔は定林寺に立てられた。熊耳山は熊の耳のように二峰が並びそ 
 びえていることから付けられた山名だという。なお西紀527年に中国に来て、495年に亡くなるはずはな
 いが、原文はそうなっている。年号の書きまちがいかもしれない。
 三年後、宋雲(そううん)という僧が西域を旅しているとき、葱嶺(そうれい。パミール高原からカラコ 
 ルム山脈にかけての山域)で達磨大師に会った。大師は手に履き物の片方をぶら下げていた。宋雲が尋ね 
 た。
 「先生はどこへ行かれるのか」
 「インドへ帰る」
 帰国した宋雲は皇帝にそのことを報告し、皇帝は大師の墓を調べさせた。すると棺の中は空っぽで、ただ 
 履き物の片方のみが残っていた。後に皇帝から円覚大師の名を贈られた。
(´・(ェ)・`)つ

633 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/19(月) 00:25:02 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

賊によって後ろ弓の毒を度々加えられたのじゃ。
大千世界が逼塞した仏の心の宗家なのじゃ。
無意ならば西来し、有意ならば我が有るのじゃ。
熊耳山中の木は落ち風が吹くのじゃ。

634 避難民のマジレスさん :2021/07/19(月) 07:24:01 ID:qzveYPbg0
くま訳全面改
賊によって後ろ弓の毒を度々加えられたのだ。
大千世界が逼塞した仏の心の宗家なのだ。
無意ならば西来し、有意ならば我が有るのだ。
熊耳山中の木は落ち風が吹くのだ。

*後弓反張 :後頚部の筋および背筋、上下肢筋の筋緊張 進、または痙攣により頚部を強く背屈させ、全身
が後方弓形にそりかえる状態。 <要因> 髄膜炎、破傷風

473
賛杜牧     杜牧を賛す
杜書記獨朗天然 杜書記獨朗天然
参得正傳臨濟禪 参得すしゃう伝臨濟の禪  
儒雅家風無一點 儒雅の家風一点無し
詩情淫色紫雲前 詩情淫色紫雲の前  

くま訳
杜牧を賛す
杜書記は、無相の一念に悟入して、大悟の域に達していたのだ。
臨済正伝の真理を体得していたのである。
儒家の家風は全くない
詩情は淫意で、吉兆を感じさせるものである。

*杜牧(とぼく)803-853年晩唐の詩人。355 356 「杜牧」参
*杜書記;杜牧は833年三十一歳の時から数年間書記として官吏生活を送った。
*獨朗天然:たぶん、天真独朗 のことでありましょう。
天台法門の奥義を表わしたことば。天真とは諸法の本然のすがたをいい、諸法がそのまま本覚の智体であ   
 ることを独朗といったもの。たとえば地獄も真如の功徳であり(天真)、また地獄にも法界を収めている 
 (独朗)というもの。  。
 無相の一念に悟入すれば、生死の別を離れ宇宙朗然とし、凡身そのままに大覚の域に達するということ。   
 最澄が在唐のとき、道邃(どうすい)から口伝された語という。
*参得:参禅して真理を体得すること。
*儒雅(じゅが)① 儒教の正しい道理。② 儒家の流れで、文の道にすぐれていること。また、その家柄、 
 人。立派な儒者。
*紫雲;念仏行者が臨終のとき、仏が乗って来迎(らいごう)する雲。吉兆、めでたいしるしとされる。
(´・(ェ)・`)つ

635 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/19(月) 23:37:38 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

杜牧の賛じゃな。

杜牧はありのままに悟っていたのじゃ。
臨済禅の正伝を得ていたのじゃ。
儒教の虚飾の風は全くなかったのじゃ。
詩情の淫色でさえ紫雲があったのじゃ。

636 避難民のマジレスさん :2021/07/20(火) 00:00:38 ID:PVB4a6ig0
474
絶交會裡衆偈、 えりの衆に絶交するげ、
且以自警云   かつ以って自らいましむといふ
匡徒領衆立魔宮 徒をただし衆を領じてまきゅうをりっす
汗馬從前蓋代功 かんばじゅうぜんがいだいの功
師弟凡情共姦黨 師弟の凡情ともにかんとう
可憐韓信嘆良弓 あわれむべし かんしんが良弓をたんぜしことを

くま訳
弟子たちの会派と絶縁の偈。
弟子たちをただし、指導して、魔宮を束ねてきたのである。
しかし、もっと弟子たちの努力も見てやるべきであった。祖師がそれまで勝ちえてきた功績は祖師本人以外
は知らないのであるから、何度も議論してやるべきであった。
師弟の低俗な心が、会を悪人集団にしてしまったのである。
気の毒に思うことは、見込みのある有能な弟子を誤解して叱ってしまったことである。

*碧巌録
 從前汗馬無人識 従前の汗馬人の識るなし、
 只要重論盖代功 只だ重ねて蓋代の功を論ぜんことを要す。
 
 目の前で汗をかいて走る馬がいても人がそれを知ることはなく  
 ただくりかえし歴代の導師の言葉を論ずることを求めるだけです。
 
 歴代の祖師がそれまで勝ちえてきた功績を本人以外は知らないから、祖師一代一代の功績について、何 
 度も議論しなければならない。 (野狐禅RRPG先生訳)
*韓信(かんしん):秦末から前漢初期にかけての武将。劉邦の元で数々の戦いに勝利し、劉邦の覇権を決 
 定付けた。「韓信の股くぐり」「恥は一時、志は一生」
 劉邦は謀反の疑いで、韓信を 降格させた逸話。
(´・(ェ)・`)つ

637 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/20(火) 23:34:23 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

会衆と絶交する宣言とともに、自ら戒めるのじゃ。

徒弟を正し、会衆を率いてかえつて魔宮を立ててしまったのじゃ。
誰もわしの苦労を知らないのじゃ。
師弟のぼんくら情けが共にあだになって悪くしたのじゃ。
韓信が良弓を嘆くような憐れさなのじゃ。

638 避難民のマジレスさん :2021/07/21(水) 00:15:07 ID:ody751oo0
くま訳全面改
徒弟を正し、会衆を率いてかえつて魔宮を立ててしまったのだ。
誰もわしの苦労を知らないのだ。
師弟のぼんくら情けが共にあだになって悪くしたのだ。
韓信が良弓を嘆くような憐れさなの

475
金春座者歌   こんぱる座者の歌
唱得雲門王老禪 唱へ得たり雲門王老の禪
朝遊東土暮西天 あしたには東土に遊び暮には西天
震旦徑山上堂後 震旦のきんざん上堂ののち
建仁撃鼓法堂前 建仁にくをうつはつとうの前

くま訳
金春座座員の歌 
雲門老師の禪を正しく歌っているのである。
朝は中国で遊び、暮には印度へ帰る、自在に飛び廻る。
中国の臨済宗徑山(きんざん)寺にお参りしたあとで、
日本の臨済宗建仁寺で法堂の前で鼓を打つのである 

*金春座(コンパルザ):大和猿楽四座の一。興福寺・春日神社に奉仕。奈良で興福寺猿楽の伝統から首座を 
 占めた。当時の能楽を代表する金春禅竹(1405-1470)はその理論に一休が関連していたとされる。今も 
 金春流として続いている。
*建仁:千光榮西禪師の開山なり(大成脚注)
*震旦(しんたん)真丹とも書く。中国の古称。古代インド人が中国を秦の土地 (チーナスターナ) と呼ん 
 だことに基づく。
 〈秦国の土地〉の意でサンスクリット語チーナスターナとなり,それが仏典翻訳の際中国に逆輸入され漢 
 訳されたもの。振旦,真丹,支那などすべて同じ音の転字だが,震は東方を旦は坦(地)をさす。 
*径山寺(きんざんじ)は、浙江省の径山にある仏教禅寺。南宋の五山の一。日本の茶道に影響したとする 
 言説がある。径山寺味噌(金山寺味噌)の由来や醤油の起源等の諸説との関係が指摘される。日本の文化 
 との関係は深い。らしい。 
(´・(ェ)・`)つ

639 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/21(水) 23:51:33 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 金春座の者の歌というのじゃ。

 雲門王老の禅を唱えられたのじゃ。
 朝には東土に遊び、暮れには西天に飛ぶが如き歌なのじゃ。
 震旦の径山寺に上堂の後
 建仁寺の法堂の前で鼓を打つが如くなのじゃ。

640 避難民のマジレスさん :2021/07/22(木) 02:20:41 ID:1DZSY1IU0
476
三毒
貪嗔根本自痴愚 とんじんの根本自から痴愚
人我無明名利徒 にん我無明名利の徒
一箇無心閑道者 一箇無心の閑道者
近年林下一人無 近年林下一人無し

くま訳
三毒
貪嗔の根本は自ずから痴愚と云う事である 
自我があると思い込む無明の徒である。
一箇無心で穏やかな境地
近年、禅林には一人もいないのである。

*三毒:仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、すなわち貪・瞋・癡(とん・じ 
 ん・ち)を指し、煩悩を毒に例えたものである。
 三毒は人間の諸悪・苦しみの根源とされている。ブッダの説いた根本仏教、大乗仏教を通じて広く知られ
 ている概念である。

三毒を構成する煩悩
三毒 読み方 意味                            象徴する動物
貪  とん  貪欲 むさぼり(必要以上に)求める心。「欲」 と表現する。 鶏
瞋  しん  瞋恚(しんに)  怒りの心。「いかり」・「にくしみ」と表現する。 蛇
痴  ち   愚癡(ぐち) 真理に対する無知の心。「おろかさ」と表現する。 豚
(´・(ェ)・`)つ

641 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/22(木) 23:02:19 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

 三毒なのじゃ。

 貪りや怒りの根本は自らを知らぬ愚かさなのじゃ。
 人は我について無明ならば名声と利益を求める名利の徒となるのじゃ。
 一個の無心の者であれば閑道者となるのじゃ。
 そのような者は近年禅林には一人も居ないのじゃ。

642 避難民のマジレスさん :2021/07/22(木) 23:14:51 ID:Gk1bTWP60
477
岩頭和尚
名風流面蠻胡 名は風流面はばんこ
胡鬚黒他赤鬚 胡しゅは黒くまたせきしゅ
舌頭絶勝文殊 舌頭は文殊に絶勝し、
脚下踏斷道儒 脚下は道儒をとう断す
天下衲僧痴愚 天下の衲僧痴愚
邪法而今難扶 邪法今たすけがたし
象骨老師小巫 象骨老師の小ふ
臨濟渡子同途 臨濟とし同途
着着作様作模 着着やうをなし模をなす
頭頭入細入粗 づづ細に入り粗に入る
横棹一拶江湖 さおを横たへて、洞庭湖畔で、江湖を一拶す、
江湖議論區區 江湖議論区区たり

くま訳
岩頭和尚
名は風流であるが、顔は異民族の様である。
北方の異民族の髭は黒く、他は赤い
弁舌は、文殊菩薩に圧勝するであろう程に鋭く
足腰は修験道の行者をも踏み倒すほど強い
彼と比べると、天下の禅僧が、まるで痴愚のように思われる。
邪法は今助けにならない
象骨山に崇聖寺を開いた雪峰禅師は、小人の巫女さんみたいだ。
臨済宗の流れの者たちも皆同じである
着着と見栄を張る準備をしているのである。
ああでもない、こうでもないと、細かくしてみたり、粗くしてみたりと、
洞庭湖畔で釣り竿を横たえて、禅者同士で相手の試し合いをしてたのでありましょうか。
夏安居での問答は、細かくやったことでありましょう。

https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>931 参
*巌頭全奯(がんとう ぜんかつ、828年 – 887年)唐代の禅僧。 
 州南安県の出身。
 青原行思の下で、仰山慧寂・徳山宣鑑に参じ、徳山の法を嗣ぐ。洞庭湖畔の臥竜山(がりゅうざん)で宗 
 風を挙揚した。
 887年、賊に首を斬られて死す。
*蠻胡:蠻・南方の蛮族、胡・北方の異民族
*雪峰禅師が象骨山(ぞうこつざん。雪峰山)に崇聖寺(すうしょうじ。雪峰寺)を開いた。
*装模作様 そうもさくよう:見栄を張ったり、上品ぶったりすること。「装」と「模」はどちらも見た目 
 を着飾ったり、他人の真似をしたりすること。「作様」は動きの様子。「装模様を作す」とも読む。
*頭頭(かぶりかぶり):幼児が頭を左右に振ること。
*江湖:大きな江(川)と湖の併称で、転じて官に対する民間、世間一般を指す言葉。
 禅宗用語 - 夏安居
*一拶:禅者同士が出会うときに、ことばや動作で相手をためすこと。
(´・(ェ)・`)つ

643 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/23(金) 23:40:02 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 岩頭和尚じゃな。

 名は風流、面は西洋人みたいなのじゃ。
 西洋鬚は黒赤まだらなのじゃ。
 舌先は文殊菩薩にも勝つのじゃ。
 足下に道教儒教の輩を踏み倒すのじゃ。
 彼に比べれば天下の僧も痴愚に等しいのじゃ。
 邪法の徒は今助け難いのじゃ。
 象骨の老師も渡世のまじないしの如しなのじゃ。
 臨済の渡子と道を同じくするのじゃ。
 着々とようをなし、着々と模をなすのじゃ。
 頭を使うごとに細に入り、粗にも入るのじゃ。
 竿を横たえて江湖に挨拶するのじゃ。
 江湖の議論は区区になったのじゃ。

644 避難民のマジレスさん :2021/07/24(土) 04:23:18 ID:4c0wS6fo0
くま訳改
4行目:足下に道教儒教の輩を踏み倒すのだ
8行目:臨済の渡子と道を同じくするの
9行目:着々とようをなし、着々と模をなすのじゃ。
10行目:頭を使うごとに細に入り、粗にも入るのじゃ。
11行目:竿を横たえて江湖に挨拶するのじゃ。
12行目:江湖の議論は区区になったのじゃ。

くま質問
「着着作様作模」とは、普段は世間の人の流儀に従い、その真似をすることにより、波風をたてない、と
いったような意味でありましょうか?

478
示南坊 禎   南坊に示す てい
男色興盡對妻淫 なん色興尽きて妻に對して淫す
狭路慈明逆行心 けい路慈明逆行のこころ
容易説禪能忌口 容易に禪を説くよく口を忌む
任他雲雨楚臺吟 さもあらばあれ雲雨楚台の吟

くま訳
南坊、 岐翁紹禎(一休宗純の実子にして弟子)に示す
男色への興味が尽きれば、妻に対して淫欲をもよおしたりすのである。
仏道修行のため色欲を抑制せよとする狭路に対して、慈明は逆行して、悟りに向ったのだ。
禪を容易なものと考えて説くのは、忌むべきである。そんな言動は、
どうとでもなればよいと、ありのままの情を詠んだ性交、交会の詩の様になってしまうのである。

*南坊宗啓は集雲庵二世を名乗っている。集雲庵開創 岐翁紹禎(ぎおうしょうてい)(一休宗純の実子にし 
 て弟子)は、正長元年(1428年)の生まれ(Wikipedia)
*楚台夢:そだいのゆめ;性交の意に用ふる比喩。「ふざんのゆめ」に同じ。交会の比譬語。交接の比喩語。
*然もあらばあれ:それならそれでしかたがない。なるようになれ。ままよ。さもあれ。
 すでに存する事態を受けて、その事態を不本意ながら容認する気持を表わす。どうともなるがよい。まま 
 よ。漢文の「遮莫・遮渠・任他」の訓読にも用いる。"
*888: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2020/08/08(土) 23:01:28 ID:1d4drIFg0
 仏道修行は色欲を抑制して実践するものじゃ。
 それは狭い道というのじゃ。
 臨済宗の正伝禅ではむしろ色欲をも利用して悟りに向かうというのじゃ。
 芸術とか風流の道なのじゃ。

おまけ:文清筆楊岐和尚像(京都大徳寺所蔵国宝)
楊岐禪師・・・慈明和尚の石霜寺に移るに随ひて監寺となる、補佐久うして未だ究明する所あらず、屢々参
して問ふ、慈明多忙に托して説かず、時に慈明に老母あり、寺に近く住す、慈明毎日往きて慰むるを例とす、
一日大に雨りし時、方會その途に伏して慈明の來るを待つ、已にして抵れば直に其手を執り、今日須らく説
くべし、説かざれば和尚を打つべしと詰る、慈明答ふ、監寺是般の事を知らば便ち休せよ、と言未だ終らざ
るに玄旨を領するを得、泥路に附して禮し、又起きて、狭路に相逢ふ時如何と問ふ、慈明曰く汝は且つ軃避
せよ、我も去らん那裡に去れと、それより方會は慈明の出づることを未だ遠からざるを窺ひ、必ず晩しと雖
も鼓を鳴して學徒を集めければ、慈明歸り怒り責めて曰く、何をか為す、方會答へていふ、晩参と、是れ後
世叢林晩参の初なりといふ、後宜春より迎へられ楊岐寺に住す、然るに九峯の長老勤公未だ方會の大悟せる
を知らず、州郡の與望に背かんことを憂ひ、方會と問答したるより、其名遠く聞え四方に重んぜらるゝに至
りたり、後更に潭州雲蓋山海會寺に移りしが、二居共に法筵盛なり、その間風特色あり、學者之を楊岐宗と
呼ぶ、曾つて自賛を頌す、曰く、口似乞児席袋、鼻似園頭屎杓、勞君神筆寫成、一任天下卜度宋の仁宗の慶
歴六年、五十四歳を以て寂す。
(´・(ェ)・`)つ

645 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/24(土) 21:51:45 ID:1d4drIFg0
 ↑それはむしろ自ら僧としての行いを続け、模範となるというような感じじゃな。
  廃仏にも囚われぬ真の僧なのじゃ。

 そんな感じじゃな。

 南坊に示すというのじゃ。

 男色に飽きて妻に淫欲をおこすのじゃ。
 慈明の狭い道に逆行する心なのじゃ。
 容易に禅を説いてはいかんのじゃ。
 雲雨楚台の吟は意に任すのじゃ。

646 避難民のマジレスさん :2021/07/24(土) 22:21:03 ID:fpf1chfw0
くま訳改
第四句:雲雨楚台の吟は意に任すのだ。

479
相對
二月涅槃寂滅辰 二げつ涅槃寂滅のとき
一刀兩斷也心身 一刀兩斷また心身
不生不滅佛難得 不生不滅佛も得がたし
花約有無相對春 くわ約有無相對の春

くま訳
相對
二月涅槃、釈迦の入滅の日 
心身を一刀両断する
不生不滅は佛も得難い境地である
花咲き花落ちる相對の春

*花約有無相對:花咲き花落つるをいふ(大成脚注)
*涅槃会(ねはんえ)、陰暦2月15日、釈迦の入滅(にゅうめつ)の日
*不生不滅:何ものも生ぜず,また滅びないということ。輪廻の世界から解放された世界観に立つと,絶対 
 的な実在はないということを表現するときに用いる言葉。空の観念を補足するものであり,涅槃のあり方 
 を否定的に説明する語法。
*一郷正道先生解説抜粋(大谷大学hp)
 インドに二〜三世紀頃在世し、『般若経』を中心に空の哲学を大成したナーガールジュナ(龍樹)は、縁
起思想にもとづいて「空」を理解した。「此れあれば彼あり、此れ生ずれば彼生ず・・・・・・」という成句に示
される縁起の意味は、ものはすべて、なんらかの他に依存して存在する相対的なものでしかないこと、絶対
的存在は決してありえないことを教える。この絶対的、実体的存在(自性(じしょう))が無いことを
「空」という。すべては空であって、夢・幻の如きものである。本来、聖でも俗でもないものを、聖とか俗
とか判断するのは、私の心の区別、分別作用である。聖も俗も言語上の区別にすぎず、空という点では両者
は不二である。
 ものは、すべて、縁起の理論で無と否定されるが、否定されて無に帰してしまうのでなく、そのまま、縁
起的には有として肯定される、という両面をもった存在である。
 そうであれば、自己主張の真・正・善性を標榜し、他を排除するところに闘争がくりかえされる現代の世
相を思うに、絶対性を否定し、執着からの解放を教える「空」の考え方こそ、顧みられるべきでなかろうか。
(´・(ェ)・`)つ

647 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/25(日) 21:46:19 ID:1d4drIFg0
相対なのじゃ。

二月の涅槃寂滅の時なのじゃ。
心身一刀両断なのじゃ。
不生不滅の仏の境地は得がたいものじゃ。
花は有無相対の春を約束するのじゃ。

648 避難民のマジレスさん :2021/07/25(日) 22:40:24 ID:iAmTf7C60
くま質問
「花は有無相対の春を約束するのじゃ。」とは、ありのままは、相対的なものであり、絶対的なものではない
としつつ、花咲く事が、春の訪れを約束するとは・・・絶対、相対の更に向こう側のありのままみたいなこ
とでありましょうか?

480
日用
日用正工夫 日用のしょう工夫
挽弓東射胡 弓をひいてひんがし胡を射る
殺佛殺祖令 佛を殺し祖を殺す令
波旬失却途 波旬みちを失却す

くま訳
行住坐臥の日用・日常生活
日用生活の中での正しい工夫をするのだ。
弓をひいて東の魔敵を射るのだ。(集中して心にあらわれる一切の思い、執着、煩悩を射止めるのだ)
佛という観念や、祖師という観念も、一切の観念を射止めて消し去るのだ。
それが、悪魔を亡ぼす道である。

*殺佛殺祖:『臨済録』
 逢佛殺佛、   仏に逢うては仏を殺し。
 逢祖殺祖、   祖に逢うては祖を殺し。
 逢羅漢殺羅漢、 羅漢に逢うては羅漢を殺し。
 逢父母殺父母、 父母に逢うては父母を殺し。
 逢親眷殺親眷、 親眷(しんけん:身内や親族)に逢うては親眷を殺し。
 始得解脱、   始めて解脱を得ん
 不與物拘、   物と拘わらず、
 透脱自在。   透脱すること自在ならん
(´・(ェ)・`)つ

649 避難民のマジレスさん :2021/07/26(月) 01:35:24 ID:sRRy.l3c0
*おまけ:日用 + 詫茶の創始者 村田珠光 :禅と悟りhp解説抜粋
 馬祖道一(709〜788)中国禅の実質的な創始者と言える。
 馬祖道一の禅風は<作用即性> 、<日用即妙用>、<即心即仏>、<平常心是道>。
 <作用即性>とは本性とその用(機能、働き)は同じであるという意味である。
 <日用即妙用>とは日常生活の中に仏法の妙用がそのまま現れていることを言う。
 <即心即仏>:「汝等諸人、各々自心これ仏なることを信ぜよ。この心即これ仏心なり。」(景徳伝燈録 
 卷六)とある。これより<即心即仏>とは、心=仏=仏心 であることを言っている。
 坐禅修行によって煩悩を離れた心こそが仏だと言っている。
 我々普通人は超越者としての仏を考え仏像など礼拝する。
 馬祖はそのような信仰対象の仏ではなく、坐禅修行によって浄化された心(健康な脳)こそ仏であると言う。
 (「無門関」30則「即心即仏」を参照 )
 景徳伝燈録のこの話の続き話が馬祖語録にある。
 ある僧が更に馬祖に尋ねた、「和尚は何故に即心即仏と説く?」
 馬祖曰く、「小児の泣くのを止めんがためなり。」
 僧曰く、「泣き止むときは如何?」
 馬祖曰く、「非心非仏。」
 (「無門関」33則「非心非仏」を参照 )
 <非心非仏>はよく心でもなく仏でもないと説明される。
 三祖僧サンの「信心銘」に「一心不生なれば万法咎無し。咎なければ法無く、生ぜざれば心にあらず」と 
 いう言葉がある。
 (「信心銘」を参照 )
 これは一心不生の本体こそが本来の面目(真の自己)であることを述べた箇所である。・・・
 意識が生じることがなければ心ではない。 このようなものは心でもない、また仏と呼ぶこともできない。
馬祖道一の法嗣百丈懐海(720〜814)の言葉に
「一切の語言文字、ともに皆宛転して自己に帰す。」という言葉がある。
宛転とは変化するさまを言う。
百丈懐海のこの言葉は「一切の語言文字は、結局のところ真の自己(脳)の働きに帰着する。」と言っている。

根本原理の応用例  
茶の湯
わび茶とその歴史(村田珠光→武野紹鴎)堺の豪商・村田珠光(じゅこう)
室町時代後期、喫茶は庶民の間まで広まっていたが、公家・武士らが行う茶会では高価な中国製の道具であ
る「唐物」が用いられていた。
このように高価な唐物を尊ぶ風潮に対し、村田珠光(むらたじゅこう、1423〜1502)は、粗製の
「侘びた」中国陶磁器(「珠光青磁」と呼ばれるくすんだ色の青磁が代表的)などの道具を使用した。
大徳寺の禅僧・一休宗純のもとに参禅した村田珠光は禅院での茶の湯に点茶の本意を会得したといわれ、侘
び茶を創始して茶道の開祖となった。

珠光は坐禅の眠気防止に一休から茶を薦められたのが、茶との出合いだったと伝えられる。
彼は坐禅を繰り返すうちに“茶禅一味”の悟りに達したとされる。
彼が始めた「侘び茶」は、従来の派手で形式中心の「大名茶」とは全く異なるものだった。
小さな四帖半の茶室の中では、人の身分など関係ない。そこにあるのは亭主のもてなしの心だけである。
彼はこの心が仏だとした。まさに一休から学んだ「仏は心の中にある」であり、珠光は仏の教えを仏典を通
してではなく、日常生活(茶の湯)を通して具現化したのである。
この「侘び茶」の精神は武野紹鴎(じょうおう)を経て千利休へと受け継がれて行くのである。
(´・(ェ)・`)b

650 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/26(月) 23:53:30 ID:1d4drIFg0
↑そのような感じじゃな。
 真摯に実践していればやがて有無相対を超える悟りが訪れるということじゃな。

 
それでよいのじゃ。

 日用なのじゃ。

 日用の正しい工夫なのじゃ。
 弓を引いて東の敵を射るが如くするのじゃ。
 仏を殺し、祖師も殺すつもりで実践なのじゃ。
 そのようにすれば魔も付け入る方法を失くすのじゃ。

651 避難民のマジレスさん :2021/07/27(火) 02:26:56 ID:72aVpLM.0
481
賛松源和尚   松源和尚を賛す
娘生眼照太虚空 じょうしょうのがんだい虚空を照らす
天澤兒孫在海東 天澤の児孫海東に在り
滅卻宗風三轉語 宗風を滅卻す三転語
詞華心緒一天紅 詞華心しょ一天くれなゐなり

くま訳
賛松源和尚
世俗人々の眼を、大いなる虚空へと解放する。
虚堂の孫弟子である一休が、日本国にはいるであります。
宗風を滅却して革めた松源の三転語、
その見事な文章が、思いの筋道を、一輪の赤い花のように導いてくれるのであります。

*松源和尚三轉語 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>788 〜   
 112 113 114 の詩 参
*娘生(じょうしょう)とは、娘のことではなく、女から生れた子、母親から生れた自分、世俗の我、仮我、 
自我、と言う意味。「娘生の面目」と言い、「本来の面目」に対する用いられ方をす。
 又、禅学大成では、、[にゃうじゃう]と振り仮名されている。 
 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>876
*天澤庵:径山にある虚堂の墓塔
(´・(ェ)・`)つ

652 避難民のマジレスさん :2021/07/27(火) 02:30:13 ID:72aVpLM.0
松源和尚三轉語 1/3       
大力量人甚擡脚不起 大力量人なにによってか脚をもたげ起こさざるか

商量鬼窟黒山禪 きくつこくざんの禅商量して
神力金剛現目前 しんりきの金剛目前にげんず
普天之下是王土 普天のもと是 
擡脚句中公案圓 脚をもたぐる句中公案まどかなり。

鬼和尚 解説:2020/07/04(土)
大力量の人がなぜ脚をあげることもできないのか、一休が答えを書いたのじゃ。
神力金剛は既に目前にあると言うのじゃ。
天の下は全て既に仏国土であるというのじゃ。
つまり既に大力量の人が足を上げているからそれ以上上げられないのじゃ。
衆生基より仏陀であるということじゃな。

松源和尚三轉語 2/3
開口因甚不在舌頭上 口を開く、なにによってかぜっとう上にあらざる

三寸舌頭開禍門 三寸の舌頭か門を開く
河沙諸佛轉多言 がしゃの諸佛うたたごん
夜來百勞五更目 やらい百労五こうの目
不柰聲聲崇夢魂 いかんともせずせいせいむこんにたたることを

鬼和尚 解説:2020/07/05(日)
口を開くのは舌先だけのことではないというのじゃな。
行いを伴わない言葉は災いを招くのみなのじゃ。
自ら実践して人に説くことが大事なのじゃ。
お釈迦様も自ら瞑想して人に説いたのじゃ。

松源和尚三轉語 3/3 
明眼衲僧因甚   みょうげんののうそうなにによってか
脚跟下紅絲線不断 きゃくこんかこうしせん不断なる

二三四七諸禪師 にさんししつしょ禪師
領衆匡徒心乱絲 衆を領じ徒をただして心しをみだす
因銭有癖是和嶠 ぜにによってへきあるはこれ和けつ
娘生脚下血淋漓 にょうじょうきゃっかちりんり

鬼和尚 解説:2020/07/06(月)
目利きの僧がなぜ足の下の赤いほつれの糸を切らないのかというのじゃ。
一休はそのような言辞は心を乱すのみというのじゃ。
目利きの僧が糸を切らないならばそれは糸ではないからというのじゃ。
朽ち縄が蛇ではないと気付くようなものじゃな。
(´・(ェ)・`)b

653 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/27(火) 21:49:37 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

松源和尚の賛じゃな。

衆生をも大虚空と見るのじゃ。
天澤の子孫は海東にあるのじゃ。
宗風を滅却する三転語なのじゃ。
その詞の華は心の糸口になる天の紅なのじゃ。

654 避難民のマジレスさん :2021/07/27(火) 22:21:13 ID:6L4QXWLw0
くま訳改
第一句:衆生をも大虚空と見るのだ。
虚堂の孫弟子である一休が、日本国にはいるであります。
宗風を滅却して革めた松源の三転語、
その見事な文章が、思いの筋道を、一輪の赤い花のように導いてくれるのであります。

482
日課
如法如説衲僧眼 如法如説衲僧のまなこ
經誦讀誦百千返 經じゅ讀誦百千ぺん
三百六十日課前 三百六十日課の前
風月雪月吟艶簡 風月雪月艶簡を吟ず

くま訳
日課
法の通り、経文の通りが禅僧の見方考え方である。
読経を百回千回繰り返すのである。
三百六十五日その日課の前に。
風月雪月風流な艶簡を作るのも、日課である。
(´・(ェ)・`)つ

655 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/28(水) 23:18:48 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 法の如く、説の如くの僧の眼は
 経を読誦すること百千返
 三百六十日の日課の前に
 風月雪月の艶簡を吟ずるがよいのじゃ。

656 避難民のマジレスさん :2021/07/29(木) 03:51:45 ID:mPXTyadk0
483
示衆      衆に示す
忍辱仙人常不經 忍にく仙人常不きゃう
菩薩果滿已圓成 菩薩果滿ちすでに円じゃう
撥無因果任孤陋 発無因ぐわ孤ろうに任す
一箇盲人引衆盲 一箇の盲人衆盲を引く 

くま訳
示衆
釈迦の前世である忍辱仙人は、人はみな成仏するとして、会う人ごとに軽んずることなく礼拝したという常
不軽菩薩である。
菩薩の修行は既に完成しているのだ。
因果の法理を否定する野狐禅の師に任せたら、
盲人が盲人を引き連れて道案内をするようなことになるのだ。

*忍辱仙人:釈迦の前世が暴虐な歌利王に四肢や耳・鼻を削がれながらも、怒り恨むことなく耐え忍び、 
 最後に国王を改心させるという説話あり。(三宝絵・忍辱波羅蜜)
*常不軽:「法華経」常不軽菩薩 (ぼさつ) 品に出てくる菩薩。人はみな成仏するとして、会う人ごとに軽
 んずることなく礼拝したという。常不軽菩薩。
*因果撥無(いんがはちむ):「撥無」は払いのけて顧みないこと)因果の理法を否定する邪見。
 因果の道理を否定し、無化してしまうこと。道元禅師は、「百丈野狐話」の一則を『正法眼蔵』で採り上 
 げ、不落因果を撥無因果とし、不昧因果を深信因果であるとした。
 不落因果は、まさしくこれ撥無因果なり、これによりて悪趣に堕す。不昧因果は、明らかにこれ深信因 
 果なり、これによりて、きくもの悪趣を脱す。 『正法眼蔵』「深信因果」巻
*孤陋(ころう):世間から離れて、見識が偏り、狭いこと。
(´・(ェ)・`)つ

657 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/29(木) 23:30:33 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 衆に示すのじゃ。

 忍辱仙人は常に不軽なのじゃ。
 それによって菩薩の成果は既に満ちて円成しているのじゃ。
 無因果を発すれば孤陋に任せることになるのじゃ。
 一人の盲人が沢山の盲人を率いるようなものじゃ。

658 避難民のマジレスさん :2021/07/30(金) 01:49:49 ID:Z8CrZII20
484
作家 二首 1/2
臨濟徳山非作家 臨濟徳山作家にあらず
捧頭喝下任師誇 捧頭喝下師の誇るに任す
堪笑伎倆與鼻孔 笑ふにたへたり伎倆と鼻くうと
照看高低日影斜 照らし看る高低日影の斜めなるを

くま訳
作家 
臨済徳山はすぐれた力量のある僧というわけではないのだ。
捧喝で気合を入れてくれる先生として自然に誇られていたのである
笑いをこらえねばならぬほど、本物の伎倆と口先のおしゃべりの違いは明らかなのである。
斜めからの日差しであれば、影長く見えて高いように見誤るように、本当の伎倆を見誤るのである

*倆與鼻孔照看高低日影:斜伎倆と口吻と並行せざるをいふ、日影斜なれば低きも高き影に似たり、中天に 
 沖する時、正に作家の襟度を見るべきなり、偽者は御免で御座るいとふ意(大成脚注)(・口吻:1.口ぶ 
 り。 言い方。「不賛成の―をもらす」2.口さき。口もと。・襟度:心のひろさ。人を受け入れる量。)
(´・(ェ)・`)つ

659 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/07/30(金) 23:05:43 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 作家なのじゃ。

 臨濟徳山などは作家とはいえないものじゃ。
 棒で頭を引っぱたいたり、かつをいれたりするから師匠の誇りをもっていたのじゃ。
 技量と鼻の穴の差はわらいものなのじゃ。
 照らし看る技量の高低は日影が斜めではわからんのじゃ。

660 避難民のマジレスさん :2021/07/31(土) 03:35:19 ID:AaNyLhQ20
くま質問
臨濟徳山は優れた力量がある僧であるとか無いとか、そんな相対的なことではないのだ。
捧喝で気合を入れてくれる指導者としての力量を誇っていただけなのだ。
臨濟徳山は本物の伎倆があることは明らかなので、他の指導者の口先だけのおしゃべりとの違いはお笑いな
ほどである
伎倆の高低の評価は、それを評価する人の視座の高低により異なって捉えられるので、レベルが低い人は正
しく評価できずに、誤解するだけなのだ。

くまは、このように読み取ったのでありますが、
「臨濟徳山などは作家とはいえない」「技量と鼻の穴の差はわらいもの」
と、臨済徳山の力量に付き、一休さんは否定的に捉えていたのでありましょうか?

485
作家 二首 2/2
忍辱仙人常不經 忍辱仙人常に不經
道心須是盡凡情 道心は須らく是れ凡情を尽くすべし
恁麼白浄眞衲子 いんもびゃく浄眞のなっす
可勤観法又看經 勤むべし観法又看きん

くま訳
作家 二首 2/2
釈迦の前世である忍辱仙人は、人はみな成仏するとして、会う人ごとに軽んずることなく礼拝したという常
不軽菩薩である。
仏道を追求する者は須らく、つまらない感情を棄てるべし
このように清らかな者が禅僧である。
観法、看経の実践に勤めるべし。

*忍辱仙人:釈迦の前世が暴虐な歌利王に四肢や耳・鼻を削がれながらも、怒り恨むことなく耐え忍び、 
 最後に国王を改心させるという説話あり。(三宝絵・忍辱波羅蜜)
*常不軽:「法華経」常不軽菩薩品に出てくる菩薩。人はみな成仏するとして、会う人ごとに軽んずること 
 なく礼拝したという。常不軽菩薩。
*道心:菩提を求める心。仏道を信奉する心
*凡情;凡人の情。凡夫らしい低俗な心。つまらない感情。凡心
*観法:真理と現象を心のなかで観察し念じる瞑想の実践修行法のこと。観の内容は多数に分類される。
*看経:禅宗では「かんきん」と読む。経典を黙読すること。のちに諷経 (ふぎん) ,読経 (どきょう) と 
 同義となった。また経典を研究するために読む意味でも用いられる。
(´・(ェ)・`)つ

661 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/01(日) 00:05:31 ID:1d4drIFg0
>>660 否定的だったじゃろう。
 そもそも大乗には四摂受の教えが在るのじゃ。
 布施、愛語、利行、同事の四つなのじゃ。
 物や教えを授け、優しく語り、利益を与え、事を同じくするのじゃ。

 棒でひっぱたくなどは大乗の作家ではないのじゃ。
 それで師匠面をしていては笑い者なのじゃ。
 一休は四摂受も知っていたじゃろう。
 弟子を導くのに苦労もしていたからそんな者は作家ではないというのじゃ。

662 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/01(日) 00:09:15 ID:1d4drIFg0
>>660 それでよいのじゃ。

 作家の二つ目なのじゃ。

 忍辱仙人はどんな者でも常に不軽なのじゃ。
 道心はすべからく俗気を無くす事が肝心なのじゃ。
 俗気がなくなり清浄となれば禅僧なのじゃ。
 そのようにして瞑想と看経に勤めるのじゃ。

663 避難民のマジレスさん :2021/08/01(日) 08:27:19 ID:byGj7T4Y0
486
竹箆背髑    しっぺいはいそく
背髑主山閑話頭 背触は主ざんの閑話頭
誵訛着着沒來由 がうぐわ着着らいゆなし
梨花院落黄昏月 梨花院落くわうこんの月
説向愁人不解愁 説いて愁人に向ってうれひを解かず

くま訳
竹箆という言葉による差別に従い誤るか、従わないで嘘になるか。
背触は、首山省念和尚のちょとした公案である。
誵訛(ごうが)の正しい語源、来歴がはっきりとしないと言う様な話である。
ナシの白い花の咲く中庭で、黄昏の月を見て何を連想するか、(は人それぞれ)
悲しんでいる人に悲しみを説いても、悲しみを解消してやることはできない。(言葉は、解決策をもたらす 
とは限らないと言う事である。)

*竹箆背髑:首山省竹箆禅師、竹箆を拈じて衆に示すの語、「汝等若し喚んで竹箆と作さば卽ち觸る。喚ん
 で竹箆と作さざれば卽ち背く、諸人宜しく喚んで甚麼と作さん」と。卽ち背せず觸せざる所に於いて、日    
 用光中とするなり、卽ち他なし、竹箆は竹箆に非ず、卽ち是れ竹箆なり、其の他何の向背かあらん。(大  
 成脚注)
 竹箆:短い警策です。入室の時などに修行者を策励するために使う。
*誵訛:誵は殽の方正しとす、絲の錯雑紛糾して容易にとけざる混雑の様子をいふ、又錯り傳ふる意、展轉   
 殽誵權を以って實となすの類なり。(大成脚注) 
*權:音読み「ケン」「ゴン」訓読み「おもり」「はかり」「はかる」「いきおい」「かり」。元々誤読
 だったが、勢いがあったので、正しくなってしまったと言うことでありましょう。
*主山:首山省念和尚 臨済五世の法孫 
*愁人:愁人(しゅうじん):① 悲しい心を抱いている人。なやみのある人。② もののあわれを解する人。 
風流人。詩人。文人。
*愁人莫向愁人説、説向愁人愁殺人(愁人は愁人に語ってはいけない。愁人に語ればいよいよひどく悲しませ
 る。
*無門関四十三則 首山竹篦(しゅざんしっぺい) 洪福寺HPより
 首山和尚,竹篦を拈じて衆に示して云く、
 汝等諸人,若し喚んで竹篦と作さば則ち触る。
 喚んで竹篦と作さざれば則ち背く。
 汝諸人,且く道え,喚んで甚麼(なん)とか作さん。
 無門曰く,喚んで竹篦と作さば則ち触る。
 喚んで竹篦と作さざれば則ち背く。有語(うご)することを得ず,無語することを得ず。
 速(すみ)やかに道え,速やかに道え。
 頌に曰く,
 竹篦を拈起(ねんき)して,殺活(せっかつ)の令を行ず。
 背触(はいそく)交馳(こうち)す,仏祖も命を乞う。
 
 洪福寺HP 卓道和尚訳・解説抜粋
 首山省念(しょうねん)和尚が竹箆を拈じて修行僧たちに言うには、
 これを竹箆と呼べばそれは間違いである。
 竹箆と呼ばなければそれもまた嘘になる。
 それでは何と呼ぶか。    
 そこを無門が評して、竹箆と呼べば誤る。
 竹箆と呼ばなければ嘘になる。
 語ってもいけない。黙っても駄目である。
 さっさと答えろ、さっさと答えろ。
 そこを漢詩に詠って、
 竹箆を拈じて命ぎりぎりのやり取りを行っている。
 背触(はいそく)が入り混じった処、ここでは釈迦も達磨も命乞いをする。
 (´・(ェ)・`)つ

664 避難民のマジレスさん :2021/08/01(日) 08:29:29 ID:byGj7T4Y0
おまけ:洪福寺HP 卓道和尚訳・解説抜粋つづき
・・今私が首に掛けているこれの名前を皆さんは多分知らない。これは絡子(らくす)と言います。袈裟の 
 一種で五條袈裟(げさ)とも言います。これを何も知らない人に見せたら何の布きれだろう、なにか切り張 
 りしたおかしな布だな、テーブルクロスかなとか考えるかもしれません。しかし今私は絡子の説明をして 
 しまった。皆さんにとってもう一生これは、絡子という坊さんが掛ける小さな袈裟になってしまいました。
 これが言葉というものです。
 これは片方からの見方ですが、この世界元来何も有りません。禅定の深みではこの世界塵一つ無い。自分 
 も無ければ世界も無い。無いということも無い。
 ・・これは竹箆ですよと言えば言葉に落ちてしまう。迷いの世界に落ちてしまう。これは竹箆ではないと 
 言えば事実目前と異なる。これはこの世界では竹箆です。これは畳、あれは柱。しかし三昧の世界から見 
 れば何も無い。
 平等無き差別(しゃべつ)は仏法に準ぜず、悪差別なるがゆえに、という言葉があります。平等とは禅定で 
 すべてを空じた境涯です。差別とは今皆さんが見ているこの世界。柱は縦に敷居は横に。生死が分かれ、 
 有無が分かれ、自他が分かれた相対世界。平等は絶対、差別は相対のことです。平等の裏づけのない差別 
 は正しい仏教ではない、誤った差別である。
 そして、差別無き平等は仏法に準ぜず、悪平等なるがゆえに。この相対の現実世界を離れた平等三昧の世 
 界、これは正しい仏教ではない。誤った平等である。
 ・・・背触交馳す。平等と差別が入り混じっている。 これが世界の本来の在り方です。般若心経はそこ 
 を色即是空、空即是色という言葉で現わしています。
 色が差別、相対の世界。空が平等、絶対の世界。色がそのまま空、空がそのまま色。平等を離れて差別の 
 世界はない。差別を離れて平等の世界は無い。首山竹箆はこの辺の消息を語った則です。
 私たちはどうしても言葉に執われてしまいます。竹箆といえばああそれは竹箆なんだ、警策といえば警策 
 なんだと。その通りなんです。この差別の事実を離れて別に平等三昧の世界があるわけではない。確かに 
 何も無くなってしまう境地というのもあるのでしょう。しかしその無に住(とど)まっては何の用(はた)ら 
 きもない。深い穴倉です。
 ・・・正面にお釈迦様、獅子に乗った文殊菩薩と象に乗った普賢菩薩が両脇にいらっしゃる。あの三尊は 
 釈尊という完成された存在をあえて、平等の智慧、空の世界を象徴した文殊菩薩と、差別の智慧、用(は
 た)らきの象徴普賢菩薩に分けたものです。体(たい)である文殊、用(ゆう)である普賢。これが即の関係 
 にある。体(たい)即用(ゆう)、何もない本体がそのまま用(はた)らく。それを体現したのが中心の釈尊で 
 す。
 我々が日常誦んでいる般若経典に金剛経というものがあります。これは空という言葉を使わずに空の世界 
 を説いた経典です。例えばこういう説き方をします。世界は世界に非(あら)ず、これを世界と名づくと。 
 世界は世界ではない、それを世界と名付けている。今日の則ならば竹箆は竹箆に非ず、これを竹箆と名づ 
 く。竹箆は竹箆ではない、それを竹箆と名付ける。
 一度禅定で天地と一体になる、世界は世界に非ずの処です。その天地と我と一体、万物と我と同根という 
 境涯の裏付けのもとにこの相対世界に戻って来る。
 世界は世界に非ずと三昧に入り、それを裏付けにそれを世界と名づける。空の裏付けにおける色の世界。 
 世界は世界に非ず、これを世界と名づく。竹箆は竹箆に非ず、これを竹箆と名づく。
 無門曰く,喚んで竹篦と作さば則ち触る。喚んで竹篦と作さざれば則ち背く。有語することを得ず,無語
 することを得ず。速やかに道え,速やかに道え。竹箆と呼んでも駄目、竹箆と呼ばなくてもいかん。語れ 
 ば誤るからと黙ってもいけない。そこで詰め寄る、さあ言ってみろ。皆さんのあれやこれやの思い、言葉、
 概念、理屈、分別。それを一度きれいさっぱり無くして、まっさらになった自分の一言。
 私たちが言葉を使うのは、それが便利な約束事だからです。・・・言葉というのは約束事の集まりです。 
 その言葉に引っ掛からない。
 ・・・さて、この短い平らな竹の棒、これをなんと呼ぶか。
 ・・・竹箆と呼ぶのも約束事です。この言葉という約束事を離れてこれを何と呼ぶか。
 頌に曰く、 竹篦を拈起して,殺活の令を行ず。背触交馳す,仏祖も命を乞う。この首山和尚もこの竹箆 
 の問いで見性しています。ぎりぎりのやり取りです。仏も祖師も言葉では表せません。ここは皆さん各人 
 に苦労していただくところです。
(´・(ェ)・`)b

665 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/01(日) 23:50:39 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 竹箆背触なのじゃ。

 背触は主山の閑話の頭なのじゃ。
 着々として糸がもつれるように由来もわからぬものなのじゃ。
 梨花院に落ちる黄昏の月なのじゃ。
 愁人に向かって説くも愁いは解けないのじゃ。

666 避難民のマジレスさん :2021/08/02(月) 02:07:52 ID:e1PCX0Dg0
487
病中 二首 1/2
破戒沙門八十年 破戒の沙門八十年
自慚因果撥無禪 自ら慚づ因果撥無の禪
病被過去因果果 やまひは過去因果の果をこうむる
今行何謝劫空縁 今何を行じてか劫空の縁を謝せん

くま訳
病中 二首 1/2
破戒の修行僧として八十年
自ら愧じているのである、因果の法理を否定する邪見を用いたことを。
病は因果の果を被るのである。
今何を行じて、永遠のご縁に表わしたらよいものやら。

くま質問:一休さんは、因果の法理を説く為に、自分の病に託けて、「自慚因果撥無禪」と詠んでるのであ
 りましょうか?
*野毛孝彦先生解説
 「婬犯肉食」による「破戒沙門八十年」の禅であった。鉗鎚 、鉗鎚 、また鉗鎚 、比類なき厳峻の師の 
 下で一休が参学し得たも一のは、その師華叟さえも絶対否定することによって自己を証する自己存在の在 
 り方であった。亡き謙翁のひそみに習い、華叟から与えられた印可の証を断固拒否した一休の態度になに 
 よりもそれが如実に示されている。
*因果撥無(いんがはちむ)483の詩:因果の理法を否定する邪見。道元禅師は、「百丈野狐話」の不落因 
 果を撥無因果とし、これによりて悪趣に堕す。としている。
*空劫:世界が全く壊滅して、次にまた新たに生成の時が始まるまでの長い空無の期間
(´・(ェ)・`)つ

667 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/02(月) 23:19:47 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、病は過去の因果が還って来たせいだというのじゃ。
 何もかも無であると説いてはいかんのじゃ。
 それは邪見なのじゃ。
 因果はあると説くべきなのじゃ。

668 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/02(月) 23:22:18 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 病中なのじゃ。

 破戒の沙門として八十年経てきたのじゃ。
 因果は無いと説いてきた禅を愧じるのじゃ。
 病は過去の因果を被ったからなのじゃ。
 今はどのようにして劫空の縁を謝れば善いのであろうか。

669 避難民のマジレスさん :2021/08/03(火) 03:58:07 ID:X242MX.E0
くま訳改
今はどのようにして劫空の縁を謝ればよいものやら。

488
病中 二首 2/2
美膳誰具一双魚 美膳誰か具す一双のうを
小艶工夫日用虚 小艶に工夫日用虚し
淫色吟身頭上雲 淫色吟身とう上の雪
目前荒草末曾鋤 目前の荒草いまだかつて鋤かず。"

蔭木英雄先生訳・解説抜粋
食膳に誰がうまい二匹の魚を添えてくれるのだ(誰からも手紙が来ない)
だから小艶詩を作る日用の工夫(下化衆生の大乗行)も空しい
色欲に耽り詩を吟じて頭も白髪となり  
目前の煩悩を除くこともせぬ。煩悩即菩提じゃ。

「・・釈尊一代の教えは、仏性を説き明したものではないのですか」という質問に対する臨済義玄の、
  荒草曾て鋤かず(衲は胸中の荒草を一度も刈った事はない。無明の実 性が即ち仏性なのじゃ)。
という返答に拠っている。婬色の小艶詩の虚しい工夫が、即ちそのまま仏性である一とは言うものの、
承句を吟ずる一休の心中には、微かな後めたさが有ったのではなかろうか。

くま訳
病中 二首 2/2
誰からも手紙が来ないのである。
小艶詩の作詞に日用の工夫を凝らす虚しい日常である。
淫色の吟を詠む頭は雪のようにな白髪になってもうたのだ。
目前の雑草のように、煩悩もありのままだ。

*双魚:遠来の客が置いていった2匹の鯉 (こい) の腹中に手紙があったという「古楽府 (こがふ) 」  
 の故事から、手紙のこと。https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/946 参

*くま質問
因果はあると説きつつ、ありのままの煩悩=ありのままも自分を観察して詩に詠む修行法を説いているので
ありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

670 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/03(火) 23:15:26 ID:1d4drIFg0
↑ 淫色に囚われていれば修業もままならんということじゃな。
 異性に気を取られているうちに白髪のじじいになってしまうぞというのじや。
 
そんな感じなのじゃ。

 
 美膳に誰が一双魚を具えてくれるのじゃろうか。
 小艶の工夫も日用には虚しいものじゃ。
 淫色を吟ずるうちに頭は雲がかかったようじゃ。
 目の前の荒草も末だ鋤をくわえていないのにのう。

671 避難民のマジレスさん :2021/08/03(火) 23:58:33 ID:t.qNfAT20
489
言外和尚    ごん外和尚
端無滅卻大燈家 端無く滅卻す大燈の家
鐵眼銅晴劍樹牙 鉄眼銅ぜい劍樹のげ
一句分明言外語 一句分明言外の語
親聞華叟若曇華 親しく聞く華叟はどんげのごとしと

くま訳
言外和尚    言外宗忠和尚   
はからずも、(養叟が法を継いだことにより)大燈禪の家風を滅却してしまったが、
優れた眼力、鋭い舌鋒を備えており、
言外和尚の言葉は、一言一言が明快であった。
親しく知る人に聞くところによると、華叟のことを、三千年に一度、仏の出現するときなどに開くといわれ
る伝説の花、曇華のようだと評価していたそうだ。

*言外和尚:言外宗忠(ごんがい そうちゅう):1305-1390徹翁義亨(てっとう-ぎこう)の法嗣。華叟の 
 師匠。大徳寺7世住持。のち尼崎に広徳寺をひらいた。
*1422(応永29)一休さん29歳、言外宗忠の33回忌に一休は粗末な着物をまとって参列する。この頃より
 風狂と言われ始める。
*華叟 宗曇(かそう そうどん)1352-1428 8歳にして大徳寺の徹翁義亨に投じ、14歳で出家。のち徳禅 
 寺の言外宗忠に参じ、印可を得る。近江堅田に祥瑞寺をひらき、住持した。門弟にはのちに大徳寺派の主 
 流派となる一休宗純や養叟宗頤など。
*端無(はしなく):① 思いがけなく、偶然であるさまを表わす語。はからず。ふと。ゆくりなく。
 ② そのまま。ただちに。
*曇華一現(どんげいちげん):めったに起こらないはずのことが身に起きたときの喜び。心配事が突然解 
 決したときのうれしさ。
 雲間が一瞬晴れたときに、花の色がパッと目に入ってくる喜びの意から。「曇華」は、三千年に一度、仏 
 の出現するときなどに開くといわれる伝説の花。「曇華どんげ一ひとたび現げんずるが如ごとし」の略。
*うむ。大應、大燈、言外、華叟、と清貧の中で受け継がれてきた禅風を、養叟がぶち壊したと、許さんぞ 
 と、発信し続ける一休さんでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

672 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/04(水) 23:15:51 ID:1d4drIFg0
だいたいそんな感じじゃな。

 言外和尚だというのじゃ。

 大燈家の禅で心身を余すところ無く滅却したのじゃ。
 鉄の眼、銅の瞳、剣の樹のような口なのじゃ。
 ただ一つの句で言外の語まで分明にできたのじゃ。
 親しく聞くところによれば師匠の華叟和尚を三千年に一度に咲く優曇華の花のようじゃと言ったのじゃ。

673 避難民のマジレスさん :2021/08/04(水) 23:38:54 ID:NGSYiiHI0
くま訳改
第一句:大燈家の禅で心身を余すところ無く滅却したのだ。れた眼力、鋭い舌鋒を備えており、

490

馬祖不安閑話頭 馬祖不安の閑話頭
毘耶杜語不勝愁 びや語をとぢて愁ひにたえず
夜夜苦吟三十歳 夜夜苦吟す三十歳
月滿茂陵桂樹秋 月は滿つ茂陵桂樹の秋

くま訳

馬祖が病気になった際の公案
毘耶に住まわれていた 維摩居士が不二の法門に付き問われた時に黙したことは、残念でならない。
毎夜、苦労して詩をひねり出す三十歳
月は満ちて、司馬相如が糖尿病療養のために住んだ茂陵から、中秋の名月には桂樹が見えのだろうか?

*馬祖道一(ばそ どういつ)709-788唐代の禅僧。諡は大寂禅師。
*馬祖不安 『碧巌録』第三則
 日面仏月面仏         にちめんぶつがちめんぶつ  
 擧。馬大師不安。       こす、馬大師だ不安。
 院主問。和尚。近日尊候如何。 院じゅ問う、和尚、近日尊候いかん。
 大師云。日面佛月面佛。    大師云わく、にち面仏がち面仏

 不安:病気になること
 院主:寺務を主宰する役
 日面仏:賢却(けんごう)千仏(現世において出世される千人の仏さまたち)の第五十八仏で、千八百 
 歳という寿命の長い仏さん。
 月面仏:賢却千仏の第二百二仏に当たり、一日一夜という寿命の短い仏さま。
  
 馬祖は千八百歳まで生きる仏さまもあれば、一日一夜の仏さまもあるではないか、病気など気にするな、 
 「生きるもよし、死ぬるもよし」と、言いきった。
*毘耶(びや):古代インドのの首都。釈迦は民衆教化のために、たびたびこの地を訪れ、在家の仏弟子で 
 ある維摩詰もこの地に住んだ。また釈迦の滅後に、この地で第二回の仏典結集が行われた。
*杜:とじる、ふさぐ
*維摩一黙:ことばで説明するより、黙っていたほうがよい、ということのたとえ。
 維摩経の「入不二法門品」 『維摩が、不二の法門に入るとは、どのようなことであるかを菩薩たちに質
 問をしました。 菩薩たちは、「善と悪は不二」、「生と滅は不二」、「汚れと清らかさは不二」などと
 次々に答え、最後に、文殊菩薩が、「不二とは言葉では説明ができないことである」と説きました。そし 
 て、文殊菩薩は、維摩に「不二の法門に入るとは、どのような ことですか」と質問しましたが、維摩は、 
黙ったまま、ひとこともしゃべらなかった。』というお話しのようです。 仏教で説く法は、言葉で説明
 ができないということを、維摩という在家の信者が、言葉を使わず態度で示した ということと思います。 
昔からこの場面を、「維摩の一黙、雷の如し(らいのごとし)= ”維摩の黙ったようすは、まるで雷の 
 響きがあたり一面にいきわたるようだ”」と、たとえられてきたようです。 つまり、それだけ、「維摩 
 の一黙」には、大きなちからがある、ということかと思います。
*茂陵(もりょう):司馬相如、病渇を養ふために家居せし處なり。(漢の武帝の陵墓)
(´・(ェ)・`)つ

674 避難民のマジレスさん :2021/08/04(水) 23:42:38 ID:NGSYiiHI0
*桂樹:月に生えているとされる想像上の木。

*おまけ1.馬祖道一(ばそ どういつ)709-788唐代の禅僧。諡は大寂禅師。 
 懐譲の法を嗣いだ。百丈懐海や南泉普願など嗣法の弟子は、それぞれが数多くの語録を残すので、後の禅 
 宗に語録を重視する傾向をもたらし、やがてそれは公案を重視する臨済宗へと発展していった。
 馬祖は、後世の禅僧の名に見られる道号などとは異なり、道一の俗姓である馬氏によるもの。そのニュア 
 ンスを日本語化すれば、「馬おじさん」や「馬家の師匠」と呼んでいるのと同じこととなる。柳田聖山が 
 「純禅」と称する初期の禅宗徒の気風の一端を表すものである。
 また、馬祖の生家は箕(み)を作っていたが、開悟の後、名声を得て故郷に里帰りした所、近所の老婆に、 
「なんだ、偉い坊さんが来たと思ったら、箕の屋の小せがれではないか」と言われ、それきり、故郷に帰 
 らなかったというエピソードがある。
 思想:馬祖禅とも呼ばれるその禅思想では、禅宗で初めて経典や観心によらずに日常生活の中に悟りがあ 
 る大機大用の禅を説き、「平常心是道」(びょうじょうしんこれどう)、「即心即仏」など一言で悟りを
 表す数多くの名言を残している。また、相手に合わせて教え方を変える対機説法を始め、これによって多
 彩な弟子を育て、遂には禅の正系の座を荷沢宗より奪ってしまった。
*おまけ2.維摩居士(Wikipedia)解説: 維摩詰が病気になった際には、釈迦が誰かに見舞いに行くよう勧 
 めたが、舎利弗や目連、大迦葉など・・は彼にやり込められた事があるので、誰も行こうとしない。・・ 
 そこで釈迦の弟子である文殊菩薩が代表して、彼の方丈の居室に訪れた。
 そのときの問答は有名である。たとえば、文殊が「どうしたら仏道を成ずることができるか」と問うと、 
 維摩は「非道(貪・瞋・痴から発する仏道に背くこと)を行ぜよ」と答えた。彼の真意は「非道を行じな 
 がら、それに捉われなければ仏道に通達できる」ということを意味している。
 大乗経典、特にこの維摩経では、このような論法が随所に説かれており、後々の禅家などで多く引用され 
 た。一休宗純などはその典型的な例であると考えられる。
(´・(ェ)・`)b

675 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/05(木) 23:51:44 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 またまた病なのじゃ。

 馬祖の病の公案なのじゃ。
 毘耶で後を閉ざすは愁いに勝てないのじゃ。
 夜夜苦吟すること三十年なのじゃ。
 月満ちるは茂陵の桂樹の秋なのじゃ。

676 避難民のマジレスさん :2021/08/05(木) 23:59:57 ID:sK2H.r2w0
491 
泉涌寺僧行捧  泉にゅう寺の僧捧を行ず
八稜八尺倚長天 八稜八尺長天による
拈起向秋山面前 ねん起して秋ざんが面前に向ふ 
衲子當機拱手處 衲子當機に当たって手をこまねくところ
洞山三頓徳山捧 洞山の三とん徳山の捧

くま訳
泉涌寺の僧は棒を振るって修行するのである 
八稜(八咫鏡(やたのかがみ))八尺(八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま))倚長天(天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ))三種の神器(伝統)みたいなものである。
棒をを立てて、秋山の上賀茂神社の面前に向うのである
他が手をこまねいてる場面でも、禅僧は、臨機に対応するのだ。
洞山は雲門に三頓六十棒くらい、徳山は常に棒で打って指導したのである

*泉涌寺僧;泉涌寺雲龍院の後小松天皇廟を訪れて詠んだ詩には、「庭前に王孫草のあることを知り」とあって、
 一休が王孫であるかのような思わせぶりを書いている。
*一人行棒 ひとりぎょうぼう 
 一人行喝 ひとりぎょうかつ
 総不親  すべてしたしからず

 座禅のとき、修行僧を励ますために警策(きょうさく)という棒を使う、
 または喝と大声をかける。
 どちらがよりよい教えなのかを決めつけることはできません。"

*三種の神器、日本神話において、天孫降臨の際にアマテラス(天照大神)がニニギ(瓊瓊杵尊、邇邇芸 
 命)に授けた三種類の宝器であるところの鏡と剣と玉(璽)、すなわち、八咫鏡(やたのかがみ)・天叢 
 雲剣(あめのむらくものつるぎ、別名:草薙剣、読み:くさなぎのつるぎ)・八尺瓊勾玉(やさかにのま 
 がたま)の総称である。 八稜八尺倚長天をこれに当てはめてみた。これで良いのか不明であります。
 八稜・・・八咫鏡(やたのかがみ)
 八尺・・・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)   
 倚長天・・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)

*拈起:採り上げて起てること。上堂や小参を行う場合の師家の動作を示す。
*洞山三頓の棒という公案:洞山守初が、師の雲門分堰から「どこから来たか、どこで過ごしたか」などと 
 問われたので、これまでの行脚のあとをこまごま答えると、雲門は「このうつけ者が。三頓の棒をくれて 
 やるところだが勘弁してやる、即刻立ち去れ。」と叱らはった。何がなんだか分からない洞山は、再び雲 
 門に参じ、自分の答えのどこが悪かったのかを問いなおすと、またもや大声で叱りつけられはった。けど 
 その瞬間、洞山は師が何を求めようとされていたのかが分かり、初めて悟ることが出来たというのです。
 そして、悟りというものは師や周りからもらえるものではなくて、自分への問いかけの中から見つけ出し 
 つかむもの。そのためには、心の中のこだわりを一切捨て切り、爽やかな心に立ち返りなさい、それが分 
 からない者は棒で叩くよりない、というのがこの公案の教えるところやということです。
*秋山:地名か?:京上賀茂・秋山・
 上賀茂神社:神話の時代から続く京都で最も古い神社のひとつ。ご祭神は、神武天皇の御代に賀茂山のふ 
 もとに降臨したといわれている賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)
(´・(ェ)・`)つ

677 避難民のマジレスさん :2021/08/06(金) 00:07:50 ID:sK2H.r2w0
くま質問
「馬祖の病の公案」
「毘耶で後を閉ざすは愁いに勝てない」
とは、どういう意味でありましょうか?
(´・(ェ)・`)b

678 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/06(金) 23:46:07 ID:1d4drIFg0
 間違えたのじゃ。
 後ではなく、語を閉ざすのじゃな。
 口を閉ざすのでは愁いに勝てないのじゃ。
 その後にわしは三十年苦吟してきたのじゃというのじゃ。
 黙っていてはわからんから何か言えというのじゃな。

679 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/06(金) 23:57:05 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 泉涌寺の僧は捧を使って修業なのじゃ。

 棒は八稜八尺倚長天の神器に匹敵する僧にとっての宝なのじゃ。
 棒を捧げて秋山の面前に向かうのじゃ。
 僧が機に当たって手をこまねくような場面でも、
 洞山は三頓の棒を食らい、徳山も捧をふるうのじゃ。

680 避難民のマジレスさん :2021/08/06(金) 23:59:35 ID:8qJr3Mus0
「お」から始まる法語である.去年の6月末ころ載せるべきであったが、失念したのである。
577
示會裡徒法語          ゑ裡の徒に示す法語
凡参禪學道           およそ参禪学道は   
須勦絶悪知悪覚         須らく悪知悪覚をさう絶して  
而至正知正見也 而して正知正見に至るべきなり
悪知悪覚者 悪知悪覚なるもの
古則話頭経論要文 古則話頭経論要もん
学徳参得坐禅観法労而無功者 学徳参得坐禅観法労して而して功無き者なり
如是輩當代四百四病一時發 かくのごときともがら当代し百し病を一時に発す
爲人所辱是情識之血氣也   人の為に辱めらるる是れ情識の血氣なり
對閻老面前有甚伎倆乎    閻老面前に対して、なんの伎倆かあらんや
獅子尊者斷頭白乳顯露分明也    獅子尊者かうべを断ってびゃく乳けい露分明なり
正知正見者日用坐斷涅槃堂底工夫  正知正見なる者の日用涅槃堂に坐断する底の工夫
全身堕在火坑 全身火坑に堕在す
子細看之苦中有樂 子細に之を看れば苦中に樂有り、
若能見得不昧撥無因果之境 若し能く見得せば、発無因果の境にくらまず。
若見不得永不成成佛漢 若し見不得なれば、永く成佛の漢ならず
可懼可懼 おそるべしおそるべし

くま訳
我が弟子達に示す法語
およそ、仏道修行をする者は
悪智恵や悪い記憶を根絶して 
正しい智恵と正しい物事の見方を身につけねばならない。
悪智恵や悪い記憶を持つものは、
古則・公案や 経論の中の重要な文句に取組んで、学問と徳行を実践したり、
参禅して真理を体得する為、坐禅を組んで、心中に悟道を黙想しても、
苦労ばかりで効果がないのである。
このような者は、今この時に、あらゆる病気に一時に罹ったような者である
他者から辱めを受けていると感じるのは、迷いの心がそう思わせるのである   
閻魔様の面前に出たときに、どんな技量が役立つというのだ
西天(インド)二十四祖の師子尊者は既に生死を離れていたので王により首を切り落とされるに際しても命を惜
しまなかったが、王は勢いよく噴出した白乳により右ひじを切り落とされたという故事が明らかに示してい
る。

正しい智恵と正しい物事の見方を身につけたものは、常日ごろから、死を目前にした者のような覚悟で悟り
を得るために工夫を凝らすのである。
全身が地獄の火の穴にいるような煩悩の苦しみに苛まれたままに留まるのである。 
詳細にこれを観察すれば、その苦しみの中に楽があることを発見できるのである。
もし発見することができれば、因果は無いとする考えに陥って、惑わされる事もないのだ。
もし発見することができなければ、永く成仏できなくなるのである。
恐ろしいことである。怖ろしいことである。

*勦絶(そうぜつ):滅ぼしつくすこと。皆殺しにすること。勦滅(そうめつ)。
*話頭:古則・公案の一節。または、その一則のこと。
*要文:経論などの中の重要な文句。また、文章の大切なところ。
*学徳:学問と徳行 *参得:参禅して真理を体得すること。
*坐禅観法:坐禅を組んで、心中に悟道を黙想すること
*労而無功者:苦労ばかりで効果がない。
*四百四病:人間がかかる一切の病気の総称。人間の体を構成する地・水・火・風の四つの元素の不調によ
り、一々の元素に百一の病がおこり、合わせて四百四と数えるものが代表的。
*情識:心。迷いの心。
*血気:1 血液と気力。生命を維持発展させる力。活力。2 向こう見ずで盛んな意気。客気。血の気(け)。
*火坑:火の燃えている穴。特に地獄にある火の穴。また、煩悩の恐ろしさを火にたとえてもいう。かこう。
(´・(ェ)・`)つ

681 避難民のマジレスさん :2021/08/07(土) 00:02:13 ID:8qJr3Mus0
*おまけ
二十四祖師子比丘尊者(續藏經 祖庭指南  清 徐昌治編述 中国語HPより)
中印度人。姓婆羅門。得法遊方。至罽賓國。・・・時本國有外道二人。一名摩目多。二名都落遮。學諸幻法。
欲共謀亂。詭為釋子。潛入王宮。其王彌羅崛遂滅毀釋教。秉劍至尊者所。問曰。師得蘊空否。祖曰。已得蘊
空。王曰。離生死否。祖曰。已離生死。王曰既離生死。可施我頭。祖曰。身非我有。何怯於頭。王即揮刃斷
尊者首。白乳涌高數尺。王之右臂。旋亦墮地。七日而終。・・・

師子尊者の話(瑞雲院法話のページ HP出典「景徳伝灯録巻第二。第二十四祖師子比丘」)
西天二十四祖の師子尊者は、中インドの婆羅門の家に生まれ、二十三祖の鶴勒那(かくろくな)尊の法を嗣
いだ。その後、諸方を遊行してカシミール国に至り、その地で多くの人々を教え導いたので遠近に名が知れ
渡った。
・・・そのときその国に様々な幻法を学んだ二人の外道がいた。その二人は乱を起こすことを計画し、失敗
したら仏子に罪を着せようと偽りの仏衣をまとい、ひそかに王宮に潜入し悪事をおこなった。しかし災いは
自らに還りことは失敗した。ところが偽りの仏衣に欺かれた王は怒って言った。「我れ心を仏法僧の三宝に
帰依するに、何ゆえこのような害を及ぼすのか」王は命じてすぐに寺を破壊し、僧を追放し、そして自ら剣
を取り尊者のところに来て言った。「師、存在の空なることを得たるや否や」「空なることを得たり」「生
死を離れたるや否や」「すでに生死を離れたり」「すでに生死を離るれば、我れに頭を施すべし」「身は我
が有に非ず。何ぞ頭を惜しまん」王はたちまち剣を振るって尊者の首を断った。すると白乳の湧くこと高さ
数尺におよび、同時に王の右肘も地に落ち、七日後に王は亡くなった。
(´・(ェ)・`)b

682 避難民のマジレスさん :2021/08/07(土) 00:11:11 ID:8qJr3Mus0
>>676
くま訳改
第三句;僧が機に当たって手をこまねくような場面でも、
第四句:洞山は三頓の棒を食らい、徳山も捧をふるったのだ。
(´・(ェ)・`)b

683 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/07(土) 23:47:19 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 会の衆に示す法語なのじゃ。

 凡そ参禅学道の者は
 すべからく悪知、悪覚を断つべきなのじゃ。
 そして正知、正見に至るべきなのじゃ。
 悪知、悪覚なる者は
 古則や公案や経論や要文を学び
 座禅や観法に労しても功が無い者なのじゃ。
 このような輩が今四百四の病を一時に発し、
 人のために辱められるはこれ情識の血気のせいなのじゃ。
 死んで閻魔王の面前で何の技が通用するというのか。
 獅子尊者は頭を断たれても首から白乳現れ奇跡によって成果が分明なのじゃ。
 正知正見者は日用の涅槃堂に坐断する心底の工夫は、
 例えば全身が火の坑に堕ちて在ろうとも、
 仔細に観察すれば苦の中にも楽があると気づくというようなものじゃ。
 もしそのような工夫を能く見得すれば因果が無いというような魔境にくらまされないのじゃ。
 もし見えないならば、永く成仏のものにはなれないのじゃ。
 おそるべしおそるべしなのじゃ。

684 避難民のマジレスさん :2021/08/07(土) 23:59:25 ID:4YRIQTTc0
492
食籍      じき籍
飯縁食籍聊茶湯 飯縁食籍いささかさとう
竹縛菊籬梅補墻 竹は菊りをばくし梅かきを補ふ
人間世諦盡餓死 人間の世たいことごとく餓死
地獄遠離安樂長 地獄をん離して安樂長し "

くま訳
食籍
食にあり付くご縁、生涯で何を食べてきたかの履歴、多少の茶の湯
竹は菊のまがきを縛り、梅のかきねを補う。(竹は仏縁の譬えでありましょうか?)
人間は、餓死するのがほとんどであるというのが常識である。
地獄を遠ざけて、安楽に長生きするのである。(うむ。でそのために、諸悪莫作 衆善奉行 でありますね。)

*食籍:中国語・生涯で各人が消費した食べ物を記録する冥界の迷信伝説の本を意味
*茶湯(チャトウ・さとう)仏前や霊前に供える煎茶湯。禅家では忌日などに仏前に供える茶と湯をいう"
*籬(り・まがき):竹・柴(しば)などをあらく編んで作った垣。ませがき。
*墻(かき):壁・へい・かき・かきねな"
*世諦:① 世間一般の常識または約束で真実とされるもの。世間の人が知っている事柄。世俗諦。② 仏事 
 のための費用。"
*遠離(おんり・えんり):① 遠く離れること。また、遠くへ離すこと。② 仏語。あらゆる煩悩(ぼんの
 う)のきずなから解放されたさとりの境界である無為をいう。〔維摩経〕
(´・(ェ)・`)つ

685 避難民のマジレスさん :2021/08/08(日) 11:49:14 ID:eGHIm0Xk0
くま訳改
9行目:このような輩が今四百四の病を一時に発し、
10行目:人のために辱められるはこれ情識の血気のせいなのだ。
(´・(ェ)・`)b

686 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/08(日) 22:57:12 ID:1d4drIFg0
 そんな感じじゃな。

 食籍なのじゃ。

 飯縁食籍あればいささかでも茶湯にして仏に供養すると善いのじゃ。
 竹も菊籬を縛り、梅も垣根を補うように食籍を役立てるのじゃ。
 そうすれば人が悉く餓死することになろうと
 地獄を遠離して長く安楽でいられるのじゃ。

687 避難民のマジレスさん :2021/08/09(月) 00:05:56 ID:sKKZB2ek0
 くま訳全面改
 食籍
 飯縁食籍あればいささかでも茶湯にして仏に供養すると善いのだ。
 竹も菊籬を縛り、梅も垣根を補うように食籍を役立てるのだ。
 そうすれば人が悉く餓死することになろうと
 地獄を遠離して長く安楽でいられるのだ。

493
南園殘菊 南園殘ぎく
晩菊東籬衰色秋 晩ぎく東籬衰しょくの秋
南山且對意悠悠 南山且つ對して意悠悠
三要三玄都下識 三要三玄すべてしらず
淵明吟興我風流 淵明が吟興我が風流

くま訳
南園の殘菊
東側のまがきの菊も色衰える晩秋
その時も南山を眺める心はゆったりとしている。 
玄妙な真理の仕組みを全く知らなくても、
陶淵明の詩情を我が事としてその風流を味わうことはできるのだ。

*南園殘菊:陶淵明の詩に「菊を東籬の下に採り、悠然として「南山を見る」と(大成脚注)
 俗世間から離れ、心にもの思うこともなく、自然を楽しんで生きる心境を現すことば。
 [由来] 陶淵明の「飲酒」という詩の一節から。勤めを辞めて故郷に帰り、自然と一体になって暮らす心 
 境を、「菊を采る東籬の下、悠然として南山を見る(東の垣根のところで菊の花を折り取り、ゆったりと
 した気持ちで南方に見える山を眺め見る)」とうたった。

*おまけ1「飲酒」 其の五、陶淵明           
 結廬在人境 いおりを結んでじんきょうにあり
 而無車馬喧 しかも 車馬の かまびすしきなし
 問君何能爾 君に問う 何ぞ よく しかるや と
 心遠地自偏 心遠ければ 地 おのずから へんなり
 采菊東籬下 菊をとる とうりのもと
 悠然見南山 ゆうぜんとして南山を見る
 山気日夕佳 さんき にっせきに よく
 飛鳥相与還 ひちょう あいともに かえる
 此中有真意 このうちに真意あり
 欲弁已忘言 べんぜんと欲すれば すでに げんをわする
 
  藤原鎌足公 孫 45代 先生訳
 私は隠居の庵を人の住んでいる所で営んでいる(普通は人里離れた所だが)。
 しかし、訪問客の乗り物である車馬の音が騒々しい事はない。
 どうしてそんなことができるのか、と貴方に問う(自問自答)
 「心を遠い境地(超然とした心情)に馳せていれば、住んでる場所も自然と辺鄙になるのだよ」と。
 東側のまがきのもとで菊を摘み
 心 ゆったりとして南山をながめる。
 山の気配は 日暮れ時こそ すばらしい
 鳥たちも群れになって 山のねぐらに帰ってゆく。
 こう言う生活、こんな自然の風景の中にこそ 人生の真意が込められている
 この素晴らしさを言葉で言い表わそうとしても 言うべき言葉を忘れてしまった。
 (実に 何とも言えない満ち足りた心境なのだ)
(´・(ェ)・`)つ

688 避難民のマジレスさん :2021/08/09(月) 00:11:32 ID:sKKZB2ek0
おまけ2「臨済三句」「三玄三要」(臨済録 上堂9)
 上堂。
 (臨済の三句)
 僧問:「如何是第一句?」          僧問う、「如何なるか是れ第一句」と。
 師云:「三要印開朱点側,未容擬議主賓分」。 師云く、「三要印開して朱点側(そばだ)つ、未だ擬議を                     
                       容れずして主賓分かつ」と。
 問:「如何是第二句?」           問う、「如何なるか是れ第二句」と。
 師云:「妙解豈容無著問,沤和争負截流機」。 師云く、「妙解(みょうげ)豈に無着(むじゃく)の問を容
                       れんや、沤(オウ)和争(いか)でか截流(せつる)の機に負
                       (そむ)かん」と。
 問:「如何是第三句?」           問う、「如何なるか是れ第三句」と。
 師云:「看取棚頭弄傀儡,抽牽都来裏有人」。 師云く、「棚頭(ほうとう)に傀儡を弄するを看取せよ、 
                       抽牽(ちゅうけん)都来(すべ)て裏に人有り」と。
 (三玄三要)
 師又云:「一句語須具三玄門,        師又云わく、「一句語に須らく三玄門を具すべく、
 一玄門須具三要,有権有用。         一玄門に須らく三要を具すべくして、権有り用有り。
 汝等諸人,作麼生会?」下座。        汝等諸人、作麼生(そもさん)か会す」といって下座す。
             
禪と悟りhpより抜粋① 
     
注:
印開する:印章を押す。
朱点(しゅてん)側(そばだ)つ:赤い色模様がくっきり出てくる。
主賓分かる:主体と客体に分離する。
妙解(みょうげ):文殊菩薩の悟りの智慧。
無著(むじゃく):五台山に現れた文殊菩薩と問答したという
華厳寺無著(「宋高僧伝」二十)のこと。
?和(おうわ):梵語ウパーヤの訳。仮に応用する方便。
棚頭(ほうとう):舞台。
抽牽(ちゅうけん):引くこと。
三玄門:古来、玄中玄(理)、句中玄(智)、体中玄(行)などの
3つに分けられているが具体的内容は不明である。
権有り用有り:権は方便のことで実に対する言葉である。
用は作用や働きのこと。

現代語訳
上堂するとある僧が尋ねた、
「師は三句をもって修行者を指導されるとのことですが、禅の第一句とはどのようなものですか?」
師は云った、
「それを印章に譬えて言うと、三要(さんよう) の印を押してから持ち上げると、赤い色模様がくっきり出
てくる。そのように憶測を入れる余地もなくはっきりと主・客が分離して顕現する」。
僧が質問した、
「では第二句とはどのようなものですか?」
師は云った、
「文殊菩薩の悟りの智慧は無著(むじゃく)の問いを寄せ付ける余地も無い。その智慧の力は煩悩の流れを断
ち切る働きをする」。
僧が質問した、
「では第三句とはどのようなものですか?」
師は云った、
「舞台であやつり人形がいろいろ演技する。それはみな裏であやつる人がいるからだとはっきりと見取るが良い」。
師はさらに、
「いま三句を説明したが、この三句の内どの一句にも三玄門が具(そな)わっていなければならない。一玄門
には三要が具(そな)わっていなければならない。そうなれば方便も働きも出てくるのだ。諸君、そこをどの
ように会得したかな?」と言って座を下りた。

(´・(ェ)・`)b
(1/3)

689 避難民のマジレスさん :2021/08/09(月) 00:24:25 ID:sKKZB2ek0
禪と悟りhpより抜粋② 三玄門の解釈とコメント①
この上堂説法は臨済の「三玄三要」の思想とされる。
古来、三玄門は玄中玄(理)、句中玄(智)、体中玄(行)などに分けられるとされる。・・・
第一句から第三句までの説明は論理的で筋が通ったものである。・・・
  第一句とは
「それを印章に譬えて言うと、三要の印を押してから持ち上げると、赤い色模様がくっきり出てくる。
そのように憶測を入れる余地もなくはっきりと主・客が分離して顕現する」と説明している。
この三要の印や朱点とは何を指しているかわからない。
しかし、印鑑を押してから持ち上げると印がはっきりと現れるように、脳の記憶作用や判断・認識作用を指
していると思われる。
最後の「主賓分かる」も主・客が分離する、分別意識(=理知)の働きを言っていると考えられる。
そのように考えると、
第一句は分別智(理知の本体である上層脳の働き)を禅の立場から比喩的に説明していると思われる。
  第二句の説明で臨済は、「文殊菩薩の玄妙な智慧は無著(むじゃく)の問いを寄せ付ける余地も無い。
その智慧の方便は無明の流れを断ち切る働きをする」と言っている。
第二句のキーポイントは
妙解(みょうげ)(文殊菩薩の玄妙な智慧)と無著(むじゃく)の問いにある。
妙解(みょうげ)(文殊菩薩の玄妙な智慧)とは仏教の悟りの知恵である無分別智(下層脳中心の脳から生ま
れる悟りの智慧)を指していると考えることができる。
これに関連すると思われる文殊菩薩と無著(むじゃく)の問答が碧巌録第35則にある。
そこでは無著は文殊の問いに対してトンチンカンな返答をする未熟な禅僧として描かれている(「碧巌録」
第35則を参照)。
これより無著(むじゃく)の問いとは文殊の無分別智には及ばない、分別智(理知=第一句)の段階にある
無著(むじゃく)の境地を指していると考えることができる。
そのように考えると、第二句は「文殊菩薩の無分別智(玄妙な悟りの智慧)は無著(むじゃく)の分別智を寄
せ付ける余地も無い。
文殊菩薩の智慧の方便(=無分別智)は煩悩の流れを断ち切る」と言って禅の基本的立場を説明しているこ
とが分かる。
即ち第二句は無分別智(=玄妙な悟りの智慧)を指していると考えることができる。
  第三句は「舞台であやつり人形がいろいろ演技する。それはみな裏であやつる人がいるからだとはっき
りと見取るが良い」である。これは人間をあやつり人形に譬えて説明している。
人間はあやつり人形のような存在であり、舞台裏でそれを操る人(無位真人=脳)を看取せよと言っている
のである。あやつり人形とは肉体であり、舞台裏でそれを操る人とは脳や無位真人と考えて良いだろう。
そのように考えれば第一句は分別智(上層脳中心の理知)、第二句は無分別智(下層脳中心の智慧)、第三
句は脳全体(上層脳+下層脳)について言っていると考えることができる。
このように考えると、臨済の言っている「三玄三要」とは、
①分別智(上層脳)、
②無分別智(下層脳中心の脳から生まれる悟りの智慧)
と③それを一つにした全脳(上層脳+下層脳)
の三つの法門のことだと考えることができる。

(´・(ェ)・`)b
(2/3)

690 避難民のマジレスさん :2021/08/09(月) 00:30:19 ID:sKKZB2ek0
禪と悟りhpより抜粋③ 三玄門の解釈とコメント② 
三玄三要
「三玄三要」は分別智(上層脳)、無分別智と全脳の三法門のこと
臨済は「禅は常にこれらの三つの玄妙な法門(脳に関する法門)に関係している」。
従って禅を説く時は
「常に脳に関係した三つの玄妙な法門について説かなければならない」
と言っていることが分かる。
・・・
この上堂説法で注目されるのは第一句である。
第一句は分別智(上層脳=知性)を意味している。普通、禅や仏教では無分別智(下層脳中心の脳)を重視
するあまり分別智(理知、理屈)を軽視しがちである。
しかし、この上堂説法では分別智を軽視していない。臨済禅では公案と問答を通して禅と悟りの世界を何と
か表現しようとする伝統がある。
これは臨済宗の開祖臨済の分別智(上層脳=知性)をゆるがせにしない姿勢に起因しているといえるかも知
れない。
臨済の分別智(上層脳から生まれる智慧=理知)重視の姿勢は「示衆4-2」や「示衆5-2」に見られる
「真正の見解」重視の姿勢に通じ、注目されるところである。

*おまけ3
『碧巌録』にみる麻三斤 (禅の視点 - life - hp)
ある時、1人の僧が守初禅師に質問をした。「仏とは何でしょうか」
守初禅師は答えた。「三斤の麻」以上。おしまい。これだけ。
……
三斤の麻とは
斤というのは重さの単位で、三斤あれば僧侶の衣を一着仕立てることができるという。
守初禅師の暮らしていた湖北省の襄州地方は麻の産地として有名だったというから、守初禅師にとっても麻
はとても身近なものであったと思われる。・・・・

古来、禅の問答においてもっともポピュラーな問いは「仏とは何か」であるが、・・・
仏とは何かと問われて、「三斤の麻」と答えた守初禅師。
しかし三斤の麻が仏なのではない。
強いて言うなら、三斤の麻を仏と捉える守初禅師の心こそ仏と言うべきだろう。
修行をして悟りやら仏を目指すといっても、悟りやら仏やらに執着すればもうそれは立派な煩悩である。
概念としての悟りや仏に捉われるのは執着であり、その執着から離れれば木も石も水も雲もただありのまま
の存在に感じる。・・・
仏は仏であり、仏でない。特別なものなど何もない。あらゆるものは、ただそのもの。そうした心から世界
を眺めれば、石と仏に差などない。
比べる心で見てしまえば石と仏は別物かもしれないが、比べなければあらゆる存在は「ただの存在」である。
ただの存在だから尊いのである。
そうした「ありのまま」の姿を捉える心こそ、仏といえるのではないか。
言葉の字面と睨めっこするのではなく、言葉の奥を深読みするのでもなく、言葉を発した守初禅師の心を想
う。・・・
(´・(ェ)・`)b
(3/3)

691 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/09(月) 23:36:57 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 南園の殘菊なのじゃ。

 東籬の晩秋の菊が衰色をしているのじゃ。
 南山かつ対して心は悠々なのじゃ。
 三要三玄など全てしらない、
 陶淵明も興にのって吟じるのが我が風流なのじゃ。

692 避難民のマジレスさん :2021/08/10(火) 03:53:18 ID:sdUQpy3s0
494
四睡圖     四睡の図
凡聖同居何似生 凡聖同居何似生
披毛作佛也分明 披毛さ佛また分明
今宵極睡清風枕 今宵ごく睡清風のちん
空劫以來松無聲 空劫以來松に聲無し

くま訳
豊干・寒山・拾得 と虎が一緒に眠る絵
ある人が凡夫であり且つ聖人でもあるとは、はてどんな人でありましょうか。
獣になることと仏になることの違いは明らかでありまうしょう。
今宵深い眠りにつくのである、清風の枕(清々しい気持ちで眠れるのである)
無始無終の永遠の時の流れの中で、松に声はないのである。

*「四睡の図」https://1000ya.isis.ne.jp/1557.html
 豊干(ぶかん)禅師・寒山・拾得(三聖)が虎とともに眠る姿を描く。森羅万象の静寂を表したもので、悟 
 りの境地を示すとされている。
 豊干は奇行で知られる唐代の禅僧で、寺内を虎に乗って歩いたという。
 寒山と拾得は豊干の弟子で、同じく奇行で知られるが、それぞれ、文殊・普賢菩薩の化身と称せられる。
 ググッテみると、豊干・寒山・拾得 たいへん興味深い人たちでありました。
*寒山・https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>906
 寒山拾得(森鴎外)https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/679_15361.html
寒山拾得縁起(同)https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/43732_17109.html
*凡聖同居土(ぼんしょうどうごど)
 凡夫と聖人が共に住する土のこと。智顗が諸経典に説かれている国土を四種に分類したうちの一。この土 
 にはさらに穢土と浄土の別がある。同居の穢土とは娑婆世界のように六道を具え不浄が満ちている世界の 
 ことであり、同居の浄土とは極楽世界のように人・天・二乗・菩薩・仏が共に住して、清浄な世界のこと 
 である。またこの土は三界の内にあるため界内という。
*披毛:けものになること。
 作仏:仏となること。最高の悟りを開くこと。
*空劫(くうこう)世界が全く壊滅して、次にまた新たに生成の時が始まるまでの長い空無の期間。
(´・(ェ)・`)つ

693 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/10(火) 23:13:09 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 四睡の図なのじゃ。

 凡人と聖人が同居しているのは何を持って生じるのか。
 獣になるのと仏になるのでは違うことは分明であるがのう。
 今宵は清風の枕で睡を極めるのじゃ。
 この世の初めの空劫以來、松に声は無いからのう。

694 避難民のマジレスさん :2021/08/10(火) 23:29:55 ID:gkLEI3Co0
495
宗訢藏主製墨以爲業 そうきんざうすせいぼく以って業と為す
偈以送之      偈以って之を送る
萬杵霜花華頂天   ばんしょのさう花華頂の天
商量來不直多錢   商量し来たって多銭にあたらず
何須知藏書經巻   何ぞもちひん知蔵の経巻を書することを
小艶題詩衒少年   小艶詩を題して少年をてらはん

くま訳
宗訢藏主は製墨を生業としている 
偈を作って送るのである
多くの女達が打つ砧の音が響く天台宗総本山(比叡山)に来てから一年を経た。
師家と問答応酬してきたが、たいして得ることはなかった。 
知藏が經巻を書する必要はなかろう。 
小艶詩を作って、少年達に詩才をひけらかしてやろう

*宗訢藏主:笑嶺宗訢(しょうれい そうきん)1490-1568 戦国時代の僧。永禄元年大徳寺の住持
 一休さんの死後の生まれであります。もしかしたら、一休さんが宗訢と名乗っていたことがあり、それに 
 ちなんで命名されたのかもしれないと思い、ここでは宗訢=一休さんと解釈してみた。
*藏主:知藏に同じ、經藏を掌る役。(大成脚注)寺院内にある経典や論書を管理する僧である。最近では 
 「知蔵」という。なお、現在の図書館司書のような役割もあった。また、「看経」の時には、蔵主の許可 
 を要する。
*万杵千砧(ばんしょせんちん):きぬたを打つたくさんの女性。または、いろんなところから聞こえるきぬ 
 たの音。「万」と「千」は数が多いことのたとえ。「杵」はきぬたを打つための棒。「砧」は布を叩いて 
 柔らかくして、つやを出すための石や木の台。
*霜華・霜花(そうか):① 霜を花にたとえていう語。転じて、白髪。「生涯水急、鬢悴二霜華二毛之歳
 一」 〔白居易‐長恨歌〕② (秋の霜と春の花の意で) 一年間。一周年。※正法眼蔵(1231‐53)行持下 
「航海三載の霜華、その風雪いたましきのみならんや」
*華頂峰は昔、中国天台宗の開祖である智者大師が坐禅を組み、あらゆる誘惑と魔物と戦い悟りを開いたそうで 
 す。その華頂峰にある寺院が華頂寺です。
*商量:商も量も「はかる」という意味で、協議する、くらべはかる意になる。転じて師家と修行者との間 
 で問答応酬して人生の一大事を明らめること。
*衒う(テラウ):自分の学識・才能・行為などを誇って、言葉や行動にちらつかせる。ひけらかす。
(´・(ェ)・`)つ

695 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/11(水) 23:25:21 ID:1d4drIFg0
なんだかわからんが、そうきん藏主という者が墨を作って生業としているのに偈を送ったというのじゃ。

 萬の杵で霜花を作る華頂の天なのじゃ。
 商量しても多くの銭にはならんのじゃ。
 知藏の經巻を書くのにもちいるよりも、
 小艶詩を題して少年をてらうほうがよいのじゃ。

696 避難民のマジレスさん :2021/08/11(水) 23:36:29 ID:yB/WV.lo0
496

忘却萬端詩末忘 万端を忘却して詩いまだ忘ぜず
半生半死涅槃堂 半生半死涅槃堂
黄泉路上此吟興 黄泉路上この吟興
閻老宮前後悔膓 閻老宮前後悔のはらわた

蔭木英雄先生訳
総てを忘れ果てても詩はまだ頭から離れぬ  
息も絶えだえの病室でも
死出の旅路でも此のように詩興がわく  
エンマ様の御殿で後悔することじゃろう

くま訳

全てのことを忘れても、詩のことだけは忘れることが無い。
半生半死の涅槃堂
黄泉の国への旅路でも、このように詩情が沸くのだ。
閻魔様の宮殿の前で後悔するでありましょう。

*膓:はらわた。①体内にある消化器官。②心。精神。「愁膓・熱膓」
(´・(ェ)・`)つ

697 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/12(木) 23:13:54 ID:1d4drIFg0
 それでよいのじゃ。

 頌なのじゃ。

 万端を忘れても詩は忘れていないのじゃ。
 半生半死の涅槃の堂でもなのじゃ。
 黄泉路の飢えでもこの詩を楽しんでいるのじゃ。
 閻魔の前で後悔するじゃろう。

698 避難民のマジレスさん :2021/08/12(木) 23:56:58 ID:W9EPAI6c0

497
題淫坊 
美人雲雨愛河深 美人の雲雨あいが深く  
樓子老禅樓上吟 ろうし老禅樓上に吟ず  
我有抱持啑吻興 我にほうじそうふんの興有りて   
竟無火聚捨身心 遂にかじゅうしゃしんの心無し 

『雑学の世界』HP訳
いっしょに寝てくれた美人の愛は、まるで深い河のようにすばらしく、
私はうっとりとして、思わず楼上で歌をうたった。
私には抱擁とか接吻とかの楽しみがあって、
いまや命がけの求道心など全くない

くま訳
美人と深く愛し合う。
女郎と老僧が楼台で吟じる
わしは、抱擁接吻を楽しみたいのだ
結局、煩悩の火で焼かれるこの身を捨てる気はないのだ。
     
字義・補記(詩詞世界HP解説)
〇淫坊 淫売窟・女郎屋 〇美人雲雨愛河深 美女との情愛の愛慾は深く
〇雲雨 中国「巫山雨」の故事に基づく男女の交情をいう。
楚の襄王が巫山で夢に神女と契ったことをいう。神女は朝は巫山の雲となり夕べには雨になるという故事。
〇樓上 女郎屋 〇樓子(ろうし) 遊女 〇老師
一休のこと
〇竟無火聚捨身心 煩悩の身を捨てるという心は、起きなかった
〇捨身 仏教用語 仏門にはいること 出家
〇火聚(かじゅ) 仏教用語、煩悩の火に包まれている人間の譬(たとえ)
(´・(ェ)・`)つ

699 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/13(金) 23:16:30 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 淫坊とはエロ坊主なのじゃ。

 美人と雲雨は愛の河深く、
 遊女と坊主は女郎屋で詠うのじゃ。
 我に抱持、吸吻の楽しみあれば、
 ついに火聚に捨身しても悟りを求めようとする心は無いのじゃ。

700 避難民のマジレスさん :2021/08/13(金) 23:40:26 ID:qfUSWflA0
498
美人得寵美人珎 美人寵を得るは美人のちん
珠玉青鞋脚下塵 珠玉せいあい、脚下のちり
秋満驪山宮樹月 秋は満つ、りさん宮樹の月
栄華可悔馬嵬春 栄華悔ゆべし、ばかいの春

『雑学の世界』HP訳
美人で寵愛されるのは、美人の中でも珍しい。
だが、その珠玉のような美人も、最後は草鞋(わらじ)を履いた脚の下の塵と消え果てるのだ。
今年の秋も驪山下、華清宮の樹に、月は光を投げかけているが、
栄華の喜びは必ず後悔せねばならない。美貌の楊貴妃もついに馬嵬に消えたのではないかという。

くま訳
美人であっても、寵愛を受けるのは稀なことであるのだ
珠玉の美人も、いずれ足の裏の塵として消え去るのである。
秋は満ちて、、驪山宮樹に月光が差す、
栄華は悔やしさを際立たせる、楊貴妃の馬嵬の春のように。

*驪宮(りきゅう):長安の東、驪山に建てられた華清宮。温泉が沸き、玄宗は毎年避寒のために、ここに滞
在した。楊貴妃との悲恋の物語で名高い。(長恨歌)
(´・(ェ)・`)つ

701 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/14(土) 23:22:24 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 美人でも寵愛を得る美人は珍しいのじゃ。
 珠玉も草鞋足の下の塵になるのじゃ。
 驪山宮樹の月に秋は満ちるのじゃ。
 栄華も悔いるしかない馬嵬の春なのじゃ。

702 避難民のマジレスさん :2021/08/14(土) 23:34:36 ID:nE0syv4U0
499
寄大徳寺僧   大徳寺の僧に寄す
人多入得大燈門 人多く大燈の門ににっとくす
這裏誰捐師席尊 しゃり誰か師席の尊をすつる
淡飯麤茶我無客 淡飯粗茶我れにかく無し
醉歌獨倒濁醪樽 醉歌獨り倒すだくらうのそん

くま訳
大徳寺の僧に寄す 
多くの人が大燈の宗門に入ることができた
それにも拘らず、師の尊い教を棄ててしまったのは誰か。
粗茶しか出せぬのわしの所には客は来ない。
酔って歌い、一人でドブロクの樽を飲み干すのだ。

*這裏(シャリ):《「這」は「此」の意》このうち。この間
*淡飯(たんぱん):そまつな食事。粗食。※正法眼蔵 家常「家常の麤茶淡飯は、仏祖意句なり」
*濁醪(だくろう・どぶろく) 発酵させただけの、白く濁った酒。もろみ酒。にごりざけ。
(´・(ェ)・`)つ

703 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/15(日) 21:57:45 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 大徳寺の僧に寄すのじゃ。

 人が多く大燈門に得入するのじゃ。
 その中で誰が師席の尊敬を捨てるのじゃろうか。
 粗末な食事と粗茶の我に客は無いのじゃ。
 醉歌して一人にごり酒の樽を倒すのじゃ。

704 避難民のマジレスさん :2021/08/15(日) 22:19:29 ID:D8lEVfyU0
くま訳改
第二句;その中で誰が師席の尊敬を捨てるであろうか。

500
山居僧
無人時喜客來嗔 人無き時は喜び客來たればいかる、 
落葉飛花獨覺身 落葉飛花独覚の身
正見禪師若行令 しゃう見の禪じ若し令を行ぜば
三冬枯木百花春 三冬枯木百花の

くま訳
山居僧
人が居ない時喜び、客が来ると怒る。
無常なこの世で独覚を目指す身であり、
正しい見解を持つ禅師が若し修行をすれば、
冬の真っ只中で花が咲くのである。

*飛華落葉:飛花落葉:絶えず移り変わるこの世の、無常なことのたとえ。春に咲く花も風に吹かれて散り、
 青葉もやがて枯れ落ちる意から。
*独覚:三乗の一つ。仏の教えによらないで自力で悟りをひらき、静かに孤独を楽しんで、利他のための説 
 法をしない聖者。縁覚。辟支仏(びゃくしぶつ)。
 縁覚(えんがく):おのれひとり悟ってよしとする孤高の覚者。教理的には十二因縁を観察して迷いを断ち 
 真実を悟る者をいう。師なくしてひとりで悟るので独覚ともいい,音写語では辟支仏 (びゃくしぶつ) 。 
 大乗からみれば部派仏教の徒。菩薩に対する。
*三冬枯木花(さんとうごぼくのはな):冬の真っ只中の枯れ木に花が咲くということの意味。三冬とは冬 
 の三ヶ月や三年ともいう。
(´・(ェ)・`)つ

705 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/16(月) 23:18:44 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 山に居る僧なのじゃ。

 無人の時は喜び、客が来るといかるのじゃ。
 落葉飛花一人悟りを得る身なのじゃ。
 正見の禅師もし修行を行えば
 三度の冬で枯れ木に百の花を咲かせるような悟りの春を迎えるじゃろう。

706 避難民のマジレスさん :2021/08/16(月) 23:28:43 ID:1R1CKbVY0
501
冬至示衆    冬至じしゅう
獨閉門關不省方 独り門関を閉じて方を省せず  
這中誰是法中王 しゃ中たれか是法中の王
諸人若問冬來句 しょにん若しとうらいの句を問はば、
日自今朝一線長 日はこんちょうより一線長し

冬至を修行者に示す
独り感覚を閉じて、周囲を伺わない。
修行者にとって、これこそが修行法の王道である。
もし誰か、冬至について尋ねるものがあれば、
日は今日から少しづつ長くなるとこたえるのだ。

*これは悟りを得るための法を説いたものでありましょうか。
(´・(ェ)・`)つ

707 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/17(火) 23:15:32 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、冬至にかけてといているのじゃ。
 一人で門を閉じて修業するようにというのじゃ。

 そのような感じじゃな。

 冬至を衆に示すのじゃ。

 一人門を閉じて周囲を省みないのじゃ。
 これこそ誰にとっても法の中の王なのじゃ。
 もし人が冬至が来たか訊ねたならば、
 日は自ら今朝より一線ずつ短くなっていくことを告げるのじゃ。

708 避難民のマジレスさん :2021/08/17(火) 23:37:27 ID:ts4ClNsk0
502
大惠宏智揖讓圖 大ゑわんしいう讓の図
眉毛相結眼睛同 眉毛相結んで眼睛同じ
兩箇老禪機境融 兩箇の老禪機境融ず
力士鐵槌子房策 力士の鐵槌子房がはかりごと
憤心在博浪沙中 憤心は博浪しゃ中に在り

くま訳
大慧宏智恭しい挨拶の図
面と向って見詰め合っているのである。
二人の老師は、お互いに力量を認め合っていたのだ。
(宏智は、)張良が力士を暗殺者として雇い、始皇帝の車列に重さ30キロのトンカチを投げつけたような作
戦を実施したのである。
始皇帝の(ような大慧の)怒りの原因は、博浪沙でのこの一件にあるのである。

*大惠⇒大慧
*大惠宏智揖讓圖(胡建明先生解説抜粋):大慧が16年間の流罪を終え、1156年、勅命を受け、大刹阿育王 
 山広利禅寺に住持した。・・大慧は・・宏智へ挨拶のため、天童山に拝登しようとした。そのとき宏智が 
 大慧の上山を知り、弟子たちを連れて・・山道の途中で大慧を迎え、礼を尽した。という美談。
  (もともと2人は大親友だったらしい。)
*揖譲:1 拱手(きょうしゅ)して、へりくだること。古代中国の作法。2 天子の位を譲ること。禅譲。
*大慧宗杲(だいえ そうこう)1089-1163:宋代の臨済宗の僧。普覚禅師。仏日大師。
 曹洞宗に属した宏智正覚と、真の禅法をめぐって激しく対立した。宗杲は、公案を用いることによって言 
 語による思考を限界に追い詰め、そこに大きな疑問を抱えつつ坐禅して言語を超越した悟りへと向かうと 
 いう禅法を正しいものと認めた。公案を用いることによって言語による思考に大きな疑問を抱えつつ坐禅 
 し、その疑問を打ち破ることにより悟りへと向かうという、臨済宗の禅法を正しいものと認めた。宗杲は 
 曹洞宗の禪を「黙照禅」と呼んで批判した。
*宏智正覚(わんし しょうがく)1091-1157宋代の、曹洞宗の禪僧。
 正覚は、悟りという目標を設定することによって無明と悟りという二元論的構造が生じることを避けるた 
 めに、坐禅すること自体が坐禅の目的であるような自己完結的な禅法の中で本来具有している仏性が顕れ 
 るとした。仏性は本来的にすべての者に具有されており、坐禅すること自体が坐禅の目的であるような自 
 己完結的な禅法の中でその事実に気付くことこそが悟りの要であるとして、公案を用いない曹洞宗の禅法 
 を擁護した。
 宏智は臨済宗の禪を「看話禅」と呼んで批判した。
*機境:行者の根機こんき (素質能力) と観察(かんざつ)の対象のこと。
*子房(張良の字)(? - 紀元前186年)は秦末期から前漢初期の政治家・謀将。軍師として劉邦に仕えて 
 、劉邦の覇業を大きく助けた。
 始皇帝暗殺未遂
 秦に亡ぼされた韓の公族であり、祖国を滅ぼされた張良は復讐を誓い、屈強な力士を借り受け、紀元前 
 218年頃に始皇帝が巡幸の途中で博狼沙を通った所を狙った。方法は重さ120斤(約30kg)と言う鉄槌を投 
 げつけ、始皇帝が乗った車を潰すというものであった。しかし・・暗殺は失敗に終わった。

*くま質問
 大慧が始皇帝で、宏智が張良と譬えてると想定して解釈してみたのであります。実際に宏智が弟子を
 使って大慧に対して論戦を仕掛けたようなことはあったのでありましょうか?
 一休さんは面白がってる様であります。
(´・(ェ)・`)つ

709 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/18(水) 23:23:59 ID:1d4drIFg0
↑そのようなことはないじゃろう。
 それはただ悟った者同士が会えたことを、対比させて珍しいこととしているだけなのじゃ。
 博浪沙では失敗しているのであるからのう。

 大惠宏智の揖讓の図なのじゃ。

 眉毛を互いに結び、瞳を同じにしたのじゃ。
 二人の老禅師の境地は融和しているのじゃ。
 子房が策で力士に鉄槌を投げさせた
 博浪沙中では失敗して怒っているのにのう。

710 避難民のマジレスさん :2021/08/18(水) 23:53:07 ID:TdZJ1C6I0
くま質問
 子房が策で力士に鉄槌を投げさせた
 博浪沙中では失敗して怒っているのにのう。
とは、何をどの様な意味で譬えているのでありましょうか?

503
翠岩夏末示衆云   すい岩夏まつに衆に示し云く
一夏以來爲兄弟説話 「一げ以来ひんでいの為に説話す、
看翠岩眉毛在麼   看よ、翠岩が眉毛ありや」
保福云。作賊人心虚 保福云く。「賊となる人心いつはる。」
長慶云。生也    長慶云く。「せいや」
雲門云關      雲門云く「関」

眉毛公案爛泥荊 眉毛公案らんでいけい
保福雲門同道行 保福雲門同道に行く
長慶藏身還露影 長慶身を蔵して還って影をあらわす
小樓南畔月三更 小樓南ぱん月三更

くま訳
翠岩夏末示衆云   
一夏以來久しぶりに兄弟弟子のために説話したのである。 
見てくれ、翠岩の眉毛はまだあるだろうか
保福いわく、泥棒になる人は、自分の心を偽るものである。
長慶いわく、うむ。眉毛は生えてるのでありますよ。
雲門いわく、関門である。

眉毛の公案は、泥んこ刑みたなものである。
保福と雲門は、同じ道をゆくのである。
長慶は、本心を隠そうとして、かえってあらわになっているのである
小樓がある南の水辺で見る深夜の月。

*くま質問・爛泥荊とはどのようないみでありましょうか?
 「小樓南畔月三更」とは、この公案の景色は、定型的で風流なものである、みたいな評価でありましょう 
 か?
*翠巌和尚が夏安居の後に、誤った説法をすると眉毛が抜け落ちるといわれているが、わしの眉毛は残って 
 いるか?と問うた。
*翠巌令参(すいがんれいさん 生年不詳):翠巌、保福、長慶、雲門、の四人は雪峰義存門下の兄弟弟子
*雲門文偃(うんもん ぶんえん、864-949)
*保福従展(ほふくじゅうてん?〜928)
*長慶慧稜(ちょうけい・えりょう854〜932)
*爛:1.火に焼けて皮膚がくずれる。ただれる。くさって形をくずす。2.まっさかり。
*荊:1.とげのある低木。いばら。うばら。2.刑罰として罪人を打ちたたくつえ。しもと。
*畔:ほとり。岸。水際。
*145の詩 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>868 、保福 = 
 家裏人 = 関の内側 = 悟っている

不偸盗戒
鵝鳥呑珠刑罰辛 がちょう珠を呑んで刑罰からし
分明曲直僞兼眞 分別曲直偽と真と  
翠巖老漢眉毛話 すい岩老漢びもうのわ
保福豈非家裏人 保福あにかりの人にあらざらんや

871: 鬼和尚:2020/08/03(月)
 ・・・ 関といわれれば誰もが関の外に出ていると思うのじゃ。
 どのようにして関の中に入ろうとか思って悩むのじゃ。

 実は既に内に入っているのじゃ。
 一休はそれを詩にしたのじゃ。
 保福豈非家裏人というのじゃ。
(´・(ェ)・`)つ

711 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/19(木) 23:11:22 ID:1d4drIFg0
↑ 子房が力士に鉄槌を投げさせたが始皇帝にはあたらなかったのじゃ。
 狙った物と物がぶつかるのさえ難しいのじゃ。
 悟った者同士が会うのは実に珍しいというのじゃ。

 乱れた泥の荊の鞭じゃな。
 苦難というような意味でよいのじゃ。

 それでよいのじゃ。

 眉毛の公案は泥だらけの荊の道なのじゃ。
 保福と雲門は同じ道を行っているのじゃ。
 長慶は身を隠そうとして還って影を表しているのじゃ。
 南の畔で小樓から夜の月がみえるのじゃ。

712 避難民のマジレスさん :2021/08/19(木) 23:40:18 ID:m5HzqKX60
504
讀冷齋夜話       冷齋夜話を読む
有褒禪山石崖僧之一件事 はう禪山石がい僧の一件のじ有り
感而題之  1/3  感じてしかしてこれに題す

佛印重荷一百夫 佛印重くになふ一ぴゃく夫
佳名道價滿江湖 佳名道価がう湖に満つ
石崖一箇野僧意 石崖一箇野僧の意
佛法南方一點無 佛法南方一點も無し

くま訳
冷齋夜話を読む
褒禪山の石崖僧の一件があった。
読んで感じたことを詠むのである。   

仏印禅師は一人で百人の重荷を背負ったのである。
その名声は世界中にとどろいているのである。
石崖は一人の田舎者の僧と云う意味である。
仏法は南方には、一点もないのである。

*冷齋夜話:僧慧洪の編、本書を随筆文にして、東坡の詩、嗣法の様子、羅漢の失墜隊、西崑の體等を録す 
 (大成脚注)
 覚範慧洪の編。詩人の逸話とその作品の評論集。わが五山文学への影響大きく、宋版による五山版がある。
 慧洪(えこう)1071-1128:北宋の禅僧,詩人。誣告されて再度投獄されたことがあり,のち隠遁して 
 終った。蘇軾に学んで雄健な詩風。また絵画にも長じていた。
*仏印禅師 仏印了元(1032-1098) 宋時代の高僧、
*野僧:田舎の僧侶。また、僧侶を軽蔑していう語。

*くま質問:「褒禪山石崖僧之一件事」どのような一件でありましょうか
(´・(ェ)・`)つ

713 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/20(金) 23:20:45 ID:1d4drIFg0
 冷齋夜話に収録されている隠者の話のようじゃ。
 ここに書いてあったのじゃ。
 
 http://zhangdachun.blog.caixin.com/archives/132891

 褒禪山石崖下に一人の僧がおったのじゃ。
 紙軸を枕にして寝ていたのじゃ。
 裸足でねていたのじゃ。
 いろいろ問答したのじゃ。

 南に帰って仏印禅師に逢うと山を出たのは

 重荷者百夫,擁輿者十許夫,巷陌聚觀,喧吠?犬と言ったのじゃ。
 重荷を持つ者が百人、貴族で輿を許されたものが十人、港に建物が多く、
 犬や鶏で騒がしいとかいつたのじゃな。

714 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/20(金) 23:27:28 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 冷齋夜話を読んで褒禪山石崖僧の一件に感じてこれに題するのじゃ。

 仏印は重荷一百夫と言ったのじゃ。
 その佳名、道価は天下に満ちているのじゃ。
 石崖一箇野僧の意は。
 仏法南方に一点も無しというのじゃ。

715 避難民のマジレスさん :2021/08/20(金) 23:47:28 ID:3Kzc4IpY0
くま訳全面改
 褒禪山石崖下に一人の僧がおったのだ。
 紙軸を枕にして寝ていたのだ。
 裸足でねていたのだ。
 いろいろ問答したのだ。

 南に帰って仏印禅師に逢うと山を出たのは

 重荷を持つ者が百人、貴族で輿を許されたものが十人、港に建物が多く、
 犬や鶏で騒がしいとかいつたのだ。

505    2/3
玉帶笑欺如土泥 玉帯笑ひあざむく土泥の如し
路頭喧吠犬兼鶏 路頭かまびすしはい犬とけいと
天下老禪奈慚愧 天下の老禪慚愧をいかんせん
獄中天澤世皆乖 獄中天澤世皆そむく

くま訳
貴人は笑いながら人をだます泥酔者のようなものである。
街中で騒がしいのは、吼える犬と鶏くらいのものである。
天下の老師が、自分を愧じる思いをどうしたらよいのか。
虚堂が獄中にあったときには、世間は皆背いたのである。

*玉帯(ギョクタイ・ごくたい):玉の飾りをつけた革製の帯。貴族の束帯に用いられた。たまのおび。 玉 
 で飾った帯。たまの帯。
*泥の如し:泥酔して正体がないさま。
(´・(ェ)・`)つ

716 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/21(土) 23:10:20 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 玉帯の貴人は泥酔者の如く笑いあざむくのじや。
 路頭では犬や鶏が吠えて騒がしいのじゃ。
 天下の老禅師は慙愧をどうすればよかろうか。
 獄中の天沢に世人は皆そむいたのじゃ。

717 避難民のマジレスさん :2021/08/21(土) 23:31:49 ID:606RJSI.0

506    3/3
百丈絶食無人學 百丈じきを絶って人の学ぶ無し
藥山兩粥黄采麥 藥山兩しゅくくわうさいのばく
但居門外弊衣徒 ただ門外にこすへいえの徒
金襴道光開法席 金襴の道光開席を開く

くま訳     
百丈和尚の絶食の話を聞いても、人がそこから何かを学ぶことは無い。
薬山和尚の、棄てられ黄色くなった野菜と煮込んだ麦粥の話も同じだ。
ただのぼろい衣をまとった、浮浪者とかしか思わないのだ。
金襴の僧衣を着た道光の説教をありがたがっているのだ。

*百丈懐海(ひゃくじょう えかい、749-814唐代の禅僧。南宗禅中の洪州宗の祖馬祖道一の法を継ぐ。
*薬山惟儼(やくさんいげん・745-828) 寺は元牛小屋・
*道光.1251-1331鎌倉後期の浄土宗の僧侶。比叡山で顕密諸宗を学ぶが,のちに良忠門下に帰す。京都五条 
 坊門に悟真寺(のちに三条に移転)を建立し布教したので,その門流を三条派といった
(´・(ェ)・`)つ

718 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/22(日) 23:08:14 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 百丈の絶食を学ぶものは無いのじゃ。
 薬山の粥と野菜を学ぶものもないのじゃ。
 ただ門外に居る破れ衣の者とおもうのじゃ。
 金襴の道光を見ればありがたがって法話を聞きに来るのじゃ。

719 避難民のマジレスさん :2021/08/22(日) 23:14:49 ID:K8K3PImw0
森に嫉妬されて、自殺未遂されて、形振り構わず謝る、一休さんであります。
507   
盲女森侍者情愛甚厚 盲女森侍者情愛甚だ厚し
将絶食殞命     まさにじきを絶って命をおとさんとす
愁苦之餘      愁苦のよ
作偈言之  1/2   偈を作りこれを言ふ   

百丈鋤頭信施消 百丈じょ頭信施しょうす
飯錢閻老不曾饒 飯錢閻老かつてあまさず
盲女艶歌笑樓子 盲女が艶歌樓子を笑ふ
黄泉涙雨滴蕭蕭 くわうせんの涙雨滴せうせうたり

くま訳
盲女森侍者は情愛がとても厚いのだ。
絶食して自殺をはかったのだ。 
わしは、愁いの思いで苦しいのだ。
なので、詩を作ってわしの思いを伝えるのだ。   
百丈和尚なら、無心のうちに、信施など受取らないであろう。
閻魔様は、今まで飯代を残したことなど無いのだ。決して見逃さないであろう。
森女が艶歌で遊女を笑っていたのを思い出して、
黄泉の国への旅立とうとする、森のつらい思いを悲しく思い、雨がしとしと降るようにわしは泣いているのだ。

https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/  >>335の詩 参
  森は紹固に激しく嫉妬して、そのために断食自殺を図ったらしい。
*侍者:貴人のそば近く仕えて、用を足す人。おそばづきの者。
*鋤頭(じょうとう):無心に。↓おまけ参
*僧侶が、檀信徒からまごころの布施を得ること、信心施。
*信施消 
 信施:受施者がその施の本来の意義・佛法護持の目的を外して自己の慾望のために使うと信施不消の罪を 
 得て施者の功徳とアベコベの罪報に苦しまねばならない。
*鋤頭(碧巌録) 安延山承福寺HP埜村要道住職 訳・解説
 空手把鋤頭 空手にして鋤頭を把り、
 歩行騎水牛 歩行して水牛に騎る
 人従橋上過 人橋上従(よ)り過ぎれば、
 橋流水不流 橋は流れて水は流れず   

 鋤をとって無心に畑を耕し続けているうちに、いつの間にか鋤を握っていることを忘れ、耕しているとい 
 うことさえ意識もなく、吾れと鋤が一つになり、無心に徹した心境を「空手把鋤頭」と言い表したもので 
 ある。
 さらに、一日の仕事が終わり、牛の背なにゆられて、家路ににつく帰途はもう心地よい疲れもあって、も 
 う牛が歩いているのか自分が歩いているのか、人牛が一体となった無心の境地こそ「歩行騎水牛」の語で 
 ある。
 家路の途次には谷川があり、ざわざわと流れる水の音が聞こえ、橋の上に立ち止まってその流れをじっと 
 見つめていると、
 いつの間にか自分がその自然の中に溶け込んでしまい、自分が川の流れになって流れて 
 いるようでもあり、我と流れが一体になり橋を渡る我が橋と共に流れている大自然と一体となった無心の
 境地を「人従橋上過橋流水不流」と表したものである。

 無心とは無色透明で、赤が来れば赤に、青が来れば青に、子どもが来れば子どもに、老人が来れば老人に
 心を通わせられる。無心の状態なればこそ人境一如で、無心に触れる山川草木が仏のいのち、仏の姿その 
 ものとして受け入れ切れるのだ。
(´・(ェ)・`)つ

720 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/23(月) 21:54:45 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 盲女の森侍者は情愛甚だ厚くまさに食を絶って命を落とさんとする。
 わしはそれをうれいて偈を作って言ったのじゃ。

 百丈も鋤で自ら耕して信施を消費したのじゃ。 
 生涯に食べる飯の数は閻魔がつかて余したことはないのじゃ。
 盲女も艶歌に樓子を笑ったことが在るのじゃ。
 黄泉では涙滴は雨の如くふるじゃろう。

721 避難民のマジレスさん :2021/08/23(月) 23:09:15 ID:YLe665060
くま訳改 
第一句:百丈も鋤で自ら耕して信施を消費したのだ。
 
508    2/2
看看涅槃堂裡禪 看よ看よ涅槃堂裡の禪
昔年百丈钁頭邊 昔年百丈のくわとうへん  
夜遊爛醉畫屛底 や遊爛醉畫べいの底  
閻老面前奈飯錢 面前飯銭をいかんせん

くま訳
見よ、涅槃堂で死を前にしてのわしの禅を
昔、百丈和尚は、農作業の責任者をしていたのであるが、
わしは、夜遊びをして、飲んだくれて、絵の書いてある屏風がある場所で遊んでいる始末である。
閻魔様の面前で飯銭をどうしたらよいのだろう。

*鍬頭(くわがしら):昔、大百姓の代人として、その手作り農業や新田開発を宰領した使用人の頭。飛騨
(岐阜県)白川地方では、家長の弟で農耕の指揮に当たった者。農作の差配人。
*畫屛:絵の描かれた屏風。

*くま質問:飯銭〜:食事などの日常の事々に対する真剣な取り組みが必要であり、いい加減に過すと因果
 の報いを受けると、一休さんは説いているのでありましょうか? 
(´・(ェ)・`)つ

722 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/24(火) 23:31:31 ID:1d4drIFg0
 そういえるじゃろう。
 飯銭とは食の対価じゃな。
 僧侶が働かずに施しを貰って生きてよいのは日頃から学道修業に励んでいるからなのじゃ。
 真面目に勤めないと閻魔の前で責められると言うのじゃな。

 そんな感じじゃな。

 見よ見よ涅槃堂の内の禅を、
 昔、百丈は座禅をしていない時も畑を耕していたのじゃ。
 夜には酔って遊んで屏風の下で潰れていては、
 閻魔の前で飯銭を責められてもどうしようもないのじゃ。

723 避難民のマジレスさん :2021/08/25(水) 02:41:27 ID:qzveYPbg0
くま訳改
第三句;夜には酔って遊んで屏風の下で潰れていては、
第四句;閻魔の前で飯銭を責められてもどうしようもないのだ。

509
擯出中川賀頌  ちゅうせんをひん出する賀頌
不救病身勞病身 病身をすくはず病身を労す
蕭墻有禍會中賓 せうしょう禍ありゑ中のひん
十年劍樹刀山底 十年劍樹刀ざんのてい
萬劫難消阿鼻辛 萬却しょうし難し阿鼻のしん

くま訳
追い出した中川への祝い状
病身を救わず、苦しめる。
会派の内輪もめの元凶である
十年間、劍樹刀山 で苦しめたのだ、
猛火に身を焼く苦しみは、萬劫の年月忘れることができないものとなろう。

*擯出(ヒンシュツ):人をしりぞけること。のけものにすること。擯斥
*中川:「60%の日常 ブログ」記事より。「酬恩庵宝蔵には、一休禅師が書かれた文書がいくつか展示され 
 ています。門下の中川というお弟子さんが、一休さんの逆鱗に触れたようで、追い出された時の擯出状が 
 あるんですが、その中に『舌をぬき恥辱を与えし』と中々恐ろしいことが書かれてました。(この人のこ 
 とでありましょう)
*蕭牆の禍(しょうしょう)《「韓非子」用人から》一家の内部に起こるもめごと。うちわもめ。 
*刀山剣樹:思いやりが一切無いむごたらしい刑罰。または、酷く危険な境遇。「刀山」は刀の刃が上を向 
 いた状態で、無数に立てられている山。「剣樹」は葉や枝、花、実の全てが剣で出来ている樹。山を歩か 
 されたり、剣樹を登らされては落とされるという地獄で行われている刑罰のことから。
*阿鼻:八熱地獄の無間地獄。現世で父母を殺すなど最悪の大罪を犯した者が落ちて、猛火に身を焼かれる 
 地獄。
(´・(ェ)・`)つ

724 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/25(水) 22:52:57 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 中川というものを会から追い出したのじゃな。

 病身を救わず病身を疲れさせたのじゃ。
 会を内輪もめさせた原因なのじゃ。
 十年間剣樹刀山の苦しみをもたらしたのじゃ。
 その報いは万劫も消し難い阿鼻地獄の辛苦を味わうのじゃ。

725 避難民のマジレスさん :2021/08/25(水) 23:13:50 ID:pFah44Nk0
510
擯出中川賀頌呈勝瓊 ちゅうせんをひん出する賀頌、しょうけいに呈す
本非蛇影客盃弓 もと蛇影にあらずかく盃のきゅう
元字在心從劫空 げん字こころに在り劫空よりす
昨日凡兮今日聖 さく日の凡こん日のしゃう
無根雲起變通風 無根雲起こる変通の風

くま訳
中川を斥ける賀頌 勝瓊に呈す
元々、盃に映ったのは蛇影ではなく弓影だったのだ。
元来、人は心持ち様次第でどうにでもなるもなのだ。
昨日凡夫、今日聖人。そんな事もあったりするのだ。
理由なく雲起り、風流れを変えたりもするのである。

*擯出(ヒンシュツ・ひんずい・ひんじゅつ):人をしりぞけること。のけものにすること。擯斥(ひんせき)。
*くま質問:勝瓊とは、中川の被害者でありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

726 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/26(木) 23:21:50 ID:1d4drIFg0
↑違うようじゃ。
 勝玉を呈したというのじゃな。
 中川を排斥して会が勝れた玉のようになったということじゃな。

 そんな感じじゃな。

 もともと客の盃の影は蛇ではなく弓だったのじや。
 もともと字は心にあり、劫空に従うのじゃ。
 昨日の凡人も今日は聖人になるかもしれんのじゃ。
 変通の風は無根の雲を引き起こすのじゃ。

727 避難民のマジレスさん :2021/08/26(木) 23:50:36 ID:is15Ihgg0
*変通:時に当たって自由自在に変化し適応して行くこと。

くま訳改
中川を排斥して会が勝れた玉のようになったのだ。
第二句:もともと字は心にあり、劫空に従うのだ。
第四句:変通の風は無根の雲を引き起こすのだ。

くま質問:「もともと字は心にあり、劫空に従う」とは、どのような意味でありましょうか?

511
病僧與五辛
病僧大苦發傷風 病僧のたい苦傷風を発す
死脉頻頻命欲終 死みゃくひんぴんとして命終らんとす 
如来新病用牛乳 如来の新病牛乳を用ふ  
莫忌凡身藥草葱 忌む莫れ凡身薬草のそう
  
くま訳 
病気に罹った僧に五辛を与える
病僧は大へん苦るしい傷風に罹った。  
死脈を打ち命が終ろうとしていたのである 
釈迦は新しい病気に対しては牛乳を用いたのである。  
忌むなかれ、凡夫の身には、ネギが薬草になるのだ。

*五辛(ごしん):辛味や臭気の強い5種の野菜。仏家で、大蒜(にんにく)・韮(にら)・葱(ねぎ)・辣韮
 (らっきょう)・野蒜(のびる)、道家では、韮・辣韮・大蒜・油菜(あぶらな)・胡荽(こすい)をさす。これ 
 を食べると情欲・憤怒(ふんぬ)を増進するとして禁じる。五葷(ごくん)
*傷風:高熱を伴う風邪の一種。
*死脈:死期が近づいた弱い脈拍。「死脈が打つ(=臨終が近い)」
(´・(ェ)・`)つ

728 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/27(金) 23:22:46 ID:1d4drIFg0
↑誰がどうしたとかいうのは心にその名があるからだというのじゃな。
 それもまた空であり、無常であるというのじゃ。
 心次第ということじゃな。

 それでよいのじゃ。

 病僧に五辛を与えるというのじゃ。

 病僧大苦の傷風を發し、
 死脈が頻発して命も終わらんとしたのじゃ。
 如来は新病に牛乳を用いたのじゃ。
 忌む無かれ凡身が薬草のねぎを用いることを。

729 避難民のマジレスさん :2021/08/27(金) 23:34:49 ID:pF.J9qfg0
鬼和尚、いつもくまでも分かる解説をありがとうであります。
「元字在心」事々に名づけて、その言葉に囚われてるに過ぎない、
「從劫空」本来一切空であり無情なのだ
ということでありますね。 

512
鳩鹿狐懺悔   きうろくこ懺悔
麋鹿生涯獝狘愁 びろくの生涯きつけつの愁ひ
鳩因淫欲苦心頭 鳩は淫欲に因って心頭を苦しむ
四時難愕此愁夢 し時おどろき難しこの愁夢
一枕清風夜夜秋 一枕の清風夜夜の秋

くま訳
鳩、鹿、狐の懺悔
鹿は生涯歩く獣であることを愁いている。
鳩は淫欲に心を苦しめている
四六時中、悲しみに浸りながら見る夢に驚いてはいられないのは、鳩鹿狐もわしも同じなのだ。 
毎晩、少しづつ秋が深まってゆく。

*麋:鹿の大なるものなり「なれしか」ともいふ。(大成脚注)
*獝狘:(中国語翻訳)歩く動物
*四時:1.四季。2.仏教 一日の四つの時。旦(=朝)・昼・暮(=夕)・夜。
*愁夢: 悲しみにひたりながら眠って見る夢。
(´・(ェ)・`)つ

730 避難民のマジレスさん :2021/08/27(金) 23:46:40 ID:GHXQWsSY0
くま訂正
無情→無常
(´・(ェ)・`)b

731 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/28(土) 23:50:59 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、そのような理解で善いのじゃ。
 

 そんな感じじゃな。

 鳩鹿狐の懺悔゛というのじゃ。

 鹿は生涯愁いがあるというのじゃ。
 鳩は淫欲に心頭を苦しめられるのじゃ。
 これらの愁いは常に驚きではないのじゃ。
 夜寝る時には清風で忘れられるだけなのじゃ。

732 避難民のマジレスさん :2021/08/28(土) 23:57:58 ID:FQPEZLyM0
513  503参
翠岩示眉毛圖  翠岩眉毛を示す図
賓中有主主中賓 賓中主有り主中の賓
關字失錢生也親 關字失銭せいやしたし
賊賊賊賊拿不得 賊賊賊賊だふとく
當頭姦黨是何人 たうとう姦たう是れ何人ぞ

くま訳
翠岩和尚の「眉毛あるか」と本来の面目についての問の絵   
これは、賓となり主となり立ち代わり自由のはたらきを示す、優れた問い掛けで(示衆)である。
しかし、(雲門に)「関」の一字で応えられてしまっては、その巧妙さも効を失ってしまった。
賊賊賊、賊機あり(と応えたのは保福)。これでは、取り付く島がないのである。
この真っ向から(眉毛=本来の面目はちゃんとあるよと)応えた、(長慶という)悪党は、何者であろうか?

*賓と主:四賓主は、賓と主、二人の能力の関係を四通りに分けたもの。賓は客、主は亭主。通常、客が修
 行者、主は師となる。
*翠岩示眉毛:碧眼録 第8則 翠巌夏末示衆 参おまけ
*拿不得:補うことを得ざるをいふ(大成脚注)
*当頭:頭の上であること。または、真向かいであること。間近であること。
*姦党:悪人の仲間。悪人の集団。悪党。

おまけ 碧眼録 第8則 翠巌夏末示衆 禅と悟りHP 訳・解説
翠巌示徒 翠巌徒に示す
千古無対 千古対無し
関字相酬 関字相酬ゆ
失銭遭罪 失銭遭罪
潦倒保福 潦倒(ろうとう)たる保福
抑揚難得 抑揚得難し
潦倒翠巌 ろうとうたる翠巌
分明是賊 分明に是れ賊
白圭無玷 白圭?(きず)なし
誰辯真仮 誰れか真仮を弁ぜん
長慶相諳 長慶相そらんず
眉毛生也 眉毛生也

注: 
千古対無し:千年の昔から並ぶものが無い。
関字相酬ゆ:「関」という字で締め括った。
失銭遭罪:金を失った上に罰せられる。身から出た錆の報いだ。
潦倒(ろうとう)たる保福:老いぼれた保福
抑揚得難し:上げたのか下げたのか捉えにくい。
白圭:白い清らかな玉器。
ロウロウたる翠巌:饒舌な翠巌。

頌:
翠巌は「眉毛ありや」と父母未生以前の本来の面目を衆徒に示した。
こう見事に突きつけられては 
千年の昔からこれに対応できる者はいないほど翠巌の示衆は優れている。
しかし、そこで雲門に「関」とやられては、さすがの翠巌も骨折り損のくたびれ儲けだ。
老いぼれの保福が「ヤイこの盗人めが、ビクビクするない」
と言ったのは一体翠巌を褒めたのかけなしたのか分かりにくい。
ペラペラとよく喋る翠巌は油断ならない男でうっかりすると懐中のものを根こそぎ盗まれてしまうぞ 
とは言っても彼の説法は瑕のない白い清らかな玉器
のようでその真仮を見分ける人は少ないだろう。
長慶は「眉毛はチャンと生えているじゃないか」
という言葉で天地一本の大眉毛(本来の面目)はここにあるじゃないかと言った。
(´・(ェ)・`)つ

733 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/29(日) 23:05:07 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 翠岩が眉毛を示す図なのじゃ。

 客の中に主があり、主の中に客があるのじゃ。
 関の字で銭を失い.、眉毛は親しく生えるのじゃ。
 賊賊賊賊と賊が多く捕らえることが出来ないのじゃ。
 当頭の姦党、これは誰なのじゃ?

734 避難民のマジレスさん :2021/08/29(日) 23:55:36 ID:wiaF4jrU0
くま質問
「銭を失い」とは、問の価値が失われるというような意味でありましょうか?
「眉毛は親しく生える」とは、結果的に過剰な説明になっていないので、眉はすぐに生えて来る、みたいな
 意味でありましょうか?

514
半雲 齋名   半雲 齋名
膚寸無根點碧空 ふ寸無根碧空に点ず
安身立命在其中 安じん立みょう其の中に在り
夢魂昨夜巫山雨 夢魂昨夜ふざんの雨
吟斷朝來一片蹤 吟斷す朝來一片の跡

柚葉先生のブログ訳
半雲(ちぎれぐも) 
わずかな根なし雲が、碧空にある。
安心立命とはそのようなもの、
昨夜、巫山の雨が降り、わたしの夢に神女が来たから、
今朝はそのひとひらの蹤を追う

くま訳
半雲 斎名
ほんの少しのはぐれ雲が浮かぶ紺碧の空
安身立命がその中にある。
昨夜は、女神がその雨になって現れてくれた。
今朝は、吟じつつ、一片の雲を待つのだ。

*膚寸(ふすん):「膚」は指四本をならべた長さの意・ほんのわずかな大きさ。特に切れぎれの雲を形容す 
 るのに用いられる。
*無根:うわさ・疑惑などの根拠となる事実が無いこと。
*巫山雲雨:(ふざんうんう):男女の交わり、情交のたとえ。
「巫山」は中国の四川省と湖北省の間にある、女神が住んでいたとされる山のこと。
 戦国時代の楚の懐王が昼寝をした際、夢の中で巫山の女神と情交を結んだ。別れ際に女神が「朝には雲と 
 なって、夕方には雨となってここに参ります」と言ったという故事から。『文選』宋玉「高唐腑」
*安心立命(あんじんりゅうみょう):「あんしんりつめい」とも読む。安心は仏教用語,立命は儒教の用 
 語。すべてを絶対のものにまかせて,心が動揺しないこと。
(´・(ェ)・`)つ

735 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/30(月) 23:27:12 ID:1d4drIFg0
↑そのような意味じゃな。
 それはただ弟子を試す関門であると見抜かれてしまったのじゃ。

 その問いに拠って説法が完全になったという賛じゃな。

736 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/30(月) 23:31:33 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 半雲の齋名じゃな。

 青空に点のような根無し雲があるのじゃ。
 安身立命はその中にあるのじゃ。
 昨夜は夢に巫山雨があったのじゃ。
 朝が來てその一片の跡を吟詠するのじゃ。

737 避難民のマジレスさん :2021/08/30(月) 23:56:20 ID:1z1Q5x4Y0
515
黄龍三關    黄龍の三關
成佛成驢手脚全 佛と成り驢と成る手脚まったし
河沙異號任生縁 がしゃの異號しょう縁に任す
黄龍關外黒雲鎖 黄龍關外黒雲とざす
積翠春風楊柳前 積翠の春風楊柳の前

くま訳
黄龍三關
仏と成り、ロバと成り、してみれば、自分の手脚は完璧である。
河の砂程多くの先師などではなく、自分の生れついての因縁に任せるのだ
黄龍の関の外側には、透関を妨げる黒雲がある。
そこを抜ければ、透き通った青空、柳を揺らす春風があるのだ。

*黄龍慧南(おうりょう えなん、1002-1069):宋代の臨済宗の僧。後世五家七宗の一つに数えられる黄龍 
 派 の祖として知られる。日本に伝えられた臨済禅のうち、栄西によるものがこの黄龍派に属する。
*黄龍三關:慧南禅師、学人接化に於ける常用の手段なり、是れに三關あり、曰く、生録、曰く、佛子、曰 
 く、驢脚と。會元十七慶閑章に曰く、『龍問ふ、「如何なるか是れ汝生録のところ。」閑曰く、「早晨白 
 粥を喫す、如今又饑を覺ゆ。」問ふ、「我が手何ぞ佛手に似たる。」閑曰く、「月下琵琶を弄す。」問ふ、
 「我が脚何ぞ驢脚に似たる。」閑曰く、「鷺鶿雪に立つ同色に非ず」と』あり、以って其の關内に入れば 
 積翠より吹き下す春風が楊柳の前にそよいで居る様なり。
*成仏:1 煩悩(ぼんのう)を断ち、無上の悟りを開くこと。2 死んで、この世に未練を残さず仏となる
*黒雲: 物事を妨げる不吉なもの。暗雲。
*積翠:積み重なったみどり。青空、青山、青海など一面のみどり(青)を形容していう語。
(´・(ェ)・`)つ

738 避難民のマジレスさん :2021/08/31(火) 00:07:23 ID:1z1Q5x4Y0
(´・(ェ)・`)
(おまけ)
無門關 黄龍三關(無量宗壽偈)淵藪野狐禪HPより抜粋
淵藪野狐禪師訳:
黄龍(をうりやう)の三關  
私の手は仏の手と比して、どうか?――
私は枕の後ろを手探りして分かった。
思わずカッカッと大笑いをしてしまった――
もともと、体自体が手そのもの。
我の脚(あし)は、驢馬の脚と比して、どうか?――
それを見比べるための上げ脚を未だにちっともしていないうちに、最早、ど〜んと大地を踏み据えてしまっていた――
この世界を股にかけて余すところ無く歩く。
そのためには、かえって楊岐禅師の三本脚の驢馬に跨るのが何より。
人にはそれぞれ、生れついての因縁がある。
そのそれぞれが、鮮やかな機先の働きへと玄妙に通底している。――
那吨(なた)太子は、己が肉体の骨を抜き取って元の父に還したというではないか。
どうして今更、わざわざ老爺(ラオパン)五祖大満の、生まれ変わりの迂遠な縁(えにし)をわざわざ必要
とすることがあるであろうか、いや、全く以って無用である。
黄龍慧南禅師が示した、仏の手と、驢馬の脚と、生れつきの縁(えにし)と――
それらは、「仏ではなく」、「道ではなく」、「禅ではない」――
咎めてはいけない、『無門関』が険しいことを、いや、その険しさ故に、多くの修行者が、深い恨みを、収
縮したブラック・ホールのように、『無門関』の空間に出現させていることを。
私の居るこの瑞巖寺では、最近、無門和尚が来て居る。
繩で編んだ説法の腰掛けにどんと座り込んで、真っ向を向くと、今は昔のエピソードを、一つ一つ、商量し
ている。
商量とは言うものの、その実、それがたとえ凡であろうが聖であろうが、一刀両断にしてしまうのである―
さても……それを聴いて、どれだけのトグロを巻いた有象無象の蛇ぐさどもが、美事、昇龍となって、天空
に雷音を轟かすことが出来るか。

無門慧開禅師をお招きして会衆に法を説く立僧首座となって頂いた。その御礼にこの如何にも田舎臭い偈
(げ)を以って感謝の意を表し、奉りまする。
紹定(じょうてい)庚寅(かのえとら:西暦1230年。)三月。無量宗寿書。

*瑞巌寺の僧、無量宗壽(むりょうそうじゅ:生没年未詳)の偈。
*「楊岐禅師の三本脚の驢馬」:楊岐方会(993〜1046)の公案、『僧が楊岐方会に「如何なるかこれ仏」 
 と問うたのに対し、楊岐が「三脚の驢子、踵を弄して行く」と答えた(『古尊宿語録』楊岐方会章、『卍 
 続蔵』ことから、楊岐の宗風を三脚の驢子と称する。』「五祖大満の、生まれ変わりの迂遠な縁」の「五
 祖大満」とは禅宗第五祖弘忍大満(602〜675)で、『前世に栽松道者という老人であったが、四祖道信の
 法を聴くためにみずから死んで一女の胎内に入り、この世に生まれて五祖となったという』、ここはその
 故事に引っ掛けたもの謂いである。
*哪吒(なた):道教で崇められている少年神、もしくは中国仏教もしくはヒン ドゥー教の民話・説話の 
 登場人物である。托塔天王(毘沙門天)の三男。生後三日目に湯浴みの途中で、裸のまま海中に飛び込ん 
 で竜王の水晶宮に行き、蛟龍の背筋を引きぬき、縧子(しごき・帯紐)にしようとした。父・李天王は後 
 難を恐れて幼いうちに殺そうとしたため、激怒した哪吒は自ら体を切って、肉を母に骨を父に返上して死 
 んでしまった。父の精と母の血を捨てたその霊魂は、西方極楽浄土に向かい、釈迦如来に訴え、助けを求 
 めた。如来は蓮の葉や根で肉体を造って、起死回生の真言を唱えて彼を蘇生させた。
(´・(ェ)・`) b

739 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/08/31(火) 22:00:13 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 仏と成り、驢馬となるも手足は完全なのじゃ。
 河砂の如き他のさまざまな名前になるのも生縁に任すのじゃ。
 黄龍の関外では黒雲が閉ざすのじゃ。
 積翠の春風は楊柳の前に吹くのじゃ。

740 避難民のマジレスさん :2021/08/31(火) 22:12:14 ID:TzONvbZk0
くま訳改
第二句:河砂の如き他のさまざまな名前になるのも生縁に任すのじゃ。

516
病中作     病中の作
佛病祖病迸鬼眼 佛病祖病鬼眼ほとばしらしむ
臨濟梵几案禪板 臨濟き案禪板を焼く
不會金山大病辛 金山大病の辛をえせず、
時人空吟艶詩簡 時人空しく吟ず艶詩の簡

くま訳
病中作
ブッタや祖師に執着する病に罹らぬように眼光鋭く見張るのだ
臨濟は、几案も禅板も何もかも焼き捨てた
圓悟は金山で大病を患ったが、(師匠が艶詩を詠むのを聞いて悟りを開き)辛くなくなったのである。
今まさに病のわしは、空しく艶詩吟じるのである。

*几案・机案(きあん):几、案とも机つくえの意
*禪板:坐禅の時労を除かんがために衆僧の蓄ふる板、手を案じたり、身を靠(もた)らす器なり。
*時人:その時の人。同時代の人々
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575// >>206 臨濟几案
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>889 圓悟大病
(´・(ェ)・`)つ

741 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/01(水) 21:47:42 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 仏病、祖師の病に、鬼眼を飛ばすのじゃ。
 臨済は几案も禅板も焼いたのじゃ。
 金山は大病の辛苦に会わなかったのじゃ。
 時人は艶詩の簡を空しく吟じたのじゃ。

742 避難民のマジレスさん :2021/09/01(水) 23:42:28 ID:41bbPmdQ0
517
自賛
分明畫出許渾圖 ふんみょうゑがきいだす許こんが図
吟撚徑山天澤鬚 吟じてきんざん天澤のひげをひねる
嗜譽求名不愛利 ほまれをたしなみ名を求めて利を愛せず
風流寂莫一寒儒 風流せきばくたり一寒儒

くま訳
自賛
明らかに許渾を描き出しているような絵である 
吟じてはひげをねじる径山の虚堂智愚禅師のようでもある。
名誉ある在り様を心がけ、利を愛さず
風流で静寂につつまれた、清貧の一儒者のような佇まいである。

*「自賛」:自分の頂相(肖像画)に許渾の姿を重ね合せている(蔭木英雄銭生解説)
*許渾圖:唐の許渾が詩に曰く、「高歌一曲明鏡を掩(おお)ふ、昨日の少年今白頭」と。蓋し此の意に」 
 よるか(大成脚注)
 許渾(きょこん、生没年不詳)唐の詩人。832年、進士に及第、病弱のため免職。
*譽:誉(ほまれ)1 ほめる。ほめたたえる。2 よい評判。ほまれ。「栄誉・声誉・名誉」
*嗜む:1 このんで親しむ。愛好する。2 このんでそのことに励んでいる。芸事などの心得がある。3
 つつしむ。気をつける。用心する。4 前もって用意しておく。心掛ける。5 見苦しくないように整える。
*寒儒:貧しい儒者。
(´・(ェ)・`)つ

743 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/02(木) 23:04:03 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 自賛じゃな。

 分明に許渾を書いたような図なのじゃ。
 吟じては径山の天沢が髭を捻るがごときなのじゃ。
 名誉を求めて利益は愛さないのじゃ。
 風流寂寞として一寒儒の如くなのじゃ。

744 避難民のマジレスさん :2021/09/02(木) 23:19:56 ID:zqYcd.Go0
518
徳禪塔主自賛  徳禪たつす自賛
平生乱醉倒金樽 平ぜい乱醉金樽を倒す
老後住持塵事繁 老後の住持人事繁し
莫恃榮華竟成苦 たのむなかれ榮華はつひに苦と成る
江山水宿又風餐 かう山水宿又風さん 

くま訳
徳禪塔主自賛(一休自賛)
日頃から大酒をくらい、金の酒樽を飲み干してこらがしていたのだ。
老後の住持は、人事が忙しいのだ。
栄華が続くなどと思ってはいかんのだ。栄華は必ず苦に転じるのだ。
海山で、風を食い、水辺で寝るのが、性に合ってるのだ。

*1459年 一休66歳 徳禅寺住持の請を受けて入院(じゅえん)晋山する。
*徳禪寺:かつては大徳寺とは独立した寺だった。 文明年間(1469-1487)、一休宗純が、大徳寺山内の現在 
 地に移した。
*風飡水宿(ふうそんすいしゅく)とは. 「風を食い、水のほとりで寝た」.
(´・(ェ)・`)つ

745 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/03(金) 21:45:07 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。


 また徳禪塔主の自賛じゃな。

 平生は乱酔して酒樽も倒すほどなのじゃ。
 老後の住持は人事が忙しいのじゃ。
 栄華はついには苦になるから頼りにしてはいかんのじゃ。
 江山水に宿り、風を食らって生きるのじゃ。

746 避難民のマジレスさん :2021/09/03(金) 22:23:56 ID:ovP.sNfk0
519
臨濟曹洞善知識貪欲熾盛 臨濟曹洞の善知識貪欲熾盛
米錢膝下露堂堂 米錢しつ下露堂堂    
辛苦沈淪萬劫膓 辛苦沈淪す萬劫のはらわた
賊智不妨過君子 賊の智妨げず君子に過ぎたり
徳山臨濟沒商量 徳山臨濟もつ商量

つらつら日暮らしブログTENJIN住職解説 超抜粋
各地の禅宗の指導者は、貪欲が旺盛だ
修行者が修行に入る際に、指導者に支払う金銭(米代)が膝下に露わになっている。善知識の坐る座が、
弟子達の銭で溢れている。
その欲の結果、辛苦に沈むこととなるだろうが、それは無限の時間に腹にため込んできた悪事の結果だ。
金銭を得んとする狡猾な智は君子に勝り、
徳山や臨済といった中国の禅将も、この件については議論することも出来まい

くま訳
臨濟曹洞の師家は貪欲極まりない 
食い扶持を庇護してくれる人から全く堂堂と受取るのである。
その貪欲さ故に辛苦に沈み落ちぶれるのは、長年積み重ねた悪行の報いである。
盗人としての智恵は人格の優れた人よりも勝っているのである。
徳山臨濟は議論もできまい

*熾盛(しじょう ・しせい)火が燃え上がるように勢いの盛んなこと。また、そのさま。
*膝下:自分を庇護(ひご)してくれる人のもと。「親の膝下を離れる」
*沈淪:おちぶれること
(´・(ェ)・`)つ

747 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/04(土) 21:44:25 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 臨済曹洞の善智識が貪欲盛んであるというのじゃ。

 米銭が堂堂の膝下にあることは露呈しているのじゃ。
 そのような欲に憑かれていては辛苦に陥り、万劫も苦しむのじゃ。
 賊の智慧が妨げられないことは君子にも過ぎるのじゃ。
 徳山臨済は商量などしなかったのじゃ。

748 避難民のマジレスさん :2021/09/04(土) 22:22:03 ID:3IopZBcQ0
520
元本無明    元本無明
法塵習着奈相思 法塵習ぢゃく相思をいかんせん
李杜蘇黄音律詩 李杜蘇くわうが音律の詩
弓影客盃元字脚 弓影かく盃元字脚
生身入地獄如矢 しゃうしん地獄に入る矢の如し

くま訳
根本的な、無知愚かさ
仏法を汚すようなことを習い身につけて考えてしまうことをどうしたものか。
李白・杜甫・蘇軾・黄庭堅の音律詩
盃に映る弓影を蛇と思い込む、慌て者
生きてる内にあわてて地獄へ行くようなものだ。

*法の塵:仏法をけがすものを塵にたとえていう語
*李杜蘇黄:李白・杜甫・蘇軾・黄庭堅
(´・(ェ)・`)つ

749 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/05(日) 23:29:02 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

 法塵の習着する相思をいかにすべきか問題なのじゃ。
 李杜蘇黄等の詩人の音律詩。
 その字脚などは客の盃に写った弓影と見るのじゃ。
 そうでなければ生身で矢の様に早く地獄行きなのじゃ。

750 避難民のマジレスさん :2021/09/05(日) 23:58:17 ID:q09fDcSk0
521
黄檗三頓棒   黄檗の三頓棒
棒頭打着羯磨僧 棒頭打着すこん磨の僧
痛處針錐絶伎能 痛處の針すゐ伎能を絶す
桃李春閨簾外月 桃李春閨簾外の月
吟魂一夜十年燈 吟魂一夜十年の燈

くま訳
黄檗に3頓60打殴られて悟った臨濟
棒で殴るのである。相手は戒律を守っている僧をである。
痛く打つ技能は飛びぬけてるのである。
逢瀬のしとねで、部屋の外の月を見るようなものである。(悟りを得る為の指導と何の関係も無いことであ
る) そうでなければ生身で矢の様に早く地獄行きなのじゃ。

*三頓:1頓=20 3頓=20×3=60
*羯磨:梵語、訳して作法、又は業といふ、四法を具すべし、又三種ありと、得会の師、證據の師の意なり 
 (大成脚注)〈梵〉karmaの音写。① (天台宗、浄土宗などでは「かつま」、律宗、真言宗などでは「こん
ま」という。業、作業、所作などと訳す) 広義には儀式、作法のこと。通常は戒律上の受戒(じゅかい)、
懺悔(さんげ)、結界(けっかい)などの折の作法をいい、密教では如来のはたらき、諸尊の威儀などの意に
用いる。
*黄檗三頓棒 359の詩 参
*桃李:唐の劉禹錫 (りゅううしゃく) の「満城の桃李春官 (しゅんかん) に属 (しょく) す」の詩句か
ら》試験官が採用した門下生。自分がとりたてた人材。
(´・(ェ)・`)つ

751 避難民のマジレスさん :2021/09/06(月) 00:10:39 ID:q09fDcSk0
くま訳改
第三句:その字脚などは客の盃に写った弓影と見るのだ。
第四句:そうでなければ生身で矢の様に早く地獄行きなのだ。
(´・(ェ)・`)b

752 避難民のマジレスさん :2021/09/06(月) 20:40:11 ID:wYm5/Zhk0
くま訳(750)訂正
第4句:そうでなければ生身で矢の様に早く地獄行きなのじゃ。→削除→詩ごころとしては、一晩が十年の 
    様に感じられるような、話である
(´・(ェ)・`)b

753 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/07(火) 22:48:43 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

 黄檗の棒を三頓なのじゃ。

 棒で修業中の僧の頭を打つのじゃ。
 痛い所に針を押すような絶技能なのじゃ。
 あたかも桃李の春に閨の簾外の月を見て
 吟魂する一夜をてらす十年の燈のようじゃ。

754 避難民のマジレスさん :2021/09/08(水) 00:08:42 ID:/.kdcULo0
522 
賛法然上人   法然上人を賛す
法然傳聞活如來 法然傳へ聞く活如來
安坐蓮花上品臺 安坐す蓮花上ほん台
教智者如尼入道 智者をしてに入道の如くならしむ
一枚起請最奇哉 一枚の起請最も奇なるかな

大角修先生のブログ 訳
法然上人は生き仏だったと伝え聞き、
今は極楽の蓮華の最上席に坐しておられる。
学僧でも在家・無知の人のようであれという
一向念仏の一枚起請文は
まったく奇跡のような書である。

くま訳
法然上人を賛す
法然は生き仏であったとの伝説である。
極楽の蓮華の花の最上台に安坐してるらしい。
教える立場の智者も、在家の尼さんのよな愚鈍なものと自覚しなければならないそうだ。
一枚起請とは最も奇なる文章である。

*法然(1133-1212)は、平安時代末期から鎌倉時代初期、はじめ山門(比叡山)で天台宗の教学を学び、 
 1175年)、専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できると 
 いう専修念仏の教えを説き、のちに浄土宗の開祖と仰がれた。
*尼入道: 在家のまま髪を剃って仏門に入った女性。尼女房。
 ※一枚起請文「たとひ一代の法を能々学すとも、一文不知の愚どんの身になして、尼入道の無知のともが
 らに同して、智者のふるまひをせずして」
*一枚起請文:法然の作。念仏の要義を1枚の紙に平易な文章で書き,釈迦・弥陀に偽りのないことを誓っ 
 た文。〈一枚消息〉ともいう。1212年,つねに法然のもとで仕えてきた源智が,師の命終が近いことを
 知り,没後に門人たちの間で異義の生じることを恐れ,浄土宗の安心起行(あんじんきぎよう)の肝要を 
 懇望したので,法然がこれに応じてみずからしたため源智に授与した。浄土宗では法然の遺訓として最も
 尊重する。京都の金戒光明寺に真筆と伝えるものを襲蔵する。
(´・(ェ)・`)つ

755 避難民のマジレスさん :2021/09/08(水) 00:11:31 ID:pxS9a12E0
*750のおまけ
サワラ君の日誌 「漢詩名句400選」(有岡 しゅん崖 編著者/東京堂出版)より選句
黄庭堅(こうていけん) 寄黄機復 黄機復(こうきふく)に寄する
我居北海君南海 我 北海に居り 君 南海  
寄雁伝書謝不能 雁に寄せて書を伝うる能(あた)わざるを謝す  
桃李春風一杯酒 桃李 春風 一杯の酒  
江湖夜雨十年燈 江湖 夜雨  十年の灯(ともしび)   
持家但有四立壁 家を持するに但だ四立の壁有り  
治病不蘄三折肱 病を治すに三たび肱(ひじ)を折るを蘄(もと)めず  
想得読書頭已白 想(おも)い得たり書を読んで頭(こうべ)已に白く  
隔渓猿哭瘴煙藤 渓(たに)を隔て 猿は哭く  瘴煙の藤  

わたしは北海におり君は南海
雁に便りを頼んでも断わられるだろう
桃李の花の下で 春風に吹かれて一杯の酒

江湖の夜雨 別れて以来十年の灯火
家にはただ四方に壁があるだけ
いまさら苦労して成功しようとは思わず

思うに君は読書に励みながら白髪になっていようか

谷を隔てて猿が啼いていることだろう 毒気のある谷の藤葛


くま質問
 「あたかも桃李の春に閨の簾外の月を見て
  吟魂する一夜をてらす十年の燈のようじゃ。」
 とは、
 「あたかも、桃李の花の下で遊里の閨の窓外に月を見て
  詩情を誘われた一夜を照らした月明かり、あれからもう十年も経ってしまったようだ。」
 みたいな訳でよいのでありましょうか?

これは、悟りを得る切っ掛けを得た事態から、もう十年も経った、みたいな意味でありましょうか?
(´・(ェ)・`)b

756 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/08(水) 23:10:11 ID:1d4drIFg0
↑ それは黄檗の賛であるからのう。
 黄檗は十年法灯を守り、一撃で修行者に悟りを得させたという意味じゃな。
 それはあたかも一夜の楽しみは、十年間照らし続けた燈明のおかげであるが如しというのじゃ。
 黄檗が十年法灯を守り続けた故に、僧も悟りを得たというのじゃ。

757 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/08(水) 23:17:38 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 法然の賛なのじゃ。

 法然は活きた如来と伝聞されているのじゃ。
 蓮華の上品の台に座すのじゃ。
 智者を教えて尼入道の如くするのじゃ。
 一枚起請は最も奇とすべきものなのじゃ。

758 避難民のマジレスさん :2021/09/08(水) 23:50:14 ID:BZf28ne.0
くま質問
「智者を教えて尼入道の如くする」とは、どのように理解すればよいのでありましょうか?

523
貴人財     貴人の財
龐老棄錢誰擧楊 ほう老ぜにをすつ誰かこ楊す
曾撞玉斗亦何妨 かつて玉斗をつくもまた何ぞ妨げん
庭有梅花窓有月 庭に梅花有り窓に月有り
鐵檠紙帳五更霜 鉄けい紙帳五更の霜

くま訳
貴人にとっての財
ホウ老が銭を棄てて、誰が拍手喝采するのだろうか?
わしは、宝石をちりばめた柄杓で、酒を飲んだりしていたが、何か問題になるであろうか?
庭に梅あり、窓に月あり。
鉄の燈火台、紙のかや、風流な道具立ての部屋、明け方の霜

*龐居士:150(https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>919
 309(http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/ >>259
     395(http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/ >>458
 の詩 参 元曲(元代に隆盛した雑劇と散曲を総称したもの。)「来生債」参
*挙揚:賞賛をするために演技の後で拍手をするまたは声を張り上げる 誉め讃える
*玉斗:斗は酒を酌む七杓の類なり。それを玉を以って作れるものをいふ。史記の項羽本紀に「玉斗一叟亞 
 父に與へんと欲す」と。(大成脚注)
*鐵檠:燈火の臺架をいふ。。
*紙帳:紙で作ったかや(防寒具にも用いた)
(´・(ェ)・`)つ

759 避難民のマジレスさん :2021/09/08(水) 23:55:15 ID:BZf28ne.0
*おまけ「来生債」の内容。 『有福詩人』と元曲「来生債」 徳田武先生 より抜粋
〔楔子〕襄陽の李孝先は商人となろうとしたが、元手を欠いているので、龐居士に二個の銀を借りて商売を
する。が、元手も利息もすってしまい、借金を返せない。彼は県の役所で負債人を拷問して追徴していると
ころを見、自分もそうされるかと苦にして、病んで寝込んでしまう。
 龐蘊は・・・娘は霊兆。・・・霊兆は善知識たちからその聡明と仏性の明らかなることを保証されている。
龐居士は大金持で、友人の李孝先が彼に返すべき元手と利息は銀四個になっている。龐は行銭(雑役の用人)
をつれて、李孝先の様子を見に訪れる。
 龐は李孝先から、借金を返せないので官から追徴されるかと苦にして病気になったことを聞き、「我当初
本做善事来。誰想倒做了冤業。」(私は元来善い事をしようとしたのであって、どうして人を苦しめる事を
しようなどと思ったろうか。)と考え、李孝先の借金契約書を焼き、その上に二個の銀を与える。李孝先は、
来生では驢にも馬にもなってこの恩を返そうと、厚く感謝する。

*楔子(けっ‐し):1 くさび。かすがい。2 物事の最も重要なところ。

〔第一折〕
 ・・・
 龐は、「大地衆生、皆有仏性。則為這貪財好賄、所以不能成仏作祖」(この世の衆生はいずれも仏性ある
も、・財を貪り賄を好むために仏祖となれない。)と説く。
 龐は行銭に文書を焼かせる。妻下児は、そのわけを問う。ところへ、上界の増福神が秀士曽信実に扮して、
文書を焼くわけを問いに来たる。龐、「業上に業を作(な)さざる」ようにすると答える。曽、「這銭是人之
胆、財是富之苗」(金は人の心の支え、財産は富の基礎)、銭無ければ満腹の文章も貧を済わず、という。龐、
世人は有限の時と身を思わずに富を追求し、貧人や朋友の依頼には相手にならない、我は財布を傾け尽して
人に恵みたい、そして世に隠れて悪業が身にまとうのを免れよう、という。曽、「富与貴人之所欲」(富と
貴とは人の欲する所)、魯褒の「銭神論」にも「危可使安、死可使活、貴可使賤、生可使殺。」(危きも安ら
からしむべく、死も活かしむべく、貴も賤ならしむべく、生も殺さしむべし。)とある、という。龐、銭の
持づに値せぬことを様々にいう。
 曽が帰るに当って、龐は金と馬を与える。曽は決してこれを受けず、二十年後に再会せんと述べて、別れ
る。
 龐は、夕暮になったので、行銭と一緒に香を焚きに廻り、粉ひき小屋に行く。粉ひきの歌を聞き、「心中
必然快活」なる者と思い、呼び出して、定めし楽しかろうと聞く。粉ひきは、労働の大変で苦しいことを説
く。龐は粉ひきの負担を取り除くこととし、また「自今日為始、蒋這粉傍油房磨房都与我関閉了者、再休要
開。」(今日より粉小屋・油小屋・磨(ひ)き小屋をすべて閉じて、二度と開くまい。)と定める。粉ひき、そ
れでは仕事が無くなって、凍死か餓死かしてしまうという。龐、粉ひきに銀を与える。龐は、粉ひきへの報
恩として銀を与えたのであり、龐が願うのは「善縁を結ぶ」こと、である。


粉ひきは、銀を懐中にしっかと押しこみ、「誰知道我懐裏有銀子。」(俺が懐に銀を持っていることを知る
者はいない。)といって、寝る。が、夢に、大道でスリに銀を取られる様を見、眼を覚す。今度は「竈窩
(そうか・かまど)」中に銀を慝し、「誰知道竈窩裏有銀子」(カマドに銀があることはわかるまい。)とい
い、眠る。また、火事の夢を見て、眼を覚す。今度は「水鵠」の中に銀を悪し、「誰知道水短裏布銀子」と
いって、眠る。しかしまたもや洪水の夢を見て醒め、今度は「門限児」の下に銀を慝して眠る。「他怎麼
知道我門限児底下、埋着這銀子。」(敷居の下に銀が埋めてあることは知れまい。)と思うが、夢に賊来って
自分を砍るを見、眼をさます。
 粉ひきは、大金を持つ福分が自分には与えられてないことを悟り、銀を龐居士に返しに行く。「我那命裏
則有分簸麦揀麦淘麦、打羅磨麺。我可也消受不的這個銀子罷。」(俺は麦を簸(ひ)いたり選んだりより分け
たりし、麦粉をふるったり挽いたりするのが分なんだ。俺にはこの銀は使いこなせないのさ。)というのが
粉ひきの感慨である。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

760 避難民のマジレスさん :2021/09/08(水) 23:56:16 ID:BZf28ne.0
〔第二折〕
 龐・下児・霊兆.鳳毛・行銭登場。龐居士、仏道は自ら修めて自ら得るものであると説く。また、貧人に
施与するのは自分だけだ、と唱う。
 そこへ、粉ひきが銀を返しに来る。龐居士は「這銀子呵原来分定也是前生注」(銀というものは前生に分
が定められているのか。)と嘆ずる。そして、一両の銀子を粉ひきに与えようとするが、粉ひきは受け取ら
ず、商売しに行く。龐居士は、後槽(厩)に行く。中では驢・馬・牛が話している。馬は、前生で十五両を龐
に返さなかったため、馬となって労働し返債している。驢と牛も同じ事情である。これを聞いた龐居士は驚
いて、「我当初本做善事来。誰想弄巧成拙。兀的不都放做来生債也。」(私は元来恵みを施そうとしたのに、
意外にも善かれと思ってしたことが悪しくなって、すべて来生までの負債を与えてしまった。)という。そ
して、文書を焼いて、もう人に銭を惜し与えない決心をする。龐居士の願いは「一世児清聞」(この世の静
謐)を得ることだけである。妻は強く焼かないように注告する。龐居士は、奴僕にすべて従良(解放)の文書
と二十両の銀を与えて自分の家に帰させ、家畜を鹿門山に放たせ、家財を海に沈めさせようとする。妻は子
供の将来を思って、強く反対する。が、龐居士は、家を放棄する決意を変えない。
〔第三折〕
 東海竜王、水卒をつれて出で、龐居士の船の来たるを待つ。龐居士、下児・霊兆・鳳毛・行銭と共に財宝
を積んだ船を東海に沈めに来る。その行為は「世人重金宝、我愛刹那静、金多乱人心、静見真如性」(世人
は金宝を重んずるも、我は刹那(このよ)の静なるを愛す、金多ければ人心を乱すも、静は真如の性を見(あ
らは)す。)という考え方に基づく。
 が、船は沈まない。龐居士は行銭に船底に穴をあけさせるも、なお船は沈まぬ。
 天使は東海竜王に命じて、龐居士の家財をすべて竜宮海蔵に収め入れさせる一天にわかにかき曇り、雷鳴
とどろき、船は沈む。
 龐居士は妻に、自分には笊籬(ざる)を編む腕がある、一日に十把の笊籬を編んで、それを霊兆に売らせて、
生計を立てようという。
〔第四折〕
丹霞禅師(嚢陽の雲岩寺の長老)は、毎日、寺に笊籬を売りに来る霊兆を気に入っていて、それを沢山買って
いる。この日、禅師は霊兆にちょっかいを出して、霊兆に逃げられる。ために禅師は、笊籬を買わなかった
ので、霊兆のために一百文を落としておく。霊兆はこれを見つけ、思案のあげく、銭を拾い、そのかわりに
十把の旅籠を代償として置いておく。
 龐、下児・鳳毛登場。霊兆は父親に一百文と笊籬をとり換えたことを報告する。青衣童子が彼らを迎えに
来、彼らは兜率宮霊虚殿に到り、石洞門に入る。そこに註禄神が現れる。それは生前の李孝先が変じた神で
ある。註禄神は増福神を引き合わせる。これは、曽信実が変じた神。増福神は、龐居士が今日「功成行満、
証果朝元」(功成り修行も終えて、神仙に昇る。)ことを告げる。曽信実が二十年後に再会しようと述べた言
葉は、ここに果たされた。龐居士は上界の賓陀羅尊者、.下児は上界の執幡羅刹女、鳳毛は善才童子にそれ
ぞれなり、霊兆は特にまさって南海普陀落伽山七珍八宝寺の自在観音菩薩となる。
龐鹿居士は「人世官員(このよのやくにん)」に「莫恋浮銭、只将那好事常行、管教你一個々得道成仙。」
(はかない金を求めずに、ひたすら善事を行うならば、必ずすべての者が道を得て仙とならん。)と勧める。

(´・(ェ)・`)
(おわり)

761 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/09(木) 23:40:02 ID:1d4drIFg0
>>758 法然は浄土教の者であったからのう。
 賢い者に念仏を教えて男女を尼や僧のようにしたということじゃな。

762 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/09(木) 23:44:30 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 貴人の財というのじゃ。

 ?居士は銭を捨てたが誰が誉め讃えたじやろうか。
 かつては玉杯で酒を飲んだが何の妨げになったじゃろうか。
 庭に梅花あり、窓には月が在るのじゃ。
 鉄の燈火台に紙の蚊帳、明けに霜がおりるのじゃ。

763 避難民のマジレスさん :2021/09/10(金) 07:17:00 ID:gNt.YYHs0
くま訳改
第二句:かつては玉杯で酒を飲んだが何の妨げになっただろうか。

524
松窓 齋名   しょうそう 齋めい 
茅廬竹閣與難窮 ばうろ竹閣興きわまりがたし                                     
臨濟栽來功不空 臨濟うゑ来たって功むなしからず
枕上愧慚有閑夢 枕上愧慚す閑夢有るを                                                                                                    
夜來驚起屋頭風 夜來驚起す屋頭の風

くま訳
松窓 齋名 
萱葺き屋根の竹閣の住まいの楽しみは、窮め尽くせないのである。
臨濟が遺した功績は偉大である。
夜寝ていて夢を見てしまうことは、恥じ入るばかりである。
夜来、屋根の上を吹きぬける風音に驚き飛び起きてしまうのである。

*茅廬(ぼうろ):茅葺(かやぶ)き屋根の家。粗末な家。転じて、自分の家をへりくだっていう語。
*竹閣:竹で作った建物
*臨済栽松、         師、松を栽うる           
 次黄檗曰、深山裏栽許多松、 次(つ)いで、黄檗問う、「深山裏に許多(そこばく)を栽えて、
 作甚麽、          什麼(なに)をか作(なさ)ん」。
 師曰、一与山門作境致、   師云く、「一つには、山門の与(ため)に境致と作(な)し、
 二与後人作標膀、      二つには、後人(こうじん)の与(ため)に標榜と作(な)さん」。
 道了将钁頭墾地三下、    道(い)い了わって、钁頭(かくとう)を将(もっ)て地を打つこと三下す。 
 檗曰、           黄檗云く、
 雖然如是子己喫吾三十棒了也、「然(しか)も是(かく)の如くなりと雖も、子(なんじ)已に吾が三十棒を喫  
               し了われり」。
 師又墾地三下、嘘一嘘、   師、又钁頭を以て地を打つこと三下し、嘘嘘(きょきょ)の声を作す。
 檗曰、吾宗到汝大与於也。  黄檗云く、「吾が宗、汝に到って大いに世に興らん」。』

 萬福寺住職 福場宗康和尚訳
 ある時、臨済禅師が境内に松の木を植えていると、
 師匠の黄檗禅師が来て言いました。「こんな山奥に松を植えて、
 どうするつもりか」。
 臨済禅師は、「第一には寺の境内の景観をよくするため。
 第二には後の修行者がこの松を見て、松を植えた私の心を感じて、自分の生き方の糧としてくれたら」。
 と返答して、鍬で土を三度掘り起こしました。
 そこで黄檗禅師は追い打ちをかけます。
 「なるほど、そういうことか。だが境内に松など植えたところで、それがどうだというのだ」。
 しかし、臨済禅師の態度は変らず、また鍬を三度振り下ろすと大きく息を吐きました。
 黄檗禅師は、鍬をとって黙々と仕事に励む臨済禅師の姿を見て、
 「我が宗門は、おまえの代で大いに興隆するだろう」。と言い残されたそうです。
(´・(ェ)・`)つ

764 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/10(金) 23:01:32 ID:1d4drIFg0
 それでよいのじゃ。

 松窓の齋名なのじゃ。

 茅廬竹閣の興は極めがたいのじゃ。
 臨済が植え来たってその功は空しくないのじゃ。
 閑にあかせて夢ばかり見ているのを枕上に恥じるのじゃ。
 夜来、屋根にふく風に驚いておきるのじゃ。

765 避難民のマジレスさん :2021/09/10(金) 23:27:52 ID:0ulgyI.g0
くま質問
 「閑にあかせて夢ばかり見ているのを枕上に恥じる」とは、ありのままを観ることをせず、妄想に耽るこ
とでは、悟りには至らない、みたいな事を言おうとしてるのでありましょうか?

525
讓羽山新剏一寺  讓羽山に新に一寺をはじむ
山名虚堂寺扁大燈 さんをき堂寺と名づけ、大燈と扁す、 
因述一偈     因って一偈をのぶ

茅屋三間起七堂 ぼうおく三けん七堂を起こす
狂雲風外我封疆 狂雲風外我がほうきょう
夜深室内無人伴 夜深うして室内人の伴ふ無し
一盞殘燈秋點長 一さんの殘燈秋點長し

柳田聖山先生訳
虚堂山大灯寺
わずか三間の茅葺の小屋を建て、七堂伽藍とし、
これを世捨て人、狂雲子の住む別天地とした。 
夜が更けても、この住いに自分以外は居ない。
燭台の残り火が秋の夜長を照らすのみなのだ。

くま訳
讓羽山に新しく一寺を始めたのである。
山名を虚堂寺、扁大燈と扁したのである。
因って一偈を以って述べるのである。

茅葺屋根の間口三間(約5.5m)の寺院である。
野宿暮らしの狂雲の住処としたのだ。
夜更けて、室内にはわししかいないのだ。
残灯の下で、一人で一杯飲む、秋の夜長である。

*七堂:七堂伽藍(しちどうがらん)伽藍はサンスクリット語 saṃghārāmaの音写である僧伽藍の略。イン
 ド本来の意味は,修行者たちが住する園林のことであるが,中国,日本では一般に僧侶の住む寺院堂舎の
 称。後世,一つの伽藍には7種の建物を備えなければならないとし,これを七堂伽藍という。
*一盞(イッサン):① 一つのさかずきや皿。② 一杯の水や酒。また、それを飲むこと。軽い飲酒。
(´・(ェ)・`)つ

766 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/11(土) 23:40:32 ID:1d4drIFg0
↑そのようなことじゃな。
 作務も禅では立派な修業だというのじゃ。
 怠けていてはいかんのじゃ。

 それでよいのじゃ。

 山に新しい寺を作って一偈をのべるのじゃな。

 三間の茅屋を起こして七堂となすのじゃ。
 わしが風をよける家とするのじゃ。
 深夜になれば誰もいないのじゃ。
 一杯飲んで秋の長夜を残灯が照らすのをみるのみなのじゃ。

767 避難民のマジレスさん :2021/09/11(土) 23:51:12 ID:BIGPSRTI0
526
聾       ろう
掛拂遭呵百錬金 ほつをかけてかせらる百錬の金
天生懐海耳根深 天生ゑ海じこん深し
眞聞眞箇在何處 眞聞眞箇いづれのところにか在る
爲鼓無絃一曲琴 爲に鼓す無絃一曲のきん

青柳仁先生訳・解説
馬祖さんのところで、払子を壁に掛けていた時、百丈さんは一喝されてね、三日もの間耳が聞こえなくなっ
たんだよ。
馬祖さんの一喝は根源的な真実を開示してくれる百戦錬磨の鍛え抜かれた金言なんだ。
その真実の言葉にはっと気づいた百丈さんは、聞こえない真実の言葉を聞き取る力を持っていたんだね。
いわば弦のない琴の音を聞き分けることができたので、馬祖さんは無弦の琴を奏でたんだよ。

※払を掛け、呵に遭う:『伝燈録六』にある。馬祖道一さんに一喝された百丈懐海さんが、三日間耳が聞こ 
 えなくなったという話。

くま訳

百丈は馬祖と同じように払子を曲彔(きょくろく)に立て掛けえたので、馬祖から百戦錬磨の金言の喝を受
けて悟ることができた。
百丈懐海は生まれながらにして聞き取る能力が高かったので、
真実を真に聞き分けることができたのであろう。
馬祖はそれがわかっていたので、無弦の琴で一曲奏でたのだ。

*爲鼓無絃一曲琴:無弦の琴、無孔の鐵笛、鼓吹し得て之を不聞裡に聴き来たって、始めて真箇の消息を七
 得るなり(大成脚注)
*聾:水上勉解説:百丈懐海が払子をかけて馬祖に大喝されて耳が三日もきこえなかった故事を下敷きに、  
 天性百丈は耳根がふかかったゆえに真聞真箇が悟れたとされる。
*真個・真箇:まことであること。事実であること。虚偽のないこと。また、そのさま。真正。しんか。ま
 ことに。実に。はたして。
(´・(ェ)・`)つ

768 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/12(日) 23:37:39 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 払子をかけて呵に遭う百錬の金なのじゃ。
 天が生み、海が抱いていた耳根は深く心に根ざしているのじゃ。
 真聞、真個はどこにあるのじゃろうか。
 鼓を打つのは弦のない琴で一曲演じる為なのじゃ。

769 避難民のマジレスさん :2021/09/12(日) 23:59:28 ID:d9q5xzjA0
くま質問
 「呵に遭う百錬の金」とは、耳が聞えなくなったが、真理を悟ることができた。
 「天が生み、海が抱いていた耳根は深く心に根ざしている」とは、天性の理解力の深さによるのである。
 「鼓を打つのは弦のない琴で一曲演じる為」合の手を入れるのは、自力で悟りを得るように導くため、い
 たいな理解で良いのでありましょうか?

527
病中還人送曲椂 病中人の曲ろくを送るを還す  
法座上禪名利基 法座上の禪は名利のもとゐ
諸方竪拂與拈鎚 諸方じゅほつとねんついと
圓悟金山遭大病 圓悟金山大病にあふ
苦吟小艶一章詩 苦吟す小艶一章の詩

くま訳
病中に、人から曲椂(寺での説法の時に使う椅子)を贈られたが、返したのである。
法座上の禪は名利を求めるものである。
諸方の師家は、払子をたてたり、鎚をひねったりし見せて指導する
圓悟は金山に行って大病を患ったのであるが、(圓悟にとって、苦はそこには無く、)
一章の小艶詩を吟じる中にあったのだ。 

https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/  >>889
*圜悟克勤(えんご こくごん、1063-1135宋代の禅僧圜悟禅師、仏果禅師、真覚禅師と敬称される。
 諸処の高僧のもとで修行し、最後に五祖法演の弟子となった。のち金山に行き病を得て、再び五祖法演の 
 もとに戻り、法を嗣いだ。
 碧巖録に垂示・著語・評唱を加えた。
*『五灯三元』十九にある禅宗史話。圓悟は金山で罹った大病が治って、師の五祖法演のもとに帰ると、五
 祖は陳提刑に小艶詩を提唱していた。それを耳にして園悟は大悟した。
(´・(ェ)・`)つ

770 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/13(月) 23:59:09 ID:1d4drIFg0
↑それは十分に実践して来た者が大喝にあったといことじゃな。

 人に拠るが聴覚に拠って自我を保つものも居るのじゃ。
 それが百丈であったのじゃな。
 そのために一喝を受けて悟れたのじゃ。

 本来無我の者にそれを悟らせるために、大喝をしたということじゃな。
 鼓は大喝であり、弦のない事とは衆生本来無我の仏であるということなのじゃ。

771 避難民のマジレスさん :2021/09/13(月) 23:59:52 ID:fdObWdiE0
528
亂裡工夫
毎朝高叫甚忙忙 毎朝高く叫んで甚だ忙忙
受敵機先當八方 敵を受けて機先八方に当たる 
観法坐禪休度日 観法坐禪日をわたることを休めよ
但須勤跋扈飛揚 だだ須らく勤めてばっこひようすべし

くま訳
混乱の中での工夫
毎朝大声で叫ぶ、はなはだ気忙しい
真先に攻撃を八方から受ける
徹夜して坐禅をするのはやめておけ
ただ、当然為すべきこととしては、常識など無視して、勝手に振舞うことである。

*忙忙(ぼうぼう、せわせわ)せわしくて落ち着かないさま。せかせ
*坐禅観法:坐禅を組んで、心中に悟道を黙想すること。
*飛揚跋扈(ひようばっこ):思うまま横暴に振る舞うこと。または、臣下が好き勝手に振る舞い、君主の力
 をこえること。「飛揚」は猛禽類の鳥が舞い上がること。「跋扈」は魚を捕まえるための竹垣の罠を飛び 
 越えて逃げること。悪人などが、常識や規則などを無視して好き勝手に行動することをいう。

772 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/14(火) 00:09:08 ID:1d4drIFg0
琴じゃな。

そんな感じじやな。

 病中に人から曲禄を送られるが還したのじゃな。

 法座の上の禅は名利の基なのじゃ。
 諸方の僧は払子を使い、槌を捻ったりするがのう。
 圓悟は金山で大病にあったが、
 小艶一章の詩の苦吟を聞いて悟ったのじゃ。

773 避難民のマジレスさん :2021/09/14(火) 00:17:27 ID:fdObWdiE0
>>770
鬼和尚、くまにも分かる解説を、いつもありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

774 避難民のマジレスさん :2021/09/14(火) 00:22:30 ID:fdObWdiE0
くま訳改
第三句:(圓悟にとって、苦はそこには無く、)削除
第四句:小艶一章の詩の苦吟を聞いて悟ったのだ
(´・(ェ)・`)b

775 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/14(火) 23:11:55 ID:1d4drIFg0
>>773 どういたしまして、まおい゛てなさい。

776 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/14(火) 23:14:42 ID:1d4drIFg0
>>771 それでよいのじゃ。

 乱の中での工夫じゃな。

 毎朝高く叫んで忙しいのじゃ。
 敵を受けて機先を制して八方に当たるのじゃ。
 観法坐禪は日をわたることを休めるのじゃ。
 ただすべからく勤めて自らを跋扈飛揚させるのじゃ。

777 避難民のマジレスさん :2021/09/15(水) 00:27:12 ID:NAZeRgmA0

くま質問
 「乱の中での工夫」とは、戦乱の中での工夫と言う意味と、仏道修行の中での心の乱れという意味をかけ
 てるのでありましょうか?
 「毎朝高く叫んで忙しい」とはどの様な状況でありましょうか?
 「敵を受けて機先を制して八方に当たる」とは、常に注意深く、周囲の状況や溢れ出す思考妄想に気付い 
 ていなさいみたいな意味でありましょうか?。
 「日をわたることを休める」とは、どの様な意味でありましょうか?
 「勤めて自らを跋扈飛揚させる」とは、常識や規則に囚われないで、自由に意識を飛翔させなさいみたい 
 な意味でありましょうか?
529
利欲忘名  1/2 利欲名を忘る 1/2
利欲農夫商女情 利欲の農夫商ぢょの情
絶交美譽與芳聲 交わりを絶つ美誉と芳声と
梅花雪月非我事 梅花雪月我が事に非ず
貪着米錢忘却名 米錢を貪じゃくして名を忘却す

くま訳
利欲は名分を忘れさせる
自分の利益を得ようとする農夫や商売女のような情や
名誉や名声とは縁を切花雪月は我事ではないのだ。
食い扶持を稼ぐことに執着すると、守るべき名分を忘れてしまうのだ。
 
*美誉:よいほまれ。立派な名誉。
*芳声:よい評判。名声。
*名:守るべき分際。名分
(´・(ェ)・`)つ

778 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/15(水) 22:43:17 ID:1d4drIFg0
>>777 そのような意味じゃな。
 戦と心の中の雑念の働きをかけているのじゃな。

 人々が戦で朝から争うのと心の働きが朝から騒ぎ出すのをかけているのじゃな。

 戦で敵から目を離さず注意深く防衛するのと、心を油断せず観察する事をかけているのじゃな。
 
 夜には休むべきというのじゃな。

 戦で全力で戦うことと、自らの心を練磨して修業に励むことをかけているのじゃな。

779 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/15(水) 22:58:19 ID:1d4drIFg0
>>777 それでよいのじゃ。

 利欲は名を忘れさせるのじゃ。

 利欲は農夫や商人や女子の感情なのじゃ。
 それで美誉や芳声と交わりを絶ってしまうのじゃ。
 梅花雪月を我が事に非ずとして、
 米銭に貪欲に執着して名声を忘れてしまうのじゃ。

780 避難民のマジレスさん :2021/09/16(木) 04:10:22 ID:duC0Z0a20
くま訳改
第三句:梅花雪月を我が事に非ずとして、

530
利欲忘名  2/2 利欲名を忘る
賣弄深藏貪欲心 まいろう深くかくす貪欲の心
心中密密要黄金 心中密密に黄金をもとむ
詩情禪味風流譽 詩情禪味風流のほまれ
秋思春愁雲雨吟 秋思春愁雲雨の吟  

くま訳
利欲忘名 2/2
優れた者のように振る舞っていても、貪って飽くことの無い思いを深くかくしてるだけの者は、
心の奥底では黄金を求めているのである。
そんな俗気を離れた味わいのある詩情が、風流の誉である。
秋のもの悲しい思い、春の愁い、雲雨情交等を吟じるのだ。

*売弄(ばいろう):自慢すること。すぐれているようにふるまうこと。
*禅味:禅の趣。禅の、俗気を離れた味わい
(´・(ェ)・`)つ

781 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/16(木) 21:41:19 ID:1d4drIFg0
 それでよいのじゃ。
 よくできたのじゃ。


 また利欲で名を忘れるのじゃ。
 
 売弄する者は貪欲の心を深く隠しているのじゃ。
 心の中には深く隠しているが黄金を欲しているのじゃ。
 詩情の禪味、風流の譽を知らんのじゃ。
 秋思春愁に雲雨を吟じるのじゃ。

782 避難民のマジレスさん :2021/09/16(木) 23:55:24 ID:LKUxK5AY0
531
紅葉題偈以呈多欲之僧 紅葉に偈を題して以って多欲の僧に呈す
滿庭落葉無僧掃 滿庭の落葉僧のはらふ無し  
南陽擁來猶落草 南陽擁し來たる猶ほ落草  
自悔成欲界衆生 みづから悔ゆ欲界の衆生と成るを
君子愛財是何道 君子財を愛す是れ何の道ぞ

くま訳
紅葉に題をとって偈頌を作り、欲深い僧(養叟宗頤)に呈するのである。
庭いっぱいに落葉があっても、掃除をする僧はいない
南陽慧忠を擁し(円相を説いても)ても、山賊になったようなものである
欲界に生れたことを、自分で後悔しているのであろう。
君子財を愛すとは、これのどこが仏道なのだ。

*南陽慧忠(なんよう えちゅう、675-775年、唐代の禅僧。諡は大証禅師。禅宗の六祖慧能の直弟子であ
 る。粛宗・代宗と2代の皇帝の参禅の師となり、慧忠国師と称せられた。ウィキペディア(Wikipedia)
(´・(ェ)・`)つ

783 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/17(金) 23:28:57 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 紅葉の題の偈を多欲の僧に呈するのじゃ。

 万庭の落葉、払い清める僧はいないのじゃ。
 南陽が擁し来たのは猶落葉なのじゃ。
 欲界の衆生と成ることを自ら悔いるべきなのじゃ。
 君子が財を愛するとはどのような道なのじゃ?

784 避難民のマジレスさん :2021/09/17(金) 23:57:26 ID:.9jQ8Mx60
*落草:動詞 ((宋元明清時代の話し言葉の上に形成された書き言葉)) 盗賊の仲間に入る,山賊になる.

くま質問
「南陽が擁し来たのは猶落葉なのじゃ。」とは、南陽慧忠を擁し(円相を説いても)ても、山賊になっ
たようなものであるという解釈で良いでありましょうか?

532
題靈山塔贈正傳庵僧 りょうぜんの塔に題し、正傳庵の僧に贈る
看來眞箇正傳庵 看來たれば眞箇正傳庵
不説宗乗唯世談 宗乗を説かずただせい談
凛凛威風逼人冷 凛凛たる威風ひとにせまってすさまじ
當機覿面有誰参 當機てき面誰有ってか参ぜん

くま訳
霊山塔と題して、正伝庵の僧に贈る
見に来てみれば、真に正伝の寺院である。
自宗の教義は説かず、一般的な共有できる話をする。
凛とした威風がすさまじく圧倒してくる。
臨機応変な対応できる、参って見ようかという勇者はいないか

*霊山:=徹翁義亨(てっとう ぎこう)1295―1369。臨済(りんざい)宗。京都建仁寺で出家,宗峰妙超の法   
 をつぐ。大徳寺1世となり,法度(はっと)を制定する。のち徳禅寺をひらき隠居
*大徳寺 - 徹翁義亨の塔所正伝庵もある。(乱により焼失した徳禪寺を一休が大徳寺内に再建)
*宗乗:自宗の教義。もと禅宗で、禅門の宗義や禅の極致をいった語。他の教えを余乗といって区別した。
(´・(ェ)・`)つ

785 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/18(土) 23:00:01 ID:1d4drIFg0
↑ 落草じゃった。
 そのようなことじゃな。
 その法もまだ足りないところがあったということじゃな。

786 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/18(土) 23:05:32 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 靈山塔の題を正傳庵の僧に贈るのじゃ。

 看来たれば真個の正伝庵なのじゃ。
 宗乗を説かずただ世間話をするのじゃ。
 凛々たる威風は激しく人に迫ってくるのじゃ。
 機に当たって正面から参禅できるものがいるじゃろうか。

787 避難民のマジレスさん :2021/09/18(土) 23:25:15 ID:AK2QRmX60
くま訳改
霊山塔と題して、正伝庵の僧に贈る
第二句:宗乗を説かずただ世間話をするのだ。

533
佛眼遠禪師三自省曰  佛げんをん禪じ三自省に曰く
報縁虚幻不可彊爲   報縁虚幻しひて為すべからず
浮世幾何随家豊儉   ふせいいくばくぞ家の豊儉に随ふ
苦樂逆順。道在其中。 苦樂逆順。道其のうちに在り。
動静寒温。自媿自悔  動じゃう寒温。みずからはじ自ら悔ゆ

自悔自慚温與寒 自ら悔ゆ自ら慚づ温と寒と
看看三界本無安 看よ看よ三界もと無安
愚迷正是衆生樂 愚めいはまさにこれ衆生の樂  
嘗蜜猶忘井底難 蜜をなめて猶ほせい底の難を忘る

くま訳
仏眼清遠禪師の顕した三自省に曰く
幻想的な仏縁を強いて求めてはならない。
浮世での在り様は、家の豊かさ貧しさにある程度関係するのである。 
苦あれば樂あり、楽あれば苦あり。仏道は其中にあるのである。
動と静、寒と温。自らを省みて愧じ、悔いてみるのである。

温寒を自省してみれば、
見よ、元から、現世は、心安らぐことがない。
愚迷で真理を知らぬことが、衆生の楽というものだ。
蜜をなめて、井の底の困難を忘れようとしているのだ。

*仏眼清遠(1067-1120) は五祖法演の法嗣で北宋末期の僧、仏果克勤・仏鑑慧勲とともに東山の三仏と称さ
れ、仏眼派の派祖。三自省:おまけ 参
*法縁:仏法に会う縁。仏縁。法を縁とする慈悲。
*虚幻(中国語):形容詞 〔非述語〕幻の,幻想的の,実体のない.
*浮世(ウキヨ・ふせい)1《もとは「憂き世」の意》仏教的厭世観から、いとうべき現世。つらいことの 
 多い世の中。無常のこの世。2 死後の世に対して、この世の中。現実生活。人生。3 つらいことの多い 
 男女の仲。4 《漢語「浮世(ふせい)」を「うきよ」と解して》定めのない、はかない世の中。はかない 
 世なら、浮かれて暮らそうという俗世の気持ちを含む。5 《近世初期から、現世を肯定し、享楽的な世 
 界をいう》遊里。また、遊里で遊ぶこと。6 他の語の上に付いて、当世風・今様の、または好色・風流 
 などの意を表す。[補説]本来は、形容詞「憂(う)し」の連体形「憂き」に名詞「世」の付いた「憂き世」 
 であったが、漢語「浮世(ふせい)」の影響を受けて、定めない人世や世の中をいうように変化し、「浮き 
 世」と書かれるようになった。はかないこの世の中。うきよ。
*随家豊儉:暮らし向きが豊かなら豊かなりに、貧しければ貧しいなりに。
*三界無安(さんがいむあん):現世で生きることは、苦しいことや悩むことが多く、心が落ち着いて楽になる 
 ことはないということ。「三界」は欲界、色界、無色界の三つの世界のことで、現世のことをいう。
「無安」は心が安らぐことがないこと。
*愚迷(ぐめい): 真理の道を知らず、愚かで迷いの多いこと。また、そのさま。
(´・(ェ)・`)つ

788 避難民のマジレスさん :2021/09/18(土) 23:30:09 ID:AK2QRmX60
おまけ1
*仏眼清遠(長谷川昌弘先生解説抜粋) (1067-1120) は五祖法演の法嗣で北宋末期の僧、仏果克勤・仏鑑慧
勲とともに東山の三仏と称され、仏眼派の派祖
禅風は静的で言句にとらわれることのないものであったことが窺われる。一方で古来より彼の「坐禅銘」が
禅門では著名であり、坐禅を重視したことも明らかである。これらの点で既に虎丘派や曹洞宗との思想的近
似性は充分感じられるのである。・・・・

仏眼の「坐禅銘」は・・・「標指六偶井叙」に・・迷悟」、「坐禅」、「入道」、「見聞」、「水月」、
「語黙」の六篇の内の一つであり、元来はそれ自体独立したものではない点である。さすれば仏眼の「坐禅
銘」はやはり他の五偶とともに総合的に理解されるべきものであろう。しかるに「坐禅」においては・・
分別心の起滅は自然のままにせよという悪くいえば無事禅的雰囲気も感じられるが、起滅は「自心」より現
ずるとして「自心」の追求に重点が置かれている。・・・
仏道は元々きずが無いとして本来仏であるからあらゆるものが悟りのあらわれであるという本覚門的な現成
公案を強調し、言句に対して否定的態度を表明している。そしてそれは徹底した「自心」において可能であ
るとしている。・・・
仏眼の六偶の主眼は本来仏であるが故の「自心」の徹底肯定であり、それは頓悟によって可能なことであり、
またそれが故に仏法はあまねく目前に現成しているということにあると考えられる

佛眼三自省(読み下しなどは、今回は断念)
是身壽命,如駒過隙,何暇閑情?妄為雜事。既隆釋種,須紹門風。
諦審先宗,是何標格?道業未辦,去聖時遙。善友師教,誠不可捨。
自生勉勵,念報佛恩。惟已自知,大心莫追。報緣虛幻,不可強為。
浮世幾何,隨家豐儉。苦樂逆順,道在其中。動靜寒溫,自愧自悔。

*おまけ2「南禅院参道彫刻」石畳に彫られた仏教の教えである万物のもととなる、地・水・火・風・空の
 5つのシンボルの彫刻。(詩の解釈とは無関係である。幾何・禅でヒットしたのである)
 https://blog.goo.ne.jp/mimoron/e/9a9b7c96c8d9d0589cba7bd9e05bfd38
(´・(ェ)・`)b

789 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/19(日) 22:59:22 ID:1d4drIFg0
 
 それでよいのじゃ。

 仏眼遠禅師の三省に曰くなのじゃ。

 報縁は虚幻であるから強いて成すべからずなのじゃ。
 浮世の生活は家の豊貧に随うのじゃ。
 苦楽順逆、道はその中に在るのじゃ。
 動静寒温、自ら愧じ、自ら悔いるのみなのじゃ。

 自ら悔い、自ら愧じる、温と寒なのじゃ。
 見よ見よ、三界は本から安心はないのじゃ。
 愚にして迷うは正にこれ衆生の楽しみとするところなのじゃ。
 蜜を嘗めてなお井戸の底の苦しみを忘れるようなものじゃ。

790 避難民のマジレスさん :2021/09/20(月) 02:34:17 ID:E.CBLgGI0
くま質問
「報縁は虚幻であるから強いて成すべからず」とは、仏道に縁があるとなどということは幻想であるから、
その縁に酬いる為に修行をしようなどとするべきではないというような意味でありましょうか?

534
各見不動
水流四念不同心 水は流る四念不同の心
佛界魔宮亘古今 佛界魔宮古今にわたる
寒窓風雪梅花月 寒そうの風雪梅花の月
酒客弄盃詩客吟 酒かく盃を弄し詩客は吟ず 

くま訳
各見解ゆるぎなし
四種の修行法は、説明は違っても、固定されない心に気付く為の法である。
仏界でも魔界でも、古今にわたって、
寒窓から見える風雪梅花月は、
酒客の盃をすすませて、詩客に詩を詠ませるのである。

*四念:四念所、又は四念住ともいひ、三賢位のうち念所の位に於いて修する観法。身念住、受念住、心念 
 住、法念住、吾人が浄、楽、我、常の四顚倒の盲見を起こす対象は、身、受、心、法の四法なり、今此の
 盲見を破せんがために、能観の知を以って身は不浄なり、受は苦なり、心は無常なり、法は無我なりと観
 ず、別想念住位にては別々に之を観じ、總想念住位に於いては、すべて同一時に之を観ず。(大成脚注)
 四念処(しねんじょ)四念住ともいう。仏教で 37種の修行を7つの部類に分けたものの第一で,この部
 類に属する4種の修行をさす。念処とは記憶をとどめおくことで,真剣な思いを意味する。 (1) 肉体の
 不浄 (身念処) ,(2) 感覚の苦 (受念処) ,(3) 心の無常 (心念処) ,(4) 法の無我 (法念処) に思いを
 凝らす観法。7つの部類の一つとして明確に位置づけられたのは後世であって,原始経典中には,上記の
 4種を独立の修行法として説く場合が多い。
*水流元在海、月落不離天。 水流れて元海に在り、月落ちて天を離れず
水はどこを流れても結局は海に帰り、月は落ちても天を離れることはない
種々に説示のしようは異るとも本分から離れはせぬ
(´・(ェ)・`)つ

791 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/20(月) 23:51:30 ID:1d4drIFg0
↑そのような理解で善いのじゃ。
 俗世の慣習であるから囚われてはいんのじゃ。

 それでよいのじゃ。

 各見不動なのじゃ。

 四念は水流の如く不同の心なのじゃ。
 仏界も魔界も昔から今まで常にあるものじゃ。
 冬に窓を開ければ風雪にも梅花が月の下に咲いているのじゃ。
 酒客は盃を弄び、詩客は詩吟するのじゃ。

792 避難民のマジレスさん :2021/09/20(月) 23:58:56 ID:DDCdnTZ20
535
賛大應國師
看看佛日照乾坤 看よ看よぶつにち乾坤を照らす
天上人間唯獨尊 天上人間唯独尊
禪者如無渡東海 禅者もし東海を渡る無くんば
扶桑國裡暗昏昏 扶桑国裡暗昏昏 

柳田聖山先生訳
看よ仏の光は天地を照らす 
この人間世界にはただ独尊
老師が海を渡らなかったら
この日本に夜明けは見えず 

くま訳
大應國師を賛す
看よ仏の光明が天下を照らす 
天上界人間界でただ一人尊い 
大應が修行僧として東海を渡らなかったら 
日本国は暗黒の中にあったであろう。 

*天上人間(てんじょうじんかん)天上界と人間界のこと。または、絶対に通ずることのなく、遠く隔たって 
 いることのたとえ
*↓大応国師の木像を安置しています。この像は一休さんが63才の時につくられたものだそうである。
 http://www.ikkyuji.org/keidai_annai/kaizandou/kaizandou.html&quot;
(´・(ェ)・`)つ

793 避難民のマジレスさん :2021/09/21(火) 00:16:59 ID:aNaEJB1A0
>>790
くま訳全面改
各見解ゆるぎなし
第一句:四念は水流の如く不同の心なのだ。
第二句:仏界も魔界も昔から今まで常にあるものである。
第三句:冬に窓を開ければ風雪にも梅花が月の下に咲いているのだ。
第四句:酒客は盃を弄び、詩客は詩吟するのだ。
(´・(ェ)・`)b

794 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/21(火) 23:01:10 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 大應國師の賛なのじゃ。

 見よ見よ仏の光が世界を照らすのじゃ。
 天上人間の中でただ独りの尊者なのじゃ。
 その禅者がもし東海を渡らなかったら、
 この国は昏昏として暗いままだったじゃろう。

795 避難民のマジレスさん :2021/09/21(火) 23:16:52 ID:6ksfPKqo0
536
拾馬糞修斑竹 1/2 馬糞を拾ふてはん竹を修す 
煨芋懶殘舊話頭 わいうはらい殘の旧話頭
不求名利太風流 名利を求めずはなはだ風流
相思無隙此君雨 相思げき無しし君の雨
拭涙獨吟湘水秋 涙をぬぐふて獨り吟ず湘水の秋

くま訳
馬糞を拾って肥料にして、観賞用の斑竹を育てる  1/2
芋を焼いた、懶瓚和尚の古い公案
名利を求めることなく、はなはだ風流である。
雨に濡れる竹について思いをめぐらす風流さのように、自然な教として隙が無いのである。
身を投げた屈原を偲び涙を拭い独り吟じるのである、湘水の秋について

*懶殘:懶瓚和尚なるべし(大成脚注)
 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/  >>864 >>863
*斑竹(はんちく)稈の表面に黒褐色の斑紋がある。観賞用にされ,竹材は家具材にされる。
*隙なし(げきなし・ひまなし)①すきまがない。②絶え間がない。ひっきりなしである。③心のすきがな
 い。油断がない。
*此君(シクン):「晋書」王徽之伝の、竹を賞して、「何ぞ一日も此の君無かるべけんや」とある故事か
 ら》竹のこと。
*雨竹風松皆説禅  雨竹風松皆禅を説く(大慧普覚禅師語録)
 はあさん先生訳
 雨に濡れた竹も、風に揺らぐ松も、皆これ禅の大説法なり。大自然の営み、あらゆるものが説法だ。
  大慧普覚禅師は圜悟克勤の法嗣で,大慧派の始祖。大慧宗杲(そうこう)(1089-1163)。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/  >>850
(´・(ェ)・`)つ

796 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/22(水) 23:56:32 ID:1d4drIFg0
 
 そんな感じじゃな。

 馬糞を拾って斑竹を修めるのじゃ。

 懶殘の芋の話は古い公案なのじゃ。
 名利を求めずはなはだ風流なのじゃ。
 隙間なく互いに愛し合うこの君の雨なのじゃ。
 涙を拭って一人吟詠する湘水の秋なのじゃ。

797 避難民のマジレスさん :2021/09/22(水) 23:59:18 ID:Vo0l78pI0
537
拾馬糞修斑竹 2/2 馬糞を拾ふて斑竹を修す
看看我養鳳凰心 看よ看よ我が養ふ鳳凰の心
燕雀鳩鴉山野禽 燕雀きうあは山野の禽
臨濟栽松一休竹 臨濟は松をうゑ一休は竹
三門境致後人吟 三門の境致後人の吟

くま訳
馬糞を拾って肥料にして、観賞用の斑竹を育てる 2/2
見よ、我が霊鳥のような心を
燕や雀や鳩やカラスは、山野の禽獣である。
臨濟は松を植え、一休は竹を植えるのである。
将来の境内の景観と、門人の指針とならんがために。

*三門境致後人吟:臨済栽松 524の詩 参
(´・(ェ)・`)つ

798 鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM :2021/09/23(木) 23:09:13 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 また馬糞を拾って斑竹を修めるのじゃ。

 見よ見よ我が養う鳳凰心なのじゃ。
 燕雀鳩鴉は山野の禽獣なのじゃ。
 臨済は松を栽培し、一休は竹なのじゃ。
 これも三門の境を後人に吟詠させるために致すのじゃ。

799 避難民のマジレスさん :2021/09/23(木) 23:36:32 ID:yO5CiIXo0
538
宗春居士下火 行年三十七 宗春居士のあこ 行年三十しち
彌勒釋迦也馬牛 彌勒釋迦また馬牛
春風脳